「面白い」「楽しい」という感情は何なのか?
生きるのに必要な作業を面白い、楽しいと感じる個体が生きるのに有利で生き残り、その子孫が俺らなんじゃないか
物語において面白さを生むと言われてるのが他人との対立、非日常、事件
これらを楽しめる個体のほうが有利なわけだよね
RPGでキャラを強化する、ひいては自己を強化するのが面白いと思える個体のほうが有利
エンタメの王道、バトルも楽しめたほうが有利
人は戦いが好きな部分がある
生存と生殖に繋がる行動に対して、人間はドーパミンが出るようになっている
逆にいうと、そうじゃない個体は淘汰されたということ
それは人生の暗闇の足元を、ぽつり、ぽつりと灯す道しるべである。
VIPPERには「人生がつまらない」と言う人が多いけどなんでつまらないのか
人の個体の特徴にはバリエーションが生じる
みんな同じだったら何かあったときにみんな同じことをして全滅だからバリエーションがあったほうが有利
人生がつまらないと感じる個体も必要なのだろう
イヌっころが投げた球を咥えて戻ってくるのは
イヌっころが面白い楽しいと感じているからだが
それが生き残るのに有利だのなんだのとは
>>7
犬が自分で生き残るために楽しもうと考えてるわけじゃない
結果的にボール遊びが楽しいと感じる犬が生き残ってその子孫がその犬だからその特徴を受け継いでる
バリエーションが生じない生物はどこかで全滅して生き残ってないのかもしれない
ならば人生を面白いと感じるようになるにはどうすればいいか?
「仕事を楽しもう、面白がろう」「思考や勉強を楽しもう、面白がろう」としてもそこはコントロールが難しいと思う
ちなみに俺は仕事も思考も勉強も楽しい
だがなるべく作業を嫌いにならないようにする、好きになろうとすることはある程度は可能かも
例えば原始的なものだと、食料や資源を確保できたら人間はドーパミンが出る
料理、園芸、釣り、山菜取り、DIY、キャンプ…その喜びはこの人間の機能を利用している
学校や親の強制力でもって無理矢理勉強をやらされる義務感や、嫌でも勉強するさいのめんどくささなどの悪感情を身体が学習して嫌いになる
快感を感じるとそれを身体が学習して好きになる
勉強が嫌いにならないためにはなるべく快感を感じる勉強だけやること
好きなときに好きなように好きなことを勉強して嫌になったら即やめる
だとしたら楽しいこと、面白いことをやる快楽主義が「生きるのに必要な作業を楽しめる」ことにつながっていく
ちなみに人体の感覚や感情はときどきエラーを起こす
喫煙、飲酒、大食らいなど生きるのに不利なものにも快感を感じることがあるので快楽を追うだけだと危険
人間の持つ本能的にドーパミンが出る行動を、後天的に嫌いな者だと上書きされてしまったわけね
例えば勉強で自己成長するのは本来は楽しいことだ
しかし罰を与えられたり恥をかかせられることにより、勉強が嫌いになるなど
>>14
そうだと思うよ
人は知識欲があるしゲームの知識を得るのは楽しい人も多いわけだろ
>>16
そう、人間の本来の機能としてそれがある
でも後天的にその回路を潰されてしまう人間も多いわけだよね
勉強をして知識が増えることは本来楽しいことだ
しかしそれとセットで、バカにされた、恥をかかされた、人間関係のトラブルがあった、などということが起こると、勉強=嫌なこと、という脳の回路が出来上がる
これは逆方向の条件付けだ
悪のパブロフの犬、みたいなもの
これを意図的に解除する必要がある
後天的に潰されたドーパミン回路を復活させる必要がある
勉強をしたことにより、良い結果が出て嬉しい、という行動を行い、自分の脳を再度上書きする必要がある
そのためには、純粋に興味があったり知識が増えることが嬉しい勉強、または小さくても勝てる勉強、を行えば良い
そのうち脳が書き変わるだろう
>>17
そうだよ
心理学では正の強化、負の強化と言うんだけど
勉強したら自分を褒めたりうまいものを食ったりして好ましい刺激を身体に与えると勉強が好きになっていくのが正の強化
負の強化は嫌な刺激を取り除くことで身体が勉強したがるようにする
選択肢があると好きな方を選んでしまう
スッキリする方を
>>18
それが必ずしも悪いことではないんだが社会上は嫌なことから逃げたら社会的成功が遠ざかるから時には逃げないことも大事
>>18
いいね
やっぱりパブロフの犬っぽいね
楽しさや喜びの期待を意図的に自分の脳に条件付けしてあげればいいんだ
現代人はそうやって潰されたドーパミン回路を復活させながら生きていくのが良いと思う
なるべく楽しめる範囲内でやるのは大事だが、人生において嫌でもがんばってやらなきゃならないことが必ず出てくるんだよ
だからすべて楽しめる範囲内でやるのは不可能
自分が生きている内に充実できたと思える事が多ければ思い出は多くなり様々な事を経験した自信も付き価値ある人生だと胸を張ることができる。
これは個人差大きいだろうが必然的に人との繋がりも多くなり出会った人々こそが生きた証であり生き様を覚えてもらえる。