【モバマス】そのシンデレラの靴音は【佐藤心】
都会の喧騒のなかであれば聞き取ることは難しいだろう
しかしその持ち主が今歩くのは大通りを外れた寂れた小道
通る人は他にはおらず、ビルの空調のゴウンゴウンという重音が響くだけである
合っていないのは場所だけではない。こう言っては悪いが、女性の年齢から考えると少女趣味はいささか不相応、見る人が見れば眉をひそめるものだ
目指すところは決まっているのか足取りに迷いはない
一つのビルの下で立ち止まると手元のファイルーーそれだけはこの路地に合うようなーーから紙束を取り出し、目を通す
確認が取れたのだろうか。ビルの無骨な金属製の扉に手をかけると中へと引き寄せられるように入っていった
数度、逡巡した様子を見せた後に意を決し強く押す
彼女の決意とは無関係に機械の箱はチン、と軽い音を立てて扉を開いた
その中に乗り込むと、軽く、深呼吸。最後に完璧に整っている髪を更に撫でつけ、先に続く廊下を歩んでいく
ただガラスにそう書いてある薄い扉。しかし彼女にとってはここが引き返し、日常に戻る最後の壁だろう
ゴクリ、と唾を呑む。しかしここで立ち止まるようならもとより長野から訪れることはないだろう
取っ手に手を掛け、開け放つと一言
そう型破りな言葉を事務所内へ投げかける
その声に一瞬だけビクリと肩を震わせ、振り向いて応じるのは1人の冴えない青年
あくまで事務的、人によれば冷たいとすら感じるような返答…その程度では佐藤心は止まらない
しゅがーはぁと。砂糖な心。自分のアイドルとしての決め台詞をそんな中でも主張する
「はぁとさんですね。分かりました。これからよろしくお願いします」
社会人としては確かに正しいだろう
女性も慌てて頭を下げる
型破りではあっても常識くらいは知っている。そもそも自分の方がおかしいのだ
いくらアイドルのイメージとしてキャラ付けをしているとしても、それは初対面の、これから同僚となる人の前できちんとした挨拶をしない理由にはならないだろう
……挨拶をしない理由では無くても、自分のキャラを曲げる理由にもならないという考えか
プロデューサーである男性はうっすらと笑い、当然です。はぁとさん
などと本気か、面白がってかしゅがーはぁとを認める
「うちは弱小事務所ですが、女性をシンデレラにすることが目的です。トップまで魔法使いが手伝いますよ」
ただ、その女性からすればそれは救いであった
彼女がアイドルを目指す…その夢はかつて志し、そして諦めたものである
自身の年齢も相まって不安を背負いこんでいた
その彼女を肯定し、トップまで連れて行くと言ってくれたのだ
ここから彼女、しゅがーはぁとのアイドルとしての人生が始まることを知らせたその快活な音は彼女の耳から離れることはないだろう
朝起き、路地を抜け、事務所へ向かい、その上の階でレッスンを受ける
ひたすらその繰り返し
こうなることは知っていた
いきなり舞台に立てるわけもない、突然テレビのオファーが来るわけでもない
まずは下積みやレッスン。そこから結果がついてくる
しかしそれを理解し、納得する女性は少ない
日々のハードなレッスン。一向に受からないオーディション。先輩の荷物持ち程度しか出来ない営業。
それらに嫌気がさし抜けていくものが大半である
自分の実力を知っていた…というより身の程をわきまえていたという方が正しいだろう
必要なことは努力と忍耐。
そういうことを、まだ少ないであろう社会経験から学んでいたし、アイドルを目指す厳しさというものも身をもって知っていた
今日も彼女は事務所を訪れる
いつものようにすでにデスクについているプロデューサーや事務員と挨拶を交わす
事務所奥の個人ロッカーに化粧道具や裁縫道具の入った荷物を置いて備え付けられた階段を上がっていく
トレーナーや先輩に挨拶をしていく
それが年下だろうと自分へのけじめとしてか頭を下げていく
アイドルとして必要なこと。それならばしゅがーはぁとは佐藤心を殺せるのだろう
レッスンにひたすら打ち込む
右、右、左、ターンして手を振る…一曲踊れるようになれば簡単なミニライブに出られる
それを目標に、トレーナーさんに自主レッスンまで申し出ていた
何度も釘を刺される
1日の運動量で言えば大したことではないだろう
しかし彼女は詰め込みすぎている
彼女の運動靴の裏は数日でうっすらとすり減り、レッスン着にはほつれが見られる
その程度を見抜けないでプロのトレーナーをやっているわけではない
トレーナーと先輩が引き上げた後にも1人残り鏡の前で振り付けを確認する
ふと、時計を見て水分を取ろうと座りこむと、縫い付けられたようにそこから膝が動かない
息が上がり、手を後ろにつく
体からこぼれ落ち続ける汗もそのままに頭の中はダンスのイメージを思い描き続ける
上から声をかけられる
覗き込んでいたのは自身のプロデューサー。手に持ったペットボトルとタオルは察するに彼女に対してのものだろう
「お、サンキュ。プロデューサー」
青年は嫌な顔一つせずに受け取る
ここ数日のお約束ごとになっていること…この後プロデューサーが、がんばってください。とだけ声をかけていくことが日課だが、今日だけは違った
「はぁとさん。ダンスと歌は完成しそうですか?」
まだ詰めなければいけない部分もある。だが大筋で言えば覚えたと言ってもいいだろう
わずか数日のうちに形にまで持っていった彼女の努力は想像に余りある
「もちのロンだよー☆ハートバッチリ☆」
だからこそ話を続ける
もし彼女がダメだと判断していればいつものように疲れを労って励ますだけであっただろうが違ったのだ
「…今月末にデパートでのミニライブに出番があります。前座ではありますが第一歩として用意しました。どうでしょうか?」
「はぁとの最初のライブだね☆ばっちりファン増やしてやるから頼むよ☆」
青年はほっと一息いれてはにかむ
新人に1ヶ月やそこいらで持ってくる仕事ではない
このプレッシャーが心を潰さなければいい、と思っていたが心配は無さそうだ
「アイドルしゅがーはぁとの第一歩だよね…うん。はぁとはアイドルだから…」
と呟く
彼女の言うことはプロデューサーにとってはよく聞くセリフである
もっともそのセリフ自体は彼女ではなく他のアイドル…いや、アイドル候補生から聞くものだ
夢を叶える最初の一歩として言うセリフ
彼女のセリフの重さが、少女達とは異なったものだと気が付いてはいなかったのだろう
彼女がどんな思いでアイドルをしているか
この青年が分かっていれば何か変わったのだろうか
佐藤心は灯りを消した自室の隅に座り込んでいた
練習はした。疲れもとった。怪我はしてない。コンディションは完璧だ。
だが恐ろしい
ステージの上は想像するだけでワクワクする。歓声を思い描くだけで夢だったアイドルになれた気がする。
だがそれだけだ
昔から我が道を征く女だった
学生の間は憧れたアイドルを目指し、自らの趣味である裁縫を活かして衣装を作り、役に入り込み、何度もオーディションを受けていた
心無い言葉を浴びせられることもあった。いや、むしろ友人は気を使ってくれていたのだろう
「そろそろ本気で将来考えないと」「心も受験なり就職なりやらないとまずくない?」
当然の心配だ。夢は夢であり叶わないことが普通
夢を持つのは大切でもそれを追いかけるのは別の話
親にも諭され、アイドルを目指す少女。佐藤心はそこで一度、終わってしまった
そんな恐怖が付き纏っていた
アイドルとしての初仕事。認めてくれる人はいるのだろうか
部屋の窓から僅かに差し込む外の光が部屋を薄ぼんやりと照らし始めても考えは纏まらなかった
デパートの裏、従業員用の待合室で努めて明るくプロデューサーにそう言って挨拶する
折りたたみ式のイスが2脚、テーブルが1つの簡素な部屋の中でプロデューサーは資料のチェックをしていた
「おはようございます、はぁとさん。最後の確認をしておきましょう」
司会の方が挨拶をしたら出て行く。前口上と挨拶をしたら練習通り踊る。終わったら舞台袖に引っ込む。
それだけだが何度も反芻した
それでも緊張は溶けない
いくら水分を口に含んでも端から消えて、乾いていく
不安で全身が潰されそうになり、手を握りしめ歯をくいしばる
「…心さん、心配しないでください。あなたはアイドルになったんです」
顔を上げると魔法使いが力強い目で覗き込んできている
その目線はしっかりと彼女の目を捉えていて奥底まで覗き込むよう
「アイドルとしての舞台は緊張するのは分かりますが努力は私が保証します。ドンと構えて行ってきてください」
アイドルとしてのはぁとを一番よく見てくれている人が保証をしてくれている
魔法使いがシンデレラを励ましてくれている
司会の呼び声がかかり、立ち上がって歩き出す彼女の足取りは軽い。ステージに立つとお決まりの台詞もスラスラと出てきた
「みんなのアイドル!しゅがーはぁとだよ☆はぁとって呼んでね!呼べよ!」
両脇のスピーカーからよく知った曲が流れ出す
体は重さを忘れたように動き、手足の先まで普段より意識が向く、心に羽が生え、観客の視線を釘付けにする
ただ、ただ、それだけが心地よく充足感に満ちていた
今の彼女の持つ全てを出したと言えるだろう
舞台袖に引いても歓声が沸いていた
しゅがーはぁとの名前を覚えてくれた人もいるに違いない
そして主役の名前が呼ばれると、その歓声は一層大きくなり拍手が飛び交った
短くそう告げる
付き合いはまだ少ないが、彼は不器用ながらも彼女を認めていた
「あったりまえだろ☆はぁとはアイドルだっての!…ありがと、プロデューサー」
付き合いはまだ少ないが、彼女は不器用ながら彼を信頼していた
高望みかもしれない
それでも口にせずにはいられない
彼女の目標は、トップ。ただその一点だから
「そこまでは、まだですね。でもいずれは」
彼を知りたくてそう申し出る
この後、予定がないことは彼女も彼も知っている
プロデューサーの行きつけとも言える店へと案内させられる
話すことは今日のお祝い。将来。そして、心がアイドルを目指した苦しみも吐露する
自分の夢も話し出す
寂れた居酒屋ではあるがそこには夢を語らう2人
その2人の周りは、きっと魔法にかけられたように輝いていた
最初のように公演での出番は着々と増えていき、テレビでも濃いキャラが受けたのかだんだんと一般にまで広がっていった
佐藤心は、しゅがーはぁとは、1年過ぎる頃には名実共にアイドルになっていった
「お、ありがとプロデューサー☆」
仕事を取ってきてはそれをこなし、合間にレッスンを受ける
そのルーチンも安定してきた
そんな中持ってきた1つの仕事
普段の自分がもらっている仕事とは一風変わった撮影
プロデューサーの行動に口をついて出たセリフ
そんなことにまで律儀な彼は正直に答えてくれる
「心さんが以前結婚するなら和風が良いと言っていたので。アイドルは結婚とは遠いですが気分だけでもと」
わかりやすく目を輝かせるアイドル
それを見て胸をなでおろすプロデューサー。少しプライベートに踏み込み過ぎたかと思ったが問題無かったか
2人の距離はそれだけ縮んでいた
慣れない和服での撮影に戸惑うこともあったが彼女は今では十分にプロだ
問題など何もない。普段の撮影と環境が変わろうとも普 いつも通りアイドルらしく愛嬌を振りまく
「和風なはぁともスウィーティー♪」
そんな言葉と共に撮影は締めくくられた
しかし、撮影用の着物を脱がず、メイクもそのままに
「なあプロデューサー、ちょっと付き合えよ☆気分だけだからさ☆」
そう彼女は告げるのだった
草が足を舐め、鹿おどしの音が耳をくすぐる
ふと彼女は小物の和傘から振り向いてプロデューサーを見つめる
今日の撮影は特に良かったと、楽しんでやることが出来たと、そう伝えると
彼はその言葉に顔を伏せ、ただ一言
「こちらこそ」
とだけ返した
そんなことが必要になるほどには最近のしゅがーはぁとのスケジュールはパンパンだった
日が落ち、あたりのビル群の明かりがポツポツと消えていく中2人はいくつかの写真が飾られたデスクに向かい合わせに座り込んで話していた
話が途切れた時に
ぽつり、と魔法使いが呟いた
その言葉に佐藤心は固まる
慎重に、慎重に言葉を紡ぎ出す
「急に、なんでかな?」
声が上ずる
動揺が隠せない
胸が締め付けられる
彼は私の夢を知っているはずだ
「…はぁとはトップを目指してるんだけど。プロデューサーはそうじゃなかった?」
冷ややかな思いが胸へと落ちてくる
信用してた。夢を分かってくれていた
責める言葉を飲み込む
悪気があったわけじゃない
そうは分かっていても納得することが彼女にはできそうに無かった
やっとの思いで絞り出したコトバ
「ごめんプロデューサー。ちょっとだけ1人にして」
こんな時まで察しのいい彼は立ち上がると廊下へと進んでいった
別に怒っているわけではない。気を悪くしたわけでもない
ただ少し、考えを整理したい
デスクの上の写真立てを撫でる
初めてのライブの写真、初めてのテレビ出演の写真、宣伝用の写真
それぞれがプロデューサーとの足跡だった
そんなプロデューサーの発言
…プロデューサーの想いには気がついていないわけじゃない
彼女だっていつまでも子供ではないのだ
ただ、それ以上に彼女はアイドルだった
乱暴にプロデューサーの椅子に腰掛ける
キャスター付きの回転椅子は窓際まで転がっていき、光を背もたれに落としていた
慈しむように撫でると光は揺らぎ影が伸びる
…こんなめんどくさい考えを持つ自分も嫌になる
私の答えも決まっているのに
椅子にもたれかかり、少し堪える
…しゅがーはぁとはアイドルだと
そう言って肩に何か温かいものが触れる
顔を伏せたまま、その事務所前の自販機でおなじみの缶コーヒーを受け取る
クイ、と飲み
「スウィーティーじゃない」
などと、口先をとがらせる
彼女は少しはにかむと、魔法使いに寄りかかり
「はぁとはシンデレラになりたいからここにいるの…だから、よろしくね」
…そこに本心を付け加えて
「だからその後に、もう一度聞かせて」
そう言ってシンデレラは振り向くと
明日からもよろしくね、と言って一歩寄る影とこちらこそと、手を出す影は1つに重なった
全事務所のアイドルの中で行われる年に一度の一大イベント
そこでの勝者が、シンデレラと呼ばれガラスの靴が与えられる
「心さん。授賞式です」
そこの舞台の裏にいる2人
泣き腫らした後をメイクで覆った灰被りと手助けをしてきた魔法使い
そんな風に軽口を叩くが未だに夢見心地か何度も手の甲を抓っている
「そんなに泣かないでくださいって。シンデレラは笑顔でいなきゃ」
そんなことを言う彼も、落ち着きなく手首の時計を眺めたりテーブルの上の台本をパラパラとめくっている
このくらいは許されてしかるべきだろう
「さ、シンデレラさん。舞台での挨拶があるから、行ってきてください」
心は最後にもう一度だけ部屋に備え付けられた鏡を見ると頬にパシンと手を当てる
「よーし☆それじゃ、アイドルしゅがーはぁとの一番の晴れ舞台、しっかり見ててねプロデューサー☆」
その手をプロデューサーの手と合わせ、シンデレラは1人舞踏会へと進んでいく
例えどのような人混みの中であろうとあらゆる人がその女性に意識を向けるだろう
しかしシンデレラが歩くのはレッドカーペットではなく事務所の冷たい床
彼女を見るファンはおらずただそこには2人だけ
その身につけたものの価値をよく知るものが見れば声を荒げるだろう
それでもーーシンデレラにはそこが一番心地よく、理解者のいる場所だ
それならここにいるのはシンデレラではなく、ただの佐藤心。
だから、言うことは二つだけ
「ありがとう、プロデューサー☆」
プロデューサーが叶えてくれる女性の夢
「ねえ、もう一度、あの時言おうとしたこと、お願い…今ならはぁと以外は聞いてないから」
アイドルを始めた時とは全く別の書類。それに判を押した時、しゅがーはぁととも、佐藤心とも別れを告げることになった
耳に残るその音はーーこれからを生きるシンデレラのーー新しい心の始まりになったのだろう
総選挙、佐藤心に投票してくださった方。ありがとうございました
心さんの誕生日に駄文を書かせて貰いましたが心さんの魅力の一片でも感じ取っていただけると幸いです
次回の総選挙では是非心さんをシンデレラに導くお力添えをお願いします
html化依頼出してきます
元スレ
【モバマス】そのシンデレラの靴音は【佐藤心】
http://ex14.vip2ch.com/test/read.cgi/news4ssnip/1469113437/
【モバマス】そのシンデレラの靴音は【佐藤心】
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コメント一覧 (2)
-
- 2016年07月22日 03:13
- はぁとさんの朝の連ドラの破天荒な姉役感は異常。
-
- 2016年07月22日 03:22
- 展開が速いなぁ!?
もうすこし甘酸っぱい感じのがあってもよかったのでは
割と好きよ