ビッチ(改)【その4】

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ビッチ(改)【その4】






398:以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします:2015/05/02(土) 23:26:51.27 ID:fRte/KyMo

 今朝、いつもの電車で僕は奈緒と落ち合って一緒に登校した。

 土曜日にはピアノ教室に行かなかったから、奈緒から実の兄でも僕が好きだと言われた
とき以降彼女に会うのは初めてだった。奈緒はスクールバッグを片方の肩にかけ、手には
何やら紙バッグをさげている。

「おはようお兄ちゃん」

 奈緒ははにかんだように微笑んで僕に言った。悲壮な顔で実の兄である僕への愛情を語
ったあのときの表情は全く残っていない。彼女はいろいろとふっ切れたのだろうか。本当
に。

「おはよう奈緒」

「今日も天気が悪いね。雪でも振りそうだね。お兄ちゃん、寒くない?」

「ちょっと寒いけど、でも平気だよ」

「あの」
 奈緒が僕から目を逸らして言った。「あたしはあまり寒くないし」

「うん?」

「よかったらだけど。あの、このマフラー巻いてくれる?」

 それで奈緒が片手に下げていたバッグから綺麗に折りたたまれたマフラーを取り出した。

「これって・・・・・・」

「先月のクリスマスのプレゼント用に編んでたんだけど、あたしのレッスンのせいでお兄
ちゃんに渡せなくて」

 奈緒はにっこりと笑って僕の首にチェック柄のマフラーを巻いた。編み物にはうとい僕
だけど、編み物でチェック柄を作り出すことの難しさは何となく想像が付く。いったいこ
のマフラーを編むために奈緒はどれくらいの時間をピアノのレッスンから割いたのだろう。

 というかマフラーを編むのに時間を割くらいなら僕と会ってもよかったのじゃないか。
冬休み前後はピアノの集中レッスンのせいで奈緒にデートを断られていた僕はふとそう思
ったけど、今はそんなことはどうでもいい。



『有希から電話で教えてもらったの。お兄ちゃんと奈緒は実は本当の兄妹じゃないって。
二人は血は繋がってないって。お兄ちゃんと奈緒は付き合おうと思えば付き合えるんだよ
って』

『冗談だろ・・・・・・』

『冗談ならよかったのにね』

 僕の腕での中で悲しそうに僕を見上げた明日香の泣きそうな表情。



『明日香にこんな話しちゃってごめね。あたし、奈緒のママから聞いちゃったの』

『あたしも動揺して誰かに話したくて』

『奈緒の本当のママって、怜菜叔母さんなんだって』

『ああ、明日香は知らないよね。あたしのパパの妹だよ。あたしが生まれた年に、奈緒を
産んでそして事故死しちゃったあたしの叔母さん』

『・・・・・・どういうこと』

『あなたの今のパパと麻紀おばさんは怜菜叔母さんの死んだあと、奈緒を引き取って奈緒
人さんと一緒に育てたんだって』

『・・・・・・じゃ、じゃあ』

『うん、そうよ。奈緒と奈緒人さんの間には全く血が繋がっていないの』



399:以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします:2015/05/02(土) 23:27:58.36 ID:fRte/KyMo

「お兄ちゃん、暖かい?」

 僕は無理に奈緒に微笑みかけた。

「うん、暖かいよ」

「そうか。よかった。見た目は悪いかもしれないけど、風邪をひくよりはいいよね」

「ありがとう。っていうかごめん」

「ごめんって何で?」

「奈緒へのプレゼント用意してないや」

「ああ」
 奈緒が微笑んだ。「しかたないよ。あたしがイブには会えないってお兄ちゃんの誘いを
断ったんだから」

「今度埋め合わせさせてよ」

「別にいいのに・・・・・・。でも嬉しい」



『お兄ちゃんが実の妹と付き合ったことを知ったら傷付くだろうって。それだけを
考えてたのにね。あたし、ばかみたいだよね』

 明日香の湿った声。

『あたしのしたことは全部余計なことだったんだね。お兄ちゃんにも奈緒にも迷惑かけち
ゃった』

『そんなことは・・・・・・』

 ないって言おうとしたけど客観的に言えば明日香の言うとおりだった。

『あたしが余計なことをしなければ、お兄ちゃんはあんなつらい思いをすることはなかっ
たし、奈緒とは今でも』

 僕は腕の中にいる明日香を慰めようと思った。こいつは今では僕のフィアンセなのだ。
あの有希が、善意から明日香に本当のことを言ったかどうかなんてにわかには信じられな
い。そして第二にたとえ結果として明日香が僕と奈緒の仲を邪魔した動機が間違いだった
としても、それは悪意ではなく単なる勘違いによるものだ。それもどう考えても無理のな
い勘違いだ。

 だから僕は昨晩、混乱し震えている明日香をずっと抱きしめていた。ずっとぐずってい
た明日香は夜中になるとようやく僕の腕の中で眠りについた。今夜は帰ってくるはずの両
親は帰宅しなかった。

 今朝の明日香の態度はいつもどおりだった。結局、僕たちはリビングのソファで不自由
な姿勢のまま抱き合いながら朝を迎えた。窓越しに射し込む陰鬱な冬の陽光に起こされた
僕たちは、もう昨夜の話題を蒸し返さなかった。明日香が甲斐甲斐しく用意してくれた
(でも焦げていて苦かった)ハムエッグを食べた僕は、奈緒との約束の時間ぎりぎりに家
を出た。明日香にも、このあと僕がいつものように奈緒と一緒に登校することはわかって
いたはずだけど、彼女はそのことについては何も言わなかった。

「いってらっしゃい」

 明日香が僕に言った。

「うん」

 僕は明日香を抱きしめてキスしようとした。明日香は僕を避けなかったけど、積極的に
応じようともせずただされるままになっていた。何となく行き場を失った手を下ろしなが
ら僕は家を後にした。



400:以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします:2015/05/02(土) 23:28:51.87 ID:fRte/KyMo

 奈緒の編んでくれたマフラーは、駅から外に出た僕の首を寒気から守ってくれた。

 僕は明日香のこと振らないよ。

 僕は明日香にそう言った。その決心は奈緒と顔を会わせた今でも変っていないと思いた
かった。明日香のことをずっと大切にして行こうと思ったそのときの気持は変わっていな
い。奈緒と別れたかれたことに対して、明日香を責めようとは思わなかった。明日香には
悪意はないどころか、純粋に僕のことを考えて行動してくれた結果なのだから。

 だけどそれだけでこの話を割り切れるかというとそんなことはなかった。明日香の前で
は表情に出さないようにしていたけど、僕の頭の中はぐちゃぐちゃに混乱していた。

 明日香に告白する前の僕は奈緒のことが本気で好きだったし、奈緒も僕が好きだと言っ
てくれた。明日香の善意の行動のせいで僕は結果的に奈緒が自分の実の妹だと思い込み、
それで僕は奈緒のことを諦め忘れることにしたのだ。

 ただ、奈緒が僕のことを実の兄だと気がついたのは別に明日香とは関係ない。僕の名前
を聞いて、この人は昔つらい別れを強いられた兄なんだって奈緒は気がついた。それでも
なお、奈緒はそれでも僕と付き合い続けたいと考えた。こんな状況に至った原因は明日香
というよりは過去にある。奈緒には僕と違って一緒に暮らしていた頃の記憶があるらしい
けど、それでも奈緒には遡って僕と一緒に暮らし始めた頃の記憶まではなかったようだ。

 奈緒が真実を知ったらどうするのだろう。実の兄とでもいいと言い切った彼女だけど、
実際にそれを貫くほどの覚悟はなかったのではないか。だから、奈緒は妥協して僕とは仲
のいい兄妹であることに満足しようとしているのだ。

 あのとき奈緒は言った。



『お願いだからあまり悩まないで。お兄ちゃんが明日香ちゃんのことを好きになったのな
らそれでもいいから。さっきお兄ちゃんが言ってたじゃない? あたしが妹だとわかる前
だったら明日香ちゃんのことは振っていたって。あたしにはそれだけで十分だから。これ
以上お兄ちゃんに何かしてほしいとか望まないから』



 奈緒が真実を知ったらどうするのだろう。

 再び僕は考えた。明日香への誓いを何度も繰り返した僕には、当然ながら奈緒に真実を
告げるなどという選択肢はなかった。むしろ知られては困る。でも、あの有希がわざわざ
明日香にこんな話を告げ口してくることに何らかの意味があることは明白だった。このま
ま静かなままでいられるとは思えない。僕がこの秘密を胸にしまって明日香に口止めした
としても、その情報の大本は有希なのだ。彼女が何らかの理由でこのことを知り合いに話
したり、あるいは奈緒自身に直接話したりしたら。有希は奈緒と仲がいいのだ。

 さらに言えば、明日香と奈緒との関係のことはひとまず置いておくにしても、過去の記
憶に乏しい僕には、今までになかった欲求が湧き出してきてもいた。これまでは今がよけ
ればいいというか、今を凌げればいいと考えるだけで精一杯だった。

 でも僕と奈緒の関係や過去の出来事について、ここまで二転三転する情報を聞かされる
と、さすがに過去のことを知りたいという欲求も胸の奥から生じてくる。僕と奈緒は、過去
のいったいどういう出来事の結果一緒に育てられ、兄妹して育てられたのか、そしてど
ういう状況の中で引き離されたのか。僕はそのことを知りたい。自分で思い出せれば一番
いいのだろうけど、苦労して心の奥を探っても何も役に立つ記憶は見つからない。

 そんなことを考えたのは初めてだった。奈緒には全てを秘密にして現状の関係を守る。
明日香の気持を悩ませずようやく落ち着いてきた奈緒の気持を平静に保つためにはそれし
かない。有希のことはさておきそれを考慮すれば自分の好奇心なんか抑えるべきだったろ
う。でも、一度気になってしまった自分の過去への興味はなかなか収まりがつかなかった。


 過去を知るためには具体的にどうすればいいのか、僕にはよくわからなかった。

 ・・・・・・これからどうしよう。校門をくぐりながら僕は思った。



401:以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします:2015/05/02(土) 23:29:31.90 ID:fRte/KyMo

 校門から入ってくる僕に気づくと渋沢と志村さんが僕の方に来た。

「この間は悪かったな」

 渋沢が僕に話しかけてきた。

「いや」

 とりあえず僕はそう返した。

「本当にごめんね? 奈緒ちゃんのことがかわいそうだったから、つい厳しいこと言っち
ゃったけど奈緒人君が女性慣れしてないせいだとか、言わなくても良いことを言っちゃっ
た」

 志村さんもしおれた声で僕に謝ってくれた。

 それこそ言わなくても良いことだと思ったけど、本気で悪いと思っていることは感じた
ので僕はもう彼らを恨みに思うのはやめようと思った。それに今の僕はそれどころではな
かったのだ。

「もういいよ。僕の方こそむきになってごめん」

「ううん。あたしたちが悪かったの。奈緒人君ごめんなさい」

 気の強い志村さんにしてはずいぶんと殊勝な態度だったから、僕はそのことに内心少し
驚いた。渋沢もまるで不意をつかれたかのように志村さんの方を見た。

「本気じゃなかったの。あたし、奈緒人君のことはよくわかってるつもりだし。君が女の
子にもてたからといって、いいい気になるような男の子じゃないなんて最初からわかって
た」

「あ、うん。わかってもらえたなら、僕は別に」

「あたし、ちょっと奈緒ちゃんと妹さんに嫉妬しちゃったのかな」

 志村さんがふふって笑った。そのときにはもう彼女の顔には申し分けそうな表情は消え
ていた。その微笑は、少しだけからかうようなそれでいて寂しいような複雑な笑いだった。

「あたしの方が君のことを振ったのに、何であたし奈緒人君にムカついたんだろ」

「な、何?」

「おまえ何言ってるの」

 渋沢が口を挟んだ。

「何よ」

「おまえってどこまで自分勝手なんだよ。今朝はただ奈緒人に謝るって二人で決めたじゃ
んかよ」

「だから謝ってるじゃん」

「奈緒人の彼女に嫉妬するって今言ったじゃねえか。おまえ奈緒人のこと好きだったのか
よ」

「好きだなんて一言も言ってないでしょ。あんたの方こそ何でみっともなく嫉妬してるの
よ」

「おまえ今言ったじゃねえか。奈緒ちゃんと明日香ちゃんに嫉妬しちゃったってよ」

「うるさいなあ。浮気しているあんたにそんなこと言える権利があるの」

「だから、誤解だって。だいたいよ、奈緒人は明日香ちゃんのことが好きなんだから
な。おまえなんかが割り込めるって思ってるならいい笑い者だぜ」

「うるさいなあ。そんなんじゃないって」

「じゃあ、何でだよ」

「浮気男には答える必要なんてありません。それに前に奈緒人君はあたしに告白してくれ
んだよ。ね? 奈緒人君」

 何を言っているのだ。どうもこの二人の痴話げんかに巻き込まれているようだけど、僕
に謝るとか言いつつ痴話げんかを繰り広げるのはやめてほしい。それに僕が昔志村さんに
告白したことはもう忘れて欲しかったのに。



402:以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします:2015/05/02(土) 23:31:01.13 ID:fRte/KyMo

「え・・・・・・? 奈緒人、おまえそれマジ?」

 渋沢が驚いたように言った。

「いや、その」

「あたし、失敗しちゃったなあ」

 志村さんが微笑みながら僕の腕に抱きついた。

「え。何?」

「あのとき、はいって答えていればこんな浮気男じゃなくて君と付き合えていたのにな
あ」

「・・・・・・くだらねえ。おまえの馬鹿な話になんか付き合っていられるか。奈緒人がおまえ
に告ったなんて知らなかったけど、どうせ昔の話だろ」

「そうよ。あんたと付き合う前だもん。文句を言われる筋合いなんかないよ」

「奈緒人、俺に気にすることないぞ。今でもこのビッチのことを好きなわけじゃないんだ
ろ?」

「うん。今まで黙ってて悪い。君とと志村さんが付き合い出す前だし、それに志村さんに
は振られたし」

「こんなことなら君のこと振らなきゃよかった」

「おまえは黙ってろ」

 渋沢はそう言い捨てて踵を返した。「奈緒人、この前は本当に悪かった。奈緒ちゃんで
も明日香ちゃんでもおまえが決めたとおりにすればいいよ。俺はどっちにしてもおまえを
応援するから」

 彼は志村さんの方を見もしないでそう吐き捨てた。

「そんで、そこの馬鹿女の言うことは気にしなくていいからよ」

「おい」

 僕のことも志村さんの方も振り返らずに渋沢が立ち去ると、志村さんは僕の腕から手を
離して俯いてしまった。

「ごめん」

 ようやく志村さんが小さな声で言った。

「いったい何があったの?」

 渋沢も志村さんも僕への謝罪どころではないらしいことは理解できた。どうも二人の痴
話げんかの巻き添えを食ったみたいだ。二人GA最初から本気で僕に謝る気があったのかど
うかすら疑わしいか。

 僕はため息をついた。謝罪なんかいらないから放っておいて欲しかった。今の僕にはこ
の二人の仲を心配している余裕なんかない。

「あいつとけんかしちゃった」

 やはりそうか。僕に謝るというより渋沢への意趣返しのつもりで、志村さんは僕に気が
あるような発言を繰り返していたのだろう。渋沢の気を惹くために。以前の僕だったらそ
の屈辱に耐えられなかっただろうけど、明日香と奈緒のことや自分の過去のことで頭がい
っぱいだった今の僕には、志村さんのその行動はひたすら面倒なだけだった。

「それならさ。僕のことなんか引き合いに出して渋沢の気を惹くような真似をするよりか、
ちゃんとあいつと話し合ったほうがいいんじゃないの」

 僕の言ったことは正論だったと思うけど、志村さんは不思議そうに僕を見た。



403:以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします:2015/05/02(土) 23:31:55.90 ID:fRte/KyMo

「何かさ」

「うん?」

「何か・・・・・・奈緒人君ってわずかな間に本当に人が変わったね」

 彼女の言葉に僕は意表をつかれた。というか基本的にヘタレで流されやすい性格は昔と
変わっていないと自分では思っていた。奈緒のことも明日香のこともそうだ。

「別に何も変わっていないけど」

「そんなことないと思うけどな」

 志村さんは真面目な顔で首を振った。

「ううん。ずいぶんと大人の男の人みたいになったよ。何があったのかは知らないけど」

「別に何もないんだけどな」

「前に奈緒人君があたしに告白してくれたことがあったじゃない?」

 また、その話か。正直に言うとうんざりだった。僕はあのとき彼女に振られたことは自
分の中ではとうに消化していた。それは奈緒との出会いによるところが大きかったけど。
そして志村さんも僕を振ったことを渋沢にも誰にも喋らないでいてくれていたのに。今さ
ら何であのときの話を蒸し返されないといけないのだろう。

「あのさ。僕はそんなに君に悪いことをした? 君に振られてすぐにおとなしく引き下が
ったじゃん。付きまとったり未練がましいこともしなかったはずだけど。何で僕の告白の
ことを渋沢への意趣返しに使われなきゃいけないの?」

「違うよ」

「だってさっき・・・・・・」

「告白してくれたときの奈緒人君が今の君だったら、あたしはきっと君の告白をOKした
と思うよ」

「何言ってるの・・・・・・」

 思いがけな志村さんの言葉に僕は狼狽した。

「嘘じゃないって」

 志村さんが顔を赤くして言った。

 その言葉をそのまま受け取るほど今の僕は初心じゃない。それに、僕の好きな女の子は
今では一人だけなのだ。かつては志村さんに惚れていたことは確かだったけど、今ではそ
うじゃない。

 僕の好きな子は・・・・・・。



404:以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします:2015/05/02(土) 23:32:36.27 ID:fRte/KyMo

 あれ?

 僕の好きな女の子は明日香だ。僕は迷わず明日香の顔を思い浮かべなくてはいけなかっ
たのに、そのとき頭の中には雨の日の高架下で初めて出会った奈緒の顔が浮かんでいた。
兄妹じゃないと知って混乱しているからだ。僕は自分にそう言い聞かせた。僕はあれだけ
何度も明日香に愛を囁いた。今朝だってそうした。過去を知りたいという欲求と、つらい
別れをしたらしい奈緒を求める欲求とを一緒にしてはいけない。

「僕のことなんかどうでもいいよ。告白なんて昔の話じゃない」

「君はもうあたしのことなんかそうやって割り切っているわけ?」

「割り切ってなきゃ君だって気持悪いでしょうが。君は渋沢の彼女なんだから」

「・・・・・・だから、そうじゃなくて・・・・・・」

 志村さんの言葉は歯切れの悪いものだった。

「けんかっていったい渋沢と何があったのさ? 君が変なことを言い出しているのだって
それが原因なんでしょ」

「それはそうだけど。でも、そのせいであたし、あいつの不誠実な態度に気がついたの。
こんことなら君の告白に答えていた方が全然よかったなあって。君ならきっと自分の彼女
にこんなつらい想いをさせないだろうし」

「・・・・・・あのさあ」

 でも一瞬、明日香と付き合っているのに、奈緒のことを妹だと知ったあとなのに、気持
ちの悪い、欲情しているような嫉妬じみた感覚を覚えたことが脳裏に浮かんだ。

「わかってるよ。バカなこと言ってることは。でも、中学生の女の子なんかに言い寄られ
て、ほいほい浮気するような男のことなんかもう信じられない」

 やっぱりそういうことだった。渋沢は昔からもてていた。容姿と運動神経がいい上に成
績もいいとなれば当然だけど、あいつは入学した頃から女の子に告られまくっていた。で
も根はいいやつだった。ぼっちでオタクな僕なんかのことを本気で心配してくれるような
そんな性格だった。だから女の子だけではなく男にも人気があり、志村さんは渋沢のそん
なところに惚れていたはずだった。それにしても相手が中学生って。

「何かあったの?」

 僕は志村さんの直接過ぎる告白をあえて無視して聞いた。

「何もないよ。ねえ? 君の方こそは明日香ちゃんとか奈緒ちゃんとかとぐちゃぐちゃに
なってるんじゃないの」

 僕の心の中で起きていることを表現するには図星の言葉だった。でも、本当に何もない
なら、もう僕のことは開放して欲しい。僕はそう思った。

「そんなことないよ。僕は明日香と付き合っているしうまくいってる」

「そうかなあ。何か君の方も自信なさそうだね。今ならあたし、君と付き合ってあげても
いいかも」

 このとき僕は、一時は本気で好きになった志村さんに対して腹を立てた。

「渋沢と何があった?」

 僕は繰り返した。彼女はようやく俯きながら話し出した。

「あいつが浮気したのよ。いえ、もしかしたら浮気じゃなくて本気かもしれないけど」

「・・・・・・嘘だろ」

「本当だよ。中学生の女の子と」

「中学生? 誰」

「富士峰の中学生の女の子。太田有希っていう子」

 志村さんはそう言った。



405:以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします:2015/05/02(土) 23:33:15.44 ID:fRte/KyMo

 放課後、下校しようと校門まで来た僕は校門前に志村さんが立っている姿に気がついた。

「奈緒人君」

「君も今帰り?」

「うん」

「あれ? 今日は部活ない日じゃなかった?」

 うちの学校は進学校だったので、部活動は制限されている。土日祭日と平日のうち月曜
日と木曜日は教室や図書室での自習以外は下校しなければいけない。いつもなら今日は志
村さんと渋沢は一緒に下校デートをする日じゃないか。

「あいつ勝手に帰っちゃったし」

 あんなに仲が良かった二人なのに、目の前の志村さんは唇を噛んで俯いている。

「あのさ」

 彼女は顔を上げ僕を見た。

「さっきはごめん。君にひどいこと言っちゃった」

「別に気にしてないけど」

「今日、何か用事ある?」

 用事はある。真っ先に家に帰って明日香と一緒に過ごしたい。過去を探りたいという強
い欲求さえ明日香の側にいたいという気持ちに勝ることはない。僕は正直に明日香に会い
たいという気持ちを志村さんに伝えた。

「そうだよね。ごめん」

「別に謝ってもらわなくてもいいけど。それよか、渋沢と仲直りしなくていいの?」

「だって・・・・・・」

「・・・・・・泣かないでよ。君たちならすぐに仲直りできるって」

 これだけ泣かれたら仕方がない。なるべく早く明日香のところに帰れるように祈るしか
ない。しかたなく僕はそう言った。

「・・・・・・僕でよかったら話聞こうか」

 濡れた瞳のままで志村さんが顔を上げた。

「いいの?」

「うん」

「あたし、聞いちゃったの」



 駅前のスタバで向かい合って座ると志村さんは話し始めた。

「あいつを驚かせようと思ってさ。いつもと違う車両から電車に乗ったのね。そしたら明
徳駅から乗ってきた富士峰の中学生の女の子があいつに話しかけてて」

 後ろから兄友を脅かそうと思っていた志村さんは、思わず乗客の背中に隠れた。

『あの・・・・・・突然話しかけてすいません。明徳高校の渋沢さんですよね』

 顔を赤らめた可愛い子が渋沢に話しかけていた。

『そうだけど』

『ごめんなさい。こんなところでいきなり』

『別にいいけど。俺に何か用?」

 顔を赤くしたままその子が何かを渋沢に話しかけた。電車が陸橋に差しかかり走行音が
大きくなったせいで二人の会話は聞こえなくなった。渋沢が何かを彼女に話している姿だ
けが志村さんの目にフォーカスされる。

 二人の会話が聞こえなかった志村さんはずっと渋沢とその女の子を見つめていた。電車
が陸橋を抜けたおかげで、志村さんは再び二人の会話を聞くことができた。



406:以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします:2015/05/02(土) 23:34:09.75 ID:fRte/KyMo

『有希ちゃんっていうんだ』

『はい。富士峰の中学二年です』

『有希ちゃんの気持ちは嬉しいけどさ。俺、彼女いるんだよね』

『構いません』

『へ?』

『その彼女さんとあたしを比べてもらいたいです。それで渋沢さんがあたしの方が彼女さ
んより魅力がないと思われるなら、あたしはあなたのこと諦めます』

『いやさ。俺って浮気とか嫌いだし。二股とかぜってー無理だし』

『二股とかじゃなくて、あたしのことを知ってもらうだけでも駄目ですか?』

『いやさ・・・・・・』

『・・・・・・やっぱり女子校のお付き合いとかに慣れていない女なんかには興味がないんです
か』

『そんなこと言ってねえよ。俺の親友にも君の学校の中学生の女の子と付き合ってるやつ
がいるしさ。あいつら、いいカップルだって思ってるよ』

『それなら。一度、ゆっくりお話させてもらえませんか。二人でお話するだけでもいいん
です。前からこの電車でずっとあなたのことを見ていました。初めてお付き合いするなら
あなたがいいと思ったんです』

『いやさ。それ思い込みだから。女子校だから俺なんかがよく見えるだけじゃね? 富士
峰のお嬢様なんかと俺じゃ釣り合わねえしさ。もっと他に君にふさわしい男がそのうち現
われるって』

『だって、うちの生徒と渋沢さんの親友が付き合っているって言ったじゃないですか。な
んでその人たちはよくてあたしと渋沢さんは釣り合わないなんて言うんですか』

『いやだから俺には彼女がいるし』

 そのあたりで明徳高校前駅に電車が着いたため、渋沢は有希にじゃあねって言って電車
を降りたそうだ。

 ・・・・・・これって全然浮気じゃないじゃん。僕は志村さんの話を聞いてそう思った。

「あのさ、それって全然浮気じゃないんじゃないの? 渋沢はちゃんと有希さんという子
の誘いを断ってるんだし」

 僕は少し呆れて彼女に言った。こんなことで疑われている渋沢も気の毒だけど、何の関
係もないのに巻き込まれている僕も不幸だ。

「でもね。これまでだってあいつに告ってきた女の子は結構いたんだけど、あいつはほと
んど無視に近いやり方で振ってくれてたんだよ。それなのに有希って子にはあんなにてい
ねいに相手をしてた。すごく純真で可愛い子だったし、あいつも気になってるんだって思
った」

「渋沢は何って言ってるの?」

「『盗み聞きしてたなら何もないことはわかるだろ。俺はちゃんと彼女がいるからって断
ったぜ。それなのに何で即浮気認定されなきゃならねえんだよ』って。あいつあたしに謝
りもしないで勝手に逆切れしてるの」

 それは逆切れじゃないんじゃないか。まあこんなことで不安になるほど志村さんの渋沢
への想いは深いのかもしれない。ちょっと行き過ぎの気はするけど。

「それで喧嘩しているの?」

「ううん。むかついたけど一応断ってはいたようだから仲直りしてあげたの。そしたらあ
いつ、そんなことよりも一緒に奈緒人に謝ろうぜって。こないだ言い過ぎちゃったからっ
て。あたしも君のことが気になってたんで、うんって言ったんだけど」

「それで今朝校門の前で二人で待ち構えていたのか」

「そうなの。でもあたしがちょっと君のことを気になっているって言っただけであいつ、
また逆切れだよ。君だって見てたでしょ? あいつのひどい態度を」

「いや、ひどいっていうか」



407:以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします:2015/05/02(土) 23:35:51.00 ID:fRte/KyMo

 あれで責められたら渋沢がかわいそう過ぎる。僕は志村さんの話を聞いてそう思った。
彼女さんはちょっと考えすぎなんじゃないか。

「それでこれからどうするの」

 志村さんが僕の方を見た。

「本当はわかっているの。あたしが大袈裟に騒ぎすぎていることは」

 何だ自分でも理解できてるんじゃないか。僕はほっとした。少しだけ自分のプライドを
抑えて兄友に謝ればこの二人はすぐにでも仲直りできそうだ。

「それでも少し不公平だと思う。あいつが告られるたびに心配して夜も眠れなくなるのは
いつもあたしだもん。こんなのもうやだ」

「そう言われても・・・・・・。渋沢のこと好きなんでしょ」

「・・・・・・うん」

「渋沢だって志村さんが一番好きだと思うよ。それさえ確かなら不公平とかそういうこと
はないんじゃないかなあ」

「そういうことを平気で言えちゃうのは、君が明日香ちゃんにも奈緒ちゃんにも好かれて
いるからだよ。自分が選べる立場だからそんなに余裕で奇麗ごとが言えるんだよ」

 僕が選べる立場? 余裕があるって?

 高校生になるまで女の子とろくに話したこともなく、告白されたこともなく、バレンタ
インデーには明日香にさえ何ももらえず、仕事が一段落した母さんから一週間遅れで義理
チョコをもらえるだけだった僕に余裕がある? 母さんのほかにチョコをくれたのは玲子
叔母さんくらいだ。叔母さんだけは昔から僕のことを気にしてくれてたから。

「選べる立場って・・・・・・それ皮肉? 僕が女性にもてなかったことは君だって知っている
でしょ」

 僕は弱々しく言った。この手の情けない話を女の子に話すのは本当に嫌だったけど。

 志村さんは不思議そうに僕を見た。

「さっきあたし君に言わなかったっけ」

「何を?」

「君は変わったって。今の君は昔の君と違うと思うよ。あたし君に言ったじゃん。あたし
に告白してくれたのが今の君だったらきっとOKしてたって」

「よくわからない」

 僕は戸惑った。



408:以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします:2015/05/02(土) 23:36:33.17 ID:fRte/KyMo

「何でわからないの?」

「何でって・・・・・・人間ってそんなに簡単に変われるものじゃないし」

「経験は人の性格を変えることがあるんじゃないかなあ。誰もが憧れる奈緒ちゃんみたい
な可愛い子と付き合ったり、ちょっとツンデレの義理の妹さんからすごく愛されたりとか
したらさ。自分に余裕とか自信とか備わってくるんじゃない?」

「自分じゃわからないな。僕はただ流されているだけな気もするし。少なくとも渋沢とか
君のように選べる立場なんかには立っていないのは確かだよ」

「無駄に自己評価が低いって誰かに言われたことない? それにあいつはともかくあたし
はそんな恵まれた立場の女じゃないよ」

 それもまた偽善じゃないのか。志村さんは明るい性格で誰とも気さくに話してくれるせ
いもあって、男子生徒には人気があった。僕だって訳隔てなく僕に話しかけてくれる彼女
に憧れたからこそ、恥かしい告白に至ったのだし。ただ早い段階で渋沢と付き合ったせい
でちょっかいを出せる男がいなかったということはあるかもしれない。

「君だって人気があるじゃん。僕だって君に告って振られたことがあったしさ」

 そう言った僕の表情を志村さんは観察するように見た。

「平然と言ってくれるね。今の君にはあたしなんかどうでもいいんでしょ? 奈緒ちゃん
とか明日香ちゃんみたいな可愛らしくて人気のある女の子が本気で君のことを奪い合って
いるんだもんね」

「そうじゃないって。つうか話が逸れてるよ。とにかく渋沢は浮気なんかしていないし、
僕から見れば君のことが好きだとしか思えない。あいつが女の子に告白されたくらいで拗
ねるのは止めた方がいいよ」

「拗ねるって何よ。あたしにはわかるの。渋沢があの有希って子のことが気になっている
ことくらい」

 僕はため息をついた。これではきりがない。それにもうこんな時間だ。まっすぐに帰宅
していればもう明日香は帰宅している時間だ。早く明日香に会って彼女の不安を取り除く
努力をしたいのに。

「あのさあ。君は人の意見を聞く気がないみたいだし、とりあず今日は」

「し!」

「何・・・・・・?」

「いいから黙って」

 志村さんの視線を追うとカウンターで飲み物を注文している渋沢の姿が目に入った。そ
の隣には有希が寄り添っていた。



410:以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします:2015/05/05(火) 00:08:51.04 ID:1YdV9DNVo

 結局志村さんの直感が当たっていたのだろうか。

 二人はまるで恋人同士のように甘く寄り添っていた。渋沢が有希に何か聞くと、有希は
口を手で押さえて控え目に笑った。富士峰の中学部の制服に身を包んだ有希は、幼い可愛
らしさを残しながらも十分に恋する女の子の雰囲気を醸し出していた。後で並んでいる男
たちの視線が有希に集中しているみたいだ。

「ちょっと。気が付かれちゃうでしょ。少し顔を背けてよ」

 志村さんが身を寄せて低い声で囁いた。

「あ、悪い」

「だから声大きいって」

「・・・・・・でもさ。隠れてどうするんだよ」

「いいから」

 浮気の証拠でも掴もうというのだろうか。志村さんは二人から目を背けながらも必死で
その会話を聞こうとしているようだ。

 スタバにはそれなりに客が入ってはいたけど、同じ店内で気づかれずに済むわけがない。
ちょっと店内を見回せばすぐにでもばれそうだ。

「声かけたほうがいいんじゃない?」

「だからちょっと黙ってて」

 志村さんが吐き捨てるように囁いた。

 ドリンクを受け取った二人は僕たちからかなり近い席に向かい合って座った。具合よく
二人の席と僕たちの席の間に大きな観葉植物の鉢が置かれていたせいで、位置が近い割に
は気が付かれる可能性は低そうだった。

 二人の声が聞こえてきた。渋沢と有希さんはお互いの顔を見つめあいながら会話をして
いた。これならしばらくは気が付かれないですむかもしれない。

「無理言ってごめんなさい」

「いいけど・・・・・・。俺、今朝話したこと以外に話すことなんかないよ」

「うん。わかってるけど」

「じゃあ、何で? それに俺のメアドどうして知ってたの?」

「あたしの友だちが渋沢さんの知り合いなの。それで無理言って教えてもらった」

「え? 誰」

「友だちっていうかカップルなんだけど。渋沢さんと志村さんと二組のカップルでよく遊
びに行ってたって聞いたことがあったから」

「だから誰なんだよ」

「あたし、渋沢さんとお話したくて勇気を出してメールしたのに。あなたはそっちばっか
気にしてる」

「だからあ。俺には大事な彼女がいるの。君がどうしてもって言うから来ただけじゃん」

 志村さんはそれを聞いて安心しただろうか。僕は彼女の表情を覗ったけど、彼女は顔色
を変えず黙って会話を聞き入っているだけだ。

「だって・・・・・・」

「だっても何も・・・・・・って泣くなよ。話は聞くだけは聞くから。でもその前に誰から俺の
メアドを教わったのかを言えよ」

「あたしの知り合いのカップルなんですけど、その女の子の方があたしの親友で」

「誰だろ?」

「親友は明日香っていう同い年の女の子で、彼氏は池山さんっていう高校生の人です」



411:以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします:2015/05/05(火) 00:10:09.78 ID:1YdV9DNVo

「え? 有希ちゃんって池山と明日香ちゃんの知り合いだったの?」

「はい。明日香とは親友です。明日香の彼の池山さんとも何度か会ったことがあります」

「まじかよ。富士峰のお嬢様が池山の知り合い? 冗談でしょ」

「何でですか? 池山さんっていい人ですよ。明日香のこと凄く大切にしてたし」

「いや。池山がいいやつだとは知ってるけどさ。有希ちゃんとは住む世界が違うでしょ」

「世界が違うって? よくわからないですけど、明日香も池山さんも本当にいい人です
よ」

 あどけない表情で不思議そうに有希が答えた。

「明日香ちゃんはともかく、池山のこと恐くない?」

「ああ」

 有希は笑い出した。

「最初はすごく恐かったです。金髪だしピアスしてるし煙草だって吸ってるし。でも話を
してみると意外と普通の人でした」

「あ~あ。有希ちゃんも池山に騙された口か」

「はい?」

「いや、そうじゃねえな。騙されたは言い過ぎかもな。池山はああ見えて意外と普通の考
えをしているやつでさ、確かにバカやってるけど根は真面目なんだよね」

「渋沢さん、池山さんと知り合いなんですか」

「うん。池山とは中学校で三年間いっしょにつるんでいたからね。俺の親友だった」

「そうなんですか。それで高校生になっても四人で一緒に遊んでたんですね」

「まあね。でもそんなことより何で俺と池山たちが知り合いだって知ってるんだよ」

「ああ。池山さんから聞いてましたから。仲のいい友だちが明徳高校にいるって。渋沢っ
てやつで、あいつは頭もよくていい高校に通っているけど、俺がどんな格好をしてもどん
なバカやっても付き合ってくれるって」

 渋沢は微笑んだようだった。

「あいつそんなこと言ってたんだ。本当にバカだよな」

「バカっていうか、いい人ですよ。明日香も本気で池山さんが好きみたいです」

「まあ、前はね」

「はい?」

「前はあいつら付き合ってたよ、確かに。有希ちゃんは知らないかもしれないけど、今は
別れちゃったよあの二人」

「うそ!?」

「うそじゃねえよ。明日香ちゃんは奈緒人と付き合ってるみたいだしな」

 ここで自分の名前が出たことに僕は驚いた。でも、この茶番はいったい何なのだ。有希
は全てを知っているのに、情報を小出しにし渋沢の言葉に驚いた風を装っている。明日香
に奈緒と僕の血が繋がっていないことを告げ口したり、有希はいったい何を始めたのだろ
う。



「あいつめ。鼻の下伸ばして中学生の小娘相手にぺらぺらと余計なことを」

 真実を知らない志村さんが僕の隣で呟いていた。



412:以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします:2015/05/05(火) 00:11:22.58 ID:1YdV9DNVo

「奈緒人さんと明日香ちゃんが付き合っている? そんなの嘘です」

 有希が笑った。いったいこの女は何をたくらんでいるのだろう。

「奈緒人のこと知ってるの?」

「もちろんです。明日香とは親友だって言ったじゃないですか。奈緒人さんは明日香のお
兄さんですから、休みの日にはよく明日香と三人で買物したり食事したりしてましたよ」

「そうか」

「はい。兄妹で付き合うなんてあるわけないじゃないですか。渋沢さんも変なこと言うん
ですね」

「いや。そうじゃなくて・・・・・・まいったな」

「はい?」

「何て言えばいいか。つうか言っていいのかもわかんねえしな」

「さっきから何言ってるんです? だいたい明日香のお兄さんには彼女がいるんですか
ら」

「え? 誰だよ」

「あたしの親友です。同じクラスなんですけどね」

「それってもしかして・・・・・・奈緒ちゃん?」

「はい。鈴木奈緒っていうんですけど、知ってるんですか」

 その動機は不明だけれど有希の演技は女優級といってよかった。知らない人なら黙され
ても無理はない。あどけない言葉遣い。可愛らしい表情。

「いや。まあそんな話はどうでもいいんだよ」

 有希の演技に比べれば情けないほど狼狽しているのが見え見えな様子で渋沢が話を逸ら
した。

「そんなことより、俺には彼女がいるし浮気なんてしねえって言ったじゃん。何でわざわ
ざ俺を呼び出したわけ」

 恋人同士で寄り添っているような感じを受けたのは錯覚だったか。渋沢はやはり志村さ
んを裏切るつもりはないようだった。

「だって・・・・・・」

「だって、何だよ。俺は由里一筋なの。無駄なことは止めた方がいいよ」

 ちらりと横を見るとこのとき初めて志村さんが嬉しそうに少しだけ頬を緩めていた。だ
から心配いらないって言ったのに。

「だって。渋沢さんは志村さん一筋じゃないでしょ」

「何?」

「明日香ちゃんと浮気してたじゃないですか。あたし、知ってるんですよ」

「ふざけんな。俺がいつ」

「はっきりと浮気したわけじゃないかもしれないけど、明日香は悩んでましたよ。池山さ
んのことは大好きだけど、渋沢さんからもそれっぽいこと言われたって。それで渋沢さん
のことが気になっているって」

 これは有希のフェイクだ。こんなことを信じてはいけない。思わず渋沢にそう叫びたく
なる。横を見る志村さんが手で両目をふさいでいた。涙を隠していたらしい。



413:以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします:2015/05/05(火) 00:13:20.08 ID:1YdV9DNVo

「あれ嘘だから」

 僕は思わず志村さんに言った。

「黙ってて。お願い」

 声を出さずに涙を流しながら彼女は二人の会話に集中しようとしていた。渋沢はすぐに
否定するだろう。僕はそう思った。

 明日香が一時池山と付き合っていたことは事実だった。そのことは否定するまでもなく、
一緒に遊んでいた渋沢も志村さんもよく知っていたことだった。だけど、明日香は僕を救
うために池山やその仲間たちと縁を切り、僕の側に僕だけの側に寄り添う決心をしてくれ
た。そこには明日香が渋沢と浮気をする余地なんて全くない。

「何でそんな嘘言うんだよ。明日香ちゃんがそんなこと言うわけねえじゃん」

「渋沢さんこそ誤魔化さなくてもいいじゃないですか。あなたってって格好いいし、明日
香ちゃんが揺らいじゃっても不思議はないですよ」

「・・・・・・そんなこと言われてもなあ」

 不思議なことにこれだけ荒唐無稽な話を聞かされたら、怒って席を立ってもいいはずの
渋沢が考え込んだような口調で呟いた。

「どうしました?」

「確かに四人で遊んだことは事実だけどさ。俺、本当に明日香ちゃんと浮気なんかしてね
えんだけどな」

「でも、明日香はそう言ってましたけど」

「明日香ちゃん、何でそんな嘘言ったんだろ」

「本当に嘘なんですか」

「ああ。マジで確かだよ」

「じゃあ、明日香の願望とか思い込みだったのかなあ」

「さあ。確かに四人で遊んでいるとき、明日香ちゃんって俺の彼女にはほとんど話しかけ
なかったからさ。何でだろうとは思ったんだけどな」

「そんなの決まってるじゃないですか。渋沢さんの彼女さんに嫉妬してたからですよ、明
日香は池山さんより渋沢さんの方が好きだったんですよ」

「勝手に決め付けるなよ。明日香ちゃんが池山のことをどう考えていたのかはともかく、
俺のことが好きだなんてありえねえよ。彼女は奈緒人のことが好きだったんだって」

「奈緒人さんは奈緒ちゃんの彼氏です。それに実の兄妹で付き合うわけなんかないでし
ょ」

「そうじゃねえんだけどなあ」

「明日香が渋沢さんの彼女にほとんど話しかけなかったって本当ですか」

「ああ」

「じゃあ、もう答えはそこで出ているじゃないですか。何度でも言いますけど、明日香は
あなたのことが好きだったんですよ」

「いや・・・・・・」

「渋沢さんの彼女さんが明日香に冷たい態度をとったって本当?」

「それは」

「本当なんですね。彼女さんも何か気づいていたのかもしれませんね」

「そんな彼女さんのきつい態度に傷付く明日香を渋沢さんがさりげなくフォローしてたん
でしょ」

「・・・・・・」

「明日香ちゃんと浮気したでしょ」

 渋沢が何かを低く答えたようだったけど、声が小さすぎてこちらまでは聞こえなかった。



414:以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします:2015/05/05(火) 00:15:33.62 ID:1YdV9DNVo

「あれ? 何か話が変な方向に行ってますね」

「変って?」

「明日香と渋沢さんの浮気なんてどうでもいいんです。何でこんな話になったんだろ」

「どうでもいいって・・・・・・」

「あたし、渋沢さんが好きです。あなたさんが彼女さんしか見えないなら諦めますけど、
明日香と浮気みたいなことをしているところをみると、あなたと彼女さんってそんなに本
気で愛し合っていないんじゃないですか」

「そんなことはねえよ」

 渋沢は明日香との浮気のことを明確に否定しなかった。

「あたしとお試しでいいから付き合ってください。それで彼女さんの方を選ぶならあたし
は黙って身を引きますから」

 有希と渋沢の会話は僕と志村さんの双方に打撃を与えていたようだ。

 明日香が渋沢と浮気? 明日香は本当は僕のことよりも渋沢の方が好きだったのだろう
か。あの有希の言葉を信じるなんて愚かな行為だ。でも、渋沢が口ごもって明確に明日香
との浮気を否定しなかったのは何でなのか。

 隣で涙を流している志村さんのことを忘れるほど、僕は悩んだ。

「だから、俺は浮気なんて大嫌いなんだよ」

「明日香とは浮気したのにですか」

 否定してくれ。僕は心の中で渋沢に祈るように呼びかけた。

「・・・・・・本当に明日香から聞いたのか」

 今までより弱い口調で渋沢が有希に聞いた。

 何を言っている。明確に否定すればいいだけの話だろ。それに渋沢は今まで明日香をち
ゃん付けで呼んでいたのに、何でここで僕のフィアンセのことを呼び捨てにするのだ。

「本当だよ。明日香は親友だし、何でも話し合う仲だもの」

「浮気とかじゃねえんだ。でもあのとき、明日香があんまりつらそうだったから一度だけ、
本当に一度だけさ」

「・・・・・・明日香を抱いたの?」

「ああ。あのときはどうかしてたんだ。明日香も池山のことで本当に悩んでたみたいだ
し」

 かっとなって席を立とうとした僕を志村さんがとっさに抱き止めた。

「離せよ」

 僕の声を気にすることなく志村さんが渋沢を睨んだ。

「・・・・・・ふざけんな」

 低い声で志村さんが呟いた。



415:以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします:2015/05/05(火) 00:16:34.58 ID:1YdV9DNVo

 僕は、店を出て行った渋沢と有希の跡をつけずに呆然と座ったままだった。志村さんも
一緒に店から出て行った有希と渋沢のことを気にする余裕はないみたいだった。今聞かさ
た明日香と渋沢の情報以外のことを消化できる余裕はないのだろう。それは僕も同じだっ
た。

「あいつと有希って子、店を出て行ったけど」

 志村さんが呆然としている僕に話しかけた。さっきふざけるなと呟いた志村さんは激情
を抑えているようだったけど、今の彼女はさっきの反動からか落ち着いた静かな声だった。

「そう」

 むしろ混乱していたのは僕の方だったかもしれない。

 明日香は池山には身体を許していなかったのだ。そして初めて結ばれた夜、明日香は処
女だったと僕は勝手に思っていた。明日香もそういうことを言っていたし僕は幸せだった。

 その明日香が渋沢に抱かれていた? いったい何の話だ。

「奈緒人君・・・・・・」

「うん」

「やっぱり早く家に帰って明日香ちゃんに会いたい?」

「わかんない」

「・・・・・・そうだよね」

「ごめん」

「何で謝るのよ」

「いや」

「君があたしに謝ることなんか何にもないじゃん」

「・・・・・・うん」

「早く家に帰りたい?」

「だから、よくわかんないよ」

「偶然だね。あたしもだよ」

 志村さんが微笑んだ。いつもと違って寂しげな笑いだった。

「もうちょっと付き合ってよ」

 スタバを出てしまえばもう行ける所なんてあまりない。僕は薄暗い公園のベンチで志村
さんと並んで呆然と座っていた。目の前の景色に焦点が合わず目の前が滲んで薄れて行く。

「あたしさ、前に明日香ちゃんのことでひどいこと言ったことあったでしょ。覚えて
る?」

 しばらく沈黙したあと、志村さんが口を開いた。

「うん」

 あのときは明日香が僕の妹であることをまだ彼女が知らなかった頃だ。

「今だから言うけど、あたし明日香ちゃんのこと大嫌いだった。別に池山君のことはそん
なに好きだというわけでもなかったけど、それにしても明日香ちゃんの彼への態度ってひ
どかったもん。すごく彼を下に見てばかにした態度で」

「・・・・・・そんなことは」



416:以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします:2015/05/05(火) 00:18:38.44 ID:1YdV9DNVo

「ないって言えるの? 明日香ちゃんってやたら明には愛想がいいとは思ってたけど、
まさか明を狙ってたとはね」

 僕には何も言えなかった。志村さんは静かな口調だったけど、その目から涙が流れてい
ることに気がついたからだ。

「まあクズなのは明も同じか。クズ同士仲良く浮気してたんだもんね」

 慰めたかったけど声が口から出ない。出ないだけでなく頭の中にも志村さんにかける言
葉が浮かんでこない。

 少し冷静に考えれば、明日香が渋沢を好きになったとしても関係を持ったとしても、そ
れは僕と付き合う前なんだからこれは僕に対しての浮気じゃない。そういう意味では明日
香は僕を裏切ったわけじゃない。

 それなのに何でこんなに心が凍りつくのだろう。奈緒が妹だと知ったときとは全く違
った感覚だった。まるで自分の体の一部が取り返しのつかないほど永遠に失われていくよ
うな喪失感が繰り返し波のように襲ってくるのだ。

 明日香のことを清純で純真な女の子だと思って好きになったわけじゃない。もともと派
手な夜遊び妹だったのだ。そんなことは全て飲み込んだうえで僕は明日のことを好きにな
ったのに。それなのに何で僕はこんなに打ちひしがれているのだろう。これは過去の話だ。
今の明日香が僕のことだけを見ていてくれるならそれでいいはずなのに。

 それによく考えれば僕には明日香を責める資格はあるのだろうか。奈緒に心が傾き一瞬
でも明日香を忘れたときの自分の姿が思い出された。あれだけ自分勝手に行動して明日香
を傷つけたというのに、僕自身は僕と付き合う前の明日香のことがなぜこんなに気になる
のだ。何でこんなに許せないという感情を抱くのだろう。

 これは嫉妬だ。明日香に対しての、そして渋沢に対しての。

 ベンチに座って俯いて腑抜けたように思いを巡らせていた僕はここでようやく気がつい
た。奈緒を失った狼狽にも関わらず、今では僕は明日香のことが本当に一番好きになって
いたのかもしれない。たとえそれが依存と言われるような感情であったとしても。本当に
今さらな話だ。気がついたときにはもう遅かったのだろうか。

「・・・・・・大丈夫?」

 自分の心の底から浮き上がると志村さんが僕を心配そうに見ていた。僕よりもつらいのは
むしろ彼女だったろうに。付き合う前の明日香の浮気を知らされた僕と違って、彼女は
付き合っている渋沢に裏切られたのだ。有希と渋沢の関係は心配だっただろうけど、今で
は志村さんはそれほどそのことに真面目に悩んでいたわけでもないだろう。

 でも、明日香と渋沢との浮気を聞かされた彼女のつらさは想像すらできないほどだった。

「ふふ」

 意外なことに彼女が笑った。

「え?」

「せっかくさっきまで君のことを、今までと違って格好いいなあって思ってたのにね」

 ・・・・・・何なんだ。

「今の君って雨の中で震えている子犬みたい。さっきまでの格好いい君の姿の片鱗もな
ね」

 泣き笑いというのはこういうことなのか。強がっているように見えて志村さんは全然動
揺を隠せていないじゃないか。



417:以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします:2015/05/05(火) 00:26:01.11 ID:1YdV9DNVo

「君の方こそ涙流してるじゃん」

「うるさいなあ。ちょっとは浮気されたあたしのことを慰めなさいよ。男の子でしょ」

「そんなこと言われても」

「やっぱり君ってヘタレなのかなあ。せっかく見直してあげたのにすぐに元に戻っちゃう
のね」

「・・・・・・思ってたより元気あるみたいだね」

 途端に志村さんが僕を睨んだ。

「そんなわけないでしょ。もう頭の中はぐちゃぐちゃだよ」

「ごめん」

「君に謝られてもなあ。君だって被害者だし」

「渋沢とこれからどうするの?」

「・・・・・・わかんない」

 それはそうだろう。こんな質問を彼女さんにする僕の方が愚かだ。

「君はどうするの? 明日香ちゃんと今までどおり付き合うの?」

「わからないよ」

「ねえ」

「何?」

「仕返ししちゃおうか」

「何言ってるの」

「寝ちゃおうか? あたしたちも」

「何なんだよいったい。冗談にもほどがあるよ」

「だって悔しいじゃん。こんなにあいつらに舐められてバカにされて」

 志村さんは泣きながら食いつくように僕を見ている。これではまさしく意趣返しだ。本
気で渋沢に仕返しするつもりなのだろうか。本当に好きでもない僕に抱かれてまで。

「復讐するつもりなら、本気で好きな人を見つけてからにしたら?」

「嫌いじゃない」

 今にも消えそうな声で志村さんが言った。

「え?」

「君のこと嫌いじゃないよ。君さえいいなら浮気じゃなくて本気で付き合ってもいいくら
いに」

「君が見ているのは奈緒と明日香に惚れられてるいい男だっていう君の幻想の中の僕のこ
とでしょ。僕は君に振られたときと同じ情けないオタク男だよ」

「・・・・・・いい」

「何? 聞こえないよ」

「あたし、それでもいい」

「どういうこと?」

「さっきのは嘘。落ち着いて格好よくなった君なら告白をOKしてたっていうのは嘘」

「・・・・・・まあそうだろうね」

「本当は君に告白されたとき、君と付き合えばよかったって後悔している」

「自棄になってるの?」

「違うよ。格好いいとか女の子にもてるとかそんなことはどうでもいいよ。今だって君は
真剣にあたしを見て向き合ってくれた」



418:以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします:2015/05/05(火) 00:29:05.21 ID:1YdV9DNVo

 何か勘違いしているんじゃないのか。僕は今だって自分の悩みで精一杯だ。

「あたしね。あのときのあたしを怒鳴りつけてビンタしたいほど、あのとき君を拒絶した
ことを後悔している」

 自棄になっているとしか思えない。志村さんの思いつめた表情を眺めながら僕はそう思
った。

「きっかけは明と明日香ちゃんのことかもしれないけどね」

 志村さんは無理をしている。渋沢の浮気で心が壊れているんだ。僕はそう思った。

「奈緒人君、あたしなんかにもう興味ない?」

「もうあいつらのどろどろした関係なんかどうでもいいじゃん。あたしと付き合って。あ
たしを見て」

「よしなって」

「君とならずっと仲良くやっていけそうな気がする」

「よせよ」

「・・・・・・もうあんなバカたちなんかどうでもいいじゃん。君はあたしのこと嫌い?」

 志村さんは僕の首に両手を回して僕にキスした。

 心だけの浮気でも明日香を裏切ることには変わりない。再び間違いを犯すわけにはい
かない。ましてキスなんて。

 唇が触れた瞬間、僕は顔を背け志村さんの手を振り払った。

 そのときの彼女の傷付いた表情を見て僕は怯んだ。

「こんなにされても、まだ明日香ちゃんのこと許せるの?」

 わからない。僕がこれほど動揺したのは明日香のことが好きだからだ。でも何もなかっ
たように明日香とこれまでどおりの関係でいられるのかは自信がない。

 明日香の過去のことは飲み込むことができた。池山と付き合っていたことすらも。でも、
親友の渋沢に抱かれた明日香のことを僕は許すことができるのか。

 処女じゃなかったとかそういうことはどうでもよかった。たとえそれが池山のようなど
うしようもないやつであっても、自分と付き合っている彼氏を裏切って彼女のいる男に言
い寄って抱かれる。そんな明日香の貞操観念を見せ付けられたことの方がダメージは大き
かった。

 志村さんには悪いけど渋沢への嫌悪感はそれほどでもない。あいつはこの間まで明日香
が僕の妹であることを知らなかったのだから、そのときには親友の妹を抱いているとは思
わなかったのだろうから。ましてや、親友の彼女をとは。

「わからない」

「うん。そうだよね。ごめんね、変なことしちゃって」

「君はどうなの? あいつのこと許せるの」

「・・・・・・あいつさ。池山君のことあたしにすごく誉めてたんだよね。みんなあいつのこと
服装とか髪型で誤解しているって。あいつは本当にいいやつだって」

 志村さんはそう言った。



422:以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします:2015/05/19(火) 00:03:30.11 ID:mJtXBqZvo

「ああ。そう言ってたね、渋沢は」

「池山君もそんな明には心を許してた。少なくともあたしにはそう見えた。浮気されて、
明に裏切られたことだって悲しいよ。でも一番ショックなのは明が自分の親友だっていつ
も言ってた池山君をを裏切って平然として皆を誤魔化していたこと。あたしの彼氏がそん
なことができる男だったってこと」

 志村さんの気持ちはよくわかった。

「ごめん」

「君が謝ってどうするの。むしろ謝るのはあたしの方だってば」

「・・・・・・ごめん」

「だから・・・・・・。まあ、いいか」

「奈緒人君」

「うん」

「さっき言ったこと嘘じゃないよ」

「何?」

 聞きたくない。そんな話は聞きたくなかった。どう言い訳してもあいつらと同じになっ
てしまうだけなのに。

「明日香ちゃんや奈緒ちゃんがうらやましい・・・・・・。ごめんね奈緒人君。お互いに相手の
の浮気に悩んでいるのに、一番言ってはいけないこと言っちゃった。あ、明日香ちゃんは、
少なくとも君に対して浮気したわけじゃないか」

 志村さんが立ち上がった。

「付き合ってくれたありがとう。一人じゃとてもこんなに冷静になれなかったよ。君がい
てくれてずいぶん助けてもらっちゃった」

「僕は何もしていないよ」

 僕はようやくそれだけ言った。

 志村さんが微笑んだ。

「そんなことないよ、奈緒人君。じゃあさよなら」

「さよなら」

 相変わらず霞んでいる視界の中を志村さんが静かに消えていった。



423:以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします:2015/05/19(火) 00:04:11.27 ID:mJtXBqZvo

最寄り駅についたとき、僕は半ば目を瞑って考えごとをしていた。そのため、混みあっ
た電車の中で人ごみをかきわけて辛うじてドアが閉まる前にホームに降り立つことができ
た。夕暮れが空を覆っていて、周囲の人たちは皆競って家路につこうとしているみたいだ。

 僕は電車が走り去った後もそのままホームに立っていた。今までなら、いっこくも早く
家に帰って明日香に会いたかったのだけど、今日の僕は明日香に会う時間をできるだけ後
ろに伸ばしているような感じだ。実際、家に帰って明日香と顔を合わせたとき、僕は何を
明日香に言えばいいのだろう。何を明日香に問いかければいいのか。

 おまえ、浮気しただろって問い詰めるのか。いや。それは違う。志村さんと僕が違うの
はそこだ。明日香と寝た渋沢は、その時志村さんの彼氏だった。渋沢に抱かれた明日香は
その時は僕の彼女でも何でもない。明日香は当時の彼の池山を裏切ったのかもしれないけ
ど、それを僕が責めるのは何か違う。

 じゃあ、責めることもできないようなできごとに、僕は何でショックを受けたのか。明
日香に対して、僕は奈緒に対するような処女性とか純真な感情とかを求めたことはなかっ
たはずだ。明日香はもともとそんな女の子じゃない。有体に言えばどちらかというとビッ
チの類いなのだ。ある日、突然明日香が清楚な服装や格好をしだしたせいで、僕の心象が
混乱しているのかもしれないけど、それまでの明日香の行動だけを捉えれば、それは明ら
かにビッチそのものと言える。

 ・・・・・・結局考えてもよくわからない。それでも今日、自宅に戻れば僕は明日香に対峙し
なければならないのだ。僕が、生涯共に過ごす相手としてプロポーズまでしてしまた明日
香と。いつまでも駅前でたたずんでいるわけには行かない。僕は駅を後にして、自宅に向
かってのろのろと歩み始めた。

 あらためて考えれば、明日香が僕と付き合い出す前の浮気のことばかり気にしている場
合じゃないと僕はふと思いなおした。もっと悩ましいのは奈緒のことではないのか。奈緒
は僕とは血が繋がっていないらしい。その事実を自分の中で消化することの方が自分の中
では優先度は高いのではないか。

 それなのに、僕は今明日香のことばかり考えている。考えてみればこの事実を明日香に
どう告げればいいのか。自分と付き合う前の明日香を、渋沢との浮気をもって責めること
はできるのか。そんな資格が僕にはあるのか。

 明日香がそういう子だと僕は前から知っていた。明日香と付き合い出した後、僕は勝手
に明日香に自分の理想を押し付けただけなのだ。明日香は本当は純真無垢な女の子で、両
親や僕に反発するために不釣合いな友だちと付き合っていただけなのだと。でも、渋沢と
浮気してあいつに抱かれた明日香に対して、そういうかつて抱いた印象を保つことは難し
かった。気がつくと、僕は自宅の玄関の前に立っていた。



424:以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします:2015/05/19(火) 00:04:49.10 ID:mJtXBqZvo

「あ」

 いきなりドアが開き、明日香が目の前に姿を現した。まだ、十分に心の準備もできてい
ない。明日香に何を話そうか、何を話すまいかも決めていなかったのに。

「お兄ちゃん」

「・・・・・・どっか行くの」

 僕はようやくそれだけ口にした。明日香の表情は再び暗く硬い。

 すごく身勝手かもしれないけど、明日香と渋沢のことを聞いてしまった今では何となく
そういう明日香の態度に納得できない。明日香は、渋沢との仲が僕に知られたことを知ら
ないのだから、無理もないのだけど。

「ちょっと。夕ご飯用意してあるから食べて」

「ちょっとってさ。いったいどこに行くの?」

「うん、まあ。ちょっと」

 何が何だかわからない。

「何が何だか全然わからねえけど」

 おまえは彼氏を裏切って僕の友だちの渋沢と浮気をしたビッチだろ。つうか、僕と奈緒
が本当の兄妹じゃないと知って悩んでいたのじゃなかったのか。

「もう行くね」

 明日香が目を伏せて僕と目を会わせようともせずに出かけて行った。



 明日香の言うとおりキッチンのテーブルの上には夕食めいたものが用意されていたこと
はいた。いろいろ焦げていたり生焼けだったりしてはいるけど、何とか食べられないこと
はない。

 ・・・・・・有希はいったい何で僕と奈緒の過去の事実を知っているのだろう。というか、い
ったい何を考えてそれを明日香に告げようとしたのだろう。それだけではなく、明日香と
渋沢のことまで知っている。女帝とかって言われているかもしれないことと何か関連があ
るのだろうか。

 僕はテーブルについて、明日香の用意してくれた夕食らしい皿を眺めた。何だか冷凍食
品を盛り合わせたようなものが皿の中にある。僕は食欲を失って皿を脇に押し寄せた。



 しばらく食欲をそそられない皿を見ながら僕は考えた。いろいろ悩むことがあるけど、
真に僕が問題だと思っているのは何なのだろう。明日香が僕と付き合い出す前の彼を裏切
って、渋沢と寝ていたことか。それとも、僕と奈緒が実の兄妹ではなく、血が繋がってい
なかったことか。それとも、何で有希がこんなにしつこく、僕らの周辺に出没し、僕らを
かき回していることなのだろうか。というか、その全てのおおもとになっているであろう、
僕の両親にかつて何があったのかを知りたいということのなのか。

 自分の心の奥を慎重に探っていくと、何だか自分でも拍子抜けするくらい簡単に答が出
てしまったようだ。今自分であげた項目を考えていたとき、一番胸が苦しくなって一番お
腹が痛くなった項目がある。すごく意外だけど、それが僕が一番悩んでいることなのだろ
う。奈緒に関する罪悪感のような微妙な感覚はある。でも、自分の中で答が出た以上、僕
はその答えに忠実でなければいけない。

 僕は夕食をそのまま放置して、さっき脱いだばかりの靴をはき、再びもう暗くなってい
る家の外に出た。



425:以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします:2015/05/19(火) 00:05:30.50 ID:mJtXBqZvo

 明日香なのだ。多分そうなのだろう。顔をあわせ、僕に対して甘えてこない明日香を見
た途端にこれだけ不安になるのだから、多分、僕が今一番悩んでいるのは明日香の僕に対
する態度なのだ。明日香がかつて池山を裏切って渋沢と寝たこととか、それはどうでもい
いとまでは思えないけど、今の僕が一番動揺しているのは僕を構ってくれない明日香の態
度なのは間違いない。志村さんには申し訳ないけど、僕はそう思った。

 明日香の向かった先なんか思いつく。まず、間違いなく明日香は玲子叔母さんのところ
に向かっているのだ。僕は駅の方に半ば駆け足で向かった。明日香が過去のことを調べた
いのならそれに協力する。僕だって知りたいという気持ちはあるのだ。同時に、明日香が
どう考えようと、今の僕には明日香しかいないこともきちんと訴えよう。そのうえで明日
香がどう判断するのかは別の話だ。振られるにせよ、すべきことはしておかないといけな
いのだろう。記憶のない僕にとっても、それは知らなければいけないことなのだ。

 玲子叔母さんのマンションに前で、僕は少しだけためらったけど、すぐに入り口のドア
の前のパネルのボタンを押した。叔母さんの部屋の番号の数字を。しばらくして、叔母さ
んの声が聞こえた。

「はい」

「奈緒人です」

「え・・・・・・ちょっと。ちょっと待って」

 叔母さんの慌てた声で僕は確信した。部屋の中には明日香がいるのだ。しばらくの沈黙
の後、エントランスのパネルのスピーカーが叔母さんの声を伝えた。

「今あけるよ。入ってきな」

 明日香が折れたのだろう。僕は自動で開いたエントランスのドアを抜け、エレベーター
のボタンを押した。

「・・・・・・よう」

 ドアを開けた叔母さんがそう言った。

「明日香も来てるんでしょ」

「うん。本当はさ。あんたは今日くらいは明日香を放っておいた方がよかったんじゃな
い?」

「そうは思いません。あいつを放っておくなんて僕の方が無理です」

 玲子叔母さんが厳しい表情を和らげ一瞬だけ微笑んだようだった。

「・・・・・・うん。そうかもね。あんたたちは本当に仲いいもんね。あの公園で遊んだときか
らずっと」

 その公園には奈緒もいたはずだけど、叔母さんは奈緒には触れずにそう言った。

「じゃあ、しかたない。入んなよ」

 叔母さんの部屋に入ると、リビングのソファで小さく蹲っているような明日香の姿があ
った。明日香は叔母さんに続いて部屋に入ってきた僕の方を見ようともしなかった。でも、
今はそれでもしかたない。明日香が叔母さんに聞いたことへの答えを僕も聞ければそれで
いい。もっとも、叔母さんがこれまで話してくれた以上のことを果たして知っているのか
は疑問だったけれども。



426:以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします:2015/05/19(火) 00:06:08.70 ID:mJtXBqZvo

「明日香」

 叔母さんが明日香に声をかけた。

「・・・・・・うん」

「あたしはさ。さっき言ったとおり確実なことはあまり知らないし、言えることは全部あ
んたちに話してあるのよ」

 明日香は俯いたままだ。

「でもさ。あんたに頼まれればしかたない。ほとんど推測の域を出ないけど、あたしが感
じたり考えたりしていたことを全部話すよ。真実かどうかの保障はないけどね。でも、そ
れは奈緒人も一緒に聞いた方がいいと思う」

「叔母さんがそう言うなら」

 明日香が小さな声で言った。

「じゃあ、話そうか。奈緒人もその辺に座って」

 僕は明日香から離れた方のソファの端に腰かけた。

「事実かどうかはわからないんだよ? あたしが事実だと知っていることはもう全部あ
んたたちに話しているし」

「わかってる」

 明日香の暗い返答に玲子叔母さんはため息をついた。

「じゃあ話すよ」



427:以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします:2015/05/19(火) 00:07:16.76 ID:mJtXBqZvo

 博人さんと麻紀さんの離婚調停のとき、ひどく違和感を感じたことがあった。一つは麻
紀さんのでたらめな調停方針。二つ目はそれに対する姉さんのあまりに淡白な態度だった。
麻紀さんがひどいビッチな浮気女にしても、そして自分の快楽と欲望を優先して子どもた
ちを放棄していたとしても、その後の離婚調停で彼女は二人の子どもの親権を要求してい
たのだから、麻紀さんには子どもたちへの執着はあるはずだった。それなのに、なぜ彼女
は突然要求を変え、奈緒人の親権を放棄し奈緒の親権だけを要求するようになったのだろ
う。

「妥協する必要はないですよ」
 博人さんの妹、ブラコンの唯ちゃんはそう言い切った。「二人を引きはがすなんて、こ
んな残酷なことは認められません。何よりあの子たちをネグレクトした麻紀さんに親権が
認められる確立は低いですよ。調停委員だってそう判断するでしょう。調停委員の一人は
児童保護に生涯をかけた人らしいですし」

 それはそうかもしれない。麻紀さんが何を考えているにせよ、児童相談所に通報され子
どもたちを一時保護までされているのだ。それに比べて、博人さんは実家の助けを借りて、
主に唯ちゃんの助けだけど、順調に養育実績を積み上げている。何より、最初は二人の親
権を要求し、途中で奈緒の親権だけを求めるようになった麻紀さん。こんなでたらめな母
親に親権を認めることはないだろう。それは唯ちゃんの言うとおりだと思ってはたけど、
いったい麻紀さんが何を考えているのかは少しだけ気になった。彼女は東洋音大で博人さ
んと姉さんの一期下だそうだけど、あの温厚な博人さんが何でこんなにエクセントリック
な人と結婚したのかまるで理解できなかった。

 そして二つ目の疑問。その後のあのひどい調停の結果を意外なことに博人さんが受け入
れると決断したことに対して、周囲のほぼ全ての人が反対した。一番の博人さんの理解者
であった唯ちゃんですら、自分の大好きな兄と絶縁するくらい博人さんの決定に対して憤
ったのだ。それなのになぜ。なぜ、姉さんはそんな博人さんの決定を受けいれ当初予定し
ていた奈緒人、奈緒ちゃん、明日香との三人との生活を守ろうとしなかったのか。

 それだけ博人さんに惚れていたから? 自分が腹を痛めたわけではない奈緒人や奈緒ち
ゃんのことなんかたいして執着がなく、博人さんさえ自分のものになればそれでよかった
から?

 頭に浮ぶどの考えも当時のあたしを納得させることはできなかった。姉さんはこんなに
割り切れる冷たい感性の持ち主ではない。それでも今まで博人さんに協力してきた彼の実
家や、博人さんの自分の子どもへの愛情に疑問を抱いたあたしの両親を敵に回してまで、
姉さんは博人さんに味方についたのだ。

 やがて、奈緒ちゃんは麻紀さんに引き取られていった。博人さんと姉さん、奈緒人と明
日香は新しく家を買い、そこで家族として暮し始めた。博人さんも姉さんも相変わらず仕
事が多忙だった。姉さんは、最悪は仕事を止めて子育てをすると言っていたのだけど、職
場に引き止められてなかなか思うように行かなかったみたいなので、見かねたあたしは引
き続き子どもたちの世話をすることにした。もう半ばは大学で夢見ていた華やかな学生生
活や、演奏に打ち込む希望を諦めていたから。もうサークルの先輩から誘いのメールが来
ることもなくなっていた。



428:以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします:2015/05/19(火) 00:07:57.50 ID:mJtXBqZvo

 明日香が小学校に上がってからは、だいぶあたしの子育ての負荷は軽減されていた。も
ちろん、学童保育のお迎えは保育園の頃と変わらずにあったのだけど、朝、保育園まで送
らなくてもよくなったことは大きかった。その日、あたしは大学の講義を終え、これから
どうしようかと思いながらキャンパス内を歩いていた。秋の気配がそこかしこから漂って
いた。古い校舎の防音が完全ではないせいで、あちこちから弦やら管楽器やら打楽器の音
が聞こえてきている。

 今すぐに帰るのでは明日香のお迎えには早すぎる。かといって、今さらサークルに顔を
出すのも気が引けるし、何よりそこまでは時間がない。

「いけない。バイトに送れちゃう。またね」

 すれ違った学生の声を聞きながら、あたしもバイトとかしてたかったなと何となく考え
た。実はあたしの育児は無償奉仕ではなく、姉さんからバイト代と称してお小遣いをもら
っていたので、別にバイトをする必要はなかったのだけど、何となく社会体験として他の
学生に差をつけられているような気がする。就職活動とかで不利にならないだろうかとい
う不安もある。サークル活動とかもしていないのだ。

 そのとき、あたしは女性からいきなり声をかけられた。

「あら。もしかして理恵の妹さん、えーと。玲子ちゃんじゃない?」

 確かこの人は姉さんと同期の多田さんだ。どこかの高校で音楽の教師をしていたはずだ。
一度だけ、姉さんに紹介されたことがあったと思う。あれは、事故死した姉さんの前の旦
那さんである高木さんのお通夜のときだ。

「多田さん? ですか」

「そうそう。久し振りだね。今は結婚して川田って言うんだけどね」

「ご無沙汰してます。あのときはありがとうございました」

「お姉さんはお元気? あまり沈んでいなければいんだけど」

「大丈夫ですよ。姉は再婚しましたし」

「ああ、そうなの。よかった。でも理恵も水臭いなあ。再婚したなら教えてくれればよか
ったのに。お祝いしたかったよ」

「まあ、姉も再婚ですし。×1子持ち同士ですからお披露目とか何にもしなかったので」

「それはそうかもしれないけどさ」

 多田さん・・・・・・いや、川田さんは不満そうに言った。

「さっそくお祝いしなきゃ。というか新しい旦那さんってどういう人?」

「多田さん、じゃない川田さんも知ってるんじゃないですか? 結城博人さん。姉さんや
川田さんの大学の同期ですし」

 あたしはあまり考えずに口に出した。

「結城って。まさか、あの結城博人君?」

 川田さんが驚いたように言った。



429:以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします:2015/05/19(火) 00:09:47.50 ID:mJtXBqZvo

「え? ×1ってどういうこと? もしかして結城君と麻季ちゃんって別れたってこと」

 ひょっとしてあたしはゴシップ好きな主婦の好奇心に火をつけてしまったのだろうか。
不用意な自分の発言を後悔しながら、あたしは答えた。

「ええ。いろいろあったんですよ」

「まあ、あたしがいろいろ聞いたら悪いんだろうけど」

「博人さんと姉は、二人の子どもと人生をやり直しているところですし、そっとしておい
ていただけたらと思います」

「うん、わかった。でも、理恵に伝えて。あなたの幸せを祈っているって」

「ありがとうございます。川田さんは今日は何で大学に?」

「私学音楽教師連盟の研修会があったのよ。久し振りに大学に来たわ」

「そうですか」

「じゃあ、もう帰るね。結城君と理恵によろしく」

「わかりました」

「あと、お子さんたちにも。確か・・・・・・奈緒人君と明日香ちゃんかな」

「よく覚えてますね」

「結城君と麻季の子どもの名前は忘れないよ。怜菜の子どもと名前が似ているし。あと、
明日香ちゃんの名前もね。理恵が本当に嬉しそうに名付けの際にメールくれたからね」

「そうですか」

 あたしはこのとき何か違和感を感じた。レイナさんという名前。奈緒人に似ているとい
うその子のこと。

「あの。レイナさんって?」

「ああ」

 少しだけ困ったような表情で川田さんが言った。あたしは方針を一転した。今の今まで
このお人よしで世話好きそうな先輩から、どうやって逃げようかと考えていたのだけど、
今は事情が異なる。あたしは、思い切って川田さんを学内のカフェに誘った。まだ、明日
香を迎えに行くには時間が早い。



「あのね」

 コーヒーカップをいたずらにずらしたり回したりしながら川田さんが言った。

「怜菜っていうのは、麻季の友だちでこの大学の同期なの」

「もともとは二人はすごく仲が良かったんだけど。その」

「何があったんですか」

「麻季があなたのお姉さんの今の旦那と付き合うようになってね。それから麻季と怜菜の
距離が開いちゃってね」

「いったい何でですか」

「これは推測に過ぎないんだけど、どうも怜菜も結城君のことが好きだったみたい」

「ああ」

「でももう昔の話だよ? それから怜菜だって鈴木雄二っていうやっぱり東洋音大の先輩
と結婚して子どもに恵まれたし」

 鈴木雄二。それは麻季さんの不倫相手、再婚相手の名前じゃないのか。

「そうですか。じゃあ、もう二人にはわだかりはないんですね」

「ないと言うか。怜菜は交通事故で死んだの。子どもを庇ってね」

「・・・・・・え」

「その子の名前がね。奈緒って言うの。麻季の息子の奈緒人君と上二文字が同じ字なの。
怜菜のお通夜でそれをあたし、不用意に麻季に話しちゃって。あのときの麻季、すごく驚
いてた」



433:以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします:2015/05/25(月) 23:58:10.82 ID:1nNOCGuSo

「奈緒ちゃんは、鈴木さんとレイナさんの間に生まれた子どもなんですか?」

 このあたりで何となくこの話については、あたしには察しがついていたけど、あたしは
念のためにそう聞いた。

「君にこんな話をしちゃっていいのかな。理恵ちゃんは君には黙っていたんでしょ」

「聞かせてください。あたしには重要なことなんです。いったい何で」

 何で子どもたちの世話を放置して博人さんを裏切って浮気した麻季さんが、奈緒の親権
を取れたのか。何で、姉さんたちは三人の子どもたちと平穏で幸せな家庭を築けなかった
のか。その答えは目の前にあるのだとあたしは思った。

「あたしね」

 川田さんが決心したようにカップを置いてあたしのほうを見た。

「あたしはさ。多分、部外者の中じゃ一番いろいろわかってるのかもしれない」

「どういう意味ですか」

「結城君と君のお姉さんとは同期だし、仲も普通によかったし。あと、一期下の麻季ちゃ
んと怜菜ともサークルが一緒だったし」

 あたしは息を飲んで川田さんの言葉を待った。こんなところで偶然にも真相を知ってい
るかもしれない人と出会ったのだ。運命の出会いに感謝すべきくらいの偶然としかいいよ
うがない。

「結城君と麻季ちゃんが付き合い出したとき、理恵は多分結城君に失恋したんだと思う」

「はい」

 その話自体には驚くべき要素は何もなかった。姉さんが自ら公言していた話でもあるし。

「何かなあ。今さらだけど、新勧コンパのときから結城君と麻季って怪しかったのよ」

 川田さんは何だかもう早く帰る気をなくしたみたいで、むしろ噂好きな主婦と化してい
るみたいだった。

「そうなんですか」

「うん。まず、結城君が麻季ちゃんのことを気にしていることはすごくよくわかったのよ。
先輩たちに囲まれている彼女のほうをちらちら見ていたし」

「あの結城さんが」

「うん。あの頃は結城君はフリーだったし、麻季ちゃんって新入生のわりには目立ってて
さ。新歓コンパのときは先輩たちが周りに群がっている状態だったしさ。とにかく綺麗と
いうか可愛いというか」

「麻季さんがですか」

「そう。だから、結城君に限らず麻季さんに目を奪われていた男はあの日、いっぱいいた
んだろうけどね」

「それだと結城さんが一方的に、麻季さんのことを好きだっただけじゃないですか」

「あたしも最初はそう思ったの。ちょっと結城君らしくなく高望みしすぎかなって」



434:以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします:2015/05/25(月) 23:59:07.33 ID:1nNOCGuSo

「高望みですか?」

 博人さんが麻季さんを自分の彼女をと望むのは高望みと言われることなんだろうか。何
だかそれだと、博人さんを子どものころから好きだったであろう姉さんの気持ちが報われ
ない気がする。

「ごめん。うまく言えないけど高望みと言うと少し違うかな。麻季ちゃんてさ。もともと
結城君と付き合うような子じゃないって言うか」

 ますますわからない。でも、今までベールに隠れていた博人さんと姉さん、それに麻季
さんと奈緒の過去のことを知ることができる機会がやっと訪れたのだ。あたしは諦めるつ
もりはなかった。

「麻季さんと博人さんがお似合いじゃなかったってことですか?」

「うん」

 川田先輩ははっきりと、大きく頷いた。

「全然お似合いなんかじゃないよ。あれだけ無理なカップルも珍しいね」

「どういうことですか」

「あたしが知る限り、つまり学内でいつも一緒にいた二人を見てた範囲で思ったのは
ね。あの二人って、対等な関係じゃないなあってこと」

「麻季さんがわがままだったということですか」

「わがままというか。まあ、間違ってはいないのかもしれないけど。むしろ、精神的に麻
季は過度に結城君に依存しているように見えたな」

「高望みって、麻季さんがもてていて博人さんじゃあ釣り合わないって意味じゃないんで
すね」

「うん。そういう意味じゃない。ごめんね、説明が下手で」

「じゃあ、どういう意味なんです? 麻季さんが博人さんに依存してたっていうのは聞き
ましたけど」

「高望みって言ったのはね。結城君も自分が救える、自分が上手に扱える範囲の女の子を
相手にすべきだったんじゃないかってこと。別に麻季の方がもててたとか人気があったと
かって意味じゃない。まあ、彼女は男の子にもててたのは本当だけど」

「結城さんは麻季さんを持て余していたってことでしょうか」

「はっきり言うとそうだね。あそこまで振り回されているのに、何で結城君がプロポーズ
するまで麻季に執着したのか今でもよくわからないんだ」

「川田先輩はよく二人のことを知ってたんですね」

「そうなの」

 ちょっとだけ皮肉に意図を込めたあたしの言葉をスルーした先輩は言った。



435:以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします:2015/05/25(月) 23:59:48.92 ID:1nNOCGuSo

「あたしさ。結構見たり聞いたりしちゃったことがあるの」

「どんなことをですか」

「結城君と麻季が付き合い出してさ。理恵が遠慮したのか結城君に話しかけなくなったの
ね。一時期、あんなに楽しそうに幼馴染の結城君と大学で再会しちゃったとか話していた
のにね」

「そうですか」

 姉さんの心中を思うと悲しくなる。というか川田先輩の話はどんどん生々しくなってく
る。さっきはもう昔の話だよって言っていたのに、その語り口は妙に生々しい。ひょっと
したらこの人は、誰にも言えずにずっと何かの秘密を胸に抱いていたのかもしれない。そ
れが今日偶然、話す相手を見つけたということなのか。もしかしたら今日の出会いはお互
いにとってすごく幸運なことなのかもしれない。

 いや。あたしにとって幸運かどうかはわからない。さっきまでは知りたくてしかたなか
ったことが、何だか今ではあまり聞きたくないような気がして、そしてお腹が痛くなるよ
うな感覚すらする。

「あとさ。すごく仲が良くていつも一緒だった怜菜と麻季があまり一緒に過ごさなくなっ
たんだよね」

「ああ。そういうことはあるのかもしれませんね」

 少しだけ、何か言いた気な表情で川田先輩はカップを置いた。

「まあ、それだけじゃなくてさ。あたし見ちゃったんだけど」

「はい?」

「メンタルが多少おかしくたって、お互いがお互いしか見えてなければそういう恋愛もあ
りだと思うのね。でもさ」

 やっぱり川田先輩は自分の見聞きしたことを吐き出せる機会を探し続けていたのだ。あ
たしは何となくそう確信した。

「2限が終った頃だったかなあ」

 川田が見かけたとき、彼女はキャンパスの人気のない隅で一人きりだった。それなのに
川田の耳には麻季の会話が聞こえてきたのだ。

「あたしには博人君がいるのよ」

「一方的に好き好きって言ってどうなるのよ。ちょっとは頭を使いなさいよ」

「どういう意味?」

「先輩に付き合ってあげたら?」

「あたしは結城先輩・・・・・博人君しか興味ないよ」

「だから、駆け引きだって。博人の心を自分に引きつけたいんでしょ」

「それはそうだけど」

「じゃあ、もうわかってるでしょ。別に先輩と寝ろって言ってる訳じゃないじゃん。一緒
にデートくらいしてあげたらって言ってんの」

 麻季は一人でその場所にいたのだけど、川田の耳には二人の声が輻輳していた。



436:以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします:2015/05/26(火) 00:00:30.20 ID:xFpdKfNjo

 どういうことよ。彼女はそう思った。

「わかったよ」

 麻季が諦めたように言った。

「そう。それでいいのよ」
 その声も麻季の声みたいだ。「鈴木先輩にメール返しなよ。明日は楽しみですって」

 よくわからないけど、関わりになるのはよそう。そう思った川田が踵を返したとき、目
の前に理恵がいた。

「それはないでしょ」
 理恵が憤ったように言った。「それはないよね」

「理恵・・・・・・どしたの」

「博人が夏目さんを好きなのなら、諦めなきゃって思ってたのに。それなのに」

「ちょっと。理恵、よせ」

 川田は一人でぶつぶつと鈴木先輩との浮気計画を喋っている麻季に近寄ろうとしたので、
彼女は理恵を抱きかかえるようにしてそれを阻止した。

「ちょっと落ち着きなよ」

「離してよ」

 この子、少し目がヤバイ。どっちかと言うと、麻季の方が精神的にヤバイんじゃないか
と思っていたけど、これじゃあ理恵の方が危ないみたいだ。これまでは、この子は理性の
塊みたいで、自分の感情を論理で抑制できる子だと思っていたのだけど。

 学内のカフェに、半ば無理矢理引きずるようにつれてきた理恵を席に座らせると、川田
は嘆息しながら理恵の正面に座った。なんであたしはこんな面倒くさいことに関っている
のだろうか。別にこの三人が、いや。怜菜を含めれば四人が修羅場状態に陥っても、別に
自分には関係のないことじゃないのか。

「真紀子。ごめん」

「別に謝らなくてもいいけどさ」

「ごめん」

「理恵ってそんなに感情を見せる人だっけ?」

「うん。さあ、どうだろ」

「何よそれ」

「もう平気だから」

「涙を流しながら何を言ってるんだあんたは」

「真紀子が気にすることじゃないよ」

 それは確かにそのとおりだし、こんなことに自ら好き好んで入り込む気もないけど。け
れど。この状況でさすがに理恵を放ってはおけないじゃない。結城君と理恵は一年の頃か
ら知り合いだし。それに麻季と怜菜だってサークルの後輩であることには違いない。

「あんたさ。結城君のこと本気で好きだったの?」

「うん」

「じゃあ、何で麻季に結城君を譲ったりしたのよ。黙って身を引いたじゃん、あんた」

 理恵は俯いた顔を上げた。そして涙が残る瞳を黙って手で拭った。

「結城君が本気で夏目さんに引かれているなら、あたしは彼の邪魔をしたくなかった」

「理解できん。本当に好きならダメモトで告ればよかっただけじゃん」

「あたしたちってさ。偶然に再会した幼馴染ってだけで、そこには何もちゃんとした絆と
か関係とかなかったしね。それは、ここで再会したときは、お互いに付き合っている相手
もいないからひょっとしたらこのままって思ったこともあったけど」



437:以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします:2015/05/26(火) 00:01:10.73 ID:xFpdKfNjo

「けど、何よ」

「新入生の夏目さんにさ。すぐに心を奪われちゃうようじゃね。あたしには彼の側にいる
資格なんかないんだと思ったのよ」

「じゃあ、何でさっき」

「許せないから」

 理恵はもう泣いていなかった。

「何よあれ。鈴木先輩のことが気になるなら結城君に言い寄るべきじゃないでしょう」

「う~ん。あれはさ。麻季って鈴木先輩と一緒にいるところを結城君に見せつけて嫉妬さ
せようと思っているんじゃないかな」

「それがそもそも違うでしょう。博人の誠実さをあの子は信じていないってことじゃん」

「落ちつきなよ。結城君が誠実かどうかなんて誰にもわからないでしょう」

「何ですって」

「だから落ちつけ。あんた以外はみんな結城君なんて大学に入って知り合った男子に過ぎ
ないんだってば」

「そうなのかな」

「そうだよ」

「夏目さん・・・・・・麻季さんもそうなの?」

「どうだろう。よくわからないや」



438:以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします:2015/05/26(火) 00:03:08.01 ID:xFpdKfNjo

 別に結城君の恋愛事情なんかフォローする義理はなかったのだけど、川田は翌日、再び
この騒動の巻き込まれた。今度は相手は理恵ではなく怜菜だった。暗い顔をして一人で講
義に出席している怜菜に、川田は思わず声をかけたのだ。

「怜菜?」

「あ・・・・・・おはようございます」

「おはよ。最近、麻季と一緒じゃないんだね」

「ああ」

 彼女はそれまでの暗い顔を一変させ綺麗な笑みを見せて言った。怜菜は本当に綺麗な笑
い方をする。育ちがいいせいかもしれないけど、上品で押し付けがましくなくあざとくも
ない。その気怜菜微笑みに一瞬だけ少し心が痛んだ。

「麻季は結城先輩にべったりですよ」

 きっと無理しているんだろうなと川田は思った。多分、彼女は親友麻季の彼氏である結
城君のことが好きなのだろう。でも、こういうことはよくあることだ。音大というのは何
となく外部の人からは華やかな環境のように勘違いされているようだけど、実態は全然違
う。特に、このレベルの音大になると幼い頃から先生に付いて厳しいレッスンを続けてき
た学生が多く、他の大学のように高校時代を恋愛で費やした者など皆無に等しい。だから
こそ逆説的に言うと、大学生になって開放感を味わった学生たちは不器用に、かつ積極的
に男女関係に挑むようになる。特に、周囲の友人たちの才能に圧倒され早々と演奏家を諦
めた学生ほどそうだ。これではまるで川田自身のことのようだけど。

「寂しいでしょ」

「そうでもないですよ。麻季が落ちついてくれたし、それだけでもいいかなって」

 本当にこの子はいい子だな。確かにピアノ演奏の能力という点ではあまり目立たない怜
菜だけど、この子はそれでいいのだろう。両親共に弁護士の家庭で育ち、実のお兄さんも
弁護士をしているという境遇で、何が何でも演奏にしがみつく必要はないのだから。こう
いう子はいいお嫁さんになるのだろう。そして、結城君への恋愛感情も昔のいい思い出と
して昇華されるに違いない。だから、川田はこのときはあまり心配していなかった。むし
ろ、理恵の方が心配だったけど、それも杞憂だったようで結城君と麻季は相変わらず大騒
動を起こしながらも結局は仲のいいカップルとして過ごし、そのうち同棲し、結城君が音
楽の出版社に就職したタイミングで、二人は無事に結婚した。

 川田自身も、出身校の中高一貫高の音楽の教師として採用されたため、しばらくは彼ら
の関係のことなど気にする余裕はなかった。新米教師にとっては毎日が戦争のようで、大
学時代の恋の鞘当のことなどすっかりと記憶から消えていた。

 川田自身も同じ学校に勤める数学の教師と恋愛に落ち、そして結婚することになった。
この学校法人は、いくつかの中高と大学を運営していて、同じ学校の教職員同士が結婚し
た際には、どちらかの職員が他の学校に転出するルールとなっていた。閉鎖された社会で
もあったので、意外と職場結婚が多かったということもこのルールの背景にはあった。

 こうして旧姓多田、婚姻後は川田という苗字になった彼女は転勤先の学校で出産して娘
を授かった。将来、この子がどんな職業に就こうとも構わないけど、少なくともピアノだ
けは教えておこうと彼女は思った。娘が小学生になったとき、彼女は娘を大学時代の恩師
が開いているピアノ教室に連れて行った。



443:以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします:2015/06/07(日) 22:42:18.64 ID:o5L9pFRxo

 郊外の駅で初めて降りたった土地で、川田は娘の手を引いてあらかじめ調べておいた住
宅地の中にある佐々木ピアノ教室を目指した。自宅からは結構距離があるのだけれど、自
分の娘を預けるのは先生しかいないと彼女は考えたのだ。

 受付にいる女性に話しかける前に、川田はその女性が麻季であることに気がついた。

「夏目ちゃんじゃない。久し振り」

「多田先輩? ご無沙汰してます」

 麻季は一瞬驚いたように川田を見て、それから微笑んで言った。今ではもう結城君と結
婚して奥さんをやっているのだろうけど、見かけは相変わらず綺麗なままだ。

「やだ、夏目ちゃんって佐々木先生のとこで働いてたんだ。知っていればもっと早く連絡
できたのに。あたしは今は結婚して川田っていう姓なんだけどね」

「先輩って、学校の先生をしているんでしたっけ」

「そうそう。まだちゃんと働いているんだけどさ。中学生って面倒でね。音大じゃなくて
教育大の音楽科行っとけばよかったよ。あたしって教育とかって全然苦手だしさ」

「こちらはお嬢さんですか」

「そうなの。小学校の低学年なんだけど早い方がいいと思ってさ。麻季が指導してくれる
の?」

「ちょっと待ってくださいね」

 ロビーの椅子を勧めてから麻季は教室の奥に消えていった。多分、佐々木先生に話をし
てくれているのだろう。

やがて戻って来た麻季は、佐々木先生が直接娘を見てくれるという話をしてくれた。正
直、彼女にはそれが嬉しかった。

「佐々木先生が直接レッスンしてくれるの?」

「はい。とりあえずは最初は多田先輩のお嬢さんなら自分がみるとおっしゃってましたよ。
その後は全部佐々木先生というわけにはいかないと思いますけど」

「光栄だわ。美希、落ちついて頑張るのよ」

 麻季は美希を連れて佐々木先生の待つ部屋の方に消えていった。



「美希落ちついてた?」

 麻季が川田の待つロビーに戻るのを見ると、彼女は心配そうに聞いた。

「ちょっと緊張してましたけど、みんなそうですから」

 麻季が笑った。



444:以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします:2015/06/07(日) 22:43:00.20 ID:o5L9pFRxo

 佐々木先生の美希への初レッスンが終るまで、川田は娘の出来についてはもうあまり考
えず、気楽に大学時代の思い出を麻季に対して語った。娘が帰って来るまで時間を潰さな
いといけない。

「そういえば夏目ちゃん、結城君と結婚したんだってね。おめでとう」

「ご存知だったんですね」

「うん。あんたと仲良しだった怜菜から聞いたよ。ああ、もう夏目ちゃんじゃないのか。
というか、そういや怜菜も結婚したんだってね」

「・・・・・・そうなんですか? あたし聞いてないです」

「え? 怜菜も水臭いなあ。あんたと怜菜って親友だと思ってたのに」

「怜菜、いつ結婚したんですか」

「先月だよ」

「そうですか」

 麻季は少しだけショックを受けたようだった。ちょっと無神経な発言だったのかもしれ
ないな。川田は少し後悔した。親友のはずの怜菜が麻季を披露宴に呼ばないどころか、結
婚することすら伝えていなかったとすると麻季が傷付いてもしかたない。ただ、そうだと
すると、怜菜が麻季に自身の結婚を伝えなかった理由も想像に難くなかった。

「怜菜ってどういう人と結婚したんですか」

 怜菜への失望を押し隠しすように麻季は聞いた。

「怜菜の結婚のことを知らないんじゃ相手のことも知らないか。えーとね。あたしより一
年上の鈴木雄二って先輩・・・・・・というか、あんたの元彼じゃなかったっけ」

「・・・・・・鈴木先輩はあたしの元彼じゃありません。あたしが大学時代に付き合ったのは今
の旦那の博人君だけですから」

「ああ、そうだよね。あんたと結城君っていつも一緒だったもんね」
 少しだけ慌てて川田は取り繕うように言った。「何かさ。怜菜と鈴木先輩って卒業後に
鈴木先輩のオケの定演でばったり出会ったんだって。怜菜って首都フィルで事務やってる
でしょ? 鈴木先輩の横フィルと首都フィルってよく合同でイベントとかしてるみたいで、
その縁でそうなったみたい」

 怜菜はその恵まれた家庭環境のせいか、演奏家としての道に執着することなく、地方の
フィルの事務局に就職した。そして、そのことに彼女自身は満足していたようだった。怜
菜と偶然に出会ったときの彼女の様子が川田の脳裏の思い浮んだ。

あのときの怜菜は、スーツを着て小脇にブリーフケースを抱えて駅前でタクシーから降
りてきたのだった。



「あ。先輩」

 タクシーから降りたとき、目の前にいる川田に気がついた怜菜は微笑んだ。何となくそ
の微笑みを見た川田は安心した。

「久し振りだね」

「ご無沙汰してます」

「仕事中?」

 怜菜が演奏を諦めて地方のオケの事務局に就職したことは、川田も聞いていた。

「いえ。今日は半日だけお休みをもらいました」

「いいなあ。半休でショッピングとか?」

「違いますよ」

 怜菜は再び微笑んだけど、その微笑は少しだけ寂しさを表情の傍らに残しているような
複雑なものだった。

「うん? どうかした」

「いえ。あの。今日は婚約者と式場の下見に」

「結婚するの?」

「ええ、まあ」



445:以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします:2015/06/07(日) 22:43:40.59 ID:o5L9pFRxo

 これで過去の因縁の一つが時間薬によって癒されるのだろう。願わくば、理恵の方も解
決しますように。

「おめでとう」

「ありがとうございます」

「お相手は? 怜菜ちゃんのことだから司法関係の人?」

「いえ。実は川田先輩もご存知の人で・・・・・・。同じ大学の鈴木先輩です。鈴木雄二さん」

 これは珍しい名前を聞くものだ。鈴木先輩は確か、麻季に執着していたはずだけど、で
ももうあれから何年も立っている。それに鈴木先輩は今では横フィルで若手のエースと言
われるほどもてはやされ出しているみたいだし。さすがに大学時代に自分を袖にした麻季
に執着しているなんてことはないのだろう。

 それはいいのだけど、鈴木先輩に関しては、その売れ方が問題だと川田は考えていた。
世間にちやほやされるほど、鈴木先輩の技量は高いのかどうか、彼女にはよくわからなか
った。いい演奏家であることには間違いはないのだろうけど、その人気には彼の見た目の
良さが相当貢献しているのではないか。

 でも、それは一介の音楽教師が言ったって説得力はないし、何よりも怜菜の婚約者を貶
めることになる。

「何か意外だなあ。大学時代って、怜菜と鈴木先輩って接点あったっけ」

「それがまるでないんです」

 怜菜が言った。

「そうだよね。正直、びっくりしたよ」

 あの遊び人の鈴木先輩と怜菜か。なんだかすごくちぐはぐなカップルのように思えるけ
ど、それをこれ以上口に出さないだけの理性は、まだ備わっていたようだ。

「地方のオケ同士で、交流会があって。そこで再会したっていうか」

「そうなんだ」

 この子はもう結城君には未練はないのだろうか。まあ、結城君に関しては理恵の件もあ
る。少なくとも怜菜のことが解決しただけでもいいじゃないか。

「おめでとう」
 
 川田は再びそう言った。それ以外にかけるべき言葉は思いつかない。

「ありがとうございます」

 怜菜もさっきと同じ答を繰返した。

「じゃあ、彼を待たせちゃいますので、もう行きますね」

 結婚が決まって幸せの絶頂にいるはずの怜菜だけど、気のせいか表情に精気がないよう
な気がする。でも、それは川田が心配するようなことではなかった。

「うん。お幸せに。また、会おうね」



446:以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします:2015/06/07(日) 22:44:21.61 ID:o5L9pFRxo

 麻季にとって、親友からその結婚を知らされなかったことがショックだったのか。麻季
は黙ってしまったままだ。

「麻季?」

 俯いて何かを考えている麻季に川田は話しかけた。

「はい」

「怜菜の披露宴に呼ばれなかったのは気になるかもしれないけどさ。怜菜なりに気をつか
った結果だと思うよ」

「何でですか」

「旦那は鈴木先輩でしょ。あんたは否定するかもしれないけど、学内では一時期、あんた
の彼氏と噂のあった人だし」

「あたしの彼氏は、当時から博人君だけで」

「あとさ。怜菜の気持だってあるでしょう」

「え」

「あ。ごめん、それはいいや」

 麻季も何かを察したのか再び黙ってしまった。

 そのとき、佐々木先生が娘を連れて教室の奥から姿を現した。

「あ、佐々木先生。ご無沙汰しています」

 川田は慌てて立ち上がってレッスン室から美希を伴って出てきた先生に声をかけた。

「多田さんお久し振り。元気だった?」

「おかげさまで元気です。それで美希はどうでしょうか」

「うん。まだわかんなけど、弾き方の癖とかあんたにそっくりだわ。しばらく結城さんに
レッスンさせるけどいい?」

「はい。ありがとうございます」
 川田は感激したように声を出した。「麻季ちゃん、娘をよろしくね」

「結城さん?」

 黙っている彼女を不審に思った先生が麻季に声をかけた。

「あ、はい。わかりました」

「娘をよろしくね、麻季」

「はい。ちゃんと教えますから安心してください」

 麻季はどこか放心したように言った。

「じゃあ、夏目ちゃんじゃない、結城麻季ちゃん。来週から娘をよろしくね」

「はい。わかりました」

 佐々木先生は言うことだけ言うと、さっさと自室に戻ってしまったので、川田は見送っ
てくれた麻季にそう言った。

「あの」

「どした?」

「怜菜と理恵さんは幸せですか」

 あんたがそれを聞くか。反射的に麻季に反感を覚えたけど、川田は冷静に対応した。

「うん。あんたが心配しなくてもいいと思うよ」

「わかりました。来週からお待ちしてます」

「うん。ほら、美希。先生にごあいさつしなさい」

「せんせい、さようなら」



447:以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします:2015/06/07(日) 22:45:04.12 ID:o5L9pFRxo

 怜菜の披露宴のあと、そして川田が麻季に再会してから一月ほどたって、今度は理恵か
らの披露宴の招待状が自宅に届いた。これで、ようやくみんなが落ちつくべきところに落
ちついたのね。川田はそう思って、封筒の中の二つ折りのカードを眺めた。

 高木という男性には心当たりがないから、東洋音大とは無関係の人なのだろう。理恵は
卒業後、音楽関係の出版社に就職したので、その関係で知り合った人かもしれない。怜菜
の結婚には手放しで喜べない部分もあった。あの遊び人の鈴木先輩が相手であることとか。
でも、理恵の結婚に対して川田はほっとするような感覚を抱いた。ようやく、理恵も結城
君から卒業したのだと思って。

 川田は美希を旦那に預け、理恵の披露宴に出席した。

「おめでとう。理恵」

「ありがとう。真紀子」

 あのときの理恵の満面の笑みはフェイクじゃない。別に直接自分に関りのあることじゃ
ないけど、清算し忘れていた過去がようやくすっきりと解決したようだった。二次会の会
場で、友人たちの求めに応じてキスしている理恵とその旦那を眺めながら川田はそう思っ
た。 



 理恵が結婚してから数ヶ月経った頃、川田は理恵から自宅に招待された。理恵とその旦
那が、大学時代の友人たちや職場の友人たちをホームパーティーに招待したのだった。新
婚家庭のお披露目のようなものだろう。結構知っている友人も多かったので、川田は美希
を旦那に預け、途中で買ったワインの入った袋を抱えながら、理恵の新居を訪れた。

 高層マンションの20階まで上がると、既にドアが開いていて満面の笑みを浮かべた理恵
が川田を迎えてくれた。

「いらっしゃい」

「改めておめでとう。理恵」

「ありがと。来てくれて嬉しいよ。さあ、入って。もう大学の時の子たちも来てるから」

「うん。これ」

「ワイン? ありがと。早く上がって」

 うきうきしたような理恵の後に続いて高層階のマンションに入ると、川田は既にお酒が
入っているらしい集団から拍手で迎えられた。東洋音大の頃の懐かしい顔のほか、知らな
い男女の姿もちらほら見受けられた。

室内にいる理恵とご主人の友人ちはもう既にだいぶ酔いが廻っているようだった。十人
弱の招待客の中には、川田の知人が数人混じっていて、川田が室内に入っていくと大袈裟
に声をあげて歓迎してくれた。

「お久し振りです。多田先輩」

「おおー。真紀子おひさ。つうか、もう多田じゃなくて川田だし」

「初めまして」

 そうあいさつしてくれたのは、旦那さんの方の友人の男女みたいだ。川田は無難にあい
さつを返しているうちに、すぐに理恵と旦那さんを祝福する集団に馴染んでいった。



 理恵の結婚相手の高木さんは、想像していたとおり理恵の業界の関係者だった。

「高木さんと理恵との馴れ初めを聞きたいなあ」

 そう言った彼女は音大時代の同期だ。彼女はあたしの持ってきたワインを自分のグラス
に注ぎながらそう言った。そんなに遅れてきたつもりはないのだけど、彼女はもう既にだ
いぶ酔っているようだ。

「そういう話やめようよ」

 照れ笑いしながら理恵が言った。理恵の傍らに座ってワイングラスを揺らしている旦那
さんも苦笑している。



448:以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします:2015/06/07(日) 22:45:46.46 ID:o5L9pFRxo

「同じ会社じゃないんでしょ」

「違うよ」

 理恵が笑いながら答えた。

「じゃあ、どうやって知り合ったの」

「彼はフリーの音楽関係のライターなの。あたしが、彼に仕事を依頼してさ。打ち合わせ
とかしているうちに」

 理恵の正直な告白に旦那さんは少しだけ笑った。

「そうなんだ。あ」

 同期の女の子は何かを思い出したようだった。

「結城君もさ。確か、音楽之友の編集部に勤めてなかったっけ」

 余計なことを。あたしははらはらしながらそう思った。

「もうよしなよ」

 もう一人の女の子が彼女を遮った。自己紹介からすると同じ大学の同期らしいけど、川
田には見覚えのない人だ。

「何でよ」

「そうだよ」

 理恵が冷静に割り込んだ。

「理恵ったら」

「博人君は音楽之友に就職したみたいよ。でも、それが何?」

「何って」

「あんたは何が聞きたいの?」

 まずい。理恵の目は本気で怒っている感じだ。そこにいる理恵の友人だけではなく、
旦那さんの友人たちまで少し引き気味に沈黙してしまっている。あたしが話を逸らそうと
したとき、手にしたワインをぐっと飲み込んだ旦那さんが口を開いた。

「音楽之友の結城さんの記事はいいですよね」

 彼はそう言って理恵に笑いかけた。理恵は俯いたままだったけど。

「川田さんも、そんなに気をつかってくれなくていいですよ」

 突然、理恵の旦那に名前を呼ばれてあたしうろたえた。

「結婚する前に、理恵は全部僕に打ち明けてくれましたから。結城さんへの愛情とか憧れ
とか、彼に失恋したときの苦しみとかまで、全てね」

 彼に言葉に、楽しいはずのホームパーティーはお通夜のようにしーんと静まってしまっ
た。今まで怒っていたはずの理恵も今では俯いて下を見つめている。

「あの」

 沈黙に耐え切れなくなった川田が声を出した。



「・・・・・・」

「川田先輩?」

「ごめん。ここまで話しといて悪いけど、やっぱりこれはあたしの話していいことじゃな
いと思う」

「そうですか・・・・・・」

「ごめんね。でも、あなたがどうしても知る必要があるなら、結城君か理恵に聞いた方が
いいと思う。教えてくれるかどうかはともかく」

「そうですね」

 これ以上は聞いても無駄だろう。それに、姉さんと博人さんが幸せなら、今さら過去を
ほじくりかえす必要なんかないのかもしれない。明日香が奈緒人を嫌っている様子なのは
気にはなったけど、それは別にこの家に引き取られなかった奈緒ちゃんのせいだという証
拠もないのだ。



459:以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします:2015/06/30(火) 00:27:06.19 ID:5ijaidffo

「何でそこでやめるのよ。核心に迫る前で止めちゃうなんて」

 明日香が叔母さんに文句を言った。思っていたより軽い口調に思える。

「でも、川田先輩はここで話をやめちゃったし、それにさ。これ以上、深い部分は先輩に
もわからないんだと思う」

 玲子叔母さんはそう言った。何かを隠しているような感じはしない。

「どうして? あたしの話していいことじゃないと思うってことは、それ以上に何かを知
っているって意味じゃないの?」

「それはわからないけど。でも、あのときの先輩からはこれ以上は、聞きだせなかったの
よ。というかさ」

 叔母さんはいつもと違って真面目な表情で明日香を、そしてその次に僕を見た。

「そろそろ、姉さんや博人さんに直接聞いてみたら? 川田先輩だってしょせんは単なる
傍観者、というか目撃者にすぎないでしょ?」

「ここまで話しておいて、最後は突き放すって何でよ」

 明日香が言った。

「突き放すっていうか、これ以上はあたしも何も知らないし」

「そういうことじゃないでしょ。叔母さんのせいだなんて思わないけど、少なくとも叔母
さんはリアルタイムでこのことに関与してたんでしょ?」

「関与って。あんたは難しいことを言うね」

「難しくないでしょ。あたしは・・・・・・あたしとお兄ちゃんと、それに多分奈緒だって、過
去の出来事のせいでここまで振りまわされてるんだよ? 叔母さんが悪いとは言わないけ
ど、それでも覚えていることを全部話してくれてもいいと思う」

 明日香が突然、僕を見た。

「ね? お兄ちゃん」

「え。あ、ああ。そうかもしれないけど、叔母さんを責めてもしかたないじゃん。悪いの
は叔母さんじゃないのに」

「そんなことはわかってるよ」

「知ってることは全部話したよ」

「あのね」

「わかってるんだから」

 叔母さんが何かを言おうとする前に明日香が言った。

「知っていること話してくれたのかもしれないけど、推察したことはまだでしょ」




 叔母さんのマンションを出ても、明日香は僕の方を見ようともしなかった。抱きつくで
もなく手を握るでもなく。僕は明日香の兄だけど、それ以上にこいつの婚約者じゃなかっ
たのか。明日香にプロポーズしたときの思い出が未練がましく脳内に再生される。

「ねえ」

 明日香は僕の手を握ったりはしないし、僕に寄り添ったりもしない。それでも彼女は僕
を見上げるようにして声をかけてくれた。

「何?」

「あのさ」

 明日香の表情は今までの表情と違っていた。僕に無関心な様子でもなければ僕にいいよ
っていた頃の表情でもない。

「そろそろ、はっきりさせないとね」



460:以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします:2015/06/30(火) 00:28:40.68 ID:5ijaidffo

「どういうこと?」

 僕は戸惑った。普通に声をかけてくれたのはいいけど、言っている意味はよくわからな
い。

「・・・・・うん」

「はっきりさせないとって?」

 そこで明日香は立ち止まって、僕の方を見た。

「あのさ」

「だから何だよ」

「あたしね」
 明日香が薄暗い街角で照れたように笑って言った。

「あたし、本当にね」

「・・・・・・本当に?」

「お兄ちゃんのこと好き」

 一瞬だけ驚いた僕に明日香は言った。

「大好きだけど。でも奈緒ちゃんもきっとそうだよね」

 明日香はそう言った。また、その話を蒸し返すのか。僕は一瞬そう思ったけど、玲子叔
母さんの話を聞いた今では、彼女の気持ちもよくわかった。

「奈緒は・・・・・・今ではどうかな」

「うん。それは確かによくわからないの。奈緒ちゃんはお兄ちゃんのことは好きだと思う
けど、それが昔の記憶を引きずった仲のいい妹としてか、異性としてお兄ちゃんを好きな
のか、今じゃ全然わからなくなっちゃった」

「そうか」

「そして、何でわからないかもよくわかるんだ。過去の出来事とか背景とかがわからない
からなんだよ」

 明日香の言うとおりだ。もうこれ以上は推測しても意味がない。むしろ、過去を知って
から考えるべきなのだろう。それでも、過去のこと、もう終ってしまったことを探ること
を本当に今すべきなのかどうかは疑問が残った。

「結局、過去のことを知らないで判断できるなんて甘い考えだったのね」

 でも、明日香は言葉を重ねた。奈緒や明日香の気持ちを理解するためには、やっぱり過
去のことを理解しなければならないのだろうか。

 そんな必要はなかったんだろうけど、僕はその時、渋沢と明日香の情事を想像してしま
った。

「明日香ってさ」

「うん」

「池山以外に好きになった男っているの?」

「いるよ。つうか一番好きなのはお兄ちゃん」

 僕は意表をつかれて言葉を失った。

「いや。その・・・・・・そうなんだろうけど。つまりさ、それ以外でっていうか」

「・・・・・・もしかして明さんのこと?」

 明日香が顔色を変えないで言った。まるで隠す気はないみたいだ。明日香は人の心が読
めるようだ。僕はそう思った。渋沢と明日香のことなんか、僕は一言だって話題にしてい
ないのに。

「うん。渋沢のこと好きなの? 池山よりも」

 そう言ってから、一瞬だけためらったけど、結局僕は次の言葉を口にした。

「・・・・・・僕のことより?」



461:以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします:2015/06/30(火) 00:30:13.23 ID:5ijaidffo

 明日香は面食らったように僕を見つめた。やがて、意味のわからない笑みが彼女の表情
に浮上した。

「池山より? それはそうかもね。でも、お兄ちゃんとは違うよ」

 明日香の返事に僕は完全に不意討ちを食らった。何が違うのだろう。

「池山のことはそうかも。明さんと池山を比べたら。でも、お兄ちゃんは全然違う」

「明さんにはね」

 明日香が渋沢の名前を口にした。何のためらいもなく。

「明さんには抱かれたことがあるの。あたしの方から彼を誘惑するようなシチュで」

 僕はそれに対して何も応えられなかった。それは、志村さんの思惑が真実だと思い知ら
された瞬間だったのだ。

「・・・・・・いったい何で」

「何でって言われても。あの頃はお兄ちゃんと付き合っていなかったし」

「何か僕に言うことはないの?」

「いっぱいある。けど、よく考えればお兄ちゃんに言い訳する必要はない気もする」

「どっちなんだよ。結局お前の言い訳ってよくわかんないし」

「別に言い訳しているつもりはないよ。それに、お兄ちゃんだって奈緒と付き合おうと思
ったんでしょ。それでイーブンじゃん」

「僕は奈緒とは寝てない。というか、何にもしてないよ、彼女には」

「それは自分の実の妹だと思ったからじゃないの?」

「実の妹だなんて知る前からだよ」

「それじゃあ、ますますわけわかんない。たかが一回会っただけで付き合い出したんでし
ょ? お兄ちゃんも奈緒ちゃんもあたしのことをどうこう言えないじゃん」

「僕たちは・・・・・・。僕と奈緒はそんなんじゃない。誰もがみんなおまえみたいなビッチだ
と思うなよ」

 思わずきつい言葉が口から出てしまった。これは言いすぎだ。僕はそう思った。

「そうだね」

 言いすぎたと思ったのだけど、明日香は微笑んだ。

「あのさ過去のことなんかどうでもいいって思ってたの。現在のあたしとお兄ちゃんと奈緒の気
持ちだけが全てでしょって」

「ああ」

「でもね。今は昔の出来事の全部を知りたい。何でレイナさんが奈緒ちゃんのことを奈緒
って名付けたのか。何で、パパが奈緒ちゃんの親権を諦めたのか」

「今さらそんなことを知っても」

「きっと過去のことを知った方が、奈緒の気持ちとか」

「とか?」

「ママの気持ちとかがわかると思う」

 僕はその言葉に意表をつかれた。レイナさんや奈緒の気持ちはともかく、母さんの、理
恵さんの気持ちにまで考えが及んでいなかったからだ。でも、明日香にとっては理恵さん
は実の母親だし、そこは重要な話だったのだろう。

「どうするの?」

「ママに聞くのよ。昔の出来事を全部」

「本当に聞くの」

 もう明日香は僕に答えず、僕の方を見ることもなく、くるりと方向を変えて家の方に歩
き出してしまった。



462:以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします:2015/06/30(火) 00:30:54.59 ID:5ijaidffo

 でも、いつものことだけど、それから二日間は母さんは仕事で会社に留まることになり、
結局ちゃんと話せたのは三日目のことだった。

「ちょっと聞きたいんだけど」

 軽い口調で、明日香は珍しく早く帰宅して、食事の用意を始めた母さんに話しかけた。

「どしたの」

 母さんがビニール袋の中から食べ物を出してキッチンのカウンターに並べながら言った。
やはり、手づくりとはいかないようだ。

「ちょっと真面目な話なんだけど」

「進学のこと? ようやく真面目に勉強して、お兄ちゃんと同じ高校に行きたくなったん
でしょ」

 母さんが微笑んで言った。

「それは無理」
 明日香はあっさりと母さんの期待に満ちた表情を切り捨てた。「今から勉強したって明
徳なんて無理だよ」

「始める前から諦めることはないでしょ。というか受験の話じゃないなら後にしてよ。食
事の支度してるんだから」

「受験の話より大切なことだよ。つうか明徳は無理だけど大学はお兄ちゃんと同じ大学に
行けるように頑張るよ」

 母さんは少しだけ微笑んだようだった。

「あら。明徳に行けないのにそんな大風呂敷を広げていいの? あんた、奈緒人君の成績
知らないんじゃないの」

「知らないけど」

「この間の期末試験で学年三番なのよ。その前の全国模試では」

「もういいよ」

 僕は照れくさくなってそう言った。仕事で多忙な母さんが僕の成績なんかを覚えている
とは思いもしなかったから。この家庭で育ってよかったんだ。僕はそのときしみじみとそ
う思った。

「わかったよ。自信はないけど明徳目指して頑張るから」

「それでいいのよ。じゃあ、もう邪魔しないでね」

「だから、聞きたいことがあるの」

「いったい何よ」

「過去のことが知りたいの。怜菜さんの娘の奈緒ちゃんが何でパパと麻季さんの娘で、お
兄ちゃんの妹として育てられていたのか。何で麻季さんと離婚したとき、奈緒ちゃんだけ
は麻季さんに引き取られたのか」



463:以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします:2015/06/30(火) 00:31:35.97 ID:5ijaidffo

 母さんが凍りついたように沈黙した。それから、母さんは一瞬複雑な表情をした。その
表情に僕は一瞬怯んだ。何か、いろいろと諦めたような、それでいてちょっとだけほっと
したような表情だった。明日香がそれに気がついたかどうかわからない。でも、僕はこの
とき何か嫌な予感がしたのだ。こんなことを問い詰めるべきではなかったかもしれない。

 嫌なら別に無理に教えてくれなくてもと言いかけたけど、もう遅かった。

「うん。結局こうなっちゃうんだね」

 母さんが下を向いて言った。

「こうなっちゃうって、どういう意味?」

 明日香が聞いた。

 もうやめようよ。僕は心の中で呟いたけど、もちろんそれは母さんには伝わらなかった。

「ごめんね」

「はい?」

 面食らった様子の明日香と僕を母さんはじっと見つめた。

「本当にごめん」

「何言ってるのよ」

 明日香が驚いたように言った。自分の母親の初めて見る涙に狼狽したようだった。

 明日香も僕もこのとき、少し気楽に考えすぎていたのだろう。過去を知ることに若干の
恐怖とためらいを覚えながらも、まさかそれを追求することで、今のこの家庭が壊れるか
もしれないなんて考えもしていなかった。ヒントはあったのだ。最近の父さんと母さんの
諍いを思い出せば。

 母さんはキッチンから離れ、僕と明日香が並んで座っているリビングのソファの向かい
側に力なく崩れるように腰かけた。

「・・・・・・いつかは話さなきゃいけないときが来ると思ってた。再婚したときからいつも思
ってた」

 母さんが俯いたままそう言った。



464:以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします:2015/06/30(火) 00:34:59.57 ID:5ijaidffo

その夜、私は某音楽雑誌の出版社主宰のパーティーに出席していた。これも仕事のうち
だ。こういうのはあまり好きではないのだけれど、今日だけは別だった。博人君が来るか
もしれないのだから。

 同じ業界の友人から聞いた。博人君が「音楽之友」の編集部を離れ、「ジャズ・ミュー
ズ」というジャズ関係の雑誌の編集長になったって。別にそれを聞いたのだって偶然とい
うわけじゃない。あたしは、旦那がなくなってから、いや。もっと言えば大学時代のあの
ときから、どうしようもないあの喪失感とずっと戦ってきたのだから。

 大学で博人君と再会したとき、運命って神様って本当にあるんだってびっくりしたこと
を思い出す。照れて少しだけ微笑んだ、幼馴染の彼の表情は今でも胸の片すみに残ってい
る。本当にそれは私にとってすごい偶然だった。毎晩、泣くほど後悔していたその対象の
男の子が、同じキャンパスにいたのだったから。

 大学時代に再会した私は、かつて幼かった頃の淡い恋愛が復活するかもという期待に震
えたのだけど、それはそう都合よくはいかなかった。博人君と再会し、何となくうまくい
きそうな雰囲気のところに、綺麗な後輩の女の子が割り込んできたのだ。

 私は素直に身を引いた。引くしかなかった。彼が麻季ちゃんのことが気になるのなら、
それはそれでしかたがない。私は自分に自信がなかったし、それ以前に博人君とは偶然に
再会した幼馴染以上の関係に持ち込むことが出来なかったから。私には当時も今も自分に
自信がないのだ

 だから私は身を引いた。黙って博人君と麻季ちゃんの騒々しい恋愛を見守った。時には
らはらしながら。時に身もだえするほどの嫉妬を覚えながら。

 傍から見ていて非常に危なっかしい恋愛だったけど、二人は無事にゴールインした。博
人君の就職の内定と同時に二人は婚約し、やがて結婚したのだ。私はようやく終わったの
だと思った博人君への長く報われない恋愛が。それは私の心を楽にしてくれた。もう悩む
必要はないのだ。全てが終ってしまった今では。

 落ちつかない気持ちで、きょろきょろと辺りを眺めていた私は、そこに探し続けていた
人の姿を見つけた。高鳴る胸の動悸を意識しながら私は彼のそばに寄った。深呼吸してか
ら、あたしは自然に驚いたような表情を作って彼に話しかけた。

「博人君」

 自分の名前を呼ばれた彼が振り返った。

「・・・・・・理恵ちゃん」

 博人君は驚いたように私を見た。



474:以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします:2015/07/12(日) 00:37:10.55 ID:++bSM+wWo

 梅雨の雨が私の心を暗くする。もう、旦那の不慮の死から一年も経つ。仕事をしていて
多忙な業務に向き合っているときだけは、旦那がもう私の側にいないという事実に向き合
わなくてすむ。目の前に山積された業務を片付けていると、自分の胸を苛み続けている事
実を忘れることができるからだ。逆に言うと、職場で悩む暇もなく多忙に過ごしている時
間以外は、亡くなった旦那の記憶がしつこく私を苛む。

 その嫌なつらい感情は、一人娘の明日香の面倒をみているときにも容赦なく襲ってくる。

 一人娘を育てるためには泣き言を言わないで私が働くしかないの。

 私は、実家の両親と妹にそう泣きついた。それは嘘ではない。旦那の収入が途絶えた以
上、私が働かないと明日香を育てていけないことは事実だった。でも、そのときの私の本
心はそうじゃない。旦那がいない家に帰るのが嫌だった。旦那がいないことで、こんなに
心に打撃を受けている自分のことも納得できなかった。

 私は亡き旦那に負い目を感じていたのだ。そしてそのこころの負債を、いつか旦那に返
済するつもりだった。明日香の成長や心安らぐ家庭を築くことによって。

 そんな私の思惑を知ってか知らないでか、そこはよくわからないけど、玲子と両親は仕
事にのめり込む私の代わりに、明日香の面倒を見てくれた。特に玲子は大学生になったば
かりだったのに、華やかな大学生活を諦めて、明日香の母親代わりになってくれた。明日
香は最初心配していたよりずっと玲子に懐いた。最初は私の姿がないと泣きながら必死に
なって私の姿を追い求めていた明日香は、やがて玲子の姿がないと泣き始めるようになっ
た。久し振りに早く帰宅した私が側にいたのにも関わらず。

 今でも、明日香が私より玲子の方を信頼しているのは、その頃の生活のせいだ。つまり
私の自業自得なのだ。

 こうして私は実家に戻って生活するようになった。といってもほとんどは職場で生活し
ていたようなものだけど。そうして日々を重ねていると、少しづつ旦那を失った悲しみも
癒えていくようだった。そして同時に、その頃のあたしは大学時代の失恋とか博人君のこ
とも思い出すことはなかった。



「高木さん。下山先生から電話ですよ」

「あ、うん。わかった」

 この忙しいときに。ぎりぎりの時間に取材に出かけようとしていた私は、いらいらしな
がらデスクの電話を取った。

「高木さん? 申し訳ないんだけどさあ」

 ロック音楽評論家の下山先生ののんびりとした声が耳に響いた。



475:以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします:2015/07/12(日) 00:37:51.60 ID:++bSM+wWo

 申し訳ないとはどういうことだ。

「締め切りを過ぎちゃってさ。何とか頑張って明後日にはとりあえず」

「先生、何言ってるんですか。先生は来月号は掲載はないですよ」

「そうなの? 僕、何か勘違いしちゃったかなあ」

「はい。先生の次の原稿は十月号ですよ。八月号にはありません」

「そうか。それならよかったよ。忙しいのに邪魔しちゃってごめんね」

「いえいえ。十月号は締め切りを守ってくださいね」

「わかったよ。そういやさ。音楽之友の最新号って見た?」

「見てません。私はクラッシク音楽は所掌範囲外ですので」

「またまた。東洋音大卒のくせに」

「仕事は全くジャンル違いですからね。それより、音楽之友がどうしたんですか?」

「すごくいい記事が載ってるんだって。自社取材なのに、その辺の評論家よりいい記事だ
ったってさ」

「はあ? 先生がクラッシクに興味を持つなんて珍しいですね。どんな記事ですか」

「オーストリアの音楽祭のレポートなんだけど、何だか音楽旅行記みたいで評判いいんだ
って」

「・・・・・・うちの仕事とは関係なさそうですけど。まあ、そういうのも参考になるのかもし
れませんね」

「そうそう。だからさ、僕も読みたいんだけど、自宅に送ってくれないかな」

 このハゲ。自宅近くの本屋で買えよ。私はそう思ったけど、もちろん口には出せなかっ
た。それに下山先生の相手をしている時間がもったいない。あとで本屋に寄って音楽之友
を買って先生の自宅に送付すれば済むことだ。

「わかりました。十月号の原稿はお願いします」

 私は言った。

「あの若造バンドの記事でしょ? 気は進まないけど君のところが押しているなら、おも
いきりよいしょしておいてあげるよ」

 電話口から先生の笑いが響いた。



476:以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします:2015/07/12(日) 00:39:38.98 ID:++bSM+wWo

 取材を終えた私は、実家近くの駅前の本屋に立ち寄った。忘れる前に下山先生のオー
ダーした雑誌を購入しなければいけない。今日やっておかないと忘れてしまいそうだった。
音楽書籍のコーナーに、老舗のクラッシク雑誌が平積みされているのを見つけることはた
やすかった。

「おかえり」

 実家に帰ると、玲子が明日香を抱いたまま私を迎えてくれた。私の期待に反して、明日
香は私のことに興味を示さず、自分を抱っこしている玲子の興味を引こうと必死だった。
これは自業自得なのだ。私が娘に好かれようなどと、考えることさえ図々しい発想なのだ。

「明日香さ。今日もいい子だったよ」

「そう。玲子、いつもごめんね。明日香の世話を押し付けちゃって」

 玲子が笑った。

「何よ、今さら」

「・・・・・・そうなんだけど」

「早くお風呂入って食事しちゃって。あまり遅いと明日香は寝ちゃうよ。少しくらいはこ
の子を構ってあげないと」

「うん。ありがと」



 ・・・・・・でも、私がお風呂から出た時点で明日香は既に夢の国に旅立ってしまっていた。

「今日は明日香も保育園で身体を動かしたんで疲れていたみたい。いつもより早く寝ちゃ
った」

 玲子が申し訳なさそうに言った。

「今日って何かあったの」

「運動会だよ、保育園の」

「えーと。それって誰が」

「あたしが参加した。明日香と二人で一緒にダンスもしたよ」

 今度は私が申し訳ない気持ちになる番だった。

「ごめん。あんた講義休んだんでしょ」

「うん。でも、明日香のためだから」

「本当にごめん」

「いいよ」

 玲子はさばさばした表情だった。

「姉さんの気持ちもわかるし、立場もわかる。それに、あたしは明日香が大好きだから」



477:以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします:2015/07/12(日) 00:40:27.14 ID:++bSM+wWo

 娘と触れ合う時間さえなかった私は、自分の寝室で寝疲れない時間を過ごした。明日香
は以前から、母か妹と同じ部屋で寝ている。私は結婚前の自分の部屋で一人で過ごしてい
る。同じ家に娘がいるのに。
 
 もちろん、そのことを恨むのは筋違いだ。普段は滅多に早い時間に帰宅しない私の代わ
りに、母や妹が明日香と一緒に寝てくれているのだから。

 変に目が覚めてしまった私は、さっき購入した音楽之友をめくった。大学を卒業してロ
ックやポップ音楽系の出版社に就職してから、この手のクラッシク音楽の雑誌を読むのは
初めてだった。

 それはいい記事だった。クラッシク音楽の音楽祭の記事を読むなんて大学を卒業してか
ら初めてだったかもしれない。会場周辺の街路のリアルな表現や多少加えられている地元
のグルメ記事も興味をそそられたけど、何より本命の音楽祭における演奏のレポートがす
ごかった。文字を追ってここまで演奏の表現を想像できたのは初めての体験だった。まる
で音楽が文字列の間から浮かび上がってくるかのようなイメージを私は抱いた。

 これは下山先生の勘が正しかったのだ。短い記事を読み終わると私は、記事に添えられ
た写真を未練がましく眺めた。もう一度読み返そうか。こんな感情に囚われたのは就職し
てから初めてだった。東洋音大にいた頃なら、もう少し違った感想を抱けたかもしれない
けど。

 ふと、私は記事の末尾を見た。そこには、取材・執筆・撮影:音楽之友編集部 結城博
人という署名があった。



 翌日、私は取材先に直行した。遅く起きたせいで結構ぎりぎりの時間になってしまって
いた。目覚めたときには明日香はおろか、玲子さえ大学に出かけていて、家にいたのは母
親だけだった。

「あら、おはよう。今日は遅いのね」

 自室のある二階から階下に下りていくと、リビングのソファに座ってテレビのニュース
を見ていた母親が私に声をかけた。

「ああ、うん。今日は直行だからぎりぎりセーフ」

「朝ご飯食べていくの?」

「ううん。そこまで時間ないからいいや。もう行くね」

 母にそう答えながら、私はこんな自分を情けなく感じた。これでは独身時代とか学生時
代とかと一緒だ。結婚して明日香を産んだのに、私のやっていることは母親の行動じゃな
い。いくら、稼がないと生活できないという言い訳をしたとしても、大学生なのに朝明日
香を送ってくれている妹への言い訳にはならない。それは、朝食を用意し夕方に保育園に
迎えに言ってくれている母親に対しても同じだ。家族は私を責めない。むしろ旦那を亡く
した私を気遣い、家族総出で私を助けてくれている。

 こんなことじゃだめだ。いつまでも玲子や母に甘えてはいられない。そう思った私はい
つものとおり、思考を停止せざるを得なくなる。では、どうすればいいのだ。仕事をやめ
れば、明日香の面倒はみられるけど、それでは食べてはいけない。実家に100%寄生する
つもりなら別なのだろうけど、それは一度実家を離れて外に家庭を持った私が選んでいい
選択肢ではない気がする。



478:以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします:2015/07/12(日) 00:42:30.41 ID:++bSM+wWo

 直行した取材先のスタジオで、新しいアルバムの曲を録音中のバンドのメンバーのイン
タビューを終えた私は、帰社する前に食事をしようと考えた。もう、夕方だし今日は朝か
ら何も食べていない。帰社してから自分を待っている仕事の量を考えると、なるべく時間
をかけずにお腹を満たすべきなのだろう。ちょうど、スタジオの入っている雑居ビルの一
階に、なんだかクラッシックな雰囲気の喫茶店があるのを見つけた。店の古びたショーウ
ィンドウには、サンドイッチやスパゲッティーのメニューが表示されていた。

 ここでいいか。私はそう思って店に入った。

 意外と老舗なのかもしれない。革張りの椅子や磨きこまれたテーブルをを見て私はそう
思った。ただ、メニューを開くと半ば予想していたとおり、喫茶店のメニューらしく食べ
物はミートソースとナポリタン、それにハムサンドくらいしか見当たらない。私はコー
ヒーとサンドイッチを注文してから、音楽之友の最新号の欧州音楽祭特集記事に再び目を
通した。

 何度読んでも秀逸でいい記事なのだけど、私の目に留まるのはやはり記事の最後の署名
だった。

 「取材・執筆・撮影:音楽之友編集部 結城博人」

 ふと気がつくと目の前にコーヒーとサンドイッチが並べられていた。運ばれたことを完
全に覚えていないくらい、私は結城博人という名前を凝視していたらしい。コーヒーが既
に冷めていたことを考えれば、その時間は相当なものだったのだろう。

 でも、無理もない。私は自分に言い訳した。何しろ、亡くなった旦那と出会うまで、私
は幼馴染の博人君のことだけを、本当に彼のことだけを見て、追い続けてきたのだから。



 人に聞かれたら鼻で笑われるような恋だった。幼い頃に家が隣同士だった私と博人君は、
小学校低学年の頃まではすごく仲が良かった。小学校の登下校も、放課後もいつも二人き
りで、過ごしていた。特別な何かがあったわけじゃない。彼に優しくされた思い出とか、
辛いときに慰められた出来事とかも、多分なかったはずだ。私は博人君のことを好きだっ
たけど、本当にその想いを自覚できたのは、父の転勤に伴って他県に引越しをして、彼と
会えなくなった後だったのだ。

 さよならとか、わすれないでねとか、手紙を書くよとか電話をするとか。そういう話は
あったのかもしれないけど、今では別れの様子はあまりよく覚えていない。博人君のこと
が好きだったけど、本当に自分の感情を自覚したのは、別れがあったからじゃないかと思
う。子どもだった私は、かけがいのない人を失ったことよりも、電車に乗って遠い土地に
引っ越すというその行為自体にわくわくしていた。今にして思うとバカそのものだ。せめ
て、もう会えなくなるとわかっていた彼に対して、好きの一言ぐらいは言ってもよかった
のに。いくら幼なかったにしても

 その代償か、その後私は小学生高学年、中学生、高校生、その間、ずっと博人君を失っ
た事実を引きずっていた。告白されたことは何度かあった。正直に言うと自分が気になっ
ていた男の子から告られたことさえあったのだ。でも、そういうとき脳裏にまだやんちゃ
な小学生だった博人君の姿が目に浮かぶ。それだけで、私にはもう無理だった。



479:以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします:2015/07/12(日) 00:43:26.93 ID:++bSM+wWo

 だから、奇蹟的な偶然で大学で博人君と再会したときは、自分でも押さえようもないく
らいに興奮した。一応、冷静に対応しようと試みて多分それは出来たはずなのだけど。

 博人君の方は冷静だった。少なくとも私にはそう見えた。

「結城君」

 ありえないはずの偶然で、キャンパス内で見つけた幼馴染の背後で、私は彼に呼びかけ
た。私はひどい様子だったに違いない。ひょっとしたら泣いていたかもしれない。

「・・・・・・もしかして理恵ちゃん? 神山さんちの」

 ようやく彼が驚きから冷めた様子で声を出した。

「うん。博人君でしょ。わぁー、すごい偶然だね。同じ大学だったんだ」

 動揺を必死になって押し隠して私は声を出した。

「久し振りだね」

 博人君は私に微笑みかけた。

 

 これは奇蹟だ。私はそう思った。長い間別離していた二人が再会する特別な奇蹟なのだ。
私はその後も博人君に攻勢をかけることはできなかったけど、彼を見かけたらその側に近
づいて話しかけることくらいは継続して行った。そのうちに彼に告白するのだと自分に言
い聞かせながら。そのうち、私と彼はキャンパス内で出会えば一緒に話し込む仲になった。
幼い頃と同じように。私は彼と一日のうち出会った五分間だけ話せることにも幸せだった。
 麻季ちゃんが博人君の気持ちをさらっていくあの日までは。


 
「・・・・・・あれ? ひょっとして神山先輩ですか」

 喫茶店で、冷めたコーヒー前に物思いにふけっていた私は、誰かの声に思考を中断させ
られた。

「わあ。懐かしいな。覚えてます? 大学の後輩だった結城麻季です。旧姓は夏目ですけ
ど」

 話しかけれれた私の目の前には、綺麗な女性が立っていた。夏目麻季。今では博人君の
奥さんになっている女性だった。

「え・・・・・?」

「先輩、ひょっとしてあたしのことを忘れちゃったんですか」

 ・・・・・・そんな訳はない。忘れられるものなら忘れたいと思ったことは何度もあるけど、
私の人生を通じてほとんどの時間、彼女のことは忘れられなかったのだ。唯一、旦那と出
会って付き合いだし、結婚し、明日香を身ごもった頃だけは、博人君のことを思い出すこ
とはなかったけど。



480:以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします:2015/07/12(日) 00:44:08.29 ID:++bSM+wWo

「覚えてるよ。麻季ちゃん、お久し振り」

「何年振りでしょうね。先輩、同席させてもらってもいいですか」

 博人君との過去を思い出していた私は、その博人君の奥さんと同席し、二人の幸せな生
活の話を聞かされるのは正直、気が重かったけどここで同席を断る方が奇妙に思われるだ
ろう。ひょっとしたら私がまだ麻季ちゃんの旦那に気があると思われかねない。そう考え
ると、私は麻季ちゃんに微笑みかえるしかなかった。

「もちろんいいよ。どうぞ」」

 本当にこれは何という偶然なのだろうか。麻季ちゃんは私の向かいの椅子に座ると、慣
れた様子でこの店のオリジナルブレンドをオーダーした。

「ここのブレンドって美味しいですよ」

 麻季ちゃんが言った。

「この店によく来るの?」

「ええ。旦那の会社の近くですから。旦那を迎えに来るときとか、よくここで待っていま
した」

 音楽之友社がこの近くにあったとは思わなかった。偶然、私は博人君の勤務場所の近く
に来ていたようだった
 
「そうだよね。君は大学時代から旦那さんのことが大好きだったもんね」

「今でも大好きですよ」

 落ち着き払って麻季ちゃんが言った。

「それは確かに、離婚されそうな状態だし子どもの親権まで争っていますけど、博人さん
のことは本当に今でも誰よりも大好きなんです」

「何で泣くのよ」

 泣きたいのはこっちの方よ。

「というか、離婚されるとか親権とかどういうことなの?」

 私は麻季の言葉に混乱していった。麻季と博人君は幸せな家庭を築いていたのではなか
ったのか。
 
「先輩、あたしの話し聞いてくれますか」

「聞くよ」

 私は即答した。いったい二人の間に何があったのか。麻季に言われなくても私にはそれ
が気になってしようがない。

「先輩?」

「うん」

「全部ね。全部、怜菜のせいなの」

 こちらを見つめる目の中に、不思議なほど透明な涙を湛えて彼女が言った。



484:以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします:2015/07/23(木) 00:18:33.87 ID:GCJEoN4Xo

「・・・・・・ちょっと。こんなところで泣かないでよ。目立ってるじゃない」

「ごめんなさい」

「でもさ、あんたと博人君って結婚したときはラブラブだったじゃない。それが離婚とか
いったい何があったの?」

「ラブラブ? 先輩は本当にそう思ってたんですか」

「え。違うの?」

「・・・・・・質問を変えましょう。先輩は何であたしに博人さんを譲ってくれたんですか」

「譲るって。あんた。相変わらす意地が悪いね。彼は君を選んだんでしょ。そんな私に何
が出来たっていうのよ」

「本当に好きなら。博人君を本当に愛していたのなら、できることはあったんじゃないで
すか」

ふざけんな。私は彼女の涙を忘れるほど憤った。上から目線にも程度というものがある
だろう。確かに私は博人の気持ちを麻季に持っていかれた。そのことは確かなんだけど、
その当事者の麻季に面と向かってはっきり言われると腹が立つ。

「そういう意味じゃないです」

 私が怒り出すより先に彼女は言った。

「先輩が思っているような意味じゃないです」

「どういうこと?」

「怜菜のことです」



 私は聞いた。その答えは意外な話だった。あの怜菜が博人君のことを好きだった。愛し
ていたと言うのだった。

「どういうこと? 怜菜は君の親友だったんでしょ」

「そう思ってましたよ。少なくとも私はね」

「いったいどうしたの? あんたと怜菜は」

「どうもこうもないです」

 どうもこうもない。というか私は今何をしたいのだろうか。今さら大学時代の博人の恋
愛事情を知ったからといってどうしようもない。

「常識的に考えて、自分の娘に、自分が片想いをしていた相手の息子の名前にちなんだ名
前をつける親って、どう思いますか」

「どうって。そんな人は普通はいないでしょ」

「いたんですよ」

 麻季が半ば泣きながら微笑んだ。

「怜菜の一人娘の名前は奈緒です。うちの息子は奈緒人というんですけどね」

 私は言葉を失った。

 ・・・・・・そもそも、私の知る限りでは、怜菜は私と同じで博人君を諦めたはずだった。つ
まり、博人君を麻季に譲ったのだ。



485:以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします:2015/07/23(木) 00:19:33.40 ID:GCJEoN4Xo

 その瞬間に私は思った。怜菜は天使なんかじゃない。博人君に執着する醜い女だったの
ではないか。私は麻季が嫌いだ。大嫌いだ。それでも彼女が博人君に縋りつきたいと願う
気持ちは理解できる。それは、私の願望と一緒だったからだ。でも、なんで怜菜が? 彼
女は麻季のために身を引いたのじゃないかったのか。彼女らしく友人や博人君の感情を慮
ってに。

「あたしと博人君の仲が危うくなったとき、怜菜は旦那に接近しました。まるで聖女のよ
うに、天使のように自分を取り繕って」

 このときの麻季の涙は偽りではなかった。彼女が正しいかどうかはわからないけど、少
なくとも彼女の言動は自らを偽った態度ではなかった。

「それってどうなの? 聖女のようにってさ。あんたは怜菜の気持ちとか」

 私は少しだけためらった。

「・・・・・・私の気持ちとか少しも考えなかったんでしょ? あのときは」

「そう言われてもしかたないと思います。あのときは」

「じゃあ、今さら何言ってるのよ。怜菜とか私とか博人君に振られたのに。優越感? 博
人君が君を選んだんでしょ。それだけで満足してればいいじゃん」

「ある意味ではあたしと先輩は立場が同じなのかもしれません」

「何言ってるのか理解できない」

 私は麻季に負けたのだ。それだけは確かな事実じゃないの。私はそう思った。

「立場は一緒だと思います。怜奈に負けたという意味では」

 私は最初は麻季が何を言っているのわからなかった。私が負けたというのなら麻季本人
だろう。博人の心を掴んで独り占めしたのだから。

 でも、彼女の話は私が考えていたほど単純ではなかった。

「怜菜のことなんです」

 麻季がそう言った。



 あたしはこのとき少しだけ自分を取り戻した。大学時代を思い出せば、被害妄想で博人
君を振り回していたのは麻季の方だ。

 一瞬、あたしの脳裏に怜菜の姿が浮かんだ。確かに私は麻季の話を聞いたとき、怜菜の
ことを疑ったのだった。彼女は天使のような女の子じゃなかったのではないかと。でも、
よく考えれば麻季と怜菜のふたりのうち、どちらが信頼できるかと考えれば自ずから結論
は出た。メンヘラ女だったのは麻季の方だ。気まぐれな感情に身を任せ、博人君を振り回
していたのは麻季だったじゃない。



486:以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします:2015/07/23(木) 00:21:46.30 ID:GCJEoN4Xo

 私は怜菜に対する疑いを捨てた。これは全て有希の行き過ぎた被害妄想だとわかったか
ら。

「怜菜のことはいいよ。それよか、麻季って結城君と離婚するの?」

 絶対に別れません。どうせ、麻季からはそんな言葉が返されると予想していた私は、彼
女の言葉に驚いた。

「言ったじゃないですか。離婚とか親権とか。別にふざけて言ったわけじゃないです。彼
とは本当に離婚調停中なんですよ」

 麻季が平静な態度でそう言った。

「ちょっと待て。あんたは博人君のことが好きだったんじゃないの?」

「ふふ。過去形で言われるなんて、ちょっと嫌だな」

 麻季が微笑んだ。

「何よ」

「これまでも。今も、これからも、あたしが愛する男性は夫だけです」

「夫って」

「ごめんなさい、わかりづらくて。博人君だけ」

「あのさあ。怜菜ちゃんは確かに博人君のことが好きだったのかもしれない。でも、それ
はもう過去の話じゃないの?」

「・・・・・・先輩」

「うん」

「自分の娘の名前に、奈緒なんて名付ける母親がいたとして、その母親が奈緒人の父親の
子とをもう過去のこととして消化しているなんて、先輩なら信じますか? 仮に先輩が奈
緒人の親だったとしたら」

 私はそれにはすぐに返答できなかった。

「・・・・・・何で怜菜は自分の娘にそんな名前を付けたの?」

「どう考えても理由は一つしかないですよね」

「いや、それおかしいでしょ。と言うかよくそんな名前を鈴木先輩が許したよね」

「奈緒生まれて名前を授けれらる前に、怜菜は鈴木先輩と離婚していましたから」

「・・・・・・何で、怜菜は鈴木先輩と離婚したの」

「それは」

「何よ。何で黙っちゃうの」

「・・・・・・多分、話しても信じてもらえるかわからないから」

「ここまで話しておいて何よ。言ってよ」

「じゃあ、話します。多分、先輩には嫌われちゃうと思うけど、言います」

「・・・・・話してみ」

「怜菜の離婚原因は、表面的には旦那さんの不倫です」

「そうか。まあ、あの鈴木先輩なら有りえる話かもね」

「でも、本当の離婚理由は違うと思います。怜菜は、博人君のことを狙っていたんです」
「それは考えすぎなんじゃないの」

 また、この子の思い込みが始まった。私はその時はそう思ったのだ。



487:以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします:2015/07/23(木) 00:23:39.83 ID:GCJEoN4Xo

「そうでなきゃ理解できないんですよ。怜菜の行動って」

「行動って? 名前のこと?」

「それが一つです。離婚後に出産した自分の娘に、奈緒なんて命名をしませんよね? 普
通は」

「・・・・・・それで?」

 確かにそうだと思いながら、私は次の根拠を促した。

「もう一つは怜菜の死です。彼女は娘を・・・・・・奈緒ちゃんを暴走車から庇って事故死しま
した」

「え。怜菜って亡くなったの?」

「はい。彼女の大切な奈緒を庇って死にました」

 私は麻季の話に衝撃を受けた。あの明るく聡明な怜菜はもういないのか。混乱している
私の感情にはかまわず、麻季が話を続けた。

「怜菜は生前、奈緒の出産前に博人君に接近して、私と鈴木先輩が不倫していることを博
人君に言い付けたんです。それで、あたしと博人君は今、離婚調停中なんですけど」

「だけど、あたしは博人君のことが好き。別れるつもりなんかなかったんです。それなの
に」

 麻季が涙を流した。

「怜菜に、博人君にそれを言い付けられたらもうどうしようもなかった。だから、あたし
は最善の道を選んだんです」

 この子は何を言っているのか。私は混乱した。麻季の不倫。その相手は怜菜のご主人の
鈴木先輩。これだけでも非は麻季にあるとしか思えないではないか。何で麻季はこんなに
被害者面をして怜菜を非難しているのか。

「怜菜はあたしから博人君を奪おうとして、自分の旦那の雄二さんにあたしを誘えって密
かに示唆してたんですよ。そのうえで、博人君に会って旦那に浮気されて可愛そうな自分
をアピールしてた。それでも効果がなく、博人君があたしを選んだことを知った怜菜は、
最終手段に出たんです。自分の娘に奈緒人の名にちなんだ命名をすること。タイミングを
計って自殺して、博人君の思い出の中に自分を永遠に焼き付けること。最後に、自分が果
たせなかった想いを自分の娘に託すこと」



488:以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします:2015/07/23(木) 00:26:41.46 ID:GCJEoN4Xo

「あたしはついこの間、博人君に会って全てを告白しました」

 麻季がそう言った。



「博人君の方こそ逃げないで考えて。怜菜が何で雄二さんと結婚したか。怜菜が何で雄二
さんにあたしと接触するよう唆したのか。何で怜菜はあたしと雄二さんの浮気を責めずに
黙って離婚した挙句、あたなに会って愛の告白みたいなことをしたのか」

「怜菜の死が不幸な偶然だと信じ込んでいるのね」

「相手が神山先輩なら恐くない。でも死んだ怜菜にはあたしはどうしたって勝てないもの。
自業自得なことはわかってるけど博人君とやり直せない以上、奈緒人と奈緒は一緒には過
ごさせない。でもあんなでっちあげた内容ではあなたに勝てないことはわかってた」

「だからあたしは雄二さんに再び近づいたの。博人君の心は怜菜から奪えないかもしれな
いけど、雄二さんをあたしに振り向かせるのは簡単だったわ。そして奈緒の実の父親であ
る雄二さんなら、奈緒の親権は勝ち取れるかもしれない」

「本当に心配しないで。今でも怜菜のことを愛していて彼女のことを忘れられないあなた
に約束します。奈緒のことは愛情を持って育てるし不自由だってさせない」

「今でもこの先もあたしはずっと博人君だけを愛してる。でももう他に方法がないの。だ
からもうこれでいいことにしようよ」

「あたしは自分のしたことの罪は受けます。凄くつらいけどあなたがあたしを許してくれ
るまではもう二度と奈緒人には会いません。だから奈緒のことだけはあたしに任せてちょ
うだい」



 博人君に対して向けた言葉と感情の全てを話し終えた麻季は最後に付け加えた。

「奈緒人のことよろしくお願いしますって、博人君にお願いしました。あたしは、もう奈
緒のことだけを幸せにしようと思います」

 麻季は顔を上げて改めて私を見た。

「先輩にお願いがあります」

「何?」

「怜菜はもういません。あたしも、今後は奈緒を引き取って雄二さんと生きていくことに
なります」

 だから何。これだけの秘密を聞かされてしまった私は、すぐには新しい話題には対応で
きなかった。麻季の話が自分の中で消化しきれていなかったのだ。

「先輩のご主人は亡くなられたってお聞きしました」

「知ってたの?」

 ほんの一瞬、亡くなった旦那のことを思いだして胸の奥がちくりと痛んだ。

「先輩は博人君と幸せな家庭を築いてください。奈緒と先輩のお嬢さんと、博人君と先輩
の四人で新しい家庭を」

「あんた。いったい何を言ってるのか自分でわかってるの」

「わかってます。奈緒人と奈緒を不幸にしないためなんです」

「それに」

 いつの間にか麻季が涙を流していることに私は気づいた。

「それに。先輩と一緒になったら、あたしと一緒にいるより博人君は幸せになれます。だ
から先輩。お願いします」

 泣きながら麻季は私に向かって頭を下げた。



492:以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします:2015/07/31(金) 23:51:58.04 ID:IJRPvnNdo

 にわかには言葉どおりに信じられない話だった。私は帰社してからも、仕事を終えて深
夜に実家に帰宅してからも、麻季の話とその非常識な提案について、考え続けた。

 予想どおり、娘は妹と一緒に寝入ってしまっていた。でも、このときの私はそれを寂し
く思うよりも今日聞いた麻季の話ばかり気にしていたのだった。

 麻季と怜菜。本当に博人君を苦しめたのはどちらなのだろう。私は麻季のことが嫌いだ
った。博人君の気持ちを奪われたからだけではない。こんな、メンタルな女の子では博人
君を幸せにはできないだろうと思ったからだ。

 麻季に関しては、それは間違いようもない事実だった。メンヘラ女は、付き合いだした
頃に博人君を振り回しただけではなく、二人の間に息子を儲けたのに、麻季は鈴木先輩と
浮気したのだ。

 私は怜菜と親しいわけではなかった。それでも、麻季が怜菜を気にした理由は本当によ
く理解できる。私はほんとんど怜菜と話をしたことがなかったのだけど、麻季が怜菜に対
して嫉妬した理由は理解できるような気がした。多分、大学時代の麻季の強烈なアプロー
チがなければ博人君は麻季と付き合ったり、結婚したりすることはなかっただろう。自分
のことを横において考えれば、博人君の好みは麻季よりも怜菜なのではないか。

 本当に悪いのはどちらだろう。麻季か、それとも怜菜か。

麻季とも怜菜とも大学時代にはそんなに親しいわけではなかった。学年も下だしサーク
ルだって違う。私が麻季を認識したのは、博人君を巡る敵としてだったし、怜菜に至って
は麻季の親友らしいということで、私は辛うじて大学時代に彼女を知っていただけだった。

 それでも私は怜菜のことは嫌いではなかった。麻季はいい意味でも悪い意味でも自分勝
手と言える。彼女は自分の気まぐれで周囲を振り回す。博人君を含めて。でも、そこには
悪意はないんだろうと私は考えていた。でなければ、あの博人君があそこまで麻季に入れ
込むはずがない。いい意味でもと言ったのはそういう理由だ。

 その麻季の言葉を信じていいのだろうか。怜菜は本当に見かけどおりの純真な女ではな
く、博人への執念の塊なのだろうか。麻季以上にメンヘラで執念深く博人君のことを求め
続けていたのだろうか。自分が結婚した後までも。いくら考えても答えは出そうにない。
麻季の感情的な主観を判断材料にすべきじゃない。だけど、麻季が話した事実そのものは
判断材料にすべきかもしれない。

 奈緒。奈緒人という名前から二字だけを取って付けられた名前。それから怜菜が鈴木先
輩に麻季との不倫をさりげなく勧めるようなことをしていたらしいこと。真実は検証のし
ようもないけど、この二つが真実なら、麻季と鈴木先輩がとたとえ不倫の関係だったった
としても、鈴木先輩の奥さんだった怜菜のしたことは最低だし、それに関して麻季が責め
られるいわれはないのかもしれない。



493:以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします:2015/07/31(金) 23:52:30.08 ID:IJRPvnNdo

 しかし、いったい本当なのだろうか。麻季が嘘をついているとは思わない。彼女は昔か
ら思い込みが激しく、自分が信じたことだけが真実だと確信し、その考えを基にして行動
する女だった。だから、周囲からは外見は綺麗だし可愛いけれど、エキセントリックな性
格の女だとも思われていたのだ。正直、私だってそう考えていた。その考えは今でも変わ
らない。ただ、それは逆に言うと麻季は嘘をつかない子だという証左になる。少なくとも
麻季の主観的な観点で言うと、彼女は嘘をつかないのだ。それが事実かどうか、真実かど
うかは別にして。

 麻季は嘘はついていない。そしてそれが事実かどうかは今の私には判断できない。それ
でも、麻季の言葉が実際に起こったことだと仮定するとどうなのだろう。

 怜菜は、博人君のことが大学時代から好きだったけど、その気持ちを告白する前に、親
友の麻季が博人君に告白し麻季と博人君は恋人同士になった。怜菜は麻季の元彼(?)の
鈴木先輩と卒業後に再会し、二人は結婚した。

 ここまではいい。この先は完全に麻季の主観になる。

 怜菜は、旦那になった鈴木先輩に麻季の情報を与え、鈴木先輩が麻季に接触するように
働きかけた。その結果、鈴木先輩と麻季が不倫の関係になると、怜菜は博人君に接触し、
二人が不倫関係にあることを示唆した。怜菜の行動にも関わらず、博人君が麻季を許し、
やり直そうと努力する姿を見て、怜菜は鈴木先輩に離婚を切り出した。つまり、彼女は最
後のカードを切ったのだ。

 鈴木先輩と離婚した怜菜は、一人で娘を出産する。そして、彼女は娘に奈緒という名前
を授けた。ただ、彼女の娘の名前は彼女の生前は博人君に伝えられることはなかった。

 麻季の被害妄想的な話にあって、一番説得力があるところがここだった。娘の命名に当
って、奈緒人の名前を知っていた怜菜が、奈緒という名前を選んだ。さすがに単なる偶然
では片付けられない。いったい怜菜は自分の娘に名付けるにあたって、どういう感情を胸
裏に思い浮かべたのだろうか。

 麻季の話で説得力のあるのはここまでだった。逆に、怜菜の死を自殺だと断言した麻季
の話は全く信用できない。さすがにこれは自殺するほどの話ではないだろう。まして、聞
いている限りでは、怜菜は娘を庇って事故死したと言うのだ。それは博人君の思い出の中
で自分が永遠に生きるために、自分の生命だけでなく一歩間違えば奈緒まで死に至らしめ
たのかもしれない行為なのだ。そんなことを普通の母親が出来ることではない。

 怜菜は彼女に対してそれほど面識がない私が考えていたように、清純で裏表がない天使
のような女の子だったのだろうか。それとも、麻季が言うように自分の感情のためには娘
さえ犠牲にするようなどうしようもないビッチだったのだろうか。



494:以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします:2015/07/31(金) 23:53:33.94 ID:IJRPvnNdo

 私は自室の時計を見た。もう日付けが変わっている。このとき、別れ際の麻季のセリフ
が心に浮んだ。

「先輩。博人君は今では異動して、音楽之友の編集部にはいないんですよ」

「そうなの? つうか何で私にそんなことを言うのよ」

「彼は今はジャズ・ミューズっていうジャズの専門誌の編集長なんです」

 どういうわけか誇らしげに麻季がそう言った。編集長というところを強調して。

「博人君ってジャズよりも」

「そうなんですよ。彼はクラッシク音楽研究が専門でしたしね」

 麻季が誇らしげな表情を変えて、何だか切ない泣きそうな顔で私を見た。

「ジャズ雑誌なら、先輩の勤めているポップミュージックの雑誌とも少しくらいは共通点
があるんじゃないですか」



 翌日、出社した私はスケジュールをチェックした。直近だと明日に交流パーティーがあ
る。私はその担当を呼んで招待者リストを見せるように言った。博人君の名前もそのリス
トの中にあった。

 「音楽之友社 ジャズ・ミューズ 編集長 結城博人」

 大学時代の再会と違ってこれは奇蹟でもなんでもない。博人君が出席するであろうパー
ティーに、デスク権限を振りかざして、出席予定の部下の代わりに自分が出席するように
調整しただけなのだ。



 その夜。いつ博人君に会えるのか、落ちつかない気持ちでょろきょろと辺りを眺めてい
た私は、そこに探し続けていた人の姿を見つけた。パーティー序盤にも関わらず彼は帰ろ
うとしているようだった。私はビジュアル系のバンドのメンバーと談笑している下山先生
を放置して、博人君の方に近づいていった。

 高鳴る胸の動悸を意識しながら私は彼の側に寄った。深呼吸してから、私は自然に驚い
たような表情を作って彼に話しかけた。

「博人君」

 自分の名前を呼ばれた彼が振り返った。

 博人君は驚いたように私を見た。

 自分の名前を呼ばれた博人君が呆けたように私の方を見ていた。私は緊張感が極限まで
高まっていたけど、無理に自分を制御し、彼の方を見て微笑んで見せた。

「・・・・・・理恵ちゃん」

 博人君がようやく私の名前を呼んだ。

「わぁー、すごい偶然だね。博人君ってこういうところにも顔出してたんだね」

 私が話しかけているうちに、彼の方も冷静さを取り戻したようだった。

「久し振り」

 博人君はようやく眠りから覚めたように私を見つめてそう言った。

 私は人ごみから抜け出して、彼の側に寄っていった。

「少し話そうよ・・・・・・・それとももう帰っちゃうの」

「少しなら時間あるけど」

 この機会を逃したら、もう真実を知ることはできないのかもしれない。知らなくっても
いいじゃない、亡くなった旦那のために娘のことだけを気にしていれば。一瞬、そういう
思いが胸をよぎったけれど、私は結局博人君を誘った。



495:以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします:2015/07/31(金) 23:56:20.08 ID:IJRPvnNdo

 私は博人君と再会した次の日の夜、私は彼と待ち合わせし、彼と結ばれた。

 待合わせをした居酒屋で、麻季に出会った。偶然かどうかはわからない。麻季は鈴木先
輩ではない知らない男とべたべたしていて、それは彼女が博人君と私が一緒にいるところ
を見つけた後も変わらなかった。だから私は博人君にキスをして、その様子を麻季に見せ
つけた。麻季の目に涙が浮んでいて、その様子は博人君にもわかったのだけれど、私た
ちが店を出て行く際、博人君が会計をしているときに私は再度、麻季の方を見た。

 麻季は相変わらず男の肩に寄り添うようにしなだれかかっていたけど、私と目を合わせ
た彼女は涙を拭きながら、私に向かって微笑んだ。

 そう。それでいいんですよ、先輩。

 頭の中で麻季の声が私にそう言った。



 私と博人君の再婚が決まってからも、博人君の二人の子どもを巡る争いは泥沼だった。
全く出口が見えないのだ。

 最初は二人の子どもの親権を求めていた麻季は、やがてその主張を取り下げて新しい要
求を出してきた。奈緒人君の親権を放棄する代わりに奈緒ちゃんの親権を要求すること。

 博人君や唯ちゃんはその要求に驚いただろうけど、私はやはりそう来たかと考えただけ
だった。麻季が今一番恐れているのは、博人君を亡くなった怜菜に奪われることだ。



「デスク。結城さんという方から電話です」

「ああ、うん」

「4番に回します」

 博人君だろか。このときはお互いの両親にも再婚を報告していたし、奈緒人君、奈緒ち
ゃんと明日香の顔合わせも終っていた頃だった。お互いに再婚なので式はあげないことに
なってはいたけど、いきなり五人家族になるので一軒家を購入しようという話になってい
た。その話かもしれないな。ただ、博人君はいつも携帯に電話をくれるのに社に電話とは
珍しい。

「はい。高木です」

「お仕事中にごめんなさい。麻季です」

 完全に油断していた。離婚前なので、麻季はまだ結城姓を名乗っていたのだ。

「ああ。麻季ちゃん」

「今、少しだけいいですか」

「別に平気だけど」

「博人君と順調にお付き合いしているみたいですね」

「・・・・・・うん」

「何だか嫉妬しちゃうなあ」

「ふざけんな。あんたがけしかけたんでしょ。それにあんたと博人君は離婚調停中で夫婦
関係は破綻しているじゃない。文句を言われる筋合いはないよ」

「文句なんか言うわけないじゃないですか」

「・・・・・・いったい何の用なの」

「あたしね。昨日、博人君と会って一緒にあそこの居酒屋でお酒を飲んだんです」



496:以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします:2015/07/31(金) 23:59:13.05 ID:IJRPvnNdo

 一瞬、血の気が引くような感覚に襲われた。博人君と麻季が二人きりでデートをした?
 まさかこの二人のよりが戻ったのか。

「神山先輩は心配しなくていいです。私と博人君がよりを戻すことなんかありえませんか
ら。残念ですけど」

「いったい何なの?」

「昨日、私は博人君と合意できたと思います。多分、これで長かった調停も終わりになる
と思うんです」

 麻季が落ちついた口調で言った。

「合意って? あんた、奈緒ちゃんの親権を諦めるの?」

「逆です。博人君は、多分奈緒の親権をあたしに譲ってくれると思います」

「そんなわけないでしょ」

 私は言下に否定した。

「何でですか」

「奈緒人君と奈緒ちゃんは本当に仲がいいの。あの二人を引きはがして別々に育てるなん
て犯罪だよ」

「仲がいいからそうするんですよ。わかりませんか」

「全然わからない」

「博人君は理解してくれましたよ」

「んなわけないでしょ」

 私は吐き捨てるように言った。そんなことはありえない。あの仲の良い二人を本当に愛
している博人君なら。

「奈緒人と奈緒はお互いにお互いのことが好きすぎますからね。このままじゃ怜菜の思う
壺じゃないですか。先輩はそれでもいいんですか」

「何の話よ」

「怜菜の自殺の理由。怜菜は自分の果たせなかった夢を娘に託したんですよ。自分と博人
君は結ばれなかった。せめて、奈緒人と奈緒を付き合せたかったんでしょうね。自分の子
どものことを、そしてあたしの大切な奈緒人のことを何だと思ってるんでしょう。まるっ
きり道具扱いじゃないですか」

 私はこのとき何も反論できなかった。本当に何も。冷静に考えれば自分の娘に、自分が
片想いをしていた男の息子の名前にちなんで命名することなんかありえない。

「先輩は博人君の決定に従ってください。奈緒人は博人君とあなたに任せますから、奈緒
はあたしに任せてください。それで、縁があれば奈緒人君と明日香さんが付き合うことに
なるかもしれませんよ」

 私は電話を置いてからしばらくの間、ずっと考え込んでいた。



499:以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします:2015/08/10(月) 00:03:19.69 ID:KUo2Nwv2o

 博人君がその決断をした結果、私と博人君の双方の実家から祝福されていた私たちの再
婚は、双方の親から反対されることになった。いや。もういい年で自活できているのだか
ら両親のことはいいとしても、それまで私と博人君のことを積極的に応援し、双方の両親
の根回しまでしてくれていた唯ちゃんと玲子の反対には、正直堪えた。

 博人君のことを大好きだった唯ちゃんは彼に絶縁を申し渡した。無理もない。麻季が子
どもたちを放棄して以来、奈緒人君と奈緒ちゃんの面倒を看てきたのは彼女だった。その
彼女が、仲のいい兄妹を引きはがすような結論を出した博人君を許すはずはない。

 そう。彼女は怜菜の意図を知らないのだから。

 妹の選択は、もっと私を悩ませた。彼女は言った。

「お姉ちゃんが何を考えているのかわからない」

「玲子」

「それ以上に結城さんが何を考えているのかわからない。短い間だったけど、あたしは奈
緒人君と奈緒ちゃんと仲良くなったから。だから、何であの人が二人を引きはがそうとし
ているのかわからないし、それを認める結城さんと、その結城さんの決定に従う姉さんの
ことがわからない」

 私は一言だって玲子に言葉を発することができなかった。ただの一言も。

「でも。あたしは明日香の面倒を看るよ。姉さんが何を考えているのかわからないけど、
明日香はあたしの大切な娘だもん」

 それでも玲子は子どもの面倒を看ると言うのだ。明日香は私の娘だ。でも、そんなこと
くらいで反論できる育児の実績も根拠も、今の私にはないのだ。

「奈緒人君もあたしが引き受ける」

 妹がそう言った。それは違うでしょ。麻季の息子であるにしても、博人君の実の子ども
であることは間違いない。彼のことは私が責任を持って面倒を看るべきなのだ。

「だって姉さんには無理でしょ」

 実際にそのとおりだった。

 その後、私と博人君は再婚し、奈緒人君と明日香は兄妹の仲になったのだけど、その過
程で双方の親族からは村八分のような扱いを受けることになった。うちの実家も含めて。



500:以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします:2015/08/10(月) 00:04:05.85 ID:KUo2Nwv2o

私は麻季の話に半ば洗脳されていたのかもしれない。確かに、自分の娘に奈緒なんて名
前を命名する女はそうはいないだろうから、ある程度までは怜菜の気持は麻季が確信して
いたとおりなのではないかと私は考えていた。

 妹に言われるまでもなく、この当時のあたしの目標は博人君と結ばれることだったから、
麻季の話の多少の荒は目を瞑ろうと思ったのだ。ひょっとしたら奈緒ちゃんには可愛そう
なことになるのかもしれないということを理解したうえで。

 私は別に奈緒人君と奈緒ちゃんが結ばれることを恐れていたわけではなかった。麻季は
脅迫的にそのことを恐れていたみたいだけど、私は違う。怜菜と奈緒は違う人格だし、博
人君と奈緒人君だって全く違う人格だ。奈緒人君と奈緒ちゃんがたとえ結ばれたとしても、
それは博人君と怜菜が結ばれなかったことへの代償行為になるわけではないのだ。

 それにこれからは家族四人で仲良く暮らすのだし、奈緒人君だって奈緒ちゃんのことを
忘れる日が来るだろう。そうしたら、博人君とあたし、奈緒人君と明日香の四人で仲のい
い家族を築けばいいのだ。私は、麻季の働きかけに乗ったわけじゃない。自らの意思でこ
の家族を築いたのだ。私はその時はそう思っていた。

 奈緒人君が奈緒ちゃんのことを忘れるのは早かった。というかそれは忘れたというより
記憶を消去させられたみたいだった。それは記憶喪失に近かった。麻季と奈緒の記憶が奈
緒人君から完璧に失われたことに、最初に気がついたのは玲子だった。さすがに様子がお
かしいと思った玲子は、私にではなく博人君に相談した上で、奈緒人を総合病院の小児精
神科に連れて行った。妹の話によると、診断はつかず病名もはっきしりしなかったそうだ。
一時的な外因性のショックのせいで、彼は記憶の一部を事故遮断したのではないか。医師
はそう言ったらしい。それは人間の自己防衛機能の一種だ。トラウマとかPTSDとかの
類いらしい。こういう経験を記憶から遮断するのは大人より子どもの方が巧みなのだとい
う。

 理屈はわかっても対処方法はなかった。あたしは自分が博人君や麻季に加担したことで、
奈緒人君の記憶喪失の原因の一端を担ったのではないかと思った。こうなったら救いは明
日香だけだった。明日香は奈緒ちゃん同様可愛らしく育っていた。奈緒人君が明日香と仲
良くなり、そして将来彼らが結ばれれば奈緒人君も救われるのではないか。あたしはそれ
だけを期待していた。もう、怜菜のことなど気にする余裕すらなくなっていた。

 そんな私の思い込みに反して、明日香と奈緒人君の仲はうまく行かなかった。小学校の
高学年に達した頃からだろうか、明日香は反抗的になった。博人君ばかりではなく私にも。
中学生になった頃、彼女は服装が派手になり生活が乱れ始めた。仕事で忙しかった私に代
わって、玲子は何度も中学校の担任の先生に呼び出され、注意されたらしい。この頃は、
もう玲子も大手の出版社に就職していた頃だったので、本当は私が行くべきだったのだけ
ど、玲子は明日香と奈緒人君のことに関しては全て引き受けてくれていた。文句も言わず
に。



501:以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします:2015/08/10(月) 00:04:36.74 ID:KUo2Nwv2o

 新年早々、仕事の帰りに玲子と落ち合って食事をすることになった。よくないことだけ
ど、最近では二人を家庭の放置する日々が続いている。高校生と中学生なのだから留守番
くらいは出来るだろうけど、何日も連続するのは心が痛む。痛むけど、現実的に博人君も
私も仕事の都合がある。帰宅は深夜になるのが普通で、朝だけは睡眠時間数時間で頑張っ
て起きて朝食を作り子どもたちと共にすることはあったけど、最近ではそれすらまれにな
っていた。

「玲子」

「姉さん、ごめん。呼び出しちゃって」

「今夜は旦那が早目に家に帰るって言ってたから大丈夫だよ。それよか電話じゃすまない
用?」

「うん。明後日から取材で北海道に行くのね。だからこれ渡しておこうと思って」

 私は玲子から二枚の紙片を受け取った。

「去年の年末に明徳高校と明日香の中学校に面接に行ったのね。そこで担任から渡され
た」

 それは通知表だった。

「いつもごめんね。今ではあんたの方が忙しいのに」

「別にいいよ。あたしはあの子たちは自分の子どもだと思ってるから」

 玲子には感謝してはいるけど、何か少し引っかかる言い方だった。この子たちは間違い
なく私の子どもだったのに。でも、言葉尻を捉えて玲子に文句を言える立場じゃないこと
は理解していた。

「それ、二人の通知表ね。保護者の欄に押印しておいて、冬休みが終ったら二人に渡して
学校に持って行かせて」

 そんなことすら私は意識できていなかったのだ。私は一枚の通知表を開いて眺め、そし
て微笑んだ。

「奈緒人君すごいね。こんなに成績いいんだ」

 進学校の明徳高校に合格したときも思ったことだけど、あの子は本当に頭がいい。博人
君に似たせいもあるんだろうけど。

「奈緒人君は優秀だよ。話してていつもそう思うよ」

 玲子が浮かない顔で言った。

「どうしたの?」

「明日香の通知表を見て」



502:以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします:2015/08/10(月) 00:05:33.38 ID:KUo2Nwv2o

 それはひどいものだった。五段階評価すらしない近所の公立の中学校では三段階評価が
取り入れられていたけど、明日香の成績はCだらけだった。いったい何でこうなったのだ
ろう。確かニ学期はここまで酷くはなかったはずだった。そもそも、私は博人君と相談し
て、子どもたちには中学受験をさせようと考えていたけど、まず奈緒人君がそれを拒否し
た。公立の進学校である明徳高校に行きたいという理由で。明徳ならしかたない。並みの
中高一貫校よりも進学実績は上だったから。それでも明日香は中学受験を希望するのだと
思っていた。富士峰女学院のセーラー服を着たいと日頃から言っていたのだから。それに、
あの頃の明日香の学力は別に低くはなかった。

 その明日香も中学受験を断った。それは別にいいのだけど、進学した中学でこんな成績
になっているとは。

「これはひどいね」

 この成績について玲子を責めるわけにはいかない。子どもたちを放置したのは私なのだ
から。

「それは別にいいのよ」

「いいって・・・・・・よくないでしょ」

「明日香は地頭はいい子だよ。その気になれば成績なんかすぐに元に戻せると思うよ」

 玲子は狼狽する私を気にする様子もなく話を続けた。

「むしろ、成績欄の下を読んで。担任の先生の所感が書いてあるでしょ」



『前々からご注意していたと思いますが、明日香さんの素行はますます酷くなっています。
授業をさぼって登校しない日が多いし、提出物はほぼ全て未提出であり、たまに登校して
も宿題もしていません。服装や持ち物も校則違反が目立ちます。ご家庭でもう一度よく明
日香さんと話し合っていただければと思います。このままだと進学できる高校もないで
す』



「これって・・・・・・。明日香は相変わらずなのね」

 私には何の論評もする資格はない。正直、明日香の態度や服装や奈緒人君への態度には
気がついていた。ただ、私は仕事以外のことに煩わされることを嫌って、玲子に言われる
まま最低限の注意をしていただけだった。やはり、そんな言葉くらいで明日香の態度は改
善しなかったらしい。

「まあ、これはあたしが取材から帰ったら明日香と話すから、姉さんは気にしなくてもい
いんだけど」

「あんたにだけそんな負荷はかけられないよ。ごめんね、玲子」

「いいよ。つうか、姉さんが明日香に注意してももう何も意味はないと思う」

 玲子はそう言った。私は今さらながら、その言葉にショックを受けたのだ。



503:以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします:2015/08/10(月) 00:06:33.78 ID:KUo2Nwv2o

「今日姉さんを呼び出したのはこのことじゃないんだ。姉さんには言っておかないとって
思って」

「何よ」

「奈緒人君と奈緒ちゃんが再会して、頻繁に会っているって知ってた?」

「え」

「やっぱり知らなかったのね。まあ、無理はないよ。あたしだって大晦日に初めて知った
んだし、多分博人さんだって知らないでしょうね」

「・・・・・・あんた。それ、本当なの」

「本当だよ」

 玲子はそう言って、私の目を見つめた。



 あの夜はまだ仕事が片付いていなくて、最後の打ち合わせをするために社の近くのファ
ミレスに行ったの。記事の企画制作を委託しているプロダクションの編集者と二人でさ。

 玲子は淡々と語り始めた。



 ファミレスでいい雰囲気の若いカプッルだなと思って眺めたらら、それは明日香と奈緒
人だったの。

「あんたたち、こんなとこで何してるのよ。兄妹でデートでもしてたの?」

「叔母さんこそデート?」

「・・・・・・こんな時間に外出とか結城さんや姉さんは知っているんでしょうね」

 あたしは微笑んでそう言った。

「だってパパもママも全然連絡してこないんだもん」

 明日香が口を尖らせた。

「何? 大晦日も二人きりだったの? あんたたち」

「そうだよ」

 仕事の相い方を追い返したあたしに明日香が声をかけた。

「叔母さん仕事いいの?」

「よくないけど・・・・・・。それよか姉さんたちは二人とも本当にこの間からずっと帰って来
ないの?」

「うん。年末には帰るって言ってたけど連絡もないよ」
 明日香が言った。「それよかさ。まだ注文してないんだけど。叔母さんも何か食べるで
しょ」

「明日香さあ。親が二人揃って大晦日に連絡もないっていうのに寂しがり屋のあんたが何
でそんなに平気なんだよ」

「だって今年は一人じゃなくてお兄ちゃんもいるし」

「・・・・・・なるほどね。そういうことか」

「じゃあ何か食べるか。そういえばあたしも昼から何にも食べてないや」

「叔母さんご馳走してくれるの」

「相変わらず人の奢りだとあんたは容赦ないな」

 注文を終えた明日香に対して仕事用の眼鏡を外したあたしは笑った。今日はもう仕事は
終わりだ。姉さんと博人さんが面倒を看ないならあたしがこの二人の面倒を看ないといけ
ない。



504:以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします:2015/08/10(月) 00:07:04.87 ID:KUo2Nwv2o

「そういや年越し蕎麦とか食べたの?」

「うん。お兄ちゃんがコンビニのざる蕎麦も結構美味しいって言うから」

「どうだった?」

「お兄ちゃんに騙された」

「いや、あれはあれで美味いだろうが。それに別に手打ち蕎麦なみに美味しいなんて言っ
てないし」

「だったら最初からそういう風に言ってよ。期待して損しちゃった」

「おまえに嘘は言ってないだろ」

「あんたたち、最近仲いいじゃん。まるで昔からの恋人同士みたいよ」

「ちょっとトイレ。お兄ちゃんデザート持ってくるように頼んでおいて」

「うん」

 明日香と奈緒人の関係についてはその両親の望みもわかっていたし、あたしも応援して
いたこともあり、仕事は半ば放置したにも関わらずあたしは幸せな気分だった。大好きな
明日香と奈緒人が結ばれるのならそれにこしたことはないのだ。

「何でニヤニヤ笑ってるんの」

「奈緒人。あんたさあ、あの短い時間の間に急速に明日香と仲良しになったみたいんじゃ
ん」

「ああ、まあ昔よりは仲良くなったかもね」

「何を冷静に言ってるんだか」

 あたしは精一杯の虚勢を張っているらし奈緒人のことがおかしかった。

「しかしわからんものだよねえ。仕事の打ち合わせでたまたま入ったファミレスにさ、妙
にいい雰囲気の若いカップルがいるなってあって思ったら、あんたたちだったとは。まあ
でもよかったよ。あんたたちが仲が悪いとあたしも居心地が良くないし」

「ごめん」

「まあ、別にいいさ。しかしさあ、仲直りするのを通り越してまるで恋人同士みたいにイ
チャイチャしだしてるのはちょっと急ぎ過ぎじゃない? 血が繋がっていないとはいえ一
応兄妹なんだしさ」

「そんなんじゃないって」

「おう。奈緒人が珍しく照れてる」

 心外そうに笑った奈緒人の表情が少しだけ気になったけど、あたしの幸福感とか達成感
はそれ以上にあたしを満たしていた。

「心配するな。あんたたちの両親はあたしが責任を持って説得してやる。だから明日香を泣かせるんじゃないぞ」

「確かに僕と明日香は仲直りしたといってもいいけど、叔母さんが想像しているような変
な関係じゃないよ」

「変な関係なんて言ってないじゃん。でもほんと?」

「本当だよ。それに、僕も最近は彼女ができたし」

「彼女って・・・・・・明日香じゃないの?」

「だから違うって。 鈴木奈緒って子で」



505:以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします:2015/08/10(月) 00:10:50.63 ID:KUo2Nwv2o

 つまり、奈緒人君は奈緒ちゃんと再会し、男女の仲として付き合い出していたというこ
らしい。

「玲子・・・・・・あんた」

 玲子を責めても仕方ない。それに。

 玲子は奈緒人君と奈緒ちゃんが血が繋がっていないことすら知らないで行動したのだか
ら。

「姉さんごめん。でも、まさか奈緒人が奈緒ちゃんのことを忘れているなんて思わなかっ
たの」

「今さら過去を蒸し返して、奈緒人君にトラウマを思い出させるようなことをあんたは言
ったの」

 そうじゃないでしょ。玲子を責めてどうする。

「それは本当に悪いと思っているよ。あのときはあたしもうろたえていたし。でもさ、奈
緒人って奈緒ちゃんのこと忘れちゃったなんて思っていなかったし。それに、お互いに記
憶がないのに、何であの二人は再会して付き合い出したりしたんだろう?」

「それは」

 私は言葉が続かなかった。奈緒人と奈緒ちゃんが何で偶然に再会してすぐにお互いに惹
かれあったのか。

 いつぞやの麻季の電話での言葉が思い浮んだ。

『怜菜は自分の果たせなかった夢を娘に託したんですよ。自分と博人君は結ばれなかった。
せめて、奈緒人と奈緒を付き合せたかったんでしょうね。自分の子どものことを、そして
あたしの大切な奈緒人のことを何だと思ってるんでしょう。まるっきり道具扱いじゃない
ですか』

 結局、麻季の被害妄想気味の予想が正しかったのだろうか。

「ねえ」

「何?」

「姉さんは心配しなくていいよ。あたしが奈緒人君とちゃんと話すから」

「・・・・・・ちゃんとって」

「あの子たちにはかわいそうだけど、実の兄妹じゃ結婚できないって話す」

 結局、何かのアクシデントが起きるたびに物事は曖昧にして済ませようとした考えを侵
食して破壊していく。もう、玲子に事実を告げるときが来たのかもしれない。

「玲子は知らないでしょうけど。あの二人は、奈緒人と奈緒ちゃんはね」

 私は玲子の目を見つめながら話し出した。



508:以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします:2015/08/16(日) 23:19:13.81 ID:qPWXQ9dbo

 奈緒人君と奈緒ちゃんが実は血の繋がった兄妹ではないと聞いたとき、最初玲子は呆然
としていたけど、しばらくすると何かに気がついたような明るい表情を見せた。

「驚いた。詳しいことも知りたいけど。で、でもさ。それが本当なら奈緒人君は救われる
じゃない。すぐにでも彼に電話して、奈緒ちゃんと付き合ってもいいんだよって教えてあ
げないと」

「だめ」

「明日香にも言っておかないとね・・・・・・って。え? 何で」

「言わなくてもわかるでしょ」

「わかんないから聞いているんでしょ! 奈緒人は気を失って倒れるくらい衝撃を受けた
のよ。初めて好きになって付き合い出した女の子が実の妹だって勘違いして。少しでも早
く誤解を解いてあげなきゃ。それくらいのことは、子どもに興味のない姉さんにだってわ
かるでしょ」

 そうじゃないのよ。憤っている怜子を前にして私は考えた。結局正しかったのは誰だっ
たのか。

 奈緒人君と奈緒ちゃんに博人君と怜菜を重ねること自体どうかという考えは、麻季の話
に半ば洗脳されていた私だって考えていたことだった。それでも現実にこういう事態が生
..じた以上、自分の娘に奈緒と名付けた怜菜の非常識な意図は、あるいは麻季の被害妄想と
して切り捨てていいことではなかったのかもしれない。

 それでも、たとえそんなことを生前の怜菜が企んでいたとしても、それが彼女の意図ど
おりに実現するわけはないと私は考えていた。人生には不確実性が多すぎるし、奈緒ちゃ
んのの人生における選択肢は無限にある。たとえ怜菜が意図したとしても亡くなった怜菜
がその先の二人の人生をコントロールできるはずはどう考えてもないのだから。

 ただ、それならばこの結果はどうなのだろう。玲子の話によれば、奈緒人君は奈緒ちゃ
んとある朝偶然に出会い、そして二人は恋に落ちたのだと言う。こんな偶然があるものか。
恋に落ちるなら、奈緒人君と明日香の方だろう。二人はお互いに血が繋がっていないのだ
し(そのことは昨年、私と博人君から二人に伝えてあった)、いつも家で二人きりなはず
だったのだし。

 怜菜の執念か。それとも運命というものが本当にあるのか。



509:以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします:2015/08/16(日) 23:20:22.27 ID:qPWXQ9dbo

 いや。残されたその子どもが成長した後、死者の意図に従って行動するなんてことはあ
りえない。その人間が生きていて常に身近にいる子どもを洗脳しているのなら別だろうけ
ど、麻季にはそんな意図はないはずだ。むしろ彼女は怜菜の意図に反するように行動して
きたのだ。奈緒人君と奈緒ちゃんを恋愛関係にさせないため、怜菜の意図を阻止するため
に、大好きな博人君と離婚することにより奈緒人君と奈緒ちゃんを引きはがすようなこと
までするくらいに。

 やはり考えられないほどの偶然なのか。それとも運命なのか。考えあぐねたあたしは、
怜子に聞いた。

「奈緒人君と奈緒ちゃんの出会いって偶然なの? 何か聞いてない」

 怜子は少しだけためらったようだった。

「もうここまできたら、知っていることは全部話して」

「うん」

 少しだけ間をおいて怜子は何かを決めたかのようにうなづいた。

「明日香はね。奈緒ちゃんのことを疑っていたよ。彼女は事情を知っていてわざと奈緒人
君に接近したんじゃないかって」

 私はその言葉に意表をつかれた。怜菜の意図とか運命とか、そういう非現実的な発想ば
かり考えていた私は、奈緒ちゃんが自分の母である怜菜の意向とは別に、自ら悪意を持っ
て奈緒人君に接近した可能性なんか考えてもいなかったのだ。

「それって」

 私の声が震えた。

「明日香はね。奈緒人君を救おうとしていたの。奈緒ちゃんが自分の兄だと知っていて奈
緒人君に接近し、彼を誘惑して。それで、その上で奈緒人君をこっぴどく振るとか、ある
いは自分たちは実の兄妹だと暴露することによって、奈緒人君を苦しめようとしたんじゃ
ないかって、明日香はそう疑っていた。だから、あの子はあれだけ嫌っていた奈緒人君に
近づいた。明日香の想像が真実かどうかはわからないけど、それでも結果的に奈緒人君が
救われたのは明日香のおかげなのよ」

「・・・・・・明日香は奈緒人君のことが本当に好きなの? それとも奈緒ちゃんから救おうと
していただけなの」

「本当のところはあたしにはわからない。でも、多分彼女は奈緒人君のことが好きなんだ
と思う」

 ・・・・・・私はこのとき、明日香のことを自分の娘のことを誇りに思った。うっすらと目に
涙まで浮んでくるほど。真実は相変わらず霧の中だけど、実際に奈緒ちゃんの悪意を疑っ
た明日香の行動のせいで奈緒人君が救われたこともまた事実なのだ。

「だったら、やっぱり奈緒人君と奈緒ちゃんが実の兄妹でないことはまだ奈緒人君には話
すべきじゃないね」

「でも。奈緒人君は苦しんでいるし」

「明日香が考えているとおり、奈緒ちゃんに悪意がある可能性があるのなら、今はこのま
ま黙っているべきだよ」

「別に確信があるわけじゃないのよ」

「あんたは奈緒人君と明日香が付き合うことに反対なの?」

「そんなわけないじゃん。そうなったらどんなにいいかって思ってる。でも、奈緒人君や
奈緒ちゃんがお互いに好意を抱いているなら、少なくとも二人には血が繋がっていないこ
とは話してあげないとフェアじゃないと思う」

「二人の気持ちは私が確認する。だからあんたは黙ってて」

「確認って・・・・・・どうやって?」

 麻季に連絡を取るのだ。もうそれしか方法はない。



510:以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします:2015/08/16(日) 23:20:49.99 ID:qPWXQ9dbo

 かつて奈緒人君と奈緒ちゃんは独力で障害を乗り越えて再会したことがあった。あれは
まだ二人が小学生だった頃だ。奈緒人君は私と博人君に黙って、毎週土曜日に佐々木先生
のピアノ教室に通う際に密かに会っていたのだ。

 あのときの私は、二人を引き裂いた。つまり、離婚騒動時の麻季と同じ仕打ちを二人に
対してしたのだ。あのとき、私は何でそんな行動に出たのだろう。今ではよく思い出せな
いけど、土曜日に突然何も言わずに外出する奈緒人君の後を付けた際に生じた出来事だっ
た。あの頃は、私は奈緒人君と奈緒ちゃんの再会を恐れてはいなかった。死者の意図が生
者の行動をコントロールするなんて思ってもいなかったからだ。ただ、私に黙って奈緒ち
ゃんと幼いデートを繰り返していた奈緒人君に、あのときの私は、旦那と麻季を重ね合わ
せたのだ。言いかえれば奈緒ちゃんに嫉妬したといってもいい。

 今の状況はあのときより更にひどい。怜菜の遺志は奈緒ちゃんの行動をコントロールし
ているのだろうか。奈緒ちゃんは亡き怜菜の遺志に従って、奈緒人君に迫っているのだろ
うか。でも、それならば明日香の考えたように奈緒ちゃんには悪意があるはずはい。それ
が怜菜の遺志であれば、怜菜には奈緒人君を苦しめようとする意図はないのだろうから。

 いくら考えても思考はループしている。もうこうなったら出来ることは一つしかない。

 二人の親として保護者としては最悪の選択だったかもしれないけど、私はこのとき麻季
の考えを聞こうと思った。もう、麻季に頼るしかないと考えたのだ。



 どうしてこの店を選んだのか自分でもわからない。麻季がどこに住んでいるのか不明な
ため、昔あった場所を指定するしかなかったのだけど、それにしてもこの喫茶店は博人君
にプロポーズされた特別な場所だ。そんな聖地で私は麻季を待ったのだ。

 扉に取り付けられた小さな鈴がチリリンと鳴った。

 顔を上げると麻季が喫茶店の扉を開いて店内に入ってきた。そのときの店内は打ち合わ
せをするビジネス客や近隣の大学の学生で溢れていたのだけど、その男性客たちは一斉に
麻季を眺めた。

 麻季ももう世間では中年女と言われる年齢になっていたのだけど、周囲の男性客は若い
女を見る目で麻季を見つめていた。麻季より二十歳くらい年下のはずの若者まで、まるで
飢えた獣が獲物を見るような目で麻季の肢体を凝視している。店内の男性全員が麻季を見
つめているようだった。

「麻季」

「・・・・・・先輩」

 店内の男性陣の視線を一手に集めている麻季は、そのことには全く動じずに私の向かい
に座った。注文を取りに来たウェイターも不自然なほどに麻季を見つめながら注文をとっ
た。

「お久し振りですね。まさか、先輩から呼び出されるとは思わなかったです」

 注文を済ませた麻季が周囲の男性の熱い視線のことは無視してそう言った。



511:以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします:2015/08/16(日) 23:21:21.47 ID:qPWXQ9dbo

「それで、いったい何のご用ですか」

「奈緒人君と奈緒ちゃんが接触した」

「・・・・・・本当ですか」

 あたしに呼び出されたこととか、若者や中年男性にいやらしい視線で見つめられたくら
いでは動じなかった麻季は、ここで初めて狼狽を見せた。

「本当。奈緒ちゃんと奈緒人は偶然かどうかはわからないけど、二人は出合って一時期は
付き合っていたみたい」

「嘘でしょ」

「私だって嘘だと思いたいよ。でも、本当」

「一時期はって、どういうことです?」

「怜子って覚えている? 私の妹」

「そんなこと知ってますよ。というか博人君のことなら今でも全部覚えてます」

「あんたの旦那さんって、今では、というか前からずっと鈴木先輩なんでしょ」

「そうですけど」

「うちの旦那のことを全部覚えているとか言うなよ。自分の旦那のことならまだしも」

「だってしかたないでしょ。あたしが一番好きなのは今でも博人君だもん」

「いい加減にしなよ。あんたのことなんか、うちの旦那はとっくに忘れているのよ。あん
ただけだよ。今だに粘着しているのは」

「じゃあ、何でそんなあたしを、先輩は今になって呼び出したんですかね」

「・・・・・・何でって。だから、奈緒人君と奈緒ちゃんが」

「二人が出合って恋に落ちた。そのことが先輩は気に入らないんですか」

「それは」

「奈緒人と明日香ちゃんが結ばれればいいって思ってたんでしょ」

「まあ、そうなれば嬉しいって」

「奈緒人の母として言いますけど、あたしも奈緒人には明日香ちゃんと結ばれて欲しい」

「あんたさあ。奈緒ちゃんのこと、嫌いなの?」

 このとき麻季は微笑んだ。喫茶店の片隅の席で静かに微笑む麻季はすごく綺麗だった。

「大好きですよ。可愛いあたしの娘ですもの。もう、あたしには奈緒しかいないの」



514:以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします:2015/08/24(月) 23:26:58.37 ID:OIRKMLqxo

「話が逸れましたけど、一時期はっていうのはどういうことですか、先輩」

「怜子は奈緒人君と奈緒ちゃんが、本当は実の兄妹じゃないって知らなかったからね。奈
緒人君に奈緒ちゃんは実の妹なのにって言っちゃったの」

「そうですか。奈緒人も奈緒もかわいそうに。絶対にこうなるってわかっていたから、あ
たしは二人を引きはがしたのに」

「君が考えていたことはそうじゃないでしょ。二ろが付き合うことを、博人君を怜菜に奪
われたように考えてしまったからでしょ。奇麗事言わないでよ」

「別にそれは否定しません。でも、あたしの感情の話とは別に、奈緒人と奈緒が付き合っ
たら二人が不幸になるの事実ですよ。」

「私には理解できない。奈緒人君と奈緒ちゃんは確かに今は不幸だし苦しんでいると思う
けど、それは二人が自分たちが実の兄妹だと思い込んでいるからでしょ。その後書いを解
いてあげれば」

 自分から怜子に口止めをしたくせに、私はそう言って麻季を責めた。

 そのとき、今まで冷静だった麻季の言葉が乱れた。今まで冷静に話していた麻季の感情
が突然乱れたのだった。

「どうしたの」

「まさか」

「まさかって・・・・・・怜子に口止めしておいたし、二人は自分たちが血のつながっていない
赤の他人で、付き合おうと思えば付き合える関係だなんて思ってもいないと思うよ」

 麻季は私の話なんか聞いてもいないようだった。

「この日のためだけにですよ。正直、考えすぎかなって不安に思ったことだってありまし
た。こんな無駄な不安や死んだ人への嫉妬のために自分の幸せや子どもたちの幸せを潰し
ちゃったのかもかなんて、毎日不安に思ってました」

「あんた、何を言ってるの」

 そうは言ったけど、半ばは彼女の言っていることは理解できていた。彼女は自分の中の
声に従ったことを、これまで疑ったり後悔したりしながら生きてきたのだ。せめてもの罪
滅ぼしに、引き取った怜菜の遺児である奈緒ちゃんに誠心誠意尽くしながら。その彼女が
唯一認めなかったのが、奈緒ちゃんと奈緒人君との接触だろう。それは麻季の人生におけ
る唯一の目的、大好きな博人君を傷つけた彼女が守るべき最後のアイデンティティだった
のだろうから。

「まさか。犯人は有希ちゃんか。それともまさか太田先生かな」

「誰?」

「有希ちゃんは怜菜の姪です。太田先生は、あたしが離婚調停を委任した弁護士で、有希
ちゃんの父親ですよ」



515:以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします:2015/08/24(月) 23:28:21.86 ID:OIRKMLqxo

「姪って」

「太田先生は、怜菜のお兄さんです。唯ちゃんのブラコンよりひどいシスコンではありま
すけど」

 その弁護士の名前には聞き覚えがあった。麻季との離婚調停にあたって博人君が依頼し
た弁護士の交渉相手だったはずだ。というか、奈緒ちゃんの従姉妹って。

 私は新しい情報に混乱しつつ、麻季の次の言葉を待った。もう、反論するとかそういう
気にすらならない。とにかく自分が知らなかった情報を麻季から得よう。私はそう思った。

「奈緒・・・・・・可愛そうな子」

「どういう意味なのよ」

「怜菜の怨念に縛られるなんてことは、二人を引きはがしちゃえばあり得ないとあたしは
思っていました。一緒に育っちゃえばともかく」

 それはそうかもしれない。そう思ったからこそ、私は今でも奈緒ちゃんが怜菜の遺志に
従っているとは思えなかったのだ。死者には口がない。言葉を発することもできないのだ
から、まだ幼い自分に母親である怜菜を亡くした奈緒ちゃんが、怜菜の遺志を継げるわけ
がない。

「じゃあ、奈緒人君と奈緒ちゃんの再会って、二人が付き合い出したのって本当に偶然な
の」

「そんなことがあるわけないじゃないですか」

 吐き捨てるように麻季はそう言った。

「そんな考えられないような偶然、というか奇蹟なんてあるわけないでしょ」

「じゃあ。やっぱり奈緒ちゃんは悪意を持って奈緒人君に・・・・・・」

 麻季は目をつぶった。多分、心の声を聞いていたのだと思う。しばらくして、彼女は目
を開いて私を見た。

「油断していました。あたしが馬鹿でした」

「どういうこと」

「犯人は有希ちゃんですよ」

「奈緒ちゃんの従姉妹だという子?」

「前から有希ちゃんのことは警戒していたつもりだったんですけど。こんなに早く手際よ
くされるとは思ってもいませんでした」

「もうちょっとわかるように説明してよ」

「亡くなった怜菜の遺志を奈緒が継げるわけなんてないでしょ。そのためにわざわざ奈緒
と奈緒人を引きはがしたのだから」

「じゃあ何で二人は」

「有希ちゃんに唆されたんですよ。二人が本当に出合ったのなら、それ以外は考えられま
せん」

 険しい表情で麻季はそう言った。



516:以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします:2015/08/24(月) 23:31:40.57 ID:OIRKMLqxo

 麻季の表情は深刻だった。麻季のことを嫌悪しながらも彼女なら全てをコントロールで
きているだろうという期待が実は私の中にあったのかもしれない。だから、私は麻季に会
おうと考えたのだろうか。

 その麻季が本気で狼狽し混乱している様子を見て、私は今まで以上にこの事態を憂う気
持ちになった。

「有希さんがいったい奈緒ちゃんに何を唆したって考えてるの」

「唆したっていうほど大袈裟なことじゃないんです。彼女にとっては簡単なことだったん
です。何でもう少し真面目にこのことを考えなかったんだろう」

「何を言っているのかわからないよ」

「有希ちゃんは全部知ってましたから。父親の太田先生から、もっと言えばあたしからも
事情を聞いていたし」

 事情ってどういうことだ。有希ちゃんは、奈緒ちゃんを引き取って博人君と離婚した麻
季の意図を、そして自分にとって叔母にあたるはずの怜菜の意図を知っていたというのか。

「先輩の考えているとおりだと思います。有希ちゃんが奈緒に全部話したんでしょうね。
そうでなければ、奈緒が奈緒人に会いに行ったりするわけがないし」

「博人君と奈緒ちゃんは定期的に面会していたでしょ。その情報を元に奈緒ちゃんが奈緒
人君に会いに行ったのかも知れないじゃない」

「そうじゃないでしょ」

「何でそう言いきれるのよ」

「だって付き合ってたんでしょ? 奈緒が単純に兄に会いたいだけだったら告白とか付き
合いとかするわけないじゃないですか」

「今話したとおり、二人は兄妹だと知らないで再会したのよ。それで二人は恋に落ちた。
でも、実は二人は兄妹だった。そう話したでしょ? 私の悩みはね。二人は本当は血が繋
がってないってあの子たちに言っていのかどうかだよ」

「そんな偶然、先輩は本当に信じているんですか」

「わからない。奈緒人はそれですごく苦しんだのに。それが奈緒ちゃんの目的だったって
言うの?」

「違うと思います。でも、あたしの計画は有希ちゃんと太田先生のせいでだいぶ狂ってし
まいました。何よりも、今、奈緒はすごく苦しんでいると思います。とにかくそれを何と
かしないと」



517:以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします:2015/08/24(月) 23:34:46.32 ID:OIRKMLqxo

「苦しむって。奈緒人と付き合えないから?」

 麻季は俯いた。

「こういうことだけは絶対に避けたかったのに。奈緒が苦しんでいるのは自分の存在意義
を見失ったからでしょう、奈緒人のことじゃなく。自分が何のために生まれ、何で仲のい
い兄と引き離され、そして何より今では自分の母親である怜菜に何を期待されていたのか。
そういうことで悩んでいると思いますよ」

「どういう意味よ」

「奈緒人と奈緒が付き合うなんて許せませんけど。でも、もう今では奈緒の悩みは奈緒人
のことじゃないかもしれない」

「じゃあ何よ。いい加減にはっきり言ってよ。奈緒人君は今では私の可愛い息子なのよ」

「あたしにとってもそうですよ。でも、あたしと違って先輩は奈緒のことはどうでもいん
でしょ」

「そんなことは」

「奈緒は私の大切な娘です。たとえ血が繋がっていなくても」

「・・・・・・」

「でもね。仮に有希ちゃんが奈緒に、真実を話していたとしたら。奈緒の悩みは、実の兄
を好きになったとかそれくらいのことじゃすまなくなってしまうでしょ」

「あんた。さっきから何を言って」

「奈緒はあたしのことを恨んでいるでしょうね。全然気がつかなかった。かわいそうな奈
緒」

「わからないなあ。奈緒ちゃんは奈緒人君のことを苦しめようとしたんじゃないのね」

「多分、違いますね」

「奈緒ちゃんが従姉妹から情報を得ていたとしたら、彼女は奈緒人君に何をしたかった
の? 引きはがされた兄妹の再会? それとも奈緒人君のことが好きだから?」

「奈緒が奈緒人に会いに行ったのは、真実を知りたかったのだと思います。そういう風に
有希ちゃんに唆されたんでしょうね」

「情報って」

「自分が奈緒人の名前にちなんで名付けされたとか、自分が奈緒人と結ばれることだけを
母親に望まれていたとか、そんなことを奈緒が知ったら」

 麻季が一筋の綺麗な涙を流しながらそう言った。

 このときようやく私も奈緒ちゃんに何がおこったの考え出した。

 そうだ。奈緒ちゃんが全てを従姉妹の有希ちゃんとやらに知らされていたとしたら。奈
緒ちゃんの行動の理由が、自分の出自を、自分が奈緒と名付けられた理由を知りたいとい
う一心から行われていたとしたら。



518:以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします:2015/08/24(月) 23:37:58.51 ID:OIRKMLqxo

 玲子の話によれば、奈緒ちゃんが奈緒人君と出会ったときは、互いに面識もなく予備知
識もない初対面の様子だったという。つまり、彼女は自分が奈緒人君と世間的には兄妹と
なっていることを伝えずに奈緒人君の傘に入れてもらったのだ。

 次に彼女が奈緒人君を待っていたとき、二人は名前を名乗りあった。奈緒人と奈緒。も
っと言えば、奈緒人君の苗字である結城姓もこの日奈緒ちゃんは知ったことになる。それ
でも彼女は何の反応も見せなかった。

 最初から、奈緒ちゃんは自分たちが兄妹ではないということを知っていたとしても、そ
れは奈緒ちゃんが奈緒人君のことを初対面の一目ぼれした相手として認識していたことと
同義ではない。麻季の話が正しいとしたら、奈緒ちゃんの行動には二重の嘘があったのだ。

 奈緒ちゃんは、最初から奈緒人君が自分の実の兄ではないと知っていた。有希ちゃんと
やらに聞かされて。それを承知の上で彼女は奈緒人に接近したのだ。

 でも、その理由は。

 つらい別れ方をした奈緒人君のことを求めていたのだと、私は思っていた。明日香が疑
っていたように奈緒ちゃんには悪意はないのだと。確かに悪意はなかったかもしれない。
でも、麻季の話のとおりだとすると、奈緒ちゃんは自分の出自を知っていたことになる。
自分が奈緒人君の実の妹ではないことを。それを承知した上で奈緒人君に近づいた彼女は、
いったい何を目的としていたのだろうか。奈緒人君を彼氏として、昔のとおり一緒に暮そ
うと考えたのか。それとも、自分がなぜ奈緒と名付けられたのか、自分の母親はなぜ死ん
だのかを調べようとしたのか。

「奈緒ちゃんが自分のことを知っていたっていうのは、確かなの? 単なる想像じゃない
の」

「間違いないと思います。太田家の親子は最初から全部知っていましたし、有希ちゃん
はああいう性格ですし。彼女は奈緒のことが大好きでしたから、可愛さあまって憎さ百倍
ってところでしょうね」

 その時、私は一つの事実に思い当たった。

「ということはさ。奈緒ちゃんって、実は麻季のことを・・・・・・」

「ええ。奈緒は私が奈緒の実の母親ではないってこと、自分が怜菜の娘だってことを知っ
ていたんだと思います」

 麻季が言った。

「奈緒、あたしの奈緒。かわいそうに」



520:以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします:2015/09/01(火) 23:11:38.66 ID:+laPZubGo

僕はその日の朝、普段より早く起き過ぎってしまった。

  母さんを起こしたくない。特に母さんからああいう話を聞いた翌日の朝は。僕は反射的
にそう思って、爪先立って僕と妹の部屋が並んでいる二階の部屋の間を通って階下に降り
た。この時の僕はとにかく熱いコーヒーが飲みたかった。それで今日の日を迎えてしまっ
たストレスが紛れるわけでもないのに。

「おはようお兄ちゃん」

  キッチンで朝食の支度をしていたらしい明日香がこちらを振り返って僕にあいさつした。

「おはよう明日香」

「まだ朝ごはんできないよ」

「そう」

 僕はリビングのソファに座ってテレビをつけた。今日はいい天気だ。テレビの中の人も
今日一日の晴天を保証している。まだまだ気温は低いけど、春の気配はもう少しです。彼
女は画面の向こうからそう言った。

「今日は晴れて暖かいって」

「同じ天気天気予報を聞いてたんだもん。あたしにだってわかるよ」

 明日香が焼き上げた目玉焼きを皿に移しながら笑った。

「いや。テレビなんか聞いてないかと思ったから」

「聞いてるよ。目玉焼きを作るくらい、テレビを聞きながらだってできるもん」

「まあ、そういうことにしておいてあげるよ」

「・・・・・・なによ。嘘じゃないし」

「確かに最近の明日香は料理に慣れてきたよね」

「上から目線うざい」

「まあ、前から怜子叔母さんよりは全然ましだったけど」

「お兄ちゃん。あたしの話ちゃんと聞いてる?」

「聞いてる聞いてる」

「また、そんなに適当な返事をする。お兄ちゃんのこと嫌いになっちゃうよ?」

「それは勘弁して」

「何で? そんなにあたしに嫌われたくない?」

「もちろんだよ」

「適当な返事しないでって言ったのに」

「適当じゃないって。本心だよ」



521:以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします:2015/09/01(火) 23:12:10.23 ID:+laPZubGo

「ならいい。朝ごはんできた」

 明日香が微笑んだ。

「うん」

 明日香が用意したトーストを噛む音と、ハムやベーコンさえ添えられていない焦げた、
いびつで黄身が流れ出した目玉焼きを食べる音。

「ねえ」

「うん」

「何回くらい料理すれば目玉焼きを上手に焼けるようになるのかな」

「さあ。でも、味は一緒でしょ」

「焦げたとこは苦いじゃん」

 それはそうだけど。でも、妹が朝食を用意してくれているこの幸せな朝と以前の家庭の
朝を比較すれば、多少苦いことくらいなんて何でもない。

「ねえ」

 明日香が流れ出した黄身を器用にすくってトーストに乗せながら言った。

「今度は何?」

「多分、今夜もママとパパは遅いと思う。つうか泊まりかも」

「うん」

「だからさ。あたしが夕食を作るけど、お兄ちゃん何が食べたい?」

「何でもいいよ。明日香が作ってくれるなら」

「何でもいいは禁止ね」

「本当に何でもいいのに」

「まあ、いいや。お兄ちゃんがそう言うなら気が楽だ。何か適当に用意しとくよ」

「うん」

「ご馳走様。じゃあ、学校行って来るよ」

 僕は食べ終わった食器をキッチンのシンクに運んだ。

「洗っておくからそのまま置いておいて」

「うん。じゃあ」

「うん・・・・・・行ってらっしゃい。今日は何時ごろ帰って来る?」

「ごめん。わからない」

「そうだよね・・・・・・お兄ちゃん?」

「え」

 明日香は僕の首に両腕を巻きつけて僕にキスした。多分、これが最後になると思ったの
かもしれない。そのせいか、明日香のキスは普段よりもだいぶ長かった。



522:以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします:2015/09/01(火) 23:12:41.33 ID:+laPZubGo

 春の気配はもう少しだ。

 長い坂道を駅の方に下りながら、僕はそう思った。

 待ち合わせはいつもの場所だ。だんだんと明日香と和やかな朝食を過ごしてりラックス
していた感情が尖りはじめた。道の周囲の小さな庭に植えられている梅の花が開花し、ほ
のかに甘い香りが漂っている。それでも僕は緊張していた。あんな話はわかっていた。母
さんに聞くまでもなく。有希の意図がどういうところにあるのかは不明だけど、彼女が奈
緒や明日香に、曝露したことは。

 僕と奈緒が実の兄妹ではないことは、奈緒にだけでなく明日香にも告げられていた。だ
から、僕たちに親切で心の底から僕と明日香を愛してくれている玲子叔母さんの気遣いも、
無用のものだった。同時に母さんの心配も意味のないものだったと言える。奈緒に真実を
告げた有希が、明日香と僕だけを情けによって見逃すことなんかあり得ない。明日香が僕
を避け、悩んだのだって彼女からの告げ口のせいなのだ。

 だけど、それはどういう理由からなのだろう。有希が奈緒に真実を告げることや明日香
に同じことをすることに、いったい何の動機があったのだろう。有希が明日香を嫌ってい
るのが事実なら、話はまだわかる。奈緒が実の妹ではないと知った僕が、奈緒に言い寄れ
ば明日香は僕に失恋することになるのだから。同じ理由で有希が奈緒に真実を話したとし
たら、その行為は奈緒のためを思ってなのかもしれない。実の兄だと知って自分の恋心を
封印しようとしている奈緒を応援しようとして。

 だけど、多分それは違う。母さんの話では、麻季さんが取り乱したのはそういう理由で
はない。彼女は、僕のことで一喜一憂する奈緒を心配したのではない。むしろ、もっと根
源的な悩みを奈緒が抱いたのではないかということを、麻季さんは恐れたのだ。

 自らの存在意義。生まれたときから、母親の願いをかなえるためだけに命名され、その
名前で生きてきた奈緒にとっては、僕のことなんかもはやどうでもいいと考えるほど、そ
の事実は衝撃的なものだっただろう。

 このあたりで僕はもう確信していた。奈緒は自ら告白したように、僕のことを男性とし
て求めてくれたのかもしれない。そうでなくても、少なくとも仲のいい兄としての僕を欲
していたのかもしれない。前者であれば、有希の告げ口は奈緒にとって救いになったはず
なのだ。僕と奈緒が実の兄妹ではないということがわかったのだから、僕らは初めてであ
ったあの雨の日の朝までさかのぼってやり直せたのかもしれないのだから。

 奈緒は賢い女の子だ。そんな程度の期待で思考が留まるわけではないじゃないか。僕は
そう思いなおした。やはり、麻季さんのいうとおり、そして多分有希の狙いどおり奈緒は
悩むことになったのだ。自分の本当の母親にとって自分が何の存在意義があったのか。自
分は何で奈緒と名付けられたのか。

 そう思うと、僕はいても立ってもいられなくなった。とにかく奈緒に会おう。そして、
出来る限り彼女の助けになろう。柔らかな朝の日差しを頬に感じながら、僕は駅前の高架
下まで来た。

 そこには先客がいた。

 僕はその女の子を眺めた。

 華奢な肢体。背中の途中くらいまで伸ばした黒髪。セーラー服に包まれた細い体つきの
女の子。

「おはよう。お兄ちゃん」

 落ちついた笑顔で奈緒は僕にあいさつした。



523:以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします:2015/09/01(火) 23:13:11.91 ID:+laPZubGo

「おはよ」

 僕は奈緒に微笑みかけた。本当にそれ以外にどうすればいいのかわからなかったから。

「今日は電車で待ち合わせじゃないんだね」

 僕は時間稼ぎであまり意味のない質問を奈緒にした。奈緒。辛い時間を共有した僕の大
切な妹。でも、奈緒は僕の妹じゃない。明日香が僕の実の妹ではない意味よりもさらに僕
の妹ではない、僕の大切な妹。

「うん。お兄ちゃんと再会したのって、この場所だったでしょ。最後くらいはもう一度あ
のときの感動を味わいたくて。でも、そう考えたとおりにはいかないね」

「うん。僕もそう思う」

「やっぱりお兄ちゃんもそうなんだ。あたしたちってさ。こんなに昔から強い縁で繋がっ
ているのに、何でうまくいかないのかな」

 僕は黙ってしまった。答えようと思えば答えられる質問だけど、今、その疑問に答えて
いいのかすらわからない。

「そろそろ学校に行こ」

 奈緒が微笑んだ。

 ただでさえ奈緒に何と話していいのかわからないのに、このうえ志村さんや渋沢が登場
したらどうしようとおもったのだけど、この日は明徳高校の最寄り駅に着くまで、僕たち
は車内で知り合いに邪魔されることはなかった。

「有希と有希のお父さんがいなくなったの」

 別に悩んでいる風でもなく、奈緒がそう言った。

「いなくなったって?」

「逮捕とか補導とかそういうことみたい。ママがそう言ってた」

「どういうこと?」

「さあ。あたしも詳しくは知らないの」

 女帝とかそっち絡みの原因なのかもしれない。それでも父親の太田さんまで逮捕される
とはどういうことだろう。一瞬、悩んだけど今の僕にとってはそれはどうでもいい。奈緒
の心の中を知りたいだけなのだ。奈緒がどうしたいかによって、僕と明日香のこの先にも
影響する。明日香にとっては理不尽な結論だったと思うけど、結局今朝の明日香はそれを
許容した。

「あたしね。留学するの」

 突然、奈緒がたいした話でもないような気軽な口調でそう言った。



530:以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします:2015/09/25(金) 00:03:15.59 ID:h+tEfc0Go

「お兄ちゃん?」

「いや・・・・・・留学って。夏休みに何週間とか?」

「そうじゃないの。大学を卒業するまでずっと。ひょっとしたらその先もずっと暮らすか
もしれない。パパがいる国だし」

「どこ」

「ドイツだよ。パパが演奏しているオケの本拠地なの」

「ドイツのどこ」

「デュッセルドルフってところ」

「・・・・・・いつから?」

「五月に引越しするんだって。それで六月からむこうの高校に通いながら、ピアノ教室に
行くの」

「音楽の高校とかじゃないんだ」

「うん。だからちょっと不安。普通の高校とかってドイツ語も出来ないのに大丈夫なのか
な」

「さあ。でも奈緒なら何とかなるでしょ」

「また、適当なことを言って」

 奈緒が微笑んだ。

「適当じゃないよ。本当にそう思ってるよ」

「気持ちは嬉しいけど、お兄ちゃんはちょっとあたしのことを買いかぶりかも」

「そうかな」

 ・・・・・・こんなことじゃない。こんな話を奈緒としたいんじゃないのに。それでも、今の
僕には奈緒が何を考えているのかわからなかったから、自分が話したいことを奈緒にぶつ
けていいのかさえわからない。

「留学って、どのくらいの期間?」

「まだ、わかんない。こういうのって人によるから」

「どういうこと?」

「向こうで人気が出て、永住しちゃう人もいるし、日本に帰って来る人もいるしね。行っ
てみなければわからないよ」



531:以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします:2015/09/25(金) 00:03:55.40 ID:h+tEfc0Go

 こんな話を続けていても意味がない。僕はそう思った。きちんと自分の思っていること
を奈緒に言うべきだ。僕には奈緒に対して引け目がある。どんなに奈緒が僕のことを好き
だとしても、今では奈緒が僕のことを実の兄じゃないと認識していたとしても、僕は奈緒
の気持ちには応えられない。今の僕には、僕を救ってくれた明日香がいるのだから。

 だけど。本当に僕と明日香のことなんか、今の奈緒にとって重要なことなのか。

 怜子叔母さんや母さんの話を聞くに、奈緒にとって今重要なのは僕の心の中なんかじゃ
ないんだろう。僕は、そこと自体には少しだけ寂しさを感じたのだけれども、彼女たちの
話を信じるならば、奈緒がその胸に感じた衝撃は僕が感じたどころではない。奈緒は、自
分の存在意義そのものを疑っているかもしれないのだ。

「いったい何で?」

 僕はこのときその答を知っていると確信していた。母さんや理恵さんからから聞いてい
た話は、今も僕の心に浸透し、染み渡り、僕の心を染めていたのだから。

 奈緒は悩んでいるのだ。自分が生まれてきた意味に。自分が本当の母親である怜菜さん
に期待されていた役割に。自分が本当の母親だと信じてきた今の母親に、自分の幸せを消
し去られた理由はいったい何かということに。

 僕はそのとき、奈緒の悩みを全て理解していたつもりだった。でも、奈緒が話し出した
言葉は、僕の理解やほんの少しの期待を裏切った。

「お兄ちゃんは、やっぱりママのことが嫌い? 許せない?」

 それが今の僕の母さんのことではなく、麻季さんのことを話していることはすぐに理解
できた。理解は出来たけど、正直好きとか嫌いとか判断するほど彼女の記憶は僕の心の中
にはない。他聞に属する範囲で判断するのならば、仲の良かった僕と奈緒をマンションに
放置し、ネグレクトした麻季さんのことなんか好きになれるたっ一つの要素すらない。

 有希の悪意が溢れた告げ口の前には、奈緒は自分の実の母親が亡くなった怜菜さんであ
ることを知らなかったはずだ。つまり、麻季さんが自分の実の母親でなかったこと、つま
り僕は自分の実の兄貴ではなかったことを、このときはもう悟ってたはずなのだ

「どうでもいいって感じかな。僕には父さんと今の母さん、それに妹がいてくれればもう
それでいい」

「妹って。あたしのこと?」

 胸が痛む。でも、ここに及んでもう嘘はつけない。

「いや。僕にはもう明日香がいてくれればいい。明日香は僕の彼女なんだ」



532:以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします:2015/09/25(金) 00:04:34.70 ID:h+tEfc0Go

 意外なことに奈緒はそれを聞いて微笑んだ。

「よかった」

 奈緒はそう言ったのだ。

「よかったって?」

 僕は面食らって聞いた。生意気なようだけど、僕は奈緒には好かれていると信じていた
から。それが実の兄妹の関係だと互いにわかったときですら。まして、今なら奈緒は僕の
ことを求めてくるはずだった。世間の噂なんて気にせずに、恋人同士になったとしても誰
に陰口を聞かれる心配はないのだ。僕と奈緒は。僕と奈緒は、血なんて一滴だって繋がっ
ていない、そういう間柄だったのだから

 僕は妹に言った。明日香のことはどう誤魔化そうかと考えながら。

「おまえさ」

「うん」

「怜菜さんのこと、聞いたんだろ」

「うん。聞いたよ」

「僕とおまえは・・・・・・その」

「うん。血の繋がっていない赤の他人なんだね」

「他人ってさあ」

「お兄ちゃんが明日香ちゃんのことが好きなら、あたしも少しだけ気が楽だし」

 やはりそうなのか。奈緒は僕のことが嫌いではないんだろうけど、今ではそれどころで
はないほどの悩みを抱えているのだろう。それは、自分の存在理由だ。

 怜菜さんが意図して行った行為。それを阻止しようとして麻季さんが行った行為。その
どちらも奈緒を傷つけ、悩ませたであろうことは僕にだってわかる。それを理解してしま
った奈緒が、僕のことや僕と明日香の関係のことに今さら関心を割く余裕なんかないこと
も理解できた。

「お兄ちゃん、ごめんね」

「うん、いいよ」

「今のあたしには、お兄ちゃんのことより大事なことがあるの」

「ああ。それはわかってる」

「ごめんね、お兄ちゃん」

「おまえが謝るなよ。むしろ悪いのは僕の方だ」

「・・・・・・うん」

「怜菜さんのこと、怜菜さんがおまえにしたことが、気になっているんだね」

 僕はようやくそう言った。



533:以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします:2015/09/25(金) 00:05:06.01 ID:h+tEfc0Go

 奈緒は少しだけ僕の言葉に戸惑ったようだった。

「え? っていうか、お兄ちゃん。何か勘違いしてるんじゃないの」

「勘違いって。してないよ。奈緒が悩むのも無理はないよ。実の母親が、怜菜さんが僕た
ちの父さんにああいう想いを抱いたうえ、君を捨てて」

「違うの。あたしは怜菜さんのことや、怜菜さんに何を期待されたかなんて気にしている
んじゃない。あたしが心配しているのはママのことだよ」

 そう奈緒は言った。「そして、この感情だけはお兄ちゃんと共有できるはずだよね。怜
菜さんはともかく、ママは、ママだけはお兄ちゃんの本当の母親でしょ」

「おまえ・・・・・・。自分が怜菜さんの娘だったことにショックを受けていないの?」

「有希にそれを聞かされたときはびっくりしたよ。ショックも受けた。あたしがママの本
当のこともじゃないってわかって。お兄ちゃんとも血が繋がってないってわかったんだも
ん。驚かないわけがないでしょ」

 それはそうだろう。奈緒の気持ちは当然だ。だけど、だけど何かが違う。聞かされたと
きの驚きや悩みは、きっと奈緒の言うとおり自分が麻季さんや父さんの実子ではなかった
こととか、僕が実の兄貴ではなかったこととかそういうことだったはずだ。では、今の奈
緒の悩みは何なのだ。そこで衝撃を受けた奈緒が次に悩むことは、自分の実の母親だとわ
かった怜菜さんの行動に対してに違いなかった。怜菜さんが父さんのことを好きだったこ
とはとにかく、自分の死を持って父さんの心の中に永遠に住もうとしたことや、何よりも
奈緒に対して僕の名前にちなんだ命名をし、自分と父さんが結ばれなかった代償行為とし
て、奈緒と僕の仲に期待しながら亡くなったことは、奈緒にとっては大きな心の負担にな
っているに違いなかった。

「あたしが今気にしていて、そしてもう今後の人生はそのためだけに捧げてもいいと思っ
ていることは一つだけだよ」

 僕のことか。一瞬僕はそう思い、そして今朝の明日香の平静を装った表情を思い浮かべ
た。

「あたしが心配しているのはママのことだけ」

 奈緒はそう言って今までと異なり苦しそうな想いを表情に出した。

「麻季さんのこと?」

 麻季さんは加害者側の人間だ。父さんにとっても、僕にとっても。そして奈緒にとって
もそうではないか。その奈緒が、実の母親ではないことがわかったばかりの奈緒が、なぜ
麻季さんのことを心配するのだろう。

 僕は今では関係者の中で一番、過去に何が起きたのか、なぜそれが起きたのかを理解で
きたのだと思っていた。母さんや怜子叔母さんから過去の出来事を聞いた今では、多分僕
が一番よくわかっているはずなのだ。だいぶ過去の記憶も蘇ってきたということもあるし。

 それでもまだ過去の知識が足りないのだろうか。なぜ奈緒は実の母親である怜菜さんの
意図に関して悩もうとせず、奈緒自身に辛い想いをさせた麻季さんのことを、彼女の心情
を心配するのだろう。僕には全く理解できなかった。



535:以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします:2015/10/06(火) 23:56:15.71 ID:85Kit5Vko

「ママの立場になって考えてみればわかると思う」

 奈緒が僕を見上げてそう言った。さっきまで冷静だった彼女の表情は今では泣きそうだ。

「麻季さんの立場って」

「被害者意識をちょっとだけ忘れてママの感情を想像してみて」

 そう言われても、なぜ僕ならできると思うのか。僕は麻季さんのことはずっと忘れてい
たのだけれど、それを思い出した今、彼女のことを懐かしく思えるかというとそんなこと
は全然ない。むしろ、放置されていた辛い記憶とか奈緒と引きはがされたもっとつらい記
憶しか思い出せないのだ。

「そう言われても何も浮ばないや」

 僕は奈緒に正直に言った。「むしろ、負の感情ばかり浮んでくる」

「そうなんだ」

 奈緒が少し困ったように微笑んだ。

「奈緒は全然麻季さんを恨んでないの? 僕とおまえを自宅に何日間も放置した麻季さん
を」

「子どもってね。自分の身近にいて自分を守ってくれて、自分のことを愛してくれている
人のことは本能的にわかるんだよ」

 奈緒がそう言った。

「お兄ちゃんと別れて以来、あたしを守ってくれて、大事にしてくれて、何よりも心から
愛してくれたのはママだけだったから」

「僕にはわからないな」

「ピアノを習いに佐々木先生のところに連れて行ってくれたのもママ。一緒に外出して洋
服を買ってくれたのもママなの。だから、あたしは今、ママのことしか考えられないの」

「怜菜さんのことはどうなる? 奈緒が麻季さんのことが好きだったとしても、実の母親
のことは気になるんじゃないの?」

「考えても仕方がないことは考えないよ。怜菜さんが実の母親だとしても、ママがあたし
と血が繋がっていないとしても、あたしが今こういう自分であることは全部ママの愛情の
おかげだもの」

「怜菜さんの意図とか」

「わからない。でも考えてもしかたないじゃない。もうとうに亡くなった人なんだよ」

「そうか」

「ママは確かにお兄ちゃんにひどいことをしたと思う。お兄ちゃんがママを恨むのは無理
もないよ。でもね、あたしはそのひどい人とずっと暮してきたの。その生活の中で、ママ
があたしにしてくれたことには感謝しか感じない。今、そのママはすごく悩んでいる」

 それはそうだろう。彼女の非常識な行動の目的が、僕と奈緒の仲を引き裂くことだった
としたら。今では僕も奈緒も互いに血が繋がっていないことを知ったのだ。彼女の悩みは
それだけしかないだろう。家族を捨ててまで、家族を傷つけてまでしてきた事の意味が失
われたのだ。それはつまり、彼女の人生そのものが無意味なものとなったということのだ
から。



536:以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします:2015/10/06(火) 23:57:09.89 ID:85Kit5Vko

 僕はそういう意味のことを奈緒に話した。

「そうじゃないの」

 奈緒が言った。

「そうじゃないよ。ママが悩んでいるのはあたしのことなの。さっきお兄ちゃんが言って
たことと同じことでママは悩んでいたの」

「どういうこと」

「お兄ちゃんが言っていたように、あたしが実の母親である怜菜さんの意図を知ったこと
で、あたしが自分の存在意義を疑うだろうって考えてママは苦しんでいるの」



「ということはさ。奈緒ちゃんって、実は麻季のことを・・・・・・」

「ええ。奈緒は私が奈緒の実の母親ではないってこと、自分が怜菜の娘だってことを知っ
ていたんだと思います」

「奈緒、あたしの奈緒。かわいそうに」



「あたしだって、お兄ちゃんと同じくらい悩んだし苦しんでいた。記憶がはっきりと残っ
ていただけ、お兄ちゃんより辛かったこともあったかも。でも、そんなあたしを支えてく
れたのがピアノだった。そして、あたしに佐々木先生を紹介してくれてピアノを与えてく
れたのはママだったの」

「そうか」

「ママだって辛かったはずなのに。大好きなパパとお兄ちゃんと会えなくなったんだも
ん」

 でもそれは。僕が口を開く前に奈緒が自分で僕が言おうとした言葉を引き取った。

「自業自得だとは思うよ、今となっては。でも、それでもママはあたしのことだけを考え
るようにしてくれた。お兄ちゃん?」

「うん」

「あたしもね、ママのことだけを考えてたわけじゃないのよ」

「どういう意味?」

「ママのしたことは間違っていたと思うけど、してしまった以上は、もうそれを前提で最
善の道を考えるしかないよ」

「それって・・・・・・」

「昔なら違ったかもしれない。あの頃に戻ってやり直せるなら。でも、そんなことはでき
ないから。今ならもう、あたしとお兄ちゃんが血縁じゃないからって結ばれても、もう誰
も幸せになんかなれない」

 奈緒は寂しそうに微笑んだ。

「だから、もう。もうお兄ちゃんとは会わない方がいいの」



537:以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします:2015/10/06(火) 23:57:52.92 ID:85Kit5Vko

 このとき僕は唐突に奈緒の想いを悟った。

 あの頃に戻ってやり直せるなら。それは奈緒の言うとおりだと僕は思った。いろいろ聞
かされた話が真実だとしたら、あの時点で麻季さんが決断して実行したことは、最悪の選
択だったと思う。

 怜菜さんは亡くなっていた。そして僕と奈緒は仲のいい兄妹として、父さんと麻季さん
の間で、何一つ欠けるものなくなく幸せに育っていたのだという。そういう状況下で、怜
菜さんの自殺を疑い、そのうえあろうことか将来僕と奈緒が男女として付き合いだすこと
が、自殺した怜菜さんの目論見だと信じ込み、父さんとあえて離婚の道を選んだ麻季さん
のメンタリティは、やはり今でも僕には理解できない。

 それでも、今奈緒が考えていることがだんだんと僕にも理解できるようになってきた。

 今となっては。最初から時間を巻き戻して歴史を訂正できない以上、今はどうすること
がベターなのか。多分、奈緒が考えついたのはそのことだった。奈緒は、自分の存在が実
の母親にとってどういう意味を持っていたのかなんて気にしていたのではない。自分と僕
が血縁ではないことを知り、それでもなお自分がどう行動すべきかを考えていたのだ。

 言うまでもなく、奈緒が僕と恋人同士になることを望んだとしたら。その場合、麻季さ
んが自分の幸せを捨ててまでしようと試みたことが、彼女の人生そのものが壮大な無駄と
化すだろう。今は自分の不幸を省みず奈緒の心配をしている彼女だって、いつかは自分の
人生を眺め直す日が来る。父さんを不幸にし、僕と奈緒を別れさせた彼女の行動が、結局
奈緒と僕のカップルの登場に終るとしたら、そのことを考え出したとき麻季さんの精神は
その事実に耐えられるだろうか。

 そればかりではない。父さんと理恵さん、僕と明日香の家庭だってどうなってしまうか
わからない。理恵さん、つまり僕の今の母さんは僕と明日香がいつまでも一緒にいること
を望んでいた。その気持ちは明日香だって同じだろう。その期待を裏切って僕と奈緒が男
女の仲になったとしたら。

 つまりこれは、奈緒の決断は非常によく考えられた回避策なのだ。麻季さんによって始
められてしまったことは全然誉められたことではないけれども、それでも始められてしま
った以上、もうこうするしかないと奈緒は判断したのだ。もちろん、始まりの時を除けば、
麻紀さんが自分にずっと誠心誠意尽くしてくれたことを、奈緒は考慮に入れているはずで
はあるにせよ。

「わかったよ」

「ごめんね」

 奈緒の決定によって辛い想いをするのは、多分僕と奈緒の二人だけだ。僕が明日香と付
き合い、奈緒が今までどおり麻季さんの娘でいれば、周囲に及ぼす不幸は最小限に抑えられるのだ。

「完全に納得させられたよ。やっぱり奈緒は頭がいいね」

「そんなことないよ。お兄ちゃん」

「うん」

「ごめんね。そしてありがとう。少しの間だけでもあたしの彼氏でいてくれて」



538:以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします:2015/10/06(火) 23:59:22.40 ID:85Kit5Vko

 奈緒の瞳から涙が溢れ、それは彼女の色白の頬を濡らした。

「・・・・・・ありがとう」

 僕もそう言った。

「何も覚えていなかった僕に声をかけてくれて。僕に告白してくれて」


「ううん。あたしの方こそいっぱいありがとう。小さいときからお兄ちゃんだけが好きで
した。本当の兄だと思っていた頃も。本当の兄じゃないと知ったときも」

 奈緒は泣きながら微笑んだ。

「今日はもう学校に行かなくていいんだ。このまま空港に行くね」

「何で」

「何でって。最後にお兄ちゃんと話したかったから」

「何で制服を着てるの」

「そんなことを聞きたかったのか」

「そうじゃないけど」

「お兄ちゃんと雨の日に最初に再会したときに着ていたのが、富士峰の制服だったから
ね」

 奈緒はもう泣き止んでいた。

「お別れのときくらいは、あのときと同じ格好をしたくて」

 僕は何も言えなかった。次の停車駅のアナウンスが車内に響いた。

「じゃあね。次で降りる。この先まで行っちゃうと空港に間に合わないし、先に行ってい
るママも心配すると思うから」

「奈緒?」

 混雑した電車の車内で、このときだけは人目を気にせず奈緒が僕に抱きついてきた。

「お兄ちゃん・・・・・・ごめん。そしてありがと」

 そのままホームに降りていく奈緒はそっと胸の前で僕にむかってひらひらと小さく手を
振った。



544:以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします:2015/11/13(金) 22:56:48.39 ID:Pdi5/GxHo

「ここでいいのかな」

「よくわかんないけど少なくとも最寄り駅は間違ってないでしょ」

「北口の方に来ちゃったけど、これでいいの」

「わからないよ」

「わからないって・・・・・・じゃあ、違った方に来ちゃったのかもしれないよ」

「いちいちうっさいなあ。文句ばかり言うならお兄ちゃんが案内してよ。あたしは黙って
着いて行くからさ」

「いや別に明日香に文句なんか言ってないよ」

「言ってんじゃん。誰が聞いたって文句でしょうが」

 だいたいマンションを探してくれると言ったのは明日香の方だ。怜子叔母さんに聞いて
くれるって言ったのは。

「どこに行けばいいかわかってる?」

「多分平気だよ。だからお兄ちゃんは少し黙ってて」



 都内とは聞いていたけど、教わった場所は都内というよりはほとんど隣県との境に近い
場所だった。この辺りに来たのは初めてだ。初めて訪れた臨海部の駅に降り立つと、海の
景色はまるでないのに潮の香りがした。不安に思いながらも教わったとおり駅の構内から
姿を見せない海の方に向って歩いて行くと、駅から十分も歩くまでもなくそのマンション
に着いた。

 外見は湾岸によくあるマンションだ。それなりに高層で、それなりにお洒落な外見の。
彼女がまだ独身だとしたら、それなりに収入があるのだろう。こういうマンションって普
通は所帯を持っている人が購入するものだと僕は思った。それとも、もう結婚して子ども
もいるのだろうか。

「ここだ」

 事前の案内を引き受けていた明日香が胸を張って威張るように言った。自分のなすべき
ことをやり遂げたような笑顔で。

「そうみたいだね」

 僕はそう言って、事前に聞かされていた部屋の番号をインプットして、「通話」と記さ
れているボタンを押した。湾岸部にあるこのマンションには、あの困難な時期に僕と奈緒
を育ててくれた唯さんが暮しているのだ。彼女は麻季さんが僕と奈緒を育児放置した後、
僕たちを救ってくれただけではなく、僕と奈緒が引き剥がされたとき、僕たちに携帯電話
を密かに渡してくれた。奈緒と別れて、僕が以前から決めていたとおりこの先の人生を明
日香と暮すにあたって、僕は唯さんに会って見たかったのだ。

 その選択を明日香は非難しなかったし反対もしなかった。それどころか、唯さんの住所
を調べておくとまで言ってくれた。怜子叔母さんに聞き出すからって、彼女は笑ったのだ。
そして、明日香は自分も同行するということだけは譲らなかった。



545:以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします:2015/11/13(金) 22:57:46.01 ID:Pdi5/GxHo

「はい」

 女性の声がインターフォンのスピーカーから響いた。僕と明日香は顔を見あわせた。

 最近蘇ってきた記憶の中では、優しい唯さんの声が頭の中に再生されることはあったの
だけど、その声は脳裏に浮ぶその声とは違っているように思えた。

「唯さんだ」

 でも、明日香はその声を聞いて即座にそう言った。明日香がそう言うならそうなのだろ
う。記憶が戻ってきているとは言え、明日香のそれの方がずっと確かなものだろうと僕は
思った。続いて上層階に上ってドアが開き、唯さんが姿を現すと、声はともかくその姿は
僕が思い出したかつての彼女の姿そのものだった。

「いらっしゃい。久し振りだね、奈緒人君」

 そう言って微笑んだ唯さんの笑顔は確かに記憶に残っていた。これがあの辛かった時期
に僕と奈緒の味方になり僕たちを助けてくれた彼女の笑顔なのは確かだった。僕のあやふ
やな記憶でも、これだけは否定のしようがなかった。

「叔母さんお久しぶ」

 言葉の途中で僕はいきなり唯さんに引き寄せられ抱き寄せられた。隣にいる明日香が驚
いたように僕の方を見上げた。もう、今ではだいぶ背丈が違う。昔のことは明確な記憶に
ないのだけれど、昔の唯さんは僕より背が高くて大きかった。僕は彼女に抱き上げられて、
乱暴に振り回されるのが大好きだったのだ。

「・・・・・・大きくなったね。奈緒人」

 唯さんが僕を抱きしめながらそう言った。抱きしめると言っても、昔と違って今ではま
るで僕の首に腕を巻きつけて僕にぶら下がっているみたいだ。

「唯さん?」

「お姉ちゃんってさ・・・・・・」

 唯さんが僕にしがみつきながら少しだけ湿った声でそう言った。

「お姉ちゃんってさ。君は昔は私のことをそう呼んでたんだよ」

「・・・・・・お姉ちゃん」

 僕は思わず彼女にそう呼びかけた。

「あの」

 そのとき放置されていた明日香が遠慮がちに話しかけた。

「ああ。ごめんね。明日香ちゃんは私のことを覚えてる?」

「はい。ちゃんとは覚えていないかもですけど。ママや叔母さんたちと一緒によくファミ
レスとかで会ったことは覚えてます」

「うん」

 唯さんはようやく僕を解放してくれたけど、僕と明日香をリビングに案内してくれて、
ソファに座るように勧めてくれる間、彼女は一瞬たりとも僕から目を離そうとしなかった。



546:以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします:2015/11/13(金) 22:58:17.12 ID:Pdi5/GxHo

 唯さんに勧められて目の前のコーヒーテーブルに置かれたカップを手にとって、少しだ
け熱く少し苦い紅茶を口に入れて、ソーサーにカップを戻したとき、唯さんが再び口を開
いた。

「ごめんね。いきなり抱きしめたりしちゃって。びっくりしたでしょ」

「いえ」

「玲子ちゃんからすごく久し振りに電話をもらってね。奈緒人君と明日香ちゃんが私に会
いたいって言ってるけど、私の住所とか電話番号とか教えてもいい? て聞かれたときに
ね」

「あ、はい」

「自分をしっかり保とうって・・・・・・もう今度は泣いたり衝動的に抱きしめたりするのはや
めようって思ったのに。私ってば全然だめだ」

 この人が、あの辛かった時期に僕と奈緒を救ってくれようとした人なのだ。その努力は
結果的に無駄だったのかもしれないけど、それでもこの人がいなかったら僕たちはもっと
辛い想いをしていたのかもしれない。あの携帯電話のことといい。

「今度はって」

「あ、うん。ちょっと前に奈緒ちゃんが会いに来てくれたの。次の日に海外に行っちゃう
って、多分もう当分は私に会えないからって」

「奈緒が唯さんに会いに来たんですか」

「うん。その時は突然だったから、今みたく奈緒ちゃんを抱きしめて泣いちゃってね。多
分、奈緒ちゃんを相当困らせたみたい。だから、今日は同じ徹を踏まないって思ってたの
になあ。私って全然だめだ」

 奈緒は唯さんに何を話したのか。何を話さなかったのか。

「もう大丈夫。私は落ちついたから。もっと紅茶飲む?」

「いや。もう十分です。それより」

「うん」

「奈緒がここに来たんですね」

「そうだよ」

 唯さんが少しだけ面白そうに笑った。

「今までさ。昔の関係者とは誰とも無関係に生きてきたのよ、私は。それなのに、突然先
週に麻季さんから電話が来るわ、昨日は玲子ちゃんから電話が来るわ」

「それは奈緒から聞いているんじゃないですか」

「聞いたよ。奈緒ちゃんからは」

「あたしたちからも、あたしたちに何が起きたのか知りたいですか」

 明日香がそう言った。



547:以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします:2015/11/13(金) 22:58:46.21 ID:Pdi5/GxHo

「ううん、いいや」

「・・・・・・どうしてですか」

「明日香ちゃんも大きくなったね。私のこと覚えてる」

「はい。怜子叔母さんとかと一緒にファミレスで会ったことは覚えています」

「そうだよね。覚えていてくれたんだ」

「お兄ちゃんと違ってあたしは、だいたいその頃の記憶はあるんです」

「そうか。明日香ちゃんはあれからずっと兄貴の、奈緒人君のそばで一緒に暮してきたん
だものね」

「はい。小学校の低学年の頃から今までずっと一緒でした」

「それならわかるな」

「わかるって・・・・・・何が」

 明日香が戸惑ったように聞いた。

「奈緒ちゃんの言っていたことも、それならまあわかるな」

 そして、彼女は僕たちの方を向いて微笑んだ。

「君たちは幸せになるべきだよ」

 唯さんが、真面目な顔でそう言った。

「はい?」

 僕と明日香は顔を見合わせた。

「それが奈緒ちゃんのためにもなるんだろうね」

「あの。いったい何の話ですか」

「君たちが今日なんで私に会いに来たのかはよくわからないけど」

 唯さんがそう言った。

「・・・・・・僕は、ただ昔助けてもらったお礼を一度唯さんに言いたくて」

「そんな必要はないよ」



548:以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします:2015/11/13(金) 23:00:18.02 ID:Pdi5/GxHo

「はい?」

「そんな必要はないって。私はただ兄貴のために、家族のために君と奈緒ちゃんの面倒を
みただけ。君たちにお礼を言われる筋合いはないって」

「いや。だけど、携帯とか」

「ああ、そうね」

 唯さんは少しだけ懐かしそうに微笑んだ。

「そういうこともあったわね」

「奈緒から全部聞いたんですか。その。つまり再会してからあったこととか」

「うん」

「そうですか。唯さんはどう思いました?」

「私がどう思ったなんてどうでもいいくせに。つうか、奈緒人君はこの結論に不満なわ
け?」

「不満はないです」

 僕は自分にとっては初対面に等しい唯さん、つまり僕の父さんの妹に自分の考えを全て
語った。隣で明日香が聞いていたのだけど、僕はもう明日香に隠し事をするのはやめよう
と思ったのだ。

 麻季さんによって始められてしまったことは全然誉められたことではないけれども、そ
れでも始められてしまった以上、もうこうするしかないと奈緒は判断したのだ。もちろん、
始まりの時を除けば、麻季さんが自分にずっと誠心誠意尽くしてくれたことを、奈緒は考
慮に入れているはずではあるにせよ。

 僕はそういうことを唯さんに語った。でも、彼女は別にそれに共感してくれる様子はな
った。少し戸惑ったように微笑んでいるだけで。



549:以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします:2015/11/13(金) 23:02:27.48 ID:Pdi5/GxHo

「君は勘違いをしていると思うな」

「勘違い・・・・・・ですか」

「まあ、あのときはあたしもそうだったからね。人のことは言えないんだけど」

「どういうことです?」

「あたしはあのとき、麻季さんの決定を受け入れた兄貴のことが許せなかった。それで、
あれ以来兄貴とは話もしていないんだけど。でも、奈緒ちゃんの話を聞くとね。結果的に
だよ? あくまでも結果論に過ぎないんだけど、麻季さんの判断もあながち間違っていな
かったんじゃないかって考えさせられたよ」

「どういう意味ですか」

「君と奈緒ちゃんが、兄貴と麻季さんの下で一緒に育てられていたとしたらさ。君と奈緒
ちゃんがほんの一時期とは言え、恋人同士になるなんてあり得なかったから」

「え」

「麻季さんが君と奈緒ちゃんをつき合わせる気がなかったことは説明するまでもないでし
ょ」

「それはわかります」

「それでね。兄貴だってそこは一緒なんだよ。兄貴が考えていたのはあの頃は麻季さんと
一緒だよ。君と奈緒ちゃんを実の兄妹同様に育てようということだけが、兄貴の望みだっ
たんだよね」

「はあ」

「つまりさ。作為なのか奇蹟なのかはわからないけど、君と奈緒ちゃんが一時期だけでも
付き合うことができたのは、君たちが兄妹として育てられなかったおかげだよね」

「君と奈緒ちゃんが仲のいい兄妹としてさ、ずっと一緒に過ごせた未来もあったのかもし
れないけど、少なくともあたしが会った奈緒ちゃんはね。君のことを男性として意識でき
て幸せそうだったよ。って、ごめん。明日香ちゃん」

「いえ」

「それだけじゃないんだ。君と明日香ちゃんだって、麻季さんの行動がなければ一生知り
合うことだってなかったはずだよ。麻季さんが兄貴に離婚を求めなければ、君と明日香ち
ゃんは恋人同士になっていなかったはずだもん」

「いいも悪いもないし、正しいかどうかもわからないけど、結果的には麻季さんの一見非
常識な行動が、今の君と明日香ちゃんと奈緒ちゃんの関係を生み出したんだね」

「奈緒人君」

「・・・・・はい」

「だから、君と明日香ちゃんは幸せになるべきだよ。そして、奈緒ちゃんも今では彼女に
許されたは限りで幸せを感じていると思う。彼女が大切に考え続けていた君と、一時期だ
けでも男女の関係になれたことだし。つまり、過去に戻ってやり直せない以上、これが最
善だとかじゃないないんだ。麻季さんの行動も含めて、今思えば今までの全てが最善の結
果をもたらしたんだよ。少なくとも、そう思うべきだと思う」

「意外ですね」

「何が?」

「あなたは父さんと麻季さんが下した決定に不満なんだと聞いていました」

「うん。そうだった。怜子ちゃんからはそう思われていたかもね。兄貴からも」

「でも、この間奈緒ちゃんに会ってわかった。少なくとも彼女は現状に不満を感じていな
いのよ。少なくとも、今の彼女には人生をかけるくらいの目標があるものね」

「ピアノですか」

「麻季さんの幸せだと思うよ」

 唯さんは笑った。そしてゆっくりとした動作で立ち上がった。

「じゃあ、追い出すようで悪いけど、今日はもう帰ってもらおうかな。私は明日も仕事で
朝早いのよ」

「わかりました」

「ごめんね。これからはいつでも訪ねて来てね。あなたたちが来てくれると私も嬉しい」

「・・・・・父さんにはまだ会わないんですか?」

「うん。兄貴には会う気はないよ。じゃあね。気をつけて帰ってね」



550:以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします:2015/11/13(金) 23:03:06.24 ID:Pdi5/GxHo

 マンションを出て、海風に吹きさらされたとき明日香が僕に抱きついた。唯さんのとの
面会を終えても、明日香は別に何か感想を言うでもなく、ただ僕の腕を引いて駅の方に歩
いていくばかりだった。その様子が僕を安心させてくれた。

「スーパーに寄って行くよ」

 明日香が言った。

「うん。夕食の準備?」

「今日はパパとママが帰って来るって」

 この忙しいときに二人が帰って来るのなら、それは奈緒の情報が怜子叔母さんあたりか
ら二人に入ったのだろう。

「そうか」

「何を作ればいいと思う? 夕食に」

 明日香が聞いた。

「そんなことを聞くほどおまえのレパートリーってないんじゃね?」

 明日香が不満そうな表情をしたけど、僕の言っていることは間違いではない。

「じゃあ、聞くけどさ。お兄ちゃんは何が食べたい?」

「明日香が作ってくれるなら何でもいいよ」

「また、そういう適当なことを言う」

「慣れておかないとね。この先、一生明日香の料理を食べて生きていかないといけないし
な」

 明日香が赤くなって俯いた。

「・・・・・うっさいなあ。あたしだってすぐに上達するよ」

「うん。期待しているよ」

 明日香の手がいったん僕の腕から離れ、そして僕の手を握り締めた。

「・・・・・・うん」

 明日香が言った。

「期待していいよ。頑張るから」



551:以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします:2015/11/13(金) 23:04:13.39 ID:Pdi5/GxHo

from:太田怜菜
to:結城先輩
sub:ご無沙汰しています

『でも今になってみると先輩の気持ちがわかります。今では本当にこの子のためなら何で
もできると考えている私がいます。正直一人で育てていますので辛いことはいっぱいあり
ます。でもこの子の寝顔を見ていると頑張らなきゃって思い直す日々を送っています』

『もう結城先輩とお話する機会はないでしょうし、ご迷惑でしょうからメールもこれで終
わりにします』

『お互いに伴侶の不倫を慰めあっているうちに恋に落ちる二人。そんな昼メロみたいなこ
とをわたしは期待して先輩をあの喫茶店に呼び出しました。そして、先輩はわたしが旦那
と別れるなら自分も麻季と別れるって言ってくれました。もちろんそれは先輩がわたしに
好意があるからではないことは理解していました』

『でも奈緒人君への愛情を切々と語る先輩の話を聞いているうちにあたしは目が覚めまし
た。奈緒人君から母親を、麻季を奪ってはいけないんだと。そしてその決心は自分の娘を
出産したときに感じた思いを通じて間違っていなかったんだなって再確認させられたので
す』

『これでわたしの非常識なメールは終わりです。先輩・・・・・・。大好きだった結城先輩。こ
んどこそ本当にさようなら。麻季と奈緒人君と仲良くやり直せることを心底から祈ってま
す』




fin



元スレ
ビッチ(改)
http://ex14.vip2ch.com/test/read.cgi/news4ssnip/1417012648/
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         コメント一覧 (50)

          • 1. 以下、VIPにかわりましてELEPHANTがお送りします
          • 2015年11月14日 11:48
          • 小説っ…!まごうことなき、小説っ…!
          • 2. 以下、VIPにかわりましてELEPHANTがお送りします
          • 2015年11月14日 12:28
          • ロボットに乗ってブラックホールに突っ込んでいくシーンがとても良かったです!
          • 3. 以下、VIPにかわりましてELEPHANTがお送りします
          • 2015年11月14日 12:45
          • 月の支配者と相討ちの所が良かった
          • 4. 以下、VIPにかわりましてELEPHANTがお送りします
          • 2015年11月14日 12:46
          • 1 長いだけ
            読む価値無し
          • 5. 以下、VIPにかわりましてELEPHANTがお送りします
          • 2015年11月14日 12:56
          • 終盤のラスボスとの戦いでこれまで出てきた能力とか武器を全部捨ててひたすら素手でぶん殴り会うってのはいかにもよくあるアクション映画みたいでいかがなものかと思うわ
          • 6. 以下、VIPにかわりましてELEPHANTがお送りします
          • 2015年11月14日 12:59
          • まさかあの伏線がラストで…くそっ、これがトリックかよ!
          • 7. 以下、VIPにかわりましてELEPHANTがお送りします
          • 2015年11月14日 13:04
          • 長すぎ
          • 8. 以下、VIPにかわりましてELEPHANTがお送りします
          • 2015年11月14日 13:09
          • 最終兵器彼女を彷彿とさせるどう足掻いても悲愛になるであろう設定からのメタルギアソリッド4的な展開はベタすぎんよ
          • 9. 以下、VIPにかわりましてELEPHANTがお送りします
          • 2015年11月14日 14:17
          • まさかロボットの上に乗る(意味深)なだけでビッチというとは思わなかった
          • 10. 以下、VIPにかわりましてELEPHANTがお送りします
          • 2015年11月14日 14:20
          • まさかあそこでアイツガ死ぬなんてな…
          • 11. 以下、VIPにかわりましてELEPHANTがお送りします
          • 2015年11月14日 14:39
          • 文字数で改行してるの、凄く読みにくいです…これでまずムリ

            でも、結構おおいんだよなコレやってるの
          • 12. 以下、VIPにかわりましてELEPHANTがお送りします
          • 2015年11月14日 15:00
          • ハーレムロボットものと見せ掛けてなかなか考えさせる内容だった
          • 13. 以下、VIPにかわりましてELEPHANTがお送りします
          • 2015年11月14日 17:04
          • まさかあそこでアイカツするなんてな……
          • 14. 以下、VIPにかわりましてELEPHANTがお送りします
          • 2015年11月14日 17:12
          • ※12
            ハーレムロボットものとはまた新しいな・・・
          • 15. 以下、VIPにかわりましてELEPHANTがお送りします
          • 2015年11月14日 17:29
          • いやー、やっぱあのシーンは盛り上がったねー。
            まさか!ってかんじで
          • 16. 以下、VIPにかわりましてELEPHANTがお送りします
          • 2015年11月14日 17:45
          • 2040年打点王近比羅大納言でたあたりはおほ~(貝塚)ってなった
          • 17. 以下、VIPにかわりましてELEPHANTがお送りします
          • 2015年11月14日 18:33
          • 1 10行だけ読んで止めた
          • 18. 以下、VIPにかわりましてELEPHANTがお送りします
          • 2015年11月14日 19:58
          • 誰一人読んでなさそうで草

            あ、自分は読んでないです
          • 19. 以下、VIPにかわりましてELEPHANTがお送りします
          • 2015年11月14日 20:40
          • まさか土壇場であいつがあんな行動に出るとは予想できなかったな
          • 20. 以下、VIPにかわりましてELEPHANTがお送りします
          • 2015年11月14日 20:41
          • けして読みづらい訳では無いんだが、ふと残りページ数見て閉じるか躊躇する程度には惹かれなかった
          • 21. 以下、VIPにかわりましてELEPHANTがお送りします
          • 2015年11月14日 20:46
          • 頑張って読んだ感想を言おう。

            胸糞半端ねぇ。明日香マジでクソビッチしね。
          • 22. 以下、VIPにかわりましてELEPHANTがお送りします
          • 2015年11月14日 22:10
          • 読んだよ
            明日香可愛い〜
          • 23. 以下、VIPにかわりましてELEPHANTがお送りします
          • 2015年11月14日 23:17
          • 全部読んだ。白夜行みたいな話だったわ……
            どのキャラも好きになれる部分と嫌いになれる部分があって、人を描くことを徹底したシナリオ/地の文だったなあと印象。
            これだけの量を尽くせるのは素直に尊敬する。
          • 24. 以下、VIPにかわりましてELEPHANTがお送りします
          • 2015年11月15日 01:08
          • なかなか疲れたけど全部読んだよ
            ※23も書いてるけど、それぞれの人物像とか、そういったものを突き詰めて書きたかったのかなって感じ
            ところどころ誤字が多かった(特にクラッシク)のがちょっと気になった、まあ仕方ないかもだけど
          • 25. 以下、VIPにかわりましてELEPHANTがお送りします
          • 2015年11月15日 06:29
          • 徹夜して全部読んだw

            明日香かわいいんだけど、最後までビッチ臭が抜けなかった
            「初めては◯◯(主人公)がいい」とか言いながら、以前にやってたのかよ
            しかも穴兄弟とは
            主人公がイマイチ報われない結末だな
          • 26. 以下、VIPにかわりましてELEPHANTがお送りします
          • 2015年11月16日 04:45
          • 5 長いけれども読んでいて飽きない文章力。
            同じ文章を違う視点で書く難しい表現も飽きることなく読むことができた。
            心情が自然に表されていて名前が出ていなくてもこの人物なのだろうとわかる。
            締め方もとてもきれいだったと感じる。
            つまり好き。
          • 27. 以下、VIPにかわりましてELEPHANTがお送りします
          • 2015年11月16日 15:32
          • 無駄に長い上にメンヘラとキ○ガイばかりで魅力もない
            親世代は言うに及ばず明日香の贔屓っぷりも凄まじい
          • 28. 以下、VIPにかわりましてELEPHANTがお送りします
          • 2015年11月16日 16:53
          • うーん…展開や流れはいい感じなんだけど…どの登場人物がなにを話しているのかわかりずらい。
            もちろん口調は変えてるんだけど言葉の選び方がみな同じで、淡々と物語が進んでいく感覚だった。
            少し、地の文に頼り過ぎじゃないかな。キャラクターがあまりに似過ぎている。
            読みずらいの一言。
            長編の前に短編を見たかったなぁと、この先の作品に期待。

            批判的な文書で上から目線になってしまうけども素直な感想としてここにコメントします。
          • 29. 以下、VIPにかわりましてELEPHANTがお送りします
          • 2015年11月16日 19:25
          • 3 最後まで読んで面白かったけれど、わからない点が多すぎた。
            また続編を書いてくれると嬉しいです。
          • 30. 以下、VIPにかわりましてELEPHANTがお送りします
          • 2015年11月16日 20:07
          • 基本的な構成はすごくいいと思う
            けど、大人どもの妄想激しすぎだし、太田親子の思考や行動とかイマイチわかんね
            あと、一般文芸読む層に向けてるのかラノベ読む層に向けてるのかどっちかもうちょっと明確にした方がいいかも
            結末も納得行かんけど、これはもうそういう話のつもりで書いてるから仕方ないね
            これからきちんとブラッシュアップされれば結構いい線行きそうな感じ
          • 31. 以下、VIPにかわりましてELEPHANTがお送りします
          • 2015年11月16日 20:15
          • 救いが無い展開としか思えない。
            もうちょっといい結末にできたのでは無いのでは?
          • 32. 以下、VIPにかわりましてELEPHANTがお送りします
          • 2015年11月17日 00:51
          • 1 結局は明日香も処女ではなかったクソ
            俺はギャル妹と清楚な妹に挟まれて純愛モノをみたかった
          • 33. 以下、VIPにかわりましてELEPHANTがお送りします
          • 2015年11月17日 01:54
          • タイトルもうちょっと真面目に考えた方がいいと思う
            視点変更で徐々にわかること増えてくのはいいけど、結局終わってもわからん事多すぎ
          • 34. 以下、VIPにかわりましてELEPHANTがお送りします
          • 2015年11月17日 17:51
          • 4 有希の行動に分からないことが多く主人公の親友とその彼女がどうなったのかもわからない。なにより、明日香が処女じゃなかったことが本当に胸糞…そこでタイトル回収する必要がなかった
            作品自体はとても面白かったので読む人を選ぶと思う
          • 35. 以下、VIPにかわりましてELEPHANTがお送りします
          • 2015年11月17日 22:46
          • 小説って最初の三行ぐらいで興味持てなきゃ読めるもんじゃないよ
            僕は読めなかった
          • 36. 以下、VIPにかわりましてELEPHANTがお送りします
          • 2015年11月18日 21:28
          • 全部読んだ上での感想だが。

            メンヘラガイキチが蔓延るSS読む価値無し。

            ここまで長い話を書いた事だけ誉めれる。

            てか明日香を非処女にする理由あったか?
          • 37. 以下、VIPにかわりましてELEPHANTがお送りします
          • 2015年11月18日 21:34
          • 親世代が若い頃の時代にメンヘラだの解離性なんたらだの単語が出てくる事にちょっと違和感…
            しかもどう見ても一般ピープルな大学生な感じなのに、掲示板サイトでよく見かける単語を使うのは…うーん…普通の人はメンヘラとか知ってるもんなんですかね…??

            でもなんだかんだで1日かけて最後まで読んでしまいました!!
            面白かったですよ!!
          • 38. 以下、VIPにかわりましてELEPHANTがお送りします
          • 2015年11月19日 00:06
          • くそ
          • 39. 以下、VIPにかわりましてELEPHANTがお送りします
          • 2015年11月20日 06:55
          • 最後まで呼んだ結果的には麻季が正しかった…てのは怪しいけど明日香と出会えたのは良かったと思うでも、奈緒が一番可哀想で仕方ない本当に可哀想
            話してない部分がある、博人に明日香と奈緒人の交際を言ってない、渋沢と志村のけんかの話、やっぱり後日談的なのは欲しい
            あとそんな読みにくくないよ
          • 40. 以下、VIPにかわりましてELEPHANTがお送りします
          • 2015年11月20日 08:39
          • ※39の続き
            あと奈緒人は麻季と会わないのかな
            うんやっぱり後日談的なのは欲しい
          • 41. 以下、VIPにかわりましてELEPHANTがお送りします
          • 2015年11月20日 08:58
          • あと本当に奈緒は奈緒人と会えないのか
          • 42. 以下、VIPにかわりましてELEPHANTがお送りします
          • 2015年11月21日 11:58
          • 4 全部読んだ。
            誤字とタイトルがもったいないきがする。
            キャラクターの書き分けとか心情描写は本当によくできていると思うけど、描写が細かい分説明的になって魅力は減ってしまったかも。
            ストーリーもよく練られてる。
            ただ、娯楽として気楽に読む内容、分量ではないかな。
            文章が書ける人の作品だったと思うし、真面目に星4。
          • 43. 以下、VIPにかわりましてELEPHANTがお送りします
          • 2015年11月23日 02:17
          • 奈緒にしとけょぉ(´д`|||)
          • 44. 以下、VIPにかわりましてELEPHANTがお送りします
          • 2015年11月23日 17:33
          • 一番まともで被害者のレイナたんが邪悪なラスボス扱いされてて草
            奈緒と奈緒人がくっついて何も問題ねーよwww
            マキとかいうビッチ贅沢すぎるだろw
          • 45. 以下、VIPにかわりましてELEPHANTがお送りします
          • 2015年11月27日 15:29
          • 続きっぽいのがあるみたいだけど、後日譚とかじゃ無さそうだね。奈緒のその後がすごい気になるから自分的には太田さん関連はどうでもいいな。
          • 46. 以下、VIPにかわりましてELEPHANTがお送りします
          • 2015年11月28日 05:21
          • ストーリーを二転三転させるための仕掛けに積層化した内面や過去を使うのはいいけれど、結果としてキャラクターに一貫性が無いよな…
            明日香を大事に思うことに自覚的になるキッカケが奈緒とか、奈緒人を第一に考える割には変な荒れ方をしてたとか、奈緒と奈緒人の出会いで急にみんな人が変わったとしか思えん
          • 47. 以下、VIPにかわりまして心理学部学生がお送りします
          • 2015年12月01日 08:54
          • 2 風呂敷たためずに急に終わった打ちきり漫画のような印象。他の伏線は?
            「脅迫的」ではなく「強迫的」。あと麻希さんは境界性パーソナリティ障害ではなく統合失調症だと思います。
          • 48. 以下、VIPにかわりましてELEPHANTがお送りします
          • 2016年03月23日 22:46
          • 3 昔の話が長すぎる
            マキとかいうやつは浮気した言い訳で謎の第二人格持ち出してくるしほんと胸糞悪い
            まあ浮気はダメだってことだけはわかりました
          • 49. 以下、VIPにかわりましてELEPHANTがお送りします
          • 2016年12月16日 20:14
          • 視点変更が雑、心理描写もいちいちまわりくどいくせに同じことを何度も繰り返してるだけで読みにくい
          • 50. 以下、VIPにかわりましてELEPHANTがお送りします
          • 2017年01月04日 21:47
          • 納得は出来ないし綺麗な読後感も無いけど、面白かったよ

        はじめに

        コメント、はてブなどなど
        ありがとうございます(`・ω・´)

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