渋谷凛「夏がはじまる」

1: ◆TOYOUsnVr. 2018/07/01(日) 03:29:49.71 ID:kdkVKxIA0


太陽が完全に姿を隠して、真っ暗になった浜辺を人工の光が照らす。

その光を頼りに、スタッフの人たちはてきぱきと機材を運んだり、ステージを解体したりしている。

ほんの一時間前に私が歌って踊っていた場所は、鉄の骨組みがあるのみで、もう跡形もなかった。

「終わっちゃった……なぁ」

呟いて、ストローに口を付け、スポーツドリンクを飲む。

この気温では熱くなっちゃったかな、と思ったけれど、ステージ前に飲んだ時と変わらずしっかりと常温で管理されていた。

プロデューサーが日の当たらないところに置いておいてくれたのだろう。

こういうとこ、ほんとにマメだなぁ、などと考えながら、ふたくち目を飲みこんだ。

汗を流して、疲れた体に塩分と糖分が染み渡る。

自然と、ふー、と息が漏れてしまった。

「お疲れさん。風邪ひくぞ」

そんなところに、声と共にばさぁっと雑に頭から大きなタオルケットをかけられた。

こんなことをするのは一人しかいない。

私がタオルケットから顔を出すより先に「ちょっと」と抗議した。



2: ◆TOYOUsnVr. 2018/07/01(日) 03:31:33.29 ID:kdkVKxIA0




やはり、というか何というか、私にタオルケットをかぶせてきたのはプロデューサーだった。

「ほら、くるまって。日も沈んで気温も落ちてきたんだから」

間髪入れずに、私を簀巻きにしようとしてくる。

流石にやられっぱなしでいるわけにもいかず、椅子から立ち上がる。

その拍子に膝の上に置いていたスポーツドリンクの入ったボトルが砂浜へと落ちてしまった。

「あ」

気付いたときには既に遅く、中身のほとんどは砂に吸い込まれていた。

「あーあ。せっかく俺が用意したのに」

「そもそも私が落とす原因を作ったのはプロデューサーでしょ」

「?」

「そんな顔してもダメだから。っていうか、スタッフの人たちに挨拶は終わったの?」

「ああ、うん。ごめんな、そんな格好で待たせて」

プロデューサーはどこかバツが悪そうに、私から目を逸らして、言う。

自身の今の格好を思い出して、そういうことか、と得心した。

ビキニ風の衣装にミニ丈のパレオを纏っただけの姿だから、目のやり場に困るのだろう。

「午前中に普通の水着も見たのに、なんで今更恥ずかしがるわけ?」

ちょっとからかってやるか、と悪戯心がふつふつと沸いてくる。

「別に恥ずかしがってるわけじゃない。それに、風邪ひかれちゃ困るのも事実だろ」

「ほんとに?」

「ほんとほんと。それと、向こうに履くもんと羽織るもん、それから靴用意してあるからな」

「ん。ありがと、上から服着ちゃったらいよいよ見納めだけど、もういいの?」

目の前に躍り出て、くるりと回って見せる。

回転に伴って、パレオもひらひらと舞った。

「いいから早く着てくる!」

またしてもプロデューサーは私にタオルケットをかぶせ、その上で追いたててきた。



3: ◆TOYOUsnVr. 2018/07/01(日) 03:32:05.94 ID:kdkVKxIA0




用意してもらった上着を羽織り、パレオを外してズボンを履く。

着替えと言っても、全て上から着るだけなのですぐに終わってしまう。

手早く荷物をまとめて、プロデューサーのもとへと戻った。

「よし、じゃあ行くか」

「うん」

ざくざくと砂浜を踏みしめ、今日の宿泊先であるホテルへと向かった。



4: ◆TOYOUsnVr. 2018/07/01(日) 03:33:23.52 ID:kdkVKxIA0




「そういえば、さっき見てなかった?」

「何を」

「脚。私の」

「見てない」

「嘘ばっかり」

「朝に海で遊んでた時も見てたでしょ」

「見てない」

「正直に言えばいいのに」

「あんまりからかうと夜ご飯なしだからな」

「そんなことしたらちひろさんに言いつけるからね」

「勘弁してください」

「それはそうとさ。ご飯、どんなの?」

「んー。フレンチじゃないかなぁ。小部屋みたいなの用意してくれる、って」

「あれ、ビュッフェじゃないんだ。看板出てたやつ」

「ビュッフェだと今日のライブに来てた人もいるだろうから。すぐ隣のホテルだし」

「あー……」

「つーわけで、我慢してもらえると助かる」

「ううん。っていうか、わざわざ特別待遇までしてもらっちゃって申し訳ないな」

「そんだけ有名になったってことだよ」

「そうかな」

「そうそう。それと、夜ご飯なんだけど」

「うん」

「予定ではあと十五分後」

「そういうことはもっと早く言って」



5: ◆TOYOUsnVr. 2018/07/01(日) 03:34:27.43 ID:kdkVKxIA0




息を切らしながらチェックインを済ませ、鍵を受け取る。

「プロデューサーと部屋、別なんだね」

「当たり前だろ。一緒だったら色々問題あるし」

「まぁ、そっか。それじゃあ、さっき言われたところに再集合でいいんだよね」

「うん。ドレスコードとかないから、普通の格好しておいで」

「そもそもドレスなんて持ってきてないよ」

「それもそうか」

そうしてプロデューサーとはフロントで別れ、鍵に記されている自分の部屋へと向かう。

エレベーターに乗り込んで、部屋番号と同じ階のボタンを探すと最上階らしいことがわかった。

目的の階に到着して、廊下をずんずん進んでいく。

どうやら私の部屋は一番奥のようだった。

最上階、最奥。

今日泊まる部屋は、とんでもなく豪華だった。



6: ◆TOYOUsnVr. 2018/07/01(日) 03:35:19.54 ID:kdkVKxIA0




煌びやかな装飾に溢れた部屋の中に、ぽつんと私のキャリーバッグが置いてある。

その中から着替えと化粧ポーチを取り出した。

まずは手早く着替えを済ませて、それから今日使った衣装はできるだけ皺にならないように畳む。

次に化粧ポーチを手に洗面所へ行って、軽くメイクを直す。

さぁ、準備は完了だ。

私が何人横になれるのだろうか、というサイズのベッドに化粧ポーチを置いて、部屋を出た。



7: ◆TOYOUsnVr. 2018/07/01(日) 03:36:48.97 ID:kdkVKxIA0




指定されていた部屋の前に着くと、既にプロデューサーは待っていた。

「スーツのままなんだ」

「ああ、着替えるの面倒で。凛は朝の服じゃないんだな」

「うん。汗かいちゃったし変えたんだ。……どう?」

「何を着ても似合う」

「てきとー過ぎないかな」

「嘘は言ってない」

「はいはい」

軽口を叩き合いながら、ホテルの人の案内に従って部屋へと入った。



8: ◆TOYOUsnVr. 2018/07/01(日) 03:38:44.16 ID:kdkVKxIA0




ホテルの人が引いてくれた椅子に腰を下ろし、薔薇の形に折られたナフキンを広げ膝の上に置く。

芸能人として活動する中で、こういう場での食事の経験がないわけではないけれど、やはり恐縮してしまう。

正面の席にいるプロデューサーはというと、ワインのメニューを見せられていた。

そして、何やら話したあとでホテルの人は下がっていった。

「飲むの?」

「飲まないよ。断った。付き人も兼ねてる以上、まだ仕事中ですから、って。」

「大人の事情、ってやつ?」

「そうそう。体裁上ね。ノンアルコールのスパークリングワイン出してもらうことにしたから、それで乾杯しようか」

「ライブの大成功を祝して、って?」

「君の瞳に、でもいいけど」

「恥ずかしいから絶対やめて」



9: ◆TOYOUsnVr. 2018/07/01(日) 03:39:11.56 ID:kdkVKxIA0




やがてホテルの人が戻ってきて、ボトルの底面を持ち器用にワインを注いでくれた。

ぺこりと一礼して、下がって行ったのを見計らって二人してグラスを手に持つ。

「じゃあ」

「うん」

「君の瞳に」

「ライブの成功を祝して、でしょ」

訳の分からない問答をしながら、かちんとグラスを合わせた。

風情も何もあったものではないな、と思った。



10: ◆TOYOUsnVr. 2018/07/01(日) 03:40:07.47 ID:kdkVKxIA0




それから間もなくして料理が運ばれてきた。

オードブルに始まって、デザートに終わるまで。

一セットずつ減っていく銀器と、いつまでも減らない軽口の応酬。

ごちそうさまでした、と手を合わせるまでずっとそんな調子だった。



11: ◆TOYOUsnVr. 2018/07/01(日) 03:40:35.19 ID:kdkVKxIA0




食事を終え、プロデューサーと別れて、部屋へと戻ると、一気に疲れがどっと押し寄せた。

そういえば、今日は朝は遊んで、夜はライブして、と盛りだくさんだった。

瞼はどんどん重くなっていく。

自分の力で瞼を持ち上げられる内に、メイク落としてお風呂入ろう。

そう思って、化粧落としを手に、部屋のお風呂へ向かった。

バスルームに入ると、またしても面喰った。

まさかのジャグジーで、すごく広い。

さっきまでの眠気が吹き飛んでしまった。

これは入らなくてはもったいない、と給湯ボタンを押した。



12: ◆TOYOUsnVr. 2018/07/01(日) 03:41:43.96 ID:kdkVKxIA0




お風呂が沸くまで、探検のつもりで部屋をうろちょろと見て回る。

カーテンを開けて外を眺めると、そこには夕方にライブをした砂浜と海があった。

オーシャンビューだ。

すごい。

出てきた感想はあまりにも幼稚なものだった。

そこへ、間もなく給湯が完了する、という意味の電子音がバスルームから響く。

待ってました、と向かおうとしたその時、ノックの音が飛び込んできた。



13: ◆TOYOUsnVr. 2018/07/01(日) 03:42:36.45 ID:kdkVKxIA0




時計を見やる。

二十一時過ぎ。

こんな時間に誰だろう。

不審に思って、チェーンロックをかける。

そこに再度ノックの音が飛び込んできた。

「凛ー、まだ起きてる?」



14: ◆TOYOUsnVr. 2018/07/01(日) 03:43:23.96 ID:kdkVKxIA0




プロデューサーは先ほどのスーツ姿とは打って変わって、Tシャツに短パンとラフな姿だった。

「どうしたの? わざわざ部屋まで来て」

私が尋ねると、プロデューサーはにっこりと笑う。

そして、後ろ手に隠していたらしいものを、掲げてみせた。

「じゃん。これなんだ」

「……花火?」

「そう、花火。やっぱ夏だし」

「今から?」

「だって明日には帰るし」

「お風呂、沸かしちゃったんだけど」

「でも花火、やるでしょ?」

返答はわかってる、と言わんばかりのどや顔だ。

でも、やらないという選択肢はもう私の頭にはないのもまた事実で。

「まぁ、うん。やるけど」

こう返事する他なかった。

「ほらー」



15: ◆TOYOUsnVr. 2018/07/01(日) 03:43:53.33 ID:kdkVKxIA0




メイク、落とさなくて良かった。

ちょっとだけそう思った。



16: ◆TOYOUsnVr. 2018/07/01(日) 03:44:30.52 ID:kdkVKxIA0




今日何度目かの砂浜へと降りる。

花火を両手に持ってぐるぐる回しているプロデューサーを見ていると、どちらが大人なのかわからなくなった。

しかし、見ているとやりたくなるというものだ。

私も両手に花火を構えて、火をつけた。

しゅー、と音を立てて吹き出す花火を振り回す。

私がはしゃいでいるのを見て、プロデューサーは何かがツボに入ったのかお腹を抱えて笑っていた。



17: ◆TOYOUsnVr. 2018/07/01(日) 03:47:10.67 ID:kdkVKxIA0




そうして、大量にあった花火は線香花火を残して、二人で全て使い切ったのだった。

名残を惜しみながら、お互い最後の線香花火に火をつける。

控えめなぼんやりとした光は、ゆっくりとゆっくりと勢いを増す。

ぱちぱちと火花を散らし、最も勢い付いたところで、ぼとりと落ちた。

「あ、終わっちゃった」

「終わったなぁ」

「あのさ」

「また花火やりたい、って話?」

「なんでわかったの?」

「なんとなく」

「そっか」

「またやろう。あと十回くらい」

「それは多くないかな」

「いけるいける。まだ夏は始まったばかりだし」

「……だといいね。ふふ」



18: ◆TOYOUsnVr. 2018/07/01(日) 03:47:38.48 ID:kdkVKxIA0




まだまだ夏は始まったばかり。

今年の夏もきっと、話題に事欠かないくらい盛りだくさんなものになるだろう。

そう確信している私がいた。



おわり



元スレ
渋谷凛「夏がはじまる」
http://ex14.vip2ch.com/test/read.cgi/news4ssnip/1530383389/
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         コメント一覧 (17)

          • 1. 以下、VIPにかわりましてELEPHANTがお送りします
          • 2018年07月01日 07:06
          • 今年の夏は頑張るわ
          • 2. 以下、VIPにかわりましてELEPHANTがお送りします
          • 2018年07月01日 07:06
          • ちょっと遅れたけど、皆あけましておめでとう!!
          • 3. 以下、VIPにかわりまして蒼い正妻がお送りします
          • 2018年07月01日 07:06
          • いい加減わかったんじゃない?
            ヤンデレや反抗期なキャラを作らなきゃ正妻を名乗る力のないような仮初めな存在よりもこんな自然な会話だけで正妻の風格を出せるわた渋谷凛ちゃんこそが公式にも認められた絶対的なメインヒロイン&正妻だということが!彼女以外のアイドルはせいぜいサブヒロイン程度の負けヒロインなんだよ!
          • 4. 以下、VIPにかわりましてELEPHANTがお送りします
          • 2018年07月01日 07:17
          • ※3
            本田みたいなゴリ推しは見苦しゅうてかなわんわー
            公式の後押しなくアンタを差し置いてシンデレラガール上り詰めた京都娘の方がよっぽどヒロインやと思うわ
          • 5. 以下、VIPにかわりましてELEPHANTがお送りします
          • 2018年07月01日 07:48
          • まぶしさキラリ☆夏色サンディービーチガチャのしぶりんとユッキで滅茶苦茶シコシコしまくったわ
            まだまだ抜けるけどな
          • 6. 以下、VIPにかわりましてELEPHANTがお送りします
          • 2018年07月01日 09:05
          • この人のすきだわ
          • 7. 以下、VIPにかわりましてELEPHANTがお送りします
          • 2018年07月01日 09:28
          • ※4
            ガチャブーストかけてもらって4代目になった娘が何か?
          • 8. 以下、VIPにかわりましてELEPHANTがお送りします
          • 2018年07月01日 09:48
          • 友紀・忍(あの、私たちもいるんだけど……ナチュラルにいちゃいちゃするのやめて?)
          • 9. 以下、VIPにかわりましてELEPHANTがお送りします
          • 2018年07月01日 11:48
          • ※3
            ハァ、ハァ…。。メインヒロイン?
          • 10. 以下、VIPにかわりましてELEPHANTがお送りします
          • 2018年07月01日 12:34
          • ※2
            181日と7時間6分遅えぞバカ野郎

          • 11. 以下、VIPにかわりましてELEPHANTがお送りします
          • 2018年07月01日 13:52
          • ※10
            1万3千297時間と49分遅刻したムサシよりは全然早いからヘーキヘーキ
          • 12. 以下、VIPにかわりましてELEPHANTがお送りします
          • 2018年07月01日 16:34
          • このSSのしぶりんは確かに蒼の正妻ヒロインだわな。

            ※欄に足跡残す必要のないほどに。
          • 13. 以下、VIPにかわりましてELEPHANTがお送りします
          • 2018年07月01日 20:01
          • 花火が終わった後の帰り道でプロデューサーとはぐれて、一人で夜の町を探し回る展開になるといいな。
          • 14. 以下、VIPにかわりましてELEPHANTがお送りします
          • 2018年07月01日 22:34
          • ※13
            しかし町は深い霧に包まれ、紅いリボンのクリーチャーが徘徊するゴーストタウンと化していた。
            虚ろな雰囲気の女性美優、不審な言動を見せるJK菜々、Pの親友と名乗る少女輝子との出会いを経て、かつて宿泊したホテルへと辿り着いたしぶりんは、そこで自らが記憶の底の封じ込めていた「真実」に辿り着く。

            サイレントヒル アイオライトブルー
          • 15. 以下、VIPにかわりましてELEPHANTがお送りします
          • 2018年07月01日 23:24
          • まゆすき(戦争の火蓋
          • 16. 以下、VIPにかわりましてELEPHANTがお送りします
          • 2018年07月02日 09:52
          • これはメインヒロイン渋谷凛
          • 17. 以下、VIPにかわりましてELEPHANTがお送りします
          • 2018年07月02日 12:29
          • 青い、蒼じゃなくて青い

        はじめに

        コメント、はてブなどなど
        ありがとうございます(`・ω・´)

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