モバP「行きつけのあの店で」
そこは秘密の隠れ家みたいな、とてもいい気持ちで酒が飲める素敵なところだった。
P「お疲れ様でした。今日のライブもとても良かったですよ」
楓「ふふっ、ありがとうございます」
P「今日は小さな会場でしたけど、満足できましたか?」
楓「ええ、もちろんです。だってあそこのステージには、すてーきな思い出がたくさん詰まっていますから」
P「懐かしいですね、楓さんがアイドルになって初めてステージに立ったあの日……」
楓「もう『あの日』なんていう、過去を懐かしむような言葉で語ることができてしまうんですね」
楓「本当におそろしいですね。だってプロデューサーさんが、私のダジャレを平然とスルーするーようになってしまいましたから」
P「あ、さっきのダジャレに無反応だったこと、割と不満ですね?」
楓「もちろんですよ。プロデュースしたての頃は、ダジャレを言うたびにもっとオロオロしてくれてたのに」
P「最初は困ったんですよ!? こんなに美しい人がダジャレなんか言うなんて思いませんでしたから」
楓「美しいなんて、ありがとうございます。今はもう困ってないんですね?」
P「今となっては、反応すべきかどうかわかるようになりましたから」
楓「それはそれで、嬉しいかもしれませんね」
P「嬉しいですか?」
楓「はい。お互いの気持ちが、もっと深くわかるようになったということですから」
楓「みょうに冥利を、感じてますね」
P「さすがに強引でしょ、それは」
楓「ふふっ、そうでしたか」
P「今のは反応すべき、でしたよね」
楓「もちろんです。やっぱりわかってますね、なんでも」
P「そうですね、楓さんがデビューする前から、お酒を飲むときはいつもここでしたから」
楓「事務所の最寄り駅」
P「北口から出た道を線路沿いに歩いて3分」
楓「コンビニがある角を左に曲がってから」
P「すぐ右に曲がって入った路地の奥のほう」
楓「右手に見える赤ちょうちんが目印」
P「……近いのに意外と誰も知らないんですよね」
楓「事務所の誰とも、今までここで会ったことはありませんもんね」
P「ほんと、最高の場所ですよ」
楓「ええ、ほんとに……最高の空間ですね」
楓「そうですね。いろんなことがありました」
P「モデルをやめさせて、レッスンをさせて」
楓「右も左もわからないまま、デビューが決まって」
P「あの時から楓さんは、生き生きし始めましたね」
楓「自分でも不思議な感覚です。あの時から私の人生が始まったんじゃないか、なんて思っているくらいですから」
P「それは嬉しいなぁ。僕も頑張った甲斐がありましたよ」
楓「毎日を輝かせることができる。こんなに素晴らしいことを、それまでの私は知りませんでしたから」
楓「なぜ、そう思うんですか?」
P「なぜって……」
楓「私は、アイドルになってからようやく、自分が思うように表現できたんです」
楓「それまでは写真で一人、ポーズを決めたり、表情を作るくらいでしたから」
楓「でも、アイドルになれてからは、歌って、踊って、他のアイドルと一緒にユニットを組んだりして……」
楓「人見知りでしたから最初は少し怖かったですけど、前を向いて少しずつ成長していく過程は何事にも代えがたい喜びでした」
P「……何事にも、ですか。そうですよね」
楓「プロデューサーさんがくれた、宝物です」
P「そう、言ってもらえると……嬉しい、ですね」
楓「……!? プロデューサーさん、涙が……どうしましたか!?」
P「いえ、いい話だったので、つい。感傷的になってしまって。それだけですよ」
楓「加藤登紀子ですか」
P「そうですね、今思い返してみるとほんとにその通りだ」
楓「時には、昔の、話を、しようか」
P「通いなれた、なじみの、あの店」
楓「マロニエも生えてますもんね、このあたりは」
P「ええ、本当に不思議です」
楓「ただ、飲むのはもっぱらお酒でしたけどね」
P「飲み屋ですから、そこは仕方ないですよ」
P「このお店の一番の魅力と言っても過言ではないですよね」
楓「いいえ、過言だと思います」
P「ええっ!? まさかそう返されるとは……」
楓「私が日本酒を飲んでいればいいだけの人かと思ったら、大間違いです」
P「じゃあ、何が一番の魅力なんですか?」
楓「もちろん、プロデューサーさんと、誰にも邪魔されずにお酒が飲めることです♪」
楓「いーえ、ぜんぜんまだまだですよ?」
P「じゃあなんでこんな事をいきなり言うんですか?」
楓「だって今日のプロデューサさんは、何か隠してるじゃありませんか」
楓「だから、私がまず気持ちを開いて素直に伝えよう、と思っただけです」
楓「そうしたら、教えてくれるかもしれないですから」
楓「あります」
P「わかるんですか?」
楓「はい、わかります。だって伊達にずっと、プロデュースしてもらってきた訳じゃありませんから」
P「だって伊達に、ってダジャレですね」
楓「プロデューサーさん」
P「……すみません」
楓「あれ、ですか」
P「ええ……これです。今年度もお疲れさまでした、という意味を込めた、ささやかなプレゼントです」
楓「あら、綺麗な花束……優しい色合いですね」
P「まさか見透かされていたなんて、びっくりです」
楓「これには、私もびっくりです。スイートピーですか」
P「ええ、赤くはありませんが、いい花でしょう」
P「受け取ってくれて良かったです」
楓「プロデューサーさん。まだ、言うべきことがありますよね?」
P「ええ、そうです。楓さん」
P「僕は4月から、あなたの担当を外れることになりました」
P「4月からは、新人アイドルのプロデュースをすることになりました」
楓「新人さん、ですか」
P「ええ、若い子たちを相手にしなくちゃいけないので、うまくいくか今から心配ですが」
楓「プロデューサーさんなら、きっと大丈夫ですよ」
P「そう言ってもらえると嬉しいです」
楓「ちゃんと嬉しいですか? 何の根拠もないのに」
P「根拠もないのに、楓さんから大丈夫と言ってもらえたことが嬉しいんです」
P「ええ、東京勤務のままです」
楓「でしたら、またお酒を飲みに行けますね」
P「それができたらいいんですけど」
楓「けど、ですか?」
P「……担当プロデューサーでもない男が、トップアイドルと二人でお酒を飲むなんて危険なことはできません」
楓「お酒を飲んで、仲良くしてはダメということですね?」
P「はい、そうです」
楓「こんなに私のことを、わかってくれているのにですか?」
P「こんなにわかってしまっているから、ですよ」
楓「……ひょっとして、異動の件は自分から言い出したんですか?」
P「はい」
P「僕は、今の楓さんを好きになりすぎてしまいましたから」
P「ありがとうございます」
楓「じゃあ、二人でお酒が飲めるのも、今日が最後ということですね」
P「そうなりますね」
楓「……わかりました。最後ということなら、楽しく飲みましょう」
P「ええ、今までで一番楽しく飲みましょう」
楓「そうですね。とびっきり楽しくしましょう」
P「お、それはぜひ飲みたいですね」
楓「では……店長さん、お願いします」
P「……これは」
楓「『越後桜』です。とびきりの」
P「へぇ……いいですね」
楓「この季節にはピッタリですよね?」
P「そうですね、僕も好きなお酒です」
楓「これが必要になる日が来るって、前から思っていたんです。こんな気持ちで飲むつもりではなかったですけど」
楓「……何かを越える、その日に飲もうと思っていたんです。嬉しいものでも、悲しいものでも」
P「……すみません、別れの桜にしてしまうなんて」
楓「いいんです、プロデューサーさんからは、たくさん素敵なものをいただきましたから」
楓「楽しく飲んで、プロデュースとの別れを越えるためのお酒にしましょう♪」
P「う……けっこう飲んでしまったかもしれません。楓さんは大丈夫ですか?」
楓「だいぶぶん、大丈夫です」
P「大丈夫じゃなさそうですね…………すいませんマスター、お会計とタクシーの手配をお願いします」
楓「華麗に帰れますよ?」
P「もうダジャレが華麗じゃないからダメです」
楓「……わかってますね、プロデューサーさんは」
P「ええ、もちろん。デビューから一緒にやってきたんですから」
楓「わかってて、これなんだから、ひどいです」
P「……僕は、プロデューサーですから」
P「う……けっこう飲んでしまったかもしれません。楓さんは大丈夫ですか?」
楓「だいぶぶん、大丈夫です」
P「大丈夫じゃなさそうですね…………すいませんマスター、お会計とタクシーの手配をお願いします」
楓「華麗に帰れますよ?」
P「もうダジャレが華麗じゃないからダメです」
楓「……わかってますね、プロデューサーさんは」
P「ええ、もちろん。デビューから一緒にやってきたんですから」
楓「わかってて、これなんだから、ひどいです」
P「……僕は、プロデューサーですから」
楓「プロデューサーさんはどう帰るんですか?」
P「僕は、寄るところがあるので」
楓「そうですか……じゃあ、ここでお別れですね」
P「そうですね……今まで、楽しかったです」
楓「私も、ずっと楽しかったです。あなたにスカウトされたあの日から、今までずっと」
楓「今日も、楽しかったですか?」
P「……ええ、楽しかったです。楓さんは?」
楓「もちろん、私もです」
P「それはよかった」
楓「そうだ、プロデューサーさん」
P「はい?」
楓「私がアイドルをやめて、あなたのお嫁さんになると言ったらどうしますか?」
楓「どうですか?」
P「…………全力で止めますよ。こんなに美しいアイドルを引退させるわけにはいかないですから」
楓「それでいいんですか?」
楓「本当に、それはあなたのの気持ちですか?」
P「……はい」
楓「……うそつき」
楓「うそつき、って言ったんです」
P「嘘なんかついてませんよ」
楓「いーえ、嘘をついてます。わかりますよ?」
P「……なんでもわかってますね、さすが僕が育てたアイドルです」
楓「あなたが育てた『アイドル』だからじゃなくて、あなたと共に夢を見てきた『高垣楓』だから、わかるんです」
楓「何度も言ってしまいますが、今日はとても楽しかったです。でも同時に、とても悲しかった」
P「……すみません」
楓「いえ、いいんです。気持ちって、こんなに胸に染み込んでいくものなんですね」
P「気持ちって、不思議なものですよ」
楓「ええ、本当にそう思います。……プロデューサーさんと会わなければ一生、知らなかったことです」
P「僕のほうこそ、ありがとうございました」
楓「……最後まで、私の前では「僕」でしたね。……さようなら、Pさん」
P「えっ」
そう彼女が言った後、すぐにドアは閉まり、彼女が乗せたタクシーは見えなくなっていった。
俺は帰り道に隅田川を通って、カバンの中にしまっていた指輪を、途中まで考えていた告白のセリフといっしょに闇夜に投げ捨てた。
「さよなら」
これでいいんだ。
新しい部署での仕事も軌道に乗り、新しいアイドルの子たちとも少しずつコミュニケーションが取れるようになってきた。
俺は幸い、部署の仲間にも恵まれて、慌ただしいながらも充実した日々を過ごしている。
ちなみに、我が事務所が誇るアイドルである高垣楓も、最近はいっそう輝きを増しているようだ。
特に最近話題になっているのは、アクセサリーの広告。
北極星をイメージした星形のネックレスと、それ以上に輝く彼女が写った看板広告に見惚れてしまい、俺は今日も電車を乗り過ごした。
過去作はこちら
美穂「私にとってのアイドル」
モバP「まほうのメガネ」
P「病室、きっと夕暮れ」
元スレ
モバP「行きつけのあの店で」
http://ex14.vip2ch.com/test/read.cgi/news4ssnip/1458487598/
モバP「行きつけのあの店で」
http://ex14.vip2ch.com/test/read.cgi/news4ssnip/1458487598/
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- 杏子「さやか、数3教えてくれ」 さやか「え?」
- モバP「ま、まゆぅぅぅ……」 まゆ「はぁい♪」
- 彡(゚) (゚) 「なんか酒でも飲みたいなぁ。そうや」
- 初音ミク「はじめまして、マスター」
- 律子「じゃあ私のことの姉ちゃんって呼びなさいよ!!」
- モバP「雫は可愛いなぁ!」
- 美希「明日からハニーって呼ぶの!」
コメント一覧 (19)
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- 2016年03月21日 03:48
- 救いがないけどこれで良かったんだと思う……
読後感が良いか悪いかで言えば悪いけど、好きか嫌いかで言えば好きだ。
-
- 2016年03月21日 03:57
- 切ないねえ..
-
- 2016年03月21日 04:54
- 切ない。切ないけどこれがいい。
-
- 2016年03月21日 05:11
- 何か元ネタでもあるのかと思ってたが、無いのか
しっとりしてて悪くなかった(クソザコ上から目線)
-
- 2016年03月21日 05:48
- 春香ENDに近いなにかだな
-
- 2016年03月21日 06:21
- モバPクエストⅢ そして楓毒へ…
-
- 2016年03月21日 06:36
- たとえここで道を違えようともまたいつか道は交わるだろうと思わせるオチで良かった
-
- 2016年03月21日 08:59
- で、失恋して居酒屋で独り飲む楓さんがおじさんにお持ち帰りされる訳か…(ゲスの目線)。
-
- 2016年03月21日 10:25
- おい※7やめろ…やめちくり…
-
- 2016年03月21日 10:26
- かめれおんの同人の武Pと楓さんだな
-
- 2016年03月21日 11:56
- ワイ越後民、微妙な気分
-
- 2016年03月21日 11:57
- これよんでたら森山直太朗のさくらが頭の中で流れてた
-
- 2016年03月21日 12:13
- 自分から振る予定の癖に指輪用意って意味わからんな
-
- 2016年03月21日 13:14
- ※14
最後まで迷ってたんだろ
-
- 2016年03月21日 13:58
- ※14
おそらくやけど、楓さんのアイドルになって良かった発言を聞いて、アイドルとしての楓さんを留まらせるわけにはいかんって思って、決心したんちゃう?
-
- 2016年03月21日 19:05
- 余った指輪は若い子にあげるべきではないでしょうか
-
- 2016年03月21日 20:01
- えぇ…
-
- 2016年03月22日 00:21
- 過去作読んで分かったのはどの作品も煮え切らないバッドエンドばかりなんだよな…
次回作も失恋をテーマにするなら、もう少し救いのある結末にしてほしいな。
二次元ぐらいはハッピーエンドで終えてほしいし。