モバP「四面楚歌と遊び人」
勝手設定+ご都合主義。P視点メインのストーリー展開になります。
前作などと同じ世界観を共有していますが、未読の方でも問題ないように極力進めていきます。
毎週月曜日の夜半に定期更新の予定です。週半ばの更新はあまり見込めないかもしれません。
以上の点ご了承いただけましたら、今回もお付き合いいただければと思います。
よく、そんなことを俺は言われる。
当然、大した人間じゃない。どこにでもいるちょっとしょぼくれた、ごくごく普通の新米サラリーマンだ。大学を卒業して、まだ二年経っていない。
学生時代から、気が弱いわけではないが、どうも物事を断るというのが苦手だった。お蔭で、いろいろなことを押し付けられるのは、想像に難くないだろう。
それで、会社での俺はいわゆる小間使いと言うやつで。雑務を押し付けられてはやれ何々が出来ていないだの、何々が遅いだの、そんな文句を言われるのが仕事だ。
正直、結構精神にくるものがあるんだけれど、まあ俺のような三流大学出身のぼんくらが、この就職難の世の中で就職できたもんだ、と思う。
ついでに言えば、拾ってもらったところも大手の芸能プロダクションというおまけつきだ。まあ、これが幸運とするなら、俺は一生分の幸運を使い果たしてしまったのだろう。
安月給なのに、わけもわからず怒られて、やりがいの欠片もない雑務をこなして、残業代も出ない宿直を押し付けられ、たまの休みは急な呼び出しで潰される。
不運の始まりとさえいえるような仕事環境だが、今更転職する行動力もなく、断る度胸もなく、唯々諾々といわれたことしかこなせない。
大手プロダクションに勤めてます、なんて大手を振って自慢できるわけでもなく、まあ、一般的に見れば底辺社畜なんじゃないかなぁ、なんて言うこともできない。
まあ、俺を擁護する人もいなけりゃ、俺のために何かをしてくれるような人もいないお陰で、びっくりするほど自立した能力と社畜根性は手に入った。
それで、このまま適当に使い潰されながら、一生を終えるのだろう。俺には似合いの人生だ。結局、大学生活で培った遊びの才能など、社会に出れば何の役にも立たなかった。
ただ、どれもプロになれなきゃ、ゴミ屑同然と知った。結局、中途半端、八方美人、優柔不断な馬鹿な人生。
げらげら笑って、馬鹿友達共と夜中まで遊び歩いた思い出さえ、社会の歯車に巻き込まれ、砂上の楼閣のように消えていく。
これまでのことは無意味で、無価値。周りの全ては全部敵で、未来は閉ざされた。皮肉だけれど、まるで歴史の英雄の、惨めな最期みたいだ。
「お兄さん、すごいね。でも、しょぼくれてるなぁ、一人で寂しくない?」
はは、俺だってそう思うさ。でも、どうしようもないじゃないか。
君も、きっとそのうちわかる。そのはずだ――。
罵声が飛ぶ。ついでに、俺の顔面にはクリップでとめられた五、六枚の紙束が投げつけられる。
いつもの光景で、いつものことだ。もう慣れたことで、何せ頭に内容が入ってこないようにする、という新しい技能を修得するぐらいだ。
「この薄っぺらい冊子以下の紙屑で、どうやってプレゼンの資料にするつもりだぁ!? 参考資料のさの字にもならんわっ!」
『……申し訳、ありません』
もはや思考も停止しながら、ただただ平身低頭するだけだ。これほどの罵声をしょっちゅう浴びて、よくクビにならないものだ、と思う。
まあ、今回のこともきっと、俺が悪いのだろう。自分にそう言い聞かせる。
事前情報も何も知らされず、明日のプレゼンで使う資料を集めておけ、と前日の終業時間に言われて、必死こいて集めれば数が足らんだの、見当はずれだの、文句を言われる。
ここにいる人間に比べりゃ、俺の能力なんてミジンコのヒゲの先にもならんのだろうけど、せっかく作ったものを一読もせずに投げ捨てられるのは、少々悲しいものがある。
「課長もむちゃくちゃだからなぁ……。Pさんには悪いけど、あの役目が俺じゃなくてよかったよ」
周りの同僚から、そんな声が聞こえる。ああ、おっしゃるとおりですとも。所詮は契約社員上がりの正社員だ。同僚に比べると給料も能力も、二回りは落ちる。
「良いか、プレゼンの時間は午後からだ。それまでにもっとまともなものを作っておけ、この木偶っ!」
『……はい、分かりました。失礼します』
俺は頭を下げると、投げ捨てられた資料を拾い、自分のデスクへと戻る。座るときに、対面の同僚と一瞬目があうが、ささっと逸らされた。
そしてそのあと、のしのしと課長が部署を出て行くさまが、俺の視界に映る。道行く人に指をさしながら指示を出している様は、格好は付くがどこか滑稽にも見えた。
(まあ、いわゆるパワハラってやつなんだろうなぁ)
俺は背もたれに少し背中を預けると、天を仰ぎ、少し虚空に目を泳がせる。そうして、五秒ほどの短い休息を取ると、椅子を立って少し離れたデスクの同僚に声をかける。
すると、その同僚はまたですか、という表情を浮かべ、傍のファイルをしばらくめくり、
「テレビの番組再編に伴って、新しい番組の売り込みのためのプロモーションですね」
と答えを返してくれた。
『ありがとうございます』
「……いい加減、課長本人に聞いては? 毎度毎度こうやって聞かれるのは、こちらも迷惑なのですが」
ついでに、そんな冷めたお言葉も頂戴する。俺は、少しばかり疲れを感じつつも、
『以前聞いたとき、”そんなことも分からんのか、この役立たずめ”と怒鳴られただけで、何も教えていただけませんでしたから』
と言う。すると同僚はお気の毒に、と言う表情になり、
「……私がいないときは、このファイルを自由に閲覧してもらっても結構です。あまり迷惑を掛けないでくださいね」
と少し協力してくれるらしいことは分かった。
俺は、軽く礼をすると、作業に取り掛かるために部署を後にする。
(……そういや、同僚に優しくされたのは久しぶりだなぁ)
資料室へ向かう途中、そんなことを思う。このプロダクションの雑用に採用されて、もうすぐ二年だ。よくもまあ、こんなところに新卒採用されたと思う。
と言っても最初は契約社員で、本年度から正社員に採用されたわけだが、契約社員時代に教育役としてついたのが、当時係長だったあの課長だ。
仕事が出来る係長と言うわけではなかったらしく、万年係長だったのが、部下を手に入れてからはすこぶる業績が上がっているらしい。
まあ、その部下ってのは俺のことなわけだけれども、それからと言うものの、偉そうに周りに指図をするようになった。
少しぐらいは役に立ってるんだろうと思うが、そんなことを言うとまた怒号が飛ぶので控えている。
他の部署に関しても、なぜか接触を控えるように言われている。若干この企画課は閉塞的すぎでは、と思うこともあるが、まあ俺には関係のないことなのかもしれない。
『ともかく、時間がないからなぁ……。とっとと、プレゼン資料作らないと』
あの同僚に聞いたところだと、テレビの番組再編に伴う、と言っていたからおそらくはバラエティ番組だろう、とあてをつける。
案の定、調べたところこの大手プロダクションと懇意にしているテレビ局で、ちょうど終わるゴールデンのバラエティがあった。
再編の情報は詳しくは分からないが、おそらくはここの枠に新しいバラエティが入りそうだ。
(となると、バラエティ向けのタレントを探さないとなぁ)
とは言うものの、バラエティにもジャンルと言うものがあるし、それが分からない限りはなんとも言いがたいので、幾つかのジャンルに絞ってタレントをそろえていく。
そうやって十数分、資料を漁っていくと、とりあえず雛形に当てはめるだけの作業を行っていく。タレントの趣味、特性、特技を調べて、また人選をしていく。
結果、一時間もする頃には二十枚ほどの簡単な資料が出来上がっていた。もちろんだが、出来はお察しである。
(フォントを変えるぐらい、したかったなぁ)
と思ったところで、時間が返ってくるわけではないし、今度はこの二十枚をコピーしていく作業だった。
無駄紙を使うとまた怒鳴られそうなので、とりあえず十数部作っておけばよろしかろう。足りなかったら、それはそれで怒鳴られるだろうが、ン十人も来るわけがない。
プレゼンと言っても、売り込みをするというよりかは、所属タレントを紹介して、意に添った人材がいるかの確認程度だ。
となると来るのは、ディレクターが数人と番組プロデューサー程度で、十数部でも多すぎるかもしれない。
能天気にそんなことを呟くと、資料室を後にして、自分の部署へと戻った。
部署に戻ると、まだ課長は戻ってきていないようで、仕方がないから課長のデスクの上に置いた。マナー違反かもしれないが、また内容で怒鳴られるのは勘弁だ。
「おう、ちょうどええ、Pくん。ちょっとええかね?」
『はい? あっ、部長。おはようございます』
ふと、声を掛けられて振り返ると、そこに居たのは少し小太りの中年の男性、ありていに言えば隣のプロデュース部門の部長である。
いつも昼過ぎに出勤してきて、日付が変る頃に帰るというとんでもない勤務体系で有名な人だ。
二、三ヶ月前に関西のほうから転勤してきたらしいが、標準語で話すことなく、とてもマイペースな人で、ただその分を補うようにとんでもないほどの成果をあげている。
そんな人だからほとんど面識がなかったわけだが、俺の名前を知っていることに少し驚きつつ、俺は挨拶をする。
『ええと、ああ、はい。構いません』
何でわざわざ俺に、面倒そうな話題かもしれない、と思ったものの、もちろんのこと断る度胸も精神力も持ち合わせていない俺は、二つ返事で答えてしまう。
「面倒なことやなくてな。ちいと知り合いのところに、書類を届けてほしいんや」
『書類、ですか』
「おう、これや」
そういうと部長は手に持っていた分厚い封筒を渡す。A4サイズのそれは一センチほどの厚さを保っており、結構な量の書類であるように思えた。
「うん、Pくんはシンデレラガールズ・プロジェクトっちゅうの聞いたことあるか?」
『シン……? いえ、知らないです』
生憎と、雑務担当名だけで俺はこの業界のことを殆ど知らなかったりする。と言うより、そんな情報を回してはもらえない立場である。
「ううん、そこそこ有名やと思ったんやけどな。まあ、ええわ」
部長は少し苦笑するが、気を取り直したように咳払いをする。
「小さなプロダクションを吸収合併して、一つの大きな事務所を作ろう、いうプロジェクトでな。で、そこのプロダクションの社長にこれを渡してきて欲しいんや」
『はあ……。分かりました、場所はどこですか』
「今地図書くから、ちいと待っててくれな」
社長は胸元からメモを取り出すと、行き方を書いて俺に渡してくれた。雑な地図ではあったが、まあ、何とかなりそうな程度の特徴はちゃんと捉えていた。
そういうと、部長はそのままのそのそと去って行った。
『……うーん?』
なんだか良くは分からないが、ともかく請け負ってしまったのだ。持って行ったほうがいいのは間違いない。
勝手に他部署の仕事を請け負ってしまったことに関しては、怒られるほかなさそうだ。
(まあ、いいか。もう慣れたし)
俺はそう呟くと、タイムカードに判を押して、コートを掴み、僕は会社を後にした。
俺がシンデレラガールズ・プロダクションの社屋予定地に着いたとき、浮かんだ感想はそんな子供のような感想だった。
おそらく四階建てと思われる社屋は、大手プロダクションに比べるといささか小ぢんまりとしているが、併設された施設は段違いである。
アイドルがゆうに百人は入れるだろう女子寮や、最新設備が投入されるだろうレッスンスタジオ、挙句にカフェなんかもあるという。
どこにそんな資金があるのか、と思いたくなるが、よほど出資者が多いか、資本金を持っている人が経営者なのだろう。
『……というか、完成してないのに、誰かいるのかな』
今更なことを考えたが、あの部長はここの地図をくれたわけだし、じゃあきっとここに渡すべき社長はいるはずだ。そう思って、意を決して足を踏み入れる。
回転扉を潜り抜け、エントランスホールへとたどり着くと、そこにはやはり何もなく、そして誰もいない。なんと言うか、人の気配がまるでないのだ。
今更引き返すのもあれだし、こんなことならあの部長の連絡先でも聞いておくべきだったかなぁ、と思った。
まあ、結局あの部長は今頃、うちの課長と一緒にプレゼンに出席してることだろうし、どちらにせよ連絡は付かないか、と思ったときだった。
「当社に何かご用でしょうか?」
『うぇっ!?』
いきなり背後から声を掛けられる。急いで振り返ると、少し丸顔の、頬にあばたが目立つ男性がそこにいた。
親しみやすそうな顔つきのその男性は、その容貌とは裏腹に研ぎ澄まされた声でもう一度、俺に尋ねる。
『ああ、その、えっと。うちの部長から、その、書類を預かってまして。で、渡して来いといわれたんですけど、その』
いきなりのことでまだ動揺が隠せずにいた俺は、そんなしどろもどろな調子で彼に説明する。すると、
「もしかして、大手プロダクションの方ですか?」
と彼は尋ねてくれる。俺はそれにこくこく、と頷きを返せば、彼はにっこりと笑い、
「少々お待ちください、社長をお呼び致しますので」
と言い残して、まだ動いていないエスカレーターを登って行った。
ひとりぽつん、と取り残された俺だったが、そのまま何をするわけでもなく、じっとそこで待っていると、やがてさっきの男性と、また別の中年男性がやってくる。
中年とは言うものの、活力にあふれ、自信に満ちている様子がありありと分かる。この人が社長か。そう直感的に分かるほど、何と言うか、纏っているオーラが違う。
『あ、はい』
「んー? ちょっと元気がないね、君。緊張する必要はないぞ」
別に緊張しているわけではなかったが、元気がないのは間違いのないことだろう。特に精神の疲労は相当なものだ。
「まあ、いい。それで、書類はどこかね?」
『ええと、これです』
俺はカバンの中から封筒を取り出すと、社長に手渡す。社長はそれを、さっきの男性に手渡すと、
「すぐに選別に掛かってくれたまえ。あの二人にも手伝ってもらうように、な」
そういうと、さっきの男性は承知しました、と言って再びエスカレーターを登っていく。
『……さっきの方は?』
思わず、社長に尋ねると、
「ああ、彼はうちのプロデューサーの一人でね。と言っても、彼を含めてまだ三人しかしないのだが、なかなか頭の切れる男だよ」
私の懐刀みたいなものだ、と笑っている。道理で、冷徹そうな声だったのだなあ、と思い出すだけでちょっと背筋が凍りそうになる。
『ええと、それでは俺はそろそろ帰ります。お邪魔しました』
そういって礼をすると、踵を返してシンデレラガールズの社屋をあとにしようとする。
「ああ、君。待ちたまえ」
ふと、呼び止められ振り返ると、のっしのっしとこちらへ歩いてくる社長の姿。何か粗相でもしたのか、とちょっとびくつくわけだが、
「名刺を渡し忘れていたな、私はこういうものだ」
と名刺を差し出してくる。そこには、シンデレラガールズ・プロダクション代表取締役兼経営責任者という文字。やっぱり社長だったのだなぁ、と思いつつ、
『あの……』
と、少し申し訳ないという気持ちのまま俺は話しかける。
『実は、俺、あ、いや私、名刺がないんです』
「……名刺がない?」
『その、営業なんか行かないし、誰かと名刺交換なんて、これが初めてなので。それに、お前に名刺なんて必要ない、といわれたことがありますし』
もちろん、そういわれたのはあの課長である。そんな余計なことはするな、俺の言うことだけを聞いていればいい、と怒鳴られたのは契約社員として入ったばかりのことだ。
『礼儀知らずで、すみません。でも、この名刺は確かにうちの課長にでも渡しておきますので』
これも、礼儀知らずのことなんだろうけれども、俺が受け取るよりかは幾分かマシな物だろう。そう思ったが、
「いや……、君が持っていたまえ。これも何かの縁だろう。君、名前は?」
社長は何を思ったか、そんなことを言った。俺が持っていても意味がないですから、と言いそうになるが、何というかそういって断るようなことを言うのも憚られる気がした。
もちろん名刺入れなんかもないし、何かのマナー本で読んだように、腰の前あたり、両手で持ったまま、深々とお辞儀する。まあ、ぎこちない動きではあったが。
社会人になってから使うのは初めてだったので、ちょっと不格好だったのかもしれない。そう思いつつ、俺は頭をあげる。
「わっはは、まあ、そう堅くならんでよろしい。それと、これを大手の部長へ渡しておいてくれ」
『はあ、かしこまりました』
そういって社長が俺に手渡してきたのは、いましがた書いたばかりだろう、メモ書きの一枚だ。四つに畳まれたそれを、決して開かないようにして俺はポケットに入れると、
『では、改めまして、失礼します』
そう言って、手に持っていたコートを羽織ると、俺は改めて踵を返し、シンデレラガールズの社屋を後にする。
変人度合いではうちの課長や、部長もなかなかの物だろうが、部長はともかくとして課長に比べるとちょっと普通からずれている気がしないでもない。
『ま、今後関わることもないか』
ちょっとばかし寂しさの様なものを感じたが、特に気にせず俺はとぼとぼと歩きはじめる。
それで、シンデレラガールズの帰り道。まあ、タクシーなんて貴族の乗り物に乗って帰る経費も私費もない俺としては、三十分ほどのこの帰り道が割と安息の時間でもある。
一応すべき仕事をこなしたうえで会社を出てきているし、隣の部長の頼みごとなので一応大義名分はある。どこか寄って帰ってやろうか、なんて悪心が芽生えるものの、
『……まあ、素直に帰るかなぁ。お、コーヒー安い』
と優柔不断な俺は見事な社畜根性を発揮しているわけである。
(……ん?)
ふと、目に留まった存在があった。俺より幾分か若いだろうなぁ、と思われる少女。俺が好色というわけではなく、何というか風貌が少し変わっているというのだろうか。
コートを羽織っているものの、この真冬に丈の短いホットパンツと首元が開けたブラウスを着ているだけである。
にもかかわらず、寒そうにしている素振りなどはない。色白の肌が、余計に彼女の格好を際立たせていて、見ているこちらが寒くなりそうだ。
そして、大きなキャリーバッグに腰かけている様子は、誰かを待っているか、ただぼーっとしているだけか良くは分からない。
(……なんだ、まるで俺が変質者みたいじゃねえか)
というよりまるきりそれであろう。年端もいかない、というには成熟してはいるが、ともかく道端で女性を凝視するような男がいたら、職質からの任意同行コンボが炸裂する。
そこから下手をすれば書類送検という、無慈悲な一撃が叩きこまれるのかもしれない。良くは分からないが。
(疲れてんだな、そうに決まってる)
何とも不思議な雰囲気を醸し出しているその少女のことを、頭の隅に追いやっては、俺は自分の会社へと歩を進めた。
本日何度目か分からないため息を、俺はついた。もちろん、原因は件の課長以外にはない。
あれから、会社に戻った俺は、ちょうど会議の終わった課長と部長に出くわした。
それで、ともかく部長にシンデレラガールズに行って、社長へ書類を渡したこと、そして社長からメモ用紙を預かっていることを伝え、それを渡したところ、
「いやあ、助かったわ、Pくん。この後すぐに出張が入っててなぁ。すぐ電車に乗らにゃあかんかったからな」
と一しきり感謝された後、ほな、またなという言葉を残して去って行った部長だったわけだが、そのあとは散々な物だった。
もちろんのこと、課長にどやされたわけではあるが、最悪部長に助けを求めよう、という考えさえあった俺としては、部長がすでにいないことは大変な事だった。
ああ、もう思い出したくはない。まあ、良くもそこまで罵倒の言葉が思いつく、あんたはイギリス人か何かか、と思いたくなるほどの、罵倒と侮蔑の濁流。
社畜根性抜群で、割とのんびりした俺が、そろそろ裁判所にでも申し出てやろうか、なんて考えかかるほどの物だった。それでいろいろ察してほしい所である。
結局お説教は三十分で済んだが、課長も部長に随伴して出張に行くという、急な話が来なかったらきっと三十分では済まなかっただろう。
それを本人の前で言う度胸はないが、愚痴ぐらいは許してほしい。そう思いながら、すでに九時を指そうとしている時計を見上げ、大手プロダクションを後にする。
今日は幸いにも残業がない――正確に言えば、課長がいないので無理に課せられる残業がないため、こんなに早くに帰れると言うわけだ。
もっとも、社会一般的には大変遅いわけだが、これは無理に課せられたわけではない残業をこなしていたからだ。
(……仕事があるのは結構だけど、やりがいが、欲しいなぁ)
内心、そう思う。正直、時間さえ掛けていいなら、そこらへんの高校生でも捕まえてでも出来る様な仕事である。
俺にとってはもう慣れた仕事だから、お茶の子さいさいというやつなんだが、それでも単純な作業ってのはこう、精神に来る。
そういえば昔どっかの国には、延々と木の数を数え続ける仕事や、石ころをただ積み替えては元に戻す仕事があったなあ。ありゃきっと、拷問の一種に違いない。
やれやれ、と首を二、三回鳴らし、そこでふと思い出す。
いったい何の話かと言えば、昼間に見かけた色白の少女のことである。そして、今いる場所から十数メートル先に彼女がいた場所があった。
当然のことだが、そこに彼女の姿はない。まあ、きっと誰かを待っていたのだろう。大きな荷物から、旅行から帰ってきて、迎えを待っていたのかもしれない。
『ま、俺には関わりのないことだったな』
そう思い、こんな時間に帰れることなんてめったにないから、たまにはどこか寄って帰ろうと頭を切り替える。
とはいえ、こんな時間から誰かを誘うわけにもいかんし、一人カラオケに行く気分でもないのでぶらぶらしていたところ、
『……おっ? ダーツバーか』
そこそこしゃれた雰囲気のダーツバーを見つけた。たまには少しぐらい、酒を飲むのも悪くないだろう。そう思って、俺は足を踏み入れる。
で、入ってすぐに、もう深夜料金に入っていることを知らされ、ちょっと後悔したのはここだけの話だ。
俺はモスコーミュールと簡単な軽食だけ注文し、ダーツを借りると、久しぶりに来るダーツバーに心を躍らせつつ、いそいそとダーツボードへと向かう。
ほぼ二年ぶりにダーツをするせいもあってか、すっかりダーツのルールを忘れつつあったが、”301”というゲームを選択した。
確か、得点が301点になるとか、そんなのだったはずだ。そう思いながら、俺は所定の位置につく。
体を真っ直ぐボードへと向け、少し目を細め、目線とダーツの向きを合わせる。
一呼吸、二呼吸。そして深呼吸。ゆっくりとダーツを持った手を、手前に引き、そして手首のスナップを利かせ――放つ。
ふわり、とした流線型を描くダーツの矢は、とん、という音とともに吸い込まれるようにボードへと刺さり、そしてボートが明るく点滅する。
『……悪くは、ねえな』
そう呟くが、内心にやけが止まらない。まあ、ある意味当然なのは許してほしいところだ。
俺の放った矢はものの見事にインナーブル、つまりボードのど真ん中。小さな円の中の、そのまた小さな円に刺さっていたからだ。
しかも、結構なブランクがあるにもかかわらず、である。まあ、たまたまかも知れないが、少なくともそこまで感覚は鈍っていない、という事だ。
それで、ふとボードを見ると、表示された点数は50点。そして、301点から50引かれ、251点と表示される。
そんなルールだった気がする、と思い出した俺は、続けざまにひょい、ひょいと二本ダーツを投じた。
一投目は中心から少し外れて8のシングルだったが、二投目はアウターブルに当たり25点だった。
(案外、何とかなるもんだな)
学生時代の感覚を取り戻しながら、と思っていたが、手間が省けたと言ったところだ。このまま二時間ほど、ここで過ごして帰ろう。そう思い、次々とダーツを投じていく。
20点、14点、25点、36点。次々にダーツを投じていき、手持ちの矢が無くなれば回収する。それを繰り返しているうちに、とうとう残り15点となった。
『このゲームはこれで終わりだな』
余裕綽々、といったところだ。何せ、15のシングルに当てるだけで終了である。そして、ダーツを投げる。
風切り音を鳴らし、弧を描いて飛翔したダーツの矢は、吸い込まれるようにダーツボードへと突き刺さる。刺さっている場所は、寸分たがわず、15のシングルゾーン。
少し息をついて、傍に置いてあったモスコーミュールを一口含む。そこそこの腕は、まだ残っているらしい。そう思って、グラスをテーブルに置いたときだった。
「――お兄さん、凄いね。でも、しょぼくれてるなぁ、一人で寂しくない?」
『……は?』
突然、声を掛けられた。女性の声だ。一体誰なのだろうか、そう思って俺は振り返る。そして、何というか、絶句した。
『君、は』
「……? どうかしたの」
そこにいたのは、コートを着ていない物の、首元が開けたブラウスと、短いホットパンツを着た、色白の女性。ありていに言えば、昼間のあの少女だ。
間近で見ると、なおさらその白さが際立っている。それに、やっぱり綺麗な子だと思った。可愛い、ではない。いや、可愛いと言えば可愛いのだろうが。
『……や、なんでもない。それで、俺に何か用かな?』
彼女に、昼間のことを言っても、何も伝わりはしないだろうし、最悪気持ち悪がられるだけだろう。なので、そこらへんは黙っておく。
だから、それは伏せて、彼女に尋ねる。そんなしょぼくれた男に、何の用なのだ、と。
彼女はひょうひょうとした様子で、少し肩を竦めながらそう言った。よく見ると、二つほど向こうのテーブルに、大きなキャリーバッグと昼間のコートが置いてある。
『ええと、つまり?』
「まあ、ちょっとした好奇心、ってやつかなー」
彼女は何気なしに、俺の借りたダーツを一本手に取ると、ひょいっと投げた。
それは、俺の投げるダーツよりも鋭く、それでいながら長い滞空時間を纏って、ボードへと吸い込まれる。
すでにゲームの終わっているボードだったが、その中心、インナーブルの中へとそれは吸い込まれていく。
『……上手いもんだな』
「そう? ありがとーっ」
彼女はそういってけらけらと笑うと、手に持っていたグラスから液体を口に運ぶ。
「だいじょーぶだいじょーぶ、これ、ジンジャーエールだから。それに、あたしは君じゃなくて、シューコ。塩見周子だよ」
彼女、塩見周子というらしいが、ともかくそんな気楽というか、能天気というか。
今どきの若い子なのだろうな、という性格のようで、その不思議な風貌からはびっくりするほど、適当な性格らしかった。
「ねえ、お兄さんは?」
『俺?』
「うん、名前」
いきなり、そう訊かれた。何というか、気まぐれなところがある。すらっとした身のこなしと、クールなイメージ、つかみどころのない性格。
『ああ、俺はPってんだ』
(なんというか、狐みたいな子だな)
俺は自分の名前をそう告げながら、彼女に対してそんな印象を抱いていた。
とかく、俺は思ったことを彼女に言う。時計を見ると、もうそろそろ九時の半ばを過ぎようとしている。そろそろ、青少年なんたら条例に引っかかる時間だろう。
「まーねー。でも、やむにやまれぬ事情ってやつ? まー、細かいことは気にしないでさ、お兄さんなかなかダーツ上手いみたいだし、勝負しようよ」
負けた方がドリンク一杯奢りね、だなんてことを言われる。もちろんのこと、いましがた出会ったばっかりの女の子と、しっぽり洒落こもう、なんて下衆いことは浮かばない。
ともかく、
(なんだこの子は)
という、至極まっとうな疑問しか浮かばないわけだ。
「ねえ、やらないの、Pさん?」
『え、ええとな』
いかん、ここで押し負けるわけにはいかない。何というか、年端もいかない未成年の少女と一緒に、ダーツバーでダーツをしている。
こんなところを誰かに通報された暁には、いわゆる援助交際なんかと疑われかねない。
一世一代の大勝負。こんなきれいな女性からの誘いを断る。これさえできれば、あのうるさい課長の無理強いさえ、はねのける事が出来るかもしれない。
そう思って、俺は口を開いた。
『あ、あのな、周子ちゃん。俺ぁなあ――』
「……やらないの?」
(……あのさぁ)
それは、駄目だろう。上目遣いで目を潤ませ、ねだるなんて、めったなことで断れる状況ではない。ぶっちゃけると、もう二、三回くらいはやってほしいぐらいだ。
『……しょうがない、一回だけ、一回だけだ』
「やったねっ」
その瞬間、上目遣いと潤んだ瞳はどこへやら、歓喜の笑顔を浮かべ、とたた、とボードの方へ走っていくと、ゲームルールを勝手に設定し始める。
『……あぁ』
なんというか、最近は俺の意思が弱いんじゃなくて、周りの人間の意志が強すぎるんじゃないか。そんな錯覚さえ覚えそうだ。
まあ、仕方がない。一回だけなのだ。ここで会ったのも何かの縁、付き合ってやろう。そう思って俺は、また一口、モスコーミュールを口に含んだ。
俺の素直な感想は、それだった。
「へへ、やったね。今日は調子がいいなぁ」
満足そうに笑う彼女を尻目に、俺は若干絶望していた。スコアボードに表示されている自分の残り点数は86点。対して、彼女の点数は、当然ながら0点になっている。
一応、学生時代は仲間内ではダントツで上手かったし、一度だけだがアマチュアの大会で入賞した事もある。
その俺がまあ、大敗と言うほどではないにしても、コテンパンにしてやられたわけである。
「じゃあ、あたしジンジャーエールねー」
彼女は手をひらひらさせると、またゲームの設定をしている。なんと言うか、散々な結果だったことに、割と愕然としている。
カウンターでジンジャーエールを注文しながら、さっきのゲームを思い返してみる。
点差を鑑みるに、割と調子よく点を稼いだはずで、人生最高の出来と言ってもよかったかもしれない。
ただ、彼女はその上を行った。周子ちゃんはかなり、と言うかコンスタントにトリプルリングの中へ、びっくりするほどの精度で投げ込んでいったのだ。
そのときの姿は、何と言うか、惚れ惚れとするほど綺麗で、そこだけを切り取ってみれば絵画のモデルにでも使えるんじゃないか、と思うほどだった。
『はい、周子ちゃん。ジンジャーエール』
「ありがとー」
席に戻り、彼女にグラスを渡すと、奔放そうな笑みを浮かべ、グラスを受け取りちびちびと飲み始める。彼女にとってはいささかきつい炭酸のようで、少し眉をしかめている。
「Pさん、やっぱりダーツ上手いね」
『……そいつぁ、なんかの皮肉かなにかかな?』
渾身の一投をことごとく返され、暢気にジンジャーエールを飲んでいる彼女が言うと、それ以外の意味とは思えない。
「……そろそろかなー」
周子ちゃんは呟いた。
『どうかしたか?』
「もう少しで時間なんだよねー」
俺も釣られるように時計を見る。時計は十時を少し過ぎたところで、きっと彼女のテーブルの時間が迫っているのだろう。
『ああ、席の時間か』
俺は仕方がない、という素振りを彼女に見せる。久しぶりのダーツに、偶然とはいえこんな綺麗な子と一緒に遊べたのだ。まあ、悪くはない。
「……ねえ、Pさん」
『ん?』
彼女の問いかけに、俺は短くそう答えた。
『言うことを聞くって……。穏やかじゃないなぁ、なんか変な勧誘でもする気か?』
俺は冗談交じりにそう返した。まあ、正直なことを言うと、少し疑っていたところはあるのだが。
そんな俺の冗談に彼女は、そんなわけないじゃん、と笑って答える。
「まあ、そんな無茶なお願いじゃないし、ね?」
『ね、ってなあ……』
可愛くおねだりされると、どうも断れない。これが優柔不断と言われる所以だろうが、まあ滅多な事で周子ちゃんのおねだりを断れる男はいないんじゃないだろうか。
『しゃあない、これでラストだぜ。俺ももうすぐ、時間だろうしなぁ』
まあ、席料を持ってくれ、といったところなんじゃないか、と思う。それぐらいなら払ってやってもいい。下手なキャバクラに行くより、ずっとずっと安上がりだ。
そんな、若干斜に構えたことを考えつつ、周子ちゃんがゲームボードをいじっているのを待っていた。
どうやら、ハンデというやつらしい。馬鹿にされた、という気分はなかった。単純に、彼女なりに力量差を考えたのだろう。
もしかすると、せめてものの情けというやつなのかもしれない。何せ、たかがモスコーミュールとはいえ、酒を飲んでいる。
いくらか指先の感覚が鈍ることもあるだろう。そう思って、矢を投じる。
その結果は、意に反して上々だった。
『20のダブル、10、5のトリプルか……』
割と、20のダブルが大きい。これで俺の持ち点から65点が差っ引かれる。
「やるねー、Pさん?」
『たまたまだろう。勝ち目は、薄いかな?』
俺は乾いた笑いを浮かべ、どさり、とテーブルの椅子に座る。そして、周子ちゃんが投げる姿をぼんやりと見ていた。
まあ、どちらでもいい事なのだが、思ったよりも点差は広がらず、残り点数118点と87点で俺の手番に回る。
(一応、勝利圏内なんだな)
ぼんやりとそんなことを思いながら、目線だけはダーツボードに向けて、緩やかに矢を投げ込む。いい感じだ。そう思った。
そしてその予感通り、矢は本日二度目のインナーブルへと突き刺さる。明るく明滅するボードが、グラグラと頭を揺さぶる。
そのまま、二投目を何の気も無しに投げる。ふわりと飛翔した矢は、ボードに突き刺さるとともに、ぎぃん、という鈍い金属音を響かせる。
「……すご」
そんな、周子ちゃんの呟きが僅かに聞こえ、次いで明滅するダーツボード。
『……すげえな』
まるで他人事だが、実際この時の俺は他人事だったのだろう。まさか、何気なくはなった矢が、再びインナーブルに刺さるなんて、誰が思うだろうか。
これで、二投で100点。残りは18点だから、9のダブルか6のトリプルだ。割と勝てるかもしれない。そう思ったのだが――。
俺の投げた矢は、ひょろひょろ、と覇気のない飛び方をして、9のダブルリングの外側へと刺さる。ボードに表示される”BUST”の文字。失敗である。
『まあ、詰めが甘い辺り俺らしいか』
苦笑を一つ零すと、席に戻った。ちょっとばかり、酔いが冷めてもきたのだろう。視界もしゃっきりとしてきた。
そして、周子ちゃんが位置につく。その姿を後ろから見ていると、どこか凛とした佇まいを感じるのは、気のせいだろうか。そんな彼女の、横顔がちらりと見える。
彼女はゆっくりと手首を引き、そして矢を放つ。力が入ったのか、刺さったのはダブルリングの外側。表示される”BUST”の文字。
そんな彼女のぼやきとも、呟きともとれる声が耳をくすぐる。続いての二投目、9のトリプルリングにすとん、と突き刺さる。
これで残り60点。勝ち目はあるが、20のトリプルへ狙って当てるなんて、インナーブルに当てるよりも難しい。実際俺は今までで、数えるほどしか当てた覚えはなかった。
(……なぁんか、嫌な感じだ)
なんとなく、そんな気がした。いや、彼女の腕をもってしても、当てることはたやすいことではない。
なのに、そう思った。彼女は、息を吸い、息を吐き、そして止めたように見えた。
その瞬間、なぜか大よそ彼女の見た目からは思いもつかないような、大和撫子のイメージが去来する。息が詰まるほどの気迫と、真剣なまなざしが、刹那俺を襲う。
彼女が矢を投げた。どこか、時間が止まった気がした。
それに気づいた俺は、やや乱暴に、ひよこの形をした目覚まし時計の頭を叩く。その衝撃で、傍にあったビールの空き缶がからん、と音を立てて床に落ちた。
『あぁ……。頭いてぇ……、くそ』
酷い頭痛だ。何というか、ガンガンと殴ってくるような感じではなくてこう、キリキリと締め付けてくるような、そんな頭痛。
少し眩暈のする感覚を何とか抑えて、俺はソファから起き上がった。そして目覚まし時計を見る。時刻は朝の七時半を指していた。
昨日は、帰ってきてから結構な勢いで酒を飲んだ。普段からあまり大酒のみというわけではないが、幸いというか、深酒のせいで寝坊ということはなさそうだ。
俺はそのまま、寝ぼけ眼を擦り、キッチンのシンクへと向かう。コーヒーミルに水を入れ、スイッチを押すと、がりがり、という豆を挽く音が聞こえ始めた。
給湯器をつけるのも邪魔くさいので、濡れタオルを用意して顔を拭き、水をすくってうがいをする。
電気をつけると、つりさげられた小さなフライパンを手に取り、コンロへ置く。油を引いて、朝食の準備を進め、その間に歯を磨く。
俺は思わず、そんなことを考えながら愚痴、もとい自分の情けなさに内心悪態をつく。と、コーヒーミルがびびっ、とブザーを鳴らす。どうやら豆を挽き終えたらしい。
俺はカップを下に置き、ボタンを押すと、こぽこぽ、泡を立ててコーヒーがドリップされ始める。コーヒーのいい香りが辺りへ充満する。
毎朝、引き立てのコーヒーを飲むと言うのに憧れて買ったものだが、思いのほか実用性が高くて、いつの間にか憧れから日課へと変わっていた物だ。
そうすると、今度はフライパンが温まったようなので、卵を二個落とし、ロースハムを投げつけるように載せる。その間に今度は、オーブンに食パンを二枚入れ、焼きはじめる。
実に、そう思う。毎朝のルーティンワークだ。もう慣れたもので、こんな生活を始めて、二年。今の会社に入ってからひたすら続けている。
代わり映えのない毎日だが、これはこれで良い物なんじゃないか、とさえ思えてきているのは、いわゆる社畜根性というやつなんだろうか。
まあ、ワイシャツを着ながら、そんなことを思ったところでどうにもならん。こきり、と首を鳴らすと、良い感じに焼けた目玉焼きとパンの匂いもやってくる。
冷蔵庫からマーガリンを取出し、ちょうど焼けたパンにそれを塗ると、目玉焼きと一緒にプレートへ載せる。それを小さなテーブルの上に置くと、俺は自分の部屋へと向かった。
見栄を張って借りた1LDKの、まともな賃貸マンションのダイニングを出ると、玄関へ向かう廊下の横に扉がある。そこが俺の部屋だ。
その扉を、二度、ノックする。しばらく待つが、返事はない。
そして、もう二度、ノック。やはり、返事はない。
俺は、一声かけてから部屋の中に入った。薄暗い部屋の中で聞こえる寝息。俺は、ぱちりと電気をつける。
『っ! わっ……』
その瞬間、俺の目の前に見えたのは、布団も纏わず、あられもない姿を見せる――正確に言えば、下着とシャツだけの、白い肌を見せっぱなしの少女。
つまり、昨日出会ったばかりの、塩見周子の寝姿である。
俺は急いで部屋を出る。眼福と内心では思うものの、何を言われるか分かったものではないし、とかく余計なことはしないに限る。
それに、俺が望んでみたわけではない。そんな自己弁護をしつつ、
『あー、周子ちゃん?』
俺は、部屋の外から声を掛ける。すると、しばらくの間を置いた後に、
「んー……? んー……」
という、寝言の様な返事が返ってきた。
そう声を掛けると、やがて、んー、というダルそうな返事が返ってくる。それを了承と判断し、俺はまたダイニングへと戻った。
良い具合にドリップされているコーヒーをミルから取出し、オーブンの中に残っているもう一枚のパンを取り出す。
それを小さな皿に置き、マーガリンを塗ってテーブルへと向かう。そして、一息つくと、パンをかじり始める。
テレビをつけると、ちょうど天気予報をしていた。今日はなかなかの快晴ではあるが、気温はあまり上がらないらしい。
春の兆しが見え始めたとはいえ、まだまだ寒い。厳冬の余波は、健在だった。
『ああ、おはよ……っ!?』
ようやく起きてきたであろう、周子ちゃんが俺に挨拶をした。コーヒーをすすりながら、テレビを見ていた俺は、挨拶を返すと同時に、仰天する。
『ちょっと、周子ちゃん……! 服ぐらい、着ておいでよっ』
「えー? ……あー、ごめんごめん、Pさん」
なんとまあ、彼女の姿は起こすときに見た、その姿と同じだったわけである。こんなラッキースケベな展開なんぞ、ありがたいが望んではいない。
彼女は恥ずかしがる素振りも見せず、少しぼーっとしたまま、俺の部屋へと戻っていく。俺は、何とか胸の心拍を押さえつけるために、ヤキモキしつつ、コーヒーを飲み干した。
それから、しばらくして、少し顔を赤くした周子ちゃんがやってくる。今度は打って変わって、いまどきの子が着ていそうな、小奇麗で洒落た格好をしていた。
『ん?』
朝食を終えた俺は、紙を梳かし、ネクタイを締めているところだった。そして、ジャケットを羽織りながら、答える。
「……見た?」
『……いいや?』
息をするように、嘘をついた。と言うか、まあ、ここはこうしておくほうがお互いの名誉のためにいいと思ったのだ。
当然、嘘だとばれてはいるだろうが、少なくともお互いの自己満足にはなるだろう。
『その、何だ。俺は何も見ていないが、寝るときはちゃんとパジャマなり、何か、着たほうがいいんじゃないか』
「……そ、そうだね。そうする」
案の定、彼女は察しているようで、飄々とした彼女からは思いつかないほどのしおらしさである。
こうしていれば、肌と髪色はともかく、彼女は和風美人といえるのではないだろうか。
内心歯噛みしながら、俺は何かにせかされるように準備を終える。そして、
『その、一応合鍵は置いておくから。出かけるときは火元と戸締りはしっかり確認してくれ』
そういって、半ば逃げる形でダイニングから出て行く。玄関で革靴を履くと、コートの袖口に手を通し、そして外へと出る。
嘲るような太陽の日差しと、冷やかすような北風が、俺を襲う。もちろん、そんなことを気にする余裕もなく、俺は会社へと急ぐ。
徒歩で30分ほどの距離にある大手プロダクションへは、本音を言うと車で行きたいところではあるが、俺の月給では残念なことに車を買うことも、維持することも出来ない。
それ以前に、あの課長に車通勤の申し出をしたところで、駐車場の無駄と撥ねつけられるか、便利な足としてこき使われる仕事が増えるかのどちらかだろう。
なんだか、出社前から気力を持って行かれた気がする。うら若い女性と同棲生活なんて、字面はいいが実際のところ、気を遣うことのほうが多い気がしてきた。
俺は会社に向かいながら、少し頭痛の残る頭で昨日のことを思い出す。
結局、最後の一投で周子ちゃんは見事に、20のトリプルを的中させ、俺との勝負に逆転勝利を収めた。あのときの喜びようは、やはり歳相応の少女のそれだろう。
……まあ、あとで18歳と聞いて、あどけなさとのギャップにいささか驚いたが。
それで、俺は財布を取り出そうとした。もう、俺の中では彼女の席料を払うことが、この勝負での俺の役目だと思っていたからだ。
ところが、彼女の口から飛び出した言葉は、俺の予想を何と言うか、右斜め四十五度ぐらい上空を飛び退っていった。
俺の頭の理解が及ばず、十秒ほど固まることは想像に難くないだろう。
何を言っているんだ、この子は。彼女のような若い子が、そんな馬鹿げたことを言うもんじゃない。
それが当然の反応だ。俺だったから良かったものの、他のガラの悪い連中にそんなことを言ったら何をされるかわかったものではない。
もちろん、俺は断ろうとした。優柔不断な俺でも流石にこれは許されない。社会人としても、人間としても、品格を疑われる。なのだが、
「やむにやまれる事情で、京都から出てきたんだけどねー。お金もなければ、泊まるあてもなくてさー。泊めてくれそうないい人、探してたんだよねー」
それが事実にせよ、虚実にせよ、彼女は確かに今日、泊まるあてがないらしい。じゃあ何でダーツバーなんかで時間を潰していたのか、と聞くと、
「なんていうか、勘ってやつ? ここに行けば、いい人見つかるかなー、なんて。まあ、あたしがちょっと遊びたかっただけなんだけどさ」
と、飄々とした調子で笑っていた。先の見通しがいいのか悪いのか、おそらく後者なのだろうが、結局まだ少し酔っていたこともあり、しばらく彼女を居候させることになった。
で、俺の部屋を彼女に明け渡し、自分は妙な高揚感を紛らわせるため、ソファで酒を飲んでそのまま失神するように、眠りに落ちたというわけだ。
『……はぁ』
俺はため息を付く。一週間で部屋を見つける、と言っていたが、未成年の彼女に保証人がいるわけもなく、バイトを探すにしても定住所がないから簡単ではない。
俺が保証人になるなんて、そんな無責任なことは出来ないし、冷たいかもしれないがそもそもそんなリスクを背負う義務は俺にはない。
おまけに収入はない、保証人もいない、で借りられる部屋なんてこの近辺にはなかなかない。かといって、追い出して水商売だとかの稼業をさせるのもなんだか忍びない。
『……いいや、今は深いことは考えんでおこう。あぁ、頭いてぇ……』
酒の頭痛も相まって、悩みの種になりつつある気がする。まあ、引き受けてしまったことだ。ともかくは、俺の生活が苦しくならないんだったら、構わないとは思う。
幸い、ちょっとした蓄えはあるから、人一人養うことは出来なくもないだろう。もちろんそんな義理があるわけではない。
とはいえ、何というか、保護欲というのだろうか。柄ではないとは知っているが、どうも目を離せない。それも彼女の魅力の一つなのだろう、と自分を納得させる。
これも人助けだ、と言うのはちょっと偽善が過ぎるだろうか。まあ、少なくとも下心があってのことではない。情けないことに、手を出す度胸もない。
まあ、なるようになるさ。そう思って、会社への道を急いだ。
俺は、小声で呟くように、静かに扉を開ける。別に、やましいことがあるわけじゃない。単純に、今の時刻を鑑みての結果だ。
時刻はもう、夜中の二時である。今日は思いのほか仕事が多かった――正確には、出先の課長から、異常な量の仕事メールが送られてきていたので、それを処理した結果だ。
難しいものは一つもなかったが、何せ物量で押してくるせいもあって、単純に時間が掛かるという話だった。
(……ソヴィエトに押しつぶされるドイツの気分ってのは、こういうのなんだろうか)
内心ぼやきながら、そろり、そろりと自分の部屋の前を通過する。きっと周子ちゃんはもう寝ていることだろうから、その辺の配慮は抜かりない。
ゆっくりとダイニングに入ると、スイッチを静かにつける。そこで、俺は少し驚くことになる。
部屋が、かなり綺麗になっているのだ。ダイニングの隅っこ、リビングに配置されたしょっぱいPCデスクの周りも、整理されていた。
どうやら、彼女に対する考えを改めなければならないらしい。なんというか、適当そうに見えても、どこかしっかりしているところがある。
その上――。
『……はは』
そのPCデスクの上に置かれた、小さなおにぎり。メモ用紙にはかわいらしい文字で”晩ご飯だよー”と書かれている。これも、周子ちゃんが作ってくれていたらしい。
なんだか、気を遣わせてしまったのはこっちらしい。なんだか、ガラにもなく少し嬉しくなってしまった。
俺はPCの電源をつけると、冷めて固くなってしまったおにぎりをほお張りながら、明日やるだろう仕事を進め始める。
と言っても、何をするかは一切分からないので、何種類か想定して、あらかじめストックを作っておくということだ。
こうしておけば、似たような仕事を命じられたとき、テンプレート的な活用法で応用が利く。まあ、最近はまるでやる気が起きず、ぜんぜんやっていなかったが。
『周子ちゃんのお陰かな……』
そう呟くと、PCの立ち上げ画面を見ながら、彼女に少し感謝した。やがて、起動する文書ソフトに文面を打ち込んでいく。
あまり絵が上手いほうではないが、ともかく図を可能な限り用い、見栄えの良いものを作っていく。
あの課長のために粉骨砕身する、なんてことはまつ毛の先ほども思っていないが、それでも誰かの役に少しでも立つのであれば、悪いことではないはずだ。
そのはずだったのだが……。
翌々日、俺は怒鳴られていた。その理由は、いたって単純明快である。
出張から帰ってきた課長に新たな仕事を命じられた俺は、二日前に作成した例のストックの一つが、奇跡的に適合すると言うことを発見し、細かな手直しを加え、提出した。
あまりにもハイスピードな提出に、どうやったのかを聞かれた俺は、素直にどうやったかを答えた。
それで、今に至る。訳が分からない? 当たり前だ、俺だって分からん。それぐらい、理不尽だった。
なぜ謝る必要があるか、理解できない。俺は仕事の効率化を図っているだけで、別に迷惑を掛けたわけではないはずだ。
その効率化も、俺の能力が及ばないから、少しでも仕事で追いつく、という気持ちからのものだ。理解できないのは、俺が馬鹿だからか? さすがに問い詰めたくなる。
日常的に暴言を吐かれるのは慣れているから、まあ、構わないと言うわけではないのだが……。だが耐えれば済む、と考えてしまうあたり俺も毒されているのだろう。
同僚が助けてくれることは、ないだろう。社内でも閉塞したというか、このフロアのこの課だけは他の部署と少し離れた位置にある。
多少騒いでも声が届かないせいもあって、課長の独裁政権が出来ている一端になっているわけだ。だから、同僚たちも俺と同じ目に遭うことを恐れて、口出ししないのだろう。
それはそれで構わないし、きっと俺だって同じ立場だったら口出ししないだろう。だから彼らを責めることはしない。責めるべきは、この目の前にいる、ふんぞり返った男だ。
『……すみませんでした』
びきびき、と俺の頭に青筋が浮いていくのが、自分でもわかる。どうやら、この課長はとことん俺をこき使って、潰れるのでも待っているらしい。
俺が泣き寝入りでもして辞めると思っているのだろうか。だったら、とことんまで抵抗してやろうじゃないか。
あんたが鍛えてくれた社畜根性、そうやすやすは折れない。歯を食いしばりながら、俺は頭を下げ、ひくひくと震える口で、
『業務に戻ります、失礼します、課長』
と可能な限り穏便に言って、自分のデスクへと戻る。
周りから、微かに声が聞こえる。どうせ、また俺を憐れむ声だろう、とひねくれたことを考えてしまう。相当、参っているらしい。
乱雑にPCを立ち上げると、昨日作ったデータを片っ端から消去していく。せっかく作ったものだが、このまま残しておくと負けた気がしていた。
それに、データは俺の頭の中で全部残っている。それを出力する手間が増えただけだ。問題は、ない。
『あの野郎に辞めさせられてやるものか』
いささか意固地になっている、と自分でも思う。が、幸いにして俺にとってはプラスに働いたようで、学生以来初めて、ここまで熱くなった気がする。
なんだろうか。これが運命というなら、いくらか過酷すぎやしないだろうか。人の上に人を作らず、と昔のお偉いさんが言っていたが、ありゃ嘘だろう。
あるいは、別の意味があるかのどっちかだ。そんな悪態をついても、何も変わりはしないと知っているのだが……。
『ああ、くそっ』
短く口に出して、俺は今日も、何の生産性もない、地獄のような量だけの雑務をこなし始めた。
俺はゆっくりと目を覚ました。けたたましいアラームにたたき起こされてでは、ない。
時計を見ると、朝の十時。とうに出社時刻は越えている。だが、俺には焦りも何もなかった。
『いい朝だ』
俺は呟く。そう、今日は久方ぶりの休日だ。今日は休日出勤の心配もない。と言うのも、課長も休日らしい。課長が休日のときは決まって、休日出勤はない。
いくらか物足りなさを感じるのは、俺の社畜根性のお陰だろう。決して、マゾヒストではない。
ただ、まあ、仕事は山積しているから、ある程度は片付けておく必要がある。結局サボったところで、月曜日の自分に返ってくるだけだ。
それに、休日とはいえ、やることはほとんどない。遊ぶ相手もいないし、遊ぶこともない。月に一回ぐらい遊ぶ余裕はあるが、まあ、勿体ないので溜まる一方だ。
それでも、いまどきのちょっとした金持ち学生のほうが、貯金があるのではないだろうか。そう思うと、少し物悲しくなる。
『ん、おはよう、周子ちゃん』
とん、とんと軽快な足音を立てて、俺の部屋から周子ちゃんがやってくる。くあぁ、と欠伸を一つ零した彼女は、すとんと俺の隣に座った。
このところ、彼女の定位置は、PCで作業をする俺の隣だ。そこでスマートフォンをいじったり、テレビを見たり、俺の作業を覗き込んだりしている。
なにが面白いのかは分からないが、まあ彼女のことだ。のんびりと他愛のないことを考えながら見ているに違いない。
「ねえ、Pさん」
『んー? どうした』
「流石に今日は、仕事ないんだね」
『そりゃ、な。まあ、休日も出勤することはあるけれど』
俺は苦笑を一つ零しながら、手を動かす。手早く文章の校正を行いつつ、社内告知のためのお知らせを作る。
「んー、それじゃあさー」
『なんだ?』
周子ちゃんは、少し考え込むそぶりを見せてから、俺に言った。
「今日、買い物、付き合ってくれない?」
……
「ほらほら、次行くよー?」
『……うーん?』
それから二時間後。俺たちは街中にいた。そして、俺の両手には、荷物がたくさん。
と言っても、紙袋三つだからそんなたいした量ではない。問題は、その紙袋がすごく女の子している点である。
こりゃ、体のいい荷物運びに使われたかな。そう思ったが、まあ、こんなことするなんて、学生時代では日常茶飯事だったし、いいかなとも思っている。
というのも、彼女はいなかったが、たびたび友人の荷物運びやら、免許はあったので足で使われた覚えがある。ただパシリというわけじゃなく、いわゆるギブアンドテイクだ。
俺は遊び人だったが、根を詰めてバイトしていたわけでも、家が裕福だったわけでもない。なので、まあ相応の大学生らしく、年がら年中金欠だったわけだ。
だから、そう言った荷物持ちや足を受け持つ代わりに、飯を奢ってもらったり、カラオケの部屋代を出してもらったりしたのである。
俺はそう思う。なんとなく学生時代に戻れた気がするし、何より、周子ちゃんが楽しんでくれるなら、それでいい。
ちょっとでも他人のためになっている実感と言うのは、今の俺にとっては救いだ。特に、仕事の状況が状況だけに、である。
「ふー、疲れたねー」
『そうか?』
「うん、Pさんは疲れてない? 荷物持ってもらってるけど」
『それほどでもないさ』
俺は首をすくめてそう嘯く。強がっているわけではなく、実際大した重さではない。
それに、これより重い荷物を持って、一日中走り回っていたこともあるから、むしろお安い御用という所だ。
それより、隙間から見えそうになる中身を、極力見ないように心がける労力のほうが大変だと思う。
そこらへん、女性の考え方と言うのは良く分からない。というか、これが女性一般の姿なのか、それとも周子ちゃんの姿なのか、判別付きかねる。
まあ、信用してくれている証拠なのだろう、と思う。それならそれで、ありがたいことじゃないか。
「ふーん、じゃあ、そろそろご飯にしようよ」
『ああ、いいぞ。どこ行く?』
「どこでもー。Pさんの食べたいものでいいよ」
『んじゃ、手っ取り早くファミレスでいいか』
「そだねー」
彼女は俺の提案に同意すると、辺りをきょろきょろと見まわし、向かいにあるファミレスへと渡り始める。俺も、その後を追うように、少し疲れた足取りで向かう。
(ああ、若いってエネルギッシュなんだなぁ)
そう思えるようになったあたり、俺も学生から社会人にクラスチェンジ出来たのだろう。それが良いかどうかは別の話であるが。
『すぐ行くさ』
ファミレスの前で飛び跳ねるように俺を呼ぶ声がする。それに応えるように、彼女へとゆっくり近づくと、共に入店する。
(……なんだか、デートみたいだな)
ふと、そんなことがよぎる。もしそうなら、かれこれ十年近くぶりのデートだ。しかも、相手は居候の少女である。まるで漫画の様な話じゃないか、と一人苦笑した。
「どうかしたの、Pさん?」
『や、なんでもないさ。飯食ったらどこか行きたいところはあるのか?』
「んー……。特にはないけど、カラオケとかで良いんじゃないかなー」
『カラオケかぁ。最近行ってないな、悪くねえ』
俺はそう言うと、そそくさとやってきたウェイターに二人、煙草はなしで、と伝える。そのまま席に案内されると、適当に注文を済ませる。
周子ちゃんも俺と同じように、適当に注文を済ませたらしい。しばらくすると、サンドイッチとカレーセットが運ばれてくる。サンドイッチは俺の注文だ。
いただきます、と一言前置きをしてから、周子ちゃんがそんなことを言った。一口、サンドイッチを口へと運んでいた俺は、それを飲み下してから、
『そうか?』
と、短く返す。自分としては、あまりそんなつもりはなかったのだが、思い返してみると確かに、ここの所食う量は少ない。
「うん。いつも朝ごはんもパン一枚だし、そんなんじゃ体壊しちゃうよー?」
『はは、周子ちゃんがそれを言うか。周子ちゃんこそ、もっと食った方が良いんじゃねえのか? 細すぎるぜ、流石に』
「あー、いけないんだ。女の子にそんなこと言うのはデリカシーないよ、Pさん?」
『おっと、こりゃ失礼』
小さく笑い声を零すと、サンドイッチについてきたコーヒーを飲む。家で挽いた豆の方が合っているのか、少し苦みが足りない気もする。
それを見ていたのか、周子ちゃんはまた俺に質問をする。
『嫌いじゃないな。最初はカッコつけだったけど、まあ、慣れたら美味く感じてきてさ』
「ふぅん」
彼女はそういって、カレーを掬い、口へと運ぶ。俺は残っていたサンドイッチを口へ放り込み、そして少し考え込んだ後、
『なんでそんなこと聞いたんだ?』
と今度は聞き返す。
「んー、なんだろーね」
彼女はちょっと考え込むように目を虚空に向けるが、やがて思いついたようで、少し笑って、
「Pさんちにお邪魔して少したつけど、あんまりPさんのこと知らないからさー。こう、なんていうのかな。一応、好きなものぐらい知りたいと思ってさ」
と、何とも味なことを言ってくれるではないか。一瞬、ドキリとさせられるが、ともかく平静を取り戻しつつ、
『まあ、その、なんだ。そう思ってくれるのはありがたい。袖振り合うも多生の縁ってやつだからな。仲良くするに越したこたぁない』
誤魔化すように、またコーヒーをすする。
彼女はそのクールな瞳を少し細めると、けらけらと笑う。そうして、最後の一口を口に運ぶと、小さく手を合わせて、
「ごちそうさまでした」
と礼儀正しく挨拶をした。そしてメニューをちらり、と見ると、
「Pさん、デザート食べてもいい?」
そんな、上目遣いで俺を攻めてくる。まあ、その何というか、非常に煽情的で、うん。いいよ、以外の返事が思いつかない次第である。
『……しょうがないな』
俺はそう言うと、彼女はやった、と短く喜び、早速ボタンを押してウェイターを呼んでいる。その姿に、どこか何とも言えない気分になる。
……ああ、労働環境が酷い、というのもあるのかもしれない。女っ気のない職場だし。課長には怒鳴られるし。
ただ、他の女の子に対してもそうなのか、と言えばそれは違うんじゃないだろうか。そんな経験が皆無だから何とも言えんのだけれども。
まあ、でも俺だってそんなに節操がないわけじゃないし、何より彼女の魅力というやつなのだろうか。それがそうさせるのかもしれない。
(最初の印象からは思えないほど、意外としっかりしてて、芯はあるんだよなぁ)
彼女を見ながら内心、そう思う。最初は男慣れしているというか、今どきの若い女の子らしく、遊び歩いている子だと思っていたが、そういうわけではないようだ。
例えば、俺は仕事から帰るのが遅いから、休日まで洗濯物や洗い物を溜めこんでいるのだが、彼女が来てからは代わりに洗ってくれていたりする。
それに、さっきもそうだが、ちゃんと食事のときはいただきますとごちそうさまもする。挨拶もするし、礼儀をわきまえているというか、きっちり躾けられている感が半端ない。
むしろ俺が触発されて、彼女を見習って挨拶するようになったぐらいだ。実はどこぞのお嬢様じゃないのか、と思ったりもしなくはないが、流石に考え過ぎか。
(俺も周子ちゃんのこと、全然知らねえんだよなぁ)
なんて思ってしまうのは、やっぱり触発されているせいなのだろうか。俺は一息つくと、チョコレートパフェをおいしそうに食べている周子ちゃんを眺めつつ、コーヒーを飲む。
『……なあ、周子ちゃん?』
「んー、どしたの、Pさん?」
ぱくり、とパフェを口に入れ、スプーンを加えながらこちらを見る。なんとなく、その様子に気恥ずかしさを感じ、
『……や、なんでもないや』
と誤魔化すように笑った。
「変なPさんだね」
なんて彼女は笑いながら、パフェへとパクつく。とてもうまそうに食べているのが、印象的だ。
なんとなく、妹がいたらこんな感じなのだろうか。そう思った。
……
「あー、楽しかった。Pさん、歌うまいんだね」
『なんだ、そりゃ皮肉かな? 一回だって俺ぁ点数で勝てなかったじゃねえか』
「あはは、Pさんは安定しない、煽るような歌い方だからじゃない? ライブ映えするタイプだと思うよ」
『そうか?』
「うん。今から歌手目指せば?」
『アホ言え』
「あはは」
そんな会話を交わす。すでに日は傾き、辺りは夜の帳が降りかかっている。ところどころ電灯が付き始め、ぐっと気温も下がっていた。
『いや、これぐらいだったら構わないさ。楽しんでくれたようで何より』
俺はそう言いながら、くぁ、とあくびを一つ零す。久しぶりに、これだけ遊んだ気がする。本当に学生以来じゃないだろうか。
思えば、周子ちゃんが来てから、それが良いのかは別として、代わり映えの無かった俺の生活に、少しばかりの色が甦っている気がする。
『こっちこそ、ありがとうな、周子ちゃん』
「ん、何が?」
『はは、いや、なんでもない』
「んー?」
少し気恥ずかしくなって、誤魔化すように彼女に礼を言う。何というか、このまま社会の歯車になりかかっていたところを、人間に戻してもらった。
大げさだが、そんな気さえするのだ。
「んー……。Pさんのご飯が食べたい」
『俺のか?』
「うん、Pさんの炒飯食べたいなー?」
彼女は、ねだるようにまた、上目遣いで俺を見る。
『……しょうがないな。じゃあ、帰りに鶏肉と野菜買って帰ろう』
「やった、Pさん大好きだよー」
『はいはい』
「適当に流すなんてひどいなー。こんな可愛いシューコちゃんからの告白だよー?」
『そういうのはもうちょっと大事にとっておこうなー』
そんな、他愛のない会話を交わしながら、帰路へと着く。
贅沢で、不謹慎な事ではある。それでも、願わくばこんな生活がもうしばらく続けばいい。
ネオンを見上げながら、僅かにそう思った。
翌日、いつも通り周子ちゃんを起こし、朝食を用意して家を出た俺は、いつも通り会社へと着き、いつも通り自分の席へと向かった。実にいつも通りだ。
しかしその中途、どこか雰囲気が違う気がした。何というか、穏やかなのだ。
その雰囲気の変化を少し怪訝に思いながらも、課長の到着を待つが、珍しく今日は遅れて来るのか、いつもの時間になっても姿が見えない。
(休みかな……? 珍しい)
そう思いながらも、やがて就業時間になったため俺は仕事を始める。積み上げられた仕事がないと言うのも大きな理由だが、やはり雰囲気が良いことが一番の要因だろうか。
仕事はサクサク進むし、心なし周りの同僚ものびのびと仕事をしている気がする。
「ああ、Pさん。この書類、校正お願いできるかな」
『ああ、はい。大丈夫ですよ』
「すみませんね。ただでさえいつも便利屋として使われてるのに、雑用押しつけて」
『ええ、まあ。でもこれが俺の仕事ですし』
時折、同僚が仕事を回してくることもあるが、どれも常識の範疇というか、ただしく雑務としての仕事を回してくれているのは少しありがたい気さえする。
それに、課長がいないせいもあってか、同僚の俺に対する態度もやわらかい。やはり、あの課長のせいで冷たくせざるを得なかったのかもしれない。
「あー、Pくんはおるか? 企画課雑務の」
という大音声を企画課に響かせた。
『……ん?』
その声に聞き覚えはあった。プロデュース部の部長だ。
彼が俺を探しているということは、課長関連でまた何かあったのだろうか。少し面倒だな、と思いつつも、仕方がないので手を挙げ、
『はい、Pはここに居ます。少々お待ちください』
と、今作成している文書ファイルを保存すると、スタンバイモードにして部長の所へと向かった。
「おお、おったか。君、ここから家は近かったな?」
『え、ええ。それが?』
「今すぐ家に帰って、旅行の準備してきてくれ。二時間後に、社屋前で待ち合わせや」
『……は?』
いまいち、どういう状況か分からないところがあった。そのまま、唖然としていると、
「ああ、そうかすまんな、要件を伝えてなかったね」
ようやく合点が行った、というように部長は頷く。
「ちょっと今からスカウトと地方回りを兼ねて、出張に出るんやけどな。それの助手というか、随伴役を探しとってなぁ」
『それで俺、ですか?』
「おたくの課長に言うたら、なんやぶつぶつ言うとったが、まあ貸してくれる言う話でな。で、こうやってP君に聞いてんのやが、都合は大丈夫か?」
そう、彼は尋ねてくる。ああ、また無茶ぶりを回されたんだろうなあ、と少しげんなりしながら頷こうとすると、
「ああ、なんや予定があるんやったら、別に断ってくれても構わんで。他の宛てに行くだけやからね」
と、どうやら命令ではないらしい。
「ん? いや、そういうわけではあらへんよ。君ん所の課長に、君を貸してくれるよう頼んだだけやからね。それに、いきなりの話やから、無茶は言われへんよ」
部長はそういって、行けるやろか? と申し訳なさそうな表情で俺を見てくる。
頭ごなしで命令をしてくるわけではないのか、と思うあたりやはり俺は課長に毒されているらしい。なんとなく新鮮味を感じるそのお願いに俺は、
『……二時間後、ですね?』
と、答えていた。
「おお、受けてくれるんか?」
『はい、私でいいんでしたら。あまりお役には立てないでしょうけれども』
「わっはは、そう卑下せんでもええ、助かるわPくん! すまんなあ」
『いえ、それじゃあ、準備の為にいったん帰宅しますね』
「おう、人事の方には通してるから、タイムカードやらは気にせんでええぞ」
ばしばし、と俺の背中を叩いてくる部長には、何というか、田舎の近所のおっさんに近しいものを感じる。……いや、流石に失礼かな。
ともかく、話が決まったのだ。いろいろ準備をせねばなるまい。そう思い、とりあえず頭の中で準備の算段を立てつつ、尋ねる。
「特にあらへんが、まあ、タブレットかノートパソコンはあった方が便利とちゃうか。他にも要りそうなもんは持ってきてくれるとありがたいけどな」
『分かりました。それじゃあ、いったん失礼します』
「おう、待っとるで」
そういうと、部長は慌ただしそうに企画課から出ていく。その後ろ姿を見送りながら、俺はとりあえず帰宅の準備を始めた。
「……これって、大抜擢ってやつ?」
「凄いな……。いやでも、あれだけ課長の無茶ぶりに答えてたんだから」
「それだけの価値はあるよなぁ……」
そんな囁き声が聞こえる。そこまで大した物じゃあないとは思うが、何というか、少なくとも自分の頑張りを評価してくれそうな人に認められたのは、少し嬉しいと思う。
(それにしたって、課長はどうしたんだろうか)
あの部長の口ぶりだと、どうも社内には居るか、あるいは連絡が取れる場所にはいる様子だった。何かあったのか、とも思うが、まあ、俺にはあまり関係のないことだろう。
関係があってたまるか、という気持ちも少なからずある。あの課長がまき散らすのは、全部災厄だと思ってもいい。
ここから家まで徒歩でだいたい三十分だが、いろいろ準備の時間を含めると、余りのんびりもしていられない。
『――あ、もしもし。タクシーが一台、来ていただきたいのですが。はい、ええと大手プロダクション……。はい、はい。そこです。お願いします』
一時帰宅の準備を進めつつ、俺はスマートフォンでタクシーを呼ぶ。経費が出るとは思ないが、まあ時間が時間だし、それにこれぐらいは当然自腹だろう。
俺はスマートフォンを切ると、ビジネスバッグに必要な物を詰め込んでいく。と言っても、持ち運びする用の自前のノートPC以外私物はほとんどない。
大学時代から使っている外国製の廉価品だが、最近挙動が怪しくなってきているのでそろそろ買い替え時なのかもしれない。
タクシーはものの数分で来るそうだから、下に出て待っておかなければならない。待たせては、タクシーの運転手にも迷惑がかかってしまうし。
俺は、ビジネスバッグを引っ掴むと、少し駆け足で社屋を降りはじめる。嫌な予感はしない。しないのだが――。
『……なぁんか、面倒な事になるのかもしれないなぁ』
そんな予感がよぎる。だいたいこの手の予感は的中するのが相場ってものだ。
代わり映えのない毎日を望んでいたわけではない。そして、慌ただしく目まぐるしい毎日が嫌いというわけではない。それでも、
(なんだろ、そういう星の下に生まれた感じかな)
唐突の変化という物には、どこか身構えるものがあるのは、致し方のないことだと思いたい。
『ああ、すみません、お待たせして』
社屋の外に出た俺は、すでに到着していたタクシーの運転手にそう謝り、飛び乗った。行先に自宅の住所を告げ、スマートフォンを取り出す。
周子ちゃんは、まだ家にいるのだろうか。ぐしぐし、と目を擦り、そんなことを思った。
……
『大丈夫かなぁ』
大手プロダクションへ戻るタクシーの車内で、そんな呟きを零した。その対象は、これからの自分のことではなく、周子ちゃんのことだ。
『……何日ぐらい家を空けるか分からんから、小金は置いてきたけれど』
とりあえず、二万円ほどあれば当面は何とかなるんじゃないか、とは思っている。手紙でそのことはちゃんと書き置いてきたし、冷蔵庫の中にはそれなりに食材もある。
最悪、現金書留で送ることもできなくはないだろう。だが、まあ、周子ちゃんのことだ。そんな心配はいらないと思いたかった。
それに、彼女は俺が思ったよりもしっかりしている。とりあえずの当面は心配ないはずだ。
『いえ、まあ、せっかくお声を掛けてもらったんですし』
「おう、そう言ってくれると助かるわ」
タクシーが止まり、俺が降りようとした時にはすでに、部長は社屋の前で待っていた。そしてちょうどいい、とばかりにそのタクシーを呼び止めると、
『すんませんなあ、このまま新幹線の駅まで飛ばしてくれますかな、運ちゃん』
と、降りようとする俺を押し込めて、どかっと座る。恰幅のいい体に押されて少し息が詰まるが、まあ特に気にすることではない。
「ああ、Pくん。君、タクシーを行き返りに使ったんやね?」
部長が料金メーターを見ると、少し頷きながらそう言った。
『あ、す、すみません。急いでいたもので。えっと、運転手さん、先に俺の分の精算を……』
と言って、財布を取り出そうとするが、
「ああ、構へん構へん。どっちにしろ経費で落とすんやろ? ほんならこのままの方が安つくわ」
部長の制止によって、俺は無理やり座らされ、やがてドアが閉まる。そのまま、タクシーはエンジンを唸らせ、走り始める。
というと、部長は不思議そうな顔で、
「なんや、家の行き返りぐらいで。うちは割と余裕あるし、ホワイト企業のつもりや。残業した後なんか、出さへんかったら労基にタレこまれても文句言われへん」
と言う。初耳だった、というのは変だろうが、俺の聞いていたことと全然違う。なんだかこの所、俺の知っている事と現実にいろいろ齟齬がある気がする。
『ですが、タクシー経費なんか会社が出すわけがないと言われたのですが……』
「言われたって、誰にや?」
『ええと……』
そうやっていくらか記憶の糸を手繰り寄せると、頭に浮かんだのは、一つの顔。そして、それは至極当然であり、残念な回答でもあった。
「……ほんまか?」
『確信は、ないですけれども。まあ、今までいろいろ課長には言われてきましたし……』
「ふうん?」
そう、何とも言えない相槌を打つと、部長はとん、とんと二度ほど自分のこめかみを叩き、何やら思案している様子だった。
その思案はしばらく続き、走り出してから三回目の信号に引っかかったころに、
「Pくん、予定よりちょっと忙しくなるかもしれんが、ええか?」
と、唐突に部長が言った。俺はそれを怪訝に思いながらも、
『ええ、構いませんが……』
と答える。どちらにせよ、今更断ることはできないし、優柔不断な俺が断ることも、まあ無理なのだろう。そう思った。
……
(いくらなんでも、ちょっと、これは凄すぎるだろ……?)
思わず、内心そんな言葉が零れた。時刻は午後九時を回ったころだが、この部長の体力は底なしなのだろうか。
昼前に新幹線でやってきたのは関西の方なのだが、それからぶっ続けで十時間弱、まあ、途中休憩をはさんだことを差し引いたら八時間ほどだが、ずっと行動しっぱなしだ。
そして、今日だけでもアイドル養成所、専門学校、テレビ局、ラジオ局といった関係各所含めて十か所は回っているだろう。
その上移動は徒歩がメインで、路上ではスカウト活動まで行いながらである。
俺は、そんな部長の精力的な活動の傍らでメモを取ったり、ボイスレコーダーで録音したり、予定の組み換えで忙殺されまくっていた。
すでに新幹線の駅で追加購入したメモ帳は二冊を消費し、タブレット端末のドキュメントファイルには文字がずらり、と並んでいる。
そう思わざるを得なかった。なるほど、昼出勤でマイペースな態度が許されるわけだ。
テレビ局のディレクターとの会話では、どうやらこの部長は関西の方ではかなり有名なプロデューサーらしい。プロデューサーの名前が知れ渡る、というのはめったにない事だ。
まあ、最近ではそういう人も増えてきただろうけれども、その多くは商売上手だからこそ名前が売れているのであり、名声や栄誉、実力を伴ったものではないこともある。
その点、この目の前にいる小太りの男性は、疑う余地はなかった。
「うし、Pくん、ご苦労様やなぁ。宿取ってるから行くか。まあ、いうてもちょっとしたビジネスホテルやが」
『え、あ、はい。分かりました』
「一応二部屋とっとるから、安心してくれ、わっはは」
何を安心するのか。そんな突っ込みを入れかける羽目になるとは思わなかったが、とにもかくにも、今日はこれで終わりらしい。
流石にここから徒歩で行くわけもなく、部長は携帯を使ってタクシーを呼んだ。今どき、ガラケーというのだろうか。それを使っているのは、凄いと思う。
もっとも、かといってスマートフォンが優れていると言うわけではなく、スマホ天国な日本でガラケーを貫いているその姿はかっこいいとさえ思う。
『はあ。予定ではどれぐらいだったのですか』
「まああと三、四日ぐらいを予定しとったんやけどな。このままいけば、明後日には帰れるやろ」
到着したタクシーに乗り込みながら、部長はそんなことを言う。なるほど、それぐらいならきっと周子ちゃんも飢えることはないだろう。
(……なんで周子ちゃんの心配、してんだか)
俺は内心苦笑する。そういえば、結局出てくる時も周子ちゃんと直接言葉を交わすことはできなかったが、元気にしているだろうか。
そんなことを考えてると、
「どうした、何か心配事か?」
と、目ざとい部長に聞かれてしまった。こういう所も、気配りが出来ると言う現れなのだろうか。
「おう、ペットでも居るんか」
『まあ、そんなところです』
ペットというには周子ちゃんに失礼だろうが、家出娘を預かっていると本当のことを言えば、俺の社会的地位も危ういから伏せておく。
……いや、まあ、やましいことはしてないし、そんなつもりもないんだけれども。
「ほんなら、明日もばりばり働くか。P君も、もう少しの辛抱さかい、頑張ってくれや」
『あ、はい。精一杯頑張ります』
「わはは、それでええ。変に卑下したら殴ったろうかとも思うたけどなぁ」
『あ、あはは……』
乾いた笑いしか出せなかった。なんとなーく嫌な予感がして、謙遜するのをやめたのだ。十秒前の俺よ、良くやったと心底思う。
『あ、はい。なんか、すみません』
「構へん、構へん。これぐらいの役得があってもええやろ、特に君は、慣れん仕事やのにしっかり働いてくれたしな」
『……ありがとう、ございます』
なんだか、とても新鮮だった。人から褒められるというのは、ここ数年記憶にない。特に会社に入ってからは罵倒、罵倒、罵倒の連続。
そんな俺の心に、部長の言葉が染みる。人は褒められると伸びる、なんていうが、確かにそれは正しいのかもしれない。
少し、力が抜けると、どっと疲れが押し寄せてきた。途端に瞼が重くなると、やっぱり部長は気付いたらしく、
「わっはは、疲れたか、そうやろうなぁ。まあ、ホテル着くまで少し寝とき。着いたら起こしたろ」
とありがたい言葉を掛けてくれる。無論、ここは断るのが筋だ。
『いやぁ、でも、そんなわけには……』
と断ろうとするが、
『君にゃその権利があるからなぁ。ここは俺の顔建てて、寝てくれや』
と、訊く人が聞けば少し怪しい言葉の響きだ。だが、その言葉に反論することも突っ込むこともできず、
『でも、流石に……』
なんて言ったのを最後に、俺の記憶は途切れてしまった。
『あ……、お……。朝、か』
俺は爆音で鳴り響くアラームに気付く。最近導入した、眠りの浅くなった時間に起こしてくれると言うアプリらしいが、効能はまあ、それなりといったところだろう。
ゆっくりと身を起こし、電気をつけるため電灯に繋がった、千切れかかったビニール紐を二度、引っ張った。
『二日……。ああ、いや。三日ぶりかぁ……』
思わず、そんな言葉が零れる。こんなに長く家を空けたのは久しぶりだったが、やはり住み慣れたところは良い。そう思いながら、朝食を作るためにキッチンへと立つ。
そして、ワイシャツを着て、コーヒーを沸かそうとミルのポットに水を入れたところで――。
思い出したように、俺は呟いた。
結局あの日から二日に渡って、比喩ではなく関西を飛び回った俺と部長は、たぶん普通の人が十日ほどかけてやるような仕事をこなして、夜中にこちらへと戻ってきた。
具体的には、小さいものでスカウトやあいさつ回り、支部と本社の情報をすり合わせ、株主総会に参加に、新人発掘オーディションへの視察などなど。
ともかく、両手両足を使っても数えきれない数の場所に行って、それよりももっとたくさんの人と話す部長の姿は、まるで一騎当千の英雄のように思えたほどだ。
それで、その時の俺の働きが良かったのか、部長はかなり満足してくれたらしく、
「おっしゃ、俺が上に直訴して、明日から二日はPくんの為に休みを取ってやったからな。しっかりと休め」
とありがたい”ご褒美”をくれたのである。そういうわけで、今日は有給――あるかどうかも分からないそれを消化することなく、のんびりとした休みを送れると言うわけだ。
もちろん、休みだからと言って何もしないつもりはなかったのだが、そういえば急いで出張に行ったせいで何も持って帰ってないのである。
連絡も特に入っていないし、まさか会社に行って取りに行くなんて言う、本当の奴隷根性の入ったことはしたくない。
それにそんなことをしたら、せっかく休みをくれた部長に申し訳が立たない。だから、今日はしっかりと休むつもりだった。
『とはいえ……』
俺は着かけたワイシャツを脱ぎ、ソファの背もたれに放り投げる。まあ、結局のところ仕事はないとはいえ、朝飯を食う事から始めるのは社会人として当然だ。
ただ、何をするかと思うと、特にやることがない現状に、少し愕然とする。社会人になってから趣味らしい趣味もないし、ゲームなんかもほとんどやらなくなった。
正直言うと、まあ、二度寝したいところではあるが、芳醇なコーヒーの香りのおかげで眼が冴えてしまった。それに今から寝れば、休日をまるまる潰してしまうことになる。
そんなことに貴重な休日を使うのは、なんとなくだが釈然としなかった。
『ああ、おはよう。周子ちゃん今日は早いんだね』
「まあねー。朝からバイトの面接に行こうと思って、さ。まあ、コンビニのなんだけれどもねー」
『バイト?』
「うん、いつまでもPさんにお世話になるのも申し訳ないし? 自分の食べる分くらいはしっかりと稼がないとって思って」
周子ちゃんはそういうと、なんだか気恥ずかしそうに笑う。やっぱりこの子はしっかりしている。
結局俺が出張中においていった二万円も、本当に必要最低限しか使っていなかったし、放蕩三昧なんてことはなかった。
帰ってきてからゴミ捨ての準備をしていたが、炭になった生ごみが結構あったから、自炊しようと頑張っていたのだろう。
……まあ、あまり料理は得意ではないみたいだけれども、そこはそこだ。少なくとも、俺は出来ない事を出来るようになるために挑戦する、という心意気は大切だと思っている。
『んー、なんだい』
俺はいつも通り、簡単な朝ごはんを二人分用意しながら、彼女の問いかけに答える。
「Pさん、今日はお休みなの?」
『ああ、ちょっと頑張ったおかげで、今日と明日はお休み貰ってね』
「おー、すごいじゃん。じゃあさ、明日またどこか遊びに行こうよ。ダーツでも良いし、ボウリングでも良いし」
『おっ、いいな。じゃあ、ダーツあたりにするか』
「おっけーだよ」
周子ちゃんは嬉しそうに少し笑うと、洗面所の方に向かった。ばしゃばしゃと、水を使っている音がする。顔でも洗っているんだろう。
俺は洗面所の方に、少し声を張り上げて、
『そうそう、朝ごはんは何が良い? と言っても作れるもんしか無理だけど』
と投げかける。しばらくして、水を使う音が消え、ハンディタオルで顔を拭きながら周子ちゃんがこっちへと戻ってきた。
『出し巻きって……。あれか、塩辛い卵焼きか?』
「んー、厳密には違うんだけどね」
周子ちゃんのいう厳密が良くは分からないが、まあ、とりあえずは卵焼きをだしで味付けすればいいんだろう、と棚から粒子だしを取り出して、とき卵に入れる。
あとは醤油を少し入れて、刻みねぎを少し入れるぐらいがちょうどいいアクセントになるんじゃないだろうか。
個人的には甘い卵焼きが好き……というよりは、生まれてこの方それしか食ったことがないので、味付けはちょっと良くわからないところがある。
ただ、それなりに炊事歴もあるし、不味いものにはならんだろう、と楽観視して作り始める。油をひいて焼きはじめると、卵の焼けるいい匂いがし始めた。
「あれ、Pさんって京都の人なの?」
しばらく卵焼き……ではなく出し巻きを作っていた俺に、突然周子ちゃんが尋ねた。幾らか唐突だったし、なぜ京都なのかわからなかったので、
『いや、違うけれど……。なんで京都?』
と聞き返したところ、
「Pさんの卵の巻き方が、京都の人の巻き方だったからさ」
と周子ちゃんは少し首を竦めて言った。
「出し巻きを作るとき、手前から巻くのは京都巻きっていうんだよー」
『へぇ……。というか、なんで周子ちゃんそんなこと知ってるんだ? あんまり料理が上手なイメージないけど』
「むっ、失礼なー。シューコちゃん印のおにぎりは天下一品なんだぞー?」
『はは、そういや、そうだったな』
いつだったか、夜遅く帰った俺の為に、夜食でおにぎりを作っておいてくれたことがあった。あの味は何というか、忘れられるものではないだろう。
何せ、おにぎりとはいえ、誰かの手料理を食ったのはそれこそ、大学の時に知人の家で食った揚げポテトぐらいなものだ。
……こうやって思い返すと、寂しい生活を過ごしてたんだなぁ、俺。思わず、そんなことを思い、涙がちょちょぎれそうになる。あー、泣きそう。
『へえ? 初耳だなぁ』
「あれ、そうだっけ? まあ、隠すような事じゃないし、いっか」
彼女はいつも通りの飄々とした様子でそう言った。そして、今更周子ちゃんの出身を知った自分の、なんだろうか、薄情とは少し違うだろうけれども。
まあ、もともと根掘り葉掘り聞くことじゃない、と思っていたからというのもある。
ただ、なんとなくではあるが、周子ちゃんのことを一つ知れて良かった、と思っている自分がいた。
思い出したように俺はそう付け加えると、美味く焼けた出し巻きをまな板の上に置き、包丁で切っていく。
そしてそれを、今か今かと待ちわびている周子ちゃんの前に置いた。すると、
「へー、京都行ってきたんだ? いい所だったでしょ?」
周子ちゃんはいただきます、と上品に手を合わせ、そして出し巻きを食べながらそんなことを言う。
『悪いなぁ、観光してる暇なんてなくてさ。部長に連れまわされて、大変だったよ』
実際、京都に行ったと言っても電車で市内に向かって、市内を歩き回って、そしてホテルに泊まって終わりだった。
「あー、それは残念。じゃあさ、もしあたしが家に帰ることあったら、いろいろ連れまわってあげるよ。良かったねPさん、こんな可愛い観光ガイド、なかなか居ないよー?」
『あっはは、いつになることやらなあ』
「うーん、Pさんが”出ていけッ”って言うまでかなー?」
『それなら、当分先になりそうだ』
丁度、コーヒーが淹れあがった、ブザーの音が響く。コーヒーさんが呼んでるよー、なんていう周子ちゃんの声を聞きながら、俺はキッチンへと再び向かう。
こんな休日も、ありだろう。そう思った。
……
何もかもが遠い。頭に少し靄がかかっているかのように、不鮮明な気分に包まれている。もう少し、もう少しだけ――。
そう思っていたが、つん、と何かが焦げるにおいが鼻腔をくすぐる。しかし、その合間に何かいい匂いもしてくる。
次の瞬間、深海から錨が引き上げられるかのように、俺の意識はしっかりと起き上がる。だが、少しばかり、まだ少しばかり体は億劫だった。
その体に鞭打つように、傍にあるスマートフォンへと手を伸ばす。アラームはなっていないが、今は何時だろう。薄目を開けて画面を見る。時刻は午前九時を過ぎたあたりだった。
『……あぁ、く、くく、九時っ!?』
やばい、遅刻どころの話ではない。そう思って身を一気に起こし、跳ね起きた。
そんなのんびりとした、周子ちゃんの声が、耳を揺さぶる。とはいえ、構っている暇はない、急いでワイシャツを――。
「あれ、どうしたの、Pさん? 今日は休みでしょ」
『……あ』
その言葉ではた、と手を止めた。そうだ、今日も休みなんだ。まさか、昨日と全く同じミスを犯してしまうとは、自分を少し恥ずかしく思う。
それにしたって、なんでアラームが鳴っていないのか、とスマートフォンに目を落としてみていると、
「あ、ごめんねPさん。スマートフォンのアラーム、切っちゃった」
と、少し舌を出して周子ちゃんが意地悪く笑う。
「大丈夫だよ、普段はそんなことしないしねー」
と、周子ちゃんはまた少し、けらけらと笑う。そんな様子に周子ちゃんを見て、少しばかり俺は息をつくのだが、
『……そういや、なんか焦げ臭くないか』
自分が起きる原因になったであろう、その匂いのことを尋ねてみる。すると、
「あっ……。やばっ」
そう言いながら、周子ちゃんは少し慌てて、一目散にキッチンの方へと戻っていくではないか。
一体何をやっているのか、と気にしつつシャツだけを着替えていると、台所から、あちゃあ、という周子ちゃんの声が聞こえる。
やがて、俺が脱いだシャツを洗濯物を入れるかごに放り込み、戻ってきたときには、机の上に皿が並べられていた。
ただし、その多くは、まあ、何というか。とても黒ずんでいて、焦げた匂いが漂っている。辛うじて原型をとどめているのは、目玉焼きぐらいだろうか。
そして、机の向かい側には周子ちゃんが少し申し訳なさそうに、そして俯いて座っている。
「えっとさ、いつもPさんにお世話になってるからさ。たまには朝ごはんをつくろうって思って、それでPさんのアラーム止めて、作ってたんだけれど」
周子ちゃんは、俺が何かを言う前にそう言って話し始める。
「Pさんに昨日、料理が上手そうに見えないって言われて、ちょっとムキになっちゃったのもあるけれど、でもやっぱりうまくいかなくてさ」
『周子ちゃん』
「いつも、こんなあたしの為に働いてくれてるし、いっつも遊んでくれるし、たまにはって思って……」
少しずつ周子ちゃんの声が、少しだけ涙声になっていく。俺はゆっくりと息をつくと、机越しに彼女の頭へと手を伸ばした。
怒られるとでも思ったのだろうか、一瞬体を震わせる彼女だったが、俺はただ頭に手を置くだけだ。
そうして、俺は謝った。というかそれしかできない。完全に俺の過失なのだ。
彼女は飄々とした明るい性格ではあるが、それとは別にしっかりとした責任感の様なものがある。どこか、身に根付いた、習慣に近しい物。
もしかすると、そういう物が彼女を家出させた原因なのかもしれない。そして俺の無責任な発言が、それを刺激してしまったのだろう。
『ただなぁ、周子ちゃん。一つ覚えておいてほしいんだけどさ』
俺は机を挟んで向かい合うように、彼女に話しかける。
『俺が、周子ちゃんを泊めてるのは、なんだろ。こう、情けを掛けてるとか、哀れに思ってるとか、そんなんじゃなくてさ。もちろん、下心があるわけじゃないぞ?』
そんな風に、少しおどけた調子で言った。彼女はまだ少し涙を浮かべていたが、俺のそんな口調にくすっ、と笑う。
俺は、短いながらも彼女との思い出を思い返しながら、そうやって彼女に言う。
周子ちゃんのおかげで、俺は今代わり映えのない生活から抜け出せている。そして、彼女が居るからこそ、今の毎日は割と楽しい。
座敷童、というにはいささか大人すぎるだろうけれども、今まで味方一人いなかった俺の目の前に、突如として現れた女神のような存在だ。
……まあ、こんなことまで面と向かっては言えないし、言う度胸もないのだけれど。
『だからさ、朝飯作るのに失敗したとか、俺のアラーム勝手に切っちまったとか、そんなんで周子ちゃんのこと嫌いになったりはしないよ』
ただ、これぐらいは言っておきたかった。上手く言葉に出来たかは分からないが、伝われば。そう思ったのだが――。
周子ちゃんは、涙目で笑いながら、俺の方を見る。
『天然って……、何がだ?』
「なんか口説いてるみたいで、少しおかしくてさ。あは……」
そう周子ちゃんに言われて思い返してみると、確かに、うん。そんなところがないわけではない。というか、誤認されても文句は言えない。
「まあ、Pさんがあたしの魅力にメロメロになってるってのは分かったよ」
『おい、あのさぁ。いや、違うわけじゃないけれど。……あれ、なんか俺間違ったかな』
「あはは。……ありがとうね、Pさん」
『……気にするもんじゃあないさ。さあ、飯にしよう』
そう言いながら、俺は彼女の作った朝ごはんに手を付ける。まあ、黒いっちゃ黒いが、死にはしないだろう。
「あっ、で、でも失敗してるし……」
『ほら、あれだ。そんなに裕福って訳じゃあないんだから、食い物は粗末にしちゃいけないしね。まあ、後で周子ちゃんには別に作ってやるよ』
そう言って、俺は目玉焼きらしきものに手を付ける。黒いと言えば黒いが、全身真っ黒焦げというわけではない。途中で黄身が破れたのか、形は歪だったが……。
「……うん、だよねー」
そんな感想を漏らす。正直、おいしいとは言い難いが、彼女の気持ちが嬉しかった。やがて、目玉焼きを食い終えると、
『じゃあ、周子ちゃんの飯作るよ。朝飯は何が良い?』
そう言いながら、皿をもって立ち上がる。目玉焼きで腹が膨れたわけではないが、昼飯ぐらいまでは問題なくもつだろう。やはり、小食になったのかもしれない。
「うーん……。じゃあ、また出し巻きがいい」
彼女は少しばかり遠慮がちにそういうと、俺の隣に立ち始める。どうやら、料理の勉強をするらしい。もっとも、俺はそこまで上手いわけではないのだが……。
「ねえ、Pさん、出し巻きの上手い作り方ってどうやるの?」
『ん? ああ、まあ、まず火加減はこれぐらいでな、油を……』
それから十数分、彼女に対する料理の講義は続いた。まあ、男の一人暮らし料理だから、凝ったものはないし、適当に作ったモノばかりなのだけれども。
それでも、周子ちゃんとこうやって一緒に飯を作るのは、割と楽しい。機会があれば、また一緒に作ってもいいのかもしれない。
「やっぱり、Pさんのご飯はおいしいよ」
そんな言葉が、また聞けるのなら、安い物だ。
……
「やっぱり、Pさんって何でもできるんだねー」
『はは、遊びのことならな。まあ、周子ちゃん程じゃあないけれども』
時刻はもうすぐ18時といったところだろうか。ジャジーな音楽の流れるダーツバーの店内で、俺は周子ちゃんにそう返す。
そして、痛んだ肩を少しぐるぐる回しつつ、ダーツの矢を投げた。それは吸い込まれるように、12のダブルへと突き刺さる。後二投もすれば、0ポイントへ持って行けるだろう。
いろんなアミューズメント施設の入った複合商業施設へと向かった俺たちは、まあ、何というか。放蕩三昧というのが正しいのだろう。
テンションあげて行く為に早速朝っぱらからカラオケに入って、周子ちゃんは今どきのアイドルのポップを歌い、俺は洋楽のラウド・ロックを熱唱する。
しっとりとしたバラードの曲が流れたと思えば、重低音のメタルが響き、俺がネタで歌ったドイツ語の曲に、周子ちゃんは演歌で返す。しかもこれがなかなかうまい。
聞いたところ、周子ちゃんの実家はかなり老舗の和菓子屋らしく、いろいろと厳しくしつけられてきたのだと言う。日本舞踊や演歌も習ったのだとか。
道理で彼女は感性が良い、と思った。最初――それこそ、ダーツバーで会う前に、スーツケースに腰かける彼女から感じたミステリアスな雰囲気の正体なのだろう。
当然、身のこなしも良いから遊びの才能に事欠くことはない。その証拠に――先ほどのボウリングでは、俺が大敗する羽目になった。
まあ、この二年間、営業だとかそんなので歩き回ってはいたけれども、一切運動の類をしていなかったというのもある。
それにしたって、ストライクの回数が倍近いのはちょっと凹んだ。その気になれば、プロになれたんじゃあないだろうか、と思うほどだ。
そのことを言うと、周子ちゃんは笑ってダーツを投げながら、そう言った。彼女の放ったダーツは、見事にインナーブルへと突き刺さり、50点を獲得する。
なるほど、一理あると思った。世の中では、アニメ好きやゲーム好きが転じて、クリエイターを目指す人が多いらしいが、本当に好きではないと続けられないとも聞く。
悪い事ではないのだが、好きなことを仕事にする、というのはそれだけの覚悟と努力がいる。だから、俺も趣味の道を究めることはしなかった。
もちろん考えたことは幾度となくあるが、その度になんだろうか、どうしようもない才能の壁か、努力の溝にぶつかるのだ。
そこを乗り越えるか、飛び越える事が出来るならいいのだけれども、俺はそんな決断力も度胸も根性もなかった。
……そのお蔭で、趣味さえ満足にできなくなってしまった、今の俺があると言うのはまあ、皮肉なことなのだろうけれど。
俺は、傍に置いていたカクテルのグラスを手に取り、少し飲んだ。そして、二投目を投げようとしている彼女に、そう尋ねる。
「んー……、そこそこってところかな。老舗に名を連ねるけれど、そんな三ツ星ガイドに載るようなところじゃないよ」
『へえ、じゃあそれなりに由緒正しい所なんだな』
「まあねー。でも、そんなのが嫌になって、家出してきたんだけどさー」
周子ちゃんはぽりぽり、と頬をかきながら恥ずかしそうに矢を投げる。少し手元が狂ったのか、3のシングルに刺さり、点はあまり伸びない。
俺彼女のしつけの良さやしっかりとした考え方は、その辺りから来るのだと俺は思った。
「お父さんも、お母さんも。それと、おじいちゃんもおばあちゃん。あと、親戚の人もいとこも、皆優しすぎたんだよねー。だから、耐えられなくなっちゃった」
周子ちゃんは、少し申し訳なさそうな、そして嬉しそうな、でもどこか悲しそうな、そんな複雑な表情で言った。
その表情を見ていると、なんとなく放っておくことが出来なくなり、妙な勘繰りは良くないと思ってはいても、
『なあ、もう実家は嫌いなのか?』
そう尋ねた。あまり踏み入ったことを聞いてはいけないのだろうが、もし解決できる問題なら解決してあげたい。それは純粋な俺の気持ちだった。
それに、周子ちゃんの実家としても、可愛い愛娘が家出して、遠出したうえに得体も知れない男の家に上がり込んでいると言うのは、許容しかねるのではないだろうか。
『どうしてだ?』
「あたしはね、Pさん。実家を継いで看板娘になるのが夢だったって言ったよね?」
『ああ、さっき聞いたよ』
「でもさー、お父さんもお母さんも、無理しなくっていいって。あたし一人っ子だからさー、無理して家を継ごうとしてるって思ったみたい」
高校の時も部活なんかに入らないで、ずっと家の手伝いしてたんだ。周子ちゃんは最後の一投をゆっくりと投げながらそう言った。
彼女の投げた第三投目は、やはりふわり、と浮かぶように、しかし疾風のように鋭くボードへと刺さる。表示された残り点数は0ポイント。彼女の勝ちだ。
彼女は、ジンジャーエールね、とかわいらしく俺に言いながら、俺の隣の丸椅子にちょこん、と座る。俺は少し苦笑しながらも財布を取出し、ドリンクカウンターへと向かった。
彼女の奔放な理由……正確にはそうなってしまった理由を知って、俺はどうしても同情を禁じ得なかった。
彼女のご両親や親戚の人たちは、彼女のことを可愛がり過ぎた。そして、幸せになってほしいと願うあまり、実家を継ぐことを不幸と決めつけてしまった。
そこに周子ちゃんの意思はきっとなかった。あるいは、本当はやりたいことがあるのに、家の為に押し殺していると考えたのだろう。
ただそれは、実家を継ぐことが夢だった周子ちゃんからしたら、”お前は要らない”と通告された気分だったのかもしれない。
彼らは味方のつもりだったのだろうが、結果として周り全てが敵になってしまった、というのは周子ちゃんにとっても、実家にとっても皮肉な物だと思う。
……まあ、所詮は下種の勘繰りだから、本当はもっと複雑なのかもしれないし、全然的外れの可能性も大きいが。
「ありがとー」
彼女ののんびりとした声が返ってくる。俺もその隣でカクテルグラスを傾けた。やがて、しばらくそのまま喋らずにいたが、やがてテーブルに置かれたアラームが鳴動する。
どうやら席の時間が来たらしい。
『時間だ、行こう。今日の晩御飯は何が良い?』
「んー、なんでもいいよ。Pさんの食べたい物が良いかな」
『そうかぁ、じゃあ、うーん、何にしようか』
カウンターで席料を支払い、ダーツの矢を返却する。そして、店内から外へと出る。からんころん、というドアベルの音が耳をくすぐる。
外は、いくらか温かさが残っているものの、初春とはいえ冷える。俺は手に持っていたピーコートを周子ちゃんの肩に掛けた。
……我ながら、キザったらしいことだとは思うけれども。
周子ちゃんも、それを感じ取っているのか、からかったりすることはなく、甘んじてそれを受け入れてくれる。
幾分か大きいサイズのピーコートに手を通している様は、何というか、少しほほえましく思えてしまう。いつの間にか、保護者みたいな気分になっていたらしい。
そうして、しばらくそのまま歩いていると、
『なあ』
「ねえ、Pさん」
と、ほとんど同時にお互いに声を掛けた。
「いや、Pさんから」
『いやいや、周子ちゃんから』
そんな、漫画の様な譲り合いをする。やがて、耐えかねたように周子ちゃんが笑いだし、それに釣られるように俺も笑い始める。
「あはっ、あたしたちって、似た者同士だね」
『ああ、全くだ。ははっ』
そう思いながら、家に戻る途中に晩御飯を買って帰るため、大通りへと出る。次の瞬間だった。俺は、雷に叩きつけられたような、そんな衝撃を受ける。
もしそうなら、神様はいくらか俺に厳しすぎる。そんなことを言える立場ではないとはいえ、なんでよりにもよってこんな時に。
「――ねー、Pさん。Pさんったら! どうしたの、急に……」
『周子ちゃん、すまん、今すぐ走って――』
そう周子ちゃんに言おうと思ったが、時の流れというのは残酷だった。そこは、ネオンきらびやかな繁華街で。そして俺の姿も、周子ちゃんの姿もしっかりと照らされていて。
だから、その試みは既に無駄なのだと言うことを、俺は察してしまう。なぜなら、”それ”と完全に目が合ってしまったからだ。
俺は、決して大きいとは言えない俺の体の後ろに、周子ちゃんの体を隠そうと試みる。まあ……あまり意味はないのだろうけれども。
すでに夜の帳も落ち切った時間なのに、まるで嫌がらせだ。さっきまでの天国と今の地獄。四面楚歌というわけではないけれど、絶体絶命。
どうしてこうなったのだろうな。そして、どうして俺はこうなるのだろうな。そんなボヤキが出そうになる。
なあ、神様。これは遊び人だった俺への報いなのか? もしそうなら、あなたは残酷すぎる。
そして、悠久に近しい僅か数秒の時間の後、耳障りで、反吐が出そうになるほど聞き飽きた声が聞こえる。
「良い身分だな、このウスノロ。上司がせっせと働いている中、有給とって女と放蕩三昧か? 役立たずの分際が、一丁前に贅沢し晒すとは、いい度胸だなぁっ」
――クソッタレの、課長の声が。
……
『……お勤め、お疲れ様です、課長』
「お疲れ様、じゃあねえよこのグズッ! 人が汗水たらして働いてる時に、へらへら遊び歩きやがって! 社会人の分際で学生気分かぁ、えェッ!?」
開口二番、そんな怒号が俺を襲う。ああ、この人は変わらないんだなぁ、とある種の安心と感心さえ抱いてしまいそうになる。
その怒号に驚いたのか、周子ちゃんは俺の後ろに隠れたままだ。待ちゆく人々も、何事かとこちらに注目する姿が見受けられる。
『ッ! 課長、それはさすがに』
「うるさい、黙れッ! お前のようなグズの抗弁なんて聞いている暇はないんだよ。その隠れている小娘を隣に並ばせろ、説教してやるッ」
『……周子ちゃん、ごめんね、迷惑を掛ける』
俺はその剣幕に押され、周子ちゃんを俺の隣に並ばせた。その周子ちゃんは、怖がると言うよりかはどちらかというと、怒っているようだった。それも並みの物ではない。
彼女の白い肌が、ネオンに照らされているとはいえ、やや薄暗い現状でさえ紅潮しているのが良くわかったからだ。
俺は俺自身の、あまりの不甲斐なさに、自分で自分を殴りつけたくなった。きっと周子ちゃんも、そんな俺に失望したのだろう。
唐突に課長はそういい、まじまじと主子ちゃんの顔を見た。見るからに嫌そうな表情で周子ちゃんは離れようとしていたが、そんなことはお構い無しに課長は眺めると、
「こいつぁ使えそうだ」
それだけ、言った。何か嫌な予感がする。そう思ったときには、課長の下卑た声が聞こえる。
「おい、お前。この小娘、お前の女か?」
『は?』
「言われたことに答えろ、この能無しっ」
『……いえ』
「じゃあ間柄はなんだ?」
『その……、親戚の子です。下宿探しのために関西から出てきてまして』
ここで馬鹿正直に答えるほど、俺は馬鹿ではない。だから、一番当たり障りのない、ありえそうな答えを言っておいた。
周子ちゃんも、なんだか少し不満げではあったが、相槌を打っている。そうすることがこの局面を打開するのに一番だ、と考えたのだろう。
だが、それが不味かった。
何を言っているんだ、この男は。そう思った。話がつながらない。一体何を言っている。何度もそんな思いが頭をよぎる。
やがて、勝手に満足し、勝手に納得し、こっちのことはお構い無しに下卑た笑いを浮かべると、
「いいか、このろくでなし。明日その小娘を会社に連れてこい。いいな、絶対だ、分かったか?」
『え……? いや、何のため』
「分かったか、と聞いているんだよ、こっちはッ! はいと答えれば良い話を、お前のその貧弱な肥溜め以下の脳みそはなぜ理解できない、このクズッ!」
『……ッ』
いや、百歩譲って、それはいい。俺が耐えれば済む話なのだから。理不尽には慣れている。了承は出来なくても、了解は出来る。
だが、なぜ無関係の周子ちゃんにまで、その矛先が向く? 俺の関係者だからか。たったそれだけの理由で、一切面識のない人間にここまでできるのか。
思えば、契約社員として入ってきてからそうだった。この課長――当時係長だったこの男は、俺だけにはなぜかきつく当たった。
何かの噂話で、この係長より唯一学歴が低い人間が俺だ、と言う話を聞いた。その話を聞いたとき、その程度のことで俺の人権は貶められてきたのか、と愕然した思いがある。
学歴が人間の能力に直結する、と言う考えが間違っているとは俺は思わない。だが、これは……違うだろう。幾ら能力が劣っているとしても、この扱いはない。
その言葉で、自分の中の何かがぷちん、と切れた気がした。次の瞬間には――俺は酷く、冷静になっていた。さっきまではらわたが煮えくり返りそうになっていたにも関わらず。
まるで真夏の南国から吹雪荒れ狂う永久凍土の大地に送られたかのように、俺の思考はとてもクリアになっていく。
『……はい、分かりました』
俺はゆっくりとそういった。その言葉に課長は満足げに、頷く。
「それで良い、いつもそうして俺の言うことにしたがっていればいいんだよ、能無し。俺は帰るからな、きっちり連れてこい」
言いたいことだけを言って、課長は夜の闇に消えて言った。とても満足そうに、へたくそな歌を口ずさみながらだ。
『大丈夫だ、周子ちゃん。周子ちゃんは俺がちゃんと、護るから』
「そうじゃないよ、Pさん。どうしてあんなに言われっぱなしで、悔しくないの?」
抗議するように、周子ちゃんは俺の前に回りこんで訴えかける。俺は力なく笑うしか出来なかった。
『俺なんて、あの程度の人間ってことだよ。いや、猿っていわれたから、もう人間ですらないね、はは』
「でもいつもPさん、夜遅くまで仕事して、休みの日も仕事して、それであんなのって、ないよ、そんな」
『どんな頑張りもさ、評価してもらえなければ意味ないんだ。そういう意味じゃ、俺は間違いなく無能だよ』
自惚れかもしれないが、俺が彼を係長から課長へと押し上げた。その部分は、少なからずあると信じたい。
だが、評価されなければそれは何の役にも立たない。よしんば評価されたとしても、部下の力を上手く引き出した、と課長の評価が上がるだけだ。
それが、俺の立ち位置だった。
『さあ、帰ろう。たまにはハンバーグでも作ってみるかな、はは』
力なく俺は言う。周子ちゃんは何か言いたそうな表情でこちらを見上げていた。
『大丈夫だよ』
安心させるつもりで、そういった。だが、やはり周子ちゃんの表情は曇ったままだ。
晴らせて見せる。大丈夫だ。意志を持って、しかしまるで他人事のように小さく、そして酷く冷静に、俺は呟いた。
……
自然と、目が開いた。心はすがすがしいばかりだ。昨日の夜感じた、憤然とした怒りはどこにもない。
いつもどおりの朝食の準備をし、ワイシャツを着込んだ。少し時間は早いが、まあ、ちょうど良い。
俺はパソコンを立ち上げると、今日の朝に必要な書類をまとめる。社内広報や新しい番組の企画書概要など、それらを手早く印刷する。
やがて、印刷が始まり、元気よくプリンターが動き始めると、コーヒーミルのブザーが鳴り響く。俺はパソコンの前から離れ、キッチンへと向かった。
やはり要領が良いというか、飲み込みが早いのだろう。結局昨夜は、俺がハンバーグを作ると言う話だったのが、いつの間にか周子ちゃんが作るということになっていた。
そして、昨日の朝教えたばかりのことをしっかりと覚えていて、炒飯ぐらいなら作れるようになっていたのだ。
当然、ハンバーグを作ることは出来なかったが、それでも彼女は見事に夕食を作ってくれた。それで俺は満足である。
やがて、朝食を手早く作り終えると、俺はテーブルにそれを置く。俺の物は要らない。今朝はそんな気分ではなかった。コーヒーカップを片手に、俺はパソコンの前に座る。
するべきことは、しておくべきだった。それは俺が社畜だとか、奴隷根性満載だとか、無能だとか、そんなことは関係なく、俺が社会人だからだ。
だから、”これ”もその一つだった。
『ああ、おはよう、周子ちゃん。偉いね、今日は俺が起こさなくても起きたじゃないか』
「もう、そんなこと言わないでよー。最近はちゃんと起きてるでしょ」
『はは、すまん、すまん』
「ん、いーよ。それより……本当に、行くの?」
周子ちゃんは朝食の置いている机の前に座り、そしていただきます、と一声掛けてから食事を取り始めた。
俺は、それにどうぞ召し上がれ、と返しながらパソコンのキーボードを叩き、答える。
『ああ。……すまないな、周子ちゃん。妙なことに巻き込んで』
「いーよ、お世話になってるから。これぐらいはねー」
おいし、と満足そうにご飯をほおばる周子ちゃんの顔を横目で見つつ、俺はキーボードを叩く。そして、また、プリンターで印刷をする。
それを封筒に入れると、他の書類と一緒にカバンへと放り込んだ。
そう、必ず護ると決めた。まるで、寓話の世界の、王子様とお姫様のようだ。
だが、彼女がお姫様なのはともかくとして、俺は間違いなく王子様と言うわけではない。
ただの一般人で、ただの底辺社会人で、社会の急流に飲み込まれる、一枚の木の葉だった。優柔不断で、流れに身を任せることしか出来なかった。
そんな俺は、周子ちゃんによって救われた。項羽のように、周囲は全て敵で誰も味方はいなかった。そこに突如として現れた、虞美人のような存在。
だが、似ているのは立場だけだ。共に死ぬことは許さないし、俺が嫌だった。だから、周子ちゃんだけは護りたい。
――恋と言うわけではないと、思う。そんなことはきっと、俺には分不相応だ。俺にとっての、恩人だから。それだけ、それだけだ。
『ああ。じゃあ、服着替えて、行こう。ちょっと歩くけれど……いいかな?』
「ん、構わないよー」
良い話なんて、絶対ありえない。いや、見方によれば良い話なのかもしれない。俺にはそのあてが付いていた。
だから、周子ちゃんに全てをゆだねることにした。別に、人任せと言うわけではない。周子ちゃんが望むなら、それは受け入れるつもりだ。
だが、周子ちゃんが望まないのなら。そして、望まないのに強いられ、俺と同じような立場に陥るのなら――。
(そのときは、覚悟をしないといけない)
まあ、なるようになる。楽天的に考えるのは、俺の良いところであり悪いところだ。だから、大丈夫だ。
「行って来まーす」
俺たち二人は、無人の、俺たちの家にそう告げた。
それから、三十分の間、殆ど俺たちの間で会話がなされることはなかった。周子ちゃんは黙りこくっていたし、俺は喋る必要を感じなかったからだ。
喋ることはたくさんあった。だが、今はそのときではない。そう思っていたとき、周子ちゃんは俺に尋ねた。
「ねえ、Pさん」
『ん、どうした、周子ちゃん』
周子ちゃんは、少し言いにくそうな表情で、おずおずと聞く。
「なんでPさんは、あたしを泊めてくれたの? その、言いにくいなら、良いんだけれど」
やがて、周子ちゃんはそう俺に尋ねた。言いにくい、と言うのはいわゆる、カラダ目当てということなのだろう。
俺は少し思い返してみた。あの時、どうして周子ちゃんを泊めたのだろう。
俺は、そう答えた。きっと何か理由があるはずだ。そう考えても、全く出てこなかったから。
『前も言ったけれど、カラダ目当てってわけじゃあ、ないよ。それは保障する』
「じゃあ、なんで。そうじゃなかったら、アタシなんて泊める意味、ないのに」
『強いて言うなら』
俺は笑い、そして言う。
『周子ちゃんに、ダーツで負けたから、かな』
「……それだけで?」
『もちろん、誰でも泊めるって訳じゃないよ。ただ、この子なら良いかなって、そう思ったんだ』
理由なんて、その程度で良い。所詮はきっかけでしかない。あえてこの言い方をするなら、彼女を拾ったことに、大きな理由なんてないのだ。
本当に、すべては偶然だった。普段は俺に厳しい神様の、ほんのちょっとした気まぐれと言うやつだったのかもしれない。
それだけで、俺はずいぶんと救われたもんだ。モノクロどころか、スケッチのような線画でしかなかった俺の生活が、彼女のお陰で極彩色のハイビジョン映像のようになった。
そういって、彼女の頭に手を置く。どこか不満げに見えた周子ちゃんだったが、やがてため息をついて、そして笑う。
「……Pさんに助けてもらって、良かったと思うよ、あたし。他の人だったらきっと、あたしはもう戻れないところまで行ってしまったかなって」
彼女はそういって、嬉しそうに俺の撫でを受けていた。
俺も、実際そうだと思った。彼女は見た目とは正反対なほど、純粋で純真だ。彼女の肌と同じくらい、彼女の心は無垢で真っ白だった。
もし、悪い人間に拾われていたら、瞬く間に彼女の心は悪に染まったかもしれない。そういう意味では、俺も、彼女も、運がよかった。
また、それから俺たちの間に言葉はなくなった。それは気まずい沈黙と言うわけではなく、居心地のいい沈黙で、なんとなくだが、彼女と心が通じ合っている気がした。
そんなことは実際ありえないとしても。それが俺の豊かな妄想によって生み出された錯覚だとしても。そう思えるなら、それで良いと言う気さえする。
そして、ようやく到着した。大きなビル、大手プロダクションの社屋だ。その前に立って、俺は小さく呟いた。
『……これが、俺の”垓下の戦い”だよ』
かつて、幼い頃に読んだ項羽と劉邦の物語。その終わり、項羽が包囲された垓下に、今から俺は赴くのだ。そう思った。
……
俺は、ただその時を待った。間もなく、課長が出社してくる時間だ。
課長の机の前で、うら若い少女と共に突っ立っている俺の姿は、同僚からは奇異に見えることだろう。
俺がいなかった出張と休暇の間に、課長はこの企画課へと戻ってきたらしい。やがて、俺の不在に腹を立てたらしい課長は、俺の代わりに別の同僚たちへ当り散らしていたようだ。
俺が出社したときに、やや恨めしそうに俺を見ていた人たちがきっとそうなのだろう。
それに同情こそすれ、俺が謝ることではない、と思っていた。もちろん、向こうもそんなつもりはないらしく、俺に謝罪を求めることもなかった。
とにかく、諸悪の根源が課長であることは誰もが分かっていた。そういう意味で、完全に敵だらけ、というわけではなかったのだろう。それが俺にとっては幸いだった。
始業のベルの数分前に、ずかずかとやってきた課長は、横柄にそういうと机の上にカバンとコートを放り投げて、そう言った。
開口一番、それか。俺は賞賛さえ送りたくなる。それをぐっと堪えると、きっちりと礼をしながら、
『……おはようございます、課長』
と、挨拶をする。それに当然、帰ってくる言葉はない。やがて、始業のベルが鳴り、俺たち二人は立ち呆けのまま、ほかの同僚たちは仕事を始める。
「それで、だ。そこの小娘、ああ、名前はなんていう?」
課長は椅子に座ると、ゆっくりと息を吐きだし、そう言った。それに周子ちゃんは応えない。酷く腹立たしげに、黙っているだけだ。
そう言いながら課長は、机の引き出しから紙を取出し、それを俺たちの前に放り投げる。机の淵から落ちそうになったそれを、俺はつまむ様に手に取る。
『雇用……契約書ですか』
「誰が読めと言った? 早く名前を書かせろ、ウスノロ」
俺が悪いかのように、課長は鬱陶しいハエを追い払う様な表情で言った。俺は一瞬だけ目を閉じ、息を吐きだす。
やはり、というべきなのだろう。この男にとって、俺の関係者は全て道具に見えるらしい。
「まあ、お前には関係のない話だがな。俺は来期からこのしみったれた企画課じゃなくて、プロデュース部に移る。分かるか? 俺はプロデューサーになるんだよ」
まるで自分が皇帝にでもなったような口ぶりだ。それがそんなに偉い事か、と言葉を吐きそうになるが、それはぐっとこらえた。
「っ! そんなの、お断りだよっ! そんなこと言われて、はいそうですかって言ってもらえると思ってるの?」
その言葉に、とうとう周子ちゃんは耐えかねたのか、大きな声ではっきりと拒絶する。普段の周子ちゃんの、自由で奔放そうな様子はどこにもない。
「黙れ、小娘! それが目上の人間に対する態度か? 目上の人間に命じられたら黙って言われた通りにすればいいものを、生意気な屁理屈を捏ねるしか能のないガキがッ!」
「ッ! 何それ、信じらんないっ」
完全に頭に血が上っているのか、周子ちゃんは俺の方を一瞬見ると、さらに噛みつくように課長へと言い返す。
本当に、芯がしっかりしている。場違いにも、俺はそう思っていた。俺とは違う、俺みたいな優柔不断さはどこにもない。
彼女のような、自己主張が出来れば、きっと俺はここまでにはならなかったのかもしれない。そう思わされるほどだった。
「生意気を言うな、と言っているのが聞こえないのか、この低能ッ! このグズは救いようのない無能で、その無能を使ってやってるんだよ。泣いて喜ばれるのが当然だろうがッ!」
「なにが無能さっ! どれだけPさんが仕事をしているか、何も知りっこない癖に! Pさんがいなかったら何もできないのに、良くこんなことができるねっ!」
「なん……だとッ!? 小娘が……ッ」
課長は額に青筋を浮かべ、握りこぶしは机を揺らすほどに震えている。すでに瞬間湯沸かし器も真っ青になるほど、顔を真っ赤にしていた課長だったが、
「おい、貴様ッ! 家で一体何を躾けているんだッ!? とっととこの小娘に、アイドルになるよう説得しろ、役立たずッ!」
とうに沸点を突破していた熱湯はやがて、俺にも飛びかかってきた。きぃん、と耳鳴りが起きそうなほどの大音声は、すでになれた物であるが、いつ聞いても耳障りな物だ。
ともかく、これ以上ヒートアップさせるのは良くない、と思った。この期に及んで円満な解決はできない、と分かっているのに、俺の優柔不断さは一級品のようだ。
それ以前に、彼女が望んでいないのだから、雇用契約も糞もない。そんな正論を吐いたところで、何の意味もないのだけれど。
その言葉に、一瞬、心の中におどろおどろしいほどの、紅蓮の炎が躍った。それは間違いなく、明確な嫌悪と怒りだった。
俺が馬鹿にされるのは構わない。俺が耐えればいいんだから。だが、周子ちゃんを馬鹿にするのは、酷く腹が立った。
俺の恩人に、何を言ってやがる。そう、言えればどれだけ恰好が良かったことか。自分が情けなくなる。
やがて、周子ちゃんが呆れたように、そしてもう相手に出来ないと言った様子で俺の方を向く。
そんな言葉を残し、踵を返そうとした。とても不機嫌そうだったが、どうやら俺に対する怒りよりも、課長に対する怒りの方が大きいようだ。
まあ、それは当然の話なのだろうけれど、もしかしなくても俺の事も、愛想を尽かしている事だろう。少し、気が重くなる。
だが、その様を見た課長は、机を握りこぶしで叩きつけ、
「まだ話は終わっておらんぞ、小娘ッ! グダグダ言わずに、とっとと名前を書けばいいんだよ!」
と、吼える。それに対して、周子ちゃんは、
「そんなものにサインするぐらいなら、消費者金融の連帯保証人にサインする方が、ずっと、ずうっとマシだよ! あたしに二度とそんな話、しないで」
そう言い捨てると、たったっ、と早足で歩きはじめた。
情けない思考だが、俺はそう思った。こんなことは慣れている。彼女に害が行かなければそれでいい。
そういう意味では、どうやら周子ちゃんにこれ以上の嫌な思いをさせなくて済むようだ。今日は美味しい寿司でも買って帰ろう。そして俺は、ふと課長の方を見た。
さぞ怒っている事だろう。いい気味だ。まあ、その分俺に返ってくることだろうけれど、少なくとも俺は”項羽”にならずに済んだらしい。そう思っていたのだ。
だが、コケにされて、怒り心頭といった様子の課長は、赤銅色と言っても過言ではないほど顔を紅潮させて、しかしその口元は底意地の悪い、下卑た笑みを浮かべていた。
何をするつもりだ。まさか、周子ちゃんに危害を加えよう、というわけではないだろうさすがにそこまで行くと、俺が耐えるまでもなくお縄になる。
なのに、背筋の寒気が止まらない。まるでヌメヌメとした気持ちの悪い粘液を、顔に塗りたくられているような、そんな気分。
課長は、震える声で、怒りを押し殺しながら、しかし愉快で愉快でたまらない、といった様子で言う。まるで、物語の悪党のようなその様子に、俺は心底嫌悪する。
そして、周子ちゃんもため息をつきながら、もはや振り返ることなくただ一言、言い返す。
「お断りだよ」
そして、再び歩きはじめた。その周子ちゃんに、課長はいびつに口角を吊り上げ、言った。
「この男の仕事が無くなってもいいのだな?」
何を、言っているんだ。思わずその声が出そうになる。が、余りに突拍子のないその言葉に、上手く声が出ない。
対して、周子ちゃんは足を止めて振り返った。そして、俺を見ている。
「……最っ低!」
「なにが最低だ? 俺は貴様らにチャンスを与えてやっているんだ。光栄に思えよ、無能共」
下種だ。この男は、とことんまでに下種なのだ。知っていた、というのはあまりに浅はかだった。ここまで性根が腐っているとは、思ってもみなかった。
こんなことが許されるわけがない。許されるわけがないのに、俺にはそれに対抗する手段がない。
民事裁判を起こそうと思えば、起こせる。だが、それを戦うだけの弁護士を雇うかねなんて、俺にはなかった。
それに、たとえ買ったところで会社に戻ってくることは不可能だろう。戻れたとしても、余計な面倒を起こした人間だ。年次更新の契約更改で切られるのは目に見えている。
それを不当解雇にするにも、やはり裁判なのだろう。そして、この課長はその裁判で決して折れることはない。目に見えていることだ。
結局、よほど行動力があって、よほど頭が良くないと、泣き寝入りするしかないのだ。
「最後通牒だ、と言った。書くか、書かないか。早くしろ、俺は忙しいんだ」
勝ち誇った顔で、課長は言う。その前で、周子ちゃんはうなだれた。いつもは凛とした表情の周子ちゃんが、まるで覇気を失っている。
心が痛んだ。そんなことをさせてはならない。そして、そんな姿は見たくない。俺は、いつも笑っている周子ちゃんが見たい。そして、そんな周子ちゃんが好きだ。
だが、俺は限りなく無力だった。やり返す力もないし、権力もない。才能もないし、度胸もない。意思はあっても、方法は限りなく少ない。
「それでいい、小娘。最初からそう、しおらしくしていればいいんだよ、グズめ」
周子ちゃんは、大きくため息をついた。そして、諦めたように、傍のポールペンを手に取る。目の前に置かれた雇用契約書に、目を落とした。
そこに書かれた文言は、彼女には縁のない言葉すぎてきっと、分からないだろう。本来なら、懇切丁寧に説明しながら、書く様なものだ。
当然、それに説明などない。この課長が欲しいのは、奴隷契約のためのサインだけなのだ。
そして、その名前の欄に文字を書きはじめるため、周子ちゃんはボールペンをノックした。
彼女は、自分の名前を書きはじめようとする。その為に、ペンの先を紙に押し付けた。
俺に、出来ることは、ない。
『周子ちゃん、そんなことはしなくていい』
――ただ一つを除いて。
俺は静かに言葉を紡ぐ。そして同時に、課長の机へと封筒を一つ、置いた。
「……? 何のつもりだ、ウスノロ」
『この際です。一切合財を、はっきり申し上げます、課長』
ゆっくりと息を吐く。酷く、胸が痛い。緊張や苦痛と言ったものではない。たとえ覚悟していても、たとえ横暴な上司相手でも、直言は嫌いだ。
それが、俺の優柔不断さの表れだとしても、俺が耐えれば済むなら俺は耐えただろう。実際、二年耐えたのだ。あと二十年耐えるのは、そう難しい事ではない。
だが、この目の前の男は、俺以外の人間にも矛先を向けた。それが他人であれば、俺も無視できただろう。冷淡と言われようとも、それは現代人である以上仕方のない事だ。
しかし、課長が向けた先は、周子ちゃんだ。俺の恩人で、俺の生活を少しでも彩のある物に変えてくれた人だ。それは――許せない。
「なにを言っている……?」
「P、さん?」
俺は、傍に置いていたカバンを持った。そして周子ちゃんの手を引く。慌てたように、もう一度周子ちゃんが俺の方を見るが、俺は意に介すことはない。
『今まで、お世話になりました、課長。俺が、この子を護る手段はこれしかなかったことを、とても残念に思います』
その言葉を聞いて、跳ねるように課長は俺の封筒に目を落とす。俺が封筒の表に書いた言葉はただの一言だけだ。
「退職届、だ、と」
何か信じられない物を見る様な、そんな表情と口調で、課長は封筒を見ていた。その言葉を聞いた周子ちゃんも、目を瞬かせる。
『これでいいんだ。辞められてせいせいしているよ。耐える事にはなれていたけれども、でも楽しくはなかったから』
俺は微笑んだ。少し、強がりもある。だが本音だった。
正確には、今すぐ辞められるわけではない。しかし、これから二週間の間、俺は一切の業務をすることはない。出社拒否というやつだ。
よしんば、この退職届が課長によって破られようとも、今日の帰り道に内容証明の郵便を会社に送ればいい。
こんな強硬手段に出ることは避けたかった。課長が、周子ちゃんに対して脅しをかける事さえなければ。いまさら、言っても詮のない事だ。
「認めん、認めんぞ、こんなもの」
やはり、というべきか。課長はそういって目の前で破り捨て、俺に向かって破った退職届を投げつける。紙片と化した退職届が俺の顔に当たる。
俺は、はらはらと落ちていくその無数の紙片を、まるで他人事のように眺めるだけだ。
「貴様のような能無し、二度と就職できるわけがない。辞めたらこれから一生、露頭を迷うことになる。考え直せ、自分の無能をわきまえろ」
今更、そんな慰留ともいえない言葉を投げかけてくる。手はぶるぶると震え、しかし怒っているわけではない。顔が少し青くなっていたからだ。
やはり、俺がいなくなると困るらしい。どうやら俺は本当に、この男の役に立っていたのだろう。
あるいは、従順だと思っていた奴隷が、ある日突然反旗を翻したことをいまだに信じきれないのかもしれない。
ざまあみろ、とは思わない。むしろ、不憫に思う。もし、彼が今の地位を得るために、俺の力を少しでも使っていたのなら。きっと維持する事さえ難しくなる。
『もう、決めたことです。プロデューサーに役職を変えてからの、益々のご活躍、お祈りしておきます』
「馬鹿な、貴様が。貴様……」
口元をわななかせながら、そんな言葉にもならない言葉を吐きだす。しかし、すぐに思い出したように周子ちゃんを見る。
「ッ、この際貴様はどうでもいい。その、その小娘を置いていけ。まだ話は終わって――」
『終わりましたよ、話は。彼女は断った。それは俺だけではなく、ここの同僚たちも聞いています。だから、もうあなたは彼女を引き留めることはできない』
ここまで冷静なのは、どこか俺が諦めているからなのか。思考も、感情も何もかもがとてもクリアだ。
ただ一点、周子ちゃんを無事に帰さなければならない。そんな庇護心、責務だけは、今も俺の腹の中で燃え盛っている。
いや、もはや庇護心や責務というには少し、感情的すぎるだろうか。
(きっと、これは独占欲なんだろうな)
内心、そう思った。こんな課長に、周子ちゃんを取られたくはない。その一心だった。無論、俺の物というわけでもないのだけれど。
そんなわけのわからない理論を並べ立ててくる。最早、事の当人でなくなった以上、客観的にみるとこの男は、とても憐れに見えた。
決して、共感はできない。俺は課長と違って横暴なことはできないし、我も強くない。不本意だけれど、才能もないだろう。
だが、同情は出来た。自分が望んだのか、それとも望まずしてそうなったのか。自業自得なのか神のいたずらなのか。それは課長にしか分からないけれど。
でも彼もまた、周囲全てを敵に回していた。俺と同じ、四面楚歌だ。だから、同情だけは出来た。
「違う物か、お前の意見は――」
『彼女は、俺の親族じゃあ、ないです。偶然、縁があって家に泊めることになった、赤の他人ですよ』
その言葉に、一瞬辺りがざわめいた。当然だ、社会人として、いや人間として軽蔑されるような行為を働いた。そう思われて当然だ。
課長の理論に、とどめを刺すためにはこの言葉が必要だった。その代償に、俺の名誉が損なわれるとしても、だ。
だが、そんなことは俺にとってどうでもよかった。そのぐらいのことは、慣れている。それよりも、ずっと俺の心をむしばんだものがある。
赤の他人、という言葉を吐いた瞬間、ちくりと胸が痛んだ。こんなことを周子ちゃんの前で言いたくはなかった。彼女を傷つけるかもしれない、と思った。
その方が、ずっとつらかった。だから、彼女の顔を直視する事さえ、できなかった。
『はい。課長には嘘を申し上げました。ですが謝罪をする気もありません。彼女を巻き込みたくない一心でしたから』
でも、結果的にそれが仇となりました。そう続ける。嘘をつかなければ、まだこの会社で働くことになったかもしれない。
辞めること。それが良い事かどうかはわからない。
『話は以上です。今まで、お世話になりました。引継ぎ等はご自由になさってください。私物もすべて、寄贈いたしますので』
俺は小さく礼をすると、つないだままの周子ちゃんの手を引いて部署を後にする。
後ろの方で課長が、何かを言おうとしている気配を感じた。だが、何も言葉は飛んでこない。身構えてしまうほど、拍子抜けした最後だ。
だが、終わるときはそんなものなんだろう。課長も、まだ全てを理解しきっているわけでは無さそうだ。そして、俺もそうだった。
部下がこんなことをしているのに、何もできない、という点を見て取れば、彼は無能なのかもしれない。まあ、俺が言える立場ではないから、口には出さない。
激昂はしていない。落胆もしていない。心が眠っているように、静穏に包まれている。
『ん、なんだい?』
「その……。ごめんなさい」
『何がだ、周子ちゃん?』
「あ、あたしのせいで、仕事……、辞めさせちゃった。あたしが、あんな風に怒らせたから……」
企画課のドアを出た瞬間、周子ちゃんが泣きそうな表情でそう言った。その頭を、優しく包み込むように抱くと、少し笑う。
『どのみち、ああなったさ。課長は、いつもあんな人だから』
そして、さあ、行こう、と再び歩きはじめる。会社内で、若い少女と手を繋いで歩いている様は、とても奇異に見えただろう。
だが、それを止める気はない。この手を繋いでいる事だけが、今俺の心を安定させている。周子ちゃんも、それを察しているのか、しっかりと握ってくれていた。
やがて、大手プロダクションの社屋の外へと出た。そこでようやく、彼女の手を離す。少し名残惜しかったが、堅く結ばれた紐を解くようにゆっくりと、指を開く。
「だ、大丈夫、Pさん?」
『ああ、ちょっと気が抜けちゃったみたいだな、はは、こりゃあ恥ずかしい』
そう言ったが、すぐに妙な違和感を抱いた。頬を触る。濡れていた。泣いているのだ。
そのことを自覚した瞬間、心の中から様々な物が噴き出してきた。理不尽に対する怒り、評価されないことに対する憤り、様々なことがあっても二年弱勤めた会社への愛着。
誰も助けてくれないことに対する悲しみ、素直に自分を褒めてくれた人への感謝と喜び、責務を放棄することへの呵責と葛藤。
社会人になってからの、俺の全てが詰まった会社だった。決して楽ではなかったし、喜ばしいことは数えるほどもなかった。
それでも、俺が勤めた会社だったのだ。
(本当に、終わったんだな)
そうだ、全てが終わったんだ。俺は思った。やがて、ゆっくりと一つの事実を確認し、それを噛み締める。
『周子ちゃん』
俺はまだ止まらない涙を拭うと、心配そうに俺を支えてくれる周子ちゃんの方を見た。
まるで、女房のような、そんな存在に思えた。愛しささえ感じる。彼女のおかげで、助かった。俺は救われた。
彼女がいない生活というのは、今の俺には想像できない。俺のあの、見栄を張って借りたマンションには、周子ちゃんの存在が息づいている。
だから、言わなければならない。俺のため、彼女のため。全て、ここで終わりだ。
『京都に、帰るんだ、周子ちゃん。もう、一緒に暮らすことはできない』
一瞬、時間が静止した気がした。周子ちゃんは何を言われたのかも、分からない様子だった。
「え、と。Pさん?」
『もう、周子ちゃんを養うことはできない。仕事を辞めたからね。そして、周子ちゃんには実家がある。……帰るべきだ、すぐにでも』
告げる。自分の気持ちをすべて押し殺して。自己陶酔でしかないと自覚はしている。それでも、告げなければならない。
俺の”垓下の戦い”は、もう終わりを告げた。今から始まるのは、項羽の逃避行。そして、烏江での自刃だ。
それに、”虞美人”を巻き込むことは、したくない。滅びるのは、一人で十分だ。
『帰るところが周子ちゃんにはある。俺にはないけれど、人が一人生きていくだけの仕事は、きっと探せばあるよ』
「あ、あたしも。バイトしてお金稼ぐからっ。コンビニのバイト、面接落ちちゃったけど、でも、すぐ探せばきっとあるとおもう。だから……」
『周子ちゃん』
俺は諭すように、彼女の眼を見て言う。少し、彼女が体を震わせる。怒られる、と思ったのかもしれない。
『大丈夫、離ればなれになっても、二度と会えないわけじゃあないんだから。周子ちゃんがしっかりと実家を継いで、もし俺が京都に遊びに行くことがあれば、会いに行くよ』
きっと、その時は来ないだろうけれど。その言葉は飲み込んだ。今の世の中、仕事は探せばいくらでもある。だが、俺の学歴と職歴じゃあ、日銭を稼ぐのがやっとだろう。
そんな底辺人間に、京都へ遊びに行く余裕なんて、まるでない。叶わぬ夢だ。だから、これは周子ちゃんを帰らせるためだけの、方便に過ぎない。
騙していると、自己嫌悪に陥りそうになるのを、俺は何とかこらえ、それらしく並べ立てた理由を添えて説得する。
きっと、いつもの俺なら、このままずるずると一緒に暮らすこともできただろう。だが、待っているのは破滅だ。
その破滅から、周子ちゃんだけは、救いたい。自己犠牲というわけではない。助かる人間は、助かるべきだ。それが、自分の大事な人ならなおさら。
『この、一か月弱、すごく楽しかった、ほんとに。ずっと、ずっと一緒に居たいと思ったよ』
まるで、プロポーズの言葉だ。だが、これはきっと、永久の離別となる言葉。現実はあまりにも非情だ。
やっぱり、神様ってのは俺には厳しい。けれども、救いは残してくれる。彼女との思い出がそうだし、その彼女を助ける道もある。
俺の眼からこぼれる涙は、まだ止まらない。感情の整理がつかないせいもある。だが、やはり、寂しいし、悲しいのだ。
それに誘われるように、周子ちゃんの瞳からも涙が流れる。不覚にも、それは綺麗だ、と思った。
だが、やっぱり俺は。
涙を流しながら言っても説得力はまるでない。
周子ちゃんは、泣きながら、笑ってくれた。そして、静かに頷いた。
帰り道、俺と周子ちゃんの間に会話はなかった。さよならを告げた。彼女は、京都へ帰るのだ。俺は彼女をしっかりと、目に焼き付けようと思った。
彼女と、腕を組んで買い物に出かけた。そして、彼女がご飯を作ってくれることになった。やはり、手際は良い。
周子ちゃんと一緒に、出し巻き卵を作った。彼女の味付けは、絶妙だった。流石は和菓子屋の娘だ、と少し関係ないかもしれないけれど褒めた。
彼女は、笑ってくれた。
昼からは、あのダーツバーに出掛けた。少し早い時間帯だったから、店内は空いていた。そこで、また周子ちゃんと勝負をした。やっぱり、負けた。
『ああ、そうだね』
負けた条件に、そんな約束を交わした。もちろん、それは果たせれば、果たすつもりの約束。
出来るかどうかは、別の話。小学生みたいな屁理屈を捏ねることになるけれども、いつか果たせればいいな。そう思った。
三回やって、全部負けた俺は、晩御飯を奢ることになった。と言っても、安いファミレスで、ちょっとした夕食を奮発しただけだ。
彼女はハンバーグを注文して、俺はサンドイッチ。小食なのだ、とまた自覚する。
結局、彼女に俺のハンバーグを食わせてあげることが出来なかった。特にうまいわけではない。ただ、男の手料理は炒飯とハンバーグ、と勝手に思っていた。
周子ちゃんの笑顔が、眩しかった。いつまでも見ていたい、と思った。
それから、何時間経っただろう。いったん家に帰った俺たちは、彼女の荷物を整理することにした。と言っても、俺がすることは、ほとんどない。
やがて、二人で家を出た。
『ん、どうした』
「……手、繋いでいい?」
『はは、しょうがないなあ』
内心、ドキッとしたけれども、俺はそんなそぶりを見せないようにして、自分の手を差し出した。また、彼女の笑顔が見れた。
そういう、楽しい時間はすぐ過ぎるもので。気が付けば、最寄りの駅の改札に着いた。券売機で、切符を買った。ついでに、新幹線の切符も。
「こんなの、駄目だよ、Pさん」
彼女はそう言ったが、もう買ってしまったよ、と苦笑する。少し非難の眼で見られた気がするが、大きなため息をついて、周子ちゃんは受け取ってくれた。
「絶対、絶対いつか返すんだからね」
『ああ、待ってるよ。だから、周子ちゃんも待っててね』
そう言った。少しだけ、笑う。呆れたように、周子ちゃんも笑ってくれた。
周子ちゃんは大きなキャリーバッグを引いて、改札の向こうへと行く。少し、名残惜しそうにしていたが、新幹線の時間が近かった。
彼女の姿が、消えるまで俺は見送った。そして、一人で家へと戻る。
ドアを開けて、そう声を掛ける。答えは、何も返ってこない。
俺は、着ていたシャツとジャケットを無造作に、洗濯物の籠に放り込んだ。スウェットに着替え、パソコンを立ち上げる。
そして、文書ソフトを開いたところで、もうすることはない、と気づいた。
『はは、ぼけてやがる』
小さく、呟いた。そして、スタンバイモードに切り替えると、ソファに横になる。考えることはたくさんあった。これからのこと、明日のこと、自分のこと、周子ちゃんのこと。
考えているうちに、俺の意識は薄れていく。
翌日、けたたましいアラームでたたき起こされた。時間は、七時を少し過ぎたところだ。
俺は少し、頭を振って意識を鮮明にする。そして、キッチンへと向かい、コーヒーミルを起動した。
そして、朝食を作り始める。今日はハムエッグと、トーストだ。丁度、焼き上がったころにミルのブザーが鳴った。
コーヒーカップをパソコンの前へと持っていくと、机にハムエッグとトーストを並べた。いい匂いが、ここまでくる。
座る人は、いない。
一週間、経った。
部屋の片づけは済んでいる。後は、引っ越し会社に連絡するだけだ。掃除をしてみて分かったことだが、俺はどうもかなり私物が少なかったらしい。
それも当然で、処分予定の書類や資料作成のガイドなんかを裁断すると、本棚にはほとんど何も残らなかった。漫画が数冊と、歴史小説が数冊ぐらいしか、めぼしいものはなかった。
『ん、ん……。ああ、いい天気だ』
気持ちのいい、春の陽気が近づいてきている。まだ寒い事には寒いが、梅の蕾は芽吹き始め、コートが不必要な日もあった。
ポケットに入っているスマートフォンには、ひっきりなしに会社からの連絡は入っていた。それらを、すべて無視した。
あの日、内容証明で封筒を送ってから、出社拒否という形ですでに会社とは音信を取っていない。課長の連絡先は削除し、全ての連絡を拒否しておいた。
社会人として、無責任な事この上ないと思っていたが、まあ、その点に関しては俺もそう思う。言い訳をするつもりはないから、非難されたら甘んじて受け入れるつもりだ。
だが、決して連絡は受け付けないことにした。俺の意志はもう決まっているのだ。優柔不断と言われていたが、決める事が出来ればしっかりとそれを持つことは出来る。
そうすれば、もしかしたら課長も態度を改めてくれたかもしれない。優柔不断さで俺は耐え続け、課長を増長させた。その可能性は大いにある。
だが、もう今更だ。とにかく、今は新しい就職先を探さなければならない。幸いにも、このシーズンは年度末というのもあり、求人には事欠かない。
可能な限り、給与のある仕事を探したいところだったが、俺の経歴では難しい。だからすでに、今のあの部屋を引き払う準備はしておいた。
丁度引っ越しのシーズンだから、大家さんにももう伝えてある。契約の更新はギリギリまで待ってくれるそうだ。それは素直にありがたかった。
(ちょっと、休憩していくか)
転職雑誌を片手に、俺は公園のベンチに腰掛ける。隣にあった廉価自販機でコーヒーを買った。味は、良くない。まあ、缶コーヒーなんてこんなものだ。
どこかの営業か、事務でもいい。どっちも、あの会社で死ぬほどやらされたことだ。履歴書さえ通れば、面接で売り込みは出来るだろう。
また、足音が聞こえた。二つ、いや三つか。家族連れだろうか。そう思って、俺は顔を上げることはなかった。
やがて、読んでいる雑誌のページが暗くなった。前を向く。少し、驚いた。見知った顔だったからだ。
その人は、後に二人の男性を引き連れて、豪放そうに笑いながら、俺に声を掛けた。
「おう、Pくん。久しぶりやのう、覚えとるか?」
『部長……? こんなところに、どうしたんです』
そこにいたのは、あの関西の部長だった。どうしてこんなところに、という思いよりも、俺に何か用なのか、という漠然とした猜疑心が強く出た。
そして、部長には何も関係のない事じゃないか、と自分を戒める。むしろ、部長は俺を評価してくれたのだ、邪険に扱うというのは、筋が違う。
しかし、偶然ここで君を見かけてなあ、と部長は言う。それが事実かどうかは別にして、俺は部長の言い分を信じることにした。
『はぁ……。それで、俺に何か用でしょう。あんまり、話すことはないと思うんですが』
しかし、信じるかどうかと、俺の立場は別問題だ。そう思って、やや強い語調で言った。言外に、大手プロダクションへ戻る気はない、と伝える。
たとえ、あの会社の社長じきじきの差し金であっても、話したことも、会ったこともない人に求められて、その上課長の下に戻るのはごめんだ。
そうでなくても、いい思い出はない。無論、愛着はある。何を言ったところで、俺が勤めた企業に変わりはない。ただ愛着はあっても、それはまた別の話だ。
「わはは、嫌われたもんやなぁ、まあ、しゃあない。ちょっとでも戻ってきてくれるかもしれんと思ったが、無理そうやな」
部長はそう言って笑う。やがて、じゃあ本題や、と部長は言った。
一瞬何を言われたのか、分からなかった。俺に会いたい? 新手の勧誘詐欺か。そんな、すっとぼけたことしか頭に浮かんでこなかった。
やがて、部長の後ろの二人が俺のほうへと一歩、進み出る。おぼろげだが、記憶はある。恰幅の良い中年男性と、あばた顔の男性。
『ええと、確か……』
「覚えているかね、Pくん?」
『ええ、えっと。部長の書類を渡しに行ったときの。シンデレラガールズ、でしたっけ。社長さんですよね』
一か月ほど前だろうか。部長に頼まれて、シンデレラガールズ・プロダクションという場所に書類を持って行った。
役職は上とはいえ、勝手に他部署の人間のお願いを聞いたことで、課長に怒られたからよく覚えている。
初めて、名刺をもらった人だった。忘れられるわけが、なかった。
「うむ、良く覚えているな。じゃあこっちは覚えているかね?」
今度は、社長に言われた人を見る。丸顔であばたが目立つ、中肉中背の男性だ。しっかりとは覚えていなかったが、酷く声が冷たかったと言うか、鋭かった覚えがある。
確か、懐刀だとか。そんな風に呼ばれていた気が、しないでもない。自信はないけれど。
「ほう、なかなか物覚えも良い。惜しい人材を逃したな、部長」
「全くや。あいつがこの子の代わりになれるとは到底思えんが、まあ、なんとかするしかないやろ」
「お前が言うんだから、そうなんだろう。昔から人を見る目は、私より良かった」
「わっはは、他の分野では全部負けとったけどなぁ」
何やら込み入った話をしているようで、俺は置いてけぼりになっていた。欲しいとか、物覚えが良いとかも、ちょっと良くわからない。
そんな俺を尻目に、三人はなにやら協議のようなものを続けているようで、しかしやがれそれが終わると、部長はシンデレラガールズの社長に言った。
「まあ、後はお前に任せるわ。腕の見せ所やなぁ、えぇ?」
「当たり前だ。この玉は、きっと手に入れる。欲しい人材に目がないのは、知っているだろう」
「わはは、変わらんな、お前も」
部長は、するべきことを終えた、と言わんばかりに、陽気に手を振って去っていく。俺はそれをぽかんとしながら見ているだけだ。
やがて、社長は俺の方へと向いた。
そして、そんな言葉を俺に投げかけた。一瞬、静寂が辺りを支配した。
拍子抜けと言うか、何と言うか。どこか面白おかしく感じるほど、なんのひねりもない言葉だった。例えるなら、105マイルのど真ん中ツーシームといったところだろう。
それほど、鮮やかで、一切の混じりけのない言葉だった。それは、人によっては酷く心を揺さぶられるものであることは容易に分かった。
何よりこの目の前の、活気あふれる中年は、俺なんかとは比べ物にならないほど輝いている。活気を、その身に満ち溢れさせている。それは、いわゆるカリスマと言うやつなのだろう。
だが、残念なことに、俺はその言葉に心を揺さぶられることはなかった。
『お言葉はありがたいですし、正直助かる話です。でも、今は別業種に就こうと思っているんです。俺にはあの仕事は向かなかったようで』
ここに残っているのは、もはや抜け殻だ。項羽はもう、死ぬ。ここから先は、孤独な逃避行。史実と違うのは、虞美人を逃すことができたことだけだ。
俺を歴史の英雄に例えるなんて、おこがましい事この上ないし、全く似てはいないのだけれど、それでも比べてしまうのは、俺の憧れの人物だったからか。
『それもありがたいことです。でも、俺の”垓下の戦い”は終わったんです。四面楚歌から抜け出す代わりに、俺は破滅を引くんです。もう、俺には戦うことは出来ませんよ』
俺は少しだけ苦笑しながら言った。きっと、言葉の意味は通じないだろう。仕方のないことだ。垓下も、項羽も、四面楚歌も、虞美人も。俺の中での空想でしかない。
いきなり誰にも話していないたとえ話を口に出しても、困惑させるだけだ。それを承知で、俺は言った。諦めてくれるなら、それに越したことはない。
そう思っていたが――。
俺は驚いた。なぜ、という思いが真っ先に浮かび上がる。
項籍というのは、項羽の正式な名のことだ。羽はいわゆるあだ名のようなもので、まあ、いうなれば、諸葛亮を諸葛孔明と呼ぶのと等しい。
日本で言うなら、秀吉のことを羽柴筑前、と呼ぶようなものだろうか。
まあ、ともかく、この目の前の社長は、俺の考えていたことを、寸分違わず、とまでは行かなくても、かなりのところをしっかりと理解したのである。
それは驚くべき事であり、同時にとても恥ずかしい事だった。黒歴史ノートを親に見られた中学生のような気分である。
『……伝説の、覇王と比べるなんて、おこがましいですよ』
「しかし君は、自分のことをそう評したぞ」
それは、言い逃れが出来ない。俺は赤面した。まさか、ここまで的確に俺の言っていることを理解する人間がいるとは、予想にもしなかった。
「わはは、まあ、良い。意地の悪いことをするのはここまでにしよう」
社長は豪快に笑うと、話を切り上げる。そして、少し眉間にしわを寄せつつ、呆れているのか、心配しているのか分からないような、奇妙な笑顔で言った。
『まさか』
「そう違いはあるまい? 評価されるような出自ではなく、しかしふとしたことで評価された。そして耐え抜き、幾度も窮地に立たされても、滅びることはなかった。君と同じだ」
社長はそういった。そして、少し振り返ると、あばた顔の男性となにやらぶつぶつ話している。彼は少し笑った。酷く、それが優しく感じた。
「聞いた所によると、君は大手プロダクションの上司に、相当苛め抜かれたそうじゃあないか。だったら、なおさら君は劉邦で、君の上司が項籍に、私は思うんだがね」
『でも、それは、俺が優柔不断で、あと何をする勇気もなかったからで』
「劉邦もそうだった。人気はあったが優柔不断で、彼一人では何も出来なかった。君が劉邦と違ったのは、君を支えてくれる、仲間がいなかったことだ」
それは、絶望するほど大きなことだ、と俺は思った。もし、俺を支えてくれる、そんな存在がいてくれれば。俺はどれほど救われただろうか。
――刹那、周子ちゃんの顔が浮かんだ。頭を振って、それを頭の中から追い払う。
「勘違いをするな、Pくん。君は何でも出来る。本当に、何でもだ。成果はともかくとして、ありとあらゆることを、君はやってきた。それは君自身が良く分かっているだろう?」
ああ、よく分かっている。本当に、何でもやらされたし、何でもやった。お陰で、クソッタレみたいな社畜根性と自立精神が手に入った。
その点のみを鑑みれば、あの課長に感謝しても良いと思う。結果、俺の能力は確かに伸びた。そのはずだ。
――本当に、自立しているのか。そういう、疑問が首をもたげる。命じられるままにやって、それが自立しているといえるのか。
いや、もはやそれも自分では良く分からなかった。
『……やっぱり、俺には出来ませんよ。さっきも社長はおっしゃいましたが、俺には仲間がいませんから』
「その点は心配要るまい。私の部下には心強い張良が居る。他にもたくさん、君の仲間となってくれる人間はいるだろう。そして、私もな」
そう社長が言うと、あばた顔の男性をちらり、と一瞥する。彼が張良とでも言うのか。確かに、彼はとても頭がよさそうだが……。
そう考えたことはなかった。自分はずっと、項羽だと。俺は滅びるさだめなのだ、と。それは諦めだったのだろうか。答えは出てこない。
うじうじと、余計なことを考えていた。ここで、一歩踏み出せれば、自分は変わる。そう思っていても、一歩が出ない。
俺は、優柔不断なのではなく、臆病なのかもしれない。そう思った。
『……一つ、お聞きして良いでしょうか』
「なんだね?」
俺は、ゆっくりと頭の中で言葉を整理する。しかし、上手く纏め上げることは出来ない。鼓動が、ティンパニのように鋭く、重く脈打っている。
『俺は、なんなのでしょうか』
出てきた言葉は、酷く幼稚な言葉だった。社長は、何も言わない。怒らせたか。あるいは、呆れられたか。そう思ったとき、
「Pさんは、Pさんでしょう。私が私であり、社長が社長であるように。誰でもない、あなたはあなたです」
そう、あばた顔の男性は言った。
やや、憤然としたその表情が、少しおかしかった。思わず、笑いがこみ上げてくる。冷淡そうな口ぶりの中に、なんとなく親しみを感じた。
やはり、風貌に性格は多少なりとも出るのだろう。優しげでひょうきんな、三枚目といったところだろうか。マスコットと呼ぶには、いささか不細工ではあるが。
「わっはは、すまんな、Pくん。彼は酷く頭が切れるが、酷く頭も固くてね。ついでに面も悪い。君のたとえ話を理解できなかったようだな。全く、君も少しぐらいはユーモアを学びたまえ」
「私がユーモアを学んでしまいますと、わがプロダクションの常識人は千川さんだけになってしまいます。それでは、千川さんに負担が掛かりすぎるでしょう」
「まるで、私だけでなく、他の子らも常識人ではないような口ぶりだな?」
「実際そうでしょう。違いますか?」
「違わんね、わっはは」
豪放に、社長は笑った。釣られて、俺も笑った。早鐘のように打っていた心臓は、もうヒキガエルの呼吸のように、僅かな鼓動を残すのみになっている。
『俺は、俺ですか』
「答えになっているかは、分かりません。結局、自分が何者なのかなんて、自分では分からないものです。それこそ、後世の人が判断するまでは、ね」
あばた顔の男性は、少しだけ笑った。声音は、冷たい。しかし、もう怖くなかった。
一週間前に会社を辞めたと言うのに、なんとまあ、移り気な事だろうか。しかも、ほんの十数分前には、別業種に就く、と決めていたはすなのに。
もしかしたら、この辺りも優柔不断たるゆえんだろうか。決めたはずのことを、簡単に翻す、なんて。
それでもこの人たちは、とても魅力的に映った。実情がどうかは分からない。もしかしたら、また酷い職場かもしれない。
けれど、もう一度賭けてみる価値はあるんじゃあ、ないだろうか。これが、たちの悪い詐欺だったとしても、後悔はしないと思う。
なぜなら――。
『やります』
気が付けば、俺はそう言っていた。無意識、と言うわけではない。意識はしていた。しかし、なんだろう。まるで、そうなるべくしてそうなったような、そんな言葉。
俺が、そう思ったのだ。なら、それでいい。
『なんだか、お二人となら、一緒に働いていけそうです』
「なるほど。では、Pくん。君は今すぐにでも、働いている自分が想像できるかね?」
俺は、少し目を閉じた。積み上げられた書類。掛かってくる電話。消える休み。そういった、負の想像は、不思議と起こらない。
起こるのは、豪快に笑う社長と、したり顔で少し口角を上げるあばた顔の男性。そして、聞こえる笑い声。
『多少なりとも、ですが』
「君は、笑っていたかね?」
『いえ。ですが、笑い声は聞こえました。良い、笑い声です』
「よろしい!」
社長は手を叩いた。ぱぁん、という小さな空気の炸裂音が、公園に響く。
『指示があれば、どれだけ辛くても働けます。働くことには、慣れていますから。ただ、考えて動けるかどうかは、やって見ないと分かりません』
「では、考えて動いて見せろ。考える時間は幾らでもある。指示待ちの人間に、本当に優秀な人間は居ない。Pくん、君はしっかりと考えて行動が出来るか?」
『やって見せます。代わりと言ってはなんですが、やりがいを下さい。つまらない、量だけの仕事はもう、飽きたんです』
「いいだろう。嘆くかもしれないほどのやりがいを、味わわせてやろう、わっはは」
そういって、社長は笑う。そして、じゃり、と地面を踏みしめて、さらに俺へと、一歩近づく。
「では、明日社屋のほうまで来ると良い。時間は朝九時、エントランスホールで私は待っているぞ」
『必ずお伺いします』
俺は頭を下げた。しっかりとした、お辞儀ではないだろう。社会人としては失格だと思う。だが、気持ちだけは込めた。
きっと、課長にこんなお辞儀をしたら、怒鳴り散らされることだろう。想像するだけでげんなりしそうだ。
次の瞬間、背中にばぁん、と衝撃が走った。
どうやら、社長の平手が俺の背中を強襲したらしい。下手すれば、これ腫れてる。そう思うほどの衝撃だったが、不思議と嫌悪感はない。
「わっはは、また一人、しっかりとした人材が手に入ったな」
「ええ。しかし、もう三人ほどは、欲しいものですね」
「そうたやすくは見つからんよ。それに、人材に妥協する気はない」
「ええ、そうでしょうとも。だからこそ、私がいます。八方手を尽くして、探し出して見せますよ。スタッフも、アイドルも」
そんな会話が聞こえた。少し痛む背中をさすりながら――体が硬くて半分ほどしか届かないのだが――二人の姿を見送る。
不思議な人だった。なんというか、人徳があるというか。なんとも表現しがたい、オーラを纏った人だったと思い起こす。
傍に転がっていた、求人雑誌を丸めて、ゴミ箱へと放り込んだ。珍しく、綺麗に入った。入れて、なんとなく、ほんとうになんとなく、呟く。
俺は頬を一発、ぱちんとはたく。気合を入れた。とりあえず、少なくともわかっている事が一つある。
俺は、スマートフォンを取り出すと、電話を掛けた。
『……あ、もしもし、大家さんですか。はい、Pです。ええ、ええ。近場で仕事が見つかりましたので、来月からもお世話になりたいと思いまして』
あの、無理して借りた1LDKのマンションを、まだ借りていられる。思い出が、たくさん詰まった、あの部屋を。紛れもない、吉報だ。
少し余裕が出来たら、周子ちゃんに会いにいこう。約束を、守りに。小さく、俺は笑う。
心は、晴れやかだった。
気が付けば、この会社に籍を置いて、また一週間たっている。
光陰矢のごとし、と言うが、本当にいつの間にか時間は過ぎ去っていた。やはり、楽しい時間は早く過ぎ去るものなのだろう。
もう、梅の花は咲いていた。桜ももうすぐだろう。南の方では、つぼみが開き始めていると聞く。
「とりあえず、君には今のところ、事務方と営業を兼任してもらう。そのあと、状況を鑑みてジョブチェンジだ。まあ、しっかりがんばれよ、Pくん」
一週間前、二度目の会社訪問の日にそんな、まるで他人事のような台詞で、俺の仕事は決められた。社長のサムズアップが、非常に腹立たしかったのを覚えている。
最初は、大手プロダクションと同じことをさせられるのではないか、という不安はあった。しかし、仕事をやり始めると、そんな不安はどこかへ消えていった。
全てに、意味がある。全てが、先の仕事につながっている。そんな実感があるのだ。たとえば、事務仕事一つにとっても、確認をしてハンコを押すだけの単純作業ではない。
同じ書類は何一つない。その分、手間も時間も掛かるが、すべてが新しかった。それが、俺にとっては嬉しかった。
営業も同じだ。しっかりとアポイントメントを取って、実りのある会話をしっかりと書とめ、そして次回の話し合いの素地を作る。
このプロダクションはまだできたばかりだそうだが、そうなると顔を合わせると言う、単純で些細な行為一つとってみても、大手プロダクションの物とは質も意義も違う。
それだけで、もう十分だと思えるほどの、やりがいがあった。
シンデレラガールズの社屋に戻ってきた俺は、まだ動いていないエスカレーターを徒歩で歩き、プロデュース部、と書かれたプレートのある部屋へと入る。
社長は忙しそうに、スタッフやアイドル候補の調査結果が記された書類を捲りながら、俺に返事を返しつつ、ゆっくりと立ち上がった。
「おう、帰ってきたか、Pくん。休憩はいるかね?」
『ああ、はい。コーヒーだけ、頂いていきます。あ、大丈夫です、自分でやりますので……』
社長自らコーヒーを入れてくれるなど、恐れ多い。そう思ったので、恐縮しながら給湯室へと向かう。そして、コーヒーを携えて戻ってくると、社長の向かいに座った。
「体はしっかり休めることだ。どれだけ金を積んでも、健康な体は手に入らんのだからね」
『はい。頑丈とはいえ、限界はあると、俺……じゃない、私も思います』
「わっはは、無理に言葉づかいを直さんでもいい。大手の部長を見てみろ。才能と成果さえあれば、ある程度のことは許される。言葉づかいとか、勤怠とかね」
社長は書類を捲りつつ、そう言った。とはいえ、あの部長の場合はまた特殊なのだろう。それに、俺にあそこまで才能があるとは考えられないし。
わっはは、と豪快に笑う。笑い方が、大手の部長とそっくりだ。そのことを聞けば、大学時代の同級生で、学年次席と学年ブービーのコンビだったのだという。
「ただの腐れ縁だよ。あいつも私の欲しい人材なんだが、あいつとは対等で居たいんでね。だから、部下には出来ない。実にもどかしいがね」
そう、少し恥ずかしそうにいう社長は、少し印象的だった。よほど馬があうのだろう。思えば、自分にはそういう存在はいない。
かつては、いただろう。大学時代、一緒に馬鹿騒ぎをした連中。今でも、時々思い出す。けれども、彼らとはもう連絡を取っていない。連絡を取る暇さえ、なかった。
ただ、今なら一度連絡を取ってみるのも、いいかもしれない。そう思った。
「では、Pくん。これからの君のことを話そう」
そういうと、社長は少し笑った。
『あはは……。ええ、はい。実に存じております』
俺は、そんな苦笑を漏らした。もっとも、それを恥じこそすれ、後悔はしていない。出なければ、俺はかつての友人たちとは出会えなかったのだから。
「だからと言って、しっかりしろというわけではない。君のその感性は、何事にも代えがたい、君だけの物だ。だから、その感性を私は信じている」
社長はじっと俺の眼を見て、そう言った。俺も、その目線に目線で返す。目じりにしわがある。そんなしょうもない事が一瞬脳裏によぎった。
「そんなわけで、その感性を信じて、君にはプロデューサーをやってもらおうと思う。Pくん。君に、その意思はあるか?」
社長は、そう言った。どこか、予感していた気はする。
それは決して悪い事ではない、のだと思う。少なくとも、この分野での俺の働きぶりを、社長は評価してくれている。俺に才能があるかは、またべつの話で、だ。
だが、社長はもう一歩俺に、踏み込んでほしいと言っている。思えば、この一週間やってきたことは、プロデューサーとしての適性を測っていたのかもしれない。
俺自身、プロデューサーという仕事に思い入れはない。そもそも、芸能プロダクションという仕事自体、内定を貰えたからそれに飛びついたと言う形だ。
だから、この仕事を夢にしている人から見れば、とんでもない罰当たり野郎、という暴言さえ、飛んでくることだろう。
それでも今、やりたい、と思っている。
『……やってみたい、と思います』
言った。それは本心だ。
機会を与えられたのだ。俺に出来ることは、その機会を何とかモノにすることだけ。それが、与えてくれた社長に対する、正しい返しだと、思った。
「そうか。では、Pくんは、今からプロデューサーというわけだ」
社長がそういって、にやりと笑う。その不敵な笑みが、やがて微笑に変わる。
「とはいえ、今日の仕事は、もう終わりだ。少し早いが、帰って休みたまえ。たまにはゆっくり、羽根を休める事も肝要だ」
そもそも、もう割り振るべき仕事がない、と社長は付け加える。確かに、社長の前のデスクは、ぺらぺらめくっている書類だけだ。量は多いが、確認作業だけのようにも見える。
『あの……。半分ぐらい、やりましょうか?』
「ああ、これは気にせんでくれたまえ。というより、こればかりは、他人に任せる事の出来ない仕事なのでね」
まあ、いつか任せることが来るかもしれないが、と社長は笑った。
(なんでまた、自分自身でやってんだろ)
自分で見極める、という事なのだろうか。それなら致し方がない。おそらく、この社長は合理的でありながら、徹底的な現場主義でもあるのだろう。
それはありがたい事ではあった。何も知らない上の人間から、口やかましく言われるよりかは、社長のように現場を知り、その上で理詰めの説得をされる方がずっといい。
「うむ。また明日もしっかり来てくれるね?」
『ええ、はい。もちろんです』
「では、明日から君はプロデューサーだ。すべき仕事は、また明日説明しよう」
そういうと、社長は帰って良い、とばかりに手を振った。時刻はまだ、夕方にさしかかろう、としているところだ。
俺は部署の部屋を後にすると、動いていないエスカレーターをのそ、のそと降りていく。まだ受付デスクには人は居らず、代わりに事務デスクが一つ置かれていた。
何度か、そのデスクに座って仕事をしている、若い男性の姿を見ていた。自分と同じくらいの歳だったと思う。
社長曰く、このプロダクション最初のプロデューサーだそうだ。だが、今日はいなかった。何か他の仕事をしているのだろう。
仲良くなれれば、良いな。そんな、小学生のような希望を抱く。同時に、きっとなれる、と言う確信に近しいものも、抱く。
このプロダクションであれば、俺は俺らしいまま、俺でいられる。一週間前、あのあばた顔の男性に言われたように。
未だに、遊び人と言うわけには行かない。だが、その気持ちを忘れずにいられる。笑って、いられる。
思えば、全ての始まりは――。
俺は小さく呟いた。あの、不思議な雰囲気の、飄々とした家出少女。俺と同じように、遊び人で、でもまじめで、それゆえ期せずして周りが敵だらけになってしまった、少女。
今ごろ、京都の実家で何をしているのだろうか。ご両親と、ちゃんと仲直りは出来たのだろうか。実家の看板娘になるという夢を、取り戻せたのだろうか。
色々考えてみても、結局どうかは分からない。連絡先は交換してあったが、こちらからも、あちらからも連絡はしていない。
もう、忘れられてしまっただろうか。それなら、それで良い。格好をつけるわけじゃあないけれども、どうあがいても俺にとっては釣り合わない相手だったのだ。
俺を忘れて幸せになってくれるなら、それに越したことはない。
(少し、悲しいけれどもね)
内心そう苦笑する。また、同じような仕事に就いたと聞けば、周子ちゃんは驚くだろうか。それとも、呆れるだろうか。
もう、今は分からないことだ、と頭を振って、その思考を隅へと追いやった。
なんとなく、そう思った。帰り道、スーパーによって合い挽き肉を買う。たまねぎも買う。パックの鮭の刺身も買う。
ハンバーグと、サーモン丼辺りでいいだろうか。米は、まだあるだろう。炊かなきゃ、いけないだろうけれど。
小食の俺には、食いきれない量かもしれない。まあ、そのときは明日に回せば良い。
そうして、自宅の傍にある業務スーパーで材料を買う。お金に、余裕はない。ないけれども、せっかくの門出だ。来月からは纏まった給料も出る。
一日ぐらい、いいだろう。そう思って、俺はマンションの前まで帰ってくる。管理人室でテレビを見ている大家さんに挨拶をして、中へと入った。
階段を上りながら、スマートフォンの画面に目をやった。特に、何もメールや連絡はない。くるのは数通の迷惑メールとダイレクトメールだけ。
連絡先を開いた。卒業以来、連絡を取っていない連中のアドレス。変わったという連絡が来ていないから、きっとこのままのアドレスのはずだ。
三階の一番端、エル字型の建屋の特徴で、端っこは一番値段が高い代わりに、一番広い。308号室が俺の部屋。ちょっと、見通しは悪いけれど、日当たりは良い。
少し歩いて、スマートフォンの画面から、俺の右ポケットに目を移す。そこに、鍵が入っている。見なくても、体が覚えている通路を歩き、鍵を取り出した。
そして、前を見た。少し、妙な笑い声が出そうになる。転籍してからそんなに働いていないのに、幻覚を見るほど、俺は疲れているんだろうか。
目を、二度瞬かせる。そして頭を振り、もう一度見た。
そして、それが事実であるということを、脳が理解したとたん、スマートフォンを取り落としそうになった。
「やっ、Pさん」
声が聞こえる。澄んだ、耳心地のいい声。ありえない。しかし、そこに居る。
『なん、で。ここにいるんだ――周子ちゃん』
俺の部屋、308号室のドアの前。二週間前、京都へ帰ったはずの少女がそこにいた。
あの時と同じ、大きなキャリーバックと、いくらか季節相応には思えるブラウスとハーフパンツを着た姿で。
周子ちゃんは、少しはにかむと、とたた、とこちらに駆け寄ってくる。そして、唖然としている俺の前に来ると、
「Pさんに、鍵返しちゃったから、入れなくて困ってたんだー。あ、お帰り、Pさん」
と言って、俺が固まっている間に俺の手から鍵を取り、またドアの前に戻って、鍵を開ける。そうして、キャリーバッグを俺の部屋へと入れた。
「ほら、Pさん。そんなところでぼおっとしてないでよ」
『いや……。えぇ?』
未だに、理解が及ばない。そんな俺の手元から、今度は買い物袋をひったくると、代わりに俺の手を引く周子ちゃんは、
「お父さんと、お母さんと、話したよ、ちゃんと。それで、ちゃんと決めて、ちゃんと伝えて、もう一回会いにきたんだ」
彼女は笑う。とても、すがすがしそうな笑顔。とても眩しく感じる。
『あ、ああ。というか、どこでそれを?』
「大家さんに聞いたよ。勝手に聞いちゃ、悪いと思ったけれど」
口の軽い大家さんだ。そう思ったが、きっと、彼女のことを覚えていてくれたのだろう。何度も、一緒に帰って、挨拶をしたのだ。だから、聞かれたときに教えたのかもしれない。
「じゃあ駄目かなー」
『何がだ、周子ちゃん』
「んー。もし、Pさんが仕事見つかってなくて、それでPさんが良いって言うならさー。うちの実家で働いてもらいたいかなーって」
ちゃんと、お母さんとお父さんに許可は取ったんだよー。そう、周子ちゃんは言った。
「それで、Pさんを説得するために、少しこっちに滞在しようと思ってさ。でも、もう仕事が決まってるなら、プランBに移行だねー」
と彼女は笑う。なんだか、嫌な予感――正確には、嫌というわけでもないのだが、そんな、彼女が何か悪だくみというか、何かとてつもない事を考えている、そんな気がした。
そして、続けざまに俺に、彼女は尋ねた。
『え、ああ。まあ、前の仕事よりかはいいと思うけれど』
「それじゃ、あたしがバイトしたら、また一緒に暮らせるかなー」
『んん……? ち、ちょっと、話が見えないけれど、周子ちゃん?』
なんだか、話が一足どころか、二足三足ほどぶっ飛んでいる気がする。周子ちゃんが、冷蔵庫に買い物袋の中身を放り込んで戻ってくると、彼女はまた、笑った。
「言ったでしょ、Pさん。お父さんとお母さんと話したって。ちゃんと、こっちでお世話になった人がいる事も、もうしばらくこっちで、これからのことを考えたいことも」
全部、一切合財を話して、それで納得してもらったんだ。彼女は、少しはにかみながらそう言った。
「でもやっぱり、宿を借りるとお金かかるからさ。また、もうしばらく、一緒に住まわせてほしいかなーって。……ダメかな?」
そして、とどめの一撃。初めて会ったあの日、俺の意志薄弱な心を貫いた上目遣いで、彼女はまた、そうおねだりをした。
だが、今の俺は強固な意志を手に入れた。あの時とは違う。その、上目遣いには負けない。そう……、確かに負けはしない。
『……しょうがないな、良いよ。また、一緒に暮らそうか。ちょうど、夕ご飯の材料、買いすぎたかなーって、思ってたんだ』
俺はそう言った。決して、負けてはいない。負け惜しみに聞こえるかもしれないが、この言葉はまるきり、俺の意志そのものだ。
また、周子ちゃんと暮らせる。それは、社会人の男としては抱いてはいけない感情ではあった。
だが、一人の人間としては、許してほしい。ましてや、望んでさえいたことなのだから。
「やたっ。Pさん大好きだよー」
『はは、そうだな』
「あー、また本気にしてないでしょ。全く、こんな可愛いシューコちゃんの告白をあしらうなんて、ひどいなー」
『悪い、悪い。さ、飯を作るから、机で待っててくれ』
「はーい」
前と違って、充実しているも忙しい日々のおかげで、帰ってからは飯を食って風呂に入って寝ることを繰り返していたからだ。
だから、家具とその他雑品をまた並べ直しただけで、周子ちゃんがいなくなってからほとんど、変わりはなかった。
俺は、僅かに息を吐いて、少し緩んだ頬を一発、はたいた。あの日々がまた味わえる。そう思うと、緩むのも致し方がない、と思った。
「そういえばさー」
『んー?』
しばらくして、俺がキッチンで調理を開始したころ、周子ちゃんは俺の隣へやってきて、当然のように手伝いながら、訊いた。
「新しい仕事って、どんな仕事なの?」
その言葉に、俺は少し苦笑して答える。
「……え、また同じ仕事?」
周子ちゃんは、驚いた様な、呆れた様な、訝しむ様な、そんな表情で俺を見上げる。当然だ。あんなことがあってなおも、似た仕事に就いたんだから。
『今度からプロデューサーらしいよ。いまいち、する仕事は分からないけれど、でも前みたいなことはないと思う』
それは、ほとんど確信に近しい物だ。この一週間、あの社長と共に働いてみて、良くわかった。あの社長は、とても厳しく、とても優しく、とても強く、とても果断だ。
だから、あの社長の下であれば、俺は力を発揮できる。些末な才能かも知れないけれど、でも見込まれている。
それに応えたいと、思わせるだけの配慮、人徳、活力、そして威厳があるのだ。
「ほんとかなー? そんなこと言って、またPさんが酷い目に合うのは、あたし見たくないよ?」
『はは、大丈夫さ。あの社長は、そんなことはしない。信用できそうだからね』
そうは言ってみたものの、周子ちゃんはまだ、疑っている様子だった。それもまた、当然だ。彼女だって、嫌な思いをしたのだ。
もし、俺が辞めるという決断をしていなかったら。あの課長によってどんな目に遭わされていたか。想像するだけで、全身の毛が逆立ちそうになる。
筆舌に尽くしがたい、屈辱を味わったかもしれない。それこそ、人としての尊厳を、貶められるほどの物を。だから、疑心を抱くことに何ら、不自然なところはない。
その辺りは、これから誤解を解いていけばいいのだろう。そう思った。
俺の隣で、ハンバーグの為に合いびき肉をこねていた周子ちゃんだったが、何やらいろいろと考えていたようで、やがて思いついたように声を上げる。
『どうかしたか、周子ちゃん?』
「ねえ、明日Pさんって、仕事だよね?」
『ん、まあ、そうだけれど。まだ働きはじめたばかりだからね。どこか遊びに行くなら、あと数日は、待ってほしいかな』
「あー、そうじゃなくて、さ。Pさんって、なんだろ、プロデューサーってのに、なるんだよね?」
周子ちゃんは、少し笑って、しかし意地の悪そうな、何か企んでいる笑みをこちらに向ける。
「じゃあさな、明日、あたしも会社についていくよ。それで、その社長さんにびしっと、言いたいことあるんだ」
『えぇ……? それはまずいだろ、流石に……』
呼ばれてもいないのに、女性を、しかも家出少女――正確には、もう家出ではないのだが――ともかく、プライベートな相手を連れていくことは、流石に憚られる。
そのことを言ったのだが、なかなか周子ちゃんも強情だった。そのまま、すったもんだの会話を交わしたのだが、ぐぅ、と俺の腹の音が鳴った。
どうやら、彼女との話し合いはいったんお預けの様である。次いで、彼女のお腹も鳴った。少し、恥ずかしそうな表情になる。
『……とりあえず、先に夕ご飯にしようか』
「そだねー」
ここは一時休戦だ。きっと、周子ちゃんも解ってくれるだろう――。
……
翌朝、けたたましいアラームの音に叩き起こされ、いつも通りの準備を済ませた俺は、まあ、何というか。極めて遺憾ながら、周子ちゃんを伴っていた。
と、そういうのは簡単だが、結論から言うと、昨日の夕ご飯の後の話し合いで、俺は周子ちゃんに根負けして、連れて行くことになったのである。
(やっぱり、優柔不断なところは変わんないんだよなぁ)
内心、そう嘆息した。ちょっと変わったとはいえ、周子ちゃんのお願いがなかなか断れないことは、ほとんど変わりないようだ。
上機嫌に歩く周子ちゃんの隣で、一人げんなりしているわけではあるが、まあ、仕方ないと切り替えることが肝心だ。決して、問題を先送りにしているわけではない。決して。
ところで、周子ちゃんは社長に会って、何を言うつもりなのだろうか。ふと、そう思った。俺の仕事に、何か注文を付けるつもりなのだろうか。
しかし、もう雇用契約を結んでしまったわけだし、今更何か言ったところでどうにもならない。そもそも、周子ちゃんが何か言ったところで、変わる物でもない。
それが分からないわけではないだろうし、ますます周子ちゃんの考えていることが分からない次第である。
まあ、そんなものを買う金も、維持する金もなかったわけだが、これから一年ちょっと働けば、中古車ぐらいは買えるんじゃあないだろうか。
……どうせなら、ファミリー・セダンくらい買いたいが、俺の財力では難しいだろうな。そんな、他愛のない事を思う。
「……ねえ、Pさん?」
『んー?』
あと十分もしないうちに到着するときになって、周子ちゃんは少し、震えた声で俺に聞く。
「本当に、今度の会社は、大丈夫なんだよね」
『ああ。少なくとも俺はそう思って。大丈夫だ、前みたいなことは絶対、起こさない。周子ちゃんに累は及ばない』
そうする心配も、ほとんどないように思える。すると、周子ちゃんはにこり、と少し強張った笑みを見せる。心なしか、緊張しているらしい。
「そっか、Pさんがそういうなら、あたし信じるよ」
彼女は、何かを決心したようだった。そして、俺の手を取る。
「ううん、ちょっとだけ、手を繋いでほしいと思ってさ」
彼女は少しだけ、情けなさそうに、笑顔を俺に見せた。そして、そのまま二度、三度と深呼吸をする。
「……よしっ!」
彼女は一発、かわいらしい声でそう、気合を入れた。そして、手を離す。少し、名残惜しい気がしたが、それは表情には出さない。
「んー? あ、Pさん、もしかして、もうちょっと、繋いでいたいって、思った?」
『ばっ……。そんなわけ、ないだろ』
「おやぁ、図星だったかなー? えへへっ」
……どうやら、周子ちゃんには、見抜かれていたらしい。何というか、こう、依存されている気がするけれども、同時に自立していると言うか。
何とも、矛盾ばかりで形容しがたい表現だけれど、でも、彼女は確かに俺のことを知ってくれている。
もしかしたら、俺も彼女に依存しているところが、あるのかもしれない。共依存、というやつだろうか。
ただ、少なくともこの状態は悪くはない。そう思っている。――信頼という言葉の方が、良いのかもしれない。もしそうなら、喜ばしい事だ。
『あ、ああ。そうだな』
彼女に促され、俺は会社へと向かう。もう、見えてきていた。四階建ての綺麗な社屋。正式稼働はもう少し先になるだろうけれど、でも、ここが俺の会社だ。
「へー、前よりは小っちゃいけれど、でも、綺麗だね」
それに、嫌な感じはしない。そう周子ちゃんは言って、笑った。
二人してエントランスホールに入ると、件の若いプロデューサーが一人で、事務作業をこなしていた。人当たりが良さそうで、聡明な顔立ちをしている。
「あ、おはようございます、Pさん」
『ああ、どうも。おはようございます』
「今日は、かわいい子を連れて、どうかなさったんですか?」
『ああ、まあ、ちょっと社長に話がある、とのことで。ちょっと俺には良くわからんのですけれども』
彼とそう、挨拶を交わす。なるほど、と言った表情でそのプロデューサーは笑った。
「ははぁ。じゃあ、まあ、頑張ってくださいね。私は仕事に戻りますんで」
彼はそういうと、再び埋没しそうなくらいの事務作業に戻った。まるで事務員みたいな働きっぷりだ。一応、他に専任の事務員がいると言う話だが……。
「うん」
彼女は、俺の後ろについて、まだ動いていないエスカレーターを登る。まだ、人気は殆どない。当然だ。俺を含めて、まだ社員は数えるほどしかいない。
一応、会社が動くための人員はある程度確保しているという。ただ、彼らはまだ出勤日ではないから、会社には来ていないのだ。
会社に来ているのは、ごく一部の社員――いわゆる、プロデューサーと呼ばれる人と、社長ぐらいだった。
エスカレーターを上り終えると、既にプロデュース部の電気はついていた。社長はもう来ているらしい。俺は、周子ちゃんを連れて、ドアをくぐった。
『おはようございます、社長』
「うむ、おはよう、Pくん。……おや、その子は?」
『ああ、えっと……』
「Pさんに、無理言ってつれてきてもらったんだ。えっと、社長さん、だよねー? 突然で悪いんだけれど、ちょっと言いたいことがあってさー」
社長が周子ちゃんに気づくや否や、周子ちゃんは俺の前へと出る。まるで、俺を護衛するかのように、だ。頼もしい事である。
そして、彼女はいつもの飄々とした様子で、しかし口調はしっかりとしたまま、社長に面と向かって言う。
それを見て、俺はうろたえるだけだった。なんとも、情けないことではあるが……。
「わっはは、かまわん、Pくん。その通りだ、嬢ちゃん。私がここの社長だ。何か、私に用かね?」
社長は一つ、豪放な笑い声を飛ばすが、すぐにじろり、と周子ちゃんのほうを見やる。負けじと見返す周子ちゃん。
まるで、その間に火花が走っているような、そんな気さえする。しかし、やがて社長が目を伏せ、そして少し笑う。
「わはは、なかなか豪胆な子だ」
「社長さんも、悪い人じゃ無さそうだね」
「ああ、もちろんだとも。底抜けの善人とは言わないが、私は悪人ではないつもりだよ。君、名前は?」
「シューコ。塩見周子って言うんだー」
「なるほど、シューコさんね。それで、何か私に言いたいことがあるのだろう?」
社長は、少し優しげな表情になった。なんだろうか、子供のおねだりを聞く父親のような、そんな表情だ。
この人も、そんな表情をするのだ、と思った。対し、周子ちゃんはいつもの飄々とした様子で、
「うん、実はなんだけどね、社長さん」
そう切り出した。俺は、その様子を若干気にしながらも、終わるのを待っている。一体、何の話があるのだろうか。そう思っていた矢先だった。
『……ヴぇい!?』
いきなり、俺の名前が出てきた上に、なんだか知らないけれど、俺が周子ちゃんをスカウトしたことになっている。
そのことに驚いて、なんか、蛙をひき潰したような、そんな声が出てしまった。挙句、その声に自分でも驚いて、突然の展開に唖然としたまま、思考は固まる。
「ほう、Pくんにスカウトされたと。……ふむ、Pくんの見る目は確かにあるようだな」
「でしょー? あんまり、アイドルって興味ないんだけどさー。Pさんに頼まれたら、断れなくってねー。それに、あたしもそろそろ働かないといけないし」
「ほうほう。なるほどね……。うむ、良かろう。丁度、Pくんにアイドルをつけようと思っていたことだ。どうせならPくん自身が選んだ子がいいだろう」
「やたっ。それって、採用ってことでいいのかな?」
「うむ、もちろんだ。では、シューコさん。書類を用意するから、向こうで書いてきてくれたまえ」
「はーい」
ちょっと、どういう状況かなかなか把握できないところがある。というか、把握できてたまるか。なんでそんなことを、という言葉さえ、固まって出てこない。
そして今、一枚一枚、活版印刷された会話をきっちりと書き起こして、それを二度も三度も復唱し、頭の中に刷り込んでいく。
それがしっかりと把握できたとき――既に会話は終わっていて、俺が何か言葉をさしはさむ余地はどこにも無かった。
『……マジかよ』
出てきた言葉は、その一つだけである。なんだか、朝っぱらから精神力を全部ぶっこぬかれ、呆けそうになる。
何せ、ここ数週間の激動の日々を、僅か数秒に濃縮したってここまでの衝撃はないってほどの衝撃が、今の俺を襲っている。
決して、気分は悪くないというか、まあ、むしろいいのかもしれないのけれども、なんだろう。こう、形容しがたい複雑な感情が、旨の中を渦巻いていた。
「わはは、Pくん。してやられた、と言う様子だね?」
がっくりと肩を落とす俺の前に来て、社長は笑った。悪戯っぽい表情がまた、無性に腹が立つのではあるが、無力感の方が強かったので声を上げる事も出来ない。
やがて、俺は少しだけ非難するように社長に言う。どうやら、俺が周子ちゃんをスカウトした、という話を社長は信じていなかったらしい。
だとすると、虚偽を承知で採用したことになる。その理由が、いまいち分からなかった。すると、社長は少し首をすくめ、
「彼女は逸材だ。それも、まるきり君と同じタイプのね。身のこなしといい、度胸といい、声といい、見た目といい、アイドルとしては百点満点じゃあないか」
君にとっては、実によく似合うアイドルになる。社長はそう言った。
確かに、彼女の容貌もさることながら、歌声やその飄々とした性格は、アイドルとして向いているのかもしれない。
それに彼女がアイドルに、そして俺がその担当になるのであれば、これまで以上に一緒に居られる。そんな邪な思いが、無いわけではない。
そんな風に思っていると、社長は笑って、
「やはり君は、項籍ではなく劉邦のようだ。どう見ても、あの子は虞美人という性質ではないね。なるほど、呂薙といったところか。なんとも、尻に敷かれているようだし」
そう、笑いを堪えることなく、言うのだ。呂薙といえば、高祖劉邦の正室であり、中国三大悪女の一人に数えられる、呂太后のことである。
確かに、彼女の自由奔放さはそう見て取れるし、実際俺も、最初はそう思っていた。だから、その点を責めることはできない。
『……あの子は、見た目よりも純粋で、とても優しい子ですよ』
それでも俺は、やや遠慮がちに抗弁した。そうだ、彼女は悪女などではない。ちょっとだけ我が儘で、ちょっとだけ人を食ったような、純粋で純朴な少女だ。
もし、彼女のことを悪く思ったり、誤解したりする人がいるならば、俺がかばってあげなければならない。そう思っての擁護だった。
「うむ、そんな気はしているさ。だが、私を含めて、初対面の人間はそう思わんだろう。……だがら君が支え、護ってやりなさい、Pくん」
社長は、向こうのほうで書類を書いている周子ちゃんを見つつ、そう言う。どうやら、俺に言われなくてもその点は感じ取ってくれているらしい。
やがて、少し呆れたように息をつくと、社長は苦笑して俺を見る。
「どうも、君はあの子を愛しているようだからね。甘くなりすぎないように、気をつけることだ」
社長はさりげなく言った。
俺はそれに同意しかける。同意しかけて、何かとんでもない爆弾発言を、投げかけられた気がした。というか、爆弾どころか天災レベルの失言だろう。
『ま、まさか。俺がそんな、いや、確かにあの子に恩義はありますが、ですが』
「わはは、図星を衝かれたかね? まあ、あの子がどう思っているかは、ちょっとわかりかねるがねぇ」
まだ、私はあの子の全てを理解できているわけではない。社長はそう言う。人を見る目、という意味では大手の部長に劣ると、言っていたような気がする。
それでも十分すぎる、相馬眼ならぬ相人眼だろう。彼女の本質はきっと、掴んでいるのだから。
だからと言って、これとそれとは大違いの何とやら、である。俺が腸渡しながら、抗弁を考えているうちに時間は経つ。やがて、なんとか言葉をひねり出す。
『そんな、冗談じみたこと』
そんな、抗弁にもならない言葉だったが、それに対しても社長は、まるで封殺するように言葉を返してくれる。
「構わんよ、私はそれを容認している。もちろん、引退するまでは公表するわけには行かないだろうがね」
社長は、俺の言葉を遮り、俺の眼をしっかりと見据えてくる。なんだか、まるで周子ちゃんの親御さんにでも会っているような、そんな威圧感だった。
『嫌い、ですか』
「ああ、そうだ。もちろん、ファンに対する裏切りである点は、避けられない業だろう。だがファン以外の人間が、当人たちの恋愛に口出しするなど、思い上がりも甚だしい」
社長は目を瞬かせると、ほんの少しだけ笑った。酷く、優しい笑顔だった。
「芸能企業の経営者として、避けえない損害ではあるがね。その程度の損害を甘受し、当人たちの気持ちを斟酌できない冷血な経営者に、私はなるつもりは無いのだよ、Pくん」
『社長……』
俺は少し、この人を誤解していたのかもしれない。辣腕という噂もあるぐらいだから、俺たちを良い意味で、駒として使う、そういう一面がある物と思っていた。
確かに、そういう一面がないわけではないのだろう。しかし、それは極々一部でしかない。本質は寛容でおおらかな、人を人として扱う、そういう人なのだ。
「少なくとも、このプロダクションにいる間、彼女たちは私の娘のような存在だからね。彼女たちも、年頃の女の子だ。青春の全てを、犠牲にさせるわけには行かない」
なんとも、見上げたというか、寛容な方針だと思う。言い方は悪いかもしれないが、芸能を生業にする人としては、温い理想でしかないはずだ。
それを現実に持ってくるあたり、経営者としては辣腕なのだろう。そう思った。
「まあ、少し現実的なことを話すと、これも投資のうちだと思っている。アイドルを一人失ったとしても、その後の君がそれ以上の価値を生み出せば、投資としては大成功だ」
そういうわけで、私は止めることはしないのだよ。社長は締めくくった。
やはり、この人は人徳者……いや、実利的なのか。人の感情まで見据えて、しっかりと力を発揮させる。こういうのが、理想の上司なのだろうな。
こんな人が最初から上司だったら、俺はどれだけ救われただろうか。いや、しかしもしそうだったのなら、周子ちゃんとは出会えなかったのかもしれない。
(……はは、周子ちゃん、周子ちゃんって。本当に、俺はそうなのかもしれないな)
内心そう思って、俺は諦めたように、力なく笑った。どうやら少なくとも、俺は周子ちゃんが気になってたまらない。それは間違いのない事だった
そう思っていたとき、社長は話題を変えるように俺に訊いた。
「ああ、そういえば、ずっと気になっていたのだがね」
『なんです?』
「君とあの子は、実際のところ、どう言う関係なのだね?」
『ああ、えっと。ちょっと説明しづらいのですけれども』
俺は少しお茶を濁す。うん、と社長が次の言葉を待っていたとき、とたた、という足音が聞こえる。
「うむ、書けたか。では、これから君は我がプロダクションのアイドルだ。ようこそ、シンデレラガールズ・プロダクションへ」
「うん、よろしくー」
周子ちゃんは、屈託無く笑う。ただサインをするだけのはずだが、偉く時間がかかったのは、ちゃんと契約書を隅から隅まで読んでいたからだろう。
と、周子ちゃんが何かを思い出したように言った。
「あ、社長さん。契約書に書いてたことなんだけれど」
「うん? どうかしたかね。何か不明なことがあったかな」
「あー、うん。女子寮の話なんだけど」
周子ちゃんは、そういった。そうか、女子寮があるのか。と言うことは、俺の部屋から引越しをするわけだ。その手続きに関しての、何か質問なんだろう。
少し、残念だな。そう思った。思って、やはり俺は、周子ちゃんを手放しがたい存在だと思っている。それに気づいた。結局、俺は周子ちゃんが好きなのだろう。
(馬鹿らしい、今更になって自覚するんだもんなぁ)
苦笑しか漏れないのだが、周子ちゃんが女子寮に移ることを止めるなんて、出来ない。むしろ、止めたらその時点で色々終わる気がする。
「あー、そういうのじゃなくってさー」
周子ちゃんは、少しそっぽを向きながら、ぽりぽりと頬を掻きながら、呟くようにいった。
「その、あたしPさんと一緒に住んでるから。だから、女子寮は要らないんだよねー」
「……何?」
(……あちゃあ)
俺は、少し頭を抱えた。まさか同棲しているとか、予想だにしていない答えだろう。さしもの社長も、閉口しているに違いない。
そう思っていたのだが――。
社長はこれまでに無いほど豪放に笑うと、ばし、ばしと俺の背中を叩いた。そして、周子ちゃんのほうに向き直ると、
「シューコさんだったね、いいだろう。女子寮は不要と言うわけだ。うむ、一向に構わんぞ。ただし、君は今からアイドルだ。その辺りを考えた行動は、してくれたまえよ?」
「もちろん。Pさんには迷惑、かけられないからねー」
「それなら良い。しかし……、君たちは似合いだな、わっはは。Pくんも、あんまり尻にしかれるんじゃあ、無いぞ?」
男として、それは情けなさ過ぎるからなぁ。社長は非常に上機嫌で言うと、コーヒーカップを持って立ち上がる。どうやら給湯室に向かうらしい。
その茫洋と言うか、ぶっ飛んでるといっても過言ではないほどのおおらかさに、俺のほうが閉口しつつ、見送ることしか出来なかった。
「……ね、Pさん」
『え、あ、ああ。どうかしたかい、周子ちゃん』
彼女は、社長が居なくなると、俺の腕に抱きついて、こちらを見上げてくる。その、見上げた表情は非常に危険だ。
白い肌に対して、真っ黒な瞳は、思わず吸い込まれそうになる。理性を総動員して、俺は彼女の問いかけに対し、やや上の空になった返事を返した。
少し、周子ちゃんは申し訳なさそうに、そして恥ずかしそうに言った。そんな様子が、酷くいじらしい。なんだか、今すぐにでも抱きしめたくなる。
それに関しても、俺の理性を総動員して必死に堪えると、彼女の頭に手を置いて、優しく話しかける。
『こちらこそ、よろしくだよ、周子ちゃん。それと、お世話になるんじゃない。これからは、支えあって生きていくんだ』
「……うん、そう。そうだね。」
周子ちゃんは、笑う。輝かしい笑顔だ。この笑顔を、これから護っていこう。そう、誓う。
『周子ちゃん、これから、宜しくね』
「Pさんも、これから宜しく、だよ」
お互いに、そう言った。行って、少し可笑しくなり、思わず笑ってしまう。
「ね、Pさん。手、繋いでよ」
『えぇ? もう、しょうがないな』
満更でもない。そう思って、彼女の手を握る。彼女の手は、冷たかった。それを温めるように、大事に両手で包み込む。
「おう、Pくん。流石に会社でいちゃつくのは勘弁してくれたまえよ?」
社長の、そんな声が聞こえた。二人して、体を震わせる。そして同時に、俺たちは赤面した。
その様子を見た社長の、笑い声が木霊する。
悪くない。少し、頬を緩めて、俺は思った。
耳心地のいい、ジャズの音楽が聞こえる。それは、目の前にある店舗から聞こえてきていた。同僚がお気に入りだと推薦してくれた、小洒落たバーだ。
その扉を押し開ける。もう一枚、分厚い鉛の扉があったが、それは開いたままだった。
「いらっしゃい」
『あ、予約のPです。待ち合わせをしてるんですけど』
「ああ、Pさんね。あちらで、お待ちですよ」
『ありがとうございます』
マスターのその言葉に、店の奥を見る。隅の方の、ご予約席、という立札があるその席で、彼女は待っていた。
『悪い。まだちょっと、バタバタとしててね。後始末を、社長やちひろさんに投げ出すわけにはいかないしさ』
「まあ、Pさんならそう言うと思ってたよー。さ、さ。座って座って」
『はは、せっかちだなぁ』
俺は、腕にかけていたコートを、椅子の背もたれへと掛け、そして座る。マスターが、まるで見計らったようなタイミングで、料理を運んでくる。
普段は、こういった料理は作らないらしいが、紹介で予約を入れた俺たちだけは、今日に限って特別らしい。貸切にしてもらったのだ。同僚には、礼を言っておかねばならない。
料理の次に運ばれてきたのは、シャンパンのボトルだ。それを受け取ると、ぽん、と小気味のいい音を立ててコルクを抜いた。
それを、目の前の二つのシャンパングラスに注ぎこみ、片方を前へと押し出した。俺はボトルをテーブルに置くと、目で合図を出して、シャンパングラスを取る。
それに合わせて、彼女もシャンパングラスを取った。そして軽く、ちんと触れ合わせる。
「ん、ありがと」
彼女――塩見周子は、そういって笑う。少し大人びた様子で、しかしどこか不思議と落ち着いている、そんな表情だ。
『しかし、周子ちゃんも二十歳か。あれから、もう二年経つんだなぁ』
「なぁに、Pさん。急にそんなこと言って、おじさんみたいだよー?」
『うるせいやい。そりゃあ、周子ちゃんに比べたら俺はおっさんですよ』
「あはは、ごめんってば」
憤然とする俺ではあるが、当然、本気で怒っているわけではない。俺は持っていたシャンパングラスから、ぐいっとシャンパンを喉に流し込む。
そして、シャンパングラスをとん、と机に置く。
『まあ、でも、ここまで長かったような、短かったような、そんな気がするよ』
今でもこの状況が夢なのではないか、と恐怖することがある。朝、目を覚ませば、二年前のあの、地獄の日々の最中に居るのではないか。
それほど、今の俺は幸せだった。
周子ちゃんはそう言った。
「こんなに、いろんなことをやったことなんてなかったからさ。楽しい時間はすぐ過ぎるっていうけれど。今回のライブも、ほんと、一瞬だったなー」
『はは、そう思ってもらえると、プロデューサー冥利に尽きるね』
「全部、Pさんのおかげだよ。ライブの成功も、あたしがアイドルとしてやっていけたのも、全部、Pさんのおかげ」
周子ちゃんは、笑う。その笑顔が、少し上気した頬と相まって、酷く色っぽく見える。俺も、酒が少し入ったせいもあって、鼓動は早鐘を打っていた。
今回の単独ライブで、ようやく塩見周子、というアイドルの存在を、全国に鳴り響かせることが出来た。それまではユニットメンバーとしての活動が多かったからだ。
この単独ライブの影には、実はあの、大手プロダクションの部長も、個人的に一枚噛んでいた、というのはライブが終わってから聞いたことだ。
なんでも、部長は二年前のあの一件をいまだに気にしているらしく、単独ライブの成功の為に奔走してくれていたらしい。
無論、社長と旧知というのもあるのだが、俺は部長に気に入られているようで、今でも事あるごとに転籍の誘いを受けている。
そして、当たり前と言えば当たり前なのだが、俺はその誘いを断っている。それが半分冗談であることを承知しているからだ。……もう半分は、きっと本気なのだろうけれど。
社長曰く、とても悔しそうに、そういっているのだとか。
『でも、ここまで頑張ったのは周子ちゃんだよ。俺は何もやってねえしな』
実際、ここまで周子ちゃんが歩いてこれたのは、彼女がそれ相応の努力と意志を欠かさなかったからだ。俺がやったのは、彼女の前を先導したに過ぎない。
「でも、やっぱりあたしがアイドルをやってこれたのは、Pさんのおかげだよ。だって、アイドルに最初は、興味なかったもん」
『そう、なのか?』
「うん。Pさんと出来るだけ長く一緒に居たかったから、わがまま言っただけだったんだ」
彼女は、少し恥ずかしそうに、しかし申し訳なさそうに言う。
確かに、かつて彼女がアイドルになった時は、俺をダシにした感が凄かった。なるほど、そういう理由だったわけだ。
『……なかなか、悪い子じゃあないか、周子ちゃん』
「えへ」
可愛く、彼女は誤魔化した。そんなところも、いじらしいと思う。
『ん?』
おずおずと、彼女は言葉を紡ぐ。
「あたしがさ、もしトップアイドルになったらさ」
『うん』
「アイドル辞めて、実家に戻っても、良いかな」
彼女は、そう言った。それに対する、俺の答えは一つしかなかった。
『もちろんだ。……夢なんだろう、看板娘』
「うん」
言葉少なに、周子ちゃんは肯定する。彼女は必ずトップアイドルになる。時間はかかっても、だ。その矢先に、引退して実家に戻る、というのはなかなか波乱を生むこと間違いない。
だが、それを支えるのは、俺の役目。余計な火の粉を払い、雨風には傘を差し、行く先の暗闇に明かりを灯す。それが、俺に出来る事だ。
「それで、さ」
『うん』
彼女は、少し緊張しているようだった。見た目に、あまり変化はない。だが、もう二年間も共にいる。同じマンションの、あの部屋で、ずっと過ごしている。
だから、周子ちゃんが緊張している事なんて、すぐわかる。俺は、神妙に彼女の言葉を待った。
「もし、アイドル辞めた時は、その。……一緒に、ついてきてほしいんだよね」
一瞬の呼吸の後、そういって、周子ちゃんは俯いた。少し、体が震えている。
俺は言った。その言葉を聞いた瞬間、周子ちゃんの顔が跳ね上がる。
「ほん、と?」
『ああ。今まで俺が、周子に嘘をついたこと、あるか?』
「……去年のクリスマスと、お正月。お休みなかったよ」
『……それ以外で』
「ない、かな」
カッコよく決めるつもりが、図星を突かれたのでちょっとだけ微調整だ。ただ、少なくとも、俺は彼女に、嘘をつこうと思ってついたことは、今までない。それは誓える。
『社長に、関西支部でも作るって言って、無理にでもついていくさ』
「あは。Pさんに、そんなこと出来るかなー?」
『なにおう、周子ちゃんのためだったら、なんだってできるさ』
そう、なんだってできる。彼女は、俺の恩人で、担当アイドルで――大好きな人だ。だから、なんだってできる。
「じゃあ、さ」
彼女は少し悪戯っぽく言う。
「あたしに、キスしてよ」
『は?』
「だから、キ、ス」
『……全く』
俺は、少し呆れたような声を出した。そして、僅かに笑って周子を見る。
彼女は、その俺の様子を見て、同じように苦笑する。
一瞬のことだ。心臓が、痛いほど鼓動している。きっと、頭にも血が上っている事だろう。
体を乗り出した。距離など、無いに等しかった。
俺は――彼女の唇に、自分の唇を触れさせていた。目を白黒させながら、何が起こっているのか分かっていない周子が見える。
永遠にも思えるほど、実際には数秒なのだが、そのキスは衝撃的で、感動的で、官能的だった。今まで、こんな経験はない。
俺が、彼女の唇から自分の唇を離したとき、しばらく周子ちゃんは固まったままだった。やがて、呟くように、
「……卑怯、だよ、Pさん」
と、絶え絶えに言葉を紡ぐ。
『周子ちゃんが、言ったんじゃあ、ないか。キスしろ、って』
俺も、内心溢れ出す感情の爆発を抑え込むのに必死で、上手く言葉が出てこない。ただ、告げなければならない言葉が、あった。
今日、このライブが成功したら、伝えようと思っていた言葉だ。すでに、社長に許しは貰っている。だから、もう障害はない。俺が言うだけだ。
「……なあに?」
俺は、二度ほど、深呼吸をして、彼女の名前を呼ぶ。ゆっくりと、頭の中で何度も言葉を反芻する。
そして、言った。
『正式に、申し込みます。アイドルを引退したら、結婚を前提に、俺と付き合ってもらえないでしょうか』
一瞬の間。時間が静止したかのような、そんな気さえするほどの、静寂。
破ったのは、彼女の言葉と、一筋の涙。
「……もう、遅いよ、Pさん。あたしが断るわけ、ないじゃん」
『ほんとか?』
「嫌いな人と、今までずっと、一緒に住むわけ、ないじゃん。もう、馬鹿。馬鹿馬鹿。順番も、逆だしさ。普通、先に言ってから、キスするんじゃないの」
だって、二年間ずっと、ずっと待ってたんだよ。彼女の泣き声と、そんな言葉が俺の耳を揺さぶる。
「いいの。Pさんのその言葉が聞けたんだもん。あたし、頑張るよ。あたしのためにも、Pさんのためにも」
『そうか……。ありがとう、周子ちゃん』
「もう、周子ちゃんはなしだよ、Pさん。周子って、呼んで」
『じゃあ、周子もだな』
「そう、だね。ねえ、P」
『なんだ、周子』
「もう一度、キスしてよ」
『何度だって、してやるさ』
あと、二十センチ。十センチ。五センチ、三センチ、二センチ、一センチ。
唇が、触れた。目を閉じる。全てが、真っ白になった。
どれくらい、そうしていただろうか。いつしか、唇は離れ、はにかむ周子の顔がそこにあった。
彼女は、俺の顔を優しく包むように触れ、微笑む。再び、唇が触れ合う。心が、体が熱くなっていく。また、唇は離れる。それを、何度も繰り返した。
俺と彼女は見つめ合い、笑った。穢れのない、純粋な笑顔だ。
「大好きだよ、P。あたしの隣に居てよね。あたしも、Pの隣に居るからさ」
その小さな呟きが、これからの俺たちを示している。これまでも、そしてこれからも。彼女と俺は、支え合っていくんだ。
――これが、四面楚歌から救われた、二人の遊び人の物語。
予定よりもかなり分量が多くなり、終盤の更新はやや駆け足となりましたこと、お詫び申し上げます。
本当に長い間、お付き合いいただき、誠にありがとうございました。
また投稿する事があるとは思いますが、一か月弱ほど充電期間を設けようかと思っております。
何事もなければ、五月末にはまたお世話になるかと思います。
それでは、HTML化の依頼を出しておきます。今までお世話になりました。
元スレ
モバP「四面楚歌と遊び人」
http://ex14.vip2ch.com/test/read.cgi/news4ssnip/1390038166/
モバP「四面楚歌と遊び人」
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コメント一覧 (38)
-
- 2016年05月12日 08:57
- あれ?前にまとめてなかったかこれ
-
- 2016年05月12日 11:33
- このシリーズ懐かしいな
-
- 2016年05月12日 11:54
- また出たのかまあかなり好きだから続きとゆうか新作が欲しい所かな
-
- 2016年05月12日 12:18
- もうトップにはなったから結婚まったなしなんだよなぁ……
-
- 2016年05月12日 12:23
- 作者はこれ書いてる当時、しゅーこちゃんがシンデレラガールになるとは思わんかったろうなぁ。
-
- 2016年05月12日 12:41
- この人のシリーズすき
しゅーこの可愛さがたっぷり詰まった良いssだと思う
-
- 2016年05月12日 12:47
- ちょい強引だが面白かった
最近の周子にはない魅力が詰まってたわ
-
- 2016年05月12日 13:03
- 1/23の時点で読むのやめた
-
- 2016年05月12日 13:43
- なんで今更…?
-
- 2016年05月12日 16:13
- 全部読んだけど苦じゃなかった
面白かったわ
-
- 2016年05月12日 22:29
- ※1
前にって言ってたが、探したけど見られなかったぞ(;゜∇゜) タイトル教えて欲しいですよ(泣)
久々の長話、ゆったり読めて面白かったので在ります作者殿(^_^ゞ
-
- 2016年05月12日 23:04
- 展開展開で心がいろんなところに動いて…めっちゃ感動したというか、うまく言えないけど羨ましすぎて哭きたい
-
- 2016年05月12日 23:28
- このひとしっかり物語作ってくるからすごい
-
- 2016年05月13日 01:51
- 最初が結構きついから読み直すのが大変だよな
-
- 2016年05月13日 04:49
- 課長のクズっぷりがヤバい
果てしなくどうでもいいがPが消えた後課長どうなったのかな
-
- 2016年05月13日 06:36
- あーいいっすねぇ
-
- 2016年05月13日 11:52
- 昔よんだことあったから期待して最後まで見たらやっぱりその後は無かった。
四代目シンデレラガールになったんだし、短編で良いからその後が見たいなあ
-
- 2016年05月13日 23:26
- このシリーズ現在進行形で読んでるけどすごくおもしろい
-
- 2016年05月14日 02:38
- すっごい良かった。長かったけどスラスラ読めた。モバでしゅーこ集めてみるか
-
- 2016年05月14日 06:21
- 懐かしいなー、これ昔読んだけどすっごい好きだった
周子SSの中でもトップクラスの出来だと思う
-
- 2016年08月10日 18:08
- 長いけど面白かった
それにしてもエレ速なのに課長の部分で米欄が荒れなかったのが不思議
-
- 2016年09月17日 16:37
- ただダラダラ長いだけでクソつまんないSS
-
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- 20×3に当たらなきゃ負けない試合で負け
トップアイドルになったら実家に帰るからその時は関西支部作ると豪弁を奮った相手がトップアイドルになり
この、何をしていても裏目に出る感じ
ここだけは俺も似てるような気がするんだが
ただ、酔っ払ってこたつで居眠りしているうちの嫁は
どこをどう見ても、周子には似ても似つかない
-
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