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御坂「――行くわよ、幻想殺し」【後半】

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御坂「――行くわよ、幻想殺し」【後半】






517:VIPにかわりましてGEPPERがお送りします:2010/11/05(金) 02:22:15.70 ID:hr0P/GAo

浜面はこういう場面を見ていつも思う。

どうしてドラマや映画に出てくる病院は、静まり返っているのだろう。

椅子に座った浜面の前には無機的な白いシーツとベッド。
そこには麻酔で眠る絹旗がいた。

顔は安らかで、辺りの印象も相まって死んでいるようにすら見える。
彼女に掛けられたシーツの胸の辺りが呼吸に合わせて僅かに上下する事だけが生を証明しているように思えた。

絹旗は、麦野に指示され向かった先で、片腕を真っ赤に染めていた。
気絶する寸前で、けれど痛みによって気絶する事すら許されず、路地裏の業務用ダストボックスの影に隠れるように蹲っていた。

朦朧としたまま俯いていた絹旗が、視界に傍らに立った浜面の足が入ったのだろう、冷や汗で前髪がべっとりと額に張り付いた顔な表情を上げる。

そしてゆっくりと、絹旗の顔に表情が戻る。
最初は驚愕、そして一瞬笑顔とも泣き顔ともとれぬ表情を浮かべ、

……その時、とっさに隠そうとした右手を浜面は見た。

彼女の右手は、手首から先がぐずぐずに伸されていた。

その時自分がどんな顔をしたのか、浜面は分からない。
けれど絹旗は確かに、ばつの悪そうな顔を浜面に向け。

――すみません。超ドジっちゃいました。

掠れるような声でそう言って、絹旗は気絶した。

慌てて浜面はすぐさま彼女を担ぎ上げ――思ったよりも軽い体に少し驚きながら――何故か現場からは少し離れた、垣根の支持する病院に直行した。



518:VIPにかわりましてGEPPERがお送りします:2010/11/05(金) 02:32:42.70 ID:hr0P/GAo

手術はあっという間に終わった。

この上なく最悪な形で。

「………………」

絹旗は安らかな顔で、死んだように眠っている。

掛けられたシーツの胸の辺りが呼吸に合わせてゆっくりと上下する。

その傍ら、彼女の右手。
その形作る隆起が、僅かに足りない。

「………………困ったなぁ…………」

小さく、彼女を起こさぬように浜面は呟く。

「これじゃあさ……映画館で…………ポップコーン食べれねえよな…………」

意識せぬまま伸ばされた浜面の手が、握る相手がいない事に気付き、空を掻いた。



519:VIPにかわりましてGEPPERがお送りします:2010/11/05(金) 03:14:47.57 ID:hr0P/GAo

もう随分前のように思えるが、つい最近の事。
浜面が暗部組織『アイテム』に初めて関わった時だ。

まだ学園都市の表舞台から奈落に落ちて間もない浜面に寄越されたのはなんでもない簡単な仕事。
学生証を偽造しろ、と。そう言われた。

加工用に使う顔写真は小学生くらいにしか見えない少女だった。

まあ世の中には小学生くらいの外見の教師もいるとか何とか聞くし、どうにかなるだろうと言われるがままに作った。

そしてその偽造学生証を渡す日。初めて写真の少女と出会い。

そのまま映画館に連行された。

学生証だけだと押しが弱いから、年相応の外見の、見ようによっては大学生くらいに見えないこともない浜面を同伴する。
そんな取って付けたような理由だった。

暗部の仕事だからと緊張していた自分が馬鹿らしかった。
もっと大きな、どろどろとした闇の一端を垣間見る覚悟すらしていたのに、なんて事はなかった。
単に一人の少女の、趣味を全開にした職権乱用だったのだから。

その証拠に彼女は嬉々として、どこかそわそわとして、年相応の少女のような表情で。

だからだろうか。浜面は少しだけ安心した。
学園都市の闇。暗部。そんな中に身を置くような奴らでも、やっぱり人間なのだと。

もしかしたらこれは彼女なりの歓迎会だったのかもしれない。

そう思えば、浜面は少しだけ彼女の事が好きになれる気がして。
同時に、こんな暗部に堕ちるようなどうしようもない屑な奴でも少女の一人くらいは笑わせる事が出来るのだと。

そう思えたのだ。



520:VIPにかわりましてGEPPERがお送りします:2010/11/05(金) 03:38:51.42 ID:hr0P/GAo

その後引き合わされた『アイテム』の面々は、どれも個性的な少女たちだった。

我侭だし気紛れだし、簡単に無理難題を押し付けてくる。
その上浜面をペットか何かと勘違いしてるのか、よくおもちゃにしてくる。

けれど浜面はそれが嫌ではなかった。

相手と、規模と、そして境遇は変わってしまったけれど、それは浜面がかつて共にいた奴らとどこか同じだった。

自分のせいで彼らを失ってしまった。
だから今度はヘマをしないように。

道化でもなんでもいい。
どんなみっともない役を演じてでも彼女らを守ろう。

そう決めた。

だからだろうか、浜面は相変わらず彼女たちにいいように遊ばれて。
その内の一人はどうしてだか浜面を好きになってくれて。

そして一人を失い、その空席に浜面が座る事になる。

まったく涙が出る。



521:VIPにかわりましてGEPPERがお送りします:2010/11/05(金) 04:15:58.65 ID:hr0P/GAo

失いたくないと、そう思ったのに彼女は消えてしまった。

あの日何があったのか。
何がどうしてそうなったのか。

浜面は知らない――――知る事ができなかった。

浜面の立場では何があったのかすら分からない。
知りたいと、そう思っても無理だった。

だからその席に座ってでも浜面は『アイテム』に固着する必要があった。

下請け。雑用。彼女たちのおもちゃ。そして一人の少女の恋人。
そんな脇役では足りない。もっと大きい役名が必要だった。

だから浜面は例えそれが墓荒らしに等しい行為だとしても彼女のいた『アイテム』の一席を手に入れる必要があった。

この地獄に死者に手向ける花はなく、死ねば全てが消し去られる。

ならば死者の魂はどこへ往くのだろう。

科学に汚染された街で浜面は思う。
魂なんてものの存在は見えないし、誰かがその存在を証明したとも聞かないが。


                おもい
死者に手向けられるはずの花はどこに遣ればいいのだろう。



守りたいと、そう思ったのに叶わなかった少女の席に座り、浜面は思う。

けれどその答えは既に出ている。

もう三度目はない。

あるとすればそれは浜面の番だ。



522:VIPにかわりましてGEPPERがお送りします:2010/11/05(金) 05:05:18.72 ID:hr0P/GAo

だが、その結果がこのざまだった。

全てではないが絹旗は永遠に失う事になる。

今度は浜面から映画に誘おうと、そう思っていた。
二人きりで行くとむくれるので滝壺も誘って。
麦野が仲間外れにすんなよとか言いながら誘ってもないのに付いてくるのだ。
それから――――。

「………………」

二度と、あの日のように浜面の作った学生証をその右手で受け取る事はない。

映画館で横から浜面の持っているポップコーンを奪う事もない。

伸ばされた浜面の手は彼女の手を握れない。

……きっと彼女は、彼女たちは、それは浜面の所為ではないと言うだろう。
慰めではなく、事実がそうだから。

それは間違ってない。けれど浜面はどうしてもそれを認める事はできない。

何かもっと冴えたやり方があったんじゃないのかと。

皆が皆揃って笑えるハッピーエンドへ至る道があったんじゃないのかと。

けれど欺瞞でしかない。

現にこうして失っているじゃないか。
失われた少女の席に座り、失われた少女の右手を見ながら浜面は自嘲する。

過去は覆らない。
覆水盆に返らず。割れた卵はどうしようもない。

どうしようもないのだけれど、そうならずに済んだ世界もあったんじゃないか。
つい、そんな事を夢想してしまう。

けれど目を開けば、現実は確かにそこにいて。

「…………絹旗」

聞こえているはずもないが、浜面は彼女に呼びかけ。

そして続く言葉を見失い、口を噤んだ。



523:VIPにかわりましてGEPPERがお送りします:2010/11/05(金) 05:35:10.55 ID:hr0P/GAo

その時。

――――こんこん、

と、ドアをノックする音が聞こえた。

浜面は思わずそちらに目を遣る。
病室の扉。横に引く、レールのついたものだ。
覗き窓はなく、その向こうに誰が立っているのかは分からない。

「……、……」

一瞬、垣根かとも思う。
彼は絹旗の手術中にどこかへ消えてしまい、そのまま戻ってきていない。

けれど即座にそれを否定する。

垣根ならきっとドアをノックするような真似はせず。

そのまま部屋の外で立ち惚ける事もない。

医師や看護士でもない。
彼らは相手の事など気にせず病室に入ってくるだろうし、まして麻酔で眠っている絹旗に気を使うはずもない。

だから浜面は、分厚いフェイクレザーのジャケットの懐に手を入れ、

――――敵、と。そう認識して重い金属の塊を握り締めた。



524:VIPにかわりましてGEPPERがお送りします:2010/11/05(金) 06:32:40.87 ID:hr0P/GAo

浜面のジャケットの内には拳銃が吊るされている。

目立たぬよう横幅を最大限まで削り取った暗器としての銃。

ホルスターに収められたそれは他のものよりも圧倒的に軽いが、確かに殺人機械としての重さを持っている。
その重さを自覚しながら、浜面は銃把を握り、引き金に指を掛ける。

かちり、と安全装置を外す小さな音。

その硬質な響きに、浜面にこの銃を渡した人物の言葉が頭を過ぎる。

――――人を殺すのには慣れなくていい。

彼女はどうしてだか悲しそうな笑顔を浮かべて浜面に言ったのだ。

――――ただ、人を殺すっていう重さには慣れておきなさい。そうでなければ、いざって時に引き金を引けないから。

彼女は常にその重さを身に纏っているのだろう。
超能力者としてのラベルを貼られ、暗部組織のリーダーとして振る舞い、そしてその力を存分に行使する。

だから躊躇いなく人を殺せるのだろう。
ただそこに、彼女の想いは確かにあるのだろうが。

守りたいのだろう、と、そう問われた。

ああ、と、そう答えた。

そして今、この部屋に浜面以外に絹旗を守れる者はいない。
だから浜面がやるしかなかった。
浜面以外にそれができる人物はなく、そして浜面自身もそれを誰かに託すつもりはなかった。

見返りもなく自分を愛してくれた滝壺を守りたかった。

あの日地獄の入り口で笑顔を向けてくれた絹旗を守りたかった。

こんな人を殺すためだけのオモイカタマリを託してくれた麦野を守りたかった。

そして、



525:VIPにかわりましてGEPPERがお送りします:2010/11/05(金) 07:08:12.51 ID:hr0P/GAo

「――――誰だ」

扉の向こうに誰何する。

そして矢張り、しん――――と、無音の静寂が帰ってくる。

答えはない。

案の定だと浜面は自嘲的な笑みを浮かべ、扉に付けられた金属性のパイプのような取っ手に手を掛け。

――――ばん! と、一息に扉を開き、同時に銃口をその先へ向けた。

「…………、」

だがそこに相手はいない。
すぐ目の前には無人の病院の廊下が横たわり、蛍光灯が冷たい光を落としていた。

誰か――子供か何かのいたずらか。そうも思うが、瞬時に否定する。
この状況で何を言っている。絹旗は右手を失い、そして自分の目の前では御坂の形をした少女が自ら首を撥ねた。

そんな悪夢のような状況で、ただの子供のいたずらであるはずがない。

こっ、とどこか遠くで音がした。

「…………」

そろそろと扉の影から顔を出し、廊下の先を覗く。
そこは無人で、蛍光灯の光が静かに照らしていたが。

その先、階段へ向かう角をスカートを履いた影が曲がるのが微かに見えた気がした。



526:VIPにかわりましてGEPPERがお送りします:2010/11/05(金) 07:34:31.79 ID:hr0P/GAo

「…………誘ってやがんのか」

小さく吐き捨て、舌打ちする。

絹旗の能力を破り、彼女の右手を奪った相手ならば。

夕方垣根が交戦した、あの少年の姿を借りた相手ならば。

けれど手には武器。引き金を引くだけで人は殺せる。
立ち回り次第でどうにかできると、そう自分に言い聞かせ。

背後を振り返ればベッドに眠る絹旗。
無防備な、年相応の幼い体と顔の少女。

彼女の能力、窒素装甲は自動的にその身を守るとは聞いたが――眠っている間にもそれが通用するのか。
例えそうだったとしても、現に彼女の右手は失われ、それはその目に見えぬ鎧が無意味である事を証明していた。

浜面は動けない。

誘いに乗って、もし彼らが眠っている絹旗のところに来たら。

だが浜面がここにいたとして彼女を守れるか。

一体どちらの選択が正しいのか。浜面は天秤の微妙な傾きを判断しようと思考しようとして。

サァァァ――――、と。小さな音がしているのに気付いた。

それは天井、目立たぬように取り付けられた院内放送用のスピーカーから出るあのスイッチが入っている時の独特の掠れるような音で。



527:VIPにかわりましてGEPPERがお送りします:2010/11/05(金) 07:42:33.20 ID:hr0P/GAo

『――――ぴん♪ ぽん♪ ぱん♪ ぽーん♪



       お呼び出し申し上げます



       『アイテム』からお越しの浜面仕上様 『アイテム』からお越しの浜面仕上様



       お客様がお見えです 至急 屋上までお越し下さい










       と ミサカは業務連絡致します』



529:VIPにかわりましてGEPPERがお送りします:2010/11/05(金) 08:25:01.26 ID:hr0P/GAo

「………………」

選択肢は失われた。
絹旗は要するに人質で、ここで浜面が行かなければそれは。

「……どうしても来いって言うのかよ」

浜面の名を知っている以上、浜面が無能力者だという事は分かっているだろう。

なのに名指しするのだからきっと彼らが用があるのは自分だけだ。

確証はないが、確信した。

そうでなければ直接この場を叩けばいい。
わざわざ無能力者の少年一人を呼び出して、絹旗と離す必要はないのだから。

浜面は廊下へ一歩踏み出し。

「――――」

足を止め、振り返った。

視線の先にはベッドで眠り続ける少女。
その安らかな横顔が見えた。

「……ちょっと行ってくるぜ。大丈夫だ、すぐ戻る」

答えがないのは分かっているが、少しだけそれを待って。

「だから絹旗、安心してそこで寝てろ」

呟き、浜面は部屋を出る。

それから目を瞑り、はぁ、と肺に溜まった空気を吐き出し、

薄っぺらで、それでも確かな重さを持つ銃を握り締める。
まるで自分みたいだと思いながら、浜面は己の心に殺意を込める。
がちり、と撃鉄を起こし、目を開いた。

「ああ――――残らずぶち殺してやる」

ゆっくりと扉が閉まり、もう浜面は振り返らなかった。



――――――――――――――――――――



532:VIPにかわりましてGEPPERがお送りします:2010/11/05(金) 14:29:15.85 ID:hr0P/GAo

少し時間は遡る。

相変わらず風の強く吹くビルの屋上。そこに一人の少女がいた。

場にそぐわないドレス姿の少女。『心理定規』と、保持する能力名で呼ばれる少女だ。
彼女は一人、夕方絹旗と海原が交戦し、そして砂皿が狙撃した先の廃ビルの屋上に来ていた。

夕日は落ち、刻々次第に黒くなりゆく天上の輝きは地上の光にかき消され見えない。
街は相変わらず喧騒に包まれているが、激しいビル風がごうごうとうねり、それを覆い隠している。
辺りの夜景は星の海のように煌びやかで、けれど彼女の立つ場所だけは取り残されたように闇を落としていた。

そんな中、夜景から漏れ照らす僅かな光を頼りに彼女は屋上を見回す。

麦野から絹旗と何者かによる戦闘が行われた事を受けた彼女はすぐさまその戦場跡に赴いた。
惨劇の場に残る者はなく、問う相手も殺す相手もいない事を承知の上で彼女はこの場に訪れた。

残る者はなくとも、残された物ならある。

そう、ここには砂皿の銃弾を受けばらまかれた少女の死体がある。
物を語ることはない死体だが、彼女の能力によって何か調べられないかと、そう思ったのだ。



533:VIPにかわりましてGEPPERがお送りします:2010/11/05(金) 15:15:09.69 ID:hr0P/GAo

――――『心理定規』。

そう呼ばれる彼女の能力はその名の通り相手の心を『推し量る』ものだ。

感情の大きさ、想念の質量、執念の距離。
そんなものを測量し、明らかにする力。

死体に意志はなく、残留思念と呼ばれるオカルティックな物の存在を彼女は信じてはいない。
が、脳細胞が多少なりとも生きているなら、もしかしたら計測できるかもしれない。

そもそも彼女はその力が脳に働きかけるものなのかすら知らない。
相手の肉体の小さな動きや表情の変化、視線の移ろい。そんなものから推量しているのかもしれない。

だが彼女にとってそんな事はどうでもよかった。
自分がどんな能力を持ち、それをどのように行使すればいいのか。それさえ分かっていれば十全だ。

人の放つ感情。そして矛先。
思いがどこからどこへ向けられたものか。ベクトルの向かう先には必ず相手がいる。

相手のいない思いの場合は拡散してしまって分からないが、誰か特定の人物に対し何らかの感情を持っているならば、
その大きさと、そして相手を彼女は理解する事ができる。

死体は御坂美琴の姿をした、人造の少女だと垣根は言っていた。

ここで、絹旗は海原光貴と――本物の、『念動力』の異能を持つ大能力者の少年だ――と、御坂美琴の姿をした少女と交戦した。

垣根と浜面は別の場所で、上条当麻の姿をした『海原光貴』――エツァリと名乗った『グループ』の構成員だった少年だ――と、御坂美琴の姿をした少女と交戦した。

御坂美琴。
上条当麻。
海原光貴。
そして彼らが言及したという、結標淡希。

行方不明者のうちこれだけが雁首を揃えているのだ。関連性がないほうがおかしい。
だから、ここで死んだ少女は必ず彼らに対して何らかの感情を持っていたはずだ。

その内容や大きさから彼らが何を思って、何を目的として動いているのか。それが推理できないかと彼女は思ったのだ。



534:VIPにかわりましてGEPPERがお送りします:2010/11/05(金) 16:20:26.96 ID:hr0P/GAo

だから死体が処分され場が清掃される前に慌てて下部組織の連中を止めてやってきた。

彼らの手にかかれば死体や血痕はおろか、ありとあらゆる戦闘の痕跡すらも消されてしまう。
そこで誰かが死んだ事を完膚なきまでに駆逐してしまうのだ。
さすがにそんな事をされては『心理定規』も使えない。

そして彼女は一人、惨劇の場に立つ。

屋上、辺りを見回し、彼女は呆然とした。

「…………どうなってんの、これ」

誰もいない屋上で彼女は思わず呟いた。

確かにここで誰かが死んだのだろう。
辺りを染める夥しい血痕がそれを如実に物語っている。

バケツをひっくり返したような、人体のどこにそれだけの量が内包されているのかと思うほどの赤。
これだけの血液を撒き散らして生きていられる人間がいるはずがない。

だが、死体はどこにもない。
それどころか肉の一片、髪の一房すら残されてはいなかった。



535:VIPにかわりましてGEPPERがお送りします:2010/11/05(金) 16:38:51.22 ID:hr0P/GAo

放射状に広がっている血は高速の弾丸を受けたからだろう。一方向に向かって飛び散っている。
歪んだ錐状に広がる趣味の悪い絵画の根元、そこだけ紙にペン先を押し付け続けたように広がる円の部分は死体があった場所だろう。

それに歩み寄り、ドレスが汚れるのも気にせず彼女は膝を付いた。

携帯電話のカメラ用のライトを点灯させ、ほとんど乾いてしまった血の跡を照らす。
何もかもが真っ赤に染まったそこには、僅かな砂と砕けたタイルの欠片があるだけで、人体の痕跡はその塗料だけだった。

――――いや、

彼女は気付く。

人肉の欠片もそこにはない。
だが、微かに違和感があった。

多分血に染まってしまっていたから気付けた、些細な変化。

「……、……」

彼女は少しだけ躊躇って。
染み一つない真っ白な右手を広げ、べたりと床に押し付けた。

手にはひんやりとした石の温度と、乾いた血痕のあのざらざらとした気持ち悪い肌触り。
掌から伝わる感触に顔を顰めながら彼女は真っ赤なそこを撫で摩った。

触覚が集中する掌。
五指が感じるその僅かな変化に彼女は確信する。

そこだけ、彼女の手元だけが、タイルがほんの少し隆起していた。



536:VIPにかわりましてGEPPERがお送りします:2010/11/05(金) 16:56:53.49 ID:hr0P/GAo

「これってもしかして――――」

彼女は小さく呟く。

恐らく自分の考えは正解だ。
確かにこれは可能だし、ありうるだろう。

現にあの行方不明者のリストの中には。

そう、思わせ振りな文句でその所在を有耶無耶にされた結標淡希とは別にもう一人、





「――――あら。気付いてしまいました?」





「………………!」

自分のものではない声に少女は驚き振り返る。

夕刻、戦闘の折に絹旗が破壊した内部と外部を隔てる鉄扉。
それがあったはずの場所にぽっかりと口を広げる暗闇の、その上に。



「こんばんは――――いい夜ですわね」



見覚えのある制服を着た少女が一人、二つに括った髪を夜風に靡かせながら静かに腰掛けていた。

「白井――黒子――――!」



538:VIPにかわりましてGEPPERがお送りします:2010/11/05(金) 17:53:52.03 ID:hr0P/GAo

名を呼ばれ、白井は僅かに微笑を返し風に嬲られる髪を右手で押さえた。

「ああ、夜風が気持ちいいですわね。……月が出ていないのと少々寒すぎるのが玉に瑕ですけれど。それもまた風流というもので」

「ガキに風流なんて解せるの? それに、この場を前にして言えるなんて相当イカれてるわ」

自分から視線を逸らし風上を見上げる白井に彼女は思わず返答して、失態に近い自分の行為に顔を顰めた。
そんな事はどうでもいい。今は国語の授業でも、恋人と語らう時間でもない。

「これ、アンタの仕業ね」

立ち上がり、ドレスの裾に付いた砂埃を払いながら彼女は問いに近い確認を取る。

タイルの隆起。それは下から上へ突き上げられたものだ。

つまり――タイルの下から何かがそこを押し上げているのだ。
何が押し上げているかは彼女の想像に難くなかった。
                    、 、 、 、、 、 、 、 、 、 、 、
「アンタ――――死体をここに、床と天井の間に埋めたわね」

彼女の言葉に、白井は視線を戻し、にっこりと柔らかく微笑んで頷いた。

「ええ、そうですとも。わたくしがやりましたの。……それがどうかしました? それとも、いい子いい子って褒めてくださる?」



539:VIPにかわりましてGEPPERがお送りします:2010/11/05(金) 18:13:45.97 ID:hr0P/GAo

その白井の表情と言葉に、彼女は吐き気を催す。

正気の沙汰ではない。暗部に身を置く彼女ですら、そう感じた。

死体の処理を、狙撃ライフルの一撃を直に受けてバラバラに飛び散った肉片を一つ残らず消し去って。

白井は顔色を変えるどころか笑ってすらいる。

死体を弄繰り回すのが楽しくて仕方ないという頭の犯しな連中の哄笑ではない。
彼女のそれは童女の笑みだ。
綺麗におもちゃの片付けができたと親に自慢する子供の笑顔だ。

心が壊れてしまっている訳ではない。
あまりの地獄を見て心を壊乱してしまった者は山ほど見ている。

けれど白井は正しく間違い狂っていた。
それは、根本からそういう風に出来てしまっている、紛う事ない狂人の微笑だった。

数日前まで上等な、極々普通の学校に通っていた中学一年生の少女。
何がそうまで白井を変えてしまったのか。彼女には理解できなかったし、したくもなかった。

「アンタ、やっぱりイカれてるわ」

嫌悪感を隠そうともせず、彼女は吐き捨てるように言った。

「コイツを平然と――その笑顔でやってのけるなんて、やっぱりアンタ狂ってる」



540:VIPにかわりましてGEPPERがお送りします:2010/11/05(金) 18:35:13.97 ID:hr0P/GAo

「……平然と、ですって?」

彼女の言葉に白井は僅かに顔を歪ませる。

「平然と、そんな事、できるはずもないでしょうに」

ひく、と白井の口の端が痙攣した。

「わたくしが、わたくしの敬愛してやまないお姉様の、その似姿を、その死体を、平然と処理できるはずもないでしょう?」

ひく、ひく、と頬を引き攣らせながら白井はゆっくりと、噛み締めるように言い。

「ええ、そんなはずありませんの。だってそれ、お姉様の形をしているんですのよ」

次第に、言葉は早く、そして口の端と頬の痙攣も加速する。

「だってどうしてわたくしが、お姉様の姿を模した、肉人形に、その残骸にああ汚らわしい、考えただけでも、思い返しただけでも吐き気がしますの、その最低最悪な肉人形を処分するのにわたくしがどうしたか分かってて言ってますの、ええ確かにわたくしの空間移動能力でアレを始末いたしましたけれどそのためにわたくしは一つ一つこの手でアレに触れなければなりませんのよああ汚らしい汚らわしいどうしてそんな事を思い出させますの醜悪な肉の欠片を一つ残らずわたくしは膝を付いてこの手指で触れて残らずこの廃屋に打ち込んでその時のわたくしの苦痛といったらあなた分かってて言ってるんでしょうねそうですわよね『心理定規』さんあなた心を操るんですわよね心の距離を操作するんですわよねでしたら分かってらっしゃいますよねわたくしがお姉様をどれだけ信仰してやまないかをどれだけお姉様を敬愛しているかをそれを分かってて言ってるんでしょうねそうでなくては困りますわわたくしのお姉様への想いがどれだけ重要か分かっててそれでわたくしを精神的に苛んでらっしゃるんですわよねわたくしのお姉様への愛を試してるんですのねええそうですともわたくしお姉様のためならなんだってしてのけますの大切な友人だって綺麗さっぱり切り捨ててみせますし今までの人生たった十三年かそこらですけれど全て投げ打ってどんな汚れ仕事でもしてみせますわ全てお姉様のために捧げますわそれがわたくし白井黒子であるが故にお姉様のためならなんだってやってのけますわ――――!!」



541:VIPにかわりましてGEPPERがお送りします:2010/11/05(金) 18:52:49.57 ID:hr0P/GAo

吠えるようにそう言い放って、白井は血走った目を閉じ、肩で息をする小さな体を両手で抱き締めて、それからゆっくりと冷たい夜気を肺に吸い込み。

「――――ご理解いただけまして?」

にっこりと、微笑むのだった。

「――――やっぱりアンタ、狂ってる」

「褒め言葉として受け取っておきますの」

彼女の掠れるような声に白井は頷いた。

「わたくし、確かにお姉様に狂っております故」

そして、白井は少し驚いたような顔を見せる。

「……あら。あなた、どうしましたの?」

視線は僅かに彼女を逸れ、下へ向く。
白井はつい、と手を差し出し、彼女を指差す。

「お寒いんですの? そんな服を着ているからかしら。震えてますわよ」



542:VIPにかわりましてGEPPERがお送りします:2010/11/05(金) 20:26:37.27 ID:hr0P/GAo

見れば。

「――――――」

指先が、手が、腕が、震えていた。

言われてようやく寒さを思い出した。
しかしその震えは寒さによるものではない。

どうしようもなく怖かった。

白井が、ではない。

所詮、白井は物理干渉系の能力者。
精神感応系能力者である彼女には絶対的優位があった。

本人がそう明言している御坂美琴。

白井の心の領域の大部分を占めているであろう少女の距離と同等の心理距離を設定すれば、
彼女を傷付ける事はおろか命ずれば迷わず足元に平伏し靴にキスするだろう。

だが。

その為には白井の心を覗き見る必要がある。
白井にとって御坂美琴がどんな存在なのか知る必要がある。

つまりそれは――その深淵に等しい心の闇を覗き込む事に他ならない。

その深淵に潜む白井の精神が形作る魔物がどうしようもなく恐ろしかった。



543:VIPにかわりましてGEPPERがお送りします:2010/11/05(金) 20:43:12.12 ID:hr0P/GAo

「心配しなくても取って食いやしませんの」

風に流れる髪を手で浚い、白井はそれを弄びながら独り言のように呟く。

「結局、わたくしは雑用に過ぎませんの。犬と呼んでくれて構いませんのよ? 褒め言葉ですから」

くるくると指で髪を巻き、手元に視線を落としながら白井は続ける。

「わたくしの仕事はただの掃除ですわ。だって、舞台にゴミが散らばっていては興醒めでしょう?」

ねえ、と顔を僅かに上げ、上目遣いに、高みから見下ろし白井は彼女に視線を向ける。

「何を――言ってるの――?」

白井の言葉が理解できず、彼女は震える声でそう問いかける。
そんな彼女に白井は、おかしな事を聞くといった調子で答える。

「何って、ハレの舞台の演出ですわよ。わたくしはあくまで引き立て役。道化に過ぎませんの。……だからと言って手を抜くつもりは毛頭ありませんけれど」

そう白井は嘯き、またにっこりと、童女のような怖気を誘う笑みを彼女に向ける。

「それでは舞台は整いましたので、前座はこれにて。精々観客を楽しませてくださいまし? 折角の綺麗なお顔とおべべなんですから」

とっ、と白井は両の手で腰掛けたコンクリートを後ろへ押すように、体を前へ投げ出しその場を飛び降り。
屋上に着地する寸前、その姿は空気に溶けるように掻き消えた。



544:VIPにかわりましてGEPPERがお送りします:2010/11/05(金) 21:04:46.72 ID:hr0P/GAo

「………………」

彼女には白井が何を言っているのか分からなかった。

けれどただ一つ理解できたのは。

――――ここにいてはいけない。

理性ではなく、直感で認識した。

白井の言う通りに、彼女の存在が前座でしかないのならば。
今から現れるのは白井なんか比べようもないほどのとんでもない怪物だ。

能力だとか、そんな簡単なものでは済ませられない。
どうしようもない狂気の塊がやってくる。

――――逃げなければ。

だが、彼女はその場から動けない。

足はがくがくと激しく震え、立っているのですらやっとだった。

あるいは既に悟ってしまっていたのかもしれない。
逃げても無理だ。どこをどう足掻こうと太刀打ちできない存在がこの世にはある。
そしてそのどうしようもないものが今目の前に現れようとしている。



545:VIPにかわりましてGEPPERがお送りします:2010/11/05(金) 21:20:51.81 ID:hr0P/GAo

――――かつ、

堅い、けれど軽い靴音が聞こえた。

彼女はその音を聞いてなお、その場を一歩も動けず、歩む事も退く事もできぬまま、ただ呆然と立ち尽くすしかできない。

――――かつ、

それは眼前、白井が先ほどまで座っていた場所のすぐ真下。
遮る扉を失いぽっかりと口を広げた闇の奥から聞こえてくる。

――――かつ、

肌を刺す風は斬りつけるように冷たく、体は既に凍え切っていた。
だが触覚も痛覚も麻痺してしまっているのか、不思議と寒さは感じない。
ただ、両足は相変わらずがくがくと震え、今にも崩れそうで。

――――かつ、

闇の向こうにぼんやりと見える人影。
暗すぎて表情はおろか服すら見えず、それが余計に彼女の恐怖を加速させる。

――――かつん、

大きく響く音に、思わず彼女は、ひく、と喉を鳴らした。

足音は大きくなり、影は緩やかに近付いてくる。

――――かつん、

あと数歩。

――――かつん、

彼女は何もできずただ震えるだけで。



――――かつん、


            、 、
そして、影が闇からぬうと這い出て。

薄気味悪い笑顔を彼女に向けた。



546:VIPにかわりましてGEPPERがお送りします:2010/11/05(金) 21:25:03.25 ID:hr0P/GAo

「あかん、あかんてお嬢ちゃん。そんな怖い顔しとったら愛しの彼も振り向いてくれへんで?
 しかし僕もまだまだやね。ドレス少女ってジャンルもいかにもじゃねーの。まだまだ修行が足りひんわー」





「………………誰?」

場違いなひょうきんな声色と文句に、思わず彼女は呆気に取られてぽかんとした表情を浮かべた。



――――――――――――――――――――



552:VIPにかわりましてGEPPERがお送りします:2010/11/06(土) 21:26:21.18 ID:gNQHikQo

「ちくしょう」

携帯電話を通りがかった清掃ロボットに放り投げ、麦野は吐き捨てた。

「繋がりやしないわ。科学の頂点、学園都市も脆いわね」

ごりごりと金属と合成樹脂を砕く音を背後に、麦野は大通りを歩いていた。
まだ深夜と言うには早い時間。辺りは人々のざわめきと店舗の垂れ流す流行の音楽に満ち溢れている。

だというのに。
街にはどこか仄暗い湿った気配が漂っている。

楽しげなのは量産型のポップスだけで、行き交う学生たちの足は早く、落ち着きのない顔で何やら忙しなくきょろきょろと目玉を動かしている。
急ぐのは家路だろうか。それとも、どこか別の場所だろうか。
そんな事は麦野にはどうでもよかったが、その理由だけは何となく見当が付いた。

「何やら鼠が怯えてるわね。ちゅうちゅうちゅうと煩いわ」

第六感なんて非科学的なものを諸手を挙げて信じる訳ではないが、こういう時だけはありがたい。

皆、何かを感じているのだろう。

地震の前触れのような小さな予兆。
それを頭の隅で見つけてしまって、どうにも落ち着かないのだ。

もしかしたらAIM拡散力場あたりからその『何か』が伝染しているのかもしれない。
アレはお互いに干渉しあうとか、どこかの研究論文で読んだような気がする。

だとしたら、その発生源はどこだろうか。

答えは簡単だ。人の流れの上流にある。

「急ぎなさい急ぎなさい。早くしないと猫に見つかるわよ」

すれ違う学生たちには目もくれず、麦野は不自然な人の流れに逆らって歩き続ける。



553:VIPにかわりましてGEPPERがお送りします:2010/11/06(土) 21:51:53.29 ID:gNQHikQo

やがて――――。

不意に人の流れが途切れる。

街中だというのに不自然に消える喧騒。
通りに面した人気のない店舗の中から聞こえてくる下手糞な日本語ラップが鬱陶しかった。

さて、と麦野は辺りを見回す。

周囲には気持ちが悪いほどに誰もいない。
まるで街が死んだようだ。

人だけが消えた蜃気楼の街。

虚数学区だったか。そんな都市伝説をいつか聞いた気がする。

――――そこではさー、直接脳を掻っ捌いて能力開発してるんだって。結局、もう笑っちゃうわよね。

まったくだ。子供騙しもいいところのそんな噂。
いつものようにファミレスで駄弁っていたある時、そんな話を聞いた。

ただ――もしそれが本当だとするならば。

虚数学区とは自分たちの事だ。
直接脳を切り開いて弄り回すなんてのが日常的に行われている場所がそうだと言うなら、まさに今麦野が立っている場所がそうではないのか。

学園都市の暗部。
煌びやかな表舞台のすぐ裏で繰り広げられる地獄。

まさに虚数と呼ぶに相応しい。
一度そこに落ちてしまえば後は奈落の底すらない、永遠の闇だ。

だから多分、そういう話なんだろう。

そうして実数から踏み外して、落ちて墜ちて堕ちて、真っ逆さまに。

こんなところまで来てしまったのだろう。

振り返ればすぐそこに彼女がいた。

「――――にゃあ」

麦野は、にぃ、と童話に出てくるそれのように口の端を上げる。

「こんばんは、子猫ちゃん。アンタ、姉の方? それとも木偶人形の方?」



555:VIPにかわりましてGEPPERがお送りします:2010/11/06(土) 23:51:46.35 ID:gNQHikQo

「妹の方です、とミサカは訂正します」

常盤台中学の制服を着た少女は感情の読み取れない無表情でそう返答した。

「ち、ハズレか」

舌打ちする麦野はがりがりと髪を掻き。

「いえ、アタリです、とミサカは訂正します」

「…………あぁ?」

怪訝そうに少女を見遣る。

彼女は相変わらずの無表情で、つ、と右手を挙げ、指を立てる。
刺すのは麦野――ではない。

背後。

「…………」

ゆっくりと、麦野は振り返り、そこには――。

「アタリなのでもう一本どうぞ。実際アレ見たことないんですが、とミサカは注釈を入れます」

「…………つまんねー。お笑いの世界は厳しいわよ。出直して来い」

「おや。身内には馬鹿受けだったのですが、とミサカは鏡に向かって練習している気分だったのを思い出します」

「矢張り独り善がりは駄目ですね。自分だけではなく相手も喜ばせなければ、とミサカは思わせ振りな事を言います」

前後、同じ顔の、同じ声の、同じ服装の少女に挟まれ、麦野は軽く眩暈を覚えた。

「ああ……マジつまんねー。こりゃスクラップだ」



556:VIPにかわりましてGEPPERがお送りします:2010/11/07(日) 00:11:08.23 ID:8MfIlL6o

重々しく溜め息を付く麦野に、彼女たちは顔を見合わせ、頷いた。

「ですから最初の掴みは肝心だと、そう提言したではないですか、とミサカは責任を押し付けます」

「いえ、この案はミサカが出したものではありません。ですからミサカに否はありません、とミサカは責任逃れを試みます」

「うっさい黙れ」

不機嫌な顔も露に麦野は睥睨する。
首を振るように彼女らの顔を交互に見、重々しく溜め息を吐いた。

「……んで、この状況もアンタらの仕業?」

「はい。嫌気を催すよう波長を合わせた電磁波を散布しています、とミサカは肯定します」

「もっとも、同系統能力を持つあなたには通用しないようですが、とミサカは改良の余地を提示します」

「はいはい解説ごくろーさん。お陰でやりやすいわ。ごほーびはキャンディがいい? それともチョコレート?」

「「…………」」

お座なりな麦野の態度に、彼女らは再び顔を見合わせ頷き。

「よろしければあなたの首を、とミサカはおねだりします」

「心臓でも構いませんが、とミサカは代案を提出します」

と、無表情に、感情の籠もらない声でそう答えた。

瞬間、麦野の顔が引き攣る。
麦野は髪を掻いていた手を降ろす。
何かを持つように掌を上に向けたまま真横に軽く伸ばし、ゆっくりと指を曲げ。

ぱきり、と関節が啼いた。

「――――テメエら誰に向かって口利いてんだ、ああ?」



557:VIPにかわりましてGEPPERがお送りします:2010/11/07(日) 00:25:05.74 ID:8MfIlL6o

強い風がざわざわと街路樹を揺らす。
空の雲は早く、雲間に覗く月は顔を見せたり隠れたりと忙しない。

とっ、とっ、と苛立たしげに麦野は道をパンプスで叩きながら握った拳を開いた。

「人形遊びをする年でもないんだよ。さっさと親玉のところに案内しやがれ」

「それは無理です、とミサカは即座に拒絶します」

がつ、と一際強く靴底が煉瓦模様を叩く。

しかしそれを全く意に介せず、少女は続ける。

「それと――ミサカにもそれなりの矜持があって臨んでいますので、モノ扱いされるのは心外です、とミサカはあえてとぼけた口調で物申します」

……足音が止む。

麦野は困ったような、ばつの悪そうな表情を浮かべ、しかしそれを彼女たちに向けはしない。
そうしてまた鬱陶しそうに溜め息を一つして。

「オーケーオーケー、分かったわ」

ぱんぱん、と麦野は埃を払うように両の手を打ち合わせ、

「せめて人らしい表現を使ってあげましょうか――――ぶち殺す」

瞬間、病的なまでに青白い光が夜景を貫いた。



――――――――――――――――――――



560:VIPにかわりましてGEPPERがお送りします:2010/11/07(日) 16:58:00.78 ID:8MfIlL6o

ごうごうと耳元で唸る風。
空の雲は早く、星は見えない。

そんな夜天をドレスの少女は仰ぎ、ゆっくりと目を瞑る。
深く息を吸い、溜め息のように吐き出し、顔を水平へ。

……目を開く。

彼女の視界の正面には長身の少年が相変わらず立っていた。

髪は趣味の悪い青色に染められ、耳にはピアス。
赤のダウンジャケットは少女とは対称的に暖かそうだ。
無造作にジャケットのポケットに両手を突っ込み、気持ち悪いほどに人の良さそうな顔で笑っていた。

「………………誰よ、アンタ」

再びドレスの少女は問い、眉の不機嫌そうに寄せられた顔を目の前の人物に向けた。

見た事のない顔だった。

垣根の資料にもなかった顔。
ずっと傍にいたのに気付かずにいて、それが突然むくりと立ち上がったような。
今の今までその存在の欠片すら感じさせなかった、唐突に客席から舞台に上がったような、そんな――影――のような。



561:VIPにかわりましてGEPPERがお送りします:2010/11/07(日) 17:12:52.65 ID:8MfIlL6o

「誰、やて?」

彼女の言葉にぴくりと細められた目の端を動かした。

「誰、って。キミ本当にそんな事聞いてんの?」

笑みは消え、不機嫌そうな、苛立たしげな様子を隠そうともせずに言う。

「よりによってキミがそんな事聞いてまうの?」

「生憎、私にアンタみたいなお友達はいないけど」

ドレスの少女は内心の動揺を必死で抑え込みながら言葉を続ける。

まさか一般人であるはずがない。
このタイミング、この場に一般人が来るはずがない。
もし仮にそんなとんでもなく不幸な奴がいたとして。

どす黒く変色した彼女の足元に見向きもせず平然と立っていられるはずがない。

「そいつは残念やね。僕、キミと仲良くしたかったんやけど」

言葉とは裏腹な圧迫感を感じドレスの少女は得体の知れない感覚に苛まれていた。

なんだこの違和感は。

脳の端の方でちくちくと自己主張するような気味の悪い違和感。
まるで騙し絵を見ているような錯覚。
目の前で確かにそうだと言っているのに、それに気付かないような。



563:VIPにかわりましてGEPPERがお送りします:2010/11/07(日) 17:26:50.62 ID:8MfIlL6o

「まったく残念だわ。私、アンタみたいな趣味の悪い頭したヤツはタイプじゃないの」

反面、彼女は内心でどこか安心していた。

彼女が一番恐れていたのは御坂美琴だった。
人の精神に干渉する能力を持つ彼女にとって天敵とも言える存在。

言ってみれば思考も感情も記憶も精神も、脳細胞同士でやり取りされる電気信号と反応でしかない。
彼女の能力はそれを操ると言ってもあながち間違ってはいない。
道徳的にはどうだか知らないが、人の心なんてものは科学的に見れば所詮その程度の物理現象に他ならない。

だからこそ、その程度の物理現象だからこそ。
電気という現象そのものを操る御坂美琴は彼女の天敵だった。

似たような能力でも麦野の『原子崩し』のような一点特化型であれば何の問題もない。
ただ御坂美琴のそれは――彼女の『超電磁砲』は――その字面と派手さに隠れがちではあるが、あらゆる電子制御を平然とやってのける。
例えば電力。例えば磁力。例えば電気信号。

そんな彼女が生体電気などという一番身近で自然に存在する電気を操れないはずがない。

だからドレスの少女は御坂美琴が目の前に現れてしまうのをどうしようもなく恐れていた。



564:VIPにかわりましてGEPPERがお送りします:2010/11/07(日) 17:44:12.26 ID:8MfIlL6o

だが、蓋を開けてみれば。

得体は知れないが御坂美琴のような最悪よりは幾分かましだろう。
そんなどこか楽観的な余裕が彼女の中に生まれていた。

「まったく残念な事ね。私、アンタみたいな頭の悪そうな髪したヤツはタイプじゃないの」

そんな風に幾許かの軽口を叩ける程度には。

「頭が悪そう、ね。結構自慢なんやけど、この髪」

指で毛先を玩び、深く溜め息を吐いた。

「残念や。まったく残念やわ……結局、『心理定規』はその程度かいな。ちょっとでも期待した僕が馬鹿でしたぁー」

感情をそのまま吐き出すような口調に彼女は寒気を覚える。

人が何かを表現をする時には絶対にフィルタを通す。
それは羞恥だったり、自責だったり、あるいは虚栄だったり。
感情が存在する以上、それを阻む事はできない。

だが彼女の耳を打つ言葉は――まるで加工されていない、真っ白なものだ。
台本を棒読みしているだけのような単なる『そういう言葉』にしか聞こえなかった。

「……ま、せっかく役を譲ってもらってまで出てきた訳やし」

とん、と軽く足を鳴らし。

「魅せ場を作らなな。ちぃとばかし遊んでーな」

「デートの誘いにしては魅力に欠けるわね」

「まあまあ、そう言わず」

再び、とん、と靴の音。



瞬間、彼女の天地が逆転し、

「――――――!?」

受身を取る事もできぬままその場に背中から叩き付けられた。



565:VIPにかわりましてGEPPERがお送りします:2010/11/07(日) 18:01:46.88 ID:8MfIlL6o

何が起こったのか、彼女には理解できなかった。

足音と同時に目の前には雲の掛かった夜空が現れ、その場に倒れ込んだ。

――――まさか重力制御――いや、これは、

ごりっ、と容赦なく胸を踏み付けられ、肋骨が悲鳴を上げた。

「――――ぎ――ぁ――っ!」

「まあ種明かしすると、ぼーっと突っ立っとったキミに普通に歩いて近付いて普通に足払いしただけなんやけどね? 結局のところは」

呻き声をまったく意に介した様子もなく彼女を見下ろすように向けられた顔が、にぃ、と嗤う。

「『キング・クリムゾン』――ッ!! 『結果』だけだ!! この世には『結果』だけが残る!! …………なんちって」

ごぼ、と嫌な音の咳をして、彼女は胸の確かな圧迫感を得ながらも無理矢理言葉を吐かずにはいられなかった。
前後の事象。言葉の意味。それらを踏まえるならば、これは。

「まさか……時流操作能力……っ!」

その言葉に小さく頷き、笑って。

「……はぁ? キミ何言うてんの? そんな馬鹿な真似できるはずもないやろ」

馬鹿にしたような笑みを彼女に向けた。



566:VIPにかわりましてGEPPERがお送りします:2010/11/07(日) 18:15:02.79 ID:8MfIlL6o

「そういえばさっきの『誰?』って質問。答えとらんかったなぁ」

ごりごりと靴底でドレスに足跡を刻みながら相変わらずの目を細めた笑顔で言う。

「んっんー。せっかくやし、なんて言おかなー。あんまり奇をてらっても興醒めやろうし」

「い――ぎ――あが――っ――!」

痛みと涙にぼやけた視界の向こうで人影が笑う。
ぎちぎちと痛みに焼かれる脳の片隅で、けれどそこだけははっきりとクリアな思考が働いていた。

さっきからずっと感じていた違和感。
それが何なのか、この段になってようやく分かった。



――――なぜ自分は能力を使わない――――!?



誰、などと悠長に尋ねずとも相手の名前くらいなら『心理定規』を以ってすれば呼吸するよりも簡単に分かる。
なのに彼女はずっと、自身の持つ能力の使用という選択肢が完全に頭から離れていた。

だが、それが何故かというものに思考が至るよりも早く、声が聞こえた。

「ああ、せやせや。こんな答えはどないやろ?」

言葉と共に滲んだ視界に気味の悪い笑みが降り注ぎ。





「――――『鈴科百合子』――――どや?」



569:VIPにかわりましてGEPPERがお送りします:2010/11/07(日) 18:32:52.65 ID:8MfIlL6o

どこをどう聞いても、それは女性名だった。
だがドレスの少女の視界には長身の、見た目と声と、どう足掻いても男にしか取れない相手がいる。

「本当はこれ、アイツらへのヒントやったんやけどねぇ。
 それがどこをどう間違ったか結局風紀委員の子の方が先に掴んで、おまけにそれっきりやん?
 僕としては残念でしかたないんやけど、まあ仕込んだネタやし、キミは知らんやろけど結局どっかでばらさな面白くないやん。堪忍してーな」

視界にはべらべらと一人で喋り続ける朧気な人影。
輪郭も色彩も何もかもが滲んでしまって曖昧で、それがどんな顔をしているのか彼女には分からない。
ただ一つきっと確かなのは、それが嗤っているという事だけで。

「ねぇ、そろそろ気付いてもいい頃じゃない?」

声。

高い、少女の声だ。

「アンタが能力使えないのも、使おうとしないのも、ほら、分かるでしょ?」

それはすぐ近くから聞こえる。

「ま、結局アンタの『心理定規』じゃ相性悪いわよね。だって――――」

それは――頭上から降ってくる。



「――――私の『心理掌握』は完全にアンタの上位互換なんだから」



570:VIPにかわりましてGEPPERがお送りします:2010/11/07(日) 18:38:33.67 ID:8MfIlL6o

何か言葉を発するよりも先に、視界が暗くなった。

ごぎ、という嫌な音。痛みに叫んでから、顔面を踏みつけられたと理解した。

「もう一度、敗者復活ワンチャーンス」

ぎぢぎぢと摩り下ろされるような痛みが脳の中で炸裂する。
視界は真っ暗で、その上涙で闇すらぼやけてしまっている。

ぱちぱちと耳元で鳴っているのは拍手か幻聴か。

そんな中冷静に分析できる自分がいた。

「さて、ここで問題でーす」

声だけははっきりと。

脳に響くように聞こえた。





「私は誰でしょう?」



572:VIPにかわりましてGEPPERがお送りします:2010/11/07(日) 18:54:08.58 ID:8MfIlL6o

何故か思考はクリアだった。

ヒントは最初からあった。

消えたのは全部で五人。

探しているのは自分たち七人。

消えれない人物が消えていた。もう一人。

消えた少女に似ている少女たち。いっぱい。

消えた人物たち。

いなくなった、行方不明者。

でも、そんなのを数えるより前から、ずっと前から。

もう一人消えていた。

最初から知っていた。

なのにどうしてだか、誰もそれに触れなかっただけで。



そして何よりも視界が閉ざされる直前、

月明かりと街明かりに照らされた、



「――――、」



その金色は、





「――――――フレンダ――――!!」





「はい、よくできました」



574:VIPにかわりましてGEPPERがお送りします:2010/11/07(日) 19:07:16.72 ID:8MfIlL6o

視界に光が戻る。
眩しい。夜だというのに街の明かりは容赦なく目を焼いて、なのにそこは相変わらずの闇だった。

「ま、結局、私が『フレンダ』だろうが『心理掌握』だろうが『青髪ピアスの長身の少年』だろうが、どうだっていいのよ。マクガフィンみたいなものでさ」

そんな中、闇に浮かび上がるようにして見える金色。

髪だ。

覗き込んだ少女から零れ落ちる、金色の髪。

見覚えのある顔と、髪と、目。

もう一人の消えた少女がそこにいた。

「ええそう、私は『フレンダ』。でもそれは私を表す言葉であっても私の名前じゃないわ」

顔も、服も、髪の色も変わってしまったはずなのに相変わらずの笑顔で見下ろし、少女は続ける。

「フレンダ。フレンダ。フレ――ンダ――おっと、そんなところで切ったら勘違いされるわね。
 切る――ええ、結局、切るところが違うわ。フレ/ンダじゃないわよ。ましてフレン/ダでもフ/レンダでもないわ。
 日本語って不便よね。五十音でしか表現できないんだもの」



575:VIPにかわりましてGEPPERがお送りします:2010/11/07(日) 19:23:51.81 ID:8MfIlL6o

胸を踏みつける足は少女の矮躯のままに軽く、だというのにまったく動かせなかった。
それどころか手も、指一本すら動かせずにただ、はっ、はっ、と喘ぐような短い息をするしかなかった。

「いい? フレンダ、よ。フ、レェ、ン、ダァ。Frrrreeeeeennnn――d――a」

目も、耳も、思考もはっきりしている。
目の前の少女が、何と言っているのか、それは分かる。
ただそれがまったく感情を動かさず、意志が凍りついたようになっていた。

故に体はまったく動かない。

ただ彼女の声を聞くしかない。

「結局、日本語で表現しようって事自体が間違いなのよ。
 最初はエフよ、エフ。えふ、あー、あい、いー、えん、でぃ、えー。FRIENDA。
 切るのは最後。FRIEND、A。FRIEND/A。フレンダ――――フレンド/A」

彼女が何を言ってるのか、理解できない。

「ともだちその一。役名なし。エキストラ。結局、鈴科某はギャグよ。
 私はいてもいなくても変わらないような存在。ただの――賑やかし。それが私」

ねえ、と少女が尋ねる。

「結局アンタ――――『私』の名前、知ってる?」



576:VIPにかわりましてGEPPERがお送りします:2010/11/07(日) 19:45:19.27 ID:8MfIlL6o

その問いに彼女は答えられなかった。

涙はいつの間にか消え、視界ははっきりとしている。
思考は凪のように静かで、その言葉をしっかりと認識している。

けれどどうしても心が動かない。

「結局、答えられないわよね。そういう風になってんだもの。そういう設定なんだもの。
 理由なんて後付けで、結局、私なんて皆どうでもいいんだもの」

胸の圧迫感が消える。
少女の姿が視界から消える。

目の前には夜空。
雲間から見える黒に、星は見えない。

「結局、私なんてどうでもいいのよ。話にはあんまり関係ないんだもの。でもわざわざ出てきたのはさ」

ごづっ、と鈍い音。
頭が硬い爪先で蹴り飛ばされ、石床を打つ音。
痛い。痛い。けれど、心が動かない。

痛みに呻くが――だからどうした。

「結局アンタさ、私とキャラ被るのよ。ただそれだけ。ごめんね? 逆恨み」



577:VIPにかわりましてGEPPERがお送りします:2010/11/07(日) 20:04:33.71 ID:8MfIlL6o

しばらくの静寂はごうごうという風の音にかき消された。

どれくらい経ったのか、彼女には分からない。
長いような短いような時間が過ぎて、それからようやく溜め息が聞こえた。

「やっぱりアンタ、殺さない。だってほら、私がそんな事しちゃったら興醒めじゃない。結局、もう冷めちゃってるけどさ」

けらけらと笑う声。何が可笑しいのか、分からない。

「じゃーね、ばいばい。ご愁傷様。――――精々足掻けばいいわ。みっともなく、無様にね」

かつ、と靴底が石を叩く音。かつ、かつ、と続く。
それはゆっくりと遠ざかり、やがて消え。

廃ビルの屋上は冷たかった。
風に体温が奪われ、肌は冷え凍えていく。
けれど彼女はそれが意味するものも、その結果も明白なのに、分からない。

微かに、エレベーターの到着する甲高いベルの音が聞こえた。



――――――――――――――――――――



「――――――っ!!」

跳ね起きた。

体の節々は痛み、肋骨は軋み、頬は擦り傷に血が滲んでいる。
身に纏ったドレスは土と砂と乾燥した血液の粉末に汚れてまるで灰を被ったようだ。
けれど、さほど痛みは大きくない。寒さに奪われた体力の方が大きいくらいだ。

ついさっき起こった事が走馬灯のように頭を駆け巡る。

「――フレンダが生きてて、『敵』で――その上『心理掌握』ですって? …………冗談じゃない!」

きしきしと痛む体に鞭打って起こし、ゆっくりと彼女は立ち上がる。

「麦野は知ってたな……! アイツが『心理掌握』だって知ってたな……!! 生きてるだろうと分かってたな……!!
 なんでその事を言わなかった、協力するだなんてやっぱり建て前か……っ!!」



578:VIPにかわりましてGEPPERがお送りします:2010/11/07(日) 20:16:28.44 ID:8MfIlL6o

視線を走らせ、離れた場所に転がっていた携帯電話を見つけ、急いで拾い上げる。

「とにかく垣根に連絡を……!」

登録された数少ない相手から慣れた手つきで目的の人物の項を呼び出し、発信する。

はっ、はっ、と短く荒い息。
激しい倦怠感にも似た全身の痺れるような痛みを全力で無視し、彼女は携帯電話を耳に当てる。

「………………」

ごうごうと耳朶に響く風の音が煩い。
スピーカーに欹てる耳にも反響して、これでは相手の声が聞こえ辛いじゃ――――。

「………………」

気付く。

携帯電話は、いつまで経ってもあのぷるるるという呼び出し中を示す音を出さず。

「っ…………!」

耳に当てた小さな機械を引き剥がした。

彼女は携帯電話の小さなディスプレイを睨み付ける。
その上の端に小さく表示された二文字は。

「圏外…………っ!」



579:VIPにかわりましてGEPPERがお送りします:2010/11/07(日) 20:31:02.35 ID:8MfIlL6o

使い物にならない携帯を思わず投げ捨てようとして、すんでのところで思い止まる
ここが圏外なら、圏内に移動すればいい。

「とにかくどこか別の場所に……」

痛む足を引きずるようにして、精一杯の早足で彼女は崩れ落ちた扉の方へ歩く。
瓦礫のような口を抜け、狭い廊下を進み、エレベーターの前へ。
操作パネルの一つしかないボタンを押すと、うぃぃぃ――――ん、とモーターの駆動音が聞こえた。

「………………」

あまりに長く感じる待ち時間に彼女は苛立たしげに何度もボタンをかちかちと叩き、終いには握り拳で叩き付けた。

――――ちょっと待て、

ふと彼女は気付く。

学園都市。そう、ここは学園都市だ。
科学の中枢。能力者の吹き溜まり。『外』との技術力に何年もの差がある閉鎖された都市。

その学園都市で、科学の頂点である学園都市で。



――ありふれた携帯電話が圏外なんて事が、それも屋外で、あり得るか――?



「――――――!」

嫌な予感が、悪寒として全身を走った。

その直後。

チ――ン、

と、到着を知らせるベルの音が鳴り、エレベーターの両開きの鉄扉が僅かに揺れた。



580:VIPにかわりましてGEPPERがお送りします:2010/11/07(日) 21:08:59.92 ID:8MfIlL6o

金属の軋む音。扉が開く。

鉄の塊が左右に押し広げられるようにして分かれ、隙間が生まれる。
中からは白い無機質な蛍光灯の光。
暗く狭い廊下に差し込むように広がって。

「………………」

光に照らされた無人のエレベーターのボックス内が露になった。

ただそれだけなのにドレスの少女は安堵に胸を撫で下ろす。

もしかしたら、扉が開いた先にとんでもない怪物がいたら。
そんなホラー映画のような場面を想像してしまった。

昨日、絹旗が見ていた映画の影響だろうか。
ありきたりな量産された安っぽい台詞が、どんなものだったのかは忘れてしまったけれど嫌に印象的だった。

彼女は何かに怯えるように明かりの下に駆け込み、操作パネルの一階のボタンを押し、自動的に扉が閉まるのを待っていられず『閉』のボタンを連打した。

再び軋むような嫌な音。
やけにゆっくりとした速度で扉が閉まり、静かにボックスは動き出した。



582:VIPにかわりましてGEPPERがお送りします:2010/11/07(日) 21:30:00.08 ID:8MfIlL6o

上下前後左右、四方八方から絶え間なく感じる圧迫感。
エレベーターに乗っていてこうまで息苦しさと重圧を感じたのは初めてだ。

上から照らす真っ白な光もやけに気持ち悪い。
温度のない人工の光。感じるのは違和感と肌寒さだけだ。

密閉空間。

逃げ場のない密室。

そんな箱の中でドレスの少女は落ち着きなく視線を動かす。
呼吸も乱れ、足はかつかつと床を叩き続けていた。

早く、早く、早く。

もう何がどうなっているのか分からない。
思考する事すら放棄したかった。

ともかく垣根だ。
垣根に連絡して、合流して、それからだ。

現状で唯一頼れるのは垣根だけだ。
自分が暗部の人間である以上、警備員や風紀委員はあてにできない。
麦野を始めとする『アイテム』はもっての他。
同じ『スクール』でも砂皿は元々外様だ。何があるか分かったものではない。

だから垣根だけが頼りだった。

超能力者の一人にして最強と謳われた第一位を下した少年。
暗部組織『スクール』のリーダー。

彼ならばきっと、絶対、なんとかしてくれる。
そう信じていたし――信じずにはいられなかった。



585:VIPにかわりましてGEPPERがお送りします:2010/11/07(日) 21:51:14.40 ID:8MfIlL6o

思えば最初から気に入らなかった。

『アイテム』との共闘。

よりによって、共闘だ。
支配でも吸収でもなく、共闘。
『スクール』と『アイテム』。
同じ暗部の組織。地獄の雑用係。

考えればすぐに分かる事だ。
そんな存在が仲良く手を取り合ってなんて真似ができるはずがない。

騙し、盗み、賺し、裏切り、惑わし、謀り、陥れ、殺す。
それが日常なのに、そんな普通みたいな真似ができるはずがないのだ。

最初から間違っているのだ。

自分たちは――そういう風にできているのだから。

唯一の例外が垣根だ。

彼の、願いというには小さ過ぎ、野望と呼ぶには大き過ぎる想い。

ある者から見れば矮小で、ある者から見れば妄言に等しく、またある者が見れば憤慨するような、そんな想い。

ある日彼がこっそりと打ち明けてくれたそれは、この暗部にあるには余りにも理想過ぎた。

彼女はその想いに共感した訳ではない。
内緒話をするいつもは気障ったらしい少年の顔がどうにも年相応に見えてしまって。

そして彼女は――それを羨ましいと思った。

こっそりと隠し持っていた宝物とは名ばかりの小さなガラス玉を見せられたようなそんな感覚。
きらきらと眩しいのはそのガラス玉ではなく、それを持つ少年の瞳だった。

暗部に堕ちてなお闇に染まりきらず、威風堂々と立つのはその姿ではなく。

彼女は――――その少年のようになりたいと、そう思った。

いつかの日の自分のように笑う、その少年のように。



586:VIPにかわりましてGEPPERがお送りします:2010/11/07(日) 22:01:41.14 ID:8MfIlL6o

あるいはそれは恋だったのかもしれない。

彼は少年で、そして彼女は少女だった。

けれどそんな些細な事はどうでもよかった。
大事なのは彼は垣根帝督で、ただそれだけだった。

ある種彼女は崇拝者だ。

垣根帝督という偶像。
その前に頭を垂れる妄信者だ。





――――それはまるで彼女のような、





緩やかにエレベーターの速度が落ち、低くなっていくモーターの音と全身に掛かる小さな慣性に彼女ははっとした。

精神に干渉を受けた所為か、思考が上手く働いていないらしい。
酔ったような酩酊感。意識ははっきりしてるのに妙に頭がぼんやりしているという矛盾。

――とにかく早く垣根と合流して――。

携帯電話を握り締め、彼女は一歩踏み出そうとし。



587:VIPにかわりましてGEPPERがお送りします:2010/11/07(日) 22:08:13.43 ID:8MfIlL6o

――――――。

一瞬、それが何を示しているのか分からなかった。

キャンディの箱を開けてみればそこにクッキーが詰まっていたような、ある種の驚き。
想像していたものと違っていると認識した時の瞬間の思考停止。
それを今、彼女は得ていた。



――――――『4』。



数字だ。

そして光だ。

電飾で示された数字。
それは視界のやや上、エレベーターの操作パネルの上で静かに自己主張していて。

そこには『1』という数字が示されていなければならず。

そうでないという事と、そして今この状況。

意味するところはつまり。



588:VIPにかわりましてGEPPERがお送りします:2010/11/07(日) 22:14:36.78 ID:8MfIlL6o

ゆっくりと、彼女を気にもせず、自動的に扉は開く。

低いモーターの作動音と共に左右に。

早くも遅くもない速度で分厚い鉄の扉は開かれ。





影、

闇を背後に、

スカートとブレザー、

常盤台中学の制服、

顔、

見た事がある、

髪留め、

羽織った黒い上着、











「――――――にゃあ」










と少女が笑った。



589:VIPにかわりましてGEPPERがお送りします:2010/11/07(日) 22:42:00.86 ID:8MfIlL6o

「――――――!!」

叫び声を上げそうになりながらもドレスの少女はとっさに最も正解に近い動きをした。

全力で目の前の人影を蹴り飛ばし、エレベーターの操作パネルの『閉』ボタンを押す。

果たしてそれは意外にも――彼女自身意外だった――成功し、足が打つ明確な肉の感触が生まれ、
鈍い音と共に人影はあっけなく背後へ転がった。

ばん!! と掌をボタンに叩きつけるようにして押す。

小さく足元が揺れる感覚と左右から視界を遮ろうと伸びてくる鉄板。

その視界が徐々に、と表現するには速過ぎる速度で閉じ。

完全に埋め尽くす直前。



「――――――ちょっとぉ」



ぴたり。

扉の動きが止まった。

そして、一瞬の沈黙の後。

小さな揺れと共に再び扉が開き始めた。

「――――――!」

再び視界には闇が広がってゆく。
エレベーターのボックス内から漏れる光が、ゆらりと人影を照らす。

手は忙しなくがちがちとボタンを叩いているのに、扉は閉まってはくれない。
それどころか容赦なく扉は開いてゆき――――。



「――――せっかく待ってたのに乗せてくれないなんて、酷くない?」



ダメ押しするように扉の挟み込み防止装置を右手で叩き付けるようにして押さえた少女が、はっきりと姿を現した。



590:VIPにかわりましてGEPPERがお送りします:2010/11/07(日) 22:54:42.85 ID:8MfIlL6o

「――――まあ、誰でもちょっと驚いてやっちゃう事あるわよね」



スキップするような足取りでエレベーターのボックス内に足を踏み入れてきた。

そしてくるりとその場でターンするようにこちらに背を向け、右の指を伸ばす。



「――――でもどうせなら、仲良くして欲しいわね」



先はエレベーターの操作パネル。

『閉』。





「――――私、御坂美琴っていうんだけど――――あなたの名前、なぁに?」





ごとん、と扉が閉じた。



591:VIPにかわりましてGEPPERがお送りします:2010/11/07(日) 23:15:25.84 ID:8MfIlL6o

――――――――――――――――――――



606:VIPにかわりましてGEPPERがお送りします:2010/11/08(月) 16:35:55.85 ID:LmFstawo

暗い。

リノリウムの階段は一歩毎にきゅっきゅっと音を立て、それがどうにも好きになれなかった。

耳障りに鳴く階段を踏みつけながら一歩、また一歩、ゆっくりと上っていく。

理解している。これは十三階段だ。

絞首刑場へ至る道。
それはさながらゴルゴダの丘への道程に等しい。
受刑者自らの足で歩ませるその高度は自らの罪の重さを苦痛として与えるためのものだ。

ならば自分の犯した罪は何だ。

そしてどうして彼らに裁かれなければならない。

何も悪い事はしていない、とは言わない。
けれど彼らに裁かれる理由はないのだ。

何故ならここは完全無欠に地獄そのもので。

この場にいる事自体が罪であり罰なのだから。

「………………」

やがて現れる扉。

重い、金属製の扉。

その前で立ち止まる。

小さく取り付けられた歪んだガラスに透ける扉の向こうは暗く見えない。
扉の前に立つだけでその先にある冷気が浸み込んでいるのを感じる。

この先に何があるのかは分からなかったけれど。

どんなモノが待っているのかだけははっきりと分かった。

掴んだノブはひやりと冷たく。

がちゃりと、回す手は思いの外軽かった。



607:VIPにかわりましてGEPPERがお送りします:2010/11/08(月) 16:52:51.27 ID:LmFstawo

寒々しい屋上には人影が二つあった。

片方は見覚えのある印象的な制服の少女。

片方はスーツ姿の少年。

扉の開く音に気付いたのか、少女が振り返る。
見覚えのある――いや、散々脳裏に焼き付いて仕方のない顔だ。

御坂美琴の顔と形をした人造の少女。
目の前で死んだはずの少女がそこにいた。

彼女はこちらの姿を認めると軽く会釈をし、一歩後ろに下がる。

そして傍らに立つ少年は、空を見上げていた。

黒い、闇そのもののような空。
早雲が流れ、僅かに影を落とすのが見えるその奥には闇が広がっている。

星の光は見えず、月の姿も見えない。
ただ街の光が薄蒼く雲を照らしていた。

そんな空を見上げていた少年が振り返る。

「――――こんばんは」

その顔は確かに覚えている。

海原光貴のものだ。



608:VIPにかわりましてGEPPERがお送りします:2010/11/08(月) 17:02:25.60 ID:LmFstawo

「わざわざ呼び出してしまってすみませんね」

彼は笑みをこちらに向け、申し訳なさそうな表情で目尻を下げた。

「………………オマエ、どっちだ」

問いかけ、浜面は対照的に険しい顔を向ける。

海原光貴。

あるいは『海原光貴』。

夕刻、浜面の目の前に現れた上条当麻の姿をした人物。
それは暗部組織『グループ』に属する『海原光貴』を名乗る少年だ。

しかしほぼ同時刻、絹旗の右手を潰したのも海原光貴。
それが本来の海原光貴という名を持つ少年だと、麦野を介して聞いていた。



念動力の大能力者である海原光貴と、

分解と変化の異能を操る『海原光貴』。



目の前にいるのは果たしてそのどちらなのか。



609:VIPにかわりましてGEPPERがお送りします:2010/11/08(月) 17:18:46.84 ID:LmFstawo

「どっちって――どっちでもいいじゃないですか。ねえ?」

少年は貼り付けたような薄っぺらい笑みを浮かべながら首を僅かに傾げた。

「自分が誰であれ、本質は変わりませんよ」

「本質?」

ぴくりと、その単語に浜面は眉を顰める。

「ええ、本質です。――――役割と言ってもいい」

そう頷いて彼は、差し出すように右手を伸ばし――。



その手に握られたのは、

まるで夜空のように黒い、

黒曜石で作られたナイフ。



「――――――テメエっ!」

「邪魔なので潰させていただきますよ。言うだけ無駄とは思いますが――大人しくしていてください」

言葉と共に殺意を乗せた力の本流が迸った。



610:VIPにかわりましてGEPPERがお送りします:2010/11/08(月) 17:51:39.55 ID:LmFstawo

半ば反射的に浜面は屋上の床を蹴り横へ飛んだ。
屋上と院内を繋ぐ扉から飛び退くように、屋上の中央へ向かって。

身を低くし、倒れ込むような姿勢。
それはあながち間違った表現でもなく、浜面はごろごろと床を転がった。

ほぼ同時、つい寸前まで浜面が立っていた場所の背後、
スーツの少年と浜面との直線の延長線上にあった転落防止用のフェンスがばぎんと音を立てて吹き飛んだ。

(あのナイフ――昼に会ったヤツか!)

浜面の目の前で垣根と死闘を繰り広げていた少年。
黒光りする石のようなもので作られた刃物と、意味の分からない『分解』を操る少年。

垣根の――――今や学園都市の頂点に立った少年に太刀打ちした少年。

ぞっとする。あの垣根に対してまともに戦ったというだけでとんでもないというのに。

今、浜面の隣に彼はいない。

浜面は一人だ。

その上最悪な事に浜面は無能力者で、何か異能を持っている訳でも突出した才能を持っている訳でもない。
『アイテム』に食い込めたのも運がよかった――いや、悪かったのか――ただそれだけだった。

代わりなんていくらでもいるし、価値なんてのは道端の石ころくらいにしかない。
ゴミだ。ウジ虫同然だ。吹けば飛ぶような一山幾らの雑草だ。

それでもただ。

(――――守ると決めた。それだけだ――――!)

受身なんて取る余裕もなく、無様に転がりながらも引き抜いた銃口は真っ直ぐに標的を見据え、浜面は迷わず引き金を引いた。

思ったよりも引き金は軽かった。



611:VIPにかわりましてGEPPERがお送りします:2010/11/08(月) 19:45:05.10 ID:LmFstawo

ばんっ! と想像よりも小さく間抜けな音と、そして確かな反動と共に銃弾が発射される。

距離は十メートルほど。
素人が狙ったところで命中させるのは困難な距離で、しかも無理な体勢で撃ったにも関わらず、
銃弾は過たず真っ直ぐに相手へと突き進んだ。

しかし。

ばぎん、と砕けるような音と共に虚空に火花が散る。

銃弾が爆ぜたものだ。
浜面の撃った弾丸は目標に到達することなく途中で砕け、その残骸を風に躍らせた。

少年は振り払うような動作で握ったナイフで宙を薙ぎ、そして腕は上から切り落とすような軌跡を描く。

(弾丸を撃ち落としやがるか――!)

力の入らない体制だったが、全身を使い再度転がる。

耳元すれすれを何かが通り抜け、再び背後で炸裂音がした。

「ざっ――けんなぁ――!」

二連射。火薬の爆ぜる音が輪唱する。
狙いは半ば適当の牽制。中れば御の字だ。
発射された弾丸は並行するように空気を切り裂いた。

しかし、スーツの少年は余裕すら見せる動きでステップを踏み軌道から身をかわす。

「っ――きしょお――!」

左手で地を叩き反動で身を起こす。
手の付け根あたりがびりびりと痺れたが気にする余裕はない。
仰け反るように立ち上がり、勢いを右の踵で踏み潰し、半身で銃を突き出し絞るように引き金を引いた。



612:VIPにかわりましてGEPPERがお送りします:2010/11/08(月) 20:40:02.13 ID:LmFstawo

またしても弾丸は虚空を貫通する。

浜面の視界に少年の姿はない。
遅れて石を叩く硬く軽い音。

右か、左か。

一瞬よりも短い時間、浜面は逡巡して。

己の勘が違うと叫んだ。

(――――――上!)

見上げれば切れ切れの黒天を背景に彼は跳躍していた。
背を逸らし頭を下げ、さながらサーカスのアクロバットのように。

煌く黒曜石の刃。

「っ――――――!!」

前方に飛び込むように跳ねる。
銃を持った右手を使えず、左手一本で衝撃を受け突いた掌を基点に円を描くように体制を立て直す。
ごぎん、と鈍く響く石の砕ける音には構わず浜面は天上を見据え射撃した。



613:VIPにかわりましてGEPPERがお送りします:2010/11/08(月) 21:10:05.68 ID:LmFstawo

火花が宙を跳ねる。
夜空に身を躍らせた彼はそのまま滑るような動きで着地し、再びナイフを振るう。

(――――――なんだ)

全力で身を捻り見えない力を回避しながら浜面は先程からずっと感じていた違和感をようやく自覚する。

(なんだこの――しっくりこない感じは)

再び二連射。
軽快なリズムが刻まれ、しかし矢張り中らない。

(何かがずれて――そう、ずれてる。何かがちぐはぐで、決定的に噛み合ってないんだ)

直感と本能と判断と決断に脳の処理能力の大部分を割きながら、しかし浜面はその片隅で思考する。

(根本的な部分がどうにもおかしい――――)

弾はあと九発。マガジンを補充している時間はない。
何より慣れていないのだ。戦闘中にもたついてなどいられない。

無駄弾を撃つ余裕はない。
残されたチャンスはあと九回。
たった九発の弾丸で彼を仕留めなければならない。



614:VIPにかわりましてGEPPERがお送りします:2010/11/08(月) 21:20:09.65 ID:LmFstawo

そもそもが、浜面はこんな真似は慣れていないのだ。

一騎打ちなどという時代錯誤な戦闘を浜面は好ましいとは思わない。
戦闘とは物量だ。人と、手数と、そして多方向からの多角攻撃。
戦力はその質量ではなく物量によって反比例的に跳ね上がる。

卑怯と罵られようが構わない。
元々が無能力者だ。そうでもしないとやってられない。
相手の裏を掻くのもあくまで戦力を削ぎ落とす程度にしかならない。
こちらの戦力は絶対に一定以上に増えはしない。
だからこそそれを最大限に活かすために策を弄するのだ。

烏合の衆だろうが何だろうが数さえいれば意外とどうにかなる。
三人寄れば何とやら、だ。何だったかは忘れたが。

そもそもがそのための――集団だったのだから。

けれど今、彼らは――そして彼女らはいない。
浜面はたった一人でこの眼前の敵を撃破しなければならない。

たった一人。

圧倒的に差のある相手を前に。



615:VIPにかわりましてGEPPERがお送りします:2010/11/08(月) 21:29:01.19 ID:LmFstawo

「――――――、」

そういえば前に一度、そんな奴を見た事がある。

彼はたった一人で圧倒的な人数差をひっくり返して見せた。

思えば奴が諸悪の根源だ。
いや、どうみても悪いのは自分たちなのだが、彼さえいなければとたまに思う。

「――――――」

彼。

浜面の前に立ち塞がった少年。
                   ヒーロー
それはたった一人で立ち向かう主人公のような。

最後の最後で浜面を、一対一で殴り飛ばした。

上条当麻。

「――――――、」

気付く。

そう、上条当麻だ。
そして眼前のスーツの少年だ。

夕方、街中で繰り広げられた戦闘。
その時は垣根がいて、圧倒的な暴力を振り翳す彼にあの少年の姿を模した得体の知れない能力者は、

――――待て。

それ以上の事は必要ない。重要なのはそこだけだ。

そう。



――――どうして一度対面した相手にわざわざ姿を変える必要がある――――!



618:VIPにかわりましてGEPPERがお送りします:2010/11/09(火) 18:25:35.40 ID:4UgZ62Io

思えば、あの少年がわざわざ上条当麻の姿をしていた理由も知らない。

――そんな事は重要ではない。

どうして自分たちに敵対するのかも知らない。

――そんな事は重要ではない。

重要な事はただ一つ。

視界の奥。少年の背後にある転落防止用の鉄柵。



それが何か強い力を受けてあたかも交通事故の時のガードレールのように捻じ曲がり砕けいる事で。



「テメエは――っ!」

ようやく気付いた。

「本物の――海原光貴――!」

両手で銃把を包むように握り、衝撃を両肩で受け止めるように構え、浜面は銃口を真っ直ぐに彼に向け、

「ですから言っているでしょう」

スーツ姿の少年――海原光貴は、薄っぺらな笑顔を浜面に向け、

「どっちでもいいじゃないですか」

――気付いたけれど遅すぎた。

発砲。

砲声が静かな病院の屋上に響き、風のうねりにかき消され、しかし銃弾は真っ直ぐに飛び出し、

――――ごぎんっ、

と嫌な音を立てて、正面から放たれた『何か』が銃弾を吹き飛ばし浜面を直撃し骨が嫌な音を立てて砕けた。



619:VIPにかわりましてGEPPERがお送りします:2010/11/09(火) 18:39:22.57 ID:4UgZ62Io

力は見えなかった。

けれどその力が放たれた銃弾を吹き飛ばし、握った銃を押し上げ、伸ばされた腕をこじ開け、真正面から直撃する様子は見て取れた。

トラックにでも撥ねられたかと思うような硬い衝撃。

胸を強打され、その力に体が後ろに流れる。
受け止め切れなかった両足はふわりと地を離れ、

浜面の体は木の葉のように吹き飛ばされた。

「ごっ――――がぁ――――!」

屋上から叩き出すような一撃。
それは浜面をそのまま夜の空に弾き出し、重力のままに落下させるはずだった。

だが、背中に硬い衝撃。

空を飛ぶ事のできない浜面を救ったのは屋上に張り巡らされた鉄柵だった。
あまりの力にみしみしと鳴いたのは鉄柵か、それとも自分の体か。
そんな中唯一浜面が幸運だったと思えるのは、手にした薄っぺらい拳銃を取り落とさなかった事だ。



620:VIPにかわりましてGEPPERがお送りします:2010/11/09(火) 18:42:54.24 ID:4UgZ62Io

だが、同時に理解する。

(コイツはちょっと――厳しいかなぁ――)

力を失い、浜面は前のめりにどさりと倒れ込んだ。
受身を取る余裕すらない。先程のそれと比べればどうという事もないような衝撃に体が悲鳴を上げた。

肋骨は砕け、きっと内臓もイカれてる。
拳銃を握る手にも力が入らない。

――そんな事はどうだっていい。

それでも浜面は立ち上がった。

痛みを頭から蹴り出し、思考に掛かった霞を振り払うように顔を上げた。

勝ち目はきっと万に一つもない。
能力者と無能力者。正攻法では通用せず、策を弄する機会も手段も奪われた。

だが、だからと言って倒れる訳にはいかない。

(万に一つもなければ――――億に一つの可能性を掴み取ればいい――――!)

重要なのはたったの二択。

勝つか、負けるか。
ただそれだけだ。



621:VIPにかわりましてGEPPERがお送りします:2010/11/09(火) 18:45:46.57 ID:4UgZ62Io

不安材料は何一つない。

相手の能力は絹旗が教えてくれた。
撃ち抜く武器は麦野が渡してくれた。
失いかけた心は滝壺が支えてくれた。

そして自分はまだ立てる。

(俺は――アイツらを守るって決め――)

手は震え、足には力が入らず、息は血の味がする。
喉がぜひぜひと嫌な音を立て、意識は半ば白濁している。

その上視界までぼやけてきて、ありもしない幻影まで見える。

「――――――、」

幻影。そう、幻影だ。
さっきの衝撃で脳がバグって妙な幻が見えているだけだ。

そうでなければ。

こんな最悪な展開は、誰がどう見たって最悪だろう。

最悪を通り越して笑いすらこみ上げてくる。

――――なあ、オマエの出番はもうちょっと後だろ。

そう。彼女の出番はもっと後。

――――どうしてよりによってオマエが来るかなあ。

現れるにしてもタイミングが悪い。

凱旋するヒーローを出迎える役こそがヒロインの役回りだろうに。



「――――――はまづら!!」



見慣れたお気に入りのピンクのジャージの上から浜面のウィンドブレイカーを着込んだ少女が。

滝壺理后が、開かれた扉の前に立っていた。



――――――――――――――――――――



622:VIPにかわりましてGEPPERがお送りします:2010/11/09(火) 20:43:23.01 ID:4UgZ62Io

蓋を開ければどうという事もない。

浅い眠りから覚めた滝壺は、絹旗と、そして浜面のいるという病院にやってきた。

垣根の言っていた『冥土帰し』と呼ばれる医師。
彼のいた病院はすぐに分かった。矢張り高名な医師だったようだ。

夜の帳は下り、病院にはどこか辛気臭い気配が漂っていた。
入院患者への見舞いも帰ったのだろう。救急救命の部署は知らないが玄関とロビーに人気はない。

友人が担ぎこまれた事を小さな詰所にいた警備員(本来の意味での警備員だ)に告げると、その病室をあっさりと教えてくれた。

エレベーターを使おうと思ったがボックスの位置を表示するランプの数字は大きく、待つのが何だか嫌で滝壺は階段を上った。

院内は空調が効いていて仄暖かかったが、滝壺は上に羽織ったウィンドブレイカーの裾を合わせ目尻を下げた。

勝手に持ち出した事を彼は怒るだろうか。
それとも苦笑しながら頭を撫でてくれるだろうか。

外は寒く、シャツ一枚では凍える事は目に見えていたのでいつものようにジャージを着た。
上だけだとおかしいかなと思って下も履き替え、それでもやっぱり寒いだろうなと思って部屋にあった彼の上着を拝借したのだ。

それは確かに暖かく、それから少しだけ彼の匂いがした。



623:VIPにかわりましてGEPPERがお送りします:2010/11/09(火) 20:56:56.48 ID:4UgZ62Io

階段を一段一段踏みしめながら滝壺は思う。

浜面は今何をしているだろうか。

絹旗の手術は終わっただろうか。

「……、……」

立ち止まる。

垣根は絹旗の怪我は――潰された手はもう無理だと言っていた。
『冥土帰し』と呼ばれた医者の手であればどうにかできただろうと垣根は呟いた。
ならば逆説的に、彼でなければどうにもならない。そう言っていた。

大怪我をすれば相応の傷を負う。
致命傷を得ればあっさり死ぬ。

元々世界はそういう風に出来ている。
そういう意味では――『冥土帰し』と呼ばれた彼こそが異端なのだ。

死者を蘇らせる事は出来ない。
それは世界の大前提だ。

ならば、死ぬはずだった者を救う事もまた同じだろう。
閻魔帳に記されたものを覆してはいけない。
それを出来ると言うのなら、それは神の領域だ。
聖書に於いて神の子が見せたという奇跡に他ならない。
それは人の身で行うには余りにも過ぎた事だ。



624:VIPにかわりましてGEPPERがお送りします:2010/11/09(火) 21:05:07.09 ID:4UgZ62Io

けれどもし。

彼が、浜面がそうなった時は。

きっと自分はどんな事をしてでもそれを食い止めようとするだろう。
手段は選ばず、例え悪魔に魂を売り渡してでも食い止めようとするだろう。

きっとそれが人というものなのだ。

そこまで考えて滝壺は自嘲に顔を歪ませる。

こんな地獄の底にあってまだ己を人だと言う自分に。

そして、今現在の絹旗を知った上でこんな事を考えてしまう自分に。

何が仲間だ。何が友達だ。
所詮自分はこの程度でしかない。

綺麗事を言っているようで――その実エゴに塗れた最悪でしかない。

きっと浜面と絹旗を天秤に掛けられたら自分は迷わず浜面を選ぶ。
迷わない。考える余地はない。二人ともという意志すら現れない。

どちらかを確実に選べるのであればどちらも台無しにする可能性は切って捨てる。

それでもまだ――――自分は声を大にして彼女を友と呼べるだろうか。



631:VIPにかわりましてGEPPERがお送りします:2010/11/10(水) 23:10:24.62 ID:0i/Twk.o

そうして滝壺は明言せぬままなし崩しに日々を過ごす。

何が一番大切かなんて分かり切っている。
彼のためならなんだってできる。そうはっきりと言える。
けれどそれを言ってしまったら、それ以外の全てを失ってしまうような気がして滝壺は無言でいる。

明確な解答を出さぬまま、滝壺は全てを笑って誤魔化している。
それを自覚しているのだからなおさら性質が悪い。

麦野は気付いているだろう。
彼女は自己中心的でいるように見えて、その実他人の心の機微に敏感だ。

絹旗は気付いていないだろう。
気付かれていないはずだ。もしそうでないなら――考えたくない。

そして、彼女は。

「――――――」

どうだったのだろう。

あの底抜けに明るい金髪の少女は。



632:VIPにかわりましてGEPPERがお送りします:2010/11/10(水) 23:28:37.42 ID:0i/Twk.o

何故か急に寒気を感じて、滝壺はふるりと肩を震わせる。

いつまでも階段に立ちんぼでは埒も明かない。
絹旗の具合も心配だし、何より無性に浜面の顔が見たかった。

――――うん。

思考を意識して放棄し、滝壺は階段をまた上り始め――。



「――――――え?」



そして、あの呼び出しを聞く。

――なんで、

滝壺の体は否応なく再び停止し、思考は全てそれに向けられた。

――なんではまづらが――ミサカ――失踪――超電磁砲――行方不明?――追跡――ピンセット――
――屋上――罠――待ち伏せ――誘き出し――みさかみこと――かきね――一方通行――一〇月九日――



一〇月九日?



がづっ! と、拳を壁に叩き付けた。

何かが分かりそうな気がしたけれど、核心だとか真相だとか、そんな事はどうでもいい。
ただ一つ大切な事は何も変わってはいないのだ。

「――――はまづら――」

他の大事な事は何一つ口にはしないけれど。
大切な人の名を呼ぶのはこんなに簡単にできるのに。



633:VIPにかわりましてGEPPERがお送りします:2010/11/10(水) 23:51:53.13 ID:0i/Twk.o

「屋上――――」

どうにも嫌な予感がしてならなかった。
危険だとか罠だとか、そんな当たり前の事ではなく、もっと漠然とした気配がしたのだ。
それはまるで虫の知らせのような、意識する事自体が難しいような強烈な感覚。

何故だか分からないけれど予知じみた絶対的な嫌な予感がしてならなかった。

「――――――っ、」

言い様もない不快感と倦怠感に滝壺は膝を折り、その場に崩れた。

手摺りを握る指だけが取り残され、必死で滝壺の体を支えている。
加減を無視して力を入れ過ぎた余りもはや白くなっている指はぶるぶると震え今にも零れ落ちそうだ。

貧血のような寒気と喪失感。あの全身から熱の消えていくような感覚が滝壺を襲った。
視界はぶよぶよとして触れれば崩れてしまいそうで、鼓膜はさっきからどうどうと流れる飛沫の音を捉えている。
モザイク画のような色とりどりの世界は天地がひっくり返ってしまって天井に落ちてしまいそうになる。

「っ――――、げ――――ぁ――――!」

堪らずその場に嘔吐した。



634:VIPにかわりましてGEPPERがお送りします:2010/11/11(木) 00:12:15.67 ID:Bp1dJNso

びちゃびちゃと粘っこい水音が階段を叩く。

黄色い胃液が口から溢れ、嫌な味と臭いが舌と鼻を焼く。
生理的な嫌悪感を抱くそれに滝壺は僅かに正気を取り戻した。



――――はま――づら――、



そう、大切なのはたった一つ。

感じる寒気も、止まない耳鳴りも、舌の上を這う胃液の味もどうだっていい。
口の中に残るねばねばとした酸味を舌でこそげ取り吐き出した。

この不可解な予感も、行方の知れない少女の事も、病室にいるはずの絹旗も、

「――はまづら――――」

零れ落ちた胃液の中に混ざる赤黒いものもどうだっていいのだ。

得体の知れない感覚に苛まれながらも滝壺は手摺りに掴まり己の体を引き摺るようにして階段を進む。

上へ。上へ。上へ。

屋上へ。



――――――――――――――――――――



642:VIPにかわりましてGEPPERがお送りします:2010/11/13(土) 12:57:41.13 ID:v9yoJQEo

「――――はまづら!!」

滝壺の叫びはどこか掠れていて、けれどはっきりと浜面の耳朶を打った。

「滝壺――オマエ――どうして――」

他方、浜面の声も似たようなものだった。
喉はごろごろと痛いし息は鉄臭い。おまけに舌もろくに動きやしない。
滝壺に向ける言葉もどこか錆びたような響きを持つ。

――――――待、てオイコラ、

思考はぼやけてしまってまともに動いてくれはしない。
こちらに駆け寄ってくる滝壺の姿もふらふらと揺れていて。

――――――待てよオイ、

頭が上手く働かない。
先程、海原の一撃を受けて鉄柵に突っ込んだ時にでも打っただろうか。
生憎ここは病院だ。手っ取り早く診てもらうのもいいだろう。目の前のコイツをぶち殺してからだが。

――――――待て、

滝壺の両手が触れる。どこか遠慮さえ見える手の動きは浜面を支えるものだ。
胸と肩。二点に触れる滝壺の手は、寒さの所為か冷たい。
肌も白くなってしまって、唇だけが赤く、

――――――待、

唇が赤いのではない。

口の端に僅かに残る擦れるような血の跡が。

赤い。



643:VIPにかわりましてGEPPERがお送りします:2010/11/13(土) 15:02:13.26 ID:v9yoJQEo

「――――――っ!!」

直後、浜面の思考は反射的に正常を取り戻す。
背中に氷水をぶち込まれたような、そんな寒気――否、怖気が浜面の全身を震え上がらせた。

『ナニガ』とか、『ドウシテ』とか、そんな事は分からない。
ただ焦燥感にも似た漠然としたもの。
思考するのも拒否してしまうような、直視するのも拒絶したくなるような、そんなどうしようもなく最悪な気配がそこにあった。

鉄錆の臭いがするのは、

壊れかけているのは、

自分か、

それとも彼女か、

「――――はまづら」

滝壺はいつもの眠たげな目ではなく、酷く真剣な眼差しで浜面を見、笑顔で頷いた。

その笑顔がどうしてだか浜面には泣きたくなるほどに狂おしいものに思えて。

「大丈夫。大丈夫だよ、はまづら」

彼女は頷く。

滝壺は紙のように白いその顔で浜面に微笑む。

「ありがとう。でも、もう大丈夫だよ」



644:VIPにかわりましてGEPPERがお送りします:2010/11/13(土) 15:20:51.76 ID:v9yoJQEo

――――やめろ、

「こんなにボロボロになるまで頑張って」



口は動かない。まるで顎が凍りついてしまったかのように少しも動いてくれやしない。
頭ははっきりとしているのに体がどうしてだか言う事を聞いてくれないのだ。

体の時は止まったようになってしまっているのに。
世界は無情にも足を止めようとはしない。そして最悪な事に頭はそれをはっきりと認識している。



――――やめろ、

「でも、だからこそ、私が間に合った」



滝壺。なあ滝壺。オマエは一体何をしようとしてるんだ。
俺が今まで必死に足掻きまわっていたのは何のためだったんだ。

全部全部全部全部たった一つのどうしようもない最後の一手を回避しようとして。
たった一つの冴えないやり方をどうにかしたくて。



――――やめろ、

「大丈夫。だって私は、大能力者だから」



今まで必死で抗ってきた俺は。

これじゃあまるで道化師じゃないか。



――――やめろ!



645:VIPにかわりましてGEPPERがお送りします:2010/11/13(土) 15:43:12.92 ID:v9yoJQEo

――――――――――――――――――――



ありがとう

それから ごめんなさい

私はやっぱり こういうやり方しかできないみたいです
あなたがしてくれた事を全部無駄にするとしても 私はこれ以外に何もないから
だから ごめんなさい

でも ありがとう

あなたがいてくれたから私はこうして決断できる

あなたと出会うまで 私はきっと燻る火だった
このまま燻り続けて その内ゆっくりと消えてしまうんだろうなって そう思ってた

でもあなたが理由をくれたから 私に生きる意味を教えてくれたから

あなたの隣が私の居場所 それを失いたくない
あなたが決して望まないっていうのは分かってるけど
ごめんなさい ただの我侭です



やり方は彼が教えてくれた
きっとこうなるのが分かってたんだろう
きっと全部 最初から最後が分かってたんだろう

頭いいし れべるふぁいぶだし 格好付けだけど
もう少し優しくしてあげればよかったかな

でも私にはあなたがいるから いいや ごめんね



646:VIPにかわりましてGEPPERがお送りします:2010/11/13(土) 15:51:34.03 ID:v9yoJQEo

ありがとう ごめんなさい

いっぱい いっぱい ありがとう

キスしてくれた時は うれしかった
強く抱き締められて しあわせだった
困ったような笑顔が いとおしかった

好きになってくれて ありがとう

好きになっちゃって ごめんなさい

ごめんなさい ごめんなさい ごめんなさい

私はたぶん ただ理由が欲しかっただけなんだ
その役割をあなたに求めただけ
犬に噛まれた方がきっとましな そんな理由

でもあなたは きっと分かってたんだろうな
れべるぜろのあなたでも 他の気持ちには鈍感だけど
こういう事だけは聡いから



私はあなたに いっぱいいっぱい 貰ったのに
でも私には 他にあなたにあげられるものがないから

せめて 『       』 を あなたに

きっとあなたはいらないって言うけど
いいじゃない せっかくだから ね?

ごめんなさい

ありがとう

だいすき



――――――――――――――――――――



647:VIPにかわりましてGEPPERがお送りします:2010/11/13(土) 15:59:19.88 ID:v9yoJQEo

そして、彼女はジャージのポケットから、

おもむろに、本当に何でもないような動作で、

シャーペンの芯を入れておくプラスチックのケースみたいな容器を、
                  、 、 、 、 、
がしゃりと、擦れて音を立て、五本纏めて口を切り、










私は ねえ はまづら



「無能力者のはまづらを、きっと守ってみせる」



私ははまづらのために燃え尽きるよ










中に込められた粉末をざらざらざらざらと喉に流し込み咳き込みそうになるのを気力で抑え残らず嚥下した。



648:VIPにかわりましてGEPPERがお送りします:2010/11/13(土) 16:20:25.03 ID:v9yoJQEo

びくん! と滝壺の背が跳ねる。
胸を逸らすように彼女は顎を上げ天を凝視する。
目尻からは堰を切ったように涙が流れ、口の端からも似たようなものだった。。

「ぎ――――か――――」

喉からは何だか分からないものが溢れてくる。

「――――gy――ghjr」

みしみしと全身の関節が嫌な音を立てる。
首がぶるぶると震え、口から吐き出される音は果たして意味を持っているのか。

「――――grrweor――――gyorhkam――」

浜面はそんな様子を停止した思考で呆然と見つめるしか。
強く彼女の体を抱き締めるしかできなかった。

どうしてそんな事をしているのかは分からない。
どこかに行ってしまわぬように引き止めてるのかもしれない。
彼女が弾けてしまわぬように支えてるのかもしれない。
単純に幼子のように縋り付いているだけかもしれない。

ただ一つだけはっきりしているのは。

浜面の切な願いは当の本人をして断たれ、僅かな可能性すらもう、どうしようもなくなった。



649:VIPにかわりましてGEPPERがお送りします:2010/11/13(土) 16:39:12.13 ID:v9yoJQEo

そんな様子を海原は、今にも泣き出しそうな笑顔で見つめている。
黒曜石のナイフを握る右手は力なくだらりと垂れ下がり、今にも取り落としそうだ。

彼は滝壺の様子にゆっくりと、小さく頷き、傍らの、御坂美琴と同じ顔をした少女に笑み。

「――――――」

何かを言おうとしてほんの少し口を開き、それでも止めたのか唇を引き頭を振った。

そして手に持った鉱石の刃物を投げ捨てる。
からん、と硬く、乾いた音を立てたそれに視線を向けることもなく海原は目を瞑る。

視覚は失われ、聴覚には相変わらずの風の音と、そして声。
それは慟哭か産声か。そこに込められた感情は分からなかったが、そこに込められたものの強さだけははっきりと分かる。

――――自分が、壊したんですね。

たった二つ、小さな小さな世界。
きっと自分が何もしなければそこで完結していた。
それを、この手で。

「ええ、分かってます。どうせ手加減なんてできないですよ。慣れてないんですから、こういうの」

自嘲して彼はつい、と腕を振り上げ。

「――――ごめんなさい」

そこにどんな想いを込めて握り締めたのか。
拳で空を殴りつけるように振り下ろした。



650:VIPにかわりましてGEPPERがお送りします:2010/11/13(土) 17:01:26.31 ID:v9yoJQEo

放たれた不可視の力。

虚空に現れた力の塊は風を押し退けるように空間を抉る。
人体くらいなら軽く挽肉にする程度の質量を持つ力の塊は、二人を潰すように頭上から降り注ぎ。



「――――――imz砕rke」



ばぎん、と砕けて風を生んだ。

「………………」

何が起こったのか、海原は直感的に理解する。
力が砕けた。内側から爆ぜた。自壊するように。

前方、視線を向ける。
そこにはまるで十字架に縋りつく修道士のように少女を抱く少年と。

人体の限界まで折り曲げられた背首をなおも曲げようとぎしぎしと関節を軋ませる少女の血走って真っ赤になった目が合い、

「――――――kwl壊squv」

錆び付いた歯車が軋んだような耳障りな音が少女の喉から溢れ。

己の意志を伴わず生まれた力は、彼の右手をぐしゃりと砕き圧し折り曲げ纏め縮ませた。



651:VIPにかわりましてGEPPERがお送りします:2010/11/13(土) 17:45:51.45 ID:v9yoJQEo

耳にするのは二度目。
一度目よりも大分近い場所から聞こえた音は自分の腕が発したものだ。

湿った音と乾いた音。血肉の音と骨の音。
それが纏めて砕けて圧縮される音。

その音を海原はどこか納得したまま聞いた。

きっとこうなるだろうと、どこかで理解していた。
絹旗の腕を潰したあの瞬間、きっと全部が終わって全部が失われた。
そして、彼女が目の前で爆ぜた瞬間、壊れてしまった。
世界とか、心とか、何か大切なものが。

だからだろうか。
激しい痛みは感じるけれど、どこか他人事のように思える。

肘から先を丸ごと肉団子にされている。
何やらその様子が滑稽で海原は力なく笑った。

ずるい、と自分でも思う。
夕方、海原が腕を潰した少女は痛みに吠えながら真っ赤に焼けたような感情を自分に向けてきたというのに。
今、海原自身が同じ境遇にあってその感情は凍りついたように動かず痛みに叫ぶ事もない。

でもそれは、人として失格なんだろうと思って。

ここは地獄だから仕方ない、と納得した。



652:VIPにかわりましてGEPPERがお送りします:2010/11/13(土) 18:22:28.89 ID:v9yoJQEo

抱き締めていた温もりが消えた。

一瞬遅れて浜面は腕の中の感触が消えた事に気付く。
気付いたからといって何もない。浜面の感情は麻痺したままだ。
機械的に、普通きっとそうだろうという理由で浜面は力なく崩れ落ちそうになりながらも視線を前方へ投げる。

宙を、滝壺が舞っていた。

背を逸らし胸を空に向け、緩やかな放物線を描き彼女は跳ねた。
支えるのは不可視の力だ。つい先程浜面を撥ね飛ばした力が、今は彼女の体を捧げるように宙へと持ち上げている。

「――――――」

その先は、海原光貴。
両手は手はだらりと下げられ、その顔は笑んでいる。

宙を跳ねる彼女は海原に抱きつきキスするように両の手を伸ばす。

浜面はその様子をただ見ているだけしかできない。
どうしてだか両の目からは涙が溢れ頬を濡らしていた。
それが何故なのか、浜面の凍り付いた感情は理解できず――理解しようとしなかった。

そして彼女の両手は、海原の頬を両側から挟むように触れ。

力を奪われた少年は柔らかく笑みを向け。

そのまま顔をごしゃりとコンクリートの床に叩きつけられた。



653:VIPにかわりましてGEPPERがお送りします:2010/11/13(土) 18:35:25.38 ID:v9yoJQEo

何かが割れるようなひしゃげるような砕けるような音。
屋上の床面には放射状に皹が走り、中心部には彼女と、そして叩き伏せられた海原。

浜面の位置からは彼女の姿が陰になって何が起こっているのか正確には分からない。

「――――たき、つぼ」

ただ、今し方響いた音はもし人体の立てたものであれば。
それは人の耐えられるものではない事だけは容易に理解できた。

見えるのは少女の着た自分のウィンドブレイカーの背と、少年の足と革靴。
組み伏せた海原の体に馬乗りになった彼女は右手を上げ緩やかに五指を広げる。

「――――やめ」



――――ごしゃっ、



浜面の呟きは直後再び響いた音に掻き消された。

潰れる音。圧力に広がる音。コンクリートの割れる音。
それが一緒くたに響いて、気味の悪い不協和音を奏でる。

手は何度も何度も振り上げられ、その度に音が響く。
彼女の手が上がる度に何か赤い液体が尾を引く。
それが一体何なのか、理解したくもなかった。



654:VIPにかわりましてGEPPERがお送りします:2010/11/13(土) 18:45:46.88 ID:v9yoJQEo

何度も。何度も。何度も。

振り降ろされる度に振動が足を伝わってくる。
もはやそれは乾いた音ではなく、どこか湿ったような粘っこい音になっていた。

ぐちゃ、ぐちゃ、にちゃ。

どこかで聞いた事があると思ったら。
一度だけ、ついこの間だが、滝壺が手料理を振舞ってくれるというので。
その時にキッチンから聞こえてきた。

ええと。なんていったっけ。

ああ、そうそう。

ハンバーグだ。

そんな音を生きてる人間が立てられるはずもないのだが。
叩きつける音は止まない。

――――違和感。

こんな音を彼が立ててるのであれば、当然生きているはずもない。
生きていられる訳ないのだが、生きていなければならない。

AIM拡散力場というのが死人から出ているはずがないのだから。

そして素手で人体を捏ね回す事などできるはずもない。

だから、力を奪い取るためには、生きていなければならないのだが。



655:VIPにかわりましてGEPPERがお送りします:2010/11/13(土) 18:51:16.50 ID:v9yoJQEo

「――――――、」

どうしてだろう。

気付いてしまった。

風に乗って少女の意味を成さない呟きが耳に届く。

彼女の振るうその力は。





「――――――orh窒fzz――awf装甲nmv」





ぐぢゅ、とイキモノが立てられるはずもない音が鼓膜を震わせる。

振り上げられた少女の掌は。

どうしてだか汚れ一つなくて。

べしゃりとまた叩きつけられ、何か赤っぽいものが飛び散った。



677:以下、三日目金曜東Rブロック59Aがお送りします:2010/11/17(水) 00:42:47.27 ID:m3Iffqgo

どこか機械的な作業にすら見えるその『行為』を浜面は呆然と立ち尽くしたまま茫と見続けていた。
何が起こっているのかは分かるのだが、脳がそれを受け入れるのを拒否していた。

余りに残酷で、悲惨で、救いようのない事態を。



最悪の地獄という世界が今まさに目の前にあった。



今まで自分がいたと思っていた地獄はなんて生温かったのだろうと思う事すらできない。
この最悪な世界を認める事を生存本能にも似た心の装置が受け付けなかった。

ただ、目の前にいる彼女はどうしようもなく滝壺その人で。

その事実が鋭い刃のように心の隙間から入り込んで深々と突き刺さった。

びゅうびゅうと泣いているのは風か、それとも自分なのか。
涙は不思議と出なかった。



678:以下、三日目金曜東Rブロック59Aがお送りします:2010/11/17(水) 00:53:57.79 ID:m3Iffqgo

「――――たき、つぼ」

そんな地獄を直視できなくて、目を瞑れば声が出せた。

ゆら、とよろめくように浜面は一歩、足を進める。

耳に響く湿った肉の音は続いている。
けれど視覚がなければ幾分かましだった。

呼ぶ名に応える声はない。

きっとそうだろうとどこかが分かっていた。
だとしても、彼女の名を呼ぶ以外になかった。

まるで縋るように浜面はその名を呼ぶ。

「――――たきつぼ」

それはある意味自分への投げかけだった。

その名が浜面の心に突き刺さる刃であると同時に。
その名は浜面の心を繋ぎ止めている最後の糸だった。

「――――滝壺」

その名が辛うじて浜面の正気を保っていた。

そして、その名が歩みを進ませた。



679:以下、三日目金曜東Rブロック59Aがお送りします:2010/11/17(水) 01:13:35.68 ID:m3Iffqgo

ふらり、ゆらりと夢遊病の様に、けれど確かに彼女に近付いていった。

そして不意に、かくり、と糸の切れた人形のように膝を突いた。

ぐちゃりとどこかで音がした。

その音がどうにも耳障りで、耳を塞ぎたかったけれど。

「――――滝壺」

浜面は己の顔の両脇に手を向けはせず、前へ伸ばした。

触れる感触がある。

いかにも安っぽい、合成繊維の手触り。
知っている感触だ。何か知らないべっとりとしたぬめるものもある気がしたけど無視した。

「――――滝壺」

無機質のそれは凍るように冷たい。
柔らかい氷を触っているような気配。
手の感触がみるみる消えていくような、指の先から溶け落ちてしまうような錯覚。

だがその先に確かに何かがあるのだ。
それが何かと知りたくて、でもどうにも怖くて、粉雪で作った細工を扱うような繊細な指の動きで確かめた。

恐る恐る、指でなぞる。

もはや手の全ては硝子になってしまったように覚えがなかったが。

仄かな感触があった。

――――ああ。

それは暖かかった。

血と肉の熱さだ。

そして人の肌の温度だ。

「――――滝壺――っ!」

引き寄せ、抱き締めた。



680:以下、三日目金曜東Rブロック59Aがお送りします:2010/11/17(水) 01:45:58.31 ID:m3Iffqgo

「――――twsegra――」

何か声が聞こえた。

聞こえたけれど、構わなかった。

構わず抱き締めた。

「滝壺――滝壺――っ!」

腕の中でもぞもぞと肉が動く感触。
それを逃がさぬように、強く抱き締める。

「――――hartqdpe――」

また声が聞こえた。

それが何を意味しているのかは分からない。
言葉として理解するには何かが圧倒的に欠落していたし、思考も失われていた。

けれど。

「――――――ham浜zzl」

感情も思考も思慮も想念も、お互いに失くしてしまっているはずなのに。

どうしてだかその音が。



「――――――hlw助dep」



知らないはずの、彼女の泣き声に聞こえた。



681:以下、三日目金曜東Rブロック59Aがお送りします:2010/11/17(水) 01:58:51.99 ID:m3Iffqgo

圧倒的な地獄で、殺戮的な否定を前にしても。

浜面も。

滝壺も。

どうしようもなく、まだ生きていた。

何もかもが嫌で嫌で仕方なかった。
いっそ死んでしまった方が幾らか楽だっただろう。

人としての最低限の部分まで犯されるような世界の只中に二人はいたし、
当人たちも――望むと望まざると――それを自ら選択してしまったのに。

それでもまだ彼と彼女は、どうしようもなく人だった。

心が破壊しつくされるような現実を前にしても、最後の最後で壊れきれずにいた。

「滝壺! 滝壺! 滝壺ぉっ!!」

それこそが最悪だというのに。

「くそ! ちくしょう! 死ねっ! みんな死んじまえっ! 残らず呪われてしまえっ!!」

愛とか夢とか希望とか、そういう大切なものがあったはずの少年はそれを全部かなぐり捨てて呪いの言葉を叫んだ。



682:以下、三日目金曜東Rブロック59Aがお送りします:2010/11/17(水) 02:10:05.43 ID:m3Iffqgo

ばち、と何かが爆ぜた。

「殺す! 皆殺しにしてやる! 俺と! 滝壺と!
 世界中の何もかも壊しやがったヤツら全部全部全部!」

ばち、ばぢ、ばぎん。

風が、地面が、大気が、世界が悲鳴を上げた。

それは炎だったかもしれないし、氷だったかもしれない。
雷だったかもしれないし、そうでもない別の何かかもしれなかった。

ただそれは、彼の、どうしようもなく原形を失ってしまったのに砕けてしまわないココロの罅割れの隙間から漏れ出したものだ。

薬でも電流でも言葉でもなく。

地獄の毒を以ってして壊された彼の心はようやく自分だけの現実を手に入れた。

「――――こんな最低最悪な世界なんて滅ぼしてやる!!」

ただの少年だったはずの彼は、もしかしたらその時。

人が悪魔と呼ぶモノになってしまったのかもしれなかった。



684:以下、三日目金曜東Rブロック59Aがお送りします:2010/11/17(水) 02:30:43.76 ID:m3Iffqgo

そうして人の大事な何かと引き換えに、人として不要な何かを手に入れた少年の腕の中。

「――――――ham浜zzl」

彼女は涙を流していた。
涙を流せない彼の代わりにとでもいうように、人形のように無機質めいた表情の上を涙滴が伝う。
少年の慟哭に包まれながら涙で濡れた唇が震えるように動く。

何を言っているのか、彼も、そして当の彼女も分かっていなかった。
分かるための心は壊れ崩れる寸前の辛うじて形だけが残された状態だというのに、どうしてだか勝手に声と涙は溢れてきた。

「――――――olv好yew」

誰にも理解されない音の形で、失い切れなかったものが溢れてきた。

「――――――lojf愛txsk」

機械的に、そこにあったはずの感情を自ら否定しながら、彼女は泣く。

「――――――ham浜zzl」

その音は彼の耳には届かず、行方を失い吹き付ける風に流され消えていった。



685:以下、三日目金曜東Rブロック59Aがお送りします:2010/11/17(水) 02:46:44.44 ID:m3Iffqgo

既に人の形を失った、血と肉と骨を叩いて引き伸ばした舞台。
文字通りの屍山血河の上で、少年だったものは少女だったものを抱き締め吼える。

「呪われろ! 呪われろ! 呪われろ!
 壊してやる! 微塵にしてやる!
 何もかも俺が残らず殺しつくしてやる――――!!」










「実に魅力的な提案ですが、先約はこちらですので譲っていただけますか」










応える声があった。

それはすぐ傍。

上品なブレザーとスカートの制服を身に纏う。

御坂美琴の姿をした少女の形。






手には、黒曜石で作られた刃があった。





そして、殺戮と狂気と呪いの神の力を模した光が、少年だったものを貫いた。



686:以下、三日目金曜東Rブロック59Aがお送りします:2010/11/17(水) 02:50:49.95 ID:m3Iffqgo






びしゃ、








687:以下、三日目金曜東Rブロック59Aがお送りします:2010/11/17(水) 03:06:49.46 ID:m3Iffqgo

何か水っぽいものが一杯に詰まったバケツをひっくり返したような音と同時。

ずるりと、それが滝壺と呼ばれた少女の上に降り注いだ。

生暖かいというには熱すぎる、人の温もり自体だ。
命そのものの熱がぶちまけられ、同時に冷却が開始される。

急速に失われてゆく生の残滓を肌に得ているのに彼女は微動だにできなかった。

ごとり、と、一瞬遅れて地に付けられた膝の上に何かが落ちてきた。

「――――――」

彼女は、まったく揺れない瞳でそれを見て、それからゆっくりと手を伸ばした。
両手で優しく包み込むように抱き、持ち上げる。

「――――――」

それが何か。

彼女は理解したくてもできないし、できたとしてもしたくないだろう。

それなのに彼女の体は勝手に動き。



「――――――ham浜zzl――――?」



矢張り全くの無表情のまま、頭一つ分の大きさのそれを胸に優しく抱き締めた。



688:以下、三日目金曜東Rブロック59Aがお送りします:2010/11/17(水) 03:28:43.82 ID:m3Iffqgo

「まったく見向きもされないというのは寂しいですね」

表情を失った少女の隣に立つ人影が言う。

常盤台中学のブレザーにスカート、そして手に黒曜石のナイフを持つ少女が――いや、
少女の姿をした、魔術師の少年が借り物の面貌に薄い笑顔を浮かべ血肉の海に座り込んだ少女を見下ろしていた。

「駄目ですよ。いくら必死だったからって、考えなしに行動するのは。
 ……AIM拡散力場でしたっけ。あなたの能力が感知するというもの。

 能力を暴走状態にしたはいいですけど、彼はそれでどうにかできたようですけど、
 視覚も聴覚も、五感のほとんどを最小限以下にまで抑えてそれに頼りきりになるのは駄目ですよ」

「――――――」

少女の姿をした少年の言葉は彼女の耳に届いてはいない。
彼女は虚ろな目をどこかへ投げながら腕の中にそれを抱き締め続けている。

そんな様子に全く構わず、彼は続ける。

「ええ、残念ながら自分はそのAIM某が無いので」



699:以下、三日目金曜東Rブロック59Aがお送りします:2010/11/17(水) 16:38:02.76 ID:m3Iffqgo

「――――――」

身動ぎ一つしない彼女を前に、彼は独白じみた言葉を続ける。

「そもそもあんな院内放送をしておいて他に誰も来ないという状況がありえませんよね。
 あれ、自分が人払いの魔術を布いたからなんですが。見る人が見れば分かるでしょうけど、
 この街の住人はどうにもそういう方面は否定的で。だからこそ付け入る隙になる訳なんですが」

言葉に少女は反応しない。

「ともあれ邪魔になりそうなので先手を打たせてもらいました。
 なんとなく、一番怖いのは彼とあなたのような気がしたので」

彼はそんな少女を傍らで見下ろし、手の中で転がしていた黒曜石のナイフを一度宙に弾き、ぱしっと掴み直す。

「……彼女には釘を刺されましたけど、海原光貴も、戦闘不能にする程度で済ませるつもりだったようですけど。
 そんな生易しい事で済ませられる訳が無いですよね。あなたも、『アイテム』なんですから。
 まあ、そうですね――運が悪かった――とでも思ってください。
 あなたも、彼も、自分も。誰も彼もが不幸だった。そうじゃないですか。ねえ?」

そう薄っぺらい笑顔で微笑み掛け、軽く振りかぶるように右手に持つ刃を掲げ――。

「…………お喋りすぎるのもいけませんね。金星が沈んでしまいました。まぁ――」

彼は前屈するように腰を折り、動かない少女の顔を覗き込むようにして見る。

少女の顔に表情は無く、虚ろな視線はどこか虚空を見詰め、僅かに開いた唇から言葉が紡がれる事もない。

ただ。

とろ――――、と。

言葉の代わりに、そこにあった熱の名残のように赤黒い液体が零れ落ちた。

「――その必要もないようですが」

彼はどこか満足げに頷いて、桃色のジャージを染めつつある赤から視線を逸らした。



700:以下、三日目金曜東Rブロック59Aがお送りします:2010/11/17(水) 17:02:52.79 ID:m3Iffqgo

「さて、それでは自分もそれに倣うとしましょうか」

誰にともなく彼は呟いて歩き出す。

その先は屋上と院内を繋ぐ扉ではなく、逆。
転落防止用の鉄柵のその先だった。

「夜の空、夜の風、夜の翼、黒煙の化身、霜の王、捻れた鏡。姿は見えず、それはどこにでもいて、どこにもいない」

とん、と背に翼の生えたような軽やかさで跳躍し、彼は鉄柵の上に立つ。
前方からは風。方向は南への北風。

スカートを風に翻し、少女の姿をした少年は肩越しに一度振り返り。

「――それではまた、曙の頃に」

再び軽やかに跳躍し、その姿は夜闇の中へと落ちていった。



後には吹き続ける風に身を晒す、血肉の海に座り込む少女だったものだけが残される。

胸の中に大事そうに少年の形を抱きかかえて。



――――――――――――――――――――



701:以下、三日目金曜東Rブロック59Aがお送りします:2010/11/17(水) 18:44:25.04 ID:m3Iffqgo

突然生まれた喪失感に絹旗は覚醒する。

「――――――!」

一瞬、何がどうなっているのか分からなかった。

見覚えのない天井。鼻につく消毒液の臭い。擬音語で表現できないほどに小さい水滴の音。
清潔すぎるシーツとベッド。左手に繋がれた点滴の針と管。

それらをどこか曖昧模糊とした思考のまま順に見て、ようやくここが病院だという事に気付いた。

ええと、そうだ、私は――――。

手術に使われた麻酔の影響か、思考も体の感覚も朧気であやふやで、絹旗は半分夢の中にいるような態で身動ぎする。

――そうだ。屋上で、あの念動の能力者と。

思い出した。自分がこうして病院のベッドの上にいるのは不可視の力を操る少年に右手を――。

「………………」

右腕の感覚は、ない。
麻酔の所為だろう。肩から先にあるはずの触感は失われていた。



702:以下、三日目金曜東Rブロック59Aがお送りします:2010/11/17(水) 19:54:02.77 ID:m3Iffqgo

首を動かし、視線を右下――という表現もおかしいが、感覚の無い右腕の方へ向ける。

白いシーツ。そして肩。

感覚の無い右腕を動かそうと試みる。
そこに感触はないが、シーツが僅かに動いた。

更に力を入れる。

する――と衣擦れの音。
右腕が持ち上がる。

「………………」

何となく想像はついた。
予感というか、直感というか。何か漠然とした気配がその先の事実を察せさせた。

けれどそれ以上の事をして事実を確認するのが酷く恐ろしかった。
                         、 、 、 、 、 、
……いや、事実そのものではないのだ。その程度の事ならどうだっていい。
本当に恐ろしいのはそれに付随する――――ほんの些細な喪失だ。



703:以下、三日目金曜東Rブロック59Aがお送りします:2010/11/17(水) 20:30:00.19 ID:m3Iffqgo

「………………」

目を瞑り、息を深く吸い、少し止めて、それから静かに長く吐き出した。
肺の中から澱んだものを吐き出すような錯覚。
再び息を吸うと消毒液の臭いの混じる清潔すぎる空気が肺に満ちた。

閉じたままの目をそのままに絹旗は記憶と経験だけで存在しない感覚を動かす。
しゅ――――と布の擦れる音。力を入れた部位に感触は無いが、空気の動きはあった。

そして、ゆっくりと目を開けばそこには。

「――――――ああ」

眼前、掲げられた右腕の先には真っ白な包帯が巻かれ。

「やっぱり」

その先端は手首の位置と同じだった。



704:以下、三日目金曜東Rブロック59Aがお送りします:2010/11/17(水) 21:58:22.33 ID:m3Iffqgo

麻酔で失われた感覚。その一部は永遠に戻ってこない。
目の前の現実はそう絹旗に告げていた。

きっと学園都市の技術を以ってすれば精巧な義手を作る程度の事は容易だろう。
だがそれは義手であって、本物の手ではない。
絹旗の右手という掛け替えのない唯一無二は欠けてしまった。

ただ、胸中に燻る喪失感は失った右手だけの所為ではない。
失くしてしまったのは肉ではなく、もっと別のものだ。

手の先の、感覚が無いまま見えない右の手指を記憶で握り、絹旗は震える声で小さく呻いた。





「これじゃあ――――もう好きな人の手を超握れないじゃないですか」





不思議と涙は出なかった。



710:以下、三日目金曜東Rブロック59Aがお送りします:2010/11/18(木) 00:19:58.73 ID:qqgNT62o

絹旗の胸中には失望と諦念と、それから矢張り最後の最後で切りの悪い妄執が蟠っていた。

けれどどうしてだろう。涙が出ない。
本当ならこういう時にこそ流すもので、それ以外に要らないはずなのに。

「………………」

理由は分かっている。
己の中にある感情と、それを否定する理性。

激しく動揺しているはずの心は、麻酔と消毒液の臭いと、
心の中にいるもう一人の冷めた目の自分に雁字搦めにされて涙一つ流せないでいる。

それでも、口に出す事はおろか考える事すらも自ら否定するそれが、心の片隅にこびり付いて離れない想いが確かにあるのだ。

努めて意識しないようにしているそれが、僅かに感情を揺さぶっている。
だから『泣けない』と、そう思うのだ。

代わりに溜め息が一つ、小さく開いた口から漏れた。



713:以下、三日目金曜東Rブロック59Aがお送りします:2010/11/18(木) 00:59:10.21 ID:qqgNT62o

それから絹旗はしばらく無言で右腕の包帯とその先の空間を見ていた。
掌を太陽に透かしてみれば、とか馬鹿な冗談が浮かんだがまったく面白くない。
自分のセンスの無さに反吐が出そうだ。

「超つまんねー」

掠れた声で絹旗は一人自嘲して、喉の痒みに似た引っ掛かりを自覚する。

水が飲みたい。そう思って何となしに首を動かす。
ナースコールのボタンが付いたコードが目に留まり、それを押そうと手を伸ばし――寸前で止めて、逆の手を伸ばした。

手の中に小さな硬く冷たい合成樹脂の感触。
それを絹旗は少しの間意味もなく手の中で転がしながら呆と視線を泳がせていた。

病院の壁は白く、染み一つない。
その事がどうしてか絹旗の心に苛立ちを生んだ。

きっとその感情に理由などないのだろう。ただ何かに当たりたかっただけだ。
鬱積した感情が捌け口を求めて、何でもいいから圧搾されたそれをぶつけたかったのだ。

つまるところ、ただの八つ当たりだ。

安い女だ、と絹旗は小さく心中で零した。



716:以下、三日目金曜東Rブロック59Aがお送りします:2010/11/18(木) 01:50:52.82 ID:qqgNT62o

「あ」

と、唐突に声を出す。

視界の隅、ベッドの脇に据えられた入院患者用の小さな棚の上に水差しとグラスを見つけた。

これならわざわざナースコールをする必要もない。
目が覚めたのを知らせる必要はきっとあるのだろうが、できる事ならもうしばらくの間一人でいたかった。

起き上がれるだろうか、と一瞬疑問が浮かんだが、人間の体というものは意外と丈夫に出来ていた。
ただ左の胸から脇腹に鋭い痛みがあった。見ればギプスのような、コルセットのようなものが着けられている。

回想。多分、最後の横からの打撃だ。あばらを何本か持っていかれた感触があった。
障害物を無視する力の作用だ。内臓も幾らか、やられているかもしれない。

そんな事を頭の端で考えつつ、視線は自分の体でも水差しでもなく、他へ向けられていた。

ベッドの横、少しの空間の先にある、丸いパイプ椅子。
その位置は絹旗の眠っていたベッドに近く、僅かに思慮が見える遠さ。
張られた黒に近い色の化学繊維には微かな凹みと皺がある。

誰かが座っていたのだろう。

それは誰か。

「……、……」

考えなくても分かる。

その事に顔が微かに笑むのが、少し悲しかった。



718:以下、三日目金曜東Rブロック59Aがお送りします:2010/11/18(木) 02:05:19.70 ID:qqgNT62o

何か、自分の中のどこかが満たされるような感じがした。

死ななかっただけ儲け物。そう、ここはそういう世界だ。
右手を失っても、左手がある。それ以外の四体は満足なのだ。

体は動くし、言葉も紡げる。頭は麻酔の眠気で鈍いが、大丈夫だろう。

どうしようもなく辛い。どうして自分がと世界を呪いたくもなる。
けれど、自分はまだ生きていて、そうでなくても世界は回り続ける。

だから。

――――大丈夫だ。きっと、笑える。

そう思えた。確証は無いが。

「……うん」

小さく声に出して頷き、





――――――どうしてだろう。涙が零れた。



719:以下、三日目金曜東Rブロック59Aがお送りします:2010/11/18(木) 02:18:12.93 ID:qqgNT62o

「あ――れ――?」

ぽろぽろと、目から塩辛い液体が流れ落ちる。
感情に因るものではない。それとは別の何かだ。

つい今し方に得た満たされたという朧気な感覚からだろうか。
安心とか、そういうもので心の堰が緩んで漏れ出したのだろうか。

――――いや、違う。

しかし当たらずとも遠からず、それは得た感覚に因るものだ。

何かに満たされ、同時に、何か不吉なものが絹旗の中に入り込んだ。

震えるには僅かに及ばない寒気。
精神的なものだ。病室には気持ち悪いほどに最適に調整された空調が効いている。

「………………」

得体の知れない虚無感。
どうしてだか――――酷く取り返しの付かない事をしてしまったような気がした。



720:以下、三日目金曜東Rブロック59Aがお送りします:2010/11/18(木) 03:17:06.81 ID:qqgNT62o

何か形の無いものに、じぃ――と見られているような、そんな薄ら寒い気配。
その感覚を形容する言葉が分からなくて、絹旗はしばらくの間ぞわぞわと背筋を撫でる気持ちの悪いものに肩を竦めていた。

点滴の雫の落ちる音が一定のリズムで鼓膜を微動させる。
その空気と左腕に繋がる管の震えを感じながら絹旗は視線を少しだけ天井の方へ向ける。

「……、……」

どうすればいいのか。考えるとも迷うともつかぬ思考に絹旗は眉を顰める。
明確な答えは見つからない。見つかるとも思えなかった。

――けれど、どうしてだろうか。

目を瞑り、息を吸い、吐き出し、目を開く。
それから左手を持ち上げ、顔の前に翳す。

そして、ぶつっ、と点滴の管を噛み手と首の動きで針を引き抜いた。
針の開けた穴からはじくじくと痛みと共に血が浮かぶが、貼り付けられたガーゼに吸い取られそれを赤く染めた。

軋む左半身に口の端を僅かに引き攣らせながら身を捩るようにしてベッドから降りる。
裸の足裏の触れる床はひやりと冷たい。
力を入れればよろめくような事もなく、絹旗は立った。

それからパイプ椅子を左の指先で恐る恐るといった風に掠め、そのほんの少しの感触を確かめるように胸の前で抓むように握る。

胸元の指を絹旗はどこか悲しげな微笑で見下ろして。

「………………、」

きっと前を見据えた。

その先には病室の戸がある。

行くべき先は、どうしてだか分かってしまった。



721:以下、三日目金曜東Rブロック59Aがお送りします:2010/11/18(木) 03:23:38.89 ID:qqgNT62o

――――――――――――――――――――



735:以下、三日目金曜東Rブロック59Aがお送りします:2010/11/19(金) 17:34:53.06 ID:XzfbjcMo

廃ビル。

出入りする人の絶え、死んだコンクリートの塊と成り果てた建造物の外。
表口を横に、薄汚れた壁面を気にしながら彼女はそれに背を預け腕を組んでいた。

辺りは既に暗くなって久しい。表通りを照らす光の残滓が路地裏とも変わらぬ細い道を薄ぼんやりと浮かび上がらせていた。
彼女は目を瞑り、何かを考え込んでいるようにも見える態で寒風の吹き抜けるそこにいた。

スカートから見える足は防寒対策などしておらずそのままの肌を晒し、寒さに表面を粟立たせている。
けれどそんな事には委細構わず彼女はそこでただじっと壁に背を預け佇んでいた。

こつ、と足音が聞こえた。
それに彼女は薄く目を開け、しかしまたすぐに閉じる。

足音は続く。それは建物の中から聞こえてくる。
硬質の音が一定のリズムで響き、歩む速度のそれはゆっくりと近付いてくる。

彼女はそれを僅かに気にしながらもただじっと出入り口の横にいた。

そして、開け放たれたビルの四角い口から漏れていた音は徐々に足音は大きくなる。
そしてついにそこを飛び出し彼女の真横で鳴り、止まった。
                 う ち
「なぁに、出待ち? 結局、常盤台じゃあ今そういうのが流行ってるの?」

帽子から金色の髪を零しながら、フレンダと呼ばれる少女は後輩の少女――白井黒子に向けて悪戯っぽい笑みを向けた。



736:以下、三日目金曜東Rブロック59Aがお送りします:2010/11/19(金) 17:54:01.16 ID:XzfbjcMo

フレンダのおどけたような言葉に白井は特に何もとばかりに顔色一つ変える事も眉一つ動かす事もなく、
先程までと変わらぬ姿のまま、片目だけを薄く開き彼女を見るとお座なりな態度で返した。
                                               じょうおう
「……まさか。それと、わたくしはあなたを待っていた訳ではありませんので。『心理掌握』様」

その返答が気に入ったのか、フレンダはくつくつと笑った。

「アンタからその呼び方が出るとは思わなかったわよ。結局、一年には私のシンパはいないしね」

「初めてお目にかかった時に直感しましたの。確かにあなたは間違いなく女王と呼ぶのが相応しい。
 ……もっとも、歴史に名を残す女王といえば大抵は、残虐非道の悪女ですけれど」

先輩に向かってアンタも言うわねぇ、とフレンダがまた笑う。

それを見て思う。白井は彼女の笑顔以外の表情を見た事がない。

白井がつい先日、初めて常盤台の女王たるもう一人の超能力者と対面してからというもの、
彼女はずっとわざとらしい笑顔を浮かべたままだ。

少し機嫌の悪そうな時もある。膨れ面をしている時もあったし、泣いている素振りをする事もあった。
けれどどうしてもその裏側に、何かが可笑しくてしかたないという薄気味悪い笑顔があるのだ。

まるでピエロの化粧のようにべったりと張り付いたそれを白井は気持ち悪いと思う。
人は誰しも仮面を被るとは言うが、彼女の場合――仮面しかない――そんな気配がするのだ。



737:以下、三日目金曜東Rブロック59Aがお送りします:2010/11/19(金) 18:29:53.35 ID:XzfbjcMo

「結局、あながち間違ってないのが怖いわね。優秀な後輩が多くて先輩としては鼻が高いわ」

「心を読まないでくださいます? 乙女の秘密に踏み込むのはマナー違反ですのよ」

「これくらいの距離だと勝手に見えちゃうのよ。…………嘘だけどねっ」

わざとらしい無邪気な顔で笑う彼女に白井は羞恥や恐怖や憤慨よりも先に、嫌悪感を覚える。
目の前にいるのが人ではないような気さえした。
人外の化け物という意味ではない。絵画や画面の中の人物を相手にしているような、そんな手応えのない会話。

言葉のキャッチボールという表現が頭に浮かぶ。
今のこれはまるで壁に向かって投げているような感じだ。要するに――張り合いが絶無なまでに無いのだ。

「ちなみに嘘っていうのは結局、見えるのがってのよ? 能力使った訳じゃないからね。
 それくらい表情を読むだけでなんとなく分かるし、あとはカマにかけただけ。やーい引っかかったー」

「………………」

「反応ないとセンパイ寂しいなー。もうちょっと愛想よくしてもバチは当たらないわよ?」

笑顔のまま顔を覗き込んでくるフレンダに、白井は、はぁ、と溜め息を隠す事なく吐いた。

「お喋りですのね、あなたは。遠慮もなし、容赦もなし。緊張感もまるでない。あなた、それで本当に『心理掌握』なんですの?」



738:以下、三日目金曜東Rブロック59Aがお送りします:2010/11/19(金) 18:50:17.30 ID:XzfbjcMo

白井の言葉にフレンダは下から半ば見上げるようにしていた格好から背を伸ばし、大仰に頷いた。

「そうよー。そしてアンタのともだち。いいじゃない、仲良くしようよ。結局、人類皆兄弟で平和が一番って訳よ!」

「わたくし、友人は選ぶ性質ですので。お生憎様」

よくもまあ白々しい、と心中で吐き捨てながら白井は少し憂鬱な気分で僅かに視線を下げ俯いた。

友人は捨てた。そして自分が待っているのは彼女ではない。
言葉の端々が癪に障る彼女の言動はまともに相手をするだけ無駄だと結論付けた。

「つれないわねぇ。ほらほら、握手しましょ。おてて繋いで一緒に踊りましょ」

「遠慮しておきますわ」

そう、にべもなく返すがそんな白井の言を無視してフレンダは胸の前で組んだ手を強引に握ってきた。

そして強く手を引く。
その動作に白井は少し驚いて、よろめくようにしてフレンダの方に向かってたたらを踏んだ。



739:以下、三日目金曜東Rブロック59Aがお送りします:2010/11/19(金) 19:05:41.02 ID:XzfbjcMo

「ちょっと――――」

口から出かけた白井の言葉は、直後に生まれた音によってその先を絶たれる。

ばちん! という大きな、そして短い破裂音と共に石が跳ね、刹那の後、遅れて不自然な風が髪を嬲る。

「――――――」

その発生源は背後、今まさに白井が背を預けていたコンクリートの壁面。
ゆっくりと首を回し、それを見れば――そこには放射状の大きな皹が走っていた。

「……おーぅ、危険があっぶなーい」

そう相変わらずの巫山戯た調子でフレンダが嘯くが白井はそれに耳を傾けない。

皹の生まれ方とあの音。白井には覚えがある。
そしてやや離れた路上、同じようにして生まれた皹と抉れがあった。

それは跳弾によって生まれた弾痕だ。

「――――狙撃――――!」

息を呑む白井を見ながら、金髪の超能力者の少女は変わらぬ様子で微笑んだ。



――――――――――――――――――――



741:以下、三日目金曜東Rブロック59Aがお送りします:2010/11/19(金) 21:31:46.75 ID:XzfbjcMo

そこから少し離れた、とある研究施設の階段。
砂皿はその明かり取り窓から外に向けて構えていた銃のスコープから目を離した。

手にした銃はMSR-001、電磁石を用いた磁力狙撃砲だ。

日中に、ほとんど同じ場所を狙撃するのに用いたメイルイーターではなくこの銃を選んだ理由はひとえにその特徴にある。
磁力による、火薬を用いない射撃のために銃声や硝煙の臭いが発生せず、威力は通常のそれに劣るものの隠密性に優れる。

電磁系能力者の最高位である御坂美琴にはその予兆を察知されるかもしれないとは思ったが、夕の一件でどちらにせよ無駄だと判断した。

自分が撃ち殺した相手が件の少女ではないという事は垣根から知らされた。

クローン、と。そう言っていた。
だがそれが意味するものは、本物の超能力者の少女はまだ生きているという事だけだった。

能力に劣る――足元にも及ばないらしいクローンの少女でさえ、本来狙っていた海原からその能力で射線を逸らした。
まさか自分の肉と命すら犠牲にするとは思わなかったが、本来の標的には届かなかった。

その電磁を操る能力の贋作でさえあれだ。
真作がどれほどのものなのかは見当が付かない。
だが自分の唯一の武器である銃弾が通用しない事は目に見えた。

だから砂皿は素直に御坂美琴を標的から外した。

だからこそ今、白井黒子を狙ったのだが。



742:以下、三日目金曜東Rブロック59Aがお送りします:2010/11/19(金) 22:22:37.04 ID:XzfbjcMo

少し前。砂皿はドレスの少女と一度合流しようとしたが、携帯電話には出なかった。
どころか相手が圏外にいるというアナウンスが流れた。

きっとまた御坂か、クローンの少女の仕業だろう。なんとなく直感した。
となれば、彼女が狙われているか、もしくは交戦中という事になる。

直前に受けた連絡では、彼女は砂皿の撃ち殺したクローンの少女の死体を調べると言っていた。
一度使った狙撃ポイントは何らかの力によって粉砕され使えなかったので代わりの場所としてこの研究所を選んだ。
もっとも、一度使った地点から狙撃するなど愚の骨頂でしかないのだが。

八月あたりまでは稼動していたようだが、研究が凍結したらしく今は使われていない。
どういった経緯でそうなったのかはどうでもよかった。
ただ、人気が無く外からも見えないというこの場所は絶好のポイントだった。

しかしようやくこの場に到着し、彼女がいるであろう屋上を見てみれば、そこに人影はなく、どころか自分の作った死体もなかった。
疑問に思いながら周辺を見回せば、ビルの下には白井と、そしてもう一人の少女がいた。

だから、とりあえず撃った。

彼女らが事態の原因であり、また自分たち『スクール』、ないし『アイテム』に対し殺意を伴う敵対行為を見せているのは明白だった。

最悪自分が放棄した御坂あたりと垣根か麦野が接触すれば真相は解明されるだろうと、
そういうどこか楽観的で短絡的な思考と直感で砂皿はトリガーを引いた。



743:以下、三日目金曜東Rブロック59Aがお送りします:2010/11/19(金) 22:31:29.74 ID:XzfbjcMo

だが。

(能力者というものは実に厄介だ)

心中でごちて砂皿は無意識に歯噛みした。
どのようにして察知したのか。砂皿の放った銃弾はすんでのところで避けられ血花を咲かせる事はなかった。

偶然にしてはあまりに出来過ぎだった。
それは矢張り、出来過ぎたタイミングで手を引いた見覚えのない少女の能力だろうか。
気取られるような行為は見せていないはずだ。もしかしたらあの少女もまた電磁系の能力者なのだろうか。
それとも、単に運が悪かったか。

もしくは自分が、外したか。

「……、……」

逡巡して、即座にそれはないと否定した。

暗殺を生業にしている者として、相手が誰であれその頭部を弾く事に躊躇いはない。はずだ。
けれど、スコープ越しに見えるその髪は――彼女の顔が頭をよぎる。

あの天真爛漫で、腐った泥の中にあってはならない黄金を。

頭を振る。狙撃が失敗したという事は相手に位置が露見する事と同義だ。
遠距離から狙撃する事しか能のない自分だと思うからこそ、その位置が露見する事は致命的だ。

落ち着いて、けれど迅速に装備を分解し離脱の準備にかかる。

――――けれど。



「残念、遅すぎですわ」



……本当に能力者というものは厄介だ。



――――――――――――――――――――



755:以下、三日目金曜東Rブロック59Aがお送りします:2010/11/20(土) 22:21:27.75 ID:4UQS8Vgo

「運がよかったわね。私がアイツみたいな真似ができて。殺気に反応するなんて、結局、私くらいしかできないんじゃない?」

第五位は伊達じゃないっ! などと嘯くフレンダを無視して白井は尋ねる。

「では第五位様、狙撃手の場所を教えてくださいます? 一っ走り行ってきますの」

「あっち。見える? 三階と四階の間の階段踊場」

それだけ聞けば十分だった。

直後、白井の見ている景色は変わる。

その能力で刹那の間に直線距離で六十メートルほどの空間を渡り、白井は夜の空に飛び上がる。
街から空に向けて放たれる光の中にその身を躍らせながら、直後に再び白井の体は空を跳ねた。

数度の跳躍を経て、時間にして十秒余りで目的の場所へ辿り着く。
外観からして何かの研究施設だろう。装飾的なものを徹底的に除外した無機質な建造物だ。

地上十数メートルの空中から眼下を見れば、建物の壁面、垂直に数メートル毎に配された小さな窓の中に一つだけ開かれたものがある。
一瞬の自由落下を以って視角を合わせ内部の様子を確認し、白井は最後の一回の能力使用を行う。

その先は建物内部、フレンダの示した階段の踊場。

銃を分解するために構えを降ろした砂皿の、すぐ背後だった。

「――――残念、遅すぎですわ」

小さく言って、白井は苦笑して殴りつけるように右手を伸ばした。



756:以下、三日目金曜東Rブロック59Aがお送りします:2010/11/20(土) 22:47:05.95 ID:4UQS8Vgo

しかしその手はすんでのところで避けられ空を掻いた。

砂皿は反射的に体を右回りに九十度回転させながら膝を折り胸を上にし倒れるように身を屈める。
「――――っ!」

白井の能力、『空間移動』は対象を三次元軸を無視して移動させるという強力なものだが、それには幾つかの制限がある。

対象の重量や距離なども関係するのだが、彼女の場合、最大のネックとも言えるのが発動条件である『自身の接触』だ。
白井は自身の体を基点として能力を発動させるために、自身以外にその能力を行使するためには肌で直接触れなければならない。

触れてさえしまえば瞬時に物体を移動させる事ができるのだが、触れなければそれは適わない。

白井の指は、ほぼ水平に近い状態で高度を下げた砂皿の軍用ベストに僅かに届かない。
前にのめるようにして体制を崩す白井。
彼女の身に纏った常盤台中学の制服の胸に砂皿の構えた銃が向けられた。

砂皿の着ている、時期にはまだいくらか早い黒のロングコート。
その布地に隠されるようにして右腿のホルスターに差されていた拳銃を砂皿は瞬間で抜き取り構えた。

ぱん! ぱん! と乾いた火薬の音が階段に響いた。

しかし銃弾は空を穿つ。
弾丸は目的の地点を過ぎすぐ先の建物の壁に弾痕を刻みその内部にめり込んだ。

白井の姿は砂皿の視界から消えていた。

直感と本能で首を動かす。

上だ。

目が合った。



757:以下、三日目金曜東Rブロック59Aがお送りします:2010/11/20(土) 23:14:49.71 ID:4UQS8Vgo

白井は瞬時に能力を自身に用い、その矮躯を空間跳躍させていた。

その距離はほんの数メートル。
砂皿の真上、建物の低い天井ぎりぎりだ。

ただし、移動の際にz軸を逆転させ天に足を、地に頭を向けた逆立ちの状態で。
両の手はまるで砂皿を押し潰さんとばかりに五指を大きく広げ、距離を稼ぐために限界まで伸ばされていた。

見上げるように見下ろす白井の視線と真正面から見上げる砂皿の視線が交差する。

直後、宙に浮いた白井の小さな体は自由落下を始める。

そして同時に折り曲げた膝を伸ばし白井は靴底で天井を蹴り付けた。
反動と重力により同方向へのベクトルを重ねた体は弾丸となって加速する。

「ぐうっ――――!」

呻き、砂皿は左手を床に叩きつけるように振り下ろす。
その拳の円運動によって生まれた力は即座に床で止められた。
しかし砂皿の腕で伝達された力はその胴を左方へと回転させる。

まるで跳ねるように身を回転させた砂皿は背を壁に当て衝撃を殺し、再度銃を向ける。
その銃の動きと連動するように白井が視界に物凄い勢いで飛び込んでくる。

しかし引き金を引くより早く、その伸ばされた手が床に触れる直前、白井の姿は掻き消えた。



760:以下、三日目金曜東Rブロック59Aがお送りします:2010/11/21(日) 00:09:40.55 ID:kKaFwT2o

砂皿は確認よりも早く体勢を立て直す。

昨夜の会合の際、能力者との戦闘に慣れていない砂皿は敵対しかねない能力者についての対策を幾らか受けていた。
無論、それはリストの中に二人いる空間移動能力者に対してもだ。

空間移動能力の最大の長所はその名の通りに空間の制圧にある。

白井に限って言えばその最大射程は八十メートル超。自身を中心としてその空間は彼女の必殺の間合いだ。
ほぼゼロタイムで物体を移動させる能力の元では距離は無に等しい。

ただ同時に、それは欠点でもある。
裏を返せば制圧圏内から逃れるのが最大の防御だ。
しかし今の砂皿にはそれが可能とは到底思えなかった。

故に、代案を用いる。
空間を操る能力に対して、三次元に捕らわれる人の身では対抗できない。
だから能力者自身を無力化する他にない。

そして狙撃手たる砂皿にとって、それは対象の殺害と同義だった。

空間移動能力者の戦闘形態は二種類ある。

一つは今、白井が取ったような格闘戦。
相手に触れなければならないという制約の上にあるためだが、例えば触れずとも能力を行使できる結標淡希に対しても同じことが言える。

その意味するところは、相手への直接の能力使用。
防御できない空間移動を直接叩き込めば、それは必殺だ。

障害物を無視するその能力を用いれば、遥か上空へ飛ばし墜落させる事もできるし、地下や建材の内部へと直接送り込み埋め込む事も可能だ。
直接的な威力は持たないもののその威力は絶大で、生身の人間が八十メートルもの落下やコンクリート詰めから逃れる術はない。

そしてもう一つ。

二度に渡って奇襲が失敗した白井は戦法を変えてくる。
そう、根拠のない確信を長年の殺人者としての経験が言っていた。



761:以下、三日目金曜東Rブロック59Aがお送りします:2010/11/21(日) 00:42:22.47 ID:kKaFwT2o

立ち上がり、砂皿は投げ出された磁力狙撃砲を捨て拳銃を構える。

スナイパーを名乗ってはいるが、それは自身の事であり武器は関係ないと考える砂皿にとって愛銃などというものは存在しない。

もしあるとすればそれは自身の目と指だ。

単純であるが故に決断は早い。
砂皿は狙撃に特化した銃を捨て、重量と銃身と殺傷能力において格段に劣る拳銃を武器とする。

小さな音を耳が捉える。

視線は向けず、銃口だけを向けた。

果たしてその先には、階段の先、一つ上の階の廊下に降り立った白井が今まさにスカートを翻し、
砂皿を見据えながらその内側に隠された鉄矢に手を伸ばすところだった。

発砲。二連射。

炸裂と発射によって生じた衝撃によって銃口が跳ね上がり、異なる軌道を描いて二発の銃弾は飛翔する。

同時、砂皿は半ば転げ落ちるようにして階段を駆け下りた。



763:以下、三日目金曜東Rブロック59Aがお送りします:2010/11/21(日) 01:08:28.97 ID:kKaFwT2o

軽快なリズムを足が刻む。しかし足音はない。

狙撃手にとって己の姿を隠す事は必須課題だ。
長大な銃は相手に察知されずに一撃で仕留めるためのものであり、まして近接しての格闘戦や弾幕を用いた銃撃戦ではない。
故に隠密行動は自他共に狙撃手と称される砂皿にとってもはや息をすると同じほどに容易いものだ。

不自然な無音と共に砂皿は階段を滑るように移動する。
先には建物三階部分の廊下。しかし砂皿は階段の途中で急にその足を止めた。

刹那の後、砂皿の眼前に白井の鉄矢が唐突に生じた。

白井の空間移動によって放たれた三次元ベクトルを持たない弾丸。
それは階段を下りきったすぐの位置に奇妙な空を切り裂く音と共に現れ、一瞬の静止の後、重力に引かれ落下した。

それを砂皿は慌てる事なく掴み取る。

空間移動能力者のもう一つの戦法。
今の鉄矢のように対象物を弾丸として打ち出す射撃戦だ。

銃と違い遮蔽物を無視する十一次元狙撃によって打ち出された物体は、防御も装甲も無視し無条件に貫通する魔弾となる。
例えそれが小石であれ紙切れであれ、空間を割り開き出現するそれは弾丸の形状そのままの狙撃だ。
弾丸となった物体の強度や質量に意味はなく、故にそれら全ては等しく必殺となる。



764:以下、三日目金曜東Rブロック59Aがお送りします:2010/11/21(日) 01:32:32.58 ID:kKaFwT2o

砂皿と同じく、獲物を選ばぬ狙撃。
しかし砂皿の武器は銃に限られ、弾丸も限りある。

ただ、決定的に違う点がある。
それは白井の放つ弾丸はあくまで『空間移動』によるものだ。

十一次元ベクトルを用いる、通常は観測する事すらできぬ高位からの攻撃。
しかしそれは同時に、三次元下におけるベクトルを持たない事を意味する。

それ故、空間移動能力者の狙撃は必ず『点』となる。
対し、銃撃によるそれは『線』だ。銃弾は三次元空間を移動し、壁に遮られ、しかし『点』よりも圧倒的に大きな制圧圏を持つ。

さらに点に対しては三次元の上下、前後、左右の三方向への回避が可能だが、
線に対してはそれが正面から来る場合上下左右しかなく、前後への移動は無意味だ。

そして銃弾を見切る事など人には不可能だ。
戦闘のスペシャリストがそれを行うように見えるのは、単に銃口や視線を読んで先にその射線から体を逸らしているだけだ。
少なくとも数十メートル程度では弾丸が発射されるのを見てから避けるなど不可能だ。

空間を穿つ点と空間を走る線。

瞬間と瞬間。

確かに『空間移動』は強力な能力ではあるが――砂皿には己の銃がそれに劣るなどとは思えなかった。



765:以下、三日目金曜東Rブロック59Aがお送りします:2010/11/21(日) 02:01:35.35 ID:kKaFwT2o

明日早いので今日はここまでで

幾らか言われているので、自由な想像部分を削る事とは思いますがコメントをば

名前を伏せる表現に関してですが、人物の入れ替わりが行われる(可能性がある)ためのものです
あとはまあ、単に演出とか。だから「そういうもの」だと思ってください。まれによくある

ただ、人物の入れ替わり等が激しい本作においてルールが幾つかあります
次レスを反転表示にてどうぞ



766:以下「表記・設定のルール」(反転表示):2010/11/21(日) 02:05:56.87 ID:kKaFwT2o

・可能な限り原作を遵守する。
 演出上独自設定を入れる事はあっても曲解や拡大解釈の粋に収める。

・入れ替わりは原作において可能と思われるもののみで行う。

・唯一『フレンダ/心理掌握』のみ例外とする。
 ただし能力を使用し主観観測者の認識を操る事はあってもそれが決定的なものとはならない。
 また道化師的な役回りとし、物語の根本部分に大きく関与はしない。

・地の文では基本的に『嘘』をつかない。
 表現技法の一つとして反語のような用い方をする事はあるが、可能な限り即座に否定する。
 (例外的に、エツァリ→妹達に関してのみ表現しきれなかったため『少女』と表記しました。この場を借りてお詫び申し上げます)




775:以下、三日目金曜東Rブロック59Aがお送りします:2010/11/21(日) 18:55:53.54 ID:kKaFwT2o

掴んだ鉄矢を握り締めたまま砂皿は滑るように無人の廊下を駆け抜ける。

白井の能力の及ぶ範囲は八十メートル強。これはあくまで『身体検査』の結果に過ぎない。
データ採取の日付はまだ新しいものの、変動している可能性もある。

だがどちらにせよ、研究所の敷地はは大目に見積もっても数十メートル。
その全てが白井の射程圏内だった。敷地内のどこにいようと白井と隣り合っているに等しい。

しかし強力無比なその能力にも最大の弱点がある。

認知。

いくら瞬間で距離を詰め、あらゆる防御を貫通する術を持っていても相手を見つけられなければ意味がない。

十一次元座標などという想像すらも困難な次元を操る能力であってもそれを行使するのはあくまで三次元に捕らわれた少女だ。
故に五感が絶対となる。狙いを外した鉄矢を手に取ったのもそのためだ。
そのまま放っておけば鉄矢は重力に引かれ落下し、甲高い音を立てていた事だろう。

いくら十一次元において隣り合っているからといって、その手を離れたからには白井の触覚は通用せず、
『手応え』などという曖昧なものを得られるはずもない。

足音を響かせないのもそのためで、あえて階段を下ったのも視角を遮る行為だった。

あの瞬間においてこちらの視角はあってないようなものだ。
白井はいつでもその身を十一次元軸を介して移動させる事ができる。
対し砂皿は己の足でしか移動する事ができない。それは白井にとって絶対的な優位性だ。



776:以下、三日目金曜東Rブロック59Aがお送りします:2010/11/21(日) 19:25:43.15 ID:kKaFwT2o

だから一度、仕切り直した。

白井の有利を打ち消すために砂皿は自らの不利を用いる。
あえて白井から視線を外す事で不利を確実なものとしながらも、同時にその欠落を白井にも押し付けた。

視覚と聴覚という、人の外部を知覚するための感覚器官としてその多くを占める部位を削ぎ落とす。
触覚は行動に伴う振動だ。しかし砂皿はそれを極限まで小さくする術を持つ。
そして嗅覚は薬品の臭いの染み付いたこの場において役に立たず、味覚に関しては言うまでもない。

廊下を端まで進む前に、途中にある角を砂皿は速度を落とさず曲がる。
長い黒のコートの裾を引きながら砂皿は音もなく廊下を走り続けた。

だが、砂皿の不利は変わらない。

それは大きく二つ。一つは認識から攻撃へのタイムラグ。
砂皿は相手を認識してから銃を構え引き金を引くという動作を必要とする。
対し白井にはその予備動作は必要ない。
弾丸となるものさえあれば構える事なく射出でき、さらにそれは自身でも構わない。格闘戦に持ち込めばいいだけの話だ。

もう一つは白井の能力はあらゆる障害を無視するという点だ。
砂皿は足でしか動けないが、白井はそうではない。自前の足と、『空間移動』がある。
要するに、その先さえ分かっていれば『空間移動』を使う事に躊躇いは生まれない。



777:以下、三日目金曜東Rブロック59Aがお送りします:2010/11/21(日) 19:58:27.72 ID:kKaFwT2o

しかし幸運にも建物内はまるで迷路のように入り組んでいて、
まだ施設が生きていた頃の名残か所々にダンボール箱の山や用途不明の機械が積まれている。

この事実で白井の自身を跳躍させての先回りは封じられた。
もし障害物と重なれば、前述の『埋め込み』を白井自身が行う事となる。

仮にも、そしてあくまでも白井は中学生の少女だ。
音の反響で建物の構造を探ったり、嗅覚で獲物の逃走経路を計るなどできるはずもない。
その点においては砂皿が勝る。暗殺者としての経験という曖昧ものを、けれど確かに持っている。

砂皿が生きているのは偏にそのためだ。

彼女は殺人者ではなく、自身は殺人者。
もし仮に白井が『殺し』に慣れた人物であれば生きてはいられなかっただろう。

しかし砂皿は生きている。圧倒的な不利を抱えているにも拘らず。
そういう意味では――総合的に、優劣は対等だった。

瞬間の一撃必殺を用いる者同士、先に見つけた方が生き残り、そうでない者が死ぬ。



つまりこれは――――かくれんぼだ。



778:以下、三日目金曜東Rブロック59Aがお送りします:2010/11/21(日) 20:16:50.20 ID:kKaFwT2o

しかし、具体的には一方的な鬼ごっこが展開される。

砂皿は肩ほどまである色とりどりのコードの垂れ下がった用途不明の機械の影に身を隠し、
その半ばほどに僅かに空いた隙間から今来た方向を覗き見る。

視界の先、砂皿が曲がってきた角に白井が駆け込んでくる。

銃を両手で握り締める。
相手の姿は見えているが確実に中てるにはまだ距離が足りない。
しかしこちらから距離を詰める事もできず、砂皿はじっと息を殺していた。

白井は曲がり角に入ると同時にこちらに顔を向ける。

その視線から放たれるように、冷たい風が廊下を吹き抜けた。

「――――――っ!」

その意味するところを考えるよりも早く、砂皿は屈んだ体を更に低くし伏せるようにしゃがみ込んだ。

それが砂皿の命を救った。

直後、甲高い音と共に身を隠していたはずの合金の箱にガラス板が生えた。



779:以下、三日目金曜東Rブロック59Aがお送りします:2010/11/21(日) 21:42:41.55 ID:kKaFwT2o

白井は曲がり角に駆け込むと同時に、砂皿からは見えない位置、
一挙動前に壁に立てかけるようにして移動させておいた窓ガラスだったものを掠めるように撫でる。
そしてろくに確認もしないまま廊下の先、一メートルの高さに水平に出現するように打ち込んだ。

その数、五枚。
それら全てを数メートルの間隔で射出した。

内一枚が廊下に鎮座していた機械に突き刺さるものの、残りは落下し連続してがしゃがしゃと耳障りな音を立てて割れる。
大きな音が四連続するのを耳で捉え、狭い視界の中に飛び散ったガラス片の舞い方から逆算し他に障害物がない事を確認する。

白井はどのように戦えばいいかをほぼ完全に把握していた。
銃の長所であり短所である『線』の攻撃。その長所だけを抽出した戦闘方法を白井はものにしていた。

弾幕。

完全な連続として『空間移動』を行使することは出来ないながらも、可能な限り断続的に『空間移動』で弾丸を撃ち込む。

それは即ち『点線』だ。
銃と違うのは射線が一定でない事だ。
『空間移動』を使えば基点は白井自身だが、三次元下におけるその続きはどこへでも設定できる。
更に言えば、線に限らず、弾丸の大きささえあれば面としても打ち込むことができる。

縦横無尽に描かれるモザイク画。

白井の持つ『空間移動』の真骨頂はその名に冠した空間の制圧力にある。



786:以下、三日目金曜東Rブロック59Aがお送りします:2010/11/23(火) 23:11:17.26 ID:DKIN0AIo

だが空間。

それは無限の三乗に等しい。
アキレスのパラドクス然り、有限と有限の隙間には無限が潜んでいる。
その間隙を全て埋める事は不可能に近い。

「…………」

白井は廊下の奥を見遣り、ほんの少しだけ躊躇うように逡巡する。

視界には長い廊下と、腰ほどの位置にガラス板を生やした機械の塊。

――その裏には砂皿が息を潜めている。

砂皿は銃を握り締めたまま仰向けになり、腹筋運動をするように身を起こす。
銃口の先は真上。出来る限り最小限の動きで全方向に対応できるようにするために、直下と対極の位置。

ただひたすらに長いだけの沈黙に思える一瞬が過ぎた。

白井はもう一度だけT字路の二方向へ首を巡らせる。
僅かな焦燥。白井は二方を順に見て、その進路を決定しようとする。

直進か、それとも。



787:以下、三日目金曜東Rブロック59Aがお送りします:2010/11/24(水) 00:10:33.59 ID:dGber2Uo

白井の取った行動はそのどちらでもなかった。

手にした細長い金属製の杭。金属製の矢。白井の主兵装だ。
それを白井は『空間移動』で打ち込んだ。

見えない位置を手探りで確かめるように。

砂皿の潜む、金属塊の裏へと。

そしてそれは不幸にも――もしくは幸運にも――砂皿の左腕、肘と手首の中ほどを貫いた。

「っ――――、――――!!」

激痛と呼ぶにも生易しいような衝撃が神経を伝い髄を焼く。
鉄棒は肉はおろか骨を貫通し、無理矢理こじ開けられた骨がぎしぎしと軋むのがはっきりと分かった。

しかしその痛みに砂皿は、声は出さなかった。

どこか漠然とではあるがそれを予感していた。
何がそれを予知させていたのかは分からない。

しかし砂皿はどこか、……そう、客観的というか――――まるで自身の写るテレビを違う自分がソファに座って見ているような――――感覚でそれを得ていた。

だから不意の出来事にも関わらず、砂皿は至極落ち着いた様子で、予め用意しておいたそれを使った。



790:以下、三日目金曜東Rブロック59Aがお送りします:2010/11/24(水) 01:07:38.29 ID:dGber2Uo

――――ちゃりぃぃん……、



金属の小気味よい音が空間に響く。
ハガネイロが床を跳ね、どこか音楽的な済んだ声で空気を振るわせた。

砂皿の、痛みにろくに動かぬ左手に突き刺さったままの鉄矢。

それとまったく同じ姿形をした鉄矢を手放し、重力に惹かれるがままに落下した金属片は確かな音を放った。

先程、階段を駆け下りる際に掴み取ったものだ。

砂皿自身もこういう使い方を想定していた訳ではない。
ただ頭のどこかで理解していた。どこかで必要になると。

「………………」

白井は音を口内で転がすように息を吸うと、ふいと視線を逸らし、そのまま真っ直ぐに進路を変えず『空間移動』を使用した。

ひゅん、ひゅんという『空間移動』の生み出す風切り音が遠くなるのを耳に、砂皿は熱を持った息を吐き出した。

腕を貫く金属は骨を貫通している。尋常ではない痛みが砂皿の心拍に合わせてごりごりと神経を削る。
それでもなお平静でいられる砂皿が異常とも言えた。



792:以下、三日目金曜東Rブロック59Aがお送りします:2010/11/24(水) 02:58:52.94 ID:dGber2Uo

できる事なら鉄矢を取り除きたかったが大量出血しては困るのでそのままにしておく。
もっとも引き抜くともなれば今の比でない、痛みという言葉がその万分の一も表現できないようなものが身を貫く事になるのだろうが。

身を隠していた機械からコードをぶちぶちと引き抜くと、それで左腕の付け根あたりにきつく縛り止血する。

もしあのまま、白井が直進していたら、あるいはこちらに曲がってきたら。

砂皿は彼女の知覚するよりも早く、そして容赦なくその頭部に弾丸を叩き込んでいただろう。
しかし白井のその念押しが、砂皿の左手を殺し、片腕と激痛というハンデを強要する事になる。

しかし砂皿は至って冷静だった。

狙撃主にとって大事なのは相手に弾丸を叩き込むというただ一点であり、以外の事はたとえ自身であろうとも必要ない。
そういう意味では砂皿は稀に見る最高のスナイパーだった。

痛みは確かに感じるし、反射的に嫌な汗が肌を伝い落ちる。
だが砂皿はそれをまるで他人事のように――どうでもいいといった風に無視する事ができた。

しかしながら主観と客観は食い違う。

痛みは確かに存在するし、左手は言う事を聞きやしない。
どころか、痛みは神経をごりごりと削るように他の部位にまでその影響を及ぼす。



793:以下、三日目金曜東Rブロック59Aがお送りします:2010/11/24(水) 03:09:58.98 ID:dGber2Uo

だが、砂皿の意識はそれら全てを冷静に処理する。
視界の左下が赤い。無論それは錯覚だ。口の中に感じる鉄の味も同様。
ふらつく体と震える手足を意志の力で捻じ伏せる。

「………………」

十全とは行かぬものの充分だ。
片腕は動かす事ができないが、残る三肢は生きている。
戦闘には支障はないと判断した。

だが、それだけでは足りない。
元より圧倒的なハンデが存在するのだ。

能力者とそうでない者の差は圧倒だ。
まして白井のようなトリッキーな動きを得意とする能力には一朝一夕では反応する事すら難しい。
砂皿がこうして有効な手段を取り白井の動きや思考に対処できている事自体がおかしいのだ。

しかし砂皿がその穴を埋められたとしても、確実に殺すにはまだ足りない。

まるで詰め将棋を指しているような気分。
最初から最後までの道筋が決められているような――そんな気配さえ、

……いや、そんな事はどうでもいい。
重要なのは、白井の頭を弾けばいいというただ。一点だ。それ以外は必要ない。

砂皿は熱病に浮かされたような頭を軽く振り思考を切り替える。
こういう場面で有効な手段は――――ある。ただ問題は。

…………あまり気乗りはしないのだが。

砂皿は一つの手段を取るべく行動を開始する。
何、事は実に簡単だ。すぐに終わる。



――――――――――――――――――――



802:以下、三日目金曜東Rブロック59Aがお送りします:2010/11/25(木) 00:10:59.01 ID:Ub50X7oo

絹旗は苦しげな呼吸を繰り返しながら階段を上っていた。

誰か、医師か看護士にでも見つかればきっと病室に連れ戻されてしまうだろうが、
不思議な事に院内はしん――と静まり返っていて、他の誰とも会わなかった。

その事に微かな疑問を抱きつつも絹旗はふらふらと階段を上る。
スリッパの立てるぱたんぱたんという平べったい音が狭い空間に反響する。

絹旗の体は絶えず揺れていて、ともすればふらりとその身を壁に寄り掛からせる事もある。
当然だが、まだ体力は回復していない。それを病室から出て数歩してようやく気付いた。
本来ならばまだ絹旗は病室のベッドの上で大人しくしていなければならなかったし、そもそも動けるはずがなかったのだ。
けれどどういう訳か、絹旗はこうしてふらつきながらも歩いていた。

ゆっくりと足が差し上げられ、階段を踏みしめる。
少女の矮躯は相応の重量しか持たず、それ故に負担が少ないのが救いだった。
ただ、絹旗が一歩踏み出すごとに、みしぃ、と建物が微かに軋む。

その能力を使って絹旗は強引に体を動かしていた。

とはいえ、それはあくまで運動補助具のようなものだ。
内臓にダメージを負っているものの比較的軽症だ。運動自体には支障はない。

けれどまた絹旗の体はふらりと左方に流れる。
ほんの些細な、指摘するにも揚げ足取りになるような事だが、確かに絹旗は、真っ直ぐに歩けていない。

……右手の欠損。原因は確かにそれだった。

体力を奪われているのも、何かにつけて動き辛いのも、平衡感覚を失っているのも、原因は全てその一点に集約される。



803:以下、三日目金曜東Rブロック59Aがお送りします:2010/11/25(木) 00:41:37.88 ID:Ub50X7oo

ただの怪我ではない。怪我、と一言で済ませることができるならどれだけ楽か。

なにしろ体の一部を失っているのだ。それも取り分け重要な部位を。
感覚が集中し、意識して多用する身体の先端。その欠落は大きな意味を持つ。

精神的にも、肉体的にも、意識的にも、無意識的にも。
利き手を丸ごと失うという事態を――人はろくに想像できない。

それほどまでに『手』の存在は欠かせない。
重要すぎて当然になり、失う事など想定できないのだ。

ほぼ完璧に処置がされ、そこに痛みはない。
ただ、同時に数時間前まであったはずの感覚もない。

最悪にも絹旗は右手を完全に喪失した。
実感として必要なはずの痛みと共に。

だからこそ絹旗の体は見た目以上に、そして本人も気付かぬままに大きな損失を受けていた。



804:以下、三日目金曜東Rブロック59Aがお送りします:2010/11/25(木) 01:27:16.81 ID:Ub50X7oo

斯くして右手は使えず、かといって左手も、体を支えるための手摺りを握ってなどいなかった。
左手の内には、小さな四角が握られている。

絹旗にとってそれは、なんというか――お守り――みたいなものだ。

病室を出る時に何故か持ってきてしまったそれは、本当は絹旗の着ていた服のポケットに突っ込んでいたはずだ。
しかし手術の際だろう、目覚めてみれば病院着を着ていて、ぼろぼろになった服と一緒に纏められていた。

――――まさか、見られただろうか。

そう不安になりながらも、絹旗はどこかで期待すらしていた。

こんなものを後生大事そうに持ち歩いている事を知ったとしたら、彼はどんな顔をするだろうか。

一時限りの使い捨てでしかないはずのそれを未だに持っているのは、どうしてだか捨ててしまうのが惜しかったからだ。
片手の中に納まってしまうような小さなそれが、他の皆にはない、自分だけの特権のような、そんな気さえしたのだ。

二度と使う事はないだろうけれど。

けれど、いつか使う事があると、どうしようもなく淡い期待を捨てきれずにいる。

……R指定の映画など、そうそう見に行く事はないのに。



807:以下、三日目金曜東Rブロック59Aがお送りします:2010/11/25(木) 20:20:31.20 ID:Ub50X7oo

左手の内に握られた偽りのプロフィール。
いっそ本当にその通りになれたらとたまに思う。

何も知らない、ただの少女だったなら。

もしかしたら――今頃どうしようもなく下らない映画をポップコーン片手に見ていられただろうか。

そんな妄想じみた事を考えそうになって絹旗は頭を振る。
現実は容赦なく残酷だ。ポップコーンを掴む手はなく、目の前に広がる世界は映画よりも下らない。
               i f
そんなどうしようもない夢物語は少なくともこの場に於いて何の足しにもならない。

下らない妄想は捨ててしまえと絹旗は階段を踏みしめた。
夢の世界に逃げ込む事はできたとしても、それは現実からの逃避でしかない。
今、何よりも重要な事は。

「………………」

何をすればいいのだろう。

何が起こっているのか。分からない。
垣根はどうにも窓のないビルへ侵入したいらしいが、正直なところ絹旗にはどうでもいい。
ただ、絹旗の願いは。

(下らない映画を見て――それで、馬鹿みたいに笑っていたいんです)



808:以下、三日目金曜東Rブロック59Aがお送りします:2010/11/25(木) 20:42:26.97 ID:Ub50X7oo

決して叶わぬ事であるのは重々承知している。
けれど、それを願う事で人は生きていけるのではないのだろうか。

何も高望みをしている訳ではない。
どうしようもなく平凡で仕方ない、愚にもつかないような日常が欲しいだけだ。
ただただ笑って過ごせる日々が、年相応の楽しげな日々が。

暗部に身を窶している自分がそれを言うのは傲慢とは思えども。
どうしようもなく輝いて見える日々を思うからこそ、こんな地獄の中でも生きていけるのだ。

そして――――。

(願わくば――みんなも同じであらん事を)

そう。

人は皆、笑って生きていたいのだ。
悲嘆も憤怒も哀悼も狂気も必要ない世界を生きていたいのだ。
だからこそ、それが叶わぬと知ってなお抗い続けられる。



809:以下、三日目金曜東Rブロック59Aがお送りします:2010/11/25(木) 22:30:15.33 ID:Ub50X7oo

「あ――――」

不意に襲う酩酊。
ふらりと、体の力が抜け絹旗は身を横に流す。

階段を踏み外すほどではないがよろめいた体。
体力は最初から限界に近いのだ。忘れていたとは言わないが、高を括っていた事も否めない。

安静にしていなければならない体を無理矢理に動かしているのだ。気力だけでどうにかなるものでもない。
思わず手摺りを掴み、絹旗は歯噛みした。歩く事すらままならぬ。そんな自分が動けたとして、足手纏いでしかないだろう。
けれど何かせずにはいられないのだ。この妙な気配のような感覚もだが、何より絹旗は現状に抗いたいのだ。

手を拱いているだけでは木偶人形も同じだ。
少なくとも絹旗は、こうまで目の前で何かが起きているのに黙っていられるほど寛容でも無感動でもなかった。

そして何よりも。嫌な予感がするのだ。
虫の知らせに近いそれは最悪な事態を絹旗に予感させている。

何か途轍もなく嫌な、救いようのない最悪が起こるような気がするのだ。



810:以下、三日目金曜東Rブロック59Aがお送りします:2010/11/25(木) 23:15:00.28 ID:Ub50X7oo

急かすそれに焦れったさを感じながら絹旗は――――。

「…………あれ?」

違和感があった。

何かが違うのではない。
おかしいのでも、間違っているのでもない。

そう、何かが正しい――そんな違和感。

まるで騙し絵のような錯覚の中にあった。
なんて事はない、物凄く単純な解。

いや、単純だからこそ、簡単だからこそすぐには気付けなかった。

「――――――、」

――そしてようやく気付いた。

視線は右。

手。失われたはずの。

手首から先が切断され、傷口は真っ白な包帯で塞がれている。
そんな木偶にも等しい右腕が。

存在しないはずの指先が感覚を得ていた。

階段の手摺りを、見えない手が掴んでいるのだ。



811:以下、三日目金曜東Rブロック59Aがお送りします:2010/11/26(金) 02:34:20.76 ID:YyHBNqoo

それはあまりにも自然で、絹旗が一時の間錯覚してしまうほどに。

分かっている。
それは正しくは手ではない。絹旗の持つ能力、不可視の気体だ。

けれど。

何か、曖昧で不確かで、目には見えないけれど。
それでも確かなものを掴めた気がしたのだ。

「………………ええ」

形を変えてしまわないように気を付けながら左手が握る。

目には見えなくとも。形はなくとも。
確かに、絹旗の手は大事なものを握れるのだ。

そう確信した。

大丈夫だ。自分はまだ戦える。
まだ大事なものと、大事な人の為に。

絹旗最愛は生きていける。



812:以下、三日目金曜東Rブロック59Aがお送りします:2010/11/26(金) 02:46:09.46 ID:YyHBNqoo

そう思った矢先だった。



「………………え?」



絹旗は思わず声を出してしまった。

目に飛び込んできた光景がどうしようもなく現実味を帯びていなかったのだ。

赤。

それは一面に広がる赤だった。

闇の中にあってなお赤いその景色はどこか異国のようにも見え、絹旗は一瞬自分の立つ場所すら錯覚してしまう。

金属の軋む小さな音がして、やがてばたんと大きな音と共に扉が閉まった。
その事が嫌が応にも絹旗を現実に連れ戻す。

絹旗の立つのは極々平凡なコンクリートの地面で、それは病院の屋上だ。
背後の音は鉄扉の閉まる音で、体が感じるのは近付きつつある冬の風で、目の前に広がるのは。

真っ赤な、人の命そのものだ。



813:以下、三日目金曜東Rブロック59Aがお送りします:2010/11/26(金) 03:11:16.03 ID:YyHBNqoo

棒立ちになる絹旗の心の裏、ほんの少しの高みにいたもう一人の絹旗は妙に悟った思考でいた。
嫌な予感はこの事だったのだ。どうしようもない最悪は気付いた時には手遅れで、全てが終わった後だったのだ。

屋上の中心。風の吹く夜闇の中に赤の塊があった。
それが何かは闇と距離に紛れて分からなかったが、絹旗は直感的にそれを理解してしまった。

その大きさは、ちょうど人が蹲るほどの塊で。
床にべっとりと張り付いたものの端から伸びるそれは靴を履いた人の脚のようにも見える。

そして何より――強い風に片っ端から吹き飛ばされているが圧倒的な質量を屋上に広げるそれは――生臭い鉄錆の香だ。

生々しい、血液の臭い。

「あ――――ああ――――」

ようやく掴めたと思ったものはするりと指の先から零れてしまった。
その事を確かに胸中に欠落として、右手以上の喪失感として得た絹旗はどこか達観した視線で受け止めていた。

そう、ここは地獄だ。

全ては失われ、壊され、砕け散り、何もかもが残さず業火に焼き尽くされてしまう。

そんな世界だと理解していたはずだ。
だから何を今さら絶望する必要がある。



814:以下、三日目金曜東Rブロック59Aがお送りします:2010/11/26(金) 04:40:27.84 ID:YyHBNqoo

意識の乖離したまま絹旗はふらり、ふらりと赤に近付いていく。

それは確かに人だった。

粘質の赤い液体を被ったそれは悪趣味な前衛芸術にも見えるが、間違いなく人の形をしていた。

まるで血と肉と臓物の一杯に入ったバケツを頭からぶちまけたような格好で――そしてそれは恐らく間違ってはいない――
その人は微動だにせず、屋上の中心でぺたんと座り込んでいた。

肩に、腰に、腕に、足に、何やらべろべろとしたものが引っかかって風に靡いている。
その周囲には夥しい血の赤と、そしてそれを内包していたものの残骸であろう欠片がべっとりと広がっていた。

近付く度に、一歩を進む度に濃くなる血の臭いは、まだその中心の輪郭も茫としているにも拘らず最早むせ返りそうなほどだった。

さながらそこは屠殺場か、そうでなければ缶詰を開けたようだ。
フレデリック=ベイカーがそこで羊でも解体したのではないかと思うような有様は、あながち間違っていない。

その中で唯一、原形を止めてしまっているものがある。
矢張り真っ赤に染まった、長く横たわるもの。
それはどう足掻いても――人の下半身にしか見えない。



820:以下、三日目金曜東Rブロック59Aがお送りします:2010/11/26(金) 22:33:19.38 ID:YyHBNqoo

ぐっしょりと赤黒い血に染まるスラックスと革靴。
その爪先あたりは辛うじて元の色を残しているが、暗闇に溶けてしまってはっきりとは見えない。

その上部、人の上半身に当たる部分。
まるで粘土の塊を掌の付け根で擦り付けたかのように伸されていた。
極限まで薄くされた肉が屋上の床面にこびり付いてしまっていた。

その量を外見だけで判断できない。何しろ辺り一面に丁寧にびっちりと敷き詰められているのだ。
ただ――俯瞰視点から正確に表現するならば、それは人の上半身が一人分ほどの量だ。

無論、原形を留めていないそれを絹旗が海原光貴のものだと理解できるはずもなかった。

絹旗は夢遊病患者のように、まるで吸い寄せられるかのようにその中心部に向かって歩く。

スリッパの靴裏が湿った音を立てる。
さながらクレーターのように広がる血の海に踏み入れられた足が吹く風に半ば乾いてしまった水分を叩いた。
粘つくような不快感を僅かに裏面に残しながら、進む足を名残惜しそうに生々しい感触が引いた。
ぶよぶよとしたものを踏み付け、足は勝手に動く。一歩、一歩と近付いていく。



821:以下、三日目金曜東Rブロック59Aがお送りします:2010/11/27(土) 01:16:55.94 ID:Lz7zVR.o

「――――――」

それは両足を正座から崩したように外にずらし尻を冷たい石面に直に密着させていた。
肩口の、血に濡れ乾いてしまい本来の質感を失ってしまったフェイクファーが風に微かに揺れる。

合成繊維で模られた背は引き伸ばされた血液にまるで油絵を塗りたくったのカンバスのような質感で、
ところどころが乾いた所為で罅割れている。それがどうにも気持ちが悪い。

地上から見上げるように伸ばされた僅かな光ではまともに見る事などできようもないだろうが、最早それとは数メートルもない。
徐々に血肉の中央にいる人影の陰影がはっきりとしてくる。

血塗れになってしまって見るも無残な様子ではあるが、その髪と雰囲気に覚えがある。

こちらに向けた背を回り込むようにゆっくりと移動する。
じわり、じわりとぼやけていた印象が記憶の中のものと結び付き形を成していく。

そして真横を過ぎた辺りでばらばらだったパズルのピースが一気に組み上がるように結実した。

それは――――滝壺理后だった。



823:以下、三日目金曜東Rブロック59Aがお送りします:2010/11/27(土) 22:16:33.03 ID:Lz7zVR.o

「滝壺――――さん――――?」

震える声が唇の端から漏れる。

滝壺は寒さに身動ぎする事もなくその場に座り込んだままだった。
呆然と、どこか陶酔すら感じさせるような無機質めいた表情でいた。
その生気のない瞳は俯いたままどこかを茫と見詰めている。

そしてその口から溢れた血液が真っ白い肌を濡らし顎を伝い落ちていた。

「滝壺さん――――!」

思わず叫び、絹旗は両の手を滝壺に伸ばす。
右手の先が無くなってしまっている事も忘れたまま、見えない手で滝壺の肩を掴む。

しかし返ってきた感触はあまりにも頼りないものだった。
羽織ったウィンドブレイカー越しに伝わるそれは人の肌のものではない。

ぐにゃりとした、余りにも生々しくおぞましい――死肉の感触だ。



824:以下、三日目金曜東Rブロック59Aがお送りします:2010/11/28(日) 00:28:49.05 ID:0KeQzDEo

「ひっ――――」

思わず漏れた悲鳴と共に、半ば突き飛ばすように絹旗は手を離してしまう。

その衝撃に滝壺の体が傾ぎ――そのままごとんと屋上に倒れた。
重量の多く硬い頭部が速度をそのままに石の床に重々しい音を立て激突する。
にも関わらずその顔は相変わらずの無表情で――――。



滝壺は死んでいた。



「――――――!!」

声にならない絶叫が喉をごくりと蠢かせる。
「どうして」だとか「何が」だとかいう現実逃避に似た疑問が脳裏を掠める。
しかし本当に重要なたった一つの事実の前に絹旗の思考はショートしかけ、思わず数歩後ずさる。

目の前で、大好きだった少女が死んでいた。

びちゃりと湿った感触が足裏を叩く。
混乱しきった絹旗はそんな事に構っている余裕などなかった。

容赦ない現実と自身の叶うはずのない希望との軋轢に精神をごりごりと削られ心が悲鳴を上げていた。



825:以下、三日目金曜東Rブロック59Aがお送りします:2010/11/28(日) 00:52:06.35 ID:0KeQzDEo

認識したくない、理解できない、受け入れ難い現実を目の当たりにした時、人の精神は己を守るためにその奥底に閉じ篭る。
そして絹旗も例外ではなかった。反射的にシャッターを全力で下ろし、防衛機能のままにその心を封じ込めようとした。

しかしそれも叶わなかった。

他でもない滝壺――絹旗の世界の中心と言ってもいい、『アイテム』の中でも特別に親しい感情を抱いていた少女。
絹旗自身が最年少だというのに唯一敬称を付けて呼んでいた『滝壺さん』。
他の誰よりも――絹旗の中心に近かった、少女。

その向ける感情の比重故に大きい否定だが、同時に最も高い重要性のために絹旗は凝視してしまう。
見ようとしてしまった。

だから、間に合わなかった。
                        げんじつ
少女の心を一つ打ち砕くには十分すぎる悪夢が閉め損なった障壁の隙間から転がり込む。

ごろりと。

崩れた滝壺の体、その胸に抱き締めるように抱かれていたものが冷たい石床の上を転がった。

「――――――は、」

最初、絹旗はそれが何か認識できなかった。
いや、理解しようとしなかったのだ。

――人の心は防衛機能を持ち、精神の毒となる現実を受け入れる事を拒絶しようとする。

歪な球形。

所々が血の赤と黒に塗れ、カラフルでグロテスクな彩色をしたもの。
大半は肌の色で、やや乱れた短い糸のような人工の茶色のものが半分ほどを覆ったそれは。



「――――は――――ま、づら?」



――――よく知った少年の首だった。



827:以下、三日目金曜東Rブロック59Aがお送りします:2010/11/28(日) 02:08:56.45 ID:0KeQzDEo

「い――――」



時が止まったような錯覚。
自分の周りだけが時の流れから切り取られてしまったような疎外感と孤独感。

世界から隔絶されたかのようなそれはまるで箱庭だ。

実際、目の前の景色は見慣れた現実味を帯びていない、シュルレアリスムの支配する様相だった。
血と肉と闇とが彩る世界。それは余りにも地獄的だった。



「や――――」



だが地獄。

そもそも最初から分かっていたはずだった。
少なくとも絹旗が身を置く世界は地獄そのものだ。
煌びやかな表舞台の影で蠢く最低最悪の世界。

そう知っていたはずなのに――絹旗は今の今までそれを本当の意味で理解していなかった。



「あ――――」



どうしようもなく最悪と醜悪と狂気と瘴気の塊でしかない現実。
知識と感覚だけで分かったつもりではいたもの。


               じごく
真の意味で想像を絶する現実が今、絹旗の目の前に広がっていた。



828:以下、三日目金曜東Rブロック59Aがお送りします:2010/11/28(日) 02:50:15.52 ID:0KeQzDEo

涙が意思とは無関係に溢れてくる。
それは眼球を覆い視界を滲ませる。余りにも辛すぎる光景を直視しないために。
ぼろぼろと零れる涙滴を気にする余裕もないまま、絹旗は一つの事実に気付く。

ぼやけた視界の中。
それはきっと偶然だろう。いや、偶然以外の何物でもないはずだ。
けれど最低に悪趣味な神様とかいう演出家はこの場に於いて絹旗に最も効果的な偶然で舞台を脚色する。

四肢を力なく投げ出し横向きに倒れた滝壺。

ごろりと、浜面の、首。

それが偶然にも、お互いをその正面に、見詰め合うような絶妙な配置で転がっていた。

勿論そこに当人たちの意思などは関係していようはずもない。
生気の欠片も感じられない虚ろな瞳。真っ白な死人の肌。
それは血に彩られた惨劇の跡でしかない。

けれど確かに、二人は見詰め合っていたのだ。



そして同時に絹旗は悟る。





この二人の世界はそれだけで完結し切っていて、その間に自分の入る余地など一片たりともなかったのだ。










「――――いやああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ



829:以下、三日目金曜東Rブロック59Aがお送りします:2010/11/28(日) 02:52:17.20 ID:0KeQzDEo

――――ぶつん、





――――――――――――――――――――



830:以下、三日目金曜東Rブロック59Aがお送りします:2010/11/28(日) 03:19:05.43 ID:0KeQzDEo

意識を失い、崩れ落ちる小さな体を優しく受け止めた。

「――――絹旗」

直前まで狂気に焼き尽くされていた彼女の顔だったが、眠る幼子のような安らかな表情にはその残滓もない。

それをどこか悲しげな微笑で見詰め、聞こえぬと分かっていても語り掛けずにはいられなかった。

「私、アンタの事さ、友達だと思ってたんだ。アンタはどうか知らないけど、少なくとも私はそう思ってた」

普通ならここは涙の一つでも流す場面なのだろうが、生憎とそんな高尚な物は持ち合わせていなかった。
抱く手に力を込め、肩越しに頭を垂れ、意識のない絹旗を後ろから抱き締める。その程度だった。

「んで、友達には絶対に使わない事にしてたんだ。だってそんな事したら友達だなんて言えなくなるじゃん」

全身の力を失いだらりと垂れ下がった両腕の上から抱えるように回し胸の前で交差させた手は震えてなどいなかった。
それを意識して己を忌々しく思う。「どうして」だとかそんな事はもう言う気はないが、それでも最低だと思うことに変わりはなかった。

「――――でも、ごめん。結局、使っちゃった」

だからせめて無表情でいようと、フレンダは目を伏せた。



832:以下、三日目金曜東Rブロック59Aがお送りします:2010/11/28(日) 03:50:44.31 ID:0KeQzDEo

冷たい夜風の吹き荒ぶ屋上には惨劇の跡しかなかった。

その悲惨な場景は人の心を瓦解させるには十分過ぎる。
まして、ほんの中学生の少女ともなればなおさらだ。

自分も実は中学生だけど、と心のどこかで嘯いて、フレンダは抱き締めた少女の温もりをしばらくの間感じていた。
風はあまりに冷たい。人の温もりはそれを和らげてくれる。
けれど自分にそんな資格はない。それは家族か恋人か、せめて友人に求めるものだ。

「ごめん、ごめんね――――絹旗――――滝壺」

記憶を彼女たちの笑顔が過ぎった。
もう二度と自分に向けられる事はないと理解しながらもフレンダは追憶する。
これは飴であり鞭だ。その眩しすぎる記憶は感傷と共に責め立てる。
それを失わせたのは――奪ったのは、自分だ。

「――――浜面」

目を向けず、記憶の中だけでその顔を思い返し、フレンダは言葉を繰り返す。

「ごめんねぇ……っ……」



――――結局、この懺悔も偽者だけど。そうせずにはいられないという事もなかったけれど。



そんな冷めた事を思いつつも、それでも形式ばかりの言葉を繰り返した。



834:以下、三日目金曜東Rブロック59Aがお送りします:2010/11/28(日) 04:15:25.06 ID:0KeQzDEo

「…………そうね。結局、ただの自己満足よ」

そう囁く/嘆くようにフレンダは独白/告白を続ける。

「笑っちゃうわよね、ほんと。柄にもないって事は自覚してるわ」

は、と息を吐き出す。寒さに白くぼやけるそれはすぐさま風に流され霧散した。

「本っ当に滑稽だわ。結局、私はこれ以外に上手い方法が思いつかなかった訳よ」

けれど同時に、フレンダは安堵する理由を得る。

――――これで全ての退路は絶たれ、残るは地獄の底までひたすらに突き進むだけの至極簡単な道だ。

滝壺は死んだ。
浜面も死んだ。
絹旗にはこうして禁忌を用いてしまった。

原因の全てとは言わないが、量の問題ではない。そうなる要因を自分が作り出した。
この結末に至る道があると予感してもなお――自分はそれを決断した。

もう彼女の帰るべき『アイテム』は、存在しない。

残る一人に会った時、何て言おうか、と頭の片隅で考えながら、

「ごめんね。でも、私もさ――」

言い訳だと理解し自嘲しつつ、誰かが見る事もない表情を顔に浮かべ、呟いた。

「――――結局、自分の居場所を壊されて黙ってられるほど大人じゃないのよ」



835:以下、三日目金曜東Rブロック59Aがお送りします:2010/11/28(日) 04:45:04.62 ID:0KeQzDEo

びゅう、と冷たい夜風が吹く。

寒いと感じてようやくフレンダは絹旗の格好に意識を向ける。
彼女は薄い病院着しか身に着けていない。ただでさえ彼女は体力が落ちているのだ。

このままでは風邪を引いてしまうだろうとフレンダはせめて屋内に移動させようと閉じていたままの目を開く。
暗闇の中の世界は相変わらずの血と死しかない悪夢で、そしてどうしようもなく現実だった。

少ししゃがむようにして体を折り、片手を絹旗の膝の裏に回し、もう片方の手で上半身を支える。
矮躯といえどフレンダも同じようなものだ。重い、と思ってしまう。当人が聞いたらきっと怒るだろうが。

(……そんな事、結局もうある訳ないじゃない)

どこまで自分は能天気なのだろうか。気持ち悪い。

そんな侮蔑を自らに向け、フレンダは立ち上がろうとして――――。

「………………」

足元に落ちていた物に気付く。

四角い、名刺ほどの大きさの物だ。



836:以下、三日目金曜東Rブロック59Aがお送りします:2010/11/28(日) 04:57:27.90 ID:0KeQzDEo

少しだけ迷って、フレンダはしゃがみ込んだ膝を絹旗の尻に当て彼女の体を支えると左手でそれを拾う。

幸いにも床に広がった血は乾いてしまっていて汚れてはいなかった。

それは学生証だ。
記憶にある、絹旗が大事そうに持っていた紙切れ同然の重さしかないもの。
けれど彼女にとっては何よりも重いはずのもの。

視線を学生証に落とす。
そこには絹旗の顔写真が貼られ、そして偽りの名が書かれていた。



『 氏名 : 鈴科 百合子 』



「……結局、張ってた伏線は無駄になっちゃったけどさ」

小さく呟いて。

「大事なものなんでしょ? 結局、落としちゃダメじゃない」

学生証を絹旗の胸の上に置き、それを絹旗の残された左手に握らせる。
それから包帯の巻かれ手首一つ分短くなった彼女の右手をそれに沿えた。



837:以下、三日目金曜東Rブロック59Aがお送りします:2010/11/28(日) 05:24:51.82 ID:0KeQzDEo

絹旗の胸の上の学生証を落とさぬように気を付けながら再び抱き上げ、立ち上がる。

強く吹く風に髪を靡かせ顔を顰める。
ゆっくりと扉に向かって歩き、けれど二、三歩進んだところで立ち止まり肩越しに振り返った。

そこには血肉の海に沈む滝壺と浜面がいる。

「……ほんと、不幸だわ。結局、誰も彼もが不幸だった……としか言えないわね。
 運が悪かったのよ。そうでも思わないとやってらんないわ」

誰に向けてでもなく言いながら、でも、とフレンダは続ける。

「でも……アンタたちはむしろ、それで幸運なのかもしれないわね。
 もちろんそんな事が言えるはずもないんだけど、……こっから先を見なくてすむんだもの。それに、……、……」

それに、の後に続く言葉を言うのを止めフレンダは頭を振った。
柔らかく溜め息を付き視線を抱いた絹旗に向ける。
どんな顔を向けていいのか分からなかったのでとりあえず笑顔にしておいた。

「眠りなさい、絹旗。そしてせめて、その間くらいは幸せな夢を見なさい。結局、私はそれくらいしかアンタにしてやれないけど」

囁くように語りかけ、ようやくフレンダはゆっくりと歩き出す。

かつ、かつ、と靴底が床を叩く硬い音が響く。
やがて金属の軋む音に続きばたんと扉の閉まる音がした。



そして誰もいなくなった屋上。

二組の瞳がお互いをずっと見詰め合っていた。



――――――――――――――――――――



843:以下、三日目金曜東Rブロック59Aがお送りします:2010/12/02(木) 00:49:19.65 ID:VcegyEIo

光が瞬いた。

唐突に暗い施設内を照らした眩い閃光に白井は足を止めた。
無色の人工的な光。直後、轟音が響き窓ガラスがびりびりとその身を震わせた。

しかし光は一瞬で消える。
廊下を白く染めた輝きが消えると同時に、白井の前に伸びた影も闇に溶けてしまった。

(閃光音響弾……非殺傷性のスタングレネードですわね)

振り返りながら白井は酷く冷静に分析していた。

学園都市の治安部隊である警備員に配備されているのでその存在はよく知っている。
光と音で視角と聴覚を奪う、暴徒鎮圧用の武装だ。

一体誰が。
……決まっている。砂皿の他にいない。

だが、何のために。
一瞬白井は考えるがすぐに思い当たった。
何故ならそれは白井自身、よく知った感覚だからだ。
     アンチスキル
(――――警備員を呼ぶために――っ)

ぎり、と思わず歯噛みする。

砂皿は暗部の人間だ。それも人の頭を打ち抜く事を生業とする生粋の殺人者だ。
その砂皿が自ら警察機構を呼ぶなど正気の沙汰ではない。
言うなればそれは盗みに入った泥棒がわざわざ一一〇番通報するようなものだった。



844:以下、三日目金曜東Rブロック59Aがお送りします:2010/12/02(木) 01:19:23.90 ID:VcegyEIo

しかし意味もなくそんな真似をするはずもない。

(わたくしを――ここから逃がすために――)

警備員に見つかって困るのはこちらも同じだ。

色々と疚しい事も抱えているし、見つかれば最低でも施設への不法侵入で取調べを受ける事になる。
その上、面倒な事に白井は警備員の間でも人気者だ。風紀委員きっての問題児として。

特徴的な小柄な外見と髪型。嫌でも目立つ制服。そして特異な能力。
逃げるにしても間違いなく『空間移動』を使う事になり、それを察せられれば確実にそれが白井黒子だと露見する事となる。

対し砂皿のプロフィールは公にはなっていない。はずだ。

学生が大部分を占める学園都市。
総人口二三〇万弱の内、おおよそ八割が学生だ。
そこばかりがひたすらに強調されているために子供しかいないように思えるが、しかし。

残る二割、数にして四六万。

学校や寮生活、そして研究所に縛られ管理されている学生ではない『大人』。
一個の国と称してもあながち間違っていない大都市を子供だけで運営できるはずがない。
そのコロニーとしての機能を担えるだけの人口がそこにはあるのだ。

そして超能力を開発するために作られた都市に於いて最重要は被検体である子供で。
            うらかた
都市の運営に必要な歯車である大人ではない。



845:以下、三日目金曜東Rブロック59Aがお送りします:2010/12/02(木) 01:48:36.81 ID:VcegyEIo

そして砂皿は、元より学園都市の裏側に巣食う者だ。
その中に紛れ込む事は容易いだろう。元々がそういう存在なのだから。

だから見つかってしまって困るのは白井だけだ。もっとも、逃げられたとしてだが。

「く…………」

白井は険しく歪めた表情を隠そうともせず今来た方向を睨みつける。

砂皿の狙いは恐らく第三者の介入、そしてそれに伴う完全な仕切り直し。

一見お互いに何の利益も齎さないようにも見えるが、その実砂皿が一方的に得をする。
狙撃手の最大の弱点は発見される事にあるのだ。
元々が相手に気取られず一方的に虐殺するための戦法だ。見つかってしまっては元も子もない。
そして、砂皿に身を隠されてしまっては狙撃の持つもう一つの意味――『銃口に狙われているかもしれない』というプレッシャーに再び身を晒す事になる。

白井が砂皿の位置を知る事ができたのはフレンダの能力があってこそだ。
元々銃を相手にする機会などそうそうない。似たような事はあっても大抵の場合、相手は能力者だ。

超能力の跋扈する学園都市。

風紀委員という立場でその渦中の最先端にいた白井は鉄火場に慣れてはいるが――。

極々普通の、ありふれた兵器とありふれた暗殺者を相手取る機会などなかったのだ。



846:以下、三日目金曜東Rブロック59Aがお送りします:2010/12/02(木) 02:37:31.23 ID:VcegyEIo

警備員が到着するまで、命令系統や関係機関、一番近い詰所の位置などを思い返して概算する。

――十五分弱。それが制限時間だ。

攻勢に出るとは決意しても、あくまでそれは暗躍としてだ。

夕刻、あの少年の姿をした別人が往来で派手に立ち回ったようだがそれは白井の本意ではない。

学園都市の影。暗部組織。そして、自分たち。
それを警備員などという表の組織に気取られてはならない。

こんな最低な茶番劇に表舞台の住人を付き合わせていいはずがない。
何もかもが手遅れで、だからこそ手出しをさせてはいけない。
そうでなければ――――殺人も同然の行いをした自分は何なのだ。

白井は拳を握り目を強く瞑り、何か溢れそうになる感情を抑えるように細く、深く深呼吸をした。

「すうぅぅ――――…………くふぅぅ――――…………」

夏の気配はどこへ行ったのか、冷たく尖り、澄んだ夜気が肺腑を撫でる。
呼気と共に心の奥底で蟠っていた何かを吐き出した気がした。



847:以下、三日目金曜東Rブロック59Aがお送りします:2010/12/02(木) 03:31:19.84 ID:VcegyEIo

(――何を考える必要がありますの)

超能力者である垣根帝督率いる『スクール』の一人として選ばれたのだ。
それほどまでに砂皿の狙撃手としての腕は評価されている。
異能者でないにしろそれに見合う能力と考えるべきだ。

砂皿は恐らく、まだ施設を出てはいない。

今の爆発は陽動などではない。
地下通路などという気の利いたものもない極々ありふれた研究施設から外へ逃げるには確実に屋外に出る必要がある。
『単身で空から俯瞰する事が可能な』白井にそれは自殺行為以外の何物でもない。

空間移動の異能を持っているにしろ、動きは読まれていと考えていいだろう。
狙撃手とはそういうものだ。どこかで待ち伏せをしている。
狩人は獲物の行動パターンを読んで予め罠を仕掛けるのだから。

だが白井は、砂皿を排除しなければならない。
それも今。制限時間内に。



848:以下、三日目金曜東Rブロック59Aがお送りします:2010/12/02(木) 03:58:22.54 ID:VcegyEIo

狙撃は空間移動能力者に対し限りある有効な手段だ。

この世界は四次元時空間に捕らわれている。
三次元空間プラス一次元時間。立体は全て時の流れに支配される。
それは、何をするにも必ず時間という概念が付き纏う事を意味する。

そんな限られた枠組みの中でしか動けない世界で、白井の『空間移動』は例外だ。
瞬間でも刹那でもない、ゼロ時間。白井がそれを攻撃と認識したと同時に回避が完了しているのだ。

しかし十一次元空間に干渉する能力を持っていたとして、それを操る白井自身は高次の存在などではない。
白井もまた、間違いなく三次元空間からは逃れられない。

そして行動するには意思を持たなければならない。だから相手に気取られぬ事こそを武器とする長距離からの射撃は天敵だ。
先ほど回避できたのはフレンダがいたからに他ならない。運以外の何物でもなかった。

だが次もまたフレンダが都合よくその場にいて感付いてくれる保証はないし――
彼女の事だ。気付いたとして、そのまま何もしないという可能性すらある。

白井はあの名無しの少女を信用してはいない。
元より『彼女』以外にその信頼を寄せようとも思わないが。

白井の持つ『空間移動』には絶対的な価値がある。
あの序列第一位、『一方通行』でさえ空間移動系能力は御しきれないという。
学園都市の頂点に君臨する最強無比の異能が屈服させきれない『空間移動』。
それは二三〇万の内にたった五八人しか持たない希少能力だ。代えは利かない。

などという事を考えて白井は一瞬薄笑いを浮かべた。
そこには至極自然に――酷く冷静に自分を駒として分析している白井がいた。



849:以下、三日目金曜東Rブロック59Aがお送りします:2010/12/02(木) 04:15:46.07 ID:VcegyEIo

脱線しかけた思考を戻す。
逃げなければならないのは砂皿も同じだ。

ただ違うとすれば、白井は瞬間で距離を移動できるのに対し、砂皿は自らの足で動かなければならない。

能力者を相手にする警備員の基本戦法は物量で圧殺する事だ。
装甲車の山で道路を封鎖する事など日常茶飯事でしかない。
物理的に包囲されては文字通りの袋の鼠となる。もっとも、白井は悠々と逃げ遂せられるだろうが。

それを考慮した上で結論付ける。
要はそのタイムリミットまでに全て片を付けてしまえばいいのだ。

何、簡単な事だ。いつものようにその能力で鉄矢を放てばいい。
唯一違うとすれば、その目的が相手を拘束する事ではなく、心臓を貫くためだという事だ。

一番大事なもののために二番より後を切り捨てた自分には容易い事だ。

歩みかけた足を止め、白井は半ば振り返るように上半身を捻り横を向く。

外。夜闇に煌々と輝く街の灯に紛れて。

窓ガラスにはどうしてだか笑みを浮かべる自分の顔が映っていた。



――――――――――――――――――――



854:以下、三日目金曜東Rブロック59Aがお送りします:2010/12/03(金) 00:59:49.79 ID:mZpYbpIo

小刻みに空間移動を繰り返しながら白井は廊下を移動する。

狙撃を警戒しての事だ。
常に移動し続けていれば狙いは付け難い。

床から数センチの高さに移動し、着地と同時に蹴るようにして更に位置をずらす。
些細な事だが即死を考えられる相手には十分に有効だ。

砂皿を見失ってから多少の時間は経過している。
爆薬の類を所持している事も分かったし、通路に罠が張られている事も考えられた。
どうせ自分では看破できないだろうとは思っても警戒してしまう。

待ち伏せに飛び込む事は自殺行為でしかない。
狙撃銃を持たないとはいえ砂皿は狙撃手だ。標的をじっと待ち続ける事にこそ卓越した技能を持つ。
                  キリングフィールド
つまり白井の往く先は文字通りの『死地』だ。
そこには暴力と流血と殺意しか必要ない。余分な感情は足枷となり死を招く。

(ですから他の事は考えず――わたくしは一個の殺人機となりましょう)

口の端が吊り上がっているのを自覚しながら、白井は自分でも不思議なほどに冷めた思考でいた。



855:以下、三日目金曜東Rブロック59Aがお送りします:2010/12/03(金) 01:29:03.14 ID:mZpYbpIo

白井黒子は常に殺意と戦い続けている。

他人のではない。自身の中にある殺人衝動だ。

白井の『空間移動』は学園都市に存在するあらゆる能力の中でも最高クラスの殺傷能力を持つ。
薄紙一枚であらゆる鉄壁を両断する事ができるその異能は、人に向けて使えば文字通りの必殺だ。
頸を刎ねる事も心臓を穿つ事も圧死も縊死も墜死も窒死も思いのままの力。

それは常に目の前の相手を殺すことが可能なスイッチを手に持ち歩くような日々。

日常で誰かに敵意を抱かない者はいない。

例えば口煩い教師。
例えば気に入らない同級生。
例えば気持ち悪い視線を向ける研究者。
例えばファミレスで声高に談笑する学生グループ。
例えば道で肩がぶつかってしまった通行人。
例えばバス停で前に並んでいるカップル。
例えばコンビニのレジ打ち店員。
例えば目の前を通った誰か。

誰であろうと白井はその相手を殺せる。殺そうと思った次の瞬間には殺せる。
簡単だ。適当に能力を使ってやるだけで生物は死ぬ。

だが白井はただの人畜無害な女学生でいるために――殺人を犯さないでいた。



856:以下、三日目金曜東Rブロック59Aがお送りします:2010/12/03(金) 01:51:22.05 ID:mZpYbpIo

だが考えてもみれば、飲酒や喫煙をする未成年がどれだけ多い事か。
理由は何か。単純な解でしかない。あまりにも手軽だからだ。

殺人という云わば最大の禁忌との差は、その非日常性と、刑の重さでしかない。

だが考えてもみれば。
最も手軽な殺人武器である銃の所持が規制されている日本とされていない米国。
両国で起こる殺人・傷害事件の発生率はまったく違う。
銃があまりにも気軽に手に入る国では、言うまでもなく手軽に殺人事件が起きる。

常に手元に銃があったら。
引き金を引くだけで人を殺せたら。
手軽に人を殺す事が可能ならば。

『空間移動』。同時に最高クラスの機動性と隠密性を持つ能力。
死体の隠蔽も簡単だ。実際にそれはやった。
見つかったとして、学園都市を取り囲む壁など簡単に飛び越えられる。
誰も白井を捕まえる事はできない。

もはや白井の殺人を押し止めているのは白井自身の理性でしかない。
自分の中に無限に湧いてくる殺人衝動と白井の理性は常に戦い続けている。
それは普段、誰しもが抱えている一面ではあるが――白井の場合、少しだけその性質が違っただけだ。

だが数日前まで被っていた少女の仮面は必要なくなった。
日常は失せ、そしてここは血と硝煙の臭いしかしない地獄の舞台だ。

故に白井を止める要素は何一つない。
誰にも邪魔される事なく、白井自身もそれを止める理由もなく、衝動の赴くままに殺人ができる。



857:以下、三日目金曜東Rブロック59Aがお送りします:2010/12/03(金) 02:20:24.95 ID:mZpYbpIo

だが、その枷が外れたからといって殺人を楽しむのは狂人でしかない。
ルールが変更され、砂皿を殺害する必要はあれど、それはあくまで必要性に駆られての事だ。
そもそも同族に大した意味もなく殺意を抱く生物などヒト以外に存在しない。

殺人という人として最低下劣な行いは白井自身忌み嫌っているものだ。
風紀委員――審判という名の治安組織に身を置いていた白井が殺人を許容できるはずもなかった。

仕方なく、そう、これは仕方ない事だ。砂皿を殺さなければ自分が殺される。
それに、殺人を躊躇わない者を野放しにしておいては、白井の一番大事なものが殺される可能性すらある。
万に一つもないとは思えど、その可能性は完全に否定する事ができなかった。

だから殺す。そう躍起になって言い訳をしている自分に気付いて白井は薄く自嘲の笑みを浮かべた。

――だがそれは本当に自嘲のものだけだったのだろうか。

これから死しか存在しない場へ赴くというのに。
白井は酷く冷静で、その一方で高揚していた。


                             白井黒子
冷徹に、正確に、機械的に行動を起こそうとする『理性』のすぐ横で。


              しらいくろこ
鏡写しのようにもう一人の『本能』が歓喜の声を上げていた。





『ようやく人を殺せる!』



864:以下、三日目金曜東Rブロック59Aがお送りします:2010/12/03(金) 17:48:35.66 ID:mZpYbpIo

軽快な、空を踏む足取りをそのままに、白井は内面の衝動を無理矢理に押さえ込んだ。

今、感情は必要ない。

白井に要求されているのは確実に砂皿を殺害する事だけだ。
そのために邪魔になるのであれば『白井黒子』個人ですらも必要ない。

白井にとって最も大切なものは自身ではないのだ。

それ以外は全て、そのために存在する歯車でしかない。
白井自身もその例外ではない。邪魔になるのであれば自ら命を絶つことすら辞さない。

掃除をする箒に感情など必要ない。ただ必要な仕事をこなせばいいだけだ。

そう自分に言い聞かせて、白井は状況を再確認する。

爆音と光の具合から見て、爆発点はこの辺りだ。
元来た道を逆走しながらも既にここは知らない場所と考えた方が良い。

時限装置でも組んでいた可能性もあったが、そもそも白井が砂皿の姿を見失ってから多少の時間は過ぎたといってもまだ数分。
爆発からは一分も経っていない。周囲に砂皿がいる可能性が高い。一歩進むごとに危険性は上がる。



865:以下、三日目金曜東Rブロック59Aがお送りします:2010/12/03(金) 18:29:21.94 ID:mZpYbpIo

何度目かの空間跳躍から着地、右手を後ろに窓に当て、踏み込むように前に体を前進させながら掠るように手を前に。



――対象指定:接触物 基点指定:右手五指 範囲指定:同系統物質/発動時点

――次元定理演算(代入)→絶対座標(正・五〇〇〇、負・一〇〇、負・八六〇)、相対仰角(正・〇、正・一〇、正・〇)

――『起爆』(持続:単位時間・一〇)。



演算が終了し白井の『空間移動』が発動する。

白井の右手指の触れた窓ガラスが掻き消え、撫で擦るように前へ伸ばした指に触れた窓が次々と空に溶ける。
その数四枚。転移先はすぐ目の前。
床から一センチにも満たない高さに現れた窓枠から外されたガラス板は小さな衝突音を立て折り重なるように壁に自重を預ける。

勢いをそのまま白井は半ば屈むように体を前傾に、手を下に。
壁に立て掛けられたガラス板を浚うように手を伸ばす。

だが視線は前方左、廊下のT字路の先。
白井の位置からは死角となっている空間だ。



――再演算:繰り返し(手順六八まで)

――設定:固有値n

――代入数値変更:(座標、仰角)

――連続使用:変数y+二〇〇/n毎

――『起爆』(瞬間)



そして『空間移動』を再使用する。

ガラス板が纏めて消え失せ、一瞬のタイムラグの後。
白井の見えぬ位置でガラス板が、点線として通路を上下二つに両断した。



866:以下、三日目金曜東Rブロック59Aがお送りします:2010/12/03(金) 20:59:19.15 ID:mZpYbpIo

白井の能力は再使用までにおおよそ一秒程度のクールタイムを必要とする。

更に『空間移動』の特性から、自身を移動させる場合その先を若干の空中に設定しなければならず、
移動と同時に運動エネルギーを消失する事ために初動は確実に落下となる。

その僅かだが絶対の隙を嫌っての行動だ。
さらにガラス板での広域割断に加え、そのまま落下した際に発生する甲高い破砕音。
あの耳障りな音は確実に注意を惹く。

ほんの少しでも意識を逸らせる事で白井の隙は減る。

ガラスの砕ける音を合図として自らの足で分岐路に踏み込む。
左足を床面に押し付け軸に、回転するように左へ九〇度方向を変える。
重心を低く、右足で運動を殺し白井は曲がり角に飛び込むと同時にその先へ視線を向ける。

目の前に壁が立ちはだかっていた。

「――――――!」

いや、壁ではない。開かれた、室内への扉だ。

次瞬、扉の裏側、白井に見えない場所に貼り付けられたC4爆薬がオレンジ色の閃光を伴って炸裂した。



870:以下、三日目金曜東Rブロック59Aがお送りします:2010/12/03(金) 21:21:50.57 ID:mZpYbpIo

「くぅ…………っ!」

白井は爆発の直前、背筋を這い上がった怖気に咄嗟に空間を跳躍し、今来た廊下を曲がり角から二〇メートルほど後方に移動していた。
爆発は衝撃と共に金属製の薄い扉を粉々にし、その破片を周囲にばら撒く。
視界の前方、曲がり角の床は焼け焦げた黒い装飾と金属片の爪痕によって見るも無残に引き裂かれていた。

二重のトラップ。

一つは不用意に障害物を無視し空間移動した時、本来その位置にあるべきではない扉に対し発生する『埋め込み』。
曲がり角の向こう側には白井の横にあるものと同じ、サッシだけとなった窓が並んでいる。
ここは先ほど砂皿が身を隠していた場所だ。一度確認した場所だからこそ警戒が甘くなる。
少なくとも構造は理解してしまっているのだから、白井が『空間移動』を使う事は十分に考えられた。

そしてもう一つは白井の視界外、明確な敵影もない場所からの遠隔攻撃。
爆発と扉の破片での無差別な広範囲破壊。
実際、白井の判断がもう一瞬遅ければ今頃彼女の体はずたずたに引き裂かれて転がっていただろう。

念入りに、慎重に、そして臆病に行動していた事が白井の命を救った。
白井の懸念通りに徒歩移動でなければ回避は間に合わなかった。

だが今の位置、人影は見えず、まして自動で起爆させるための感知装置の類はなかったように思える。

だとしたら手動。暗殺者はすぐ傍にいる。



871:以下、三日目金曜東Rブロック59Aがお送りします:2010/12/03(金) 21:37:48.72 ID:mZpYbpIo

最も可能性の高いのは開いていた扉から通じる室内――ではない。

爆発は開かれた扉の裏側に貼り付けられていた。
そして扉の蝶番は手前にあり、取っ手は白井から見て右側に付いていた。
室内から爆薬は丸見えだ。無論、爆発は遮るもののない室内まで破壊するだろう。

そして視界外から白井の位置をどうやって特定したのか。
簡単だ。白井の足音、そして建物僅かに震わせる振動。
それがはっきりと分かる位置は。

(逆正面――対面の室内!)

がらんどうになった窓枠を掴み『空間移動』を使用。
転送先は左前方斜向かいの室内。内部構造の確認は必要ない。
元より面積の少ない物体だ。命中は期待しない。必要なのは相手の注意を逸らす事だ。

瞬時に必要な十一次元演算を完了させる。

――起爆

足を踏み出すと同時に白井は能力を発動させた。



872:以下、三日目金曜東Rブロック59Aがお送りします:2010/12/03(金) 22:11:04.23 ID:mZpYbpIo

障害物を無視し枠組みだけが空間を跳躍する。
結果を意識から除外し、白井は更にもう一度能力を使用する。
その対象は焼け焦げ傷の付いた、閉じた扉。

右の人差し指と中指で軽く触れ発動条件を解放。

――『起

「――――ぃぎ、」

         爆』

能力が発動し扉が消え、一瞬の後に室内にただの金属板と成り果てた平面が現れる。

しかし不意の事に演算を多少間違えた。
水平に角度を変更するつもりだったものは向きを変えず、垂直のまま現出する。
それも床に突き刺さって。金属板は意味を変え壁となって直立した。

演算ミスの原因は扉そのものだ。触れた途端に猛烈な痛みが指先を襲った。

その正体は熱だ。
扉の裏に貼り付けられたC4爆薬は雷管がなければ爆発しない。
雷管を付けぬまま着火された爆薬は単純に燃え上がり、その結果金属製の扉を高温に熱していたのだ。

指先を削るような火傷の痛みに白井は顔を顰めながらも室内を見回す。

室内は照明が点けられてはおらず、暗く見辛かった。



対しこちらは右手の外周沿いの廊下から街明かりが遮られる事なく差し込んでいる。



(拙い――――!)

身を翻そうとした時にはもう遅い。

銃声が響いた。



879:以下、三日目金曜東Rブロック59Aがお送りします:2010/12/04(土) 01:46:05.65 ID:Ctbg5P2o

砂皿は室内の床に這い蹲ったまま拳銃を突き出すように構えていた。

この体制が最も慣れた射撃姿勢だ。体重を最大まで殺し、銃口のブレを抑える。
銃の種類は変われども銃弾を発射するその機構は変わらない。得意とする構えで白井を待ち構えていた。

撹乱に撹乱を重ね、白井の焦りを生む行動も全てはそのためだ。
先のガラス板掃射を参考に床に伏せた。
この体制では行動が鈍るが水平の割断はその特性から最も命中し辛い。

万が一白井自身が室内に『空間移動』で飛び込んできたとしても闇の中では黒のコートが迷彩となり発見が遅れる。

そう何重にも張り巡らされた策が一点に結実し、標的の姿を砂皿が先に捉える事に成功した。

トリガーを引き絞る。

ライフル弾と比べて余りに軽い炸薬の爆ぜる音と共に銃弾は発射され、それは過たず白井を貫いた。

ただ予想外だったのは、白井の反応が想定よりも余りに早かった事だ。

銃弾は咄嗟に身を捻った白井の肩に喰らい付く。
ぱっと暗闇に血飛沫が舞うがそれは致命傷には程遠い。



881:以下、三日目金曜東Rブロック59Aがお送りします:2010/12/04(土) 01:58:57.02 ID:Ctbg5P2o

百戦錬磨は白井も同じだ。
相手も状況も違えど風紀委員として数多の能力者を相手取ってきた白井もまた、戦闘の勘というものを持っている。

判断が遅れたとはいえ致命傷を回避した白井の勘は賞賛にすら値する。
中学一年生の少女。もし彼女があと数年成長していたらと考えるとぞっとする。
無論、そんな事を交戦中に考えられるほど砂皿は感情的ではなかったが。

「――――――」

射撃と同時に砂皿は一動作で身を起こす。
まるでばね仕掛けの人形であるかのように上半身を跳ね上げ、その運動を腰と膝を介しベクトルを変換。
蹲踞にも似た体制で、しかし銃口は依然前方へ向けたまま。

視界には髪を左右で二つに括った少女、白井黒子。
手は握られ、その指の間には得物である鉄矢が挟まれている。

――『空間移動』を用いた射撃。

即座に判断した砂皿は折り曲げた膝を一気に伸ばし飛び上がるように立ち上がる。
靴底を床に噛ませ、摩擦で足を固定し右方へ飛ぶ。
上半身に続き下半身がその後を追い、一瞬遅れてその残像を棒杭が貫いた。



882:以下、三日目金曜東Rブロック59Aがお送りします:2010/12/04(土) 02:15:19.84 ID:Ctbg5P2o

――動きを止めては貫かれる。

――軌道も一定ではいけない。

――常に変化し続ける移動が必要。

大能力者と非能力者。女子中学生と成人男性。風紀委員と暗殺者。

正反対の二人だが、お互いの行動は余りにも似ていた。

部屋は元は事務を司っていたのか、大量生産品のデスクが綺麗に整列している。
その上には元々あっただろう書類の山も業務用のパソコンもなくがらんどうだったが、障害物としては大差ない。
いや、白井が銃弾として使えない分は砂皿にとって幸運だっただろう。そういう場所だからこそ選んだのだが。

机上を前転をするように背中で受け砂皿は平面の障害物を乗り越える。
本来であれば左手で受け体を横に飛び越えたいところだが鉄矢が刺さったままだ。痛みに確実に体制を崩す。
勿論こうしても痛みは伴うが幾分かましだった。

両足で床を踏み上半身を捻る。
右手に握った拳銃を振り抜くように構え銃口を向けた。



883:以下、三日目金曜東Rブロック59Aがお送りします:2010/12/04(土) 02:30:41.62 ID:Ctbg5P2o

しかしその先に白井の姿はない。
とん、と軽い音。ローファーが机を叩く音だ。

白井は自身の能力で空間を跳躍し、砂皿から数メートル離れた机の上に着地していた。

「っ――――」

振り向かず、砂皿は己の勘だけを頼りに砂皿は垂直に飛び上がる。
同時、床から十センチほどの高さに鉄矢が現れた。

本来射撃戦では急所の多い上半身、とりわけ面積の多い胸の辺りを狙うのが定石だ。
重く、宙に浮いた上半身は狙いを付けさせぬように動かすのも難しい。

それは射撃を受ける方も理解している。
その回答の一つとして、ボクサーのように上体を左右に振る事で頭と胸を動かす術がある。

だがそれは同時に、軸となる足の停滞を意味している。
人が行動する際、歩むにも駆けるにも飛ぶにも、基点となる足の移動順は最後だ。

中空の水平攻撃を繰り返し、最も適した回避行動が身を低くさせることだと条件付けした後での低空狙い。

ブラフとフェイントの上での攻撃を勘だけで看破した砂皿は乾いた音を立て落下した金属棒を踏み付けるように着地する。



884:以下、三日目金曜東Rブロック59Aがお送りします:2010/12/04(土) 02:55:08.67 ID:Ctbg5P2o

(――――癪だが、感謝すべきなのだろう)

記憶の中にある金髪を思い出し、砂皿は柄にもないと感じつつも笑みを浮かべた。

近接銃撃戦など、長距離狙撃を武器とする砂皿とは対極の位置にある戦い方だ。
だが今それに対応できているのは、狙撃手とは名ばかりの、派手好きでどこか間の抜けた彼女のお陰なのだろう。

対極の位置にあるはずのクロスレンジを得意とするスナイパー。
彼女の存在に感謝する事など考えもしなかったが、実際にこうして役立ってしまっているのだから困る。

もし再び会う事があればキスのひとつでもしてやるべきだろうか。
もっとも、その機会があればの話だが。

思考を遮断する。
今はセンチメンタリズムなどを感じている暇はない。
戦闘に集中できなければそれは死を意味する。

ぐるりと体を回転させ室内の様子を再確認する。
砂皿からは室内の様子はある程度見えるできる。少なくとも机の位置や人影の動きを把握する程度には。
じっと身を潜めていた事で砂皿の目は闇に慣れていた。

とはいっても、闇を纏っての迷彩の効果は徐々に薄れつつある。
街の灯によるある程度の光量があったとはいえ白井も灯火のない場所にいたのだ。
目が更なる暗順応を完了させるのは早い。

だが、それも砂皿の想定の内だった。
痛みに動きの鈍い左手を使う。取り出したのは――先ほども用いた閃光音響弾。

噛み付き、安全ピンに食い千切るように引き抜き砂皿は非殺傷性の手榴弾を部屋の中心部へ向かって投擲した。



885:以下、三日目金曜東Rブロック59Aがお送りします:2010/12/04(土) 03:41:10.77 ID:Ctbg5P2o

こつん、と小さな音を立て榴弾が机の上を跳ねる。

それを合図とするようにアルミニウムを主成分とする極小の粒子が本体から撒き散らされた。
直後に粉末は空気中の酸素と結合し猛烈な勢いで燃焼する。

眩い閃光と共に散布された金属粉は気化爆弾として空間を爆発させた。
轟音と衝撃が閉鎖された内を反響し、もはや一個の暴力となって室内を蹂躙する。

背を向け硬く目を瞑り、衝撃に備えた砂皿でさえも全身をハンマーで殴りつけられたような衝撃に思わず息を漏らす。
左手はろくに動かず、右手には銃を持っている。耳を塞ぐ事ができず聴覚が一時的に麻痺する。

しかし不意の防御できない空間攻撃に白井は直撃を受けただろう。

視角、白井の網膜は焼き付きを起こし意味を成さないはずだ。
対し右腕を両眼に押し付けるように光を防御した砂皿のダメージは、無いとまではいえないが限りなく低い。

「――――――っ!」

息を呑む気配が感じられたが、それだけで狙いを定めるのは確実性に欠ける。

衝撃から快復するまでは多く見積もっても十秒に満たない。
それまでに確実に仕留めるのが最良と判断する。

目を覆っていた腕を離し視界を確保。
案の定辛うじて明るい色をしたものが見える程度しか認識できないがそれで十分だ。机の位置は分かる。
足音を殺し滑るようにして移動する。聴覚が麻痺しているだろうとは分かっていても念を入れるに越した事はない。

予め目的の位置は把握している。躊躇う事なく最短時間で辿り付き、砂皿は手を伸ばす。

壁面、入り口近くに取り付けられた、照明のスイッチだ。



886:以下、三日目金曜東Rブロック59Aがお送りします:2010/12/04(土) 20:44:46.11 ID:Ctbg5P2o

ぱちんと軽い音がして室内灯が点灯する。
一瞬蛍光灯が瞬きをし、白い人工的な無機質の光が発生する。
部屋は光に照らされた。闇に覆い隠されていたものがはっきりとその姿を表す。

振り向く。
首の動きが最も早い。それに続いて胴が追いかける。
回転の動きをそのまま直線に。
右腕を突き出す。

その先は、半ば蹲るように机の上で体を折る少女。
白井黒子。

年端も行かない中学生の少女だ。
幼さの残る顔立ちに、子供っぽい二つ括りの髪。
小洒落たデザインの制服。
苦しげに歪められた顔は苦痛に彩られている。
光を直視してしまったのか、その両目は硬く引き瞑られ呻くように歯を食い縛っていた。

だがそんな事は砂皿にとってどうでもいい。

大事な事はただ一つ。

それが殺す相手か否かだ。

照星と照門を正面に合わせ、迷わず引き金を引いた。
まるで銃は空中に固定されたかのように一切振れる事なく狙いを正確に、銃弾を吐き出す。
腔綫によって回転運動を付与された弾丸は安定した軌道を保ち空気を切り裂き一直線に発射される。

幾度目かの銃声が鳴り響き、それは矢張り代わり映えしない軽い音だった。



887:以下、三日目金曜東Rブロック59Aがお送りします:2010/12/04(土) 21:35:18.95 ID:Ctbg5P2o

それはもう何度目か。

またしても銃弾は空を掻いた。
白井の姿は弾丸の貫く直前、騙し絵のようにふっと消えてしまった。

(『空間移動』――視界の確保できない状態でよくやる)

出現場所を間違えば『埋め込み』が起こり致命傷となるだろうに、白井の能力行使には躊躇が見られなかった。

ひゅん、と風を切るにも似た音を僅かに回復した砂皿の聴覚が捉える。

こちらに背を向けた格好で空を割り現れた白井は机の上にふわりと着地する。
それと連動し落下の速度を殺さず屈むように膝を折り曲げる。
苦痛があるのだろうか。白井は膝と手を机上に突いた。
頭を垂れ、まるで王前に跪くようだ。

それは砂皿の視界では直角に近い位置、左方の机上。
視界の端、死角に等しい角度に僅かに反応が遅れる。

だが一切の迷いなく砂皿は体の格好と角度に隠された頭部ではなく丸められた背を狙いに定めた。



890:以下、三日目金曜東Rブロック59Aがお送りします:2010/12/04(土) 21:51:45.44 ID:Ctbg5P2o

――ふと、疑問。

慣れすぎ意識せずとも機械的に体が動く一方で、砂皿は違和感を覚える。

砂皿の計算では今の銃弾は確実に白井の頭を撃ち抜くはずだった。
                               チェックメイト
将棋やチェスのような先の読み合い。だが今の一手で『詰み』だったはずだ。

なぜ二射目が必要だ。
簡単だ。白井が避けたからに他ならない。

なぜ、避けられた。

……白井を始めとする空間移動能力は、高度な演算を必要とする事から圧倒的な希少性を誇る能力だ。
十一次元という高度な概念を行使するそれは常人ではまともに理解も叶わない。

だが違う。本当に重要な部分はそこではない。

たとえそれが十一次元だろうが百次元だろうが、三次元空間には同じ三次元としてしか干渉できない。

そして白井自身も三次元に捕らわれている者の一人だ。
『空間移動』の演算を行うに必要だからこそ十一次元を理解しているだけだ。
実際に観測した訳でもなければ、まして十一次元の存在でもない。

故に、空間移動能力者の最も重要な要素は。



892:以下、三日目金曜東Rブロック59Aがお送りします:2010/12/04(土) 22:12:36.02 ID:Ctbg5P2o

小さく、耳がろくに機能していないからか、どこかおかしなイントネーションの呟きが聞こえた。

「――――電気、点けたんですのね」

視覚が光を感じ取れる程度には回復したのだろう。
だが、その言葉に砂皿は果てしない寒気を感じる。

実に簡単な事だ。
照明を点灯させるにはスイッチを入れる必要がある。

そして、そういうものは大抵の場合入り口のすぐそばにあるのだ。



……そう、例えば目を瞑ったまま階段を上り下りしてみればいい。

転落防止に手摺りを持っても構わない。
とにかく、視界を封じて階段を歩いてみれば分かる。


.、 、 、 、 、 、 、、 、 、  、 、 、 、 、 、 、 、 、、、 、
段数が分からなければ、確実に最後の段で躓くのだ。



だが白井は今、そうまさに今、まったく危なげなく机の上に着地してみせた。
視覚も聴覚もなく、けれど白井には机の位置も高さも、部屋の配置までもがはっきりと分かっていたのだ。

砂皿の投げた閃光音響弾の生み出した一瞬の視界で白井は確かにその位置を掴んでいた。



893:以下、三日目金曜東Rブロック59Aがお送りします:2010/12/04(土) 22:21:56.92 ID:Ctbg5P2o

そう、空間移動能力者の最大の武器は。

その高度な演算能力でも、
あらゆる防御を無視する攻撃力でも、
瞬間で空間を移動する機動力でもなく、





(――――空間把握能力――――!!)





直後、砂皿が発砲するよりも刹那だけ早く。

白井の降り立った、その手指の触れた事務机が空間を切り裂き、
同時に砂皿の体を腰骨の部分で上下に両断した。



「――――――っ――――!!」



遅れて発砲が行われる。

衝撃と断ち切られる痛みを確かに得ながらも、砂皿の放った弾丸は狙い通りに直線を描いた。

だがそれは、重力に引かれ失われた机の分だけ落下した白井の頭のすぐ上を通過するだけだった。



896:以下、三日目金曜東Rブロック59Aがお送りします:2010/12/04(土) 23:04:01.62 ID:Ctbg5P2o

白井は最初からこれを狙っていた。

一度として真正面から向かう事なく、布石を打つ事に徹した動き。
砂皿の一連の罠は空間移動能力者の弱点が混乱や焦燥という心の動揺だと理解しての物だという事は明白だった。

しかしそれが仇となる。
白井の焦りを誘うためだろうが、閃光音響弾の存在は外への陽動で把握していた。
そして極め付けが暗闇での待ち伏せだ。

光が武器となる最も効果的な戦場。
元々が驚愕と混乱を誘発させるための武装だ。確実に使用する。

視覚がろくに働かぬ暗闇での戦闘は恐ろしかったが、整然とした室内の様相が幸いした。

初手で室内灯のスイッチの位置が入り口付近にある事を確認し、
一度目の着地で机の高さを把握した白井は机の並びを頭の中の立体地図に書き加える。

機械的なその配列を描くのは容易だ。
入り口から漏れる微かな光で始点となる先端の机の位置を把握すれば、そこから垂直に直線を伸ばす事で数本の平行線が完成する。
机の正確な構造は必要ない。問題となるのはその位置と高さだけだ。
直方体とでも設定しておけば邪魔にもならないだろう。

斯くして準備は完了し、待ち望んでいた音が聞こえる。
小さく空気を切り裂く音。

手榴弾の投擲音だ。

目も、耳も、一度きりの使い捨てでいい。

白井にあの白地に金刺繍の修道服の少女のような完全記憶能力はないが、
一瞬の閃光はカメラのシャッターを切ったように正確に網膜に焼き付ける。
砂皿の位置、机の正確な配置、そして自分の位置。

その後の砂皿の移動は分からなかったが、おおよその位置が分かっていれば大丈夫だ。
あとはタイミングを合わせるだけで済む。

正確に狙いを付けるには確実な視界が必要となるはずだ。ならば白井の姿は相手に見える。
背を向ける体制を取る事で今度はこちらが相手の油断を誘う。視覚は必要ない。
ついでに苦しそうな演技をおまけに。実際銃弾に切り裂かれた肩口は泣きたいほどに痛むのだ。
迫真の演技はアカデミー賞ものだろう。

ちかちかと痛む視界が僅かに白に染まる。

ぶち込んだ。



898:以下、三日目金曜東Rブロック59Aがお送りします:2010/12/04(土) 23:29:49.43 ID:Ctbg5P2o

「が――ぁ――、――!」

ようやく働きを取り戻しつつある耳が苦痛の呻きを捉えた。

砂皿はまだ生きている。
だが床に伏せた白井の体が僅かな揺れを感じ取る。
同時に湿った音と、何やら鼻につく臭いが広がる。
色の判別はまだできそうにないが、目がそれを見つけた。

べっとりと床に張り付いた細長い柔らかなもの。
それは分断され、机の底に張り付くも自重に耐え切れず剥がれ落ち倒れた拍子に下半身からぶちまけられた砂皿の小腸だ。

「う――――っ」

認識した瞬間に白井の内腑から冷たいものが湧き上がってくる。

考えなくても分かる。あれは致命傷だ。
人は体を両断されて生きていられるほど頑丈でも単純でも鈍感でもない。

まだ生きている。
だが、死ぬ。

白井の手によって。



白井黒子が殺した。



「――――っげ――――ぁ――――!」

その最低な現実に体が拒否反応を起こし、堪らず吐いた。

びちゃびちゃと黄色い胃液が床を叩く。
唯一救いがあるとすれば、今日何も食べていなかったことくらいだ。
酸味と苦味が舌を焼く。胃と喉が意識とは関係なく痙攣を起こし、そこにはない毒を吐き出そうと胃の中身をぶちまけた。



899:以下、三日目金曜東Rブロック59Aがお送りします:2010/12/04(土) 23:52:44.92 ID:Ctbg5P2o

内臓の痙攣する動きに白井の目からは涙が零れる。

殺人の手応えは余りに軽く、そして最悪な感触だった。

床に突っ伏し、嘔吐を繰り返す。
とうに中身は空だというのに空えずきは止まろうとしない。

そこに、声が届く。

「――なんだ――人を殺――すの、は――初めて、か」

それが砂皿の声だと理解するのに時間が掛かった。まだ彼は生きている。
だが白井の位置は机と机の間に開いた空間は砂皿の位置からは死角だ。
そもそも体を中ほどで両断されてまともに動ける人物などそういないだろうが。
もっとも――その状態で喋る事はできているのだが。

「それもそうか――は、――」

砂皿の切れ切れな声と対象的にまるで世間話でもするかのような口調に、なぜか白井の内臓は落ち着きを取り戻す。

初めて聞く彼の声は、無骨だがどこか優しげですらあった。

「――――人殺しの世界へようこそ、空間移動能力者」

そんな言葉を吐く彼は今、どんな顔をしているのだろうか。
少しだけ気になったが、ここからは机が陰になってしまって見えやしない。

そして自分はどんな顔をしているのだろうか。無論、見えない。



900:以下、三日目金曜東Rブロック59Aがお送りします:2010/12/05(日) 00:04:08.34 ID:9X6UEpMo

白井からは見えぬ位置、机は端を壁の中に埋め込まれ完全に固定されている。
そして事務机の上に砂皿は上半身だけの胸像のような姿となって乗っていた。

足を失っても這って動ける、とは思うがさすがにこれは無理だろう。
今は密着しているからいいものの、体を動かせば腹腔から内臓が零れ同時に大量出血する。

(――『詰み』はこちらか)

何故だか可笑しかった。
何が可笑しいのかは分からない。ただどうしてだか笑いが込み上げてくるのだ。

もしかしたらこうして無駄口を叩いているからかもしれない。
無駄どころではない。どう考えてもマイナスだ。

しかし砂皿は喋る事を止めはしなかった。
理由は、と自問して、少し考えて自答した。

――そう、気紛れだ。

そうとしか考えられない。
砂皿の行動はまったくちぐはぐで、噛み合ってなどいない。

こんな無駄口を叩いて時間を与えているというのに、まだ自分は彼女を殺そうとしているのだから。



903:以下、三日目金曜東Rブロック59Aがお送りします:2010/12/05(日) 00:17:16.49 ID:9X6UEpMo

ちん、と乾いた音が聞こえた。
白井の鉄矢を取り落とした時よりも断然小さく軽い音。

しかしその金属の音に、水を掛けられたように白井の頭から混乱の靄が切り裂かれる。
はっと、頭を上げればようやく本来の働きを取り戻した両眼が異物を見つけた。

「――――プレゼントだ」

それは針金で作られた輪のような、粗末な部品。

映画の中でしか見たことのないそれは砂皿が始めて見せるものだが、存在は始めから疑って掛かるべきだったのだ。

だが続く言葉に白井は思わず動きを止めた。





「――――――ジャン=レノは名優だとは思わないか」





場違いだと分かっていても、噴き出しそうになった。
意外と茶目っ気がある。まったく似合わないが。





「――――――映画の見過ぎですのよ」





白井の言葉は果たして砂皿の耳に届いただろうか。

部屋に閃光が生まれる。
それは先ほどのものとは違う、暴力的なものだ。

砂皿の着ていた黒のロングコート。
その内に鈴生りに吊り下げられていた手榴弾が炸裂した。



904:以下、三日目金曜東Rブロック59Aがお送りします:2010/12/05(日) 00:50:07.40 ID:9X6UEpMo

爆発と衝撃は狭い室内を障害物も何もかもを巻き込んで蹂躙する。
その中心である砂皿の体が無事であるはずもなかった。
原形を止める事なく、両断よりも細かく千切られ、欠片となって飛散する。

言うまでもなく即死だった。
爆発でだけは死なないと嘯いた彼は、皮肉にも自爆によってその命を終える。

だが砂皿の最後の一撃を以ってしても白井はまだ生きていた。

砂皿の『気紛れ』によって幾らか平静を取り戻した白井はすんでの所で『空間移動』を発動させ、その身を建物外へ退避させていた。

――――しかし、遅れに遅れはしたがここになってようやく布石が意味を成す。

最初の狙撃から始まり、砂皿の積み重ねてきたあらゆる行動がようやく結実する。
精神も肉体もぼろぼろに疲弊し、白井の身は確かに苦痛に塗れていた。

感覚の制限、時間の制限、知覚外からの攻撃、不意の攻撃、大きな音と光。
それらは少しずつだとしても確実に白井の精神を苛んでいた。

人殺しがまともな思考でないと言うのならば、白井はまだ幾らかまともな部類だった。
殺人に対して強い嫌悪感――いや、拒絶を生んだ白井の精神。
そこに飛び込んできた最後の、あの冗談めかした言葉。
砂皿の意図していなかった、ふと思いついただけの台詞が決め手となる。



その殺す対象からの言葉によって白井は――絶対にそんな事はないはずなのに――幾らか救われた気になってしまった。



905:以下、三日目金曜東Rブロック59Aがお送りします:2010/12/05(日) 00:56:03.27 ID:9X6UEpMo

緊張の後の弛緩が生まれ、それは決定的な隙となった。

心身ともに疲労が頂点に達し、緊張の糸が切れた白井はほんの少しのミスをした。

本当に、たった一つの小さな失敗だ。
だが同時にそれは確かなものとして現れる。

移動先、夜気を肌に受け白井は安堵の息を漏らしそうになるが、目の前の景色に、驚愕に目を見開いた。

白井の眼前には星の見えない夜空が広がっていた。
そして視界の下半分ほどは建物の壁面で覆い被さられるように埋められている。

ほんの小さな演算ミス。

一つだけ、決定的なミスを犯した。
それさえなければ何という事もなかっただろうに。



白井は出現角度の入力を誤り、移動先に宙に仰向けになるように現れた。

その分白井の体は想定よりも横に――建物に垂直気味に空間を占める事となり。



移動前の体勢、小さく折り曲げたもう片方よりも伸ばされた右足が、足首よりも少し上の辺りで建物の壁面と合体していた。



彼女たち空間移動能力者の最も恐れる『埋め込み』が起こっていた。



906:以下、三日目金曜東Rブロック59Aがお送りします:2010/12/05(日) 01:18:34.70 ID:9X6UEpMo

「――――――!!」

他の能力者はともかく、白井黒子の場合、能力の連続使用には一秒ほどのタイムラグが必要となる。

その一秒で十分だった。

完全に空間を割り開いて出現する『空間移動』では、固体に対し『埋め込み』を行った場合完全に張り付いた状態となる。
その際物体の強度は関係なく、表面の目に見えぬ細かな凹凸もジグソーパズルのピース同士のように正確に割られる。
余りに正確すぎるそれは、両物質間で完全な密着を起こす。

人体でそれが起こった場合、最も気をつけるべきは動かさない事だ。
タンパク質を主成分とする体表面は脆く、傷付きやすい。
『埋め込み』が起こる対象の大抵はそんな人体よりも圧倒的に頑丈な構造をしている。
そこを動かすとどうなるのか。

単純だ。肉皮が剥がれるのだ。

べりべりと生皮を剥がれる苦痛をその瞬間負う事となる。
想像したくもないし、経験するのはもっとしたくない。

だがそうとは分かっていても、動かさぬ事などできるはずもなかった。

白井の体は宙に浮いている。何も支えはない。
元より無理な体勢で、何か支えがあったとしても耐えられはしなかっただろう。

そして白井の体に強制的な運動が発生する。
この世界では、少なくとも地球上ではその力からは逃れられない。

万有引力による九・八メートル毎秒毎秒の加速を伴う自由落下が開始する。



909:以下、三日目金曜東Rブロック59Aがお送りします:2010/12/05(日) 01:54:45.26 ID:9X6UEpMo

だが幸いにも。

白井の足はローファーと靴下によってその生身を晒してはいなかった。
接着はそれらが負う事となり、白井の肌には一切の埋め込みは起こっていない。

だが、そんな事はこの時点では何の意味もなさない。

万有引力だとか、重力加速だとか、十一次元論だとか。

そんな小難しいものよりもよほど単純で、人類史に於いてもっと早くから発見され、活用されてきた物理法則がある。

小柄とはいえど白井とて確かに何十キロかの体重を持っている。
それだけの質量が地球の重力に引かれ、下に向かって落下している。

しかし右足は壁の中に『埋め込み』によって固定されたままだ。

そこに発生する力の関係は小学校で習う程度のものでしかない。



力のモーメントの利用――簡単な言い方をすればそう、『てこの原理』。



支点、力点、作用点の三点を用いる大きな力を発生させるための原理は、一つの大前提があって初めて成り立つ。

――『三点を結ぶ棒が絶対でなければならない』。

完全に固定されたままの基点に力が加えられば、回転モーメントは曲げモーメントに変換される。

それが大きな力に耐えられない物質でも、歪曲するほどに柔軟な物質でもなければどうなるかは言うまでもない。

この場合、それは――――。



910:以下、三日目金曜東Rブロック59Aがお送りします:2010/12/05(日) 01:56:40.73 ID:9X6UEpMo





















ぼぎん、




924:以下、三日目金曜東Rブロック59Aがお送りします:2010/12/06(月) 00:22:49.02 ID:1r9dZfAo

打ち付けられた痛みなどどうという事もなかった。

白井の体は脛の位置をそのままに、膝を基点として落下を回転運動へと換える。
弛緩しきった白井の体は重力に引かれるままだ。細い足の骨だけで全体重を支える事などできなかった。

僅かにしなり、枯れた木枝のような音を立てて折れ砕け足に関節が一つ増える。

ごづっ、と鈍い音と共に視界が揺れた。壁に叩きつけられた白井の頭部はボールのように跳ねる。

「ぎ、っ――――」

まず最初に感じたのは衝撃だった。
体を何かが走り抜けた。それが痛みだと理解した時にはもう何もかもが手遅れだった。

白井の折れた足骨。その骨の先端が自重に引かれ押し付けられる白井の肉をみちみちと削る。
決して鋭利とはいえない刃は、まるで古く首切りに使われた竹の鋸だ。
それは徒に苦痛を与えるだけの拷問器具。ただの斬首刑ではなく、その様をせせら笑うために行われる公開処刑の道具に他ならない。

骨が直にごりごりと肉をこそぐように撫で回し、その刺激を受けた痛覚神経が脳まで信号を送る。
信号は脳の中心で処理される。そして警報が痛覚として白井の頭の中で炸裂した。

「――――あぁぁぁああああああああああああああああああああああああああああ!!」

それはもはや痛みと呼ぶには生温い。
感覚は物理的な威力を以って割り砕かんといわんばかりに白井の脳を蹂躙した。
反射的に全身が痙攣をする。しかしその動きも痛みを助長するだけだ。
筋の収縮によって肉が骨を噛み、ぎちりと擦れる。それによって新たな痛みが生まれる。
痛みが動きを生み、動きが痛みを生む苦痛の永久機関。

「あ――――! あ――――! あ――――!」

脳の中で閃光が爆ぜる。宙ぶらりんに磔になった白井の体は背で壁面を擦り止まる。
だが足の肉はぎちぎちと嫌な音を立てながら少しずつ筋を切断されていた。
鑢を突き立てたに等しい擦過が徐々に、だが確実に白井の足を引き千切っていく。

……そんな白井の頭上の位置、重力の先には地面がある。
高さは十メートルほどだろうか。そこは駐車場として使われていたのだろう。頑強に塗り固められた上に白線が引かれている。
ちょうど白井の真下には人の頭を割るにはちょうどいいと思われる車止めのコンクリート塊が静かに鎮座していた。



925:以下、三日目金曜東Rブロック59Aがお送りします:2010/12/06(月) 01:42:34.18 ID:1r9dZfAo

火花のスパークでぐちゃぐちゃにかき回される白井の脳の中で、
そこだけをナイフでケーキを切り取るように分割され本来の形を保った意識があった。

地獄のような苦痛に全身を震わせながらもその状態を冷めた目で見る白井の意識。
理性と言うべきか、白井の中の冷静沈着な部分が悶え苦しむ自らを感情のない瞳で見下ろしているイメージ。

このままあと幾らかすれば足肉は骨に削がれ、自重に耐え切れず千切れてしまうだろう。
元より頭から落下すれば助かる高さでもないだろうに、ご丁寧にも墓石までこさえてくれている。
痛みに耐え切れぬ思考のままでは能力を使用するための演算もままならないだろう。

それとも白井の頭が割られるよりも警備員の来る方が早いだろうか。彼らが到着するまでもう数分もないはずだ。
もし彼らがこの暗がりの中、壁に片足を突っ込んで宙吊りになっている少女を見つけたらどういう反応をするだろうか。
最悪な事に頭を下にぶらさげられているためにスカートは捲れ上がり下着が丸見えだ。
普段通りの白井の趣味からすれば幾らか大人しめではあるが、たとえそうだったとして見られていいとは思えない。

どちらにせよ。このままでは確実にゲームオーバーとなる事だけははっきりしていた。

(――――冗談じゃ、ありませんの)

こんなところで終わって堪るものか。

でなければ自分は一体何の為に全てを投げ出したのだ。
そして、最後に自分すらも投げ出した白井の今までの意味は一体何だというのだ。

白井の理性は、その名のイメージからは程遠く、力技で強引に衝動を捻じ伏せる。
それは白井が元より得意なものだ。ずっとずっとそうやって押し殺してきた。そうしなければ他に選択肢がなかったから。
少なくとも白井の意思はそうやって自分さえも殺せるほどに強固だった。

ぐるぐると回る視界が鬱陶しくて目を閉じた。

「い――――ぎ――――っ!!」

奥歯を噛み締め意思に力を込める。
痛覚を全力で無視し、白井は思う。

――そう、この程度の痛みなど、人を殺すあの気分に比べればどうという事もない。

丁寧に、一つずつ慎重確実に演算式を組み立てていく。
今度こそ間違えてはいけない。そんな無様な真似は許される事ではない。

この程度の痛みも、衝動も、吐き気も何もかもは。



(――――――わたくしの信仰、その万分の一にも及ばない――!)



――『起爆』



927:以下、三日目金曜東Rブロック59Aがお送りします:2010/12/06(月) 02:35:37.38 ID:1r9dZfAo

一瞬の浮遊感の後、白井は背から叩きつけられる。
まともな受身を取る事もできず、肺の中の空気が押し出され呻きが漏れた。

「がっ――――!」

全身への打撃は折れた足首を掻き毟り激痛となって脊髄を這い上がる。
気を失いかねぬほどの衝撃に真っ黒な空に星が輝いた気がした。

だが、背に硬いアスファルトの感触。
大の字に広げられた四肢は痛みと共に平面の圧迫を感じている。
硬い、しかし確かな地の感触だ。

再度の跳躍は、演算を違える事なく白井を地表へと運んでいた。

「はっ――はは、ははは――っ」

思わず笑いが零れた。
どうしてだかとても愉快な気分だった。さっきまでの最悪な気分が嘘のように晴れ渡っていた。

どうしてか。そ決まっている。簡単な、シンプルな答えだ。
あのような破滅的な精神状態で、白井は見事に何の失敗もなく能力の使用に必要な高度演算をやってのけたのだ。

つまりそれは――彼女の高潔な信仰が他の下らない感情全てに圧倒的に凌駕していた事を意味する。

「あは、はは――あははははははは――っ!」

白井は自らの身を以ってその証明をしてみせたのだ。
矮小な雑念などは言うに及ばず、たった一つの真の信仰こそが正義に他ならないと証明されたのだ。
これが愉快でなくて一体何だ。

寒空の下、誰もいない打ち捨てられた駐車場の中心で。
白井は暗黒の空を見上げながら、口からは哄笑が止まらなかった。

「お姉様! ああ、お姉様!」

今日はなんと素晴らしい日か。
まったく最高の気分だ。……涙が出る。

「――――ハレルヤ!」



928:以下、三日目金曜東Rブロック59Aがお送りします:2010/12/06(月) 03:16:39.57 ID:1r9dZfAo

白井はかつてないほどの多幸感に包まれていた。

だがそれは次の瞬間、音を立てて瓦解する。

じゃり、と靴が砂を噛む音。
それに白井の喉から溢れていた笑いが止まった。

他に誰もいなかったはずの駐車場に人影が現れた。

……警備員が到着する最速予想時間までもう何分かある。
そして白井の計算は狂っていなかった。ただ一つ、単純な事を失念していたのだ。

爆発音に気付いた通行人が現れる可能性もあるという事。
そして、中でもそれは白井にとって最悪な可能性だった。

「――――――」

予想外の乱入者、暗闇の中に微かな光に照らされて見えたその顔に、白井の笑顔はびしりと凍り付いた。

街の遠い光に浮かび上がったその顔と声は白井のよく知るものだった。



「――し、らい――さん――?」



頭にトレードマークの花飾りを乗せた少女。

初春飾利がそこにいた。



941:以下、三日目金曜東Rブロック59Aがお送りします:2010/12/13(月) 21:28:31.57 ID:Nsbr0BAo

「――――――」

息ができなかった。

目の前に現れた少女は、予想外とかそういう言葉を超越していた。
まるで花が開いたような明るい笑顔が印象的な、まだ幼さの残る顔立ち。
こんな地獄に似つかわしくない鮮やかな髪飾りが視界の中、嫌に映える。
もう二度と会うつもりのなかった少女。会えるとなど微塵も思えなかった人物。

白井の元いた『白い世界』の象徴ともいえる少女が今、『黒い世界』の舞台に立っていた。

多分、彼女は白井にとっての『二番目』だ。

『一番目』のために切り捨てられた――白井が殺した少女。
命ではない。けれど彼女の大切な部分を容赦なく刈り取ったとすれば、それは殺人も同義だろう。

そう、思えば白井は、とうの昔に人を殺していた。
初春飾利という少女と、彼女の大切な人を。

だがその彼女が如何なる運命の皮肉か。
砂皿の築き上げてきた布石の数々と幾許かの偶然によって、白井の前に登場するはずのない人物が現れた。

白井が『白の世界』との決別として『心理掌握』にその記憶と痕跡を奪わせた少女が。

大切で大好きで仕方のなかった少女が、白井の目の前に立っていた。

「――――――」

白井は声の一言すら出せずにいた。
目の前にふらりと現れた少女。
血と硝煙の臭いの充満する舞台には似つかわしくない、小奇麗な洋服と子供っぽさの抜け切らないあどけない顔。
それはあまりにも白井の現実と――この地獄絵図と懸け離れた存在だった。

だが一点、場の様子に似合ったものがある。
表情。彼女の顔が形作るその様相は無機質めいていて、硝子玉のように意思の光を帯びていない両眼が白井の方を向きながらもその焦点をふらふらと彷徨わせていた。



942:以下、三日目金曜東Rブロック59Aがお送りします:2010/12/13(月) 21:33:26.45 ID:Nsbr0BAo

「しら、い――しらい、さん――しら――」

口から紡がれる言葉は意味を成さないものだ。
それはまるで壊れたレコードのような――。

びくん、と大きく初春の体が震えた。

「しら――し――しら、な――しら――ない――しらな――――」

まるで寒さに震えるように体を小刻みに振動させる。ひく、と喉を逸らすように初春は俯き気味だった顔を上方、空に向けた。
その先には何もない。文字通りの虚空だ。

だが虚ろな視線だけがそれに逆らうかのように首の向けられた方から逸らされ白井を見た。

そしてその両眼からは。
つう、と耐え切れず一筋だけ堰から溢れるように涙が零れ落ち――。

「しらい、さ――」

言葉と共にがくん、と唐突に初春は受身を取る事もなく糸の切れた人形のようにその場に倒れ伏した。

「初春っ――!」

静かな駐車場に響く声。
だがそれは白井のものではない。まして、初春のものであるはずもなかった。

倒れた初春。そこに駆け寄る影があった。

長い黒髪を後ろに靡かせる少女だ。
一目散に地に伏した初春へと駆け寄る彼女もまた、白井のよく知る人物だった。

「――佐天――さん」



943:以下、三日目金曜東Rブロック59Aがお送りします:2010/12/13(月) 21:36:33.97 ID:Nsbr0BAo

ひきつけを起こしたように震えの止まらない初春を、佐天はそれを押さえ込むかのように抱き起こす。

……思えばそれは自然な流れだったのかもしれない。
佐天涙子。初春の同級生。そして――彼女の親友。

彼女が初春と共にいる可能性くらいは容易に想像できたはずだ。
病院のベッドで目覚めた初春の元に真っ先に会いに来たのは自分ではなく、他ならぬ彼女なのだから。

だが白井は全然、まったくそんな事は頭になかった。
佐天がこの場に現れた事は白井にとって予想外でしかなかったのだ。

佐天は無能力者だ。能力者でもなければ、まして魔術師でもない。
銃の扱いに長ける訳でも、人並み外れた技術者という訳でもない。

何の異能も特殊な技能も持たないただの中学生。
特にこれといって取り柄のない、どこにでもいるありふれた凡百な少女だ。
だからこそ――彼女の登場は異質以外の何物でもなかった。

殺人と策謀と裏切りしかない舞台の上に彼女の居場所はない。
佐天がこの物語に登場する機会があるとすれば、それこそエキストラ程度にしか、例えば爆発に巻き込まれる哀れな『その他大勢』としてくらいだ。
佐天涙子という少女には本来その程度の役回りしか与えられないはずだった。

何も知らない、良い意味でも悪い意味でも平和な世界の住人。
そんな佐天だからこそ白井は完全に彼女の存在を失念していた。

「初春! ねえ初春しっかりして!」

完全に取り乱した彼女の表情には一片の余裕も見られない。
当然だろう。彼女はこんな事象には全く耐性のない一般人で、更には初春の親友なのだから――。

――そう。初春の親友だから、この場にいる。
本来彼女に与えられるはずのなかった役割が生まれたのもそのためだ。
そしてその事実はもう一つの側面を持つ。

白井にとっての、掛け替えのない親友。初春飾利。
けれど初春には佐天がいる。
初春にとって白井は確かに掛け替えはないかもしれない。
けれど初春の『親友』は――他にいるのだ。

みし、と何かが音を立てた気がした。

それは奥歯だったのか、心だったのか、それとも世界だったのか。
しかし白井のすぐ耳元で軋んだその音は確かに頭の中に響いた。



944:以下、三日目金曜東Rブロック59Aがお送りします:2010/12/13(月) 21:40:57.30 ID:Nsbr0BAo

「――――――」

その時の白井の感情は形容し難いものだった。
あえて既存の言葉を使って表すのであれば――そう――『嫉妬』というのが一番近いようにも思える。
けれどそれも正しくはない。もっと何か暗澹とした汚泥のような重く黒いものが白井の心の水底からふつふつと湧き出ていた。

白井は他の全てを捨てこの地獄に飛び込んだ。
自ら選択したものだ。今更後悔するつもりもない。
そして初春もまた、この世界に片足を踏み入れようとしたがために――白井を失った。
記憶と感情の改竄。彼女は決して失ってはならないと追いかけたその行為を本人に否定された。

だが佐天はどうだ。
それなりに平和で、それなりに安全な世界の微温湯に浸かったままの彼女がどうしてこの場にいられようか。

でなければ自分は、初春は、その間にあったものは何だったというのだ。



そう――彼女もまた、『こちら側』を垣間見たからには――何かを失ってもらわなければ困る。



折れた足の痛みはどこかへ消えてしまったようだ。
片足が役に立たないとして、自分にはそれに頼らずとも翼がある。

そして視線の先を、ひたすらに初春の名を呼び続ける佐天に。



――ああ、まったく。



白井は何か、最後の最後に残っていた大切だったものを思考と意識の鎖で絡め取り。
酷く慣れた手付きで、丁寧に一つ一つをいとおしむように必要な式をそれごと編み上げる。



――なんと無力で無自覚で無遠慮で――愚かしいほど不幸なのだろう。



見なくても分かる。
自分の顔は、きっと――。





――――『起爆』



945:以下、三日目金曜東Rブロック59Aがお送りします:2010/12/13(月) 21:45:40.28 ID:Nsbr0BAo

景色が一転する。

空間を跳躍し白井は初春を抱いた佐天の真横に移動する。
着地の衝撃を片足だけで殺し、膝を折りしゃがむように腰を落とす。
そして佐天がこちらに反応するよりも早く寄り掛かるようにその手を伸ばし。

――――がっ!

力任せにコートの上の襟首を掴み、思い切り引き寄せた。

「――――――!!」

目の前に佐天の驚愕の表情が広がる。

……いや、違う。
その顔はすぐさま安堵へと変わっていったのだ。

ああ――どこまで救い難いのでしょうか。

その反応が如実に物語っている。
この状況で、白井が今まさに佐天の服を掴み上げているというのに。
彼女はよりによってその白井こそが状況を、初春を救えると確信しているのだ。

そしてそれは、一つの事実を意味している。

目の前にいたというのに彼女は――今の今まで白井の存在にまったく気付いていなかったのだ。

「――――――ねえ、佐天、さん」

囁くように、言葉を一つ一つ丁寧に、白井は佐天に呼びかける。
佐天の瞳の中には自分が写っている。暗くてよく分からないがきっとそうだろう。

ようやく佐天の顔色が変わった。
血の気が引いていくのが手に取るように分かるように思える。
さあぁぁ――とみるみる蒼ざめていった。
無理もない。白井の様子も気配も声色も、彼女の知るものとまったく違うのだ。

「大事な、とても大事なお話がありますの。ええ――聞いてくださいます?」



946:以下、三日目金曜東Rブロック59Aがお送りします:2010/12/13(月) 21:49:08.43 ID:Nsbr0BAo

その言葉に佐天は答えられない。
声を発する事はおろか、微動だにできなかった。
首を振る事もできず凍り付いたかのように硬直している。

佐天の胸の中では初春が目を瞑り、うわ言のように何か呟いているが聞き取れなかった。
そして突然、呟いていた声が消えかくりと首が折れる。

(……気絶してしまいましたか)

都合がいい。実に都合がいい。よすぎる、とも思うが。
これから言う事を、認識できないとはいえ初春には聞かれたくなかった。

白井は初春と、そして佐天の様子を見て、満足げににっこりと笑った。

「佐天さん、よく聞いてくださいな。いいですか?
 ――――――あなたは今日ここで、何も見なかったし、聞かなかった。誰にも会わなかった」

小さい子を諭すように、白井は一言一言区切って佐天に囁きかける。

「あなたと、私の、二人だけの秘密にしておいてくださいな。
 もちろん、言うまでもないですが――――初春にも秘密ですのよ?」

初春、という単語にぎょっと佐天の目が見開かれた。
口が何かを言おうと開きかけるが、白井はそれを阻むように続ける。

「初春は精神感応系能力者によって記憶や認識を操作されてますの。
 白井黒子という人物について、初春は深く考えないように思考を制限されてますの。
 記憶消去じゃありませんのよ。思考操作。分かります? 白井黒子は初春にとって『どうでもいい人物』なんですの。
 初春が今、苦しんでいるのは――ええ、お分かりですわよね。それが目の前にいるからに他なりませんの」

「――――――」

我ながらよくもまあすらすらと出任せを吐ける、と白井は心中で自嘲する。
正確には出任せではない。むしろ正解に近い。だが――実際はそんな単純なものではない。

初春が受けたのは思考操作というよりも――――思考汚染と称した方が正しい。
思考回路が根本から改竄され、制限されているのではなく、不可能になっているに近い。
魚に歌えと言っているようなものだ。蛇に空を飛べと言っているようなものだ。
初春には――白井黒子について熟考することは許されていない。

それはもはや初春飾利ではない、別の人物だ。
そして、そうしてくれと頼んだのは――白井自身に他ならない。

――――一人殺すも、二人殺すも、皆殺しにするも同じ事。

もう白井にはそんな基本的な自制すらなく、ある種の達観を得ていた。
誰彼構わず殺したいという殺人鬼めいた欲望ではない。
ただ単に、そう、殺人を一つの手段として考える程度にどうしようもなくなっているだけだ。

それに何より――白井は他の全てを、自身すらも捨てると決めたのだ。



947:以下、三日目金曜東Rブロック59Aがお送りします:2010/12/13(月) 21:54:23.02 ID:Nsbr0BAo

「佐天さん、わたくしの言っている意味が分かりますわよね。
 ええそう――初春を苦しめたくなければわたくしの事を隠蔽しなさい。
 何、簡単な事ですのよ。初春に誰かが白井黒子について問い詰めたりしないように見張る程度でいいんです。
 そうすれば全ては平和なままですの。あなたもわたくしも、初春も、皆が得をする。いい話でしょう?」

――相手の感情を逆手に取って、我ながら実に嫌らしい。

微笑む白井。その笑顔はまるで人形のように作り物めいていて。

「――――――」

佐天は白井に向けていた恐怖に揺れる瞳を、ぎこちない動きで初春へと向ける。
視線は下へ。首を僅かに傾げるような動きで左に。
そこには初春の苦しげな顔があって――。

同時に、その向こうにあるものが目に入る。

「――――――っ!!」

息を呑む佐天。
その視線の先を白井が目で追えば――何という事はない。自分の足があった。

「ああ……これですの? さっきちょっとミスをしてしまいまして。
 我ながら馬鹿馬鹿しいミスですが……もちろん、これも他言無用ですのよ?」

佐天は再び白井に向き直る。その顔は明らかに恐怖に染まり切っていた。
無理もない。彼女には白井の言っている意味も、その意図も分かりっこないのだから。
だが何となく、この先の佐天と初春の辿る道は予感していたのだろう。
白井との繋がりを完全に消し去るまで、初春が今のような状況に陥る可能性は消えない。

まがりなりにも初春が受けたのは超能力者の精神操作だ。
呪いに近いそれは取り除くのは難しいどころか、そういう構造に作り変えられてしまっている以上は同じように元の状態に作り直す必要がある。
学園都市といえども精神などという曖昧なものを具体的に、かつ精密に操作する事が可能な技術はおろか、第五位に匹敵する精神感応系能力者がいるはずもない。

つまるところ初春の受けた精神操作を完全に除去する事など不可能なのだ。

施術者はその内効果が切れるとか言っていたが、それがどれほどのものなのかとは明言していない。
一週間かもしれないし、一ヶ月かもしれない。一年か、もしかするとそれ以上か。
それに彼女の事だ。そんなものは初めからなくて、平気な顔で大嘘を吐いていた可能性すらある。
正直なところ白井自身にも分からなかったのだ。



948:以下、三日目金曜東Rブロック59Aがお送りします:2010/12/13(月) 22:01:23.35 ID:Nsbr0BAo

だがそれを佐天に教えてやる必要もない。
永久にそのままだと勝手に勘違いするならそれでいい。
どうせ後からばれたところで彼女は何もできやしない。

初春はもう二度と白井の事を考える事ができない。
もししてしまえば今のように錯乱した末に昏倒する事となるだろう。
その事がどれだけ彼女の精神に負担をかけているかは言うまでもない。

それが嫌なら、初春に誰かが白井について考える事を強要しないかどうか常に気を付けて――怯えていろ、と。

「もうすぐここに警備員の方々がくると思うんですが。ああ、どうしてかは聞かないで下さいね?
 もちろん、その人たちにも内緒ですのよ。初春が大切なら、分かってくださいますよね。……よろしい?」

念押しにもう一度微笑んでやる。
佐天は恐怖に凍り付いた表情のままで返事はなかったが、まあ大丈夫だろう。

掴んでいた襟を放し、白井は立ち上がろうとして、足が折れていた事を思い出す。
不思議な事に痛みすらもすっかりと忘れていた。

誤魔化すように、はあ、と溜め息を吐いた。

「それではさようなら、佐天さん。もう二度と会わない事を願ってますの。
 くれぐれも……初春をお願いしますわね」

笑顔のままそう言い放ち。

「白井さんっ…………!」

ようやく発せられた佐天の声を無視し、ひゅん、と空気の掠れる音と共に白井の姿は消え去ってしまった。

後に残された佐天は、気絶したままの初春を抱いたまま呆然と虚空を見詰めるしかなかった。

……遠くから装甲車の群れの立てる物々しいエンジン音が聞こえてきた。



――――――――――――――――――――



949:以下、三日目金曜東Rブロック59Aがお送りします:2010/12/13(月) 22:04:42.76 ID:Nsbr0BAo

ふーっ、ふーっ、という荒い息が嫌に耳につく。
街の光も届かない、小さな切れかけの蛍光灯がちかちかと明滅する路地裏の壁に片手を突き、白井は膝を折り蹲っていた。

初春と佐天の元を離れ、数回空間を跳躍した直後、ようやく思い出したように右足が猛烈な痛みを放った。

堪らず白井はその場に崩れ落ち、それから一歩も動けずにいた。
意識は激痛と熱に朦朧としている。足は元から役立たずそのものだし、沸騰した脳では能力を使用するにもまともな演算もできない。
やってやれない事もないだろうが、狭い路地だ。左右の壁にでも突っ込んだら目も当てられない。
今の自分なら失敗しないだろうとも思うが矢張り危険な事には変わりな――――。

「うぐ……ぇ……」

吐き気にも似た倦怠感が唐突に襲い掛かった。
思考が一気に白濁する。それは大熱を出して寝込んだ時の感覚に近い。五感がまともに用を成さず、ごうごうと耳鳴りが酷い。
平衡感覚すら失われ、自分の体がどこを向いているのかも分からなくなる。
僅かに感じる地面の感触は足部だけで、まだ辛うじて倒れていない事だけは理解できた。

「……うえぇ……、……」

何もないのに目からは涙が溢れてきた。嫌な味の唾が口の中を濡らす。
直感的に拙いと悟る。だがどうにかしようにもその具体的な方法が分からず、考えるだけの余力もない。

ふらりと、体が傾いだ。
しかし白井にはもはやそれを感じ取れるだけの思考も残っていなかった。

(こんな――――で――――訳には――――)

意識は急速に落下してゆく。

だが完全に途切れるその直前。

白井の朧気な視界の端で何かが動いた気がした。

「――――、――」

そして白井の意識はふつりと糸が切れるように失われる。

どさり、と人の体重の作る音が狭い路地に響いた。



950:以下、三日目金曜東Rブロック59Aがお送りします:2010/12/13(月) 22:07:11.43 ID:Nsbr0BAo

「………………」

じゃり、と靴底が砂を噛む音。

いつのまにか白井の横には人影が立っていた。

その人物はしばらく無言のままで地に伏した白井を見下ろしていた。



そして、にぃ――と口の端を吊り上げて楽しげ笑い、それから口笛を短く吹いた。










「いいもんみーっけ。昼もだけど、今日の俺って結構ツイてるんじゃねぇ?」



――――――――――――――――――――



951:以下、三日目金曜東Rブロック59Aがお送りします:2010/12/13(月) 22:10:34.21 ID:Nsbr0BAo

家具のない、大きなベッドだけがぽつりと置かれた部屋。
強い風の吹く屋外とはうってかわって室内は空調によって暖かさに包まれていた。

だが辺りにはゴミが散乱していた。その大半はコンビニなどで売られている出来合いの加工食品のパッケージだ。
それは一体何日分のものだろうか。そこから発生したすえた臭いが部屋に満ちている。

ベッドの脇、カーテンの隙間からは街の光が差し込み、けれど確かに夜闇に包まれた部屋の中、少年はうずくまったまま動こうとはしなかった。

「――――大丈夫だ。大丈夫だ」

言い聞かせるように、同じ言葉を繰り返し呟く。
ベッドに背を預け、少年は床に直接腰を降ろしていた。
ともすれば折れそうな細い体を抱き締め、少年は囁き続ける。
濁った、静脈血のような錆色の目に力はなく、血だまりのように揺れていた。

「大丈夫だ――オマエは俺が守るから――」

抱き締めた矮躯に力を込める。そっと、壊してしまわぬように。けれど。

「………………」

「あァ――心配すンな。オマエは俺が、守る」

答える声はない。
彼の腕の中、少女が虚ろな瞳を虚空に投げかけていた。
十歳ほどの、年端も行かない少女だ。
首は僅かに傾げられ、少年の胸に当てられている。その上から少年の腕に支えられるように優しく抱き締められていた。
繰り返し、語りかけるように同じ言葉を呟き続ける少年の胸の中、少女はぴくりとも動きもせずその身を任せていた。

瞳に意思の色はない。ともすれば簡単に折れてしまいそうなほど細い手足をまるで壊れた人形のように重力に任せたまま放り出している。
部屋は暖かいといっても彼女の着ているものは見るからに寒々しいものだった。
淡い空色のキャミソール一枚。下着として作られた薄手のものだ。柔らかい生地の所為か、見るからに皺が目立っている。

薄く開いた少女の口。その端から、つ――――と何かが垂れた。
少年はそれに気付かない。ぶつぶつとうわ言のように同じ言葉を繰り返し続ける。
それはゆっくりと顎を伝い先端に溜りを作る。少しずつ肥大していく滴はやがて張力に耐え切れなくなって――。

ぽたり、水滴となって少年の腕の上に落ちた。



952:以下、三日目金曜東Rブロック59Aがお送りします:2010/12/13(月) 22:13:04.33 ID:Nsbr0BAo

「、――――――」

動いていた口が止まり、少年は濁った視線をゆっくりと自分の腕へと向ける。
そこには透明な滴が歪な円を描いていた。

「………………」

「あーあァ……ったく、仕方ねェなァ」

口調は乱暴だがその声はどこか優しげだった。
少年はベッドの上からシーツを手繰り寄せ、それを握り少女の口元へと押し付ける。
そのまま何度か撫で擦るように動かし、手を離すと少女の顔をしげしげと眺め、やがて満足そうに頷いた。

「よし、綺麗になった」

「………………」

虚ろな瞳の少女は何も語らず、少年の声すら届いているのか分からなかった。

その時だ。ぴ、と小さな電子音が鳴った。
それはこの部屋の扉、マンションのオートロックの鍵を外すカードキーを感知した音だ。

――――がちゃ、

扉が開く。少年のいる部屋と短い廊下で繋がれた、室外とを繋ぐ大きな扉だ。
無造作に開かれたその先から冷たい外気が流れ込んでくる。
風と共に入ってきたのは――。

「…………オマエか」

「こんばんは。……とりあえずその手に持った物騒なものを降ろしてくれませんか、とミサカは懇切丁寧にお願いします」

中学の制服、ブレザーを着た少女だった。
少年の腕の中にいる少女と気持ち悪いほど似た、彼女をそのまま成長させたかのような顔立ちの少女。
額には軍用のものだろうか、端正な顔の少女には似合わぬ厳しいゴーグルが付けられている。
少女は玄関で靴を脱ぐと、遠慮する素振りもなく慣れた足取りで部屋へと上がってきた。

「……何しに来やがった」

少年は不機嫌さを隠しもせず右手を下ろす。
その内にはいつのまにか黒光りする合金の塊――拳銃が握られていた。

ごとり、と放り出された拳銃が立てる物々しい音と少女が足を止めるのは同時だった。
少女の胸元で小さな音を立て鎖が揺れる。

「一つ、報告すべきかと思いまして、とミサカはメッセンジャーとしての使命を遂行します」



953:以下、三日目金曜東Rブロック59Aがお送りします:2010/12/13(月) 22:15:53.64 ID:Nsbr0BAo

「――――――」

少年の顔が一段と険しくなる。
そんな顔色の変化は暗闇に紛れて見えていないのか、少女は気にする様子もなかった。

「本日四名のミサカが死亡しました、とミサカは簡潔に事実を伝えます」

「なン……っ!?」

その言葉に少年は思わず絶句するが、少女は意にも介さず淡々と言葉を続ける。

「死亡したのはミサカ一〇〇三九号、一三五七七号、一八四一三号、一九〇九〇号の四名です。
 ちなみにこれからもその数は増えるかと、とミサカは予想します」

「どういう事だ……っ!」

激昂する少年。しかし少女は相変わらずの妙に冷めた視線のまま、僅かにその先を下げる。
そこには少年の胸に体を預ける自分と似た顔の、自分よりも幼い少女がいる。

「……本日十七時ごろ、ミサカ一八四一三号が超能力者第二位、垣根帝督と接触。交戦の末に自害しました。
 さらに同時刻、一三五七七号が暗部組織『スクール』構成員、砂皿緻密によって射殺されています、とミサカは簡潔に事実を述べます。
 一〇〇三九号、一九〇九〇号は先ほど超能力者第四位、麦野沈利と接触後、通信が途絶。死体の確認は取れませんが恐らく死亡しているものと思われます、とミサカは客観的に推察します」

「そンな事を言ってるンじゃねェ……!」

低く叫び、少年はつらつらと連ねられる事務的な報告を遮った。

「どうしてそンな事になってる!
 オマエらが死ぬ理由なンて、アイツらと戦う理由なンてねェだろォがっ!!」

「いいえ、あります。でなければわざわざ集団自殺のような真似などするはずもありましょうか、とミサカは即座に否定します」

「っ……だったらどうして……!」



954:以下、三日目金曜東Rブロック59Aがお送りします:2010/12/13(月) 22:20:17.27 ID:Nsbr0BAo

少年の顔は暗くてよく見えない。だが少女にはそれがどんなものか想像できた。

きっと今まで誰にも見せた事もないような、今にも泣きそうな顔をしているだろう。
最強と言われた少年が、誰もがその足元にも及ばなかった少年が。
悲痛に顔を染め哀願するような瞳でこちらを見詰めているだろう。

嘘だと。悪い冗談だと言ってくれと。
きっと悪夢にうなされ母親に縋りつく幼子のような目をしている。

「…………、……」

できる事なら嘘だと言ってやりたい。冗談だと笑ってやりたい。
だが、今告げた事は確然たる事実なのだ。どれだけ悪夢的なものであれ、既に起こってしまった過去なのだ。
それを否定するなど誰にもできるはずもない。

だからせめて、真実を伝えよう。



そして彼女は真実を告げた。










「          」



955:以下、三日目金曜東Rブロック59Aがお送りします:2010/12/13(月) 22:23:16.23 ID:Nsbr0BAo

……少年の顔はよく見えない。

短くない静寂が流れた。
しん――と耳鳴りが聞こえるほどの静けさの後、少年はゆっくりと口を開く。

「なンだよ……なンだよそれはよォ……」

耳に響く声は震えていた。
かつて一度でもこんな弱々しい声を聞いた事があっただろうか。

少女が――少女自身が始めて少年と相対したあの日。圧倒的な力の片鱗を見せたあの少年の姿はそこにはなく。
目の前にいるのはまるで、初夜のベッドで震える処女のようだった。

「クソっ、クソッタレェ……ちくしょう、何がどう狂ってこンな……」

「……きっと、何もかもが」

少女は踵を返し少年に背を向ける
きっと暗くて見えないからといって、視線を投げ掛けられたくないはずだ。

「何もかもが、悉く狂ってしまったのです。
 歯車一つの喪失で動きを止めてしまう時計のように、とミサカは呟きます」

その返答に少年はどんな顔をしているのか。

「…………それでは、ミサカもそろそろ参ります。
 まだやらねばならぬ事が残っているので、とミサカは用事を済ませるや否や退出します」

「………………」

応えは、ない。

少女は、ふ、と小さく息を吐き、そろそろと歩き出す。
つい先ほど歩いた短い廊下を今度は逆に進み、玄関口で靴を履く。
靴の傷むのも気にせず爪先をとんとんと打ち付け踵を押し込むと、少女はドアノブに手を伸ばし――。

「……決断するならお早めに。時間はもう余り残されてはいません、とミサカは最後に余計な一言を残して颯爽と去ります」

返事を待たず少女は扉を小さく開き、その隙間をするりと抜けるように外に出ていった。

「………………」

後には再び静寂。
いや、吐息が微かに響いている。

しかし腕の中、少女は相変わらずの瞳を虚空に投げているだけだった。



――――――――――――――――――――



956:以下、三日目金曜東Rブロック59Aがお送りします:2010/12/13(月) 23:31:42.59 ID:Nsbr0BAo

少女は声の一つすら出せずにいた。

今、自分の前にいるのは確かに探していた人物に他ならない。
だがそれは言うまでもなく、こうして数メートルもない距離で、密閉された狭い空間で相対する事を思っての事ではない。

エレベーターの数メートル四方の狭い空間内で、ドレスの少女は彼女と二人きりに閉じ込められた。

少女の背はエレベーターの冷たい壁面にべったりと押し付けられている。
思わず後退りをした結果だった。体重は完全に後ろへ向けられ、足も体を後ろへ押し出そうと床を前へと踏みつけている。

狭い箱の中を照らす灯火が瞬きをするように明滅し、がくん、と大きく揺れが走った。
ほぼ同時にモーターの音が消えエレベーターは完全に停止する。

「あれー? どうしたんだろ、止まっちゃった」

彼女はどこか陽気な声で白々しい言葉を吐く。考えるまでもない。彼女の仕業に他ならない。
電子機器を完全に統制する彼女の異能によって強引に本来停止するべきでない場所で停止させられたのだ。

目の前、白い無機質な光に照らされた人物。

短い髪に花を模した髪飾り。
どこか気品をばら撒いているようなブレザーとチェックのスカート。
その上から羽織った、彼女の丈に合わない生地が痛んでいる事が一目瞭然の黒い上着が妙に異質だった。

学園都市の七人の超能力者、その序列第三位。
電磁を操る『電撃使い』の頂点に君臨する、名門常盤台中学に籍を置く少女。



『超電磁砲』、御坂美琴。



それが今まさに目の前にいた。



957:以下、三日目金曜東Rブロック59Aがお送りします:2010/12/13(月) 23:35:01.48 ID:Nsbr0BAo

しかし彼女の様子はどうにもおかしい。
余りにも場の空気とギャップがありすぎるのだ。
まさかまたフレンダ――『心理掌握』の仕業か、とも勘ぐるが。

「ねえ、どうしたの。顔色悪いわよ」

振り返る顔は、確かに御坂美琴のものだ。
『心理掌握』の力がどれほどのものかは知らないが、覚醒した状態の相手に対してこれほどまでに強い精神操作ができるだろうか。

そもそも自分は御坂美琴という少女と直接接した事がない。
顔写真は見たが本人を見ていないのだ。声も知らなければ雰囲気も知らない。
そういう『まったく知らない相手』を直接相手の脳に投影する事ができるだろうか――?

先ほどの青い髪の少年の幻影はフレンダという基礎部分があっての事だ。
彼女の声や動きの認識を改竄されていたに過ぎず、大雑把に言ってしまえば錯覚していただけに過ぎない。

『心理定規』の能力は同系列能力からの干渉を知らせてはいない。
錯覚程度ではなく、人一人分の虚像の投射ともなれば余程の干渉が必要だ。
いくら何でもそれほどの力ならば察知できないのはおかしい。

それに――――彼女の着ているその黒い上着。
彼女を構成する要素の中で唯一浮いたパーツ。
錯覚させるにしてもわざわざそんな違和感でしかない余分な要素を入れる必要などない。





常盤台というブランドを纏う少女と対極に位置する、そこら中にありふれた学ランなど異質以外の何物でもない。





断言する。目の前にいるのは正真正銘の――『御坂美琴』本人だ。

ざあああ、と血の気の引く音が聞こえた気がした。
眩暈すら覚える。目の前にいるのは中学生の少女でしかないのに、飢えた猛獣の檻に入れられるよりも大きな恐怖が彼女の身を苛んでいた。



958:以下、三日目金曜東Rブロック59Aがお送りします:2010/12/13(月) 23:38:29.79 ID:Nsbr0BAo

「ちょっと、聞いてるの?」

そんなドレスの少女の様子を気にする様子もなく彼女――御坂は対極的に妙に明るい笑顔でそう問うた。

学ランのポケットに左の手を突っ込んださり気ない様子。
それはまるで長閑な午後に談笑しているような雰囲気さえする。

だがそれは異常そのものでしかない。
ここは停止したエレベーターの箱の内で、相対しているのは暗部組織の構成員だ。
この状況と、この相手で。悲劇が起こらないはずがないのだ。

狭い立方内の空気は淀んだ沼の水のように冷たく濁っていた。
そんなものが充満している中で、御坂は飄々とした雰囲気を崩さず少女に笑みを向ける。

「アンタ、名前なんていうの?」

答える代わりにドレスの少女は反射的に自身の能力を行使する。
恐怖と混乱によって一種のパニック状態に陥った少女は自分の能力が相手に通用しないと分かっていても発作的に使用してしまった。

御坂の顔に向けて押し出すようにばっと右手を伸ばし、同時に編み上げた演算式によって彼女の精神に干渉する。
精神の中での他者との関係図。そこを直接覗き込む。白井の時のような躊躇いを感じる余裕もなかった。
タグに付けられた名前は感情の向けられる先を示す。その感情の性質は分からないものの名前からある程度は推測できる。
その中でも中心に最も近いタグを三つ抽出する。都合のいい事にどれも見覚えのある名だった。





『一方通行』 距離単位:三二

『白井黒子』 距離単位:二五

『上条当麻』 距離単位:一〇



961:以下、三日目金曜東Rブロック59Aがお送りします:2010/12/13(月) 23:41:38.55 ID:Nsbr0BAo

「っ――――!」

迷わず『上条当麻』を選択。それを基準に己に対する距離を改竄、上書きする。

側近ともいえる白井よりも、仇敵ともいえる『一方通行』よりも上位に位置する名。
データでは『TOP SECRET』の字でしか表記されていなかったとはいえ、字面である程度は見当は付く。

超能力者である『一方通行』でもプロフィールが伏せられていなかったという事実。
間違いなく『彼』は学生だ。そう、この街は学園都市。学生の、異能を持つ者のための造られた箱庭だ。
その中で最重要である人物が学生でないはずがなかった。

男性名。そして学生。

間違いなく相手は御坂が思慕の念を抱いている相手だ。

どこか馬鹿らしくすらある。御坂美琴も結局のところ単なる恋する乙女だったのだ。

――――『COMPLETED』

距離設定は呆気なく終了した。

(…………あれ?)

何かぬるりとした違和感。そう、あまりにも呆気なさすぎた。
何一つ障害も抵抗もなく、能力の行使と実行に成功してしまった。

……考察は後回しでいい。今は現状を脱出する事が先決だ。
幸いな事に相手への能力干渉は成功したのだ。御坂は自分を傷付けられないはずだ。当面の安全は確保され

「――――聞いてるのよ、ねえ。返事くらいしなさいよ」

ばちん、と空気が爆ぜ紫電が舞った。



962:以下、三日目金曜東Rブロック59Aがお送りします:2010/12/13(月) 23:46:11.90 ID:Nsbr0BAo

「ぎあっ――!?」

痺れではない。明確な痛みが体を貫き少女は思わず悲鳴を上げた。

短い空間を瞬間で走り抜けた電流は鎌首をもたげる蛇のような光の軌跡を描き差し出された少女の右手に喰らい付いた。
雷蛇は右の人差し指から体内に入り込むと血液の流れに乗り腕を内側から蹂躙する。
びくんと意識とも無意識とも無関係にひとりでに右腕が跳ねる。
神経を伝達する生体電気の信号を誤認した筋肉が反射を起こしひとりでに収縮したのだ。

「あ、ごめんね。痛かった?」

そんなドレスの少女の様子を見て御坂は、言葉の持つ意味とは裏腹に悪びれる様子もなく笑顔のままそう言った。
まるで気心の知れた友人を相手にちょっとした悪戯を誤魔化すようだった。

「どうして――私の『心理定規』が――今のアンタと私の距離単位は、一〇だっていうのに――」

明らかに想定とは違う反応。
そして、そもそもの疑問。



彼女はどうして自分=上条当麻に対して能力を攻撃の意味で行使できる――!?



(まさか――コイツは――御坂は――)

最悪な予想が脳裏を掠める。

(元から上条当麻に対する能力の使用に一切の躊躇いを持たない――!?)

唐突に。パズルのピースがかちりと嵌った気がした。
御坂はおろか、垣根や、そしてあの『一方通行』よりも上位の機密レベル。
七人の超能力者以上のトップシークレット。その理由。

上条当麻は能力を消去、無効化、ないし妨害する能力者だ。

能力者にとって天敵。
相手のアイデンティティを根本から否定する、破壊でも制圧でも蹂躙でも服従でも侵略でも統制ない力。
相手の『自分だけの現実』を全否定する最悪の異能。

それは原因も結果も過程も思想も無視して相手を一方的に全否定する『弾圧』だ。



964:以下、三日目金曜東Rブロック59Aがお送りします:2010/12/13(月) 23:52:29.77 ID:Nsbr0BAo

(拙い――――!)

このままでは何の抵抗もできず殺され――、

(――て、堪るもんですか――!)

自分にはまだ成すべき事も、意思も、そして往くべき場所がある。
立ち止まってなどいられない。一時一時ですら無駄になどできない――!

(距離を再設定……無茶を承知で更に距離を縮める……!)

現在の自分と御坂の間の心的距離は距離単位一〇。行動原理に直結するほどの近すぎる位置だ。
一挙手一投足にすら反応させるほどの圧倒的な存在感を発揮する『近過ぎる』距離。

それは危険極まりないものだ。些細な仕草や言葉遣いでさえ彼女の感情を左右し、時には逆鱗に触れかねない。
近過ぎる距離は感情の大きさを反比例させる。近ければ近いほど人は盲目になる。
乙女心と秋の空、とはよくいったものだ。それが正の感情であればいいが、人は気紛れな生き物だ。簡単に負の感情を抱く。

だがそれを理解した上で、更に短い距離を設定する。



――――設定――――距離単位:六

――――『COMPLETED』



距離を一気に半分近く詰める。
距離単位六。それは嫌でも意識してしまうとか、そんな生易しい域を越えている。
思考が対象に塗り潰されて他の事が考えられなくなるほどの距離だ。相手への感情に思考は制圧され他の事が考えられなくなる。

例えば好意を持っていたとして。
相手の事が好きで好きで好きで好きで好きで好きで好きで好きで好きで好きで好きで好きで好きで好きで好きで好きで好きで好きで好きで好きで好きで好きで好きで好きで好きで好きで好きで好きで好きで好きで好きで好きで好きで好きで好きで好きで好きで好きで好きで好きで好きで好きで好きで好きで好きで好きで好きで好きで好きで好きで好きで好きで好きで好きで好きで好きで好きで好きで好きで好きで好きで好きで好きで好きで堪らない。そういう距離だ。

思考に肉体は捕らわれ思考のままに行動する他になくなる。思考すら許されない。
直感的な反応によって行動は全て決定されてしまうほどに『頭が働かなくなる』。
まともな思考ができないのであればまだ活路はあるのだ。
何、能力などなくとも心理操作などは自分のような精神感応系能力者の独壇場だ。口八丁でどうにでもできる。

だが現実は彼女の思惑通りには動かない。

こつ――――と、靴音。

御坂が一歩、こちらに向けて歩みを進めた。



966:以下、三日目金曜東Rブロック59Aがお送りします:2010/12/13(月) 23:54:16.10 ID:Nsbr0BAo

「っ――――――!」

どうして、と。驚愕と混乱が少女の思考を埋め尽くす。
少女には訳が分からなかった。能力が効いていない訳ではない。
確かに設定は完了している。自分の相手の精神距離を操る能力はきちんと効果を発揮していて。

なのに何故、どうして彼女は――――。



――――――先程までとまったく変わらぬ様子で笑っていられる――――。



「何? 私の顔、何か付いてる?」

そう彼女は相変わらずの左の手をポケットに突っ込んだままの格好で、無邪気な笑顔をこちらに向けてくる。
余りにも場違い。余りにも異質。どう考えても異常そのものでしかない笑顔。
まるでそれは感情と完全に乖離してしまった笑顔の仮面だ。

ひ、と喉が引き攣る音を出す。
今や正常な思考が出来ていないのは少女の方だった。恐怖と混乱、狭い密室内に異常なモノと二人きりで閉じ込められてしまっているという事実。
状況が、世界の全てが少女を錯乱に陥れていた。

そんな少女の恐怖に歪む顔をまったく顔色を変えずに御坂は見詰める。

「ふうん? どうして能力が効かないか不思議?」

――そんなはずはない――!

確かに自分の異能は効果を発揮している。失敗しているのならそうと分かる。
そして確かに御坂は自分の術中にいるのに――。

「なんでだと思う? 問題にもならない簡単な事よ」

少女に声は届かない。錯乱しきった少女は目の前の現実を否定するように更に能力を上書きする。

――――設定――――距離単位:四

――――『COMPLETED』



967:以下、三日目金曜東Rブロック59Aがお送りします:2010/12/13(月) 23:56:39.22 ID:Nsbr0BAo

確かに設定は完了した。
……なのに御坂の様子は変わらない。

こつ、とまた足音。

一歩、一歩と彼女が近付いてくる。

「脳の中の神経細胞間の伝達信号を操って自分の意思を操作してる? ハズレ」

――――距離単位:三

……一歩。

「それとも最初からアンタの能力にダミーを噛ませて回避してる? ハズレ」

――――距離単位:二

……一歩。

「なんかミサカネットワーク? っていう便利な代物があってね。
 それと接続して遠隔操作? とかしてたりして。
 もしかして一万近い相手に全部距離設定しなくちゃいけない? ――――ハズレ」





――――――設定



――――――距離単位:一



――――――『COMPLETED』





………………一歩。



968:以下、三日目金曜東Rブロック59Aがお送りします:2010/12/13(月) 23:58:21.32 ID:Nsbr0BAo

もう吐息が感じられるほどの距離。ともすれば相手の心音すら聞き取れられそうだ。
だがドレスの少女には、己の早鐘のような鼓動に掻き消されそれらは聞き取れなかった。

視界のほとんどは御坂の顔と体に埋め尽くされている。
恐怖に目を閉じる事すらできず、ただただ凝視するしかない。
目からは涙が零れるがそれはどうしてだか視界を覆い隠してはくれなかった。

そんな少女に御坂はまったく変わらぬ様子で、まるで仲のいいクラスメイトにでも語りかけるような口調で柔らかく微笑み。

「簡単な答えよ。そうね、アンタ風に言うなら――――私とアイツの距離単位は、ゼロ」

言い、御坂は右手を高速で突き出し、がっ! とドレスの少女の頭を鷲掴みにした。
同時に体に電流が走る。びくん、と全身が痙攣する。……だが不思議と痛みは感じなかった。

「ア――あ――」

少女はそれから背を壁に当てながらもずるずるとへたり込んでしまう。
意識はある。だが痛覚どころか、体の触覚がない。
全身が麻痺してしまったかのように肉体がいう事を聞かず実感が失われてしまった。

「――ねえ。話は変わるんだけどさ」

声の調子とは裏腹に手には目一杯に力が込められている。
後頭部がエレベーターの壁面に押し付けられ、ごりごりと嫌な音が頭の中で木霊した。

一呼吸置いて御坂は続ける。

「脳ってさ、極論言っちゃうと、神経細胞が生体電気に反応してるだけよね。
 ゴルジ体とかニューロンとかシナプスとか、そういうのは専門外だからあんまり分からないんだけどさ」

「――――――」

何を――――。

彼女は何を言っているんだ――――?

彼女の言っている意味は分かる。むしろ専門分野だ。
だが彼女は、どういう意図を持ってその話を出した――?



969:以下、三日目金曜東Rブロック59Aがお送りします:2010/12/14(火) 00:01:10.52 ID:/aDkuUwo

「えっとね、何が言いたいかって言うとね、うん。えへへ」

照れ笑い。が、御坂の表情はすぐに曇る。

顔を顰め視線を上へ。
まるで頭の周りから離れない羽虫を目で追うように虚空を泳がせ。

「ああもう、やっぱり鬱陶しいわねこれ。
 効かないって分かってるけど、アンタがその……距離単位? にいるのは癪だし」

不機嫌そうにそう言い放つと、御坂は首の関節を鳴らすように左右に軽く振り。

ポケットから抜いた左腕を掲げ五指を広げると、自分の頬に叩き付けた。

「――――――!」

甲高い破裂音。ばぢん、と何かが爆ぜ割れる音。
そんな破壊的な音なのに、彼女はどこか満ち足りた表情で目を細める。

「ん、これでよし」

柔らかな笑顔。しかし可愛らしい顔にはまるで似合わない手が覆い被さっている。
指は大きく開かれ、親指はまるで目を抉ろうとしているかのようだ。
人の肉で出来た半面を被っているかのような奇妙な顔。

親指と人差し指の間から覗く左目はもう片方と同じく笑っている。
それはどこか醜悪に思えて――――、

(………………え?)



970:以下、三日目金曜東Rブロック59Aがお送りします:2010/12/14(火) 00:03:32.31 ID:/aDkuUwo

また奇妙な違和感。
何かがまた――ちぐはぐだった。

だが何がそうなのか、瞬時には分からない。
そう、余りに自然だった。まったくの自然体でそれが現れたからで――。

「――――――!!」

息が、止まる。
思考が停止しかける。
心臓も止まるかと思った。

何が、何がおかしいのか分かった。分かってしまった。

確かにそれは分かり辛い。
けれど確かに、絶対的におかしいのだ。

「あ――――」

口が意思とは関係なく動いてしまった。
思考はただその事だけに集中していた。

信じられないし、信じたくなかった。
それはどうしようもなく歪で、醜悪で、認める事などできるはずもなかった。

「アンタ――それ――」

「うん?」

御坂は相変わらずの笑顔で聞き返してくる。
自然すぎる、そして歪んだ奇妙な笑顔を向け、僅かに首を傾げ――。

口が勝手に動いた。










「なんで――――その――――親指が前にあるの――――?」



973:以下、三日目金曜東Rブロック59Aがお送りします:2010/12/14(火) 00:08:16.75 ID:/aDkuUwo

「あ。これ?」

御坂は相変わらずの調子のまま、どこか誇らしげですらある顔で微笑み返し。

「――だから言ったじゃん。ゼロ、って」

その声と、顔に、今まで感じた事のない怖気が少女を襲った。
ぞぞぞぞぞぞっ!! と背筋を物凄い勢いで吐き気を催すな気配が這い上がり脳を焼き尽くす。

御坂の顔、向かって右側に押し当てられている、左腕。



その、手。









           、 、 、 、 、
それは――――右手だった。


. 、 、 、 、 、 、 、 、 、 、 、 、 、、 、
彼女の左腕には、右手が付いていた。










耐え難い現実に脳が拒否反応を示し凄まじい嘔吐感が溢れる。
だが体は――どうしてだかぴくりとも動かない。

「――あ、えっとね。んっと……私の、彼氏」

もはや少女には目の前にいるモノが怪物にしか見えなかった。
駄目だ。現実に、この悪夢のような光景に人の精神が耐えられない。
だが少女は気絶する事も発狂する事もできぬまま、ただ目の前の彼女を凝視するしかできなかった。
ふーっ、ふーっ、と荒い息だけが少女の動きだ。
瞬きをする事すらできず、ただじっ――――と見続けるしかできなかった。



975:以下、三日目金曜東Rブロック59Aがお送りします:2010/12/14(火) 00:15:44.15 ID:/aDkuUwo

そんな少女とは対照的に、御坂はやっぱり笑顔のまま。

「あ、話戻すけどさ。脳の話。電気信号よね、あれ」

一息置いて。

「じゃあさ――――私にも『それ』――――できるかなぁ――――?」

彼女の言葉の指す『それ』と。
『それ』の先にある結果は。

「や――――――」



――――垣根――――!!

「おやすみ、アリス」



優しく呟かれた言葉の直後。



少女の意識は真っ直ぐに暗い穴に
                     落ちて
                        落ちて
                            落
                             ち
                            て
                           落    
                          ち     
                        落て     
                     落てち       
                ち落てち          
             落て               
         落てち                     
       てち 
      落  
       ちて
         落ちて
            落ちて落
                 ち
                 て
               ち落
              て
               ……



976:以下、三日目金曜東Rブロック59Aがお送りします:2010/12/14(火) 00:17:16.19 ID:/aDkuUwo






「そうだ。一つお話を聞かせてあげる。つまらない、どこにでもあるような不幸の話」








977:以下、三日目金曜東Rブロック59Aがお送りします:2010/12/14(火) 00:18:13.94 ID:/aDkuUwo

――――――――――――――――――――

・第二幕
(或いは登場人物Aの解、とある少女の舞台証明)

『せかい』

Closed.

――――――――――――――――――――


御坂「名前を呼んで【前半】



転載元
御坂「――行くわよ、幻想殺し」
http://ex14.vip2ch.com/test/read.cgi/news4gep/1286443374/
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