【艦これ】鳥海は空と海の狭間に【その3】
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提督と艦娘、艦娘と深海棲艦。
私たちにはいわば立場があります。どう出会うかは立場によって左右されるんだと思います。
彼女と実際に出会ったのは戦場の最中でした。
必然であれ偶然であれ、そんな場で出会ってしまえば何が起きてしまうかは……。
私たちの間には血が流れるしかなかったのかもしれません。
たとえ望まずとも。
だけど、こうも考えてしまうんです。
もう少しだけ違う出会いかたをして、ほんのちょっとだけ別の言葉をかけていれば。
私たちには異なる可能性もあったのかもしれません。
出会いがあれば、もちろん別れもあります。
別れを決めるのは出会いかたじゃなくて、どう交わったかなんだと思います。
もし違う交わりかたをしていれば、結末は違ったのかもしれません。
……別れが避けられないのだとしても。
六章 面影の残滓
二月。日本なら冬の厳しい寒さが続きながらも春の兆しが見受けられる時期だが、赤道に近いトラック泊地では縁のない話だ。
冷房のやんわり効いた執務室で、提督は秘書艦の夕雲から諸々の報告を受けていた。
「……以上が現在の各種資材の備蓄量になりますね」
「せっかく先代が貯蓄していた修復材をごっそり放出することになるとはな」
ぼやく調子で言いながら、提督は差し出された報告書を前にため息をつく。
つい数日前までトラックに寄港していたラバウル行きの輸送船団には燃料や弾薬は元より、食料や真水、衣類などといった品目に加えて、高速修復材が積み込まれていた。
大部分は本土からの輸送品だが、修復材に限ってはトラック泊地が備蓄していた分もかなりの量が提供されている。
「各島に分散していた分まで回収しましたからね」
夕雲はなだめるように笑ってから、つけ加える。
「でも向こうの戦況を考えれば仕方ありませんよ。それに先代でも同じようにしていたはずでしょうし」
「……やっぱりラバウルは苦しそうか?」
「夕雲たちトラック艦隊は無事に引き上げられましたが、苦しい状況のままだったのは確かですね。私たちもかなりの被害を受けましたし」
言われて提督にはとある顔が思い浮んだ。
ようやく艦娘の名前と顔が一致するようになっていた。
「大井が無事でよかった」
「ええ、もう少し応急処置が遅れていたらどうなっていたのか……」
「大井や鳥海、他も手酷くやられて……しかも、ウチの被害はそれでも軽い方だからな」
ガダルカナル島の攻略を目指した廻号作戦は、第二段階であるブイン・ショートランドを拠点化するための進出を果たしていた。
また二段階作戦時にベラ・ラベラ島近海やソロモン海側でそれぞれ生起した海戦では、重巡棲姫や複数のレ級といった多くの深海棲艦を撃沈している。
しかしながら激しい戦闘により、ソロモン海側では歴戦の艦娘も含んだ少なくない数の喪失艦を出すなど被害もまた大きい。
「送り出すだけ送り出して、ただ待つしかないのも気を揉むな……先代が前線に出たがった気も分かる」
「提督。夕雲も先代が前線に出るのを嫌がった鳥海さんの気持ちが分かりますよ?」
釘を差す一言に提督は曖昧に笑い返す。
ラバウルのみならずブインとショートランドも抑えてはいるが、盤石とはとても呼べない状態だった。
少なくない艦娘が現地に防衛戦力として留まる中、トラック所属の艦娘たちはトラックへと帰還している。
ラバウル方面に戦力が集中しすぎていたし、輸送路の中継点であるトラックの守りが疎かになっていると判断されたために。
「ラバウルもせっかく占領したのにブインらともども毎日空爆されて、輸送船団の航路には潜水艦隊が跳梁するようになった。まさに消耗戦だ」
状況をまとめた提督は、思い立ったように夕雲に聞く。
「あのヲ級改とでもいうような深海棲艦はどんな様子だった?」
「ヲキューさんですか? 不審な点という意味でしたら特には。むしろ積極的に協力していたぐらいですよ」
夕雲は人差し指を口元に当てると、ほんの少しだけ目を細める。
そうすると少女らしい見た目の夕雲に、大人の女としての色が立つように提督には見えた。
「何か気がかりでも?」
「いやなに、鳥海は自分で面倒を見ると言ったが、本当のところはどう見えるか他の意見も聞きたかったんだ」
「ああ……そういう。同じ船に乗りかかったからには一蓮托生ですよ。ここだけの話、初めは連れていくのもどうかと思っていましたけど」
夕雲は悟ったように首を振る。
「でもヲキューさんも自分の居場所を守るためには戦うしかないのでしょう。ですから提督、あの子も夕雲たちとあまり変わりませんよ」
提督は何か言いたげに口を開いたが、そこからは言葉が続かない。
やり場がなさそうに提督は夕雲から視線を逸らしていた。
◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆
鳥海たちは作戦室を借りて、廻号作戦の反省会を行っていた。
先日の海戦に参加していた者だけでなく、扶桑と山城に白露型からは時雨や海風も話を聞こうと会に加わっていた。
海図や航空写真を貼りつけたアクリル板の前で、鳥海が進行役をする。
まずはヲキューの運用方法や海戦全体での行動の見直しとなり、やがてネ級とツ級の話題へと移っていく。
「ツ級からですが、実際に交戦した球磨さんたちからお話をうかがいたいんですが」
「何度か話が出てるけど防空巡洋艦クマ。摩耶が機銃で身を固めてるなら、あっちは両用砲で弾幕を張ってくる感じクマ」
「砲戦の時は速射でこっちの出足をくじいたり退路を塞ごうとしてきたにゃ。こっちの動きをよく見てたということにゃ」
球磨と多摩がそれぞれの印象を語ると、球磨が後ろの席に座る北上と大井に振り返る。鳥海もそれを自然と目で追う。
ちょっと前よりも二人の距離は、さらに近づいたように見える。たぶん気のせいじゃない。
大井は先の海戦にてネ級の攻撃でかなり危険なところまで追いこまれていたが、なんとか九死に一生を得ていた。
それが二人には作用しているのかもしれない。身近な存在がそばにいる大切さとして。
「北上たちはどう思ったクマ?」
「うーん、攻めるのは得意だけど攻められるのは苦手なのかも。あたしと大井っちで撃ち合ってた時はそんなに怖くなかったかな」
「二対一というのを差し引いてもそうでしたね。砲撃に専念されると厄介でも、早い内からしっかり狙っていけば、そこまで難しい相手じゃないはずよ」
「となると艦載機でしかける時が問題だよね」
飛龍が横から言う。
ツ級については、やはり艦載機への打撃力が大きいのが何よりの特徴になる。
そして、これは分かったところで簡単に手を打てるような話でもなかった。
「もし敵艦隊にツ級がいたら、最優先で狙っていくしかなさそうですね」
「だね。無傷とはいかないだろうけど、ほっとけばほっとくほど被害が出るなら早いうちに叩いてしまわないと」
それが艦載機への被害を減らすことになり、総合的には航空戦力の維持にも繋がるはずだった。
ひとまずの結論が出たと見て、鳥海はネ級の話へと進める。
「ではネ級のことですけど……」
「強敵にゃ。いくら未知の相手でも、単体であそこまでやられるとは思わなかったにゃ」
「次に会ったらギッタギッタにしてあげましょうかね。そうするだけの理由もあるからねー」
多摩と北上がすぐに声に出す。
実際、ネ級の戦闘力は予想以上だった。
先の海戦における球磨たちの被害は大井と木曾が大破、球磨と多摩、嵐が中破という惨状で、ほとんどがネ級からもたらされている。
「どういう敵なんです? データとかあれこれは拝見しましたけど」
重巡棲姫と同じく自立した生き物のような二つの主砲に、三十八ノットはあろうかという快速に軽快な運動性能。
特殊な体液をまとっているためか非常に打たれ強く、身体も強靱で四肢そのものが一種の凶器となっている。
そういった性質からか接近しての戦闘……それも至近距離での戦闘を好むらしい。現に木曾とはサーベルと素手とで格闘戦を行っている。
重巡棲姫との戦闘を振り返ると、自分との共通点を見いだしてしまうような気持ちで鳥海はなんとなく嫌だった。
鳥海はそういった情報を挙げてきた木曾が、反省会が始まってからずっと黙ったままなのに気づいている。
退屈してるとかではなさそうで、話はちゃんと聞いているようだけど。
不審には思っても、話を振って聞き出すきっかけを見つけられずにいた。
「獣みたいなやつだったクマ」
「獣のように動くやつにゃ」
「動物っぽい姉さんたちがそれを……いえ、確かにその通りでしたけど」
球磨、多摩、大井の意見は一致していて、鳥海は獣らしいという印象を強める。
イ級のように人型と呼べない相手もいるけど、獣のように感じたことはほとんどない。
そうなるとネ級はやはり異質なのかもしれない。
「そんなやつだから動きが読みにくいにゃ。いきなり狙う相手を変えたり、魚雷に向かって跳ねて避けようとしてたにゃ」
多摩はそこで首を傾げ、鳥海は不思議に思った。
「どうしたんです?」
「……ツ級を守ろうという意思はあったような気がするにゃ。多摩と木曾と撃ち合ってたと思ったら、急に離れたところにいた北上たちに向かっていったにゃ」
「なるほどなー。言われてみれば」
北上も大きく頷く。
「確かにネ級がこなければ、あと一押しでツ級を沈めていたはずだよねえ」
「となるとツ級の危険を察知して矛先を変えた……?」
「でないと説明がつかないにゃ。木曾はどう思うにゃ?」
「え? ああ……うん、たぶんそうじゃないかな」
話を振られた木曾は驚いたような顔をしてから応じる。
木曾さんにしてはずいぶんと歯切れが悪くて、これでなんでもないというのは無理がある。
「ちゃんと聞いてたにゃ?」
「聞いてたよ。あのネ級は確かにツ級を守ろうとしてたしツ級もそうだった……けど、それがそんなに特別なことかよ。深海棲艦だって僚艦の支援ぐらいやるだろ」
どこか突き放すような調子だった。
鳥海は木曾に訊いていた。
「何か気になることがあるんですね?」
「……鳥海は何も感じなかったのか?」
「いえ……」
鳥海は正直に首を横に振った。
こういう遠回しな言いかたを木曾さんがする時は、一種の決まり事がある。司令官さんの話をする時だけ。
……分からないのは、どうしてこのタイミングでそんな話が出てくるのかということ。
寂しげに肩を落とした木曾だが、すぐに思い切ったように手を挙げた。
鳥海が促すと木曾はすぐに話し始めた。
「俺が思うに、あのネ級は短期決戦型だ。おそらく高性能と継戦能力が両立できてないんだ」
「そう考える根拠は?」
「まず対空戦闘でどのぐらい弾薬を消費してたかは分からないけど、砲戦の途中で弾切れを起こしていた。一会戦で尽きるってのは、元の搭載量が少ないからだと思う」
「それは確かに早いですね……」
「それから、あの黒い体液だ。あれはたぶんあいつ自身の血だよ。これはヲキューにも訊きたいんだけど、あんたたちの血は装甲みたいに硬くなったりするのか?」
後ろのほうに座っていたヲキューに視線が集まる中、彼女は否定した。
「ソウイウ話ハ聞イタコトガナイ……モシソウナラ……ネ級ガ特殊ナ個体ダトイウコト」
「そうか……でも俺は確信してるよ。あのネ級は血を流しながら戦ってるんだ。そんなやつが長時間戦えるとは思えないな」
木曾の話はまだ仮説の域を出ていないが説得力がある。
一度きりの交戦で断じるには早すぎるが、対策の指針にするには十分だった。
「つまり持久戦に持ち込んで消耗を待つのが一番、ということですね」
「……ああ。あいつもそれを知ってか知らずか、無理やり突っ込んできて混戦にしようとするんだけどな」
鳥海の言葉に木曾は肩をすくめて応じる。相変わらず表情は浮かないままで。
「それにあいつはもしかすると……」
木曾は何事かを言いかけてやめてしまう。
俯きがちの顔は明らかに何かを隠している。
しかし鳥海はこの場で追求しなかった。言いたくない以上は、あとで個人的に聞いたほうがいいと考えて。
「あなたからはどう、ヲキュー? ネ級とツ級について」
「……分カラナイ。ツ級トネ級ニハ会ッタコトハナイシ……聞イタコトモナイ」
一通りの意見が出てしまうと、ネ級についての話はなくなった。
反省会全体でも、あらかたの意見が出尽くした感があったので、これで打ち切りという流れになっていく。
鳥海が終了を告げようとしたところで、いきなり木曾が席から立ち上がった。
「待ってくれ、やっぱりみんなに聞いてほしいんだ」
木曾は居合わせた一同を見回して、そして鳥海を正面に見る形で止まる。
その顔に焦燥をにじませて。
「あのネ級は……提督かもしれないんだ……」
まるで助けを乞うかのように弱々しい声で告白した。
◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆
男と女がいた。男は人間で女は艦娘だった。
二人はどこかの部屋で向かいあって話していたり、何かの紙片をまとめたりしている。
またある時には別の場所で笑いながら何かを食べていた。
声は聞こえてくるが、何を話しているのかはあまり分からない。
それでも男のほうの考えは分かるような気がした。
二人は港から海を見ていることもあれば、女が洋上で訓練しているのを男が遠くから眺めていることもあった。
雨が降った日には並んで空を仰いで、夜空に星々が瞬けば祈るように天を見上げる。
太陽が身を焦がすのなら、月は思いを研ぎ澄ませた。
女が男に本を渡すと、男は一人になった時にそれを真剣に読んだ。楽しみながら考えて。
あとになって女と本の内容をしっかり話しあっていた。
話しあってといえば、海図と駒を前にどう動かすかで盛り上がっていたことがある。
どちらかといえば女のほうが話したがっていて、男は疲れた顔を隠しながらも満更でもなさそうだった。
必ずしも二人の間が順調とは限らない。
意見がぶつかっているらしいこともあれば、男が女の過ちを指摘することもある。
逆に女が男の落ち度をとがめるたり、二人揃って何かの失敗をしでかすこともあった。
失敗は時として誰かの命を脅かすこともある。己であったり他者であったり。
それでも二人は進んでいく。
手が絡まれば心がふれあい、変化がもたらされていく。
変化を受け入れれば、少しずつ自らも変わる。それはさらに別の変化を呼び込んだ。
そうして男と女の間には時間が折り重なっていく。
積み重なって育まれた想いは、輝いて見えた。
ある時、男が女に何かを手渡した。
それは小さくて丸い指輪で、他の艦娘たちも同じ物を渡されている。
だけど、どうしてだろう。その二人の指輪だけは何かが違う。
見た目は何も変わらないのに何かが……。
やがて気づいた。
これは私の頭の中にいる誰かの記憶なのだと。
記憶は足跡だ。砕けてもなお色あせない思い出を拾い集めていく。
私はそうして集めた記憶を夢見ていた――。
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頂点に昇った太陽が照りつく中、湿った風が体にぶつかっていく。
火照った体を冷ましていく感覚を心地よいとネ級は思う。
つい一時間ほど前まで装甲空母姫の下、複数のレ級たちと条件を変えながら模擬戦を行っていた。
ネ級には新たに変化が現れていて、金色の光を体から発するようになっていたために。
「モウ体ハ大丈夫ナンデスカ?」
「見テタダロウ? モウイツデモ戦エル」
身を案じてくるツ級の問いかけに頷く。
ネ級が目覚めたのは、前回の交戦からおよそ三日が経ってからだった。
治療用の溶液に満たされたカプセルに入れられていたため、早いうちから傷は治っていたが意識のほうは違う。
艦娘の攻撃で頭をなかば吹き飛ばされたのは覚えていて、すぐに目覚めなくても無理はないと思えた。
そのまま二度と目覚めなくても、おかしくないだけの傷を負ったのだから。
「マダ傷モ治ッタバカリナノニ……」
模擬戦といっても使用するのは実弾だ。装薬量や砲弾の重量を減らし、弾頭も潰れやすいよう手こそ加えられているが、やはり当たれば沈まずとも傷つく。
光を放つ個体は通常よりも高い性能を有し、さらに赤よりも金の光を放つ個体のほうがより強い。
どれだけ性能が向上したかを確かめるための模擬戦で、ネ級は単体同士の戦闘ならばレ級が相手でもほとんどは優勢に事を運んでみせている。
唯一、ネ級が最後まで優勢に立てなかったのが赤い光を放つレ級で、ネ級が意識を持ってすぐに初めて出会ったレ級でもあった。
純粋に戦いを楽しんでるようなレ級たちの中でも赤いレ級は一際だ。
その在り様はかえって純粋に思えて、どこかうらやましかった。
「ソレヨリモ……迷惑ヲカケタ。ツ級ガ助ケテクレナケレバ今頃ハ……」
「迷惑ダナンテ……私コソ……ネ級ガイナケレバ……」
「シカシ……」
どことなく奇妙な空気になる。
互いにかばいあうような言いかたになって、ネ級は収まりが悪かった。
その時、潜っていたネ級の主砲たちが海中から飛び出ると、甘えるように鳴きながら身をすりつけてくる。
今まで主砲たちは腹を空かせていたので、足元を泳ぐ魚を狙っていた。
「ソウダッタ……オ前タチモヨクヤッテクレタ。怯エサセテ……ゴメン」
下腹部にあたる場所を掻いてやりながらネ級は言う。
いつもならしつこく感じるふれあいも、変わらない態度の表れと思えばうれしかった。
そんなネ級の顔にツ級は手を伸ばしてきた。艤装をつけていない彼女の指はほっそりとしている。
「右目ハ……治ラナカッタンデスネ……」
「ハガセバ……見エルカモ」
ネ級の顔半分は今や固まった体液が甲殻のように貼りついている。
頭の傷を隠すように広がるそれは右目にも覆い被さっていて、かさぶたのようにも思えた。
「コレハ戒メナノカモシレナイ……自制ヲ失ッタ愚カナ私ヘノ……」
ネ級は先の戦いの全てを覚えているわけではないが、強烈な衝動につき動かされるままになっていたのは分かる。
言うなれば――怒りや憎しみを根にした攻撃衝動に。
しかし艦娘にそこまでの激情を抱く理由は今もって分からない。
それだけに、何に起因するかも分からない感情に振り回されるのは恐ろしかった。
「……知ッテマスカ?」
いきなりツ級はそんな風に聞いてくる。
話は変わるけど、とまるで世間話というのをするような気楽さで。
「艦娘ハ金色ノ深海棲艦ヲフラグシップト呼ンデルソウデスヨ」
「赤イノハ?」
「エリート……ダッタヨウナ」
「ソレ……元艦娘ダッタカラ分カルノ?」
「……ソウカモシレマセンネ」
苦笑いするような響きだが、ツ級の表情は仮面のような外殻に隠されて分からない。
退却中に告白されたのは覚えている。
ツ級は艦娘だった。
ありえるのかは分からないが、少なくとも本人はそう信じている。
ネ級としても否定できない。
自分の頭の中にも別の誰かがいる。それは間違いなく、しかも彼女ではなく彼。
「ドウシテ私ニアンナ話ヲシタ?」
「アナタハ……話ヲ聞イテクレルカラ……私ヲ知ッテホシカッタノカモ」
ネ級は返答に窮した。
しかし打ち明けた思いは汲んでやりたいと思う。気軽にできるような内容ではないのだから。
「ネ級ハドウナノ? 私ガソウナラ、ネ級ダッテ……」
「分カラナイ。タダ……私ニモ原形ガアッタハズ。シカシ艦娘デハナイト思ウ」
ネ級は彼の記憶を夢として見た。
夢の常で内容はもう思い出せないが、自分が知りえない光景を見ているのは確かだ。
そして彼が抱いたであろう思いも、おそらくは理解してしまった。
「ダケド……私ハ何モ知リタクナイ。ツ級モコレハ外シタクナイ……同ジコト」
仮面のようなツ級の外殻にふれると、息を呑むような気配を感じた。
私たちは向き合えない。己の影には。
知ってしまったら、きっと自分ではいられなくなるから。
いずれ向き合わねばならない時が来るかもしれないが、それが今とはどうしても思えない。
「コノ話ハヤメヨウ」
まるで秘密を共有するように話す。
もっとも、あの装甲空母姫が何も知らないわけがなかった。
となれば秘密を共有した気になっていても、現実には掌の上でもてあそばれてるだけなのかもしれない。
◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆
ガダルカナル島にて四人の深海棲艦の姫たちと赤い目のレ級たちは、今後の作戦を決めるために一同に会していた。
青い光で照らされた部屋には円卓があるが空席が二つ。
港湾棲姫と重巡棲姫がいるはずの場所だ。
「次ノ攻撃目標ハトラック諸島ヲ提案スルワ。準備ガ整ッタラ、スグニデモ総力デネ」
いわば円卓会議における空母棲姫の第一声がそれだった。
飛行場姫は口を挟まずにいるつもりだったが、予想してなかった地名に聞き返す。
「トラック? ラバウルヤブインハドウスル? 抑エ込ンデイルトハイエ艦娘タチガ進出シテイルノニ」
「ダカラコソヨ。ラバウルヘノ補給路トシテ、アノ島ハマスマス重要ニナッタ。ソレニ空爆ヲ続ケ潜水艦隊ガイレバ、当面ノ封ジ込メハ簡単ヨ」
「ソレハソウデモ……」
「ソレニ、アノ島ニハ裏切リ者ガイル。アロウコトカ、私タチニ牙ヲムイタ」
空母棲姫は控えめながらも声に怒りを含んでいた。
先の戦いでヲ級が艦娘側に加わっていたという報告は飛行場姫の耳にも届いている。
また、そのヲ級が港湾棲姫の腹心である青い目のヲ級だとも確信していた。
「人間タチハ我々ガスグニハ攻メテコナイト考エテイルデショウシ……何ヨリモ……仇ヲ討タナクテハ。善キ深海棲艦ノタメニ」
空母棲姫が言っているのは重巡棲姫のことで間違いなさそうだった。
傍若無人な空母棲姫であっても、重巡棲姫の喪失には思うところがあったらしく意外に思えた。
「彼女ハマサシク深海棲艦ダッタワ。ソノ彼女ヲ討ッタノガ、トラック諸島ヲ根城ニシテル艦娘タチラシイジャナイ」
日頃なら嘲笑を唇の端に浮かべている空母棲姫だが、今はそれもない。
それだけに本気で言ってるのだと飛行場姫は悟り、それ以上は何も言わずに引いた。
「アナタタチハドウ?」
「私ハ賛成ダワ。アノ島ニハ武蔵ガイルモノ」
戦艦棲姫が静かに笑いながら支持する。
「イツカハ雌雄ヲ決ッシタイ相手……ソノ時ガキタトイウコトヨ」
空母棲姫にというより、はるか遠くの相手に語りかけているような調子だった。
好意的に考えれば、すでに先を見据えているということなのかもしれない。
続いて装甲空母姫とレ級も賛意を示す。
「アノ島ヲ叩ク意義ハ大イニアル。デキルダケノ戦力ヲ用意シヨウ」
「戦エルナラ選リ好ミナンテシナイサ」
「イイ返事。アトハアナタダケダケド、ドウスル? コノ島ニモ守リハ必要ダケド」
改めて問いかけてきた空母棲姫に飛行場姫は答える。
「……私モ行ク。総力デト言ッタノハ、アナタヨ」
空母棲姫は驚いたような顔をすると聞き返す。
「ドウイウ心境ノ変化カシラ」
「フン……私ニモ思ウトコロガアル」
理由は口にしなかったが、空母棲姫はすぐに満足したようにほほ笑んだ。
「ソウ、ナラ決マリネ。一週間以内ニハ進攻ヲ始メマショウ」
誰も性急すぎるとの声は上げなかった。
そのあとで装甲空母姫が新たに投入できる戦力についての説明を終えれば会議は済んだ。
三々五々にそれぞれが散っていく中、装甲空母姫が飛行場姫に話しかけてきた。
「意外ダナ、君マデ帯同スル気ニナルナンテ」
「言ッタ通リ……アノ島ニハ私モ思ウトコロガアルノヨ」
「≠тжa,,ガイルカラ?」
「今モイルカハ分カラナイ」
気のなさそうに飛行場姫は応じるが図星だった。
トラック諸島には港湾棲姫やホッポたちがいる。
しかし何があれば、深海棲艦が艦娘に協力する気になるのかが分からない。
ヲ級が自発的に戦うのを選んだのか、それとも戦力として使われるのを強要されているのか。
どちらにしても、争いを避けるためにガ島を去ったのは飛行場姫も知っている。
だからこそ理由を知る必要がある。それも自身の目と耳で見聞きして確かめないと納得がいかない。
事と次第によっては実力行使が必要で、今がそうだと飛行場姫は内心に結論づける。
「……ソレヨリ、アノ二人ハドウナノ?」
「二人? アア……ツ級トネ級」
「ズイブンヤラレタト聞イタケド」
「確カニ。シカシ初陣ダッタニモカカワラズ、向コウニモ十分通ジルノガ分カッテ満足ダヨ」
飛行場姫は話を変えたかったのもあるが、二人を気にしていたのも確かだ。
ネ級とツ級――少なくともネ級とは無関係だと言えないのが飛行場姫だった。
あくまで表面上は無関心を装っていたが。
それに対して装甲空母姫は意味ありげに笑う。内心などお見通しだとでも言いたそうに。
「イイデータガ取レタ……ソレダケニ惜シクモアルケド」
「惜シイ?」
「ネ級ノホウハタブン長クナイヨ。体ノ細胞ガ劣化シハジメテル」
装甲空母姫の口は軽かった。大した話ではないように。
「……ドウイウ意味?」
「詳シイ因果関係ハ分カッテナイ……セッカクノ性能ガ負担ヲカケスギテルノカ……ハジメカラ不具合デモ抱エテタノカ……自覚ガナイノハサイワイトイウノカナ」
「ソウ……」
彼女はしばし考えを巡らせてから装甲空母姫に申し出た。
「私ニアノ二人ヲクレナイカ」
その申し出は装甲空母姫にとっても意外だったのか、真顔になって即答はしなかった。
「ドウイウ風ノ吹キ回シ?」
「次ノ戦イニ出向ク以上ハ、使エル護衛ガホシイダケ」
あくまでも愛想なく飛行場姫は言い、装甲空母姫も吟味しているようだった。
しかし判断はすぐに下した。
「イイヨ、構ワナイ」
「……アッサリ決メルノネ」
「全テデナイニシテモ、アノ二人カラハ有益ナ情報ハ取レテイル。ナクシタトコロデ私ハモウ困ラナイ」
食ったような答えに飛行場姫は鼻を鳴らした。
そこに装甲空母姫はつけ加える。
「君ニ使ワレルノガ楽トモ限ラナイ」
うっすらと皮肉めいた笑みを見せていた。
いら立ちを隠せずに飛行場姫は機械仕掛けの右腕を鳴らすが、装甲空母姫はおかしそうに笑うと立ち去っていった。
一人残された形の飛行場姫はため息をつく。
「ソレニシテモ……因縁トデモ言ウノ……」
トラック諸島を港湾棲姫が奪われたことから今の事態が始まったように思える。
ワルサメの死に深海棲艦同士の対立、提督という人間にまつわる出来事と顛末。そして人間や艦娘を素とした深海棲艦。
だとすれば、決着をつけるにもトラックは相応しいのかもしれない。
始まった場所であるのなら、終わらせる場所としても。
◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆
二月十八日。
トラック泊地では、鳥海が総員起こしの前に目を覚ましていた。
これは秘書艦を務めていた頃からの習慣なので、これといったな理由があるわけじゃない。
夜の黒が抜け切らない藍色の空を窓から見ながら、なんの変哲もない朝だと鳥海は思った。
服を着替えて身だしなみを整えながら、胸元のペンダントを包むように握る。
司令官さんの指輪を使ったペンダントだけど、今は金属の冷たさしか感じない。
「……本当にあなたなんですか?」
指輪に声をかけたところで何も答えてくれない。それでも聞かずにはいられなかった。
ネ級の正体が提督ではないかという話。
それに対する反応は艦娘の間でもまちまちだったが、多くは半信半疑だった。
人間が深海棲艦化するのがありえるのか分からないし、それに木曾さん以外にそう感じた者もいない。
ネ級の話を聞いたり航空写真を何度見ても、ネ級が司令官さんだとは感じなかった。
だから鳥海はネ級が提督だと思えないが、木曾の話を勘違いだとも思えない。
あの二人の間には特別な繋がりがあった。
かつて沈んだ初代の木曾という艦娘を軸にした、司令官さんと今の木曾さんだけにある結びつき。
それは私と司令官さんにはない別の繋がりで、それが何かを木曾さんに訴えかけたのかもしれない。
私には分からない何かを。
鳥海は握っていたペンダントから手を離す。
熱が伝わっていても、何かを伝え返してくるようなことはない。
それが悔しかった。
もし木曾さんの仮定が正しいのだとすれば……それはあんまりだと思う。
六時になって総員起こしのアナウンスを聞くと、七時には姉さんたちと一緒に間宮で朝食を取る。
そして八時になれば編成割りに従って訓練や哨戒任務に赴いていく。
これがトラック泊地における朝の流れ。
この日は大規模な対空戦闘訓練があらかじめ組まれていて、鳥海もそちらに参加するのが決まっていた。
というのも廻号作戦で機動部隊の艦載機は大打撃を受けて、機体の補充が完了していても平均的な練度は大きく落ちている。
航空隊の練度を底上げするためにも、できるだけの手を打っておく必要があった。
やがて昼に差しかかり、午前の訓練を切り上げてちょうど帰投した頃だった。敵艦隊発見を知らせる警報が届いたのは。
発見したのは哨戒中の彩雲で、泊地からおよそ三百キロほど離れた南南東の海域で発見された。
深海棲艦は彩雲に気づいていても、威容を見せつけるためなのか無視している。
あまつさえ、これみよがしに艦載機の発艦を始めた。
実際に泊地では伝えられた敵の規模に色めき立っていた。
総数で三百に及ぶ敵艦隊は、まさしく大艦隊という以外に言葉がない。
以前のMI作戦時にマリアナへ攻撃してきた時よりも、さらに敵の数は多かった。
さらに四人の姫がいるのも確認され、主力が投じられているのは疑いようもない。
深海棲艦は菱形の方陣を作るように大きく四つに分かれ、それぞれ姫が中核になっている。
先陣には戦艦棲姫やレ級、ル級やタ級と高火力の戦艦が固まり、こちらから見た左右には装甲空母姫と飛行場姫が、そして最後尾には複数のヌ級とヲ級を従えた空母棲姫という形だ。
左右の艦隊は護衛や支援を兼ねているようだけど、編成は意外と違うようだった。
装甲空母姫が巡洋艦や駆逐艦を多数従えているのに対して、飛行場姫のほうは少数に留まっている。
その代わりにネ級やツ級がいるのが確認され、こちらは少数精鋭の編成と見込まれた。
また各姫に共通しているのは、球状艦載機をそのまま巨大化させたような艦と呼んでいいのかも怪しい物体が周囲にいくつも漂っている。
従来の深海棲艦の倍近い大きさのそれは姫の守護が目的らしく、仮称で護衛要塞と名づけられた。
「相手が三百ってことは戦力比がざっと六対一……うん、苦しくなるね」
「間宮さんとか秋津洲みたいに戦うのが苦手な艦娘もいるんだから、もっときつい数字になるわよ」
近くにいた島風と天津風がそう話しているのを聞き、そちらへ目を向ける。
まじめな言葉とは裏腹に、二人には余分な気負いもなさそうだった。
鳥海は口を挟まずに二人の話を聞く。
「まだ前回から一ヶ月も経ってないのに、よくこれだけの戦力を集めてくるよ」
「ラバウルやブインに投入されてる戦力が釘づけにされてる間に、この泊地を陥落させるつもりなんでしょうね」
「そうだとしても急すぎない? 向こうだって大艦隊を動かすのは楽じゃないはずなのに」
「あたしたちをそれだけ高く買ってるんでしょ。ありがた迷惑だけど」
天津風の言うようにトラック泊地はラバウル方面への重要な補給基地であり、深海棲艦の亡命者であるコーワンたちもいる。
よりガ島に近い地点まで進出されていてもなお……されているからこそ、この地に痛打を与えるだけの意味があるとも言える。
投機的すぎる作戦にも思えるけど、他の鎮守府や泊地に援軍を出す余力はないはずだった。
『八艦隊と二航戦は正面を迂回し敵基幹戦力……空母棲姫への攻撃を。残りは先行した扶桑らと合流して敵艦隊の侵攻を食い止めろ』
提督からの命令が通信越しに伝えられてくる。
すでにこういった襲撃を想定して、いくつかの作戦案は検討されていた。
この場合、敵正面に主戦力を投入しつつ、機動力と突破力に優れた第八艦隊と二航戦で敵主力へと側方、可能であれば後方から強襲をかける。
皮肉な話ではあるけど、襲撃に乗じて司令官さんを失ったことでこれらの案はより仔細に詰められていた。
想定外なのは、ここまでの著しい戦力差。
それでも早いうちに発見できたので、迎撃の準備を整える時間はあった。
基地航空隊がスクランブル発進し、当直に就いていた扶桑型と白露型はすでに先行して湾外に出ている。
訓練から戻った鳥海たちにも、整備課の人員や妖精たちが燃料の補給や実弾への交換を大わらわで進めていった。
鳥海は洋上に出ると、改めて第八艦隊と二航戦の面々と合流して敵艦隊を迂回するように右回りに針路を取る。
他の艦娘たちもいくつかの艦隊に分かれると扶桑たちの元へと向かっていく。
中でも摩耶は愛宕、ザラ、夕雲型から特に目のいい高波と沖波を連れて、先頭に立って進んでいった。
真っ先に防空艦として対空砲火を集中させるために。
この頃になると退避した彩雲に代わり、秋島のレーダーサイトから情報が次々に転送されてくる。
敵機の数は優に千機を超えていて、これだけで基地と機動部隊で運用している航空機を合わせた数以上になってしまう。
劣勢は火を見るより明らかだった。
「急ぎましょう。第二次攻撃ならまだ防げるはずです」
鳥海の指示の元、艦隊が三十ノット近くまで速度を上げる。
両艦隊の中で一番足の遅いローマに合わせた形になるが、本来なら十分に高速と呼べる速度でもこの時はもどかしさばかりが募った。
向こうからも近づいてきているとはいえ、敵艦隊は遠い。
二航戦の旗艦を務める飛龍が鳥海の横、声の直接届くところまで進んでくる。
「敵艦隊に突入するなら夕雲たちも連れていって。数は多い方がいいでしょ」
「夕雲さんたちはそちらの護衛です。気持ちはありがたいですけど離れさせるわけにはいきません」
練度の面では申し分なくても、夕雲さんたちの一人でも欠かすわけにはいかない。
今の二航戦は飛龍、蒼龍、雲龍の三人に夕雲、巻雲、風雲からなる護衛の六人で構成されている。
正規空母三人に対する護衛と考えると、駆逐艦の三人は最低限の数でしかなかった。
「成否にかかわらず、この攻撃で全てが片づくとは思えません。だから二航戦の守りも不可欠なんです」
「……ま、確かに空母棲姫一人沈めれば収まる話ってわけじゃなさそうだしね。けど無理はしないでよね、今回の戦いも長丁場になると思うから」
「ええ、お気遣いありがとうございます」
鳥海が頭を下げると、飛龍は針路上である東の空を見上げる。表情を曇らせながら。
こんな時に限って、空は澄み切って晴れ渡っている。
敵機は発見しやすいけど、それはまた敵機がこちらを狙いやすいということでもあった。
今のところ鳥海たちが発見された様子はなく、基地から発した戦闘機隊が敵と接触したとの知らせもないが、それも時間の問題だった。
「ここから艦戦だけでも飛ばします?」
「そうしたいのはやまやまだけど、反復攻撃をしたいしもっと近づきたいね。それに相手の数が数だから母艦をしっかり叩いてやらないと。元をどうにかしないと勝ち目はないよ」
飛龍の言葉に鳥海も頷く。
これだけの戦力差がある以上、相手の中核戦力に狙いを絞って叩くしかない。
ただ相手は姫級が四人もいて、そのいずれも中核と呼べる相手だった。
鳥海は第八艦隊に帯同する形になっているヲキューへと話を向ける。
「ヲキューはこの戦力をどう見ます?」
「ガ島ノ防衛ニモ残シテイルニシテモ……限リナク総力ニ近イ……ハズ。本気ナノハ……確カ」
ヲキューは急ごしらえで20.3cm連装砲を二基右腕に備えつけていた。
対空戦用の措置で、あくまで自衛が目的なのと砲弾を持たせる余裕がないので三式弾しか載せていない。
そのヲキューも空に目をやっていた。
「飛龍さん、ヲキューも二航戦のほうで見てもらうのはできますか?」
「こっちは構わないけど」
ヲキューが驚いたように目を大きくする。
「置イテクツモリ……?」
「今回は難しい作戦ですからね。このまま飛龍さんたちと機動部隊として動いたほうがいいかとは」
ヲキューは首を傾げたが、すぐに口を開く。
納得してないのは明らかだった。
「鳥海ハコノママ……空母棲姫マデタドリ着ケルト思ウ?」
「飛行場姫あたりが立ち塞がってくるはずでしょうね」
向こうにも電探もあるし制空権もあちらのほうが優勢。
艦載機なら間隙を突けるかもしれないけど、それでも第八艦隊はそうもいかない。
空母棲姫の艦隊に着くまでに発見されて、あちらとしては機動部隊への突入を防がなくてはならない。
となると飛行場姫が針路上に移動してくるはず。少なくとも、どんな手立てであれ妨害は確実にされる。
「……ソレナラ私モ行ク。私ノ艦載機ハ役ニ立ツ……」
「安全は約束できませんよ?」
「ソンナノ……イツダッテ……ドコニイテモ……同ジ……分カリキッタコト」
どうしても一緒についていくつもりらしい。
そんなヲキューを見てか、飛龍さんは面白そうに笑う。
「違いないわ。それに案外さ、私たちと一緒にいないほうが安全かもよ? 深海棲艦も空母を優先的に狙うだろうから」
「飛龍さん、そんな不吉なことは……」
「だって分からないじゃん、何が起きるかなんて。魔の五分間なんて話もあるし」
鳥海の心配をよそに、飛龍はあくまでもおかしそうに笑い飛ばしていた。
そのまま笑い終わると自然に表情を引き締める。
「ま、それはともかくヲキューがいるかいないかじゃ、そっちも防空面じゃぜんぜん違うよね。本人だって希望してるんだし、いいじゃない」
「ソウ……ソレニ飛行場姫……アノカタナラ私ノ話ヲ聞イテクレルカモ」
普段はあまり感情を声に乗せないヲキューだったが、この時は少し違うように聞こえる。
なんというか熱っぽい。
飛龍とも目が合って、向こうもそう感じたらしいと鳥海は察した。
「説得でもするつもりですか?」
「……必要ナラ。鳥海ダッテネ級ニ会エバソウスル……違ウ?」
「それは……そうかもしれませんね」
鳥海ははっきりとはさせずに濁す。
確かに話そうとはすると思い、しかし何をぶつけていいのかは分からないまま。
それでも鳥海は、ネ級に会えば自ずと言葉が出てくると考えていた。
もどかしく思うのは、何も敵艦隊と距離があるからだけではない。
心の準備が完全にはできていないんだ。ネ級と……司令官さんかもしれない深海棲艦と向き合うための。
それでも、と鳥海は思う。
「何も話さなかったら……伝えようとしなかったら、きっと後悔しますよね。ヲキュー、変なことを言ってしまってごめんなさい」
「……変ナコトハ言ッテナカッタ思ウケド」
「まあ、あれこれ悩んじゃうところは鳥海らしい気はするけど」
よく分からないと言いたそうなヲキューに、飛龍は苦笑いするような調子で鳥海を見ている。
鳥海は二人から視線を外すと、針路上の空を意識した。
この空の下にはネ級がいる。
泊地に迫る深海棲艦を撃退しなくてはならないけど、それとは別に彼女とも接触しなければならない。
その結果どうなるかは分からないし、出会わなければと悔やんでしまう可能性もある。
だけど、と鳥海は胸の内で切実に思う。
会わなくては何も始まらないと。
ほどなくして基地航空隊の迎撃機と深海棲艦の艦載機が接触して交戦に入ったとの知らせが届いた。
戦闘が始まったのを知り、鳥海たちは無言になって進んでいく。
もう接触まで、さほどの時間が残されていないのを肌で感じながら。
◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆
照りつける陽光の下、ネ級はツ級と共に飛行場姫の護衛に就いていた。
総数で六十近い数からなる艦隊は姫を中心にした輪形陣を形作っていて、直径にして五百メートル四方へと広がっている。
その中でもネ級とツ級は飛行場姫のすぐ前後に位置していた。
他の深海棲艦が姫とは遠巻きになっている中、二人はそれぞれ三メートルも離れない位置を保ち続けている。
飛行場姫の近くにはネ級とツ級しかいなく、装甲空母姫から各姫へ提供された護衛要塞も輪の外縁部に回されていた。
戦闘が始まればこれだけの密着はかえって危険となるが、まだ最前列にいる戦艦棲姫と機動部隊を擁する空母棲姫の艦隊しかそれぞれ砲火と空襲に晒されていない。
だから今はまだ静かなものだ。
つい少し前まで飛行場姫は艦載機を発艦させていた。
双胴の飛行甲板から飛び立っていたのは、いわば重戦闘爆撃機で他の艦載機とは違う。
他機種の倍近い大きさをした球状に双発の翼を生やしている。
本来なら地上運用を前提にした機体だが、大型の艤装かつ高い運用能力を持つ飛行場姫だけが海上での運用を可能にしていた。
そうして飛び立って行った重爆隊述べ八十機は、第一次攻撃の中での第二波としてトラック泊地への空爆に向かっている。
空母棲姫らの艦載機と入れ替わる形での攻撃になるはずだった。
もっとも、こうした連携が取れるのも最初のうちだけだろう。
以後は彼我の攻撃で足並みが乱れて、各々の判断で行動しなくてはならなくなってくる。
「以前……トイウホド前デハナイケド、私ノソバニハコーワントイウ姫ガイタ」
急に話しかけられたのに驚き、ネ級は体を後ろへ流すように振り返る。
飛行場姫は泰然とこちらを見ている。
主砲たちは近くの姫に緊張でもしているのか、珍しく大人しい。
そして姫の背中を守る形のツ級は表情こそ分からないが、聞き耳を立てて様子をうかがっているのではないかと思えた。
「コーワンハ……我々ノ元ヲ去リ、アノ島ニイル」
「トラックニ……?」
ネ級が聞き返すと飛行場姫は神妙な顔で頷く。
「ソレニ彼女ノ配下タチモ。先日ノ海戦デハ艦娘ノ側ニ立ッテイタトイウ」
「話ニハ聞イテマスガ……」
重巡棲姫と交戦した艦隊の中に、にわかに信じがたいが艦娘に混じってヲ級がいたという。
同じ海域にはいたが接触はしていない。
それが良かったのか悪かったのかは分からなかった。
どちらにしても、あの日あの時の自分には関係のないことだったかもしれない。ネ級はそうも思う。
「ネ級ハソノコトヲ……ドウ考エル。ナゼ協力シテイルノカ……想像デキル?」
こんな話を聞いてくるのは不可解だった。不可解といえば私たちを護衛に抜擢した理由も分からない。
それについては姫はただ一言、気まぐれだと答えていた。
となれば、これも気まぐれで片付けられる……単に話す気がないだけか。
「分カリマセン……私ハソノコーワンヲ知ラナイ」
分からないという分かりきった答えを示すと、姫はネ級を見つめていた。
怒るわけでも落胆するわけでもなさそうな顔を前にして、居心地の悪さを感じる。
何かを言わせたいようで、しかしそれが何かは想像がつかない。
「タダ……艦娘ニ味方スルナラ……私タチノ敵デハナイノデスカ?」
「ソノ判断ヲシタイ……コーワンタチガ敵ニナッテシマッタノカ……ソレトモ助ケナクテハナラナイノカ」
コーワンという姫がどんな相手かは分からないが、飛行場姫は簡単に諦める気はなさそうだった。
おそらく楽な道にはならないと理解した上で。
「私タチニ何カ……サセタイノデスカ?」
後ろから声を挟んできたのはツ級だった。飛行場姫は顔を向けずに言う。
「今モ言ッタヨウニ私ハ見極メタイ……モシ連中ノ誰カ出会エタラ接触スル……ダカラ私ヲ守リナサイ」
「姫ガソウ望ムノデアレバ……」
ツ級の言葉にネ級も小さく頷くと、苦笑いを伴ったように言う。
「私ハ我ヲ忘レルカモシレナイ……」
「ナラバ……コウ覚エナサイ。オ前ノ使命ハ私ヲ守ルコトト。迷ッタ時ハソレヲ基準ニ考エナサイ」
「……妙案デスネ」
飛行場姫の真意は図りかねる部分もあるが、闇雲ではない目的があるのはいいことだ。
それに今では飛行場姫は、他の姫よりも私たちを気にかけてくれているように感じる。
彼女を守るため、というのは確かにさほど悪くない考えかもしれない。
「トコロデ……コノ攻撃ガドウナルカ……オ前ハドウ考エル?」
「……分カリマセン」
飛行場姫はこちらを直視していた。白い顔は笑わず、かといって怒るでも急かすでもない。
ただ値踏みされているような気分にはなった。
「言ッテミナサイ、思ウママニ」
「デハ……ソレナリノ被害ハ与エラレルハズ……シカシ、コレデ十分ニ叩ケルカマデハ……」
促す言葉にネ級は素直に従うと、そのまま根拠とした理由を伝えようとする。
「被害ヲ防グタメニ備エハシテイルデショウ……資材ヲ分散シテオクダトカ……拠点ノ守リヲ厚クシテオクダトカ」
ネ級は自分ならそのぐらいはすると考える。
そして被害を減らすための工夫をしたり策を練ったところで、攻撃から無傷で済むとも思えない。
綻びというのは必ず生じるものだから。
それが想定の範囲内に収まるかどうかだが、さすがにそこまでは敵情を想像できない。
「数デハ我々ガ有利……シカシ、ソレデ勝敗ガ決シテクレル相手ナラ初メカラ……コノヨウナ事態ニ直面シテイナカッタハズデス」
トラック諸島を陥落させれば、おそらくラバウルらの維持はできなくなる。
そうなれば戦線が下がってガ島への圧力は一気に弱まるだろう。
いい話だ。それにこの戦力差なら十分に成し遂げられる。
しかし、その後が分からない。
一時的に優勢に立てたところで戦局そのものを覆すのは難しいのではないか。
結局、喉元に食らいつかれているのは深海棲艦のほうなのだから。
あるいはガ島を放棄してパナマ方面へ交代するという手もある。
向こうに行ったことはないので、向こうの事情は知らないが。
「シカシ何ヨリモ……艦娘ガイマス。空母棲姫ハトラックヲ攻メ落トスヨリモ……艦娘トノ戦イヲ優先サセルノデハナイデショウカ」
一度は衝動に身を委ねたネ級だからこそ推し量れる。
おそらく空母棲姫は艦娘との決着を果たそうとするのではないかと。
戦力を誇示するような態度もそれをどこか望んでいるからでは。
逃げ隠れはせずに、この海で全てを。
「拠点ヲ叩クノモ重要デスガ……最後ハ艦娘トノ戦イデス。艦娘ガ残ル限リ、イカニ被害ヲ与エタトテ……向コウノ巻キ返シハ難シクナイデショウ」
「分カラナイ話デモナイ……我々ハ惹カレテイルノカシラ……」
姫は何にとは言わなかったが、言おうとしたことは分かる。
艦娘を無視できない。その執着とも言える感情は見ようによっては、確かに惹かれていると言い換えられるのかもしれない。
ネ級は体を前へと向け直す。
視界にあるのは海、空、水平線。
この海の上には艦娘たちがいる。近いようで遠くかけ離れた存在が。
だが、そんな艦娘に協力している深海棲艦もいる。
……どうだろう。もしコーワンとやらが自発的に艦娘に協力しているのなら、さほどの違いはないのか。
ネ級は右目のある辺りに手をやる。代わりに触れた甲殻は冷たく、それでいて滑らかな肌触りだった。
これは艦娘に執着している証、あるいは代償とも言える。
なぜ、そうなるかは分からない……しかし逆説的に思うこともあった。
決着を望んでいるのは私もまた同じだ。
艦娘という未知の相手との。それでいて衝動を呼び覚ます相手と。
そして、その術は戦うことしかない。
それ以外を私は知らない。
◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆
白露たちの戦いは敵編隊を迎え撃ったところから始まった。
迎撃機を突破してきたのは、戦爆連合およそ六百。
総力として正面方向へ投入された艦娘は三十人余りで、そちらへ襲来したのは三分の一の二百機ほどで、残りは泊地へと飛び去っていた。
一人頭五、六機の相手と考えれば、そこまで多くないのかもしれない。
少なくとも白露は、敵機をあまり多くはないと前向きに考えるようにした。
飛鷹ら軽空母を中心にした輪形陣を組んで矢継ぎ早に対空砲火を打ち上げる中、敵編隊も散開すると全周を埋めるように襲いかかってくる。
敵機は光に誘われる羽虫のように、対空砲火が盛んな艦娘により集中して攻撃を加えていく。
白露は難を逃れたが、艦隊の矢面で弾幕を形成していた摩耶を始めとした艦娘が次々と被弾していくのを見聞きした。
十五分近い空襲が終わった時点での被害は小さくなかった。
摩耶を始め、十人近い艦娘が中破判定の損傷を受けて火力や速力を損ない、至近弾などでいくらかの損傷を負った艦娘も多い。
次の空襲が来る前に艦隊を預かっていた球磨が、中破した者に護衛をつけて泊地へと下がるように令する。
この辺はあらかじめ決められていたことで、手遅れになる前に応急修理を施すためだった。
早め早めの修理をすることで長く戦える……というわけだけど、それは正面戦力が半減するということでも。
そして現在。
戦艦棲姫やレ級を擁した艦隊を迎え撃っていた。
いくつかの艦隊に分かれて交戦する中、白露は扶桑、山城に取りつこうとする水雷戦隊を阻んでいる。
その扶桑と山城は少し前まで複数のレ級と撃ち合い、今は白露たちの火力支援に回っていた。
僚艦を組んでる妹たち――時雨、夕立、春雨、海風も孤立しすぎない程度に散開して、盛んに砲撃を加えている。
何隻かは砲撃で撃沈したり追い払ってるけど、とにかく数が多い。
一発撃つごとに少なくとも三倍量の砲撃が返されてくる。
まともに当たった弾はまだないけど、至近弾だけでも装甲の薄い艤装には堪えてしまう。
「なんて激しい砲撃……」
春雨がたじろぐ声を聞いて、白露はすぐに声をかける。
「足を止めちゃダメだよ。向こうの狙いはそんなによくないみたいだから」
「はい、白露姉さん!」
元気のいい返事を聞きながら、白露も水平線付近の敵へと撃ち返す。
早々に突撃してきた艦隊に魚雷をばらまいて撃退してからは、何度か突撃しようとしてくるものの距離を保っての砲戦が続いている。
こっちが駆逐艦ばかりだから、近づくなら砲戦で消耗させてからと考えてるのかも。
「でもこれ、春雨じゃなくてもすごいっぽい!」
「雨は……いつか止むさ」
「砲撃のことを言ってるなら冗談になりませんよ……」
妹たちのマイペースな声に思わず笑いそうになるけど、その時すぐ後ろに敵弾が落ちた。
文字通りの冷や水を背中から浴びせられて、白露は濡れねずみになった体を身震いさせる。
「うぅ……帰ったらまずはお風呂に入らないと……」
乾いた時に髪がごわごわする感触にはいつまで経っても慣れない。
でも、今日のお風呂は順番待ちになっちゃうかも。
それはそれでしょうがないけど、帰ったら一番最初にするのはやっぱりお風呂しよう。
だって無事に帰るんだから。あたしも、妹たちも、みんなも。
「あんたたち、余裕そうね……」
「いいじゃない、山城。頼もしいわ」
呆れたような声の山城に対し、扶桑は逆に面白がっているように聞こえる。
この二人、特に扶桑はこの戦線を支える要になっていた。
「今日はなんだか調子がいいわ……!」
扶桑の撃ち込んだ主砲が巡洋艦の一隻に直撃すると、一撃で轟沈させる。その余波が敵艦隊をかき乱す。
確かに今日の扶桑さんはすごい。
白露が合間に確認できただけでも、他にもレ級を二隻は沈めている。
今もこうして敵の攻勢を的確に潰してくれていた。
それでも白露たちは少しずつ押されるように後退していた。
前衛に当たる艦隊だけが相手でもこちらの何倍もいる。
相手を多少沈めたところで、それだけじゃ劣勢を覆せそうになかった。
この戦力差から前線が下がるのは織り込み済みだったけど、計画通りとかでなくて単に押されているだけというのが正しいところ。
今でこそ優勢でも、それは相手が被害を避けようとしてるからのようにも感じる。
付け入る隙さえあれば一度ぐらいは押し返しておきたい。
相手の出端をくじいておけば、この後の戦いも優位に運べるかもしれないし。
「こちらから打って出てみようかしら……」
白露が思わず扶桑のほうを見ると、それに気づいた扶桑と目が合う。
どうも同じようなことを考えていたみたい。
扶桑が頷くと号令するよう片手を挙げた。
「このまま――」
扶桑の近くに大口径砲弾がいくつも着水する。声をあげた矢先だった。
明らかに戦艦砲による攻撃。
「姉様!」
「大丈夫よ! それよりも――」
「二時方向に戦艦棲姫を見ゆ――撃った!」
時雨がいち早く伝えてくる。
黒いドレスの女が巨大な双腕を持つ怪物を背中に抱えていた――遠目だと白露にはそう見えた。
怪物の両肩だか腕には三門の主砲がそれぞれ載っている。
そして姫の周囲を護衛要塞と名づけられた球体がたゆたうように守っている。そっちの数は三体。
「あれが戦艦棲姫……沈めれば流れを変えられるけど、どうかしら」
言いながら扶桑はすでに姫のほうを見据えている。
「あの姫は私が相手をします。みんなは周りを……」
「あんな大物、一人でやろうなんてずるいじゃないか」
「そうです、姉様。私もお供します」
時雨と山城が続くのを聞き、白露は他の妹たちに素早く指示を出す。
「あたしたちは支援に回るよ。他の敵の動きに注意してね」
ここで見逃す手はない、よね。
白露は球磨たちへと戦艦棲姫と交戦に入るのを無線に流したが、本当に伝わったかは確認できない。
深海棲艦、特に姫級の周囲はワルサメを喪ったあの戦い以来、強力なジャミングを発生させているために。
深入りしすぎて帰って来られない、なんてことにならないようしないと。
敵の動きも一気に攻勢に転じた。
戦艦棲姫と護衛が砲撃しながら扶桑たちへと向かう一方で、それまで撃ち合っていた水雷戦隊も縦陣を組んで突撃隊形に移ってくる。
扶桑の砲撃で中核の巡洋艦は沈んでいるが、改修型のイ級とロ級がまだ十隻残っていた。
横から扶桑たちへ近づいて一撃離脱を図ろうとしているらしく、私たちがやるのはあれを阻止すること。
「夕立と海風は左から攻撃を、あたしと春雨は右から。目標は先頭のイ級で、そのあとは自分の判断で!」
挟み撃ちの格好になるけど、敵は針路を変えようともせずまっすぐ進んでくる。
こっちが駆逐艦だけなのと数の差があるから、多少の被害は無視して一気に突破するつもりらしい。
あたしでもそうするかも。こっちの火力だけでは突撃を抑えきれずに突破できるはずだから。
それでも先頭のイ級を叩ければ後続艦の足並みが乱れる。そこさえうまく叩ければ。
主砲を両手で把持して、白露らは加速してきたイ級たちに砲撃を浴びせていく。
互いに高速ですれ違いながら撃ち合い、かなり接近されながらも先頭のイ級に命中弾が出た。
一度でも当てると行き足が鈍り、たちどころに命中弾が重なっていく。
めった打ちにされた先頭艦を避けようと後続の二番艦が針路を変えようとするが、すかさずそこに目標を切り替えた白露の主砲弾が命中した。
「白露姉さん、前!」
春雨の警告を聞く前に、危険を感じた白露の体は転蛇を行っている。
二隻分の砲撃が白露を狙っていた。
敵艦隊の最後尾にいた二隻のロ級が隊列から外れて向かってきている。
足止めだけでなく、こっちも沈めるつもりなのは間違いない。
砲撃を避けて春雨と一緒になって二隻を迎え撃っている間に、残りの駆逐艦が突破していこうとしてるのを感じる。
そっちは夕立と海風に任せるしかないけど、二人だけで抑えきれる数でもない。
今はどうしようもなく、まずは自身を狙ってくる二隻の相手をするしかなかった。
こっちも春雨の協力があったけど、二隻を撃沈するまでに時間を食ってしまう。
「抜かれたっぽい、三隻!」
「ごめんなさい! 転進して追います!」
夕立が怒鳴るように、海風はせっぱ詰まった声で言ってくる。
こんな状況でなければ言ってあげたいけど、よくやってくれたよ。
こっちが時間を稼がれてる間に、手負いが混じっているにしても二人は四隻を沈めてるんだから。
「あたしたちも行くよ、春雨」
白露と春雨も今度は突破していった駆逐艦たちを追って、扶桑たちへと戻っていく。
追いすがりながら砲撃するけど、今や左右へと散開した三隻の駆逐艦には思うように当たらない。
その時だった。遠くに見える扶桑から、砲撃の発射炎とはまったく違う強烈な光が生じる。
すぐに山城の悲鳴が飛び込んできて、いきなりの悲鳴に思わず飛び上がりそうになった。
「姉様!? 姉様!?」
「ダメだ、落ち着いて! 山城!」
声だけじゃ詳細が分からないけど、かなりまずい状況なのだけは分かる。
おそらくは艤装から白い煙が天に向かって立ち上り始めているのが、離れたここからでも見えた。
白露は深呼吸して一拍置く。こっちまで動揺が移ったら収拾がつかなくなってしまう。
「何があったの、時雨!」
「姫の攻撃が扶桑に直撃! 出血がひどいし火も出てる!」
「私が前に……姉様の盾になる!」
「そんなに騒がないで、山城……まだ撃てるわ……!」
血の気が引いたような扶桑の声が白露の耳に届く。そして戦う意思を示すように砲撃もしてみせた。
だけど無理をしてるのは明らかだった。
それにこれは三隻の駆逐艦たちにとって絶好のチャンスでもある。
なんとしても止めたいのに、砲撃がまるで当たらなくて焦りばかりが募る。
そんな焦りをあざ笑うように駆逐艦たちは扶桑さんたちに迫っていた。
時雨が最後の壁として立ちはだかるけど、いくら時雨でも一人で三隻を相手にしながら守り抜くのは難しい。
中央のロ級が時雨の砲撃に捕まると、後を追うように放ったこちらの砲撃がやっと命中する。
体の破片をばらまくように海中へと没していく中、残り二隻となったイ級が時雨の左右を抜けていこうとする。
すぐさま時雨がこっちから見て左のイ級へと魚雷を投射するのが見え、そのまま振り返りながら砲撃を続けていた。
「みんな、右のイ級に砲撃を集中して!」
間に合わないかもしれない、と過ぎった悪い考えを振り払うように言っていた。
それまで当たらなかったのが嘘みたいに、右のイ級に弾着の光が次々と生じる。撃沈まではあっという間だった。
これで最後の一隻。そっちには時雨の魚雷も砲撃も行ってる。
――だけど、最後のイ級には雷撃はおろか時雨の砲撃も当たらなかった。
虚しく上がる水柱の間を抜けるように横合いから接近したイ級は、扶桑へと雷撃を放って一目散に離脱していく。
六条の白い航跡がまっすぐと伸びていき。
「避けて、扶桑!」
時雨が叫ぶのがこだましても、それが無理なのは誰の目にも明らかだった。
そうして扶桑を狙った魚雷が二つの水柱へと変じる。
足元から致命の一撃を与えるそれが、本来の機能を発揮したということだった。
初めて見る光景じゃない。今までだって何度もこうして敵艦を沈めてきたんだから。
その光景に白露たちは言葉を失う。その場にあって一番最初に立ち直ったのが山城だった。
「姉様はまだ無事よ! 早く――」
先の言葉は山城への命中弾でかき消された。
鉄と鉄がぶつかって軋む異音が響いてきて、白露は弾かれたように声を出す。
「時雨、海風! すぐ扶桑さんの消火と後退を! 夕立は三人の護衛! 曳航してでも連れて帰るよ!」
それぞれが返事をするも春雨だけが違う声を出す。
「ここからは砲撃よりも回避運動に専念して。一気に近づいて雷撃やっちゃうよ!」
戦艦棲姫の狙いは激しく損傷した扶桑から、いまだに砲撃を続ける山城に代わっていた。
周囲を取り巻いていた護衛要塞は二体に減っている。扶桑さんか山城さんのどっちかが沈めたに違いない。
姫にも扶桑と山城の命中弾による痕跡があるものの、十分な損傷を与えているようには見えない。
護衛要塞たちは大口を開けると、口内から鈍色の主砲がせり出してくる。
三連装の砲口が上下に並んで大きさは重巡と同じ、と見て取った白露は要塞の正面から外れるように近づいていく。
二人に向けての迎撃が始まった。
海面を叩くばかりで後逸していく弾着を尻目に、白露たちは戦艦棲姫との相対距離を縮めていく。
あの要塞は浮き砲台に近いんだ。陸上で言えば自走砲に。
直線上にしか撃てないのを見て、白露は一気に近づこうと決める。
やっぱり駆逐艦の小回りについてこれてない。
護衛要塞の攻撃を避けながら戦艦棲姫の横を狙って近づくと、姫の艤装がわななくようにおたけびを挙げる。
警告するような響きに、それまで山城への砲撃に集中していた戦艦棲姫がようやく白露たちを見る。
どこか艶然とした顔をしていた姫が白露、そして春雨へと視線を流すと表情を変えた。
小さな驚きを含ませたような声を発する。
「ワルサメ……?」
「違う! 私はワルサメじゃない!」
「沈メラレル……?」
「私は!」
噛み合わないやり取りと一緒に、ごとんという音が波風に乗ってきた。
魚雷発射管の安全装置が解除された音だった。まだ雷撃点には遠いのに。
「私は春雨です!」
春雨の背負った二基の四連装魚雷発射管から八つの酸素魚雷が投射されていた。
さすがに雷撃は危ないと考えているのか、戦艦棲姫は射線から離れるように回頭していく。
あれじゃきっと当たらない。
「春雨、このまま離脱して!」
「でも……!」
「魚雷を撃ったらあたしたちの仕事はおしまい! 行って!」
先走ってしまったのを春雨が気にしているのは分かっても、そっちに気を遣ってる余裕はなかった。
雷撃を避けようとする姫を追う形で転進し、同航するように併走する。
白露は護衛要塞の向きにも気を払う。
自分が撃たれるのも離脱に入ったはずの春雨を狙われるのもたまったもんじゃない。
白露はすぐに雷撃点を修正しようとし、逆にこの状態がいいととっさに考えた。
新たな雷撃点をなかば直感的に導き出すと、姫の動きを先回りするように急行する。
狙うのは戦艦棲姫の移動先であり、さらに姫を守るはずの護衛要塞によって白露が一時でも死角になる位置。
大丈夫、通ってる。今しかない。背中に二段にして積んでいる四連装魚雷発射管、八門分を向ける。
「ここがいっちばんいい射線!」
魚雷を投射。反動で押し出された体を白露はすぐに立て直す。
八発の酸素魚雷は空を滑空するように着水し、一度は海底に潜り込んでいく。
その後、ジャイロコンパスにより針路修正を行いながら浮き上がるのを白露は頭に思い浮かべる。
予想通りの軌道を描く魚雷はそのまま疾駆すると、宙に浮かぶ護衛要塞の真下をすり抜けて、さらに先にいる飛行場姫に海底から食らいつく。
それが白露の導き出した一番いい射線だった。
そうして白露が見たのは想像とは違う光景だった。
射線上の護衛要塞が勢いよく海底へと落下すると沈み込む。
狙いは明らかだった。姫の身代わりになろうとしている。
轟々と立ち上った水柱が、その狙いが達成されたという事実を証明していた。
投射した魚雷の何本が命中したのか分からないけど、過剰な破壊力を発揮したらしい。
護衛要塞の水中から飛び出ていた部分が、渦巻くようにあっという間に海中へと引きずり込まれていく。
白露は雷撃を阻止されて、無意識の内に歯を食いしばっていた。
「危ナカッタ……トデモ言ッタトコロカシラ」
戦艦棲姫は目を細めて白露を見る。
口元には笑みを浮かべているが、嘲っている調子ではなかった。
「……思イ出シタ……アノ時……ワルサメニ会イニ来タ艦娘カ」
「だったら……何?」
戦艦棲姫はただ白露を見ていた。姫のほうは撃たないが最後に残った護衛要塞が白露へと砲撃を始める。
砲弾がかすめて体勢を崩しそうになった白露に姫は妖しく笑いかけた。
「……命拾イシタヨウネ」
その言葉の意味が分からないまま最後の護衛要塞が中空で爆発し、海面へ落ちていく。
砲撃だと理解して誰がと疑問が生じる間に、戦艦棲姫が遠くを見ていた。おそらく砲撃の来た方角を。
白露が始めからいなかったかのように姫は独りごちる。
「手傷ヲ負ッテルンダ……ドウシタモノカシラ……本調子ノ武蔵ガヨカッタケド……デモ戦場デハ相手ヲ選ベナイ……ソウデショウ? ソウハ思ワナイ?」
姫がどこまでも楽しそうに囁く姿に思わずたじろいだ。
今の砲撃は武蔵が助けに来たものだと察し、同時に戦艦棲姫はその武蔵との邂逅を待ち望んでいたのだと知って。
他のことが些事と言いたげな様子はひたむきであるようで、どこか歪に思える。
戦艦棲姫という魔女が今なお何かをつぶやいてるのを、白露は恐れをもって聞いた。
◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆
武蔵は弾着を認めると、胸に詰めていた息を深く吐き出す。
不思議なものだが手応えを感じていた。
現に放った砲撃は護衛要塞を撃破している。
あの要塞の場合、撃沈なのか撃墜になるのかは気になるところだが、障害の一つを排除できたのは間違いない。
「これで白露はひとまず安全だな」
「まだ棲姫が残ってますけど……」
清霜と一緒に武蔵の護衛に就いている沖波が疑問を差し挟んでくる。
眼鏡越しの視線に武蔵は笑い返す。
「やつ、戦艦棲姫の狙いはこの武蔵だ。今もこっちを見ている。ここにいる限り、優先的に私を狙ってくるだろうさ」
自分の言葉を胸中で反芻した武蔵は顔をしかめる。
戦ったのは一度きりだが、やつが妙な執着を示していたのは忘れていない。
「面倒なやつに目をつけられたものだ。ここで決着をつけてしまいたいが」
「清霜たちもいるし一網打尽にしちゃいましょうよ!」
気を吐くのは清霜で、今にも肉薄して魚雷を叩き込みに行きそうな気配がある。
それ自体は頼もしいし、さすがだと褒めてやりたいところだ。
「普通に考えれば単艦は狙い目だな」
確かにこれは好機だ。
これだけ手薄な状態で姫と相対する機会など、この先はもうないかもしれない。
しかし清霜と違い、沖波は慎重な姿勢を崩さなかった。
「でも私たちは扶桑さんたちの撤退支援に来てるんだし……」
「だけど姫の射程内にいるんじゃ撃たれっぱなしになるよ? 安全確保のためにもここは!」
清霜の言うことはもっともだが、沖波の言い分にも一理ある。
敵を前にしての意見としては慎重すぎる嫌いもあるが、その敵の動きを大局的には掴み切れていない。
航空隊は艦隊の上空を守るのが手一杯で、制空権はほとんど握られてしまっている。当然、こちらからの偵察は困難だった。
すでに砲戦が始まってから三十分以上が過ぎている。
両翼の敵艦隊が増援として現れたとしてもおかしくない頃合いではある。
あるいは退路を抑える形で挟撃してくる危険がないとも言えない。
「……沖波の言う通りだ。敵の動きが不透明だし、何より扶桑たちをこんな場所で失うわけにはいかない」
戦線を下げる必要がある、というのが艦隊をまとめる球磨たちの考えで武蔵も同感だった。
このまま前線の維持に固執していては、孤立して各個撃破されかねない。
それで方々で戦う艦娘たちの後退を助けるのが、武蔵たちが負っていた役割だった。
「戦艦棲姫は私が相手をする。二人は扶桑や白露たちを助けてやってくれ」
「待ってよ、武蔵さん。清霜も沖波姉様も戦えるよ?」
「戦えるからこそだ。私に何かあっても安心して託せる」
言ってから武蔵は苦笑する。
これでは遺言のように取られかねんな。
「もちろん、やつに後れを取る気などないぜ。何せ私は武蔵だからな」
不安を感じさせないように武蔵が笑い飛ばすと、清霜と沖波も顔を見合わせてから武蔵の元を離れていく。
戦艦棲姫は武蔵が射程内に入っているにもかかわらず、未だに撃ってこない。
どうやら先制させてくれるようで、以前の交戦で痛みがどうとか言っていたのを思い出す。
こちらを侮っているのではなく、単純にそういう相手なのだろう。
しかし、それを差し引いても戦艦棲姫を相手にすれば、こちらもただでは済むまい。
ここに来るまでの交戦で何度も被弾している。見た目はともかく艤装内の調子はさほどよくない。
戦艦棲姫も決して無傷ではないが、これから相手をするにはやはり不安が残る状態だった。
いずれは倒さなくてはならない相手だが、果たして今かかずらわうのは得策だろうか。
そこまで考えた武蔵は、内なる弱気の虫を意識の外へと追いやる。
こうして海に出てしまえば相手は選べない。時と場合もだ。
ならばやってやるまで。上等じゃないか。
「虎穴に入らずんば虎子を得ず……やらせてもらうぜ、戦艦棲姫」
遠目に見る戦艦棲姫は笑いながら待ち構えているようだった。
◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆
トラック泊地に襲来した航空隊は述べ五百機あまり。
戦闘機隊や艦娘を突破してからは、迎撃らしい迎撃を受けることもなく泊地を蹂躙していった。
二波に渡っての攻撃は時間にすれば十五分ほどでしかないが、爆撃に晒される提督からすれば感覚が引き延ばされたような、もどかしい時間だった。
秋島に設置されたレーダーサイトは真っ先に標的となり破壊され、夏島にある大小複数の飛行場にも爆弾の雨を降らせた。
もちろん基地司令部にも空襲は及んだ。
ただ航空隊は猛威こそ振るったが、泊地が有する全ての機能を不全に陥らせるには力不足だった。
敵が冷静であれば、攻撃の成果は不十分と判断するはずだ。
第一次空襲が収束してから、およそ五分。
司令部に詰める提督は集まってきた被害状況を確認しながら、それぞれに対応のための命令を下していく。
各飛行場への被害は小さくないが、すでに工兵や妖精たちによって爆撃痕を鉄板で塞ぐなどの応急処置が始まっている。
人間の航空機も運用できる大型の飛行場は後回しにさせていた。
今はまず戻ってくる基地航空隊を受け入れできる状態にし、迎撃機を再度空へ上げられるようにするのが急務だった。
司令部施設や港湾周辺への被害が小さいのは幸いだった。
攻撃の手こそ及んでいたが、元々これらの施設は堅牢に作られている。
特に工廠などは設計上なら武蔵の艦砲にも耐えられるよう建設されていた。
ただ、今回の攻撃はまだ一次空襲に過ぎず、二次三次と攻撃が続けばどれだけ被害が拡大していくのかは予断を許さない。
対応に追われる提督の前にコーワンが現れたのは、そんな折だ。
提督は怪訝な顔を向ける。
泊地にいる深海棲艦たちには避難して身を隠すよう伝えていた。
実態がどうであれ、提督からすれば彼女たちは守る対象なのだから。
「コーワン、まだ避難していなかったんですか?」
思わず敬語が出てくるのは、コーワン相手にはそういう話しかたをしていたせいだ。
それにコーワン本人にはそんな話しかたをさせる雰囲気もある。姫というのが肩書きだけではないかのように。
コーワンは硬い顔つきで首を横に振る。
泊地にいる間は穏やかな表情を見せることが増えていたコーワンも、さすがにこの時ばかりは違った。
「提督……私ノ配下タチモ……戦力ニ加エテホシイ」
コーワンの言ってることが分かるだけに提督は聞き返す。
「待った、あなたたちは戦うのが嫌で亡命してきたのでは?」
「確カニ我々ハ戦イヲ避ケヨウトヤッテキタ……シカシ……コノママデハ守レナイ……戦況ガ思ワシクナイノハ分カル」
コーワンは硬さを残したままの顔で憂う。
難しい決断を迫られて、他には手立てが思い浮かばなかった時にするのと同じ顔だ。
「ココハ我々ヲ受ケ入レテクレタ……ダカラ……」
守ろうとするなら戦うしかない。
続くはずの言葉を想像して、それが出てくる前に提督は聞いていた。
「……深海棲艦の何人がそう言ってるんで?」
「……全員」
「全員?」
「私モ同ジ……戦エルノナラ戦ッテイル……」
今になってコーワンが苦い顔をしている理由が分かった気がする。
戦うのを部下に押し付ける形になってしまっているせいか。
コーワンが泊地に現れた時に身につけていた艤装はここにない。
大本営と交渉した際に研究目的で本土へと回収されていた。
コーワンとしても戦う意思がないのを示す証明と考えたのか、二つ返事で応じている。
深海棲艦たちの反乱に備えての措置でもあったのだろうが、事ここに至っては裏目に出てしまっている感が否めない。
「オ願イダ、提督」
提督は溜めた息を鼻から深々と出す。体の節々に緊張と疲労が広がっているのを感じる。
庇護対象として考えない場合でも提督には懸念があった。
どこまで深海棲艦を当てにしていいのか。
それは個人的な不安にも近く、不自由な左手に提督は視線を落とす。
トラック泊地にいる深海棲艦はおよそ二十。
これを艦娘と合わせれば戦力比は四対一にまで縮まり、六対一よりはずいぶんまともな数字に思えてくる。
泊地を守り艦娘の被害を抑えようとするならば、答えは自ずと決まる。
……これも奇縁か。
「それなら深海棲艦たちは港を守ってほしい」
「……承知シタ」
「よろしく頼む、コーワン」
提督は頭を下げていた。
伸るか反るかの話で、どうするも何も受けるしかない。
上手くいけば劣勢が少し好転し、下手を打てば劣勢がさらに悪くなるだけ。
選択した結果のリスクと、何もしなかった結果のリスクを天秤にかけるという話。
そして与えられた可能性には乗るしかない。というのが提督の持論だった。
「ソンナコトハシナイデ……」
コーワンの制する言葉に提督は顔を上げると、そのまま咳払いをして気を取り直したように言う。
「一時間以内に第二次攻撃隊がやってくるはずだ。そこで少しでも敵機を減らしてほしい」
艦娘たちとの連携も取ったことがないのに、いきなり増援には出せない。
そんなことをすれば混乱を招いて逆効果になる恐れもある。
ならば目の行き届きやすい近くにいてくれたほうがいいという判断だ。
「ヲキュータチデハ防ゲナイト……?」
「攻撃を遅らせたり、敵機動部隊に被害は与えられるはずですよ。だが阻止となると……」
八艦隊と二航戦の働きには期待していても、二次空襲の阻止そのものは難しいというのが提督の見解だった。
日没までに最低でも、あと一回は空襲に耐えなければならない。
こうなってくると提督の懸念は海戦の推移だった。
この戦いで泊地を守り抜けるかはこの空襲による結果と、艦娘たちに今の海戦でどれほどの被害が生じるか次第だ。
前線はなるべく維持してほしいと伝えているが、それが不可能なのは分かっている。
最終的には四人の姫級を撃破するなり、敵の主力に大打撃を与える必要がある。
しかし、そのための打開策を未だに提督は見出せていなかった。
◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆
ネ級と出会ったらどうする?
鳥海は自身に向けた問いかけに、まずは呼びかけてみようと答えを出していた。
呼びかけてみて、伝えられるなら自分の気持ちを伝える。
それが司令官さんに伝えたいことなのか、ネ級に問い質したいことなのかはっきりしなくとも。
鳥海ら第八艦隊は空母棲姫の機動部隊を目指していたが、その途上で飛行場姫の艦隊に針路上に先回りされていた。
敵の布陣は広く散開しているだけに迂回は困難と見て、鳥海は飛行場姫へと目標を切り替えた。
散開しているなら、正面の戦力は薄く突破そのものは難しくないはずという計算もある。
敵機動部隊への攻撃は後ろに控えるニ航戦に託し、鳥海たちは前衛にいた護衛要塞を撃破してすぐのことだった。
「見えた、飛行場姫だよ。それにネ級たちもいる」
島風が目ざとく伝えてくる。鳥海も敵の陣容を確認する。
飛行場姫の前後にはネ級とツ級が付き従い、他にも複数の重巡リ級と駆逐ネ級が周辺を警護していた。
数で言えば、今のこちらとほぼ同数といったところ。
「飛行場姫にネ級……向こうから来てくれるなんて」
「どうする気、鳥海?」
高雄に訊かれ、鳥海は自問と同じ答えを返す。
「ネ級に話しかけてみます。反応がなかったり撃たれてしまったら……それまでですが」
会話は望めないかも。ネ級はすでに艦娘たちと交戦してしまっている。
それでも、これはネ級に接触する好機だった。もしかすると最初で最後の。
だから、それまでなんて簡単に見切りをつけてしまいたくない。
諦めるなら諦めるなりに納得できるだけのことはやらないと。
そう考えた矢先にヲキューが一人だけで突出していく。
「待って、ヲキュー! まだ相手の出方が……」
「気ヅイテタ? サッキハ私ヘノ攻撃ガナカッタ……空母ガコンナニ近クニイルノニ」
言われるまでもなく、鳥海もそれには気づいている。
護衛要塞はヲキューを攻撃対象とは考えていないようだった。
だけど飛行場姫たちもそうだという保証はどこにもない。
もう少し様子を見てからでも、と言おうとした鳥海にヲキューが振り返える。
「私ガ狙ワレタラ……モウ戦ウシカナイトイウコト……」
普段は表情に感情を出してこなかったヲキューが、この時はほほ笑んでいた。自嘲するような寂しさを漂わせて。
そんな顔をして。感情を出すなら、もっとちゃんと笑わないと。
鳥海の内心を呑み込むように、砲撃の発砲炎が飛行場姫から生じた。
「鳥海、反撃するわよ!」
「少しだけ待ってください!」
すでに砲戦距離に入っているローマを制すると、鳥海はあえて弾着まで待った。
大気を切り裂く飛翔音を伴った砲弾が、鳥海らの前方に落ちていく。
果たして飛行場姫たちは撃ってきたけど、ヲキューを狙ってはいなかった。
この砲撃にもヲキューを鳥海たちと分断しようという気配を感じる。
となるとヲキューの近くにいては、かえって流れ弾を集めてしまうかもしれない。
「反撃します! 目標は各自、臨機応変に判断してください。ただしネ級には私、飛行場姫にはヲキューが当たりますので、それ以外の相手をお願いします」
敵艦隊も散開していく。
あちらも各個撃破という方針なのかもしれないけど、こちらとしてもおあつらえ向き。
すぐにネ級の未来位置と交わるよう舵を調整する。
鳥海はペンダントに触れて深呼吸を一度。
緊張している。高揚とは違う、不安に近い緊張。
あのネ級が司令官さんだとは今でも思えない。
なのに話そうとしている。それが正しいかは分からない。
それでも私はあなたと話したい。あなたを知ろうと思っている。
「――聞こえますか?」
暗号化もされていない通信帯域で鳥海は話しかける。
どう呼べばいいのだろう。迷い、名前を呼ぶのはやめた。
「聞こえますか? 私の声が……私が分かりますか?」
返事はない。分かってる。このぐらいじゃ何もしてないのと同じ。
これだけ近いんだから聞こえているのは分かっている。
ネ級の姿は前回の戦闘から少し変わっているらしい。
右目のほうが例の黒い体液で隠されているようで、体からは金色の燐光がこぼれている。
戦うことになれば、ますます強敵になってるのかもしれない。
さらに鳥海は呼び続ける。ネ級は未だに砲撃の一つもしてこない。
そしてネ級が応えた。
「私ニ言ッテイルノカ?」
抑揚に欠けた深海棲艦の声に、鳥海は思わず言葉を詰まらせた。
ネ級が問いかけを重ねる。
「オ前ハ私ヲ見テイル……ドウシテダ?」
「それは……あなたが司令官さんだったかもしれないから……!」
「司令官……?」
苦い気持ちを噛みしめながら鳥海は言い返していた。
ネ級が司令官さんのはずがない。それなのに私は何かにすがろうとしている。
希望とも絶望とも言える、不確実な可能性に。
「そうです! 私は司令官さんの秘書艦で、高雄型四番艦の……」
「……馴レ馴レシイナ、艦娘!」
ネ級が遮ると双頭の主砲が一鳴きして鳥海へと指向する。
狙われてる。鳥海が反射的に主砲を操作しそうになるが、前方へと構えただけに留める。
まだ何も伝えられてない。何も割り切れていないのに。
「私ハオ前ナド知ラナイ。私ニ何ヲ思オウト勝手ダ……何ヲ求メルノモ構ワナイガ……」
ネ級の体から発している金色の光の明滅がはっきりしていく。
戦闘体勢に入るように姿勢を低く下げると、ネ級の主砲たちが威嚇するように歯を打ち鳴らす。
「私ニオ前ヲ押シ付ケルナ!」
拒絶の言葉とともに主砲たちが砲撃を放った。
鳥海もまた転進し変速。回避のために蛇行するような機動を取り始める。
戦うしかない? こうなるしかなかった?
疑問に絡み取られながらも、それでもここで沈むわけにはいかないと強く意識する。
「司令官さん……いえ……ネ級!」
砲弾が近くに落ちて、衝撃が体や艤装を震わせていく。
ネ級はこちらを見ている。そこにある感情は読み取れないけど、一つだけ分かっているのは向こうは本気ということ。
戦うしかない。その現実を嫌でも痛感するしかなかった。
◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆
ネ級は表面上こそ平静を装っていたが、内心では少なからず動揺していた。
それは交戦に至った今でも変わっていない。
初陣と違って強烈な攻撃衝動には駆られていないが、今の状態を思えば逆に衝動に身を委ねられれば楽だったのにと思う。
「ナンナンダ、アノ艦娘……」
巧みに砲撃を避けた眼鏡の艦娘は、速度を上げると後ろを取ろうと快速を発揮し始める。
こちらも速度を上げ主砲たちが迎撃を続けるが、砲撃の瞬間を見計らったかのように艦娘は体を横にずらして変針してしまう。
ことごとく、こちらの予測を外すように。
距離はやや遠く、近づけば命中精度も上がる。
当たらないなら当たる距離まで近づけばいいし、それができるのは分かっていた。
そうしないのは、あの艦娘と間近で接触するのを警戒しているからだ。
あの艦娘はどうしてだか心を揺さぶってくる。
そして応射はまだ来ない。代わりに声が飛んでくる。
「もう少し話を聞いてください!」
「今更ダナ!」
なおも艦娘は語りかけようとしてくる。この期に及んで。
ともすれば、その声に引き込まれてしまいそうな己をネ級は自覚している。
艦娘の声は誠実だった。そして、どこか切迫もしている。
だからこそネ級は畏れを感じていた。
できてもいない覚悟を求められているような感覚を味わう。
私の動揺が乗り移ったように主砲たちも困惑しているのを感じる。
さっきから砲撃がかすりもしないのは、それだけが原因ではないが。
「教えて! あなたは本当に……司令官さんだったんですか!」
「分カラナイコトヲ!」
「では……あなたはどうして私たちと戦うんですか!」
「バカヲ言ウ……私ハ深海棲艦ダ! 艦娘ト戦ウニハ十分ナ理由ダロウ!」
「私たちに協力してくれる深海棲艦もいます!」
それは知っている。現に今、飛行場姫がそのヲ級の相手をしている。
だが、それと私は関係ない。むしろ相手のペースに引きずられてしまっている。
だから無視する。
「オ前コソ……艦娘ダカラ戦ウノデハ?」
……無視すればいいと思うのに、自分からそんなことを言っていた。
そもそも初めから応じなければよかったのに、それができなかった理由も不可解だ。
答えなくてはならないと、その時は感じていた。
今もまたそうなのかもしれない。聞かなければならないと。
「……初めはそうでした。今でもそういう部分はあります」
律義にも艦娘は答えてきた。
こちらの攻撃を避けながら反撃はせず、しかし砲口は常にこちらを追っている。
「だけど艦娘だから、そんな立場だからというだけじゃありません」
「ナラバ……ドウシテ」
「私には今も以前も望みがありますから……」
「望ミ……?」
ネ級は胸中でも、おうむ返しにする。
よく分からない概念だと思い、それ故に自分に当てはめられない。
「私の名前は鳥海です」
「チョウカイ……鳥海カ……」
名乗られた名を口の中で転がす。
初めて聞くのに、ひどく大切なことのように聞こえる。
そう感じてしまうのは、この頭のせいだろうか。私に宿るもう一人の影のせいで。
司令官……それが私の頭にいるのか?
「あなたには何があるんですか、ネ級」
何もない。
即答に近い速さで浮かんでしまった答えにネ級は慄然とした。
知らず歯を噛みしめ、今なおこちらを追いつめようとしながらも手を出さない艦娘に意識を集中する。
戦うしかない。それ以外にないのに、それ以外を求めてくる。
あの鳥海は未知だ。
危険だと思う一方で、興味も引かれてしまう。それはあまり望ましくないのかもしれない。
「あなたの望みは……私たちと争うことなんですか?」
知らない。
分かるのは、このままでは私は動けなくなる。
だから耳を閉ざし鳥海の動きにだけ注目し、主砲たちと意識を通わせるよう努める。
相手の動きは速い。しかし私ほどではない。故に対抗できる。逃げ回るのをやめ、正面から向かい合う。
主砲に二秒の間隔を空けて撃たせる。両大腿部の副砲もさらに数秒遅らせて予想した移動先に向けて発砲開始。
鳥海が左右に動いて回避するが、副砲の射界に飛び込み被弾するのが見えた。
「どうしても戦うしかないんですか!」
「オ前ハ違ウノカ!」
聞かれ、叫び、ネ級は今度こそ無視すると決めた。
副砲での発砲を継続し、主砲たちには逆に射撃間隔よりも照準の補正に集中するよう伝える。
鳥海は副砲の網から逃れたが、すぐに主砲弾に追い立てられた。
足が鈍った様子もなく、一発二発当てた程度では大した損傷にならない。
「この……分からず屋!」
ついに鳥海も撃ってきた。
しかしネ級の意識は別のところにあった。
なぜ、こうにも鳥海は私に感情をぶつけようとしてくる?
そして、私はなぜ耳を傾けようとしている?
その疑問は前後左右の四方を水柱で包まれたことで阻害された。
挟叉、というよりも包囲されている。
「次は当てます……!」
最後の警告だと言わんばかりの声。
今の言葉に嘘はなさそうだった。
この精度なら、初めから当てようと思えば当てられたということか。
鳥海という艦娘は強敵だ。戦闘経験が豊富とは言えないが、それでも分かる。
「面白イ……ヤッテミロ」
だが望むところだった。そうなれば戦うしかなくなる。
分からないことを聞かされるよりも分かりやすくていい。
身を焦がすような攻撃衝動は沸き上がらないが、そんなのはどうでもよかった。これは私の問題だ。
その時、鳥海へと横殴りに砲撃が浴びせられ、彼女は逃れようと即座に面舵を切って離脱をかける。
「援護スル……」
抑揚を抑えたツ級の声が割って入り、両腕の両用砲が火を噴く。
広範囲にばらまくような撃ち方だが鳥海には当たらない。
ツ級が追撃しようと、弾幕を張りながら鳥海との距離を詰めていく。
一度は離脱した鳥海もすぐに体勢を立て直すと、視線と主砲をツ級へと向けるのが見えた。
おそらく、この狙いもかなり正確なはずだ。
「離レロ、ツ級……オ前デハ鳥海ノ相手ハ無理ダ」
「アレガ鳥海……」
こちらの声が届いているはずなのに、ツ級はなおも鳥海へと迫っていく。
ネ級はツ級に急行しながら、主砲たちも砲撃を見舞う。
命中はしないまま、鳥海はツ級へと狙いを定め、そして撃った。
危険を察知したのか、ツ級が直前に右へと切り返す。
しかし鳥海の砲撃は吸い寄せられるようにツ級に集まる。
ほぼ同時のタイミングで到達した十発の砲撃がネ級の間近に落ちていき、何発かが違わず直撃したようだった。
ツ級が頭を大きく振る。一弾が頭部に命中したらしいが、仮面のような外殻によって弾かれたらしいのは幸運だった。
すぐにツ級も撃ち返すが、砲のいくつかは今の攻撃で沈黙したらしい。
ツ級の前に先回りできたのは、鳥海の次弾が到達する前だった。
「何ヲ……!」
「アイツハ私ニ任セレバイイ」
ツ級の声を背中に受けながら、ネ級は両腕を盾代わりに掲げる。両腕から粘性のある黒い体液が流れるよう、にじみ出してくる。
鳥海の放った次弾が降り注ぐ。
痛みと衝撃、そして熱さが渾然一体の激震となって体を襲う。
それらは長続きはしないで、感覚の彼方へと押しやられて消えていく。
ネ級は腕を開いて前屈みになると、単眼を明々と輝かせる。
「オ前ハ……ヤハリ私ノ敵ダ」
初めからこうなるしかなかった。
距離を取ったままの鳥海に見返され、ネ級は金色の眼差しを向ける。
ツ級をやらせるわけにはいかない。
頭の中で何かがざわついている。この判断は正しくないとでも言うように。
もう一人の私にとってはそうかもしれないが、私にとってはこれで正しい。
……理由を持ち合わせないまま、私は自分にそう言い聞かせた。
◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆
ヲキューは飛行場姫と相対していた。
周囲では艦娘と深海棲艦たちがそれぞれ一騎打ちに近い形で交戦し、こちらも構図としては変わらない。
他と違うのは私は仮設の主砲を撃たなかったし、飛行場姫も砲撃こそすれど当てようとはしていなかった。
「当テテモ構ワナイノニ……」
「ソチラコソ……ワザト外シテイマスネ……」
姫が本気で沈めに来ていたら、とうに海の藻屑へと変えられている。
戦艦相当の大口径砲弾を撃ち込む合間に、飛行場姫が接触してきていた。
深海棲艦同士の秘匿回線によるもので、傍受を警戒してだろうというのは推測できる。
堂々と話しても不都合はないが、姫はそう考えていないらしい。
「……ドウシテ艦娘ニ与シテイル? 戦闘ヲ強要サレテルノデハ?」
「誤解ガアリマス……」
警戒と戸惑いを漂わせた声に、秘匿回線を利用している理由が分かった気がする。
ヲキューは静止するように大きく減速すると、両手を下げて体を開くような姿勢を取った。
無抵抗の意思がないと示すために。
飛行場姫も訝しげな顔をしながらも減速する。
「私モコーワンタチモ……何モ強要ナドサレテイマセン」
「……何モ起キテイナイノ? 質ヲ取ラレタトカモナク?」
「私ガココニイテ……同ジ深海棲艦ト戦ッタノモ……全テハ私ガ決メタコトデス……」
ヲキューの言葉に飛行場姫は驚きの表情を浮かべる。
予期していなかった反応らしく、飛行場姫は信じられないといった体で訊く。
「言ワサレテイル……ワケデモナイヨウネ」
「……ハイ」
「何ガソウサセタ?」
「コーワントホッポ……ソレニ彼女タチヲ慕ウ仲間ヲ守ルタメニ……コレガ最善ト思ッタマデデス」
ヲキューにとってはごく自然な決断だった。
説明しながらヲキューは思い出す。
鳥海がこの決断はつらいものになると言っていたのを。
そのときは漠然とそうかもしれないと思った程度だった。
ヲキューも他の深海棲艦も同族意識というのは薄い。少なくともヲキューは少し前まで意識するようなことはなかった。
しかし目の前に見知った飛行場姫が現れれば、警句の意味も理解してしまう。
「アナタコソ島ヲ離レテ、コンナトコロマデ来タノハ……コーワンタチヲ案ジタカラデスカ?」
「別ニ……コノ戦イガ分水嶺ダト……ソウ感ジタカラ来タダケ」
素っ気ない返しだが指摘は正しい。
ヲキューはそう判断すると、つらつらと言う。
「環境ヤ立場ハ変ワリマシタ……シカシ己ニ課シタ役割マデハ……変ワッテイマセン」
コーワンは私が命を懸けていいと思える相手だった。
ホッポは守りたいと思え、そして今なら連帯感を持ち合わせた者たちもいる。
艦娘たちも私たちと向き合おうとしていた。
「私ガ決メタコトデス……誰ニ言ワレタ覚エナド……アリマセン」
ヲキューの言葉を受け止めた飛行場姫が息を呑む。
姫はそのまま直視するよう、油断のない眼差しを向けて訊く。
「オ前ハ深海棲艦ガ人間ヤ艦娘タチト……本当ニ生キテイケルト思ッテイルノ?」
「分カラナイ……コーワンナラ、ソウ答エルデショウ。私ニモ分カリマセン……デスガ尽力ハ惜シマナイツモリデス……」
気がついてしまえば、私の周りには多くがあふれていた。
自分よりも価値があると思えるものでいっぱいに。だから。
「思ウダケデハ……何モ分カリマセン……デキルカハ我々次第デモ……深海棲艦ト艦娘ハ同ジデハナイノデス……鏡写シノ……隣人ノ……」
ヲキューはそこで言葉を詰まらせる。
切迫した気持ちがあるのに、それが形になって思うように出てこない。
言いたいことを言葉にするには、まだ語彙が足りなかった。
「……モウ一ツ訊イテオク」
ヲキューが言葉を探している様を飛行場姫はまじまじと見ていたが、おもむろに切り出す。
「コチラニ戻ルツモリハアル?」
「アリマセン……」
「ソウ……敵同士トイウコト……」
確認するような姫の呟きにヲキューは頷きかけて、すぐにやめた。代わりに言う。
「ドウカ……退イテハクレマセンカ? アナタトテ……コーワント争ウノハ望ンデイナイハズ」
「……冗談デショ。話ニナラナイ」
心底呆れたとばかりの声。
飛行場姫が強い視線と共に、巨大な顎のような艤装に載せた主砲をヲキューへと向ける。
冷たく硬質な砲口が狙いを定めたのか、ある一点で静止した。
動けずにたじろぐヲキューをよそに、飛行場姫は一蹴するように言い放っていた。
「提案シテルツモリナラ……自分ガ優位ニ立ツカ……我々ヘノ利ヲ示シテミナサイ」
◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆
鳥海がツ級に向けて放った砲撃は間に入ったネ級に阻まれていた。
ネ級の体に命中の閃光が生じ、黒い飛沫が爆発の中に別の黒色として混じる。
今度は逆にネ級からの反撃が届き、艤装に砲弾が正面から衝突してのけぞるよう押し返された。
追い撃ちをかけるようにツ級の連続砲撃が来る。
広範囲に振りまいたような砲弾が、変則的な之の字を描いて避ける鳥海を追い立てていく。
「あなたたちとは勘が合うみたいですね……!」
思わず鳥海は口に出す。
予想通りの動き方をしてくれて簡単に当たってくれるかと思えば、すんでのところで回避して大きな被害に繋がるような当たり方にはならない。
こちらもそうだし、向こうの二人にとってもそれは同じようだった。
そのせいで被弾こそ重なっていても互いに余力を残したまま、体力を削り合っているような状態になっている。
意図してできるような状態じゃない。摩耶や姉さんたちと模擬戦で撃ち合うと、たまにこんな状況に陥いる時がある。
お互いになんとなく動きが読めてしまったり、機動が噛み合ってしまう場合に。
だから勘が合うとしか形容できなかった。
「ソンナモノ……合ッテイルワケ……!」
砲撃と一緒になって言い返したのはツ級のほうだった。
事前の分析と違い、かなり積極的に攻撃をしかけてきている。
弾幕を張りながら執拗に距離を詰めようとしてきていて、ずいぶん攻撃的な印象だ。
ツ級からは攻めようという気迫を感じるけど、それが前に出すぎている。
攻撃ばかりに気を取られて、どこか単調に思える動き。
ならば、それに合わせるまで。予想針路上に向けて砲撃しつつ離脱を図る。
こちらに迫りつつも後逸していく砲撃を横目に、支援に回っていたネ級が砲撃の未来位置へと先回りしていくのを見る。
同じようにツ級の動きを先回りしているのか、それとも私の動きに合わせているのかは分からない。
ただ、この砲撃もネ級が肩代わりするように当たっていく。
怖いのは、やはり彼女のほう。
さっきからツ級へ直撃しそうな砲撃を何度も防いでいるけど、動きが鈍った様子はまるで見受けられない。
「本当にツ級を守ろうとして……」
木曾の指摘を鳥海は忘れていない。
――ネ級はツ級を守るよう行動する。
前回の海戦と異なる点として、今のネ級は自身をコントロールしているらしい。
ツ級から一定の距離を保ったまま、こちらに合わせて対応を変えてきている。
いっそがむしゃらに突撃してきてくれるほうが、まだ楽だったのに。
「仕留メル……」
ツ級がつぶやくのが聞こえてくる。
仮面のような頭部の奥では敵意を向けているはず。
ネ級の双頭の主砲もこちらを指向しているのを見る。
左右に視線を巡らし逃げ道を探す。今回はよくないかもしれないという予感が急速に膨らんでいく。
せめて、どちらか一方なら。そう考えた矢先だった。
ツ級の背中に着弾の光が瞬き、体勢を崩すのが見えた。予想外の攻撃にネ級も視線を外して砲撃の手が止まる。
「こちら島風、今から加勢するよ!」
「いいところに来てくれました!」
二人の深海棲艦の背後から、島風が三基の自立型連装砲を引き連れて高速で近づいてくる。
見る見る近づいてくる島風が砲撃を浴びせていくと、ネ級たちの動きが乱れた。
ネ級は私と島風のどちらを狙うかで、ためらったかのように交互に首を巡らし、ツ級も島風へと注意が逸れる。
それは明確な隙だった。
「そういうことですか……ここで形勢を逆転させてもらいます!」
この二人の弱点は戦闘経験の少なさでもあるんだ。
今みたいに突発的な事態に直面すると、動きが硬直して対応が二手も三手も遅れてしまう。
もしも私が同じ立場ならツ級を島風に当てる。
島風と連装砲ちゃんたちを相手にしようとするなら、広範囲により速く砲撃できるツ級のほうが相性がいいはずだから。
だからこそツ級を今一度狙う。ツ級を無力化して、その上でネ級と……決着をつけなくては。
島風が注意を引きつけている間に、鳥海もまた四基八門の主砲を一斉射した。
撃ち出された徹甲弾が放物線を描いてツ級へと飛翔する。
遅れてネ級が鳥海の砲撃に気づくが、その時には砲弾は間近に迫ってた。
島風を注視してたツ級も砲撃に気づいて振り返ろうとするが、それは命中の直前でもあった。
一弾が巨腕じみた右の艤装に当たり、上段の砲塔を基部から抉るように弾き飛ばして空へと舞い上げる。
別の一弾はツ級の足元に落ちて脚部を傷つけ、さらに別の砲弾が頭部の左側をかすめるように命中すると外殻の一部を削り取っていった。
「ツッ……!」
ツ級は苦悶の声をあげるも、たたらを踏むようにしながら持ちこたえる。
破損した外殻からはツ級の素顔が一部だけ露出していた。不健康なまでに白い頬と、赤い左目。
ツ級が怒りに燃えたかのように睨み返してくるけど、どうしてか引っかかるような違和感を感じる。
その理由を顧みる間はなく、ネ級からの砲撃が来ていた。
回避するつもりだったのに向こうの砲撃も正確だった。
頭を思いっきりはたかれたような衝撃を受けて、視界が一瞬真っ白になる。
砲撃に煽られて、視界が戻った後でも平衡感覚が狂ってしまったようだった。
痛いというよりも苦しかった。催した吐き気をこらえながら、鳥海は被害状況を確認しようと努める。
その間にネ級は滑るように島風とツ級の間へと回り込むと、島風に突進していく。
双頭の主砲たちは鎌首をもたげるようにしたまま鳥海に睨みを利かせている。
ネ級が島風へと副砲を撃ち始めた。ツ級に比べれば密度は薄いが、それでもかなりの速射性能だ。
島風は砲撃を上手く避けるも、後から追従する形の連装砲ちゃんたちはそうもいかなかった。
一基が副砲の直撃を受けると砲身をひしゃげさせて停止し、別の一基は裏返るようにひっくり返ってしまう。
そして島風とツ級は相対距離を詰めつつある。
島風が接触を避けるように舵を切るが、ネ級もその動きに合わせてくる。まるで衝突を望んでいるかのような動き。
密着されたらネ級に敵う道理がない。そして島風に引き離せるかは微妙なところに思えた。
「島風!」
「分かってるって!」
すぐにネ級へと砲撃の目標を変えるも、ツ級からの攻撃も来ていた。
構わずに一斉射。島風をみすみすやらせる気はない。
こちらが砲撃を撃ち込むのと入れ代わりに、ツ級の砲撃が投網のように落ちてくる。
鳥海が反射的に頭を下げて顔を隠すと、引っかき音を何度も響かせながら艤装が次々と叩かれていく。
高角砲弾をそのまま撃ちこんで来て、それが命中前に破裂したらしい。
主要部の装甲こそ抜かれなかったものの、装甲のほとんどない甲板部を破片でずたずたにされていた。
逆に鳥海が放った主砲弾もネ級へと命中していく。
双頭の主砲が盾代わりになって何発かを防ぐも、一発が主砲たちをすり抜けて背中に当たる。
背中から突き飛ばされるようにつんのめるも、ネ級の勢いは止まらない。
もう一撃浴びせようにも、ツ級の砲撃を避けざるをえなかった。
タイミングを逸する。島風とネ級はもう近い。
逃げて、と叫びそうになる。
ネ級は副砲をつるべ撃ちにしていく。
次々と見舞われる砲撃に島風がよろめき、ついに一弾が命中すると立て続けに命中が重なっていく。
ネ級はそのまま動きが鈍った島風の背中を取ろうとしていた。
ツ級の砲撃が来ていても、鳥海は強引に前へ出る。
深海棲艦に妨害されて、機能を十全に発揮できなくなっていた電探が息を吹き返したのはそんな時だった。
同時に声が割り込んでくる。
『コノ海域ニイル同胞……並ビニ人間、艦娘、トラック諸島ノ深海棲艦ニ告グ。双方、交戦ヲ中止セヨ……繰リ返ス……』
おそらくは飛行場姫の声――ジャミングされてないのか、その声は明瞭に通っていた。
戦闘の停止を呼びかける声に、島風の後ろを取るはずだったネ級がそのまま手出ししないで行き過ぎるのを見る。
周囲での砲声も少しずつまばらになっていく。
ツ級も撃ってこなくなったのを見て、鳥海は島風に近づきながら周囲に視線を巡らして状況の把握に努める。
周辺の深海棲艦たちの砲撃は途絶え始めていて、鳥海も艦隊に砲撃を中止するよう伝える。
深海棲艦が手を止めてるのに撃ち続けるのは、墓穴を掘る結果に繋がりそうだと感じていた。
そうして双方ともに膠着する。
「各艦、被害状況を知らせて」
鳥海は照準だけはネ級に定めたまま通信を流す。
ややあって各々が被害状況を伝えてくる。幸いと言うべきで、島風の他には深手を負った者はいない。
島風も傷つきながらも、連装砲ちゃんを抱えたままネ級から注意を逸らさないようにしていた。
「島風、怪我は……?」
「大丈夫です……他の連装砲ちゃんたちも拾ってあげないと……」
損傷のほどは中破といったところで、島風本人は健在そうながら額から頬に伝った血が滴り落ちていた。
ネ級たちへの警戒を解けないまま、鳥海も損傷した連装砲たちの回収に向かう島風を護衛するようについていく。
その二人をネ級はいつでも攻撃できるように見ていた。
「……本気で撃ったんですね」
気づけば口にしていた鳥海に、ネ級は驚いたように片目を丸くしたがそれもすぐに消えた。
「何ヲ当タリ前ノコトヲ……」
当たり前……そう、確かにその通りだった。
そんなの分かりきってたのに、どうして私は……。
戦闘が中断したと見たのか、飛行場姫の言葉が変わる。
姫は鳥海たちのみならず、泊地の提督や他の海域にも通信を流していた。
『スデニ我々ノ戦力ハ理解シテモラッタハズ。艦娘タチハ健闘シテイル……シカシ我々ハ精々三割程度ノ戦力シカ、マダ当テテイナイ……』
その言葉を裏付けるように、外縁部にいたはずの深海棲艦や護衛要塞たちが水平線上に小さな影法師のように現れていた。
『必要以上ニ血ヲ流ス必要ハナイ……ユエニ要求スル。トラック諸島ヲ放棄セヨ。サスレバ我々ハ諸君ラヲ見逃ソウ』
有り体に言えば降伏勧告だった。
信じられない、というのが鳥海が真っ先に思い浮かべた答えだ。
トラック泊地を放棄できるかという点を除いても、ワルサメと空母棲姫の顛末を知っていれば飛行場姫の言葉を素直に受け取るのは危うい。
そもそも鳥海たちの一存で決定できるような話でもなかった。
これは提督が決断しなければならないことだった。
しかし、この提案が飛行場姫からもたらされたものというのは無視できない。
飛行場姫と空母棲姫は違う。
鳥海はやむなくネ級から視線を外すとヲキューの姿を探し求める。
いた。二人は対峙している。ただ遠目には飛行場姫はヲキューを主砲で狙っているようにも見えた。
脅されているのか見かけだけなのか。
鳥海は艦隊内の無線でヲキューに問う。
「信じていいんですか? ダメならとぼけて」
「……アア」
ヲキューは信用している。
仮にこのまま交戦を継続するなら、鳥海たちとしては飛行場姫を一点狙いするしかない。
その結果として飛行場姫を撃沈できる可能性は高いが、同時に鳥海ら第八艦隊も包囲されて壊滅する。
改めて全体の状況を把握しているであろう提督から、回答が来るまでさほどの時間はかからなかった。
『貴君の提案は十分検討に値すると判じている。しかし急な提案であり、吟味するための時間をいただきたい』
『イイダロウ……明朝ノ○五○○……返事ハソコマデ待ツ……人間ト艦娘ノ賢明ナ返答ニ期待スル』
明らかな時間稼ぎだけど飛行場姫は乗ってきた。
話がとんとん拍子で進んでるけど、これは飛行場姫の独断ではないかという考えが鳥海の頭に過ぎる。
これはきっと先延ばしでしかない。あの空母棲姫が素直に受け入れるとは考えられない。
だけど、このまま戦闘を継続しても悲惨な結果しか待ち受けていないのは容易に想像がついた。
「ココマデカ……」
ネ級がぽつりと漏らす。
油断と警戒を隠さない様子は未だに臨戦態勢のままだと言えた。
分かっていたのに。ネ級も私を敵と呼んで、私もまた司令官さんの面影を見出せずにいて。
「あなたは……やっぱりいないんですね……」
連装砲ちゃんを回収していた島風が、その手を止めて見上げてくるのを感じた。
ネ級は身構えるようにこちらを見続けている。冷え冷えとした眼差しで。
程なくしてから提督からの後退命令が届き、それを復唱してからも鳥海の体から緊張感は解けなかった。
◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆
武蔵は朦朧とした意識の中で聞く。自然と肩でするようになってしまった呼吸が苦しい。
「戦闘ヲヤメロト……サテ、ドウシタモノカ」
戦艦棲姫が誰に向けてか判別のつかない問いかけを口にする。
姫は手傷を負っていた。体の所々に擦過傷があり、艤装を担う豪腕の獣もその両腕を不自然な形に歪め、曲げている。
しかし武蔵の負傷はそれ以上で体から血が流れすぎていた。さらしを朱に染め、その色はなおも広がり続けている。
傷だらけの艤装が風に煽られて、鋼同士が食い合うような耳障りな音が響かせる。
ひび割れた眼鏡を通して、どこか虚ろになりがちな目で戦艦棲姫を睨みつけようとしていた。
……ダメだ、どうにも意識が上手く定まらない。
そんな武蔵に戦艦棲姫は笑う。
「ハッキリ言ウト……アナタニハ失望シテルノ」
嘲るような悲しむような、曖昧なほほ笑み。
誰に向けたものなのか。と武蔵はぼんやりと思案するが、それも意識の混濁に呑まれて明確な形になれない。
「アナタハモット手強イト思ッテイタ……アノ名バカリノ戦艦タチト違ッテ……」
「扶桑たちのことを言ってるのか!」
姫の言葉に武蔵の意識が少なからず覚醒する。
仲間への侮辱は許せない。痛みも疲れもこの時ばかりは消え去っていた。
戦艦棲姫は驚いたように目を見開くが、すぐに元の調子に戻る。
「サア……前ノ海戦デ沈メタ艦娘タチノコトカモ」
「貴様……!」
秘密を打ち明けるように忍び笑いを漏らす。
こいつは、と叫び出しそうになった武蔵だが、代わりに砲声が一面に響く。
ただし、それは武蔵が放ったのではなく戦艦棲姫でもない。
二人よりもはるかに小口径の、駆逐艦による砲撃だった。
「武蔵さん、今から助太刀するよ!」
「清霜か……!」
白露たちと一緒に後退したはずだったが。
いや、どうして戻ってきたのかよりも、こいつは清霜の手に負えるような相手じゃない。
次々と撃ち込まれる砲弾が戦艦棲姫に命中し、撃たれた艤装が唸るように喉を鳴らすがすぐに姫がなだめるように制す。
「アラアラ……健気……セッカクノ提案……ゴ破談ニナッテモイイノカシラ……」
涼しい顔で砲撃を浴びる姫は、砲撃を受けてること自体に気づいていないような調子で話を続ける。
「トニカクネ……コノグライシカ戦エナイナンテ……ガッカリ」
戦艦棲姫は首を左右に振り、そして相変わらずほほ笑みを顔に貼り付けていた。
「モチロン……アナタガ最初カラ本調子ナラモット……ダカラ……私モ今回ハ見逃ス」
「なんだと……?」
「ダッテ……ソウジャナイ? アナタヲ沈メタラ……今度ハ誰トノ対決ヲ心待チニスレバイイノ? オ姉サンノ大和……ソレトモ妹サンノ信濃カシラ?」
愉快そうに戦艦棲姫は笑っている。
こいつは……この場で刺し違えてでも沈めたほうがいいのかもしれない。
主砲を撃ち込もうとする武蔵だが、艤装が思うように反応しない。視界も端のほうからぼやけはじめていた。
「分カッテイルトハ思ウケド……アナタタチハアノ子ノ提案ニハ応ジラレナイ……コチラモ今ノママノ提案デハ済マサナイデショウシ」
それでも見逃すのは……そのほうが戦艦棲姫にも都合がいいからか。
武蔵はそこで重みに耐えかねるように片膝をついた。顔だけは戦艦棲姫を見上げる。
清霜も武蔵に並ぶように追いつくと体を支えてくる。その目には涙がたまっているように見えた。
「武蔵さん!?」
「聞コエテイタデショウ……決着ハ預ケテアゲル……」
「そうじゃない! あなたは武蔵さんが怖いから逃げるのよ……!」
精一杯の声が叫ぶのを聞く。
やめさせないと。下手に挑発したら清霜の身が危険だ。
一度はついた膝を立たせる。震えているのは足なのか体全体なのか、もう区別がつかない。
恐れていた事態にはならなかった。少なくとも今は。
「デハ言ッテオコウカシラ……」
戦艦棲姫はあくまでも笑っていた。この状況も楽しんでいるように。
「駆逐艦ノオ嬢サン、次モ武蔵ノ側ニイタラ沈メテアゲル……」
隣で寄り添う清霜が息を呑むのを感じる。
脅し文句ではあるが、ただの脅しではない。本当にそれをやろうという相手だからだ。
「私ガイル限リ……武蔵ニハ誰モ守ラセテアゲナイ」
そうか。頭の片隅で思う。私は挑戦状を突きつけられたのだと。
いや……そうじゃない、逆だ。
脅威に挑まなくてはならないのは、他でもないこの武蔵のほうだ。
◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆
「……言ッタデショウ。要求ヲ通シタクバ優位ニ立テト」
ヲキューに狙いを定めたままの飛行場姫が、どこか諭すように優しげに言う。
しかし、それも束の間ですぐになりを潜める。
「黙ッテ退キナサイ……今ダケハ見逃シテアゲル……」
「次ハナイ……ソウイウコトデスカ……?」
ヲキューの言葉に飛行場姫は何も答えない代わりに主砲の狙いを外す。
飛行場姫の提案は深海棲艦たちの間にも波紋を呼んでいた。
反対の急先鋒となると思われていた空母棲姫も、飛行場姫に追従する形で戦闘の停止を命じている。
もっとも停戦に賛同したわけでなく、直前に二航戦の航空隊による強襲を受けて機動部隊が被害を負ったためだと飛行場姫は見ている。
あくまで通信からでしか被害状況を把握していないが、予想外の被害を出して混乱しているのは確実だった。
おそらく空母棲姫としては、追撃を防いで立て直しの時間を稼げるぐらいにしか考えていないだろう。
「……行キナサイ。人間ハ話ヲ受ケタ」
「……分カリマシタ。一ツダケ……教エテクダサイ」
もしかすると、これがお互いに顔を突き合わす最後の機会になってしまうかもしれない。
そんな考えを過ぎらせながら、姫は無言で頷く。
「我々ガ去ッタ後……提督ハドウナッタノデスカ……?」
「……知ッテドウスル」
「……艦娘ガズット気ニカケテ……真相ガ分カルナラ……教エテアゲタイ……」
「艦娘ノタメ? 変ワッタワネ、アナタ」
「ソウデスカ……? 私ハ……艦娘モ嫌イデハナク……ムシロ好キデス」
飛行場姫はヲキューから目を逸らすように視線をさまよわせる。
伝えるべきか迷い、しかし正直に答える。
「死ンダワ……私ガコノ手デ殺シタ」
聞かされたヲキューは目立った反応を見せなかった。
驚きもせず、微動だにしなかったのではないかとさえ思える状態で。
「ドウシテ……ソノヨウナコトニ?」
「彼ガ望ンダ……利用サレルノヲ防グタメニ」
そこまで話してから、飛行場姫は提督との最後のやり取りを思い出す。
「ヲキュー……アナタハ最期ニ何カ食ベタイ……ソウ考エタコトハアル?」
「イエ……ヨク分カリマセン」
「私モヨ。ダケド提督ハ誰カノカレートイウ物ヲ食ベタイト言ッテイタ」
「……人間ヤ艦娘ニトッテ……食事ハタダノ栄養摂取デハナイノデ……」
「ヨク分カラナイ話ネ……デモ提督ガ……最期マデ提督デアロウトシテイタノハ確カ……ソシテ誰カニ会イタイトモ言ッテイタ……」
その時に出た艦娘の名前は思い出せない。ヲキューならそれが誰かは当たりがついてるのかもしれない。
そして飛行場姫は思う。自分は艦娘にとっては仇になるのだと。
直接手を下したのは、他の誰でもない己なのだから。
「……伝エナサイ。モシ清算ヲ望ムナラ……私ハイツデモ相手ニナルト」
「分カリマシタ……シカシ……艦娘ハアナタガ想像シテイルヨウナコトハ望マナイト思イマス」
「……ドウシテソウ言エルノ?」
「私ガ……マダココニイルカラデス」
ヲキューは頭を下げると、踵を返すように背を見せる。
以前は見慣れていたはずの背中を飛行場姫は黙って見送るだけだった。
◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆
鳥海たちが泊地に戻ってきたのは十七時を回ろうかという頃。
空襲の難を逃れた二隻の出雲型に分乗し、三十ノットの強速に揺られながらの帰還だった。
普段から荒波に揉まれがちなので船酔いになったりはしないけど、さしもの私たちも疲れ切っている。
艦内のそこかしこでぐったりしている姿が散見されたとしても無理もなかった。
泊地の近海ではコーワンの部下たちが警戒航行をしているのが見えた。
私たちがいない間、彼女たちが泊地を守ってくれていたらしい。
すぐにドック入りすると艤装の本格的な修理が始まり、負傷の治療にも傷の軽重を問わず高速修復剤が用いられた。
陽が沈むまで、まだ一時間半近くある。
せめて日が暮れるまでは安心しきれない。
いつでも最出撃できるように警戒態勢こそ解けていないものの、深海棲艦の動きも今のところは収まっていた。
だけど、これで何もかも元通り──とはならなかった。
「どうして姉様が目を覚まさないのよ!」
「ちょっ、落ち着いてくださいってば!」
山城さんが夕張さんの両肩を掴んで食ってかかる。ただならない剣幕。
夕張さんはドックでの現場監督をやっていて、今も治療の責任者を務めていた。
いけない、と思った時には体が動いていた。
白露さんと時雨さんもそう思ったのか、三人がかりで山城さんを引きはがすように抑える。
夕張さんは怯えたような顔をしながら、身を守るように体をちぢこめていた。
「おかしいじゃない、治療は済んだんじゃないの!」
鳥海ら三人がかりで抑えている山城だが、ともすれば制止を振り切ってしまいそうだった。
扶桑さんの傷は修復剤で癒えているも、意識を失ったまま眠ってしまっている。
胸が上下しているので息は間違いなくある。
だけどこのまま眠り続けるんじゃないかと、そんな不安も抱かせる姿だった。
「姉様にもしものことがあったら――」
「少しは落ち着け。みんなもそう言ってるでしょうが」
出し抜けに言ったのはローマさんで、いきなり山城さんの額を指で小突く。
不意打ちに気勢が削がれたのか、山城さんが呆けたような顔をする。私もちょっと驚いた。
ローマさんがため息混じりに見える調子で続ける。
「私も経験あるけど一日か二日あれば起きてくるわよ。大方、今は長い夢でも見てるんでしょ」
「でも……」
「でも何? 不安になるのは分かるけど、私の知ってる扶桑が見てたら今のあんたを……どうするんだろ?」
最後のほうは自分でも分かってないようなローマの言葉に、山城の体から力が抜ける。
山城がどこか憑き物の落ちた顔で周りを見て、それから最後に夕張と顔を合わせた。
「ごめんなさい……八つ当たりしてた……」
「え……ああ! いいんです、私は別にそんな……」
こちらはまだ、どこかぎこちない笑顔で夕張も答える。
緊張していた空気が和らいでいくのを感じ、鳥海たちも山城からゆっくり離れた。
少し張り詰めすぎている部分はあるけど、今はこれでいいのかもしれない。
鳥海は人知れずため息をつくと、ローマにだけ話しかける。
「ありがとうございます、ローマさん」
「別に……戻って早々、あんなの見せられたら気が滅入るだけだから」
ローマはぶっきらぼうに答えると、そのままの調子で鳥海に訊く。
「そっちこそ平気なの?」
「私ですか?」
「ネ級と交戦したんでしょ。島風は怪我させられたんだし、あなたもその……気にかけてたじゃない。色々」
言葉を探すように言う。ローマのそんな不器用に見える様子に鳥海は吹き出す。
「なんで笑うのよ……」
「いえ、ごめんなさい。でも収穫はありましたよ? ネ級は――ネ級でしかないって分かりましたから」
今の言い方はちょっと不正確だ。分かったんじゃなくって認められた、が正しい。
ふーん、とローマはどこか気のない返事をする。
「分かってるでしょうけど、あまり気負いすぎることもないから」
「ええ、お気遣いありがとうございます」
ちょうどその頃になって提督さんがコーワンと一緒にドックまでやってきた。
ここまで自分から来たのは、まだ今日の戦闘が終わったという確証がないからでしょう。
提督さんも疲れているだろうに周りには感じさせないようにしたいのか大股で歩いていた。コーワンは唇を引き絞っているからか硬い顔つきに見える。
「みんな、そのまま聞いてくれ。少し前に空母棲姫が提示された要求を変えてきた」
空母棲姫はこちらがトラックを放棄するだけでなく、コーワンやホッポら深海棲艦全員の身柄の引き渡しも要求してきていた。
さらに期限も今日の二十一時までに縮められている。
要求とはいっても、降伏勧告だったのは前から変わっていない。
それでも飛行場姫の時はコーワンたちには触れず、不問にしようとしていた節がある。
「君たちの意見も聞かせてほしい」
「提督こそどのようにお考えでしょうか?」
夕雲さんが先んじて尋ねる。その場にいる誰もが考えているであろう疑問だった。
「俺としてはここからの撤退はしたくない。ラバウル方面の友軍を見殺しにすることになるからだ」
元から泊地の放棄を想定しての漸減作戦もあるにはあったけど、各地の戦力がラバウルに進出しブインとショートランドに橋頭堡を築こうとしている今では難しい案だった。
一時で済むならまだしもトラック泊地を失えば補給路に大きな制限を受け前線への圧力が強まり、戦線を瓦解させかねない。
ラバウルも潜水艦隊の脅威にさらされて、補給の成否はますます重要になっている。
「しかし、このまま戦い続けて徒にここの戦力を消耗させるのは、もっと愚かだとも思う。だから改めて他の意見も知りたいんだ」
深海棲艦側の要求を呑むか否か。つまりは戦うべきか退くべきか。
飛行場姫も言っていたように、昼の戦闘ではまだ深海棲艦も本腰を入れきっていなかった節がある。
彼女の言葉を信じるなら、まともに当たれば私たちはやがて敵に呑まれてしまう。小さな波は大きな波に呑まれて消えるのと同じように。
束の間だけ訪れた沈黙は、ありえないだろという摩耶の声によって破られた。
「大体さ、あの空母棲姫を信用するってのがおかしいんだ。あいつが前に何をしたのか覚えてんだろ」
「あいつはワルサメを撃った」
鳥海は一瞬耳を疑った。今のは白露の声だったが、いつもの朗らかさがまったく感じられなかったからだ。
明るさを欠いた声が続く。
「そんなやつをどうして信じられるの?」
「戦うしかなかろうよ。口でどう言おうが、やつらは本心では私たちの始末を望んでいる」
「姉様のことは別にしても、コーワンたちを差し出せということですよね? そんなの話にならないわ」
武蔵さんと山城さんも白露さんに続く。
三人の表情は一様に硬くて緊張感を伴っていた。その身を投げ打ってもいいとでも言うように。
とはいえ、言いたいことは分かる。空母棲姫は要求を呑んだところで、それを守るとは思えない。
すると多摩さんも手を挙げる。
「多摩も同感だけど、撤退そのものは視野に入れといたほうがいいと思うにゃ」
「島風も多摩さんに賛成です。帰ればまた戻ってこられるって言うし……」
鳥海は考えをまとめようと自然と視線を下げた。
誰もが戦うのを是としている。それは私だって……。
「鳥海さんはどうお考えですか?」
夕雲に訊かれ鳥海は顔を上げた。
注目が集まっている。こういうのには秘書艦を務めている間に慣れていた。
だから胸を張る。みんなの意思も明白だから、私も素直に言うだけ。
「退路を確保している上でなら戦うべきだと思います。ここだけでなく、もっと大勢の命も懸かっていますから簡単には引き下がれませんしね」
けれど、ただ闇雲に戦うだけでも意味がない。いかに相手が強大であったり因縁があったとしても。
「しかし、それで私たちに甚大な被害が生じるようではダメなんです。泊地を守り抜いたとしても、それで今後全ての戦闘が終わるわけじゃないんですから」
もちろん戦いの風向きは間違いなく変わる。結果が勝ち負けどちらに転んだとしても。
だけど勝っても負けても、こちらが共倒れになってしまっては意味がない。この先、進むことになろうと押し留まることになろうと。
「提督さんの言葉を拡大解釈するようですが、ここを失うだけなら後から巻き返しもできるはずです。でも私たちが多くの仲間を欠いたり……あるいはコーワンたちを失ったら?」
ちょっとだけ間を置く。言葉の意味を少しでも考えてもらうために。
いえ、みんなだって本当は分かっている。たぶん。
「思うに、それが私たちの敗北です。積み上げてきた今までとこれからを失うのと同じですから……だから負けないためなら戦うべきだと思っています」
鳥海はペンダントを握る。
あなたは生きた。わたしも生きている。生きるというのは可能性に立ち向かうこと……なんだと思う。
「どうやら……聞くまでもなかったか?」
提督が声を発したのを聞き、鳥海はペンダントから手を離す。
一同を見渡していき、それぞれの顔に浮かぶ気持ちを確かめていくようだった。
提督は決然とした声を出す。
「夕張と整備科は修理が済み次第、すぐに夜戦の用意を始めてくれ。向こうは仕かけてくるぞ」
その言葉を皮切りに、意思確認の場は作戦会議へと変わる。
今夜の内に起きるはずの夜戦と、その後に来る決戦に向けての最後のすり合わせへと。
◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆
「マッタクヨクモヤッテクレタワネ……オ陰デイイ時間稼ギニハナッタケド」
「不満ナノカ感謝シテイルノカ……ハッキリシテモライタイモノダ」
飛行場姫は空母棲姫に対して露骨に表情を歪める。
元から虫は合わない。それを隠す気もないまま顔を合わせ続ける。
深海棲艦はトラック泊地からおよそ四百キロ付近の位置を、四つの艦隊に別れる形で遊弋している。
その中にあって、四人の姫は一堂に会していた。
陽が暮れるまでおよそ一時間残っているが日中の攻撃は終わっている。
「感謝ナラシテイルワヨ? 降伏勧告ニシテハ……アノ条件ハ温スギルケド」
飛行場姫は悪びれた様子も、気分を害した様子もなく応じる。
別になじる気はない。ただ、やはり合わないというのを再確認するばかりだった。
空母棲姫率いる機動部隊は飛龍たちの反撃で想定以上の被害を出している。
飛行場姫が要求を伝え出す少し前の話だった。
「ダカラ……要求ヲ変エタノカ?」
「モット分カリヤスイ降伏勧告ニネ」
空母棲姫は少し前に人間たちへと要求への返答を早め、コーワンたちも差し出すように通達している。
どうあってもコーワンたちを始末しないと気が済まないらしい。
「別ニイイジャナイ。長々考エルヨウナ話デハナイモノ……尻尾ヲ巻イテ逃ゲ去ルカ……イサギヨク踏ミ潰サレルカ。ソレダケ」
そこに戦艦棲姫も話に加わってくる。
唇が伸びやかな弧を描いていた。今の状況を楽しんでいるらしいが、腹の奥底は分からない。
「アノ艦娘タチナラ継戦ヲ選ブ……キット……間違イナク」
「デショウネ……ソウデナクテハ面白クナイワ」
空母棲姫はそこで装甲空母姫と顔を向ける。
「全体ノ被害状況ハドウカシラ?」
「戦闘ニ参加シタ艦隊デハ喪失ガ三割弱……損傷モ含メレバ倍ニナル。全体デハ二割ガナンラカノ被害ヲ受ケテイル」
空母棲姫は口を閉ざすと真顔になっていた。
さすがに想定を越えていたらしい。
「コノ戦力差デヨクモヤッテクレルワネ……」
「ブツケタ戦力モコチラハ少ナカッタ……トハイエ、モット積極的ニ我々モ動クベキダッタカナ」
「敵ニ与エタ損害ハ?」
「ハッキリトハ分カラナイ……シカシ割ニ合ッテイナイト思ウヨ」
飛行場姫は空母棲姫が渋面を作るのを見る。
しかし、すぐにその表情は消えていた。代わりにいつもの薄い笑いが顔に張りつく。
「今夜……予定通リニ夜戦ヲ行ウ……敵拠点ヘ攻撃ヲ仕カケ、艦娘ドモニモ消耗シテモラウトシテ……」
夜間にトラック泊地に砲撃を実行するのは最初から決まっていたことだった。
レ級艦隊を主力とした小規模な打撃艦隊で短時間に火力を集中させて速やかに帰還するというもの。
レ級たちであれば中途半端な迎撃艦隊なら撃退できるし、大部隊が来るようなら速やかに撤退すればよかった。
艦娘たちは迎撃の必要に迫られる時点で、休息の時間を奪われ負担を強いられるのだから実行して損はない。
島の陥落を目指すのは、あくまで昼間の攻撃時という前提だった。
「ガ島マデ戻レソウニナイ子タチモ投入シマショウ」
飛行場姫はその一言に固まった。
ガ島まで戻れないというのは、つまり応急修理でもどうにもならずに大きな損傷を負っている艦を指している。
思わず身を乗り出して空母棲姫へと問い質す。
「ミスミス死ニニ行カセルノカ」
「手ノ施シヨウガナイナラ有効ニ使ウ……モシ嫌ガッテ逃ゲルヨウナラ9レ#=Cニ片付ケテモラエバイイノダシ」
9レ#=Cと言われて、赤いレ級を頭に思い浮かべる。
あれはずいぶん好戦的な個体だ。空母棲姫の指示に嬉々として従ってもおかしくはない。
「怒ッテルノ? アナタト同ジナノニ」
「私ガ同ジ……?」
「アノ提督ヲ死ナセタデショ?」
「コノ話トソレハ関係ナイ……」
「アルワヨ……アナタハ望ミヲ叶エタノデショウ? 私ノ場合ハ死ニ花ヲ咲カセル機会ヲ与エテアゲルノ」
当たり前のように言われて飛行場姫は唇を噛む。
私とお前は違う、という声が出てこない。
違いを説明できなかった。だから嫌いなはずの空母棲姫と自分が変わらないような気持ちを抱いてしまう。
「最期マデ本懐ヲ遂ゲテモラワナイト。アナタノ配下カラモ……」
「断ル。攻メ落トス気ノナイ戦イニ部下ヲ使ワセル気ハナイ」
「……マアイイワ」
空母棲姫が改めて装甲空母姫へ話を向ける。
「……アナタオ手製ノ護衛タチモ投入シテ? 夜戦艦隊ノ被害ヲ少シハ肩代ワリデキルデショウシ……陸上攻撃ニモ向イテルハズ」
「護衛要塞カイ? モチロン構ワナイ」
「ヨカッタ、コウイウ時コソ使ワナイト……アレモ問題ノアル同胞ヲ切リ刻ンデ造ッタノヨネ?」
装甲空母姫が真顔で空母棲姫を見返していた。
空母棲姫は笑い、戦艦棲姫は話に無関心。私は二人の空母姫を傍観することにした。
「……ナゼ、ソレヲ知ッテイル?」
「秘密ノハズ……カシラ? 逆ニドウシテ気ヅカレナイト思ッテイタノカガ不思議」
「ナルホド……ドウヤラ君ヲ見クビッテイタヨウダ」
「イイノヨ? 評価ナンテ後カラ変ワッテイクモノ」
「ソレデ私ヲドウスル?」
「何モシナイワヨ? アナタハ何モ悪クナイモノ……私好ミデハナイヤリ方デモ……アナタハドッチツカズノ風見鶏デハナイカラ」
飛行場姫は空母棲姫が視線を向けたのに気づき、眉間に皺を寄せる。
ああ、なるほど。私だけがここにいるべき理由を本当は持ち合わせていないのかもしれない。
奇妙な疎外感は話し合いが終わり、自身の艦隊に戻ってからもしばらく消えることはなかった。
◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆
「コンナクソミタイナ作戦立テヤガッテ」
赤い目のレ級は悪態をつく。
同種である五人のレ級に露払いとして四人のリ級重巡を擁した艦隊を従えている。
その後方には十基の護衛要塞と負傷を負っている深海棲艦たちが続く。
レ級たちや護衛要塞が巡航速力であるのに対し、負傷を負っている艦は無理に速度を上げている状態で、それでも落伍していきそうな者もいる。
そういう艦は初めから著しい損傷が認められる状態だ。
総数で三十四に及ぶ艦隊はトラック泊地に夜襲を行うべく、夜の海を進んでいた。
赤目のレ級はこの夜戦が気に入らなかった。
作戦の目的には不満がない。泊地を叩くのも艦娘を相手にするのも、彼女からすれば望むところだ。
トラック泊地の艦娘はかなり手強いとも認識している。
日中の戦闘では十人いた同種の内、四人が戻ってきていない。今まで、一度の交戦でそれだけのレ級を失った覚えは彼女にはなかった。
とはいえ、それもまた彼女からすれば問題にはならない。
裏を返せば、相手に不足がないからだ。
しかし手負いの寄せ集め艦隊がいるのは気に入らなかった。
艦種はバラバラで、足並みはまるで揃わない。損傷の度合いもまちまちだが総じて酷い。
この場での修復ができないと見なされた者だけが集められたと見て間違いない。
それを裏付ける命令を受けている。
そして、それこそが赤い目のレ級が最も気にいらない理由だ。
督戦隊のような役目を押しつけられていた。
赤い目のレ級は好戦的だ。しかし残虐な個体ではなかった。
艦娘は一人残らず排除するべきだと思うし、それを邪魔するのなら人間は元より同じ深海棲艦であっても敵でしかない。
だが彼女が監視し、沈むまで戦わせるよう言われた相手はそのどちらでもない。
ただの深海棲艦たちだ。
戦わせるのはいい。だが逃げ道を潰すというのは、まともな考えとは思えなかった。
レ級には戦力を無為に消耗させるような方針が気に入らなければ、こんな令を下せる姫は底なしのアホなのかもしれないと思う。それも気に入らない。
そして、こんな状況を招くほど抵抗している艦娘たちもやはり気にいらなかった。
「アーアー、チョット聞ケ、オ前ラ」
レ級は無線で声を流す。
傍受される可能性は気にしていなかった。
「トックニ気ヅイテルダロウガ……コノ中ニハ深手ヲ負ッテルヤツラガイル。自分ガ一番分カッテルンダロウガ……ソイツラハ助カリヨウガナイ……ダカラココニイル」
レ級は息継ぎのために間を置く。
「嫌ガッテ逃ゲタラ沈メロッテ言ワレテルガ……コイツハクソダ……デモ艦娘トモ戦ワナクチャナラナイ」
レ級は深海棲艦の雰囲気が変わりつつあると感じていた。
以前よりも自分のような個体は減ったと彼女は考えている。身体ではなく気質の話だ。
戦いに消極的な個体ガ増えた。つまらない連中だとは思うが、それ自体に不満はない。
「アタシラト付キ合ッテ死ヌカ……ヒッソリドコカデ死ヌカ……好キナ方ヲ選ベ。止メナイシ強要モシナイカラ」
姫がどう言おうと気に食わないことは無視する。好きなように戦うだけ。
赤い目のレ級はそう考えていた。
「ツイテクルナラツイテコイ。艦娘ハアタシラガ潰ス。遅レテクルヤツハ島ヲ直接叩ケ」
もっとも艦娘もみすみす島を砲撃させないだろうとレ級は思ったが、それはそれだった。
結局、隊列から抜け出す深海棲艦はいなかった。
各々がどう感じているのかは、もう関係ない。
粛々と進む艦隊の中で、レ級の口元から小さな含み笑いがこぼれる。
「存分ニ戦オウジャナイカ」
やはり戦ってこその深海棲艦だ。こうでなくてはと、レ級は自身の意を強くした。
◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆
鳥海たちが再出撃したのは二十三時を回ってすぐのことだった。
トラック泊地では一部復旧させた基地航空隊の彩雲と共に、秋津洲に二式大艇の夜間飛行を敢行させて偵察を行っていた。
その大艇が発見したのが夜襲を目的としているらしい艦隊だ。対空砲火の迎撃を受けて、避難しながらも発見の一報を送ってきていた。
夜間なのと迎撃を受けて詳細な敵編成は分かっていなかったが、レ級を含んでいるらしいのと航速に合わせて二群に分かれていること。そして三十隻ほどの規模なのが伝えられていた。
その知らせを受けて、泊地からも総動員で迎撃に当たっていた。
敵の射程距離なども勘案して、戦闘は泊地から百キロ圏内を想定している。これなら出雲型で二時間以内に送れるし、戦闘後の回収や修理も速やかにできるというのもあった。
二隻の出雲型に艦娘たちが乗り込み、鳥海は直掩として出雲型と併走している。
自分から希望しての護衛で、夜風に当たって気を紛らわせたいという思いもあった。
肉眼、電探どちらとも敵の姿はまだ確認できない。
接触までまだ一時間はあると目されていても、互いの針路や航速が変わればズレも生じる。
向こうも発見されたのは気づいている以上、油断はできなかった。
海は凪いでいた。湿り気のある空気を吸い込んで、ゆっくりと胸から吐き出す。
木曾さんから声をかけられたのはそんな時だった。
「半月か。夜戦には悪くない夜だ」
世間話のような声に鳥海は頷く。
外側に並んだ木曾は安全確認を済ませてから鳥海へと顔を向ける。
「天気も悪くない」
「そうですね。雨が降らないでくれそうなのもやりやすいですし」
この近海では夜でも通り雨に見舞われる可能性がある。
ただでさえ視認性の悪い夜戦を雨天で実行するのは、できれば避けたい展開だった。
「……悪いな。俺たち重雷装艦も夜戦に参加できればよかったんだが」
「そういう作戦ですし気になさらずに。明日は今夜の分も働いてもらわないといけませんし」
明日の戦闘に向けて、泊地ではいくつかの作戦や編成案が出ていた。
その中で採用された一つに、木曾さんたち三隻の重雷装艦を中心とした艦隊で後背から奇襲を仕かける案がある。
深海棲艦は機動部隊を後方に配置する場合が多く、それを痛撃しようという目論見だった。
ただ奇襲といっても無闇に後ろから近づくだけでは察知されてしまうので、相手の索敵圏外より戦闘が始まってから迅速に攻撃をかける形に訂正されている。
そのこともあって木曾さんたちは今回の夜戦には参加せず、夜戦中も出雲型の護衛につきっきりになるのが決まっていた。
この迎撃が終わったら独自に秋島まで進出して、翌日まで身を潜めて攻撃の機を窺うことになっている。
上手くいけば成果は大きい。でも奇襲に成功しても、孤軍で戦い抜かなくてはならない。かなり危険な作戦だった。
「となると、俺らが上手くやれるかが問題か」
「そこはあまり心配してなかったので……」
「そいつは……責任重大だな」
軽口でも言うような気楽さで木曾さんは応じていた。
その調子に合わせるようにこちらも言う。
「天津風さんとリベさん……それにヲキューの面倒もよろしくお願いしますね」
「ああ……無事に帰すさ。問題ない」
「帰ってくるのはもちろん木曾さんたちもですよ?」
「まあ最善は尽くすさ。いつも通りにな」
木曾さんたち重雷装艦と行動するのは、第八艦隊から抽出する形で天津風さんとリベッチオさん、ヲキューの三人が選ばれていた。
この三人は木曾さんたちを護衛して、確実に敵艦隊へと突入させるためにいる。
ヲキューは艦隊防空を含めて艦載機で多くのことができるので、突入が奇襲から強襲になっても艦隊を幅広く支えられると見込んでの抜擢だった。
駆逐艦の二人は誰が行くかでちょっと揉めてから、この二人に決まったという経緯がある。
最初にこの艦隊に志願したのは嵐さんと萩風さんの二人だった。
それを天津風さんが説得して、リベッチオさんと二人で行くのを認めさせていた。
私としては本人たちがそう希望するなら送り出してあげるしかない。
木曾さんはなかなか私から離れていこうとしない。
分かってる。本当に話したいことは別にあるからだ。
「聞きたいのはネ級のことですよね?」
話を振ると木曾さんはおもむろに頷いた。
「レ級はいたってことだけど、ネ級のやつも出てきてるのかね……」
「どうでしょう……やっぱり私は何も感じなかったので」
「そっか……なら俺の勘違いだったのかもな」
「それはどうでしょう……でもネ級と実際に相まみえて分かりました。大事なのはネ級が誰かじゃないんです。ネ級はネ級なんですから」
期待していなかった、といえば嘘になってしまう。
木曾さんがネ級から司令官さんに通じる何かを感じたなら、私にだって同じことがあるはずだと思っていた。
でも、現実には何もなかった。
「私たちが本当に気にしなくてはならなかったのはネ級が何者かではなくて、ネ級が何をするかだったんです。初めてネ級が姿を現した時は木曾さんたちを傷つけて……大井さんは沈められたかもしれない。今回だって島風を平然と撃ったんです」
気づけば両手を握り締めていた。
私はきっとどこかで期待して……期待することで目を背けようとしていた。
「……戦うしかないんです。そうしないとネ級は止められない。それに本当にネ級に司令官さんの一面があるなら……あの人なら望まないはずです。私たちを傷つけようなんて」
司令官さんは私を……私たち艦娘を大切にしてくれていた。
もし、それが自分の手で傷つけて壊すようなことになってしまっているのなら……。
「止めるためにも撃ちます。もし、これで苦しむんだとしたら全部が終わってからでいいです」
「……強いな、鳥海は」
「まさか……そんなはずありませんよ」
私はネ級を司令官さんだとは思っていない。だけど、司令官さんかもしれないと疑っている木曾さんは信用している。
だから、こうする以外に思いつかない。
もしも木曾さんが正しいのなら……私は許されざる者なのかもしれない。
「俺は……正直、もう一度ネ級に出くわしたら戦えるか自信がないんだ。もちろんやらなきゃいけないのは分かってるし、本当に目の前にいれば撃てる……とは思う」
木曾さんは自信がなさそうに言う。そんな彼女が羨ましかった。
「それは木曾さんが優しいからだと思いますよ」
「俺が優しい?」
「はい。木曾さんはネ級を助けようとしてるんじゃないですか?」
「……俺が優しいかはとにかくとして、そういう発想こそ優しいやつからしか出てこないだろうさ」
木曾さんはなぜか面白そうに笑った。
その顔には自信が戻っている。
「もしかしたら俺とお前のどっちか……両方とも間違えてるかもしれない。それでもお前は優しいって、俺には断言できる。そういうやつこそ、本当は強いんじゃないか?」
◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆
日付は二月十九日に変わり、その頃には艦隊全体が洋上への展開を終えていた。
鳥海もその中にいて全体の旗艦としての任も預かっている。
三人一組の小隊に分けると、いざ戦闘が始まればそれぞれが独自の判断で当たるように伝えていた。
上空では二式大艇が誘導と哨戒のために飛んだまま。夜戦が始まれば吊光弾も投下する手はずになっていた。
頭数はこちらのほうがやや多いものの、決して優勢とは言えない。
泊地に向かう深海棲艦は航速によって前後に分かれていて、特に脅威なのは高速艦で構成された前衛だ。
五、六人のレ級が主戦力となっている上に、中核と見られるのはエリートに分類される赤い光を放つ個体だった。
艦娘も二対一の比率で前後衛に分かれている。
不幸中の幸いというべきか、前衛同士ならほぼ倍の人数で当たれた。
夜戦の口火を切ったのは深海棲艦だった。
レ級たちが一斉に砲撃を行うと、すぐに散開してこちらへの突撃を始めてくる。
それぞれが単身だけど、夜戦という状況とレ級の性能を考慮すればかなり厄介。
艦隊をかき回すつもりだろうし、隊列に下手に飛び込まれたら同士討ちの危険も出てくる。
それを分かっていて、向こうも突撃してきているに違いない。
「各隊、各個に迎撃してください! 後衛は後続に注意を!」
鳥海は無線で通達すると、さらにいつもと違う顔触れに声をかける。
「嵐さんと萩風さんは援護を。普段通りにやってもらえれば大丈夫ですから」
「了解! 天津たちの分までやってやるぜ!」
「は、はい!」
嵐さんはともかく、萩風さんは少し頼りない返事だった。
気負っていたり萎縮しているのかもしれないけど、今はそれじゃ困る。
二人は木曾さんたちの護衛についている天津風さんたちの代わりとして臨時に編入されていた。
隊列は鳥海を先頭にして、二人はその左右後方に位置して三角形を形作っている。
夜間なので日中よりもやや間隔を広めになっていた。
鳥海の前方、まだ離れた位置に弾着の水柱が生じると、萩風のほうが過敏に反応する。
「敵は……敵はどこ? 撃ち返さないと!」
「落ち着いてください、この距離ならまだ当たりません」
鳥海は意識してゆっくりと言う。
互いに相手の存在を把握しているとはいえ、今のが命中を期しての攻撃とは思えなかった。
景気づけというか戦意を鼓舞するための砲撃なのかもしれない。
月明かりの下を黒い影がいくつも踊り、その内の一つがまっすぐ向かってきている。
再度の砲撃に浮かび上がった姿は、レ級と見て間違いない。
「近づいてくるレ級から叩きます。砲撃はもう少し引きつけてから」
告げて、転舵も指示。
鳥海の動きに合わせて嵐たちも続くが、やや動きがもたつく。特に萩風にはぎこちなさが見え隠れしている。
「萩、遅れてる」
「ごめん……」
二人の小声でのやり取りが鳥海にも聞こえてくる。
間合いの取り方も気になっていた。夜なので昼よりは距離を取る必要はあるが、それにしても間隔をもう少しぐらいは詰められる。
でも、おかしい。訓練や日中では見受けられない硬さだった。
どうしてと考えて、鳥海はあることを思い出す。
「……苦手意識ですか」
司令官さんが以前言っていたこと。
嵐さんは事務作業のような、こまごまとした仕事を苦手だと思い込んでいる。
だけど実際はその逆で、細かい数字を管理するのは得意だった。
そして嵐さんとは別に萩風さんにも苦手意識がある。夜戦への、夜への苦手意識が。
司令官さんは払拭させたかったようだけど、結局できてないままだった。
萩風さんを鈍らせているのは、それが原因と考えられる。
「司令官さんなら……」
呟いてから、違うと気づいた。
ここで考えないといけないのは私ならどう伝えるかだ。
司令官さんはここにはいない。ここにいるのは私であり嵐さんであり萩風さん。
あの人の言葉を借りようとしたって意味はない。自分の言葉で伝えないと。
どう伝える?
いきなり口出ししたぐらいで苦手を解消できるなら、誰だって苦労なんかしない。
私は元から夜戦には抵抗感がないし、むしろ好きと言えてしまう。
そんな私が何かを言ったところで、本当に分かってもらうのは難しい。
でも、このままではだめ。何も言わないのはもっと悪い。
不安は気後れや自信のなさを招き、ひいては行動や判断の遅れに繋がってしまう。
それは命取りになりかねない。
「萩風さん」
「はい!」
「夜はあなたの敵じゃありません」
「え……?」
レ級を警戒して顔を向けることはできない。
だけど、萩風さんの戸惑った気配は顔を見るまでもなく明らかだった。
懇切丁寧に説いてる時間はない。というより私もどう言っていいのか言葉が固まってない。
「あなたが夜を怖がってるのは知ってます。でも本当に怖いのは夜じゃないはずです」
「それってどういう……」
「夜戦がなんだってことだよ、萩!」
嵐さんの声の直後に砲撃が落ちてくる。外れたけど、さっきより近い。これ以上の会話を遮ろうとしているようでもあった。
「俺とお前とで嵐起こしてやろうぜ、萩!」
「嵐……」
「次の砲撃に合わせて撃ち返します。あなたたちなら大丈夫ですよ」
言葉としては気休めでしかないけど、率直な気持ちでもある。
そもそも十分に訓練はしているし実戦だって何度か経験している。
あとは余計な気負いさえなくせば、他の子とも遜色ない動きができるのは分かっていた。
深海棲艦たちの背後で連続して青白い光が生じていく。
二式大艇が投下した吊光弾によるもので、深海棲艦たちの姿が光の中に浮かび上がる。
「探照灯を三十秒使います! 照準が済み次第、砲撃開始です!」
アンテナの左側に横付けしているライトから真っ直ぐ光が伸びる。
吊光弾とは違う、暖色の強烈な光が近づいてきていたネ級を捉えた。
黒いコートのような装甲に、白い肌が艶めかしくも危うげな色を出している。
他の艦隊からも探照灯の光が伸びて、それぞれの目標を指示しているのが視界の端に入ってくる。
あらかじめ夜戦をすると決めていれば、それに適した装備を持ち込むのは道理だった。
もっとも鳥海の場合、探照灯は標準装備の一つではあったが。
目標にしたレ級が光源――鳥海に向かって尾に装備された各砲を撃ちかけながら猛然と向かってくる。
顔をレ級に向けたまま、鳥海は転蛇して回避を試みた。
長門型相当の主砲が鳥海を襲い、副砲弾もそれに続く形で飛来する。副砲でさえ戦艦の主砲に準じた威力を有していて、重巡の主砲とは比にならない。
鳥海の体がいくつもの水柱に呑まれて、探照灯の光軸も激しくぶれる。それでもすぐに無事な姿を見せると、今一度レ級に光を当て続ける。
もっとも鳥海の息も荒い。今の攻撃に恐怖を感じないはずがなかった。
この探照灯には標的にされやすくなる以外の問題もある。
まず熱い。光源が頭から多少離れているとはいえ、髪や頬が焼けてしまうような熱気を感じる。
また頭のアンテナに横付けされているため、頭の動きがダイレクトに反映されてしまう。
つまり照射中は目標から顔を逸らせず、その間はどうしても周囲への警戒が疎かになる。
「照準完了! さあ、受けてみやがれ!」
意気込んだ嵐の声を聞きつつ鳥海も砲撃を始めていた。初めから斉射。
三人の砲撃が次々にレ級に収束すると命中の閃光と破砕音とが生じ、外れた砲弾により海面は沸騰したように弾けていく。
めった打ちにされてるにもかかわらず、レ級もさらに反撃してきた。
萩風の悲鳴じみた声が飛んだのは、すぐだった。
「赤いレ級が来ます! 左側、十時方向より!」
探照灯を切ると、鳥海は素早く萩風の示した方向へと視線を向ける。
吊光弾の光の中で、赤いレ級の姿は他の深海棲艦よりもいくらか目立っていた。
「これはよくないですね……」
赤いレ級はなんの抵抗も受けないまま近づいてきていた。
他の艦隊はまだ各々の相手から抜け出せずにいるからで、こちらも状態としては同じだ。
合流前に交戦中のレ級を沈めようにも困難だった。
多少の手傷は負っているけど、なまじ中途半端な手傷でかえって怖い。
かといって赤いレ級を放置したままでいるのも危険すぎる。
要はこのまま三人で二人のレ級を相手にするか、分かれて各個に一人のレ級を相手にしていくか。
あれこれ考えてはみても答えは直感的に出ていた。
「二人はこのレ級をお願いします。私は赤いのを」
どちらにしても危険な相手だけど、分断したほうがまだ戦いやすいと思えた。
二人はどちらも固唾を飲んだような顔をして、萩風さんが訊いてくる。
「私たちに任せてくれるんですか?」
「ええ、もちろん」
思うにこうするのが一番だ。気がかりがないと言えば嘘だけど、頼りにもしている。
ここにいるのが天津風さんたちでも、きっと同じように頼んで同じように感じるに違いない。
「行ってくださいよ。こっちも四駆流の夜戦をやつに教えてやりますから!」
威勢のいい嵐の声に後押しされる形で、鳥海は転蛇する。頼みました、ともう一度声に出せば後は振り返らない。
嵐、萩風と赤いレ級との間に立ち塞がる形になった鳥海は、赤いレ級へと先制の砲撃を放つ。
砲撃がレ級の鼻っ面を打ち据える。もろに砲弾を受けてレ級の顔が仰け反るが、何事もなかったように顔を向け直してくる。
レ級の鼻からは黒い血筋が流れるも手の甲でぬぐい去ると、返礼とばかりの砲撃。
襲いかかってくる砲撃の数は通常の個体のそれと変わらないが、威圧感はそれ以上だった。
一撃でもまともにもらえば、それで戦闘能力を喪失しかねないし最悪も十分にあり得る。
いくつかの至近弾を抜けた鳥海に、赤いレ級の声が無線を通して聞こえてくる。
「バラバラニシテヤル」
怒ってるかと思いきや笑っている。
その様に鳥海は確信した。
このレ級は楽しんでいる。戦うのを。
こちらも醒めた頭が、宣戦に応じる。レ級の注意を自身に向けさせるためにも。
「やってみなさい……できるならですが」
今まで姫級といいネ級といい、難敵とは幾度も交戦してきている。
このレ級もそんな手合いの一人。ならば退けるまで。
◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆
鳥海さんが隊列から離れていくと、レ級は尾を上げて狙いを定めようとした。
追撃の気配を見せるレ級に、萩風は嵐と一緒になって猛射を浴びせかける。
一発一発の威力は小さくとも数が積もれば無視はできない。
少なくともレ級の標的をこちらへと切り替えさせるだけの効果はあった。
ぐるりと尻尾が向きを変えると砲撃してくる。
すぐに散開して逃れると、数秒後に遅れて怒涛が生じた。
「あっぶな! 一発でも当たっちゃいけないやつかよ……」
嵐の声にひやひやする。確かに私たちの艤装では装甲なんて有って無いに等しい。
ただ駆逐艦という艦種で見れば、ほとんどの砲撃がそれに当てはまってしまう。
どんな攻撃だって私たちには命取りになりかねない。
お互いに撃ち合いながら嵐に言う。
「今はこのまま引きつけよう?」
「ああ、だけど……」
何か言いたそうだった嵐の返事を聞く前に砲戦に引き込まれてしまう。
レ級の砲撃はすぐに私に集中し始めていた。
萩風は直撃を避けるためにも撃ち返して何度も針路を変え、速度もできるだけ落とさないようにしながら砲撃の合間を突っ切っていく。
嵐は全速力でレ級の背中から横に抜けて離脱しながら主砲を撃ち込んでいる。
レ級は被弾しても怯まないし、たまに嵐に視線を向けるだけで、火砲は相変わらず私を狙い続けていた。
そうして気がつけばレ級に追いかけ回されるようになっていた。
考えようによっては、これはこれで引き付けるのには上手くいってる。
だけど艦隊全体からも引き離されてるかもしれない。
執拗な砲撃を避けながら、しかも夜の海でそれを確認するのは至難の業だった。
夜の海。確かに私は怖い。
夜が敵じゃない。それがどういう意味かも本当は分かってるつもり。
それでも今、私は自分の中にくすぶったまま消せない恐怖とも戦っていた。
「萩、反撃するぞ! このままじゃやられるのを待つだけだ!」
嵐はある程度の距離を保ったまま、萩風と併走していた。
その通りだと思う。ここで反撃に出ないと手の打ちようがなくなってしまう。
頭ではそう分かってるのに、弱気の虫が出てきて胸中で甘言を囁く。
このまま時間稼ぎをして、鳥海さんや他の誰かが助けに来るのを待ってもいいじゃない。
いきなり目の前で白い閃光が広がった。遅れて浮遊感、それから落下、衝撃。自由が利かない。
嵐が何か叫ぶのが聞こえてきたような気がしたけど、はっきりとしなかった。
「あ……」
被弾したんだ。体感では一瞬だけど、本当はもっと長い間、呆けてしまっていたらしい。
そして水に浮かぶ自分にも気づく。海面に仰向けになっているのか、きらきらした星空が目に入った。
自分はまだ沈んでないんだ。つまり艤装は生きている。
手袋越しに左手が水面をかき混ぜて足も動く。たぶん両足とも。
体が動くのを確認しながら上半身を起こす。
嵐とレ級との戦いは続いていた。
どうして、と萩風は疑問に思う。レ級の狙いは嵐に移っているようだった。
今なら簡単に沈められるのに。
追撃がこないのは助かるけど、それで疑念がなくなるわけじゃない。
起き上がろうとして気づいた。
右の手首が曲がっていた。動いちゃいけない、おかしなほうへと。
気づいたのが、きっかけになったんだと思う。
いきなり刺激が、激痛が襲ってきた。
「ひあ……あ……」
右手を押さえるようにしてうずくまる。痛いのは右手だけじゃなくて全身だった。
熱くてたまらない。涙がどんどんあふれてくる。
痛くて声を出そうとして、声にならない悲鳴みたいなのが口から出てきた。
……あんな考えをしたのがよくなかったんだ。誰かに押しつけるような考えをしたのが。
嵐はレ級をなんとか食い止めようとしていたし、鳥海さんは赤いレ級を一人で抑えてる。他のみんなだってそれぞれ戦ってる。
私は何もしないうちから当てにしてしまった。
ずきずき手首が痛い。ここだけ自分の体じゃなくなってしまったような感覚。
右手をかばうようにして立ち上がる。余計な力を抜くようにすれば、少しだけ痛みが遠のいてくれるような気がした。
息を呑む。主砲は近くに落ちていたので、左手で把手を掴んで拾い上げる。
もう間に合わないかもしれない。でも嵐はまだ戦ってる。それなら、やることは一つだけ。
どんな命中の仕方をしたのか分からないけど、艤装の調子は予想外に快調だった。
少なくとも戦艦砲が命中したとは思えないぐらいには。
重心は不安定になってるし速力も落ちてる。それでも艤装に絞れば軽傷で済んでいる。
萩風は嵐との合流を目指しながら、左手だけで主砲を構えて撃つ。
普段はそこまで意識しない反動が今の体にはよく響いていた。
砲撃は当たらなかったけど、レ級はこっちを見る。なぜか首を傾げるような仕種をしていた。
「嵐!」
「萩? 大丈夫なのか?」
「なんとかだけどね……」
「よかった……ああいや、まだ全然よくねえ状況だぞ!」
嵐はレ級の砲撃を避けるように蛇行していた。
被弾した様子はまだなくてほっとする。
だけど、嵐の言うように苦戦したままなのには変わりない。
「正面からただ撃ち合っても……」
「俺に考えがある! 隙を作ればこっちのもんだ!」
「どうする気なの?」
嵐には何か作戦があるみたいだった。
悠長に話してる暇はないとばかりに、嵐は小刻みに転蛇して軸合わせするような動きを取る。
「正面突破するんだよ! 俺に続けえ!」
「聞いてなかったの!?」
あんまりな嵐の言葉に唖然とする。
こんなのは作戦じゃない。だけど嵐だって、そんなのは分かってるはずだった。
だからレ級へとまっすぐ突っ込んでいく嵐に、遅れながらも続く。
右手側にレ級が見える針路を取っていた。
嵐の狙いはとにかく、右雷撃戦用意をする。損傷の影響は気になるけど雷管も正常に使えるはず。
私たちの火力でレ級に有効打を与えるためには、肉薄しての砲撃か魚雷しかない。
それに繋がるための隙を嵐は作ろうとしているのかも。というより、それ以外にありえない。
後ろから見る嵐の背中は頼もしかった。
そんな嵐がなんとかするつもりなら上手くいく。私はそのチャンスを逃さないよう集中すればいい。
レ級は速度を維持しながらも、嵐を迎え撃ちながら直進している。
近くに戦艦砲が落ちようと嵐の勢いは止まらない。まっすぐレ級へと突き進んでいく。
二人が間近に迫った時だった。嵐とレ級との間に閃光が走る。
後ろからでも分かる強い光に、レ級が苦悶の声をあげて顔を覆い隠す。
「どうだ、目に焼き付いたか!」
さっきのは探照灯の光だ。嵐のバックルにも取り付けられている。
嵐は接触を避けるように針路を外側へと変えて離脱すると、萩風もそれに合わせつつ雷撃を実行した。
発射管から吐き出された四門の魚雷は、レ級へと伸びていってるはずだった。
魚雷発射に合わせて舵を切っている萩風には、魚雷の行き先を目で追っている余裕はない。
距離を取る萩風の耳に炸裂音、足元では衝撃波が行き過ぎていくのを感じた。
命中したんだ。喜んだのも束の間、右手首の痛みがぶり返してくる。
痛みにこらえていると、嵐が急転回していた。
「よし、このまま止めを刺してやる!」
萩風は体をかばうように、大きめの円を描くように舵を切る。
横目に見たレ級がどのぐらい傷ついているかははっきりしなかった。
今も視力が戻っていないのか顔を押さえながら苦しそうな唸り声を出しながら、しゃにむに動いている。
動きはそのまま、でたらめな回避運動になっていて読みにくい。
再接近した嵐は雷撃を試みようとして速度を落とす。狙いをしっかりと定めるために。
そしてレ級の尻尾がいきなり動いた。
嵐に向けて主砲を撃ち込むと、直後に尾がしなるように海面を鋭く打ちつける。その反動で嵐のほうへと飛びかかるように動く。
体ごと引っ張るような尾の動きに、レ級も目が見えないながらも従うように急発進する。
嵐の周囲に砲撃が落ちる。直撃こそないものの小柄な体が、その衝撃に翻弄される。
油断している様子はなかった。それでも嵐はその場から離れるのが遅れ、レ級に距離を一息に詰められる。
「嵐!」
「うわあっ!?」
萩風が主砲を構えた時には、すでに遅い。
レ級の尾にある口が牙をむき出しにして、横向きに飛びかかる。
がきりばきりと金属の壊れる異音が響く。
バックルの探照灯や対空機銃を噛み砕きながら、レ級の尾が嵐の腰に喰らいついていた。
◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆
艦娘たちの後衛は愛宕を旗艦として摩耶、球磨と多摩に改白露型と夕雲型の一部から成る水雷戦隊だ。
両陣営の前衛同士が交戦を始めた頃、愛宕たちは深海棲艦の後衛を阻むために進出していた。
相手の後続艦隊について判明しているのは、様々な艦種による混成艦隊であるということ。二十隻余りの陣容で、二十ノットほどで西進を続けている。
ちょうど彼我の前衛同士が交戦する海域と、泊地へと進もうとしている後続たちとの中間点にまで進んだ頃。
前衛の劣勢が明らかになり、彼女たちは二者択一の選択を迫られていた。
前衛艦隊の救援に向かうのか、トラックを狙う深海棲艦の後続にしかけるのか。
「どうする、姉さん?」
「そうねえ……」
摩耶に訊かれて、愛宕は思案するように答える。
愛宕は悩んだ。
実のところ、愛宕の選択は決まっていた。決まっているからこそ悩みもしている。
しかし気長に考えている時間はないし、悩む姿を見せてばかりもいられない。
「針路このまま、艦隊速度三十」
泊地ではコーワンの配下たちが守りについているが、そちらも二十隻余りと敵とほぼ同数。
丸投げしてしまうには心許なく、せめて一撃を与えて敵戦力を削ぐ必要があると愛宕は考えた。
艦隊から復唱の声が続く中、摩耶が違うことを言う。
「本当にいいんだな?」
「いいも悪いもないよ。摩耶、復唱は?」
「針路このまま、艦隊速度三十。分かってるよ」
渋い顔をして摩耶は復唱する。ふて腐れているわけではない、と愛宕は思う。
それでも見かねたのか、球磨がそれとなく言う。
「どっちに行っても難しい決断クマ」
「それは分かるんだけどさ……クソ。ごめんよ、姉さん」
「別にいいのよ。摩耶の気持ちはよく分かるもの」
この局面ではトラック泊地を守るのが最優先である一方、正面戦力である艦娘たちに被害を出すわけにもいかなかった。
夜明け後の戦いでは一丸となる必要があると、そう愛宕は考えている。
しかし、現実にはどちらか一方しか選べない。
それならばと、愛宕は自分なりに俯瞰した視点で判断するしかなかった。
そんな折、予期していなかった電文が愛宕たちの元に届いた。
前衛艦隊からではないが、友軍の使う暗号で組まれている。
発信元を確認すると愛宕は首を傾げた。
「マリアナの二水戦? どうして?」
もちろん誰にも答えられないのだが、重要なのは電文の内容だった。
二水戦はトラック泊地の救援のためにやってきたのであって、これより前衛の戦闘に加わると伝えてきていた。
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───────
─────
「見えました、砲戦の光です! 周囲に敵影は見当たらず」
「承知しました」
目ざとく報告してきた野分に、二水戦を率いる神通が応じた。
戦闘海域は遠目には青白く色づいているように見える。
吊光弾による明かりなのだが、周辺の宵闇にじわじわと侵食されていくような弱々しい明るさでもあった。
さらに近づいていけば、雷でも生じたように一瞬の光が明滅しているのに気づくことができる。
ただし、まばらではない。
そこかしこで連続して瞬き、それはどこか闇に呑まれるのに逆らっているようでもあった。
耳に当たる夜風に紛れて、音が遅れてやってくる。砲撃音。
傍受できた通信によると戦況はあまり芳しくないらしい。おそらくは混戦になっている。
神通は一息吐き出すと静かに、そして澄んだ声で命令を下す。
「雪風は左、吹雪は右から各隊を率いて味方の救援を。野分と舞風は私についてきてください」
マリアナ所属の二水戦は神通を旗艦として雪風、野分、舞風の三人の陽炎型に、二代目の吹雪型と綾波型による特型駆逐艦たちの計十六人で構成されている。
「雷撃を行う場合は味方を巻き込まないように注意を」
言うまでもないとは思っても、注意喚起というのは意識させる上で大事だ。事故というのは恐ろしいのだと神通はよく知っている。
味方を巻き込む可能性がある以上、魚雷の使用には慎重を期すべきだった。
かといって使用を下手に禁じてしまって、行動を狭めるのも下策と神通は考えている。身を守るための手段を奪う気はない。
そうなれば、あとは各員の判断を当てにするしかなく、その点に関しては神通も信頼していた。
「それではみなさん、気を引き締めて参りましょう」
夜に紛れながら、粛々と彼女たちは動き始める。
◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆
自身を壊そうとする揺さぶりに、鳥海は歯を食いしばってこらえる。
身近に迫った複数の至近弾による衝撃だった。
撃ってきたのは赤いレ級。闇の中でも赤いレ級の姿は目立っていて、それは同時に健在という証左でもある。
距離を保ったまま、しかも夜であっても楽しそうに笑っているのが分かる。
夜の海を駆け抜けながら、鳥海も弾の装填が済み次第に撃ち返す。
音速を突破した砲弾は、発射からほとんど間を置かずにレ級へといくつも命中する。
ただし有効弾にはならない。
ほとんどはコートのような装甲に弾かれている。一見柔らかそうであっても高い耐弾性を有していた。
うまく体に直接当たっても勢いが衰えたようには見えない。
「さすがに戦艦というだけは……」
「褒メルナヨ……照レルジャナイカ」
聞き耳を立てているかのようにレ級が反応してくる。
見た目は華奢でさえあるのに驚くべき打たれ強さだった。それにこちらを茶化す余裕まである。
守りに自信があるのか、赤いレ級はこちらの攻撃にはほぼ無頓着だった。
唯一、火力の集中している尻尾への攻撃だけは避けようとしている。
特にレ級の中でも小さい目標ではあっても、砲撃が終わる度に尾を海中へと潜ませてしまう。
火力を損なってはいけない――というのは共通した認識らしかった。
これが思った以上にいやらしい。レ級の尾には魚雷の発射口もある。
砲撃の最中に忍ばせながら撃ち込んでくる可能性も捨てきれないだけに、常に雷撃への警戒も続けなくてはいけない。
「先ニ行キタキャ……モット近ヅイテコナイトサア……」
このレ級は意外と何かを言ってくる。挑発なのか本音なのか、いずれにせよ聞き流す。
砲撃には無頓着でも、こちらの動きには無関心ではないらしい。
このレ級は早い内から、私たちの間に強引に割り込むようにしてきた。
嵐さんたちとの合流を望んでないという意図があるのは確かだ。
こちらのほうが優速であっても、こうなってしまうと突破は難しかった。
それにうまく突破しても背中から撃たれてしまう状況には変わりない。
向こうの戦況が分からないのも気がかりだった。
こうして撃ち合ってしまえば、二人のレ級を同時に相手をできなかったのは実感として理解できるものの、分断されてもよくない。
こちらの意図を察してか、レ級は針路上を常に抑えようとしていた。
そのために動きは予想しやすく命中弾は稼げている。ただし装甲を抜けないせいで、いつまで経っても埒が明かない。
「不本意だけど言う通りかも……」
このレ級は自身の能力を把握している。
それが熟知なのか過信なのかは図りかねるけど、距離を縮めて有効弾を狙ったほうがいいかもしれない。
最悪の場合は後ろから撃たれ続けるのも承知で突破するしかなかった。
ただ、それは最後の方法だ。
どちらにしても、このまま相手のペースに乗せられているようでは話にならない。
体の向きや姿勢を微妙に変え、鳥海は針路の調整をする。
行こう、前へ。そう決めてしまえば、艤装が意を汲んだように動きを表わす。
体が前から押し返される感覚を受けながら、実際には後ろから突き出されるように進んでいく。
「来ルカア!」
レ級の目が一際赤く輝く。喜悦に満ちたような顔は、三日月のように片側だけ吊り上がった唇のためか。
そこまで観ながら鳥海の意識はレ級の尾を探る。まだ海面に出てきていないのを見て、本体へと主砲の斉射。
命中。レ級は怯まない。巻き起こった爆風の隙間から尾が砲身を覗かせ、そして反撃。
瞬間的に至近で弾けた奔流が後ろへと流れ去っていく。
不正振動で舌を噛まないように、口を固く結ぶ。雷撃が来ないのを見定めつつ息を吸い直す。
その頃には次発装填も完了している。発射速度なら距離の遠近には関係がない。
すぐさま砲撃を浴びせる。斉射ではなく、およそ八秒間隔での交互射撃。手数ならば、確実に鳥海が優位に立っている。
次々に送り出されていく砲撃。レ級に命中の閃光と火花も生じ、周りの海面も破片などでにわかに沸騰したようになる。
並の深海棲艦なら圧倒できるはずの集中砲火に、さしものレ級もたじろいだようだった。
このまま押し切りたかったけど、レ級は砲撃を受けたまま向かってきた。
鳥海が舵を切って正面を避けるように動くと、レ級もそれに追いすがってくる。
針路を塞ごうとしてた今までとは違う。もっと明確に対決しようという動き。
鳥海は反撃をすぐ後ろに受けて、衝撃に体を貫かれる。
崩れそうになる姿勢を踏み止まるように立て直すが、艤装の不調をすぐに感じ取った。
「やられたの? 速度が……」
缶から咳き込んだような音が漏れ出すと、速力がみるみる落ちていく。
速度計は二十七ノットを示していて、これではレ級を振り切るどころじゃない。
しかし火力への影響は出ていなかった。
「避けて通れないなら……ここで一撃を!」
鳥海はレ級から距離を取ろうとしたまま砲撃を続ける。飛翔した砲撃がレ級に当たっていき、やはり多くが弾かれていく。
しかし、そこで変化が生じた。
鳥海が放ったのとは別の砲撃がレ級に集まった。それも一つや二つでなく、つぶてのように降り注ぐ。
別方向からの大量の砲撃は休む間もなくレ級を襲っていき、生じた水柱の高さから駆逐艦のものだと分かる。
レ級が惑ったように顔と尾をそれぞれ四方へ巡らすのが見え、無線に通信が飛び込んできた。
「お助けします!」
「誰……?」
聞いたことのある声だけど、すぐに声と名前が一致しない。
もっとも味方の声だと判断した時には鳥海も次の行動に移っている。
レ級への接近コースへと針路を変更。加勢してくれたのが味方の駆逐艦隊なら雷撃できるよう、レ級の注意を引きつけるべく動いていた。
ところが意外にも、赤いレ級はあっさりと引き下がり始めた。
砲撃を受けたまま背を向けると、尾がこちらに接近を拒むよう砲撃を行いながら退避していく。
その思い切りの良さに感心する反面、誘い込むための罠ではないかと警戒心も湧いてくる。
なんであれ深追いなんかしてる場合でなく、一刻も早く合流しないと。
鳥海は主砲を撃ち続けたものの、赤いレ級の追撃はしなかった。
増援の駆逐艦隊もそれに倣うように砲撃の手を止めると、鳥海を護衛するよう近づいてくる。
ある程度、近づいてきてから鳥海は誰が来たのか気づいた。
「雪風さん?」
「はい、雪風です! お久しぶりです!」
声を聞いてすぐに分からなかったのは今の所属が違うからだ。雪風はマリアナ所属だと鳥海は思い出す。
そのまま雪風の僚艦たちを見て、鳥海は軽く息を呑む。
雪風と行動を共にしているのは特型の綾波型の六人で、鳥海とはちょっとした面識があった。
彼女たちは二代目の艦娘であり、やはり同じ二代目であった鳥海が過去にマリアナを奇襲された際に、自分の身を犠牲にして助けた艦娘たちだった。
それぞれの挨拶がやってきて返しつつも、これはどういう巡り合わせだろう、と頭の片隅で思う。
「どうしてここに……いえ、それは後回しですね。今は嵐さんたちのところに戻らないと」
気になることは色々あるけど、ゆっくり詮索している時じゃない。
そこで雪風が目を輝かせるようにして、自信を持って言うのを鳥海は聞いた。
「ご安心ください! そっちには神通さんが行ってますから!」
◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆
どこか呆然とした表情で嵐は自分の腰を見下ろした。体は自然と震えだしている。
レ級の尾にある巨大な口が食いついていた。
食らいつかれたのは一瞬のことで、気づいた時にはもう噛みつかれていた。
白い石のような歯は牙というよりも杭のようで、バックルに取り付けた装備ごと押し潰すように締め上げてくる。
無遠慮な圧迫に鋭い痛みが走って、我慢できずに呼気と一緒に声を吐き出してしまう。
「嵐!」
萩が名前を呼ぶのが聞こえてきた。切羽詰った普段なら聞かないような声で。
こいつはやばい。このままだと噛み砕かれる。というより――喰われるのか?
その想像に肌が粟立った。
戦場に身を置いてれば最期の想像なんていくらでもする。それでも喰われる最期というのは嫌悪感しかなかった。
「こんの……放せよ!」
拘束から逃れようと嵐は口の両端を掴むと、なんとかこじ開けようと力を込めた。
少しでも緩めば抜け出すつもりだったが微動だにしない。殴りつけても変わらない。
それどころかレ級の尾は嵐をくわえたまま、鞭がしなるように縦横に激しく暴れだした。
嵐の体がそのまま何度も海面に叩きつけられ、時には海中へと引きずり込まれる。
「やめて……やめなさい!」
萩の声が聞こえて、遅れて砲撃音が続く。
それからしばらくして、体を振り回す動きがようやく止まる。
海面に引き上げられた嵐は、口から入り込んだ海水を喘ぐようにして吐き出していく。
「むちゃくちゃ……しやがって……」
かろうじて悪態をつく。
やっぱ……夜の海は怖いところだ。溺れさせられて今のは生きた心地がしなかった。
呼吸を取り戻そうとしながら、嵐は周りの様子に目をやる。
萩が片手でレ級に砲撃を続けている。
尾が俺をくわえたままだからか、レ級はコートで身を隠すようにしながら萩の砲撃を受け続けている。
そうしながらレ級は未だに両目を手で抑えて苦しそうにもがいていた。
目を開けたって光の残像が視野に残ったままに違いない。それだけの光を間近で浴びせてやったんだから。
「嵐を放しなさい!」
萩が必死に砲撃を続けている。俺をどうにか助けようとして。
そんな萩のためにもなんとかしなきゃと思いながら、別の考えも思い浮かんでくる。
俺がこうして拘束されてるから、レ級のやつは萩に攻撃できないんじゃないかと。
それなら、このままでいたほうが萩の身は安全かもしれなくて……それってつまりだ。
「俺はいい……行ってくれ、萩。鳥海さんと合流するんだ」
「何を言ってるの!」
「こんなやつ……俺一人でも……十分ってことさ!」
精一杯強がって見せる。
自己犠牲なんて柄じゃないけど、このままじゃ二人してやられてしまう。
だけど今なら萩は逃がせるし、それなら無駄死にじゃない。
ああ、間違いないな。ただ喰われるよりずっといい。
嵐は弱々しくも笑って見せる。
「頼むよ……カッコつけたいんだ……」
「いや。絶対にいや」
萩風はかぶりを振ると、レ級ではなく嵐に叱責するような眼差しを向ける。
「どうしてだよ……」
「自分が沈んでしまうのを強く意識しちゃうのが夜の海……だから夜が怖いの」
「だったら……!」
「でもね、それと同じぐらい本当に怖いこともあるの……怖いことを怖いままにしてたらダメなんだよ!」
萩風は動きが鈍いままのレ級の側面に回りこむと、尾の付け根を狙って砲撃を続けていく。
「だから諦めないで二人で帰ろう? それでも帰れないなら……その時は今度も一緒だよ」
その言葉に衝撃が走る。
萩風は嵐に笑ってみせた。それは先ほど自分がしてみせた顔つきと似ているようだと、嵐は悟った。
俺たちはお互いに沈む覚悟ができている。
そして俺は自分の身に代えても萩は助けようと、逆に萩は俺を助けようと考えている。
自分だけが助かるなんて願い下げだとばかりに。
嵐はしばし痛みを忘れ、代わりに胸の内に強い感情が湧き上がってくる。
俺は大バカだ。
こんなのは理屈じゃない。
「なんてことを言わせてんだ、俺は……」
俺が死ぬってことは萩を殺してしまうってことでもあるんだぞ。
そんなの我慢ならない。それこそ絶対にいやだ。
俺たちはどっちも欠けちゃいけない。
「うああああっ!」
いつまでも噛みついたままのちくしょうを思いっきり殴りつける。何度も握りしめた拳を振り下ろす。
頬だとか歯だとか、どこかに少しぐらい痛みが通じる場所があるはずだ。
とにかく叩く。叩き続ける。分厚いゴムを叩いてるようだった。
握った拳が熱い。皮が擦りむけて血が出ていた。けど、それがなんだって言うんだ。
ついに打撃が通じたのか、体を抑えていた歯が少しだけ緩んだ。
すかさず左腕を体と歯の間に差し込むように入れて、腕を広げてこじ開けていく。
レ級の尾も逃すまいと口を閉じようとするが、嵐の体が抜け出すほうが早い。
口が勢いよく閉じた時には、嵐は後ろに尻餅をつきながらも逃れていた。
「やった! これで……」
嵐が喜んだのも束の間だった。
レ級の矛先が砲撃を続けていた萩風へと変わり、尾が主砲を撃ち込んだ。
主砲の着弾に、萩風の体が大きく揺さぶられるのが嵐には見えた。
「萩!?」
「まだ大丈夫……!」
すぐに返事をよこす萩だったが、艤装や服はボロボロで満身創痍という有様になっていた。
もう一度撃たれたら次はどうなるか分からない。
レ級もいくらか視力が戻ってきたのか、赤々とした瞳が二人を交互に見ていく。
品定めしているような目つきだと思えて、嵐は歯噛みする。
嵐のほうには武器らしい武器が残っていなかったし、拘束から逃れただけで満足な状態にもほど遠かった。
打つ手なし、と浮かんだ考えを頭を振って追い払う。
「ただ指をくわえて待つだけなんて……ごめんだ!」
萩と二人で生き延びるか、さもなければ……レ級の背中で爆発が上がったのはそんな時だった。
無線が一度砂を噛むような音を出してから、懐かしい声を響かせる。
「ちょっとー! 二人とも早まらないでよ!」
「ここから先は私たちで引き受ける!」
その声はよく知っている。こっちが問い返した声は上擦っていた。
同じ陽炎型の艦娘で、第四駆逐隊を構成していた舞風と野分の声だ。
「舞? それにのわっちまで……」
「……のわっちはやめて、嵐」
苦笑するような響きを残したまま、立て続けの砲撃がレ級に襲いかかる。
レ級は後ろへと向き直ってから徐々に速度を上げていき、高々と上がった尾が発砲炎を目安に遠方への砲撃を行う。
もはや脅威とならない嵐と萩風には関心を示していない。
レ級の砲撃が来る前に、二人は散開しているのが嵐の目には見えた。
あれなら当たりっこない。確信した嵐はレ級に再度の命中弾が生じるのを見る。
今度は真横からの砲撃で、舞風からでも野分からの砲撃でもない。
もう一人がレ級の真横から迅速に近づきながら撃ちかけていた。
間近で一撃を浴びせたと思うと、あっという間にレ級の横をすり抜けて離脱。すぐに反転すると再度の攻撃を敢行する。
発砲炎の光に浮かび上がったのは、やはり嵐の知る艦娘だ。
「神通さんか……すげえ」
こんな暗闇の中をあの速度で張りついてる。衝突する危険もあれば誤射の可能性もあるのに恐れ知らずだった。
舞風と野分の砲撃も次々とレ級に集中し行動を阻害していた。
レ級が忙しなく首を巡らし狙いをつけようとするが、快速を生かした攻撃の前に翻弄されている。
するとレ級が砲撃を受けながらも海域外から離れていこうとする。撤退しようとしているのは明らかだった。
「逃げるつもりですか? これだけ好き放題にしておきながら」
神通の静かな声を嵐は聞く。
それは同じ味方であっても背筋がひやりとする声音だった。
追撃の手を緩めようとしない神通さんはレ級に追いすがろうとするが、舞の声が無線を振るわせる。
「新手が来ました! 赤いレ級!」
続けて舞が示した方角に目をやると、確かに赤いレ級がいた。
どうして……あいつは鳥海さんが相手をしてたはずなのに。あの人がやられるなんて思えない。
野分の声が続く。
「雪風から入電。鳥海さんの救援には成功したようですが、赤いレ級は後退したとのことです」
それでここに戻ってきたのか。
その赤いレ級は遠巻きに神通を狙う。遠方からの砲撃だが精度はよく、神通が変針して砲撃を避けるよう動く。
撤退を支援するための砲撃だと分かるが、かといって阻止する手立てもない。
「嵐と萩風の二人を護衛しつつ、一度雪風たちと合流します。追撃は諦めたほうがよさそうですね」
俺も萩も命拾いしたけど、現状は何も改善されていないのかもしれない。
怖いぐらいに冷徹な神通さんの声が、嫌でもそう認識させてくれた。
─────────
───────
─────
夜戦が終息してすぐに、鳥海は出雲型輸送艦に回収に来るよう無線を飛ばした。
元から深海棲艦の数は少なかったので、一度立ち直ってしまえば劣勢をひっくり返すまでは早かった。
後続艦隊を追った愛宕姉さんからも、迎撃に成功したとの一報が入ってきている。
迎えが来るまでの間、夜の海を待ちぼうけるように漂う。
結果として何人かの中大破を出したものの、未帰還は一人もいない。
敵に与えた損害ははっきりしないものの、前衛だけでも何人かのレ級や取り巻きを沈めたという報告はある。
だけど、それもマリアナからの増援があればの話で、そのまま単独の戦力だけで交戦していたら、どれだけの被害が生じていたのかは分からない。
少なくとも嵐さんと萩風さんは帰ってこれなかったと、私は思う。
重傷を負った二人から詳しい話を聞いて、戦い抜いてくれた二人には感謝した。本当に生きててくれてよかったと。
助けに来てくれたマリアナの艦隊にしてもそう。
彼女たちがいなければ、きっと私はここでも何かを失っていた。
夜が明けるまで、あと六時間を切っている。
そのあとに待つのは総力同士での決戦だ。
もしかすると、この戦いで私たちが得るものなんて何一つないのかも。
逆にただ失うばかりになってしまうかもしれない。
それでも他に道はなかった。
私たちにできるのは、ただ向かうだけだった。
今も昔も、そのことはきっと変わってない。
意識しようとしまいと、刻一刻と時間は迫ってきていた。
◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆
夜戦を終えた艦娘たちが泊地に戻ると、すぐに艤装の修理に弾薬や燃料の補給が始まった。
明かりを灯されたドック内の様相は、ある意味で戦場と変わらない。
夕張と明石、あるいは整備課の人員や妖精たちが夜通しの作業を始めている。
彼我のどちらが先手を取るにしても、できる限りの修繕と整備を行わなくてはならない。
提督は夜戦の報告もそこそこに、艦娘たちには休息を取るよう命令している。
この日ばかりは総員起こしは意味を成さず、残りの時間をどう過ごすのかは各々の自由にさせることにした。
その彼自身は各所からの報告や進捗を取りまとめ、新たにいくつかの指示を出してから執務室に戻っている。
時刻は二時を回っていた。
トラック諸島の日の出は午前七時と本土と比べて遅いが、深海棲艦の動きがそれに合わせてとは限らない。
いずれにしても五時までは作戦行動を起こさない方針を固め、準備に専念させていた。
それまでは深海棲艦も大人しくしてくれているのを願うばかりだ。
執務室には独特の静けさがあり、椅子に座ってしまうと睡魔があっという間に迫ってきた。
舟をこぎだした提督を起こしたのはノックの音だ。
はっと目を覚ました提督は自分の状態に気づくと、襟元をただしてから誰何の声を投げかける。
「誰だ?」
「夕雲です。少々よろしいでしょうか?」
「鍵なら開いてる。入ってくれ」
「それでは失礼しますね」
執務室に入ってきた夕雲は提督の顔を見るなり、口元に人差し指を当てる。
思案する仕種から出てきた声は、やはり問いかけだ。
「もしかしてお邪魔でしたか?」
「逆に助かった」
眠気を払おうと頭を振りつつ提督は答える。
目をしばたたかせるのは、完全に目が覚めたとは言いがたいためだ。
いかにも疲れているという様子を見せるのは憚られたが、提督も秘書艦を務めている夕雲の前では脇が甘くなっていた。
他の艦娘やコーワンたちの前にいる時とは違い、口調にも飾り気がなくなっている。
「それで何かあったのか?」
「そういうことではなく、これを提督にと。甘い物はお嫌いではなかったですよね」
夕雲が提督の机に置いたのは、銀紙に包まれた板状のチョコレートだった。
考えてみれば、昨日一日はほとんど何も口にしていない。夕時に間宮たちから配られてきた握り飯を食べただけと提督は思い出す。
「こいつはありがたい」
すぐにでも口に放り込みそうな提督に、夕雲はすぐに制止するように声を出す。
「今は食べないで起きてからにしてください。眠れなくなってしまいますからね」
「俺は大丈夫だ。そういう心配ならいらない」
「指揮官だからこそ体を労わるのも必要です。疲れきっていては、とっさに正常な判断を下せないかもしれません」
「……はっきり言うんだな」
「なんでしたら添い寝もしましょうか? 提督がご所望でしたら夕雲は一向に構いませんよ?」
「勘弁してくれ……」
より疲れたように提督が肩を落とすと、夕雲は小さくほほ笑む。
「冗談はさておき、提督に休息が必要なのは確かでしょう。私たちのためだと思って休んでください」
「それなら夕雲にも休んでもらいたいな。明日も長くなるぞ」
「では……一時間半ずつ休みましょうか。提督が先に休んでください」
夕雲はそう提案する。
悪くない案だと提督も思う。たとえ三十分程度でも寝れるなら寝たほうがいい。
色々と気を遣われているのを察して提督は聞き返す。
「先に寝なくていいのか?」
「大丈夫ですよ、ちゃんと起こしますから。長く寝かせたら、あとで気にするのでは? それに私も……実は眠たいですし」
「やはり俺は後からのが……」
「そう言って不寝番をするつもりでは? ですから交代がいいんですよ。お互いに出来る最善、まさにベストオブベスト……なんですか、その顔は?」
「面白いこと言うやつだと思ったんでな」
「まあ、なんだか誤解されてる気がします」
提督はどこかすねたような口調の夕雲をまじまじと見つめる。
その視線は夕雲に気づかれる前に消えていた。
「いいだろう、君の提案を採用だ。どうせなら自分の部屋で寝させてもらうよ」
「分かりました。ちゃんと時間になったら起こしますから安心してくださいね」
「でないと夕雲が眠れないからな」
「そういうことです」
提督が執務室から出て行こうとしてドアノブに手をかけると、夕雲がその背中に声をかける。
ノブに手をかけたまま提督は肩越しに振り返った。
「一つ教えてくれませんか? どうして夕雲を秘書艦に選んだのですか?」
「……どうしてだったかな」
「話したくないなら、それはそれでいいですよ? 私を選んでよかったといつか言わせてあげますから」
自信をたたえた笑顔を夕雲が見せると、提督もまた口角を上げて見返す。
「もう今でも思ってるよ」
「え……あの? 今のは……」
「あとで頼む」
戸惑う夕雲をよそに、提督は部屋から出て行ってしまう。
夕雲は閉まるドアの音を聞きつつ体の力を抜く。
一言褒められたかもしれないだけで動揺していたかもしれないなんて。
「私もまだまだみたいですね……」
余裕を持ってからかうように振る舞ってみたところで、単に子供のようにあしらわれてしまっているだけかも。
夕雲はため息をつくと時計を見上げる。
ひとまず一時間半はうたた寝することもなさそうだと彼女は思った。
秘書艦らしく務めを果たしておきたかったし、何よりも平静を取り戻さないといけないために。
◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆
萩風と嵐は野分と舞風との再会を喜んでいた。
久々に第四駆逐隊として揃った一行は、嵐たちが使っている部屋で夜明けまで過ごそうとしている。
「今回ばかりはもうダメだと思ったよ……」
萩風はあらかじめ作っていた手製のケーキを切り分けると、三人の前に出していく。
自分の分も用意して丸いテーブルを囲むように座る三人に混ざると、萩風はふと自分の右手首をさする。
帰投してすぐにバケツによる治療を受けたので、傷や後遺症は残っていない。
それは嵐も同じなのだけど、見るとこっそりおなかを触っている。やっぱり噛まれたというのが気になっているためなんだと思う。
「ほんとにな。もう二人には足を向けて寝られねーや」
「私たちってば、やっぱ頼りになるでしょー? でも二人もすごかったじゃない」
舞風に言われて嵐は互いに顔を見合わせる。
お互いに苦戦してた印象しかなくて……すると野分が言う。
「二人ともよく支えてたじゃない。レ級の相手なんて簡単なことじゃないのに」
「そうなのかしら……」
「そうだよ。ちょっと会わない間に見違えちゃった」
野分にそんな風に言われると急に恥ずかしくなってくる。
「なんか面と向かって言われると……照れるな」
「そうだね……」
嵐も恥ずかしそうにしていて、話を変えたくなったのかもしれない。別の話を切り出す。
「そういや、マリアナ組はどうやってここまで来たんだ? あっちからじゃ全速でも丸一日はかかると思うんだけど」
「今まで大変で気にしてなかったけど、言われてみたら……」
トラックからマリアナまで直線距離でも千キロ以上は離れている。
水雷戦隊が最高速で進み続けても到着には二十時間はかかってしまう。それも無休無補給の上で、索敵警戒などを一切考えないという条件で。
深海棲艦を発見したのが昼頃だったから、そう考えるとまだ戦闘が始まってから半日と少ししか経っていない。
「嵐ってば、それ聞いちゃうんだ……」
舞風がげんなりした顔をする。野分もなぜか目を泳がせている。
それまでとは、ちょっと違った雰囲気になっていた。
「もしかして聞いちゃまずかったのか?」
「あんまり思い出したくないっていうかさー……のわっちー……」
「まあ、隠すような話ではないから……ここまでは輸送機で来たのよ。それで戦闘海域から少し離れたところに降りたというか落とされたというべきか……」
「落とされた?」
「パラシュートをつけて降下だよ。ちゃんとした訓練もしてないのに、夜の海にね? すごく暗かった……」
「もうね、考えたやつはバカじゃないの……なんてね」
体験はしてないけど、私もそんなことをやらされたら二人以上に怖がってる自信がある。
ただでさえ夜の海は怖いのに。嵐でさえちょっと引いてる。
「大変だったんだね……」
思わず同情すると舞風が大きく頷いてきた。
だけど涙目になってる舞風はちょっとかわいらしい。
「それで別に落とされた艤装とかの装備を回収して、そこからは自力で航行してきたの。あとは知っての通りかな」
「へぇ……なんつうかむちゃくちゃだな」
「そうだね。でも、そうする必要があったのは分かるんだ。マリアナの主力もラバウルに釘づけにされたままだから、トラックで敵の攻勢をはね返すのは私たちや向こうの仲間を助けることにもなるのよ」
野分の言葉になるほど、と思う。
確かに私たちがトラック泊地から離れられないのは、前線にいる艦娘たちを支える必要があるからだ。
もしかしたら野分と舞風のほうが、その辺りの実感は強いのかもしれない。
「でも、あんなのはもうこりごりだよ……」
「……ほんとね」
「……でも、その無茶にはちょっと感謝かな。こうしてまた舞とものわっちとも会えたんだから。萩もそう思うだろ?」
「うん。すごくほっとしてるよ。来てくれて本当にありがとう」
野分が気にするなと言いたそうに首を振ると、舞風がケーキの皿を掴んで勢いよく立ち上がる。
「よーし、第四駆逐隊の再結成を祝して乾杯だあ!」
「おおっ! 次も俺たちで嵐、巻き起こしてやるぜ!」
「二人とも気が早いわよ。まったく元気なんだから」
盛り上がりだした二人に野分もたしなめるような声をかけるけど、満更ではなさそうだった。
まだ戦いは終わっていないけど……長い夜をようやく抜けたような、そんな気がした。
◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆
武蔵が自身の艤装の点検を終えた頃だった。
聞き覚えのある声が、言い争っているらしいのを聞いてしまったのは。
そんな声を聞いてしまえば、何が起きてるのか確認しに行くのは当然だった。
しかし、こんな状況で何をしているんだ。
ケンカなら仲裁する必要があるし、そもそも戦闘を間近に控えているのに、こんなところで無駄な体力を使わせるわけにもいかない。
もっと言うなら、ケンカなぞしている場合ではないだろうに。
果たして武蔵が出くわしたのは清霜と夕張の二人だった。
二人は何かを言い合っている。
夕張は艤装の整備をしている途中のようで、油汚れの目立つつなぎを着込んでいた。
清霜のほうは普段通りの格好だが、手に丸めて筒のようになっている紙を持っている。
近づいて分かったのは、言い争うというよりは夕張に清霜が噛みついているようだった。
どうにも単なる口ゲンカではなさそうだが。
「二人とも何をしているんだ」
武蔵が声をかけると二人の顔が向く。
夕張はほっとしたように一息つき、清霜は驚いてから武蔵と目を合わせないように視線を外してしまう。
「ちょうどよかった、ちょっと助けてくださいよ。清霜ったら無謀をやってくれって……」
「無謀なんかじゃないよ! これは絶対に必要になるんだから!」
「だから、どうしてそんな結論になるんですか! 戦艦になりたいって言うのと、これは全然違うんですよ!」
「待ってくれ、ちっとも話が見えてこないぜ」
「清霜ちゃんが艤装を改造したいって言い出したんですよ」
「なんでまた……」
清霜がいつか戦艦になりたいのはよく知っているし応援もしている。
ただ一朝一夕にできるような話ではないし、本人も承知の上で夢として語っていると思ってたんだが。
そんなことを考えていると、清霜は設計図を差し出してきた。
「これは……清霜の重装化プランです。設計図も自分で引いてみました……」
「何が重装化よ。無理やり戦艦砲を載せてみようってだけでしょ」
「ただの戦艦砲じゃなくて武蔵さんと同じ四十六cm砲だよ!」
「なお悪いから! 重心とか復元性を甘く考えてるでしょ! 速力だってどのぐらい出せるやら……」
「夕張も少し落ち着いてくれ。頭ごなしに言うもんじゃないだろ?」
少しばかり気が立っているように見える夕張をなだめる。
夕張としても、今は清霜だけにかかずらってるわけにはいかないのだろう。そんな焦りを見ていると感じる。
かといって俺に丸投げしないのは気にかけているからか。
「なあ、清霜よ。どうして改造したいんだ? 本当に今じゃないといけないのか?」
清霜は言葉を詰まらせる。上目にこちらを見上げる顔は、何か葛藤しているようでもあった。
いくらか落ち着きを取り戻したような夕張の声が続く。
「そうよ、主砲を載せられるのと扱えるのは全然違うんだから」
その通りだ。清霜の艤装にだって載せられるだろう、戦艦級の主砲を。
ただし、それが十全に性能を生かせるかといえば、そうはならない。
あくまで積んで撃てるだけ。むしろ本来なら起こりえない問題を生じかねさせず、戦力として数えられるとは武蔵も思っていない。
清霜にだって言われなくとも分かっているはずだ。
「何か理由があるんだろう?」
そうさ、清霜はこういう駄々はこねない。
無言を貫いていた清霜だが、やがて耐えかねたように口を開いた。
「私が考えてる相手は戦艦棲姫だから……今のままじゃ武蔵さんの力になれないよ……」
清霜の視線と言葉に武蔵は我知らず後ずさっていた。
……下手な砲撃を受けるよりも、よっぽど衝撃だった。つまりだ。
「原因は俺か……」
分かってしまえば単純な話だ。
清霜はこの武蔵の身を案じている。それが今回の行動の引き金になっていた。
……清霜は聡い子だ。もしかしたら、俺が姫に対してどこか及び腰になっているのに気づいてしまったのかもしれない。
「……情けないな、俺は」
そう、本当に情けない話だ。
俺自身の弱気が清霜までを惑わせていた。
らしくなかった。相手が強いから、なんだと言うんだ。そういう相手だからこそ力の振るい甲斐があるというのに。
武蔵は清霜の両肩に手を置くと、視線を正面から合わせて受け止める。
「お前の気持ち、確かに受け取ったぜ」
「武蔵さん……」
ならば。ならばこそだ。
「信じてくれないか、清霜。この武蔵を。俺は絶対に戦艦棲姫には負けない。だからお前はお前らしく、俺を助けてほしい」
勝負事はやってみなくては分からない。
それでも始まる前から負けるかもしれないなどと考えていては、勝てるものも勝てなくなってしまう。
最後の一線で踏みとどまれるかは少しの気合いの差だったりする。
そしてそれはほんの少し前の俺には欠けていて、清霜はそれを俺に分からせてくれた。
「……はい。清霜は、清霜もがんばります!」
清霜は言い切ると、今度は勢いよく夕張へと向き直る。
「あの、夕張さん……こんな時にご迷惑をおかけしました!」
敬礼でもするように背筋を伸ばして、清霜は頭を下げる。
夕張はすぐに顔を上げさせると、自分も感情的だったと謝った。
「もういいのよ、二人のやり取りがちょっと分からないとこはあったけど丸く収まったんだし。それに……正直に言うと、私もこんな時じゃなければちょっとだけ主砲を積んでみたい気持ちはあったし」
「それって……じゃあ私もついに戦艦に?」
「ただ主砲を積んだだけでは、いいとこモニター艦ってやつじゃないのか」
「まあ課題は山積みですよね……せっかくですし無事に戻ってきたらやってみましょうか?」
清霜と夕張はそんな話をして笑い合っていた。もちろん俺もだ。
戦いの結果がどうなるかは分からない。
それでもやつと雌雄を決するための心の用意はできたと、俺はようやく確信していた。
◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆
消毒液の匂い、というのはコーワンにとってなじみのない匂いだった。好き嫌い以前に。
彼女は医務室に足を踏み入れてすぐに、目当ての相手を探す。
医務室には扶桑が収容されていて、山城もそれに付き添っているはずだった。
すぐに中ほどのベッドで寝ている扶桑を見つけ、その傍らでは山城も椅子に座ったまま寝息を立てている。
そして扶桑を挟んで山城の向かい側に艦娘がもう一人いて、近づくと顔を向けてきた。
「アナタハ確カ……白露ノ妹……」
「時雨だよ。姉さんの妹だと候補が多すぎるね」
時雨はどこか楽しげに、そして名乗るように言うと、自分の隣に丸椅子を置いて座るように促してくる。
何をしにきたのかとは聞かない。すべて分かっているという感じだった。
座るかどうか迷ったものの、おそらくは時雨の厚意に従う。
コーワンはベッドに寝かされている扶桑を見る。見た目に異変はないのに目を覚まさない。
「扶桑ノ様子ハ……?」
「見ての通りだよ。ローマが言ったように、そのうち目は覚ますと思うけどね」
時雨はコーワンを見上げていた。
見返して思ったのは、確かに白露と目元が似ているような気がした。
といっても彼女から受ける雰囲気は白露とは異なる。違った意味での穏やかさというか落ち着きを感じる。
「扶桑を心配してくれるのかい?」
「ソレニ……山城モ……」
時雨に問われ、コーワンは頷く。
私は確かに扶桑の身を案じていた。このトラック泊地に来てから特に世話になったのは艦娘は扶桑と山城の二人だから。
「そうなんだ。二人に代わってありがとう」
時雨は屈託のない顔で笑う。こういうところも白露の妹を感じさせた。
しばらく互いに無言で様子を見ていたが、時雨のほうが口を開く。
「なんだか変な感じだよ。ボクたちは前の提督を、君たちはワルサメをなくしている。それが今は一緒にいるんだから」
「二人ガ……巡リ合セテクレタノカシラ……」
「どうかな……けど、本当にそうだとしたらボクらはこう言うんだ。これは運命だって」
「運命……」
「二人が生きていた結果なのかも。きっと本当なら交わらないはずのボクらがこうして今を共有してるのは」
時雨の視線を受け止める。彼女の言うことはもっとも。
我々は二人の犠牲を足がかりに、この場にいる。本来なら忌んだり悲しむような出来事を経たからこそ成立した関係。
「……でも、これ以上は誰かを失いたくないものね」
いきなり眠っていたと思っていた山城が言い出し、驚いてそちらを見る。
「あなたも来てたのね、コーワン」
「起コシテシマッタ……?」
「いいのよ、いつまでも寝てるわけにはいかないし」
山城は椅子に座ったまま扶桑を見ていた。
普段は物憂げな顔をしている時が多い彼女だが、この時は違った。引き締まった顔は凛としていた。
まるで独り言のように山城は漏らす。
「……禍福あざなえる縄のごとし」
「ドウイウ意味……?」
「幸運も不幸も交互にやってくるという意味で……要はどちらにも終わりは来るということ。友人の言葉を借りるなら、雨はいつか止むかしら」
ことわざ、というものだろうか。
なぜか時雨がなんだか嬉しそうにしている。
「へえ……いいことを言う友達もいたもんだね、山城」
「そうね、そういうことにしておいてあげるとして」
山城は時雨になんともいえない視線を向けているが、そこに含めれている意味は私には分からなかった。
「でも現実には終わらせようとしないと、いつまでも終わらないこともある……悪いことには特にね。今回は目に見える相手がいるだけ分かりやすくていいわ」
「山城ハ……何ヲスル?」
「何って決まってるじゃない。姉様に仇なすやつらがいるなら戦うだけよ。どんな相手だとしてもね」
山城の意志が硬いのは口振りや表情を見ていれば分かる。
……どうしてだろう、もどかしさを感じる。
その理由を考えている内に、時雨が山城に言う。
「無茶はしないでよ。君に何かあったら扶桑が困るんだ」
「……その言い方はずるいわよ、時雨」
「それならボクも困る」
横目に見た時雨の表情は真顔だった。
山城を諫めようとしている。もしかすると時雨は私が感じていない何かに気づいたのかもしれない。
「……なるようにしかならないわ」
山城はそう言うと立ち上がる。時雨の言葉をはぐらかしてはいるが、同時に本心でもあるように聞こえた。
「私はそろそろ行くわ。いつ招集がかかるか分からないし、あなたたちも少しでいいから寝ておきなさい。今日も長くなるわよ」
「待ッテ、山城」
思わずコーワンは呼び止めていた。
もどかしく思ったのは、自分とホッポの関係を重ねてしまったからかもしれない。
あるいは時として、行動には犠牲が付きまとうのを知っているからか。
「時雨ノ言ウヨウニ……無茶ハヨクナイ」
山城はコーワンを見ると、問い返すように語り始める。
「……もしも自分の前に選択肢があったとするじゃない。右に行くか左に行くか、この部屋にいるかいないか。実際は二択どころか、もっと多くの可能性があるんでしょうけど、とにかく選択肢があるのよ。私の場合、大抵は何を選んでも不幸な目に遭うの」
「ソンナコトハ……考エスギデハ?」
「あるのよ、私の場合。何を選んでも不幸になるなら、それでもいいのよ。自分でやるべきと思った選択をして、そんな目に遭ってから言えばいいんだから。不幸だわって。それでおしまい。だから無茶はしないつもりだけど、その時々にすべきと思ったこと
をやらせてもらうわ」
山城の言うことはよく分からない。
悪いことが起きるという前提で動くこともないのでは。
ただ、山城はこうと決めた基準を持っている。それはきっと外から誰かが口出しして、どうにかなる話ではない。
時雨が悲しげに言う。
「……君はひねくれてるなあ。それとも逆にまっすぐすぎるのかな」
「なんとでも言いなさい」
山城は苦笑いを浮かべてから部屋を辞した。
止めることはできない、とコーワンは思った。部屋を出て行くのがではない。死地に向かうのだとしても。
「簡単にやらせはしないさ」
時雨がコーワンに向かって言う。
分かっていると言いたげな時雨に、コーワンもまた頷き返す。
この時雨はきっと頼りになる。そう思わせるだけの気配がある。
一方で自分の抱えたもどかしさが胸の内で膨らんでいくのも感じた。
当事者でありながら状況に関与できていない。
このままではいけないと思うも、打開するための方法が分からない。
重石のようなのは心なのか体なのか、区別がつかなくなっていた、
◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆
深度二十付近の海中で眠っていたネ級は、やはり海中で目を覚ました。
うっすらと目を開くも、夜の水中はとても暗い。
水面からのわずかな月明かり、あるいは夜光虫やより深い場所を根城にする海洋生物が発する淡い光ぐらいしか光源がないからだ。
いや。とネ級は己の考えを否定する。
今はネ級も金色の光を発していて自らが光源になっている。露出を抑えようと思えば抑えられるが、完全には消えない。
たまに光に誘われて近づいてくる魚などもいるが、ネ級の存在に気づくと警戒心を思い出したように逃げていく。
運が悪ければ、腹を空かした主砲たちの口内に直行することになるが。
海中で眠るのは、そのほうが安全だからだ。普段ならばさすがにここまではしないが。
ネ級は近くで同じように眠っていたはずのツ級がいないのに気づく。
どちらかが潮に流された可能性もあるが、互いにそんな間抜けはしでかさないはず。
となれば上か。
ネ級は眠ったままの主砲たちを起こさないまま海上へとゆっくり浮上していく。
水面から顔を出すと夜空に出迎えられた。
頭上には数えるのを放棄したくなるぐらいの星々が瞬き、月は左だけの半月に近い形をしている。青い光が網膜に焼き付く。
頭を巡らせるとツ級を見つける。
そして意外な先客もいた。飛行場姫だ。二人は水上に出ていて、何か話していたらしい。
ツ級が私に気づいたのだろう、視線を下げてこちらを向く。おそらくは頭の動きから目が合った。
先の戦闘で受けた傷の修復はすでに済んでいる。
飛行場姫もこちらに気づいた。こうなると出ていくほかない。
海面に立ち上がると、主砲たちも起きる。体を後ろへ伸ばしながら身震いして、水滴を振り落としていく。
「珍シイ……二人ガ話シテイルナンテ」
出会い頭にかける言葉としてはどうかと思うが、これ自体は正直な気持ちだった。
「タマニハ……ソレモイイトナ」
飛行場姫は妙に穏やかで、それでいてどこか寂しげに見える顔で笑う。
「……ヨクヨク考エルト……オ前タチト……アマリ話シテコナカッタ」
「……ダソウデス」
付け加えるようなツ級には硬さが見て取れた。
普段は必要以上に話さない姫との接触に戸惑っているのかもしれない。
「話デスカ?」
「エエ、話ヨ」
そこで話が途切れた。
いきなり話そうとしても思い浮かんでくる話題がない。
私たちはそこまで多弁というわけではないようだ。
代わりに頭の中に不明瞭な言葉が浮かんでくるが、ぼんやりとしているだけに正確な形にはならなかった。
女三人集まれば……ぜかまし?
どこか違う気がする。よくは分からないが。
「……静カナモノデスネ」
ツ級が私と姫へ交互に顔を向けて言う。
「夜戦ガアッタノニ……私タチダケ切リ離サレテシマッタヨウデ」
「支援作戦ニ近イカラ付キ合ウ必要ハナイ。ソノ分ダケ休ンデ……朝ニ備エタホウガイイ」
「朝ニ……」
詳しくは知らないが、人間たちとの交渉は物別れに終わったと聞いていた。
それについては特に思うこともない。初めから、そうなる気がしていたから。
しかし、こうなるともう戦うしかない。あの艦娘――鳥海と。
総力戦である以上、戦域も拡大する。それに伴って遭遇する確率も低くなるはずだが、また出くわすという予感がした。
ふと月を見上げる――月が綺麗だ。
今は半月に近いが、あと一週間ほどで朔になるだろう。なぜか、今日の月が満月でないのが残念だった。
次の新月を迎えられる保証はどこにもなかった。なんで、今まで月を見た時にそう感じなかったのだろう。
気づいてしまえば、声が自然と出てくる。
「確カニ……何カ話スナラ今ダ。言ッテオキタイコトデアレ……抱エテイル秘密デアレ……次ノ夜ヲ迎エラレルカナンテ分カラナイ……」
最後になるかもしれない、そんなに夜にできることならば。
では、とツ級が声を発する。頭は飛行場姫を向いていた。
「ネ級ニハ話シマシタガ……私ハ艦娘デシタ。何者ダッタカマデハ分カリマセンガ……」
「ソウ……」
飛行場姫はこともなげに言う。
驚きはなく、あくまで静かな態度だった。
「驚カナインデスネ……」
「……ソウダッタトイウ話ハ聞カサレテイル。元ガ誰カマデハ分カラナイ……知リタイノ?」
「イエ、アマリ知リタクハ……分カッタトコロデ何モ変ワリマセン……ツ級デアルコトニハ何モ」
仮面のような外殻の奥で、ツ級はどんな顔をしているのか。
憤りは感じない。悲しむぐらいはしているかもしれないが、かといって嘆くような調子でもないのは確か。
事実は事実として受け止めている。たぶん、そういうことなんだと思う。
「ツ級トシテ生マレ……ネ級ヤアナタニ会エテヨカッタト思ッテイマス。ソレダケハ言ッテオキタクテ……」
「私モ……最初ニ会ッタノガ……ツ級デヨカッタ」
これは正直な気持ちだ。
私たちの関係をどう表現するかは難しいところだが、どこかでツ級を守るのは当たり前に思っている。
それもこれもツ級には沈んでほしくないからだ。
この場で振り返ってみれば、出会ってごく最初に抱いた感情なのかもしれない。
「仲ガイイノネ……オ前タチハ」
飛行場姫に言われ、確かにそうかもしれないと内心で認める。
「モチロン……姫ニモ感謝ヲ……アナタハ他ノ姫タチトハ……ドコカ違ウ」
「フン……違ウカ……マア褒メ言葉トシテ受ケ取ロウ」
そんな話をしていたら主砲たちが体に巻きつこうとしてきた。
意味が分からない。が、ひとまずじゃれる二つの頭を手で抑える。
「ソノ子タチモ……ネ級ヲ好イテル」
ツ級がそんなことを言い出すと、同意するように主砲たちも短い声を出す。
それを聞いた飛行場姫まで納得したように言う。
「ナルホド……私タチモ忘レルナト言イタイノカ」
そうなのだろうか。
疑問に答えるように、主砲たちはツ級と姫へ交互に短く鳴いた。
甘えるような、高くて明るい声だった。
心なしか、頬を緩ませたような飛行場姫が天を仰いだ。
湿り気を帯びた夜風が海を渡っていた。
うまくは言えないがいい風で、そんな風に誘われるように姫の声が波に乗って聞こえてくる。
「私ニモオ前タチノヨウニ仲ノイイ者ガイタ」
「コーワントヤラデスネ?」
姫は視線を空から、こちらと同じ高さに戻す。何も答えないが肯定らしい。
「コーワンハ望ンデ艦娘ニ協力シテイル……シカシ……今デモコーワントハ戦イタクナイ」
「ダカラ……艦娘ヤ人間ニ停戦ヲ申シ入レタノデスカ?」
ツ級の問いに姫は答えなかった。今回は肯定、というわけでもなさそうだ。
そう感じたのは姫に緊張した雰囲気を感じたためだ。
「誰モガ極端ニ動イテイル……ドウシテモソレガ正解トハ思エナイダケ……コノママ戦ッテ勝テテモ……相応ニ消耗スルダケデショウシ」
確かにそうなる可能性は大いにある。
トラックの艦娘たちは手強くて粘り強い。単純に数で力押ししてどうこうできる相手ではなかった。
「タダ生キ延ビルダケナラ……今カラデモ戦闘ヲ放棄スレバヨイノダロウガナ」
飛行場姫はどこか自虐めいた笑いを浮かべる。
そんな顔を見ていると、ふと疑問が思い浮かぶ。
「コーワンタチト一緒ニ行ク気ハナカッタノデスカ? 仮ニ飛行場姫タチヘノ牽制ガ必要ダッタトシテモ……」
「艦娘ヲ何モ知ラナイノニ?」
確かにその通りだ。コーワンたちにとって艦娘は敵ではないようだが、深海棲艦にとっては敵でしかない。
だからこそ今の状況があるわけだ。
飛行場姫はほとんど即答するような早さで答えたが、すぐに言い足す。
「今ナラ分カル……本当ハ恐レテイタ」
飛行場姫は重々しさを伴って言う。
「コーワンヲ信ジル以上ニ……未知ナルコトヲ。守ロウトシテイタノハ……私自身モダ」
「艦娘ガ今デモ恐ロシイノデスカ?」
「恐ロシイノハ未知ダカラ……知ッテシマエバ……キットナンデモナイ」
知ってしまえば。
言うのは簡単だが、もしかすると一番難しいことなのかもしれない。
飛行場姫はネ級をじっと見る。
「オ前ハ……ドウナノダ? 艦娘ヲドウ感ジル?」
「艦娘ハ……無視ノデキナイ相手デ……ヤツラモマタ私ヲ……無視シナイデショウ」
「ネ級ハ狙ワレテイマス……」
「ホウ……」
「確カニ……奇妙ナコトナラ言ワレマシタ……私ハ司令官……提督デアルノカト」
ネ級は言ってから、かぶりを振る。
今のは推測みたいで、正しい言い方ではない。
「以前カラ頭ノ中ニ……知ラナイ誰カノ記憶ガアルノハ感ジテイタ……ソレガ提督ナノデショウ」
「ソウ感ジルノカ……」
「快イトハ言エマセンガ……」
頭の中にいる誰かを提督として明確に意識するようになったのは、鳥海と接触したからだ。
司令官――どうやら提督をそう呼んでいるらしいが、あの艦娘の声と言い方は妙に頭に引っかかる。
何かとても大切なことだったように。初めて出会ったはずなのに、奇妙な引力を持っていた。
「ネ級ハアノ艦娘ニ……モウ関ワラナイホウガイイ……」
「ソウモイカナイ……アイツハ必ズ私ノ前ニマタ現レル……ソレト言ッタハズ……鳥海ハ私ニ任セテオケバイイト」
ツ級の諫言かもしれない言葉を聞き流す。
鳥海との決着は避けて通れないという予感があって、それを全面的に信じている。
それに私に言えたことではないが、ツ級もどういうわけか鳥海に執着しすぎているように思える節があった。
先の交戦で執拗に攻撃を加えていたように思えて、今まで行動を共にしてきているとツ級らしからぬと感じられた。
「ハッキリトハ覚エテイナイガ……ソノ艦娘ハ提督ガ最期ニ会イタガッテイタ者カモシレナイ」
飛行場姫の言葉に、きっとそうだろうという感想が出てくる。
あの艦娘――鳥海は何か他の艦娘とは違う。
「ドンナ艦娘カ……モウ少シ踏ミ込ンデ聞イテオケバヨカッタカ……」
「イズレニシテモ……ヤツハ強敵デス……」
ネ級が強敵として頭に思い浮かべるのは赤いレ級で、自身の高性能を存分に生かした戦い方をしてくる。
対して、この鳥海はそれとはまた違う毛色の強敵だ。
おそらくは、こちらの動きや性能を見極めた上で最適な行動を選択してくる。
高い技術と豊富な経験に裏打ちされた戦い方というべきか。
たとえば同じ兵装と同じ量の弾薬を持たせて同じ作戦目標を指示しても、他の艦娘よりも多くの戦果を挙げて帰ってくるようなやつ。
そこまでネ級は考えて、今のは本当に自分の分析だろうかと疑問に思う。
もしかすると提督の知識を、私が代弁しているようなものかもしれなかった。
……結局は提督だ。今の私は思考がそこに行き着いてしまう。
「姫……提督トハドノヨウナ人間ダッタノデスカ?」
「イササカ難シイ……私モアノ人間ニハ詳シクナイガ……」
そう前置きしながらも、飛行場姫は提督がガ島にコーワンによって連れてこられた経緯と、その最期を話してくれた。
提督のことを聞けばもっと何かを感じるかと思ったが、特に何かを喚起されることはなかった。
姫が次に言うことを聞くまでは。
「提督ハ……ヤレルコトヲヤッタ……自分ガスベキト思ッタコトヲ……」
「……冗談ジャナイ」
思わず姫に言い返していた。考えがあってではなく、ほとんど反射的な反応だった。
驚いた顔を向ける姫を尻目に、急速に怒りが沸き上がってくる。
私の頭に浮かんだのは、なぜか鳥海だった。
「……アノ艦娘ハ提督ヲ忘レテイナイ……スベキコトヲシテ……アレガ結果ナラバ……間違ッテイタトイウコト」
こちらに話しかけ、攻撃をためらい、それでも撃つという選択をした艦娘。
こんなはずではなかった。きっと提督ならそう思うに違いない。
だからこそ腹立たしく感じるのか。分からない。そもそも私は何に怒りを感じたのか。
「コウナルナラ……アガクベキダッタンダ……最期マデ生キルノヲ」
そうすれば万が一でも提督は生き延びたかもしれない。
あの鳥海と再会して、彼女が私に妙なこだわりを持つこともなく。
だけど、そんなのは仮定だ。私と鳥海の間の奇縁が消えたかは分からず、そもそも今の敵という関係が変わるわけでもない。
「ネ級……」
「私ハ……モット生キテイタイ……」
二人の視線を振り払うように月を見上げる。
また思い出す。月が綺麗だと――満月の夜に誰かがそう言ったのを。
それはきっと提督が鳥海に伝えた言葉だ。使い古された殺し文句。
だけど、それは二人には確かに大きな意味を持っていたはずだった。
……どんな意味があっても、生きていなくては無為だ。
◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆
二月十九日。この日、トラック近海の天候は朝から思わしくなかった。
晴れ間こそ覗いているものの、南方から厚く垂れ込めた入道雲が壁のようになって広がりつつある。
発達した雲はどこかで豪雨が降りだすのを予感させ、いかにも一筋縄ではいかない天気に見えた。
この戦いと同じだ。提督はそんな風に思う。
与えられた時間の中で最善を尽くしたつもりでも、どう転ぶのかは分からない。
提督は作戦室の窓からそんな空を見上げていたが、すぐに意識を現実へと戻す。
時刻は九時を回っているが、泊地はすでに五百機からなる艦載機の空襲を受けていた。
コーワンの配下たちが前日から引き続き防衛に就いているが、敵艦載機は彼女らを素通りして泊地施設を攻撃してきている。
幸いにも今回の空襲でさほどの被害を受けなかったが、それだけに敵も艦砲などの方法も含めて更なる攻撃を仕かけてくる可能性は高い。
そして前線の艦娘たちも、敵艦隊と接触したとの通信を入れてきていた。
夜以来の索敵により敵は東方から襲来する可能性が高いのは分かっていたし、実際に進攻は東から行われている。
しかし前日と敵の動きはまったく違う。
「偵察ヲ許サナイツモリノヨウデスネ……」
「ええ、どうも気に入らない。早急に全容を把握しないと取り返しのつかないことになるかもしれない」
同じように作戦室に詰めているコーワンに返しつつ、提督は彼我の状態を示している表示板に目をやった。
今までと違って、日が昇ってからは偵察に出している彩雲や二式大艇が迎撃を受けるようになり、索敵の成果が芳しくない。
本来ならこれが当たり前の行動なのだが、昨日はあえて偵察を許していたように見えるだけに引っかかる。
所在が分かっているのは飛行場姫と戦艦棲姫の二人で、先陣を切っているのは飛行場姫の艦隊だった。
そのあとに戦艦棲姫が続く形で、二人の姫を取り巻く艦隊は合わせれば百を越えている。
そして、おそらくより後方に控えているはずの敵の機動部隊や、何よりも空母棲姫と装甲空母姫の姿を確認できていない。
「モシ……密カニ動イテイルナラ……」
「狙いはここ……その時はあなたの配下たちを当てにするしかないでしょう」
それも踏まえて泊地より七十キロから百キロ圏内を第一次防衛圏に、五十から七十キロ圏内を第二次防衛圏として定めての迎撃戦を展開している。
航速や射程距離を考えると泊地からはかなり近いが、裏を返せば不測の事態が起きても艦娘たちが泊地へ取って返せる距離でもあった。
しかし、あまり好ましい展開にはならないかもしれない。
敵の動きを予測しながら提督は考える。
「この布陣も飛行場姫を無理にでも戦わせようとしてのものだ」
飛行場姫はこちらに対して停戦のための交渉を持ちかけようとしていた。
他の深海棲艦からすれば承服できるような話でもないのだろう。
だから最前線において、戦わざるを得ない状況を作り出そうとしている。
そうした判断そのものは理解できた。獅子身中の虫かもしれない相手の出方を見極めるには危険に晒してしまえばいい。
艦娘たちには飛行場姫を自衛などの、やむを得ない事情がない限りは攻撃しないように伝えている。
この戦力差では、いかに彼女たちが奮闘したところでじり貧にしかならない。
泊地を守り抜くには、こちらが余力を残したまま敵艦隊には甚大な被害を与える必要がある――残る他の三人の姫級を沈めるような痛手を。
飛行場姫を無視するのは、戦力上の負担を減らす意味でも効果はある。
そうした戦果をあげた上で、停戦を持ちかけるなりして落としどころを用意する。それが目指す勝利の形だった。
そのためには、そうした提案に応じるであろう飛行場姫の存在が不可欠となる。
「私ニ艤装ガ戻ッテイレバ……」
コーワンが誰ともなく呟いたのを提督は聞き、そしてつい想像してしまう。
もし、この姫が敵だったらどうなっているのだろうと。
そう考えてしまうのは、自分と深海棲艦の接点が戦いの中にしかなかったからかもしれない。
もう五年ほど前になる。日本が深海棲艦と接触して、一方的に敗れたのは。
すでに存在が確認されていた深海棲艦に、従来の兵装がろくに通用しないことは知られていた。
そんな中、深海棲艦の手はこの国の経済水域を侵すまでに至り、そうなれば行動を起こさないわけにはいかなかった。
そうして戦闘は生起したが……とても戦闘とは呼べない有様だった。
提督は疼くような感覚がして左手へ視線を落とす。今でもどうして生き延びたのか分からない。
多かれ少なかれ、自覚があるかは別にして、今を生きる人間は何かを深海棲艦に奪われている。
コーワンや彼女に連なる者たちが手を下したわけではないにしてもだ。
「今は信じるしかないでしょう。彼女たちなら上手くやってくれると」
「……ソウデスネ」
コーワンはどこか不安げに、しかし何かを秘めたような顔で頷く。
不意にそれまで思いつかなかった考えが提督の頭をよぎる。
これは試練なのかもしれないと。何の、という具体的なことまでは分からない。
過渡期というのは往々にして事変が起き、これもそんな出来事の一部ではないかと思わずにはいられなかった。
◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆
鳥海ら三人の重巡が放った一斉砲撃、合わせて三十近い砲弾がル級を打ちのめす。
いかに戦艦であっても全身が堅牢ではない。攻撃目標となったル級は集中砲火によって物言わぬ躯になると、急速に海中に没していた。
――まるで何か見えない手に引きずり込まれるように。鳥海はそんな感想を抱く。
主力艦を失いながらも残存する敵艦も戦意を失っていない。
むしろ果敢に砲撃の合間を狙って駆逐艦たちが突撃してくるも――。
「通すわけねえだろ!」
摩耶の主砲に機銃群や島風と長波の砲撃に煽られながら蹴散らされていく。
四人いた改良型のイ級駆逐艦も二人が摩耶たちによって沈められ、砲火を一時は逃れた残る二人も追撃を受けて撃沈されていく。
周囲の敵影が途切れた所で、摩耶が快哉をあげる。
「これで十! 当たるを幸いってか? 今日はなんか調子がいいや」
「朝ご飯がおいしかったからかしら。質素にお蕎麦なんて言ってたけどねえ」
「そんなわけ……ないとも言い切れないけど」
摩耶の意見に同意するように愛宕姉さんの声が続き、高雄姉さんがちょっと困惑したように応じていた。
確かに摩耶が言うように調子がいい。
今の第八艦隊は通常編成と違って、ローマさんが主力へと抜けた代わりに愛宕姉さんと摩耶が入ってきている。
島風と長波さんもいるし、この編成だといつかの第四戦隊を思い起こす。その時とは何もかもが違うけど。
「どうしたんだよ、鳥海。浮かない顔して」
「もしかして呆れられちゃってる?」
摩耶と愛宕姉さんに声をかけられて、すぐに首を振る。
「あ……いえ。むしろ二人が自然体で頼もしいです。このまま飛行場姫への牽制を続けましょう」
この戦闘の主目標はトラック泊地を守り抜くことであり、そのためにも姫級の撃破は不可欠な要素だった。
その中でも飛行場姫のみは、自衛を除いて交戦を避けるよう言われている。
だから、できることなら無視しておきたいけど敵の先鋒にいる以上は不本意でも放置できない。
そこで主力艦隊は飛行場姫を取り巻く艦隊を迎撃しながら、後続にいる戦艦棲姫を目指している。
私たち第八艦隊もその負担を減らすために、遊撃を行いながら飛行場姫の艦隊をできるだけ引きつけようとしていた。
主力に向かう全ての相手を阻止できるわけではないにしても、それなりの戦果も挙げている。
その甲斐もあってか、深海棲艦はここで足踏みしているようだった。
このまま時間を稼げれば、その間に未発見の機動部隊を発見できるかもしれない。
そうでなくとも注意を引き続けることができれば、主力はもちろんのこと迂回して後方から機を窺っているはずの木曾さんたちにも有利になるはず――。
「敵影見ゆ。あいつは……!」
長波さんの声に、体が自然と反応する。鳥海たちはその場から逃れるよう散開すると、新たな敵の存在を見やった。
複数の深海棲艦。護衛要塞を伴った艦隊で十隻以上いる。そして中心にいるのはネ級とツ級。
見張り員を通して強化した視覚で見たネ級は、こちらを見返しているように感じられた。
「ネ級……やはりこうなるんですね……」
万が一……言葉通りに万が一、もう出会わない可能性も考えていた。
けれど出会った。ならば望むことは一つ。
鳥海は声を発する。その顔は決然とネ級を向いていた。
「皆さんにお願いがあります。どうか私のわがままを聞いてください」
一呼吸挟むと、鳥海の唇がかすかにためらったように震える。
しかし、それも一瞬のことで当人でさえ意識していない。
「ネ級とは私一人だけで戦わせてください。勝手は承知しています……ですが、どうか……」
鳥海はあえて視線をネ級たちから逸らすと、一同へと頭を下げる。
最初に答えたのは高雄だった。
「いいわよ、行ってきなさい。あなたにはそう言うだけの、そうするだけの権利があるはずよ」
「姉さん……」
「鳥海たっての願いだもの。ちゃんと聞いてあげなくちゃねー」
「避けちゃいけない勝負事ってあるもんな。行ってきなさいよ、鳥海さん。今回も勝って帰ってくるんだろ?」
愛宕と長波の声が続くと、摩耶と島風が鳥海の前に進み出てくる。
「ぎりぎりまで、あたしらで護衛する。それにどうせネ級の側にはツ級もいるんだし、そっちの相手もしてやらなくちゃ悪いからな」
「ほっといたら一人でも行っちゃいそうだもんね。そんなのはもうなしだよ」
鳥海は自然と固く握り締めていた手をほどく。
後押しされた、という感覚に自然と胸が熱くなるのを感じた。
「みなさん……ありがとうございます。くれぐれも無理だけはしないようにしてください」
摩耶が背を向けたまま手を振る。気にするなと言うように。
「となると私たちは残りの相手ね」
「いいとこ見せちゃいましょうか!」
高雄と愛宕、長波が別方向へと舵を切ると敵艦隊へと迫っていく。
一方、摩耶と島風が鳥海を先導するように進んでいく。
すると敵艦隊にも変化が生じ、鳥海たちの意を汲んだかのように二手に分かれる。
ネ級とツ級だけが鳥海たちへと向かい、残りの護衛要塞らは前後列に分かれて高雄たちへと向かっていく。
そうしてさらにネ級たちと距離が縮まったところで、ネ級がツ級と分かれる。
というより増速したネ級がツ級を無理に引き離したように見えた。
「あいつも同じように考えてるんだ……」
「行ってこい! ツ級はあたしらで面倒見といてやるから!」
摩耶が砲撃。それはネ級とツ級の間に着弾し、両者の距離をより大きくしたように見えた。
ネ級は狙われてないと見たのか、さらに離れたところに私を誘導しようとしている。
この誘いには乗るしかない。
私たちは申し合わせたわけでもないのに、互いに一切の砲撃を行わないまま近づいていく。
それもやがて減速して止まる。辺りからは砲撃の音が盛んに聞こえていた。
姉さんたちも摩耶たちも砲戦を始めたということ。
そして私とネ級の間隔は百メートルほど。肉薄といっても通じてしまう距離だけど、ここ最近はこんな至近距離に身を置くことが増えてしまった気がする。
「ネ級……」
「モウ……司令官トハ呼バナイノカ」
「……分からなかったんです。あなたが本当に司令官さんだったのか」
「今ハ分カッタノカ?」
「少なくとも、私の司令官さんはもうどこにもいません」
感傷をごまかすように笑おうとすると、妙に乾いた声になってしまう。
そんな私をネ級は見つめながら、己のこめかみに人差し指を当てる。
「アレカラ知ッタ……確カニ私ニハ提督ガ混ザッテイルソウダ……」
「……そうですか。それが真実なら、あなたは司令官さんの生まれ変わりのような一面もあるのかもしれませんね」
ネ級は答えない。好きに解釈しろ、と言われているような気がした。
肯定も否定もなければ、確かに自分の好きなように受け止めるしかないのかも。
「ただ……もしも、あなたが司令官さんの生まれ変わりなら、私はあなたを許せない」
「……ソレハソウカモシレナイナ」
「私を手にかけるのならまだいいんです。私は司令官さんを助けられなかったんですから」
因果応報。そう言ってしまっていいのかは分からないけど、私の身に起きることに限ればそういった割り切りはできてしまう。
だけど、そうじゃない。
「もっと早くに気づく……認めるべきでした。あなたは私以外も傷つける。司令官さんが大切にしてきたものを壊そうとする……だから私が終わらせます。それがあの人にしてあげられる最後の……」
「ソウカイ……私モ一ツ認メテオク。オ前ニトッテ……ネ級ガ特別ナ敵デアルヨウニ……私ニモ鳥海ハ特別ナ敵ダ」
だから引かない。進むしかない。決着をつけるしかないんだ。
それはきっとネ級も同じような気持ちなんだと思う。
私たちにあるのは戦うという選択。
そうして私たちは――決着を求めた。
◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆
第一次防衛圏における主力艦隊は武蔵、ローマ、リットリオの三人の戦艦を核として、球磨と多摩にザラ、夕雲型と白露型の半数。そしてマリアナからの増援組を加えた三十人で構成されている。
彼女たちは飛行場姫の艦隊に断続的な攻撃を受けながらも、その後続に当たる戦艦棲姫たちと接触しようとしていた。
この頃になると状況も変化し、偵察機が深海側の機動部隊を発見し大まかな位置と艦載機による攻撃準備をしているのを知らせてきている。
すぐに偵察機は撃墜されたのか、それ以上の続報はなかった。
「総員、合戦用意クマ! 武蔵、大物は頼んだクマ」
「願ってもない。この武蔵に万事任せておけ!」
主力はあくまで三人の戦艦だが、艦隊の旗艦を預かっているのは球磨だった。
より戦闘に集中できるのだから武蔵としては何も不満はない。
あらかじめ戦艦棲姫には武蔵が当たって、ローマたちは他の深海棲艦を相手にするのは決まっていた。
敵機動部隊の位置が発覚した段階で、このまま戦艦棲姫と交戦するのは危険という意見もあったが、球磨は危険を承知で混戦に持ち込むのを提案していた。
仮に一時でも引いた場合、敵は艦載機でこちらを漸減することも可能で、そんな状態で迎え撃つ方が悲惨だとして。武蔵も同感だった。
戦艦棲姫は艦隊の先頭に立ちながら近づいてきている。
その後ろには護衛要塞を始めとした、様々な艦種が入り乱れた艦隊が続く。姫よりも高速の駆逐艦や巡洋艦でさえ後ろに従っている。
「自ら先陣を切るか……誘っているな」
武蔵は相手の意図を察し、思わず笑みを顔に浮かべる。
にやりと唇を吊り上げるが目が据わったままという、好戦的で不敵な笑い方だった。
艦隊がそれぞれ動き始める中、清霜がすぐ隣まで近づいてくる。
「武蔵さん……どうか御武運を」
「そちらもな。清霜には感謝してる。お前がいなければ、戦う前から負けていたかもしれない」
これは偽らざる本心というやつだ。らしくなかった自分に気づかせてくれたのは、他の誰でもない清霜なのだから。
「凱旋しようにも一緒に帰って喜んでくれる者がいないと寂しくなる」
ただ無事でいてくれ、と言うだけでよかっただろうに、回りくどい言い方をしてしまう。
清霜はそんなこちらを見て、胸を張ってみせた。
「心配しないで、武蔵さん。清霜だっていつかは大戦艦になる女よ?」
「ふむ……ならば先輩らしく振舞ってみせねばな」
清霜の言葉は理屈になっていなくとも、こういう前向きさは頼もしく好ましい。
呼び止めていたのはこちらだったが清霜に夕雲の声がかかる。
「清霜さん、遅れないでくださいね」
「ごめんなさい! すぐに行きます、夕雲姉様!」
清霜は武蔵に向かって恥ずかしそうに舌を出して見せると、元の隊列へと戻っていく。
そういえば夕雲が清霜と同じ艦隊にいるのは意外と珍しいような印象がある。
普段の夕雲は機動部隊の護衛が多いからか。
この大一番だからこそ、長女の夕雲がいるのは他の夕雲型にもいい影響を与えるのかもしれない。
代わりといっていいのか、普段よく見かける気がする白露は後方の機動部隊に回っている。
この辺はバランス感覚なのだろう。
どちらにも、いざという時の要がいると安定感が違うものだ。
そこまで考え、武蔵は目前に意識を集中しなおす。
ほどなくして敵艦隊を目視できる距離まで進出する。
目視といっても敵の姿はごく小さい。
意識して水平線に目を凝らすと、ようやく人型らしい影を判別できる程度だ。
それでも武蔵は砲撃する。すでに射程距離に入り、出し惜しみをするつもりもない。
先制を期しての攻撃だが、ほぼ同時のタイミングで相手からも発砲の閃光が生じる。
間違いなくやつ、戦艦棲姫だ。
他の艦娘たちも砲撃を始めながら、互いの距離が近づきはじめる。
それに連れて徐々にやつの姿もはっきりした形になっていく。
黒衣の裾を風にはためかせ、豪腕の獣に手を絡ませている姫。
戦艦棲姫以外からの砲撃は武蔵に来ない。
仲間が守っているという以上に、深海棲艦たちが攻撃を控えているというほうが正しそうだった。
覆せないほどの数字上の戦力差がここには厳然と存在している。
今や砲撃のペースは戦艦棲姫のほうが少しずつ速くなっているが、先に命中弾を得たのは武蔵だった。
獣の鼻っ面に一弾が直撃し、巨体が押し返されるように震える。
逆に姫の砲撃は武蔵を未だに捉えてはいない。
まずは幸先よしだ。
「イイワ……ソノ気ニナッテクレタ……!」
姫の笑う声が風に乗るように聞こえてくる。
無線に介入してきた声なのに、耳元で囁かれたように聞こえるのは奇妙で不安を煽るような薄ら寒さがあった。
冷や水を浴びせるような声を振り払うように、武蔵は声を大にする。
「どうした! まさか、こんな小手調べで終わる貴様ではあるまい!」
「……モチロン」
今まで手を抜いていたわけではないだろうが、次に飛来してくる砲撃の狙いは正確になっていた。
武蔵は自分に向かって砲弾がまっすぐ飛んでくるのを見る。
こういう風に見える時は直撃してしまうと考えて間違いない。
身構えた武蔵の元で命中の閃光と衝撃とが生じる。
戦艦棲姫の砲撃は主砲の天蓋部分を叩いて、そして海へと弾かれていった。
装甲の厚い区画であるため貫通こそされないが、さすがに重い一撃で骨身に響く痛みが体をさいなむ。
「戦艦武蔵……冥海ニ沈ミナサイ!」
「ただではやられん!」
そこから砲撃による殴り合いの応酬になった。
主砲が命中しあうと艤装が削られ弾け、赤と黒の血が流れる。
互いの体力を削り合い、しかしどちらも優勢を引き寄せるに足る一撃を得られないままでいた。
そんな矢先に厄介な一報が舞い込んでくる。
「敵艦載機が接近中。接触までおよそ五分!」
「友軍機はどうしたクマ!?」
「向かっています! でも間に合うかどうかは際どくて……!」
球磨と夕雲のやり取りを聞きつつ、内心でほぞを噛む。
敵機にこんな間近まで迫られていたとは。
このまま姫と撃ち合うのは危険すぎる。空海両面からの攻撃をさばく余力はない。
それは戦艦棲姫も当然分かっているだろうに、やつは意外にも砲撃を止める。
「余計ナ真似ヲ……」
戦艦棲姫が毒づくのが聞こえてきた。
「切リ抜ケナサイ……待ッテテアゲル」
「何を考えている!」
「アナタハ……私ダケノ強敵ダモノ……」
戦艦棲姫が何を言いたいのか武蔵は悟る。
あくまでも、やつは力比べをしたいのだ。ゆえに手を出さない。純粋にこの武蔵との決着を望んでいる。
そこに余計な介入を望んでいない。
あえて塩を送るような厚意に感謝すべきなのかもしれないが、それを示すのは口ではなく行動であるべきなのかもしれない。
砲弾を三式弾に交換しつつ、主砲は空を仰ぐ。
対空戦闘に集中できるのは好都合だが、他の者はそうもいかない。
あくまで砲撃を控えているのは戦艦棲姫だけで、他の敵は攻撃の手を緩めたりはしていない。
となると優先して狙うのは自身ではなく、他の艦娘にまとわりつこうとしている敵機。
こちらが対空砲火を見せつければ敵機の狙いも引きつけられるかもしれず、それはそれで好都合と言える。
ああ、そうさ。この武蔵が無視などさせなければいいのだ。
◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆
秋島近海で待機していた木曾たちは夜が明ける前から行動を始めていた。
敵機動部隊の位置は大まかにしか分かっていないが、発見してからでは戦場に間に合わない。
逆探のみをアクティブにして彼女たちは北寄りの航路を取る。
木曾が見る限り、一向に緊張している様子は微塵もない。
二人の姉は普段通りのマイペースだし、天津風は海原を渡る風を一身に受けてご満悦。
リベは踊るように海を進んでいる。ヲキューは……こう言っちゃ身も蓋もないが、何を考えてるのか分からない。
それでも聞こえてくる通信に誰もが耳をそばだてていた。
すでに交戦は始まっている。いつ何時、敵艦隊についての情報が入ってくるのか分からない。
事態が動き始めたのは艦隊戦が始まるという知らせが入ってからだ。
本体のほうはすでに捕捉されているのもあって無線封鎖を放棄している。
「そろそろ出くわしてもおかしくない頃ね……みんな、先制攻撃に注意して。ミイラ取りがミイラじゃ笑えないわよ」
旗艦こそ北上姉が務めてるけど、実務の指揮は大体ほとんど大井姉がやってる。
周囲に艦影はなし。逆探もジャミングの影響下というのもあってか反応なし。
電探を使うという手も無論あるが、やはり効果には乏しく、逆にせっかく保っている隠密性を損なうことになりかねない。
そんなことを思っていると北上姉がヲキューに顔を向ける。
「ねえねえ、オキュー。深海棲艦も電探を無視すれば、あたしらとそこまで索敵距離は変わらないんだよね」
「ソレデ間違イナイ。目視ハ目視……ドンナニ目ヲ凝ラシテモ水平線マデシカ見エナイ」
「そっか。となると、やっぱり目ざとく見つけるしかないね」
自己解決したのか、北上姉はうんうん頷いている。
そうして航行を続けていると、待ち望んでいた一報が飛び込んできた。
敵機動部隊を発見したという内容で、すぐに現在地とのすり合わせを行い針路を微調整すると増速していく。
「およその座標位置は分かったか……こいつでまずは第一関門突破ってところか」
あとは気づかれずに近づけるかどうかだ。奇襲であれ強襲であれ。
なんとしても先制を取りたいところだ。
水雷戦に偏重している編成である以上、強みを発揮して押しつけたい。
空はあいにくというべきなのか鉛色をしている。
晴れ間の見えない天気だが、天候が悪くなれば艦載機の動きも制限される。悪い話ばかりでもない。
そうして決して穏やかとは言い切れない波間を進んでいくと、ついに黒い影を水平線付近に見つけることができた。
幸か不幸か、主力艦隊が空襲に見舞われているという知らせが少し前に入ってきているくる。
向こうには災難だが、こちらには好都合だ。突入時に空襲を受けないか、敵機がかなり少なくなってるのは間違いない。
「Veni, vidi, vici」
唐突にリベが呟く。普段と違った言い回しに一堂の耳目が集まるが、当のリベはいつもと変わらない様子だった。
「ローマに聞いたんだけど昔の偉い人が言ったんだって。ここまで来たら負けないよ!」
「来た、見た、勝った……ってやつか。気は早くとも、その通りだな」
こいつは実際、千載一遇のチャンスだ。
三人の姫たちもそうだが、ここで機動部隊を叩けないと俺たちに勝ちの目はなくなってしまう。
空振りに終わるか各個撃破の危険もあったが、こうして機会をものにできた。
なればこそ、ここで最高の効果をもぎ取る。
「ヲキュー、上空からの支援は当てにさせてもらうわよ」
「……頼マレタ」
「一気に突入します! 狙うは空母、そして姫級です!」
大井姉の号令に従って、天津風を先頭にした単縦陣を組むと突撃をかける。
ヲキューもまた帽子のような口から艦載機を発進させていく。
敵も後方から攻めてくるこちらの存在に気づいたのか、動きに乱れが生じる。
明らかに混乱しているのか動きには統制がない。状況を理解したらしい護衛の一部が向かってくるが、個別に先行しているだけのように見える。
「見ツケタ……装甲空母姫ハ中心付近ニイル。陣形ハ輪形陣」
「それならこのまま中心を目指します。態勢を整えられる前に大打撃を与えるのよ!」
主砲はともかく魚雷の数には限りがある。いくら重雷装艦が三人揃っていても全てをというのは不可能だ。
できることなら雷撃は空母か姫相手に絞って叩き込みたい。
ヲキューの艦載機は直掩機との交戦に入ったのか、上空に火線の赤い色が瞬く。
その間にもヲキューは敵状をこちらへと伝えていく。
装甲空母姫の姿は確認できた。敵のヌ級やヲ級も艦載機の数から想定されていた範囲の数。しかしだ。
「……空母棲姫はどこにいるんだ?」
水をかけたように嫌な予感が胸の内に広がる。
俺たちは重大な見落としをしていたのかもしれない。
深海棲艦も俺たちと同じように別働隊が動いているのではないかと。
◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆
トラック泊地の索敵網に空母棲姫の姿が発見された時には、すでに泊地から四十キロ圏内にまで侵入されていた。
北から迫ってくる一団は二十八ノットで接近しつつあり、一ダースの護衛要塞とやはり同数の深海棲艦を伴った空母棲姫で構成されている。
知らせを受けた提督はコーワンの配下たちに時間稼ぎの迎撃を命じる一方、機動部隊から戦力を抽出して泊地まで戻るように命令を下す。
連携が取るのは難しくとも、二つの艦隊には協同して空母棲姫に対抗してもらうしかない。
基地航空隊にも空母棲姫への攻撃命令を出しているが、向こうも相応の数の艦載機を要しているはずなので効果はあまり期待できなかった。
決して良策とはいえないが、そもそもの戦力が足りていない。
各個撃破の愚を犯しかねないのは承知だが、この局面で他に取れる手立てがなかった。
事によっては泊地を直接砲撃されるのも考えなくてはならない。提督はそう判断している。
早いうちに発見できれば他の手立てもあったはずだが、こうも近寄られてしまっては後手に回るしかない。
ただし状況も悪くなってばかりではなかった。
重雷装艦を中心とした別働隊は敵機動部隊への奇襲に成功したとの一報を寄越してきている。
こうなってくると、あとはもう各々の健闘と戦果を期待するしかないのかもしれない。
戦況は提督の手から離れた所で動き始めている。
だからなのか、提督はコーワンに言う。
「ここはもういいから、ホッポに会ってきたらどうです?」
「シカシ……」
「じきにここは砲撃に晒される。そうなると、どこが本当は安全かなんて分かったもんじゃない」
提督の言にコーワンは驚いたように息を詰めて見返してくる。
深海棲艦の目というのは、思っている以上に感情を見せるらしい。
それもあってか深海棲艦そのものには思うところのある提督も、コーワンに対しては嫌悪感も薄い。
「会える時に会ったほうがいい。私だってそういう相手がここにいるなら、今はそうするでしょうよ」
「アリガトウ……提督」
コーワンの礼に提督は無言で掌を振る。
彼女が部屋を辞していくのを見届け、提督は腕を組み直す。
どこが安全か分からないなら、と自身の言葉を反芻する。
「俺は最後までここに留まるつもりでいたほうがいいな」
作戦室、といっても今は司令所といったほうが適切か。
戦況や被害状況によっては放棄も考えないといけないが、当面はここに踏み留まる。
見届けられるなら最後まで見届けたいものだった。
─────────
───────
─────
コーワンがホッポを探しに向かったのは工廠だった。
工廠は港沿いに面した一角にあり、泊地施設内でも重要拠点であるがゆえに守りも堅い場所である。
そういう場所にいたほうが安全とコーワンは考え、戦闘時にはホッポにそこで待つように言っていた。
ホッポはすぐに見つかり、夕張と一緒になって何かしている。
二人の周りには工具が広げられ、そして艦娘の艤装――というよりも兵装が転がっていた。
悪い予感がした。これはまるで身支度で、それも戦場に出るための用意のようで。
「ホッポ……何シテルノ?」
聞かずとも察している。それでも聞かずにはいられなかった。
コーワンの声にホッポと夕張がぎくしゃくした顔を向ける。しでかしを見咎められたような反応だった。
そんな顔をされては、コーワンもかえって険しい顔にならざるを得なかった。
ホッポの足元には駆逐艦用の主砲が置かれている。用途は武器以外に考えられない。
コーワンの視線がホッポと夕張の間を行き来すると二人が口を開いた。
「使エルカ試シテタノ……着ケテミタイッテ……私ガ無理ヲオ願イシタカラ」
「えっと……使えるなら持たせたほうがいいと思ったのは私なんで。ホッポは言われるままにしてただけですから」
互いにかばい合うような言い方に、コーワンは首を左右に振ると夕張と目を合わせる。
コーワンのまとう雰囲気は重く、ある意味で威圧感になっていた。
「一体……ドウイウコト? ホッポヲ戦ワセルツモリ……」
「必要とあれば、そうなるかもしれませんね。あくまで最低限の自衛程度ではあっても」
夕張はそう答えると、胸の内に詰めていた息を吐き出すように深呼吸する。
「この先、敵の攻撃の切れ目に明石や間宮さんたちを海上に逃がすことになるかもしれません。その時にせめて最低限の自衛ぐらいはできるようになっていてほしいんです」
「ホッポハ戦力トシテハ見テナイ……トイウコト?」
「ええ、私だって別に進んで戦わせたいとは思っていないので」
コーワンはその答えに安堵したのか、まとっていた緊張感が緩む。
戦況は何かのきっかけ一つで劣勢に転がり落ちかねない状態だった。
夕張が言うように、いざとなれば攻撃の切れ目に、非戦闘型の艦娘たち海上に逃がすという選択肢は残っている。
もちろん海上よりも内陸に逃げたほうが目標にされにくいが、それもトラック諸島を維持できるという前提があればの話だ。
コーワンがそう考えているとホッポのほうから話しかけてくる。
見上げる表情は真剣そのもので、眼差しはコーワンの目をしっかりと見ていた。
「コーワンハ私ガ戦ウノハ……ダメナノ?」
その問いかけにコーワンは虚を衝かれ、すぐに答えられない。
答えを探すように、ちらりと夕張を見ると彼女もまた今の言葉には驚いている様子だった。
ややあってコーワンは絞り出すような声で聞き返す。
「ドウシテ……ソンナコトヲ言ウノ」
「戦ウノ……悪イコトナノ?」
「エ……」
「ヲキューモミンナモ……白露モ春雨モ戦ッテル……悪イコトヲシテルノ?」
コーワンは即座に首を横に振っていた。そこだけはしっかり否定しないといけない。
「ソウデハナイノ……デモ……ホッポハ危ナイコトヲシナクテイイ」
「分カラナイ……分カラナイヨ、コーワン」
「今ハ分カラナクテイイ……アナタハ特別ナノ」
「ソウイウ特別ハ……イヤダヨ……」
「ワガママヲ言ワナイデ……」
わがまま、そう言ってしまうのは簡単なのかもしれない。
しかしホッポを戦わせたくないというのも、裏を返せば私のわがままであるとも。
コーワンはそう考え、上手く伝えられないもどかしさに苦しむ。
「コーワンが言いたいのはね、ただ戦う以外にもできることがあるっていうことじゃないかな」
夕張が口を出してくると、ホッポの質問の先も変わる。
「夕張ハ戦ウノ?」
「あら、いつだってそうよ。今回は最後の砦にもならないといけないみたいだけどね……」
ホッポだけでなく、夕張は自分に言い聞かせるような含みがあるようにコーワンには聞こえた。
「……ソウナノ、コーワン?」
「……ホッポニハ戦ウ以外ノコトカラ始メテホシイノ……私ト同ジヨウニハナラナイデホシイカラ」
今の言葉に嘘はない。ただ夕張の言葉がなければ、ここまでは言えなかったのも分かっている。
深海棲艦には何か欠けているものがある……それはきっと自分たちだけでは埋めきれない。艦娘やあるいは人間がいて、初めて埋まる何か。
そこまで考え、コーワンは不意にある思いに気づかされた。
ここで何をしているのだろう、と己に投げかける。
戦う以外の何かがあって、それを知るためにも戦いを遠ざけようとしていた。だけど、それは身近にまで追いついてきた。
そもそも遠ざけていたのではなく、ヲキューたちや艦娘にさえ押しつけていたのではないか。
一時の安寧のために犠牲を強いただけで、守らせてばかりで私は何をしている……?
「コノママデハ……何モ解決デキナイ……」
失ったもの、奪ったものに対して何もできていない。
姫と呼ばれた私にはまだ為すべき責務が残っているはずだと、胸の奥から悔いのような感情が湧きあがってくる。
それを見て見ぬ振りなど到底できそうになかった。
「夕張……私ニ力ヲ貸シテホシイ」
ここは工廠。そして夕張は艦娘の艤装に携わっている。
この場において、これほど頼りになる者もそうは望めない。
そして……私だけが血を流さないのはありえないことだ。
◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆
海面に外れた砲撃により生じた水しぶきが鳥海の体を洗っていく。
熱を帯びた主砲から蒸気が吹き出て冷まされるのを感じるけど、把手からじんわりと伝わってくる深奥の熱までは変わらない。
放たれた砲弾がネ級に続けて命中していくも、そのいずれもが黒い飛沫と一緒に弾かれていく。
反撃してくるネ級の主砲と副砲が火を噴くと、鳥海はその場から動きたくなるをぐっとこらえる。
すると、いくつもの砲撃が左右と後方へと次々に落ちていく。
回避しようと舵を切っていたら、必ずどれかには当たるような撃ち方だった。
砲撃をやり過ごしたものの、唯一空いている正面からはネ級が突っ込んでくる。
即座に鳥海が応射するとネ級の体に被弾の閃光が次々と生じた。しかしネ級は強引に鳥海へ肉薄しようと突っ込んでくる。
「こういう近づき方は!」
鳥海もまた振り切れないと見て、あえてネ級へと向かう。
互いに衝突しそうなコースを取っていたものの、間近のところで鳥海は舵を外に切る。
ネ級はその動きに追従しきれないが、掴みかかろうと両手を伸ばしてくる。
それを横から打ち下ろすように払うと、そのまま二人は交錯してすれ違う。
すぐに鳥海が弧を描くような機動で振り返って主砲を向けると、ネ級も同じように向き直っていた。
旋回性能の差なのか主砲が自立的に動けるからなのか、ネ級のほうが少しだけ砲撃に入るまでが速い。
この少しの差が後々に響いてくるかもしれない――再度の砲撃の最中に鳥海はそう感じる。
互いの主砲弾が行き交い、時に命中弾を出すが多くは外れていく。
その状態に鳥海は思わず溜め込んでいた息を深く吐き出す。神経がすっかり張り詰めていた。
「サスガニヨク動ク……」
感心なのか苛立ちなのか、聞こえてきたネ級の言葉にある真意は分からない。
ネ級はどうにか至近距離での戦闘にもつれ込ませようとしている。
実際に組みつかれたら私の力では敵いっこない。
そういう意味では距離を取る必要がある。だけど容易には振り切れない。
ネ級のほうが私より速度が出るし、そもそも初めから近づきすぎてしまっている。
ううん、そうじゃない。近づかないと話ができなかったんだから、この距離はきっと仕方なかった。
問題はとても振り切れそうにないこと……このままネ級のペースに付き合っていたら、勝ち目は薄くなってしまう。
どちらかと言えば、私のほうが今は押しているのかもしれない。
ただネ級はこちらの動きに対応してきているし、戦いの運びはネ級の流れにあると感じる。
つまりはどちらも主導権を握れたとは言えない状態で、何かのきっかけ一つで大きく流れの変わる状態だった。
「やはり、あの体液をどうにかしないと……」
命中率で言えばこちらのほうが優勢なのに、未だに有効弾を与えたという手応えはない。
それもこれも砲撃の効果が薄いから。
ネ級の情報はどうしても少ない。それでも木曾さんが立てた仮説から、有効になるかもしれない手段は考えている。
「この三式弾で……距離、方位よし!」
三式弾を装填した五基の主砲がそれぞれ少しずつ異なる角度と方位を指向する。
確実に当たるように放射状に砲撃を散らせるためだった。
元より対空用の砲弾だから、徹甲効果はまったく期待できない。
だけどネ級のまとう黒い体液には有効な可能性がある。
そうでなくとも命中する面積を増やせば、それだけ体液の流出を促して消耗を早められるかもしれない。
つまり撃ってみるだけの見込みはあるということ。
「主砲、一斉射!」
計十発の三式弾が放たれ、次弾も同じく三式弾が装填される。
発射された三式弾がネ級の面前で次々に弾けて、傘のような弾幕を形成していく。
ネ級がそのまま弾幕の中に飛び込んでいき、抜けた時には体の所々から火が上がっていた。
初めて受けた想定外の攻撃に、火に巻かれたネ級の足が急速に鈍り、頭を抑えるようにしてもがく。
するとネ級の体から火のついた部分が、鱗が剥がれるようにこそぎ落とされていく。
固まった体液による作用らしく、ネ級の体からは黒い体液がそれまで以上に染み出てきていた。
本当に効いている。その実感を得た鳥海は、主砲の狙いを直前の放射状から一点集中へと変える。
動きの遅くなったネ級の面前で三式弾が一斉に弾けていく。
焼夷弾子の雨に打たれてネ級の体があっという間に火だるまになる。
そのネ級は火にくるまれたまま素早く主砲で反撃するなり、海中に飛び込むと姿を消す。
苦し紛れの砲撃だったかもしれないけど、それが右にある砲塔の一基に直撃すると砲身をでたらめに歪めて使用不能に追い込む。
「よくもやって……! その上、こういう逃げ方は想定外ですね……」
すぐにいた場から後退しつつ、ネ級が消えた付近の海面を窺う。
爆雷でもあれば追撃できたけど、初めから持ち合わせていない。これは計算外だった。
どのぐらいの速さで水中を移動できるか分からないけど、あまり速くはないと考えたい。さすがにネ級は潜水型のような個体ではないはずだから。
そのまましばらく手出しができないまま時間が過ぎていく。
気を抜けないまま待ち構えていると、いつの間にか左手方向の海面すれすれの所にネ級の主砲たちが顔を出していた。
考えていたよりも、ずっと近い位置。
狙われてる、と感じたのと同時に砲撃を撃ち込まれていた。すぐに避けようと鳥海は舵を左に切り――そこをさらに狙われた。
「誘われた!?」
ネ級が海上に飛び上がるように姿を現し、その時にはすでにいくつもの魚雷を放った後だった。
八本もの雷跡が鳥海の回頭先めがけて白い尾を引きながら迫り、その雷跡を追うようにネ級も接近してくる。
この反撃で一気にしとめたいという意思を感じた。
「ソロソロ……終ワレ!」
「お断りします!」
避けようにも舵を切り始めた直後だったから、慣性を振り切って再転進するまでにタイムラグが生じている。
雷速はかなり速い上に狙いもかなり正確で、これでは逃げ切れるか分からない。
それなら……このまま反撃する。相打ちでもなんでも、ただやられる気はなかった。
ネ級に向かって、こちらも酸素魚雷を投射する。
四本の魚雷をネ級の左右に振り分け、残る四本はネ級へと直進する形に放つ。直進に撃った内の二発は雷速を遅く設定している。
本当に跳んで雷撃を避けてくるのか知らないけど、それならその着地点も狙えるようにしておくまでだった。
そうして放たれた魚雷は予想外の物に命中した。
両者の間でくぐもった音を響かせ水柱が上がる。すると連続して水柱が海中から吹き上がっていく。
魚雷同士が触雷したのか、明らかに連鎖的に誘爆を引き起こしていた。
「ナンダト!?」
「当たったの!? いえ……これは計算通りです!」
魚雷同士の相殺なんて狙ってもできるようなことじゃない。それを分かっているのに言っていた。
雷撃がお互いに無効化したことで、再び距離を保つような砲戦が再開する。
互いの背中を取ろうと、大きな動きでいえば円を描いてるような動きを取る。
ネ級は三式弾の影響もあってか、最初に比べると息が上がり始めているように見えた。
「見栄ヲ張ッテ……!」
「あなたが相手だからでしょうね……!」
負けなくない。
司令官さんがいた時は常にどこかで感じていた気持ちを、今はより強く意識できる。
割り切っているつもりでも、どこかでネ級に司令官さんの面影を探そうとしてしまうからかもしれない。
だからこそ負けるわけにはいかない。ネ級に対してだけは絶対に。
鳥海は一転して、ネ級に砲撃を続けながら相対するように針路を変える。
残る八門の主砲を集中させ、正面対決の形を取る。
「勝負をつけましょう、ネ級!」
「力押シカ……イイダロウ!」
力押しですって? そう思うのは結構だけど……伊達酔狂で今まで戦ってきたわけじゃない。
私は私にできることをする……あなたには負けたくないから。
◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆
摩耶は島風と一定の距離を保ちながらツ級に砲撃を加えていた。
島風の背中には一基の連装砲がおぶさるようにくっついているが、残りの二基は水面上で自立機動を行いながら砲撃に加わっている。
ツ級は砲撃を避けつつも先行した鳥海とネ級の後を追うような動きを見せていたが、いずれも摩耶の砲撃によって阻まれている。
「こいつを早いとこ片付けて、あたしたちも追うぞ」
「うん。鳥海さんを見届けるんだね?」
「ああ……ま、本当にやばくなったら助けるけどな」
「でも、それって……」
「あいつの本意ではないんだろうけどさ……鳥海を沈めさせる気はないよ。助けたことで一生恨まれたって構わない。水だろうが手だろうが、必要ならなんだって差してやるよ」
「摩耶は偉いね……私はたぶん鳥海さんの言う通りにしてると思う。それがつらいことになっても……」
摩耶はツ級から視線をそらすわけにもいかず、島風の顔までは見ていない。しかし聞いた声音は深刻だった。
考えた末の結論なのだろうし、逆に島風のほうが鳥海の意思を尊重しようとしているのだろう。
どんな結果を迎えようと、鳥海の好きにさせると決めているんだから。
あたしだって本当はそうさせてやりたいんだ。
でも鳥海は今でもあいつを、提督を引きずってるんじゃないかって見えることがある。
提督が絡むと、あいつは冷静さを忘れてしまう。目を離すわけにはいかない。
「……提督は死んじまった。でも鳥海は生きてる。どっちが大切かなんて考えるまでもないんだ、あたしには」
「それでも行かせてくれたんだね」
「妹のわがままだぞ。姉ならたまにはそのぐらい聞いてやらないとさ」
「お姉さんのことは分からないよ」
島風が苦笑いのような響きを声に乗せているが、ツ級が砲声でそれも不確かになる。
出足を封じられた形のツ級だったが、摩耶と島風を無視できないと見てか砲撃に移っていた。
摩耶にしても、それは同じことだ。鳥海と合流するためにもツ級は邪魔だった。
「さあて! 二対一でも、やらせてもらうぜ!」
摩耶と島風は散開するように離れると、左右から挟み撃ちにするように近づこうとする。
すぐにツ級の砲撃も二人を追うように分かれた。
元が対空戦を重視しているからか、かなりの速射だった。次々と高速で撃ち出された砲弾が摩耶たちに迫ってくる。
熾烈な砲撃を前に簡単には近づけず、距離を取らざるを得なかった。
「敵ガ……何人イヨウトモ!」
聞こえてきたツ級の声からは、ただならない戦意が伝わってくる。
あいつも同じように退けない理由がある、と摩耶は感じた。
だからと言って手心を加えるつもりはなければ余地もない。
連射速度や精度から、すぐに侮れない相手だと悟る。
航空機相手に弾幕となる砲火力は、特別装甲が厚いわけでもない二人に対しても大きな脅威だった。
それでも摩耶たちにとっても砲戦距離であるのには変わらない。
摩耶の砲撃がツ級の面前に着弾し、弾幕に綻びが生じる。
それを皮切りに島風の連装砲たちも連携して砲撃を集中し、ツ級の体をつぶてのように叩いていく。
砲撃は脅威でも、ツ級はあくまで軽巡であって堅牢というわけじゃないらしい。
ツ級から艤装の破片がいくつも飛び散っていく。
そのツ級もただやられてるだけでなく、二人に命中弾を与え始めていた。
摩耶には艤装の左右に一弾ずつ当たる。
右側にある対空機銃群の一角を台座ごと削り取り、左への一発は装甲の薄い箇所に飛び込むと破孔を穿って黒煙を生じさせた。
島風に向けて放たれた一発は海上にいた連装砲の一基に直撃し、砲撃ができない状況に追い込む。
すぐに島風が中破以上の損傷を負った連装砲を拾い上げると、背中に乗せて保護する。
「さすがに無傷ってわけにはいかないが!」
摩耶の声に応じるようにツ級に更なる砲撃が降り注いでいく。
頭部を始め命中の閃光がいくつも生じる。
軽巡に耐え切れる量の命中弾ではないはずだった。
しかしツ級は体の各所から出血や兵装の損傷こそ隠せないが、なおも耐え凌いでいた。
両腕を重たそうにだらりと下げたまま、素顔の分からない顔が摩耶のほうを向く。まるで凝視するように。
「コノヨウナコトデ……倒レラレナイ……倒レタラ……遠クナル……!」
ツ級の体から赤い光が漏れ始めると、力を失ったように垂れ下がっていた両腕が体を開くように振り上げられる。
「邪魔ヲシナイデ……私ハ……ネ級ヲ守ラナイト!」
「あいつ……ここに来て!」
赤い光を発する深海棲艦は戦闘能力が上がっている。エリートなんて呼称される状態だ。
元の状態を考えれば追い込んではいるのかもしれないが、それにしたって厄介なことになりやがった。
撃たれると感じるよりも早く、身を翻してその場から離れる摩耶にツ級が砲撃を始める。
左右交互に吐き出される砲弾が現在地と未来位置に、やはり交互に落ちていく。
全てを避けることはできず、摩耶の艤装に次々と命中すると損傷が蓄積されていく。
「こいつ……!」
「それ以上はさせないよ!」
横合いに回りこんでいた島風がツ級に砲撃を浴びせると、摩耶への砲撃も途絶える。
ツ級は後退をかけながら目標を島風へと切り替える。
被弾の影響でツ級は速度こそ遅くなっているが、砲撃力は未だに健在だった。
島風は転舵を織り交ぜて器用に狙いを外していくが、それもいつまで続くかは分からない。
今度はこっちが援護する番だ。そう思った摩耶は後方から砲声が轟くのを聞く。
背筋を冷たいものが走り、その正体を確認するよりも前に体が自然と回避のために動きを取っている。
ツ級に背を向けるのは危険と分かっていても、思い切って背を向ける形での取り舵を切る。
高速で流れる視界の中に、二つの護衛要塞が並んでるのをはっきりと見た。
それまで自分がいた場所を狙って砲弾が落ちる。弾が大きく散っているのを見ると、ツ級とは違って砲撃の精度はだいぶ甘く感じる。
「護衛要塞がニ……姉さんたちが取り逃がしたのか?」
向こうは向こうで不利な戦力差での交戦なんだから、こういう漏れが出てきてしまうのは仕方ない。
むしろ、そういった場合に対処できるように鳥海の護衛に就いていたんだから。
「摩耶、要塞をお願い! こっちは私に任せて!」
島風が通信を入れてくる。
一人で今のツ級を?
無茶だと声に出かかるが島風の判断も一理あると気づく。
挟み撃ちを受けながらツ級を相手にするより、個別に対処したほうがやりやすい。
そして火力の問題が立ち塞がる。島風の砲撃力だと護衛要塞の相手は骨だ。
「……分かった。すぐ戻るから無茶すんなよ!」
「そっちこそ!」
鳥海の邪魔をさせないためにもツ級の相手を引き受けたのに、今やあたしと島風が無事でいるための戦いだ。
砲撃を避けたまま護衛要塞らを正面に見据えた形の摩耶は前へと増速。彼我の距離を縮めつつ砲撃を行う。
そこまで怖い相手ではないが一発ニ発を当てた程度では沈められないし、かといって時間をかけていられる余裕もない。
こんな時、鳥海ならどう立ち回る?
昔は張り合ったりもしたけど、やっぱりこういう際どい局面の判断とか行動力には一日の長ってやつがある。
きっと、あいつなら敵の戦力に当たりをつけて、どう動くのが最適か考えるはず。最適って言うのは、今回みたいな時は効率になるのか。
「どうするって……鳥海なら攻めるだろ。真っ向から突撃するに決まってる」
摩耶は自分に言い聞かせるように声に出す。
うちの妹はよく言えば果敢で……悪く言うなら脳筋っぽいところがある。
でも今なら分かる。そうしないといけないから、そうするんだ。
護衛要塞の弱点がどこかは分からないけど、どんなやつでも確実に弱いのは背後だろう。
とはいえ、いくらこっちより機動力が低い相手でも、二体同時に相手をしながら背後を取るってのは難しい。
「あとは口の中だ」
あいつらの主砲は口内にある。上手く狙えれば一撃で誘爆させて沈めるのも不可能じゃないはず。
問題は狙える範囲が狭くて、正面からの攻撃に限られてくること。
そして砲撃が激しいのは正面。装甲が厚いのも正面。相手の得意な領域で撃ち合わなくちゃいけない。
「クソが……当たらなきゃいいんだろ、要はさ!」
つまり砲撃をかいくぐって、要塞が攻撃する瞬間に口元を狙う。
堅実とは真逆の考え方だ。博打であって、しかも自分の力量に自信がないとできない考えであり行動だ。
それだからこそ摩耶は不敵に笑う。
あたしの艤装だって鳥海と同じ高雄型改二の艤装なんだ。
特長が違うにしてもベースが同じなら、やってやれないことはない。うちの妹なら間違いなくそうする。
摩耶は二体の護衛要塞に向かって疾駆する。
護衛要塞は発砲後は砲煙が消えない内から口を閉ざしてしまう。口内を狙える機会というのは思いのほか短い。
狙い澄ましたはずの砲撃も命中こそするが、目当ての場所には当たらなかった。
あえて敵の正面に身を晒す摩耶は、まず右側の要塞に集中する。
飛来する砲撃を左右に感じながらも、ぐんぐんと近づく。距離が近ければ、それだけ当てやすくもなる。
護衛要塞は艦娘の優に倍はある巨体だが、海面からわずかに浮いたような状態だ。
原理は分からないけど、あれのせいで雷撃の効果も期待できない。
あれで護衛対象がいる場合は肩代わりするように当たるらしいが、今回はそれも望めなかった。
護衛要塞が口を開くと見るや、摩耶はすかさず主砲を斉射している。
入れ違うように要塞たちも砲撃した。三連装二基の主砲が二体で、十二発の主砲弾が迫ってくる。
摩耶の放った斉射の内の数発が護衛要塞の口に飛び込むと、そのまま口腔を突き破るように内部にまで侵入し誘爆を引き起こした。
護衛要塞が一瞬にして膨れ上がる火の玉に変貌し、その余波として衝撃波が周囲に広がる。
片割れが衝撃に押し出されるのを見た摩耶にも遅れて爆圧が襲いかかる。
思っていたよりも近づきすぎていたらしい。
そう感じた摩耶は歯を食いしばりつつ、姿勢を崩さないようにしながらも煽る動きに逆らわなかった。
視線はあくまで残る護衛要塞に向けられ追撃に備えている。
摩耶からすれば危険な状態だったが、護衛要塞は攻撃してこなかった。
より近くにいたために爆圧の影響を強く受けてそれどころではなかったのか、あるいは摩耶からの攻撃を警戒したのか。
警戒、という判断が連中にあるのかは摩耶も分からない。ただ護衛要塞の行動は明らかに遅れた。
摩耶は左舷側の三基の主砲を先制して護衛要塞の上顎に当たる箇所目がけて撃ち込む。
撃たれてもなお護衛要塞は反撃に転じない。剥き出しの歯を閉ざして、攻撃に備えているようだった。
あるいは僚艦の最期から不用意な攻撃に移れない、とでも考えているかのように。
摩耶は構わずに今度は左の主砲と、交互に砲撃を浴びせていく。
護衛要塞はここでようやく反撃に転じてきた。このままでは打ちのめされるだけだと気づいたかのように。
もっとも、こうなると優勢に立った摩耶に敵うはずもない。残った護衛要塞は粘りながらも海底に没していく。
一方の摩耶は被害らしい被害を受けなかったものの、苛立ちを露わにしていた。
「時間をかけすぎちまった……無視すりゃよかったのか?」
それはそれでできない相談だった。放置していたら後ろから要塞たちに撃たれながらツ級とも戦わないといけなかったんだから。
結果的に大して強い敵ではなかったが、そんな相手でも一方的に撃たれるとなると話は別だ。
対処するしかなかったという判断はきっと間違いではない。ただ手順だとか中身のほうが問題であって――。
「ええい、考えるのは後だ! 今は島風を助ける!」
摩耶は渇を入れるように自分の両頬を掌で叩く。
きっと、あたしがこの場でやらないといけないのはそっちだ。
鳥海のことも気がかりではあったが、それ以上に目の前のことからやっていかないと話にならない。
摩耶は島風とツ級の姿を探す。もしかしたら二人の戦闘はすでに終ってしまったかもしれないと、そんな予感を抱きながらも。
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─────
ツ級の砲弾は海面に落ちる前に空中で炸裂すると、破片による弾幕を形成して島風を捉えようとしてくる。
対空用の攻撃手段でも、装甲の薄い島風にとっては十分に脅威だった。
それも全ての砲撃がそうなるのだから、幕というよりも壁のような圧力を感じる。
そのため回避するにはより大きく距離を取ったり回り込む必要があり、島風はツ級の砲撃をかいくぐれずにいた。
しかし島風もただ劣勢に陥ってるわけではない。
ツ級がいるのは島風の射程内でもあり、回避の合間に放つ砲撃は着実に命中を重ねている。
痛打とはいかなくともツ級はあくまで軽巡なので、島風の砲撃でも損傷は蓄積していく。
「鬱陶シイ……粘ラナイデ……シツコイ……」
「島風から逃げようだなんて!」
このツ級が何を考えているのかは分からない。
ただ、摩耶が離れた途端に海域からの離脱を図ろうともした。
すぐに追いついて阻止したものの、先に行かせたら鳥海の邪魔をされるという確信が島風にはある。
そんな真似をさせる気はさらさらなかった。
「絶対に行かせるもんか!」
島風の砲撃を受けて、ツ級は怯みつつも態勢をすぐに立て直す。
「邪魔ヲ……シナイデ!」
反撃の砲火が開かれる。
散弾の雨が次々に飛来してきて、島風はその多くを避けていく。しかし全てではない。
島風は背中に衝撃を感じ、背中にいる連装砲たちが悲鳴をあげたのを聞く。
「連装砲ちゃんたち、怪我は? えっ……雷管をやられたの?」
島風が連装砲たちに話しかけると、連装砲たちもすぐに被害報告を知らせてきた。
この間にも砲撃は続いている。
このままでは危険と感じて島風は左に舵を切ると、外に向かって旋回するようにツ級から離れていく。
すると島風を追うように主砲も追ってくる。
円を描くような軌道を取ると、後逸するように散弾の塊が落ちていく。
島風は呼吸を整えながら再攻撃のタイミングを窺う。
背中の五連装酸素魚雷は、すでに砲弾の破片を浴びたせいで使い物にならなくなっている。
雷撃ができないとなると砲撃だけでけりをつけるしかなくて、肉薄して少しでも多くの砲撃を叩き込まないといけない。
だけど簡単にはツ級も近づけさせてくれないし、至近距離まで無傷でたどり着けないのは直前の撃ち合いからも明らかだった。
「下ガリナサイ、駆逐艦……アナタニ興味ハナイ……今ナラ見逃シマス……」
「……ふざけないでよ。興味のあるなしで島風の生き死にを決めるつもりなの!」
島風は言い返すが劣勢なのは内心で認めている。
これで摩耶がいるならともかく、単独の戦いでは分が悪い。
それでも後退はしても退避という選択は今の島風にはない。
そんな気配を読み取ったのか、ツ級が島風を牽制するように声を投げかけてくる。
「艦娘……ナゼ……ソコマデスル……?」
「今になってそんなこと言われるなんて思わなかったよ!」
島風の脳裏に戦闘とは別のことが過ぎり、知らず知らずの内に爪を立てるように両手を握りしめていた。
頬をはたいた手。そして、はたかれた頬。
私はいつだったか鳥海さんに頬をはたかれている。身勝手な私に怒ったからだった。
そして、私も鳥海さんの頬をはたいている。提督をなくしたあとの、あの人の言葉が許せなくて……私を叱ってくれた人の言葉だと思えなくて。
だけどね、あの時まで知らなかったんだよ。
叩くほうだって本当は痛かったなんて……知らなかったんだよ。
「鳥海さんが言ってるんだ……提督かもしれないネ級と決着つけたいって……泣いてたあの鳥海さんが!」
どんな想いで鳥海さんがネ級との戦いに臨んでるのか、私にも分かったなんて言えない。
それでも提督のことで苦しんでいた鳥海さんを知っている。
自分で決めたんだ。戦うって。それなら私にできるお手伝いなんて、これしかない。
体の中に力がみなぎってくるのを島風は感じる。
「お前なんかが鳥海さんの! 私たちの邪魔をするなぁ!」
吐き出した言葉にツ級がたじろいだように島風には見えた。
言わないでもいいことなのに、ツ級にはなぜか言っていた。きっと私も自分の気持ちを何かにぶつけたかったんだ。
でなければ、こんなことなんて言わない。ましてやツ級に。
「何ガアッタニセヨ……ソチラノ都合……私ニモ私ノ……」
「先には行かせない……余所見もさせてあげないんだから!」
絶対に止めてやる。ここでツ級は食い止める……ううん、倒してみせる。
強敵とか不利とか、そんなのは関係なかった。
「行くよ、連装砲ちゃん! しっかり掴まっててね!」
出力を推力へと変えるべく缶が最大稼働。艤装が唸りをあげ始める。
背中に乗せた連装砲たちがしがみつくのを感じながら、島風の体が風を切って前進。ツ級もまた全砲門で迎え撃つ。
散弾の雨が弾幕として張られる中を、島風は縦横に駆けるように避けていく。
ツ級は後進しながら砲撃を続ける。攻撃が思うように当たらなくなっている。
砲弾や破片がかすめこそすれど、島風の勢いは止まらない。
砲撃と一緒にツ級は苛立ちを隠せていない声を発する。
「ドウシテ当タラナイ……タカダカ四十ノット……ソノ十倍ダロウト……追エルノニ!」
艦娘と航空機じゃ狙い方は変わってくる。速度も機動性も単純に比較できるようなものじゃないし、私たちは撃ち合いながらの行動になってくる。
その感覚のズレをツ級はまだ掴みきっていないのかもしれない。きっと経験というのが浅いから。
だから破片には当たっても直撃はしない。しないと自身に言い聞かせながら、島風は肉薄しようと少しずつ距離を詰めていく。
できる限り速度を殺さないように、かといって直進が続かないように島風は水を切るようにツ級へと迫る。
決して島風も無傷ではいられない。セーラー服や艤装は元より、両腕や頬も破片に切られて次々と傷ついていく。
それでも島風は至近距離まで近づいた。戦意も速力も衰えないまま。
島風の放った一発がツ級の右腕を反らすように弾く。ツ級の砲撃に明らかな切れ目が生じる。
その隙に素早く島風は距離を詰められるだけ詰めた。
連装砲たちが身を乗り出すようにすると一斉砲撃を浴びせていく。
砲撃が吸い込まれるように命中していくとツ級がたたらを踏んで後ずさる。
硝煙によってツ級の姿が覆い隠されても、島風はありったけの砲撃を撃ち込んでいく。
「ココデ沈ムワケニハ……私ハ……!」
ツ級の反撃が来ると島風は感じ、その前に勝負を決めようとする。
しかし次の瞬間には視界が閃光で埋め尽くされ、驚きによる叫び声も轟音に呑み込まれていく。
島風の体が勢いよく吹き飛ばされて海面に叩きつけられる。
何が起きたのか、当の島風にも咄嗟には理解できなかった。
どこか朦朧としながらも、仰向けになった体だと自然と空を見上げる。ほのかに灰がかったような雲が空を覆い尽くそうとしているのをぼんやりと見る。
「直撃された……?」
そうに違いないと覚束ないながらも悟ったが、状況に考えが及ぶ前に強烈な吐き気に見舞われる。
まだ痛いとは感じないけど、こうして倒れてるのならそういうことなんだと思う。
痛みの代わりなのか、嘔吐感をこらえて体を起こそうとするが両腕に力が入らない。
それでも島風は海面に手をついて立ち上がろうとする。
体が水面に反発するように浮いたままなのは、艤装の機能がまだ生きている証拠だった。
「確カニ……無視シテイイ相手デハナカッタ」
島風が起き上がろうとしながら顔を上げると、ツ級が右腕に載せた主砲を向けていた。
ツ級は満身創痍で体の所々から出血し、向けられた右腕からも黒い血が滴り落ちている。
被り物のような仮面にもひびが入っていて、もう一押しすれば壊れてしまいそうな感じがした。
しかし、この場で主導権を握っているのはツ級のほうだ。
ツ級が砲撃したら助からない。自分を狙っている底なしの穴のような砲口を見つめてしまうと、そう実感するしかなかった。
それでもまだ被弾のショックで感覚が戻っていないのか、不思議とツ級とこの状況を怖いと思えなかった。
その時、島風の背中にいた三基の連装砲たちが、主砲を乱れ撃ちながら二人の間に割って飛び出す。
短い両腕を広げ、すでに中破している一基も含めた三基は散開しつつも徒党を組むように立ち塞がる。
ツ級は島風への狙いを解くと、砲撃を避けるために後退しつつ素早く首を左右に巡らす。連装砲たちとの位置関係を把握しようとしているようだった。
「連装砲ちゃんたち……やめて……みんなだけじゃ……」
「アナタタチモ……ソノ艦娘ヲ守リタイヨウダケド……」
ツ級が両腕を広げると、両腕の両用砲がそれぞれに向けて仰角や向きを微調整する。
連装砲たちも島風に追随できるように同程度の速度が出せるが、ツ級の相手をするには荷が重い。
ツ級が反撃を始めると、たちまち三基の連装砲たちは弾幕に絡め取られて沈黙していく。
だが双方にとっても予想外のことが起きた。
「お前の相手は一人じゃないんだよ!」
割り込む声より速く、ツ級に別方向からの砲撃が見舞われる。
20.3センチ砲による攻撃で、それは不意を突く形でツ級の左腕に命中した。
その一撃でツ級の左腕の巨大な腕を模した艤装が割れるように壊れると、豪腕がもげるように落ちてツ級の白い左腕が露わになる。
「間に合ったみたいだな……ここからは摩耶様が相手するぜ!」
「邪魔ヲシテ……!」
ツ級が残る右腕の主砲を増援に来た摩耶に向けて狙うが、またしても横から小口径の砲弾に撃たれて注意がそちらへと逸れる。
島風の連装砲の内、始めに中破した一基が放ったものだった。
この砲撃は当たるどころか大きく外れていたのだが、ツ級は摩耶から注意を一瞬とはいえ逸らすという隙を晒す。
そのわずかな間に摩耶はツ級が予想していた位置よりも少しだけ離れ、砲撃までの猶予を与えていた。
ツ級が照準を補正して撃った時には、摩耶もまた次の砲撃を終える。
ほぼ同時に放たれた砲撃が行き交うと、摩耶の周囲にはいくつかの水柱が生じて散弾が飛沫のように降り注ぐ。
咄嗟に身を守ろうとした摩耶だが、やはり全てを避けることは敵わず体に擦過傷を負っていく。
艤装にも砲弾の破片が立て続けに当たり耳障りな音を立てるが、重巡ともなると大きな被害とはならなかった。
そしてツ級は摩耶とは比べ物にならないほどの甚大な被害を受けた。
複数の命中弾を受けて、残っていた右の両用砲群は発射不能に陥いると、足元付近に命中した一発が艤装の機関部に悪影響をもたらした。
急速に速力を落としていくと、海面を這うような速度しか出せなくなる。
何よりも頭に当たった一撃がツ級の戦闘能力を完全に奪った。
仮面のような外殻が衝撃こそ吸収したものの、それも決して十分とは言えない。
ツ級はかろうじて倒れこそしなかったが、今にも膝を崩しそうなほどに弱っていた。
さらに彼女の仮面は砕け、素顔が露わになっていた。
「お前……その顔は!?」
摩耶が息を呑む。島風もまた言葉がなかった。
ツ級の素顔は二人がよく知る顔――鳥海と瓜二つだった。
肌が深海棲艦らしくより白くて髪の長さも肩口までと短ければ、眼鏡ももちろんかけてはいない。
それでも違いはそれだけしかなかった。
「オ前タチヲ退ケテ……今度コソ……ネ級ト……」
ツ級はうわごとのようにつぶやくが、すでに限界に達しているのは明らかだった。
その場で力尽きたように、両膝を海面に突くと前のめりに倒れた。
こうなるとツ級の体が海中に沈み始めるまでは早く、波に浚われるように沈んでいく。
その時には、遅れてきた痛みをこらえながら島風も立ち上がっていた。
ツ級の元に駆けつけようとするが、島風の艤装は満足に動ける状態ではない。
「摩耶……助けてあげて!」
摩耶はツ級が沈んでいくのを愕然としてみていたが、島風の声で我に返る。
「助けろって……あれはツ級だぞ!」
「だけど……ここで見捨てたらきっと後悔するよ!」
根拠があって言ったことではなく、ほとんど直感だった。
どうしてツ級が鳥海と似てるかは島風にも分からない。偶然なのかもしれないし、そうだと思いたかった。
ただ、このまま何もしないのは間違っていると思えてしまった。
「そんなこと……!」
摩耶は反発するようなことを口にしているが、すでに沈みゆくツ級の側まで近づいていた。
このままではいけないと思っているのは摩耶も同じらしい。
ほとんど間を置かず、摩耶は海中へと両手を伸ばす。
水を掻き分けるようにしながら、やがて両腕で何かを引っ張るようにするのを島風は見た。
「何やってんだ、あたしは……」
摩耶の引きつった声が――きっと顔も引きつらせながら、沈みゆくツ級の手を取って海上へと引き上げていた。
◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆
敵艦載機が撤収に移り空襲が止むとすぐに、武蔵は戦艦棲姫との砲戦を再開せざるをえなかった。
武蔵は損傷を負った艤装を操りながら、姫に背後や側面に回り込まれないように動き始める。
姫は空襲中は攻撃しないという口約束を違えていないが、それから待つ気はなかったらしい。
複数の40cm砲が武蔵を駆り立てるように間近に着弾する。
仕切り直しの初弾でも、さすがに狙いがいい。自分の背丈を優に越える三本の水柱に煽られつつ、内心で舌を巻く。
「無傷トハイカナカッタ……デモ……モウ待テナイ」
姫の声が囁くように聞こえてくるが、距離はおそよ一キロほど離れていた。
空襲の間に武蔵は二本の魚雷と五発以上の急降下爆撃を受けている。
幸いにも爆撃は装甲の厚い箇所にばかり当たってほぼ無傷でやり過ごし、艤装には喫水下線の攻撃にも対策が施されているので雷撃を受けた割には被害は小さい。
しかしながら機動性の低下は避けられず、先ほどから姫に付かず離れずの位置を――姫に取っては戦いやすいだろう位置を保たれている。
「味方の被害状況はどうなってる? ちっ、いつまでも敵に甘えてるわけにはいかないか……来い!」
他の艦娘たちが砲撃戦を行っていたのもあって、艦載機に専念できた武蔵の対空砲火はよく目立っていた。
こういう相手は徹底的に狙われるか、ひたすら無視されるかのどちらかになりやすい。武蔵の場合は前者になった。
他の艦娘への航空攻撃を肩代わりできたのだから、武蔵としては願ったり叶ったりだった。
とはいえ全てを引き受けられるはずもなく、味方にも被害が出ている。
見聞きした限りでは致命傷を負った艦娘はいないはずだが、混戦である以上は詳しく分からない。
何より戦艦棲姫を相手にする以上、こちらに集中しないと命取りになる。
互いに距離を保ったまま主砲を撃ち合う。
発射から目標到達までは一秒ほどだが、次弾装填までの時間は常と変わらない。
撃ち返す形の武蔵の砲撃は姫の後方にまとまって着弾。遠すぎる。
一度は砲戦を中断したため、どちらも命中弾を得るとこから始めなくてはならない。
しかし姫のほうはすでにいい場所に狙いをつけているし、こちらは速力が落ちてるので敵弾を避けにくくなっている。
やはりというべきか、最初に被弾したのはこちらだった。
姫の三度目の砲撃が二番の主砲塔を叩く。当たったのは一発でも痛みを伴った激震が体中を貫いていった。
巨大なハンマーで叩くというが、まさにそうされたような気分だ。
この衝撃だけで体や艤装も壊れてしまいそうな気がするが、どちらも簡単に壊れやしない。
武蔵は雑念を払うように深呼吸を一つ行う。
この状況を踏まえて、まずは当てることだけに専念する。
落ちたとはいえ元からそこまでの速度差はないのだし、これだけ距離があれば側面や後背を突かれる危険は少ない。
それに互いに手負いではあっても一発ニ発では沈めない身であり、最終的には主砲による殴り合いになるのは変わらんのだ。
ならば少しでも早く、その状況に持ち込めるようにするしかない。
さらに数度の砲撃が交錯すると武蔵にも改めて命中弾が生じる。
しかし、その頃には戦艦棲姫も斉射に切り替え、一回の砲撃ごとに着実に武蔵への命中弾を積み重ねていた。
何度目かの直撃で武蔵の全身を揺さぶる衝撃が走り、熱と爆風を伴った目を焼く光が襲う。
とっさに腕で顔を庇うが、殺しきれない閃光が激しく明滅する。
戦艦棲姫の砲撃が艤装の一角に大穴を空けた際に生じた光で、破孔からは延焼を示す黒煙がたなびき始めていた。
被害はそれだけに留まらず、バイタル・パートを徹甲弾が叩く。
装甲に阻まれ貫通こそ防いだが、その衝撃は武蔵の体を苛むには十分だった。
鼻の奥からこぼれてきた血を手の甲で拭って払う。
それでもなお、武蔵が有する九門の主砲は周囲を圧する轟音と衝撃波を巻き起こしながら斉射を行う。
未だに火力を維持できているのは幸運と呼ぶほかない。
元より投げ出す気はないのだから、滅多打ちにされようが浮かんでいて撃ち返せるなら最期まで撃ち続けるまで。
武蔵の放った砲撃も姫を食い破ろうと飛翔する。
そのうちの一弾が姫本体に直撃する軌道を取っていたが、生体艤装が自らの左腕を盾代わりにして犠牲にする形で防ぐ。
巨獣が苦悶の叫びをわめき立てる。
46cm砲の直撃を受けた左腕はかろうじて原型を留めながらも、糸が切れたように垂れ下がっていた。
これで姫を守る物はもうない。
光明が見えたのも束の間、またしても激震が武蔵を襲う。
二番砲塔に再び姫の主砲が命中していた。
歯を食いしばって耐え凌ぎ、装填が終わるなり武蔵も反撃する。
そこで武蔵は否応なしに今の被弾の影響の大きさを思い知らされた。
二番砲塔から放たれた砲弾は、どれも姫からは明後日の方向に落ちていく。
被弾の影響で何かしらの不具合を起こしているのは明らかだった。
狙った位置に飛ばせないようでは主砲としては役に立たない。
「今のはまずいな……撃てるだけマシと見るべきか」
劣勢。意気込みとは別にして戦況をそう認めざるを得なかった。
これで火力は三分の二に減った……いや、まだ三分の二が残っていると考えるべきだろう。
それに砲門数で言えば、これでも戦艦棲姫と変わらないんだ。
「劣勢もへったくれもないな……一門でも撃てれば挽回できる!」
「ソレデコソ……続ケマショウ! 血ヲ流シテ……生キテイル証ヲ刻ンデ……!」
姫も興奮が入り混じった声を寄こしてくる。今にも笑い出しそうな響きが魔女の声に出ていた。
やつはこの状況を楽しんでいる。それを非難する気なんてない。この武蔵にだって、その気持ちは多少なりとも共感できる。
相応しい時に全力を尽くせるのは幸運だ。
主砲の装填が済むまでの間、睨み合ったまま膠着する。
その最中、武蔵は視界の端のほうで艦娘が姫の側面から回りこもうとしているのを捉える。
横から高速で姫に近づいていくのは清霜だった。
武蔵の見る限り損傷らしい損傷は見当たらず、姫への雷撃を狙っているようだった。
戦艦棲姫もそれに気づいたのか、横目を向けるように視線を巡らす。
「駆逐艦……アナタハ相手ジャナイノ……ダケド言ッタハズ……武蔵ノ側ニイタラ沈メルト」
「できるものならどうぞ! 清霜にご自慢の主砲が当たるか試してみよう!」
挑発するように言う清霜だったが、しかし姫は彼女を無視して武蔵に視線を戻す。
あくまでも無視という対応に出た姫に対して、清霜は艦砲を撃ちかけるが姫の態度は変わらない。
砲撃が当たろうが外れようが、涼しい顔をしてされるがままになっている。
「やつには近づくな、清霜!」
「武蔵さんがそう言っても、ここまで来ちゃったら雷撃の一つや二つはしないと!」
反撃を受けないまま清霜は戦艦棲姫まで急速に接近する。
抵抗がなければ、それだけ近づくのも速い。
再装填はまだ終らない。武蔵はひどく嫌な予感がしていた。
「慕ワレテイルノネ……アナタハ期待ニ応エラレル……?」
清霜はすぐに雷撃体勢に入るとセオリー通りに扇状に八本の魚雷を投射していく。
雷跡が迫ってくるのを見てか、そこで戦艦棲姫が急に動き出した。
ただし雷撃を避けるのではなく、投射された内の一本に向かって直進する。故意に当たりにいこうとしている動きだった。
「なんで自分から!?」
唖然とする清霜に愉快そうに笑う姫の声が重なる。
「仕方ノナイ子……モウイイワ……撃チナサイ」
姫が片手を振り上げると艤装が咆吼する。同時に獣の両肩に載った三連装主砲が火を噴く。
清霜の体が林立する水柱に呑まれ、遅れて姫も触雷の水柱に弾かれるように押し出されていった。
「っぁ」
清霜のか細い声が無線から漏れだし――それはすぐに絶叫に変わった。
「ああああ! ああああ!」
水柱が落ち着つき始めてすぐに清霜の姿は確認できた。
海面にうずくまっていたかと思うと、のたうつようにもがくのを武蔵は見た。
清霜の左腕が、肘から先が吹き飛ばされている。
「ホラ……当タッタワ……アア、可哀想ニ……ナマジ避ケヨウナンテスルカラ……」
雷撃を受けたはずの姫は何事もなかったかのように白々しく言う。
うそぶくような言い方で、本当はこうなると分かっていたかのように感じてならなかった。
武蔵のその感覚が正しいのを証明するように姫は続ける。
「コレモ前ニ言ッタハズ……武蔵ニハ誰モ守ラセナイト……」
言いながら姫は武蔵を見ていない。とどめを刺そうと清霜を見続けている。
「マズハ……コノ子カラ水底ヘ帰ス……ソノ次ハ武蔵ノ番……」
「ふざけるな! 私と戦いたいなら、この武蔵だけを見ていればいい! 目を逸らすなどもっての外だ!」
武蔵が吠える。怒りに満ちた指摘に戦艦棲姫がはっと視線を戻す。
この武蔵との対決にこだわりながら、大事な時になぜ目を逸らしてしまう。
驕りか侮りか、それとも迂闊なのか。
武蔵は狙いを定めていた。怒りという激情を秘めたままでも頭の片隅は醒めている。
頭の中で撃鉄を起こす。引き金を引く。ボタンを押す。そういったイメージを想起する。
そろそろ主砲の装填が終わる。今は間を置いて交互に砲撃する状態になっている。
つまり、次はこちらのターンというわけだ。
もし、この砲撃で姫が健在のままなら、次の砲撃は武蔵と清霜のどちらを狙うつもりでいる?
おそらく清霜が狙われる。そうなれば、もう動けない清霜は確実に沈められるだろう。
だから、これを当てるしか――ただ当てるだけではなく仕留めなくてもならない。
武蔵は息を吸うと体の内に溜めこむ。
集中する、ということを意識せずに集中する。
周囲から音が途絶え、目標である戦艦棲姫以外は目に入らない。清霜のことでさえ、その間だけは意識の外になる。
砲撃一つでさえ多くに干渉される。
大気圧に温度、湿度、重力、風向きに風速。潮の流れ。この武蔵の技量に調子、気分や心境。相手である姫のそれも同様に。
大きい物から誤差とすら呼べないほど小さい事柄、考慮できることから考えても仕方のないこと、自分が知りえないことまで。
それは我々も同じだ。
一人のつもりであっても、実際は多くの者と関わって生きている。
……お前はどうなんだ、戦艦棲姫。生の実感がどうとか言っているが、本当にお前はそれを分かっているのか。
きっと聞くまでもないことだろう。おそらく、それが武蔵と戦艦棲姫との違いだから。
殺人的な衝撃波を巻き起こしながら六門の主砲が放たれた。
武蔵の体感的には同時、実際には三連装砲の中央のみ左右の砲撃による干渉を避けるためにわずかに遅れている。
大気を切り裂いた徹甲弾が戦艦棲姫を穿とうと落ちていく。
二本の水柱に挟まれた姫は、それを知覚する前に激しい衝撃に襲われていた。
姫の生体艤装にまず二発が命中する。一発は右肩の主砲塔に当たり、装甲を抉りはするが抜けきらずに弾き返される。
もう一発が無貌の頭頂部に直撃し、半ばまで食い込む。
これだけだったら重傷ではあっても致命傷にはならない。
しかし三発目がすぐ近くに着弾すると話は変わる。
すでに食い込んでいた砲弾を上から押し込む形になり、それが艤装を終わらせる決定打になった。
内部に到達した艤装の中枢部を破壊し機能を喪失させる。
そして最後の一発が姫と艤装の間に飛び込むと、両者を引き剥がすように弾き飛ばした。
時間にすれば二秒に満たない間の出来事だった。
その様子を見届けて武蔵は息を吐き出す。張り詰めていた気持ちは緩まず、浮かれる余裕もなかった。
そもそも打ち勝ったという実感もなく、何よりも清霜のことが気がかりだった。
武蔵は姫が確実に致命傷を受けていると確信して、すぐに清霜へと近づいていく。
損傷が積み重なっている影響で普段以上に加速が利き出すまでが遅い。
逸る気持ちとは裏腹に清霜の元に着くまで時間がかかってしまう。
すぐに武蔵は屈むと清霜から全損している艤装を取り外し、さらしを千切って左腕の傷口を固く縛る。
いくら艦娘と言えど、一刻も早くバケツを使う必要がある。
傷は治るが、それまで清霜の体力が持つかは分からない。
「やられちゃいました……」
「すまない……あの一撃は清霜が代わりに引き受けてくれたようなものだ」
「私は清霜……いつか大戦艦になる女ですよ……あんなのぐらい……」
血の気をなくした白い顔が言う。
吹けば消えるようなささやきでも、ちゃんと耳に届いていた。
強がりでも何でも言ってくれるのはありがたい。今はその言葉を信じて懸けるしかないんだ。
武蔵は清霜を抱えて立ち上がり、すぐに気配に気づく。
素早く後ろを振り返ると戦艦棲姫が立ち尽くしていた。
武蔵は身構えようとするが、戦艦棲姫は艤装を失っていれば脇腹から大量の血を流している。
何よりもその表情から戦う意思はないと察した。もう長くないのも。
「オ見事……ソウ言ワザルヲエナイワネ……」
武蔵は無言で見つめ返す。
姫は笑っている。愉悦とは違う、弱々しく儚げな顔で。
それでもどこか満足げに見えてしまうのは……こちらがそう思いたいからではないはずだった。
「戦艦棲姫……わざと清霜の魚雷に当たったのか?」
「航空魚雷トハイエ……アナタハ二本……命中シテイタ……単純ニ比較デキナクテモ……コレデ帳尻ハ合ウモノ」
「あくまで公平に戦いたかったのか……」
「アナタナラ理解デキルハズ……背負ッタ期待ニ応エラレナイ無念ハ……戦ウベキ相手ト出会エナイ口惜シサハ……」
「……分かるさ。お前は厄介なやつだったが、こだわりたくなるのは同じだった」
「アナタハ……私ダケノ強敵ナノ……」
「……確かにお前との戦いは楽しかったよ。その楽しさもそう感じる私の本性も否定はできないさ。だが武蔵は……お前だけの強敵ではいられないんだ」
「残念……ソウ……残念。我々ニデキルノハ血ヲ流シテ……生キテイル証ヲ刻ムコトダケ……私モアナタモ同ジナノニ」
「そんなことをせずとも……生きていけるさ」
そう思いたい。戦うだけしか能がないとしても……それで他の可能性を切り捨てたくはない。
戦うのは手段であって目的ではない。艦娘だとしてもそう信じるのは構わないはずだ。
結局、戦艦武蔵と戦艦棲姫は違うんだ。重なる部分はあるにしても、どうにもならない部分もある。
だから対立するしかなかったのか……その答えは武蔵にも分からない。
「お別れだ、戦艦棲姫。彼の世で誇るといい。お前は私よりも強かった」
「ソンナトコロ……アルトイインダケド……」
ほほ笑むような、すすり泣くような声音だと武蔵は思う。
これが戦艦棲姫の最期だと理解していた。
しかし武蔵はすぐに背を向ける。もう十分だった。
◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆
全部手遅れなのかもしれない。
泊地の近海に戻ってきた白露が最初に思い浮かべた言葉はそれだった。
彼女の目の前にある海原には、重油のような黒い液体や元の形を留めていない有機物や金属らしい残骸。
周囲を海の濃さとは違う黒色に染めながら、それらは道筋のように転々と続いていた。
潮風に混じって金鉄のようであったり、ゴムが焦げついたような独特の悪臭が漂ってくる。
同じものを見ている春雨がつぶやく。その声はかすれるように震えている。
「これ……」
「……ここで戦ってたんだよ」
白露は多くを言わない。そうしなくても春雨に通じるのは分かっていたから。
泊地の防衛に回っていたコーワンの手勢と空母棲姫が率いる別働隊とが交戦したのは間違いない。
そしてトラック泊地が艦砲射撃に晒されてるとの急報を知らせてきた以上、結果も明らかだった。
空母棲姫が発見されてから、彼女たちはできる限りの速さで前線から取って返してきた。
ここまで白露たち一団を輸送してきた輸送艦から降りて、自力で航行し始めてからおよそ十分。
泊地が敵艦隊の編成などを知らせてきてからは、ほぼ三十分になろうとしている。
敵艦隊の構成は空母棲姫とは別に十二体の護衛要塞とそれと同数の水雷戦隊で構成されているという。
ここで起きた戦闘で消耗はしてるはずだけど、こっちより数で多いのは間違いない。
白露は海上から視線を逸らすように空を見上げる。
海は割りに穏やかだけど、雲行きはそんなによくない。
午後には雨が降るという天気予報は的中しそうだった。
航空機の行動が制限されるなら、そっちの戦力でも負けてるこっちには好都合なんだけど。
この日、白露たちは第二次防衛圏で機動部隊として飛龍ら空母の護衛を務めていた。
戦線が後退してきた時は遊撃隊としても動くつもりでいたが、空母棲姫が泊地近くまで侵入していたのが判明すると事情が変わってくる。
泊地を防衛するために機動部隊から抽出されたのが、白露を始め時雨、春雨、海風、江風、涼風の六人の白露型に山城を含めた七人だった。
戦力としては心許なくとも機動部隊の護衛も疎かにできず、そちらは他の夕雲型と大淀に託している。
そんな白露たちの陣形は複縦陣ではあるが、上から見ると八の字になっている。
互いに回避行動を取りやすい距離を保つためもあり、射線を僚艦によって遮られないようにするための並びでもあった。
それぞれ白露と江風を先頭にして白露の後ろには春雨と時雨、江風には海風と涼風と続き、最後尾の中間点に山城が位置している。
並びで言えば、ちょうど白露型と改白露型で左右に分かれていた。
「せめて重巡の方が一人でもいてくれたらよかったんですけど……」
「ないものねだりしても仕方ないよ、姉貴。江風たちがやれるだけやンなきゃ」
海風と江風の話を聞きつつ、白露も口にこそ出さないがもう少し戦力がほしいと考える。
泊地を守っていた深海棲艦と協調して空母棲姫と戦いたかったけど、それはもうできない。
「姉様は無事かしら……今ほど足の遅さを恨めしく感じたことはないわ……」
山城は暗い顔でありながら険しい目つきで泊地の方角を見続けている。
今はその彼女に合わせて二十四ノットで泊地に向かっていた。
白露たち駆逐艦だけならもっと速く移動もできるが、ただでさえ戦力で劣っている。山城抜きで空母棲姫と当たっても押し潰されてしまうのが目に見えている。
「姉様にもしものことがあったら……」
「大丈夫に決まってるさ。艦砲射撃は短時間だと、あまり効果はないから……きっと扶桑は無事だ」
時雨は励ますような言い方だけど真顔になっていた。
きっと自分にもそう言い聞かせようとしてる。
動じてないような顔をしてるときの時雨は本当は不安になってることが多いみたい。
そういう気持ちを隠そうとするから、かえってポーカーフェイスみたいになる。時雨本人も気づいてるようだけど、簡単に直せないような癖。
「そうね……でもやっぱり心配だわ。艤装もなしに直撃を受けたら、いくら姉様でも……」
元々、心配性が強すぎる山城さんだけど、やっぱり不安は拭えないようだった。
とはいっても時雨の言葉は気休めだろうけど、あながち嘘でもない。
たとえば山城さんが十分間で撃てるのは最高でも十五回。
そして艦砲射撃が始まってからは、まだ三十分も経っていない。
空母棲姫と護衛要塞が艦砲射撃をするとしても、そういった攻撃を想定していた泊地への対地攻撃としてはまだまだ不十分なはず。あたしもそう思いたい。
「対空電探に感あり! ざっと四十機……敵さんが近い!」
涼風が警告の声を発すると、こちらの電探でも少し遅れて直掩機の存在を感知した。
さらに遅れて水上艦の反応も認められるようになる。どうやら敵艦隊は前後の二列に分かれているらしい。
時雨が真っ先に敵の存在を認めた涼風に声を向ける。
「ということは向こうもボクらに気づくだろうね。敵艦載機はどう?」
「今んとこ直掩の他は出撃してきた様子はねえかな? あたいらにはもったいねえとか思ってるのか?」
「消耗していて温存したいのかも……なんにせよ瑞雲もこれで品切れだから好都合だわ。このまま突入しましょう」
それまでの暗い様子から一転、山城が張りのある声で言う。
誰にも異存はなかった。ここまできて手をこまねいてるなんて選択肢はない。
山城が残りの爆装した瑞雲を発艦させていく傍らで、白露も声を張り上げる。
「あたしたちは露払いとして水雷戦隊を叩きのめすよ! 山城さんは敵中枢をお願いします」
「ええ、まずは護衛要塞を減らすのを優先するわ。姫も大事だけど泊地を守れなくては意味がないもの」
空母棲姫を沈められれば決着もつくだろうけど、護衛要塞はその姫を守ろうとしてくるに違いなかった。
それを別にしても対地攻撃の要になっている敵なら、早めに対処しないといけない。
「無理はしすぎないでよ、山城。改二と言ったって君の防御力は相応なんだから」
「だったら相応じゃない部分を活用するまでよ」
艦隊は初めから戦闘隊形を取っている。
白露の手信号を合図に駆逐艦たちが加速しだすと、山城を引き離して前へ進んでいく。
その上空を瑞雲たちが追い越していった。機数が機数だし敵の直掩のほうがずっと多い。成果は期待してなかった。
近づくに連れて、電探の反応でしかなかった敵が黒い影という実像を得る。
すぐにそれは艦種を確認できるようになる。敵のほうからも近づいてきていた。
二隻のヘ級軽巡に八隻の改良型のイ級駆逐艦。合わせた数はこっちのほぼ倍。
それぞれ軽巡を最後尾にしての二つの単縦陣というべきか、大きな複縦陣というべきかを組んでいる。
その先には、あの空母棲姫がいる。周囲の護衛要塞はニ体。
姫の一団の奥では、別の護衛要塞が対地攻撃のために横隊を組んでいる。その数は八と白露は判断すると一同に知らせていく。
空母棲姫たちと水雷戦隊が迎撃をして、横隊の護衛要塞はあくまで艦砲射撃を継続するつもりらしい。
「始めるよ! 目標、敵先頭のイ級二人。各自に砲撃、始めー!」
白露の言葉を号令として、すでに狙いを定めていた一同が砲撃を開始する。
最初の砲撃はそれぞれの先頭に集中すると、早くも何発かが命中した。
左右にいる先頭が撃たれている間に、後続の敵艦は砲火をまき散らしながら脇を抜けて突撃してくる。
すぐに白露たちも散開するように回避せざるを得なくなり、その間に砲火を浴びてた元の先頭艦も後続として戦列に加わってくる。
これはまずいやつだ。
粒揃いの敵艦を揃えているみたいで、これは手強い相手たちだった。
こういう区別があるのかは分からないけど、親衛隊という言葉を自然に連想する。
白露たちは敵に包囲されるのを避けるように動きつつ、かといって山城に向かわないように砲撃も仕掛けていく。
先制こそ取れても、すぐに砲戦は押され気味になっていく。
数の不利よりも、敵も連携して相互に穴を埋めるような戦い方をしているのが理由だった。
近づいてくるイ級に白露は砲撃を当てていくが、返礼とばかりに別のイ級たちから撃たれていき被弾する。
「あいたっ!」
「白露姉さん!?」
「くっそー! このぐらいでやられるもんかあ!」
心配する春雨の声を背に、敵に向かって言い返す。
実際に今のはそんなに痛くはなかった。
それにここで弱気を見せたら、一気に押し込まれてしまいそうな気がする。そんな気持ちが自然と強がりになっていた。
白露たちの後方で砲声が轟いた。
雷がいくつもまとめて落ちたような音は山城による一斉射だ。
山城は主砲として40cm連装砲五基十門を飛行甲板に合わせつつも強引に載せている。
白露や水雷戦隊の頭上を飛び越えていった十の砲弾は、泊地を攻撃し続けていた護衛要塞に暴力を振るった。
狙った先は一体ではなく五体。それぞれの砲塔が別々の護衛要塞を目標としていた。
護衛要塞たちにほぼ同時に命中の爆発が生じていく。
その内の二体は圧し折られて打ち砕かれると、あっという間に波間に消えていく。轟沈だった。
残った三体も中破以上の損傷を受けたのは明らかで、白露はその光景に思わず固唾を飲む。
たった一度の砲撃で、横隊の護衛要塞の戦力が半減していた。
「沈んだのは二つだけ……不幸だわ……避ける気のない固定目標なら、もっと上手に当てないといけなかったのに」
山城さんは自虐めいたことを言ってるけど、海上でこれだけ距離があるんだから当てるだけでも簡単じゃない。
今の砲撃が空母棲姫の警戒心を刺激したのか、護衛要塞たちの動きが一斉に変わる。
微速で動き出しながら回頭を始めると、姫の一団も山城さんへの集中砲撃を始めた。
押し殺した悲鳴が無線を震わせる。
「同じやり方はもう通用しない……各砲塔、交互射撃用意! 優先目標は健在な護衛要塞! 白露型のみんなにはこのまま護衛を頼みます!」
山城さんの邪魔をさせるわけにはいかない。
そして水雷戦隊もあたしたちを突破しようと攻勢に転じてくる。
最後尾にいた二人のへ級がイ級たちを押し退けるように突破を図ってきた。
「へ級たちに集中砲火!」
白露が令を下すと、各々の白露型も近い側のへ級に砲撃を集めていく。
集中砲火を浴びて体力を削られ足が遅くなってもへ級は止まらない。
へ級は囮になって攻撃を引きつけようともしている、という意図を白露は感じた。
その間に後続のイ級たちも散ると砲撃を浴びせてきた。
特に先頭に立つ白露は江風と共に多くの砲撃に晒される。
「こんのぉ……二人は後ろに来るやつをお願い!」
言うなり、白露は砲撃を突き抜けてへ級の後ろに回り込む。
速度が落ちているのもあって、背中を取るのはそんなに難しくなかった。
砲撃に移る前に横目に反対側の江風を見ると、敵の砲撃を受けて落伍していくのが見えた。
それを海風と涼風が守るために前面に進み出ていく。そんな二人に攻撃を仕かけているのは三人のイ級。一人は撃破したらしい。
そこまで見ると背中を見せるへ級に意識を戻し、さらに左手側にいるもう一人のへ級にも目をやる。
どっちもここで沈めないと山城さんに雷撃をされてしまう。
「……沈めるしかないんだよ、白露」
ためらったり迷ったりしてるわけでないのに、そんな独り言が口から出てて驚いた。
でも、その通り。山城さんを守るためにも、江風たちの援護に向かうためにも沈めなくちゃいけない。
背中を取ったへ級に主砲を浴びせながら、四連装の魚雷発射管を開く。
進行する相手に斜め後ろから追いかけるようなコース。
向こうの速力が落ちてるのと雷速の速い酸素魚雷だから逃がさずに届く距離だった。
だけど、頭の中で思い浮かべる軌道がどうしてか定まらない。
こういう感覚がする時の雷撃は当たってくれた試しがない。
大したことないと思ったけど、さっきの被弾の影響が艤装に出ているのかも。
投射の誤差を減らすために、なるべく体の振動が少ない時間を作らないと。
少しだけ速力を落としてへ級への砲撃も止める。
狙いやすくなるから撃たれる危険もあるのは分かっていた。案の定、イ級が後ろから砲撃してきた。
外れた砲撃が前方で弾けて水柱に変わるのを見る。
投射が先か、当てられちゃうのが先か。
それでも今度はいけるはず。思い描いた軌道で魚雷が進んでいくのが想像できる。
魚雷を投射しようとして、爆風が背中のほうから吹き抜けていった。
あたしが撃たれたわけじゃない。
「張り付こうとしてたのは、どうにかしました!」
春雨の報告に感謝しつつも声に出さないで、今は雷撃に集中する。
発射管から投射された魚雷が自走を始めるのを尻目に元の速度まで上げる。
そのままへ級への砲撃を再開しようとすると、先んじて時雨と春雨の砲撃も行われる。
いくら駆逐艦だからって、さすがに背後から三人分の砲撃をもろに浴びたら耐えられない。
へ級が半ば沈み始めたところで、もう一人のへ級も水柱で姿が掻き消える。
足元から伝わるお腹に響く震動は触雷の余波だった。
「よし、これで――」
言いかけて、白露は砲撃に見舞われた。連続して弾ける至近弾に小柄な体が弄ばれる。
「残りのイ級か、ここはボクに任せて!」
時雨が隊列から外れて反転すると、三人のイ級に砲撃を浴びせる。
当たりはしなくても牽制になり、イ級たちが散る。
白露と春雨もすぐに転回すると攻撃に加わろうとするが、そこに時雨の声が飛ぶ。
「こっちはいい。それより嫌な役を二人に頼みたい。空母棲姫の注意を引いてほしいんだ」
二人の返事を聞く前に時雨はイ級たちへと撃ち返している。
「そんな……姉さんを一人にしてなんて!」
「ダメだ、このまま行くと山城は確実に撃ち負ける」
叫ぶような春雨に対して、時雨は落ち着いた声で答える。
白露は山城のほうを見る。まだ直撃は受けてないものの、向けられている砲撃の数が多くて砲撃に晒されている時間が長い。
あれでは至近弾だけでも消耗してしまう。
「……そうだね。山城さんがいないと姫には対抗できない」
「ああ、そして姉さんと春雨なら空母棲姫は絶対に反応する」
「囮ってほんとに嫌な役なんだけど……」
白露は難色を示しながらも、時雨の言うことに従ったほうがいいと感じ始めている。
その一方で春雨はまだ迷いを見せていた。
「一対三なんて、いくら時雨姉さんだって……」
「できるさ。やってみせるよ。こいつらを引きつけておけば山城も安全だし、姉さんたちが動く余裕ができる。一石二鳥じゃないか。何よりも……ボクだってそのぐらいしないと面目が立
たない!」
これはもう何を言っても聞き入れない。
自分でも散々わがままを通してきた白露だからこそ分かる。
「春雨はあたしについてきて。最大戦速で姫に近づいて航過中は海風たちに支援砲撃もする、いいね?」
「でも……!」
「時雨を信じてあげて」
「まあ、そういうことだよ……佐世保の時雨は伊達じゃない」
時雨は形だけの笑みを浮かべつつ、視線はすでにイ級たちの動きを把握するために白露たちを見ていない。
単身で自分たちを相手取ろうとしている時雨の意図に気づいて、イ級たちがうわ言のように声を発する。
「チチ……シリ……フトモモ……」
「オ前様ヲ……マルカジリ……」
「なんだい、ボクを食べようって言いたいのかな? 愉快そうなやつらだね」
笑ってはいるが、目は一切笑っていない。そんな顔をしている時雨に後を任せて、白露と春雨はその場を後にする。
姫の近くにいた護衛要塞はやや離れた位置に移り、山城へ攻撃していた。
その山城は集中砲火を受けながらも、二十ノットを維持して空母棲姫へと向かいながら砲戦を続けている。
「今なら空母棲姫の周囲も手薄になってる……このまま行くよ」
白露と春雨も海風たちへの支援砲撃を済ませると空母棲姫へと猪突する。
山城と交戦していた空母棲姫も接近してくる二人に気づき、前に立つ白露と視線が絡む。
姫は遠目にも分かるような笑みを顔に張りつかせる。
「アノ時ノ小娘……ワザワザ来テクレテ……礼ヲシナクテハネ」
「覚えてたかぁ……忘れててほしかったんだけど」
そうは言っても、あたしのほうだって忘れられない。
宿敵なんてのは大それて言いすぎだけど、この姫とはワルサメを巡って因縁みたいなのがある。
不意に空母棲姫の顔から笑みが消えた。
その視線の先は言われずとも分かってる。春雨だ。
「ワルサメ? 沈ンダハズ……違ウ……艦娘カ?」
「私は春雨です……って言っても、あなたたちには分からないんですよね……」
「ソウ……化ケテ出タンダ……ソウヤッテ現レルナラ……今一度沈ンデイケ!」
ワルサメを中心にした因縁は、今や春雨にだって飛び火している。
ううん、飛び火というより最初っから中心なのかもしれない。
そして姫の主砲はまだ山城さんを狙ったままで、口で何を言っていても後回しにされている。
これじゃあ意味がない。ここまで来たからには注意を引かなくっちゃ。
姫に狙いを定める。
駆逐艦の主砲は豆鉄砲なんて言われるけど、飛行甲板に直撃させれば発着できなくするだけの被害は与えられる。
注意を引いて狙いを変えさせるためにも、飛行甲板めがけて撃つ。
その砲撃を甲冑を着込んだような姫の腕が叩き落とすと、細めた目があたしを見る。
まずいやつかも、これ。
「本当ニ嫌ラシイ子……甲板ヲマッスグ狙ッテクルナンテ」
それまで瑞雲の迎撃だけに留まっていた直掩機が飛来してくる。
爆装してなくても装甲の薄い駆逐艦が相手なら機銃も有効な火器になる。
二人はすぐに対空砲火を打ち上げ始めるが焼け石に水だった。
乱舞する球状の艦載機が雲霞のように迫ると、白露と春雨を取り囲むように布陣する。
四方に目をやり回避機動を取りつつ盛んに迎撃する二人をあざ笑うように、艦載機たちは全周から次々に襲いかかってくる。
接近してくる何機かが対空砲火に絡め取られて四散するが、大多数はそのまま銃撃を浴びせてきた。
体や衣服、艤装を銃撃が何度もかすめては時に直撃していく。
なぶられながらも白露は空母棲姫の主砲が自分を狙っているのを見る。あるいは春雨かもしれない。
どちらを狙っているのかまでを見定めている余裕は白露になかった。
白露が艦載機の襲撃を避けようとする春雨と空母棲姫との間にまで進み出る。
身代わりになろうという気は白露になかった。
ただ空母棲姫が春雨を狙っているのなら、自分を狙わせた上で避けようと考えていた。
そんな白露にも艦載機たちはまとわり続ける。
度重なる襲撃に艤装が悲鳴をあげ始めたところに、空母棲姫の主砲が瞬く。
横殴りの衝撃が白露を襲う。直撃はしなかったものの、白露は大きく横に跳ね飛ばされた。
体勢を整えようとする間に艦載機がまたまとわりついてくる。
「アラアラ……粘ルワネェ……デモ、モット近ヅイテコナ――」
余裕をほのめかすような空母棲姫の声が爆発に呑まれた。
巻き起こった爆風を腕で振り払うようにすると姫が肩を怒らせる。
「ナンダ!? アノ鈍足カ……ヨクモ甲板ヲ台無シニ!」
明らかに怒った声で姫は山城を睨みつける。
白露に気を取られている間に直撃をもらった形だが、飛行甲板を除けば姫もその艤装も損傷は軽い。
一方で山城は損耗していたが、それでも姫に向かって一路進んできている。
「オ前タチ! アノ艦娘ヲ早ク沈メナサイ!」
姫の号令の下、残存する三体の護衛要塞たちが山城に更なる砲撃を行う。
空母棲姫も白露たちを完全に無視して、山城だけを狙い始める。
たちまち山城は被弾していき、複数の命中弾と至近弾により損傷が積み重なっていく。
艤装にはいくつもの破孔による浸水が始まり、飛行甲板はいくつもの穴が開いたり切り裂かれたりして使用不能。
紅白の巫女服には赤黒く染まり始めている。
「鈍足メ……私ノ邪魔ヲスルカラダ!」
山城の主砲も次々と沈黙していく。
それでも山城はひたすら前へと進み続ける。
満身創痍ながら速力はあまり落ちていなかった。
残り四門となった主砲が抵抗の砲撃をすると、再び空母棲姫に命中する。
直撃を受けたにもかかわらず姫は健在で、逆に怒りに燃えた眼差しを向けていた。
「あなたたちは……下がり……態勢を立て直して……」
白露は聞き耳を立てる。
無線から聞こえる声は雑音混じりで音の高低も乱れていたが、聞き間違いようはなかった。
「山城さんはどうするの!?」
「空母棲姫は私がどうにかしておくから……」
「そんなの……!」
言い返そうにも、白露も艦載機への対応に手を取られて動きようがない。春雨も手一杯になっている。
山城さん一人で空母棲姫をどうにかできるとは思えなかった。
後ろにいるはずの時雨や海風たちが加勢に来る様子もない。むしろ苦戦してるのが見えてしまう。
姫と護衛要塞の砲撃が続き、山城を痛めつけていく。
すでに傷ついていた山城が浮かんでいるのもやっとの状態になるまで時間はかからなかった。
砲撃を受ける度に山城は倒れそうになるが、それでもなお前進を続ける。
その様に空母棲姫も焦燥を隠せない。
「死ニ体デモ進ンデクル……早ク沈メテシマエ!」
姫の号令に合わせて護衛要塞たちが大口を開く。覗く主砲が冷たい輝きを放っている。
白露が空母棲姫へと主砲を向けるが、艦載機の銃撃によって逆に阻まれる。
「誰か! 誰でもいいよ! 山城さんを助けて!」
為すすべもなく白露が叫んだ瞬間だった。
突如飛来した砲撃が直撃し、護衛要塞が自らの火種により火の玉へと変じる。
その事態に真っ先に反応したのが空母棲姫で、すぐに後ろへと向き直った。
残り二体の護衛要塞も姫からの命令を受けたのか同じ方向へと転回する。
「姉様……?」
「違ッテ……スマナイ」
消耗しきった声の山城に応じたのはコーワンの声だった。
白露も姫たちの視線を追うと、海上に二人立っている。一人は夕張で、もう一人は確かにコーワンらしかった。
はっきりしないのは艤装のせいだった。
「コーワン? でも、あれって扶桑さんの艤装……なの?」
小山のような独特のシルエットは確かに扶桑型の艤装に見えてならなかった。
それを証明するように瑞雲の編隊が、白露たちを襲っていた艦載機に向けて突撃してくる。
機数でも性能でも劣っているとはいえ、こうなると直掩機も白露たちにかまけていられない。
一斉に上空に飛び上がっていく敵を、瑞雲たちが頭を抑える形での空戦が始まった。
「……コレ以上……アナタノ好キニサセナイ」
「サッキカラズット……気配ヲ感ジテイタ! 邪魔シニキタワネ……≠тжa,,!」
「久シク思エル……ソノ名デ呼バレルノハ……今ハ誰モガ……コーワント呼ブ……ソレデイイト思ッテイル」
「人間ノ呼ビ方ガ? トコトン堕落シタヨウネ……!」
厚い雲が垂れ込める灰色の空の下で、白と黒をした二人の姫が対峙する。
彼女たちの衝突はいよいよ避けられなかった。
◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆
提督はトラック泊地を襲った惨状に息を呑んでいた。
カメラに映る映像では、そこかしこから黒煙と白煙がたなびくのが見える。おそらく現場では焦げついた臭いが充満しているはずだ。
宿舎は複数の直撃によりほぼ全損し、工廠や各資材庫にも被害が及んでいる。
方々から被害状況が寄せられる一方で、提督は工廠などを優先的に消火や応急修理を始めさせていた。
司令部施設への直接の被害は軽微だが、それでも通信網が断たれ基地施設としての機能は損なわれている。
復旧を急がせている最中だが、もうしばらく時間を要するはずだった。
驚愕を露わにしていた提督だが、すぐに硬い表情へと変わる。怒りをはらんだ険しい顔つきへと。
泊地の主力かつ実働部隊が艦娘であり裏方として妖精たちがいる一方で、優に千を超える数の人間もまたトラック泊地に勤務している。
何人が一連の砲撃で死んだのか。死傷者がゼロなどというのはありえない。
被害の全貌を把握するには、あまりに時間と余力が足りなかった。
自分を含めて、この泊地にいる人間は戦死の危険は承知の上で職務に就いている。
だからといって、それを容認できるかはまったく別の問題だ。
少なくとも自分の判断如何によっては、死なずに済んだ者もいたかもしれない。
深海棲艦の別働隊を警戒し、もっと早い段階で発見できるよう動いていれば――。
「提督……怖イ顔シテル……」
悔いを怒りに転化しようとしている提督に声がかかる。ホッポだった。
一人だけの彼女は見上げていて、まっすぐで気遣わしげな視線に提督は気後れして視線を逸らしてしまう。
居心地の悪さを隠そうとして出てきたのは分かりきった確認だった。
「……コーワンは行ったんだったな」
「ウン……夕張ト一緒ニ……」
コーワンが出撃するという知らせは当人たちから知らされていた。
扶桑とコーワンとの間に親和性があるのか、はたまた力業かは分からないがコーワンは扶桑の艤装を装備しているという。
それで十全な力を発揮できる保証はないが、結局のところは戦力不足だ。
泊地を守っていたコーワンの配下たちも潰走して機能しておらず、後衛から辛うじて抽出した艦娘も少ない。
となれば問題が多少あったところで、投入できる戦力というなら今は当てにするしかなかった。
「提督……ホッポニ……ミンナト話ヲサセテ……」
急にホッポがそう言い出すと、提督は怪訝な顔をする。
「話ス……違ウ……伝エタイノ……ホッポガ感ジルコトヲミンナニ……」
「何? みんなとは誰だ? 艦娘か、それとも深海棲艦のほうに……」
「両方……ミンナハミンナ……コーワンハ戦イニ行ッタ……ホッポモデキルコトヲシタイ……」
つまり呼びかけたいと。
伝えてどうする、とは提督も聞かない。
それが意味のある行為なのか、何かを起こせるのかは提督にも分からない。
ただ無条件の直感、いわゆる予感を信じるならホッポの好きにさせたほうがいいと思う。
「今は通信網を復旧させている最中だ。それが済んだら伝えさせよう」
復旧には今しばらく時間がかかる。刻一刻と変わる戦況でこの口約束を守れる保証はない。
それでも、このぐらいのことはしてやれる人間でいたいと、提督は胸中で思った。
◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆
交戦が始まってコーワンが最初に行ったのは、残り二体となった護衛要塞の排除だった。
まずは敵の数を減らして山城への危険を減らしたかった。
高速と高耐久を兼ね備えた空母棲姫よりも狙いやすかったという理由もある。
空母棲姫の近くには白露と春雨もいるが、今のところ姫の注意からは逸れている。
周辺では他にも交戦が続いているが、この場では二人の姫同士の砲撃戦に至っていた。
「イツカ……コウナルトハ思ッテイタ……私トアナタデハ感性ガ合ワナカッタモノネ?」
「我々ノ反リハ確カニ合ワナカッタ……」
砲戦中でも空母棲姫が送ってくる声をコーワンは無視しない。
コーワンの目は赤々と輝き、尋常ではない集中力を発揮していた。
時間を引き延ばした感覚の中で、砲撃の軌道を的確に見極める。
鈍重な扶桑の艤装であっても、薄皮を切らせるような被弾に留めていた。
「ソレデモ……私ハアナタトノ争イヲ望ンデハイナカッタ……ワルサメヲ沈メサセナケレバ」
「コウナッタノハ私ノセイ……トデモ言イタイノカシラ?」
「少ナクトモ……敵バカリ作ッテキテイル!」
「フーン……私ノ道ガ敵ダラケナラ……アナタハドウカシラ? 行ク先々デコトゴトク……死ヲ振リマイテイルノデハ?」
内心で苦い思いを噛み締める。所詮は惑わせるためだけの言葉であっても。
「アナタニ従ッタ裏切リ者タチハ海ニ還ッタ…………艦娘モ残ラズ沈メテアゲル……」
「思ウヨウニサセナイ……!」
互いの砲火が交錯し海面を弾けさせる。
コーワンの集中力は攻撃にも影響し、早くも空母棲姫を直撃した。
被弾に空母棲姫は顔を歪めるも、すぐに打ち消すと表情が嘲りの色を帯びる。
「艦娘ノ艤装ネ……ナンデソンナノヲ持チ出シタカ知ラナイケド……不慣レナ道具デ私ヲ仕留メヨウト?」
「……デキルトモ。コノ艤装ハ私一人デ動カシテイルワケデハナイ……」
「意味ガ分カラナイ!」
扶桑の艤装はあくまで借り物でしかなく、本来の性能を発揮できているという感覚はない。
動いてくれれば砲台代わりになれるという認識だったが、それ以上の動きもこなせている。
こうなると元の所有者である扶桑が力添えをしてくれている、と感傷に近い思いも抱いてしまう。
泊地を守ろうという扶桑の意志が艤装にも乗り移っているかのように。
もちろん扶桑はまだ健在なのだが、こういう感じ方はやはり感傷と呼ぶ以外に思いつかない。
「ソウイエバ……アノ島ニハアノ子……ホッポモイルノヨネ……」
コーワンはそれまでと違って、その声は無視する。
ここに至って違和感を感じたからだった。
狙いを定めつつ、空母棲姫の様子を注視して気づく。
「モシ無事ナラ助ケテアゲル……安心シナサイ……再教育ガ必要デショウカラネ……」
「サッキカラ……ヨク話ス……私ガソンナニ怖イ……?」
「……私ガドウシテ……アナタヲ怖ガラナクテハナラナイノ?」
動揺、そして怒り。変わる表情を見て、コーワンは自分の予測が当たっていると悟った。
戦いに際して、空母棲姫はあまりに饒舌すぎる。それが違和感の答えだ。
「負ケルカモシレナイ……ソウ思ウカラ……自分ヲ大キク見セヨウトシテイル……」
「言ッテナサイ!」
互いの主砲が爆風をまき散らす。
空母棲姫の砲撃が扶桑の艤装を縁から削り取るようにかすめ、コーワンの砲撃は再び空母棲姫を捉える。
「私ノ行動ニハ誰カノ死ガ絡ム……ソノ通リ……ダカラココデ終ワラセル……アナタデ最後ニスル……」
空母棲姫の砲撃はコーワンをあと一歩のところで捉えられないのに対し、空母棲姫には徐々に直撃が増えていく。
空母という名を冠してこそいるが、空母棲姫は並みの戦艦級よりも遥かに打たれ強い。
それでも度重なる直撃を受け続けていては無傷ではいられなくなる。
自身の砲撃よりも痛烈な直撃を前にして、コーワン同様に空母棲姫の目も燃えるような赤い色を灯す。
それまでが手を抜いていたわけではないが、空母棲姫の砲撃も精度を増す。
コーワンはさらなる命中弾を出すが、空母棲姫もついに直撃弾を得る。
それはただの一発で左舷に大穴を穿つ。
「ヤッパリ装甲ガ薄イ……デモ……火力自慢ナノデショウ!」
不正振動を押さえつけるようにしながら、コーワンは砲戦を続行。
最低でも三発の40センチ砲の直撃に、空母棲姫が突き飛ばされるように弾かれる。
「チッ……護衛ハイツマデ雑魚ニ手間取ッテイル!」
単独での交戦は不利と空母棲姫は見る。
すでに護衛に戻るよう無線を飛ばしているが、先行して白露型と交戦していた水雷戦隊はそこから抜け出せなくなっていた。
手負いになっていても海風以下の白露型は粘り強く戦い、加えて一度は打ち破られたコーワン手勢の残存艦も戦線に合流していた。
さらに途上には救援に向かうため別れた夕張がいて、結果的に途上で立ち塞がる構図になっている。
ここに至って戦況は艦娘たちに優勢へと変わり始めていた。
「潮時ヲ読ミ違エタヨウネ……空母棲姫」
「……ドウカシラ? ドノ道アナタサエ沈メレバ……残ルノハ消耗シタ有象無象ダケ……」
その言葉をコーワンは事実と認めつつも、強がりでもあると判断する。
今にも崩れそうな均衡の中、両者は近づきつつあった。
空母棲姫も距離を取ろうとしないのは、おそらく短期決戦を求めているためだ。
すでに対地攻撃に始まり山城との交戦を経て、弾薬をかなり消耗しているはずで艦載機も甲板を損傷しているので空に上がっている分だけで打ち止めとなる。
もっともコーワンも決着を急ぎたいという気持ちは強い。
味方の勢力圏深くに敵主力である空母棲姫がいるのは大きな障害になる。
それに一撃を受けただけで大きな損傷を被るので、これ以上の被害を受ける前に終わらせてしまいたい。
次の直撃を扶桑の艤装が耐えてくれる保証はどこにもないのだから。
互いに必殺の念を込めたであろう砲撃を放つ。
コーワンの砲撃はすでに使用不能になっていた飛行甲板に飛び込んで、基部から砕いてみせた。
跳ね上げられた破片が空母棲姫の頬や左肩を切り裂き、黒い血を吹き出させる。
別の主砲は足元ではじけ、姫の足を明らかに鈍らせた。
一方でコーワンにも再び艤装の左側に徹甲弾が命中。
装甲を貫通して内部も砕く一撃は激しい衝撃を起こし、コーワンの体を一回転させながら後方へ跳ね飛ばした。
かろうじて踏みとどまったコーワンは艤装の左側が完全に機能停止したのを悟る。
三連装一基、連装一基の計五門の主砲は微動だにせず、明後日の方向を向いて沈黙していた。
内部で砲弾が誘爆しなかったのは不幸中の幸いなのかもしれない。
「フフ……脆イワネ……ソレダケ主砲ガアッテモ……ソンナ紙装甲デハ!」
「甘ク……見ルナ!」
互いに申し合わせたわけでもないのに、二人は出しうる速力で近づき始めた。
コーワンが十五ノットほどに対し、空母棲姫も速力が衰えたとはいえなおも二十五ノットほどの速力を発揮する。
主砲がすぐに使えずとも両腕は使える。密着しての格闘戦に入るつもりだった。
どちらの姫もそのつもりだったが、コーワンはそれだけではなかった。
近づきながら飛行甲板の端を右手で掴むと、そのまま全力で投げつけた。
「ナッ!?」
目を見開く空母棲姫に飛行甲板が円盤のように迫る。
砲撃よりは遅い。だが、それ故に大質量の鉄の塊が回転しながら向かってくるのが見えてしまう。
そして見えてはいても、すでに回避できる状態ではなかった。
空母棲姫は左腕を盾代わりにして甲板を弾こうとする。
受け止めた甲冑部にみしりと衝撃が走るのが重い音で分かる。
肉を切り骨も断つような飛行甲板を、空母棲姫は必死の形相で弾き落とす。
「バカナノ、アナタ!?」
空母棲姫が叫んだ時には互いの距離が十分に近づいていた。
どちらも打撃の体勢に入っている。
艤装の速度に乗せて、引いた右腕を相手へと捻りこむように突き出す。
二人の姫の動きが重なる。同時に繰り出した右腕が激突しあい二人を弾き返す。
「グウッ!」
飛行甲板を投げつけて気勢を削いだにもかかわらず、深手を負ったのはコーワンのほうだった。五指を砕かれ裂傷による出血が迸る。
空母棲姫も強烈な痛みを感じこそすれ、コーワンに比べれば傷は浅い。
その差で空母棲姫が先に立て直し、コーワンへ主砲を向ける。逆にコーワンは主砲を構えさえできていない。
コーワンが撃たれるのを覚悟した瞬間、空母棲姫は砲撃の体勢を解くと同時に急速転蛇を行う。
「雷撃ダト!」
いつの間にか接近していた雷跡に勘づき、いち早く気づいて射線から逃れる。
その背に小口径砲による砲撃が撃ち込まれていく。
「アノ小娘カ!」
空母棲姫が真っ先に思い浮かべたのは白露だったが実際は違う。
姫が振り返るよりも速く、その背に組みついたのは春雨だった。
コーワンとの戦闘に気を取られすぎて春雨の接近に気づいていなかった。
「油断しましたね!」
「ワルサメカ……離セッ!」
「あの雷撃を避けるなんて……でも、こうすれば身動きは!」
春雨は空母棲姫を羽交い締めして抑えつけようとする。
本来ならいかに不意を突いたところで姫の力には敵わないが、左腕を負傷した上に消耗しているとなれば話は別だった。
「コーワン! このまま撃ってください!」
春雨が叫び、体勢を立て直したコーワンも残る主砲の照準を合わせる。
しかし狙いを定めてすぐ、このままでは撃てないと思った。
姫に密着している春雨まで巻き込んでしまう可能性が高いからだ。
コーワンのそんな気持ちを察してか、春雨の声が飛ぶ。
「構わず撃って! 空母棲姫はここでなんとかしないと!」
「道連レニスルツモリカ……ワルサメ!」
「ワルサメワルサメってうるさいんです、あなたは! 私は春雨です! ワルサメの気持ちなんか分かりません!」
一息に叫ぶ春雨を見て、コーワンも撃つしかないと覚悟を決める。
少しでも春雨を巻き込みにくくしようと主砲の狙いをやや下に下げつつ、改めて照準を固定する。
この艤装本来の持ち主である扶桑ならばどうするのか。コーワンの頭にふと過ぎる。
答えは出なかった。仮にコーワンと違う選択をしたとしても、今のこの場にいるのはコーワンだった。
発砲の前にコーワンは春雨と目を合わせる。
せめて命中の直前に拘束を解いてでも、後ろに下がってほしい。そう願いながらコーワンは主砲を放った。
右舷側の五門が火を噴くと、ほとんど時間差というのを感じさせずに着弾する。
近距離で、しかも固定目標とほぼ変わらない相手であれば外すはずもなかった。
二発が空母棲姫の艤装に直撃する。一発は装甲に阻まれ弾かれたが、もう一発は主砲の根本に直撃する。
下からはね上げられたように主砲が浮き上がり、そして付け根から火炎を生じさせた。
残る三発は空母棲姫の体を直撃し、特に腹部に続けて二発当たったのが大きい。
一発だけなら耐えた可能性も高いが、姫の甲冑を砕いて深手を与えていた。
春雨は最後まで空母棲姫の動きを押さえ込もうとしていたが、弾着の衝撃に後ろへ跳ね飛ばされていた。
そして空母棲姫は膝から崩れるように海面へと倒れ込んだ。
コーワンは溜め込んだ息を吐き出すと、空母棲姫を警戒しながらすぐに春雨の元へと向かう。
さしもの空母棲姫と言えど、今のは致命傷になる。その確信こそあったものの、どうしても簡単に警戒は解けなかった。
「春雨……春雨……」
「つぅ……ちょっと痛いですけど大丈夫です……私のことより空母棲姫は……?」
春雨の安否を確認するまでの間、空母棲姫はほぼ動かなかった。
コーワンは春雨を起き上がらせると、ほとんど動かない空母棲姫へと近づく。春雨もその後に続いた。
空母棲姫は大穴が開いたような腹部に右手を当てながら頭上を見上げていた。
二人が近づくのに気づくと、弱々しくも笑ってみせる。
「ヨクモ……ヤッテクレタワネ……忌々シイヤツラ……」
「空母棲姫……」
「見エルワ……炎ガ全テヲ焼キ尽クシテイクノガ……赤ク、熱イ炎ガ何モカモ……ナメテ呑ミ込ンデイク……」
どこか熱に浮かされたような言葉は不穏な内容で、春雨は眉をひそめる。
すると空母棲姫はおかしそうに囁くような声で笑い出す。
「後悔スレバイイ……コノ世界ニ……オ前タチノ居場所ナンカナイ……全テ壊シテ自分タチデ築キアゲナイ限リ……」
「私ハ……ソウハ思ワナイ……」
やんわりとコーワンは否定する。春雨の視線を横に感じながらコーワンは続ける。
「私ニハ何モ見エナイヨ……何モカモ……全テハマッサラナママ……何モ壊スコトナンテ……ナイノヨ」
空母棲姫は答えなかった。
瞬きを忘れたまま彼女は灰色の空を見上げている。
コーワンの言葉が聞こえていたかどうかも分からないまま、空母棲姫の体はゆっくりと沈んでいく。
「居場所ならちゃんとあります……そして私は春雨です。春雨として生きて、春雨として死んでいく……きっとそれでいいんです」
空母棲姫に、というよりも自身に向けて言うように春雨はつぶやく。
「……さようなら、空母棲姫」
春雨は自らのベレー帽を姫の沈んだ辺りに落とす。
彼女なりの手向けなのだろう。漂うベレー帽はやがて波に呑まれて消えていった。
◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆
鳥海とネ級、近距離で撃ち合っていた二人は共に砲撃が命中して体を打ち震わせる。
被弾からいち早く立ち直ったのはネ級だった。
衝撃を振り切るように海面を蹴ると、一気に鳥海との距離を縮めてくる。
弱ってきているはずなのに、速力は未だ衰えを見せていない。
鳥海も体をよろめかせながらも右側の主砲を向け直す。
被弾数は相手のほうが多いのに、艤装が受けている損傷はこちらがより目立っていた。
稼動する二基の主砲塔がネ級を指向する。このままだと懐に入り込まれる。
「この……止まって!」
焦りを乗せた発砲よりもわずかに早く、ネ級は鳥海から向かって右へとさらに鋭く動く。
そのわずかの差で砲撃が外れ、ネ級が左腕をしならせるよう伸ばす。
第一砲塔の主砲のうち一つを掴むと、それをへし曲げながら身を引き寄せてくる。
「コレデ……捕マエタ……!」
ネ級の目と目が合う。戦意に満ちた金色の瞳と。
懐に入られてしまう――その瞬間を狙って鳥海は探照灯を放っていた。
曇天とはいえ日中。それでもなお強烈な閃光がネ級の左目に突き刺さると、左目を抑えながら半狂乱の叫びをあげる。
鳥海はのたうつようなツ級を振り払うと後進をかける。
「レ級に効くなら、あなたにも効くでしょう!」
嵐さんと萩風さんの二人から夜戦での話は聞いていたので、あらかじめ懐に入り込まれそうになったら使うつもりでいた。
これが通じるのは、この一回だけ。そしてネ級の主砲たちに通じないのも予測済み。
後進しながら鳥海は一斉砲撃の構えを取ると、ネ級の主砲たちが射線を塞ぐように前へ出てくる。それも予想していた。
こうなった場合は初めから主砲を狙い撃つつもりだった。
もがくネ級の足は止まらなくても、辺りが見えていないせいか動きそのものは遅い。
残る七門の砲撃が次々と主砲たちを直撃する。
しかし主砲たちもただ撃たれているだけじゃなく反撃してきてくる。
頭の近くを掠めた一発が探照灯を損壊させ、痛いというよりも熱い感覚が側頭部でうずく。
破片がこめかみを裂いたらしく、出血しているのを肌に感じる。ただ、それを気にかけてる場合じゃない。
再装填を済ませて追撃を行うも、主砲たちはなおも盾のようにネ級を守っていた。
二度も斉射をもろに受ければ無事では済まない。
それでもネ級を守ろうと鎌首をもたげている。
「もう抵抗しないで!」
きっとそれはできない相談だ。分かっているのに、そんなことを言ってしまう。
そこで気づく。主砲の陰になっていたネ級が右目にも手を当てている。右は甲殻に覆われて見えないはずなのに。
何を、と思う間もなくネ級の右手が爪を立てて目を掻きむしりだす。
違う、そうじゃなくて……張りついた甲殻を剥ぎ取っていた。
「アアァァアァ!」
叫び。そして覗く。真紅の眼差しが白日の下に。
久々に目の当たりにするだろう光に、ネ級の赤い瞳が四方へと忙しなく動く。
「見えてるの? それとも……」
どの道、開けたばかりの目に光の刺激は強すぎるのかもしれない。
変わらず鳥海は砲撃。そしてネ級の反応も直前までとは違う。
主砲たちがを狙った砲撃に対し、ネ級は両腕を振り上げるように前へ突き出す。
そうして両腕を駆使して砲撃をはたき落としていく。
「グゥ……コレ以上ハサセナイ……!」
自身の手が傷つくのを厭わず、主砲を守るための動きだった。
そのネ級は右目からにじんでくる黒い涙を拭うと、光を直視した左目も開く。
金と赤、二つの目。その姿を目の当たりして、鳥海の体を悪寒が虫のように這い上がっていく。
危険を感じた。手負いの相手が手強くなるのは、自分自身でよく分かっていたから。
ネ級が横に動き出す、と同時に砲撃を放ってきた。
すぐ後ろに一弾が落ちると足元が激しく揺れて、速度がいきなり落ちてしまう。
スクリューを傷つけでもしたのか、不必要に水をかきながらも空回りしてるのが聞こえる。
こちらの反撃もネ級に届かず、遅れて着弾していく。
「回頭が重い……もっと速く動いて……!」
ネ級の速度が上がったわけじゃなくて、私がネ級についていけなくなってる。
損傷を受けてない状態でも苦しかったのに、今は損傷による影響が如実に表われていた。
多少は距離を取り直せたけど、これではすぐに近づかれてしまう。
しかしネ級は少しずつしか近づいてこない。
そうしないのは警戒しているから、だと思う。
三式弾は弾切れ、探照灯ももう壊れて使えないけど、他にも何か隠していると考えてるのかも。
だけど不意を突けるような装備はもう残ってない。
あるのは純粋な実力。結局、最後はそこを競うしかない。
「今度コソ……」
ネ級が呟くのが見える。動きが遅れてる以上は些細な挙動も見逃すわけにはいかず、よく見ていたから。
彼女の動きは円そのものだ。速度差が大きくなり、振り切れない鳥海は相対的に中心点になる。
砲撃を避けて時に針路も切り返しながら、少しずつ円を狭めてきていた。
ネ級とて余裕がないのは明らかだ。
肩を上下させて呼吸し、その息も荒くなっていた。
砲撃を防いだ腕からは体液が漏れ出すように流れ続けているし、主砲たちも損傷がひどくて、うな垂れていた。
元から継戦能力が低い可能性は指摘されている――残弾も少ないのか、鳥海が手負いなのに追撃をかけてきていない。
ネ級の機動に振り回されるようにしながらも、鳥海は主砲の照準を合わせようとし続ける。
彼我のおおよその距離と速度差を考慮すると、こちらももう無駄弾は撃てない。
次発装填が間に合うかどうかは怪しく、下手に砲撃すると無防備になってしまう。
「一体どちらが有利なんでしょうね……」
聞こえて構わない、と思いながら独り言を口にする。
使用できるのは左の連装ニ基と右の連装一基を合わせて六門……それと片側を潰されているけど右の一門一発もあるから七発撃てる。
一発当てれば倒せる、と言えないのが辛いところだった。
それでも当てれば状況が大きく変わるのも確か。大事な一発になる。
互いに手を出せない睨み合いが続く内、ネ級の荒い呼吸がにわかに穏やかになり双眸も心なしか光る。
仕掛けてくる、とそう思わせる息遣いだった。
搦め手が残されてないと踏んだのか、ネ級が姿勢を低くして左手側へ加速する。
鳥海がネ級を視界へ捉え直すと、それを見計らったようにネ級が海面を打ちつけ逆へと体を急転回させる。
左から右。フェイントを交えた動きに、ネ級の姿が鳥海の視界からごく一瞬とはいえ消える。
こうも機動力が落ちていてはネ級の動きについていけない。
だけど火力の落ちている右舷側から仕掛けてくるのは読めていた。
浅く息を呑みつつ鳥海は右側の三門を即時射撃。ネ級の正確な位置は確認できないままでも撃つ。
鳥海の視界がネ級を再び見据えた時、ネ級の左腕が火花を散らしながら砲弾を防いでいた。
「弾いたというより……!」
あれは防ぐために左腕に当てるしかなかった、という風に映る。
直撃を防いだネ級だけど、加速の勢いを殺がれて右手が海面を掴もうとするように掻く。転ばないように足踏みをするような、そんな動き。
間に合った。回頭が進みながら左舷側の二基を向ける。
照準も合わせる……もう外しようのないほど近い距離だった。
金と赤のオッドアイと目が合う。複雑な感情が浮かんでいる、様な気がした。一瞬では読み取れない深い色が。
ネ級は海面を叩く。間に合わないと分かりつつも進むしかない、とでも言うように。
「鳥海……!」
「あなたとの因縁も!」
これまで……そのつもりだった。
急に胸元が熱くなった。
何が、という疑問を無視できずに主砲の発射が遅れてしまう。
熱の正体はお守り代わりの司令官さんの指輪だった。そんなはずないのに、そうとしか思えなかった。
自ら熱を発するような指輪は何かを訴えかけているようだった。
どうしてこんな時に? 何かを言いたいんですか? 止まれと言うんですか?
……確かにそうしたほうがいいのかもしれない。
刹那、そんなことを考える。
それまでの執着も忘れて、ネ級と戦っているということさえ重大事でなくなってしまったように。
そうして鳥海は機を逸した。渾身の力で飛びかってきたネ級に掴みかかられる。
押し倒す、という言葉では生易しかった。
ほとんど衝突と変わらない接触に、二人の体はもつれ合うように海面にぶつかり跳ねていく。
波を砕きながら、下側になった鳥海の艤装も一緒に壊されていく。
背中に刺さる痛みに耐えつつ舌を噛まないようにするのが、その間の鳥海にできる唯一のことだった。
何度も海面に激突してから、ネ級が馬乗りになったまま二人の衝突も勢いを失い止まる。
先に動いたのはネ級で、傷だらけの主砲たちが両顎を開いて伸びてきた。
それまでの想いとは別に、もっと現実に差し迫った恐怖が押し寄せてくる。
艤装ごと両腕に噛み付こうとするのを見て、鳥海は両腕を艤装から抜こうとして右だけが間に合う。
右の艤装、そして左舷は腕ごと万力のような口が噛みつく。
このままやられる。
なのに、ネ級はすぐに動かなかった。ここまでしておきながら、私を見ながら何故か硬直している。
理由は分からなくとも、抵抗するならもう今しかない。
鳥海は首を狙って右腕を振り上げようとするが、我に返ったネ級がそれより速く動く。
ネ級の左手が鳥海の右肩を押さえ込み、右手を軽く掲げた。
しかし、ネ級は右腕をそのままに見下ろしてくる。
……私は最後の最後で負けたんだ。
互いに息が上がり、言葉もないまま見つめ合う。傷だらけで黒く濡れたネ級の両手は温かい。
考えてみれば、こうしてネ級の目を間近で見るのは初めてだった。そして、これが最後になる。
沈黙という均衡を破ったのはネ級で、語気を荒げて聞いてくる。
「ドウシテダ! 撃テタノニ撃タナカッタ……オ前ノホウガ速カッタノニ……!」
「どうしてでしょうね……私にもよく分からないんですよ」
「分カラナイ?」
鳥海の答えにネ級は驚いたように見つめ返す。
あの時は撃ってはいけないと間違いなく思った。
ただ、あの瞬間の確信めいた気持ちは説明できそうにない。私自身に答えようがないのだから。
「ここまでのようね……あなたは本当に強かったわ」
この敵は強い。だからよくやった、なんて慰めにもならないのは分かってる。
それでも、こんな時に湧いてきたのはネ級相手なら仕方ないという思いだった。
いつか投げやりになった時とは違う、純粋な賞賛……なんだと思える。
「何ヲ……言ッテイル?」
「私の番が来た……きっと、そういうことよ」
ネ級は押し黙ってしまうと、目を丸くするようにこちらを直視している。
かといって、こちらを抑える力は強い。
「……やりなさい。私だって、ずっと精一杯やってきたんだから」
体の力を抜く。
もし司令官さんが健在なら、こんな風には考えなかったのかもしれない。
もっと生きて抗おうとしたかも。でも、いいですよね。
だから。だから怒らないでくださいね。
「……あなたならいいよ、諦めがつくもの。仕方ないわ」
「ソウイウモノカ……」
「私はたくさん壊して、たくさん奪って、大切な人もなくして……これが最後の帳尻合わせよ」
ネ級に向かってほほ笑んでいた。
私同様に、彼女もまたこの戦いに死力を尽くしていたのは傷の具合を見れば分かる。
そんな相手なら悔いは……ない。きっと。
「司令官さんを失くしたあとでも戦って、重巡棲姫の最期だって見届けたのよ? 十分よ……私は十分に武勲を果たしたもの」
「ダカラ……モウイイノカ……今日ハ……死ヌニハイイ日カ……?」
問いかけの意味は分かるけど、その答えまでは私にだって分からない。
そんな彼女に否定も肯定もしなかった。
ネ級は油断なく私を抑えてはいるものの、表情はどこか穏やかに見えた。
「私をここで沈めるんですから……ネ級は私よりも長く生きてくださいね」
ネ級が戸惑ったような顔をする。私自身も予想外の言葉だった。
彼女個人に恨みを持ってないのは確かだから、それがこんな言葉を引き出させたのかもしれない。
「ナラバ終ワリダ……鳥海……私ノ特別ナ……」
沈黙をどう解釈したのか、ネ級が掲げたままの右手を握っては開く。
首を絞められるのか胸を潰されるのか。
少しだけ想像して、すぐに考えるのはやめた。
代わりに浮かんだのは摩耶の顔で、高雄姉さんに愛宕姉さん、島風に木曾さんと顔が入れ替わっていく。
摩耶と姉さんたちは悲しんでしまう。島風もきっと。木曾さんはたぶん怒る、そんな気がした。
もう会えないんだ。それはとても……。
「やだ……やっぱりやだ……」
覚悟は決まってたはずなのに。いつかこうなるって分かってたはずなのに。
みんなの顔を思い出してしまう。
白露さんやヲキュー、伊良湖ちゃんたちトラック泊地の仲間たち。
さらに他の鎮守府に移っていった艦娘たちを思い出していく。
頭を過ぎっていくこれが走馬灯なのかもしれない……そうして最後に司令官さんを思い出した。
胸がずきりと痛む。何かがあふれそうな、切なくなるような痛み。
最初に忘れてしまうのは声だという。次に顔。最後が思い出。
まだ何も司令官さんを忘れてない。でも、いつかは忘れてしまうのかもしれない。
……もうそんな心配しなくていいのに。いつかは来ないのだから。
そう、これで最期なんだ。
司令官さんはどんな気持ちで最期を迎えたんだろう。
それとも何かを考える余裕もなかったのかも。
分からない。分からないけど私も司令官さんと同じように……消えてしまう。
「こんなところで……」
どうしよう、死んでしまうのは怖くないはずなのに、すごく悲しかった。寂しかった。
大切なものをなくして、それでも私はまだ生きていたい。
沈んだら忘れてしまう。忘れられてしまう。もう誰にも会えなくなってしまう。
「私はまだ……! まだ!」
ネ級を跳ね除けようと暴れる。
力を込めるとネ級もそれ以上の力で押さえつけてきた。
無言で歯を食いしばる顔が見える。
力比べで敵わないのは分かっている。だから、ああして覚悟を決めてしまったのに。
それでも生きてる内はもがく。そうでもしないとやり切れない。
突然、右腕が自由になる。押さえつけていた腕が力をなくして離れていた。
ネ級を押し返そうとして気づく。ネ級は目を見開いて驚愕した顔で鳥海を見ていた。
呆然とも言える顔に、鳥海の腕も思わず止まる。
鳥海は自分を見るその視線を追う。胸元。銀の輪が傷んだ服の上に飛び出している。
もがいた拍子に司令官さんの指輪が飛び出してきたらしい。
「ナンダ……ソレハ!」
ネ級が苦悶の声を発する。両手で頭を抑えて、今だったら簡単に振り落とせそうだった。
しかし普通ではない様子に、鳥海はあえて指輪を突きつけるように手に取る。
「これは司令官さんが遺してくれた指輪です! 私たちを確かに繋いでくれた!」
「指輪……ダト!? ソンナモノガドウシテ……!?」
叫んだネ級はそのまま頭を激しく振る。
何かを否定するように――あるいは追い出そうとしているように。
「私ハオ前ナンカ知ラナイ……知リタクナイ……!」
ネ級が鳥海の体から飛び退くと、よろめくように後ずさっていく。
鳥海も遅れてふらつきながら立ち上がろうとする。
艤装はかろうじて機能し浮力や電力は生きているものの、損傷は甚大で戦闘行動に耐えられる有様ではない。
ネ級は完全に無防備になっている。砲撃できるなら格好のチャンスだ。
もっとも今の鳥海にネ級を撃つという気持ちは霧散していた。
震えながらネ級は黒い血を流していた。血の涙を。
「チョウ、カイ」
名前を声に出す。響きを、言い方を確認するようなたどたどしい言い方。
そして鳥海は感じる。自分の鼓動が高鳴るのを。
「司令官さん……?」
それまでネ級からは一度も感じたことのなかった面影。
頭を抑える指の間から覗く金と赤の眼。
それは間違いなくネ級の両目なのに、その奥から提督の気配を感じる。
「何ヲシタ……私ハネ級ダ……ソレ以上デモ以下デモナインダゾ……」
絞り出される声は惑い、怯えたように弱々しい。
立ち上がりかけた鳥海は息を呑む。どう声をかけていいのか迷った。
ネ級がたじろぎ、目元に涙を溜めて沈痛な表情を浮かべたまま鳥海から背を向ける。
「モウ無理ダ……オ前トハモウ……!」
「待って! 行かないで!」
手を伸ばしても届かない。鳥海は何も掴めなかった腕をそのままに海面に倒れて、波に翻弄される。
艤装はとうに限界を迎えていた。
ネ級は鳥海から離れていく。その背に向けて手を伸ばし続けるが、ネ級はもう振り返らない。
「待ってよ!」
呼び止める声が波間に消えて、鳥海は悔いを抱く。
あのネ級が提督ではなくとも手を掴まなくてはいけなかった。敵という関係は抜きにしても。
だから提督の指輪が反応したに違いない。そう鳥海は強く思う。
それだけに何か大切なものがまた滑り落ちていくのを感じた。
◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆
溢れる。何かが抑えきれなくなっている。
あの指輪を見てからというもの、鳥海の赤い瞳が濡れているように見えてしまう。
胸も痛い。撃たれるのとはぜんぜん違う種類の痛みだった。
私は狂ってしまうのか。
海上を逃げ惑うように走っているのだから、やはり狂ったのかもしれない。
ツ級の言う通りだった。あの艦娘の相手は他の誰かに任せてしまえばよかったんだ。
そうだ、ツ級。ツ級はどうなった?
ツ級の安否は分からず、その事実を意識すると胸が内側からじくじくする。
これは今の自分を苦しめる感情に近い。
近いのだが何かは違う。その差異をネ級は言語化できない。
発端は鳥海の胸にあった指輪だ。提督が持っていた物だ。
あれを見てから、私の中で変化が生じてしまった。
ネ級である私には提督という人間の記憶が残っている。
しかし、今まではただ記録を見ていたに過ぎない。
提督という視点での記録。艦娘がいて、それにまつわる出来事をただ見ているだけ。
だが、今はもう違う。
記録に色がついてしまった。景色とでも言えばいいのか。
淡々と流れる映像に、提督としての感情が混じってくる。
記憶の景色が膨大な波になって、頭の中を押し流そうとしていた。
「提督ダッテ本当ハ……死ニタクナカッタ……」
未来があると、そう信じていたのだから。
提督の記憶の中で最も大きいのが、あの鳥海にまつわることだ。
故に分かってしまう。提督が抱いていた気持ちが。
感じてしまう。優しくて激しくて胸を衝くような、正体不明を。
その全てをネ級は処理できない。生まれて日の浅い彼女にとって、それはあまりに大きすぎる感情だったから。
押さえ込んでいては神経が磨耗する。発散させなければネ級は耐えられない。
彼女は天に向かって吠える。
口を開けば叫びは形となった。どうにもならない衝動に身を任せる。
「チョウカイ、チョウカイ! チョウカイィィィ! アアアアアアア!!!!!!!」
知らなければよかったのに。あるいは思い出さなければよかったのに。
もはやネ級にその区別はつかない。
そして理解する。ネ級はもう元には戻れない。それまでの自分ではいられなくなってしまったのだと。
ただ衝動に促されるまま彼女は啼く。
獣の慟哭だけが彼女を保つ唯一の方法だった。
終章に続く。
【艦これ】鳥海は空と海の狭間に【その4】