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【モバマス】アナスタシア「Сириус」【後半】

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【モバマス】アナスタシア「Сириус」【後半】






150: ◆Tw7kfjMAJk 2017/04/19(水) 21:02:28.31 ID:nhXCd10e0



 ――【薄荷】




151: ◆Tw7kfjMAJk 2017/04/19(水) 21:02:58.24 ID:nhXCd10e0


 優しい旋律。
 どこか儚げで、温かい。
 そんなイントロからこの曲は始まる。

 ステージライトが加蓮を包むように照らして、その表情がわかる。
 儚げで、今にも消えてしまいそうで――そんな印象とともに、強く、深い想いを感じる。
 そしてそのまま、歌い始める。

 薄荷。

 昔の自分。弱虫だった自分。そんな自分を助けてくれた人。そんな大切な人と、いつまでも一緒にいたい。
 この会場にいる者で加蓮の過去を知る者は少ない。凛と奈緒、それからPくらいのものだろう。
 加蓮の過去、加蓮の想い……それを知っている者は少ない。

 だが、その歌は――願うように、祈るようにして歌われるその歌は、見る者の、聞く者の胸を打つ。

 ――Pさん、Pさん、Pさん。

 加蓮は思う。今までのこと。Pとのこと。好きな人のこと。大切な人のことを。

 あなたと会えたから、今の私がある。
 あなたがいたから、今の私がいる。
 あなたと一緒にいたい。
 あなたと、一緒に……。

 会場にいるただ一人に向けての歌。

 あなたと一緒にいたい。

 その願いの歌。その祈りの歌。

「……本当、自分勝手だね」

 観客席、凛がつぶやく。

「こんな大きなライブバトルを開催しておいて……一人のためだけに、歌うなんて」

 言って、微笑む。

「でも、だからこそ――」

 聞いているだけでわかる。痛いほどに伝わってくる。
 その願いが、その想いが、強く強く胸を打つ。
 自分勝手な歌だ。これだけの人に見られていながら、一人だけのために歌っている。
 たった一人のためだけに……その一人にさえ届けばいい。その一人にだけは、届いてほしい。
 感情が溢れている。会場いっぱいに、その想いが溢れだす。

 自分に向けられた歌ではない。

 だが、それがどうしたと言うのだろう。

 自分に向けられていなかったとしても、これだけの想いが込められた歌を胸に響かせられて……それで心が動かされないわけがない。
 この想いに。この願いに。儚く、切なく、しかしそれでも決して消えることない、深い想い。

 観客席から、誰かの泣いている声が聞こえる。
 油断すると、自分も泣いてしまいそうになってしまう。
 感情が、溢れてしまいそうになってしまう。

 たった一人の少女の歌。たった一人に向けられた歌。

 一途な歌。一途な想い。

 会場がその想いに満たされていく。

 加蓮の想いに、満たされていく。



152: ◆Tw7kfjMAJk 2017/04/19(水) 21:03:27.40 ID:nhXCd10e0


 届け。
 届け。
 届け。

 届け、この想い。
 伝われ、この想い。

 あなたがいたから、今の私がいる。
 あなたがいたから、今の私がある。

 あなたと会えたから、あなたのおかげで……。

 他の誰にどう思われてもいい。

 あなただけでいい。
 あなただけがいい。
 あなたの瞳に、映っていたい。
 あなただけの、ヒロインでいたい。
 そう思いたい。そう思わせてほしい。
 らしくなくても、私は、あなたの……。

 煌めきのひとときをあなたと一緒に過ごしたい。
 かけがえのない時間。短いかもしれない。どれだけ残されているのかはわからない。
 あなたと一緒にいたい。
 ずっと、ずっと。
 あなたのそばに。

 あなたと一緒に過ごしたい。
 あなたと一緒に歩いていきたい。

 わがままかもしれない。

 でも。

 でも。

 それでも――

「ずっと、そばに、いたいよ……」




153: ◆Tw7kfjMAJk 2017/04/19(水) 21:03:55.01 ID:nhXCd10e0


 ――そして。
 曲が終わる。
 一人の少女の、願いの歌。
 それが終わる。
 だが、拍手は響かない。
 呼吸すらできずに、ただただ世界に飲まれていく。

 加蓮の世界に、飲まれている。

 そんな会場を見て、加蓮は。

 加蓮だけが、息をして。
 ステージライトに照らされて。
 汗でしっとりと濡れる髪が煌めいて。
 会場を見て、観客席を見て、そして。

 ふっ、と微笑んだ。

 安心したように、優しく、儚く、柔らかく。

 北条加蓮は、微笑んだ。

 瞬間、観客席から爆発するような拍手と歓声が上がる。

 ファンのためではなく、たった一人のために歌う。
 それは、アイドル失格だろうか?

 確かにそう思う者もいるだろう。
 昔の加蓮なら、そう思ったことだろう。

 だが、今の加蓮はそう思わない。
 渋谷凛――彼女のステージを見て、加蓮は憧れた。
 こうなりたい、こうありたい――そう思わされた。

 それは加蓮がそれまで考えていた『アイドル』とは違っていた。
 だが、それでも、彼女は間違いなく『アイドル』だった。
 ファンに向けて歌わなくとも、その想いはファンに届く。
 加蓮はそれを知っていた。

 まだPが加蓮の担当プロデューサーだった頃、加蓮はPのためだけに歌ったことがあった。
 Pが持ってきてくれた、初めてのライブ。
 まだまだアイドルの仕事にはやる気が起きなくて……緊張して。
 でも、Pのためなら歌える気がして。
 Pのためだけに歌った、あのライブ。
 そのステージを見て、Pは加蓮を『最高のアイドル』だと言ってくれた。

 そして、今回――

 会場の誰もが、加蓮に心を動かされていた。
 拍手が鳴り響き、歓声が上がる。
 涙を流しながらもそれを拭ってもいない者、泣いて顔を伏せている者、それを慰めながらも目には涙を浮かべている者。

 北条加蓮。

 彼女は間違いなくアイドルだった。

 子どもの頃から、ずっと憧れていた姿とは違っても。
 でも、それでも。

 間違いなく、『アイドル』だった。




154: ◆Tw7kfjMAJk 2017/04/19(水) 21:04:22.16 ID:nhXCd10e0


      *

 加蓮のステージが終われば、次はアナスタシアのステージである。
 しかし、会場の誰もが加蓮のステージの余韻に浸っていた。
 今回のライブバトルの進行を務める者ですら、しばしの間、これがライブバトルだということを忘れていたほどである。

 だが、ライブバトルということを思い出しても、すぐに再開することはできなかった。

 北条加蓮。今回の彼女のステージを一言で表すならば、凄絶。

 今もまだ、会場はステージの余韻から抜け切れておらず、恐ろしいまでの沈黙に包まれている。
 いくら話題とは言っても、新人アイドルがこんな状況でまともに歌えるわけがない。

 いや、まともに歌えたとして――それで、どうなると言うのだろうか。

 新人アイドルが北条加蓮とライブバトルをする――その話題性は確かに大きく、もし負けたとしても『ライブバトルをした』という事実だけで知名度は上がるだろうし、新たな人気を獲得することもできるだろう。そしておそらく、それを期待して今回のライブバトルを行ったのだと思われる。

 だが、今回に限ってはその狙いが達成されるとは思えない。
 並大抵のステージでは、今回のステージと比較することすらできないだろう。
 それほどまでに、今回の北条加蓮のステージは凄まじいものだった。

 せめて、余韻が冷めるまでは……。

 そう思ったが、時間はそれを許さない。
 北条加蓮の余韻が残ったまま、次のステージを始めなければならない。

 ――可哀想だが、これも仕事だ。

 そう思って、進行役の男性は声を上げる。
 不幸なだけの少女を、死刑台に送るように。

 ゆっくりと、アナスタシアの名前を呼んだ。



155: ◆Tw7kfjMAJk 2017/04/19(水) 21:04:48.71 ID:nhXCd10e0


      *
 
 アナスタシアがステージに上がった。

 歓声は上がる。しかし、それは加蓮の時――いつもと比べると、非常に小さなものだった。
 アナスタシアのファン以外は、加蓮のステージの余韻に飲まれ、歓声を上げることすらできなかった。

 いや、もしかすると、アナスタシアのファンの中にも歓声を上げられなかった者がいるかもしれない。それほどまでに、先程のステージは凄まじかった。

 歓声を上げたファンですら、先程のステージの衝撃から完全に戻ることができたわけではなかった。未だ加蓮のステージが目と耳に焼き付いて離れない。思い出すと、涙が出そうになってしまう。
 こんな状況で歌うのか。歌えるのか。アナスタシアのファンは胸が締め付けられる気持ちだった。
 自分の応援するアイドルなのだから――そんなことも思えない。
 アナスタシアのことは信じている。でも、それでも、今日だけは……。
 期待よりも不安の方がずっと大きかった。
 こんな空気で、どうやって歌うんだ。

 アナスタシアの持ち曲、『You're stars shine on me』は先程のステージで歌われた曲、『薄荷』と同じバラード調の曲である。
 あんなステージの後に、同じバラード調の曲。

 アナスタシアのことは好きだし、応援している。でも、それでも、今だけは逃げてほしかった。今だけは、歌わないでほしかった。
 今のアナスタシアの実力ではどう見積もっても――いや、アナスタシアだけではない。どんなアイドルだとしても、先程の加蓮のステージには敵わない。そんな確信があった。
 もうライブバトルなんてどうでもいい。だから、だから、だから――

 だが、そんな思いが届くことなく、アナスタシアはステージに立っている。
 輝く銀髪に、白い肌。黒いドレス風の衣装でその白さが強調されている。
 美しく、凛々しく、雪原に咲く花のように立つその姿は、普段なら見るだけで声を失うようなものだ。

 しかし今は、どうしても弱々しく見えてしまう。
 北条加蓮。その余韻が残ったステージの上では、どうしても……。

 アナスタシアのファンは、いつの間にか手をぎゅっと握りしめていた。
 早くこの時間が過ぎるように、早くこの時間が終わるように、そのことを、祈るように。

 ファンですらそうだったのだ。それ以外の者は、誰もアナスタシアに期待していなかった。
 可哀想に。もう終わりでいい。さっきのステージの余韻に浸りたい。こんな空気で歌えるわけがない。ああ、なんて残酷な……。
 アナスタシアを見てすらいない者もいた。もう席から立ち始めている者までいた。

 加蓮のステージ。
 それが残した影響は、あまりにも大きく――

 そして。



156: ◆Tw7kfjMAJk 2017/04/19(水) 21:05:16.30 ID:nhXCd10e0


「いいなぁ、アーニャ」

 観客席。未央が言った。

「こんな雰囲気、ぶち壊すには最高じゃん」



157: ◆Tw7kfjMAJk 2017/04/19(水) 21:05:44.03 ID:nhXCd10e0


 瞬間。

 輝きが満ちていくようなイントロ。それに合わせて蒼のステージライトが明滅する。

 会場にいる誰もが目を見張り、ステージに注目する。

「この曲は――」

 観客席、奈緒が凛を見る。
 凛はステージを見て薄く笑い。

 ステージの上。

 アナスタシアは、その目を開く。



158: ◆Tw7kfjMAJk 2017/04/19(水) 21:06:12.28 ID:nhXCd10e0



 ――【Never say never】




159: ◆Tw7kfjMAJk 2017/04/19(水) 21:06:45.30 ID:nhXCd10e0


「これは、凛の――」

 舞台袖。加蓮はハッとしてPを見る。Pはステージを見て、うまくいったとばかりに笑みを浮かべている。

 やられた――加蓮の脳裏にまず浮かんだのはそんな言葉だった。

 加蓮はPのことを自分がいちばんわかっているつもりだった。だが、それは逆もそうなのだ。Pもまた、加蓮のことをいちばんわかっている。そんなPが本気で加蓮に勝とうとすれば、どうするのか。それを考えていなかった。

 今のアナスタシアの実力では加蓮に勝つことはまず不可能と言っていい。それは確実だ。同じバラード調の曲を持ち曲とする二人がライブバトルでぶつかれば、確実に加蓮が勝利する。

 なら、どうすればいいのか。その答えが、これだ。

 凛の言葉を思い出す。『アーニャは強いよ』。そういう意味か。そして同時に、その言葉のもう一つの意味を察する。

 Pならば――そう、加蓮だからわかる。こういう時、Pはどうするのか。ただ渋谷凛の曲を使うだけ? それだけで満足する? 

 否――Pならば、凛にアナスタシアのレッスンを手伝うことを頼むだろう。凛は加蓮の味方だ。だが、渋谷凛というアイドルは絶対にそれを断らない。

 つまり、凛はアナスタシアのレッスンを手伝った上で、『アーニャは強いよ』と言ったのだ。

 それが、どういうことなのか。

 それは、今、ステージの上で起こっていることを見ればわかる。

『Never say never』。

 この曲を知らない者はこの会場にはいないだろう。
 今やトップアイドルの一人である渋谷凛の代表曲であるこの曲は、しかし、他のアイドルによって歌われることはほとんどなかった。

 それは、もしこの曲を歌ったなら、必ず渋谷凛と比較されるからだ。
 トップアイドルと比較される。そんなことを進んでするアイドルがどれだけいるだろうか。

 同じトップアイドル級のアイドルである本田未央などがほとんど無理やり持ち曲を交換しようと持ちかけ歌ったことはあった。その時は逆に渋谷凛が『ミツボシ☆☆★』を歌っていた。また、事務所のコラボということで765プロの最上静香が渋谷凛と一緒に歌ったこともある。

 だが、それくらいだ。それ以外でこの曲が渋谷凛以外のアイドルによって歌われたことは、ほとんどない。
 渋谷凛と、比較される――そんなリスクは、普通のアイドルなら冒せない。

 しかし、今――アナスタシアはこの曲を歌っている。
 渋谷凛と比較される曲を歌っている。

 そして、その結果――



160: ◆Tw7kfjMAJk 2017/04/19(水) 21:07:17.07 ID:nhXCd10e0


「アーニャー!」

 凛が歌えば『しぶりーん』とコールが入るところに、そんなコールが入った。

『Never say never』。アレンジもされていない渋谷凛が歌うのと同じ原曲。

 その歌を、アナスタシアは完全に歌いこなしていた。

 渋谷凛に『アーニャは強いよ』とまで言わせたのだ。いったい、どれだけのレッスンを積んだのか。まさか、凛のレッスンについていくことができたのか。
 凛のレッスンを知る加蓮は驚嘆する。自分もたいがいレッスン魔と呼ばれてもいい側のアイドルだとは思うが、凛に比べればまだまだだ。異常なまでにストイックであり、トップアイドルと言ってもいいほどの実力を持っている今ですら、レッスンを怠ることはない。前だけを見て走り続けている。

 そうだとすれば、アナスタシアのステージにも納得がいく。凛に比べればまだまだだ。だが、アナスタシアは渋谷凛ではない。そう、『渋谷凛ではない』のだ。
 凛が歌う『Never say never』とはまた別の良さがある――加蓮ですら、そう思った。そう思ってしまった。

 渋谷凛の力強い歌声とはまた異なる、綺麗な歌声。どこまでもどこまでも伸びやかに、澄み渡った星空のような――

 声が広がる。透き通って、きらめいて。全身を通り抜ける風のように、どこまでも広がっていく。

 会場中が、アナスタシアに注目していた。

 先程までと、完全に空気が変わっていた。
 席から立とうとしていた者も、早く終われと願っていた者も。
 みんな、アナスタシアのステージを見ていた。
 アナスタシアのステージに、惹きつけられていた。

 ――ああ。

 加蓮は思った。

 これは、アイドルだ。
 私が、昔、憧れた――
 そんな、アイドル。

 そして、曲が終わり。
 観客席から、拍手と歓声が響いた。

「……すごかったよ、アーニャちゃん」

 舞台袖、加蓮は拍手して言った。

「でも――」

 それでも、結果は変わらない。



161: ◆Tw7kfjMAJk 2017/04/19(水) 21:07:45.21 ID:nhXCd10e0


      *

 ライブバトルの結果が発表された。

 勝者は北条加蓮。
 当然の結果だった。『Never say never』を歌ったことで勝率がゼロではなかったが、ゼロではなかった、というだけだ。実力の差と今回の加蓮のステージを考えればそうならない方がおかしいほどだった。

 勝者ということで、加蓮はステージ上でコメントをする。

「今日は自分でも最高のステージができたと思います。みんなー、今日はありがとー!」

 そんな当たり障りのないコメント。本心ではあった。だが、今の加蓮はそれよりも優先することがあった。

 Pさん、Pさん、Pさん。

 早く会いたい。早く感想を聞きたい。早く、早く、早く――

 今回のステージは間違いなく最高のステージだった。相手が凛だったとしても勝てると確信できるくらいのステージだった。

 Pさんは、どう思っているだろう。
 私の気持ちは届いたかな。
 私の想いは伝わったかな。
 振り向かせることは、できたかな。
 Pさんを振り向かせることは、できたかな。

 Pさん、Pさん、Pさん。
 私はあなたと一緒にいたい。あなたのそばにいたい。
 そう歌ったのは本心だよ。ずっとずっと、あなたのそばにいたいよ。
 私、すごいアイドルになったよ。今なら、トップアイドルになれるよ。

 だから、だから、だから――
 もう一度、私を……。

 加蓮は舞台袖に戻るや否や、早足でPを探した。

 どこ? どこにいるの? Pさん、早く、あなたと……。

 そして。

「――Pさんっ!」

 加蓮はPを見つけた。

 声が弾む。心が弾む。

 やっと、やっとだ。
 やっと、Pさんと一緒にいられる。
 これからは、ずっと、Pさんと――



162: ◆Tw7kfjMAJk 2017/04/19(水) 21:08:13.47 ID:nhXCd10e0


「……すまない、アナスタシア」

「ニェット。……勝てなかったのは、私ですね? プロデューサーは、謝ら、ないで……」




163: ◆Tw7kfjMAJk 2017/04/19(水) 21:08:47.21 ID:nhXCd10e0


 加蓮は脚を止めた。脚が止まった。

 アナスタシアに謝る、Pの顔を見て。
 謝らないでと言う、アナスタシアを見て。

 ――ああ、そっか。

 加蓮は止まった脚を、そのまま反対に向けた。

 ――そっか。そういう、ことなんだ。

 加蓮はPのことを自分がいちばんわかっていると思っていた。
 今でもきっと、アナスタシアよりは知っている。

 そして、だからこそ。
 その表情を見ただけで、すべてを理解することができた。
 すべてを理解、してしまった。

 ふらふらとした足取りで、加蓮は控室にたどり着く。

「――加蓮、おめでとう!」

 扉を開くと、凛と奈緒がいた。

「おめでとう、加蓮。すごいステージだったよ」

「ほんとほんと! 最高のステージだった!」

 凛と奈緒は微笑み、加蓮の勝利を祝う。

「このステージなら、きっと――」

 そう、奈緒が言おうとした瞬間、

 ぎゅっ、と加蓮が凛と奈緒に抱きついた。

「……加蓮?」

 凛と奈緒の間に顔を埋めて、その表情は見えない。
 だが、二人は加蓮の顔が当たっているところに、確かな熱を感じていた。
 じんわりと広がり、滲むような熱を。

「……負けちゃった」

 ぽつり、と加蓮はつぶやいた。

「私、負けちゃったよぉ……」

 加蓮の腕から力が抜けて、加蓮はその場に崩れ落ちた。
 加蓮はそれ以上何も言わず、顔を伏せて泣いていた。
 そんな加蓮を見て、凛と奈緒は一度だけ互いの顔を見合わせる。

 そして、何も言わずに加蓮のことを抱きしめた。
 優しく、しかし、しっかりと。

 愛するように、抱きしめた。




164: ◆Tw7kfjMAJk 2017/04/19(水) 21:11:04.78 ID:nhXCd10e0



第九話「ともだち」




165: ◆Tw7kfjMAJk 2017/04/19(水) 21:11:33.48 ID:nhXCd10e0


 アナスタシアは加蓮とのライブバトルに敗北した。
 しかし――皮肉なことではあるが――僕が最初考えていたようにアナスタシアの知名度はさらに上がる結果となった。

 ただ、もし最初考えていたように『負けてもいい』といった姿勢で挑んだならばこうはならなかっただろう。
 今回の加蓮のステージは僕が想定していたものを遥かに超えたステージだった。まさに凄絶。歴史に残るステージだったと言っても過言ではないだろう。
 あのライブバトルの翌日から、世間は加蓮の話題で持ち切りだった。どこへ行ってもあのステージの話を聞いた。日本中が加蓮に心を動かされていた。
 話題のほとんどが加蓮のステージに関するものではあったが、アナスタシアのステージが取り上げられることもあった。
 ある人曰く、

『今回の北条さんはたとえ相手が渋谷さんであったとしても勝利を収めたことでしょう。そんなステージを見せた北条さんに対して、あそこまでのステージができたことは素晴らしいし、これで新人だと言うのだから恐ろしい。これからの彼女に期待したいですね』

 とのことだ。
 もしアナスタシアが中途半端なステージを見せたならば、彼女は話題にもならなかっただろうし、あるいは無様な姿を見せたとまで言われたかもしれない。
 もちろん、彼女がそんな姿を見せるとは思えないが……僕のせいでそうなっていた可能性すらあったと考えると恐ろしい。

 それ以外にも変わったことはいくつかある。

 まず、アナスタシア。加蓮とのライブバトルで彼女が得たものは多かった。
 加蓮のステージから得たもの、渋谷さんとのレッスンから得たもの……そして、敗北から得たもの。

 加蓮のステージを見て、アナスタシアは少し変わった。
 あれ以降、彼女が『Never say never』を歌うことはなかったが、『You’re stars shine on me』を歌う機会は何度かあった。
 その歌い方が、明らかに変わってきていたのだ。それも、毎回のように。
 それが良く働くこともあったが、悪く働くこともあった。
 しかし、これに関して僕は手を出さず、アナスタシアに任せることにした。

 また、渋谷さんとのレッスンを経験した結果、アナスタシアのレッスンは大きく変わった。
 レッスンに対する意識が変わったし、レッスンの質が変わった。量も変わったが……これに関しては、ルキちゃんがアナスタシアの希望を許さなかった。
 アナスタシアは渋谷さんのレッスンを基準にレッスン量を変えようとしていたようだが、今のアナスタシアでも渋谷さんと同じレッスンはできないだろう。
 今でもやっているアイドルはいるのだから、将来的に見れば不可能ではないと思うが……そうなった場合、ルキちゃんがどんな顔をするかは楽しみでもある。

 加蓮とのライブバトルを経験したこととレッスンを変えたことによってアナスタシアは飛躍的なまでに成長した。今なおそれは止まらない。
『You’re stars shine on me』が毎回のように変わっているのもその一環だろう。
 どうすればより良くなるのかを常に考えて努力している。

 そしてそれは、加蓮とのライブバトルに敗北したことも原因の一つだろう。
 今回の加蓮のステージは確かに驚異的なものだった。
 あのステージを超えることは『トップアイドル』と呼ばれる存在であっても難しいだろう。

 だが、だからと言って敗北の悔しさが紛れるわけはない。負けは負けだ。
 アナスタシアは、北条加蓮に敗北した。
 それが事実だ。それ以上でもそれ以下でもない。

 だから、悔しいのだ。
 だから、負けたくないと思うのだ。
 だから、だから、だからこそ……二度と負けないと誓うのだ。

 二度と負けないように、努力するのだ。

 ライブバトルは名前通り『バトル』だ。戦いだ。必ず勝ち負けが発生する。勝者と敗者が存在する。
 勝つために努力して、努力して、努力して、努力して……そして、負ける。
 その悔しさは、僕では理解できない。敗北は辛く苦しい。僕には、それだけしかわからない。
 だが、アナスタシアのあんな顔は……負けたと決まった時のあんな顔は、二度と見たくない。
 アナスタシアは言った。

「私を応援してくれたファンに……プロデューサーに、申し訳ない、です」

 ……あんな顔は、二度とさせたくない。
 あんな顔は、二度とさせない。

 アナスタシアは二度と負けないために努力している。自分を応援しているファンの期待に、今度こそ、裏切らないように。努力して、ぐんぐんとその力を伸ばしている。
 ファンのために。そして、『負けたくない』という純粋な気持ちのために。
 アナスタシアは、努力している。

 ――と言っても、最近のアナスタシアは僕から見ても根を詰めすぎだとは思う。
 ルキちゃんにも言われているし、ちゃんと休むように言っておこう。

 そして。
 その間に、僕は私のするべきことをしよう。



166: ◆Tw7kfjMAJk 2017/04/19(水) 21:12:01.27 ID:nhXCd10e0


      *

「……休日」

 レッスン後、休憩スペース。
 ルキ特製のドリンクを片手にアナスタシアがつぶやいた。その表情は何かを悩んでいるようであった。

 最初、アナスタシアはPからの「休め」という言葉に答えを濁した。アナスタシアは休むよりもレッスンがしたかったのだ。
 Pはそれを見抜いており、アナスタシアの反応にやはりかと溜息をついた。

「アナスタシア。最近の君は根を詰めすぎだ。……その顔、渋谷さんと比べればまだまだ、とでも思っているのか? ……図星か。彼女と比べるな。将来的には彼女と同じレッスンもできるようになるかもしれないが、今はまだ無理だ。そもそも、渋谷さんも一切の休みなしにあんな生活を続けているわけではないだろう。とにかく、アナスタシア。今度の土曜日は君の休日だ。休むことも仕事だと思ってくれ。……もしレッスンをしたら、無理やりにでも旅行に連れて行く。だから、誰かと遊びにでも行ってくれ」

 そこまで言われてはアナスタシアも断ることができない。Pとの旅行には行ってみたいところだが、今はそれよりも優先するべきものがある。アナスタシアはPの言葉に従って休むことにした。
 昔のアナスタシアならば隠れてレッスンをしたかもしれない。だが、アナスタシアも成長したのだ。今は監視役を付けられることもない。これは以前よりもPとアナスタシアに深い信頼関係が結ばれたということを表していると言えるだろう。きっとそうだ。

 とにかく、アナスタシアの予定にいきなり休日ができた。
 しかし、ここまでいきなりだと予定もまったく立ててはいない。
 休日なのだから何もせず寮で休んでいてもいいのかもしれないが……。

 そうしてアナスタシアが休日の予定に悩んでいると、

「――む」

 と声が聞こえた。アナスタシアは声に振り向くと、ぱっと顔を輝かせた。

「蘭子! 闇に飲まれよ、です」

「うむ。闇に飲まれよ!」

 現れたのは神崎蘭子。アナスタシアと同じくレッスン着に身を包み、しっとりと髪が汗に濡れている。

「蘭子はレッスン中、ですか?」

「終わったところよ。貴女は……」蘭子はアナスタシアを見て、すぐに眉を寄せる。「……アーニャちゃん、何かあった?」

「プロデューサーに休めと言われました。でも、何をするか迷っていて……」

「ふむ」蘭子は口元に手を添えて演技がかった調子で考える。「……アナスタシア。それはいつだ?」

「今度の土曜日です」

「……クックック」

「? 蘭子?」

 いきなり笑い始めた蘭子にアナスタシアが首を傾げる。蘭子はそんな反応を見て口角を上げ、

「私も同じよ。故に、ともに外界で戯れの時を過ごしましょう」

 そう言って、アナスタシアに手を差し出した。

「……スパシーバ、蘭子」

 アナスタシアは輝くような笑みを見せた。そんな彼女の反応に、蘭子は恥じらい混じりに「ふふっ」と笑う。

 こうしてアナスタシアの休日の予定は埋まった。
 アナスタシアと蘭子は二人で楽しそうに何をするのか話し合った。
 汗が乾いた蘭子が「くしゅん」と小さなくしゃみをするまで話は続き、二人は一緒に女子寮へと帰った。



167: ◆Tw7kfjMAJk 2017/04/19(水) 21:12:28.97 ID:nhXCd10e0


      *
 
 土曜日、朝。
 蘭子は事務所から出て、はっ、と息を吐いた。白い息が立ち上り、冬空へと消えていく。

「……スネグーラチカの季節、か」

 スネグーラチカ。ロシアにおけるサンタクロース、ジェド・マロースの孫娘。日本語では雪娘とも訳される存在である。
 蘭子は自分で言ってから、今日の予定を思い出す。スネグーラチカ。雪娘。

「アーニャちゃんに似合うなぁ……」

 アーニャ。アナスタシア。母親が日本人で父親がロシア人のハーフ。とてもきれいな子で、とてもかわいい子。北海道出身で、女子寮に住むアイドルで……私の、ともだち。

「えへへ」

 最近、アーニャちゃんは忙しかった。私も暇なわけじゃなかったけれど、アーニャちゃんにはどこか余裕がないように感じられた。それがある時期の凛ちゃんと重なって、少し心配だったのだ。
 そして、忙しかったということはなかなか一緒に遊ぶことができなかったということでもある。女子寮で顔を合わせて話すことはあったが、それくらい。
 そんなアナスタシアと久しぶりに遊びに出かける。
 そのことを思うと、自然と蘭子の表情がゆるんだ。

 今日の予定はきちんと考えてきている。自分の行きたいところ。アーニャちゃんを連れて行きたいところ。アーニャちゃんがよろこんでくれそうなところ……。予定通りには進まないだろうが、その時はその時だ。
 この時間だと、アナスタシアはそろそろ目を覚ました頃だろうか。だいたいの場合、蘭子が起きる時間には既にアナスタシアは目を覚ましている。しかし、今日のアナスタシアはオフだ。なら、まだ寝ているかもしれない。

 そう思って女子寮に戻ると、そこにはジャージ姿のアナスタシアがいた。

「蘭子。ドーブラエウートラ。おはようございます」

 ストレッチ中。まだ汗はかいていないように見える。……ランニングの、前?

「煩わしい太陽ね。……して、眩き白銀よ。その装いは?」

「朝のランニングです。休日でも、これくらいはしていい、ですね?」

 いいのだろうか。蘭子にはわからなかった。しかしわかることもあった。

「生命の雫を捧げる、か。私もその儀式に付き合いましょう。……すぐ準備するから、ちょっと待ってて」

「ダー♪ 私、待ってますね」

 というわけで、蘭子はアナスタシアとともにランニングをすることになった。



168: ◆Tw7kfjMAJk 2017/04/19(水) 21:12:57.66 ID:nhXCd10e0


      *

「くっ、我が身をもってしても、ここまで魔力が削られるとは……さすがは眩き白銀、と言ったところか」

 ランニングの後、軽くシャワーを浴びた蘭子は言った。今は着替えて食堂で朝食を食べている。

「今日は私も疲れました。レッスンをしないなら、走るくらいはしなくちゃダメ、ですね?」

 アナスタシアは言うが、彼女は今日が休日だということを忘れていないだろうか。

「あ、蘭子チャンにアーニャン……すごく疲れてるみたいだけど、どうしたの?」

「みく。ドーブラエウートラ。おはよう、です!」

「ん、おはようにゃ」

 みくが朝食を乗せたトレイを持ってアナスタシアの隣に座り、蘭子とアナスタシアの姿を見る。乾かしはしたが、二人の髪を見ればシャワーを浴びた後だということはわかる。

「ランニング? でも、アーニャン、今日は休日って言われたんじゃ……」

「休日でもこれくらいはしていい、ですね?」

 ふんす、と胸を張って言うアナスタシアだが、みくは冷静に「いや、そんなに疲れるのはダメだと思うよ」と返す。アナスタシアは下唇を上げる。

「みくは意地悪です」

「どこがにゃ。はぁ……新人チャンの苦労がわかるね、蘭子チャン」

「……うむ」

 アナスタシアは良い子だ。それは間違いない。真面目だし、努力家だし、ストイックだ。だが、だからこそ、ということもある。

「まあ、終わったことに何か言っても無駄だよね。今日、アーニャンと蘭子チャンは遊びに行くんだったっけ」

「ダー」アナスタシアがうなずく。「みくは仕事、ですか?」

「うん。Pチャンはみくのことを働かせ過ぎだと思うにゃ」

「……でも、今のみくはとても幸せそう、ですね」

「え?」

 そう言ってみくは自分の顔に触れる。蘭子はそんなみくを見てくすりと笑う。みくはだらしなく笑っていた。

「……まあ、みくのことはいいの。二人とも、今日はしっかり遊んで来てね!」

 慌てた様子でそんなことを言うみくを見て、蘭子とアナスタシアは笑ってうなずいた。



169: ◆Tw7kfjMAJk 2017/04/19(水) 21:13:25.14 ID:nhXCd10e0


      *

 女子寮を出て、道を歩く。
 事務所に行った時、ランニングに行った時。そのどちらとも違って、歩く人が増えてきていた。草木の表面はまだ凍っており、陽光に照らされてきらきらと光っている。
 ふっ、と冷気を乗せた風が駆け抜ける。蘭子は思わず身を震わせて、ぎゅっと自らの手を握りしめる。

「シヴァの息吹か……」

 手袋を付けてきてもよかったかもしれない。黒い刺繍が入った、ゴシック風の長手袋。
 冬用と言うわけではなく、薄手なのであまり意味はないかもしれないが、付けないよりはマシだろう。
 しかし、今日の服装のバランスを考えると……むぅ。

「蘭子、どうかしましたか?」

 アナスタシアが心配そうな表情を浮かべている。蘭子は素直に答える。

「……手が、冷たくて」

「手が……」

 アナスタシアは呟いて、蘭子の手をじっと見つめる。そして、ひょいっ、と蘭子の手を掴んだ。

「なっ、なにを」

 突然のことに蘭子は驚くが、アナスタシアはそのままゆっくりと蘭子の手を包んで、握る。

「こうすればあたたかい、ですね?」

「……うん」

 蘭子はうなずく。あたたかい。とても、とても。
 そのまま二人は手を繋いで歩いた。手を繋いでいない方の手は素肌で外気に触れている。

 でも、あたたかかった。
 繋いだ手に、汗がにじんだ。



170: ◆Tw7kfjMAJk 2017/04/19(水) 21:13:55.04 ID:nhXCd10e0


      *

「……ミオ、すごかったですね」

 昼食のために入った洋食店で、アナスタシアは言った。

 女子寮を出てから二人がまず向かったのは映画館だった。共通の友人である本田未央が出演するということもあって、二人とも前から見たいと思っていた映画だ。
 未央は主演ではなかったが重要な役を演じていた。舞台などで経験を積んだこともあってか、未央の演技力は他の役者に見劣りしないどころか、光る演技すら見せていた。

 映画を見終わった後、二人は感想を言い合いたくなった。そこでもう昼食の時間だということで、蘭子がオススメするこの店に来たのである。
 この洋食店は蘭子が自分の担当プロデューサーに連れて来てもらったことがある店だ。蘭子にとっても思い入れが深く、アナスタシアにも知ってもらいたかったのである。
 蘭子もアナスタシアもハンバーグを注文して、今は注文したものが来るのを待っている。
 その間に映画の感想を、というわけだ。

「オリオンの輝き……だけではなかった、な」

 蘭子はつぶやく。いつもの未央ちゃんとさっき見た未央ちゃんはまったくの別人のように感じられた。
 アイドルとしての本田未央。『パーフェクトスター』と呼ばれる彼女とはまるで別人のようで……でも、魅力だけは同じだった。
 確かに『本田未央』だった。

 だからこそ、すごい。蘭子は素直にそう思った。

「オリオン……ミオの星、ですね?」

 しかし、アナスタシアの食いついたところは違った。蘭子は「うむ」とうなずく。

「ライラプス……おおいぬ座を猟犬に持ち、月の女神アルテミスに愛された狩人。『パーフェクトスター』の名にもふさわしい」

 蘭子もそこまで詳しいわけではないが、確かそんな感じだったはずだ。
 蘭子は神話などの知識も持っているが、一つ一つに関して深く知っているというほどではないので、あまり自信はない。

「猟犬……私はミオの猟犬、ですか?」

「へ?」

 アナスタシアの言葉に、蘭子はそんな声を出す。アナスタシアはくすりと笑って、

「以前、話しましたね? 私はシリウスを目指しています。地球から見える恒星の中で、太陽を除いて、最も明るく輝く星――おおいぬ座の、シリウスです」

 そう言えば、その話は聞いたことがある。だが、さらっとしか聞いたことがなかったので、蘭子もあまり意識して話したわけではなかった。

「そ、そのような意味では……」

「それに」アナスタシアは続ける。「月の女神に愛されたということは、蘭子に愛された、ということになりますね?」

「えっ!?」蘭子は驚きに声を出す。「な、なんでそうなるの?」

「蘭子と言えば月、ですから」

 そうなのだろうか。いや、自分でも月を意識したことはあったが……。

「で、でも、未央ちゃんのことは好きだけど、そういう意味じゃなくて……うぅ」

「……ふふっ」

 蘭子が目を回していると、アナスタシアが微笑む。そこで蘭子は気付く。

「……アーニャちゃんの意地悪」

「すみません、蘭子」アナスタシアはくすくすと笑いながら謝る。「こういうやりとりに憧れていました。ダメ、ですか?」

 ……そんなことを言われると、

「ずるいよ、アーニャちゃん」

 蘭子はそう言って、くすっと微笑む。

「私も、楽しいよ」

 そうやって二人は笑いあった。そうしているうちにハンバーグが来て、それを食べて、そのおいしさにまた二人で笑いあった。



171: ◆Tw7kfjMAJk 2017/04/19(水) 21:14:27.37 ID:nhXCd10e0


      *

 昼食が終わり、二人はショッピングに出かけた。
 服や小物、色んなものを見て回った。アナスタシアが普段買っているものと蘭子が普段買っているものでは大きく違ったので、どちらにとっても新鮮だった。

 互いに互いをコーディネートしてみる、といったこともやった。自分が普段着るような服装で互いを着飾るのだ。
 アナスタシアはよろこんでゴシック風の服装を着たが、蘭子がアナスタシアに着飾られる時は少し恥ずかしそうだった。
 しかし、二人ともその服装はその服装で気に入って、どちらも買うことになった。

「いつか、二人でこの服を着て出かけてみたい、ですね」

「……うん」

 そうやってショッピングを楽しんでいるとすぐに時間は過ぎていった。気付いた時には日が落ちて、空は暗くなっていた。
 もう帰ろうか。どうしようか。そう思った蘭子がアナスタシアに相談しようとすると、アナスタシアが言った。

「蘭子。星を、見に行きませんか?」

 と。



172: ◆Tw7kfjMAJk 2017/04/19(水) 21:15:16.85 ID:nhXCd10e0


      *

「わぁ……!」

 満天の星。
 蘭子がこれまでに見たことがない光景がそこにはあった。
 東京に住むようになってからもう数年は経つが、東京にこんなにも綺麗に星を見ることができる場所があるなんて知らなかった。

「綺麗だね! アーニャ――」

 興奮しながら、蘭子はアナスタシアに声をかけようとして。

 その瞬間。
 蘭子は息を止めて、アナスタシアを見た。

 夜の星を見上げて、そこに立っているアナスタシア。
 星々の光を受けて、彼女は白銀に輝いていた。
 夜の闇の中、地上にて輝く白銀の少女。
 それはまるで、星のごとく――

「――蘭子?」

「はっ」

 気付けば、アナスタシアが心配そうな表情でこちらを見ていた。……完全に見惚れてしまっていた。蘭子はこほんと咳払いをして、「なんでもないわ」と言う。

「なら、良かったです」

 そうやって微笑むアナスタシアを見ているとさっきまでのことを思い出して、顔が赤くなってしまう。恥ずかしい。
 でも、さっきのアナスタシアはそれほどまでに美しかった。星のように、輝いていた。

「……綺麗ですね、蘭子」

 アナスタシアの言葉に、蘭子はどきっとしてしまう。そんな蘭子の様子には気付かず、アナスタシアは続ける。

「この星空を見ていると、少し、故郷を思い出しますね」

「故郷……ロシア? それとも、北海道?」

 アナスタシアには二つの故郷がある。どちらのことを指しているのだろうか。

「どちらも、かもしれません」

 アナスタシアは微笑む。その微笑みはとても綺麗で、でも……。

「故郷が、恋しい?」

 ホームシック。それは、十分に考えられることだ。
 アイドルになってから……アナスタシアは一度も故郷に帰っていないと言う。自分も経験がないわけではない。

 そもそも、アナスタシアと自分では状況が違う。
 日本語もまだ学習中。故郷を愛して、家族を愛している。
 そんな少女が愛する者と別れて慣れない土地に来たのだ。
 その不安は蘭子が想像しているものよりも、ずっと大きなものだろう。

 しかし、アナスタシアは首を振る。

「もちろん、故郷のことは好き、ですね。グランマ、グランパ。ママ、パパ……会いたくない、と言えば嘘になります。でも、今は……」

 アナスタシアは空を見上げた。そこには、星が輝いている。

「……蘭子。私は、アイドルになってから、毎日楽しいです。毎日、新しい私になれて……それは、とても幸せなことですね」

 その気持ちはわかる。自分もそうだ。そうだけど……。

「私はプロデューサーに言われました。アイドルになれば、辛いことや苦しいことはいっぱいある。でも、それよりも幸せになれるって。……それは、本当のこと、ですね?」

 その通りだ。蘭子も同じ気持ちだった。アイドルになってから、良いことばかりではなかった。でも、それよりも、ずっと、ずっと……。




173: ◆Tw7kfjMAJk 2017/04/19(水) 21:15:44.41 ID:nhXCd10e0


「蘭子」

 アナスタシアは言った。

「私はこの夜空で、いちばん輝くズヴェズダ……星に、なります。きっと、きっと」

『神崎蘭子』に、そう言った。
 蘭子はそこに、アナスタシアの覚悟を見た。
 その覚悟の強さ。覚悟の深さ。それは、蘭子が思っていたものよりも、ずっと大きなもので……。

「……天狼、か」

 天狼。それはシリウスを示す言葉の一つだ。

「テンロウ……?」

 アナスタシアが首を傾げる。そんな彼女に蘭子はフッと笑い、天を指差す。

「冬の大三角が一つ、太陽を除く地上から見える最も明るい恒星であり、『光り輝くもの』の名を冠する星――」

 そして、その指をアナスタシアに向ける。

「――シリウス。その別名の一つよ。『銀の天狼』アナスタシア」

 そう、アナスタシアを呼んだ。
 自然とその言葉が出た。不思議なほど、しっくりきた。

『銀の天狼』。それは、彼女にふさわしい――

「――アナスタシア。あなたは私を月と言ったわね」

 月。
 それは、地球から見える星の中で、太陽に次いで輝く星の名前。
 この夜空において、最も輝く星の名前。

「だから、私もそれを目指しましょう」

 この世界で、最も輝くことを目指す。

『神崎蘭子』がそう言うことの、意味。

 それがわからないアナスタシアではなかった。
 だから、彼女は言う。

「ダー。一緒に、頑張りましょう」

 アナスタシアは蘭子に向かって、手を差し出す。

「この世界で最も輝く星を、目指して」

 蘭子はその手をとり、握る。

「ともに、天上の輝きを――」

 その日。

 アナスタシアと、神崎蘭子。
 二人の少女は誓いを交わした。

 この後、生涯の親友であり――生涯のライバルとなる二人の誓いだった。



174: ◆Tw7kfjMAJk 2017/04/19(水) 21:16:10.68 ID:nhXCd10e0


     *

 事務所。
 僕はある人を待ちながら、アナスタシアのことを考えていた。

 彼女はきちんと休んでいるだろうか。神崎さんと遊びに行くという話だが、楽しんでいるだろうか。張り詰めていた糸が、少しは緩んでいるといいのだが……。

 アナスタシアのアイドル活動は順調過ぎるほどに順調だ。
 だが、これはアナスタシアの実力を考えればおかしくはない。もちろん、運も影響しているとは思うが……アナスタシアの才能と努力がなければ、その運も味方してくれなかっただろう。

 アナスタシアは、デビュー一年目とは思えないほどの活躍を見せてくれている。
 だが――だからと言って、こんなところで満足するわけにはいかない。

 その時。

「――お前がこんなところにいるなんて、珍しいな」

 扉が開き、そう声をかけられた。

「星の輝きが曇ったか? ……なんて、今のアーニャちゃんを見るに、それはないか」

 僕の先輩。よくお世話になり、色んなことを教えてくれた先輩。しばしばポエムのような物言いをする先輩。ポエム先輩である。

「はい。おかげさまで、アナスタシアは順調に活躍しています」

「おかげさま、ね」先輩はにっと口の端を上げる。「俺は何もしていないさ。お前の実力だよ」

「僕は」

「あー、わかったわかった」僕が口を開こうとすると、先輩は手を振ってそれを遮った。「お前、謙遜も過ぎると失礼だぞ? 一年足らずであんなアイドルを育てておいて、よく言うよ」

「……あれは、アナスタシアの努力と才能のおかげです」

「それも含めて、お前の功績だよ」先輩は呆れたように息をつく。「あの星を見つけたのはお前だし、輝かせたのもお前だ。まあ、べつに認めなくてもいいけどな。お前がどうしたいのかさえわかっていればそれでいい。――で」

 先輩は僕を見て、尋ねる。

「何の用だ? お前がこんな世間話をしに来たなんて、そんなわけはないだろ?」

 その目には、力があった。
 アイドルとはまた別の類の力。
 芸能界は魑魅魍魎が蔓延る世界だ。故に、目の前にいるこの人も、その一人――

 だが、だからと言って臆すわけにはいかない。

 立ち向かえ。
 挑め。
 戦え。

 目指すは魑魅魍魎の頂き。
 ならば、これは、超えるべき存在――

「今日は、頼みがあって来ました」

「頼み?」

「はい」

 僕は言う。
 目の前にいる、一人のプロデューサーに。
 あるアイドルを担当するプロデューサー。
 この世界における、一つの頂点。
 そのアイドルを担当する、プロデューサーに。
 僕は、言った。

「――当代の『シンデレラガール』神崎蘭子に、ライブバトルを挑みます」

 そして。
 アナスタシアと神崎蘭子。
 二人のライブバトルが決まった。




175: ◆Tw7kfjMAJk 2017/04/19(水) 21:16:59.72 ID:nhXCd10e0



第一〇話「シンデレラガール」




176: ◆Tw7kfjMAJk 2017/04/19(水) 21:18:07.15 ID:nhXCd10e0


 神崎蘭子はシンデレラガールである。
 シンデレラガール。それはCGプロにおける象徴。
 CGプロでは一年に一度『シンデレラガール総選挙』というものが行われる。
 これは純粋な人気投票と言うわけではないが、上位のアイドルにはCDでの歌唱権が与えられ、一位である『シンデレラガール』には他にも大きな特権が与えられる。

 シンデレラガールはCGプロの象徴である。つまり、その一年間、シンデレラガールは事務所から推されるのだ。
 事務所の看板となる。それがシンデレラガールとなった者に与えられる特権である。

 神崎蘭子はシンデレラガールである。
 しかし、それはただの称号という意味ではない。『シンデレラガール』という名前は、神崎蘭子というアイドルにふさわしい名前だった。
 いや、正確には『シンデレラ』と言うべきかもしれない。
『シンデレラ』――童話で有名な『灰かぶり』。
 その名前が神崎蘭子というアイドル――少女にふさわしい理由について説明するには、まず彼女の経歴に触れる必要があるだろう。

 神崎蘭子。
 彼女は内気な少女だった。生まれながらの灰色の髪、紅き双眸。それは注目を集めた。結果として、彼女は恥ずかしがり屋の少女に育った。
 彼女は外で遊ぶよりも家で本を読んだりすることを好んだ。そんな少女が物語の世界に憧れたことはおかしいことではないだろう。

 そうやって内気で恥ずかしがり屋な少女として育った蘭子だが、周囲から注目されることには変わらない。その灰色の髪と紅い目だけでも注目されるのに、彼女の場合は容姿が優れていた。
 内気で恥ずかしがり屋の性格と、そんな性格に反した容姿。

 ――それは、悪い注目を呼んだ。

 中学生になって、彼女は嫌がらせを受け始めた。いじめと言うほどではなかったが、それは脆い彼女の心を弱らせるには十分だった。
 彼女はますます内気な少女になっていった。臆病で、内気で、恥ずかしがり屋で……。

 そんな自分のことが、嫌いになった。

 変わりたい、と思った。
 もっと強い自分になりたい。
 こんな私じゃなくて、もっと、もっと、強い私に。

 だが、そう簡単に人が変わることはできない。
 蘭子は物語の世界に閉じこもった。
 憧れの世界。大好きな世界。
 そこに閉じこもって……そして。



177: ◆Tw7kfjMAJk 2017/04/19(水) 21:18:38.21 ID:nhXCd10e0


 彼女は、出会った。

『クックック……我が名はルシファー。愚かな天界より堕天し、魔王となった者。勇者よ! 何故貴様は天に味方する? 何故我が力に平伏さぬ』

『知れたこと! 私は人の味方、そして、人を味方する天の味方! 人と魔は決して相容れぬ! 貴様こそ、何故天に牙を剥く!』

『我が我であることを否定したからに他ならぬ! 欲望のままに生きることの何が悪い! 天の目を気にして何ができる! 我は我のままここに在る! それが許されぬと言うならば、それは世界こそが間違っているのだ!』

『ならばやはり、私と貴様は相容れぬ! 今ここで、貴様の正義が間違っていることを証明しよう!』

『その選択は誤りだったと思い知れ! 闇に飲まれよ!』

 ――『魔王』。

 彼の言葉は、彼女の胸を打った。
 周りの目を気にしている自分とは違う。彼は、彼の思うがままに生きている。
 それはとても強くて、かっこよくて……心の底から憧れた。

 私も、あの人みたいになりたい。
 魔王みたいに、強くなりたい。
 ……魔王みたいになれば、もしかしたら。
 もしかしたら、私も――

 それから、蘭子の『魔王』化が始まった。
 まずは口調。それから服装。闇の眷属っぽく、黒く、ゴシック調の服。アクセサリーやネイルまで、すべてに気を遣っていった。

 そうしていると、蘭子は無性に楽しい気持ちになっている自分に気付いた。
 自分が思う、最もかっこいい姿に……少しずつ、理想に近付いていく。
 それは、とても楽しくて……とても、心強かった。

 強い自分になれた気がした。
 今までとは違う、強い、強い自分に。

 その日も、蘭子は完全武装と言った装いで街を歩いていた。
 気分は魔王。ゴシックデザインの傘を携えて、街を歩く。
 周りから何か言われることもあった。こそこそと何か話されているのが聞こえたこともある。

 だが、それがどうしたと言うのだ。
 我は魔王。
 天の目を気にして何ができる。
 私は私のままここに在る。

「クックック……我が魔力は光に属する者たちには刺激が強すぎたようね」

 だから、蘭子はこんなことを言って笑った。
 恐れるものなど何もない。
 私は私だ。
 故に――

「――あれ、神崎じゃない?」

 その声が聞こえた瞬間。
 神崎蘭子は、自分が魔王ではなかったことを思い出した。



178: ◆Tw7kfjMAJk 2017/04/19(水) 21:19:05.66 ID:nhXCd10e0


      *

「……クックック」

 蘭子は笑った。

「我が魔力に恐れをなして、逃げ出したようね」

 その服には、泥が付いていた。
 その髪には、泥が付いていた。
 靴のヒールは折れて、傘の骨は曲がっていた。
 それにやりすぎだと思った蘭子のクラスメイトは謝りもせずに逃げ出した。

「我が名は……」

 魔王、神崎蘭子。

 その言葉は、出なかった。
 言えなかった。

 私は、強くなった。
 強く……なった?
 本当に?

『天の目を気にして何ができる! 我は我のままここに在る!』

 私は周りの目を気にしてなかった?
 私は、本当に私のままだった?
 魔王のように振る舞って……それは、本当に私なの?
 それは私が強くなったって……本当に、言える?
 私は……私は。

「――あっ」

 ぽろっ、と涙がこぼれた。
 ぽろぽろと、蘭子の目から大粒の涙がこぼれていく。

 ダメだ、ダメだ。魔王は泣かない。泣いちゃダメだ。

 そう思っても、涙が止まることはない。ぽろぽろと涙があふれ出す。

「う、うぅ……」

 蘭子は歯を食いしばって、立ち上がろうとする。だが、折れたヒールではなかなか立ち上がることができず、その場に崩れ落ちてしまう。

 その時、ぽきっ、と何かが折れる音が聞こえた。
 これは、何の音だろう。
 今のは、何の音だろう。
 いったい、何が折れたんだろう。
 そう思いながら、蘭子はもう一度立とうとして。
 手と足に、力が入らないことに気付いた。

 あれ? なんで? どうしたんだろう?

 蘭子は立ち上がろうとするが、立てない。ただ、涙だけが流れている。
 そして、力の抜けた手から、ぽろっ、と折れたヒールの足が転がっていくのが見えて。

 ――ああ。

 蘭子は気付く。

 ――折れたのは、きっと、私の心だ。

 ころころと折れたヒールの足が転がっていく。
 だが、蘭子はそれを追いかける気にもならない。
 ころころと転がっていくヒールの足を、ただ目で追っているだけだった。
 やがてそれは止まって、蘭子の目も止まる。

 ……これから、どうしよう。

 蘭子は考える。

 もう、魔王は無理だ。
 私は魔王なんかじゃない。
 私は弱い、神崎蘭子だ。
 だから……だから。

「……それでも、私は」

 蘭子は折れたヒールの足に手を伸ばす。

 それでも。
 それでも、私は――



179: ◆Tw7kfjMAJk 2017/04/19(水) 21:19:33.79 ID:nhXCd10e0


 その時。
 ヒールの足が、誰かの手にとってひょいと拾われた。
 蘭子は突然のことに驚いて、顔を上げる。

 そこには。

「――大丈夫かい?」

 スーツを着た男の人が、こちらに手を差し出していた。

「へっ? あっ、えっと」

 蘭子は頭が真っ白になる。 え? なに? 誰? いったい、何が……。

「……君は」

 男が目を細める。蘭子には意味がわからなかった。ど、どうしてそんな目をするの? 私、何か……。
 しかし蘭子が考え始める前に、男は尋ねる。

「……君の、名前を聞いてもいいかな」

「な、名前?」蘭子は驚きながらも答える。「……我が名は神崎蘭子」

 そして答えた瞬間に、あっ、と思う。こ、答えちゃった。知らない人に名前を教えるなんて、いけないことなのに……。
 そうやって蘭子が後悔して目を落とした、その瞬間。
 蘭子の視界に、一枚の白い紙が差し込まれた。

「し、白き聖なる札……?」

 一瞬、そこに何が書かれているのかわからなかった。
 蘭子は目をぱちくりとさせて、そして、顔を上げた。

 そこには、真剣な目をした人がいた。
 彼は言った。

「――神崎蘭子さん。君が良ければ、アイドルになりませんか?」

 と。



180: ◆Tw7kfjMAJk 2017/04/19(水) 21:20:01.70 ID:nhXCd10e0


      *

「……運命の邂逅、か」

 その日の夜、自室のベッドの上で蘭子はつぶやいた。
 あの後、蘭子は男――CGプロのプロデューサーから話を聞いた。

 君には才能がある。
 新しい世界を見せると保証する。
 君をトップアイドルにすると、約束する。

 要約すればこんなところだ。もちろん、普通なら胡散臭いと思うだろうし、蘭子にとってもそうだった。

「……だけど」

『――俺は君に出会ったのが、運命だと思った。ここに来たのは――俺がこれまで生きてきたのは、君に出会うためだった、って。運命の邂逅……そう思ったんだ』

 そうやって笑った彼の顔を思い出す。出会ってすぐに運命だの言い出すような男は信頼できない。普通ならそう思う。蘭子もそう思いかけた。思いかけて、それから、あることに思い至った。

 ――この人、私と普通に話せてる。

 私に……私に、真剣に、向き合ってくれている。
 だからこそ、彼は『運命の邂逅』なんて言ったのだろう。もしかしたらこれは蘭子の勘違いでしかないのかもしれない。でも、もし、そうだとしたら……。

 蘭子はもらった名刺を眺める。
 CGプロ。
 名前だけは、聞いたことがあるような気がする。芸能関係に詳しくない自分でも知っているということは有名な事務所なのだろう。

 そんなことを考えながら、蘭子はぺらっと名刺を裏返す。

『もし、君にその気があるのなら、この番号に連絡してくれ』

 名刺の裏には、彼の電話番号が書かれている。

「……アイドル、かぁ」

 アイドル。
 蘭子もそれは知っている。憧れたことがないとは言えない。
 でも、私に、アイドルなんて……。

『――君をトップアイドルにすると、約束する』

「……本当に?」

 蘭子はつぶやく。それに答える者はいない。
 だが、記憶の中の彼は言った。

『ああ。もしこの契約を破ったならば、俺をどうしてくれてもかまわない』

 そう言われた時は、何も答えられなかった。

 だけど。

「――ならば、血の盟約を交わそう」

 蘭子はそう言って、立ち上がった。

 そして――



181: ◆Tw7kfjMAJk 2017/04/19(水) 21:20:29.10 ID:nhXCd10e0


      *

「蘭子とライブバトル、ですか?」

 アナスタシアが首を傾げるのに、僕はそうだとうなずく。

「相手は当代の『シンデレラガール』。間違いなく、トップアイドルの一角だ。だが――」

「負けるつもりはない、ですね?」

 アナスタシアが微笑む。僕は笑い返し、

「その通りだ。今後の予定に関しては後でまとめて話す。かなりのハードスケジュールになるが――」

「望むところ、です」

「……まあ、君はそう言うだろうな」

 僕は苦笑する。まったく、頼もしいことこの上ない。

「と言っても、もちろん休みがないわけじゃない。例えば、クリスマスは休みだな」

 クリスマスに仕事を入れても良かったのだが、それはさすがにハードスケジュールにも過ぎるのでやめた。それよりも今回はライブバトルに専念しようと思ったのだ。

「それと、今回のライブバトルだが――今回はイベント的な意味合いが強い」

「? どういう意味、ですか?」

「普通、ライブバトルは互いにライブをして、勝敗を決めるだけだろう?」

「ダー。今までのライブバトルも、そうでしたね?」

「だが、今回は違う。宣伝から何まで、神崎さんとの合同イベントといった色が強くなる」

 そのための企画も既に用意してある。まだまだ詰めなければいけないが、普通のライブバトルとは違ったものになるだろう。

「合同イベント……バトル、しませんか?」

「バトルはするさ。でも、できるだけファンの人たちには楽しんでもらいたいだろう?」

 そう言うと、アナスタシアは顔を輝かせた。

「ダー!」

 嬉しそうなアナスタシアを見ると、僕も嬉しくなる。もちろん、これはアナスタシアをよろこばせたいというだけではなく、戦略的にも意味がある。
 だが、アナスタシアにそれを知らせる意味はない。

「それじゃ、アナスタシア。今後の予定だが――」




182: ◆Tw7kfjMAJk 2017/04/19(水) 21:21:26.98 ID:nhXCd10e0


      *

「――いや、まさかお前にあそこまで言われるとはな」

 事務所、ミーティングルーム。
 僕は先輩と一緒にアナスタシアと神崎さんのイベントについて話し合っていた。

「その話はもういいでしょう。それより、企画を進めましょう」

 今回のイベントは大型のイベントになる。ライブバトル自体は一月に行われるが、それまでにも様々なことをやるつもりだ。
神崎さんとアナスタシアの二人で色々なことをやって、その最後にライブバトルがある。

 そのようなイベントになると、当然、僕たち二人だけで話してすべてが決まるわけではない。
まずは僕と先輩で色々と意見を出し合って、それから関係者を含めた何度かの会議をして、企画を完成させる。
既に各方面にはある程度の話は通しているが、まだ『こういったことをやります』といった程度だ。細かいところはまだまだ詰める必要がある。

「まあ、それもそうだな。それで聞いておきたいんだが、アーニャちゃんをバラエティに出すのはいいか?」

「はい。番組は選ばせてもらいますが」

「……うまくいってるからいいんだが、新人の頃から番組を選ぶ、ってなかなかだよな」

「CGプロにはお世話になっています」

「そういうところはお前も黒いよな」

 先輩は黒いと言うが、使えるものを使って何が悪いと言うのだろう。CGプロは大手のプロダクションだ。簡単に言えば事務所に力がある。僕はその力を使わせてもらっているだけだ。そもそも、

「そう教えたのは先輩でしょう」

「そうだったか?」

 そうだ。『清濁併せ呑むってことを覚えろ。ウチの事務所には力がある。なら、それを利用しろ』そう僕に教えたのは目の前にいる先輩だ。

「でも、それにしてもアーニャちゃんはすごいな。あの星の輝きはどこまで……って思うよ。デビューからまだ半年くらいか? それでここ
まで、だもんな。天才だよ」

「それを言うなら、神崎さんもそうでしょう。彼女こそ天才だ、って僕は思いますけどね」

「蘭子が? ……そう、かもな」

 先輩がどこか遠い目をして笑う。……どうしたのだろうか?

「ん、ああ、なんでもないよ。それで、バラエティ番組はいけるんだったな。これに関しては俺の方でテレビ局に話を通しておく」

 うまく逃げられたような気がする。だが、聞かれたくないのなら聞かない方がいいだろう。

「わかりました。お願いします。では、宣伝広告に関してですが……アナスタシアのイメージに合わせたものと神崎さんのイメージに合わせたもの、それからそれぞれのイメージを押し出したものの三パターンで制作したいと思っています」

「ん、それは『コラボ』って感じで良さそうだな。たぶん通るだろ。アーニャちゃんのイメージって言ったら、やっぱり白か? 蘭子はダークな色合いが多いから……」

「それに関してはデザイナーさんなんかにも話を聞きましょう」

「そうだな。もちろん、俺は俺で着てほしい服とかを考えておくけどな!」

「はい。僕の方でも既に資料を用意しています」

「お前……まあ、いい。それじゃ、これはまた会議の時にでも――あ」

 先輩が何かを思い出したと言うように言葉を止める。

「どうしたんですか?」

 僕が尋ねると、先輩は悪そうな笑みを浮かべた。

「次の会議に参加させたい人がいるんだが……参加させてもいいか?」




183: ◆Tw7kfjMAJk 2017/04/19(水) 21:22:01.26 ID:nhXCd10e0


      *

 事務所、レッスン室。

「お疲れ様、蘭子」

 蘭子のプロデューサーはそう言って、自らの担当アイドルにタオルとスポーツドリンクを渡す。

「ありがとう、プロデューサー」

 対する蘭子はレッスン着を汗でびっしょりと濡らしている。しかし、呼吸は乱れていない。
 プロデューサーである自分でもよくわからないが、『こういう時でも息を乱さないようにする』ということもレッスンの内であり、また重要なことだと言う。
 いくら疲れていてもファンにそれを悟らせないように、ということだろう。

「調子は?」

「上々ね。貴方も感じるでしょう? 抑えきれぬこの魔力を!」

「魔力……魔力か」

 プロデューサーはすんすんと鼻を鳴らす。蘭子はそれに対してどういう意味かと首を傾げ――理解した瞬間、顔を真っ赤にする。

「ぷ、プロデューサー!」

「ん? ああ、魔力かどうかはわからないけれど、汗のにおいはするよ」

「むぅー!」

 蘭子がぽこぽことプロデューサーのことを叩く。プロデューサーは「ははは」と笑い、

「すまんすまん。さすがに今のはデリカシーに欠けた発言だった。謝るよ」

「……そんなに、におう?」

 蘭子が心配そうに尋ねる。蘭子も年頃の少女である。そういったことは気になるのだろう。そう考えると、さっきのは不用意な発言だった。

「いや、ただの冗談だ。気にしないでくれ」

「……そう」

 言いながらも、蘭子は少しプロデューサーから距離をとる。
 ……本当に問題はないのだが、それでも気になってしまうのだろう。プロデューサーは心の中で溜息をつく。
 気をつけているつもりではあるんだが、やはりそれはつもりでしかないのだろう。
 アイドルのプロデューサーになってなかなか経つと言うのに、未だに同じようなミスをしてしまう。

 これは自分が蘭子に気を許し過ぎている、ということでもあるのだろう。『親しき仲にも礼儀あり』と言うが、それでも親しい仲では気を抜きがちだ。
 もちろん、それを言い訳にしてはいけないのだが……。

 そう言えば、あいつはアーニャちゃんに対してどうしているんだろう。色々と相談されることもあるが、こういうことに関しては聞かれたことがない。
 ……あー、でも、あいつ加蓮ちゃんのプロデューサーだったしな……それなら、まあ、俺よりは上手いか。
 そう考えると、少しだけ落ち込む。あいつの前では先輩らしくしているつもりではあるが……本当に、かわいくない後輩だな、あいつは。

「……な、何を笑っているの?」

 蘭子が訝しげに尋ねる。どうやら、思わず笑ってしまっていたらしい。プロデューサーは正直に話す。

「いや、アーニャちゃんのプロデューサーのことを考えていて、な」

「アーニャちゃん……銀の天狼の、か」

 銀の天狼……確か、前は『眩き白銀』だったか。二人で遊びに行くって言ってたが、その時に何かあったのだろうか。
 まあ、女の子どうしに何があったか、なんてことはさすがに聞かない。プロデューサーは続ける。

「あいつは本当にかわいくない後輩なんだよ。今回、蘭子とアーニャちゃんのライブバトルを企画したのもあいつだった。世話になった先輩に対して喧嘩を売るなんて、な」

 そうやって語っていると、蘭子がくすくすと笑った。
 そこまで笑うことか? プロデューサーが蘭子を怪訝に見ていると、蘭子は笑いながら尋ねた。

「――でも、楽しいんでしょう?」

 その言葉に、プロデューサーはきょとんとする。
 そして、にっ、と口角を上げた。

「ああ。楽しいよ。すごく――すごく」



184: ◆Tw7kfjMAJk 2017/04/19(水) 21:22:48.54 ID:nhXCd10e0


 今回のライブバトルにおいて、アナスタシア側の受ける恩恵は大きい。『シンデレラガール』とのライブバトルというのは、それだけ大きな価値がある。
 だが、だからこそ、蘭子側からすればその企画を受ける必要はなかった。
 もちろん、アナスタシアは最近注目されているアイドルだし、蘭子と仲が良いことも知られ始めている。
 今このタイミングでアナスタシアとライブバトルをすれば、蘭子側にとっても大きなメリットとなるだろう。

 しかし、それでも。それは『どうしてもやりたい』というほどではない。

 神崎蘭子は『シンデレラガール』である。
 アナスタシアとのライブバトル以外にも、同じような規模のイベントはいくらでも選べる立場にある――いや、ただのライブバトルであれば、もっと良い条件のものはいくらでもあったのだ。

 つまり、蘭子側からアナスタシア側の申し出を受ける必要はなかった。
 だから、アナスタシアのプロデューサー――Pにライブバトルを申し込まれた時、蘭子のプロデューサーはこう答えた。

『それを受けて、こちらにどんなメリットがある?』

 先輩後輩の仲ではあるが、それでも情だけで判断するなんてことはしない。利益がなければ人は動かない。逆に言えば、利益を提示することができれば人は動く。

 Pもそれはわかっていたのだろう。自分に対してこんな提案をした。

『ただのライブバトルなら、確かにそうだと思います。ですが――もっと大きなイベントなら、どうですか?』

 そう言ってPは企画書を渡してきた。アナスタシアと神崎蘭子の合同イベント。それはとても魅力的な提案だった。確かに、これなら蘭子にとっても大きな利益になる。

 だが、それでも、『これを受ける必要』はない。

『これは魅力的だな。だが、シンデレラガールなら――』

 もっと大きなイベントをすることもできる。そう言おうとした瞬間、

『はい』

 Pがその言葉を遮って、続けた。

『なので、「シンデレラガール」の恩恵を全力で使わせてもらいたい、と思いまして』

 聞き間違いか? と思った。
 しかし、目の前のPは真剣な表情をしていた。まったく表情を変えることなく、動揺することなく、当然のようにそう言った。

『――は』

 たえられなかった。そんなこと……そんな、ふざけたこと。

『ははははは! 面白い! 面白いな! 確かにそれなら、十分に受ける価値がある!』

 Pが言ったこと。それは『そちらが持っている権利を利用させてほしい』という図々しいものであったが、だからこそ、蘭子側にとっても大きな意味を持つものだった。

『シンデレラガール』という称号は、ただそれだけでも十分に力を持つ。
 事務所の看板であるが、その前にそれだけ人気があるということでもあるのだ。
 選べるほどに仕事が来るし、それだけ大きなイベントの参加も依頼される。

 だが、シンデレラガールの特権はそれだけに収まらない。一年間事務所の看板になって、推される。
 それはつまり、それだけ『使えるもの』が大きいということになる。
 それを全力で使ったならば――そのイベントは、蘭子にとっても大きな価値がある。

 そのイベントをわざわざアナスタシアとする意味があるかと言えば、必ずしもそうというわけではない。それはPも理解しているだろう。
 だが、それでも――その提案は、面白かった。蘭子のプロデューサーの頭の中で、一気に思考が展開される。

 ソロライブは数ヶ月前にやったばかりだ。
 この時期ならばソロでのイベントよりも他のアイドルとの合同イベントの方が大きなものができる。
 アナスタシアというのは絶好の相手だ。渋谷凛や高垣楓、それから二宮飛鳥もいいが――確か、予定はもう埋まっていたはずだ。765プロなんかも面白いが、問題がないわけじゃない。それに……。

 アナスタシアである『必要』は確かにない。だが、アナスタシアという相手は、この状況ではベストに近い。
 そして、そのことも踏まえて、Pはこれを提案してきている。
 おそらく、これから自分が言う言葉もPは予想しているだろう。
 だからこそ、この提案は、大いに受ける価値がある。

『受けよう。だが、企画の主導権はこちらが握らせてもらう。それでもいいか?』

『もちろん。では、交渉成立、と言うことで』

 Pは即答した。最初からそのつもりだったのだろう。そうすれば、もう断る理由はなかった。

『ああ。これからよろしく』

『よろしくお願いします』

 そうして、固く握手をした。……あの時のことは、今思い出しても笑えてくる。




186: ◆Tw7kfjMAJk 2017/04/19(水) 21:23:17.62 ID:nhXCd10e0


「――プロデューサー、変な顔してる」

「そうか?」

「うん」

 蘭子が柔らかく微笑んでいる。その微笑みを見ていると、自分まで心が優しい気持ちで満たされるようだ。髪がしっとりと濡れて、それが光を反射していることも――って。

「蘭子、すまん。そのままじゃ寒いだろ。汗、流してきた方がいいんじゃないか?」

「あ」

 どうやら蘭子も気付いていなかったらしい。だが、これはプロデューサーである自分が気付かなければならないことだった。
 話に付き合わせてしまったが、それは汗を流してからの方が良かっただろう。

「本当にお疲れ様、蘭子。シャワーを浴びたら、後で話したいことがあるから――」

 そこまで言って、プロデューサーは思い出した。そうだ、話したいことがあった。これだけは、早めに言っておいた方がいいだろう。
 そう判断して、プロデューサーは言う。

「蘭子。アーニャちゃんとの合同ライブの会議、蘭子も参加してみないか?」

 と。



187: ◆Tw7kfjMAJk 2017/04/19(水) 21:23:54.20 ID:nhXCd10e0


      *

 事務所、第二会議室。
 そこにはアナスタシアと神崎さんの合同イベントのために、様々な人が集まっていた。
 僕と先輩を含めた二十数名。デザイナーやプロモーター、マーケティング部、営業部……CGプロの内外問わず、様々な人が集まっている。

 そして――それに加えて、アナスタシアと神崎さん。

 そう、先輩が言っていた『参加させたい人』というのは神崎さんのことだったのだ。
 アイドルをこういった会議に同席させるなんてこと、僕は考えもしなかった。
 だが、神崎さんはしばしばこういった会議に参加しているらしい。
 何なら、最初の企画立案に関わっていることも多いと言うから驚きだ。

 しかし、それで『シンデレラガール』になるということは、神崎さんのプロデュースに関してはそれで正解なのだろう。
 実際、神崎さんによって出された提案は面白いものが多かった。神崎さんの世界、とでも言えばいいのだろうか。それが波のように伝わってくる。

 なるほど、これは素晴らしい。だが、これがアナスタシアの参考になるかと言えば……どうだろうか。わからない。
 アナスタシアは興味深そうに聞いているが……まあ、何か刺激をもらってくれればそれでいい。そのために連れてきた、というところもあるのだから。

 会議は順調に進んだ。神崎さんに負けじとアナスタシアの魅力を語り、アナスタシアについてどういうものをしたいのかを全力で話していると先輩に「落ち着け」と言われたことがあった、というくらいだ。

 そしてライブバトルの話になった。もちろん、ライブバトルに関する戦略を相手がいるところで話すわけにはいかない。
 ただ、せっかくアナスタシアと神崎さんがいるのだから、と二人に意気込みを聞きたい、と言う人がいたので、聞いてみることにした。

「意気込み……ですか」

 ンー、とアナスタシアは考え込む様子を見せた。しかし、それは一瞬のことで、彼女はすぐに神崎さんの方を向いて言った。

「蘭子。私は負けません。必ず、勝ちます。だから――一緒に、頑張りましょう!」

 その言葉に、周囲は少しの間固まった。
 まあ、そうだろう。『シンデレラガール』を相手に『勝つ』と断言するのはなかなかできない。『全力を尽くす』とか『胸を借りるつもりで』とか、そんな言葉で濁すのが普通かもしれない。 
 だが、アナスタシアがそんな言葉で濁すわけがない。まっすぐに、自分の気持ちを伝える。それでこそ、アナスタシアだ。
 そして、そう思ったのは僕だけではないらしい。

「クックック……銀の天狼よ! 私も同じ気持ちよ。天の星を落とし、この地に魔界を顕現させましょう!」

 ……神崎さんの言葉の意味はよくわからないが、まあ、同じ気持ちと言ってるからには同じ気持ちなんだろう。たぶん。

「銀の……天狼?」

 そう呟いたのはライブバトルの担当者だ。確かに、その言葉は初耳だった。呼び名が変わったのだろうか。
 だが、それ以外ではなくそこを気にするとは……神崎さんの言葉には、もう慣れているのかもしれない。

「――いいね! 銀の天狼……いつまでも『新星』って言うのもどうかと思ってたんだよ。うん、うん……次からは、『銀の天狼』でいこう!」

 は? 何が?
 いや、わかっている。アナスタシアのことだ。……天狼。天狼とは、なんだったか。どこかで聞いたことがあるような気がするのだが……。

「いいですよね? ね?」

 彼が机に乗り出して尋ねてくる。
 そもそも、『新星』というのを決めたのも僕ではないのだが……しかし、ここで『勝手にしてくれ』と思うわけにもいかない。
 せっかく決めることができる機会なら、よく考えるべきだろう。

「……プロデューサー」

 どうするべきか。僕が考えていると、隣に座るアナスタシアが言った。

「私……それが、いいです」

「……そうか」

 なら、決定だ。アナスタシアがそれがいいと言うのなら、そうするべきだと思う。僕がそう言うと、彼は嬉しそうに笑った。

 それからは特にもう何もなかった。今回話したことをまとめて終わった。
 会議が終わった後、『天狼』という言葉について調べると、すぐに答えは出た。……確かに、これならアナスタシアも『それがいい』と言うだろう。

 もっとも、名前がそうなっただけでは意味がない。
 ここで勝って……その名前を、本当にする。
 心の中で、そう誓った。



188: ◆Tw7kfjMAJk 2017/04/19(水) 21:25:29.01 ID:nhXCd10e0


       *

 クリスマス。
 今日はアナスタシアも休みだ。朝にランニングはしたらしいが、それくらいは健康的の範疇だろう。そこまで制限しようとはさすがに思わない。
 今は朝の九時。今日は僕も休みをとり、アナスタシアと過ごすことになった。その待ち合わせをしているところだ。

「――Pさん! 早いですね。おはようございます!」

 そう言いながらこちらに駆けてきたのはルキちゃん。私服姿を見るのは珍しい。見るのが初めて、というわけでもないが。

「おはよう、ルキちゃん。アナスタシアもそろそろ来るって」

「そうですか。……でも、わたしが誘われるなんて、思ってませんでした」

 僕も自分が誘われるとは思っていなかった。ただ、アナスタシアがホームパーティーを好きだと言っていたから、それを提案しただけだ。
 クリスマスを故郷で過ごせないのならばせめて、と思い提案したのだが……その時のアナスタシアのよろこびようは凄まじかった。まさか、あそこまでよろこばれるとは……。

 そうした結果、提案者の僕はもちろん、ちょうどルキちゃんもクリスマスは空いていたらしく、参加することになった。
『クリスマスを空いているか』と尋ねた時のルキちゃんは……思い出すと、おかしくて笑ってしまう。

「? 何を笑っているんですか?」

「いや、クリスマスの予定を聞いた時のルキちゃんを思い出してね」

「……忘れて下さい」

 ルキちゃんは顔を赤くして言うが、忘れるわけがない。あの不機嫌そうな顔をして、『ないですけど、何か?』と言った時のルキちゃん……クリスマスを楽しむ人々を呪っているような顔だった。

「でも、意外だったよ」

「何がですか。わたしがクリスマスを気にしていたことですか。わたしだって年頃の女の……子かどうかはわかりませんけど、友達はみんな彼氏と云々言うんですもん。すさんじゃっても仕方ないですよ」

「いやいや、そうじゃないよ。ただ、ルキちゃんもアイドルみたいにかわいいのに、浮いた話がないなんて意外だ、って思ったんだよ」

「それ、口説いてるんですか?」

「そう思うか?」

「思いません。……ありがとうございます。でも、Pさんも悪いんですよ?」

 僕が? 僕が何かしただろうか。

「レッスンの時間が……その……」

「……すまない」

 いや、うん。確かにこれは僕が悪い。ルキちゃんは一応まだ学生だ。学生とトレーナーの二足のわらじを履いているのだから、そんな時間がなくても仕方ないだろう。

「あ、で、でも、わたしも楽しいんですよ? アーニャちゃんはすごく頑張ってくれていますし、わたしもやりがいがあります! だから、その……すみません。今のは、ちょっと、愚痴になってしまいました」

「いや、大丈夫だ。僕も君に仕事をさせすぎたかもしれない」

「だからっ」

「でも」

 慌てるルキちゃんに、僕は言う。

「だからと言って、今さら君以外にアナスタシアを任せることはできないよ。これからもよろしく」

「……はいっ!」

 ルキちゃんは笑顔でそう言ってくれる。……本当にルキちゃんには世話になっているな、と思う。今日、少しでも楽しんでくれるといいのだが。

「プロデューサー、ルキ。待ちましたか?」

 そうしていると、アナスタシアが来た。そこまで待ってはいない。そう答えると、アナスタシアには「そうですか」と言われたのだが、ルキちゃんには少し怒られた。

「こういう時は、今来たところ、って言うんですよ」

 しかし、今来たところではないからな……そう言えば、加蓮にも同じようなことを言われたことがあったような気がする。……去年のクリスマスは、彼女と一緒に過ごしたな。

「……プロデューサー?」

「Pさん? どうか、しましたか?」

 そう言われて、ハッとする。……今、僕がともにいるのは、アナスタシアとルキちゃんだ。それなのに、いったい何を考えているのだ、僕は。

「……いや、すまない。何もないよ。そろそろ行こうか」

 僕はそう言って歩き始めた。アナスタシアとルキちゃんは少しの間不思議そうにしていたが、それ以上は何も聞かずに隣を歩いてくれた。

 ……ありがとう。

 今はただ、そう思った。



189: ◆Tw7kfjMAJk 2017/04/19(水) 21:26:23.65 ID:nhXCd10e0


      *

 ホームパーティーと言っても、僕には経験がない。まあ、家でパーティーをすればいい……のだと思う。
 アナスタシアに何かこだわりがあるのかと尋ねたが、「大丈夫です」と答えられたので、大丈夫だと思うことにする。

 開催場所は僕の家。参加者は僕とアナスタシアとルキちゃんである。
 僕の家になった理由は女子寮もルキちゃんの家も無理だから、ということでしかない。
 引っ越しの時は女子寮に入らせてもらったが、あまり入らない方がいいというのは確かだ。
 ルキちゃんの家は……ルキちゃんがお姉さん方に『クリスマスは男の人と一緒に過ごしてくるから』と言って来たらしい。
 ……間違ってはいないが、どうして見栄をはっているのだ。僕が溜息をつくとルキちゃんは目をそらしていた。
 まあ、最初からルキちゃんの家まで借りるつもりはない。さすがにそれはお邪魔だろう。

 ということで僕の家になったのだが……僕の家にパーティーをするためのものなど何もない。そもそもあまり物がない。
 よって、ホストである僕はゲストであるアナスタシアとルキちゃんと一緒にパーティーに必要なものを買いに来たのである。

「最初に何を見ればいいんだ?」

 と言っても、僕は本当に何もわからない。何が必要なのかすら、だ。

「最初に、って言うと難しいですね。そんなに重いものはダメですし」

 ルキちゃんの言葉に、車で来た方がよかったかもしれない、と思う。だが、ないものを考えても仕方ない。

「ンー……一通り見て回ってから、いったん昼食をする、というのはどうですか?」

 アナスタシアの提案に僕はうなずく。

「そうだな。荷物ができる前に昼食はとっておいた方がいいだろうし、それなら効率的に動けるか」

 これで一応の行動予定は決まった。僕たちはパーティーに必要なものを探しに回りながら会話を続ける。

「Pさんの家って、キッチンはどうなんですか? 道具とか、設備とか」

「あまり使ってないが、一通りは揃っているはずだ」

「なら、料理もできますね。アーニャちゃん、一緒にしよっか」

「ダー♪ ルキとの料理、楽しみです」

「ん、作るのか。買って帰るのかと思った」

「それもいいですけど、今日は時間もありますから。それに、Pさんの健康も気になりますし」

 それを言われると弱い。僕も健康に気を遣っていないわけではないのだが、ルキちゃんに言わせれば『不健康』でほっとけないらしい。

「それから、パーティーなんですから、何か遊ぶようなものも……ボードゲームとか?」

「そういう意味なら、アナスタシアが出演した映像なんかはぜんぶ録画してあるが」

「クリスマスにそれを見るの、ってどうなんですか?」

「? おかしいですか? ルキ。クリスマスに家族の映像、見ませんか?」

「家族……ふふっ。確かに、それならおかしくないかも」

「ダー。ですから、ルキとプロデューサーの映像も見せて下さいね?」

「そ、それはちょっと……」

「ルキちゃんの映像ならあるが、僕の映像はないな」

「なんであるんですか!?」

「楽しみですね、ルキ♪」

「こわいです……」

 朗らかに笑うアナスタシアとがっくりとうなだれるルキちゃん。……まあ、実を言えば僕の映像もあるにはあるが、学生の頃の映像なので恥ずかしい。二人にはバレないようにしたいところだ。

 話が僕の映像だけないのは不公平……なんて方向に進む前に、僕は話題を変える。

「あとは……クリスマスだし、プレゼントとか、か。まあ、僕はもう買っているから問題ないな」

「えっ」

「ダー。私も、もう買っています」

「えっ!?」

 ルキちゃんがあからさまに驚く。どうして驚いているのかは……なんとなくわかる。




190: ◆Tw7kfjMAJk 2017/04/19(水) 21:26:51.43 ID:nhXCd10e0


「……ど、どうしよう。わたし、何も用意してません……」

 案の定、彼女は何も用意してなかったらしい。だが、何も話してなかったのだ。用意していなかったとしてもおかしくはないだろう。僕はルキちゃんをフォローする意味もこめて言う。

「大丈夫だよ、ルキちゃん。僕はルキちゃんとアナスタシアにはお世話になっているから用意しただけだ」

「私も、ルキとプロデューサーにはお世話になっていますね? だから、用意しました」

「そ、それ、わたしだけ二人にお世話になっていないみたいじゃないですか……わたしが恩知らずみたいじゃないですか!」

 どうやらフォローにならなかったらしい。ルキちゃんはあわあわと慌てて、それから、ぐっと拳を握る。

「……きょ、今日、買います! 二人には付き合ってもらいますからね!」

「あんまり無理はしなくてもいいよ、ルキちゃん」

「ダー。無理はしないで下さいね?」

「アーニャちゃんに言われると自分が情けなくなってくるからやめて……」

 そんな風に話しながら、僕たちは買い物をして歩いた。
 ふと周りを見てみると、街中には神崎さんの広告があった。さすがはシンデレラガール。
 そう思っていたところに、今回のイベントの広告も見えた。アナスタシアと神崎蘭子。二人のイベントの広告。

 ……こういうのを見ると、なんだか、嬉しくなるな。
 今回はシンデレラガールの力を借りたものだが、いつかは……。

「プロデューサー?」

「早く来ないと、置いていっちゃいますよ? Pさん」

 アナスタシアとルキにそう言われて、僕は慌てて歩き出した。

「すまない。今行くよ」

 今日はクリスマス。年末年始にも休みはあるが、やることはたくさんある。
 だからこそ、今はこの時を楽しもう。
 そして、それが終われば――



191: ◆Tw7kfjMAJk 2017/04/19(水) 21:27:19.66 ID:nhXCd10e0


      *

 クリスマスから一ヶ月ほどが経過した。

 その間にも様々なことがあった。アナスタシアと神崎さんのイベントを告知するために番組に出たり、映像を撮影したりした。
 二人である商品のCMを撮影することもあった。二人でちょっとしたイベントを開催したりすることもあり、この時期は一時的にユニットとして活動しているところもあった。
 もちろん、実際にユニットとして活動しているわけではなかったが……それに近いものではあった。

 アナスタシアも僕も、様々なことを経験させてもらった。この時点で、今回の企画は既に大成功と言ってもいいだろう。
 それくらいは盛り上がっていたし、好評だった。アナスタシアだけではなく、神崎さんにとっても良いものになったと断言できる。

 だが、まだ最後のイベントが残っている。
 ライブバトル。
 今回の企画の集大成とも言えるものが、迫ってきていた。



192: ◆Tw7kfjMAJk 2017/04/19(水) 21:27:45.50 ID:nhXCd10e0


      *

 ライブバトル当日。
 加蓮とのライブバトルの時の会場も大きかったが、今回のライブバトルはその時よりもさらに大きな会場で行われる。

 ライブバトルでもグッズが販売されることはあるが、今回はこのライブのためのグッズが多く販売された。
 神崎さんとアナスタシアはユニットを結成したわけではなく、そのようなグッズが次にいつ販売されるのかはわからない。
 既に受注生産することは発表されているが、それでも早朝から物販の列に並ぶ人でいっぱいだったことは確かである。

 今回の企画が大規模なものだったことは認めるが、それほど期間が長かったわけでもないのにここまで様々なものができるとは……僕も忙しかったが、関係各所がどれだけ多忙だったのかは想像に難くない。

 さて、それはそれとしてライブバトルだ。
 アナスタシアの調子は万全。
 できることはすべてしたつもりだ。
 あとは――舞台の開幕を待つのみだ。



193: ◆Tw7kfjMAJk 2017/04/19(水) 21:28:12.99 ID:nhXCd10e0


      *

「さてさて皆様! 盛り上がる準備はよろしいでしょうか! ライブバトル、そろそろ始まりの時間です! 今日のライブバトルは一ヶ月ほど前から行われてきた神崎さんとアナスタシアさんのコラボレーションの集大成! これで終わってしまうのはもったいない、と思う方もいらっしゃると思います! 私もそう思う! しかし! これは終わりではなく始まりなのです! 今まで仲良く私たちを楽しませてくれた神崎さんとアナスタシアさんの輝きをともに見届けようではありませんか! さて、皆様もう承知のことと思いますが、今回のライブバトルの参加者を紹介したいと思います! まずは『シンデレラガール』神崎蘭子さん! そして『銀の天狼』アナスタシアさんです!  アナスタシアさんのこの『銀の天狼』という名前は神崎さんが付けたという話! プライベートでも仲が良いという二人のこの戦いの結末はいったいどうなるのでしょう! 私も楽しみで仕方ありません! 今回の先手はアナスタシアさん、後手が神崎さんで行われます! ……では! アナスタシアさんのステージまで、もうしばらくお待ち下さい!」




194: ◆Tw7kfjMAJk 2017/04/19(水) 21:28:41.28 ID:nhXCd10e0


      *

 観客席。

「あ、かれんだ」

 後ろから聞こえたその声に、加蓮はびくっと身を震わせる。そしてあからさまに嫌そうな顔をして、声に振り向く。

「……未央」

「うわ、何その顔。未央ちゃん傷付くなー」

 演技がかった調子で言う未央に、加蓮は溜息をつく。私とアーニャちゃんのライブバトルにも来てたらしいけど……まさか、こんなところで会うなんて。
 しかし、未央も同じことを思っていたらしい。「いやー、かれんが来るのって、結構意外かも。アーニャを気にしていることは知ってたけど、会場には来ないって思ってた」そんなことを言いながら、彼女は加蓮の隣に座る。

「……未央がどこまで知ってるかは知らないけど、今回のステージは、見ておかなくちゃいけない、って思ったから」

 未央は凛と同じニュージェネレーションのメンバーだ。しかし、凛が加蓮の事情を話すとも思えない。
 Pさんが私の元プロデューサー、ということくらいは知っているだろうけど……それ以上のことも気付いているように思える。
 未央のそういったところはありがたいと思うこともあるが、今は厄介だ。

「そうなんだ。まあ、今回のライブバトルは要注目だもんね。らんらんとアーニャの、なんて……本当に、面白そう」

 未央の目に一瞬、獰猛な光が宿る。しかし、それは本当に一瞬のことで、すぐに消える。
 ……凛とは違うけれど、未央もすごい目をする時があるな、と加蓮は思う。だからと言って、もし戦うとしても負ける気はないけど。

 戦うと言えば、アーニャちゃんだ。今の彼女は、私とライブバトルをした時と比べても、明らかにパフォーマンスが良くなっている。

「……それでも、『シンデレラガール』が相手なら」

 今のアーニャちゃんの実力がどこまで伸びているかはわからないが……無謀とまでは言わないまでも、勝つことは難しいだろう。

「未央は、どう思う?」

 ふと、思ったので尋ねてみた。

「今回のライブバトル……どうなると思う?」

 隣に座るのは本田未央。間違いなく、トップアイドルの一人である。
 そんな彼女がどう思うのか、気になった。

「どうなるか……うーむ、それは難しい質問ですね」

 どこかの学者の真似でもしているのだろうか。顎に手を添えて、考えこむようなポーズをとっている。

「らんらんはかれんの言う通り『シンデレラガール』。実力は間違いなしだよね。他と比べることができない独特の世界観。そしてそれを表現することのできる豊かな表現力。らんらん自身はかわいいんだけど、ステージに立つと――らんらん風に言えば、『魔王』が顕現したように、一気に雰囲気が変わる。『シンデレラガール』にふさわしいし……何より、『アイドル』の一つの究極なんじゃないかな、って思う」

 未央の言葉に、加蓮は内心驚いていた。自分も近いことは思っていたけれど、未央がそう評価するなんて。
『アイドル』の一つの究極……確かに、そうかもしれない。『神崎蘭子』というアイドルは、それくらいの存在だ。
 だが、それを言葉にするということ……それも、本田未央が言った意味。それを考えると、加蓮は驚かずにはいられなかった。
 そんな加蓮の驚きに気付いているのか気付いていないのか、未央は続ける。

「そして、アーニャ。アーニャはすごいよね。しぶりん級にストイック、ってこともあるけど……まだデビューして一年も経っていないのに、ここまで来るなんて。かれんとのライブバトルくらいまでは表現力に課題があるかな? って思ったけど、それも最近はどんどん良くなってきてる。たぶん、かれんのステージがきっかけだね。聞いた話では、しぶりんのレッスンも取り入れているみたいだし……今はどこまで成長しているのか、私でもちょっとわからないかも」

 つまり、と未央は言って、加蓮に笑いかける。

「今のところ、わからないかな! どっちが勝ってもおかしくないかも」

「……『シンデレラガール』が相手でも?」

「うん。私が相手なら、どっちでも私が勝つけどね」

 ……そうか。未央は、そう思うんだ。
 未央の予想は加蓮とは異なるものだったが、どうしてか、自然と受け入れることができた。
 今のアーニャちゃんなら――そして、今のPさんなら。
 確かに、どうなってもおかしくないかもしれない。

「……がんばって」

 誰に向けたのでもなく、加蓮はそうつぶやいた。



195: ◆Tw7kfjMAJk 2017/04/19(水) 21:29:10.56 ID:nhXCd10e0


     *

 舞台袖。

「準備はいいか? アナスタシア」

「ダー」

 アナスタシアがうなずく。それを見て、僕はアナスタシアに激励するつもりで、言葉を重ねる。

「わかった。それじゃ――この会場を、君の輝きで焼き焦がしてやれ、アナスタシア」

「……蘭子みたいな言葉、ですね」

 くすっ、とアナスタシアが笑う。……確かに、そうかもしれない。
 だが。

「それ、今言うことか? そう思わせるような言葉を使った僕が悪いのかもしれないが……」

「ニェット。嬉しいですよ、プロデューサー。元気、もらえました」

「……なら、いいんだが」

 なんだか、締まらない。何かアナスタシアを勇気付けられるような、勇ましい言葉がないか……僕が考えていると、アナスタシアがこちらを見て、微笑んだ。

「それでは、プロデューサー。――勝ってきますね」

 ……そんなことを言われたら。

「ああ」

 僕の返す言葉は、一つしかない。

「勝ってこい、アナスタシア」

「ダー♪」

 アナスタシアは輝くように笑い。
 そして。

 ステージへと、歩き出した。



196: ◆Tw7kfjMAJk 2017/04/19(水) 21:29:39.90 ID:nhXCd10e0


      *

 観客席。
 そこには一人の青年がいた。
 彼はアナスタシアのファンであり、彼女が初めて行ったインストアイベントのお渡し会で、最初にアナスタシアと言葉を交わした青年だった。

 彼は今、緊張していた。アナスタシアの人気はぐんぐん伸びてきているが、それでも蘭子に比べると劣ってしまう。
 やはり『シンデレラガール』は別格であり、これまでのイベントでも明らかに蘭子のファンの方が数は多かった。

 ファンの数がそのままライブバトルの結果を示すわけではない。しかし、それでも……まったくの無関係、というわけでもないだろう。
 だからこそ、頑張らなければ。青年は思う。しかし、アナスタシアの曲は――いつも通りの曲であれば――コールなどはしない。盛り上げるような曲ではないし、特に頑張るようなことはできない。
 できることは、応援すること。
 それだけだ。

「――さあ! そろそろ開幕の時間です! 皆様、今度こそ準備はよろしいでしょうか! よろしいですね? それでは! アナスタシアさんの登場です!」

 そんな声とともに、会場の照明が落ちる。
 それから、ステージの照明が灯り。
 アナスタシアが、ゆっくりと舞台袖から姿を現す。

 ――ん?

 青年は最前というわけではないが、ステージからそこそこ近い位置にいた。
 だから、彼女の表情が見えた。
 アナスタシア。
『シンデレラガール』という強敵を相手にした、彼女は。
 その、表情は――

「……笑ってる?」

 そして。
 曲が始まる。



197: ◆Tw7kfjMAJk 2017/04/19(水) 21:30:17.76 ID:nhXCd10e0



 ――【You're stars shine on me】




198: ◆Tw7kfjMAJk 2017/04/19(水) 21:30:46.36 ID:nhXCd10e0


 それは、恋の歌。
 星を連想される言葉が多く含まれたバラードである。

 今までこの曲は切なく歌い上げられることが多かった。
 歌詞からもそれは非常にこの歌に合っていた。

 しかし、北条加蓮とのライブバトル以降、その歌い方にブレが生じていた。
 それは敗北のショックから来るものだと思っていた。
 今は調子を崩しているのだろう。またすぐに調子を戻してくれるはずだ。

 そう、思っていた。
 だが。
 今、歌われている、この曲は――

 音楽的な知識や芸術的な知識もない青年でも、違いに気付いた。

 青年の席から少し離れた場所――関係者席に座る加蓮は、同業者だからこそ、アナスタシアの歌い方がどう変化したのか言語化して考えることができた。

 歌の解釈が、深まっている。

 表情だけではない。些細な仕草。そして、声――一つ一つは大きな変化ではない。
 だが、すべてが合わさればそれはとても大きな変化をもたらす。

 歌に対する解釈、曲に対する解釈を深めることは音楽に関わる者にとって非常に重要なことだ。作曲家と作詞家の意図――それだけではない、もっともっと深い解釈が求められる。

 この歌は、どのように歌えばいいのか。

 これは、どんな気持ちなのか。

 どのように歌えば、その気持ちが伝わるのか。

 どうすれば、どうすれば、どうすれば?

 それを考え続けて、歌う度にその段階での解釈を出している。それが歌い手というものだ。
 今回のアナスタシアの歌は、以前聴いたものよりも明らかに解釈が深まっていた。
 解釈を深めて、理解を深めて。
 そして、どのように歌えば、その気持ちを伝えることができるのか。
 それについて考え抜いたことが聴いているだけで理解できた。

 アナスタシアの姿の中に、この歌に歌われる少女の姿が重なる。

 恋をしている少女が、独り、夜空を見上げている。
 淋しさを懸命に耐えて、恋する相手のことを思い出している。
 彼のことを思い出すと、胸が優しさと切なさでいっぱいになって……涙が頬を伝っていく。
 今は会えない彼のことを夜空に想う少女の姿は、見ているだけで、こちらの胸が締め付けられそうになる。

 少女が見上げる夜空には、星が輝いている。
 ふと気付くと、どんどんその輝きが増していっていることに気付く。
 少女はその光に手を伸ばす。それを見て、私は安心して――少女の表情が、今までのどんな表情よりも切なく、恋しいものになっていると気付く。

 どうして? どうして、そんな顔を……そう思ったのもつかの間、星の輝きは最高潮に達して、溜め込んだ光を解き放つように、すべてを包む。
 その光は、あたたかくて……だからこそ、何が起こったのかを知ってしまう。

 ああ、そうなんだ。
 だから――

 冷たい風が肌を撫でて、彼の温かさを痛感する。
 私は夜空を見上げて、星を探す。
 淋しさが身を包む。寒さが身を包む。

 ――彼は、そこにいない。
 涙があふれ出しそうになる。でも……。
 その涙を懸命にこらえて、私は夜空を見上げる。

 あなたは、そこにいる。
 私は、あなただけを、見つめている――

 ぽろっ、と加蓮の目から涙がこぼれた。
 うそ……最初は、自分でも信じられなかった。
 でも、信じるしかなかった。

「……すごいね、アーニャちゃん」

 曲が終わり、会場が沈黙に包まれる中。
 加蓮は、小さくつぶやいた。

 瞬間、思い出したように会場からぱちぱちと控えめな拍手が鳴り出して。

 その拍手に意識を戻された観客たちは立ち上がり、大きな拍手と歓声を上げた。



199: ◆Tw7kfjMAJk 2017/04/19(水) 21:31:17.81 ID:nhXCd10e0


      *

「わぁ……」

 舞台袖。蘭子がぱちぱちと拍手をしている。それを見て、プロデューサーは呆れながらも笑っている。

「良かったな、アーニャちゃん」

「うん! やっぱり、アーニャちゃんはすごいなぁ……」

 対戦相手に素直に感心するなんて……と思いはするが、なんとなく、アーニャちゃんも蘭子のステージを見ると同じような感想を言うような気がした。
 そう考えるともっとおかしくて、プロデューサーはくつくつと笑う。

「……そんなに、おかしい?」

「いや、蘭子はそれでいいと思うぞ」

 そう言って、尋ねる。

「それに――負けるつもりは、ないだろう?」

 その質問に、蘭子はいったん、きょとんとして。

 それから、大きく笑い声を上げた。

「アーッハッハッハ! 言うまでもないわ! 銀の天狼……彼女の輝きは、素晴らしいものだったわ。だが! 我を消し去るには至らない! 今ここに、真の魔王は覚醒する!」

 蘭子はプロデューサーに目を向ける。

「我が友――プロデューサー」

 そして、言う。

「見てて」

「ああ」

 それだけで良かった。
 それ以上、もう、言葉はいらない。

「――それでは皆様! 涙は乾きましたか? 次は、『シンデレラガール』神崎蘭子さんの登場です!」

 そんな声が響いた。

 ――さあ、見るがいい。

 今ここに、真なる魔王が顕現する。



200: ◆Tw7kfjMAJk 2017/04/19(水) 21:31:45.65 ID:nhXCd10e0


      *

 一歩。

 ただ一歩、その身を出しただけで、彼女は会場中の注目を集めた。

 アナスタシアのステージ、その余韻。
 それに浸って、もう満足すら覚えていた人々に。

 彼女は、ただの一歩だけで、彼らの意識を覚醒させた。
 彼女の姿を見ただけで、人々は、魔王の存在を思い出した。

 一歩、また一歩。

 彼女が歩いていくごとに、心臓が胸を打った。
 どくん、どくんと心臓が胸を打つ。

 鼓動の音が聞こえる。
 呼吸の音が聞こえる。

 風が吹いている。

 ステージから、こちらに向かってくる風。
 その風は、彼女が歩くごとに強さを増す。

 心臓の鼓動がうるさい。
 呼吸の音がうるさい。
 感覚が鋭くなっている。

 いつからか、瞬きをしていないことに気付く。
 だが、そんなことは些細なことだ。
 彼女の歩く姿が見える。
 彼女の衣装が見える。
 その一つ一つから、目が離せない。

 息をのむ。
 心臓の鼓動が聞こえる。
 呼吸の音が聞こえる。

 風が吹いている。

 彼女がステージの中央に至り、こちらを向く。
 口紅の塗られた唇が開いて――その息が、こちらにまで届いてくるような錯覚を覚える。

 その双眸は紅く、髪は灰。
 白皙にして、漆黒の装束。
 その瞳は魔をも魅了し、ただそこに在るだけでこの世のすべてを従える――

 彼女の名は、神崎蘭子。
 当代のシンデレラガールであり――

 この世を統べる、魔王である。



201: ◆Tw7kfjMAJk 2017/04/19(水) 21:32:13.08 ID:nhXCd10e0



 ――【華蕾夢ミル狂詩曲~魂ノ導~】




202: ◆Tw7kfjMAJk 2017/04/19(水) 21:33:30.89 ID:nhXCd10e0


 イントロがかかった時には、既にそこは蘭子の世界。
 一度そこに足を踏み入れたが最後、二度と戻ることはできない。

 神崎蘭子というアイドルの才能――それは、『世界』をつくることだ。
 創世のアイドル――それが神崎蘭子というアイドルと言っても過言ではないだろう。

 神崎蘭子。彼女は、神がアイドルになることを選んだようだ――彼女のプロデューサーである男は思う。
 アナスタシアのプロデューサー――Pは蘭子のことを『天才』と評した。
 ああ、確かにそうだろう。神崎蘭子は天才だ。自分だってそう思う。
 だが、Pにそう言われて、いちばん最初に思い浮かんだのは――彼女と初めて会った時の姿。折れたヒールに手を伸ばす、小さな少女の姿だった。

 神崎蘭子――初めて会った時から、彼女には驚かされてばかりだった。
 あの言葉にも驚かされたものだが……そんなことは些細な問題だ。

 はっきり言って、彼女はあまり強い少女ではなかった。『弱かった』と断言してもいい。
 内気で、恥ずかしがり屋で――そして、弱い。
 アイドルに向いているとは言えない性格だ。
 そう、彼女が『それだけ』の人間だったならば――彼女は、アイドルにはなれなかっただろう。

 だが、彼女はそれだけではなかった。
 彼女は弱く――しかし、『強くなろう』としていた。
 だから、自分は彼女のプロデューサーになりたいと思った。なりたいと願った。
 神崎蘭子。彼女は弱い。だが、だからこそ――憧れるほどに、強かった。

 アイドルとして成長していく内に、彼女の才能に気付いた。
 それこそが、『創世』の才能――言葉はその一部であり、その時初めて、彼女の才能の大きさに気付いた。
 彼女ひとりだけだったならば、その才能が日の目を見ることはなかったかもしれない。
『プロデューサー』のような存在がいなければ、今の蘭子はいないとすら思える。

 運命――最初に自分が言った言葉を思い出した。
 神崎蘭子の才能は人の身には余るほど大きい。
 神に選ばれたかのように――神にそう望まれたかのように、彼女は『アイドル』としての資質に恵まれていた。

 そして、その運命もまた、神が彼女をアイドルにするためだったようにすら思えた。
 神にすら、『そうあれかし』と望まれた存在――それが神崎蘭子なのかもしれない。
 神崎蘭子はシンデレラガールである。
 灰かぶりの少女が、お姫様になる物語――その主役にふさわしい。




203: ◆Tw7kfjMAJk 2017/04/19(水) 21:33:58.33 ID:nhXCd10e0


「だが」

 舞台袖。
 プロデューサーは笑う。

「蘭子は、『お姫様』じゃ、ないよな」

 創世の神よ。
 お前は神崎蘭子をこの世に生んだ。
 だが、だからと言って、彼女はお前の所有物ではない。
 なぜなら、彼女もまた創世の才を持つ者なのだから。
 彼女は魔王。
 天にすら牙を剥く存在。
 そして――

 プロデューサーはステージで歌う担当アイドルの姿を見る。
 彼女のステージは終わりを迎えようとしていた。

『華蕾夢ミル狂詩曲~魂ノ導~』。
 この曲に対してまず思うことは『神崎蘭子らしい曲だ』ということだろう。
 神崎蘭子の世界――それにふさわしいダークで格好いいメロディと彼女の世界を現すような歌詞。
 そこに乗る彼女の声はどこかかわいらしいところもあり、また格好良さも備えている。
 可憐さと格好良さ――その二つを両立している。

 この曲の歌詞が解釈によればかわいいものに見える、というのも彼女らしいと思える理由だろう。
 彼女の持つ才能は『創世』と言ったが、彼女がそれだけのアイドルなのかと言えば、それは違う。
 彼女は純粋にかわいいアイドルでもあるのだ。
 アイドルとしての、魔王としての『神崎蘭子』ではなく、一人の少女としての神崎蘭子自身。彼女が持つ生来のかわいさもまた、彼女の魅力である。
 そしてそれがまた、彼女の世界をさらに魅力的にして――それがまた、彼女のかわいさを際立たせる。

 ダークなメロディに甘い歌声。
 自らの世界を創り出し、それを伝えることができるだけの表現力。
 そして――そのために努力することができる、精神力。

 魔王であり、少女でもある。
 彼女の名は、神崎蘭子。
 当代のシンデレラガールであり――

「最高の、アイドルだ」

 曲が終わった。

 神崎蘭子はステージの上に立っている。
 その髪は汗でしっとりと濡れて、ステージライトの光を反射していた。
 息を吸って、吐いて。吸って、吐いて。
 それから、彼女は思い出したように観客席を見回した。

 それを見て、ようやく観客たちは彼女の世界から戻ってきた。
 彼女の視線を受けて、彼らは思わず立ち上がる。そして、足元から湧き上がってくる興奮に耐えきれず、一斉に歓声を上げた。
 狂宴とも言える叫びと拍手が会場中を埋め尽くし、それは蘭子がステージを去ってからもなお鳴り止むことはなかった。



204: ◆Tw7kfjMAJk 2017/04/19(水) 21:34:26.91 ID:nhXCd10e0


      *

 二人のステージは終わった。
 あとは結果を待つのみである。

 アナスタシアのステージも神崎さんのステージも、それぞれの全力を尽くしたものだった。
 アナスタシアのステージは僕の予想を超えるものだったが、神崎さんのステージもまた僕の予想を超えるものだった。
 さすがは『シンデレラガール』と言ったところか。あのステージはその称号にふさわしいものだったと思う。

 だが、だからと言ってアナスタシアが負けたとは思わない。
 今回のアナスタシアのステージは、相手がたとえ『シンデレラガール』であっても負けはしない。
 そう思えるだけのものだった。
 もう二度と、彼女のあんな顔は見たくない。

 だから。

 だから。

 だから――

「――プロデューサー」

 僕の手を、誰かの手がそっと握った。

「蘭子のステージは、すごかったですね」

 彼女の声は優しく、落ち着いている。
 どうして、そんなに落ち着いているのだろう。

「でも、大丈夫ですよ」

 その声に、僕は彼女の方を向く。
 彼女は優しく、微笑んでいた。

「――私が、勝ちますから」

 アナスタシアがそう言った、その瞬間。

「今回のライブバトル! その勝者は――アナスタシアさんです!」

 そんな、声が聞こえた。

「……勝った?」

 聞き間違い?
 いや、違う。

 アナスタシアは――

「アナスタシア!」

 僕はアナスタシアを見る。視界が滲んでいるが、そこには確かに彼女がいる。

「勝った……勝てた。『シンデレラガール』に、勝てたんだ――」

「ダー。アーニャ、勝ちました」

 アナスタシアはそんな僕を見てくすくすと笑っている。

「それとも、プロデューサーは、アーニャのこと、信じてません、でしたか?」

「いや――そんなことは、そんなことはない。でも……でも」

 でも?

 でも、何だと言うのだろう。
 僕はどうして、あんなに不安になっていた?
 どうして、僕はアナスタシアのことを信じきれていなかった?

 どうして、僕は……負けることを、考えていた?

 スッと身体から熱が消える。

 どうして。

 どうして、僕は……。

「アナスタシアさーん! ステージにお願いしまーす!」

 スタッフの声。勝敗が決定したらそれでライブバトルが終わるかと言うと、そうではない。少なくとも勝者はステージに上がって、あいさつをする。

 僕の様子に何か気付いたのか、アナスタシアはその声に少しだけ迷う素振りを見せた。だが、僕が行ってこいと言うと、ちゃんとステージに行ってくれた。



205: ◆Tw7kfjMAJk 2017/04/19(水) 21:34:56.60 ID:nhXCd10e0


「いやー、負けたよ。すごいな、アーニャちゃん」

 先輩がそう言いながらこちらに向かってくる。その顔に悲壮感はなく、晴れやかだ。

「蘭子の調子が悪かったわけでもないが――それでも、負けた。本当にすごいよ。デビューして一年も経っていないとは思えない」

 もちろん、次やったら蘭子が勝つけどな。先輩はそう言って笑い、ステージを見る。

「……これで、アーニャちゃんも実力的にはトップアイドルの仲間入り、か」

 トップアイドル。
 そう言われた瞬間、どくん、と心臓の鼓動が聞こえた。

「……実力は、そう、かもしれませんが……まだまだ、ですよ」

 震えそうな声を必死に抑えて、僕は言う。

 動揺していた。
 だが、自分が動揺している理由がわからなかった。

 最初から、僕は彼女をトップアイドルにしたいと望んでいた。
 そのために、彼女のプロデューサーになった。
 その望みが叶いそうなのに――それなのに、どうして、否定しているんだ。
 確かに、一度シンデレラガールにライブバトルで勝利したからと言ってトップアイドルになれるわけではない。
 トップアイドルはそんな簡単なものではない。
 なら、さっき言ったことは僕の本心のはずだ。

 だが、僕は動揺している。
 いったい、何に動揺しているんだ?
 僕はいったい……何を、恐れているのだろう。

「そうか。まあ、そうだよな」

 先輩は僕の動揺に気付かなかったらしい。僕は安心して――次の瞬間、息をのんだ。

「それで――これから先、お前はアーニャちゃんを、どうプロデュースするんだ?」

 そう言われた瞬間。
 僕は、自分が何を恐れていたのか気付いた。

 そうか……そうだったのか。

 アナスタシアをトップアイドルにすること。
 それが僕の目標だった。
 そのために、今まで彼女をプロデュースしてきた。

 だが、その先は?

 ……僕には、それがない。

 その先がない。

 それに気付くことを、恐れていた。

 ただ、それだけのことだった。

「……まだ、決まってませんよ」

 僕の言葉に先輩はそりゃそうか、と笑い、去っていった。

 ステージの上では、アナスタシアがファンに向かって感謝の言葉を口にしている。
 遠くない未来、彼女はトップアイドルになるだろう。
 その先で、僕は何をしているのだろう。

 僕は、どうしているのだろうか。

 ステージに立つ彼女の笑顔を見ながら、僕はそんなことを考えていた。



206: ◆Tw7kfjMAJk 2017/04/19(水) 21:35:32.36 ID:nhXCd10e0



第一一話「パーフェクトスター」




207: ◆Tw7kfjMAJk 2017/04/19(水) 21:36:29.23 ID:nhXCd10e0


「――さてさて、今日も始まりました、『今夜もParty Night』! 司会の本田未央です! みんな、今日も一緒に楽しい時間をつくっちゃおー!」

 テレビ局。
 今、ここではとある番組の収録が行われている。本田さんが司会を務めるバラエティ番組であり、その人気は高い。
ゲストにはアイドルを招くことが多いが、それだけではなく、本田さんらしく様々な分野から豪華なゲストを招くこともある。

 そして、今日のゲストは――

「早速、今日のゲストを呼んじゃいましょう! 今日のゲストはー……じゃかじゃかじゃか、じゃん! 『銀の天狼』こと、アナスタシアさんでーす!」

「はい、呼ばれました。アナスタシアです。アーニャ、と呼んで下さいね?」

 アナスタシアが姿を現す。本田さんが相手だからか、その表情に緊張は見られない。

「アーニャ、アーニャ! いやー、ずっと呼びたかったんだよね、アーニャのこと。今日は一緒に、楽しい時間を過ごそうね!」

「はい! 私、頑張りますね」

 そうやって番組が進行していくのを見て、僕はほっと一息ついていた。
 神崎さんのイベントの時にもバラエティ番組に出演することはあった。それで大丈夫と確認したからこそ、だったが……この調子なら、やはり問題はないだろう。

 神崎さんとのライブバトル以降、アナスタシアの人気はさらに上がることになった。
 北条加蓮、神崎蘭子……彼女たちとのライブバトルを経た今、アナスタシアには十分な知名度、そしてイメージが定着していると僕は考えた。

 今ならば、もう彼女に望ましくないイメージが付くことはないだろう。
 そう考えた僕はアナスタシアに来ていたバラエティ番組などのオファーを受け始めた。
 ライブバトルの結果がどうなるにしろ、アナスタシアがバラエティ番組に出演することは予定していたことではあった。
 だからこそ、神崎さんとの企画でバラエティ番組などに出演させてもらっていたのだ。あの時の反応を考えれば問題はないだろう。

 そして実際、問題はなかった。前川さんや本田さんと一緒に、というところから攻めたのが良かったのかもしれない。彼女たちのフォローもあって、番組の反響は非常に良かった。

 アナスタシアも以前から彼女たちと仕事をしたがっていたから、とても楽しそうに仕事をしていた。
 そんな風にしている彼女の姿はライブバトルでしか彼女のことを知らない人々にとっては衝撃的なものだったらしい。
『バラエティ番組でアーニャちゃんのことを好きになりました!』といったファンレターが事務所に数多く届くようになった。

 世間のそんな反応もあって、アナスタシアには様々な番組からオファーが届いた。アナスタシアのスケジュールからどんどん空白が消えていった。

 それでもどうにか時間を捻出して、アナスタシアには休む時にはきちんと休んでもらった。
 その代わり僕に休む暇はなく、それを心配されることもあったが、「問題ない」と返した。
 むしろ、今の僕は忙しくあることを望んですらいたのだ。忙しければ無駄なことを考えなくて済むと思った。
 だから、僕は自分から多忙に身を投じていた。

 だが、忙しい中にも隙間はある。その隙間の時間には、どうしても考えてしまう。





208: ◆Tw7kfjMAJk 2017/04/19(水) 21:37:04.09 ID:nhXCd10e0


 今、アナスタシアがしている仕事は計画していた通りのものだ。予想よりも反響は大きかったが、それも対応できる範囲内でしかない。
 この後のこともある程度なら考えてはいる。『トップアイドル』と呼ばれるところまで、あと一歩――そこまでならば、考えているのだ。

 しかし、その先は? アナスタシアがトップアイドルになった、その後のことは……僕は、考えていなかった。その先の展望は、僕にはなかった。

 トップアイドルになった後こそが重要だ、とわかっている。その後どうするか。どうしていくのか。
 アナスタシアは遠からず『トップアイドル』と呼ばれるアイドルたちに肩を並べるところまで至るだろう。
 この段階まで来たならば、あとは僕が何もしなくともそこに至ることはできる。これは予想というよりは既に決まっていることと言ってもいいだろう。

 だが、その先――『トップアイドル』と呼ばれるアイドルたちが日々しのぎを削るその場所で、どうなるか。それはわからない。――僕には、わからない。
 ここまでなら知っていた。『トップアイドル』と呼ばれるような存在の立つ場所までの道なら、既に知っていた。北条加蓮というアイドルのプロデューサーをしていたからこそ、ここまで来ることができた。

 だが、ここから先は知らない。道があるのかすらもわからない。

 そんな場所で、僕はやっていけるのだろうか。
 そんな場所で、僕はアナスタシアを導くことができるのだろうか。

「――らんらんと言えば、ライブバトル! 私もアーニャとらんらんのライブバトル、会場で見たよ。いい勝負だったよねー」

 そんな本田さんの声にハッとする。今は収録中だ。悩んでいるような時間ではない。僕は本田さんとアナスタシアの方に目を向ける。

「はい。でも、次も私が勝ちます」

「おお、言うねぇ。でも、そういうところもアーニャっぽいよね。これは次のアーニャとらんらんのライブバトルにも期待だね。その時には前みたいにライブバトルだけじゃなくて色々するのかな?」

「ンー……それはまだわかりません。でも、私はまた蘭子と一緒に仕事をしたい、ですね」

「聞きましたか偉い人! アーニャがこう言ってますよ! ファンのみんなも、またアーニャとらんらんが一緒に仕事をするのを見たかったら偉い人に言ってみよう! 実現するかもよ♪」

 これは僕にも言っているのだろうか。まあ、そういう声が大きければそうすることにもなるとは思うが……。

「でも、らんらんとだけじゃなくて、アーニャはデビューしてからライブバトルをすることが多かったよね。話題になったのなら、あとはかれんとか? あれもすごかったね。『Never say never』はまた歌ったりする予定はあるの?」


「ンー……今のところはない、ですね。でも、また歌ってみたいです」

「しぶりんから直接教わったんだったっけ?」

「はい。リンに教わりました」

「しぶりんの指導……未央ちゃんからすれば、それだけでもう冷や汗ですよ。しぶりん、優しいけど厳しいからなー」

「でも、リンは厳しいですが、優しいです」

「それはそうだね。しぶりんとのライブバトルー、みたいな予定もあったりする?」

「いえ、ありません。……でも、いつかはやってみたいです」

「うんうん、私もしぶりんとアーニャのライブバトルは見てみたいなー」

 渋谷さんとのライブバトル……予定はないが、確かにそれもいつかはやってみたいところだ。今のアナスタシアならば、勝つことも不可能ではないだろう。
 しかし、今日の収録も無事終わりそうで何よりだ。これが終われば、今日の仕事はもう終わりだ。久しぶりに僕もゆっくり――

「でも」

 本田さんが言った。

「その前に、私がしたいな。ってことで、アーニャ」

 そう言って、彼女はアナスタシアに星の輝きにも等しい眼光を向ける。

「ライブバトル――受けてくれる?」

 スタジオがざわめき、スタッフが僕を見る。こんなことは予定になかった。本田さんはどういうつもりだ? これは、いったい――

 そう動揺しかけた時、アナスタシアがちらと僕に視線を送った。
 瞬間、僕は決断した。

 ――君の、思うままに。

 彼女の目を見てうなずくと、アナスタシアも小さく首を動かして、本田さんに向かった。

「わかりました、ミオ」

 そして、言った。

「戦いましょう。私たち、二人で」

 はっきりと、まっすぐに。
 そうやって放たれた言葉に、しかし、本田さんは嬉しそうに笑うことで応えた。

「うん! 一緒に、楽しもう!」



209: ◆Tw7kfjMAJk 2017/04/19(水) 21:37:36.10 ID:nhXCd10e0


      *

 本田さんとのライブバトルが決まった。
 と言っても、これはさすがにいきなりにも過ぎることだ。予定の調整に動こうにも動けない。とりあえず、番組の放送までは準備するだけにしておこう、という話になった。

 もちろん、二人の間で勝手にライブバトルをするかどうかを決めることができるわけではない。
 収録の後、本田さんのプロデューサーやその他各所方面の間で色々と話をしてから改めてライブバトルの開催を決定した。

 本田さんの番組側にもその話をしたところ、あの会話はカットするのではなくそのまま放送。そして番組の終わりにライブバトルの告知をさせてもらえることになった。
 その番組で初出の情報ということもあって番組側も快く受けてくれたが……。

 今回の件は本田さんの独断専行である。
 収録後、本田さんには「勝手に決めちゃってごめんね?」と茶目っ気たっぷりに謝られた。
 その時その場に本田さんのプロデューサーはいなかったが、後日プロデューサーに連れられて姿を現した本田さんに改めて「ごめんなさい……」と謝られた。どうやらこってりしぼられたようだ。
 と言っても、その場で受けたこちらもこちらではある。あそこでアナスタシアが受けたからこそ、話がここまで進んだのだ。
 それが悪いというわけではないが、こちらも軽率ではあっただろう。……もちろん、いちばん軽率だったのは本田さんだと思うが。

「……ふぅ」

 僕は背もたれに体重をかけ、ゆっくりと息をつく。今はちょうどある程度の調整を終えたところだ。
 次はルキちゃんと少し話し合う……のだが、彼女が来るまでにはまだ時間がある。
 ルキちゃんなら直接ここに来てくれるだろうし、それまで休ませてもらおう。

 目蓋を閉じ、目元を揉む。深く椅子に座り、脱力する。
 ほんの少しの間、忙しさから解放される。

 ――すると、考えないようにしていた様々なことが一気に脳裏を駆け巡る。

 本田さんとのライブバトル。『ニュージェネレーション』である本田未央とのライブバトルだ。それが終われば、アナスタシアはさらなる人気を獲得することだろう。
 ただでさえ『シンデレラガール』とのライブバトルに勝った後だ。デビューしてから一年も経っていないようなアイドルが、だ。そんな彼女が、『ニュージェネレーション』の一人にさえ勝ったならば……。

 アナスタシアは『トップアイドル』まであと一歩だと思っていた。
 その『一歩』はまだ先だと思っていた。

 だが、それはすぐ目の前にある。
 本田さんとのライブバトル……それに、勝つことができたなら。
 勝つことができたなら……その先に。

 その先に、僕はいるのだろうか。
 トップアイドルとなった彼女の隣に、僕はいるのだろうか。僕はいても、いいのだろうか。
 僕は、彼女にふさわしい存在だろうか。
 アナスタシアのことを考えるなら――

「君、ちょっといいかな?」

 そう呼ばれて、僕は目を開く。どうやら少し眠っていたようだ。だがこの声は……部長?

「はい。どうしましたか、部長」

「少し話したいことがあるのだが……時間は大丈夫かい?」

 僕は時計を見る。ルキちゃんとの予定は……まだ先だ。どうやら眠っていたのは本当に一瞬だけだったらしい。

「はい、大丈夫です」

「そうか。なら、行こうか」

 部長が歩くのに、僕は続く。部長の部屋に行く、ということは……何か、ここでは話せないことなのだろうか。
 いったい、何の話だろうか。僕は予想がつかなかった。
 予想はつかなかったが――どうしてか、心臓の鼓動が大きく胸を打つのを感じた。

 覚悟を決めろ、とでも言うかのように。



210: ◆Tw7kfjMAJk 2017/04/19(水) 21:38:21.70 ID:nhXCd10e0


      *

「これは『こういう話があった』という報告だと思って聞いてほしい」

 部長の部屋。椅子に腰を下ろしてすぐ、そう言われた。

「この話を断っても事務所にも君のアイドルにも何の迷惑もかからない。だから、こちらで断ってもよかったのだが……君の担当アイドルの話だ。どうするのかを選ぶのは私ではないからね。報告は、しておかなければいけないだろう」

 担当アイドル……アナスタシアの? 断ってもいい、ということは……何か、伝えにくい仕事の話だろうか。

「僕が断る可能性が高いような仕事の話、でしょうか」

「いや、違う。……君は、この紙に書かれている人物を知っているかね?」

 部長が差し出した紙を受け取り、確認する。この人物ならば知っている。

「はい。有名なプロデューサー、ですよね? 業界きっての敏腕プロデューサー」

 だが、その人がどうしたと言うのだろう。断ってもいい、ということは。

「曲の提供、ですか? 確かに、今は他に新曲の制作を進行中ですけど……」

「いや、違う。そうではない」

 そうではない? だが、それ以外に、何が――
 その瞬間、僕は思い至る。プロデューサー。『プロデューサー』だ。
 曲の提供ではないのなら、それは――

「……プロデュース、ですか?」

「そうだ」

 部長は言う。

「もし良ければアナスタシアくんをプロデュースさせてくれないか、という話だ。事務所を移籍する必要もない。断られても構わない。失礼なことだとはわかっている。だが、その上で――それでも、話だけでも、どうか持ちかけてくれないか、と言われてね。……彼のあんな顔は、久しぶりに見たよ」

「……お知り合い、なんですか?」

「昔、少しだけ、だがね。……最初にも言ったが、これはただの報告だ。『こういう話があった』というただの報告に過ぎない。断ったところで事務所にも君にも誰にも迷惑はかからない。それは、覚えておいてほしい」

 そう言って、部長は大きく息を吐いた。表情に出さないようにしているが、この件で悩んでくれたことが見てわかる。
 報告してもいいのか。報告するとしても、どう言えばいいのか。
『断らせやすく伝えるためにはどう言うべきか』ということについて、とても気をつかって言葉を選んでくれていることがわかった。

 もしかしたら、部長は僕が『断る』という前提で考えていたのかもしれない。
 いや、そうだろう。普通なら断るはずだ。だからこそ、部長は『報告』ということを何度も強調していたのだろう。
 これはただの報告に過ぎない、と。だから変に考える必要はない、と。

 これが他のプロデューサーであれば、すぐに断ったことだろう。
 だが、僕は違った。今の僕は、そうすることができなかった。

 昔の僕なら――アナスタシアを担当し始めたばかりの僕ならば、すぐに断っただろう。
 たとえどれだけ実力不足でも、そのプロデューサーに任せた方がアナスタシアにとっていいとわかっていたとしても、僕はアナスタシアを自分でプロデュースすることを選んだだろう。
 僕はアナスタシアを自分の手で輝かせたかった。他の誰でもない、僕が彼女を輝かせたいと思ったのだ。
 僕が、僕自身が、彼女をトップアイドルにしたいと思った。
 その気持ちは、今も変わらない。今でもそう思っている。

 だが、それは、もう達成されようとしている。
 その夢は、叶おうとしている。
 そして、僕にはその先がない。その夢の先――トップアイドルになった後、その展望を、持っていない。

 それなら。
 それなら……。




211: ◆Tw7kfjMAJk 2017/04/19(水) 21:38:52.47 ID:nhXCd10e0


「……部長。その話、保留にはできますか?」

「保留? ……できるが、どうして?」

「その話を受けるかどうかは、本田さんとのライブバトルの結果で決めたいと思います」

「本田くんとの? ……わかった。だが、急ぎではないんだ。よく、考えてほしい」

「はい。ありがとうございます」

 僕は頭を下げ、部長に背を向ける。

 本田さんとのライブバトル。
 彼女に勝つことができたなら――その時、アナスタシアは『トップアイドル』と言ってもいい存在となるだろう。
 僕の夢が――僕とアナスタシアの、二人の夢が叶うだろう。

 その先に、僕はいない。
 その先に、僕は必要ない。
 僕がいなくても、アナスタシアは輝ける。

 そして、僕は。
 そのために、全力を尽くそう。
 僕たちの夢を叶えるために。

 夢を終わらせて、その先へと行くために。



212: ◆Tw7kfjMAJk 2017/04/19(水) 21:39:25.50 ID:nhXCd10e0


      *

「ひゃっ」

 部長の部屋から出ると、そんな声が聞こえた。どうやら、今の話を盗み聞きしていた者がいるようだ。僕は彼女に声をかける。

「ルキちゃん。いったい何をしているんだ」

「そっ……その、ですね。ちひろさんにPさんの場所を聞いたら、部長の部屋にいる、って聞いて、それで部長の部屋に来たら、扉が少し開いてて、それで話し声が聞こえて、それがアーニャちゃんのことだって言うから、その……すみません」

 ぺこり、とルキちゃんが頭を下げる。僕は溜息をつく。

「まあ、扉をきちんと閉めていなかったこちらにも問題はあるが、二度とこういうことはしないように。反省しているようだからこれ以上は言わないが、これがとんでもない情報だったらどうなっていたことか」

「はい、すみま――いや! そうじゃなくて、とんでもない情報ですよね!?」

「アナスタシアのプロデューサーが変わるかもしれない、という話が? ただの話だ。確定じゃないよ」

「それは、そうですけど……でも」

 ルキちゃんの表情が曇る。……そうだ、僕がアナスタシアのプロデューサーではなくなったならば、ルキちゃんとアナスタシアの関係も変わるだろう。配慮が欠けていたかもしれない。

「すまない。もしも変わったなら、次のプロデューサーにはきちんとルキちゃんの話をしておくよ。それで君が継続してアナスタシアのトレーナーになれるかどうかはわからないが……」

「……Pさんは、アーニャちゃんのプロデューサーを辞めるつもり、なんですか?」

 顔をうつむけて、ルキちゃんが言う。辞めるかどうか。それは……。

「その方が、アナスタシアのためになるんだよ」

「っ……そう、ですか」

 ルキちゃんは息をのみ、ゆっくりと吐き出す。そして、顔を上げて、僕を見る。

「アーニャちゃんのプロデューサーは、Pさん、あなたです。あなたがそれを選ぶのなら、わたしにそれを否定することはできません。あなたがアーニャちゃんのためと言うのなら、きっと、そうなんだと思います」

 ぎゅっと胸の前で拳を握り、トレーナーとして誰よりも長くアナスタシアを見てきた彼女は――同僚として、誰よりも長く僕を見てきた彼女は、言う。

「Pさん。わたしは、あなたを信じます。トレーナーとして、友人として。あなたの選択を、信じます。他の誰が否定しても、わたしは、あなたを信じます。……だから、好きに選んで下さい。どちらを選んでも、わたしはあなたを信じています」

 そして、彼女はふっと優しい微笑みを浮かべる。
 その微笑みは、少しだけ、僕の胸を軽くしてくれた。

「ああ」

 だから、僕も彼女に微笑みを返した。

「ありがとう、ルキちゃん。僕も、君を信じている」

「はいっ」

 そう言い合って、僕たちは歩き始める。
 この話はもう終わりだ。これ以上引きずってはいられない。
 次のライブバトルの相手は本田未央。
『ニュージェネレーション』の一角にして、『パーフェクトスター』とも呼ばれるアイドル。
 彼女に勝つためには、全力を尽くさなければならない。
 そのために、ルキちゃんと話し合うのだ。
 どんなレッスンをするのか。どうすれば勝つことができるのか。
『勝敗は戦う前から決まっている』とは誰の言葉だったか。
 準備の段階から、戦いは始まっている。
 既に戦いは始まっている。

 切り替えろ。
 今回のライブバトルには、文字通りすべてを尽くせるのだ。
 その後のことを考える必要なんてない。そう考えろ。

 全力を尽くそう。勝つために。
 全力を尽くそう。夢のために。

 たとえ、それが別れを意味することになったとしても。



213: ◆Tw7kfjMAJk 2017/04/19(水) 21:39:53.97 ID:nhXCd10e0


      *

 本田未央。
『パーフェクトスター』と呼ばれる彼女は、その呼び名通りの存在だった。

 少なくとも僕が知る彼女には、欠点と言う欠点がない。まさしく『完璧な星』。それが僕にとっての本田未央というアイドルだった。
 誰からも好かれ、そのことを自覚し、自分の笑顔がファンのためになると理解している。
 自分が楽しく笑顔でいれば、ファンも楽しく笑顔でいられると知っている。
 自分の幸福はファンの幸福であり、そのファンの幸福もまた彼女の幸福である。
 そんな幸福の螺旋を描き、どこまでも高く、強く輝く星――それが本田未央というアイドルだ。

 彼女と戦うということは、そのすべてと戦うということ。
 ファンを味方にして、すべてを巻き込み、自らの輝きとすることができる彼女と戦うということは――そのすべてと戦うということに他ならない。

 だが、それでも、勝つのだ。
 すべてを味方にする彼女に、『パーフェクトスター』の名を持つ彼女に勝って――そして、初めて、僕たちは最も輝く星になれる。
 完璧な星を超え――この世界で、最も明るく輝く星に。

 アナスタシアは多忙を極めている。本田さんとのライブバトルがあるからと言って、今、仕事を減らすわけにはいかない。
 仕事量もレッスン量も増え続けている。スケジュールから空白が消え、休む暇もない。

 本田さんとのライブバトルでは制作しているところだった新曲を披露することになった。
 これに関しては予定よりも初披露の時期が遅くなったが、だからと言って余裕ができたわけではない。
 相手は本田未央。『パーフェクトスター』。
『You're stars shine on me』と同じレベルの……いや、それを超えたパフォーマンスをしなければ勝てないと考えてもいいだろう。
 この過密なスケジュールの中で、新曲。既に新曲の制作が進んでいたこともあり、その選択が間違っているとは思えない。だが、さすがに厳しいか――そう思っていた。

 しかし、アナスタシアは僕の予想を超えていた。
 一日ごとに、一つの仕事を終えるごとに、レッスンを終えるごとに――いや、一時間、一分、一秒ごとに――彼女は成長していた。
 今までにないほど過酷な日々に身を置いて、彼女は疲弊するどころか今まで以上にその輝きを強めていた。
 強く、激しく、鋭く、美しく――現実を超越し、非現実的なほどに、彼女は洗練されていった。

 北条加蓮とのライブバトルを経験し、神崎蘭子に打ち勝ち――そして、次は本田未央。
 アナスタシアは、次の領域へと足を踏み入れていた。一つ上の次元へとシフトして――まるで、生まれ変わっているかのようだった。
 これから先、超越者たちがいる世界で戦うために、自らの存在を急速に作り変えているかのようだった。

 そんな風に、日々成長していく彼女を見て――僕を置いていくような速度で、変わっていく彼女を見て。
 僕は思った。
 やっぱり、これでよかった、と。
 アナスタシアに、もう自分は必要ない。
 彼女はもう一人でも歩いていける。羽ばたいていける。
 もっともっと遠くへ。もっともっと高い場所へ。
 この空の果てへ――この宇宙の果てまでも。

 そうして、日々は過ぎ去り――三月。
 ライブバトル前日。
 僕は加蓮に呼び出されていた。



214: ◆Tw7kfjMAJk 2017/04/19(水) 21:40:43.09 ID:nhXCd10e0


      *

「Pさん、アーニャちゃんのプロデューサー、辞めるの?」

 事務所敷地内、喫茶店。
 コーヒーを手にして席に着くやいなや、加蓮は僕にそう尋ねた。

「……どこで知った?」

「Pさんが私よりも仲良い子から」

「ルキちゃんか……」

 僕ははぁと息をつく。彼女は僕と加蓮の事情も知っている。そして加蓮はルキちゃんがその事情を知っていると知っている。そこをうまく利用したのだろう。

「即答、か……。なーんか、気に入らないなー」

 コーヒーに砂糖を入れながら、加蓮が唇をすぼめる。

「何が気に入らないんだ」

「私よりも仲良い子、って言ってすぐ出てくること」

「僕の交友範囲は狭いからな」

「そういうことじゃ……まあ、いいや。今日はそんな話をするために呼んだんじゃないし」

 そう言って、加蓮はくるくるとコーヒーを混ぜていた手を止め、僕を見る。

「それで、どうなの? 辞めるの?」

「……もう少しオブラートに包めないのか?」

「そんな気遣いをされる方が嫌だと思ったんだけど?」

「……すまない」

「じゃなくて」

「……ありがとう、加蓮」

「どういたしまして、Pさん」

 加蓮が微笑み、コーヒーに口を付ける。

 ……やっぱり、加蓮には勝てないな。

 そう思いながら、僕は言う。

「加蓮。君の言う通り、僕はアナスタシアのプロデューサーを降りるつもりだ」

「そう。だからと言って私のプロデューサーには」

「ならない」

「よね。……本当にならない?」

「ああ」

「どうして?」

「アイドル北条加蓮が好きだから」

「……その答えは、ずるいなぁ」

 加蓮が力なく笑う。その笑みを見て、僕は何も言えない。言う資格がない。
 少しの間沈黙が続き、それから、加蓮がぽつりと言う。

「……アーニャちゃんも、同じ理由?」

「違う」

「じゃあ、どうして? Pさん、言ったよね? アーニャちゃんをプロデュースしたい、トップアイドルにしたい、って。他の誰でもなく、自分がそうしたい、って」

「君は言っただろう? アナスタシアは僕じゃなくてもプロデュースできる、って。……僕がしたかったのは、きっと、ここまでだったんだよ。トップアイドルになるまでが、僕のしたいことだった。彼女はもうすぐトップアイドルになる。その先に僕はいらない。僕には、その先をプロデュースできない」

「本当に?」

「ああ。加蓮も知ってるだろう? 僕はプロデューサーとしてはまだまだ半人前で――」



215: ◆Tw7kfjMAJk 2017/04/19(水) 21:41:12.46 ID:nhXCd10e0


「そこじゃない」

 加蓮は言う。

「Pさんは、本当に、それでいいの? ……この先も、アーニャちゃんをプロデュースしたくないの?」

「それは……」

 加蓮の質問に答えようとして、しかし、僕の口は止まってしまった。

 したいか、したくないか。
 それは、どうなのだろう。

 僕はこれから先、アナスタシアをプロデュースできないと判断した。
 部長の話――僕よりも確実に実力のある人物がアナスタシアの新しいプロデューサーになる。
 僕がこのまま彼女のプロデューサーでいるよりもそちらの方がいいと判断した。
 どれだけ考えても、その答えは変わらない。アナスタシアというアイドルのことを考えるならば、そうした方がいいだろう。

 だが、そういった事情を考えないで――僕は、僕自身は、どうしたいのだろう。
 僕はアナスタシアのプロデューサーを続けたいのだろうか。
 続けたい、と思っているのだろうか。

 部長に話を持ちかけられる前から、僕はアナスタシアのプロデューサーを続けられるかどうか不安に思っていた。
 この先も彼女のプロデューサーでいられるか――彼女にふさわしい存在でいられるのか。
 それを不安に思っていた。
 そこに部長から話を聞いて……そして、僕は。

「――それでも」

 僕は言う。加蓮に対して、自分に対して。

「それでも、僕はアナスタシアのプロデューサーを降りるよ」

「……質問には、答えられてないけど」

 加蓮は呆れたように息をつく。

「本当、Pさんって面倒くさいよね」

「君が言うか」

 確かに。そう言って笑って、加蓮は荷物をまとめ始める。

「行くのか?」

「うん。Pさんも、忙しいんでしょ? 時間とっちゃってごめんね」

「いや、もう明日だからな。今日できることはあまりない」

「そう? じゃあ、そのコーヒーはちゃんと飲めるね」

 加蓮がぴっとテーブルを指差す。そこにはまったく手を付けていない、僕のコーヒーがあった。

「それじゃ、Pさん。またね。次は……年度末のパーティーで、かな」

「……そんなものもあったな」

「忘れてたの? って、ああ、Pさんはその頃北海道に行ってたんだっけ。もう一週間もないよ? 未央とのライブバトルも、それを意識したスケジューリングなんだと思ってた」

「……出席しないとダメか?」

「しない人もいるけど、ダメじゃないかな。アーニャちゃん、今年はすごかったし」

「最後の仕事、か」

 そんな僕のつぶやきには何も反応することなく、加蓮は席から立ち上がる。

「それじゃ、明日は頑張って。そして」

 そして、彼女はにっと笑い、

「未央に、予定をぜんぶつぶされちゃえ」

 僕に背を向け、去っていった。

「……そうはならないさ」

 誰もいない場所に向けてつぶやいて、僕はコーヒーを口に付けた。

 コーヒーは冷めてしまっていた。



216: ◆Tw7kfjMAJk 2017/04/19(水) 21:41:43.95 ID:nhXCd10e0


      *

 同日、夕方。
 アナスタシアは未央に呼び出されていた。
 ライブバトルの前日ではあったが、前日だからこそ時間があった。
 レッスンは確認程度、明日に備えてゆっくり休めと言われた今だからこそ、ゆっくり話す時間があった。

 身体を冷まさないようにストールを羽織り、アナスタシアは女子寮前へと出る。
 どこかへ行くというわけではない。ただ、この付近を少し散歩しながら話そうと言われたのだ。
 女子寮前には既に未央が待っており、彼女はアナスタシアの姿を見つけると軽く手を上げた。

「アーニャ。こんな時間に、ごめんね?」

「大丈夫です。私も、ミオと話したかったから」

「お、そうなんだ。じゃあ、まあ、行こっか」

「ダー」

 そう言って、二人は歩き始める。既に空は暗くなり始めており、しかし、そこに星は見えない。

「アーニャと会ってから、まだ一年も経っていないんだよね」

 先に話し始めたのは未央だった。彼女は空を見上げながら、ゆっくりと話していく。

「でも、なんだかそうは思えないよ。アーニャはこの一年、色々なことが……本当、ありすぎた、ってくらいあったもんね」

 未央の言う通りだった。アナスタシアにとってこの一年は、今までの人生の中でも最も濃い一年だった。

 Pと北海道で出会い、スカウトされて、故郷と両親と別れ、東京に来て、アイドルになった。
 蘭子と出会い、未央と出会い、みくと出会い、加蓮と出会い、ルキと出会い……様々な出会いがあった。

 初めてのレッスンも、まるで昨日のことのように思い出せる。歌、ダンス、お芝居……最初は失敗続きだった。
 初めて曲をもらった時のこと、初めてオーディションに参加した時のこと、初めてライブに出演したこと……初めての、ステージ。

 CDの発売を記念したインストア・イベントもあった。あそこで初めてファンと顔を合わせて、ファンと話すことができた。
 当然のことながら、ファンは一人ひとり別人で、その人にはそれぞれの思いがあって、色んな人がいて……そんな人たちが、応援してくれていると知って。
 その人たちに真摯であろう、と思った。この人たちには、きちんと自分の思いを伝えたい、と思った。

 ライブバトルがあった。色んなアイドルとライブバトルをした。
 そのアイドルも、一人ひとり別人で、やっぱりそれぞれの思いがあって……みんな、アイドルだった。
 容姿も年齢も色々で、パフォーマンスもそれぞれだった。
 元気な人、真面目な人、ファンを楽しませようと色々する人、笑いをとろうとする人……本当に、色んなアイドルがいた。
 色んなステージがあると思った。色んなステージがあっていいのだと知った。

 加蓮とライブバトルをした。負けた時は悔しかった。
 蘭子とライブバトルをした。勝てた時は嬉しかった。

 そして、今。
 アナスタシアは、未央と一緒に歩いている。ライブバトルを前日に控えて、話している。



217: ◆Tw7kfjMAJk 2017/04/19(水) 21:42:49.55 ID:nhXCd10e0


「……シリウス、だっけ」

 未央の言葉に、アナスタシアは顔を上げて未央を見る。

「アーニャが目指している、っていう星。『銀の天狼』っていうのもここから来ているんだよね」

 その通りだ。――いや、少し違う。正確には、

「私とプロデューサーが目指している星、ですね」

 そう言うと未央はアナスタシアの方を向いてぱちくりと目を瞬き、笑う。

「ん、そうか。そうだね。プロデューサーと……だよね」

 その笑みはアナスタシアが初めて見る未央の表情だった。普段見せる顔とも、仕事で見せる顔とも違う顔。

 本田未央。
 アナスタシアが知っている彼女の表情は、ほとんどが笑顔だった。
 だが、アナスタシアは知っている。嬉しいときだけ笑うのがアイドルではない。
 悲しいときも笑って、嬉しいときも泣く。それがアイドルだと知っている。

 舞台で見た未央の演技は素晴らしいものだった。そして、だからこそ、彼女はアイドルなのだと思った。
 それができるからこそ、本田未央はここにいる。
『トップアイドル』と呼ばれている。

 だが、その言葉を素直に受け取らない人間もいる。

「アーニャはさ、『トップアイドル』ってなんだと思う?」

 そう尋ねられて、アナスタシアの目蓋がぴくりと動く。彼女の長い睫毛がそれにつられてふわりと揺れる。それを未央は見つめている。

「何か、驚いた?」

「ダー。……それは、今日、私がミオに聞くつもりのことだったから」

「私に。それは?」

「ミオは『トップアイドル』と呼ばれていますね? だから、あなたならわかると思って」

「アーニャもそれを目指しているから?」

「ダー」

 その即答に未央はくすりと笑う。アナスタシアはそれに疑問を抱くが、未央は「いや、ううん、なんでもない。アーニャらしいな、って思っただけ」と笑って返す。

「アーニャの言う通り、私は『トップアイドル』の一人、みたいに呼ばれていたりするね。そう言う人もいる。それは事実。……アーニャもそう思ってる?」

「……ミオは、すごいアイドルだと思います」

「アーニャ、正直過ぎ」

 未央はあははと笑い、続ける。




218: ◆Tw7kfjMAJk 2017/04/19(水) 21:43:17.64 ID:nhXCd10e0


「そう、アーニャの思ってる通り、私はまだトップアイドルじゃない。それなのに、トップアイドルの一人だー、なんて呼ばれちゃってる。しぶりん、しまむー、美嘉ねー、かえ姉……」指折り数えながら言って、未央は首を振る。「楓さん。それかららんらんに美希さんにツバッティーに……まあ、他にもいっぱい」

 そこまで言って、未央は両手を広げて笑う。

「それがみんなトップアイドル? ……もちろん、みんなすごいアイドルだと思う。尊敬してる。この中にアーニャが入るのも時間の問題だね」

「でも、それは『トップアイドル』じゃない」

「その通り」

 未央は言う。

「『トップアイドル』とは何か……それは文字通り、トップのアイドル。頂点に立っているアイドルのことだと思う。そして、頂点は一つしかない。誰よりも光れ、誰よりも強く光れ……ってね」

 頂点は一つしかない。
『トップアイドル』と呼ばれている者は何人もいる。
 だが、『トップアイドル』は一人しかいない。

「私が目指しているのはただ一つしかない場所。他の誰よりも輝く星。……アーニャはシリウス、だっけ?」

「ダー」アナスタシアはうなずく。「……ミオは、なんですか?」

「んー……そうだね。それじゃあ、せっかく『パーフェクトスター』なんて呼ばれているんだし」

 未央はにっと笑い、この空で最も輝く星を指差す。

「太陽、とか?」

 時刻は夕方。
 太陽はもう落ちかけているが、それでもこの空に太陽以上に煌々と輝く星は存在しない。
 空は夜と昼にわかれ、アナスタシアと未央はちょうどその境界線上にいる。

「明日のライブバトル、楽しみだね」

「負けません」

「私も、負けないよ」

 昼と夜の境界で、彼女たちは互いの顔をじっと見て、微笑む。
 もうすぐ太陽が落ち、夜になる。
 そして、夜が明ければ――



219: ◆Tw7kfjMAJk 2017/04/19(水) 21:43:46.11 ID:nhXCd10e0


      *

 ライブバトル当日。
 Pにもアナスタシアにも思いがあった。もちろん、未央にも、そのプロデューサーにも。

 それだけではない、そのライブバトルに関わるすべての者にそれぞれの思いがある。
 スタッフとして関わっている者、ファンとして関わっている者、誰かの友人として関わっている者……他にも色んな人がいるだろう。
 その誰もが、何らかの思いを抱いている。
 多かれ少なかれ、誰しもが何らかの思いを抱いている。

 楽しみだ、という程度の人もいるだろう。
 時間が空いたから行くだけだ、なんて人もいるかもしれない。
 スタッフならば朝早く起きなければならない、だろうか。自分の仕事に誇りを持ち、何度も手順を確認している人もいるかもしれない。

 このライブバトルによって、何かが変わる人もいるかもしれない。
 彼女たちのステージで、何かが変わる人はいるかもしれない。

 CDを買いたくなるかもしれない。
 どちらかのファンになるかもしれないし、どちらのファンにもなるかもしれない。
 もともとファンだった人は、もっともっと好きになるかもしれない。

 人生が変わる人も、いるかもしれない。

 ライブバトル当日。
 それぞれの思いが何をどう変えていくのか。

 それはまだ、わからない。



220: ◆Tw7kfjMAJk 2017/04/19(水) 21:44:50.69 ID:nhXCd10e0



最終話「シリウス」




221: ◆Tw7kfjMAJk 2017/04/19(水) 21:45:37.81 ID:nhXCd10e0



 僕は夢がない人間だった。
 やりたいこと、なりたいもの。そういったものがない人間だった。
 子どもの頃からそうだった。遊ぶ時も、自分から何かをやりたいと言ったような記憶はない。親に言われて、教師に言われて、周囲に合わせて生きてきた。
 そう考えると、僕は『良い子』だったのかもしれない。大人の言うことを聞く『良い子』。実際、周囲からは真面目な子どもだと思われていたし、欲がない子どもだとも思われていた。

 あれはいつだったか。確か高校生か大学生の頃だ。「そんなに気を遣わなくてもいいんじゃない?」と言われたことがある。
 だが、私は気を遣っていたわけではなかった。本当に何もなかったのだ。特にしたいことはなかったし、なりたいものもなかった。
 そう言うと彼女は「そうなんだ」と答えた。「なんだか、つまらなそうだね」と。

 その通り、僕はつまらない人間だった。そのこともあってか、僕には特別親しいと言えるような人がいなかった。いわゆる親友だとか恋人だとかいう存在だ。恩師もべつにいない。
 強いて言えば親だろうか。その両親も僕を『手のかからない子』として妹にかかりっきりだったが、愛されていたとは思う。
 だから、そう、その頃の僕に原動力というものがあったとすれば、それは両親のことだけだった。親の期待に応えるということ。それだけだった。
 だが、ある時、それもなくなった。大学生の頃だった。大学を卒業してそれからも生きていけるほどの金だけが残った。

「好きなように生きなさい」

 それが最後に聞いた言葉だった。だが、僕にはその『好き』がなかった。
 大学の研究室で何か研究したいことがあるわけでもなかった。大学院に進む気にもなれなかった。僕は就職活動を始めた。
 しかし、僕にはやりたいことがなかった。時代は就職難。僕はなかなか就職することができなかった。そのまま時は巡り、三月になった。僕は大学を卒業した。それでもまだ就職できてはいなかった。
 僕以外にも就職できていない人はいた。彼らは自分たちの現状に危機感を抱いていた。そんな彼らを見て――また周囲に合わせるようにして――ようやく僕は危機感を抱き始めた。
 だが、だからと言って僕は何もしなかった。何もする気が起きなかった、と言ってもいいかもしれない。今までと同じように就職活動はしていたが、それだけだ。フリーターという選択肢もあるかと思って街に出歩くこともあったが、結局何もせず家に帰るだけの毎日だった。
 ――あるいは、その頃の僕は何かに期待していたのかもしれない。何かに出会って、何かやりたいことを見つけて……『好きなこと』が見つかるかもしれない、と。そんなことを思っていたのかもしれない。

 その日も同じだった。僕はただの習慣で街を歩いていた。特に理由もなく、ただ街を歩いていた。
 そんな時だった。突然黒い男性が僕に話しかけてきた。

「君、ちょっといいかね? ……ふんふむ、そうか、うん、この感覚が、か」

 黒い男性とは部長――CGプロの部長のことであり、つまりは今の僕の上司のことだ。最初は不審者だとすら思っていたが、彼との出会いこそが僕の人生を大きく変えることになった。
 彼の話を聞いて、僕はCGプロに入ることにした。就職するところ自体は探していたのだ。最初は信じられなかったが、調べてみたところ労働条件も悪くないように見えた。もっとも、その時の僕は給与にしか目がいってなかったが……とにかく、僕はCGプロに入社した。

 入社してまず様々な説明を受けた。が、まさかいきなり『プロデューサー』を任せられるとは思わなかった。
 部長には「君ならできる」と言われたが、買いかぶりすぎだと思った。そもそもまだ僕が仕事をしている姿など見たこともないだろう。
 マネージャー業に近いとは言われたが、だからなんだと言うのだろうか。荷が重い。そう思った。

 だが、やらないわけにもいかなかった。
 年頃の少女と接するなんて妹ぶりだが、まあ、なんとかなるだろう。これでも妹がいた頃には慕われていたのだ。
 僕の妄想でなければそうだった。だから、とりあえず、頑張ろう。

 僕は担当アイドルがいるという場所に向かった。初対面だし、いきなり馴れ馴れしくするべきではないだろう。
 敬語で、それと、自分が新人だということも言っておくべきだ。あとは……そうやって色々と考えていたが、僕の胸中は緊張と不安でいっぱいだった。
 だが、そうしているだけで何かが解決するわけではない。僕はゆっくりと深呼吸をして、彼女がいる部屋の扉を開けた。

 そして、僕は彼女と出会った。

 北条加蓮。

 初めて、僕に『好きなもの』をくれた少女に。



222: ◆Tw7kfjMAJk 2017/04/19(水) 21:46:24.69 ID:nhXCd10e0


      *

 彼女への第一印象は『今時の子って感じの子だな』だった。
 ちょっとギャルっぽい感じで、とても真面目そうには見えない。こちらに対する警戒心はむき出しで、見るからに一筋縄ではいかなそうだ。
 アイドルとは過酷な職業だと聞いたが、この子は既に売れているらしい。ということは、やはり見た目通りというわけではないのだろう。
 この事務所に来てから会う子はみんな見るからに『良い子』だった。だから、勝手に自分の担当アイドルもそういう子だと思っていたのだが……これは、予想していたよりも苦労しそうだ。

 とりあえずあいさつをしてみたが、やはりそっけない態度。
 いや、これでめげてはいけない。そう思って、僕は彼女に自分がプロデューサーになった経緯を伝えた。
 心を開いてもらうにはこちらから開くべきだ、と何かで聞いたことがある。
 それで彼女の機嫌がとれるならば、僕の心なんていくらでも開いてやろうではないか。

 就職活動で失敗していたこと。そこで何の目的もなく街を歩いていると部長に話しかけられたこと。最初は彼を不審者だと思っていたこと。しかし結局入ったこと。
 それがたった数週間前のことで、入社したのは昨日ということ。
 それでいきなり北条さん――この頃はまだ『北条さん』と呼んでいた――の担当プロデューサーになれと命じられたということ。

 そこまで話したが、彼女が心を開いてくれた様子はなく、むしろさらに僕に向けられる視線が怪訝なものに変わったような気がした。
 なぜだ。そう思ったが――自分の担当プロデューサーがいきなり入社二日目の新人に変わったのだ。それで不安を覚えないわけもないだろう。
 失敗したかもしれない。僕は自分の選択を悔いた。

 しかし、いつまでも後悔してはいられない。いつかはわかることだったのだ。ならば最初に話した方がいいだろう。
 僕は前向きに考えることにした。ここからだ、ここから頑張ろう。これ以上嫌われるようなことは……あるかもしれないが、そうそうないだろう。
 それならここからは上がるだけだ。そう考えることにしよう。

 北条さんがまず向かったのはレッスン室だった。昨日事務所を見学した際に見せてもらったところとは違い、あまり人気が感じられない。集中できるように、ということだろうか。

「今から、レッスンですか?」

「そう、悪い?」

「いや、悪くはないですが」

 レッスン室に来たのだからレッスンするのは当然だった。何を当然のことを聞いているんだ、僕は。
 そもそも、尋ねた理由からして失礼だ。北条さんへの第一印象から、僕は彼女が真面目にレッスンをするタイプではないと思っていた。だから尋ねた。
 見た目で判断してはいけないと思ったばかりだと言うのに、僕はまだ見た目に引きずられていた。

 こんなことで信頼されるわけがない。僕は自らを戒めた。僕はまだ北条さんのことを何も知らないのだ。
 印象だけで判断せず、彼女自身を見て判断するべきだろう。そうだ、だから、僕は北条さんのことをきちんと見て――

「ちょ!」

 そう思って見た瞬間、北条さんは服を脱ぎ始めていた。僕は思わず声を上げて目を塞いだ。

「……何慌ててるの? レッスン着、着てるに決まってるじゃん」

 北条さんが言って、呆れたように息をついた。

「……レッスン着?」

 僕はゆっくりと目を開いて、北条さんを見た。

「なんだ……」

 僕は安堵の息をつく。良かった。せっかく仲良くなろうと言うのに、着替えなんて見てしまえばますます距離が離れてしまうことだろう。危機一髪、と言ったところだ。
 だが、安堵の息をついているような場合ではなかった。

「もしかして、私が初めて会った男に下着姿を見せるような女だとでも思ってたの? ……最低」

 そう言って、北条さんはチッと舌打ちをして僕を軽蔑の目で睨んだ。
 ……どうやら、これ以上嫌われることはあったらしい。

「そ、そんなことはないです。ただ、びっくりしただけで」

 僕は弁解を試みる。さすがにそんなことは思っていなかった。本当にただ驚いただけだったのだ。
 だが、北条さんはそれを信じた様子もなく、

「あっそ。それじゃ、レッスン始めるから、邪魔しないでね」

 と言って、僕に背を向けた。いや、本当に……僕は北条さんの誤解を解こうとしたが、やめた。今何か言っても意味はないだろうし、そもそも何を言うべきなのかわからなかった。だから、今はただ彼女のレッスンを見ておくことにした。



223: ◆Tw7kfjMAJk 2017/04/19(水) 21:47:10.42 ID:nhXCd10e0


 僕がアイドルのレッスンを見るのはこれで二度目だった。
 一度目は昨日、様々な説明を受けた後、事務所内を見学した時。
 そのレッスンはトレーナーさんがいるもので、その時に僕と同期になるという新人のトレーナーの子と少し話した。
 と言っても、僕が彼女と仲良くなるなんてことはないとは思うが。

 さて、北条さんのレッスンだが、それは素人目から見ても非常に洗練されたものだった。
 昨日レッスンを見学させてもらった子たちはまだまだ売り出し中のアイドルという話だったが……ここまで違うとは。
 既に売れているアイドルとは聞いていたが、北条さんのレッスンは昨日見たものとはレベルが違うものだった。
 ただのステップに目が惹かれる。魅せられる。ただ立っているだけでも違う。『立つ』という行為を魅せている。
 頭のてっぺんから足の指先まで、すべてに何かが宿っているようにすら思えた。

 尋常ではない。見ているだけでそう感じた。限界まで研ぎ澄まされた意識を一切途切れさせることなく全身に行き渡らせている。
 指先から髪の一本に至るまで、すべてに意識の糸を切らすことなく張り詰めている。

 そんな状態での激しい運動。いつの間にか彼女のレッスン着は汗でびしょびしょに濡れて、肌に貼り付いていた。
 時間を見ると、既に数時間が経過している。
 最初はまったく切らすことがなかった息も切れて、肩で息をし始めている。しかし、

「……あと、もう一セットっ!」

 極限状態と言ってもいい状態のはずだ。それなのに、そう言って動き始めれば先程までの様子はどこへ行ったのか、彼女の肉体はまた魅力という輝きを放ち始める。

 異常だ、と思った。こんなにも鬼気迫るような勢いで、どうしてレッスンをやっているのか。
 どうしてそれで満足していないような表情をしているのか。どうしてそこまでレッスンをするのか。
 どうして、どうして、どうして。

 ――どうして、自分はこんなにも魅せられているのだろうか。

 僕でもわかる。彼女のレッスンはオーバーワークギリギリだ。いや、既に限界なんて超えているのかもしれない。トレーナーさんもいないのに、彼女はこんなにも努力している。

 どうして? 僕にはわからなかった。どうして、彼女はこんなにも努力しているのだろう。こんなにも頑張っているのだろう。
 レッスンを楽しんでいるようには見えない。苦痛を感じているようにすら見える。
 だが、彼女は自分からレッスンをしている。誰かに命令されているわけでもないのに、彼女は自分から限界まで自分を追い込んでいる。
 それなのに、彼女は、どうして……。

 その理由を知りたいと思った。心臓の鼓動が大きく胸を打っている。どうしてだろう。どうして僕はそれを知りたいのだろう。どうしてこんなにも胸が痛いのだろう。
 そうやって、僕が考えている時だった。



224: ◆Tw7kfjMAJk 2017/04/19(水) 21:47:51.16 ID:nhXCd10e0


「……ん?」

 ふと、北条さんの身体がブレて見えたような気がした。先程までとリズムが違う。ステップがずれた? いや、これは――

「北条さんっ!」

 僕は咄嗟に走り出した。ふっと力が抜けたように、北条さんの身体が床に倒れようとしている。
 距離はそこまで離れていない。このタイミングなら間に合うはずだ。
 間に合え、間に合え、間に合え――

 とさっ、と北条さんの身体を抱き止める。間に合った。だが、それで安心してはいられない。

「大丈夫ですか、北条さん!」

 意識はあるだろうか。オーバーワーク? もっと早く止めるべきだったか? 僕は何をしていたんだ。限界だということには気付いていた。それなのに僕は何を考えていた? 何を魅せられているんだ。僕は彼女のプロデューサーになったんだ。それなら……。
 そう考えている僕の肩に北条さんの手が触れた。

「ありがとう。でも、もういいよ」

 そう言って彼女は僕の肩を押して自分の力で立った。だが、まだふらっとしている。……そんな状態で。

「……大丈夫には、見えません」

 僕は言う。そんな僕を彼女は睨む。

「私の身体のことは、私がいちばんよくわかってる。新人のくせに……何もわかっていないくせに、勝手なこと、言わないで」

 そう言って、北条さんはふらふらと僕から離れていく。また、レッスンを始めようとする。
 そんな彼女を見て、僕は。

「……なんで」

 思わず、そう口にした。

「なんで、そんなに、頑張るんですか」

 わからなかった。
 そんなに頑張る理由がわからなかった。そんなに頑張れる理由がわからなかった。
 僕にはできないことだ。何もない僕にはできないことだ。
 どうして自分からそんなに頑張ることができるのか。

「……私は」

 北条さんが口を開き、閉じる。閉じて、うつむく。
 そして。

「……そんなの、わからないよ」

 ぽつり、と北条さんの口からそんな声が漏れた。

「わからないよぉ……」

 いつの間にか、彼女は僕の服の裾を握りしめていた。そんな彼女の様子を見て、しかし、不思議と動揺はしなかった。

『好きなように生きなさい』

 そんな声が聞こえた。好きなように? それはいったい、どういうことだろう。
 どうして、今、それを思い出したのだろう。
 どくん、と心臓が胸を打つ。
 僕にはまだその意味がわからない。
 僕にはまだそれが見つからない。

 だけど、それでも。
 それでも。
 僕にできることがあるのなら。
 僕なんかに、できることがあるのなら。
 僕は、彼女のことを手伝いたい。
 彼女のことを、応援したい。

 その時、僕は心に誓った。
 やりたいこともなりたいものもないのなら。
 どうしてもそれが見つからないのなら。

 せめて、彼女の力になってみせよう――と。



225: ◆Tw7kfjMAJk 2017/04/19(水) 21:48:36.14 ID:nhXCd10e0


      *

 休憩スペース。
 僕は北条さんと二人並んで備え付けの椅子に座っていた。北条さんはスポーツドリンクを口に運び、離す。

「――そうして、私はプロデューサーからも親友からもアイドル失格の烙印を押されましたとさ。おしまい」

 北条さんは僕に自分のことを話してくれた。どうして話してくれたのかはわからない。ただの気まぐれだったのかもしれないし、そうではないのかもしれない。
 北条さんの話を聞いて、僕は一つだけ、どうしても気になることがあった。どうしても引っかかることがあった。
 北条さんの以前のプロデューサーは有能だったのだろう。今の彼女を見ればそれはわかる。
 渋谷さんもすごいアイドルなのだということはわかる。僕ですらも知っているアイドルだったのだ。それに、北条さんがここまで言うのだからすごいアイドルなのだろう。
 だが――だがしかし、その二人が言ったという言葉で、僕にはどうしても納得いかないことがあった。

 北条さんが、アイドルではない?
 北条さんのやっていることがアイドルごっこ? ともだちごっこ?
 北条さんに、アイドルが向いていない?
 渋谷さんは『今の』と言った。だから、文字通りの意味ではないだろう。

 だが、もしも――もしも、今の北条さんが、渋谷さんの言う『今の』彼女なら。
 今の北条加蓮が、アイドルじゃないなんて言うのなら。

「……北条さんは、アイドルだよ」

 僕は、それを否定する。

「……何を」

 僕の言葉に、北条さんが眉をひそめる。
 ああ、そうだ、僕は何も知らない。
 北条さんとは今日会ったばかりだ。今の話も、聞いただけの話でしかない。

 だが、これだけは言える。
 今日、僕は北条さんのレッスンを見た。
 限界を超えてレッスンに打ち込む彼女の姿を見た。

 そして――僕は、その姿に魅せられた。
 応援したいと思った。力になりたいと思った。

 僕には何もなかった。
 やりたいことも、なりたいものも。
 それで何をするでもなく、ただ漫然と生きてきた。
 ただなんとなく『好きなもの』を見つけたいと思っていただけで、それを探すための努力も何もしてこなかった。

 しかし、北条さんは違った。
 僕は彼女の力になりたいと思った。力になると自分に誓った。

 もしかしたら、僕は何かを誤解しているのかもしれない。
 彼女のことも、アイドルのことも。
 でも、それでも。

「僕にとっては、君は、間違いなくアイドルだったよ」

 僕以外の人にとってどうなのかはわからない。
 だが、僕にとって、北条加蓮はアイドルだった。
 だって――僕は、彼女のことを心から応援したいと思ったのだから。



226: ◆Tw7kfjMAJk 2017/04/19(水) 21:49:02.64 ID:nhXCd10e0


「……加蓮」

 僕の言葉に、北条さんは自分の言葉を口にする。

「え?」

 端的なその言葉に、僕はそう返すことしかできなかった。加蓮。北条さんの下の名前。それはわかる。だが、どうして?
 その意味はすぐ彼女が教えてくれた。彼女はもう一度口を開く。

「加蓮、って呼んで。……これだけ話したんだから、もう、加蓮、って呼んで」

 ……どういうことだろう。僕には意味がわからなかった。どうして、いきなり?

「そっちの方が、アンタも気をつかわなくて済むでしょ」

 気をつかわなくて済む……ということは、彼女は僕のことを気遣ってくれた、のだろうか? いや、だが、いきなり女の子を下の名前で呼び捨てにするのは……いやいや、彼女の方からそう言ってくれたのだ。それに従わないのは……いや、だが、しかし……。
 そうやってうだうだと迷った末に、僕は自分の答えを口にする。

「わかったよ。加蓮。これでいいか?」

 敬語もするな、という意味だと解釈したが、これでいきなり『生意気』だなんて言われたらどうしようか。
 しかし、それは杞憂だったようだ。彼女は満足したように、

「うん。それでいいよ。やっと気持ち悪くなくなった」

 と言ってくれた。が、「気持ち悪く……って」つまり、先程までは気持ち悪いと思われていたのだろうか。僕は苦笑する。彼女はそれを気にもかけず、

「それじゃ、私はもう帰るから。またね、『プロデューサー』」

 そう言って、ひょいと何かを僕に投げた。僕は慌ててそれを受け取り、確かめる。

「……これくらい、おごるのに」

 手の中には、彼女が飲んだスポーツドリンクの代金分の小銭が入っていた。

 加蓮はもういなかった。



227: ◆Tw7kfjMAJk 2017/04/19(水) 21:49:33.66 ID:nhXCd10e0


      *

 それから、僕と加蓮の日々が始まった。
 最初は刺々しかった加蓮の態度は少しずつ軟化していった。
が、僕は一向にこの仕事に慣れることができなかった。日々手探り状態で先輩や部長に助言を求めてばかりいる。

 しかし、僕は加蓮の力になると決めたのだ。自分のためにそこまで頑張ることはできないが、加蓮のためになら頑張れる。
 明らかに僕は実力不足だったが、それは加蓮が補ってくれた。仕事の評判は上々で、僕は加蓮よりもよろこんでいたかもしれない。
少し前など、僕があんまりよろこぶものだから、「プロデューサー、よろこび過ぎ」と呆れられたくらいだ。
だが、そう言った彼女の口元には笑みが浮かんでいたから、彼女もよろこんでくれていたと思う。

 充実していた。
 今までの人生の中で、僕はこれほどまでに充実した日々を経験したことはなかった。
 悩むこともある。迷うこともある。忙しさも経験したことがないほどで、学ばなければならないことは数えられないくらいだ。

 だが、それでも、充実していた。
 何の目的もなく、ただ漫然と過ごしていた日々とは違った。ただ周りに合わせて生きていただけの日々とは違った。
 彼女と過ごす日々は、楽しかった。
 こんな思いは初めてで……だから、僕は彼女に恩返しがしたいと思った。
 いや、恩返しではない。これは、僕の……そうだ、僕が、僕自身が、やりたいことだ。

 僕が知っている彼女の仕事はビジュアル面を推したものが多かった。
 彼女がビジュアルレッスンも怠っていないということは知っている。だが、僕が初めて見た――初めて彼女に魅せられたものは、その仕事をしている姿は、まだ知らない。
 ステージの上に立つ彼女の姿を、僕はまだ知らないのだ。

 未だに加蓮は自分のことを『アイドル』と認めていないところがある。
 以前のプロデューサーや渋谷さんに言われたことをまだ引きずっているのかもしれない。
 僕はその思いをひっくり返してやりたい。
 自分がアイドルだということを、知ってほしい。
 ステージの上に立つ彼女の姿が見たい。自分がアイドルだということを知ってほしい。
 その二つの望みを叶えるためには?

「……ライブだ」

 アイドルと言えば?
 その問いに対しては人それぞれの答えがあると思う。
 僕にとって、それはライブだった。
 アイドルと言えば、ステージで歌って踊るもの……そういうイメージが大きかった。

 僕が何を言ったところで加蓮は自分がアイドルだと認めてくれない。
 なら、誰が見ても、自分ですらも『アイドル』だと認めざるを得ないような場所に連れていくべきだろう。
 そして、純粋に――そう、純粋に、僕がその姿を見たいと思った。
 ステージの上で歌って踊るアイドル、北条加蓮を見たいと思った。
 幸運にも、僕は加蓮のプロデューサーだった。
 プロデューサーは、アイドルに仕事を持ってくることができる。

 ――その日から、僕は加蓮にライブの仕事を持ってくることができるように動き始めた。
 仕事のことは先輩や部長、千川さんに話を聞いた。レッスンのことは僕と同期であるという新人のトレーナーに話を聞いた。
 各所を走り回り、情報を収集し、仕事を調整し、各所と交渉を進めた。
 自分にできることを全力でやって……そうしてようやく、ライブの仕事を持ってくることができた。
 そこまで大きい会場ではないが、ソロライブ。
 加蓮の実力には見合わないかもしれないが、僕が用意できる中ではいちばん良いステージだと思った。
 仕事がとれたことを加蓮に報告すると、案の定複雑な反応をされた。だが、微笑みとともに了承してくれた。

 安心した。安心したが、そこで終わるわけではない。まだしなければならないことは山ほどある。
 頑張ろう、と思った。彼女のステージを見るために。
 アイドル北条加蓮のライブを、見るために。



228: ◆Tw7kfjMAJk 2017/04/19(水) 21:50:10.71 ID:nhXCd10e0


      *

 ライブ当日。

「……会場、いっぱいだね」

「ああ。……やっぱり、加蓮はアイドルなんだな」

 僕と加蓮は会場にいた。こうやって実際に見てみると、加蓮が人気アイドルだということを実感する。

「こんな大勢の人が、加蓮のために集まっているんだな。加蓮の歌を聴きに来てくれているんだな」

 それは本当にすごいことだと思った。これだけの数の人が、他の誰でもない加蓮のためにここに来てくれている。
 これだけの数の人がチケットのためにお金を払って、この会場に集まっているのだ。

「頑張らないとね」

「ああ。頑張れ、加蓮」

 僕はそう言って加蓮の肩を軽く叩く。

「叩かないでよ、もう」

「たっ……そんなに、強く叩いたつもりはないんだが」

「それでも。……ふふっ」

「……からかったのか?」

「さあ? どうでしょう」

 そう言って加蓮は笑う。……まったく。この調子なら、心配いらないか。

「――北条さん。そろそろ、出番です」

 スタッフの声。それに加蓮は「はーい」と答え、

「それじゃ、行ってくるね、プロデューサー」

 と軽く手を挙げる。それを見て、僕も軽く手を挙げて、

「ああ。行ってこい」

 パン、とハイタッチ。加蓮はステージの方を向いて、開幕を待つ。

 ……さて、ようやくだ。
 ようやく、加蓮のステージを見ることができる。
 楽しみだった。こんなに楽しみなことは生まれて初めてだった。

 北条加蓮。
 彼女はアイドルである。
 そして。

 それを証明するためのステージが、今、始まる。



229: ◆Tw7kfjMAJk 2017/04/19(水) 21:50:55.15 ID:nhXCd10e0


      *

 ライブが終わった。
 拍手が聞こえる。歓声が聞こえる。
 だが、僕は動けなかった。拍手も歓声も上げられなかった。

 初めてだった。
 初めての経験だった。
 今までにも、加蓮の歌は聞いてきた。加蓮のダンスは見てきた。
 レッスンで何度も見てきたはずの動きだった。
 リハーサルもした。このステージでもした。それも見たはずだった。

 それなのに。
 それなのに、どうして、ここまで違うのだろう。
 心臓が胸を打つ。
 鼓動が聞こえる。
 興奮している。

 アイドル。
 それが何か、僕にはわからなかった。
 わからなかったけれど、僕は加蓮こそがアイドルだと思っていた。そう思った気持ちに嘘はなかった。

 だが――今日見た、彼女は。
 ステージで歌って踊る、北条加蓮は。
 今までに見た彼女のどんな姿よりも魅力的で――輝いていて。
 これまで以上に、応援したいと思った。力になりたいと思った。
 これこそがアイドルなのだと、そう思った。
 そして――これこそが、『好き』という気持ちなのだと、そう思った。

 今まで生きてきて、僕には好きなものがなかった。
 やりたいことがなかったし、なりたいものもなかった。
 だが、今、できた。
 僕は、彼女が好きだ。
 北条加蓮が――北条加蓮というアイドルのことが、好きなんだ。
 そう思えた。初めて経験するそれに、僕は冷静さを失ってしまっていた。 
 だから、ステージから出てきた加蓮を見た瞬間、

「――加蓮!」

 そう言って、彼女のことを抱きしめてしまった。

「……え!?」

 加蓮が何かを言ったような気がする。だが、僕はそれがわからない。
 どうしようもなく彼女のことが愛おしくて、自分でも自分がどうなっているのかわからなかった。
 とにかく彼女のことが愛おしくて、好きで、好きで、好きで……そして、溢れるほどに、感謝していた。

「良かった……本当に、良い、ステージだった。やっぱり、君はアイドルなんだな。君は、やっぱり……僕にとって、最高のアイドルだ」

 思うままに口から言葉が紡がれる。自制心を失っていた。思うままに心のままに言っていた。
 が、加蓮はそうではなかった。

「プロデューサー! その、ちょっと……離れて?」

「離れ……? ……っ! す、すまない、加蓮!」

 加蓮の言葉に、僕はようやく冷静になった。……何を抱きしめているんだ、僕は。興奮しすぎだ。いったん冷静になれ。
 そう思って、僕はゆっくりと深呼吸をする。……よし、これで少しは冷静になれた、と思う。きっと。たぶん。



230: ◆Tw7kfjMAJk 2017/04/19(水) 21:51:26.39 ID:nhXCd10e0


「……アイドルって、言うけどさ」

 加蓮が言う。その言葉に、僕は加蓮の方を見る。彼女は僕の方を見ることもなく、つぶやくような小さい声で、言葉を続ける。

「どうして、そんなことを言えるの? ……私に、アイドルなんて――」

「言えるさ」

 まだそんなことを言っているのか、加蓮は。加蓮が僕の方を見るのに、僕はこちらだと示すように、観客席の方を見る。

「だって、こんなに大勢の人が、加蓮のことを、好きでいてくれているんだから」

 サイリウムの光。
 アンコールの声。
 そして、大勢のファンの顔。

 そこには、加蓮がアイドルだという証拠があった。
 これを見て、それでも自分がアイドルじゃない、なんて……そんなことは、さすがに言えないだろう。

「……これ、って」

 加蓮が観客席を見てそんな声を漏らす。その声に、その目に、宿っている感情はどのようなものだろうか。
 僕には、きっと、そのすべてはわからない。

「……私」

 だが。
 これだけは言える。

「私、アイドルなんだ」

 北条加蓮は、アイドルだ。

「私……アイドルに、なれたんだ」

 そして――彼女は、今、それを知ったと。

 彼女の目から涙がこぼれる。僕はそれを見ることしかできない。それ以外には何もする必要がないとも思う。
 しかし、ずっとそうしているわけにもいかない。

「……加蓮。アイドルなら、あと少し、やることがあるだろう?」

 そうだ、まだやることが残っている。今、聞こえているこの声に――「アンコール」の声に、応えられるのは。

「そうだね。……私、行ってくる」

 その声に応えられるのは、ただ一人。
 ここにいる、アイドルだけだった。
 彼女は舞台袖に近付いていって――その直前で、こちらを向いた。

「ねぇ、プロデューサー。……ううん、Pさん! 私……Pさんのこと、大好きだよ!」

 突然名前を呼ばれて、僕は少し驚く。

「見ててね、Pさん。私が――アイドルに、なったところを」

 だが、驚いてだけはいられない。僕は微笑み、言う。
 僕のアイドルに、言葉をかける。

「ああ。見てる。だから――行ってこい!」

「うん!」

 そして、加蓮は宣言する。

「『アイドル』北条加蓮――いってきます!」



231: ◆Tw7kfjMAJk 2017/04/19(水) 21:51:55.89 ID:nhXCd10e0


      *

「……Pさん」

 アンコールも終わり、ファンも帰った、空っぽの会場。
 まだ熱の残るその場所に、僕と加蓮はいた。

「今日のライブ、どうだった?」

「最高だった」

 目を閉じれば、今もあの光景が蘇る。……本当に、最高だった。

「君は最高のアイドルだったよ、加蓮」

 そう言うと、加蓮は微笑んで、

「……なら、さ。ご褒美……もらっても、いい?」

「ご褒美?」

 僕は驚き、考える。幸運にも僕には好きなものが加蓮を除いて何もない。だから給料も生活費以外にはたまるばかりだ。だが、それでも買えるものには限界がある。

「べつにいいけど、僕も新人だから、あまり高いものだと買えないと思う」

「大丈夫。お金で買えるものじゃないから」

「お金で買えるものじゃない? なら――」

 何なのか。その言葉は続けることができなかった。
 加蓮の表情を見て、思わず、言葉が止まってしまった。

「Pさん」

 加蓮は言う。

「私、ずっと、あなたといたい。ずっと、ずっと……あなたの、そばにいたい」

 ぎゅっ、と胸の前で手を握って。
 まっすぐに、僕を見て。
 加蓮は言う。

「だから……それを、約束してほしい。その約束が……今の私がいちばん欲しい、ご褒美だよ」

 ……そう、言われて。

「……ああ」

 僕はうなずいた。加蓮の目を見て、加蓮に向き合って、口を開いた。

「約束する。僕も、君のそばにいたい。いつまでも、君のプロデューサーでいたい……君が、そう思わせてくれたから」

「……ほんとに?」

「本当に」

「ほんとに、ほんと?」

「ああ」

「嘘だったら……私、絶対に、あなたのことを、許さないからね?」

「だから、嘘じゃな――」

 そう僕が文句を言おうとした瞬間、勢いよく、加蓮が僕の腕の中に飛び込んできた。

「なっ――ちょ、加蓮! いきなり、何――」

 僕は慌てて、加蓮に文句を言おうとした。
 だが、

「――本当に、約束だからね!」

 ……そんな、嬉しそうに、弾んだ声に。

「……ああ」

 もう一度、そう言って。
 僕もまた、加蓮の肩をそっと抱いた。



232: ◆Tw7kfjMAJk 2017/04/19(水) 21:52:23.61 ID:nhXCd10e0


      *

 それからはすべてが順調だった。
 加蓮の仕事に対する評価は以前よりもずっと高くなり、どんどん仕事が増えていった。
 加蓮の本来の実力を考えれば当然のことだろう。僕なんて、その足を引っ張っていたかもしれないくらいだ。
 渋谷さんとも和解したようで、加蓮と渋谷さん、神谷さんのユニット、トライアドプリムスの活動も再開した。
 その人気はぐんぐんと上がり続けて、あの『ニュージェネレーション』にも匹敵するほどのものとなっていった。
 僕と加蓮の仲も良くなっていったと思う。あのライブ以降、加蓮との距離が近付いていった。それは素直に嬉しかった。

 これからもずっとこんな風に過ごせたらいいと思った。
 生まれて初めてできた好きなもの。好きな人。
 彼女と一緒に、ずっと過ごせたらいいのにと思った。
 北条加蓮。
 アイドルとしての彼女を僕は好きだった。

 ……それだけなら、まだよかったのかもしれない。
 そこで止まっていたのなら、もしかしたら、まだ変えることができたのかもしれない。

 だが、そうはならなかった。
 僕はアイドルとしてではない北条加蓮を知った。プライベートでも彼女と過ごすことが何度かあって、その時の彼女も本当に魅力的で……。
 僕は北条加蓮のことが好きだった。
 初めての『好き』に、僕は浮かれていた。 

 だから、僕は忘れていた。
 自分の職業がなんなのか。
 そして――北条加蓮にとって、僕は『それ』ではなかった。

 プロデューサーでは、なかったのだ。




233: ◆Tw7kfjMAJk 2017/04/19(水) 21:52:52.95 ID:nhXCd10e0


      *

 クリスマス。
 雪の街。

 そこを僕は走っていた。待ち合わせの時間はもう過ぎてしまっている。だから急いでいた。
 走って、走って……そして。

「――加蓮!」

 立っている彼女の姿を見つけて、僕は声をかける。彼女は顔を上げて、僕の方を見る。

「すまない、待ったか?」

 急いで来たが、間に合わなかった。加蓮はどれくらい待っていたのだろう。待ち合わせの時間からするとそれほどではないが、その時間より待っていたのなら……。
 そう心配していると、加蓮はわざとらしく自分の手に息を当て、

「はぁ……さむーい。女の子を待たせるなんて、Pさんは罪な人だね」

 と言う。演技がかっているが、これはわざとだ。こんな風にわざとらしくすることで僕の罪悪感を軽くさせようとしているのだろう。
 本当に寒いと思っているのだろうし、それだけ待たせてしまったのだろう。
 僕はもう一度謝ろうとして――その前に加蓮は言葉を続けた。

「でも、ちゃんと来たから許してあげる。でもでも、凍えちゃったから、温かいモノをくれるまで、許してあげない♪」

 そうやって加蓮が微笑むのを見て……僕はこれ以上謝っていても自己満足にしかならないな、と思った。謝罪じゃない。言うべきは、

「ありがとう、加蓮。それで、温かいモノって……」

「うーん……温かいココアがいいかな。マシュマロがはいった、とびきり甘いやつ!」

「了解。……でも、そういうの、どこで飲めるんだ……?」

 僕はそういうのに疎かった。しかし、待たせてしまったのは事実だし、きちんと探すべきだろう。
 確か前にルキちゃんが何か言ってたな。このあたりにいいカフェがあるとかなんとか。
 どこだったか。適当に聞き流さずにきちんと聞いておくべきだったか……。

「ね、Pさん」

 そうやって頭を悩ませる僕に加蓮が微笑み、手を差し出す。

「とりあえず……手、握ってくれる?」

「……ああ」

 そう応えて僕は加蓮の手をとり――その冷たさに驚く。

「加蓮の手、冷たいな。……本当に、待たせてすまなかった」

「ん、大丈夫大丈夫。こうして、肌で季節を感じると、なんていうか……生きてるなぁ、って感じるから。あ、そんなに重い意味じゃなくてね? 本当に、身体は大丈夫だから。心配しないで」

「……それなら、いいんだが」

 そうは言っても、心配なことに変わりはない。加蓮の手をもう一度ぎゅっと握る。僕の手で温まるかどうかはわからないが、少しでも温まってほしいという願いを込めて。

「歩こっか」

「ああ」



234: ◆Tw7kfjMAJk 2017/04/19(水) 21:53:30.12 ID:nhXCd10e0


 手をつないだまま、僕は加蓮と一緒にクリスマスの街を歩く。
 クリスマスの街をこうやって歩くのは初めてではない。初めてではない、はずなのに……どうしてか、とても、心が温かい。
 どうしてだろうか。
 ……いや、そんなことわかってる。
 それは、きっと……。

「Pさん」

 加蓮にそう呼ばれて、僕は「なんだ?」と返す。

「私、幸せだよ。……あなたといられて、本当に」

 そう言われて、僕は少し驚いてしまう。……加蓮も、同じことを思っていたのか。

「僕も、同じ気持ちだよ」

 僕がそう答えると、加蓮は息を飲んで、僕を見る。

「……本当に?」

 加蓮の目は真剣で、それに僕は驚いてしまう。だが、僕は当然のことを答えたに過ぎない。
 僕は苦笑して、加蓮を安心させるために、もう一度言う。

「ああ。だって、僕は、君のことが――」


 君のことが、なんだ?


 僕は言葉を止める。僕は今、何を言おうとしていた?

 好きだから? 好きだから、か?
 それはどういう意味だ? どういう意味の『好き』なんだ?

 僕はアイドル北条加蓮が好きだ。加蓮が好きだ。
 それは間違いない。だが、それはどういう意味だ?

 人間として? そうかもしれない。彼女は人間として尊敬できる人物だし好きだ。
 ファンとして? そうかもしれない。僕はアイドルとしての北条加蓮が好きだし、彼女のステージを見るのが大好きだ。
 男として? ……そうかもしれない。加蓮はまだ高校生だが、一人の女性として魅力的だと思ってしまっているということは否定できない。僕は加蓮に恋をしているのかもしれない。

 ――ああ、それはいい。それはいいだろう。
 そこまでなら、まだいい。
 だが、それだけか? 本当にそれだけか?

 ……それだけだ。
 そして、だから、ダメなんだ。
 それだけだから、ダメなんだ。
 僕は加蓮が好きだ。アイドルとしての彼女が好きだし、一人の女性としての彼女が好きだ。
 でも、それは――それは、人間として、ファンとして、男としてでしかない。

『プロデューサー』として、ではないのだ。

 今になって思えば、最初から、そうだった。
 僕は彼女を応援したいと思った。彼女の力になりたいと思った。彼女のステージを見たいと思った。
 だが、それはすべて『プロデューサー』としてではなかった。ファンとして、あるいは一人の男として。そんな立場でしか、僕は彼女を見ていなかった。

 ……そんな人間が、彼女のプロデューサー?

 そんなこと、許せるだろうか。
 少なくとも、僕は――男として、人間として、ファンとして、北条加蓮のことが好きな僕は、それを許すことができない。
 アイドル北条加蓮が好きな一人のファンとして、僕のような人間が彼女のプロデューサーを続けることなんて――そんなの、許せるはずがない。
 なら、僕はどうするべきだろうか。

 ……決まってる。
 そんなの、決まっているじゃないか。



235: ◆Tw7kfjMAJk 2017/04/19(水) 21:54:08.42 ID:nhXCd10e0


「加蓮」

 僕は加蓮を呼んだ。既に心は安定していた。迷うことは何もなかった。

「な、なに?」

 どうしてか加蓮の方が動揺しているように見える。そんなに動揺しないでくれ。……一つだけ、聞きたいことがあるだけだから。

「加蓮は……アイドルが、好きか?」

 僕の言葉に、加蓮は少し悩んでみせて……それから、答えた。

「好きだよ。……昔から、憧れていたから。まあ、Pさんと会うまでは忘れちゃっていたけどね」

 そう言って、加蓮はふふっと微笑む。

「そうか。なら、やっぱり……」

 やっぱり、そうするべきだ。
 加蓮にとっても、アイドルは大事だ。
 なら、僕のするべきことは、一つしかない。

「え?」

 僕のつぶやきは加蓮に聞こえてしまっていたらしく、加蓮が言う。

「いや、なんでもないよ。……行こうか、加蓮」

 僕はそう言ってごまかして、加蓮の手を握りしめる。
 ……たぶん、これが最後になるだろう。
 そう言えば、ずっとそばにいる、って約束していたな。
 でも、それは、もう守ることができない。

「……ごめんな」

 そのつぶやきは誰の耳にも届くことなく、白い息に紛れて消えた。



236: ◆Tw7kfjMAJk 2017/04/19(水) 21:54:50.78 ID:nhXCd10e0


      *

 一月、事務所。

「……なんだって?」

 部長の部屋。部長が僕の言葉を聞き返す。

「僕にこれ以上北条加蓮のプロデューサーを続けることはできません。彼女のプロデューサーを降りさせて下さい」

 もう一度僕がそう言うと、彼は難しそうに眉をひそめて、尋ねる。

「理由は?」

「僕に彼女をプロデュースする資格がないからです」

「……君と北条くんの仲が良いことは知っている。告白でもされたかね? だが――」

「いえ、そうではありません。……そもそも、僕は新人です。彼女のようなアイドルをプロデュースするには、まだまだ実力不足と言っていいと思われます」

「だが、北条くんは君のプロデュースで成功している。君のおかげで、北条くんの人気は以前のものを上回ることになった」

「それは彼女がアイドルとして成長したからです」

「君がそうしたのだろう?」

「それは――」僕は一瞬考えて、言う。「――そうかもしれません。ですが、それは僕のプロデューサーとしての能力を表すものではありません」

「と言うと?」

「彼女に必要だったのは、たぶん……プロデューサーでは、なかったからです。あの頃の彼女に必要だったのは、きっと、彼女のことを見てくれる人。僕じゃなくても、彼女のことをきちんと見ることができる人間だったなら、誰でもできたはずです」

「私は、そうは思わないがね。君だから、だよ。他の誰でもない、君だからだ。過ぎた謙虚は失礼だと思うが?」

「……もしかしたら、部長の言う通りなのかもしれません。加蓮にとっては、違ったのかもしれない。ですが」

「君にとっては、違うと?」

「はい。……僕は、彼女をプロデューサーとして見ていない。見ることができていない。だから――」

 僕は言う。

「――僕には、北条加蓮のプロデューサーはできません」

 他でもない、僕が許せない。
 僕がそれを許せない。

「……その意見は、変わらないかね?」

 部長が言う。残念そうに。
 だが、この意見は変わらない。

「はい。僕を、加蓮のプロデューサーから降ろして下さい」

 僕がそう言った――その時だった。

 どさっ、と何かが倒れる音が背後から聞こえた。

 いったい、何が――そうやって後ろを見ると、そこには、

「……加蓮?」

 加蓮が、倒れていた。

「加蓮っ!」

 僕は加蓮の方に駆け寄り、抱き上げる。意識がない? どうして? 今の話を聞かれていた? いや、でも、どうして――
 そうやって混乱している僕の耳に、部長の声が届いた。

「落ち着け。部屋をきちんと閉めていなかった私に責任がある。君は自分を責めるな。今の話はまた後でゆっくり聞こう。……だから、君はまず、北条くんを医務室にまで連れて行きなさい」

「……ありがとう、ございます」

 僕は部長に頭を下げて、加蓮を医務室まで抱いて行った。



237: ◆Tw7kfjMAJk 2017/04/19(水) 21:55:20.17 ID:nhXCd10e0


      *

「……ん」

 加蓮が声を漏らし、身動ぎする。僕は思わず「加蓮!」と加蓮を呼びかけてしまい、すぐにそんな自分を叱りつける。
 どうして大声を出しているんだ。安静に、と言われたばかりなのに。
 しかし、加蓮は目を開き、僕はそれに心の底から安堵する。

「……良かった。大丈夫か?」

 加蓮は何度か瞬きをして……それから、はっと目を見開いて、尋ねる。

「Pさん。私のプロデューサーを辞める、って、どういうこと? 辞めるって……本当、なの?」

「……やっぱり、聞いていたのか」

 僕は力なく微笑むことしかできなかった。やっぱり、聞いていたのか。……こうなるなら、先に伝えておくべきだったな。
 加蓮が言葉を失っている。だが、そんな彼女に僕は言わなければならない。

「本当だよ、加蓮。僕は、君のプロデューサーを辞める」

「なんでっ」

「それが『アイドル』北条加蓮にとって必要なことだから」

 僕がこれ以上加蓮のプロデューサーをしてはいけない。いや、そもそも、僕はプロデューサーですらなかったのだ。そして、北条加蓮には――アイドル北条加蓮には、プロデューサーが必要だ。

「加蓮。君はもう、僕がいなくてもやっていける。だから――」

「でも!」

 加蓮が僕の言葉を遮って、言う。

「約束……約束、したでしょ。ずっと、ずっと……一緒に、いてくれる、って」

「すまない」

 それには謝ることしかできない。言い訳も何もできない。
 申し訳ないと思う。約束したのに、守れなかった。そんな自分に苛立ちすら覚える。

 だが、そうしなくてはいけないのだ。
 僕は北条加蓮のプロデューサーにはなれない。
 そんな僕を、これ以上彼女のプロデューサーで居続けさせるなんて――そんなこと、彼女を好きな僕が許せない。
 だから、僕は謝ることしかできない。約束を守れなくて申し訳ないと、頭を下げることしかできない。

「……私が何を言っても、無駄みたいだね」

「……ああ」

 加蓮の言葉に、僕はうなずく。加蓮の言う通り、何を言われても、僕は自分の意見を曲げるつもりはない。
 だから、もう一度、謝ろうとして――

「でも」

 加蓮が言った。
 僕の目をまっすぐに見つめて――彼女は言う。

「私は、諦めないから」

 そんな目をする、彼女を見て。
 僕は、こんなことを思った。

 ……ああ、やっぱり。
 僕の選択は、間違っていなかったんだ、と。

「いつか、必ず……あなたと、また」

 加蓮はそう口にした。でも、それはありえない。
 そんな日は、絶対に来ない。
 僕はそう思って……そして。

 そんな自分が心の底から嫌になった。



238: ◆Tw7kfjMAJk 2017/04/19(水) 21:55:48.29 ID:nhXCd10e0


      *

 それから。
 僕は加蓮のプロデューサーを降りた。プロデューサーでなくなったにしてもやるべき仕事は山ほどあった。
 部長はどうしても僕をプロデューサーにしたいようだったが、僕にプロデューサーができるとは思えなかった。
 役職としては『プロデューサー』のままだったが、それはそういう名前の役職に就いているということに過ぎなかった。

 ただ仕事をこなす日々だった。また以前の僕に戻った……かと言えば、それは違った。
 加蓮がアイドルとして活動している。新しいプロデューサーの元で、きちんとアイドルとして活動している。
 それだけで良かった。それがわかれば満足だった。

 もうこの仕事への未練もなかった。忙しいが給料は良いから辞める理由もないが、続ける理由も特にないと思っていた。
 部長には悪いが、僕がプロデューサーになることはたぶんもうないだろう。
 加蓮の時でさえ、僕は『プロデュースしたい』と思うことはなかったのだ。
 ただ彼女の力になりたかっただけで、アイドルとして輝く彼女を見ていたかっただけ。
 それはプロデューサーとしてではなく、ファンとしての感情に近い。
 そして、もう加蓮の時と同じようなことを繰り返すつもりはない。自分でも納得できないようなことをする気はないし、何よりアイドルに失礼だ。

 だから、僕はプロデューサーになるつもりはなかった。
 万が一自分でプロデュースしたいと……『輝かせたい』と思えるようなアイドルに出会ったなら別だが、そんなもの、誰がいつ会えると言うのだ。そんな出会いが都合よくあるはずもない。
 そう思っていた僕に、スカウトの仕事が振られた。
 スカウトしたアイドルをプロデュースする必要もない。スカウトするに値するようなアイドルの原石が見つからなくても気に病む必要はない。
 旅行にでも行くと思って行けばいいという話だった。

 行き先は北海道だった。失礼だが部長はバカなのではないか? と思った。
 北海道、北海道だ。あそこがどれだけ広大な場所だと思っているのだ。あんなところでアイドルの原石を探せ?
 いやはや、もしもそんなものが見つけられたならばそれはもう運命や奇跡なんて言っても過言ではないだろう。

 これはもう旅行だ。そう思うことにした。東京にいれば忙しいが、北海道にいればその忙しさからも解放される。言うことなしではないか。僕は前向きに考えることにした。

 しかし、『二週間で帰ってくること』との仰せだが……もう一度言うが、部長は馬鹿なのだろうか?
 そんな期間でこの広大な土地でどうアイドルの原石を探せと? 意味がわからない。
 僕なんかをスカウトしたところから疑っていたが、部長はやはり馬鹿なのではないだろうか。

 とは言っても、仕事は仕事だ。僕は北海道でアイドルの原石とやらを探すことになった。
 僕は相手が渋谷凛や高垣楓であっても見逃す自信すらあるが、それでも探すだけは探しておこう。
 これでも、僕は真面目と言われたこともある人間なのだ。監視の目がなかったにしても、一応は真面目に探しておこう。
 そしてそれが終われば、まあ、適当に観光でもしておこう。




239: ◆Tw7kfjMAJk 2017/04/19(水) 21:56:15.11 ID:nhXCd10e0


      *

 そうして北海道にいられるのもあと三日になった。が、何の進展もなかった。特に北海道を楽しむこともできなかった。
 忘れていたが僕は加蓮に出会うまで好きなものが何もないような人間だったのだ。
 そんな人間がいきなり一人で旅行に来て楽しめるはずもなかった。
 まあ、そんな僕でも北海道の味覚はおいしいと感じることができたのでそれが収穫と言えば収穫かもしれない。

 僕は歩いていた。
 この短い期間で道行く人を観察する癖が身についてしまったが、観察したところでアイドルの原石を見つけられるわけもない。
 ほとんど無意識で道行く人を観察し、すぐにやめて、前を向いていた。

 アイドル、アイドル、アイドル。その原石。自分がプロデュースしたいと思うかどうかではなく、ただ、スカウトに値するようなアイドル。
 だが、スカウトに値するようなアイドル、とはどういうことなのだろう。僕にはわからない。
 もしかすると、僕の基準は厳しいのかもしれない。
 他の人と同じような基準なら、もしかしたら、既にアイドルの原石は見つかっていたのかもしれない。

 だが、僕はそんなものをアイドルの原石だとは認めたくない。アイドルとは特別な存在だ。少なくとも、僕にとっては、とても、とても特別な存在だ。
 加蓮だけではない。僕は事務所に入ってから様々なアイドルのことを知った。そして、彼女たちがどれだけすごい存在なのかを知った。
 彼女たちは、本当にすごい存在だ。尊敬している。恐れすら感じている。だが、それ以上に、憧れている。

 アイドルは過酷な職業だ。華やかな舞台の裏には、想像を絶するほどの茨がある。
 僕たち――プロデューサー、というだけではなく、裏方全体という意味で――の仕事は、その茨を少しでもなくすこと。
 彼女たちが少しでも快適にアイドル生活を送れるように、その茨に傷つかないようにサポートすること。

 だが、僕たちがどれだけ力を尽くしても――それでも、彼女たちが傷つくことを完全に防ぐことはできない。
 彼女たちは傷だらけだ。だが、そんな傷をファンに見せることは決してなく――その輝きを見せてくれる。

 僕がプロデューサーを辞めた直後、加蓮がそれを表に出すこともなく、ファンの前で笑っていたように。
 そして加蓮だけではない。他のアイドルにもきっとそれぞれの事情がある。
 だが、そんな事情をファンに見せることなく、その笑顔を見せている。
 年頃の少女だ。色々なことがあるだろう。だが、彼女たちは、それでも『アイドル』でいることを続けている。

 だからこそ、僕は彼女たちを尊敬する。彼女たちを尊敬している。
 初めて僕が『好き』になった存在を、尊敬している。 

 そんな存在の、原石。
 そんなもの、簡単に見つかるわけがない。

 ただ容姿が優れているだけの女性など何人もいる。
 この二週間でも両手の指で数えられない程度には『容姿だけなら芸能界でもそこそこ』の女性を見つけることができた。
 だが、僕は知ってしまっている。アイドルは容姿だけでできるものではない、と。むしろ、アイドルには『中身』こそが重要なのだ、と。
 そんなもの、どうやって外見だけで見分けろと言うのだ。少なくとも僕にはできない。外見だけで『アイドルの原石』を見つけろ、なんて無理な話だ。
 あるいは、実際に話しかけたりすればよかったのかもしれない。容姿が良い女性に声をかけて、少し話してみて……いや、少し話したところで、何がわかると言うのだ。何もわかりはしないだろう。

 僕はもう諦めていた。これはただの旅行だった。そう思うことにした。
 成果など最初から求めてはいなかった。ただ、思ったよりも暇だったから道行く人を観察していただけだ。
 それ以上の努力もしていないし、したとしても見つけられたとは思えない。これが、当然の結果なのだ。

 北海道でおいしい店をいくつか知ることができただけでよしとしよう。北海道のロケに来た時などに役立つだろう。そうだ、先輩方にも教えてやろう。北海道は広大だが、この二週間でなかなかに回ったとは思う。どのあたりを言われても一つ答えられる程度には知ることもできた。ふむ、そう思えば、今回の旅行は北海道グルメツアーと言ってもいいのかもしれない。こんなことを言えば千川さんにこってり絞られそうだが、僕にこんな仕事を任せた部長が悪い。まあ、千川さんにはおみやげでも買って帰ればいいだろう。そうと決まれば、調査に入ろう。インターネットで調べるのもいいが……せっかくだから、ここらで適当な店がないかを探そう。そこそこに店はあるようだから――




240: ◆Tw7kfjMAJk 2017/04/19(水) 21:56:42.74 ID:nhXCd10e0


 そう思って、顔を上げた、その瞬間。

 僕は、夢を見た。
 白銀の世界。白銀の光。サイリウムの光の中。
 星空のように輝くその世界の中心で、歌を歌う少女の夢。

 白銀の髪は白雪よりも美しく、宝石にも似たその目は空を落とし込んだかのように透き通った青い色をしている。
 白い肌は光を吸い込んでいるようで、スタイルも彫刻かと見まごうほどに整っている。

 ――美しい。

 そう溜息を漏らしてしまうほどに、その少女は美しかった。
 ふと、部長の言葉を思い出した。この感覚が……そうか、この感覚が、そうなのか。

 もう二度と、プロデューサーになることはないと思っていた。
 いや、そもそも、僕がプロデューサーになったことなんて、今まで一度もなかった。
 誰かをプロデュースしたい、だなんて……そんなこと、思えるはずがないと思っていた。

 僕はやりたいこともなりたいものもない人間だった。
 今までにあったことと言えば、アイドルとしての加蓮を見たい、といったものだろうか。
 だが、それはただ『見たい』というものだ。自分が『やりたい』といったことでも、『なりたい』といったものでもない。
 彼女の力になりたい、というのも、それは『やりたい』ことや『なりたい』ものとは少し違うように思えた。

 だから、これからもずっとそうなのだと思った。僕にはそういったものがないのだと。
 だが、好きなものはできた。その好きなもののために生きていこう。
 アイドルとして輝く加蓮の姿を離れたところから見ていくために生きていこう、と。

 だが――僕は、夢を見てしまった。

 ライブ会場。万を超えるファンが入るその会場の中、みんなが彼女を応援するためのサイリウムを振っている。
 そんな世界の中心で、彼女は歌を歌うのだ。
 それは、輝く、星のように――

 そんな、星の夢。
 それを、見てしまった。
 そして、こう思った。思ってしまった。

『僕がそれを作りたい』と。

 見たいのではない。既に夢で見たものだ。自分が見る必要はない。
 ただ――それを、僕が、僕の手で――僕と、彼女で作り上げたい、と。
 そう思った。強く、強く、そう思った。

 他の誰でもない僕が、僕自身が、彼女を輝かせたい。
 彼女をアイドルとして輝かせたい。
 彼女をプロデュースしたい。
 彼女のプロデューサーになりたい。

 そんな衝動が胸を打った。全身に駆け巡った。
 それは、僕が初めて感じたものだった。他の誰にも渡したくない。そう思ったことは初めてだった。
 独占欲? そうだろうか。わからない。
 わからないが、今すぐに手を伸ばさなければ他の誰かに取られてしまうと思った。
 そして、それは嫌だった。どうしようもなく嫌だった。

 それは僕だ。僕がやるんだ。僕が見つけたんだ。

 他の誰にも渡すものか。他の誰かの手に貸してなんてやるものか。任せてなんてやるものか。

 僕がやるんだ。

 僕が輝かせるんだ。

 他の誰でもない、僕が。




241: ◆Tw7kfjMAJk 2017/04/19(水) 21:58:01.10 ID:nhXCd10e0


 容姿を見るに日本人ではない。どうしてそんな少女が一人でこんなところを歩いているのか、なんてことを考えたが、今はそんなことはどうでもよかった。
 外国の……どこの国だろうか。ロシア人?
 そうかもしれないが、僕はロシア語を話せない。とりあえず、英語だ。
 くそっ、こんなことならしっかり英語の勉強をしておくんだった。
 話しかける時はなんて言えばいいんだ。うろ覚えだ。
 だが、そうこうしている内に彼女がどこかに行ってしまうかもしれない。
 今は、まず、とりあえず、話しかけろ。

「エクスキューズミー!」

 彼女に向かって、大声で、僕は言った。
 合っているかどうかはわからないが、声をかける時は、たぶん、これだろう。
 たとえ間違っていても、ただ注意を引ければいい。
 とにかく、まずは彼女の足を止めなければ。

「? 私、ですか?」

 彼女は僕を見て首を傾げた。……日本語、喋れるのか。僕はほっとした。良かった。それなら、だいぶ楽になる。

「ああ。君だ。君に話しかけた。僕はこういう者だ」

 僕は彼女に向かって名刺を差し出した。「……プロ、デューサー?」と彼女は首を傾げた。僕はうなずき、

「ああ、プロデューサー。アイドルのプロデュース……あー、手助けのようなものをやっている」

「アイドル……アイドルって、何、ですか?」

「アイドルとは、か」

 そんな質問が来るとは思わなかった。日本語は喋れるが、日本の文化にはあまり親しくないのだろうか。
 思えば、喋り方も少したどたどしい。日本で生まれ育ったわけではないのかもしれない。
 いや、そんなことはどうでもいい。アイドルとは。その答えを言うんだ。

「……私、難しい質問、しましたか?」

 沈黙が長引いたことに、彼女は心配そうに尋ねてきた。
 優しい子だな、と思うとともにそんな彼女の気を煩わせてしまったことを申し訳なく思う。
 僕はすぐに答える。

「いや、そんなことは――違うな。確かに難しい質問かもしれない。だから、僕の答えも正確ではないかもしれない。そう思って、聞いてくれ」

「ダー」と彼女はうなずいた。ダー? と一瞬だけ僕が思いを巡らせると、彼女はすぐに「あ、Yes、ですよ」と言ってくれた。
 母国語が出てしまったのだろうか。何語かはわからないが。そんなことを考えるよりも前に、言わなければいけないことがある。

「アイドルというのは、芸能関連の仕事だ。歌を歌ったり、踊ったり……それだけじゃない、色んなことをする。バラエティに出ることもあれば、モデルのようなこともするし、女優のようなことをする場合もある」

「つまり、なんでも、ですか?」

「なんでも……」そう言われて、すっと腑に落ちる。「うん、そうだな。なんでも、だ」

「それが、アイドル……なんだか、とても楽しそう、ですね」

 彼女はくすっと笑った。どこか猫を連想させる、かわいらしい微笑み。僕はそれに見惚れてしまいそうになって、すぐに頭を振って意識を戻す。

「でも、その、アイドルの……プロデューサー? が、どうして私に声、かけましたか?」

 そう尋ねられて、一瞬だけ、どう答えるか迷った。だが、迷う必要はない。

「君をスカウトしたいと思ったからだ」

 僕は言った。ごまかす必要はない。ただ、本心をぶつけた。

「私を?」

 彼女は自分を指差して言った。僕はうなずいた。「君を、だ」

「どうして、ですか?」

「それは……」

 どう答えるか。どう答えるべきか。
 これで彼女がアイドルになってくれるかが決まるかもしれない。
 容姿を見て? そうじゃない。それはわかっている。
 中身を見て? 中身なんてわからない。この短時間でわかる方がおかしい。

 なら、何故だ。
 それは――



242: ◆Tw7kfjMAJk 2017/04/19(水) 21:58:29.12 ID:nhXCd10e0


「『ティンときた』から、だ」

「……ティン?」

 彼女は首を傾げた。僕の言葉の意味がわからなかったのだろう。僕が言われたってそう思う。
 実際、僕が部長に言われた時も意味がわからなかったのだから。

「……すまない。意味がわからないのかもしれない」だから、僕は謝り――しかし、続けた。「でも、理屈じゃないんだ。君を見て、僕は夢を見た。君がサイリウムの星空の中で歌っている光景がはっきりと見えたんだ。そして、僕はそれを実現させたいと思った。君を、この世界でいちばん輝く星にしたいって、そう思ったんだ。……それが、理由だ」

 こんな理由を聞いて、誰が付いて来たいと思う。言った瞬間に後悔した。訂正するべきだろうか。
 いや、もう手遅れだろう。『危ない人』だと認定されて、逃げられる……僕はそう思った。

 だが、

「……あなたの言うこと、よく、わかりません」

 彼女は、『笑った』。

「でも、心は、伝わりました。……詳しい話、聞いてもいい、ですか?」



243: ◆Tw7kfjMAJk 2017/04/19(水) 21:58:56.91 ID:nhXCd10e0


      *

「そう言えば、君の名前を聞いていなかったな」

「確かに、そうですね。……ミーニャザヴート、アーニャ。アーニャは、ええと……ニックネームです。私はアーニャ……アナスタシアです。よろしく、プロデューサー」



244: ◆Tw7kfjMAJk 2017/04/19(水) 21:59:23.00 ID:nhXCd10e0


      *

 それから、彼女の家に行って、話をして……僕はアナスタシアのプロデューサーになった。なることができた。
 アナスタシアのプロデューサーになることが決まって、事務所に帰って、そこで先輩に言われたことを僕はまだ覚えている。

「お前、ずいぶんと変わったな。何と言うか、目が生きてる。輝かせたい星、見つけたか?」

 その時は照れ隠しの意味もあって「先輩は変わらずロマンチストですね」なんて答えたが、彼は僕と加蓮のこと、それだけではなく、僕が二度とプロデューサーになる気がなかったことを知っていた。
 先輩には加蓮のプロデューサーでいた時からお世話になっていた。彼には色々なことを教えてもらったし、かわいがってもらっていたと思う。
 そんな僕がいきなり加蓮のプロデューサーを降りて二度とプロデューサーにはならないなんて言っているのだ。心配をかけたことだろう。
 そして、先輩は僕がそういったことで気を遣うタイプの人間であると知っている。
 だからこそ、彼はわざとポエムのような物言いをしたのだろう。そうして茶化すことで、僕が変に罪悪感を抱くことを防いだのだろう。
 ……本当に、敵わないな、と今でも思う。

 アナスタシアが東京に来てからも色んなことがあった。本田さんや神崎さん、前川さんに出会ったこと。二人で星空を見て、シリウス……この夜空でいちばん輝く星にすると、約束したこと。
 確か、加蓮と会ったのもあの帰りだったか。その翌日にはルキちゃんと一緒にアナスタシアのレッスンを見て、彼女の才能に驚いた。
 そう言えば、アナスタシアはまだルキちゃんのことを『ルキ』という名前だと思っているのだろうか。
 いや、アナスタシアのことだ、わかった上で呼び続けているだけかもしれない。

 初めてのライブがあのライブだったことは、今思えば、アナスタシアにとって、とても貴重な経験だった。
 彼女は周囲からの影響を受ける子だ。デビューと同時にトップクラスのアイドルたちのステージをその肌で知ることができたあの経験は、彼女の実力を大きく伸ばすきっかけになったことだろう。

 インストア・イベントもあった。ライブバトルも。色んなアイドルとライブバトルをして……それから、加蓮や神崎さん、そして次は本田さんだ。
 加蓮も神崎さんも本田さんも、間違いなくトップアイドルと呼ばれてもおかしくない存在だ。

 加蓮には負けた。神崎さんには勝った。
 と言っても、もう一度やれば二人ともどうなるかはわからない。
 ライブバトルの結果は、あれで結構適当だ。その時その時で結果は変わる。一度勝ったからと言って実力が上だということを示すわけではない。
 まあ、加蓮とは結構な差があったから、あれは実力を示していたのかもしれない。
 神崎さんとは僅差も僅差だった。ほんの少し何かが変わっていれば、どうなっていたことか。
 それでもアナスタシアが勝った、とプロデューサーなら言うべきなのかもしれないが、実際のところ、わからない。
 それに、神崎さんは先輩の担当アイドルだ。次に戦うとなれば、先輩がどんな手を使ってくるか。先輩、あれで負けず嫌いだからな……想像すると、少しこわい。

 そして、本田未央。
 彼女とのライブバトルは、どうなるだろうか。

 実力は加蓮や神崎さんと同等と見ていいだろう。なんたって『ニュージェネレーション』。アイドル界の『新時代』を象徴するユニットの一人だ。強敵ではないわけがない。

 だが、勝つのだ。

『シンデレラガール』と『ニュージェネレーション』。その二つに勝てば、アナスタシアは間違いなく『トップアイドル』と呼ばれる者たちの仲間入りを果たす。

 夢が叶う。叶うのだ。
 シリウス。
 アナスタシアは、その星になることができる。

 ……そして。
 僕は、アナスタシアと別れる。
 僕もアナスタシアも、また新しい夢を見るために。
 そのために、僕が彼女のプロデューサーを降りることは、きっと、必要なことなのだと思う。
 きっと、きっと。



245: ◆Tw7kfjMAJk 2017/04/19(水) 21:59:55.90 ID:nhXCd10e0


      *

「さあ! 今日もライブバトルが始まります! 皆様準備はよろしいですか? 今日のライブバトルは本田さんの番組で突然開催が決まったという変則的なライブバトル! 私の情報ですと、あれは本当にあの場でいきなり持ちかけたというのだから驚きです! さてさてそんなライブバトルですが、今回の参加者の紹介へと移らせていただきたいと思います! まずは『パーフェクトスター』本田未央さん! 『ニュージェネレーション』や『ポジティブパッション』などの業界でもトップクラスの人気を誇るユニットに所属しており、ソロ活動も非常に順調なアイドルです! 彼女が出演する映画『オレンジと流星』のBD・DVDが発売中! みんな買ってね! ……とのことです! さてさてお次は『銀の天狼』アナスタシアさん! 最近はバラエティ番組にも出演するようになり、その意外な人柄に注目が集まっております! なんと、今夜彼女は新曲を披露するとのこと! ライブバトルでの新曲披露……これは、アナスタシアさんも本気で勝ちに来ていると見て間違いないでしょう! 今日も熱いバトルになりそうです! いったい結果はどうなるのでしょう! アナスタシアさんの新曲とは!? 乞うご期待! 今回の先手は本田さん、後手がアナスタシアさんで行われます! ……では! 本田さんのステージまで、皆様、もうしばらくお待ち下さい!」



246: ◆Tw7kfjMAJk 2017/04/19(水) 22:00:26.73 ID:nhXCd10e0


      *

 観客席。
 今日のライブバトルは未央とアナスタシアというどちらも人気のあるアイドル同士のライブバトルである。
 だから満員なのは当然であるが、蘭子とアナスタシアの時のような特別感はあまりない。
 アナスタシアが新曲を披露する、という意味では大きな意味を持っているかもしれない。が、それくらいである。
 今回のライブバトルの勝敗によって何か大きなことが――なんて、そんなことは、観客席にいる中では加蓮くらいしか知らないだろう。

「むむ……みんなどんどんアーニャンとライブバトルしてる……みくもした方がいいかな?」

「その前に私と再戦よ。……今度は、負けない」

「……蘭子チャン、やっぱり結構負けず嫌いだよね」

 そうやって話しているみくと蘭子を見て、加蓮ははぁと溜息をつく。
 いや、まあ、知らない方がいいとは思うけど、こうやってのんきにしている人を見ると……色々考えている自分が、なんだか馬鹿らしくなっちゃう。

「? 加蓮チャン、どうかした?」

「闇の戯れか?」

「ううん、だいじょう……蘭子。それ、どういう意味?」

 心配されていることはわかるが、どういう意味かわからない。『闇に飲まれよ』がお疲れ様です、だから……それ関連? でも、うーん……。
 そうやって加蓮が考えていると、蘭子がおずおずと言葉を続ける。

「えっと、その……大丈夫、ですか?」

「あ、うん。大丈夫大丈夫。ちょっと考え事してただけ」

 考え事……そう、考え事だ。
 だが、考えても仕方ないことでもある。

「でも、うん、考えても仕方なかった。だから……今はただ、見ることにするよ」

「見る?」

「うん――未央と、アーニャちゃんの、ステージを」

 ライブバトル開始までは、あと少し。
 その後に何が起こるかは――今はまだ、誰にもわからない。




247: ◆Tw7kfjMAJk 2017/04/19(水) 22:00:54.74 ID:nhXCd10e0


      *

「未央」

「ん、プロデューサー。そろそろ?」

「ああ。……準備はいいか?」

「完璧。さてさて、今日も会場のみんなに未央ちゃんの笑顔を届けますか!」

「そうだな。……楽しんで来い、未央」

「うん! いっぱい楽しんで――いっぱい、楽しませてくるね!」

 そして、未央は言う。

「本田未央、いっくよー!」



248: ◆Tw7kfjMAJk 2017/04/19(水) 22:01:25.32 ID:nhXCd10e0


      *

「みんな、おっ待たせー! 未央ちゃん、登場!」

 そんな言葉とともにステージに躍り出たのは本田未央。今回のライブバトルにおいて先手のアイドルである。

「いやー、ライブバトルってMCをしないアイドルが結構多いけど、私はやりたい派なんだよねー。やっちゃダメってルールがあるわけでもないし。未央ちゃんファンのみんなには今更かな?」

 いまさらー! と歓声。そんな歓声に未央はあははと笑って、

「それ、言っちゃう? 未央ちゃん傷ついちゃう……ぐすっ」

 なかないでー! と声。そんな声に観客は笑って、未央も笑う。

「泣かないよー! さてさて、今日はライブバトルなわけだけど……まさか、アーニャとここまで早くライブバトルをすることになるとは私も思いませんでしたよ。これも今までアーニャを応援してくれたアーニャファンのみんなのおかげだよ。アーニャに代わって、お礼を言うよ。ありがとー!」

 未央がそう言うと、観客席からぱちぱちと拍手が鳴り響く。そんな拍手に未央はどうもどうもと頭を下げて、

「でも、アーニャファンのみんなには悪いけど、今日勝つのは私だよ。ごめんね!」

 そんな未央に対して、アナスタシアのファンだろうか、こっちも負けないぞー! なんて声が響く。それに未央はお、と目を丸くして、

「アーニャ、愛されてるねぇ……うんうん、今日も良い勝負になりそうだね!」

 なんて言う。それに対して先程叫んだアナスタシアのファンも嬉しそうにしている。
 彼はアナスタシアのファンだったが、そもそもアイドル好きだ。ファンというほどではないにしても、未央のことも好きなのである。

「さて! それではMCもこれくらいにして、そろそろ曲に行っちゃおうか!」

 そんな未央の言葉に、おおっ、という声。観客はサイリウムを準備し始める。

「アーニャのファンも、私のファンも。みんなみんな、楽しんで――流星になっちゃおー!」

 流星。その言葉で今日何の曲が歌われるのかがわかった観客は興奮に大きく声を上げる。

「みんな、準備はいいかなー?」

 いいよー!

「うん! それじゃ、みんな、私の笑顔で元気になってね!」

 そして。
 未央は大きく腕を上げて。
 その指先で、天を指し。
 ファンに向かって、声を上げる。

「曲は――」




249: ◆Tw7kfjMAJk 2017/04/19(水) 22:01:53.35 ID:nhXCd10e0



 ――【ミツボシ☆☆★】




250: ◆Tw7kfjMAJk 2017/04/19(水) 22:02:39.25 ID:nhXCd10e0


 この曲を一言で表すならば『本田未央』らしい曲、だろう。
 ノリが良く、聞いているだけで気分が楽しくなってくる。リズムに合わせて自然と身体が揺れて、心が踊る。
 コールも楽しく、まさしく『みんなで楽しむ』曲と言っていいだろう。

 未央が「りゅーせー!」と言ってマイクを観客席に向けると、観客もまた「りゅーせー!」と返す。
 それに未央は小さくありがとうと言うように手を振ったりして、また踊り始める。

 ステージを走り回り、歌い、踊る。
 それは非常に疲れることのはずで――しかし、彼女は常に満面の笑みを浮かべている。この上なく楽しそうに歌っている。
 そんな彼女の表情を見ているとこっちまで楽しく、幸せになってくる。

 ノリ良く、テンポ良く、会場にいるみんなと一緒にステージを作り上げていく。
 コールアンドレスポンスが楽しくて楽しくて、時間が一瞬で過ぎ去っていく。

 しかし、そんな楽しい世界の中、どうしてか、涙を流している者もいる。
 それは昔からの未央のファン。昔から彼女を知る者にとって、この曲はまた違って聞こえることもある。

 本田未央。
『パーフェクトスター』と呼ばれる彼女が他人に弱みを見せることはめったにない。
 いや、そもそも、ファンに見せたことなんて一度もないかもしれない。

 だが、それでも知っている。
 この曲は、本当に彼女を表しているのだと。
 彼女のための曲なのだと。
 そして、この曲は『それを知っている自分たち』に向けての曲でもある、と。

 もちろん、それを知らなくても純粋に楽しい曲ではある。
 実際、彼らも楽しんでいる。これ以上なく楽しんでいる。
 楽しみながら涙が出る。涙が出るが、楽しい曲。
 それが彼らにとっての『ミツボシ☆☆★』という曲である。

 それだけではない。そんな物語とは関係なく――未央のことをよく知らない者の中にも、涙を流しながら笑っている者がいた。
 辛いことも悲しいこともこの世界にはいっぱいある。
 だけど、私がいる。
 私がいるよ。
 そう言ってくれているような気がして――それが、たまらなく嬉しくて。
 彼は泣いて、笑っていた。そうか、君がいるんだ。君がいるなら。

 他にも、他にも、他にも、他にも――この曲は、色んな人に、色んな意味で届いていた。

 そう、例えば――アナスタシア。
 彼女はこの曲を聞いて、昨日の会話を思い出していた。

 本田未央。
 彼女が楽しもうと言っているのは本心だろう。
 実際、この会場にいる誰もが――自分も、プロデューサーも――楽しんでいる。楽しんでしまっている。

 だが、それだけではない。
 それだけではないのが、本田未央というアイドルだ。
 アナスタシアは思い出す。昨日、未央と話した時のことを。

『「トップアイドル」とは何か……それは文字通り、トップのアイドル。頂点に立っているアイドルのことだと思う。そして、頂点は一つしかない。誰よりも光れ、誰よりも強く光れ……ってね』

 そう――あの時と同じだ。今、彼女は同じことを言っている。
 私は負けない。それでも絶対負けたくない。そう言っている。
 みんなで楽しむということと負けたくないということ――その二つを、両立させている。

 その瞬間、アナスタシアは本田未央というアイドルがどれだけの存在か、改めて思い知ったような気がした。
 みんなで楽しむということ。誰にも負けたくないということ。
 その二つを両立させる。それが、どういうことなのか。
 どれだけのことなのか。

「……ニェット」

 いや、違う。
 だからこそ――彼女は『アイドル』なのだ。
 それこそが、彼女という『アイドル』の在り方なのだ。
 その上で『トップアイドル』になる――そう言えるのが、本田未央というアイドルなのだ。

 曲が終わりを迎えようとしている。
 ステージの中心に、未央はいる。
 観客は歓声を上げ、サイリウムを振っている。
 会場はオレンジの光でいっぱいで――それは、まるで。

「太陽の、ように――」

 そして。
 曲が終わり。
 未央は大きく、こう言った。

「ありがとー!」

 と。



251: ◆Tw7kfjMAJk 2017/04/19(水) 22:03:09.62 ID:nhXCd10e0


      *

 本田さんの曲が終わった。
 ……やはり、すごいな。素直にそう思う。さすが『パーフェクトスター』と呼ばれるだけはある、といったところか。
 僕もすっかり楽しんでしまった。アナスタシアはどう――と、僕が彼女を見た時だった。

 アナスタシア。
 彼女は見たものを貪欲に吸収することができる。様々なことに影響を受けやすいのは、その一部が表出していると言ってもいいだろう。
 現に、彼女は何かが起こるたびに飛躍的に成長してきた。デビューライブ、加蓮とのライブバトル、神崎さんとのライブバトル……そのたびに。

 そして、今。
 本田さんのステージを見た彼女は――アナスタシアは。

 今、この瞬間、変わっていた。

 ごくり、と思わず唾を飲む。今までにこんなことはなかった。それに、今はステージの直前だ。調整は大丈夫だろうか。予定と違うものになるのでは? 良い影響になるとは限らない――
 そんな様々な思考が浮かんだ。だが、そんな思考に、僕は思う。

 うるさい。

 直前で変更なんて無茶? どんな影響を受けたかわからない?

 そんなことはどうでもいい。
 私は、このアナスタシアのステージが見たい。このアナスタシアを、ステージに上げたい。

「アナスタシア」

「なんですか?」

「本田さんのステージ、どうだった?」

「すごかった、ですね。……プロデューサー」

「わかっている」

 アナスタシアが何を言いたいのか、僕にはわかる。

 出したいんだろう? それを。
 今、何かを見つけたんだろう?
 本田さんのステージを見て――何か、思いついたんだろう?

 君の曲は『ミツボシ☆☆★』とは大きく違う。
 あのステージのどこをどう活かすつもりなのかはわからない。
 だが――だが。

「君のしたいようにしろ、アナスタシア。僕に任せろ。僕は君のプロデューサーだ。君がやりたいことの力になる。君がより良くなると感じたならば、その助けをしよう」

 僕は彼女のプロデューサーだ。
 ここで止めるという選択も間違いではないだろう。だが、僕はそれに乗りたいと思った。
 それは、何故か。
 それは――

「『ティン』ときたから。君のその目を見て、乗った方が良いと判断した。だから、君の言う通りにしよう。さあ、アナスタシア。僕は何をすればいい? 君は何がしたい? 言ってくれ。僕は、それを叶えてみせる」

 さあ、なんだ。
 それは僕の助力が必要なことか?
 それとも――

「……スパシーバ。ありがとうございます、プロデューサー」

 アナスタシアは微笑み、言う。

「でも、プロデューサーは、何もしなくてもいい、ですね。……ただ、少し、変えたいことがあって」

「変えたいこと?」

 僕が首を傾げるのに、アナスタシアはうなずく。

「ダー。それは――」



252: ◆Tw7kfjMAJk 2017/04/19(水) 22:03:38.89 ID:nhXCd10e0


      *

 ステージにアナスタシアが足を踏み入れると、観客席がおおっとざわめく。
 アナスタシアはそれに手を振り、そのままその手を口元に持っていき、しー、と指を立てる。
 すると、観客席は一斉に静まり、アナスタシアはそんな観客席の様子にふふっと微笑む。
 その微笑みは可憐で、観客席の最前にいた人がぼーっと呆けている顔すら見えるほどだ。

 今回、アナスタシアが歌うのは新曲である。
 ライブバトルに新曲をぶつけるのは珍しいことではない。が、それがいつも功を奏するかと言えば微妙なところである。
 なぜか。それは新曲だから、である。新曲というのはまだ歌い慣れていないことも多い。解釈を深められていないことも多いのである。
 そんな状態でライブバトルをして、負ける……といったこともしばしばあるのだ。
 司会の彼は『本気で勝ちに来ている』と言ったし、僕もそのつもりだが――あの本田未央を相手に歌い慣れていない曲で挑むなど尋常なことではないだろう。

 だが、僕はアナスタシアならばできると判断した。
 そもそも、これはアナスタシアのための曲だ。アナスタシアのためだけに作ってもらった曲なのだ。
 アナスタシアならば、きっと、自分のものにできる。そう思って、実際、そうなった。
 これは彼女のための曲だ。そう誰であっても思ってしまうような出来に。

 だからこそ、先程のアナスタシアの提案は、少し意外だった。だが――やはり、これはアナスタシアの曲なのだ、と思った。
 彼女の話を聞いて、僕は納得した。ああ、そうか。確かに、その方がいいのかもしれない。いや、その方がいいだろう、と。

 アナスタシアがステージの中央に立ち、すぅ、と息を吸って、吐く。
 その瞬間、彼女の表情は変わり、会場の雰囲気も一気に引き締まる。

 緊張が高まっていく。
 心臓の鼓動が胸を打つ。うるさい。今は静かにしてろ。僕は忙しい。

 このライブバトルが終われば――そんなことを一瞬だけ考える。
 だが、今はそんなことどうでもいい。どうだっていい。
 今は、ただ、彼女を――

 そう思った、その瞬間。
 アナスタシアは、マイクを胸の前で握りしめ。

 曲が、始まる。



253: ◆Tw7kfjMAJk 2017/04/19(水) 22:04:15.03 ID:nhXCd10e0



 ――【Nebula Sky】




254: ◆Tw7kfjMAJk 2017/04/19(水) 22:05:18.78 ID:nhXCd10e0


 美しい星空のようなイントロから、この曲は始まる。
 ここまでなら『You’re stars shine on me』に近いかもしれない。

『Nebula』。
 それは『星雲』を表す言葉。アナスタシアらしく、星をイメージする単語だ。『You’re stars shine on me』と近い印象を受けてもおかしくないかもしれない。

 だが、もちろん、それだけでは終わらない。
 この曲はバラード調の曲ではない。

 もっと、もっと、力強い曲だ。

 曲が進むとともに、力強いバンドサウンドが響き始める。
 歌詞もメロディも、『You’re stars shine on me』の時とは異なる。この曲は、もっと力強い曲だ。

 イメージとしては、旅立ち。一人立ち、と言ってもいいかもしれない。
 アナスタシアは故郷とも両親とも離れて一人で東京に来てアイドルをしている。
 言葉もわからず、親しい人もいない土地――そんな場所に、一人で来たのだ。

 その不安。そして、決意と覚悟――それをイメージした歌詞とメロディ。それがこの曲、『Nebula Sky』である。

 アナスタシアにこの曲を歌ってもらうにあたって、僕はこのようにディレクションした。
『不安もあるが、それを決意と覚悟で乗り越えるようなイメージで』と。
 アナスタシアもそれは了承してくれて、その通りに歌ってくれた。
 このステージの直前までは、そのつもりだったのだ。

 だが、彼女は言った。

「この曲を、笑って歌いたい、です」

 そして、今――ステージで歌う彼女は、晴れやかな笑みを浮かべている。
 透き通るように綺麗で、可憐な――そんな笑みを浮かべて、彼女は歌っている。
 なぜ笑顔で歌うのか。その問いに彼女は微笑み、答える。

「私が、アイドルだから。そして」

 そして? 僕が尋ねると、彼女は満面の笑みを浮かべた。

「私は、今――幸せだから!」

 その通り、彼女は幸せそうに歌っていた。晴れやかに、伸び伸びと、どこまでも透き通ったその声を会場中に響き渡らせている。

 力強いサウンドとは違い、アナスタシアの歌声はそれほど力強いわけではない。
 それは解釈もあるが――アナスタシアの声質もある。彼女の声は美しく、透き通っている。
 まるで星空のように綺麗なその声で歌われるその歌は、メロディだけから想起されるものとはまったく違った姿を見せている。

 アナスタシアだからこそ、このような印象になるのだろう。伸びやかな歌声。綺麗な歌声。それは、まさしく、星のごとく――
 美しいな、と思った。ほら、モニターに映る光景も、まるで、星空のようで――



255: ◆Tw7kfjMAJk 2017/04/19(水) 22:05:47.92 ID:nhXCd10e0


「……ん?」

 その時、僕は思った。

 この光景、どこかで見たことがある。
 この会場。真っ白なサイリウムに満たされたこの会場。その中心で歌う、アナスタシア。

 どこかで見た。
 どこだったか。確かに、どこかで……。

「あっ」

 気付いた。

 これは、夢だ。
 僕がアナスタシアと初めて会ったあの時に見た夢。
 それが今、ここにある。
 今、目の前に、その光景が広がっている。

 白銀の世界。白銀の光。サイリウムの光の中。
 星空のように輝くその中心で、アナスタシアが歌っている。

「……ははっ」

 思わず、笑い声が出た。

「ははっ、はははははっ」 

 夢が……夢が、叶った。
 これは……この光景は、僕とアナスタシアでつくった光景だ。
 僕たちが二人で作り上げた世界だ。
 ああ、これで悔いはない。
 もう、何も、悔いはない。

 ……『Nebula Sky』。この曲は旅立ち、そして一人立ちをイメージした、と先ほど述べた。
 それは故郷からの――という意味だけではない。私だけが知っている、もう一つの意味がある。

 部長からあの話を聞いた時――あの時、既に曲の制作は進行中だった。だが、『進行中』だったのだ。
 僕はこのライブバトルが終われば、アナスタシアのプロデューサーじゃなくなる。
 なら――最後のプレゼントとして、この曲を贈ろうと思った。

 僕がいなくなっても、君なら大丈夫だ。
 たとえ一人になったって、立つことができる。歩いていける。

 そんな思いも、込めている。
 そして――今、彼女が歌っている姿を見て。
 僕は確信した。

 やっぱり、彼女には、僕はもういらないと。
 彼女はもう一人で立てる。一人で歩ける。
 そう思った。

 そして、曲が終わる。
 歓声が上がり、白いサイリウムの星空が揺れる。

 それを見て、アナスタシアは目をきらきらと輝かせて。
 幸せそうに、微笑んだ。



256: ◆Tw7kfjMAJk 2017/04/19(水) 22:06:16.26 ID:nhXCd10e0


      *

「……私」

 隣にいるPにも聞こえないほど小さな声で、アナスタシアがつぶやく。その表情は、ステージにいた時とは異なり、暗く、重い。

 ステージが終わり、アナスタシアはPと一緒にライブバトルの結果が発表されるのを待っていた。
 自分は全力を尽くした。それは間違いない。だが、未央のステージも素晴らしかった。
 蘭子とのライブバトルの後も、本当は心配だった。だが、Pが珍しく――そう、本当に珍しく、不安そうにしていたから、その不安を拭う意味も込めて、『自分が勝つ』と言った。
 あの時は実際に勝つことができた。だが、今回もそうなるかはわからない。

「――アナスタシア」

 そんな彼女の耳に、優しい声が届いた。

「大丈夫、君が勝つよ。確かに本田さんのステージは素晴らしかった。だが――」

 彼を見ると、その目はまっすぐにモニターの方を向いていた。

「――君のステージは、最高のステージだったから」

 そう、彼が言うのと同時。

「今回のライブバトル! 勝者は――アナスタシアさんです!」

 そんな、声が聞こえた。

「な? 言った通りだろう?」

「プロデューサー……」

 アナスタシアはPの方を見る。蘭子との時はあんなに不安そうだったのに、動揺していたのに、どうして、今はこんなに余裕そうなのか。
 それを言ったら、自分は蘭子の時には余裕そうだったのに、今はこんなになっているわけだが――あの時はPが不安そうにしていたから、それを支えたいと思ったに過ぎない。
 自分はずっとPに世話になっている。だから、その恩返しをしたいと思ったからできただけだ。

 でも、今は違う。Pはいつも通りで――いつも、通り?
 アナスタシアの心に、ほんの少しの違和感が混じる。
 プロデューサーは優しくて、頼りになる。それは事実だ。それはいつものことだ。

 でも――でも、どうしてだろう。
 どうしてか、違和感があった。
 いったい何がおかしいのか。アナスタシアは自分でもわからなかった。

「おめでとう、アナスタシア」

 Pが言う。その声はいつも通り優しくて――いや、いつもとは、少し違う。

 その声は、いつもよりも、優しく聞こえた。

 今までにないほどに優しい声音で――でも、だとしても、それは、いけないことじゃないはずで。

 それなのに、どうしてだろう。

 その声を聞いていると、たまらなく不安になった。
 不安で、不安で、不安で――だから、アナスタシアは、

「プロデューサー! 私……」

 そう、彼女が口を開こうとした時だった。

「アナスタシアさーん! ステージにお願いしまーす!」

 スタッフの声。アナスタシアはステージの方に振り向き、それからまたPの方を見る。

 言いたいことがあった。
 今、言わなければいけないと思った。

 だが。

「アナスタシア。早くファンのところへ行ってやれ。そして、君の気持ちを伝えてこい」

 Pに、そう言われて。

「……ダー」

 そう言って、アナスタシアはステージに向かう。
 Pの様子がどこかおかしかったような気がしたが……これから、ずっと一緒なのだ。いつでも話す機会はあるだろう。
 そう思って、アナスタシアはファンへの言葉を考え始める。

 考え始めると止まらなかった。
 とめどなく言葉が溢れてきて――最初に出てくるのはロシア語で、さらには文章にもなっていないような、感情の奔流。それを整理して、日本語に変換して……どう伝えればより気持ちが伝わるのかを考える。

 そんなアナスタシアを見て、Pは。
 ただ、優しく微笑んでいた。



257: ◆Tw7kfjMAJk 2017/04/19(水) 22:09:00.07 ID:nhXCd10e0


      *

 アナスタシアと本田さんのライブバトルから数日後。
 都内某所。

 ある会場で、CGプロのアニバーサリーパーティーが開催されていた。
 と言っても、そこまで盛大なパーティー、と言うわけでもない。出席率はそこまで高くはないし、あくまで仕事優先。
 アイドルたちは楽しみにしている者も多いが、スタッフの中には「あ、そんなのもあったっけ」と言う者もいるくらいだ。
 実際、僕は去年このパーティーの存在を完全に忘れて北海道に行っていたし、僕を北海道に行かせた部長も忘れていたようだった。
 ……と言っても、部長のことだ、そこまで計算していた可能性もある。もちろん、本当のところはわからないが。

 さて、パーティーが始まってからある程度の時間が経過した。
 最初、僕はアナスタシアと一緒にあいさつをして回ったが、それも終わった。
 アナスタシアはアイドル同士の付き合いもあるだろうと話しに行かせて、僕は一人になった。

 が、僕の交遊範囲は非常に狭かった。特に話すような知り合いがいない。
 となれば僕に残された選択肢は一つしかない。そう、会場のすみっこで黙々と食事をすることである。

 これが最後の仕事とはなんともしまらないな、と自分でも思うが、まあ、そういうものなのだろう。
 さすがはCGプロと言ったところか、おいしいものがいっぱいあるので、それで満足しておくとしよう。

 そうやって僕が会場のすみっこで一人黙々と食事を済ませているところだった。

「――Pさん。ちょっと、話さない?」

 そう、加蓮が声をかけてきた。



258: ◆Tw7kfjMAJk 2017/04/19(水) 22:10:40.05 ID:nhXCd10e0


      *

「ンー……誰か、いるかな」

 パーティー会場。Pと別れた後、アナスタシアはつぶやいた。

 CGプロのアニバーサリーパーティー。
 未成年のアイドルも多いため、お酒は厳禁というのが成人済の者にはつらいところだが、それ以外に文句を言える者はいないだろう。

 アナスタシアがまだ新人アイドルということもあるかもしれないが、少なくとも彼女が今までに経験したこともない世界がそこにはあった。
 Pの話では「あくまで内輪のものだから、そこまで肩肘張る必要はない」ということだったが……どこがだ。ドレスを渡された時から思っていたが、きちんとしたパーティーではないか。

 アナスタシアが着ているのは綺麗な青が印象的なパーティードレスだ。この会場にいるアイドルはみんな相応の――と言っても、例外はあるが――衣装に身を包んでいる。

 これも仕事の内なのかもしれない。そうアナスタシアは考えて――実際、そうだった。
 あいさつをして回って、顔を見せて。アナスタシアもこの業界に入って一年が経過しようとしているのだ。そこにある意味がわからないわけもない。
 今回はPが「僕に任せて、君はいつも通りでいてくれ」と言ってくれたが……今度からは自分も何かしたいな、と思う。
 これからこういったことは何度もあるだろう。それに向けて学ぶべきことは多い。

 あいさつを終えると、Pに「友達と話してくるといい」と言われた。
 アナスタシアとしてはこのパーティー中ずっとPと一緒にいてもよかったのだが、彼にも用はあるのだろう。
 それに、せっかく気遣ってくれたのだ。甘えさせてもらおう。

 そう思って、アナスタシアは軽く首を振って知り合いを探す……と、いた。アナスタシアは声をかける。

「蘭子」

「んっ――アーニャちゃん」

 口に付けていたグラスを離して、蘭子がこちらを向いて微笑んでくれる。いつもより落ち着いた装飾の衣装で、髪型も少し変えている。一気に大人っぽい印象になっていて、とても魅力的だ。

「何を飲んでいましたか?」

「禁断の果実の果汁――その刺激は甘美なる毒、ね」

 どうやら微炭酸のリンゴジュースらしい。アナスタシアも一口もらう。すっきりとしたリンゴの甘さに、余韻を膨らませてくれる炭酸の刺激。

「フクースナ……おいしいですね。蘭子は、何をしていましたか?」

「特に何もしていないわ。だから……アーニャちゃん。一緒に、話そっか」

「ダー♪」

 蘭子の提案に、アナスタシアは笑顔でうなずく。大人っぽい印象で、ともすれば別人のようにも見えるが――やはり蘭子だ。かわいくてかっこいい、私の親友。

「新人さ――アーニャちゃんのプロデューサーは?」

「わかりません。蘭子のプロデューサーは?」

「私も。……我らアイドルにとっては心を休める場所であっても、プロデューサーたちにとってはここもまた戦場、か」

 そう言う蘭子の目には、強い意志の光が見える。もしかしたら、蘭子も自分と同じ気持ちなのかもしれない。そう思うとアナスタシアはくすりと笑みをこぼしてしまう。

「? アーニャちゃん?」

「いえ。私も、同じ気持ちだったから」

「そっか。……私たちも、頑張らないとね」

「はい」

 これをプロデューサーたちに聞かれると『これは僕たちの仕事だから君たちが気に病む必要はないよ』なんて言われるのかもしれない。
 だが、そういう問題ではないのだ。こう思うのは、もしかしたら、自分たちが子どもだという証なのかもしれない。でも、それでも、思ってしまう。






259: ◆Tw7kfjMAJk 2017/04/19(水) 22:11:11.14 ID:nhXCd10e0


 とは言え、今そのことを悩むのはプロデューサーたちにとっても望ましいことではないだろう。アナスタシアたちは切り替えて、会話を続ける。

「アーニャちゃん、未央ちゃんとのライブバトル、おめでとう」

「スパシーバ。ありがとうございます、蘭子」

「……もしここでアーニャちゃんにライブバトルを挑んだら」

「ンー……私はいいですけど、さすがに、プロデューサーが許してくれないと思います」

「……だよね」

 再戦にはさすがに早すぎる。蘭子のプロデューサーもアナスタシアとの再戦は希望しているが、それでもプロデューサーとしての判断でそれを許すことはできないだろう。
 感情だけで成り立つほど、この世界も簡単ではないのだ。

「でも、いつか、きっと」

 アナスタシアがそう言うと、蘭子は目を丸くして、すぐに表情を真剣なものに変える。

「うん。その時は、絶対負けない」

「私も、負けるつもりはありません」

 アナスタシアもまた、真剣な表情をして蘭子を見る。
 そうして真剣な表情で向かい合って……ぷっ、と二人は同時に笑い出す。

「楽しみだね、アーニャちゃん」

「はい。とても、楽しみです」

 そうやってひとしきり笑い合うと、次は作戦タイムだ。
 すぐには無理だとわかっているが、今からでも動くことはできる。
 互いのプロデューサーに対してどうプレゼンすれば自分たちのライブバトル、もしくは共演が叶うのか。
 それについて熱い議論を交わし始める。

 もう年に一度の恒例行事にしてしまえばいいのでは?
 互いのライブにゲストで呼んだりしてみたい。
 ある番組に蘭子の持っているコーナーがあるから、それにアナスタシアを呼ぶことはできないか。もしそれが叶ったならば、何をしようか。

 いっぱいやってみたいことはあった。
 その中には実現不可能だと自分たちでもわかっていることもあったが、そうやって話すことは楽しかった。
 実現不可能なことであっても、プロデューサーなら形にしてくれるかもしれない。
 そんな言い訳じみた希望――そして、信頼も――を口にしながら、色んなことを話していた。

 その時だった。

「――アーニャちゃんの、プロデューサー?」

 蘭子がある一点に視線を向けて、そう口にする。その言葉にアナスタシアは蘭子の視線の先を見る。
 Pと加蓮が、二人でどこかに……あの方向ならば、バルコニーだろうか。そこに向かおうとしている。

「どうしたんだろうね? 二人で」

「ダー……」

 明らかな生返事。それに蘭子は「アーニャちゃん?」ともう一度呼びかける。

「あ……イズヴィニーチェ。すみません、蘭子」

「……気になる?」

「ダー。……あっ」

 反射的にそう口にして、アナスタシアは顔を赤らめる。

「……私、かっこ悪い、ですか?」

「ううん。そんなことないよ。……気になるなら、見に行ったら?」

 そう言われて、アナスタシアは数秒間悩む素振りを見せた。そして。

「スパシーバ、蘭子。私、行ってきますね」

「うん。いってらっしゃい、アーニャちゃん」

 そう言って、アナスタシアはPと加蓮が向かった先へと歩いていった。

 残された蘭子は近くにあったグラスを手にとり、その中身を口に含む。
 すっきりとした甘さが喉を通り抜けた。



260: ◆Tw7kfjMAJk 2017/04/19(水) 22:11:42.82 ID:nhXCd10e0


      *

「加蓮、これ」

 バルコニー。
 三月とは言っても、まだまだ肌寒い。夜風が吹き、肌を撫でる。僕はジャケットを脱いで加蓮に羽織らせる。

「あ、ありがと」

「自分が連れて来た場所で寒がる、ってどうなんだとは思うが」

「……それ、言う? 言わなかったらポイント高かったのに」

 むぅ、と加蓮が口を尖らせるが、そんな肩を出す衣装を着ている方が悪い。似合っているとは思うが、心配にもなる。

「というか、誰にも聞かれたくないでしょ? ……なら、ここくらいしか、ないと思って」

「なら、今日話さなくてもよかったんじゃないか?」

「それは……まあ、そうなんだけどさ」

 はぁ、と加蓮がバルコニーの手すりにもたれかかり、すぐに「冷たっ」と離れる。……何をしているんだ。そう思いながらも、僕はふっと笑ってしまう。

「笑わないでよ、もー」

 加蓮は不機嫌そうにぼやいて、それから、私を見る。

「ライブバトル、すごかったね」

「……ああ」

 ライブバトル。誰と誰の、なんてことは聞かない。見ていたのか、とも聞かない。どちらも、わかりきっていることだ。

「アーニャちゃん、すごかったね。私との時とは、もう別人みたいになっちゃってた」

「今やったら、君にも勝つよ」

「それはないよ。私が勝つ」

「アナスタシアだ」

「私」

「アナスタシア」

「私」

「アナスタシア」

「わた……これ、ずっと続くような気がするからもうやめない?」

「そうだな。まあ、アナスタシアが勝つが」

「……Pさん、大人げないよ」

 大人げないと言われても、これはゆずれない。今のアナスタシアなら加蓮にも勝てる。僕はそう信じている。

「……まあ、いいけど」

 加蓮は呆れたように溜息をついて、言う。



261: ◆Tw7kfjMAJk 2017/04/19(水) 22:12:17.08 ID:nhXCd10e0


「で、あんなすごいステージをやったアーニャちゃんなわけだけど……あれを見ても、気持ちは変わらない?」

「変わらない」

「本当に? まったく? 『プロデュースしたい』とは思わなかった?」

「……僕がどうしたいかは関係ない」

「あるよ」

 僕が目をそらそうとすると、加蓮がぐっと近付いてくる。目をそらすのを許さないとでも言うように。

「実際にステージを見ればその頑固な頭でもわかると思っていたけど……全然わかってない。『それでも』とは思わないの?」

「『それでも』この気持ちは変わらない、とは思う」

「そういう意味じゃ……」

「加蓮」

 食い下がり続ける加蓮に、僕は言う。

「君は、なんなんだ? 君は、僕にどうしろって言うんだ。僕にアナスタシアのプロデューサーを続けてほしいのか? 少し前までと真逆のことを言っているぞ」

「それは……だって、私のプロデューサーにならないんじゃ、意味、ないし」

「ああ、そうだ。僕がアナスタシアのプロデューサーじゃなくなっても君のプロデューサーになるわけじゃない。君は関係ない。それなのに、どうしてそこまで口出しする?」

「それは! Pさんが……」

「僕が? 僕がどうしたって言うんだ。それこそ、君には関係――」

「関係あるよ!」

 加蓮が叫ぶ。僕はそれに目を見開き――加蓮ははっとして、頭を下げる。

「ごめん。大声出した。……でも、でもさ。関係ないなんて言わないでよ」

 頭を下げたまま、加蓮は続ける。

「それとも……Pさんは、私のことも、どうだっていいって言うの? もし、私がアイドルを辞めるって言っても……その時にも、同じことが言えるの?」

「それは……」

「ごめん。今のはずるい質問だった。……でも、二度と関係ないなんて言わないで」



262: ◆Tw7kfjMAJk 2017/04/19(水) 22:12:43.83 ID:nhXCd10e0


 ……加蓮に、そう言われて。
 僕は目蓋を閉じて――開けて、加蓮を見た。
 その顔をまっすぐに見つめて、頭を下げる。

「すまない。僕も、頭に血がのぼっていた。……君に言われたことは、図星だった。だから、思わずあんなことを言ってしまった。本当に、すまなかった」

 そう、図星だった。
 僕はまだ、アナスタシアのことをプロデュースしたいと思っている。それは事実だ。
 アナスタシアは本当に素晴らしいステージを見せてくれた。僕の夢を叶えてくれた。
 もう悔いはないと自分に言い聞かせても……あんな魅力的なアイドルだ。プロデュースしたいと思わないはずがない。

 そう、加蓮の言う通り、あのステージを見て、僕はアナスタシアが自分の理想のアイドルだと再確認した。
 アナスタシアは、僕にとって理想そのものだ。夢見たアイドルそのものだ。
 だから、僕がアナスタシアをプロデュースしたいと思っているということは、加蓮の言う通りだ。

 だが。

「その上で、言おう」

 その上で、僕は決めたのだ。

「僕はアナスタシアのプロデューサーを降りる。アナスタシアのプロデューサーは、次のプロデューサーに任せる」

「……どうして?」

「この先のアナスタシアに僕は必要ないからだ。僕よりも適任がいるならそうした方がいいと判断した。これは、僕がアナスタシアのプロデューサーだからこその判断だ。アナスタシアのプロデューサーとして、そうした方がいいと判断した」

 僕はまだ、アナスタシアのプロデューサーだ。
 その仕事は、アナスタシアというアイドルにとって最も良い選択をすることだ。
 だから、僕は選択した。アナスタシアというアイドルの、プロデューサーとして。

「僕がアナスタシアのプロデューサーを降りる――それが、僕の判断だ」

 そう、僕が宣言した時だった。


 ばたん、と扉が閉まる音がした。


 僕は振り返って、会場へと繋がる扉を見る。ガラス製の扉で、一瞬だけ、僕たちの会話を盗み聞きしていた者の姿が見えた。
 そして、その聞いていた者とは――

「……アナスタシア?」

 青いドレスの端が見えて、僕は咄嗟にそう思って――それはすぐに確信へと変わった。

 今の会話をアナスタシアに聞かれた? どこまで聞かれた? プロデューサーを降りる、と言ったところだったか。なら、つまり。

「Pさん」

 そう加蓮に腕を掴まれる。

「追いかけなくていいの? 早く行かないと、アーニャちゃん――」

「今の話、どうやらアナスタシアに聞かれてしまったようだな」

「……え?」

 焦る加蓮に対して、僕は言った。加蓮は驚いた顔をして僕を見る。

「まあ、どちらにせよいつかは話すことだったんだ。できれば直接言いたかったが……これもまた、一つの運命だろう。なに、アナスタシアはしっかりした子だ。きっと――」




263: ◆Tw7kfjMAJk 2017/04/19(水) 22:13:15.83 ID:nhXCd10e0


 それ以上は続けられなかった。
 ぱん、と乾いた音が響いた。僕の頬が叩かれた音だった。

「……Pさん。叩いてごめん。でも、聞いて」

 加蓮は両手で僕の頬を抑えて、まっすぐに僕を見つめる。

「Pさんがアーニャちゃんのプロデューサーを降りるつもりなのはわかった。それがかたい決意なんだってことも。でも、それを決めるのは、きちんとアーニャちゃんと話し合ってからにして。話し合いもしないで、決めないで」

「……話しても、僕は」

「それでも。私の時と同じように、話してもあなたの決意は変わらないかもしれない。でも、それでも、きちんと話さなきゃダメ。アーニャちゃんのプロデューサーのあなたには、アーニャちゃんを説得する義務がある。責任がある。そして、それは今じゃなきゃダメ。だから、この後、Pさんはすぐにアーニャちゃんを追いかけて、話し合って」

「……わかった」

 アナスタシアに何を言われてもこの決意を曲げるつもりはない。
 だが、加蓮の言う通り、僕はアナスタシアにきちんと説明する義務がある。その責任がある。
 彼女をアイドルの道に引きずり込んだのは僕なのだ。そこから降りるならば、きちんと彼女に説明しなければならない。

「それと、もう一つ。……Pさんが、自分はアーニャちゃんのプロデューサーをこれ以上できないと考えている理由を、もう一度言って」

「どうして」

「いいから」

 ついさっき言ったばかりだというのに、どうしてもう一度それを聞きたいのかわからなかった。だが、言わなければ納得しないと言うのなら言うべきだろう。

「これ以上、僕は彼女のプロデューサーを続けられると思わないからだ。僕はプロデューサーとしてはまだまだだし、何より、この先の展望がない。これより上に行く方法がわからないんだ。そんな実力のないプロデューサーよりも、今までに何人ものトップアイドル、トップアーティストを育ててきたプロデューサーの方が――」

「わかった。つまり、Pさんは自分が能力不足だって言うんだね」

「……まあ、その通りだ」

 その通りなのだが、自分で言うと情けなくなる。もしも、僕にもっと実力があれば――


「でも、それは間違ってる」


「……は?」

 なんだって? 今、加蓮は何を言った。
 間違っている? それは、いったい、何が。

 混乱する私に、加蓮は続ける。

「Pさん。あなたは自分がどれだけのプロデューサーなのかわかってない。一度人気もやる気も落ち込んだ私をまた凛や奈緒とも並ぶアイドルにまでして、さらにアーニャちゃんを一年足らずで蘭子や未央にライブバトルで勝ってみせるほどのアイドルにしてみせた。そんなプロデューサーに、実力がない? そんなこと、誰にだって言えないよ」

「でも、それは、君とアナスタシアが」

「それもあったのかもしれない。でも、それだけで勝ち抜けるほどこの業界は甘くない。Pさん。昔、私はあなたのことを頼りないとか色々言ったけど――そうじゃない。あなたは、もう、プロデューサーだよ。それも、きちんと実力のある」

「僕が、実力のある……?」

 加蓮はいったい、何を言っているのだろうか。僕に、実力が? そんなことはありえない。だって、僕は――

「Pさん。あなたは、自分が思っているより、ずっとすごいプロデューサーだよ。だから」

「ま、待ってくれ。加蓮。君はいったい何を言っているんだ? 僕がすごいプロデューサー? そんなの、ありえるはずがないだろう? 僕はまだまだ新人で」

「――うじうじ、うるさい!」

 加蓮の怒鳴り声。びくっ、と思わず身が震える。

「自分に実力がない実力がない、って……謙遜も過ぎるとうざいだけだよ。Pさんは本当に自信がないんだろうけれど、それ、蘭子や未央のプロデューサーの前で言える? ……いや、なんだか、Pさんは本気で言ってそうだからこわいんだけど……とにかく!」

 加蓮は僕の頬から手を離し、その手で僕を指差す。

「Pさん! あなたはもっと自信を持って! 自分はすごいプロデューサーなんだ、って! そのアーニャちゃんの新しいプロデューサーっていうのもすごい人なんだと思う。でも、あなたはその人にも負けないくらいのプロデューサーだよ」

「……それは、さすがに言い過ぎじゃないか?」

 相手はこの業界でもトップクラスのプロデューサーだ。それを相手に、それは――

 しかし、彼女は胸を張り、

「言えるよ。この私が、保証してあげる」

「でも」

「大丈夫」

 そして。




264: ◆Tw7kfjMAJk 2017/04/19(水) 22:13:44.00 ID:nhXCd10e0



「あなたは、私が育てたプロデューサーだよ」




265: ◆Tw7kfjMAJk 2017/04/19(水) 22:14:26.36 ID:nhXCd10e0


 加蓮は微笑んだ。

「この私、北条加蓮が育てたプロデューサー。……これでも、信用できない?」

 そう言って、加蓮が挑戦的な笑みを浮かべる。
 そんな彼女に対して、僕は。

「……君が育てた、か。そうだな。確かに、僕は君に育てられたようなものだ」

 僕にとって、理想のアイドルはアナスタシアだ。
 だが、僕の知る限り、この世界で最高のアイドルは――目の前にいる、北条加蓮だ。
 その最高のアイドルが育てたプロデューサーだ。

「なら、それがダメなプロデューサーなわけない……か」

「そういうこと」

 ふふん、と得意そうに加蓮が笑う。……まったく、頼もしいことこの上ないな。

「もっとも、それでも僕はアナスタシアのプロデューサーを降りるけど、ね」

「そっか。理由は?」

「実力不足じゃなかったとしても――これから先、僕は彼女をどうプロデュースしていいのかわからない。できないんだ。だから、やっぱり気持ちは変わらないよ」

「ん、わかった」

「何も言わないのか?」

「言ってほしい?」

「やめておくよ」

 嫌味を言われる気しかしない。
 それに、加蓮はもう気付いている。
 僕が、さっきまでと違うということを。

『気持ちは変わらない』と言いながら、アナスタシアのプロデュースについて、また、考え始めていることを。

「それじゃ、行ってくる」

「うん。急いでね」

「ああ。……それと、加蓮」

「何?」

「ありがとう」

 そう言うと、加蓮は目を丸くして――ふっ、と笑った。

「そんなの言ってないで、早く行って」

「ああ。……本当にありがとう、加蓮。一時でも君のプロデューサーでいられたことは、僕の一生の誇りだよ」

「っ……だから、さっさと行って!」

「そうだな。……それじゃ、また」

 僕は加蓮にそう言って、走り始める。
 アナスタシアが去ってから、少し時間が経っている。
 もう会場にはいないかもしれない。

 だが、必ず見つける。
 見つけてみせる。
 たとえ、どこにいたとしても。



266: ◆Tw7kfjMAJk 2017/04/19(水) 22:14:57.41 ID:nhXCd10e0


      *

 バルコニー。

「はぁ……」

 Pが去った後も、加蓮はそこにいた。溜息をついて、夜空を見上げる。それから、また顔をうつむかせる。

「……Pさんって、本当」

 そうつぶやいて、加蓮は肩にかけられたPのジャケットをぎゅっと握る。
 そこに、

「よかったの? かれん」

 加蓮は大きく肩を跳ねさせ、振り返る。

「はろはろー」

 そこには、そう言って小さく手を振る未央の姿があった。加蓮はそれに少しだけ安堵して――すぐに彼女を睨みつける。

「未央。アンタ、いつから聞いてたの?」

「私は何も聞いてないよ? ただ、新人くんが飛び出して来たから何かなーと思って見に来ただけ」

 それはおそらく事実だろう。そしてそれでも事情をわかっている様子なのは、自分がそれほど『わかりやすかった』ということ。
 未央の洞察力が馬鹿げているというのもあるだろうが、それでも普段の自分なら見られただけでそこまでわからせるようなことはしない。

「……で、何しに来たの?」

「ちょっと話に。このままじゃ、かれん、バルコニーから飛び降りちゃいそうだし」

「飛び降りないよ」

「うん。さすがにそんな状況なら未央ちゃんも空気を読んでしぶりんかかみやんに任せますよ。冗談冗談」

「タチの悪い冗談だね」

「私もそう思う。本当、タチが悪い、って」

 ……このやりとりだけで、わかる。未央は本当に自分を心配して来てくれた。それも、凛や奈緒を呼ぶことなく、あの二人に察せられることなく、だ。

「で、よかったの? かれん。新人くん、あのまま行かせて」

「……うん。だって、Pさんのあんな顔、見たくないから」

「好きな人には幸せになってほしい、ってやつ?」

「ううん、違う。残念ながら、私はそんなに『良い子』じゃないから」

 そう、単に私が見たくなかっただけだ。Pさんのためじゃなくて、私のため。
 Pさんにああ言ったのは打算的な考えもあるのだ。だから、まったく『良い子』ではない。

「そっか。まあ、私としてはありがたい話なんだけど」

「ありがたい? 何が」

「私、負けたままは嫌なんだよね」

 その言葉に、加蓮は小さく目を開く。……本当。

「未央。アンタ、どこまで知ってるの?」

「私は何も知らないよ。ただ、状況からそうかもしれない、って思っただけ。それに、ほら。かれんやアーニャと違って、新人くんはわかりやすいから」

 それはだいたいわかっている、と言うのだ。加蓮は溜息をつく。

「あーあ。もう、どうでもよくなっちゃった。せっかくのパーティーなんだし、楽しもうかなー」

「お、楽しむ? それなら私も……あ、そう言えばかれんが会場を出た後に、おいしいポテト料理が出されたんだけど……行く?」

「ポテト? ……それは気になるね」

「そうでしょうそうでしょう? ふっふっふ……せっかくのパーティーだし、他のアイドルも巻き込んで、盛大にパーッとやっちゃおー!」

「おー♪」

 未央が拳を上げるのに、加蓮も合わせて拳を上げる。
 そして、二人で一緒にバルコニーから会場に戻る途中――加蓮は隣の未央にも聞こえないほど小さい声でつぶやいた。

 ありがとう、と。



267: ◆Tw7kfjMAJk 2017/04/19(水) 22:15:46.62 ID:nhXCd10e0


      *

 会場。
 アナスタシアと別れた後、蘭子は他のアイドルと会ったり話したり可愛がられたりした。
 今はそれからなんとか逃げ出して、ほっと一息ついているところである。プロデューサーはどこかと探してみたが、お話中だったので離れておくことにした。邪魔になったら悪いと判断したのである。

 だが、そうすると何もすることがない。そこで蘭子は思いついた。そう言えば、アーニャちゃんはどうしているんだろう。もう会場に戻ってきているかもしれない。
 そう思って、蘭子がアナスタシアを探そうとした時だった。

「――えっ?」

 蘭子の目の前を、アナスタシアが走り抜けた。

「アーニャ……ちゃん?」

 見間違いだろうか? いや、今のは間違いなくアーニャちゃんだ。でも、どうして走っていたんだろう。表情までは見えなかったけれど……何か、あったんだろうか。

 そう思うと、心配にもなる。蘭子はアナスタシアを追いかけるかどうかを考える。
 気持ちとしては今にも追いかけたいところだったが、事情も知らない自分が追いかけて何かできるかもわからない。
 だが、それでも、今すぐに追いかけたかった。追いかけて、何かをしてあげたかった。

 でも――蘭子は、そんな自分をぐっと抑える。
 アイドルになってから、色んなことを学んだ。感情のままに動いてはいけない、ということもその一つだ。
 まず自分がするべきことは、追いかけることではなく、誰かにこのことを知らせること。
 そして、それを知らせなければならない、いちばんの人は――

「――神崎さん!」

 アナスタシアのプロデューサー。Pだ。

「アナスタシアを見なかったか? どこに行ったか、わからないか?」

「宴の――」いや、今は正確性を重視するべきだ。言い換える。「――会場の外に走っていきました」

「そうか」Pは一瞬だけ考える素振りを見せて、言う。「ありがとう。それじゃあ――」

「新人さん」

 走り出そうとするPに、蘭子は声をかける。簡潔に、でも、気持ちを。

「アーニャちゃんを、よろしくお願いします」

 その言葉に、Pは目を見開かせて、すぐに優しく微笑んだ。

「ありがとう。アナスタシアの親友が、君で良かった」

 そう言って、Pは会場の外に向かって走り出していく。
 蘭子はそれを見送って……そんな彼女の肩に、ぽん、と手が置かれた。




268: ◆Tw7kfjMAJk 2017/04/19(水) 22:16:28.91 ID:nhXCd10e0


「あいつ、どうしたんだ?」

 それが誰なのかは見ないでもわかる。蘭子は言う。

「プロデューサー。……話は、もう終わったの?」

「ん? ああ。待ったか?」

「ううん。待って――」蘭子は首を振りかけて、止める。「いえ、待ったわ」

「どっちだよ」

 プロデューサーがくすくすと笑うのに、蘭子は妖艶に微笑みかける。

「待ちわびたわ。だから――その代償を」

 蘭子はそう言ってプロデューサーに手を差し出す。その手を見て――プロデューサーはすぐに理解したようだった。だが、だからこそだろうか、周囲をぐるりと見回して、言う。

「……ここでか?」

「ええ。不満かしら?」

「不満、というか……」プロデューサーはぽりぽりと頭をかいて、あきらめたように笑う。「まあ、魔王さまのお望みなら、仕方ないか」

 そして、プロデューサーは蘭子の前に跪き、差し出されたその手にキスをする。

「踊っていただけますか? 我が魔王」

「ええ。もちろんよ、我が友」

 蘭子は微笑む。プロデューサーはあまり注目されるのが好きなタイプの人間ではない。
 だから、これは意地悪だ。そう、ただの意地悪。
 そんな意地悪を楽しいと感じてしまうのは、私の性格が悪いからだろうか。

 でも。

「では、踊りましょう。そして」

 もしそうだとしても構わない。

 なぜなら。

「この宴の、華となってみせましょう」

 私は、魔王なのだから。



269: ◆Tw7kfjMAJk 2017/04/19(水) 22:17:18.18 ID:nhXCd10e0


      *

 やはりもう会場にはいないらしい。会場の外なら何の手がかりもなしに探すのは難しいだろう。
 アナスタシアならどこに行く? この会場付近の地図は一応頭に入れているが――ここは初めて来る場所だ。
 彼女が来たことがある可能性も皆無というわけではないが、この付近に遊ぶような場所はなかったはずだ。その可能性はほとんどないと考えていいだろう。
 なら、やはりどこにも手がかりは……いや、待て。神崎さん以外にも、アナスタシアを見ていた人がいるかもしれない。その人に――

「あー! 新人チャン! 見つけたにゃ! さっきアーニャンが」

 いた。会場の出入り口、ここにいたということは。

「前川さん! アナスタシアがどこに行ったか知っていますか?」

「どこに、って、それよりアーニャンがあんな顔をしていたことについて」

 あんな顔? その言葉は少し気になったが、それよりも今は聞かなければならないことがある。

「それについては後で説明します。アナスタシアがどこに行ったのか、知っていれば教えて下さい」

「それは、あっち、だけど」

 前川さんが指で方向を示してくれる。会場を出て右……あの方向だと、特に車の通りが多いわけでもない。とりあえずは安全だろうか。いや、それより。

「ありがとうございます。では、僕はここで」

「え、あ、はい」

 僕は前川さんに頭を下げて走り始める。
 背後から「って、だからいったい何があったのー!」と叫ぶ前川さんの声が聞こえたが、彼女には後できちんと心配させたことを謝ろう。
 今はとにかく、アナスタシアを探さなければならない。

 前川さんに教えてもらった道を僕は走る。だが、この先には確か交差点もあったはずだ。
 そもそも今もアナスタシアが走り続けているのだとしたら僕に追いつけるとは思えない。
 だが、それは僕の足を止める理由にはならない。今はとにかく走り続け、

 ポケットに入れているスマートフォンが震えた。今はそんな場合では――そう考えかけて、僕はすぐにポケットからスマートフォンを取り出す。
 ルキちゃんからのメール。内容は、位置情報のみ。僕はすぐに理解し、そこに向かって走り出す。



270: ◆Tw7kfjMAJk 2017/04/19(水) 22:17:45.99 ID:nhXCd10e0


 そして。

「――Pさん!」

 ある公園の前にルキちゃんが立っていた。深緑色のドレスを着ており、彼女もまたパーティーから抜け出して来たのだとわかる。
 僕のせいで……そう思うが、今はそんなことを言うべきではないだろう。

「アナスタシアは?」

「この先です」

「そうか。ありがとう、ルキちゃん」

「どういたしまして」

「それじゃ、僕はすぐに」

「その前に、Pさん」

 その前に? その前にいったい何があるのだろう。僕はまた何か失敗をしていただろうか。
 そう思ってルキちゃんを見ると、彼女はスカートの端をつまんで、言った。

「この衣装、どうですか?」

「え、ああ、似合っている、けど……」

「そうですか。惚れました?」

「今はそんな場合じゃ」

「わかってます。でも、そんなこわい顔をしていたら、アーニャちゃんに怒りに来たのかって勘違いされちゃいますよ」

 そう言われて、僕は咄嗟に自分の顔に触れる。……そんな、顔をしていたか。

「で、どうです? 惚れました?」

 そう言って微笑む彼女は、とてもかわいくて、魅力的で。見ているだけで、顔がほころんでしまう。

「惚れない」

「そうですか。それは残念です」

 ルキちゃんはくすくすと笑い、僕を見る。

「その顔なら、大丈夫ですね。……それじゃ、Pさん」

「ああ」

「いってらっしゃい」

「いってきます」

 そう言い合って、僕はアナスタシアがいる場所へと向かう。
 もう走りはしない。歩いていく。歩いて、考える。

 僕は、アナスタシアに何を話せばいいだろうか。
 アナスタシアは、どうすれば納得してくれるだろうか。

 ――僕は、どうしたいのだろうか。

 その思考に答えは出ない。
 だが、今は、とりあえず。

「――アナスタシア」

 目の前の彼女に、きちんと、言おう。
 隠すことなく、僕の気持ちを。

「……プロ、デューサー?」

 夜。
 周囲は既に暗く、人気はまったくと言っていいほどにない。
 そんな公園の噴水の前。
 電灯と月と星の光の下。

 僕は、アナスタシアと向かい合った。



271: ◆Tw7kfjMAJk 2017/04/19(水) 22:18:19.13 ID:nhXCd10e0


      *

「――来ないで!」

 アナスタシアの言葉に、僕は驚いて足を止めてしまう。……彼女のこんな声は、初めて聞いた。
 彼女は噴水の方を向いており、その表情は見えない。だが、その声だけで、彼女の感情は痛いほどに伝わってくる。

「アナスタシア。聞いてくれ。僕は――」

「聞きたくありません! それ以上、何も、言わないで……」

 縋るような声。悲痛な声だ。聞いているだけで、罪悪感に押しつぶされてしまいそうだ。
 だが、それでも、僕には言わなければならないことがある。

「僕は、君のプロデューサーを降りようと思っている」

「――っ!」

 僕の言葉に、アナスタシアの肩が大きく震える。

「……れは……」

 アナスタシアの声。だが、小さくてよく聞こえない。
 それがわかったのか――彼女はこちらを向いて、言う。
 涙に濡れたその顔を見せて、言う。


「それは……私が、魅力的なアイドルじゃ、ないから、ですか……?」


 その言葉を。

「……は?」

 正直、僕は理解できなかった。

 ……なんだって?
 今、アナスタシアは――何と言った?
 理解できなかった。意味がわからなかった。どうしてそんな結論になるのかわからなかった。

 アナスタシアが、魅力的ではない? 
 そんなこと……あるはずが、ないだろう?

「私、プロデューサーに、ふさわしいアイドルじゃ、ない、ですか? だから――」

「待て。待ってくれ、アナスタシア。ちょっと、待ってくれ」

 僕は慌てて彼女の言葉を遮る。混乱していた。この展開は、予想していなかった。

「……僕じゃ、なくてか?」

「……どういう、ことですか?」

「僕の方が、『ふさわしくない』んじゃ――ないのか?」

「……?」

 アナスタシアは涙に濡れた顔のまま、首を傾げる。本当にどういうことかわかっていない様子だ。心の底から不思議そうにしている。

「プロデューサーは、アーニャを、アイドルにしてくれました。何者でもなかった私を、こんな、アイドルに……。プロデューサーは、すごいプロデューサーです。だから、私を……」

 そこでアナスタシアは一度、言いにくそうに言葉を切った。だが、すぐに懸命に言葉を続ける。

「……これ以上、私が、すごく、なれないから……私に、プロデューサーみたいな『すごいプロデューサーは必要ない』から……私のプロデューサーじゃなくなる、って……」

「待て待て待て待て」

「?」

 アナスタシアがまた首を傾げる。涙で顔は濡れているが、きょとんとしている。かわいい。さすが僕のアイドル――って、いや、今はそんな場合じゃない。



272: ◆Tw7kfjMAJk 2017/04/19(水) 22:18:47.15 ID:nhXCd10e0


「えー、と……アナスタシア。君は僕と加蓮の話を、聞いていた……ん、だよな?」

 うん、まずはそこから聞こう。……なんだか、すごく大きな勘違いが起こっているような気がする。

「ダー。……すみません。私、盗み聞き――」

「それは今はいい。いや、まあ、よくはないが……」盗み聞きはよくないことだ。だが、今は責める時ではない。「……アナスタシア。君は、僕と加蓮の話を、どこまで聞いた?」

「……この先の私に、プロデューサーは必要ない。だから、プロデューサーを降りる、と」

「それだけか?」

「ダー。それだけ、です」

「……そうか」

 ……ああ、確かに、アナスタシアがあの場を離れたタイミングは、そうだった。あのタイミングでは、そこしか話していなかった。
 だが、それでまさか、そんな結論をするとは……さすがに、思わなかった。
 なんとなく、加蓮の言っていたことがわかった。……彼女も僕に対して、ずっとそんな気持ちだったのかもしれない。
 これは、確かに……複雑な気持ちだ。

「……まず、アナスタシア。最初に言っておくが、君はすごいアイドルだ。これからももっとすごくなると思う。僕にとっては、理想のアイドルと言ってもいい」

「――本当、ですか?」

 アナスタシアが大きく目を見開いて尋ねる。僕はうなずく。

「ああ。僕にはもったいないくらい、すごいアイドルだと思ってる。だから、君の考えは誤解だ」

「……よかった」

 アナスタシアは心の底から安堵したと言うように、ほっと息をつく。目がうるうると潤んで、今にも涙がこぼれ落ちそうだ。

 しかし、すぐにはっとして――彼女は尋ねる。

「でも、それじゃあ、どうして……プロデューサーは、あんなことを、言いましたか? ……私に、プロデューサーが、必要ない、なんて」

「それは……だな」

 ……言いにくい。
 非常に、言いにくい。

 アナスタシアの先程の言葉を聞いていれば、彼女が僕を評価してくれているのは明らかだ。正直、行き過ぎなのではないか、というくらいに評価してくれている……と思う。

 加蓮に言われて、僕もようやく自分が『まあそこそこすごいプロデューサーなのでは?』くらいには思えるようになりはしたが……なんとなく、なんとなくだが、アナスタシアから僕への評価は、それよりもずっと高いように思える。

 だから、そんな彼女に今から言う言葉を言えば、どんな反応が返ってくるかは――ああ、もう、いいだろう! 正直に、きちんと話すと決めたのだ。何と言われようと、言ってやる!

 僕は言う。……少しだけ、声を落として。

「アナスタシアみたいにすごいアイドルには、僕みたいな……頼りないプロデューサーは、必要ない、と」

「……?」

 僕の言葉に、アナスタシアはぱちくりと瞬きをする。
 そして、数秒間、そのままじっと動かずにいて……それから、ようやく口を開いた。

「……イズヴィニーチェ。すみません。聞き取れませんでした。もう一度、言ってもらえますか?」

「……この先、君はもっともっとすごいアイドルになる。僕がいなくても。だから、この先の君には僕が必要ないと判断した。なら、もっとすごいプロデューサーに君をプロデュースしてもらった方がいいと判断……しました。です」

 なぜか敬語になってしまった。気まずかった。……何と言うか、もっと、シリアスな雰囲気で話が進むものだと思っていたのだが……予定と違う。



273: ◆Tw7kfjMAJk 2017/04/19(水) 22:19:21.44 ID:nhXCd10e0


「つまり……その」

 じっと考え込んでいたアナスタシアが、非常に困った顔をして口を開く。

「プロデューサーは、自分が、アーニャ――私に、ふさわしくない、と……そう考えて、いましたか?」

「ええと……まあ、はい。そういうことに、なりますね」

「……プロデューサーは、何を言っているんですか?」

 うん、そういう反応になるとはなんとなく予想がついていた。だが、仕方ないだろう。そう思っていたのは事実なんだから。
 事実ではあるのだが……一応、弁解を試みる。

「いや、まあ、今はもう自分でもそこそこすごいプロデューサーなのかも? とは思っているぞ? ただ、アナスタシアをプロデュースしたいって言っている人は――そのプロデューサーは、本当にすごいプロデューサーなんだよ。業界でも有名で――」

「――それが、何ですか?」

 僕の言葉を、アナスタシアは一刀のもとに切り伏せる。

「私にとって、最高のプロデューサーはあなたです。あなた以上のプロデューサーはいません。あなたが、私をアイドルにしてくれました。何者でもなかったアーニャを……アイドルに、してくれました」

「でも、それは君が僕以外のプロデューサーを知らないからで」

「知る必要は、ありませんね? 私にとって、プロデューサーはあなた一人だけです。……それじゃ、ダメ、ですか?」

 ダメじゃない。そう答えたかった。だが……。

「……ダメだ」

「――そう、ですか」

 アナスタシアは、わかりやすく落ち込む様子を見せた。だが、それは先程まで――涙を流していた頃とは、少し違った。

「……プロデューサーは、私のプロデューサーじゃ、なくなりますか?」

「ああ」

「……約束、しましたね? シリウス――トップアイドルに、なるって」

 それはした。しかし。

「それなら、もう叶っているだろう? 神崎さんにも、本田さんにも勝って――君はもう、『トップアイドル』の一人だ」

 そうだ。加蓮の時とは違う。アナスタシアとの約束は、もう叶っている。

 彼女は、もう――



274: ◆Tw7kfjMAJk 2017/04/19(水) 22:19:51.59 ID:nhXCd10e0



「ニェット。違います」

 しかし。

 アナスタシアは、そう言った。

「私はまだ、トップアイドルになっていません。……頂点は、一つだけです。この世界で最も輝く星は、一つしかありません。違いますか?」

「……それは」

 そう言われると……どうなのだろう。
 僕はもう、アナスタシアとの約束を、夢を、叶えたと思っていた。
 アナスタシアが『トップアイドル』と呼ばれる者たちの仲間入りをした、というのは事実だと思う。それは確実だ。
 しかし……アナスタシアの言葉にも、一理あるように感じてしまう。

 本当にアナスタシアは『トップアイドル』になっているのか?
 他にも同等のアイドルがいっぱいいて――それが『トップアイドル』と呼べるのか?

 僕がそう考え出した時だった。アナスタシアが言う。

「……実は、これは、私の言葉じゃ、ありません。ミオの、言葉です。ミオとのライブバトルの前日――話を、しました」

「本田さんと?」

「ダー」アナスタシアはうなずく。「『トップアイドル』とは、何か。そう呼ばれているミオなら、わかると思って」

 そう『呼ばれている』。……つまり、アナスタシアはそう思っていない、ということか。
 そしてそれについて話したということは……アナスタシアらしいとは思うが、そう言われた時の本田さんの反応が目に浮かぶ。

「その時、ミオは『自分はトップアイドルなんかじゃない』と言いました。そう呼ばれている人たちも、みんな、すごいアイドルだけど、トップアイドルじゃない」

 本田さんがそんなことを? 僕は驚くが――どうしてか、彼女ならおかしくないとも思えた。

「そして、彼女は言いました。『トップアイドル』とは、文字通り、トップのアイドルだと。頂点は一つしかない……私も、同じ気持ちです」

 そして、アナスタシアは尋ねた。

「プロデューサーは、違いますか?」

 トップアイドルとは、アイドルのトップだ。頂点だ。
 この夜空にシリウスがたった一つしか存在しないように――トップアイドルもまた、この世界にたった一つしか存在しない……か。

「……いや、同じだ」

「ダー」

 アナスタシアは一瞬ふっと微笑みを浮かべて――すぐに、その表情を真剣なものへと変える。

「だから、プロデューサーは、まだ私との約束を――夢を、叶えていません」

「……そうだな」

 アナスタシアの言う通りだ。僕がどうかしていた。また――そう、まただ。また、周囲に流されて、僕までそんな認識になってしまっていた。

 少なくとも、彼女と初めて約束した時――あの時は、心の底から、アナスタシアを『世界一』のアイドルにしてやろうと思っていた。アナスタシアなら世界一のアイドルになれると思っていた。
 そして、そのこと自体は――アナスタシアが世界一のアイドルになれるという考え自体は、今でも変わっていない。いや、むしろ強まっている。彼女なら世界でいちばんのアイドルになれると確信している。
『その点』だけは、確信している。




275: ◆Tw7kfjMAJk 2017/04/19(水) 22:20:23.73 ID:nhXCd10e0


 だが。

「それなら、さっきの答えは変わるな」

 僕は言う。

「アナスタシア。君との夢は、叶えられない。君との約束は、破ることになる。……『この先』が、僕には見えないから」

 そうだ。『そう変わる』というだけの話だ。
 申し訳ないという気持ちは強くなる。罪悪感は強くなる。約束を守れなかったことに対して、申し訳ないと思うようにはなる。

 だが、『それだけ』。
 それ以上は、何も、変わらない。

「……プロデューサーは、アーニャのプロデューサーじゃ、なくなりますか」

「ああ、そうだ」

「……プロデューサーは、最初、言いましたね。私を、アイドルにスカウトする時……アイドルは『嫌なこと』もさせられる、って……辛いことも、苦しいこともある。厳しい世界。理不尽にさらされることも、納得できないこともある、って……これが、そう、ですか?」

「その通りだ。……君が何を言っても、僕の気持ちは変わらない」

「……そう、ですか」

 ……どうやら、ようやく理解してくれたらしい。

 アナスタシアにとって、僕がそれほどの存在だとは思っていなかった。僕を信頼してくれているとは思っていたが……正直に言おう。話せば、すぐにわかってくれると思っていた。

 だが、そうではなかった。僕は勘違いしていた。
 ……思えば、これも二度目だ。前川さんと話しているのを聞いてしまっていた時と同じだ。
 彼女は、僕が思っているよりも、ずっと、僕のことを大切だと思ってくれていた。
 そして、その上で……彼女は、納得してくれた。いや、納得はしていないのかもしれない。しかし、それでも……理解してくれた。

 彼女は、アイドルだ。
 アイドルは、過酷な職業だ。意に沿わないことをさせられることもある。様々な拘束を強いられる。――だが、それでも我慢しなければいけない。
 アナスタシアは、それを、わかってくれていた。
 僕は、それが、たまらなく嬉しくて……でも、やっぱり、たまらなく、申し訳なかった。

 しかし、アナスタシアがこれほどの覚悟を見せてくれたのだ。僕も、自分を責めてばかりではいられないだろう。

「すまない、アナスタシア。そういうことだから、次のプロデューサーについて――」



276: ◆Tw7kfjMAJk 2017/04/19(水) 22:20:50.64 ID:nhXCd10e0


 そうやって、僕が気をとりなおして、話し始めようとした時だった。
 アナスタシアは言った。

「プロデューサー。その時、もう一つ、言っていたことを、覚えていますか?」

「え? ……もう、一つ?」

「ダー」

 もう一つ? いったい、それは何を指しているのだろうか。
 いや、そんなことより――話は終わったのではなかったのか? 
 それなのに、どうして、まだ続けようとしているのか。

 僕にはわからなかった。だが、これもまた何か関係しているのかもしれない。僕は考える。

 あの時……あの時話したのは、確か、『嫌なこと』もさせられる可能性はある、ということ。
『嫌なことはさせない』と約束することはできないし、辛いことも苦しいこともさせる、ということだった。

 ……今になって考えると、僕はよく親御さんにそんなことを言えたものだな、と思う。
 あの時言ったことは紛れもない本心だが、スカウトの言葉だとはとても思えない。
 しかし、あの時言った通り、それを理解した上で、でなければ意味がないと思っているのは事実だ。
 その上で、僕はアナスタシアをスカウトした。アナスタシアをプロデュースしたいと言ったのだ。……その気持ちは、今も変わらない。

 しかし、僕はアナスタシアのプロデューサーを辞めると判断した。それが結論だ。そして、アナスタシアもそれを理解してくれた……はずだ。
 ……それがいったい、どうしたと言うのだろう。
 その疑問に、アナスタシアは答えてくれる。

「プロデューサー。あなたはあの時、こう言いました。『断っても構わないが、程度による』と」

「……ああ、言ったな」

 そう言えば、そんなことも言った気がする。
 それが、いったい……ん?
 僕は思う。まさか。

「そして、こう言いました。『その基準は、アイドルがどう思うかによる』と。『どうしても嫌』なのか、『頑張ればできる』なのか」

 そしてアナスタシアは、はっきりと言った。


「――これは、『どうしても嫌』です」


 ……つまり、こういうことだろうか。
 アナスタシアは、僕が、彼女のプロデューサーを降りることが。

「……『どうしても嫌』なこと、だと?」

「ダー」

 アナスタシアはうなずく。微笑みとともに。

「他のことなら、私は、どんなことでも頑張ることができると思います。『頑張ればできる』と思います。どれだけ厳しいレッスンでも、どんな仕事でも、あなたが言ってくれたなら、私はどんなことだってやります」

 でも、と彼女は続ける。

「『これだけ』は――どうしても嫌です。アーニャは、私は、プロデューサーじゃないと嫌です。絶対に――絶対に、嫌です。プロデューサーじゃなきゃ、嫌」



277: ◆Tw7kfjMAJk 2017/04/19(水) 22:21:16.73 ID:nhXCd10e0


 ……そんな、彼女に対して。

「……どうして」

 僕の口から、声が出る。

「どうしてだ? 僕は、そんな……君に、そこまで言われるような人間じゃない。僕は、君が思っているより、ずっと――ずっと、ダメな人間なんだ。君との約束を破るような、そんな、人間だ。加蓮との約束も破った。僕は、君が言ってくれるような、立派な人間じゃ……」

「……もしかしたら、そうなのかもしれません」

 優しい声で、アナスタシアが言った。

「でも……プロデューサー。少し、昔の話をしても、いいですか?」

「……ああ」

 どうして、今なのか。そんなことは聞けなかった。
 アナスタシアはゆっくりと息を吸って――それから、ゆっくりと話し始めた。

「昔のアーニャ……プロデューサーに出会う前の話です。昔の私は、したいこと、ありませんでした。目指すものも、何も、ありません。……ロシアでも、日本でも、ありません。リーチナシチ……私の……アイデンティティ、どこにもありませんでした。……これは、パパにも、ママにも、言ったこと、ありません。でも、ずっと……そう、思っていました」

 それは――それを聞いて、僕には、思い当たることがあった。
 ……まるで、それは、昔の……。

「注目されることはありました。声をかけられることも。アーニャはハーフで、言葉も苦手ですから、この国では珍しい人、ですね。でもそれは、ただ珍しいだけ。ただ人と違うだけ……。本当の心、私でないといけない理由、そういうものとは、違います。だから……あまり、嬉しくありませんでした」

 そこまで言って、アナスタシアは顔を上げる。

「――今は、違います。今のアーニャは、アイドルです。アイドルだから……ハーフでも、言葉が苦手でも、プラスにできる。『珍しい』も、力にできます。……言葉が苦手なのは、いつか、直したいと、思います。でも、アイドルになって、それもプラスにできると知って……それは、本当に、嬉しかった」

 アナスタシアが、ふっ、と柔らかな微笑みを浮かべる。その微笑みに、私は思わずドキッとしてしまう。……それくらい、魅力的な微笑みだった。

「アーニャを、そう変えてくれたのは、プロデューサーです。私を、アイドルにしてくれたのは、プロデューサーです。……最初、アーニャは、何もできませんでした。歌は、まだ、少しだけ、できました。でも、踊りは……全然、ダメで」

 そこでアナスタシアは一瞬だけ声を落とし――すぐに、その声を上げる。

「でも、プロデューサーは、ルキと一緒に、私に、色んなことを教えてくれました。ダンスは、言葉も、外見も、気にならない。身体だけの、パフォーマンスです。アーニャがハーフでも、関係、ありません。それを知って……あの時、私は、とても、嬉しかったです。もっともっと、ダンスを頑張りたい、と思うようになりました。……そして」

 アナスタシアは、一つひとつ、自分だけの宝箱から大切なものを取り出す時のように、ゆっくりと、丁寧に、言葉を紡いでいく。

「歌を、もらえた時……あの時も、とても、嬉しかった。私のことを、大切に思ってくれる詩で……歌詞に、ロシア語、ありませんでしたね。それも、よかったです。私のこと、ちゃんと、アイドルらしく、見てもらえる、って……そう、思えて」
 目蓋を閉じて、彼女は話す。……今、彼女の目には、何が見えているだろうか。

 ……なんとなく、わかるような気がする。

「それから、初めてのステージがあって……私、あんな風景、初めて見ました。とても、感動しましたね。でも、こうも思いました。アーニャは、まだまだだって。……もっと、頑張らないと、って。……でも、その気持ち、まだ、アーニャだけのものでした。……自分のことしか、考えていませんでしたね」

 ……でも、それはすぐに、変わった。

「そして、インストア・イベントでファンと話をして……私は、ファンの、本当の意味、わかりました。あんなにたくさんの人が、私のことを応援してくれていて……あの時、プロデューサーは、ファンに、自分の伝えたいことを話せばいい、と言いましたね。あの時は、ずっと、それを考えていたけど……感謝の気持ちしか、ありませんでした。たくさん、大切なものをもらって……それを、返したい、って。そう、思っていました」

 思っていた、か……過去形だ。つまり、今は。

「それは、今でも変わりません。でも……今は、伝えたいこと、あります」

 それは? アナスタシア。

「それは、自分でも、何かになれるということ、ですね。アーニャもアイドルに、なれたみたいに……」

 アナスタシアはゆっくりと言って、目を開く。

「そして、それは、プロデューサーのおかげです。アーニャは、プロデューサーといっしょなら、輝けます。だから、私とあなたで、きっと、トップになれますね。……プロデューサー」

「……なんだ?」

「覚えていますか? プロデューサーが、私をスカウトする時に、言った言葉……『世界でいちばん幸せにする』って」

「……ああ」

「……私は、そう信じてます。プロデューサーとなら……いつか、世界でいちばん、幸せになれると思います……きっと」

 そう言って。

「プロデューサー。今度は、私から、言いますね」

 アナスタシアは、微笑んだ。


「あなたを、世界でいちばん幸せにします。……だから、私のプロデューサーに、なってくれますか? ……私だけのプロデューサーで、いてくれますか?」





278: ◆Tw7kfjMAJk 2017/04/19(水) 22:21:44.47 ID:nhXCd10e0


 ……そう、言われて。

「……僕は」

 僕は、ゆっくりと口を開く。ゆっくりと、言葉を探して……アナスタシアは、それを、じっと待ってくれる。
 そんな彼女に感謝して――僕は、大きく息を吸って、吐き出す。

 彼女の言葉を聞いて……いや、聞く前から、そうだった。
 ただ……そんな自分の気持ちよりも、優先するものがあると思っていた。
 他でもない、アナスタシアのプロデューサーとして……その判断は、今も、間違いではないと思っている。

 でも。
 でも――それでも。

「……僕は、君のプロデューサーでいたい」

 ――それが、僕の本心だった。

「アナスタシア。僕は、君のプロデューサーでいたい。できるなら、もっと――もっと、君を輝かせたい。――でも」

 そう、でも。

「僕には――どうすればいいのか、わからないんだ。これから先、君をどうやってプロデュースすればいいのかわからない。今までは……今までなら、なんとなく、わかっていた。どうすればいいのか、わかったんだ。どうすれば君の人気と実力を伸ばせるのか、わかったんだ。でも、これから先、これ以上、どうすればいいのかが……わからないんだ」

 それが――それだけが、問題だった。

「本当は、君のことを誰にも渡したくない。僕が、僕が君のことを輝かせたい。他の誰でもない、僕が、君を幸せにしたいんだ。僕よりどれだけ実力があったって――それでも、君のことは、僕がプロデュースしたい、って……そう思っていた。いや、今でも、そう思っている」

 そうだ。本当は、アナスタシアのことを他の誰にも渡したくない。業界一のプロデューサーにだって、渡したくない。
 でも。

「でも……僕じゃ、君を、これ以上……どう輝かせればいいのか、わからないんだ。この先、どうすれば、もっと、輝かせることができるのか……それが、僕には、わからないんだ」

 情けないと、自分でも思う。
 僕の職業は、プロデューサーだ。それなのに――どうプロデュースすればいいのか、わからないなんて。
 どうプロデュースすれば、アナスタシアをもっと輝かせることができるのか――今より前に進めるのか、わからないなんて。

 そんな人間に、アナスタシアのプロデューサーが続けられるとは……どうしても、思えなかった。
 そんなこと、僕のためにも、アナスタシアのためにもならないって……そう、思っていた。

 だが。

「なら」

 アナスタシアは、口を開く。

「なら、いっしょに、考えましょう」




279: ◆Tw7kfjMAJk 2017/04/19(水) 22:22:20.77 ID:nhXCd10e0


「……え?」

 呆ける僕に、彼女は微笑む。

「ひとりで思いつかないなら、いっしょに考えればいいですね? プロデューサーが思いつかないなら、私もいっしょに考えます。そうすれば、何か、思いつくかもしれません。蘭子も、自分のプロデューサーと話している、と聞きました。……私たちも、そうすればいい、と思います。……実は、私、やりたいことがありますね」

「やりたい、こと……?」

「ダー」アナスタシアはそう言って、指折り数えて話し始める。「まず、ファンと、もっと話したいですね。『Nebula Sky』のインストア・イベントだけじゃなく、他にも、たくさん。それから、蘭子とまた、イベントがしたいです。今度はもっと、違うイベントをしてもいいですね? カレンとはまたライブバトルをして、勝たなきゃいけません。それから、リンともライブバトルをしてみたいです。それから――」

「ま、待ってくれ」

 アナスタシアの言葉を遮って、僕は言う。

「いきなり、そんなに言われても、まとまらない。それに――」

「……それに?」

「……それくらいなら、僕も考えていた」

 そう、それくらいなら、僕も考えていたのだ。

「でも、それで君がより輝くという保証は――」

 そう僕が言おうとした言葉を遮って、アナスタシアは尋ねる。

「――保証なんて、必要ですか?」

「……何?」

 いったい、どういう意味だ? 保証なんて、必要か、だと?

「プロデューサー。今までだって、保証なんて、ありませんでした。……もしかしたら、プロデューサーには、何かが見えていたのかもしれません。でも、私には、何も、見えていませんでしたね。『これをすれば成功する』なんて保証は、私には、見えていませんでした。……きっと、他の人も、そうだと思います」

「……僕だって、ぜんぶ見えていたわけじゃない。ただ、それでも『より輝く』ということだけはわかっていた。でも、これからの君は違う」

 そう、ただ、『今まで』と『これから』では戦略が大きく変わってくる、ということだ。

「今までなら、ある程度何をすればより輝くことができるのかはわかっていた。少なくとも『下がることはない』。そういう保証はあった。だが、これからはそれがない。今より上に行くだけじゃないかもしれない。そんな危険なことは」

「構いません」

 アナスタシアは言った。

「それでも、私はもっと輝きます。……プロデューサー。私は、やりたいこと、話しました。プロデューサーは、何か、ありませんか?」

「僕……?」

「ダー。……うまくいく保証なんてない、あなたの、やりたいこと」

 ……うまくいく保証のない、か。

「それは、なんでもいいのか」

「ダー。なんでも、構いません」

「そうか。……なんでも、か」




280: ◆Tw7kfjMAJk 2017/04/19(水) 22:22:47.92 ID:nhXCd10e0


 うまくいく保証のない考えなんて、実行するのはこわいものだ。

 だが――ただ、やりたいというだけならば。

「まず……水着グラビアだな」

「……え?」

 アナスタシアが聞き返すのに、僕は答える。




281: ◆Tw7kfjMAJk 2017/04/19(水) 22:23:18.02 ID:nhXCd10e0


「アナスタシア。僕が見るに、君はスタイルも良い。そうだな……ビキニが良いな。君の白い肌が映えそうな……紫色なんてどうだろう? 黒でもいいが……そうだ、日中だけじゃなく、夜の撮影も良さそうだ。きっと美しい写真が撮れる。君はかわいいし、美人だからな。あと……夏なら、君のデビューから一周年になるか。野外ライブなんてどうだろう? 水着のままで、というのは厳しいが……露出が多い衣装でもいいかもしれないな。今までの衣装はずっと露出を控えたものだったから、そろそろ露出を大きくしたものもいいだろう。へそ出しというのはそそるからな。うん、へそは出したい」

「……プロデューサー?」

「ん? ああ、そうだ、水着グラビアという話だったな。いや、そうか。写真集なんかもいいな。絶対水着は入れたい。だが、写真集だ……コンセプトは、『素顔』とか? バラエティ番組での露出が増えたとは言え、一般にはまだまだライブバトルのイメージが大きいからな。つまり、クールビューティーのイメージだ。もちろんそういった写真も入れるが、君の笑顔をたくさんの人に見てもらいたくもある。ああ、それなら、部屋での君なんかも撮りたいな。『ひと夏の旅』と言った風な構成にすれば……うん、いけるな。何ならそこで映像も撮ろう。写真集のメイキングのような……君の魅力のすべてを押し出したような。そうだな、普段の君と仕事の時の君とのギャップを楽しむこともできる構成にしようか。普段は笑顔でスタッフと話したりしているのに、写真の撮影が始まるとキリッと表情が変わるんだ……うん、良いな」

「……あの」

「もちろん、それだけじゃないぞ? 今のは夏だ。次は秋……各地で学祭があるな。そういうイベントに出るのもいいかもしれない。アナスタシアの望むファンとの交流もできる。アナスタシアも学生だし――ああ、そうだ。少し先程の話に戻るが、今だからこそ、学生姿の君を見せたいな。制服だ。あと、学校での様子も見たいな……あ、学生で水着と言えば、スクール水着……スクール水着もいいな。アナスタシアの白い肌に紺色のスクール水着は映えそうだ。ああ、また水着の話になってしまったか。すまない。だが、秋は学祭以外だと……食欲の秋、そうだ、料理番組なんてどうだろう? それか食レポだ。まだそういった仕事はしていなかったな。君が食事をする姿は非常にかわいい。なら、やはりこれも入れておきたい。読書の秋でも――ああ、眼鏡。眼鏡姿なんてどうだろう。制服を着て眼鏡をかけて図書室で本を持つアナスタシア……いけるな。あと、プラネタリウムなんてのもいいかもしれない……が、プラネタリウムとどうするか、だな。君と星について、もっと推したいところだが……」

「……えっと」

「まあ、それは置いておくとして……次は冬だな。ああ、北海道でイベントをするのもいいかもしれない。君の故郷でもあるからな。行けるならロシアにも行きたいところだが……さすがにまだそれは難しいかもしれない。冬と言えば、雪……雪でも何かしたいな。君は雪の妖精のように見えることもあるし……ああ、北海道と言えば、星が綺麗な場所でもあるか。星空の下で野外ライブ、なんてものもいいかもしれない。いや、ライブにこだわる必要もないな。だが、何らかのイベントは開きたいところだ。そもそも、今年はライブバトルをし過ぎた。効率を考えるならばそれが良かったと思うし今でも間違っていないと思っているが、それ以外にもアナスタシアとやりたいことはいっぱいあるんだ。冬と言えばクリスマスや正月もある。クリスマスイベントもやりたいし――ニューイヤーイベントなんてものもやりたいな。正月と言えば、君にはもっと『正月』といったものをやってもらいたくもある。ああ、冬ならバレンタインデーもあるな。やっぱりアイドルとバレンタインデーは密接な関係にあると思う。バレンタインデーイベントはしたいところだな、うん」

「アー……」

「そして――そう! いちばんやりたいことと言えば、やっぱりライブだな! それも、ソロライブだ。ライブバトルでもなく、君一人で数万人が入る会場を貸し切って、ライブをするんだ。それはきっと――最高だ。君のためだけに数万人が集まるんだ。アイドルと言えば、やっぱりライブだと僕は思う。もちろん、ライブ以外の仕事も他にも……あ、君に和服を着てほしいな。演技の仕事なんてものもいい。ビジュアルレッスンで演技の練習もずっとやってきてはいるが、直接演技の仕事、というのはまだないからな。ふっふっふ……きっとみんな驚くぞ? もし君が――」



282: ◆Tw7kfjMAJk 2017/04/19(水) 22:23:47.73 ID:nhXCd10e0


「プロデューサー!」

「――ん?」

 アナスタシアが大声を出すのに、僕は言葉を止める。……何かあったのだろうか?

「……そんなにたくさん、ありますか?」

「いや、まだある。春はまだ言ってなかったし……他にも、たくさん」

「……そうですか」

 ……どうしてだろうか。なぜか、アナスタシアに呆れられているような気がする。

「プロデューサー。……プロデューサーは、さっき、何と言いましたか?」

「君にビキニを着せたい?」

「そ、そうじゃありません」

 アナスタシアが慌てる。なかなか珍しく、かわいい。

「だから、その……プロデューサーが、私のプロデューサーを続けられない理由、です」

 ……その話か。あまりしたくはないのだが……これは、大事なことなのだ。何度でも、言わなければいけないだろう。

「この先、僕はどう君をプロデュースすればいいのかわからないからだ。何をすればいいのか、わからないからだ」

「……ンー」

 ……アナスタシアがすごく難しい顔をしている。どうしたのだろう。

「プロデューサー。……本気で、言ってますか?」

「冗談なら、よかったのにな」

 僕は自嘲するようにふっと笑う。

「そういうのはいいです」

「えっ」

 アナスタシアが冷たい。というか、そんなのどこで習ったんだ。前川さんか?

「……プロデューサー。今のじゃ、ダメ、ですか?」

「今の?」

「プロデューサーは、何をすればいいのかわからない、と言いました。……でも、プロデューサーには、まだまだやりたいこと、たくさんありますね? なら、それをやればいい、と思います」

 確かに、僕がやりたいことはたくさんある。語り尽くせないほどに。
 だが。

「アナスタシア。今のは、僕が個人的にやりたいことだ。個人的に君をプロデュースするなら、こうしたい……といったものでしかない。もちろん、成功してほしいとは思うが……確証はないんだ。やりたいことだけをやってトップアイドルになれるなら、みんななってる」

 そうだ。やりたいことだけをやって、トップアイドルになんて……。



283: ◆Tw7kfjMAJk 2017/04/19(水) 22:24:19.03 ID:nhXCd10e0


「……もしなったら、どうなりますか?」

 アナスタシアが尋ねる。もしなったら? もしなったら、か。まあ、まずありえないことだが、もしそうなったら――

「もしそんなことが起こったとすれば、そのアイドルは――世界一なんてものじゃない。今までのすべての歴史を含めても『トップ』のアイドルと言えるだろうな」

「――そう、ですか」

 アナスタシアがくすりと笑う。そんなに面白かっただろうか。僕は首を傾げる。

「プロデューサー」

 アナスタシアが僕を呼ぶ。「なんだ?」と僕は答える。

「プロデューサーは、私がトップアイドルになれる、って、信じてますか?」

「ああ。信じてる。君なら絶対にトップアイドルに――この世界で最も輝く星になれる、と」

「ダー。私もです。あなたとなら、そうなれると信じています」

 そして、彼女は言った。

「そう――『今までのすべての歴史を含めても「トップ」と言えるくらい』の、アイドルに」

「……その言葉」

 今さっき、私が言ったばかりの言葉だ。

 だが――

「本気か?」

 僕は尋ねる。彼女の目を見て、真剣に。

「ダー」

 彼女は答える。僕の目を見て、真剣に。

「それはきっと……普通にトップアイドルになるより、ずっと難しいぞ?」

「ダー。わかってます。でも、プロデューサーが私のプロデューサーでいてくれるには、他に選択肢はありませんね?」

「僕以外のプロデューサーにプロデュースしてもらった方が確実だ」

「私にプロデューサー以外の選択肢はありません。だから、これ以外にはありませんね」

「もう一度聞く。本気か?」

「ダー。だって」

 アナスタシアは微笑む。


「プロデューサーと私となら、できますね?」


 ……まったく。

 本当に――本当に、難しいことを言ってくれる。
 これ以上に難しいことは、この世界にどれだけあることだろう。

 そして――これ以上に嬉しいことは、この世界にどれだけあることだろう。
 本当に……本当に、嬉しいことを言ってくれる。

「アナスタシア。もしかしたらこれは、今まで以上に厳しい道かもしれないぞ?」

「その覚悟は、もうできています。それに――私は、それ以上に幸せになれるって、信じてます。プロデューサーが、そう約束してくれたから」

「その約束を、もし破ったら?」

「許しません。絶対に守ってもらいます」

 許さない、と来たか。だが――なら、仕方ない。

「なら――今一度、誓おう」

 アナスタシアの目を見て、僕は言う。



284: ◆Tw7kfjMAJk 2017/04/19(水) 22:24:46.42 ID:nhXCd10e0


「アナスタシア。僕は君が欲しい。君をプロデュースしたい。君のプロデューサーでいたい。厳しい道だ。今までよりも、ずっとずっと。『やりたいこと』だけをやって『トップアイドル』になると言うんだ。それはつまり、『やりたくないこと』をそれ以上やるということだ。それはわかっているか?」

「ダー。わかっています」

「世界でいちばん辛く苦しい道を歩むかもしれないぞ?」

「覚悟の上です」

「わかった。――なら、君を世界でいちばん幸せにすることを誓おう。艱難辛苦も何もかもを焼き焦がし、この世界で最も輝く星――シリウスにすることを誓おう」

「私も誓います。プロデューサー。私はあなたが欲しい。あなたにプロデュースしてほしい。あなたのアイドルでいたい。これからも、プロデューサーにはきっと苦労をかけると思います。もしかしたら、この世界でいちばん辛く苦しい思いをするかもしれません。でも――その上で、あなたを世界でいちばん幸せにしてみせます。たとえ、何があろうとも」

「アナスタシア」

「プロデューサー」

 そして、僕たちは、同時に言った。




285: ◆Tw7kfjMAJk 2017/04/19(水) 22:25:18.67 ID:nhXCd10e0



「あなたを世界でいちばん幸せにする――この一生を、かけてでも」 




286: ◆Tw7kfjMAJk 2017/04/19(水) 22:26:07.89 ID:nhXCd10e0


 ――夜。
 周囲は既に暗く、人気はまったくと言っていいほどにない。
 そんな公園の噴水の前。
 電灯と月と星の光の下。

 僕と彼女は、誓った。
 互いを、この世界で――いいや、違う。
 今までの歴史を含めても――いちばん、幸せにしてみせる、と。

「……」

「……」

 僕たちはそれからも互いに向かい合っていた。無言で、じっと。

 だが、その時、夜風が吹いた。
 その瞬間。

 くしゅんっ。

 と、同時にくしゃみをしてしまった。それから、僕らは互いに顔を見合わせて。

「……ぷっ」

「……ふふっ」

 たえられなくて、同時に笑いだしてしまった。



287: ◆Tw7kfjMAJk 2017/04/19(水) 22:26:38.11 ID:nhXCd10e0


「寒いな、アナスタシア」

「そうですね。……プロデューサー、ジャケットはどうしましたか?」

「そう言えば、まだ加蓮に貸したままだったな。すっかり忘れていた」

「そうですか。……プロデューサー、寒い、ですか?」

「アナスタシアは……そう言えば、君は寒さに強いんだったか。なら――」

 大丈夫か。そう思ったのだが、アナスタシアは首を振った。

「ニェット。私も、少し、寒いです」

「そうか。まあ、そうか。さすがに、君の服だと……な」

「ダー。だから――」

 そう言って、アナスタシアはぴったりと僕の腕にくっついてくる。

「こうすれば、二人とも、温かいですね?」

「……そうだな」

 確かに、こうすれば温かい。

「……これから、頑張らないとな」

「ダー。やること、たくさんありますね」

「あ」

 その言葉で思い出した。……まずい。

「そうだ。やること、たくさんあるんだった……あー、もうほとんど次のプロデューサーに引き継ぐつもりだったから、色々と作業が……」

「ふふっ。私に内緒でそんなことを進めていた罰ですね? 頑張って下さい、プロデューサー♪」

 くそっ、その通りだから言い返せない。……だが、まあ。

「君をシリウスにするためなら、いくらでも頑張れるよ」

 そう、アナスタシアのためなら、僕はいくらでも頑張れる。『やりたいこと』をやるためには、『やりたくないこと』をやらなければいけない。そういうことだ。

「……私を、ですか」

 しかし、アナスタシアはどこか不満げだ。いったい何が不満なのだろう。

「どうかしたか? アナスタシア」

「ダー。プロデューサーは今、私をシリウスにするため、と言いましたね?」

「ああ。それがどうかしたか?」

「……ちです」

「ん?」

 アナスタシアの言葉が聞き取りにくくて、私は聞き返す。

 すると。

「『私たち』です、プロデューサー。だって――」

 アナスタシアは、星が輝くように笑い――言った。


「――シリウスは、連星ですから!」




288: ◆Tw7kfjMAJk 2017/04/19(水) 22:27:07.94 ID:nhXCd10e0


      *

 それから。
 僕とアナスタシアはルキちゃんと一緒にパーティー会場に戻り、今回お世話になった人たちに事の顛末を説明した。

 ルキちゃん曰く、「そうなると思ってました」

 加蓮曰く、「結局そうなるんだね」

 本田さん曰く、(というか、どうして彼女は事情を知っている様子だったのだろうか)、「うんうん。やっぱりそうじゃなきゃね!」

 神崎さん曰く、「……そんなことが」

 前川さん曰く、「そっか。まあ、そう収まったなら良かったにゃ」

 とのことだ。前川さんには怒られると踏んでいたのだが、(実際、話を聞いている最中、彼女は百面相になっていた)、怒られるどころか『良かった』とまで言ってくれた。やっぱり優しい子だな、と思う。

 また、忘れてはならないのが部長である。僕はすぐにアナスタシアとともに部長のところに行った。
 本田さんとのライブバトルの結果で僕はアナスタシアのプロデューサーを続けるかどうかを決める、と言っていたのだ。
 ならば、もう次のプロデューサーにその話が行っていたとしてもおかしくはない。
 今さらダメだと言われるかもしれない。もう話は通してしまったと言われるかもしれない。

 だが――それでも、僕はアナスタシアのプロデューサーでいると決めたのだ。
 たとえ、どれだけ難しくとも……そう、思っていたのだが。

「え? 本田くんとのライブバトルに勝ったんだから、君がプロデューサーを続ける、ということだろう? ……は? 違う? もともとは『勝てば降りる』つもりだった? ……君、それはさすがに読めないのだが。もう断ってしまっ……ん? でも、話し合った結果続けたいと? ……うん、なら、何の問題もないな。君はこれからもアナスタシアくんのプロデューサーだ。それで終わり。一件落着だ」

 とのことだ。……確かに、何も言わなければそう思うのが普通だった。
 このことを加蓮に話すと大笑いされた後、こう言われた。

「と言うか――Pさん。もし未央に負けてたとしたら、そっちの方がアーニャちゃんの担当プロデューサーから降りてそうなんだけど。だって、Pさん、もし負けたら『自分はアナスタシアのプロデューサーを続けるためにわざと負けるようなプロデューサーだったのではないか』とか勝手に責任感じて『やはり自分はアナスタシアのプロデューサーにふさわしくない』ってなりそうじゃん。結局――勝っても負けても、プロデューサーを辞めることになりそうだった、ってわけ」

 ……自分でも考えてみたが、確かに、すごくその通りになるような気がした。
 結果的にはそうならなかったが……もし本田さんとのライブバトルに負けていたら、アナスタシアと話し合ったとしてもプロデューサーを降りていたかもしれない。
 そう考えると、本当に勝ててよかった、と思う。

 また、必要があるかどうかは迷ったが、アナスタシアのご両親にも何が起こったかだけは話しておいた。
 結果――すごく怒られた。

「私は君に娘を任せると言ったんだ。他の誰でもない、君に、だ。君だから娘を任せられると思った。それを勝手に、辞めるなどと……そんな無責任なこと、よくも言えたものだな!? もしも本当に娘の担当プロデューサーじゃなくなっていたのなら、即刻娘にはアイドルを辞めてもらって北海道に戻って来てもらっていたところだ!」

 正論だった。しかし、危なかった。もし僕がプロデューサーを辞めていたらアナスタシアまでアイドルを辞めていたところだった。
 ちなみに、怒っていたのはお父様だけではない。

「……Pさん。私、怒っています。話を聞いていて思ったんだけど、Pさん、あなた、『相談』という言葉を知っていますか? 最初はアーニャにも相談していなかったようだし……私たちにも、相談しなかった。これからは悩むことがあれば、きちんと相談すること。わかりましたか?」

 はい、としか答えられるはずがなかった。もしかしてアナスタシアの家族でいちばんこわいのはお母様ではないだろうか?
 普段を知っているだけに、電話越しでも背筋が凍りそうなほどこわかった。これからは絶対に怒らせないようにしよう。僕は誓った。

 あれから起こったことと言えば、まあ、それくらいだろう。先輩たちにも色々言われたりはしたが、まとめると、
「バーカ! バーカ! お前の基準だったら俺なんてもうとっくにプロデューサー失格じゃバーカ!」「お前……もしアーニャちゃんのプロデューサー辞めてたら本気で殴ってたぞ……」「え? でも、プロデュースって割りとそんな感じじゃないですか?」「お前は黙ってろ」「あー……まあ、良かったな。お前はクソ生意気な後輩だけど、お前以外にアーニャちゃんのプロデューサーはやれないよ」
 といった感じだ。
 ……まあ、ウチにも色んなプロデューサーがいる、ということでこの話は終わりにさせてもらいたい。



289: ◆Tw7kfjMAJk 2017/04/19(水) 22:28:02.79 ID:nhXCd10e0


 ――さて、余談はこれくらいにして、ここからは、今の話をしよう。

「……綺麗だな、アナスタシア」

「ダー。とても、綺麗ですね」

 僕たちは、以前――一年前、アナスタシアが東京に来た日に行った、星空の下に来ていた。
 二人並んで、座り込んで、ただ、星空を見上げていた。

「しかし、懐かしいな。……あれももう、一年前か」

 もう一年――そう思うし、同時に、まだ一年、とも思う。
 この一年、色んなことがあった。だがそれも、あっという間に過ぎていった。
 アナスタシアも同じ気持ちだったのか、ダー、と答える。

「プロデューサーは結局、会ってから一度も私のことを『アーニャ』と呼んでくれませんでしたね?」

「んっ――それ、気にしてたのか」

 ルキちゃんに『アーニャ』と呼ばないのかと聞かれたことはあったが、アナスタシアから言われた記憶はない。だから、ずっと気にしていないと思っていた。
 しかし、アナスタシアはうなずき、続ける。

「みんな、私のことを『アーニャ』と呼んでくれますね? でも、プロデューサーだけ、『アナスタシア』のままです。……『仲が悪いんじゃ』と噂されていること、知っていますか?」

「はぁ!?」

 仲が悪い? 僕と、アナスタシアが? ……そんな噂、聞いたこともなかったぞ。

「その様子だと、初耳みたいですね」

 アナスタシアがくすくすと笑う。が……仲が悪いという噂は、あまりよろしくないな。というか、もしかして……。

「アナスタシアをプロデュースしたい、って言ってたあの人も、その噂を……?」

「ンー……そう、かもしれませんね?」

 もしそうだったらどうしよう。いや、部長は僕とアナスタシアの仲が悪くないということを知っているだろうから、もし誤解していたなら彼が解いていてくれたと思うんだが……もし、もしもそうだった場合。

「……僕が君をそう呼ばなかったことが、今回のきっかけだと?」

「かも、しれません」

 アナスタシアがふふっと微笑む。……できれば否定してほしい。

「でも、それなら、二度とこういうことが起こらないように――プロデューサーも、『アーニャ』と呼ぶべきですね?」

「ぐ……」

 そうなるのかもしれない。なるか? いや、でも、実際、そういう噂があるのだとしたら……。

「……そう、かもしれない」

「なら、呼んで下さい」

「今か!?」

「ダー♪」

 アナスタシアがすごく楽しそうにしている。今の話がすべてアナスタシアの嘘でただ僕に『アーニャ』と呼ばれたいだけなのではないか? という疑念が頭をよぎるが、嘘だと断ずることもできない。

 なら……覚悟するしか、ないのか。

「……あ」

「はい」

「あー、あー……」

 僕はゆっくりと声を出して――そして、言った。



290: ◆Tw7kfjMAJk 2017/04/19(水) 22:28:39.47 ID:nhXCd10e0


「――アニャ、スタシア」

 と。

「……ニャ?」

 アナスタシアが首を傾げる。僕は顔が熱くなっているのを感じる。

「ず、ずっと『アナスタシア』って呼んでいたんだ。今さら変えるのは、その、なんだか……気恥ずかしい」

「……そうですか。プロデューサー、意気地なしですね」

「ぐはっ」

 アナスタシアにそう言われるとダメージが大きい。何か、何かないか。僕は考えて――提案する。

「その……いつか、呼ぶから。呼べるようになるまで、待っていてくれ」

「……わかりました。それなら、いいです。許してあげます」

 その言葉に、僕はほっと息をつく。よかった、許してもらった……いや、今の、そんなに僕が悪かったか? 僕は不満を抱きかけるが――その前に、アナスタシアが口を開く。

「プロデューサー。プロデューサーは、あの日のこと、覚えていますか?」

「あの日のこと?」

 僕が尋ねると、アナスタシアはすぐに答えてくれる。

「ダー。この星空の下、二人で約束したこと……」

「……ああ」

 そのことなら、今でもはっきりと思い出せる。アナスタシアは続ける。

「私は今でも、あの日のこと、昨日のことのように思い出せます。……プロデューサーも、そうですね?」

「ああ」

 シリウス――太陽を除いて、地球上から見える最も明るい恒星。
 肉眼では一つの恒星に見えるが、実際はシリウスAとシリウスBから成る連星だ。
 あの頃はまだそれを知らなかったが――今なら、知っている。

「アナスタシア。今、この空に――シリウスは、見えるか?」

「ニェット」

 アナスタシアは首を振り、微笑む。

「だって――私たちは、ここにいるから」

「そうだな」

「……こんなことを言うと、本物のシリウスに怒られるかもしれませんね?」

「ちょ、君がそれを言うか」

 自分で言っておいて、本物のシリウスなんて言葉を使うな、と思う。

 まったく……そう溜息をつく僕の肩に、アナスタシアが自分の頭を乗せた。

「もし、本物のシリウスから私たちが見えたとしたら……どういう風に、見えるでしょうか」

「本物のシリウスからは、僕たちのことなんて見えないと思うが――そうだな」

 もしも――そう、もしもの話だ。

「もしも見えるとしたら――」

 それは、そう、きっと――


 一つの恒星のように、見えるだろう。




291: ◆Tw7kfjMAJk 2017/04/19(水) 22:29:38.61 ID:nhXCd10e0


      *

 ――×年後。
 ライブ会場。

 アンコールの声が響くのを聞きながら、僕は尋ねる。

「準備はいいか?」

「ダー。問題ありません」

 隣に立つ僕のアイドルは、いつものようにそう言った。……まったく、頼りになることこの上ないな。

「そうか。なら――行ってこい、アーニャ」

「ダー♪」

 アーニャ――アナスタシアのソロライブ。
 万を超える彼女のファンで席は満席。
 そのすべてが、アナスタシアのステージを見るために集まっている。

 彼女がステージに出ると、アンコールの声が一斉に意味をなさない歓声に変わる。アナスタシアは観客席に手を振りながらステージの中心へと歩いていく。
 彼女がステージの中心に立ち、マイクを構えると――歓声はさらに大きくなる。

 まるで彼女が話すのを邪魔しているようにも見えるが……そうではない。
 そんなファンに対して、アナスタシアはいつものように人差し指を口元に持っていき、

「しー」

 とつぶやく。すると、ファンはいつものように歓喜の声を上げ――かと思えば、すぐに静かになる。
 そして、そんなファンに対してアナスタシアはくすくすと微笑む。

 ……すっかり恒例になってしまったが、これ、本当にいいのか? アナスタシアも楽しそうにしているが、恒例にするようなことではないように思える。

 そんな僕の考えが伝わるはずもなく、アナスタシアは微笑みを浮かべたまま話し始める。

「みんな、今日は、ありがとうございました。とても……とても、楽しかったです」

 アナスタシアがそう言うと、観客席からは「俺も楽しかったよー!」なんて声が響く。
 アナスタシアはそれに微笑み、続ける。

「次が、最後の曲になります」

 えー! と声。アナスタシアは「ありがとう」とつぶやき、

「私も、できることなら、ずっと続けていたいです。でも……ずっとは、続けられません。だから、この限られた時間で――私は、私に伝えられることを、伝えたいと思います」

 アナスタシアがそう言うと、一瞬、観客席は静かになり――すぐに、拍手が鳴り響く。
 会場いっぱいのサイリウムが揺れて、アナスタシアを応援している。

 白銀の世界。白銀の光。サイリウムの光の中。
 星空のように輝くその世界の中心で――そこにある、どんな星よりも輝く少女がいる。

 そんな光景を見て……僕は、思わず、笑ってしまう。

 なんだ。あの夢、大したことなかったな。
 そんなものより――今、ここにある光景の方が、ずっと――ずっと、美しい。

 そして。

「それでは、聞いて下さい。曲は――」

 アナスタシアは、その星の名前を口にした。



292: ◆Tw7kfjMAJk 2017/04/19(水) 22:30:06.32 ID:nhXCd10e0



「――『シリウス』」




293: ◆Tw7kfjMAJk 2017/04/19(水) 22:30:33.17 ID:nhXCd10e0

アナスタシア「Сириус(シリウス)」 完



294: ◆Tw7kfjMAJk 2017/04/19(水) 22:32:32.21 ID:nhXCd10e0

終わりです。ありがとうございました。
彼女の魅力を少しでも伝えることができていれば幸いです。
それでは。



元スレ
アナスタシア「Сириус」
http://ex14.vip2ch.com/test/read.cgi/news4ssnip/1492593097/
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        コメント一覧

          • 1. 以下、VIPにかわりましてELEPHANTがお送りします
          • 2017年04月20日 03:22
          • 見るのは自由だ。だが自由には責任が伴う。
          • 2. 以下、VIPにかわりましてELEPHANTがお送りします
          • 2017年04月20日 09:53
          • 長すぎて感想待ち
          • 3. 以下、VIPにかわりましてELEPHANTがお送りします
          • 2017年04月20日 10:03
          • オレのぽこちんのように長いSSだ
          • 4. 以下、VIPにかわりましてELEPHANTがお送りします
          • 2017年04月20日 11:11
          • ※3
            短い定期
          • 5. 以下、VIPにかわりましてELEPHANTがお送りします
          • 2017年04月20日 11:15
          • 4 一言で言えば、モバP「新しくアイドルプロダクションを作った」の健全バージョン。

            麗しき信頼関係の美談は置いておくとして、とにかくただ加蓮が可哀想。加蓮が想いを寄せ、Pも加蓮への好意を自覚しておきながら別れ、加蓮を「初めて、僕に『好きなもの』くれた少女に」なんて思ってる割に、最後まで扱いは雑。ラストのラストで、アーニャと加蓮に抱いた気持ちの違いを自覚して、加蓮とくっ付いて欲しかった。

            アーニャ好きで、一途に従順なアーニャが好きな人なら◎。そうでなくても面白い。

            ヤンデレ展開にはならないので注意。

            蛇足だが、
            同じ事柄を違う視点で回想する場合、同じ会話はやり取りを端折らずに書いてしまうのがテンポ悪かった。
            後最後のPのやりたい事を聞かれた時のマシンガントークが、雰囲気にそぐわなくてやりたかっただけ感があって少し気持ち悪い。
          • 6. 以下、VIPにかわりましてELEPHANTがお送りします
          • 2017年04月20日 11:38
          • ただただモテモテになりたい童貞の悲しき妄想やで、キャラ愛もくそもない
          • 7. 以下、VIPにかわりましてELEPHANTがお送りします
          • 2017年04月20日 17:57
          • 未央とご飯の人かな?読んでみる
          • 8. 以下、VIPにかわりましてELEPHANTがお送りします
          • 2017年04月20日 18:05
          • オレは好きだ
          • 9. 以下、VIPにかわりましてELEPHANTがお送りします
          • 2017年04月21日 08:41
          • Pのキャラにイラついたが(笑)、ストーリーはなかなか練られていて良かった
            特にLIVEバトルの描写は見入ってしまったな
            Pはウザかったが、アーニャは格好良かった
            乙!
          • 10. 以下、VIPにかわりましてELEPHANTがお送りします
          • 2017年04月21日 10:40
          • 加蓮の元プロデューサーが何で凛に勝たせたかったのか、本当にそう思ってたのかとかは分からないままだったな
            あと序盤でアーニャのレッスン見学してた女性は誰だったのか
          • 11. 以下、VIPにかわりましてELEPHANTがお送りします
          • 2017年04月21日 21:56
          • めちゃくちゃ面白かった
            特にライブバトルのところの描写はそれぞれが強者の雰囲気が出ててすごく好み
            凛とか楓さんとのライブバトルも見てみたいな

        はじめに

        コメント、はてブなどなど
        ありがとうございます(`・ω・´)

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