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御坂「幸福も不幸も、いらない」【後半】

関連記事:御坂「幸福も不幸も、いらない」【前半】





御坂「幸福も不幸も、いらない」【後半】






317:VIPにかわりましてNIPPERがお送りします:2011/07/11(月) 20:02:44.07 ID:P3cA0C4No

結標淡希はいつになく苛立っていた。

その理由というのも非常に簡単なもので、単に待ち合わせの場所に相手が現れないからという事に他ならない。
既に三十分近く待ち惚けを食らっている。あちらから呼び出しておきながら、と結標は眉を顰めずにはいられないのだ。

これが例えばデートの待ち合わせなら結標もこうまで不機嫌にはならないだろう。
何せ相手が相手なのだ。多少知った仲ではあるものの心を許しているわけではない。決して。

結標淡希は暗部組織『グループ』の一員である。
この場で彼女を語る上ではそれ以外の諸々は必要ない。

彼女が高校二年生である事も、名門校に席を持つ事も、ここでは関係がない。

異能を持つ少年らが跋扈する学園都市においても一際稀有な能力を持ち、
なおかつその中でも最上位に近い実力を持ち合わせている事も、この場面においては特に意味はない。

待ち合わせである。

結標が『グループ』の一員であるという事実以外に必要がないというのならば――待ち合わせの相手もそれに関わる者でしかない。

彼女と同じく『グループ』の構成員である少年、土御門元春。
そして同じく、海原光貴――の姿形を借りた、変装と呼ぶには完璧すぎる不可解な能力を操る名も知らぬ少年。

仲間――ではないだろう。

お互いの関係は協力でも共闘でもない。
単に利害が一致したからお互いを利用しあうという相互補助の関係。

あえて言うならば……そう、都合がいいから利用する、と。
ただそれだけの間柄だ。

だから――敵――でもないだろう。

とは思うものの断言はできない。
彼らが利害関係によって結ばれているのならば、天秤がデメリットに傾けば容赦なく手のひらを返すという事に他ならない。
たった四人の少年で構成された小組織ではあるものの個々の能力が破格だ。

後世に記録が残されるならば確実に名を残す類の一騎当千。
結標も、土御門も、海原の姿を借りた少年も。
彼らの関係は互いが互いに見合う能力を持たなければ意味を成さない。
それは仮に敵に回せば何よりも厄介な相手になるという事を暗に示している。

だからこそ何よりの不安材料がある。
残る一人、学園都市最強の名を冠する白髪赤眼の超能力者、一方通行。
彼の行方が知れないのだ。



318:VIPにかわりましてNIPPERがお送りします:2011/07/11(月) 20:43:25.97 ID:P3cA0C4No

一方通行と能力で呼ばれる少年の序列は第一位。
自他共に認める――認めざるを得ないほどの圧倒的な力を持つ能力者だ。
彼の前では例えどんな者であれ敗北は必至。彼に抗し得る者がいるはずがない。

しかし昨日、一〇月九日の混乱の最中に彼との連絡が取れなくなった。
それが一方通行自身の意図によるものなのか、そうでないのかは判断できずにいたが何かしらの不測の事態に陥った事は考えずとも分かる。

何が起こったのか。結標は知らない。

残る二人はどうだろうか。

何か知っているのか、それとも結標と同じく何も知らないのか。
分からない。少なくとも土御門は自分とは異なるパイプを持つのだから何か知っていてもおかしくはないが。

けれど彼らは何も告げずメールで一方的に呼び出し、そして今に至る。

「…………」

携帯電話の小さなディスプレイに表示された件のメールの本文を読み返しながら結標は待ち続ける。

これが彼らからの罠である可能性もあったが、少なくともあの二人はこのような綺麗な状況で仕掛けてくるほど温くはない。何分やり口が汚いのだ。

一方通行や結標のように正面から力押しする事を好まない性分なのか、それとも単純に力が足りないだけなのかは分からないが、
とにかくあの二人は細工を十重二十重に張り巡らせ同士討ちや自滅させる事を好む。相手が結標だろうと例外ではないだろう。

そういうある種の信頼めいたものがあるからこそ結標はこうして指定された公園のベンチに堂々と腰を下ろしている。
ただ、いつものように下部組織の車を使おうとはしない事にだけ引っ掛かりを覚えるのだが。
しかしおおよそ見当は付く。相手が下部組織の者であろうと外部には漏らせない話なのだろう。
だからこんな普通の、けれど人気のない公園に直接呼び出された。

しかし――。

「遅い……」

小さくごちて結標は眉を顰め携帯電話を閉じ、羽織った制服のポケットに突っ込んだ。

彼らは決して時間にルーズな性質ではない。
一度やると言えば必ずその通りに事を進める事ができる人間だ。

この三十分間の遅れが何を意味するのか。
その事に結標は黙したまま思考を巡らせようとして――。

「わーりぃ悪りぃ。お待たせ、っと」

場にそぐわないやけに陽気な声に結標の黙考はぱちんと爆ぜ消えた。
顔を上げれば向こうから金髪にサングラスの少年――土御門がこちらに軽く手を上げ歩いてくるところだった。



319:VIPにかわりましてNIPPERがお送りします:2011/07/11(月) 22:40:27.67 ID:P3cA0C4No

「一体どれだけ待たせる気なのよ」

「だから悪いって言ってんだろ。それにオマエだって律儀に待ってんじゃねえか」

学生服のポケットに手を突っ込み、どこか飄々と掴みどころのない気配のまま、けれど土御門は巫山戯ている様子もなく結標の前に立つ。

「待たせておいてよく言う……まあいいわ」

結標は目を伏せ溜め息を吐く。彼に何を言ったところで無駄だろう。
悪い悪いと言うのは口だけで実際のところ何とも思っていないのだ。

「それで」

半眼で土御門に視線を向ける。

「一方通行、連絡ついた?」

話の核心に躊躇なく切り込む。
この場にいないもう一人の所在も気に掛かるがとりあえずは保留しておく。

現状最も重要度が高いのは一方通行についてだ。
学園都市序列第一位の超能力者。彼の存在そのものが『グループ』にとっての切り札だ。
彼の身に何かあろうものならそこを他組織に付け込まれかねない。

「いや、連絡は取れないままだ。が――」

そして続く言葉に結標は驚愕する。

「一方通行は切り捨てる」

表情を変えぬまま土御門は一言で告げた。

「なっ……!?」

結標は思わず立ち上がり、右手を腰に下げた軍用ライト――彼女の武器となるポインタに伸ばしかけた。
早計だと寸での所で止め、サングラスの奥、土御門の目を睨み付ける。
彼が何を思いそういう決断に至ったのか、まだ自分は知らない。

「……どういう事よ」

「どうもこうも利用価値がなくなっただけだ。そういう仲だろ? 俺たちは」

「だからどうしてそうなったのかって訊いてんのよ!」

言葉が多少乱暴になっている事を自覚する。何にせよ不測の事態だ。
混乱するのも無理はないと自分で言い訳し結標は逸る気持ちを抑え土御門に問う。

「彼……一方通行に何があったの」



320:VIPにかわりましてNIPPERがお送りします:2011/07/11(月) 22:59:36.25 ID:P3cA0C4No

そして返ってきた言葉は結標の予想を遥かに超える事実だった。

「能力が使えなくなった」

「っ――――!?」

「そんで他の超能力者に惨敗したって訳だ。救いようがねえよ」

「負けた……ですって……!?」

無双の力を持つ絶対の能力者の失墜。
一方通行の有用性がその比類なき能力にあるのだとすれば、確かに彼の言うように既に利用価値はない。

「じゃあ昨日の戦闘はやっぱり……」

「『スクール』の垣根帝督。序列第二位だな。そいつが一方通行の能力を破壊しやがった」

「破壊? 封じたとかじゃなくて?」

「修復不可能だ。小難しい理屈は置いといてアイツはもう能力が使えない」

「……っ」

土御門の告げる事実に結標は歯噛みする。
どうしてだか納得ができずにいた。何か性質の悪い冗談じゃないのかと思ってしまう。
もしかしたらこれが土御門の謀り事なのかもしれないと疑ってしまう程度には彼の言葉を信じれずにいた。

確かに土御門の言う事は一方通行を切り捨てるのに十分な理由だ。
何も飯事でやっている訳ではない。邪魔になれば容赦なく切り捨てる。そういう組織だ。

しかし土御門の言葉は容易には信じ難い。
一度彼に敗れた結標だからこそ一方通行が破れるはずがない――とどこかで盲信めいた確信をしていたからだろうか。

けれど、一方通行の失踪と、昨日の大規模な戦闘は間違いない事実だ。

土御門の言う事には筋が通っている。

「……どうすんのよ」

結標は小さく俯き呟く。

「だからそれをこれから話そうと思ってな……ちょうど来たみてえだし」

彼の言葉に顔を上げる。半身になり後ろを振り返る土御門の視線の先にこちらに歩いてくる人影があった。
そちらに視線を向け、それが一体誰なのかと相手の顔を見て――。



321:VIPにかわりましてNIPPERがお送りします:2011/07/11(月) 23:56:19.51 ID:P3cA0C4No

「っ――――!?」

絶句した。

人影は三つ。
男性が一、女性が二。

その内の一つ、先に立ちこちらに歩いてくる少女に結標は見覚えがある。

「御坂――美琴――!」

「や。久し振り」

重そうなクーラーボックスを右肩に掛けた超能力者の少女は、左手を軽く上げ結標に微笑んだ。

見覚えがあるどころの話ではない。彼女は結標にとって仇とも言える相手だ。
御坂美琴と白井黒子。二人がいたからこそ結標は今こうして暗部組織に身をやつしている。
吹聴しているわけではないが他でもない土御門がそれを知らぬはずもないだろう。

「一体どういうつもりよ!」

土御門を睨み付け結標は声を荒げるが、しかし土御門は相変わらずの様子で肩を竦めた。

「まあ聞けよ。何も考えなしに引っ張ってきた訳じゃねえんだから」

「そうそう。結局、利害が一致すればいいんでしょ?」

もう一人の少女、緩いウェーブの掛かった金髪の白人の少女が口を挟む。
見覚えはない――はずだ。

「だったら何も問題ないよにゃー」

「ねー」

顔を見合わせる土御門と金髪の少女。
二人のやり取りに若干の違和感を覚えながら結標は彼女ともう一人、黒いツンツンした髪の少年を交互に見遣る。

「……誰よ」

「クラスメイト」

「どーもー」

始終花のような笑顔の少女に眉を顰め、結標はもう一人の名も知らぬ少年に視線を向け。

「……じゃあこっちが海原か」

「そういう事だにゃー」

土御門の巫山戯たような口調に結標の顔は顰められたままだった。



322:VIPにかわりましてNIPPERがお送りします:2011/07/12(火) 00:59:49.00 ID:kCE+1Rgko

「土御門、その口調何なの。私に喧嘩でも売ってる訳?」

「いやー、そういう訳じゃねえんだけどねぃ……様式美ってヤツ?」

「意味分かんない」

不機嫌さを隠そうともせず吐き捨て、結標は御坂と金髪の少女を睨み付ける。

超能力者第三位――『超電磁砲』、御坂美琴。
彼女との因縁はさて置き、もう一人の少女が言った言葉が気に掛かった。

『利害が一致すれば』。

つまり彼女らは――こちらの利になるというのか。

「それで、どうしてよりによって御坂なの。まさか一方通行の穴を彼女が埋めるとでも言い出すつもりかしら」

「んな訳ないだろ」

即座に否定する土御門に、でしょうね、と声には出さず結標は目を細める。
欠けた枠は一方通行。例え御坂が超能力者でも彼の代役とはなれない。

「そっちのが……って事もなさそうだし。一体どういう事なのか、きちんと説明してもらおうかしら」

先程からずっと無言のまま薄い笑みを浮かべている少年――彼女らが海原と偽りの名で呼ぶ少年は無視する。
喋るのは土御門に任せるという事なのだろうか。けれど何か言う事があれば彼の方から言ってくるだろう。

「うん。その事なんだけどね」

御坂もまた背後の彼を気にする素振りもなく結標の言葉に頷く。

「えっと、アンタの仲間? 少年院にいるんだって?」

「――――土御門ぉぉっ!!」

怒声と共に土御門の胸倉を掴んだ。
黙ってなどいられなかった。冷静でいられるはずなどなかった。
怒りを露に結標は土御門に吼えるように叫ぶ。

「よりによって――何を喋ってくれてんのよ! ぶち殺すわよ!」



323:VIPにかわりましてNIPPERがお送りします:2011/07/12(火) 01:55:53.30 ID:kCE+1Rgko

「別に秘密って訳でもないだろ」

「――、っ!」

悪びれもなく言う土御門に何か言おうとするが、結局言葉にできず結標は彼を突き飛ばすように放す。
そして奥歯を噛み締めきっと御坂を睨み付けた。

「……」

「どうしたの、そんな怖い顔して」

結標に悪意めいた感情を向けられているにも拘らず御坂は柔らかく微笑む。
それが何故だか妙に気色悪かった。

御坂も、土御門も、金髪の少女も、海原と呼ばれる少年も。
皆一様に、質は違えど笑みを浮かべてこちらを見ている。

気持ち悪さは拭えないが、結標はそれを黙殺する。
ただ感情に流されるのは頭がいいとは言い難い。
時には激情に身を任せるのもいいのだろうが、少なくとも今はその時ではなかった。

「……それで、その事がどう関係あるのよ」

「うん。それでさ、アンタに提案なんだけど」

御坂はにこにこと、結標に笑みを向けたまま言う。

「そこにいるアンタの仲間、脱獄させてあげるってのはどう?」

「なっ……!?」

「私なら少年院のセキュリティを全滅させられるわよ? もちろんタダって訳にもいかないけど」

確かに彼女、電磁操作系能力者の頂点に君臨する御坂であればいかに学園都市のセキュリティシステムといえど薄紙一枚も同然だ。
学園都市の警備網をすべて掌握するならいざ知らず、限られた範囲であれば彼女の力をもってすればそれだけで制圧できるだろう。

あの能力の演算を阻害する音響装置さえなければあとはどうとでもなる。
結標自身、空間移動系能力者の頂点だ。彼女の前では物理的な防御は意味を成さない。
警備の人員など物の数ですらない。彼女にライトを向けられただけで天高く飛ばされパラシュートなしのスカイダイビングを味わうことになるのだから。



324:VIPにかわりましてNIPPERがお送りします:2011/07/12(火) 02:59:25.26 ID:kCE+1Rgko

御坂の提言は結標にとって願ってもない事だっただろう。

しかし前提条件が間違っている。
少年院に収監されている彼らは結標への人質だ。
それを奪回するという事は学園都市に反旗を翻す事と同義である。
この街に暮らす以上――例え学園都市の外に逃げたとしてもその追跡の手からは逃げられない。

結標一人であれば何とかなっただろう。
『座標移動』と呼ばれる学園都市でも屈指の異能を持つ彼女であれば、超能力者が相手でもそうそう遅れは取らない。
実際に結標は御坂と交戦したにも関わらず、倒すとまでは行かないものの何事もなかったかのように無傷で難を逃れている。
相手が一方通行や垣根であれば別だが、一方通行が能力を失ったというのであれば彼女を直接下せる人物は限られている。

だが他の者は別問題だ。
下手をすれば能力者ですらない武装組織にすら太刀打ちできずに殺されるだろう。
彼女の人質として機能している現在であれば身の安全は確保されている。
少なくとも現時点において彼らの奪還は悪手と言わざるを得ないのだ。

その事を御坂はきちんと理解した上で物を言っているのだろうか。
精神感応系能力者でない結標にそれを知ることはできなかったが――ここで一つの疑問が頭を過ぎる。

「……そっちの要求は何」

これは学園都市に対する反逆行為だ。それが超能力者であろうとも容赦などない。
事が発覚すれば御坂とて無事にはすまないだろう。場合によっては処分――殺されかねない。

だというのに御坂は笑顔を崩す事もなかった。

「私の要求? そんなの簡単よ」

目を細め御坂は破顔し、どこか陶酔すら感じさせる悪魔的な笑みを浮かべ言った。

「統括理事長、アレイスター=クロウリーとの直接交渉権――私が欲しいのは窓のないビルへの進入座標よ。
 知ってるんでしょう? だってアンタ、あそこの『案内人』なんだから」



329:VIPにかわりましてNIPPERがお送りします:2011/07/15(金) 00:03:00.83 ID:AT50+NK+o

「っ――――!」

御坂の言葉に結標は絶句する。

確かに自分は学園都市の指導者、アレイスター=クロウリーへの直接のパイプを持っている。

空間移動系能力者である結標は三次元的な制約を無視し移動する術を持ち、
その能力によって窓のないビルにアレイスターの客人を通す役割を担っている。

トップシークレットの一つではあるが、土御門は幾度となく彼女によって連れられアレイスターに面会している。
彼の口から漏れたのか否かは定かではないが――。

「ふざ……けないでよ」

感情を押し殺し結標は呻くように言葉を紡ぐ。
自身の内に渦巻いている感情が一体どのような性質のものなのか、彼女自身にすら分からなかった。
怒りなのか、それとも焦燥なのか。どちらにせよ好いものとは言い難い。

「そんな取引、応じられる訳がないでしょう……そんな事したら、私たちは本当に……」

それは人質の奪還すらも色褪せてしまうほどの反逆行為。統括理事長その人に叛意する事に他ならない。
ただでは済まない――どころの話ではない。確実に処分される。

学園都市の根は世界中に広がっている。
現代社会、科学世界の全てに学園都市が関わっていると言っても過言ではない。

どこへ逃げようとも必ず追われる。アビニョンの市街地を炎の海と化したのは何だったのか知らない訳ではない。
事と次第によってはどうせ軌道上にあるであろう衛星兵器すら使われかねない。
いや、それどころか結標の想像も及ばないような兵器によって『座標移動』すらも捻じ伏せられ一撃の下に灰にされるだろう。

「――けどまあ、抜け道がない訳でもねーんだにゃー、これが」



330:VIPにかわりましてNIPPERがお送りします:2011/07/15(金) 00:27:54.06 ID:AT50+NK+o

唐突に割り込んできた土御門の声に結標ははっと顔を上げ彼を見る。

そう。どうしてこの場に彼がいるのか。
最初はただ単に御坂を結標に会わせるためなのだろうと何気なく思っていた。
が、しかしそれならば彼本人が現れる必要はない。最初から御坂だけで事は足りる。

「そもそも『グループ』ってのは利害が一致したからつるんでただけだろ。
 だったら、相手が誰だろうとお互い得になっちまえば文句はねえはずだ。違うか?」

そう、全ては損得勘定。最初からそういう仲だ。
                  、 、 、 、 、 、 、 、
「俺がオマエらの逃げ道――亡命先を用意する。学園都市だろうとおいそれと手が出せない場所だ」

「そんな場所がある訳――」

「あるんだにゃーこれが。ま、俺の最後の切り札って奴だ。
 借りを作りたくはない相手だが、どっちかってーとあちらさんの方が得するようにしてるしお釣りが来るだろ」

「そういう事よ。結局、別にアンタに恩を売ろうとかそういう事じゃない訳。
 もちろんタダじゃないんだけど、別にアンタならついで程度でしかないはずだし」

金髪の少女が言葉を継ぎ、後ろを軽く振り返る。
視線の先は結標が海原と呼ぶ少年。彼を一瞥し、少女は再び結標に向き直る。

「私と、コイツと、そっちの彼。まとめて言っちゃうわね。
 こっちのカードはアンタとお仲間たちが確実に受け入れられる亡命先の提供、及びそれまでの移動手段、誘導人員の確保。
 ただアンタには――あと四人、ついでに連れて行ってもらう。安い買い物でしょ?」

「……なるほどね」

確かにこれなら破格の条件だろう。
あちらにしてみればその四人が条件に釣り合うだけの重要人物なのだろうが、結標には今さら数人増えたところで大して変わらない。

「ちなみに、その四人って誰?」

「妹かな?」

「妹だにゃー」

「妹じゃありません」

「あとシスターだっけ?」

「アンタたちがシスコンって事はよく分かったわ……」



332:VIPにかわりましてNIPPERがお送りします:2011/07/15(金) 00:49:29.60 ID:AT50+NK+o

はぁ、と溜め息を吐き結標は前髪を掻き上げ額を抑えた。

相手が土御門の妹――正確には義妹だが――ならば話は早い。
彼が義妹を交換条件に提示してくる事こそが信用に足るという何よりの証拠だった。

結標にとっての人質が少年院にいる彼らなら、土御門にとってのそれは彼の義妹だ。
名も顔も知らないが、彼女を亡命させなければならない状況が発生したのだろう。

恐らく他の二人も同じようなもので、土御門か御坂と取引をしたか、ともかく尻馬に乗る形で同様の相手を逃がそうとしているのだろう。

ただ――疑問が残らない訳ではない。

そうまでして逃がさなければならない相手がいるのは分かる。
だが、逃げなければいけない状況というのは一体――。

「どうしてそんな事をするのか、って?」

まるでこちらの思考を読んだようなタイミングで金髪の少女が微笑みかける。

「結局、凄く簡単な事よ。あと何日かしたら、この街は地獄になる」

「――――」
           、 、 、 、 、
「だからその前に地獄の外側に逃げちゃおうって訳。理解できた?」

少女はおどけるように肩を竦めた。

彼女の告げる――遠からず実際のものとなるであろう事象。
結標もそれを想定しなかった訳ではない。抽象的な表現ではあるが正鵠を射ているだろう。

第一位の敗北。御坂の挙げた交換条件。土御門らの行動。亡命。
それらは全て一つの結果を予感させるものだ。

その時何が起こるのか、結標には分からない。
けれどそんな事は分からずともいい。ただ一つ理解できていれば。

このまま学園都市にいれば、死ぬ。

何かとてつもなく酷い事が、地獄と呼ぶに相応しい惨劇が、学園都市という名の舞台の上で幕を上げようとしている。



333:VIPにかわりましてNIPPERがお送りします:2011/07/15(金) 01:27:07.29 ID:AT50+NK+o

「っ…………」

結標は歯噛みする。

彼らとの取引に応じるのが賢い選択なのは分かっている。
何か裏があるという訳ではないだろう。土御門の交換条件がそれを如実に語っている。
けれど結標は何故だか素直に頷けないでいた。

暗部組織『グループ』。
たった四人の小さな組織だ。

仲間という訳ではない。敵でもない。
ただ何の因果か偶然にも互いに多少の因縁のある相手が一ヶ所に集まった。
そして利害が一致したからという理由で行動を共にしていただけのチーム。
学園都市に弱みを握られ、いいように使われるだけの存在に過ぎない。

でも――と結標は思う。

互いを利用し合い損得勘定だけで協定を結んでいただけの存在だ。
だから結標は今さら何を、と思うが。

「……四人、だけ?」

「だにゃー」

――彼らは頭数に含まれていない。

だからどうという事もないはずなのに、どうしてだか引っ掛かりを覚えてしまう。
多少の仲間意識、連帯感が生まれてしまったのだろうか。

もしそうだとしたら、自分は自分で思っているほど非道になり切れないのかもしれない。
それが好い事なのか悪い事なのか、考える直前に思考を放棄した



334:VIPにかわりましてNIPPERがお送りします:2011/07/15(金) 01:55:11.67 ID:AT50+NK+o

どう転んだとして結果は変わらないだろう。
結標はこの話に乗るしかなく、何か言ったところでさして意味はない。

結果の見えている選択肢のない一本道。
もしそんなものがあったのだとしてもその地点はとっくに過ぎている。

だから、だろうか。
結標は二人の少年を交互に見、彼らに問い掛ける。

「……あなたたちはどうするの」

結標の口からそんな言葉が出るのが意外だったのだろうか。
彼らは一瞬、呆気に取られたような間の抜けた顔をして、それから互いに顔を見合わせ肩を竦めた。

金髪の少女は嘲るように笑い。

「まだやる事があるからにゃー」

「結局、そういう訳よ」

「……海原も?」

言葉にはしなかったが彼も首肯した。

「そう……」

彼らの言う『やる事』とは一体何なのか、結標には分からないし聞こうとも思わなかった。
ただきっと、自分が死ぬかもしれないという事は分かっているだろう。

自分だけが逃げるのだと僅かに後ろ暗い気持ちが否めないでいた。
結標はそれに付き合うほどお人好しでもなければ自虐が過ぎる訳でもない。

「……分かった」

損得勘定。利己的であるべきだ。何、悪い話ではない。
彼らにも利はある。どちらも得をする。WIN-WINの関係。まったく素晴らしい。

そう機械的に結論付け、感情は黙殺し、結標は御坂を見て言う。

「その取引、乗るわ」

結標の視線の先、御坂は相変わらずにこにこと邪気の無い顔で嬉しそうに笑った。



――――――――――――――――――――



346:VIPにかわりましてNIPPERがお送りします:2011/07/22(金) 23:42:41.58 ID:45pk3LZeo

「…………」

長い沈黙だった。

深夜、三人の少女はそれぞれに異なる表情を浮かべながらも一様に口を噤んだまま同じ場所を見詰めていた。

あれから数時間。
結標は未だに自分の下した決断が正しかったのか判断できずにいた。

他の二人がどのような事を考えているのかは定かではない。

どうして御坂が土御門らと繋がっているのかも分からなかった。
もう一人、金髪の少女については一体何者なのかすらも不明だった。

ただ、この場において結標の葛藤は些事であり、これから起こる事、自分の目的に有用だという事さえ把握していれば充分だろう。
……けれどそう理解していても心の隅に蟠る疑問は消えてくれないのだ。

それが何か真実を指し示しているようで――。

「ん」

小さく漏れた声に結標の思考は否応なく現実に引き戻される。

「結局、時間ね」

声に視線を向けると金髪の少女は時計を見ていたのだろう、
携帯電話を御坂と揃いの常盤台中学の制服のポケットに仕舞い、こちらを見て笑った。

「なあに? そんな不安そうな顔しなくてもいいじゃない。上手くやるわよ。
 ――ええ、私とコイツなら、大抵の場所なら簡単にやれるんだから」

「あなた……一体何者よ」

「第五位、『心理掌握』」

「っ……!」

事も無げに言った彼女に結標は言葉を詰まらせた。

そんな二人に御坂は振り返る。
肩に掛けた重そうなクーラーボックス――ずっと地面にも降ろそうともせず大事そうに抱えていたものだ――の肩紐を直し、
そして彼女は柔らかに顔を綻ばせ言った。

「それじゃ行こっか」

……そして結標は圧倒的な力の差というものを知る事になる。



347:VIPにかわりましてNIPPERがお送りします:2011/07/23(土) 00:10:42.64 ID:Me1xMrM3o

結果から言おう。金髪の少女の言葉は正しかった。

全てが上手く行った……いや、上手く行き過ぎたとでも言った方がいいだろうか。

無論、少年院であるのだからきちんとした警備の職員がいた。
彼らにはこうして仲間の奪還にやってくる能力者に対抗するための装備もあり、十分な訓練と経験、そして組織体制があった。

仮にそうでなくとも、無人のまま万全の警備を敷くだけのシステムがあり、それらは正常に作動していた。

二人の超能力者が現れるまでは。

彼女達はあろうことか、少年院の正面ゲートから堂々と、大手を振って進入した。

例えば、これが第一位、あの最強無比の実力を持つ白髪赤眼の少年であったならばこうはいかなかっただろう。
他の追随を許さないほどの圧倒的な力を持つ彼であろうとも少年院のセキュリティは少々厄介だった。

ただ、ここにいるのは第三位『超電磁砲』と第五位『心理掌握』。
二人の超能力者の前に世界最高峰の学園都市の警備は沈黙せざるを得なかった。

その場にいたあらゆる人々――警備、監察、整備、管理、その他諸々およそ『人』と呼べる全ての生物が、
侵入者を無視し、あるいは無言で門を開き、時には道案内すらした。

無人の警備システムは沈黙したまま、最高難度の電子暗号錠は触れられもせず鍵を開け、シャッターは自動的に上がった。

それらは正常に作動していなかったのではない。

間違いなく正常に――まったくいつもどおりの警備網を維持し続けたまま、結標ら三人の少女達をVIPの如く扱い招き入れた。

そう、端的に言えば相性の問題だ。

人は『心理掌握』。
機械は『超電磁砲』。

学園都市という枠組みの中であれば彼女ら二人に対抗できる施設などそうそうありはしないのだ。
それこそ中世の城砦か何かのように、堅固な壁とアナログな罠を駆使しなければ簡単に突破されてしまう。

……ただ、そうだとしてももう一人、『座標移動』がいるのだが。

故にこの三人が揃えば事実上、施設攻略戦において無敵だった。

彼女らを拒めるものがあるとすれば――それこそ漫画やゲームの中に出てくるような魔法とかそういう類のものくらいだろう。



348:VIPにかわりましてNIPPERがお送りします:2011/07/23(土) 01:26:45.10 ID:Me1xMrM3o

酷く呆気ないものだと結標は思う。

数十分後、かつての仲間たちを救い出したというのに結標はどうしてだろうか、何の感慨も抱けぬまま護送車の中で揺られていた。

少年たちの騒がしい声が背後からひっきりなしに聞こえてくる。
しきりに自分の名が耳に刺さるが条件反射的なものだ。間違いなく会話は聞こえているが右から左へと聞き流している。
彼らの声は明るく、喜色のままのものだったが結標は何故だか妙に煩わしかった。

結標が他の三人と『グループ』を結成してから然程時間は流れていない。
だが決してその間が無かった訳ではない。
自分の意に反する事だってやらされたし、それに何人か殺しもした。

そんな自分は一体何だったのだろうと思う。

超能力者と大能力者の壁とかそういうものではない。
もっと単純に、何か漠然とした失望のようなものを結標は胸に得ていた。

これまで自分のやってきた事が全て無意味だったと言われたような気がしてならなかった。

(……今さらそんな事、どうだっていいけど)

今考えるべきは今後についてだ。
土御門――どうして彼が学園都市の手から逃れ得るなどという代物を用意できるのかは定かではないが、重要なのはそこでの立ち回りだろう。
結標は背後で自由にはしゃぐ彼らのリーダーだ。彼らを守る義務がある。

何より彼らを少年院というある意味では絶対的な安全から引き剥がしたのは結標だ。
あのまま静かに過ごしていれば何も問題はなかった。不自由はあっただろうが、命を脅かされる事はなかっただろう。
結標が黙って暗部の仕事をこなしてさえいれば彼らの安全は保証されていた。

だから彼らを守るのは自分の仕事だろうと結標は思う。
亡命先、話では海外という事だが、学園都市から逃れられたとしてもそこが今以上に劣悪な環境であったならば、それらから彼らを守らなければいけない。
土御門を信用していない訳ではないが――無償でこれだけの人数を受け入れてくれるとも思わない。

(でも私には力がある)

無意識の内にベルトに提げたライトを指でなぞっていた。

大能力者、『座標移動』、結標淡希。

能力者はどこだって有用だろう。それも空間移動系、分かりやすく強力なものだ。
きっと今までとやる事は大して変わらないだろう。

そこまで考えて結標は目を細め自嘲の笑みを浮かべた。

――なんだ。やっぱり無意味じゃない。



349:VIPにかわりましてNIPPERがお送りします:2011/07/23(土) 01:59:37.31 ID:Me1xMrM3o

「あ、この辺で降ろして」

昼とは一転して閑散とした大通り、護送車は静かに停まった。
バスのような車内、中央の通路を挟み結標の右隣に座っていた御坂は膝の上に置いていたクーラーボックスを担ぎ席を立つ。

「……」

眼を伏せ、しばらく沈黙した後、結標は肩に掛けた制服のポケットから折り畳んだメモ用紙を取り出し指に挟み差し出した。

「ご所望のものよ」

中には走り書きで、一般人にはただの記号の羅列にしか見えないようなものが書かれている。
当然だ。十一次元座標算出計算式なんて特殊なものはそれこそ空間移動能力者くらいしか使わないだろう。

「白井なら分かるでしょ。あなたもそのつもりなんだろうけど」

「ありがと。助かるわ」

その時ようやく結標は彼女の服装に違和感を覚える。

常盤台中学の制服。ブレザーとスカート。それだけであれば何も言う事はない。
肩から提げたクーラーボックスも、大して不思議には思わない。中にはよほど重要なものが入っているのだろうが、それが何なのか、結標にはどうでもいい事だった。

ただ……彼女が制服のブレザーの上から着込んだ、彼女には少々サイズが大きすぎる黒の外套。
最初はコートか何かだと思っていたが――近くで見るとようやくそうではない事に気付いた。

(学ラン……?)

ありふれた学生服だが、男物だ。
どうしてそんなものを彼女が着ているのか疑問に思うが――。

「じゃ、あとよろしく」

ひらひらと手を振り、御坂はステップを軽やかに降り護送車を後にする。

「……」

きっとどうでもいい事だ。
そう思い結標は目を伏せる。

その直前、防弾ガラスの窓の向こうで彼女がこちらを見て笑った気がした。
どこか悲しげな――酷く自嘲的な笑みで。

「……」

護送車は再びがらんとした道を走り出した。



――――――――――――――――――――



365:VIPにかわりましてNIPPERがお送りします:2011/07/26(火) 00:16:18.29 ID:3Ss54vHIo

夜風が冷たい、と土御門は思う。

もう冬が近付いてきている。
秋の気配は体育祭の熱が治まりゆくと共に霧散した。
この時間ともなると学生服だけでは辛い。内にはシャツ一枚だけ。
もう少し厚着をしてくればよかっただろうか。

あちらの風はここよりも少しは温かいだろうか。そんな事をつい思う。
緯度はここよりも北だが、この街の風はどうにも底冷えするような気配を感じてしまう。

街の名は学園都市。人口二三〇万の大都市だ。
人口の八割が学生で、若者たちの活気に溢れ最先端科学を研究し未来を切り開く情熱に燃える未来都市。

なのに眼前、夜の町並みは煌々としているものの実態は無機質めいたコンクリートと機械の森。
本来人の住むべき場所ではないだろう。ビルの谷を吹き抜ける茫々とした風にまるで荒野のような印象を抱く。
     ナチュラリズム
別にここで自然回帰を謳う訳ではないが、どうしてだかそんな事を考えてしまう。
端的に言えば土御門はこの街が好きになれなかった。

彼もまた本来は魔術師であり、科学とは相反するフィールドに立つ探求者だ。
お国柄か比較的科学には肯定的であり、むしろ両者が敵対する事すら常々馬鹿馬鹿しく思っている。
だが今は世界を裏で二分する冷戦が有り難かった。

「寒くないか」

もう随分な時間待たせている。風邪でも引かれたら大変だ。

「……別にー」

どこか気だるげな、拗ねたような顔で言葉を返してくる少女に土御門は目を細めた。
その表情が愛おしいと思う。彼女が拗ねているのは自分の所為だ。
それもそのはず、相手が義兄だからといって夜中にいきなり訳も分からぬまま連れ出されてはいい顔をするはずもないのだ。



366:VIPにかわりましてNIPPERがお送りします:2011/07/26(火) 00:31:51.92 ID:3Ss54vHIo

「……なー兄貴ー」

「んー?」

自分の事を兄と呼んでくれる少女とは血の繋がりはない。
愛しいと思う心に血族は関係ないだろう。彼女が実の妹だったところで二人の関係はさほど変わらないはずだ。
だが、今だけは彼女が義妹でよかったと切に思う。

彼女は土御門家と血縁関係はない。

平安時代にまで遡る陰陽師の家。
名門だの安倍の血脈だのとどれだけ美辞麗句を並べ揃えた所で本質は変わらない。
汚れ役。呪いの大家。偽善者。詐欺師。口八丁で謀り手八丁で陥れる事を生業とする由緒正しき人殺しの家系。
その十字架を、呪いを、彼女には背負わせなくてもいい。

「それで、どうしてこんな事になったんだー」

「……それはにゃー」

彼女は陽だまりにあるべき存在だ。
屍山血河の世界は彼女の笑顔には似合わない。

土御門の魔術も、呪いも、恨みも、血と殺戮と裏切りと謀略の歴史も。
全部自分が背負うと、彼女が初めて笑ってくれた日に決意した。

だから。

「舞夏が優秀過ぎっからメイドの本場英国への留学が決まったんだぜぃ!
 それもだ、聞いて驚くなよ! なんと留学先はイギリス王室だー!」

彼女にはどこか遠いところで幸せになって欲しいと。

そんな事を思ってしまうのだ。

「……でもなー、兄貴」

ただ一つ心残りがあるとすれば。

「兄貴の分の荷物がないぞー……?」

彼女の生きる世界に自分の居場所はないだろうという事。



367:VIPにかわりましてNIPPERがお送りします:2011/07/26(火) 01:55:07.22 ID:3Ss54vHIo

「……」

「遠いなー……嫌だなー……」

彼女は目を逸らし、嫌だとは言うけれどどこか諦念を感じさせる表情を浮かべぽつりと零すのだ。

「兄貴と離れ離れになるならいきたくないなー……」

「でもな、こんないい話は滅多にないだろ」

「……それは分かってる。私は行った方がいい、いや、行くべきなんだろうなー。
 幸運だと思う。もちろん当然だろーっていう自負もあるが、よりによってイギリス王室なんてとんでもない幸運だと思う。
 急過ぎるっていうのを差し引いても断るなんて出来ないし、私もしたいとは思わない。……でもなー、兄貴。それでも私は……」

「舞夏」

彼女の気持ちも痛いほど分かる。自分がそうなのだから。

けれどどんな事をしてでも彼女を丸め込まなければならない。
そうしなければならない理由が土御門にはある。

何、別に難しい事ではない。こういう事こそ得意分野だ。
ただ……他でもない彼女にそんな事をするのが心の片隅に引っ掛かる。

それを言ってしまえば、最初からこんな事を仕組まなければいいのだろうが。

「そんな事言ってオマエ、卒業したらマジメイドさんになんだろ?
 そうしたら結局俺ともそう簡単に会えねえじゃねーか」

「土御門に雇ってもらうからいいんだぞー」

「……おにーちゃんちょっと涙出ちゃいそーだにゃー」

サングラスを掛けててよかったと思う。
柔らかな髪の感触に哀愁を感じながら彼女の頭を少しだけ強く撫でる。

「ま、武者修行だと思って行ってこい。――待ってるから」

つくづく嫌な男だと自分でも思う。
こう言ってしまえば彼女は首肯せざるを得ないのだから。



368:VIPにかわりましてNIPPERがお送りします:2011/07/26(火) 02:33:40.23 ID:3Ss54vHIo

「……来たか」

静かな夜の街に遠くからエンジン音が聞こえてくる。
こちらに近付いてくるそれは結標達の乗っているものだ。

「すまん。ちょっと待ってろ」

道路に面したベンチに義妹を残し、少し離れた場所に立っている外国人の少女に近付く。

白い修道服と金糸の刺繍、フードから零れる銀の髪。緑の瞳。
インデックスと呼ばれる少女はどこか不安そうに土御門を見上げた。

「ねえ――」

「仕事だ、禁書目録」

彼女の言葉を遮り土御門は短くそう告げる。
                                         、 、 、 、 、
「英国で、そこの彼女――ショチトルの中に埋め込まれた『原典』を引き剥がす。
 術はセントポール大聖堂で行う。写本との差異をオマエが解析した後、封印。以上だ。質問は」

視線を合わせぬまま浅黒い肌の少女を示す。
やや早口になってしまっただろうが、大丈夫だろう。
彼女の持つ完全記憶能力をもってすればこの程度で聞き逃すという事もあるまい。

「……一つだけ」

恐らくそうだろうと思っていたが、自分の予定が外れてくれる事を願っていた事も否めない。
土御門は用意しておいた言葉を頭の中で反芻しながらインデックスの次の言葉を待つ。



「とうまはどこ?」



……身構えてはいたものの、ほんの一瞬だけ言葉に詰まった。



369:VIPにかわりましてNIPPERがお送りします:2011/07/26(火) 02:52:46.46 ID:3Ss54vHIo

「アイツは、ショチトルをこうした魔術師と戦ってる」

「じゃあ早く助けに――」

「事は一刻を争う。今こうしている間にもショチトルの体は蝕まれ続けている」

「っ……」

「オマエはオマエにしか出来ない事をしろ」

大きなエンジン音とタイヤがアスファルトを噛む音が背後から近付いてくる。
その音はやがてすぐ近くで停まった。

「何、こっちが済んだらすぐ追いかける」

「本当?」

「ああ」

「……分かったんだよ」

よくもまあ平気で嘘を並べられる、と自分でも感心する。
顔色一つ変えず、全てを嘘で塗り固めるのは得意だ。
彼女がいくら完全記憶能力を持っていたとしても嘘は見破れない。
そもそも彼女の性格からして、他人を疑うという事ができない性質だ。

それでもこちらの言葉を鵜呑みにせず、一度だろうと彼の事を問うたのはきっと。

「……」

ぷしゅー、と気圧式のドアが開く音がする。

「乗れ。時差があるから車の中で寝ておけ」



370:VIPにかわりましてNIPPERがお送りします:2011/07/26(火) 04:26:15.22 ID:3Ss54vHIo

「……ごめんなさい。もう一つ」

ぴくり、と眉が動いてしまった事を自覚した。
彼女に気付かれていない事を祈るしかない。

「どうしてまいかが一緒なの?」

「詮索するな。こちらの事情がある。他の奴らには魔術については隠せ」

有無を言わさぬ口調は想定外だったからだ。
不審に思うだろうか。彼女は自分達の関係を知っている。隣人なのだから当然だろう。
だが――だからこそ出来る事もある。

「頼む」

つまるところ泣き落とし。詐欺師の手口だ。
だが状況と相手をきちんと合わせればこれほど有効な手はない。

「……うん」

自分が最低の部類の人種だという事は重々承知している。
心は痛まない。彼女の為なら何だってやってみせると誓ったのだから。

当の本人に恨まれようと罵られようとその決意は変わらない。

ただ――。

「……兄貴ー」

「ま、冬休みにはなんとか許可とって会いに行くぜぃ」

彼女に嘘を吐く事と、こういう顔をされるのは少々堪える。

見様によってはバスのように見えなくもない護送車。
だから合流場所もバスターミナルの端にした。
多少の違和感は持たれるだろうが押し通せない事もない。

護送車に乗る少女達。
その後に続こうとした褐色の肌の少女は、しかし足を止め土御門を振り返る。
鋭い視線が向けられる。けれど彼女は暫くの沈黙の後、頭を下げた。

「感謝する」

「礼には及ばない。オマエの『原典』が対価だ」

「……そうか。だが、……」

髪を嬲る風の吹いてきた方に顔だけを向ける彼女の瞳はどこか寂しげだった。



371:VIPにかわりましてNIPPERがお送りします:2011/07/26(火) 04:53:20.38 ID:3Ss54vHIo

「……エツァリは。来てはくれないのか」

「合わせる顔がないとよ」

「よく言う」

そう彼女は嘲るように笑うのだが、それでもどこか索然とした表情で目を伏せた。

「礼代わりに一つ忠告しておこう。あれの言う事を真に受けるな。
 あれは本来、酷く利己的な性質だ。信用すれば馬鹿を見る」

「経験談か?」

「……」

「ご忠告どーも。短い付き合いだがそれくらい分かってるつもりだ。
 だが心配いらねえよ。俺も似たようなもんだ。お互いそれを分かった上で組んでる」

「……なるほど。確かに似ている」

ふ、と息を吐き、彼女は目を細め土御門を見、そして言うのだ。

「そうして貴様らは私達を捨てるのか」

……思わぬ伏兵がいたものだと土御門は自嘲する。

今のは随分と響いた。
心臓が跳ね、目の前が一瞬真っ赤になってしまったような錯覚。
けれど表情には一切見せず、土御門は肩を竦めるだけだった。

「理解してくれとは言わねえよ」

「確かに似ているな。貴様も酷く自己中心的だ」

数瞬の無言の後。

彼女は泣きそうな、けれど必死にそれを堪えているような、
そんなどこか笑顔にも見える顔を土御門に向けた。

「さよなら、お兄ちゃん。でもできれば、せめて生きていてほしい」

「……善処するさ。別に俺は死にたがりじゃねえ」

そう言う土御門を彼女は、矢張り泣き笑いのような表情で目を細めるのだった。



379:VIPにかわりましてNIPPERがお送りします:2011/07/27(水) 01:18:32.79 ID:BERf8sr8o

異国の魔術師の少女は別れの言葉を残し車に乗る。
そして彼女と入れ違いに降りてくる人影が二つ。

一人は結標淡希。
そしてもう一人は。

「……風が強いわね」

小さく呟き、けれどもっとましな言葉はないのかと自分で馬鹿らしくなる。

金髪碧眼の、フレンダと『アイテム』の面々から呼ばれる少女。
彼女はもう『アイテム』の少女達を仲間とは呼べぬかもしれない。
だから相手がどれほどの知己だろうとまるで赤の他人のように呼称するしかない。

フレンダ=セイヴェルン。

そう呼ばれている。

身に纏う制服は決別の意味か。
彼女が本来所属する中学校のものだ。

意味のない行為だと彼女は思う。
常盤台中学に在席している超能力者、『心理掌握』の名は食蜂操祈だ。
フレンダ=セイヴェルンではない。
同様に青髪ピアスの高校生は女子中学にいるはずもない。

果たして自分の本質というものはどこにあるのだろうか。
時々そんな事を思う。

超能力者。
食蜂操祈。
『心理掌握』。
青髪ピアス。
第五位。
委員長。
フレンダ=セイヴェルン。
女子中学生。
男子高校生。
あるいは暗部組織の構成員。

矛盾する名を幾つも身に纏い、彼女を現す言葉は既に形骸と化している。
その中から一つを選ぶとすれば矢張り『心理掌握』だろうか。
最も本質に近いという意味では正鵠を射ている。



380:VIPにかわりましてNIPPERがお送りします:2011/07/27(水) 01:35:08.61 ID:BERf8sr8o

だがこの場では――彼女の事をあえてフレンダと表記しよう。

フレンダ=セイヴェルン。
その名――あるいは肩書きには幾つかの意味がある。

一つは外見。
金髪碧眼に白い肌、とある少年が見たならば矢張り『舶来』と称したであろうその容姿は紛れもない真実だ。
『彼女』はそのような容貌をしている。
土御門らの視覚に映る、長身で青く染めた髪にピアスの派手な少年の姿は『彼女』が設定したアバターでしかない。
本来の姿からかけ離れた外見も、野太い声の紡ぐ関西弁もどきも、全てが虚像だ。

一つは肩書き。
暗部組織『アイテム』の構成員、フレンダ=セイヴェルン。
彼女は幾つも名を持ってはいるが、少なくともこの物語の上ではその名が最も相応しいだろう。
『心理掌握』は飽くまでも彼女の持つ能力の名であり、最も本質に近いとはいえ『彼女』の存在に従属する。
人称として用いるには少々不相応だろう。

そしてもう一つ。最も重要な要素。

フレンダ=セイヴェルン。

他にはない、その名だけが持つ唯一無二の要素。

姓。あるいは、その名に合わせるならファミリーネーム。
この街には『セイヴェルン』は二人いる。

一人はフレンダ=セイヴェルン。

そしてもう一人は。

「……お姉ちゃん」

バスターミナルの片隅、土御門らが立っていた位置からすれば随分と遠く、けれど声の届くぎりぎりの場所にその少女は座り込んでいた。
タイルで舗装された通路と通路の間、僅かな芝生の上に腰を下ろし、金髪碧眼の少女は捨てられた猫のような目で金髪碧眼の少女を見る。

消え入りそうな声で自分を呼ぶ、自分とよく似た外見の少女。

彼女の名はフレメア=セイヴェルン。もう一人の『セイヴェルン』。

食蜂操祈でもなく、青髪ピアスの少年でもなく、フレンダ=セイヴェルンの妹。



381:VIPにかわりましてNIPPERがお送りします:2011/07/27(水) 01:56:49.61 ID:BERf8sr8o

「フレンダお姉ちゃん」

先程より幾らかはっきりとした声で少女は姉の名を呼ぶ。
どこか怯えたような表情は庇護欲かあるいは嗜虐心をそそるものだ。
彼女は紛れもなく無力な少女で、特殊な能力も才能もなく、年相応の矮躯にはそれだけの力しか備わっていない。
だから少しでも力を持つ者が彼女の前に立てばか弱い少女には為す術もないだろう。

自分のような超能力者であればなおさらだ。
赤子の手を捻るよりも容易く彼女の心を幾らでも陵辱できる。
一瞬で廃人にする事も、殺人鬼に変貌させる事も、記憶を残らず消し去る事だって出来る。
『心理掌握』にはそれを成すだけの力がある。

……勿論そんな事をするはずもないのだが。

フレメア=セイヴェルンはフレンダ=セイヴェルンの妹だ。
それが半ば仮初のものだったとしても、そう在りたいとフレンダは願うのだ。

「フレメア」

彼女の傍らに立ち、フレンダは自分の名を呼ぶ妹の名を呼び、そしてゆっくりとしゃがみ込み優しく抱き寄せた。

「お姉……ちゃん……?」

土御門がそうであったように。

『彼』がそうであったように。

彼らの友人である自分もまた、大切な人を守りたいと思うのだ。

「フレメア。よく聞いて」

抱き締め、顔は見ぬままフレンダは囁く。

「イギリスに行きなさい。パパとママのところに帰るの」



382:VIPにかわりましてNIPPERがお送りします:2011/07/27(水) 02:26:04.46 ID:BERf8sr8o

「っ――嫌っ!」

明確な拒絶の意思を伴う声は初めて、あるいは久し振りに聞いたものだった。

「やだ、やだよ! お姉ちゃんどうしてそんな事言うの!?
 大体、お姉ちゃんだって分かってるでしょ!? あんなとこ戻りたくないよぉっ!」

「……そうよね」

分かっている。
自分達の両親がどんな人物で、自分達がどのような経緯で異国の街にいるのか。
恨むべきは両親なのか、それともこの街のシステムなのか。
滝壺も、絹旗も、そして恐らくは麦野も、似たような境遇にある。

『置き去り』と呼ばれる態のいい育児放棄。
犠牲者と呼ぶべきだろうか。『置き去り』の子供達はこの街に幾らでもいる。
暗部に属する大部分の子供達は親に捨てられた。もしかすると他の超能力者達も同じなのかもしれない。

子供にとって親の存在は必要だろう。
親のいない子などなく、親があってこそ子は存在する。
木の股から生まれたのであれば別だろうが、人という種の子は大抵、親がいなくては生きていけない。

けれど稀に害悪にしかならない場合がある。
客観的に見てセイヴェルン家の場合はそれだった。

「でもね」

無意識の内に抱き締める手に力が入る。
フレンダは妹の背に流れる髪を指で梳き、それから一呼吸だけ真を置いた。

「結局、それでも幾らかマシなのよ」

「――どういう」

「いい子だからお姉ちゃんの言う事を聞いて。ね?」

彼女を言い包める事など能力を使えば一瞬だ。けれどそんな事は出来やしない。

セイヴェルンの姓を持ち、同じ色の瞳と同じ色の肌、緩いウェーブの掛かった金の髪。
今、自分が肉親と呼べるのはこの少女だけなのだ。
       このまち
「フレメア。学園都市にいちゃ駄目。遠くに逃げなさい。うんと遠くへ。
 あの車に乗って、他のお兄ちゃんやお姉ちゃんと一緒にイギリスに行くの。
 結局、パパとママのところが嫌ならどこか他のとこ……修道院とかに。
 大丈夫よ。お姉ちゃんが上手く行くようにお願いしてあげるから」



383:VIPにかわりましてNIPPERがお送りします:2011/07/27(水) 04:28:36.02 ID:BERf8sr8o

「お姉ちゃん……?」

「私もね、好きでこんな事言ってるんじゃないの。
 でもこうでもしないと、フレメアの事守れないから」

こうして抱き締めるだけでも折れてしまいそうなか細い矮躯。
そんな簡単に死んでしまいそうな少女を力のない自分が守れるとは思えなかった。

『心理掌握』は最上位の強度に列せられるが、他の超能力者と異なり物理的な効果を伴わない。
昨日の一件で思い知った。自動機械、あるいは瓦礫の崩落、火災や高所からの落下。そういったものには全くの無力だ。
人の精神と記憶という不確かなものにしか干渉できない貧弱な能力。
きっと大切だったただの一人さえ守れなかったのに、今度こそなんて楽観的で虫のいい言葉が吐けるはずもない。

でも、土御門が信用する相手になら任せられる。
相手がどんなもので彼とどのような関係なのか、そんな事はどうだっていい。
彼は自分の大切な友人だ。そう思うからこそ無条件に信頼できるのだろう。

「ごめんね、フレメア」

きっと大切なたった一人の妹の名を呼ぶ。

「お願い。言う事を聞いて」

「………………」

能力も才能も関係なく、ただ一人の姉として。
何もできない自分だけれど、たった一つ彼女に報う方法だと思う。

もしかすると声が震えていたかもしれない。
怖くて仕方ないのだ。彼女がもし嫌だと言い続けるなら自分はそれを拒む事ができない。
力ずくで車に乗せれば人攫い紛いの事もできるだろう。けれどそんな方法を取れるとは思えない。
自分がこういう性質だからこそ彼女が我を突き通したとしてもそれを叱れないだろう。



384:VIPにかわりましてNIPPERがお送りします:2011/07/27(水) 04:45:39.21 ID:BERf8sr8o

けれど彼女がそれ以上拒絶する事はなかった。
代わりに、幾許かの沈黙の後、ぽつりと言った。

「……お姉ちゃんは一緒に来てくれないの」

才能もなく頭も悪い、馬鹿な妹だと思うのにこういう時だけ聡いから始末に終えない。

「お姉ちゃんはね、やらなきゃいけない事があるから。
 ……ううん、違う。結局、私がそうしたいだけなんだ」

どちらか一方を取るなんて器用な真似はできない。
二兎を追う者は一兎も得ず、とは言うがどちらも逃がしたくはない。
そもそも同じ兎ではないのだ。比べられない。
まったく違う人物を同じ物差しで量ろうとする事自体馬鹿げている。

「でもね、フレメア。勘違いしないで」

そしてようやく抱擁を解き、フレンダはよく似た妹の顔を正面から見て優しく微笑んだ。

馬鹿で愚図で鈍間で――けれどとても優しい子。
フレンダはずっとそんな風に思っていた。

だからきっとこの言葉の本当の意味は分からないだろう。

「結局私は、アンタのお姉ちゃんになれてよかった訳よ」

そう言って、彼女の柔らかな頬に軽く口付けして。

「だからお願い。泣かないで」

「さっきから大体、お姉ちゃん『お願い』しか言ってない」

「……ごめんね」

もう一度軽く抱き締め。

「大好きよ、フレメア。私の妹」

そう囁いて、体を離した。



389:VIPにかわりましてNIPPERがお送りします:2011/07/29(金) 23:46:00.87 ID:MhawDI+4o

彼女に見せる笑顔に偽りはなく、けれど真実でもない。
こんな場面で笑顔でいられるほど自分は楽観もしていないし強くもない。
それでもこの小さな妹には笑顔を見せなければいけないだろう。

さあ、と最後の一人を待つ車を見遣り、彼女の出発を促す。
その言葉にフレンダと護送車とを交互に見て、それから彼女はのろのろと鈍重な動きで立ち上がった。

何から何まで世話の焼ける子だ。
きっと何も言わなければこのままずっとここで蹲ったままだろう。

だからきっと、彼女を送り出す事こそが姉である自分の役目だ。

「いきなさい、フレメア」

幾つかの祈りを込めてフレンダはその言葉を妹に向ける。

彼女がその裏にある真意に気付くとは思えないが――それでも祈りの言葉を口にせずにはいられなかった。

「…………」

そして、ただほんの微かに頷くだけで何も言わず彼女はゆっくりと歩き出す。

きっとこれでいいのだろう。
そう思うことにした。

ゆっくりと護送車へと歩む姿を見送り、そして背を向ける。

結局彼女には何もしてやれなかったけれど。
それでも少しくらいは姉のような事をしてやりたかったのだ。

なのに――。

「――お姉ちゃん!」

最後にそう呼ばれて思わず振り返りそうになるのをすんでのところで堪えた。



390:VIPにかわりましてNIPPERがお送りします:2011/07/30(土) 01:06:56.96 ID:Gi+o0YM/o

背後から戸惑うような躊躇うような気配を感じる。
きっと彼女は酷く怯えたような顔をしてこちらを見ていることだろう。

「……負けないでね」

暫くの戸惑いの沈黙の後、彼女が口にしたのはそんな言葉だった。

本当は少し違った言葉を言おうとしたのだろう。
けれどそれを言葉にしてしまうのが恐ろしくて、だから別のものに置き換えたのだろう。

――結局これが、俗に言う死亡フラグって奴よね。

古典的な漫画じゃごく当たり前の伏線。王道。お決まりのパターン。
だからといってむざむざ死にに行く訳でもないが。

「大丈夫よ」

妹に向ける笑顔は強がりでしかない。
そう分かっているからこそ自分に言い聞かせるように彼女は笑った。

「これでも結構強いんだよ? 今まで秘密にしてたけど、お姉ちゃん超能力者なんだから」

「――え?」

酷い言葉遊びだ。

「でも――だってお姉ちゃん――」

嘘は言っていない。けれど本当の事も言っていない。

「大体、無能力者なんじゃ――」

「結局、最近強度が上がったのよ。超能力者に」

そしてようやく振り返り、悪戯がばれた子供のようにフレンダは妹に笑いかける。

「本当よ?」

だから、と言うようにフレンダは片目を瞑り。

「だから安心して。お姉ちゃんは負けたりなんかしないから」



391:VIPにかわりましてNIPPERがお送りします:2011/07/30(土) 01:52:21.37 ID:Gi+o0YM/o

それが二人の交わした最後の言葉だった。

まだ不安げな表情で何度か振り返りはしたものの、少女はゆっくりと護送車に乗った。
今度こそその背を見送り、フレンダはどこか憑き物が落ちたような表情で小さく息を吐き、そして結標に視線を送る。

「……」

結標は羽織った制服の上着から小さなリモコンを取り出す。
その上にはボタンが一つだけ。誤って押さないように透明なカバーで覆いが付けられている。

自分の体の影に隠すようにして結標は横目でそれに視線を送り、少しの間だけ眉を顰め迷うが、結局指でカバーを跳ね上げボタンを押す。

それは護送車に取り付けられた特殊な機能を動かすものだ。
能力者の少年少女達を傷付けないように無力化するための、無色無臭の催眠ガスの作動スイッチ。
特殊な空調によって空気のカーテンで車内の前後が隔離されており、後部にのみガスが充満する仕掛けとなっている。
当然その事を知らない者からしたら気付かぬ内に寝入ってしまったとしか思われないようなものだ。

効果が現れるまで数分。
半ば誤魔化すように土御門と打ち合わせの確認をすることでその時間を消費する。

「こっちは準備完了だ。問題ない。そっちはねーちんには知られてないだろうな」

外部組織と連絡を取っているのだろう。
携帯電話で誰かと話す土御門は簡潔にそう告げる。

「五和……ああ、あの子か。大丈夫なのか?
 ……オーケー。嫌な役をさせて済まねえな」

彼は視線をこちらに向けたまま電話の相手と暫く確認を取り合った後、携帯電話を閉じ無造作にポケットに捻じ込んだ。

「最終確認だ。壁の外に誘導要員どもが待機してる。
 そいつらと合流したらあとは任せていい。高速で羽田まで行って残りは空だ」



392:VIPにかわりましてNIPPERがお送りします:2011/07/30(土) 02:14:22.15 ID:Gi+o0YM/o

「……その、変な事聞くようだけどパスポートとかは大丈夫なの?
 空港の出国ゲートで掴まるだなんて下らない展開は嫌よ」

「そこんとこ抜かりはないぜぃ。元々そういう事に特化した連中だ」

「あなたのお友達は密入国ブローカーか何かなの……」

「まぁ似たようなもんかね」

肩を竦め、土御門は背後を仰ぎ見る。

夜に沈むように立ちはだかる学園都市を覆う『壁』。
数少ない外との連絡ゲートまではものの数百メートルだがそこを潜る訳にはいかない。

「この方向にきっちり四〇〇メートル。多少の誤差はいいがあんまりずれないでくれよ。
 あっちだっていきなり宙に現れた車に轢き殺されたなんてオチはごめんだろうからな」

「……変なこと言わないでよ」

最大質量四五二〇キロ。最長距離八〇〇メートル超。
空間移動系能力の中でも屈指の性能を持つ『座標移動』にそのような言葉は無意味なものでしかないだろう。

けれどそれを差し引いても途方もない重圧が結標を苛む。
視認できていない地点への移動はどうしてもプレッシャーが付き纏う。
それも大事な仲間たちを乗せた車を丸ごと移動させるというもの。もし失敗したらと考えないはずがない。

過去のトラウマから来る自身の移動に対する恐怖など比べ物にならない。
ただでさえ限界に近い重量の長距離移動。失敗する可能性はないとは言えない。
高度な演算を必要とする能力は少しのミスで致命的となる。
一つ間違えば飛ばした先がアスファルトの下だったとなる可能性も捨て切れないのだ。



393:VIPにかわりましてNIPPERがお送りします:2011/07/30(土) 02:41:41.59 ID:Gi+o0YM/o

「……」

無意識に腰に提げた軍用懐中電灯を握り締めていた。

大丈夫だ。問題ない。自分はやれる。何一つミスなく全てをやり遂げられる。
言い聞かせるように心の中でそう繰り返す。

自己催眠に似た行為はかつてないほどの集中力を生む。
けれど鍍金のようなものでしかないそれは同時に『もし失敗したら』という不安を大きくさせているという事に結標は気付かない。

寒空の下だというのに冷や汗が背筋を伝い流れた。

この時点で言うならば空間移動の成功率は八割ほど。
サイコロを振って六の目が出るよりも高い確率で演算に失敗する。

けれど演算の集中に入ろうとする直前、横から割って入った声があった。

「結標」

いつになく真摯な響きを感じさせる土御門の声に結標は彼に振り向かざるを得なかった。

土御門は真っ直ぐに結標を見ていた。
そして彼は、あろうことかトレードマークであるサングラスを外し。

「――すまない」

と、頭を下げるのだ。

「すまん……っ」

結標は絶句するしかなかった。



394:VIPにかわりましてNIPPERがお送りします:2011/07/30(土) 03:10:58.83 ID:Gi+o0YM/o

その言葉と行動にどれほどの思いが込められていただろうか。

今。この瞬間。
護送車に乗った少年少女達の命は結標が握っていると言っても過言ではない。
他の何を犠牲にしても守ると誓った相手の命を結標に預けるのにどれほどの葛藤と覚悟があっただろうか。

彼の事だ。他に幾らでも似たような手は打てただろう。
けれどそんな彼であるならどうして自分に頼らざるを得なかったのだろうか――と結標は思いを馳せる。

どうして自分なのか。
他の者ではどうして駄目なのか。

何故それが自分でないといけないのか――。

そして――ああそうか、と唐突に結標は気付くのだ。

「……やめてよね。らしくない」

きっとこういう時、こう返すのが一番いいのだろう。
彼の言うところの様式美という奴だ。

頭を垂れる土御門に、結標はどこか誤魔化すように手をぱたぱたと振った。

「持ちつ持たれつ、利用する時は利用して、っていうのが私たちの仲だったでしょ。おあいこじゃない」

そう。結局のところ両者の関係はそこだけでしかない。
けれどそれは一方的なものではない。

心の底から信頼しているはずがない。
けれど相手を信用していなければまして背中など任せられるはずがないのだ。

相互関係。釣り合いが取れてなければいけない。

超能力者、大能力者、無能力者、魔術師。
彼らは一見して優劣が付いているようでありながらも、確かに立場は同列だった。



395:VIPにかわりましてNIPPERがお送りします:2011/07/30(土) 03:16:35.75 ID:Gi+o0YM/o

「――――っ」

それでも土御門は顔を上げようとはしなかった。

「頼む……舞夏を……っ」

境遇も立場も異なる彼らだったが、おかしな事に目的だけは一致していた。

たったそれだけの共通点。
けれど奇妙な親近感を覚えるのだ。

同情や偽善は一切ない。彼らはどちらかというと悪党の部類で、英雄とは程遠い存在だ。
まして無償の正義感など存在するはずもなかった。

だからこそ背を任せられるのだ。
打算でしか相手を見られない者同士だからこそ同志と成り得た。

今この場にはその内の二人しかいないけれど。
きっと何かの間違いで自分が他の者、例えば土御門の立場だったら。
仮定の話は幾ら言っても仕方がない。既に過去は決定されていて歴史が変わることなど在り得ない。
それでも――多分彼と同じようにしただろうなと結標は思うのだ。

そんな二人を見て、金髪の少女はどこか寂しげに笑うだけだった。

結標は彼から視線を外し、天を仰いだ。

空は暗く、街は明るい。
雲は無い。星は、見えない。

「……、……」

深呼吸して夜の冷たく澄んだ空気を肺に吸い込む。
思考はいつになく冴え渡り、今なら能力上限を更新できるだろう事は間違いなかった。

腰に下げた警棒兼用の軍用ライトを引き抜きバトンのようにくるりと回し構える。

「――大丈夫よ、任せなさい。あなたが利用するに足ると認めた女よ?」

見据えた先は学園都市の『壁』。この街を取り囲む檻だろう。
そして結標は切っ先を突き付けるように懐中電灯の先端を向ける。

その瞬間には演算式を組み上げ終えていた。

「それに私だって――何があったって守り抜くと誓ったんだから」

境遇も立場も違えども、その思いの形はきっと同じだっただろう。



――――――――――――――――――――



396:VIPにかわりましてNIPPERがお送りします:2011/07/30(土) 03:26:27.36 ID:Gi+o0YM/o

「ところでさ」

「んー?」

「あの車、誰がここまで運転してきたんだ?」

「私に決まってんじゃん」

「オマエ、車の運転できたんだな」

「まーねー。伊達に超能力者やってないわよ」

「いやーそれにしても妹ちゃん可愛かったにゃー。オマエの妹とは思えないぜぃ」

「このロリコンめ……」



――――――――――――――――――――



400:VIPにかわりましてNIPPERがお送りします:2011/07/30(土) 23:48:59.81 ID:Gi+o0YM/o

「――さってと」

軽く体を解すように御坂は伸びをする。
一日中重いものを提げていたからか肩が凝ってしまった。
その疲労感は心地好いものだったが、だからといって疲労が消える訳ではない。

彼女が今いるのは公園だ。

とはいっても彼女のよく知るものではない。
その存在こそ知っていたものの言われて初めて意識する彼女の人生において背景だった場所。

場所は第七学区のほぼ中央。
ジョギングに訪れる運動部員もなく、まして小学生以下の子供のための遊具がある訳でもない。
小ぢんまりとした、どこにでもあるような緑地スペースとしての場所。

第七学区の中でも一等地に数えられるこの場所に単に美観目的などという名目で公園を拵えるのはどうにも理に適っていない。
いかに学園都市が広大だからと言ってもその数には限りがある。

学園都市の人口、二三〇万。

それだけの人数を抱えながらも世界一の先進都市としての機能を損なわず、
かつその名が示すように多くの教育・研究機関に十分な場を割き、十全にその機能を賄うには土地がいくらあっても足りない。

まして――市民の憩いの場とするには些か立地が悪過ぎた。

人気の無い寂れた公園。
恐らくこの場を日常的に意識する者など皆無に等しい。
都市の中心にありながらもさながら幽霊のように人々の意識から切り離されている。

この場に敷かれた仕掛けは『人払い』の魔術に近い。
凡愚のように安易にモスキート音を発生させている訳でもない。
行動心理学を始めとするあらゆる観点からこの公園は意図的にデッドスポットと化すように作られているのだ。
ただ辺りの地形や建造物、道路標識などを組み合わせ複雑な印象操作によって心理的に民衆から隔絶されている。
それだけで人は無意識の内にこの場所の事を意識しようとはせず、まして近寄ろうなどとは思わない。

けれど本屋などで市販されている地図に載ってないわけではない。別に存在そのものを隠されてはいないのだから。
だから極稀に酔狂な者がこの場所を訪れる事はあったが、それでも大抵の場合ベンチが一つだけぽつんと置かれた小さな公園の存在などすぐに忘却してしまう。
それでも頭の片隅に残るものがあるとすれば――今御坂が抱いている感想と同じようなものだろう。

何しろ風景が最悪だった。

公園内にたった一つとして設置されたベンチ。御坂が腰を下ろしているものだ。
そこに座れば誰だろうと意識せざるを得ないのだ。

天高く聳える真黒な建造物。
遠くから見れば影がそのまま立ち上がったかのような印象を覚えるそれが嫌でも目に入る。
まるでそれに見下ろされているような――見下されているような、ただ不快でしかない妙な重圧を感じさせられる。

その影色をした直方体をこの街の住人は『窓の無いビル』と呼ぶ。



401:VIPにかわりましてNIPPERがお送りします:2011/07/31(日) 00:41:53.51 ID:GHO7/xywo

「…………」

夜の闇に溶けるように、けれど何故だかはっきりと認識できるそれを御坂は暫く見上げていたが、やがて興味を失ったのか意識から除外した。

膝の上に抱えた大きなクーラーボックス。
強力な冷蔵機能を持ち内部を設定した温度に保つ高価なものだ。
ジュースや冷凍食品を入れておくこともできるが――どちらかと言えばそういう使い方をする者は少ない。
多くは研究目的として細菌やバクテリア、諸々の医薬品などの保管や運搬にも用いられる。

その中には――用途を鑑みれば当然なのだが――例えば事故で指を切断してしまった場合など、
生体部品の鮮度を保つために収納されるというケースも存在する。

だからこのクーラーボックスの中に、白井が初めに想像したようなものが入っていなくてもおかしくはないのだ。

御坂はこれ本来の使い方に忠実であったと言ってもいい。

「……ふふ」

小さく笑みを零し御坂はクーラーボックスの淵を愛おしむように指でなぞる。
蓋を開けたりはしない。そうすれば内部の冷気は外に流れ出てしまう。
それに、別にそんな事をしなくても彼女は今のままで充分だった。

彼女は今朝未明からずっと、片時たりとも手放そうとしなかった。

一日中。

ずっと。

彼女は満たされていた。
たとえ箱の外枠に隔てられていようとも一緒にいられる。
別離を恐怖しなくてもいい。これからもずっと一緒にいられる。

ただ――少々物足りなくはあるのだ。
満たされていると感じながらもその内に僅かな気泡があるような、そんな空隙を感じる。
その正体が何か。考えずとも分かる。今や二人を引き裂くものはこのクーラーボックスだけなのだから。



402:VIPにかわりましてNIPPERがお送りします:2011/07/31(日) 01:29:49.08 ID:GHO7/xywo

「――お姉様」

呼ばれ、御坂は顔を上げる。
二人きりの時間を邪魔されたが不思議と腹は立たなかった。

「お待たせしました」

いつの間に現れたのか。
御坂のすぐ眼前に現れた白井は小さく一礼する。

気配無く立つその姿はさながら幽鬼のよう。
どろりと濁った目は普段の彼女を知る者からしてみれば異常以外の何物でもなかっただろう。

けれど彼女の事を最も知っているであろう御坂は委細構わず、白井の顔を見て破顔した。

「ごめんねー黒子。持ってきてくれた?」

「……はい」

握った手を差し出され、御坂もまた平を上にして手を伸ばす。

白井の細い指の間から零れ落ちたのは――銀色のコインが何枚か。
ゲームセンターで用いられる安っぽい合金製のメダルだ。

「ありがと」

柔らかな笑顔を向け御坂は受け取ったコインを、学ランの下、ブレザーのポケットに無造作に突っ込む。

「やっぱりこれ、いつも少しくらいは持っておかないと駄目ね」

「…………」

何に使うのかと今さらとやかく聞くまでもない。
それに――この後の事を考えれば。備えておくに越したことはない。

「はいこれ」

入れ違いに渡された折り畳まれたメモ用紙。
それを受け取り白井は無言で開いた。

中には走り書きのような筆で数字と記号の羅列がいっぱいに描かれている。
少しでも教養のある者ならばそれが何かの計算式であろう事は容易に想像がつくだろう。
だが――それが何を指しているのかまでは分からない。

この街でも数えるほどしかいない、極限られた分野に精通する者のみが使う数式。
それは暗号文にも等しい。外国の言葉などそれを知らぬ者には何を示しているのか分かるはずもないのだから。



403:VIPにかわりましてNIPPERがお送りします:2011/07/31(日) 02:20:03.95 ID:GHO7/xywo

「――これがあのビルへの経路を示すものだとすれば、随分と簡単ですわね」

「そうなの?」

御坂にはそれがどういうものだったのか分からない。
如何に彼女が年並外れた才女だったとしてもまともな科学では推し量る事すらできない分野だ。
当然、それは至極まともでない分野のものだ。

十一次元空間と呼ばれる認識不可能な高次元を現す計算式。
二次元、三次元までは認識できる。けれど四次元空間、本来世界があるべき座だとしても、それを正しく理解する事ができるものすらそういない。
十一次元ともなればまともな思考では及びも付かない。まして観測するなど、どだい不可能でしかないのだ。

けれど白井は――白井の『自分だけの現実』は遥か高みにある事象を観測する。
正確には『十一次元座標を用い三次元空間の制約を無視して移動する事が出来る自分』を観測しているのだが、結果として大差はない。

「別に結標でなくとも、わたくしにもこれくらい造作も無いことですの。
 精々が大能力者――自分を移動できるほどの空間移動能力者ならこの程度は初歩の初歩に過ぎませんし」

「ふーん」

然程興味のない様子で御坂は適当に相槌を返す。
彼女は白井と会話をしながらもどこか上の空だった。

「それはまあ、いいんだけどさ。黒子ができるっていうならそれでいいし」

でもちょっと困ったなあ、と御坂は首を捻る。
今さら言うまでもない事なのだが。

「空間移動――能力を使わないと無理なのよねぇ……」

「……」

「当麻を置いていかないといけないのかな、やっぱり」

白井とて何度かそれを目にしているし、実際に自分も体験した。

上条当麻――正確には彼の右手にはあらゆる能力が効かない。
白井の『空間移動』もまた然りだ。既に二度、白井は彼に能力が効かない事で歯痒い思いをしている。

御坂があの『窓のないビル』に行くと言うのならば。
当然、彼女の膝の上にあるクーラーボックスは置いていかなければならないだろう。
まさかここに放置する訳にもいかない。となれば白井に預けるのが良策なのだが――。

別に御坂は白井を信用していない訳ではない。
                       、 、 、 、 、 、 、 、 、 、 、 、 、
彼女は間違いなく大切な存在だし、そんな事をすればどうなるかが分からないほど愚かでもない。

ただ純粋に――離れたくないと思うだけなのだ。



404:VIPにかわりましてNIPPERがお送りします:2011/07/31(日) 02:49:03.45 ID:GHO7/xywo

御坂は二度と離れたくないと思うのだ。

逢瀬の最後に恋人が別れを惜しむのとはまた別の意味がある。

御坂美琴という少女は常に置いていかれる存在だ。
禁書目録の少女と似て非なるもの。彼女は常に蚊帳の外だった。

八月三十一日。
九月一日。
九月八日。
九月十九日。
九月三十日。
一〇月三日。
そして数日前。

二週間と間を置かない、頻繁に起こる事件の数々。
御坂はその中心まであと一歩の所にいながらもついに物語の核には触れられない。
僅かに及ばない。まるで世界がそれを拒むかのように。

そして――世界の中心には常にあの少年がいた。

物語における主人公とはそもそういう存在であり、世界の構造としては極ありふれている。

しかし。
彼が主人公の物語において御坂美琴とはどのような役だったのだろうか。

脇役と称すにはあまりに重要で、かといって助演と称すほどでもない。
酷く曖昧な場所でただ見ているだけしかできない存在。

どれほど努力しても本当に願うものには届かない。
まるで世界がそういう風に出来ているとしか思えない。

だからこそ――主人公不在のこの世界は不安定で、定まった視点を持つ事ができない。

……、……。

ともあれ、御坂は今までずっと叶わなかった願いがようやく成就し――それがどのような形だとしても――そして二度と手放したくないと思うのだ。
そうすれば今度こそ二度と会えないような気がして。

「どうしたもんかなあ……」

心底困った様子で御坂は眉を顰め呻くのだ。

大きなクーラーボックスを膝に抱えたまま。



405:VIPにかわりましてNIPPERがお送りします:2011/07/31(日) 03:20:26.18 ID:GHO7/xywo

二律背反による停止を終わらせたのは振動だった。

「ん……?」

ブレザーのポケットの中、携帯電話が着信を告げていた。

マナーモードに切り替えているため音は鳴らない。
昼過ぎまで面倒な相手から頻繁に着信があったために切り替えていたのがそのままだった。
その後、ぱったりと途絶えてしまって清々していたのだが。

既に深夜。
この時間に電話を掛けるような者はそういない。

けれど――直感があった。

それが正しかった事を証明するように、取り出した携帯電話のディスプレイには電話帳に登録している名が表示されている。



――――『上条当麻』



やっぱり、と御坂は思うのだ。

本来在り得ない事だった。
何故ならその番号を持つ電話回線は羽織った学ランのポケットの中で壊れたままだ。

だが御坂は何の躊躇いもなく通話ボタンを押し携帯電話を耳に当てる。
そして普段のままの口調で応えるのだ。

「――――もしもーし」

この番号と、そしてこのタイミング。

相手など一人しかいない。

『こんばんは、『超電磁砲』。説明は必要かね』

「ううん、別にー。ただこの番号から掛けてくるのはちょっとやりすぎよね」



406:VIPにかわりましてNIPPERがお送りします:2011/07/31(日) 03:42:35.82 ID:GHO7/xywo

『そうかい。悪い事をしたかな』

「だから別にって言ってるでしょ。……それで用件は何?」

『君が少し困っているようだったのでね。少し助言をしようかと思ったのだよ』

「ん……?」

『悩まずとも一緒に来ればいい。歓迎しよう』

「一緒にって、アンタ」
              、 、 、 、 、 、 、 、 、 、 、 、 、 、
『何も問題ないとも。それはそういう風に出来ている』

「……なーんだぁ」

それまでの表情が嘘のように御坂はぱっと顔を綻ばせた。

「それならそうと早く言ってよね。心配するだけ損だったじゃない」

『いや、君のそういう表情もまたいいものだ。
 恋する乙女の面持ちだ。実にいじらしい』

「覗きなんて悪趣味ね」

『怒ったかね』

「いいわよ。助言とやらでチャラにしてあげる」

『それは有り難い』

そんな相手の言葉がどうにも可笑しくて、御坂はくすくすと笑ってしまう。

電話の相手と談笑する御坂に白井は訝しげな視線を向け尋ねる。

「お姉様、いったいどなたと――」

「――――」

御坂は目尻を下げたまま問いには答えない。
けれど電話を持つのとは逆の手の人差し指を立て口元に沿える。

そしてそのまま指を前方へ向ける。

指の先は夜闇に浮かぶ漆黒のビルに向けられていた。



407:VIPにかわりましてNIPPERがお送りします:2011/07/31(日) 04:13:35.89 ID:GHO7/xywo

「何よ。そっちから歓迎してくれるなら最初からそう言ってくれればいいのに」

『そう言わないで欲しい。面倒な手続きが必要なのだよ、何事にも。
 君がここへ至るまでの道程は必要なものだったし、そうでなければ私もこうして君と電話で会話することもなかっただろう』

「よく言うわ……黒子」

携帯電話を耳に当てたまま、もう片方の手でクーラーボックスの肩紐を持ち上げ、御坂は立ち上がった。

「このままでいいってさ」

彼女の言葉に白井は眉を顰めるのだが、それでも無言で頷いた。
電話の相手が嘘を言う必要はないし、例え嘘だったとしても能力が不発するだけだ。

「……わたくしはここでお待ちしております。ご用が済みましたらお呼びください」

「うん。分かった」

白井はゆっくりと――恐る恐る手を伸ばし、御坂の胸元に触れる。

……恐らくこれが最後のチャンスだろう。
全てを信じ切っていて最も無防備なこの瞬間、彼女を殺すなら今しかない。

けれど白井は頭の片隅でそんな事を思いながら自嘲を返すのだ。
そんな域は既に通り越している。あるのは達観とどこか機械的な思考だけだ。

白井は彼女にとってきっと大事な存在だが、それはもう異質なものとなってしまっている。
必要ならば死ねと言われる存在。慣れ親しんだ道具に愛着を感じるようなものでしかない。

けれど白井はそれでいいと思ってしまうのだ。
彼女の中で価値観のベクトルががらりと変わってしまったとしても、それは間違いなく自分を向いている。
白井の目は殉教徒のそれだ。盲目的な思考停止を自覚しながらも開き直りにも似た充足感を得ている。

だから白井は目を伏せこう言うだけだった。

「――いってらっしゃいませ、お姉様。
 月並みですが、ご武運をお祈りしております」



408:VIPにかわりましてNIPPERがお送りします:2011/07/31(日) 04:16:29.13 ID:GHO7/xywo

そして、御坂美琴の見る世界は切り替わる。

慣れ親しんだ独特の浮遊感と世界が裏返しにひっくり返ったような錯覚の後。
ちかちかと目の裏側が瞬いたような気がして顔を顰め。

「…………」
              、 、
ゆっくりと顔を上げるとそれと目が合った。





「初めまして、『超電磁砲』――超能力者第三位、御坂美琴」

「こんばんは。統括理事長、アレイスター=クロウリー」




                            、、
巨大な試験管の中で逆しまにたゆたう存在がにぃと笑った。



419:VIPにかわりましてNIPPERがお送りします:2011/08/02(火) 21:32:06.67 ID:o6MpkXmpo

それは、一言で言うならば奇妙な存在だった。

緑色の手術衣を身に纏い、腰まで届くような銀色の長い髪は容器の中の液体に揺れながら広がっている。
可笑しな表現の仕方だが、重力が今感じているままに働いているのならば――それは落下するかのように上下逆さに容器に満たされた液体の中に浮いていた。

男性のようにも女性のようにも、子供のようにも老人のようにも、聖人のようにも罪人のようにも見えるちぐはぐな印象を与える。
     、 、
だからそれを正しく表現する言葉は固有名詞以外に存在しないのだが――ここでは代名詞として『彼』と呼ばせて貰おう。

彼は統括理事長、アレイスター=クロウリー。

学園都市という大規模コロニーを表裏共に牛耳る唯一の存在であり。
そして総ての発端――と称しても構わないだろう。

彼が何故、また如何様にして途方もない規模の計画を考案し、狂いを正し、時には不確定要素までをも取り込み、今まで推し進めていたのか。
この時点、あるいはこれから先も御坂は知る由もないのだが、彼女が彼に抱いている印象は全く間違ってなどいなかった。

学園都市に関わる有象無象総ての事件、一般的には事故と考えられているようなものまで。
                                            、 、 、 、 、 、 、
些細なものから重要なものまで、およそ出来事と一言に括れるそれらをそうあるように仕組んだ存在。

神の見えざる手というものが実在するのであれば、即ちこれこういうものを指すのだろう。

黒幕。

あるいは元凶。

アレイスター=クロウリーとは終始一貫そういう存在である。

「ようこそ、御坂美琴。私が招き入れたのではない此処に訪れる者は君が君が始めてだ」

「よく言うわ」

くすくすと笑う御坂にアレイスターは達観したような嗤いを浮かべ彼女を見上げ――あるいは見下ろす。

「とりあえず掛けたまえ。立ち話では疲れるだろう」

そう言って彼は視線を逸らし御坂の脇を目で示す。
ふとそちらを向けば、いつのまにかそこには椅子が用意されていた。
合板とパイプでできた、教室に生徒の数だけ並べられているよくあるタイプのものだ。

直前まで御坂は椅子の存在を知覚できていなかった。
まるで映画のフィルムが切り替わるように、突如湧いて出たとしか思えない。
けれど御坂は、にこりと彼に笑顔を返すと何の疑いも持たず椅子に腰掛け、携えたクーラーボックスを膝の上に置いた。



421:VIPにかわりましてNIPPERがお送りします:2011/08/02(火) 23:30:44.15 ID:o6MpkXmpo

「それで――私に何の用かね」

巨大な水槽に満たされた正体不明の液体に浮かぶ彼の口から直接聞こえたものではない。
海獣でもあるまいし、人が水中で喋る事などどだい不可能なのだ。
けれど彼の声は、不思議とはっきりと聞こえた。
頭の中に直接響くような声。もちろん比喩表現ではあるが、どこから声が聞こえたのかが分からない。
適当に、液中の振動を読み取って音声変換し見えない位置から指向性を持たせた空気振動を直接耳に打ち込んでいるのだろうなどと納得しておく。

「結標淡希は君にとって然程重要な存在ではないだろう。
 それを、危険を冒し助けてまで手に入れた私との直接対話だ。君は私に何の用があるのだね?」

「んー、用っていうか確認作業? みたいな」

小首を傾げ御坂は華やぐような笑顔を絶やさぬまま続ける。

「アンタなら知ってるでしょ。昨日、戦ってたのは誰?」

「第一位『一方通行』と第二位『未元物質』だよ」

事も無げに、まるで天気の話でもするかのように彼は即答する。

「土御門元春からそう聞いていないのかね、第三位」

「あの金髪サングラス? だってあれ、平気で嘘吐きそうじゃない」

「まったく、君の直感は正しいよ。
 そうとも。あれは信用に値しない。呼吸をするように虚実を騙る天性の詐欺師だ」

「それはアンタも似たようなもんでしょ」

「ふむ。確かに君の言う通りだ」

くつくつと彼は可笑しそうに嗤う。

「しかし今君に返した私の答えに虚言は一切含まれていない。
 ――『あのビルを破壊し瓦礫を落下させ上条当麻を死に追いやったのはこの両者である』。これは間違いなく、厳然たる事実だ」



422:VIPにかわりましてNIPPERがお送りします:2011/08/03(水) 00:01:53.74 ID:9ka6Vbc4o

「そ」

「わざわざ私にまで確認を取りに来たにしては随分と興味がなさそうではあるね」

「んー……まあ、そうかな」

どこか曖昧な返事を返しながら御坂はアレイスターから視線を逸らし空中へ向ける。
何かを思い出そうとするように。

「第二位……垣根帝督、だっけ? じゃあ別にいいか」

「いい? 何がかね?」

「だって、当麻を殺したのが例えば黒子だったりとかしたら、私はあの子と一緒にいれないじゃない」

華やかな、見様によっては凄惨な笑みを顔面に貼り付けたまま御坂はそう答えた。

「さすがに自分の彼氏殺した相手となんか仲良くお喋りしたくないしね」

「……それだけかね」

「うん。まあこっちはついでみたいなもんなんだけど」

「ほう……?」

お互い形は異なるが性質は同じような笑みが交差する。

「アンタ、さっき言ったわよね――そういう風に出来ている、って」

無意識に指でクーラーボックスの淵をなぞり御坂は続ける。

「あれどういう意味?」

「そのままの意味だよ、『超電磁砲』、御坂美琴」

そう言うと彼は目を伏せ、詩吟するように語り始めた。

「君を例えにしようか。御坂美琴、『超電磁砲』。『超電磁砲』と呼ばれる君をだ。
 御坂美琴の持つ異能は『超電磁砲』と呼ばれ、そして御坂美琴もまた『超電磁砲』と呼ばれる。
 その名が指すものは君の持つ異能なのか、それとも君自身なのか。考えてみた事はあるかね?」



423:VIPにかわりましてNIPPERがお送りします:2011/08/03(水) 00:36:51.75 ID:9ka6Vbc4o

「私は御坂美琴よ。それ以外の何者でもないわ」

「そう。確かに君は御坂美琴だ。君を指す名はそれ一つだけ。
 だが――『超電磁砲』とは何か。『超電磁砲』の主体はどこにある。能力なのか、それとも御坂美琴なのか」

「アンタと禅問答をするつもりはないわよ。そういうのは哲学者気取りの連中とでもすればいいわ」

「君が訊いてきたのだ。付き合いたまえよ」

「…………」

それももっともだ、と御坂は納得し、そして暫く沈黙する。

『超電磁砲』。発電能力の頂点。序列第三位の異能。
それは御坂美琴という少女のみに扱える、謂わば才能だろう。

似た性質のものは数多あれど、彼女が他者のそれを観測する術を持たない以上、
そして他者もまた彼女のそれを観測できない以上、『超電磁砲』という現象は唯一にして絶対だ。

故に一括りに纏められている能力は本来それぞれに固有名詞が与えられるべきである。
ただ有象無象のそれら全てに逐一名付けてなどいられないので総称、分類として『発電能力』や『発火能力』などの名が割り振られているだけである。

マッチの火もライターの火もガスコンロの火も、同じ『火』として扱われる。
結果として起きる現象に大差はないのだから見た目には変わらない。

彼ら彼女らの持つ能力に贋作などありえない。
全てがオリジナル――模倣などできるはずもなく、たまたま同じ結果が出ただけに過ぎない。

「そうねえ……そう考えてみると、『超電磁砲』っていうのは私の能力を指すって事すらおかしくなるわ。
 『超電磁砲』って言葉は、私だけの現実を指すものよ。
 ――『御坂美琴のみが観測し得る御坂美琴だけの現実』。他の誰でもなく、私だけの世界。
 だから主体は私。能力は起きた結果に過ぎない。『超電磁砲』は私を指す代名詞」

「素晴らしい。実に模範的な解答だ」

「それって褒めてるの?」

「褒めているとも。君は実に優秀な学生のようだ。
 ……さて、ここで君の問いに戻ろう。即ち『幻想殺し』――上条当麻についてだ」

そして数瞬だけ間を置いて、彼、アレイスター=クロウリーは僅かに目を細めて言った。


                          、 、 、 、 、 、 、 、 、 、 、
「結論から言ってしまおう。『幻想殺し』は上条当麻の能力ではない」



424:VIPにかわりましてNIPPERがお送りします:2011/08/03(水) 01:08:01.71 ID:9ka6Vbc4o

「……どういう意味よ」

「彼にとっての『幻想殺し』は君にとっての『超電磁砲』とは少々性質が異なるという意味だよ。
 そういう風に出来ている――と言っただろう? だから彼の右手は、君と一緒にこのビルに『空間移動』によって入る事ができた」

「いまいちよく分かんないんだけど」

「ふむ……では順を追って説明しようか」

彼はゆるりと両手を動かし胸の前で組むと、まるで出来の悪い教え子を諭す教師のように僅かに顔を顰め嗤った。

「上条当麻という名の少年は自分だけの現実を持っていない。
 何しろ彼は能力開発を受ける前からその力を持っていたのだからね」

「原石……って事?」

学園都市の学生は皆須らく能力開発を受けている。
それは薬物だったり催眠だったり、あるいはもっと別の何かだったりするが、目的は常に同じところを向いている。

『自分だけの現実』と呼ばれる事象の観測。
御坂の言うところの『超電磁砲』を認識するために人為的に人格、あるいは精神を破戒するというものだ。

人という種はこの惑星で唯一の知的生命体である――と、少なくとも現在のところはそう認識されている。
――そういう世界だ、と人は定義している。

定義、である。

世界の法則、もしくは在り様。

世界とはこういう風に出来ていると人は知らず知らずに定義する。

こう考えてみるといい。ある者には林檎が赤く見えるが、しかしある者には林檎が青く見える。またあるものには黒く見え、ある者には白く見える。
しかしそれらは飽くまで主観だ。客観、共通認識として『林檎とは赤いものである』とされる。
だから彼らが見る赤や青や黒や白は、総じて赤という名称が割り振られる。
認識は違えども『その色 』の名は赤なのだ。

世界はそのように定義付けられてゆく。

別の言い方をすれば――世界は定義の数だけ狭められ、自由性がなくなる。

林檎とは赤いものであり、青くも黒くも白くもない。
これが世界の法則である。

だが能力開発は世界法則を捻じ曲げるために存在する。



426:VIPにかわりましてNIPPERがお送りします:2011/08/03(水) 01:41:26.49 ID:9ka6Vbc4o

端的に言えば、能力開発を受けた者には『林檎は青いものだ』と認識できるようになる。
正確には『林檎は青いものかもしれない』という確信に近い疑問を持たせる事ができる、と表現した方が正しいだろうか。
             、 、 、 、 、 、 、 、 、
林檎は赤いものだと決め付けられている世界の中で。
新たに林檎は青いものだと定義し、かく在る世界を観測する事ができる。

普通、常識的に考えればそのような者は狂人以外の何者でもない。
だが――少なくとも学園都市においては――彼らは狂人ではなく能力者と呼ばれる。

学園都市という外界から区切られた箱庭の中では『林檎の色は赤だけではないかもしれない』と定義されている。
それが共通認識であり常識であり世界法則だ。

そうして観測された『林檎が青い世界』が新たに誕生し、この街を基点に現実を捻じ曲げ変質させる。

能力開発とは、人格、精神、価値観、認識、常識、発想、思考、歴史、そういうありとあらゆる世界の枠組みを破戒するためにある。

例えば御坂美琴という名の少女は『自分が電気を操り電子を操作できるかもしれない』と疑問に思った。
そしてそれを現実のものとして認識してしまった。
だから彼女の世界では御坂美琴は電気を操り電子を操作できる。そういう世界なのだから。

例えば白井黒子という名の少女は『自分が十一次元空間を移動できるかもしれない』と疑問に思った。
そしてそれを現実のものとして認識してしまった。
だから彼女の世界では白井黒子は十一次元空間を移動できる。そういう世界なのだから。

例えば麦野沈利という名の少女は『自分が電子を粒子と波動の中間の曖昧なままに固定し操作できるかもしれない』と疑問に思った。
そしてそれを現実のものとして認識してしまった。
だから彼女の世界では麦野沈利は電子を粒子と波動の中間の曖昧なままに固定し操作できる。そういう世界なのだから。

例えば垣根帝督という名の少年は『自分が未だ発見されていない未知の素粒子を自由に生成し操作できるかもしれない』と疑問に思った。
そしてそれを現実のものとして認識してしまった。
だから彼の世界では垣根帝督は未だ発見されていない未知の素粒子を自由に生成し操作できる。そういう世界なのだから。

そう、常識のフィルターを取り払われれば世界は隙間だらけの欠陥品でしかない。

世界はかくも簡単に変質する。

これは何も能力開発、学園都市に限ったことではない。
極稀に能力開発も受けず学園都市にもなく『林檎は青い』と言い張る者がいる。

普通なら一笑にされて然るべきであろう妄言が、しかし他者の認識にまで侵食したら。

彼の言う事は正しいと認めてしまったら。

その時、林檎は青いものととなる。

そういう奇跡に等しい所業を行った者、ないし狂人の事をこの街では区別して『原石』と呼称する。



427:VIPにかわりましてNIPPERがお送りします:2011/08/03(水) 02:19:12.03 ID:9ka6Vbc4o

「それくらいは今さら言われるまでもなく知ってるわよ」

不満そうに言う御坂にアレイスターは小さく頷いた。

「しかし、だからこそ彼の事を指して原石とは呼べない」

「どうして?」

「では訊くが、彼の能力――と君が思っているものは、一体どのようなものかね」

「そりゃあ、私の『超電磁砲』だろうがあの『一方通行』だろうが、ありとあらゆる異能を問答無用で――、っ!」

言葉に詰まった。
改めて能力の定義を再確認し、口にすることで漸く気付いた。

「理解したかね。それは単体では何ら機能せず、他に依存するものだ。であるならば、異能がなければ観測のしようもない。
 さながら暗黒物質。比較対象が存在することでようやく、しかし間接的に観測可能な事象に他ならない。
 故に異能が『事実として存在しない世界』では『幻想殺し』の証明は、まず他の異能を証明しなければならない。
 だが、学園都市に来る以前の彼の周囲に他の能力者、あるいは原石、はたまた未知の異能を扱う者はいない。
 だから彼は、『どのような異能であろうとも触れる事で打ち消す可能性』など観測しているはずがないのだよ。
 証明としてはこんなところでどうだろうか、第三位、『超電磁砲』、御坂美琴」

クーラーボックスに掛ける指に力が込められ指先が白くなる。

御坂は上条当麻という少年を愛してはいるが。
けれど『超電磁砲』からしてみれば彼は宿敵――否、天敵でしかない。



「――結論、『幻想殺し』とは異能ではなく上条当麻の持つ性質であり、上条当麻自身を指す言葉である」



「…………それじゃあ『幻想殺し』っていうのは」

「そうだとも。林檎は青くも黒くも白くもなく、赤いものだという普遍世界の観測者。
 君らの抱いた幻想を下らない妄言だと一蹴する存在。彼こそが共通認識であり、世界の中心だ。
 言い換えれば駄々を捏ねる子に説教をするようなものかね。あるいは、言っても聞かぬ者ならば――」

「殴って分からせるしかない……」

「然り。飲み込みが早い生徒だな、君は」

そして、だからこそ。

「彼の右手がそれ単体で機能するはずもないだろう?
 世界の観測者、基準点がなければ比較ができない。だから私は言ったのだよ。何も問題はないと」



428:VIPにかわりましてNIPPERがお送りします:2011/08/03(水) 03:12:53.21 ID:9ka6Vbc4o

……もちろん、『林檎が青い』という単一の常識は人全てが持つ共通認識を塗り替えるほどの浸透力は持たない。
既に『林檎が赤い』という世界が成立している以上、それに打ち勝つには全人類が皆等しく『林檎は青い』と認識しなければならない。
精々が周囲の認識を汚染する程度に留まる。

だが、言うなれば上条当麻という少年は決して他に汚染されない存在だ。
絶対普遍の現実を持ち、それが世界の共通認識と何一つ変わらないからこそ、変わりようがない者。
究極に自己中心的とも言えるだろうか。

人格、精神、価値観、認識、常識、発想、思考、歴史、そういうものを植え付けられた少女達とは正反対の存在。

たとえ記憶を失おうとも、世界がそうして存在する以上何一つ変われない。

もしかすると、この世界そのものですら彼の観測している現実なのかもしれないのだが――。

「……そっかぁ」

小さく、けれど晴々とした笑顔で御坂は破顔した。

「じゃあ――確かにアンタの言うように何も問題ない訳だ」

「ふむ?」

アレイスターもまた、疑問の声を発しながらも目を細め全てを達観するように微笑する。

「アンタの『プラン』ってさ――私や当麻も含まれてるのよね?」

「まったく、誰からそれを聞いたのか……君のネットワークも中々侮れないな」

「肯定と受け止めておくわ」

「構わないとも」

『滞空回線』と呼ばれるナノマシンで構築されたネットワークはその機能を停止している。
一人の少女の世界を壊すほどの現実に押し潰された、学園都市第三位に数えられる能力の暴走状態によって、さながら粉塵爆発のように連鎖的に破壊されている。
それでも彼の目が失われた訳ではないのは前述の通りである。
如何様な手段か彼は御坂らの行動を把握している。『滞空回線』は彼の持つ手段の一つに過ぎず、代替など幾らでもある。

だから深夜の病院の敷地内で交わされた会話の内容など、彼が知らぬはずもないのだ。

「じゃあさ――『幻想殺し』にいなくなられちゃ、アンタすっごい困るわよねえ――」

あの時。御坂が初めて人を殺し、元の自分とすっかり変わってしまった事を自覚した直後。
彼女は愛する少年の姿をしたものに唆された。

まるで悪魔の誘惑。けれど対価は魂ではない。
どうでもいいようなものを要求された破格の取引だった。

果たして悪魔は彼か、それとも彼女か、あるいは眼前で容器に浮かぶ存在か。

そして御坂美琴は、にこやかに笑い言った。



429:VIPにかわりましてNIPPERがお送りします:2011/08/03(水) 03:13:58.26 ID:9ka6Vbc4o

「――私が代わりに『幻想殺し』になるっていうのはどう?」



441:VIPにかわりましてNIPPERがお送りします:2011/08/08(月) 23:11:27.66 ID:9nvC4zxVo

「――ほう?」

御坂の言葉にアレイスターは片目を僅かに歪め可笑しそうに口の端を吊り下げる。

「一体どうして君がそんな事を思うようになったのか、大方見当はつくが――」

「大方も何も、全部分かってて言ってるでしょ」

そう言い返されるが、アレイスターは何も答えずただ御坂に笑みを向けるだけだった。

「君は、君自身の言葉の意味が分かっているのかね。 私の『プラン』、上条当麻の代役となる、その意味が。
 彼は常々己の境遇を不幸だと嘆いていたが――君が彼の代役となるのであれば、それは彼の不幸を背負うのと同義だ」

「そんな事どうだっていいわ」

予め用意しておいた言葉を消費し。

「私にとって大事なのは一つだけよ」

一言付け加え、御坂は彼に向けていた視線を下げ、自分の手元、膝の上を見る。

クーラーボックス。

正確には、その外枠に遮られ視認できない内部へと。

「幸福も不幸も、いらない。どうだっていい」

膝の上に置いたそれをまるで抱き締めるように両手で抱え、御坂は目を伏せるのだ。

「私はただ、当麻と一緒にいたいだけなの」



442:VIPにかわりましてNIPPERがお送りします:2011/08/09(火) 00:02:33.02 ID:FUVeioNdo

そして短い沈黙の後。

ほんの少しの願いを込めて――けれどそれが決して叶わぬ事を理解しながらも願わずにはいられず――御坂はゆっくりと目を開く。

しかし抱えるのは相変わらず硬い感触の塊だし、巨大な試験管の中では長い銀髪が揺れながら嗤っている。
彼女だけに都合のいい夢のような世界など在り得ない。

死んだ者は生き返らないし。

世界は何一つ変わらない。

そんな事は分かっている。過去は変わらず、未来は分からない。
未来を知る術などなく、未だ来ぬために観測されない事象は曖昧模糊として、予想する事ですら下らないだろう。
だから、今に生きる者はその刹那を変えようと躍起になるのだ。

刹那主義であればよい。
過去も未来も知らないし、要らない。

今この瞬間こそが全て。



――汝の欲する所を為せ、それが汝の法とならん。



「私が望むものはそれだけ。たったそれだけなの。
 そのためになら悪魔にだって魂を売ってやるわ」

そう言ってから御坂は、ああ自分はやっぱり壊れているんだなと改めて思う。

狂気の沙汰――ではない。狂人の思考は誰にも理解されないし、何より自身が理解していない。
けれど御坂は、自ら声に出した言葉を耳にして、まともな思考ではないと思うのだ。

どのようにしてこのような考えに至ったのか、それは御坂自身が一番よく知っている。
それを鑑みても、やっぱり壊れているという感想しか持たないのだが。

だが、けれど、自分が壊乱している自覚を持っていたところで何も変わらない。
それは例えば、あるいは彼への恋心に気付いた時と同じように。
表面上の些細な変化はあるものの、本質的なところは何一つ変わらない。
            と う ま
「だから――私が『幻想殺し』になるの。
 そうすればいつだってずっと、一緒にいられるでしょう?」

そう言って御坂はにこやかに、凄惨な笑顔を浮かべるのだった。



445:VIPにかわりましてNIPPERがお送りします:2011/08/09(火) 01:17:21.35 ID:FUVeioNdo

「だがね、『超電磁砲』」

とアレイスターは言い、嗤い顔を崩さぬまま御坂を俯瞰する。

「君が『幻想殺し』になると言い張ったところで、私は別にそれがいようといまいと大して変わらないのだよ」

「でも、いないよりはいた方がいいでしょ?」

「そうとも。確かに私の『プラン』に於いてそれは欠けさせられない重要な位置にある。
 が――だからと言って替えが利かぬという訳でもない。単純に言えばね、『超電磁砲』。労力に見合わないのだ」

軌道修正もこれで中々骨の折れる仕事なのだよとアレイスターは嘯く。

「しかし、君には幾つか借りがある。一方通行、『妹達』、そして言うまでもなく件の『幻想殺し』も。
 君の存在無くしてはここまで『プラン』を進める事もできなかっただろう。感謝するよ、『超電磁砲』。
 だから――いようといまいと大して変わらないし、君はどうあろうと『超電磁砲』でしかないのだから――」

そこでアレイスターは一度言葉を切り、矢張り嗤うのだ。

「ここで君の望みを聞き入れたとしても大して変わらない。」

御坂を逆しまに観望しながら。

見下ろすように――見下すように。

「ただ――それだけでは些か面白くない」

「そこが判断基準な訳?」

「無論だとも。面白くない物語など塵芥も同然だ。唾棄すべき存在でしかない。
 私の描いた筋書きは果たして面白いのかと問われれば沈黙せざるを得ないのだがね。
 だから私は君に――大して意味のない問いを投げよう。面白くもない、下らない問いを」



446:VIPにかわりましてNIPPERがお送りします:2011/08/09(火) 02:23:38.17 ID:FUVeioNdo

例えば過去も、そして未来も確定しているのだとしたら。
現在の選択など大して意味がない。

犯人もトリックも割れている推理小説など読んだところで面白くもない。
予定調和、筋書きに沿ったままの物語など下らない。

だから現在、この場の彼の問いは、彼なりの諧謔だ。

「舞台の奈落、学園都市の暗部に身を墜とした者は皆何かしら奪われている。
 それは自由だったり尊厳だったり金銭だったり人生だったりと様々だ。
 が、君は奪われていない。何一つ失ってなどいない。そうでないと言うのであれば君はどうして笑っていられるのだ」

それもそうね、と御坂は妙に納得してしまった。
彼女は失ってもいなければ奪われてもいない。

たった一つを残して全てを失ったのも全てを奪われたのも、彼だ。

「だから『超電磁砲』、御坂美琴」

「私に通行料を払え……って事?」

然り、とアレイスターは頷く。

「そう。言うなれば六文銭、彼岸と此岸を繋ぐ渡しの船賃だ。
 まさか代償もなしに只で望みが叶うはずもないだろう。
 先程君も言ったが、例え相手が悪魔であろうと対価を必要とするという点は同じだ」

「私に魂を寄越せって? でもそれは――」

「無理な話、だ。君の魂はもう、彼に捧げてしまったのだから。
 別に何でも構わないとも。私は君に対して何かを望んでいる訳でもない。
 これは他ならぬ君への儀礼に過ぎない。相応の対価を支払わねば君自身が納得できないだろう」



447:VIPにかわりましてNIPPERがお送りします:2011/08/09(火) 02:46:38.68 ID:FUVeioNdo

「別にそういう事もないと思うけど」

「そういう事にしておきたまえ」

「…………」

そして暫くの黙考の後。

「そうね。でも今の私には、アンタにあげられるものなんてほとんど残ってないわ」

御坂は立ち上がり、少し躊躇って椅子の上にクーラーボックスを置くと。

「あるのは精々この体くらい」

「……ほう」

言って、羽織った黒の学ランを脱ぎ、クーラーボックスに覆い被せる。
そのままブレザーのボタンを外し、脱ぎ、白のブラウスも同様に。
それらを纏めて学ランの上に無造作に置いて。

上半身だけ下着姿となった御坂は、じゃり、と足音を立てアレイスターを見上げる。

「相応の対価になるかは知らないけど」
――ぱちん、と空気が爆ぜる。

「それが君の答えかね」

小さな白い光が前髪の辺りで閃き、そして何かが蠢いた。
履いた靴の中から黒い何かがぞわりと這い出してくる。

砂鉄だ。

ざあああっ――と風に木の葉が波立てるような音を立て舞い上がった黒の奔流が渦を巻く。

「相当の対価にならなるわよね、きっと」

声と同時に怒涛の刃となって一直線に目標へと喰らい付いた。



そして――――びぃぃぃんっ――――という鈍い音。



何かを無理矢理引き裂いたような音と共に黒色に朱が混ざる。

血飛沫と共に御坂の左腕が宙を舞った。



448:VIPにかわりましてNIPPERがお送りします:2011/08/09(火) 03:18:25.43 ID:FUVeioNdo

痛みは、ない。
感覚というものは突き詰めてしまえば神経を伝わる電気信号の生み出すものだ。
己の生体電気を支配する事など御坂にとっては赤子の手を捻るよりも容易い。

ただ痛みがないだけで触覚は十全に働いている。
だから肩より少し先からの感覚が消失した事に奇妙な違和感を持たずにはいられない。
初めて感じる酩酊にも似た幻覚。
ぴゅーっ、ぴゅーっ、と噴き出す鮮血の先に存在していないはずなのに見えない手を動かせる気さえする。

「……これでどうかしら」

床に落ちた片腕には一瞥もせず御坂はアレイスターを見上げ笑った。

「腕一本、等価交換よ。アンタは別にいらないんだろうけどさ」

くつくつと、御坂の答えにアレイスターは愉快そうに嗤った。

等価交換などおこがましいにも程がある。
魂と引き換えにしてもいいと言うのであれば腕一本の対価など端数に過ぎない。

何をしても魂分には足りない。

それは御坂自身も分かっているだろう。

けれど彼女は――幸福も不幸もどうだっていいと口にした。
過去の幸福も。未来の不幸も。現在のためになら些細な事でしかない。

幸福も不幸も大して変わらない。

彼女にとってそれらは無意味無価値なものであり。
同様に――魂であろうが腕であろうが髪の毛一本であろうが大して変わらない事を意味する。

だから形式ばかりの等価。

右腕と対を成すとすれば左腕。

「――構わないとも」

それはアレイスターにとっても同じ事。
このやり取りに意味などないし、形式ばかりの儀式に過ぎない。



449:VIPにかわりましてNIPPERがお送りします:2011/08/09(火) 04:00:30.87 ID:FUVeioNdo

いつの間にか床に落ちた腕は蜃気楼のように消え去っていた。
替わりに、広がり続ける血溜まりの上には、椅子と対を成すよくある量産品の学校用の机がいつの間にか現れていた。

その上には人差し指ほどの大きさのガラスの小瓶が一つ。

「飲みたまえ」

茫と響く声に御坂は何の躊躇いもなく瓶を摘み上げる。

「疑問や不安はないのかね。私が君を謀っているという可能性を考えないのかね」

「別に」

顔を向けぬまま、御坂は瓶の中に揺れる液体を覗き込んだり、軽く振ってみたりしながら答える。
それからガラスの栓を抜こうとして、左手が無い事を思い出し、行儀が悪いと思いつつも口で咥えて引き抜いた。

「アンタにとっちゃ私が生きていようが死んでいようが、私を騙そうが騙すまいが関係ないんでしょ」

栓と共に吐き捨て、瓶の口を顔に近付け軽く嗅いでみる。
特に意味はない。あえて言うなら好奇心といったところだろうか。

「わざわざ電話を寄越したり下らない話をしたり、本当に私がどうでもいいならアンタはそんな事しない。
 意味のない事にわざわざ労力を割かないでしょ。他の目的があるならもっとスマートに済ませる方法が幾らでもあるだろうし」

言っている間にもどうにも寒気を感じる。
どこか熱を帯びているようにも思える傷口からは絶え間なく血が噴出している。
痛みは無いが動脈からの出血は体温と共に循環する血液を放出している。このままではいずれ失血死する。

だが御坂はそれに一切頓着する様子もなく、借り物のスカートなのに端に血が付いてしまったななどと頭の隅で呟く。

「どうせ、何がどうなったって大して変わらないくせに」

言って、御坂は瓶を煽る。
中にあった液体はチェリータルトとカスタードクリームとパイナップルと炙った七面鳥とタフィーと熱いバタートーストが混ぜ合わさったような酷い味だったけれど。
一息で飲み干し、














――――――――――――――――――――



458:VIPにかわりましてNIPPERがお送りします:2011/08/09(火) 23:46:56.89 ID:FUVeioNdo

白井黒子は脇役である。

彼女が自身の矜持として抱いているのはそういう類のものだ。

白井黒子という少女を語るに於いて常に御坂美琴の名が付き纏う。
ルームメイト、敬虔な後輩、露払い――あるいは金魚の糞。
言葉は様々だが全てが御坂に従属するものだ。風紀委員などというものは肩書きであり、彼女の本質を捉えてはいない。
悪辣な野次も幾らか耳にはしている。が、何と言われようが彼女はそれをよしとしているし、同時に誰であろうと避難される謂れはない。

黒子、とその名の示すように。
舞台の花を引き立たせるため、影に徹するのが己の務めだと理解していた。

けれど――。

「これはこれで……どうして中々、辛いものがありますのね……」

夜の公園に独りベンチに腰掛け、白井は瞑したまま小さく呟いた。

少女の人生の中で幾度かあった、所謂『物語』としての場面。
まるで映画の一シーンのような活劇。ジャンルにすれば学園能力バトルもの。少年漫画によくあるパターンだ。
生憎白井自身そういう手のものを好む訳ではないが、他ならぬ御坂がよく読み耽っているので話の種にと何度か借りた事がある。

量産品の、一山幾らで投売りされている安っぽい王道主義。
そういう感想を抱く。

それらの事を低俗とは言わない。
仮にも現代に生きる女子中学生だ。骨董品を頭に乗せたお堅い連中とは訳が違う。
漫画家もそれぞれなりの美学や信念を抱いて作品を世に送り出しているのだろうし、それを笑おうとは決して思わない。

だが――どうにも安っぽく見えてしまうのだ。

それは多分、自分を作中の人物に投影してしまうからだろう。
       フィクション  リアル
白井黒子は、幻想ではなく現実に生きている。
              ファンタジー
しかし現実が中途半端に幻想だから性質が悪い。

白井は漫画のような現実に浸っている。
この街にいる限り――そして白井が白井である限り抗いようのない事実。

そして実際に、白井は幾度か『まるで漫画のような』場面に遭遇している。

だからなおの事思わずにはいられないのだ。
大概の物語は主人公の視点で語られる。
であれば、視界の外、物語からフェードアウトしていった脇役達は、一体何を思っていたのだろうと。



459:VIPにかわりましてNIPPERがお送りします:2011/08/10(水) 00:48:19.59 ID:CFgzZcIwo

白井黒子は脇役である。

主役を彩るための対比的な影の存在。
スポットライトが差し込むのであれば必然として光の当たらぬ場所には影が生まれる。

白井黒子の登場する物語。
その主人公はきっと白井ではない。

白井の物語の主人公は御坂美琴だ。

いつからだろうか、そんな事を漠然と思っていたのに。
白井は今の今まで全く考えようとはしなかったのだ。

そう――御坂美琴の物語の主人公は誰なのだろう、と。

白井が彼女の背を追うように、彼女もまた誰かの背を追っていた。
それが誰かとは考えるまでもない。

「お姉様もきっと……こういう気持ちだったんですのね」

時刻は既に深夜と言ってもいい。
御坂が『窓のないビル』に消えてから数時間、日付が変わろうとしている。

数時間、白井はずっと、ベンチに独りきりで御坂を待ち続けている。

帰るかどうかも分からない相手を待ち続けている。

『空間移動』で眼前に聳えるビルに入ったのは御坂一人だ。
大抵の者なら予想が付くだろうが――『窓のないビル』に入るために空間移動能力が必要ならば、出るときもまた、必要となるだろう。
しかし御坂美琴の才は発電能力であり、空間移動能力ではない。

彼女一人では――帰ってこれない。

そして中の様子を知る事ができない以上、例えば御坂が死んでいたとしても白井はその事実を知る事なく、いつまでも待ち続けるだろう。
まるで忠犬のよう。ともあれば死ぬまでこの場を動かず御坂の帰りを待ち続ける。
もしそうなれば公園に銅像が建てられてしまうかもしれない、などと益体もない事を考えながら白井はただひたすらに待ち続ける。

彼女の背は遠く遥か、きっともう何をしても追い付けない。

だから白井には待ち続けるしか術がない。



460:VIPにかわりましてNIPPERがお送りします:2011/08/10(水) 02:01:21.47 ID:CFgzZcIwo

待つ、という行為は存外に辛い。
来ないかもしれない相手であればなおさらだ。

そして帰らぬ人を待ち続ける事ほど辛い事はないと思う。

けれど、どんなに辛くとも白井は御坂を待ち続けるしかできない。

白井は御坂の影であり、従属する者だ。
自分には彼女の邪魔をする事などできない。
できるのであればとっくにそうしている。できなかったからこそ今この場にいるのだ。

白井はゆっくりと目を開け、そして空を見上げる。
夜空に星は見えず、けれどどうしてだろう、雪でも降ってきそうだった。
まだそんな季節には早いのに何故そんな事を思ったのか、自分でも不思議だった。

夜風が冷たい。
手指は悴んでしまって感覚が無い。
茫と頭を霞める眠気に似たものは、睡眠不足からか、それとも。

ああ――凍えてしまいそう。

「お姉様――」

早く、一刻も早く戻ってほしいと白井は祈らずにはいられなかった。

だから。

「――なあに、黒子?」

名を呼ばれた時には心底驚いて、思わず飛び上がりそうになった。

予期せぬ言葉に驚いた訳ではない。
思った通りに叶った事に驚いた訳でもない。

その声にどうしてだろう――夜風など比較にならぬほどに寒気を感じて――。

「っ――――!」

「どうしたの。そんな怖い顔しちゃって」

御坂は白井のよく知る彼女のように柔らかく微笑む。
けれどそれはどこか酷く無感情なものに見えた。
コピーアンドペーストをしたように、何故だか薄く思えるのだ。



461:VIPにかわりましてNIPPERがお送りします:2011/08/10(水) 02:35:12.26 ID:CFgzZcIwo

「お姉……様……」

「うん。ごめんね黒子、遅くなって」

意思に反して上ずる声に、御坂は優しい響きの声で応える。
羽織った学ランのポケットに両手を突っ込み、白井を見て目を細めた。

「今何時?」

「あ、え――と」

慌てて携帯電話の画面を見て時刻を確認し、そこでようやく日付が変わっていた事を知った。

「〇時過ぎ――です。六分」

「ああ……どうりで」

そう言って御坂は両手をポケットに入れたまま、白井に背を向け数歩歩いた後、肩越しに振り返って笑った。

「寒かったでしょ。何か温かいものでも飲みましょ。奢るから」

そんな彼女の様子を見て白井は改めて思うのだ。

遠い――と。

手を伸ばせば届きそうな距離にいるのに、追い付ける気がしない。
たった数メートルの空隙の先が無限の彼方に思える。

御坂はそんな白井の心境など知る由もなく、一人ですたすたと歩いて行ってしまう。
はっとなった白井がようやく彼女の背を追い掛けたのは、その姿が公園から出掛かったときだった。



462:VIPにかわりましてNIPPERがお送りします:2011/08/10(水) 02:57:09.08 ID:CFgzZcIwo

「んー。どれにしよっかなー」

ポケットから取り出した財布から片手で器用に小銭を取り出し、公園の出口すぐそばにあった自販機に次々と投入する。
それから迷う事すら楽しむような様子で御坂は順繰りに商品を指差し。

「黒子はどれがいい?」

「……では、紅茶を」

がこん、がこんと大きな音が二つ続けて響く。
結局御坂も同じものにしたらしく、少々熱過ぎる缶を白井に手渡した後、それと同じものを続け様に取り出し口から引き抜いた。

そして御坂は片手で器用にプルタブを開ける。

「……何もそこまで面倒がらずとも両手を使った方がスムーズに空けられますでしょうに」

「んー……まあそうなんだけどさ」

一口飲んで、ほう、と息を吐き御坂は目尻を下げる。

――そこで白井はようやく気付いた。

ずっと肌身離さず持っていたあのクーラーボックスが見当たらない。
御坂は手ぶらで……いや、左手をポケットに突っ込んではいるが、あの無駄に大きな箱の姿が無かった。

その事実がどういう意味を指すのか、一瞬だけ考えて――。

「でも、寒くしちゃ可哀想じゃない」

そう言って御坂は照れたようにはにかむのだ。

一瞬の思考の空白の後、握り締めた紅茶の缶は熱いほどなのに、何故だか歯が鳴りそうになのを必死で堪えた。

「あったかいね」

「そう……ですわね……」

その優しい響きに、嗚咽だけは飲み込み、震える声で応えるのが精一杯だった。

きっと彼女は今、とても綺麗な笑顔を浮かべているのだろうけれど。
視界はどうしてか滲んでいて、これもきっと寒さの所為なのだろうと愚にもつかぬ事を考えるしかなかった。



――――――――――――――――――――



468:VIPにかわりましてNIPPERがお送りします:2011/08/11(木) 00:58:49.80 ID:zbWqdtTio

「…………」

ゆっくりと目を開き、今日も自分が自分である事に安堵した。
いや、もしかすると気付いていないだけで、もうとっくに自分ではなくなってしまっているのかもしれない。
確認する術など無い。ただ漠然と、きっと昨日と変わらない自分を認識してそう思ってしまうだけだ。

海原光貴は起床する。

時刻は二時前。

昼の、だ。

場所はとあるホテルの一室。
それなりに値段の張るであろう部屋に連泊するなど、普段の彼からしてみれば考えられない事だった。

金銭には不自由こそしていない。けれど中学生という身分である彼の財布にあるものはほぼ全てが親の金だ。
大能力者である彼はそれなりに超能力に関する研究に貢献しているが、超能力者らのそれから見れば雀の涙だ。
それなりの額を貰ってはいるもののホテル暮らしをするには圧倒的に不足している。

けれど実際にここ数日をこの部屋で寝泊りしている。

言うまでもなく超能力者の少女二人の仕業だ。

軽くシャワーを浴び寝汗を洗い流し、形式ばかりの食事を摂る。
コンビニで売られているパンとおにぎり。それにペットボトルの日本茶。
味や舌触りには頓着しない。活動に必要な熱量を摂取する、文字通りの栄養補給の意味しかない。
彼女はルームサービスを使っても何も問題はないと言うが、誰かに食事を運んできてもらう気にはなれなかった。

本当なら誰とも会いたくない。けれど人が生きていく以上、誰かと接触を持たざるを得ない。

コンビニに入る事すら躊躇われるのだが、バイト店員のお座成りな接客とホテルマンの応対では雲泥の差がある。
無気力で機械的な仕事振りには感謝すらしている。彼らの事は自販機と同程度にしか思えない。

味も分からぬまま食料を咀嚼し胃に流し込む。

そうしている間にもテレビを点けて、チャンネルを適当に切り替えながらニュースやワイドショーをチェックする。
幸い、と言うべきか。世界は何事もないようだ。
携帯電話をインターネットに接続して、無数にある学校裏サイトや匿名掲示板を回るが何処も似たようなものだ。
名も知らぬ誰かの陰口を叩いていたり根も葉もない噂が流れていたりと何処も程々に平和だった。

一通り見回った後、まるで計っていたかのようにドアがノックされた。
覗き窓から来客を確認し、予想通りの相手である事に安堵と軽い失望が湧く。
身支度は済んでいる。相手を待たせる事はない。

「こんにちは、ミサカさん」

扉を開け、機械めいた表情の少女に笑顔を向けた。

「それじゃあ、デートしましょうか」



469:VIPにかわりましてNIPPERがお送りします:2011/08/11(木) 01:28:13.92 ID:zbWqdtTio

ホテルから出る時はいつも緊張する。
ここ数日、ずっと同じ事をしているが慣れるという事はない。

観光シーズンでもないのでホテルの客はほぼ皆無だ。
ホテルの従業員は掌握済みだが、一歩外に出ればそれも通用しない。
元々それを狙っての事ではあるのだが――。

二人で連れ立って街を歩く。
往く当てなどない。散歩に近いものだ。

普段の生活範囲、第七学区と遠く離れた場所。知り合いに出会う確率は少ないだろう。
それでも隣の少女の着ている制服は嫌でも目を引くものだし、その容姿はきっと学園都市の中でも指折りの有名人だ。

その容姿を海原は好ましいと思う。
彼が想いを寄せるのは外見だけではないが、それを抜きにしても可愛らしいと思わざるを得ない。
柔らかそうな髪。明るく快活で血色の良い肌。それでいて楚々とした雰囲気を纏っている。

けれど――目だけはどうしようもない。

仕草や口調は彼女そのものだが、結局出力形式を合わせているだけの模倣に過ぎない。
カメラのレンズを思わせる、意志の籠もらない眼光。その奥に小さく見えるのは戸惑いの色だろうか、それとも。

「今日は御坂さんは?」

会話を弾ませるには共通の知人の話題が一番だとどこかで聞いたような気がした。

「今日もリハビリだって」

「そうですか」

終わってしまった。

そもそも彼女の話題は本来するべきではないのだ。
現在自分の隣に立つ少女は『御坂美琴』であり、彼女のクローンである『妹達』の一個体ではない。
メタ発言にもいいところだろう。幸いにして今の会話を聞き止めた者は周囲に誰もいないようだが。

「どこか、行きたいところはありませんか」

「ううん。特にない」

「そうですか。じゃあもう少しぶらついていましょうか」

「そうね」

当て所ないが目的はある。

これは要するに、御坂美琴という少女を餌にした釣りだ。



477:VIPにかわりましてNIPPERがお送りします:2011/08/16(火) 22:41:06.53 ID:1W9frdB9o

海原の脳裏に浮かぶのは一つの名と、それに付属する肩書きだ。
絶対的なイメージを喚起させるその二つは等号で結ばれ決して別個には語れない。

超能力者第二位――垣根帝督。

自分たちは、彼を、もしくは彼の仲間を学園都市の闇の中から焙り出すための撒き餌だ。

隣を歩く少女は、傍目には御坂美琴としか見えぬだろう。
何せ遺伝子レベルでの複製品。言葉遣いや表情などの部分を補正してしまえば彼女にしか見えない。
能力以外の点では完全模倣と言っても差し支えないだろう。

つまり代役だ。

本人はホテルの部屋から出てくる気配もない。
何がどうしたのか、リハビリとやらに励んでいるようだが。

御坂美琴の失踪はあの『心理掌握』によって細工をされている。
あと数日、一週間程度は大事にはならないだろうが、失踪の事実そのものは隠されてなどいない。
騒ぎ立てる者はおらずとも不審に思う者はいるだろう。

風紀委員。警備員。そして――。

「『スクール』ですか……」

学び舎の名を冠するその組織の目的は不明。
けれど重要なのはそんな事ではない。

その小組織を束ねるリーダーの名が垣根帝督であるという事と。
御坂が彼を捜しているという事。

「…………」

彼女の目的は不明だ。

いや、分かっている。分かっている……つもりだった。



垣根帝督。第二位。『未元物質』。

上条当麻を死に追い遣った超能力者。



つまり彼女は、復讐しようとしているのだろう。



478:VIPにかわりましてNIPPERがお送りします:2011/08/16(火) 22:54:40.26 ID:1W9frdB9o

彼女に賛同はできなかったが、その考え方は理解できた。
もしも御坂を誰かに殺されたら、きっと自分も同じ事をするだろう。
そういう意味では彼女の行動は至極真っ当なもので、理に適っているといえる。

授業の終わった生徒たちがあちらこちらで放課後を満喫している。
海原の目的は彼らに目撃される事だ。正確には、隣を歩く少女の姿を、だが。
御坂美琴という少女はどうにも有名人で、先日の体育祭での活躍もあってか目を留める者も多い。

御坂美琴の失踪を知った『スクール』が彼女を探すか、一種の博打だった。
むしろこちらの誰かが――学園都市中に散った幾名かの『妹達』の誰かが先に発見する公算が大きい。

しかし海原らは垣根の顔を知らない。
出来る事ならあちらに見つけて貰えればそれに越した事はないのだが――。

『心理掌握』、あの金髪の少女に脳に直接投射された四つのイメージを思い出す。

『原子崩し』麦野沈利。
『窒素装甲』絹旗最愛。
『能力追跡』滝壺理后。
そして、無能力者、浜面仕上。

――暗部組織『アイテム』。

『スクール』と少なからず関係しているであろう組織だ。
垣根を探すとなればどこかで交錯する確率が高い。
むしろ『アイテム』から垣根を辿った方がいいだろう。

しかし彼女ら――『彼』も混ざってはいるが――とは可能な限り交戦しないようにと『心理掌握』に厳命されている。

(よくもまあ、そんな事を言えるものです)

海原とて薄々は感付いていた学園都市の闇、その結晶ともいえる暗部組織だ。
そんなどうしようもないものを相手にして血生臭い展開にならない訳がないのは明白だ。

それは『心理掌握』とて分かっているだろう。
彼女がどのような思惑を持っていてそんな事を言ったのかは分からない。……が、大人しく従う義理もない。
本当にそう思うのなら彼女は極上の能力を持っているはずなのに、それを使おうとはしなかった。
何故かは知らないしどうでもいい。だが、能力を使った強制を埋め込まなかった時点で彼女は失敗している。

彼女にとって最大の想定外は、きっとこの同じ顔をした少女達だろう。
無表情、無感情、無感動。一見して機械的に見えるが、実際のところはそうでもない。
事務めいた客観的な口調と変化に乏しい表情からそのような印象を覚えるが、思考を放棄している訳でも感情がない訳でもない。

彼女らにしても何かしら思うところはあるのだ。



479:VIPにかわりましてNIPPERがお送りします:2011/08/17(水) 00:21:04.59 ID:bQeEaRAso

……この時点で最も事情に通じていたのはもしかすると海原だったのかもしれない。

ホテルに集まった数人の中で、彼だけが少しばかり特殊だった。

ホテルの一角を占拠しているこの四人は、きっと仲間とか同士とかそういう言葉と対極の位置にあった。
未だその中心に何があるのか理解していない海原にも目に見える不和は致命的なほどで。
それなのにどうしてこの集団が維持できているのか、海原には理解できない。

だからだろうか。海原はそんな中で唯一特殊な位置にいた。

どうやら御坂はもう一人の少年については顔も見たくないようだった。
幾度か彼から頼まれて御坂に食事を運んだ事がある。しかし、それに対し自分を邪険に扱ったりはしない。
御坂は部屋に閉じ籠もりきりで、それこそ食事を運ぶ時くらいしか会わないのだがそれでも無垢な笑みを向けて礼を言ってくれる。
たとえ形式ばかりのものだとしても海原にはそれで充分だった。

白井にしても同じ事が言える。『心理掌握』の少女も。

白井は彼に対しそれなりの礼をもって扱っているようだった。
けれどそれもどこか白々しく形骸的で、体裁を整えているだけにも見える。
その白井にしても『心理掌握』との会話では剣呑な雰囲気を醸し、『心理掌握』もまたそれをからかっている節がある。

そして『心理掌握』は……彼を意図的に無視している気配すらある。まるで最初から見えていないかのように。
時折もしかすると彼は幽霊のようなもので、『心理掌握』の少女だけが彼を見えていないのではなどと愚にもつかぬ事を思ってしまう。
もっとも実際のところは(当然ながら)ちゃんと見えてはいるようではあるのだが。二人が会話をしている場面を一度だけ見た事がある。

「…………」

彼が何者で、彼女らとの間に何があったのかは分からない。それどころか名も知らない。
白井も彼を、二人称で『あなた』、三人称では『あの方』などという呼び方しかしないし他の二人は言うまでもないので他者との会話から推し量る事もできない。
海原にしても別に名を知らずとも不便はないのでわざわざ聞く気にもなれなかったが。きっとどうせろくでもない人物に違いないのだ。

そういう結束なんて微塵もない集団の中で海原だけは全員と比較的良好な関係にあった。
遠巻きに眺めているような感覚は間違っていないだろう。自分はきっと背景のエキストラも同然の扱いで、ここにいる事自体が何かの間違いなのだ。
そもそもがあの少女の気紛れのようなものだ。御坂がいる以上巻き込まれたとは思いたくないが。
……だからだろうか。色々なものが見えてくる。

隣を歩く少女の顔を見る。
視線に気付いたのか、彼女は海原を見てにっこりと微笑んだ。
どきり、と心臓が跳ねる。

御坂美琴と同じ顔の少女が笑う。

今自分が胸に抱いている感情。それはきっと罪悪感だろう。

代替行為とは分かっていながらも、今この状況を少なからず嬉しく思ってしまう自分が嫌で仕方なかった。



480:VIPにかわりましてNIPPERがお送りします:2011/08/17(水) 01:49:05.44 ID:bQeEaRAso

彼女が御坂ではないのは充分過ぎるほどに理解している。
けれど、現実逃避に近いと分かっていてもこの状況を楽しんでいる自分がいる事に吐き気がする。

『妹達』。御坂美琴のクローンの少女達。

彼女らの事を誰も見ようとはしない。
それこそ背景、エキストラのような、戦争映画で敵の砲に吹き飛ばされるだけの役所でしかないような扱い。
ただ海原だけが彼女達に目を向けていた。

御坂にしても白井にしても『心理掌握』にしてもあの黒いツンツンした髪の少年にしても、一つの事ばかりに注視し過ぎている。
要するに視野狭窄が過ぎるのだ。遠巻きに眺めているような自分だからこそ見えるものがあるのだと海原は思う。

上条当麻の死の裏側で何があったのか。

その人物が何者で、他の者らにとってどのような存在だったのかは知らない。
海原も別段気にはならない……と言えば嘘になるが、見た事も話した事もない相手など気にするだけ無駄だろうと思った。

だからだろうか、酷く冷静に物事を客観的に見られる。

第一位、一方通行と第二位、垣根帝督の戦闘。
一方通行が敗北し、上条当麻は戦闘に巻き込まれ死亡した。

だから垣根を探している。恐らくは復讐のために。
それはいい。理解した。しかし海原はふと疑問に思うのだ。

何故両者が戦わなければならなかったのか。

どうして最強の能力者である一方通行が敗北したのか。

ふとそんな事を口にした事があった。昨日、今のようにクローンの少女と共に街を歩いていた時に何の気なしに口から出た言葉だった。
答えなど端から期待していなかった。なのに彼女は海原の疑問に天気の話でもするかのようにあっさりと答えてしまう。

『妹達』と一方通行との関係。『最終信号』と呼ばれる個体。ミサカネットワークの存在。

そして麦野沈利。

垣根提督が復讐の対象ならば麦野沈利にも同じ事が言えるだろう。
彼女は間違いなく一方通行の敗北を決定した要因であり、それは即ち上条当麻の死へと繋がるのだから。

……あの金髪の少女はその事実を知っているのだろうか。

ろくに事情も知らぬ海原でも考えなくとも分かる。
あの少女は『アイテム』の関係者、それも友好的な立場――有体に言えばその一員という事になるだろう。



481:VIPにかわりましてNIPPERがお送りします:2011/08/19(金) 04:17:28.98 ID:yXXXJyNTo

『心理掌握』の少女が何を考えているのかは分からない。

ただ一つはっきりしている事は、彼女と『アイテム』の存在は必ず障害になるという事だ。

彼女は、可能な限り交戦するな、と言った。
それはつまり――敵対する事が目に見えているからに他ならない。

『アイテム』が垣根帝督の敵か味方かは分からないが、こちらに対しては敵にしかなり得ない。

「……、……」

あの少女の言う事を聞く義理はない。
敵になると言うのなら早期に潰しておくのが常套だ。
会った事もない少女達の顔を回想しながら海原は顔を僅かに顰める。
自分も大能力者の端くれだ。超能力者である麦野沈利は別にしても他の三人ならば問題はない――。

そこまで考えて海原はこれ以上の思考を放棄した。
何を考えている。自分は一般人で、彼女達とは違う。血生臭い物事などお断りだ。
殺すか殺されるかの二択しか存在しない世界の住人ではないのだ。

だが――彼女らの存在は御坂の障害となる。

御坂の望みは叶えたいと思う。
けれどその目的、手段、思想、どれを取っても受け入れ難いものだ。
復讐に手を貸すなど海原には到底できるはずもない。

しかし止められるとも思わない。
確かにあの金髪の超能力者の言う事は間違ってなどいなかった。
御坂とはろくに会話も交わしていないがあの表情を一目見ただけで全てを理解できる。

御坂美琴という少女はもうどうにも救い様がない。

(違う……っ!)

手段がないはずはない。
御坂美琴という少女は取り返しの付かないところまで墜ちてしまうほど軟ではない。
彼女はもっと素敵で、誰よりも気高く崇高な存在だ。
ともすれば自分に言い聞かせるように海原は彼女のイメージを反芻する。

海原の脳裏に焼き付いた彼女のイメージは常に笑顔だった。
彼女の笑顔の為なら何を犠牲にしたって構わないとさえ思う。
自分の身を捧げる事すら厭わない。元より何もかも、魂すらもそうであると海原は思う。
たとえ何一つ報われる事がなくとも海原光貴は彼女のたった一度の微笑の為に全てを投げ出せる。

だが、この状況を打破し彼女の復讐劇を止めることは果たして彼女の笑顔に繋がる事なのだろうか。

そう、今でも御坂美琴は天使のような微笑みを浮かべているのだ。

とても幸せそうに。



482:VIPにかわりましてNIPPERがお送りします:2011/08/19(金) 04:47:40.39 ID:yXXXJyNTo

彼女の笑顔はとても素敵で、ともすれば見ているだけで泣きそうになってしまう。

穢れを知らぬ純真無垢な笑顔はまるで白痴。
狂人の破壊的なものとは異なる破滅的な笑顔。
彼女はきっと世界が終わってしまったところであの笑顔を絶やさないだろう。

満ち足りているのだ。

この最悪の終末へと駆け墜ちる中であっても彼女はどうしてだか幸せだった。

(でもそれじゃあ――あんまりじゃないですか)

余りにも理不尽で救われない。
上条当麻という少年の事は知らないが、それでもどういう人物だったのかある程度の察しは付く。
きっと間違いなく彼は御坂の恋人か、少なくともそれに順ずる位置にいた。
片思い程度の距離ではああまでなるまい。
その死によって心が壊れてしまうほど愛してしまっていた。

彼が御坂に対してどのような想いを抱いていたのかは分からない。
だが結果として、その死によって御坂を壊してしまった。

海原が彼に抱く感情は憤り以外になかった。

誰よりも大切な少女を壊された。
きっと誰より明るくて優しくて、それでも年相応に悩み傷付く少女。
完璧な人格など存在しない。もしそういう者がいたとすれば、それは聖人か悪魔だろう。
だからどこか不完全で不器用で不恰好な、そんな少女が好きだった。

それはある意味信仰のようなものだったのかもしれない。
海原光貴は御坂美琴という少女に自分にはない何かを感じ、それを貴いものだと信じた。
どこからが尊敬でどこからが恋慕なのかは分からないし区別を付けようとも思わない。
彼女がとても大切な事には変わりない。それで十分だと思った。

けれど御坂美琴はもう――元には戻らない。

彼女が自分以外の誰かを好きになったとしてもそれでいいと思った。
それで彼女の何かが変わる訳ではない。彼女が好意を向ける相手は相応の人物しかあり得ないのだ。
上条当麻という少年はきっと、彼女が好きになってしまうほど素敵な少年だったのだろう。

祝福すらしたくなる。手放しで喜ぼう。彼女の好意が自分に向けられなかったからと言って腐るような自分にはなりたくない。
それでもやっぱり腹が立つから、件の少年を紹介して貰って、それからほんの少しばかりの好意に満ちた嫌がらせをしてやって。

同じ少女を好きになった男同士、きっと仲良くなれただろう。

しかし今となってはあり得ない事だ。
彼は死んでしまっているし、彼の所為で彼女は心を壊してしまった。
不慮の事故だったのだろうが――それでも許せない。
彼女を想うのならどうして死んだのだと。



483:VIPにかわりましてNIPPERがお送りします:2011/08/19(金) 06:08:01.79 ID:yXXXJyNTo

そういう意味でも、海原は御坂の事しか考えていない。

見ず知らずの人物のために復讐しようなどと思わない。
垣根帝督だの一方通行だの『アイテム』だのという者らは端からどうでもいい。
ただ御坂が望むのであれば、という一言に尽きる。

『心理定規』の言も関係ない。
御坂の障害となるなら超能力者が相手でも構わない。
自分の生死すら天秤に掛けて利害を量る事ができる。

自分の感情も例外ではない。
彼女に復讐して欲しくなどない。それを肯定し助けるなど論外だ。

しかし今は他に選択肢がない。
もし止めようとすれば彼女は容赦しないだろう。排除すべき障害として扱われる。
そうなればどうしようもない。死んでは何もできないのだから。彼と同じように。

御坂を救えると信じる。
勝機は見えないし手段は全く思いつかない。けれどそう思わなければ絶望するしかない。
目に見えぬ、在るかも分からない希望に縋る事くらいしか海原にはできなかった。

だから海原は己すらも殺して、他人もきっと殺せるだろう。
御坂を守るためなら何だってできる。何だってやってみせる。

彼女を救う手立てが見つかる時まで終わりを先延ばしにして。
その時が来るまで永遠に殺し続ける。

御坂の敵になるというなら『アイテム』を潰そう。
御坂の敵になってしまうくらいなら垣根帝督を殺そう。

けれどふと思うのだ。



彼女を元に戻せたとして、彼女はそれを望むだろうか――?



484:VIPにかわりましてNIPPERがお送りします:2011/08/19(金) 06:12:06.06 ID:yXXXJyNTo

これは単に善意という名のエゴの押し付けではないのか。
今の彼女を認められないから排除しようとしているだけではないのか。

まるでそれは彼女を殺す事と同じようで――。

そんな確信に近い疑問が思考の底に泥のように沈積する。
一度生まれた疑心は拭っても拭っても消える事はなく、それどころかより深く根を張り纏わり付いてくる。

元々、上条当麻の死に耐え切れなかったから心を壊したのだ。
原因である彼の死が不可逆である以上、彼女もまた不可逆なのではないのか。
次もまたそうなるという確証はないがより悪化する事も考えられるし、彼女が耐え切れたとして心を大きく抉る事には変わりない。

もっとも、その手段がない今、言っても詮無いことではあるのだが。

「…………」

隣を歩く少女を見る。

彼女によく似た少女。
彼女に似せられた少女が彼女に似た表情で微笑む。

「ん? どうしたの?」

「……いえ」

薄く笑い小さく首を振った。

「そうだ、向こうにケーキの美味しい店があるんですがどうですか?」

「いいわね」

今はまだこれでいい。
モラトリアムに等しいと分かっているが思考を停止した。

この状況を少なからず楽しんでいる自分がいる事も意図的に忘却した。



――――――――――――――――――――



492:VIPにかわりましてNIPPERがお送りします:2011/08/22(月) 21:20:08.56 ID:EXib03Uko

己の人生について振り返ってみよう。

自身とは一体何なのか。

哲学者を気取って戯言を吐こうとは思わない。
ここでの意味は、例えばもし森羅万象あらゆる事象を記した書物があったとすれば、自身の名の項にはどのような事が書かれるか。
伝記ではなく、客観的に簡潔に記された、それでいて究極的にその本質を指す短い文章でどのように表されるか。
一つ問題があるとすれば、それを探すときどの名を引けばよいのだろうという事くらいなもので。

過去と現在と未来。
まずは単純に三つの区切りで考えてみよう。



何処から来て、何処に至り、何処へ往くのか。



493:VIPにかわりましてNIPPERがお送りします:2011/08/22(月) 21:51:58.71 ID:EXib03Uko

過去。
つまり生の瞬間から現在に至るまで。

彼の場合、恐らく他の多くの者とは意味が異なる。
己が人生において誕生の瞬間は母の胎内から零れ落ちた場面ではなく、この街の門を潜った時だろう。
それ以前の記憶は曖昧で、それはつまりどうでもいいという事に違いない。

悪魔と呼ばれた。

話によれば悪魔とやらいう代物は女の胎から産まれるものではなく、木の股から湧いて出るものらしい。
なるほど。だとすれば、母を持たない異形の存在は悪魔と呼ばれるに相応しい。

初めは周りと区別の付かなかった外見も次第に変化していった。
伝承というものもいまいち当てにならない。悪魔は黒いなどという先入観は全くの間違いだった。

悪魔とはどうやら白いものらしかった。

鍍金が剥げ落ちるように徐々に色素が抜けてゆく。
余分な肉も磨耗してしまって中身が透けて見えるほどになった。

白い線だけで形作られるようなその身は恐らく死そのものだ。生憎と鎌は持ち合わせていないが。
それでも一目見ただけで明らかに違うと理解できる。彼とすれ違う人々は一様に目を瞠り、それから慌てて目を逸らす。
気付かない振りをして、どうか気付いてくれるなと心の中で念じるのだ。



未来。
つまり生の帰結、死の瞬間に至るまで。

彼の場合、恐らく他の多くの者とは意味が異なる。
予定調和。予め定められた法則に従い本来在るべき場所へと回帰する。
それ以外に選択肢はなく、振り返ることも立ち止まることもできず、ただ直進するしかない。

つまり地獄だ。

人界に悪魔がいるという事態こそが間違っている。人外の身が在るべきは矢張り相応の場所だろう。
この世の条理に照らし合わせても、まかり間違って人として裁かれる事があったとしても地獄逝きは約束されているようなものだ。

一〇〇三一人の少女を殺戮せしめた稀代の悪魔は地獄に墜ちて然るべきだ。
そういうものは相応の場にこそ相応しい。逝き着く場所は最初から一つしかないのだ。

元より彼に架せられた呪い名はそういうものだ。

ただひたすらに、脇目も振らず突き進むしかできない。
それ以外の全ては許されず、思考する暇すら与えられず、単一行動しかできない瑣末な機構。

初めの頃は、夢とか希望とか、そういう人々が賛美してやまないものがあったのかもしれない。
けれどいつだっただろうか、虚影に過ぎないと理解した。そういう人並みの幸福を望めるような存在ではないと自覚した。
存在自体が不幸の塊。いるだけで悪夢を撒き散らすもの。誰彼構わず引き摺り込む奈落という名のそれだ。



495:VIPにかわりましてNIPPERがお送りします:2011/08/22(月) 22:51:23.93 ID:EXib03Uko

そして現在。
つまり悪魔と呼ばれた彼が未だ人界に留まっている理由。

彼の場合、恐らく他の者とは意味が異なる。
生きるのではない。生への執着はとうに失われ、彼にとっての生とは死への緩慢な行軍に過ぎない。
一歩、また一歩と無明の道を歩み続ける行為は目隠しの綱渡りに等しい。それでも彼は決して歩みを止めはしない。

ではその力の源は何なのだろうかと問う。

生の活力は嫉妬と羨望、憧憬、そして分不相応な希望だ。
現在より未来へ、未知の先に何かがあるかもしれないという根拠のない漠然とした期待に縋り一歩を踏み出す。

しかし彼の場合は勝手が違う。人界の条理を人外に求める事はできない。
元より違った存在に常識は当てはまらない。馬の耳に念仏、所詮人の理は人間という限られたコミュニティにしか通用しない。

彼の場合、それを自身ではなく他者に求める。

代替行為。人から外れた身でありながら人に憧れた鬼は、それを誰よりも深く理解していた。
さにあらん。彼の持つ性質はそういう類のものであり、そうであったからこそ、かく成った。

己に不可能な物事を他者に依託し身代わりとする。彼が執着しているのは、自身ではなく他者の生だ。
依存ともいえる。彼は己に対し淡白であったが、優先順位が違うのだから仕方がない。
本来人は利己的な生物だ。自己中心的。全てが己の望むままにある事が至上と定義する。

であれば、人ならざる彼はそれと異なる。

己を他に――他を己に投影する。

彼の出会った一人の少女。
白い悪魔の前に舞い降りた小さな天使。

比類なき暴虐の徒は、他の何かと比べるという事がなかった。
彼が最強にして究極、無双の存在だからこそ、他と比べるという事ができなかった。
けれどあまりに無力で小さなその光は、どうしてだろうか、彼ととてもよく似ていて。

彼は初めて他者を知る。



496:VIPにかわりましてNIPPERがお送りします:2011/08/23(火) 00:46:04.32 ID:l6PVaBFqo

鮮烈であった。
彼女もまた人ならざるものであったからこそなのだろうか。
酷く似通った、けれど決して相容れない存在。反発しあう相克。
彼が地獄だとすれば彼女は天上であろう。彼女が希望ならば彼は絶望だろう。

そして彼は慟哭する。
何もかもを飲み込まんとする深遠の奈落だったからこそなのかもしれない。
吹けば飛ぶ、撫でれば消える程度の小さな光であった彼女を、けれど彼はどうしてだろうか、愛しく思ったのだ。

彼女は彼の持たぬ全てを持っていた。

嫉妬し、羨望し、憧憬した。
当然の結果である。それらの感情は受動的であり、他者がいなければ存在しない。
それは自分に持ち得ぬものを持った者に抱くもの。
他者を自らに重ね、けれど叶わないと知って初めて生まれる感情だ。

彼は初めて確かな希望を見た。

そして彼は恋に落ちる。

正確にはそれは恋心ではない。ただ、性質としては恋慕に近い。
異形の怪物である彼は彼女の光に魅せられたのだ。仮面の怪人がそうであったように。

彼女に己を依託する。

つまり彼の生とは彼女の生だ。
彼女の為に生き、彼女の為に死ぬ。
きっとそれが唯一の彼女と彼女らへの贖罪だった。

彼にも救いはあったのかもしれない。



497:VIPにかわりましてNIPPERがお送りします:2011/08/23(火) 02:12:51.84 ID:l6PVaBFqo

だが結果を見てみればどうだ。
腕に抱かれた少女の温もりを感じながら彼は瞑目する。

少女は動かない。

反射としての瞬きや呼吸はある。発熱し代謝もある。促せば食事もする。
だが虚空を見詰める意思の籠もらない双眸は果たして生きていると言えるのだろうか。

自分は生きていると言えるのだろうか。

結局、自分は自分でしかなかった。
分不相応な望みを抱いたから罰が当たったのだ。
無明の奈落が光を抱けるはずがなかった。

それは光がないから黒いのではない。
光を飲み込むからこその黒なのだ。

それでも最後の抵抗を試みる。
彼に力は残されていない。あるのはただ、か細い両手と言う事を聞かない矮躯だけだ。
その全てを使って、彼は彼女を強く、優しく抱き締める。

過去はとっくに失われていて、未来は決定されている。
これは生と死の狭間。最後を先延ばしにしているだけの無駄な足掻きでしかない。
それでも彼は一度抱いた希望の灯を消せなどしなかった。

どうか――と願ってしまうのだ。

この身はどうなっても構わない。
けれど彼女だけはどうか救って欲しい、と。

悪逆の権化である自分が神になど祈れるはずがない。絶望の塊でしかない自分が希望に縋れるはずもない。
けれど願わずにはいられないのだ。お伽噺の英雄のような存在が颯爽と現れて彼女を救い出してくれる幻想を。

自分はそんな大それた存在にはなれなかった。
悪魔が英雄になどなれはしない。それそういう存在だからこそ悪魔と呼ばれるのだ。

だから初めからそうであった者に願うしかない。

「大丈夫……大丈夫だ……」

誰かに言い聞かせるように同じ言葉を繰り返す。

ご都合主義に塗れた英雄の登場などありはしない。
そんなものは寝物語の中の幻想でしかないと分かっているのだけれど。

そういう存在を知ってしまっているから――。



――――――――――――――――――――



510:VIPにかわりましてNIPPERがお送りします:2011/09/05(月) 00:41:52.45 ID:eP6x16eyo

何が正しくて何が間違ってるかなんてどうでもよかった。

ベッドの上に身を投げ出したまま目を伏せていた。
目を開けば下らない世界が見えてしまって泣きたくなる。だから目を閉じたまま暗闇に身を任せる。
そうすれば頭の中までも柔らかな黒に埋め尽くされて何も考えずに済むと思った。

――どうして?

シーツの海はまるで羊水に漂っているようで、嫌な事を考えなくていい気がする。
まどろみの中にたゆたうように、思考も何もかも放棄して安穏とした惰眠を貪るように。

世界は優しくなんかない。

理不尽。不条理。災難。事故。悪意。酩酊。喪失。忘却。
意のままに事が進むなどあるはずがなく、幸福の絶対値は常にマイナスへと傾いている。
何を以って幸と定義するかは人それぞれだけれど、不幸の定義は常に似通っている。

幸福は天からの贈り物だという。

だとすれば世界は不幸に満ちているのだろう。

それはきっと呪いのようなもの。
生きる限り常に苛まれ蝕まれる。満ち満ちた泥の中をもがくように生きるしかない。
傷付き、溺れ、喘ぎ、凍えながら。きっとつまり、この世に生れ落ちた事自体が不幸なのだ。

幸福などという訳の分からないありがたいものを誰かから恵んでいただかなければやってられないくらいに世界はどうしようもなく最悪だ。
青い鳥の居場所を必死に探して、見つけたら逃がさないように籠の中に閉じ込めて。
それを幸せなのだと自分に言い聞かせて他の事からは目を逸らす。

誰もがそうして現実逃避を繰り返しながら生きている。
直視すれば目が潰れる。どうしようもない世界には絶望するしかなくて、きっと壊れてしまう。

人はそんなに頑丈じゃない。
信念は簡単に折れてしまうし希望は呆気なく砕け散る。
大昔に流行ったらしい根性論とかいう馬鹿げた理屈は幻想だ。
愛とか勇気とか友情とか努力とか、結局のところ蜃気楼の偶像でしかない。
あるとすればただの思い込み。プラシーボ効果。結局真実なんて何一つ見えてなんかない。

世界は見方一つで百八十度変わる。
誰もが自分だけの現実を持っていて、それに縋って生きている。




511:VIPにかわりましてNIPPERがお送りします:2011/09/05(月) 00:44:52.74 ID:eP6x16eyo

現実の一般定義なんて明確なものは誰も持っていなくて、皆それぞれの色眼鏡を通して世界を観測している。

悪意の塊のような人物であってもきっと誰かに愛されている。
善意の塊のような人物であってもきっと疎ましがる者もいる。

主観でしか世界は形作られず共通意識は存在しない。
客観というものはたまたま主観が一致したか、でなければそう錯覚しているだけだ。

誰もが孤独に生きている。結局どこまでいっても人は独りだ。
真実を知り得た者は、達観か諦念か発狂か自死か、いずれかの境地に辿り着く。

――けれど私の場合はほんの少し違った。

達観を嘯くには幼すぎ、諦念に逃げるには覚悟が足りず、自死に迷うには経験がない。
結果残された道は発狂しかないのだけれど、それよりも前に壊れてしまった。

誰かが救いの手を差し伸べてくれるなんて事はない。

この世界にカミサマなんていない。

願いも祈りも届きはしない。
世の中なるようにしかならない。ご都合主義なんて始めから存在しない。
別に運命を信じている訳ではないけれど、奇跡なんか起こりようがないくらいに世界は理路整然としている。

誰もが薄々気付きながらも目を逸らしている事実。それが世界の真理だ。
けれど人は信じる事を止められない。希望を持たずにはいられない。
目の前にニンジンをぶら下げられなければ走る事もできない。それが例え虚像だとしても。

宗教で戦争が起きるなんて馬鹿馬鹿しい話だ。架空の誰かさんを勝手に祭り上げて人を[ピーーー]ための言い訳にしているのだから。
でも、そんな馬鹿馬鹿しいものに縋らなければやっていられないのだろう。
見えないナニカを盲信して、何もかもを忘却して、思考を放棄して、判断すら依託して。酒に溺れるように偶像を信仰する。

信じる者は救われる。確かにその通りだ。
きっと彼らはそれで救われているのだろう。

何かを拠り所にして寄り掛からなければ人は簡単に倒れてしまう。

形は違うけれどそれは信仰の形だろう。
人という字は、なんて文句が事あるごとに使われるけれど本当にその通りだ。
支えを失った人間は脆い。倒れたら一人で起き上がる事もできない。

そういう意味では――辛うじて倒れていないというだけで――。

本当はもう――。




512:VIPにかわりましてNIPPERがお送りします:2011/09/05(月) 00:47:21.08 ID:eP6x16eyo

「…………」

無意識の内に手を伸ばす。

右手を、左肩へ。柔らかい女の肌が指に触れる。
けれど関節から数センチのところを境に変化する。

僅かに窪んだ継ぎ目の先は柔らかく、つるつるとしたゴムのような触感。強く押せば覆われた下にある硬いものが感じられる。
リン酸カルシウムの組織ではなく、カーボンナノチューブで作られたフレーム。人工の骨が埋まっている。

脈は感じない。
血液は流れているけれどフレームの内側で接続されている。フィルタを通さなければいけないから。
ゆっくりと二の腕の表面を指でなぞる。擬似球体関節になっている肘の先、前腕の中程から再び生の肌に戻る。

自分のものとは少し違う質感に微かな違和感を覚える。
肌の質、肉の硬さ、骨の太さ、一つ一つは些細かもしれないけれど明らかに違っている。

指先に僅かに力を入れる――脳の指令は電気信号となり神経を伝達し筋肉を収縮させる。
間に幾つかの機構を媒介して、信号が指先へと伝達される。

ぴくり――と指先が動く。
それだけの事に嬉しくなってしまい口を綻ばせてしまう。

肩と、それから肘――の代わりになっている部位を動かして左腕の先を顔の前に持ってくる。

そして目を開けば。

視界いっぱいに右手があった。

「――――当麻」

再び目を瞑り、頬擦りすると優しい感触が返ってくる。
するとどうしてだか涙が込み上げてきて、見ている相手もいないのに慌てて拭った。

「あ――」

指先に涙が付いてしまった。
でも撫でてもらえたみたいで嬉しかった。
それでまた涙が出てしまいそうになる。

だから、嬉しいのも悲しいのも楽しいのも辛いのも、全部綯い交ぜにして指先に口付けた。




513:VIPにかわりましてNIPPERがお送りします:2011/09/05(月) 01:18:17.62 ID:eP6x16eyo

唇に伝わってくる感触は暖かい。
それが嬉しくて悲しくて、夢中になって口付けする。

愛してる、愛してる、愛してると狂ったように想いを唇に託して。
夢中になってキスを繰り返した。

「は――あ――」

啄ばむように唇で挟み、喘ぐように吐息が漏れる。

酒に酔えばこういう感じになるのだろうか、と頭の隅を冷めた思考が過ぎったけれど、すぐに溶けて消えてしまった。

熱病に浮かされたように体が火照る。
頭の中はたった一つの事で埋め尽くされてしまってまともな思考ができない。

「当麻――」

その言葉に答える者はいないと分かっていても黙殺した。

彼の名を呼ばずにはいられなかった。

愛しい人の腕に抱かれた時のように。
あるいは泣きじゃくる子供のように。

そうしないと何もかも全て壊れてしまいそうだった。

この想いが最後に残ったただ一つの支えなのだ。
どうしようもなくちっぽけで、端から見ればそんなものを拠り所にするのは狂っているとしか思えなくとも。
たった一つ、まるで小さなガラス玉を宝物だと言い張る子供のように。

世界は不幸で満ちている。

幸福なんて降ってこない。

だから何より大切な物を抱き締めずにはいられない。
手の中に大事に持って、離さないようにずっと。

幸せの鳥はすぐに逃げてしまう。だから籠が要るのだ。
逃げてしまわないように、手放さないように、ずっとずっと大切に抱きしめていなければならない。
そうしていればきっと幸せでいられる。

両目はもう伏せたままだった。




514:VIPにかわりましてNIPPERがお送りします:2011/09/05(月) 02:02:52.79 ID:eP6x16eyo

人差し指の先をそっと口に含む。
舌でくすぐると仄かな甘みを感じる。

ああ――――。

脳裏に浮かぶのは、間違いなく幸せの光景だ。
唇と舌に感じた瞬間を思い出すように、もっと、と唇を寄せた。

口の中をくすぐられて得も知れぬ感覚に痺れる。
それがとても心地よくて、より深く指を飲み込もうとしてしまう。

「ふ――」

吐息に混じり頭の隅で誰かが小さく囁いた。

もしかしたらあったかもしれない光景。
それはきっと幸せの瞬間だろう。

ああ、つまりこれは――もう起こるはずのないその時を空想しているのだ。

「――――」

思考から切り離された部分で囁く声は続く。

この行為がどういうものなのか分からないはずがない。
相手の意思など構いもせず、勝手に涙を流しているだけだ。

口も利けないのをいい事に弄び悦に浸っている、文字通りの自慰行為。

いや――そう称すにもおこがましい。

相手の意思は既に亡く、後に在るのはただの残滓だ。
それを言い訳にする事などできない。何より愛しいと思うならばこそ赦されるはずがない。

きっと何より死者を愚弄する行為。これはただ独りで善がっているだけに過ぎない。
想いの毒に浸すように、弔いもせず死を否定する最悪の行い。

これは死姦だ。

「――――」

そんな事は分かっている。
けれど止めようとする理性はとうに失われていて、残っているのは狂おしいほどの慕情だけ。

たった一つ大事だと思うもの以外は全て捨ててしまった。
一番以外は切り捨てて、二番目も三番目も何もかも。
絶対に捨ててはいけないものも手放してしまわなければ抱き締められなかったから。

私はきっと、救いようのない馬鹿な娘なのだろう。




536:VIPにかわりましてNIPPERがお送りします:2011/09/08(木) 19:50:51.66 ID:EsuGrcJHo

指紋の一つ一つまで感じるように丁寧に舌先でなぞる。
微かな粘液質の音だけが耳に反響して世界がそれに満たされているかのように錯覚する。

唇と、舌と、歯と、口内の粘膜を使って愛撫する。
愛撫。いい言葉だ。愛しい愛しいと撫でるというその字は間違いなくこれだ。

ぞろりと指を引き抜かれ、名残惜しさが後に残る。
手の甲に口付け、軽く舌でなぞり、それからゆっくりと手を導く。

「ん――」

優しく撫でられ、たったそれだけで震えそうになる。
触れ合った部分は暖かい。指先の動きが強張った体を溶かすようだった。

下着をずらし、直接触れ合う。

最初はくすぐるように微かに。それから次第に強く。
ゆっくりと解きほぐすように手が動く。
手の平に収まるくらいのサイズで申し訳ないけれど、きっとそれでもいいと言ってくれる。

「っ――」

吐く息は熱く、意識は朦朧としている。
それでやっぱり、これは熱病なんだと改めて思う。
恋の病は心臓と脳をぎしぎしと蝕み続ける。

とっくに硬くなってしまっている部分を指に挟まれ、思わず声を上げてしまいそうになる。
声が漏れても構わないと思いながらもどうしてだか押し殺してしまった。

「は――、っ――」

もう指は乾いてしまって、少し貼り付くように肌を擦る。
だから再び唇に寄せた。それで傷を癒せると祈るように丁寧に濡らす。

「ん、ちゅ――」

湿った音に少しばかりの恥ずかしさを覚える。
けれど思考はそれがどうしてなのか判断できないくらいに朦朧としていて、だから深く考えずに済んだ。




537:VIPにかわりましてNIPPERがお送りします:2011/09/08(木) 20:01:02.55 ID:EsuGrcJHo

離された指は、脇を掠め、ゆっくりと下腹へと伸ばされる。
肌と下着の間に滑り込み、和毛をくすぐるような動きに体がぴくりと反応する。
その小さな身動ぎがどうにも恥ずかしくて小さく息を吐いた。

く、としなやかな指先に力が込められる。
ぬめるような感触と共に肉内に埋没してゆく。
唾液と、そうでないものが潤滑油になって思いの他すんなりと。

痺れるような甘さが走る。

暖かいような冷たいような、痛いようなくすぐったいような、奇妙な感覚。
ほんの少し動くだけでも脳に火花が咲き思考が寸断されてしまう。

優しく、けれど強く。愛撫される。
肉に分け入り、甘くこそがれる。ともすれば引っ掻くように。

小さな水音に顔が紅潮してしまうのが分かる。
いや、きっと全身がそうだろう。目を開ける勇気はないが。

「ん――っ、は――」

漏れ出る声も羞恥心を誘う。きっと今、酷く嫌らしい顔をしているだろう。

けれど感じる事ができる自分が何故だか嬉しかった。
好きなヒトに触れられているのだ。そうでなくてはおかしい。

「とう、まぁ――」

愛しい名を呼ぶだけで心が震える。たったそれだけで達してしまいそう。
えも知れぬ幸福感に身を浸すように肺に溜まった熱を吐きシーツの海に身を沈める。

「く――っは――」

全身を苛む痺れにもがくように体をよじる。
割り込み押し広げようとする動きに対し、離すまいとするかのように強く抱きしめているのが分かる。
意識する事なく動いてしまっている。考えるまでもなく体は正直なのだと嬉しくなった。

心も、体も、魂さえも彼を愛している。
自分という存在全てが彼を愛するために存在している。
爪の先から髪の毛の一本に至るまでもが彼だけのために在る。




538:VIPにかわりましてNIPPERがお送りします:2011/09/08(木) 20:02:38.38 ID:EsuGrcJHo

「っ――くふ――」

喜悦に濡れた音が口の端から漏れる。

それは果たして笑声なのか苦悶なのか、自分でも理解できなかった。
けれど上げた嬌声は当人の意思など関係なく、ただ瞑した闇の中に溶けて消えてゆくだけだった。

ぬるま湯の中に漂うような不思議な気分に身をゆだね、指の動くままに任せる。
赤い靄が掛かったような頭では、吐く息も、軋む体も、何もかもが朧げだった。

世界が曖昧で不確かになっていく。
そんな中で、体内に感じる異物だけが何よりもはっきりしていた。

どこかの巫山戯た狂人に言わせれば世界は自分が見たままそのものだという。
彼の戯言を鵜呑みにする訳ではないが、もしそうなのだとしたら。

五感はどれも曖昧模糊として、外界を知ることはできない。
そんな状態ならばきっと世界には自分がたった一人存在している。
他は全て排斥され、残されたのは自己という限りなく漠然とした存在だった。

そんな自分の中に異物を感じる。
自己ではない他者。それが曖昧な自分の中に影を落とし、その輪郭を模ってゆく。
他者という比較対象を得たことで自己が確実なものとなってゆく。

下腹部がじわりと疼く。

ああ――ならばきっと、世界は愛に満ちている。

限りなく濃縮された世界は自分自身だけ。
その内に他者を感じることで世界は成り立っている。

異なる者と一体となる行為が世界を創造する。
その引き金となる火花が愛という名のものだとしたら、世界は愛によって創られている。

この歓喜を表すには言葉はあまりに不便なものだけれど、あえて表現するなら――気持ちいい、と。
心臓は高く早鐘を打ち鳴らし、血管の中をごうごうと命の水が奔流となって吹き荒れる。
満ち足りて、補われて、触れ合って、世界が溢れ返る。

「――――――っ」

息をするのも忘れるほどの充足感。閉じられた闇の中に火花が散る。
全身が張り詰め、内側から弾けてしまいそう。
息が詰まり声も出せず、数瞬の白く染まった世界の中で何もできず、ただ身を任せるしかなかった。

「………………ぁ」

ようやく口から出た声は言葉にもならず、茫とした意識の中どこか他人のもののように聞こえた。

そして。




539:VIPにかわりましてNIPPERがお送りします:2011/09/08(木) 20:04:15.56 ID:EsuGrcJHo






「…………最低よね」





一雫――頬を伝う何かと一緒に、多分最後に残っていたいらないものが零れ落ちた。




540:VIPにかわりましてNIPPERがお送りします:2011/09/08(木) 20:05:46.43 ID:EsuGrcJHo

――――――――――――――――――――



555:VIPにかわりましてNIPPERがお送りします:2011/09/11(日) 22:42:19.11 ID:UxqLXSBzo

「先生」

ようやく放課後となった教室を出ようとしたところで月詠小萌は呼び止められた。

「なんですか?」

月詠は努めて笑顔で振り返る。
視線の先には長い黒髪の少女が、どこか鬱々とした表情で立っていた。
必然的に見上げる形になる。身長差があるから仕方がないのだが。

姫神秋沙。
自分が担任を務めるクラスの生徒だ。

諸事情あって二学期からの転入生だが、クラスに馴染めるだろうかと不安になっていた事もある。
一時期は自分の住むアパートで共に暮らしていた。
そんな事もあって、他の生徒よりも多少――目を掛けている、かもしれない。

姫神は見上げる月詠の表情にほんの少しだけ眉を顰め視線を逸らす。
が、一呼吸を置いて再び月詠を見た。

「あの。……」

言いよどむ。

躊躇うような仕草だ。もしくは怯えだろうか。
月詠を見る姫神の瞳は揺れている。

口を開いてしまう事で何かよくない事が起こってしまうのを恐れているかのよう。
言葉にしてしまえばそれが現実となる。そう分かってはいるのだけれど、言葉にせずにはいられないような。

――予感はあった。

月詠も気付かない訳ではない。彼女はこのクラスの担任で、それも人一倍職務に忠実だった。
教師という職。子供に物を教える大人。彼女は教師であったし、そうであろうと努力している。
だからこそ月詠は優しげな笑顔を変えぬまま続く言葉を待った。



556:VIPにかわりましてNIPPERがお送りします:2011/09/11(日) 23:09:01.75 ID:UxqLXSBzo

時間にしてみればほんの数秒ほどだろう。
姫神は意思を込めて息を吸い、言葉を吐いた。

「上条君。ずっと休んでるけど。大丈夫なの」

……予感はあった。

ここのところクラスの空気はどこか沈んでいた。
理由など簡単だ。少しでもこのクラスの事を知っている者が考えればすぐに思い至る。

教室が静かなのだ。
事あるごとに騒ぐ――と言えば語弊があるが、賑やかしがいない。
ムードメーカーと称すれば適当だろうか。笑顔の中心となっていた少年が、いない。

「上条ちゃんですか?」

もう一人、彼と同じく欠席を続けている少年がいるのだが、そちらはいいのだろうかと月詠は頭の片隅で考える。
二人とも一般的には遅刻早退欠席常習犯で、一般的には問題児とされるような少年だ。
けれど月詠からしてみれば皆同じ生徒である事に変わりはない。
多少個性的で困らせ物ではあるが可愛い生徒だ。

そんな時に頭痛の種になるような、それでも愛しいと思える生徒が二人、一週間ほど連絡を絶っている。

多少なりとも訳あり、それも特殊な類の事情を抱えた二人であることは認識している。

その一端を月詠が知り得ているのは自分が彼らからそれなりに信頼されている証だろうという自負はあるが、
だからといって不用意に踏み込めない酷く難しい事情であることも理解していた。



557:VIPにかわりましてNIPPERがお送りします:2011/09/11(日) 23:22:26.23 ID:UxqLXSBzo

月詠小萌は教師である。

その立場はどこか医者にも似ている。
生徒から無条件に信頼されるような人物でなければならない。
極論、彼らのその後の人生に影響を及ぼす事が許されているのだ。
経験浅く未熟な彼らを先導する者として高潔でなければならない。そう思っているし実践に努めている。

姫神に対しても同じだ。
個人的な付き合いはあるもののここは学校で、教室で、二人の関係は教師と生徒だ。
だから――下手を打てない。
月詠が教師である以上は間違う事は許されない。不用意に問題を発生させ混乱させる事は絶対に出来ない。

職務に私情は許されない。

無条件に信頼されるためには、無条件に信頼せねばならない。
そしてその相互の関係においてのみ許される全てを、そうでない者に明かしてはならない。
守秘義務が存在する。彼らの心情、苦悩、葛藤、人生、そういった諸々を漏らしてはならない。

だから月詠は笑うことしかできなかった。

「もー、上条ちゃんも困ったちゃんですよね。
 最近サボりが目立ってきてますけど、これは一度しっかりお説教しないといけませんね」

時々ふらりとどこかへ消えて、帰ってきたかと思えば病院のベッドの上に括り付けられているような少年を思い返し月詠は笑う。

どこで何をやっているのか。問い質したいのは山々だが不用意な詮索はできない。
そこは踏み込んでいい場所なのか――月詠には判断ができなかった。

「上条ちゃん、時々ふらーっとどっかに行っちゃうクセがありますから」

だから困ったように笑うしかできなかった。



558:VIPにかわりましてNIPPERがお送りします:2011/09/11(日) 23:56:16.99 ID:UxqLXSBzo

言葉にしてから、内心しまったと舌打ちする。病欠の連絡が入っていない事を暗に漏らしてしまった。
だが大丈夫だろう。姫神も彼らの悪癖は知っているはずだ。

今までは困りこそしたものの大して心配もしていなかった。
精々二、三日の後にはまた元気な顔で戻ってきてくれていた。

けれど今週、月曜から金曜までずっと教室に顔を出さなかった。
思えば先週末も姿を見ていなかった気がする。

最後に彼らの顔を見たのはいつだ――?

記憶を遡ろうとして、彼らの顔を思い出す。
彼らは髪が特徴的だから目に付きやすい。記憶にも映像として残りやすい。

黒と、金と、――青?

思い返そうとして、どうしてだか記憶にある日常の一コマが浮かばなかった。
一人一人の顔は思い出せる。だが、彼ら三人――いや、二人がいる風景が朧気だった。
どうしてだか滲んでしまったようにぼんやりとして、まるで夢の記憶を探るように霧中としている。

「……小萌?」

名を呼ばれ、はっと我に返った。

「もー。学校ではちゃんと先生って呼んでくださいよ」

意図的に子供っぽく振舞って誤魔化した。
こういうときだけは自分の外見も役に立つ。



559:VIPにかわりましてNIPPERがお送りします:2011/09/12(月) 00:44:05.76 ID:hg4EU4/ho

「……。……」

姫神の表情は晴れない。
彼女の不安を取り除く事などできはしないと月詠自身も分かっている。
だが姫神もまた月詠の生徒だ。

「大丈夫ですよ」

何の根拠もなく、ほんの少し気休めになればいい程度の言葉だが月詠は笑顔で言った。

「きっと来週にはまた会えますよ。
 だって上条ちゃん、そろそろ本気で出席日数が拙いですからねー。本人にも言ってるんですけど」

はぁ、と嘆息し月詠は苦笑して姫神を見る。

「だからその時は、姫神ちゃんも一緒に怒ってくださいね。
 いい加減に危機感を持ってもらわないと進級できないかもしれませんから」

「それは……。……困る」

そう言う姫神の顔が少しだけ笑みを浮かべたように見えたのは気のせいだろうか。

「それじゃ、私はそろそろ仕事がありますから」

「うん」

「また来週。姫神ちゃんも、風邪とか引かないでくださいね? 入れ違いにお休みだなんて、嫌ですよ」

半ば強引に会話を断ち切り、月詠は教室を後にした。
そろそろ限界だった。引き際は肝心だ。

「上条ちゃん……土御門ちゃん……、……」

誰にも聞こえないような小さな声で名を呟く。
あまり口煩くは言いたくないが、来週になっても出席しないようだったら直接寮へと乗り込まなければならないかもしれない。
場合によっては第三者、彼らの同居人や妹からも言ってもらえるように頼まなければならないだろう。

そんな憂鬱と不安を抱えながら月詠は職員室へと急いだ。

顔に笑顔の仮面を貼り付けたまま。胸の中に何かしこりのような蟠りを感じながら。



――――――――――――――――――――



571:VIPにかわりましてNIPPERがお送りします:2011/10/07(金) 19:23:25.41 ID:l2v1Dqjpo

『過去のログデータのラベリング進行状況は現在96%です。
 予定完了時間まであと百三十一分です、とミサカ一〇五〇一号は経過報告をします』

『メモリ最適化ツールの最終バージョンをリリースしました。
 アップデートパッチをストレージからダウンロードしてください、とミサカ一三〇七二号は通達します』

『ログ検索ツールの作成はデータ整理と同時に行っています。完成までしばらくお待ち下さい、とミサカ一〇〇九〇号は報告します』

『それではこれより最終同期テストを行います。状況はよろしいでしょうか、とミサカ一八〇二二号は確認します』

『三十秒待ってください――、――オーケーです。ハンバーガーを食べ終えました、とミサカ一八八二〇号は飲み下し頷きます』

『それではこれより同期テストを行います、とミサカ一九三四八号が代表してアナウンスします』

『同期テストはUTC0600より開始、テスト時間はおよそ二・五秒間です、とミサカ一七四〇三号が確認を取ります』

『総員、十分な演算領域を確保してください、とミサカ一〇八二二号は通達します』

『了解しました、と歩行中だったミサカ一三五七七号は立ち止まり目を瞑ります』

『カウントダウンをミサカ一二〇八三号が行います。十五秒前――十秒前――五秒前、三、二、一――』



『『『同期開始――』』』



『――同期テスト完了しました。九九六八個体において同期成功しました。
 遅延は最大でおよそ〇・〇六六六六八秒、誤差は最大でおよそ五二のマイナス十八乗です、とミサカ一五一一三号は報告します』

『シミュレーションの通りです、とミサカ一〇八四〇号は首肯します』

『ご苦労様』



572:VIPにかわりましてNIPPERがお送りします:2011/10/07(金) 20:26:39.22 ID:l2v1Dqjpo

『ネットワーク上の低レベルデータのバックアップは各自でお願いします、とミサカ一五三二七号は通達します。
 十分後より一斉走査、及びラベリングを行います。
 レベルが基準に達しないデータは全て事前通達の通り、削除もしくは高次圧縮を掛けます、とミサカ一五三二七号は再三警告します』

『全個体での観測範囲内の地磁気マッピングが完了しました、とミサカ一四三三三号はデータをアップロードします』

『対学園都市用電脳プロテクトに対するアタッキングルーチンをバージョンアップしました。
 必要な個体は導入しておいてください、とミサカ一九〇〇九号は告知します』

『これよりネットワーク上の全データに対しラベリングを開始します。
 担当の検体番号一七〇〇〇番台は総員作業を開始してください、とミサカ一七〇〇〇号は指揮します』

『データ『雑誌の占い』を削除しました、とミサカ一七四〇三号は作業経過を確認します』

『地磁気マップに対するネットワークの自動最適化パッチを作成します、とミサカ一二四八一号は作業に取り掛かります』

『クラウドデータ『九月三十日』(レベル8)を纏めました、と一七〇〇九号は報告します』

『過去のログデータのラベリング進行状況は現在98%です。
 予定完了時間まであと七十五分です、とミサカ一〇五〇一号は経過報告をします』

『――システムメッセージ、バックアップデータ削除を完了しました、とミサカ一七二〇三号は作業を終了します』



573:VIPにかわりましてNIPPERがお送りします:2011/10/07(金) 21:36:43.08 ID:l2v1Dqjpo

『――予定を前倒しして同期を開始してもよろしいでしょうか、とミサカ一三五七七号は尋ねます』

『どうしてわざわざ予定を早めてまで、とミサカ一二四八一号は疑問を返します』

『そもそもまだ幾つかの作業が未完了です。パフォーマンスは十分ではありません、とミサカ一二〇五三号は指摘します』

『いえ、ミサカからもお願いします、とミサカ一八四一三号は努めて平静に要求します』

『具体的な理由を提示してください、とミサカ一九九九九号は眉を顰めます』

『絹旗最愛と接触しました、とミサカ一三五七七号は報告します』

『垣根帝督と接触しました、とミサカ一八四一三号は敵性個体と判断し交戦状態へ移行します』

『予想よりも早いですね、とミサカ一〇〇五〇号は率直な感想を漏らします』
              アドミニストレータ
『ミサカ一八四一三号より暫定上位個体へ。全個体高次同期許可を申請します』

『申請を受理、同期許可。
 暫定上位個体より全『妹達』へ、セントラルを一〇〇五〇号及び一八四一三号へ設定。
 ただし一〇〇五〇号については交戦を認めず。これを海原光貴の試験とする。監督せよ』

『全個体で新バージョンプロトコルの展開を確認、とミサカ一六七七〇号は実況します』

『演算能力追加パッチを滑り込みで完成させました。送信します、とミサカ一二〇五三号はタイミングの良さを自慢します』

『グッジョブです、とミサカ二〇〇〇〇号はサムズアップします』

『分割演算開始。手筈通りに極東エリアの個体は演算補助を行ってください、とミサカ一〇八五四号はナビゲーションします』

『分割演算全工程完了、結合。送信します、とミサカ一三八七四号は中継します』


          Emuレールガン
『展開――――『偽・超電磁砲』を実行します、とミサカはお姉様に倣ってコインを指で弾きます』



――――――――――――――――――――



574:VIPにかわりましてNIPPERがお送りします:2011/10/07(金) 21:44:49.42 ID:l2v1Dqjpo

『合一演算完了――』



歌うような呟きを耳に。


      ショット
「――――発射、って暫定上位個体が許可するわ」



彼女は笑った。










直後、学園都市の片隅を流星が翔けた。



――――――――――――――――――――



580:VIPにかわりましてNIPPERがお送りします:2011/10/08(土) 21:47:38.59 ID:0NNV7K9wo

――――目が覚めた。

何か、夢を見ていた気がする。
けれどどんな夢を見ていたのか。内容は思い出せない。

(――――まあ、どうでもいいか)

きっと、それを思い出せば泣きたくなる。
だから考えない事にした。

既に日は落ち、部屋は暗い。
ここ数日は寝てばかりだった。疲れているのだから仕方ないが。

部屋には他に誰もいない。自分だけだ。
そこだけ世界から切り取られたような錯覚。
自分の立てる僅かな衣擦れの音だけが嫌に耳についた。

時間感覚はとうに狂い、サイドテーブルの上で緑の光を放つデジタル時計でようやく時刻を知る事ができる。
寝過ごしたらしい。もう少し早く起きるつもりだったが。

ぐしゃぐしゃになったシーツを蹴飛ばし、同じようになっていたブラウスを手繰り寄せた。
丁寧にボタンを留め、リボンタイを付ける。
皺の目立つスカートに足を通し、誤魔化すように上からブレザーを羽織った。

部屋に鏡はなく、仕方なく暗い中で手櫛で髪を整える。
それから、ぱちんと髪飾りを留めた。



581:VIPにかわりましてNIPPERがお送りします:2011/10/08(土) 21:50:33.23 ID:0NNV7K9wo

「ん、よし」

頷き、それから彼女は右手で左腕を抱くように胸に寄せ、まるで何かに祈りを捧げるように目を閉じる。

「――――――」

小さく何か囁き、同時、左の手指に口が触れた。



もし神という存在がいたとして。

そんな最低なヤツになんて祈りを捧げる必要はない。



カーテンの開け放たれた大きなガラス窓から見える夜景はちかちかと、まるで満天の星空のようだ。
空は雲が広がっているが、所々に切れ間がある。しかし下界が明るすぎて星は見えない。

壁際、ハンガーに掛けられた黒い上着を手に取り、袖を通す。



何故ならここから先は悉く地獄の底まで一方通行で。

故に、ここには救いも願いも祈りも赦しもなく。

だからこそ、



「――――――さぁ」



ばさりと、黒衣の裾を翻し彼女は発つ。

ようやく、燦然と煌く摩天楼の下に広がる地獄の舞台に。

主演が登場する。



582:VIPにかわりましてNIPPERがお送りします:2011/10/08(土) 21:52:04.38 ID:0NNV7K9wo

            レールガン
「――――行くわよ、幻想殺し」



583:VIPにかわりましてNIPPERがお送りします:2011/10/08(土) 21:52:55.59 ID:0NNV7K9wo

――――――――――――――――――――

・幕前
(或いは幕前2、終章への序曲、そして)

『えにし』

Closed.

――――――――――――――――――――



584:VIPにかわりましてNIPPERがお送りします:2011/10/08(土) 21:55:47.45 ID:0NNV7K9wo

「――それで、おしまい」

全てを語り終えた御坂は苦笑するようにはにかんだ。

「これって中々恥ずかしいわね。慣れない事はやるもんじゃないわ」

「――――――」

それに答える声は、ない。

彼女の眼前に力なくへたり込んだドレスの少女はぴくりとも動かなかった。

目を見開いたまま、瞬き一つせず、眼球の渇きを防ぐためか涙を滂沱と流しながらも身動き一つない。
その両眼に生の光はなく、彼女の瞳は周囲の光を反射しているだけの鏡でしかなかった。

御坂は暫く彼女の顔をじっと覗き込んでいた後、その頭を掴んでいた右手を離した。

「最後まで聞いてくれてありがと」

それから御坂は彼女に背を向けると、その指先でエレベーターの操作パネルのスイッチを押す。



――――“R”



ゆっくりとモーターが動き出し、連結したワイヤーが重い鉄の箱を暗い坑の底から上へ上へと引き上げる。
対し同等の質量を持つカウンターウェイトが奈落へと沈むように、下へ、下へと降ろされてゆく。



585:VIPにかわりましてNIPPERがお送りします:2011/10/08(土) 21:58:26.66 ID:0NNV7K9wo

「ところでさ」

微かな振動を鼓膜と足裏で感じながら御坂は背を向けたまま彼女に再度言葉を投げた。

「アンタ、名前は? 私まだ聞いてないんだけど」

彼女がその答えを口にすることはなく、代わりに応えたのは酷く簡素な乾いた電子音。目的の階への到着を知らせる機械の声だった。

「……答えらんない、か。まぁそれもそっか」

ごとん、と重い響きを伴って鉄箱の扉が開く。
その先には暗い通路と瓦礫と化した扉、そして――無人の、戦闘と破壊の痕跡の色濃く残る屋上。

「ほらほら、手を繋ごうよ」

御坂は力なく垂れ下がった彼女の手を取り握ると、強引に引っ張った。
それに対し微塵も抵抗しない彼女はそのまま体勢を崩し、そして地球の引力に引かれるままに倒れ――。

ごとん、と鈍い音が響く。
例えるならばボーリングの球を投ずるときのあの独特の音。
重い何かが床面に落下するときのもの。

けれど御坂はそれに頓着する様子など一切なく、手を引くというただ一つの動作だけを実行する。
まるで壊れた機械人形が意思のないままに自動的に動くように。決められた手順のみを絶対の無感情をもって遂行するように。

ずる――ずる――と、弛緩し切った体は重く、それでも御坂は強引に引き摺っていく。

結果として全ての抵抗なく為すがままの彼女は御坂に引き摺られる事となる。
豪奢なドレスは埃と砂に塗れ、擦過によって無数の小さい傷が刻まれてゆく。



586:VIPにかわりましてNIPPERがお送りします:2011/10/08(土) 22:01:29.95 ID:0NNV7K9wo

御坂はただ前方を向いたまま、引き摺られる少女には目もくれず、誰か――友人にでも語り掛けるような親しげで朗らかな声で問う。

「ねえ、歌は好き?」

ごり、と嫌な音が響く。

本来屋内と屋上とを繋ぐ扉があった場所、崩落した瓦礫の一つに引っかかった少女の体が大きなコンクリートの塊を押し、
同時に彼女の露出した白い腕、肩から少し先の場所に傷が生まれる。

石塊からほんの少し突き出した鋭利な角状の部分が彼女の肌に突き刺さり肉を抉り赤い傷を刻み付ける。

引き裂かれた肉の間からどろりと赤黒い血が溢れ滴る。
粘液質の光沢を帯びた赤い血は白い肌を流れ、腕と床との接触面へと落ちる。

そして引き摺られるたびに画布を絵筆が撫でるように床にその赤い顔料を擦り付け掠れた一本の線を引いてゆく。

「マザーグースって知ってるかな」

繋いだ御坂の右手。
一瞬、その周囲を光の蛇が絡み付くように踊り――同時に手を繋いでいたドレスの少女の体がびくりと痙攣する。

「有名どころだとやっぱりあれよね」

ぎしぎしと少女の体が捩れてゆく。

まるで何かに引っ掛かってしまっているのに無理に機械を動かすように。
ごりごりと『引っ掛かり』を削りながら本来の手順を全く無視して意思の無い機構は命令通りを施行する。

「あ――ア――――」

口の空隙から漏れる音は歯車の軋む音でしかない。

本来想定されていない動きを強要されたために起きる磨耗の響き。
しかし現在彼女を指揮するのは彼女で、この機構にどれだけ歪みが生じようとも痛くも痒くもない。

だから一片の容赦も慈悲も無く、もしかすると目的すらも無く命令のみを下知する。



587:VIPにかわりましてNIPPERがお送りします:2011/10/08(土) 22:06:32.80 ID:0NNV7K9wo

「Ah――h――」

ドレスの少女はただの無感情に喉を震わせる。

泣くように。笑うように。――歌うように。

「h――a――――ha」

強引に身体を捻り起こし案山子のような態で御坂の隣に立ち上がった彼女は虚ろな双眸から透明な液体を滂沱と流しながらどこか祈りにも似た音色を奏でる。

壊れたスピーカーの吐き出すような声。
ノイズ混じりのそれは音を確かめるように緩やかに揺れた後、一つの高さで安定する。

「Ha――h――hum――」

繋いだ手が離れる。
立ち止まった御坂を背後に少女はドレスの裾を強い夜風に翻し緩慢な動きで平坦な屋上の舞台へと歩みを進め。

「わん、つー、すりー、ふぉー♪」

夜闇に紫電が幽かに閃き、軽快な手拍子は空気の爆ぜる音を伴って打ち鳴らされる。

そして――。





「――はンぷーてィだンぷーてィさっとンなーうォーる♪」





少女の口から歌が流れ出る。

ぎくしゃくとしたその動きとは裏腹に滑らかに紡がれるそれは、けれど韻を無視した妙なアクセントで。
そしてどこか子供じみた音色をしていた。

異国の童歌の調べを口ずさみながら彼女は仕掛け時計の人形のように直線的な動きで歩みを進める。

真っ直ぐに――屋上の端に向かって。



588:VIPにかわりましてNIPPERがお送りします:2011/10/08(土) 22:09:19.49 ID:0NNV7K9wo

彼女の歩みの向かう先には簡素な鉄柵が敷かれている。

だが一箇所だけ外側へ巨大な力で捻じ切られ飴細工のようにぐにゃりと歪曲し引き千切られた空隙がある。
真新しい破壊の痕跡の先にはぽっかりと夜の闇が広がり、暗黒がそこに満ちていた。



「はンぷーてィだンぷーてィはっだーぐれーふぉーる♪」



その背中を御坂は数歩遅れて追いかける。

華やかなドレスとは対照的に地味な黒の学生服は闇に溶けるように輪郭を曖昧にし、
先を行く少女の影のように付かず離れず一定の距離を保ったままその後に続く。



「おーざきンぐずほーしーざンどーざーきンぐずめーン♪」



石舞台の階に立つ彼女の纏うドレスはを吹き上げる風にはためき翻り音を立てる。

それはまるで万雷の拍手のようで――。

そして。彼女の口から最後の節が奏でられるその直前に。




   どうやったって元には戻せない
「couldn't put Humpty together again♪」





――とん、と細い右手が少女の背を突き飛ばした。



589:VIPにかわりましてNIPPERがお送りします:2011/10/08(土) 22:11:17.92 ID:0NNV7K9wo




































――――――かしゃん。




590:VIPにかわりましてNIPPERがお送りします:2011/10/08(土) 22:12:38.63 ID:0NNV7K9wo

「へえ。本当に卵が割れるみたいな音がするのね」



591:VIPにかわりましてNIPPERがお送りします:2011/10/08(土) 22:13:44.15 ID:0NNV7K9wo

――――――――――――――――――――

              終幕

           『みさかみこと』

――――――――――――――――――――



592:VIPにかわりましてNIPPERがお送りします:2011/10/08(土) 22:30:55.34 ID:0NNV7K9wo

「それで結局、アンタは何がしたかった訳?」



593:VIPにかわりましてNIPPERがお送りします:2011/10/08(土) 22:31:22.77 ID:0NNV7K9wo

「何も?」



594:VIPにかわりましてNIPPERがお送りします:2011/10/08(土) 22:32:55.89 ID:0NNV7K9wo

「何よそれ。結局、訳分かんない……とも言えないか」



595:VIPにかわりましてNIPPERがお送りします:2011/10/08(土) 22:33:55.99 ID:0NNV7K9wo

「当麻がいない世界なんてどうでもいいわよ」



596:VIPにかわりましてNIPPERがお送りします:2011/10/08(土) 22:34:29.36 ID:0NNV7K9wo

「ああ、つまりアンタは――」



597:VIPにかわりましてNIPPERがお送りします:2011/10/08(土) 22:35:23.68 ID:0NNV7K9wo

「幸福も不幸も、いらない」



598:VIPにかわりましてNIPPERがお送りします:2011/10/08(土) 22:37:13.88 ID:0NNV7K9wo

――私が欲しかったのは最初から一つだけ。



       だから他の何もかも全部、いらない。



599:VIPにかわりましてNIPPERがお送りします:2011/10/08(土) 22:38:08.17 ID:0NNV7K9wo

   御坂「もう、いいや」
   http://ex14.vip2ch.com/test/read.cgi/news4ssnip/1318080321/



転載元
御坂「幸福も不幸も、いらない」
http://ex14.vip2ch.com/test/read.cgi/news4ssnip/1305738544/
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