【モバマス】P「在り処をさがして」
よろしくお願いいたします。
前略 二十歳の自分へ。
もしもこの手紙が届いたなら、就職活動をどうするかで今一度しっかり悩んでくれ。
*
もはや暦は秋、感じる風にも冷たさが含まれる時期だというのに、オフィスの中は篭った熱でイヤに暑い。開け放された窓から聞こえる行き遅れた蝉の鳴き声も今は遠く感じる。
廊下の壁の、ドヘタクソな文字で書かれた『節電』の張り紙が目についた。節約、節約、節約と、上から下へのみ終始徹底される言葉には反吐が出そうだ。
蒸し暑い通路を突っ切って、安っぽいスチール製のドアの元へ。申し訳程度に吊るされたお洒落気取りのボードには『社長室』という文字がこれまた汚く踊っている。
「失礼します」
ノックののち、入室。冷えた空気を感じて苛立ちが増した。なんのこだわりがあるのか、ウチの社長はノックをしても返事を寄越さない。ふんぞり返って座っているその姿はスタイリッシュな人物ならばさぞ絵になるのだろうが、半端に肥えたここのあるじではお察しだ。
「ああ、来たか」
「どうも。どういったご用件でしょう?」
悪趣味な内装は見渡したくもないが、鼻についた悪臭に負けてその出どころを探した。南向きの窓の下、ゴテゴテとしたデコラティブな戸棚の上に、いびつな花瓶のような形状の芳香剤。吐き気を誘うセンスのない重い甘いニオイはあそこから漏れ出ているらしい。
「それ、いいだろう?」
──あなたは良いと思ったものに汚物を見る目を向けるんですか?
そう返したかったが、それは飲み込んで
「はあ」
と曖昧に応えた。
「で、どういったご用件でしょう?」
「君は相変わらずつれないねえ……。仕事人間、ワーカホリック、といった感じだ」
「どうも」
「いや、褒めてはいないよ? 熱心なのは、まあ良いことだけどね」
やたらめったらに勿体つけてぐだぐだとつまらない話を展開する老人にヘキエキする。この時間に特別手当を付けてもらえると言われたって、俺は喜んで突っぱねるだろう。
「さて。実はね、今日は君に頼みたいことがあって呼んだんだよ」
「わかりました、お受けします。資料その他、いただきます。伝達の必要ある仔細はメールでパソコンに送っておいてください。では失礼します」
ズイと机上に出された青いファイルをかっさらい、一息に言い切って踵を返した。限界が近い。後ろで隠そうともしていない溜め息が聞こえたが、一切無視して振り返ることなく社長室を出た。
本当に趣味の悪い。鼻がイカレているのかとさえ思った。
白い廊下を渡りながらファイルをめくった。
ここに来てからというもの、本当に後悔ばかりだ。
短大卒で華やかな世界に関わりたくて、有名な芸能事務所の求人を片っ端から受けた。片っ端から落ちた。無名の短大卒、資格も長所もろくろく目立たない男を雇うかと言われれば、そりゃ首を横に振るのも当然というもの。
その時点で諦めておけばいいのに、みっともなくこだわった結果が今の零細芸能事務所だ。
父親が社長、母親が専務。その息子が部長職で俺の直属の上司。親族経営を無理くり百人規模に引き伸ばしたようなゆがんだ会社は、ちょっとびっくりするほどストレスフルだった。
「……新しいアイドルね」
ファイルの中、一番上に挟まっていたのは履歴書だった。この子のプロデュースをしろということだろう。俺は以前担当していた子たちが引退し、今は身体が空いている。
『白菊 ほたる』。綺麗な名前だなと思った。
それから、どこかで聞いたような、とも。
入社からはなんだかんだと十年以上が経ち、ガキだった頃の夢からは覚めて、大人になった今の俺は手についた職を捨てられない。
この小さな安普請の箱庭では、暴君一家に逆らう術はない。逆らえないなら、さっさと流された方が精神衛生上よろしい。……その結果ある程度の業績を残してしまい、仕事人間だと社長一家に気に入られたのは最悪だったが。
この子は上手く生きられるだろうか。
*
聞いたことがあって当たり前だった。だって彼女は以前別の事務所にいて、そのときに現場で一緒になったことがあったから。
「……君か!」
見て早々に口走った。有名な子だった────およそ、悪い側面が目立つという意味で。
「……少し前、スタジオでご一緒させていただいた……?」
「ああ、うん。そうだ。お久しぶり、と言うにはちょっと期間が短いか」
向こうもこちらを覚えていたらしい。直接話したわけでもない裏方の顔まで残っているとは、結構な記憶力だ。
「……その節は、ご迷惑をおかけしました」
ぺこりと下げられた頭に、すぐに上げてくれとは言えなかった。この子に迷惑なんてかけられた覚えはない、けれど。
『不運な少女』。この子の噂を知っている人はそう形容する。知っていて、かつ悪意にまみれて呼ぶ人ならば『疫病神』とも。
──白菊ほたるというアイドルのいる現場では、必ず何か悪いことが起こる。
そんな噂が、この業界の一部でまことしやかに囁かれている。ショボい事務所の使いっ走りでしかない俺の耳にも入るぐらいの声音で。
普段の俺ならオカルトなぞ知るかと切り捨てるところ、この噂は都市伝説だと断じるには検証され過ぎていた。俺自身も、意図せずその検証の場に一度立ち会っていたぐらいに。
グラビア撮影のためのフォトスタジオで、機材の不調が起こった。
それまで調子よく進んでいた撮影が、彼女の番になって途端に滞った。メインカメラがシャッターを切れなくなり、続いてストロボがイカレて、慌てたカメラアシスタントが床を這うコードに足をひっ掛けてすっ転び、いきおい背景布を破った。
結果、予定の終了時刻は大いに過ぎた。
そこで起こったことに彼女の責任はひとつもなかった。けれど、こんなことが行く先行く先で起こっていれば、それは噂になるのに充分過ぎたようで。
「……別に迷惑なんてかけられてないぞ」
白々しくもそう言った俺の言葉は聞こえてなかったのか、もしくは咄嗟に返せなかった間を読まれたのか、言葉の裏に何かを見たのか。
「どうして、受け入れてもらえたんでしょう」
応えたのは、そんな沈んだ声。なんて悲しいセリフだろうと思った。
善行は隣家三軒までしか伝わらないが、悪名は千里を走る。彼女が自身に押し付けられた悪意に気付いているのも、それは当然か。
「……そりゃ」
どうしてだ? その答えを俺は持っていない。
「君にアイドルとしての素質を見たからだろう。拾ってきたのは社長だから、詳しいことはわからないけど」
だから、そんな返答でお茶を濁した。
*
兎にも角にも彼女はアイドルだ。現状どれだけやれるのかを俺は知る必要があった。顔合わせの翌日は日雇いの外部トレーナーに彼女を預け、レッスンを任せた。
ポンポン、とポップな電子音が鳴り、デスク上のパソコンにメールの受信画面がポップした。社長からだ。『件名 : 新人アイドル・白菊ほたるに関して、伝えるべきファイルに載っていない詳細』。眉が寄ったのが自分でわかった。イチイチ回りくどい。
無駄に冗長で要領を得ない文から、なんとか伝えたかったんだろうことをサルベージした。
以前いた彼女の事務所は倒産し、そこを拾った。不運だなんだと騒がれているが、そこを逆手にとって売り出せると考えた。
必要な部分は、たったこれだけ。
三秒あれば言える内容に、なぜこんな長ったらしい文がくっついているのかと真剣に考察したいところだ。その上メールが来たのはたった今、普通昨日までに送っておくべきだろうが。
仕事が遅いんだよクソジジイ、とまで返信を打ってから、デリートキーを叩いて薄っぺらな謝辞を打ち込んで送信した。
クソ野郎め。
形式的な返信を済ませてから吐き捨てた。
取り繕った返答をして正解だった。
自身の不運のせいで人に迷惑をかけてしまっていると思う少女に、『どうして受け入れてくれたの』『君の不運が売れると思ったから利用したくて』なんてド外道なこと、口が裂けたって言えるか。
受信画面をもう一度見て、いったいどんな人生を歩めばここまで人の心のありようを無視したことを指示できるのだろうと考えた。
いわれのない中傷を受けてきた少女に、その傷跡を見世物におひねりを取れと言っているようなものだ。どこまでもアホくさい。メールをゴミ箱に移し、ゴミ箱の中を一括消去した。
ボンクラ家族に気に入られた結果、ある程度の我が通せるようになった。こういうときだけは気に入られて良かったと思える。
*
「結構な逸材でしょう」
とは、白菊のレッスンを任せたトレーナーの言だ。
「逸材ですか」
「ええ。どういった経緯のある子なのかは存じませんが、ダンスも歌唱も基礎はしっかりできています。軽く磨くだけでも戦力となるでしょうね。真面目で素直なところもいい。ただ」
「ただ?」
「表現力には難があります。笑顔が……ええ、ヘタクソですね。子どもらしくない」
「……なるほど」
報告は、言ってしまえば予想通りだった。
受け取ったファイル(素晴らしい資料だった。確実に社長の仕事ではない)に挟んであった経歴によれば、今までに二つの事務所を渡り歩いてきたらしい。そりゃ基礎もでき上がる。
そして、その二つの事務所はどちらも倒産しているらしい。そりゃ笑顔も歪む。
トレーナーさんが帰った後、デスク上の履歴書に目を落とした。たまらない話だ。右上隅に貼られた証明写真は、哀しげに眉が八の字に下がっている。まだランドセルも似合いそうな年代だというのに。
伝聞だけで仕事を取るわけにもいかないので、翌日のレッスンには同行した。なるほど話にあった通り、技術的には申し分なく、指示や指摘をためらわず呑むのも大変よろしく。
そして不安定に歪んだ笑顔もオミゴトだった。
練習風景を眺めながら、頭を抱えるついでに前髪をいじくった。どうしたものやら。
笑顔の作れない、作らないアイドルに需要がないとは言わないし、実際それでも活躍している子は見たことがある。だけど、そうなってくるとやはりメインストリームからは外れる。市場はニッチな方へと偏ってくる。ハナからその方角を目指す必要性は彼女に感じない。
不幸な点を推し出すならば、笑顔などは不要だ。でも、俺にはそんな外道じみたマネはできない。というかそもそもあのバカ殿の指示なんて聞きたくないし、それで成功するとも思えないから聞かない。
「白菊」
レッスン終わり、タオルで汗を拭う彼女を呼んだ。
「……はい?」
「笑うの苦手か?」
直截に問うと、その表情筋が固まったのが見て取れた。もう返事はいらない。これで察せないほどのアホウは、うちでも三人ぐらいしかいなかろう。
「ああ、苦手なんだな」
「……すみません」
「なんで謝るんだよ」
消え入るような声だった。本当に、心から申し訳なさそうな。子どもが出すような謝罪じゃなかった。
「別に聞いただけだよ。人間なんだから得手不得手あって当たり前だろが」
上目遣いはこちらを推し量るようだった。その目がどうにも苦手で、俺は逃げるように目を横に逸らした。
「トレーナーさん」
「ん。なんでしょう」
「明日からはビジュアルレッスンを重点的にお願いします。ダンスとボーカルは、今の時点じゃ申し分ないし。衰えない程度で」
「ええ。わかりました」
*
「ああ、チーフくん。いたいた、ちょっと待ってくれないか」
退勤の間際、不愉快に高い男の声が俺を呼んだ。四十路も過ぎてなおガキっぽさの抜けないその声は、持ち主の幼さをそのまま表しているように聞こえる。
「……なんです、部長」
チーフ、というのはうちで一番キャリアの長いプロデューサーに与えられる、一応の役職名だ。とはいっても役職手当があるわけではなく、何か特別に仕事が増えるわけでもない。要は、ただのバカ家族のオママゴトだ。笑える話だが、付き合わされる当事者にしてみればとても笑えない。
「いや、ちょっと頼みたいことがあってね。いいだろ?」
いいかな、と聞かないあたりが最高に腐っている。誰かコイツに労働法を説いてくれ。
「なんですか」
「資料を作って欲しいんだ。ほら、他の子に頼んでもいいんだけど、やっぱり君が一番だし」
「どれです」
「ええとね……」
親がタワケなら子もタワケだ。せめて社長がトンビだったならよかったものを、体型相応にカエルだったらしい、と言うのはカエルにあまりに失礼か。
資料を作成しているさなか、横からバカ息子の指示が飛ぶ。
その単語じゃなくて、もっとインテリっぽい言葉使いたいな。あ、そこ罫線引いて。そっち、文字の色変えてみようかな。あ、やっぱり戻して。そこも。ここグラフとか入れたらどうだろう。
一時間半の格闘の末、出来上がったソレは資料と呼ぶにはあまりにもあんまりだった。覚えたての中学生みたいなムズカシイ言葉。無駄な装飾。やたらと引かれた破線棒線に、なんの意味も持たない図表グラフ。いかにも無能が作ったものだということがありありとわかる。
作成者は、おれの名前入れといてね。
言われるまでもない。頼むからこれを俺が作ったなんて言わないでくれ。一生の恥になりかねない。
「じゃあお疲れ様です」
早口に言って立ち上がって歩き出す俺に、
「あ、ねえ」
とストップがかかった。まだ何かあるのか。早口だった意味だとか、掴めもしないのか。
「君、新人のお世話してるんだよね? どんな子なの、写真見せてよ」
無言で自身のデスクにとって返し、机上のファイルから履歴書を抜いて押し付けた。
「へえー……かわいいね、でもまだ幼過ぎかなぁ。おれの好みじゃないや」
睾丸破裂して苦しみながら痛みで死ね。
内心で毒づいた。股間でしかモノを考えられないクソがいるから世の女性は男一般に嫌悪感を持つ。
「実はさ」
勿体つけた言い方には嫌悪しか湧かない。ああ、憎悪も湧くからそれは嘘だ。
「この子の、不幸体質? はじめに知って、父さんに言ってみたのおれなんだ。ここ売り出したらヒットするんじゃないかってさ。二社倒産を経験してる悲劇の女の子、なんて、超センセーショナルでしょ。君のプロデュースなら間違いないし、頼むね」
おれのために、と後に続く言葉が聞こえたようだった。
あの悲しげな顔を把握もせずに、ただ噂話だけを掴んで面白そうだと吹いて回ったのか、このバカは。
思いつく限りの罵倒をその場でブチまけてやれ
ていたら、どんなにスッキリしただろう。
帰り道に舌打ちが出た。バカ社長に。バカ部長に。そしてそのバカどもに子飼いにされている哀れな俺に。
*
社長どもの指示を聞くつもりはない。そもそも聞いて成功するとも思えない。船頭が有能ならば船員がマヌケでも目的地に到着できるが、キャップがアホならクルーが素晴らしくても遭難するか沈没する。
零細規模から抜け出せないうちが前者後者どちらに当てはまるのかといえば、おそらく言うまでもない。
しかし、ではどんな仕事を用意したものか。これは俺の頭を悩ませる案件だった。
「難しい顔してんな?」
隣席から、気安い声が飛んできた。
「難しいこと考えてるんでな」
気安く投げ返した。
「何で悩んでんだ、珍しい」
言って、くるっと事務椅子を回して俺の方に向いた彼は、同じ年に入社した男だった。去年の春までは同じくプロデューサーをしていて、今は経理部に移っている。
「新人の子の仕事、どうするかってな。なんか案寄越せよお前」
「どれ。…………ああ、この子かー。噂、知ってるけど酷い話だよなあ。詳しくは知らねーけど、なんか本人に問題あんの?」
「笑顔がヘタ。そんぐらい」
「ああ、それで悩んでんのね。なるほど。……なんか上から指示はねーの?」
「あるけど聞かない」
「だよな。まあそうだよな。笑顔がヘタクソ、ねえ。それ地味にけっこうイタイよな」
「結構イタイ。笑わなくていい仕事っつっても、パッと浮かばねえし。CD出すとかなら笑わなくていいけど、そうもいかないし」
「んー……まあ、笑えるようになるまではデビューさせないとかでいいんじゃね?」
「んん……」
それしかないのか。いや、しかし。
三人寄れば文殊になれたかもしれないが、二つの脳みそでは足りなかったらしい。
「なあ、ところでさ」
「ん?」
「これ見てくれよ、朝イチで部長に渡されたんだけどよ、どうやったらこんな意味のわからん資料が出来上がるんだ? どんな肝っ玉してたらこれをドヤ顔で出せるんだろうな?」
差し出された資料には見覚えがあって、反射的に目を逸らした。
「……前からだろ。今更」
「まあ、そうだけどよ」
*
一週間ぶんほどのレッスンを見てみたが、思うように好転しなかった。遠目なら笑顔っぽく見えても、ちょっと寄れば違和感は強い。根は相当に深いのか。すみませんと身体を小さくするのが見ていて辛い。
「なあ白菊。お前趣味とかあるか?」
「え……趣味、ですか?」
「ああ」
ビジュアルレッスンは、要は笑えと言われて笑うということだ。アイドルたるものそれができてほしいというのは本音だが、面白いこともないのに笑えるか、という主張なら俺もしたことがある。学生時代、卒業アルバムの撮影のときにそう言って逆ギレした。
だから、とりあえず一度、別角度からでも笑ってもらえないかと思ったのである。それがキッカケになってくれれば儲けものだし、趣味で笑えるならそれを仕事にも繋げられるかもしれない。
────と、思ったのだが。
まだ色の変わらない緑が、涼やかな風に揺られてさわさわと音を立てていた。蝉の鳴き声はもう聞こえない。日差しも柔らかくなり始めていて、少し歩くぐらいじゃ汗も滲まなくなった。
「まさか、趣味が寺社巡りとはな……」
参道のすみっこを二人並んで歩いた。革靴だと砂利道は少し歩きづらい。滑ってコケそうになったところ、慌てて踏ん張った。
「えっと……寺社巡り、というわけじゃないんですけど」
「ああ。でも似たようなもんじゃないか?」
趣味はお守り集めだそうだ。なんというか、まあ、ぶった切ってしまえば、ジジムサイ。けれど、そうなるに至った裏側を想像すればそれは笑えるものじゃなかった。
不運でたまらないと神様に縋る少女を、いったい誰が指差して笑えるものか。
すう、と息を吸い込んでから、ゆっくりと吐いた。ひと気のない周りをぐるりと見回した。都会の街並みにポツリと浮いた神社の中は、時間が穏やかに流れている気がした。
交通の遠鳴りが聞こえてはいるものの、雰囲気は悪くない。
「いつもはどんな感じで参るんだ? てか、そもそも参るのか。お守り買って終わり?」
「いつもは……そうですね。参道をゆっくり歩いて、敷地内を見学して回って……それから、お守りを買って……たまにおみくじもしたりとか」
「なるほどな。じゃあそれ全部やるか。……おっ、ここ絵馬もあるぞ。これも書いてってもいいな」
「えっ。……あの、お時間とか、平気なんですか? お仕事は……」
「ヘーキヘーキ。最近割と時間に余裕あるし」
目下の仕事はお前の笑顔を作ることだし、アイドルのご機嫌取りも仕事のうちだし、あと会社にいるのしんどいし。無粋な言葉は口の中でせき止めて溶かした。
俺の子どもの頃はといえば、ポケットに入るモンスターを集めたりドラゴンを倒す旅路に想いを馳せたりで、落ち着きのない馬鹿だった。傘を逆手に持って必殺技と叫んだことは記憶に鮮明に残っている。
それと比べると、この子のなんと行儀の良いことだろう。素直に感心した。
*
「参道って、真ん中通っちゃダメだって知ってたか?」
「あ……はい。ええと、神様の通るところだから、でしたよね」
「おお、そうそう。博識だな」
「い、いえ……そんなことは」
「褒め言葉は素直に受け取った方がいいぞ?
……ん? うおっ。びびった、鳥のフンか。危ねぇなあの野郎」
*
「こういう賽銭箱ってよ、敷地内に結構いくつもあったりするだろ」
「はい」
「俺あるトコには全部入れないと気が済まないタチなんだけどよ。この気持ちわかる?」
「わ……かる、ような……わからないような……?」
「あっ、この言い方わからねえタイプの人のそれだわ。そうか、わかんねぇかー……」
「り、律儀な方なんだな……って。思います」
「律儀かってえと、そうでもないハズなんだけどな、俺。かなり雑な方だし」
*
「お守りか。買うのいつぶりだっけな」
「……初詣で買ったりは、しないんですか?」
「そもそもそんなに初詣に行かねぇな。余暇あっても寝正月がデフォルトだし」
「そうなんですか……」
「白菊どれ買うんだ?」
「えと……私は、やっぱり……これにしようかなって」
「仕事と開運か。俺もそれにしよ。あっ、白菊は学業も買っとけよついでだし。巫女さんこれとこの子のください、会計一緒でいいです」
「えっ? え、あの……ぷ、プロデューサーさん?」
「二千五百円ですか、はい、三千からで」
「あの、だ、ダメです……! プロデューサーさん、ちゃんと自分のは、自分で出しますから……」
「いいから。別に自分で金払ってないからって、ご利益に差はつかねぇよ。神様はそんなフトコロ狭くねぇだろ」
「でも……悪いですから……」
「男が払うっつってんのにワリカンでいいって頑なになる女が一番この世で悪いんだぞ」
「ええっ……?」
*
いいと言うのに、気になるものは気になると言って聞かない。案外利かん坊な面もあるらしい。俺の理屈じゃ納得してくれなかったので、仕方なく絵馬はお互い自分で買った。
ひと回り半ほども年下の女の子に奢ってあげられない男というのはなかなかにシュールに思えたが、考えてみればそれだけ年に差のある血縁もない女の子と就業時間中に神社にいるこの状況がそもそもシュールだ。俺は考えるのをやめた。
「なんて書くかな……」
マジックペンを手の中でもてあそびながら呟いた。願いが無いとは言わないが、幼い少女の手前意地の汚いことは書きにくいし、どうせなら小粋なモノでも書いてみたい。
こちらが頭をひねっているうちに、白菊はもう書きあがったらしかった。台座の上のペン立てにマジックを戻し、絵馬は胸に抱きかかえるように。
内容は見えない。それを尋ねるのがデリカシーに欠けるのは流石にわかるので、掛けてきます、と駆けていった彼女を何も言わず頷くだけで見送った。
ほんの少しのあいだ粘ってみたが、なんでもいいか。最終的な結論はそこに落ち着いた。
気取って格好つけるのも、よく考えればガラじゃない。
『輝きの向こう側へ!』。
どこかで見たそんなキャッチコピーを冗談半分に書き殴って、白菊の待つ絵馬掛所へ向かった。
自分の絵馬を結び、さてと隣に目を落とすと、白菊は真剣な顔で真っ直ぐ一点を見つめていた。
手を合わせていたわけでもなかったが、それは間違いなく神様に祈っていたんだろう。
見るつもりはなかったが、ちらと視界に入った。しっかり読んでしまったのだから、つもりがなかったは言い訳だ。
『トップアイドルになれますように』。
なんとも責任の重い話だ、と肩をすくめたくなった。
「んじゃ、最後おみくじでも引いて帰るか」
「あ……はい。そうですね……」
「なんだ、乗り気じゃないのか? もしかして」
「いえ、そういうわけではないんですけど」
苦い顔をする彼女に理由を問うと、なんでも凶と大凶以外が出たことがないらしい。どんな確率だと思うが、こんなことで彼女が嘘をつくとも思えない。
「いい神社に行ってるからだな」
「えっ?」
「俺の知ってるとこはそもそも凶と大凶が入ってない。引いて気分はいいけどあんなのはダメだな」
「そ、そんなところあるんですか?」
「俺の地元だから、寂れたド田舎だけどな」
兎にも角にも引いてみよう、と無人の料金箱に硬貨を投入し、まずは白菊に先手を譲った。みくじ筒に手を突っ込み、取り出した棒の先の番号は。
「……二十三番です」
該当する番号の棚から一枚抜き取り、開封。
顔が見る間に曇った。
「……凶、でした」
すげぇ。
一周回って感心しそうになったが、当の彼女はやっぱりちょっと悲しそうで、少しいたたまれなくなった。これで俺が大吉とか引いた日にはどうすんだ。
──なんて、そんな心配は不要だった。手に取ったみくじ棒の先、書いてある数字は『二三』。
「えっ、俺も二十三番?」
「えっ」
おっかなびっくり彼女と同じ場所から一枚抜いて開けてみると、そこには予想通り『凶』の文字が達筆に書かれていた。
「マジか。なんだこりゃ」
引く前によくかき混ぜたかと聞かれれば、その自信はない。しかしそれにしたって、まさかまったく同じ番号を二人続けて引くか? これもまた、どんな確率だ。
「……ふふっ」
聞こえた吹き出す声は俺の口からではない。俺の口からこんな上品な笑い声が出るはずもない。
「すごい、ですね……こんなことって」
あるんですね。と言うその顔は確かに笑っていて、しとやかではあるけれど、年相応の無邪気さもそこには確かに見えて。
──ああ、これは魅力的だ。
自信を持ってそう思えた。
「白菊、お前笑顔めちゃくちゃ可愛いな」
ついでに口からも出た。
「えっ。……あ。えっ?」
みるみる赤くなる顔も、誤魔化そうとしているのかパタパタと手を振る姿も愛らしい。見つけた人の目は確かだ。ああ、もちろんウチのボンクラ共じゃあなく、元いたところの人たちのことだが。
みくじに書かれていた内容は、そりゃ凶なだけあって良くはなかった。けれど、それを引くのも悪くはないなと思った。
日は傾いて気温も下がり、さらっとした秋風がやっぱり爽やかな、そんな帰り道だった。
「白菊。よかったら、また一緒に行くか」
「……はい。……でもあの、できればからかったりはしないでいただけると……」
「からかったつもりはねぇぞ」
*
白菊との時間が楽しく過ごせただけに、社内で過ごす時間は余計に苦痛に感じた。
「チーフくん、ちょっといい?」
甘ったれた声は本当に耳障りで、環境権に絡めて訴えれば勝てる見込みもありそうだと思えるぐらい、俺にとっては雑音だった。
「あのさ、ちょっと仕事遅くないかな。あの新人の子、レッスンばっかりで全然売り込みも何もしてないよね」
「はい」
できる段階にないからだとなぜわからない。
「あの噂とか、落ち着いてきちゃったらあの子を拾った意味なくなるんだからさ。早いとこ動こうよ。ネタはフレッシュな内にって言うでしょ?」
少しでも落ち着いて、風化してくれるのを待ってるんだ。あんな心無い噂の元に、俺の担当アイドルを晒せるか。
意味がなくなるだと。そんなわけがあるか。
「あ、怒ってるわけじゃないんだよ? 君には期待してるし、あの子も期待できそうだからさ。ちょっとだけ言っておこうってね」
お前の期待なぞ、金をもらったって受けたくもない。下賤なお為ごかしに俺たちを使うな。
「おっしゃりたいことは以上ですか」
「……うん。まあ」
「参考にさせていただきます。それでは失礼します」
席に戻り、バカ息子が室内から出て行くのを待って、それから思い切りデスクの脚を蹴り飛ばした。
「……んのクソが!!」
周囲の視線が集まるが、みんな心中察すると言いたそうな苦笑顔だ。
「ネタはフレッシュな内にだと!? どんだけクソだあの野郎!! 期待なんざかけんな迷惑なんだよ! つか、仕事が遅いだあ!? 誰が誰に言ってんだボケ!!」
ガン、ガン、ガン、と立て続けに鈍い音を鳴らすデスクには悪いことをしている意識がある。申し訳ないが、もうしばらくだけ楽器になっててくれ。
「ああ、クソ……」
「荒れてんなぁ。荒れるわなぁ。まあこれでも飲んで落ち着け」
温かい緑茶が注がれた湯のみが、隣の席から差し出された。
「ああ。……悪い」
取って一口。
手のひらと喉を通って広がる柔らかな温熱が、荒ぶる気持ちを少しずつ鎮めていってくれた。
「……腹立つ」
鎮まって、落ち着くことができたとしても、この感情はなかったことにならない。腹が立つ。あのバカにも。言い返さない自分にも。
「ボチボチ付き合ってくしかねーからなぁ、オレらは。割り切っていこうぜ。事故だ事故」
同期の彼は俺よりも達観しているらしい。経理の仕事は俺たち現場のプロデューサーよりも内々の仕事が多い。慣れたのかもしれない。そうだとしたって、アレらと一緒に仕事をしなければならないのは、あまりにも気の毒だ。
「……騒いですまん」
「いいよ。気持ちわかるし。みんな」
見渡すまでもなく、フロアにいた社員たちはみんな頷いたんだろうと予想できた。
腐っているのが上の方だけだというのがここの唯一の救いであり、同時に、上が腐っているというのがどうしようもなく救えないところでもある。
「でもよ。実際どうすんだ? 白菊ちゃんのこと」
彼はつとめて冷静に言った。事務的な問いからはシンプルな疑問の意味だけが取れる。素直に応えた。
「そろそろ営業かけるつもりではいる。まだちょっとだけぎこちないけど、笑顔もできるようになってきたし」
あの日以来。進展の兆しはしっかりと見えた。そこはトレーナーさんもお墨を付けてくれている。
「そうか。そりゃいい話だ」
気持ちよく口角を上げて彼は笑った。
「うまくいくといいな」
なんの助言もなければ、なんの生産性もないただの応援。それだけでも頑張っている身としては十分に嬉しい。
そんなことにも理解が届かず、手前勝手な指示とイチャモンと期待を押し付けるやつが上司だなんて。せめてあの男たちが一般人の半分でも他人を思いやれる人間だったなら。そう思って仕方ない。
*
生来の無精者で、もともと複雑なことを考えるのはあまり好きなタチではない。仕事だからとアイドルに合う仕事を必死こいて考えてきたが、進んでそれをしたいとは思わない。
「──なあ、白菊。お前、どんな仕事がしたい?」
だから、こうやって直接何を合わせたいか尋ねることは以前から珍しくなかった。
ただ、この手が通用するのは分かりやすく主張のはっきりした子だけだったらしくて。
「どんな……と、言われても……」
白菊は困ったように首をかしげた。
「特に希望はないか?」
「そうですね……させてもらえるなら、それはなんでも嬉しいですし……」
仕事にえり好みをしないのは素晴らしい美徳だ。だが、今回は何かリクエストが欲しかったところ。
それと、
「お前そのセリフ禁止」
「えっ……」
彼女の言いようが不用意だった。こんな箝口令をしかなければならないことがそもそも情けないが、この事務所には致命的なバカがいる。『させてもらえるなら、なんでも嬉しい』は言って欲しくない。
「……すみません」
バカに隙を与えて欲しくない。それだけで他意はなかったけれど、どう受け取るかは彼女次第。
弱い声が聞こえてからやっと、しまった、と思った。語気が強かったか。小さくすぼめてしまった肩を見てほぞを噛んだが、もう遅い。
「ああいや、すまん。……なんだ、ぼんやりでもいいから教えてくれないか。こういうのはイヤ、でもいい」
身内に気を付けろ、なんてみっともないことは言いたくなくて、そう取り繕った。
影のちらつく顔のままではあったが、素直な彼女は俺の質問に答えるべく頭をひねって考え込んだ。
デスクの上の二つの湯のみから湯気が上がっている。隣席の彼は本当にマメで、よく気のつく男だった。今、俺と向かい合っている白菊が座るパイプ椅子も、彼がどこからか持ってきたものである。
彼女が悩んでいる間に、書類を突っ込んでいる机上の置棚から青いファイルを抜き取った。担当するにあたって資料として初めに受け取ったそれをパラパラとめくる。
『雑誌グラビア、機材不調のため撮影が大幅に延長』、これがたぶん俺が初めてこの子を見たときの。似たり寄ったりのハプニングは散見された。他にも、ライブは共演者の体調不良や悪天候で軒並み中止になっていたり、イベントガールを務める予定のイベントが自治体の都合で消えたり。
いったいどんな星の下に生まれたら。そんなことを考えてしまう。彼女依存の理由によるアクシデントが一切ないのがことさらにその不幸さを際立たせていた。
紛れも無い同情が胸に押し寄せる。その一方で、疑問も同じ場所に湧いて出た。
──ここまでの受難と、それに伴う謂れのない陰口に晒されながら、それでもなお、諦めることなくトップアイドルを志す。
なんなら弱気がちですらあるこの子の、その根っこの強さはいったいなんなんだ──?
「……なあ」
声をかけると、端正な顔を難しくしたままパッとこっちを向いた。
考えたって、雑で無精で適当な俺に分かるとも思えない。
「白菊は、なんでアイドルになろうと思ったんだ?」
分からないなら聞いた方が手っ取り早い。今までそうやって生きてきたから、口をついて質問が出た。尋ねてから思った。
「……あ、悪い。質問してばっかだな、俺。まださっきの返事も聞いてないってのに」
自らを嘲ったように軽く笑うと、向こうの表情も少し柔らかくなった。その顔のままもう少しだけ思案して、彼女は口を開いた。
「……憧れなんです」
それは二つ目の問いへの答えだった。
「……憧れ」
「はい。……私、子どもの頃から、ずっと運が悪くて。買ったものが不良品だったり、乗る電車は遅れたり……鳥のフンに降られたりとか。そんなのはしょっちゅうでした」
今も子どもじゃねえか、なんて野暮な茶々を入れるのは思い留まった。そんな雰囲気じゃない。
「不幸だ、不幸だ、って。……周りに言われることも多かったです。それで、よく思ってました」
──『幸せって、なんなんだろう?』って。
年端もいかない少女には似つかわしくない。そう思えてならない抽象的な疑問はしかし、彼女にとっては解くべき最優先課題だったのかもしれない。
その疑問に解答を下せる人は、きっと多くはいないだろう。世間一般では立派な大人に見える俺だって、それが何かを明確に説明することはできない。
漠然としていて、実体はない。目には映らない。どこにあるのかもわからない。
けれど、幼い彼女はその答えを見つけた。
「……そんなときに、これが『幸せな姿』に違いないって……確信できるものを見たんです」
輝く舞台の上で、歌い踊って、笑顔にはほんの少しの曇りも濁りもなくて。──そんな姿。
それがアイドルだった。それは、憧れの対象として不幸な少女の心の中に確かな居場所を作った。
幸せになりたい。素朴で、どこまでも純粋に、少女はそう願ったんだ。まだ世の道理だって解しきれてはいないだろうに。こんな小さな女の子が。
どれだけの不運が襲いこようとトップアイドルを目指して諦めないのは、そこが幸せの頂点だと信じているから。どれだけ辛く苦しくても、忌避されているとわかっていても、だから彼女は止まれない。
息を呑んだ。
彼女の今までを思って、たまらなくなった。
これからを思って、泣きそうになった。
そんな少女が今いる場所が、どうしてこんな。そこまで不運を重ねなくたっていいじゃないか。
もっといいところに導いてやってくれたっていいじゃないか。
「……あの、プロデューサーさん……?」
ハッとして、目元を乱暴に手の甲でなぞった。幸いそこに湿り気はない。
「悪い。なんでもない」
仕切り直すために小さく咳払いをした。
「……すみません、長々と」
「なんで謝るんだ。長くもねぇし、俺が聞いたことだろ」
今日までにどれだけ理由のない謝罪をしてきたのか。それを考えるだけで胃が削られるように痛む。
正視できなくて、デスクの上のファイルに目を向けた。それを見てどう勘違いしたのか、彼女はまたすみませんと謝った。
「どんな仕事がしたいか……でしたよね。考えたんですけど……」
「思いつかないか?」
俯きがちな顔が、さらに一段深く沈んだ。
「そうか」
「すみません……」
「いいさ。それじゃあ白菊」
ファイルの中、見過ごしたくない事実に気付いていた。輝く舞台の上に憧れたのに、そうしてアイドルにはなれているのに。
「──ライブに出てみないか?」
彼女はまだ、その上に立っていないのだ。
*
なんて格好つけてみたが、俺にそんなご大層な舞台を用意することはできない。彼女の方も、まだそこに立てるだけのステータスは持っていない。贔屓目ありに見たとしてもだ。
どこかショッピングモールあたりでスペースを借りるか、小さなライブハウスを予約するか、もしくはどこかの合同ライブの枠をもらってねじ込むか。
どれがいいかとアレコレ調べているときに、折よい着信があった。発信者は別事務所でプロデューサーを務めている男。
「もしもし?」
『あ、どうも。こんにちは、今お時間いいですか?』
「いいですけど」
『ありがとうございます。最近またあなたが新人をプロデュースしてるって聞いて、ちょっとお話したいなって』
「誰から聞いたんですか……まだデビューもさせてないのに、耳ざといな相変わらず。なんのお話で?」
『そりゃもちろんビジネスですよ』
それなりに気安い仲だった。歳は向こうが五つ下。そこそこ業界に慣れ始めた俺が、ガチガチになっていた新人当時の彼と仕事で一緒になったのが馴れ初めだ。以降付き合いは続いている。
言ってみれば商売敵だが、そう表現するには俺と彼の土俵は高さが違い過ぎた。主戦場もマーケットもグレードが違う。確執もなく交流が続いているのはそれが故だ。
彼の持ってきた話は、彼のいる事務所が主催する合同ライブに参加してみないかという話だった。向こうの新人をデビューさせるため、というのが主軸の目的らしいが、枠がいくつか空いているからと教えてくれたらしい。
『まあ、もちろんよかったら、ですけどね。レッスンの進捗とか、日取りの都合とかもあるでしょうし』
「いつなんです?」
伝えられた日付の予定は真っ白だった。
『どうですかね。なんなら保留でもしばらくは大丈夫ですけど』
「いや、ぜひお願いします」
断る理由はどこにもなかった。
別事務所の年下後輩エリートが用意した仕事に乗っかるなんてプライドはないのか、と思われるかもしれないが、そんな些事はどうでもよろしい。
ほんのわずかぐらいなら嫉妬しないでもないが、そんなチンケなプライドはいらない。
向こうの主催なら、規模は小さくてもスタッフも機材も優良に違いない。彼女の初仕事という面で、それらより大事なことなどあるわけがない。俺のしょっぱい自尊心などチリクズにも劣るのだ。
ライブが決まったと伝えると、白菊は珍しくちょっと大きな声が出るくらい驚いた。
「ええっ……!? も、もう決まったんですか……!?」
「ほう。さすが、一番のやり手なだけありますねぇ」
「からかわんでください、トレーナーさん。あんたはウチの事情知ってるでしょ」
俺みたいなのがそれなりの立場を持ってるのは、上の年代が順番に辞めていったからに過ぎない。歳を重ねるにつれて、ポンコツな舵取りに嫌気がさしていくのだろう。俺もいつかはそうなるのかもしれない。
「──なにはともあれ、頑張ろうな、白菊。初めての舞台、絶対成功させよう」
てっきり、ここは『はい!』と元気な返事が来ると思っていた。しかし期待からは逸れて、
「…………はい」
と、思い詰めたような顔と声で彼女は応えた。
「……白菊?」
何か不安でもあるのか。視線を送ったトレーナーさんも、彼女の反応に怪訝な表情を向けていた。レッスンも順調なんだろう。ならばなぜ。
すぐに思い当たった。考えるまでもないじゃないか。そうだ、不安に決まってる。
「大丈夫だぞ、心配しなくて」
「……え?」
「運営がしっかりしてるから、機材の不調なんてそうそう起こらん。仮に起こってもちゃんと対処してくれる。人数はそこそこの規模の合同だ、共演者の一人や二人が倒れても敢行される。時期も冬だから台風なんて絶対来ねぇし、都内だから大雪の心配もそんなにないだろ」
運営スタッフも優秀に決まってる。きっと、誰もお前を傷つけはしない。
「ほか、なんか不安なことあるか? ……あるんなら言え、全部ここでぶった切ってやるから」
白黒させていた目を一度大きく見張って、それから俯いてふるふるとかぶりを振った。
「よし。……んじゃトレーナーさん、レッスン、ビシバシやっちまってください。最高のパフォーマンスができるように」
「ええ。承りました」
レッスンルームの壁に掛かっている丸時計が目に入った。このあとは打ち合わせがある。
「さて、じゃあ俺はそろそろ仕事に戻るから。
……頑張ろうな、白菊」
さっきと同じ意思確認。
「……はい!」
今度は満足して頷くことができた。
*
相変わらず事務所に行くのは嫌だし、仕事だって別に好きなわけじゃない。それでもやっぱり、自分たちが上手くいっていれば相応に機嫌も気分も良くなる。要は俺は現金なのだ。
──呼び出しがかかれば、すぐさま反転して不機嫌になるぐらいには。
「……楽しそうにパソコン打ってるとこわりぃ」
「ん? ……なんだよ」
心底気まずそうに声を掛けてきた隣席の彼。その表情であらかたの要件は察したが、祈りを込めて聞き返した。届かなかった。
「部長が、お前を呼んでくれって。社長室で待ってるってよ」
椅子の背もたれに全力でもたれかかって、特大級のため息を吐いた。
「……わかった。行ってくるわ」
「達者でな」
「縁起でもねぇことを」
もうクーラーも必要ない時期に入って久しいというのに、社長室の空気は相変わらず不愉快なほど冷たく、下劣なほどに甘いニオイがした。
「ああ、来たか」
と芝居染みた声が二方向から飛んで来た。予想はしていたが、今日は二人がかりらしい。何も考えないように徹した。こいつらに何かを思うこと自体無駄なんだから。──わかってるのに。
「ホントにさ。早く売り出そうよ。あの子が今どれだけのチャンスか、君わかってる? 不幸な女の子、って謳い文句、めちゃくちゃ食いつき良いのわかるよね?」
俯きがちに立った。耳を貸すな。床のシミでも数えていればそのうちに終わる。
出るわ出るわ、陰湿非道な無意識無自覚無遠慮な言葉の暴力。
俺と白菊の頑張りを踏みにじり、パーソナリティを貶め、人格を攻撃し、挙句給料泥棒だとまで言い放って、最後のトドメに、
「君たちのためを思って言ってるんだから」
人のためにと出る言葉がそれなんだったら、お前らはもう誰かを想うのは一生やめておいたほうがいい。
「……早くしないとさ、ほんとにあの子の価値が、」
「お言葉ですけど」
話が三度目のループに入ったところで食い止めた。噛み付いた。限界だった。
「白菊の資質は大したモンです。それでいて今もずっと真面目に頑張ってる。そんな不名誉なアクセサリーに頼らなくたって、白菊は自分の力で立って歩けます。ちゃんと立派なアイドルになれますよ。
──もうデビューの算段もつけてます。報告書は逐次提出してますから、その辺りも把握してるはずですよね?」
おしゃべりな口は二つ揃って噤まれた。どうせ見てもいないんだろう。そんなものをイチイチ健気に書いている俺たちのなんと哀れなことか。
「……お話は終わったようなので、失礼します」
慣れたと思っていた。
おぞましいヒトガタのなにかの住処から出て、崩れるように壁に身体を預けた。
慣れたなんて、そんなことはなかった。腕時計に目を落とすと、社長室に入ってから三十分しか経っていなかった。健康な成人男性の精神をたったの半時間でここまで摩耗させられるなんて、これも一つの才能なんじゃないか。
内心の冗談をすぐに訂正して、ふらつきそうな足で前に踏み出した。
こんなものが、才能であってたまるか。
*
「……大丈夫ですか?」
一日経っても受けたダメージは完璧にはリカバリーしなかったらしい。翌日、顔を合わせて早々に心配された。まだ子どもの白菊に察されるほどか。
「別に大丈夫だ。ていうかなんの心配だよ?」
それに微妙な意地を呼び覚まされて、いじましくすっとぼけた。
「すみません。……あの、疲れてるみたいだな、って思って」
「……ああ」
無駄に思い出してしまい、一瞬顔をしかめた。すぐにいつも通りのものに戻して平静を装った。
「なんでもない。ちょっと昨日、いろいろあってよ。まあ心配することじゃねぇから」
「……そうなんですか?」
「ああ。お前は自分のデビューでトチらねぇようにってことだけ心配してろ。──今日もレッスンだろ? ほらほら、行ってこい」
乱暴に送り出してから、デスクの上に伏せった。耳にこびりついた不愉快な声はそうそう簡単には取れてくれない。気を抜けばリフレインするような。
「……お疲れだな」
上から声が降ってきた。安心できる仲間の声。その体勢のまま応えた。
「お疲れだよ。たまんねぇわ」
「吐き出して楽んなるなら聞くぞ?」
「言いたくもねぇからいい」
「重症だな……」
ギッ、と椅子が軋む音がした。気配でも座ったことがわかる。
「ボチボチやってくしかねーけど、だからって平気になるわけじゃねーもんな。無視すりゃいいって理屈でわかってても、感情は理屈じゃ動かねーし」
「……ほんとにな」
「あーあ、専務サマはここにゃ出てこねぇことだし、せめてどっちかでもいなくなってくれりゃなあ」
「当分くたばりそうもねぇよアレ」
「憎まれっ子世に憚りってな。上手く言ったもんだわ。しかしまあ、もしそうなったら通夜とか呼ばれるんだよなぁ。めっちゃ嫌じゃね?」
「超嫌だな」
「オレ成人式のとき悪ノリで買った白スーツ着ていくわ。中は黒のワイシャツにして。『モノクロならいいんだろが!』っつって」
「最高だな」
「お前どうするよ?」
「俺?」
そんなこと、聞かれるまでもない。
「呼ばれたって行かねぇよ」
ヒッデェ、と彼は笑った。
いなくなってくれたら。その仮定で、すぐに亡くなることを考えた俺だ。そりゃ非道なんだろう。
この日は溜まったデスクワークを処理する予定だった。そこそこの量があったから、定時に帰りたければ一日デスクに噛り付いておく必要があった。
頼むから、今日の呼び出しは勘弁してくれ。
そう神様に祈った。仕事の邪魔をしてほしくない。それもある。そしてなにより、昨日の今日でもう一度アレを喰うのはキツイ。
祈りは果たして聞き届けられた。
呼び出しはなかった。
「──チーフくん。ちょっとお話。いいだろ?」
その代わりに、悪意が向こうから直接やってきた。
*
昼食どきだった。そろそろ休憩でも取ろうかと腰をあげる人が出てくるタイミング。
事務机の並ぶフロアへの扉が開けられた時点で、その周辺が少しざわついた。その時点では何も気に留めなかったが、徐々に確実に大きくなるざわめきに異常を感じた。
顔を上げて様子を伺って、小さな舌打ちが思わず出た。
部長がこちらへ歩いてきている。クソ、今日も何か言われんのか、と覚悟を決めかけたあたりで、はっきりとその異常を知覚した。
後ろに引き連れてるのはいったいなんだ。
肉付きのいい腹を見せびらかすように歩く部長の後ろに、付いて歩く四人の男。
ボイスレコーダー。ハンディカメラ。首から下がった社内立ち入り許可証。
ざっと装備を眺めただけで嫌な予感が溢れるほどに全身を走った。続いて目に入った腕章。これ見よがしに雑誌社名を刺繍してある。誰やらが誰それと寝ただのなんだのと、一山いくらの下衆なゴシップネタばかりを扱うくだらないところだ。
その目に部長のものと同じような暗い光が見えて、特大の警鐘が脳内で鳴った。
「チーフくん。ちょっとお話。いいだろ?」
話なんて聞く必要がなかった。コイツは。
俺が思い通りにしないから、直接自分で白菊を売ろうとしている。──こんな下卑た記事しか書かないようなやつらに!
「なんです」
鋭く放った言葉に、部長は一瞬体を引いた。それから、気付かなかったかのようにまた同じ体勢に。
「……ん。いや、読ませてもらったんだ、報告書。それでさ、忙しいんだなってことは伝わったから」
誇らしげに引き連れた後ろをちらりと見やり、またこちらに視線を戻して口角を上げた。
「おれがプロデュース手伝ってあげようと思ってさ」
ふざけるな。叫びそうになって、すんでのところで思い留まった。ガセネタだってわかっていても、寄って集れば騒ぎ立ててしまうのが大衆心理だ。記者の前で軽率なことはできない。記者がいなければできただろうか? わからない。
「聞いてませんよ」
「そういう売り出し方をしようってことは、以前から言ってたじゃないか。今更何を言ってるんだ?」
「そんなことはしなくていいと、昨日伝えたはずでしょう!」
「大きな声出すなよ。手伝ってやろうってだけじゃないか」
ぐらり視界が揺れた。話が通じない。なんだこれは、本当に俺と同じ生き物なのか?
「…………で、あの子は?」
きょろきょろと辺りを見回すそぶりをした。
「今日は午前がレッスンだったよな。レッスン終わりにこっち顔出して、成果の話とかしてるんだろ?」
「……まだ帰ってきてません」
「そうか。じゃあ待ってよう。すみませんね記者さんたち、ちょっとだけ待っててください……ああ、そうだ。こちらの彼がプロデューサーだから、まずはここと話してもらってもいいね」
報告書を読め、だなんて皮肉を言った昨日を悔いた。俺たちの事情なんて、普段のコイツなら把握しているはずもないのに。最悪だ。時計の針は十二時を報せてからさらに進んでいる。白菊はもういつ帰ってきてもおかしくない。
「えーっと、んじゃプロデューサーさん? お話聞いていっすか?」
軽薄そうな作り笑顔をべったりと顔面に貼り付けて、一番前にいた男が言った。
喋り方でおサトが知れるというものだが、こんなところとしか取り引きのできないこっちも大概お察しだ。
こんなやつらと鉢合わさせてたまるか。こんなやつらに、白菊の邪魔をさせてたまるか。
必死の形相で走らせた視線が、隣席の彼とぶつかった。
──頼む。
────仕方ないな。
口は一切動かしていないのに、理解してもらえた感覚があった。彼は音もなく立ち上がり、意識の隙間を縫うようにスルリとその場から出て行った。
「……ねぇちょっと? 聞いてます?」
聞いてねぇよ黙れ。記者に対して湧いた言葉は噛み殺して細い息を吐き、お行儀よい業務用の仮面を作って外れないように嵌めた。
「……茶も入れずに、立ち話もなんでしょう。準備しますから、少しお待ちを」
*
そこからは、まさしく針のむしろに座っているかのような思いだった。悪意剥き出しの質問を丁寧にかわしながら、白菊たちを思った。
彼は上手くやってくれただろうか。もしもすれ違っていたら。そもそも彼に意図が通じていなかったら。もしも今、ひょっこりとそこの扉から白菊が入ってきたら。
昨日の三十分の二倍以上に長く感じた一時間ののち、デスクの上に置きっぱなしにしていた俺の携帯電話が鳴った。すぐに拾って画面を確認した。
表示は白菊からだった。声が漏れないように音量を最低限まで絞ってから、応答ボタンを押して耳に押し付けた。
「もしもし?」
『あ……もしもし、プロデューサーさんですか?』
「ああ。どうした?」
『ええと……その、レッスンは無事に済んだんですけど……ちょっと、体調が悪くなってしまって。あの、このまま帰ってもいいですか?』
疑問符に満ち満ちた声だった。なぜこんなことを言わなければならないのか、と訴えているような。
「ああ、わかった。気を付けてな」
『はい……? あの、お疲れ様でした……』
「お疲れ様。お大事にな」
言って電話を切って、安堵の息を深々と吐いた。
「……白菊が、ちょっと体調を崩してしまったそうです。今日は直帰させてくれという電話でした」
「ええ?」
記者たちがざわめいた。踏ん反り返って事務椅子に座っていた部長が慌てて立ち上がる。
「おいおい待て待て、そんな話があるか。レッスンは受けたんだろ? 多少体調が悪かろうが、話くらいできるだろう」
「声は消え入りそうでした。勘弁してやってください」
「ちょっとぐらい我慢させろ!」
「義務教育も抜けてない体調不良の女の子に、そんな無理をさせろと?」
部長から目を切った。送った視線の先は記者だ。どの程度部長の手がかかってるのか知らないが、あんたらはどんなネタでも食いついてたはずだ。
『子どもに無理な労働を強いる芸能事務所の社長息子』ってエサは美味くないか?
意図した通り、記者たちの好奇の目は部長に向けられた。さすがにそれに気付かない程愚鈍ではなかったらしく、部長は「……仕方ないな」と首を振って、記者連中にお引き取り願った。
──よかった。本当に。
あんなやつらに根掘り葉掘りと傷跡を抉られれば、大人だって叫びたくなるぐらい痛いはずだ。そんなことを白菊が経験しなくて済んで本当によかった。
彼には、今度何かお礼を考えなければならない。
安心した。心から。そうして凪いだ胸の中に、今度はふつふつと怒りが戻ってきた。
人の気持ちも考えず、ただただ利己的に周りを振り回し、それが正しいと信じ切っている。
あのクソ野郎は、いったいどれだけ人を馬鹿にすれば気が済む。
「……やれやれ、まったく……」
自ら呼んだ記者を見送っていた部長が、室内に戻ってきた。その顔には被害者ぶった色がありありと見て取れる。
「たまらん話だよ。なんでこんなときに限って体調なんて崩すんだ。信じられん」
黙れ。どうしてお前がそんな顔をできるんだ。
「まったく、せっかくおれがチャンスを用意してやったのに。無駄にしちゃうなんて、ほんとに不幸な子なんだな?」
黙れ。誰がそんなことをしろと頼んだ。
「ああ、そうだわかった。不幸だ不運だって、さては日頃の行いが悪いんじゃないか?」
頭の中でなにかがブチ切れる音がして、目の奥はスパークを起こした。
「────黙れ!!」
お前がいったい、白菊の何を知ってるって。
弾けたように詰め寄って、勢いそのまま胸ぐらを捻じ上げた。
「カ……ッ!?」
目の前の口から汚い息が漏れた。ポカンとしたバカ面は、状況を理解し始めてみるみる変わる。恐怖に歪んだ顔は見ていられないほどに醜い。
それでもなお、目の奥は疑問を訴えていた。なぜお前は怒ってる、とでも言いたげに。
こんな男が。こんな男を。こんな男に。
「……!? おいバカ、誰か止めろ!!」
走って戻って来たらしい友人の姿が、視界の端に一瞬映った。
──止まらなかった。止められなかった。
振り上げて振り抜いた右拳に、今までに経験がないぐらいの衝撃が走った。
赤い飛沫と甲高い絶叫が飛ぶのは同時だった。
*
「──クビだ。帰ってくれ」
言われるまでもなくわかっていた。
必要最低限の私物だけをカバンに詰めて、すっかり馴染み深くなってしまったデスクに別れを告げた。
オフィスの入り口まで出ると、玄関口の柱にもたれかかりながら、彼が呆れたような顔で待ち構えていた。
「……バカが」
短く言われた言葉が、何より染みた。
「……すまん」
それしか返せなかった。頭には、なんの語彙も浮かばなくて。
「……ちゃんとやらなきゃいけねーことはやれ。クビになったって、できることはあんだろ」
すれ違いざまに彼が呟いた言葉に、深く頷いた。
「オレにできることは、やっといてやる。お前のデスク勝手に使うからな」
「……恩にきる。本当に」
「世話ばっか焼かせやがるやつだよ、お前は」
冷たい風が頬を撫ぜた。涼しいとはもう思えなくて、肌が粟立ちそうなそれは冬の予兆に充分なほど。切れて肉が剥き出しの右手の甲がじくじくと痛んだ。
反省か、後悔か。体のド真ん中で渦巻く気持ち。一方で、達成感や解放感も、確かにそこで回っていて。
自分の今の感情に自信が持てなかった。
今まで我慢してきたのに。なんで。白菊はどうなる。ざまァみろクソ野郎。あとのことはどうなる。いい気味だ。俺はこのあと。ライブはいったい。
────畜生。
雑踏の中、着信音が聞こえた気がした。
携帯を確認した。メッセージが一件。発信元は白菊だった。
『何かあったんですか? あの電話は、何か意味があるんですか?』
続けざまにもう一件が届いた。
『私にできることがあれば、言ってください。お力になれるかは分かりませんけど』
痛い。
ただひたすらに、そのメッセージが痛かった。
問いには答えずに、ただ『ごめん』とだけを打って返信した。
「────あああクソっ!!!!」
俺はいったい、なにやってんだ。
俺の感情なんざ知るか。
吹っ切るために大声を上げた。そのせいで周りを歩く人たちが一様に驚いたようにこちらを見て、それからそそくさと距離を取る。
そんなことも、今はどうでもいい。
しんみりしてる場合か。違う。言われただろ。言われなくたって、わかってただろ。
やらなきゃいけないことはやれ。
繋がりは自分で絶ってしまった。それでもまだ、俺の中のあの子のためになりたいという思いは途絶えていない。
できることは、まだあるんだから。
立場は自分で捨ててしまった。それでもまだ、俺にはできることがある。ただ動くことにご大層な立場なんていらない。
タクシーを拾った。乗り込んで短く行き先を告げる。
携帯の中の電話帳を探って、ついこないだ電話したばかりの男へと電話をかけた。さすが仕事中は繋がりやすくしているらしい、コールはきっかり三つで途切れた。
『はい、もしもし?』
「俺です。……ちょっと直接話したいんですけど。時間もらえませんか」
『急ですね? まあ作れますけど、ライブの話ですか?』
「それも一つ」
『他にもあるんですか。いい話ですか?』
「悪くはないと、俺は思ってます。突飛な話ですみませんが。──シンデレラ・プロダクションさん。一人アイドルを増やしてみる気はありませんか」
『……へ?』
*
頼み込んだ。その冬の合同ライブは、何があっても、たとえ参加者の事務所が参加を取り消そうとしても、絶対に予定通りに執り行ってくれるようにと。
そして、一人の将来有望なアイドルを、引き取ってくれないかと。
菊花も蛍も、腐り切った土壌じゃ生きられない。
咲かない。輝けない。
どうか救ってやってほしい。
オッサンの頭一つにどれほどの価値が認められるのかはわからない。けれど、ともに酒を飲めるぐらいには親しい人を動かすだけの効果はあったらしかった。
風の噂に、十二月十日の新人合同ライブフェスは大盛況のうちに幕を下ろしたと聞いた。途中、不幸にも一人のアイドルの出番で照明が一時落ちたらしいが、それも演出のうちだと観客は思ったそうな。
*
『────へぇ、なるほど。ちゃんとやるこたやったんだな。アレも、やっぱお前の差し金だったってわけだ。まあそりゃそうか、普通他の事務所に所属してる子をスカウトなんざしねーわな』
「ああ。最初から結構乗り気でいてくれた。さすが器も規模もデカイわあそこ。でも、そのタイミングは向こう任せになっちまったから……ちょっと辛い目には遭わせたんかな」
『あー……いや、まあ多少な。そりゃオレにもできないことはあるし。仕方ないだろ?』
「責めてるわけじゃねぇよ。責められるかよお前を」
『恩人だからな、どう考えても』
「感謝してる。……そういや、俺訴えられんだろうなって思ってたんだけど。案外あのあとなんにもねぇし、なんかあったのか?」
『ああ。そりゃ単純に社長が表沙汰にすんの嫌がったんだよ。まあどんなアホが考えたって汚名にしかならんことはわかるからな。しこたま頚椎痛めた部長は訴訟訴訟って駄々こねてたけど、黙殺』
「そっか。そりゃ助かったわ。お前がなんかしてくれたわけじゃないんだな、恩一個増えずに済んだ」
『あっ、しくった。捏造し放題なのに。恩は売っとくべきなのに』
「……いやまあ、一個増えようがなかろうが、でっかい借りがあんのは変わんねぇし。別に頼みならなんでも聞くけど」
『……なんだいきなり。気持ち悪ィ』
「いや、ちょっと聞いたんだけどさ。──倒産、すんだって?」
『ああ、そのことか。するぜ。もう秒読み。まあお前の一件があったあと、プロデューサー組が後追って結構辞めてったし、そもそもそれなりの先見の明がある奴はウチなんて見切るしな。
人材の流出は止まらんし、それに伴ってアイドルも辞めてくし。新人雇っても上がアレだからロクに研修もつけられん。ズルズル傾いて止めようもない』
「……お前は大丈夫なのか?」
『いらん心配だな。潰れるとはいえ一つの会社の経理一人で回してたんだ、再就職先なんて困んねーよ。有能なんだぜオレは意外と』
「イヤミなやつ。そりゃ知ってるけど。……そういや、お前はなんで残ってるんだよ? 先だって読めてたんじゃないのか?」
『ああ、そりゃまあな。理由なんて単純だよ。
──あのバカ親子が完璧に崩壊するとこを見届けたかったからだ。さんざっぱら迷惑かけられて、友達に嫌な思いさせたクソッタレどもが、どんだけ無様に散るかってな。性格悪いとかわざわざ言うなよ、知ってるから』
「……言わねぇよ。イイ性格してんな、おい」
『褒めてねーのはわかる。……っと、悪い。そろそろ切るぞ』
「ああ。ありがとな」
『ん』
*
冬は瞬く間に過ぎて、また桜が咲いては散りゆく季節になった。朗らかな光が木々の枝葉の間を縫って差し込んでくる。
商店街の電気屋の軒先に、明るい光を灯すモニターがあった。目を奪われて、足を止めた。
黒髪をボブカットにした少女が、向こう側で歌っている。踊っている。──輝く舞台の上で。
「……ちゃんと笑えてんな。上等だ」
作業着のポケットに入れていた携帯を取り出し、とある少女とのメッセージ履歴を開いた。
『何かあったんですか? あの電話は、何か意味があるんですか?』
『私にできることがあれば、言ってください。お力になれるかは分かりませんけど』
『ごめん』
それからやや日時が空いて、
『本当に、ありがとうございました』
「……おい新人! なにボサッとしてんだ、置いてくぞ!」
「あ、すみません!」
新しく上司となった、気が強く口の悪い──部下思いの強面の男に呼ばれ、慌てて携帯をしまって駆け出した。
会話が成り立っているのかと言われたら、それはきっとなってはいない。
けれどこのいびつなやり取りは、確かな思い出の証明で、──紛れも無い、俺の宝物だ。
*
……軽率な就活をしちまった場合、お前の未来はこんな感じだ。波乱ばっか、反省と後悔ばっかだったけど、良いことも悪いこともないまぜに起こった。
これをトータルで見てどう思うかはお前次第。
悪いと思うならちゃんと堅実に生きろ。
良いと思うなら、そん時は好きにすればいいさ。
草々
倒産する事務所にいたころのほたるを書こうと思い立ち、気がつけばこんなものが出来上がっていました。
ご覧いただいた方、本当にありがとうございました。
元スレ
【モバマス】P「在り処をさがして」
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コメント一覧 (34)
-
- 2017年09月06日 00:21
- なんだこれ(鼻ホジ
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- 2017年09月06日 00:31
- ラノベ文体が気持ち悪いし、ラノベ的な設定が陳腐すぎる。
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- 2017年09月06日 00:33
- ほたるの話かと思ったらオラオラ君のブラック自虐ネタだった
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- 2017年09月06日 01:12
- 俺はそこそこ好きだよ
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- 2017年09月06日 01:30
- 俺はけっこう無理だよ
-
- 2017年09月06日 02:07
- みんな辛辣だなあ・・・
二度とほたる書くんじゃねぇぞコラァ!!!!!!!!!!!!!!!!!!
-
- 2017年09月06日 02:26
- お前らが好きなのって優男真面目Pだよな
ちょっとオラついたら無理とか陰キャの見本市かてw
最後だけ好き
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- 2017年09月06日 02:43
- ※7
おっ作者か?おつかれっしたぁー(ペッ
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- 2017年09月06日 03:29
- 単純につまらない。クソとまでは言わないけど尿つまらない
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- 2017年09月06日 03:46
- 俺は割と気に入ったぞ。
つまらんと思うならそいつがつまらんと思っとけ(鼻ほじ
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- 2017年09月06日 06:17
- このプロデューサー、ほたる愛以外は社長一家のことを言えないくらいDQNじゃねーか
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- 2017年09月06日 08:03
- そりゃSS読みに来てる人達がオラオラ系好きな訳ねーやん
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- 2017年09月06日 08:23
- たまには、こういうSSも悪くはないと思うんだけどなぁ
まあ各々好みの違いはあるだろうが、酷評されるほどのものでもないだろ
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- 2017年09月06日 08:50
- そもそもこれ、オラオラ系か?
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- 2017年09月06日 10:49
- オラオラ系じゃなくてただ態度とかが悪いだけでしょwww
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- 2017年09月06日 11:45
- まとめの米で適当な中傷しかできない陰キャが自己紹介してる...
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- 2017年09月06日 12:14
- ブラック企業の内面を書くのは上手かったけど、もう少しアイドルとの交流が欲しかったかな。最後の辺りとか現実的過ぎてキツイ
どこの会社も大概こんなもんだから覚悟しとけよお前ら。
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- 2017年09月06日 12:37
- 作者様が一人で必死に連投自演擁護しとるわぁ…キッモ
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- 2017年09月06日 12:39
- 自分は結構面白いと思ったが、意外に評判悪いな。
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- 2017年09月06日 12:50
- 面白いは面白い
でも評判悪い理由もわかる
単純にほたるの活躍がなさ過ぎる
Pと友人がマリオとルイージ、ほたるはなんにもできないピーチ姫みたいな扱いに見えた
そりゃここの繊細な奴らなら批判もするわ
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- 2017年09月06日 13:10
- これと似た話、ちょっと前に見た気がする
あれも確かほたるのプロデューサーが殴ってクビになったような
不幸が題材だと似た展開になるんかね
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- 2017年09月06日 15:41
- 作者はストレス溜めてるんだろうなぁと思ったSSでした
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- 2017年09月06日 16:29
- こう言う独白もうええわ
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- 2017年09月06日 17:46
- この手の話の本人は拾ってもらえない率の高さよ
一緒に呑みに行く仲でも同業者としてはかってもらえてないんだな
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- 2017年09月06日 21:24
- アイドルなんか書きたくねーんだよw
俺の私生活が書きたいの!
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- 2017年09月06日 23:45
- 酷評多いけど俺はすき
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- 2017年09月07日 01:32
- そこそこ面白かった。
でも前に似た感じのを読んだ覚えがある。
ほたるが前に所属してた事務所のP視点で、白菊呼びで、なんやかやあって最後は辞めたか倒産した後にメディア越しにほたるを見てエンド。
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- 2017年09月07日 01:34
- ※24
こういうテイストだと、最後はほろ苦系にしたい都合から別離させちゃうんじゃね
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- 2017年09月07日 15:21
- せめて紙に書いてくれていたらケツ拭くのに使えたのになぁ
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- 2017年09月07日 21:00
- 批判コメの言いたいこともわかるし、少し感じたけど、他人の肯定的なコメにまで噛み付くやつはちょっと頭が左巻きかなって
僕は好きです(半ギレ)
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- 2017年09月08日 18:38
- 他人の否定的なコメに噛み付くのは許されるしね!
頭が巻き巻き!
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- 2017年09月09日 11:21
- P『・・・』
ちひろ『・・・』
こんな風に書いてほしい
じゃなきゃ誰が誰と話してるか分かりにくい
書いてる作者は分かってるだろうけど、これじゃ作者の自己満足にすぎない
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- 2017年09月17日 14:16
- ちょっと待て
32は読解力無さすぎじゃないか?
作品の内容についての批評ならまだしも、ただ誰が喋ってるか分からないだけで作者の自己満って。
もうちょっと日本語力鍛えたらどうだ?
常人だったら誰が話してるか分かると思うんだが
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- 2018年08月31日 15:45
- ※32
病気やで君