堀裕子「テレパシー/オーバードライブ」
短編
地の文
プロデューサーは私の手を握ったまま、貸しスタジオから逃げ出した。
今日はたしか、有名なカメラマンのお弟子さんが撮ってくれるって話だったのに。
このひとはたった今、そのお弟子さんを殴り飛ばした。
今繋がっている手には、ところどころ血が滲んでいる。
「畜生、これだから芸能界ってヤツは……」
焦ったようにプロデューサーは吐き出して、私の手を握る力が強くなった。
私はまだ状況が飲み込めてなくって、でも。
お弟子さんが私の胸を触ったとき、とてもイヤだったコトは憶えている。
思い出したくなんて、ないんだけど。
「ぷっ、プロデューサー、痛い、痛いですっ!」
「あぁっ! ごめん裕子……」
彼は手の力を緩めて、それでも私と手を繋いだままで。
手には汗が滲んでいて、すごく急いで逃げたってことがわかる。
スタジオから五百メートルのダッシュのあと、私たちは小さな路地に入った。
居酒屋やカフェが、夜の中で光を付けている。
立ち止まって、二人とも肩で息をした。
「なんか、ハァ、裕子、妙に落ち着いてない?」
「な、ひぃ、なんでって、そりゃあ、有名なカメラマンの、お弟子さんだって」
「あれ、多分偽者だ。ごめん、裕子。僕のせいで……」
プロデューサーは二、三度深呼吸して、私に説明してくれる。
確証はないけれど、あのひとは弟子を騙ったセクハラ目的の人ということ。
私にイタズラして、そのまま……そういうことをするために、わざわざ夜を指定したっていうこと。
「でも、本物かもしれないんですよね……?」
「だとしたって、今後あいつとは付き合わない」彼は吐き捨てるように言った。
「仮に腕が確かだって、クソ野郎と付き合う筋合いはない」
珍しく汚い口調のプロデューサーは、まだまだ怒っているようだった。
「あのっ、プロデューサー! そこのカフェで少し落ち着きません!?」
「ん? あぁ、うん。そうしよっか……」
近くにあったカフェに入った。
テーブルの黒い木はピカピカに光ってる。
コーヒー豆の匂いが漂った、お洒落なところだった。
入って真っ直ぐ、店の一番奥の椅子に座った。
プロデューサーは少し首を傾げたけれど、そのまま私の向かいに座って。
それからコーヒーと、カフェオレと、ミルフィーユを頼んでくれた。
「これからどうしましょう?」
「とりあえずは事務所に報告。それからは、わかんないや」
プロデューサーはまだ若くて、私と歳が七つしか離れていない。
いつもは人懐っこい笑顔をした、近所のお兄さんのようなひと。
事務所の大人たちからはからかわれて、小さい子からは慕われる、そんなひとだ。
こちらになります、と目の前に店員さんの腕が見えたとき、私は少しだけびっくりした。
どうかいたしましたか? と聞く店員さんの声は、とても優しそうに聞こえた。
「裕子?」
「なっ、なんでもないですっ!」
そう言ったらごゆっくり、という声がして、足音が私たちから離れていった。
会話がなくなってしまって、古びた時計がチクチク鳴るのが聞こえる。
「ほら、ミルフィーユ! すっごく美味しそうですね!」
そう言ったら、プロデューサーの眉間に浅くしわがよった。
ああ、また怒った顔してる。なるたけ見たくない表情だから、私は視線をカップに落とす。
カフェオレを飲めば、それは私の中にじんわり染み込んだ。
それからミルフィーユの先をフォークで削って、一口食べる。美味しい。ホントに美味しい!
「ねっ、プロデューサー。一口食べてくださいよ!」
また私はミルフィーユを一口削って、プロデューサーに差し出した。
彼は渋々というふうに、フォークの先に口を開く。
「うっまぁ……」
「美味しいですよね!?」
「すっごい美味い……今度からここ贔屓にしよ」
わぁ、やっと笑った。
プロデューサーの人好きのする笑顔は、私がアイドルになる原動力。
歌うときも、超能力を披露したときも、彼はよく笑ってくれた。
私の中で笑顔といえば卯月ちゃんに並んで彼だ。
私は、彼の笑った顔が好きだった。
晴れた夜の、月のような笑顔が好き。
「私は大丈夫ですからっ」
「本当?」
「はいっ! さ、事務所に帰りましょう?」
そう言ったら彼はコーヒーを飲み干して、それから立ち上がった。
私もミルフィーユをさいきっく別腹に収める。
スーツを着た背中をぴったり追って、彼は千五百円を払って、店を出る。
街を歩くひとたちの顔はなんだか見れなくって、ずっと彼のスーツの端を掴んでいた。
事務所は電話の応対に追われるちひろさんと、頭を掻くプロデューサーの先輩がいた。
「只今戻りました」
「あァ、うん、おかえり」
飄々とした声が聞こえた。「やっちゃったねェ、グーパンチ」
「やっぱり、不味かったですか」
「ちょっとだけ」
「あぁー……」
「いや、個人的にはよくやった! って思うけどね?」
話を聞けば、どうやら弟子というのは本当だったみたい。
業界でもまだ名が広まってない、ポッと出の悪いヤツということだった。
まだ業界に入って日が浅いプロデューサーはもちろん、事務所のみんなが気づけないくらいに。
まずかったのは、プロデューサーがお弟子さんを殴ってしまったこと。
「つまりだ」先輩さんは首をポリポリ掻きながら話し出した。
「今後ユッコくんが仕事をするとき、プロデューサー絡みで悪い噂がついて回るかもしれない」
「でも、プロデューサーは悪いことなんてっ!」
私はほとんど叫ぶように言った。
プロデューサーは暗い顔をして、先輩さんの言葉を受け入れているようだった。
「向こうも殴られたままじゃ終われないからね」
俺たちも頑張るけど。そう先輩さんは付け加えると、プロデューサーは頭を下げた。
「アイドルを喰い物にしようとするヤツはいくらでもいる」
「それは、今回で身に沁みました」
「彼女を守れるのは君だけなんだ」
そういって先輩さんはプロデューサーの肩を叩いた。
思ったより大きな音がして、ひゃっと声が出てしまった。
「ユッコくんも、安心してね? 今後は俺たちがどうにかするから」
先輩さんが椅子から立ち上がった。それから、大きな手が私の頭に伸びてくる。
黒い影が伸びてくる。男のひとの手が、私に伸びてくる!
「きゃあ!」
プロデューサーの背中に隠れて、スーツをぐっと握りしめる。
心臓がバクバクしている。
私は、どうして、あんなに叫んだんだろう。
自分でもわからなくて、プロデューサーに顔を埋めて、浅く浅く息をした。
ちらっと視線だけ、先輩さんを見た。
先輩はただただおろおろしていて、いつもの私なら笑えてたはずなのに。
いつものらりくらりしている彼があんなふうになってるのは、面白いことのはずなのに。
全然おかしくなかった。
どうして?
「裕子、やっぱり……」
そうプロデューサーは呟いて、優しく私の髪を撫でた。
くすぐったくて、あったかくて、安心する。
「先輩」
「あっ、はい」
「今日は帰ります。裕子を送って」
「そ、そうだねェ。もちろん。是非」
プロデューサーは私の手をまた引いて、事務所を出た。
「どうして」が反響し続けている私は、わけもわからないまま。連れられて、外に出る。
寮には帰りたくなかった。一人になるのがなんだか嫌だったから。
「じゃあ、朝日でも見に行こうか」
車のエンジンがかかって、暗い地下駐車場から逃げ出す。
あたりは真っ暗になっていて、もう少しで日付が変わる頃だった。
「大学時代にね、貯金して買ったんだ」
そう言って彼はハンドルを回した。
彼の車はゆっくりと高速に入っていく。社用車とは違う革のシートが暖かかった。
高速道路を走っていれば、ひゅんひゅんと光が流れていく。
空はよく晴れていて、少し欠けた月が私たちを追いかけてくる。
神秘的に見えて、私は追い抜いた光を一つずつ数えた。
「疲れてたりしてない?」
「正直、少しだけ……」
「寝てていいよ。起こすから」
私はシートに倒れこんで、目を閉じた。今も「どうして」って、ガンガン頭の中を叩いている。
本当はわかってるはずなのに、気づいたら終わりのように思えて。
それから、夢を見た。
エスパーユッコは無敵の超能力者で、相棒と一緒に世界を笑顔にするんだ。
強大な敵が現れたって二人は無敵だ。
敵の手が伸びてきたら相棒がそれを跳ね除けて、そこを私のサイキックぱわーで倒す。
そしたら相棒が頭をいっぱい撫でてくれて、よくやった! って褒めてくれる。
それは手の届くイメージのはずで、いつも見る夢。
だけど、もうダメなのかな。夢の終わりに伸びてきた手は、私の超能力を弾きとばした。
裕子、と呼ばれた気がして目を覚ました。
目の前にはコンビニの袋が落ちていて、そこからミネラルウォーターを取り出して飲む。
どれくらい眠ってたんだろう? 口の中がカラカラで仕方がなかった。
あのひとは車の外で、まだ暗い海を見ていた。
カモメがにゃあにゃあ鳴いている。東の空が、少しだけ水色になっている。
車のドアを開けたら、彼が振り返った。
「あれ、起きたんだ」
「プロデューサーが起こしてくれたんじゃないですか」
「いいや? 今起こしに行こうと思ってたとこ」
あれれ、じゃああの声はなんだったんだろう。確かに呼ばれたはずなのに。
「テレパシーだったりして」
「プロデューサー、エスパーだったんですか?」
「裕子の側にいたから、僕も目覚めたのかも」
「そうだったら、ステキですね」
彼はコーヒーを持っていて、裕子も飲む? と聞いてきた。
飲みさしを一口もらう。
「もうすぐ朝日が見えるよ」
「もっと早く上がってこないですかね? さいきっくぅ、太陽早く登れー!」
「あっはは! いいねそれ。僕も真似しよう」
彼が笑った。二人でムムーンって唸ってても、朝日はまだ顔を見せなかった。
二人で顔を見合って、また笑う。
ずうっとこういう風にいられればいいのに。
今までのことなんて無かったみたいに、プロデューサーと二人で笑った。
「ねぇ」
「はい?」
「もう、大丈夫?」
少しだけあの手を思い出して、それでもかぶりを振る。
いつも明るくて、さいきっく美少女の私を思い出したかった。
いつもそれを見て微笑む彼のためにも。
だから、「悪いひとは、私の超能力で倒しちゃいます!」って言う。
潮風が吹いて、体が冷えていく。不安を、見なかったことにする。
「裕子は、強いなぁ」
僕は弱いや。と彼は続けた。
「でも、やっぱり裕子も女の子なんだ。十六歳の」
そういって彼は私の手を握る。
冷えていた手が暖かくなって、私もじんわり暖かくなる。
「じゃあ、私が、エスパーユッコじゃなくて、十六歳の私が困ったときは」
「助けるよ、必ず。こんなところで燻っていられるもんか」
プロデューサーのスーツに顔を埋めれば、潮の香りがする。
顔をすりすりしたら私にも移るかな?
「アイドル、私たち二人ならちっとも怖くないです」
きっとさっきの夢の続きは、プロデューサーさんが助けてくれるんだ。
きっとそうだ。彼のあったかい手でまた私を守ってくれる。
(そうですよね?)
「当たり前だよ。そのために僕がいるんだから」
二人ならちっとも怖くない。
口にしなくたって、プロデューサーには私のことが伝わるんだから。
二人だけのテレパシーだけど、今はそれでよかった。
朝日が水色を塗り替え始める。空を飛ぶカモメごと、全部オレンジ色に染め上げて。
「キレイですねぇ」
「裕子ならもっとキレイなものが見られるよ。アイドルなんだから」
「そうかもしれないです!」
割れるような歓声。
サイリウムの波は今以上にオレンジ色に光るんだ。会場全体が海になる風景は、どれだけキレイなんだろう。
「いつか、絶対にもっとキレイなところに連れていってくださいね?」
「もちろん」
「それまで、朝焼けは見なかったことにしておきましょうか」
「なら、いつか思い出になったころに」
「また見に来ましょうっ!」
二人で手を繋いで、朝焼けの中に溶けていく。
私も彼も薄れていって、どこか遠いところにテレポートしていくような気がした。
朝の空気を胸いっぱいに吸い込んだら、こわかったことも全部どこかにテレポートしていく。
確かに、そんな気がした。
「ねぇ」
「うん?」
「これからどうしましょっか?」
「ぜーんぜん考えてないや。でも、今まで以上にみんなを笑顔にさせないと」
「プロデューサーはいっつも行き当たりばったり! さてはおバカですね?」
「裕子には言われたくないんだけどなぁ……」
「えへへ、でも、頑張りましょうねっ。二人で!」
バカな私たちは手を繋いで、遠い未来を想像するんだ。
なにがあったって乗り越えられる強いイメージで。
体温も感情も、全部手のひらから伝わってくる。
じんじんと暖かくなる胸の奥は、サイキックが暴走したせい。
きっと、私のキモチも伝わってますよね? プロデューサー。
(また一緒に、キレイな景色を見ましょうね。絶対に)
お わ り
元スレ
堀裕子「テレパシー/オーバードライブ」
http://ex14.vip2ch.com/test/read.cgi/news4ssnip/1453373281/
堀裕子「テレパシー/オーバードライブ」
http://ex14.vip2ch.com/test/read.cgi/news4ssnip/1453373281/
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コメント一覧 (27)
-
- 2016年01月21日 21:31
- ユッコに興味なかったのに可愛いと思った・・・これがサイキックパワーか
-
- 2016年01月21日 21:39
- プロデューサーはベガ
-
- 2016年01月21日 21:42
- 俺はの体型はエドモンド本田
-
- 2016年01月21日 21:48
- ボクはカワイイ!
-
- 2016年01月21日 21:52
- あー俺だわー
この弟子俺だわー
-
- 2016年01月21日 22:00
- さすが事務所でもっとも天使に近いといわれている堀さんや
-
- 2016年01月21日 22:00
- ヨガファイヤー
-
- 2016年01月21日 22:01
- ※5
取り敢えずグーパンチ
-
- 2016年01月21日 22:18
- ユッコみてると実家の犬を思い出す
とついさっきまで思ってた
可愛いっすねこのユッコは
先輩Pはちょい不憫だけどw
-
- 2016年01月21日 22:28
-
※5、先ずはその汚ならしい両腕を出せ。安心しろ、手首だけで勘弁してやるから。
こういう下衆を躊躇なくぶん殴れるPはナイスガイ、ユッコってこんなに可愛かったんだな。
-
- 2016年01月21日 22:36
- 一つだけ気になったのは、かぶりを振るって首を横に振ることじゃないのということ
あとは面白かった
-
- 2016年01月21日 23:12
- 投げっぱなしendじゃねぇか
-
- 2016年01月21日 23:21
- 良い。
おバカキャラにばかり目が行くけどサイキック乙女してる時の可愛さはほらこんなもん
-
- 2016年01月21日 23:44
- ※5
ヨガ!ヨガ!ヨガ!ヨガ!(パンチボタン連打)
-
- 2016年01月22日 01:40
- いかんな。
スレタイでゆっこがリブレイター、とときんがエクスターな話とつい思ってしまう
-
- 2016年01月22日 03:09
- テレパシーテレパオーバードゥラァーイ
-
- 2016年01月22日 03:51
- *4 幸子スカイダイビングはどうした
-
- 2016年01月22日 06:34
- 波紋疾走?
-
- 2016年01月22日 08:11
- おかしい。ユッコSSなのにシリアスなんて…何かの間違いだろ?
-
- 2016年01月22日 09:13
- ※11
「かぶりを振る」の漢字をサイキック増量すると「頭を振る」だから別に間違いではないけど、現代浸透している用法としては拒否の意味合いで使うことの方が多いよね
-
- 2016年01月22日 10:55
- ニャアニャア鳴くのはウミネコだ。カモメじゃあない
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- 2016年01月22日 13:55
-
「飲みさし」とかからも書いた人がかなり読書家ってのがちょっとわかった。素敵な作品だった
-
- 2016年01月22日 16:00
- pがユッコの揉む展開期待してた
-
- 2016年01月23日 16:58
- みんなの憎悪の的になる※5は間違いなく…間違いなく?イケメン
-
- 2016年01月26日 04:18
- ゆっこふびん
-
- 2016年01月26日 22:44
- おお、きのこ帝国だ
以前バウムクーヘンとか書いてた人かな
-
- 2018年06月24日 00:05
- そしてこのユッコとPは
悪評が広まり仕事も一切貰えず
夢やぶれて業界から干されていきましたとさ
めでたしめでたし☆