めぐり「比企谷くん、バレンタインデーって知ってる?」八幡「はい?」【前半】

2: ◆//lmDzMOyo:2015/06/07(日) 13:37:32.02 ID:kRvT0Aa5o

二月、初週の日曜日。

冬に突入してからそれなりの時が過ぎたというのに、吹きすさぶ風の冷たさは未だに衰えようとしない。

びゅーと風が吹くと、その冷たさに思わず体をぶるっと震わせてしまう。

それなりに厚着をしてきたつもりなのだが、それでもまだ足りないほどに寒い。今度ニット帽でも買って被ろうかなんてことを本気で検討し始める。実に俺には似合わなさそうだ。

早く暖房のついたところへ入らないと、このままでは凍え死ぬ。

そう考えて歩く速度を少しだけ早めると、俺は目的地の本屋が入っている大型ショッピングモールを見上げた。



3: ◆//lmDzMOyo:2015/06/07(日) 13:37:58.13 ID:kRvT0Aa5o

八幡「……」

ついこの間まで、俺たち奉仕部は一色の手伝いでフリーペーパーを作るために奔走していた。

かなりギリギリではあったがそれもようやく終わり、久しぶりに新刊を買い漁ろうと思って本屋にやってきていたのであった。

しかしこんなに寒いと知っていれば家に引きこもっていたのに……。天気予報は吹いている風の冷たさも考慮してもっと詳しく報道するべきだと思うんですよねと、軽く恨み言を心の中で呟く。

まぁ、この地獄のような寒さもこのショッピングモールの中に入ってしまえばおしまいだ。

暖房を発明した奴って本当神かなんかだよな……。もっとも暖房を開発した奴が誰かなんて名前も顔も知らないのだが多分千葉県出身だろう。適当に感謝しつつショッピングモールの入り口の自動ドアに近づこうとする。

その時だった。



4: ◆//lmDzMOyo:2015/06/07(日) 13:38:34.23 ID:kRvT0Aa5o

男1「なぁ、姉ちゃんちょっと俺らと一緒にいかね?」

男2「ほら、いいとこ知ってるからさ」

入り口付近にチャラそうな兄ちゃんが二人と、その二人に絡まれている女性が一人がいた。

まるでマンガやドラマなどで使われそうなほどあまりにテンプレっぽい絡み文句が気になり、思わずその方向を向いてしまった。

──後になって思えば、これが全ての始まりだったと思う。

八幡「……城廻先輩?」

その兄ちゃん二人に絡まれている女性には見覚えがあった。

肩まであるミディアムヘアーは前髪がピンで留められ、つるりとしたきれいなおでこがきらりと眩しく光る。

めぐり「いや、その、私用事があるのでー」

そのどこかほんわかとした、しかし今だけは少々焦りも含まれているような声にも聞き覚えがあった。

その女性の名前は城廻めぐり。我が総武高校の前生徒会長である。



5: ◆//lmDzMOyo:2015/06/07(日) 13:39:11.86 ID:kRvT0Aa5o

なんでこんなところに……。いやそんなことは、今はどうでもいい。

チャラそうな兄ちゃん二人に囲まれているめぐり先輩は、明らかに迷惑そうにしている。

ここは俺がさらっと手を差し伸べて、めぐり先輩を助けに行くべきではないだろうか。

男1「そんなこと言わずにさ、ね?」

男2「面白いところだからさーまぁ一回来てみてよ」

めぐり「いや、あの」

いや、めっちゃ怖い。あの中に割り込むとか無理。

俺のチキンっぷりを舐めてもらっては困る。クリスマスシーズンを過ぎるとそこら中で投げ売りされるほどのチキンっぷりだ。なんなら年中投げ売りしているまである。

しかしここで見て見ぬ振りしてどっか行くのも、それはそれで後味悪いしな……と少しの間そこで立ち止まっていると、そのチャラい男たちに絡まれていためぐり先輩が何かに気が付いたように顔をバッとあげた。

……よく見れば、その顔は俺の方を向いているような気がする。

それに気が付くのと同時に、めぐり先輩が手を振りながらこちらに向かって駆け出してきた。



6: ◆//lmDzMOyo:2015/06/07(日) 13:39:46.66 ID:kRvT0Aa5o

めぐり「あっ、比企谷くーん!」

八幡「えっ、ちょっ、城廻先輩」

男1「あっ、待ってよ君ぃー!」

そのまま城廻先輩はがばっと抱きつくようにして俺の手を取ると、そのまま俺のことを強引に引っ張りながら駆け出した。

めぐり「待ってたんだからね!」

八幡「あ、ああ、すんません……」

あのチャラそうな兄ちゃん達から離れるための演技だということには一瞬で気が付いた。

しかしそれは分かってはいても、腕にめぐり先輩の体温を感じてしまうと、つい鼓動が早くなる。

さっきまで感じていた寒さも吹き飛び、身体中が一気に熱くなったような感覚を覚えた。近い近い柔らかい近い近いいい匂い近いめぐりん可愛いよめぐりん。

めぐり「ごめんね、比企谷くん。ちょっとだけ付き合ってね」

八幡「えっ、城廻先輩!?」

めぐり先輩は耳の傍でそう小声で囁くと、俺の腕を取ったままそこから逃げるように走り出した。

後ろからあのチャラい兄ちゃん達の声が聞こえてきたが、一瞬振り返ってそちらの方を見てみると追いかけてくるつもりはなさそうだった。

それなら良かった、こんな町の中で鬼ごっことか勘弁して欲しいし。

そんなことを適当に考えながら、俺の手を引っ張って走るめぐり先輩についていった。



7: ◆//lmDzMOyo:2015/06/07(日) 13:40:27.63 ID:kRvT0Aa5o

     ×  ×  ×


めぐり「いやー、ほんと助かっちゃった。ありがとうね、比企谷くん!」

八幡「いや俺、何もしてないですし……」

あのショッピングモールの入り口から少々離れたところまで走り、あのチャラい兄ちゃん達の姿が見えないところまでくると、ようやくめぐり先輩が立ち止まった。

それにしても、意外とめぐり先輩走るの早いですね……いきなりトップスピードで走り出したせいか、俺の心臓もばくばくいっている。……原因は、走ったことだけではないと思うが。

お礼を言いながら、めぐり先輩は俺の手を離す。自分の手に残る温もりに関しては無視することにした。いやだってドキドキするし。

めぐり先輩の顔を見てみると、ほんわかとした微笑みを顔に浮かべていた。

うーん、いつ見ても癒されるなぁこの笑顔。俺の疲れも一気にめぐりっしゅされたような気がする。



8: ◆//lmDzMOyo:2015/06/07(日) 13:41:01.02 ID:kRvT0Aa5o

めぐり「いや、比企谷くんのおかげだよ。すっごい困ってたんだ」

八幡「あー、大変そうでしたね」

一瞬だけ、そのほんわかとした笑顔に陰が差す。しかしすぐにまたいつもの笑顔に戻った。

本当に俺は何もしていないのだが……。

まぁこの笑顔を守れたのなら良しとしよう。この人の笑顔は、我が総武高校の財産とも呼べるべきものだからな。

めぐり「お礼をしなくちゃね。比企谷くん、お昼はまだ食べてない?」

八幡「え、ええ、まぁ」

めぐり「じゃあさ、お昼奢っちゃうよ!」

ぱあっと笑顔を浮かべて、めぐり先輩がそう提案する。さっきからこの人の笑顔についてしか言及してない気がするな。それだけ素晴らしいってことなんだけど。



9: ◆//lmDzMOyo:2015/06/07(日) 13:41:37.16 ID:kRvT0Aa5o

しかし俺はたまたま、あそこに立っていただけのいわば村人Aポジションの人間だ。

正直に言ってお礼を言われる筋合いすらないのに、飯まで奢らせてしまっては逆に悪いだろう。

八幡「いや別にいいですよ。俺はたまたま通りがかっただけですし」

めぐり「じゃあどこに食べに行こうか!」

聞いてなかった。聞けや。

八幡「いや、あの、城廻先輩?」

めぐり「あっ、そういえば最近あのモールの中に新しいお店が出来たんだって! そこにしよう!」

八幡「……」

結局話は聞いてもらえずに、そのままめぐり先輩にお昼を奢ってもらう流れになってしまったので、仕方なくそれについていくことにした。

今ここで学んだことがある。

めぐり先輩は意外と押しが強い。



10: ◆//lmDzMOyo:2015/06/07(日) 13:42:03.38 ID:kRvT0Aa5o

    ×  ×  ×


めぐり「いやーおいしかったね」

八幡「そ、そうですね……」

めぐり先輩に昼飯を奢ってもらった後、ショッピングモールの中を先輩と二人で並んで歩いていた。

いや一応自分で金は払おうと思ったのだが、どうしてもめぐり先輩が出すと言って聞かなかったのだ。おかげでなんでこいつ女に金出させてんのみたいな周りから視線が酷かった。俺くらいの強靭なメンタルを持ってなかったら、多分その場で泣き崩れていてもおかしくないレベル。

さて、なんで俺はこんな美人な先輩と肩を並べて歩いているのか。

まぁ結局昼飯は奢ってもらってしまったわけだが、お礼というのはそれで済んだはずである。

ならば、めぐり先輩はこれ以上俺と一緒にいる意味も無いと思うのだが。



11: ◆//lmDzMOyo:2015/06/07(日) 13:42:29.24 ID:kRvT0Aa5o

めぐり「あっ、見て比企谷くん。あれすごいねー」

八幡「あっ、そうすね」

なんだか楽しそうなめぐり先輩を見ていると、こちらから別れは非常に切り出しにくい。

しかしめぐり先輩は俺と一緒についてくるみたいな流れを醸し出していたので、こんな感じで二人で歩いているということだ。

めぐり「あれとかいい感じだねー」

八幡「そ……そうですね」

ちなみに俺の返しがほとんど同じような気がするのは、単に俺のコミュニケーション能力の欠乏からくるものだ。

こんな美人な先輩と至近距離で会話をすることに緊張してるからとかじゃないぜんぜんいしきとかしてないしちょうよゆう。



12: ◆//lmDzMOyo:2015/06/07(日) 13:42:59.29 ID:kRvT0Aa5o

めぐり「そういえばさ、最近一色さん達どうかな?」

八幡「え、一色?」

しばらくそんな感じで会話を続けていると、ふと話の話題が一色のことについてになった。いや、一色さん「達」というのだから生徒会全員のことを指しているのだろう。

めぐり先輩がかつてそこにいて、今は後を託したそこのことを。

八幡「ああ、なんだかんだ結構上手くやってるんじゃないんですかね」

めぐり「そういえば海浜総合とのクリスマスイベント、あれって比企谷くん達が手伝ってくれたんだって?」

八幡「知ってたんですか」

めぐり「うん、後からね」

そういえば一色はめぐり先輩には相談してなかったんだったなぁ……。



13: ◆//lmDzMOyo:2015/06/07(日) 13:43:27.47 ID:kRvT0Aa5o

それを聞いて、ふと去年のクリスマスのことを思い出した。

一色に依頼され、手伝ったあのクリスマスイベント。あれからもう一ヶ月と少しが経っている。ついこの間のように感じるが、もうそんなに経ったのか。時が経つのは早い。

しかしあれは大変だったな……雪ノ下、由比ヶ浜とも色々あったし……何よりあっちの生徒会長が無駄に曲者だったから本当にやりにくいったらありゃしなかったものだ。

めぐり「ちょっと遅いかもだけど、本当にありがとうね」

もし海浜総合高校の生徒会長があんな奴ではなく、めぐり先輩だったら俺ももっとやる気になってたんだろうけどなぁ……。いや、そのめぐり先輩が率いていた文化祭や体育祭もやる気だったかというと怪しいか。いやあれは相模が悪いめぐり先輩は悪くない。

八幡「別に城廻先輩がお礼を言う必要ないでしょう、あれは一色たちの問題ですよ」

めぐり「まぁまぁ。生徒会を手伝ってくれたのには、本当に感謝してるんだよ」

そう言うと、めぐり先輩の表情が暗くなる。そうして、少し俯いた。



14: ◆//lmDzMOyo:2015/06/07(日) 13:43:54.82 ID:kRvT0Aa5o

めぐり「私はもうそろそろ卒業しちゃうからさ、あの大好きな生徒会を助けることはもう出来ないの」

八幡「あっ……」

騒がしいショッピングモール内でも、小声で呟かれたその言葉は不思議と俺の耳に届いた。

そういわれて、今の日付を思い出す。もう二月なのだ。

そして、めぐり先輩はもう三年生。あと一ヶ月もすれば卒業なのだ。

八幡「城廻先輩……」

少々暗くなってしまった雰囲気をどうにかすべきかと、先輩の苗字を呼ぶ。

しかし顔をあげためぐり先輩の顔には、再びほんわかぱっぱとした笑みが浮かんでいた。



15: ◆//lmDzMOyo:2015/06/07(日) 13:44:23.69 ID:kRvT0Aa5o

めぐり「でも、比企谷くん達もいるから安心だね!」

八幡「……いや、俺たち生徒会じゃないんですけど」

そうは言いつつも、最近は実質生徒会みたいな状態になっているのは否めない。

特につい先日までやっていたフリーペーパーの件に至っては、生徒会より奉仕部の方が動員している人数が多かったほどだ。いやまぁ他の生徒会の面子は決算のあれこれで動けなかったと一色が言っていたため、決してサボっていたと言う訳じゃないのは分かっているのだが。

めぐり「これからも一色さん達が困ってたら、助けてあげてね」

八幡「まぁ、奉仕部として出来る限りなら」

めぐり「そっか、じゃあ安心だ」

そう言って笑っためぐり先輩を前に、思わず心臓がドキッと跳ねたような気がした。

やっべぇ、今の笑顔の破壊力はやばかった……。笑顔を向けるだけで男子の寿命縮めるとかマジなにもんだよこの人。もはや笑顔テロとでも名付けるべきだと思う。ちなみに他には戸塚もたまにそのテロを行なっている。



16: ◆//lmDzMOyo:2015/06/07(日) 13:44:53.32 ID:kRvT0Aa5o

めぐり「あっ、プリクラがあるよ! そうだ、比企谷くん。私と一緒に撮ろう!」

八幡「えっあっちょっ、城廻先輩!?」

ショッピングモール内にあるゲームコーナーのプリクラの筐体を見つけると、めぐり先輩はてててーっと走り出してしまった。俺も遅れてそれを追いかける。

そういえば、もう卒業の時期だったのだ。

あのほんわか笑みを浮かべためぐり先輩も、内では寂しく思っていたりするのだろうか。

めぐり先輩は、自分がいた生徒会を大好きだと言っていた。

俺には今までに大好きだと胸を張って言えるような居場所はない。強いて言うなら自宅。

そこでふと、あの奉仕部の部室が頭に浮かんだ。

俺にもいつか。大好きだと。そう思える場所ができるのだろうかと。

そんなことを想った。

めぐり「ほら、撮るよ比企谷くん」

待ってだから近い近い柔らかい意外と大きい近い近いいい匂い近いって!!



24: ◆//lmDzMOyo:2015/06/08(月) 00:22:47.43 ID:CozIzlQ4o

   ×  ×  ×


めぐり先輩の件があった翌日。

月曜の朝はただでさえ布団から出るのが億劫なのだが、それに厳しい寒さが加わると本当にもう出たくなくなる。

いっそこのまま布団の温もりに身を委ねてしまおうと思ったが、小町に蹴り飛ばされて渋々家を出た。

寒い日の自転車通学というのは、耳は冷たくなるわ冷たい風はマトモに食らうわ、挙句ようやく体が温まったと思えば学校に着いてから汗が冷えて余計に寒く感じるわでろくなことがない。ちなみに夏はと言えば汗のせいでシャツが蒸れて余計に暑く感じるので、やっぱりろくなことがない。

教室に入ると、いつも通り誰とも挨拶を交わさずに自分の席に着く。

戸塚はまだ朝練が終わっていないのか教室に姿はなく、由比ヶ浜はいつもの三浦や葉山たちと輪を囲んで話をしている。

マラソン大会の一件によって葉山と雪ノ下の噂もすっかり息を潜め、あのグループも前と同じようになっているようだ。



25: ◆//lmDzMOyo:2015/06/08(月) 00:23:16.67 ID:CozIzlQ4o

ふと、あのグループの方に視線が向かってしまった。

三浦「でさー、今日の朝とかちょー寒くてさー」

三浦は進路の件が終わったからか、前より活き活きとしているように見えた。

それは俺が先日の件で葉山に対する想いなどの事情も知ってしまったからというのもあるだろうが、色眼鏡抜きで見ても今の三浦は前より可愛くなっていると感じる。

恋する乙女はなんとやらという奴だろうか。

そんな頭の悪そうなフレーズなどずっと馬鹿にしていたが、いざこうして目にすると意外と侮れないなと思う。

だが、その三浦ではない、別のところで違和感を覚えた。

戸部「わかるわー、今日とかもう布団から出るのめっちゃ嫌でさー」

葉山「全く、テストも近いんだから気を抜くなよ」

八幡「……?」

だが少しの間眺めていてもその違和感の正体が分からなかったので、俺はそれ以上あのグループの方を見るのをやめた。

別に戸部と俺の意見が被って一緒にすんなとか思ったわけではない。戸部と俺どころか、全人類の大半は冬の朝には布団から出たくないと考えているだろう。

まぁ、例え何かがいつもと違ったところで俺が気にすることでもない。

あいつらのことはあいつらでなんとかするだろうし、そもそも俺は人のことを気にかけてやれるほど余裕があるわけじゃない。自分のことすら上手く出来ているわけじゃないのにな。



26: ◆//lmDzMOyo:2015/06/08(月) 00:23:54.42 ID:CozIzlQ4o

そう結論付けて前の黒板の方に視線をやると、戸塚が扉を開けて教室に入ってくるのが見えた。

戸塚は俺の視線に気がつくと、そのまま真っ直ぐに俺の席にとててっとやってきた。

戸塚「八幡、おはよう!」

八幡「おお……おはよう」

ぱあっと輝く戸塚の笑顔を見て、俺の太陽はここにあったと確信した。

例え季節が冬で身を切るような寒さであろうとも、戸塚を見た瞬間に心がぽっかぽかになってくる。

戸塚「……どうかしたの?」

八幡「戸塚、俺の太陽になってくれ」

戸塚「は、八幡? 意味が分からないよ……?」

首を傾げてはてなという顔をした戸塚もやっぱり可愛い。いやもうほんと、戸塚が我が家にいれば冬の寒さに負けて布団に引きこもろうとか考えなくなるんだろうなぁ。



27: ◆//lmDzMOyo:2015/06/08(月) 00:24:21.68 ID:CozIzlQ4o

    ×  ×  ×


放課後の部室。

俺は湯呑みに口をつけ、一息に紅茶を飲み干してからほうっと小さく息を吐いた。

いや、暖房と暖かい飲み物というものは本当に良いものだ。

体が内外ともに温まり、先ほどまで感じていた寒さを感じなくなる。これで俺の太陽こと戸塚もこの場にいたら完璧だったのに。

確かな文明の勝利を感じながら、部室をちらっと見渡してみた。

いつも通りの位置に、雪ノ下雪乃と由比ヶ浜結衣の二人がいる。

その二人は雑談に花を咲かせており、俺は本のページを繰りながら落ち着いた声音と元気な声のおしゃべりに耳を傾けていた。

この前まで一色が持ってきたフリーペーパーの件で仕事に追われる日々が続いていたので、こういうまったりとした空気を感じるのは久しぶりであった。

もう一度紅茶を啜りながら、平和の尊さについて考えを巡らせた。戸塚が地球の神になったら世界平和が訪れたりしないかなー。

このまま平和な日々が続けばいいなと思っていると、部室の扉がトントンと短くリズミカルに刻まれた音がした。

……俺が平和を願うとろくなことが起きねぇなと、若干恨みがかった視線を扉に向けた。



28: ◆//lmDzMOyo:2015/06/08(月) 00:25:21.56 ID:CozIzlQ4o

雪乃「どうぞ」

そんな俺のことなどよそに、雪ノ下がそう声をかけた。いやまさかこの前のあれが終わった直後でまたすぐに一色が仕事を持ってくることなんてないよな……とそう思いながら開け放たれた扉を眺めた。

いろは「こんにちはー」

亜麻色の髪が揺れるのが視界に入ると、若干俺の中の警戒レベルが上がる。

遊びに来ただけだよな? そうだよな? 今日ならなんで奉仕部にいるんだとか聞かないでやるから、頼むから仕事とか持ってこないでくれよ。

結衣「いろはちゃんだ、やっはろー! 今日はどしたの?」

いろは「遊びに来ちゃいましたー」

っしゃ良かったぁ! 仕事じゃねぇ! と俺は心の中でガッツポーズをする。思わず、顔にもその喜びが浮かんでしまった。

そんな俺の表情を見てしまったのか、一色がジト目でこちらを見つめてきた

いろは「……なんですか、先輩。わたしが来て嬉しいのは分かりますけど、ちょっとそのにやけ顔はどうかと思いますよ」

八幡「ちげぇよ、お前が面倒事を持ってこなくて良かったとほっとしてたんだよ」

いろは「えー、まるでわたしがいつも面倒事を持ってくるみたいな言い方やめてくれません?」

いや、割といつも持ってくるよね? と同意を求めたアイコンタクトを部内の二人に向けると、雪ノ下はうんうんと頷いていた。由比ヶ浜はそもそも俺のアイコンタクトにどんな意味が込められているのか気が付いていないのか、きょとんと首を傾げていた。



29: ◆//lmDzMOyo:2015/06/08(月) 00:25:51.05 ID:CozIzlQ4o

まぁ仕事を持ってきたわけじゃないなら、別にいいんだ。もうしばらくこの平和を感じていたいと考えていると、その一色の後ろにもうひとりの人影が見えた。

その人物も部室に入ると、ほんわかとした空気が感じ取れた。

編まれたお下げをぴょこぴょこと揺らし、前髪をピンで留めているおかげで丸出しになっているおでこがきらりと光る。

その人物は、前生徒会長の城廻めぐりだ。

めぐり「失礼しまーす」

八幡「城廻先輩……?」

雪乃「こんにちは、城廻先輩」

めぐり先輩がこの部室に来たのは、随分と久しぶりのような気がした。

最後に来たのは、一色を生徒会長にしたくない云々の時だったか。あの件も今となっては随分と昔のように感じる。あの頃の奉仕部の空気を思い出したくないだけなんだが。

そういえば、あの時もめぐり先輩は一色と並んで部室に入ってきたんだったな。

その二人が並んで一緒にいるのなんて、生徒会が関係しない場だと初めて見るような気がする。一色がめぐり先輩を苦手そうにしてるせいだろうけど。



30: ◆//lmDzMOyo:2015/06/08(月) 00:26:19.10 ID:CozIzlQ4o

雪乃「今日は、どのようなご用件で?」

雪ノ下は椅子に座った一色とめぐり先輩に紙コップに入れた紅茶を出しながら、そう尋ねた。

そういえば自由登校期間であるめぐり先輩がここにいるというのも珍しい。今日は特別な行事があったわけでもない。……強いて言えば節分の日だが、さすがに節分だから学校に来るなんて奴はおるまい。

めぐり「いや、別に用件とかじゃないんだ。一色さんと打ち合わせが合って、そのまま奉仕部に行くっていうから私もついでに遊びに来たんだ」

結衣「打ち合わせ?」

由比ヶ浜がその言葉に引っ掛かったのかそう聞くと、めぐり先輩はあははと笑った。

めぐり「ほら、来月には卒業式だから。それで送辞と答辞を考えようって」

雪乃「なるほど、それで生徒会長の一色さんに……」

雪ノ下が納得したように頷くと、一色はうだーと机に突っ伏した。

おそらく現生徒会長の一色が送辞、前生徒会長のめぐり先輩が答辞を担当するのだろう。立場的にはそれが一番妥当と言える。

しかし一色はいまいち乗り気でないのか、はたまた苦手なめぐり先輩と一緒にいるのがあれなのか、ぶーくさ言いながら文句を垂れ流していた。……こいつまさか、めぐり先輩と二人きりになるのが耐えられなくて奉仕部に逃げてきたな?



31: ◆//lmDzMOyo:2015/06/08(月) 00:26:45.41 ID:CozIzlQ4o

そこでふと、昨日のことを思い出す。めぐり先輩と二人きりといえば、昨日俺がそうだった。

そういえば昨日はめぐり先輩と二人で飯を食べに行って、二人でウィンドウショッピングを繰り広げ、二人でプ、プリクラを撮ったりしたんだった……。

そのことを思い返すと少々気恥ずかしくなって、めぐり先輩から目を逸らして一色の方を向いた。

八幡「……で、まさか俺たちに送辞やれとか依頼しにきたんじゃねぇだろうな」

いろは「先輩が送辞やったら、三年生の方たちから大ブーイングですよ……」

おいそりゃどういう意味だと一色を睨みつけると、由比ヶ浜を挟んで横に座っている雪ノ下も同意したように頷いていた。あなた今日やたら頷いてますね。

雪乃「確かに比企谷くんが送辞を受け持ったら三年生からはこう言われるでしょうね、私たちを冥土に送り出すつもりかって」

八幡「人を死神みたいに言うのやめてくんない?」

雪乃「いえ、冥土へ手招きするゾンビみたいと言うつもりだったのだけれど」

笑みを浮かべてそう言った雪ノ下は実に楽しそうだ。

何か言い返してやろうかと思ったが、このまま言い合ってもどうせ雪ノ下に丸め込まれるだけだと考え直した俺は再び一色に目線をやった。



32: ◆//lmDzMOyo:2015/06/08(月) 00:27:17.09 ID:CozIzlQ4o

八幡「じゃあ自分でやりきるってことだな、えらいえらい。奉仕部に丸投げされると思って冷や冷やしたわ」

いろは「いえ先輩なら大ブーイングですけど、雪ノ下先輩とかならどうかなーって」

そう言うと一色はちらちらっと雪ノ下の顔色を窺った。しかし雪ノ下は首を横に振りながら、やらないわと断った。

雪乃「生徒会長がやるべきだと思うわ」

いろは「ええー、そんなぁー」

媚びるように声色を伸ばす一色は今日もあざとい。ほんとこの子ったらそういうのどこで覚えてきたのかしら……。

雪ノ下に断られると、次に由比ヶ浜のほうへ向いた。

いろは「えーと、じゃあ結衣先輩は……やっぱ雪ノ下先輩、送辞やってみません?」

結衣「なんであたし飛ばしたし!?」

いやぁ、一色の判断は妥当だと思うけどなぁ。こいつ、多分カンペ見ながらでも漢字が読めないとか言い出しそうだし。

雪乃「残念だけれど、それは一色さん自身がやらなければ意味がないわ」

いろは「うえー……」

しかし一色も本気で丸投げするつもりはなかったのだろう、じゃあ卒業式のお手伝いだけでもお願いしますねと言うとあっさりと引き下がった。……おい待て、どさぐさに紛れて変な約束取り付けるんじゃねぇ。

そんな奉仕部と一色のやり取りをしばらく静観していためぐり先輩が、突然あはっと笑い出した。



33: ◆//lmDzMOyo:2015/06/08(月) 00:27:51.01 ID:CozIzlQ4o

めぐり「一色さんとみんな、すっごく仲良いね」

八幡「仲良いっていうか、体良く利用されているだけなんですけど……」

俺がそう返すと、一色がえーそんなことないですよーと語尾を伸ばして反論した。こいつ、ほんと全ての行動をあざとくしないと気が済まないのだろうか。

めぐり「やっぱり昨日も言った通り、奉仕部のみんなが手伝ってくれれば生徒会は安心だねっ」

めぐり先輩が俺の方向を見ながらそう言った。あの、出来れば昨日の事とか言わないで欲しいんですけどって思った瞬間に、一色が身を乗り出してきた。

いろは「あれ、城廻先輩、昨日先輩と会ったんですか?」

そこに気が付くとは、やはり天才か……いや、ほんとなんでそこに気が付くかなぁこいつと若干恨みを込めた目線を一色に向けた。しかし一色は俺の方を向いておらず、めぐり先輩の方を向いてしまっていた。

めぐり「うん。昨日ね、比企谷くんに助けてもらったんだー」

結衣「え、えっ、ヒッキーに?」

ああー言っちゃったよこの人ーと思っていると、由比ヶ浜が興味津々そうに机に乗り出してきた。見れば、その横にいる雪ノ下までなんか興味深そうに聞き耳を立てている。

めぐり「昨日ね、男の人に絡まれてたら比企谷くんが助けてくれたの」

ほんわかぱっぱとした雰囲気を出しながら笑うめぐり先輩に対して、俺は額から冷や汗を流していた。いや、その俺マジで何もしてないんすけど……。

ああなんか変な誤解をされそうだなって横を見てみると、案の定由比ヶ浜と一色が食いついていた。



34: ◆//lmDzMOyo:2015/06/08(月) 00:28:18.97 ID:CozIzlQ4o

結衣「えっ、ヒッキーが……!?」

いろは「先輩が……? え、ありえないんですけど」

誤解も何も、そもそも信じてくれていなかった。そりゃそうか。俺が野郎に絡まれている美女を颯爽と助けるイメージなど、説明されようが思い浮かばないだろう。

いやー思ったより話が変な方向に行かなくて良かった。あとは適当に言ってればこの話題も流れるだろうと思っていた時だった。

めぐり「そのあとね、比企谷くんと二人でお出かけしたの。あっプリクラも撮ったんだよね、比企谷くん」

天然物の天然さんをナメていた。

まさか弩級の爆弾をいきなり投げ込んでくるとは思わなかった。

なんでそのこと言っちゃうんですかとやや責めるような視線をめぐり先輩に送ったが、当の先輩はほんわかと笑っているだけで俺の目線には気が付いていなかった。お願いだからこっち見てこっち。

そして横の由比ヶ浜、向かいにいた一色がガタンと椅子から立ち上がった。

結衣「プププ、プリクラ!?」

いろは「ちょっとどういうことですか先輩!」

八幡「なんで俺が責められてんだよ……」

こうなったら適当に知らん振りを続けて話題が次に移るまで待つしかないかと考えていると、めぐり先輩は自分の鞄をガサゴソと漁ると、光沢紙のようなものを取り出した。

……待って、まさかそれ。



35: ◆//lmDzMOyo:2015/06/08(月) 00:28:45.53 ID:CozIzlQ4o

めぐり「ほら、これなんだけど──」

いろは「ちょっと見せてもらっていいですか」

めぐり先輩が取り出した何かを見ると、一瞬で一色がめぐり先輩からバッとそれを奪い去った。

そしてそれを机に置くと、雪ノ下、由比ヶ浜の三人でそのプリクラを囲んで吟味するようにジロジロと見始めた。っていうか、やっぱりプリクラじゃねぇか!!

雪乃「……これは」

結衣「わ、わー……」

いろは「……先輩、随分と楽しそうですね?」

それを見た雪ノ下は手を顎にやりながら何かを思案し始め、由比ヶ浜は顔を赤らめながらそのプリクラをじろじろと見ており、一色は何故か責めるような目線を俺に送ってきた。いや、つい先日お前にも無理矢理写真撮られたことありましたよね……?

八幡「おい、恥ずかしいからもうやめろ……」

一応そう言ったのだが、三人はその写真と俺を見比べるのをやめなかった。いや、その、ほんと恥ずかしいんでやめて……。

雪乃「……一体、どんな脅し方をしたのかしら」

いや、めぐり先輩から頼んできたんですよ。ほんとだよしんじて。ぷるぷる。

結衣「……ヒッキー、ちょっと近寄り過ぎてない?」

俺は離れようとしたのに、めぐり先輩がもっと近寄んないと入らないよーって近づいてきたんだよ! ほんと近かったしいい匂いだったよ畜生!

いろは「……」

あの、一色さん? 無言で睨みつけられても反応に困りますよ? 心なしか今チッって舌打ちしませんでしたか? ねぇ?



36: ◆//lmDzMOyo:2015/06/08(月) 00:29:14.14 ID:CozIzlQ4o

めぐり「昨日は楽しかったよねー、比企谷くん」

しかしそんな不穏な雰囲気を知ってか知らずか、めぐり先輩はそう言って微笑みかけてきた。危なかった。中学生までの俺なら多分この後告白しにいって玉砕してた。

あのですね、めぐり先輩? めぐり先輩に悪気はないんでしょうけど、その微笑みは簡単に経験値の薄い男子を落とすから安易に向けるのはやめてくださいね? ほんまテロやでぇ……。戸塚にも今度気をつけるように言って置こう。

さて、未だにあのプリクラを掴んで離さない由比ヶ浜と一色からどう取り戻そうかと思考し始めると、机を挟んだ前にいるめぐり先輩が顔をぐいっとこちらに近づけてきた。

思ったより近い距離にまで顔を近づけられ、思わず顔を引いてしまった。あぶねぇ、今俺も顔を前にやってたら頭と頭がごっつんこしてたよ。

めぐり「そういえば」

しかしめぐり先輩はそんな俺のリアクションには構わず、その口を開いた。


めぐり「比企谷くん、バレンタインデーって知ってる?」

八幡「はい?」



56: ◆//lmDzMOyo:2015/06/08(月) 23:03:00.90 ID:CozIzlQ4o

今までの話の流れとは全く関係の無い話題を突然振られた俺は、少々混乱しながらもそのばれんたいんでーとやらが何なのかを思考する。

ばれんたいんでー……ああ、あの元プロ野球選手のボビー・バレンタイン氏を祝おうの日か。

あの千葉ロッテマリーンズの監督を務めていたことのある偉大な人であり、今でも千葉大学などの教授をやっているなど、この千葉県とは随分と馴染みの深い人物なのだ。

そんな大事な日を忘れるわけが……あれっ、このネタ前にもやったような気がするな。

八幡「……あのお菓子メーカーの策略ですよね、やたら煽ってチョコを売り出そうとする日」

結衣「うわ……予想通りのリアクションだ……」

由比ヶ浜の顔が妙に引きつっていた。その隣にいる一色もドン引きしている。その可哀想なものを見る目をやめろ。

八幡「いや、だってそうだろ。女から男にチョコレートを渡すという文化は日本独自だが、そのバレンタインにチョコを渡すとか云々の流れを広めたのはお菓子メーカーの広告なんだぞ」

雪乃「随分と詳しいのね」

そりゃまぁ、言い訳探しのために若き日の俺は散々調べ漁ったからな……。

だが経験値を積みまくった今の俺に言い訳など必要ない。今の俺なら無心で下駄箱の中を覗きこみ、無心で机の中を確認し、無心で放課後の教室でちょっと待ってみたりする。おい煩悩だらけじゃねぇか。



57: ◆//lmDzMOyo:2015/06/08(月) 23:03:40.24 ID:CozIzlQ4o

八幡「……まぁ、一応知ってはいます。妹以外からはほとんど貰ったことないですけど」

再びめぐり先輩の方へ向くと、俺はそう言った。

本当のところは『ほとんど貰ったことがない』ではなく、『全く貰ったことがない』が正解なのだが、そこに関して突っ込まないで欲しい。男の子として最後に残ったひとかけらの見栄である。

めぐり「あはは……比企谷くんにも、チョコ持ってきてあげるからね」

俺の自虐に対して、めぐり先輩は少々困ったような顔をしながらそう返してくれた。……待て、今めぐり先輩チョコくれるって言わなかったか?

一瞬俺の心臓がドキッと跳ねたが、すぐに冷静さを取り戻す。クールになれ八幡。これは社交辞令だ。

めぐり先輩のような人だと、チョコを配り歩いたりするのも毎年恒例だったりするのだろう。だから、それにも深い意味は込められていない。勘違いしてはいけない。

ふぅ、おっけー八幡クールダウン完了。

八幡「あっ、ども……」

簡潔にそれだけ言って軽く頭を下げた。これが最適な返しなのだ。変にえっとか言って固まるのが一番やってはいけないリアクション。それをやった瞬間、えっちょっとやめてくんないみたいな表情をもれなくプレゼントされるぞ多分。冗談でもチョコあげるとか言われたことないから本当かどうかは知らん。



58: ◆//lmDzMOyo:2015/06/08(月) 23:04:07.69 ID:CozIzlQ4o

変な黒歴史を作らなくて良かったと安堵していると、横からむーと唸る声が聞こえてきた。そちらを見てみれば、由比ヶ浜がぷっくらと膨れながら俺のことを睨みつけていた。何? フグ?

結衣「ヒ、ヒッキー、あたしもチョコ作って持ってくるからね!」

八幡「そうか……なら、リクエストしてもいいか?」

結衣「えっリクエスト!? ……えっあっうん、もちろんいいよ! なんでも言ってよ! えへへ……」

八幡「手作りじゃないチョコだと嬉しい」

結衣「手作り全否定!?」

いや、だってほらねぇ……?

去年のクッキー作り以来少しでも進歩しているのならいいかもしれない。しかしあれから九ヶ月近く、ついぞ由比ヶ浜が料理をしたとかそういう話を一度も聞いたことがない。俺だって好き好んで不味いものを食べたくはないのだ。

その由比ヶ浜はうえーんと雪ノ下に泣き付いていた。

結衣「あっそだ、もちろんゆきのんにも手作りチョコ持ってくるからね!」

雪乃「ありがとう、由比ヶ浜さん……私も手作りじゃないと嬉しいわ」

結衣「二人揃って辛辣!?」

あの雪ノ下が珍しく由比ヶ浜から目を逸らしながらそう答えていた。まぁ酷かったもんな、前に持ってきたクッキーの出来。

結衣「ヒッキーの馬鹿! 頑張ってるのが伝わったら男心揺れるって言ったのヒッキーじゃん!! ……あっ」

八幡「よく覚えてんなそんなの……」

怒りのせいか顔を真っ赤に染め上げた由比ヶ浜をよそに、去年のクッキー作りの際に言い放った自分の言葉を思い出した。いやぁ、懐かしいなぁ。まさかそれから今の今まで由比ヶ浜との縁が続くことになるとは、当時の俺には想像も付かなかった。



59: ◆//lmDzMOyo:2015/06/08(月) 23:04:38.75 ID:CozIzlQ4o

そんな俺たちのやり取りを、一色がふーんと興味深そうに見つめていた。

いろは「へぇー、先輩そんなこと言ってたんですかー」

八幡「昔の話だけどな」

いろは「あっ、そうだ。実はわたし結構お菓子作り得意なんですよー。葉山先輩にも頑張って作っちゃおうかなー。なんなら先輩にもちょっとだけ分けてあげてもいいですよ」

八幡「いらんわ」

えっ、何? こいつ実はお菓子作りが得意なんて設定まであったの?

なんていうか、もう特技欄にお菓子作りなんて書いてあったらそれだけであざといなって思う。あざといなさすがいろはすあざとい。

そう適当にあしらうと、一色はなんですかーとわざとらしく怒りながら胸元で拳を握った。

いろは「もう、先輩絶対疑ってますよね!? 私がお菓子作りなんて出来るわけないって」

八幡「ああ」

いろは「即答しないでください! いいですよ、だったらバレンタインデー楽しみにしていてくださいね! 絶対おいしいって言わせてあげますからね!」

腕を組みながら激おこぷんぷん丸とばかりに一色がそう言ってきたので、俺はへーへー期待してるよと適当に返しながら、再びめぐり先輩の方を向いた。さっきから話が脱線しまくりである。



60: ◆//lmDzMOyo:2015/06/08(月) 23:05:07.16 ID:CozIzlQ4o

八幡「で、バレンタインデーがどうかしたんですか?」

めぐり「うん、去年の総武高校のバレンタインデーのイベントって覚えてるかな?」

えっ、なにそれ初めて聞いた。この高校わざわざバレンタインにイベントなんてやってんの?

困惑しながら横を見てみると、雪ノ下もはてなと首を傾げていた。しかし由比ヶ浜は、あーと何かを思い出したかのように掌をぽんと叩いている。マジであったの……。

結衣「あれですよね、体育館に集まってパーティみたいなことやりましたよね」

めぐり「うん、そうだよ。そこで今年も生徒会でそれをやろうってことになって」

めぐり先輩がそう言うと、隣にいる一色がその言葉の後を継いだ。

いろは「そうそうそんなのがあるんですよ。そこでですね、奉仕部の皆さんの力を借りたいなと思いまして」

……結局、結局面倒事を持ち込まれるんかい!!

俺は肩を落としながら、露骨に嫌そうな顔になる。

八幡「……うちはなんでも屋じゃねーんだよって、前にも言わなかったっけか」

いろは「えー? そんなこと言ってましたっけ?」

きゃるんとした猫撫で声でとぼけやがった一色に対して、絶対にやりたくないと目線で訴える。しかし、そこで隣の由比ヶ浜がバンと机を叩いてきた。

結衣「いいじゃん! あたし達も手伝おうよ!」

そう言った由比ヶ浜の表情はやたらと輝いていた。しかしそれに対して俺の心は穏やかではない。あのね、誰もがバレンタインデーっていう日を楽しみにしているわけじゃないの。俺とかまさにその筆頭。あと単純に働きたくない。



61: ◆//lmDzMOyo:2015/06/08(月) 23:05:36.55 ID:CozIzlQ4o

雪ノ下も、あまり乗り気ではなさそうに目を細めた。

雪乃「……奉仕部の活動としては、どうなのかしら」

いろは「えー、そんなこと言わないでくださいよー」

まぁそれを言ってしまうとここ最近生徒会の手伝いばっかで、ほんと奉仕部の活動としてどうなのかとか言い始めたらここ数ヶ月何やってたんだって話になるんですけどね。

しかし何であろうとも俺は働きたくない。せっかく先ほどまで平和を享受していたのだ。もうしばらく平和の恩恵に与っていたい。どうにかうまく断ってくれないものかと、期待を込めて雪ノ下と一色のやり取りに耳を傾ける。

いろは「うう……だめ、ですか?」

雪乃「……んん」

一色が肩を落として雪ノ下を上目遣いで見上げる。じーっと甘えるような一色の視線を向けられ続けた雪ノ下は少し肩身が狭そうに身を捩って咳払いをした。あかん、雪ノ下さんほんとこういった言葉や仕草相手には弱い。このままでは陥落してしまう。

雪乃「……比企谷くんは、どう思う?」

居心地が悪そうにして一色から目を逸らすと、雪ノ下は俺にそう丸投げしてきた。おい部長、フリーペーパーの時といい、一色の頼みを真正面から断れないからって俺に投げるのやめない? あなた最近ほんと一色に対して甘過ぎますよ?



62: ◆//lmDzMOyo:2015/06/08(月) 23:06:02.83 ID:CozIzlQ4o

しかし、俺に最終決定権が委ねられているというのであれば答えは一つだ。前回とは違ってもう一色の泣き落としは食らわんぞ! 今度こそ俺は、俺は社蓄ライフを回避するんだ! と決意を強く固めた時、ぽんと優しく肩を叩かれた。

振り向いてみれば、めぐり先輩がほんわか笑顔を浮かべて俺の顔を見ている。

めぐり「比企谷くん達が手伝ってくれると、私は嬉しいなぁ」

八幡「うっ……!」

めぐり先輩の無垢な目線を向けられた俺の精神がぐらっと揺れた。小町の云々によって年下からの泣き落としに弱いと思えば、実は俺、年上からの頼みにも弱いのかもしれない。もうそれ断れない日本人の典型じゃねぇか。

さてどうやって返事をしようと思っていると、めぐり先輩はさらに言葉を続ける。

めぐり「今回のイベントは、私もお手伝いするからね」

八幡「城廻先輩も?」

思わずそう聞き返してしまった。めぐり先輩はとうに生徒会を引退した身であり、また自由登校期間なので学校に来る強制力すらないはずだ。

そう疑問に思っていると、めぐり先輩はあはっと笑う。

めぐり「このイベントはね、三年生も参加するんだよ。もちろん、受験が終わってる人が中心にはなりそうだけどね」

八幡「そうなんですか……」

二月十四日……大学受験の日程に詳しい訳じゃないが、まぁ終わっている人は終わっているのだろう。全員ではないのだろうが。



63: ◆//lmDzMOyo:2015/06/08(月) 23:06:31.29 ID:CozIzlQ4o

ふと、めぐり先輩の笑顔に陰が差した。

めぐり「このイベントはね、三年生にとっては最後のお祭りなの」

八幡「……あ」

そう小声で呟いためぐり先輩の表情は暗い。どう声を掛けたものかと考えていると、めぐり先輩は再び笑顔を浮かべながら顔を上げて俺の顔を見た。

めぐり「だからね、できればみんなの思い出になるようなイベントにしたいって思うんだ」

ほんわかとした笑顔、しかしその目からは真剣な想いがこちらにまで伝わる。やや抜けているような雰囲気を持ちながらも、確かに前生徒会長を全うした毅然さがあった。

そんなめぐり先輩にじーっと見つめられると、俺もそれに反対し辛い。

少しの間考える振りをしてみたが、もう仕方ねぇかめぐり先輩の頼みだもんなグッバイ平和と覚悟を決めた、

八幡「……分かりましたよ」

めぐり「ほんと? ありがとう!」

いろは「いやー、超助かりますよー」

そう言って生徒会長ズがわーいと喜びの声をあげた。あのな、別に一色のためじゃないからな、あくまでめぐり先輩の頼みだから聞いてあげるってだけなんだからな。そこんところ勘違いしないでよね!



64: ◆//lmDzMOyo:2015/06/08(月) 23:07:04.16 ID:CozIzlQ4o

八幡「……いいか?」

結局断りきれなくてすまんと雪ノ下の方を向くと、雪ノ下は深々とため息をついていた。

雪乃「はぁ……仕方がないわね」

しかし言葉の上ではそうは言っても、雪ノ下の表情を窺ってみるとそこまで嫌そうには見えない。そしてその隣にいる由比ヶ浜は元々賛成派だったので、喜びながら一色とハイタッチをしていた。

いろは「それではよろしくお願いしますね、結衣先輩!」

結衣「うん、こっちもよろしくね!」

別に奉仕部がいなくても十分みんなの思い出になりそうなイベントくらい出来そうなんだけどなーって考えるも、今更そんなネガティブ意見を言い出せる雰囲気ではなくなったので心の中に留めておいた。

部室の時計を見ると、もうそろそろ帰宅してもいい頃合だ。詳しい打ち合わせは明日以降になるだろう。

八幡「一応聞いておくけど、今回は時間は平気なんだろうな……あと答辞と送辞は大丈夫なのか?」

いろは「大丈夫だと思いますよー。バレンタインデーは来週の金曜日ですし、卒業式まではまだあと一ヶ月あるんでゆっくり考えます」

まだあと一ヶ月って言う奴ほど後でもう一ヶ月経ったのとか抜かすんですけどね……。まぁ、フリーペーパーの時のように日程に不安があるわけでもなく、文化祭やクリスマスイベントの時のように人材に不安があるわけでもない。

それなら平気かと、少しでもポジティブに考えることにした。

雪乃「それでは今日は解散にして、また明日以降詳しい段取りを話し合いましょう」

雪ノ下がそう締めると、各自自分の荷物をまとめはじめた。

また明日から仕事の日々かぁ……と心の中で愚痴りながら読みかけの本を鞄の中に入れる。俺にも社蓄の両親の血が流れているんだなぁとしみじみと感じる今日このごろです。

八幡「じゃ、帰るか……」

いろは「あっそういえば先輩、どんな感じでプリクラ撮ったのか教えてくださいよー」

えっ、またその話蒸し返すの!?



74: ◆//lmDzMOyo:2015/06/09(火) 21:48:59.13 ID:f0GByho2o

      ×  ×  ×


翌日の放課後、俺はまたいつものように奉仕部の扉を開けて中に入る。

部室の中は既に雪ノ下によって暖気されていて、ほっと息を吐き、いつもの席に座った。

雪乃「どうぞ」

八幡「さんきゅ」

雪ノ下が淹れてくれた紅茶をふーふーしながら、湯呑みを口に運んだ。次の瞬間、体の中に暖かいものが流れていくのを感じる。

体の外も中も温まるのを感じながら、ほうっと息を吐く。あーほっこりする。このままぐーだらしていたい。

しかし今日からはバレンタインデーのイベントのなんちゃらとやらで仕事が始まるのであった。

何故俺が、リア充共がイチャコラするための場作りのために働かなくてはならないのか。もういっそ運営の手伝いという立場からなんとかしてイベントを瓦解させるような行動を取るべきなのではないかと一瞬魔が差したが、めぐめぐめぐりん先輩が涙を浮かべる光景も同時にイメージしてしまったためにその案はお流れになってしまった。

めぐり先輩を泣かせてもみろ。信者共に一瞬で殺されるだろうし、なんなら俺もそれに加わるまである。

だからと言って別に働きたくなるわけではないんだよなぁと思っていると、部室の扉がコンコンと叩かれる音がした。



75: ◆//lmDzMOyo:2015/06/09(火) 21:49:26.23 ID:f0GByho2o

雪乃「どうぞ」

めぐり「失礼しまーす」

雪ノ下が声をかけると、挨拶と同時に見慣れた人物が扉を開けて入ってきた。ほんわかとした空気が部室に流れる。

入ってきたのは、城廻めぐり。今回の依頼主の一人だ。

めぐり「こんにちはー」

雪乃「こんにちは、城廻先輩」

結衣「こんにちはー」

めぐり先輩が手を振りながら、雪ノ下と由比ヶ浜の二人に挨拶をする。その後、俺の方に振り向くとにぱーと笑いながらまた手を振ってきた。

めぐり「比企谷くんも、こんにちはっ」

八幡「あっ、ども」

軽く会釈を返す。あれっ、最初のこんにちはーは俺には向けられてなかったのかな……。俺の存在感の薄さは年々酷くなってきているような気がする。それとも単に同じ部屋にいる雪ノ下と由比ヶ浜の方が目立つだけだろうか。多分後者だな。

そこでふと、もう一人の依頼主の姿が見えないことに気が付く。



76: ◆//lmDzMOyo:2015/06/09(火) 21:49:53.99 ID:f0GByho2o

八幡「あれっ、一色はどうしたんですか」

俺がそう尋ねると、めぐり先輩は人差し指を顎に当てながらうーんと首を横に傾げた。うーん動作がいちいち可愛らしい。これがもし一色ならばはいはいあざといあざといと軽く流すのだが、めぐり先輩だと天然でやっている感じがして素直に可愛らしいと思えるのが不思議だ。……いや、まさかめぐり先輩が計算してこの動作をやっているわけがないだろ。ないよな。よし。俺たちのめぐり先輩が腹黒いわけがない。

めぐり「いや、私はさっき学校に来たばっかだから見てないや。ごめんね」

八幡「いや、謝らなくても」

そこで、そもそもめぐり先輩は授業があるわけでも生徒会の集まりがあるわけでもないということを思い出した。いいなぁ俺もこの時間から学校に登校してぇなぁ、俺たちも早く自由登校期間にならねぇかな。いやあと十ヶ月以上先の話だろうが。

しばらくめぐり先輩と由比ヶ浜たちの会話に耳を傾けていると、再び扉がこんこんと叩かれる音がした。

雪乃「どうぞ」

いろは「こんにちはー」

雪ノ下が声を掛けると同時に扉が開き、ぺこりと頭を下げながら一色いろはが部室の中に入ってきた。

めぐり「一色さん、こんにちは」

結衣「おー、いろはちゃん。やっはろー!」

二人がそう言うと、一色はどもですーと再び頭を軽く下げた。その後視線がきょろきょろと動くと、俺の方を向いて三度目のおじきをした。

いろは「先輩も、どもでーす」

八幡「……おう」

めぐり先輩といい、最初のこんにちはーには俺への挨拶は含まれていないのかなぁ。それとも、最初に挨拶をした後にまたひとりひとりに挨拶をしなくちゃいけないみたいな決まりがあるのだろうか。それ二度手間じゃねぇかな。



77: ◆//lmDzMOyo:2015/06/09(火) 21:50:26.30 ID:f0GByho2o

一色が席についてノートとペンを取り出すと、雪ノ下が軽く咳払いをした。

雪乃「それでは、バレンタインデーイベントの打ち合わせをするとしましょう」

雪ノ下がそう号令をかけたが、その前に前提として俺はバレンタインデーイベントとやらがどんなものなのかを全く知らない。それを知らなければ何も言えないだろうと考え、一色に向かって声を掛けた。

八幡「そもそもバレンタインデーイベントって、一体どんなことをやるんだ? 俺は去年出てないから知らないんだが」

いろは「わたしだって去年は出てませんよー」

そりゃそうだ、一色は一年生である。聞く相手をミスった。次に由比ヶ浜の方に目をやる。

結衣「えーとね、なんかみんなでお菓子とか食べてねー、ぱーって騒ぐっていうか」

アバウト過ぎてお菓子を食べる以外何も分からねぇ。これもまた聞く相手をミスった。次にめぐり先輩の方に目をやる。

めぐり「えーとね、場所は体育館を使うんだけど、そこで机を出してお菓子をみんなで食べるパーティをするんだよ。交流会とかそんな感じかなぁ?」

なるほど、分からん。いや由比ヶ浜よりはまだ伝わったのだが、そもそも俺には交流会というものがなんなのか全く分からないのだ。八幡には交流というものが分からぬ。八幡は、ただのぼっちである。本を読み、ゲームをしながら暮らしてきた。けれども他人の視線に対しては、人一倍敏感であった。

雪乃「なるほど、立食パーティのようなものね」

しかし同じくぼっちであるはずの雪ノ下にはそれだけで通じたようであった。そういや雪ノ下はパーティというもの自体にはそこそこ慣れていたのだった。となると、今この中で全く意味を理解していないのは俺一人ということである。こんな些細なことでも一人ぼっちになれるのが、さすが俺といったところか。



78: ◆//lmDzMOyo:2015/06/09(火) 21:50:52.83 ID:f0GByho2o

めぐり「一応、去年の様子を撮った写真も持ってきたんだー」

鞄をごそごそと漁りながら、めぐり先輩はそう言った。そして複数枚の写真を取り出すと机に広げた。

なるほど、こうやって画像として見せられるとどんな感じなのかイメージしやすい。

だがこういった写真に映っているのは大抵ウェーイ系なので、見ていて三秒で気分が悪くなった。よく見ると、一年生の時の葉山や戸部が映っている写真まである。

八幡「……ん?」

ふと、他にも知っている人物が映っている写真を見つけた。

その人物からは、写真越しでもそのほんわかとした人柄を感じられる。ていうか去年のめぐり先輩だった。

今より少々幼く感じられるその写真の中のめぐり先輩と今のめぐり先輩を見比べようと顔を上げると、めぐり先輩と目が合う。

すると、めぐり先輩の写真を見ていたことに気が付いたのか、焦ったようにバッとその写真を取り上げられてしまった。

めぐり「あっ、やだよもう……恥ずかしいよ……」

そっぽを向きながら小声で言っためぐり先輩の頬は、まるで桜色と表現するに相応しい色に染まっている。

そのままぷいっと顔をそむけられてしまい、ぷくーっとむくれてしまった。一色がやればあざとさを感じたであろうが、めぐり先輩がやるそれには本当に可愛らしいという言葉が似合う。

八幡「あっ、すいません」

反射的にそう謝ると、めぐり先輩は頬を膨らませながらも俺の顔を見た。

めぐり「もう、比企谷くんったら……」

そう顔を赤らめながら上目遣いでこちらを見るめぐり先輩を前に、ドキッと自分の心臓が跳ねて鼓動が早くなるのを感じる。めぐり先輩のそれは本当に卑怯だと思う。



79: ◆//lmDzMOyo:2015/06/09(火) 21:51:20.26 ID:f0GByho2o

思わずそのめぐり先輩の顔に見惚れていると、俺の脇腹にずびしっと指が突き刺さった。

八幡「いてぇ!」

めぐり「わっ、どしたの?」

俺の脇腹に指を突き刺した先を見てみれば、横にいる由比ヶ浜が何故かジト目で俺の顔を見ている。どこか、怒っているようにも感じ取れた。

八幡「何すんだよ……」

結衣「別に……なーんかヤな感じ」

別にというくらいなら人の脇腹を思い切り刺すな、痛いから。

それともあれか、さっきのめぐり先輩の写真をジロジロと眺めていたのが悪いのか。まぁ確かにデリカシーがなかったかもしれん。

いろは「あのー、そろそろ話進めてもいいですかねー」

コンコンと机を叩く音がしたので、そちらの方に顔を向けてみると今度は一色が若干ご機嫌斜めになっていた。

八幡「ああ、すまん。で、イベントをどうするかだったか」

素直に一色に対して謝りながら、由比ヶ浜から目を逸らすように机の上にある写真を見る。

この写真の中に写る人たちは皆楽しそうにお菓子を食べていたり、カメラにピースをしていたりする。うっ、リア充を見ていると鳥肌が。実は俺、リア充を見ると死んでしまう病なんです。

いろは「なんていうかですね、去年より盛り上げたいっていうんですか? そんなアイデアがあるといいなって」

まるで去年の体育祭の際のめぐり先輩の頼みのようだ。あの時もあの時で大変だったなと心の中で懐かしみながら、机に置いてある写真に目をやる。



80: ◆//lmDzMOyo:2015/06/09(火) 21:51:46.45 ID:f0GByho2o

八幡「こいつらすでに楽しそうに見えるんだが、これ以上何をする気だ」

いろは「それを今から考えるんですよー」

いや、そもそもこれ以上のプラスアルファが本当に必要なのかって意味なんだが。

そう言おうとしたが、一色の隣でよーしみんなで考えよーと手を天井に向けて突き出しているめぐり先輩があまりに可愛らしかったので、その言葉は呑み込むことにした。

めぐり「去年は去年で楽しかったんだけど、ずっとお菓子ばっか食べてると太っちゃうような気がするんだよね……」

そういってめぐり先輩は自らのお腹をさすった。大丈夫ですよ、どう見ても太ってるようには見えません。……自分のお腹をさする女子ってエロいなぁ、変なフェチに目覚めそう。

八幡「お菓子を食べる以外のことはしてないんですか?」

結衣「んー、ずっと食べて雑談ばっかしてたねー」

めぐり先輩への疑問は、何故か横にいた由比ヶ浜が答えた。

八幡「菓子食いながら喋ってるだけかよ、それイベントって言っていいのか……」

結衣「あ、あはは……でもほら、色んな人と知り合えるチャンスだったし」

由比ヶ浜の人脈の広さなどはこういう時のマメな行動故なのだろうなと感じた。その頃の由比ヶ浜なら適当に薄い笑顔を浮かべて空気に合わせながら色んな人の間を行き来していたのだろう、簡単にイメージができる。

雪乃「挨拶回りね……なかなか、大変そうなイベントね」

由比ヶ浜を挟んでその横にいる雪ノ下は、ふっと息を吐きながらどこか遠くを見るような目になった。ああ、あんかそういう挨拶とか大変そうですもんねお宅のお家。



81: ◆//lmDzMOyo:2015/06/09(火) 21:52:17.10 ID:f0GByho2o

にしても、イベントを盛り上げるための案か……他人を楽しませようなんて考えて行動したことなどほとんどないから分からん。

写真に写っているこいつらは実に青春を謳歌してそうだ。ぶっちゃければ、なんでこいつらを楽しませるために俺の頭を回さにゃならんのだと感じる。この体育館をお前らの墓場にしてやろうか。

そこでふと、体育館のイベントと聞いてとあることを思い出した。

横の由比ヶ浜、雪ノ下。そして前にいるめぐり先輩らをくるっと見渡す。由比ヶ浜がどうしたの? と首を傾げていた。

結衣「……あたしの顔に何かついてる?」

八幡「いや、体育館のイベントと聞いて思い出してたんだよ」

数ヶ月ほど前、秋に行なわれた文化祭の最後のステージを思い出す

俺は一人で、そして一番後ろで眺めていただけだったが、今でも目を閉じればすぐにその光景が目に浮かぶ。

忘れられない、あの光景が。

八幡「ほら、お前らバンドやってただろ」

結衣「ああー」

由比ヶ浜がポンと手を打った。雪ノ下も思い出したようにそんなこともあったわねと言葉を漏らした。

いろは「私も見てましたよー、あれすごかったですよねー」

八幡「まぁ、なんだ。せっかく体育館使うなら、前のステージ使ってなんかやるのも悪くないんじゃねぇの」

他の面子に向かってそう言うと、由比ヶ浜がいいね! とどこぞのSNSのボタンと同じ言葉を返してきた。他の三人も概ね賛成のようだ。



82: ◆//lmDzMOyo:2015/06/09(火) 21:52:45.63 ID:f0GByho2o

雪乃「一色さん、前のステージを使うことは出来るのかしら」

いろは「許可を貰えば大丈夫だと思いますー」

めぐり「そういえば去年はそこ使ってなかったね」

前のステージが使える可能性が濃厚であることを確認すると、次に考えるべきなのはそこで何をするかだ。

雪乃「確か、このバレンタインデーイベントって放課後に行われるイベントだったかしら?」

結衣「うん、そだよー」

イベントといっても文化祭のようなものとは、また違うらしい。

強制参加ではなく、放課後体育館に来ることが出来る奴だけでやろうみたいなイベントのようだ。まぁ強制参加じゃなかったからこそ、俺が存在すら知らなかったわけだが。知っていたとしても、多分行ってないだろうが。

雪乃「放課後から完全下校時刻までがイベントの時間と考えると、ステージで何かを出来るグループの数も限られてくるわね」

雪ノ下がそう言いながら白紙の上に案と問題点を次々と書き込んでいく。確かに、文化祭と違って一日中行うというイベントでもない。使える時間は決して多くはないのだ。

しかし一度案が出ると、これはどうだあれはどうだと次々と新しい意見が出てくる。その意見の中で使えそうなものは保留、明らかに問題があるものは雪ノ下に即座に却下された。

思ったよりかなり好調な滑り出しだ。

……あれっ、会議ってこういうものだったっけ?



83: ◆//lmDzMOyo:2015/06/09(火) 21:53:18.35 ID:f0GByho2o

雪乃「比企谷くん、どうかしたの?」

八幡「いや、文化祭とか体育祭、クリスマスイベントの時の惨状を思い出していた」

雪乃「……確かに、あの時は決して良い会議が出来ていたとは言えなかったわね」

見れば全員が少しだけ何か苦い過去を思い出したかのように苦笑している。一色は相模の件を、めぐり先輩は玉縄の件を知らないだろうが、とりあえずここにいる面子は全員一度は進まない会議について経験しているということだ。

それに比べて、今回はどうだ。

少数だというのももちろん意見が出しやすいという条件にはなっているだろうが、元々こういったものをまとめるのが得意な雪ノ下とめぐり先輩はもちろん優秀だし、由比ヶ浜や一色もイベントへのモチベーションの高さからか積極的に会議に参加してくれている。

少数精鋭のメンバーが揃っていることで、話し合いが実にスムーズに進む。こういった話し合いだと人数がいた方が逆に進みにくいとかあるからな。だから俺とかいるだけ邪魔だろうし正直帰りたい。女子四人に囲まれているこの状況も、実は結構肩身が狭いのだ。

それからしばらく女子四名の話し合いを眺めていると、下校時刻になる頃には白紙だった紙にはかなり多くの意見が書かれていた。



84: ◆//lmDzMOyo:2015/06/09(火) 21:53:52.94 ID:f0GByho2o

雪乃「それでは、明日からはこれらの中で実用できるものを絞っていきましょう。他の生徒会の人たちはどうしているのかしら」

いろは「あっ、さっきメール来たんですけど、今日決算の件がようやく終わったそうなので明日から加われるそうです」

雪乃「分かったわ、明日からは会議室を使った方がいいかもしれないわね。鍵を返す時に、平塚先生に明日の放課後の会議室の使用許可を頂きましょう」

荷物をまとめながら、雪ノ下が明日以降の予定を一色と話し合っていた。本当にこういった事務処理では右に並ぶものがいないほどの優秀な奴だ。

そんな雪ノ下と一色の二人を眺めていると、ふふっと隣から笑い声が聞こえた。

見れば、めぐり先輩が俺の隣に立っていた。

八幡「……どうしたんですか」

めぐり「いやぁ、一色さんと雪ノ下さんがすっごい仲良さそうでよかったなって」

八幡「ああ……確かにそうですね。最近のあいつらは仲良さそうだと思いますよ」

最初の頃こそ、あまり雪ノ下と一色の相性は決して良くはなかったと思う。しかし今ではなんだかんだいい先輩後輩関係を結べているようだ。

その光景は、少し前の雪ノ下を知る者からすれば微笑ましく映るだろう。



85: ◆//lmDzMOyo:2015/06/09(火) 21:54:21.24 ID:f0GByho2o

かく言う俺も微笑ましく見守っていると、めぐり先輩が俺の肩を叩きながら目を合わせた。

めぐり「比企谷くんだって、一色さんととっても仲良さそうだよ?」

八幡「いや、あれ仲良いとかそういうんじゃないんですって」

いいところ、利用しやすい先輩程度の認識だろう。悪ければ奴隷扱いまで見える。

だが、めぐり先輩はえー絶対仲いいよーと俺の反論を受け付けなかった。

そして俺の目をみつめてくる。めぐり先輩の瞳はとても純粋で、穢れがないように感じた。

めぐり「私も、比企谷くんと仲良くしたいな」

八幡「まぁ……俺なんかで良ければ……」

本気でドキッとしたが、辛うじてそう言葉を返すことが出来た。するとめぐり先輩はあはっとほんわか満載の笑顔を浮かべる。

めぐり「うん、じゃあ仲良くしてね。比企谷くん!」

にぱっと笑うその笑顔には、裏があるようにはとても思えなかった。

とても純粋で、とても綺麗で、ただ真実の笑顔。

その笑顔に引き込まれそうになって、はっと途中で冷静になる。

……今まで、あの笑顔で何人の男の子が落ちていったのだろうだと。

そんなことを、考えた。



100: ◆//lmDzMOyo:2015/06/10(水) 23:59:37.69 ID:igKZ57p8o

ホームルームを終えると、俺はマフラーとコートを装着し、荷物をまとめて席を立つ。

確か今日からは一色以外の生徒会役員たちも仕事に加わるため、いつもの奉仕部ではなく広い会議室を使うことになるとのことだ。

ホームルームの後に会議室に直行するのは体育祭以来振りだ。俺より会議室に行ってる奴ってこの学校でもほとんどいないんじゃないの? もしかして俺ってかなりこの学校に貢献してない? いや、やりたくてやってるわけじゃないのだが。

一応大学受験の時に履歴書に書くネタくらいにはなるかなと考えながら、チラッと視線を教室の中に移す。

見れば由比ヶ浜はまだ三浦、海老名さんと話しているようだ。

海老名「じゃあユイはバレンタインイベントの運営をやるの?」

結衣「うん! あっでも当日は多分一緒にいられると思うよ。そういえば優美子ってまたバンドやってみたりしない?」

三浦「マジで、やっていいん?」

そういえば三浦も、去年の文化祭のステージで葉山たちと一緒にバンドを組んで演奏していたのだった。

その時俺は何をしていたかというと、どこぞの誰かさんを捜して東へ西へ屋上へえっちらほっちら走り回っていて直接見ていたわけじゃないので、すっかり忘れていた。



101: ◆//lmDzMOyo:2015/06/11(木) 00:00:05.15 ID:igKZ57p8o

三浦「あ、じゃあ……隼人たちに聞いてみて、いいって言うなら……」

顔を朱に染め、指をもじもじと動かしながら三浦がそう由比ヶ浜に返答していた。マズいよ、マズいですよ! 最近のあーしさんのヒロイン力が高すぎてマジあーしさんなんだけど。

結衣「ほんと? じゃあもしやるって決まったら連絡してね」

三浦「おっけー」

海老名「わたし達もなんか手伝えることあったら、言ってね」

結衣「うん、ありがとう! じゃあ部活行ってくるね」

由比ヶ浜はそう言って二人との話を切ると、てててーっと俺のところにまでやってきた。

結衣「ヒッキー、行こ?」

八幡「ん、ああ」

そういや由比ヶ浜たちの会話に聞き耳を立てていたので、先に教室の外に出ているのを忘れていた。少し周りを見渡してから、そのまま教室の外に出る。

放課後ということもあって教室に残ってた人も多くはなかったし、特に一番心配などこぞの誰かさんもいなかったし、まぁこの程度でどうこう言われることもなかろう。



102: ◆//lmDzMOyo:2015/06/11(木) 00:00:43.93 ID:jTfg0Xlpo

廊下に出ると、再び厳しい寒さが体を襲う。早いところ、廊下にもヒーターの導入を願うばかりだ。

横を歩く由比ヶ浜も寒さのせいか、体をぶるっと震わせた。

結衣「うう、寒いねー。じゃあ部室行こっか」

八幡「今日は部室じゃなくて、会議室だって昨日言ってただろ」

結衣「え? ……あっ、そうだった!」

言われて思い出したのか、手の上に軽い握り拳をぽんっと叩いた。昨日の帰りに雪ノ下に念を押して言いつけられていたはずなのだが、もう忘れちゃってたのん……?

そのまま会議室へ向かうルートを辿っていると、途中で雪ノ下と出会った。

結衣「あっ、ゆきのーん! やっはろー!」

雪乃「あら、由比ヶ浜さん。こんにち──ちょっと由比ヶ浜さん?」

そのまま由比ヶ浜が雪ノ下に向かって飛び込むように抱きつくと、雪ノ下の体がグラッと揺れた。

うーん、人通りの多い廊下で堂々とゆりゆりするとは。まぁ、こっちとしては滾るものがあるからいいんですけどね?



103: ◆//lmDzMOyo:2015/06/11(木) 00:01:10.23 ID:jTfg0Xlpo

結衣「えへへー、これならあったかいよねー」

雪乃「……暑苦しいわ」

結衣「えっ、苦しかった!? ごめんゆきのん!!」

ぼそっと雪ノ下が呟くと、由比ヶ浜がばっと雪ノ下から離れる。しかしそうすると、雪ノ下の顔がしゅんと落ち込んだ。

雪乃「あ、いえ、嫌だったわけじゃないの」

結衣「ゆきの──ん!!」

再び由比ヶ浜は満面の笑みを浮かべながら、がばっと雪ノ下に抱きつく。

雪ノ下が助けを求めるように俺の方へ目配せをしてくるが、当然俺はそれをスルーした。

……なんというか、なんだこれ。



104: ◆//lmDzMOyo:2015/06/11(木) 00:01:52.62 ID:jTfg0Xlpo

     ×  ×  ×


ゆりゆりちゅっちゅ劇を経て、俺と雪ノ下、由比ヶ浜は会議室の前に来ていた。

すると、めぐり先輩が向こう側の廊下からやってきていることに気が付いた。めぐり先輩も俺たちに気が付くと、挨拶のつもりか軽く手をふりながらとっとこと俺たちの傍にまで歩いてくる。その姿はどこぞのハム野郎なんぞとは比べ物にならないほどに可愛らしい。

めぐり「あっ、みんな! おはよう!」

八幡「……城廻先輩、もう放課後っすよ」

ほんわかオーラを振りまきながら何故か朝の挨拶をしためぐり先輩にそう指摘すると、はわわっと自分の口を抑えた。

めぐり「あっ、そうだった! さっき学校に来たばかりだから、なんか勘違いしちゃった」

まぁ、バイトとかも最初に入る時とかはおはようございますとか言うし。慣れてくるとおはざまーすとかおーすとかって省略されてくるってどっかのバイトの先輩が言っていたような気がするけど、そもそもそこまで慣れるほどひとつのバイト続いたことがないので分からん。



105: ◆//lmDzMOyo:2015/06/11(木) 00:02:19.64 ID:jTfg0Xlpo

めぐり「じゃあ改めまして。こんにちわっ、みんな! 今日もよろしくね」

雪乃「こんにちは、城廻先輩」

結衣「こんにちはー」

八幡「……ども」

改めて、にこやかに挨拶をしてきためぐり先輩に対して軽く頭を下げる。ああ~心がめぐりっしゅされるんじゃあ~。

もしもめぐり先輩と結婚したら毎日このほんわかとした雰囲気でおかえりっなんて言ってくれるのかな。それなら働いてもいいかな。結婚しよ。間違いなく振られるけど。

戸塚だけでなくめぐり先輩の笑顔もどこぞの美術館で永久保存するべきなんじゃないかなーと適当に考えながら、会議室の扉に手をかけた。鍵は開いておらず、中からは会話の声が聞こえる。ノックすると、どーぞーと間延びした声が聞こえてきたので、そのままガラッと扉を開いた。

会議室の中に入ると、中にいた一色と目が合う。

いろは「あっ、先輩!」

八幡「よお」

適当に手を挙げて一色に挨拶すると、とっとこと一色がこちらにやってきた。何? ハム太郎なの? 確かにハムスターに似てるところあるけど。あざといところとか。



106: ◆//lmDzMOyo:2015/06/11(木) 00:02:48.85 ID:jTfg0Xlpo

いろは「あっ、結衣先輩、雪ノ下先輩、城廻先輩もこんにちはー。今日もよろしくお願いしますねー」

結衣「やっはろー! いろはちゃん」

雪乃「こんにちは、一色さん」

めぐり「よろしくねー、一色さん」

各位がそれぞれ挨拶を済ませると、俺は机の一番端にある椅子を引いてそれに座った。

すると、隣の椅子も引かれる音がする。見れば城廻先輩が隣に座っていた。

めぐり「お隣いいかな?」

八幡「えっ、ああ、どうぞ」

若干キョドり気味(編注:がっつりキョドってました)にそう返事をすると、めぐり先輩がふふっと笑みを浮かべる。いや、ダメとは言えない質問にいい? って聞くのは本当にズルいと思うんですよね。ほらバイト中のこれやってもらっていい? とか。他の客に対応中でもなければ断れるわけねぇじゃん。

結衣「あっ……むぅ」

雪乃「由比ヶ浜さん、どうしたの?」

結衣「い、いや、なんでもないよー」

そんなズルくも眩しいめぐり先輩から目を逸らすように会議室の中をぐるっと見渡した。

向こう側の席には、今日から参戦する生徒会役員が三名座っている。えーと名前なんだったかな……思い出せないので福会長と書記とあともう一人でいいや。



107: ◆//lmDzMOyo:2015/06/11(木) 00:03:15.12 ID:jTfg0Xlpo

そして黒板の前で一色が一人でかっかっとチョークで文字を書いている。少しは長としての風格が出てきただろうか。

ふと、違和感を覚えて横のめぐり先輩をちらっと見る。めぐり先輩は、ん? と首を傾げていた。

めぐり「どうしたの、比企谷くん」

八幡「あ、いや、城廻先輩が前に立ってないで、こっちに座ってるのがちょっと違和感あるなって」

今までにこの部屋でめぐり先輩と会議をしたことは二度ある。文化祭と体育祭だ。

そして、そのどちらもめぐり先輩の位置は黒板の前であった。それが今では俺の隣になっているのだから、違和感を覚えるのも仕方がなかろう。

めぐり「一色さんも一人前の生徒会長だからね、一人で出来るよ!」

いろは「えーそんなことないですよー。あっ、だったら先輩一緒に前でやりません?」

八幡「やらねぇっつの」

しっしと手首を振ると、一色はもーなんでですかーとぶつくさ言いつつも黒板に再び文字を書いていく。本気で言っていたわけでもあるまい。

一色はチョークを置くと、こちらの方に振り返って堂々と宣言した。

いろは「それじゃあ、バレンタインデーイベントの打ち合わせを始めたいと思いまーす」

ま、よしんば本気だったとしても今のあいつならめぐり先輩の言うとおり一人でやれるだろ。

一色いろは。彼女はこの総武高校の立派な生徒会長である。



108: ◆//lmDzMOyo:2015/06/11(木) 00:03:41.30 ID:jTfg0Xlpo

    ×  ×  ×


いろは「じゃあ、今日はここまでにしましょー」

一色がそう言って締めると、会議室内の空気が緩んだ。

会議の進行についてはすこぶる好調で、やることについてはある程度決まってきていた。明日か明後日にはステージで何かをやりたい有志団体を募るポスターも配布することが出来るだろう。

今日から会議に参加した福会長たちも積極的に意見を出し、また他の意見を可能に出来るか色々と考えてくれた。

あまりに滞ることもなく順調に進んだので、逆に不安を覚えてしまっているほどだ。



109: ◆//lmDzMOyo:2015/06/11(木) 00:04:07.52 ID:jTfg0Xlpo

いや、当たり前といえば当たり前なのだ。

メンバーは(俺以外)全員高いモチベーションを保っていて、どこぞの文実の時の様に人数が欠落することもない。

そもそものイベント自体の規模も文化祭や体育祭に比べればはるかに小さいものだし、やらなければいけないこともそんなに多くない。会議の話題もやらなければならないことをいかにクリアするかというところより、プラスでさらにどう盛り上げるかというところが中心であった。

いろは「じゃあ、有志団体を募集するポスター作りお願いしちゃって大丈夫ですかー?」

この集まりのトップの一色も、どこぞの誰かさん──いい加減ぶっちゃけると相模のことだが──とは違ってきちんとやることをやれる人間だ。

雪乃「イラストを新しく用意する必要がありそうね」

そして変な足手まといがいないおかげで、事務仕事に置いて最強の雪ノ下のスペックが完璧に活かせる環境だ。ちなみに現時点俺はほとんど何もしてないので、足を引っ張ることすらしてない。

そんないい感じに回っている会議室の中を眺めていると、隣にいるめぐり先輩がふふっと笑った。

めぐり「本当、いい感じだね」

八幡「ええ、順調過ぎてびっくりしてます」

今まで関わってきたイベントでは必ずと言って良いほど何かしら面倒事があったものだが、メンバーが揃っていて、モチベーションがあって、日程にも余裕があるとこんなにもスピーディに物事が運ぶのかと感じる。

……ほんと、今までがおかしかっただけだよなあ……。



111: ◆//lmDzMOyo:2015/06/11(木) 00:05:05.75 ID:jTfg0Xlpo

すると、突然扉がガラッと開けられた。長くて綺麗な黒髪が、ふわっと広がる。

平塚「そろそろ下校時刻だぞー……おっ、城廻か」

めぐり「あっ、平塚先生。こんにちはー」

ノックもなく会議室に入ってきたのは平塚先生だった。雪ノ下が「ノックを……」と呟きながら、平塚先生のところへ向かった。

雪乃「ちょうど今、撤収するところです」

平塚「そうかそうか、準備は順調かね?」

雪乃「はい、今のところ全く問題ないかと」

雪ノ下がそう答えると、平塚先生はうむと満足げに頷いた。次に俺の姿を見つけると、そのままこちらにやってきた。

平塚「比企谷、君はちゃんとやっているかね」

八幡「一応、やっているつもりですけどね」

平塚「城廻、比企谷はちゃんとやっているかね」

えっ、めぐり先輩に聞きなおすの? そんなに信用ないの? だったら最初から聞かないでください。



112: ◆//lmDzMOyo:2015/06/11(木) 00:05:32.88 ID:jTfg0Xlpo

めぐり「はい、比企谷くんはちゃんとやってくれていると思います」

おお、さすがめぐめぐめぐりん先輩! 俺はそう答えてくれるって信じてましたよ!

めぐり「でも、比企谷くんの考えた面白いアイディアがないんですよね……」

げげーっとめぐり先輩の方を振り向く。まさかの女神の裏切りに、俺は動揺を隠せない。

すると平塚先生がポンと俺の方を叩きながら笑った。

平塚「いいじゃないか、比企谷。どうせだ、君の考えたアイディアでバレンタインデーイベントを盛り上げてみたまえ」

八幡「じゃあそうですね……いっそ、このバレンタインデーイベントで婚活でもしてみればぐぼあっ!!」

言い終わる前に俺の腹にじんわりと痛みが広がる。腹を抱えながら顔を上げると、平塚先生がパキポキと指を鳴らしていた。

平塚「二度目はないぞ」

いや、一度目で腹パンかましてるじゃないですか……。

それに、相手がいなくても楽しめるイベントになるんだからありっちゃありだと思うんだけどな……。

平塚「まぁいい、時間もまだ余裕があるだろう。しっかり考えたまえ」

そういい残すと、平塚先生は一色の方へ向かってしまった。結婚を焦り始めるようになると、腹パンして謝りもせずに去っていくようになるのか……。と恨みを込めて平塚先生の背中を睨みつけていると、背中をポンポンと叩かれた。

めぐり「じゃあ比企谷くんのアイディア、楽しみにしてるねっ」

めぐり先輩のほんわか笑顔にそう言われると、さすがの俺も嫌ですとは言えない。

……この素晴らしい笑顔に応えられるような、そんなアイディアを捻り出さなきゃな。



117: ◆//lmDzMOyo:2015/06/11(木) 14:41:45.77 ID:jTfg0Xlpo

   ×  ×  ×


うん、全く思いつかない。

めぐり先輩にアイディアを出せと言われてから二日後の放課後、俺は会議室の机に突っ伏しながらぷすぷすと頭から煙を出していた。

今日はもう金曜日で、バレンタインデーまではあと丁度一週間である。

会議の進行そのものはすこぶる順調なままで、現時点では問題もイレギュラーな自体も発生していない。

ステージで何かをやろうという有志団体も現時点でそこそこの人数が集まっており、このまま行けば何事もなくイベントを進めることが出来るだろう。

場所は体育館を使用するのだが、普段の授業や部活動でも使用するために体育館の飾り付けやイベントのための云々をやるのはイベント前日の木曜日の放課後になっている。

イベント一週間前の現時点で残りのやるべきことはほとんど残っていなかった。



118: ◆//lmDzMOyo:2015/06/11(木) 14:42:14.11 ID:jTfg0Xlpo

ただ、俺個人にはまだやることが残っている。

それが、めぐり先輩による「比企谷くんの考えた盛り上げる何か」を考えることである。

とは言っても、それが全く思いつかなくて結構本気で焦っている。あ、あれー? おかしいな……。なんか二日前めぐり先輩に楽しみにしてるねって言われたときはなんでも思いつくような気がしてたんだけど……。

そもそもバレンタインデーイベントなんてリア充共が適当に乳繰り合っているだけだろうに、それを盛り上げる方法など俺から生まれるわけもない。台無しにする方法ならいくらでも思いつくんだけどな……。

あーでもないこーでもないと頭の中で色々考えていると、コンコンと扉を叩かれる音がした。一色がどーぞーと声を掛けると、ガラッと扉が開かれた。

葉山「失礼します」

一色「わっ、葉山先輩! こんにちはー!」

なんかイケメンオーラを溢れ出している奴が入ってきたと思ったら、案の定葉山隼人だった。一色がすぐにそちらに駆け寄る。

一色「どうしたんですかー?」

葉山「やぁ、いろは。有志の団体書類を出しにきたんだ」

爽やかにそう言いながら一枚のプリントを一色に手渡す。

有志ってことはあれか、三浦たちとのバンドのやつか。ということは、葉山は三浦の誘いを受けてくれたのだろう。良かったな三浦。



119: ◆//lmDzMOyo:2015/06/11(木) 14:42:42.80 ID:jTfg0Xlpo

葉山と一色のやり取りをなんとなく眺めていると、ふと振り返った葉山と目が合う。するとそのまま葉山は何故か俺の近くに寄ってきた。

葉山「調子はどうだい」

八幡「良いんじゃねぇの、良過ぎてやることがねぇ」

そっけなくそう返すと、葉山はそうかと軽く笑いながら襟足をかきあげる。こういったさりげない仕草ですら絵になるのだからイケメンは本当にズルい。世の中は不平等に出来ている。

葉山「そういう割には、随分と浮かない顔をしてるな」

八幡「気にすんな、いつもこんなんだ」

葉山「それもそうか」

納得されてしまった。いや自分で言っておいてなんだが、葉山にそう一瞬で納得されると我ながら悲しくなるな……。

八幡「……また三浦たちとバンドでもやんのか」

悲しみを誤魔化すように適当にそう言うと、葉山はああと頷く。



120: ◆//lmDzMOyo:2015/06/11(木) 14:43:23.00 ID:jTfg0Xlpo

葉山「最後に何かいい思い出を残したいと思ってね」

八幡「最後?」

その単語に引っ掛かりを覚えて反射的に聞き返すと、葉山は一瞬驚いたような表情になった。しかしすぐにいつもの笑みを浮かべて俺の顔を見る。

葉山「あ、いや、二年生最後のイベントって意味さ。バレンタインデーイベントの後には期末試験があるし、それが終わったらもう終業式だろ」

八幡「……そうか」

どこか葉山からは何かを有耶無耶にしたいような印象を受けたが、そこにあえて突っ込むほど興味もないので短くそう答えた。実際このバレンタインデーイベントは三年生の最後のお祭りというだけでなく、二年生や一年生にとっても年度最後のお祭りのようなものだ。

葉山「前回、君は俺たちの演奏を見てなかっただろ。今回は見てくれると嬉しいけどな」

八幡「……ま、今回もどこぞの委員長が消えていなくなったりしなけりゃな」

去年の文化祭のことを思い返しながら、そう皮肉を返す。それに連なって、その後の屋上での葉山とのやり取りも思い出した。そうは言ったがさすがに今回もそのようなことがあるとは思えないし、もし一色がいなくなったとしても俺捜さねぇし。

葉山もそのことを思い出したのか、苦笑する。

葉山「ま、まぁ、そうだな……。じゃあ頑張ってくれ」

そう言って葉山は俺に背を向けて、会議室を後にしようとする。その時、その先の扉が開かれて会議室にほんわかオーラが溢れ出しているお方が入ってきた。案の定、城廻めぐり先輩であった。



121: ◆//lmDzMOyo:2015/06/11(木) 14:43:49.52 ID:jTfg0Xlpo

そのめぐり先輩が葉山に気が付くと、ぺこっと軽くおじきした。そういえば一応文化祭の時の文実でもちょこちょこ顔を合わせてたな。

めぐり「あっ、葉山くん。こんにちはー」

葉山「どうも、城廻先輩。お久しぶりです」

葉山もそれに合わせて挨拶を返した。めぐり先輩がふふっと笑う。

めぐり「葉山くんは有志団体の申し込み?」

葉山「はい、そうです。今回もバンドをやろうと思いまして」

めぐり「前もすごかったもんねー、今回も頑張ってね」

めぐり先輩はそう葉山に言った後、次に俺の方にくるっと顔を向けてきた。ほんわかとした笑顔を向けられたおかげで、つい俺の表情も緩む。

めぐり「比企谷くんも、何かアイディア思いついた?」

八幡「いや、それがまったく」

やや心苦しく思いながらも、めぐり先輩に対してそう返事をする。事実だし。すると葉山がアイディア? と口を挟んできた。お前なんでまだいんだよ俺はめぐり先輩とサシで話し合いたいの早く帰れ。

めぐり「うん、比企谷くんにはね、イベントを盛り上げるためのアイディア出しを頼んでたの」

葉山「ああ、だからさっきまで浮かない顔をしていたのか……」

うるせぇ、同情するならアイディアをくれ。



122: ◆//lmDzMOyo:2015/06/11(木) 14:44:16.72 ID:jTfg0Xlpo

そう心の中で悪態をつくと、ふと本当に葉山からアイディアを貰った方がいいんじゃないかという発想に行き着いた。

バレンタインデーイベントは強制参加ではないため、必然的に参加する面子はこういうイケイケ系が中心になる。ならば、そのイケイケ系の筆頭とも言える葉山の意見を聞くというのは悪くない考えだろう。

顔を上げて、葉山の顔を見た。

八幡「葉山は去年のイベントに出てたんだろ、何かやったら盛り上がりそうなことって思いつかないか?」

葉山「そこで俺に振るのか……」

苦笑しながらも、葉山は顎に手をつきながら思考し始める。しかしすぐに首を横に振った。

葉山「いや、俺には思いつかないな」

八幡「本当かよ、頼むよお前だけが頼りだ」

葉山「こんなところで頼られてもな……」

一瞬、葉山の顔に陰が差したような気がした。しかし俺が何かを言う前に再び笑顔を浮かべながら口を開いた。

葉山「なら、またどこかに出掛けて取材してくるとかどうかな? ほら、クリスマスの時みたいにさ」

八幡「取材か……」

葉山の言葉で、去年ディスティニーランドに行った時のことを思い出した。確かに、どこかから刺激を受けてそこからアイディアを出すというのは一つの手だろう。

問題は俺がどこにも出掛けるつもりがないことくらいだが……休日に外とか出たくねぇし。とそこで、めぐり先輩がぽんっと手を打った。



123: ◆//lmDzMOyo:2015/06/11(木) 14:44:43.85 ID:jTfg0Xlpo

めぐり「それはいいかもだね。あっ、じゃあ比企谷くん、明日一緒にお出掛けしよう!」

八幡「ファッ!?」

思わず変な声が漏れた。えっ、これってまさかデートのお誘いってやつですか!?

先週の日曜日といい、まさかの二週連続でのめぐり先輩とのお出掛けである。

これはもう天命がめぐりんルートに突っ切っちゃえというお告げを出しているのかと感じていると、めぐり先輩がさらに言葉を続けた。

めぐり「ほら、一色さんとか雪ノ下さん達も呼んでさ」

八幡「あっ…………そうですね」

一体いつから──めぐり先輩と二人きりで出掛けると錯覚していた?

……イ、イヤダナー、めぐり先輩と二人きりで出掛けるだなんて思ってたわけないじゃないですかー。アイディア出しのための取材なんだから他の面子もいたって当然じゃないですかー。

めぐり「じゃあ、他のみんなも誘ってみるね!」

そうほんわか笑顔で言い残すと、ぱたぱたと一色たちの方へ向かってしまった。後には、俺と葉山が残される。

八幡「……」

葉山「ははっ……じゃ、頑張ってくれ」

その葉山も苦笑しながらそう言って今度こそ会議室を後にした。それを見届けると、俺はふうとため息をつく。

めぐり先輩が一色たちと話しているのを遠くから眺めながら、めぐり先輩について思考を巡らせる。

あの先輩は本当に優しい先輩だ。俺なんかにも分け隔てなく接してくれるし、きっとそれがいつものことなのだろう。

だがそんなありふれた優しさでも、俺みたいな馬鹿に勝手に期待させてしまうには十分過ぎるから困る。

今までにも散々勘違い故に痛い目にはあってきただろうと、強く自分を戒めてきた。

そんな俺が作り上げてきた防壁ですら、めぐり先輩の笑顔は簡単に乗り越えてくるから恐ろしい。

やっぱめぐり先輩ってパねぇわ……と、もう一度大きなため息を吐きながら、めぐり先輩のほんわかした笑顔を眺めた。



129: ◆//lmDzMOyo:2015/06/12(金) 21:22:06.84 ID:mXsJFjHXo

     ×  ×  ×


一夜明けて、土曜日の朝。

今日は葉山の考案、めぐり先輩の誘いによって、バレンタインデーイベントを盛り上げるためのヒントを得るために出掛けることになっている。

どこに出掛けるかなどは、めぐり先輩に一任してある。

なお、その肝心のめぐり先輩との連絡手段がなかったため、今日の面子の一人の由比ヶ浜に今日の予定をメールで教えてもらった。

小町「あれ、お兄ちゃんどっか出掛けるの?」

着替えてからリビングに向かうと、首を傾げた小町にそう聞かれた。その瞳はえらく不思議そうにしており、休日のこの時間にお兄ちゃんが出掛けるなんておかしいと雄弁に語っていた。

そんなに俺が休日に出掛けるのが珍しいかと、顔を小町の方に向けた。



130: ◆//lmDzMOyo:2015/06/12(金) 21:22:34.23 ID:mXsJFjHXo

八幡「ああ、だから昼は要らん」

小町「へー、誰と出掛けるの? 雪乃さん? 結衣さん?」

八幡「なんで真っ先にその二人が出るんだよ……」

他にもいるだろ、ほら戸塚とか、戸塚とか、あと戸塚とかさぁ……。材木座? 誰それ? 食えんの?

小町はふふーんと笑うと、てこてことこちらに近寄ってきた。

小町「お兄ちゃんがデートに出掛けるなんて、小町はとっても感動しているのです」

八幡「いや、デートじゃねぇし」

小町「で、どっちとデートに行くの? ほらほらYou言っちゃいなYO!!」

八幡「だからデートじゃねぇっつってんだろ……うぜぇ」

まるで酔っぱらったおじさんのようにウザ絡みをしながらこのこの~と体当たりをしてくる小町を手で押さえつけながら、はぁと大きなため息が出た。お前はどこのジャニーズ事務所の社長だ。



131: ◆//lmDzMOyo:2015/06/12(金) 21:23:00.90 ID:mXsJFjHXo

八幡「雪ノ下も由比ヶ浜もいるんだよ、そもそも二人きりじゃねぇ」

小町「は……?」

そういうと、小町の表情が一瞬凍りつく。

しかしすぐにハッと顔をあげると、今度は目を手でごしごしとこすって今度は芝居がかった泣き真似を始めた。目元にきらりと何かが光る。

小町「そっか……お兄ちゃん、二人ともを選んだんだね……。二股かもしれないけど、小町は応援してるよ……あれっ、涙が」

八幡「うっぜぇ……」

再び大きなため息をつきながら、まだ下手な泣き真似をしている小町に顔を向けた。

八幡「あのだな、今日は他にも面子がいるし、あくまで学校行事のためのリサーチみてぇなもんだ」

小町「他に? 誰がいるの? 戸塚さん?」

おお、ようやく戸塚の名前が出てきたか。出来れば一番初めにそれを思いついて欲しかった。

もちろん戸塚にも声を掛けたのだが、残念ながら土曜日の今日もテニス部の練習があるとかで断られてしまった。やっぱ俺テニス部のマネージャーとかになった方がいいんじゃない? 休日にも戸塚に会えるし。



132: ◆//lmDzMOyo:2015/06/12(金) 21:23:27.20 ID:mXsJFjHXo

八幡「いや、残念だが戸塚はいない。一色っていう前に言った現生徒会長と、城廻先輩っていう前生徒会長を含めて全部で五人だ」

小町「お兄ちゃんが五人で出掛ける方が、雪乃さんか結衣さんとデートするより信じられないんだけど……」

それな。

実際めぐり先輩に誘われてなかったら、間違いなく出掛けていなかっただろう。

俺なんかを自然と面子に含めてくれためぐり先輩の器の広さたるや、まるでQVCマリンフィールドの如くである。いや、その例えはどうなの俺。あっ、現在コラボ中なので是非グッズとか買ってくださいね。オンラインショップもあるぞ!

小町「で、その一色さんと城廻さんっていう人たちはどっちなの」

八幡「どっちって、なにがどっちだよ」

小町「性別だよ! 男の人? それとも女の人?」

八幡「いや、どっちも女だけど……」

小町「ハーレム!!」

小町の顔がぱあっと明るく光り、両手をぐっと胸元で握った。



133: ◆//lmDzMOyo:2015/06/12(金) 21:24:04.06 ID:mXsJFjHXo

小町「いきなり女の人を四人もたらし込むなんて、なかなか出来ることじゃないよ! さすがお兄ちゃん!」

八幡「俺はどこの劣等生のお兄様だ……」

こいつの頭の中と耳だけはえらくご都合主義みたいだが。

言うまでもなくあの四人ともが俺とそういう関係ではないし、そうなることもあり得ない。ていうか、本当になんで俺が混じってるんだろうね。バグ? 確かにめぐり先輩の可愛らしさは世界に混じったバグのようなものだが。

小町「で、その二人って可愛い? お義姉ちゃん候補に加えられるかな?」

八幡「いいから、お前はそろそろ勉強に戻れ」

追い払うようにしっしっと手を振った。小町はえーと明らかに不満を顔に浮かべている。

しかし、現時点で二月八日。小町の受験まであと幾ばくもない。こんなところで油を売っているわけにはいかないはず。

もしも受験云々がなかったのならまず初めに小町にバレンタインデーイベントの件で相談をしにいっていたのだが、そうしなかったのにはそういう事情があるからなのだ。

さすがにこの差し迫った時期に、変な面倒事を受験生相手に持ち込むわけにもいかないだろう。



134: ◆//lmDzMOyo:2015/06/12(金) 21:24:36.35 ID:mXsJFjHXo

八幡「なんか土産くらいは買ってきてやるから」

小町「あっ、じゃあプリンがいい」

八幡「へいへい」

そう言って、俺はリビングを後にしようとする。しかしその俺の背中に再び小町の声が投げかけられた。

小町「お兄ちゃーん」

八幡「……んだよ」

小町「一人くらいお持ち帰りしてきてもいいんだよー」

おい、お前どっからその言葉知ったんだ。



135: ◆//lmDzMOyo:2015/06/12(金) 21:25:03.62 ID:mXsJFjHXo

        ×  ×  ×


休日の千葉駅前は、人で活気付いている。

空は雲がほとんどない快晴であったが、空気はひんやりとしていた。

この千葉駅東口前がめぐり先輩が指定した待ち合わせなのだと、昨日由比ヶ浜から送られてきたメールには書かれていた。

コートのポケットから携帯を取り出して時間を確認してみると九時四十分。

集合時間は十時なので、正直に言ってかなり早めに来てしまった感はある。

もし遅れでもしたら女性陣になんて言われるか分からなかったので念のために早めに来てみたのだが、まだ誰の姿も見えない。

早めに来ても寒さに身を震わせる羽目になるだけだし、これはミスだったかもしれない。

寒さをしのぐために、近くにあるコンビニで雑誌でも読んで時間を潰そうかなんて考えていると、人並みの中にほんわかオーラを纏った人を発見した。



136: ◆//lmDzMOyo:2015/06/12(金) 21:25:38.98 ID:mXsJFjHXo

その人も俺の姿に気づくと、手を振りながらててっと小走りで寄ってくる。俺もそれに軽く頭を下げて挨拶をした。

そのほんわかオーラの持ち主はやはり城廻めぐりであった。今回のお出掛けの企画人である。

俺の側に立つと、にこりと微笑みを向けてくる。それだけで俺の心がめぐりっしゅされてめぐりんマジめぐりんって感じがしました。

めぐり「おはよう、比企谷くん」

八幡「ども、おはようございます、城廻先輩」

ふと、何かに違和感を覚えてめぐり先輩のことを見直してみる。

ああ、何かが違うと思ったら、今日のめぐり先輩は私服なのか。いつも見ている姿は制服かそれの上にコートを着ている姿が大半だから、いつもと印象が違うのだ。

とはいえ一応めぐり先輩の私服は先週も見てはいるのだが……まさか二週連続で見ることになるとは、先週の俺には予想も出来なかった。



137: ◆//lmDzMOyo:2015/06/12(金) 21:26:07.85 ID:mXsJFjHXo

めぐり「どうしたの、比企谷くん?」

八幡「あっ」

思ったより長い間じろじろと見てしまっていたのか、めぐり先輩が訝しげに俺の顔を覗き込んできた。

しまった、思わず見惚れてしまっていた……。めぐり先輩の魅了のオーラは本当に男の目線を引き付けてやみませんね、さっきから通り過ぎる野郎共の視線もちょこちょこ感じるし。『なんであんな目の腐った奴が、あんな美人さんと一緒にいるんだ』って感じの。

八幡「いや、可愛らしいなって、つい……。あっ」

めぐり「えっ、比企谷くん!? か、可愛らしいって……」

何言ってんだ俺は!!

つい本音が漏れてしまい、すぐに自分の口を閉じる。

そのめぐり先輩といえば、明るい太陽がコンクリートに反射したのが当たっているせいなのか、どこか顔を朱色に染めて、顔をぷいっとそむけてしまった。

とんだ失言だ。めぐり先輩も俺なんかに褒めてられても気分がいいわけがあるまい。

なんとか誤魔化そうと、言葉を捜す。頼むっ、戸部! 今だけお前のなんか適当に合わせるスキルを俺に貸してくれっ!!

八幡「あっ、いや、そのまぁ、ししし、城廻先輩の私服とか、見るの珍しいですし……き、気分を悪くされたらすんません」

めちゃくちゃキョドってしまった。おのれ戸部。なんもかんも戸部が悪い。全部戸部のせいだ。



138: ◆//lmDzMOyo:2015/06/12(金) 21:26:58.93 ID:mXsJFjHXo

しかしめぐり先輩はあははと苦笑しながら、顔をあげて俺の方を向いてくれた。微妙に耳まで赤くしているような気がしたが、もしかしたらお前なんかに褒められても嬉しくないんじゃボケェと怒り心頭なのかもしれない。マジかよめぐり先輩がそんな腹黒かったら俺は一体誰を信用して生きていけばいいんだ。

めぐり「あはは……べ、別に嫌だったってわけじゃ……」

小さい声で何かを呟いたような気がしたが、それはあまりにか細く、この駅前の騒音の前にかき消されてしまった。

それきり俯いてしまい、俺たちの間に気まずい沈黙が舞い降りる。

くっ、こんな時葉山ならなんて声を掛けてやるんだ……。何か気の利いた言葉でも掛けてやれればいいのだが、対女性コミュニケーション能力皆無のこの俺では全く想像も付かん。

仕方が無い……いっちょここらで、渾身の土下座というものを見せてやる時がきたようだ。

膝を地面につけようとしたその時、俺の背中がぽんっと叩かれた。

振り返ってみると、一色いろはがにっこにっこにーと笑みを浮かべていた。

いろは「おはようございますー先輩、城廻先輩」

八幡「お、おう」

めぐり「あ……一色さん、お、おはよう」

いろは「……どうかしたんですか?」

俺たちの雰囲気に何か違和感を覚えたのか、ジト目で俺の顔を見つめてきた。まるでこの空気を作った犯人が俺だと分かっているようだ。はい、その通りでございます。



139: ◆//lmDzMOyo:2015/06/12(金) 21:27:25.73 ID:mXsJFjHXo

だが、さすがに先ほどの流れを説明するのは率直に言って嫌だ。俺は咳払いをしながらなんでもねーよとだけ返した。

しかし一色はそれだけでは納得してくれず、ねー何があったんですかーと俺の肩を掴んでぐわんぐわんと揺さぶった。やめろ。酔う。吐く。

八幡「だーっ、やめろ離せ一色」

いろは「えーっ」

めぐり「い、一色さん、なんでもないから……」

肩を掴む一色の手を無理矢理引き剥がすと、ぶーぶーと文句を垂れながらもようやく追求をやめてくれた。

そういうしているうちに、由比ヶ浜を右腕にくっつけたままの雪ノ下がやってきたので、なんとか誤魔化すことに成功した。助かった……。

それにしてもあれですね、雪ノ下さん、由比ヶ浜さん、君たち本当に仲良いね? まさか外でもゆるゆりしてくるとは思いませんでしたよ。そのやり取りを見てるとなんだかぼくの心もぽかぽかしてきました。

もしかして実はめぐり先輩も百合で、めっぐりーん! はーい! めぐゆり、はっじまっるよー! とかならないですよねとチラッと様子を窺ってみると、もうすっかり普通に由比ヶ浜たちと挨拶をしていた。

先ほどまでの気まずい空気はどこかに消え、たちまち騒がしい雰囲気に塗り替えられた。ちなみに騒がしさの四割が由比ヶ浜で四割が一色、残りの二割を雪ノ下とめぐり先輩で折半していて、俺はその騒がしさに一厘足りとも貢献していない。



140: ◆//lmDzMOyo:2015/06/12(金) 21:27:51.67 ID:mXsJFjHXo

その由比ヶ浜が俺の姿にも気づくと、手を挙げて近寄ってきた。雪ノ下もそれに続く。

結衣「おはよう、ヒッキー!」

雪乃「おはよう、比企谷くん」

八幡「よう」

俺も短く挨拶を返すと、めぐり先輩がぱんと手を叩いて俺たちを見渡した。

めぐり「じゃ、移動しよっか! まずはあそこのショッピングモールから行こうと思います!」

結衣「そういえば、今なんかバレンタインデー特集みたいなのやってるって聞きました!」

いろは「えーっ、ほんとですかー!」

ざわざわと女性陣が移動し始めたので、俺も少し離れてその集団についていく。

その女性陣、雪ノ下、由比ヶ浜、一色、めぐり先輩らの背中を見て。ふと小町の言葉を思い出す。

ハーレム、だったか。

だが、例え集団の女性比率が高かろうとも俺のやることはいつもと変わりない。

いつも通り存在感を消して、空気と一体化することだ。



151: ◆//lmDzMOyo:2015/06/14(日) 07:16:10.62 ID:Fm9BE232o

   ×  ×  ×


結衣「あっ、これ超可愛くない!?」

いろは「これとかも、ちょーよさそうじゃないですかー?」

千葉駅からそのままやってきた、とあるショッピングモール。

バレンタインデー関係の広告や飾りがあちこちに並んでおり、あなたの大切な人に贈り物はどうですか。などと書かれている。

土曜日だからか学校帰りにたまに寄る時に比べて活気に満ちている店内の中でも、女子同士のお買い物というものはかしましいものらしく、その中でも由比ヶ浜と一色が一段と楽しそうにあちこちの商品を眺めていた。



152: ◆//lmDzMOyo:2015/06/14(日) 07:16:36.90 ID:Fm9BE232o

結衣「ほら、これとかゆきのんに超似合うって!」

雪乃「えっ、その、由比ヶ浜さん?」

いろは「えー、でも雪ノ下先輩にならこっちもよくないですかー?」

雪乃「あの、一色さん?」

めぐり「あはは、雪ノ下さん、こういうの似合いそうじゃないかなぁ?」

結衣「あっそれ超似合いそうですね!」

雪乃「城廻先輩まで……」

そんな女性陣の盛り上がりを、俺は三歩くらい離れた場所から遠巻きに眺めていた。いやー、でかいショッピングモールはぼっちでいても人ゴミに紛れるからなー、別にぼっちでいても目立たないから嬉しいなー。

当然、あんな女子女子してる中に葉山レベルのコミュ力を持っているわけでもない俺が入っていけるわけもない。

ここにやってきてわずか三分、早くも時代に取り残されている俺であった。



153: ◆//lmDzMOyo:2015/06/14(日) 07:17:02.72 ID:Fm9BE232o

結衣「ゆきのんゆきのん、これとかどう?」

いろは「雪ノ下先輩、これとか超いけそうじゃないですかー?」

めぐり「雪ノ下さん、こっちもどうかな?」

雪乃「あ、あの、三人共……今日はバレンタインデーのイベントの参考になるものを見に来たのだと聞いたのだけれど……」

で、そのうち由比ヶ浜たち三人はあれこれ服や装飾品を見ては雪ノ下に似合うかどうかを競い合っていた。その当の雪ノ下はというと、あたふたするばかりでどう反応していいのか分かっていなさそうだ。

いや、楽しそうなのはなによりなんですけど、今日ってバレンタインデーイベントの参考探しに来たんだよね?雪ノ下着せ替え人形化計画のために来たんじゃないよね?

とはいえ、俺があんな楽しそうにしている女性陣の間に水を差すわけにもいかないので、そのやり取りを遠巻きに見守ることにした。



154: ◆//lmDzMOyo:2015/06/14(日) 07:17:31.29 ID:Fm9BE232o

雪乃「あ、あの……ひ、比企谷くん……」

いろは「いやー、雪ノ下先輩ってすっごいこういうのやりがいがあるっていうかー。ちょっと嫉妬しちゃいますけど、まぁ楽しいんでいいです」

雪乃「い、一色さん、ちょっと待っ……!?」

途中、雪ノ下から助けを求めるような目線を向けられたような気がしたが、すぐに一色にまたなんか服を押し付けられていた。もうすっかり着せ替え人形である。

そのまま一色が雪ノ下の手を引き、試着のためか更衣室の方に行ってしまった。あれ、本当に今日の目的忘れてないよね……?

若干不安になりながらそれを見送ると、由比ヶ浜とめぐり先輩がこっちの方にやってきた。

結衣「ほらほら、ヒッキーもこっち来てよ」

八幡「やめてくれよ……」

どうやったって女子四人、男子一人という構図では俺が気後れしてしまう。戸塚でもいるならともかく。



155: ◆//lmDzMOyo:2015/06/14(日) 07:18:28.35 ID:Fm9BE232o

めぐり「ほら、ここの店メンズもあるから。比企谷くんの服も見てあげようか?」

八幡「い、いやぁ、大丈夫です」

めぐり先輩の提案を即座に、そして丁重にお断りする。先ほどの雪ノ下のような目に合いたいわけでもないし。

しかしそれを聞いた由比ヶ浜が目を輝かせながら、うんうんと力強く頷いていた。

結衣「あっ、それいいですね! ヒッキー、見に行こう!」

八幡「や、勘弁してもらいたいんだけど……」

めぐり「比企谷くん……ダメかな?」

八幡「うっ」

めぐり先輩に上目遣いをされながら、おねだりをするように言われると真っ向からは断りづらい。

あのですね、お姉さんキャラの上目遣いっていうのは最終決戦兵器な訳で、そうポンポン使うのはやめてください俺が死にます。



156: ◆//lmDzMOyo:2015/06/14(日) 07:18:54.34 ID:Fm9BE232o

結衣「ほら、行くよヒッキー!」

八幡「あっ、おい!」

めぐり先輩の上目遣いの前に少しの間固まっていると、由比ヶ浜にコートの袖を引っ張られてしまった。振り払うのも憚れたので、そのまま店内の奥のほうに連れて行かれる。

ちらっと助けを求める意味でめぐり先輩の方を見ると、うふふとほんわか笑顔を顔に浮かべているだけであった。

めぐり「男子の服を見るのって初めてだから、ちょっと新鮮だなー」

えっ、めぐり先輩の初めて? 今初めてって言ったよね?

結衣「ほら、ヒッキーは服さえちゃんとしてればそれなりにちゃんと見えるんだから、真面目に選ばないとね!」

八幡「お前は俺のお母さんか……」

どこか妙に所帯染みていたりと、由比ヶ浜にはお母さんっぽい一面を覗かせるところがある。いや、こんなアホな奴がお母さんだったら息子が苦労しそうだなぁ……。主に料理面で。



157: ◆//lmDzMOyo:2015/06/14(日) 07:19:20.98 ID:Fm9BE232o

めぐり「うーん、比企谷くんにはどんな服が似合うかなー?」

一方でめぐり先輩は服の並んでいる棚を見ながら、うんうんと唸っている。その悩んでいる姿も非常に可愛らしく、是非そのまま眺めていたいところだが、何が問題かってそれは何故か俺の服選びなのである。

どうやって阻止したものかと考えていると、つやつやとしている一色とどこか疲れた顔をしている雪ノ下がこちらにやってきた。ああ、雪ノ下さん、一色さんにキズモノにされてしまったんですね……。

いろは「何してるんですかー?」

結衣「あっ、いろはちゃん。今ね、ヒッキーの服を選ぼうってことになって」

八幡「あっ、馬鹿」

よりによって、こういうのに関わらせると一番めんどくさそうな奴に言うなよ!

見れば、案の定一色の目が興味深そうに見開かれている。俺の顔を見ると、なるほどーと頷いた。



158: ◆//lmDzMOyo:2015/06/14(日) 07:19:46.88 ID:Fm9BE232o

いろは「なるほど、先輩の……面白そうですね、じゃあわたしもなんか選んでこよーっと」

八幡「いや、その、マジでやめてほしいんだけど……」

ちらっと懇願の目線を雪ノ下に向けると、その雪ノ下もどこか加虐的な笑みを浮かべていた。

雪乃「比企谷くんの……いいわ、私も何か見繕ってこようかしら」

八幡「や、そういうのいいんだけど」

雪乃「あなただって、さっき助けてくれなかったじゃない」

そう言って、雪ノ下はぷいっとそっぽを向いてしまった。

確かにそれを言われると厳しい。確かに、先ほど一色に連れ去られるのを見捨てたのは事実だし。



159: ◆//lmDzMOyo:2015/06/14(日) 07:20:13.04 ID:Fm9BE232o

雪乃「あなたに似合う服を探すのは大変そうだけれど、なんとか一番マトモそうなものを見つけてみせるわ」

別に見つけなくていいんだけど、なんならそのまま帰ってもいいんだけどと思ったが、見れば雪ノ下の顔は燃えているように見える。だからさ、別にこれ勝負とかじゃないから。負けん気をこんなところで発揮しなくていいから。

雪ノ下がその場を去ったのと同時に、めぐり先輩が服を抱えて戻ってきた。

めぐり「お待たせ、比企谷くん」

いやーお姉さんのお待たせって台詞って何気に破壊力高いなー。これが陽乃さんだったら顔を引きつらせるところなんだが。

めぐり「じゃ、着替えてみよっか」

八幡「あ、あの、城廻先輩?」

思わずそんなことを考えていると、めぐり先輩から逃げ出す機会を失ってしまった。結局そのままズルズルと更衣室に入れられ、しばし女性陣の着せ替え人形にさせられる羽目になったのであった。

や、その。なんだ。何を着ても「その腐った目が邪魔ね……」とか抜かすのは本気で傷付くからやめようね。誰とは言わないけど。誰ノ下さんとは言わないけど。



170: ◆//lmDzMOyo:2015/06/17(水) 01:27:49.48 ID:7BgjLlslo

    ×  ×  ×


雪乃「おかしいわ、ファッションに問題はなかったはずなのだけれど」

八幡「おい、まだ引っ張るのかよ……」

俺を着せ替え人形にし終わった後、昼食をとり(女性四人に囲まれて食べるのはなんとも肩身が狭かった)、その後ショッピングモール内のバレンタインデー特集なるものをやっている広場にやってきた。

かなり大きいスペースが広がっており、その中では様々なチョコや飾り、ラッピング用品などが大量に並んでいる。

当然バレンイタンデーというだけあって、この広場にいる人のほとんどが女性である。正直男の俺は入りづらいことこの上ないのだが、一応仕事の取材ということなので帰るわけにもいかない。帰りたい。



171: ◆//lmDzMOyo:2015/06/17(水) 01:28:20.66 ID:7BgjLlslo

しかし、このブースの基本はバレンタイン系グッズの販売である。これを眺めて、一体何をイベントに活かせというのだろうか。

いろは「あっ、あれ見てください、あの飾りつけとかちょっと真似出来そうじゃないですか?」

雪乃「体育館の飾りつけは木曜の放課後からでしょう、間に合うかしら」

めぐり「事前に作って生徒会室に置いて、木曜日に持っていくのもありかもね」

結衣「ここで何か飾りつけ用の材料とか買ってもいいのかな?」

いろは「はい、きちんと経費出るそうなので、ここで買っていっても大丈夫ですー」

と思っていたのは俺だけで、他の女性陣はちゃんとイベントに使えそうなものをしっかりと見ているようだ。

なるほど。体育館の飾りつけなど、そういう視点からここで学べることもあるのか。

去年のイベントの様子の写真を見た限りだが、体育館の飾りつけはあるにはあったものの割と簡素なものだったはずだ。

クリスマスの時のようにそれが小学生や保育児の作った物というのであれば、まだチープさも武器に出来ただろう。だが、さすがに高校生のイベントともなると適当すぎるのはあまり受け付けられないかもしれない

だからと言って、文化祭の時のように準備に長い時間を取れるわけじゃない。となれば、既製品を買ってそれを多少改造して使うというのは確かにいいアイディアだ。



172: ◆//lmDzMOyo:2015/06/17(水) 01:28:46.58 ID:7BgjLlslo

八幡「一色、予算はどんくらいあるんだ」

いろは「まーぼちぼちですね。でも、さすがに体育館全体に飾りつけるのほどの量を買うのは難しそうです」

雪乃「なら、ステージと入り口周りに集中させるべきかしら」

めぐり「じゃあ、会場の壁には一年間のイベントの写真を貼るのはどうかな?」

結衣「あっ、それいいですね!」

雪乃「卒業式で使う写真との兼ね合いも考える必要がありますね、先生に一度相談を──」

会議室でもないのに、意外にポンポンと案が出てくる。実際にこういうイベントに足を運びに来たのは正解だったかもな。

他の面々とバレンタインデーのブースを見回りながら、イベントに活かせそうなものを捜す。

雪乃「……あれは、パンさん……!?」

結衣「あ、ゆきのん待ってー!」

その途中、雪ノ下が何かを見つけるとそれに向かってまっしぐらに雪ノ下が突撃してしまった。それを由比ヶ浜が追う。

一体何を見つけたんだと雪ノ下の向かった先を見てみると、そこにはパンさんを含むディスティニーランドのコーナーが広がっていた。ああ、なるほどね……。



173: ◆//lmDzMOyo:2015/06/17(水) 01:29:37.19 ID:7BgjLlslo

別に俺はここで商品のチョコなどを見ても仕方がないので、向こうに行ってしまった雪ノ下たちを見届けると、また周りに目をやった。

俺が見るのは、例えばこのスペースで使われている飾りとかだ。バルーンとか、ポスターとか。この中で学校のイベントにも流用出来そうなものを捜し、そしてそれは本当に実行できるか脳内で考え直す。

まさか自分がこんなものを提供する側になるとは思わなかったなと、やや自虐的な考えになりながらブースを眺めていると、ちょこちょことコートの袖を引かれた。

振り返ってみれば、めぐり先輩がこちらを見ている。

八幡「城廻先輩、どうしたんですか?」

めぐり「ほら、比企谷くんにもチョコあげるって言ったけど、どういうのがいいかなぁって」

八幡「はい!?」

言われて、そういえば前にめぐり先輩がチョコ持ってきてあげるねなんてことを言っていたことを思い返す。

そういえばそんなこともあったな。その場の社交辞令だと思っていたから、すっかり忘れていた。

あれ本気で言ってたのか、めぐりんやっぱマジ天使かよ……と思いながら、周りに陳列しているチョコの棚をぐるっと眺めた。

八幡「まぁ甘いの好きなんで、チョコなら大体なんでも食えますよ」

めぐり「甘いのがいいんだね、分かった!」

そう答えると、めぐり先輩があはっとほんわか笑顔を浮かべる。

瞬間、周りの空気もほんわかとしてきた気がした。笑顔を浮かべるだけで空気まで変えるとか、めぐりんマジ天使。



174: ◆//lmDzMOyo:2015/06/17(水) 01:30:13.10 ID:7BgjLlslo

いろは「へー、先輩って甘いの好きなんですねー」

俺とめぐり先輩の話を聞いていたのか、横から一色がぴょこっと湧き出てきた。なにやら興味深そうに至近距離から俺の顔を見つめている。

ちょっと一色さん近くないですかね、と身体を軽く引くと、一色が少し不満そうな顔になった。

いろは「この前のデートだとこってりしてたラーメン食べてましたし、こういう甘いの苦手なんだと思ってましたよ」

八幡「いや、甘いのは結構好きだぞ」

特にマックスコーヒーとか大好き。そのマックスコーヒーの味のチョコが普通に売っていればそれが最高なのだが、あれ市原サービスエリア限定で、しかも下りでしか売ってないんだよな……。

普通に一般販売してくれれば試験勉強の合間にでも食べるんだけどなと思っていると、一色の横にいるめぐり先輩もぴょこっと身を乗り出してきた。

めぐり「へぇ、一色さんって比企谷くんとデートしたことあるんだ」

いろは「そうなんですよー、この前先輩とデートしたんですよー、ねぇ先輩?」

ですよね? みたいな顔で俺の顔を見られても困る。いや、確かにしたんだけど、堂々とこいつとデートしたんですよーとか俺答えられないからね? いやだって恥ずかしいし。

すると、めぐり先輩がほんわかした笑顔を浮かべたまま俺の方に振り向いた。

めぐり「比企谷くんはモテモテだねー」

八幡「いや、そんなんじゃないんですけどね……」

あれはデートっていうか、葉山へのアプローチのために他のライバルと差をつけるための云々ってやつだったと思うが。ほら、安パイが伏兵だどうのこうのって言ってたあれ。

しかしそう否定すると、今度は一色が俺の顔を振り向きながら、キッと睨み付けてきた。



175: ◆//lmDzMOyo:2015/06/17(水) 01:30:40.74 ID:7BgjLlslo

いろは「でも先輩、先週は城廻先輩とデートしてましたよねー?」

八幡「だから、あれもそういうのとは違うって説明しただろ」

そう言われて先週のめぐり先輩とのお出かけを思い出した。しかし、あれもデートと呼ぶかというとかなり怪しい。

あくまで、たまたま俺が突っ立ってたらナンパ師からの手助けになっただけで、その後のお礼云々と後になし崩し的に色々見て回っただけなのだから。

一応その辺りの下りは前に追求された時にしつこいくらいに説明したはずなのだが、一色はあざとく頬を膨らませると、むーっと俺の顔を睨み付けてきた。

いろは「でも、ほらプリクラとか撮ってましたし」

八幡「……まぁ、それはそうなんだが」

プリクラ撮っただけでデートって呼ぶのかなぁ……。しかし、例えば葉山が他の女子とプリクラを撮っていて「いや、デートじゃないよ」とか笑いかけてきたら[ピーーー]と思うし、もしかして先週のめぐり先輩とのあれはデートと呼んでもいいのか……?

いや待て、その理論でいくと俺は戸塚ともプリクラを撮りにいったことがある。ということは戸塚ともデートしたことがあると言えるのではないでしょうか。うん、いい響きだデート。あの時は約一名紛れ込んでいた気がするが、そっちの記憶はデリートしたい。

いろは「だから先輩、わたしともプリクラ撮りましょうよー」

八幡「やだ」

いろは「即答!?」

なんでそこでだからになるのか分からないし、そもそも女子とプリクラとかSAN値削れるからあんまりやりたくない。



177: ◆//lmDzMOyo:2015/06/17(水) 01:31:13.78 ID:7BgjLlslo

一色がなんでですかーと俺の腕を取ってぶんぶんと振り回していると、その光景が微笑ましかったのかめぐり先輩があははと笑った。

めぐり「じゃあ、この後みんなでプリクラ行こうか」

結衣「プリクラですか、いいですね行きましょうよ! ほら、ゆきのんも!」

雪乃「別に私は……」

いつの間にか戻ってきていた由比ヶ浜と雪ノ下まで会話に加わっていた。由比ヶ浜が雪ノ下になんとかしてプリクラに参加させようと、必死にお願いをしている姿がなんとも微笑ましい。ところで雪ノ下さん、その手に紙袋を持っているということは、やっぱりあのパンさんチョコ買ったんですね……。

しかしめぐり先輩、そのみんなにまさか俺を入れていませんか? さすがにこの面子で一緒に撮るとか、俺には耐えられそうにないんですけど……。

葉山だったらこんな状況でも爽やかイケメンスマイルを浮かべながらさらっとやり過ごすんだろうなと思っていると、俺の腕を掴んだままだった一色の手がぎゅっと強く握り締めてきた。

八幡「……なんだよ」

いろは「いーえ、別にー」

そうは言うが、どう聞いてもその言葉の奥には何かが隠れているように感じる。

いろは「ほんとはみんなで撮りたいってわけじゃ……まぁ先輩ですし仕方ないですねー」

八幡「はぁ?」

意味が分からなくて聞き直したが、一色はそれには答えずにたたっと由比ヶ浜たちの輪に走り去ってしまった。



178: ◆//lmDzMOyo:2015/06/17(水) 01:31:43.27 ID:7BgjLlslo

どうやらそのまま移動する流れになりそうだったので、俺も少し後ろから女性陣の後をついていく。

しかし今の一色の言葉の意味はなんだったんだろうな……。うんうんと考えても答えは出ず、ふと後ろを振り返ってバレンタインデー特集をやっているブースを見渡した。

やべ、結局ここを見てもめぐり先輩による「比企谷くんの考えた盛り上げる何か」を考えてなかった。

まぁ他にもいくつか回るって言ってたし、そこも見てからゆっくりと考えることにしよう。

そう思って前に視線を戻すと、思ったよりめぐり先輩たちと距離が離れていたので、早歩きでその後を追った。


     ×  ×  ×


ショッピングモールを出ると、再び冷たい風が体を襲った。

うう、さみぃ……早くドラえもんが未来からやってきてあべこべクリームとか渡してくれないかな……。寒いと暖かく感じるクリーム。でもあれを塗ると今度は暖房が掛かっている店内が寒くなるんだろうな……。

巻いているマフラーの位置を微調整しながら、ショッピングモール前の道、通称ナンパ通りを歩いていく。

週末の昼下がりだけあって人通りが非常に多く、女性陣から少し離れると見失ってしまいそうだ。

さすがにはぐれるわけにも行かないなと早歩きで追いつくと、由比ヶ浜たちが足音に気が付いたのか俺の方を振り向いてきた。



179: ◆//lmDzMOyo:2015/06/17(水) 01:32:09.48 ID:7BgjLlslo

結衣「あっ、ヒッキー。いたんだ」

八幡「ねぇ、ナチュラルにいなかったことにすんのやめてくんない?」

確かに俺の存在感は薄いし、こんな人混みのなかでは忘れられてしまうのも仕方がないかもしれないが。

由比ヶ浜がそ、そういう意味じゃないよと手をぶんぶんと振りながら否定すると、ふと何かに気が付いたようにきょろきょろと周りを見渡した。忙しいやっちゃな。

結衣「あれ、城廻先輩は?」

八幡「ん、お前たちと一緒じゃねぇのか」

それを聞いて俺も周りを見回してみたが、確かにめぐり先輩の姿が見えない。雪ノ下と一色もはてなと首を傾げていた。

雪乃「あなたと一緒にいたと思っていたのだけれど」

いろは「わたしもそう思ってたんですけどー」

八幡「マジか。まぁ人通り多いし、はぐれたかもしれないな」

そう言いながら、後ろを振り返る。本当にすごい人混みだ。これならはぐれてしまった可能性も否定できない。

めぐり先輩を捜すべく来た道を引き返そうとすると、道の端にどこかで見たお下げがちらっと見えた。



180: ◆//lmDzMOyo:2015/06/17(水) 01:32:35.60 ID:7BgjLlslo

そちらに目線をやると、やはりそれはめぐり先輩だ。

しかしよく見ると、その近くにいるチャラそうな男の二人組に囲まれるようにして何か話しかけられている。

これはもしかして……。

男1「この後ちょっとどう?」

男2「良かったら一緒に遊びにいきませんか?」

めぐり「あ、あの、私、他の友達と遊びに来ているので」

男1「友達? 女の子? だったらその子達も一緒でいいからさー」

八幡「……」

おいおいマジか。ちょっとはぐれただけでこれか。すげぇなナンパ通り。実際に見るのははじめてだが。

確かにめぐり先輩の容姿ならば、引く手数多であろう。

当のめぐり先輩は当然ながら迷惑そうにしているが、前と後ろで挟み撃ちにされるような形で囲まれており、脱出するタイミングを図りかねているようだ。

ふと、先週のことが脳裏を掠める。

まためぐり先輩が俺の存在に気が付いて、上手くあそこから脱出出来ないだろうか──

結衣「ヒッキー、城廻先輩見つかった? ……あれって、もしかして」

雪乃「なるほど、男に捕まっていたのね……仕方ないわ、私が──」

──なんてアホなことを考えていた、一瞬前の俺を酷く恥じた。



181: ◆//lmDzMOyo:2015/06/17(水) 01:33:19.70 ID:7BgjLlslo

八幡「……俺が行く」

雪乃「え?」

めぐり先輩だって女の子だ。前後を知らない大の男に囲まれて、周りを見渡せるほど冷静であるとは限らない。

それなのにも関わらず、自分はまた突っ立っているだけの道を選ぼうとしたのか。

同じく女の子である雪ノ下ですら率先して助けに行こうとしたのに比べ、俺のなんと愚かしいことか。

本当に恥ずかしい。本当に阿呆だ。本当に馬鹿だ。死んでしまえばいい。

だから、さっきまで恥ずかしいことを考えていた俺を殺しに行く。

ここでめぐり先輩を救うことで、せめて少しでもこの恥を雪ごうではないか。

そう決意を固めると、俺はめぐり先輩を囲む男たちの方に向けて足を踏み出した。

八幡「すんません、うちの連れなんで」

男1「えっ?」

めぐり「あ、比企谷くん!?」

八幡「行きますよ、めぐりさん」

めぐり先輩の手を掴むと、そのまま強引に引っ張り出して男たちの囲いから脱出した。

そしてそのまま早歩きでめぐり先輩を引っ張りながら、雪ノ下たちと合流する。

ちらっと後ろを確認したが、男たちはちぇー男持ちかーと文句を垂れ流しながらどこかへ去っていった。とりあえず、これで一安心といったところだろう。



182: ◆//lmDzMOyo:2015/06/17(水) 01:33:46.56 ID:7BgjLlslo

八幡「あっ、すみません城廻先輩。ちょっと強く引っ張っちゃって」

めぐり「……えっ、ああ、うん、大丈夫だよ」

結衣「へぇーヒッキー、かっこいいとこあるじゃん!」

いろは「今のはなかなか女子的にポイント高いですよ!」

雪乃「やるじゃない、比企谷くん」

八幡「別にそんなんじゃねぇよ」

女子たちが口々に褒めてくるが、本当に褒められるようなことではない。

先ほどまでめぐり先輩一人で脱出してくれないだろうかと思っていたような大馬鹿野郎だ。

もし雪ノ下が進み出していなかったら、俺はまた先週のように立ち尽くしていただけだろう。

だからいくら他の人から賞賛の声を受けても、俺の心は晴れなかった。

めぐり「ひ、比企谷くん!」

八幡「は、はい?」

突然、俺の腕が強く掴まれた。見ればめぐり先輩がその腕を掴んでおり、真っ直ぐに俺の目を射抜くように見つめている。

めぐり「ありがとうね、比企谷くん……助かっちゃった」

八幡「い、いや別に……」

馬鹿な考えをしてしまったという罪悪感が心を占めているせいか、そのめぐり先輩の真っ直ぐな眼差しを見ることが出来ず、思わず目を逸らしてしまった。

俺はそんな礼を言われるような人間じゃない。本来なら雪ノ下に言ってあげてほしい言葉である。



183: ◆//lmDzMOyo:2015/06/17(水) 01:34:40.03 ID:7BgjLlslo

八幡「あのですね、城廻先輩──」

めぐり「めぐり」

八幡「えっ?」

めぐり「さっきみたいに……めぐりって、呼んで欲しいかな……」

そういえば、先ほどあの男たちの包囲からめぐり先輩を引っ張り出した時、ちょっと知り合い感を出すために名前で呼んでたな。あれも今思い返すと恥ずかしい。いやだってほら、よくドラマとかでもナンパ師から助け出す時って普段苗字で呼んでても名前で呼んでたりするじゃん……。

懇願するように上目遣いで俺を見るめぐり先輩は可愛らしいことこの上ないが、しかし名前で呼ぶのは恥ずかしいし、丁重にお断りしよう。

八幡「いや、その、城廻せんぱ──」

めぐり「め・ぐ・り!!」

八幡「あっはい、めぐり先輩」

めぐり「先輩もいらない!」

八幡「め……、めぐり、さん……」

めぐり「よし!」

そう呼ぶと、めぐり先輩の顔にいつも通りのほんわかした笑顔が戻ってきた。

意外と強引な時は強引だな、めぐりせんぱ……めぐりさん。これが年上のお姉さんというものなのか。

こう、普段はほんわかしているのに、いざという時はきっちりとして、時に強引な所がすごいお姉さんっぽい。どこかに、時々どころか常に強引なお姉さんがいたような気がするけど、そちらの方は今は除外しておこう。



184: ◆//lmDzMOyo:2015/06/17(水) 01:35:12.23 ID:7BgjLlslo

めぐり「よーし、じゃあいこっか!」

めぐりさんがそう宣言して前に進み始めると、由比ヶ浜と一色もそれに並んで次の目的地に向かって歩き出す。

その背中姿をぼーっと眺めていると、雪ノ下がこちらに近寄ってきた。

雪乃「どうしたの、比企谷くん。またはぐれるわよ」

八幡「あ、ああ、すまん」

雪ノ下に言われて、俺も歩き始める。

しばらく雪ノ下と並んでめぐりさん達の後ろを歩いていると、俺はさっきの礼を雪ノ下に言ってなかったことを思い出した。

八幡「ああ、そうだ雪ノ下。さっきはありがとな」

雪乃「え……私、何かしたかしら」

その雪ノ下は訳が分からなそうにしていたが、俺はそのまま言葉を続ける。

八幡「さっき、お前がしろめぐ……めぐりさんを助けようとしてただろ。あれがなかったら、俺は前に進めてなかったと思う」

雪乃「どういうことかしら?」

八幡「……最初から助けようとしてたわけじゃなくて、めぐりさんが自分で抜け出してくれねぇかなって思ってたんだよ」

やや自虐的に笑いながら、先ほどの考えを素直に吐露する。

八幡「お前が助けに行こうとしたのを見て、やっと自分のアホさに気が付いたんだ。なんで男の俺が行かねぇんだって」

雪乃「あなたって人は……」

俺が全てを言い切ると、雪ノ下が額に手をやりながら、はぁと呆れたようなため息をついた。

しかしすぐにこちらの方に振り向く。その目は、どこか優しい。



185: ◆//lmDzMOyo:2015/06/17(水) 01:35:41.31 ID:7BgjLlslo

雪乃「……まぁ、結果的にはあなたが助けたわけだし、私が礼を言われる筋合いはないわ」

八幡「そういうな。お前のおかげだよ」

雪乃「……そこまで言うのなら受け取っておくけれど」

そこで雪ノ下は言葉を切り、俺から目線を外すと前を見る。

少し前ではめぐり先輩が由比ヶ浜、一色と並んで談笑している。ちらっとめぐりさんの笑った横顔が見えた。

雪乃「あの城廻先輩の笑顔を守ったのはあなた自身なのだし、そこは堂々と胸を張っていいと思うわ」

八幡「……」

雪ノ下にそう言われて、前を歩いているめぐりさんの方を再び見た。

最初は見捨てるに近い行動を取ろうとしていた俺は、許されていいのだろうか。

俺は、胸を張っていいのだろうか。

罪悪感のせいで、素直にそうは思えなかったが。

雪ノ下の言葉のおかげで、少し気が楽になったように感じた。

八幡「……さんきゅ、雪ノ下」

雪乃「……その感謝は、何に対してかしらね?」

ふふっと笑う雪ノ下に釣られて、俺もふっと軽い笑みを浮かべた。

あの雪ノ下先生が言うんだから、間違いねぇんだろうな。

俺のこの手でめぐりさんを助けられたんだって、思ってもいいんだろう。

あのほんわかした笑顔が消えなくて済んだと、この手で守れたんだと思うと、俺はこの胸を堂々と張っていいように感じた。



186: ◆//lmDzMOyo:2015/06/17(水) 01:36:07.65 ID:7BgjLlslo

    ×  ×  ×


八幡「……はぁ」

次に向かった別のショッピングモールに着くと、バレンタインデー特集をやっているブースを眺めるのもそこそこに、俺たちはゲームコーナーの方にやってきていた。

さっきのめぐりさんと一色の提案どおり、本当にプリクラを撮りに来たのであった。

当然俺は即座に辞退を申し出たのだが、何故か全員に却下されたため、結局五人でプリクラを撮る羽目になったわけだが……。

当然五人も入れば、その、中は結構狭いわけでしてね?

その、当然の結末として、そこそこ密着することになるわけで……。

八幡「……」

さっきのめぐり先輩の件とは全く別の意味で死にたくなり、俺は熱くなった頭と顔を冷やすため、少し離れたベンチで頭を抱えながら休んでいた。

ちらっとプリクラの筐体の方を見れば、由比ヶ浜と一色が雪ノ下を囲むようにしてきゃっきゃと騒いでいる。たぶん、落書きか何かをしているのだろう。

雪ノ下も最初の最初だけは遠慮気味だったのだが、いつの間にか撮る側に回っていた。今ではああいう風に由比ヶ浜たちと並んで楽しそうにやっている。ほんと良い友達にめぐり会えたなぁ。



187: ◆//lmDzMOyo:2015/06/17(水) 01:36:33.85 ID:7BgjLlslo

ふと、そこでめぐりさんの姿が見えないことに気が付いた。

プリクラのところにはいないし、どこにいるんだろうと捜していると、ぴとっと俺の頬に冷たい何かが押し当てられた。

びっくりして振り返ってみると、そこにはマッ缶を持ったほんわか笑顔のめぐりさんの姿があった。

めぐり「はい、これあげる。さっきのお礼としては安いかもしれないけどね」

八幡「あっ、しろめぐ……めぐりさん、ども……」

そのマッ缶を受け取ると、めぐり先輩も俺の横にぽすっと座った。

缶のプルトップを開けると、そのままその中身を喉に流し込む。甘ったるい、いつもの味が口の中に広がった。

めぐり「イベントの話し合い中も、いつもそれ飲んでたよね」

八幡「ああ、見てたんすか……」

そういえばなんでめぐりさんは俺がマッ缶を好きなのだろうと疑問に思ったが、俺がそれを問う前にめぐりさんから答えてくれた。

思い返してみれば、会議室で行なわれる会議中はいつもマッ缶を飲んでいたような気がする。奉仕部の部室であれば、雪ノ下の淹れてくれた紅茶を飲んでいることが多いのだが。



188: ◆//lmDzMOyo:2015/06/17(水) 01:37:00.95 ID:7BgjLlslo

八幡「……」

めぐり「……」

マッ缶の中身を飲み干すと、俺たちの間に沈黙が舞い降りる。

何か俺から声を掛けるべきかどうか考えていると、めぐりさんの方から口を開いた。

めぐり「比企谷くん……さっきは、本当にありがとうね……」

八幡「……礼なら、さっきも受け取りましたよ」

めぐり「それでもさ、もう一度お礼が言いたくて……」

めぐりさんはやや俯きながら、ぎゅっと膝の上に乗せた手を握った。そのまま、小さい声で言葉を続ける。

めぐり「実はさ、さっきの結構怖くて……だから、比企谷くんが手を引っ張ってくれた時……すごく頼もしくて……すごいかっこいいなって思った」

八幡「……」

ちらっと見てみればめぐりさんの顔が朱色に染まっているように見えたが、多分俺の顔も負けてないくらい赤くなっていると思う。

ああ、なんか暑いなー。このゲームコーナー冷房効いてないんじゃないのー? それとも本当にあべこべクリーム塗っちゃったかなー?

めぐり「だから──ありがとう、比企谷くん」

八幡「……どういたしまして」

再び礼を言うめぐりさんだったが、俺はそのめぐりさんの顔を直視出来ずにゲームコーナーの方へ目線をやっていた。だから、今めぐりさんがどんな顔をしているかは分からない。

分からないが──笑顔なら嬉しいなと、そう思った。



189: ◆//lmDzMOyo:2015/06/17(水) 01:37:27.31 ID:7BgjLlslo

めぐり「ああ、そういえばさ、比企谷くん」

八幡「え?」

さっきまでとは打って変わって通常通りの声に戻っためぐりさんの方を振り返ってみると、表情の方も通常通りのほんわか笑顔に戻っていた。

それを見ると俺も先ほどまでの恥ずかしさが引いて、こちらまでほんわかしてきた。

めぐり「結局、何かイベントで使うアイディア考え付いた?」

八幡「……いやー、実は何も」

いや、それがマジで思い付いてないのだ。

先ほど行った所と今いるショッピングモールで、計二つのバレンタインデー特集をやっているブースを見回ったのだが、飾りつけとかそういう部分でのアイディアは出ても、盛り上げる何かみたいなものは思い付かなかったのである。

そう素直に答えると、めぐりさんがもう! とぷんぷん頬を膨らませて怒っていた。うっわ可愛い。ここにあざとらしさを感じないのが本物の天然さんである故なのか。

めぐり「あ……じゃあ、比企谷くん……」

八幡「ん、なんですか?」

めぐり「明日も、お出かけしない?」

八幡「え……?」



190: ◆//lmDzMOyo:2015/06/17(水) 01:37:54.22 ID:7BgjLlslo

めぐりさんの突然の提案に、思わず聞き返してしまう。

まぁ確かに今日中にアイディアが出せていない以上、今週の金曜日に迫ったイベントの前の休日は明日しかない。足を使ってアイディアを捜すなら最後の日だ。

八幡「まぁ、俺はいいですけど。でもあいつらもいいって言いますかね」

めぐり「や、明日はさ、みんなでじゃなくて……比企谷くんと二人で、お出かけしたいなぁって」

八幡「……はい?」

思わず、間抜けっぽい声が出てしまった。今なんて言ったこの人?

めぐり「一色さんともデートしてたって言ってたし……もし良かったらさ、私ともお出かけしてくれないかなって」

八幡「……」

……これはあれですかね、ガチでデートのお誘いって思っていいんですかね。近くにドッキリ看板持った一色とかいないよね? いや、まだプリクラのところで由比ヶ浜たちときゃーきゃーやってるな。

もしそうであれば、これは人生初めてのデートのお誘いなのかもしれない。

雪ノ下や由比ヶ浜と出かけた時は誕生日プレゼントを捜すという名目があったわけだし、一色のあれもデートだって誘われたのではなく、騙されたような形で始まったデートだ。

めぐり「ダメ、かな?」

めぐりさんがやや不安そうな表情で、そう聞く。

……俺に出来るなら、この顔を曇らせたくない。笑顔のままでいてほしいと思った。



191: ◆//lmDzMOyo:2015/06/17(水) 01:38:21.37 ID:7BgjLlslo

八幡「……俺なんかでよければ、いいですよ」

めぐり「本当? 嬉しいな!」

その笑顔を守れた。やったぜ。

……つい流されてオーケーを出しちゃったけど、大丈夫かな……。めぐりさんとデートとか、改めて意識してみるとめちゃくちゃ緊張してきたんだけど……。

めぐり「でも、自分なんかって言わないで欲しいな。私は比企谷くんと行きたいんだから」

八幡「あ……はい」

そう悪戯っぽく微笑むめぐりさんを前に、思わずどきっと自分の心臓が飛び跳ねたような気がした。

……その笑顔は、なかなかに破壊力が高い。

マズい、マズいって。

なんとか冷静さを取り戻さないと……。

こういう時は素数を数えるのがいいんだったな、えっと確か1,2,3,4、5,6ってそれただの自然数ですやーん。



192: ◆//lmDzMOyo:2015/06/17(水) 01:39:10.73 ID:7BgjLlslo

めぐり「じゃあ比企谷くん、連絡先教えてもらっていいかな?」

八幡「ああ、どうぞ」

めぐりさんに言われるがままに電話番号とメルアドの交換を済ませると、プリクラの筐体の方から一色がたたたっと早歩きでこちらの方にやってきた。

いろは「先輩方ー、終わりましたよー」

めぐり「あっ、終わったみたいだね」

一色の終了宣言を聞いて、めぐり先輩がベンチから立ち上がる。

そして数歩前に進んだかと思うと、くるっと回り、ほんわかした満面の笑みを浮かべながら、俺に向かって言った。

めぐり「じゃあ比企谷くん、明日楽しみにしてるねっ!」

八幡「っ……!!」

……小町、お前は一人くらいお持ち帰りしてきてもいいんだよー、なんて言ってたけど。

どうも、お持ち帰りされたのは俺の心らしい。



202: ◆//lmDzMOyo:2015/06/21(日) 00:22:59.71 ID:gVbsUOZso

      ×  ×  ×


八幡「だーめだ、思いつかねぇ」

掴んでいたパソコンのマウスを投げるように放り出し、椅子の背もたれにだらしなく寄り掛かった。

チラッとパソコンの時間を確認すると、午後の十時を過ぎたところだ。めぐりさん達とのお出かけから帰宅して、もう一時間ほどが経っている。

家に帰ってからインターネットを使ってバレンタインデーイベントを盛り上げるようなアイディアというものを捜していたのだが、これがどうも見つからない。

めぐりさんには「比企谷くんの考えたアイディア」と言われている以上、そもそもグーグル先生に頼ること自体が間違っていたのかもしれないが、そうはいっても一人で考えるのには限度がある。

結局グーグル先生に頼っても、いい考えは浮かんでいないのだが。



203: ◆//lmDzMOyo:2015/06/21(日) 00:23:28.59 ID:gVbsUOZso

大体俺がバレンタインデーを盛り上げる方法なんてものを考えること自体が無理なんだと通算数十回目の思考に陥りながら、ちらっと机の上に放置してある自分の携帯を見た。新着メールはない。

めぐりさんからは、後で明日のことについて連絡するねと言われている。

その言葉がさっきから妙に脳内を反芻し、心がそわそわとしてまったく落ち着かない。

こうやって携帯の新着を確認するのも、多分三分くらいぶりだ。

携帯から目を逸らすようにまたパソコンの画面に目をやり、グーグルにバレンタインデー関係のキーワードを打ち込む。

そしてマウスであれこれ動かして、上の方に出てきたサイトを確認した。

へー東京って大きなイベントたくさんやってんだなーどうでもいいーと眺めていると、自分でも気が付かないうちにちらっと視線が携帯の方に向かってしまった。



204: ◆//lmDzMOyo:2015/06/21(日) 00:24:04.23 ID:gVbsUOZso

自分の目線がパソコンの画面ではなく携帯に向かっていたことに気が付くと、はぁと大きなため息をつく。

全く、昔クラスメイトの女子とメルアドを交換して返信を期待してた頃とやってること変わってねぇ。

出来ることならあまり思い出したくない過去のことが脳裏を掠める。

あれだけのことがあったのにも関わらず、未だに反省していない自分に嫌気が差した。

しかし、それと同時に。

妙に高まるこの胸の鼓動を感じるのを嫌ではないと感じている自分がいるのも、また確かであった。



205: ◆//lmDzMOyo:2015/06/21(日) 00:24:32.78 ID:gVbsUOZso

ピリリッ! ピリリッ!

八幡「うおっ!」

自分への嫌気と、高まる期待という相反した二つの気持ちの間で揺れ動いていると、突然携帯からメールの着信を告げる音が鳴った。

ばっと掴みかかるように携帯を取り、メールを確認する。

アマゾンからだった。

八幡「ふざけんなこの野郎!!」

思わず叫んでしまい、携帯をベッドの上の布団に向かって投げつけてしまった。どんなにキレていても布団に投げる俺のチキンっぷりもとい理性を褒めてほしい。



206: ◆//lmDzMOyo:2015/06/21(日) 00:25:00.90 ID:gVbsUOZso

とんだ肩透かしを食らってしまい、はぁと肩を落とすと、再び携帯がピリリっと電子音を鳴らした。

八幡「……」

今度はなんだ。二連続でアマゾンか。それとも近くの地域に住む性欲を持て余した人妻か。

もし材木座だったら着信拒否かましてやろうと決意を固めて携帯を布団から取り出し、画面を確認する。

FROM城廻めぐり

八幡「!!」

無機質なフォントで書かれていたその文字からは、何故かほんわかとする雰囲気を感じた。

すぐに指を動かして、そのメールの中身を確認する。



207: ◆//lmDzMOyo:2015/06/21(日) 00:25:36.97 ID:gVbsUOZso

FROM 城廻めぐり

TITLE 明日の予定について


こんばんは、比企谷くん!(。・ω・)ノ゙

ちょっと遅くなっちゃってごめんねm(o・ω・o)m

もし良かったら明日、東京の方にも出かけてみようと思うんだけどどうかな?(・ω・?)

お返事、待ってます!。+m(´・ω・`)m+゚



208: ◆//lmDzMOyo:2015/06/21(日) 00:26:03.75 ID:gVbsUOZso

八幡「ごはっ! どふっごほっごほっ!」

メールの文字列が目に入ってきた瞬間になんか俺の心臓が凄いことになり、思わず盛大に咳き込む。

な、なんだこの破壊力は……!?

由比ヶ浜のメールも顔文字を多用する女子高生スタイルであったが、これをめぐりさんが打っていると想像すると思わずこう、こみ上げるものがありますね?

やるじゃん顔文字……めちゃくちゃほんわかしたぜ……。

普段(´・ω・`)系の顔文字などあまり好きではなかったし、自分で使ったこともほとんど無かった。

しかしめぐりさんが使う分には全然構わないというか、一発で好きになりましたね。



209: ◆//lmDzMOyo:2015/06/21(日) 00:26:41.19 ID:gVbsUOZso

少々ニヤけてしまっている自分の顔を抑えようとしつつ、もう一度メールの文章を読み返した。

どうやら、明日は東京の方に出かけようということらしい。

確かに都会の方が千葉より色々見るところも多いだろう。それに千葉県内で回るとしたら今日回ったところ以上のところもあまりない。

了承の意を書き綴ったメールの文章を作成すると、それをめぐりさんに向けて転送する。俺も顔文字とか覚えた方がいいのかな……今度由比ヶ浜にでも教わるとしよう。

さて、明日めぐりさんと東京方面でデートということになったわけだが。

そうか、デートなのか……。

…………。

とりあえず、なんだ。

お母様に頭を下げて、お小遣いの前借りをお願いしに行くか。



210: ◆//lmDzMOyo:2015/06/21(日) 00:27:15.62 ID:gVbsUOZso

   ×  ×  ×


そして翌日、日曜日の朝を迎えた。

昨日と同じくほとんど雲の見えない快晴であったが、昨日に比べると僅かに空気が暖かいような気がする。

そんな冬晴れの空の下、俺はめぐりさんに指定された場所──魔境・新宿駅に俺はいた。

わいわいと賑わう駅前を眺めながら時間を確認すると九時三十分。本来の待ち合わせ時間より三十分も早い。

当然俺の家からは千葉駅より新宿駅の方が遠いため、昨日に比べるとかなり早い時間に家を出ている。一時間以上早い。

もちろんそんなに早く来る必要はないのだろうが……その、なんだ。

家にいるとそわそわしてとにかく落ち着かず、思わず早い時間に家を飛び出してしまったのだ。お前どこの遠足前の小学生かよってレベルである。

あまりにそわそわしているのを見かねたのか、小町がお兄ちゃん? 頭大丈夫? などとすごい心配そうに声を掛けて来たくらいだ。まさか受験寸前の受験生に心配されるほどとは思わなかった。



211: ◆//lmDzMOyo:2015/06/21(日) 00:27:42.73 ID:gVbsUOZso

まぁそんなこんなで早めに家を出て、早くも新宿駅に着いたわけだが……。

八幡「……ここどこだよ」

新宿駅ってすごいね! まるで迷路みたいだ!

いや、迷路みたいというか、迷路そのものと言ってもいいだろう。

誰だよこんな風に作ろうと考えた奴。これ全部把握してる奴いるのかよ。

誰だかは知らないが新宿駅の構造を考えた奴に心の中で恨み言を吐きつつ、集合場所と書かれていた東口に向かう。

東口……これ本当にここでいいんですかね……? と内心不安になりながらきょろきょろと歩き回っていると、ふと知った顔を見つけた。

あの編まれたお下げ、見覚えあんなーと思って目線をやると──

八幡「し、城廻先輩?」

めぐり「ひ、比企谷くん!?」

──なんと、本人であった。



212: ◆//lmDzMOyo:2015/06/21(日) 00:28:14.28 ID:gVbsUOZso

まだ集合時間三十分前なのになんでこの人いるんだろうとブーメラン的なことを考えていると、俺が何か言葉を発するよりに先にあちらの方から声を掛けてきた。

めぐり「び、びっくりしたー……まだ集合時間まで結構あるよ?」

八幡「あ、いや、それ言ったら城廻先輩もだと思うんですが……」

めぐり「あ、あはは、そうだったね」

俺がそう指摘すると、めぐり先輩は誤魔化すようにあははと笑みを浮かべた。

瞬間、いつものほんわかとした雰囲気が醸し出される。

その雰囲気を感じると、俺も動揺していた心を落ち着けることができた。

めぐり「比企谷くんとのデートが楽しみだったから、早めに来ちゃった!」

心が全然落ち着かなくなった。

何この人、天然で言ってるの今の発言?

そういうのマジで勘違いするんで控えた方がいいですよ!



213: ◆//lmDzMOyo:2015/06/21(日) 00:28:59.81 ID:gVbsUOZso

八幡「あ、まぁ、いや、俺もそんな感じです……」

とはいえ、今日のデー……お出かけが楽しみでいてもたってもいられなくて早めに来たのは俺もなのだ。

しかし改めてデートって言われると緊張してしまう。

いや、別に付き合ってない男女でのお出かけもデートっていうのは知ってますけどね? 俺がデートっていう言葉に変な幻想を抱いているだけなんですけどね?

めぐり「ほんと? あはは、結構私と比企谷くんって気が合うのかもね」

八幡「そ、そっすね……」

そんな言葉を聞きながら、いやいや相手にそんな気はない、あくまで普通の会話をしているだけなのだと自分に言い聞かせる。クールになれ比企谷八幡。

ふぅ、ちょっと落ち着いた。この人との会話はいちいちこちらに気があるような言葉を使われるから心臓に悪い。

……いや、単に俺が自意識過剰なだけですね。そうですね。



214: ◆//lmDzMOyo:2015/06/21(日) 00:29:28.31 ID:gVbsUOZso

めぐり「そういえば比企谷くん、さっき私のことまた城廻先輩って呼んだでしょ」

八幡「あっ」

突然めぐりせんぱ──めぐりさんが少しむっとした顔になったので何かと思えば、先ほどの俺の呼び方についての話だった。

そういえばさっきは動揺していたのもあって、咄嗟に今までと同じ城廻先輩呼びをしてしまった。

まぁ、まだめぐりさん呼びに慣れていないというのもあるが……それに女の人を名前で呼ぶの恥ずかしいんだもん……。

八幡「すんません、めぐりさん」

めぐり「ん、よし!」

俺が名前で呼ぶと、めぐりさんは満足気に頷いた。

めぐり「じゃ、行こっか!」

そんな何気無い動作にも可愛らしさを感じていると、めぐり先輩がぱんっと手を叩いてそう宣言する。

めぐり「時間に余裕出来ちゃったし、ちょっと行きたいところあるんだけどどうかな?」

八幡「もちろん構いませんよ」

そう返事すると、やったっ、とほんわか笑顔を浮かべながらその目的地に向かって歩を向けた。



215: ◆//lmDzMOyo:2015/06/21(日) 00:30:14.25 ID:gVbsUOZso

そういや、この前一色と出かけた時はデートコース考えてこいとか色々言われたなぁ。

しかし今日のデートコースは全てめぐりさんに一任しており、実のところ俺はどこに行くのかすら知らされていない。

男としてはどうなんだろうなぁと思いつつも、こうぐいぐいと引っ張ってくれるめぐりさんに安心感を覚えているのも確かだった。

これが年上のお姉さんの包容力というやつなのだろうか。

今まで年上のお姉さんという存在と関わることがほとんどなかったので知らなかったが、存外悪くない気分であった。陽乃さん? いや、ちょっと記憶にないですね……。

めぐり「じゃあ比企谷くん、今日こそは頑張ってイベントのアイディア出しをしようね!」

やべ、完全に忘れていた。

そういや今日はあくまでバレンタインデーイベントのアイディア出しのためのお出かけである。

めぐりさんがデートって言うので、すっかり頭から抜け落ちていた。いや単なる言い訳だなこれは。

八幡「どんなのがいいんですかね」

めぐり「あはは、それを考えるためにきたんだよ」

めぐりさんと並んで、騒がしい新宿の道を歩く。

隣を見れば、ほんわか笑顔を浮かべるめぐりさんがいる。

その事実がなんだかむず痒くて、めぐりさんに視線を合わせられずに前を向いてしまう。

めぐりさんとの新宿デート。

それがどう転ぶかは分からないが、せめてこのほんわか笑顔を霞ませることだけはしないようにしようと、その時誓ったのであった。



221: ◆//lmDzMOyo:2015/06/23(火) 01:28:34.04 ID:R4fzDHvSo

  ×  ×  ×


駅前から騒がしい通りをめぐりさんと並んで歩く。

都会オブ都会とも呼べる新宿駅の前であるということ、そして日曜日の昼前であるということから、非常に多くの人で賑わっている。

人ゴミが苦手な俺にとっては地獄のような空間だ。本当にこれだけの人がどこから沸いて出てきたのだろうと疑問に思う。人がゴミのようだ!

これがいつものように一人でぶらぶらと歩いているだけならば即座に帰宅を考えるほどなのだが、今日の俺は一人で出掛けているわけではない。

隣にいるめぐりさんをちらっと見ると、ご機嫌そうに鼻歌を歌っている。

昨日のようにめぐりさんとはぐれないように細心の注意を払って歩いているのだが、こうも人通りが多いとふとしたタイミングで見失ってしまいそうだ。

浅く息を吐いて気持ちを落ち着かせ、めぐりさんを見失わないように、そしてめぐりさんを置いていかないようにと、普段の歩調より緩やかに歩くことを意識する。

すれ違う人を避けると、またすぐに横に目をやった。ちゃんとめぐりさんはそこにいる。

どうにも気を張ってしまって落ち着かずにいると、こちらを向いためぐりさんと目が合った。



222: ◆//lmDzMOyo:2015/06/23(火) 01:29:00.34 ID:R4fzDHvSo

めぐり「どうしたの、比企谷くん?」

八幡「いや、昨日みたいにはぐれたらマズいかと思いまして」

俺がそう返答すると、めぐりさんが少し目を見開いた。

めぐり「気を遣ってくれたんだね、ありがと」

八幡「まぁ、人多いですし……」

めぐり「あ、じゃあさ……こうすれば、はぐれないよ!」

八幡「ふえっ!?」

そう言うのと同時に、なんとめぐりさんが俺の手を掴んできた。思わず変な言葉が漏れてしまう。ふえぇめぐりお姉ちゃんぐいぐい来るよぅ……。

驚きと戸惑いの目線を向けると、当のめぐりさんはあははとほんわかした笑顔を浮かべていた。

めぐり「これならはぐれる心配もないね!」

八幡「えっ、あっ、はい……」

唐突に手を握られた驚きのせいで、上手く言葉が返せない。大丈夫だよね、手汗とか出てないよね?

手から感じるめぐりさんの温もりを意識してしまうと、心臓がばくばくと音を立てて鳴り響く。はぐれる心配は無くなったが、代わりに過呼吸で倒れる心配が出てきた。



223: ◆//lmDzMOyo:2015/06/23(火) 01:29:26.54 ID:R4fzDHvSo

せめて表情だけでも平静さを保とうとするが、ぎゅっとめぐりさんに手を握り締められるとそれすらも崩壊してしまった。すぐにめぐりさんから目を離してそっぽを向く。

……出来れば、今の自分の顔をめぐりさんに見られたくはない。

鏡を見ずとも分かる。きっと自分の今の顔はさぞかし酷いものになっているだろう。小町辺りに見られたら多分キモっと一蹴されそうな感じだ。

めぐり「じゃ、改めてれっつごー!」

八幡「お、おー……」

めぐりさんがそう宣言しながら手を空に向かって突き上げると、繋いでいる俺の手も一緒に高く突き上げられる。

そんなめぐりさんの愛らしい姿を見て、思わずふっと笑いがこぼれてしまった。

年上らしい強引さと、先輩らしくないような無邪気さ。

そういう色々なところが混ざっているのが、めぐりさんの魅力なのだろう。



224: ◆//lmDzMOyo:2015/06/23(火) 01:29:54.96 ID:R4fzDHvSo

    ×  ×  ×


新宿の某巨大デパートの中に入っても、俺とめぐりさんの手は繋ぎっぱなしであった。

恋人でもないのにずっと繋ぎっぱなしはどうなのだろうかと横に並ぶめぐりさんの顔を見るが、あちらから手を離そうとする雰囲気は感じない。

かと言ってこちらから離すのも非常に躊躇われ、結果ずっと繋ぎっぱなしという状態である。

例え遅刻寸前で自転車を全速力で濃いでもここまではならないだろうという勢いで鳴っている心臓の鼓動を感じながら、少しでも気を逸らそうとデパートの中に目をやる。

駅や道だけでなく、デパートの中にも人が溢れかえっていた。

店内は家族連れ、カップル、女子グループ、カップル、カップルと様々な人たちで賑わっており、都会の人の多さを感じる。

ちょっと待って、カップルの比率高くない?

そう思いながら周りを見回していたが、ふと自分たちも端から見たらそう見えるのかという考えに行き着く。

瞬間、顔と頭が熱くなったように感じられた。このデパートの中、暖房効かせ過ぎだろ……。



225: ◆//lmDzMOyo:2015/06/23(火) 01:30:21.54 ID:R4fzDHvSo

ちらっとめぐりさんの様子を見てみると、そういうことは特に気にしていないのか、物珍しそうに周囲の様子を窺っている。

めぐり「わーすごい人だねー」

そう言いながらギュッと俺の手を強く握り締めてきた。同時に俺の心臓も握り締められたような感覚に陥る。

もう本当に心臓に悪過ぎるので思わずこの手を離したくなるが、この人混みだとまたはぐれる可能性も非常に高い。

何よりめぐりさんが手を離してくれそうにないので、なんとか冷静になれと自分に言い聞かせた。

八幡「そういや、ここでなんかバレンタインデーのイベントやってるんでしたっけ」

めぐり「あれっ、知ってたの?」

少しでも気を紛らわせるために適当な話題を出す。

昨日バレンタインデーのイベントのうんたらをネットで調べている時に、確かここのことも書いてあったはずだ。

細かいところまで読んだわけではないので、ここでイベントがあるということ以上は何も知らないのだが。

八幡「そんなに詳しくはないんですけどね」

めぐり「あはは、ここのイベントはなんかすごいらしいんだー」

当のめぐりさんもそこまで詳しくはないのか、それ以上の説明はなかった。



226: ◆//lmDzMOyo:2015/06/23(火) 01:30:48.51 ID:R4fzDHvSo

そのままデパート内を歩いていくと、真ん中の広場のようなところに出た。

その先では、ものすごい盛り上がりを見せているブースがある。何? アイドルでもきてんの? サイリウム持ってきてないんだけど。

よく見るとバレンタインデーイベント開催中と書かれた看板が立っている。ここで行われているのが、めぐりさんの言っていたイベントだろう。

やっていること自体は昨日の千葉のモールでのイベントと大差無いように見えるが、とにかく規模が段違いであった。

あまりの気合いの入れっぷりと人の多さを前に、思わず圧倒されてしまう。

めぐり「見てみて、比企谷くん! すごいよー!」

八幡「ちょっ、待ってくださいめぐりさん」

めぐりさんに手を引っ張られ、やや早歩き気味にその後を追う。

ブース内に入ると一層騒がしい雰囲気に包まれるが、そんな中でもめぐりさんのほんわか雰囲気は健在であった。

めぐり「わっ、このチョコ可愛いね」

八幡「うわっ、たっけぇ……」

めぐりさんが指をさした先のチョコを見る。

確かに凝ったデザインをしているなとは思うが、それより値札に目が行ってしまった。

いや、チョコに出す値段じゃねぇよこれ……ケーキをホール単位で買う訳じゃないんだからさ……。



227: ◆//lmDzMOyo:2015/06/23(火) 01:31:27.72 ID:R4fzDHvSo

そんなこんなで、めぐりさんとあちこちを眺めながらブース内を歩いていく。

このブース内は非常に盛況だが、そこから何か学べることは無いだろうかと考えを巡らせた。

何故盛況なのか?

人がいるから? チョコが豪華だから? そういう雰囲気だから?

八幡「学校でも大きいチョコレートケーキを出すとかはどうなんですかね」

めぐり「うーん、一応チョコレートケーキ自体は作るつもりだけど、ここにあるものほど豪華には出来ないかもだね」

思いついたアイディアを口に出し、めぐりさんとあれはどうだこれはどうだと、学校のイベントにも活かせないか話し合う。

そのまま話を続けていると、店員らしきお姉さんがこちらに向かっていらっしゃいませーと声を掛けてきた。

店員「こんにちは、カップルさん! バレンタインで彼氏に渡すチョコはお決まりでしょうか?」

めぐり「えっ? あ、あわわ、カップル!? そ、そう見えるのかな……?」

八幡「……まぁ、こんなところで手繋いでたらそりゃそうでしょ」

ばっと繋いでいた手を離し、顔を真っ赤に染めて動揺したようにあわあわとするめぐりさん。

いや、そう動揺されるとこっちまで恥ずかしくなってくるんですけど……ていうか、俺と手を繋ごうとした時はえらく普通そうにしてたのに、他人に指摘されて気が付いたんですか……。



228: ◆//lmDzMOyo:2015/06/23(火) 01:32:03.99 ID:R4fzDHvSo

そのやり取りを初々しいですねーと微笑みながら見ていた店員のお姉さんは、棚に並んだ商品を手を広げながら紹介してきた。

店員「そんなお客様にこちらのチョコなどはいかがでしょうか、本命としても渡せる物になっていましてー」

めぐり「ほ、本命!? ど、どうしようかな……」

なんでそこでチラチラと俺の方を見るんですかね……?

その光景を直視出来ずに、思わず視線を逸らしてしまう。

だが、ブース内のどこを見渡しても、そこにはカップルがうじゃうじゃと沸いていた。うっわーうっぜぇー。

いや、今日は俺も似たような感じなのか……そう考えるとまた顔が熱くなる。

さっきまでめぐりさんと繋いでいた手を見た。めぐりさんの手の温もりが今でも鮮烈に思い返せる。

めぐりさん……まさか他の男子にも気軽に手を繋いでいませんかね……俺じゃなかったら本当に一発KO物ですよこれ……。

再びめぐりさんの方へ視線を戻すと、店員のお姉さんと相談しながら何かを買っているようだった。

店員のお姉さんがありがとうございましたーと頭を下げるのと同時に、めぐりさんが何かが入った袋を片手に持ちながらこちらへぱたぱたとやってきた。



229: ◆//lmDzMOyo:2015/06/23(火) 01:32:33.58 ID:R4fzDHvSo

めぐり「お待たせ比企谷くん、ちょっと良いラッピング用紙があったから買ってきたんだー」

そう言うと袋の中からラッピング用紙を取り出して俺に見せてきた。どうやらチョコを買ったわけではなかったらしい。

本当にあそこで誰かへの本命チョコでも買っていたのなら俺としても困るからあれだったのだが……いや、誰に渡すかとか俺が知ったことじゃないんですけどね。

めぐり「じゃあ、次行こっか」

八幡「うす」

そう言って歩き出しためぐりさんの半歩後ろをついていくように、俺も歩き始める。

すると、くるっとめぐりさんが体を回してこちらの方へ振り返ってきた。

何かをして欲しそうな、そんな感じの印象を受ける上目遣いで俺の目を真っ直ぐに見ている。

……。

八幡「……はぐれてもなんですし、また手繋ぎますか?」

めぐり「うんっ!」

そう言うと、めぐりさんが満面のほんわか笑顔を浮かべながら俺の手をぎゅっと握った。

再び、俺の手にめぐりさんの体温が伝わる。それと同時に俺の心臓がまた飛び跳ねるように鼓動を打つのを感じた。

今日一日だけで、普通に生きてる時の何日分の鼓動を打ってるんだよ……と思いながら、めぐりさんと肩を並べて歩み始めた。



230: ◆//lmDzMOyo:2015/06/23(火) 01:33:34.83 ID:R4fzDHvSo

   ×  ×  ×


午前中はめぐりさんとあっちこっちを見て回り、時計の針が正午を迎えようとした辺りでめぐりさんがそろそろお昼にしよっか? と提案してきた。

俺としても少々小腹が空いてきたし、歩き疲れてもきたのでそれをすぐに承諾すると、近くにあったこじゃれたカフェの中に入った。

中はなかなかにオサレな雰囲気を醸し出しており、前に一色と千葉でカフェに行った時のことが思い出される。

店員に案内された席に着くと、めぐりさんは荷物を置いてちょっとお手洗いに行ってくるねとそのまま店の奥の方に歩いていった。

その背中を見届けると、俺はふぅ~と大きなため息をつく。

や、本当に疲れた……。

単純にあちこちを見て回ったから体力的に疲れたというのも当然あるのだが、それより精神面の疲労が半端無かった。

疲れたと言っても、もちろん嫌な意味ではない。

ただめぐりさんといると緊張しっぱなしなので、こうやって落ち着ける時間が欲しかったのは事実だ。

そもそもめぐりさんの手に触れるだけでもハードル高いっつーのに、そのまま手を繋いで新宿デートとかマジでメンタルゴリゴリ削れますって……。

もう一度大きなため息をつくと、午前中のことを振り返る。

最初のデパートを出てから、あちこちの服屋や雑貨を見て回っていたのだが、これもうバレンタインデーイベント関係ねぇな。

そういやイベントのアイディア出しも今日中に決めとかねぇとなぁと背もたれにだらしなく寄り掛かっていると、たったったっと足音がこちらに向かってきた。めぐりさんが帰ってきたようだ。



231: ◆//lmDzMOyo:2015/06/23(火) 01:34:01.33 ID:R4fzDHvSo

めぐり「もうっ、だらしないよ?」

八幡「ああ、すんません……」

めっと可愛らしく指摘してきためぐりさんに対して適当に謝りながら、椅子に座りなおす。

そして机の上にあるメニューを取り出し、そこに並んでいる字面と写真を眺めた。

この前一色と行った時も思ったが、カタカナでばーっと並んでいるのを見ても全然違いが分からん。

カレーとかグラタンとかみたいなのは普通に分かる。しかし、クロックムッシュとかリエットとか文字だけ見ても全然どんな食べ物なのかイメージ出来ない。

ラーメン関係だったらそれなりに分かるつもりだが、こういった洒落た料理関係の知識に関しては疎い。独り身の男子高校生がカフェのメニューに詳しいわけがないんだよなぁ……。

ただメニューの中には写真も一緒に載っているので、どんな料理なのかはなんとなく分かる。

文字だけ見ても分からない料理の写真を載せているのは親切だなぁと考えながら前のめぐりさんの方を見ると、うーんどうしようかなーと人差し指を顎に当てながら悩んでいる様子であった。

その人差し指が当たっている顎の少し上に視線をやると、めぐりさんの唇が視界に入ってきた。

めぐりさんの唇ってつるんしてるなという感想が浮かんだが、すぐにそれを打ち消すと再びメニューに目を落とした。俺は一体何を考えているんだ。



232: ◆//lmDzMOyo:2015/06/23(火) 01:34:31.88 ID:R4fzDHvSo

めぐり「比企谷くん、決まった?」

八幡「あ、いや、まだです……」

変なことを考えてたことがバレていないだろうかと一瞬ヒヤッとしたが、めぐりさんはそっかーと言いながらうんうんとメニューと睨みっこを再開した。

何を馬鹿なことを考えてるんだろうな俺は、と煩悩を消し去りながらめぐりさんの視線の先に目をやった。

八幡「めぐりさんは何か食べたいものでも決まったんですか?」

めぐり「うーん、こっちのパスタと、こっちのピザで悩んでてさ」

はぁ、カフェのメニューにある食べ物って軽食系が中心だと思ってたけど、ここ本当に色々あんのねぇ。

どうしよっかなーと悩んでいるめぐりさん(可愛い)を眺めていると、一つ考えが浮かんだので、それを提案することにした。

八幡「だったら、その二つを注文して二人で分けませんか? それならどっちも食べられますよ」

めぐり「えっ? 比企谷くんはいいの?」

八幡「まぁ、俺は別に食べたいのとかないですし、それにその二つとも旨そうですし」

そう言いながらメニューに載っているパスタとピザの写真を指差すと、めぐりさんがほんわかと笑いかけて来た。



233: ◆//lmDzMOyo:2015/06/23(火) 01:35:19.39 ID:R4fzDHvSo

めぐり「朝の時といい、比企谷くんって本当に気が利くよね」

八幡「ええ、そうなんですよ。気が利くから真っ先に集団から外れて空気悪くならないように配慮したりします」

めぐり「え? あ、あはは……」

うーんだめかー。めぐりさんに引きつった笑いで返されてしまった。

めぐりさんのように純粋な人にぼっちネタは少々受けが悪かったかなーと思っていると、めぐりさんがいつの間にか真剣な眼差しでこちらを見ていることに気が付いた。

めぐり「そういうのじゃなくてさ、文化祭の時とか、体育祭の時とかも……比企谷くんは色々気を回してくれてたもんね」

八幡「そんなんじゃないですよ、仕事だったからやってただけで」

めぐり「む、じゃあ今日のも仕事だと思ってやってるの?」

八幡「うっ」

痛いところを突かれ、今度は俺の顔が引きつる。



234: ◆//lmDzMOyo:2015/06/23(火) 01:35:46.63 ID:R4fzDHvSo

確かに今日のお出かけの目的は、あくまでバレンタインデーイベントのアイディア捜しだ。

しかし、今日のめぐりさんとのやり取りを仕事だと割り切ってやっているわけではない。むしろ仕事だと割り切るという手があったかと言われて気が付いたほどだ。

八幡「や、別に違いますよ……俺もめぐりさんと、その、出掛けるのは楽しいですし」

俺にしては珍しく素直な言葉が口から出てきた。まぁ楽しいんだけど心臓に悪過ぎることだけが難点かな……。

もしもこんなのが毎回のように続いていたら早死にする自信がある。将来のめぐりさんの彼氏には是非頑張って長生きしてもらいたい。

そういえばめぐりさんももう少しで大学に入学するのだし、そういった出会いなんかもあるのではないか。

その考えが脳裏を横切った時、不思議なことにちくりと何かが胸に刺さったような気がした。

……なんだったのだろう、今のは。少し気になって、自分の顔が険しくなるのを自覚する。

しかしめぐりさんはそんな俺には気が付かず、少々顔を赤らめて俯いていた。

八幡「……? どうかしたんですか」

めぐり「ああ、いや、なんでもないよ! あはは、比企谷くんも楽しいって言ってくれたなら嬉しいな」

再びめぐり先輩が顔をあげると、いつものほんわか笑顔が浮かんでいた。

それを見ていると、こちらまでほんわかしてくる。緊張していた心がめぐりっしゅされたような気がしてきましたね。



235: ◆//lmDzMOyo:2015/06/23(火) 01:36:39.55 ID:R4fzDHvSo

めぐり「じゃあ、そろそろ店員さん呼ぼっか」

めぐりさんが手を挙げながらすみませーんと声をあげると、それに気が付いた店員がこちらにやってきた。

その店員に向かってメニューに指を差しながら注文を告げるめぐりさんを眺めていると、ふと変な考えが頭に浮かんだ。

この人に好かれることが出来た男はとても幸せだろうな、と。

こんな美人で、優しくて、着立てよくて、ほんわかしていて、天然で、やることはきっちりやれて、ほんわかしている(二回目)こんな内外完璧な美少女、そうはおるまい。

そして、そんなめぐりさんがもし、もし誰かのことを好きになったとしたら、そいつは一体どんな野郎なのだろう。

──ほんの少しだけ、あり得ない妄想をする。

めぐり「では以上で。……比企谷くん、どしたの?」

八幡「いや、なんでもないっす」

今までの自分の経験を軽く振り返り、そして冷静さを取り戻す。

ふぅと軽く息を吐き、自分に落ち着けと言い聞かせる。そして顔を上げると、めぐりさんと目が合った。

なんとなくその目を逸らせないでいると、めぐりさんがにこっと笑いかけてきた。冷静さを取り戻したはずの自分の心臓が再び変なリズムを奏で始める。

自分の脳内に再び変な考えが浮かび上がるが、それをすぐに打ち消した。

目の前の人とは目を逸らさずに向き合えているのに。

どうして、自分の気持ちとは素直に向き合えないのかなんて。

そんな恥ずかしいことを考えているのを察せられたくなくて、思わずめぐりさんからも目を逸らしてしまった。



245: ◆//lmDzMOyo:2015/06/25(木) 00:58:01.04 ID:Y0dSEygFo

   ×  ×  ×


会計を済ませて外に出る。時間はまだ昼を少し過ぎたところだ。

まだまだ新宿の道には非常に多くの人が行き交っており、下手をすれば午前中より人が多いように感じる。

こんな寒い冬の休日くらい、お前ら家に引きこもろうとか考えないの?

いや、こうやって外を歩いている俺が言うのもブーメランかもしれないが、それにしたって人多過ぎんだろ……と心の中で愚痴を吐く。

都会は便利だが、人が多過ぎる。

やはり俺は千葉で一生を過ごそう……と改めて千葉に骨を埋める決意を固めているとし、横でぴょこぴょこと揺れるお下げが視界に入った。

カフェを出て、再び俺と手を繋ぎ直しためぐりさんはえらく上機嫌そうにしている。

ほんわかとした雰囲気を感じていると、めぐりさんがこちらを向き、俺の目を見た。



246: ◆//lmDzMOyo:2015/06/25(木) 00:58:28.63 ID:Y0dSEygFo

めぐり「じゃ、また色々回ろっか!」

八幡「そうっすね」

めぐりさんのほんわか笑顔を見ると、再び俺の心臓の鼓動が早さを増す。

ああもう慣れねぇなぁ、めぐりんマジめぐりんでしょ。

しかし、これもう段々とバレンタインデーイベント関係無くなってきている様な気がするんですけど、それはいいんですかね……。

まるで本当に、ただの男女のデートのような……。

めぐり「次はあっちの方に行こうよ」

八幡「えっ、ああ、はい」

ぐいぐいと俺の手を引っ張って先行するめぐりさんから離れないようについていく。

楽しそうなめぐりさんを見ながら、ふと思考を巡らす。

自分が難しく考え過ぎなのだろうか。

もっと簡単に、純粋に、単純に、このめぐりさんとの二人の時間を楽しむべきなのだろうか。



247: ◆//lmDzMOyo:2015/06/25(木) 00:58:56.71 ID:Y0dSEygFo

だが、決して俺はめぐりさんと付き合っているわけではない。

今までに女の子と二人で出掛ける機会などほとんどなかったので、どう割り切れば良いか分からずにもやもやとする。

世の中の男子諸君は付き合っていない女の子と二人で出掛けることにどんなことを思うのだろう。俺は世の中の一般男子からは少々かけ離れていると思うのでよく分からん。

女の子にかっこよく見られたいだとか、これを機にもっと仲を深めたいだとか、ゆうてこれワンチャン夜の部あるっしょとか、人によって思うことは違うのだろう。

なら、俺は。

比企谷八幡は、城廻めぐりと出掛けてどう思っているのか。

楽しいとは思う。

どきどきするとも思う。

けれど、それだけじゃない。

もっと、他に何かがあるような、そんな気がする。

めぐり「ねぇ、比企谷くん」

一人の世界に入り込みかけていた俺の思考は、めぐりさんの声で現実世界に引き戻された。



248: ◆//lmDzMOyo:2015/06/25(木) 00:59:36.38 ID:Y0dSEygFo

八幡「どうしたんすか、めぐりさん」

めぐり「や、なんか難しいこと考えてるような顔してたから、何考えてるのかなって」

少々心配するような顔をしているめぐりさんを見て、今考えるようなことではなかったかなと反省する。

今はめぐりさんと二人ででかけているのだから、俺がどう思うかより、めぐりさんのことを考えるべきだったな。

八幡「いや、バレンタインデーイベントのアイディアでなんかないかなって考えてまして」

適当に思いついた言い訳を誤魔化すように言う。

でも、そろそろマジでなんか考えないとマズいのは確かなんだよな……。

めぐり「んー、そんな難しく考えなくていいんだよ? 別に手間が掛かれば良いってものじゃないと思うし」

八幡「まぁ、そうなんすけどね……」

ただ少し、イベントの盛り上がりに貢献出来るような、そんなアイディアでいいとは思う。

確かにめぐりさんの言った通り手間がかかれば良いと言うものではないと思うし、そもそもそんなに手間が掛かるようなものは実行出来るかすら怪しい。

もっと簡単に考えるべきなんだろう。

今日のこのデートの意味と同じように。



249: ◆//lmDzMOyo:2015/06/25(木) 01:00:18.59 ID:Y0dSEygFo

八幡「……ん?」

そんなことを考えながら騒がしい新宿の街並みを眺めていると、ふとこじゃれた店が視界に入り込んだ。

お菓子屋か何かと思われるその店の前では、小さな机を出してチョコを売り出している。バレンタイン前なので、店の中だけでなく、外でも売り出そうとしているのだろう。

なんとなくそれが気になって見ていると、めぐりさんがぐいぐいと俺の手を引っ張った。

めぐり「ちょっと見ていく?」

八幡「じゃあ少しだけ……」

その店の前の机の近くにまでやってくると、店員のお姉さんがいらっしゃいませーと言いながらぺこりと頭を下げた。

なんとなくこちらも釣られて軽く頭を下げながら、机の上に並んでいるものに目を落とす。

よく見るとチョコだけでなく、何か別の物も一緒に売っているようだ。それを注視していると、店員さんがにこりと営業スマイルを浮かべながら高い声で紹介してくる。

店員「そちらはメッセージカードですよー、プレゼントのチョコと一緒にどうですかー」

めぐり「わっ、これ可愛い……ひとつください!」

八幡「メッセージカード……」

確かにプレゼントと一緒に手紙とかはよくある手法だ。昔は小町から何かプレゼントを貰う時には手紙も一緒に入っていたものだ。

ちなみに書いてある内容はおめでとうとかじゃなくて、次に小町がプレゼントして貰いたいリクエスト表である。本当にあの子ったら……まぁ買っちゃうけど。

しかし言葉では伝えにくいことでも、文字でならば伝えられるということはあるだろう。

それに文字は言葉と違って形として残るからな。聞き漏らしも聞き間違えもない。

プレゼントのリクエストなど、まさに言葉より文字の方が伝えやすいだろう。形として残るので聞き間違いをした振りをして安い物を買ってくる戦法が使えない。本当に小町に手紙でおねだりすることを教えた奴誰だよ……。



250: ◆//lmDzMOyo:2015/06/25(木) 01:00:45.23 ID:Y0dSEygFo

そんなことを考えていると、ふとそこからヒントを貰ったような気がした。

八幡「メッセージ……」

瞬間、そこでとあるアイディアが閃く。

このメッセージカード、イベントにも使えるんじゃないのか?

そのメッセージカードを購入していためぐりさんが買い物を終えると、そのアイディアについて相談することにした。

八幡「めぐりさん、確か体育館の壁際って特に何か飾るわけではないんですよね?」

めぐり「え? うん、写真か何かは貼ろうかなーって思ってるけど、さすがに全部は使わないよ」

八幡「じゃ、そこに何かメッセージコーナーみたいなのって作れますかね」

めぐりさんがはてなと首を傾げたので、俺はそのまま説明を続ける。

八幡「ほら、このメッセージカードのようなもの用意して、何かそれを貼るスペースがあったらどうかとか考えたんですけど……」

発想としては七夕の短冊や神社の絵馬に近いかもしれない。

ああいうのって、ただ自分の書いたものを飾るだけなのに結構盛り上がるからな。

昔、七夕祭りに行った時に小町が嬉々として短冊にお願い事を書いていたものだ。お兄ちゃんに友達が出来ますようにって。余計なお世話じゃ。

そう伝えると、めぐりさんはぱあっと笑顔を浮かべてうんうんと頷いた。



251: ◆//lmDzMOyo:2015/06/25(木) 01:01:13.45 ID:Y0dSEygFo

めぐり「いいね、それ! 採用!」

八幡「自分で言っておいてなんですけど、そんなすぐに採用していいんすかね……」

めぐり「いいに決まってるよ、みんなも反対しないだろうし」

ただのフラッシュアイディアだったのだが、めぐりさんの反応は良好だ。

まぁこれなら用意するのは紙とペンと、紙を貼る板かなんか程度だろうし、スペースさえ確保出来るなら経済面では特に負担を強いることは無いだろう。

めぐり「比企谷くんは素敵なことを考えるね」

八幡「別にそんなもんじゃないですよ、七夕の短冊みたいなもんじゃないですか」

めぐり「それでもだよ」

妙にぴしゃっと言い切られてしまった。

少し驚いてめぐりさんの顔を窺うと、大真面目な表情で俺を見つめている。

めぐり「比企谷くんの一生懸命考えてくれたアイディアだもん、絶対盛り上がるよっ!」

や、一生懸命っていうほどのもんじゃないですけどね……。

しかしぐっと拳を握って燃えているようなめぐりさんに水を差すのも気が引けたので、特に何か突っ込むことはしなかった。

めぐり「じゃあ早速明日みんなにも言おうね」

八幡「大丈夫ですかね……」

めぐり「大丈夫だよ~!」

めぐりさんが励ますように俺の肩をぽんと叩きながらそう断言してくれた。

……ふと思いついただけのものだったが、この人に太鼓判を押してもらえるなら大丈夫だと自信がみなぎってくるから不思議だ。



252: ◆//lmDzMOyo:2015/06/25(木) 01:01:40.05 ID:Y0dSEygFo

ありがとうございました~と店員のお姉さんの声を背中に受けながら歩き始めると、ばっと俺の手がめぐりさんに掴まれた。

めぐり「比企谷くん、絶対にイベント成功させようね」

八幡「……そうですね」

掴まれた左手にめぐりさんの体温を感じながら、今週の金曜日にまで迫ったイベントに想いを馳せる。

去年までの俺には無縁だったバレンタインデー。

だが今年はどういうわけか、そのイベントを盛り上げる側に立ってしまっている。

本当に何がどうなってこうなったんだっけな……と、横にいるめぐりさんに目線をやった。

楽しそうに笑っているそのめぐりさんの周りには、ほんわかとした雰囲気が醸し出されている。

俺もこのほんわかさにやられちまったのかなと、誰に聞かせるわけでもなく、ぼそっと呟いた。



253: ◆//lmDzMOyo:2015/06/25(木) 01:02:07.73 ID:Y0dSEygFo

   ×  ×  ×


太陽が沈み、あたりが暗くなっていく。

それでも新宿駅の前はまだまだ人が多く、騒がしく賑わっている。

そんな駅前に、俺とめぐりさんはいた。あっちこっちを周り、そろそろ帰ろうかという算段である。

結構歩いたからか、それとも他の要因のせいか、改めて自分の身体の調子を確かめると随分と疲労が溜まっているように感じた。

しかしその疲れをどうにか顔に出さないように努めながらめぐりさんの方を見ると、こちらは疲れ? 何それ食えるの? とばかりにいつものほんわかとした笑顔を浮かべている。

めぐり「ん~、今日は楽しかったね~」

そう言って両腕を高く突き上げながら伸びをするめぐりさん。同時に繋がれている俺の腕も万歳をするように高く上に挙がる。



254: ◆//lmDzMOyo:2015/06/25(木) 01:02:41.32 ID:Y0dSEygFo

めぐり「比企谷くんはどうだったかな、今日は」

ちらっとこちらを窺うように上目遣いで見ながら、そう尋ねてきた。しかしこちらも答えは決まっている。

八幡「そりゃ、俺だって楽しかったですよ」

めぐり「なら良かったっ」

今日だけで何度見たか分からない笑顔を浮かべながら、めぐりさんはぱっと俺と繋いでいた手を離した。

唐突に消えた手の温もりを求めるように手を少し握ってみたが、その手ではひんやりとした空気しか掴めなかった。

めぐり「また来れるといいね」

八幡「また……ですか」

そう呟きながら、その「また」の存在を考える。

めぐりさんと俺の今の関係など、依頼者と請負人だ。

つまりこのバレンタインデーのイベントが終われば、また今まで通りの先輩と後輩に戻る。

まして、めぐりさんは卒業を間近に控えた三年生だ。卒業してしまえば、先輩と後輩ですらなくなる。

もうすぐ自分らを繋ぐ縁など何も無くなるだろうに、めぐりさんはその「また」の存在を疑いもせずに言う。

人と人の関係なんて想像以上に危うい。比較的身近である奉仕部の彼女らとの関係だって、いつまでも続くなんて保障はどこにも無い。

卒業してしまうめぐりさんと俺の関係なんて、あと一ヶ月も続くか分からないだろうに。



255: ◆//lmDzMOyo:2015/06/25(木) 01:03:49.28 ID:Y0dSEygFo

めぐり「うん、またいつか比企谷くんとデート出来るといいなって」

八幡「……」

今まで他人との関係を続けようだなんて滅多に考えてこなかったから、よくは分からない。

しかし、俺が続けようと思えば──そしてめぐりさんもそれを望んでいるのなら、もしかしたら、俺たちの関係は続いていくのかもしれない。

八幡「……そうっすね。また今度、機会があれば」

めぐり「うん、楽しみにしてるよ」

そう言うと、めぐりさんはたったっと改札口へ向かった。なんとなくその背中を眺めていると、くるっとめぐりさんが振り返る。

めぐり「どうしたの比企谷くーん、置いていっちゃうよー」

ぶんぶんと手を振ってきためぐりさんがどこか可笑しくって、ふっと笑いが漏れてしまった。

八幡「今行きますって」

その背をゆっくりと追いながら、めぐりさんとの距離を詰めていく。

この関係も、これ以上詰めていけるのだろうか。

そんな俺らしからぬことを少しだけ考えた。

詰めれば詰めるほど、別れる時に苦しい思いをするのは理解しているはずなのに。



256: ◆//lmDzMOyo:2015/06/25(木) 01:04:15.80 ID:Y0dSEygFo

翌日の月曜日。

放課後の会議室に集まった奉仕部と生徒会の前で、昨日思いついたアイディアについて説明をした。

体育館の一角に、メッセージカードとそれを貼るスペースを用意するというもの。

めぐりさんはああ言ってくれたが、他の人はどうだろうかと反応を窺っていると、由比ヶ浜ががたっと立ち上がって前のめりの姿勢になった。ちょっと胸元にあるものが揺れたのが気になったが、そこからは全力で目を逸らす。負けない! 人間は欲望なんかに負けない!

結衣「いいじゃん! そういうの女子も好きだしさ!」

由比ヶ浜の反応は割と良好なようだ。目を輝かせながら俺の方を見ている。

その隣にいる一色は少々驚いたような顔つきになりながらこちらを見ていた。

いろは「うわ、先輩にしては普通にいいですね……びっくりしました」

八幡「だろ? 俺も俺にしては普通過ぎて、我ながら驚いてるくらいだ」

いろは「自覚あったんですか……」

ジト目になっている一色の目線を受け流しながら、ふっと自虐的な笑みを浮かべた。

本当に発案元が俺だとは思えないくらい普通だよね。まぁ元ネタとか七夕の短冊とかだから多少はね?



257: ◆//lmDzMOyo:2015/06/25(木) 01:04:56.75 ID:Y0dSEygFo

次に雪ノ下の方を見てみると、こちらも一色に似たような驚愕の表情を浮かべている。

いや、すごい分かるんだけど君たちその反応は失礼過ぎない? いや、すっごい分かるんだけどさ。

雪乃「意外ね、あなたならもう少し斜め下な発案をしてくると思ったのだけれど」

八幡「ほう。例えばどんなことを言い出すとでも思ったんだ、お前は」

雪乃「花火と称して火薬を用意して、体育館をパニックにさせて中止に追い込もうとするくらいはやりかねないと思っていたわ」

八幡「その発想をするお前の方がこえぇよ」

さすがの俺でもそこまではやらん。やるにしてもルームミストと称して消火器を使うとか、もうちょっと人的被害の無さそうなもので中止に追いやる。

他の生徒会役員の反応も概ね良好であり、そのまま採用となりそうな流れだ。

めぐりさんの方を向くと、ぐっと親指を立てながらこちらに笑顔を向けていた。うーん、確かなほんわかめぐりんパワーを感じる。

結衣「や、でも変な意味じゃないけど本当にヒッキーらしくないよねー。この前おでかけした時に考え付いたの?」

八幡「え? ああ、まぁ……」

さすがにここで堂々とめぐりさんとデートした時に思いつきました! とも言えなかったので適当に誤魔化しておいた。

案が通ったので自分の席に戻ると、めぐりさんがポンと肩を叩いてきたのでそちらを向く。



258: ◆//lmDzMOyo:2015/06/25(木) 01:05:23.61 ID:Y0dSEygFo

めぐり「比企谷くん、お疲れさま」

八幡「まだ早いっすよ、本番ではどうなるか分からないですし」

めぐり「大丈夫だって! 昨日も言ったけど、比企谷くんの一生懸命考えたアイディアだから、絶対盛り上がると思うんだ」

結衣「……昨日?」

げっと由比ヶ浜の方を振り返ると、何やら疑わしき目でこちらを見ていた。よく見れば、一色と雪ノ下まで身を乗り出している。

結衣「昨日、めぐり先輩と何か話してたの?」

八幡「えっ、あっいや、その相談みたいな」

めぐり「昨日はねー、比企谷くんと新宿にデートしに行ってたんだ~」

がばっとめぐりさんの方を振り返ったが、えへへ~とほんわかした笑顔を浮かべているだけで、爆弾を投下した自覚は無いようだ。

ギギギ……と再び由比ヶ浜たちの方を見やると、三人ともがじとっとした視線をこちらに向けている。

結衣「あっ、そ、そうだったんだ、あはは……」

雪乃「で、デート……そう」

いろは「新宿とか、随分とオシャレなところまで出かけてたんですね?」

うーん、なんかこの部屋寒い……寒くない? 暖房効いてるはずなんだけどなー。おかしいなー。

しかし、当のめぐりさんだけは暖かい笑顔を浮かべたままであった。



259: ◆//lmDzMOyo:2015/06/25(木) 01:05:54.02 ID:Y0dSEygFo

   ×  ×  ×


八幡「ふぅ……」

マッ缶の中身を全て飲み干し、空き缶を机に置くとカチッと音が鳴った。

今日の分の会議は先ほど終わり、皆はそれぞれ帰り支度を始めている。

窓から外を見やればすでにもう暗い。冬のこの時期は暗くなるのが本当に早いな。

先ほどのめぐりさんとの新宿デート云々に関しては、バレンタインデーのイベントのアイディアがまだ思いついていなかったからそれの取材で出かけただけと弁明をし、一応三人からのじとっとした視線からは解放されていた。

もちろん手を繋いだとかそこら辺の話は一切していない。さすがに恥ずかしかったので……。

八幡「……」

俺も荷物をまとめるとバックを肩にかける。片手に空き缶を持ち、そのまま席を立とうとすると、開いた方の手をぐいっと引かれた。

見ればめぐりさんが昨日のように俺の手を握っている。



260: ◆//lmDzMOyo:2015/06/25(木) 01:06:27.69 ID:Y0dSEygFo

めぐり「比企谷くん、一緒に帰ろ?」

八幡「ちょっ、めぐりさん!?」

ここ学校だからはぐれる心配とかないですよ? だから手を繋ぐ必要はどこにもないと思うんですけど?

しかしめぐりさんはそのまま俺の手を握ったまま、強引に引っ張って、ご機嫌そうに鼻歌を歌いながら教室を出ようとする。

後ろでガッターンと椅子が派手に倒れるような音がしたが、そちらを振り向いている余裕はなかった。

廊下に出るとさすがに気恥ずかしくなり、申し訳なく思いながら控えめにその手を払った。

八幡「いや、あの、めぐりさん、別にここで手を繋ぐ必要はなくないすか……」

めぐり「あっ……ご、ごめん……嫌だったよね……」

しゅんと俯いてしまっためぐりさんの顔が暗く落ち込む。

うぐぐ、そう落ち込まれるとこちらまで落ち込んでしまいそうになるが、かと言ってここでもう一度手を繋ぎ直すのはさすがに躊躇われる。

ごほんごほんと誤魔化すように咳払いをしながら、慎重に言葉を選んでいく。



261: ◆//lmDzMOyo:2015/06/25(木) 01:06:54.87 ID:Y0dSEygFo

八幡「別に嫌とかじゃないんですけど……そのですね、さすがに学校では恥ずかしいというか」

ほら、付き合ってるわけでもないし。ねぇ? ただ勘違いしそうになるのとあまりの恥ずかしさ故にやめていただきたいというだけで。

俺がそう言うと、めぐりさんは顔を上げて俺の目を見つめた。

めぐり「嫌ではないの?」

八幡「ま、まぁ、嫌、ではない……です」

むしろめぐりさんの手とかずっと握っていたいまである。嫌な訳が無い。

すると、めぐりさんの顔にほんわかとした笑顔が舞い戻ってきた。

めぐり「そっか、ならいいんだ。……ごめんね、比企谷くん。場所もわきまえずに」

八幡「いや、本当に嫌って訳じゃなかったんで……むしろ嬉しいくらいですし」

そう言ってしまってから、はっと自分の発言を思い返す。

なんか今恥ずかしいこと言ってしまわなかったかと、めぐりさんの顔を見ると、ぷいっと顔をそむけられてしまった。



262: ◆//lmDzMOyo:2015/06/25(木) 01:07:33.41 ID:Y0dSEygFo

八幡「あっ、いや、すみません、なんか変なことを」

さっきからキョドりまくりで申し訳なくなるが、この状況で冷静さを保てというのも中々に難しい話だ。

めぐり「そっか、嬉しいんだ……」

八幡「あの、めぐりさーん?」

何か小さい声で呟いたような気がしたが、その声は俺の耳には届くことはなかった。

聞き直そうと声を掛けようとするが、その前にめぐりさんが笑いながらこちらを振り向く。

ほんわかとした雰囲気に圧倒され、今なんか言いました? とは聞きづらくなってしまった。

めぐり「じゃ、帰ろっか」

そのまま廊下を歩くめぐりさんの半歩後ろをついていくように俺も歩き出す。

カツンカツンと、俺とめぐりさんの足音が人気のない廊下に響く。

俺の心臓の鼓動まで響いていないだろうかと少し前を歩くめぐりさんを見たが、彼女はふふーんと何かを口ずさみながら一歩一歩楽しそうに歩いていた。

そんな楽しそうなめぐりさんが、いつまでも楽しそうにいてくれたらなと思う。

だけど将来、ほんわかと楽しそうに笑うめぐりさんの隣には、きっと違う人が立っているのだろう。

俺ではない、違う誰かが。



263: ◆//lmDzMOyo:2015/06/25(木) 01:08:01.81 ID:Y0dSEygFo

   ×  ×  ×


俺のアイディアが採用された月曜日の会議から数日が過ぎた。

今日はもう木曜日の朝で、バレンタインデーの前日である。

教室の端でぼっちで頬杖をついている俺にまで、活気付いているような、浮ついているような、そんな教室の雰囲気が伝わってきている。

そんな教室の中でも、一際騒がしいのはいつもの集団だ。

戸部「っべーわ、もう明日じゃん?」

大岡「やー、マジ俺ら今年もやばいかも」

大和「確かに」

教室中どこでも聞こえるような戸部の喧しいような騒々しいような、ていうか普通にうるさい声に対して、大岡と大和が重々しく頷いた。



264: ◆//lmDzMOyo:2015/06/25(木) 01:08:29.16 ID:Y0dSEygFo

そんな三人に対して、葉山は苦笑を浮かべながらまぁまぁと声を掛ける。

葉山「明日はイベントでバンドやるし、上手くやれればチョコくらい貰えるかも知れないだろ」

大岡「そりゃ隼人くんはそうだろうけどよー……」

そんな葉山の励ましはあまり効果がなかったのか、大岡は深刻そうに肩を落とした。あの僻み根性、なかなかにクズくて好感が持てる。俺くらいになれば黙ってスルーするのだが。

そういえば今の葉山の言葉で思い出したのだが、明日体育館で行なわれるバレンタインデーイベントではいくつかの有志団体が出し物を行なうはずであった。

そして葉山たちは文化祭と同様に有志でバンドを演奏するはずだ。確かその時のメンバーは葉山とそこにいる戸部、大和、大岡、そして……。

三浦「……」

近くにいる三浦は、やや目を細めて自分の神をくるくると指で巻きながら葉山たちのやり取りを眺めていた。

その三浦からは、いつもの堂々とした女王の威厳はあまり感じられない。朱に染まった顔つきで葉山のことを一心に見つめているその姿は、ただの一人の恋する乙女だろう。

その三浦の近くでは海老名さんと由比ヶ浜が立っていた。海老名さんは何やら真剣な表情でうんうんと何かに納得したように頷いている。



265: ◆//lmDzMOyo:2015/06/25(木) 01:08:56.25 ID:Y0dSEygFo

海老名「上手くヤれればチョコを……隼人くん、まさかそうやってヒキタニくんからチョコを」

その言葉が言い終わる前にすぱーんといい音が響き渡った。海老名さんの頭をはたいた三浦がポケットティッシュを取り出すと、そのまま海老名さんに押し付けていた。

三浦「海老名、鼻血」

姫菜「あ、ありがとありがと」

しかし海老名さん、今なんかおっそろしいことを言おうとしてなかったか……。何故か分からんけど尻の穴がきゅっと引き締まってしまった。

俺は誰にもチョコなんてやらんぞ、まして葉山になど……いや、そういえば戸塚に渡す用を考えていなかったな……何か渡すか? 戸塚にはホワイトチョコなどが似合うのではないだろうか。受け取っておくれ、俺のホワイトチョコを……。

いかんいかん、どっかの腐った意識が俺にも乗り移ってしまっているようだ。考えてない、白いドロドロとしたものを戸塚の顔にぶっかけたところを想像とか全く考えてない。あくまで溶かしたホワイトチョコだオーケー?

戸部「いやでもさー、葉山くんだったら普通にたくさん貰えるべ?」

葉山「あ、ああ、だったらいいな……」

なんもかんもあの葉山が悪いと視線をやると、ふと葉山の表情に影が差したように見えた。

八幡「……?」

何か違和感を覚えるが、それに思考を巡らせる前にホームルームの開始を告げるチャイムが鳴り響いた。

葉山「ほら、席つけ。戸部もな」

戸部「うえー」

渋々と言った様子で戸部も自分の席に戻る。先ほど言った言葉に関しては特に気にしていないようだ。

それを見た葉山も自分の席に向かって歩き出す。その葉山の顔には先ほどちらっと見えたような気がした影はどこにもなく、いつも通りのムカつくスマイルが浮かんでいる。

今見たのはなんだったのだろうかと考える前に、教室の扉が開かれて担任の教師が中に入ってきた。



266: ◆//lmDzMOyo:2015/06/25(木) 01:09:22.45 ID:Y0dSEygFo

   ×  ×  ×


そして授業を過ごし、帰りのホームルームが終わる。

ホームルームを終えた放課後の教室は賑やかになり始め、暖かい雰囲気が漂い始めてきた。

やれ明日のバレンタインデーイベントがどうのこうのといった声が聞こえてくる。

あんたら本当に青春してますねぇ、俺はこれからそのバレンタインデーの仕事に向かうんですけど、ちょっとくらい労ってくれてもよくない? いや別に本当に労ってほしいわけではないのだが。

今日の放課後の体育館では部活動は行なわれず、明日のイベントのための飾りつけなどの準備が行われる。

奉仕部も生徒会に混じり、これからその準備をする予定である。

正直に言ってこのクソ寒い日のクソ寒いであろう体育館で作業とか本気で凍死を覚悟しなきゃいけないレベルだと思うのだが、もしサボりでもしたら雪ノ下に北極海辺りにまで流されて本当に凍死させられそうなので、渋々手伝うことにした。

騒がしい教室を後にして廊下に出ると、冷たく乾いた空気が体を包み込んだ。

暖房の効いた教室に戻ろうという考えが脳裏を掠めたが、それはそれでリア充共の熱い騒ぎのせいで焼死するおそれがあったので、仕方なく体育館に向かって歩き始めた。



267: ◆//lmDzMOyo:2015/06/25(木) 01:09:48.42 ID:Y0dSEygFo

はぁ、なんであんな奴らのために俺は頑張ってしまっているのだろうと己に流れる社蓄の血を恨めしく思っていると、後ろからぱたぱたと後を追ってくる軽やかな足音が響いてきた。

こんな賑やかな歩き方をするのは由比ヶ浜くらいだろうと思って少し歩調を緩めると、すぐに横に由比ヶ浜が追いついてくる。

隣に並んだ由比ヶ浜がげしっと鞄で俺の腰を打ってきた。

結衣「なんで先に行くし」

八幡「いや、別に一緒に行くとか行ってないし……」

そういった約束をした覚えもないし、鞄で打たれる筋合いもない。ていうか地味に痛いからそれやめてね?

不満な様子でむくれていた由比ヶ浜だったが、すぐにいつも通りの様子に戻るとそういえばさと話を切り出してきた。

結衣「優美子と姫菜もさ、後で手伝いに来てくれるって」

八幡「そうなのか」

葉山たちグラウンドを使う運動部は今日も普通に部活だろうが、三浦たちは別にやることもなくて暇なのだろう。



268: ◆//lmDzMOyo:2015/06/25(木) 01:10:20.13 ID:Y0dSEygFo

由比ヶ浜と並びながら体育館に向かっていると、その道中でえっちらほっちら重そうな段ボール箱を運んでいるめぐりさんを発見した。

そのめぐりさんも俺たちに気が付くと、ほわっとした笑顔を浮かべ、手を振ろうとした矢先に両手がふさがっていることに気が付き、ものすごく慌てている。この流れ前にも見たな。

俺はすぐにそこに駆け寄ると、めぐりさんが落としそうになっていた荷物を支えた。

八幡「持ちますよ、めぐりさん」

めぐり「わぁ、比企谷くんありがとう!」

そのめぐりさんの持っていた段ボール箱を受け取ると、由比ヶ浜もたたっとやってきた。

結衣「あっ、城廻先輩こんにちは」

めぐり「こんにちはー、由比ヶ浜さん」

勢いでめぐりさんから受け取ったはいいけど、これすっげぇ重い……。多分イベント関係の荷物なんだろうが、一体何が入っているのだろうか。

そのまま三人で体育館まで歩いていると、由比ヶ浜が唐突に声を掛けてきた。



269: ◆//lmDzMOyo:2015/06/25(木) 01:10:47.87 ID:Y0dSEygFo

結衣「ヒッキーさ、結構気ぃ効くよね」

八幡「そりゃな。気が効き過ぎていつも教室では皆の邪魔にならないように過ごしてるし」

結衣「いや、逆に悪目立ちしてると思うんだけど……」

馬鹿なことを言うな、このステルスヒッキーの迷彩を見破れる者なんてそうそういない。ここからはステルスヒッキーの独壇場っすよ! ああ、戸塚は特別。英語でいうとスペシャルだ。

俺みたいにプロテクション(人間)を持っていると、あらゆる人間から目標にも取られないしダメージも軽減するしブロックもされない。いや、ブロックはされてるか。なんならスパム報告されてるまである。

結衣「気が効くのは、城廻先輩相手だからかな……」

めぐり「あはは、由比ヶ浜さんとはそういう話もできるんだね……」

八幡「?」

右隣にいる由比ヶ浜と左隣にいるめぐりさんが同時に小声で何か呟いたおかげで、どちらも何を言っているかよく聞き取れなかった。

まぁ何か大事な用事ならちゃんともう一度伝えてくれるだろうと考えていると、ようやく体育館に到着した。

中に入ったところで荷物を降ろすと、ふぅっと一息つく。



270: ◆//lmDzMOyo:2015/06/25(木) 01:11:14.64 ID:Y0dSEygFo

めぐり「ありがとうね、比企谷くん」

八幡「いえ、これくらいは」

そうは言ったが、手には結構な疲労感が残っている。めぐりさんこれ女手一つで運ぶつもりだったんですか……。

体育館の中には、生徒会役員が数名と、あといくつか段ボール箱がちらほらと置いてあるだけだった。

めぐり「今、雪ノ下さんと一色さんには生徒会に色々取りに行ってもらってるんだ」

八幡「ああ、なるほど」

ここに姿が見えないと思っていたらそういうことか。ていうか、俺たちもホームルーム終わってすぐにやってきたはずなのに仕事始めるの早すぎない? お前らんところのホームルーム数秒で終わってるとちゃいますのん?

めぐり「じゃ、二人ともイベントの準備をお願いね。 頑張るぞー! おー!」

八幡「お、おー……」

ぐっと握った拳を天井に向けて勢いよく突き上げためぐりさんに続いて、空気を読んで控えめに手を上げた。見れば隣の由比ヶ浜も少々戸惑いながらも小さく手を上げていた。

さて、これからがイベントの準備だ。

ひとまず何を手伝えばいいのかを知るため、奥の方で忙しそうにしている副会長に指示を仰ぐ必要があるだろう。



285: ◆//lmDzMOyo:2015/06/26(金) 01:27:31.58 ID:y23c0mKio

   ×  ×  ×


八幡「ふう……」

俺は手に持っていた段ボール箱を雑に床に放り出すと、軽く息をついた。

体育館の中の空気は実に冷え込んでいるが、その中で動いている人たちの熱気とモチベーションはそれなりに高そうに見える。

バレンタインデーイベント前日のこの準備には、俺たち奉仕部や一色たち生徒会だけでなく、三浦や海老名さんといった有志でのお手伝いもそれなりにやってきている。

本日体育館が使えなくなった都合上、部活が休みになった体育館を使う部活の生徒が特に多い。バスケ部やバレー部などの一部の生徒が手伝いに来ているようだ。



286: ◆//lmDzMOyo:2015/06/26(金) 01:28:00.73 ID:y23c0mKio

そういった目立つ体育会系や生徒会がステージ周りなどの目立つところの準備を進めていたので、俺は入り口の近くでぼっち作業を始めることにした。

そう、自分で提案したメッセージカードを貼るスペース作りである。

この体育館の入り口の辺りのスペースは何も使わないとのことだったので、そこら一帯を自分のスペースとして使わせてもらうことになった。

思ったより広いので、メッセージカードを貼る板を固定するのも少々大変かもしれない。

さてどう用意しようかと思案し始めていたその時、入り口の方に、見慣れた白衣をふわっと広げながら入ってくる人が見えた。

その白衣の人物はきょろきょろと体育館を見渡した後に俺のことを見つけると、そのまま真っ直ぐに向かってくる。

平塚「ちっ、男女がいちゃこら青春してる空気が漂ってるな……」

何か恨めしげに呟いたのは、やはり平塚静(独身・アラサー)であった。

死ぬほど不満げに言うが、今俺の周りには青春してる空気なんか微塵もないんだよなぁ……。



287: ◆//lmDzMOyo:2015/06/26(金) 01:29:20.24 ID:y23c0mKio

八幡「なんで先生がここに……」

平塚「このイベントの準備の監督を丸投……任されたんだ。こういう仕事は若手に来るのが常だからな。ほら、私、若手だから。若手だから」

大事なことなので二回言いましたよこの人……。ていうか今、丸投げされたって言いかけましたよね?

少々の同情と哀れみの込めた視線を送ると、平塚先生はごほんごほんとわざとらしく咳払いをして誤魔化そうとする。

平塚「あー、時に比企谷はきちんと仕事をしているのかね」

八幡「めちゃくちゃやってますよ……この前も説明したと思いますけど、あのメッセージカードのやつを今作ってる途中です」

平塚「ふむ?」

俺がそう説明すると、平塚先生は興味深そうに俺の周りに散らばっている道具などをじろじろと眺めた。

一応この前の会議で平塚先生にもメッセージカードの件に関しては伝えてある。その際には雪ノ下たちと同じように随分と似合わないことを考えるじゃないかと言われたものだ。



288: ◆//lmDzMOyo:2015/06/26(金) 01:30:15.44 ID:y23c0mKio

平塚「やはり比企谷が考えたとは思えないアイディアだな……」

そして今再び、そのことを掘り返された。

八幡「いや、そんな俺が普通のこと考えたら似合わないですかね……」

平塚「ああ、似合わないとも」

八幡「即答っすか……」

まぁ自分でも似合わないと自覚はしているが、こうも他人に似合わない似合わないと言われ続けると、少しくらい肯定的な意見をくれたっていいじゃないかという気持ちにもなる。

平塚先生はステージの方に目をやりながら、言葉を続けた。その目の先には、めぐりさんや一色を中心とした輪が出来上がっている。

平塚「君がそうやって変わってきたような気がするのは、城廻のおかげか?」

八幡「んなっ」

思わず手に持っていたトンカチを落としそうになる。寸ででなんとか落とさずに持ち直すと、平塚先生の方を見やる。すると、何かニヤニヤとした顔面でこちらの方を見ていた。



289: ◆//lmDzMOyo:2015/06/26(金) 01:31:44.27 ID:y23c0mKio

平塚「ふむ、まさか城廻と君が……一体何があったのかね」

八幡「いや、別に何も……ていうか、なんでそこで城廻先輩の名前が出てくるんですかね」

冷静さを保つように努めながらそう軽く返す。

平塚先生は一瞬だけピタッと固まると、肩をわなわなと震わせながら何やら燃えた視線をこちらに送っている。

なんだなんだと思っていると、平塚先生は小さな声で言葉を発し始めた。

平塚「これは、とある目撃情報なんだがな……この前の放課後、廊下で手を繋ぎながら帰ろうとしていた男女がいたそうな」

八幡「へ、へぇ……」

平塚「聞けば女の方はお下げがよく似合う美少女で、男の方は程よく目が腐っていると言う事だが……答えろ比企谷、どおおおいうことだあああっ!!?」

平塚先生がそう叫ぶと同時に俺の両肩をがしっと強く掴んだ。

ていうか、あれ見られてたのか……放課後の会議室前の廊下とか他に誰もいないだろうと思ってたから完全に油断していた。



290: ◆//lmDzMOyo:2015/06/26(金) 01:32:53.77 ID:y23c0mKio

八幡「いや、その、その目撃者さんの見間違えじゃないんですかね……」

平塚「あんな目が腐った奴、お前以外に有り得る訳がないだろう!!」

目撃者あんたかよ。

それに目が腐ってるかどうかで人を判別するのやめてもらえません?

八幡「ほ、ほら、平塚先生、このメッセージカード使いますか? ほら結婚相手募集とか書いておけばどうふぅっ!!!」

話題を逸らすために別の話題を出したが、それを言い終わるより前に、腹部に強烈な衝撃を受けて俺はがくっと膝をつく。

鈍く走る痛みにうーんうーんと唸りながら腹を抑えて顔を上げると、平塚先生は、先ほどまでとは違うどこか優しい笑みを浮かべていた。



291: ◆//lmDzMOyo:2015/06/26(金) 01:33:23.93 ID:y23c0mKio

平塚「まぁ、君にそういう繋がりが出来たのであれば喜ぶべきなのだろうな。奉仕部の二人は知っているのか?」

八幡「いや……待ってください平塚先生……何か誤解を……」

痛みの引かない腹をさすりながら立ち上がって平塚先生の顔を見ると、きょとんと首を傾げていた。あんたその挙動死ぬほど似合わないから年齢考えろ。

八幡「別に俺とめぐりさんは、付き合ってたりとかはしてないんすけど……」

平塚「……ほう、なら何故城廻と手を繋いでいたり名前で読んでいたりするのか、説明してもらおうか」

げっ、やべ、思わずめぐりさん呼びしてたぜ……。

しかし平塚先生はそこまでして聞きたがるのだろう……あれか? 結婚を焦る時期になると男女の関係全てがそういう風に見えてくるのか? なにそれこわい。

とはいえ俺とめぐりさんの間には本当に何の特別な繋がりもないので、ここは弁解しておくべきだろう。めぐりさんのためにも。



292: ◆//lmDzMOyo:2015/06/26(金) 01:33:54.17 ID:y23c0mKio

八幡「あれはめぐ……城廻先輩がそうしろって言うからそうしてるだけで」

平塚「ふむ、随分と好かれたようだな」

八幡「好かれ……いや、あれはそういうんじゃないでしょ。城廻先輩は誰にでもああだと思うんすけど」

平塚「そんなことはないさ」

八幡「そんなことって……」

最後の平塚先生の言葉は、いつもよりどこか真剣さが含まれている。表情も先のような冗談めかした顔ではなく、真摯な優しい眼差しに満ちていた。思わず、俺は言葉を詰まらせる。

そんな俺の様子を見た平塚先生がくすりと笑う。

平塚「城廻は誰にでも優しそうに見えるが、気を許していない人間と手を繋ぐような子ではないと思うよ。それは君も分かっているだろうに」

八幡「……いや、ほら、ペットみたいにでも思われてるんじゃないですかね。忠犬ハチ公とか」

八幡だけにハチ公ってね!

ほら、文化祭でも体育祭でも今回でも文句一つ言うことなく身を粉にして働く俺の姿とかまさに忠犬みたいなところあると思う。多分駅の前で待ってても像とか立たないけど。



293: ◆//lmDzMOyo:2015/06/26(金) 01:34:20.81 ID:y23c0mKio

平塚「まったく、君のその捻くれ具合は去年と大して変わらんなぁ」

はぁ~とわざとらしいほどに大きなため息をついたまま、手をこめかみに当てて呆れているような平塚先生はいつも通りの平塚先生だ。

少し間を置いてこちらの方を向いた。

平塚「君自身はどう思う? 自分は変わったかと思うか?」

八幡「変わった、んですかね……」

平塚先生の言葉を受けて、ふとこの一年間近くを振り返る。雪ノ下と会って、由比ヶ浜と会って、戸塚と会って、めぐりさんと会って、一色と会って。

それまでの十六年間に比べ、随分と濃い一年を過ごしたのは事実だ。

去年の四月の自分と、今の自分を比べてみて、全く変わっていないとは言えないとは、自分でも思う。

ちょっとやそっとで変わるものが個性なわけがないとか言っていた頃に比べると確かに変わっているのかもしれない。自分の過去の発言を思い出しながら、思わずふっと笑いが漏れてしまった。



294: ◆//lmDzMOyo:2015/06/26(金) 01:35:22.28 ID:y23c0mKio

平塚「今の君ならば……他の子たちからの好意も、きちんと受け取れるようになっていると私は信じるよ。城廻だけじゃなくてね」

八幡「……いやそう言われてもちょっと」

平塚「さぁ、あとは自分で考えろ。死ぬほど悩んでそして結論を導き出せ。それでこそ青春だ」

ぱぁんと俺の肩を強く叩くと、平塚先生は白衣を翻しながら俺に背を向けた。

数歩進むと、そこでピタッと立ち止まる。そして首だけこちらを向くとにかっと少年のように笑った。

平塚「もう一度言うぞ。今の君ならばやれるって、私は信じているからな」

そう言い残すと、平塚先生はそのままステージの方に向かって歩き去っていく。もう立ち止まることはなく、俺はその背中をただじっと見届けていた。

平塚先生の言葉を脳内で反芻させながら、俺も振り返って作業場に戻る。

ぴゅうと近くの入り口から流れてきた冷たい風が、顔を撫でた。思わずぶるっと体を捩らせる。

寒さを忘れるために作業に打ち込もうと、先ほど雑に放り出していた段ボール箱のガムテープを乱暴に剥がした。

忘れようとしたのは寒さか、それとも他の思考か。

それすらも今は忘れようと、頭の中を作業のことでいっぱいに埋め尽くした。



303: ◆//lmDzMOyo:2015/06/28(日) 01:08:05.69 ID:dKPxtQGBo

  ×  ×  ×


メッセージカードのスペース作りに一心に打ち込んでいると、聞き覚えのある騒がしい声が入り口の方から聞こえてきた。

見やれば、そちらには騒がしい声の主──由比ヶ浜と雪ノ下がいる。

その由比ヶ浜がこちらの存在に気が付くと、ぱたぱたと小走りでこちらに近寄ってきた。

結衣「あ、ヒッキー、作業の方はどう? 手伝う?」

八幡「いいや、順調だから平気だ」

自分が作成しているスペースを見ながらそう言った。事実、板を壁に貼り付けてあとはちょっと飾りをつける程度のものなので大したことはないし、手伝いも必要ない。

しかし、俺の作った渾身のメッセージボードを見ている由比ヶ浜の顔はどこか不満気である。

結衣「なーんか味気なくない?」

八幡「いや、味気とかいるの? 海苔じゃないんだから」

結衣「いるでしょ、せっかくのお祭りなのに」

雪乃「確かに、少々華やかさに欠けるわね」

二人にそう指摘され、改めて見直してみると確かにイベントのものとしては少々寂しかったかなと思い直す。

由比ヶ浜が自分の持っていたビニール袋から何か飾り付けの余りらしきものを取り出すと、ボードに合うかどうかうんうん吟味し始めた。



304: ◆//lmDzMOyo:2015/06/28(日) 01:08:33.65 ID:dKPxtQGBo

結衣「あたし達も飾りつけ手伝うよ」

八幡「別に一人で平気だ、お前はお前らでやることあんだろ」

結衣「やることって言ったって、この体育館の飾りつけの準備だもん! だったらヒッキーの手伝いしたって問題ないよね?」

八幡「む……由比ヶ浜が正論で攻めてくるとは……成長したな」

結衣「あたしのこと馬鹿にしすぎだから!?」

むっとした様子で由比ヶ浜は言い返してくるが、俺としては成長した娘を送り出すような気分である。この子ったらこんなに成長しちゃって……。

一方で雪ノ下は、じとっとした目線で俺の方を見つめている。

雪乃「一人で平気だとは言うけれど、あなたが一人でこういう飾りつけを出来るとは思えないわ」

八幡「どういう意味だ」

雪乃「あなたに飾り付けをするセンスがあるようには見えない、という意味よ」

八幡「ああ、そりゃ納得だ」

結衣「納得しちゃうんだ!?」

まぁ、そういうセンスがあるんならこんな無機質なボードになってねぇだろうしなぁ……。

俺がここで一人で飾りつけをしようとしても良さそうな出来になるとは思えないので、ここは素直に二人の手を借りることにした。



305: ◆//lmDzMOyo:2015/06/28(日) 01:09:16.52 ID:dKPxtQGBo

八幡「じゃあ悪いけど……少し手伝ってくれ」

結衣「もちろんだよ!」

雪乃「それでは、始めましょうか」

由比ヶ浜はそう言うと持っていたビニール袋を逆さまにして、中にあったポンポンやマスキングテープなどをばらっと床に散らばせた。

結衣「うーん、どれ使おうかな」

雪乃「……このパンさんの模様のやつを使うのはどうかしら」

八幡「お前、パンさんならなんでもいいって思ってるだろ……」

しばらく二人に手伝ってもらいながらメッセージボードを改造していると、入り口の方からあっれーと聞き覚えのある声が聞こえてきた。

一瞬で誰だか分かってしまい、自分の顔が引きつったのを自覚する。

ちらと隣に視線を走らせれば、雪ノ下もそっと眉をひそめている。そのまましばらく固まっていると、どんと肩を叩かれた。

陽乃「ひゃっはろー、比企谷くん、雪乃ちゃん、元気にしてたー?」

八幡「……なんでここにいるんですか」

ギギギっと壊れたロボットのように首だけ動かすと、そこにいたのはやはり雪ノ下陽乃であった。真紅のコートをふわとはためかせながら、手を上げてこちらを見ていた。



306: ◆//lmDzMOyo:2015/06/28(日) 01:09:57.19 ID:dKPxtQGBo

陽乃「冷たい反応だなあ、比企谷くん」

八幡「いや、今日普通の平日なんですけど、学校に部外者って入ってきていいんですかね」

陽乃「細かいことはいいじゃん、ちゃんと許可は貰ってるんだし」

陽乃さんはそう言うと、首にぶら下げていた許可証をふふんと見せ付けてきた。誰だよこの人に許可出した奴。

雪乃「……姉さん、用がないなら帰って」

陽乃「よよよ、雪乃ちゃんが冷たい……。じゃあ比企谷くん構ってー」

そう演技染みた泣き真似をしながら、俺の手を取ってきた。素直に受けるのもなんなので、あまり強くならない程度にその手を払う。

八幡「あー、ほら、俺たちまだ準備あるんで」

陽乃「おろ?」

陽乃さんは一瞬意外そうな顔をすると、にんまりと笑いながら俺の目を真っ直ぐに見つめてくる。この人に見つめられると奥まで見透かされてしまいそうで、身を捩ってその視線から逃げ出した。

陽乃「ふーん……比企谷くん、彼女でも出来た?」

八幡「はぁ?」

雪乃「……」

結衣「ええっ!?」

あまりに予想していなかった質問が飛んできたので、思わず変な甲高い声が漏れてしまった。しかし何故か俺より、近くにいた由比ヶ浜の方が驚いたような声を出している。



307: ◆//lmDzMOyo:2015/06/28(日) 01:10:23.72 ID:dKPxtQGBo

陽乃「いやー比企谷くんの対応がなんか手馴れてたような気がしたからさ、なんとなく」

対応というのは、今の陽乃さんの手を払った一連のことだろうか。確かにめぐりさんのせいなのかおかげなのか、特別動揺することなく流してしまったが。

そう言ってから陽乃さんは俺、雪ノ下、由比ヶ浜の顔をじろーっと眺めていく。それだけで全てを把握してしまいそうで、この人には未だに適わないという気持ちになる。

陽乃「……雪乃ちゃんでも、ガハマちゃんでもないの? じゃあ誰?」

八幡「いや、そもそも俺に彼女とかいたことないんすけど……」

ただ一つ、陽乃さんが勘違いしているのはそこである。俺に彼女などいないし、いたこともない。

なんならこの先ずっといないまである……いや、でも養ってくれる人は欲しいからこの先もいないのは困るな。彼女は要らないけど養ってくれる人は欲しいと思う今日この頃です。

陽乃「へぇー……」

しかし俺がそう否定しても、陽乃さんは追及するような目線をこちらに向けるのをやめない。

美人に見つめられているはずなのに、この人に限っては見つめられるのは本当に良い気分じゃないなと目線を逸らしていると、丁度めぐりさんがこちらに向かって歩いてきているのが見えた。



308: ◆//lmDzMOyo:2015/06/28(日) 01:10:51.84 ID:dKPxtQGBo

めぐり「あー、はるさん。お久しぶりです」

陽乃「……めぐり、こないだ会ったばかりでしょー?」

てこてこ歩み寄ってきためぐりさんのおでこをちょいとつついて、陽乃さんは呆れたように言った。

めぐりさんはおでこを両手で可愛らしく押さえながら(可愛い)きょとんとした顔で陽乃さんの顔を見る。

めぐり「そういえば、どうしてはるさんがここに?」

陽乃「そろそろバレンタインデーイベントの時期だと思って、遊びに来ちゃった」

えーこの人今堂々と遊びに来ちゃったって言っちゃったよー。そんな人を学内に入れないでよー。ちょっと仕事してよ高校の受付さーん。

本当に、なんでここに来たのだろうこの人は。マジで友達いないんじゃないの? うっ、ブーメランが。

八幡「文化祭と違って、これって部外者も遊びに来てもいいイベントじゃないと思うんですが……」

陽乃「まぁまぁせっかくのお祭りなんだから気にしないの。明日も来ても良いかなとは思ってるんだけどね」

やめてくださいと視線で訴えかけたが、陽乃さんはそれを分かっているのか分かっていないのか、ふふんと軽い笑みを浮かべながら、俺たちの作っていたメッセージボードを見つめていた。



309: ◆//lmDzMOyo:2015/06/28(日) 01:11:17.73 ID:dKPxtQGBo

陽乃「でも、準備の日にただ遊びに来たってのも確かにあれだね。比企谷くん、何か手伝うことでもある?」

雪乃「邪魔だから帰って」

しかしその言葉には俺の代わりに雪ノ下の冷たい声が応えた。直接向けられたわけでもない俺までが冷やっとしてしまうように感じられた。あのね、君たちそういうのは家でやんなさいよ。

すると陽乃さんは心底つまらなさそうな顔を浮かべる。

陽乃「えー、じゃあわたしは比企谷くんとでも遊んでようかな」

八幡「いや、だから、俺もやることあるんすけど」

再び俺の腕に組み付いてこようとする陽乃さんを押しのけようと軽く手を払おうとする。

すると、俺と陽乃さんの間にめぐりさんが割り込んできた。

めぐり「あ、あの、だったらはるさんこっちの方を」

陽乃「……ふぅーん」

陽乃さんがじとーっとめぐりさんの目をみつめる。めぐりさんはやや動揺したようにそれを黙って受けていたが、陽乃さんはいきなりその目線を外すと再び俺の方を見た。

まるで全てを見通したとばかりににんまりと笑っている。その表情を見た瞬間に不快感を覚えた。それに合わせて俺の顔も微妙に強張っていく。



310: ◆//lmDzMOyo:2015/06/28(日) 01:11:59.71 ID:dKPxtQGBo

陽乃「……まさか、めぐり? へぇー、比企谷くん意外と手広いねぇ」

そう言った陽乃さんの声は本当に意外そうだった。ちらちらと俺とめぐりさんの顔を見比べている

何か言葉を返そうかと考えていたが、俺の口が動くより先に、めぐりさんが陽乃さんの手を引っ張りながらその場を去ろうとする。

めぐり「は、はるさん、いいからっ」

陽乃「ねぇ、比企谷くん教えてよ。めぐりと何かあったの?」

しかし陽乃さんはめぐりさんに引っ張られている手も意に介さず、無視したまま俺の方をじっと見つめている。

その眼差しからは、一体何を考えているのかは読み取れない。

八幡「……別に、雪ノ下さんが思うようなことは何も」

陽乃「わたしが思うようなことって何かなー、気になるなー、教えてよ比企谷くん」

めぐり「は、はるさん!!」

そこで、めぐりさんのものとは思えない大きな声が響く。

めぐりさんってそんな大きな声出せたのか……と驚いていると、陽乃さんも少々意外そうな顔でめぐりさんの方を見つめていた。

一瞬、一瞬だけなのだろうが、沈黙がその場に降りてきた。だが、その一瞬はずっと長い時間のように思えて、俺は呼吸することすら忘れた。



311: ◆//lmDzMOyo:2015/06/28(日) 01:12:28.34 ID:dKPxtQGBo

そんな一瞬の沈黙を打ち破ったのは、陽乃さんのくすりと口の端だけで笑う声だった。見れば、いつもの仮面のような笑みを携えている。

陽乃「そっか。君には人を変えちゃう何かでもあるみたいだね」

八幡「……?」

陽乃さんの呟いた言葉の意味が分からず、何も答えないでいると、陽乃さんが身を翻して俺たちに背を向けた。真紅のコートがふわっと広がる。

陽乃「なーんか邪魔しちゃったみたいだし、私は帰ろうかな。ごめんね、めぐり。後は頑張ってね」

めぐり「え、ええ?」

去り際にポンとめぐりさんの肩を叩くと、そのまま体育館の出口に向かって足を踏み出した。

しかしすぐにぴたっと立ち止まると、首だけこちらを向けてくる。その視線の先には雪ノ下がいるような気がした。

陽乃「……雪乃ちゃんも、頑張らないと取られちゃうかもよ?」

雪乃「……」

陽乃「じゃあね、比企谷くん。君のいう本物ってやつを、いつか見せてくれると嬉しいな」

八幡「……」

最後にそう言い残すと、カツカツと足音を響かせながら出口に向かっていく。

陽乃さんの背が見えなくなるまでそれを眺めていると、残された俺たちの間には微妙な雰囲気が漂っていた。



312: ◆//lmDzMOyo:2015/06/28(日) 01:13:01.10 ID:dKPxtQGBo

めぐり「あ、あはは……なんかごめんね、比企谷くん」

無理に浮かべたその笑顔からは、いつものようなほんわかさは感じ取れない。しかしそれでも、この雰囲気のままではいけないだろうという危機感を持っていることだけは感じられた。

八幡「いや、別にめぐりさんは悪くないですよ。それよりさっさと準備進めちゃいましょう」

俺もこの雰囲気を感じたままでいるのはさすがに居心地が悪く、なんとかしようとメッセージボードの方を見た。

結衣「あ、うん、そうだねっ、じゃあどうしよっか!」

雪乃「……」

由比ヶ浜もそんな俺の意図を汲んでくれたのか、わざとらしいまである明るい声を出して飾りつけのアイテムを手に取った。

一方で雪ノ下は口を強く結んだまま、目線をどこかにやっている。

しかし見ている先は、きっとその先にはないものなのだろう。

八幡「おい、雪ノ下」

雪乃「……えっ、何か呼んだかしら」

俺が名前を呼んでから、一瞬遅れて雪ノ下が反応する。

八幡「何かじゃねぇよ。ほら飾りつけの準備、続けるぞ」

雪乃「あ……そうよね……ごめんなさい」

雪ノ下がそう小さい声で謝った。

しかしその謝罪は、今の俺の言葉に対してではなく、別の何かに対しての謝罪のように思えた。



313: ◆//lmDzMOyo:2015/06/28(日) 01:13:28.50 ID:dKPxtQGBo

   ×  ×  ×


そのまま流れで巻き込んでしまっためぐりさんも含め、四人でボードの飾りつけを続けていく。

とはいえ、こういったセンスのない俺の意見はほとんど反映されない。

女子力の高い由比ヶ浜の指導の下、次々とメッセージボードが華やかに作りかえられていく。

めぐり「こっちはどうした方がいいかなぁ?」

結衣「そうですねー、あっ、これとかいいんじゃないですか?」

雪乃「由比ヶ浜さん、それでは色が合わないのではないかしら」

いつの間にか先ほどまでの気まずい空気も消え去り、和気藹々と作業を続けているように見える。

もしかしたら無理にそう演じているだけかもしれない。

しかし、少なくとも一息をつける程度の余裕は生み出せた。

そうこうやっている三人を眺めていると、いつの間にかメッセージボードの飾りつけが完成していた。

俺が作り終えたときのただの無機質な板ではなく、女子高生によるチューニングの結果、随分と生まれ変わっている。やだ……私可愛くなり過ぎ?



314: ◆//lmDzMOyo:2015/06/28(日) 01:14:18.83 ID:dKPxtQGBo

めぐり「うん、良い感じになったね」

結衣「ほんと、可愛くなりましたねー」

いやー俺の作ったものは可愛くなくて本当にすまねっすわー。

メッセージボードの近くの机に星やハードの形をしたメッセージカード、そしてペンなどを配置すると、めぐりさんが俺の横に立ってきた。近い。

めぐり「どうせだったら比企谷くん、何か書いてみたら?」

八幡「俺ですか?」

めぐり「比企谷くんの考えたものなんだし、最初に飾ってもいいと思うんだ」

そうかなぁと思っていると、由比ヶ浜もうんうんと頷いていた。ニワトリかよ。

でもまぁ、書きたいこともなくはない。

八幡「じゃあ、なんか一応……」

俺は机の上のペンとメッセージカードを取り出しながら、きゅきゅっと一文を書く。

そこに願うのは、ただ一つ。

結衣「あっ、小町ちゃんの……」

八幡「ま、高校の中に飾れるんだから縁起はいいだろ」

雪乃「そうね、確かに縁起はいいかもしれないわね」

小町の受験が成功しますように。

簡潔にそれだけを星型の紙に書き込むと、俺はメッセージボードの左上端にテープで貼り付けた。画鋲でも良かったのだが、散らばると危ないし。



315: ◆//lmDzMOyo:2015/06/28(日) 01:14:56.49 ID:dKPxtQGBo

めぐり「こまち……?」

八幡「俺の妹です、今年ここを受けるんですよ」

きょとんとした顔で小首を傾げるめぐりさんに、そう説明した。

すると、めぐりさんはあはっとほんわか笑顔を浮かべてマジめぐりっしゅされたぁぁぁあああ!!

めぐり「そっか。合格すると良いね」

八幡「そうですね……」

その優しい声音を聞いて、軽く頷く。

しばらく自分の飾ったメッセージカードを見上げていると、くいっとブレザーの袖が引っ張られた。

めぐり「あ、そうだ比企谷くん」

八幡「どうしたんすか」

めぐり「私も明日、なにか書いて飾っておくから、見つけてね」

八幡「え? あっはい」

よく意味が分からず適当に言葉を返してしまった。まぁ、明日もイベントのスタッフとして色々やっているだろうし、その合間にでもここにちょっと寄って見れば良いだろう。



316: ◆//lmDzMOyo:2015/06/28(日) 01:15:25.66 ID:dKPxtQGBo

いろは「せんぱーいっ、ちょっとこっちも手伝ってくださいよー」

ふと、後ろの方から声が聞こえてきたが、先輩とは言ってもここには色々な先輩がいる。

きっとめぐりさんが呼ばれたんだろうなーと無視していると、ガッと俺の背中に何か強い衝撃が走った。

八幡「……なんだよ」

振り返ると、一色がふくれっ面で口をとがらせている。

いろは「なんで無視するんですかー」

八幡「いや、他の人だと思ったんだけど……で、まだ何かやることあんの?」

いろは「はい、まだステージ周りの飾りつけとか終わってないそうなので、こちらの方が終わったんだったらそちらの方も手伝ってくれると嬉しいんですけどー」

ふっ、分かってたさ、俺の仕事がこれだけで終わらないことなんてさ。

仕事ってのは自分の分を早く終わらせると、他の遅い奴の尻拭いをする羽目になるから本当に理不尽である。いやまぁ今回に限っては俺何もしてなくて、ほとんど由比ヶ浜たちに丸投げしてたんだけど。

結衣「じゃあ、あたし達も行こっか」

雪乃「そうね」

由比ヶ浜と雪ノ下も一色の背を追うように続いていく。



317: ◆//lmDzMOyo:2015/06/28(日) 01:16:00.61 ID:dKPxtQGBo

俺もそれに続いて足を踏み出そうとした時、めぐりさんに声を掛けられる。

めぐり「なんかいいね、こういうの」

八幡「……そうですね」

なんだかんだ言って、俺はこのイベントの一連の流れを楽しんでいると思う。

自分も最初から携わっていて、そして会議で話し合ったことが今実現しようとしている。

それなりの苦労はあったが、それ以上の充実感を覚えているのは確かだった。

奉仕部や、生徒会、めぐりさん達とこうやって一から十までイベントを作り上げていって。

文化祭の時や、体育祭の時のような心苦しくなるようなことも起きていない。

楽しいなぁと思った。

それと同時に、陽乃さんの言葉が脳裏を横切る。


──君のいう本物ってやつを、いつか見せてくれると嬉しいな。



318: ◆//lmDzMOyo:2015/06/28(日) 01:17:04.38 ID:dKPxtQGBo

今の俺のこの状態は、本物と呼べるのだろうか。

多分、あの陽乃さんの言葉には、こんなものが本物であり得るはずがないという問いかけという意味もあったのだろう。

今の俺は、周りの状況を本物だと胸を張って言えるか。

否。

そう言い切るには、何かが引っ掛かる。

めぐり「……どうしたの、比企谷くん。みんな行っちゃうよー?」

八幡「あ、すんません、すぐ行きます」

その引っ掛かる何か。

それが何なのか、きっと俺は知っている。

それの解決方法が何なのか、きっと俺は気が付いている。

でも、俺はそこから目を逸らしたいと思っている。


──死ぬほど悩んでそして結論を導き出せ。それでこそ青春だ。


平塚先生の言葉が思い返される。

だとすれば。

なのだとすれば、やはり俺の青春ラブコメはまちがっている。

俺は悩まず、考えず、結論を出すことなく、ただこの関係のままで停滞していたいと考えているからだ。

何故なら。

きっと、俺が変化を望んだとしても。

その先にあるのは、きっと幸福なんかじゃないだろうから。

そんな先に行くくらいならば、本物なんて──


めぐり「比企谷くん、バレンタインデーって知ってる?」八幡「はい?」【後半】



転載元
めぐり「比企谷くん、バレンタインデーって知ってる?」八幡「はい?」
http://ex14.vip2ch.com/test/read.cgi/news4ssnip/1433651798/
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