少年「魚が揺れるは灰の町」
鈍色の魚が、とぷりと波紋を立てて、コンクリートの町の中を、縦横無尽に泳いでいる。
彼らは何処から来て、何処へ行くのか。
町の人達は誰も知らない。そもそも、彼らに触る事が出来ないので、確かめようが無い。
あれは一体何なのか。
誰もそんな事は考えない。泳いでいく魚達には目もくれず、大人達は足早に歩いていく。
此処は冷たい無関心の町。
「なんだ、今回のテストは」
少年(無表情で、感情を感じさせない声で、父さんは言う)
少年「いや、今回は難しくて、平均点が低かったんだ。一応平均点よりは上の点数だし、クラスでも一番……」
「言い訳をするな。前よりも悪い点を取ったのは事実だろう」
少年(じろりと何処か虚ろな目をこちらに向ける。彼に必要なのは、成績が下がっていないという「事実」だけ)
少年(僕が深夜まで勉強していたとか、苦手な分野を頑張ったとか、そんなものは必要ない)
少年「でも、最後のこの問題を解けたのは僕だけなん……」
「……」
少年(無言の圧力。彼は僕の事なんて見ていない)
少年「……ごめんなさい」
少年(この町は息苦しい。その息苦しさから少しでも逃れるために)
「部屋に戻って勉強をしろ」
少年「……はい」
少年(僕は今日も、心のナイフで自分を殺す)
少年(近くの工場から吐き出されるガスは、今日も僕の肺を痛めつける)
少年「あ……猫」
少年(小さな黒猫だ。濡れきってひどく震えている)
少年(傍らには、母親と思われる猫。力尽きてしまったのだろうか)
少年「大丈夫かい? とにかく、温めないと」
少年(僕は急いで、無駄に大きな屋敷へ戻る)
少年(こんなに広くなくとも、十分生きていけるだろう。金持ちの価値観はよく分からない)
「少年」
少年「!」
「……何ですか、それは」
少年「あ、親が死んじゃったみたいで、温めてあげようと……」
「捨ててきなさい」
少年「温めたらすぐに外に戻すよ! それくらいならいいでしょ?」
「捨てろ、と言ったのです」
少年「……」
「お父上が言わねば分かりませんか」
少年「……はい」
少年(こんなに広いのに、子猫一匹が入る隙間もないのか)
少年(ああ、息苦しい)
少年(僕は段ボールにタオルを敷き詰め、そこに子猫を入れた)
少年(そうして、土管の中にそっと置く。気休めにしかならないが、雨風は凌げるだろう)
少年(とはいえ、身体はひどく濡れている。僕は少しでも暖めようと、そっと子猫を抱きしめる)
少年「ごめんね、毎日世話しにくるからね」
少年(自由も夢も希望も無い。錆びついた灰色の世界)
少年(こんな世界で、どうして僕は生きているのだろう?)
少年(バス停に立っているだけで、こんなにも憂鬱だ)
少年(思えば、この町が晴れている所なんてめったに見ない。いつも雨か曇りだ)
少年「……」
少年(窮屈な町だ。まるで虫かごに閉じ込められているように思える)
少年(水たまりに映る世界は、こんなにも歪んで不安定だ)
少年(いっその事、こんな町……消えちゃえばいいのに)
少年「あっ」
少年(足元を、鈍色の魚達が泳いでいく)
少年(大人たちは、何も教えてくれない。と言うよりも、本人達も知らないんだろう)
少年(魚達は、硬いコンクリートの中を自由に泳いでいる)
少年(ああ、僕もそんな風に生きたい)
少年「!」
少年(今のは……白い魚?)
少年(あんなのは見た事無いな)
少年「あ……」
少年(もう見えなくなった。今のは何だったんだろうか?)
少年(……バスが来た。乗ろう)
少年(僕の趣味は何だったっけ、好きな食べ物は何だったっけ)
少年(毎日毎日自分を殺して、残ったものは一体何だ?)
少年(勉強、勉強、勉強。僕の個性はとっくに腐り、父さんの鎖にがんじがらめだ)
少年(まるで水中で毎日を過ごしているようだ。息苦しさだけが、君は生きていると僕に教えてくれる)
少年(だが、はたして僕は生きていると言えるのだろうか?)
少年(意思を持たず、意見を持たず、意気を持たず)
少年(自分の存在意義すら持っていないのではないだろうか)
少年(例えるならば傀儡だ。僕はとっくに死んでいる)
少年(そうしてこの町を呪って、自分を殺して)
少年(僕は今日も、重い足取りで家へと帰る)
少年「いっそ、誰かが車で轢いてくれたらいいのに」
少年(そんな思いすら、雨の街路にとぷりと沈んでいく)
少年(思えば、誕生日なんて祝ってもらった事が無い)
少年(「誕生日おめでとう」なんて……言ってもらった記憶が無い)
少年(もしも母さんが生きていたら、祝ってくれていたのだろうか)
「少年」
少年「! はい」
「……お父上からです」
少年「プ、プレゼント!? 僕に?」
「そのように聞いております。では」
少年(な、なんだろう……)
少年「あ……」
少年(鉛筆と、消しゴム、ノート……)
少年「……」
少年(父さんは、僕を愛しているのだろうか)
少年「……あ、父さん」
「お前は最近たるんでいる。これで勉強をしろ」
少年「……僕、今日は誕生日なんだ」
「くだらないことを言ってないで、さっさと部屋に戻れ」
少年「……」
少年(……あ、今日も猫にごはんをあげなきゃ……)
少年「あ……!!」
少年(……冷たい)
少年(死んじゃったんだ)
少年(どうしてこの子が死ぬのに、僕はのうのうと生きているんだ)
少年「ごめんね」
少年(僕が家に入れてあげれたら)
少年「……ごめんね」
少年(僕に力があれば)
少年「……ごめん……ね……」
少年(……僕が、大人だったなら)
少年「……こんな世界、もう嫌だよ……」
少年(僕は泣いた)
少年(町の片隅で、一人泣いた)
少年(膝をついて、惨めに泣いた)
この哀れな少年に、救いの手を。
少年(――町の何処かで、魚が鳴いた)
少年「!」
少年(突如現れた白い魚が、硬い「水面」を飛び上がった)
少年「! な、なんだ……え、ええっ」
少年(白い魚の後を追うように、町の至る所から、奔流のように魚達が集まってくる)
少年(何度も水面を飛び跳ねながら、魚達は巨大な一つの流れとなる)
少年(何処へ向かっていくのかは分からない)
少年(でも、僕は自然と走り出していた)
少年(彼らは魚の流れに対し、本能的に何かまずいと思ったらしい。多くの大人が外に飛び出してくる)
少年(しかし、だからと言って何か出来る訳ではない。ただおろおろと立ち尽くすだけだ)
少年(走って行くうちに、町の広場へ辿り着いた)
少年「!」
少年(突如、魚達が一斉に宙に飛び出した。無数の魚が一つになっていく)
少年(魚の一匹一匹が、鱗に、爪に、牙に、眼になってゆき……)
少年「あ、あれは……」
「……」
少年(――魚達は、一匹の龍へと姿を変えた。手には白い玉を持っている)
少年(龍は空へと飛びあがり――)
少年(巨大な咆哮を上げた)
少年(その咆哮が空へと響き渡り、分厚い雲が晴れた)
少年(龍はくるりと旋回すると、勢いよく地面に潜った)
少年(龍が潜ったその場所が、どくんと胎動する)
少年「こ、これっ……わあ!」
少年(その瞬間、無数の透明な魚が、水面から勢いよく飛び出した)
少年(魚達の透明な奔流は、大人達を次々と飲み込んでいく)
少年(途中から魚達の動きは枝分かれし、一人一人の体に宿っていく)
少年「あれは……一体……」
少年(最後の魚がついに消えると、大人達は皆倒れていた)
少年(こんなに鮮やかな夕方は初めてだ)
少年「!」
少年(とぷりと音を立てて、白い魚が水面から顔を出した)
少年「……君は、いったい」
あの魚達は、大人達が無くしてしまった心だ。
少年「心?」
いつからか、この町には良くない気が集まるようになった。沢山の工場が出来てからになるかな。
大人達は、次第に無表情になっていった。君の父親なんかは、妻を亡くしてから、特にひどくなっていったな。
私は彼らが落としていった心を拾い集めた。
人間には干渉しないと決めていたんだが、君の声があまりにも辛かったのでね。
少年「……神様?」
まあ、似たようなものかな。
少年「……僕は、どうすれば」
どうもしなくていいよ。心を取り戻したんだ。後はどうするか、彼ら次第さ。
少年(そういうと、魚はとぷりと消えていった)
少年(僕は一人、魚が沈んだ場所を眺めていた)
「ああ、行ってらっしゃい。気を付けてな」
少年「! ……うん!」
少年(あの出来事は、誰も覚えてないみたいだ)
少年(父さんは優しくなった。町の大人達は、少し柔らかい顔つきになった気がする)
少年(世界は、こんなにも暖かいのか)
少年(明日が楽しみになるなんて、考えた事も無かったな)
少年「……ありがとう、魚さん」
――どういたしまして。
少年(今日も町の何処かで、とぷりと小さな音がした)
前作です。酉つけました!
男「夏の通り雨、神社にて」
少年「鯨の歌が響く夜」
少年「アメジストの世界、鯨と踊る」
男「慚愧の雨と山椒魚」
男「とある休日、昼下がり」
男「とある平日、春の夜に」
男「とある街の小さな店」
「奇奇怪怪、全てを呑み込むこの街で」
旅人「死者に会える湖」
元スレ
少年「魚が揺れるは灰の町」
http://ex14.vip2ch.com/test/read.cgi/news4ssnip/1463836215/
少年「魚が揺れるは灰の町」
http://ex14.vip2ch.com/test/read.cgi/news4ssnip/1463836215/
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コメント一覧 (3)
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- 夏の通り雨神社にての続編が読みたい
-
- 2016年05月23日 02:46
- 「少年」「魚」というキーワードでピンときた。読ませる文章を書くなぁ……
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- 2016年05月23日 07:52
- イサクラの人か。相変わらずうまいなー