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【艦これ】鳥海は空と海の狭間に【その2】

関連記事:【艦これ】鳥海は空と海の狭間に【その1】





【艦これ】鳥海は空と海の狭間に【その2】






358: ◆xedeaV4uNo 2016/09/20(火) 23:53:39.34 ID:4Ie/W/GS0



◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆



 ノックの音で鳥海は目を覚ました。
 時間、と考えて倦怠感に見舞われる。
 さらに続いてドアを叩く音が部屋に転がり込む。部屋の鍵は開いたままだから好きにすればいいのに。

「高雄よ」

 姉さん、と言おうと口を動かそうとしても動作に対して声が続かない。

「入らせてもらうわ」

 ため息と一緒に吐き出されたように鳥海には聞こえた。
 鳥海は今更ながら自分がパジャマのままで、しかも毛布に包まったままなのに気づいた。
 どうしようと思い、別にどうでもいいという考えに上書きされる。
 普段の鳥海ならありえない考え方だったが、同時にそれは退廃的で魅力的とも感じた。
 高雄は入ってくるなり眉をひそめる。起床の時間はとっくに過ぎていたらしくて、それで様子を見に来たらしい。

「起きなさい。そうやって腐ってるつもり?」

 高雄は鳥海を見下ろしながら言う。下唇を噛む表情は怒っているとも悲しんでいるとも、あるいは悔しがってるようにも見えた。
 その視線に耐えられずに鳥海は顔を背けてしまう。
 鳥海は起き上がろうとしなければ、高雄も無理強いはしなかった。

「窓、開けておくわよ。締め切ってても体に毒でしょ。暑くなってきたら閉めて冷房を入れなさい」

「……はい」

「話せるなら、しゃんとなさい」

 責めるような言葉に胸が締めつけられる。鳥海は反射的に答えていた。

「ごめんなさい」

「鳥海」

「ごめんなさい」

 謝るばかりで鳥海は高雄を見ようともしない。





359: ◆xedeaV4uNo 2016/09/20(火) 23:54:29.54 ID:4Ie/W/GS0



 高雄はベッドに手をつくと鳥海を上から覗き込む。

「謝るなら私の目を見て言いなさい」

「……ごめんなさい」

 高雄の表情が心配するよう不安げに変わる。
 ごめんなさい。もう一度言う。
 姉さんをそんな顔にさせる気も心配させる気もなかったんです。でも、どうしていいのかも分からないんです。
 鳥海のその気持ちは声にならなかった。
 言葉を詰まらせた高雄は妹から離れる。次にかけた言葉は優しい声だった。

「しばらく休んでなさい。あなたは今まで十分よくやったわ」

 高雄は背を向け、部屋から出て行こうとする。
 その背中に鳥海は辛うじて声をかけた。

「……十分ってなんですか」

 反発と呼ぶには弱々しい言い方だったが、少しだけ違う反応を鳥海は見せる。
 高雄は背を向けたまま立ち止まった。

「何も足りてないじゃないですか……姉さんだって分かってるのに」

 力が及ばないことはある。残念だけど。
 だからといって、それを認めていけるかはまったく別の話だった。
 もしも私が力を尽くした結果がこれで、それを十分と言うのなら……姉さんは残酷だ。
 高雄は何も言わないまま部屋から出て行く。
 今は時間が必要だと考えていたのかもしれない。あるいは愛想を尽かしているのかもしれない。
 無言の背中が出て行くのを鳥海は見送るしかなかった。





360: ◆xedeaV4uNo 2016/09/20(火) 23:55:29.19 ID:4Ie/W/GS0



◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆



 高雄が出ていってしばらくすると鳥海は眠った。
 疲弊した頭ではどんな考えも後ろ暗くなって、自分を責め立てて悪い方向にだけ直進していく。
 参ってるんだと考え、少しは気分も上向くかもという淡い期待も込めて鳥海は眠る。
 やがて目を覚まして、その日初めて見た時計は十二時を過ぎていた。
 昼時。しかし鳥海は空腹感がなかった。
 だから部屋を出て何かを食べに行こうという気にはならない。
 喉の渇きは少し感じた。でも、この時間に部屋を出たら他の艦娘に出会ってしまうかもしれない。
 どんな顔をしていいのか分からなくて、鳥海は部屋で大人しくしていようと決めた。
 すっかり汗ばんでいた。部屋の窓が開いている。そういえば姉さんが開けていったんだと、鳥海は思い出す。
 暖まってねっとりした外気が窓から入り込んできている。暑さに慣れているつもりでも暑いものは暑い。
 そろそろ閉めよう。それにはまず起きないと。
 少し乱暴なノックの音がしたのは、鳥海が上半身を起こした時だった。

「摩耶様だけどいるかぁ?」

「……いるわよ」

 本来の調子ではないが、朝よりはすんなり声が出てきた。

「お、よかった。邪魔するぜ」

 鳥海の返事も聞かずに摩耶は部屋に入ってくる。
 摩耶は一瞬たじろいだ。

「あっついな、ここ」

「クーラー入れるとこだったの。押してもらえる?」

 摩耶が頷きつつクーラーのスイッチを入れる傍ら、鳥海は立ち上がって窓を閉める。
 一度は立った鳥海だが、すぐにベッドの脇に座った。
 動き始めたクーラーがかすかな駆動音を立てながら、部屋に充満した熱を片隅に押し込もうと冷風を送り出してくる。





361: ◆xedeaV4uNo 2016/09/20(火) 23:56:21.53 ID:4Ie/W/GS0



「何しに来たの?」

「ご挨拶だな。腹減ってるだろうと思って、おにぎり持ってきてやったのに」

「……おなか空いてないから」

「本当かあ? 意地張ってんじゃないの」

「張ってないよ」

「分かった。じゃあ、ここに置いとくからな。腹減ったら食えよ」

 摩耶は机の上にアルミに包まれた小振りな塊を二つ置く。
 それで帰るでもなく、摩耶は鳥海の部屋を物色するように眺める。
 鳥海はその動きを視線で追いつつ、どこか困惑したように言う。

「ここには摩耶の欲しい物なんてないよ」

「あたしの欲しいもんねえ……あたしが欲しいのは鳥海だ、なんつってね」

「意味が分からないよ」

 鳥海は少しだけ笑いそうになって、それに気づくと戒めるように唇を硬く閉じる。
 ほとんど視線を逸らしていなかった摩耶が腕を組んで首を傾げる。

「分っかんねえなあ。そこまでして、どうしたいんだよ?」

「……どういう意味?」





362: ◆xedeaV4uNo 2016/09/20(火) 23:57:10.15 ID:4Ie/W/GS0



「自分を押し殺して、んな顔して。何が悲しいんだよ、鳥海?」

「何がって……そんなの決まってるじゃない」

「だったら教えてくれよ」

 挑発するように摩耶は体を前に乗り出す。
 鳥海はそんな摩耶に腹を立てる。普段なら流せることが、今はできない。
 生じた怒りを隠さずに言う。

「司令官さんがいないんだよ。どんなことになったのかも分からないのに……」

「提督のために笑いたくないってか? バカかよ」

 摩耶は感情のままに吐き捨てる。
 それは鳥海を動揺させた。摩耶の指摘は図星だった。

「お前が喪に服してるみたいになって提督が喜ぶような男かよ。それとも鳥海の中じゃ、あいつはそんなやつだったのか?」

「違うよ……」

 言い返した鳥海の声は消え入りそうだった。間違いを突きつけられていた。
 その様子を鼻で笑うように摩耶が言う。

「これじゃ浮かばれないな、あいつも」

「……殺さないで」

 鳥海は俯いて呟く。
 頭の中では摩耶の言葉が反響し、それは鳥海の自制を奪う。
 飛びかかるように摩耶の胸ぐらに掴みかかって壁に押しつける。
 摩耶は驚いたり怖がるどころか、逆に鳥海の目を見返してきた。





363: ◆xedeaV4uNo 2016/09/20(火) 23:57:48.66 ID:4Ie/W/GS0



「司令官さんを勝手に殺さないでよ!」

「はっ、怒ったのかよ!」

「いくら摩耶だって!」

「お前がそんなんじゃ、あいつだって殺されてるようなもんじゃねえのか!」

「そんなの……!」

 ……分かってる?
 分かってるなら、なんで私はここでこうしてるの?
 俯いた鳥海の腕から力が抜ける。摩耶は鳥海の指を優しくほぐすように胸ぐらから外す。

「何が悲しいんだよ、鳥海?」

 最初と同じ質問。摩耶の声はあくまで優しかった。

「……出ていって」

 絞り出すように鳥海は言うと、摩耶が息を呑む気配がした。
 今はもう摩耶と、他の誰かと一緒にいるのが耐えられなくて鳥海は怒鳴っていた。

「お願いだから出ていってよ!」

 二人とも目を合わせようとしないまま、摩耶は何も言わずに部屋を出て行った。
 鳥海は独りになった部屋でベッドに身を投げ出す。頭の中は混乱していた。
 摩耶が言っていたことは正しい。でも、それを認めてしまったら……。
 そのうちに空腹感が出てきて摩耶が置いていったおにぎりを食べると、理由の分からない涙が出てくる。
 みっともないと鳥海は思った。





364: ◆xedeaV4uNo 2016/09/20(火) 23:58:34.36 ID:4Ie/W/GS0



◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆



 愛宕が摩耶と出くわしたのは、摩耶が鳥海の部屋から出てきた直後のことだった。
 すぐに愛宕は摩耶に話しかける。

「様子はどうだった、摩耶?」

「ああああ愛宕姉さんか!」

「ちょっと興奮しすぎよ。どうしたの、そんなに慌てて?」

「あたしは別に慌ててなんか!」

 しどろもどろな摩耶に愛宕はおかしくなる。
 とはいえ、鳥海の部屋の前で身の上話を始める気はない。
 筒抜けになってしまうのは好ましくなかった。
 二人は歩きながら話す。

「それで何をそんなに慌ててたの」

「あたしは単に発破をかけようと思って……」

 摩耶はしょげたように事のあらましを説明する。
 愛宕はうんうん頷きながら話を聞いていたが、一通り聞くと気が抜けたように笑う。

「それはさすがに鳥海だって怒るわよ」

「だよなあ……けどさ、もう見てらんなくて」

 摩耶はやきもきしている。
 対する愛宕は穏やかな調子で言う。

「でも怒らせたのはよかったと思うわ」

「……そうなの?」

「怒る気力がないほうが重傷でしょ。まだ心は折れてないのよ」





365: ◆xedeaV4uNo 2016/09/20(火) 23:59:04.08 ID:4Ie/W/GS0



「そっか……うん、ならいいんだけどさ」

「私も摩耶の言ってることは間違ってないと思うしね」

 愛宕がそう言うと摩耶は安心したらしく、口が軽くなった。

「……しかし怖かったなあ。やっぱ、鳥海は怒らせちゃダメなやつだ、うん」

「普段怒らない子が起こると怖いのは常識よ?」

「だな。となると姉さんも怒らせたら怖いわけか」

「試してみる?」

 愛宕は摩耶に向かって面白そうに笑う。あまりに普段と変わらない態度だった。

「遠慮しとくかな」

「あらあら、やっぱり摩耶は素直ね」

「やっぱりってなんだよ、やっぱりって」

 釈然としないというような顔をする摩耶だったが、ふと愛宕に尋ねる。

「そういや姉さんは会わないでいいの? それで近くにいたと思ったんだけど」

「そのつもりだったんだけど、話を聞いたら今はまだ行くべき時じゃないかなって。他に聞いておきたい話もあるし」

 愛宕は怪訝そうな顔を浮かべる摩耶と適当なところで別れると、提督の執務室に向かう。
 そこでは高雄が鳥海の代行をしていた。





366: ◆xedeaV4uNo 2016/09/20(火) 23:59:37.93 ID:4Ie/W/GS0



「代行の代行、お疲れ様」

「ややこしい言い方ね。私に何か用?」

「野暮用かな。遊びにきたのよ」

「あなたねえ……」

 絶句する高雄を尻目に、愛宕は来客用のソファーに腰を下ろす。
 高雄は秘書艦用の席に座っている。手は動いていない。

「お茶は出ないの? コーヒーでもいいけど」

「自分で入れなさいよ。急須もカップも置いてあるんだから」

「私は高雄が入れてくれた飲み物がほしいの」

「そっちは品切れよ」

「することなさそうなのに」

 高雄は不満げな視線を愛宕に向ける。が、すぐに観念したように言う。

「その通りよ、やることがないの」

「本当にそうだったの?」

「あの子、できることは全部終わらせてたのよ……」

 あの子とはもちろん鳥海のことだった。
 高雄は嘆くように言う。

「できることは全てやってしまって、それで追いつかれてしまった」

「提督がいないということに?」





367: ◆xedeaV4uNo 2016/09/21(水) 00:00:06.92 ID:wP+fJQp60



「ええ。本当なら、あの子が一番動揺してるはずだもの。何か起きてるって気づいてたから」

 愛宕も鳥海が異変を示唆していたのは覚えている。
 話を聞いた時は半信半疑だったが、今となっては鳥海が正しかったのを疑うつもりはなかった。
 もし信じていても……何も変わらなかったと愛宕は考える。だからこそ。

「悔しかったでしょうね……」

「ええ……今の鳥海を認める気はないけど、ああなってしまったのも仕方ないわ」

「そうだよねえ。私もそう思うよ」

「提督を失って一番悲しいのはあの子だもの」

 そうかもね、と愛宕も頷く。
 高雄の様子を見て、愛宕は意を決した。

「でも二番目に悲しんでるのはあなたかもしれないでしょ、高雄」

 その言葉に高雄は固まった。愛宕は続ける。

「気づかないとでも思ってたの? 私は愛宕だよ」

「……全然理由になってないわ」

 そう言いながらも高雄は愛宕の言葉そのものは否定しない。
 愛宕は座ったまま待つ。リラックスして気負った様子はどこにもない。
 高雄はやがて独白するように言う。

「私……提督と最後に話した時、あの子への嫉妬を話して……」

「うん」

「なんで、そんなこと話しちゃったのかな……こんなのが最後に話したことなんて、あんまりよ」

「いいよ、どんどん話そう。ここには私たちだけだもの。このぐらいはさせてよ」

 愛宕の言葉をきっかけに、高雄は堰を切るように内心を吐露しはじめた。





372: ◆xedeaV4uNo 2016/09/28(水) 00:49:50.44 ID:EaKkk2LU0



◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆


 白露が時雨に連れてこられたのは、時雨が懇意にしている艦娘の部屋だった。
 紅白の巫女のような格好をした扶桑と山城の姉妹が白露たちを迎える。
 畳張りの室内に上がった白露と時雨は、座卓を挟んで扶桑たちと向かい合った。
 開口一番、山城は気難しさを感じさせる顔で問う。

「それで、どうして私たちの所に来たの?」

「ボクたちだけじゃなくて他の目線からの意見が欲しかったからだよ」

 山城の視線や物言いには相手を黙らせるような雰囲気はあるが、時雨は物怖じせず普段通りに話していた。

「つまり相談役? もっと向いた子がいくらでもいるじゃない」

「いいじゃない、山城。こういうのは頼られる内が華よ」

 扶桑は山城をたしなめると時雨から白露を見る。
 山城とは逆に柔和そうなほほ笑みが出ていた。

「時雨と言うよりあなたの相談なのかしら、白露?」

「はい。今日はよろしくお願いします」

 普段よりもかしこまった白露が頭を下げる。
 扶桑がすぐに手を横に振る。

「いいのよ、そんなに硬くならないで。普段通りの調子で話してくれたほうが嬉しいわ。時雨だって、あんなだし」

「ボクは自然体を心がけてるからね」

「分かりました……じゃなくって分かったね」

 白露が言い直すと扶桑は満足げに頷く。





373: ◆xedeaV4uNo 2016/09/28(水) 00:50:36.63 ID:EaKkk2LU0



「それで相談というのは?」

「秘書艦さんのことで」

 白露がそう告げると、扶桑と山城は顔を見合わせる。疑問を浮かべて。
 反対側の白露と時雨も同じように顔を見合わせる。こちらは話そうという合図で。
 白露が話し始める。

「秘書艦さんが塞いでるのは知ってるよね」

「当然じゃない……不幸だわ」

 山城の言う不幸が誰を指しての言葉なのかは、白露には判断がつかなかった。
 疑問をよそに白露は話を進める。

「あたしはすぐにでも秘書艦さんの相談に乗ったりとか、とにかくほっといちゃいけないって思ってる」

「ボクは反対に今はまだそっとしておくべきだと思ってる。参ってる時には何を言っても届かないだろうから」

「二人ならどう思うか教えてもらいたくて」

 扶桑と山城はしばし沈思黙考し、扶桑が白露に聞く。

「ワルサメのことがあって、そう考えてるの?」

「うん。あたしはすぐに春雨に会えたけど、それでもあの子のことはずっと考えてた。その間、秘書艦さんはあたしに気を遣ってくれてて、思い返してみると助けられてたんだなって」

「借りがある、ということかしら?」

「そんなに大それた話じゃないけど、お返しに何かはしてあげられるんじゃないかなって」





374: ◆xedeaV4uNo 2016/09/28(水) 00:51:44.52 ID:EaKkk2LU0



「時雨はどうして?」

「ボクはあの時期の姉さんを知ってるからね。姉さんは報われてるんだと思う。春雨がいるんだから。でも鳥海はたぶんそうじゃない。
 今の彼女を苦しめてるのは自責なんじゃないかって思えるし、それに鳥海は生真面目だ。そういう性格は……折れるとしんどいよ」

 時雨の言葉を受けて山城が漏らす。

「折れてるとは思えないけど」

「……そうかな」

 戸惑う顔の時雨に答えず、山城が改めて聞く。

「話は分かったけど、それでどうして私たちの所に?」

「言ったじゃないか。他の視点からの意見が欲しかったんだよ。こういう時、妹たちは聞くには近すぎる気がして」

 扶桑は頬に手を当てて思案する。そうして山城に言う。

「山城はどう思う?」

「私ですか? そうですね……」

 山城は白露と時雨を交互に見て、それから白露に向かって小さくため息をつく。

「あなた、私たちが時雨に肩入れするかもしれないって考えなかったの?」

「全っ然。普段の時雨から聞いてる限りじゃ、そんな人たちとは思えないし」

「安心してよ、褒めちぎってるからね」

「普段から何を言ってるのやら」

 さも当然という態度の時雨に、山城は言葉とは裏腹に満更でもなさそうだった。





375: ◆xedeaV4uNo 2016/09/28(水) 00:54:13.52 ID:EaKkk2LU0



「まあ、そうね。冷たい言い方になるけど、私は正直にどっちでもいいと思うわ。あの子はたぶん自然と立ち直れる子よ」

「どうしてそう思うんだい?」

 時雨が身を乗り出すように聞いてくる。山城の発言を使って白露を封殺しようとしているようだった。

「目力っていうか輝きっていうか……私が知る限り、鳥海には前進しようという意思を感じるもの。そういう子は立ち止まったとしても、自分からどうにかできるし」

「つまり、ほっといっていいってことだよね?」

「言ったでしょ、どっちでもいいって」

 山城は時雨の意見を肯定も否定もしなかった。そのまま食いつき気味の時雨でなく白露に向かって言う。

「境遇というか近い立場で考えるなら白露の言い分が正解かも。その点では私より、あなたの感性のほうが正しいんじゃないかしら」

 白露は自分の首を傾げる。

「むぅ……それって結局は好きにしなさいってこと?」

「その通り。大体あなたは私たちが何か言ったところで翻意するの?」

「ほんい?」

 白露が初めて聞く言葉のように聞き返すと、山城は苦笑する。

「反対されたらやめるの?」

「やめたくない。あたしはそれでも話したいから」

 言い切る白露に、山城は呆れと感心が混ざって苦笑いから自然な笑顔になる。

「あなた、やっぱり時雨のお姉さんね」

「え! 今のやり取りのどこにそんな要素が……」

 山城の言葉に時雨のほうが驚いていた。ひとまず山城は時雨を置いておく。





376: ◆xedeaV4uNo 2016/09/28(水) 00:55:51.90 ID:EaKkk2LU0



「けれど一つ言っておくわ。安易に鳥海の気持ちが分かったなんて思わないほうがいいんじゃない。私なら自分の幸を簡単に共有されたり共感されたくないもの」

「はい……」

「とにかく相談の答えなら私は以上よ。そこまで言えるのなら当たってみればいいじゃない」

「分かりました!」

「扶桑のほうはどうなの?」

 時雨に聞かれて扶桑は首肯する。

「私も山城と同じよ。こうするのが正解というのはないでしょうし」

「そう……」

「時雨、やっぱりあたしは話すよ」

「……分かった。ボクはもう止めないよ」

 時雨は山城を見る。その目は剣呑だった。

「あーあ、山城なら加勢してくれると思ったんだけどね」

「何が加勢よ。安易に肩入れするわけないのに」

「山城にはガッカリだよ。ボクより姉さんを取るなんて……」

「見て、山城。貴重な拗ね時雨よ」

「動物みたいに言わないでよ」





377: ◆xedeaV4uNo 2016/09/28(水) 00:56:18.15 ID:EaKkk2LU0



「時雨もこうなると形無しだね」

 白露型の姉妹の中でも時雨はからかう側に回るのがほとんどなだけに、逆にいじられているのは白露の目から見ても新鮮な光景だった。
 ふと白露は扶桑が窓の先へと視線を移しているのを見た。その先には空が広がっているだけ。
 白露の視線に気づいたのか、扶桑は白露にほほ笑みかける。

「空はあんなにも青いのに、鳥海の心は灰がかっているのではと思って」

「秘書艦さんの心も青いと思いますよ。同じ青でも雨降りの青かもしれないけど」

 あたしがそうだったから、と白露は内心で続ける。
 時雨はそんな白露の横顔を見ながら思わせ振りに呟く。

「……雨ならいつか止むさ」

「雨が降ってるなら傘を用意しなきゃダメじゃない」

 白露は当然のことのように言っていた。





379: ◆xedeaV4uNo 2016/09/28(水) 23:01:38.79 ID:EaKkk2LU0



◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆


 真夜中になると多摩が部屋を抜け出している。
 木曾がその事実に気づいたのは数日前からだった。
 北上と大井だけは大井の熱烈な要望によって二人部屋になっているが、球磨型はトラック泊地に移ってからは個室を割り当てられていた。
 木曾の部屋の両隣は多摩と北上・大井ペアとなっていて、隣室の音は聞こえてこないがドアを開け閉めする音は廊下から聞こえてくる。
 夜中に多摩が部屋から出ていく音を聞いても、初めは花を詰みに行ってるのかと考えて気にしていなかった。
 まどろみつつも完全には眠れていなかった木曾は、やがて多摩が一向に戻ってくる様子がないのに気づく。
 それが二日続いて、日中の多摩は眠そうであくびを隠そうともしていなかった。

「まるで猫クマ」

「多摩は猫じゃないにゃ!」

 夜中に抜け出しているらしいと気づかなければ、姉同士のやり取りも他愛ないものに過ぎないはずだった。
 多摩が何かを隠していると感じた木曾は調べてみる気になる。
 日頃の木曾ならそんなことはしないが、提督を失ったという時期が時期だけに多摩の身を案じていた。

 その夜も多摩が部屋を抜け出したのを確認すると、木曾も慎重に部屋を出ると後をつけ始めた。
 多摩と、その後を追う木曾は泊地を出て車道へ。
 月と星の明かりを頼りに二人は夜更けを進んでいく。
 道の両側に天高く伸びた木々が、腕を広げた怪物のような影を投げかけていても多摩は気にせず歩く。木曾も同じだった。
 しばらく歩いていくと多摩はある場所で立ち止まる。
 距離を置いたままの木曾は近くの茂みに隠れようかと考えたが、すぐに多摩が振り返らずに声をかけてきた。

「隠れなくてもいいにゃ、木曾」

「なんだ、やっぱり気づいてたのか」

「多摩を出し抜こうなんて修行が足りないにゃ」

「修行って何するんだよ」

 木曾は堂々と多摩に近づいていく。そして、この場所に見覚えがあると気づいた。





380: ◆xedeaV4uNo 2016/09/28(水) 23:03:34.86 ID:EaKkk2LU0



「ここって」

「提督が乗っていた車が見つかった場所にゃ」

 日中とでは見え方が違うが、確かにその通りだと木曾は思う。

「どうして……」

 木曾は理由を聞こうとして口を噤んだ。理由は提督絡みしかなかった。
 だから言い直す。

「あいつがいるのか?」

「いないにゃ。いるなら、とっくに連れてきてるにゃ」

「じゃあ、夜中にこんな所に来なくても」

「もしかしたらと考えてしまうにゃ。提督はまだこの森にいて、助けを待ってるんじゃないかって」

 多摩は木曾に顔を向けずに肩を落とす。

「多摩は夜目が利くし耳もいいにゃ。もしかしたら提督が近くにいたら分かるかもしれないにゃ」

「多摩姉……」

「本当は分かってるにゃ。提督がここにいないのは。これは未練にゃ」

 木曾はいたたまれない気持ちだった。
 しかし振り返った多摩はひょうひょうとしている。

「これじゃ忠犬ハチ公にゃ。多摩は猫なのに……猫じゃないにゃ! キソー!」

「俺はまだ何も言ってないぞ!」

 いきなりの多摩に木曾も慌てて言い返す。
 対峙した二人の均衡は多摩が笑い出したことで崩れた。





381: ◆xedeaV4uNo 2016/09/28(水) 23:04:21.67 ID:EaKkk2LU0



「鳥海には悪いことをしたにゃ。多摩たちは提督を守れなかったにゃ」

「……あいつはそんな風には考えないと思うぞ」

「そうかにゃ? そうかもにゃ……でも歴史は繰り返してる気がするにゃ」

 多摩の呟きの意味が木曾には分からない。

「どういう意味だよ?」

「木曾がいなくなった時みたいにゃ。あの時は提督が今の鳥海みたいだったにゃ」

 木曾は小さな疼痛を感じて、苛立たしげに胸元を指先で叩く。
 先代の木曾が戦没した時の話は、今でも木曾の気持ちを不安にさせることがある。

「前の俺の時か……けど、あいつはあんな鳥海は見たくないだろ」

「そんなのは当たり前にゃ。けど残されるほうは理屈じゃなくて、悲しいに決まってるにゃ。簡単に納得できてたまるかにゃ」

 多摩の口調は強く、少なからず木曾へも怒りが込められている。多摩もまた残される側だった。
 木曾は自分の失言に気づいたが、それには触れずに多摩に聞く。

「あいつは、提督はどうやって立ち直ったんだ?」

「自然にゃ」

「自然って……」

「他に言いようがなかったにゃ。提督は周囲と関わりを断って酒に溺れようとして、それが二三日続いて結局できなかったみたいにゃ」





382: ◆xedeaV4uNo 2016/09/28(水) 23:07:37.74 ID:EaKkk2LU0



「みんなはその時どうしてたんだ?」

「叢雲たちは何か言ったみたいだったけど、ほとんどは待ったにゃ。みんなもあの時は辛くて時間が必要だったにゃ。でも……」

 多摩が肩を落とす。その体はとても小さく見えた。

「本当は提督を無視しちゃいけなかったんじゃないかって、今なら多摩は思えるにゃ」

「無視なんかしてなかったんじゃ」

「提督は多摩たちに『苦しい』とは言わなかったにゃ。苦しくないわけなかったのににゃ」

「それは提督が言わなかっただけなんじゃ?」

「提督にとって打ち明けられる相手がいなかっただけかもしれないにゃ」

 その通りかもしれない、と木曾は思った。
 あの頃の提督にとっては、先代の木曾こそがその相手だった。

「傷つけば痛いにゃ。でも痛み自体は悪いものじゃない……多摩は言ってやりたかったにゃ。提督は悪くなかったって」

 それはもう叶わない。だからこその未練なのかもしれない。
 木曾は思い出す。悔いがあるなら仲間のために戦えと提督がいつか言っていた。
 夜が明けたら、できる限りすぐにでも鳥海と話そうと木曾は決めた。

「多摩姉。それでもあいつは望んでないと思うよ。お姉ちゃんも鳥海も、そうやって苦しむなんて。だって二人とも――」

 悪くないじゃないか。木曾は心からそう思っていた。





388: ◆xedeaV4uNo 2016/10/11(火) 10:47:22.55 ID:bvNPb1zk0



◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆


 鳥海が目を覚ますと部屋の前が騒がしかった。
 ドア越しに何かを言い合う声が寝起きの頭を揺さぶる。
 誰が何を言ってるの?
 自分に関係ある話かもしれない。じゃなければ当てつけ……それは悪く考えすぎよ、鳥海。

 鳥海はベッドに張りついていた体を引き剥がすと、机の上に置いた眼鏡をかけた。
 掛け時計に目をやると針は八時半を指していて、朝の方なのは窓を明るくする光の加減で分かる。
 起床時間は過ぎていて、寝坊している事実に鳥海は胸の内で焦りを感じた。
 そう感じた自分自身に鳥海は驚く。気にする余裕なんてないと思っていたから。
 ドアの向こうからはまだ話し声が聞こえる。
 人の部屋の前で騒ぐには早い。そもそも騒いでいい時間なんてないけれど。

 昨日を鳥海は思い返す。
 高雄と話して摩耶と話して、それからというもの気力もなく何もできないで部屋にいた。
 かといって日がな部屋にこもってたわけではない。
 体は普段よりもずっと生理的な欲求に正直だった。倦怠に沈んでいようとしている心を非難するかのように。
 自らの醜態を安易に晒す気はなく、人目を避けながら部屋の外には何度か出ていた。深夜には湯浴みだってしている。
 秘書艦であるがゆえに泊地の基本的なスケジュールは全て把握していた。
 人が少ない時間帯に出歩いて、あとは誰にも会わないのを願うだけ。
 こんなつまらない願いは叶ってしまう。

 外ではまだ話し声が聞こえる。鳥海は足音を立てないようにドアに近づくと、自然と聞き耳を立てていた。
 声には聞き覚えがある。はっやーいとか、いっちばーんと言っている。
 島風と白露の声だった。何を話しているのかはくぐもった音のせいで聞き取れない、というより頭が理解を拒んでいた。
 どうしよう。
 迷いながら鳥海はドアノブに手を掛ける。
 二人に気後れしていた。
 今までなら気取らずに開けて挨拶を交わせばいいだけ。二人がこうして部屋の前で何か話してたことなんて初めてだけど。
 ベッドに戻って寝直す気はなく、かといってドアの向こうの二人を叱って注意しようという気はない。
 それができる立場ではあっても資格があるとは思えずに。
 だけど二人を無視してはいけない気もした。





389: ◆xedeaV4uNo 2016/10/11(火) 10:48:17.31 ID:bvNPb1zk0



 鳥海が悩んでいると別の声が聞こえてくる。
 島風たちに何をしているのかと聞いたのは木曾の声だった。
 四人目の声も続いて、それは愛宕の声だった。
 四者が何か話しているのが分かって鳥海はたじろいだ。
 ノブから手を離すと、あるはずもない逃げ道を探した。
 時間切れを伝えるようにドアを叩く音が響く。
 どうしよう。
 心が揺れていた。
 迷い、ためらって戸惑いながらも鳥海は言う。

「少し待ってください」

 鳥海は制服に着替え始める。
 追い返すつもりはない。というより追い返そうにも強引に入ってきそうな気がした。
 なんで着替えてるんだろう。高雄と摩耶と会った時は寝間着のままだったのに、今ではそれじゃいけないと鳥海は感じている。
 その理由が分からないまま鳥海は着替え終わる。
 息を詰めてドアを押した。
 廊下は明るくて足下が明るくなる。
 半開きにしたドアから、屈託なく笑う愛宕を見た。

「よかった、元気そうじゃない」

 愛宕は開けられたドアを最後まで開く。彼女の後ろからは島風と白露もいて挨拶をする。
 少し離れたところには木曾も立っていて、苦笑するように片手を上げる。
 鳥海は唾を飲み直してから聞く。

「どうしたんですか?」

 状況にそぐわない問いかけだと鳥海は思った。
 どうかしているから来てくれた面々に対して。





390: ◆xedeaV4uNo 2016/10/11(火) 10:48:57.36 ID:bvNPb1zk0



「お部屋におじゃましようと思って。いいよね?」

「それはその……」

 一歩引いて鳥海は渋るが、逆に愛宕は引いた分だけ前に進んでいた。
 つまり部屋の中に入る。

「大丈夫大丈夫、悪いようにはしないから。さ、みんなも入っちゃって」

「おじゃましまーす!」

「え、あの……」

 止める間もなく愛宕たちは雪崩れ込むように部屋に入ってしまう。
 鳥海は木曾に向かって助けを求める視線を向けるが、察してくれると思ったはずの視線は届かなかった。
 木曾は鳥海に耳打ちする。

「ま、諦めろ」

「ですが……」

 鳥海がはっきりした態度を取れない内に、三人からは遅れて木曾も部屋に入る。
 愛宕と白露が室内を物色し、木曾は窓を開け放つと窓際の壁に寄りかかってしまう。島風はちょこんとベッドの上に腰かける。
 あまりに自由な面々に鳥海は文句を言う気にもならなかった。

 居どころを失ったような気持ちの鳥海は、島風と目が合った。
 熱のある視線で、その目は何かを訴えかけてくるような強さがある。
 太陽を直視できないように目を逸らしてしまうと、外した視界の中で島風が頬を膨らませたように見えた。





391: ◆xedeaV4uNo 2016/10/11(火) 10:49:47.40 ID:bvNPb1zk0



「鳥海の部屋って小説が多いのね。きっちり並んでるし高雄みたい」

「活字ばっかり。マンガは置いてないのかな」

 愛宕と白露のほうを振り向くと、二人は部屋の本棚を眺めていた。
 本棚は五段式で文庫サイズだったら三百冊ぐらいは収まるはずで、今は隙間なく本が並んでいる。
 白露は推理小説のタイトルと難しそうな顔でにらめっこしていた。

「マンガは他の子が持ってるから読みたくなれば借りればいいですから。本当はもっと置きたいんですけど」

 置ききれなくなった分は提督の私室に移してある。
 そのどれもが本当に気に入っている本だった。
 本を読みたいという口実で訪ねられたし、もしも提督が興味を持ってくれるなら自分が好きな本のほうが嬉しい。
 提督は計算通りと言うべきか鳥海の置いた本を楽しんだ。そして鳥海が提督の部屋に行くのには口実なんて必要なかった。
 それは鳥海にとって甘くて痛い記憶で、思い出になりつつあった。
 どうしよう、苦しい。
 今の鳥海にとって提督との接点は刺激物になる。
 提督の私室はそのままになっている。
 だって、そうじゃない。あの人はまだ……。

「秘書艦さん、もっとぶっちゃけてみない?」

 白露がいたわるように言うも、鳥海はそっけなく返す。
 内心の思いは表に出ていないはずだった。

「私は正直なつもりですけど」

「それだったら」

 白露は手鏡を出すと鳥海に向ける。生気の薄い鳥海自身の顔が不安げに自分を見返していた。





392: ◆xedeaV4uNo 2016/10/11(火) 10:50:59.23 ID:bvNPb1zk0



「あたしでも愛宕さんでも他の二人でもいいし、鳥海さん本人にでもいいけど……本当にそう言えるの?」

 嘘はない。そんな嘘を鳥海は胸内で呟いた。
 白露は真剣な眼差しを向けていた。

「あたしはこれでも時雨には色々話しててね、ワルサメと春雨のことも。秘書艦さんにだって話したし。全部じゃないけど。
 でも話して聞いてもらえると、整理できて楽になることってあるはずだよ。洗いざらい話してなんて言わないけど、少しぐらいだったら」

 白露は手鏡をしまうと元気よく朗らかに笑う。

「あたし嬉しかったんだよ。気にしてくれる人がいて。だから秘書艦さんも自分がつらい時にはつらいって言ってもいいと思うの」

 愛宕は包み込んでくるように優しい顔で笑う。

「言いたいことは全部言われちゃったし、お姉ちゃんでいるのって大変ね。いいんだよ、少しぐらい楽にしたって。それとも私じゃ頼りないかな?」

 愛宕が手を広げると、反射的に鳥海が一歩引いてしまう。

「……やめてください」

 振り絞るように声を出す。体は身を守るように縮こまらせている。

「私なんかにそんな優しい言葉をかけないでください。平気なんです、ここに戻ってからだって秘書艦として動けてたんです」

「……普通にしてたのがおかしいのに」

 島風が伏し目がちに言う。膝の上に置いた手を硬く握り締めていた。

「確かに普通っぽく見えてたな」

 今や木曾は壁から背を離して直立不動の体勢で鳥海に眼差しを向ける。

「そうじゃないって島風は言いたいんだな?」

「うん。だって、あの鳥海さんだよ? いの一番に提督を心配してたのに、平気そうにしちゃって」





393: ◆xedeaV4uNo 2016/10/11(火) 10:52:05.54 ID:bvNPb1zk0



「俺たちが不安にならないように無理をしてたんじゃないのか?」

 木曾は島風に、というより鳥海に聞く。

「無理なんて……」

 していた。していなかった。どっちだろう。
 どっちにしても、いつものように振る舞うしかなかった。必要だと思ったから。耐えられなかったから。
 それは間違ってなかったはず。
 鳥海は首を横に振る。無理はしてないと言うつもりだった。

「どうすればよかったんですか」

 出てきたのは別の言葉だった。意図に反しているのに鳥海の口は滑らかに動く。

「司令官さんがいなくなって泣いてればよかったんですか。何もできない、寂しい苦しいって弱音を吐いてれば、みんなはそのほうがよかったって言うんですか。そうじゃないですよね!」

 呼吸と一緒に言葉を吐き出して、肩で息をしながら四人を見ていく。
 心がささくれ立っているのを鳥海は自覚している。それでも自制はできそうになかった。
 そんなに本心が知りたいのなら聞かせてあげればいい。望んだのはあなたたちなんだから。

「悲しんだって苦しんだって司令官さんがどこにもいないんです! だったら泊地を立て直して備えるしかないでしょう! 他にどうしろと」

「……どうしたらいいのかは誰にも分からないさ、鳥海」

 消沈したように木曾は言う。彼女の視線は憐れみの色を宿しているように鳥海は感じた。
 鳥海はその視線に反発していた。

「分からないなら私にこうしろとかああしろとか言わないでください! そんな目で私を見ないで!」

「秘書艦さん!」

 口を出してきた白露を鳥海は鋭く見る。

「白露さんはワルサメのために全力を尽くせたでしょう! 私は何もできなかったのに……」

「鳥海、あなた――」

 愛宕が手を伸ばすと、その手を鳥海は払う。





394: ◆xedeaV4uNo 2016/10/11(火) 10:52:57.11 ID:bvNPb1zk0



「やめてください! 司令官さんの身に危険が迫ってるのに気づいてたのに見殺しにしたんです!」

 見殺しに。勝手に殺さないで。摩耶には怒ったけど、本当は認めてしまっている。
 司令官さんはもう戻らない。そんな確信がある。それは殺してしまったのと同じだった。
 視界が歪みそうになって鳥海は目をきつく閉じる。

「なんで私はそばにいなかったんですか……司令官さんはMI作戦にちっとも乗り気じゃなかったのに、私はやる気なんか出しちゃって……」

 意欲なんか見せなければ、提督は理由をでっち上げて鳥海を近くに留めていたかもしれない。
 命令である以上、そんなことはないかもしれない。だけど、もしかしたらと鳥海は考えてしまう。
 もしMI作戦に反発していれば。初めからトラック泊地に留まっていれば。もっと積極的にMI作戦の中止を進言していれば。単身でもトラック泊地に向かっていたなら。
 巻き戻せない過程がまざまざと甦ってくる。提督を救うための、今を変える転機はいくつもあった。
 何よりも鳥海が思ってしまうのは。

「なんで私じゃなかったんですか……」

 鳥海は瞳をにじませて目を開く。行き場のない衝動を自身と、一番近くにいた愛宕に向ける。

「私が代わりに消えてしまえばよかったんです! もう一人の鳥海じゃなくて私こそ沈んでしまうべきだったのに!」

 愛宕は驚き目を見開く。震える声で辛うじて聞く。

「本気なの……?」

 鳥海は俯き、愛宕は唇を噛む。

「あの人を守れなかった私なんかが」

 鳥海の言葉が終わらない内に動く者がいた。
 二人の間に割って入った島風で、水気のともなった音が部屋中に異質な音を響かせる。
 平手が鳥海の頬を打っていた。
 島風から耐えるような声が出る。

「ふざけないで」





395: ◆xedeaV4uNo 2016/10/11(火) 10:53:57.48 ID:bvNPb1zk0



 一転して静まり返った部屋では、島風の喘ぐような呼吸が一番大きな音になっていた。
 顔を上げた鳥海に対して島風は頭を垂れている。

「本気で言ってるんだよね……鳥海さんは、冗談でそんなこと言う人じゃないから」

 鳥海は張られた頬に手を当てる。
 熱くて痛い。その痛みには覚えがあった。肉体とは別の場所に感じる痛みに覚えが。
 島風が顔を上げる。その目からは抑えきれない感情が形になってあふれ出そうとしている。

「提督がいなくなったのは自分のせい? 違うでしょ、そんなのは鳥海さんの思い上がり!」

「何が分かるんですか!」

 言い返す鳥海だが、島風の剣幕はそれ以上だった。
 島風は勢いよく首を横へ振る。白い頬が上気していた。島風は怒っている。

「分からないよ! 今の鳥海さんなんて分からない! 分かりたくない!」

 島風の頬が濡れている。湿り気のある声で島風は激情をぶつける。

「私たちだって提督を守れなかったんだよ! 悲しいんだよ! それなのに鳥海さんまで……そんなのひどいよ! いなくなっても誰も喜ばないのにひどいよぉ……」

 言われて鳥海は初めて、自分を見ていた愛宕の本当の表情に気づく。
 沈んでしまったほうがいいと言った時、今まで見たことないぐらい悲しい顔をしていた。
 そして島風は喉を震えさせながら見上げてきている。怒りの奥にあるものも鳥海は知っている。

「そんな勝手言うならっ……今度は私が、何度だってっ……」

 鳥海は自然と島風を抱きしめていた。心からの感謝を込めて。

「ごめんなさい……」

 島風はされるがまま声をかすれさせる。

「いたいよぉ……」

「ごめんなさい……」

 鳥海は自然と涙が出てきて、少し前に感じたみっともなさの正体に気づいた。
 あの涙は司令官さんのためでも他の誰のためでもなく、ただ自分のためだけに泣いていたから。
 私は私だけを憐れんでいた。自分しか見えないまま。





396: ◆xedeaV4uNo 2016/10/11(火) 10:54:51.64 ID:bvNPb1zk0



 島風が落ち着いてから愛宕が聞いてくる。

「これでもまだ、ここにいないのがあなたのほうがよかったなんて思う?」

「いえ……」

「よかった……あんな悲しいことは考えないでほしいな。あなたを心配してくれる人がいるんだから」

 愛宕は心底ほっとしたように言い、白露もそれに同調する。

「そうだよ、秘書艦さん。誰も誰かの代わりにはなれないし、なっちゃいけないんだよ。もっと自分を大事にしなきゃ」

 白露は快い笑顔で胸を張り、そして木曾がしめやかに言う。

「……俺たちの提督はいなくなっちまった。もし誰かが悪いっていうなら、それは誰かじゃないんだ」

 木曾の声に悔しさがにじんでいるのに鳥海は気づいた。
 ここに来てからずっとそうだったのかもしれないと、鳥海はようやく思い至る。

「鳥海があいつを失ったことを自分だけの責任みたいに感じてるなら、それは間違いだ。それは俺たちみんなが背負ってるんだよ」

 鳥海は頷く。
 木曾の言う通りだった。
 私は――いえ、私たちは。みんな司令官さんを失っていたんだ。
 いつから私は自分しか見えなくなっていたんだろう。
 目覚めた時に焦燥を感じたのと同じだ。
 何かを変えなくちゃいけない。心はそれを分かってしまっていた。憐憫なんて望んでいなかったんだから。
 ごめんなさい、司令官さん。私はもう悲しんでばかりいられないみたいです。
 鳥海は前を向こうと決めた。





397: ◆xedeaV4uNo 2016/10/11(火) 10:56:09.57 ID:bvNPb1zk0



◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆


 鳥海は立ち直り始めたその日の内に、少しでも多くの艦娘と話そうと思い立った。
 そこで真っ先に話そうと頭に思い浮んだのが高雄だ。
 提督の執務室で高雄はその日の仕事をこなしていて、鳥海が訪れた時には区切りがついていた。

「ご迷惑をおかけしました」

 鳥海は素直に頭を垂れる。

「本当にその通りよ」

 高雄の声には言葉とは裏腹にとげはなかった。

「ほら、顔を上げなさい。鳥海は吹っ切れたの?」

「いえ、そこまでは」

「でしょうね」

 顔を上げた鳥海が正直に答えると、高雄も得心したように頷く。

「私はあなたの姉でもあるし、第八艦隊で言えば副官になるのよ。もう少し頼りなさい」

「はい、姉さん」

 飾り気のない言葉だが、鳥海の気持ちは高雄に伝わったようだった。
 よかった。後味の悪い別れ方をしていたから。

「それで今日はどうするの? 仕事はほとんどないけど」

「今日も姉さんにお任せします。私はみなさんと話していきたいと思いますので」

「それなら今日だけと言わず、しばらくそうしててもいいわよ」

 鳥海は少し考えてから姉の提案を受け入れることにした。
 後任の提督がやってくれば、今までとは勝手も変わる公算が高い。
 今の間しかできないことがあるような気がしていた。摩耶にも謝らないと。





398: ◆xedeaV4uNo 2016/10/11(火) 10:57:19.56 ID:bvNPb1zk0



「私もあなたに言ってなかったことがあるの」

 高雄は神妙な顔で言い、鳥海は佇まいを正す。

「提督が好きだったの」

 鳥海は無言で高雄を見る。高雄の指にカッコカリの指輪はない。
 その意味は想像がついていて、鳥海は彼女なりに考えてから言う。

「……もしかしたらとは思ってました」

 これは嘘だった。もしかしたらなんて疑いではなく、違いないという確信を抱いていたから。
 もっとも初めから高雄の気持ちに気づいていたわけじゃない。
 鳥海も提督に思いを寄せるようになってから、高雄の示す反応の意味に気づいて察したというのが正解。

「姉さんは私を……」

「待って、何も言わないで。私の気持ちは終わっていないといけないものだから。私はあなたも好きなのよ」

 その好きの意味が違うにしても、どっちも代えがたいのは分かる。
 同じ気持ちを抱いているんだから。
 もし想いが同じなら、司令官さんと高雄姉さんが一緒になっていたら――少し考えてしまう。
 だけど想像が形にならない。
 想像できないんじゃなくて、想像したくないんだ。
 口でどう言って頭でどんな仮定を組み立てても、本当に司令官さんと他人の形を望んでいなかったということ。
 そこは私の居場所だったんだから。

「これからもよろしくね。私もあなたを当てにするわよ」

 鳥海は頷くと部屋を辞した。
 それから摩耶を探して謝って、不在の間に臨時の秘書艦を務めていた嵐と萩風とも話し、その後は手当たり次第だった。
 提督のこと、鳥海のこと、彼女たちのこと、将来のこと。話すことはいくらでもあった。





399: ◆xedeaV4uNo 2016/10/11(火) 10:58:38.29 ID:bvNPb1zk0



 その夜、鳥海はひっそりと部屋を抜け出し外に出る。
 空には青白い月が天に昇っていた。
 月明かりの降りてきた車道を鳥海は歩いて行く。
 そうして彼女は見つける。

「こんばんわ、多摩さん」

「にゃ? なんで鳥海がいるにゃ?」

 驚いた様子の多摩に鳥海は笑い返す。

「木曾さんに教えてもらいまして。詳しくは聞きませんでしたが」

「そういうことかにゃ。木曾も口が軽いにゃ」

「そんなこと言ってはダメですよ。木曾さんも多摩さんを心配してるんですから」

 多摩ははぐらかすようににゃあにゃあと言う。
 鳥海は多摩の隣に並ぶ。見えないものを探して、それはやはり見つかりそうにない。

「鳥海は何も悪くなかったにゃ」

 多摩は顔を向けずに、呟くように言った。
 夜に溶け込んでしまう声に鳥海は答えられない。
 多摩が続けて言う。安心するように。

「……やっと言えたにゃ」

「やっと?」

 聞き返すと多摩は鳥海を向いて笑う。

「ずっと言いたくって言えなかったことにゃ」





400: ◆xedeaV4uNo 2016/10/11(火) 10:59:52.62 ID:bvNPb1zk0



 多摩が天を仰ぐと、鳥海も一緒になって見上げる。
 自然と言葉が出てくる。

「悲しみの時も、病める時も健やかなる時も……」

「多摩は鳥海とケッコンする気はないにゃ」

「私もですよ。ただ西洋の宣誓ですけど、なかなかどうしていい言葉だと思って」

「……同感にゃ。理想はこうでなくっちゃいけないにゃ」

 現実は、死が私たちを分かつまで。
 鳥海はいつか感じたことを思い出す。

「私は……進もうと思います。司令官さんなら、たぶんそうしてほしいと思ってくれるから。信じたいんです。司令官さんなら私を信じてくれるって」

 これは別れの言葉になってしまうの?
 分かっているのは、何も投げ出す気はないということだけだった。
 怖くても変わっていくしかない。そうしないと無為になってしまう。
 鳥海は踵を返す。

「夜更かしは体に毒ですよ。ご自愛くださいね」

「分かったにゃ」

 鳥海は戻り始めてすぐに立ち止まると、多摩の背中に声をかける。普段よりも声を大きく張って。

「多摩さんも悪くないですよ」

 多摩の背中がぴくりと震える。空を仰いだままだった。

「うん、ありがとうにゃ」

 手を振り返す多摩を背に、鳥海は泊地へと戻っていく。
 胸の内にあるのは実感だった。
 提督がいないという痛みのある実感。進むしかないと決めた硬い実感。変わっていく自分への恐れという実感。

「私たちは分かたれてしまったのですか?」

 空に向かって聞く。
 分かれてしまうのは終わりの時だと鳥海は思っていた。
 だけど私は、私たちはまだ何も終わっていない。
 答えが見えないからこそ終われなかった。
 信じよう。積み上げてきたという、実感を。





401: ◆xedeaV4uNo 2016/10/11(火) 11:01:03.43 ID:bvNPb1zk0



◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆


 提督は目を見開くと息を吹き返す。
 そのまま咳き込みだすと急速に意識が覚醒していく。
 苦しげに喉を喘がせ、胸が膨らんでは潰れるかのように上下する。
 状況が飲み込めないまま、提督の体は溺れるように酸素を求めていた。
 しばらく荒々しい呼吸を続けていくと、徐々に正常な調子を取り戻していく。

 そうして提督は状況に思考を巡らし始める。
 すぐに思い出せたのは自分が何者かで、今はどこかで寝そべっている。そして青い目のヲ級に何かをされたということだった。
 震える手で体を触る。異常はないらしかったが、自信を持てないまま体を起こす。
 拘束の類はされていないが、足は素足で服も着せ替えられていた。
 深海棲艦がよく使用している脱色されたような色合いのローブだ。胸元がだぶついていて、提督は面白くもないのに失笑が出た。

 部屋は青白い光に照らされていて丸かった。
 入り口は開いている。というよりドアがなかった。その先は通路のようだが、どこに通じているかは見当もつかない。
 その入り口から誰かが覗いていた。
 白い顔に白い髪の少女が入り口の端から隠れるように見ている。
 提督と少女の目が合う。即座に少女は驚いて逃げ出す。

「ま……」

 呼び止めようにも声が出ないで代わりにむせた。通路の先に消えていく少女は後ろから見ても真っ白だった。





402: ◆xedeaV4uNo 2016/10/11(火) 11:07:20.48 ID:bvNPb1zk0



 追ったほうがいい。おそらく、あれは深海棲艦の姫だ。
 提督は寝台らしい場所から起き上がるが、平衡感覚が不安定だった。
 波に揺られるような感覚をこらえて、壁に手を突きながら白い少女のあとをできるだけ急いで追う。
 黒い蝋を固めたような壁と床で、触った感触は冷たいが走っても痛みは感じない。
 通路の奥に着くと、道が左に折れ曲がっていた。
 提督は曲がろうとして、すぐ足を止めざるをえなくなる。
 待ち構えられていた。

「港湾棲姫……」

「人間ハ私ヲソウ呼ンデイルノダッタナ」

 港湾棲姫は通路を塞ぐように悠々と立っていた。
 無表情でどんな感情や意図を持って対峙しているのか分からない。
 その港湾棲姫の後ろに隠れて、先程の少女がこちらの様子を窺っている。
 二人は似ていて、姉と妹のようでもあるし母と娘のようでもあった。
 そのせいだろうか、怖さを感じない。
 どうにもならないな。そう認めてしまえば、かえって腹が決まった気にもなる。

「ここはどこで、俺に何をした?」

 提督が思い切って聞いてみると、港湾棲姫はすぐに答えた。
 それは裏を返せば知られても困らない、ということでもある。

「君タチノ言葉デ言ウト……ガダルカナル島ダ。聞イタコトグライアルダロウ? ココハ我々ノ拠点ダ」

 ガ島を知らないはずがない。
 そこはかつての地獄の代名詞。今もそれは同じままらしい。





 四章に続く。





407: ◆xedeaV4uNo 2016/10/21(金) 23:03:20.66 ID:yG49Z7ec0



 好奇心、猫を殺す。
 ことわざと呼ぶらしい。ことわざとは喩えらしい。
 喩えとは別の言い回しだそうだ。
 そう説明された時に、私は思った。
 艦娘は変わっていると。転じて言えば、彼女たちに影響を与えた人間を変わっていると感じたとも言える。
 思ったことなら直接言ってしまえばいい。もし言えないのなら、その気持ちは秘めておくべきだ。
 それを遠回しにでも伝える試みというのが、私にはよく分からなかった。

 今はどうだろうか。
 理解できたとは言いきれない。
 しかし、そういうものが生み出された理由もおぼろ気に分かるような気がする。
 必要と感情が反発した時、その折り合いをどうしてもつける必要があったのではないだろうか。
 感情とは声だ。内から沸き上がる声は種火だ。何かがきっかけで燃え広がる。

 好奇心、猫を殺す。
 これは人間の場合だ。
 私の好奇心は、人間を殺した。
 そう、深海棲艦の好奇心は人間を殺す。
 私の興味は、ある男を終わらせた。

 命は脆い。それは深海棲艦とてなんら変わらない。
 燃え広がれば、やがて灰になって燃え尽きるだろう。
 私は、我々は屍の上に立っている。折り重なるそれを犠牲や礎と呼ばれることがある。
 本当にそう呼んでいいのか、今になっても私には分からないままだった。





408: ◆xedeaV4uNo 2016/10/21(金) 23:04:20.68 ID:yG49Z7ec0



四章 深海棲艦


 空は高く、青の色が突き抜けるように広がっている。
 刺すような日差しが照りつけてきていた。目をすがめると、すぐ近くは海岸になっている。
 本当にここがガダルカナル島かは分からないが、南方の島の一つなのは間違いないようだった。
 提督は港湾棲姫と白い姫らしき少女に案内されて、ガ島の地を踏みしめていた。
 濃密な緑が多いせいか、トラックよりも蒸し暑い空気は湿ったように重くて体に貼りついてくるようだった。
 重苦しさを感じてしまうのは、自分の命を握る港湾棲姫の動向が読めないためか。
 あるいは、まだこの島には怨念が滞留してるように考えてしまうせいで。

「俺を外に出してもよかったのか?」

「何カ……デキルノ?」

 それはその通りだった。
 現在地が分かったところで、提督にはガ島から脱出する手立てがなかった。
 それを承知した上で港湾棲姫も屋外に連れ出したのだろう。

 白い少女が港湾棲姫のかぎ爪めいた手を握りながら提督を見ている。
 少女は奇異の視線、というよりは好奇の眼差しを向けてくる。
 居心地の悪さは感じないが、提督としてはどう受け止めていいのか困るところだった。
 ワルサメと話した内容を提督は思い出す。あの時、出てきた名前は。

「ホッポ?」

 白い少女は驚いたのか、港湾棲姫を壁にするように後ろに隠れてしまう。隠れきれていないが。
 この反応からすると、彼女がホッポで間違いないと提督は確信する。
 人見知りなのかもしれないが、この状況で怖がらないといけないのは俺じゃないのか。
 提督はいくらかの困惑を抱えたまま港湾棲姫を見ると、読めない表情を寄こす。





409: ◆xedeaV4uNo 2016/10/21(金) 23:06:46.30 ID:yG49Z7ec0



「ホッポヲ知ッテイルノカ?」

「ワルサメから聞いていた」

 正直に答える。するとホッポが顔を出す。
 丸い瞳がこちらの顔を覗き込むように見つめてくる。

「ワルサメ……元気?」

 ……なんだ、これは。どう答えるのか試されてるのか?
 ホッポは提督を直視している。港湾棲姫までもがまじまじと見つめてくる。
 提督は固唾を飲んだ。

「しばらくは一緒にいた。でも今は遠くに行ってしまったんだ」

 元気かどうかは提督には答えられなかった。
 港湾棲姫が聞いてくる。

「ワルサメニ何カシタノ?」

「話を聞いて話をしただけで悪いようにはしてない」

 ワルサメのことをどこまで知っているんだ。提督は考える。
 深海棲艦――あの時いた空母棲姫がワルサメを攻撃したことは、どう扱われているのか分からない。
 その事実はもみ消されて、艦娘たちの攻撃で沈んだことになっている可能性も高い。
 だとすれば恨んでくる理由は十分にある。
 しかし港湾棲姫はそういった負の感情を見せることなく言う。

「提督ヲ連レテキタノハ、ソノ話ガシタカッタカラ」




410: ◆xedeaV4uNo 2016/10/21(金) 23:07:53.13 ID:yG49Z7ec0



 どういうことだ。
 そのために俺をさらってきたのか。危険を冒してまで?
 提督はぼやくように呟く。

「……最初から招待状でも出せばいいものを」

 あながち嘘でもない。
 ワルサメから聞いていた話の限りでは、港湾棲姫となら接触してみてもいいと思っていた。
 それがこんな形で実現するとは、提督も考えてもいなかった。

「俺も港湾棲姫とは接触してみたかったが……」

「コーワン?」

 ホッポが疑問を浮かべるように口を挟んでくる。

「人間ヤ艦娘ハ私ヲソウ呼ブノ」

 ホッポの疑問に港湾棲姫はしっかり答える。
 ワルサメから聞いた港湾棲姫の名は文字化けした名前を無理やり呼んでるようなもので、人の身には発声できそうになければ頭も理解を拒もうとしてしまう。

「コーワン……コーワン! カワイイ!」

「エ……」

「コーワンコーワン、コーワンワン!」

 鼻息荒くホッポは盛り上がっている。
 どうやら何かの琴線に触れたらしく、港湾棲姫もその勢いにたじろいでいる。
 そのまま提督に助けを求めるような視線まで向けてくる。





411: ◆xedeaV4uNo 2016/10/21(金) 23:08:27.88 ID:yG49Z7ec0



「あー……ワルサメの話を聞きたいんだな?」

 上手くは言えないが調子が狂う。
 初めからあったかも疑わしい毒気と一緒に、提督は気が抜ける。
 ワルサメという深海棲艦を知っていたからこそ、そうも感じられるのかもしれない。

「ソレニ……艦娘ヲ束ネル提督トイウ存在ニモ興味ガアル」

 港湾棲姫はホッポの手を引きながら歩き出す。最初に来た建物の方向に向かって。

「部屋ニ案内シヨウ」

 大人しく従う以外の選択はなかった。
 外に出た時と同様に港湾棲姫が前に立って歩くが、その時とは違って今度はホッポが話しかけてくる。

「テートハテートクデイイノ?」

「ああ、提督は提督だからな」

 見上げてくる視線に提督は頷く。どういう受け答えだ、とも思わなくもなかった。
 ホッポははしゃいだ様子で聞いてくる。

「テートクハ、ゼロ持ッテル!?」

「ゼロ?」

「ブーンッテ、オ空ヲ飛ブノ!」

 手を広げたりばたつかせる手ぶりを交えて、ホッポはゼロが何かを提督に伝えようとしてくる。
 零戦のことか。今はどこも機種転換が済んでるから、運用しているところは残ってないかもしれない。





412: ◆xedeaV4uNo 2016/10/21(金) 23:09:07.54 ID:yG49Z7ec0



「ごめん、今は持ってないんだ」

 ホッポは残念そうにしょげる。
 正直に受け止めていい反応かが提督には分からない。
 無邪気さの陰で鹵獲して研究したいという意図があるんじゃ?

「速クテカッコイイノニ!」

 ……邪推しすぎなんだろうか。

「この子も姫なのか?」

 こちらを窺っていた港湾棲姫に聞く。

「見テノ通リ」

 肯定、ということか?
 どうにも捉えどころのない連中だと提督は思う。
 捕虜につけ込ませないためには、これが正解なのかもしれないが。

 港湾棲姫が誘導する形で三人はいくつかある建造物の一つに入る。
 大きさは違うが、どれも作り自体は変わらないように提督には見えた。
 太陽の下では黒い外壁の建物はさほど不気味さはなく、むしろ同じような建物がいくつもあるのは一つ一つの没個性を感じてしまう。

 建物の内外ではホッポと同じか、それよりも背の小さい小鬼たちが何かを運んだり衛兵のようなことをしている。時折、金切り声が聞こえて驚くこともあった。
 と号作戦の終盤に襲撃をしかけてきたのと同類のようで、どうもこの小鬼たちが艦娘でいう妖精と同じ存在らしい。
 深海棲艦なのに地上に拠点があるのは、これが一因なのだろうか。
 単にいくら深海棲艦と言えど、海底に何かを建造するのは楽じゃないのかもしれないが。
 ここまで踏み込んだ話は聞いても答えてはくれないだろう。




413: ◆xedeaV4uNo 2016/10/21(金) 23:10:03.87 ID:yG49Z7ec0



 あれこれ考えている内に通された部屋は小さな個室だった。粗悪な牢屋ではない。
 ただ内装を見ると、提督は首を傾げざるを得なかった。
 机と寝袋が置かれている。
 まず机は黒檀でできてるかのように重厚な作りで、細部にまで凝った装飾が掘られている。
 一方で寝袋は量販店にでも行けば容易に手に入りそうなもので、黄の蛍光色で存在を主張していた。
 この場所という条件を無視しても、高価であろう机とかたやありふれた寝袋という組み合わせは調和が取れていない。
 そんな提督の気分を察したように港湾棲姫が説明する。

「コレハカツテノ略奪品」

 姫が言うにはまだ深海棲艦が認知されてない頃、あるいは人類が独力で対処できると信じていた頃には船舶が当たり前のように航行していた。
 その頃に襲撃した艦船から、使えそうな物や興味を引く物があれば奪取していたという。

「コウイウ物ヲ欲シガル者ハイナクテ……変ワリ種ト言ワレタ……」

 表情が読めないと思っていた港湾棲姫だが、この時ばかりは気落ちしているように提督には見えた。

「……そう、しょげることもないだろ」

 提督は港湾棲姫を慰めるような自身に向けて苦笑した。

「俺は別に嫌いじゃない。こういう組み合わせも」

 机の上には文具など何も置かれていなかった。
 そういう発想が初めからないのか、自殺防止のための処置かは判断がつかない。

 「ヲ」と入り口から奇妙な声が聞こえた。
 提督は入口を振り返る。肌が自然と粟だち、首筋を無意識にさすっていた。
 青い目をしたヲ級。それから提督のまだ知らない姫級らしき女がいた。
 白づくめで港湾棲姫やホッポに似た雰囲気があるが、右腕は黒い義手のようになっている。
 姫は値踏みするように提督を上から下まで見ていく。
 しかし、すぐに興味を失ったように視線を外すと、港湾棲姫に向かって話しかける。

「目ヲ覚マシタンダ。危険ヲ冒シタ価値ハアリソウ?」

「ソレハコレカラ」





414: ◆xedeaV4uNo 2016/10/21(金) 23:10:42.59 ID:yG49Z7ec0



 新手の姫は提督をもう一度見た。こいつは慎重で油断がなさそうだ。
 それにあのヲ級。提督はトラック泊地で襲われ、首筋に注射を打たれたのを思い出していた。
 今まで普通にしていたし、体に異常はなさそうだが……。

「アノ時ハ……眠ッテモラッタ」

 ヲ級はその場で頭を少しだけ前に傾ぐ。
 謝罪のつもりなのかと提督は一瞬頭を過ぎる。

「アノ島カラココマデ遠イ……」

「眠る?」

 ヲ級が小さく頷く。

「ホトンド死ンデイタトモ。次ハモウ……同ジコトハデキナイ」

 どういうことだと疑問に感じていると、白い姫が言う。

「仮死状態ニスル薬ガアル。ソウデモシナケレバ飲食モデキナイ航海ニ人間ハ耐エラレナイダロウ」

 そんな薬をどうやって発明して効果を試したのかは知らないほうがよさそうだった。

「モットモ二度ハ使エナイ。今度コソ体ガ拒否反応ヲ起コシテ持タナイ」

「アナフィラキシーショックみたいなものか……」

「ソレニシテモ我々ヲ怖ガラナイノネ、人間」

 姫の言葉にヲ級も同意する。

「確保シタ時ハ……モット動揺シテタ」

「じたばたしてもどうにもならないと分かればな」

 それに、もしも艦娘たちが自分の最期を知る機会が会った時に、みっともないと思われるのは悔しく思えた。
 こんな状況で張るような見栄でもないだろうに。




415: ◆xedeaV4uNo 2016/10/21(金) 23:11:41.14 ID:yG49Z7ec0



「揃ッタ所デ……ワルサメノ話ヲシマショウカ」

 港湾棲姫は厳かに言った。
 人外の視線を集めて、提督はトラック泊地でのワルサメの話をする。断れる立場でもないが、話す内容は慎重に選んだ。
 ワルサメが白露たちとどう過ごして、どんな顔をしていたのか。夕立のために何をしようとしたのか。
 何を考え、何を思ったのかは分からない。ただ。

「ワルサメは戦うのには向いてなかったと思う」

 提督の言葉に港湾棲姫は満足したように頷く。
 ホッポは途中で驚いたような声を出したり俯いてしまったりと感情の表現が多かった。
 ヲ級と白い姫に関しては、表情らしい表情が出なかったように感じる。
 港湾棲姫は言う。その目はとても穏やかに提督には見えた。

「提督。アナタガワルサメヲ沈メサセタノ?」

 あくまでも港湾棲姫は穏やかだった。
 ただ返答いかんによっては、という物騒な気配も感じる。
 深海棲艦にとってワルサメの顛末がどうなっているのか提督には分からない。
 分からないから拉致されたのかと、提督は今更ながら実感する。

「白露は本気でワルサメを助けようとしていた。それが適わなかったのは……残念だ」

「質問ニ答エテナイヨウネ」

 白い姫が口を挟むと、黒い右手をこれ見よがしに胸の前に上げる。
 威嚇のつもりなのだろう。

「アナタガ言ッタノハ艦娘ノコトヨ。聞イテイルノハ、アナタガワルサメヲ沈メサセタカドウカ」





416: ◆xedeaV4uNo 2016/10/21(金) 23:12:12.29 ID:yG49Z7ec0



 こちらも二度目はなさそうだった。
 いっそ適当に答えたりはぐらかせば終わるかもしれない。そう考えた提督だったが、すぐに声が出なかった。
 代わりに艦娘たちを思い出して、胸が締め付けられたように感じる。
 もし自分が死んだら彼女たちは悲しんでくれるのだろうか。泣いてくれるのだろうか。
 鳥海は、と提督の頭を秘書艦の顔が過ぎって思う。
 嫌だと。悲しませるのも泣かせるのも。
 そう考えた瞬間、提督の腹の内から声が出る。

「俺も助けたかった。ワルサメはもっと生きなくちゃ……生きていていい子だった」

 港湾棲姫だけを見据えて言う。他の姫やヲ級の反応は目に入らなかった。
 生きていいとか悪いとかはないと思う。それでもワルサメはもっと生きてよかったはずだ。
 たとえ今が春雨だとしても、それとこれは別だ。

「だけど、俺の判断があいつは……だから間接的に沈めたのは俺かもしれない」

 言わなくてもいいことだったのかもしれない。
 それでも提督は言わずにはいられなかった。自棄になったわけでも諦めたわけでもなく、みじめっぽく捉えているように思えた自身の考えに反発して。
 港湾棲姫は提督の目を見つめて、一言伝えた。

「食事ヲ用意サセル」

 白い姫は港湾棲姫を横目に見たが何も言わなかった。
 ホッポは安心したように息を吐き、ヲ級はよく分からなかった。
 首の皮が繋がったのを理解しつつも実感はできないまま提督は聞いていた。

「俺をどうしたいんだ?」

「言ッタハズ。提督ニ興味ガアルト」

 港湾棲姫は告げる。
 こうして提督の軟禁生活が始まった。





423: ◆xedeaV4uNo 2016/11/03(木) 09:45:49.34 ID:Jdf/oAML0



◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆


 青い目のヲ級は提督に向かって言う。

「人間ハ不便ダ」

「どうしてそう思うんだ?」

「火ヲ使ワナクテハ食事モデキズ、水モ濾過シテ真水ニ代エル必要ガアル」

 ヲ級は提督の監視役だった。もっとも陸生への適応の問題で定期的に海中に戻りたがる。
 提督としては外出の口実にもなるので、その度にヲ級の目が届く範囲、海岸沿いには連れ立って足を運ぶようになった。
 今は集めた枯れ枝でたき火を行い、ヲ級が捕ってきた魚を簡単に捌いて串を通してから火にかけている。
 提督はいい具合に焼けた魚をヲ級に差し出す。

「焼き魚は嫌いか?」

「コレハコレデ乙……」

 ヲ級は焼き魚を人間の口のほうで食べ出す。
 食う寝るところに住むところ。という縁起のいい言葉があるが、ガ島では食べる場所があっても食べる物は保証されていなかった。
 提督に用意された食事は生魚で、その魚はアジの親戚のような面構えをしていた。
 提督が最初にしなければならなかったのは、このままでは食べられないという説明だ。
 ワルサメが料理を知らない時点で想像がついていたが、深海棲艦にとっての食事は栄養の経口摂取以上の意味合いはないらしい。
 そのくせ人型の深海棲艦には歯を磨く習慣はあったのだから、提督としては奇妙だとしか言い様がなかった。

 結局、港湾棲姫たちに衛生面の問題で生魚を食べるのは危険だと理解してもらい、代わりに火を起こす許可を取り付けて今に至る。
 実際にはさらにヲ級に鱗を落としたり血抜きの説明もして、それからようやく食べる目処がつくという有様だ。
 それでも提督は不満を漏らさないし、不満とも考えていなかった。
 深海棲艦しかいないガ島で、しかも虜囚の身であっても食事を取れるのは十分に恵まれてると思えたから。
 この島で過去に起きたことを考えれば、十分に恵まれている。





424: ◆xedeaV4uNo 2016/11/03(木) 09:48:13.59 ID:Jdf/oAML0



 提督は頭の片隅でそんなことを思いながら、ヲ級に渡したのとは別の焼けた魚を口に運ぶ。
 味付けもなく骨っぽくって身の少ない魚だったが、やはり文句は言わない。
 ただ今後もこんな魚を食べ続けて、最後の晩餐がこれかもしれないと考えると気は滅入りそうになる。
 気を紛らわせるようにヲ級を見ていると、気になることがあった。
 提督の視線に気づきヲ級は魚を頬張りながら見返す。

「頭のそれはどうなってるんだ?」

 ヲ級は感情に乏しい顔で叩くように頭の上に触れる。
 そこには深海魚と帽子を足したような別の頭があり、側部からは白い触手が布のように垂れ下がっていた。

「……クッツイテル」

 白い触手が頭の上で波に漂う海藻のように揺れ出した。
 喜んでいるのか、どうやら前向きな反応らしい。
 帽子のような頭にも意思があるようだが、ヲ級としての主導権は少女が握っているらしかった。

 意識を取り戻してから五日が過ぎて、少しずつ提督にも分かってきたことがある。
 海岸沿いにいると他の深海棲艦を見かけることがあり、比較的穏やかな気質の者が多いようだった。
 ホッポが絡むと顕著なようで、海岸でホッポがイ級やロ級たちと戯れていて、港湾棲姫がそれを遠望しているのを見かけたことが何度かある。

「今日モ……イイ天気ダ」

 そんなことを言い出すヲ級も穏やかな性格と言えるのだろう。
 何を考えているのかはよく分からないが、どうも色々と考えているらしい。
 ヲ級が言うには、海上に出てくるのは港湾棲姫の麾下にいる深海棲艦で、空母棲姫などの影響が強い深海棲艦は海底にいたがるという。
 そのためか今はまだ空母棲姫本人や、それに近いという深海棲艦には出くわしていなかった。

 意外だったが、先の攻勢がどうなったかヲ級が教えてくれた。
 マリアナに展開していた空母棲姫を始めとした深海棲艦の主力は、MI作戦を実行するはずだった艦娘たちが帰還したために撤退したらしい。
 襲撃されたマリアナの被害は小さくないはずだが、MI組は無事のはずだった。
 つまりは鳥海も無事ということで……提督は感傷的になるのを自覚して考えるのを一度やめた。
 まだ、ここで弱みに繋がることを見せてはならないと。





425: ◆xedeaV4uNo 2016/11/03(木) 09:49:28.59 ID:Jdf/oAML0



 ヲ級の監視の下で何食わぬ顔で魚を食べていると、いつの間にかホッポと白い姫が近づいてきていた。
 ホッポの近くには港湾棲姫か、この白い姫のどちらかが必ず近くにいる。
 保護者のような感覚なのかもしれないと提督は思う。

「コンニチハ!」

 ホッポが挨拶をしてくるので提督も返す。
 白い姫は何も言わなければ応じてこない。警戒感を持っているのは当然だと思い、提督は特に気にしない。

「名前……提督ハ言エナイ。ソレモ不便」

 ヲ級が脈絡もなく声に出す。
 深海棲艦の名前を文字にしようとすると、言語体系がまったく違うのか発声そのものができないからか言葉にならない。
 ワルサメとホッポは例外らしかった。

「代わりに名前でもつければいいのか?」

「……嫌」

 じゃあ、どうしてそんなことをいきなり言い出すんだ。
 提督はこの掴み所のなさから霰や早霜を思い起こす。

「ヲキュー」

 ホッポがヲ級の手を引っ張りながら言う。
 どうもホッポは覚えた言葉を使いたがるようだ。
 提督にはホッポが何歳かは分からないが見た目相応の反応だと思えた。
 その一方で話したことを吸収するように覚えていく辺り、利発な子だとも思えた。
 人間の言葉を覚えていくのを、港湾棲姫や白い姫がどう考えているのかはさておき。

「ヲキューハヲッチャン? ヲッサン?」

「……ドチラモ嫌ナ気ガシマス。ナゼカ」

 それはそうだろう。理由を伝えるのには苦労しそうだったので、提督は黙っていたが。





426: ◆xedeaV4uNo 2016/11/03(木) 09:50:36.20 ID:Jdf/oAML0



 すると今度はホッポが白い姫の手を引く。

「名前! ナンテ呼ブノ?」

 白い姫はホッポの髪を撫で返す傍ら、提督には射抜くような視線を向けてくる。
 未確認の姫である彼女には仮称の名もないし、深海棲艦としの名も提督には理解できない。
 今までは名前を呼ばない形で誤魔化してきていた。

「ソモソモ私ハドウシテヲ級?」

「由来があって日本……俺がいた国にはいろは歌という古い歌があって、深海棲艦の呼称はそこから取ってるんだ」

 提督は三様の視線を受けながら話す。
 ホッポとヲ級は歌ってなんだろうと思ってそうだが、そのまま提督はいろは歌をそらんじてみせる。
 九九と同じで暗記して以来、そう簡単には忘れられそうになかった。

「ドウイウモノナノ?」

「決められた文字数で言葉を繋いで意味のある文にしてるんだ。しかもこれは全部違う仮名……音で表わしてるんだ」

「フーン」

 ホッポは分かってるのか分かってないのか。
 ヲ級の質問が続く。

「ソノ歌トヤラカラ我々ノ名ヲ?」

「そう。そこからさらに艦種ごとに分けてな。駆逐艦ならイとロ、空母ならヌとヲ」

 他にも新種が発見された時のために空きも存在する。
 例えば軽巡クラスならツ級。重巡ならネ級というように。
 レ級なんて例外もあるが……そういえばここにもレ級はいるのだろうか。幸いというべきか、未だに出くわしてないが。





427: ◆xedeaV4uNo 2016/11/03(木) 09:51:13.11 ID:Jdf/oAML0



 ホッポが改めて聞いてくる。

「デモ、コーワンハ違ウヨネ?」

「姫たちは艦種や特徴からつけてるんだ。実際に姫っていうのは他の深海棲艦とは少し違うんじゃないか?」

 提督の言葉に深海棲艦たちは答えない。言葉に詰まるような沈黙に彼女たちも答えを持ち合わせていないのかもしれないと提督は考えた。

「それはともかくワルサメも最初は駆逐棲姫という名前で呼んでた」

 もっともトラックでは途中から誰もそう呼ばなくなっていたが。

「そこの姫は港湾棲姫みたいに特徴か印象で名前をつけられるじゃないかな」

 それがどんな呼称になるのかは提督にも分からない。
 そもそも特徴もよく分からないし、それは聞くに聞けない内容だった。
 戦闘能力に直結するような話を嬉々として語るタイプには見えない。

「――サシズメ飛行場姫カ」

 白い姫は自ら言う。

「私ハ航空機ノ運用ニ長ケテイル。モチロン水上戦闘ニモ自負ハアルガ」

「……いいのか、そんな話をして」

「アイツヤソコノナドト呼バレルヨリハイイ」

 提督は納得すると同時に威圧もされた。





428: ◆xedeaV4uNo 2016/11/03(木) 09:51:55.84 ID:Jdf/oAML0



「以後は気をつける、飛行場姫」

 提督が確認の意も込めて謝ると飛行場姫からの視線はいくらか和らいだような気がした。
 特徴について話すということは、飛行場姫からすれば提督は問題にならない相手と考えているのかもしれない。
 現実問題として提督にガ島から脱出する算段はない。
 いくら知られたところで何も影響はないと考えているのかもしれなかった。

 提督は奇妙に感じた。
 現状を楽観視こそしていないが、そこまで悲観もしていない自身に気づいて。
 予想外の平穏だった。
 深海棲艦の拠点である以上、もっと口では言い表せないような目に遭ってもおかしくない。
 それが浜で魚を焼きながら姫を含んだ深海棲艦と雑談に興じている。
 違和感を抱きながらも、それを受け入れ始めているのを提督は実感している。
 そして考えてしまう。
 この連中とならばと、戦う以外の可能性を模索してみたくなる。

 しかし全ての深海棲艦がこうでないのは提督も承知していた。
 だからこそ受け入れつつある一方で、染まってはいけないとも強く思う。
 完全に気を許してはならない。この和やかな空気を壊したくないと考えてしまうとしても。




429: ◆xedeaV4uNo 2016/11/03(木) 09:53:02.89 ID:Jdf/oAML0



◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆


 その遭遇は突然だった。
 港湾棲姫たちと出会ってから二週間が過ぎたその日、提督は寝袋に入って寝付き始めていた。
 部屋の外でいくつもの声が重なって聞こえるのに提督は気づく。
 いぶかしんでいると、部屋に声の主であろう一人が入ってくる。

「本当ニ人間ガイル」

 提督の姿を認めると、驚きとも軽蔑とも、喜びとも取れる声を出したのは空母棲姫だった。
 ワルサメを巡って生起したトラック諸島沖海戦を思い出して、提督は自然に跳ね起きると警戒する。
 あの時、通信とはいえ交渉のやり取りをしたのを覚えているのだろうか。
 悠々と歩き近づく姿は姫を気取っているようだった。いや、実際に姫なのか。
 空母棲姫のすぐ後ろから港湾棲姫が現れると、その肩を掴んで引き止める。

「余計ナ真似ハ困ル」

「アラ、余計ナンテ心外ネ。私ハタダ噂ノ真相ヲ確カメニキタダケ」

 空母棲姫は笑いながら肩に置かれた手を払うが、両者の間には無言の重圧があった。
 提督は居合わせているだけで息が詰まりそうになり、冷たい汗が吹き出してくる。
 この二人は仲が悪い。それもおそらくは致命的なまでに。
 さらに別の二人が部屋に入ってくる。飛行場姫と提督がまた知らない姫だった。

 知らない姫は一糸纏わない姿に見えるが、正確にはボディスーツのような物を着ているようだ。局所などが見えないということは。
 肉付きのいい体をしていて、妖艶な気配を振りまいている。
 人間を歯牙にもかけていないのか提督の視線には無頓着だった。
 提督も生理的な反応は示すが劣情は抱かなかった。むしろ本能的な危険を感じ取る。
 飛行場姫ともう一人が現れたことで、港湾棲姫たちの間にあった緊張感が薄らぐ。

「前ノ戦イデ妙ニ積極的ダッタノハコノタメ?」

 空母棲姫は顔で提督を指す。小ばかにしたような顔だった。





430: ◆xedeaV4uNo 2016/11/03(木) 09:54:23.90 ID:Jdf/oAML0



「ダトスレバ……ドウダト?」

「イエネ、アナタニモ深海棲艦トシテノ自覚ガアッテウレシイノヨ」

 もう一度空母棲姫が提督を見て、そこで提督は自分の正体に気づいてるのを察した。

「アレハ艦娘ドモノ司令官デショウ? 人間一人デモ利用価値ノアル人間ダワ。立場デアレ情報デアレ」

 知らない姫も口を挟んでくる。

「体モ貴重ダ。五体満足ノ人間ハ珍シイ。捨テルトコロガナイ」

「私ハソッチニ興味ナイケド、アナタガサラッタ人間ハ有用ナノヨ」

 提督の話を提督がいないかのごとく進めていく。
 彼女たちからすれば提督は人間か提督という単位の物に過ぎないのだろう。
 分かりやすくていい。気を許さなくていいことなのだから。
 ……しかし港湾棲姫や飛行場姫にとってもそうなのだろうか?

「コノ男ノ管理権ハ私ニアル。干渉ハヤメテモラオウカ」

 港湾棲姫から機械的な言葉が出る。
 二週間程度の接点しかないが、これが表層的な態度なのは提督にも分かった。
 それは裏を返せば、他の姫たちにも分かるということだ。
 膠着しそうな空気を破ったのは飛行場姫だった。

「込ミ入ッタ話ハ他デヤルベキデハ? ソノ人間ニハ耳ガアレバ目モアル」

「一理アルナ」

 飛行場姫に真っ先に賛意を示したのは見知らぬ姫だった。





431: ◆xedeaV4uNo 2016/11/03(木) 09:55:47.35 ID:Jdf/oAML0



「気ニスルコトガアルノ?」

 あざ笑う調子の空母棲姫だったが、他の三人に反対してまでとは思わなかったようで従っていた。
 四人は部屋から出て行く。
 出て行く間際、港湾棲姫が何か言いたそうな顔で振り返ってきたが何も言わなかった。
 あるいは提督にそう見えただけで、何かを言う気はなかったのかもしれない。

 事なきを得たが、提督を取り巻く状況は提督が考えていたよりもずっとよくないようだった。
 提督は自身の生殺与奪を握られたままなのを痛感する。
 なんとかしなくては。残された時間はそう多くないはず。
 空母棲姫が提督の存在を確認した以上、今後は監視の目がもっと強化されるはずだった。
 仮初めとはいえ保証されていた自由がどうなるかも分からない。

「俺にできること、俺にしかできないこと……」

 前者はまだしも後者はないかもしれない。それでも何かしなくては。
 しかし今夜はもう動きようがない。
 もどかしい気持ちを抱えながら、提督は再び寝袋に入る。全ては明日からだと自身に言い聞かせるようにして無理にでも眠りにつく。
 自然と見上げる天井には青白い照明が揺れている。
 水底から太陽を見上げると、このように見えるのかもしれない。
 ……深海棲艦は太陽が恋しいのだろうか。





437: ◆xedeaV4uNo 2016/11/11(金) 23:07:51.07 ID:gOxlhrGr0



◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆


 明けて翌日。提督は朝一番に港湾棲姫の来訪を受けた。
 普段とは違いホッポもヲ級もいない。
 用があるのは空母棲姫たちとの接触があったからだろうと容易に想像できた。

「提督、私ト来テモラウ」

 告げられた声には提督の予想を裏付けるような硬さがあった。
 そうして提督が連れて来られたのはトンネルのような奥行きのある空間で、木箱や船舶の備品らしき物が集積されては不規則に置かれている。
 無機物の山は海に浮かぶ島々のように点々と奥へと繋がっていた。その先は夜の海のように見えなくなっている。

「ゴミ捨て場か?」

「君ノ目ニハソウ見エテモ、ココハ倉庫ヨ」

 過去に戦利品として略奪したという人間の物が保管されている、と港湾棲姫は提督に説明した。
 提督は手近な塊を見る。
 浸水、火災、あるいは砲雷撃による直接的な被害を受けたのか損傷が著しい物も少なくない。
 港湾棲姫は倉庫と言ったが、やはり半分はゴミと呼んでも文句は言われなさそうだった。

「俺にこれをどうしろと?」

「ココニアル物ノ用途ヲ教エテホシイ」

 提督は小さな声で呻く。
 迷いはしたものの、このぐらいなら構わないかと考えると説明を始める。
 用途が分かったところで利用できるかは、また別の問題でもあった。
 見つかったのは本であったりCDロムであったり、錨や無線機にデッキブラシ。他にも提督にも用途の分からない機械の部品など様々だ。
 港湾棲姫は提督の話を聞いている内に言い出す。

「以前ハ食料ヲ見ツケタコトモアル」

 過去には何度か缶詰などを発見したと港湾棲姫は言う。
 どんな種類の缶詰を見つけたのかは定かではなかったが、味は深海棲艦の間でも好き嫌いが分かれたらしい。
 他にも酒類が見つかったこともあり、ほとんどの深海棲艦は興味を示していないようだったが重巡棲姫だけは何故か違ったようだ。
 今では酒が見つかった場合は独占的に重巡棲姫が確保しているらしかった。
 もっとも、こういった略奪品自体が今は手に入らないとも。
 現在では海上航路は封鎖されているし、日本を中心に復活した航路は艦娘たちによって制海権が維持されている。





438: ◆xedeaV4uNo 2016/11/11(金) 23:08:36.76 ID:gOxlhrGr0



「教えるのはいいんだが、この量は一日や二日じゃ無理だ」

 一山を崩しきらない内に提督は言う。体感時間ではあるがニ、三時間かけても進捗は氷山の一角も崩せていない。

「コウイウ協力ヲ今後モ頼ミタイカラ」

 港湾棲姫はほほ笑むような顔をする。
 初めて見せる表情に提督は内心で驚いた。

「提督。コレカラモ我々ト人類……否、艦娘トノ戦イハ続クト思ウ」

 空母棲姫は悲嘆に暮れているように見えた。
 そう見えてしまうのは感情移入しているから、になってしまうのだろうか。

「我々ニモ人類ノ知識ヲ持ツ者ガイテモイイハズ。協力シテモライタイ。提督ガ我々ニモ必要ダト証明シタイ」

「……行く行くは深海棲艦のために働けって?」

 港湾棲姫を見返すと、彼女は頷き返してくる。

「私ハデキル限リ提督モ守リタイ。シカシ君自身ガ深海棲艦ニ有益ダト証明スレバ、誰モ手出シハデキナクナル」

「それがたとえ空母棲姫であっても?」

「深海棲艦ノタメニ。ソレガ彼女ノオ題目ダカラ」

 穏やかに思える港湾棲姫だが、空母棲姫に対してはトゲがあるようだ。
 ……これでも我慢しているのかもしれない。
 ワルサメの真相を知りたがったというのは、端から空母棲姫に疑いを持ってるということなのだろうから。
 だが、今この時に気にすべきはそこじゃない。





439: ◆xedeaV4uNo 2016/11/11(金) 23:09:42.12 ID:gOxlhrGr0



「艦娘と戦うために力を貸してほしいわけか」

「生キルタメナラ、他ニ手ハナイデショウ?」

 そして港湾棲姫はできうる限りの助力を約束してくる。
 叶うかは別として、この姫はその約束のために力を尽くしてくれそうだと思わせる魅力がある。
 ここで許される最大限の譲歩。きっとこれはそういう提案に違いない。だが。

「それなら断る」

「ドウシテ?」

「それをやったら俺はもう提督じゃ、司令官さんじゃいられなくなる」

 思い出す顔、声、優しさ、温かさ。そして痛み。
 大丈夫、何も忘れちゃいない。

「提督ハモウ……ココデハ提督ジャナイ。艦娘モココニハイナイ」

 だから折れてもいい。いない相手に筋を通す必要もない。
 港湾棲姫が言いたいのはそういうことなのだろう。
 ……本気でそう考えてるとは思いたくないが。

「ホッポは大事か?」

 提督の言葉に港湾棲姫は戸惑ったように頷く。

「当タリ前」

「俺にだってそういう相手がいる」

 港湾棲姫は押し黙った。共通項だと気づいたらしい。
 提督を説得できないと察したのか、港湾棲姫は別のことを言う。

「私タチハ似タ者同士?」

「どうだかね……でも会えたことはよかったと思ってるよ」

「……提督ヲココニ連レテコナイホウガ、ヨカッタノカモシレナイ」

「だから招待状を出せと言ったんだ」

 そうすれば、もう少しまともな出会い方と別れ方もできただろうに。

「提督……ワルサメノ話ヲモウ一度聞カセテ」

「それなら喜んで」

「デキレバ提督タチトドウ過ゴシタノカ、モット詳シク」

 暗い話よりも明るい話を。
 港湾棲姫がそう考えているかは定かではないが、提督としてはそう受け止めようと決めた。





440: ◆xedeaV4uNo 2016/11/11(金) 23:10:11.33 ID:gOxlhrGr0



◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆


 翌日になると平常通りというべきか、ヲ級が監視役に戻っていた。
 ただ変化も起きている。
 屋外に出ると洋上から深海棲艦たちが遠巻きに見ている。
 いつもと様子が違うように思えるのは、粘っこい視線のように感じるせいだ。
 青空に白い雲という好天に反した気配だった。

「アレハ>An■■■ノ配下ダ」

「相変わらず何を言ってるか分からないが空母棲姫か。どうりで雰囲気が違うわけだ」

 深海棲艦を白と黒で表現するなら、今見える連中は黒に思えた。

「港湾の配下なら、もっと気ままに波間に漂っていて自然な感じがするな」

 あちらは警戒心を剥き出しにしていて余裕もなさそうだった。
 その警戒心が提督に対してなのか、空母棲姫に対してかは分からない。
 いずれにせよ提督の動向を監視しているのは間違いなかった。

「手でも振ろうか?」

「……ヤメテハ。向コウハ人間ナンテナントモ思ッテナイ」

 提督は素直にヲ級の忠告に従って、砂浜に腰を下ろす。
 するとヲ級は空母棲姫の名を苦々しげに漏らす。
 ヲ級はあまり感情を表に出してこないだけに、珍しい反応だと提督は思った。





441: ◆xedeaV4uNo 2016/11/11(金) 23:10:45.57 ID:gOxlhrGr0



「空母棲姫が苦手なのか」

「信用ナラナイ」

 はっきりと嫌悪感を露わにする。
 いよいよ珍しいと思いながら提督はヲ級を見上げて聞いていた。

「空母棲姫の何が気に食わないんだ?」

「アレハ……我々ノタメト言イナガラ、自分ノコトシカ考エテイナイ。独善的……」

 ヲ級の目の奥に青い光が灯ったように見えた。

「私タチハ駒同然……イヤ、駒ナラマダイイ。実際ハ捨テ石……平気デ見捨テル」

 自分や他の姫を見る目やワルサメにしでかしたことを考えれば、十分にありえそうな話だと思った。
 もしかしたら、このヲ級自身も過去にそういう目に遭ったのかもしれない。
 でなければ、ここまでは言えないのではないか。

「命を預けるには足りないってことか?」

「アソコニイル連中ノ気ガ知レナイ……ソレハ確カ」

 そう告げた時には、ヲ級は感情を抑えるのに成功したようだった。
 提督は内心の引っ掛かりを意識しながら聞く。

「港湾棲姫になら命を賭けられるのか?」

「ソウカモシレナイ……アノ方ヤホッポタチヲ見テイルト、長ク生キテホシイト思エル。ドウシテカ提督ナラ分カル?」

「分かるとも言えるし、分からないとも言えるな」

 曖昧な言い回しに提督は苦笑いする。





442: ◆xedeaV4uNo 2016/11/11(金) 23:11:42.76 ID:gOxlhrGr0



「自分より大事に思えるものがあって、そのためにならなんでもしたくなる気持ちは分かる。どうしてヲ級がそう思うのかまでは分からないな」

「ソウカ……難シイ……」

 ヲ級は無表情のまま首を横に倒すように傾げる。
 そのままの姿勢で彼女は提督に聞く。

「私ハ恨マレテイル……カナ?」

「誰に?」

「艦娘」

 提督が返答に窮していると、ヲ級は首を元の位置に戻して話し始める。

「今マデ……考エタコトナカッタ。提督ヲ連レテキタ……艦娘カラ奪ッテ。大切ナ物ヲ奪ウナラ……許セナイ」

 だから恨まれている、か。
 ヲ級の口調は淡々としているが、目に見えない葛藤があるのかもしれない。
 少なくとも帽子状の深海魚もどきの触手はしおれたようになっていた。
 どうだろうと考える提督に思い浮かぶのは鳥海で、彼女ならばと想像を巡らせる。

「謝れば許してくれるかもしれないぞ」

 冗談でも気休めでもなかった。
 鳥海ならそれで許すかも……そう考えてしまうのは美化しすぎかもしれない。
 それでも、と考える。何かを恨むよりも許すほうが彼女には似合う。

「本当ニ?」

「心から誠意を込めれば」

 ヲ級はあさっての方向を見る。
 吟味しているのだろう。提督はそれ以上、このことについて言えることはないと思った。
 ため息一つ吐いて、透けるような空の青と少し前よりも膨らんだような雲を見上げる。





443: ◆xedeaV4uNo 2016/11/11(金) 23:12:17.91 ID:gOxlhrGr0



「俺からも一つ聞いていいか?」

「ドウゾ」

「トラック諸島を攻略した時に、深海棲艦たちが港湾を逃がす時間稼ぎでもするように足止めをしてきた。あれはそういう命令でも出てたのか?」

 戦闘詳報を作成していた時になって気づいたことで、それまでの深海棲艦とは明らかに異なる動きを示していた。
 その理由は知っておいたほうがいい。
 港湾棲姫に対する判断として。

「私ハソノ時……別働隊トシテ動イテイタ。シカシ、アノ方……コーワンハソンナ命令ハ出サナイ」

「なら、あれは深海棲艦たちが自発的にやったのか?」

「私ガソノ場ニイレバ同ジヨウニシテイタ。勝チ目ガナク逃ガスタメナラ、コーワンガ望ンデイナクトモ」

「自己犠牲、か?」

「ソウイウ考エハ分カラナイ。シカシ私ハコーワンヲ優先スル」

 当然だとばかりにヲ級は言う。
 無自覚の献身か、徹底した合理的判断か。あるいは姫という存在に対する彼女たちの有り様とも呼べる可能性も。
 提督は内心の答えを保留して、思い浮んだままに言う。

「あの時の他の深海棲艦もそんな風に考えるなら、お前たちは仲間だったんだな」

「仲間……?」

「同じ目的や動機を持ち合わせて、そのために行動できるんだろ。それが何人もいるなら仲間じゃないのか?」

「ソウカ……私タチハ仲間ダッタノカ。考エタコトモナカッタ……」

 ヲ級はうなだれ、呟きが提督にも聞こえてきた。

「見ル目ガ変ワリソウ……」

 見る目が変わってきたのは提督も同じだった。
 意識の変化には気づいていたが、どう向き合うのかまでは決めかねていた。





444: ◆xedeaV4uNo 2016/11/11(金) 23:13:05.25 ID:gOxlhrGr0



◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆


 日が暮れた頃、飛行場姫が提督を訪ねてきた。
 提督は読んでいた洋書を閉じる。先日、港湾棲姫と見つけた物だった。
 欧州の伝承をまとめた入門本のような内容だった。
 英文で書かれていて全文を正確に読めるわけではないが、大まかな筋は分かる。暇つぶしにもってこいだった。

「珍しいな、ここに来るなんて」

 珍しいどころか、飛行場姫と一対一で向き合うのは初めてだった。
 いつもはホッポなりヲ級がどちらかの近くにいる。

「誘イヲ断ッタソウネ」

 開口一番、飛行場姫は言う。
 港湾棲姫との話を指してるのは分かったが、どういう意図で言い出したのかまでは声音や表情からは読み取れない。

「説得にでも来たのか?」

「私ハ彼女ホド、オ前ヲ評価シテイナイ」

 にべもなく言い捨てる飛行場姫に、提督は愛想笑いを返した。
 そんな提督に飛行場姫は独白のように言う。

「遅カレ早カレ、コウナルノハ分カッテイタ。アノ二人ノ対立ハ決定的ダッタ」

 あの二人、港湾棲姫と空母棲姫を指してるのは明白だった。

「俺が呼び水になってしまったのか?」

「ウヌボレルナ、人間」

 飛行場姫は鼻で笑う。のだが、思ったほど嫌らしさを感じないのは何故だろうか。
 この姫が表裏のない直情型に思えてしまうからなのか、提督にも判断はつかなかった。





445: ◆xedeaV4uNo 2016/11/11(金) 23:13:58.52 ID:gOxlhrGr0



「彼女ノ行動ガモタラシタ結果デ、提督ガ我々ニ与エル影響ハ微々タルモノニスギナイ」

「なるほど、それは気が楽だ」

「……シカシ、ソノ点デ提督ヲ少シ哀レニ思ウ」

「俺が可哀想?」

 そんな風に言われるのは心外だった。

「ソウダロウ? 巻キ込マレルダケ巻キ込マレテ、自分ノ最期モ選ベナイ」

「……そんなことはないだろう」

 飛行場姫に反発していたが、あとの言葉は続かなかった。
 しばらく両者の間に言葉はなかったが、やがて提督が聞く。

「もし対立が悪化したら港湾棲姫はどうなる?」

「……ワルサメト同ジコトニナルカモシレナイ」

 飛行場姫の声には怒気が含まれていた。
 深海棲艦内ではワルサメは艦娘によって沈められたことになっている。
 つまりは謀殺だ。

「ダガ、ミスミスソウサセルツモリモナイ」

 飛行場姫は黒い右手を震わせる。
 深海棲艦内のパワーバランスは分からない。
 このまま見て見ぬ振りをする手もある。
 そうすれば勝手に内側から自滅、どちらも消耗するのは確実。





446: ◆xedeaV4uNo 2016/11/11(金) 23:15:31.55 ID:gOxlhrGr0



 ……それを提督は嫌だと感じてしまう。
 ストックホルム症候群を疑った。
 深海棲艦を言葉の通じない敵として見なすのが難しくなって、今や肩入れしようとしている。

「港湾棲姫の庇護を失ったら俺は何をされるんだ?」

「……私ニモ分カラナイ。シカシ提督モ想像ハシテイルダロウシ、ソレヨリ酷クナラナイノハ望ム」

 楽に死ねますように、と言ってくれてるのだと提督は解釈して笑い声を上げた。
 飛行場姫が不審な顔をするのも気にならない。

「俺のやることは影響がないと言ったな?」

「確カニ」

 正直に受け止めてしまえば、それは結果を恐れずに行動できるということだ。
 変わらないなら、変えられないからこそ好きにすればいい。
 そして飛行場姫の言うことはきっと正しい。
 どう動こうと自分の身に起きる結果は変わらない。同じ予感を提督もまた抱いていたのだから。

「なら聞いてくれないか?」

 提督は自身の腹案を話す。思いついたのは最近のことだった。
 いぶかしげに聞いていた飛行場姫だが、その表情は次第に険しくなっていく。
 最後まで話を聞いた彼女の口から出たのは一言。

「正気?」

「ああ、提督らしい考えだとは思わないか?」

 飛行場姫はそれには答えない。





447: ◆xedeaV4uNo 2016/11/11(金) 23:16:01.82 ID:gOxlhrGr0



「誰カニモウ話シタノカシラ?」

「いや、飛行場姫が最初だ」

 思いついてから時間が経ってないというのもある。
 それ以上に、この話は誰よりも先に飛行場姫に聞かせたほうがいいとも思った。

「ドウシテ最初ニ? 私ニソンナ話ヲシタ理由ハ?」

 飛行場姫は緊張した顔のまま戸惑っていた。
 提督は偽りなく答える。

「飛行場姫が一番俺に対して肩入れしてないと思ったからだ」

「私ハ……コウワンモホッポモ守ルワヨ」

「一番の理由はそれだ。二人に不都合なことなら止めてくれる」

 だから、ある意味で提督は安心していた。
 自分にできそうなことをやるだけやってみればいいだけの話。

「アアモウ……言ウダケ言ッテミナサイ。話ス自由グライアルデショ」

 飛行場姫は戸惑いを隠せずに眉根を下げた顔をしていた。
 この姫は意外といいやつなのかもしれない。提督は遅まきながらそう思った。





448: ◆xedeaV4uNo 2016/11/11(金) 23:17:36.32 ID:gOxlhrGr0



◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆


 一晩経って、それで揺らぐ程度のことなら話す価値もない。
 提督は呼べ出す形になった面前に向かい合いながら考える。
 港湾棲姫、飛行場姫、ホッポ、ヲ級。
 四者四様の視線を浴び、それぞれの思惑を斟酌する。
 結局のところ、提督は提督にできることをしようとするしかない。
 それがどこであろうと。

 一息、提督は深呼吸する。
 言ってしまえば、もうなかったことにはできない。
 一笑に付されて終わるかもしれなければ、埋めようのない隔たりが存在すると証明するだけかもしれない。
 それでも提督は言う。
 彼は言う。彼女たちが決める。全てはそれだけだ。

「艦娘たちに亡命しないか?」

 言葉の意味が分かるだろうかと、ふと提督は思った。
 しかし言ってしまった以上はもう止まれない。
 今一度、賽は投げられた。





452: ◆xedeaV4uNo 2016/11/15(火) 00:15:07.83 ID:Z6leLO1l0



◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆


 提督が目を覚ますと、白の二種軍装が用意されていた。
 拉致された当初になくなっていたと思っていたが、ヲ級が見様見真似で洗濯してみたという。
 洗剤もないし洗い方そのものが分からなかったのか、生地は不自然な硬さになっているし磯臭いのは気にしないことにした。
 それにヲ級の行動にはちょっとした驚きと、奇妙な感謝の気持ちのほうが強い。

 着替えてから一人で海岸まで歩いた。
 靴を脱いで裾も上げて海に少しだけ入ると、海水で口をゆすいでから指で歯を磨く。
 深海棲艦たちが沖合から見ている。ヲ級は関わるなと言ったが、もっと近づいてくればいいのに。

 提督は即席の釣り竿を海に投げる。
 餌はない。今更何かを食べても仕方ないし、今日ぐらい殺生から離れてもいいと思えた。
 途中で何度か雨に降られて、その度に近くの木陰で雨宿りをする。
 肌に当たる雨は生温かい。草いきれは濃すぎる。
 そうして陽が沈み始めるまで、提督は一人で釣り竿を垂らし続けた。深海棲艦たちは雨が降ってもそこに居続けた。

 部屋に戻った提督は、読みかけの本を消化し始める。
 最後になるかもしれない日の過ごし方としては悪くないのかもしれない。
 しばらくすると飛行場姫がやってきた。

「無事ニ抜ケタワ」

 それだけで意味を承知した提督は本を閉じる。
 全てがうまくいくかは分からないが、達成感が心中に広がっていく。
 できることは全てやれたと思えた。

「よかった。あとはうまくいくのを信じるしかないな」

 穏やかに笑う提督にを見て、飛行場姫は疑問を挟む。

「一緒ニ行カナクテヨカッタノ? ココカラ逃ゲル最初デ最後ノ機会ダッタノニ」

「港湾棲姫が俺を置き去りにするなんて、空母棲姫たちもすぐには考えない」





453: ◆xedeaV4uNo 2016/11/15(火) 00:16:14.33 ID:Z6leLO1l0



 港湾棲姫たちはもうここにはいない。
 ヲ級やホッポだけでなく、港湾棲姫を支持する深海棲艦たちも。
 二十人余りの大所帯になった彼女たちは、外洋での訓練を名目にガ島を離れてトラック諸島へと針路を取っている。
 人間や艦娘たちに保護を求めるために。
 飛行場姫が言ったのはガ島の哨戒圏を抜けたという意味だ。

「渡す物は渡してあるし、日中はずっと監視の目につく場所にいた」

 提督は左の薬指に視線を移す。今はもう何もはめていない。
 そこにあった指輪は港湾棲姫に伝言と一緒に預けていた。
 提督は頭を一振りすると、思い浮びそうになった顔を振り払う。無駄な抵抗だった。

「……後はもうなるようにしかならない。空母棲姫だか、あのもう一人の姫」

「装甲空母、ト呼ンダトコロカシラ」

「その装甲空母姫だかがいつ来るかって話だ。すぐこの後かもしれないし、明日か明後日かもしれない。もう早いか遅いだけなんだ」

「……ヤハリ分カラナイワ。留マッテ確実ナ死ヲ待ツヨリ、アガイタ結果トシテ死ヲ迎エルホウガ自然ニ思エル」

 それは、と言いかけて提督は口を噤む。
 理由は説明できるし言葉も形になってる。それでも提督は質問という形で返していた。

「飛行場姫こそ、どうして港湾たちと行かなかったんだ?」

「私ハ人間モ艦娘モ信ジテイナイ。デモ彼女モ止メラレナイ。ソレダケ」

「それだけ? 違うんじゃないのか」

「……マサカ怖ジ気ヅイタカラ、トデモ言ウツモリ?」

 飛行場姫はふくれたような顔をする。
 いつもの威圧と違うのは……もう俺に腹を立てても仕方ないと思っているからかもしれない。





454: ◆xedeaV4uNo 2016/11/15(火) 00:17:00.11 ID:Z6leLO1l0



「……これは賭けだったんだ。空母棲姫たちが港湾たちを阻止する可能性はあった」

「ソレハソウネ。提督ハ捨テ置イテモ困ラナイノダカラ」

「手厳しいが、その通りだ。意図に気づいたら俺を無視して港湾たちを追撃するかもしれない。だから飛行場姫は残ったんじゃないか?」

 いざという時に実力行使で足止めをするために。
 飛行場姫が港湾棲姫と同等の戦闘能力を有しているとすれば、それは絶対に無視できない相手となる。

「……ドウアレ、ソレハ起キナカッタ話ヨ」

 飛行場姫は濁すように話を断ち切った。それは認めてるのと同じだ。

「デモ今ノデ分カッタワ。提督ハ少シデモ目ヲ逸ラスタメニ残ッタ。ソコマデスル必要ハアッタノ?」

「この島に連れてこられた時点で、俺の命運は決まってたんだよ」

 運命の有無はさておいて、そうとしか言えなかった。
 港湾たちの逃亡が成功するかは、初動の段階で空母棲姫たちがどう動くかによる。
 空母棲姫たちの興味は提督――というより港湾棲姫が提督を気にかけている、という事実に向いているはずだった。
 今回の話はそれを逆手に取ったというだけ。
 港湾棲姫たちの中に提督がいれば目的は看破されて成功率は大きく下がり、いなければ逆に上がるというだけの話。

 提督としては空母棲姫たちの目を欺き襲撃を避けて、数日に渡る航海に耐えるという道筋を見出せなかった。
 ひとたび動きを察知されれば追撃隊が編成されるだろうし、空母棲姫ら自体が出向いてくる可能性もある。
 そして爆撃だろうが砲撃だろうが、至近弾だけで人間の体など紙のようにたやすく引き裂かれる。
 どうせ助からない命ならと提督はガ島に留まることにし、これは初めから決めていた。

「オ前ニヒトマズ感謝シテオコウ」

 飛行場姫はいくらか柔らかい表情になっていて、提督は死刑を宣告されたような気分だった。





455: ◆xedeaV4uNo 2016/11/15(火) 00:18:36.81 ID:Z6leLO1l0



「感謝される謂われはないよ」

 姫から目を逸らし、また視線を合わせる。
 こうして話ができる相手が近くにいるだけ幸運なのかもしれない。

「考えてみろ。俺からすれば、どっちに転んだって得をするんだ」

 港湾棲姫たちがガ島を離れた時点で、深海棲艦の戦力は減っている。
 脅威を減らせるなら艦娘たちの提督として、やるべきことはやったと言える。

「ドコマデガ本心カシラ」

 提督は答えなかった。
 結局、港湾棲姫たち深海棲艦にも彼は入れ込んでいる。
 愚かしいとどこかで思う一方、艦娘たちと港湾棲姫たちの戦いを望んでいないという気持ちは本物だった。

「一つだけ頼まれてほしい」

「言ッテミナサイ」

「港湾の庇護を失った以上、空母棲姫や装甲空母姫は間違いなく俺に何かしてくる」

 飛行場姫は何も言わないが、そこに否定が入る余地はない。

「俺は『尋問』に対する正規の訓練なんか受けてないから、口を割らせるのはそう難しくない。だから……」

 言葉を形にするのに少しだけためらう。
 しかし他に頼める相手はもういない。

「だから言いたくないことを言い出す前に俺を殺してほしい」

 飛行場姫は腕を組む。考えるようなそぶりに思案顔で言う。





456: ◆xedeaV4uNo 2016/11/15(火) 00:19:44.00 ID:Z6leLO1l0



「ソンナニ死ニタイナラ自分デ舌ヲ噛ンダラ。ソレデ死ネルハズヨネ」

「できるならそうする……でも怖いんだ。それに死にたくない」

 飛行場姫は眉をひそめる。

「矛盾シテイルワヨ、提督。死ニタクナイノニ殺サレタイノ?」

「そうでもないんだ。矛盾はしてない……俺には死を選ぶ覚悟がないんだ。自分で自分を、というのはダメなんだ」

 飛行場姫はしばし沈黙する。
 眉をひそめたまま飛行場姫は提督に問う。

「ソレハ……御国ノタメトイウモノ?」

「……間接的にはそうかもしれないが、そこまで夢想家じゃない。もっと直接的な理由だよ」

「艦娘ノタメ?」

 提督が頷くと飛行場姫は組んだ腕を解く。

「勝手ナ話ネ」

「承知してる。その上で頼んでるんだ」

「コノ私ニソンナコトヲサセヨウナンテ」

「言ったろう、覚悟がないんだ。誰かに殺されるのなら諦めもつくし割り切りもできる。だけど……」

「モウイイワ」

 飛行場姫は話を打ち切ると、いらだたしげに鼻を鳴らすように笑う。
 呆れとも怒りとも取れるが。





457: ◆xedeaV4uNo 2016/11/15(火) 00:20:19.01 ID:Z6leLO1l0



「合図ハ?」

 提督はとっさに言葉の意味が掴めない。
 飛行場姫が申し出を受け入れたと気づいて、提督は深く頭を下げる。
 一方の飛行場姫は提督から視線を逸らした。

「カレーが食べたい」

「カレー? 食ベ物?」

「ああ。世界が今日で終わるとしたら最後の晩餐は何がいいって質問があってな。一種の冗談なんだが」

 飛行場姫はまた難しそうに眉をひそめる。

「晩餐ッテ食事ノコト? 最後ニ何ヲ食ベタイカナンテ、ヨク分カラナイ悩ミ」

「分かる日が来るかもしれないさ」

「ソウカシラ……マアイイワ。提督ガソウ言ッタ時ガ、ソノ時トイウワケネ」

 提督は頷きカレーの味を思い出す。
 急に腹が空いてきて苦笑いをするしかなかった。

「そうそう、艦娘たちはみんなカレーが得意でな。味もばらばらなんだけど、どれも好きだ。ひどい目に遭ったこともあるけど……」

 比叡の作ったイカ墨カレーと、その翌日に食べさせられた磯風のカレーは……今となっては笑い話だ。
 とんでもなく場違いな場所に来てしまった。我が身の不幸を少しだけ呪いたくなる。

「誰ノカレーヲ食ベタイトカアルノ?」

 ……なんで、そんなことを聞くんだ。ぶちまけてしまいたい衝動を腹の内に留める。
 勝手に喉が鳴ってしまうので歯を食いしばった。ずっと考えるのを避けようとしてきたのに。
 俯く。顔を上げていたくないし何も見たくなかった。何も聞きたくもない。





458: ◆xedeaV4uNo 2016/11/15(火) 00:20:56.27 ID:Z6leLO1l0



「……会いたい」

「誰ニ?」

「鳥海にだよ!」

 抑えられなかった。
 今すぐにでも鳥海に会いたい。会って話がしたい。
 彼女の声が聞きたかった。司令官さんと呼んでくれる、あの優しい声を聞かせてほしい。
 でも知っている。ここに鳥海はいない。これが俺の現実だ。
 そして現実はいつだって待ってくれない。
 戦って、抗って、そうやって進んでいくしかないんだ。
 良いことも悪いことも待ってはくれない。

「……諦メナサイ」

 飛行場姫が立ち去ろうとする気配を感じて提督は顔を上げる。
 最期まで俺は俺であり続けたい。

「飛行場姫」

「今度ハ何?」

 うっとうしげな声。その背中に向かって提督は言う。
 少しぼやけた視界を気にかけるのはやめた。
 準備はとうにできているんだから。

「カレーが食べたい」

 飛行場姫は立ち止まる。
 聞き耳を立てるように、横顔が見えない程度だが顔が提督のほうを向く。
 もう一度言う。何度だって言ってやる。

「カレーが食べたい」

 飛行場姫はゆっくり振り返った。その目は冷たい輝きを放っている。





464: ◆xedeaV4uNo 2016/11/23(水) 13:10:38.97 ID:A+5EMiDc0



◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆


 黎明時の静やかな海を、トラックへ向かう深海棲艦の一団が航行している。
 港湾棲姫たちでホッポや青い目のヲ級を初め複数のイ級やロ級、他にもチ級やル級など複数の艦種を含んだ総勢二十二名に及ぶ艦隊だった。
 輪形陣の中心には港湾棲姫がいて、彼女は寝息を立てるホッポを肩車している。
 港湾棲姫はからすれば軽いが、確かに体にかかる重みは彼女にある感情を喚起させる。
 港湾棲姫は思い返す。悔恨に導かれて。


─────────

───────

─────


 艦娘に亡命する。つまりは和解を目指す。
 港湾棲姫は提督の提案に心が揺らいでいた。
 というのも港湾棲姫たちを取り巻く環境を打破するアイデアに思えたからだ。
 心が揺らぐのは、そこに正当性を見出したからに他ならない。

 一方で提督の提案を受け入れるのも警戒した。
 この話は提督に――虜囚の立場に有利に働く話だからだ。
 提督に気を許してきているのと、この話に乗るのかはまったく別だった。

 港湾棲姫にとって意外なことに、飛行場姫が提督の話に食いついて質問を重ねていた。
 頭ごなしに否定はせずに疑問と疑惑を埋めていく。
 トラック諸島までどうやって向かうのか、空母棲姫たちを出し抜けるのか。艦娘たちとどうやって接触し、敵意がないと示すのか。
 提督はそれらの問いに答えを用意して、自身はガ島に留まるつもりだとも言う。
 どうして、そこまでする?
 理由は分からないが提案への警戒感は薄らいだ。
 提督は港湾棲姫たちを利用して、逃亡を図ろうとしているわけではない。

「艦娘タチハ……我々ハ受ケ入レル?」

 それまで黙っていたヲ級の発した問いは、一番の疑問であり問題だった。
 大前提への問いに提督は力強く頷いた。

「大丈夫だ」

 何を根拠にそこまで言いきれるのか。
 疑問への解を、納得するだけの材料を見出せずに、港湾棲姫はその時その場での返事を保留した。





465: ◆xedeaV4uNo 2016/11/23(水) 13:12:27.05 ID:A+5EMiDc0



─────────

───────

─────


 港湾棲姫はホッポが身じろぎするのを感じて我に返った。
 ホッポは寝起きの声を出して目を開ける。

「……コーワン?」

「ココニ……イルヨ」

 今ではすっかりこっちの呼び方が定着している。
 港湾棲姫としては、ホッポが喜んでいるのならと進んで正す気はなかった。
 何より気に入り始めている。ホッポが言ったようなかわいらしい名前かはともかく、据わりのいい響きだとは思っている。

「マダカカリソウ?」

「アト二日ハ……」

 すでにガ島を発ってから一昼夜は過ぎている。
 その間、二十ノット近い速度で航行を続けていて、ガ島からはだいぶ離れたが道半ば。

「降リルヨ? コーワンモ休マナイト」

「私ハマダ平気……」

 港湾棲姫はホッポを離さない。
 過剰に急ぐ必要はないが、もう少しだけ空母棲姫に備えて距離を稼いでおきたかった。
 逃亡しているからこそ休息が必要になってくる。
 疲弊したまま艦娘と接触する気はなかった。
 もしもの場合、艦娘と交戦しなくてはならない。

 提督は和解できると太鼓判を押したが、港湾棲姫はそこまで楽観視していなかった。
 艦娘が抱いた怒りや悲しみという負の感情を、提督は過小評価しているのではないか。そのように懸念していた。
 そうではないと願い、提督の言う通りであってほしい。
 でなければ道を閉ざされてしまう。

「コーワン、怖イノ?」

 港湾棲姫の心中を察したような言葉だった。

「怖クナイ……怖ガッテモ……イケナイ」

 今や一団の存亡を預かっている。
 それを苦とは思わない港湾棲姫だが、緊張感や警戒心は消せなかった。





466: ◆xedeaV4uNo 2016/11/23(水) 13:20:33.12 ID:A+5EMiDc0


─────────

───────

─────


 考えをまとめきれないまま港湾棲姫は提督との話に再び臨んでいた。
 港湾棲姫の心の揺らぎは迷いに変じている。
 彼女は内心で提督の提案を是として受け入れ始めていて、だからこそ行動するか迷っていた。

「提督ニ都合ノイイ提案ダ」

 反対、というよりは確認のために出てきた言葉だった。
 提督はそれを否定せず認める。

「そうとも。しかし港湾たちにも悪くない提案だ」

「ドウシテ、ソウ言エル?」

「艦娘となら和解できるが空母棲姫とじゃ無理だろう。港湾が港湾である限り」

「私ガ私デアル……何ヲ言ッテイル?」

「君はワルサメと同じだ」

 提督は断じる。そのまま提督のペースに巻き込まれるように港湾棲姫は質問されていた。

「正直に言ってくれ。戦うのは好きか?」

「……必要ガアレバスルダケ」

 正直とは逆に遠まわしな答えに提督は笑う。そのまま彼は続ける。

「人間や艦娘が憎いのか?」

「ッ……モウ分カラナイ」

「だろうな。トラックを占領してから分かったことだが、君は現地住民に手出しをしないようにしていた」

 港湾棲姫は何も答えなかったが、それは事実だった。
 島内の奥に引っ込んでいれば関与しようとしなかったし、配下にも無視するよう伝えていた。





467: ◆xedeaV4uNo 2016/11/23(水) 13:23:37.22 ID:A+5EMiDc0



「どうして人間を無視したかは知らない。港湾が優しいからか、単に人間にさして興味がなかったからかもしれないし」

「初メカラ……ソウダッタワケジャナイ」

 人間を無視したのはホッポとワルサメの影響が大きい。

「生マレタ時カラ人間ニ腹ガ立ッテイタ……ダケド、ホッポヤワルサメト出会ッテカラ私ノ何カガ変ワッテシマッタ」

 行き場のない憤りも悲嘆も恨みつらみも、気がつけば薄らいでしまっていた。
 そればかりはきっと提督にも理解できないだろうと港湾棲姫は思う。

「だが空母棲姫はそんな深海棲艦を認めないんじゃないのか?」

 その指摘は正しい。
 空母棲姫たちはある意味で純粋だった。少なくとも港湾棲姫はそう考えている。
 持って生まれた感情や衝動に忠実であり、それこそが不可侵で正統な深海棲艦らしさと考えていた。
 だからこそ港湾棲姫とは相容れない。変化してしまった彼女とは。

「港湾はホッポが大事だと言ったな?」

「確カニ言ッタ」

「この先、艦娘とも同じ深海棲艦とも戦うしかない道は修羅道だ。ホッポに残したいのは、そんな道か?」

 修羅道の意味を港湾は知らなかったが、何を言いたいのは想像がつく。
 そして同時にそれは彼女の痛い部分を的確に突いていた。

「そうでなくともニ方面作戦は避けないと」

「窮地ダト……言イタイノ?」

「好ましい状況とは、とてもじゃないが思えないな」

 言われずとも分かっている。だからこそ提督の出した亡命という案に港湾棲姫は惹かれた。

「港湾、お前は今後も艦娘との戦いが続くと言ったな」

 確かに言った。提督を味方に引き込むために言ったが、認識としては誤っていない。
 すでに数えで二年は続いていて、今なお収束どころか激化の一途を辿ろうとしている戦争。
 始めてしまったのは深海棲艦。終わらせるのは……誰かも分からない。

「だったら終わらせてみないか?」

 本気の視線が港湾棲姫を見ていた。





468: ◆xedeaV4uNo 2016/11/23(水) 13:24:27.73 ID:A+5EMiDc0


─────────

───────

─────


 ホッポは港湾棲姫から降りた。
 彼女たっての希望で、そうなると港湾棲姫も無理強いはできない。
 もっとも肩車が終わっても、二人は手を繋いで併走する。
 ホッポの足元は水面から反発するように浮いていた。
 そうなる理由は二人の姫にも分からない。ただ自然にできてしまうことだった。

「ホッポハチョッピリ怖イヨ……デモ提督ハコーワンミタイダッタ」

 港湾棲姫は複雑な気持ちだった。
 彼女自身も提督に同じようなことを言っているが、いざ別の相手からそう聞かされると違和感になってしまう。
 私と彼は似ていない。そんな思いを抱きながらも口外はしなかった。

「ソレニ、ソレニネ? 怖イケド楽シミナノ。ワルサメノオ友達ガイルンダヨネ。会ッテミタイ!」

 目を輝かせてホッポは言う。
 それは今まさに昇り始めた太陽と同じ輝きだった。
 港湾棲姫は目をすがめ、しかしそんなホッポを愛おしく思う。
 ホッポが握る手に力を入れる。

「……ガンバロ、コーワン」

 励まそうとしてくれてるのだと港湾棲姫はそこで気づいた。
 港湾棲姫は意を新たにする。
 何があっても戦うしかないと。
 望みは分かっているのだから、あとは立ち向かうだけ。
 そうでもしなければ……報いられないと。





469: ◆xedeaV4uNo 2016/11/23(水) 13:25:34.17 ID:A+5EMiDc0



 その日、港湾棲姫たちは交代で休息を取った。
 睡眠と食事を済ませて活力を取り戻した彼女たちは、翌々日の午前にはトラック泊地の哨戒圏にまで進出した。
 しばらくして哨戒機に発見された一団は白旗を振り出す。
 提督から教えられたことで、交戦の意思なしを示す合図だと言われた。

「徹底抗戦……トデモ誤解サレナケレバイイノデスガ」

 青い目のヲ級が淡々と呟く。
 その点に関しては提督を信用するしかないと港湾棲姫は思った。
 頭上に張り付く哨戒機をそのままに、港湾棲姫は泊地への通信を試みる。
 和睦のための話し合いを求める旨を伝え、港湾棲姫たちはやや速度を落として泊地へ向かい続けた。

 提督から注意として、いくつかのことが挙げられている。
 哨戒機を攻撃してはならないし、こちらから艦載機を挙げるのも原則として控えたほうがいいと言われていた。
 不要な刺激を避け、交戦の意思がないのを証明するためでもある。

 ただ航空機の編隊が来るようなら、海底で身を潜めてやり過ごすようにも言われている。
 その場合、話し合いの余地もなく決裂したと言えてしまう。
 幸いというべきか、数時間が経っても交代の哨戒機しか飛来しなかった。

 昼を過ぎてから、港湾棲姫たちは針路上に黒い影がいくつもあるのを認めた。
 それが艦娘たちだと確信し、彼女はさらに近づいたところで配下に停止を命じる。

 港湾棲姫は懐を探り、提督に託された物を確認した。
 艦娘に渡してほしいと頼まれたのは指輪だ。
 誰に渡してもいいとは言われているが、できるならという条件で相手を指定されている。
 指輪の持つ意味を港湾棲姫は知らなくとも、それが提督とその誰かにとって大事な物なのは分かっていた。




470: ◆xedeaV4uNo 2016/11/23(水) 13:26:05.55 ID:A+5EMiDc0



 もしかしたら威嚇の砲撃ぐらいあるかもしれない。
 そう考えていたが、何も起きないまま艦娘たちが近づいてくる。
 港湾棲姫は増速し一人だけ突出した形になる。
 すぐにヲ級も後に続いて追ってきた。

「ホッポヲオ願イ」

「オ断リ……シマス。私モ行クベキデショウ……提督ヲ襲ッタ者トシテ」

 港湾棲姫はヲ級に反対されて驚いた。
 今まで彼女は無理難題でも従ってくれていたからだ。
 一抹の不安を感じる一方で、今まで尽くしてくれた彼女の意思は尊重すべきだと港湾棲姫は考えた。

「最後ニ提督カラ言ワレマシタ。今コノ時ニ艦娘トドウ向キ合ワネバナラナイカ……ココハ我々ニトッテ通過点ダソウデス」

「ソウ……」

 艦娘たちからも何人かが突出して近づいてくるのを港湾棲姫は認める。
 その中心にいる艦娘には覚えがあった。
 トラックでの海戦でしつこく追撃してきた艦娘だ。
 名前も知っていた。提督から聞かされていたからだ。
 港湾棲姫は思い返す。彼女の名はと――。





471: ◆xedeaV4uNo 2016/11/23(水) 13:37:48.15 ID:A+5EMiDc0



◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆


 鳥海はトラック泊地の艦隊を預かって、白旗を掲げる保護を求める港湾棲姫たちへの接触を図ろうとしていた。
 内訳は第八艦隊として編成された一団で、顔触れは変わらず鳥海に高雄、島風、天津風、長波。ローマにリベッチオとなる。
 加えて他には愛宕、摩耶と扶桑型の二人に残りのイタリアの艦娘たち、球磨型の五人に嵐と萩風という面々だ。
 また後方にはニ航戦を中核とした機動部隊も待機していた。

「どういうつもりなんだろうなあ、深海棲艦のやつら」

「それを見極めるのが私たちの役目よ、摩耶」

 摩耶の疑問に高雄が答えていたが、鳥海も同じ疑問を抱いていた。
 もしも司令官さんがいたら積極的に応じようとしていたのだろうけど……。
 思案する鳥海に島風が話しかけてくる。

「鳥海さん、大丈夫? 前の戦闘から一ヶ月ぐらい空いちゃってるけど」

「ええ、心配ありません。それに今回は本当に戦闘になるか分かりませんし」

「あ、そっか。そうだよね」

 島風は安心したように言うと離れていく。
 もしかすると鳥海が本当に戦えるのか、探りを入れられたのかもしれない。
 深海棲艦に怒りをぶつけられれば楽なのかもしれないけど、空いた時間はそういった衝動を静めてくれていた。
 撃つのにためらいはないけど、そこに余計な感傷を差し挟む気はない。
 接触までは少し時間があるのも手伝って、気が緩みすぎない程度にそこかしこで会話が生じていた。
 球磨が鳥海に話かけてくる。

「新任さんもいきなり難題で大変クマ」

 トラック泊地には先だって新任の提督が着任していた。
 新任といっても、鳥海を初め少なくない艦娘にとって必ずしも初対面という相手ではない。
 元は輸送艦出雲の艦長としてと号作戦にも参加していて、出雲に乗艦していた艦娘たちならば面識があった。
 司令官さんが元艦長とモヒカン頭の軍医さんの二人を、提督として推挙したという話を聞いていたけれど。
 その一人が巡り巡ってトラック泊地に着任したのは、奇縁を感じるような話なのかもしれない。

「のっけから深海棲艦が助けてくれー、だもんね。不思議な話だよ」

 北上が球磨の話に乗っかってきて、鳥海も頷いた。





472: ◆xedeaV4uNo 2016/11/23(水) 13:39:40.81 ID:A+5EMiDc0



「正直、ワルサメのことがなければ信じられなかったと思います」

「うんうん、それはあるよねえ。まー、あたしはワルサメってよく知らないんだけどさ。もったいなかったのかもね」

 もっと接点を持っておけば、ということなのかと鳥海は解釈した。
 北上と話しているためか、大井も会話に自然と入ってくる。

「でもワルサメを信じたのと、今回の件を同一視するのは早計じゃないです?」

「確かにその通りクマ。港湾棲姫とは交戦経験もあるクマ」

「だからこそ向こうも真剣とは言えるかもしれませんね」

 鳥海は答えつつ考える。
 港湾棲姫の狙いや本心がどこにあるのか見極める必要があるにしても、不安はさほど感じない。
 ワルサメという子は港湾棲姫という深海棲艦を信じていたから。
 それを早計と大井さんは言ってるとしても。
 大井がそういえば、と鳥海に聞く。

「新任提督といえば秘書艦を辞退してよかったの? あなた、結構こだわってたはずでしょ」

「それは司令官さんの秘書艦として、ですね。提督さんには提督さんの秘書艦が別にいるはずですから」

「そういうものかしら……ううん、確かにその通りかも」

 大井は北上のほうを見ながら何度も頷く。
 曖昧な笑顔で首を傾げる北上を尻目に、鳥海と球磨は力なく笑う。
 新任が着任してからの引き継ぎで、鳥海は秘書艦を辞退したいと伝えていた。
 表向きの理由としては、第八艦隊が継続するのなら旗艦として専念したいため。
 また前任との仕事に慣れすぎているために、新任のやり方には合わせない可能性があるから、ということにした。





473: ◆xedeaV4uNo 2016/11/23(水) 13:48:52.94 ID:A+5EMiDc0



 もちろん秘書艦を継続するのが、新任の判断であり命令ならば謹んで受けるつもりだった。
 現に今でもしばしば助言を求められる。
 それでも率直に言えば、秘書艦であるのは望んでいなかった。
 ……私は他の誰でもない司令官さんの秘書艦ですから。
 結局、新任は鳥海の要求を承認し、秘書艦の席は今なお空席のままになっている。

「北上さんが秘書艦になってもいいんですよ」

「あたし? うーん、あんま興味ないかな。大井っちなら秘書艦にも向いてると思うんだけどねー」

「北上さんの秘書艦なら喜んで!」

「や、あたしって提督じゃないから」

「この二人が秘書艦になったら泊地が傾いてしまうクマ」

 冗談を言う球磨に、軽い調子で北上が口答えする。
 和やかな雰囲気を保ったまま、艦娘たちは深海棲艦たちを電探の範囲内に収めた。
 砲戦距離に入ったが砲撃は行わない。
 艦娘たちは硬くなりすぎず、しかし緊張感を伴って進んだ。
 すぐに肉眼で目標を捉えると、鳥海は艦隊全体で共有している回線に声を吹き込む。

「島風、敵潜は?」

「ソナーには感なし。あそこにいるだけだよ」

「となると報告通り、数は二十二。初めて見る姫もいるし、戦うなら港湾棲姫が難敵だけど……」

「まずは相手の話を聞いて、でしょう?」

 補足する高雄に鳥海は頷く。





474: ◆xedeaV4uNo 2016/11/23(水) 13:50:57.70 ID:A+5EMiDc0



「まず私が先行して接触してみます」

 摩耶がすぐに反応する。

「だったら、あたしも行く。一人だけってのはさすがに危険だろ」

 摩耶のこういうところは頼もしかった。
 高雄もそれを認めると自らも志願するが、すぐに鳥海に反対された。

「姉さんはダメです。もしもの時に指揮を執ってもらわないと」

「そういうこった。高雄姉さんは大人しくしてなって」

「ならば私も行きましょう」

 名乗り出たのは扶桑だった。

「万が一を考えたら、戦艦の打撃力が必要じゃないかしら」

 鳥海は即座にもっともだと思った。

「お願いしてもいいですか? 心強いです」

「それなら姉様だけでなく私も!」

 すかさず山城が声を上げるので、鳥海も頷き返す。

「では、これで四人。みなさんはここで待機を。北上さんたちは甲標的を念のため展開しておいてください」

 それから鳥海は泊地と後方の機動部隊に向けて、港湾棲姫たちに接触すると伝える。
 あとは伸るか反るか。





475: ◆xedeaV4uNo 2016/11/23(水) 13:52:10.13 ID:A+5EMiDc0



「もしも私たちが撃つか撃たれるかしたら戦闘を始めてください」

「……そうはならないのを願うわ」

 心配そうに高雄が見送る中、四人は深海棲艦たちに近づいていく。
 程なくして深海側からも港湾棲姫と青い目をしたヲ級の二人が近づいてくる。
 双方は五メートルほどの距離を開けて相対すると、鳥海が口火を切る。

「あなたたちの要求を聞かせて」

 答えたのは港湾棲姫で、両のかぎ爪を開いてみせる。
 小細工もなく無防備だと証明したいらしいと解釈した。

「先ニモ伝エタ通リ、我々ニ交戦ノ意思ハナイ……保護ヲ受ケタイ」

「つまり亡命したい……ということ?」

「ソウ……ソシテコレハ……君タチノ提督ガ提案シタコトデモアル」

 予想外の名前が出てきて、鳥海は固まったように止まる。
 他の三人も動揺したが、立ち直るのは鳥海よりも早かった。
 扶桑が鳥海に代わって訊く。

「提督が? 一体どういうこと?」

「提督ハ我々ノ元ニイタ……」

「……いた?」

「提督ハ我々ヲ逃ガスタメニ残ッタ……」

 扶桑たちは不可解に思う。話しの繋がりが見えてこないためだ。





476: ◆xedeaV4uNo 2016/11/23(水) 13:53:15.59 ID:A+5EMiDc0



「初めから詳しく説明して。あなたたちに何があって、提督に何が起きているのかを」

 港湾棲姫は言われた通りに説明する。
 提督を拉致して拠点まで連れ去ったこととその理由。
 姫たちと提督がどう過ごしたかを話し、また彼女たちが空母棲姫と対立していることを。
 そして激突を避けるために提督の案に従って、艦娘たちに保護を求めていると。

「あいつはまだ生きてるのか!」

 摩耶が怒鳴るような調子で言う。
 港湾棲姫はそれに対して重々しく首を横に振る。

「最期ハ看取ッテイナイ……デモ彼ヲ守ルモノハモウナイ」

「だったら、どうして提督を連れて来なかった!」

「提督ガ……ソウ望ンダカラ」

 え、と気勢を削がれた声を出す摩耶に、港湾棲姫もまた俯き気味に言う。

「自分ガイテハ我々ノ逃亡ハ難シイト……アノ男ハ我々ヲ生カソウトシテクレタ」

「なんで……あんたら、深海棲艦だろ!? どうしてあいつがお前たちを助けるんだよ!」

 摩耶の悲痛な叫びが刺さる。
 港湾棲姫は唇を噛み、そして鳥海は顔を上げて疑問を投げかけた。

「数日前までなら司令官さんは生きていたの?」

「……エエ。提督ナラ確カニ生キテイタ」

「そんなのって……」

 鳥海は崩れ落ちそうになる。
 一ヶ月はあった。それが提督が消えてから今日に至るまでの期間。
 助け出すには十分すぎる時間があった。
 それなのに何も手を打てずに塞ぎ込んで……残された時間を無為にしていたなんて。





477: ◆xedeaV4uNo 2016/11/23(水) 13:53:47.79 ID:A+5EMiDc0



「やめなさい、自分のせいだなんて考えるのは」

 山城だった。冷たいと取れる言葉を彼女は言い放つ。

「私たちは深海棲艦の動向を把握できていなかったのよ。拠点だってどこかも分からないのだから……誰にも助けられなかったの。あなたがどれだけ提督を想っていたとしても」

 冷徹に聞こえる声とは真逆に、山城は労るような眼差しを鳥海に向けている。
 鳥海は感謝した。山城の言葉は胸に痛くとも、不器用な優しさがある。
 そこで港湾棲姫に見つめられているのに気づいた。
 視線が絡むと港湾棲姫は口を開く。

「アナタガ……鳥海デショウ?」

「どうして私の名前を?」

「提督カラ……コレヲ渡シテホシイト」

 港湾棲姫は右腕を背中に回してから、改めてかぎ爪を開く。
 その上に小さな指輪が乗っているのを見て、鳥海は慌てて飛び出ると手を伸ばしていた。
 奪うように取り上げると、指輪を両手で守るように抱きしめ距離を取る。

「なんでこれを!」

「提督ガ……ドウシテモ君二渡シテホシイト」

「司令官さんが?」

「ソレカラ……『アリガトウ』ト」

 鳥海は体を縮めるように震えると、歯噛みして俯く。
 そんな彼女の感情に反応して、艤装が独りでに動き正面に展開すると主砲が港湾棲姫へと指向する。

「これは司令官さんの形見で! 今のは遺言ってことでしょ!」

 鳥海が港湾棲姫を睨む。その重圧に押されるように港湾棲姫が息を呑んだ。
 両者の間では緊迫感が急速に膨れあがっていた。





478: ◆xedeaV4uNo 2016/11/23(水) 13:55:15.98 ID:A+5EMiDc0



◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆


 飛行場姫は考える。ここで提督の願いを聞き入れるかどうか。
 死を望むなら与えるだけの義理はある。彼女はそう考えていた。
 港湾棲姫たちに別の道を示したのは事実で、それは飛行場姫にはできなかったことだ。
 まだ結果は分からずとも、このまま留まり続けて訪れる結果より期待が持てる。
 だから望みを叶えてやっても――。

「……急グコトハナイデショ」

 気がつけば飛行場姫はそう言っていた。
 心の無意識が先延ばしを選んだかのように。

「それは困る!」

 提督が言い返す。
 飛行場姫は理解していない。提督がどれほどの意をもって頼んだのかを。
 深海棲艦の中でも特に強力な個体であるが故に、彼女は身に降りかかる死の気配に疎かった。
 飛行場姫の予想に反して時間はもうなかった。
 物々しい気配が近づいてくるのに気づき、彼女は部屋の入り口を睨む。
 空母棲姫と装甲空母姫が二人のル級を伴って入ってきた。

「アラ、イタノ」

 どこか挑発するような空母棲姫の言葉を無視して、飛行場姫は装甲空母姫に聞く。

「コレハドウイウツモリ?」

「羊ノ収穫時カナト」





479: ◆xedeaV4uNo 2016/11/23(水) 13:56:10.90 ID:A+5EMiDc0



「勝手ハヤメタホウガイインジャナイ」

「何故カシラ」

 険のある声は空母棲姫だ。
 二人の姫が自分を無視して話を進めようとしているのが気に入らなかった。

「≠тжa,,ガイナイナラ、誰モ提督ヲ守ラナイ。モシカシテ、アナタハ邪魔ヲスルノ?」

「マサカ」

 飛行場姫は提督を一瞥する。その時はとうに来ていたのだと彼女も理解した。

「私ハ彼女ジャナイ」

「ナラ構ワナイワネ」

 飛行場姫が道を譲るように脇へどくと、装甲空母姫が胸をなでおろしたように言う。

「助カル。私タチト違ッテ、ソッチノ二人ハ地上ニ慣レテナインダ」

 装甲空母の指した二人はル級のことで、すでに息が上がり始めている。
 進み出たル級たちは慎重に提督の両肩を掴むと立ち上がらせた。抵抗はない。

 飛行場姫は思う。人間は不思議だと。
 人間はあまりに脆い。
 だが、この脆い人間が深海棲艦を強く突き動かしもする。
 不思議な生き物だ。その考えを胸に飛行場姫は提督に聞く。





480: ◆xedeaV4uNo 2016/11/23(水) 13:57:18.04 ID:A+5EMiDc0



「……ソンナニ食ベタイ?」

「ああ、心残りだよ」

 提督が引き立てられて連れて行かれようとしている。
 背中が見えた。白い軍服。死に装束。
 そんなつもりはないのだろう。
 しかし――白に赤は映える。
 提督の体を貫いてから、飛行場姫はそう思う。

 機械仕掛けの右腕は背中から胸へと抜けて、間の筋肉や胸骨、そして心臓を外へと掻き出していた。
 こふっと息を吐き出した提督の口から血の塊がこぼれる。
 抉り取ったものを手放して腕を引き抜くと、提督の体が膝から前に崩れて倒れる。
 反った背中が顔を飛行場姫へと向けさせた。
 光を失っていく目は飛行場姫を見ているはずだが、本当は何を見ているのかもう分からない。

 飛行場姫は考える。
 望みは確かに果たした。これは提督が望んだ結果だと。
 しかしとも彼女は考える。
 提督の本当の望みは違ったのだろうと。
 誰も彼を知らない場所で、誰にも死に様を知られることがないまま消える。
 飛行場姫は胸の痛みを自覚した。





481: ◆xedeaV4uNo 2016/11/23(水) 13:58:05.94 ID:A+5EMiDc0



◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆


 痛みは一瞬だったが息苦しさは長かった。
 提督は自分の身に何が起きたのか、正確には理解できていない。
 ただ見上げた先の飛行場姫が約束を守ってくれたのだけは分かった。
 言葉の代わりに、喉には何かが詰まっていて息苦しい。
 感謝したかったのかもしれないが、もう思い浮かんでこなかった。
 だが、それもすぐに苦にならなくなる。自分が見ているものも分からなくなる。
 世界が色を失っていく中、なぜか昔を思い出していた。

 幼少期……八だか九だか十の頃。
 父親に言われた。俺は実の子ではないと。
 そんな気はしてた、と返した。意地を張って。
 本当の両親は父の知り合いらしかった。

 十四の時、本当の両親に会いたくないかと父に聞かれた。
 父はあなただと答えた。その時の父の顔は……もう思い出せない。
 その一年後、父が死んだ。大往生だ。
 まだ深海棲艦との戦争が始める前。たぶん父は幸せだった。

 その後、父と同じように海軍士官を志した。
 高官だった父のコネはあったのだと思う。
 さほど優秀な成績を残せなかった自分が兵学校に入学できて卒業までして、海軍に食い扶持を得られたのは。

 それから何年かして戦争が始まった。
 深海棲艦との一方的な戦い。
 同期も後輩も先輩もみんな死んだ。
 そして、なぜか提督に抜擢された。艦娘という怪しい存在の指揮官として。
 今ならあの妖精が一枚噛んでいたのではないかと思えるが、その時に知る由もない。





482: ◆xedeaV4uNo 2016/11/23(水) 13:58:39.74 ID:A+5EMiDc0



 初めて組んだのは生意気な駆逐艦だった。
 ただ、あの遠慮のなさは決して嫌いじゃない。でも生意気だ。
 その内、世界水準を自称する軽巡が増えて、他にもいっとう真面目な駆逐艦たちとめんどくさがりの駆逐艦がやってくる。

 全てが手探りだった。
 戦い、傷つき、その度に何かに気づいていく。
 艦娘は兵器であるが、同時に生きていた。
 苦しみ怯え、痛がって悲しむ。時には悩む。
 そして安らいで笑い、喜んで望みを語り、時に驚く。
 彼女たちにどう向き合うのか。本気で向き合うしかなかった。

 実働部隊の指揮官としては、俺には多少の適正があったらしい。
 やがて艦娘たちは増えていく。
 カニをこよなく愛する子、やたらおどおどしているけど優しい子。
 熊だか猫だか分からない軽巡姉妹。その中には心から頼りにするやつも出てきた。

 そして迎えた決戦。
 俺たちは勝って、一人を失った。
 それからも多くのことが起きていく。
 空いていた傷が塞がってきた頃、大切だった者と再開して――そして彼女とも出会った。

 ああ……最期に思い出せてよかった。
 ありがとう、俺は生きていた。
 ささやかな望み。
 この先も彼女と――鳥海と――





483: ◆xedeaV4uNo 2016/11/23(水) 13:59:23.36 ID:A+5EMiDc0



◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆


 今にも暴発してしまいそうな鳥海は港湾棲姫に向けた主砲を下ろそうとはしない。
 一方の港湾棲姫はそれを甘んじて受けようというのか、微動だにしなかった。

「鳥海」

 静止するような摩耶の声にも鳥海は視線を向けない。
 分かっている。こんなことしたって、もうどうにもならないのは。
 撃って破局させれば気が済むという話でもない。
 それでも収まりのつかない気持ちがある。

「待ッテ……ホシイ」

 港湾棲姫に付き従っていたヲ級が両者の間に割って入る。
 鳥海の向ける砲口の前に立ったヲ級は手を広げながら言う。

「撃ツナラ私ニシテホシイ」

 それには港湾棲姫が驚きの声を上げる。

「何ヲ言ウ!」

「……イイノデス。艦娘ヨ、アノ男ヲサラッタノハ私ダ」

「そう……」

 鳥海は短く答えながら、ヲ級を観察する。
 ヲ級は無表情で思惑がどこにあるのか鳥海にもよく分からない。





484: ◆xedeaV4uNo 2016/11/23(水) 14:00:20.23 ID:A+5EMiDc0



「ドウシテモ許セナイナラ私デ手討チニシテホシイ。コーワンヤホッポタチハドウカ許シテ」

「……手打ち?」

「提督ガ最後ニ教エテクレタ。コウイウ時、人間ハ手討チニスルト言ウノダト」

 言葉の意味を考えて鳥海は小声で呟く。

「……人が悪いですよ、司令官さん」

 こうなるのを知ってか知らずか。
 ありがとう、の言葉と重なって何を求めているのか分かってしまった。
 気づいてしまった以上、叶えてあげたかった。それが最後に遺されたことならば。

「そうですね。どこかで終わりにしないと」

 鳥海の言葉にヲ級は顔を強張らせて目を見開く。
 一方の鳥海は息を吐いて肩から余計な力を抜いた。
 指輪は左手に収め、右手は自由にさせておく。
 艤装の静かな唸りをそのままに鳥海の体が前へと飛び出る。
 数歩分の距離を刹那の間に詰めると、右手が電光石火の速さでヲ級の頬を張った。
 その音に遠巻きに見ていた島風ら何人が思わず目を閉じる。港湾棲姫もホッポも反射的に目を閉じていた。
 ヲ級は呆けた顔で鳥海を見つめていた。

「希望通り、手打ちにしました」

 鳥海の言葉にヲ級は手を頬にやる。
 ややあってヲ級はとがめるような声を出していた。

「手打チトハ、コウイウコトデハナイハズ!」

「手で打ったじゃないですか……まだ叩かれ足りないんですか?」

「ソウジャナイ……ソウジャナクッテ……」

 尻すぼみになっていく声に、鳥海は小さな声で謝った。





485: ◆xedeaV4uNo 2016/11/23(水) 14:01:12.99 ID:A+5EMiDc0



「ごめんなさい。悪乗りしてしまいましたね……手打ちには和解という意味があるんですよ。古い意味で手討ちなら、確かに殺すという意味も持ち合わせていますが」

 鳥海はため息をつく。
 司令官さんは最期まで戦ってくれたんですね……それを台無しになんてできない。

「あなたたちを許せと言ってたんですよ、司令官さんは」

「ソンナノ……ダメ」

 ヲ級は駄々をこねるように首を振る。
 鳥海は眼を細め、声のトーンを意図して下げる。

「あなたはそんなに私に沈めてほしいの?」

「ダッテ……私ナラ許セナイノニ……」

「……私はあなたたちを知りません。でも司令官さんはあなたたちを助けたかった……あの人自身の命よりも優先して」

 白露さんがワルサメを守ろうとしたように、司令官さんもまた港湾棲姫やこのヲ級を守ろうとした。
 だったらどうするかなんて決まってる。

「私、鳥海はあの人の秘書艦です。ならばその想いを汲むのは当然じゃないですか」

 ヲ級はうなだれる。鳥海からそれ以上何も言うことはなかった。
 それから港湾棲姫を見る。緊張も警戒も解けていない顔が見返してくる。

「わだかまりが完全に消えたとは思わないでください……それでも、あなたたちの要求を聞き入れます」

「……感謝スル」

「まだ、それには早いですよ。どうなるか分からないんですから」

「ソレデモ……信ジテクレタ」

「それも含めて、これからのあなたたち次第では?」





486: ◆xedeaV4uNo 2016/11/23(水) 14:01:54.07 ID:A+5EMiDc0



 機会は作られた。
 でも私たちはまだスタートラインに立ったばかり。
 お互いのことは行動で示していくしかないと思えた。

「扶桑さん、提督さんに連絡してください。投降してきた深海棲艦を受け入れる準備をしてほしいと」

「ええ」

 本当なら鳥海は自分で連絡をするつもりだった。
 しかし緊張しきっていたのは彼女も同じで、気が張り詰めていたせいか一気に疲労感に襲われていた。
 そんな鳥海に山城が言う。

「鳥海。あなたは正しい判断をしたと思うわ」

「……そうだと思いたいです」

「姫は私と姉様で様子を見るわ。あなたは……少し楽にしてなさい」

 山城の視線は鳥海が受け取った指輪にも向いていた。
 泊地からの正式な命令となったことで、他の艦娘たちも深海棲艦を警戒しながらも誘導を始める。

「……ゴメンナサイ」

 ヲ級が見ていた。戸惑いを隠せず、それでも声を振り絞るようにもう一度謝ってくる。
 鳥海はどう答えていいのか分からず、首を横に振った。

「……やめましょう。私だって、あなたたちに何もしてこなかったわけじゃないんですから」





487: ◆xedeaV4uNo 2016/11/23(水) 14:02:21.99 ID:A+5EMiDc0



 人数の多寡で語る話じゃないのは理解している。
 それでも多寡で語ってしまえば、私のほうが多くを奪ってきている。
 まだ気持ちを整理できていないのは確かで、だけどこの子を恨むよりも他にやったほうがいいことがあると思えた。
 それが何かはまだ全然分からないけど……。
 鳥海は左手で握り締めていた指輪を両手で包み直す。そうしていないとなくしそうな気がして。

「よくがんばったな」

 摩耶がすぐ近くまで来る。鳥海はできる限りの笑顔を返した。

「分かってたから……白旗振ってたでしょ。あれだって受け入れてほしいってことじゃない」

 言いながらも鳥海は自分が見栄を張っているのだと思った。
 怒りも恨みもぶつけるのが筋違いだと思えて、それで分かったようなことを言ってるだけで。悲しい気持ちは残ったままで。

「摩耶、ごめん……」

 危ないとは分かっていても、航行中の摩耶に正面から体を寄せる。
 これも分かってる。摩耶なら速度を同期させてくれるって。互いの艤装の速度が微速にまで落とされる。
 今度はちゃんと甘えることにした。
 摩耶の体に収まるように頭を胸に押しつける。
 何も言わず摩耶は頭と背中に手を回すと、浅く抱き返してくれた。
 髪に触れる感触を気にしていれば、余計なことも考えずに済む。
 私は……声を押し殺す。
 小さな指輪が、今度こそ司令官さんをなくしたという現実を教えてくれた。





488: ◆xedeaV4uNo 2016/11/23(水) 14:03:08.17 ID:A+5EMiDc0



◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆


 装甲空母姫は提督の亡骸を、彼女の占有空間へと運んでいた。
 そのあとに続くのは飛行場姫で、装甲空母姫に請われて足を運んでいた。
 空母棲姫は提督が死亡した時点で、彼への関心を失いル級たちと海底へと戻っている。

「ココハ……コンナ場所ガアッタノカ」

 飛行場姫の眼前にあるのは、言わば研究プラントだ。
 横倒しに並んだカプセルがいくつも入り口から奥へと連なっている。
 電力やその他よく分からないものを供給しているであろうケーブルが容器の上下から伸びていて、内部には液体が詰まっていた。
 そのいずれにも様々な艦種の深海棲艦が入っている。
 眠っているのか死んでいるのか飛行場姫には分からないが、ある言葉が自然と浮かんできた。

「保育器?」

「当タラズトモ遠カラズ。ココニ同ジ姫デ入レタノハ君ガ初メテ」

「ナゼ私ヲ?」

「誰カニ……知ッテホシカッタノカモシレナイ」

「コノ場所ヲ?」

 こんな薄気味悪い場所。そう内心で飛行場姫は付け加えていた。
 装甲空母姫は答える前に、提督の体を空いていたカプセルに入れる。

「何ヲシテイル?」

「誰カサンガ殺シテシマッタカラ、腐敗ダケハ抑エナイト」

「ソウデハナクテ、提督デ何ヲスルツモリダト」





489: ◆xedeaV4uNo 2016/11/23(水) 14:03:51.94 ID:A+5EMiDc0



 装甲空母姫は片眉だけを吊り上げて笑う。

「代償ヲ支払ッテモラウ。人間ノ体ニ」

 飛行場姫は得も言われぬ不快感を覚えた。

「死ンダ人間ダ。安ラカニ眠ラセテヤッテハ」

「ソウハイカナイ。コノママデハ我々ハタカガ非力ナ人間ニ、戦力ノ一角ヲ崩サレタコトニナル」

 装甲空母姫は冷ややかな目でカプセルを見下ろす。提督の死体を。

「コノグライノ代償ヲ受ケ取ッテモ割ニ合ウマイ。改造モデキレバイイケド……」

 飛行場姫は思った。いっそ提督が入れられた容器も壊してしまおうかと。それはまったく難しいことではない。
 衝動じみた行動を取る前に、飛行場姫は別の容器を見て驚いた。
 その中に浮かんでいるのは深海棲艦ではない。

「艦娘……?」

「ソウ、ソレハパナマデ交戦シタアメリカノ艦娘ダ。私ノ艦載機ヲイクツモ落トシタ……代償ダ。他ニモ色々ナトコロカラ回収デキテネ、コノ数ヶ月ハ戦闘ガ多クテヨカッタ」

 装甲空母姫は愉快そうに笑うが、すぐにその笑い声を消す。
 あとに残ったのは真摯な顔だった。

「知ッテホシイノハ……深海棲艦ガ直面シテルコト。我々ハ窮地ニ追イ込マレテイル。ソレト気ヅイテイナイダケデ」

 飛行場姫は息を呑んだ。知らずに自分が踏み入れているのは危険な場所ではないかと思って。

「ゴク少数デモ、生マレナガラニ不完全ナ個体トイウノハイタ。ソウイッタ個体ヲ用イテ色々試シタヨ。改造シテ巨大化サセテ実験兵器ヲ載セタリ、艤装ニ転用シタ例モアル。成功モ失敗モ様々デ」

「知ッテル。ソレトコレガドウ繋ガルノ!」

「セッカチダナ、君ハ」

 こんな話なんか聞いていたくないだけ、飛行場姫は内心で言い返す。
 一方で姫である以上、知っておかなければいけない話だとも考えていた。





490: ◆xedeaV4uNo 2016/11/23(水) 14:04:40.34 ID:A+5EMiDc0



「今デハ……深海棲艦ノ出生率ガ下ガッテイル。シカシ不完全ナ個体ノ発生率ハ反比例シテ上昇シテイル」

 飛行場姫は不審に思う。
 正確なデータとして把握しているわけではないが、それだけの変化ならもっと認知されている問題だと思えたからだ。
 その疑問をよそに装甲空母姫は話を続けた。

「モチロン今ガ過渡期トイウ可能性モアル。我々ノヨウナ姫ヤ9レ#=Cノヨウナ強靱ナ個体ガ生マレルタメノ」

「……デモ、ソウハ思ッテイナイ?」

「淘汰ニシテハ劣化ノ激シイ個体ガ多スギル。西海岸ナド酷イモノヨ。発祥ノ地ナノニ……ダカラコソカナ?」

 含み笑いをする装甲空母姫に、飛行場姫は胡乱げな眼差しを向ける。

「……信ジラレナイワ。ソレダッタラ、モット早ク気ヅクジャナイ」

「足リナイ者同士デ掛ケ合ワセテ、表面的ニハスグ分カラナイカラカナ。幸イ、我々ニモ小鬼ノ作リ出シタ修復材ガアル」

 聞かなければよかった、と飛行場姫は少なからず思った。
 装甲空母姫は完全な一体を用意するために複数の個体を切り刻んでは修復、欠けの生じた個体は対空砲台などへと改造していると言う。

「総数ハコレデ変ワラナイ。戦エナイ個体ニモ働キ場所ガアル」

 何か問題が、と問われているようで飛行場姫は絶句するしかなかった。
 おかしいと感じながら、どこがどうおかしいのかを指摘できない。
 浮かぶ理由が観念的になってしまい、それは不適切だと思えてしまう。

「ソウマデシテ……ドウシタイノ?」

「怖イカラ」

 装甲空母姫は真顔だった。その目は海のように茫洋としている。





491: ◆xedeaV4uNo 2016/11/23(水) 14:05:32.76 ID:A+5EMiDc0



「私ハ怖イ。遠カラズ我々ハ滅ンデシマウノデハナイカト。外ノ理由モ内ノ理由モ絶対ニ嫌」

「ダカラトイッテ……」

 このやり方が本当に最適解なのか。そうではないと思う。
 しかし代案を出せるほど飛行場姫は冷静ではなかった。

「艦娘ヤ人間ガドウ絡ムノ」

「アア、ソレハ簡単ナ話デ足リナイ部分ハ外カラ補エバイイ。閉ジタ輪ノ中デ行ウヨリ健全デショ?」

 なんでもないことのように言われて、飛行場姫はきびすを返す。
 装甲空母姫の行為は、深海棲艦の未来を見据えての行動かもしれない。
 それ故に止められないと思う。しかし間違えてると、どこかで感じてしまう。
 展示された標本のような同族や艦娘を見ると、飛行場姫は強烈な嫌悪感が生じてくるのを抑えられない。
 あそこにあるのは等しくモノで、一様に死にくるまれていた。
 無機質な冷たさの中から明るい未来が生まれるという展望が、飛行場姫にはどうしても想像できない。

 飛行場姫の足は自然と外へと向かい、そのまま夜の海へと飛び込んだ。
 海水に当たれば、少しは淀んだ気持ちが晴れるかもしれないと期待して。
 実際に効果はあった。
 覚めた頭でどうでもできないと判断する。何も止められないし変えられない。

 飛行場姫は水面に仰向けに浮かび上がると、星空を見上げる。
 提督を憐れに思った。
 艦娘を想い死を賭したであろうに、その死後に艦娘と戦うために利用されるとは。

「コンナハズデハナカッタ……ソウハ思ワナイ?」

 飛行場姫は思う。この世界は残酷なのかもしれないと。
 そして、それに一役買ってるのは彼女自身と言えるとも。
 飛行場姫はうんざりしながら、流されるままに体を波に任せた。





 五章に続く。




498: ◆xedeaV4uNo 2016/12/11(日) 11:14:10.38 ID:1ZoVarZvo



 俺たちに魂はあるんだろうか?
 艦娘という我が身を顧みると、そんな疑問に行き当たることがある。

 艦娘は元になった艦の生まれ変わりって言われている。
 生まれ変わりなら魂があるという前提だろう。生きてなきゃ魂が宿るなんて考えはないはずだし。
 そもそも艦という無機物に魂が宿るのかって疑問もあるにはある。
 まあ、これは付喪神のようなもんなのかもしれない。

 俺には先代の記憶が多少なりとも残ってる。
 だから俺の場合は先代と混じってるって言ってもいいんじゃないかな。
 でも実際にゃ俺は俺だし、先代は先代だ。
 先代の記憶があるからって、それは俺自身の体験ってわけじゃない。

 あいつはあいつ、お前はお前。
 いつか言ってもらったことだけど、こういうのが正しいんだと思う。
 姿形が似ていて同一の艦娘として生を受けていても、同じであって同じではない存在。
 だから先代と俺がよく似ていたとしても、やっぱり俺たちは別物なんだ。
 たぶん、魂が違うんだから。

 艦娘に魂があるなら、魂を魂たらしめてるのは記憶なんじゃないかな。それも実際に体験した上での記憶。
 要は経験だ。
 だから記憶があったからって、それはそいつだって言えない。艦娘は軍艦じゃないし同型艦でもないってことで。
 なんで、こんな話をするのかって?
 ……まあ、あれさ。認めたくないんだ。

 俺たちは出会った。出会っちまったんだ、戦場で。
 俺が俺であるように、あいつはもうあいつじゃなかった。
 だって、やつには俺たちと過ごしたという体験はない。
 逆にあいつには俺たちと撃ち合った経験なんてないんだ。
 ……どうにも、こいつはいけないな。回りくどくて要領を得てないや。

 つまり俺たちは新種の深海棲艦と邂逅した。
 それだけなら、そういう話で済む。
 しかし俺はそいつから提督の気配を感じてしまった。

 ありえない話だよ。そう、ありえないんだと思っていたかった。
 あれは確かに深海棲艦だったから。
 だが魂がもしも記憶に根ざすなら……あの深海棲艦はやっぱりあいつでもあったんじゃないかって。
 俺はそれ認めたくないだけって話さ。
 実際やつは……やつも振り回されてたんじゃないかな。自分自身に、自分が持っていたモノに。





499: ◆xedeaV4uNo 2016/12/11(日) 11:17:20.76 ID:1ZoVarZvo



五章 咆哮の海


 港湾棲姫たちを受け入れてから一夜が過ぎた。
 その間、交戦の意思がない一団は積極的にトラック泊地からの要求や指示に従っている。
 元から受け入れるのも考慮して接触しただけあって、泊地としての対応も早かった。
 提督も港湾棲姫と通信を行い事の経緯や彼女たちの目的を改めて確認すると、今後に向けた当座の取り決めも交わしている。
 大本営からも近日中に人を派遣して話し合いを行うとのことで、それまで友好的な態度を取るよう言ってきたという。
 鳥海は思う。ここまでは司令官さんの計算通りなのかもしれない。
 この先どうなっていくのかは委ねられてしまった。

 翌日になって深海棲艦たちに夏島への上陸許可が認められた。
 提督さんと港湾棲姫の間で、改めて協議を行うために。
 もっとも上陸できるのは三人だけで、港湾棲姫にホッポと名乗る幼女のような見た目の姫、それに青い目のヲ級になる。
 他の深海棲艦は海からは離れられなかった。
 これは以前ワルサメからもたらされた情報とも合致している。
 砂浜では提督や何人もの艦娘が見守り、海上では二十名近くの深海棲艦が見送る中、最初に上陸した港湾棲姫がしみじみと言う。

「コンナ形デ戻ッテクルナンテ思ワナカッタ……」

 トラック諸島が深海棲艦の勢力圏だった頃、深海側の司令官を務めていたのが彼女だ。やっぱり思うところはあるんだと思う。
 続いて島に足を踏み入れたホッポが胸一杯に息を吸い込む。

「コーワン、匂イガ全然違ウヨ!」

「ソウ……ナノ?」

 少し戸惑い気味に港湾棲姫が言う。
 そんな彼女と鳥海はなぜか目が合った。
 いえ、私にも分かりませんが……そういえば、港湾棲姫はと号作戦の折に交戦したのを覚えているのかしら。
 あの時の夜戦で左腕を折られたんだっけ。今更持ち出す気はないけど左腕を思わず触ってしまう。
 当たり前の話だけど、港湾棲姫は私よりもホッポという姫を気にしていた。





500: ◆xedeaV4uNo 2016/12/11(日) 11:20:20.17 ID:1ZoVarZvo



「ココハナンダカ優シイヨ?」

「ソウ……ヨカッタネ」

「ウン!」

 子供をあやすようにほほ笑む港湾棲姫にホッポは無邪気に笑い返す。
 本当の親子みたいで、相手が深海棲艦であっても和んだ気持ちになっていた。
 だから司令官さんは彼女たちを助けたいと考えたのでしょうか……。
 最後に青い目のヲ級が上がってきたところで提督が代表して前に進み出る。

「先任の意向を受けて、あなたがたを受け入れたいと思います」

「感謝シマス、提督サン……」

 提督はそこで握手のために右手を差し出す。敬語を使ってるのも、彼なりの立場の示し方なんだろうと後ろから見ていた鳥海は考える。
 港湾棲姫は戸惑ったように提督の手を見ていたが、同じように右の手を開いて前に出す。
 彼女の手は大きなかぎ爪のようになっているから、お世辞にも握手には向いていなさそうだった。
 提督は港湾棲姫の人差し指と中指の二本を握って応じた。

「とは言ったものの喜ぶにはまだ早いかもしれません。先任や艦娘たちが認めたとしても、それは我が国の総意とは言えませんので」

「エエ……ソレデモ始メルコトガ……必要デス」

「そうですな……今はまずお互いがこうして出会えたのを感謝しましょう」

 提督の言葉に港湾棲姫も頷き返す。
 二人の様子を見ていたホッポが首を傾げる。

「コノ人モ提督?」

「ああ、提督って言うのは役職だからね。お姫様と一緒で何人かいるんだよ」

「フーン。アノネ、ホッポモ姫ナンダヨ。コーワントオンナジ!」

 嬉しそうに喋るホッポに提督さんは屈むと目線を合わせて褒めてあげる。
 できるだけ威圧感を与えないようにという配慮のようで、そういう気配りができる人らしい。





501: ◆xedeaV4uNo 2016/12/11(日) 11:21:35.90 ID:1ZoVarZvo



「では今後も含めて踏み込んだ話をするとして、そちらをどう呼べば?」

「イカヨウニデモ……私ノ名ハ人間ニハ認識デキナイ。デモ、コノ子ハコーワントイウ呼ビ方ガ気ニ入ッテル」

「コーワンハカワイイ!」

「それではコーワン、どうぞ泊地へ」

 提督が先頭に立って歩き出すと、それに従って鳥海たちも港湾棲姫たちも歩き始める。
 鳥海たち艦娘は護衛と監視を兼ねていたが、これまでの出来事からじきにそうする必要がなくなると察していた。
 それもこれも以前ワルサメと過ごしたからで、彼女の存在は深海棲艦への印象を変えるには十分だった。

 しかし、わだかまりもまた解消されていない。
 今まで戦ってきているのもあるし、何よりも司令官さんのことがある。
 先を見据えたいと考えていても、そこまでの割り切りができたなんて言えない。
 全てを水に流すには、お互いにまだ時間も理解も足りていないのだから。
 それでも今は言葉を交わすことはないけれど、これからは協調路線を取っていく。
 こうやって変わっていくのだけは確かなんだと鳥海には思えた。

 泊地の司令部施設内にある会議場で会談は行われた。
 最初から最後まで雰囲気は悪くなくて順調に進んでいく。
 会談の終わり際になって港湾棲姫が白露に会ってみたいと言いだした。ワルサメに良くしてくれていたと聞いていたからだという。
 そして提督は即答を避けた。
 この日の白露型は武蔵や空母たちと一緒に洋上へ訓練に出ている。
 訓練を中止して呼び戻すという手もあるけど、提督さんはそうはしなかった。

「今は洋上に出ているので戻ってきてから。それに我々も立ち会いますが、よろしいですな」

 確認というより条件の提示。港湾棲姫は頷いた。

「代わりと言ってはなんですが泊地を案内しましょう」

 提督のその一声で会談は終わりを迎えた。





502: ◆xedeaV4uNo 2016/12/11(日) 11:23:18.79 ID:1ZoVarZvo



 扶桑姉妹と夕雲型の何人かが引き続き港湾棲姫たちに付き添う中、鳥海はその任から外れた艦娘に含まれている。
 提督たちを見送ってから鳥海はため息をつくと、軽く頭を振る。
 それを高雄に見られていたのに気づく。

「お疲れね」

「昨日今日で色々ありましたからね。なんだか世界が変わってしまった気がします」

 気安く言ったつもりでも間違いではない。
 この数ヶ月で鳥海たちを取り巻く環境は大きく様変わりし、今もなお変わり続けている。
 激流に放り込まれたような我が身を顧みれば、疲れるというのが無理なのではないでしょうか。

「本当にそうね……」

 高雄も肩を落とすと鳥海と同じようにため息をついた。
 そんな二人に声がかかる。愛宕と摩耶だった。

「ちょっとー、二人とも湿っぽいわよ」

「だな。こんな時は間宮で息抜きしようぜ」

 摩耶は間宮券をちらつかせてみせる。

「いい考えね、ほらほら」

「もう、強引なんだから」

 愛宕が高雄の背を押していくが、高雄も満更でもなさそうにはにかんでいる。

「鳥海も来いよ」

 摩耶に促される。確かに名案かもしれないと鳥海も思う。ここは英気を養う時だと。





503: ◆xedeaV4uNo 2016/12/11(日) 11:24:11.85 ID:1ZoVarZvo



「うん。でもみんなは先に行ってて。工廠に用があるから先に済ませてくるね」

 鳥海は一人で行くつもりだったが、すぐに愛宕が手を挙げる。

「私も一緒に行きたいな!」

「別に面白い用事じゃないですよ? 先に食べていたほうがいいかと」

「それだと鳥海があとから食べてるのを眺めることになるかもしれないのよ。高雄には目の毒だわ」

「どうして私なのかしら」

「高雄ってばおなか周り気にしてるじゃない。食べ終わっちゃった後に見てたら、お代わりしたくなるでしょ?」

 愛宕は悪気のかけらもなく言う。
 高雄は一瞬頬を引きつらせたが、すぐにそれを表情から消す。

「人を食いしん坊みたいに言って……」

「でも事実でしょ?」

「それはそうだけど……」

「姉さんの腹はとにかく、工廠にどんな用があるんだよ?」

「うん……実はね」

 鳥海は指輪を取り出す。
 港湾棲姫の手を経ての私の元へとやってきた司令官さんの指輪。唯一の形見らしい形見になった指輪を。
 他の三人が息を詰める気配を感じながら鳥海は困ったように笑う。





504: ◆xedeaV4uNo 2016/12/11(日) 11:25:04.48 ID:1ZoVarZvo



「ペンダントにしてもらおうと思うんです。お守りの代わりに持っていたいので」

 指にはめるのも考えたけど、私と司令官さんではサイズが合わなかった。
 指輪は軍の装備に当たるから本来は返却しないといけないのでしょうが……どうしても、そうする気にはなれなかった。

「鳥海がそうしたいなら好きになさい。それにいいと思うわ」

 高雄が後押しするように言う。その表情は穏やかだった。
 愛宕も一緒に行く気はなくなったらしい。

「間宮で待ってるから、ちゃんと来てよね」

「もちろんです。摩耶のおごりですし」

「あんまりゆっくりしてると高雄姉さんが二人分食べちゃうかもしんないけどな」

「……摩耶?」

 抑えた声の高雄に摩耶が冗談っぽく謝ったのをきっかけに、鳥海は姉たちと別れて一人で工廠に向かう。
 工廠は司令部施設とは別の建物なので、鳥海は外に出てから歩いていく。
 何人かの妖精が装備や資材を確認する傍らを抜けていくと、工廠の奥で夕張が資材管理の帳簿に記入をしながら頭を捻っていた。

「今週の消費資材は……オーバー気味かあ。そろそろ成果も出さないといけないし……」

「夕張さん?」

 鳥海が声をかけると、我に返ったように夕張は立ち上がった。
 しかし相手が鳥海だと分かると安心したように胸をなで下ろす。





505: ◆xedeaV4uNo 2016/12/11(日) 11:26:06.66 ID:1ZoVarZvo



「なんだ、鳥海か。ああ、そうだ。資材の割り当てってもう少し増やせないかな?」

「どうでしょう。私も今は秘書艦じゃないですし」

「そっか……ごめん」

「いえ。いっそ夕張さんが秘書艦になっては? そうすれば資材の融通に悩まされないかと」

「私はこっちのほうが性に合ってるんだよね。秘書艦やってたら、工廠の仕事が疎かになっちゃうだろうし」

 工廠は夕張と明石の二人が中心になって機能している。
 得意な領域が微妙に違うのもあって、二人は協同して成果を挙げていた。
 もっとも開発される兵装の全てが実用に耐えるとは限らないが。

「やっぱり秘書艦って必要ね。ところで今日はどうしたの?」

「頼みたいことがあって」

 夕張は鳥海に椅子を勧めると、麦茶をコップに注ぐ。
 鳥海はそれを受け取ると、一口飲んでから話を切り出した。

「加工をお願いしたいんです。ペンダントのように」

 指輪を差し出すと夕張はそれを手に取って注視する。

「これ、提督の指輪かな?」

「はい。どうでしょう?」

「加工はできるし難しくもないけど」

 夕張は鳥海に一度指輪を返してくる。





506: ◆xedeaV4uNo 2016/12/11(日) 11:27:08.70 ID:1ZoVarZvo



「本当にいいの?」

 鳥海が頷くと、逆に夕張は困ったような冴えない表情になる。
 乗り気に見えない表情だけど理由が分からない。

「ペンダントってことは肌身離さず持っていたいということよね?」

「……はい。司令官さんとの繋がりがあった証明ですから」

 だからお守り代わりに。そして、あの人を救えなかった自分への戒めとしても。

「そこよ。ずっと持ってるなら戦闘中になくしちゃうかもしれないのに」

 夕張が渋っていた理由に鳥海は気づいた。
 戦闘の最中に失ってしまえば、今度こそ二度と戻ってこなくなる。
 わら山で針を探す、という慣用句があるけど海はわら山と比較できないほど広大で深奥なのだから。
 こうして鳥海の手元に指輪があることが、すでに奇縁の為したいたずらと言えるのに。

「私も前、提督から指輪はもらってるけど二人のはなんていうか特別じゃない。同じ指輪なのに本当に通じてたっていうか……だから、これは大切に保管しておいたほうがいいんじゃないかしら」

「それは考えました。というより最初はそのつもりだったので」

「だったら、どうして?」

 そこで鳥海は少しの間、沈黙した。
 夕張の言うように指輪を大事に取っておけば、鳥海が健在な限り二度と失われることはないかもしれない。
 しかしトラック泊地も決して襲撃とは無縁の拠点とは言えなかった。
 どこかに保管していても、敵の襲撃で灰燼に帰してしまう可能性もないなんて断言できない。
 だから手元に持っておきたい。
 理屈で考えればこうなってくるがそう言えなかった。

「司令官さんは私たちに感謝の言葉を遺していきました」

「そうみたいね……らしいっていうかなんていうか」

 夕張は寂しげに笑う。自分も同じような顔をしているのかもしれないと鳥海は思った。

「それで一晩考えてみたんです。あの人はどんな未来を思い描いてたんだろうって」

 見返す夕張は驚いたのか感心しているのか、相づちを打つように頷いてくる。





507: ◆xedeaV4uNo 2016/12/11(日) 11:27:59.90 ID:1ZoVarZvo



「何か分かったの?」

「いえ、残念ながら。でも司令官さんは私たちに期待してくれていたんだと思うんです」

 私たち艦娘が将来どう生きてどうなっていくのか。
 あの人はその点ではとにかく楽天的だったように今では思う。
 前途にどんな困難があっても、それを越えていけると信じているようで。

「これが司令官さんの代わりだなんて言いません。だけど……」

 掌に戻ってきた指輪に視線を落とす。
 これ自体はただの指輪だった。司令官さんが何を考え、どんな想いを込めていたとしても。
 それでも司令官さんは『ありがとう』の言葉と一緒にこれを託してきた。

「この指輪は私に教えてくれたんです。私たちが過ごした時間は無駄なんかじゃなかったって」

 だから私が望まない限り離したくない。
 大切だったことを忘れないためにも、先に進んでいくためにも。

「後生大事にしておくより私の近くでこれからを見届けてほしいんです。私が生きていく時間を」

「……あーもう、そこまで言われたら断れるわけないじゃない」

 夕張は今度こそ指輪を受け取り、鳥海は頭を下げた。

「何日か時間をちょうだい。最近面白い鋼材を開発できて――とにかく丈夫に作ってあげるから」

「当てにしてます」

「任せて。鳥海の艤装より丈夫にするから」

「それなら艤装のほうも丈夫にしてほしいです……」

「意気込みの話だよ」

 夕張は上機嫌そうに笑う。
 自信が覗いている笑みに、鳥海はもう一度礼を言ってから頭を下げた。
 後はできることをやっていくだけ。鳥海は人知れず気を引き締めていた。





513: ◆xedeaV4uNo 2016/12/17(土) 16:34:38.79 ID:XnFMKPV8o



◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆


 白露が港湾棲姫へ抱いた第一印象は大きいだった。
 実際に近づいてみると、つくづくそう思える。
 訓練が終わって帰港すると、白露は汗を流してから姫が待つ波止場に向かった。
 そして姫の両隣には扶桑姉妹が並んでいる。

「大きいね」

 隣の時雨も同じようなことを言う。
 指名されたのは白露だけだったが、時雨は勝手についてきていた。
 というより他の妹たちもこっそりと追ってきている。
 以前、時雨が扶桑姉妹を同じように評していたのを白露は思い出す。
 港湾棲姫の足にはホッポが隠れるようにしがみついているが、怖がっているわけではなく逆に好奇の眼差しを二人に向けていた。
 少し離れたところにはヲ級と夕雲たちがいる。

「あれがホッポか。あっちは見た目通りというか小さいね」

 白露が無言で頷くと時雨は続ける。

「しかし……あの三人はまるで山だね」

「山かあ。ちょっと分かるかも」

 一人が山なら、三人並べば連峰?
 別に大女って意味じゃないけどさ。

「白いし氷山ってところかな。並んでるとすごく大きいし。いや、一人でも大きいんだけど」

 言われてみると三人とも白い。氷山というのも分かる――冷たすぎる気もするけど。

「大きい……あれが巨乳。違うね、爆乳か」

「うん……うん?」

 時雨は何を言い出すんだろう。白露は不審そうに時雨を見た。





514: ◆xedeaV4uNo 2016/12/17(土) 16:35:40.06 ID:XnFMKPV8o



「なんだい、姉さん。その目は」

「大きいっておっぱいのこと?」

「他に何があるんだい?」

 さも当然のように言う時雨に、白露はげんなりとする。
 白露は時雨を置いていくように歩調を早めた。

「ちょっと! 何か言ってほしいな……」

 すぐに時雨も追いついてくる。白露は顔を向けず、声に呆れを乗せて言う。

「あたしは背とか体全体のことを言ってたんだけど……そっか、時雨ってばそういう子だったよね」

「ちょっと待って。ボクについて良からぬ誤解がある気がするんだけど」

「どの口がそれを言うの?」

 さっきのは完全に時雨の落ち度だと思うんだけど。
 間近に来て分かったのは扶桑が柔和な笑みを浮かべる一方で、山城は仏頂面をしていたということ。
 気を取り直して白露は挨拶する。

「あたしが白露だよ。それでこっちは時雨」

「ハジメマシテ、私ハ港湾棲姫……コーワン。ソレカラ、コノ子ガホッポ」

「ハジメマシテ!」

「それから私が氷山ね」

 ふて腐れたように山城が言い足す。
 白露は思わず肘で時雨を突いていた。
 あたしは知らないよ。この件では時雨と一切関わりがないという姿勢を貫こうと白露は内心で決めた。





515: ◆xedeaV4uNo 2016/12/17(土) 16:36:38.29 ID:XnFMKPV8o



「やあ、山城。今日も一段ときれいだ」

「見え透いたお世辞で懐柔できると思われてるなんて……やっぱり不幸だわ」

「あはは……」

 白露は乾いた笑いで誤魔化してから港湾棲姫に顔を向け直す。

「それで港湾棲姫が……」

「コーワント呼ンデ」

「じゃあコーワンがあたしに会いたいって聞いたんだけど」

 なるべく笑顔を意識して白露は話しかける。
 怖いという印象はなくても少しは緊張していた。
 ホッポが港湾棲姫から離れて前に出る。

「白露……ワルサメノオ友達?」

 見上げてくる顔はまっすぐ白露を見つめてくる。その目は何かを期待しているようだった。
 ワルサメがホッポやコーワンの話をしていたのを思い出す。
 その時のワルサメは二人を上手く伝えようと真剣だった。
 今ならその気持ちが白露にも分かる。きっとこの子は今と同じ目でワルサメを見ていたのだから。

「一番の友達だったよ」

「イチバン……」

「あなたがホッポね?」

「ウン……」

「あたしとお友達になろうよ」

 白露は手を差し出していた。
 ホッポは驚いた顔で固まったが、すぐに満面の笑顔と一緒にその手を握り返すと嬉しそうに振る。





516: ◆xedeaV4uNo 2016/12/17(土) 16:37:26.87 ID:XnFMKPV8o



「白露、ホッポトモオ友達!」

 あたしたちよりずっと小さな手だった。ホッポの白い手は見た目と違ってずっと温かい。
 港湾棲姫が頭を下げてきて、白露を驚かせた。

「オ礼ガ言イタカッタ……ワルサメノコト……大事ニシテクレテアリガトウ……ソレニホッポニモ」

「あたしは自分がしたいようにしてきただけで別に」

 こんな形で深海棲艦から感謝されるなんて思わなかった。
 なんでだろう。嬉しいのに……悲しかった。
 だって、ここにワルサメがいれば……あの子はきっとこういうところが見たかったんだと思えて。
 でも、この気持ちは表に出さないと決めた。もういないワルサメのためにも。

「それにしても、どうして白露とワルサメのことを知っていたのかしら?」

 扶桑の疑問に港湾棲姫が答える。

「提督ガ教エテクレタ」

「提督が?」

 一瞬どっちの提督か考えてしまったけど、前の提督としか思えない。
 でも、それならちょっと気になる。

「他にワルサメのことは何か言ってたの?」

「ココデワルサメガドウ過ゴシタノカ教エテクレタ」

「あたしの妹のことは?」

「提督ハ……必要以上ニ艦娘ノ話ハシタガラナカッタ」

 やっぱり春雨の話はしてないんだ。白露は確信した。
 たぶん情報の漏洩を嫌ってのことだろうとも。





517: ◆xedeaV4uNo 2016/12/17(土) 16:38:05.15 ID:XnFMKPV8o



「妹たちにも会ってくれないかな。紹介したいんだ」

 実を言えば春雨たちも隠れてこの様子を見ている。
 春雨は深海棲艦たちに会うのに戸惑っていた。自分がワルサメ――駆逐棲姫と互い違いでよく似ていると知っているから。
 でも遅かれ早かれ会ってしまう。同じ泊地にいて避け続けるなんて無理。
 それなら下手に時間を空けてしまうより、今の内に会ったほうがいいに決まってる。
 白露の声を待っていたように、残りの白露型一同が姿を見せる。
 コーワンもホッポもその中の一人、春雨に気づいた。

「ワルサメ!」

 ホッポが止める間もなく駆け出すと、春雨に飛びつく。
 春雨は腰の辺りに飛びついてきたホッポを受け止めたものの、手で触れて支えるのはためらっていた。

「コレハ……ドウイウコトナノ?」

「話せば長くなるんだけど」

 コーワンも戸惑っていた。白露はそんな彼女の手を取る。

「行こう、コーワン。春雨はあれじゃ動けないし」

 白露は返事を待たずにコーワンの手を引いていた。
 一方の春雨はホッポに抱きつかれてたじろいでいる。

「あの……私はワルサメじゃなくって春雨です。はひふへほのはです」





518: ◆xedeaV4uNo 2016/12/17(土) 16:38:37.35 ID:XnFMKPV8o



 春雨は恐る恐るといった手つきでホッポを体から離そうとするが、しがみついたホッポは離れない。
 むしろ万感を込めて春雨を見上げてくる。
 妹のさらに妹を見ているような気分だと、白露は思う。
 コーワンがすぐ近くに来たために、春雨の進退はいよいよ窮まった。

「あの……」

「アナタ……」

 春雨とコーワンは互いに口を開いて、上擦った呼びかけが重なる。
 視線を絡ませたまま今度は沈黙した姫を前に、やがて春雨は話し始めた。

「私、春雨って言って白露型の五番艦です、はい。姉は白露、時雨、村雨、夕立。妹は五月雨、海風、山風、江風、涼風――あ、山風はまだいないです、はい」

 普段よりも早口で春雨は言う。

「ワルサメのことは白露姉さんから聞いてます……私だけ彼女には会ったことないんです。入れ違いで保護されて……でも私はワルサメじゃなくって春雨で!」

 その時、春雨の頬を涙が伝っていった。

「あ、あれ……?」

 春雨は目元を拭うが、それをきっかけに次から次へと涙がこぼれ出す。

「なん……なんで涙が? 悲しくなんて、ないのに……」

 春雨は嗚咽をなんとか我慢しようとしているが、明らかにできていない。
 釣られたように顔をくしゃくしゃにしだしたホッポがコーワンを見上げる。
 つぶらな瞳には黒っぽい涙が溜まり始めていた。





519: ◆xedeaV4uNo 2016/12/17(土) 16:39:06.07 ID:XnFMKPV8o



「コーワンガ……泣カセタノ?」

「エ!? チ、違ウ! 別ニ何モ……」

 コーワンの言葉はホッポには届いていないようだった。
 春雨も限界が近いようで、震える声で夕立に助けを求める。

「夕立ねえさん……!」

 急に言われても夕立はどうしていいのか分からないのか、動転したように言う。

「お姉ちゃん、パスっぽい!」

 ここであたしに振らないで、夕立!
 内心を呑みこんで白露は言っていた。

「な、泣きたい時は泣いちゃうのがいっちばーん!」

 二人分の堰が切れて泣きじゃくってしまう。
 コーワンはそんな二人を前に、どうしていいのか分からずおろおろ混乱している。
 火でもついたかのようなうろたえ振りだけど、白露も置かれている状況としてはさほど変わらなかった。
 なだめようにも二人には白露の声が届いていないし、届いていたとしてもどうにかなるわけでもない。

「大惨事ね……不幸だわ。主に白露とコーワンが」

 山城さんが冷静に指摘してくるけど、助け船を出してくれるつもりはなさそうだった。
 二人の泣き声はいっそう激しくなってきて、あたしまで泣きたくなってきた。





520: ◆xedeaV4uNo 2016/12/17(土) 22:29:15.35 ID:XnFMKPV8o



◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆


 私が最初に見たのは同じ深海棲艦だった。
 白くて長い手足に、頭は兜か鎧のような外殻に守られている。その一方で腰や胸の下は肌が露出していた。
 寒くはないのだろうか――私の格好も似たり寄ったりかもしれないが。

「オハヨウ……ゴザイマス」

 頭部に似合わず綺麗な声だと思った。
 その深海棲艦が手を伸ばしてきたので、私はそれを掴んで立ち上がる。
 どうすれば立ち上がれるのかは体が理解していた。それに従って体を動かせばいいだけ。

「状況……分カリマスカ?」

「イヤ、私ニハ何モ……」

 答えながら、他に誰かが私を見ているのに気づいた。
 私を立たせた深海棲艦の奥に二人の――姫と呼ばれる存在が立っている。
 言われずとも理解できた。相手が姫なのは。
 片方は私をせせら笑うように、もう片方は険しい目つきで見ている。

 そして警戒してしまう。
 この二人は私に害を為すかもしれないと。
 すでに何かされているのか。何かって何を?
 偏執狂なのだろうか、この頭は。

 私の戸惑いをよそに姫の片方が近づいてくる。
 何も着ていないようにしか見えないが、それはいい。
 唇を線にした薄い笑いは、私を値踏みしているようだった。
 私を立たせた深海棲艦は手を握ったままで、その力が強くなる。
 この姫が近づいてから、それは顕著だった。少しばかり痛い。





521: ◆xedeaV4uNo 2016/12/17(土) 22:30:53.58 ID:XnFMKPV8o



「艤装ノテストヲシマショウ。ソウソウ、私ノ名前ハ――」

 そこから先はほとんど聞き取れなかった。
 姫はそこで彼女の名や、どうやら一緒に私の名も口に出したようだったが。

「アナタノ名ヨ、声ニ出シテミテ」

 姫はまた何かを言い復唱を求めてきたができなかった。
 雑音や叫びを回らない舌で再現するのは不可能。
 その音は言わば壊れたテープを聞かされているようなものだ。
 ……テープとはなんだろう?
 私の頭は私の知らないことまで考え出す。
 生まれたばかりでも、この頭に知識はある。
 それにしては、この頭には私が知り得ない知識まで詰め込まれているような気がする。
 なぜそう思えるのかは分からないが……単なる思い違いかもしれない。

「ソッチノ彼女トイイ、名前ヲ認識デキナイノガ続クナンテ……出自ノ問題カ」

「出自?」

 姫は笑う。いくらかの嘲りも含まれている気がした。

「アナタタチニハ今ガアルジャナイ」

 何も教えるつもりはないようだった。
 しかし一理あるかもしれない。
 私がなんであれ、私は必要以上に私を知りたくないかもしれない。

「サア、来ナサイ」

 姫は背を向けて歩き始める。
 ついていくしかない。そして未だに手を握られたままだった。

「……アマリ強ク握ラナイデホシイ」

「……ゴメンナサイ」






522: ◆xedeaV4uNo 2016/12/17(土) 22:32:56.77 ID:XnFMKPV8o



 彼女はゆっくりと手を開いていく。
 私以上にさっきの言葉か、あの姫に対して何か思うことがあるのだろうか。
 仮面のようですらある頭部からは、表情が見えず感情を推し量ることもできない。

「握ルナトハ言ッテナイ」

 気づけば私は自然とそんなことを言っていた。彼女は首を横に振る。
 私は自分から彼女の手を取った。
 彼女をそのままにしておくのは……なぜか良くない気がして。
 私は手を引きながら、自分の歩調を確かめるように歩き始めた。
 前方にいる二人の姫の会話が少しだけ聞こえてくる。

「私モ行クノカ?」

「見タクナイ?」

「……責ハアルカ」

 私たちは通路を進む。天井には青白い明かりがあるが、ここは洞穴のように思えた。
 進んでいくと、それまでとは異なる深海棲艦がいた。
 黒いフードを被った深海棲艦だ。
 そいつは壁に寄りかかっていたが、姫たちに目配せしたようだった。

「好キニシナサイ。イツモノコトデショ」

 姫の声が聞こえてきた。面白がるような声だった。

「アリガタイ」

 そいつは壁から離れた。
 意外に幼い顔が笑みを張りつかせて、目を赤々と光らせて私を見ている。
 好戦的に見える表情に私は危険を感じた。





523: ◆xedeaV4uNo 2016/12/17(土) 22:35:38.24 ID:XnFMKPV8o



「危ナイ……」

 隣の彼女が警告しきる前に、私は手を離すと前へと踏み出していた。
 その時には向こうの深海棲艦も同じように私めがけて駆けだしている。
 ほとんど衝突するようにぶつかり合っていたが、互いに引きも倒れもせず押し合う。
 私はぶつかった直後に、そいつの手首を両手で押さえ込んでいた。

「生マレタバカリニシテハイイ反応ダヨ。気ニ入ッタ」

 そいつは楽しそうに笑っていた。悪気というものをまるで感じない。

「ダガ手数ハアタシノホウガ多イノサ」

 首に冷たくて太いものが巻き付いてくる。見ればそいつの体から尻尾が伸びて締め付けてきていた。
 巨大な口を持った尻尾の先端が顔のすぐ横に来ている。
 その気さえあれば噛み砕くのは簡単、ということか。

「ヒヒッ、怒ルナヨ。歓迎ノアイサツッテヤツサ」

 首への圧力が弱まり、尻尾が離れていく。
 これ以上をする気はないとみて、私もそいつから手を離した。

「ソッチノヤツハダメダメダッタケド」

 そいつは私を立たせてくれた彼女を見やる。こいつの判断基準はどうやら強弱らしい。

「オ前ハイイナ。名ハ? アタシハ9レ#=Cッテ呼バレテル」

「……何ヲ言ッテルノカ分カラナイ」

 正直に答える。すると後ろで様子を見ていた裸に近い姫が言ってくる。

「ダッタラ『レ級』トデモ呼ビナサイ」

「レ級?」

「ヒヒッ、十把一絡ゲカヨ」

「人間ハ彼女ヤ同種ヲソウ呼ンデイル。ソレナラ、アナタタチデモ言エルデショウ」





524: ◆xedeaV4uNo 2016/12/17(土) 22:36:53.43 ID:XnFMKPV8o



 確かにレ級なら言えるし分かる。
 レ級本人はその呼び方はあまり面白くないようだったが。

「名ヲ認識デキナイナラ、アナタタチ二人ハ人間ノ呼称デ呼ベバイイ。二人モ名無シガイルノモ紛ラワシイシ」

 改めて、その姫は自分たちの名を言う。

「人間ヤ艦娘流ノ基準デイエバ、私ガ装甲空母姫。コッチハ飛行場姫ダッタカ」

 その言葉なら理解できたので私は復唱した。
 すると装甲空母姫は満足げに笑い、やや距離を取ったままの飛行場姫は私から目を逸らした。
 やはり私は飛行場姫にあまり気に入られていないようだ。
 理由は分からないが、理由などないのかもしれない。人が人を嫌う理由など、意外に大した理由ではなかったりする。
 ……今、私は人間を基準に考えたのか?
 どちらにしても私とて彼女に理由のない警戒心を抱いている。お互い様というわけか。

「アナタタチハ新種ダケド姫デハナイカラ艦種ニ合ワセテ呼ビ方ガアルハズ。二人トモ重巡ノ艤装ニ適正ガアルケド、コッチノ彼女ハ軽巡ニヨリ適正ガアッタカラ」

「イロハ歌」

 急に後ろの飛行場姫が言い出す。

「イロハ歌……ソウ、ソレカラ名ヲツケテイルト確カニソウ言ッテイタ」

 誰が言っていたのだろう。飛行場姫の言葉からは分からない。
 ただ、その言葉は私に閃きを与えた。

「ソレナラ私ガ『ネ級』デ彼女ハ『ツ級』ニナル」

 私はまた私の知らない知識で話していた。
 ただ、これで決まった。私にはネ級という名がある。名と呼んでいいのか分からない名が。





531: ◆xedeaV4uNo 2016/12/27(火) 23:23:08.48 ID:lKPQ86Ago



◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆


 港湾棲姫たちがトラック泊地に保護されてから半月が過ぎた。
 先日になって大本営から使節団が派遣され、港湾棲姫との協議も済んでいる。
 鳥海は会談には参加しなかったが、議事録を取っていた夕雲から要旨は教えてもらっていた。

「要は何も変わらないということですよ」

 夕雲は苦笑いしながら前置きとしてそう言った。
 決まったのは港湾棲姫たちを守るためにも、彼女らの安全を脅かす存在に対して艦娘や泊地の基地機能が行使されるということ。
 つまり正式な保護対象として認定された形になる。

 大本営は深海棲艦の生態調査を申し込んでいるが、これは深海側から拒否されている。
 調査という名目で何が行われるのか分からないのだから、断るのも当然だというのが夕雲と鳥海の共通認識だった。

 一方で将来的に港湾棲姫たちが人間に害を為すのなら、実力をもってして排除することになっている。
 そういった事情もあって、当面はトラック泊地でのみ深海棲艦の滞在を認めていた。
 また深海棲艦たちもただ守られるだけでなく、可能な限りの協力を約束している。
 協力するといっても具体的な形は定まっていなかったが、港湾棲姫は自分が持つ情報をここに至って開示していた。
 深海側の拠点や勢力に関する情報で、それは新たな戦いの幕開けも意味している。

 深海棲艦の主力がガダルカナル島に拠点を築いているのが港湾棲姫により判明したが、艦娘たちもMI作戦にまつわる被害からすぐに動けないというのが実情だ。
 各鎮守府や泊地では戦力の増強、あるいは立て直しを図りながら、本土ではガ島を攻略するための作戦の実施に向ける準備が始まっていた。
 トラック泊地でも新提督による体制が固まりつつある中、艦娘やマリアナ救援で摩耗した基地航空隊の練成が進んでいた。





532: ◆xedeaV4uNo 2016/12/27(火) 23:24:50.29 ID:lKPQ86Ago



 他方、港湾棲姫ら深海棲艦は泊地の艦娘や人間に馴染もうと努力している。
 多くの深海棲艦は言葉が通じないなりに身ぶり手ぶりで意思表示をしようとしているし、中には発声の練習をしている姿も目撃されている。
 港湾棲姫も自らをコーワンと呼び、日常に少しでも溶け込もうとしていた。
 艦娘たちもそんな深海棲艦たちを受け入れ始めた頃、鳥海はある妖精と再開を果たした。

「お久しぶりです、秘書艦さん」

 第八艦隊内での紅白戦を終えて帰投した鳥海の前に現れたのは、白の帽子を被ったセーラー服の妖精だった。
 と号作戦前に本土を訪れた時に、二人目の鳥海と引き合わせてきた妖精だ。
 彼女は以前と同じように白い猫を吊すように持ち上げている。

「あなた……確か司令官さんと一緒に会った」

「ええ、十ヶ一月ぶりですか」

「もうそんなに……」

 鳥海は以前の夜を思い出して動揺した。
 あの夜、あの場にいた司令官さんも二人目の鳥海も、この世界のどこにもいない。
 一年に満たない時間なのに、喪失は確実に迫っていたと気づかされた。
 言葉をなくした鳥海に妖精は言う。

「こうなると次は私の番かもしれませんね」

 内心を見透かしたような一言はどこまでが本気か分からず、鳥海はあえて何も答えなかった。

「少しお時間よろしいですか?」

「ええ、ちょっと待ってください」

 鳥海は高雄に後のことを頼んでから、妖精とその場を離れる。
 妖精は他で話したいというので、鳥海は妖精が先導していくのに任せた。
 屋外に向かう道中で、妖精は自分から話を進めていく。





533: ◆xedeaV4uNo 2016/12/27(火) 23:25:37.03 ID:lKPQ86Ago



「今日は深海棲艦の見定めに。新しい提督さんにもご挨拶しておきたいですし、秘書艦さんとも少し話しておきたくて」

「話すのは構わないんですけど、私ならもう秘書艦ではありませんので」

「そうなのですか? 失礼しました。それでも鳥海さんと話しておきたいのは本当ですよ」

 妖精が猫を支えるように抱き直すと、猫はその顔を見上げてから体を丸めて目を閉じる。
 寝に入るような猫を見て、鳥海は表情を柔らかくする。

「好きなんですね、猫」

「いえ、特には」

 妖精はきっぱりと否定する。

「でも前回も一緒でしたよね、その猫」

「この子は悪さをするから懲らしめてたんです。そうしたら懐かれてしまっただけで」

 口でそう言っても嫌がってるようには見えない。
 何よりも猫が懐いてるのは自明だし、好きでもなければこの子なんて呼ばないでしょうし。
 鳥海は一種の照れ隠しなんだと受け止めた。

「それはそれとして今の秘書艦はどなたです?」

「今は夕雲さんですね」





534: ◆xedeaV4uNo 2016/12/27(火) 23:26:18.48 ID:lKPQ86Ago



 夕雲さんが会談の議事録を取っていたのも秘書艦に抜擢されたため。
 今の提督さんは左腕がいくらか不自由で、そこに最初に気づいたのが夕雲さんだった。
 何度か仕事の話をしている時に、夕雲さんが馴れ初めを話してくれた。

「最初はただのぶきっちょさんかと思っていましたが」

 夕雲さんは提督さんが食事を取る時に右手だけで全部を済ませようとしていたのが引っかかったようで、しばらく意識してみていたら左腕が変だと気づいたという。
 それからは目立たないように提督さんの手助けをしていたら、ある時に提督さんから秘書艦を打診されて今では彼女が秘書艦を果たしている。
 端から見ていて、今の夕雲さんはとても充実しているようだった。
 司令官さんと一緒にいた時の私もそう見えていたのかもしれない。鳥海は一抹のさみしさを覚える。

「ここにしましょうか」

 妖精が口にした言葉に鳥海は今に意識を向けなおす。
 二人と一匹の組み合わせは屋外のラウンジに出ていた。
 日除けのパラソルと一緒に置かれているテーブルに向かい合って座る。

「提督さんのことは残念でした」

 司令官さんのことを言ってるのは、聞き返さなくなって分かる。

「我々は提督さんへの協力を約束していました。しかし、それもできずにこんな結果を迎えてしまったのは残念です」

 妖精の表情は薄い笑顔から変わらない。
 この表情の見えなさはそのまま腹の内の読めなさに繋がっている。
 いまいち感情が見えてこないから、どうしても形だけの言葉のようにも解釈できるけれど。

「まだこれからですよ。司令官さんはいなくなってしまいましたが、あの人は私たちに後事を残していきました」

「深海棲艦ですか。上手くやっていけそうなのですか?」

「……そう願いたいですね」

 大丈夫だと鳥海には言えない。
 共存を目指すような形になりつつある一方で、その先が大丈夫と断言するのはあまりに楽観的すぎるように思えたために。





535: ◆xedeaV4uNo 2016/12/27(火) 23:26:52.04 ID:lKPQ86Ago



「率直に申し上げると予想外でした」

「ここに深海棲艦がいるのが、ですか?」

「はい。だからこそ我々妖精も戸惑っているのです。この変化をどう捉えるべきなのか」

 鳥海にもその気持ちは理解できた。
 楽観視できないのも根ざすところは同じ理由だ。

「我々にとって深海棲艦は脅威でした。しかし今の状況では必ずしもそう言いきれなくなっています」

 妖精は初めて無表情を鳥海に向ける。
 なぜだか、その目は助けを求めているように鳥海には見えた。

「本来なら提督さんに聞くところでしたが鳥海さんに聞きます」

「……どうぞ」

「今のあなたたちは深海棲艦を受け入れ始めていますね?」

 鳥海はしっかり頷いた。
 心を許したとは言えないにしても、受け入れられるようには努めていた。
 鳥海だって例外ではないし、むしろ提督との関係が深かった自分こそが率先して受け入れる必要もあるとさえ感じている。

「では、もしも港湾棲姫たちを撃てと命令されたら撃てますか?」

 妖精の質問に鳥海は素直な反応を見せた。戸惑いという反応を。
 戸惑っているからか、妖精の言葉は感情を欠いた他人事の声に聞こえた。

「人間が全てあなたの提督さんのように考えるわけではありません。深海棲艦を恐れ憎む者もいますし、深海棲艦もまたそんな人間とは相容れないでしょう」

「そうかもしれませんね……」

「あるいは港湾棲姫たちがそういった理由から人間を見限るかもしれません。いずれにせよ理想がどうであれ、火種そのものは消えないでしょう」





536: ◆xedeaV4uNo 2016/12/27(火) 23:28:38.79 ID:lKPQ86Ago



 言いたいことは分かるし、敵対した場合も想定されているのは知っている。
 この場は口だけでも撃てると答えてもいいのかもしれない。模範的な回答という意味では。
 だけど……簡単に撃てるとは言いたくなかった。
 言葉にした瞬間、それが現実になってしまいそうな気がした。裏を返せば撃ちたくないということでもある。
 かといって戦うのを嫌がってるわけじゃない自分も自覚していた。
 言葉が思うように出てこない鳥海に構わず、妖精は話し続ける。

「さっきも言ったように本当ならこれは提督さんに問う話でした。今まで人間を見てきましたが、時に理想や主義主張ばかりが先行すると本当に大事なものを犠牲にしてまで通そうとするのです。それは本末転倒ではないでしょうか」

「本当に大事なもの……ですか」

 鳥海は呟く。
 すでに私はなくしている。
 でも、そこには理想とか主義とか関係あったの? そうは思えない。
 だから難しく考えることなんてないと、鳥海は素直に答える。

「……その時にならないと分からないですよ、撃てるかなんて。状況だって分からないですし」

 よくよく考えると、この答えはあまりよくない。
 場合によっては命令を拒むと言っているのだから。
 それでも本心なのは間違いない。
 下手に追及される前に鳥海は付け足す。

「ただ、そうならないように力を尽くすのが私たちや港湾棲姫、それにあなたたち妖精もじゃないですか?」

「我々も?」

「客観的でいたいのかもしれませんが、あなたの言うことは少し……他人事に聞こえました。この世界に生きておいて、なんにでも他人事を決め込むのは……ちょっとずるいです」

 鳥海の指摘に妖精はなにやら感嘆の声を出して頷いている。
 しかし鳥海は恥ずかしかった。
 偉そうに言ったけど私自身が誰かを批判できるような立場でもなく。
 妖精は満足そうに笑っていた。
 その笑顔の意味を伝えることもなく、妖精は話を切り上げた。





537: ◆xedeaV4uNo 2016/12/27(火) 23:29:34.19 ID:lKPQ86Ago



◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆


 陽光の照り返しを受けた海面が白く輝いていて、直視していると目が痛くなってくる。
 ネ級は意識して視線を上げた。そうすれば光を気にせずにいられる。
 艤装の適合を確認してからは、連日のようにツ級と共に洋上で様々な訓練を行っていた。

 この日は飛行場姫が用意した練習機の集団を相手に、回避行動や対空射撃の要旨を叩き込まれていた。
 およそ四時間ほど、朝から始まり正午を回ってからもしばらく続いた訓練は終わり、今は休止の時間に入っている。
 飛行場姫は相変わらず私を避けているが、訓練に関してはとても真摯だった。
 丁寧に諸々の説明をするし、実際に体が反応できるように時間をかけて付き合ってくれる。
 公私の二面的なズレの意味は未だに分からないままだが。

 ネ級の顔に水しぶきがかかった。
 原因はネ級の腰に装着されて背面へと伸びている艤装、その中核を為す二基の主砲だ。
 二基の主砲はそれぞれ海竜のような頭部に三門の主砲と黒い装甲壁を被せた姿をしている。
 ネ級とは別に自立した意識を持つ主砲たちは、ネ級の体に頭を押しつけていた。

「ソンナニジャレツカナイデ」

 ネ級の制止を無視して体をすり寄せてくるので、右の主砲へと手を伸ばす。
 主砲は被弾の危険が少ない下部には装甲がなく地肌が露出している。
 少し強めに顎の辺りをかいてやると、気持ちいいのか喜んでいるのが分かった。
 そうしていると左側もせがむように頭を押しつけてくるので、ネ級はそちらもかいてやる。

「仕方ノナイヤツラダ」

 硬い金属の感触は冷たく心地よいとは言えないが、ネ級は形ばかりの抵抗をして好きなようにさせていた。
 私の体からは粘性のある黒い液体が分泌されていて、それが主砲たちを汚してしまう。
 しかし主砲たちはまったく気にしていないようだった。
 すぐ近くにいたツ級が笑うような気配を見せる。

「懐カレテマスネ」

「少シグライ離レテクレテモイインダケド」





538: ◆xedeaV4uNo 2016/12/27(火) 23:30:49.94 ID:lKPQ86Ago



 答えながら艤装を身につけたツ級の姿を見る。
 連装両用砲を二基四門載せた艤装を、それぞれ両腕にグラブのようにはめていた。
 背部には航行を支援するための機関部を背負っている。
 やはり目立つのは両腕の艤装で、さながら巨人の腕のようになっていて物々しい。
 あの腕相手に殴り合いはしたくないとネ級は内心で思う。

「シカシ海トイウノハ静カナンダナ」

「エエ、ナンダカ落チ着キマス」

 風こそ吹いているが他に音らしい音はなかった。
 強いて言えば波が足に当たる水音や艤装のかすかな駆動音はあるが、それも私たちがいなければ存在しない音かもしれない。
 本当にこんな世界で戦いなんかやっているのだろうか。
 この空と海の狭間には静寂しかないのに。

「狭間……?」

 私の頭に突如として何かが思い浮ぶ。
 女だ。女が海の上に立っている。背を向けているので顔は分からないし、この後ろ姿も知らない。

「ネ級?」

 ツ級の声がこだまのように響く。その声のほうが現実感がなかった。
 私の前にいるのは緑と白の服を着ていて、黒髪の長い女。誰なのか私は、俺は、知らない、知っている。
 女の先には空と海、静かなる狭間。こことは違う、どこか遠い世界。
 私は何かを声に出していた。口が動くのを実感し、しかし声の意味が分からない。





539: ◆xedeaV4uNo 2016/12/27(火) 23:31:30.29 ID:lKPQ86Ago



「シッカリシテクダサイ……ネ級」

 体をツ級に揺り動かされ、私は現実に立ち返った。
 ツ級の表情は分からないが私を心配してくれているようだった。主砲たちも気遣わしげに顔を覗き込んできている。
 握られた肩が痛かったが、今の私の関心事はそこじゃない。

「大丈夫デスカ?」

「アア、私ハ一体……」

 白昼夢とでも言うのだろうか。
 私の頭に残った残像が今はとても遠い。実際に見た光景とは思えない……それは間違いないだろう。
 しかし現実味のない幻、そう呼んでしまうにはあまりに間に迫る引力があった。
 私の頭の中の誰かが見たのか、それとも想像したのか……私の知らない感情が何かを急き立ててくるようだった。
 ……頭の誰か、とはなんだ? 私はなぜそんなことを考える?

「名前ヲ……呼ンダヨウデシタ」

「名前? 誰ノダ?」

「……ソコマデハ。ヨク聞キ取レマセンデシタ」





540: ◆xedeaV4uNo 2016/12/27(火) 23:32:10.99 ID:lKPQ86Ago



 嘘だ。ネ級はすぐに察した。
 よく聞き取れていないのに名前だとどうして分かる。
 しかしネ級は問いたださなかった。
 ツ級がどう感じたのかは定かでないが、ネ級が知らないほうがいいと考えたのだろう。
 今はその配慮を信用することにした。
 ネ級が信用しているのはツ級と二匹の主砲だけだった。
 他の深海棲艦は意思の疎通が困難か、腹に一物隠していそうな連中だけだった。

「ツ級ハ私ヲ……知ッテイル?」

「……言葉ノ意味ガ分カリマセン」

 確かにそうだ。私だって同じようなことを聞かれたら首を傾げる。
 だが他に言い方が見つからなかった。
 私は時に自分が知り得ないことまで知っている。この頭には他の誰かがいると考えた方が自然に思えてしまう。
 ネ級以外の何がいるというのだ、私は。

「デモ……私タチハ元ハキット……」

 ツ級は何かを言いかけてやめてしまった。
 仮面のような顔は追求も気遣いも、全てを拒んでしまっているようだった。
 ネ級はツ級を見ていて、ある考えが思い浮んでくる。
 彼女もまた、もう一人の誰かに住みつかれているのだろうか。





541: ◆xedeaV4uNo 2016/12/27(火) 23:35:59.83 ID:lKPQ86Ago


─────────

───────

─────


 装甲空母姫は少し離れた洋上でネ級とツ級の訓練状況をつぶさに観察していた。
 隣では飛行場姫が同じように様子を見ている。
 互いに艤装を装備していて、どちらの艤装も体の左右を囲むように飛行甲板と砲塔が並んでいるという共通点がある。
 もっとも装甲空母姫は名の由来通りに飛行甲板が装甲化されているなどの差異も多い。
 違いが顕著なのは砲火力だろう。
 装甲空母姫が大口径の単装砲を片舷三門の計六門に対し、飛行場姫は小口径の連装砲を片舷二基四門の計八門を装備している。
 またこの場では装着していないが、飛行場姫の右腕に接続する形で運用する大口径砲を有した生体艤装も存在していた。

「君ガ指導ヲ買ッテ出タノハ意外ダッタ。気マグレデハナイノダロウ?」

 装甲空母姫の言葉に飛行場姫はぶっきらぼうに応じる。

「気マグレヨ」

「ソウ。君ガソウ言ウノナラ、ソレデイイ」

 装甲空母姫はあくまで自分のペースで話す。

「ツ級ハ艦娘ヲ基礎ニシタ個体。コッチハ改造ト呼ンダホウガ、イクラカ近イ言イ回シカモ」

「ソウ」

 関心がなさそうに飛行場姫は答えた。
 ただ、表面的な反応で内心は興味を持っている。

「私ノ知ッテル艦娘?」

「君、艦娘ニ知リ合イガイルノ?」

「……イナイワネ」

 他の姫たちは艦娘について……というより元になった軍艦についての知識を有してる場合がある。
 戦艦棲姫なら戦艦のことは知っているし、空母棲姫なら空母といった具合に。
 装甲空母姫はどうなのか、そういう話をしたことはないと飛行場姫は振り返る。





542: ◆xedeaV4uNo 2016/12/27(火) 23:36:35.24 ID:lKPQ86Ago



「アノ男――提督ヲ混ゼタ個体デ生キ延ビタノハ、アノネ級ダケ」

 当然言われたことに装甲空母姫は口をつぐむ。
 二人はしばらく無言で訓練を見ていたが、やがて沈黙に折れたのは飛行場姫だった。

「続キハ? 今ノ話ダトネ級以外ハ……」

「ヤッパリ気ニナッテル」

 含み笑いをしてから、何か言い立てられる前に装甲空母姫は口を開き直す。

「建造ト呼バレル手法デイクラカノ資材ト核ニナル素体、ソレカラ提督ノ部位ヲ小分ケニシテ混ゼテミタ。生マレ返ッタ個体ハドレモ健常ダッタガ、ホボ幼体ノ間ニ死ンデシマッタ。唯一、成体マデ成長デキタノガネ級トイウワケ」

 飛行場姫は説明の光景を想像して不快そうに表情を歪めたが、装甲空母姫は気にしていないのか気づいていないのか話を続ける。

「アレハ一番混ザッタ個体。頭ヲ丸々使ッタカラ」

「……ダカラ提督ニ準ズルヨウナコトヲ知ッテイタ?」

「断片デ無自覚ノヨウナ状態ダロウガネ。タダ限定的ニダガ有益ナ情報ハ引キ出セルカモシレナイ」

「ソウ都合ヨク話スカシラ」

「サテ……少ナクトモ隠シ立テハシナイハズ。彼女ハ深海棲艦ダカラ」

 飛行場姫は返事を控えた。
 何を聞いたところでやることは変わらない。
 できることならネ級を沈ませたくないのが、彼女の偽らざる気持ちだった。
 提督を殺したことは悔やんでいない――提督がそれを望んだのだから。

 だが、この状況を承服するかは別だ。
 納得のいかない部分があるからこそ、ネ級にできる限りはしてやろうと思っている。
 差し当たっては生存率を高めるための協力を。
 どうネ級と接していいのか分からないままだが、戦闘に関しては彼女の方に一日の長があった。
 ネ級、それにツ級もそうだが、飛行場姫はどこかで憐れみに近い感情を抱いている。
 飛行場姫は内心で自問していた。
 これは感傷なのだろうかと。





551: ◆xedeaV4uNo 2017/01/09(月) 22:21:31.61 ID:LBV/bUw6o



◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆


 鳥海は港湾棲姫たちと話す必要があると感じていた。
 妖精の問いかけが気になっていたし、最初の接触時以来ほとんど言葉を交わしていない。
 どちらも多忙だったのはあるが、それを口実に接触を避けようという気持ちが少しはあった。

 陸上にいる深海棲艦は三人だけで、まだ個室は与えられていないし将来的にどうなるかも分からない。
 今はそれぞれ個別に分けられて艦娘たちと相部屋という形になっていた。
 港湾棲姫は扶桑山城と、ホッポは白露型と、そしてヲ級は蒼龍たちと同じ部屋を使用している。
 これは素行の監視も兼ねている処置なのだけど、深海棲艦たちは不満には思っていないようだった。
 というより、どちらかといえば艦娘と接点が持てるのを歓迎している節がある。
 案外、彼女たちは社交的らしい。

 鳥海が赴いたのは扶桑たちの部屋だった。
 とにもかくにも深海棲艦を知るには、まず港湾棲姫を知るのが最も近道だと思えたから。
 部屋のドアをノックすると、中から扶桑が誰何の声をかけてきたので応じる。

「鳥海? 珍しいわね、ここに来てくれるなんて」

 扶桑がドアを開けると、部屋の奥で山城と港湾棲姫がちゃぶ台を挟んで何かしているのが見えた。
 掃除の行き届いた清潔な部屋で、本人たちの希望で扶桑型は和室を使っている。

「港湾棲姫、いえ。コーワンと少し話がしたくて」

「もちろん構わないわ、たぶん。でも少し待ってあげてくれないかしら」

 扶桑は鳥海を中へと案内しながら言う。
 山城と港湾棲姫はボードゲームに興じていて、集中している二人は鳥海に気づいていない。
 姉さんたちとやったことあるけど、なんという名前だったっけ……。
 名前は思い出せないけど、海戦をモチーフにしたゲームでルールと目的はシンプルだった。
 二人がやっているのは盤上に軍艦を模した複数の駒を並べて、それを相手より先に見つけて沈めていくというゲームだ。

「山城も私とならいい勝負ができるんだけど……」

 扶桑はすでに勝負は決したかのような言い方をする。





552: ◆xedeaV4uNo 2017/01/09(月) 22:22:03.89 ID:LBV/bUw6o



「あなたもやってみる?」

「いえ、今日は遠慮しておきます。熱中しすぎちゃいそうですし」

 計算だけではどうにもできない運の要素も大きいから、一度始めてしまうとついつい没頭してしまう。
 特にどちらかが負けず嫌いだと。そして艦娘というのは意外というべきか当然というべきか負けず嫌いが多い。
 それにしても艦娘と深海棲艦の姫がボードゲームをやってるのはシュールな光景なのかも。
 見守っていると港湾棲姫が山城の持ち駒を順調に沈めていき勝負は決した。
 山城さんには……運がなかったとしか言いようのない推移だった。

「また負けてしまうなんて……」

 肩を落とす山城に港湾棲姫は慰めの言葉をかける。

「今回ハ運ガナカッタダケ……」

「今回もの間違いでしょ……不幸だわ」

 山城が深々とため息をついたところで、港湾棲姫は苦笑する調子で顔を上げた。
 視線が鳥海と絡む。山城もそこでようやく鳥海に気づいた。

「鳥海……ダッタカシラ。イツカラココニ?」

「少し前からね。あなたと話したいって」

 扶桑の説明に港湾棲姫は落ち着いた顔で見返す。

「私たちは外したほうがいいかしら?」

「いえ、そういう話にはならないと思います」

 鳥海がかぶりを振ると、扶桑は座布団を敷いて座るように勧めてきた。
 左側に港湾棲姫、右に山城が見える場に座る。
 山城はそそくさとボードゲームを箱に片付け始めていた。





553: ◆xedeaV4uNo 2017/01/09(月) 22:25:11.32 ID:LBV/bUw6o



「コーワンにこちらの生活はどうか聞きに来たんですけど」

 心配する必要がないのは間違いなさそう。彼女はすっかり馴染んでいるようだから。
 港湾棲姫はほほ笑む。

「知ラナイコト、分カラナイコトハ多イ……シカシ、ソレモ含メテ充足シテイル」

 鳥海もつられたように笑い返す。自然とそうしたくなるような魅力を感じて。

「そうみたいですね。あなたたちには慣れない環境で苦労もあるかと思ったんですが」

「苦労……ソレハ違ウ。コレハ私タチガ未来ヲ望ンダカラ……」

 港湾棲姫は鳥海を見つめている。優しい目だと鳥海は思う。

「今ノ提督ニモ前ノ提督ニモ感謝シテイル……私タチダケデハ……コウハナラナカッタ」

「それなら教えてくれませんか? あなたはどんな未来を望んでいるのかを」

 どう答えるのだろう。鳥海は興味があった。
 この返答こそが今後の自分たちの関係を決定づけるはずだった。

「私ニハ付キ従ッテクレル者タチガイル……皆ヲ穏ヤカニ暮ラセルヨウニシテヤリタイ」

 ほほ笑みから一転して、引き締めた表情で港湾棲姫は答える。

「中デモホッポガ一番。ホッポガ笑ッテイラレルヨウニシテアゲタイ。アノ子ハ私ニトッテノ……」

 港湾棲姫はそこで言い淀む。
 言葉を探るような間を置いたが、彼女は続くはずの言葉を変えたようだった。





554: ◆xedeaV4uNo 2017/01/09(月) 22:26:23.63 ID:LBV/bUw6o



「以前、提督ガ私ニ言ッタ……ホッポニドンナ道ヲ残シタイノカト。私ハアノ子ニ笑ッテイテホシイ」

 母親みたいなことを言うんですね。内心でそう思う鳥海だったが口には出さなかった。
 親の情というのが想像しかできない身としては、コーワンのほうが艦娘より生き物らしいのかもしれない。
 それが彼女にとって褒め言葉になるかは分からないけど。

「大切なんですね、ホッポが」

「エエ、私ノ命ヲ賭セル。アナタタチニハ……奇異ニ見エル?」

「いえ。その気持ちは分かります。私にだって……」

 司令官さんがいた。だから分かるって断言していい。
 しかし鳥海は言葉を濁したままにした。
 名前を出したら責めるような形になってしまうかもしれなくて、それは望ましくない。
 責めるのも、その理由に司令官さんと口にするのも。

 続くはずだった言葉をなくすと、港湾棲姫もまた沈黙した。
 鳥海が見る限り、港湾棲姫はごく当たり前の――喜怒哀楽の感情を持っている。
 ならばコーワンは司令官さんに対して、人並みに罪悪感や後悔の念を抱いているのかもしれない。
 憂いを漂わせる顔を見ていると、そう思えてしまう。

 黙している二人に、扶桑が切り分けた羊羹を運んできた。
 小皿に載せられたそれを並べると、扶桑は鳥海の向かい側に座る。
 よく見ると扶桑と山城の羊羹は半分の大きさしかないのに鳥海は気づいた。
 しかし鳥海は触れなかった。客人への気遣いかもしれず、尋ねるのは無粋な気がして。

「わざわざ聞きに来たからには何かあったの?」

「頃合いだと思ったのもあるんですけど……」





555: ◆xedeaV4uNo 2017/01/09(月) 22:27:38.52 ID:LBV/bUw6o



 山城に訊かれて、鳥海は要領を得ない返事をしていた。
 どうするか迷ったが、妖精と話した内容を素直に打ち明けてしまおうと決める。
 下手に隠すと、不要な誤解を招いてしまうような気もした。
 妖精との話を一通り説明すると扶桑がため息をつくように感想を漏らす。

「ずいぶん意地悪な質問をされたのね。将来、コーワンたちと戦うかもしれないなんて」

「……イヤ、ソノ妖精ノ懸念ハ……人間ノ懸念? モットモダト思ウ」

 港湾棲姫は平静に見える様子で言う。

「今ノ我々ガ排サレナイノハ人間ニトッテモ価値ガアルカラ。ダケド私タチガ協力ニ応ジズ……アルイハ他ノ理由デモ危険ト見ナサレタラ……」

「可能性はある、と言いたいんですか?」

 鳥海の疑問に港湾棲姫は弱々しい笑みを投げかける。

「未来ハ誰ニモ……分カラナイ」

 それはそうかもしれないけど……。
 今度は山城がむくれたような顔をして言う。

「あなたはそれでいいの、コーワン?」

 自分は嫌だと言うような物言いに、港湾棲姫は俯きがちに答えた。

「ヨクハナイガ……必要トアレバ、ソウシナクテハナラナイ。ソレガ私」

「ここまできて、そうなるのは……不幸ね」

 山城から口癖のように出てくる不幸という言葉だが、今回のは鳥海も同感だった。
 やっぱり、そういう不幸な事態を避けられるようにしていくしかない。
 司令官さんが……ううん、これは私もまた望んでいるのだから。




556: ◆xedeaV4uNo 2017/01/09(月) 22:28:15.27 ID:LBV/bUw6o



 不意に扶桑が呟く。

「幸せって何かしら?」

 え、と鳥海は少し抜けた声を出した。
 その呟きが問いかけだと気づいたのは、扶桑が三人を順に見ていったからだ。
 まさか、そんなことを尋ねられるなんて考えてもいなかった。
 幸運とか不運という話は扶桑さんでなく山城さんがする話だとばかり。確かに扶桑さんにも幸薄いところはあるにしても。
 真っ先に山城が身を乗り出して宣言した。

「姉様とご一緒できるなら、いつでもどんなところでも幸せです!」

「ありがとう、私もそう言ってもらえるのは嬉しいわ。それで、さっきのあなたたちの話を聞いてて、二人は誰かの幸せを望んでるんだなって思ったの」

 私の場合は望んでいる、というより望んでいた。言葉にすれば小さな違いは、もう二度と変えられない。
 ……少しだけコーワンが羨ましかった。彼女にはまだホッポがいるんだから。

「でも気になったの。二人とも誰かの幸せと引き替えにできるなら、自分を捨ててもいいって考えてるようで。もし、そうならよくないと思うわ」

 扶桑は気遣わしげに二人を見る。

「今の私たちは……これからも何かの犠牲の上に立って生きていくことになるはずよ。こんな言い方が相応しいか分からないけど、それは仕方ないの」

 扶桑は深く息を吐き出す。物憂げな眼差しだが、同時に優しげでもあった。
 彼女は鳥海を見て、それから港湾棲姫に視線を定める。

「だからといって自分を犠牲にして、というのも違うんじゃないかしら。あの子の幸せにはあなたもいなくちゃだめでしょ?」

「ソウカナ……」

「そうよ。ホッポがあなたの幸せを望まないはずないでしょ? だからコーワンがホッポの幸せを望むなら、あなたも無事でないと。鳥海なら分かってくれるかしら?」





557: ◆xedeaV4uNo 2017/01/09(月) 22:28:58.11 ID:LBV/bUw6o



 いきなり話を振られた鳥海は驚き、しかしはっきりと頷いた。

「言いたいことは分かります……いえ、その通りなんだと思います。ホッポのためを思うならこそ、コーワンは自分も大事にしなくてはならないのでしょう」

 残される者の気持ちを考えれば。
 扶桑さんの言うように、もしもコーワンに何かあればホッポは悲しむ。それはきっと……どんな想いから生じた結果でも幸せではない。
 ……なら司令官さんは私たちの幸せを願いながら、私たちを不幸にしたの?
 違う。そうなんだけど、そうじゃない。考えがまとまらなくて言葉にならない。
 だけど私は……幸せとは言えないけど絶対に不幸でもないんだから。
 鳥海は自分の気持ちを整理できず、複雑な思いに囚われる。
 表情にそんな様子が出たのか、扶桑は鳥海を見据えて謝った。

「私こそ意地悪な話をしてしまったわね、ごめんなさい」

「いえ……」

 鳥海はそう返しながらも、釈然としていない顔をしていた。
 ……幸せってなんだろう。
 満足すること? 悲しまないこと? 思うがままにすること?
 はっきりとは分からないけど、私たちは誰かと関わっている……だから一方通行の想いは幸せに至らないのかもしれない。

 いずれにしても分かったこともある。
 港湾棲姫の動機というのは鳥海に共感できる理由だった。
 確かにコーワンが言うように未来は分からない。
 しかし彼女にホッポのためという理由があるなら、今この時を信用するには十分なのではないかと。





558: ◆xedeaV4uNo 2017/01/09(月) 22:41:26.93 ID:LBV/bUw6o



◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆


 日暮れ前に降り出した夕立のために、夜気は普段よりも湿っぽかった。
 雨露に濡れた夜の歩道を進み、鳥海は海岸へと足を運ぶ。
 なんとはなしに見上げると月には墨を塗ったような雲がかかっている。
 海外線にざっと目を通すと、波打ち際に彼女の探す相手――ヲ級がいた。

 砂を踏みながら近づいていくと、話に聞いていた通りヲ級は一人ではない。
 イ級が三人、整列するように波間にいる。
 ヲ級の後ろから近づいてくる鳥海に気づいて、イ級たちが一様に鳴くような声を出した。

「ヲキュー、ウシロウシロー」

 ゆっくりとヲ級が振り返る。
 暗い海を背景にした青い目に白い肌の少女は、どこか隔世の存在のように見えた。
 とはいっても彼女の声は現実のそれである。

「ドウシテ、ココニ?」

「飛龍さんに教えてもらったんですよ。夜はここで発声練習しているって」

 話を聞いた時、飛龍さんは夜遊びに行ってるだなんて言ってたけど。
 ヲ級は分かりにくいが小さく頷く。イ級たちは恥ずかしがっているのか警戒してるのか、波の中に体を半ば隠しながら鳥海とヲ級を見上げていた。

「ミンナ話シタガッテル。飛龍ガ発声練習ハ……コウスルノダト教エテクレタ」

 ヲ級は息を吸い込むと早口に言う。

「隣ノ牡蠣ハヨク客食ウ牡蠣ダ」

「よく柿食う客ですよ、それを言うなら」

 客を食べる柿なんて、どう考えても妖怪じゃないですか。
 柿の言い方が少し違う気がするのも気になったけど……もしかしたら貝の牡蠣を指してるのかも。
 どっちにしてもずれてる。




559: ◆xedeaV4uNo 2017/01/09(月) 22:41:59.41 ID:LBV/bUw6o



「……間違ッテル?」

「えっと、練習法はそれでいいと思います。言葉の意味が少し変なだけで」

「難シイ……」

 あまり表情の見えない顔でヲ級は言う。
 鳥海は気になったことを訊く。

「ヲ級はどこで言葉を覚えたんです? 深海棲艦って話せても、意味の通じないことを言うだけの場合もあるのに、あなたや姫は違うようだけど」

「アレハ……ココニ勝手ニ浮カンデクル」

 ヲ級は自分の頭を指し示す。頭の中で何かが、ということでしょうか。

「アノ時期ヲ過ギルト話セルヨウニナル……ダケド、アノ時期ハ一番生キ延ビルノガ難シイ」

「どういうことです?」

 ヲ級の物騒な一言に鳥海は眉をひそめていた。

「ソノ頃ダト体ガ戦闘ニ耐エラレルヨウニナル……ダカラ艦娘ト戦ウ……ソシテ多クハ沈ム」

 鳥海は息を詰めた。藪蛇だったのかもしれないと思い。
 ヲ級は淡々と言う。

「我々ハ海カラ生ジテ海ニ還ッテイク……摂理。気ニシナクテ、イイ」

 応えられない鳥海に、ヲ級はイ級たちへと向き直る。
 どちらも声を出さないまま、少しばかりの時間が過ぎた。
 ややあってヲ級がまた振り返ると、青い目がともし火のように揺れる。

「ズット考エテイタ。私ハドウシテココニイルノカヲ」




560: ◆xedeaV4uNo 2017/01/09(月) 22:46:01.02 ID:LBV/bUw6o



 鳥海は真っ直ぐ見つめられて、それまで予想もしてなかった言葉を急に思い浮かべた。
 案の定というべきなのか、ヲ級は予想通りのことを言いだした。

「鳥海、私モ一緒ニ戦ワセテホシイ」

 鳥海はすぐに首を左右に振っていた。

「その必要はありません。それに私たちの相手は深海棲艦なんですよ?」

 分かっているんでしょうか。
 同胞殺し、というのはどう受け止めていいのか見当もつかない。
 ヲ級は分かってると言いたげだった。分かってないはずなんてないのだと。

「私ハ私ヲ認メテクレタコーワンノタメニ戦ッテキタ。ソレハ正シカッタシ、コレカラモ変ワラナイ」

「そのコーワンは知ってるんですか?」

「話シテナイ……」

「それに仲間だった相手に銃を向けるんですよ……本当にいいんですか?」

「……私ノ仲間ナラ、ココニイルヨ。ココニイタ」

 ゆるやかに告白しながらヲ級は後ろのイ級たちに手を向けた。

「私ノ仲間ハ、ミンナココニイル……ソウ教エテクレタ人間ガイタ。ダカラ私ノ力ヲ……私ノタメニ使イタイ」

 鳥海は今一度、首を左右に振る。
 断るためではなく観念したという意味で。
 ヲ級のことはよく知らない。知らずとも、その言葉が真摯なのは伝わった。





561: ◆xedeaV4uNo 2017/01/09(月) 22:47:59.32 ID:LBV/bUw6o



「提督さんに私から進言してみます。どうするかは提督さんが決めることですけど……コーワンにはあなたから話して、自分で解決してください」

「感謝スル……」

「嬉しくないです……だって、きっとあなたにはつらいことですよ、ヲ級」

「コレデイイ……必要ナコト……私タチガ、ココデ生キテイクタメニ」

 ヲ級の後ろのイ級たちが鳴くと、ヲ級もまた短く鳴き返した。イルカのようだと鳥海は思う。
 悲しげに聞こえたのは、自分がそんな気分でいるせいかも。
 ……私たちはみんな不安なんだ。
 艦娘も深海棲艦も人間も妖精も。種がどうこうでなく、今の私たちはそれぞれが変化の岐路に立たされている。

 司令官さんはずるい。こんな大事な時にいないなんて。
 私たちにきっかけを与えるだけ与えて、自分はどこにもいないなんて。
 きっと私たちに未来を繋ごうとして……でも、司令官さん。私の未来にはあなたがいたんですよ。
 いてほしかったのに。
 不安でも、ううん。不安だからこそ私たちは戦わなくちゃいけない。
 私なら、私たちならどうするかを考えていかないと。





562: ◆xedeaV4uNo 2017/01/09(月) 22:48:30.31 ID:LBV/bUw6o



─────────

───────

─────


 トラック泊地では初の正月を迎えていた。
 前任を偲びながらも湿っぽさを望まないとも考えられ、また港湾棲姫たちがいるのもあって大々的に新年会が執り行われた。

 鳥海は十二月の暮れからしばらく、提督にもらったマフラーをかけていた。
 常夏の島では季節外れの防寒具だったが、彼女は年が明けるまでは頑なに外そうとしなかった。
 年が明けると、姉たちと一緒に新たに建てられた神社に初詣に行った。実は神頼みはしていない。

 木曾は天龍や龍田、まるゆに向けて年賀状を書いた。
 どこかでちゃんと顔を合わせて話そうと心に決めている。トラック土産は決まらないままだった。

 コーワンは扶桑たちと一緒におせち作りに挑戦している。
 彼女の作った料理の評判は上々で、コーワンもまた楽しそうだった。

 ホッポはお年玉の存在を知って、晴れ着姿の白露たちと一緒になって提督にせがみに行っていた。
 もっとも提督からは餅の現物支給しかなく、はぐらかされたのには気づかないままだった。

 白露はそんなホッポをほほ笑ましく思い、しっかり守ってあげようと思う。
 ワルサメの代わりをする気はないが、単純にホッポが好きだと言えた。

 ヲ級は艦種対抗の餅の早食い大会に、空母代表の一人として駆り出されていた。
 帽子のような頭と一緒に食べるのは有りか無しかで物議を醸したが、敢闘賞という形で決着を見ている。
 ちなみに優勝者の武蔵はそれ以上に食べていた。

 球磨と多摩は晴れ着に着替えたものの終始マイペースに過ごした。
 ただ二人は、今年こそは身近な誰かを失わないようにと願っている。

 島風はリベッチオや清霜たちと羽子板に興じた。
 トラック泊地の駆逐艦では年長者になる自分に気づいてしまい、しっかりしないとと内心で決意を固めていた。

 夕雲は年始は秘書艦を休業し、妹たちの面倒を見ている。
 あまり普段と変わらないと気づいてしまったが、それも悪くないと笑っていた。

 嵐と萩風は手違いがあって野分と舞風からの年賀状が年明け前に来てしまった。
 もう一度四駆を組みたいと決心したが、同時にトラック泊地から離れたくない自分たちにも気づく。

 それぞれが思いを秘めて迎えたその年。
 一月の後半に差しかかった頃、ガダルカナル島攻略に向けての作戦が開始された。





570: ◆xedeaV4uNo 2017/01/23(月) 10:50:57.31 ID:/xxkOiGKo



◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆


 コーワンからもたらされた情報により、深海棲艦の主要拠点はガダルカナル島にあると判明している。
 彼女から引き出せた情報を元に立案された作戦は廻号作戦と命名された。
 攻勢に出ていたはずが、いつの間にか守勢に転じていた現状を転換させたいという意味も作戦名には込められている。とのこと。
 もっとも作戦に参加する艦娘や人間の将兵からすれば、肝心の作戦の中身が重要に。

 廻号作戦の最終目標はガ島にいる深海勢力の掃討になるものの、そのためには継続的な攻撃により敵戦力を漸減していく必要があると判断された。
 しかしガ島はどの拠点からも遠すぎて、一番近いトラックからでも片道だけで二千キロを越えてしまう。
 そこで手始めにラバウル、次いでブインとショートランドを占領し拠点化することで、前線基地として運用しながらガ島の攻略を目指すことになった。

 トラック泊地から選抜されたのは鳥海を旗艦とする第八艦隊を筆頭に愛宕と摩耶、球磨型と嵐、萩風、武蔵。夕雲型とイタリア艦が全艦。
 空母の艦娘に至っては蒼龍、飛龍、雲龍、飛鷹、隼鷹、龍鳳、鳳翔の計七名がトラックに所属しているが、鳳翔以外の全員が作戦に帯同している。
 またトラック泊地そのものがラバウルの制圧後、基地航空隊を派遣する出発点として活用される手はずだった。
 さらに第八艦隊に帯同する形で、青い目のヲ級も加わっている。

 迎えて一月二十五日。
 ラバウルの占領はいざ始まると一日足らず、しかもほぼ無血で完了していた。
 ガ島方面から飛来した爆撃機や小規模の艦隊による攻撃こそ受けたものの、深海棲艦の抵抗は弱い。
 司令部からの命令で、この日の内に作戦は第二段階のブイン、並びにショートランドの制圧に移行した。
 ラバウルには一部の工兵と護衛艦隊を残して、基地航空隊を運用できるよう急ピッチで飛行場の建設が始まった。

 鳥海らトラック泊地の艦娘たちは先行しブーゲンビル島を通り越し、鉄底海峡を抜けて進攻してくる艦隊を迎撃することになっていた。
 初動こそ順調でも、この先は本格的な抵抗が予想されていた。案の定、これは現実となる。
 二十六日に入ってから鳥海たちは先遣艦隊らを二度の戦闘を経て撃退しているが、さらに後方に重巡棲姫と存在を示唆されていた装甲空母姫。
 さらに軽重それぞれの巡洋艦級の新種を擁した艦隊が控えているのを偵察機が発見している。

 この間にもガ島から飛来したと思われる爆撃機の大編隊がブインとショートランドに猛爆を行っていた。
 敵機の数は優に千機を超えていて、一部は鳥海たちにも流れてきた。
 またソロモン海方面にも迎撃を受け持っている艦隊があるが、空母棲姫と戦艦棲姫、複数のレ級からなる艦隊を発見したと知らせてきている。
 ここに至って、それぞれの戦場では主力艦隊同士がぶつかり合う構図を描き始めていた。





571: ◆xedeaV4uNo 2017/01/23(月) 10:56:48.96 ID:/xxkOiGKo



◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆


 鳥海は微速で警戒航行を続けたまま空を仰ぎ見た。
 時刻は現地時間で一○二○を指している。
 日が高く昇っていて天候も快晴。
 しかし南海の空は雲量が多く、縦に膨らんだ厚雲が低高度まで降りてきている。
 きっと上空からの見通しは悪いはず。もっとも電探の発展は目視に頼らずとも、索敵を容易にさせている。
 そして、それは別に人類や艦娘だけに許された特権というわけでもない。
 艦娘も深海棲艦も互いの位置や目的を把握した上で作戦を遂行しようとしている。

 鳥海たちは二度の戦闘と一度の空襲を経てなお、ベラ・ラベラ島北方三十キロ付近に布陣していた。
 じきに現れる重巡棲姫たちを迎撃するのが、今の鳥海たちの任務だ。
 トラックの艦娘たちは状況の変化に即応するため、水上打撃艦隊と機動部隊とで大きく二つに分かれていた。
 機動部隊はヲ級を除いた空母陣に夕雲型の半数で構成され、出雲型輸送艦と行動を共にしおよそ百キロほど後方に控えている。

「鉄底海峡……行けなくはなかったのでしょうが」

「ソノ先ハガダルカナル……行ッテミル?」

 つぶやいた鳥海に近くにいたヲ級が反応する。鳥海はおかしそうに首を振る。

「やめてください、ヲキュー。それとこれは別なんです」

 自分で言ってから何がそれこれで別なんだろうと思ったが、今はガ島に行く気がないという意思表示ができれば十分だった。
 青い目のヲ級――ヲキューは重々しそうに頷く。
 彼女がよく見せる反応だった。話が分かっていてもいなくても。

 そんなヲ級だがトラック泊地に馴染むに従って、一つの問題が浮かび上がってきた。
 彼女をどう呼んで、その他のヲ級と区別するかという問題が。
 何か名前をつければ解決する話でも、当のヲ級が名前をつけられるのに抵抗があるようだった。
 かといってヲっさんだとかヲっちゃんではあんまりだ。
 結局、飛龍さんや隼鷹さんがアクセントを変えて、心持ち柔らかく聞こえるような呼び方に変えていたのが定着して落ち着いた。





572: ◆xedeaV4uNo 2017/01/23(月) 10:57:35.79 ID:/xxkOiGKo



 そのヲキューは第八艦隊に帯同――というより鳥海の隷下に加わる場合のみ戦闘に参加するのを認められている。
 表向きの扱いは義勇兵になっていた。彼女の背景はともかく、動機を踏まえると適切な扱いと言えそう。
 純粋に戦力という単位で考えても、ヲキューの存在は第八艦隊にとっても有益だった。

 一方で鳥海は察している。
 ヲキューが万が一を起こした場合は、自分の手で責任を取らなくてはならないのだとも。
 そんな最悪と呼べそうな事態が訪れるとは考えたくなかった。
 でも、何が起きてもおかしくないのだけは痛感している。
 鳥海は軽く頭を振って悪い考えを追い払うと、ちょうど二人の後ろからローマが声をかけてきた。

「ここはあなたには縁のある海域だそうね」

 鳥海がローマのほうを振り返ると、腕を組んで航行している姿が目に入った。
 ローマの艤装には黒くすすけた箇所がいくつかある。
 被弾した痕跡だけど、そこはさすがに戦艦。中口径ぐらいの砲弾ならたやすく弾き返していたのを見ている。
 二度の海戦ではいずれも先遣艦隊と呼べる程度の規模の相手で、水雷戦隊が中心になって攻めてきていた。

「鉄底海峡ですか? そこなら、もっとこの先ですし私より夕立さんや綾波さんの語り草だと思いますけど」

「そう? 大活躍したって聞いてるけど」

「ソウナノ?」

「軍艦の話ですし戦術的にはそうだったかもしれませんけど……」

 鳥海は言葉を濁しながら、自然と胸元にかけた提督の指輪を使ったペンダントをまさぐっていた。
 夕張さんがペンダントを完成させるまで二週間近くかかっていたが、その分だけいい仕上がりだとは本人の弁。
 デモンストレーションでクレーンとで引っ張ってみましょうかと言いだしたけど、それは丁重にお断りしている。
 鳥海は意識せずやっている行動に気づいて手を離す。今はもっと目の前のことに集中しないと。





573: ◆xedeaV4uNo 2017/01/23(月) 10:59:08.89 ID:/xxkOiGKo



「とにかく……次の戦闘が正念場になります。相手はあの重巡棲姫ですから」

 敵艦隊の数は四十を越えていて、数ならこちらの倍以上いる。
 すでに機動部隊の艦載機が敵主力艦隊へと二次に及ぶ攻撃をかけているが、消耗が激しい割にどちらの攻撃も成果は芳しくない。
 多数の戦闘機隊に事前に阻まれ、包囲を突破した攻撃隊も二種の新種による対空砲火のために大きな被害を被っていた。
 特にツ級軽巡は単身でハリネズミのような弾幕を展開し攻撃隊を阻んだという。
 いずれにしても攻撃隊の損耗が想定を超過しているので、第三次攻撃が最後になりそうだった。

「取り巻きを排除しながら私と姉さん。それに武蔵とで集中砲火を浴びせてやればいいのね」

「ええ。向こうはこちらの倍以上いますし新種もいるので、一筋縄ではいかないでしょうけど。それとヲキューには今回の戦闘から参加してもらいます」

「分カッタ」

「最初に機動部隊が航空支援をしてくれるので、それが済んでから艦載機を射出してください。いくらIFFで識別できるようにしていても、見た目は敵機そのものですから」

 先の二戦ではヲキューの存在を隠すために海中に身を潜めさせている。
 鳥海は彼女をできるだけ温存しておきたかった。
 ヲ級の艦載機による攻撃は確実に奇襲となる。本当に最初の一撃目に限れば。
 コーワンを始めとした一部の深海棲艦がトラックに身を寄せたと知っていても、ヲキューが戦列に加わってくるのは想定してないはず。
 仮に想定していても、それまでの戦闘で秘匿できていれば警戒心は薄れている。
 彼女の使いどころは今しかなかった。これから先はヲキューにも戦ってもらう。彼女の選んだ道として。
 そんな鳥海の気持ちを知ってか知らずか、ヲキューは今一度首を縦に動かす。

「分カッテイル……私ヲ使ッテミセテ」

 どの道、後に引けない。
 接敵予想時刻まで一時間を切って、鳥海は迷いのない声で戦闘準備を命じる。
 ローマとヲキューの二人は所定の位置に動くために離れていく。





574: ◆xedeaV4uNo 2017/01/23(月) 11:00:45.06 ID:/xxkOiGKo



「あの」

 離れる二人を鳥海は呼び止める。
 考えがあって声をかけたわけではなかったが鳥海は素直に言う。

「お二人とも頼りにしてます」

 ローマはかすかに目を見開き、すぐに視線を逸らすと頬をかく。

「……ふーん。ま、私はやるようにやるだけよ。ビスマルクだったら当然だとか言ってはしゃいでるんでしょうけど」

 ローマは少し早口になっているが、鳥海は指摘しなかった。
 ヲキューは頷かず沈黙を保った。ややあって気づいたように言う。

「任セロ」

 それからおよそ三十分あまりが過ぎた頃、鳥海たちの頭上に機動部隊の第三次攻撃隊が到着した。
 戦爆連合でその数は百五十機ほど。
 六人の搭載機数は四百機ほどで稼働率を八割と仮定すると、もう半数が失われたか使用不能になっていると考えられた。
 機動部隊は現在地を隠すために無線封鎖を続けているけど、攻撃隊の重い損害に苦い思いを抱いているのは疑いようもない。
 それでも猛禽のように上空を飛ぶ航空機の存在は力強かった。

「こっちは甲標的の展開終わったよー」

 北上からの通信に鳥海は了解と返す。
 所定海域から大きく離れなかったのは、北上ら重雷装艦の甲標的を使用するためだった。
 甲標的は特殊潜航艇とも言うべき小型の兵器で、事前に海中に展開しておくことで待ち伏せての雷撃を行える。
 こちらから進攻しての戦闘では使いにくいけど、あらかじめ待ち構えていられる今回のような状況では頼りになる。
 やれるだけの準備はできたはず。
 そうして数分後には電探が目視できるよりも遠くの敵艦隊の存在を捉えるも、すぐにジャミングの影響下に入り本来の機能を果たせなくなる。
 今になって鳥海は思う。今日は長くなりそうだと。





575: ◆xedeaV4uNo 2017/01/23(月) 11:02:36.50 ID:/xxkOiGKo



─────────

───────

─────

 電探で探知した頃には目視もできなかったが、今はもう敵の艦種まで判別できるようになっていた。
 決戦の口火は鳥海らの突撃と足並みを揃える航空隊によって切られる。
 なけなしの攻撃隊の血路を開こうと、果敢に烈風隊が乱舞する敵集団の中に飛び込んでいく。
 烈風が海鷲だとすれば、敵艦載機の集団は蜂だった。
 個々の性能では烈風の方が高くとも執拗に群がる敵機の群れは一機、また一機と烈風の数を減らしていく。
 制空権争いは劣勢。贔屓目に見ても拮抗していればいいほうというのが鳥海の見立てだった。

 しかし攻撃機隊もまた勇敢で、わずかな直掩機と共に次々と攻撃態勢へ入っていく。
 駆逐艦が急降下爆撃の直撃を受けて爆散したかと思えば、リ級重巡が航空魚雷の直撃を受けて海の藻屑へと変えられていく。
 投弾前に被弾して翼から火を噴きだした流星が、抱えたままの爆弾ごと深海棲艦に体当たりして果てていくのも見た。

「死に急ぐような真似なんか……」

 鳥海は航空戦の推移を苦しく思う一方で不審に感じていた。敵機の対空砲火は想像してたほどには激しくない。
 報告にあがっていたツ級がいないのかもしれない。
 動向を探るためにも観測機を飛ばしたいけど、制空権もままならなくてはすぐに撃墜されるのが関の山。
 不審を疑念として抱えたまま、鳥海は下命した。

「全艦、射程距離に入り次第、順次砲撃を開始してください! まずは敵艦を減らします!」

 返事を聞きながら鳥海もまた砲撃を開始する。
 ここまで来て弾薬を温存する気は鳥海になく、深海棲艦もまた砲撃を始めていた。

「役立タズドモ……マトメテ沈メロォッ!」

 回線に割り込んで重巡棲姫の大音量が広がる。
 敵艦隊の陣形は複縦陣を三つずつ並べたような状態で、中央の縦陣の最奥に重巡棲姫がいる。その後ろには三隻のル級が遅れながらも追従していた。
 深海棲艦の動きそのものは分かりやすい。
 一言で表わせば力押し。航空隊の攻撃を凌げば、あとは数を頼りに呑み込もうとしてくる。
 まともに相手をしては消耗ばかり強いられてしまう。
 そんな状況を変えたのは、航空攻撃が終了したのを見計らって投入されたヲキューの艦載機だった。





576: ◆xedeaV4uNo 2017/01/23(月) 11:03:50.27 ID:/xxkOiGKo



『調子ガヨケレバ六十機グライ飛バセル』

 そう語っていたヲキューだが、ざっと見たところ九十機は向かっていく。
 二番艦として鳥海の後ろに位置する高雄が苦笑するような響きで言う。

「聞いてた話より多いわね……」

「計算通りには行かないものです」

 嬉しい誤算だった。
 ヲキューの艦載機はどれもが戦闘爆撃機として使われていて、縦列の二列目以降にいる深海棲艦めがけて次々と攻撃をかけていく。
 見た目上は味方機と変わらないために、攻撃を受け始めた深海棲艦たちは隊列を崩していった。

 明らかに混乱し始めたところに、続けて左翼方向から甲標的の魚雷が敵艦隊の横腹めがけて突入していく。
 甲標的から放たれた魚雷は酸素魚雷でないため白い航跡が発生する。
 なまじ軌道が見えるだけに、狙われた深海棲艦たちを中心に恐慌をもたらしていく。
 不運な何隻かが魚雷の餌食になる間にも、ヲキューの艦載機は烈風に代わって制空権争いへと加わっていった。

 敵の足並みが乱れている間に混戦に持ち込んで流れを決定づける。
 鳥海は突撃の命令を出す一方で、戦場が混乱している隙に零式水上観測機を射出する。
 観測機は艦隊の上空を避けるように旋回し、敵艦隊の配置や動きを艦娘たちへと伝え始める。
 つぶさに敵情を伝えていた観測機だが、やがて重巡棲姫の艦隊から離れた位置にいる別の艦隊を発見した。
 ネ級とツ級を含んだ艦隊で鳥海たちの左方を突くよう迂回している、と伝えてきたところで通信が途絶える。
 撃墜されてしまったと見るしかない。

「新型には球磨たちで対処するクマ!」

「お願いします、ご武運を!」





577: ◆xedeaV4uNo 2017/01/23(月) 11:04:52.82 ID:/xxkOiGKo



 球磨たちの一団が砲撃を加えながら離れていくのを横目に、鳥海は中央の敵陣へと飛び込んでいく。
 砲撃を浴びせながら縦陣を割るように進むと、重巡棲姫までの道が一気に開く。
 敵が総崩れになったのではなく、意図して重巡棲姫と向かい合わせるような動きに感じられた。
 三方から攻められてはたまらない。

「イタリア組は左を、武蔵さんたちは右の敵を! 第八艦隊と愛宕姉さん、摩耶は私に続いて!」

 左右を抑えてもらっている間に重巡棲姫に一撃を与える。でなければ、その後ろにいる取り巻きの戦艦だけでも排除しておく。
 そんな矢先だった。

「雷跡確認! 右から来るぞ! 近すぎる!」

 長波からの警告の声、というより悲鳴が鳥海の耳に届く。
 雷跡を確認するより前に轟々と水柱が立ち上るのが見えた。それも二つ。
 被雷の水柱を見てどこから何がという疑問と、誰に当たったという恐怖とが同時にやってくる。
 ……命中したのが誰かは分かる。味方の位置は常に把握するよう務めているから。
 あの位置は愛宕姉さんと摩耶だった。

「潜水艦!? じゃない、甲標的みたいなやつよ!」

「摩耶さんの浸水がひどい! このままだと……」

 天津風と島風がそれぞれ伝えてくる。
 鳥海より先に摩耶と愛宕の切羽詰まった声が入った。

「クソがっ! あたしらに構うな!」

「そうよ、このまま攻撃を!」

 それは聞けない。鳥海は胸の内で即答すると言っていた。

「島風、リベッチオさんは摩耶、天津風さんと長波さんは愛宕姉さんを護衛しながら後退を」

「重巡棲姫はどうすんだ!」

 摩耶の怒鳴り声に、感情をできる限り抑えるよう意識して伝える。

「あいつは私と高雄姉さんが相手をします」

 告げてから鳥海は怖気を感じて、その場から弧を描くように大きく離れる。
 姿勢を立て直すと、やや遅れて本来の進路上に砲撃による水柱が林立する。そのまま進んでいれば確実にいくつかは命中していた。

「フフ……アハハ、イイゾ……当タッタノハ高雄型カ! レイテノ再現トイコウジャナイカ!」

 重巡棲姫はあざ笑いながら、海蛇のような主砲で砲撃してくる。
 最初の接触の時と違って素面らしかった。酔い潰れていれば楽なものを。

「私は触雷してない……あの時とは違う。鳥海の言う通りよ、あいつは私たちが相手をする」

 高雄の声は静かなのに聞き漏らせないような迫力があった。
 姉が何を言いたいのは分かっているし、同じ気持ちだったから。
 鳥海は短く息を吐いて胸元を意識する。もう取りこぼしたくない。だから戦うまで。

「やらせないわよ、鳥海。愛宕と摩耶を」

「ええ。もう誰も失うつもりはありません」





583: ◆xedeaV4uNo 2017/01/27(金) 22:47:17.47 ID:B/Ye64Jxo



◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆


 付き合いきれない。
 遠目に戦闘の状況を見た上で抱いたネ級の感想になる。
 それはネ級がツ級の他に二人ずつのイ級やチ級を率いて、計六人から成る即席の水雷戦隊を組まされた時と同じ気持ちだった。
 きっかけは装甲空母姫が次の戦闘に際して、自分ならどう行動するのか聞かれたためだ。
 その場には艦隊の総司令と言うべき重巡棲姫もいた。
 どこか試すような問いかけを不思議に思いながらも、自然に浮かぶままに答えていた。

「敵ノ大マカナ位置ガ分カルナラ別働隊ヲ用意シテ両側カラ牽制スル……頭数ハコチラガ多イノダシ。ソレニ艦娘トイウノハ輸送艦ト行動スルナラ、ソレモ叩イテシマイタイ」

 輸送艦を叩くには艦載機が必要、と言ってからネ級は二つのことに気づいた。
 まず装甲空母姫はともかく、重巡棲姫はネ級の話など聞く気はないのだと。
 もう一つは重巡棲姫はネ級を、そしてツ級も嫌悪しているということ。
 転じてネ級は一つの誤解にも気づく。飛行場姫は自分を避けてはいるが、どうやら嫌ってはいなかったらしいと。
 装甲空母姫が興味を、重巡棲姫は嫌悪を、飛行場姫は……ネ級は思い浮んだ感情をたとえる言葉を知らない。

 なんにせよ重巡棲姫が聞く気がない以上は話もここで終わるはずだったが、何を思ったのか装甲空母姫が自身の配下をネ級に預けてしまった。
 ネ級とツ級は装甲空母姫の直属という扱いなので、重巡棲姫を飛ばして融通も効くらしい。
 しかしネ級は思う。私に面倒を押しつけないでほしいと。事態に介入できない我が身をネ級は初めて鬱陶しく感じた。

 そして現在、重巡棲姫はしないでもいい消耗をしている。
 敵に動きがないのは、それが敵にとって適した場所だからだ。
 誘いに乗るのは構わないが無闇に突っ込んでいい理由にはならない。
 あるいは――姫という連中は総じて強い。にもかかわらず自分たちを基準に物差しをはかる。
 そうやって生じた食い違いがこの結果になるのか。

「ドウスル……ネ級?」

「行クシカナイダロウ」

 ツ級の問いかけにネ級は断じる。
 戦況がどうであれ無視する理由にはならないし、それに艦娘たちも放っておいてはくれない。





584: ◆xedeaV4uNo 2017/01/27(金) 22:51:02.88 ID:B/Ye64Jxo



「抑エガ来タ。アレヲマズハドウニカ……」

 敵の艦種や出方を見極めようと、ネ級は艦娘たちに焦点を定める。
 ――どれも見たことのある顔だと感じた。
 相手は七人。駆逐艦と軽巡が二人ずつに、重雷装艦が三人。ネ級はそう確信していた。
 二人ずつが似通った服装をしているが、一人だけ黒い外套を幌のようにはためかせているのがネ級の興味を引く。
 その艦娘の顔を見て、ネ級の頭の中に何かの光景が去来したような気がした。
 それが何かを顧みる間もなく、ネ級の頭に電流が駆け巡るような鋭い痛みが走る。
 目の奥に生じた痛みに、両目を隠すように頭を抑えてうずくまった。
 速度を維持できずに落伍していくネ級に、ツ級が慌てて寄り添うように近づく。
 他の深海棲艦はネ級の異状に反応する素振りを見せるが、それ以上に艦娘に引かれるように接近していくままだった。

「ソノ目……!」

「目ダト……」

 ネ級は全身の血が逆流し、内蔵を締め上げるような正体不明の痛みに悶えていた。
 視界は霞がかった赤になり、口から漏れる呼気は沸騰したかのように熱い。
 食いしばった歯からは声にならない声が漏れ出す。凶暴な獣としての唸りが喉奥から震えてくる。
 ネ級の瞳が深紅に染まり、同じ色の光が体からも立ち昇り始めていた。
 犬歯を剥き出しにして、怒りに染まった形相を向ける。

「落チ着イテ……ソノ子タチモ怯エテイル」

 事実、主砲たちのか細い声が聞こえてきて、ツ級の巨人のような指が戸惑いがちにネ級の腕に触れる。
 払いのけなかったのは、まだネ級を一部の理性が押さえつけていたからだった。
 燃えたぎる衝動に駆られながら、ネ級は先行した形の四人に吠える。

「奥ノ三人ヲ狙エ! ヤツラガ最モ魚雷ヲ積ンデイル!」

 何故分かったのか理解できないまま、ネ級はツ級を置き去りにして水面を蹴っていた。
 火力を集中――とかすかに浮かんだ考えは霧の中へと消えている。
 重雷装艦を守るように正面に位置する四人――軽巡と駆逐艦が二人。
 ネ級は急速に距離を詰めながら彼我の砲撃音を聞いていた。





585: ◆xedeaV4uNo 2017/01/27(金) 22:53:34.86 ID:B/Ye64Jxo



◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆


 木曾は姉たちの会話を聞きながら、相手の出方を窺っていた。
 砲撃をしようにも、まだ適正距離とは言いがたい。

「魚雷撃つ前に命中するのはいやだよねー。や、撃った後でもやだけどさ」

「だったら口じゃなくて足を動かすにゃ」

「ごもっともで」

 気の抜けたやり取りだが戦闘準備は整っているし、自然体なのは余計な気負いがないからだと木曾は前向きに受け止めていた。
 球磨と多摩を先頭を併走し、その後ろに萩風と嵐が。そして北上、大井、木曾の三人が続く。

「怖いのは新型クマ。何をしてくるクマ?」

 新種、新型。艦娘でも、この辺りの言い回しはまちまちだ。
 どっちにしても未知数の敵で、警戒するなというのが無理な注文だ。
 ネ級重巡もツ級軽巡も対空戦闘に秀でているのは分かっている。特にツ級軽巡は。
 だが水上戦闘がどれほどのものかは実際に戦ってみなければ分からない。
 木曾はネ級と目が合ったような気がした。
 きっと気のせいだろう。そう思った直後、ネ級が後ろへと脱落していく。

「ん……?」

 木曾は出し抜けに胸への疼痛を感じた。
 弱いが確かな痛み。一時期は頻繁に感じていたが、やがて提督との関係が清算されて行くにつれて消えていったのと同じ痛みを。
 なんで、こんなところで。
 確かめるように胸元を握っていると、大井が目ざとく気づいた。

「ちょっと大丈夫なの?」

「ああ、なんでもないさ」

 連戦の疲れが取れていないのかもしれない。
 気に留めないことにした。その痛みは覚えている。だからこそ気にしてはいけないと。





586: ◆xedeaV4uNo 2017/01/27(金) 22:55:12.37 ID:B/Ye64Jxo



「それより変だぞ、あのネ級とかいうの」

「不調ならこっちが助かるから、そのままでいてほしいんだけど」

 大井の声はどこか冷ややかで容赦がない。敵にかける情けはないとでもいうように。
 多摩は用心深く目を細めた。

「誘われてるかにゃ?」

「でも向こうの隊列は乱れてますよ?」

 萩風の指摘するように脱落したネ級に合わせてツ級も減速したが、イ級とチ級は前に先行しすぎているようだった。
 遠目だがネ級は苦しんでいるように見受けられる。普通の状態でないのは間違いなさそうだが。
 木曾は疼痛が治まっていくのを感じた。
 それを知る由もないが、意気込んだ声を嵐があげる。

「今の内に叩きましょうよ!」

「俺も賛成だ。こいつらを叩いたって重巡棲姫が残ってんだ」

 新型を沈めてはい終わり、というわけにはいかない。
 あくまで主目標は重巡棲姫だからだ。

「その通りクマ。さっさと蹴散らして合流するクマ」

「待つにゃ。様子がおかしいにゃ」

 動きを止めていたネ級から赤い燐光が瞬き始めていた。
 エリートなんて呼ばれ方をする強化個体がまとっているのと同じ赤い光だ。
 きっかけなんて分かりやしない。ただ厄介なやつだと直感した。





587: ◆xedeaV4uNo 2017/01/27(金) 22:56:42.52 ID:B/Ye64Jxo



 そしてネ級が何事かを叫ぶと深海棲艦たちが一気に動き出す。
 ネ級が猛然と向かってくる中、イ級とチ級たちが砲撃を始めた。
 砲撃の飛翔音が近づいてくるが、同時に遠いとも感じる。
 実際に砲撃は木曾や北上の後方に大きく外れていた。
 それは二つの事実を暗示している。

「練度は大したことないようだが、真っ先に俺たちを狙ってきやがったか」

「北上たちはこのままイ級とチ級を頼むクマ。球磨たちは新型二人をやるクマ」

 球磨の指示に一同は応じると、迅速に隊列を組み直す。
 木曾は正面の敵たちを見据えながらもネ級が気になって仕方なかった。
 盗み見るように目を向ければ、ネ級は赤く染まっていた。比喩ではなく、自身が発する光のために。
 だが何よりも興味を惹くのは……なんだ?
 新型としての性能か、未知の強敵への好奇心。それとも危機感か?
 どれも違う。
 言葉にできない、というよりは認めてしまいたくない違和感。提督にまつわっていた胸の疼きが原因だ。

「……まさかね」

 浮かんだ疑念を形にしないように言葉で取り消す。
 イ級とチ級の練度が低かろうと余所見は余所見。油断は油断だ。
 それでもなお木曾はネ級を観察してしまう。

 細身の女だ。赤い光をまとっているが、深海棲艦らしい白い肌に白い髪、黒い衣服に艤装。
 顎の辺りが歯のような装甲に守られているようで、この点はヲ級に似ていると思った。
 武装は三連装二基の主砲が海蛇だか海竜のように背中の方から伸びてるようだ。こちらは鳥海たちと交戦している重巡棲姫と似ていた。
 大腿部にはどうやら副砲もついているらしい。ここからでは分からないが、どこかに魚雷発射管もあるはず。
 火力ならこちらの重巡組のほうが充実しているように思えるが、火力で全てが決まるわけじゃない。
 ネ級は一心不乱に球磨たちへと向かっていく。
 まるで獣のように。あいつには、あんな一面なんてきっとない……ないよな。





588: ◆xedeaV4uNo 2017/01/27(金) 22:58:40.09 ID:B/Ye64Jxo



「さて、こっちはこっちでやりますかねー」

 北上の声に木曾の注意が正面へと引き戻される。
 物事には順序があって、今はネ級ばかりに気を取られている時じゃない。

「俺がイ級の露払いをやる。姉さんたちはチ級を」

 主砲の照準を先頭のイ級に合わせる。
 あいつ――前任の提督の代から、各艦とも運用する兵装の見直しが図られている。
 重雷装艦には性能の陳腐化した14センチ砲に代わって、イタリア組からもたらされた152ミリ三連装速射砲に改められていた。
 その火砲が猛然と砲煙をあげながら砲弾を吐き出していく。
 たちまちイ級が水柱に包まれ、二射目には命中の閃光が生じてイ級を無力化していた。
 北上も大井も、それぞれチ級への砲撃を開始している。
 木曾はとどめになる三射目を行いながら、すぐにもう一体のイ級へと狙いを変えていた。

 さして練度の高くないイ級なんぞ、正面から当たってしまえば怖い相手でもなんでもない。
 それはチ級にしたって同じだ。
 護衛を固められて魚雷をばら撒かれるだとか、混戦中に乱入されるだとか生かす方法なんていくらでもあるのに。

「お前らの指揮官は無能だな」

 俺たちには十分な装備を与えられて、実戦も訓練も多くの機会が与えられて。
 それもこれも相手を倒すためでなく、自分たちを助けるためにだ。

「望んでくれたやつがいたんだよ、俺たちにはさ」

 誰の救いにもならない言葉を木曾はつぶやく。
 砲戦はさほどの時間を要さず、木曾たちが圧倒する形で終わった。





589: ◆xedeaV4uNo 2017/01/27(金) 23:00:18.50 ID:B/Ye64Jxo



 すぐに三人は転進する。ネ級とツ級が残っているためだ。
 球磨たちが苦戦しているのは通信のやり取りで分かった。

『何クマ、こいつ! 訳の分からない動きばかりするなクマ!』

『大丈夫なの、嵐!?』

『くそっ、やられた! 火が回る前に魚雷を投棄するぞ!』

『萩風、球磨と嵐を下がらせるから護衛を……うっとうしいにゃ、ツ級!』

 損傷した球磨と嵐を守る形で、多摩が矢面に立っていた。
 孤立していたツ級も今や砲戦に加わり、ネ級や球磨たちとは距離を開けたまま支援砲撃を行っている。
 対空戦闘を視野に入れた両用砲だからか、口径は小さいが矢継ぎ早に砲弾を送り込んでいた。

「……嫌なやつだ」

 ばらまくような撃ち方だが上手い。
 損傷している球磨と嵐の退路を塞ぐ狙い方で、命中せずとも動きを阻害する効果がある。
 水上艦への砲撃は相手の未来位置を予測して行うのだから、ツ級は球磨たちの動きを計算し予測しているのか。
 ……こいつはネ級ともまた雰囲気が違う。だが厄介なやつなのには変わりない。

「多摩ねえ、そっちの支援に入るよ!」

 窮状に北上の声から間延びした調子が消えている。

「こっちよりツ級を先に頼むにゃ!」

「りょーかい、任せちゃって!」

 北上と大井がツ級へと向かっていく。
 木曾もそちらに向かおうとして迷った。
 球磨や多摩を信用していないわけじゃない。退路を確保するためにもツ級は邪魔だ。
 しかし球磨たちを無視してはいけないという直感があった。
 木曾は決断していた。






590: ◆xedeaV4uNo 2017/01/27(金) 23:01:50.27 ID:B/Ye64Jxo



「姉さんたち、ツ級は頼んだ!」

「ちょっと木曾! 勝手な真似は……!」

 大井が呼び止める声が聞こえてくるが、その時にはもう木曾は転進を済ませている。

「あのネ級は危険なんだ!」

 こんな理由で独断をやっていいわけがない。それでも――。
 木曾はネ級へと向かう。
 ネ級の速度はかなり速く、不規則な機動を見せている。
 球磨たちを二手に分断させ、集中砲火を浴びても怯む様子させ見せない。
 最初と違い、今は黒い体液を体にまとっているようだった。

 だが砲撃はでたらめだ。
 ネ級は獣のように首を巡らせながら、背中から伸びた主砲と大腿の副砲が乱射していた。
 ……違う、あれで狙いは絞ってやがる。
 損傷で動きの遅くなった球磨と嵐を主砲が狙いつつ、副砲は多摩と萩風に向けて撃たれていた。
 異質なのは誰か一人に絞らず、全員を同時に相手取ろうとしているかのような動きだ。
 戦力を削ぐという発想がないのか。
 そのお陰で球磨も嵐も健在なのかもしれないと思えば、木曾としてはそのままでいいと考えるしかない。

 木曾としては雷撃を当てて流れを変えたいところだが、下手に撃てば同士討ちの危険もある。
 縦横無尽に暴れるネ級がどこまで意図しているかは分からない。
 考えてる場合じゃないと自覚する意識が砲撃を始めさせ、すぐに一弾がネ級の主砲に当たるが装甲を抜けずに弾かれる。
 後方からの攻撃にネ級は素早く反応し振り返った。
 赤く染まった目が残光の線を引く。
 歯を食いしばったネ級が腹の内からゆっくりと声を震わせる。

「カン、ムス……カンムス! カンムスウウゥゥゥ!」

 海風に乗った叫びは遠吠えだった。
 衝動と敵意を露わにし、誇示するけだものの咆吼。
 目を見開き、木曾を凝視している。その目に浮かんでいるのは純然たる敵意だった。

「……違う! お前は違う!」

 今では痛みは完全に消えている。むしろ疼痛を感じた理由が分からなくなっていた。
 代わりに重圧が体中にまとわり付いていた。

「どうして、こっちに来たにゃ!」

「多摩姉、こいつはここで沈める! 沈めなくちゃならない!」

 叱責するような多摩に叫び返していた。
 そうとも、こいつはここで終わらせる。
 俺の疑念が確信に変わる前に、鳥海がやつに出会っちまう前に、俺自身の手でやる。
 木曾の表情に一切の迷いはなく、相対した強敵に対する固い決意が浮かんでいた。





596: ◆xedeaV4uNo 2017/02/05(日) 21:14:24.98 ID:2TZ4vk5Ao



◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆


 島風はリベッチオと共に摩耶を守りながら敵艦と交戦していた。
 摩耶の艤装はひどく損傷していて、艤装の主機は咳きこむような音を出している。

「摩耶さん、浸水はどう?」

「鈍足なら排水が間に合うけど、これ以上は無理だな……クソが!」

「もー、マヤってば口が悪いー!」

「ほっとけ!」

 今の摩耶は七ノット程度の速度しか出せず、控えめに見ても艤装が大破しているのは確実だった。
 浸水により電装部もショートし、主砲の発射すらままならなくなっている。
 とはいえ、離れた位置にいる愛宕も含めて、体が五体満足なのは不幸中の幸いだと言えた。

 損傷している摩耶を狙わせないために、二人は敵艦に肉薄することで注意を引きつけていた。
 砲撃の威力が弱くとも近づけばそれなりに有効だったし、何よりも敵は雷撃を恐れてくれる。
 二人は代わる代わる一人が接敵し、もう一人が摩耶の周辺を警戒しながら敵を追い払っていた。

 それでも遠からず限界が来てしまうのは明白だった。
 迎撃の度に二人は傷ついていき、摩耶はそんな二人を見ていることしかできない。
 困難な状況にもかかわらず、二人の士気は高い。自らが傷つくのさえ厭わないように。
 だから摩耶は思い切って言う。

「なあ、あたしより愛宕姉さんを助けてくれないか?」

 見捨てていいから。言外に隠れている言葉が分からない二人でもない。
 島風とリベッチオは顔を見合わせていた。

「お前たちがあたしに付き合う必要なんかないからさ」





597: ◆xedeaV4uNo 2017/02/05(日) 21:16:24.63 ID:2TZ4vk5Ao



 島風は振り返ると摩耶の顔を見る。
 必要ならあるよ。その言葉は飲み込んで。

「んー……リベはどう思う?」

「えっ、リベにそれ聞いちゃうの?」

「だって私はそんなつもりないし……」

「リベだってそうだよ!」

「というわけだよ、摩耶さん。この話はこれでおしまいだね」

 摩耶が言い返す間もなく新手の砲撃が続けて来る。
 命中弾こそなかったが、今度は一隻や二隻でなく多数による砲撃だった。

「駆逐艦と重巡が二人ずつ!」

 敵影を確認した島風が素早く伝える。
 複数による攻撃は初期の混乱から立ち直って、統制の取れた行動を取り始めている証拠だ。
 弱気の虫が覗く摩耶より先に島風が言っていた。

「摩耶さんを諦めたら絶対に後悔するし」

「マヤも主砲ぐらい撃てないの? 手で装填するとかして!」

「無茶言うなぁ……けど、そんぐらいしないと死んでも死に切れないか……」

「だから死なないってー!」

 続く砲撃も外れたが、摩耶が吹き上がった水柱をもろに被る。
 それで摩耶も頭が少しは冷えたようだった。





598: ◆xedeaV4uNo 2017/02/05(日) 21:17:02.69 ID:2TZ4vk5Ao



「島風、連装砲ちゃんを一つ貸してくれ。やるだけやってみなくっちゃな」

「いいよ。でも、無茶はダメだからね」

 島風は振り返り、摩耶の目を見ながら言う。
 応じる言葉はないが、ヤケになった顔でないと島風は感じた。
 連装砲ちゃんの一つを送ろうとしたところで、第三者の声が入った。

『それには及ばないわ』

 耳のインカムから聞こえてきたのはローマの声。
 やや遅れて摩耶たちを狙っていた艦隊に横方向から砲撃が見舞われ、一発が重巡リ級を直撃し沈黙させた。

『よし、そちらに合流する』

 砲撃の手応えを感じた声を残して、ローマは通信を切る。
 戦艦砲を受けて、建て直しのためか敵艦隊が後退していく。入れ代わるようにローマが三人の前に到着する。
 決して無傷ではなく、折れ曲がった主砲も何本かあった。

「グラッチェー、ローマ!」

「ディ、ディモールトベネ?」

 島風はしどろもどろに答えると、ローマが軽くため息をつく。

「いいわよ、日本語で」

「なんでローマがこっちにいるんだよ、重巡棲姫は?」

「取り巻きに邪魔されてるうちに距離を取られてしまったのよ。だから、まずはあんたたちを助ける」

 そういう指示もきちゃったし、と小声でローマがつぶやくのを島風は聞き逃さなかった。

「愛宕のほうには姉さんと武蔵がいるから大丈夫よ。あんたはまず自分の心配だけをしてなさい」

 損傷の激しい摩耶を一瞥してローマは告げると、摩耶は食い下がるように聞く。

「じゃあ重巡棲姫はどうなるんだよ」

「鳥海と高雄が相手をしている。今は……!」

 ローマは再攻撃の様子を見せ始めた敵艦隊を睨むように見ていた。

「今あなたたちを守れって言うのは、まずここを支えろってことでしょ? やってみせるわよ、そのぐらい」

 姫を倒しても戦線が崩壊して、こっちが壊滅してたら意味がない。ローマが言いたいのはそういうことなのだと島風は解釈した。

「……早く落ち着かせないとね」

 そう応じる島風の内心では、鳥海への信頼と不安がせめぎあっていた。
 重巡棲姫の手強さは、じかに交戦した経験がある島風にも分かっていたから。
 あの二人はかなりの無理をしでかそうとしているはずだった。





599: ◆xedeaV4uNo 2017/02/05(日) 21:17:48.44 ID:2TZ4vk5Ao



◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆


 鳥海、高雄と重巡棲姫との交戦は主戦場の横へ流れる形で続いていた。
 引き離したのか、引き離されたのか。その線引きは曖昧だった。
 というのも愛宕と摩耶から重巡棲姫を引き離すという点では鳥海たちの都合に適っていたし、二人を孤立させるという姫の意図とも合致していたからだ。
 だから、これは互いの意図が一致した結果。少なくとも鳥海はそのように現状を捉えている。

「役立タズドモ……沈メエェッ!」

 重巡棲姫が戦意を音量に乗せて砲撃してくる。
 正面に位置する鳥海と左方から攻める高雄は撃ち返しながらも、熾烈な砲火に邪魔をされて距離を詰め切れずにいた。
 砲撃の飛翔音が近づいてくるのを感じ、鳥海は右に針路をずらす。
 これで当たらないという確信は、五秒後に後方に生まれた水柱が証明していた。
 調子そのものはすこぶる良好だった。

「ペンダントのおかげかしら?」

 独語してから、それはちょっと違うような気がした。かといって間違えてるとも思い切れないのは胸の辺りに熱を感じるせいかも。
 でも、なんだってよかった。
 経験、直感、加護。思い込みでも何かが助けてくれると信じて、それが私自身の動きに噛み合っていい影響を与えてくれるなら。
 大事なのは後れを取らないという自信があるということ。
 側面を取っている高雄への狙いを減らす意図も込めて、鳥海は声を張る。

「私に当ててみなさい、重巡棲姫!」

「見下スナァ、艦娘!」

 それまで高雄も狙っていた主砲が二基ともしなると鳥海へ向く。白い肉塊のような主砲は、視覚が退化した竜をどことなく想起させた。
 倍になった殺気が砲炎の光を瞬かせる。
 それを消すように側方から放たれた高雄の主砲弾が重巡棲姫に命中するが、大した損傷にはなっていない。
 鳥海もまた回避運動を行いながら砲撃を続けるが、全弾が命中したとしても同じような結果にしかならないと予測していた。
 重巡棲姫の腰部にある連装副砲が速射を行い、突撃の機会を窺う高雄の出足を阻む。





600: ◆xedeaV4uNo 2017/02/05(日) 21:18:48.14 ID:2TZ4vk5Ao



「出来損ナイドモガ調子ニ乗ッテ!」

「火力が強い……重巡って言ってるけど戦艦並みじゃない!」

 高雄の評価は適切だった。
 火力もそうだけど打たれ強さも、並みの戦艦級を凌駕している。
 こちらは主砲の残弾は四割を切り、魚雷は一斉射分のみ。
 姉さんも魚雷は使ってないけど主砲弾は同じような状態のはず。
 無駄弾を使わなければいいだけ、と鳥海は高揚の続く頭で判断する。
 どっちにしたって撃てるだけ撃ち込まないと、まずこの姫は沈められない。

「……二度モ私ノ手ニカカルトハ……愚カナヤツ!」

「二度……?」

「マリアナデ沈メタヤツヨリハデキルヨウダガ、艦娘ハ艦娘ニスギナイ!」

「マリアナ? もう一人の鳥海を言ってるの!」

 問い詰める声に重巡棲姫は笑い声を上げた。

「ナンダ……知ラナカッタノ? 一人デノコノコヤッテ来テサア!」

 一人で。そう、その通り。二人目の鳥海は味方の撤退を支援するために単身で。
 そうして交戦したのが重巡棲姫だなんて思いもしなかった。
 だとしたら……これは仇討ち?
 思いもしなかった言葉が鳥海の頭を過ぎった。

「教エテヤロウカ! アノ出来損ナイガ、ドウヤッテ沈ンデイッタノカ!」

 重巡棲姫の高笑いが耳朶を打ち、鳥海は我知らず奥歯を噛む。
 事情があろうとなかろうと、ここで討たなくてはならない敵なのは承知している。
 それでも私怨のような感情が芽生えそうだった。
 しかし答えたのは鳥海ではなく、割り込んだ高雄の声だった。

「結構よ」





601: ◆xedeaV4uNo 2017/02/05(日) 21:20:00.56 ID:2TZ4vk5Ao



 高笑いを遮るように高雄が放っていた主砲弾が、立て続けに重巡棲姫へと落ちていった。
 より正確になった命中に、重巡棲姫は忌々しげに高雄を睨めつける。
 その毒々しさを高雄は正面から受け止めていた。

「あなたの口から鳥海を語ってほしくないもの。たとえ直接の妹じゃなくっても」

「死ニ損ナイメ……ダガ喜ブトイイ。今度ハ貴様モ妹トモドモ……水底ヘ送ッテヤル」

 白い肉塊のような主砲がまた高雄を指向するが、高雄もまた決して一箇所には留まっていなかった。

「私たちのことなんて何も知らないくせに!」

「不本意ダガ知ッテルトモ……タダ一人レイテヲ生キ延ビタ姉ハ、無様ニ終戦マデ生キ長ラエタモノノ……譲渡サレタ敵国ニヨッテ処分サレタ」

 重巡棲姫の顔に喜色が浮かび、さも愉快そうに言う。

「ミジメジャナイカ、艦娘! ダカラ沈ンデシマエエッ!」

「それは軍艦としての話じゃない! 知らないのよ、艦娘としての私たちを!」

 それに、と高雄が言い足すのを鳥海は聞く。

「無様ではあっても、みじめではなかったもの。戦うための誇りは失っていなかった!」

「誇り……」

 鳥海はつぶやき、もう一人の鳥海に思いを馳せた。
 あの子は仲間のために戦って、そうして沈んでいった。
 どう沈んだかなんて分からない。
 最期まで撃ち続けたかもしれないし、独りでいるのを悔やんで寂しがったかもしれない。
 沈んでいくのを嘆いて恐れたかもしれなければ、もっと生きたいと願ってもおかしくなかった。
 あるいは何もかもを受け入れて満足したか、自分の代わりに他の誰かが命を繋いだと信じて。

 全てが仮定で可能性だった。真実はあの子の内にしかない。
 そして……鳥海には確かに理由があった。彼女は使命を果たしたのだと思う。
 一つ。本当に一つだけ言えるのは。

「姉さんもあの子も……出来損ないと呼ぶのは許しません!」

 鳥海として、そこだけは譲れなかった。




602: ◆xedeaV4uNo 2017/02/05(日) 21:22:12.93 ID:2TZ4vk5Ao



◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆


 木曾と多摩の主砲がネ級を捉える。
 十字火線の交点となったネ級は複数の直撃弾を受けるが、構わずに木曾へと向かう。
 すぐに木曾も軸をずらすように移動しようとするが、そこに主砲が撃ち込まれていく。
 より正確になっていく砲撃により、至近弾を受けて艤装が悲鳴を上げる。
 木曾もまた撃ち返し続けるが、加速がつき始めたネ級は左腕を盾代わりに掲げて突進を続ける。

「カン……ムス!」

「島風並みに速いのに硬いときたか……!」

 木曾の放った主砲は左腕を抜けずに弾かれる。
 砲弾の破片と一緒にネ級の体液も落ちて、傷ついた白い肌が露出した。
 しかし、それもすぐに浸出したらしい体液が隠す。
 横から多摩の砲撃を受けながらも、強引に距離を埋めてきたネ級と木曾とが交錯する。
 接触したのは木曾が引き抜いたサーベルと、黒い体液にまみれたネ級の腕だった。

「っ……重たいっ!」

 木曾は刃先を通して伝わってきた痺れを伴った感触に顔をしかめる。
 生身の腕ではなく鋼鉄を切りつけてしまったような不快感だった。
 歯を食いしばったまま、木曾は距離を取りながらネ級の背へ向き直る。

 四つん這いの姿勢から、ネ級は振り上げた両腕を海面へ交互に突き立てながら右へ急旋回してくる。
 まるで硬い地面へ杭を打つかのような動きで、二基の主砲は慣性を打ち消すために左へと身をしならせていた。
 曲がりきったネ級は、そのまま這うように海面に爪を立ててから木曾へと向かっていく。

「海面を叩いて……沈みもしないで、どういう理屈だよ!」

 舌打ち一つ、木曾は砲撃で迎撃する。
 艦娘も艤装の効力で海に沈んでいかないが、それはあくまで沈まないだけだ。足場として使えるわけではない。
 こう接近されては不利だが、ネ級がそれを許さない。





603: ◆xedeaV4uNo 2017/02/05(日) 21:23:08.77 ID:2TZ4vk5Ao



「まったく獣みたいなやつにゃ!」

 それを多摩姉が言うのか、と出かかった言葉を口内に留めたまま木曾は撃ち続ける。
 ニ方面からの砲撃にネ級の主砲が多摩へと応射すると、悲鳴が飛び込んできた。

「にゃあ!」

「多摩姉!?」

 被弾したのか? それを確認する間もなくネ級が突っ込んできた。
 白刃と黒く染まった腕がぶつかりあって火花を散らす。
 斬れず、砕けず、押し合い、踏みとどまろうとする。

「こっちは光り物だぞ、ちったぁ怖がれ!」

 威嚇するよう木曾は叫ぶが効果はない。
 刃物を前にすれば砲撃のやり取りとは別の緊張が生じるもんなのに、こいつはお構いなしだ。
 見た目はサーベルでも、実際にはラフな扱いに耐えられるよう手を加えられている。
 そんな物に素手で挑むのは、どんな心境だ。
 よほど腕に自信があるか、単に見境がないのか。あるいは……恐れを知らない?

 数度の打ち合いを経て、ネ級の体液が堅牢さの理由だと木曾は見抜いた。
 粘性のせいなのか剛性も備えているのか、特殊な防護膜として機能しているらしい。
 さっきの急カーブもこれが機能しているのかと考え、しかし対処法までは思い浮ばなかった。

「――シイッ!」

 ネ級の主砲が木曾に向かって噛みついてくる。
 予想外ではなかったが警戒は薄れていた。
 左右同時の噛みつきを身を捻っていなすが、ネ級そのものが迫ってきた。

「ジャマ、スルナッ!」

 拳が振り上げられ、木曾は受けるしかないと直感した。
 右手でサーベルの刃先を下げた状態で握り、左腕を寝かせた刀身に添わせる。
 ネ級の拳が刃の上から衝突し、左腕が不気味な音を立てる。
 折られる――そう感じた時には体が後ろに弾き飛ばされていた。
 水面に二度三度と叩きつけられてから、木曾は姿勢を立て直しながら右へ転回する。追撃が来る。
 ……そう考えた木曾だが、追撃はこない。
 ネ級は木曾を忘れたように明後日の方向を見ていた。





604: ◆xedeaV4uNo 2017/02/05(日) 21:24:51.31 ID:2TZ4vk5Ao



「……ツキュウ」

 その声を残してネ級は木曾に背を向けて離れていく。
 合流する気だと悟り、阻止しようとした木曾が腕の痛みに苦悶の表情を浮かべた。

「バカ力しやがって……!」

 折れてはいないが、痛みと痺れで上手く力が入らなくなっていた。
 だが、それでも追撃の主砲を撃つ。
 必中の念を込めて撃ったそれはネ級に当たる軌道を描いている。
 しかし、思った形では命中しなかった。
 主砲の片割れが振り子のように揺れると、自ら砲弾へ当たりに行き本体への命中を防いでいた。
 装甲部分で受けたのか、主砲は何事もなかったかのように元の位置へと戻る。

「なろぉ……」

「すぐ追うにゃ!」

 飛んできた多摩の声に、木曾はそちらの様子も見る。
 多摩の艤装には大穴が開いていて、そこから白煙がくすぶっていた。

「大丈夫なのか、多摩姉?」

「見ての通りにゃ!」

「無傷ってわけでもないだろ」

「動くし撃てるにゃ。それより北上たちに連絡するから、すぐ行くにゃ」

 強がりかもしれない。だけど心強かった。
 ネ級を過小評価しているつもりはなかったが、見通しが甘かったのも否定できない。
 早く撃退するどころの話じゃなくなっていた。





605: ◆xedeaV4uNo 2017/02/05(日) 21:26:23.87 ID:2TZ4vk5Ao


─────────


───────

─────


 ネ級がツ級を視界に捉えた時、すでに彼女は苦境に立たされていた。
 北上と大井の連携はネ級から着実に戦闘能力を奪っている。
 左腕の砲塔群は沈黙し、主機にも損傷があるのか機動が鈍くキレがない。
 ネ級は残った右側の両用砲で応戦しているが、今や翻弄されている。
 振りきろうにも振りきれず、かろうじて雷撃だけはさせないようにするのが精一杯のようだった。
 そこまで見て取って、ネ級は主砲を撃つ。

 より近い大井が水柱に囲まれるが命中弾はない。
 ネ級の接近は知らされていても、北上たちは手負いのツ級への追撃の手を緩めなかった。
 すでに半壊していた左腕がさらに穿たれ、巨人じみた指が崩れて元のか細い指が露出するのを見ながら、ネ級は砲撃を続けながら横合いから割り込むように向かっていく。

「コノバハ……マカセロ……」

「ネ級……? ナゼ来タ……?」

 ツ級に指摘され、初めて自分が何をしているのかネ級は疑問に思った。
 しかし、その疑問もすぐにより大きな衝動の波に呑まれていく。
 狙うべき敵がいて倒すべき敵がいる。ツ級への意識が薄れ、目前の敵だけしか見えなくなる。

「サガレ……!」

 ネ級は誰に向けたかも定かでない言葉を吠えていた。
 主砲のみならず副砲も撃ちかけながら接近しても、まっすぐとした動きで北上たちはツ級への砲撃を続けていた。
 その時、二人の艤装から長い物がいくつも飛び出し海面へと落ちる。魚雷だ。
 誘われた。と頭の片隅が判断し、魚雷を探すが航跡は見えない。
 よくよく目を凝らすと、海とは違う黒色が高速で向かってくるのを見つける。
 酸素魚雷、片舷二十発の計四十発。
 それを知っているのを疑問に思うことなく、ネ級は網を張ったように疾駆する魚雷へ自分から向かう。





606: ◆xedeaV4uNo 2017/02/05(日) 21:27:51.52 ID:2TZ4vk5Ao



 焼きつく衝動が彼女に行動を促すと、体がその命令を実行するために体液が――血が甲冑のような装甲の隙間から漏れ出て足底へと流れていく。
 海面への反発を得たことで、踏み切りの要領でネ級は海面を蹴り上げ跳んだ。
 そうして魚雷を上から飛び越えたはずだったが、着水すると同時に脚に強い負荷がかかる。
 さらに後ろの海面で魚雷が爆裂し、海中からの衝撃波に押し出された。
 着水時に沈み込んだ足をより傷つけながらもネ級は止まらない。

「こいつ!?」

 大井が驚きの声をあげた。
 魚雷は喫水線下からの攻撃なのだから、要は直上近辺にさえいなければ無効化できる。
 想定外の手段で雷撃を凌がれた大井だが、切り替えは早かった。
 砲撃能力を損なったツ級からネ級へ砲撃を向け直す。

 着水時の負荷と足元からの衝撃で、ネ級は体を上下に揺らしたまま副砲を撃ちかける。
 しかし姿勢の不安定さは命中率の低下に繋がり、全弾が外れ副砲も動かなくなった。弾切れだ。
 大井の放った一弾が首元にある歯のような装甲を破壊する。
 それでも構わずネ級は大井へと低い姿勢で飛びかかった。

 ざわめきの収まらない海面に大井の体が腰から押し倒される。
 艤装の効力により彼女の体は沈まずに仰向けの体勢となり、かぶさるようにネ級がのしかかる。
 すでにネ級は右の拳を握り締めると腕を振り上げていた。

「あんたなんかに――っ!?」

 大井はとっさに手に持った主砲を向けるが、ネ級が素早く払い飛ばす。
 得物を失った大井はネ級と目を合わせ、思わず顔を引きつらせる。
 爛々と輝く目は血走っているようなのに、ネ級には表情がない。
 すぐに大井は腕を盾代わりにして頭を守り、無言のままネ級は拳を振り下ろす。
 そして――肉を殴りつける音が乱打され、暴力が繰り広げられた。





607: ◆xedeaV4uNo 2017/02/05(日) 21:34:48.48 ID:2TZ4vk5Ao



◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆


「離れて! 大井っちからどきなよ!」

 五秒か、十秒か。さして長い時間はかからず北上が助けに入ってくる。
 大井を巻き込まないようネ級の主砲を狙い撃つ。
 主砲に連続して被弾し、回避のできない体勢はまずいと見てかネ級はすかさず離れた。
 北上が砲撃を続けながら、打ちのめされた大井の安否を確認する。

「大井っち、返事できる? 動ける?」

 矢継ぎ早に聞きながら、北上は大井とネ級の間に入り砲撃を続け、残る魚雷も引き離すために発射する。
 大井の体は小刻みに震えていた。左手は顔を隠すように置かれたままだが、口からは一筋の血が流れているのを北上は見る。
 一方のネ級は雷撃から避けるためにも距離を取り直しながら、ツ級が後退を始めているのを視界の片隅に入れた。
 その頃には木曾も追いついてきて、後ろからも砲撃を加える。
 倒れたままの大井の姿を見てか、木曾は無線に怒鳴っていた。

「大井姉は!」

「生きてるよ! 生きてるけど、よく分かんなくて……」

 北上に動揺した声を返されて、木曾も焦った。
 こういう反応は今までに覚えがなかったからだ。
 だが北上はすぐに言う。動揺の影は引っ込んでいた。

「とにかく、今はこいつだよ。こいつをどうにかしないと、大井っちを連れて帰れないし」

「ああ、分かっ――」

 木曾が答え切る前にネ級は動いた。
 背部に隠れた魚雷発射管が筒先を横へとスライドさせて発射体勢に入る。
 間を置かず北上に向けて魚雷を撃つと、ネ級は木曾へと向き直り砲撃と共に突出する。
 木曾が距離を保ったまま砲戦を継続しようとする傍らで、北上は最初から雷撃を避けるコースに乗っていた。





608: ◆xedeaV4uNo 2017/02/05(日) 21:37:33.34 ID:2TZ4vk5Ao



「こんな軌道だったらさー……」

 最初から自分なら撃たない。
 そう考えてから、北上はその軌道が厳密には自分を狙っていないのに気づき、急旋回すると後方へと引き返し始めた。

「……さいてーじゃん、あいつ」

 ネ級の狙いは動けない大井の方だった。
 そう気づいてしまうと、扇状に広がる魚雷の射界は当てずっぽうではないと分かる。
 軌道と雷速から概算すると、大井への命中を防ぐには誰かが間に入って代わりに盾になるしかなさそうだった。
 そして誰かとは北上以外ありえなかった。
 魚雷の命中率自体はかなり低くとも、今の大井には危険すぎる。

「それは困るんだけどなー!」

 北上の艤装が焦りが乗り移ったように咳き込むと、可能な限りの速度を出して魚雷の進行方向上へと回り込もうとうする。
 大井が弱々しい声を振り絞ったのは、そんな時だった。

「来ないで……来ないで、北上さん……」

「よかったよー。無事だったんだ」

 できる限り大井からも離れたかった北上だが、そうするだけの余裕がなく回り込めたのは大井のすぐ近くになってしまう。

「ガラじゃないのは分かってるんだけどさー、大井っちが逆の立場だったら守ってくれるよね。だからあたしもね」

 緊迫感のない軽口を言いながら、北上は息をつく。
 大井を抱えて動いても間に合わない。ならば、少しだけでも前で当たったほうがいい。

「ああ、でもこれ……絶対に痛いよねー……」

 北上は目を閉じた。痛いのは分かりきっていたから。





609: ◆xedeaV4uNo 2017/02/05(日) 21:41:49.18 ID:2TZ4vk5Ao



 そうして耳が一瞬聞こえなくなるような轟音と、足元が崩れてしまったような衝撃。そして横から海面に倒れる体を自覚した。
 ……それは北上の想像とは違った。

「……あれ?」

 思ったほど痛くない。というのが北上の感想だった。
 そんなはずないと思い目を開けると、向かい合うように倒れる大井の顔が正面にあった。
 血の気が薄くなった大井の顔に、何がなんだか北上には分からない。

「……は?」

 体を起こして、大井も起こそうと触って気づいた。
 大井が背中にひどい傷を負っているのに。
 回した手が赤黒い血で濡れている。

「……何やってんのさ……大井っち」

「よかった……北上さんが無事で……」

 本当に安堵したように大井は笑う。
 かばうはずが、かばわれた。北上は愕然とした。

「こんなのあべこべじゃん! どうして……!」

「だって……北上さんですよ……当然じゃないですか」

「こんな、こんなの嬉しくないよぉ」

 大井は少しだけ困ったようにほほ笑む。
 しかし、すぐに痛みのせいか表情を歪める。






610: ◆xedeaV4uNo 2017/02/05(日) 21:42:59.15 ID:2TZ4vk5Ao



「一つ……お願いしていいですか?」

「いいよ、なんでも言って」

「木曾を……助けてあげてください」

「でも、でも大井っちが……!」

「大丈夫です……当たり所がよかったみたいで。こうして話せてるじゃないですか……」

 力なく笑う大いに北上は何も言えない。

「それに多摩姉さんが拾ってくれると思いますから……向かってるんですよね……」

「うん……通信じゃそう言ってたから……」

「だったら心配いらないじゃないですか……」

「大井っち……私ね……」

 北上はそれ以上言わなかった。
 何を言っても泣き言になってしまいそうで、それでは大井の頼みを果たせないと思って。

「また……またあとでねー」

「ええ……北上さん……好きですよ」

「……私もだよ」

 それで二人の話は終わった。
 北上は木曾を助けるためにも、未だに戦闘を続けている二人の元へと向かう。
 中破状態でも向かっているという多摩には、大井の保護を頼んだ。
 まだ戦いは終わっていない。


─────────

───────

─────


 北上が遠ざかっていき、残された大井は空を仰ぐ。
 あとは大丈夫だろうと思う。
 まぶたが重い。ちゃんと次に目を開けられるのかは不安だったけど、大丈夫だと思うことにした。

「北上さんの楽天が移ったのかな……」

 北上とお揃いと思えば満更でもなかった。
 楽しそうに笑うと、顔にその余韻を残して大井は眠るように目を閉じた。





611: ◆xedeaV4uNo 2017/02/05(日) 21:44:11.30 ID:2TZ4vk5Ao



◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆


 木曾は遠方で立ち上る水柱を見た。
 遅れてやってきた衝撃波が水面を伝い足下を揺らしたような気がした。
 そしてネ級は目もくれない。気にもかけない。結果を知ってた以上、顧みる必要はないと言わんばかりに。
 それが木曾の怒りをかき立てる。

「……見ろよ」

 返答は主砲による一斉射だった。

「自分が何をやったか見やがれ!」

 砲撃をかいくぐり木曾も撃ち返す。

「お前のやったことだろ! 知らん顔してさあ!」

 すれ違った砲撃が木曾とネ級のそれぞれに命中する。
 木曾は主砲に被弾し、発射できなくなったそれを投棄する。
 ネ級は腹部や腕部に複数の命中弾を出すが、動きが鈍った様子もなくまだまだ健在らしい。
 ただネ級も弾を切らしたのか、主砲は威嚇するように口を打ち合わせるばかりだった。
 木曾は今一度サーベルを抜き、ネ級もまた木曾に向かって猪突する。

「せあっ!」

 木曾はサーベルがネ級の腕を打ち払い、蛇のように体を伸ばして突っ込んでくるネ級の主砲を側面に回り込んで避ける。
 返す形で突き入れられたサーベルを、ネ級もまた逆の手で逸らす。
 互いに足を止めず、ごく近い距離で攻防の応酬を繰り広げる。
 両者はどちらも中心になれないまま円を描くような軌道で、相手の死角を求めて攻撃を続けていた。

 膠着した状況が動いたのは、ネ級の右主砲が攻撃を空振りしたことだ。
 噛みつきが外れ、元の位置に戻ろうとしたタイミングを木曾は逃さなかった。
 主砲が引くのに合わせて、装甲のない下側を斬りつけるように払う。

 斬りつけられた主砲が悲鳴を上げて、ネ級が戸惑う。
 即座に木曾はネ級の右側を狙って攻撃を始める。
 やや遅れながらネ級も防御に回るが、主砲の片割れが崩れたことで綻びが見えた。

 木曾は左手でマントを破るように外すと、風上に回るのに合わせて叩きつけるように投げつける。
 視界を突然塞がれたネ級は、体を引くが動きが大きく鈍った。
 事態を飲み込みきれないままの声が吠える。

「コドモダマシガァッ!」





612: ◆xedeaV4uNo 2017/02/05(日) 21:47:01.05 ID:2TZ4vk5Ao



 まったく、その通りだよ。
 マントを引きちぎろうとする、その瞬間をついて木曾のサーベルがネ級の胸部を貫く。
 素早く手首を返して、さらに捻りこむ。
 ネ級がそれまでとは違う、明確な痛みを訴える叫びを上げる。
 サーベルを引き抜こうとする木曾だったが、ネ級の体にがっちりと食い込んでしまったのと左の主砲が逆襲してきたので素早く手放し離れる。

 ネ級が痛みに悶えながらもマントを引き裂く。
 赤い目はまだ戦意に燃え、武器を失った木曾へと向かう。

「直線すぎるんだよ!」

 木曾は迅速に体の左側を向けると必殺の酸素魚雷を投射する。
 こう近くては自分も無傷でいられる保証はなかったが、木曾は相討ち覚悟で撃っていた。
 至近距離で水柱が弾ける。木曾は左側のスクリューがねじ切れるのを感じた。
 空高く昇った水柱の余韻が収まらない内に、ネ級が水しぶきを突き割って飛び込んでくる。

 木曾は右手でサーベルを収めるはずの鞘を掴む。
 ネ級はどこかの砲撃で装甲が破壊されたために、白い顎が露出している。

「おおおおっ!」

 気合いを込めて狙い澄ました鞘を右から左へと顎に叩きつけた。
 顎を打たれたネ級は弛緩したように片膝を崩しかける。衝撃で脳を揺さぶられたために。
 木曾は素早く腕を戻す形で、逆側の顎も打ち付けた。
 今度こそネ級の両膝が崩れる。だが左の主砲がネ級を守るように木曾に噛みついてくる。
 すぐに身を引いた木曾だったが、鞘に噛みつかれ奪われてしまう。
 鈍った右のスクリューだけで下がる木曾は雷管の調子を確認するが、さっきの衝撃で動作しない。
 もう手持ちの武器は残されていなかった。





613: ◆xedeaV4uNo 2017/02/05(日) 21:48:45.89 ID:2TZ4vk5Ao



 昏倒したようなネ級だったが、ゆっくりと体を起こす。
 まだ目や全身から揺らめく赤い光は消えていない。
 そのネ級は頭をふらつかせながらも、木曾を見ようとする。

 まだ来るのか。
 そう考えた途端にネ級の首が前に倒れる。
 ネ級が鼻を押さえるが、指の隙間から黒い体液が流れ出す。
 タールのような重みを持った体液は、脈打つかのように次々にあふれていく。
 それが鼻血だと理解すると、木曾は気づいた。
 今までネ級の体を守っていたのは、ネ級自身の血なのだと。

 こいつは血を垂れ流しながら戦い続けていたのか。
 その精神性がどこから来るのかは木曾にも分からない。
 獣ならば傷つけば身の安全を考える。理性があっても同様だ。
 だったら、こいつにあるのはなんだ?
 攻撃本能? 自壊をためらわずに攻撃するのを本能などと呼んでいいのかよ。

「……おかしいぜ、お前」

 木曾は自分の声に憐れみの色が混じっているのに気づいた。こいつからすれば余計なお世話だろうに。
 ネ級から赤い光が消えていく。と同時に木曾は胸の内に疼痛が甦ってくるのを自覚した。

「お前は……誰なんだ?」

 木曾はネ級を見つめる。
 ネ級もまた見つめ返していた。混乱したような顔のまま口を開く。

「……キ……キ……ソ?」

「なん、なんで俺の名前を!」

 いや、ちゃんと言ったわけじゃない。何かの偶然かもしれない。
 ネ級は木曾の疑問に答えることはなかった。





614: ◆xedeaV4uNo 2017/02/05(日) 21:51:00.92 ID:2TZ4vk5Ao



「木曾、離れて。そっちに砲撃行ったから」

 一瞬、誰の声だか分からなかった。
 北上の声だとすぐに分からなかったのは、無線の調子も悪いのかもしれない。
 だけど無事だったと思い、待ってほしいとも考え、しかし何も言えないまま木曾は条件反射でさらに距離を取ろうとした。
 そうして飛来した砲弾が――ネ級の頭部を吹き飛ばした。
 正確には完全は吹き飛ばしてはいない。右目を蒸発させ右脳を海面にぶちまけ、重油のような体液を辺りに撒き散らせはしたが。
 ネ級の主砲たちがすぐにネ級の頭の前で盾になるように丸まる。

「とどめは刺させてもら――砲撃っ!?」

 木曾は近づいてきた北上と、それを襲う砲撃を見た。
 一度は後退したはずのツ級が戻り、北上へ牽制の砲撃を続けながらネ級に高速で近づいてくる。
 ツ級は木曾にも視線を向けたようだが、武装がないと見て脅威ではないと判断したのか撃ってはこなかった。
 すぐに辿り着いたツ級は、ネ級の体を左側に担ぎ上げる。ネ級の主砲たちは傷ついた右側も含めて、威嚇するように口を打ち鳴らす。

「待て、お前たちは……!」

「撃タセナイデ……」

 仮面のような顔から漏れた声は、それだけ言うと北上へ牽制の射撃を続けながら今度こそ戦場から逃れるように東の方へと後退していく。
 木曾は何もできないまま遠ざかっていく深海棲艦たちを見ているしかできなかった。

「なんなんだよ、お前たちは……」

 ぶり返した胸の痛みはもう遠い。
 出会った。出会ってしまった。もしかしたら出会ってはいけないやつと。
 木曾は放心したように水平線を見続けることしかできなかった。





619: ◆xedeaV4uNo 2017/02/13(月) 10:34:05.63ID:AUGE67Ido



◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆


 奔流から生じた飛沫が頬を打ちつける。
 鳥海は自身を包囲するかのような水柱を突き破って主砲で反撃する。
 しかし主砲弾は重巡棲姫の体に届く前に弾かれた。
 姫から伸びる太い尾のような主砲の仕業だ。
 盾代わりになって姫への攻撃を防いだ主砲が、返礼とばかりに砲弾を次々と吐きかけてきた。

「ドウシタ、モウ終イカ?」

「あの主砲をどうにかしないことには……!」

 主砲も副砲もどちらも脅威だけど、より怖いのはやはり主砲だった。
 火力面は言うに及ばず、姫の周囲を自動で警戒し防衛してくるせいで死角というものを感じさせない。
 攻略のためには、あれを潰すしかない。というのは頭では分かってる。
 問題はそのための手立てが限られていること。

「悔しいけど、私たちの火力だけではじり貧ね……」

 合流を果たしていた高雄はやり切れない顔をしていて、鳥海は慰めにもならないことを返していた。

「意気込みだけで沈めようとは思いませんが……」

 二人とも明確な直撃弾はないが、至近弾だけでも艤装の損傷は積み重なっていた。
 どちらも最高速は三十ノット程度まで落ち込み、心許なかった弾薬はさらに減っている。
 一方の重巡棲姫は人の体も含めて何度も被弾しているが、堪えたようには見られない。

 鳥海たちは少しずつ後退を始めている。
 ヲキュー艦載機から中継されて全体の戦況がどう動いたかは伝えられていた。

 三人の戦艦を中心にして、体勢を整えつつあった敵艦隊へと再攻勢をかけたことで海戦の勝敗は決しつつある。
 さらなる被害を受けた深海棲艦は散り散りになって各個撃破されるか、戦域外へと逃亡を図ることとなった。
 一方で新種に当たっていた球磨たちの艦隊は半壊状態に陥り、三人の戦艦もそれぞれ小中破といった損傷を被っている。





620: ◆xedeaV4uNo 2017/02/13(月) 10:34:46.14ID:AUGE67Ido



 鳥海は重巡棲姫と砲火を交える一方で、新たにいくつかの指示を送っていた。
 夕雲と巻雲には、愛宕と摩耶の二人を護衛しながら輸送艦まで後退するよう伝え、球磨たちにはザラと早霜、清霜の三人に護衛に回るよう言っている。
 そして武蔵と第八艦隊には、針路上の残敵を掃討しながら重巡棲姫に向かうよう指示を出した。
 想定していた経緯からはだいぶ変わってしまったけど、本来なら姫には可能な限りの総力で当たるはずだったのだから。

 だから、今はこのまま増援が到着するまでの時間を稼げばいい。
 それが鳥海と高雄の共通認識だ。
 ただ、それがあくまで二人の現状が悪化しなければという前提による考え方だった。
 厄介なのは鳥海たちと重巡棲姫は南東に向かう形で交戦を行ってしまったのに対し、愛宕たちを守る形になった他の艦娘たちは西に向かう形での戦闘を行っていた。
 彼我の距離は鳥海が想定していたよりも広がってしまっている。

「フーン……ドウヤラ私カラ逃ゲタイヨウネェ……!」

 背を向けているこちらの動きですぐにでも気づいていただろうに、重巡棲姫は今更とぼけたことを言い出すと増速して距離を詰め始める。
 砲撃も執拗に迫ってきた。
 回避のためにはどうしても横にも大きく動く必要が出てきて、それが時間のロスになって姫との距離がより近づいてくる。

「沈メ! 沈メエエエ!」

「くっ……!」

 主砲の斉射と副砲の乱射に見舞われ、回避行動に揺さぶられるまま主砲を指向する。
 狙うは副砲……せめて、あれだけでも!
 一発目が正確に右副砲の天蓋部を叩くと、続く二射目が同じ箇所に削り取るように命中すると副砲が止まる。
 もう片方も――と狙いを変えようとした意識が、横から聞こえてきた破砕音によって削がれる。

「ああっ!?」

「マズハ一人!」

 直撃を受けた高雄が行き足を鈍らせて、撃ち返す砲撃も右側の四門だけに減っている。
 一拍置くような間を開けてから、追撃のための砲撃を重巡棲姫も放つ。
 それは狙い済ましたように高雄に直撃する、そう鳥海は感じていた。





621: ◆xedeaV4uNo 2017/02/13(月) 10:35:41.51ID:AUGE67Ido



「姉さん!」

「ダメよ、鳥海!」

 そう言われながらも、鳥海は高雄の前へすぐに回り込んでいた。
 鳥海は左側の艤装――艦橋や通信アンテナなどの艦上構造物を模した装備が載った側を、自身の前へと掲げる。
 姫の放った主砲弾が連続して、そこに命中していく。
 艦上構造物がひしゃげ、その下にある装甲も衝撃に耐えきれずに弾け飛ぶと、破片が二の腕を切って鮮血が流れ出る。
 鋭い痛みに思わず傷口の近くを押さえてしまう。

「釣レタ! コレデ二人トモドモ!」

「そうはさせないと!」

 高雄が先んじて残る四門の主砲を撃つ。
 それは徹甲弾ではなく対空用の三式弾だった。姫の前面で弾けた弾頭から焼夷弾子が花火のように咲いて体を押し包む。
 艤装の装甲を抜けるような貫通力はないが、姫の体や髪に火が燃え移ると、たまらずに耳障りな悲鳴を残して海中に飛び込んだ。

「今の内に引き離すわよ!」

 高雄に促されて、二人は一気に後退を図る。
 しかし高雄の速力はさらに二十ノットそこそこまで落ち込んでいた。鳥海は先行しすぎないように速力を調節する。
 二人はそれぞれ被害状況の確認を済ませていた。

「私の通信網は全滅ですね……姉さん、以降の指揮や連絡はお願いしてもいいですか?」

「こっちにも無理よ。私ではあの姫から逃げられないもの……」

「私だって同じです。もう三十ノットも出せないんですよ」

「それでも、あなたのほうが戦力として確実だわ」

 高雄は言いつつ後ろを振り返る。
 重巡棲姫はまだ海面に姿を現していない。
 前に向き直った高雄の顔から、鳥海は悲壮な決意を感じ取っていた。
 次に高雄の口から出た言葉は実際にそれを裏づけていた。

「鳥海、私を置いていきなさい。あなたが他のみんなを連れてくるまでは持たせてみせるから」

「無謀です、姉さん!」

 即答していた。姉さんは何も分かってない……分かってるのかもしれないけど分かってない。





622: ◆xedeaV4uNo 2017/02/13(月) 10:36:25.92ID:AUGE67Ido



「このままでは二人とも沈められるわ。でも、あなただけなら……」

「姉さんがどうしてもそうする気なら私もご一緒します」

「鳥海……」

「考え直さなくてもいいです。姉さんがそうするなら、私もそうするまでですから」

 頑なすぎるのかもしれない。だけど、これは正直な気持ちでもあった。
 少しの間、二人は無言で進む。次は鳥海から話し始める。

「戦闘が始まってすぐに流星が特攻するのを見ました。仕方ないと思って……だけど、すごく嫌な気分でもあったんです。そうやって消えないでほしいって」

 ふと扶桑さんと交わした言葉を思い出していた。
 誰かの幸せには別の誰かも必要というなら……私には姉さんが必要で、姉さんにも私が必要……なんだと思いたい。

「考え直さなくていいなんて言いましたけど嘘です……私は司令官さんがいなくなってから、自分なんか沈んでしまえばいいって思ってたんです」

「あなた……そこまで思い詰めていたの?」

 高雄が息を呑む。その頃の話は申し合わせずとも、お互いにしないようにしてきていた。
 克服はしているつもりでも、まだ持ち出すのはつらく思えると感じていたから。

「でも怒られました。今なら分かりますけど怒られて当然でした。そんなことになっても、今度は他の誰かを悲しませるだけだったんですから」

「……そうね」

「私は……私たちはもう、みんな艦娘として知ってるんです。残される苦しさを……やるせなさを。だから簡単に背負わせないでください……どうか、どうかお願いします」

 鳥海は目を伏せ頭を下げる。
 高雄はそんな鳥海を見て、ぽつりとつぶやく。

「……怖かったのよ」

「え……」





623: ◆xedeaV4uNo 2017/02/13(月) 10:37:58.72ID:AUGE67Ido



「愛宕、摩耶と被雷して思ってしまったの。ああ、次は鳥海の番だって――それで私はまたひとりぼっちになるんだって。そうなるぐらいならって……」

 高雄は深く息をつく。悔いを全て吐き出してしまおうとするかのように。

「でも、そうじゃなかったのよね。あの姫に言ったこと……艦娘としての私たちを知らないって。私たちはもう艦娘なのよね」

 高雄は笑う。少しの自負と、姉としての寛容さを持ち合わせた笑顔を。
 それは鳥海が好きな表情の一つだった。

「自分で縛っていたのよ。軍艦としての出来事をそのまま、私自身に」

「姉さん……」

 その時、まだ後方の海面に弾着の水柱が生じる。
 慌てて振り返ると重巡棲姫が猛追してきていた。

「ヤッテクレタジャナイ……デモネエ!」

 姫の皮膚はやけどのせいかところどころが赤くなり、髪の端にも焼けた痕跡が残っていた。
 しかし三式弾をもろに浴びたにしては、軽すぎる負傷としか言えない。
 不意を打たれた怒りからか、金色の瞳はより一層輝いているように見えた。

「コンナ小細工ヲスルノハ……追イツメラレテルカラヨネェ……高雄型ッ!」

 重巡棲姫は喜色を浮かべながら追撃を始めてきた。
 せっかく引き離した距離がじりじりと詰められていく。
 あの姫が言うことは正しい。確かに私たちは追い詰められている。
 けれど。

「……悲観するには早すぎたみたいですね」

「ええ……ええ!」

 西方への進路上から進入してくる深海棲艦の艦載機の編隊が見えた。
 ヲキューの艦載機群だ。数は二十機ほどになっているが、頼もしいのに変わりはない。
 高雄はすぐにヲキューに連絡を入れて状況を確認する。

「距離は二〇〇〇〇ぐらいだけど、私たちと向こうの間に深海棲艦の残存艦艇が防衛戦を敷いてるって」

「足止めか分断か……どっちにしても、いやらしいですね」





624: ◆xedeaV4uNo 2017/02/13(月) 10:38:30.42ID:AUGE67Ido



 ヲキュー艦載機を迎え撃ちながらも、なお近づいてくる重巡棲姫を見て、鳥海は作戦を考え直していた。
 今のままだと合流するだけの時間は残されていない。仮に彼我が妨害をまったく受けなくても合流まで十分以上はかかる。
 あるいは逆襲に出れば……。

「姉さん、向こうの残存戦力はどの程度の戦力なんです?」

「……重巡が三、軽巡が四、駆逐艦が二だそうよ」

「大型艦はなし……できるかしら……?」

 どちらにしても姫には早晩追いつかれてしまうのなら、ここで雌雄を決するしかない。
 かといって自分が犠牲になる気も、姉さんを犠牲にする気もなかった。
 危険を冒すなら勝算がある形で。
 気づけば鳥海は胸元のペンダントに触れていた。
 心なしか熱を持ったように感じて、鳥海は意を決した。

「姉さん、弾着観測をお願いします」

「観測って、あなたの?」

「いえ、私ではなくて武蔵さんたちのです。三人の中から二人でいいので」

「武蔵たちの? もしかして……この距離から姫に砲撃させるの?」

「護衛をしてる島風たちには苦労をかけますが」

 鳥海は微笑んだ。これだけのやり取りでも、何を考えているのか分かってもらえているのだから。
 長距離からの艦砲によって、姫を直接攻撃してもらう。高雄が観測を行い鳥海が足止めを行えば、命中も十分に期待できるはずだった。

「待ちなさい! 弾が届くのと当てられるのは違うのよ」

「ですが、あの三人ならここでも有効射程内のはずです。それに重巡棲姫の動きなら、私ができる限り抑えてみせますし、姉さんなら……」

「やりたいことは分かったけど、それなら私も……」

「ダメです、姉さんは観測手に専念してもらわないと。私からは通信できないですし」





625: ◆xedeaV4uNo 2017/02/13(月) 10:39:13.31ID:AUGE67Ido



 鳥海の指摘に高雄は渋面を作る。
 言い分が正しいと認めながらも、簡単には納得できていない。そんな顔だった。

「本当にいいのね? 味方の砲撃に巻き込まれる恐れもあるのよ?」

「私なら大丈夫です。姉さんこそ、しっかり指示してあげてください。これから目になるんですから」

 その間にも重巡棲姫は艦載機を突破して、再び鳥海たちに迫りつつあった。
 高雄も意を決して、離れた第八艦隊の艦娘たちに作戦の説明をし始める。
 姫の放った砲撃はまだ外れたままだが、一射ごとに正確になっていく。

「次の弾着が終わったら行きます!」

「了解! 頼むわよ、鳥海!」

「頼まれました!」

 鳥海は後方を確認すると、浅く息を漏らす。
 高雄の横顔を見て、最後になるかもしれない言葉を伝える。

「姉さん。月並みですけど……信じてくれてありがとうございます」

「そういうのは無事に帰ってきてから言いなさい……」

「はい。でも姉さんもみんなも信じてますよ。でないと、できませんので。こんな無茶は」

 水柱が鳥海の前後に合わせて四つ生まれる。挟叉弾だった。
 このまま行けば次は直撃弾かもしれないが、鳥海は弧を描くように右回りで後ろへ――重巡棲姫へと向き直る。
 損傷による重心のズレを意識し、出力が落ちた缶の調子を気にし、艤装を失って手持ち無沙汰気味の左手でペンダントを握り締めた。
 大丈夫。すぐ後ろには姉さんがいて、もっと後ろには他の仲間もいる。私は一人で戦うわけじゃない。
 だから進む。だから下がらない。難しいことは何もないんだから。

「第八艦隊旗艦、鳥海! 行きます!」

 現時点での最大速力は二十七ノット。損傷により本調子ではないが、それでも普段以上に艤装が力強いように鳥海は感じていた。
 一度は開いた距離を自ら近づきながら、彼女は再び姫へと戦いを挑んだ。





626: ◆xedeaV4uNo 2017/02/13(月) 10:39:51.78ID:AUGE67Ido



◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆


 高雄から作戦内容を説明する通信を受けて、ローマは隊列の組み直しを指示していた。
 島風を先頭に駆逐艦が縦陣による突撃隊形を作ると、最後尾には火力支援のためにリットリオが就く。
 防衛線を形作る残存艦隊を撃破し突破するのが、彼女たちの役目だった。

 指示を出したローマは速度を二十ノットに合わせて武蔵と並走する。
 ローマの艤装は中破判定されるだけの損傷を負って速力が落ちているのもあるが、それ以上に砲撃諸元のズレを少しでも小さくするという理由のほうが大きい。
 二人が重巡棲姫への長距離砲撃を担っていた。
 最後列には艦載機を全て放ったヲキューがいる。

「私が第一、第二主砲で十五秒間隔で砲撃。その諸元を修正してから武蔵が一斉射。あとは順次斉射でいいわね」

「ああ、それでいい」

 砲撃の段取りを打ち合わせれば、あとは高雄からの砲撃命令を待つばかりだった。

「それにしても目視できない相手への砲撃なんて……」

 残存艦隊に対応するために、二人の前方に位置するリットリオが言う。
 驚いてるとも呆れてるとも取れる口振りだったが、武蔵はなんでもなさそうに笑い返す。

「電探射撃の応用と考えればいいさ。固定目標でないのが難しいところだが」

 例外はあるものの、艦娘と深海棲艦の砲雷撃戦は五キロ圏内で行われるのが常だった。
 艦娘の身長では水平線までの距離、およそ五キロまでしか見通せないためだ。
 しかし本来の有効射程距離はもっと長い。

 それを有効に生かせたのが、と号作戦時のような対地攻撃だった。
 もちろん海上でも、相手の位置座標が分かっていれば狙うことはできる。
 ただ対地攻撃の目標というのは固定目標かつ大きい場合がほとんどで、多少狙いから逸れても有効だが、深海棲艦相手となればそうもいかない。
 目視外の距離から狙うには小さく速すぎる。
 それを補うために観測機と電探を併用しての射撃を行うのだが、深海側のジャミング能力が増強されたのもあり安定性には欠けていた。





627: ◆xedeaV4uNo 2017/02/13(月) 10:40:20.37ID:AUGE67Ido



「姫の動きなら鳥海が抑えてくれるでしょ。観測も高雄がしてくれるから、その点は心配しなくていいはずよ。要は当てられるかは私たち次第よ」

 当然のように言ってのけるローマに、リットリオは感激したように言う。

「ローマがそんなに素直に人を評価するなんて……ザラにも聞かせてあげたい!」

 リットリオに言われてローマは頬を赤くする。

「っ……そんなことより姉さんはそっちをお願いね。私も武蔵も砲撃されようが雷撃されようが、こっちに集中したいから」

「うん、露払いも護衛もお姉ちゃんに任せて!」

「はぁ……姉さんってば調子いいんだから」

 そんな二人のやり取りを見聞きしていた武蔵はしみじみと言う。

「姉か……うん、姉妹とはいいものだな」

「他人事みたいに言って。あんたも姉さんと妹がいるんでしょ。有名な大和が」

 口を尖らせるようなローマに、武蔵は苦笑いで答える。

「艦娘になって、まだ一度も会ったことないんだ。だから、どんなやつかも分からん」

「……いつかは会えるわよ」

「そうだな。気が合うといいんだが」

 その話はここで終わった。今為すべきは別のことだ。
 ローマは改めて指示を出す。

「駆逐艦たち。あんたたちは残存艦隊を突破したら、鳥海と高雄の救援に向かいなさい。どうせ無茶しすぎて、護衛無しじゃ帰ってこられない状態になってるだろうから」





628: ◆xedeaV4uNo 2017/02/13(月) 10:40:57.75ID:AUGE67Ido



 程なくして、高雄からの砲撃命令が伝えられる。
 ローマは返答として、稼動する第一主砲を仰角を高めにして発射していた。
 それを合図にして島風たちも突撃を始める。
 最後尾にいたヲキューがローマたちの前に進み出ると、そのまま島風たちに追いすがろうとする。
 駆逐艦の縦列の中で最後尾にいた長波が近づいてきたヲキューに気づく。

「何やってんだい、ヲキュー? 後ろにいないと危ないぞ」

「私モ行ク……空母ガ飛ビ出シテキタラ……ドウ思ウ?」

「そりゃあ、いい的だとしか……囮でもやろうっての?」

「大丈夫……私ハ巡洋艦ヨリシブトイ」

「そういう問題かぁ? どうする、島風?」

 話を振られた島風は後ろを振り返るが、すぐに正面に視線を戻す。

「ついてくるのはいいけど、先行するのはなし。それならいいよ」

「アリガトウ……」

「それでいいですよね、ローマさん」

「……その子の好きにさせてあげなさい。面倒は嫌よ」

 無愛想に答えるローマだが、ヲ級の安全をまったく気にしてないわけでもない。
 ただ高雄からの砲撃命令が届いた以上、そちらに意識は切り替わっている。
 だからヲキューのことはひとまず他に任せてしまおうと考えた。





629: ◆xedeaV4uNo 2017/02/13(月) 10:42:11.20ID:AUGE67Ido



◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆


 鳥海は砲撃を交えながら、重巡棲姫へとより接近していく。
 砲火の応酬の中、重巡棲姫は愉快そうに笑う。

「ヤケニナッタカ!」

「あいにく水雷戦の本領は接近戦なので……!」

 迫る砲撃をかいくぐりながら、鳥海は砲撃を連続して重巡棲姫へと当てていく。
 肩や腹に当たった砲弾が姫の体を削り、金色の輝きを撒き散らす。
 すぐに二本の主砲が撃ち放しながら、姫を守るように前面に並ぶ。

 砲撃を避けつつ側面を取ろうとする鳥海だが、避けきれずに一撃を受ける。
 体ごと後ろに押し返されるような衝撃と、艤装が潰れそうになるのを骨に感じた。
 着弾の轟音が耳を襲い、肌にかかる水が熱い。明らかに不正な振動が体を揺さぶる。
 しかし鳥海は衝撃を振り切る。
 帽子や探照灯、衣服の端が衝撃で吹き飛んでいたが、大きな損傷もなく砲撃を凌いでいた。

「フン……艦娘ノ考エルコトハ同ジダナ……助カラナイト悟レバ……スグ突撃シテクル!」

「勝ちを捨ててるつもりはありません!」

「ナラバ、モウ一度沈メエ!」

 さらに互いに撃ち合う。鳥海の砲撃が姫の艤装の一角を削り飛ばすと、逆に姫からの砲撃を紙一重で避ける。
 すでに夜戦距離に入っているので、この先の被弾は一発でも命取りになりかねなかった。
 鳥海は深く息を吐く。緊張はしてるけど、体を強張らせる類じゃない。

 耳が自分とも姫とも違う砲弾の飛翔音を聞きつけた。
 それは空気を裂きながら、姫の後方の海面に落ちると三つの盛大な水柱を生じさせた。
 ローマさんかリットリオさんのどちらか……。
 水柱の大きさと太さからイタリア艦だと鳥海は当たりをつける。
 いつもより水柱が高く思えるのは、俯角がついてる影響かもしれない。





630: ◆xedeaV4uNo 2017/02/13(月) 10:43:30.45ID:AUGE67Ido



「戦艦砲ダト……狙イ撃ツトイウノカ、私ヲ……!」

 驚きと怒りなのか、重巡棲姫の声が震えている。
 鳥海は頭の中でカウントを始めた。この場で撃ち合う以上、弾着までの秒数を計算しておく必要があった。
 さらに数度の撃ち合いをしていると、次の砲撃が降り注ぐ。
 今度もイタリア艦からの艦砲射撃で、最初よりは姫に近い位置に着弾していた。
 そうしてやってきた三射目は前二つよりも激しかった。
 武蔵が放った四十六センチ砲は重巡棲姫の間近、そして鳥海の付近にも落ちた。
 九つの砲弾によって地震が起きたかのような揺れに見舞われるが、鳥海は引き倒されないようにこらえる。

「オノレ……同士討チガ怖クナイノカ!」

「怖くないわけないでしょう!」

 言い返しながら砲撃する。狙い澄まそうとしていた主砲の頭部に当たると、体勢を崩させる。
 もしも一発でも戦艦たちの主砲が誤って鳥海に命中しようものなら、鳥海も終わりだった。
 それでも鳥海は退こうとしない。怖いという気持ちより、ここで姫の足を止めるという意思のほうが強かった。

 互いに命中弾を出せないまま、さらに数度の砲撃が降り注ぐが水柱を立てるだけに終わっていた。
 こっちももっと攻めて足を止めさせないと。
 チャンスはやがて訪れた。
 徐々に正確になっていく砲撃から逃れようと、弾着のタイミングに合わせて姫は右に舵を切る――その時には鳥海も予想針路に向けて魚雷を投射していた。

 扇状に放たれた魚雷が姫の体の下に潜り込んで消える。
 一拍置いても何も起きない。外れてしまった……と鳥海の胸中に過ぎった瞬間、重巡棲姫の足元が爆発した。
 その衝撃にほんの短い間だが、姫の体が空中に投げ出される。
 鳥海は投げ出された足先が砕けたようになっているのをはっきりと見た。





631: ◆xedeaV4uNo 2017/02/13(月) 10:45:19.52ID:AUGE67Ido



 魚雷の爆発に翻弄された重巡棲姫が、鳥海に憎悪のこもった視線を向け、怒りに燃えた咆哮をあげる。

「キサマアアアアア!」

 大気を鳴動させるような大声に、鳥海は思わず両耳を押さえてしまう。
 初戦時からの対策として、耳のインカムから姫の声を打ち消す周波数が出るようになっていたが、実際は焼け石に水にすぎなかった。
 より大きな波である姫の声が他の音を呑み込んで、耳をつんざき苛む。
 その最中、重巡棲姫の主砲が鳥海へと狙いを定めるように動く。
 三半規管が揺さぶられたことによる酔いに似た不快感を我慢しながら、鳥海はなんとか舵を切りつつ主砲で反撃を試みようとする。

 だが、どちらも主砲は撃てなかった。
 両者の間にいくつもの水柱が生じたからだ。外れた主砲弾によるものだが、姫よりも鳥海の近くに着弾していた。
 弾着によって生じた荒波に鳥海は落ち葉のようにあおられる。だが、それによって姫の砲撃が外れていった。
 命拾いしたという思いを抱え、ふらつきをごまかすように頭を一振りすると鳥海は重巡棲姫に追いすがる。
 外しようのない距離からの砲撃が姫の体に少しばかりの傷を負わせ、姫の砲撃が右の艤装の側部についた主砲を基部から根こそぎ抉り取っていく。

「撃てるのはこれで四門……」

 魚雷も使い切って、主砲も連装砲塔を三基失っているから火力は半分未満。艤装もひどい有様になってる。
 それでも重巡棲姫もまた消耗し、鳥海よりも速度が鈍っていた。
 鳥海は側面に回り込みながら、小さくカウントを刻む。そろそろ次の艦砲が来るはずだった。

「五、四、さ――」

 鳥海の計算より二秒ほど早く武蔵の放った主砲弾が到達する。
 今度の砲撃は極めて正確だった。
 姫を包み込むように水柱が生じ、恨みがましい姫の声が砲撃音にも負けずに聞こえてくる。
 やがて水柱が収まった時、重巡棲姫は額の二本角の長い方が半ばで折れ、腕や体、そして白い主砲たちの至る所にもひび割れが生じていた。
 傷口から金色の光を流す姫は、なおも敵愾心を向けていた。

「ヨクモ……ヨクモ……ヤッテクレタナ! オ前ハココデ……!」





632: ◆xedeaV4uNo 2017/02/13(月) 10:47:21.95ID:AUGE67Ido



 重巡棲姫が鳥海に接近し、鳥海もまた下がるどころか前に出ていた。
 少しずつ速度を上げると、右手側から回り込みながら懐に飛び込もうと近づいていく。
 それを迎撃せんと重巡棲姫の主砲たちも動く。
 より近い左の主砲が鳥海へと急速に迫る。
 長砲身を角のようにして突っ込んできた頭を、鳥海は減速しながら左手と体を横から押し当てるようにしながら外へと受け流す。
 擦れた勢いで手袋が破れ、肌からは血が流れるのを痛みとして感じる。鮫肌のような感触だとぼんやり思う。
 それでも鳥海は右手で艤装を操作すると、残る四門を主砲の横に押し当てて――撃った。
 至近距離からの砲撃と爆炎を受け、主砲が海面に打ち据えられると痙攣して起き上がらなくなる。

「ヤッタナ、艦娘ゥ!」

 後退しようとする鳥海に向かって、残った右の主砲が砲撃しようと前へと動いてくる。
 ……そう。離脱するように見せれば、頭に血が上っている姫は必ず追撃に移ろうとする。
 足のスクリューを後進から前進へと切り替えると、鳥海は艤装を握った右腕を引き絞ると殴りつけるように前へと突き出す。
 その先には白い頭の口があり、連装砲の一基が口内へと押し込まれる。
 砲身をくわえ込んでしまった主砲が身じろぎし、姫が明らかにうろたえて目を見開く。

「これなら狙いは必要ないですね……!」

「ナッ……ヨセ、ヤメ――」

「主砲、てー!」

 重巡棲姫の主砲が後ろに引き伸ばされるように膨らむと、泡が内側から生じたように表面がぼこぼこと細かく浮き上がる。
 そうして膨張した肉塊が姫の腹付近の結合部付近から破裂すると、炎と金色の液体をまき散らす。
 連鎖的に起きた小爆発がそれもすぐに呑み込み、溶岩が出現したような大爆発が起きる。
 その爆発に鳥海もまた吹き飛ばされ、海面へと叩きつけられた。

 前後不覚に陥ったまま、鳥海はぼんやりと空を見上げる。
 しかし爆発の衝撃で、一時的に視力と聴力に支障をきたしたために、そうしていることさえ認識できないままでいた。
 至近距離での爆発は鳥海と艤装も摩耗させている。
 口内に突っ込んだ二門の砲身は溶断され、残る二門も爆発の衝撃で歪んでいた。
 艤装の損傷もいよいよ壊滅的で、かろうじて浮かんでいるだけだった。





633: ◆xedeaV4uNo 2017/02/13(月) 10:50:00.96ID:AUGE67Ido



 少しずつ意識を取り戻し始めた鳥海は、上空を砲弾が放物線を描くのを見た。
 それが砲撃だと漫然と思い、時間の存在を意識した。
 そんな鳥海の首に腕が伸びる。重巡棲姫の左腕だった。

「帰レナイ……帰レルカ分カラナイジャナイ……ドウシテクレルノ? ドウシテクレルノ! ドコニ帰レバイイノオオッ!」

 半ば錯乱した重巡棲姫が鳥海の首を締めると、その膂力で持ち上げた。
 かなり消耗している姫だが、それでも鳥海一人ではとても引きはがせないだけの力を残していた。
 混沌に揺れる目をしていた鳥海だが、急速に瞳が色を取り戻す。
 状況を飲み込みきれていない頭でつぶやく。

「重巡……」

「黙レエ! シャベルナア!」

 首が締め上げられ、鳥海は苦悶の声を漏らす。
 重巡棲姫の右腕や腹部は黒炭のようになっていて、そうでない部分も深いひび割れが生じていた。
 金色の輝きも薄れつつあり、腹部から繋がっていた二つの主砲は当然ない。

「マダ戦艦ガ狙ッテルノヨネエ……イイワ、沈ンデアゲルワァ……艦娘ガ艦娘モ沈メルノヨ」

 引きつったような笑い声を出すが、すぐに姫はむせてそれをやめる。

「弾着マデ何秒カ、計算シテミナサイ。ソレガオ前ニ残サレタ時間ヨ!」

「――あと二十秒」

 声を振り絞って鳥海は重巡棲姫の目を見返す。
 重巡棲姫は呆然としたような顔をしていた。予想外の反応といった風に。

「たぶん……こうしてる間にも十五秒を切ったわよ、重巡棲姫――あなたが終わるまで」

 宣告のような声を受けて、目覚めたように重巡棲姫は一転して怒りに任せた声を浴びせる。

「殺シテヤル! 今スグクビリ殺シテヤル!」

 喉が締めつけられて、体の内から鋼がきしんで瓦解してしまいそうな音が響いてくる。
 苦しそうに顔を歪める鳥海を前に、姫はけたたましい哄笑をあげはじめる。
 それでも鳥海は気丈に見返す。
 気づいたんだ。ここで終わるとしても、私はお前が望むような反応なんかしてやらない。





634: ◆xedeaV4uNo 2017/02/13(月) 10:51:55.11ID:AUGE67Ido



「沈メ! モロトモ沈メエエッ!」

 指に込められた力が強くなる。最期だとばかりに。
 その瞬間、爆ぜる音と風が生まれて姫の笑い声をかき消した。
 鳥海は首への圧力が緩むのを感じたが、同時に耳鳴りにも見舞われる。
 瞬間的に平衡感覚を失った体だけど、抱きかかえられたらしいのがなんとなく分かった。

「姉、さん」

 呂律が回ってるのか疑わしい声が出てくる。
 見上げた先の高雄の顔は凛々しかった。

「レイテの焼き直し? そんなことが本当に起きると? 起こさせると? バカめと言って差し上げますわ!」

「揃イモ……揃ッテエッ!」

「この私がいる限り、あんなことは絶対に繰り返させません!」

 今にも吠え出しそうな重巡棲姫に、高雄の主砲がダメ押しのように放たれ動きを封じる。
 怯みながらも重巡棲姫は吠える。怨嗟の声こそが己の証明だとでも示すかのように。
 重巡棲姫はもう一人の鳥海の仇で。姉さんたちや私を、他の誰かを沈めようとしている敵。
 だとしても……彼女を哀れに思った。思ってしまう気持ちを止められない。
 そう受け止めてしまう私の感情こそ、重巡棲姫は許せないのだとしても。

 ついに弾着の時間になった。
 大気を切り裂く飛翔音ごと、巨人の拳のような砲弾が降り注いでいく。
 そして私は確かに見た。重巡棲姫が砕かれて壊れていくのを。





635: ◆xedeaV4uNo 2017/02/13(月) 10:52:53.02ID:AUGE67Ido



─────────

───────

─────


「……こんな無茶をするのなら、一人で行かせるべきじゃなかったわ」

 高雄は鳥海を抱きしめるようにして言う。
 鳥海は言葉もなかった。代わりにできるだけの力を込めると姉を抱き返した。

「……提督がいたら、絶対に今のあなたを叱りつけるわよ。だから、あんな真似はもうしないで……」

 小さく頷く。約束はできない。でも姉さんの言ってることは正しい。
 やっぱり私は何も言えなかった。
 申し訳なくて視線を下げると、司令官さんの指輪が胸元で光っているのが見えた。
 あれだけの戦闘後でも無事なのには、加工してくれた夕張さんにひたすら感謝するしかない。
 ただ、太陽を照り返しているのか、いつになく光って見えるのが気になった。
 何かを訴えかけてくれてるかのようで。

 鳥海は気づいた。
 高雄の背後に金と白のまだらな姿が現れたのを。重巡棲姫の主砲だった。
 傷だらけの主砲は鎌首をもたげ大口を開く。
 高雄も危険に気づくが、鳥海はぽっかりと開いた口の中も金色に輝いているのを見る。

 ――だけど主砲は私にも姉さんにも届かなかった。
 錫杖を右手に握り締めたヲキューが主砲の頭を横殴りに弾き飛ばしていたから。
 最後の力だったのか、主砲は続いて何度かの振り下ろしを受けると、動かなくなって海中に没していった。

「ヲ……無事デ何ヨリ……」

「あなたこそ……」

 高雄が息を弾ませながら応じる。
 ヲキューは左腕を肩から流れる黒ずんだ血と一緒に垂らしていた。

「先に行くなって言ったじゃない! 被弾までしてるのに!」

 島風の声が聞こえる。無線ではなく、大きな声での呼びかけが。
 本当に戦闘が終わったんだと、私はやっと安心した。

「島風を……怒らせたらダメですよ……」

「ヲ……」

 困ったような顔のヲキューを見ると、なんだかおかしかった。
 ……結果で語るなら、この戦闘で私たちは初めて姫級の撃沈を果たした。
 だけど達成感はない……少なくとも私には。
 私にあったのは、ただただ疲労感とやり場のない倦怠感ばかりだった。





636: ◆xedeaV4uNo 2017/02/13(月) 10:53:34.19ID:AUGE67Ido



◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆


 ネ級はツ級に担がれたまま意識を取り戻した。
 ただし頭の右側を失っているために、半ば夢の中にいるようでもあった。

「私ハ……」

「ヨカッタ……起キテクレタ……」

「ツ級……オ前タチモ無事ダッタノカ」

 主砲たちが普段よりは控えめにネ級に頭をすり寄せてくる。
 ネ級は主砲たちを労うために手を伸ばそうとして、自分の体に剣が刺さったままなのに気づいた。胸から柄が生えている。
 断片的だがネ級は覚えている。自分が衝動に取り憑かれたまま、艦娘たちと交戦したのを。
 ネ級が動こうとしているのを察したのか、ツ級が言う。

「ココデ無理ニ抜イタラ……出血ガ止マラナクナル……カモ」

 ネ級はその言葉に従った。痛みを感じていないというのもある。
 目を閉じたネ級は代わりに強烈な眠気に襲われる。
 夢うつつのまま、意識できないままに言う。

「俺ハ……愚カナノカモシレナイ。大切ニシテイタモノヲ……自分カラ……私ハ……」

 傷つけてはならないものを傷つけてしまったのではないだろうか。
 まどろみの中にネ級の感情は溶け始めている。元より、ネ級はまだ後悔も悔恨も明確な形では知らない。
 ツ級はネ級の不安定さには気づいていたが、それを当人にも含めて口外する気はなかった。
 代わりに彼女は本心を覗かせた。

「ソレハ私モ同ジ……私ハキット元ハ艦娘ダッタ……アナタモソウダッタノ? ネ級……」

 ネ級は答えなかったが、ツ級の言葉はしっかり聞いていた。
 まどろみの中、艦娘という単語に刺激されてネ級はささやくように誰かの名を呼んだ。
 ツ級は確かに聞こえた、その名を呼び返してみる。

「チョウ……カイ?」

 ツ級は何故だか胸が痛かった。理由は分からない。もう一度声に出してみると、やはり痛いと思えた。
 一つ思ったのは、その名がネ級に根ざす何かと結びついてるということ。
 あの時――最後にネ級と戦っていた艦娘だろうかとツ級は考えたが、それは正しくないような気がした。
 名前が意味するところは分からないままだが、きっとネ級には重要な意味を持つのだろうとツ級は漫然と考える。
 その意味が分かった時、ネ級はもう手の届かない場所に行ってしまうのかもしれない。
 ネ級の主砲たちが小さく鳴く。不安げな声は潮風の中に消えていった。



 六章に続く。





【艦これ】鳥海は空と海の狭間に【その3】
元スレ
【艦これ】鳥海は空と海の狭間に
http://ex14.vip2ch.com/test/read.cgi/news4ssnip/1466093402/
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