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勇者「王様が魔王との戦争の準備をしている?」【その3】

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勇者「王様が魔王との戦争の準備をしている?」【その3】






613: ◆yufVJNsZ3s:2012/11/23(金) 13:37:29.03 ID:MLkB2vTH0

――――――――――――――――――

 大急ぎで進路転換、来た道を引き返しつつ新たなルートの構築、同時に到着までの所要時間の計算が急ピッチで行われる。俺はルート構築班に放り込まれ、速度のためいつもより揺れる馬車で地図とにらみ合っていた。

セクラ「谷間を抜けていくっていうのは?」

ディエルド「そこは山賊がいる。また、桟橋も古い。馬が通れるかはわからないな」

クレイア「王国の紋章を頂いている馬車を襲う山賊もいないと思いますが」

ディエルド「そうですね。しかし、それを抜きにしても、ここは危険かと」

 土地勘のあるディエルドが言うのであればそうなのだろう。

 地図の上では途中の分かれ道まで戻り、谷を抜けていくのが最もの近道だ。そうでなければさらに戻ってもう一つの街道をゆくしかない。
 ただし、時間はない。安全を支払って時間を買う選択が迫られているのも事実である。

 俺はクレイアさんを見た。最終的な決断をするのは彼女である。

 通信機から連絡はない。それが、果たしてよい意味なのか、それとも悪い意味なのかを類推することは、決して心によくない。俺は努めて平静を装うことにする。

クレイア「わかりました。谷間を抜けましょう」

 ディエルドの頬がぴくっと動いた、気がする。



614: ◆yufVJNsZ3s:2012/11/23(金) 13:37:55.68 ID:MLkB2vTH0

クレイア「山賊がいる? 結構。私はこの一団が山賊などものともしない武士-もののふ-であることを知っています」

クレイア「馬車が通れない? 結構。馬など捨てていきましょう。どうせ移動中の食料と飲料水しか積んでいません。一日二日程度なら、持つでしょう」

 谷間の強行軍、か。確かに馬車には大したものは積んでいない。所詮二十名ぽっちの遊撃部隊だ。多少根性を出せばできないこともないだろう。

セクラ、ディエルド「了解しました」

御者「そういうことでいいんですねぃ? ルート変更させてもらいますよ、っと!」

 御者は手綱を捌きながら、まっすぐ進んだのちに左へと曲がる。

 谷間を抜けるルートが採用されたことはすぐにほかのやつらにも伝えられた。一瞬驚きの顔があったものの、すぐに覚悟を決めた顔になる。これくらいでへこたれる面子を集めたわけもない。
 それにしても、このクレイアさん。優しそうな、ともすればなよなよしているふうに見えるけど、存外肝が据わっている。
 いや、肝が据わってなければ戦争には加担できないか。

 谷の入り口、平坦な均された道が終わりをつげ、勾配のある砂利道へと差し掛かった。俺たちはめいめい食料を背負い、武器を手にし、御者に別れを告げる。



615: ◆yufVJNsZ3s:2012/11/23(金) 13:38:28.35 ID:MLkB2vTH0

 全二十名による行軍。地図が正確で問題もなければ、一両日中にはつくだろう。

 道は狭い。それまで二列縦隊だったものが、一列になっても微かにきつい。
 右側は壁となっている。高い崖だ。左は斜面で、その先には沢が流れている。沢沿いを歩く限りにおいては水の心配はしなくてよさそうだが……。

セクラ「思ったより勾配が激しいですね」

ディエルド「そうだな。俺なんかは慣れたもんだが……」

 ディエルドは後ろを向いた。兵士はともかく、俺を除く儀仗兵はみんな息が上がっている。一時間も歩いていないというのに。これだからアカデミー育ちのお坊ちゃんは困るのだ。
 脳みそまで筋肉にしたいとは思わないが、体は資本である。例え儀仗兵であろうとも。それが戦争に参加するものならなおさらだ。

ディエルド「なんとかならないもんか?」

セクラ「回復魔法は俺使えないんですよねぇ。クレイアさんは?」

クレイア「私もです。が……まぁ、このままじゃあ進行に支障が出ますしね。仕方ありません」

 クレイアさんは懐から何かを取り出した。
 それは一見すると一枚の板だ。細かな模様が刻まれていて、恐らくそれは魔力経路であるようなのだが、俺にはその経路が何を示しているのかわからない。

 ぱきん。クレイアさんが指に力を入れ、それを追った。



616: ◆yufVJNsZ3s:2012/11/23(金) 13:39:08.80 ID:MLkB2vTH0

 空気がわずかに震える。

 不思議と体に活力の漲るのが感じられた。足元から熱量が、表皮ではなく体内を上っていく。血流に乗って。

 足元?

 視線を向けると、淡く光る魔方陣が展開されていた。橙色の仄暖かい光を放っている。
 理解した。これは陣地構築だ。

 クレイア・ルルマタージ。彼女を儀仗兵長の地位にまで高めたのは、その陣地構築の手腕に他ならない。瘴気を浄化し濁った水を透き通らせ、獰猛な獣や魔物からその身を守る、安寧の地。
 陣地構築にもさまざまな性質があるが、現在クレイアさんが構築したのは、自動回復の陣地だろう。クレイアさんを中心に展開する型の。

 なんだ、回復魔法が使えるんじゃないか。クレイアさんの中では、これは陣地構築魔法の扱いなのだろうか。

 陣地構築のおかげで大分俺も楽になった。山登り自体は問題ないが、これが続くとなるとさすがに骨だ。しかも山を越えるのが目的ではないのだから、疲労は少ないに越したことがない。
 後ろでもたもたしていた仲間の歩みも速度が上がる。なんとか時間通りに所定の位置までつくことはできそうだ。

 いくつもの勾配と桟橋を通り過ぎて、一際大きな木が植わっているそばに差し掛かったあたりで、日はとっぷりと暮れていた。本来のルートならばもうそろ着いているころだろう。



617: ◆yufVJNsZ3s:2012/11/23(金) 13:40:18.18 ID:MLkB2vTH0

 実際はあと一つ、山の麓を縫っていかなければならない。それでもあと五時間程度。眠気と疲れを押してもよいのだが、繰り返すように目的地へたどり着くだけではだめなのだ。

 俺たちは無事に目的地へとたどり着かねばならない。くたくたでは結局足手まといにしかならず、無駄死にだ。

 そういうわけもあって、現在はキャンプを張っている最中だった。魔法であっても万能ではない。飯の支度は必ず自分たちで行う。杖を振ればできたてほやほやが目の前に! という世界ではないのだ。
 無念。

 そうは言っても俺はこの時間が嫌いではなかった。もともと料理は得手のほうだったし、何より空腹を満たせる期待に胸が高まり、高鳴る。
 兵士としてはペーペーだが、戦場での楽しみが三度の食事位だというのはまったく同意だ。息もつかせぬ戦場の中において、唯一安らげるひと時がそれなのである。

 俺は笑みがこぼれるのを止められなかった。もうすぐだ。もうすぐで自由な時間が俺を待っている。解放の時が。

 今日の食事は銀シャリに携帯していた干し肉、野菜のスパイス炒め、そして偶然捕獲された猪である。干し肉と牡丹肉で肉が被っているが、なに、男だらけの部隊で困ることはない。
 猪を殺したのはディエルドである。でかい図体に似合わず手先も器用で、猪を弓でいるところから解体までを殆ど一人でこなした。人は見かけによらないものだ。

 す、と手が眼前を横切った。

セクラ「?」

 そのまま手は俺の右頬をがっしりとホールドし、力任せに手前に引いてくる。首が首が首が首が変な音を立てながら!

セクラ「なん――」

 大きくバランスを崩したの俺の眼前を、火球が通り過ぎる。



618: ◆yufVJNsZ3s:2012/11/23(金) 13:41:34.78 ID:MLkB2vTH0

 地面へ着弾したそれは食器類を粉々にしながら火の粉をまき散らした。威力は低い。しかし、その分数が多い。

 数が多いのだ。

 視界いっぱいに広がる火球と火球と火球!
 思考の暇すら与えてくれないほどの!

「敵襲、敵襲ぅううう!」
「全員剣を抜け! 円陣を組め!」
「山賊か!? にしては、くそ、魔法なんて使ってきやがって!」

クレイア「セクラくん、大丈夫ですか!?」

セクラ「ま、まぁ、なんとか。……ありがとうございます」

 どうやら俺を助けてくれたのはクレイアさんらしい。彼女はきっと闇の帳の降りつつある山中を睨みながら、陣地構築を再展開する。

クレイア「自動回復、身体能力向上、索敵結界、全部込みで陣地を構築しました。これで負けはない、はずっ!?」

 素っ頓狂な声を上げた。俺は視線で尋ねる。いったい何がどうしたんですか、と。

クレイア「聖騎士……っ」

 答えは迅速で、何より簡潔だった。



619: ◆yufVJNsZ3s:2012/11/23(金) 13:42:06.06 ID:MLkB2vTH0

 聖騎士。
 隣国随一の戦士集団を指して、そう言う。

 こちらの国ではおおよそ該当するのがクレイアさんや、先の戦争で亡くなったルニ参謀などだろう。個人の存在を作戦に組み込めるほどの逸材を、あちらでは総称して聖騎士と呼んでいる。
 白銀の鎧と武具を持った聖騎士は、確かにすばらしい武芸者なのだろうが、敵としては忌まわしい限りだ。

 それはつまり、懸念していた山賊ではないということである。クレイアさんはすぐにその情報を仲間へと伝えた。
 聖騎士という単語を聞いて、僅かに部隊の中に怯え、尻込みといった感情が伝播するのを、俺は見逃さなかった。恐らくクレイアさんも。

クレイア「なぜここに聖騎士がいるのか、そのようなことは後回しです! 総員密集陣形のまま退却! 殿は私が勤めます!」

クレイア「敵の規模も目的もわからない以上、戦闘を続けるのは得策ではありません! 早く!」

 言いながらクレイアさんは懐から一枚の板を取り出した。それを割りながら、呪文を詠唱する。
 ――呪文を、詠唱?

クレイア「東の最果て、南の滝壺、遍く生命の傍ら、飲み込むもの!」

クレイア「ザラキ!」

 ずん、と空気が――地面が、震える。
 俺の前方、進行方向から見ると後方、敵の攻撃源に向かって、巨大などす黒い魔方陣が現れている。



620: ◆yufVJNsZ3s:2012/11/23(金) 13:42:38.13 ID:MLkB2vTH0

 思わず吐きそうになった。

 なんだ、なんだあれは。
 あれもまた陣地構築だというのか? そんなの俺は認めない!

 魔方陣から溢れ出す瘴気。死臭。地面もまたぶすぶすと黒く変色していって、その上にある木々や大岩を、全てその暗闇の中に飲み込んでいく。
 聞きなれない悲鳴が合奏していた。

 僅かに遅れて、倒れる音。

セクラ「今のは……?」

クレイア「……生命を、冒涜する呪文です」

 クレイアさんはそれだけ言った。

 殿を務める俺たちの先では、仲間が層になっていた。見れば既に敵に回り込まれている。
 いや、初めからこれだけの数がいたのか?
 だとしたらご苦労なことだ。

 視界の端が明るくなる。
 反射的に体を捻って、火炎弾を光源へと叩きつけた。が、俺は大きな勘違いをしていた。光源はただそこにあるのではなく、迫ってきていたのだ。



621: ◆yufVJNsZ3s:2012/11/23(金) 13:43:05.26 ID:MLkB2vTH0

セクラ「くっ!」

 陣地構築で身体能力が向上していたのは僥倖だった。超高密度の魔力体であるそれをぎりぎりで回避し、俺は続けて火炎弾を叩き込む。
 確かに魔力の減りが遅い。いつまでも戦え続けそうだった。

 炎の燃える中から現れたのは、一人の白銀と、配下の部下。

聖騎士「クレイア・ルルマタージ……まさかこんなところで出会うとは」

クレイア「その声、イクシフォン・ドロッドですね」

 声の主――どうやらイクシフォン・ドロッドというらしい――は、しわがれた声を大きく揺らした。

イクシフォン「こうなったのも神の采配よ。戦争には、邪魔だ。死んでもらおう」

 魔力の粒子が敵の体から噴出する。それを見て、クレイアさんも俺も体を強張らせた。

クレイア「セクラくん、あなたはあっちと合流して」

 敵から視線を外さずにクレイアさんは言った。逡巡するも、確かにそちらのほうがよさそうだと判断した俺は、頷くだけして踵を返す。

クレイア「いつかの裏切りの借り、返してもらいますよ、伯父さん」

 最後にそれだけが聞こえた。

 後ろ髪を引かれる思いで走る。交戦場所に辿り着くまではすぐだ。人数はあちらのほうが多く、それでなくても登山を経てのこれである。当然のように押されていた。



622: ◆yufVJNsZ3s:2012/11/23(金) 13:44:10.13 ID:MLkB2vTH0

セクラ「退けろ!」

 杖を振る。炎が夕闇の迫る空間をぱっと照らし、敵兵へと襲いかかる。

ディエルド「遅いぞっ」

セクラ「クレイアさんが聖騎士と戦ってます。こちらを片付けて向かわないと……」

ディエルド「お前はあの人が聖騎士に負けると思ってるのか」

セクラ「いえ、そうではないですが!」

ディエルド「後のことを考えるな、今のことだけ考えろ。そうしなきゃ一秒後も危ない」

 戦斧が一閃。敵兵を鎧ごとぶった切って、嫌なにおいが鼻をつく。
 死の臭い。血の臭い。何度嗅いでもこれだけは苦手だ。

 斬撃、斬撃、斬撃!

 刃と刃がぶつかって火の粉が散る。それを鼻っ柱に受けて痛みが走る。鋭い痛みで汗が滲む。
 舞い上がる土埃。怒声。喊声。悲鳴。

 視界の端で兵長が倒れるのが見えた。慌ててそちらに駆け寄るところを、槍で阻まれる。脇腹の肉を持っていかれた、くそ!



623: ◆yufVJNsZ3s:2012/11/23(金) 13:44:37.87 ID:MLkB2vTH0

 火炎弾で敵の顔面を砕く。肉の焦げる臭いに今は気を取られている場合じゃない!

セクラ「大丈夫ですか!?」

兵長「あ、おぉ、セクラ、か」

 脈を測ろうと取った左腕が、肘の部分からぶちぶちととれる。鋭利な傷痕。考えるまでもなく、剣戟でできたものだ。
 いや、それよりも、鎧を突き破って胸に深々と折れた剣が突き刺さっている。

兵長「俺は、だめだな」

 全てを理解して兵長は言った。
 あきらめないでください、などと言えるはずもない。俺は口を結んで、「はい」と呟く。

兵長「この戦争が終わったら、結婚する、つもり、だったんだけど、なぁ」

 ひときわ大きく血を吐いて、兵長の首が横になる。安らかな顔だ。血が顔についてなければ、ともすれば眠っていると思えるほどの。
 まだ体温はある。暖かい。人のぬくもりが残っている。

 この体温は恐らく次第に失われていくのだろう。そして腐敗し、野犬に啄まれる。

 恐ろしい。
 俺は死ぬことが怖い。
 生きたい。生きていたい。



624: ◆yufVJNsZ3s:2012/11/23(金) 13:45:04.37 ID:MLkB2vTH0

 すぐそばで敵兵の足音があった。ざく、と土を踏みしめる音。俺は気づけば血まみれになっていた右手を握り締め、

――詠唱を始める。
 詠唱は危険なものだ。普段儀仗兵がそれを省略するのは何も時間の短縮のためだけではない。省略することによって、オーバーワークを回避する意味合いをも兼ねているのである。

 唱えるということは正しい手順を踏むということである。ゆえに消費する魔力も段違いとなる。
 無尽蔵に魔力を注ぎ込んでやれば、無尽蔵に呪文は育つ。術者が魔力の枯渇で干からびない限り。

 一つの蝋燭、三つの松明、五つの篝火、焦土の地平線、肌を焼く原初の風!

セクラ「ぐ、く……っ、うぅっ! くぅっ!」

 体が引っ張られる。
 魔力を己の内側からひねり出す行為は、同時に魔力に己の内側へ引っ張られることを含意している。

 筋肉が千切れる!

 唇を噛み切った!

 だけど、まだ足りない。
 これでは足りない。

 さらに、さらに、さらに。
 もっと、もっと、もっと。



625: ◆yufVJNsZ3s:2012/11/23(金) 13:45:38.76 ID:MLkB2vTH0

セクラ「放浪する点滅! 恐怖の根源! 飲み込み、圧倒し、降り注ぐ赤い潮!」

セクラ「ベギラゴン!」

 脳の奥で閃光が弾ける。

 全てを、ただ無我夢中で解き放つ。

 熱波と衝撃があたりを舐めた。立っている者、倒れている者、どちらも一定数いる。立っている者はみなふらふらであったが。

 ざん、とディエルドが敵を切り捨てる。俺など恐らく眼中にあるまい。ただ敵に猛進し、切り捨てるだけなのだ。
 俺に向けられているきれいな背中がその証。

 ナイフを引き抜いた。俺もぼーっとしているわけにはいかないのだ。
 魔力は枯渇気味だが、しかし、満身創痍の人間相手に後れを取るほどでもない。

 刃を突き刺す。手にずっしりとくる衝撃。だのに妙に柔らかくて、その不協和が俺を一層不安にさせる。俺が殺しているのは本当に人間なのかと。
 いや、現実逃避はよくない。俺は生き抜くと決めたのだ。人を殺してでも。

 視界の中でついにディエルドが倒れた。眼を見開いて、口をぱくぱくとさせ、何かを発したいようであったが、それも叶わない。巨体が音を立てて地面に倒れる。

 最早立っているのは俺だけだった。生きているのも、俺だけだった。



626: ◆yufVJNsZ3s:2012/11/23(金) 13:46:08.01 ID:MLkB2vTH0

 感傷に浸っている暇はない。そんなことは時間のある人間のすることであって、今の俺がその権利を有するとは、到底思えなかった。
 走り出す。クレイアさんのもとへ。

 そのまま体に鞭を打って、おおよそ三十秒。視界の中にクレイアさんを捉えた。木に体を預けて腰を下ろしている。

 そしてその前に、数多の死体。
 その中には聖騎士のものもあった。

セクラ「クレイアさん!」

クレイア「セクラ、くん? その声は」

 どうやら目が見えていないようだ。魔力の酷使による弊害だろう。身体の疲労もまた。
 時間経過で回復するとはいえ、この人をここまで消耗させるとは、やはり聖騎士である。驚きを禁じ得ない。
 いや、あの聖騎士相手に勝利を収めたこの人こそが驚愕の対象なのだろうか。

セクラ「あっちは俺以外全滅です……クレイアさんは大丈夫ですか」

クレイア「えぇ、なんとか、ね。一時間も休めば、きっと」

 そうか、大丈夫なのか。



627: ◆yufVJNsZ3s:2012/11/23(金) 13:46:44.61 ID:MLkB2vTH0

セクラ「それは困る」



 ナイフがクレイアさんの腹に突き立てられる。
 否。

 俺は、ナイフを彼女の腹に突き立てた。

クレイア「がっ! ……え、な、んで……ぐっ」

 刃を捻ってやるとクレイアさんは声にならない声を出して意識を失った。ディエルドと同じである。

??「よくやってくれた」

 木陰から姿を現す、白銀。
 死んだはずの聖騎士だった。

イクシフォン「お前がここまで連れてきてくれなかったら、この先で負けていただろう。礼を言う」

セクラ「本当ですよ。他の誰かに思考が読まれていてもいいように、直接的に意識はせず、遠回りで情報を考えるのは骨なんですから」

イクシフォン「まぁまぁ。その労力に見合う程度に報酬は弾んだつもりだ。ほら」

 イクシフォンが懐から大きめの袋を取り出した。揺れて、じゃらり、と音を立てる。

イクシフォン「金貨五十枚。色を付けておいた。ご苦労だった」

セクラ「俺が仲間を殺すくらいだったら、あんたらが殺せばよかったのに」」



628: ◆yufVJNsZ3s:2012/11/23(金) 13:47:19.41 ID:MLkB2vTH0

イクシフォン「なに、クレイアのやつは強敵で、俺よりもお前のほうが警戒心がないだろう。それにあの大男……」

セクラ「ディエルドですか」

イクシフォン「そうだ。俺がクレイアにかかりきりになる以上、そいつを倒せるやつはうちにはいない。お前にやってもらう必要があったのさ」

セクラ「ま、そういう事情ならしょうがないですけどね」

イクシフォン「これからどうする気だ?」

セクラ「……」

イクシフォン「いや、なに、単なる好奇心だよ」

セクラ「それは、まぁ、こうします」

 先ほどクレイアさんの命を奪った刃が、今度は目の前の白銀の喉を切り裂いた。
 金貨の入った袋を手渡しできる距離。呪文よりもナイフのほうが早いのは、考えるまでもない。



629: ◆yufVJNsZ3s:2012/11/23(金) 13:47:57.98 ID:MLkB2vTH0

イクシフォン「え?」

 数秒彼は何をされたか気づいていないようだったが、それに気が付くと、こちらに攻撃をするのも忘れて頸へと手をやる。しかしそんなことで噴き出る血が止まるわけもなく。

イクシフォン「き、きききっ! き、貴様ぁっ!」

 向けてきた杖を掻い潜って、今度は顔面に中心へと刃を叩き込んだ。頭蓋骨を貫いて刃が埋没すれば、まぁ、死んだだろう。
 びくんびくんと痙攣したままイクシフォンは倒れる。

セクラ「死んだら負けなんだよ。覚えておきな」

 そう、死んだら負けなのだ。
 俺以外の全員が死んだあの日、俺は理解したのだ。死なないことが何よりも大事なのだと。たとえば誰かを守ったり、誰かの死を悼んだりするのは、確かに上等なことかもしれない。仲間殺しなんて下の下の所業だ。
 けれども死んだ奴に一体何の価値があるだろうか。俺は絶対に死なないと決めたのだ。死にたくないと思ったのだ。

セクラ「こんな戦争なんかで命を取られてたまるか」

 金はたっぷり手に入れた。放蕩しなければ数十年は楽に過ごせるだろう大金だ。これをもって他の国へ逃げよう。俺はきっと、死んだことになるだろう。
 死体は腐乱する。誰が誰だかわからないに違いない。

「ちょっと、アンタ」

 唐突に肩を掴まれる。

 え?

 俺の眼前に女の子がいてハンマーを

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639: ◆yufVJNsZ3s:2012/11/28(水) 10:15:36.53 ID:Cav8RLV20

―――――――――――――――――

勇者「……殴るだけでよかったのか」

少女「何、殺せっての?」

勇者「そうじゃなくて。軍に引き渡したっていいんだし」

少女「勘弁してよ。こんなクズのために使う労力も時間も、アタシたちにはないわ。そうでしょ?」

勇者「まぁそうだけど」

狩人「それより、勇者。この人、まだ、息がある」

 狩人が儀仗兵長の傍らに屈んで言った。
 近づいてみると、確かに微弱ながらも息がある。
 しかし、それでも出血がひどい。内臓に傷がついているのかもしれなかった。そのあたりの医学的知識は勇者にはなかったけれど。
 問題はここが山中だということだ。病院に運び込むにも一旦降りねばならない。

勇者「ばあさん、頼めるか?」

老婆「無論じゃ。こいつまで死なせるわけにはいかん」

 老婆の従軍時代からの知り合いも、だいぶその数を減らしている。そして彼女は老婆の嘗ての弟子でもある。老婆の言葉にも力が籠る。



640: ◆yufVJNsZ3s:2012/11/28(水) 10:16:16.65 ID:Cav8RLV20

狩人「山を越えたところに駐留してる部隊があって、そこと合流するつもりだったみたい」

勇者「ってことは……来た道を戻る形か」

老婆「どのみち魔力もそれほど残っておらん。あまり長距離はいけんよ。ちょうどいい」

 老婆が杖で地面に真円を描くと、それが発光を始める。それを見た三人が円の内部に入って、光はやがて光の柱となる。勇者は儀仗兵長を背負う形で。

 光が消えたとき、五人の姿はない。

―――――――――――――――



641: ◆yufVJNsZ3s:2012/11/28(水) 10:16:54.72 ID:Cav8RLV20

―――――――――――――――

 勇者たちがやってきたのは麓の町の病院であった。ここは占領下にありながらも、大した制限を受けずに生活を営める稀有な町だ。
 周囲を見渡せば、勇者たちと同じ兵服を着た人間が何人も見つかる。しかし彼ら彼女らの様子は緊張した戦争のそれとは違っていた。
 ここはいわゆる療養所なのだ。前線で傷ついた兵士たちを癒すための。

勇者「おい、頼む」

医者「あんたらまた……って、どうしたんだ!?」

狩人「道すがら、交戦の後に全滅している部隊が、敵と味方であった。その生き残り」

勇者「治せそうか?」

 儀仗兵長を診察台に載せた勇者が尋ねると、医者は患部にひっついた衣服を鋏で切り離しながら頷く。

医者「見たところ間に合う。が、治癒魔法でどうにかなるレベルは超えているな。開腹してみて、次第によっては長く入院生活だ」

勇者「金はこっちで持つから、なんとかしてやってくれ。頼む」

医者「いや、金なんていいさ。軍のほうから給金は出てる。これも仕事のうちだ」

医者「それに……」

 言って、ちらりと勇者の顔を見やる。

医者「あんたらから金をとるなんてできんよ。最近、随分と活躍してるそうじゃないか」



642: ◆yufVJNsZ3s:2012/11/28(水) 10:17:25.45 ID:Cav8RLV20

 思わず勇者は視線を逸らし、頬を掻いた。どうにも無性に恥ずかしくなったからだ。

 勇者たちはこの一か月、たった四人で戦場を駆け回っていた。

 東では砦の攻略に手を貸し。
 西では略奪を行う自軍の不届き者を捉え。
 南では境界線を割ってきた敵を食い止め。
 北では魔物に襲われた村を救った。

 本来ならば老婆は王城にいなければいけないらしいのだが、帰還連絡を彼女は常に無視し続けてきた。現場で活躍しているためお咎めなしの状態である。
 勇者や狩人、少女も本来ならば軍属であって、現状は軍規違反も甚だしい。それでも何ら処罰がないのは、前述したことと、老婆という後ろ盾があるからだろう。

 しかし、最早彼らには軍などどうでもよかった。狩人も、少女も、老婆も、戦争の行く末を見据えてはいなかった。
 彼女らが見ているのは、勇者の向く方向。
 この戦争の中にあって、世界を平和にする方法を、何とか探り当てようとしているのだった。

 人は恐らくそれを愚かしいと思うだろう。夢に飲み込まれた狂人と後ろ指を指すだろう。もしかしたら、めくらと揶揄する者だっているかもしれない。
 それでも、目が離せないものが確かに遥か彼方で光っているのを、彼らは知っていた。



643: ◆yufVJNsZ3s:2012/11/28(水) 10:17:52.85 ID:Cav8RLV20

 だからこそ勇者たちはなるべく人を殺さないようにしていた。強く在ること。揺らがない自身を持つこと。誰かを助けるために人を殺すことに抵抗はなかったが、だからこそ殺そうとは思わなかった。
 殺すしかなくなってから殺せばいいのだ。

 いや、殺せばいいのだという表現は、命の軽視である。殺すしかなくなったときに初めて、それを実行できる。

 ひと月たった今も世界を平和にする方法は見つからない。九尾の企みもわからぬまま、四天王もめっきり現れなくなった。ただ戦争が続いているだけである。

 勇者たちが山岳地帯にいたのは、敵軍に不穏な動きがあることを突き止めたからだった。単なる駐屯所ならまだしも、そこに聖騎士が出入りしているのであれば大事である。王城から受けた依頼を、勇者たちは断らなかった。
 それは結果的に良い方向へと向かった。彼らがあのタイミングであそこにいなければ、恐らく儀仗兵長は死んでいただろうから。

 勇者たちは医者に礼を言い、病院を後にした。夜も更けている。山岳地帯に建設されかけていた魔道砲場は完膚なきまでに叩き潰したため、今夜は枕を高くして眠ることができるはずだった。

 とりあえずひと眠りして、今後の行動はまた明日考えよう。
 そう思いながらやってきたのは宿屋である。戦場で休養を取ることが多かったため、たとえ固くともベッドで眠れるのはうれしかった。

勇者「四人なんだけど、何部屋空いてる?」

店主「二部屋だね。どっちも大きさは変わらないけど、片方はベッドが一つしかないんだ。毛布なら貸し出すけど……」



644: ◆yufVJNsZ3s:2012/11/28(水) 10:18:25.65 ID:Cav8RLV20

勇者「ということは、誰かが床で寝ることになるな。俺が寝るよ」

狩人「だめ。勇者はベッドで寝て。私が」

少女「ちょっと待ってよ。ここは頑丈なアタシに任せてって」

勇者「うーん、そう言われてもな」

少女「じゃ、一緒のベッドで寝る?」

狩人「ちょっと待って」

少女「?」

狩人「なんで、一緒の部屋の前提?」

少女「べ、別にそんなつもりはないけどさっ」

狩人「私は勇者の恋人。私が一緒の部屋」

少女「狩人さんがこいつの恋人だってことは認めるよ。うん。疑いようのない事実。でもね、アタシたちは四人で旅してるわけじゃん?」

少女「つまり、一心同体。四人で一つ。みんな仲間。そこに、ほら、そーゆーのを持ち込むのって、危険じゃない?」

狩人「危険なのは、勇者のていそ……」



645: ◆yufVJNsZ3s:2012/11/28(水) 10:19:16.89 ID:Cav8RLV20

勇者「ちょーっと、ストップ! ストップ! お前ら何の話をしてるんだ」

 宿屋の主人の好奇の目に耐え切れず、勇者は叫んだ。

勇者「俺はばあさんと寝る! お前らが一緒の部屋! 以上!」

老婆「わしと寝るだなんて……勇者もなかなか積極的じゃのう」

勇者「うるせぇ。なんかしてきてみろ、ぶっ飛ばすぞ」

老婆「ひゃひゃひゃ。空間移動できるわしを捉えられるかな?」

狩人「……貞操が危険なのは、依然変わらず」

少女「ってちょっと、置いてかないでよ!」

 云々やりながら四人は渡された鍵を受けとって寝室へと向かう。
 部屋が分かれる前に立ち止まり、今後の予定を口頭で確認しあう。

勇者「今日はこれ以上は予定はない。オフだ」

少女「もともと帰ってくる予定なかったしね」

勇者「そういうことだな。魔道砲場は潰した。ま、問題はないだろう。残党は見逃すこととして」

狩人「今後は?」

老婆「近々平原と林の境界線に場所を移して、規模の大きめのドンパチを繰り広げるらしい。わしらは裏から回り込んで、対象の首を取る」

少女「殺す、の?」

老婆「さぁな。重要な情報源じゃし、殺しはしないじゃろ。確保になると思う」

少女「そっか。そっか」



646: ◆yufVJNsZ3s:2012/11/28(水) 10:19:44.83 ID:Cav8RLV20

狩人「召集があるまでは、待機? それとも、また、どこかへ行く?」

勇者「一応、待機。近くで何かが起きればそっちへ行くけど、話を聞く限り次の戦場のここは近いから、あんまり離れたくはないな」

老婆「何かあれば指示を出してくれよ。お前の言うことなら何でも聞こう」

狩人「私も」

少女「アタシだって、聞いてやらなくもないし」

 勇者は思わず自身の顔がほころぶのを感じた。

勇者「じゃ、各々ゆっくり過ごしてくれ」

狩人「勇者は?」

勇者「俺は食料と消耗品の調達に行ってくるよ」

少女「アタシも!」
狩人「行く……」

少女・狩人「「ん?」」

 二人は顔を見合わせた。少女が無理やり笑顔を作り、狩人は逆に眉を顰める。

少女・狩人「「勇者はどっちと行く?」」

 ぐるんと捻られた二人の視界に、しかし勇者は入ってこない。ついでに老婆も。

 二人は叫んだ。

「「逃げられた!」」

――――――――――――――



647: ◆yufVJNsZ3s:2012/11/28(水) 10:20:14.22 ID:Cav8RLV20

老婆「逃げてもよかったのかえ?」

勇者「いいんだよ。ここ最近のあいつらは、なんかおかしいからな」

老婆「朴念仁」

勇者「は?」

老婆「――と、言われても仕方がないのじゃよ」

勇者「わけがわからん。ついにボケたか」

老婆「抉るぞ」

勇者「抉るってなに!? こわっ!」

老婆「ふん。まぁいい。ちょうどわしもお前に話があったところじゃ。行くぞ」

 場所は路地裏。老婆が先行し、勇者はそれに続く形で歩を進めていく。
 戦争中でも賑わいはある。療養と慰安のために作り替えられた町なのだから、寧ろ賑わいのないほうがおかしい。二人のいる路地裏まで往来の声が届いていた。

勇者「で。話ってなんだよ」

老婆「なに、大したことじゃあない」

老婆「孫のことで、ちょっとな」

老婆「あの子を助けてくれてありがとう」



648: ◆yufVJNsZ3s:2012/11/28(水) 10:20:42.06 ID:Cav8RLV20

 老婆は真っ直ぐにお辞儀をした。
 思わず面喰ってしまい、勇者は一歩後ろに後ずさる。こんな殊勝な老婆を見るのは初めてだった。いや、別に彼女に常識がないというわけではないが。

勇者「大したことはしてねぇよ。それに、俺にはあいつが必要だ。だから助けた。仲間だしな」

 くさいセリフをしゃべっている自覚があった。しかし言ってしまった以上は止まらない。ええい、ままよ、と一気に言葉を紡ぐ。

勇者「俺一人だけの力じゃどうにもならないってことを、俺はわかってるつもりだ」

勇者「それにしても急にどうした。礼なんて前にも聞いたぞ」

老婆「最近のあやつの顔を見ているとな、昔と違うんじゃ。それはきっと、勇者、お前のおかげが大きいのだと、わしは思っている」

勇者「やめてくれ。俺は俺のことで精いっぱいだ」

老婆「魔王を討伐するために村を出てから、わしは孫の笑ったところを見ていなかった。今あんなに楽しそうにしているのは、わし一人じゃできんかっただろう……」

 老婆は真っ直ぐに勇者を見据えた。なんとなく視線を外しそうになるが、そこでふと気が付く。老婆が泣きそうになっていることに。
 一瞬、感極まったのかと思った。が、すぐにそれが違うことを知る。小さな、掻き消えるような声で「頼む」と呟いたからだ。

老婆「この戦争を止めてくれ」



649: ◆yufVJNsZ3s:2012/11/28(水) 10:21:24.06 ID:Cav8RLV20

勇者「……」

老婆「この戦争は、止まらん。王は各国の停戦勧告を受け入れるつもりがないらしい。敵国もじゃ。わしのあずかり知らんところで、危険な魔道具も開発されていると聞く」

老婆「『核』という大規模な殺戮兵器じゃ。わしの樹木魔法を量産化したような、ひどい……ひどい、ものじゃ」

老婆「本当なら今すぐ王城へでも乗り込んで、王の頭をひっぱたいてやるべきなのじゃろう。あぁ、そうすべきなのじゃろう」

老婆「しかし、勇者。恥ずかしい話じゃが、わしにはそれができん。国のために何百何千と、敵と味方の区別なく、人を森の養分としてきたわしには、そんなことはできん」

老婆「罵りたければ罵るがええ。こんな時になってまで、わしは過去の妄執に囚われているのじゃ!」

老婆「だから、頼む。都合のいいことを言っているのはわかっている。この老いぼれの代わりに、戦争をなんとかしてくれ」

 ともすれば土下座までしそうな勢いであった。老婆の必死な姿はこれまでに何度か勇者も目にしたことがあるが、今回のこれは度を越している。
 今言われたことがどれだけ大変で、問題で、恐ろしい出来事なのか、勇者にもわかった。戦争を止める。短いながらも壮大だ。果たして一介の人間、ただコンティニューの奇跡があるだけの人間に、できるだろうか。

 いや、しなければいけない。しようとしなければいけない。勇者はそう思った。
 そうでなければ、世界を平和になぞできるものか。
 そう思える者でなければ、世界を平和になぞしてくれるものか。



650: ◆yufVJNsZ3s:2012/11/28(水) 10:21:53.40 ID:Cav8RLV20

勇者「俺は」

老婆「!」

 老婆は自然と体が震えた。勇者の言葉を、返事を聞くのは勇気のいることだった。
 恐らく自分には勇気がないのだと老婆は感じる。彼が彼女に対して大きく秀でているその一点が、彼に期待してしまう要因なのだ。

 勇気のある者。
 ゆえに、勇者。

勇者「……約束はできない」

 空を見上げる勇者。それ以降言葉を紡ぐことはない。

 それでも老婆には分かった。省略された次の言葉。「それでも」。
 約束はできなくとも、それを目指すと。

 その言葉が聞きたかった。勇者と志が同じなのだと、確信できたから。

老婆「さ、買い物にいくぞえ。腹も減った。あいつらも腹をすかしているじゃろ。さっさと買って、帰るぞ」

勇者「はいはい」

老婆「『はい』は一回でいいのじゃ」

勇者「はーい」



651: ◆yufVJNsZ3s:2012/11/28(水) 10:22:40.32 ID:Cav8RLV20

老婆「……」

勇者「……」

 二人、肩を並べて歩く。
 どちらも無言だったが、やがて老婆がぽつりと言った。

老婆「ありがとうな」

勇者「それほどでも」

―――――――――――――――――



656: ◆yufVJNsZ3s:2012/12/01(土) 22:57:49.00 ID:9US10Z/s0

――――――――――――――――――

 ついに大規模な戦闘の開始を告げる法螺が吹かれた。遠くまで響き渡る低音は、当然林の中にいる勇者たちにも聞こえている。
 四人は林の中を突っ切って敵の側面から攻撃する算段であった。無論、敵も同じことを考えているに違いない。つまり敵の攻撃の手を予め潰しておくということでもある。

少女「アタシ、正直、気が進まないんだけど」

勇者「何がだ」

少女「目的のためにでかい戦いを見て見ぬふりしなきゃいけないってのが。アタシはやっぱり、敵陣中央に突っ込んでいきたい派なのよねぇ」

狩人「でも、必要なこと。早く敵を倒せば死人も減る」

少女「わかってんだけど、わかってんだけど……うー」

勇者「さっさと終わらせるぞ。行くぞ」

 不承不承少女は頷き、歩き出す。

 林の中は視界が悪い。光が差さないので昼でも薄暗く、索敵を怠るのは恐ろしすぎた。
 勇者たちの索敵手段は主に老婆による魔法と狩人の五感である。老婆は索敵が本職ではない。全員、どちらかと言えば狩人の五感を頼りにしている節があった。
 そういうこともあってか一団の戦闘は狩人である。遅れて勇者、老婆、少女と続く。



657: ◆yufVJNsZ3s:2012/12/01(土) 22:59:38.37 ID:9US10Z/s0

 時たま地響きを足の裏に感じることがあった。仲間が、敵が、戦っているのだ。がむしゃらに。
 戦争の必要性は勇者にだってわかる。しかし、代替可能性に一縷の望みを託さずにはいられなくもあった。

狩人「待って」
老婆「待て」

 二人の声がシンクロする。四人は視線を前方からずらさず、僅かに緊張に体を強張らせた。

狩人「なんか、変な感じがする」

老婆「狩人の言っていることは確かじゃ。前方に魔法的な侵入警報が仕掛けられている。敵の存在を教え、罠のスイッチにもなっているやつじゃ」

老婆「しっかし、お前、よく気が付くな……」

 感嘆が老婆の口から洩れた。魔法によって仕掛けられた不可視のトラップを、霊視もせずに看破するのはもはや人間業ではない。

狩人「なんか最近、凄い感覚が鋭敏になってる」

勇者「この先に、敵がいるってことか」

老婆「そうじゃな。敵か、営舎か……そこまではわからないが」

勇者「『しのびあし』で行くぞ」

狩人「任して」



658: ◆yufVJNsZ3s:2012/12/01(土) 23:02:07.43 ID:9US10Z/s0

 一歩一歩踏みしめるように狩人は先行する。魔法的な仕掛けは重層的に、線のように張り巡らされていたが、その切れ目を四人は抜けて行った。
 いったいどれほどの距離を歩いたのかわからなくなるほどの時間が経つ。それでも一向に敵の姿は見えてこない。疑問が全員の脳裏をよぎり始めたころ、不意に老婆が舌を打った。

老婆「やられたっ」

少女「どうしたの、おばあちゃん」

老婆「これは罠じゃ! わしらが歩いてきた道順それ自体が、魔法的な――呪術的な意味を持っているっ!」

 見れば四人の身体の周りに、うっすらと、黒い光がまとわりついていた。老婆の魔法によるものでないのだとすれば、それが敵の手によるものだというのは明らかだ。
 しかし、問題はその魔法が一体どのような類のものなのかということである。解呪の類は老婆が一通り覚えているとはいえ、適切な魔法を唱えなければ魔力の無駄になる。

 老婆はぎりりと奥歯を噛み締めた。

老婆「この魔法……見たことがない。かなり高度な魔法じゃ。解けるか……?」

少女「解けなかったらどうなるのっ?」

老婆「それすらもわからんっ!」



659: ◆yufVJNsZ3s:2012/12/01(土) 23:03:21.50 ID:9US10Z/s0

狩人「誰っ!?」

 反射的に狩人が弓を射る。矢は十数メートル離れた幹に突き刺さり、木を揺らした。

狩人「誰か、いる」

 僅かな空白が続いて、ぱき、という踏みしめる音とともに、一人の偉丈夫が姿を現した。
 同時に、少女顔が引きつる。鉄面皮の狩人もまた、僅かに。

 現れた偉丈夫は、下駄にふんどし、上半身裸という露出の多いいでたちの、中年男性だった。
 筋肉の盛り上がりが遠目からでもわかる。それも腕だけでなく、足、腹、胸と全身がとにかく太い。デュラハンに負けるとも劣らない恵体の持ち主である。

少女「変態だ――――っ!?」

狩人「汚い、殺すっ……!」

 咄嗟に武器を構えた二人に対して、偉丈夫は叫んだ。

偉丈夫「その言いぐさはなんだっ!」

 体を震わせる咆哮に、思わず二人の女子もたじろいでしまう。

偉丈夫「健全なる精神は健全なる肉体に宿る! 即ち、健全なる精神の持ち主が健全なる肉体であるのも、当然のことよ!」

偉丈夫「我は聖騎士! この林を進むものを待ち構える者なり!」



660: ◆yufVJNsZ3s:2012/12/01(土) 23:05:52.14 ID:9US10Z/s0

 聖騎士の単語にやおら四人が色めき立つ。聖騎士。彼らはいまだ聖騎士とは戦ったことがなかった。それは不運でもあり幸運でもある。ただ、この土壇場で出会ってしまったことに関しては、不運としか言いようもない。

少女「この裸ふんどしのおっさんが聖騎士!? 信じらんない!」

 とはいえ、恰好はともかく、目の前の偉丈夫が放つ圧力は確かに実力者のそれであった。その事実を認識してなお、四人は目の前の人物から目を離せなかった――もしくは離したかった。

狩人「とにかく、倒す」

少女「えぇそうね、そうよ。アタシ、こいつを倒したいもん、今ものすごく!」

偉丈夫「たわけがっ! 口でだけならどうとでも言えるわ!」

偉丈夫「すでに貴様らは我の呪術にかかっている! 歴代最高と謳われる呪術師の力に慄くがいい!」

勇者「武闘派じゃない、だと……」

 偉丈夫が踵を返して走り出す。
 少女はそれを追った。魔法の罠を力任せに突っ切りながら、偉丈夫を追う。

 偉丈夫は確かに健脚だったが、少女には当然敵わない。随分とあった差が一瞬にして縮んでいく。

少女「アンタ、寝てなさい!」

偉丈夫「健全なる精神を持たぬものに、健全なる肉体を持つ資格なぁああああしっ!」



661: ◆yufVJNsZ3s:2012/12/01(土) 23:10:01.00 ID:9US10Z/s0

 ミョルニルが振るわれる。すんでのところで偉丈夫はそれを回避し、手で印を結んだ。
 僅かな間をおいて、偉丈夫の姿が消えてゆく。

 少女は舌打ちをして、ミョルニルを握る右手を見た。なんだか先ほどから違和感をそこに覚えていたのだ。

少女「え」

 信じられなかった。
 少女の薬指と小指、そして手首の手前の部分が、黒く抉り取られていたからだ。

 手は動く。血は出ていない。つまりそれが物理的な仕業でない――聖騎士の直接的な攻撃によるものではなく、たとえば呪術的な――理由によるものだとは、少女も理解できた。しかしそれ以降がわからない。
 呪文の詠唱、発動、着弾。詠唱は省略されることも多いといえ、発動と着弾は必須である。それだのに聖騎士の攻撃にはどちらもなかった。それがあまりにも不可解だった。

勇者「少女!」

 勇者の声が背後から聞こえる。

勇者「大丈夫か!?」

少女「攻撃をっ、受けてる……っ!」

 苦々しく呟いて、少女は自らの右手を見せた。
 黒い抉れ。断面は黒煙のようになっていて、肉も見えない。異次元に近いのかもしれない。



662: ◆yufVJNsZ3s:2012/12/01(土) 23:12:56.46 ID:9US10Z/s0

勇者「なんなんだ、これ」

少女「わかんないよ、追って、攻撃したら急に……」

勇者「全員固まれ! 何が何だかわからないけど、これはヤバイ! そんな気がする!」

狩人「なにされてるか、わかる?」

老婆「いや、皆目見当もつかん。あの変態の攻撃なのは確かじゃろうが、正体が見えん」

少女「って、ちょっと待ってよ」

 少女が勇者と狩人を指さして、叫んだ。

少女「なんでアンタらも抉り取られてるのよぉっ!?」

 勇者の左ほほと狩人の手の甲に、イチゴ大の黒い抉れができていた。どうやら二人は指摘されるまで気が付いていなかったらしく、自らのその部位に触れ、ようやく驚きをあらわにする。

老婆「お前もじゃ!」

 少女は言われて全身を見回した。次いで顔を触って――首筋に同程度の抉れを発見する。

狩人(血が出てない、ってことは……怪我ではない、ってこと、か……)

 狩人の考えは皆思っていた。即ち、この抉れによってすぐに死に至るわけではないという、ひとまずの安心は得られたということだ。



663: ◆yufVJNsZ3s:2012/12/01(土) 23:13:24.83 ID:9US10Z/s0

 が、安心が問題解決に直接結びついているわけではない。血こそ出ないが確かにその部位は「ない」のだ。このまま進行が進めば命を失う可能性も出てくる。それこそ、抉れが心臓に達するなどしたら。

勇者「ばあさんっ! これ、本当に攻撃を受けてるわけじゃあねぇんだよなぁ!?」

狩人「勇者、また……!」

 今度は少し大きい抉れが、勇者の左ひじに現れる。

勇者「くっ……」

 だらりと下がる勇者の腕。どうやら力が入らないらしい。
 関節を抉られればそれ以降が使えなくなるのは、普通の怪我と同様。恐らく目を抉られれば目が見えなくなるのだと思われる。

 問題は、その条件。

 敵が攻撃を逐一行っていないことは明白だ。すでに呪術はかけ終っていて、何らかの行動がキーになって発動している。老婆もその考えであった。
 そのキーさえわかれば、それを回避して敵の下までたどり着ける。わからなければ、いずれ死ぬ。

老婆「とりあえず、落ち着け。冷静になろう。現状の把握じゃ」

老婆「三人とも、痛みはないんじゃな?」

 全員が頷いた。痛みはない。

老婆「感覚は?」

 全員が首を横に振った。痛みはないが、感覚もまたない。

老婆「なぜお前らが抉られ、わしだけが抉られていないのか。そこに恐らく鍵があるはずじゃ」



664: ◆yufVJNsZ3s:2012/12/01(土) 23:15:48.91 ID:9US10Z/s0

老婆(この抉れが、穴が心臓か脳に達すれば、死ぬ……)

老婆(なんじゃ? なにが発動のキーじゃ?)

 焦る内心を抑え、老婆は必死に頭を回す。が、あまりにも答えを導き出すにはヒントが少なすぎた。犯人は明白だというのに。

 そして、敵も考える暇を与えるつもりはないようだった。

 木陰から兵士たちが続々と姿を現す。素直に考えれば、先ほどの聖騎士の部下に違いない。

勇者「ちくしょう、なんだってこんな時に!」

狩人「ここを通すわけには、いかない……っ!」

 両者が激突する。

 狩人が弓を絞り、放つ。木々の僅かな隙間を縫って尚急所に命中させる手腕は感嘆しか出ないが、やはりパフォーマンスの低下は避けられない。焦燥が顔に滲んでいる。
 
 勇者は三人と切り結んでいた。コンティニューという奇跡があると思えば、死への恐怖も恐れる。それに彼は幾度も死んで、死ぬこと、そのさじ加減に関しては誰にも負けるつもりがなかった。
 鈍く光る刃が首筋を撫でていく。一瞬首筋に熱。大丈夫、それくらいで死ぬわけないと彼は知っていた。
 切り落としを剣で防ぐ。その間に片手に電撃を充填し、

少女「危ない!」



665: ◆yufVJNsZ3s:2012/12/01(土) 23:18:27.27 ID:9US10Z/s0

 遠方から飛んできた火炎弾を少女が壁となって吹き飛ばした。
 煤のついた顔を拭って、少女は「はん」と鼻を鳴らす。

少女「アンタ、なまってんじゃないのっ! ――っ!?」

 新たな抉れが少女に現れる。脇腹に、拳大のものが。

 少女は思わず膝をついた。

少女(くっ……忘れてたっ! しかもだんだん大きくなってる!?)

 そうしている間にも抉れの進行は止まらない。太ももと胸部に同程度のものが二つ、新しく現れる。

少女(どういうことよっ!)

勇者「大丈夫か!」

少女「わかんないわよ!」

 そして、抉れがまた一つ。



666: ◆yufVJNsZ3s:2012/12/01(土) 23:19:03.20 ID:9US10Z/s0

 二人の隙間を風が通り過ぎる。
 狩人の放った矢が、たった今二人に襲いかかろうとしていた兵士の顔面に突き刺さった。兵士は勢い余って二人に倒れこむ。
 さらにその後ろから十人ほどの兵士がやってくるのが見えた。どれだけ控えているのか想像もつかない。

 しかし逃げることはできなかった。友軍は聖騎士には勝てないだろう。ここで食い止めなければ不利な状態になるのは火を見るよりも明らかだ。

 しかも……。

狩人「もう一人、来る」

 二刀を携えた銀色が、森の奥からやってきた。彼が一歩歩くたびに兵士は横に避け、さながら海を割る預言者のような光景に、四人は途方もない圧を感じずにはいられない。
 聖騎士――しかも段違いな強さを持つ。

老婆「あいつ、見たことがある。聖騎士団の……団長だ」

 老婆がぼそりと呟いた。

 聖騎士団の団長。その言葉が意味するところを分からない勇者たちでは無論なかった。寧ろ、聖騎士団の団長クラスが出陣するほど、この戦場に意味があることのほうが驚愕の種でもあった。
 銀色に隙はない。一歩一歩距離を詰められるたびに、勇者は一歩一歩後ろに下がりたくなる気持ちすらしている。

狩人「やるしか、ない」

 狩人は矢を番えた。殺さずに済まそうなどと虫のよいことは言っていられなかった。



667: ◆yufVJNsZ3s:2012/12/01(土) 23:21:54.26 ID:9US10Z/s0

 放つ。

「無駄だ」

 声が狩人の背後から聞こえてくる。

狩人「――ッ!?」

 思わず反転――した先に、二刀のきらめきが眼を穿つ。

 反応できなかったのは狩人ばかりではない。少女も、勇者も、老婆も、誰もその速度に追いつくことはできていなかった。

 勇者が飛ぶ。

 刃はそのまま勇者の左腕を断ち切って、狩人の肩へと食い込む。噴き出る血液。二人は声を押し殺しつつ、体勢を立て直す。
 横からミョルニルが迫る。その勢いに僅かに驚きの反応を示した聖騎士だったが、一拍遅れて、今度は老婆の後ろに姿を現していた。

少女「速い!?」

勇者「っていう次元じゃないぞ……!」

 刃を動かそうとしたその瞬間、聖騎士が大きく弾かれ、四人との距離が開かれる。

老婆「障壁を展開した。ないよりはマシじゃ」

 それでもジリ貧には変わりない。多勢に無勢。聖騎士団長。呪術の解除すらままならない状況は、前門の虎、後門の狼だけでは窮地が足りない。



668: ◆yufVJNsZ3s:2012/12/01(土) 23:22:58.53 ID:9US10Z/s0

 白銀の姿が消えた。
 四人の頭上で空気の弾ける音が聞こえ、障壁を無理やりこじ開けて白銀が降ってくる。煌めく二刀を携えて。

 もっとも反応の速かったのは狩人だった。矢を番える暇がないことを即座に察知し、鏃を素早く引き抜いて、振り向きざまに投擲する。
 四つの鏃は二刀によって防がれた。が、狩人はそれでいいのだと思った。

 両脇から勇者と少女が迫る。

 唸りを上げるミョルニルと長剣。しかし聖騎士は二刀を巧みにさばいて、攻撃を受け流す。

勇者(これも無駄かよっ! ……けどっ)

 大きく開いた上体目がけて、老婆が火炎弾を放った。

 突如として現れた火炎弾は、さすがに聖騎士でも回避が間に合わない。着弾、炸裂し、内包されていた大量の熱が拡散する。
 空中で吹き飛ばされたため、聖騎士は受け身も取れずに木に激突した。そのままさらに後方へと転がり、茂みの中に突っ込んでいく。

 周囲の兵士が慌てて四人へと向かう。今まで聖騎士に加勢しなかったのは、単に実力差故、彼らが聖騎士の足手まといにしかならないためだった。
 それぞれが剣を抜いて四人を囲む。その数、二十強。遮蔽物の多い林の中であるため平原よりも人数差の脅威は減るが、だからといって消耗する体力にそれほど差が出るわけでもない。



669: ◆yufVJNsZ3s:2012/12/01(土) 23:23:27.38 ID:9US10Z/s0

聖騎士「なかなかやるな」

 恐ろしい声が聞こえた。それも勇者の眼前から。

勇者(いつの間に――!? ノーダメージかよ!)

 既に聖騎士の刀は振るわれていた。限りない速度と鋭さをもって、勇者の首へと迫る。

狩人「くっ!」

 思わず狩人は弓を放り投げた。勇者と聖騎士の間に割って入る形で、弓は刀の進路をふさぐ。
 しかし刃は軌道を変えることすらなく、そのまま金属製の弓を両断する。

 鮮血が散る。

 勇者の胸部が横一文字に切り裂かれた。鎧の上からでもなおその傷は深い。狩人が弓を投げた際の一瞬の反応が聖騎士になければ、刃は勇者を上下に分割していたことだろう。

 体がぐらつきながらも、勇者は両手に雷撃を貯め、聖騎士に放った。白銀の鎧は高い魔法抵抗力を持っているようで、衝撃にたたらを踏みはするものの、昏倒する気配などは微塵もない。
 舌打ちする暇すら与えてくれはしなかった。聖騎士が一歩、踏み出す。

老婆「ここは一旦、引くぞ!」

 ぶつかり合おうとしていた少女と勇者の首根っこを掴み、老婆が転移魔法を起動する。座標の指定も適当に、老婆は慌てて飛んだ。



670: ◆yufVJNsZ3s:2012/12/01(土) 23:23:53.22 ID:9US10Z/s0

 どさり、と衝撃が尻に来る。景色は依然林の中だったが、周囲に人影は見えない。どうやら距離を取ることはできたようだ。

老婆(これで終わりじゃないんじゃがな)

 そう、これは敗北であった。あの聖騎士たちの進軍をこれ以上許してはならなかったし、逆に彼女らは進軍しなければならなかった。打ち倒す策と、呪術を解除する術を考えなければ。

 が、現実は非情である。勇者は死んではいないものの、胸には大きな傷が刻まれている。脂汗を勇者はぬぐいながら平気そうに笑ってみせているけれど、それが単なる強がりであることは明白。

 狩人もまた、己が愛用していた弓が、勇者を守るためとはいえ破壊されてしまったことに大きなショックを受けているようだった。咄嗟に拾ってきた残骸の一部を握り締めながら微動だにしない。

 少女もまた、黒く抉れた部位がしっくりこないようである。先ほどから何度も手の握りを確認し、膝の屈伸を続けている。

 最早これまでか、という言葉が老婆の脳裏をよぎる。そしてそれを無理やり力技でねじ伏せる。諦めることが真の敗北を生む。死の瞬間まであきらめてはならない。

老婆(とはいってもどうする? どうすればいい?)

 老婆にも、なにもわからなかった。



671: ◆yufVJNsZ3s:2012/12/01(土) 23:24:22.57 ID:9US10Z/s0

 思わず前後不覚になって、近くにあった石に腰かける。
 なんだか腹部に違和感を覚えて、老婆は無意識にそこに手をやった。

 ぬるり、と。

 短剣が突き刺さっている。

老婆「こっ、これ、はっ!」

 真っ先に反応したのはやはり狩人である。背後に向かって狙いも定めず鏃を乱射、弾く音を頼りにして、ナイフを抜いた。
 振るうよりも先に、二刀が振るわれる。それはナイフの刃を容易く切断して、周囲の木々を数本まとめて切り倒す。

 白銀。
 聖騎士!

少女「なんで――!」

勇者(異常だ、あまりにも、異常すぎるっ! 人間を超えた速度ッ!)

狩人(弓も、ナイフも、失った。どうする? どうすればいい?)

 反撃を許さず聖騎士の姿が消えた。と思えば、次の瞬間には全くの反対方向から攻撃が降り注ぐ。
 少女がミョルニルで防いでいる間に勇者がカウンターを狙うが、剣は虚しく空を切るばかり。そして聖騎士はまたも全く違う方向から命を狩りに来る。

 速度という次元を超えている速さ。勇者は一つの予感を覚える。

勇者「少女、狩人! 多分、こいつの能力……時間操作だ!」

――――――――――――――――



672: ◆yufVJNsZ3s:2012/12/01(土) 23:24:49.63 ID:9US10Z/s0

――――――――――――――――

 九尾の部屋に四天王が集まっている。
 九尾は椅子に腰かけ、デュラハンは地べたに腰を下ろし、アルプは胡坐をかいたまま宙に浮き、ウェパルはやる気なさげに壁へ体を預けていた。

九尾「さて、そろそろ佳境だ。ついに九尾も動く」

アルプ「首尾は上々だよー。デュラハンもウェパルも協力してくれるって言ってるし」

デュラハン「ま、そりゃ、ね。もう一度彼女と戦えるっていうおいしい話に飛びつかないわけがない」

ウェパル「……」

アルプ「もー、ウェパルは陰気くさいなぁ」

ウェパル「魔王様の復活なんか、僕にはまるで興味がないんだけど」

アルプ「でも、参加するんでしょ」

九尾「あぁ、そうだ。九尾はそれに対して礼を言わねばならない」

ウェパル「やめて、やめてよ。僕じゃなきゃだめだってんなら、別にいいよ。僕だけのことでもないんだし、ましてや四天王だけのことでもね」



673: ◆yufVJNsZ3s:2012/12/01(土) 23:26:32.05 ID:9US10Z/s0

デュラハン「そんなぐちぐち考えて面倒くさくないのか?」

アルプ「本当にねー」

ウェパル「きみたちは特別でしょ」

九尾「いったん話を戻してもいいか」

九尾「タイミングは九尾が教える。してもらう仕事は先ほど教えたとおりだが、やりたいようにやってくれ」

ウェパル「もし、失敗した場合は?」

九尾「そんなことはないと信じたいが、そのときは……九尾の見込み違いだったということだ」

アルプ「手加減はしちゃだめなんでしょ」

九尾「無論。全力で、殺しあってくれ」

九尾「勇者の一行と」

―――――――――――――――



677: ◆yufVJNsZ3s:2012/12/09(日) 04:16:04.18 ID:aaH0ifRe0

―――――――――――――――

聖騎士「……そのとおりだ。俺の魔法は時間停止」

 訥々と聖騎士は喋りだす。その口調にはどうも抑揚というものがなく、宙に浮いた語りであった。

勇者「自分から、ばらすのか」

聖騎士「どうせお前らに勝つのが目的じゃあないんだ」

勇者「じゃあ、何が?」

 老婆に治療を施す狩人を背後に、勇者は聖騎士に尋ねた。

聖騎士「俺の、過去のために」

 まさか答えが返ってくると思っていなかった勇者は思わず変な顔になる。しかも、それがどうやら軍隊がらみではなく、個人的な事情ならばなおさらだ。
 聖騎士の意図が読み取れなかったのは勇者だけでない。その光景を見ていた誰もが、聖騎士の言葉の意味を理解できない。

 剣を構える勇者。老婆の治療の時間を稼がなくてはならないが、あまり悠長にもしていられない。休んでいても戦争は進むし、呪術もいつ体を蝕むかわからないのだ。

聖騎士「俺には記憶がない。ある日、気が付いたら王城のベッドで横になっていた」



678: ◆yufVJNsZ3s:2012/12/09(日) 04:16:33.56 ID:aaH0ifRe0

 勇者は跳んだ。聖騎士に言葉をかけたのは大きな間違いだったと、今更ながらにひしひしと感じている。もっと焦るべきだった。聖騎士を一人の人間ではなく、単なる化け物として対峙しておけばよかったのだ。
 近づく勇者に聖騎士は全く動じない。白銀の甲冑の下の表情は窺えないが、訥々と喋る様子から察するに、さほども動揺はないのだろう。

聖騎士「病院にもいった。高名な魔術師にも罹った。それでも、誰も俺の失われた過去を救っては――掬いだしてはくれなかった」

 少女も合わせて走り出す。勇者の剣が空を切ったその瞬間に、時間操作の解除地点へミョルニルを叩き込む算段だった。

聖騎士「途方にくれて、一つの光明を得たよ。人間は死ぬ間際に走馬灯を見るっていうだろう? 生死の淵に足をかければ、もしかしたら俺は過去が垣間見えるかもしれない」

 勇者の剣が振り下ろされる。しかし、一瞬前にはそこにいた聖騎士の姿は、いつの間にか掻き消えている。
 時間操作は超を幾つ重ねても足りないほどの高騰魔術だ。努力ではたどり着けない、素養が全ての世界。老婆も、九尾でさえも、それを操ることはできない。

 聖騎士、彼には速度という概念が存在しない。本来連綿と続くはずの時間軸を唯一断絶できる彼は、認識したものからダメージを食らうなど、考えられるはずもない。

 勇者の剣が、やはり空を切る。



679: ◆yufVJNsZ3s:2012/12/09(日) 04:17:20.03 ID:aaH0ifRe0

 聖騎士は勇者の背後へと姿を現していた。

 しかし、そこまでが少女の読み通りである。
 そこに合わせてミョルニルをすでに振るっている。

少女「――っ?」

 少女の視界に銀色が入る。白銀の鎧ではない。もっと、いわゆる銀色然とした銀色が、一つ二つではなく、十数視界の中で煌めいている。

狩人「危ない!」

 四方八方からナイフが少女を狙っていた。

少女「いつの間にっ……!」

 言ってから少女はそれがまったく見当はずれであることに気が付く。時間を止めている間にナイフを投げれば、こんな芸当は他愛もない。いくら少女がまばたきすらも止めていたとしても、である。
 叩き落とすか、差し違えるか。その逡巡が、けれど命とりであった。

 聖騎士の姿が消える。



680: ◆yufVJNsZ3s:2012/12/09(日) 04:17:47.58 ID:aaH0ifRe0

少女(後ろ――っ!)

 わかっているのに体が動かない。目の前の脅威、ナイフの豪雨に備えてしまっている。
 既に初動は始まっている。ミョルニルを振り、その風圧でナイフを叩き落とすが――

聖騎士「無駄だ」

 背後から声が聞こえた。
 わかっていた。そこに聖騎士が現れるだろうことを、少女は想定していた。していたが……

少女(間に合わない!)

 それでも振り向く。腕の一本、腹の肉はくれてやる。だから、その命を。
 戦闘不能になるだけの怪我を。

少女「アタシによこせぇえええっ!」

 その刹那、少女の視界の中で火花が弾けた。それが、端からやってきた何かが聖騎士の剣に激突した衝撃であることを、少女は当然理解しているはずもない。それでも確かに体は動く。
 体を捩じりながら、一息で聖騎士の肩口へとミョルニルを叩きつける。



681: ◆yufVJNsZ3s:2012/12/09(日) 04:18:32.99 ID:aaH0ifRe0

 肉体だけの堅さではなく、鎧だけのそれでもない手応え。恐らくは物理障壁を発生させる魔法が鎧に刻まれているのだろうと少女は思った。

 ミョルニルの一撃は物理障壁を容易く打ち破り、聖騎士をそのまま森の奥へと吹き飛ばした。しかし油断はできない。先ほども彼はすぐに復活し、勇者たちに追いついて見せた。それがまぐれでも偶然でもないと、誰もが思う。
 事実、聖騎士はむくりと起き上がったのだ。

狩人「二人とも!」

少女「おばあちゃんは!?」

狩人「気を失って……血の量はそうでもないけど、あたりどころがあんまりよくない。早めに何とかしないと」

勇者「魔法救護の道具が一つだけある、けど」

 勇者は二人を見た。二人の考えも同じであった。

少女「あいつが許してくれはしない、か」



682: ◆yufVJNsZ3s:2012/12/09(日) 04:19:13.32 ID:aaH0ifRe0

 がちゃり、と聖騎士の鎧が音を立てる。今回は時を止めて近づいてこない。魔力が切れたわけではないようなので、単調な攻撃が利かない相手であると理解したのだろう。

 勇者は苦し紛れに雷撃を放った。紫電はそのまま、まっすぐに聖騎士へと直撃する。

勇者「避けなかった……?」

 白銀の鎧の魔力抵抗の高さでダメージは微々たるものらしいが、確かに命中した。勇者はてっきりまた時間操作で回避されると思っていたのだ。
 いや。彼は考える。本質的に、雷撃を回避できる人間などいやしない。もし回避できるのだとすれば、それは発動を事前に予測したうえで射線上からずれているだけであって、雷撃が放たれてからでは遅いのだ。

 恐らく聖騎士の時間操作は自動で行われない。誘発しない以上、聖騎士が自ら魔法を使っているのだ。
 であるならば、雷撃は意識よりも早く聖騎士を襲うことができる。ダメージの多寡はともかくとして。
 そう、問題はダメージなのだ。あの鎧を破壊するか、それともより強い雷撃を見舞うか……しかし勇者の雷撃は先ほど放ったもので精いっぱいである。あれ以上の威力は、先に彼の魔力が枯渇する。
 解決の糸口は見つかりそうなのだが、途中で道がなくなっている。歯がゆい思いだ。



683: ◆yufVJNsZ3s:2012/12/09(日) 04:20:26.87 ID:aaH0ifRe0

 狩人もまた歯がゆい思いをしていた。弓を失くした彼女はもはや狩人ではなく、ただの少女であった。鏃も先ほど少女を助けるのに最後の一個を使ってしまい、腰に括り付けた袋の軽さは彼女の無力を現している。
 なにをどうすればいいのかがわからない。いったい自分に何ができるのか。それを考えてはいるものの、これといった結論は探り当てられなかった。

 せめて自分にも魔法が使えれば。生身で戦える強さがあれば。悔いても詮無いことを、けれど悔やまずにはいられない。

 ずい、と狩人の視界の端で、少女が一歩前に出る。ところどころ黒く侵食されたその体は、万全の体調でないのは明らかだのに。
 それを狩人は素直に凄いと思う。囚われ、勇者に助けられてから、彼女は明らかに変わった。
 恐らく勇者が変えたのだという確信を狩人は持っている。そしてそれは事実である。

 誰もが勇者に頼りたくなる、不思議な何かを彼は持っているのだ。
 彼なら大言壮語が、本当に実現するのではないかと思えるほどの何かを。



684: ◆yufVJNsZ3s:2012/12/09(日) 04:21:29.74 ID:aaH0ifRe0

少女「つまり、こういうことでしょ」

少女「認識よりも早く――意識されるよりも早く、アイツにミョルニルを叩ッ込めば!」

 音もなく、今度は少女の顔面が――右の眼窩から耳、頬と額の一部に跨る形で、黒く抉り取られた。
 何がスイッチなのか、彼らにはわからない。

 少女はそれで己の視界が確かに半分になったことを知る。遠近感覚もうまく働かない。脳もいくばくか削り取られているはずだが、とりあえずは前後不覚になっていないし、思考もきちんとできている。

少女(わかった、わかった。オーケー。アタシにはどうせ考えることなんて似合わない)

 今度はつま先から足の甲に至るまでが消えた。地面を掴んでいる感覚がない。

 下手の考え休むに似たり。ただミョルニルを自分のために、何より勇者のためにふるえていれば、彼女は畢竟問題なかった。
 心臓さえ働いていてくれれば。



685: ◆yufVJNsZ3s:2012/12/09(日) 04:22:20.81 ID:aaH0ifRe0

 地を蹴る少女。消える聖騎士。雷撃を放つ勇者。
 聖騎士に攻撃は当たらない。しかし、聖騎士の攻撃もまた、彼らには当たらなかった。
 いや、すんでのところで勇者と少女が避けているのだ。

 これではだめだ、と狩人は思った。自分はいったい何をしているのだ、と。

狩人(私にも何か)

 できることを。

 狩人は嘗て勇者に、彼女の窮地を救いに来てと頼んだ。結果的にその言葉が勇者の窮地を救ったけれど、決して勇者を救うために言ったのではない。彼女は確かに一人の女として恋人に守ってもらいたかった。
 それを少女趣味が過ぎると言うのは女心を理解していない人間だけだ。

 が、今は違った。今は彼女「ら」の窮地であって、彼女の窮地ではない。今はむしろ、彼女が仲間を助けなければいけない場面。

狩人(もう、仲間を失うのは、いやだ!)

 誰も目の前で死なせたりなんてしない。
 そう念じた瞬間、指先に暖かさが募るのを狩人は理解した。

 ゆえに、理解が、できない。



686: ◆yufVJNsZ3s:2012/12/09(日) 04:22:49.21 ID:aaH0ifRe0

 「ソレ」の正体は、魔力。本来彼女の体内には未熟な回路しか備わっていないはずの、魔力。
 狩人自身はその正体を知らないが、ただ、何に使うためのモノであるのかはわかった。長年彼女の右手にあったもの。生きる道具。守る道具。自己同一性が形を成したもの。わからいでか。 

 虹の弓。
 光の矢。

 魔力によって具現化された武具。
 たとえば、ウェパルの武装船団の同質の。

狩人「……っ!」

 まるで誘われるように矢羽へ手を伸ばした。手に吸い付くような感触が伝わって、そのまま筈を弦にかけると、力を入れてもいないのに引き絞れる。

 射る。



687: ◆yufVJNsZ3s:2012/12/09(日) 04:23:20.99 ID:aaH0ifRe0

 光の矢は確かに光であった。ただひたすらに真っ直ぐ飛び、直線のままに聖騎士の腕へと突き刺さる。
 聖騎士は咄嗟に踏ん張りを利かせて転倒こそ避けたが、数メートル地面に足の痕跡を残すこととなった。

 三人の視線が一斉に狩人へと向く。

狩人「虹の弓と光の矢」

狩人「正確に、関節を――」

狩人「撃ち抜く!」

 光が集まって自然と矢を形作り、狩人はただ指を離すだけでよかった。
 白い奔流が聖騎士へと降り注ぎ、鈍い音を立てながら鎧を穿っていく。それでも聖騎士の鎧の魔法抵抗は十分で、大したダメージを与えられているようには見えない。

狩人(威力が足りない……でもっ)

少女「隙ができれば十分ッ!」

 光の僅かな隙間を縫って、少女は聖騎士へと逼迫する。
 数度二刀とミョルニルが打ち合って、その間に光が聖騎士の足元を掬った。

少女「アタシたちの邪魔を、すんなぁあああ――!」



688: ◆yufVJNsZ3s:2012/12/09(日) 04:25:13.50 ID:aaH0ifRe0

 ごぶり。

 ミョルニルを振り上げて、そして、そのまま少女の口から血が噴き出す。
 胸元に大きく黒い抉れ。心臓はかろうじて回避している位置であるが、胃と、肺と、横隔膜が根こそぎ奪われている。

 脚を踏み込んで押しとどめようとするが、すでに聖騎士は少女の眼前にはいない。

勇者「ちっ!」

 勇者はあたり一面へと雷撃を降らせる。追撃だけは何としてでも避けなければならなかった。
 草木を踏み倒す音の方向には聖騎士が立っている。おおよそ三人から十メートルといったところだろう。彼には一瞬で詰められる距離だ。

勇者「大丈夫か」

 少女に迂闊に駆け寄ることはできなかった。聖騎士がにらみを利かせていて、不用意になど動けない。

少女「なんとか、ね」

 それが強がりなことは一目瞭然だ。口から下は血まみれで、脂汗も酷い。足も常に震えている。



689: ◆yufVJNsZ3s:2012/12/09(日) 04:26:40.04 ID:aaH0ifRe0

狩人「二十秒、耐えて」

少女「それだけで、何ができるって、言うんですか」

狩人「できる。やって見せる」

少女「……」

少女「やってもらなくても、死ぬだけ、か」


 狩人はすっと手を勇者に差しだした。
 その動きのあまりの自然さに、勇者も少女も、聖騎士さえも、動作が終わってからようやく気が付くありさまだった。

 狩人の穏やかな顔。パーティ会場で「エスコートしてくださる?」とでも言わんばかりの、優雅な、そして何より満ち足りた表情。
 思わず勇者はその手を取った。敵の眼前であっても、手を取らねばならないような気がしたから。

 二人は互いの手を握り締める。

 体温が交換される。

狩人「勇者、行こう」

 あなたとならば、どこまででも行ける。



690: ◆yufVJNsZ3s:2012/12/09(日) 04:27:27.31 ID:aaH0ifRe0

 聖騎士の姿が消えた。同時に数十本のナイフが空中へと突如現れ、二人へと四方八方から襲いかかる。
 しかし二人は動じない。二人の眼前には少女がいて、五体不満足が極まりながらも、しっかりとミョルニルで全てのナイフを打ち落としたからだ。

少女(なによなによなによっ、見せつけてくれるじゃないっ! もう!)

少女「わかったわ! 二十秒、命を懸けて稼いであげる!」

 言いながらミョルニルを頭上に振るった。金属と金属のぶつかる音。そこには聖騎士がいて、またも姿を消す。

 ナイフの雨の出現。打ち落とす。背後から現れる聖騎士と斬撃。切り結び、弾き飛ばし――数メートルの距離などゼロだ。聖騎士の二刀を回避しながら反撃。
 二刀での連撃をミョルニルの大ぶりで迎え撃つ。数度のかち合いの後、ついに一刀が刃の中腹から砕け散る。それでも聖騎士は止まらない。人を殺すにはその命さえあればいいという気概で突っ込んでくる。無論、少女も小細工なしで迎え撃つ。

 剣戟。手数では聖騎士に分があるが、重みでは少女に分がある。聖騎士は打ち合いをなるべく避けつつ、死角を取ろうと試みる。対する少女は木を背にするなどしながら、なんとか正面に聖騎士を出現させようともがく。
 一刀の振り下ろしを少女は寸でで回避した。回り込んで攻撃。しかしそのときすでに聖騎士はおらず、変わりにナイフの雨が眼前へと迫る。



691: ◆yufVJNsZ3s:2012/12/09(日) 04:29:20.96 ID:aaH0ifRe0

 聖騎士が背後から一刀を振り上げた。
 少女は反転を試みる。しかし抉れでどうしても反応は鈍い。意識も、体も。

 この時点まで、僅か五秒。

 悠久に感じるほど濃密に圧縮された時間の中、少女の左腕が、体という制約から解き放たれる。
 血は出ない。剣戟の鋭さに、体は攻撃に気が付かない。

 少女は吠えた。無意識の行動だった。

 こんな奴に負けるわけにはいかないと、少女は先ほどからずっと思っていたのだ。
 何が「こんな奴」なのかはわからないけれど、確かに目の前の聖騎士は所詮「こんな奴」にすぎなかった。その程度の男だった。

 だから、負けるわけがない。

少女「負けるわけが! ないっ!」
 左腕を右手が掴んだ。そのまま切断面と切断面を無理やりに押し付け――また吠える。

 自分の体は自分のものだ。切り離されても、抉られても、自分のものなのだ。
 自分の思い通りにならないわけがない。

 少女はそのまま左腕で、

 左?

 左。

 左腕で!

 聖騎士を、殴り飛ばした。



692: ◆yufVJNsZ3s:2012/12/09(日) 04:30:27.29 ID:aaH0ifRe0

 高速で吹き飛ぶ聖騎士に、地面を蹴って追いすがる。聖騎士は時間を止めて対処しようとするが、時間を止めても止めても止まらない少女の追撃に、焦燥を感じずにはいられない。

 圧縮された濃密な時間が解放される。

少女「二十秒! 確かに、稼いだわよ!」

 血をまき散らしながら少女はまた吠えた。勝利の咆哮であった。
 狩人と勇者が何をするかはわからないが、狩人が言ったからには勝利なのだ。そう信じられる程度には、少女は彼らを信じていた。
 他の何においても信じられる程度には。

 少女の視界の中で、手を固く結んだ二人の残った手、その間に小さな、けれど渦巻くほどの雷撃が現れていた。矢の形をした雷。いや、雷の姿を持った矢なのかもしれない。
 ひどく中間的なその魔力体から聖騎士へと視線を向けて、狩人は呟く。
 ぽつりと、一言。

狩人「インドラ」

―――――――――――――――――



698: ◆yufVJNsZ3s:2012/12/19(水) 02:39:57.42 ID:ZKwRGWwZ0

―――――――――――――――――

 聖騎士は「あぁ」と呟いた。そこには何の感慨もなく、ただ「あぁ」という呟きだけが漏れた。
 光が聖騎士を照らす。雷撃の生み出す光。触れただけで溶け落ちそうな魔力の矢は、一瞬の思考、意識、反射すら待たずに彼の首から下を持っていく。

 即死だった。僅かに時間があれば、彼は反応して時間操作を行い、逃げおおせるつもりだった。それもできないほどの威力と速度だけれど、なぜか不思議と、残る意識がある。
 渦を巻き、尾を引く思考。

 彼とともにあった、四人の仲間の姿。

 彼は確かに見たのだ、彼が求め続けていたものを。
 不完全ながらも。

 それは決して彼の願いをかなえたわけではなかった。結局、彼は最後まで、自身のルーツを知ることはなかった。なぜ記憶喪失になったのかも。
 しかし安穏の一助にはなった。自分にも確かに過去はあって、仲間がいたのだと思えたことは、彼の短い――記憶の上では――人生の中で、最大級の幸福だった。

 そうして、やがて意識も絶える。

 嘗て「魔王」と呼ばれた男は、こうして最期を遂げたのだった。

 そんなことなど露知らず、勇者たちは老婆に駆け寄る。少女もふらふらになりながら、己の祖母のところへと、向かっていく。



699: ◆yufVJNsZ3s:2012/12/19(水) 02:40:26.79 ID:ZKwRGWwZ0

勇者「ばあさん、大丈夫か!」

 勇者が老婆の肩を揺さぶると、瞳が苦痛に歪みながらも、ゆっくりと開いた。

老婆「そんなに、叫ぶな……大丈夫じゃ、生きておるよ」

 腹をさする老婆。破けたローブの隙間からは血の滲んだ包帯が見え隠れしている。

少女「本当に大丈夫なの?」

老婆「大丈夫じゃ。やられる寸前、治癒の陣地を体内に構築した……とはいえ、痛みはどうにもならんが、いつつっ!」

 確かに老婆の腹から血液の流出はない。ナイフの刺さっていた箇所は、包帯の下ですでに瘡蓋になりつつあるのだろう。
 聖騎士の攻撃が腹を一突きであったのが幸いだった。これがたとえば首を刎ねられたりしていたら、如何な老婆と言えどもどうしようもない。

 とはいえ、どうしようもないのはむしろ聖騎士だった。時間操作によって停止した対象には、文字通り刃が立たない。ゆえに聖騎士は時間操作を主として移動のみに使っていたのだし、攻撃手段もナイフの物量に頼った。



700: ◆yufVJNsZ3s:2012/12/19(水) 02:40:56.48 ID:ZKwRGWwZ0

勇者「大丈夫っていえば、お前も左腕、大丈夫なのか?」

 一度は切り離された左腕。少女は自らの腕を上げ、手を握ったり開いたりして、なんでもないことを示して見せる。
 まさか、という気分であった。あまりにそれは人間業ではない。

勇者「……お前もだんだん人間離れしてきたな」

少女「死んでも生き返るアンタに言われたかないわよ」

勇者「狩人もいつの間にあんな魔法を……狩人?」

狩人「……」

 狩人は己の手を見る。突如として現れた弓と矢。それが出てくる原因を、意味を、狩人自身が図りかねている。
 もし普段から魔法の訓練を積んでいたならば、結実とみることもできたろう。しかし狩人はいまだかつて魔法の訓練など行ったことがない。運が良かったと、ご都合主義だと思えばよかったのだろうか。

 確かに己の体内に熱を狩人は感じていた。それは灯だ。ついぞ存在しないと思われていたものだ。

 狩人は、なぜだか安らかな顔で転がっている聖騎士を見て、呟く。



701: ◆yufVJNsZ3s:2012/12/19(水) 02:41:30.37 ID:ZKwRGWwZ0

狩人「私たちは過去を乗り越えて、未来のために生きている。過去のために生きてるあなたが勝てる道理は、ない」

 後ろ向きであることを否定するつもりはないが、聖騎士の生き方は目的と過程において同一化のなされた、あまりにも後ろ向きすぎる営為であった。その営為の生み出す熱量は、所詮あの程度である。
 前を向いて泥の中をもがく者たちに比べれば、とてもとても。

老婆「しかし……だいぶ魔力を消費してしまった、な。済まんが、このまますぐに行動というわけには、いかなさそうじゃ」

 それもそのはずである。老婆はもともと陣地構築を得意としているわけではなかったし、ただでさえ本来ならば準備の要する呪文である。即座にその展開を可能にしたのは、老婆の類稀なる魔力量に他ならない。
 必要とする行程はすべて魔力ですっ飛ばした。その結果として魔力が枯渇に近づいたとしてなんらおかしくはない。

少女「しょうがないね。おばあちゃんはゆっくり休んでて。アタシたちだけで、あの変態を――」

 ぐらりと少女の体が傾いだ。勇者と狩人が手を伸ばすが、それよりも先に少女は地面に倒れる。
 いや、さらにそれより先に、少女の全身が黒い抉れに飲み込まれ、消失した。

 勇者と狩人の手は虚空を浚う。



702: ◆yufVJNsZ3s:2012/12/19(水) 02:42:56.55 ID:ZKwRGWwZ0

 脳が理解を拒んだ。
 あまりにあっけなさすぎる結末。

勇者「は……?」

 全ては油断が招いた結果だった。そのような誹りを受けても、誰も否定はできない。即効性のなさに後回しにしていたことが全ての問題だ。
 寧ろ誹りを受けるくらいで過去を修正できるならば、どんな罵倒も拷問も受けるつもりだった。

 だが現実はあまりにも苛烈で、過去はどこまで不可逆である。

 名前を呼んでも、応えはない。

勇者「なんだよこれぇっ!」

勇者「ふざけんじゃねぇぞっ……!」

 勇者はあたりを見渡した。どこかに偉丈夫がいて、この周囲からこちらの様子を窺っているのではないかと思ったのだ。
 当然そんなはずはなかったし、勇者もそんなはずはないと思っていた。体を動かさなければ重責に押しつぶされてしまいそうだったのだ。

 無論、勇者たちは知らない。偉丈夫の呪術の効力が及ぶ範囲を。その途方もなさを。
 偉丈夫の呪術は、基本的に彼が死ぬか解除しなければ、隣国に逃げようともついて回るほど強力なものだということを。




703: ◆yufVJNsZ3s:2012/12/19(水) 02:43:25.71 ID:ZKwRGWwZ0

狩人「勇者! とりあえず落ち着かないと!」

勇者「って言ったって!」

狩人「ここはもう敵陣で、戦場。なんのために私たちがここにいるのか思い出して!」

 世界を平和にするのだ。わかっている。そんなことわかっている。忘れこともない。
 それでも。

勇者「はいそうですか、って言えるわけねぇだろ……」

 勇者が苛立ちを隠せずに舌打ちをした、その時である。

 ずしん、と。

 否。ずぅううううううん、と。

 地を鳴り響かせる轟音が、林の奥、恐らく平原の戦場から、聞こえてきた。
 それは単なる轟音ではなかった。地震を彷彿とさせる揺れを伴って、魔力の余波が、確かに彼らにも届く。

 たっぷり三十秒ほど揺れて、ついに音も揺れも収まる。

勇者「……」
狩人「……」
老婆「……」

 顔を見合わせる三人。一体奥地で何が起こったのか、想像だにできなかった。



704: ◆yufVJNsZ3s:2012/12/19(水) 02:45:33.80 ID:ZKwRGWwZ0

狩人「あれが、核、ってやつなの?」

 呆然と狩人は尋ねた。老婆は音源から顔を逸らさず、僅かに顔を横に振る。

老婆「あれは途方もない熱波を伴う。この辺りが焦土になっていないということは、あれは核魔法では、ない」

狩人「なら……」

 あれはいったい何なのか。
 狩人はその言葉を飲み込んだ。が、二人も気持ちは同じだった。

 魔法に精通している老婆に正体がわからないということは、滅多なことではありえない。そこにある何かは、恐らくイレギュラーだ。そしてそのイレギュラーがプラスに働かないことは明白である。
 考える間もなく勇者は立ち上がる。頭に上った血はだいぶ降りてきていた。

勇者「行くぞ」

狩人「……うん」

老婆「わしを置いて行ってくれるなよ」

 老婆も何とか立ち上がって言った。



705: ◆yufVJNsZ3s:2012/12/19(水) 02:48:39.40 ID:ZKwRGWwZ0

 声が一人分足りないことはいまだに精神を苛む。しかし、勇者は知っていた。悼むことはいつでもできるのだと。そして全てが終わってから悼むことこそが、少女にとって本当の悼みになるのだと。
 三人は視線を交わらせる。そうして頷いたのち、駆けた。

 木を避け、藪を突っ切り、下草を踏みつけながら走る。

勇者(おかしい)

 先ほど狩人が言ったように、ここは戦場で敵陣だ。それだのに……

勇者(敵兵が、いない?)

 あの轟音が敵軍のものならば、敵兵は恐らくそのことを知っているはず。敵兵がいないということは、轟音のもとを対処するために持ち場を離れたのだろう。
 その事実は逆説的に、あの轟音が勇者たちの国のものであることを意味している。しかしその仮説は、老婆が轟音の正体を知らないことで否定される。彼女の知らないほどの機密だというのは考えにくい。
 曲がりなりにも彼女は兵器としての個人で、さらにかつての戦争の英雄なのだ。



706: ◆yufVJNsZ3s:2012/12/19(水) 02:49:29.32 ID:ZKwRGWwZ0

 ならば導き出せる帰結はただ一つ。あの轟音は恐らく第三者が引き起こしたものだということ。

勇者「っ!」

 剣を抜き、走りざまに切りつける。
 手ごたえがあって、トロールの脂肪のついた首から上が、地面に転がった。
 数度痙攣して緑色の体もまた崩れ落ちる。

狩人「トロールなんて、この辺にいたっけ?」

老婆「いや、いないはずじゃ。が……」

勇者「いるんだから、いるんだろうよっ!」

 三人の視界いっぱいに魔物の大群が押し寄せていた。

 トロール。コボルト。スライム。ゴブリン。キメラ。ローパー。そしてそれらの眷属たち。明らかに地上にいるはずのない、水棲の魔物まで這いずってきている。

勇者「なんだ、これ……」

 十や二十では利かない数の魔物に、思わず体の力が抜ける勇者。誰だってわかる。これが異常事態であることに。



707: ◆yufVJNsZ3s:2012/12/19(水) 02:50:29.60 ID:ZKwRGWwZ0

 ゴブリンメイジが放った火球を、狩人が光の矢で相殺させる。

狩人「ぼーっとしちゃだめ」

勇者「あ、あぁ。悪い」

老婆「轟音と関係があるんじゃろうな、きっと」

 そして、魔物たちはここにだけ押し寄せているわけではあるまいとも、老婆は思った。
 轟音の正体が敵軍でも自軍でもないのだとすれば、それは第三者以外が引き起こしたものに他ならない。そしてその第三者足りえるのは、この現状を鑑みるに、魔王軍しか考えられない。
 魔王軍の目的が何なのかはひとまず置いておくとして、意味もなくこのような事態が起こるはずはなかった。

 老婆のその考えはほぼ十割が的中している。あの轟音の正体は確かに九尾によるものであるし、この魔物の大群も、全て九尾が用意したものであった。

 その数、一億八千万。

 数を多く用意した分個々の強さは落ちたが、九尾がほしいのは質より量。軍隊の足止めができればそれでよいのである。



708: ◆yufVJNsZ3s:2012/12/19(水) 02:51:43.35 ID:ZKwRGWwZ0

勇者「くそっ! 倒しても倒してもキリがねぇ!」

狩人「勇者!」

 狩人が手を伸ばす。魔力の奔流がその手のうちに生まれている。
 勇者はそれに合わせた。手を取り、己の魔力を手のひらに顕現、狩人の魔力と練り上げる形で雷に形を付与していく。

狩人「私たちの邪魔は、させないっ――インドラ!」

 閃光が魔物たちを食い尽くしていく。あくまで貪欲な悪魔の矢は、彼らの前方に位置した魔物たちを、一体一体ではなく塊として焼失させる。生物と無生物の区別なく、焦土が広がるばかりだ。
 しかし魔物たちは止まらなかった。もとより恐怖という感情すらないほどの低能である。焦げ付いた地面に足の裏を焼かれても止まることなく、ずんずんと向かってくる。

狩人「もう一発!」

 インドラが作った禿道の上を走りながら、二人はもう一度、インドラを魔物たちに向けて放った。閃光とともに一瞬で魔物が蒸発するが、しかし、全滅には程遠い。

 インドラが弱いわけではない。ただ、雷の矢は限りなく個人を殺すためのものだ。百の強さの一人を殺すことはできても、一の強さの百人を殺すには不向きである。
 何より行く手を阻まれては、単なる固定砲台にしかならない。専守防衛ならばそれもよいが、彼らの目的はこの先に向かうことである。インドラでは役割が違うのだ。

老婆「退いておれ、二人とも」



709: ◆yufVJNsZ3s:2012/12/19(水) 02:53:46.30 ID:ZKwRGWwZ0

 僅かな魔力から特大の火球を生成し、それを大群に向けて解き放つ。速度こそ決して早くないけれど、火炎は木を飲み込み、魔物を飲み込み、止まる様子を見せない。

老婆「この後ろについて走れ! 行くぞ!」

 熱気と火の粉が肌を撫でていく。それでも確かに、僅かに、前へとは進めていた。
 時折左右から迫りくる魔物を蹴散らしながら、三人は火球の後を追って走る。

 と、突如として火球が押しとどめられる。それどころか段々と縮小し、僅かな光とともに炸裂、雲散した。
 前方に鋼のウロコを備えた、燃えるように赤い巨大なトカゲが、舌を出しながら三人を睨みつけている。

老婆「サラマンダーッ!?」

 回避行動をとるよりも先に、サラマンダーが灼熱の息を放つ。骨すらも残さない高熱の炎は、周囲の木々と、仲間であるはずの魔物すらも炎で包み、構わず根絶やしにしてゆく。

 老婆は対ブレス用の障壁を張って被害を軽減するが、サラマンダーの目つきを見る限り、どうやら逃がしてはくれないようだ。
 口から放たれる火炎弾を狩人が打ち抜き、その隙を狙って勇者は切りかかる。固いウロコに剣の利きは悪いが、電撃は普通に効果がある。サラマンダーは距離を取ってブレス攻撃を続けてきた。



710: ◆yufVJNsZ3s:2012/12/19(水) 02:55:25.98 ID:ZKwRGWwZ0

狩人「ふっ!」

 光の矢が幾本も降り注ぐ。それらは正確にサラマンダーの関節を撃ち抜くが、すぐに炎で燃え、炭になった。

勇者「埒があかない! 逃げるぞ!」

 ブレス攻撃の隙をついて三人はサラマンダーの脇を抜けて走り去る。後ろから地響きとともにサラマンダーが追ってくるも、その速度は脅威ではなかった。
 寧ろ脅威は目の前の魔物たち。肉の壁となって立ちはだかるそれらを、勇者は切り、狩人は穿ち、老婆は薙ぎ払っていくが、進むにつれてその密度もだんだん濃くなっていく。

「これはどういうことなのよっ!?」

 声とともに三人の後方からサラマンダーが吹き飛んできた。
 赤熱するその爬虫類は、体液もまた赤く燃えている。それを周囲の魔物にぶちまけながら、まとめて吹き飛んでいく。

 少女であった。

 彼女は険しい表情をしながらも、ミョルニルを構えて魔物の集団に突っ込んでいく。

勇者「おい、なんで……」

少女「アタシだってわっかんないわよ! 気が付いたら戻ってきてたの! それとも、なに、アタシなんて必要なかった!?」



711: ◆yufVJNsZ3s:2012/12/19(水) 02:56:34.23 ID:ZKwRGWwZ0

 全力でスイングしたミョルニルは、トロールの腹を撃ち抜いて、そのまま前方に吹き飛ばす。そうして空いた空間に少女はさらに躍り出る。

少女「何が何だか分かんないなら足を止めないほうがいいんじゃない!?」

 その言葉に行動でもって三人は返事とした。少女の後に追従して、あたりの魔物を薙ぎ払いながら突き進んでいく。
 やはり純粋な突破力という一点で言えば、それは少女に分があった。力任せに殴りつけて遠くまで飛ばすという、原初の攻撃は、けれども前に進むだけならば有効だ。

 そうしてどれだけ進んだろうか、ついに森の先に切れ目が見えてくる。光が差し込んで白く輝いているのだ。

 四人は光の下へと踏み入れた。

勇者「っ!」

 目を凝らすまでもなかった。地平線のように固まり、並び、蠢く魔物と、その中心に一つの塔が立っているのがわかる。
 塔は窓もない角柱で、ただただ白い。まるでオベリスクだ。
 蠢く魔物たちの動きを見ていれば、彼らがあの塔の周辺に設置された魔方陣から、次々と生み出されているのが見て取れる。



712: ◆yufVJNsZ3s:2012/12/19(水) 02:57:02.16 ID:ZKwRGWwZ0

 そして魔物たちをさらに囲むように、兵士たち。
 身に着けている鎧に違いはないものの、それぞれ二つの旗印を中心とした軍勢があった。赤と青を基調としたものが勇者たちの軍、白と灰色を基調としたものが敵軍のものだ。

 最初三つ巴なのかと勇者は思ったが、違った。兵士たちは魔物たちと戦っていて、決して人間同士で戦いを行おうとはしていない。その余裕がないのか、何らかの取り決めが一瞬でなされたのかは、わからないが。

 人間の抵抗虚しく、じりじりと魔物の軍勢は拡大し、塔を中心とする黒い円もその直系を広げていた。何せ魔方陣から生み出される数が途方もないのだ。所詮数千人の人間で止められるわけもない。
 勇者たちは急いで塔へと向かっていく。何が起きているのかはわからないが、どうすればいいのかは一目瞭然だった。

 途中で数人の兵士たちと出会った。勇者らは彼らを知らないが、彼らは勇者を知っているようで、うれしそうな、しかし緊迫した様子で声をかけてくる。

兵士「おう、あんたらも来てたのか! こりゃ助かる!」



713: ◆yufVJNsZ3s:2012/12/19(水) 03:02:01.84 ID:ZKwRGWwZ0

勇者「どうしたんだ、これ」

兵士「俺たちにもわからん! ただ、急に地面が揺れたかと思ったら、あんな塔が出てきやがった。そして魔物もだ! ちくしょう!」

狩人「敵軍は」

兵士「それもわからん! 俺たちは最初敵軍の秘密兵器かなんかだと思ったんだ、でも、魔物は敵兵も喰った。どうやらあっちのものじゃあないらしい」

兵士「だから今は停戦だ。そんなお達しがあったわけじゃねぇが、ま、暗黙の了解ってやつで、とりあえずは魔物をぶっ殺すって話だぜ」

勇者「そうか。ありがとう」

兵士「なに、いいってことよ。お前らには期待してるんだ。悪いが、一緒に食い止めてくれ」

少女「合点!」



714: ◆yufVJNsZ3s:2012/12/19(水) 03:32:51.02 ID:k2Vwk+xV0

「お前ら、生きていたのか」

 声のする方向を向けば、そこには上半身裸、衣類はふんどし一枚の男が、剣を振るう兵士の後ろで脂汗を流していた。
 彼らに呪いをかけた偉丈夫その人である。

少女「あ、あんた――!」

偉丈夫「待て。我はもう呪術を解除した。いや、解除せざるをえなかった」

老婆「魔物か」

偉丈夫「そうだ。今、両軍で魔物を抑えにかかっている。魔方陣の解除の仕方はわからなかった。が、恐らくこの塔の中に、犯人がいるのだとは思う」

偉丈夫「……団長を倒したのか」

 いささか驚いたふうに偉丈夫は言った。聖騎士として彼の強さを知っている者としては、なおさら信じがたかったのだろう。しかし、勇者らがここにいることが何よりの証左だった。

狩人「……うん」

偉丈夫「いや、何も言うまい」



715: ◆yufVJNsZ3s:2012/12/19(水) 03:35:18.99 ID:k2Vwk+xV0

 偉丈夫はそこで一度会話を打ち切り、黒い光に包まれた両の手を、胸の前で勢いよく合わせた。
 黒い波動が両手を中心に迸り、生物の体を貫通していく。

 ぐらり、と魔物たちの体が揺れた。見れば体中が抉れに侵されている。
 倒れた魔物の上を後方から来た魔物が踏みつけて進んでいく。それに合わせて銀色の甲冑を身に着けた偉丈夫の部下たちが迎え撃った。
 密集した長槍の穂が無計画に突っ込んでくるゴブリンを串刺しにするが、さらにその後ろからの圧力に、じりじりと後退を迫られている。

兵士「聖騎士様! このままでは埒があきません!」

偉丈夫「何としてでも耐えろ! 全身全霊を振り絞れ! 今本隊と交信を行っている最中である!」

 兵士たちが一斉に「はい!」と答え、唸った。
 偉丈夫はそれを険しい表情で見つめている。彼は交信など行っていなかったからだ。
 塔が姿を現したその時、すぐに彼は本隊に今後の策を尋ねた。そして本隊は答えなかった。状況の把握ができていなかったことと、それでも彼らの手に余る事態であることを、保身に長けた上層部は知っていたからだ。

 この防衛線の先には未来がない。ただ事態の先延ばしがあるだけである。それでも、偉丈夫はそれを行っている。
 理由など考えるまでもなかった。



716: ◆yufVJNsZ3s:2012/12/19(水) 03:36:58.96 ID:k2Vwk+xV0

兵士「右前方で一部防衛ラインが決壊、一部の魔物が漏れ出しています! あそこから崩されます!」

少女「アタシたちが――!」

偉丈夫「行くな!」

 偉丈夫が手を向けたその先に紫色の杭が撃ち込まれる。大人一人はあろうかという杭は、兵士たちをなぎ倒しながら進む魔物の進路を塞ぎ、それだけではなく鼓動も止める。
 杭から放たれる毒素の霧を吸い込んだ魔物は、ばたばたと倒れ伏していく。

偉丈夫「我はこの場を離れられん。なんとかして、食い止めなければ」

偉丈夫「ここはまだいい。人気が少ないからな。しかし、数キロ離れた地点には村がある。町がある。そこに住む人がいる。そいつらに牙を向けさせてはならないのである」

偉丈夫「そのために我ら兵士はいるのだからな」

 ここは偉丈夫たちの国土なのだ。緊迫も勇者たちの比ではないのだろう。
 彼らが決死の覚悟で防衛線を築いているのはそのためだ。



717: ◆yufVJNsZ3s:2012/12/19(水) 03:38:39.95 ID:k2Vwk+xV0

 とはいえ畢竟勇者たちも同じではあるのだ。だけでなく、自国の兵士もまた。このまま際限なく魔物が湧き続ければ――そんな怖気もよだつような思考はどうしても頭から離れない。
 愛する者のため、家族のため、命を賭しても成し遂げなければならないことがあるのだった。

偉丈夫「お前ら、我が道を開ける。塔へと突っ込め」

狩人「……いいの?」

勇者「そんな大役……」

偉丈夫「怖気づくか? 団長を倒したお前らなら、あるいは、な」

 勇者はちらりと三人を見た。狩人も、少女も、老婆も、その視線を受けて小さく、だがしっかりと頷く。

偉丈夫「済まない、頼むぞ!」



718: ◆yufVJNsZ3s:2012/12/19(水) 03:40:15.62 ID:k2Vwk+xV0

偉丈夫「裂ける地、割れる空、静謐なる澱み、ぬかるみの恍惚! 心の拒絶千里を走り、その道程に敵は無し!」

偉丈夫「マヌーサ!」

 魔物の頭上で黒い粒子が拡散していく。数秒後、周囲の魔物は一斉に、あるものは同士討ちをはじめ、またあるものはその場でぐるぐると回りだした。
 初歩的な眩惑呪文である。しかし、それを数百数千という対象のかけて見せるとは、さすが聖騎士の一員と称賛できよう。

勇者「今のうちに、ってことかい」

老婆「あとは任された」

狩人「なんとかしてくる」

少女「期待して、待っててよ!」

 誰よりも早く少女が駆けた。地を蹴り上げたその速度は、それまでの呪術に蝕まれた体が嘘であるかのように軽快で、あらぬ方向を向く魔物たちを蹴散らしながら進んでいく。
 それをサポートするのは老婆と狩人だ。頭上から降り注ぐ光の矢と火炎弾に魔物たちは為す術もない。胸を穿たれ、頭を焼かれては、たとえ生命力の強いキャタピラーであろうとも一瞬である。
 背後や側面から迫るインプは勇者が雷撃で撃ち落とす。閃光が放たれるたびに、焼け焦げた醜悪な使い魔は地面へと無残に落下してゆく。



719: ◆yufVJNsZ3s:2012/12/19(水) 03:41:12.66 ID:k2Vwk+xV0

 光の矢が最後のぶちスライムを粉々にしたとき、勇者たちはすでに魔方陣の上に立っていた。
 淡く光る六芒星と、それを取り囲む三重の円。円と円の間には細かなルーン文字が書かれている。あくまで一般的な召喚魔法陣ではあるが、ただそれが塔をぐるりと囲んでいるとなると、結果として途方もない召喚魔法陣と呼べるだろう。
 入り口はあったが先は暗闇で何も見えない。時刻は昼で、太陽の光は確かに差し込んでいるはずなのに、薄暗いという次元を超越している。

老婆「魔法的な処理が施されている。空間転送か、遮断か……」

少女「入れないってことは?」

老婆「それはない。そういう処理はされていない」

勇者「誰でもウェルカム状態ってことか。逆に怪しいな」

狩人「でも、行かなくちゃ」

少女「そう、その通り! 行くっきゃないっしょ、おばあちゃん!」



720: ◆yufVJNsZ3s:2012/12/19(水) 03:42:38.34 ID:k2Vwk+xV0

 制止をする間もなく塔の中へと歩いていく少女。それを勇者たちは慌てて追って、漆黒の中へと体を埋めてゆく。

 気が付けばそこは四角い空間であった。三十メートル四方の、正方形の空間。茶色い土壁のような印象を受けるが、その実どこもかしこも魔法的な障壁が張られている。
 部屋の隅に丸く魔方陣があって、薄く光っている。転移用のポータルとして起動しているそれ以外は、出入り口がない。たった今四人が入ってきたはずの入り口でさえもなくなっていた。

 四人はとりあえず寄り添って一塊になる。どこから何が襲ってきてもいいように。

「もし。お前ら、元気か」

 虚空から声が響いた。彼らにとって聞きたくのないであろう――そしてしばらくぶりの声だ。
 勇者の顔が歪む。老婆もまた、「やはりか」といった表情で、眉根を寄せた。

 その声は九尾のものだ。

九尾「魔方陣と魔物を生み出しているのは、九尾だ」

 四人に動じるところはない。恐らく想像はしていたのだろう。
 もしかするとちょっかいをかけすぎたかな、と九尾は思う。もしそうなのだとすれば、それは恐らくアルプの影響を受けてしまったのだとも、思った。

 しかし。九尾は考え直す。計画は絵図通りに進んでいる。ここまできての計画変更はあり得なかった。



721: ◆yufVJNsZ3s:2012/12/19(水) 03:43:13.14 ID:k2Vwk+xV0

九尾「魔方陣を止めたければ――世界を救いたければ、この塔の最上階まで登ってこい。以上だ。健闘を祈る」

老婆「待て!」

 老婆の声が響くよりも先に、彼らが感じていた九尾の気配が消失する。そしてそれと入れ替わり形で、部屋の隅に害悪的な存在感が、重みをもって現れた。
 桃色の髪の毛と光彩。燃えるように赤い唇。絶世の美貌。そして恐ろしいまでに蠱惑的な表情。恐怖が不思議と彼女にスパイスとなって降りかかり、老若男女を問わずに死地へと追いやる。

 魔王軍四天王、序列四位、夢魔・アルプ。

 彼女は壁にもたれかかるように立って、にやりと笑った。

―――――――――――――――――――



727: ◆yufVJNsZ3s:2013/01/25(金) 23:56:41.80 ID:yIzD51JZ0

―――――――――――――――――――

アルプ「へろー、久しぶりだね」

 あくまでも気さくにアルプは言った。それに対する四人の返事は、武器を構える。

アルプ「待って、今からルールを説明するから」

勇者「ルール? 俺とお前らは敵だろう」

アルプ「それでも、だよ。何事にもルールはある。戦争にもあるようにね」

アルプ「勘違いしないでよ。あくまで攻めてるのはこっち。ルールに従えないって言うなら、交渉は決裂。人類は滅亡。オーケィ?」

勇者「……」

アルプ「とりあえず武器を下ろしてよ」

 無言のままに四人は武器を下ろした。アルプに攻撃の姿勢が見えないというのもその一助となった。
 とはいえ、アルプは目を合わせるだけで人と物を魅了できる。そのことを特に勇者と狩人が忘れているわけはなかった。アルプの瞳を視線に入れないように、足元に視線をやっている。



728: ◆yufVJNsZ3s:2013/01/25(金) 23:57:57.43 ID:yIzD51JZ0

アルプ「じゃ、ルール説明。この塔は四階建て。最上階に九尾がいて、九尾を倒せば魔方陣は止まります」

アルプ「で、各階、つまり一階と二階と三階には、四天王がいるよ」

アルプ「きみらは各階で四天王と戦って倒してください。全員倒せば魔方陣は解除されるっていう寸法だから」

アルプ「ただし、一人だけ。戦うのは一人。残りの人は次の階に行って、また別の四天王と戦う。あくまでフェアにやる」

アルプ「何か質問は?」

老婆「なんでこんなことを」

アルプ「おっと、ストップ。それは関係のない質問っしょ。ま、いずれわかるよ」

アルプ「ほかには?」

 勇者たちは顔を見合わせる。アルプの、ひいては九尾の意図が彼らにはわからなかったし、だからといって暗闇の中に飛び込んでいくほど愚かでもなかった。
 ただし時間がないのもまた事実。一刻も早く魔物の召喚を食い止めたい彼らにとっては、たとえ暗闇が地獄であったとしても飛び込まざるを得ない。飛び込む覚悟でやってきていた。

 狩人が一歩前へと踏み出した。



729: ◆yufVJNsZ3s:2013/01/25(金) 23:59:51.38 ID:yIzD51JZ0

狩人「私が、行く」

勇者「大丈夫なのか」

狩人「大丈夫。それに何より、こいつとは、因縁がある」

 ぎろりと狩人はアルプを睨みつけた。三白眼にひるむことなく、アルプは適当にあくびを一つして、「ふん」と笑い飛ばす。

アルプ「根に持つタイプだねぇ」

狩人「生きることは遊びじゃない」

 アルプの顔が皮肉っぽく歪んだ。

アルプ「生きることは娯楽だって」

狩人「……本当に、あなたの存在って、反吐が出る」

アルプ「お、奇遇ゥッ! 実は私もそうなのよねぇ」

狩人「勇者、早く」



730: ◆yufVJNsZ3s:2013/01/26(土) 00:01:38.64 ID:1LgMsAnp0

 既に臨戦態勢の二人を見やりながら、三人はじりじりと後ろへと下がっていく。
 ポータル乗り込むと光が三人を包み込んだ。そうして、ややあってから三人は光とともに消えていく。一つ上の階へと進んだのだろう。

 狩人は左手に虹の弓、右手に光の矢を顕現させ、無言のままに跳んだ。
 既に戦闘は始まっている。三人が消えきったのがその合図。

アルプ「どういう裏技を使ったのさ。きみ、魔法なんて使えないはずでしょ」

 返事を射撃に変えて狩人は放った。数条の光線が弧を描きながらアルプへと襲いかかる。
 アルプの反応よりも先に、すでに彼女は壁を蹴って方向を転換。異なる方向から斉射を浴びせかけた。
 
 光の矢が壁へと突き刺さっていく。ひらりと身を翻して十数の矢を全て回避したアルプは、羽を一度大きく羽ばたかせ、その勢いで狩人に切迫する。
 アルプは真っ直ぐに狩人を見た。桃色の瞳が、まるで炎のように揺らめいている。
 見てはいけないと思う暇もなかった。ぐんと引力に精神と肉体が支配される。

狩人「くっ!」

 小指を自力で折る。激痛で思わず息が漏れていくが、脳髄に延ばされた手は確かに振りほどけたようだった。
 狩人はそのまま光の矢を乱射しながら、極力アルプの首から下だけを見つつ、距離を開ける。



731: ◆yufVJNsZ3s:2013/01/26(土) 00:02:13.88 ID:1LgMsAnp0

 そこをアルプが追いすがる。彼女の精神攻撃を耐える術は限られている。対抗ではなく、予防が必要だった。

狩人「しつこい!」

 弦が鳴る。
 放つたびに現れる光の矢は、それこそ狩人にとってはいつまでも撃ち続けられる弾丸である。張られた弾幕にアルプも一旦たたらを踏んだ。
 しかし、

アルプ「私の魅力に酔いしれるがよいさっ!」

 光の矢が急激に方向を転換し、地面、天上、壁へと突き刺さる。そしてアルプは速度を落とさない。驚きで歩みを遅らせた狩人とは対照的に。
 アルプの魅了は生物だけではなく無生物すらも支配下に置くことができる。当然、対象が魔力的なものであっても例外ではない。

アルプ「あと! 私がチャームしかできないなんて、思ってるんじゃないよね?」

 壁際へと追いやられていた狩人はそれを嫌って、だが、不自然に足が縺れた。そのまま背中から壁へと激突する。
 違和感があった。手の先と、足先が、ぴりぴりと確かに痺れている。いや、それだけではない。脹脛は痙攣までしているではないか。
 身体の酷使か――一瞬だけ狩人の脳裏にそんな疑問がよぎるが、そんなはずはない。確かにハードな生活を送っているとは言っても、この程度で根を上げる体のつもりはなかった。



732: ◆yufVJNsZ3s:2013/01/26(土) 00:03:44.68 ID:1LgMsAnp0

狩人「麻痺……ッ」

アルプ「私が操るのは精神だけじゃなくて、神経も」

 反射的に弓を構え、番えようとして、その腕を思いきりアルプが踏みつけた。

狩人「うあっ!」

アルプ「させないよ」

アルプ「ねぇ、なんで急に魔法が使えるようになったの? 私、それだけが気になって気になってしょうがないんだけど?」

狩人「そんなの、私が聞きたい」

アルプ「ふーん。わかんないんだ」

 狩人の前髪をアルプは掴みあげ、無理やりに己のほうを向かせる。
 三白眼と桃色の瞳が、否が応でも真っ直ぐに交じり合う。

狩人「よそ見してていいの?」



733: ◆yufVJNsZ3s:2013/01/26(土) 00:05:08.43 ID:1LgMsAnp0

アルプ「!?」

 確かな魔力の存在を感じて、アルプは思わず振り返った。その瞬間、アルプの羽を穿つ形で、数本の光の矢がアルプを襲う。
 飛び散る血液。体をかきむしる激痛。けれど、久しく感じていなかったその痛みという感覚は、アルプにとってはまさしく甘美なものだった。思わず口元に笑みが浮かんでしまうくらいには。

 アルプの力が弱まった瞬間を見計らって狩人は飛び出す。まだ麻痺は継続しているが、動けないほどでも弓を握れないほどでもない。
 状態異常を操る敵を相手取って、こちらに回復薬がいないのだとすれば、それは短期決戦しか攻略法がない。
 そもそも時間をかけるつもりもなかった。狩人はアルプと戦いに来たわけではない。ここはあくまで通過点に過ぎないのだ。ゆえに、より迅速にアルプを倒し、あの魔方陣を解除しなければいけない。

 それはつまりここでの勝利条件が単にアルプを倒すだけでは駄目だということをも意味していた。倒したうえで生き残り、勇者らと合流しなければいけないのだ。

 結果的に偶然授かった狩人の新たな弓と矢であるが、彼女はすでにその能力を我が物としつつあった。単純な弓と矢の性質に加えて、光は収束し、ある程度彼女の意思に従った軌道を描く。
 一度に放てるのは四発が限界だが、速射が従来の比ではない。矢を引き抜いて番え、引き絞り、放つという工程の一切を省いた結果、詰め寄られてからすら射出は間に合うようになった。



734: ◆yufVJNsZ3s:2013/01/26(土) 00:07:41.58 ID:1LgMsAnp0

 とはいえ、彼女がまだその能力の深奥を測りきれていないのも事実だった。魔力はいったいどこから供給されているのか。残弾の有無は。そのあたりは丸ごとブラックボックスに押し込まれている。

狩人(だけどっ!)

 そんなことを気にしないという選択肢を彼女は選んでいた。

 光の矢を顕現。同時に、それをすぐさま放つのではなく、顕現した場所に停滞させていく。
 移動しながら設置し続け、ぐるりとアルプを囲むように走る。

 アルプはその行為が意図するところをすぐに察したらしく、穴の開いた羽を一度はばたかせ、その勢いで素早く立ち上がった。

アルプ「殺すなって言われてるんだけど、なぁっ!」

 アルプの体から緑色の霧が吹きだされる。
 狩人はその正体に心当たりがあった。猛毒の霧。殺意を噴霧するその技は、アルプレベルともなると、一体どれだけの少量で人を死に至らしめるのか全くわからない。
 息を止めるだけでは生ぬるい。皮膚からも粘膜からも毒素は沁みこんでくるはずだ。



735: ◆yufVJNsZ3s:2013/01/26(土) 00:09:04.58 ID:1LgMsAnp0

 足元にたまる毒素に耐え切れず、狩人は光の矢を一斉に射出した。その勢いでもって猛毒の霧を散らし、中を掻い潜って今まさに突っ込んできているアルプと、真っ向から対峙する。

 狩人が撃った矢をアルプは魅了してそらし、桃色の瞳で狩人を見る。一瞬だけだがその瞳をまともに見てしまった狩人は、大きく前後不覚に陥る。

アルプ「『スタン』したね! でもそれだけじゃ、まだまだ――もうちょっとゆっくりしてもいいんじゃないの!?」

 途端に狩人の体が重くなる。麻痺だ。
 一体いつ、どこで麻痺を受けたのか、狩人にはわからない。力の入らない体に鞭をうって、一発、矢を放つ――魅了されて壁へと突き刺さる。
 アルプのつま先が狩人の鳩尾へとめり込んだ。勢いよく床を転がる狩人と、容赦なくそこへと追いすがるアルプ。床には毒素がまだ沈殿している。

狩人(これは、危険……っ!)

 ある程度なら毒素に抵抗のある狩人も、アルプの毒素にまで抵抗はできない。起き上がろうとするも、四肢は確かに麻痺しているのだ。

狩人(なんとか起き上がらないとっ!)

 光の矢を床に向けて放つと、大きな炸裂が起きた。魔力は狩人の体を弾き飛ばすと同時に傷つけても行くが、あのまま毒に侵され続けるよりはましだと彼女は思った。



736: ◆yufVJNsZ3s:2013/01/26(土) 00:17:13.53 ID:1LgMsAnp0

アルプ「『麻痺』にも慣れちゃった? なら今度は頭にゴー!」

 アルプが指を鳴らすと同時に、アルプの姿が四人に増える。否、狩人は妙に重い頭を無理やり振って、その事実を否定した。
 なぜなら、四つに見えるのはアルプの姿だけではないからだ。

 自らの手も、弓も、矢も、すべてがぼやけて増殖して見える。
 それだけではない。空間のところどころは捩じれて歪み、陽炎のように揺らめいていた。

狩人(混乱ッ……)

アルプ「状態異常なんて一つ与えれば十分! 私が指揮してあげるから、好き勝手に踊ればいいよ!」

 アルプの恐ろしさは何よりその性格にあるが、それでも能力もまた強力かつ無比であることに違いはない。
 彼女は状態異常の性質を変えることのできる能力の持ち主である。

 即ち、スタンを麻痺に、麻痺を混乱に、そして混乱を毒に、変化させることができるのだ。彼女の前では状態異常の耐性など無意味に等しい。それこそすべてに完全なる耐性を持たないのでない限り。

 そして意識を混乱へと導かれている間に、すでにアルプは狩人へと切迫している。
 甘ったるいアルプの芳香が、狩人には確かに香った。それだけで脳をくらくらさせる、淫靡な香りだ。



737: ◆yufVJNsZ3s:2013/01/26(土) 00:20:09.89 ID:1LgMsAnp0

狩人(光の――)

アルプ「遅い遅いね遅いよ遅いとき遅ければ、遅い!」

 光の矢を掴んでいた右手が大きく火炎に包まれた。まとわりつくように粘ついたその炎は、じりじりと狩人の右手を燃やしだす。
 同時にアルプの左手が狩人の首へとかかった。反射的に手首を掴み、首の骨を折られるのは避けたものの、がら空きになった胴体へアルプの蹴りが決まった。

 なんとか解いて狩人は地面へ手を叩きつけるも、それで火が消える気配はない。針で皮膚を何度も突き刺されるような激痛が絶え間なく神経を苛み、混乱と相まって世界が赤と黒に明滅し続けている。
 唐突に胸から込み上げてくるものがあって、手を口にやるよりも早く何かがこぼれていく。ぼやけた視界の中でもそれが何か分かった。血だ。

狩人(毒が……回ってきてるっ……)

狩人(なんとか、しないと。なんとか……)

 死が近い。
 足音がすぐそばで聞こえる。



738: ◆yufVJNsZ3s:2013/01/26(土) 00:25:43.09 ID:1LgMsAnp0

 「あいつ」は、すぐそばに来るまで気が付かないほど静かだ。そのくせ隣に来たときはこれでもかというくらいに自己主張をしてくる。狩人は「あいつ」、死という存在が自らのそばで顔を覗き込んでいるのではないかと思った。
 家族のみならず一族郎党まですべてがあいつの鎌の餌食となった。しかし、狩人は死を恐れこそするが、憎みはしない。死は誰にでも平等で、いつか彼女の下にもやってくることは自明だったからだ。
 ゆえに、許せないのは魔物だった。そして魔王だった。

 人間に仇なす存在がいなければ、愛する人々は死ななくても済んだのに。

 そのためにここまでやってきたのだ。もう二度と、自分の愛する人を、誰かが愛している人を、失う/失わせることのないために。

 世界を救うために。

 そうだ、世界を救うのだ。大仰な、大言壮語。それを狩人は不可能とは思えなかった。なぜなら彼女には勇者がいる。彼と一緒ならば、どこにだって行ける気がした。
 彼は不思議とそう思わせる人種なのだ。

 狩人は旅を通して、何より戦争を通して、わかったことがある。世界を救うことは魔物を倒すことでも、ましてや魔王を倒すことでもないのだと。
 ならば一体世界を救うとは何か。その答えを、けれど狩人はいまだ用意できていなかった。ただ従来のそれでは世界を救えないことだけはわかった。

 方法はこれから探す。
 ここで死んでなんかいられない。



739: ◆yufVJNsZ3s:2013/01/26(土) 00:28:23.76 ID:1LgMsAnp0

 死が平等で、いつかは自分のそばに立つものだとしても。

 「いつ」はいつかで、今ではない。

狩人(動いて、私の足)

狩人(動いて、私の手)

狩人(動いてよ、私の体ッ!)

狩人「動けぇええええええっ!」

 絶叫を中断させるようにアルプの炎が、今度は左手も焼いた。さらに蹴りまでもが飛んできて、大きく吹き飛んで壁へと激突する。
 体中の骨が軋んだ。どこかが折れているのかもしれない。
 だのに、心は折れない。不思議なことではない。

 だから、立ち上がれもする。

狩人「うご、けっ……!」

アルプ「執念は認めるけどさ、どうやって私に勝つつもりかにゃ?」

狩人「まだ、インドラが、ある」

 あの雷神ならば、たとえアルプでさえもチャームできないに違いない。もしされた場合には……それこそ一貫の終わりだ。

アルプ「……ま、期待しないでおくよ」



740: ◆yufVJNsZ3s:2013/01/26(土) 00:29:30.01 ID:1LgMsAnp0

 アルプの姿が消える。同時に砕けた壁の破片が周囲から狩人を目指して向かってくる。
 彼女はそれを光の矢でなんとか撃ち落とし、精神と皮膚の端を削りながらも、なんとか命だけはとどめていく。
 体と生命の原型がだんだんと擦り減っていく中、確かに狩人は、自分のそばに死が立っているのを見た。

狩人(こっちに来るな! まだ私は、やれる!)

 踏み込むたびに体が歪む。最早片足では体重を支えられない。
 口の中が血まみれで不快極まりなかった。血を吐いても吐いてもたまるので、すでに狩人は対処するのを止めている。

 アルプはそんな狩人を見ながら、最初は楽しそうな、未知の生物を見るような眼をしていたが、そのうち次第に眉根を寄せ始めていた。その感情は嫌悪であり、忌避に近い。

アルプ「なんでそんな頑張るのさ」

 アルプの指の一振りで、狩人の体内の毒が、全て四肢への麻痺へと変換される。途端に狩人はバランスを崩し、受け身も満足に取れないまま地面へと倒れこんだ。

アルプ「どうせみんな死ぬんだから、楽しまなきゃ損でしょ。誰かと遊ぶよりも誰かで遊ばないと」

狩人「あなたの……人生観なんて聞いてない」

アルプ「私は興味がある」



741: ◆yufVJNsZ3s:2013/01/26(土) 00:30:06.12 ID:1LgMsAnp0

 吐息がかかる距離まで顔を近づけたアルプは、まっすぐに狩人の目を見た。麻痺している狩人の体はそれを拒むことができない。

アルプ「夢魔族は滅亡した。先代の魔王様が生み出してくれた八六人の夢魔は、私を除いてみんな殺された。人間に。それはしょうがない。どうせいつか私も死ぬ。なら私は、誰に迷惑をかけたっていい」

アルプ「迷惑をかけて楽しむような畜生に、私はなりたい」

アルプ「恋慕だとか、情だとか、それに基づいて誰かを守るだとかがそんなに大事? それがそんなに強い力を生み出すもん?」

アルプ「私にゃ、わっかんねぇなぁ……」

 狩人の脳内に何かが流れ込んでくるような気がした。いや、寧ろ引っ張って外に流れ出しているのかもしれなかった。
 脳髄をまるごとわしづかみにされているようなこの感覚は、嘗て感じたことのあるものだ。アルプが催した趣味の悪い「ゲーム」の入り口と、どこか似ている。

狩人「させ、ない」

 その声があまりに意志の籠った声だったから、アルプは思わず振り返った。



742: ◆yufVJNsZ3s:2013/01/26(土) 00:30:41.80 ID:1LgMsAnp0

 彼女の視界のいっぱいに、燦然と煌めく数多が見えた。

アルプ「いつの間にっ!」

狩人「あんまり、私を、見くびるな……」

狩人「これでも、私は狩人だから」

アルプ(さっき!? さっき、壁の破片を打ち砕いた時に――ちっ!)

アルプ「うぉおおおおおっ!? しゃらくせぇ真似してんじゃねぇよ、くたばりぞこないのくせにぃっ!」

アルプ(光の矢が十本――十三本! 避けられるか? いや、この距離だとこいつが、こいつが!)

 迂闊だった。アルプはすでに狩人に近づきすぎている。息も絶え絶えとはいえ、今の彼女に背を向けることなど、恐ろしくてできやしない。

アルプ(それでもこれはヤバイ! これは、ヤバイ!)

 アルプはぺろりと舌で上唇を舐めた。思考の猶予は、もうない。

 狩人から手を離し、意識も離し、十三本の光の矢全てにチャームをかける。
 背後を狙われるのは織り込み済み。その上でアルプは覚悟を決めた。無傷で狩人に勝とうとしたのが、そもそも見くびりすぎたのだ。



743: ◆yufVJNsZ3s:2013/01/26(土) 00:32:15.94 ID:1LgMsAnp0

 嘗て、アルプの作った世界で彼女が見せた魂の輝き。それはまったく嘘ではなかった。ゆえにアルプは歓喜する。自分の人物評は間違っていなかったのだと。

 全ての光の矢を視界に納める。それら全てに働きかけ、視神経が焼き切れるような激痛を走らせながらも、寸でのところであさっての方向へ誘導した。
 はるか後方で爆発が起きる。

アルプ「ぐっ……」

 予想していたことだ。アルプは自身の腹から光の矢が突き出ているのを見て、顔を歪めながらも笑う。
 背後では光の矢を握り締めた狩人が、脇腹にそれを突き立てている。

アルプ「いったぁ……いったぁい、ねぇっ!」

 アルプの放った火炎が地面を焼く。狩人はすでに後ろへ跳び、矢を弓に番えていた。

狩人「動きが止まることもないの……」

 矢を抜くこともなく追ってくるアルプの姿を見て、狩人は眉を顰めた。曲がりなりにも相手は四天王。魔物よりも数段化け物染みた存在だとはわかっていたが、ここまで来るとうさんくさくもなる。



744: ◆yufVJNsZ3s:2013/01/26(土) 00:33:43.65 ID:1LgMsAnp0

アルプ「その力の源って、やっぱりあれなの!? あれあれ、あれなのかなぁっ!?」

 アルプはまたも火炎を放射した。ぼたぼたと、粘液のように粘つく炎が、毒霧に引火してあたりを火の海に染め上げる。
 不思議な炎だった。赤でも橙でもなく、紫と桃色が基調の妖しい色をしている。
 狩人は思わずそれから目を逸らした。ずっと見つめていれば精神がどうにかなりそうだった。

狩人「光の矢ッ……!」

 光の奔流がアルプに向かって走る。アルプは一度舌打ちして、それら全てにチャームをかけた。

アルプ「そんな真正面からの馬鹿正直な――っ!?」

 矢が弾かれたさらにその後ろ、完璧にぴたりと重なる位置に、さらにもう一本、光の矢が隠されていた。

狩人「誰が、馬鹿正直だって?」



745: ◆yufVJNsZ3s:2013/01/26(土) 00:34:23.37 ID:1LgMsAnp0

 胸を真っ直ぐ狙ったその矢に対し、アルプは反射的に左手で庇う。

 鈍い音。

 アルプの肉に深々と刺さる光の矢。
 防御したアルプの右手は、胸に代わって犠牲となった。左手の肘から先が、自重に耐え切れずぶちぶちと肉が裂け、地面に転がる。
 血飛沫。びちゃびちゃと床に滴る血液。

 その血があまりにも赤く赤々しいものだったから、狩人は「魔族に流れているのも赤い血なのか」と場にそぐわないことをふと思ってしまった。

 しかし、それでもアルプは止まらない。
 止まるだなんて生き方は、彼女の性には合わないのだというように。

狩人「止まれ、止まれっ!」

 またも光の奔流。幾条ものそれは確かにアルプを傷づけていくけれど、致命傷には至らない。そうなるより前にアルプが僅かに射線を逸らしている。

アルプ「ね、ねっ! 誰かのためとか、世界のためとか、それがそんなに美味しいもの?」



746: ◆yufVJNsZ3s:2013/01/26(土) 00:35:42.49 ID:1LgMsAnp0

 穿たれた羽をも器用に使って、素早く宙を舞うアルプ。その動きは狩人の矢でも捉えきることはできない。
 炎が躍る。毒霧が満ちる。狩人はなんとかそれを散らしながら、飛び回る桃色を捉えようと必死だった。

アルプ「私にゃ、わっかんねぇーんだよなぁっ!」

 壁を蹴って方向転換。光の奔流を避けて、そのまま狩人に突っ込んでいく。
 狩人の反応は素早い。横っ飛びで体勢を崩しながらもアルプを視界から逃すことはしない。一発、矢を放った。

アルプ「壁ェッ!」

 地面がせりあがって矢を弾く。
 地面も、壁も、天上も、最早アルプの箱庭だ。

狩人(どっちから来る……右か、左か、上か!)

 しかし、狩人の思考をあざ笑うかのように、アルプの手がぬるりと現れる。
 壁をすり抜けて。

狩人「チャーム……ッ!?」

 そんなことまでできるのか。



747: ◆yufVJNsZ3s:2013/01/26(土) 00:37:08.62 ID:1LgMsAnp0

アルプ「もらったぁああああああっ!」

狩人「くぅっ!」

 アルプが手を伸ばす。狩人も対抗して射出。そしてそれらにチャームをかけ、後方にどんどんと逸らしながら、アルプは無我夢中で狩人へと突っ込んでいく。
 隠された光の矢がチャームを逃れ、アルプの肩口の肉を抉った。が、アルプは決して止まらない。そういう生命体ではないのだ。

アルプ「もっとお話をしようよっ! あんたみたいな生命、存在、私はずっと待ってたに違いないんだ! 誰かのために誰かを救おうとする、そんなやつをさぁっ!」

アルプ「楽しければいいじゃん!? 誰かを犠牲にしても、楽しければさあっ!」

アルプ「私はもうどっかが壊れっちまってるんだ! いや、それが魔族としての衝動! しょうがないっちゃ、しょうがないのかもしれないけどさ!」

アルプ「私はおかしいかな、狂ってるかな!? あんた、私のこと腹立つでしょ!? むかつくでしょ!? クソ畜生だと思ってるでしょ!?」



748: ◆yufVJNsZ3s:2013/01/26(土) 00:39:24.96 ID:1LgMsAnp0

 ついにアルプと狩人が逼迫する。
 アルプの眼前には光の矢が、狩人の眼前にはアルプの右手が。

アルプ「――私もそう思う」

 二人はぴたりと止まった。あと一歩で互いを殺すことができる。ゆえに、動けない。この至近距離でも、互いの攻撃が当たらないことを、本能的に理解しているのだ。
 攻撃すれば負ける。一瞬の隙を、恐らく相手は見逃さないだろうと。

 互いに息は上がっていた。肩が上下している。玉のような汗が顔と言わず体と言わず、肌を伝って地面に落ちる。

狩人「私は、勇者を助けることが、楽しい」

 恐らくそれは独り言ではなかった。それは彼女なりのアルプに対する返答なのだ。

 ずらりと二人を取り囲む光の矢。半球状に、それぞれアルプを狙っている。

 アルプがチャームで弾いた光の矢を、狩人は支配下に取り戻したのだ。



749: ◆yufVJNsZ3s:2013/01/26(土) 00:41:29.76 ID:1LgMsAnp0

狩人「これだけあれば、あなたも殺せる」

アルプ「桁が二ケタ足りないんじゃない?」

狩人「試してみる?」

アルプ「試してみなよ」

 無言のうちに、全ての矢が射出された。
 ひときわ輝きながら、矢がアルプを目指す。光の粒子をまき散らしながら、光の軌跡を描きながら。

アルプ「あはははは! あっははははあはははっ!」 

 アルプはチャームした光の矢を、まだチャームしていない別の矢にぶつけ、どんどん相殺させていく。視界に入る量には限りがある。苦肉の策だった。



750: ◆yufVJNsZ3s:2013/01/26(土) 00:42:27.57 ID:1LgMsAnp0

 既に第一波はアルプの下へと到着し、確実に彼女の肉を、命を、抉り取っていく。
 けれどアルプは倒れない。次々と来る光の矢を次々と魅了し、次々と他の光の矢へとぶつけていく。

 羽が二本とも付け根からもげた。破けた脇腹からは内臓がはみ出し、燃えるような髪の毛はすでに長さがばらばらだ。
 肌の色すらもすでに赤い。

 それでも、アルプは立っていた。

 光の矢に紛れて狩人が突進する。泡を食ったのではない。もとより、こんな手軽にアルプを倒せるとは、彼女も思っていなかった。
 右手に握った光の矢をアルプに突き刺す――弾かれる。

 アルプの目の奥で、魅惑の炎が揺らめいた。

 右腕が狩人の首根っこを掴む。
 脳髄へと手がのばされる。



751: ◆yufVJNsZ3s:2013/01/26(土) 00:46:01.16 ID:1LgMsAnp0

 どすっ、と。

 鈍い音が、二人の腹から響いた。

アルプ「……」

狩人「……」

アルプ「よく、やるわ」

 狩人の背中から突き刺さった光の矢は、そのままアルプの腹へと突き刺さり、二人を同時に串刺しにしていた。
 アルプは視界に入ったものしか魅了できない。狩人が彼女に矢をあてるには、身を投げ捨てるこの方法が、最も確実だった。

 ごぶり、と血が噴き出される。誰の口から? ――両者の口から。

狩人「私は、死なない」

アルプ「いや、死ぬでしょ」

狩人「死なない」



752: ◆yufVJNsZ3s:2013/01/26(土) 00:47:13.50 ID:1LgMsAnp0

 頑丈で、強情だと、アルプは思った。

 アルプの目が剥かれる。この距離では狩人は逃げることができない。しかし、それでよかった。
 アルプの魅了など打ち破ってやるのだと狩人は思っていたからだ。

 もう一度脳髄へ手がのばされる。柔らかく、甘い、桃色の世界。

 ぼんやりとアルプの姿が消えていき、周囲には、代わりに彼女の最愛の人だけが残った。父。母。長老。そして何より、勇者、少女、老婆。
 彼らは虚ろな目で狩人を見ていた。なぜ死なないのかと問う眼だった。
 それはあくまで幻覚にすぎない。何より、勇者も少女も老婆も、まだ死んでいない。



753: ◆yufVJNsZ3s:2013/01/26(土) 00:50:24.24 ID:1LgMsAnp0

 それでも死は甘美であった。折れた骨、体内にたまってきた毒素、何より腹の矢。その他もろもろが生み出す痛みからの唯一の逃げ道が死だ。
 疲れたら休んでもいいんだよ、と誰かが言った。その誰かに対して、また誰かが「そうだそうだ」と口を合わせる。
 確かにそうだ、と彼女は思った。確かに疲れたら休まなければいけない。正論だ。反論の余地もない。だけど、今休んでしまってもいいのだろうか。疑問に思う一方で、肯定する自分も確かにいた。

 何より、それが魅了だとわかっている自分も確かにいて、それでも誘惑は強い。

 勇者が狩人の手を取った。

狩人(違う! 勇者じゃない!)

 勇者は微笑んでいて、あぁ、自分はこの笑顔が見たいのだ。この笑顔を守りたかったのだと、狩人はほっとする。自分がいることで彼をこんな表情にできたなら、確かに自分はもう、死んでもいい。



754: ◆yufVJNsZ3s:2013/01/26(土) 00:53:32.83 ID:1LgMsAnp0

狩人(違う! 勇者じゃない!)

 疲れたろう、と勇者は言った。優しい声音だった。

勇者「あとは気にせず、休め。な?」

 暖かい掌が頬に当たる。至福だ。涙すら出てきて視界を歪ませる。

狩人(これは、だから、勇者じゃあ……ない、のに!)

 意識が遠のく。

狩人(勇者と一緒だったら、私も、もっと)

 頑張れたのだろうか。

 私がピンチの時は駆けつけてくれって言ったのに。うそつき。

 ふと、勇者の温かみが、手のひらだけではないことに気が付いた。そこに触れている頬だけではないことに気が付いた。
 胸の内。心臓から全身を駆け巡る勇者の波動が感じられた。
 暖かい、春の日差しのような、勇気の湧いてくる温度だ。



755: ◆yufVJNsZ3s:2013/01/26(土) 00:55:04.88 ID:1LgMsAnp0

狩人(勇者が、私のうちにいる……)

 自信があった。それは確かに勇者の存在だった。

 胸に手を当てる。それは勇者と手をつなぐことに等しい。
 それさえあれば。

 眼を開いた。
 目の前には、驚愕した、どうしようもないほどに愉快そうな、アルプの顔があった。

アルプ「おいおいおいおい、なに、それぇ……ずるっこじゃん」

アルプ「やっぱり私、あんたに会えて楽しかったわ」

 狩人の手のひらでは、確かに電撃が暴れていた。
 矢の形すら持たないそれは、解放の時を今か今かと待ち望んでいる。

狩人「私を勇者と会わせたのが悪かった。例え夢の中だとしても」

アルプ「これだからっ! 生きるのって、たぁのしぃーっ!」

 言葉を言い終わるあたりで、アルプの左半身を、雷が喰らいつくした。



756: ◆yufVJNsZ3s:2013/01/26(土) 00:55:41.31 ID:1LgMsAnp0

 ぐらりとアルプの体が揺れて、そのまま倒れる。光の矢も合わせて抜けた。
 アルプは動かない。そして動けないのは狩人も同様。しかし、狩人は、自分が勝ったことを理解した。

 不思議な、考えられないことであった。彼女は一体どこからインドラを持ってきているのか、まったく魔力の痕跡がつかめないのである。
 狩人自身もそれは不思議に思っているようだったが、最早不問にしているようでもある。彼女としては、理屈はどうであれ、武器として攻撃手段としてきちんと運用できさえすればそれでいいという考えなのだろう。

 それよりなにより、今はただ眠たかった。

 死の存在は、感じられない。

 ほっと一息ついて、狩人は目を瞑った。五分間だけ眠ろうと、そう思って。

――――――――――――――――――――



761: ◆yufVJNsZ3s:2013/02/04(月) 00:13:30.14 ID:7tqjT6nh0

――――――――――――――――――――
 狩人を見送ったのち、勇者たちはポータルの中で無言を貫いていた。
 緊張と不安が半分半分といったかたちだ。今後がどうなるのか、まったく想像もできない。

 ポータルは魔力で動いているのだろうが、中にいる三人には、本当に動いているのかの把握がついていない。老婆が感じる限りでは間違いなく起動していて、別段おかしなところはないようとのことであったから、少女と勇者はそれを信じることにした。

 わずかにポータルが揺れ、三人の前方の扉が開いた。次の階へと着いたのだ。

 部屋の中心では、漆黒の鎧が直立している。

 四天王、序列第三位。首なしライダー、デュラハン。

 少女は無言のまますっと一歩前に出た。勇者と老婆は何も口を挟まない。そうなるだろうと、あらかじめ分かっていたことだった。

デュラハン「久しぶり、でいいのかな?」

少女「アタシはあんたに会いたくなかった。けど、……ふん」

少女「勇者の障害はアタシが全部ぶっ叩き壊してあげるわ」



762: ◆yufVJNsZ3s:2013/02/04(月) 00:14:29.49 ID:7tqjT6nh0

勇者「頑張れよ」

少女「は。アタシを誰だと思ってるのさ。もうちょっと、仲間を――うん、仲間を信じなさい」

勇者「そういうわけじゃないんだけど、さ」

少女「ま、どうしても頑張ってほしいんだって、生きて帰ってほしいんだって言うなら、そうだね……」

 踵を返して反転。少女は勇者に近寄って、そして、

 勇者と少女の距離が、一時的にゼロになる。

勇者「――っ!?」

少女「うん、これで元気出た。じゃ、行ってくるから」

 勇者が何かをいうより先に、ポータルの扉がまた閉まる。
 デュラハンは少女の視界の端で何やら楽しそうにしていた。顔がなくとも彼の場合はわかるのである。



763: ◆yufVJNsZ3s:2013/02/04(月) 00:14:59.41 ID:7tqjT6nh0

デュラハン「見せつけてくれるじゃないか」

少女「あー、ほっぺたにしとけばよかったかなぁ。狩人さんに殺されちゃうかも」

デュラハン「でも、いい顔だ」

少女「ま、ね。恋する女は強いのよ」

少女「って、恋じゃない!」

デュラハン「俺は何も言ってないんだけどなぁ」

少女「ふん。さくさくっと終わらせて、世界を平和にしてあげる」

デュラハン「その意気だ! その意気じゃなきゃ、俺はここにいる意味がない!」

デュラハン「九尾はしきりに世界のことを気にしているようだったけど、俺はそんなのどうでもいいさ。ただ、強い奴と戦えさえすれば」



764: ◆yufVJNsZ3s:2013/02/04(月) 00:15:39.30 ID:7tqjT6nh0

 デュラハンは両手を広げた。魔力の渦が、両手を中心として生まれるのがわかる。
 あわせて少女もミョルニルを構えた。

デュラハン「さぁ!」

デュラハン「戦闘をっ! 始めようっ!」

 中空に七つの魔方陣が生まれた。規模こそそれほどではないが、その密度が段違いだ。幾層にも重なったルーン文字の中心には、一筆書きで多重円が描かれている。
 空間に亀裂が走る。空気が震え、余波で部屋の壁に亀裂が走った。

 デュラハンは魔方陣に手を伸ばした。

デュラハン「これが俺の全身全霊! 天下七剣――全召喚ッ!」

 魔方陣のうちの一つから音もなく剣の柄が姿を現す。ルーンの刻まれた、けれどどこか無骨な造形だ。

デュラハン「其の壱ィッ! 破邪の剣!」

 それを手に取ると同時に走りだす。いや、跳んだ。
 一歩で間合いを詰める超人的な跳躍。さらに空中に力場を生み出すことによって、跳躍の途中で方向転換を行う。
 少女の後ろに回り込みながら、破邪の剣を振るった。



765: ◆yufVJNsZ3s:2013/02/04(月) 00:17:07.11 ID:7tqjT6nh0

 甲高い金属音。デュラハンの速度に少女は真っ向から立ち向かうことこそできないが、それでも遅れない程度には目で追えていた。
 しかし。

少女「!?」

 少女の膂力をもってしても、デュラハンの剣は止まらない。ぎりぎりと押し込められていく。

少女(なんて力! いや、違う。私とミョルニルの能力が減衰されてる!?)

 破邪の剣は魔力的な能力を全て掻き消す能力を持っている。
 障壁を切り裂き、呪いを消し、支配の糸すら断てるルーン。当然それはミョルニルの魔力も、そして少女の中に宿る血液に刻まれた魔法式すらも弱らせるのだ。

少女「くっ!」

 無理やりにでも剣を弾き返し、少女は後ろへと下がった。その途端に体に力が漲ってくるのがわかる。
 当然デュラハンもそれを追う。破邪の剣は大きく円を描き、正確に少女の生命を削りにかかった。

少女(切り結んだら負ける……ってことは!)

 少女は後ろ向きに跳ねつつ、腰をかがめて地面へと手を伸ばした。そうして幾つかの「何か」を手に取り、感触を確かめる。

 それを投げつけた。



766: ◆yufVJNsZ3s:2013/02/04(月) 00:18:13.41 ID:7tqjT6nh0

 高速で飛来するそれは小石だった。もしくは建物の破片だった。
 大きさはこの際問題ではない。少女は当然理解していたし、対峙するデュラハンも理解していた。手の銀色を翻して叩き落としにかかる。

少女「もういっちょ!」

 横っ飛び。
 一度速度を落としたデュラハンは韋駄天に為す術を持たなかった。破片を弾き、防御し、反撃の機会を窺っている。

少女(こいつが同時に叩き落とせるのは、六発が限界程度……)

少女(つまり)

 少女は十の石の欠片を取って、投げつける。

 空洞を叩く音が響いた。

 ただの石とは言え、少女の膂力によって投げつけられたそれは、かなりの速度とエネルギーを有している。デュラハンの鎧に大きな傷が生まれ、大きくバランスを崩した。

 ようやく少女はミョルニルを握り締める。ひんやりとした金属の感触は、けれど気分を高揚させた。

 みちり、みちりと感触が伝わる。同時に音も。
 ミョルニルの鎚が確かにデュラハンの腹部を捉えていた。



767: ◆yufVJNsZ3s:2013/02/04(月) 00:19:05.27 ID:7tqjT6nh0

デュラハン「ぐぅっ!」

 苦悶の声。何とか肘を挟んで直撃こそ避けたが、体勢が崩れていたのもあって踏ん張りがきかない。デュラハンは勢いそのままに壁に叩きつけられる。
 部屋が震えた。激突した壁の一部が崩壊し、崩れる。

 無論追撃を忘れる少女ではなかった。大きく飛び上がり、そのまま力一杯に叩きつける。
 跡形も残さぬとばかりに。

 今度こそ建物全体を崩壊させかねない揺れが襲った。各部屋は九尾が障壁魔法を幾重にもかけているとはいえ、あまりの威力にそれも心配になる。なにせ少女の膂力、血に刻まれた魔法式は、それだけ強力な代物なのだ。
 だからこそデュラハンも第二の剣を引き抜かなければならない。

デュラハン「其の二、はやぶさの剣」

 少女の眼前に立っていたデュラハンが、音も立てずに姿を消す。

 いや、少女にはわかっていた。空間移動にも見間違えるほどの高速移動。そして、その速度を与える天下七剣の存在。

 背後から迫るデュラハンの攻撃。少女は反射的に体を反転させ、地面に倒れこむ形で回避を試みる。
 細剣が少女の肩を貫通した。激痛が神経を引っ掻き回すも、歯を食いしばって叫び声だけはあげない。その分、押しやった声が涙腺を圧迫し、涙が滲む。

 だめだ、それすらもひっこめ。少女は一度だけ強くまばたきをして、涙を体外に押しやる。痛みに支配されているようではだめなのだ。そんな状態ではデュラハンには勝てやしない。



768: ◆yufVJNsZ3s:2013/02/04(月) 00:20:05.49 ID:7tqjT6nh0

少女「脳内麻薬が足りないのよっ!」

デュラハン「致命傷を避けたか! さすがだ!」

 デュラハンが感嘆の声を上げる。
 しかし、少女が今の攻撃を避けることができたのは、殆ど直観と運の賜物だった。次があるかと問われれば難しいというのが実情だ。
 それでも少女は果敢にも攻撃に転ずる。デュラハンの感触を確かめた後の突進。

 少女の突貫には二つの理由があった。一つは、前方に向かって走っていれば、必然的にデュラハンは後ろから攻撃してこざるを得ない。移動の終着点がある程度読めるということ。
 もう一つは、デュラハンがまだ五本の剣を残しているという事実に因る。二本目で防戦になるようでは今後を勝ち抜くことなどできない。

 そもそもデュラハンが一度に全ての剣を一度に抜かないのだって手加減のような意味合いがあるのだと少女は思っていた。しかし、その考えは事実とは僅かに異なっている。
 デュラハンの天下七剣はあくまで召喚魔法であって、いずれは召「還」される代物である。魔力を注ぎ込むことによって現界させているにすぎず、そして召喚状態を維持するのは、対象が高レベルであればあるほど消耗する。

 一瞬でよければ七本すべてを召喚することも可能であるが、そうすると今度はデュラハンが干からびる可能性が出てくる。また、デュラハンの目的はあくまで戦闘欲を満たすことであり、少女を殺すことではない。
 そう、彼が望むのは戦争ではないのだ。

 彼はただ、少女がどこまで天下七剣に耐えきれるのか、その輝きが見たいのだ。



769: ◆yufVJNsZ3s:2013/02/04(月) 00:22:20.55 ID:7tqjT6nh0

 ミョルニルの一撃が空を切る――ここまでは予想通り。回避されるのは織り込み済みだ。
 ここからが、賭け。

 右か左か。

少女(ひ、だり!)

 少女は左に回転しながらミョルニルを振り回した。

デュラハン「其の三ッ、竜殺し‐ドラゴンキラー‐!」

 音もなくミョルニルの軌道が止まる。刮目するまでもなく、ミョルニルの先端にカタールの刃が付きつけられているのが見える。
 ただ単に受け止められたのだ。その事実を把握すると同時に、デュラハンは竜殺しを大きく横に薙いだ。

 ずん、と手応え。大岩を押しとどめたような衝撃に、少女の足が地面から一瞬で引きはがされる。
 破邪の剣のような魔力減衰の気配はなかった。寧ろ逆、デュラハンの腕力や魔力を強化しているのだろうと思われた。

 衝撃の中でも体勢を立て直し、少女は激突するはずだった壁へ足をかけ、そのまま宙へ飛び出した。



770: ◆yufVJNsZ3s:2013/02/04(月) 00:24:52.88 ID:7tqjT6nh0

少女「はあぁっ!」

 気合込めた一撃。しかしデュラハンに届くよりも先に、不可視の障壁によって押しとどめられる。
 空間に閃光が迸る。ばちばちと魔法の粒子が跳ね、それでも少女は無理やりにでも押し込んでいく。

少女「叩き割るっ……!」」

 音のない反響音が全身を劈く。ミョルニルが障壁を破壊した音だった。
 だがそこまでである。勢いはすでに焼失した。少女は舌打ちを一度して、再度デュラハンに向かって突貫する。

デュラハン「竜の息吹すら耐える障壁なんだけど、なぁっ!」

少女「くっ!」

 剣閃。竜殺しが生み出す風圧のみで、少女は自らの小柄な体が舞いあげられる恐怖さえ感じた。
 一度距離が開く。互いに大きな怪我さえないが、解けない緊張が神経にくる。汗すらも拭くひと手間が惜しい。

 肩の傷はすでに瘡蓋ができていて、痛みこそあるものの、出血は止まっている。勇者ほどではない回復能力が少女にも備わりつつあった。



771: ◆yufVJNsZ3s:2013/02/04(月) 00:26:07.37 ID:7tqjT6nh0

デュラハン「前に戦ったときは、きみが見たのはここまで、だっけ?」

 あくまで気楽にデュラハンが尋ねてくる。恐らく、そこに意図はない。番外戦術からデュラハンは無縁な男だった。
 どこまで行っても魔の者は魔の者なのだ。確かに逆らえないものがあり、だからこそ人生のそのために費やそうとする性質がある。

 階下では狩人が、階上では勇者や老婆が戦っているに違いない。命を賭して。
 それだのに自分ばかりこんなのんびりしていていいものかと少女は思ったが、乱れた息を整えるためにも、この時間はありがたくもあった。

少女「そう。アンタ、すぐに倒れたから」

デュラハン「ははっ。あのときは連戦に続く連戦でね、不甲斐ない姿を見せたよ」

デュラハン「今度はそんな姿を見せるつもりはない。期待しててくれ」

少女「期待なんかしちゃいないわよ」

 それは半分だけ本当だった。別段少女はデュラハンと戦いたくはなかった。寧ろ一刻も早く撃破して、上の階に上りたいとすら思っていた。

 しかし、残りの半分、確かに少女は自らが高揚しているのを感じていた。それは幸せではないにしろ、不思議と口角の上がる感覚だった。
 強敵との戦いを楽しむ素質が、素養が、彼女にはある。そしておおよそ一般人らしくないそれを、少女は無意識のうちに押しとどめようとしているのだ。



772: ◆yufVJNsZ3s:2013/02/04(月) 00:27:37.77 ID:7tqjT6nh0

 無言のままに少女は跳んだ。大きく振りかぶったミョルニルを、そのまま力任せに叩きつける。
 戦術も何もなかった。ただ、人を超越した身体に任せた一撃を放つだけ。

 デュラハンも合わせて前に出た。退くつもりは彼にはない。寧ろ真っ向から圧力を破ることこそが楽しみである。

 障壁が火花を散らす。

 竜殺しをデュラハンが振るう。

少女「アタシだってねぇ! ちぃとは強く、なってるんだから!」

 あの日のままではいられないのだから。
 いつか、誰かを救えるくらいにならなければいけないのだから。

 少女の手からミョルニルへと光が流れ込む。体の震央から湧き上がる力。血に刻まれた魔方陣が、より強く、より早く、力を与えていく。

 障壁ごと――

少女「殴り、飛ば、すっ!」



773: ◆yufVJNsZ3s:2013/02/04(月) 00:28:28.08 ID:7tqjT6nh0

 ついに障壁を貫けた。竜殺しとかち合ったミョルニルが一際大きく閃光を放ち、少女は負けじと足を踏ん張って力を込める。
 無論力を込めるのはデュラハンも同様だった。小細工無用の力比べ。両者ともに裂帛の気合いが口からこぼれる。

少女「やぁああああああああっ!」
デュラハン「うぉおおおおおおおおっ!」

 振りぬいたのは、ミョルニルであった。

 竜殺しの刃が圧力に負けた。ついに砕け、そのまま勢いでデュラハンの手から離れる。すっぽ抜けたそれは壁へと激突し、巨大な破壊痕を生み出して召還される。
 デュラハンの右手があらぬ方向へと曲がっていた。竜殺しを握っていたため、吹き飛んだ衝撃で右腕自体が持っていかれたのだろう。それほどまでの力比べであったというわけだ。

デュラハン「……竜殺しを破るか。驚きだけど、そうじゃないかって思っていた。きみなら、それくらいはやるんじゃないかって」

少女「お褒めに預かり光栄だわ」

デュラハン「ここから先は君の見たことのない領域だ。――天下七剣、其の四」

 魔方陣の一つが起動し、それまでの剣とは明らかに毛色の違う、禍々しい粒子が漏れてくる。
 おおよそおかしな形状であった。円柱の柄こそ珍しくはないが、何よりもその刀身が、あたかも針葉樹のような、もしくは槍の穂先のような形態をしている。
 鋭利な一枚の鋼板を薄く延ばし、支柱の周りに螺旋状に据え付けたような、剣と呼べるのかすら怪しいその剣。

 名前は――



774: ◆yufVJNsZ3s:2013/02/04(月) 00:29:30.06 ID:7tqjT6nh0

デュラハン「まどろみの剣!」

 名を諳んじるのと波動が迸るのは同時。それは鐘の音を空間に響かせながら、ぐらり、ぐらりと距離を歪ませにかかる。

 少女は自らの平衡感覚がどこかへすっぽ抜けてしまったのだと思った。それほどまでに、視界は揺れ、地面は揺れていたのだ。
 足を一歩踏み出した先が本当に前なのかもあやふやである。ただはっきりと感覚が捉えるのは、まどろみの剣が生み出す鐘の音だけ。

 その音が彼女の平衡感覚を狂わせている元凶であることは明らかであるが、だからといって元凶を容易く叩くこともできない。
 肩幅に足をひらいて、前を見つめる。
 デュラハンを待つよりほかに安全策はなかった。

 殺気。

 出所は、真後ろ。

少女「でやぁあああっ!」

 振り向きざまにミョルニルを振り抜く。踏み込んだ脚が掴む地面、その感触は綿のようで、思わず転倒しそうになるも、筋力でなんとか堪えた。
 金属とぶつかる感覚が伝わる。歪む視界の中にははっきりと漆黒が屹立している。



775: ◆yufVJNsZ3s:2013/02/04(月) 00:34:07.46 ID:7tqjT6nh0

 だのに、少女は背後からの斬撃に、思わず膝をつく。

少女「どういう……」

少女(いや)

 これは少女の失態であった。痛みが彼女の鈍っていた思考と視界を徐々に平静に取り戻させつつあって、初めて気が付いたのだ。
 デュラハンは天下七剣を用いる。しかし、いつから天下七剣「のみ」を用いると言っただろうか。

 そもそも彼は、最初に会い見えたとき、隊長や参謀を相手にどうやって戦っていた?

 肩甲骨のあたりに突き刺さった刀を放り投げ、少女は自らの血液の暖かさを噛み締めるように握りつぶす。

少女「投げた刀より速く移動とか、化け物じゃない」

デュラハン「事実、化け物だからね」

 自嘲気味にデュラハンは笑った。

デュラハン「ウェパルはどうやら人間になりたかったみたいだ。化け物なんかじゃなくってね。それができたら、まぁ一番よかったんだろうけど」



776: ◆yufVJNsZ3s:2013/02/04(月) 00:35:09.07 ID:7tqjT6nh0

 その結果は知ってのとおりである。ウェパルは結局、人間にはなれなかった。いや、九尾がさせなかったという表現のほうが正しい。
 しかし、もともと人間になることなど、初めから彼女には無理だったのだ。行きつく先は破滅しか待っていない。それでもなお、彼女は人間として生きることを――というよりも、愛する人を手中に入れたいと願った。

デュラハン「困ったもんだよ、魔族ってのは。衝動が勝ちすぎる。やっちゃだめだってことは、わかってるんだけど」

 例え誰かに迷惑をかけ、悲しませるのだとしても、それをやらずにはいられない。
 生きていること自体がすでに害悪。
 それが、魔物。魔族。人ならざるもの。

 デュラハンはまどろみの剣を握り締めた。すると鐘の音は強くなり、より強く少女の脳へと作用する。
 もう片方の手で魔方陣を描くと、そこから数十の刀が地面と水平に、切っ先を少女に向ける形で現れる。

デュラハン「こういうのは趣味じゃあないんだけどね。ただ、見てみたい」

デュラハン「歪む視界の中、刃の散弾をどうやってきみが避けるのか!」

 それら全てを、デュラハンは投擲する。



777: ◆yufVJNsZ3s:2013/02/04(月) 00:35:50.21 ID:7tqjT6nh0

 ごう、と震える空気。少女の足はまだ覚束ない。

 視界の中で血飛沫が舞った。

 串刺しにされる少女の肢体。腕から、足から、腹から、胸から、刃が貫通して覗いている。
 しかし。

少女「そこ、か」

 ぼそりと短く呟いて、跳んだ。
 光のような初速を切った少女の踏込で、床に大きくひびが入る。感覚として揺れるそれを脚力でごまかしながら少女は走っているのだった。
 半ば地面に足を埋め込んでしまえば、揺れなど関係ないとでも言うように。

 加速についていけずに肉が千切れていく。ぼたぼたぼたと真っ赤な肉片をまき散らしつつ、少女の速度は衰えることを知らない。
 咄嗟にデュラハンはまどろみの剣を構えた。刀の召喚と射出よりも少女の到着のほうが明らかに早かった。

少女「逃がさない!」

 数度の打ち合いの末に、大きくまどろみの剣が弾きあげられ、がら空きになった胸部へと少女は潜り込んだ。



778: ◆yufVJNsZ3s:2013/02/04(月) 00:36:37.07 ID:7tqjT6nh0

少女「全身全霊ッ!」

 鎧がひしゃげ――潰れ――砕け――音速を超えた空気の破裂音が響いて、デュラハンは地面と平行に吹き飛んでいく。

少女「お前をぉっ!」

 筋肉を引き千切りながら少女の右腕が伸びる。
 デュラハンの足首に手をかけ、地面へ叩きつけた。

少女「倒すっ!」

 振り下ろされるミョルニル。
 それはデュラハンの胸部を完全なるまでに叩き潰した。金属特有の軋みすら経ずに、一気に。

 少女は思わず尻もちをついて、すぐさま立ち上がる。デュラハンがこの程度で倒れるとは思わなかった。彼の中身はあってないようなものなのだから。

 地面が光り、魔方陣が多重に展開される。

 少女が後ろに跳び退いたのと、魔方陣から刃が生えてくるのはほぼ同時である。少女は距離が開いているうちに、自らの体に突き刺さった刀の類を一本一本丁寧に抜いていく。
 刀が抜けるたびに血が噴き出すが、それと相まって、不快感もまた体外へ排出されているようだった。



779: ◆yufVJNsZ3s:2013/02/04(月) 00:38:18.32 ID:7tqjT6nh0

 不思議な感覚だった。彼女はここに来て、自らが今までで最高のパフォーマンスができているような気がしてならなかった。

少女(やっぱり、ほっぺたじゃなくてよかったのかも、しんないけどね! ははっ!)

 いわゆる「女の子らしさ」なんて自分には一生縁のないものなのだと思っていた。ミョルニルを背負い、握り、叩きつける自分には、所詮「オンナノコラシサ」しか存在しないのだと。
 こういうのを馬子にも衣装というのだろうか。それとも、自分の中にも「女性」が確かにいるのだろうか。

 少女は考えながら、ぺろりと唇をなめた。心なしか勇者の感触と体温がまだ残っている気がした。そんなはずはないのに。

 絶対に死なない上で、少女は思う。

少女「もう死んでもいいな、こりゃ」

デュラハン「まだまだだよ。俺はまだ、満足しきってない」

 視界の中ではやはりというべきか、デュラハンが立ち上がり始めている。その姿は一目見てぼろぼろであるが、確かに生きていた。



780: ◆yufVJNsZ3s:2013/02/04(月) 00:39:47.87 ID:7tqjT6nh0

 デュラハンが右手を伸ばす。すると、熟練された執事の趣で魔方陣が展開、剣をデュラハンへと恭しく差し出した。
 溢れんばかりの光。聖なる光。それは白銀の剣で反射して、さらなるハレーションを起こす。

デュラハン「其の五。奇跡の剣」

 白銀の柄。白銀の刃。鍔はなく、鎬だけがある、すらりとした両刃の剣であった。
 奇跡の剣はいまだに光を放ち続けている。召喚の光ではなく、剣自体が光を放っているのだ。そしてそれは右手からデュラハンの全身へとじわじわ広がり、彼自身を光で包んでいる。

 聖なる守護。性質こそ異なるけれど、核に込められた神性でいえば、少女のミョルニルと同様の系統だ。

 デュラハンの傷が、鎧につけられた傷が、次第に治っていく。いや、それは治癒ではない。修復だ。
 生命が本来持つ機能を高めるのではなく、剣それ自体がデュラハンをあるべき姿に戻しているのである。

 デュラハンの姿が消えた。合わせて、少女の姿も消える。

 金属同士がぶつかり合う音が響き、そこでようやく二人の姿を捉えることができる。
 空中で、剣と鎚をぶつけ合っている二人の姿を。

 少女の一撃がデュラハンの左足を消し飛ばす。中に満ちていた黒い靄も霧散するが、流出より修復の速度が上回っている。当然デュラハンに隙は生まれない。
 反撃としてデュラハンが片手を振るう。少女のスウェイ。眼と鼻の先にある切っ先をしっかりと目に焼き付けながら、少女はミョルニルでデュラハンではなく奇跡の剣そのものを狙いに行く。



781: ◆yufVJNsZ3s:2013/02/04(月) 00:41:55.25 ID:7tqjT6nh0

 が、デュラハンもその目論見は当然予想していた。空中に生じた魔方陣から、刃が生まれる。
 舞う破片。刃の障壁を根こそぎ砕きながらも、ミョルニルは奇跡の剣へ迫る。

 僅かに届かない。

 勢いの落ちたミョルニルを、空いた手でデュラハンは受け止める。下へ押しつけながら、切っ先を少女へと。
 少女は退かない。ただ、まっすぐに前へと踏み込む。

 刃が胸へと吸い込まれていった。肋骨の隙間を抜け、肺と心臓と血管すらも抜け、皮膚を食い破って反対側へと貫通する。
 神経がかき乱される。鉄が分子レベルで体を苛む。ぎりぎりと、ぐちぐちと。
 だが、臓器は掠ってもいない。

 死ぬ気はしなかった。
 死ぬ気はなかった。

 それは果たして度胸が齎した偶然なのか、それとも武の化身が与えた必然なのか。

 デュラハンが奇跡の剣を捻る――撹拌される肉。それに巻き込まれる肺組織。
 喀血。痙攣。自分の意に反して動く――動きやがる体。

 そんな体だから。

 そんな体だからだ。



782: ◆yufVJNsZ3s:2013/02/04(月) 00:43:13.71 ID:7tqjT6nh0

 身を捨てても再び浮かび上がってこれることを信じて、体の全ての反射をシャットアウトして。
 そうでもしなければ、勝てない。

 血を流しすぎた。だからなに?
 肺が潰れている。それで?
 腱が切れかかった。ふーん?

 全幅の信頼を寄せるこの体。

少女「もっとやってくれるに決まってぐぼぁっ!」

 血を吐きながら声にならない声を出しながらミョルニルを振りながら、彼女は、

 ただ前へ。

 ただ前へ!

 彼女に勝機はなかった。勝機はなくとも突っ込むその動きは、正気の沙汰ではない。
 ただ、そこには勝機と正気の代わりに信頼があった。彼女は自分の訓練と、身体と、ミョルニルを信じていたのだ。

 少女の能力は身体機能の増幅。魔力経路を全て内向きにして、彼女は魔法が使えない反面、魔力を体内に駆け巡らせることができる。
 魔力は全て、彼女の血肉。



783: ◆yufVJNsZ3s:2013/02/04(月) 00:44:02.98 ID:7tqjT6nh0

 無我の中で振ったミョルニルが、デュラハンの右手を、今度こそ引き千切った。握られていた奇跡の剣は、依然として彼女の体内に残っている。
 まだ僅かに修復の奇跡は残存している。光がデュラハンの傷口に集まり、即座に修復を開始した。
 そして少女はそれよりも早く、今度は肩口から吹き飛ばす。

 重厚な鎧に包まれているはずのデュラハンの体が、まるで木の葉のように舞った。踏ん張りの利かないそのタイミングで、返す刀、いや鎚か、少女は渾身の一撃をデュラハンに見舞う。

 魔方陣の展開。

 刃が刃が刃が、襲う。

少女「まだるっこしいっ!」

 少女はそう叫んで、三本の刃を全て掴み――無造作に掴んで、握力だけで砕く。

 裂け、千切れる左手の五指。

 残った右腕の掴むミョルニルが、デュラハンの上半身から上を、文字通り粉々にした。
 鎧から黒い霧が吹き出し、そこを中心としてまた鎧が召喚、デュラハンの形を取り戻していく。

 そんな隙など与えまいと少女は一歩踏み出し、そこでブレーキをかける。天下七剣、その魔方陣が起動していた。恐らくは先ほどの刃と同時に起動したのだろう。

 だが、何もない。



784: ◆yufVJNsZ3s:2013/02/04(月) 00:45:15.10 ID:7tqjT6nh0

少女「……っ?」

 少女が率直に思ったのは、召喚を失敗したのではないかということだった。

 魔方陣から剣は現れていない。
 デュラハンの手にも、ない。

少女「……剣を抜かないの? それとも失敗?」

デュラハン「剣はもう抜いている」

 そんなまさかと少女が周囲を見回して、思わず少女は膝をついた。
 体に力が入らない。

 少女はまた、そんなまさかと思った。

 胸に小型のナイフが突き刺さっている。いつの間に? 何かを投げる動作はおろか剣の召喚自体少女には見えていなかった。それでも確かに胸にナイフは刺さっている。心臓を一突きにする形で。
 まどろみの剣による幻覚とも思えない。確かに激痛がある。体の感覚もまたある。

 少女は膝より上を支えることすらできなくなって、地面に突っ伏した。
 ごぅん、とミョルニルが音を立てる。

デュラハン「天下七剣、其の六。アサシンダガー」

デュラハン「因果関係抹消武器」



785: ◆yufVJNsZ3s:2013/02/04(月) 00:46:47.12 ID:7tqjT6nh0

 因果関係抹消。即ち、過程と結果の乖離。
 切る動作を経ずに、切った結果だけを生み出す、絶対的な必中の剣。

 デュラハンはない頭を掻いた。

 理由は二つ。一つは、純粋にこの武器が、彼の好むところではないということ。発動してしまえば片が付くというのは、最早武具というよりも魔法の範疇で、それはデュラハンの本意ではない。

 そしてもう一つ。

 デュラハンは嘗てアサシンダガーを三回抜いたことがある。一度は当然今回。その前には先のウェパルとの戦いで抜いており、最初に抜いたのは九尾との腕試し。
 単純に、彼はアサシンダガーを信用していなかった。いや、効力は無論有意であるが、ジンクスというか、そういうものを感じていたのだ。

 ウェパルも九尾も死んでいないという事実が、この剣に対するデュラハンの不信の源であった。



786: ◆yufVJNsZ3s:2013/02/04(月) 00:49:12.38 ID:7tqjT6nh0

 アサシンダガーは必中で、必ず心臓に突き刺さる。それは殆ど即死とイコールであるが、あくまで殆どにすぎない。
 心臓に突き刺さったとしても死ななければ。

デュラハン「うーん」

 一度唸って、アサシンダガーを召還する。

デュラハン「どうやら、こいつは俺とは相性が良くないみたいだ」

少女「悪いのは、運じゃ、ないの」

 少女が立ち上がっている。
 体から煙を立ち上らせつつ、少女は膝に手をついて、デュラハンを見やる。
 体の傷が癒えつつあった。考えるまでもなく、魔力によるものである。目で追えるほどの細胞の再生速度に、さしものデュラハンも息を呑まざるを得なかった。
 そしてそれは、不思議なことに、少女もなのであった。



787: ◆yufVJNsZ3s:2013/02/04(月) 00:50:15.64 ID:7tqjT6nh0

 いや、聖騎士団団長と切り結んだ際も、同様の再生を少女はした。切り落とされた腕を無理やりにくっつけるという、離れ業というよりも人間離れした技で、彼女は彼に一矢報いたことがある。
 だが、彼女の能力は、元来そこまで強力ではないはずなのだ。

 無論怪我は常人より早く治るし、皮膚と筋肉の硬質化――なにより高質化――によって怪我自体を受けにくくはなっている。それでも落ちた腕が、指が、切断面を合わせればすぐさま癒着するなんてことは、考えられないことだった。
 自分の身に何かが起こっている。彼女はそれを理解していた。理由はともかくとして。

 それは狩人にも通じていることである。理屈を考えるのはあとだった。まずは利用できる限り利用してから。

デュラハン「奇跡の剣でも持ってるのかい」

少女「さぁね。あんただって、不死身みたいなもんじゃない。何度も復活して」

デュラハン「これは召喚だからなぁ。そう何度も使えるわけじゃ、ないんだよね」

 デュラハンはそこで言葉を止め、少し間をおいてから莞爾と笑った。



788: ◆yufVJNsZ3s:2013/02/04(月) 00:51:10.02 ID:7tqjT6nh0

デュラハン「あぁ、でも、楽しいなぁ。幸せだ。こんなに満ち足りた瞬間は、滅多にあるもんじゃない。そうそうあるもんじゃない」

デュラハン「あの男性二人組といい、人間の潜在能力の高さには目を見張るものがあるよ」

デュラハン「ゆえに、惜しい」

デュラハン「戦争なんてくだらないことで、猛者の命が失われてしまうのは」

少女「……アンタの手だって借りたいくらい」

デュラハン「はは。そんな義理はないんだ、残念ながら、俺は」

 デュラハンは両手を合わせた。一瞬紫電が走り、魔方陣が手と手の間に生まれる。
 空恐ろしいほどの魔力が、魔方陣の先に潜んでいることは明らかだった。空気が、地面が、それぞれ唸りを上げる錯覚すら感じられる。

 少女は対応してミョルニルを構えた。天下七剣の七。次で終わりだ。
 これを乗り越えてなお生きていることができれば、その際は、デュラハンが負けているに違いない。



789: ◆yufVJNsZ3s:2013/02/04(月) 00:52:23.17 ID:7tqjT6nh0

 その自覚の一番の持ち主はデュラハンその人だった。天下七剣の召喚。漆黒の鎧の召喚。刃と剣の群れの召喚。魔力はだいぶ消耗してしまった。いや、それが彼の本望なのだが。
 彼には常にガス欠の危険が付きまとっている。しかし彼はそれでよいと、それがよいのだとすら思っていた。全力で戦った末に打ち倒せないのならば、それ以降は蛇足であると、彼は考えていたからだ。

 だからこそ彼は容赦をしない。攻撃全てが一撃必殺。

 そして、彼の手から生み出されるそれもまた、そう。

デュラハン「天下七剣、其の七ッ!」

 少女は地を踏みしめる。靴の底がこすれ、焦げ臭いにおいを生み出した。
 一息でデュラハンへと向かう。

 デュラハンは慌てない。一気に両手の感覚を広げ、一本の、無骨で、何より実用的な、金属を召喚する。

デュラハン「ロトの剣!」

 金属の軌跡が空間を切り開いた。

 少女はミョルニルに刻まれたルーンが解れる音を聞いた。



790: ◆yufVJNsZ3s:2013/02/04(月) 00:53:03.42 ID:7tqjT6nh0

 切断。そして破砕。
 ミョルニルの頭部分が切り離されて、地面へと、ごとり。
 少女の右腕部分が切り落とされて、地面へと、ぼとり。

少女「……え」

 少女は自分の身が傷ついた覚えは何度もあれど、それだけは、唯一それだけは覚えがなかったし、そんなことあり得るはずがないとも思っていた。
 神代の遺物であるミョルニルが、壊れるだなんてことは。

 視界を自らの血が真っ赤に色づけしていく中、呆然と少女は欠けたミョルニルへと目を落としている。

デュラハン「ロトの剣。ミョルニルに負けず劣らずの、神代の遺物。特殊能力なんて大層なものはない」

 ロトの剣。それは。

デュラハン「これは」

デュラハン「ただよく切れて、ただよく折れない、それだけの剣」

 それだけで数多の強者の手に渡り、世界を救って来た剣。
 ミョルニルさえも切り落とすほどの、ただそれだけ。

 デュラハンが跳ぶ。少女はようやくはっとして、斬撃に対してミョルニルの柄を掲げる――



791: ◆yufVJNsZ3s:2013/02/04(月) 00:54:33.56 ID:7tqjT6nh0

 ざくんと。
 音がすることすらなく、ミョルニルの柄は切断された。

 大きく胸のあたりが一文字に切り裂かれ、またも地面に赤い花が咲く。
 わずかに傾く少女の体。胸が痛い。心は痛くないのに、胸だけが痛い。

少女「う……」

少女「うぉあああああああああっ!」

 咆哮。追撃をかけようとするデュラハンに、少女は片腕で特攻した。
 斬撃。デュラハンの一振りを紙一重で回避して、懐に潜り込む。

 握りこんだ左拳。ミョルニルがなくとも、彼女の膂力は健在だ。

 爆弾が炸裂するかのような轟音と共に、デュラハンの体が大きく吹き飛ばされた。しかし壁に激突する直前に体勢を変え、壁を蹴って着地、そのまま一気に少女との距離を詰めにかかる。
 少女は退かなかった。守りに徹すれば負けだと思った。事実それはそうだ。守れないのに守ってもしょうがあるまい。

 が、綱渡りであった。木綿の糸一本の上をわたっているにも等しい行いだった。

 デュラハンはひたすらに切る。斬る。
 ロトの剣が振られるたび、空気が裂け、幾重にも結界が張られた壁や地面が裂け、少女の髪の毛が、服が、裂けていく。



792: ◆yufVJNsZ3s:2013/02/04(月) 00:56:43.66 ID:7tqjT6nh0

 恐らく彼がその気になって大きく振れば、老婆の植物魔法にだって耐えられるはずのこの塔も、たやすく両断できてしまうのではないかと思われた。

 左拳を半身になって回避すると、がら空きになった側面に対して剣を向ける。が、少女はそのままの勢いで飛び込み、空中から踵を降らせてデュラハンの肩を狙う。
 デュラハンの反応も早い。ただ、それでも僅かに掠った。ちっと、舌打ちなのだか掠れた音なのだかわからない擦過音が響いて、デュラハンは僅かに揺らぐ。

 それでもデュラハンの剣先が止まることはない。抵抗すらなく剣先は少女の脇腹と、内臓の一部を持っていく。
 それでも少女の猛攻が止まることもなかった。踏込は刹那。右腕の関節を極め、一気に折りにかかる。

 空気が震えた。見れば地面と空中に、計四つ、魔方陣が展開されている。
 デュラハンがわずかに苦痛の雰囲気を漏らす。彼もまた魔力の枯渇が見え始めているのだった。

 刃と刃と刃と刃が四方から少女に向かう。逃げ場は残されているが、それはデュラハンが意図的に残したものに違いなかった。
 ゆえに少女は刃へと飛び込む。

 服と肉が裂けるが、命はまだ健全である。軽くステップを踏んでから急加速と急旋回、背後を取ろうと試みる。
 対応して振り向きざまの切り付け。速度は、これもまた神速である。
 屈んだ少女の髪の毛が、途中からそっくり霧散した。



793: ◆yufVJNsZ3s:2013/02/04(月) 00:57:30.65 ID:7tqjT6nh0

 足払い――そして、一閃。
 コンマの差で、少女の左足が、彼女の制御を離れ

少女「アタシのもんだ!」

 手が伸び、それを掴む。

少女「アタシの体は、アタシのもんだっ!」

少女「だからアタシに自由にできないことは、ないっ!」

 少女の体が光を放った。無理やりに接合面をくっつけたそれは、瞬時に治癒する。どういう理屈かわからないままに。

デュラハン「おいおい、ウソだろ」

 唖然としたデュラハンの体は、振り抜いた反動で大きく空いている。

少女「力ずくで!」

少女「ぶんっ……殴る!」

 風が吹いた。

 少女は自らの拳が砕ける音と――デュラハンの鎧が砕ける音を聞いて、笑みを浮かべる。



794: ◆yufVJNsZ3s:2013/02/04(月) 00:59:21.91 ID:7tqjT6nh0

 デュラハンは地面を二回バウンドし、土煙を巻き上げながら壁に激突し、そこでようやく止まった。土煙の中には脇腹から胸部にかけてが大きく粉砕されたデュラハンの姿がある。

 しかし、デュラハンは依然として立ち上がる。

少女「おとなしく、やられておきなさいよっ!」

デュラハン「はっは! 言うね! でもでも、だめだよ、まだまだ、足りない!」

 溜めすらなくデュラハンは宙へ駆け出す。鎧の修復は間に合っていない。そこから彼の生命たる黒い靄が流れ出てはいるが、そんなことお構いなしだ。

 力一杯にロトの剣を振るった。横薙ぎに空間が断裂し、少女の遥か後方の壁が壊滅する。
 今度は唐竹割。地面と天井が、真っ直ぐに亀裂の餌食となる。

 血にまみれながらも少女は地を踏みしめる。あと三歩。たったそれだけの距離が、いまや彼女には数キロ先のように感じられた。
 時間は遅々として進まない。泥濘の中をもがくような息苦しさと、ほんの少しの高揚が、世界を満たしている。

 どうすればいいのだ、と少女は自らに問うた。どうすればデュラハンに勝てるのかと。
 拳は砕けた。鎧を砕けても、あいつの命を、存在を、砕くことはできない。



795: ◆yufVJNsZ3s:2013/02/04(月) 01:00:33.75 ID:7tqjT6nh0

 酷く胸が熱い。そこから始まって、全身が熱い。血を流しすぎたら本当ならば冷たくなるはずなのに。
 それとも、この熱は血液のそれか。

 いや、違う、と少女は思った。

 これは血液のそれではなく、血潮のそれだ。
 彼女の内に流れる、魔力のそれだ。

 誰かの手を少女は握っていた。しかしそれは錯覚だった。ここには誰もいない。少女とデュラハンしかいない。だから、彼女は、こんな切迫した中でも、なぜか冷静に「いやいや、違うでしょ、アタシ」と自分に対応できる。
 それでも、誰かが手を握っているのだ。

 否。誰かの手を握っているのだ。

 デュラハンがロトの剣を振るった。少女にはそれがよく見える。回避できないだろうことも、防御できないだろうことも、ゆえによくわかった。

 少女は、それを踏みつける。



796: ◆yufVJNsZ3s:2013/02/04(月) 01:01:38.10 ID:7tqjT6nh0

 触れた瞬間に足の裏がもっていかれる。皮と肉がずたぼろになり、勢いに飲まれて体が空中で回転する。
 回る視界。だが、デュラハンの姿は視界いっぱいにある。
 回る世界の中でも、居場所はわかる。

少女「ミョォオオオオオルニィイイイイイルッ!」

 誰かの手を、少女は振るった。

 そこでようやく少女はその誰かを確認する。
 誰もいない。当然だ。ただそこには、ミョルニルがあるだけだった。

 ミョルニルが?

 思考の暇は与えられない。そのままデュラハンの腰が、腹が、胸が、全身が、

 雷でできたミョルニル――寧ろトール・ハンマーなのではないか――によって!

 飲み込まれ

デュラハン「勝手に終わらせないでくれよぉおおおっ!」

 返す刀でロトの剣。
 雷をすらも切り裂いて、少女に残された左腕すらも、一刀のもとに切り落とす。



797: ◆yufVJNsZ3s:2013/02/04(月) 01:03:00.11 ID:7tqjT6nh0




798: ◆yufVJNsZ3s:2013/02/04(月) 01:03:46.47 ID:7tqjT6nh0

 無音。

 無音。

 無音。

 うるさいくらいの無音が頭に鳴り響いていた。



799: ◆yufVJNsZ3s:2013/02/04(月) 01:04:59.87 ID:7tqjT6nh0

 たっぷり十秒ほどの間をおいて、ついに、世界に音が戻ってくる。
 最初の音は、金属と金属が擦れあう音であった。

 がちゃり。
 がちゃり。
 と、デュラハンの姿が揺らめいている。

デュラハン「参ったなぁ」

 揺らめいているのではなかった。魔力が底をついて、すでに鎧を維持できないほどになっていたのであった。
 漆黒の鎧は今や漆黒の破片となって、漆黒の破片は次第に漆黒の霧となって、消失していく。

少女「アタシの、勝ち、みたいね」

デュラハン「何秒か、何分か、わからないけどね」

少女「それでも」

デュラハン「勝ちは勝ち、負けは負け、か」



800: ◆yufVJNsZ3s:2013/02/04(月) 01:06:15.03 ID:7tqjT6nh0

 少女の両腕はない。血の海に横たわる彼女の寿命はデュラハンに比べればほんの少しだけ、数秒か数分だけ、長い。
 ゆえに少女の勝ちである。

少女「でもね。アタシは、この先がある」

デュラハン「この先?」

少女「そう、この先」

少女「勇者と合流して、魔方陣を止めて、世界を平和にするっていう」

少女「アタシは、アンタとは違う」

デュラハン「そうか。そうだね。俺とは、違う」

少女「だからアタシは、死なない」

少女「死なないのよ」

 語気は強くなかった。声も大きくはなかった。それでも、確かに言葉は空気を震わせた。
 意志の籠った声だった。



801: ◆yufVJNsZ3s:2013/02/04(月) 01:06:57.93 ID:7tqjT6nh0

 血液が光り出す。横たわる少女の体もまた。

デュラハン「ま、楽しく、見させてもらうよ」

 ロトの剣が地面へと落ちた。すでに漆黒の霞さえも霧散して、どこにも見出すことはできない。
 やがてロトの剣すらも召還される。

 少女は這いずって、這いずって、這いずって、自分の左腕が落ちている地点までたどり着く。きれいすぎるほどにきれいな切断面を合わせ、仰向けに寝転がった。
 空は見えない。ただ、限りなく灰色な天井があるばかりである。

少女「勇者、やったよ……倒したよ……」

少女「疲れたなぁ、眠いなぁ」

少女「ね、勇者。寝て、起きたらさ。アタシ、頑張ったからさ、褒めてよ。ね。いっぱい褒めて」

少女「そしたらアタシ、頑張るから。頑張れると、思うから」

少女「ふぅ、疲れた。ごめんね、ちょっと寝るわ」

少女「あぁ――幸せだなぁ」

 少女は目を閉じた。
 寝息だけが、確かに聞こえた。

――――――――――――――――――――



810: ◆yufVJNsZ3s:2013/02/10(日) 14:04:07.03 ID:4pa/UlSp0

―――――――――――――――――

勇者(なんだってんだ、あいつは)

 唇を半ば無意識に指先で触れながら、勇者は思う。

勇者(キスだなんて、あんな……)

 老婆はそんな勇者の姿を見ながら、にやにやと笑い、同時に「困ったものだ」とも思う。
 朴念仁は、というよりも、勇者が自らの特別性を理解していないことに。

 彼は、なぜ彼が慕われるのかを理解していない。狩人から、少女から、老婆から、街を行く人々から、仲間の兵士から、どうして慕われているのかを。
 誰しも彼が眩しくて、それでも託したくなるのだ。彼ならば自分の希望を託してもよいのではないかと思われる何かを、生まれつき持っている。それは決して才能という言葉では言い表せない。

 しかし勇者は誰よりも自らのそれに無自覚だった。周囲の人間が彼を見るなり声をかけてくるのは偶然で、もしくは狩人や少女や老婆が強く、それのおこぼれを預かっているにすぎないのだとすら思っていた。
 この世界に「世界を救う」と大言壮語を吐ける人間がどれだけいるだろう? ましてやそれを実行途中などと。



811: ◆yufVJNsZ3s:2013/02/10(日) 14:04:38.77 ID:4pa/UlSp0

勇者「……残る四天王は、ウェパルと九尾か」

老婆「そうじゃな。九尾が最上階にいるということは、必然的に次の階にはウェパルがいることとなるな」

 ウェパル。嘗ての兵士A。二人とも、不思議な情が彼女には生まれていた。
 当然隊長にまつわる様々は聞き及んでいて、それを納得も許せもできないのだけれど、しかし、確かに彼女は仲間だった。その時の絆は嘘ではない。彼女が白沢から救ってくれたことは事実なのだ。

 僅かに下を向いて思考し、勇者は老婆を振り返った。

勇者「どっちが行く?」

 老婆の姿がない。

勇者「え?」

 勇者の認識は異なっている。老婆の姿が消えたのではない。そもそもそこはポータルではなかった。
 限りなく灰色の部屋。
 広く、広々とした、部屋。

 中心に人影。その正体が何かだなんてことは考えるまでもなかった。

 四天王、序列二位。海の災厄、ウェパル。



812: ◆yufVJNsZ3s:2013/02/10(日) 14:05:06.78 ID:4pa/UlSp0

 彼女は今回は二本の足で立っていた。半人半魚ではなく、れっきとした人間の姿で。

勇者「どういうことだ」

ウェパル「どういうことって言われてもね。九尾の考えだから、ボクには全部はわからないよ」

ウェパル「九尾はおばあちゃんと話がしたいんだってさ」

勇者「話がしたい?」

 勇者は明らかに怪訝そうな顔をする。

勇者「戦うじゃなくて、話?」

ウェパル「そ。九尾の遠望深慮はボクにはわかりかねるんだけどさ」

勇者「……俺は、お前と戦うのか」

ウェパル「ん。まぁ、そういうことになるかな。ボクは乗り気じゃないっていうか、どうでもいいんだけど」



813: ◆yufVJNsZ3s:2013/02/10(日) 14:05:34.39 ID:4pa/UlSp0

勇者「俺たちは急いでる。見逃してはくれないか」

ウェパル「……」

勇者「今も下では仲間が――敵だったやつも、今じゃ仲間だ。仲間たちが、戦ってる。九尾の召喚してる魔物と」

勇者「なぁ、なんでこんなことをするんだ? こんなことに何の意味がある?」

ウェパル「……九尾に会えばわかるよ」

勇者「お前も結局四天王ってことか」

ウェパル「ボクは別に、魔族とか九尾とか、どうだっていいんだ。どうだっていいんだけど――知り合いの努力に手を貸さないほど、非情でもない」

ウェパル「九尾は一生懸命やっている。傍から見てて痛々しいほどに。それを助けてあげたいと思うことはおかしなことかな」

ウェパル「安心して。手加減してあげる。最後には負けてあげるよ。でも、ある程度の時間は稼がせてもらうから」



814: ◆yufVJNsZ3s:2013/02/10(日) 14:06:50.39 ID:4pa/UlSp0

 ウェパルは空間に手を突っ込んで、何かを取り出した。
 人くらいの大きさの何か。

勇者「!」

 否。それは、人だ。勇者もよく知る人。

 隊長の死体。

 顔は青白いが、安らかな寝顔である。血に塗れた最期が嘘のように、幸せそうで、四肢の欠損もない。恐らくウェパルが魔法によって何とかしたのだろう。
 修復、防腐、そんなところか。

 ウェパルは驚愕に目を見開いている勇者など視界に入っていないように、隊長の死体と口づけを交わし、抱きしめ、部屋の壁へと背中を預けさせた。

ウェパル「隊長ッ、見ててくださいねっ! ボク、頑張りますから。頑張っちゃいますから!」

 勇者は自らに走った怖気の甚大さに、自然と口角が引きつる気持ちだった。
 なんと言えばいいのだろう。「気持ち悪い」か、「それはおもちゃじゃない」か、それとも他に言うべき言葉があったのかもしれないが、勇者には到底思いつきそうになかった。



815: ◆yufVJNsZ3s:2013/02/10(日) 14:07:22.42 ID:4pa/UlSp0

 ただ唯一、言葉がこぼれる。

勇者「……お前、やっぱり魔族だわ」

 剣を構える。戦いたくはなかった。戦う気もなかった。しかし、生存本能が勇者にそうさせた。

 目の前の存在は本当に正気なのか。

 人間であった頃の、兵士Aであった頃の彼女を勇者はなまじ知っているだけに、余計に信じられない。もし彼女がいまだ人間の心を有しているのだとすれば、最早狂気に堕してしまったことは明白である。
 そして、もしすでに人間の心を落としてしまったのだとすれば、完全に魔に堕してしまったこととなる。

 どのみち、彼女との精神のずれは、どうしようにも避けようがない。

ウェパル「なに、愛する二人の仲を引き裂こうっていうの?」

ウェパル「そういうのはあれだ。あれ。えーっと、なんだっけ。こういう度忘れが最近多くて困るんだよなぁ」



816: ◆yufVJNsZ3s:2013/02/10(日) 14:07:49.29 ID:4pa/UlSp0

 ウェパルの文様が妖しく光る。どす黒く、紫色に。

 爛々と目を輝かせて勇者を見た。

ウェパル「そうだ、あれだ」

ウェパル「馬に蹴られて死んじまえ、でしたよね、隊長ッ!」

 衝撃。
 高速で打ち出された不可視の何かが、音を置き去りにして勇者の上半身を吹き飛ばした。

 べちゃり。勇者の上半身が容赦なく壁に叩きつけられ、赤い肉塊へと変貌する。

 僅かに遅れて、ゆっくりと残った下半身が、その場に頽れた。

ウェパル「よわ」

ウェパル「……勇者くん、覚えてるかなぁ」

ウェパル「最初に王城で会ったとき、戦って、そしてボクは言ったんだ。今度は本気でお手合わせしようって」

ウェパル「それが、こんなふうになるなんて、思ってなかったよ」



817: ◆yufVJNsZ3s:2013/02/10(日) 14:08:18.75 ID:4pa/UlSp0

 ご、え、ご、うぁ

 地震のような音だった。地の底から溶岩があぶくとなって弾ける、そんな音だった。
 そう、声ではない。

 頽れた下半身、その腰部から、次第に勇者の体が再生していっている。成長する筋肉繊維と神経。血管は繋がる血管を自ずから探し、幾重にも重なりあって皮膚が形作られる。
 震えた音は声帯も満足にできていない勇者が発した「音」だった。骨と、筋肉の軋みと言い換えても問題はなかろう。

 腱で固定されたばかりの、殆ど骨だけの腕で、勇者は体を起こそうと試みる。

ウェパル「わ。間近で見るのは初めてだけど……凄い加護だね。まるで呪いだ」

 ん、ご、じ……お、い……あ、ちか、に、ぞぶ、がぼじで、ねぇ、だぁ

ウェパル「はは。何言っているのか全然わかんないよ、勇者くん」

 のろ、い……たち、か、に……そうかも、じれねぇ、なぁって言ったんだよ!」



818: ◆yufVJNsZ3s:2013/02/10(日) 14:08:46.49 ID:4pa/UlSp0

 跳躍。すでに体は完成している。
 両手に電撃をまとわせ、剣を抜く。

 衝撃。
 またも勇者の体、今度は剣を握っていた右腕から肩口にかけてが、ごっそりと消失した。
 勢いに体を取られて勇者は転倒する。みずぼらしく、みっともなく、顔面を地面に擦り付けながら。

 勇者の絶叫。一撃死でないぶんだけ、痛みはダイレクトに全身を駆け巡る。蘇生の加護も痛覚を消してはくれない。

ウェパル「死なないと再生はしないんだね」

 ウェパルは人差し指を立て、振った。

 切断面から白い粒が生まれ、山になり、ぼとぼとと地面に落ちていく。
 いや、それは粒ではない。蛆だ。



819: ◆yufVJNsZ3s:2013/02/10(日) 14:09:14.38 ID:4pa/UlSp0

 肉食蛆は蠅が汚物に集るように肉を喰い、しかし本来の蛆とはことなって、壊死した部分以外も喰らいにかかる。
 勇者の絶叫以外は何一つ聞こえない空間で、蛆たちは肉を、骨を、食む音すら響かせずに貪りつくす。

 蛆は際限なく湧き、ついに勇者の全身を覆った。既に勇者の姿は人間のそれではなく、ただの白い蠢く何かとしてしか認識されえない。

 増殖を続けていた蛆たちであったが、ある時を境にしてその体積が減っていく。否。減っているのは蛆の体積ではない。勇者の皮膚が食い破られ、体内に雪崩れ込んだ証拠なのだ。

 やがて、骨と、僅かな肉片だけがその場に残された。

ウェパル「完食っと」

 冗談めかしてウェパルが言った。その視線の先には、雷撃を両手に宿す勇者の姿がある。



820: ◆yufVJNsZ3s:2013/02/10(日) 14:09:43.77 ID:4pa/UlSp0

 勇者の耳が刎ねる。

 不可視の衝撃は今度こそ勇者を戦闘不能に陥らせなかった。ぎりぎりで身を屈めて回避した勇者は、そのまま走りだし、同時に雷撃を放つ。
 ウェパルはそれを避けなかった。彼女が手を広げると魔力障壁が展開され、雷撃を完全に無効化する。

 その間にも勇者はウェパルに迫っている。依然として雷撃は放ちながら、右手で剣の柄を握り、胴を狙う。
 物理障壁。剣は僅かに食い込むが、所詮そこまで。反撃として不可視の衝撃が来るのを回避して回り込む。

勇者「二回も喰らえば予期できないわけないだろうがっ!」

 斬撃。ウェパルはまたも物理障壁を展開するが、今度の刃は帯電している。物理障壁では防ぎきれない。
 物理障壁ごとウェパルの腕を切る。青味がかった、まるで魚類のような血液が、床に滴った。しかし致命傷には程遠い。こんなもの、生命力の強い相手にしては、擦り傷も同然だ。

 すぐに反撃が来るのはわかっていた。しかし距離を取ることも考えられない。折角つめた距離を取り戻すのに、どれだけの労力が必要だというのか。
 取る選択肢はただ一つ。
 どうせ死んでも生き返るのだ。



821: ◆yufVJNsZ3s:2013/02/10(日) 14:10:12.43 ID:4pa/UlSp0

 ウェパルの左腕、ヒドラのように細かくうねる触手が、悪い雰囲気を放ちながら勇者へと飛びかかった。毒か呪いか、少なくとも悪い何かを帯びているだろうことは想像に難くない。死ぬよりも辛い目にあうことも。
 勇者「はっ!」

 伸びてくる触手をたちどころに切り落とし、さらに勇者は深くへと潜る。それを阻止する魔力の剣が、勇者の頭を狙って振ってきた。

 雷撃で弾く。魔力の剣は内部から炸裂し、あたりに魔力を振りまいた。

 柄の部分をしっかりと握り、乾坤一擲、攻撃を加えようとしたところで――

勇者「!」

 剣が根元から腐り落ちているのを見た。圧倒的なまでの腐食。どう見ても、化学反応ではない。もっとおどろおどろしい何かに違いなかった。



822: ◆yufVJNsZ3s:2013/02/10(日) 14:10:57.25 ID:4pa/UlSp0

 魔力の剣が四方八方から迫る。ウェパルの魔力で編まれたそれは、錯覚だろうか、どこか毒々しい色をしている。

 剣では弾けない。雷撃も間に合わない。

 鈍い音がして、勇者の首と胸に、刃が深々と突き刺さった。

勇者「あ……が……っ」

 声を出すのもままならない中で、勇者はかろうじて倒れる身を踏みとどめたが、それも所詮気休めだった。すぐに力が入らなくなり、地面に倒れる。
 血だまりの中で彼は感じた。自分とウェパルの間にある、限りない断絶。力の差を。

 しかし同時にウェパルも思っていた。これでは埒があかないと。
 彼女は特別九尾に汲みしているわけではない。彼女が今ここで勇者と戦っているのは、先ほど彼女自身が口にした以上の理由はなかった。つまり、九尾の努力に敬意を表してということだ。
 ウェパルは必要以上に何かをしない。また、彼と彼女は階下の二人――アルプと狩人、デュラハンと少女のように、大きなしがらみにからめ捕られてはいなかったというのもある。



823: ◆yufVJNsZ3s:2013/02/10(日) 14:11:26.09 ID:4pa/UlSp0

 しかし――いや、ここは「ゆえに」と言おうか。ゆえに、ウェパルは九尾の指示とは異なって、全力で戦わず、最終的には九尾の下へと通すつもりだった。それもまた彼女の言ったとおりである。
 指示とは異なり、その実九尾の希望通りに。

 九尾は全力で三人とぶつかるよう指示した。最悪殺してしまっても構わないと。その指示は事実だが、本意ではない。それを乗り越えて三人がここまで来ることを希望していた。
 全ては目的のために。

 魔王の復活のために。

 勇者は一度出血多量で死に、そしてすぐに立ち上がる。突き刺さった魔力の剣を帯電した両手で無理やり引っこ抜いて。
 不思議な感覚を覚えていた。これまで、蘇生がこんなに早く行われることはなかった。一日、早くても半日は蘇生までにかかったはずだ。ここに来て能力が向上する理由が彼にはわからない。



824: ◆yufVJNsZ3s:2013/02/10(日) 14:12:19.34 ID:4pa/UlSp0

勇者「人外だな」

ウェパル「やっぱり、きみなら魔王にもなれるんじゃない」

勇者「俺は世界を救いたいんだ。魔族だなんて、ごめんだよ」

ウェパル「……ふーん」

 ウェパルが手を上げると、魔力の粒子がある形を構築していく。限りなく濃密な魔力構築物。その密度と堅牢さは剣の比ではない。
 砲台、であった。
 無論、ただの砲台ではない。まずその数がおかしくて、おおよそ二十台ほどのそれが、口を勇者にきっちりとむけている。そしてそれらは全て宙に浮き、半透明の体の中に無色透明な魔力の砲弾が装填された状態で、火を放つ時を今か今かと待っているのだ。

 ウェパルは九尾やデュラハンのような召喚魔法は使わない。結局、自分のものにならないものを、彼女は嫌っていた。それが彼女の業でもあるし、強さでもある。

 勇者は帯電した拳を構えた。剣が折れてしまった以上仕方がない。



825: ◆yufVJNsZ3s:2013/02/10(日) 14:12:52.82 ID:4pa/UlSp0

 轟音。
 空気を揺らす低く鈍い音とともに、全ての砲台から一斉に砲弾が射出される。
 さながら死の驟雨である。砲弾は装填の必要がない。次から次へと勇者の命を奪いに来る。

 同時に駆け出した。この雨の中を縫ってこそ勝機が掴めると彼は思った。でなければ、所詮ウェパルに勝つことはできないのだと。
 ウェパルはまだ半分も本気を出してはいない。その程度に絶望して諦めるくらいならば、その程度にすら必死こいて本気出して、そうするほうが余程よい生き方である。

勇者「どうせ死んでも復活するんだしなぁあぁっ!」

 己の加護に対する無辜の信頼がそこにはあった。
 彼には狩人のような精密さも、少女のような膂力も、老婆のような魔力もない。彼が持つのはただ一つ、死んでも復活するという加護だけである。それを駆使することでここまでやってきたのだ。
 階下、そして階上では仲間たちが命を賭して戦っている。勇者は彼女らが生き残り、勝ちあがってくれることを信じている。

 だからこそ自分がくじけるわけにはいかないのだ。日和るわけにはいかないのだ。
 例え何度死んだとしても。



826: ◆yufVJNsZ3s:2013/02/10(日) 14:14:13.09 ID:4pa/UlSp0

 腕がもげる。バランスを崩しながらも前進。
 頭部よりも一回りは大きい砲弾。一つ一つの隙間はあるが、その隙間を埋めるように後続が向かってくる。無理やりに体をねじ込みながら進んでいくが、掠れただけでも肉と骨が持っていかれる。

勇者「ぐ、う、おおおおっ!」

 全身がこそげ落ちていく激痛。肉片が、骨が、だらしなく地面に叩きつけられる。
 生きたまま体積が減っていくというのは拷問に等しい。悲鳴を何とか噛み殺し、眼を剥いて、ただ足を動かし続ける。

勇者(あと、四歩!)

 かろうじて残っていた右腕に力を込める。電撃。帯電した拳が音を立て、空気中に紫電を放出する。

 砲弾。勇者は瞬時に回避が間に合わないことを悟る。
 一か八かであった。そのまま魔力の砲弾を拳で殴りつけ、後方へと逸らした。

勇者「ぐっ、う……」

 砕ける右拳。満足に力が入らない。剣があっても握ることなど到底無理だろう。



827: ◆yufVJNsZ3s:2013/02/10(日) 14:24:43.15 ID:woLPL6sN0

勇者(あと、三歩!)

 僅かに高く浮いていた砲弾の下をくぐる。急な体勢の変化に、末端の筋肉がぶちぶちと悲鳴を上げていく。足首から先が、手首から先が、動きについていけずに置いてけぼりをくらったかのようだった。
 口から洩れるのは、最早悲鳴でも苦痛でもなく、吐息でしかない。喉はすでに引きつって言葉も出ない。

勇者(あと、二歩!)

 砲弾にナイフが加わった。至近距離では砲弾はそれほど有効ではない。一撃の殺傷力では砲弾に及ぶべくもないが、しかし、その分手数がある。
 おおよそ七十と言ったところか。

勇者「怒れる空! 果てなき暗雲! 神が振らせる幾万の槍! 刹那の裁きに言葉は出ず、頭を垂れ、懺悔を持たずに滅する炎!」

勇者「ギガデイン!」



828: ◆yufVJNsZ3s:2013/02/10(日) 14:25:11.89 ID:woLPL6sN0

 勇者の全身から雷撃が迸る。それは魔力のナイフを片っ端から消失させるも、勇者にのしかかる負担こそ甚大であった。
 体の内からひねり出す魔力は、逆に体の内から魔力に引きずり出されることを意味する。それでも勇者は何とか堪え、鼻血を抑える手すら既になく、顔面を真っ赤にしてただただひた走る。

勇者(あと一歩!)

 勇者の視界を水が舞う。
 水の弾丸が勇者の全身を撃ち抜いた。

 体から力が抜ける。足、腹だけでなく、頭も打ち抜かれた。視界が暗転する。
 海の支配者たるウェパル。水を使わせれば彼女の右に出る者はいない。

ウェパル「惜しかったよ――っ!?」

 最大級の賛辞の途中で、ウェパルは驚愕する。

 弾け飛んだ勇者の全身が、即座に形を成していた。

ウェパル「なっ――死んだから、蘇生したって、こんな一瞬で!?」

 既に勇者は肉薄している。

勇者「零歩!」

 距離も、零。



829: ◆yufVJNsZ3s:2013/02/10(日) 14:28:05.15 ID:woLPL6sN0

 ウェパルは反射的にナイフを魔力で編みこんで投げつける。同時に左腕の触手で勇者を狙った。
 勇者の行動は迅速である。ナイフは左手で無理やり掴み、触手は雷撃で撃ち落とす。
 痛みが全身を駆け巡るより、触手が再生するよりも早く、勇者はウェパルの肩を掴む。

 速度は落とさない。
 そのままウェパルに頭突きを繰り出した。

ウェパル「ぐっ!」

 ウェパルは倒れない。出血する額に目を細めながらも、しっかりと勇者へ第二のナイフを投擲している。
 刃はきっちり勇者の頸動脈を掻き切った。一気に血液が吹き出し、あたりの床を、天上を、赤く染めていく。

 失血死までには時間があった。それはありすぎたと表現できるくらいにである。既に勇者の右腕は帯電していて、ウェパルの胸へと狙いが定められている。

勇者「うぉおおおおあああああああっ!」



830: ◆yufVJNsZ3s:2013/02/10(日) 14:28:34.37 ID:woLPL6sN0

ウェパル「ちょ、まっ!」

 触手で右腕を固定しようとするも、あまりの電力に触れるたび触手が先から蒸発していく。並みの攻撃ならば再生力が上回るはずのそれでも、今の勇者には触れることすら叶わない。

 拳を振り下ろす。

 電撃が軌跡を描いて、ウェパルを大きく吹き飛ばした。

ウェパル「っ、ち、くしょぅ……うあああっ!」

 雷撃がウェパルの体を蝕む。全身が麻痺して受け身も満足に取れないが、それでも何とか空気中の水分を凝固、緩衝材として勢いを押し殺す。
 全身から煙が噴き出す。ウェパルは口の中から蛆を吐き捨てた。ダメージは全て蛆に吸い取ってもらったが、やはり依然として四肢に痺れが残っていた。

 ウェパルの視界の中で、勇者の胸部がずり落ちる。

 反射的に彼女が放ったウォーターカッターは、勇者の胸部を袈裟切りにした。彼はウェパルに攻撃するので精いっぱいで回避行動などとれるはずもない。
 頸動脈の傷など比にならないほどの血液。錆びた鉄の臭いが部屋中に充満する。それでなくとも勇者はすでに何度も死んでいるのだから。



831: ◆yufVJNsZ3s:2013/02/10(日) 14:29:07.69 ID:woLPL6sN0

 地面を引きずる音が聞こえた。蘇生した勇者が地面を這う音だった。
 ウェパルが腕を振ると水の弾丸が勇者を襲う。それをなんとか電撃で弾くと、全身をばねにして勇者はウェパルへ飛びかかる。

 勇者の左足が、膝から先が消し飛んだ。
 圧倒的にウェパルの攻撃のほうが早い。

 頭上からの雨が勇者の体を幾重にも貫く。それは単なる雨ではない。機銃の散弾だ。限界まで圧力をかけ、鋼鉄もかくやと言わんばかりの硬度を誇る水滴は、人間の体などものともしない。



832: ◆yufVJNsZ3s:2013/02/10(日) 14:29:35.07 ID:woLPL6sN0

勇者「俺は、まだ……!」

 言葉を紡ぐ暇は与えられない。
 蘇生し立ち上がった勇者の首をウェパルがわしづかみにした。そのまま無造作に、単なる腕力で勇者を振り回すと、遠心力に負けて勇者の胴体だけが壁に叩きつけられる。
 ウェパルの持った頭蓋から、脊髄だけがだらりと垂れ下がる。

 ウェパルは頭蓋を軽く握り潰すと、つかつか勇者へと歩み寄る。



833: ◆yufVJNsZ3s:2013/02/10(日) 14:30:01.97 ID:woLPL6sN0

勇者「負けちゃ」

 つま先が勇者の腹部を撃ち抜く。勢いのままに壁に叩きつけられ、関節と関節の隙間から血液が溢れ出す。体が壁に張り付いたままという事実が、彼の体にかかった衝撃の置き差を物語っていた。

 ウェパルは水から槍を形作る。二又の槍。根元が螺旋状になったそれを、大きく振りかぶり、投げた。



834: ◆yufVJNsZ3s:2013/02/10(日) 14:30:31.73 ID:woLPL6sN0

勇者「いな」

 僅かに肘、膝から先だけが残る。
 あまりの速度と衝撃に血液さえも残らない。



835: ◆yufVJNsZ3s:2013/02/10(日) 14:31:05.98 ID:woLPL6sN0

 最早それは作業だった。そしてその無為さを、誰よりもウェパルが理解していた。
 次から次へと現れる害虫を、一匹一匹潰し続けるような、嫌気の止まらないルーティンワーク。繰り返しの繰り返しに次第に表情が消えていくほどの。

 砲弾が勇者の顔面を砕いた。

 水の刃が勇者の脳天から股間までを断った。

 蛆が勇者の肉を喰いきった。

 それでも、勇者は生き返る。生き返って、立ち上がる。
 眼には闘志を抱いたまま。

勇者「行くぞ」



836: ◆yufVJNsZ3s:2013/02/10(日) 14:31:50.04 ID:woLPL6sN0

ウェパル「あー、もう!」

 地団太を踏むウェパル。かかとが地面に振り下ろされるたびに塔全体が大きく揺らぐ。

ウェパル「なんなのさ! なんなのささっきから! もう!」

ウェパル「……疲れた」

勇者「は?」

 だらりと両手を下げたウェパルに対し、勇者は明らかに怪訝な表情をぶつける。彼女の発した言葉の意図が彼には全く理解できない。
 しかし、恐らく、それは彼だけだったろう。当事者である彼にはわからないのだ。彼と対峙する者のやるせなさを。どうしようもないほどの実力差を理解してなお、死んでも死んでも突っ込んでくる敵の厄介さを。
 換言すれば、面倒くささを。

 踵を返すウェパル。手をひらひらと振りながら、壁にもたれかけさせてあった隊長の死体を、丁寧に、丁寧に、僅かの傷もつかないように、優しく抱きかかえる。



837: ◆yufVJNsZ3s:2013/02/10(日) 14:32:21.95 ID:woLPL6sN0

勇者「おい、ちょっと!」

ウェパル「は。もう終わり。もうおしまいだよ。ボクの役目はここまで。殺しても殺してもきりがないんじゃ、なんの感慨もわかないよ。ただ嫌なだけだ」

ウェパル「わかったよ。確かに君は『勇者』なんだね」

 勇者が口を開くより先に、ウェパルが空間をこじ開ける。

ウェパル「ん。ばいばい。また今度」

ウェパル「どうでしたか隊長、ボクの雄姿! え、かっこよくてかわいすぎて困る!? そんなこと言われたボクのほうが困っちゃいますよ、もう!」

ウェパル「でも隊長は本当にいっつもボクのことをそうやって褒めてくれるんですもんね、ボクがこうして頑張ってられるのも隊長のおかげってやつで――」

 姿が消えた。勇者はあっけにとられた様子で、彼女の消えた空間をぼんやりと眺めている。

勇者「そんなの、ありかよ」

 音もなく現れたポータルの扉――九尾の部屋へとつながる扉だ――へ視線を移しながら、勇者は呟いた。

―――――――――――――――



838: ◆yufVJNsZ3s:2013/02/10(日) 14:33:21.05 ID:woLPL6sN0

―――――――――――――――

 ポータルが動いている。ごうん、ごうんと。
 魔力で動くそれは、九尾が制御している。即ち九尾には三人が今こちらへ向かってきていることがつぶさにわかった。それが例え、老婆と話している最中であったとしても。

 九尾の目の前では、老婆が驚愕に目を見開いている。彼女と九尾は戦っていない。ただ言葉を交わしただけだ。そしてそれは、決して舌戦というわけでもなかった。

老婆「まさか、そんな、そんなことのためにっ!」

九尾「そんなこと、さ。よいことだろう?」

 九尾は意識的に飄々と言った。老婆はまっすぐ睨みつけてくるが、反論はない。理は九尾にあり、利は互いにあることを知っているのだ。

 老婆はたっぷり時間をおいて、頷いた。

老婆「わかった。お前の計画に乗ろう」

 そうだ、それでいい。九尾は内心で鼻を鳴らす。お前も今更生き方を変えられないだろう。数千人を殺しておいて、たった一人を犠牲にすることに憤れるほど、厚顔無恥ではないはずだ。

 ポータルの動きが止まった。三つ同時に。

―――――――――――――――――



839: ◆yufVJNsZ3s:2013/02/10(日) 14:36:34.58 ID:woLPL6sN0

―――――――――――――――――

勇者「お前ら……」

少女「なんとか、無事よ。ま、ほんと、何とかって感じ、だけど」

狩人「倒してきた。あとは、九尾だけ」

 扉があいた先はこれまでと違って一本の廊下だ。そして、その先に重厚な扉があるのが見える。そこが九尾の部屋である。

 再開した三人は抱き合うこともせず、ただ頷いた。それだけでコミュニケーションは十分なのだ。

 走り出す。最早体力も十分に残っていないだろうに、それでも。
 いや、彼らは走ろうと思ったのではなかった。逸る気持ちが無意識的に足の動きを速めていたのだ。

 いや、逸る気持ちを抑えられないのは、何も彼らだけでない。

 あと数秒で彼らはやってくる。九尾の部屋へ。

 この部屋へ。

 私の部屋へ!

―――――――――――――――――――



843: ◆yufVJNsZ3s:2013/02/12(火) 01:01:04.91 ID:opZmc0y00

―――――――――――――――――――
 九尾は――私は、回想する。

 九尾は常に見てきた。

 勇者を。
 狩人を。
 少女を。
 老婆を。

 いや、正確な表現をするならば、勇者を見続けた結果として、彼女らを輻輳して見ることとなった――である。
 九尾が彼を見始めたのは、彼が一桁の時である。最初は単なる偶然だった。魔王復活のための主人公役を丁度探していたとき、あまりにも正義感の強い、日常を生きるには不便すぎるほどのそれを持った少年の心を、偶然読んでしまったのだ。

 天啓が降りてきたのはそのときである。使える、と思ったのだ。

 九尾の気持ちを誰がわかるだろう!? アルプもデュラハンもウェパルも、深奥では九尾のことをわからない。ゆえに九尾は喜んだのだ。そこで絵図は整ったのだ。



844: ◆yufVJNsZ3s:2013/02/12(火) 01:01:46.22 ID:opZmc0y00

 九尾は――私は、その時から今日このときたった今を目指して生きてきたに違いない。

 勇者にコンティニューの加護を与え、
 鬼神に洞穴を治めさせ、
 四天王をも動かして、

 なぁ、そうだろう? 九尾はよくやっただろう? 褒めておくれよ、魔王。
 お前が受け継ぎ、受け継いだ思いが、こうして成就されようとしているのだぞ。

 記録をつけようと思ったのもその頃だ。計画がどれだけ進んだのか、勇者の行動を記録していくのは重要だった。何せ九尾は人の心がわからない。人の顔と名前も曖昧だ。そうでもしないと、誰が誰だかわからなくなってしまう。
 それでもやはり名前を覚えるのは苦手だった。役職、パーツ、そう言った特徴を捉えて何とか書き続けたのだ。
 頭がよいほうだとは、思っているのだけれど。

 いつから手記を書き始めたのだったか……すでに分厚い写本が一冊終わろうとしているのを見ると、大層昔のようだ。そう、ちょうど勇者がとある村に着いた時だ。
 その村で二人は少女と老婆に出会ったのだ。それは多分にイレギュラーで、同時に好都合でもあった。勇者には迅速に強くなってもらい、九尾の下へとやってきてもらわねばならなかった。
 そこに迷いは不必要だ。否、迷いは不可欠である。ただし、その迷いを乗り越えた存在こそが、魔王たるにふさわしいのだと九尾は思っていた。

 それは今も変わっていない。勇者はよく成長してくれた。



845: ◆yufVJNsZ3s:2013/02/12(火) 01:02:20.04 ID:opZmc0y00

 自動書記はこうしている間にも写本を続けている。千里眼で姿を見、読心で心を見、得られた情報は全て筆記される。

 ちょうど一〇〇〇頁の紙は、すでに八〇〇頁を消費し、そろそろ終わりも近づいている。残り二〇〇頁で全てが終わるかどうか、九尾にも自信はない。

 だがしかし、ここまで計画が進んできた以上、最早九尾にだってどうしようもできないのだ。動き始めたトロッコを押しとどめることは難しい。身を擲っても、どうだろう。
――いや、やめよう。不安はよくない。九尾は十分やってきた。多少の計算違いはあれど、順調に進んできているはずだ。

 無意識的に尾を触る。柔らかい金色の毛並。自分でもきれいだと自負しているそれは、今は六本しかない。九尾ではなく六尾だ。
 一本は勇者への加護で使った。一本は白沢の召喚で使った。一本は億を超える召喚魔法で使った。また九尾へと戻すには悠久の時間がかかるだろう。ゆっくりと体を休め、魔力を貯めなければ。
 そのためには人間だ。人間を喰わねばならない。



846: ◆yufVJNsZ3s:2013/02/12(火) 01:02:51.33 ID:opZmc0y00

 老婆は地面へと視線を落とし、不気味に長い爪を噛んでいた。苛々している。不安に思っている。直観的にわかる。

 それは九尾だって同じだから。

 どれだけ万全に策を練り、第二、第三の矢を打ち立てたところで、運命というやつはそれを軽々しく乗り越えていく。その膂力に立ち向かうことは難しい。強い意志が必要だ。
 だが、強い意志? そんなのがないわけはなかろう。だから、大丈夫だ。大丈夫なのだ。
 必死に言い聞かせる。あと、三歩。

 あと、二歩。

 あと、一歩。

 来た。



847: ◆yufVJNsZ3s:2013/02/12(火) 01:03:29.61 ID:opZmc0y00

 扉が開く。

 勇者と狩人と少女がそこにいる。
 自然と口角が上がるのを感じた。実際に会うのは初めてだった。歓喜か、感激か――否! 断じて否! こんな劇的な感情がそんな陳腐なものであるはずがない!

九尾「勇者! 九尾はお前を待っていた!」

 真実だ。この日をずっと待ちわびてきた。彼がこの扉を開く日を夢想しない日はなかった。

 勇者が剣を抜く。視線は真っ直ぐに九尾。
 合わせて狩人と少女も武器を取った。虹の弓と光の矢、そしてミョルニル。体はボロボロでも殺意は十分。こちらの話を聞いてくれるかどうかも疑わしい。
 だからこそ老婆と一対一で話す時間が必要だった。ありていに言えば、老婆をこちらに取り込む時間が。

九尾「安心しろ、九尾はお前らに危害を加えるつもりはない」

勇者「んなこたぁどうだっていいんだよ。魔方陣を消せ。召喚を止めろ!」

九尾「わかった」



848: ◆yufVJNsZ3s:2013/02/12(火) 01:03:56.98 ID:opZmc0y00

 指を鳴らす。窓のないこの部屋から確認はできないのだが、確かに魔方陣は消した。

九尾「すでに召喚した魔物は残念ながら消せないが、新たに生まれてくることはない」

少女「どういうことよ!」

九尾「どういうことって、お前らが要求したんだろう?」

 理解はできる。敵であるはずの九尾がそんな単純に従うはずがないのだと彼らは思っていたのだろう。
 まぁ、そのあたりは老婆がきちんと説明してくれるはずだ。九尾がちらと眼をやると、老婆は不承不承といった感じで頷いた。

老婆「勇者」

勇者「おい、ばあさん。なんであんた、そっち側にいる?」

老婆「話を聞け」

勇者「聞けるかよ。今更何を聞くことがあるっていうんだ」

老婆「聞け!」
 空気を震わせる大声だった。老体の一体どこからそんな声が出ているのだろう。



849: ◆yufVJNsZ3s:2013/02/12(火) 01:05:12.61 ID:opZmc0y00

老婆「何と言えばいいのか……誤解しないで、落ち着いて聞いてほしい。九尾の目的はわしらと同じじゃ」

九尾「そう」

 老婆の後を引き継いで、答える。

九尾「九尾の目的、それは、世界平和だ」

 雷撃が部屋の壁を穿った。勇者が拳を壁に叩きつけていたのだ。
 彼の眼光はぎらりと鋭く、それだけで命を射抜けるほどである。ただしその眼光も、九尾の胆力の前では無力。こちらもこちらなりに退けない理由がある。そのための覚悟も十分してきたつもりだった。
 目の前の三人の体には緊張がある。その緊張は九尾をいつでも殺しに来れる緊張だ。入念な下準備だ。

勇者「ここまでやっといて、どの口が世界平和をほざく?」

少女「そうだよおばあちゃん! 洗脳でもされちゃったの!?」

九尾「戦争を止めたいのだろ?」

 戦争、という単語に勇者たちが反応した。



850: ◆yufVJNsZ3s:2013/02/12(火) 01:07:23.83 ID:opZmc0y00

九尾「九尾はその方法を授けてやることができる。対症療法的にだが、世界を平和にすることだって、できる」

勇者「まだ言うか、てめぇ」

老婆「敵じゃよ」

 三人が老婆のほうを向いた。しかし老婆は視線を三人から――特に勇者から逸らし、続ける。

老婆「結局のところ、みな、敵がほしいのじゃ。外部に敵を作っている間、国家は国家で有り続ける。目標がなければ、この頭打ちの世の中では、内部から崩壊せざるを得ない……」

 そう、それはもはや仕方がないことなのだ。パイの絶対量は減少の一途を辿る。ブレイクスルーが起こる確率は天文学的確立だ。国家を運営し続けるためにはナショナリズムを高揚させるしかない。
 そして、そのもっとも単純な方法は、不幸な境遇を誰かのせいにすることである。

老婆「そのための、魔王」

九尾「九尾たちは魔王を復活させようとしている」



851: ◆yufVJNsZ3s:2013/02/12(火) 01:10:06.31 ID:opZmc0y00

 殺す。

 読心を必要としないほど強い思念が、真っ直ぐ九尾の心へ突き刺さる。
 勇者たち三人が飛びかかってきていた。正面から勇者、左右から少女と狩人。
 ぴたりと息の合った連携であった。全く隙のない、信頼が透けて見える連続攻撃。速度とタイミングは回避も防御も許しそうにない。

 ならば反撃するのみ。

 尾を振る。しゃらん、と鈴の音が鳴った。


 魔力によって導かれた旋風が三人をまとめて吹き飛ばした。それでも闘志が衰える様子はない。受け身を取ってすぐさま突っ込んでくる。



852: ◆yufVJNsZ3s:2013/02/12(火) 01:10:44.47 ID:opZmc0y00

 煌めき。光の矢が大量に降り注ぐ。障壁でそれを防ぎながら、反対側から迫る少女のミョルニルを爆発魔法で本人ごと対処。

 黒煙を抜けて突っ込んでくる勇者の拳を、九尾は無造作に掴んでそのまま捻り上げる。
 削り折り砕ける音が彼の体内から響く。

九尾「おとなしく人の話を聞けないのなら、おとなしくさせてくれるわっ!」

 それが一番手っ取り早い。

 両手を広げる。重層する魔方陣が右手に、そして左手に生まれた。どちらも魔法式は異なり、数は十を用意している。

九尾「ピオラ!」

 左手の魔方陣が十、解けて体内に吸収される。高速化の魔法は全ての動きを過去にする速度を与えてくれる。

九尾「スカラ!」

 右手の魔方陣が十、解けて体内に吸収される。堅牢化の魔法は全ての攻撃を無意味にする防御力を与えてくれる。



853: ◆yufVJNsZ3s:2013/02/12(火) 01:11:16.09 ID:opZmc0y00

 勇者たちの反撃。真っ先に来たのは少女だ。イオラをものともしなかったようで、雷で編まれたミョルニルを手に向かってくる。
 しかし、遅い。

 振り上げられ振り下ろされる間に九尾はすでに彼女の背後へと移動している。首根っこを掴んで放り投げ、無抵抗なうちに爆発呪文を連打、地面に擦り付けながら丁寧に骨を砕いていく。

 視界の端が光る。高速で飛んでくる光の矢を回避するのは少しばかり骨だ。着流しの端が少々撃ち抜かれ、反応速度の高い狩人はこの速度にも何とか追いついてくる。光の矢を引き絞りながら。
 閃光。至近距離で放たれた矢は確かに胸へ命中したが、穿ちも抉りもしない。衝撃にたたら踏む程度である。



854: ◆yufVJNsZ3s:2013/02/12(火) 01:13:10.46 ID:opZmc0y00

 狩人が予想外の表情をした。彼女が一歩退くのに合わせ、脚部へと火炎弾を放つ。
 火炎弾は命中するとはじけ飛び、一瞬だけ周囲を仄明るく照らす。狩人は火の粉散る中受け身も満足に取れず、肩から思い切り地面へと激突した。

 間近へと迫っていた勇者の拳、その手首を軽く掴む。帯電は防御魔法で無視できている。そのまま手首を握力で砕き、魔方陣を展開。

九尾「バイキルト!」

 震脚。踏込だけで地面が揺れ、僅かに勇者の体が浮いた。
 その瞬間を狙って、拳を真っ直ぐに彼の腹部へとぶち込む。

 命を奪った感覚があった。

 地面を数度跳ねた勇者は壁に激突して肉片と化す。少しすれば復活するだろうから、それに先んじて束縛呪文を唱えた。
 影から現れた手が、三人の四肢を拘束する。



855: ◆yufVJNsZ3s:2013/02/12(火) 01:14:17.71 ID:opZmc0y00

老婆「……」
九尾「お前らは何か勘違いをしている。魔王は世界を破滅に導くものではない」

九尾「魔王はバランサーだ。少なくとも九尾はそう思っている」

九尾「魔王が敵となることで、人間界は平和になるだろう。そして九尾もそれを望んでいるのだ」

少女「その魔王と、やらが、魔物を生み出すん、でしょ」

九尾「全てではないがな」

狩人「でも、それが、何の罪もない人たちを殺すのだとしたら……」

少女「そんな平和は望んでない」
狩人「そんな平和は望んでいない」

 二人の意志の籠った瞳を見ていると、なぜだか彼女らがいとおしくなってくる。いや、勇者も老婆も含めて、精一杯、人の身には大きすぎる想いを抱えている者というのは、どうしてかくも美しいのだろうか。



856: ◆yufVJNsZ3s:2013/02/12(火) 01:14:53.05 ID:opZmc0y00

 しかし彼女らは勘違いしていた。あぁ、そうか、とそこでようやく合点がいく。

九尾「それは魔王に頼んでくれ。九尾の知ったことではないのだ」

少女「だからっ……!」

狩人「私たちはそもそも、魔王が――」

九尾「次代の魔王は、そいつじゃよ」

 指を指した。
 九尾の指の先では、勇者が、今まさに目を覚まそうとしている。

 九尾は繰り返した。

九尾「次代の魔王は、そいつじゃ」

――――――――――――――――――――



861: ◆yufVJNsZ3s:2013/02/16(土) 10:18:55.83 ID:7cRQjCOC0

――――――――――――――――――――

 夢を見る。死んだときはいつもこうだ。
 何度も死んで、何度も夢を見てきた。決まって先に死んだやつらが俺を苛む。そして俺はそれに謝り続ける。彼らに恥じない立派な生き方をと志を新たにして。
 これは呪いなのだろうか? それとも、俺のうしろめたさの具現なのだろうか?

 あぁ、だけど、そうなのだ。俺は結局、前へと歩くことしかできない。後ろを振り返ることはできても、戻ることはできないのだ。
 ならば一歩でも遠くへ、一秒でも早く、目的地を目指す。それが合理的な帰結というやつだろう?

 とはいえ、俺は所詮ガキに過ぎない。死んでも復活するというだけの。肉体はそうだが、精神は果たしてそうではない。一人では、生きていけない。
 アルス・ブレイバという人間が生きていけるのは、仲間がいるからだ。

 仲間たちには感謝してもしきれない。彼女たちがいなければ俺はとっくに心が折れていたし、四天王にも勝てなかった。戦争の渦中に身を投じて粉骨砕身するなんて、とてもではないができない。
 もう少しだ。もう少しで全てが終わる。いや、終わらせてみせる。



862: ◆yufVJNsZ3s:2013/02/16(土) 10:19:25.55 ID:7cRQjCOC0

 俺は目を開けた。

 目に飛び込んできたのは、九尾の狐である。着流し。金色の髪の毛と、金色の尻尾。九尾という名のはずなのに、今はそれは六本しかない。
 そして、俺の右側に、虹の弓と光の矢を携えたクルル・アーチ。驚愕の表情で俺を見ている。
 左側に立っていたメイ・スレッジも呆然と俺を見てきていた。

 なんだ? 一体、なんだ?

 顔に触る。何もない。
 体に触る。何もない。

メイ「……なんで?」

 ぽつりとメイが漏らした。

メイ「なんでこいつが魔王にならなくちゃならないのよ!」

 こいつ――即ち、俺。
 俺?



863: ◆yufVJNsZ3s:2013/02/16(土) 10:20:26.49 ID:7cRQjCOC0

アルス「……どういうことだ」

 立ち上がりながら言う。全身の魔法経路に働きかけ、両手を帯電させる。

アルス「俺が、魔王?」

九尾「そうだ。九尾としても、魔王の座と力を私利私欲のために使われては堪らん。魔王には重大な責任と、何より気高い思想が必要になる。世界を平和にするという」

九尾「勇者よ。お前が魔王となり、人類の敵となれ。それが平和の近道だ」

アルス「勇者って、なんだよ」

九尾「お前のことだ。お前には勇気がある。無謀と言い換えられかねない勇気が。それは誰もが持っているものじゃあない」

メイ「アルス、こんなやつの口車に乗っちゃだめだよっ!」

クルル「信用、できない」

 それ以前に俺はたった今言われたことを咀嚼するだけでも一杯一杯だった。俺が魔王になって、世界を救う?



864: ◆yufVJNsZ3s:2013/02/16(土) 10:20:55.88 ID:7cRQjCOC0

 それは途方も突拍子もないことであったが、言わんとしていることは理解できた。
 だって俺はすでに見ていたのだ。魔方陣から魔物が大挙して押し寄せたとき、手と手を取って共闘していた両軍の姿を。
 合点がいった――というよりは、ああそうか、と思ってしまった。そういうことか、と。

 体中から力が抜ける。俺一人が人間を止めるだけで、この戦争を止めることができるのだ。そして将来的な戦争をも。
 つまりは戦争を管理しろということだ。万が一のときに勢力を拡大し、昂ぶった空気を一身に受ける。ガス抜き、ストレス解消、言い方はいくらでもある。九尾はその相手として魔王を設定していて、選ばれたのが、俺。

 あまりにも壮大すぎる役割だった。九尾がどこまで本当のことを言っているかはわからないし、それこそメイやクルルの言うように、全て嘘なのかもしれない。それはそうだ。何せ相手は魔族きっての智将、九尾の狐なのだ。
 古来より狐は人を化かす。今こうして話している俺たちが、彼女の手のひらの上で踊っていないと誰が保証してくれるだろうか。



865: ◆yufVJNsZ3s:2013/02/16(土) 10:21:22.88 ID:7cRQjCOC0

 ただ、その提案に魅力を感じている俺も、確かにいるのだ。

 なぜ九尾が俺に執心し、俺を魔王に仕立て上げようとしているのか、それは単にコンティニューの加護があるからだけではあるまい。九尾の考えていた条件を、それこそ無謀と紙一重の勇気が俺にはある――らしい――からこそ、俺が選定された。
 俺は一歩も動けなかった。二人の声も、耳に入らない。

 不意に夢が思い出される。

 みんな死んだ。みんな、死んだ。
 あるものは凶刃に倒れ、またあるものは火炎に呑まれて死んだ。毒が全身に回って死んだやつもいたし、誰かの犠牲になったやつもいた。
 ダイゴ隊長はウェパルに殺されて、ルニ参謀は国のために死んだ。鬼神に殺された兵卒もいる。彼らは生きたかったはずだ。死にたくなかったはずだ。

 よりよい世界にしたかったはずだ。

 誰もが自分の信じるものに基づいて進んでいる。それは俺も同じ。

 俺は世界を平和にしたい。



866: ◆yufVJNsZ3s:2013/02/16(土) 10:21:53.47 ID:7cRQjCOC0

 何も世界を救いたいなどと大それたことを言っているわけではない。俺が全てを掬い上げる救いの形ではなくて、ただ懸命にもがくだけでよかった。
 俺にはわかるのだ。わかってしまうのだ。目の前の妖狐の瞳の色を、俺は毎日鏡の中で見てきているのだ。

 九尾と俺の目指すところは同じだと、わかりたくないのにわかってしまうのだ。

アルス「どうしたもんか」

 呟く。わかってしまっては、もうどうしようもない。九尾の言うとおり、俺が魔王になることが、一番の近道なのだ、きっと。九尾は嘘をついていない。彼女は世界を平和にしたい。
 それは果たして幾分度胸と覚悟のいることだった。さっきの今で答えを出せるような代物ではない。だけど、ここで拒否して、そのあとはどうする? 俺に、俺たちに、世界を平和にする具体案など出せるのか?

クルル「アルス……」

 うつむいたまま喋らない俺を見て、クルルが心配そうに手を取ってくる。
 仄暖かさ。そうだ、俺は一人じゃない。彼女らの住む世界もまた、俺の世界と同一だ。

 俺が世界を平和にするということは、彼女らの世界を平和にするということと等しい。



867: ◆yufVJNsZ3s:2013/02/16(土) 10:22:21.17 ID:7cRQjCOC0

 クルルの家族は死んだ。一族の者も、全員死んだ。彼女は孤独だ。そして何より死を恐れ、死を拒み、命を尊重している。
 俺が彼女の命を助けたのは完全に偶然で、幸運の賜物である。しかし、彼女が俺についてきてくれたのは偶然ではないし、彼女が俺のねじくれた精神を救いだしてくれたのも偶然ではない。

 俺はメイを見た。彼女もまた、世界の平和を望んでいる。
 メイの苦しみを俺は直接的には知らない。彼女が一体何に苦しみ、何を恐れ、何を克服したのかは、俺には断片的しか判断できない。
 しかし、彼女もまた平和を希求していた。その上で、自分の無力さを痛感してもいた。彼女は俺だ。クルルのいない俺だ。

 最後にばあさん――グローテ・マギカを見た。悲痛な表情をしている。彼女は恐らく、誰よりも責任を感じている。なぜなら彼女は王国の歴史を知っているから。
 ばあさんは俺を魔王にさせたくはないが、俺が魔王になることが最もよい選択なのだと思っているし、知っている。合理的な選択だ。そしてそれが彼女を苦しめている。



868: ◆yufVJNsZ3s:2013/02/16(土) 10:22:50.58 ID:7cRQjCOC0

 息を呑んだ。喉の鳴るのが自分でもわかる。
 世界を平和にしたいと願った。世界を平和にすると誓った。そして今、俺は世界を平和にする覚悟を要求されている。
 必要なのは、あとは覚悟だけだ。それさえあれば。

 視界は明朗。思考も明晰。後戻りはするつもりもない。

 帯電を解く。俺は九尾に向かって踏み出した。

アルス「俺は世界を平和にしたい」

 手を差し出す。三人が背後で何かを言おうとして、口を噤んだのがわかった。

九尾「あいわかった。後悔はないな」

アルス「あるさ。けど、戦争を止められるならそれが勿論いいし、そのために犠牲が必要なら、俺がなる」

九尾「恐ろしいほどの献身、あっぱれだな」

グローテ「……すまない」

 視界の外で、ばあさんが呟いたのが聞こえた。きっと頭を下げているに違いない。
 そんな姿は見たくなかったので、そちらを向かずに声をかける。

アルス「気にすんじゃねーよ、ばあさん。俺はずっと、このために旅をしてきたんだ。方法こそこんなふうになっちまったけどな」



869: ◆yufVJNsZ3s:2013/02/16(土) 10:23:23.75 ID:7cRQjCOC0

 九尾は袖から四つの珠を取り出した。角度によって虹色に輝く、何とも不思議な珠である。生きているようにも見える。

九尾「これは魔王の核じゃ。四天王が一人一つ持っていて、これを四つ体内に取り込むことによって、魔王の力を得られる。……持て」

 手渡されたそれは冷たく、それでいて脈動を感じる。生きているように見えたのはこの脈動のせいらしい。

 ……俺はふと疑問に思ったことを尋ねた。

アルス「九尾、なんでお前は世界を平和にしたいんだ」

九尾「九尾か? 九尾は、そうだな……」

九尾「人を喰うためだな」

 は?

九尾「九尾は人を喰いたい。そういう生物なのだ。戦争で人口が著しく減られると、そのしわ寄せは九尾にも来る。だから、」

 世界は平和でなくては困るのだ。九尾はそう言った。



870: ◆yufVJNsZ3s:2013/02/16(土) 10:24:01.84 ID:7cRQjCOC0

アルス「……」

 無言は俺だけではなかった。クルルもメイもばあさんも、平然としている九尾を注視している。
 やはりこいつは魔族なのだと、どこか安心できる。完全に無害な、人間に与するだけの存在が、魔族であるはずがない。
 人間とはどうしても相容れない衝動があるからこそ魔族。

 九尾の体が吹き飛ぶ。

 メイだった。
 背後からの不意打ちを敢行した彼女の表情は、口の端が引きつっている。

メイ「やっぱり! やっぱり魔族はどこまで行っても魔族! 人間の敵ってことね、そうでしょ、アルス!」

 ミョルニルを振り回しながら吹き飛んだ九尾へと追いすがる。
 九尾の足首を掴み、引きつけながらの大振り。九尾の防御ごと吹き飛ばして壁を破砕した。
 幾本もの光が土煙の中へ吸い込まれ、更なる破壊を引き起こす。メイとは反対側からクルルも九尾へと迫っている。

クルル「それは、流石に、許せない」



871: ◆yufVJNsZ3s:2013/02/16(土) 10:24:31.07 ID:7cRQjCOC0

 煙の中から生えた腕が二人の手首を掴む。
 そのまま地面に叩きつけられ、反動で腕の主、九尾は立ち上がった。衣服はぼろぼろになっているが、その振る舞いからは全くダメージというものが見られない。

 九尾の頭上に巨大な火球が出現する。それはぐんぐんと大きくなって、あっという間に頭と同じほどにまで成長した。

 考えている暇はなかった。あんなものを食らえば死は免れない。一気に飛び出して、雷撃を全力で火球へと放つ。
 視界で閃光が弾け、なんとか相殺することに成功する。

 九尾は二人から俺たちから距離を取り、首をかしげた。

九尾「なんだ、何をする」

メイ「はっ、ばっかじゃ、ないの……」

クルル「世界は平和になってほしい、けど……あなたに食料を供給するためじゃあ、ない」

アルス「そういうことだ。悪いが、交渉は決裂だ」



872: ◆yufVJNsZ3s:2013/02/16(土) 10:25:14.25 ID:7cRQjCOC0

 九尾は目を細めた。苛立ちなのか、それとも別の感情なのか、判別がつかない。

九尾「解せん。何も九尾は毎日三食人間を取って食うわけじゃあないぞ。一日二日に一人で十分だ。おやつみたいなものだからな」

メイ「数が問題じゃあないのよっ!」

九尾「数の問題だ。その程度の犠牲で世界を平和にできるなら十分だろう。お前らの我儘で戦争を長引かせるつもりか」

九尾「なぁ、老婆よ!」

 グローテが体を震わせた。なんだか泣きそうな顔をしている彼女は、メイと九尾を交互に見やって、なぜか笑う。

九尾「お前に選択肢なんてないのだ! いや、与えられるはずもない! お前が殺した仲間たちは、選択肢を与えられずに死んでいったのだから!」

九尾「頭では分かっているはずだ。勇者を魔王にするのが最も手っ取り早いのだ。今更一人の犠牲を厭うか!? これまで自分が殺してきた数を思い出せ!」



873: ◆yufVJNsZ3s:2013/02/16(土) 10:25:53.02 ID:7cRQjCOC0

アルス「うるせぇ!」

 俺は叫んだ。九尾の言うことはもしかしたら正論なのかもしれない。かもしれないが――例え部外者の勝手な意見だと罵られようとも、気に食わなかった。
 ばあさんは俺の仲間であって、お前の仲間じゃあない。
 俺が何とかしてやる。そう約束したのだ。

アルス「ばあさん、あんたは見てろ。こいつなんて俺一人で十分だ」

メイ「アタシと二人で十分よ!」

クルル「私たち三人で、十分」



874: ◆yufVJNsZ3s:2013/02/16(土) 10:26:24.94 ID:7cRQjCOC0

 すっかり臨戦態勢に入った俺たちが、老婆と九尾の間に割って入る形で立ちふさがる。そんなこちらの姿を見て、九尾は小さく舌打ちをした。

九尾「人間風情が、調子に乗るなよ」

九尾「四天王、序列一位! 傾国の妖狐、九尾の狐! お前ら程度に相手しきれる存在だと思うな!」

 九尾の姿が消える。高速移動という次元の話ではなかった。恐らく、それよりももっと瞬間的な、転移魔法に違いなかった。
 誰よりも先にクルルが反応した。振り返りざまに光の矢を放つ。これでもかというほどに。

 背後に、老婆のそばに現れた九尾は、そのまま老婆を引っ掴んで転移する。光の矢は壁を大きく破壊しただけに終わった。

クルル「どこにっ!?」

 爆発が俺たちの体を吹き飛ばした。と、メイがなんとか俺とクルルの服を掴み、体勢を立て直して着地。十メートルほど離れた九尾を見定める。
 そばでは老婆が倒れている。死んではないようだ。ただ気絶しているだけ、だろう。



875: ◆yufVJNsZ3s:2013/02/16(土) 10:27:52.08 ID:7cRQjCOC0

メイ「おばあちゃんをどうするつもりだっ!」

 メイの行動は素早く、一瞬で九尾へと肉薄する。ミョルニルの一撃を転移魔法で回避した九尾は、彼女の背後へと現れ、火炎弾を叩きつける。
 飛び込んだ俺と、俺の電撃が火炎弾を弾く。同時に背後から迫る光の矢。

 九尾は光の矢をまとめて掴んで霧散させる。その行動には驚きを禁じ得なかったが、感情を動かす暇があるならば、全て動きに費やしたかった。

 帯電。剣がないのが悔やまれる。徒手空拳ではリーチと取り回しに絶望的なまでの差異があるが、それでもないものねだりはしていられない。
 地を蹴って距離を詰める。フェイントを交えたこちらの拳を、九尾は軽やかなステップで回避していく。振り下ろしざまに放った雷撃も、九尾は魔法障壁で難なく弾いてしまうのだ。

 合わせてメイがミョルニルを振る。さすがにこれは防御しきれないと踏んだのか、転移魔法ですぐさまメイの後ろへと移動、そのまま打ち下ろしを見舞う。
 小柄な彼女の体が大きく揺れた。それでもメイは戦士である。前につんのめった体勢を堪え、あたりもつけずにミョルニルを振り抜いた。

 音もなく九尾は離れた位置に着地する。またも転移魔法だ。



876: ◆yufVJNsZ3s:2013/02/16(土) 10:28:18.96 ID:7cRQjCOC0

 九尾は智将であるが、足りない身体能力は十二分に強化魔法で補える。どこにも隙がなかった。歯噛みしたくなるほどに。

メイ「アルスッ!」

アルス「おう!」

 即応するより先に俺の体は向かっていた。俺の背中を踏み台にしてメイが跳躍、俺は九尾の下半身を、メイは上半身を狙った。
 九尾が転移魔法を展開する。一瞬で時空が歪み、しかし何度も見ているその魔法のタイミングを見逃すほど学習能力がないわけではない。遥か後方から光の矢が跳んできて、その歪みを寸分の狂いなく射抜いた。

 錯聴染みたガラスの割れる音が聞こえて九尾の顔面をミョルニルがぶっ叩く。
 確かに手ごたえはあった。九尾は大きく吹き飛ぶが、風をクッションにして勢いを殺す。

 しかしすでに追撃は完了している。数十の光の矢が九尾へと降り注いだ。

九尾「イオナズン」

 平静の声だった。

 光の矢が爆裂。爆発が引き起こす突風に一瞬呼吸すら不全になって、眼を開けていられない。



877: ◆yufVJNsZ3s:2013/02/16(土) 10:28:44.77 ID:7cRQjCOC0

九尾「メラゾーマ」

 煙を巻き上げて飛来する火炎弾がメイを直撃した。メイの体が炎に包まれ、堪えきれない悲鳴が漏れるのを、俺は確かに聞いた。
 だが、

メイ「きか、ないっ!」

 震脚で火炎を全て振り払い、メイは再度九尾へ突っ込む。支援すべく俺とクルルも後を追う。
 火炎弾が連続で向かってくるのを紙一重でじりじり回避していくが、それでも肌が焦げる音が聞こえてきそうだった。

九尾「マヒャド」

クルル「下ッ!」

 地面を食い破って氷柱が突き出してくる。いや、それは氷柱ではなく、氷河にも等しいほどの巨大さだ。クルルの声がなければ胸を一突きにされていただろう。
 みればメイの左腕に氷が突き刺さっている。青白い氷に赤い血液がひときわ目立って見える。

アルス「おいっ!?」

メイ「大丈夫、だけど――!」

 何よりも問題なのはその氷河。



878: ◆yufVJNsZ3s:2013/02/16(土) 10:29:57.05 ID:7cRQjCOC0

九尾「足を止めたな?」

 ぞくり、と背筋に悪寒が走る。
 氷と氷の隙間から九尾が真っ直ぐにこちらを睨みつけていた。両掌を向け、その間に魔力の塊が煌びやかに輝いているのを見ることができる。そう、まるであれは、俺とクルルのインドラのように。

九尾「これを受けて死ねることを光栄に思え」

 みち、みち、と空気が震える。
 耳鳴りがする。いや、これは耳鳴りなどではない。全ての物質が九尾の魔力の波動に共鳴を起こしているのだ。
 体が震える。これは、恐怖だ。

アルス「あれはっ、だめだ! わかんねぇけど――あれはだめだっ!」

クルル「間に合えっ……!」

 光の矢。
 展開できる限りの本数をクルルは展開、九尾に対して射出するが、いまだマヒャドは生きていた。光の矢を食べるかのように襲いかかって打ち消していく。
 その氷山を駆け上るメイ。だが、九尾までの距離は果てしなく遠い。

九尾「マダンテ!」

 暴走した魔力が爆発を起こす!



879: ◆yufVJNsZ3s:2013/02/16(土) 10:30:24.54 ID:7cRQjCOC0

 部屋に光が満ちた。
 衝撃はなかった。ただ体が浮かび上がって、真っ白に染まる視界の中、その白に体が塗り潰されて押し潰されて、喰われて、体だけじゃなく、意識も、

 抵抗の意志すらも真白く染まる。

 僅かに視界が翳った。翳ったというのに、俺は手で目庇しを作り、その遮蔽物へと視線をやる。
 視界の中を揺蕩うローブ。不気味に長い爪を伴う指が、真っ直ぐに光源――九尾のほうへとむけられ、不可視の障壁が展開されているのを俺は見た。

 ばあさん。

 言葉が出ない。筋肉が失われたかのように全身が動かない。四肢だけでなく、喉までもそうだ。

 誰かの咆哮が聞こえた。裂帛の気合いだった。
 悲鳴でも、怒声でも、断じてない。克己するためのものだということはすぐにわかった。

 満ちていた光が失われていく。

 世界が元に戻ると同時に、俺は血を吐いた。両腕が、両足が、それぞれありえない方向に曲がっている。関節の部分からは血に塗れた骨すらものぞいていた。
 体も腰を起点として捩じれていて、俺の上半身は真っ直ぐ前を見ていても、下半身そのものが九十度左を向いている。当然内臓だってぐちゃぐちゃで、骨もぐちゃぐちゃになっているはずだ。



880: ◆yufVJNsZ3s:2013/02/16(土) 10:32:04.08 ID:7cRQjCOC0

 ばあさん。

 言葉の代わりに血反吐しか出ていかない。
 残る二人の無事を確認したくても、頸も回らない。

九尾「遅い復活じゃないか。それで、なんだ。九尾に刃向おうと? そんなぼろぼろで?」

 ばあさんは左腕がなく、右足も完全に折れていた。膝をついて息も荒い。障壁を張っていても、あの魔力の奔流が齎す破壊を防ぎきるなどできなかったのだろう。

グローテ「マダンテは、術者の全ての魔力を消費する……お前はもう、魔法はつかえまい」

クルル「そういうことなら」

メイ「アタシたちが、あとはやるわ」

 地面の感触を踏みしめるように二人が立っていた。裂傷、擦過傷はいくつか見られるが、俺やばあさんのように大きなけがはない。恐らくばあさんは優先的に二人を守ったのだろう。
 ナイスだぜ、ばあさん。それでいいんだ。

グローテ「形勢逆転――」

九尾「とでも言うつもりか?」



881: ◆yufVJNsZ3s:2013/02/16(土) 10:32:46.35 ID:7cRQjCOC0

 ばあさんの腹部が爆ぜた。

グローテ「っ!?」

メイ「おばあちゃん!」

 二人が同時に駆け出す。クルルは右から、メイは左から。
 しかし、

九尾「ピオラ――スカラ――バイキルト!」

 身体能力向上呪文を九尾は連続で唱え、一瞬で二人の攻撃を掻い潜る。ミョルニルは肩口を掠り、光の矢は金色の髪の毛を散らすけれど、どれも決定打にはならない。
 九尾の手刀がクルルの脇腹を抉った。カウンターでクルルは矢を放つが、九尾はそれを瞬間的に掴んで投げ捨てる。

 返す刀で振り向くことすらせずに、氷柱をメイにみまった。絶妙のタイミングで挟まれたその攻撃にメイは反応せざるを得ない。ミョルニルで氷柱を砕き――その隙に九尾が肉薄する。
 旋風魔法。足を掬われたメイはバランスを崩し、そのまま地面に叩きつけられる。そして九尾はそのまま左腕を踏み抜いた。

 左腕、その二の腕から先が宙を舞う。

 九尾はそれを途中で掴み、思い切りかぶりついた。



882: ◆yufVJNsZ3s:2013/02/16(土) 10:33:29.49 ID:7cRQjCOC0

九尾「やはり人肉は若い女性に限るな」

メイ「アタシの体を、返せぇええええっ!」

九尾「うるさい」

 ごぐ、と鈍い音がした。九尾がメイの頭を思い切り踏みつけたのだ。
 踏み抜いたのではないようで、どうやらメイの頭は原形をとどめているが、血がじわじわと床に広がっている。

グローテ「どう、して……」

 床に倒れたばあさんは息も絶え絶えで尋ねる。どうして魔法が使えるのか、ということなのだろう。

九尾「この塔は誰が作ったものなのか忘れたのか? 九尾が構築した陣地である以上、九尾の魔力に転換するのもたやすいことよ」



883: ◆yufVJNsZ3s:2013/02/16(土) 10:34:50.04 ID:7cRQjCOC0

九尾「……なんじゃ、まだやるのか」

 九尾は依然起き上がるクルルに対して冷たい視線を向ける。クルルは立ち上がれこそすれど、腹部からこぼれる内臓を押さえるのに手いっぱいで、まともに戦えそうな様相ではなかった。
 九尾が一歩でクルルのそばに移動する。クルルはそれに対応すらできない。自分の顔が翳るの感じて、ようやく顔を上げるありさまだ。
 頬を打たれてそのまま倒れこむ。起き上がろうとするその努力もむなしく、ただ指先が力なく地面をひっかくだけである。

 見ているだけで涙がこぼれる。

 俺はなにをやっているんだ。

 歯噛みした。こうなるならいっそ早く死んで、万全の態勢で復活したかった。いや、それも逃げなのか? 次の復活が迅速に行われる保証なんてないのだから。

 それでも、いくら自分を発奮させても、指の一本すら動かない。視界もだんだん霞がかかってくる。
 いや、これは断じて死なのではない。ただの涙だ。そうでなければ眦が、液体の伝う頬が、熱いわけもない!



884: ◆yufVJNsZ3s:2013/02/16(土) 10:36:39.70 ID:7cRQjCOC0

 思わず目を拭った。何もできないなりに何かをしなければいけないと、俺は思った。

 ん?

 腕が、動く?

「ああ、そういうことだったんですね。納得です」

 誰かの声が耳元で聞こえた。

 誰の、声だ。

 俺はなぜだか動く顔を、頸を、胸を、体中を稼働させて、声の方向を見た。

 ローブ、だった。
 ばあさんが身に着けているのと同じローブ。ねずみ色でフードのついたそれの背中には、王国の紋章が大きく金色で刺繍されていた。
 しゃらん、と儀仗が鳴る。金属製の長い柄の先端には翼を模した飾りがついていて、そこからさらにいくつもの銀製の輪が連なりあっている。

 クレイア・ルルマタージ儀仗兵長。
 病院で安静にしているはずの彼女が、なぜここへ?

クレイア「わたし一人寝ているわけには、行きませんから」



885: ◆yufVJNsZ3s:2013/02/16(土) 10:37:10.22 ID:7cRQjCOC0

九尾「貴様、どうやってここに入り込めた!」

クレイア「やはり、九尾、あなたですか。洞穴と同じ魔力のパターン、陣地の構築方式……一度見たから解析は用意でした」

九尾「どうやって入り込めたと聞いているっ! 幾重にもプロテクトはかけていたはずだぞ!」

クレイア「構築した陣地から魔力を削りましたね。綻び、見えてましたよ」

クレイア「これでも陣地構築のエキスパートなんです、わたし」

九尾「愚弄するかっ!」

 九尾が飛び出した。魔法によって得られた圧倒的な速度を用いて、クレイアさんの喉首を狙っている。

アルス「させねぇよ!」

 間に割り込む形で九尾の腕を取る。とてつもない力だ。片手ではとてもじゃないが抑えきれない。
 顔面が爆ぜる。激痛。視界も奪われ、咄嗟のことで足元もふらつく。ただ、それでも、決して腕だけは離さない。離して堪るか!



886: ◆yufVJNsZ3s:2013/02/16(土) 10:41:09.83 ID:7cRQjCOC0

 電撃を流して九尾ごと地面に倒れこむ。マウントポジションを取ろうともんどり打って、強か体を打ちつけながら、九尾と転がりあった。

九尾「くそ、離れろ、離れろっ、邪魔だ貴様!」

 腹部が何度も爆ぜる。そのたびに体が浮かび上がり、激痛が走り、内臓が口からそっくりそのまま飛び出してしまいそうになる。だが、痛みなどはどうだっていいのだ。どうせ癒えるものはどうだっていいのだ。
 どうにもならないものが問題なのだ。

 命とか。

 九尾はついに転移魔法を使用していったん距離を取る。俺は九尾との距離があることを確認し、周囲を見回す。
 戻ってきた視界ではクレイアさんが老婆に治癒魔法をかけていた。陣地構築を基とする、回復の魔方陣だ。

九尾「勇者ァ……お前に蘇生の加護をくれてやったのはこの九尾ぞ! その分際で刃向うというのか!」

アルス「そりゃ感謝だ。だけど、だめだ。お前の未来は次善だ」

アルス「俺が犠牲になるだけなら喜んでなってやる。ただ、お前に食わせてやれる人間は一人としていない」



887: ◆yufVJNsZ3s:2013/02/16(土) 10:42:53.11 ID:7cRQjCOC0

アルス「俺は我儘なんだ。だから、目的のために手段を選ぶ」

九尾「老婆、こいつらを殺すぞ! 手伝え! どうせ勇者は復活する! 他の奴らは殺しても構わん!」

アルス「うるせぇ! 黙れ! 殺す!」

クレイア「アルスさん、これを」

 クレイアさんが懐から剣を――否、刀を取り出した。鞘に包まれた彎刀。随分と使い込まれていて、それでもなお柄から鞘まで輝きに包まれている。

クレイア「ダイゴ隊長の遺品です」

 俺は一瞬息を呑んで、丁寧に、しかし迅速にそれを受け取った。鞘を抜いて背負う。投げ捨てるだなんて真似は出来なかった。

 跳ぶ。彎刀はずしりと手に重い。その重さが逆に安心できもする。それは命を預けるに足る重さだった。
 俺は今ならわかる。ダイゴ隊長とルニ参謀のふるまいが。その真意が。二人は根っからの兵士で、軍人で、だから死んだ。常に死んでもいいと思っていたに違いない。国のためなら全てを犠牲にできていたのだ。



888: ◆yufVJNsZ3s:2013/02/16(土) 10:44:28.66 ID:7cRQjCOC0

 俺はその生き方を否定しない。ただ、もっと理想を抱いてもいいのではないかと、希望を持ってもいいのではないかと思う。
 きっと、いつか、なんとかなる。もっとうまくいく方法がある。そう思えないものだろうか? それとも俺が理想主義なだけなのだろうか?
 きっとばあさんもそうなのだ。個人と国の関係性。国があるから個人があるのだと、彼らは、彼女らは、おおよそ信じきっている。信じきってはいなくとも、そのために命を擲てる。

 それはつまり命の軽視だ。全体主義的で、国家の形さえ成していれば他に何もいらないという、ある種の狂信だ。
 だけど人間の精神がそれに耐えられるものだろうか。罪悪感に。

 いや、誤魔化すのはよくない。素直に言おう。俺の生き様も相似なのだ。俺は世界が平和であれば他に何もいらないという狂信を胸に抱いている。そして、一度は精神が耐えられなかった。
 手を差し伸べてくれたのはクルル。俺は世界を平和にするためでなくて、彼女の世界を平和にするためにやっているのだ。そうやって目標を意識的に矮小化しているのだ。



889: ◆yufVJNsZ3s:2013/02/16(土) 10:44:57.26 ID:7cRQjCOC0

 九尾が言ったのは、きっとそういうことなのだと思う。国のために個人を殺し続けてきたばあさんは、今更後戻りできない。小のために大を犠牲にする選択肢をとれない。
 苦しんでいるのは明らかだ。ならば俺に何ができる? 俺は何をすればいい?

 簡単だ。
 俺がその選択肢を代わりに選んでやればいい。

 どんな罰だって受けてやるから。

 神様。

 俺の仲間に、安寧を!

 特攻――爆裂で腹が吹き飛ぶ。反射的に、さらに強く地面を踏みしめ、体幹をぶらさずにそのまま走り抜け!
 火炎弾の連打。喰らえばひとたまりもない。しかし今更速度も落とせない。大丈夫、ウェパルの驟雨よりは密度は薄い。何より今の俺には刀がある。

 帯電させ、九尾までの最短距離を行く。火炎弾は切り落とし、真っ直ぐ、ひたすらに真っ直ぐ。
 光の束が横から火炎弾を全て打ち落とした。それで一気に視界が開ける。

クルル「アルス! あとは!」



890: ◆yufVJNsZ3s:2013/02/16(土) 10:45:28.98 ID:7cRQjCOC0

 俺はにやりと笑って返事を返す。

 九尾の姿が消える。転移か、それとも高速移動か。
 考えて、途中でどうでもいいと思考を打ち切った。余計な思考に割くリソースなど存在しない。

 僅かにずれた位置に九尾。手をこちらに向けて呪文を詠唱している――呪文の詠唱。九尾のレベルで?

九尾「地の怒り、終わりなき鼓動、打ち倒す者の屍。十五里を行き、広がるは死肉ばかり。招く亡者の手を払うことは何人たりとも許されない」

九尾「流転。震動。隆起し、歓喜せよ。滂沱の涙と忘我の涙を具し、我が名を諳んじ賜え」

九尾「奉れ! 死の顕現こそ足元にあり!」

九尾「ジゴスパーク!」

クレイア「マホカンタ――ッ!」

 急いでクレイアさんが反射結界を張る。が、九尾から放たれる圧力はそれすらものともせず、急激に世界がそちらへ引っ張られていく。
 黒い、帯電する球体。それは絶え間なく雷撃を放ち、しかもその雷撃の一つ一つが、俺の全力よりも遥かに強い。

 打ち砕く。
 打ち砕く。
 打ち砕き続ける。



891: ◆yufVJNsZ3s:2013/02/16(土) 10:46:20.57 ID:7cRQjCOC0

 空気が振動して髪の毛がなびく。
 早く九尾を倒さなければ!

 反射結界が割れた。

 発せられた極太の放電。白い光線としてしか捉えられないそれは、俺をきっちり呑み込めるほどに巨大で、俺は蒸発を覚悟する。
 だけど、それでも。

アルス「俺はっ!」

 脚を、止めない!

メイ「退きなさい!」

 むんずと俺の襟を掴んで、メイが放り投げる。ぐんと体が浮いて、俺はそのまま地面に落下した。
 俺とメイは入れ替わる形で――つまり射線上にメイが、

 言葉は出ない。涙は出る。それでも確かに、俺は九尾のそばに辿り着いた。

アルス「うぉおおおおああああああっ!」

 刀を握る。握らずに敵が殺せるか。

九尾「温すぎるわっ!」

 九尾が斬撃を掻い潜って俺の懐に飛び込んでくる。ぞっとするほど冷たい九尾の瞳と、視線が合う。
 速い。力も倍増している。九尾の拳が握り締められているのを、俺は確かに見た。



892: ◆yufVJNsZ3s:2013/02/16(土) 10:46:58.89 ID:7cRQjCOC0

 腹部に衝撃。九尾の腕が肘まで突き刺さっていた。あまりの衝撃と激痛に眼を剥くが、しかし、俺の役目は忘れていない。
 刀はすでに捨てている。その腕を掴んで、

 九尾の背後、俺の視界の中に、こちらへ向かってくる煌めく数多が見えた。
 同時に周囲に張り巡らされている結界も。

クルル「虹の弓と、光の矢ッ!」
クレイア「陣地構築、結界!」

アルス「俺の仲間をなめんじゃねぇええええええっ!」

九尾「貴様は死なない、九尾は死ぬ、そういう算段かっ! だが、しかし!」

九尾「まだ温いわっ!」

 九尾の足元が急激に膨れ上がる。現れたのは大量の水の奔流だ。
 それらは猛烈な勢いで渦を巻き、結界と光の矢すら飲み込み破壊し、部屋中を大渦に飲み込んだ。巨大なうねり、メイルシュトロムに太刀打ちできる体力など残っているはずもない。
 壁に叩きつけられる。腹の大穴からは血液とともに内臓も飛び出し、見るに堪えない。呼吸すら怪しくなっているが、徐々に治癒して言っているのは、クレイアさんが部屋全体に構築してくれた治癒の陣地のおかげだろう。

 全員が倒れている中、部屋の中央で九尾だけが立っている。



893: ◆yufVJNsZ3s:2013/02/16(土) 10:47:30.15 ID:7cRQjCOC0

 俺は立ち上がった。立ち上がって、そして血を吐いた。
 クルルも立ち上がった。左足が折れている。壁にもたれかからなければ立ち上がれない状況で、それでも。
 メイもまた、なんとか上体だけを起こす。右手には依然としてミョルニルが握られていて、死んでも離すまいという意思が見て取れた。

九尾「まだやるか。いい加減あきらめたらどうだ」

アルス「まだ、まだだ……」

 九尾は大きくため息をついた。こちらはほぼ全員満身創痍、しかし九尾は五体満足で、攻撃自体まともに喰らってはいないのだ。その時点で実力差は明白なのだが、俺たちには引けない理由がある。
 自己満足と言ってしまえばそれまでだった。だがそんなことを言えば、この世はすべて自己満足と自己満足のぶつかりあいだ。



894: ◆yufVJNsZ3s:2013/02/16(土) 10:47:57.42 ID:7cRQjCOC0

九尾「それで、お前はどうするつもりだ、老婆」

 九尾が唐突にばあさんに声をかける。俺は思わず九尾の視線の先を追った。

 ばあさんが杖を九尾に向けていた。
 二人の視線が交わっている。

 は、と九尾はばあさんを嘲笑する。

九尾「結局お前はどちらにも与できん。邪魔だ。己の葛藤に押し潰されて死ね」

グローテ「儂は、誰にも死んでほしくはなかった。それが不可能だと気付いた時、次にとれたのは、一を切り捨て十を助けることだった」

九尾「誰もお前の話になんて興味はない」

 火炎弾がばあさんに向かって飛ぶ。ばあさんは旋風を巻き起こし、火炎弾を拡散、無効化した。

グローテ「だが、わかった。わしは何も、信念を曲げる必要などないのだと」

グローテ「葛藤する必要などないのだと!」



895: ◆yufVJNsZ3s:2013/02/16(土) 10:48:24.91 ID:7cRQjCOC0

グローテ「クレイア!」

クレイア「はい! 準備は、できていますよぉっ!」

 俺とクルル、メイの三人がいる地点のみが、淡く光り出した。それに伴って俺たちの体もまた発光しだす。
 この体験は初めてではなかった。転移魔法を使う際の感覚とまるきり同じだ。
 それはつまり、クレイアさんが転移魔法を俺たちに対して使用しているということの証左に他ならない。何のために? ――考えるまでもない。俺たちをここから逃がすために。

 自分たちだけで九尾と戦うために。

アルス「だめだっ! 二人だけじゃ!」

 勝てるわけがない、と言おうとして、ふととある考えが脳裏をよぎる。まさか。
 勝てない戦いを二人がするだろうか? 無駄死にを一番厭いそうな二人が、である。もし仮に勝機があるのだとして、その上で俺たちを逃がすのだとすれば、思い当たる可能性はただ一つ。



896: ◆yufVJNsZ3s:2013/02/16(土) 10:49:58.38 ID:7cRQjCOC0

 体が粒子に溶けていく。
 言葉を発したいのに、それが届かない。

 メイとクルルも当然それに気づいたはずだ。眼が見開かれて、表情が引きつって、大きく口を開ける。しかし言葉は出ない。聞こえていないだけかもしれない。

グローテ「お前らと一緒の旅は、楽しかったよ」

 だから、なんで過去形なんだよ!

 ばあさん、あんたやっぱり――

アルス「死ぬつもりなんだろう!?」

 声が届いたのかどうか。
 ばあさんは、グローテ・マギカは、困ったようににこりと笑った。



897: ◆yufVJNsZ3s:2013/02/16(土) 10:50:27.59 ID:7cRQjCOC0

 光が収束していく。だめだ。転送される。そして――そして、ばあさんとクレイアさんが、死んでしまう。
 気に食わない。それはだめだ。それは俺の専売特許だ。

 犠牲になるのは、死んでも生き返るやつがやるべきなのだ。そうだろう?

 しかし、これ以降どうすればいいというのか、まったく考えが浮かばない。このまま戦ったところで犬死だ。俺は復活するとして、四人を見殺しにはできない。
 ばあさんたちが自らの命と引き換えに九尾を倒せるなら、それは現状では恐らく最良なのだ。俺の制止を恐らく彼女らは聞きもしないだろう。それだけの覚悟を秘めた顔がそこにはある。

アルス「……」

 一つの恐ろしい考えが浮かぶ。それは、なんというか、考えてはいけない考えだ。

 九尾と目が合う。九尾は口角をひきつらせ、眼を見開いて、こちらを見ていた。
 あぁ、そうか、と思う。噂によれば彼女は心を読むことができるそうだ。もし彼女が今の俺の思考を読んでいたとするならば、当然そんな表情にもなるだろう。



898: ◆yufVJNsZ3s:2013/02/16(土) 10:51:04.57 ID:7cRQjCOC0

九尾「正気か? 頭がおかしいんじゃあないのか? 実行に移すかどうかというより、考えが至るだけで、狂っている」

アルス「思いついちまったんだから、しょうがねぇ、だろう」

 唐突に会話を始めた俺たちを、周囲は黙って見ている。何が何だかわからないのだろう。それはそうだ。
 クレイアさんは転移魔法を解いた。光は柔らかく散っていく。怪訝な表情だ。

九尾「勇者よ。本当にそれを――世にも恐ろしいそれを実行に移すだけの気概が、お前にはあるのか?」

九尾「九尾は、心配をする立場ではない自覚はある。が、……お前は九尾の予想以上で、予想外だ。はっきり言って人外だ。気持ち悪いよ」

アルス「は、ご心配ありがとうよ。だけど、知るか。俺は世界を救いたい。俺は仲間に死んでほしくない。お前に人を喰わせるわけにもいかない。四方八方丸く収まる最適手、だろ」

 九尾に向かって手を伸ばした。決して握手をしようなどと思っているのではない。



899: ◆yufVJNsZ3s:2013/02/16(土) 10:51:44.38 ID:7cRQjCOC0

アルス「九尾、俺を喰え」



900: ◆yufVJNsZ3s:2013/02/16(土) 10:52:25.68 ID:7cRQjCOC0

アルス「お前が人を喰いたくなったら、俺に言え。俺を殺して、喰え。どうせ復活するんだ。何度も殺されてやるさ」

メイ「なっ、ばっ!」

 反射的にメイが罵倒の言葉を吐こうとする。しかし、あまりに想定外だったのか、それ以上の言葉は紡がれない。

グローテ「本気、なのか? 自分を喰わせると?」

クレイア「そんな! きみが犠牲になる必要は――!」

アルス「あるんですよ。例え俺の自己満足だとしても」

クルル「……」

 クルルは泣きそうな、困った顔でこちらを見ていた。彼女との付き合いは最も長い。言い出したら聞かないこともわかっているのだろう。
 心配をかけて、悪いな。

クルル「……ばか」

アルス「悪い」



901: ◆yufVJNsZ3s:2013/02/16(土) 10:52:51.48 ID:7cRQjCOC0

アルス「九尾、お前はそれでいいのか。誰も喰うな。俺だけを喰え。それでお前は同意してくれるのか。誰も喰わないと誓えるのか」

九尾「ただ、やはりお前は愚かだ。九尾は男の骨ばった固い肉なんて喰いたくはない。お前を喰っても、九尾にはメリットがない」

 九尾の目的が世界平和――何より人肉の供給にあるのだとすれば、その返事は予想してしかるべきであった。事実俺は九尾のその返事を予想はしていた。
 九尾は俺たちに頼らなくとも人を浚い、喰える。安定供給の意味合いは僅かにここでは異なっている。
 だが、俺には脅し文句があった。これ以上ない、人間ゆえの根性というものを、覚悟というものを、所詮魔族でしかないこいつに見せつけてやる文句が。

アルス「俺たちは立ち上がり続けるぞ」



902: ◆yufVJNsZ3s:2013/02/16(土) 10:53:34.68 ID:7cRQjCOC0

九尾「……」

アルス「お前がどんなに強かろうが、絶対、必ず、どこまでもお前に刃向って、逃げても追い続けて必ず殺す。俺たちは負けない。少なくとも精神は」

アルス「一生お前の邪魔をし続けてやる。人生をかけて、お前の人生をめちゃくちゃにしてやる」

アルス「それでもいいなら、人間を喰え。それが嫌なら、俺を喰え」

 真っ直ぐ九尾を見据えて呪詛を吐く。脅し文句と言ったが、単なる脅しではなかった。本気の脅しだった。
 今も俺たちが九尾への闘志を絶やさないように、今後も俺たちは九尾を宿敵とすることができる。
 強さの差は限りない。それでも肉体の敗北は精神の勝利で上書きできる。俺たちは今まで何度も立ち上がってきた。

 自称正義の味方の言うことかと思った。しかし、正義の味方だからこそ言えるセリフのような気も、またした。



903: ◆yufVJNsZ3s:2013/02/16(土) 10:54:00.90 ID:7cRQjCOC0

 九尾は逡巡しているようだったが、ややあってから頷く。そして、嘆息。

九尾「わかった。この九尾、こんな形で収まるとは思っていなかった。正直、お前だけを喰うなぞ御免被りたいのだが……お前の気概に折れてやろう」

九尾「九尾の名に誓って証言しよう。九尾はお前だけしか喰わん」

九尾「しかし、逆に聞こう。お前は本当にそれでいいのだな? お前の加護は九尾が与えたものだ。血に刻まれた魔法は膨大だが、決して無尽蔵というわけではない。いつか復活できずに死ぬぞ」

アルス「人間、いつかは死ぬさ。俺は死にすぎたくらいだ。

九尾「違いない」

 くつくつと笑った。強者の余裕が垣間見える。こちらははったりと気勢で何とか意識を保っているというのに。



904: ◆yufVJNsZ3s:2013/02/16(土) 11:00:44.61 ID:7cRQjCOC0

メイ「まったく……なに、考えてんのよ、ほんと……」

 メイがクレイアさんに肩を借りる形で近づいてきていた。左腕は依然としてないが、血液の流出は止まっていて、顔色も少しずつだがよくなってきているようだ。
 彼女はそのまま自立して、俺の肩を掴む。

 なぜかメイは背伸びをして、俺と顔の高さを合わせようとしてくる。「んー、んー」と唸る姿は年相応に幼くて、俺は笑みがこぼれるのを抑えきれない。
 そのままひざを折って高さを合わせる。

 こつん、と、額と額がぶつかった。

 近い。

 気まずいくらいに、近い。

メイ「アンタが魔王になっても、アタシはアンタのそばに居続けるから。問題ないでしょ?」

アルス「……お手柔らかに」



905: ◆yufVJNsZ3s:2013/02/16(土) 11:01:11.46 ID:7cRQjCOC0

クルル「当然、私も」

 俺の腕を抱きしめるクルル。俺の服も彼女の服も血まみれだが、最早気にしてなどいられない。

クルル「私、正妻だから。あなたは、側室。愛人」

メイ「は、はぁっ? 全然わけわかんないんだけどっ!」

クルル「っていうのは、ちょっとだけ嘘」

 クルルは上目づかいにこちらを見てくる。だけれどその視線は至って真面目だ。

クルル「私は、ずっとアルスの味方。辛いことは、私となんとかしよう。楽しいことは、私としよう」

クルル「好きだよ」

アルス「お、おう」

 なんだかドギマギしてしまう。



906: ◆yufVJNsZ3s:2013/02/16(土) 11:01:52.62 ID:7cRQjCOC0

 だけど、そうなのだ。クルルの言う通りなのだ。納得はされていないかもしれないが、進むべき進路は決まった。大事なのはこれからなのだ。
 魔王の役割。それをどうやって果たしていくのか、課題は山積みだ。

九尾「それについては九尾がサポートする」

アルス「……心を読むな」 

九尾「お前ら三人は四天王――三人だから厳密には違うのだが、側近となってサポートしてやってほしい。そのためにあいつらをぶつけたのだ」

 無視して話を進める九尾であった。

グローテ「やっぱりお前の差し金だったのか」

九尾「おいおい、これでも九尾は気を使ってやったのだぞ? 魔王になれば狙われる。そのためには身を守る武力が必要だ。あいつらに勝てないようなら、人間の軍勢にも勝てないさ」

 それはつまり、裏を返せば、ウェパルやデュラハン、アルプが軍勢一つと同程度の実力を持っているということである。今思い返せば実に恐ろしい。
 しかし、彼女らはそれに勝利してきたのだ。俺のそれは勝利とは決して言い難いが、彼女らのそれは恐らく紛うことのない勝利なのだろう。

クレイア「王国に具申しますか?」

グローテ「いや、どうだろう。あの王のことだ、きっと勇者を自国に引き込もうとするだろう。それはよくない」



907: ◆yufVJNsZ3s:2013/02/16(土) 11:02:18.74 ID:7cRQjCOC0

九尾「デュラハンも、アルプも死んだ。ウェパルも、最早こちらには興味がないだろう。さびしくないと言ったら、まぁ、嘘だな」

アルス「まぁ、何はともあれ、なんていうか」

 息を吐く。心の底から。体の隅々から。

アルス「疲れたぁ……」

アルス「なぁ、そうだろ?」

 メイとクルルを振り返る。

 二人が死んでいた。

 クルルは頭を潰されて。
 メイは泡を吹き、白眼を剥いて。

アルス「な――」

 驚きの声は、それよりも大きな声にかき消される。
 九尾のそれによって。

九尾「なんでお前らがいるっ!?」

九尾「デュラハン! アルプ!」

―――――――――――――――――――



917: ◆yufVJNsZ3s:2013/03/12(火) 20:50:51.17 ID:ZPGCsz/S0

アルプ「ちゃお」

デュラハン「やぁ九尾。久しぶりだね」

九尾「貴様らは死んだはずでは――いや、なぜあの二人を――どういうことだ!」

アルプ「そんな一気に喋らないでよ。ま、わかりやすく言うなら、こうかな」

アルプ「いつからチャームされていないと思ってた?」

アルプ「九尾が見てたのは、九十九パーセント真実だよ。ただ、私とデュラハンが死んだのは、偽り」

九尾「なぜ殺した! 必要はなかったはずだ!」

アルプ「九尾にはなくても」

デュラハン「俺たちにはある」

 口論を続ける化け物たち。そんな彼らの会話の内容は、最早途中から耳に入ってこなかった。
 よろよろと、自分でも危なっかしいと思うくらいに足に力が入らないまま、倒れ伏した二人の下へと近づいていく。呼吸がない。鼓動もない。クルルに至っては頭がない。



918: ◆yufVJNsZ3s:2013/03/12(火) 20:51:21.82 ID:ZPGCsz/S0

 クルルはデュラハンに殺され、メイはアルプに殺された。何もわからない中でそれだけが明らかだった。

 思考が生まれてくる。いや、違う。思考はもともと生まれてくるものだ。勝手に生み出されるものだ。これは、感覚が異なっている。
 言うなれば、まるで注入されるかのような。

 殺す。

 息をするように、あぶくが生まれた。
 俺はそれを遠くからぼぉっと見ている。
 そんな、イメージ。

アルス「殺す」

 腰に括り付けた道具袋が光を放っている。そこには確か、九尾からもらった珠が入っていたはずだ。
 脈動を太ももに感じる。
 どくん、どくん、と。



919: ◆yufVJNsZ3s:2013/03/12(火) 20:52:57.52 ID:ZPGCsz/S0

 殺す。

 なぜ、彼女らが死なねばならなかったのか。違う。間違っている。それは、誰にでもあてはまる。だから、彼女らについてのみ言及するのは、正しくない。

 殺す。

 あいつらは今更何をしに来たのか。

 殺す。

 全てがうまくいくはずだったのに殺す。

 俺は殺す。
 選択を間違え殺すていたのか。
 殺すでも、ほかに殺すどんな殺す選択肢があった殺すって言うのだろう。



920: ◆yufVJNsZ3s:2013/03/12(火) 20:53:25.49 ID:ZPGCsz/S0

デュラハン「天下七剣ッ! 其の一、破邪の剣!」

 歓喜の声とともに刃が俺に迫る。ばあさんの火炎弾を切り裂き、クレイアさんの結界を切り裂き、漆黒の騎士の剣が今まさに俺に。

 太ももが熱い。
 体中が熱い。

 何より、目頭が熱い。

 あぁ、そうか。俺は泣いているのか。

 そうとわかってしまえば話は早い。向かってくる刃の腹を叩き、まるでつららを折るように、根元からぽっきりとやってやる。

アルス「殺す」

 俺の邪魔をしないでくれ。

 ん。
 んん?
 思考と言語の境界線があいまいだ。



921: ◆yufVJNsZ3s:2013/03/12(火) 20:54:21.93 ID:ZPGCsz/S0

 返す刀で漆黒の鎧、その胸に深々と突き立てる。
 ぐ、と漆黒の鎧が呻きを上げて、それでも至極楽しそうに、粒子を散らせながら距離を取った。
 両手に二本の剣が現れる。

デュラハン「いいね、いいよ! 塔にきたときよりも、数段――いいっ!」

 強い踏込み。一瞬の移動。障壁を展開しながらの攻撃は攻防一体で、そもそも高速移動する障壁に触れるだけで体が吹き飛ばされるのだろうと思ったけれど、だからなんだっていうんだ?
 俺は無造作に腕を突っ込む。
 障壁を貫通して、そのまま鎧の左腕を掴んだ。

 捥ぐ。

 捻って、金属の塊を地面に打ち捨てる。

 相手は首無し。クルルの頭を潰したのは、仲間がほしかったのだろうか? 魔族の分際で?
 残念だ。頭が最初からないのなら、クルルと同じ状況にしてやれない。それとも、それすらもこいつには過ぎた死だろうか。



922: ◆yufVJNsZ3s:2013/03/12(火) 20:55:05.20 ID:ZPGCsz/S0

デュラハン「其の四、まどろみの」

 左腕も捥いだ。

デュラハン「っ!? 、しっ、信じられ、ないなぁっ!」

 肩の付け根から光が漏れ出し、新たな腕を構築する。更なる魔方陣が展開され、新たに三本、剣が現れる。

 いつの間にか心臓へ深々ナイフが突き刺さっていた。いつの間に、と思う暇もなく、漆黒が眼前へと向かってくる。どうにもせっかちな奴だ。そんなに慌てて何がしたいのだろうか。
 何が彼をここまで死に急がせるのだろうか。

デュラハン「だけど、これこそ! 俺の望んでいたものっ!」

デュラハン「人間の強者と戦って、四天王とも戦って、だけど、俺は、魔王様とは結局一度も戦えなかった! だから!」

アルス「殺す」

 俺は魔王じゃない。



923: ◆yufVJNsZ3s:2013/03/12(火) 20:55:40.32 ID:ZPGCsz/S0

 刃が俺にずぶりずぶり浸み込んでいく。俺はそれを確かにスローモーションで見ることができる。
 通った先から肉体が再生していくのも。

 切った後には、元通り。

 鎧の脇腹に手のひらをあて、一気に外へと押し出す。
 ぐんと加速。そのまま壁に叩きつけ、左半身を真っ平にしてやる。
 限りない圧縮、そのまま平らになった接壁面を擦りながら、鎧は地面に落ちて砕けた。

 突風。
 光とともに、光の中から漆黒が生まれていく。頭はなくて、頸、肩、腕、胸、腹、腰、足と順繰りに顕現していく。手には当然二刀が握られていて、圧力ではなく、事実として体が先ほどよりも大きい。
 超高密度な魔力体。今の俺にはわかった。

デュラハン「ははっ、こりゃ大当たりも大当たり! わかった、俺はきみに殺されてもいい――違うね、殺されたい! 殺してくれ!」

デュラハン「ようやくこの、不毛で、不毛な、不毛に、終止符を打っておくれ!」

デュラハン「俺の衝動に、俺はもう飽いた!」



924: ◆yufVJNsZ3s:2013/03/12(火) 20:56:32.71 ID:ZPGCsz/S0

デュラハン「ははっ、はははは、あは、ふははあはははっ!」

アルス「殺す」

 勝手なことを言うんじゃない。

デュラハン「そうだ! その意気だ!」

九尾「老婆、儀仗兵長、さっさとそいつを転送――だめだ、隔離しろ! 次元のはざまにぶち込め!」

老婆「だが、あいつの破邪の剣は!」

九尾「違うわ馬鹿者! 勇者を消せ! デュラハンごとでいい! こいつはもう、だめだ!」

九尾「反転した!」

 九尾が何やら叫んでいる。ばあさんも、クレイアさんも、何やら叫んでいる。それまではわかるのだけど、一体何を叫んでいるのか、わからない。
 どうでもいいことではあった。だからわからないのだと思った。
 クルルとメイの仇を殺す取ってやる以外は瑣事に過ぎない。

 体が熱い。太ももの熱さは消え、代わりに全身へと拡散、撹拌している。
 頭の中で鐘が響く。警鐘を鳴らしている。三点鐘。実にうるさい。

九尾「こいつはもう、魔王だ!」



925: ◆yufVJNsZ3s:2013/03/12(火) 20:57:05.96 ID:ZPGCsz/S0

アルプ「おーい、無視するなよぉ」

九尾「アルプゥ……ッ!」

クレイア「師匠! アルスさんが!」

グローテ「くっ、ぐぅううううううっ!」

 魔力が俺の周囲を流れ、渦を巻いている。
 それを切り裂いて突っ込んでくるデュラハン。

グローテ「すまん、勇者! 必ず助けるから――」

クレイア「早く、師匠! もうこの空間が持ちません!」

クレイア「一緒に隔離術式を!」

グローテ「ちく、しょおおおおおおおおおっ!」

 デュラハンの胸を俺の素手が貫いた。

 視界が歪む。
 世界が歪む。

 そこから先の記憶は、ない。
―――――――――――――――――――――――



926: ◆yufVJNsZ3s:2013/03/12(火) 20:57:36.92 ID:ZPGCsz/S0

―――――――――――――――――――――――

 即座にクレイアが結界を展開したのを受けて、わしは周囲に火炎弾を展開、デュラハンにもアルプにも、そして万が一の可能性を考えて九尾にも対応できるよう、にらみを利かせる。
 この現状。この惨状。九尾は驚いていたが、果たしてそれがあいつの演技でないと誰が保証できるだろう。ここまで含めてあいつの策略のうちである可能性は、十分にある。
 けれど、疑っておいてなんだが、わしには九尾のそれが演技には決して見えなかった。自尊心の高い九尾が例え演技でも声を荒げ、驚愕の表情を形作るだろうか?

九尾「なぜ殺した! 必要はなかったはずだ!」

アルプ「九尾にはなくても」

デュラハン「俺たちにはある」

 デュラハンが剣を顕現した。



927: ◆yufVJNsZ3s:2013/03/12(火) 21:06:26.48 ID:smZLP8A60

 孫と、クルルは死んだ。悲しいのに涙すら出てこないこの心が憎い。
 大事な存在を守れない己の無力が憎い。

 何より、命を奪ったあいつらが憎い。

 あぁ、けれど、戦場で培ったのは人の殺し方だけではなかった。自分の心の殺し方も、戦場で培ったものの一つだ。
 真っ当な人生には全く必要のないその技術を、わしはもう二度と使うまいと決めていたのに、まさか戦場ではないこんなところで使うことになるだなんて。

 追悼はいつでもできる。だからこそ今は眼前の敵を。
 わかっている。わかっているのだ。
 それでも心は軋みを上げる。



928: ◆yufVJNsZ3s:2013/03/12(火) 21:08:31.63 ID:smZLP8A60

 ぎちり、ぎちり、手と足と首と胴体と……全身を輪のついた鎖が拘束していた。その先には何かとてつもなく、とてつもなく重いものが括り付けられている。
 頭を振ってそのビジョンを吹き飛ばす。何が括り付けられているのか、何を引きずっているのか、わからいでか。

 だからこそ、死者に恥じない生き方を。

 ちらりと勇者に視線をやる。呆然とした表情。それは当然だが、しかし、わしの視線は別のところへ向いていた。
 彼の太もも、道具袋が発光していた。

 なんだ? 何が起きている?
 確かあそこには、魔王の珠が……?

 背筋に悪寒が走り、体が自然と震える。嫌な予感しかしない。何が起こるかは未知であるが、何かが起こるとわかった。出なければ歯の音が噛みあわないはずがない!
 がちがちと鳴る歯を喰いしばって、デュラハンとアルプに対し、火炎弾を放つ。

 斬、と音がして、火炎弾が切り裂かれる。
 次弾を放つより先にデュラハンはアルスへと切迫している。速い。さすが四天王などと暢気なことは言っていられなかった。今のアルスに迎撃の余裕など――

 殺す。
 くぐもった低い声が、耳に届いた。
 幻聴でないのかと思った。いや、幻聴であってほしいと願った。人間の口から地獄が飛び出してくるなんてことは考えたくもなかったから。



929: ◆yufVJNsZ3s:2013/03/12(火) 21:09:18.53 ID:smZLP8A60

 一拍おいて、対照的な甲高い音が空気を震わせる。
 光に反射して鉄の粉が煌めいている。
 破邪の剣、其の刃が途中から折れ――もぎ取られ、流れるような動作でデュラハンへと突き立てられる。

 速度がおかしい。動きと、表情がおかしい。

グローテ「九尾ィッ! お前、アルスになにをしたぁっ!?」

九尾「魔王の珠の影響だ! あれは濃密な魔力構造体で、吸収した者を魔王にする!」

アルプ「そう。最早彼は人間じゃあない」

 ぎろりと九尾がアルプを睨みつけた。アルプはそれを受けて肩を竦め、けれど、こちらを嘲笑するでもなく、寧ろ逆に悲しそうな顔をした。
 なんでそんな顔をしているのだ。それではまるで、こんなことを望んでいないようではないか。

アルプ「ごめんね、九尾」



930: ◆yufVJNsZ3s:2013/03/12(火) 21:10:41.00 ID:smZLP8A60

 九尾の息を呑むのがこちらまで伝わってくる。わしにはわからない何かが、恐らく二人の間で交わされたに違いない。そして九尾は今の一瞬で、アルプを赦した。

九尾「そうか、そういうことか……」

九尾「あいわかった。お前を殺す」

アルプ「うん、うん。お願い」

クレイア「ししょぉおおおっ! 結界が持ちませんっ、二人の戦闘の余波が、こっちまでっ!」

 アルスとデュラハン、二人とこちら側を魔法的に隔てていた障壁が、みしみしと悲鳴を上げている。
 あと数秒で限界が来る。瞬時に悟ったが、結界の向こう側にいる二人の戦闘は寧ろ激化の一途を辿っている。
 デュラハンは呵呵大笑しながら突っ込み、アルスはそれを容易く迎撃。まるで飛燕だ。重力すらも振り切る身体能力。

 あれが、魔王の力なのか。



931: ◆yufVJNsZ3s:2013/03/12(火) 21:11:11.96 ID:smZLP8A60

デュラハン「ははっ、こりゃ大当たりも大当たり! わかった、俺はきみに殺されてもいい――違うね、殺されたい! 殺してくれ!」

デュラハン「ようやくこの、不毛で、不毛な、不毛に、終止符を打っておくれ!」

デュラハン「俺の衝動に、俺はもう飽いた!」

デュラハン「ははっ、はははは、あは、ふははあはははっ!」

 まさしく人外だった。わしら人間には想像もつかないような、歪な精神構造と行動理念。
 だが、恐らく、同じ人外には理解できるのだ。九尾が歯を噛み締めているのがその証左である。

アルス「殺す」

 感情の欠落した声をアルスが漏らす。加勢に行きたいが……今の彼に、わしとデュラハンの区別がつくかどうか。
 そもそもわしがあの戦いについて行けまい。

デュラハン「そうだ! その意気だ!」



932: ◆yufVJNsZ3s:2013/03/12(火) 21:12:24.41 ID:smZLP8A60

九尾「老婆、儀仗兵長、さっさとそいつを転送――だめだ、隔離しろ! 次元のはざまにぶち込め!」

 慌てたように九尾が言った。そうだ、二人の戦闘にこの塔がいつまで耐えられるかわかったものではない。ただでさえ塔は疲弊しているというのに。
 言われなくともとクレイアが呟いた。舌打ちを一つして、彼女は結界の範囲と性質を変化、無理やりに空間転移を試みる。
 しかし、出力が足らない。わしも力を貸さなければ。

老婆「だが、あいつの破邪の剣は!」

九尾「違うわ馬鹿者! 勇者を消せ! デュラハンごとでいい! こいつはもう、だめだ!」

九尾「反転した!」

 反転。その言葉の詳細まではわからないけれど、なんとなく、方向性はわかった。魔王の力が諸刃の剣でないわけがないのだ。
 恐らく九尾は大丈夫だと思っていたに違いない。「反転」しないと。それは彼の精神と、何より仲間がいたからだ。

 だが、それは裏切られた。この絵図は九尾が描いていたものから逸脱している。

九尾「こいつはもう、魔王だ!」



933: ◆yufVJNsZ3s:2013/03/12(火) 21:12:50.65 ID:smZLP8A60

 九尾が叫ぶ。うるさい。わかっている!
 アルスはもはや、人間にとっての脅威でしかない!

 脅威は屠らねばならない。世界のために。国のために。
 今までわしが何人もそうしてきたように。

グローテ「ぐ、く、ううっ!」

 噛み締めた奥歯のさらに奥、魂の深奥に位置する魂から、嗚咽が漏れていく。
 目頭が熱い。液体が頬を、顎を伝っている。

 わしはこんな生き方しかできない。

 手のひらをアルスに向ける。詫びはいれない。そんなことはおためごかしにしかならない。非情に、冷徹に。それが屠殺者に求められるもの。



934: ◆yufVJNsZ3s:2013/03/12(火) 21:13:21.25 ID:smZLP8A60

アルプ「おーい、無視するなよぉ」

九尾「アルプゥ……ッ!」

 ずるりとアルプが九尾に切迫する。伸びる腕。かわす体。九尾は容赦なくアルプの命を取りに行って、アルプもそれを急かす。早く自分を殺してくれと。

九尾「お前は、黙って、立っていろ! そうすれば一瞬だ!」

 九尾の爪がアルプの耳を切断した。徒手空拳なのは、せめてもの心遣いなのだろうか、などと考えてしまう。
 魅了された空気が、壁の破片が、九尾を襲う。それすらも九尾は爪で切り裂いて、右手に火炎、左手に氷をまとわせながら、高速で突っ込んでいく。

クレイア「師匠! アルスさんが!」

 猶予はない。
 迷っている暇など、ない。

 ないのだ!



935: ◆yufVJNsZ3s:2013/03/12(火) 21:13:49.93 ID:smZLP8A60

グローテ「くっ、ぐぅううううううっ!」

グローテ「すまん、勇者! 必ず助けるから――」

 ぎちぎちと空気が震え、今にも塔は倒壊しそうだ。アルプと九尾も戦いを始めているのだからなおさらである。

クレイア「早く、師匠! もうこの空間が持ちません!」

クレイア「一緒に隔離術式を!」

グローテ「ちく、しょおおおおおおおおおっ!」

 時空を揺るがしながら、空間にあくまで二次元的な切れ目が開く。それは途轍もない圧力を持って、結界ごと二人を飲み込んでいく。
 そして、そんなことなどお構いなしで、デュラハンとアルスは戦いを続けている。

 最後に彼の雄叫びが聞こえたような気がした。

―――――――――――――――――――



939: ◆yufVJNsZ3s:2013/03/13(水) 11:03:14.27 ID:wBktaGLT0

―――――――――――――――――――

 皮膚が、肉体が、削れていく。
 身を襲う激痛。焼けた鉄の棒を押し付けられているかのようだ。痛いのではなく、ただ熱い。それはもしかしたら血液の熱さなのかもしれないと思う。
 こんな私でも血は赤い。こんなどうしようもない存在でも、確かに血は赤いのだ。

 それは誇りでもある反面、心を苛む原因でもあった。私の血が赤くてよいはずがない。こんな、歪んだ心の持ち主には、それは重すぎる。申し訳なさすぎる。

九尾「お前は、黙って、立っていろ! そうすれば一瞬だ!」

 九尾が叫ぶ。でも、ごめん。そういうわけにはいかないんだ。
 こんな屑だけど、生きる資格なんてない鬼畜生だけど、生存本能は足を引っ張っているから。
 それに私は、きみに罰して欲しいんだよ。

 それが夢魔アルプとしての生き様にふさわしい。



940: ◆yufVJNsZ3s:2013/03/13(水) 11:03:41.83 ID:wBktaGLT0

 あぁそうだ。私は一度たりとも曲がってはいなかった。私の性質と本分を紛うことは、ただの一つもなかった。そしてそれが、私の幸せが、誰かの不幸せの上に成り立つことを私は自覚していたのだ。
 人を騙し、裏切らせ、弄び、踏み躙り、何もかもをおじゃんにさせて。
 崩壊するものすべてに愛をこめて。

 楽しければいいのだ。それが私に課せられた衝動なのだ。
 だって、人間に一族全員殺された時も、私は笑っていたのだから。

 ま、私が煽動したんだけど、さ。

 あぁ、ごめんね、ごめんね九尾。

アルプ「でもこの生き方はどうにもできない!」

 クルル――九尾の言う狩人との戦いで、すでに体力も魔力も底を尽きかけている。勝てる要素は一つもない。勝つつもりも微塵もない。
 それでも体は動く。動いてしまう。



941: ◆yufVJNsZ3s:2013/03/13(水) 11:04:23.83 ID:wBktaGLT0

アルプ「これが私の全力全開ッ!」

アルプ「チャアアアアアアアアアムッ!」

 眼を限界まで見開く。見る者/物すべてを魅了する誘惑の瞳。

 九尾だけでなく、老婆と、儀仗兵長も目を瞑った。
 でも遅い。でも温い。
 そんなんで私の魅了を避けられると思ったか!

 世界が変わる。まるで霧吹きで色水を噴霧していくかのように、さぁっと、世界は世界でなくなった。
 広がる菜の花と蒲公英。道はただ、人が踏みしめた跡が残っているだけ。
 青空が透き通っている。幾つもの丘の先に、白い雲がぷかぷかと浮かんでいた。

 風が吹くと草のにおいが届いてくる。その空気の静謐で力強いことと言ったら!
 力強いのは何も薫風だけではない。陽光もまた差し込んでいて、体から湯気が出ると錯覚するくらいに、柔らかく暖かい。



942: ◆yufVJNsZ3s:2013/03/13(水) 11:04:50.58 ID:wBktaGLT0

九尾「ここは……」

クレイア「別の空間……いや、空間そのものを、チャームした……!?」

 儀仗兵長が目を白黒させている。そんなことができるのか、といった具合だ。
 できるんだよなぁ。

アルプ「ま、実際に挑戦したのは、初めてなんだけどね」

アルプ「ここは外界から完全に隔離された場所。いくらドンパチしたって、影響は出ない」

アルプ「あ、大丈夫だよ。私が死んだらチャームは解ける。殺してくれさえすれば、無事に戻れるはずだから」

九尾「お前、ここまでして……」

 死にたいのか。続くそれを飲み込んで、九尾は構えた。

九尾「……お前も、辛かったんだな」

アルプ「私が辛いなんて言ったら、私の犠牲になった人たちに申し訳なさすぎるってもんだね。でも、ま、なんてーの?」

アルプ「なんでこんな衝動、持っちまったんだろーなぁ……」



943: ◆yufVJNsZ3s:2013/03/13(水) 11:05:17.66 ID:wBktaGLT0

 九尾が魔王を復活させようとしていたのは、かなり前から聞いていた。世界平和という目的も、九尾の食人衝動も、わかっていた。
 純粋に九尾を応援していたのだ。前魔王が消えて、新たな魔族は生まれない。私たちは兄弟みたいなものだったから、九尾に協力するのは当たり前だと思った。

 デュラハンのために少女を捕まえてきたのも結局はそういうことなのだ。九尾も、ウェパルも、デュラハンも、みんな幸せになればよかった。そのためなら私は何だってするつもりだった。
 事実してきたのだ。例えそれが全く関係のないことだとしても。

 だけど、衝動からは逃れられない。

 ふと、思ってしまったのだ。それはいつだったか……この戦争が始まったときか? 具体的な時期は、最早忘却の彼方だけれど。
 九尾の目論見を潰せば、彼女はどんな顔をするのだろうかと、どれだけ楽しい顔が見られるのだろうと、思ってしまった。

 それはやっていけないことだ。倫理ではなく感情でわかる。頭と心がそれの実践を必死になって止めている。だけど、鎌首をいったんもたげてしまったどす黒い魂の片鱗は、そんなものなど容易く吹き飛ばして……。



944: ◆yufVJNsZ3s:2013/03/13(水) 11:06:03.73 ID:wBktaGLT0

 デュラハンも、耐え切れなかった。彼は少女との戦いだけでは満足できなかった。より強い相手を求め、その相手として魔王を選定した。それくらいしか彼には衝動を満たせる相手が残っていなかった。

 何度九尾に心のなかで謝ったろう。ごめんと、ごめんなさいと。
 幸いにも九尾はこの衝動をわかってくれた。どうにもならないものなのだ。私が私でいる限り。そして、だからよしとはせずに、きちりと裁いてくれるという。それが、何よりうれしい。
 裁かれるのは人格があるからだ。私はこんな屑だけれど、確かに一つの個体として殺される。それは涙が出てしまうくらいの過ぎた幸せだと思った。
 同時に、私の願いが叶えられてはいけないとも思った。だって、そうだろう。今まで散々他人の邪魔をして、計画を、希望を、ぶち壊して踏み躙って楽しんできた私に、幸せな死が訪れるだなんて……。

 まとまらない思考。二律背反。葛藤。ぐるぐる渦を巻く涙の螺旋。



945: ◆yufVJNsZ3s:2013/03/13(水) 11:06:32.33 ID:wBktaGLT0

 九尾の突撃。限界まで素早さを上げ、攻撃力を上げ、防御力を上げたその肉体は、まさに意思を持った砲弾だ。間に合わない。

 自動で地面がせりあがり、壁を作る。この世界は私の匣庭。全てが私を守ってくれる。

九尾「無駄ァッ!」

 所詮土塊。砲弾には叶わず、壁を打ち砕いて九尾が逼迫してくる。速い。
 ぼろぼろの羽をはばたかせて回避。追いすがる九尾のほうが速度は上だ。毒霧をまき散らしながらの攻撃も、全てフバーハで散らされる。

 やっぱり、九尾は強い。

 拳が腹にめり込んだ。内臓ごと持っていかれそうだが、神経が苛まれるよりも高速で、景色が前へとぶっ飛んでいく。いや、ぶっ飛んでいるのは私の体だ。
 地面をバウンドすること実に八回。皮膚は削げ、口の中は歯と土と血で大変なことになっている。それらをまとめて吐き捨ててから、

 背後に殺意。



946: ◆yufVJNsZ3s:2013/03/13(水) 11:08:16.55 ID:wBktaGLT0

 煌々と明るい右手と、燦々と煌めく左手。
 メラゾーマとマヒャド。

九尾「合体魔法――!」

 本気だった。舐めプではない。
 自然と口角があがる。今は痛みも、恐怖も、心地よい。

 熱と冷気を伴った光線が向かってくる。チャームで軌道をずらそうとするも、軌道の振れ幅が速度に圧倒されていて、命中の進路は変えられそうにな

アルプ「――っ!」

 右腕が、右肩が、右肺が、根こそぎ持っていかれる。なんとか直撃は回避したが、掠っただけでもこの威力だ。
 呼吸が乱れる。というよりも、全然うまくできない。吸っても吸っても肺は空気を交換してはくれなくて、だんだん視界がしらけていく。

 だけど、それでも、この世界は私の匣庭。

 失われた組織が魔力によって補填されていく。
 自動回復。九尾相手にどこまで持つかはわからないが、せめてこのひと時を、もう少し、僅かでも、



947: ◆yufVJNsZ3s:2013/03/13(水) 11:12:00.86 ID:wBktaGLT0

アルプ「っ!?」

 脚が動かない。
 手が動かない。

 九尾のせいではない。九尾は目を見開いている。
 ということは……人間か。

九尾「おい人間、これはこちらの問題だ、手を出すな!」

グローテ「……」

 老婆は無言だった。ここに来てのその対応は恐ろしさしか感じない。
 いや、逆に当然かもしれない。だって、私は彼女の孫を殺したのだ。恨みを抱かれても、なんらおかしくはないだろう。

 ぱきぱきと音を立てて世界が刷新していく。元の世界に戻っていくわけでもない。チャームされた世界の内部に、さらに新しい世界が……陣地が、構築されようとしているのだ。

 刷新の時間は僅かに数秒。

 何もない世界だった。砂漠。だだっぴろいそこには、何もない。草木も、水も、雲もない。風もない。太陽もない。青空というには色の単一すぎる空が広がっていて、臭いも何もあったものではない。



948: ◆yufVJNsZ3s:2013/03/13(水) 11:12:57.36 ID:wBktaGLT0

グローテ「アルスは死んだ」

 人間としての、ということかな。
 さすがにここで、「いや、隔離したのあんただし」とは言えない。

グローテ「クルルは死んだ」

グローテ「メイは死んだ」

グローテ「お前らが殺したのじゃ」

 うん、そのとおりだ。そのとおりすぎて、別に何も言うことがない。

グローテ「だから死ね」

 目の前に迫る火球。四肢は依然として拘束されている。
 既に世界は魅了から解き放たれている。私の自動回復も、きっと意味をなさない。

 ……死んだな、こりゃ。

アルプ「ごめんね、九尾」

 全てを台無しにして。
 でも、私が死ねば、もうこれで、そんなことはないのだ。



949: ◆yufVJNsZ3s:2013/03/13(水) 11:13:27.85 ID:wBktaGLT0

九尾「謝ってどうする!」

 九尾が私の前に現れて、火球を無造作に握りつぶした。

グローテ「……」

 火球の連射。その数は両手で足りないくらい。
 対する九尾も火球でもって応戦する。飛んでくるそれにぶつけ、相殺し、なんとか無傷で切り抜けた。

九尾「お前の始末は九尾が責任を持つ。あんな人間にやられてたまるかっ」

クレイア「師匠、準備はできています!」

 老婆の隣にいた女性の言葉で、ようやく私は、この陣地が老婆の手によるものでないことを理解する。魔力の波長が先ほどの火球のものとは異なっている。
 こちらも二人、あちらも二人……数に不足はない。実力にも。

グローテ「十人を救うために一人を見捨ててきた。千人を救うために、百人を巻き添えにしてきた。そんな人生、よかったとは到底思えないが……今更宗旨替えもできん」

グローテ「九尾、お前を殺して、お前に食われる何人かを救えるのなら……わしはお前を殺すことを厭わない」

九尾「御託はいいからやってみろよ、人間! たった二人でこの九尾を殺せると思うか!」



950: ◆yufVJNsZ3s:2013/03/13(水) 11:15:20.73 ID:wBktaGLT0

 九尾は跳んだ。速い。瞬きの瞬間に首を刎ねられる速度だ。
 切迫した九尾は、けれど大きく弾かれる。帯電する空気。老婆と女性の周囲に不可視の障壁が張り巡らされているのだ。

九尾「小癪な」

 火炎弾を放つ。障壁に直撃し、互いの魔法が粒子を飛び散らせて拮抗していく。
 そこへ九尾が拳を叩き込んだ。鼓膜を直接震わせる高音が、障壁の破壊を示唆していた。

 だけど、

 老婆が剣を――刀を握っていた。骨ばった老体には全く不釣り合いな彎刀。事実彼女はそれを持ちきれず、切っ先を接地させ、柄の部分だけをなんとか支えている。
 それは確か、記憶が正しいならば、女性が持ってきて勇者に渡したものだ。確か誰かの形見だとか遺品だとか、そんなことを言っていたような気がする。

グローテ「わしは国のために殺してきた。見殺しにもしてきた。わしのためじゃない。国のためにじゃ」

グローテ「であるなら、志は全く同じ!」

 九尾は老婆の言葉に聞く耳を持たない。追加で出現した障壁を三枚同時に叩き割って、魔力の奔流の中、空気に渦を作って突進していく。



951: ◆yufVJNsZ3s:2013/03/13(水) 11:15:58.73 ID:wBktaGLT0

グローテ「行くぞ、クレイア!」

クレイア「はい、師匠!」

 莫大な魔力を感じた。それは当然九尾も感じたようで、地を蹴って横っ飛び、その後空間転移で私のそばまで戻ってくる。
 虚飾に満ちた空っぽな世界に、一瞬、光が満ちた。

グローテ、クレイア「「ザオリク!」」

九尾「……」
アルプ「……」

 ずらり。
 と。

 立ち並ぶ黒い影。
 いや……人、人、人。
 兵士の海。

 その数はいったいどれだけだろう。百、二百……それだけでは全く足りない。何しろ奥の奥まで視認ができないレベルなのだから、きっと千は楽に超えているんじゃないだろうか。



952: ◆yufVJNsZ3s:2013/03/13(水) 11:16:46.31 ID:wBktaGLT0

 みな甲冑を身に着けていた。しかしその意匠はばらばらで、同一国家なら統一されているはずの紋章すらばらばらである。
 周辺諸国の連合? そこまで考えて、固定されている首を脳内で横に振った。あれは事実として、同一国家の兵士じゃない。
 ならば一体何か。老婆はザオリクで、一体どんな集団を蘇生させたのか。

グローテ「さっき、たった二人と言ったな。わしらは二人ではない! わしらの目的のために犠牲になった者たちが、全員背後にいるのだ!」

グローテ「わしが殺したその数一六八九人! これだけの人数を――いや! これだけの意志を相手に、それでも九尾、お前はまだ軽々と勝てると言うか!」

 老婆が眼を血走らせて叫ぶ。魔力の消費が尋常ではないはずだ。これだけの魔法……ザオリクとは言っているが、厳密には完全な蘇生ではなく、召喚の類。
 この陣地内でのみ、彼らはもう一度生を受けられる。

 がふ、と音を立てて、女性が血を吐いた。地面についた両膝ががくがく震えている。完全に魔力枯渇の症状だ。
 老婆はそれよりも比較的症状は軽微だったけれど、血涙を垂れ流しながら歯を噛み締めている。力を籠めねば生きていけないとでもいうつもりだろうか。

アルプ「はっ、人外かよ」

 人外の私たちに言われるのも心外だろうけど。
 一人で一六八九人殺した? そりゃあんた、ちょっと、私たちより極悪じゃないか。




953: ◆yufVJNsZ3s:2013/03/13(水) 11:17:32.21 ID:wBktaGLT0

 いや、何よりも人外なのは、二人の凄絶なまでの意志。あそこまで体を傷つけても、私たちを倒さなければいけないと思える精神が、すでに人のものではない。そして目的は自分たちのためではないというのだから驚きだ。

 誰かのために、ましてや国のために全身全霊を捧げられる人間が、どれほどいるというのか。
 そんなのいるはずがないと思う。思った。思っていた。事実、私はずっとそうだった。ずっと私の娯楽のために全身全霊を捧げていて、それ以外は知ったこっちゃなかったのだ。

 しかし、どうだろう。勇者は、少女は、何よりあの腹立たしい狩人の娘は、そして目の前にいる二人の女は、まるで自分のことなど意に介さない。人間とは果たしてそんな生き物だったか。私の人物評が、間違っていたのか。

 楽しい。

 心の奥からふつふつと込み上げてくるただ一つの感情がそれだった。
 真っ黒な色。翳っているのではなくて、もともと漆黒なのだ。光を反射することしかない、どす黒さ。

 あの心を折ったら、あの希望を打ち砕いたら、

アルプ「一体どんな顔すんのか見てみてぇなあっ!」



954: ◆yufVJNsZ3s:2013/03/13(水) 11:18:15.89 ID:wBktaGLT0

 四肢はまだ固定されている。かなり頑丈な封印だ。濃縮された固定の陣地。やはり、あの二人はどっちもかなりの手練れらしい。
 だけど。

アルプ「私の衝動を止められるなんて、馬鹿言っちゃだめだってば!」

 私でさえ止められないというのに。
 寧ろこの程度で止めてくれるならどれだけ幸せだったか!

 ぶちぶちと関節が音を立てて引き千切れていく。痛い痛い痛い痛い! 肺から息が全部毀れていく!
 だけど、これで抜けた!

 既に眼前では軍勢が始動していた。とてつもない圧力を持った個々が、集団として九尾に襲いかかろうとしていたのだ。
 戦闘には中年男性。先ほど老婆が持っていた彎刀を握り締め、苦い顔をしながらも、真っ直ぐに視線は九尾。

 そのあとを槍兵、騎兵、一兵卒と続いている。人数が多いから兵種も多種多様だ。

 私は羽ばたきながら、先の無くなった肩関節、股関節にチャームをかける。魔力による補填がなされ、半透明な力場が、四肢の代わりを形作る。

ダイゴ「状況は理解したが、流石にこれはむちゃくちゃすぎるだろう、ばあさんよっ!」

 中年男性が叫んだ。
 九尾の神速になんとか男性は刃を合わせるが、それにも反射神経の限界がある。九尾は容易く攻撃を回避して地を蹴り、宙に跳びあがる。



955: ◆yufVJNsZ3s:2013/03/13(水) 11:18:51.89 ID:wBktaGLT0

 火炎が手のひらに集まっていく。

「全軍、よぉおおおおおおおおおい!」

 後方に控えていた儀仗兵たちが障壁を築いた。数百人がまとめて作った、まさに戦術級の特大障壁。九尾でもこれを破壊するのは難しい、か?

アルプ「だけど!」

 あぁ――楽しい!
 デュラハンみたいに戦闘狂いなつもりはないんだけどなぁ!

アルプ「目に見えるもので、魅了できないものなんて、ないっ!」

 障壁をひたすらに「視る」。
 魔力的に物質/非物質に働きかける私の瞳。障壁の魔法構造に侵入して、無理やり装甲を薄く、がりがりと削っていく。

アルプ(それでも、なんてぇ物量だいっ)

 一際両者が輝いて、僅かに九尾が勝った。火炎弾は散り散りになって兵士の集団へと降り注いでいく。

ジャライバ「第三隊から六隊まで消火準備! 七隊以降は次撃に備えて魔力充填!」

ハーバンマーン「第一、二隊は俺たちについてこい!」



956: ◆yufVJNsZ3s:2013/03/13(水) 11:19:54.97 ID:wBktaGLT0

 高射砲撃が九尾を狙う。同時に打ち上げられた数人の魔法戦士が足元に起動力場を生み出しながら、それを蹴って九尾へと迫った。
 二人の首が一瞬にして落ちる。それでもあちらに戦意の喪失は見えない。寧ろ発奮を促したかのようだった。

アルプ(そうかい、そこまで私らは、敵ってことかい)

 そうじゃなくちゃ「面白」くない。

ルニ「お噂はかねがね」

 優男風の青瓢箪が言った。瓢箪が喋るほどに世界は進んでいたらしい。

 九尾は返事をせずに爪を、火炎を振るった。青瓢箪は身体強化の魔法でもかけているのか、信じられない速度でそれをいなしながら接敵、九尾と格闘戦を繰り広げる。

アルプ「九尾、今――!」

九尾「構わん! まず数を減らすぞ!」

 あいよ、と返事をして、私は大きく息を吸い込んだ。

アルプ(あれ、九尾と共闘するなんて、はじめてじゃね?)

 だからかもしれない。こんなにも楽しいのは。



957: ◆yufVJNsZ3s:2013/03/13(水) 11:20:45.68 ID:wBktaGLT0

 毒霧の噴霧。羽ばたきながらそれを全体に拡散させていく。高射砲撃をなんとか回避しながら。

ルニ「ぐっ……」

 青瓢箪の胸を九尾の腕が貫通する。向こう側にとおった九尾が握っているのは、恐らく彼の心臓だ。

 青瓢箪が倒れ、九尾はそれを打ち捨てる。
 そこへさらに襲いかかる二人。手にした短刀が僅かに九尾の髪の毛に触れていくが、次の瞬間にはその腕が根元から消失する。そうしてバランスを崩し、地面へ落ちた。

九尾「老婆、貴様は本当に見境がないな!」

ルニ「それがいいところなんですよ」

九尾「なっ!」

 九尾の背後に、なぜか青瓢箪が立っていた。そのまま打ち下ろしで九尾が吹き飛び、地面に叩きつけられる。
 当然、今まで下で戦いを見ていた兵士たちが、それでよしとするわけもない。寧ろ待ちわびていたかのように、地に付した九尾に剣を突き立てる。



958: ◆yufVJNsZ3s:2013/03/13(水) 11:21:26.94 ID:wBktaGLT0

 炸裂。

 大量の肉片が長い滞空時間を得て、ぼたぼた降り注ぐ。

九尾「き、さまぁ……!」

 イオナズンを唱え、なんとか制空権を確保しなおした九尾は、這いつくばりながら舌打ちをした。

九尾「バギクロス!」

 不可視の殺意が兵士たちを切り刻む。が、それも後方からの障壁で弾かれ、目立った効果は得られない。
 私が散布している毒も、いくらかは効果があったようだったけれど、思ったよりは倒れ伏している人間は少ない。解毒魔法の持ち主がかったぱしからかけて回っているのだろう。

 うーん。さすがにこの人数は……。

アルプ「きっついなぁ! ひゃははははは!」

 頬が濡れているので拭えば、手の甲が血に塗れていた。恐らく血涙だ。私も、やっぱり魔力がなくなっているってことなんだろう。
 このまま毒を撒き続ければ、チャームをし続ければ、当然死ぬ。
 でも、遅かれ早かれ死ぬもんでしょ?



959: ◆yufVJNsZ3s:2013/03/13(水) 11:21:58.64 ID:wBktaGLT0

ビュウ「ポルパ! そっちはどうなってる!」

ポルパ「今のバギクロスで負傷者多数! でも、死んだ奴は少ない! まだいける!」

コバ「あまり無茶な攻めをするな! 相手は九尾の狐と夢魔アルプ、城砦を落とすように攻めるんだ!」

ルドッカ「教官、七時の方向よりアルプが突っ込んできます!」

コバ「全員気張れ! 間違っても目を見るんじゃあないぞ!」

 私は高速で飛んだ。飛んだ。飛んだ。
 構築されたこの世界に果たして本当に空気が存在するのか疑わしいほど、風を切るはずの羽に何も当たらない。ただ、どこまでも飛べそうな気がした。
 自然と犬歯がむき出しになる。笑みがこぼれるのだ。

アルプ「ひゃはっ」

 手を交差して頭上に掲げる。
 炎のイメージ。
 僅かな風にも揺らぐ、頼りない炎。だけどそれは仄暖かく、どこか卑猥で、妖しい。見る者を魅了する妖艶さを湛えている。

 まるで私じゃないか、なんて。



960: ◆yufVJNsZ3s:2013/03/13(水) 11:22:38.44 ID:wBktaGLT0

アルプ「燃えて狂って死んじゃえ!」

 眩惑の炎を投下する。
 それはれっきとした炎だけれど、焼くのは肉体よりもむしろ精神。じりじりと蝕むように、相手の心を焦がしていく。

 頭が痛い。息切れが激しい。視界がちかちか瞬いて、今自分がどの高度を飛んでいるのか判然としない。
 それでも前方は見える。宙に浮かんだ魔方陣から氷が生成されていて、それはきっちりと、ざくざく人間をなぎ倒している九尾に向けられている。

 九尾に群がる大軍。さまざまな角度から迫る刃を、九尾は紙一重で回避し、もしくはなんとか致命傷を避け、手の一振りで五人の頭をまとめて潰す。
 だけどその後ろにも兵士は控えている。その後ろにも、その後ろにも、その後ろにも。
 唯一大立ち回りを演じているのは、人間では二人。彎刀を持った中年男性と、九尾を叩き落とした青瓢箪。彼ら二人が跳びぬけて強い。

 九尾が負けるとは到底思えなかった。ただ、この先の見えない戦いが、まるで人類の総力を結集してぶつけてきたような数の暴力が、九尾を追い詰めることはあるとも思った。

 だから、私は敵陣に突っ込む。
 速度を上げて、上げて、上げて。
 高度なんてわからないから、地面に突っ込むかもしれないけど。

 それでも。



961: ◆yufVJNsZ3s:2013/03/13(水) 11:23:33.43 ID:wBktaGLT0

 衝撃を体が襲う。不時着ではあるが、チャームで全てを誤魔化して、敵軍の中央へと落下。周囲数メートルの兵士が肉片と化したのがわかる。
 降り注ぐ血液と肉片の驟雨の中を、私は一息で加速した。チャームと炎を振りまきながら、ただひたすらに同士討ちを狙う。
 制御を失った頭上の氷塊が落下し、人間を、そして私の羽を穿った。もう空も飛べない。逃げることはできない。

 もとより逃げるつもりもない。

 例え魔力が枯渇していたとしても、人間より遥かに高い膂力を私は有している。なんたって魔族なのだ。魔王の眷属。身体スペックは段違い。
 千切っては投げ、千切っては投げ……そんなふうにいっていたかは実際怪しいけれど、私は剣先を掴み折り、相手の腕を捥ぎ、腹を抉って、ひたすらに戦い続ける。

 命の削れていく音が聞こえる。

 ごりごり。
 ごりごりごりごり。

 身にまとわりつく血の一滴すらも重い。



962: ◆yufVJNsZ3s:2013/03/13(水) 11:24:08.92 ID:wBktaGLT0

 これは決して懺悔なんかじゃあない。私は九尾に許してもらいたくて、申し訳なくて、だからこんな特攻をしかけているのでは、決してない。
 これは純粋な善意なのだ。私が善意だなんて、ちゃんちゃらおかしい。所詮衝動の前でははかなく消えてしまう灯のくせに、確かにその感情は、私のこのクソみたいな魂の中に息吹があるのだ。

 胸を掻き毟りたい。そうして心臓を抉った先に、私の許されざる魂があるはずだ。それさえなければ、もしくは感情さえなければ。

 いっそ魔物になりたかった。どうしてこんな、感情の欠片があるんだろう。
 どうして両方を持ち合わせてしまったんだろう。

 ちくしょう、ちくしょう、ちくしょう!

 辛いよぅ!

 視界が歪む。どっちだろう。涙か、枯渇か。

 伸ばした腕が何人目かもわからない人間の命を奪った。その腕にまとわりつく何か――恐らく、人間。
 反応が遅れた。そうしている間にも、兵士たちは私の腕へ、足へ、背中へ、手を伸ばしてまとわりついてくる。

 戦法を変えたのだとわかった。こいつら、私を殺すためならなんだってする!



963: ◆yufVJNsZ3s:2013/03/13(水) 11:24:40.93 ID:wBktaGLT0

グローテ「国のために戦い、死んでなお、国のために儂に力を貸してくれるのじゃ。それくらいはするさぁ」

 老婆の声が聞こえた。その姿こそ見えないが、声
は……死にそうだ。私といい勝負かも。

 そうか。死者は、死んでからも、国の行き先を憂うか。国のために再度死ねるか。
 なら、きっと私も同じ。
 私は九尾を憂うだろう。だからこそこんなことを、

アルプ「ひゃはっ! こんな無駄なことをして、馬鹿なやつだよ私ってばさ!」

 さようなら、九尾。
 私の最高の……友達? わかんないや。ひゃはっ。

 剣がついに私の首を刎ねたのを、宙に舞う頭部で、確かに見た。

 吹き出す血液。

 薄れゆく意識の中、私は思った。

 かかった。

―――――――――――――――――――――――――



転載元
勇者「王様が魔王との戦争の準備をしている?」
http://ex14.vip2ch.com/test/read.cgi/news4ssnip/1341997677/
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