鷺沢文香「バウムクーヘン」
「何がいったいどうしてなんだろう。昔から私は何を考えているのかわからないと言われてきました」
「文香ちゃん、なに考えてるかわかんないんだもん!と初めて言われたのは小学生の頃です」
「級友の、誰かから言われたのは覚えています。前髪を伸ばし始めたのもその頃から」
「その頃から、もしかしたら私は誰のことも見ないようにしていて、誰も私のことを見ないようになっていて」
「視線に気付かれないように、視線に気付かないように何重にも暗幕を張って、それで良いと思いこんでいました」
「でもきっとあのとき。ドアがカランコロン鳴って、それが暗幕が開ける合図になったんです」
ライブが終わって、確かに私は充足感に包まれていました。
やり切った。
汗がダクダクと流れます。
スポットライトの熱も、開けた視界も、ファンの作る光の波も、少し前までは全く知らなかったことだから。
暗幕が上がって、私を見て、歓声が上がるなんて、誰が想像出来るだろうか。
少なくとも私には縁遠い世界だったはずですし、そんな光景は本にだって書いてるわけがありません。
「お疲れ様、文香。どうだった?」
共演した奏さんは、こういうことには慣れているんでしょうか?
どこを歩いていても、なにをしていても華になる彼女のことだから。
「正直、困惑しています」
「あら……楽しくなかったの?」
「いえ、そうではなく……こんなに楽しいものがあるんだと思って」
そう言ったら、彼女はふふっ、と楽しそうに笑います。
余裕を感じさせる彼女の表情から、二歳の差はあまりに小さいものに思えました。
この世界では過ごした年月よりも経験の濃密さがものを言うのだな。
外に向けてきた感情の総量。それが私には大きく足らないように思えて。
「本当ね。アイドルって、楽しいわ。私もこうしてステージに立つなんて思いもしなかった」
「奏さんもですか……? 貴女ほど煌びやかな舞台が似合う人も、いないように思うのですが……」
「そうかしら。私だって、普通に女子高生なのよ?」
普通に夢見て、普通にクラスメイトとおしゃべりして。そういう女子高生だったの。
そう奏さんは言って、また楽しそうに笑いました。
「誰かに見られたいっていう欲は、あったかもしれないわね」
「誰かに見られたい……」
「そう、だから私は着飾るし、唇にルージュを引くの」
一度見たら視線を掴んで放さない。その唇に彼女は手を当てる。
「ねぇ、文香って、恋したことある?」
「えっ?い、いえ……」
「本の中の出来事だと思ってた? 私もなの。ずっと恋愛映画みたいな恋はできないんだろうなって、そう思ってた」
心の中を見透かされてしまう。きっと奏さんはエスパーなんだ。
ヘアメイクの力で上げられた前髪がさらさら揺れて、それでも視界を邪魔することはない。
なんとも言えず不安だけれど、奏さんはしっかり私の目を見て話します。
「恋をすると、その人に見られたくって堪らなくなるの」
「そういうものなのでしょうか……?」
「ええ。きっと文香もそう」
「私も……」
その唇から放たれる言葉は、悉く私に突き刺さります。
奏さんとしっかり目を見て話すことなんて、今までなかったかもしれない。
彼女の目は角度によってレモンイエ口ーに輝くって初めて気づいた。
「ほら、プロデューサーさんたちが迎えに来た。そろそろ行きましょう?」
「奏さんは今、恋をしているんですか……?」
「そうね……私きっと、恋してる」
今日一番の笑顔で、奏さんは答えました。
きっとそれは誰かへの特別な表情でした。
「ねぇ文香。目は口ほどに物を言うって本当なのね。貴女の目、本当に綺麗よ」
思わず前髪を撫でつけるけれど、綺麗にセットされたそれが目を隠してくれることはなくて。
「貴女は、その目で誰を見るんだろう。楽しみね。ふふっ♪」
駆け出した彼女は自らのプロデューサーの手を取って、二人で歩き出しました。
なんてことだろう。このまま赤い顔で、プロデューサーさんに会うことになってしまった。
「うわっ、文香、顔真っ赤」
無遠慮にプロデューサーさんはそういうから、流石にむっとした。
また前髪を下ろしていたのに、よく気づく人だった。
「えっ、なに、怒るようなことしたか俺」
「女性には……気づいてもそういうことは言わないものだと思います……」
デリカシーのない彼は、すまないと謝り倒しています。
が、その程度で私の機嫌は良くなりません。
なにか補填を要求します。つーん。
「わかった。なんでも言うこと聞くから、機嫌直してくれよ」
「今、なんでもっていいましたね……?」
言質は取りました。
「おう、今日はクリスマスだしな!」
「中原中也……」
「えっ?」
「中原中也の詩集を要求します……」
「なんだ、本か。そのくらいなら」
「無論、全集ですよ……全五巻、なんなら別巻まで……」
「へ……? んなぁっ!!」
手元のスマートフォンで値段を確認したプロデューサーさんは、すっとんきょうな声を上げる。
なんだか可笑しくって少し笑ってしまった。
「この近くの古書店に有りましたから……行きましょう。今すぐ」
「あぁっ、ちょっ、意外とこの娘力強いっ!」
ずるずると彼を引きずって、私たちは会場を後にします。
前髪は今度こそ目の前で揺れて、彼がどんな表情だったかはよく見えませんでした。
困ったような声が聞こえて、私はそちらの方を見ずに、ずるずると書店に向かいます。
街は一面クリスマスムードが漂っていて、あぁ今日はクリスマスなんだな。
今日「クリスマスライブ」を演っていた私が言うのもおかしいですが。
彼は少し丸まった背中で、隣を歩いています。
中原中也全集が彼の両手に重たくぶら下がっているからなのは言うまでもありません。
恥ずかしい話ですが、クリスマスのやたら男女が多い街を、実際に歩いたのは初めてでした。
「少しお持ちします……」
「文香は優しいなぁ。身に染みるよ……」
「それは、皮肉でしょうか……?」
「滅相もございません」
彼から全集を二冊受け取って、ずしりと腕が重たくなります。
小さなころ、大好きな両親にクリスマスプレゼントとして大きなハードカバーの本を貰って、とても嬉しかったのを思い出しました。
この腕の重みは、そのときの喜びによく似ている。
子どものころから、私はなにを考えているかわからないんだそうです。
今も本当に嬉しい。
どうして、他の人には伝わらないのでしょう。
前髪で目を覆ってしまえば、そんなことは考えなくても良くなった。
今だって、プロデューサーさんの表情は見えなかった。
前髪が伸びてから、初めてきちんと見た顔は、きっと彼です。
叔父のお店で店番をしていたら、急に彼が前髪をかきあげて。
目と目が会うなんて経験はそのとき本当に久しぶりで、彼は宝物を見つけたような表情をしていました。
それはもう狼狽えている私の前に、彼の名刺が置かれたのも良く思い出せます。
それからはどうだっただろう。
日々忙しくなるアイドルの仕事に追われながらも、彼はちゃんとと私を見てくれていました。
そもそも、アイドルに成り立ての私に次々と仕事が舞い込んで来たのだって、彼が私をよく見てくれていたから。
よくよく考えると、それまで彼ほど、私をわかってくれている人もいなかった。
どうしてって、それは今まで私の心を前髪で隠していたからで。
彼は無理矢理暗幕を開けて、私自身を見てくれました。
それから、私は、私の心はなにか変わったのだろうか。
結局、いつもは前髪を下ろして、私を隠して、なにも見ないままだった気がする。
さっき私が連れ出したとき、彼は笑っていたんだろうか。呆れていたんだろうか。怒っていたんだろうか。
今、キラキラとクリスマスは眩しく輝いている、はずです。
前髪のフィルターを通したら、少し暗くなって、それが私には丁度良かった。
道を行き交う人たちは皆どのような表情なのでしょうか。
隣を歩くプロデューサーさんも、フィルターを通してしまえばこの通り。それが私には丁度良かった。
本当に?
LEDに彩られた街を、私たちはゆっくりと歩く。
きっと彼が私の歩調に合わせてくれていて、優しいのは彼のほうでした。
彼はこれまでずっと私に優しかった。
私が優しいなんていうことはなくて、実際今日もプロデューサーさんを振り回してばかり。
本当に、それで良いのでしょうか?
このまま彼をただ振り回して、そうしていたらいつか愛想を尽かされるんじゃないか。
そんなの、堪らなく嫌でした。
いつのまにか、プロデューサーさんは少しずつ私の前を歩いていました。
彼が早足になったんじゃなくて、私の歩くのが遅くなったから。
彼は私の方を振り返ることなく、スタスタと歩いて行ってしまいます。
私が隣にいないって、まだ気づいてない。
このままじゃ、人混みにそのまま混じってしまう。
お願い、気づいて……!
私の心は臆病だから、彼に駆け出そうとしても、脚が震えた。このままではダメ。
私の心は臆病だから、彼を呼ぼうとしても、口がパクパクと震えるだけ。
このままでは、ダメだ。
勇気がない。
今まで他人を見てこようとしなかったからです。
ちゃんと彼を見ようとしたら、こんなに勇気が要るなんて。
一歩でいい。先ずは右脚。その次に左脚。
怖いのは否定されること。
彼に手を伸ばして、それを掴まれないこと。
それでも一歩、二歩と脚は進んで、彼はあと少しです。
彼のことをちゃんと知りたい。
臆病な私は、言葉ではうまく言えないけれど、だからこそ、まずは私と目を合わせて。
見て。見て。私のことを、これからも見てください。
そうしたら、今度こそは私も、貴方を見ます。
だから。
あと少し、あと一歩。空いた手を伸ばして、彼の袖を引きました。
彼は本当に私が後ろに行ってしまったのに気づいてなかったらしくて、肩で息をする私のことを心配してくれました。
ずるいですよね……なにも見ないでいたのに。
なにもしなくても貴方からは見られるだなんて、甘えていました。
私、これからきちんと貴方を見ます。
だから……貴方も私のこと、見ていてください。
バウムクーヘンの層を一枚一枚剥がすように、彼によって私の視界が開けていきました。
少しずつ、少しずつ。
クリスマスのイルミネーションはどんどん明るくなる。
すれ違う人の幸せそうな顔が見えて。
その次に、やっと。
あぁ、彼の笑顔が見えた。
お わ り
元スレ
鷺沢文香「バウムクーヘン」
http://ex14.vip2ch.com/test/read.cgi/news4ssnip/1450955000/
鷺沢文香「バウムクーヘン」
http://ex14.vip2ch.com/test/read.cgi/news4ssnip/1450955000/
「シンデレラガールズ」カテゴリのおすすめ
- アーニャ「教えてください、ミナミ」
- 武内P「……枕営業」
- モバP「頑張る君たちへ」
- モバP 「佐久間まゆに逆襲する」
- 武内P「……ウサミンロボ?」
- 杏「甘えちゃいけない」
- モバP「最近、愛梨が冷たいんです」
- モバP「俺のシンデレラは一味違う」
- モバP「髪フェチなんですよ、俺」
- 美城常務「「アイドル事業部門の全てのプロジェクトを解体し白紙に戻す」 武内P「……」
- 佐久間まゆ「島根は鳥取の左側ですよぉ!」神谷奈緒「鳥取は島根の右側だぞ!」
- モバP「緋桜お嬢、でどうだ?」
- 渋谷凛「ちょっといいかな?」 高森藍子「はい?」【モバマスSS】
- モバP「お前ら笑ってられるのも今のうちだぞ」卯月「!?」
- 乃々「な、なでなでしたい病……ですか」輝子「……」ナデナデ
- 武内P「…」美城常務「…」
- モバP「アイドルたちをグラフでまとめた」
- 杏「杏・輝子・小梅のシンデレラジオ 第48回」
- 木場真奈美「プロは大体一発録りだと言うな」
- 渋谷凛「嗅ぎたい?」
「ランダム」カテゴリのおすすめ
- 十神「……また来たのか」セレス「ええ」
- 杏「プロデューサーとの日々」
- メトリアカントサウルス「今回も映画に出れなかったな・・・」
- 十神「暇だ。苗木、とりあえず誰かを丸刈りにするぞ」
- 雪女「エアコンの代わりに雇って頂けませんか?」
- P「挨拶でキスするようになってしまった」
- 渋谷凛「ふーん…新しいアイドル?」
- 魔女「仕返ししてやる」
- 赤犬「ゆっりゆっららららゆるゆり♪」
- 杉下右京「ひぐらしのなく頃に」
- 【デレマス】凛「え、キットカッ〇を口移しするCMですか?」卯月「私はいいよ」
- セイバー「最近、シロウが教会に行くことが多いです」凛「なんで?」
- 一夏「ドゥフフフwwww拙者織斑一夏でござるよwww」
- セシウムさん「あたいのお米食べてほしいっぺ!」
- モバP「女は、信用できない」
- ことり「穂乃果ちゃんと海未ちゃんをロッカーに閉じ込めてみた」
- キリト「埼玉県川越市から来ました。桐ヶ谷和人、23歳です」
- 【ラブライブ!】「岸辺露伴は動かないー音ノ木坂ー」
- 男「賢くて強くて早口な彼女」
- モバP「危機が迫っているだって?」
コメント一覧 (30)
-
- 2015年12月24日 21:23
- ※1 被ってるのは一枚じゃないのか(困惑)
-
- 2015年12月24日 21:26
- ※1
剥いてやるよ
( ・ω・)
( ヽ lヽ,,lヽ;,チュイィィィン
/⊂〓( |二二⊃ ・,'
( / ̄ と.、 i
しーJ
-
- 2015年12月24日 21:32
-
しっとりとした良い話です。やっぱりふみふみマジ可愛い。
やっぱり清楚でおっぱい大きくてメカクレな正統派文学美少女って最高だね。
それと※1……お前の後ろに居るブルーベリー色のツナギを着たいい男が懇切丁寧に剥いてくれるそうだ。良かったな、今夜は性夜だ。存分に可愛がって貰えよ。
-
- 2015年12月24日 21:33
- ※1皮剥いても使いどころないでしょ
-
- 2015年12月24日 21:34
- つーか、ぽこちんってNG指定されてないのな
-
- 2015年12月24日 21:38
- ※4
その方がどのような方かは存じ上げませんが、今晩だけはストロベリー色なような気がします
-
- 2015年12月24日 21:42
- 中原中也全詩集か…6巻でいいのか、文香は優しいなぁ…(参考までに白秋全集39巻、別巻1 計40巻)
※1
OK、林檎剥き機持ってくる
-
- 2015年12月24日 21:42
- 今夜はクリスマスだぞ!
奇跡が起きたっていいじゃあねえか!!
オレの隣に現れろ、文香ぁ!!!
-
- 2015年12月24日 21:43
- ※1
つピーラー
-
- 2015年12月24日 21:45
- ※4
腹ん中がシャンパンでパンパンだぜ…
次はクリスマスケーキ(チョコレート)だ
-
- 2015年12月24日 21:49
- ※1
よしお前、オレのケツの中でクラッカーしろ
きっと、良い気持ちだぜ
-
- 2015年12月24日 21:51
- ※12
発射…するよ… パァン
-
- 2015年12月24日 21:55
- イブを下ネタで台無しする※欄
-
- 2015年12月24日 22:00
- ここまで皆童貞
おまえらのぽこちんなんか一生使い道ないから
-
- 2015年12月24日 22:01
- ※15
今朝、小便してオ○ニーして過労死状態
-
- 2015年12月24日 22:24
- 開幕フジファブリックやんけ
-
- 2015年12月24日 22:37
- 懐かしい歌をネタにしたなぁ。今日は確かフジファブリックの初代ボーカルさんの命日だったっけ…
-
- 2015年12月24日 23:13
- こんなオシャレな作品で何故この※欄なんだ…(笑)
-
- 2015年12月24日 23:33
- 実際に中原中也全集の値段をクグッてみたが…マジで結構な値段すんな…10連ガチャ何回分だっつーの。
-
- 2015年12月24日 23:54
- 詩のように綺麗な流れだった
-
- 2015年12月25日 00:03
- 志村追悼。
-
- 2015年12月25日 01:53
- フジファブリックを元ネタに使うとはやりますねぇ! SSもしっとりしていてそれでいてベタつかない。志村蘇ってくれよな〜頼むよ〜 (諸行無常)
-
- 2015年12月25日 04:06
- ああ、何か元ネタあるん?何か読みにくい書き方してるし今ひとつノリが解らなかったから奏が出たあたりで止めたけど
-
- 2015年12月25日 04:58
- タイトルでハイロウズのアルバム思い出した(´・ω・`)
-
- 2015年12月25日 10:53
- …全く折角のクリスマスなんだから、恋人なり家族なりとまったり過ごそうぜ。
そうだよな、文香。昨日は楽しかったよな。(虚ろな目で微笑む音)
-
- 2015年12月25日 13:19
- 米欄みんな米1のために優しいね
-
- 2015年12月25日 15:01
- 何時かな子が出てくるのかと思ったら出なかった
-
- 2015年12月25日 22:35
- 学のないワシに教えて欲しい。
筋少のオーケンがよく言う「中也」はこの人のことなのかい?
-
- 2015年12月27日 16:02
- ん?今
今日は性夜だぞ!
あくしろよ!!