禁書「イギリスに帰ることにしたんだよ」 上条「おー、元気でなー」【その3】
- 2014年06月15日 17:36
- SS、とある魔術の禁書目録
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禁書「イギリスに帰ることにしたんだよ」 上条「おー、元気でなー」【その3】
***
どこかの高層ビルの最上階にあるような高級レストランのような空間がある。
といっても、この部屋がそこまで高い場所にあるわけではない。せいぜい5階程度か。
それでも、外の眺めは素晴らしく、天井と壁の一面に張り巡らされたガラス窓からは青い空と美しい街並みを見ることができる。
夜になれば街の光もついて、より美しい眺めになりそうだ。
そんな空間で、食蜂操祈は豪華な黒いドレスに身を包んで、高そうなテーブルで高そうな紅茶を楽しんでいた。
一人ではない。
対面には、ホストの制服とも学生服とも見えるものに身を包んだ金髪の少年がいる。
こちらは昼間から生ジョッキをグビグビ飲んでいる。何ともこの空間とは不釣り合いな感じだ。
「未成年飲酒はいけないんだぞぉ☆」
「うっせーな。今どき律儀に成人するまで酒もタバコもやらねえ奴なんかいねえだろ。
もしそんな奴がいるなら、それこそ聖人君子サマだろうよ」
「それにしたって、ビールってチョイスはどうかと思うわぁ」
食蜂は溜息をついて、紅茶を一口ふくむ。
もともと、真面目に注意するつもりもないらしい。
金髪の少年は、口元についたビールの泡を手の甲で拭って口を開く。
「つーか、その格好動きにくくねえのか? 仕事仲間にも常時ドレスっつー奴がいるけど、戦闘に向かねえだろそりゃ」
「そのお仲間さん、もしかして精神系統の能力者かしらぁ?」
「ん、知ってんのか?」
「ふふ、ちょっとした推理力を働かせただけよぉ。わざわざ動きにくい格好をしても問題ないっていったら、やっぱり精神系の能力じゃなぁい?」
「まぁそうかもしんねえけどよ、状況によっては邪魔になる時もあるだろ」
「マイナスな部分だけじゃないわよぉ。ほら、人間ってこういう服を着ている相手には無意識に警戒を弱めたりするじゃなぁい。
例えば、同じ人でも軍服を着ているのとTシャツにジーンズっていうのとだと随分違うでしょぉ?」
「あー、まぁ、確かにな」
「それにこの服、結構色々隠せる場所があるのよぉ?」
食蜂は妙に色っぽくそんな事を言う。
とはいえ、実際のところは彼女は拳銃やらナイフやらは使わないので、隠すものといっても能力のためのリモコンくらいしかないのだが。
それに、暗器を仕込むのなら、逆に軽装の方が効果的だ。
これ程ゴテゴテした服だと、怪しまれることが多いからだ。
「いつも使ってるリモコンはどこに隠してんだ?」
「ふふ、胸の谷間♪」
「へぇ、相手が男なら違った効果も期待できそうだな」
「あなたにも効くかしらぁ?」
「俺も男だしな。まったく効かねえってことはねえんじゃねえの」
「ウソばっかり」
少年は言葉とは裏腹に、完全に興味が無い様子だ。
それに対して食蜂は頬を膨らませてみるが、別にそこまで不満だというわけではない。
これは形式的なものに過ぎず、よく手紙の始めに書かれている「春浅い日々、皆様風邪など~」みたいなものと同じだ。
ここで、少年は食蜂の様子を見て、少し怪訝な顔をする。
「……お前、少しキツそうだな」
「あらぁ、そう見える? なかなか男子力が高いわねぇ☆」
「男子力? 女子力っつー言葉があるってのは最近知ったんだが……」
「どれだけ女の子に気を使えるか、っていう意味の言葉よぉ。例えば――」
「いいっての。んなモン知ってどうすんだ」
「ふふ、確かにあなた顔は良いし、性格酷くても女の子は寄ってきそうねぇ」
「そういう意味じゃねえよ」
少年は小さく溜息をつく。
こんな流れになるとは思ってもみなかったようだ。
いや、これは目の前の少女にそういう方向に誘導されたのか。
少年はこうやって他人に主導権を握られることは好きではないので、少し苛立ちも覚える。
「……で、そうやってキツそうなのは能力使いまくってるからか?」
「正直に言うとそうねぇ。別にただ操るだけならまだしも、能力使わせて戦わせているからぁ。
いくら私の演算力や洗脳力が優れているとはいっても、限界はあるのよぉ」
「なっさけねえな。仮にもレベル5のくせに」
「レベル5である前に、私はか弱い女の子なんですぅー」
「か弱い女ってのは暗部の隠れ家に殴り込みかけたりしねえんだよバカ」
こうやって話が進まないのは、別に彼女が何か悪巧みをしているというわけではなく、ただ単に楽しんでいるだけだ。
人を自分の都合で振り回す。
そんなどこかのお姫様のような待遇を彼女は好む。
「まぁでもぉ……高レベルの能力者も何人か使わせてもらってるから、そっちの負荷も大きいのよねぇ」
「そういや一方通行の知り合いのテレポーターとか使ってたな」
「えぇ、あれは凄く良い能力ねぇ。楽ちんだし。あんまり頼りすぎちゃうと、お肉がついちゃうかもだけど。
それと滝壺さんの能力追跡(AIMストーカー)もとっても便利☆ みんな良い能力持ってて羨まし~」
「隣の芝生は青く見えるもんだろ。俺はそんな事思ったことはねえがな」
「もちろん、あなたの能力もとっても魅力的よぉ」
「はっ、何ならコマにしてみるか?」
「やめとくわぁ。反撃でどんな事されるか分かんないしぃ」
一瞬、空気が冷たくなるが、食蜂はそれを難なくいなす。
少年は若干つまらなそうにする。
「つーかよ、滝壺理后は抑えといて、幻想殺し(イマジンブレイカー)の方は放っておいてもいいのか?」
「たぶんあの人に洗脳は効かないわぁ。何でも、体全体に作用するようなものは打ち消しちゃうみたいだしぃ」
「それでもいくらでもやりようはあるだろ。例えば記憶を綺麗サッパリ消しちまうとかよ。
記憶操作はちゃんと効いたっていう前例はあるんだろ?」
「んー、そうなんだけどねぇ……」
食蜂の目が変わる。
それは純粋に楽しそうにしている目。
小さい子供がカードゲームのレアカードを当てた時や、大きなカブトムシを見つけた時のような目。
そんな綺麗な感情であるように見えても。
彼女の心は歪んで、まるで全てを飲み込む真夜中の黒い海のように深く――――。
「上条さんには目の前で見てほしいのぉ。どんなに強い想いでも、それは人の心のものである限り、ちっぽけなものでしかないと。
あの人がもがいて、苦しんで、必死になって手にしようとしたものを、私が目の前で奪って笑ってあげるのぉ。
漫画みたいに、想いの力でパワーアップすることなんてありえない。奇跡のような事が起きるなんてありえない。
それを理解して、諦めて、絶望するときの顔が楽しみで楽しみで仕方ないわぁ……!」
「……お前女子力皆無だな」
「そんなの私には必要ないのよぉ。この洗脳力があれば、男の子に“良く思われる”事はなくても、“良く思わせる”事なんて容易いんだからぁ」
ただ自分の欲望に忠実に。
彼女にも、インデックスをここから遠ざける理由はちゃんとある。
それは彼女なりに、この街のためを思った上での考えだ。
それでも、結局そんなものは建前に過ぎない。
彼女の根底にあるものは、あくまで個人的な娯楽快楽だ。
そのための都合のいい理由が欲しかった、それだけなのかもしれない。
対面に座る少年でさえ、彼女のその様子にどこか引いているようだった。
「……まぁいい。俺としては例の契約を守ってくれんならそれでいい」
「私は魔法少女にはならないわよぉ?」
「勝手になってろ。とにかく俺にとって重要なのは――」
「分かってる、第一位さんの事でしょぉ? 私、記憶力はいいのよぉ」
少年の目が細くなる。
これが、少年の狙い。
彼にとっても、この街に例のシスターが居座るのは好ましくないことだ。
しかし、それよりもはるかに高い優先度で、達成すべきことがある。
「彼には私のナイトとして働いてもらうけど、この件が済んだら後は好きにするといいわぁ。
でもでもぉ、それまではあなたも私のこと手伝ってねぇ?」
食蜂の言葉に、少年は口元を歪めて笑う。
元々、彼はこうやって誰かに使われるという事は心底嫌う。
しかし、それも今の目的と天秤にかければ簡単に浮き上がる。
自分の気持ちを曲げてでも、どんな事をしてでも、彼の最優先事項は“あの日”からただ一つだった。
あの日叶わなかった目的を、絶対に達成するという――。
そのためなら、女の犬でも何でもなってやると。
それだけの強く、そして酷く捻れた願望だ。
「――いいぜ、期間限定ならナイトでも何でもなってやるよ。ただし、報酬は高くつくぜ?」
「期待してるわぁ、垣根さん♪」
窓から見える青空は爽やかで、こんなにも綺麗なのに。
それを黒く塗りつぶす空間が、そこにはあった。
***
とある学生寮のの一室では、二人の男がケンカの真っ最中だった。
一方は部屋の主でもある上条当麻。もう一方はその隣に住むクラスメイト土御門元春。
(※上条の部屋の間取り→
)
土御門はまず、二人の間にあったテーブルを蹴り飛ばしてきた。
靴も履いていない状態ではかなり痛そうに見えるが、本人は顔色一つ変えない。
これは洗脳による影響なのか、それとも元々平気なのかは良く分からない。
上条は飛んできたテーブルを横に跳ぶことで回避する。
土御門はその隙を見逃さない。特殊な歩法を使ったのか、少ない歩数で急に距離を詰めてきた。
「ッ!!」
上条はとっさに一歩下がる。
次の瞬間、ダンッ!! という音と共に、先程まで上条の右足があった場所に土御門の足が踏み込まれた。
その衝撃で、床がミシッという不吉な音をあげる。
以前、御使堕し(エンゼルフォール)の時に戦った時と同じだ。
まずは足を攻撃して動きを止める。
土御門らしい、現実的で効果的な方法だ。
しかし、上条も何度も同じ事をやられるほど甘くない。
そもそも、昨日のプールで土御門の戦いはモニター越しに見ていた。
「うおおおあああっ!!!」
上条は接近してきた土御門に向かって右手を伸ばす。
殴る必要はない。
幻想殺し(イマジンブレイカー)があれば、触れるだけでその能力は解除されるはずだからだ。
ところがその希望の右手は虚しく空を切った。
土御門が軽やかなステップで、楽々とかわしたからだ。
そして。
ドゴォ!! と、上条の腹部に強烈な衝撃が叩きこまれた。
「が……はっ…………!!」
裏拳で一撃。
しかもその手の引きは凄まじく、上条が見た時には既に元の場所まで戻ってきていた。
これでは攻撃してきた手を掴んで動きを封じることもできない。
土御門が素早く上条の背後へ回り込む。
(くる……ッ!!)
攻撃の気配を察した上条は、振り返りながら右手を上げる。
次の土御門の攻撃は、おそらく首を狙った手刀だ。
視界に土御門の姿が映る。
やはり、目の前の男は指をきっちり揃えた手でこちらの首を狙っていた。
このまま右手の幻想殺しで受け止めれば、能力を解除することができる。
だが、土御門の手刀がピタリと制止する。
「なっ……」
始めからフェイントのつもりだったのか。
それとも、上条の動きを見て変えたのか。
それは分からないし、考える暇もない。
次の瞬間、土御門の足がみぞおちに入った。
「――――ッ!!!」
一瞬息が止まったかと思った。
そのままキッチンの方へ吹っ飛ばされ、カウンター下の壁に激突する。
あまりの苦しみに、床に腕をついてなかなか起き上がることもできない。
ガチャ! という金属音が聞こえた。
上条はこの音が何なのか分かる。
普通の高校生なら到底聞くこともない音。できれば一生聞きたくはないような音。
苦しいとか何とか言ってられない。上条はすぐにカウンターからキッチンの中へ飛び込んだ。
直後、ダンダンッ!! という音が連続する。
壁がえぐれ、破片が散らばる。
明らかに発砲音だ。
(マジかよ……!!)
上条は冷蔵庫に背中を預けて、肩で息をする。
相手は銃を持っている。
そのたった一つの事実が、上条を絶望へと突き落とす。
同じ飛び道具でも、能力ならばまだ良かった。
上条は、レベル5の電撃は防ぐことができても、銃弾はどうにもならない。
こうしている間にも土御門は近づいてきているはずだ。
(くそっ……!!)
上条はしゃがみこんだ状態のまま、素早く台所下の戸棚を開ける。
そこから包丁を取り出すと、45度の角度でカウンターを通して、居間へ向かって思いっきり投げた。
包丁はだいたい狙い通りの方向へ飛んでいき、天井に刺さった。
その瞬間、上条はキッチンから出て、大急ぎでドアへと向かう。
今の包丁の投擲は、土御門の気を逸らすためのものだ。
もうあの男を元に戻すのは諦めた。
とにかく、今は逃げるしかない。
ワンテンポ遅れて、土御門の銃弾が上条を襲う。
しかし、それが正確に体を撃ち抜くことはなく、何発か服をかすめる程度。
上条はそのまま外へ飛び出すと、全速力で通路を横切り、階段を数段飛ばしで駆け下りる。
不思議な事に、土御門は追いかけて来なかった。
***
「そんな事が起こってるんだ……」
「えぇ。目的はよく分からないけど、とにかくアンタを狙ってるのは確かね」
「…………」
インデックスと美琴は二人並んで第七学区の道を歩いていた。
そして、とりあえずインデックスに現状を知ってもらおうと、美琴が説明したところだ。
初春が虚ろな目で調べていた内容。
それはインデックスのゲストIDや、衛生カメラによる上条の寮の近くの映像だった。
狙いぐらいは誰だって見当がつく。
インデックスは暗い表情で黙り込む。
「……短髪は、私が居て迷惑じゃないの?」
「はい?」
「だって、とうまの事とか……」
「あー」
美琴はなるほど、といった様子で手をつく。
「ねぇ、アンタがイギリスに帰ってから、あのバカがどんな感じだったか知ってる?」
「えっと……寂しかったとは言ってくれたけど…………」
「そんなもんじゃないわよ」
美琴は溜息をつく。
その表情は本当に疲れているようで、とても14歳の少女のものとは思えない。
「それこそ、アンタの居ない世界なんて意味が無い。そんな感じだったわよアイツ。
自暴自棄気味になってたりね。まぁアンタにはそこまで言いたくなかったんでしょ」
「と、とうまが……?」
「えぇ。それだけ、アイツにとってアンタは大切な存在なのよ。
だから、私だってアンタが戻ってきてくれて嬉しい。あんな状態のアイツなんて見ていられないし。
まぁ私が一人で何とかしてあげられたら良かったんだけど、悔しいことにまだまだダメみたいね」
美琴の言葉に、インデックスは俯く。
上条が、そこまで自分のことを想ってくれるなんて思わなかった。
自分がここに居ない間も、心のどこかでは寂しいと思っていたのかもしれないが、表面だけは普段通りに過ごす。
そして、次第にその寂しいという気持ちも小さくなっていき、完全に普段の生活へと戻れる。
そう、思っていた。
「……私、とうまに酷いこと言っちゃったんだよ」
インデックスの両目の碧眼から涙が溢れてくる。
上条は、そこまで自分のことを大切に思っていてくれたにも関わらず、自分はもうここに居ない方がいいなんて言ってしまった。
それも、あの時はそれは上条のためだと言っていたが、実のところは美琴に嫉妬していたところもあった。
ただ苦しくて苦しくて、ここから逃げたくなっただけだ。
どうしようもない、臆病者なだけだった。
美琴はボロボロ泣き出すインデックスを見て、その白いフードに手を乗せた。
インデックスが顔を上げてみると、彼女は優しく微笑んでいた。
まるで姉のようだ。インデックスはそんな事は絶対に口に出すことはできないが、心ではそう思った。
「まっ、ケンカの一つや二つ、そこまで気にすることないわよ」
「で、でも……」
「自分が悪いと思ったんなら、謝ればいい。アイツだって同じ事思ってるかもしれないし。
ていうか、私なんかアイツとは常にケンカ状態みたいなもんよ」
美琴は自分で言っておきながら「ふふふ……」と遠い目をして元気なく笑う。
インデックスはその様子に少し気の毒そうな表情になるが、すぐに真面目な顔になり、
「……私、とうまに謝りたい」
「それでよろしい」
「でも短髪。何か偉そうに言ってるけど、短髪はとうまとケンカしても、いつも謝れてないよね?」
「う、うっさいわね!」
インデックスの鋭い指摘に、美琴は顔を赤くする。
彼女は自分ではこのままではいけないとは思ってはいるのだが、なかなか素直になれない。
まぁ彼女らしいといえばそうだし、そこも魅力として見えなくもないのかもしれない。
インデックスは、美琴と話すたびに彼女の魅力を見つける。
話せば話すほど、彼女が外見だけではなく内面も魅力的である事を知る。
正直、羨ましいと思う部分も多い。
「とにかく、そうと決まったら早くアイツのとこに戻るわよ! 他にも気になることはあるし。
……ったく、アンタを見つけた時に一応ケータイに連絡入れようとしたんだけど、なんか繋がんないのよね」
「とうまの事だし、いつもの不幸で壊しちゃっててもおかしくないかも」
「凄く想像できるわそれ」
今度は二人揃って溜息をつくと、寮へ向かって並んで歩き始める。
まだ入試期間の休みなので、学生が多く居る第七学区にはお昼前から多くの人が出歩いている。
インデックスはそれを見てふと思い出したように、
「そういえば、私が狙われてるって言ってたよね? こんなに堂々としてて大丈夫なのかな?」
「大丈夫でしょ。たぶんあの女も、こんな人目のつく場所でやらかしたりはしないわよ。
さすがに街中の人間を洗脳してるってわけじゃないだろうし、警備員とか出てきて困るのは向こうだし」
「それなら、私達がそのあんちすきるっていう人達に助けてもらえば……」
「精神系の能力者の犯行は立証が難しいのよ。警備員もなかなか動いてくれない」
美琴の脳裏に、大覇星祭の時の嫌な思い出がよぎる。
「とにかく、まずはあのバカと合流。その後食蜂を見つけてとっちめるわ」
「あれ、もしかして犯人と知り合いなの?」
「えぇ、すっごく不愉快なことにね。……ねぇ、そういえばさ」
「ん?」
「あのバカとどんなケンカしたわけ? まぁ言いたくないならいいけど」
「…………」
インデックスは少し迷うが、正直に話すことにする。
美琴には結果的に相談に乗ってもらう形になったという事もあるので、断るのも躊躇われた。
美琴に話していると、もっと他に色々言い方があったのではないかと考えてしまう。
しかしその時はおそらくそういう事も考えられないほど動揺していたという事なんだろう。
大方話し終えると、美琴はなぜかガックリしていた。
「……やっぱ分が悪いわね。はぁ」
「短髪?」
「何でもないわよ……」
そう言いつつも、美琴はかなりショックを受けているように見える。
インデックスは特に美琴を傷つけるようなことは言ったつもりはなく、彼女がそんな表情をしている理由が良く分からない。
「まぁとりあえず言えることは――――アンタら面倒くさい」
「なっ、何かそこはかとなくバカにされた気がするんだよ!」
「呆れてるだけよ。ったく、アンタはともかくアイツは私より年上だとは思えないわね……」
「意味が分からないんだよ。ちゃんと説明してほしいかも!」
「嫌よ。私の口からそんな事言いたくないし。
でも、こうなると、私ももっと積極的に……いや、それができたら苦労しない――――」
美琴は詳しく説明してくれることもなく、ただ一人でブツブツ何か言っている。
たぶんこの状態では、いくら話しかけても相手にされないだろうと思ったインデックスは、空を見上げる。
上空には吸い込まれるような綺麗な青空。
そして、学園都市ならではの飛行船が飛んでいた。
飛行船の腹についた大画面には様々なニュースなどが映されており、インデックスもここに来たばかりの頃は驚いたものだ。
今は『長点上機学園、ヘリの開発に成功。今日試運転』とか書いてある。
「なにアンタ、ヘリとかそういうのに興味あんの? オカルト好きなのに」
いつの間にか普段通りになっていた美琴がそんな事を言ってくる。
「別に。ただ、空を飛ぶっていう人の夢にも、色んな実現方法があるんだなって思っただけなんだよ」
「まぁ、今じゃ飛行機とか使わなくても、超能力使って一人で飛べたりするしね。アンタのお得意の魔術でもいけるでしょ?」
「もちろん空を飛ぶ魔術はあるけど、迎撃術式が有名すぎて使っている人なんていないんだよ」
魔術師は空は飛べるが、大抵は飛ばない。その理由としてペテロの伝承というものがある。
それは飛翔魔術に対する強力な迎撃術式であり、適用されれば容赦なく体は地に落ちることになる。
しかも、墜落のダメージ以上に加えて魔術的なダメージも受けてしまうというオマケ付きだ。
どこの誰がいつそれをやってくるかも分からない中で飛ぶというのは少しリスクが高い。
「んーと、つまりいつ落ちてもおかしくない飛行機に乗ってるのと同じ感覚……?」
魔術に関してはほとんど何も知らない美琴は首を傾げながら自分なりに考えてみる。
ところが、インデックスからの答えは返ってこなかった。
別に彼女が美琴に呆れ返っていて何も言うことがないというわけではない。
その理由はもっと単純だ。
ただ単に、隣に居た彼女が忽然と姿を消していたからだ。
***
「……え?」
美琴は一瞬、目の前の光景をすぐに脳で処理できなかった。
足をピタリと止め、呆然とする。ドクンドクンと耳元で血液の流れがうるさく聞こえる。
普段なら、どうせ食べ物にでもつられてはぐれたのだろう、と呆れるくらいだ……が。
今は状況が状況だ。そんな楽観的なことは言ってられない。
すぐに辺りを見渡す。
彼女はついさっきまで隣に居た。はぐれたのならばすぐに見つかるはずだ。
そして、見つけた。
なんと彼女はここから100メートル程離れた歩道に居た。
その隣で彼女の腕を掴んでいるのは――――。
「結標……淡希…………ッ!!!」
霧ヶ丘女学院の制服を身にまとった彼女は、うっすらと笑みを浮べている。
普通に道行く学生達の中で、彼女の姿だけがやけに浮いて見えるのは錯覚ではないのかもしれない。
この平和な雰囲気の中、彼女の表情は暗い、“闇”の存在を感じる。
美琴は直感的にマズイと判断する。
結標淡希の能力は白井の上位互換と言ってもいい程強力な空間移動(テレポート)だ。
彼女の場合は、白井と違ってテレポートさせる対象に触れる必要がない。
その能力ならば、一瞬でインデックスが移動した事にも納得できる。
「くっ!!!」
もう人目を気にしてなどとは言ってられない。
美琴は磁力をフルパワーで使い、近くにあった花壇の土から砂鉄を真っ直ぐ結標に向かって飛ばす。
それはまるで蛇のようにクネクネと動き、道行く人の間を綺麗に抜けていく。
結標は少しも動こうともせず、ただ口元に笑みを浮かべたままこちらを見ているだけだ。
結標とインデックスの姿が消えた。
砂鉄の槍は何もない歩道の上に直撃し、霧散する。
「やられた……」
美琴はすぐに辺りを見渡すが、二人の姿はどこにも見つからない。
結標の座標移動(ムーブポイント)は、一度に800メートル以上の転移が可能だ。
これではサーチ系の能力でも持っていない限り、追うことなど不可能だ。
周りの人達はざわざわと、今起きた事に驚いているようだ。
美琴はそれを見て一瞬躊躇したが、覚悟を決めてスカートのポケットからメダルを取り出す。
そして、頭上に広がる青空に向けて超電磁砲を撃ちだした。
***
上条は第七学区をただひたすら走る。
周りの人達は皆驚いて上条の方を振り返るが、それには脇目もふらない。
左肩に鈍い痛みを感じて手で抑えると、どうやら出血しているらしい。
おそらく、土御門の銃弾がかすった時の傷だろう。
土御門は洗脳されいて、襲いかかってきた。
しかもあの様子から、狙いはインデックスだ。あの男は彼女の動向を気にしていた。
しかし、それが誰によるものなのかは全く分からない。
情報も足りなく、本当に手探りで闇雲に探していくしかない。
本来ならば、こういう時は土御門が色々と教えてくれるのだが、今回はそれを期待することはできない。
徐々に絶望感が胸に広がっていくが、気にしている場合ではない。とにかく動かなければいけない。
その時、ドンッ!! という轟音とともに、空高く光線が放たれた。
「……あれは」
上条は思わず立ち止まって、ただそれを凝視する。
超電磁砲だ。
普通の人なら何かの能力である事くらいしか分からないかもしれないが、上条は一瞬で断言できる。
美琴にはインデックスを探しているというメールを送った。
もしかしたら、それでこの騒ぎに巻き込まれてしまったのかもしれない。
上条は、美琴が洗脳されているという最悪の事態を想定しつつ、とにかく超電磁砲のおおよその発射地点まで行ってみることにした。
***
上条はおそらく超電磁砲が発射されたであろう地点までやってきた。
といっても、あくまで目測によるものなのでズレている可能性が高い。
しかし、ヒントはある。それは周りの学生達だ。
いくら学園都市だとしても、あれ程派手な能力は中々見ない。
それ故に今上条がいる場所でも皆ざわざわとしており、時折ある方向を指さしたりしている。
こうやって、情報は人を介して繋がっていく。上条はそれを辿っていけばいい。
とりあえず、学生達が指差したり不安そうに見ている方向へ走り出そうとする上条。
次の瞬間、何者かに左腕を掴まれた。
そして間髪入れずに、なんと体が上空10メートル以上へと飛び上がった。
「ッ!!!」
「大人しくしろっつの!」
それは無理な相談だ、と上条は思う。
別に高所恐怖症というわけではないが、人間は普段は地面に足をつけて生活する生き物だ。
それがいきなりこんな大空へ放り出されてパニックを起こさないわけがない。
その一方で、上条には今の声に聞き覚えがあった。
それも、このまま落下して死ぬなんていう事はないだろうという信頼は置けるくらいの相手だ。
そのまま二人はさらに高い所まで昇っていく。
初めは本当に飛んでいるのではないかと思ったが、良く見てみるとトントンッと周りの建物の壁を踏み台にしてジャンプしているようだ。
脳裏に昔観たスパイダーマンという映画が思い浮かぶ。
それから少しして、高層ビルの屋上へと二人は降り立った。
「……御坂、いきなりこれは心臓に悪いからやめてくれ」
上条は少しげっそりとした表情で目の前の相手に言う。
肩まである茶髪に常盤台中学の制服に身を包んだ少女、御坂美琴だ。
「いちいち時間勿体無いじゃない」
「つかわざわざこんな所まで来る必要あったのか?」
「あるわよ。今の騒ぎに紛れて何かしかけられたら嫌だし。それより」
美琴はズイッと一歩こちらに踏み出す。
「あのシスターがさらわれたわ」
美琴の簡潔な一言。
上条はそれで地の底へと叩き落されたような絶望感を味わう。
「だ、れに…………?」
「結標淡希」
「な、何でだよ!! あの人にそんな事する理由が…………」
上条は言葉の途中であることを思い出す。
洗脳能力者の存在だ。
「こっちも洗脳能力(マリオネッテ)か……!!」
「えっ、まさかアンタも何かあったわけ? なんかケータイも繋がらなかったし」
「あぁ、土御門のやつに襲われた。銃まで使われてな。ケータイもアイツに壊された」
「……悪かったわ。私は、あのシスターをみすみす敵に渡した」
「お前が謝ることじゃねえよ。それに、その場に居なかった俺に何も言う資格はねえ」
上条は拳を固く握り締める。
ここまで相手の思う通りにやらせて、インデックスを守りきれていないという事にどうしようもなく無力感を覚える。
美琴は真剣な表情で口を開く。
「とにかく、情報交換するわよ。何としてもアイツをとっちめる」
「アイツって……お前犯人に心あたりがあるのか!?」
「へぇ、面白そうな話してるじゃない」
唐突に聞こえてきたその声に、上条と美琴は同時に身構える。
人影がビルの下から飛び上がってきて、近くに着地した。
白い光線をジェット代わりにして飛んできたのは――。
「「麦野!」」
レベル5の第四位で「アイテム」に所属する麦野沈利だ。
所々着ているコートが傷んでいるのを見ると、どうやら自分達と同じように襲撃を受けたらしい。
「『アイテム』もやられた。おそらくアンタ達も同じような状況なんだろ? 私も話に入れなさい」
***
「食蜂操祈、アイツが…………」
情報を交換し終わり、上条はポツリと呟く。
二人の話を聞く限り、彼女が犯人だということは疑いようがない。
それがかなりショックだった。
昨日、相談に乗ってくれたのも全て計画の内だったのだろう。
そして、俺はまんまと騙されて、その上インデックスに酷いことを言ってしまった。
そんな自分の馬鹿さ加減に腹が立った。あの時の自分に会えるのならば一発ぶん殴ってやりたい程に。
一方で麦野は釈然としない表情で口を開く。
「……でも、目的が読めないわね。シスターをさらってアイツに何のメリットがあんのよ」
「目的なんてないかもしれない。アイツはそういう奴よ。それより今は、どうやってアイツを潰すか考えるべきだと思う」
「それを考える上でも向こうの目的は知っとくべきだと思うけど。それでアイツの居場所とかも分かるかもしれない」
「その目的を調べるのが、居場所を調べるのと比べてどれだけ楽なのかにもよるわね。直接居場所を調べたほうが早い場合もあるわ」
「でもその居場所の手がかりが何もないじゃない」
「目的の手がかりも同じよ」
「……ちっ、面倒くさいわね」
「とにかく今はどんな小さなものでも情報を集める。ねぇアンタ、昨日食蜂に会ったんでしょ? 何か言ってなかった?」
「…………え?」
「ちょっと、何ぼーっとしてんのよ。のんびりしてる時間はないわよ。昨日食蜂が何か言ってなかったかって聞いてんの」
「あ、あぁ、悪い。そうだな……」
美琴の声に現実に引き戻された上条は、すぐに昨日の記憶を頭の中でよみがえらせる。
今は過ぎたことを後悔している場合ではない。
食蜂は何か言ってなかったか?
一発でこの状況を打開できるようなものでなくても構わない。
何か小さな事でも、そこから穴を広げるようにして突破口を得られるかもしれない。
いくら彼女が用意周到であったとしても、人間である限りどこかにミスはあるはずだ。
そうやって考えていると、ある一つの事柄が頭に浮かんだ。
そういえば、昨日の食蜂との別れ際に少し疑問に思ったことがある。
「……アイツ、近い内に俺と学舎の園で会う事になる、みたいな事言ってたな」
「学舎の園? あそこって男子禁制よ?」
「女装すれば…………いや無理ね」
美琴と麦野が気味の悪い表情でこちらを見る。
上条も一瞬想像してしまい、それを振り払うように頭をブンブンと振る。
「んな事分かってるっての! ただ、確かにアイツはそんな事言ってたんだよ」
「……ストレートに考えてみると、アイツが学舎の園に居るって事になるわね」
「そんなバカなミスするわけないでしょ。罠に決まってる」
麦野は手をヒラヒラと振りながら鬱陶しそうに言う。
「でも、現状手がかりはそれしかない」
「正気? ほぼ確実に罠なのにそこに飛び込むなんて私はごめんね」
「飛び込むつもりはないわ。その前に確認してみればいい」
「確認するって、どうすんだ?」
上条が尋ねると、美琴は真っ直ぐ頭上を指差す。
「衛星からの映像を使う」
「……警備員(アンチスキル)か風紀委員(ジャッジメント)の支部を乗っ取るってわけ?」
「難易度的には風紀委員のほうが楽ね」
「ま、待て待て! お前何言ってるか分かってんのか!?」
確かに衛星からの映像で学舎の園の中を調べれば、食蜂が居るかどうかくらいは分かるかもしれない。
しかし、それを使うには警備員や風紀委員といった治安維持組織からでなければいけない。
何とか事情を説明して納得させられれば使わせてもらえるかもしれないが、できればインデックスの事はあまり話したくないし、食蜂のことも信じてもらえるか分からない。
ゆえに、無許可で……つまり犯罪をすることとなる。
それでも、美琴は上条の言葉にさして動揺もしていない。
「分かってるわよ。まっ、私だって今まで色々やってきたし、何を今更って感じよ」
「研究所壊しまくってたりしてたわよね」
「それは向こうが悪い。正当防衛よ」
麦野が言っているのは、おそらく絶対能力進化実験の一件のことだろう。
あの時の学園都市側の被害総額は計り知れないが、美琴の言うとおり自業自得な感じはする。
美琴のそんな態度を見て、上条も腹をくくる事にする。
手段を選んでいる状況ではないというのは分かっている。
「乗っ取るってのは、ハッキングするってことか?」
「まぁ結果的にはそうだけど、とりあえず直接サーバー近くまで行く必要があるわね」
「は? 何でわざわざそこまで行くのよ」
「今回私達が衛星から見るのは『学舎の園』の映像よ。そこらの道路の通行状況とかを見るのとはわけが違う。
セキュリティも厳しいから普通のサーバーからだと時間がかかるし、その間にバレるかもしれない。
だから、こっちは強力なサーバーからアクセスする必要がある。そしてそこへは外部からではなく直接ハッキングする必要がある」
「……その強力なサーバーの当ては?」
「ある。私の友達が所属してる風紀委員支部。ただ、問題が一つ」
そう言って、美琴は人差し指を立てる。
法的な問題とか含めれば明らかに一つではないだろうと思うが、そこは言わないでおく。
「そこの支部の人達は食蜂の洗脳にかかっている可能性が高い。その友達もやられてて、私が気絶させたから。可哀想だったけど」
「あれ、じゃあ御坂はその支部に居たのか? じゃあその時に調べちまえば良かったのに」
「範囲が絞れてないと、調べるのにも時間かかってリスクが大きいでしょ」
「……まぁいいわ、とりあえず第三位の作戦に乗る事にしよう。風紀委員の第何支部?」
「一七七支部よ」
美琴はそう言うと、ある方向を向く。おそらくそっちにその支部があるのだろう。
これからの行動は決まった。あとはただ進むだけだ。
一人ではどうにもならずに目の前が真っ暗だったが、今でははっきりとどちらに光があるのかが分かる。
高層ビルの屋上で強めの風を受けながら、三人はそれぞれ決意を固めていた。
***
風紀委員一七七支部。
外から見れば小さな会社にも見えなくもない、山吹色の建物の二階がそれだ。
もちろんそこに行くまでにはセキュリティもあるのだが、御坂美琴の前ではそれもないも同然である。
あまりの手際の良さに常習犯なのではと疑うが、今は何も聞かないことにしておく。
上条、美琴、麦野の三人は一本道の廊下を歩く。両側にはいくつかのドアも見える。
だがすぐそこへ走りこむような事はせずに、じりじりとゆっくり警戒しながら三人は歩を進める。
どうやらこの支部には透視能力(クレアボイアンス)を持つ者が居るらしく、おそらくこの侵入もバレていて何か罠があると予測しているからだ。
「左の一番手前のドアが普段使っている部屋ね。サーバーもそこに」
「上条さん的には今にも他のドアから一斉に風紀委員達が飛び出してきそうで怖いんですが」
「関係ないわよ。全部吹き飛ばせばいい話だ」
「ちょっと麦野。アンタの能力じゃ手加減のしようがないじゃない。殺していいわけないでしょうが」
「……そういや一般人なのか。まったく、面倒くさいわね」
麦野は鬱陶しそうに髪をクシャクシャとかく。
本気で全員を血祭りにあげるつもりだったのか、と上条は背筋が寒くなるのを感じた。
「まぁ、相手の無力化は私がするからそこまで心配しなくても大丈夫よ。ここの支部で実戦的な能力者は黒子くらい。
それにテレポーターは自分の目で空間把握しないと転移させられないし、姿が見えないならそこまで気にしなくても…………」
そこまで言って、美琴は急に黙り込んだ。
どうしたのかとその表情を見ていると、何やら真剣な表情で何かを考えているようだ。どこか焦りの色も見える気がする。
上条は何か声をかけようとするが、美琴はただ何かをブツブツと呟く。
「……いや、待って。食蜂の能力……あれって…………」
徐々に空気が不穏なものになっていく感覚がする。
先程までは緊迫しているとはいえ、少しの余裕はあった。
しかし、今は違う。
ゲームで言えば、雑魚敵しか出てこないエリアからボスの部屋に入った。そんな感覚だ。
「おい、御坂――――」
上条が口を開いた瞬間、その体が浮き上がった。
そして驚く暇もなく、数メートル前へ飛ばされる。
上条はいきなりの事に対処できるはずもなく、そのまま廊下をゴロゴロと転がる。
何が何だか分からない。
感覚的にはおそらく念動力の類ではない気がする。まるでベルトを掴んでそのまま放り投げられたような感じだった。
すぐに辺りを見渡すと、近くで麦野が同じように床に転がっていた。
相当恐ろしい顔になっており、すごく話しかけづらい。
カラン、と乾いた金属音が背後から聞こえた。
振り返ってみると、先程まで居た場所に何かが落ちている。
銀色に鈍く輝く棒状のものだ。手の中に収まるくらいの大きさで、一本だけではなく何本か同じ物が廊下に転がっている。
上条はそれにどこか見覚えがある気がするが、思い出せない。
美琴だけは同じ場所に立っていた。
どうやら投げ飛ばされたのは上条と麦野だけらしい。
いや、というより投げ飛ばした張本人こそが美琴なんだろう
能力でも暴走してしまったのだろうか、と心配して口を開こうとする……が。
あるものが目に入り、喉まで来ていた言葉がどこかへ消えさってしまった。
上条は目を見開く。
床に転がっている銀色の棒と同じものが、美琴の肩と足に一本ずつ突き刺さっていた。
ポタポタ……と、真っ赤な血液が廊下に垂れる。
「御坂!!!」
「止まらないで!! 黒子に狙い撃ちにされる!!!」
上条はその言葉を聞いた瞬間、弾かれたように立ち上がると真っ直ぐに美琴の方へ駆け寄る。
今の言葉で、自分でも信じられないくらいの早さでここで何が起きているのか理解できた。
あの銀色の棒は白井が使っている鉄矢だ。
つまり、どこかからテレポートを使ってこちらの体の中に直接転移させてきている。
美琴はそれに気付いて上条と麦野を磁力を使って投げたのだろう。
上条は美琴を抱えて、前方へ飛び込む。
後ろではカランカランと、鉄矢が何もない空間から現れて床に落ちる音が連続する。
もしもそこに自分がいたらと、背筋に寒いものを感じた。
「な、なにやってんのよ!」
「お前、その足じゃろくに動けないだろ!」
美琴は若干顔を赤くして抗議してくるが、上条は聞かない。
彼女の足には今だに鉄矢が刺さっており、出血も止まっていないのだ。
すると後方の方から、
「クソが!!!」
麦野のそんな声と共に、ドガァァ!! と左手の一番手前のドアが蹴り破られた。
どうやら、どこかからこちらを狙っている白井を仕留めようとしているらしいが、あの様子だと真っ二つにしてしまいそうな勢いだ。
美琴はそれを見て、顔をしかめながらフラフラと立ち上がると、麦野が入って行ったドアへ走り出す。
上条は慌てて口を開く。
「おい御坂! お前は一旦ここから出て……」
「大丈夫、そこまで酷くないから。アンタは他の部屋行って黒子を探して!」
美琴は口早にそう言うと、部屋に入っていってしまった。
確かに普通に走れているようには見えたが、その表情は険しく痛みを堪えているのが分かった。
上条はどうしようかと一瞬考えを巡らせるが、向こうには麦野も居るので美琴のことは任せて、自分は言われたとおりに白井を探すことにした。
走り出すと同時に、すぐ後ろに鉄矢が現れ、床に落ちてカランと乾いた音が響いた。
***
美琴と麦野が入った部屋は、どこかの会社のオフィスのようだった。
普段、風紀委員はここで活動しており、奥には捜査用のPCが置いてある。
今回の目的のサーバーもそれだ。
麦野は能力でそこら辺にある棚を吹き飛ばし、視界を開かせる。
棚に置いてあった箱のなかには未処理の報告書など沢山入っているはずだが、そんな事は微塵も考えていないようだ。
もちろん、二人ともただ立ち止まっていると白井のいい的なので、せわしなく動いている。
麦野は小さく舌打ちをして、
「どこよ、そのテレポーターは。ていうか、直接目で確認していないところにこれだけ正確に攻撃できるってどういう事よ」
「操っているのはあくまで食蜂よ。だから、アイツが洗脳した人の中に、透視能力(クレアボイアンス)で中を観察できる人が居れば……」
「その透視能力(クレアボイアンス)で空間把握、後はテレポーターを操って目的の場所へ攻撃すればいいってわけか」
食蜂が洗脳した人間の五感による情報は、彼女のもとへ入ってくる。
つまり、複数の人間が別々の場所を見ていた場合、同時にいくつもの視界情報を得ることができる。
感覚的には同時にいくつものモニターの映像を見ているようなものだろうが、それを的確に処理できるほどの能力がレベル5にはある。
だから、白井の目で直接確認しなくても、透視能力を持った人間が見た視界があれば後は食蜂がそれを元に攻撃するように白井を操ればいいだけだ。
「衛星映像でこの辺り一帯を調べるわ」
美琴は足早にPCに近づくとスカートのポケットからPDAを取り出し、バチバチ!! と帯電する。ハッキングを始めた合図だ。
落ち着きなく動き回りながら行う必要があるので、どうにも集中しきれないが、それでも確実に進めていく。
それから少しして、美琴のPDAの画面に衛星映像が映し出された。
この支部の辺り一帯の映像だ。
美琴はそれをじっと見つめて、
「居たっ!!」
突然大声をあげると、窓を開いて勢い良く飛び出した。
怪我人がこれだけの高さを飛び降りるのは明らかに危険だが、美琴には磁力を操る力があるので落下の衝撃は最小限にまで軽減することができる。
歩道を歩いていた人達がいきなり空から降ってきた美琴を見て驚いているようだが、気にしている場合ではない。
美琴はすぐに走りだして近くの路地に入る。
わずかにゴミが散らばっている程度の殺風景な場所。
そこにはメガネをかけた巨乳の風紀委員、固法美偉が居た。
「すみません、固法先輩」
美琴が苦しそうに表情を歪めた直後、バチバチッという紫電が辺りに撒き散らされた。
固法は抵抗する間もなく、地面に伏せることになった。
***
上条が入った部屋は、どうやら会議室のようだ。
電気がついていないので薄暗いが、テーブルがコの字になっており、前には映像を映し出すスクリーンが設置されている。
誰か潜んでいないか、ゆっくりと歩いて確認する。
ただし、立ち止まることはできない。それではどこかから白井に狙い撃ちされてしまう。
その時、再びケータイが鈍く振動した。麦野から渡された緊急用のケータイだ。
すぐに開いて確認してみると、透視能力者を気絶させたのでもう狙い撃ちにされる心配はないというメールが入っていた。
目的だけを伝えた簡素なものだったが、それを見て上条は思わずその場に座り込んでしまいそうになった。
いつ鉄矢が体を貫くか分からない状況は、精神的にかなりキツかった。
しかし、その一瞬気を抜いたのが間違いだった。
ガタン!! という物音と共に、突然近くのテーブルの影から人影が飛び出し、何かをこちらに突きつけた。
「ッ!!」
急いで身を伏せる上条。
直後、甲高い発砲音が鳴り響き、近くの壁に穴を開けた。
相手はもう今更身を隠そうというつもりはないらしく、ドタドタと足早にこちらに近づいてくる。
もしも上条に飛び道具があれば狙い撃ちにできたのかもしれないが、あいにくこちらの武器はこの体ただ一つだ。
……いや、一つある。
「っらあああ!!!」
上条は近くにあった椅子を掴むと、思い切り相手へ投げつけた。
相手は拳銃を持っているらしいが、さすがに椅子を吹き飛ばす程の威力を持っているわけではないらしく、空いた左手で受け止めた。
その隙に、上条は床を蹴って一気に距離を詰める。
勢いに乗って繰り出すは、固く握られた右の拳。
相手も慌てて拳銃を構えるが、もう遅い。
銃の最大のメリットは遠距離からの一方的な攻撃であり、本来はこんな間合いで使うものではない。
バッキィィィ!!! と、鈍い音が響き渡った。
「が……ッ!!!」
上条の拳は正確に相手の顔面を捉え、相手は後方へと勢い良く吹っ飛ぶ。
そして受け身も取らずに派手に床に倒れると、ピクピクと痙攣した後、動かなくなった。
上条はまだ警戒しながら相手に近付く。
そして、その手に握られた拳銃を取り上げると、ジーンズのベルトに挟み込んだ。
相手の様子を観察する。
くすんだ茶髪の大柄の男。アイテムの浜面仕上だった。
浜面は完全に気絶しているようで、ピクリとも動かない。
もしかして変な所でも打ったのかと嫌な予感がしてきたので脈を確認する。どうやらちゃんと生きているようだ。
それでも鼻からは派手に血が飛び出しており、さすがに思い切りやり過ぎたかとバツが悪くなる。
まぁしかし銃が相手なのだから、これくらいは勘弁してほしい。
さて、先程は上条の右手で思い切りぶっ飛ばしたわけだが、能力の方はどうなっているのだろうか。
右手で触れれば洗脳が解除されるというのはあくまで上条の予想だ。
ここで起こして確認したいのは山々なのだが、もしも洗脳が解けていなかった場合、再び浜面と戦う必要がでてくる。
銃は取り上げているとはいえ、あまり気は進まない。
「……よし」
上条は小さく呟くと、部屋の前方にある巨大モニターから伸びているコンセントを抜く。
そしてそれをロープ代わりに浜面の足にグルグルと巻きつけた。
能力者相手だとこれだけでは不安だが、浜面は無能力者なのでこれなら動きようがないはずだ。
上条は内心ドキドキしながら、浜面の顔をペチペチと叩く。
程なくして、浜面は小さな唸り声をあげてゆっくりと目を開いた。
「……大将?」
「洗脳は……解けたのか……?」
「洗脳? つーか、俺なんでこんなとこに……っていてええ!! なんか顔面がメチャクチャいてえ!!」
上条はコンセントの拘束を解いて、現状を説明する。
もしかしたら洗脳が解けているように見せかけた演技という可能性も考えたが、様子を見る限り大丈夫だと思われる。まぁあくまで予想なのだが。
話を聞いた浜面は溜息をつく。
「あんたとシスターさんも随分と人気者みたいだな」
「全然嬉しくないけどな。悪かったな、巻き込んじまって」
「気にすんなって、あんたが悪いわけじゃない。けど、『アイテム』もまずいことになってるようだし、首は突っ込まさせてもらうぜ」
***
美琴が衛星カメラを使って何者かを発見し、窓から飛び出した直後。路地裏で固法美偉を気絶させる少し前。
麦野しか居ない部屋に、透明な槍が隣の部屋から壁を突き破って真っ直ぐ伸びてきた。その先には例のPCがある。
ここへ来た目的、ハッキングを物理的に封じるためだ。
「あ?」
麦野は腕を一振りすると、白く発光した盾が出現し、ガキィィ!! と槍の動きを止めた。
原子崩し(メルトダウナー)の応用で、防御に特化させた使い方だ。
そして麦野は靴底近くから光線を発射し、高速で槍が放たれてきた壁の方へ突き進む。
壁には、威力を極限にまで凝縮したかのように綺麗な円形の穴が空いていた。すぐに麦野がそこを思い切り蹴ると、人一人が通れるくらいの大穴になった。
隣の部屋に入る。
どうやら物置か何かのようで、ダンボールがいくつも高く積み上げられていて視界が悪い。
当然不意打ちに備えて警戒しつつ入ったのだが、明らかに怪しい人影が隠れもせずに部屋の中央に堂々と立っていた。
黒いパンク系の服に身を包んだ、12歳程度の少女。基本は黒髪だが、耳のあたりだけアクセントとして金色に染めている。
黒夜海鳥。一方通行の演算パターンなどを植えつけた暗闇の五月計画の被験者で、レベル4「窒素爆槍(ボンバーランス)」の能力者だ
「……ったく、お前もやられてんのかよ面倒くさい」
麦野は手首を曲げてポキポキと鳴らしながらぼやく。
まるで、近所の猫を追い払うかのような余裕を見せている。
しかしその時、突然天井が崩れ落ちた。
「ッ!!」
ガレキと一緒に落ちてきたのは、ニットセーターを着た茶髪のボブの少女。
アイテムの一人である絹旗最愛だ。
絹旗は落下しながらも正確に麦野の脳天目がけてその拳を振り下ろす。
麦野は軽く横へ飛んで回避するが、床に着地した絹旗はすぐさまこちらへ向かって追撃を放ってくる。
真っ直ぐ放たれた窒素で強化された拳を、麦野は再び発光する盾を出すことで防御。
すると今度は全く別の方向から窒素の槍が突っ込んできた。
黒夜の攻撃だ。
「無駄なんだよ!!!」
麦野はこれも盾を出して防御する。
一応はちゃんと防げたのだが、正直今のは少しでも反応が遅れていたら危なかった。
その証拠に、窒素の槍は麦野の体からほんの数センチの所で止まっている。
「それはどうだろうな?」
黒夜がニヤリと笑った。
無数の腕が彼女の脇腹辺りから生えてきて、槍が伸びている右手に添えられた。
すると。
「ちっ……!!!」
「くく、さすがレベル5。これでもまだ足りないか」
ガギギギギギギ……と。
槍の出力が一気に跳ね上がり、盾を貫こうとしてくる。
黒夜は掌から窒素の槍を生み出す能力者だ。その為、こうして能力を適用できる義手を使う事で威力を増大することができる。
これにはさすがの麦野も顔をしかめ、全力で防ぐ。
だが、敵は一人だけではない。
黒夜の方の防御に気を取られた瞬間、絹旗の拳を受け止めていた盾が破壊され、窒素で強化された拳が麦野の左腕にめり込んだ。
ベキベキと、不快な音が響く。
「ぐぁ……ッ!!!」
そのまま麦野は吹き飛ばされ、床を転がった。
傷んだ左腕はなんとか動く。まともに食らえば確実に骨を砕かれていただろうが、その前に防御していたのが影響したのだろう。
しかし少し動かすだけでも相当な痛みが走る辺り、ヒビくらいは入っていそうだ。
絹旗と黒夜はゆっくりとこちらへ歩いてくる。
「麦野!!!」
先程麦野が蹴り開けた大穴から美琴が入ってきた。
絹旗達は視線を麦野からそちらへ移す。
美琴は二人を睨みつけるとバチバチと帯電した片手を上げる。
しかし、麦野は真っ直ぐ美琴の後ろを指差した。
「第三位、あんたはさっさとやる事やりなさい」
「えっ……でもアンタ……」
「私がこんな奴らにやられるわけがないだろう。それより、こいつらに集中しててサーバーの方をぶっ壊される方が面倒よ」
「…………じゃあ任せるけど、本当に大丈夫なのね?」
「しつこい。さっさと行けっての」
麦野の言葉を聞いた美琴は一瞬躊躇したが、踵を返して隣の部屋へと戻っていった。
それに対し、黒夜は鼻であざ笑う。
「はっ、さすがにレベル5二人はまずいと思ったが、まさかあんたが追い払ってくれるとはな」
「まぁ、麦野らしいといえばそうですね。私達相手に二人がかりというのは麦野的にはプライドが超許さないのでしょう」
「分かってないわね、あんたら」
麦野はクスリと珍しい笑顔を見せる。
それはまるで、何も知らない子供にどうやって分かりやすく説明するか考えているかのようだ。
先程までは、どこかに潜んでいるテレポーターからの攻撃を無意識の内に警戒していた。
それによって動きも少し鈍くなっていた。
しかし、ついさっき美琴がここにやってきたということは、そのテレポーターもしくは透視能力者を何とかしたということだ。
ただそれが分かるだけで、重い枷が外れたかのように感じる。
目の前の敵だけに、集中できる。
「レベル4が何人いようが、私に勝てるわけねえだろ」
ドンッ!! と大きな音がした。
麦野は光線をジェット代わりにして、凄まじいスピードで黒夜に突っ込んでいた。
黒夜はギョッとして対応に遅れる。
だが、そんな彼女の前に絹旗最愛の姿が現れた。
麦野は右腕の肘の近くで光線を発射し、それによって加速させた拳を放つが、絹旗の交差した両腕に止められる。
そして間髪入れずに、絹旗の後ろから黒夜が掌を真っ直ぐ麦野へ向けた。
「ちょーっと攻撃が単調すぎるンじゃねェかァァ!?」
しかし、ここで黒夜は気付く。
麦野の頭上すぐ近く。いつの間にかそこに何かが放り投げられていた。
三角形を組み合わせたような模様のカード状のもの。
そしてその直後、麦野から放たれた光線がそのカードに命中した。
すると、太い光線が何本にも分かれ、波状攻撃となって黒夜と絹旗に襲いかかってきた。
カードの正体は拡散支援半導体(シリコンバーン)。麦野の原子崩しの光線を拡散させるアイテムだ。
「なっ……!!!」
ブシュッ!! と黒夜の足に何本もの光線が貫通する。
絹旗にもいくつも命中するが、こちらは窒素装甲(オフェンスアーマー)があるので貫通とまではいかない。
それでも彼女の小さな体を吹き飛ばすには十分な威力だった。
だが、ここで麦野にとって予想外なことが起きた。
黒夜は両足を撃ち抜かれて地面に倒れ伏した。そして、今は頭を焼き切るほどの激痛が走っているはずである。
それにも関わらず、彼女はなんと笑みすら浮かべて掌を真っ直ぐ麦野へと向けていた。
「……クソが」
麦野は小さく舌打ちをすると、横へ跳んで放たれた槍をかわす。
黒夜はそれを追って、手首を動かして槍を横に振って麦野の体を両断しようとする。
それに対して麦野は盾を出して難なく防御した。
そして直後、麦野は右の掌近くから再び光線を放った状態で、そのまま手を素早く上に振った。
それはまるで光る剣を振っているかのようであり、その切っ先の軌道上には――――。
「……ぁ…………」
黒夜が小さく声を出す。
空中へ放られた無数の物体がその瞳に映っている。
それはビニールのような材質の明らかに人工的な無数の手と、まだ幼い、子供らしい小さな手だ。
麦野の光線によって切り落とされた、黒夜海鳥の両手と義手だった。
麦野は初めから分かっていたはずだった。
黒夜は掌から窒素の槍を生み出す能力者、それならばどうすれば無力化できるのか。
麦野はよく分かっていて、その上であえてそれをしなかった。
以前までの彼女ならば手を切り落とすどころか、頭を吹き飛ばして無力化していたことだろう。
しかし、今の彼女は敵にも情というものをわずかにだが持つようになっていた。
暗部の世界ではそれはただの甘さとして、切り捨てなければいけないものだ。
それでも、麦野は今では不思議とそんな事は思わない。
理由なんて分からない。考えるのも面倒くさい。
ただ、自分がそうしたい。それだけで十分だと思っていた。
だから、黒夜の両手を切り落とすなんて事はできればあまりやりたくなかった。
彼女が操られていて、自分の意志で襲ってきているわけではないことは分かっている。
その上で、能力を奪うような真似はしたくなかった。
能力者にとって自分の能力というのは大切なアイデンティティの一つだという事は、レベル5である麦野自身が良く分かっている。
それをたった今、この手で奪ってしまったのだ。
義手を使えば、両手を失っても能力自体はまだ使えるのかもしれない。
だが、やはり本来の自分の手で能力を使えないということは、彼女にとってもダメージが大きいはずだ。
機械はあくまでも補助、能力を使っているのは自分自身の体なのだ。
「…………」
麦野は黙って黒夜の様子を眺める。
両手を切断されているのだが、失血死する事はないはずだ。傷口は高温の光線によって焼かれており、血も出てこない。そういう風にした。
黒夜は今自分の能力が失われたことを気にも止めず、辺りをひたすらキョロキョロと見渡して逆転の策を考えているようだ。
もしも、この洗脳が解けて自分の腕を見たらどう思うのか。
それを考えると、どうしても苦いものが胸の中に広がっていく。
ドンッという音が聞こえた。
それは先程麦野に吹き飛ばされた絹旗が思い切り地面を蹴る音で、真っ直ぐこちらへ向かってきていた。
麦野は歯をギリッと鳴らす。
ここまで人をオモチャのように扱う人間が許せない。
自分も人のことをとやかく言えるような人間ではない。今までだって非人道的な事は沢山やってきた。
それだからこそ、今では超えてはいけない線というものが分かる。
コンマ数秒後、二人は激突した。
レベル4の絹旗最愛とレベル5の麦野沈利。
どちらが倒れたかは言うまでもない。
***
上条、美琴、麦野、浜面の四人は、とある廃ビルに居た。美琴のハッキングは完了し、どうやら食蜂が本当に学舎の園に居るかどうか確認がとれたらしい。
話し合う場所はアイテムの隠れ家や、浜面の居たスキルアウトの拠点の一つでも良かったのだが、そちらは食蜂に知られている可能性があったので、新しく探す必要があった。
一七七支部で倒した相手は、全員上条の右手で触れて洗脳は解除した。
しかし、絹旗も黒夜もすぐに動けるような傷でもなく、固法は美琴が巻き込みたくないといって起こさないことにした。
浜面の様子を見るに、どうやら洗脳されている時の記憶はないようなので、あとから追いかけてくる事もないはずだ。
美琴は全員の様子を見渡しながら口を開く。
「とりあえずみんな無事……ね。麦野、アンタ腕大丈夫?」
「折れちゃいないわよ。つーかあんたこそ肩と足に金属矢ぶち込まれてたけど?」
「幸いあそこは風紀委員の支部だからね。そこにあった冥土返し(ヘブンキャンセラー)印の応急処置キットで何とかしたわ。動けなくはないわよ」
「あまり無理すんなよ、お前はキツイ時でも一人で抱え込んじまう事があるからな」
「アンタが言うなアンタが!!」
上条は心配して言ったのだが、美琴は思いっきり突っ込んだ。
それでも、その表情はどこか赤みがかっているのだが。
そして、麦野はふと思い出したように浜面へ顔を向ける。
「あ、そうだ。浜面、あんたこの騒ぎが収束したら一発ぶん殴るから」
「えっ、なんで!?」
「お前私に鉛玉ぶち込もうとしやがったんだよ。なんかこのままだと気が収まらない」
「せ、洗脳されてたから大目に見てくれるっていうのは……」
「絹旗とか滝壺は別に許してあげるけど、あんたはダメね。理由はなんかムカつくから」
麦野の言葉に浜面はガクッと頭をうなだれた。
浜面が彼女に申し訳ないことをしたのは確かなので、あまり強く抵抗もできない。
それに多少理不尽な仕打ちはもう結構慣れっこになってしまっていた。
上条はそんな二人のやりとりを見ながら、右手を目の位置まで上げてみる。
「けど、収穫は他にもあったな。やっぱこの右手で触れれば洗脳は解除されるらしい」
「といっても、私や第三位ならともかく、あんたじゃまともに触れられない相手だって大勢いるでしょうが」
「いざとなったら、私が磁力でそのバカをぶん回して武器代わりに……」
「お願いですから止めてください」
想像するだけで気が滅入る光景が頭をよぎる。
しかも、美琴は割と本気で言ってそうなのが怖い。
浜面はそんな上条が自分の立場と少し被っているように思えたのか、気の毒そうに見ている。
そして、とりあえずここは話題を戻したほうが良いと判断したのか、美琴に向かって口を開く。
「で、その食蜂って奴の居場所は分かったのか? なんか滝壺のことを警戒してたみたいだし、あいつもすぐ近くに居ると思うんだけどな」
「えぇ、結標淡希と一緒に学舎の園の中を移動してる映像がハッキリ残ってたわ」
「詳しい場所は?」
麦野が鋭い眼光で短く尋ねる。
美琴はその視線を正面から受け止め、口を開く。
「常盤台中学」
***
第七学区の窓のないビル。
その内部には統括理事長アレイスター=クロウリー、エイワス、そして風斬氷華が居た。
いずれも学園都市の核とも呼べるほど重要な者だが、この場を包む空気はどこか穏やかなものだった。
「アレイスター、君はプランが木っ端微塵になってから全てにおいてやる気がないね」
「……五月病というやつだろう。私も人並みにそういった状態になるという事だ」
「今は二月だよ。まぁいい、君の精神状態には少し興味があったが話したくないなら無理に聞こうとは思わないよ」
「何をのんびり話しているんですか」
風斬のイライラとした声が響く。
普段の温厚な性格からしてとても珍しい。
「第五位の食蜂操祈がインデックスをさらった事くらい、あなた達なら分かっているでしょう。なぜ放っておくのですか」
「やる気がでない」
「興味が湧かない」
「……………」
二人の言葉に風斬は無言で睨みつける。
するとアレイスターが億劫そうに口を開く。
「そんなに助けたいのなら君が行けばいいだろう」
「私はこの時間は体が安定しません。行けるのならとっくに行ってます」
「エイワス」
「興味が湧かない」
「もういいですっ!!」
風斬は踵を返してどこかへ歩いて行こうとする。
その後ろ姿に、初めてエイワスが話しかける。
「どうしてそこまで必死になるのかな?」
「友達が苦しんでいるんですから当たり前じゃないですか」
そう言い残して、風斬は消えた。
それは自然消滅なのか、自身の意志で消えたのかは分からない。
エイワスはしばらく黙って風斬の消えた後を眺めていたが、
「……アレイスター、君には友達がいるか?」
「居たはずだが、今では絶交されている」
「それでは彼女の言葉の意味は分からないな」
「理解する気力もないしな」
「そうだアレイスター、君にとって私達は友達ではないのか? そう思えばあの言葉の意味も分かるかもしれない」
「友達も何も君達は実態が曖昧だろう。それこそエア友達とやらに近いのではないか」
「ふむ……」
「どうしたエイワス。あの言葉に興味でも持ったのか?」
「少し、な」
エイワスはぼんやりと宙を見上げる。
その表情からは一切の感情を読めず、そもそも感情というものが存在しているのかどうかさえ分からないものだった。
今日も窓のないビルでは、のんびりとしているがどこか独特な空気が流れていた。
***
とある廃ビルに上条達は居る。
常盤台中学について考える。
学園都市に無数にある学校の中で頂点に君臨されていると言われる「五本指」の一つ。
入学する為には強能力(レベル3)以上が必須条件となっている。
学園都市全体の六割が無能力(レベル0)だという事を考えれば、相当なエリート集団であることが分かるだろう。
本来レベル3ともなれば、並の学校では首席クラスの実力に当たるからだ。
そして未だ七人しか確認されていない超能力者(レベル5)の内、二人がこの学校に在籍している。
一人は今目の前に居る少女、第三位の「超電磁砲(レールガン)」、御坂美琴。
もう一人が第五位「心理掌握(メンタルアウト)」、食蜂操祈だ。
潜伏場所として自分の学校を選ぶ。それは常識的考えてどうか?
考えるまでもない、明らかに愚策だというしかないだろう。
自分の在籍している学校なんていうものは調べれば簡単に出てくる。
上条自身、常盤台に心を操るレベル5が居るという情報は、知識として記憶喪失直後から消えずに持っていた。
だが、ここで重要になってくるのは相手が学園都市最高の精神系統能力者だという事だ。
彼女にかかれば隠蔽工作も余裕だろうし、それを考えればあえて自分の学校を拠点にするというのも、盲点をつくという意味ではありなのかもしれない。
それに彼女は女王様とかとも呼ばれているらしいので、性格的にそうやって自分の城に腰を下ろしているのを好むからという理由もあるかもしれない。
そして、考えられる大きなメリットと言えば、
「……常盤台の生徒、か」
「えぇ。あそこの能力者達を操りまくって戦うのはアイツの常套手段よ」
「ちっ、生徒じゃ殺せないじゃないの。数は?」
「100は超える」
「おいおいおい、レベル3以上が100人以上ってそのレベル5は戦争でもする気かよ」
「実際、常盤台生ならホワイトハウスも攻略できるとか言われてるしな」
全ては他の者に任せて、自分は動かない。
……いや、動いてはいるのだろう。
レベル5の驚異的な演算能力をフルで使い、数多くの能力者を動かす。
見た目ではただ座っているだけに見えても、頭の中はそれこそスパコンも焼き切れてしまう程の処理を行なっている。
美琴は少し考えて、
「……学舎の園には私と麦野で行くわ」
「なっ、二人で何とかなるのかよ!?」
「何とかするわよ。こっちは第三位と第四位よ」
「ふん、まぁ多少強い能力者が集まっても私には関係ないな」
上条は美琴の提案に頷くことができない。
そんな危険なことを彼女たちに任せて、元々の原因である自分だけ安全な場所にいるなんていうのは納得できない。
「御坂、俺の幻想殺しがあれば洗脳を解くことができる。だから、俺も……」
「学舎の園は本来男子禁制。入ったら大騒ぎで余計に動きづらくなる」
「……それは」
「大将、ここは二人に任せてもいいんじゃねえか」
「浜面まで……そんな危ない真似させられるわけねえだろ」
「まぁ、よく聞けよ」
浜面は真剣な表情で真っ直ぐ上条を見る。
「俺だって滝壺のことがあるんだ。できるなら自分で突っ込んで助けてやりたい。
だけどよ、今一番大事なのはそこじゃねえ。どうすれば一番確実に助けられるか、だろ?」
「……あぁ」
「二人だけで行かせるのが心配だってのは分かる。けど俺らがついていくデメリット以上にメリットがあるのか?」
浜面の言葉に、上条は何も答えられなかった。
本当は分かっていた。
美琴の指示は今の状況ではベストなものであろうという事。
上条や浜面を学舎の園に引き入れて騒ぎを起こすよりも、二人で突入したほうが効率的であること。
それでも、上条は認めたくなかったのかもしれない。
インデックスを救うために、自分の力は必要ない。
レベル5の能力者に任せたほうが全て上手くいく。それを受け入れられなかったのかもしれない。
重要なことはそこではないのだ。
ただ彼女を助ける。
たとえ上条が役に立たなくても、その目的さえ達成できればいいはずだ。
「……分かった。御坂、麦野、お前達に任せる」
「ん、任された。ちゃっちゃと終わらせてくるわよ」
「私はあの第五位をぶちのめせれば何でもいいわよ。そうだ上条、これ持っときなさい」
そう言って麦野は何かを放ってよこす。
受け取ってみると、やたらとゴツい銃だった。
「俺、銃なんてまともに使えねえぞ?」
「それは演算銃器(スマートウェポン)っていって、撃つ対象に応じて勝手に適切な火薬を調合してくれるものよ。
そいつをちょっと調整して、素人でも狙ったとこにいくようにしておいた。ないよりはマシでしょ」
「麦野……サンキュ」
「あれ、俺には何かないのか?」
「ないわよ。せいぜい死なないように頑張りなさい」
「ひでえな!?」
「まぁアンタ達はなるべく狙われないように大人しくしていなさい。私達がすぐケリつけてくるからさ」
美琴と麦野は廃ビルを出ていく。その姿はとても頼もしく見える。
そういえば、こうやって誰かの後ろ姿を見送るなんていうことは今まであまりなかったかもしれない。
誰かを見送る、その行動の裏には相手に対する信頼が隠れている。上条はそんな事を思った。
***
「でも、ちょっと意外だったわ」
「なにが?」
美琴と麦野は学舎の園を歩いて常盤台中学へと向かう。
能力を使って飛ばしても良かったのだが、あまり目立つことはやめようと判断したのだ。
受験休みはここでも同じで、昼過ぎの街並みには多くの学生が出歩いていた。
学舎の園の中ということで、どの生徒もどこか気品のあるお嬢様系の雰囲気を醸し出している。
そんな中、美琴は何かを思い出したように口を開いていた。
「浜面。アイツってただのチンピラみたいな印象だったけど、たまには良い事も言うのね」
「……良くも悪くもハッキリしてんのよアイツは」
「どういう事?」
「守るべきもののためなら何だってする。ああ見えてもアイツは暗部の人間だ。
人殺しだけじゃない、まともな人間なら側で見ていることすら出来ないほどのグロい拷問だってアイツはやってみせる」
「…………」
「あんただって学園都市の闇は見ただろう? こうして表の人間が楽しい楽しい学園生活を満喫している裏で、おびただしい量の血が流れてる。
あんなクソみたいな世界じゃ、仲間以外は全員ぶち殺すくらいの気持ちでいないと何も守れやしないのよ」
美琴は麦野の言葉に黙りこむ。
心身ともにズタボロになったあのおぞましい実験も、学園都市の闇の一部でしかない。
おそらく麦野は美琴よりもはるかに多くの惨劇を見てきたのだろう。
そんな彼女と比べれば、自分なんかはぬるま湯に浸かって平和ボケしている学生の一人にすぎないのだろう。
だが、例えそうだとしても。
美琴は信念を曲げる気はない。
どんなに困難な道でも、諦めることは絶対にない。
それが美琴の自分だけの現実なのだから。
麦野はそんな美琴の様子を見て、
「……別に人のやり方をどうこう言うつもりはないわよ。好きにやればいい」
「言っておくけど、常盤台の生徒にも手を出すって言うなら私は黙ってないわよ」
「分かってる。私だって好き好んでそんな事はしない。ただ……」
「本当にそれしかないと思ったら、私はやるぞ?」
麦野は挑戦的な目で美琴を見る。
その目ですぐに分かる。このレベル5は本気で言っている。
黒夜海鳥の手を切断したように、本当にどうしようもない時は犠牲もいとわない。
もしも、本当にそんな状況になったら。
美琴は必ず止めることになる。
願わくばそんな事にはならないでほしい、と美琴は心の中で祈る。
麦野は続けて口を開く。
「……ていうかさ、あんたってあのシスターとそこまで仲良いわけ?」
「どういう意味よ」
「だってさ、あんたとあのシスターって言わば恋敵ってやつでしょ? 居なくなってくれた方が色々と都合がいいんじゃないの?」
「うっさいわね。一応知り合いではあるんだから、無視とかしたら目覚めが悪くなるじゃない。それに……アイツの頼みってのもあるし…………」
「ふーん、つまり上条に気に入られたいから手伝ってるわけね」
「それは――!!」
「違うの?」
「……ないこともないケド」
美琴は麦野から目を逸らしてぼそぼそと答える。顔も少し赤い。
インデックスを助けたいというのは本当だ。
美琴はたとえ相手がほとんど知らないような人間でも目についたなら無条件で助けようとする。
しかし、今回の件に関してはそれだけじゃない。
ぶっちゃけると、上条への好感度アップという目論見もかなりある。
美琴はレベル5であるという前に一人の女の子だ。
想いを寄せる相手から頼まれごとをされれば、当然少し期待してしまうこともある。
麦野はそんな美琴を見て、意地悪くニヤリと笑う。
「けど、上条もあのシスターの事がよっぽど大切みたいじゃない。あんた、勝ち目あるわけ?」
「うぐ……そ、そんなの分かんないじゃない!」
「どうだかね。後で痛い目みたくなかったら、もっと積極的に行ったほうがいいんじゃないの」
「そんな事アンタに言われる筋合いは……ん?」
美琴はふと気付いた。
今の麦野の様子を見ていると、まるで自分のことを語っているようにも見えた。
そして美琴のレベル5の優秀な頭は回りだす。
麦野がそういった経験をしたことがあるとして、相手は誰か。
美琴が知っている限り、麦野と一番親しいと思われる男は誰か。
その男は、今どのような状況にあるか。
答えはすぐにまとまり、美琴は驚いた表情で麦野を見る。
「……もしかして」
「なによ」
「アンタさ……浜面の事好きだった……とか?」
「…………」
「……あ、いや、ごめん。ただ何となくそうかなって……」
美琴は気まずそうにそう言う。
言っている途中で気付いたが、こんな事を聞くのは良くない。
今すぐ光線が飛んできてもおかしくない。
浜面には既に滝壺という恋人がいる。
つまり、麦野の気持ちはもう浜面に届くことがない。
もし美琴の予想が当たっていたら、麦野はそれを受け入れた上でアイテムの仲間として一緒に仕事をしているのだ。
麦野はしばらく黙っていた。
ただ何も答えず、前を向いて歩いている。
「――――えぇ、そうよ」
出し抜けに答えた麦野の言葉に対して。
美琴は何も言えず、ただその後ろ姿を目で追うことしかできなかった。
時刻はお昼すぎ。
太陽は次第に傾いてきていた。
***
美琴と麦野は並んで堂々と常盤台中学内を歩いていた。
麦野は暗部時代のつてで、臨時教諭のIDを入手している。服装もそれに合わせてスーツだ。
始めは常盤台の制服を手に入れて着るという事も考えたらしいが、美琴のダメ出しが入った。
麦野は美琴の「コスプレにしか見えない」という言葉に青筋をビキビキと立てていたが、とりあえずは納得してくれた。
まぁ実際、麦野はスーツ姿のほうがかっこ良くて似合っていると美琴は思ったが、それはそれで機嫌を損ねそうなので言わないでおいた。
校門でいきなり襲われる事も想定していたのだが、意外なことに何も仕掛けてこない。
一応は受験期間の休みなのだが、もう常盤台の試験は終わっていて、今も休みなのはただ単に学園都市全体の休日に合わせているだけだ。
なので部活動や派閥活動などはいつも通り行われており、学内に居る生徒も少なくない。
美琴はチラリと辺りを伺う。
食蜂の派閥は常盤台で最大の規模を持っているので、常に周りに誰か一人は居るような状態だ。
しかし、これは普段からも同じで、特に異常なことではない。
むしろこの場合、何も仕掛けてこないことの方が異常なのではないか。
麦野は気に入らない様子で周りを見て、
「余裕の表れ……ってやつかしらね」
「確かにアイツらしいわ。漫画とかだとそういうのが原因でやられちゃったりする敵キャラとかも多いけど」
「現実はそんなに甘くない。余裕綽々のまま無情に勝ってしまうっていうのも全然ありえる話よ」
「アンタの体験談?」
「まぁね。私の場合は余裕で勝つパターンも、それが原因で負けるパターンもどっちも経験したけどさ」
その時、美琴のケータイがブーブーと震えた。
美琴は特に警戒する様子もなく、電話を取る。
『もしもしぃ~?』
「やっぱりアンタか」
『あれ? 意外に冷静ー?』
「アンタの事だからここら辺でちょっかい出してくると思ってただけよ。
私の番号だって、アンタにかかればすぐに調べられるだろうし」
『きゃー、御坂さんって私の事よく分かってるんだぁ! いいお友達になれそうねぇ』
電話の向こうの声に、美琴はギリッと歯を鳴らす。
だがすぐに深呼吸をして落ち着こうと努める。
相手のペースに乗せられてはダメだ、頭が回らなくなる。
隣で麦野がじっとこちらを見ている。
美琴は一度小さく頷くと、再び口を開く。
「それで、何の用かしら? 言っておくけど、こっちは世間話をしに来たわけじゃないわよ」
『分かってますぅー。私だって人並みには空気は読めるわよぉ。
だから、直接会おうと思って、こうして電話したんだしぃ』
「……何ですって?」
『第一ホールで私一人で待ってるわぁ。ほら、たまに学生議会とかやってるおっきな部屋』
「それが罠じゃないって証拠は当然あるのよね?」
『んー、それじゃあ学内のカメラで見てみてよ。先生はみんな私の能力をかけてるから、頼めば自由に使わせてくれるしぃ』
「………………」
『ふふ、それじゃ待ってるわぁ』
電話が切れた。
美琴は忌々しく思いながら……それでも愛用のゲコ太ケータイを痛めるわけにはいかないので静かに閉じる。
その後すぐに麦野に説明する。
「……嫌な予感しかしないわね」
「えぇ。でもとりあえずはアイツの言う通り、学内カメラで見てみるっていうのはやる価値はあると思う」
「それが改竄されているという事は?」
「それなら私が気付くわよ。アイツだって私の能力についてはよく知っているだろうし」
二人はそんなことを話し合い、とりあえず学内カメラで確認だけしてみることにした。
***
数分後。
美琴と麦野は指定された第一ホールの両開きの大きな扉の前に立っていた。
カメラで確認した所、本当に食蜂一人だけがこの部屋に居た。
美琴はチラリと麦野に目配せして、
「……いくわよ」
「あぁ。油断すんじゃないわよ」
「分かってる」
ギィ……と扉を開く。
学生議会を行う場所ということもあって、中はそれ用の作りになっている。
広い部屋にはすり鉢状に沢山の机と椅子が並び、すり鉢の底に当たる所に発言者のためのスペースがある。
(イメージ:http://vip.jpn.org/uploader/source/up5538.jpg)
そしてその中央のスペースに食蜂操祈は笑顔で立っていた。
部屋の扉は当然外周にあるので、美琴と麦野は部屋で一番高い位置から食蜂を見下ろす形になる。
こうして彼女が低い位置に居るというのは何か違和感を覚えてしまう。
それほどに、女王というイメージを植え付けられてしまっているのだろうか。
「ふふ、こんにちわぁ。いつまでもそんなところに居ないで、もう少し近くで話しましょう」
「……何を企んでる?」
「いえいえ。それに距離が近くて困るのは私の方じゃなぁい?」
「…………」
美琴と麦野は黙って段差を降りていき、中央へと向かっていく。
誰も潜んでいないのは美琴の電磁波によって分かる。
二人が食蜂の目の前まで来ても、彼女はただ笑顔のままだった。
それが二人の不安をかきたてる。
やはり罠ではないのか。何か見落としたことはなかったか。
「それで、お話というのは私が能力使って色々やっている事についてよねぇ?」
「当たり前でしょ。今すぐやめなさい。何ならここで気絶させてやめさせてもいいのよ」
「あんたも運がいいわね。いつもの私だったらもう真っ二つになってるわよ。今はこの第三位が止めるだろうからやんないけどさ」
「きゃー、こわぁーい」
バチッ!! と、青白い稲妻が食蜂の顔のすぐ隣を走り抜けた。
「次は当てるから」
「わ、わぁ……」
食蜂は固まって、頬に冷や汗を伝わせている。
そして慌てて両手を前に出して、
「ちょ、ちょっと待ってよぉ! わ、私は本当にお話をしに来ただけなのぉ!」
「アンタと話す事なんて何もない。やりすぎよ」
「……だって仕方ないじゃない。学園都市全体に関わってくるおっきな事なのよぉ」
「………………」
美琴は一瞬考えて、ブンブンと頭を振る。
ダメだ、聞いてはいけない。
そうやってずるずると自分のペースに持ち込むのは食蜂の得意なパターンだ。
ここは問答無用で電撃を直撃させて意識をむしりとるのが正解だ。
美琴はキッと食蜂を睨みつける。
食蜂はビクッと震えるが、そんなのは関係ない。
美琴は、今度こそ真っ直ぐ撃ち抜く軌道で雷撃の槍を繰り出した。
槍はそのまま突き進んでいき、
「ッ!!」
食蜂の姿が消えた。
美琴の頭が一気に回り始める。
これは、インデックスの時と同じだ。
美琴と麦野が辺りを見渡すと、案の定自分達が入ってきた扉の前に結標淡希が立っていた。
「結標!!」
「あいつ……確かグループにいたテレポーターか」
結標は何も答えない。
ただ手に持った警棒も兼ねる軍用懐中電灯を軽く振る。
弾かれたように美琴と麦野はその場から離れる。
直後、二人がさっきまで居た場所にカランカランと鉄矢が落ちた。
反応が遅れていたら体に突き刺さっていたことだろう。
美琴はその鉄矢を見て目を見開く。
「これ、黒子の……っ!!」
美琴は電磁波で気配を感じ取る。
すぐに後ろを振り返ると、そこでは白井黒子が右手を振りかぶっていた。
白井はそのまま振りかぶった右手を真っ直ぐ美琴に向けて打ち出す。
「くっ!」
バシッと白井の拳を片手で弾く。
返し手ですぐに電撃を放つが、テレポートにより回避された。
白井のテレポート先は美琴の背後。
彼女は空中で素早く右足、左足と連続で蹴りを繰り出す。
美琴は両腕を使ってガードする。
ガガッ!! という音と共に鈍い衝撃が腕に伝わる。
美琴はすぐに後ろへ飛んで距離を取りながら、再び電撃を放った。
しかしそれもテレポートによって回避されてしまう。
「やっぱ面倒くさいわね……!!」
美琴は苦々しげにそう呟く。
一方、麦野は段差を駆け上がり、真っ直ぐ結標との距離を詰めていた。
だが、やはり結標はそれをのんびりと待ってはくれない。
麦野が最上段まで辿り着く前に、結標は中段へとテレポートしてしまっていた。
結標はバトンのように懐中電灯をクルクル回す。
そして口元に笑みを浮かべ、軽く振るった。
麦野はドッ!! と足元で原子崩しを発動させ、それで得た推進力で猛スピードで距離を詰める。
テレポーターの弱点は、座標にしか攻撃できないという点である。
奇襲には抜群の性能を誇るのだが、動きの速い敵を直接相手にすると分が悪い事も多い。
現に、結標も発条包帯(ハードテーピング)で身体能力を上げた駒場利徳にはかなり苦戦した。
これ程の速さで移動すれば、テレポーターは捉え切れないはずだ、麦野はそう考えた。
「……?」
ここで麦野は眉をひそめる。
何も攻撃が来ない。
確かに結標は懐中電灯を振ったはずだ。
それならばフェイントだろうか。いや、それに何の意味があるのか。
そんなことを考えてると、
「麦野、上!!」
美琴の声に目だけを動かして上を見てみる。
そこにはいくつもの椅子が現れており、このままでは麦野に降り注ぐ事になるだろう。
しかし、それがどうしたと言うのだ。
麦野はさらに足元の原子崩しの威力を強めると、移動速度を上げる。
上から椅子が降ってくるというのなら、すぐにその場を離れればいいだけだ。
すると次の瞬間、今度は麦野の進行方向に椅子が現れた。
数からして、さっきまで上空に転移させられていた椅子だ。結標が再び転移させたのだろう。
「うざったいわね!」
このままでは自分から椅子に激突するという間抜けな事になってしまうので、麦野は蹴りで椅子を粉砕する。
そこで麦野は目を見開く。
壊された椅子のすぐ後ろに、白井が潜んでいた。
結標はずっと注意していて見ていたが、白井の方はマークしていなかった。
それ故に反応が遅れる。
白井が足払いで麦野を床に倒す。
そしてすぐに鉄矢をテレポートさせ、ドドドッ!! とスーツごと麦野を床に縫い止めた。
「く……そが……!!!」
白井はただ冷たい目で麦野を見下ろす。
再び、足に巻きつけられた鉄矢を収納しているホルダーへと手が伸びた。
今度は直接人体へと鉄矢を叩きこむ気だろうか。
普段の白井は拘束した相手にさらに攻撃を加えるなどという事はしないが、今は食蜂が洗脳している状態なのでないとは言えない。
麦野は顔をしかめる。
何も手がないというわけではない。
しかし、頭の中に浮かぶいずれの思惑も白井にかなりのダメージを与えてしまう。
その時、青白い電撃が真っ直ぐ白井へと放たれた。
美琴の攻撃だ。
白井は既にテレポートで退避して、結標の隣へと移動する。
攻撃はかわされてしまったが、とりあえずは麦野への追撃は食い止められた。
「大丈夫?」
美琴は麦野の近くまで行き、彼女を縫い止めていた鉄矢を磁力で全て抜く。
「まったく、あいつはお前の相手だろ。ちゃんと押さえときなさいよ」
「相手はテレポーターよ。無茶言わないでよ」
「ちっ…………にしても、随分と連携が取れてるな。仲いいのかあいつら」
「んなわけない。前に会った時は本気で戦ってたし。これも食蜂の力よ」
そこまで話した時、バタンと部屋の扉が開いた。
外からぞろぞろと常盤台生が入ってくる。
まずい、と二人は顔をしかめる。
テレポーター二人相手にするだけでもこの状態なのに、これ以上の増援は正直キツイ。
しかし、大勢の常盤台生は何かをするというわけではなく、ただ最上段からじーっとこちらを見ているだけだ。
「これってあの人達は手は出さないけど逃がさないわよって事かしら」
「さあね。だが警戒しておいて損はない」
「損はあるわよ。周りを気にして戦えるほどテレポーター二人は甘くない」
「……仕方ないわね。おい第三位、少し聞け」
「え?」
麦野は小さく口を開いて何かを話す。
それに対して美琴は少し驚いたように目を大きくしたが、すぐに真剣な表情になって頷く。
直後、麦野が再び原子崩しでのターボを使って高速で動き始めた。
だが、その軌道は結標達へ向かうものではない。
ただ斜め前へ、直線上に居る結標達と美琴に対して正三角形を作るような位置へ向かって走っていく。
結標も白井も動かない。
何かの罠である可能性も考えているのか、下手に動かない方がいいと考えたのだろう。
ここで考えているのは本人ではなく食蜂のほうだが。
次に動きがあったのは美琴だ。
右手に青白い放電を集め、見るからに攻撃態勢をとっている。
これにはさすがに結標達もいつでも動けるように構える。
しかし、美琴の電撃が結標達へ飛んでいくことはなかった。
電撃の行方はなんと、現時点では味方であるはずの麦野だった。
結標達の表情に困惑の色が浮かぶ。これは食蜂の表情だと見ていいはずだ。
確かに二人の仲はそこまで良くもないというのは見ていれば分かる。
それでも、こんな急に仲間割れを起こすものなのだろうか。
すると次の瞬間、結標達の表情が驚愕へと変わる。
麦野へ真っ直ぐ飛んでいっていたはずの電撃。
それが弧を描くように急に向きを変えて、結標達の方へ飛んできたからだ。
美琴も麦野も能力の根っこの方では似通った部分がある。
どちらも電子に干渉する事が可能なので、以前戦った時もお互いの能力に干渉する事ができた。
具体的に言えば、美琴は麦野の光線を意図的に曲げることができるし、麦野も美琴の電撃に対して同じことができる。
トリックプレーだ。
電撃は自分達を狙っていないものと思わせ、その油断をつく。
作戦は完璧だった。
結標も白井もただ目を見開いて動くことができない。
テレポーターは高度な演算が必要なため、精神に動揺をきたすと能力にも影響が出てくる。
美琴も麦野も口元に小さな笑みを浮かべる。
これは確実に入った、そう思った。
そしてこの一撃は相手を殺すまではいかなくても、気絶させるには十分の威力だった。
しかし、次に驚愕するのは美琴達だった。
電撃が、もう一度曲がった。
電撃を逸らした麦野も、撃った本人である美琴も目を見開いて唖然とする。
誰かが再び電撃に干渉した。それくらいは分かる。
だが、一体誰がそんな事をしたのか。
あの電撃は第三位である美琴が生み出したものだ。
同じレベル5の麦野ならまだしも、例え能力系統が一致していても簡単に手出しできるものではない。
その答えは、すぐに目の前に現れた。
麦野は苦々しく歯噛みする。
「そうか……あんたなら今みたいな真似もできるでしょうね」
結標と白井の他に一人、ピンクのジャージを着たぼんやりとした少女が立っていた。
『アイテム』の一員にして、能力追跡(AIMストーカー)の能力者、滝壺理后だ。
おそらく結標の能力によって転移させられたのだろう、テレポーターのように一瞬にして彼女はそこに現れた。
美琴は警戒して目を細める。
彼女とは以前に研究所で戦ったことがあるが、その時とてつもなく嫌な感じがしたのを覚えている。
「ねぇ、私あの人の能力はよく知らないんだけど。位置情報を探れるっていうのは何となく分かるけどさ」
「あいつの能力はそれだけじゃない」
麦野はそう言うと、原子崩しを三人に向かって放つ。
光線は真っ直ぐ三人に向かって突き進み…………途中で角度を変えた。
そのまま光線は三人には当たらず、ドガァ!!! と轟音をあげて近くの壁を撃ち抜く。
「……だから何なのよこれ。あの子も電撃使い(エレクトロマスター)なわけ?」
「AIM拡散力場に干渉する能力だ。こっちの能力の制御もある程度奪われる」
「…………」
美琴は深刻な表情で考え込む。
電撃使い(エレクトロマスター)であった方がずっと良かった。
能力者にとって、能力というのは生命線にも近い。
つまり、能力の制御を奪われるというのは能力者にとっては致命的である事他ならない。
周りには大勢の常盤台生。
目の前には一癖も二癖もあるレベル4が三人。
率直に言って、あまり良い状況ではない。
だからといって諦めるわけにはいかない。
美琴と麦野はほぼ同時に、次の動きのために体勢を低くする。
いくら状況が悪いと言っても、自分達はレベル5だ。
こういう状況になってしまったのは仕方ない、ただ力押しで打破するだけだ。
***
上条と浜面は第七学区のラーメン屋で遅めの昼食をとっていた。
上条はこんな時にのんびりと食べている場合ではないと思ったが、浜面の「いざという時に腹が減ってたら戦えない」という言葉に折れる形になった。
中はお世辞にも綺麗とは言えなかったが、ラーメンの味は確かだった。
「どうだ、うまいだろ?」
「おぉ……浜面は良く来るのか?」
「最近はあんまり。スキルアウト時代によく来てたんだ」
「ちゃんと金払ってたんだろうな」
「さすがにここでまで悪事は働いちゃいねえって。ここに来れなくなるのは嫌だしな」
すると、そんな会話を聞いていた店主が笑顔で話しかけてくる。
「ははっ、まぁうちとしちゃここで食い逃げされなきゃ外で何してたって文句はねえさ。
ていうか浜面、お前スキルアウトから足洗ったんか? そういや最近は三人で来ることもねえし」
「……まぁな。俺もいつまでもガキでいられないんだよ」
「くくっ、10代の青くせえガキが何言ってんだ」
店主はおかしそうに笑い声をあげると、厨房の奥へと引っ込んでしまった。
浜面はそれと同時に少し影のある表情で溜息をつく。
「あんたには言ったことがあるんだっけか。うちのスキルアウトのリーダーが死んじまったって」
「……そうだったな」
浜面と初めて会った時。
あの御坂美鈴が危うく殺されそうになった事件で、浜面は自分のスキルアウトのリーダーが死んだと言っていた。
弱者を守るというらしくないことをしたばかりに、と。
「ここには俺とそのリーダーと半蔵ってやつの三人でよく来てたんだ。でもまださっきのおっちゃんには、リーダーが死んだっていうのは話せてなくてな」
「そっか……」
「なんつーかさ、俺が言うのもなんだけど人が死ぬっていうのはどんな奴でも決して小さな事じゃねえんだ。
思い出は心に残るなんていう綺麗な言葉があるけどよ、やっぱり当たり前に近くに居た人間にもう二度と会うことができないっていうのは……なんかな」
「…………」
「だから、なおさら強く思う。もう誰も失いたくないって。どんなに酷いことになっても、生きてさえいればきっと良い事あるってな」
浜面はそう言うとスープを口に流し込む。
上条も今まで様々な戦いに巻き込まれてきた。
だが、実際に人の死を見たのはおそらく浜面の方が多いはずだ。
それだけに、彼の言葉はかなりの説得力があった。
すると浜面は少し慌てたように、
「おっと、こんな辛気くせえ話ばっかするもんじゃねえな。飯がまずくなっちまう」
「はは、あんま気にしなくていいよ」
「そういうわけにはいかねえよ。社会に出たら空気を読むのが大事とかこの前読んだ雑誌に書いてあったしな」
「社会って、お前もうそういう事考えてんのか」
「そりゃ学生じゃねえからなぁ。いつまでもヤンチャしてたら滝壺も…………おぉ、そうだ!」
ここで浜面は閃いたとばかりに手を打つ。
「よし、ここは恋バナでもして盛り上がろうぜ! 若者らしくな!」
「恋バナって……女子高生か」
「まぁまぁ、いいじゃねえか! 上条だって興味ないわけじゃねえだろ?」
「そりゃまぁ、そうだけどよ…………じゃあ、浜面と滝壺はぶっちゃけどこまでいってんの?」
「おぉ、いきなり突っ込んだこと聞いてくんなおい! ふふふ、聞いて驚け…………もうAは済ませてる」
「…………それだけ?」
「……え?」
「いやだってお前見るからに肉食系なのに…………意外とチキンなんだな」
「なっ、う、うっせーな!! つーかまだ付き合ってから4ヶ月も経ってないから全然…………あれ、遅い?」
「俺に聞くなよ。つーかキスはいつしたんだよ」
「なんつーかキスと同時に付き合ったみたいなノリだったんだよな…………お、おいオヤジ!!」
浜面は少し慌てた様子で厨房に居るであろう店主を呼ぶ。
店主は忙しいのか出て来なかったが、大声で返事だけが返ってくる。
「おー、なんだー?」
「4ヶ月付き合っててBまでいってねえって遅いのか!?」
「へぇ、今時珍しく意外と硬派じゃねえか浜面! けどそりゃちっと意気地がねえな!!」
「……ま、マジかよ…………」
割と本気で落ち込む浜面。
それを見ていると、なんだかこちらまで居たたまれなってくる。
「ま、まぁそう気にすんなって。そういうのは人それぞれだろうしさ」
「けどこれ麦野とか絹旗に知られたらぜってーバカにされる…………てか上条はどうなん?」
「なにが?」
「あのシスターさんとだよ。どこまでいってんだ?」
「あのな、だからインデックスとはABCもなにもそういうんじゃねえって……」
そこで上条の頭に大覇星祭の某場面が浮かぶ。
インデックスが噛み付きを失敗して、その唇が――――。
(……いやいやいや!! あれは事故だしほっぺだからノーカンだ!!)
上条はブンブンと頭を振る。
「と、とにかく、あいつとはそういう関係じゃねえっての」
「やっぱそう言い張るか…………じゃあさ、同棲してて何か起きたりしねえの?」
「同居な同居。それに何もねえよ」
「一緒に寝たりは?」
「……ない」
「うっかり裸見ちゃったりとかは?」
「……な、ない」
「ん、どうした。んん?」
浜面がニヤニヤと肘で突いてくる。
ぶっちゃけると、記憶を失ったばかりの時は自分の状況がよくわからず流れで一緒に寝た時もあった気がする。
そしてインデックスの裸を見た記憶というのもいくつか思い当たる。
しかし、それをバカ正直に言うわけにはいかない。
「つーかさ、あんたは知らないけどあの子はあんたの事好きだと思うぞ」
「それはプールで聞いたっつの」
「何か思い当たるフシとかないか? 例えば他の女の子と話してると急に機嫌悪くなるとかさ」
「…………」
「おっ、やっぱあるだろ? そりゃズバリ妬いてんだよ」
「そんなの分かんねえだろ」
確かにそういう事は何回かあった気がする。
しかし、それは美琴にも当てはまることだし、いくらなんでも二人の女の子から同時に好意を寄せられていると考えられる程上条は自惚れていない。
つまり、いつも彼女達が不機嫌になるのは自分に何かしらの原因があるという結論に達する。
「ったく、相変わらずあんたは鈍感だなー。もしかしてあのシスターの子じゃなくて第三位の子狙いなん?」
「なんで今度は御坂が出てくるんだよ……」
「いやあの子も分かりやすくあんたに惚れてると思うんだけど」
「どう見たらそう思えるんだよ。まぁ確かに前までに比べたら色々と助けてくれるし頼りにしてるけどさ。
それでも俺に対して基本不機嫌で文句ばっか言ってくるぞ?」
「あの子も素直じゃないからなー。なんか二人で出かけたりとかしねえの?」
「何回かあるけど……そんな浮ついたようなもんじゃねえよ」
そこで上条は今まで美琴にどんな事を付き合わされたか話し始める。
自分に付きまとってくる男をかわすために、夏休み最終日に恋人のフリをしてくれとか言われて散々な目にあった事。
罰ゲームという事でケータイのペア契約をさせられた事。
最近ちょっとした事ですぐに電気が漏れて危険な事。
もう話しているだけでもげっそりとしてくる。
だが、浜面の反応は予想外のものだった。
「……いや、いやいやいやいや。それどう考えても惚れてるとしか思えないんだが」
「え、なんで?」
「なんでって……えーと、どっから説明すりゃいいんだこれ……?」
そう言って浜面は何やら頭を悩ませた様子で話し始める。
男女二人で出かけるというのはデートという事。
罰ゲームとかそういうのは十中八九ただの理由付けであり、本当は上条と一緒に居たいだけだという事。
漏電も、おそらく好きな相手と一緒にいて感情をコントロールしきれていないのだろうという事。
浜面はまるで小学生に言い聞かせるかのようだ。
「――てなわけであの子はあんたに惚れてるってわけだ」
「んな事言われてもな。ていうか御坂が誰かに恋してるとか想像できねえよ」
「それ結構失礼だぞ…………じゃあさ、大将」
浜面はグイッとコップの水を飲み干す。
そして一息ついて、
「もしシスターさんと第三位の子に同時に告白されたとして、あんたはどっちを選ぶんだ?」
浜面の言葉に、上条は黙り込む。
そんな事、想像もしていなかっただけに一から考える必要がある。
しかし、少し考えた所で割と簡単に答えは出た。
「……そりゃどっちも選べねえよ」
「二股?」
「ちげーっての。正直俺はなんつーか……そういう好意ってのがまだ良く分かんねえ。
そりゃ俺だって年上のお姉さんとか見たらイイとか思うけどさ、それとは何か違う気がするんだ」
「だからどっちも選べねえって?」
「あぁ。男らしくねえってのは良く分かってる。けど、それでも中途半端な気持ちでだけは答えたくねえだろ、そういうのってさ」
「…………まぁ分からなくもねえなそれは」
「えっ?」
意外だった。
こんなのは自分だけだと何となく思っていたし、おそらく記憶喪失に関係しているのだろうとさえ考えていた。
浜面はコップの中の氷をカラカラと回しながら静かな声で話す。
「俺だって、誰かの事がこんなにも好きになるなんて考えたこともなかった。
実際に滝壺を守って戦っている時も、ただアイツが大切で絶対に失いたくないって考えだけで頭がいっぱいだった」
「分かるなそれ」
「でもよ、俺が例え自分が犠牲になっても滝壺だけはって考えてた時、まぁたぶん顔に出ちまってたんだろうな、いきなりキスされたんだ。それで全部分かったんだ。
俺は滝壺のことが好きなんだ。だから、誰よりも大切で守りたいんだ……ってな。なんか、女の方から動いて初めて気付かされるなんてだっせえ感じだけどさ」
「…………」
「だからさ、たぶんきっかけなんじゃねえのかな。いつかきっかけさえあれば、上条だって気付く。俺はそう思うぜ」
「きっかけ、か」
上条はぼんやりと店の天井を見上げる。
正直、自分にそういう感情が芽生える事なんていうのは想像もできない。
生まれる前に自分がどこに居たのか、死んだ後に自分はどこへ行くのか。それが全く分からないのと同じだ。
だが、これも誰もが通って行く道なんだろうか。
両親である上条刀夜と上条詩菜も、浜面仕上と滝壺理后も答えを手に入れた。
誰にでもそのチャンスは平等に与えられているのか。
そんな事を考えていた上条だったが、急にポケットのケータイが振動し始めたのですぐに意識を戻す。
今持っているケータイは麦野から渡されているものなので、連絡があるとするなら麦野か美琴しかいない。
上条はケータイを開いて連絡を確認する。電話ではなくメールなので、そこまで緊急のものではないだろう…………と思っていた。
次の瞬間、上条は弾かれたように席を立ち上がり、店を飛び出した。
「お、おいっ!? あーもう、オヤジ!!! ここに金置いとくからな!!!」
浜面はそう言って千円札を二枚カウンターに置いてすぐに上条の後を追う。
そして店から飛び出すと、一目散に走りさっていく上条の元へ走っていく。
これでは、まるで食い逃げ犯を追いかける店員みたいだ。
浜面は上条の隣に並ぶと、
「どうしたんだよ!! つか、後でラーメン代返せよ!?」
「……メールが着た」
「メール? うおっ」
上条は返事の代わりにケータイを投げてよこす。
浜面はそれを受け取り、開いて確認してみる。
『どうも上条さん、食蜂操祈です。差し出がましいようですが、少しお耳に入れていただきたい事がありましたのでご連絡させていただきましたぁ。
ぶっちゃけて言っちゃうと、御坂さん達が大ピンチですぅ。ナイト様のお越しを心よりお待ちしております☆』
そして一つの添付ファイル。
それは大勢の常盤台生に囲まれながら必死に戦っている様子の美琴と麦野が写った写真だった。
相手の内一人には滝壺理后もいる。
浜面は奥歯をギリッと鳴らすが、努めて冷静な声で、
「……事情は分かった。けど、何か考えがあるのか?」
「そんなもんはねえ。ただ学舎の園に突っ込むだけだ」
「ダメだ。あそこのセキュリティは無能力者二人で何とかなるレベルじゃねえ」
「じゃあどうしろってんだよ!! こうしてる間にも御坂達は!!!」
「分かってんだよ!!! だからってヤケクソになってもどうにもならねえだろうが!!!」
上条も、考えもなしに飛び込んでもどうにもならない事くらい分かっている。
しかし理屈では分かっていても、その通りに体は動かない。
一刻も早く駆けつけたい。ただその気持ちだけが先行してしまう。
上条は走りながら、ほのかにオレンジ色に染まり始めた空を見上げる。
そこには学園都市の名物でもある飛行船が飛んでいて、その機体に取り付けられたモニターには今日の目玉ニュースが映っている。
内容はインデックスと美琴が見ていた時のものと同じで、長点上機学園が開発したヘリの試運転についてだ。
美琴達のような能力を持っていれば、上下にも動けて強行突破もできたかもしれない。
だが、そんな事を考えても意味は無い。
上条はすぐに視線を前に戻して必死に頭を回して考え始めるが…………。
「…………まてよ」
上条は再び空を見上げる。
視界に捉えるのは先程の飛行船だ。
「なぁ浜面。学舎の園に入り込むのと長点上機学園に入り込むのだとどっちが難しい?」
「は?」
「いいから、どっちだ?」
「そりゃ学舎の園に比べたらどこもずっと簡単に決まってる。あそこはセキュリティ云々の前に男子禁制だから見た目でバレるしな」
「よし、それなら長点上機学園だ」
「えっ、あ、おい!! なんだよ今度はどうしたんだよ!!」
「走りながら説明する!」
上条は走るスピードを早める。
明確な目的があると、走る体も軽くなる気がするのは不思議なものだ。
上条と浜面は周りの学生達が何事かと向ける好奇心の目を無視して、ただ走り続ける。
***
第十八学区。
有名校が集まり、唯一独自の奨学金制度が設けられている区域だ。
夕日に染まった街並みは、まるで定規で綺麗に整えられたように道幅や建物の間隔が均等化されいている。
生活感はあまりない。第七学区と比べるとやけに静かだ。
といっても、上条達はこの学区の風景を見学しに来たわけではない。
二人は建物の影から、少し離れたところにある学校を眺めている。
「あれが長点上機学園か……どうやって忍び込むか」
「おい待て大将さんよ。あの学校のセキュリティもほとんど軍事施設並だぞ」
「なっ、でもお前学舎の園よりかは楽だって言ったじゃねえか!」
「忍び込んじまえばこっちのもんってだけだ。学舎の園の場合は上手く入り込めても見つかっちまったら見た目でアウトだしな。
つーか、そもそもあんたの言う作戦ってのもぶっ飛びすぎだ。なんだよヘリを奪うって。グラセフかっての」
上条の考えた作戦。
それはこの長点上機学園で今日試運転が行われているヘリコプターに何とか乗り込み、空から常盤台中学まで行くというものだった。
浜面は呆れた顔をしている。
しかし浜面自身も以前に滝壺を救うためにヘリをジャックした事もあるので、そこまで強く否定することはできない。
浜面はボリボリと頭をかきながら、
「とりあえずここの制服の調達か。まぁ、それはそこまで難しくもねえ。問題は入校するのに必要なIDの方だな」
「お前そういうの得意なんじゃねえの? 絹旗に偽の身分証明証とか作ってやったりしてるらしいじゃん」
「レベルが違う。出来ねえ事はねえが、どうやっても時間かかっちまう」
「何のお話ですかー?」
ビクッ!! と上条と浜面の肩が震える。
恐る恐るといった感じで振り返ると、そこには長点上機学園の制服に身を包んだ女子高生が居た。
よく整った顔立ちで、美琴よりも色の薄い茶髪を長く伸ばしている。
当然ながら知り合いではない。
http://vip.jpn.org/uploader/source/up5539.jpg
(まずい……聞かれたか?)
最悪、これを口外されたら警備がより厳重になってしまう。
そうやって顔をしかめる二人に対して、目の前の少女の表情は涼しいものだ。
「あはは、そんな深刻そうな顔してどうしたんですか」
「……どこまで聞いてた?」
「全部です全部。お二人はこの学園に忍び込む気なんでしょう?
ダメですよ、そういう話をこんな所でやっちゃうってのは」
浜面は小さく舌打ちをする。
「ちっ、盗み聞きかよ趣味わりーな。大体、ここだって人気はねえ。聞こうとしなきゃ聞けねえだろ」
「この建物の影に入っていくあなた達の姿が目に入ったのは本当に偶然ですよ。
でもそこでビビッと来てしまいましてね。あ、恋に落ちたとかそういうピンク色な話ではないですよ。もっといやーな黒っぽい話です」
「黒っぽい?」
「そこの茶髪のあなたは表の人間ではないでしょう? 私、そういうのはよく分かるんです」
「……表か裏か分かるって事はあんた」
「あー、私は“元”ですよ。今じゃごく普通の女子高生やってます。
だからこそ、困るんですよねぇ。そういう面倒くさい事を持ち込んでもらっちゃー」
少女はニヤリと笑みを浮かべる。
それを見て、上条も気付く。
この不安をかきたてる表情は普通の学生ができるものではない。
――学園都市の暗部の人間のものだ。
上条はゴクリと喉を鳴らして、
「……警備員にでも知らせる気か?」
「うーん、どうしましょうかね。ぶっちゃけ暗部の問題には警備員もあんまし役に立てませんし…………こうしましょうか」
いつの間にか、少女の手には黒い剣のようなものが握られていた。
そしてそれを真っ直ぐ浜面の喉元に突きつけた。
浜面は顔をしかめて、
「やっぱ能力者かよ。さすがトップ校」
「大人しくしてくれれば助かります。私も今更殺しなんてしたくないですから」
「そりゃ俺も同意見だ。けど人間、引けねえ時もあるんだ」
「……その気持ちは分かりますよ。でも具体的にこの場をどうにかする解決策にはなりませんよね」
「解決策はある」
口を挟んだのは上条だった。
上条は真っ直ぐ自分の右手を伸ばして、少女の持つ黒い剣を掴む。
その瞬間、剣はボロボロと砂糖菓子のように崩れ落ちた。
少女の顔が驚愕で染まる。
「ッ!!」
「ナイス大将!」
浜面はすぐに拳を握りしめ、少女の腹へと打ち出す。
上条には中々真似できない、気絶させるための一撃だ。
ガキィィン!! という音が辺りに響く。
拳が人体にめり込む音としては明らかにおかしい。
そして殴った本人の浜面が痛がっているのもおかしい。
その隙に、少女は素早く後ろへ跳んで距離を取る。
「つぅ……」
「浜面、大丈夫か?」
「あぁ……なんだ、まるでコンクリ殴ったみてえに……」
浜面の拳は赤く腫れがあっている。
相手がどんなに腹筋を鍛えた所で、腹を殴ってこうなるなんてありえない。
その答えは少女の姿を見れば分かった。
腹の中心、丁度浜面が殴った辺りが黒い何かでコーティングされていた。
おそらく先程の黒い剣と同じ材質だろうか。
少女は少女で、警戒した目で上条を見ている。
「驚きましたね……そこのツンツン頭のあなた。
どんな能力を使ったかは知らないですけど、ここまで簡単に私の特殊装甲を壊されたのは初めてですよ。超電磁砲も耐えられるんですけどねぇ、これ」
「超電磁砲……お前御坂と何か関係があんのか……?」
「おや、お知り合いでしたか? もしかして今回の企みも御坂さんが関係しているとか?」
「それは……」
「それならなおさら見逃すわけにはいきませんね。あの人には恩があるんで、ここらで返さないと」
「恩? ちょ、ちょっと待て!」
上条は慌てて言う。
恩……という事はこの少女は美琴の味方の立場であるはずだ。
それなら、こうして争う理由なんてないんじゃないか。
少女は怪訝な表情になって、
「なんですか?」
「俺達は御坂を助けるためにあの学校に入り込む必要があるんだ」
「証拠は?」
「これだ」
上条はケータイを投げてよこす。
画面には先程食蜂から送られてきたメールを表示させている。
少女は黙って画面を見つめる。
その表情からは何も読み取ることができないが、とにかく今は祈るしかない。
しかし――――。
「……これだけではダメですね。こんなもの、いくらでも捏造できます」
「くっ……」
「上条、諦めろ。基本的に暗部に話は通じねえ」
「心外ですね、あくまで“元”だって言っているでしょう。それに、あなた達を完全に信じていないわけではないですよ」
「え?」
上条はキョトンとして聞き返す。
少女は特になんでもないように、
「精神系統の能力者を呼びます。それですぐにハッキリするでしょう」
***
上条と浜面は長点上機学園の制服に身を包んでいた。
あの後少女が呼んだ能力者のお陰で、上条達の話が本当だと信じてもらえた。
これと同じ方法を使えば警備員などにも納得してもらえるかもと一瞬考えたが、あまり大きな動きをすると食蜂に気付かれる可能性がある。
だから、できるだけ騒ぎは大きくしない方向で事を進めることにする。
「にしても、浜面お前ブレザー似合わねえなぁ」
「う、うっせえな! あんただって似たようなもんだろ」
「はいはい、二人とも似合ってますから早く来てくださいよ」
先程の少女が急かす。名前は相園美央というらしい。
「つーか、よくこんな短時間で偽のIDなんて用意できたな」
「こういうのは内部の人間だと意外と簡単だったりするんですよ。それに、元々そういうスキルもそこそこ持ってるんで」
「さっすが暗部」
「だから“元”だって何度言えば分かるんですか」
そんな事を話しながら、上条達は堂々と校門から長点上機学園の中へ入る。
やはり有名校らしく、校舎も綺麗で校庭も広い。
そしてその校庭のど真ん中。
そこには学校ではやけに目立つヘリが堂々と置いてあり、周りをギャラリーが取り囲んでいる。
例のヘリの試運転だと見て間違いなさそうだ。
上条は茜色に染まる空を見上げて、
「なんでこんな時間に飛ばすんだ?」
「あれは夜間でも楽に操縦できるというキャッチコピーがあるらしいです。たぶんその宣伝でしょう」
「夜にヘリってのも迷惑な話だなぁ。麦野なんかはブチギレて撃墜しかねないぞ。アイツ目覚め最悪だし」
「第四位がどうとかは知りませんけど、とりあえずヘリには騒音対策もされているらしいですよ。
ていうか、これはどうでもいいでしょう。ヘリの見学に来たわけでもないですし」
上条達はギャラリーに混ざってヘリを眺める。
周りはざわざわとかなりうるさく、こちらの会話には誰も気に留めたりはしていないだろう。
「作戦は分かっていますよね」
「あぁ……浜面は大丈夫そうか?」
「こればっかりはやってみねえとな。まぁ何とかするさ」
浜面はヘリをじっと見つめてそう言う。
離陸まではまだ少しありそうだ。
すると相園が小さく溜息をついて、
「まさかあの御坂さんが追い詰められることがあるなんて思いもしませんでした。
それだけ以前会った時、彼女は絶対的な自信と強さを持っていました」
「何でも一人で解決できる奴なんて居ない。第一位の一方通行ですらな。
だからこうして助け合うんだ。やっぱり人間ってのは一人じゃ生きられないんだと思うぞ」
「……そうですね。今では分かります」
相園は小さく微笑む。
何かを思い出しているのだろうか。
まぁ、それについて深く聞くのは野暮というものだろう。
「それに、元々は俺が御坂達に助けてもらっていた形だったからな。
みんなには沢山迷惑かけちまって、ちょっと気まずいけどさ……」
「んな水臭い事言うなっての。誰も巻き込まれたなんて思ってねえよ」
「仲間、というやつですか」
「あぁ。たぶん麦野とかは認めねえだろうけど、みんなそう思ってる」
「ホント……サンキューな」
「礼は全部上手くいくまでとっとけ」
「あぁ、そうだな」
上条はグッと拳を握りしめて決意を固める。
相園はそんな二人の様子を見て、
「羨ましいですね、そういう関係は」
「何言ってんだ、あんたにも今回こうやって助けてもらったんだ。ピンチの時はいつでも駆けつけるぜ?」
「え……? いえ、でも私とは今日ここで会ったばかりで……」
「そんなの関係ねえよ。つーか、困ってる人なら誰だって放っておけないだろ」
「はは、そこまで言うのは大将くらいだと思うぜ」
相園は少しの間呆然として二人を見ていた。
その後、口元に優しい笑みを浮かべて、
「……ふふ、そうですね。それでは何かあったら遠慮無く呼ばせてもらいますよ」
「おう、任せとけ。レベル0だけどさ」
上条はそういう人間だ。
いつだって、自分のやりたいように動く。
例え相手が見ず知らずの人間でも、一度戦った相手だとしても、助けたいと思ったら助ける。
それらの積み重ねがあったからこそ、今のこの暖かい環境がある。
そこまで話した時、ヘリのプロペラが回転し始めた。いよいよ離陸しそうだ。
三人の表情が一気に引き締まる。
相園がチラリと上条と浜面に目で合図する。
それに対して二人が頷くと、
「それでは、幸運を祈りますよ」
ギャラリー達の間に、いくつもの黒い壁が出現した。
その壁によって人々はそれぞれ分断されてしまい、まるで巨大迷路に迷い込んでしまったかのようになっている。
ざわざわと、姿は見えないが全員がパニックを起こしている音だけは聞こえる。
上条と浜面はすぐに行動を起こす。
この黒い壁は相園の「石油製品の分解と再構築」という能力から作り出されたものだ。
石油製品なんてのは身の回りにいくらでもある。
そしてこの壁は戦車の滑空砲を受けてもビクともしない程の強度を持っている。
だが、それも上条の右手の前では無力だ。
これを利用して、上条は壁を壊して浜面とともに真っ直ぐヘリへと向かう。
周りはパニックを起こしていて、そんな二人の事は気に留めている余裕もない。
二人は迷路を抜けて、ヘリの近くまで辿り着いた。
さすがにこの状況で離陸準備を進めているわけもなく、プロペラの回転は徐々にゆっくりになってきている。
ここで、浜面の出番だ。
浜面はポケットからピッキング用の針金を取り出す。
そしてそれを迷わずヘリのドアの鍵穴へとねじ込んだ。
中に居るパイロットが目を見開いて驚いているが、気にしている場合ではない。
「………………」
「……浜面、まだか!?」
「………………」
「おい浜面!!」
「…………わ、悪い。やっぱ無理っぽい」
「はぁ!?」
浜面はバツの悪そうな表情で針金を抜く。
ここではこうやってドアを開けて中に入る予定だったのだが、これではダメそうだ。
そもそも、車と同じように考えていたのが間違いだったか。
上条は焦って周りを見渡す。
まだ相園の巨大迷路は健在で、ギャラリーからはこちらが見えていないはずだがそれも限界がある。
「ど、どうすんだよ!? いつまでもこの状態を続けるわけにはいかねえし……」
「んーと……よし、これしかねえ!!!」
浜面はもうなんかヤケクソ気味に、ベルトから銃を抜いた。
そしてそれをガラス越しに中に居るパイロットへ突きつけ、ドアをガンガンと叩く。
上条はさすがに止めようかとも思ったが、それよりも早くに顔を真っ青にしたパイロットがドアを開けた。
「よしっ、いいぞ!」
「いいのか、これ……?」
上条と浜面がヘリに乗り込む。
すぐにパイロットの学生が震えながら口を開く。
たぶん見かけからして三年生だろう。
「は、ハイジャック……?」
「あぁ、その通りだ。このまま離陸してくれ」
「だ、だがこんな状況で……」
「こんな状況だからこそ……だろ?」
ガチャリと分かりやすく音を立てる浜面。
パイロットは「ひぃ!!」と喉の奥から声を漏らし、プロペラの回転数を上げる。
普段はアイテムのメンバーにパシリにされている浜面だが、こういう時は暗部らしい一面を見せる。
といっても、上条としては別に尊敬するとかそういう気持ちはないのだが。
しばらくして、ヘリが地上から離れた。
『おいこら!! こんな状況で離陸するなど何を考えている!?』
突然無線からそんな怒号が聞こえてきた。
パイロットは恐る恐るといった様子でこちらを振り返る。
浜面は声を落として、
「(俺達の事は言うな)」
「っ……あ、あの、もう離陸準備がかなり進んでいたましたので、そこから止めるのは逆に危険かと……。
そ、それにこれ以上トラブルが起きる前にと思いまして……」
『そんな言い訳が通用すると思うか!! 今すぐ…………ん?』
無線の声が途切れた。
上条が窓から下を見てみると、どうやら相園が出していた黒い壁がなくなったようだった。
これも作戦通りだ。
もうヘリは地上からは中の様子が見えないくらいの高度に達している。
つまり、上条や浜面の事に気付いているのはパイロットだけだ。
相園の方は、ヘリを見た興奮で能力が暴走してしまった。そんな感じで言い訳する事になっている。
しばらく無線の向こうでは何かの話し合いが行われており、時々相園と思われる声も聞こえた気がする。
『…………仕方ない、ヘリはこのまま進め』
「え、いいんですか?」
『あぁ、どうやらギャラリーに居た学生の能力の暴走だったらしい。それだけで予定を大きく変更するわけにもいかない』
無線が切れると同時に、上条と浜面はハイタッチをする。
これで、後は常盤台まで行くだけだ。
上条は椅子に深く座って、窓から見える茜色に染まった空を眺めて一息つく。
こんな時じゃなければこの空の景色にも綺麗だなーと素直に感動できたのだろう。
しかし、状況が状況なので手放しで気を抜くことはできない。
「……とりあえず一段落か」
「そうだな。まだハイジャックはバレてねえから軍用ヘリに追い回されるなんて事もないだろうし」
「そういや学園都市にはそんなもんがあるんだっけか」
「あぁ、HsAFH-11……通称六枚羽だな。俺は実際に追い回されたんだアレに。絹旗が居なかったら今頃死んでる」
「お前も大概ありえねえ人生送ってるんだな」
「あんたにだけは言われたくねえよ」
浜面はそう言って笑う。
笑いが出てくるというのはそれ程落ち着いてきた証拠だ。
だが、そうなってくると急に様々な心配が頭に浮かび上がってくる。
上条は気まずそうな顔をして、
「そういや、こんな事して俺学校とか大丈夫なのか……?」
「あ、そうか。あんたは学校があるんだよな。まぁ、ぶっちゃけ停学で済むレベルではないわな」
「ですよねー」
「どうすんの? その気ならスキルアウトも紹介するし、アイテムに転がり込んだっていいと思うけど」
「……食蜂をとっちめたら力を使わせて隠蔽させる」
「おぉ、そりゃ名案だ。けどレベル5に言うこと聞かせられるか?」
「俺の右手があればレベル5でもただの女の子にできるはずだ」
「なんかそのセリフエロいな」
「エロくねえよ。インデックスが聞いたら頭噛み砕かれるからやめろよ」
「はは、ちげえねえ」
浜面は再び笑うと、今度はパイロットの方に向かって口を開く。
「そうだ、あんたもそこまで緊張しなくていいぜ。パニクって操縦ミスとかされるとたまんねえからな」
「じゅ、銃を向けられて平常心で居られるわけがないだろう……!!」
「ん、あー、それもそっか」
浜面はそう言うと、銃をベルトに挟み込む。
「それで、このコースは常盤台中学の近くを通るんだよな?」
「そうだが……まさかそこで降ろせというのか……?」
「できねえか?」
「敷地内というのは無理だ。スペースはあっても無許可では迎撃される可能性が高い」
「おっかねえなオイ」
「俺の右手でも守り切るには限度があるからな……それならどこか近くで降ろしてもらうしかないか……」
「けどヘリなんて目立ちまくりだし、学校の敷地内に入る前に確実に襲われるぞ」
「じゃあどうする…………ん?」
ここで上条はとあるものを見つける。
そしてそのままじーっとその方向を見たまま固まってしまった。
浜面は怪訝そうな表情で上条の視線を目で辿る。
その後、何を見たのか一瞬で顔を真っ青にする。
上条の視線の先にあったものは――――。
「お、おい待てよ……まさか…………」
***
高層ビルの最上階にある高級レストランのような部屋に食蜂と垣根は変わらずに居た。
実はこの部屋は常盤台中学の上層にあるとある一室だ。
外を見渡せるように作られたガラス張りの一面からは、息を飲むほど綺麗な夕暮れを見ることができる。
学校にこんな部屋が存在するのは通常ありえないが、ここがお嬢様学校だと考えれば少しは納得できるかもしれない。
食蜂はそんな光景を眺めながら口を開く。
「ロマンチックねぇ」
「……そうか?」
「えー、こういう良さ分からなぁい?」
「まったく分かんねえな」
垣根はテーブルからジョッキを取ると、グイッと中身を飲み干す。
「もう、昼間からどれだけ飲んでるのよぉ」
「さぁな。つっても酔いなんてもんは覚まそうと思えば能力で一瞬で覚ませられるし、特に問題はねえよ」
「演算に支障をきたすんじゃないのぉ?」
「そこまでいく前にリセットするって話だ」
「何でもありねぇ、あなたの能力って」
食蜂は呆れたように言う。
そして視線を少し横にずらして、
「ふふ、あなたもお食事どうかしらぁ?」
「……いらないんだよ」
食蜂と垣根から少し離れたテーブルにインデックスは座っていた。
特に縛られている様子もなく、自由に動き回れるようにはなっている。
しかし、レベル5という存在が冷たい鎖のように彼女の動きを制限させる。
「あらぁ、なかなかの大食い力だって聞いたけどぉ?」
「うん。正直言うと今は物凄くお腹が減っていて、その気になればあなた達のテーブルの上のものは全部食べられる勢いなんだよ」
「そりゃ凄まじいな」
「でも、それだととうまが作ってくれる晩御飯が食べられなくなるから我慢するんだよ」
「へぇ……。でもでもぉ、上条さんがちゃんと助けてくれるっていう保証はないんじゃなぁい?」
「あるよ」
インデックスは真っ直ぐな瞳で食蜂を見つめて即答する。
一瞬、ほんの一瞬だけ食蜂の表情が歪んだような気がした。
「とうまは絶対に来てくれる。いつだってとうまは私のことを助けてくれた」
「……ふぅん。でも私ってそういう感情論好きじゃないわぁ」
「そうか? 俺は割と好きだぜそういうのも」
垣根はニヤリと笑って、テーブルの上のチキンを頬張る。
それを見て、インデックスはゴクリと喉を鳴らす。
「食いたいのか?」
「そ、そんな事ないかも!」
インデックスはプイッとそっぽを向いてしまう。
それでも横目でチラチラとチキンを見ているので、垣根は試しにチキンを少し横へ動かしてみる。
案の定インデックスの目がそれを追う。
反対側に動かしてみる。
やはりそれも目で追ってくる。
「おもしれえなお前」
「む、むぅぅぅううううううう!!!」
「ふふ、無理しなくていいのよぉ? 食べたいなら食べましょうよぉ」
「だからいらないって言ってるかも! そんなに私に食べさせたいのなら、その能力で洗脳したらいいんだよ」
「んー」
「だいたい、なんで私をそのままの状態にしておいてるのかな。洗脳しちゃえば、とうまも簡単に罠にはめることができると思うんだよ」
「……ふふ、その手には乗らないわよぉ」
食蜂はニヤリと笑う。
その表情に、インデックスは顔を曇らせる。
「どういう意味なのかな」
「能力者は魔術を使えない。もし使えば自身の体にダメージが返ってくる」
「……知ってたんだね」
「私の情報力をなめすぎねぇ。その気になれば何だって知ることができるわぁ。
あなたは意図的に自分の頭の中に私が干渉するように仕向けている、そうでしょう?
そしてあなたの頭の中に眠る魔道書に触れさせて、私を自滅させようとしているといった所かしらぁ」
「…………」
「ふふ、私を罠にはめるなんて無理よぉ」
食蜂はいたずらっぽくウインクをする。
すると垣根がそんな二人を眺めて口を開いた。
「つーかよ、そもそもお前は上条ってやつを目の前で絶望させるとか言ってなかったか? 具体的にどんな方法をとるんだ?」
「フフーフ、内緒☆ ていうか、シスターさんに聞かれちゃうと面白力半減だしぃ」
「そうかよ。まぁどうせろくでもねえことだろうが」
「ろくでもないとは失礼ねぇ。でも、そうねぇ……とりあえず上条さんには御坂さん達の状況は教えてあげたわよぉ。私って親切でしょぉ?」
「いつの間に……油断も隙もねえなお前」
「た、短髪がどうしたの!?」
「あれ、言ってなかったっけ? あなたを助けにここまで来てるのよぉ、御坂さんと麦野さん。
まぁ私の罠にまんまと引っかかってくれて、今は絶賛苦戦中だけどぉ」
インデックスの顔が青ざめる。
自分のために今傷ついている者がいる。
それを考えるだけで胸が引き裂かれるような思いだった。
食蜂はそんなインデックスを見て、ニヤリと口元を歪める。
「あらぁ、あんまり心に負担をかけないほうがいいんじゃなぁい? あなた、ストレスを抱え込むとイギリス清教の人が回収に来るんでしょぉ?」
「っ、なんでそんな事まで」
「だから私の情報力を甘く見ないでって言ってるじゃなぁい。
私は十分に武器を揃えてから事を進める。直接的な戦力も重要だけど、争いごとでは情報もとっても重要な武器になるのよぉ」
「……短髪としずりは無事なの?」
「えぇ、今は。でも魔術を使えない魔神さんにできる事なんて何もないわよぉ?」
食蜂の言葉に、インデックスの表情が歪む。
確かに、今の彼女には力も何もない。
もしも魔術が使えるのならこの場を一気に逆転させることも可能だが、そんな事を考えても意味が無い。
垣根はそんな二人をそれほど興味無さそうに眺めながら、
「イイ性格してやがんなお前も」
「あなたは意外と優しいのねぇ」
「そんなどうでもいい事に気力を割く事が理解できないってだけだ。
それで、上条ってやつにそれを知らせて何か意味があんのか? 第三位達の状況を教えた所でここまで辿り着けないだろ」
「辿り着けなくてもいいのよぉ。あれで頭に血が上って学舎の園に突っ込んでくれれば後は警備員の人が勝手に捕まえてくれるわぁ」
「それじゃここまで連れてこれねえじゃねえか」
「そんな事ないわよぉ。警備員の人が上条さんを捕まえればすぐに情報は入ってくる。
そしたら私自ら出向いて警備員の人達を洗脳しちゃえば問題ナシ☆」
「何でもありだなおい」
「あなたには言われたくないわぁ」
二人はインデックスの事など少しも気に留めずに話し続ける。
それは彼女のことをただの人質としか見ていないという事だ。
インデックスはギリッと歯を鳴らす。
自分に力がないのが憎い。
自分のために戦っている人がいるのに、何もできないのが悔しい。
そんなインデックスの表情を見て食蜂は愉快そうに笑みを浮かべる。
まるでこれが生きがいであるかのような、それ程にいい笑顔だ。
何も知らない者が見れば、それはこちらまで元気になれるような少女の純粋な笑顔なのだろう。
だが実際それはは酷く捻れた笑顔であり、事情を知っているものならば背筋が寒くなるようなものだ。
穏やかな表情の裏に潜む、純粋に黒く染まった心。
よく幽霊なんかよりも生きている人間のほうがよっぽど恐ろしいという話は聞くが、こういった人間の一面を見るとそれも納得できる。
インデックスはキッと食蜂を睨みつける。
弱みを見せてはいけない。
自分のために他の人が命がけで動いてくれているのに、自分だけ負けているわけにはいかない。
例え何もできなくても、気持ちだけは強く持つ。
その時。
「……ん?」
垣根が怪訝な声を出す。
バララララ……と、外から何かの音が聞こえてきた。
垣根もインデックスも音の方向に顔を向けてみると、そこにはヘリが一台近づいていた。
食蜂だけは興味が無いようで、マイペースにカップに入った紅茶を口にする。
「今日は長点上機がヘリの試運転をするらしいわぁ。確かコースも常盤台の近くを通るはずだったわねぇ」
「へぇ……じゃあ一つ聞いていいか?」
「なぁに?」
「ヘリから何かぶら下がってるみたいなんだが……あれは何やってんだ?」
垣根の言葉に、食蜂は初めて首を動かしてガラス張りの方へと顔を向ける。
夕日で真っ赤に染まった空、そこに浮かぶヘリ。
そして――――。
***
『あんたら何考えてんだ!? 絶対イカれてる!!!』
『あぁ……何も反論できねえよ』
耳に当てたケータイから浜面とパイロットの声が聞こえてくる。
風が強い。夕日が眩しい。
身を切るような冷たさが全身を襲う。
ビュービューという強い風の音と、バララララというプロペラが回転する音がうるさく聞こえる。
現在、ヘリからは災害救助用のハシゴが降ろされている。
そして上条は外に出て、そのハシゴにぶら下がる形になっていた。
ヘリでの着陸ができないのなら、ハシゴを降ろしてある程度の高さから飛び降りるという作戦だった。
浜面は以前にもヘリから飛び降りたことがあるらしい。その時は下にクッションがあったようだが。
だが、いよいよ常盤台中学のすぐ近くまで来て、作戦を変更することになった。
校舎の上層部、外に面した壁がガラス張りになっているやたら豪華な空間に居るとある人物が目に入った。
全ての黒幕であると思われる、食蜂操祈の姿だ。
上条はケータイから浜面達に話しかける。
直接声を張り上げても、ここからではプロペラの音でかき消されてしまうからだ。
「いいぞ、やってくれ!!」
『しょ、正気か!?』
『諦めろ。コイツは一度決めたら曲げねえ』
『くっ……死んでも恨むなよ』
「あぁ、任せるぞ」
上条がケータイをたたんだ瞬間、一旦ヘリが急に学校から離れる。
そしてその直後、今度は急に学校へと接近する。
この動作で何がしたいのか。
それはヘリから降ろされたハシゴを見ればすぐ分かるだろう。
ヘリが一度学校から離れた時、ハシゴはヘリと共に学校から離れる方向へと流れる。
そしてその後ヘリが再び学校へ近づくように動いた時、ハシゴの方は慣性の法則によりヘリの動きについていかずに、そのまま学校から離れる方向へと流れ切る。
ハシゴはその後どうなるか。
要は振り子だ。
糸がハシゴで先端についた重りが上条。
学校から離れ切ったハシゴは、その後弧を描いて学校に向かって急接近する。
ゴォォォォ!!! と風を切る音が耳元でうるさく響く。
だが、それも今の上条には気にならない。
耳の奥ではドクンドクンと、緊張で血液が循環する音がよく聞こえる。
一歩間違えれば死ぬ。上条はそんな状況に居る。
ガラス張りの壁が近づいてくる。
ここで上条はベルトから銃を抜く。麦野からもらった演算銃器(スマートウェポン)だ。
躊躇わずにドンドンッ!! と連続で引き金を引いた。
銃弾は真っ直ぐガラス張りの壁に直撃し、ビシィィ!! とヒビを作る。
予想通りだった。
常盤台のガラスだ。おそらく頑丈なものだとは予想していた。
普通の銃だったらここまでヒビを作る事なんてできなかっただろう。
ヒビだらけになったガラス張りの壁がどんどん目の前に迫ってくる。
上条は歯を食いしばり、右足をハシゴから外して思い切り突き出す。
「うおおおおおおおおおおおおおおああああああああああああ!!!!!」
ガッシャーン!!!!! とけたたましい音が鳴り響いた。
振り子のようなハシゴの勢いを利用した蹴りは、ヒビの入ったガラスを砕き上条は部屋の中へ転がり込む。
多少足がズキズキするが、普通に立てる。ちゃんと生きている。
上条はすぐに辺りを見渡す。
目に入ってきたのはどこかの高級レストランのような部屋。食蜂操祈に加えて見たことのない金髪の男。
そして、何よりも大切な銀髪の少女。
「インデックス!!!」
「とうま!!!」
インデックスは信じられないといった顔でこちらに向かって走りだそうとする。
だが、それを金髪の男が遮った。
上条はその男を睨みつける。
「なんだテメェは」
「垣根帝督。レベル5の第二位だ。よろしくな」
「第二位……」
「つーか、すっげーな今の登場の仕方。ハリウッド映画みてえでカッコいいじゃん」
「さすがに私もビックリしたわぁ」
「食蜂……もう誤魔化すつもりもねえんだな」
「えぇ。でもぉ、昨日あなたに話したことは全部私の本当の気持ちですよぉ。
それにぃ、最終的にシスターさんを追い出すような事を言ったのはあなたなんですし、全部私のせいにするっていうのは良くないですよぉ」
「分かってる」
「えっ?」
「インデックスにあんな事言っちまったのは俺の責任だ。それでお前を責めることはしない。これは俺がインデックスに謝ることだ。
だけどな、こうしてインデックスを引き離してあぶねえ事に巻き込むのは許せねえ。だから、俺はお前をぶっ飛ばす」
「……そう」
食蜂は口元に笑みを浮かべてただそう呟く。
そして、そんな彼女の前に垣根が出てくる。
「悪いな、お前に恨みはねえが俺にも俺の目的があるんでな」
「そうかよ」
「ふふ、私のナイトは垣根さんだけじゃないですよぉ?」
パチンと、食蜂が指を鳴らす。
すると部屋の奥にあるドアが開かれ、その向こう側からある人物が入ってきた。
その姿は、上条もよく知っているものだった。
「一方通行……っ!!」
目はうつろで、洗脳されているのがすぐに分かる。
だが一方通行には反射があるはずだ。
それなのに食蜂の能力にかかっているという事は、何かしらの罠にはまったのだろうか。
相手が彼女であるだけにそれも十分考えられる。
垣根はその姿を見て顔をしかめる。
「おい、こいつと共闘しろとでも言うのか?」
「えぇ、念には念を入れてね。いいじゃなぁい、これが終わればあなたの目的も達せられるんだしぃ」
「……ちっ」
垣根は渋々といった様子で了承する。
「ふふ、学園都市の第一位と第二位が相手よぉ。お姫様を助けたいのなら頑張って倒してくださいねぇ☆」
「それがどうした」
「……強がりですかぁ? いくらあなたでもこれは」
「関係ねえよ!!! 相手がどこの誰だろうが、俺はインデックスを助けるためにここに来たんだ!!!」
食蜂の言葉を、上条が大声で遮った。
インデックスの瞳に涙が浮かぶ。
しかし、すぐにそれを必死に堪えて無理矢理押さえ込んでいた。
泣くのはまだ早い、そういう事だろうか。
垣根はヒューと口笛を吹く。
「カッコいいねぇ、ヒーロー。思わずノリで負けてやりたくなるわ」
「垣根さぁん?」
「冗談に決まってんだろ。大丈夫だ、本気で潰す」
バサッと垣根の背中から純白の翼が展開される。
一方通行が体勢を低くし、すぐにでも突っ込めるような状態になる。
夕日で赤く染まる部屋で向き合う二人のレベル5と一人のレベル0。
一見すれば絶望的な状況なのかもしれない。
しかし、上条は迷わない。
ガラスまみれになった長点上機学園の制服の上着を脱ぐ。
慣れないネクタイも外して上着と一緒に床に放った。
そして表情を変えずに、じっと二人の様子を見つめて警戒する。
自分の身を守るためではない。それは相手を倒すために、インデックスを助けるための動作だ。
この右手は便利だ。
例え相手がどこの誰だろうが、確実に殴り飛ばせる力が備わっている。
誰かを救える力が、ここにはある。
***
きっかけは些細で、単純で、平凡なものだった。
少女は一つの事を除いては至って普通の子供だった。
学校では嫌々勉強に励み、放課後はみんなで公園で遊ぶ。
雨の日はトランプで遊んだり、マンガを読んだりアニメを観たりゲームをやったりした。
少女はどちらかというと外で遊ぶ方が好きだったが、マンガやアニメ、ゲームといったフィクションの中にも心惹かれるものを見出していた。
それは仲間同士の絆というものであり、大抵の作品で描かれているようなものだ。
どんなに強大な敵にぶつかっても、どんなに難解な問題にぶつかっても、仲間との絆さえあれば乗り越えることができる。
少女はそれに憧れた。眩しいくらいに輝いて見えた。
同時に、それを現実で見てみたいと切望した。
たまたま少女には力があった。
その力は、フィクションの世界でしか見たことがなかった、“本当の絆”というものが現実に存在するかを確かめることができた。
迷うことはなかった。
ただ自分の欲求に真っ直ぐ向き合う。それは子供にとっては至極当然な事だった。
少女はマンガを読んだりアニメを観ている時よりも、ずっとワクワクした。
もう少しで紙やテレビの中ではない、自分が生きるこの現実でそれを知ることができる、そう思った。
結果として、少女の周りにそんなものはなかった。
特に驚くことではない。
フィクションの世界での仲間との絆なんていうものは、現実では極めて希少だ。
その存在をはっきりと否定する者も少なくない。
誰もがどこかで気付くような事だ。
あの世界では当たり前に存在しているものでも、現実では到底ありえない事も多い。
朝登校していて口にパンを咥えた転校生とぶつかるなんていう事も、毎日お昼は屋上で食べるなんていう事も。
生徒会が強い権力を持っているという事も、初めは仲が悪かったクラスが卒業する頃にはみんな泣いて別れを惜しむという事も。
現実を見てみれば、学校の屋上は立入禁止で誰も足を踏み入れようとせず、同じクラスなのに結局一度も話さなかった人は居たり。
そんな事は大して珍しいことでもない。
それはただ、知るのが遅いか早いかの違いにすぎない。
たまたま少女はそれを知る機会が早かった、それだけの事だった。
それを知った所で、現実に絶望してビルの屋上や電車のホームから飛び降りるような子供は居ない。
現実はフィクションのように心躍るような事で溢れていなくたって、その中で自分なりの人生を楽しもうとする。
少女もまた、そういった現実を受け入れることができた。
フィクションと現実の違いに気付いても、そういうものなのかと割とすんなりと納得できた。
あれだけワクワクしたにも関わらず、ショックは小さかった。
その一方で。
マンガやアニメのような絆なんて存在しない。
そう知ったにも関わらず、その絆は前よりも身近にあるように感じられた。
それはなぜか。そしてそれに気付いた事が彼女にとって一つの大きな転機となる。
フィクションの中でしかありえない絆。
どんな時でも揺らぐことのない堅い友情や愛情。
それらは少女の手でいくらでも作り出せるものだった。
***
浜面仕上は先程の上条と同じように、ヘリから降ろされたハシゴにぶら下がっていた。
しかし、それは上条に続いて同じように部屋に飛び込むというわけではない。
彼には彼の優先順位というものが存在している。
もちろん一番上に来るのは恋人である滝壺理后であり、ヘリからざっと見た限りでは彼女はあの部屋には居なかった。
ではどこに居るかと問われても浜面に答えることはできない。
情報としては上条に送られてきたメールに添付されていた画像しかないわけで、これだけでどこの部屋だと特定するのは不可能だ。
といっても、何も調べなかったわけではない。
ネットで調べられる情報を漁ったところ、どうやら写真の部屋は議会用の第一ホールという場所らしい事は分かった。
だが、その部屋がどこにあるかというところまでは調べられなかった。
学内であれば案内板みたいなものがあるはずだ。
部屋の名前は分かっているので、それでどこにあるか見つければいい。
「よっ!!」
浜面はヘリのハシゴから飛び降り、常盤台の屋根の上に着地する。
そのまま急いで走り、窓を割って中へ侵入した。
もうどうせ全部バレているだろうと思ったので、特に隠れて行こうとも思わなかった。
夕日が差し込みオレンジ色に染まった廊下を浜面はひたすら走る。
驚くほどに人が居ない。それだけ美琴と麦野の方に人員を割いているのだろうか。
学校には行っていない浜面だが、こういう誰も居ない学校というのはどこか不安になるものがある。
浜面は階段を下りて一階を目指す。だいたい学校の地図というのは一階にあるものだと思ったからだ。
そして最後の数段をジャンプで一気に下りようとした時、
浜面の体が数メートル上空へ放り出された。
「なっ……!!!!!」
まるで無重力空間で大きくジャンプしたかのようだった。
浜面は急な事に空中でバランスを崩す。
それでも地面に落下するまでに何とか態勢を立て直し、床に転がって受け身をとることはできた。
しかし完全に衝撃を受け流せたわけではなく、全身に鈍い痛みが広がり喉の奥からうめき声が漏れる。
一番驚いたのは浜面だ。
自分の力は自分が良く分かっている。
だから、自分が……いや、普通の人間がこれだけ高く飛べないという事は考えなくても分かる。
感覚的には体が軽くなったような気がした。
しかしそんなものはあくまで精神的な表現であって、物理的に起きることなんて通常ありえない。
ところが、ここは学園都市だ。常識は外とはかなり異なっている。
具体的に言えば「ありえない」とされる現象の範囲が極めて狭い。
大抵の不可思議な現象は、大体科学的に証明されてしまうのだ。
浜面はすぐに起き上がる。
それから辺りを見渡してみると、案の定階段を下りて右の廊下の真ん中に常盤台生が居た。しかも二人だ。
一人は肩まである栗毛の少女、ふわふわとした髪質でまさにお嬢様らしいといった感じだ。
もう一人は長い黒髪を三つ編みにした少女。髪型だけ見れば普通の中学生と変わらないが、それでもどこか雰囲気が違うのは分かる。
浜面は知らないが、二人は湾内絹保と泡浮万彬という美琴もよく知っている少女達だ。
(今のはどっちかの能力か……?)
急に人を浮き上がらせる能力となると、念動力(テレキネシス)だろうか。
能力者との戦いは相手の能力を知ることから始める。
そこから対策を考えれば無能力者にも勝機はある、それは今までの経験で良く分かっている。
浜面はベルトに挟んである銃へ手を伸ばし……途中で止めた。
相手はいつもの裏の人間ではない。表の世界に生きる中学生だ。
(くっそ……!)
その隙に、湾内は近くの水道の蛇口を思い切り開いた。
ザァァァァ!! と勢い良く水が流れ出る。
そして蛇口から出た水は、まるで蛇のようにうねって浜面の方へ突っ込んできた。
(水流操作か!!)
浜面は横へ跳んで水を避ける。
後ろへ通りすぎていった水は、Uターンをして再びこちらを狙ってくる。
しかも、途中でそれは二つに分裂して、それぞれ別の動きで突っ込んできた。
(水流操作系の能力者は、操れる水の塊の数に制限がある。となると)
浜面は努めて冷静に状況を把握する。
今までの経験から、水流操作系能力者が操れる水の数は最高でも二つだった。
念動力(テレキネシス)で操る物質と違って、液体は変形しやすいので演算も高度になるのだ。
向かってくる二つの水の蛇をじっと観察する。
そして浜面はそれらを上手く体をひねってかわしていき、同時に走って湾内達の方へ向かう。
時には屈んだり、時には頭を下げた状態で横に回転するようにジャンプしたり、まるでブレイクダンスのような動作で水を避けていく。
スキルアウト時代は無能力者狩りをしていた能力者と戦ったことも沢山あった。
その中で、こうしたポピュラーな能力者相手への対処は体に刻み込まれている。
後少しで湾内達まで辿り着く。
さすがに銃で撃つような真似はしない。
それでも、頭を打って気絶させるくらいは許してもらいたい。
頭の中では相手を気絶させる手順を考え始める浜面。
しかし、その時。
浜面の頭を、水の塊が後ろからすっぽりと包み込んだ。
「ごぼっ……!!」
浜面は混乱する。
確かに二本の水の塊には注意していたはずだ。
それにも関わらず、全くの死角から三つ目の水の塊によって攻撃を受けてしまった。
そこで気付く。
なぜ相手が操ることができる水の数を二つまでだと決めつけたのか。
答えは単純、それが今までの相手の中ではそれが限界だったからだ。
そして改めて考えてみる。その中にレベル3以上の水流操作の能力者はいたか?
浜面はそこまで考えることができなかった。
レベル3である湾内は、四つの水の塊を操る事ができる。
「がぼっ……ぐぼ……ぼ……!!」
頭だけ水の中に入っているという奇妙な感覚の中で、辺りは水族館の水槽の中のようにぼんやりと歪んで見える。
実際は浜面の頭の周囲だけが水族館の水槽のようになっているのだが。
反射的に腕を使って頭を覆う水の塊を何とかしようとするが、どうしようもない。
腕はただ虚しく水を突き抜けるだけだ。液体を直接掴むことなんてできない。
浜面は必死に考える。
こうなった場合、どうしたら良かったか。
水流操作能力者と戦う時は、当然こういった状況への対処も考えられていたはずだ。
そして、浜面は思い出した。
その直後、すぐに湾内達から遠ざかる方向に走りだして、廊下の一つ目の角を曲がった。
水流操作に限らず、大体の能力は自分の目で見て対象を操る。
つまり、相手の目の届かない位置まで行ってしまえばこの頭を覆う水の制御も解除されるはずだ。
浜面は息苦しさを感じ始めながらも、足を動かして前へ進む。
角を曲がったことで、もう湾内からはこちらの姿は全く見えないはずだ。
これですぐに能力は解除される、そう思った時。
隣で並走する泡浮万彬に気付いた。
「ッ!!!」
浜面は目を見開く。なぜついてこれる。
普段からそこらのアスリート並みには鍛えていたので、運動能力に関してはそこそこ自信はあった。
少なくとも、温室育ちのお嬢様に駆けっこで並ばれるなんて事にはならないはずだ。
しかし、ここで浜面は気付く。
そもそも、そうやって体を鍛えていたのは何のためだ。
無能力者が能力者に対抗するためではなかったか。
隣を走るのはまだ中学生の女の子だ。
だが彼女はレベル3で、やっぱり浜面とは能力的に大きな差がある。
例え体力的には圧倒できても、それは能力で簡単に逆転されてしまう。
今まで暗部との戦いばかりだったためか、こうした一般の学生の事をどこか甘く見ていたところがあったのかもしれない。
相手は常盤台生。誰だろうが決して油断していいわけがない。
頭を覆う水の塊が一向に外れない。
もう湾内からは自分の姿は全く見えないくらいに離れたにも関わらずだ。
その答えは分かっている。食蜂の洗脳によるものだ。
食蜂は操っている者の視界を全て共有できる。
だからこうして泡浮の視覚情報から湾内の能力を制御するという事も可能なのだ。
とにかく、泡浮を振り切らなければいけない。
しかし、速さでは敵わない。
それならば取るべき道は一つだ。直接意識を奪うしかない。
キュッ!! という音をたてて方向を転換する。
向かう先は泡浮の方だ。浜面は拳を握りしめ、腹に一撃を与えて意識を落とそうとする。
泡浮は微かに驚くような表情を見せる、が。
浜面の右腕は虚しく空を切るだけだった。
泡浮は跳んでいた。
それも多くの者が思い浮かべるであろう、ちょっとしたジャンプというわけではない。
助走も何もなしに、人一人を飛び越える。そんな超人的なジャンプだ。
「……っ!」
泡浮はそのまま浜面の頭上を通り越して背後へと着地する。
浜面はすぐに振り返って追撃を加えようとするが、相手の方が速い。
ガシッという感触とともに、まるで猫を掴んでいるかのように浜面は後ろから首根っこを掴まれて軽々と持ち上げられてしまった。
女子中学生が大男を後ろから片手で持ち上げる。そんな奇妙な画ができあがった。
(絹旗と同じような能力……!? それとも純粋な肉体強化か……!!)
頭の中では必死に情報を並べて吟味する。
しかしそれをのんびりと待ってくれるほど相手もお人好しではない。
次の瞬間には、浜面は思い切り投げ飛ばされて勢い良く向かいの壁にブチ当たった。
あまりの衝撃に必死に止めていた息が漏れ、頭を覆う水の塊に視界を覆うほどの大量の気泡が現れる。
「ぶぼっ……!!」
かなりの酸素を無駄にしてしまった。
そう後悔した時には遅かった。
もう既に耐え切れないほどに息苦しくなってきており、酸欠によりガンガンと頭が痛む。
意識がかすれていく。
苦しい、酸素が欲しい。
浜面は壁に寄りかかる形で力なく廊下に座り込む。
このままではマズイ。
肉体的なダメージは大したことない。しかしこれでは女子校の廊下で溺死という世にも奇妙な姿の出来上がりだ。
浜面は長点上機学園の上着を脱ぐ。
そしてそれを頭を覆う水の中へ突っ込んだ。
服に水を吸わせようという魂胆だ。
だが、それも上手くいかない。
確かに服は水を吸い込むが、それにも限界がある。
結果として、水の塊は多少は小さくなったのかもしれないが、それもハッキリとは分からないくらいに変化がなかった。
意識が、薄れていく。
もう息も持たない。
次第に視界は暗くなっていく。
泡浮が目の前までゆっくりと歩いてくるのが見えるが、どうすることもできない。
(く……そ……お、れは……何も、できねえのかよ…………)
無能力者でも高位能力者相手に十分戦える。
それは今までの経験からくるものだった。
以前にレベル5の能力者を倒した、その事実がさらに自信を高めた。
決して油断していたわけではない。
ただ少し、勘違いしていたのかもしれない。
確かに無能力者でも高レベルの能力者に打ち勝つことはできる。
しかしそれは絶対ではない。
幾つものピースが上手く咬み合って、それで初めてとっかかりが生まれる。
その上で幸運や機転が重なる事で何とか勝ちを拾うことができる。
それを考えれば、こうして為す術なく倒れるという事は可能性的にまったくおかしい事ではないのだ。
(それでも)
瞼の裏に一人の少女が浮かぶ。
例え何を犠牲にしても守りたい、大切な人。
そして次々と彼女の周りには他のアイテムのメンバーも現れる。
かけがえのない、大切な居場所だ。
(俺は――ッ!!!)
浜面は薄れゆく視界の中でついに閃いた。
手に持った水を吸って重くなった制服の上着、それを泡浮に向かって思い切り投げつけた。
突然の行動に、泡浮の目が大きく開かれる。
浜面が投げつけた長点上機学園の制服は、真っ直ぐ飛んで泡浮の顔を覆った。
「うっ!!」
泡浮は初めて小さく唸り声を出す。
その直後だった。
浜面の頭を覆っていた水の塊が、まるでシャボン玉のように弾け飛んだ。
「ぶはっ!! がはっ……ごほっ!!!」
神の恵みを受けるかのように、すぐに酸素を肺に取り込む。
だがゆっくりしている暇はない。今はチャンスだ。
泡浮はまだ頭を覆っている濡れた制服と格闘している。
浜面は迷わず起き上がって前へ飛び出す。
まだ呼吸が整っていないが、そんなものは関係ない。
「ふっ!!!」
ガッ!! と鈍い音が響く。
浜面の手刀が泡浮の首筋を捉える音だ。
彼女は音もなくフラリと崩れ落ちる。
浜面は彼女が頭をぶつけないようにその体を受け止めた。
「……なんとか、なったか」
まだ荒い息を整えながら呟く。
ずっと見落としていた。
浜面の頭を覆う水を操っていたのは遠くに置き去りにしてきた湾内だったが、泡浮が彼女の代わりに“目”になっていた。
それならば泡浮の視界を塞いでしまえば、湾内……いや、食蜂は水の塊を制御する事ができなくなる。
今回に限っては、食蜂が操っていたという事が良い方向に転がったかもしれない。
泡浮の能力は流体反発(フロートダイヤル)、浮力を操作するものだ。
だから最後に浜面が制服を彼女に向かって投げた時も、浮力をゼロにすれば届くことはなかった。
その辺りの一瞬の判断の差、それが出たのだろう。
まぁ浜面はそれを知る由もないのだが。
タッタッタ……と足音が響いてくる。
廊下の角を曲がってきたのは湾内絹保だった。
「遅かったな」
「申し訳ありません、わたくしはあなたに恨みなどはありませんが戦う理由があります」
「そりゃそうだろうよ。あんたが邪魔するってんなら俺にも戦う理由はできる。
けど気に食わねえな。自分のケンカなら自分の手でやるもんだろうが」
「……そういった能力ですので」
浜面は湾内にではなく、彼女を操っている食蜂に対して明確な嫌悪感を見せる。
だからといって、目の前の少女を一切傷つけないで無力化するなんていう事はできない。
浜面は奥歯をギリッと噛み締める。
対して湾内は最初と同じように近くの蛇口をひねって自分の武器である水を出す。
そしてそれは再び蛇のように浜面に向かって突っ込んできた。
対策は考えていた。
浜面はすぐに近くに置いてあった消火器を手に取ると、湾内に向かって噴射した。
「くっ!!」
真っ白な消火剤が飛び散る。
特に念動力や水流操作など、何かを操る能力者は視界情報が大切だ。
直接水の塊を視認できないこの状況では、彼女は無能力者と変わらない。
その後、浜面が湾内を気絶させるのにそう時間はかからなかった。
(この二人だけ……なわけねえよな。すぐに増援があるはずだ)
そう考えた浜面は、湾内と泡浮の二人を廊下の隅に移動させてその場を離れようとする。
「お待ちなさい!!」
(遅かったか)
浜面はすぐに振り返る。
そこには扇子を持った長い黒髪の少女が立っていた。
正真正銘のお嬢様のはずなのだが、なぜか似非っぽい感じがする。
しかし、その表情は堅く鋭かった。
「わたくし、婚后光子と申します!! そちらのお二方はわたくしの友人なのですが、それを知った上での狼藉ですの!?」
「……悪いが、知らなかったな」
「そうでしょうね。もともとここは男子禁制、あなたがここに居るというだけでおかしな事なのですからっ!」
婚后はそう言うとパシン、と扇子をたたむ。
そしてそれを真っ直ぐ浜面に突きつけると、
「わたくしの友人を傷つけた報い、受けてもらいますわ」
「ちっ、次から次へと……面倒くせえレベル5だな食蜂ってのは」
「食蜂……? あの方の差金ですの?」
「は?」
「この学校の状況は異常ですわ。確かに食蜂操祈であればこのような状況を生み出すこともできるのでしょうが……」
「ま、待て待て!! あんた、操られてんじゃねえのか!?」
「いえ、わたくしは今さっきこの学校に来たばかりですわ」
「なっ、それなら俺とあんたには戦う理由はねえ! 俺は食蜂を……」
「何も話さないでください」
婚后は落ち着いた口調で浜面の言葉を遮る。
「……どういう事だ?」
「あなたの言葉には何も説得力がありませんわ。そしてそれはわたくしも同じ。
食蜂操祈が支配する空間では言葉などというものは何の力も持ちません」
「何か経験があるみたいだな」
「えぇ、お察しの通りですわ。だから、わたくしはこの状況から自分で結論を出しますの」
婚后は廊下の隅で寝かせてある二人の少女に目を向け、そして浜面を見る。
その後少し考えて、
「現時点では、とりあえずあなたを地平線の彼方まで吹き飛ばしたほうが良さそうですわね!」
「結局おっかねえ結論出しやがったなチクショウ!!!」
婚后が動き出す前に、浜面はすぐに消火器を噴射する。
相手の能力はまだ全く分からないが、とりあえずは視界を封じることにした。
しかし次の瞬間突然暴風が吹き荒れ、すぐに視界が開けてしまった。
(空力使い《エアロハンド》!!)
浜面が気付いた時には遅かった。
婚后がかなりの速さで接近してきていた。これもおそらく風の操作を使ったものだ。
そして婚后は片手でポンッと浜面の左肩を軽く叩く。
(なん――っ!!!)
疑問に思った次の瞬間。
先程婚后に叩かれた部分から凄まじい程の暴風が発射された。
それは人体を吹き飛ばすには十分な威力であり、浜面は右手の壁へ真っ直ぐ突っ込んだ。
空力使い(エアロハンド)。
別に珍しくもなんともないポピュラーな能力だが、それがレベル4ともなれば話は別だ。
婚后光子は好きな場所にミサイルの噴射点のようなものを作り出すことができる。
浜面はあまりの衝撃に、フラフラと今しがた自分が激突させられた壁に手をついて起き上がる。
すぐに今度は消火器が浜面目掛けて飛んできた。
「うおっ!!」
浜面は慌てて避けると、ガァン!! と大きな音をたてて消火器が壁にぶつかる。
気付けば再び婚后がすぐ近くまで接近してきていた。
そして先程と同じ左肩を、今度は連続で三回軽く叩かれた。
何か嫌な予感がした。
それはコンマ数秒後ハッキリとする。
婚后に叩かれた肩から凄まじい風が噴出され、浜面の体が再びミサイルのように壁に向かって吹っ飛んだ。
しかも今度は最初の時と出力が段違いだ。
壁に激突してもそこで止まらずに大穴を開けて、まるで漫画のように次の壁、次の壁と突き進む。
「ぐぁ……がっ…………ぁぁああああ!!!」
婚后の能力は噴射点を重ねることでその出力を上げることができる。
それは最大で電波塔を成層圏にまで吹き飛ばすほどの出力にする事も可能だ。
人間に使えば恐ろしい武器になる。
浜面の全身がビキビキ!! と悲鳴をあげる。
当然だ、生身でこれだけいくつもの壁を貫通しているのだ、体にかかる衝撃は計り知れない。
壁に激突する度に視界に火花が散って全身に凄まじい痛みが走る。
だが、今は必死に堪えるしかない。
ようやく勢いが止まったのは5つ目の壁を貫通した辺りだろうか。
浜面が最終的に飛ばされた部屋はすり鉢状に机と椅子が並べられた、巨大な部屋だった。
彼はすり鉢の縁にあたる外周部から中央の底になっている辺りまで飛ばされ、地面に叩きつけられる。
「あ……ぐぅ……っ!!」
浜面は何とか起き上がる。
全身がビキビキと軋むが、動けないほどではない。奇跡的にどこも折れてはいないようだ。
そしてその後辺りを見渡して、息が止まるかと思った。
すり鉢の縁にあたる外周部には何人もの常盤台生がこちらをじっと見つめている。
どこかで見たような光景だ。
いや、これは――――。
「浜面!!!」
聞き慣れた声が耳に飛び込んでくる。
すぐにそちらを振り返ると、そこにはアイテムの同僚である麦野沈利が敵と戦っていた。御坂美琴も一緒だ。
そして敵というのはテレポーターが二人、そして恋人である滝壺理后だ。
なんとも幸運な事に、浜面は婚后に吹き飛ばされた結果、目的の部屋まで辿り着いていた。
麦野は結標に光線を飛ばしながら、こちらまで下りてきた。
頭のどこかを切っているらしく、血が出ている。
「テメェ、何でこんなとこに居んだよ!! つかそれ長点上機の制服じゃ……」
「全部後だ! 食蜂からお前達の状況を知らされて上条と一緒にここまで来たんだ」
「じゃあアイツもここに!?」
美琴も浜面の近くまで下りてくる。
こちらは目立った外傷は少ないが、それでも所々擦りむいており表情には疲労も浮かんでいる。
「あぁ、上条は――」
「おい立ち止まんな!!」
麦野はそう言うと、グイッと浜面を引っ張る。
すると次の瞬間、浜面が居たところには鉄矢が出現して床に落ちる。
それを見てゾクッと心臓を掴まれたような感覚を受ける。
「それで、あのバカは!?」
「直接食蜂とぶつかってる! だからアイツが食蜂をぶっ飛ばすまで何とか持ちこたえるんだ」
「なっ……アイツは相変わらずおいしいとこ持ってくっていうか……」
「ちっ気にくわないわね。第五位のヤロウは私が直接ぶっ殺したいんだけど」
「それでも構わねえよ、とにかくこの状況を――」
その時、新たな人物が部屋に入ってくる。
先程浜面を吹き飛ばした張本人、婚后光子だ。
美琴はその姿を見て目を見開く。
「こ、婚后さん!?」
「え、御坂さん……あれ?」
婚后は少し混乱している様子で段差を下りて近くまでやって来る。
周りを取り囲む常盤台生は手を出さない。
婚后は浜面と麦野、そして美琴を次々と見て、
「な、なんでこの男と御坂さんが……それにこちらの方は……」
「立ち止まっちゃダメ!」
美琴はすぐに婚后を引っ張ると、先程まで婚后が居た場所に大量の椅子が降り注いだ。
婚后は目を丸くして仕掛けた相手を見る。
「し、白井さん!! いきなり何を……!!」
「食蜂操祈。ここまで言えば大体分かるでしょ」
「……やはり、あの方の仕業なのですか。あの、ではこの男性は」
「その人は味方よ。確かにここに男がいるのはおかしいけど、そんな事言ってられる状況じゃないの」
状況が状況なので、美琴は言葉少なく簡潔に説明する。
すると婚后は恐る恐るというか、かなり申し訳なさ気に浜面を見る。
浜面はジト目で婚后を見つめ、
「……で、結論は? まだ俺は敵だと思うか?」
「ええと……あの、まぁ、その…………」
婚后は目を泳がせる。
そして。
「いかに婚后光子と言えども、時には間違えますのよ!!!」
「清々しいほどに開き直りやがった!!!!!」
そんなわけで、美琴と麦野に浜面、婚后という頼もしい(?)仲間が加わった。
***
上条達の居る部屋。
壁一面を占める巨大なガラス窓は粉々に砕けており、突き刺すような冬の風が吹き込んでくる。
まだ日は落ちきっておらず、真っ赤な夕日が最後の輝きを見せている。
それでも気温はずっと下がっており、立っているだけでは身震いをしてしまうくらいにはなっていた。
しかし部屋に居るものはピクリとも動いたりしない。
少しでも余計な行動を取ればそれが命取りになる。そんな危うい空気が広がっている。
最初に動いたのは一方通行だった。
足元のベクトルを変換したのだろう、バキン!! と床を踏み砕き通常ではありえないようなスピードで真っ直ぐ上条へと突っ込んでいく。
そして一方通行は右腕を突き出す。触れた者の生命を容赦なく断絶させるその腕を。
上条の中にゾクッとした冷たいものが芽生える。
あの操車場での戦いやロシアの雪原での戦いと同じだ。
学園都市最強とのケンカ。それは一瞬の判断ミスが命取りになる。
今にも崩れ落ちそうな橋を命綱なしで渡り切る、それ以上の感覚だ。
上条は一方通行の腕を右手で払う。
少しでも触れられたら終わりだ。全身から嫌な汗が噴き出るのを感じる。
それでも、怖がってばかりはいられない。
その後すぐに拳を握り締めると、渾身の右ストレートを放った。
いくら相手が最強の能力者と言えども、この右手の攻撃を受ければひとたまりもない。
だが上条の拳が命中し、一発でノックアウト……そう簡単にいくわけはない。
一方通行はバク宙で一気に後方へ下がってしまった。
上条の右腕は虚しく空を切る。
それだけではなかった。
一方通行と入れ替わりになるように、今度は垣根がこちらに向かって突っ込んできていた。
おそらく先程まで一方通行のすぐ後ろに居たのだろう。もうすでにかなり接近されている。
「く……そっ!!」
「安心しろ、殺しはしねえよ」
垣根はそう言うと、背中の翼を大きく一度だけ振る。
それは上条まで届くことはなく、上条から見て前方一メートル程を通過しただけ……のはずだった。
次の瞬間、上条の全身に凄まじい衝撃が広がった。
至近距離から散弾銃のエアガンでも撃たれればこうなるのだろうか。
上条の足は床を離れ、二、三メートルほど後方へ吹き飛ばされた。
そしてまるで水切りのように何度か床の上で跳ねて、テーブルの一つに激突してようやく止まる。
「が……ぁぁああ……っ!!!」
「ん、なんだ気絶させるつもりだったんだけどな。やっぱそこら辺の力加減は上手くいかねえな」
「とうま!!」
「く、るな、インデックス!!」
上条はフラフラと立ち上がる。
まだ焦点が定まらず辺りがぼやけて見えるが、気にしている場合ではない。
インデックスを闘いに巻き込むわけにはいかない。
だが、そんな決意虚しく急に視界が高速でブレた。
そして気付けば上条は頭を掴まれ床に押さえつけられていた。
いつの間にか背後に立っていた一方通行によるものだ。
動けない。
どれだけ力を込めても、一方通行はそれ以上の大きな力で押さえてくる。
それを確認した食蜂は、近くのテーブルまでゆっくり歩いてきて腰を下ろす。
「勝負ありですねぇ?」
「一応殺しはしねえんだな」
「そんな事しませんってぇー。御坂さんとかへの攻撃だって急所はちゃんと外してますしぃ」
その気になれば今すぐ全身の血液を逆流させて殺すこともできるはずだ。
しかし、食蜂の目的はそこではない。
「私は何もしませんよぉ? 上条さんにも、インデックスさんにも。ねぇ、垣根さぁん?」
「意外だな、俺はてっきりそいつの目の前でシスターを輪姦でもさせると思ってたが」
「ひっどーい! 私がそんな事するはずないじゃなぁい!」
「何が目的なんだお前……!!」
「世界平和です☆」
「…………」
「ふふふ、睨まないでくださいよぉ。あながちウソでもないんですって」
いつもの読めない表情を浮かべる食蜂に対して、今度はインデックスが口を開く。
「魔術と科学。世界平和っていうのはそれが関係あるんだよね?」
「察しがいいわねぇ。あなたみたいな人は話がスムーズに進んでいいわぁ」
「お前はいつも自分から脱線するじゃねえか。つかそんな真面目なこと考えてたんだなお前」
「もう垣根さぁん、失礼しちゃうわぁ」
「……インデックスが学園都市に居る。それが気に食わねえのか」
「簡単に言っちゃえばそうですねぇ。だってぇ、その子は新たな戦争の火種になりうる存在ですよぉ?
今みたいな不安定な時期にそんな爆弾置いておくなんて私、理解できなぁい」
「ワガママ言ってるのは分かっているんだよ。でも、これはイギリス清教側と学園都市側での話し合いでも認められた。
トップ同士で合意した以上、あなたがこんな事をしていい理由にはならないんだよ」
「えぇ、でもあなたの現状はその合意した内容とは少し外れているんじゃないかしらぁ?
あなたの状態は例え一時的だとしてもさらに悪化した。ストレス問題を解決するためにここに来たっていうのに」
「それは……」
インデックスは俯く。
確かに食蜂の言っていることは全て事実であり、インデックスも気にしていた事だった。
「それにあなたの状態が悪化すれば自動書記(ヨハネのペン)が暴走する危険性だってある。土御門さんの情報の中にそんなのがありましたけどぉ?
大体、感情がどうのこうのなんていう曖昧な問題を、一緒に居ればいいなんていう不確実な方法で解決しようとしているのが間違いなんですよぉ。
だからこうして不測の事態が起きる。学園都市に住んでいる多くの学生を危険にさらす」
「トラブルのきっかけを作ったのもお前だけどな」
「うるさいわよぉ、垣根さぁん。
まぁどっちにしろ、あの程度の言葉でここまで崩れる不穏分子なんて危なすぎるでしょぉ」
「どんなに仲の良い相手でもたまにはケンカする時だってあるだろ!! 俺達はまだやり直せる! 一週間……最初の期日までは見てくれよ!!」
「私に言われてもぉ……だってぇ、もうイギリス清教ではインデックスさんを回収するっていう結論は出ているみたいですよぉ?」
「えっ……?」
インデックスが綺麗な碧色の目を見開いて、声を漏らす。
その声は、人気のない夜の道路に降る雨を思わせた。
静かで、それでいて悲しい。人の心に染み渡るような不安も内包している。
上条も同じように驚いていた。
信じられない、いや信じたくない。
ビリビリとどこか痺れたような感覚を受ける頭で、ただそう思うことしかできない。
「か、回収って……なんだよ」
「言葉の意味ですよぉ。もうすぐ手続きを済ませた魔術師がここまで来ます」
「なんだよ、結局そいつは返しちまうのか? せっかく捕まえたのによ」
「えぇ、インデックスさんは魔術サイドの人だからねぇ。ちゃんと元いたお家に返してあげないとぉ☆」
「……わ、私…………」
インデックスは小さく震えていた。
イギリス清教に戻るのが恐ろしいというわけではないだろう。
あそこは今まで彼女に対して散々な事をしてきたが、今では向こうの沢山の人がそれを阻止する。
インデックスの目が、上条に向けられる。
そのすがるような目を見て、上条は考える。
インデックスのあの震えは……これは自惚れにすぎないのかもしれないが……。
ここから離れたくない、もっと上条当麻と一緒に居たい。
そういう意味なのではないか。
「……まだだ」
「んー?」
「まだ、やり直せる。俺と、インデックスは……っ!!!」
全身に力を込めて起き上がろうとする。
だが一方通行に押さえつけられた体はピクリとも動いてくれない。
それでも、諦めるわけにはいかない。
「うおおおおおおおおおおおおああああああああああああああ!!!!!」
「あはははは、ほらほらもっと頑張ってくださいよぉ。想いの力で覚醒!! みたいにぃー」
「とうま……っ!」
「くっだらね」
食蜂はそれはそれは楽しそうに黙って眺め、垣根はつまらなそうにしている。
そしてインデックスは今にも泣きそうな顔をしていた。
上条の行動に感極まっているのか、それとももうやめてほしいと嘆いているのか。
どちらにせよ、上条の行動は変わらない。
最後のその瞬間まで諦めずに抗い続ける。
例え周りから見ればどんなに滑稽だったとしても、それだけは貫き通す。
「あれぇ、絆パワーとかってその程度のものなんですかぁ? ヒーローらしくカッコよく逆転してみせてくださいよぉ!」
食蜂の嘲りの言葉はもう上条の耳には届いていなかった。
ありったけの力を込めて起き上がろうとすると、体のどこかがビギッ!! と嫌な音をあげた。
力を込めて抵抗すればするほど、それを押さえつける力は大きくなる。
だが、それがどうしたというのか。
上条は構わずにさらに力を振り絞って一方通行を跳ね除けようとする。
例えその結果この体がどうなろうとも、絶対に守りたい大切な少女のために。
「絆パワーというものがどういったものなのかは私には分かりませんが……それはこういったものを指すのではないですか?」
そんな声が、部屋に響き渡った。
それは決して大きな声ではなかったが、それでも部屋に居る人間全員の鼓膜を正確に刺激する。
人が現れた。
正確に言えば人ではない。だが、上条は“彼女”を“人”と呼ぶ。
まるで最初からそこに居たかのように何の音もなく、何の気配もなく現れたのは気の弱そうなメガネをかけた女の子。
だが珍しいことに、今はその表情に気丈さも見る事ができる。
上条とインデックスの大切な友達、風斬氷華だった。
「風斬!?」
「ひょうか!!」
風斬は上条とインデックスを見て柔らかく微笑む。
上条の中で何か暖かいものが生まれるのを感じる。
先程までは冷めきった世界に取り残された感覚が全身を襲っていた。
そしてそのまま自分もそんな世界に同化していくような、そんな感覚さえ持っていた。
しかし、彼女が現れてくれて全てが変わった。
現時点では彼女が現れた事以外では何も変化はない。
相変わらず上条は一方通行に押さえつけられているし、イギリス清教もインデックスを回収しようとしている。
それでも、彼女が居てくれるだけでこれから全てが好転してくれる、そんな希望が胸の中に膨らむ。
食蜂と垣根も、風斬を見て意外そうな表情を浮かべている。
「風斬氷華さん、ですかぁ。また変わった人が出てきましたねぇ。あぁ、でもインデックスさんとはお友達なんでしたっけぇ」
「へぇ、ヒューズ=カザキリか。アレイスターの玩具が何のようだよ?」
「もちろん、インデックスを助け出しに来ました。第五位の食蜂さん、第二位の垣根さん」
「えらく余裕じゃねえか。おもしれえ、一度人間サマの力を見せつけてやろうか。お前も絆パワーとやら見せてみろよ」
「もう、見せてるじゃないですか」
「あ?」
「私がここに居ること、それ自体が絆の力だと思うんです」
風斬は微笑みを崩さない。
それはまるで慈悲深い天使の様な笑顔で。
上条もインデックスも、その暖かい表情に抱かれるような、そんな感覚を受ける。
ここで食蜂の表情が変わる。
何が彼女にとって引っかかったのか。
今までとは明らかに違う、目を細めて不機嫌さを隠そうともしていない。
「……そんなのただ他人に甘えているだけじゃないですか。結局上条さんはそうやっていつも他人頼み、そういう事なんでしょう。
人を利用するという点では私と何も変わらないじゃない。支配力だけは認めてあげますよ」
「それは違います」
食蜂の言葉に、上条ではなく風斬が答える。
しっかりとした、真っ直ぐな声だった。
「私は私の意志でここに居ます。そして上条さんやインデックスが私の事を助けてくれた時もそうだったでしょう。
そこに利害目的なんて存在しないんです。甘えてもいいじゃないですか、頼ってもいいじゃないですか。私達は友達なんですから」
「…………」
「もしも上条さんやインデックスが居なければ、私はこうしてこの場に存在することもできなかった。
そんな恩人の役に立ちたい。もっと一緒に居たい。他の誰でもない、私自身が強くそう思っているんです」
「もういいです」
切り捨てるように、食蜂の冷たい声が響く。
彼女の顔からは、表情というものが消えていた。
無表情。
言葉としてはそれ程珍しいものではないが、その言葉が指し示す真の表情を、上条は今ここで初めて見た気がした。
そしてその無表情というものは、背筋が凍るほど恐ろしいものだという事も今知った。
ゴクリと生唾を飲み込む上条。
インデックスの方を見ると、心配そうな表情で風斬のことを見つめている。
風斬は、食蜂のそんな視線を真っ向から受け止める。
「私は私の友達を助けます」
「そんな事ができると思っているんですか? いくらあなたでも第一位と第二位を相手にするのは無理でしょう?」
「そうですね。でも……」
そこまで言って、風斬はゆっくりと目を閉じた。
決して諦めたわけではない。
その瞬間、風斬の体が、外からの夕日に負けないくらいの輝きを放ち始める。
それに対してすぐに動いたのは垣根だった。
背中から伸びる真っ白な翼を風斬に向かって思い切り叩きつける。
「……?」
垣根は怪訝そうな表情を浮かべる。
翼は、風斬の体を通過してそのまま床を砕いていた。
部屋にいる全員がそんな彼女を見て唖然とした表情をする。
風斬はどこか切なげな表情を浮かべる。
「少し無理をして出てきたので、もう実体も保っていられないんです」
「……それじゃ何も役に立てないじゃなぁい。何しに来たんですかぁ?」
「何も役に立てないことはありません。私は学園都市の学生のAIM拡散力場の集合体ですから」
「どういう事かしらぁ」
「私はAIM拡散力場の集合体、みなさんの力でここに存在することができています。
でも、それなら。私のこの体からみなさんのAIM拡散力場への干渉も可能ではないでしょうか」
「なるほどねぇ、それで私のAIM拡散力場に干渉できれば……っていう事ですかぁ。
でもここの学生って150万人以上いるんですよぉ? その中の一人に対しての影響力なんて微々たるものっていうのが分からないんですかぁ?」
「そうかもしれません。それでも、どれだけ小さな力でも。そこから繋がってくれるものがあるはずです」
風斬は上条とインデックスを見る。
優しくて、儚い目だ。
風斬の姿が光に包まれだんだん薄くなっていく。
その姿は悲しくとも美しい。
上条はそう思ってしまった。
インデックスは悲痛の表情を浮かべて、
「ひょうか!」
「大丈夫だよ、インデックス。また、会えるから。……あ、でもインデックスがここに居る間にまた出てくるのは少し無理かも、あはは」
「そんな……!! やだよ、ひょうか!!」
「私を信じて。科学と魔術の溝は、いつか必ず埋まってくれる。だってこうして、私とあなたは友達になれたんだから」
「それは……そうだけど……!!」
「ふふ、また今度一緒に遊ぼうね」
目に涙を浮かべるインデックスに、風斬は微笑む。
どこまでも暖かくて、そして切ない笑顔。
外から差し込む綺麗な夕日の光に照らされたその表情は、普通の人間のものよりも人間らしい、そう思った。
それだけにこうして彼女が消えてしまうという現実が重くのしかかってくる。
時が止まることはない。
光は容赦なく彼女を包み込み、連れ去ろうとする。
上条は力を込めて一方通行の拘束から抜けだそうとする。
「風斬!!!」
「ごめんなさい、これが今の私でも役に立てる方法なんです」
「なんだよそれ……だからってお前が…………」
「犠牲になる、とは思っていませんよ。私はまた友達と遊びたいから、この道を選んだのですから」
「…………」
「インデックスのこと、お願いしますね」
「……あぁ」
上条は風斬を真っ直ぐ見て一言しっかりと答える。
格好は一方通行に押さえつけられたままという情けないものだ。
それでも、上条の目は死んでいない。
風斬は安心したように頷いてくれた。
そんな彼女の動作に、上条の胸が締め付けられるように痛む。
だが、目を逸らしてはいけない。
彼女から託されたもの、それはしっかりと受け止めなければいけない。
今にも沈みそうな太陽が、最後の光を放つ。
そして、その瞬間、
風斬はいくつもの光の粒になって消えてしまった。
インデックスが耐え切れなくなって頬に涙が伝う。
声はあげなかった。
彼女はただじっと、風斬が消えていった場所を見つめていた。
そこに風斬氷華が居たという形跡は、光の残滓だけになってしまっていた。
そしてその光も次第に消えていく。
外の太陽は地平線の下へと沈んでしまい、夜の闇が部屋の中にまで侵食してくる。
食蜂は眉一つ動かさずに、つまらなそうに口を開く。
「まったく、何がしたかったのやらぁ。案の定私の能力にも何も――――」
ブオッ!!! と凄まじい旋風が吹き荒れた。
割れた巨大ガラス窓から吹き込んできたものではない。
部屋の中、それも上条のすぐ近くからその風は吹き出した。
いや、風というよりは衝撃波と呼んだほうがいいかもしれない、それほど凄まじいものだった。
近くのテーブルは全て吹き飛び、食蜂はコテンと床に尻餅をつく。
そして比較的離れた所にいた垣根は鬱陶しそうに顔を振り、インデックスは向かってくる風に手を顔の前に出して耐える。
上条の体を押さえつけていた力がなくなった事に気付いたのは少ししてからだった。
一方通行はもう上条のことを見ていない。
学園都市最強の能力者の瞳は、ただ真っ直ぐ食蜂へと向けられていた。
その背中からは、真っ黒な翼が広がっていた。
「う、ウソでしょ……」
食蜂は絶望に染まった表情で後退りする。
風斬の想いは繋がった。
彼女が自分を消してまで残した食蜂への対抗策。
その効果は食蜂が言ってた通り、微々たるものだったのかもしれない。
だが、その小さな穴は広がって、大きな突破口となった。
(見てるか、風斬?)
上条は立ち上がって一方通行の背中を見る。
その黒い翼は風斬のそれとは全く違うものだ。
それでも、今はとても頼もしく救いの光に見える。
一方通行は無言で食蜂の方を見ている。
この様子だと、おおよそ全ては把握しているのだろう。
準備運動のように、右手をパキパキと鳴らす。
「俺を無視してんじゃねえぞコラ」
そんな声が聞こえた瞬間。
ドッ!!! という爆音と舞い上がるホコリと共に、目の前から一方通行の姿が消えた。
上条は咳き込みながら、驚いてすぐに辺りを見渡す。
割れたガラス窓の向こう。
地上から10メートル以上はあると思われる上空に少年は放り出されていた。
もちろん、自分から飛び出したわけではない。
原因は先程の声の主、垣根帝督だ。
そのまま垣根も一方通行を追って、空中へ飛び出す。
それからは凄まじかった。
目にも止まらないスピードで両者はぶつかり合い、白と黒の翼を打ち付け合う。
地面に足がついていないなんて関係ない、両者は当たり前のように大空を舞っていた。
人間の領域からは外れてしまっている、そんな光景だった。
とはいえ、いつまでもそれを眺めている場合ではない。
上条には上条のやるべきことがある。
「……終わりだ食蜂」
「どうしてですかぁ?」
「もうお前を守ってくれる奴は居ない。俺の右手でお前をぶっ飛ばせば、洗脳も全部解けるだろ」
「何を言っているんでしょうねぇ。新しい駒なんていうのは今すぐにでも呼べますぅ。便利なテレポーターも操ってるわけですしぃ」
「一方通行はどうするんだ? 第二位じゃ第一位には勝てない、違うか?」
「…………滝壺理后を使います」
「滝壺一人で何とかなるのか? 逆を言えば、もうアイツに頼るしかないってことだろ」
「…………」
食蜂は黙る。
顔は俯いてしまい、今や月明かりしか光源がなく部屋も暗いのでその表情は良く見えない。
少し離れた所に居るインデックスに、そこに居るようにと手で合図する。
彼女にはもう涙はない。
固い意志を秘めた毅然とした表情でこちらを見て頷く。
「……ふふ」
笑い声が漏れた。
上条のものではない。いくら有利な状況になったとしても、そんな余裕が出るはずがない。
食蜂の表情は良く見えない。
しかし、その口元だけはかろうじて見ることが出来る。
彼女は微笑んでいた。
上条は背中から冷や汗が流れるのを感じる。
雰囲気が、変わった。
「何がおかしいんだ」
「居るじゃないですか、学園都市最強の能力者に対抗できる人がもう一人」
「なに……?」
「あなたですよ、上条さん」
食蜂が手に持ったリモコンを突きつけてきた。
思わず喉が干上がるかと思う。
まるで銃口を向けられているような感覚だ。
彼女の指の動き一つで全てが変わってしまう、その点では銃と変わらないのかもしれない。
インデックスが息を飲む声が聞こえた。
上条は再び右手を上げてインデックスを制止する。
「体全体に作用する能力は俺には効かないぞ」
「知ってますよ。でもあなたは夏休みに錬金術師アウレオルス=イザードの記憶操作を受けた事がある」
「なっ……なんでそんな事知ってんだ」
「土御門元春さん。彼、いろいろと知っているんですねぇ」
「っ……!」
「とにかく、それなら私の記憶操作もあなたには有効だと考えるのが自然です。
まぁ、私としてはあなたにはきちんと絶望してほしかったんですけど、この際仕方ないでしょう」
食蜂がわずかに頭を横に傾けると、髪の間から片目だけが見えた。
その目はとても中学生とは思えないような、冷たい光を宿している。
上条はその視線を受け止め、口を開く。
「そこまで想いや絆を否定するのは、お前が精神系統の能力者だからか?」
「それもあるんですかね。まぁ、でも案外分かりやすいというかありきたりな理由ですよ」
「以前に何かあったのか?」
「そこまで話す義理はありません」
「……そっか。じゃあやれよ」
「はい?」
「記憶操作ってやつ、やってみろって言ったんだ」
上条は両手を広げて無抵抗の姿勢を見せる。
その姿は、絶対能力進化実験の時、死にに行く美琴を止めた時とよく似ていた。
これに驚いたのはインデックスだ。
当たり前だ、敵対したレベル5に対してここまで無抵抗な姿勢は次の瞬間どうなっているかも分からない。
しかも今回の相手は美琴ではない。
手加減をする理由はなく、最悪本当に今まで全ての記憶を消されてしまう事も十分考えられる。
「と、とうま!?」
「大丈夫だ、インデックス。俺を信じろ」
「その自信はどこからくるんですかねぇ。私の能力をなめているんですか?」
「あぁ、その通りだ」
上条は自信満々にそう言い放つ。
これに対し、食蜂は顔をしかめる。
この学園都市において、能力というのは学生にとってアイデンティティの一つでもある。
それを否定されるということは、自分自身を否定されることと等しい。
上条は構わず続ける。
「お前の能力なんて俺には効かねえよ」
「挑発のつもりですか? その程度では私の演算は少しも狂ったりは――」
「いいから」
上条は食蜂の言葉を遮る。
そして少しも気後れした様子を見せない堂々とした表情で言い切る。
右手で頭を押さえていれば例え記憶を弄られたとしてもすぐに治すことが出来るだろう。
しかし、それさえもせずに、上条は自分の武器である右手を少しも動かそうとしない。
「やってみろよ」
食蜂の奥歯がギリッと鳴る。
それとほぼ同時に、リモコンを握る彼女の手の指に力が込められた。
***
第一ホールの戦いは長引いていた。
というよりも、美琴達が一方的に消耗させられていると言った方が正しいか。
こちらは四人。
御坂美琴、麦野沈利、浜面仕上、婚后光子。
無能力者である浜面を除けば、レベル5が二人にレベル4が一人と戦力的には決して問題はない。
だが、相手が悪い。
テレポーター二人。こちらはまだ何とかなる。
確かにテレポートも強力な能力ではあるが、対処法が全くないわけではない。
例えば座標攻撃が追いつけないほどのスピードで動くことができれば攻撃を避けることは可能だ。
その点に関してはレベル5ともなれば簡単にクリアできる。
問題は滝壺理后のAIM系統の能力だ。
この系統の能力は、能力者に対して絶大な効果が得られる。
学園都市の学生達は特別な力を持っていても、それが無くなればただの子供であることが多い。
能力そのものの主導権を握られるというのは、その生命線とも言える武器を奪われるのと同義だ。
このタイプの能力者については、スキルアウトなど能力に頼らず戦う者達が相性が良かったリする。
だが、そういった者達は逆にテレポーターなど強力な能力者にすこぶる弱い。だから何とか能力を封じようとキャパシティダウンなどに手を出したりする。
つまり相手は能力者とそれ以外の者。そのどちらにも対応できる面子だというわけだ。
美琴達は全員額に汗をにじませながら肩で息をしていた。
だんだん攻撃にかける時間よりも回避に回る時間のほうが多くなってきている。
こちらの攻撃は尽く滝壺に寄って防がれ、回避の時の能力使用に対しても干渉してくる。
そんな中で相手の攻撃を避け続けるのはそれこそ神経をすり減らせるような事の繰り返しだ。
「だぁ、くっそ! さすが滝壺、敵に回すと面倒くさい事この上ないわね」
「はぁ……ちょっとアンタらあの人の仕事仲間でしょ。何とかしなさいよ」
「できたらしてるっつーの。さすが俺の滝壺だぜ」
「この状況で惚気けるとか果てしなくムカついてくるからやめて」
「……そうですわ!」
その時、婚后光子が何か期待を乗せた声を上げた。
表情にはやはり疲労の色が浮かんでいるが、それでも何か光を見たらしい。
「どうした?」
「あなた、浜面さんとおっしゃいましたわよね? そしてあのジャージの方はあなたの恋人、これでよろしくて?」
「あぁ、そうだけどっ!!」
浜面が答えた瞬間、突然真上に椅子がテレポートされたので、慌てて転がって回避しつつ答える。
婚后も相手に狙いを絞らせない様に風を使って素早く動きながら続ける。
「あの方にかけられている食蜂操祈の洗脳、それを解く鍵があなたにありますわ」
「レベル5の洗脳がそんな簡単に解けんのか?」
「いや、無理よ。それこそあの馬鹿の右手とかない限りは……」
「できますわ! 浜面さんには素晴らしい武器があります!」
「武器だぁ? 浜面の武器なんざ銃くらいだろ。
そんなもんテレポーターに簡単に避けられちまうし、何より浜面が滝壺を撃てるわけないじゃない」
「あぁ、俺はあんたらと違って無能力者だ。武器なんてもんは……」
「何をおっしゃっているのですか。浜面さんには私達にはない素晴らしい武器がありますわ!」
「え、婚后さん?」
やけに確信的に話す婚后に、美琴達もそちらに注目する。
それはこの状況を打開するきっかけになり得るか。
美琴達はそんな淡い期待を抱いて言葉を待つ。
そして婚后はそんな皆からの視線を満足気に受け止めると、自信満々に宣言した。
「浜面さんの持つ素晴らしい武器、それはズバリ“愛”ですわ!!!!!」
ガクッと強烈な肩透かしを食らった。
浜面は思わずそのままどっかのギャグマンガのようにズコーと転んでしまいそうになってしまった。
もしこの場面が日常の一コマだったらそういった反応もありだったかもしれないが、ここはバリバリの戦場だ。
そのズコーが原因で鉄矢が体に突き刺さるなんていうのはさすがに笑えない。
何も愛というものを全否定するつもりはない。
だがやけに自信満々に言い放ったので、もっと具体的な案だとばかり思っていただけに拍子抜け感が凄まじい。
「えーと、んで愛つっても具体的にはどうすんだ……?」
「それはもちろん熱い抱擁にキスですわ! それで上手くいかない事なんてありません!」
「……お嬢様の頭の中は想像以上にお花畑みたいだな」
「ちょっと、私を見ないでよ!」
浜面の視線に美琴が憤慨する。
美琴も美琴で上条関係では色々と乙女だが、それでもさすがにここまでという事はない。
「へぇ、面白いじゃない」
「「は?」」
いきなりそんな事を言ったのは麦野だった。
浜面と美琴は目を見開いて驚いて彼女を見る。
「お、お前何言ってんだ……?」
「どうせ他に策もないし、いいじゃない」
「それはそうだけど……」
「さすが、分かってくださると思っていましたわ!」
「おい麦野、お前俺をギャグ要員にしようとしてねえか?」
「私も別に何の根拠もなしに言ってるわけじゃないわよ。何かがきっかけで本人が洗脳を破る、それは実際に起きるらしいわよ」
「相手がレベル5でもか?」
「原理は一緒でしょ。不可能ではないって分かってるんだから、後はあんた達の問題よ」
浜面は黙って麦野の事を見る。
その表情から、どうやら本気で言っているという事は分かる。
麦野は本当に変わったと思った。
以前までの彼女はこんな不確実な方法を選んだりはしなかった。
いつでも正確に、任務の達成だけを目指す。
それがアイテムのリーダーである麦野沈利だった。
浜面は少し考えて、
「……いや、でもハグしてキスなんてできねえだろ。確実にその前に妨害にあう」
「それならば声ですわ。愛する人の言葉であればきっと届きます!」
「わ、分かったよ」
婚后の気迫に若干押される形になりながら、浜面は滝壺を見つめる。
明らかに生気のない瞳。それを見るとすぐにでも助け出したいという気持ちが強くなっていく。
逆の立場になって考えてみると少し希望が持てた。
もし自分が洗脳されていて滝壺が呼びかけてきたとしたら……その声がきっかけで洗脳を敗れるかもしれない、そう思えた。
「滝壺!!」
「…………」
「なぁ、シカトされたんだけど」
「ただ名前を呼ぶだけではダメなのかもしれませんわ」
「じゃあもので釣ってみなさいよ。後でアイテムみんなにご飯奢るとか」
「ちゃっかり滝壺以外を含めてんじゃねえ!!」
「ちっ、相変わらず男のくせにセコいわね」
「お前な……」
麦野に関しては真面目に考えているとは思えなく、浜面は肩を落とす。
それでも、立ち止まっているといつテレポート攻撃をくらうか分からない状況なので、しっかり動き続けるのは忘れない。
すると今度は美琴が口を開く。
「えっと、それなら…………『この戦いが終わったら結婚しよう!』とかは?」
「それ絶対言っちゃいけないセリフだよな!?」
「え、なんで?」
「あー、いや、もういいです」
美琴としては乙女心全開の言葉だったのだが、浜面の反応はイマイチだ。
女の子的にはそういったプロポーズに憧れるというのは当然なのかもしれないが、そう簡単に言う気にはなれない。
浜面としては、真っ当な仕事に就いて子供の一人や二人養えるくらい稼げるようになってから言いたい。
仕方ないので、ここは自分で言葉を考えることにする。
何か滝壺が興味を惹かれそうな言葉。
しかしいざ考えてみると驚くほど何も出てこない。
普段からぼーっとしていて何を考えているのかよく分からない事も多いが、これは彼氏として相当まずいんじゃないかと不安にもなってくる。
思い返してみれば、これまでもそこまで彼氏らしいこともできていなかった気がする。
デートしても絹旗映画のせいでグダグダになったり。
二人でフレメアを歯医者に連れて行った時は子供ができたらこんな感じなのかなぁ、などとは思った。
ただ、なんというか、全体的に色気的なものが決定的に足りない気がする。
詰まる所、二人の振る舞いは恋人同士になる前となんら変わっていないんじゃないか。
何がいけないのか。何かやらなくてはいけない事があるのではないか。
そう考えた時、真っ先に浮かんできたのはR-18的なものだった。
(……いやまだ早いだろ)
ラーメン屋でも思ったが、もしかしたら自分は意外とこういう事に臆病なのかもしれない。
しかしこれは滝壺のことを想っているからこそなんだ、と浜面は半ば無理矢理に納得する。
(他にはないか……つかエロい事以前にまだ色々とやってない事とかありそうな…………)
例えば名前の呼び合いなど。
今現在も互いに苗字で呼び合っている事に少なからず気にするようになってきた浜面。
だが上手いきっかけもなくズルズルと今に至っている。
考えれば考えるほどに上条のことを笑えないほどのヘタレなのではないかと自己嫌悪に陥りそうになった時。
ふと、ある事が頭に浮かんだ。
「そうだ」
簡単な事だった。
エロい事とか名前の呼び合いとかそういう以前に。
まず根本的な事から問題があった。
「……そういえば俺、滝壺に好きって言った事ねえかも」
「「は!?」」
「まぁ!」
女の子らしからぬ声をあげたのは美琴と麦野。
そして婚后も婚后で目を丸くして驚いていた。
それはそうだ。
付き合って三ヶ月経つ者が言うようなセリフではない。
「ちょ、じゃあどうやって付き合ったのよ!? 告白なしで付き合えるなんて裏ワザあるわけ!?」
「おい第三位、食いつきすぎ。つかこの状況で余裕あるわね」
「でも、それならそれで、これもいい機会ですわ!」
「あー、確かにそうかもな」
浜面は気恥ずかしくなって咳払いをする。
滝壺のことが好きだという気持ちにウソはない。
だがそれを口に出すというのはなぜか少し勇気がいる。
せめて二人きりだったらとも思うが、状況が状況なので仕方がない。
「滝壺」
「…………」
やはり返事は返ってこない。
だが、浜面は構わず続ける。
自分の中の想いを言葉にする。
「お前のことが好きだ。この地球上の誰よりも」
言った。言ってやった。
ドクンドクンと鼓動が早い。嫌な汗も引かない。
しかしそんな中で困難な仕事を終えた後の達成感に似たものを浜面は感じていた。
まだ問題は何も解決していないにも関わらず、何かもうやり遂げたといった感じだ。
ともかく、それだけ告白というものは緊張するものだということを身を持って知った。
そんな浜面を見て麦野は呆れたように、
「なんかくさすぎない? ていうかそれパクリでしょうが」
「う、うっせえな!」
「まっ、浜面に妙な期待しても仕方ないか」
そう言って美琴と婚后の方を見る。
だが麦野と違って二人はぼーっと頬を染めていた。
どうやら彼女達にはかなりアリだったらしい。
「……夢見がちな乙女かあんたら」
「な、なによ人の感性にケチつけてんじゃないわよ!!」
「そうですわ!! 素晴らしかったじゃないですか!!」
「分かった分かった。それより…………あ?」
麦野は面倒くさそうに話を切り上げようとして止まった。
こうした乙女的なやりとりをしている間にも、三人は絶えず動き回っていた。
そうしなければ、テレポーター相手には致命的な隙を与えてしまうからだ。
だから、ここで麦野がこうして立ち止まるのは自殺行為に近い。
「ちょっと麦野! 何止まってんのよ!!」
「テレポーター共の様子がおかしい」
「えっ?」
「何も変わらないように見えますが……」
「さっき私が撃った光線への対処がぎこちなかったのよ」
「ぎこちない?」
麦野の言葉を受けて、美琴も試しに結標に向かって何発か電撃を放ってみる。
案の定、それはテレポートで避けられてしまい、青白い稲妻は何もない空間を素通りする。
だが、それを見て美琴も眉をひそめた。
しばらく戦い続けていたから分かる。相手の反応が鈍い。
さっきまではもう何テンポも速く避けていたはずだ。
それに比べて今は、まるでネットのラグみたいに微妙なズレを感じる。
そしてそれは婚后にも分かったらしく、
「確かに反応が鈍くなっているようですわね」
「……どういう事? 滝壺さんに影響が出るなら分かるんだけど、何で結標や黒子まで」
「さぁね。でもチャンスである事に変わりはない。おい浜面!!」
「なんだ!? どうすればいい!?」
「ハグでもキスでもして、どうにかして滝壺の目を覚まさせなさい! たぶん今ならテレポーターを抑えられる!」
「わ、分かった!」
浜面はそう言うと、滝壺に向かって走りだす。
当然それを黙ってみているつもりはないテレポーター二人はすぐに攻撃しようとする。
しかしその前に麦野の光線、美琴の電撃、婚后の暴風が二人を襲う。
結標と白井はそれに対して自身をテレポートしてかわしていく。
だがそれ以上の事はできない。
先程まではこれに加えて浜面に攻撃を加えるという事もできたはずだが、今はその余裕は失われている。
詰まるところ、攻撃を避けるだけで精一杯というわけだ。
「滝壺……っ!!」
浜面はついに滝壺のところまで辿り着くことができた。
そのまま彼女を抱きしめる。もう二度と離さないように。
腕の中の彼女は暖かく、それは心の中まで染み渡っていくようだった。
この状態を危険だという者も居るかもしれない。
現に滝壺は洗脳されていて、先程まで浜面達を追い詰めていた。
だが浜面は信じていた。
自分の言葉は確かに彼女に届いている。
滝壺はしばらく腕の中でピクリとも動かなかった。
顔も俯いていてよく分からない。
しかし、次第に。
滝壺の腕がゆっくりと上がる。
その腕で彼女は何をするのか。
洗脳されているとすれば、どこかから取り出した刃物で刺される。そんな心配もある。
それでも、浜面は少しも動かない。
ただ彼女の存在を確かめるように、腕の力を強めて抱きしめる。
……滝壺の腕は。
浜面の背中に回された。
「はまづら」
「た……きつぼ……?」
彼女が顔を上げる。
そこにあったのは、頬をほんのりと染めた愛おしい恋人の表情だった。
浜面はそれを見て、安心のあまり涙がこみ上げてきそうになる。
滝壺はそんな浜面の表情を見て穏やかに笑って、
「私も、大好きだよ」
どちらからしようとしたのかは分からない。
二人は自然に顔を近づけ……唇を重ねていた。
考えてみれば、これでやっと二回目だ。
しかし浜面はそれはどうでもいいと思えた。
一回目の時もそうだが、こういう事は数だけ増やせばいいというものではないと思うからだ。
周りは関係ない。自分達は自分達のペースで。
こうして触れ合っているだけで心が満たされる、恋人でいる意味というものなんてそれで十分ではないか。
……ここで忘れていけない事がある。
それは今ここは別に二人きりいう状況でもないという事だ。
「キスまでする必要あんのかしら」
イライラしたように言ったのは麦野だ。
一方で婚后は目をキラキラと輝かせて浜面と滝壺を見ている。
「素晴らしいですわ! まるで映画のワンシーンのようです!!」
「……はぁ」
「えっと……麦野?」
「なによ」
「あ、いや、何でもない」
美琴は何かを言おうとしてやめた。
麦野にとって今目の前の光景はどのように映るか。
自分に当てはめてみるなら、上条とインデックスがキスしている所を見ているようなものなのだろう。
そう考えたら胸を締め付けられるような感覚に襲われ、何も言うことができなくなってしまったのだ。
「……つか、あのテレポーター達、余計おかしくなってるわよ」
麦野がふとそんな事を言ったのでそちらへ目を向けてみる。
白井と結標はブルブルと震えていた。もちろん寒さとかではないだろう。
「隙だらけ……ね。今なら私の電撃で二人共気絶させられそうだけど……」
「少々心配ですわね。あの二人の様子は普通ではないです」
「滝壺の洗脳を解いたことで他の奴らにも影響してるのかしら。いや、でも上条が浜面の洗脳を解いた時は別にそういう事はなかったわね」
よく見てみれば、周りを囲んでいる常盤台生も同じような状態に陥っている。
麦野は少し考え、
「第五位に何かあった……とか?」
「それが一番しっくりくるわね。まぁとりあえず……」
美琴はそう言うと、掌から電撃を連発する。
それらは真っ直ぐ白井と結標へ向かい、正確に二人を撃ちぬいた。
その後糸が切れた人形のように地面に倒れる二人を見て美琴が口を開く。
「避ける素振りも見せなかったわね」
「だからって容赦無いわね第三位」
「気絶させただけだっつの。アンタの能力みたいにくらったら終わりじゃないわよ」
「それに白井さんは御坂さんの電撃は受け慣れていますものね」
「ははは……」
「つーか、そこのバカップルはいつまでそうしてる気だオイ」
ここで麦野が呆れ半分、怒り半分といった様子で浜面と滝壺を見る。
さすがにまたキスをしているというわけではないが、それでもまだ二人は抱き合っていた。
浜面は麦野の言葉で我に返ったらしく、すぐに離れた。
「わ、悪い。まだ終わってねえんだよな」
「ごめん、むぎの。はまづらが暖かくて心地よかったからつい」
「滝壺……」
「だから何でまたそういう空気になんだよバカップルがァァ!!」
再びイチャイチャしようとする二人に対し、ついに麦野が爆発する。
これが普通の女の子なら可愛いものなのだろうが、麦野の場合は大惨事に繋がる。
「落ち着きなさいって……それより」
美琴は苦い顔をしながらそれをなだめつつ、辺りを見渡す。
自分達を取り囲む常盤台生達はまだ様子がおかしい。
これは今の内に彼女達も気絶させておくべきなのではないか。
そう判断した美琴は右手に電気を集中させバチバチと音を鳴らす。
「おい待て」
だがそうも事を上手く運べない。
麦野が声を発した次の瞬間、常盤台生達は一斉に掌をこちらにかざしていた。
美琴は顔をしかめて、
「……調子が戻ったって事かしら」
「ったく、テレポーター二人とどっちが面倒か微妙なところね。暗部の仕事でもこれだけのレベル3以上を相手にしたことなんてなかったわよ」
「泣き言は言ってられませんわ。学友を傷つけるのは忍びないですが、やむを得ません」
「レベル0の俺からすればこれはもう完全に詰んでる状況なんだけどよ……」
「大丈夫、はまづらは私が守るから」
それぞれの心持ちには差があっても、状況は待ってくれない。
その後、大ホールには再び能力による破壊の音が連続した。
***
「ぇ……ぁ…………」
滝壺の洗脳が解かれた頃。
食蜂操祈は強烈なめまいに頭を押さえてよろけていた。
何が起きたのか理解できない、理解したくない。
今までこんなことは一度もなかった。
このレベル5の洗脳能力は完璧だった。それが破られた。
それも幻想殺しといったイレギュラーなものによってではない。
一人の何の能力も持たないレベル0の者の言葉によって、操っていたはずの人間が自発的に洗脳から脱出したのだ。
「ぁ…………ぁぁあああ…………!!」
周りが見えない。
上条当麻は近くに居るのに、そちらに集中することができない。
足元がおぼつかない。
まるで大地震が起きているかのように、真っ直ぐ立っていることができない。
ありえないありえないありえないありえない。
頭の中ではぐるぐるぐるぐると同じ言葉が何かの呪文であるかのように巡り続ける。
それでも、現実は少しも変わらない。
自分の能力が何の能力もなしに破られた。その絶対的な事実が重い石になって自分を押しつぶそうとしてくる。
「――――!!!」
上条が何かを話している気がするがどうでもいい。
いや、気にしている余裕がない。
どうすればいい。
どうすれば自分はこの世界に留まることができる。
認めない。認めるわけにはいかない。
この能力は、レベル5の「心理掌握(メンタルアウト)」は。
自力で解けるようなものであってはいけない。
「……そうよ」
光が見えた気がした。
そういえば、先程までここには風斬氷華というイレギュラーな存在が居た。
彼女は自らの存在を犠牲にすることでAIM拡散力場に変化を加え、この能力に干渉しようとした。
結果的にそれは成功し、その僅かな変化と黒い翼の覚醒によって一方通行の洗脳が解かれるという結果になった。
それならば、他に操っている者にも影響がでるのは別に不思議ではないのではないか。
「あの……風斬氷華のせいよ!!! 私の能力が何もなしに解けるわけない!!!」
「何を言ってんだ……?」
「あは、あはははは……そうよ……そうよ…………っ!!!」
光が戻ってきた。
もう周りが見える。音も聞こえる。
上条が怪訝な目で、インデックスが不安そうな目でこちらを見ているのが分かる。
何も取り乱す必要なんてなかった。
よく考えればそこには理由があって、自分の信じたものは少しも揺らいでいないという事が分かる。
食蜂は再び笑みを浮かべる。
いつもの、女王らしい余裕たっぷりの笑みを。
「ふふ、ごめんなさぁい。ちょっとこちらでアクシデントがありましてぇ」
「アクシデント?」
「えぇ、御坂さん達の方を任せている滝壺理后が私の洗脳を解いちゃいましてぇ。
まぁどちらにせよ彼女達は大勢の常盤台生に囲まれている状況ですので、大きく事態が好転したとは言えないですけどねぇ」
「……随分余裕だな。これでお前は一方通行を止められる駒を失ったんだぞ」
「ですから、第一位さんに対抗する駒なら目の前にいるじゃないですかぁ」
食蜂はクスリと笑って、再びリモコンを上条に向ける。
この距離なら十分に能力の有効圏内だ。
それに上条には幻想殺ししかなく、急に加速するような手段を持ち合わせていない。
ならば迅速に的確に事を済ませてしまったほうがいいだろう。
そう判断した食蜂は指をボタンの上まで持っていく。
上条は動かない。
ただこちらをじっと真剣な目で見つめているだけだ。
食蜂はその目が気に入らない。
人の精神について多少の知識を持っているので分かる。
あの目は何も諦めていなく、ただ前を向いている目だ。
上条は本当にこのレベル5の能力を恐れていない。
本気で、幻想殺しなしで何とかできると思っている。
それならば思い知らせてやればいい。
頭の中の記憶を根こそぎ改ざんして、全てが終わった後に元に戻す。
その時の絶望の表情を思えば、この憤りも気にならない。
食蜂は口元の笑みを薄く広げて、ボタンに乗せた指に力を込める。
ピッ、という軽い電子音が辺りに響き渡った。
それは割れた巨大ガラス窓から入り込む風にかき消されてしまうほどに小さな音だった。
しかし、そこに居る者達には不思議と大きく聞こえた。
それだけ、その音は重大な力、そして意味を持っていた。
***
一方通行と垣根は夜の空を自由に舞い、それぞれの黒い翼と白い翼を打ち付け合う。
両者がぶつかり合う度に辺りには凄まじい轟音と衝撃が響き渡る。
当然、両者とも無事ではいられない。
一方通行には致命傷とまではいかなくとも、細かい傷が徐々に増えていく。
普通の攻撃ならば反射の力が働いて彼を傷つけることは不可能なのだが、相手はこの世に存在しない物質を操る能力者だ。常識は通用しない。
以前戦った時はその未元物質のベクトルさえも掴み凌駕することができたのだが、今はそれができない。
それは相手の能力がさらに変質したからなのか、この感覚はどこかで覚えがあった。
そう、最近になって触れる機会が増えてきた“魔術”だ。
あれと同じように、正確にベクトルの制御を加える事ができない。
結果として攻撃をかわしきれずに傷を負うという事になる。
「はは、はははははははは!!!!! おいどうした一方通行ァァ!!! 第一位ってのはこんなもんだったかあ!?」
垣根は歪んだ笑みを浮かべながら、純白の翼を思い切り叩きつけてくる。
見た目だけなら幻想的で美しい翼でも、その一振りで人間を肉片に変えることができる凶悪な武器だ。
だが所詮は直線的な攻撃だ。
一方通行は冷静に相手の動きを見て、カウンターで合わせるように黒い翼を打ち付ける。
それは見事に決まったかのように見えた。
黒い翼は垣根の右腕に直撃し、肩からバッサリと切り落とした。
普通ならばこれで勝負が決まったと見てもいいはずだ。
しかし、この相手にはそれが通じない。
直後には、垣根の肩から新たな腕がズリュッと生えてきた。
これも、未元物質の力だ。
一方でこちらに向かってくる相手の白い翼は止まらない。
一方通行は小さく舌打ちをすると、黒い翼で受け止めた。
だが、それだけでは衝撃を殺しきれない。
ガギギギギギギギ!!! という鈍い音がしばらく連続するが、その後一方通行のほうが弾き飛ばされてしまう。
そのまま一方通行はかなりの勢いで落下していき、5階建ての建物の屋上に墜落した。
「くっ……」
砂埃の中立ち上がる一方通行。
あれだけの高度から叩き落されれば普通ならば生きてはいられないはずだが、彼には学園都市最強の能力がある。
それを使えば例え飛行機から突き落とされても無傷で着地できる。
しかし無効化できるのはあくまで落下のダメージだけだ。
垣根の能力による衝撃は体に響いており、ギシギシと骨が軋むのを感じる。
ブォッと一気に砂埃が吹き飛ばされた。
すぐそこには垣根帝督が掌を真っ直ぐこちらに向けて立っていた。
次の瞬間、正体不明の衝撃が一方通行の全身を叩き、後方へと吹き飛ばす。
そしてそのまま屋上の外周に張り巡らされた飛び降り防止のフェンスに背中から激突する。
「がっ、は……!!!」
一方通行はフェンスに寄りかかった状態で吐血する。
垣根は追撃にこない。
絶好のチャンスであるにも関わらず、ただニヤニヤとこちらを見ているだけだ。
「はっ、オラどうした、チンピラなんかにやられる程一流の悪党サマはヘタレちゃいねえんだろ?」
「そォいやそンな事も言ったか。よく覚えてンな、嫉妬深いババアみてェだ」
垣根は翼を一振りする。
それに伴い、正体不明の衝撃が再び一方通行の全身を打つ。
「ごぁぁあああ!!!」
「なんか言ったかコラ」
「……あァ、切っても切ってもニョキニョキ生えてくるタコみてェだってのを言い忘れてた」
「タコ、か。んなカワイイもんじゃねえだろ。ただの化物だろーが」
「自覚はあったンだな。メルヘン野郎には認められねェと思ってたが」
「俺にとって重要なのはテメェを殺せる能力かどうかだけだ。今更化物がどうのこうのなんていうのは興味ねえ」
「分かンねェな」
一方通行は小さく溜息をつく。
そこに含まれるのは呆れか哀れみか。
「アレイスターのプランってのはもォ崩壊しちまってる。俺を殺したところで、それがアレイスターに対する交渉カードになる事はねェぞ」
「……関係ねぇよ」
「あ?」
「んな事どうでもいいって言ってんだよ!!! 俺がテメェを殺すのはテメェが気に食わないからだ!!!
俺を生きてんだか死んでんだか分かんねえ状態にした上に、自分は光の世界でのうのうと生きてんのが許せねえだけだ!!!」
「…………」
「あぁ分かってる、これじゃテメェの言う通りただのチンピラの発想だ。だがそれがどうした!?
俺は今までも自分のやりたいようにやってきた!!! 欲しいもんは手に入れる!!! 気に入らねえものはブチ壊す!!!」
垣根は叫ぶと、渾身の力で翼を振るう。
それによって生み出された衝撃は全ての音を吹き飛ばす。
凄まじい力により、コンクリートの地面全体に深い亀裂が走る。
周りを囲うフェンスは全て吹き飛ばされた。
だが、一方通行は確かにまだ目の前に立っていた。
よろけることもなく、ただ堂々と。
「哀れだな、オマエ」
まるでワガママを言い続けるどうしようもない子供を見るような目つきだった。
変化が訪れる。
一方通行の背中から伸びる漆黒の翼。
それが純白に変わっていく。
垣根は驚きのあまり目を見開く。
それは色の変化という単純なものではない。
上手くは表現できないが、力の質が別次元のものに変わった。
どう足掻いても、この力には敵わない。
どれだけその考えを頭から押し出そうとしても、否応なしに頭の中に入り込んでくる。
「な……んだよそれは……」
「わりィが、オマエの都合なンざどォでもいい。ただ、俺は――――」
一方通行の頭の上に小さな輪が出現する。
垣根はそれを見て、あるイメージが浮かぶ。
ありえない。怪物と呼ばれる男にはあまりに不釣り合いなものだ。
一方通行は小さく、口を開く。
「この“世界”を守る、それだけだ」
その“世界”が何を指すのかも分からずに。
気付けば、垣根帝督の体は為す術なく地面に倒れ伏していた。
その光景は、神に背く悪人とそれを裁く天使のようだった。
***
「あははははは!!!」
夜の闇に染まった一室で、食蜂の口から楽しげな笑い声が漏れる。
手応えは十分。
もはや上条の精神は掌の上にあった。
「とうま!!」
「無駄よぉ。もう彼は私の虜☆」
食蜂はそう言ってインデックスに冷ややかな笑みを向けると、上条の方に向かって歩いて行く。
間違っていなかった。
食蜂の頭の中では、珍しく過去の記憶が流れていた。
どんなに仲の良かった友達でも、洗脳して自分を嫌うようにと言えばその通りにした。
無視して居ないもののように扱えと命令しても、やはりその通りにした。
それから怖くなって、やっぱり仲良くしてと命令すれば、すぐに以前と変わらない笑顔で接してくれた。
所詮はそんなものなのだ。
人との繋がりというのはよくドラマなんかでは美しく描かれている。
しかしそれらはあくまでフィクションの世界の話であって、現実はまるで違う。
現実はもっと単純だ。
この指を少し動かすだけで都合のいいように繋がりを生み出すことができる。
初めは苦しかった。
自分の生きていた世界はこんなにも脆いものなのか。
自分一人の力でこうも簡単に変わってしまうのか。
その失望感と絶望感が合わさって、もう生きているのも面倒くさくなった時もあった。
だが、時が経つにつれてそんな世界にも適応できた。
要はこの世界もフィクションのように考えればいいのだ。
周りの人間はそれぞれ自分の役を演じており、自分はその役を決める事ができる。
ただ、それだけ。
そう考えるだけで驚くほど楽になれた。
上条とインデックスの邪魔をするのも、大元の理由は単純なものだ。
魔術と科学の問題などを引き合いに出しても、それは単なる建前にすぎない。
要は人の心や絆を信じて何かを解決しようとするその姿がどうしようもなく気に入らなかっただけだった。
上条のすぐ近くまでやって来た食蜂はその左腕に抱きつく。
彼の目は光が灯っていなくうつろだ。
「ふふ、インデックスさぁん? 今上条さんにどんな事してるか教えてあげましょうかぁ?」
「どうせろくでもない事なんだよ」
「実は今、上条さんの中で私とインデックスさんの存在をそのまま入れ替えちゃってるんですよぉ。その意味、分かりますぅ?」
「それは……」
インデックスの顔に困惑の色が広がる。
食蜂とインデックスの存在を入れ替える。それはどういう事か。
「上条さんは私を守るために記憶を失った。それからはずっと私が上条さんの寮に居候している。
私のために錬金術師と戦った。私をゴーレム=エリスから守ってくれた。私と一緒にイタリアに旅行に行った」
「…………」
「私と一緒に風斬氷華を救った。私と一緒にイギリスのクーデターを戦った。私のために上条さんはロシアで戦ってくれた」
「とうま」
インデックスが一言、しっかりと上条に呼びかける。
だが、上条のその瞳に光が戻ることはなく、ただぼんやりとしてるだけだ。
先程まで敵だった相手が腕に抱きついているというのに、それに対して何の違和感も抱いていない。
まるでそれが珍しい事でもないかのように、気にしていない。
食蜂の口元が薄く広がる。
本当に楽しそうに、純粋無垢な子供の笑顔だ。
「ねぇ、上条さぁん。今がチャンスよぉ、私達の邪魔をするインデックスは片付けちゃいましょぉ?」
そう言って、食蜂は真っ直ぐ彼女を指さした。
上条はじっとインデックスを見つめる。
その後、彼女の方へと一歩踏み出す。
右手は固く握られている。
それでもインデックスは後ずさったりはしなかった。
こちらもただ真っ直ぐに上条のことを見つめている。
少しもブレずに、彼女には何かが分かっているようだ。
「とうま、私、怖くないよ」
「ふふ、強がり言っても無駄ですよぉ? できれば泣き叫んでくれたほうが私的には面白いんだけどなぁ」
「強がりなんかじゃないんだよ」
ここでなんとインデックスは笑顔を見せた。
「――私が大好きなとうまは、確かにそこに居るから」
迷いなんて少しも感じられない。そんな一言だった。
食蜂は少しの間唖然としてインデックスを見ていた。
その後、溜息をついてカクンとうなだれる。
そしてそのまま顔を上げずに、
「……はぁ、本当は脅しで済ませるつもりだったんですけどねぇ。でも気が変わりましたよ」
食蜂の顔が上がる。
そこにあったのは一片の笑みもない、酷く冷めた美しくも恐ろしい表情だった。
「可哀想ですけど、一発くらい殴られなきゃ分かんないようですね、上条さん」
「……あぁ」
上条に殴られる。
それは物理的なダメージ以上に、インデックスには辛いものなはずだ。
それでも彼女は少しも動揺したりしない。
上条に向けた視線を、決して逸らしたりはしない。
そして、上条は。
「――――俺はいつだってインデックスの側に居るよ」
バキィィィィ!!! と。
幻想殺しの宿った右腕が捉えたのは、食蜂の顔面だった。
完全に不意を突かれた一撃に、食蜂は為す術なくかなりの勢いで床に倒れこむ。
食蜂は混乱し過ぎて何も考えられない。
なぜ体がピクリとも動かないのか。なぜ自分は無様に床に仰向けに寝ているのか。
なぜ上条は自分を殴り飛ばしたのか。
分からない。何も。
ただ視界に映るのはこの部屋の高い天井だけだ。
それもかなり暗い。これは夜の闇のせいだけではない。
「……う……そ…………」
食蜂の綺麗な髪は乱れ、その顔のほとんどを覆っている。
そのせいで表情は読み取りにくく、何を思っているのかは掴みにくい。
それは彼女にとって幸いだった。
上条の幻想殺しによって、この能力は全て解除されてしまった。
もう全てが終わりであり、自分は敗れたのだという事は理解している。それは受け止めることができる。
だが、上条がこの能力を破ったという事だけは、どうしても認めたくなかった。
確かに上条には能力が効いていた。記憶の改ざんも成功していた。
それに自分で正しい記憶を思い出したというわけでもない。
もしそうだったなら真っ先に食蜂は気付いて、こうして床に転がっているなんていう事にはならなかったはずだ。
つまりそれは、記憶の改ざんを受けて、その上で上条はインデックスの為に動いたという事だ。
今まで上条が守ってきたのは食蜂で、その邪魔をしてきたのがインデックスだと頭に刷り込んでも。
上条は、インデックスを守った。
世界が崩れていくのを感じる。
もしかしたら、前提から間違っていたのかもしれない。
フィクションの世界にあるような絆は現実にも確かに存在している。
この洗脳能力だけでは変えられないものも確かに存在している。
食蜂操祈は、別に配役を決める存在ではない。
彼女の周りだけが脆い世界だった。
自分が本物の絆を持っていないと知っただけで、そんなものは現実には存在しないと決めつけた。
逆に考える事もできたはずだ。
こんな簡単に世界を変えられるのはおかしい。それなら。
ただ自分が……食蜂操祈がおかしいだけではないのだろうか。
いつもは人気者のように見えるが、そこには本物の絆が存在しない。
そう認めるのが、怖かっただけではないのか。
涙が、あふれる。
もう、嫌だった。何も考えたくない。
食蜂は声を出さずに静かに泣いて、意識を手放した。
目が覚めればそこには、自分の信じた世界があると願って。
***
「そんなわけでスタート地点だね?」
「毎度どうもすみません」
「まったく、僕は職業的に繁盛してもあまり喜ばしいことじゃないんだけどね」
いつものカエル顔の医者が話す。
いつもの病院のいつもの病室。
上条当麻はやはりこの場所に戻ってくるという宿命を背負っているのかもしれない。
現在時刻は午後九時。
常盤台最大派閥の女王様をぶん殴った上条当麻は、その後警備員(アンチスキル)やら何やらと色々あり今に至る。
まぁ元々は向こうが仕掛けてきたわけで、こちらが責められるいわれなど何もない……はずだ。
とはいえそれを考慮してもヘリを奪ったりは若干やり過ぎたらしく、お説教は食らったが。
ちなみに美琴達もそれぞれこの病院に入院している。
中でも美琴と麦野はそれなりの大怪我をしていたのだが、入院は今日一日でいいとの事だ。
普通ならてきとーすぎると色々な所に訴えられるような対応だが、納得するしかない理由がある。
今回の件にも絡んでいたレベル5の第二位、垣根帝督。
彼の能力である未元物質(ダークマター)により、大抵の怪我なんていうものはすぐに治ってしまうとの事だ。
「医者いらずですよねそれ」
「といっても普段から使える代物ではないんだよ。彼も中々気難しいからね。
今回も一方通行が彼を気絶させてくれていたから僕も治療に使えたという事だからね? それに君の場合は右手のせいでやっぱり僕が診ないといけないし」
カエル顔の医者は溜息混じりにそう言うと、パイプ椅子から腰を上げる。
「それじゃ、ゆっくり休むことだね? くれぐれも院内で騒ぎは起こさないように」
「善処します」
バタン、と扉が閉まる。
それからはひたすら静寂が部屋を包んだ。
上条は眠るわけでもなく、ただぼーっと天井を見上げて色々と考えていた。
食蜂の話ではイギリス清教がインデックスの回収に向かっているという事だった。
だが、その後インデックスの精神状態は通常以上に回復したらしく、やはりまだここに置いておくべきだという判断がなされたらしい。
今、彼女はその事でイギリス清教の使いと話をしているはずだ。
とにかく、謝らなければいけない。
今朝の言い争いは勝手に俺がイライラしていただけで、完全に俺が悪い。
許してもらえるかどうかは分からないが、とにかく頭を下げることだけは確定事項だ。
上条は頭の中でいくつもの謝罪の言葉を用意する。
その時、コンコンと扉をノックする音が部屋に響く。
上条はその音に思わず生唾を飲み込む。
扉の向こうに居るのは十中八九――――。
「ど、どうぞー」
「お、お邪魔します……」
いつもの白い修道服に身を包んだインデックスだ。
幸い今回の件で何の怪我もしなかったので、ここに入院することにはなっていない。
さて、これからは謝罪タイムだ。
しかしいつものノリとは違い、今回は割と本気のケンカだったので凄く気まずい。
ここは一気に言ってしまったほうがいいかもしれない。
上条は大きく息を吸い込むと、
「悪い、インデックス!! 俺――」
「とうま、ごめんなさい!! 私――」
……再び沈黙が部屋を支配する。
上条もインデックスも、キョトンとした様子で互いに見つめ合う。
そして。
「ぶっ」
「あはははははははは」
ほぼ同じタイミングで笑い出していた。
何かもう、真剣に悩んでいたのが馬鹿らしくなってきた。
上条当麻とインデックスはこういう関係でいいんじゃないか。
多少ケンカしてもすぐに元通り、それで何の問題もない。
そんな結論を出してしまうと、何かもう色々とおかしくなった。
インデックスは笑みを浮かべながら、
「もう、またとうまはこんな怪我して」
「いや、俺にしては軽傷だろこれ。成長してんだよ俺も」
「入院してる時点で威張れる事じゃないかも」
「うぐ……ま、とにかくインデックスには怪我がなくて良かったよ」
「……私だけ無傷っていうのはあまりいい気分しないんだよ」
インデックスはベッドに乗っかり、後ろから上条を抱きしめる。
前にもこんな事あったな、とぼんやりと思い出す。
やはりそこまで成長していないのではないか。
背中からはインデックスの声が聞こえる。
「短髪もしずりもりこうも……他にもたくさん私のせいで怪我をした。それなのに素直に喜ぶなんてできないんだよ」
「自分のせいとか言うなって。誰もそんな事思ってねえよ」
「でも……」
「それに助けられた本人がそんな顔してると、アイツらだって報われないだろ?」
「……みんな良い人たちだよね。私は幸せ者なんだよ」
「あぁ、そうだな」
ここで会話が途切れて短い沈黙が流れる。
といっても別にそれは居心地の悪いものではなかった。
「ねぇ、とうま」
「ん?」
「とうまはさ、あの時記憶の改ざんを受けたんだよね? それなのにどうやって私のことを守ってくれたの?」
「インデックスだって俺がお前のことを殴るだなんて思わなかっただろ?」
「それはそうだけど……でもちょっと気になって」
「そっか…………けど俺にも良く分かんねえんだよ」
「え?」
「たぶん前と同じだな。ほら、俺が記憶喪失になった時にさ……」
今でもよく覚えている。
ここに居る上条にとってはそれが全ての始まりだった。
「理屈とかそんなの抜きに、ただインデックスを守りたい。そう思えたんだ」
インデックスは何も言わなかった。
ただ、上条を抱きしめる力を強めていた。
「やっぱさ、心っていうのは確かに存在してると思うんだ。記憶とか関係なしにさ。
だから食蜂の心理掌握ってのはウソっぱちだな。アイツが操っているのはあくまで頭であって心じゃないんだからな」
「……ふふ、とうまに似合わずロマンチックなんだよ」
「何か物凄くむず痒くなってくるのでやめてください」
「あはは、分かったんだよ。…………もう一つ聞きたいことがあるんだけどいいかな?」
「あぁ、いいぞ」
「とうまはいつだって私の側に居てくれるって言ってくれたよね」
「おう」
「そ、それって……えと……その…………」
急に歯切れが悪くなるインデックス。
背中には小さくも柔らかい何かが押し当てられていたりするのだが、そこからドクンドクンと鼓動が早くなっているのも聞こえてくる。
そんなに変な事を言ったのだろうか。
インデックスの側に居る。それは今までだってそうだったし、そこまで動揺するような事ではないと思える。
「えっと……どうしたんだインデックス?」
「……あの、いつだって一緒に居てくれるっていうのは……私達がお爺ちゃんお婆ちゃんになっても……とかって事なのかな?」
「ん、あー、そうなれば…………ん?」
待て。待て待て待て待て。
ここで上条の全身から嫌な汗が噴き出るのを感じる。
いつだって一緒、それはつまり…………末永くお幸せに的な意味も含まれるのではないか。
「あ、いや、俺は別にそういう意味で言ったんじゃ……っ!!」
「え……とうまは、嫌なの?」
「はい??」
「……私はその……嫌じゃないよ」
ドクンドクンドクンドクンと。
それはインデックスから伝わってくるものなのか、自分のものなのか。
それもよく分からないほどに上条は動揺していた。
なんだこの雰囲気は。これからどうしろと。
高校生にしてはかなり濃い人生を送ってきた上条だが、これは完全に未知なる領域だった。
インデックスはどんな表情をしているのだろう。
上条の位置からはよく見えないが、少し後ろを向いてみれば分かるはずだ。
だが、そんな思いに反して体はピクリとも動いてくれない。
まるで蛇に睨まれた蛙のように、上条は身動き一つ取れないでいた。
その時、ガチャリという音と共に唐突に扉が開いた。
「おっす、大将! すげえなこの病院、ナースのレベルがたけーたけー!!」
「ちょっと、さすがにノックくらいしなさいよ」
そう言って入ってきたのは浜面仕上と御坂美琴だ。
さて、ここで今の状況を整理してみよう。
インデックスは上条に後ろから抱きついている。
お互い顔を赤くしており、何かピンク色の空気を醸し出している。
そこに特攻したのが美琴と浜面だ。
「「………………」」
痛い沈黙が流れる。
そして数秒後。
「お、お邪魔しました!!!!!」
「…………」
即座に美琴を引っ張って病室から出ていく浜面。
美琴の方はどこか魂が抜けたような状態になっていたが、あれは大丈夫なのだろうか。
インデックスも我に返ったように慌てて俺から離れていた。
それから、そそくさと扉のところまで走っていく。
「わ、私、ちょっとみんなにお礼を言ってくるんだよ!」
「お、おう! 気をつけろよ!」
何をどう気をつけるのかは意味不明だが、上条はそんな事に気付かないほどに混乱していた。
それから上条が冷静になったのはインデックスが部屋から出ていってしばらく経ってからの事だった。
***
窓のないビルの内部。
学園都市の中枢とも言えるその場所では、いつも通り統括理事長アレイスター=クロウリーが巨大ビーカーの中で逆さまに浮いていた。
近くには守護天使エイワスも居る。
「垣根帝督は成長したが、どうやらまだまだ一方通行には及ばないようだな」
「エイワス、随分と楽しそうだな」
「君はアクション映画などは好まないほうかな?」
「質問に質問で返して悪いが、あなたにとってあれはアクションと呼べるのかな?」
アレイスターの言葉に、エイワスはただ「くくっ」と乾いた笑い声で答える。
「いや実際興味は尽きないよ。この街の子供達は実に面白い」
「教育に関わっている人間としてはそれは喜ぶべきことなのかどうか判断しかねるな」
「私にとっては喜ぶべきことだ」
「そうか」
アレイスターは興味無さげに切り上げると、視線を少し動かす。
それだけの動作で、いくつものモニターが一斉に部屋に出現する。
そこには何人かの学生の顔写真と能力などが書かれている。
エイワスはそれを眺めて、
「お仕置きリストかな?」
「間違いではないな」
無数に現れたモニターの一つには『混乱回避のための学生の都市外移送』という文字が浮かんでいた。
***
二月の朝はとても冷える。
口からは白い息が漏れて、澄み渡るような青空に吸い込まれていく。
インデックスが学園都市に戻ってきて今日で四日目だ。
期限は一週間。
時間は刻々と少なくなってきているが、彼女の状態は良くなってきている。
イギリス清教の報告によると、後少しで問題ないレベルになるとの話だった。
昨日はどうなることやらと思ったが、思いの外事は順調に進んでいるようだ。
上条とインデックスは二人並んで駅のベンチに座っていた。
それも学区間を移動するための学園都市の駅ではない。学園都市の外にあるごく普通の駅だ。
別に駆け落ちとかそういうつもりはない。
事の発端は昨日の夜、カエル顔の医者の唐突な言葉からだ。
『あ、そうだ。何でも今回の騒ぎをこれ以上大きくしないために、君達は少しの間学園都市の外に出てもらうことになったよ。
まぁ二泊三日の温泉旅行だと思ってのんびりすると良いと思うよ?』
思えば前にも同じような扱いを受けたことがあった気がする。
あれは確か一方通行と初めて戦った時で、あの時は夏だったから行き先は神奈川の海辺の旅館だった。
今回の行き先は群馬県のとある温泉地。
「……ていうか温泉旅行って高校生っぽくねえよな」
「私はオンセン楽しみなんだよ!」
インデックスは満面の笑顔でこちらを見る。
今日は全体的にふわふわとした服装をしている。テレビでチラッと見たことがあるが、森ガール的な感じだ。
ちなみに二人共荷物は既に宿泊先に送ってあるので手ぶらだ。
「楽しみなのは温泉じゃなくて温泉卵の方じゃねえの」
「むっ、なんだかそれは、私の頭は食べ物のことしかないって言われてる気がするんだよ!!」
「じゃあ温泉卵は別に興味ないのか?」
「とってもあるけど!! 凄く楽しみだけど!!」
目をキラキラさせて熱弁するインデックスに、思わず苦笑する。
彼女が喜ぶのなら好きなだけ買ってやりたいが、それを言ったが最後破産してしまう可能性もあるのでやめておく。
「そういえば、何で浜面達も一緒に来なかったんだろうな。みんなで行ったほうが楽しいだろうに。修学旅行みたいでさ」
「とうま、修学旅行とかの記憶ってないでしょ?」
「そうだよ!! だからこそ、そういうものにちょっと憧れ的なものがあって密かにワクワクしてたのにさ!!」
「んー……あの人達が一緒に来なかった理由は何となく分かるけど……」
「けど?」
「……とうまにはあまり言いたくないんだよ」
「なんだそりゃ……」
昨日暴れた面子の中で、浜面、麦野、美琴、一方通行も同じように学外待機、つまり温泉旅行に行く事になっている。
だから上条は浜面達とも一緒に行こうと思っていたのだが、なぜか断られてしまった。
理由は上手くはぐらかされてしまったが、何でも『邪魔しちゃ悪い』とかいう事らしい。
そんなわけで上条はインデックスと二人でそこに向かう事になったのだが、
「なんだ、それなら私が一緒にいても問題ないわね」
近くからそんな声が聞こえてきたので、上条とインデックスは同時にそちらへ顔を向ける。
肩まであるサラサラの茶髪によく整った顔立ち。活発そうな印象の中にはきちんと女の子らしさも見える。
常盤台の電撃姫、御坂美琴だ。
服装もいつもの制服ではなく、細身のジーンズに黒いコートと少し大人っぽさを目指したものになっている。
まぁそんなさり気ないアピールも上条には素通りされるのだが。
「た、短髪!?」
「おう、御坂。なんだ結局一緒に行くんじゃねえか」
「別に私は最初から断ったつもりはないわよ。浜面達が勝手に話進めちゃっただけでさ」
「……むぅ」
「(悪いわね。アンタの事情は知ってるけど、だからって大人しく引き下がるのは私の性分じゃないのよ)」
「(ふん、別にいいもん)」
「何こそこそ話してんだお前ら?」
「べっつにー」
上条は首をかしげるが、二人は特に説明するつもりもないようだ。
「そういや御坂は怪我大丈夫なのか? 昨日の今日で旅行なんてさ」
「あー、そこは全然問題ないわよ。凄いわね第二位の未元物質ってのは」
美琴は肩の調子を確かめるように、片腕をグルグル回してなんでもないように言う。
どうやら無理しているという事もないらしく、本当に一晩で治ってしまったらしい。
超能力もここまでいくとオカルトだな、とも思う。
「それよりアンタ達聞いた? 今回の旅行、食蜂とか第二位とかも行くらしいわよ」
「はい?」
「は、初耳なんだよ!! どうして!?」
「まぁ騒ぎがどうたらこうたらって言ったら、アイツらがその中心だったからね」
「けどそれじゃ外でまた騒ぎになるだろ……」
「そこはちゃんと考えてるみたいね。第二位には能力封じの機械がつけられてるみたいだし、食蜂は……あれだし」
「ん、食蜂がどうかしたのか?」
「アンタ知らされてないの? ……ってウワサをすればってやつか」
美琴はそう言ってある方向を見る。
上条も追った視線の先。
そこでは眩しいほどに綺麗な金髪が朝の冷たい空気の中でなびいていた。
名門常盤台中学の制服。中学生とは思えないほどのプロポーション。
レベル5の第五位、食蜂操祈だった。
だが、彼女のその姿は少し珍しい気もする。
それはここにいる事自体が、というわけではない。元々行き先は同じなので偶然同じ駅で会うという事も十分にありえる。
上条が気になったのはその服装と表情だった。
彼女の性格的に、こういう時は思い切りおしゃれをすると思った。美琴も今日は制服ではなく私服なのだ。
それに表情も、これから旅行に行く中学生とは思えないほどに沈んでいる。
まぁ旅行と言っても、「もうこれ以上騒ぎを大きくすんなコラ」といったものなので、はしゃぎ回るというのも本当は違うのかもしれない。
ただしここまでくると、もはや家出少女と言われたほうがしっくりくる。
「……どうしたんだ?」
「さあね。何でも精神的不安定ってので能力も使えなくなったらしいわよ」
「マジかよ」
「とうま、思い切り殴りすぎたんじゃないの」
「お、俺のせい!?」
「だから外傷は関係ないっての。どっちかっていうと、アンタのいつもの長い説教のせいなんじゃない」
「説教って……別に今回はそこまで色々言ってない…………」
そこまで考えて上条は、
「あ、いや、言ったかも。『お前の能力なんか怖くない』的な事を……」
「それだけなら強がりだろうって流せるけど、本当に効かなかったわけね。しかもその右手なしで」
「でもそれだけであそこまで落ち込むものなのかな? そこら辺の学園都市の人の感性は良く分からないんだよ」
「学園都市の人達って能力をアイデンティティにしてる人も多いわよ。ぶっちゃけ私の能力がこいつに効かないって知った時も結構ショックだったし」
「一応謝った方がいいのか俺?」
「そんな必要ないわよ。悪いのはあっちなんだし、自業自得よ」
美琴はあまり興味無さそうにそう言う。
元々食蜂とは仲も良くなかったらしいので、当然の反応だろう。
それでも上条は少し気になって食蜂の方を見る。
彼女はぼーっと空を見上げていた。
その姿は儚げで、彼女がレベル5である事も忘れるくらい小さな存在であるかのように感じさせる。
少しして、彼女はふと視線に気付いたようで顔をこちらに向けてきた。
それからゆっくりとこちらに歩いてくる。
「おはようございます」
「お、おう……えっと、殴っといてなんだけど、傷とか大丈夫か?」
「はい……でも悪いのは全て私です。上条さんが気にすることなんてないですよ」
食蜂はそう言うと、深々と頭を下げた。
「本当に、ごめんなさい」
食蜂の行動に、上条もインデックスも美琴も面食らってしまった。
昨日までの彼女から考えれば、こんなに真面目に謝るなんて想像もつかなかったはずだ。
仮に謝罪するとしても、ふざけ半分でというのが彼女らしい。
何も真面目に謝ることが悪いと言っているわけではない、むしろ良い事なはずだ。
それでも、彼女のそんな行動を見ていると心配になってくる。
美琴は顔を上げる気配のない食蜂を見て困惑しつつ口を開く。
「アンタが頭下げてる所なんて初めて見たわ。そこまでやられると逆に何か罠があるんじゃないかって思うわね」
「お、おい御坂」
「アンタも簡単に信用してんじゃないわよ。こいつがそういう心理的な駆け引きが上手いってのは知ってるでしょ」
「……御坂さんの言う通りです。それに今更私がこんな事しても納得できないでしょう。
言ってくださればどんな罰でも受けます。言う通りにします」
「ふーん、それなら今すぐここで土下座しろって言ったらするわけ?」
「分かりました」
食蜂はすぐに地面に両膝をつく。
朝と言えども、周りにはそれなりに人もいる中で、何の躊躇いもなく。
これには流石の美琴も慌てた様子で、
「じょ、冗談に決まってんでしょ!! 何してんのよ!!」
「短髪……」
「うぐ……ほ、ホントに冗談だって……。ていうかまさかやるとは思わなかったし……」
「俺としてはもうああいう事をしないって約束してくれるだけでいいんだけどな」
「うん、私も他のみんながそれでいいならいいんだよ。元々怪我させられたのは私じゃないし」
「アンタ達、相変わらずのお人好しね。……まぁ私もこれからの態度で判断してやらなくもないけど」
「……ありがとうございます」
上条は食蜂の声を聞いて眉をひそめる。
その声には何か生気というものが完全に抜け落ちている。
放っておいたら自然とどこかへ消えてしまうのではないか、そんな予感さえも覚えた。
他の者は気にするな、放っておけというのかもしれない。
あそこまでやられた相手を気にかけることはないと。
だが、上条はそれで納得出来ない。
気付いてしまったら放っておけない。
いつだって上条はそうやって生きてきた。
「なぁ、どうしてあんな事をしたんだ? やけに人と人の繋がりとかを否定してたけど」
「……たぶん、認めたくなかったんです。私の周りにはそんなものはなかったから。
だから勝手にそれはこの世に存在しないと決めつけて、見えないふりをし続けたんです」
「…………」
「どうしようもなく子供な考えですよね。呆れるくらいに」
「いや、それは……」
上条が口を開いた瞬間、駅に電車が入ってきた。
まるで狙ったかのように話の腰を折られて、上条は電車を見て少し嫌そうな表情をする。
美琴は寒そうに手をこすり合わせながら、
「とりあえず電車乗らない?」
「うん、私も早く駅弁食べたいんだよ!」
「それでは……私はこれで」
食蜂はまた深く頭を下げると、上条達から離れて行こうとする。
上条は、そんな彼女の腕を掴んだ。
ここで彼女を一人にしたくはなかった。
「え……?」
「どうせ目的地は同じなんだし、一緒に行こうぜ」
「でも、私なんかが居たら空気が悪くなりますよ」
「そんな事ねえよ。二人もいいだろ?」
「うん、私は構わないんだよ」
「ていうか食蜂はいい加減そのキャラやめなさいよ。こっちまで調子狂うわ」
「…………」
若干困惑した様子の食蜂。
上条はそれを見て小さく笑うと、そのまま彼女を引っ張っていった。
***
ガタンガタンと一定のリズムで振動が伝わってくる。
学園都市の電車は揺れがほとんどないので、こういうのは新鮮に感じた。
上条達は四人がけの椅子に座っていた。
上条の向かいにはインデックス、インデックスの隣に美琴。
そして上条の隣には食蜂が座っている。
この席順には美琴がなにか不満そうだ。
それを見て食蜂がおずおずと口を開く。
「あの……御坂さん?」
「なによ」
「えっと、もし良かったら席替わりましょうか……?」
「なっ、いいいい、いいわよ!! ったく、変な気回さないでよね」
「気を回す? 何言ってんだ?」
「アンタには関係ない!!」
「そ、そうかよ」
「短髪もとことん素直じゃないんだよ。とうまの鈍感具合も相変わらずだけど」
「アンタも余計な事言わない!!」
何やら勝手に盛り上がっている美琴。
だが上条はそれを見ても、「旅行でテンション上がってるのかなー」程度にしか思わない。
普通ならすぐに気づかれてもおかしくないのだが、相手が上条だからこそこんな面倒なことになっているのだろう。
それから美琴は自身を落ち着かすように大きく息を吐くと、食蜂に話しかける。
「そういえば、アンタ派閥解体したみたいじゃない。結構大騒ぎになってるみたいよ」
「……えぇ」
「派閥ってなんだ? 友達の集まりみたいな?」
「どっちかっていうとサークルに近いわね。
それなりの力を持つ派閥とかは企業とかとも提携してて、学外への影響力も強いのよ」
「ふーん、短髪もその派閥っていうのに入ってるの?」
「いや私はそういうの興味ないし。ただ食蜂の派閥は学内で最大の派閥だったからこれだけの騒ぎになるのよ」
「だって、可哀想じゃないですか」
食蜂はポツリポツリと言葉を紡ぎ始める。
その声はとても小さなもので、電車の振動音にかき消されてしまいそうだ。
「あの子達にだってそれぞれ自由に繋がりを作る権利はある。
それなのに私みたいな人に無理矢理縛られるなんて……そんな権利は私にはないじゃないですか」
「もはや別人ねアンタ。前まではむしろ相手を自由に動かすのを楽しんでたじゃない」
「はい。以前まではこの世に本当の絆なんてない、それなら私が擬似的にでも作って問題ないと思っていましたから」
「……何かあったのか?」
上条の言葉に、食蜂は黙り込む。
おそらくあまり言いたくないことなのだろう。
もう少し待って何も言わないようだったら聞くのは止めておこう、そう思った時。
次第にその口が小さく動き始める。
「小さい頃に、自分の能力を使って友達を洗脳して私を嫌うようにしてみたんです。
そしたら、いとも簡単に私は一人ぼっちになってしまいました。
私が何度いつものように話しかけても無視されて、しつこいと殴られちゃったりもして。
元は自分が仕向けた事なのに、あの時はただ大泣きするしかありませんでした」
「けどそれならすぐに能力で元に戻せば……」
「はい、私はすぐに彼らを元に戻しました。そしたら先程までがまるで悪い夢であるかのように、彼らはいつも通り私と仲良くしてくれました。
でも、私はもう彼らを以前と同じ目で見られなくなっていました。ただ指先を少し動かすだけ、それだけでこの関係は崩れ去ってしまう。
その事だけがずっと……ずっと頭の中に引っかかり続けて、苦しくて……それで」
「……何もかも信じられなくなったってわけ、か」
「私は怖かったんです、周りのみんなとは本当の友達じゃなかったと認めるのが。
だから初めから本物の友情なんてものはないって思い込んで、逃げていただけなんです」
それから一息ついて食蜂は微笑む。
とても悲しそうな顔で。
「ただ単に私に友達が居なかっただけなのに……バカみたいですよね」
インデックスも美琴も、何を言っていいのか分からない様子で困った表情をしている。
上条は考える。
能力者には能力者の悩みがある。
それは無能力者である自分には分からないものなのかもしれない。
下手なことを言えば余計に彼女を傷つけてしまう、そんな可能性だってある。
だが、それでも何かを言わなければいけない、そう思った。
それを言い訳にして、目の前の少女から逃げてはいけない。
「食蜂、確かにお前の周りには本物の友情なんていうのはないのかもしれない」
「はい……」
「と、とうま?」
インデックスが心配そうにこちらを見たので、上条は一度だけ頷いて続ける。
考えてみれば簡単なことだ。
「けどさ、それはこれからもずっと手に入れられないとは限らないだろ?」
上条の言葉に、食蜂は驚いた表情でこちらを見た。
ただ呆然と。
まるで上条が何か違う言語を話してそれを理解できなかったかのように。
「で、でも……私なんか…………」
「本物の友情なんてのは誰だってすぐに手に入るわけじゃないと思うんだ。
俺だって今でこそ食蜂の力を破れたけど、インデックスと出会ったばかりの頃だったらもしかしたら殴っちまったかもしんねえ」
「……こんな私と本当の友達になってくれる人なんて居るんでしょうか」
「居るさ。昔のその友達だって、逃げずに向き合っていれば本当の友達になれたかもしれない。だからさ――」
上条は手を差し出す。
そして満面の笑みで、
「まずは俺達と友達になろうぜ」
食蜂の目が潤んだ。
凄く嬉しい。今すぐその手を取りたい。
だが、そう簡単な話ではない。
自分にそんな資格があるのか、どうしてもそう考えてしまう。
「私は、あなた達に酷いことをしました。それなのに……」
「過ぎたことはどうにもならねえだろ。これからはもうしないっていうなら、俺はそれで十分だ」
「私は、あなた達に酷いことをしました。それなのに……」
「過ぎたことはどうにもならねえだろ。これからはもうしないっていうなら、俺はそれで十分だ」
上条はそう言って微笑む。
確かに昨日までは敵同士だったかもしれない。
だからといって、これからもずっと敵だという事にはならない。
上条はただ自分の心に真っ直ぐに、助けたい人を助ける。
それがかつての敵だとかは関係ない。
インデックスも美琴もそんな上条を見ても、やれやれといつもの事のようにしか感じてないようだ。
食蜂の目からはさらに涙が溢れる。
そしてゆっくりと、その手が伸びた。
「ぐすっ……うぅ……」
食蜂は、上条の腕に抱きついた。
すがるように、決して離さないように。
しっかりと、しがみついていた。
上条はそんな彼女の頭を撫でてやる。
ずっと彼女には大人っぽいとかそういうイメージを持っていた。
レベル5の能力者でもあり、自分よりもずっと精神的には上を行っていると思っていた。
だが、やっぱりまだ中学生の女の子なのだ。
そしてそういう風に見れる人間が一人は必要だ。そう思った。
そうでなければ、彼女は一体誰に弱みを見せられるのだろうか。
すると、黙って上条と食蜂を見ていた美琴が口を開く。
「……そういえばさ、さっきアンタ『俺達と友達になろう』とかって言ってたわね。
それってやっぱり私も含まれてるってわけ?」
「短髪、そこでその発言は空気読めなさすぎなんだよ」
「うっ……い、いや、そうじゃなくて!! それなら食蜂!!」
「な、なんですか?」
「とにかくその口調をやめていつも通りに戻せっての! そんな遠慮とかしてたら友達も何もないでしょうが」
「…………」
食蜂は少し驚いた表情で美琴を見る。
そのまま少しの間呆然としていたが、その後俯いて涙を拭い始める。
やはり美琴も上条と似たところがあり、かつて敵対していた相手でも結構簡単に打ち解けることができる。
口ではぶっきらぼうな事を言いつつも、ちゃんと相手の事を考えている。
美琴はそんな人間だ。
食蜂がゆっくりと顔を上げる。
「ふふ、まぁそうよねぇ! どうして私が御坂さんに敬語なんて使わなくちゃいけないんだかぁ!」
なんかもう、色々と復活していた。
やっぱり何だかんだこの少女はたくましいのかもしれないと上条は思った。
美琴は不機嫌そうにこめかみをピクピクといわせ、
「なんかそこまで極端に豹変するのもムカツクわね……」
「えぇ~、だって御坂さんが言ったんじゃなぁい!」
「ふふ、でも私もそうやって元気いっぱいのほうが良いと思うんだよ」
「さっすがインデックスさんは分かってるわぁ! 抱擁力ってのが違うわねぇ」
「うっさいわよ!」
「はは、確かに御坂に抱擁力ってのはねえな」
「…………」
「そんなに睨むなよ!?」
「違う、そこじゃなくてその腕よ!!!」
「へ? ……あー」
そういえば腕にはまだ食蜂が抱きついている。
そしていざそちらに注意を向けると、先程までは気にならなかった感触に気付き始める。
腕に押し付けられるこの柔らかいもの、これは十中八九胸だ。
これ程までに巨大なのにどうして気にならなかったのか。
それはおそらく先程まではただ食蜂を救ってやりたいという気持ちだけでいっぱいだったからだろう。
「どうしましたぁ、上条さぁん?」
「あ、いや、な、なんか腕に当たってるかなーって……」
「当ててるんですよ?」
「ぶっ!! マジでそんな台詞言う子なんて居たんだ!!!」
上条は割と本気で感動する。
だが、すぐに対面の席から氷点下の視線を感じたので、
「あ、いや、これは色々とマズイからできれば離してもらえると上条さん的には助かるというか」
「えー、上条さんはこういうの好きじゃないんですかぁ?」
「好きだよ!! 好きだけども!!」
「ちょっとアンタ!!!」
「とうまああああああ!!!!!」
ついに爆発した向かいの二人。
次の瞬間にはキラリと鋭利に輝く牙と青白い電撃が襲いかかってきた。
「うおおおおああああああ!!! お、おい御坂電撃は洒落になってねえから!!! あとインデックスは人の頭をゴリゴリすんなあああああああ」
「がるるるるるるるるるる」
「やっぱり胸か!!! そんなにあの脂肪の塊が大好きなのかあああああ!!!!!」
その間、食蜂はしれっと上条から離れて難を逃れている。
そして彼女はそうやって騒ぐ三人を眺めて微笑む。
今からでも遅くはないかもしれない。
もう逃げてはいけない。
本当の絆というものがあるなら、真っ直ぐ向き合ってそれを手に入れたい。
「ありがとう」
食蜂の小さな声は三人には聞こえていなかったが、彼女はそれでも満足した様子だった。
***
「なーんか、前の車両が騒がしいな」
「旅行に行く家族連れとかなんじゃないの」
上条達が居る少し後ろの車両には、浜面仕上と麦野沈利が四人がけの椅子を二人で占領していた。
浜面はいつものパーカーにジーパン、麦野は少しきっちりとした感じの黒のシャツとすらっとしたパンツを着用している。
一応は旅行というわけなので、二人もリラックスした様子だ。
麦野はのんびりとコーヒーを飲み、浜面は似合わず厚めの本を読みふけっている。
「浜面、あんた何読んでるの? 勉強して学校に復帰するつもり?」
「いや、学校じゃなくて仕事のほうだ。俺のピッキングとかそういう技術を何とか真っ当な仕事に使えないかってな」
「ふーん……あんたも意外とそういう事考えてんのね」
「なんか前にも同じような事言われたな。まぁ、俺だっていつまでもやんちゃはできねえよ。ほら、滝壺だっているしさ……」
「……ここでノロケか」
「別にそんなつもりはねえよ!」
浜面は本から顔を上げて抗議する。
麦野はそんな浜面を面白くなさそうに見て、
「ていうか、滝壺の方もなんていうか、余裕みたいなのあるわよね」
「どういう意味だ?」
「今回のこの隔離とかさ、アイテムからは浜面と私じゃない? 滝壺の方も少しは不安がると思ったんだけどね」
「なんで滝壺が不安がるんだ?」
「なんかムカツクわね。気づいてないなら言うけど、今のこの状況、彼女以外の女と旅行に行ってるって事でしょうが」
「……あー」
「なるほどなぁ……つまりテメェは私の事を女だとすら思ってないと……」
「そ、そんな事ねえって!!!」
何やらやばい空気を醸し出し始める麦野を、浜面は慌ててなだめる。
旅行にまで来て命の危機とかはさすがに勘弁してもらいたい。
「た、たぶん滝壺はお前を信用してんだよ」
「私からするとなめられてるように思えんのよね」
「なんでだよ……」
「……よし、じゃあ浜面」
麦野はそう言うと、体を少しだけこちらに乗り出してくる。
そしてちょっとコンビニでも行こうかというくらい軽い調子で、
「このままどこか遠くへ二人で逃げてみようか?」
麦野の言葉が耳を通って脳に伝わるまでしばらくかかった。
脳に入ってきた後もしばらく処理に戸惑い、意味を理解するまで少しかかる。
今、目の前の女は何と言った?
どこか遠くへ逃げる。二人で。
それが何を意味するのか何となく想像はできる。
だが、現実味はない。
そんなものはドラマとかのフィクションでしか存在しないものと勝手にイメージ付けされている。
まだ10代の少年からすれば別におかしな事でもないだろう。
詰まるところ、彼女の言葉の意味するものは――――。
「それ駆け落ちじゃねえか!!!!!!!!!!!」
「うん」
あっさりと事も無げに答える麦野。
こういう時は少しは頬くらい染めるという可愛らしいところを見せてもいいんじゃないかと思う。
しかしそんな麦野を想像して、浜面は思い切り頭を振った。そんなのは麦野じゃない。
浜面は必死に頭を働かせて考える。
答えはもうとっくに出てる。
自分には滝壺という大切な恋人がいるのであって、他の女と駆け落ちなんて裏切りをするなんてありえない。
だからどうにかやんわりと空気を悪くせずに断る言葉を探しているのだが……。
「ねぇ、浜面……」
「ッ!! ち、近い!! 近いです麦野さん!!!」
気付けば麦野が隣の席に座って、体をこちらに預けていた。
ダメだ、流されたらダメだ。
隣からは心地よい人肌の温もりが伝わってくるが、惑わされてはいけない。
頭の中では必死に滝壺の姿(なぜかバニー)を想像して変な考えを無理矢理頭から追い出す。
「お、俺には滝壺がいるんだ……!! こここんな事したって俺の心には少しも響かないぜ!!!」
「冗談に決まってんじゃん」
「だからもう諦め―――――はぁ!!?」
浜面はグルン!! と首の骨を痛めそうな程の勢いで麦野の方を見る。
もう彼女は見るからに冷めた表情で向かいの席にそそくさと戻っていた。
「ん、どうしたの?」
「どうしたのじゃねえええええええええ!!!!! おのれ純情な10代男子の心を弄びやがって!!!!!」
「別に暇だからいいじゃない。反応が予想以上にマジでキモかったから引いたけど」
「しかも追い打ちまでかけてくる始末!!! 鬼かお前は!!!」
「あと、変な考え起こそうものなら録音して滝壺に聞かせようとも思ったんだけど、それも期待できなさそうだし」
「悪魔か!!!!!!!」
あまりの恐怖にガタガタ震える浜面。
それには全く関心を向けずに、麦野はまた一口コーヒーを飲む。
そのコーヒーが苦いのか、それとも冷めてしまったのか。
彼女はかすかに顔をしかめた。
***
さらに後方の車両。
やはり四人がけの椅子に二人でかけている少年達が居た。
一人は真っ赤な瞳に白い髪。
全体的に黒っぽい上着にジーンズを着た学園都市最強、一方通行。
もう一人は金髪でどこかホストのような服装をした少年、垣根帝督だ。
当然というべきか、二人の間には危険極まりない空気が漂っている。
「おい」
「あン?」
「何度も言ってっけどよ、俺の視界に入ってんじゃねえよ」
「俺だって許されンなら今すぐオマエを窓から放り出してェとこだ」
「はっ、お利口さんだな。いつからテメェは犬のように従順になった?」
「あいにく反抗期は抜けたからな。オマエと違って」
「コノヤロウ……」
周りに他の乗客は居ない。
といっても始めから居なかったというわけではなく、ずっとこんな状態の二人と同じ空間に居るのが耐え切れずに他の車輌へ移っていった結果だった。
騒ぎを大きくしないための隔離対象として含まれる事になった垣根。
今現在彼にはカエル顔の医者が開発したという能力封じの腕輪がはめられており、その効果は十分にあるようだ。
だが、例え能力が使えないとしても暴れ出さないとは限らない。
それに何かの拍子で能力が開放されてしまうという事態も無いとは言えない。機械は絶対じゃないからだ。
そんなわけで、垣根の監視役として一方通行が割り当てられたというわけだ。
「テメェはいずれ保てなくなる」
「なンだ急に」
「所詮は俺と同類なんだよ。光の中じゃ生きていけねえ。テメェの本質はドス黒い悪なんだからな」
「……そォかもな」
「はっ、分かっててクソ温い世界に浸ってんのか?」
「人間、堕ちンのは簡単だ。ただ何も考えずに突き進めばいいだけなンだからな。
闇の道を選ぶなンてのは聞こえはいいのかもしれねェが、結局は真っ当な光の世界から逃げてるだけなンだよ」
一方通行はブラックの缶コーヒーに口をつける。
確かに、この世界で生きていくのは疲れる。本質的に自分に合っていないのではないかとも思った。
ただ、だからといって切り捨てるのは子供のする事だとも思った。
やりたい事だけをやっている事なんてできない。
裏の世界で好き放題に生きるのは余計なことを考えなくて楽だったかもしれない。
だが、あの世界では決して手に入らないものがここにはある。
この世界は疲れる。余計なことを色々と考えなければいけない。
それでも一方通行はもう以前までの生活に戻りたいとは思わない。
あの頃よりも今はずっと満たされている、ちゃんと生きている、そう感じられる。
垣根は憎しみに顔を歪める。
「すぐに引きずり下ろしてやるよ。こっちの世界にな」
「そォか、頑張れ」
垣根はギリッと歯を鳴らす。
今すぐにでも八つ裂きにしてやりたい、そんな表情だ。
だが、垣根は何もできない。
圧倒的な戦力差。
例えここで自分が大暴れしても、為す術なく抑えられてしまう。
そしてそんな計算ばかりして動けないという事自体に、どうしようもなく腹が立っている様子だった。
それぞれの想いを乗せて、電車は進んでいく。
群馬は明日から雪が降るらしい。
それでも今日は、そんな気配を微塵も感じさせない程の青空がどこまでも広がっていた。
午前中に上条達は宿に到着した。
予想していたのよりは遥かに立派な所で、純和風の風流のある旅館だった。
部屋は二階にあり、四人部屋にしては大きく、これなら思う存分枕投げとかできそうだ。
やはりまだ、上条にはそういった修学旅行チックなものは諦めきれない。
窓際には肘あて付きの立派な椅子が二つとテーブルがある。
夜はここで夜景を見ながら酒なんかを飲むのもいいかもしれない。まぁ未成年なのだが。
夜景といっても山しか見えないので、主に星空を眺める事になりそうだ。
程なくして、部屋には男四人が集まった。
上条、一方通行、浜面、垣根だ。
「か、垣根……お前本当に来てたんだな」
「おぉ、浜面。今回の件じゃ会わなかったが、お前もお前で動いてたんだっけか。久しぶりだな」
「お前は相変わらずみたいだな」
「はっ、俺が心を入れ替えて慈善活動でもしてると思ったか?」
垣根はそう言って笑うと、今度は上条の方に顔を向ける。
「よう。何発かぶん殴りたい気分か?」
「旅行に来てまでんな事しねえよ」
「甘いな。こいう時は思う存分ボコボコにして相手に分からせたほうがいいぜ? 二度と同じ真似をさせねえようにな」
「ボコボコにしたところで、お前は懲りねえだろうが」
「……まぁ、それもそうだな。つまんね」
「おい、こンなメルヘン野郎にいちいち構うことはねェ。こいつはただ暴れたがってるガキだ」
「んだとコラ」
早くも一触即発的な空気に包まれる。
上条は溜息をつくと、
「おいやめろって。こういう時くらいのんびりいこうぜ」
「ちっ、こンな奴の監視押し付けられてのンびりもクソもねェよ」
「あー、そういう話になってんのか。つーか垣根は俺とか上条には別に恨みとかはねえだろ?」
「あぁ。俺がぶちのめしたいのはとりあえずは一方通行だけだからな」
「くっだらねェ。なンでオマエがそンなに俺が気に入らねェか教えてやろうか?」
「あ? んなもん自分が良く分かって……」
「いや分かってねェな。初めに戦った時もそォだったが、オマエはある事に対してやけに突っかかってくる」
「……テメェいい加減な事言ってんじゃ」
「だあああああ!! 何ですぐそうなんだよ!! とりあえず外出るぞ外!!!」
上条はもううんざりして、頭をかきむしりながら全員を部屋の外へと追い立てる。
せっかくの旅行だ、こんなところで位バトルはなしでお願いしたい。
***
一方女子部屋。
男子の部屋からは少し離れた所にあり、構造は一緒だ。
そこでも既に四人が集まっており、麦野が腕を組んで食蜂を睨みつけている。
「ごめんなさぁい☆」
「よし、殺す」
食蜂はテヘペロと謝ったが、麦野は短い言葉でとんでもないことを宣言する。
普通の学生が言う分には売り言葉に買い言葉的な感じで済ませられるのだが、彼女の場合はそんな事言ってられない。
「殺せるもんなら殺してみろー」なんて言ってると即座に本当に実行されてしまう。
さすがにこのまま放っておくと静かな旅館が凄惨な殺人現場に早変わりしてしまうので、レベル5の良心御坂美琴が止めに入る。
「ストップストップ」
「止めんな第三位ィィいいいいいい!!! こいつ絶対ブチ殺して……!!!」
「あんまり怒るとシワが増えちゃうゾ☆ これ以上美貌力が落ちたら大変でしょぉ」
「殺す殺す殺す殺すコロロロロロロロロロロ!!!!!!!」
「しずり、尋常じゃなく怖いんだよ」
「つーか食蜂も煽るなっての」
「はぁーい」
案の定、麦野はまだ全然納得していない様子だ。
麦野が怒り狂うことは美琴達もある程度予想はしていたが、だからどうするといった解決案は出て来なかった。
仕方ないので、とりあえず食蜂には謝らせて反応を見ようという事にしたのだが、この結果だ。
「くそ、第三位達はなんでそんな冷静なのよ。まさか操られてんじゃないでしょうね」
「違う違う。なんていうか……もうそこまで責める気がなくなったのよ。
こいつ、今ではこんな調子だけど電車の中じゃビービー泣いてたし……」
「うん、ちゃんと反省はしてると思うんだよ」
「ちょ、ちょっとぉ!! それ言わないでって言ったじゃなぁい!!!」
食蜂は頬を染めて抗議する。
今まで人前で泣いたことなんてなかっただけに、思い返すとかなり恥ずかしいのだろう。
麦野はそんな食蜂の様子を気に入らなそうな渋い表情でしばらく眺めていた。
だが、結局白けてしまったのだろうか。麦野は小さく舌打ちして、
「ちっ、そのくらいであっさり許してんじゃないわよ。泣けばいいってもんじゃあるまいし。
あんた達がそんなだと私ばかり騒いでてバカらしくなってくるじゃない」
「あ、あはは……まぁ間違いは誰にでもよくあることじゃない」
「そうよぉ、あなただって間違いだらけの人生じゃなぁい。同僚の事真っ二つにしたり薬漬けにして使い潰そうとしたり」
「それは否定しないけどあんたから言われるのはこの上なくムカツクなオイ……」
「ま、まぁまぁ、これでとにかくお互い過ぎたことは水に流すんだよ!」
麦野はその後もしばらく食蜂の事を睨んでいたが、結局舌打ちをして目をそらしてしまった。
これ以上ここであーだこーだ言っても何にもならない。そう思ったのだろう。
彼女も以前はこういった事を引きずって復讐にとりつかれた事もあったが、今はそんなこともない。
インデックスはほっとした様子で、何か話を振ろうと部屋を眺めて、
「それにしても、本当にいいお部屋なんだよ。私、こういう日本の畳のお部屋って好きかも。とっても落ち着くし」
「あー、外国人にはこういう部屋うけるわよね。でもアンタの場合はもう随分と日本に居るじゃない」
「それでもほとんどとうまの寮にしか居ないからね。あそこはあんまり日本的っていう感じはしないし。
たまにこもえの部屋にも行くんだけど、あそこは畳のお部屋で落ち着くんだよ。とうまの部屋も一度畳に張り替えようって言ったんだけど無理って言われちゃったし」
「あらぁ、地味にノロケぇ? 私はいつも上条さんの部屋に止まってるんだゾっていう正妻力をアピール?」
「ち、違うかも!! そんなつもりは……」
「今更すぎるでしょそれも。もう半年だろ? どうせあんたら、やる事だってもうやっちゃってんでしょ」
「えっ!?」
麦野の言葉に、美琴が目を見開く。
心のどこかでは上条に限ってそういう事はないだろうという考えがあった。
だが、それは少し甘いのではないか。
いくら上条と言えども男子高校生。それが半年も外国人美少女と同居して何もないというのは、さすがにおかしいのではないか。
自分より年上の女の言う事は何となく当てになるように思えてしまう。
一方で食蜂は大して気にしていない様子で、
「それはないわよぉ。だって私上条さんの頭の中覗いたしぃ。心配しなくても上条さんは童貞力全開よぉ」
「なんだかとてつもなく酷い事言ってる気がするんだよ」
おそらく上条が聞いたら嘆く一言をズバッと言う食蜂。
しかし美琴にとってその言葉はまさに天からの救いに思えた。
「そ、そうよね!! あのバカに限ってそんな度胸あるはずないものね!!」
「へぇ、浜面といい、10代男子にしては猿じゃないんだ。まぁヘタレとも言えるけど」
「あ、でもその子、一緒のベッドで寝てたわねぇ……」
「はぁ!!?」
美琴は大きな声をあげ、頭をグルンと回してインデックスの方を見る。
案の定、インデックスの顔は真っ赤だ。
「そそそそそれは……えと、その…………」
「しかも後ろからぎゅって。上条さん、かなぁり動揺してたみたいよぉ? 赤面力も凄かったみたいだし」
「ちょ、何よそれ!!!!! アンタ何もないとか言っておいて!!!!!」
「このシスターにしてみれば大したことじゃないって事じゃないの」
「ほ、ほう……へぇ…………」
「た、短髪!? 違うかも!! そういう事じゃなくて……」
インデックスは慌てて弁明をしようとするが、美琴は魂が抜けたようになってしまった。
油断していた。まさか上条とインデックスがここまで進んでいるとは思わなかった。
美琴はまだ手をつなぐのもやっとなのだ。
その差は歴然であり、自分が上条に抱きつくなんていう事はまだ想像もできない。
……だが。
「ふんっ!!!」
美琴は思い切り自分の両頬を叩く。
当然ながら、他の三人はいきなりスポーツ漫画のような真似をした美琴を唖然と見るしかない。
「インデックス、勝負よ」
「しょ、勝負……?」
「えぇ、ここでハッキリさせとこうじゃない」
美琴はここで一旦言葉を切り、息を大きく吸い込む。
「私はアイツが……上条当麻の事が好き。だから、アンタには絶対に負けない」
真っ直ぐ目の前のインデックスを見つめ、美琴は一字一句ハッキリと宣言した。
それは本来の彼女らしい行動だろう。
前を見据えて目標に向かって突き進む。
何も躊躇することはない。普段からさばさばした性格だ、それを恋愛にも当てはめればいい。
現時点ではインデックスとは差があることは認めよう。
ただ、それならばこれからその差を埋めていけばいいだけだ。
このレベル5という能力だって、昔は遥か遠いもののように思えた。
自分を信じて進めば、きっと結果は返ってきてくれるはずだ。
インデックスは目を丸くして美琴を見ていた。
その瞳は次第に揺れ始め、表情には焦りが見え始める。
「た、短髪……何か吹っ切れたね」
「えぇ、アンタのお陰でね。それに私を誰だと思ってんのよ」
「――常盤台のエース、御坂美琴サマよ」
そう言って清々しい笑みを浮かべる美琴は。
インデックスからは、とても輝いて見えた。
そして焦りの他に別の感情が芽生え始めてくるのを感じた。
こんな眩しい少女も、自分と同じ男に好意を向けている。
それはきっとその男……上条に納得できる理由があるからだろう。
不思議な事に、自分の好きな相手がそうやって評価される事は嬉しいと思う。
これは余裕の表れなのだろうか。
それとも。
「やっぱり、短髪は凄いんだよ」
「だから美琴サマだって」
「うん、『みこと』」
インデックスはにこりと笑う。
あらゆる人間を包み込むような、それこそ聖母のように。
「私もとうまの事は好き。でもね、だからどうしたいのか、私にはそれが分からない」
「どうしたいって、そりゃ……」
「私はとうまと恋人になれればそれでいいのか、分からないんだよ」
「……なんか面倒くさい事考えてるわねアンタ」
「ふふ、私もみことみたいにどんな事でもスパッと決められたらいいんだけどね」
インデックスの中ではまだ答えが出せていない。
好きになった相手と恋人同士の関係になりたい、それはごく普通の感情だろう。
しかし、彼女の場合周りを取り巻く事情が普通とはいえない。
もし上条と恋人同士になれたとして、それで本当にいいのだろうか。
学園都市の空港でのステイルの言葉が頭によぎる。
『どっちにしろ、君は一週間後にはイギリスに帰らなければならない。恋人同士になんかなったら、余計離れられなくなるんじゃないかい』
上条と離れたくない。もっと一緒に居たい。
それは今でもこれだけ強く思っているのに、恋人同士になったらどうなるのだろうか。
それこそ再び遠隔制御霊装に影響を与えてしまう恐れもあるのではないか。
そうなるくらいなら、むしろ――――。
そこまで考えた時、
「あのぉ、お取り込み中申し訳ないですけどぉ~」
そう言って話に入ってきたのは食蜂だ。
インデックスと美琴は不思議そうに彼女に目線を向ける。
「私も上条さんの事は狙ってるわよぉ?」
「……はぁぁ!!?」
美琴が大声をあげる。インデックスが再び目を丸くさせる。
食蜂はまるで午後のティータイムに出かけるような軽いノリで巨大な爆弾を投下した。
「ちょ、ちょちょちょっと待ちなさいよ!!! え、なに、冗談でしょ!?」
「そ、その驚愕力はなによぉ。私だって女子中学生なんだから恋くらいしますぅ」
「でも急すぎるんだよ!! そういうのチョロインっていうのかも!! ねっとっていうのに書いてあったんだよ」
「つかそれ以前にアンタってそういうキャラじゃないでしょうが!!」
「うーん、私もこんなに惚れやすいつもりはなかったんだけどねぇ。でも上条さんと一緒に居ると凄く心地良いのよぉ。
やっぱり私のことをレベル5としてじゃなくて、一人の中学生として見てくれるのがいいのかもしれないわぁ」
「被ってる!!!!! それ私と被ってるから!!!!!!」
自らの立ち位置に危険を感じ嘆く美琴。
美琴にとって、どう考えてもここで食蜂参戦はマズイだろう。
今までの上条の言動から見て、こういうデンジャラスボディに弱いであろうという事は容易に想像できる。
しかもそれは美琴には持ち得ない武器だ。
「大体なんでアイツはいつもいつも…………!!」
そうやって終いには怨念の対象を上条自身に移し始める美琴。
インデックスはそんな彼女を見てそろそろフォローを入れようかと思っていると、
「どうでもいいけどさ」
ガチャリという音と共に麦野が部屋に入ってきた。
どうやらいつの間にか外に出ていたらしく、その手にはジュースのペットボトルが握られている。
そして呆れた様子で一言。
「あんたら声でかすぎ、外に筒抜け」
三人は思わず両手で口を押さえた。
***
太陽が真上近くまで昇っている。正午少し前だ。
宿泊先の旅館の前では、今回学園都市の外へと追いだされた八人が集合していた。
その構成はレベル5の能力者が五人。無能力者が二人。禁書目録が一人。
これからどこかの施設でも攻め込もうかというような布陣でもある。
「というわけで二人一組になりましょぉ!!」
元気よく片手を上げて提案したのは食蜂操祈だ。
そしてその提案には男性陣を中心に首を傾げる。
しかしそんな事はお構いなしに食蜂は話をすすめる。
「まず一方通行さんと垣根さんは決まりですね。規則的に」
「はぁ? 何で俺がこんなヤロウと……」
「最初の話聞いてなかったのかオマエ」
「ちっ……」
一方通行には垣根を監視する義務があるので必然的に一組は決まる。
これには一方通行自身も辟易した様子だが、放り出すつもりもないらしい。
当然ながら、垣根は顔全体で嫌悪感を表している。
すると食蜂はニヤニヤして、
「あらぁ、誰かデートしたかった女の子とか居たのかしらぁ?」
「ヤロウと二人で旅行するよりかは遥かにマシだろうが」
「へぇ、ちなみにこの中では誰が一番お好みぃ? ちょっと気になるかもぉ☆」
「…………強いて言えば第四位だな」
「死ね」
「んだとコラ!!!」
分類的には十分イケメンに入ると思われる垣根だが、麦野は顔も向けずに一言で切り捨てる。
結局、一方通行と垣根はそのまま二人で楽しい楽しいデートへと出かけに行った。
残りは六人だ。
ここで浜面が、
「もう一組も決まってんじゃね?」
「え?」
「上条とシスターさん。この二人は一緒に居なくちゃダメだろ」
ビシリと、空気にヒビが入った。
「え、なに、なんなのこの空気」
「浜面、あんたアレね、危険があったら飛び込んでみたいタイプか。進入禁止って立て札があると余計入ってみたくなるみたいな」
「いやいやいやいや!!! 俺は至って平凡な生活を滝壺と一緒にのんびり幸せに末永く過ごしたいと思っていますが!?」
事情が飲み込めない浜面は、とりあえず麦野の言葉に真正直に答える。
とはいえ、浜面の言っていることは別に間違っているわけではなく至極当然の事だ。
インデックスのことを考えれば、上条と一緒に居るのが一番良いに決まっている。
それが分かっているから、美琴も食蜂も特に何も言えずに微妙な雰囲気になっているのだ。
だが、せっかくの旅行だ。
どうせなら好きな相手と周りたいと思うのは当然の感情でもある。
そんなわけで、必然的にこの空気をどうにか出来る人物は限られてくる。
「……はぁ、分かったんだよ。別に私はとうまと一緒じゃなくてもいいかも」
「インデックス?」
「どっちにしろいつまでも一緒には居られないんだし、そこまでとうまに依存するのはあまり良くないと思っただけなんだよ。
もう霊装の方も結構良い状態になってるみたいだし、そろそろ大丈夫かなって」
「それは……そうかもしんねえけどさ」
「それに、さすがにちょっとフェアじゃないしね」
インデックスはそう言って美琴と食蜂の方を見て小さく微笑む。
それは親しみを与える……というよりかは、明らかに挑発の意味合いが強いように思えた。
わざとそう見せる事で下手に気遣わせるような事を無くそうとしたのかもしれないが。
すると食蜂も同じように笑みを浮かべて、
「よし、それじゃあ残りの組は公平にくじ引きで決めましょう!! 私、くじ作ってきたわぁ」
「へぇ、準備いいな」
「ふふ、じゃあ浜面さん、このくじを持ってもらえますぅ?」
そう言って食蜂が差し出したのは、四本の簡素な割り箸のくじだった。
先端には「上条さん」と書いてあるのが一本、「浜面さん」が一本、「女の子」が二本あり、これを女子四人が引くという事だろう。
基本男女のペアにするつもりらしいが、男二人に対して女四人なので女同士のペアが一組できるというわけだ。
「ちょっと待った」
ここで止めたのは美琴だ。
今まさに浜面にくじを渡そうとしている食蜂を半目で見ている。
「な、なぁに?」
「くじは浜面じゃなくて、そっちのバカに持たせなさい」
「え、俺?」
上条は首を傾げて自分を指す。
これになぜか慌て始めたのは食蜂だ。
「ど、どうして浜面さんじゃダメなのかしらぁ?」
「逆に聞くけど、どうして浜面じゃなきゃダメなわけ?」
「え……それは…………」
「どうやら思ったとおりね。アンタ、能力戻ってるでしょ」
「うっ!!」
食蜂の顔が引きつる。
インデックスと麦野は何かを納得した表情になるが、男性陣の方はポカンとするしかない。
構わず美琴は続ける。
「能力が戻ったのは、たぶんあの電車の中の一件からかしら? まぁとにかくアンタの企みはこうよ。
まず浜面にくじを持たせて洗脳。そうすりゃ好きな相手と組める、と」
「え、えっとぉ……」
「このバカに対しては、記憶の操作はできても全身に作用する洗脳は効かないから浜面にくじを持たせるしかなかった」
「……ごめんなさい」
食蜂はガクリとうなだれるようにして頭を下げた。
どうやら美琴の言った通りらしい。
考えてみれば提案したのもくじを準備したのも食蜂なので、怪しいと言われれば怪しい。
美琴は呆れた様子で、
「ったく、アンタまったく懲りてないわね。いきなり能力使ってズルとか」
「い、いいじゃなぁい! 別にそこまで酷いことじゃないんだし!」
「私にとっては大問題なのよ!」
「ま、まぁ、みこと。そのくらいで許してあげるんだよ」
「とりあえずふざけた事した第五位は罰として浜面とペアって事でいいんじゃないの」
「ええっ!?」
「なぁ、泣いていいか俺」
いつの間にか罰ゲーム扱いされている浜面が本気で落ち込む。
とにかくこのままではいつまでたっても話が進まないので、上条が助け舟を出すことにする。
せっかくの旅行だ、時間は有意義に使いたい。
「分かった分かった。じゃあ俺がくじを持つから女子の方で引いてくれよ」
「え、ちょっと、食蜂はペナルティとかないわけ!?」
「んー、まぁいいじゃねえか。次からはやらないようにって事で」
「上条さぁん!」
「うおっ、ちょ、くっつくなって!!」
「……アンタ、食蜂に甘くない?」
「んな事ねえって」
上条からしてみれば、とにかく話を進ませたいだけなのでそこまで色々と考えているわけではない。
だが美琴やインデックスは、やはりあの体型がいいのかなどと勘ぐってしまう。
そんな事はつゆ知らず、上条はくじを四人の前に差し出す。
「……おいお前ら顔がこえーよ。特に御坂と食蜂」
「しっ、今集中してんだから話しかけないでよ」
「何を集中してるんだよ……」
「そりゃ浜面と一緒になるのはキツイでしょ」
「だからさっきから心を抉るのをやめてもらえないでしょうか麦野さん!!」
浜面が割と本気で泣きそうな顔で懇願する。
しかし麦野は浜面の方を見向きもしないという冷徹っぷりだ。
そして、四人の少女がほぼ同時に上条の手からくじを取る。
「やったあああああああああ!!!」
歓声を上げたのは食蜂だった。
その手に握られているくじには上条の名前が書かれている。
他のペアは浜面とインデックス、美琴と麦野に決定した。
美琴は分かりやすく羨ましそうに食蜂のくじを見ている。
それと同時に納得いかないといった様子であり、何か言いたそうにしている。
しかし、今更何を言っても負け惜しみにしかならないという事を悟ったのか、何とか我慢しているようだ。
そんな微妙な空気の中、上条はとにかくこれでやっと観光に行けるとマイペースな事を考えていた。
***
上条と食蜂は二人で静かな街並みを歩いていた。
辺りにはお年寄りが経営している古い店が並び、中では楽しげに客と話している所もある。
いつも科学の最先端を行く学園都市で暮らしているからか、こういった昔ながらの街並みはどこか新鮮に感じられる。
もうお昼時なので、今は昼食をとる場所を探しているところだ。
「……あの食蜂さん」
「“みさき”って呼んでくださいよぉ」
「操祈、流石にこれはくっつき過ぎだろ。インデックスじゃあるまいし、俺はそんなすぐに迷子にならねえって」
「せっかくのデートなんですから、他の女の子の話題は禁止です」
「デートってな……」
先程から食蜂は上条の腕にべったりと張り付いていた。それはもう動きづらいほどに。
周りから見れば明らかにバカップルに映ると思われるが、幸い平日ということもあってそれ程道行く人も多くない。
とはいえゼロという事はなく、すれ違う人達は鬱陶しそうにしたり、ニヤニヤと微笑ましく見てきたりと色々な反応を見せる。
上条もこれには落ち着かない。
「どうしても嫌だというのならやめますけど……」
食蜂はようやく納得してくれたのか、腕を離してくれた。
しかし、その表情は本当に残念そうで、これはこれで罪悪感を覚える。
上条はどうしようか少し考えて、
「あっ」
食蜂が少し驚いた声を出す。
その手は上条によって握られていた。
「まぁ、これならそこまで歩きにくいとかないからな」
「……はいっ!」
食蜂はこちらまでつられてしまいそうな程の眩しい笑顔を浮かべる。
以前まで彼女は常に手袋をつけていたのだが、今は外している。
女の子特有の柔らかい肌の感触に内申ドギマギしながら、上条は冷静を装う。
一方で食蜂はそんな事はお構いなしに、ぎゅっと上条の手を握り返すと、ブンブンと振り始めた。
上条はそれに対して思わず苦笑して、
「なんか、天下のレベル5サマが子供みたいだぞ」
「むぅ、そういう事言わないでくださいよぉ。大体、私と上条さんだって2つしか変わらないじゃないですかぁ」
「中学生と高校生との間には大きな差があるんだ」
「中学生の御坂さんに勉強教わったりしてるのに?」
「いっ!? み、御坂のやつ言いふらして」
「この前上条さんの頭の中を読んだ時に見たんですよ」
「プライバシーってもんがないのかその能力……」
上条はもはや溜息をつくしかない。
透視能力者もそうだが、無能力者の立場から言わせてもらうと、そういった能力には何か制限をつけるべきだと常々思う。
すると、食蜂は急に真面目な顔をしてこちらを見る。
「あの、上条さんって」
「ん?」
「……記憶喪失、ですよね?」
「あー、そっか、分かっちまうよなそれも」
上条は食蜂の言葉に小さく笑みを漏らす。
頭の中を読まれたというのなら、当然その欠落も知られてしまっているだろう。
だが、そこまでショックはない。
ずっとカエル顔の医者しか知らなかったことだが、今ではインデックスや美琴も知っている。
それに食蜂と出会ったのは記憶喪失後なので、彼女を傷つけてしまうという事もないだろう。
上条は以前までより、この記憶喪失というものをあまり重く捉えていない。
しかし食蜂は気遣わしげな表情で、
「初めは上条さんの幻想殺しの影響で一部の記憶は読み取れないんだと思ってました。
あなたの記憶は例の病室から始まっていて、記憶喪失だとしたらその後すぐにインデックスさんの事をあれだけ想えるだなんて信じられなかったんです。
でも、この前のインデックスさんとの絆を見せられて、もしかしたら本当に記憶喪失なんじゃないかって」
「自分でもよく分かんねえんだよな。でも例え脳には残っていなくても――」
「心に残っている、ですか」
「……ちょっとくさいか?」
「ふふ、少し前の私だったら鼻で笑っていたかもしれませんね。でも、実際に見せられてしまったら仕方ありません」
ここで食蜂は言葉を切って、笑顔を向ける。
それはどこにでもいる中学生のそれだった。
「私も信じたいです。心というものの存在を」
おそらく彼女が人のことを信じられなくなったのは、幼い頃からの能力が大きな原因だと考えていいだろう。
もし食蜂の持っている能力が違ったものだったら、今回のような騒ぎは起きていなかった。
だが、上条は彼女が精神系の能力者で良かったと思う。
確かにこの前の騒ぎは上条達にとって大変なものだった。
一歩間違えれば取り返しのつかない事になっていたかもしれない。
しかし、何もマイナスなところばかりではない。
学園都市で最高位の精神系統能力者が食蜂で良かった、今では強くそう思える。
今の彼女ならば、きっとその能力でどんな者よりも素晴らしい事をしてくれる。
上条は何度争いに巻き込まれても不幸の一言で切り捨てたりはしない。
きっとそれには何か意味がある、そう思うようになっていた。
だから、自信を持って言う。
「――あぁ、きっと操祈には見つけられる。心ってやつをな」
食蜂は無言で、それでも嬉しそうに微笑んだまま上条に向き合う。
二人の手は固く繋がれたままだ。
どんな相手でもいつまでも敵である必要などどこにもない。
現に一方通行なんかは一度ならず二度も殺されかけた経験もある。
過去にばかり目を向けても何も始まらない。
上条は今のその人物の事をよく見て、接していたいと強く望む。
そして、次第に二人の距離は縮まっていき――――。
「ち ょ っ と 待 て」
ガシッと。
上条は接近してくる食蜂の頭を掴んだ。
女の子特有のさらさらの髪の感触が伝わってくるが、そんなのを気にしている余裕はない。
食蜂は頭を押さえつけられたまま、なおもグググ……と前進しようとしている。
まるで牛だ。
「……なんですかぁ?」
「あなた様は現在進行形で一体何をしようとしていらっしゃるのでしょうか?」
「この展開力的にはキス一択でしょぉ」
「うん、おかしいね。絶対おかしいよね」
「おかしくなんかないですよぉ!」
食蜂がガバッと顔を上げる。
上条はその表情を見て少し驚いた。
真剣だった。
「本気」と書いて「マジ」と読む表情だった。
「もぉ、空気の読めない人は嫌われますよぉ? はい、んちゅー……」
「待て待て待て!!! え、なに、俺がおかしいの!?」
「はい」
「いーや違うね!! その証拠に周りの人達は『うわーマジかよこいつら……』みたいにドン引きしてるし!!」
「ちっ、ダメでしたかぁ」
「今、舌打ちしたよなおい……」
先程まで食蜂に抱いていた期待にヒビが入る音が聞こえる上条。
そんな事はつゆ知らず、食蜂は何かを考え込んで、
「んー、そういえば、上条さんには洗脳は効かないですけど記憶操作とかは効くんですよねぇ?」
「……そうだけどさ」
「それなら記憶を改ざんして私と上条さんが恋人同士って事にしてぇ、その後ホテルにでも行って既成事実を作っちゃえば……」
「何ブツブツと恐ろしいこと言ってんの!?」
甘かった。
確かに以前よりはもっとマシな事に能力を使ってくれるんじゃないかと考えていたが、これはこれで酷い。
彼女的には軽い考えだとしても、こちらからすれば社会的存在に関わってくる大問題だ。
旅行先で常盤台のお嬢様(14)と体の関係を持つ。
何をどう考えてもアウトだ。
「よし、それならこれでどうだ!!!」
「ふぇ?」
上条はすぐに頭に右手を当てる。
これが精一杯の防衛行動だ。
「これなら例え記憶操作されてもその瞬間に解除できるぞ!!」
「なるほどぉ……まぁでも私もそこまで本気力全開ってわけじゃないから心配しなくても大丈夫ですよぉ」
「いや嘘だね、目がマジだった」
「確かに最初はマジだったですけどぉ、よく考えたら初めての相手がそんな状態っていうのは私の乙女力的にアレですしぃ。
だからできれば上条さんが自発的にこのままホテルまでついてきてほしいんですけど」
「そこで素直に『うん』と言うと思っているのかね君は」
「一般的な男子高校生なら8割はそう言うと思いますぅ」
「随分な自信で。けど残念ながら俺は残りの2割だ」
「やっぱり年上じゃなきゃダメですかぁ? 寮の管理人は能力使えばどうにでもなるんですけどぉ」
「やめて!!! 人の趣向をペラペラと口に出さないで!!!!!」
そんなこんなで結局お姫様に振り回される上条。
周りの人々も、昼間から妙に生々しい会話に完全にドン引きして関わり合わないようにしている。
それから昼食をとる店を見つけたのはしばらく経ってからの事だった。
***
「…………」
「どうしたの、はまづら? そんなに落ち込んで」
「いや、うん、なんでもねえよ……」
浜面とインデックスは上条達からは少し離れた街並みを歩いていた。
といっても、何かの拍子で鉢合わせする可能性は十分ある距離だ。
浜面仕上はとてつもなく後悔していた。
きっかけは昼食時。
インデックスのことをフレメアと同じような扱いで、ご飯代くらいは出してやると言ったのが大きな間違いだった。
店に入って、そのまま気付けばテーブルの上には桐生うどんやら上州そばやら、挙げ句の果てにはデザートに焼きまんじゅうなどが所狭しと並べられていた。
そしてその結果、会計時にはアイテムで飯を食いにく時でも見ないほど0が並ぶという事態になってしまったというわけだ。
もちろん浜面の財布は旅行一日目にして氷河期突入だ。
「あ、そこのお土産屋さん寄っていいかな?」
「ん、ああいう所って無駄に高かったりするけど大丈夫か? 上条から少しは金貰ってるんだろうけど」
「え? ううん、私はちゃんと自分のお金持ってきてるよ?」
「……へ? あんた、もしかして稼ぎとかあるわけ?」
「うん、これでも一応イギリス清教の禁書目録だからね。向こうではこーむいん的な扱いで、お給料も出てるんだよ」
「…………」
「はまづら?」
インデックスの言葉を聞いて、浜面は更にガクッと落ち込んでしまう。
今までろくな人生を送っていない浜面からすれば、公務員といえば手が届きそうにもない勝ち組的な存在だ。
そんな者に自分は見栄をはってご飯を奢るなんていうことをしてしまったわけだ。
まぁ、今更それについてどうとか言うつもりはないが、それでもショックなことに変わりはない。
そんな意気消沈している浜面に首を傾げながら、インデックスはお土産屋さんに入る。
中はそれなりの広さがあり、全体的に木の香りが店全体に広がっていた。
平日の昼間ということもあって客はほとんど居ない。
「とりあえず焼きまんじゅうは外せないんだよ。イギリス清教全員分ってなると……」
「待て待て、食い物は旅行初日にここで買わなくたっていいだろ。同じもんなら旅館にもあるだろうし、そこから直接送ってもらえって」
「分かった、そうするんだよ! じゃあ何を買おうかな……」
「上条へのプレゼントなんかいいんじゃね?」
「えっ!?」
浜面がニヤニヤとからかうように言うと、インデックスは顔を真っ赤に染める。
ここまで期待通りの反応をしてくれると、からかい甲斐があるというものだ。
「別にそこまで照れることもねえだろ。俺だってもちろん愛しの滝壺に何か買ってくぜ?」
「わ、私ととうまの関係は、あなた達とは違うかも」
「変わんねえって。好きな相手に何かをあげるって事に関してはな」
「す、好きってそんな事…………それに何を買えばいいかわからないかも」
インデックスは困った様子で棚の上の商品を眺める。
「一応この辺の伝統工芸だとガラス工芸とからしいな。手作りできるところもあるとか」
「とうまにそんなものあげてもすぐに割っちゃうんだよ。いつもの不幸で」
「どんな生活送ってんだアイツは……まぁけど、別にここでしか買えないものに拘んなくてもいいんじゃねえの。
何かアイツが喜びそうなものだったらなんでもさ。お土産ってわけじゃねえんだし」
「喜びそうなもの……」
上条が喜びそうなもの。
そう考えて真っ先に出てくるのはやはり食べ物だ。
普段から節約生活を行なっている上条からすれば、贅沢な食べ物というものは無条件で喜ばれるだろう。
ただ、だからといってここで高級品を買って旅館でプレゼントするというのもなんとも微妙な感じだ。
やはり彼女としても、形に残るものにしたい。
ここで、インデックスは手近な所にあったペンダントに手を伸ばす。
「……これはアメジスト?」
「あー、パワーストーンってやつだな。なんか色んなご利益があるとか……ってそういうのはあんたの方が詳しいだろ?」
「アメジストはギリシャ神話では美少女の化身とされているんだよ。
酒の神バッカスが酔ってアメジストを襲おうとしたら、月の女神がアメジストを水晶に変えた。
その後酔いが覚めたバッカスは反省してその水晶にぶどう酒を注いで、こういう紫色に輝くようになったってお話なんだよ」
「へぇ~、やっぱすげえな。魔術師ってのはみんなそういう神話とか覚えてるもんなのか?」
「各地にある神話を隅から隅までっていう人はそんなに居ないかも。でもそうやって幅広い知識を持っていれば対応できる魔術も増えていくから有利だね。
えっと、それじゃあこのパワーストーンは『お酒に酔わない』とかっていう効果があるのかな? アメジストの語源もそういう意味だし」
「ん、いや、美容効果とか恋愛運アップとか書いてあるぞ」
「……なんかてきとーかも。アメジストは十字教でも司教の石っていう事になってるのに」
「まぁそんな大真面目なものじゃねえだろ。ちょっとしたお守りみたいなもんだよ」
「ふーん……」
インデックスはそう言いながら少し興味ありげに他の石を眺め始める。
「あれ、意外と気に入ったのか?」
「うん、どっちにしろとうまには魔術的なものはダメだし、こういうのがいいかも。ほらこれとか危険回避って書いてあるんだよ」
「タンザナイト……ネガティブなエネルギーをポジティブなものに変換、ねぇ」
「他にも『人生を良い方向へ導く』『複雑な問題を解決する助けになる』って書いてあるんだよ。不幸なとうまにはピッタリかも。
魔術的な効果はなくても病は気からっていうし、何もないよりはいいと思うんだよ」
「病扱いされてるってのもアレだな……。けどいいのか、ほらこっちには浮気防止とかもあるぜ?」
「う、浮気って……別に私ととうまはそんな関係じゃないし、そこまで縛り付ける権利はないかも」
「けどあんたがまた学園都市に戻ってきた時に上条に彼女ができてたらショックだろ?」
「……別にいいもん」
「明らかに強がりだろそれ」
「こっちにも色々都合があるんだよ」
インデックスはそう言うと、さっさとタンザナイトのペンダントを会計に持って行く。
そろそろ上条から離れるための心の準備をしなければいけない、彼女はそう考えていた。
もちろん学園都市を離れる前に、自分の気持ちを告白しようとは思った。
だが、それはリスクが大きい。
もしもフラれてしまったら、またストレスで遠隔制御霊装に不具合が出てしまう可能性がある。
そして上条はそれを心配して、例え他に好きな人が居たとしても断ることができないかもしれない。
インデックスにとって、それが一番嫌だった。
しかも受け入れられて恋人同士になれたとしても、今度は離れられなくなるのではないかという心配も出てくる。
今でさえ正直離れたくないという気持ちは強く、最近ではイギリスに帰ってからのことを考えてその時に備えている始末だ。
当然、気持ちを抑えるのが辛いというのもある。
今のままの関係で満足していない自分というのも居る。
もっと抱き合ったりキスもしたい。それは日に日に大きくなっていく。
せめてその願望を口から出してしまえば少しは楽になるのかもしれないが、それは簡単なことじゃない。
どうして自分はこんな立場の人間なんだろうとも考えた。
もしもイギリス清教の禁書目録ではなく、学園都市で暮らす一人の少女だったら。
上条と同じく平凡な無能力者で、上条とは学友として毎日バカをやっているような関係だったら。
そんな事をいくら考えても仕方ないことくらいは分かっている。
しかしそんな思いとは裏腹に、そういった「たられば」の光景は頭の中に鮮明に浮かび上がる。
別れの時間が迫ってくるにつれて、さらに頻繁に。
インデックスは、店員からプレゼント用の包装を施されたペンダントを受け取ると、浜面のところに戻る。
そして少し上を見上げてポツリと、
「人間って基本的に無駄なことをしたがる生き物なのかも」
「おおう、どうした急に。なんか14、5の女の子にしてはえらく達観したようなセリフだぞ」
「特に意味は無いんだよ。それで、はまづらはプレゼント決まったの?」
「こっちはプレゼントってか普通にお土産だな。ここはベタに手作りのガラス工芸でいいかと思ったんだけど、ちょっとな」
「何かダメなの?」
「いや、やっぱ滝壺だけじゃなくて他のアイテムの面子にも買わなきゃいけねえからさ。さすがに全員分を手作りってのはなぁ」
「それならりこうの分は手作りで、他の人達は市販のものでいいんじゃない? 恋人同士なんだし、そこは分かってくれるんじゃないの?」
「それは大人しく納得してくれるような奴等だったら悩んでねえよ…………まぁ無難に食いもんにするわ」
浜面はどこか諦めたように「ははは」と乾いた笑みを漏らす。
たぶん、というか絶対、お土産に差をつけたら窒素シスターズを筆頭に手痛い強襲を受けるはめになるだろう。
そんなわけで、浜面は旅館に戻ってからお土産の食べ物を買うことに決め、インデックスと共に店を出る。
そのまま、これからどこへ行こうか話していた二人だったが、ふとインデックスが思い出したように、
「ねぇ、はまづら。りこうとはどんな感じで付き合うようになったの?」
「……へぇ~、気になるか?」
「むっ、何なのかなその顔は」
浜面はニンマリとした笑みを浮かべており、インデックスは何故かそれが妙に腹立たしく、頬をふくらませる。
「いやいや、別に何でも。……そうだな、特に告白のセリフとかはなかったぞ」
「えっ?」
キョトンと首をかしげるインデックス。
まだそういう経験がない彼女にとっては、告白というのは恋人同士になるためには避けて通れない儀式のようなものだという認識がある。
それだけに、告白なしで恋人同士になるなんていうのは想像できない。
そんな彼女に、浜面はその時の状況をかいつまんで説明する。
インデックスは真剣な表情でじっと話を聞いて、
「……なるほど。そうやって付き合うっていう事もあるんだ」
「何か参考になったか?」
「さ、参考って……別に私はただ興味があったから聞いただけで……」
「なぁ、今更隠したって仕方ないだろ。ぶっちゃけバレバレだし。上条のこと、好きなんだろ?」
「……私ってそんなに分かりやすい?」
「たぶん気付いてねえのは上条くらいだと思うぜ」
浜面の言葉に、インデックスは諦めを含んだ溜息をつく。
ひょっとしたら、いつまで経ってもあの少年がこの気持ちに気付かないのは、彼女自身にも問題があると思っていた。
隠そうとし過ぎたのではないか、それで気付けというのが無理な話なのではないか。
だが、浜面の話を聞く限りそうでもなさそうだ。ただ単に上条がありえないくらい鈍感だというだけだ。
といっても、インデックスからしても上条以外にはバレバレというのはあまり良い気もしないが。
「それで、いつ告白すんだ? 学園都市にいる最終日とか?」
「なんでそんなに楽しそうなのかな」
「そりゃ他人の恋愛話は楽しいだろ」
「……はぁ。しないよ、告白なんて。さっきも言ったけど、色々と都合があるんだよ」
「科学と魔術がどうのこうのってやつか?」
「そう。一歩間違えたら世界レベルで大事になっちゃうし」
「色々大変なんだなあんたも…………けどさ」
浜面はここで一旦言葉を切る。
インデックスと上条の状況は、浜面と滝壺の状況とはだいぶ違う。
それでも、浜面には彼女に言っておきたい言葉があるようだ。
「周りのことを考えるのもいいけど、まずは自分が本心ではどうしたいのかってのが大事だと思うぜ」
インデックスは少し驚いたように、隣を歩く浜面のことを見上げる。
それは浜面の言葉にただ感心しているのか、それとも丁度考えていた事を当てられて驚いているのか。
色々な感情が混ざり合い、彼女自身にも分からなくなっていた。
だが彼女はすぐに真剣な表情になり、ただ一度だけ力強く頷いた。
「――分かってる」
***
御坂美琴と麦野沈利のレベル5コンビは、とあるのどかな牧場に居た。
といっても、見渡す限りの大平原とか飼料の匂いが充満している小屋に居るわけではない。
観光客用に作られた、小綺麗な施設の二階。
そこで、自家生産とか書かれたヨーグルトやチーズが楽しめる食堂にて三時のおやつタイムを楽しんでいた。
ちなみに、その前までは飼料臭い小屋で乳搾り体験というベタなものにチャレンジしていたわけで、麦野は自分の服をくんくん嗅いで匂いが残っていないか確かめている。
「ったくよー、何が牧場ゲコ太よ。あんた、そういうのはホント抜け目ないわね」
「ふん、ゲコラーとして当然のことよ!」
「ない胸張られてもね」
「ぐっ……」
麦野の言葉に、美琴は悔しそうに顔をしかめる。
能力でも体力勝負でも負ける気はないが、その一点に関しては分が悪いとは思っている。
それと、元々あまり期待もしていなかったが、麦野もゲコラーの魂は持っていないようだ。
美琴はヨーグルトを口に運びながら、
「でも、アンタだって別に行きたいところがあったわけじゃないでしょ」
「ん、まーそうね。別に言うほど不満ってわけでもないわよ。フレメアへの買い物も決まったし」
「ここの乳製品とか? あの子また虫歯になるわよ」
「乳歯なら構わないでしょ」
「その考え方はどうなのよ」
おそらくフレメアは大喜びだろうが、また後には恐怖の歯医者さんが待っている可能性が高い。
科学が進歩した学園都市でもあのドリルはまだまだ現役バリバリなのだ。
そして、泣き叫ぶフレメアをなだめて連れて行くのは浜面の役目でもある。
「ていうか、あんたこそどうなのよ。てっきり私は縁結び関係のお守りを買い漁るのに連れ回されるものだと思ったけど」
「もちろん行くわよ。チェックもしてあるし」
「学園都市のレベル5がオカルトに染まりまくってるってどうなのよ」
「べ、別にそこまで狂信的に信じてるわけじゃないわよ。でもほら、ないよりはマシっていうかさ」
「いくら保険を増やしても告る勇気がないなら意味ないんじゃないの?」
「こ、告……っ!! ちょっとそういう事あの馬鹿の前では絶対言うんじゃないわよ!!」
「さぁ、どうだろうねー。ついうっかり口が滑っちゃうなんてこともあるかもねー」
そう言ってニヤニヤする麦野。
美琴のような初な恋する少女をからかうのはさぞ楽しいのだろう。
そういった所は番外個体なども共感してくれるところのはずだ。
「そもそもさ、あんたも随分余裕じゃない? 上条のやつが他の女とデートしてるってのに」
「もちろん気に食わないけど、一応公平に決めたんだから仕方ないじゃない。それにあの馬鹿の事だし、どうせ大したことも起きないわよ」
「どうかな?」
ここで麦野はニヤリと意地の悪い笑みを浮かべる。
どうせからかう気しかないんじゃないかと思う美琴だが念のため、
「……どういう意味よ?」
「確かに上条には女に手を出す度胸はないかもしれない。でも、相手は精神系統のレベル5よ? 相手の意志なんか無視してやりたい放題できんじゃないの?」
「えっ……あ、いや、でもアイツには洗脳は効かないし!!」
「洗脳は効かないけど、記憶操作は効くんでしょ? ってことは」
そこまで聞いて、美琴の顔が真っ青になる。
考えてみればそうだ。
食蜂操祈という女が狙っている男とデートして、何もなしで終わらせるだろうか。
彼女の性格を考えれば、何としてでも手に入れようとしてきてもおかしくない。
そして最悪なことにその手段も持っている。
「ちょ、ちょっとごめん!!」
美琴は慌ててケータイを取り出すと、すぐに上条の番号にかける。
焦りで手が震えているのが分かる。
間に合ってくれ、とまるで上条が命の危険に晒されているかのごとく必死な美琴。
電話は意外と早く繋がった。
いつもは繋がらないことも多いので、これは珍しい。
『もしもし、御坂か? 一体どうした――』
「あ、もしもし!? ちょっとアンタ食蜂と変なことしてないでしょうね!?」
『うおっ!! い、いきなり大声出すなって。何もしてねえよ』
「ほ、本当!?」
『あぁ……つかどんだけ信用ないんだ俺は…………って食蜂? あ、おいっ』
「……?」
『もしもし、御坂さぁん? 人のデート中に電話かけてくるなんてちょっと常識力に欠けるんじゃなぁい?』
上条から電話を奪ったのだろう、声が食蜂のものに変わった。
それもその声色はいつものからかうようなものではなく、明らかにムスッとしたものになっている。
「そ、それは、アンタの普段の行いが悪いのよ!」
『でも、今は何もしていませーん! というわけでもう切るわねー』
「あ、ちょ、待てこのっ!!」
耳元からはツーツーという電子音だけが聞こえる。
すぐにかけ直そうとも思ったが、相手の身になってみると確かに嫌な感じがしたので、仕方なくやめることにする。
だが食蜂の言葉にあった『“今は”何もしていない』という単語に関しては物凄く怪しいので、とにかく二人を監視することに決める。
「麦野、行くわよ!」
「えー、つか監視カメラハッキングとかすればいいんじゃないの」
「こんなとこにいくつもカメラがあるわけないでしょ」
「衛星とか」
「流石にそこまでやって捕まりたくはないわ」
「バレなきゃいいじゃん」
「まずその綱渡りをやりたくないっつってんのよ」
「ふーん、まだそこら辺は冷静なんだ」
と言いつつ、麦野はヨーグルトを口に運ぶ手を止めない。
要するに、動きたくないだけだ。
美琴をからかうのは面白いが、流石に一緒に上条を探して歩きまわるなんていう事はしたくない。
基本的に麦野は損得を考えて動く女だ。
美琴はそんな麦野に溜息をつき、
「そんじゃ、私だけで行くわよ」
「やめとけばいいのに。人の恋路を邪魔するもんじゃないわよ」
「アンタさっきと言ってること違うんじゃないの……?」
「あれはただあんたの反応が面白そうだったから言ってみただけ」
「えらく堂々とぶっちゃけたわねコノヤロウ」
「つーかさ、あんたは早く告れよ」
「それも面白そうってだけでしょうが!!」
「確かにそれが9割だけどさ」
「こんの――!!」
「まぁ聞きなさいよ」
そう言って余裕綽々に美琴をなだめる麦野。
この差はどこからくるのだろうか。
当事者と傍観者の差。人生経験の差。
考えられるものはいくつかあるが、とにかく事実として麦野は美琴よりも冷静にこの問題と向き合える。
麦野の言うことが合っているかどうかなどはさておいて。
むしろ、正解などはないのかもしれないが。
彼女の言葉には、きちんとした軸がある。それだけでだいぶ違うだろう。
「まずあんたとかあのシスターって、上条が他の女と話してるとよくキレるけど、それって結構ズルいもんだよね。
自分達は今のままの関係っていう安全地帯にいるくせに、他の女が上条に近付くのは気に食わない。男を束縛すんのは恋人の特権だと思うけど」
「そ、それは……」
「だから付き合っちゃえばいいじゃん。流石に彼女が居たら上条だってそこら辺気を使うと思うわよ?
浜面だって滝壺とくっついてからは絹旗と映画観に行ったりはしてないし」
「簡単に言ってくれるけど、告白して成功する保証なんかどこにもないじゃない。
アイツのことだから、きっと私のことなんてそういう対象とすら見てないわよ。そんな相手にいきなり告白とかされたら引かれるって」
「そうやってずるずるずるずる先延ばしにして後悔するのはあんたよ? つかその間に他の女が告って、まんまと取られるっていう考えはないわけ?
ああいう上条みたいなタイプって、今まで何とも思ってなかった相手でも、そういう告白みたいなきっかけから好きになるって事も多いと思うけど」
「それは……そうかもしんないけど……」
確かに今の関係から抜け出すためには、きちんと好意を伝えるという事が一番早いのかもしれない。
それによって、初めは自分のことをあまり見ていなかった相手でも、そういった感情を向けているという事に気付けば向こうも自然とこちらを意識し始めてくれる。
そういう話も聞いたことはある。
麦野はここで口元に笑みを浮かべる。
見るからに、美琴は揺れている。これは後もう一押しすればいけそうだ。
「宿でもあのシスター相手に言ってたじゃないの、『アンタには負けない』ってさ。それならさっさと告るべきなんじゃない?
それと、告るならあのシスターがイギリスに帰る前ね」
「な、なんで?」
「そりゃ、あのシスターが告るとするなら、イギリスへ帰る直前の空港とかが一番可能性が高いからよ。
ドラマとかでもよく見るじゃない、空港の搭乗ゲートの前でハグするシーンとか」
「なるほど……」
そうやって真面目に考え込む美琴。
麦野としては、そんなフィクションの世界みたいな事はそうそうないとは思っているのだが、とにかく美琴が信じそうならそれで良かった。
要は焚きつけることが目的であり、その為には美琴の少女趣味も利用しなくてはいけない。
同時に、ここまで簡単に乗せられるレベル5ってのも危ないものだと感じる。
やはり子供には大きすぎる力を持たせるものではないんじゃないか。
まぁ、麦野が言えたことではないのだが。
「なんなら、今日の夜ちょっと仕掛けてやろうか?」
「仕掛けるって何よ。アンタが言うとろくな事に聞こえないんだけど」
「安心しなさいよ、あんたにとっても悪い事じゃないはずよ」
麦野は何やらニヤニヤとした笑みを浮かべて、コソコソと話し始める。
それを聞いていた美琴は、初めはふんふんと真剣に聞いていたのだが、徐々に顔を赤く染め始め、
「それは無理!!!」
「なんでよ」
「嫌なものは嫌なの!!! つかそんなハッキリさせられたら凹む!!!」
「凹むかどうかなんて分かんないじゃない。アンタってなんでもズバッと決着つけたがる性格じゃなかったっけ?」
「それとこれは話が別!!」
そんな感じに、ガールズトークを続ける二人。
美琴本人は必死なのだが、麦野はあくまで面白そうにニヤついているばかりだ。
そんな彼女達を、周りの者達は仲の良い姉妹か何かだと思って微笑ましげに眺めていた。
***
楽しげなレベル5女子コンビとは一転して、こちらの一位と二位のコンビの間には険悪な空気が流れていた。
この二人の場合、仲が悪いといっても普通の学生の基準ではない。具体的に言うと、仲が悪すぎて殺し合いをするほどだ。
そんな二人が楽しげに笑いあいながら旅行を楽しむなんていう事はありえない。むしろ、そんな事が起きている事の方が異常事態と言える。
だから、今のこの小動物がストレスで即死するレベルの空気の悪さがあくまで正常状態であるのだ。
二人はとある山道を歩いていた。といっても獣道というわけではなく、きちんと整備された道だ。
辺りに人は居なく、まるで時間がゆっくり流れているかのように静かな場所。積もった雪も綺麗な表面のままになっている。
この地域は温泉が有名なのだが、この山に関しては温泉が湧くというわけではない。代わりに地元で有名な綺麗な湖や小川、小さな滝などがある。
温泉が実利的な良さが強い事に対して、ここは景観的な良さが強いというわけだ。
「はっ、平日に、こんなさみーなか、しかも男と二人でこんなとこ来るなんてイカれてやがる。お前もしかしてそっちの趣味か?」
「黙ってろチンピラ。つーか、例えそンな趣味のホモ野郎だとしても、オマエみてェな小物メルヘンはお断りだろォな」
「んだとコラァァ……!!!」
何でもない無難な会話など一つもない。そもそも、これを会話と呼んでいいのかも疑問が残る。
キャッチボールをしているはずなのに、相手からのボールは一つ残らず避けて、それぞれが豪速球を投げ合っているような感じだ。
垣根は憎悪に満ちた表情を浮かべ、今にも相手を八つ裂きにしてしまいそうな目で睨む。
いや、普段の彼であれば何の躊躇いもなくそうしたのだろう。
だが、行動に移す前に理性が邪魔をする。能力も使えないこの状態で目の前の男を相手にしたらどうなるか。そんな事はこのレベル5の頭がなくても分かることだ。
垣根はギリギリと奥歯を鳴らす。
これだけ馬鹿にされて、自分は何も行動に移すことができない。
違う。苛立っている理由はそれだけではない。
どんなに巨大な感情が湧き上がっても、頭では理性的に勝率を計算する。
別に感情のみで突き進むような馬鹿になりたいというわけではない。この考え方のほうが生きていく上で利口だと言えるはずだ。
しかし、それでも垣根のモヤモヤは消えない。
先程一方通行が言った“小物”という言葉。
その裏付けが今の垣根の考え方だという言われている気がした。そんな事はないと確信しているにも関わらず。
垣根はそんな不快な気持ちから逃れるように無理矢理口を開く。
「にしても、滑稽だよな」
「オマエ自身がか?」
「この近くの湖の伝承だ。それを聞いてなぜか足を運ぼうとしてるテメェもな」
「…………」
山に来る前、一方通行は町の住人におすすめスポットとやらを尋ねていた。
もちろん、彼が率先してやった事ではない。
旅行の経験がろくになかった一方通行はどうすればいいか困っていた。観光名所などのチェックはしていた。それを見た番外個体は笑い転げる事になったが。
それでも本当にその観光名所とやらを見て回るだけでいいのか気になったので、その辺りを黄泉川に聞いてみた。
同居人の中でまともに表の世界で生活している人間というのが彼女一人だったので仕方なくだ。
すると、返ってきた言葉はこうだった。
『そういうのは雑誌とかネットで調べるよりも、直接現地の人に聞くのが一番じゃん!』
そんなわけで、実行してみた一方通行。
以前までの彼だったら、こんな事は柄ではないと突っぱねたはずだ。
しかし、今は違う。何でもかんでも自分の柄ではないと突っぱねていては、気付けば元の血みどろの世界に逆戻りしてしまう可能性もある。
こちらの世界で生きていくつもりならそれなりに順応しなければならない。
相手は気の良さそうなおばさんだった。
一方通行は何もしていなくても、相手を怖がらせてしまうインパクトがある。それは良く打ち止めにも注意される。
だから、できるだけ表情を柔らかくするように意識して話しかけた。
そんな様子を見ていた垣根は嘲笑を通り越して、もはや失笑していたが。
おばさんは少し驚いたような表情をしたが、意外にも普通に話してくれた。
これはもしかしたら年齢からくる余裕というのもあるのかもしれない。
考えてみれば、一方通行は学園都市の学生達に怯えられることはあっても、大人はそこまでではなかった気がする。
まぁ、学園都市で会った大人なんていうのは大半がどこかネジの飛んだ科学者なので、参考にはならないかもしれないが。
おばさんの話によると、寺や温泉などもいいが、あまり有名じゃなくても美しい景観の場所があるとの事だった。
正直、一方通行はそういった美しい景色を見て感動できるほど綺麗な存在ではない。
しかし、こういった機会に自分も少しは変われるのではないか、とも考える。最初から向いていないと切り捨てるのは良くない。
その時に聞いた湖の話が、今垣根が話している事だった。
おばさんによると、こういった話らしい。
昔々、多くの人間を殺めた大悪党が居た。その男はある時自分の罪の大きさに気付き、これからは人の為になる事を成そうと努力した。
その結果、男は徐々に周りの人間にも認められ新たな人生を歩んでいった。――――そこまでは良かった。
だが、そう上手くはいかなかった。ほんの些細なきっかけによって、ある時男は大きく苦悩し始める事になる。本当にこれでよかったのか。
こうして心を入れ替えた所で殺された者達は救われるのか。結局、こんなものはただの自己満足にすぎないのではないか。
男は追い詰められていった。皆が笑いあう暖かい世界において、自分は存在してはいけない異物にしか思えなくなってきた。
その後、男は誰にも見られずに自ら湖に身を沈めた。それは今まで殺した者達への懺悔なのか、それとも世界からの逃避だったのか。それは分からずじまいだった
垣根は見下した笑みを浮かべて、
「テメェも湖に身を投げる気か? それなら爆笑しながら見送ってやるよ」
「くっだらねェ」
「あ?」
「オマエは何も分かっちゃいねェ。今までブチ殺してきたクローン共が俺の死を望ンでいるのならそォしてやる。
だがな、死ンだ奴がどォ思っているかなンてのは、そいつ自身にしか分かンねェンだ。勝手に死ンで償ってもそれは自己満足にしかならねェ」
「くっ、はははははは!!! なんだそりゃ!!! 要するにテメェが死ぬのがこええってだけだろうが!!!」
「あァ、こええな」
一方通行は簡単に認めた。
それは垣根にとっては意外だった。『死ぬのなンざこええわけねェだろ』といった答えが返ってくるものだと思っていた。
その返事はまるで普通の人間が話しているかのようで。
垣根には、それが小さなトゲのように胸に刺さり、どうしようもなくイライラさせる。
「ちげえだろうが…………テメェはそうじゃねえだろうが!!!!! 何がこええだ!!!」
「俺が勝手にくたばっちまったら、あのクローン共はどォなる。あのクソガキはどォなる。
アイツらには敵が多い。少しでも油断しちまえばすぐに食い物にされちまう。それくらいにはこの世界は腐ってる」
「黙れよ」
「死ぬのは簡単だ。それとは比べ物にならねェほど、守るのは難しい。
柄じゃねェってのは分かってンだよ。正直、日常ってやつは気疲れしてしょうがねェ。血みどろの殺し合いをしていた方がずっと楽だ。
だが、俺はそンな楽な方に流されることを許されねェ。それに俺自身こンな資格があるかどうかは分からねェが、アイツらと同じ世界に居たいと思ってる」
「黙れって言ってんだ!!!!!」
気付けば垣根は叫んでいた。
辺りに人は居なく静かなので、その声は良く響く。故に、嫌でも気付いてしまう。
その声の中に、怒り以外の何かが含まれているということに。
その何かというのは分からない。
いや、分かりたくないといったほうが正しい。
とにかく、垣根はモヤモヤとしたものを吹き飛ばすかのように、喉を張り上げて叫んでいた。
「ふざけんな!!! いつまでおままごとを続けていくつもりだ!? テメェが普通に表の世界で生きていく!?
そんな事できるわけねえだろうが!!! クローンとはいえ、一万人以上もの人間をブチ殺した人間に、そんな事ができるはずがねえ!!!」
「できるかどうかはオマエが決めることじゃねェだろォが。」
「ムカつくんだよ!!! そうやって無駄にみっともなく足掻いている姿を見ていると胸クソ悪くなってくんだよ!!!!!」
「……そういや、オマエ、最初に戦った時もそうやってやけに突っかかってきたな。俺が黄泉川のやつにオマエを撃つのを止められた時だ」
「んだと?」
「哀れだねェ。俺からすればオマエの方も十分滑稽に見えンぞ」
「何だその目は……テメェに俺の何が分かんだ!!! 何でも全て見透かしたような目してんじゃねえぞコラァァ!!!」
「ならハッキリ言ってやろォか」
そこで、一方通行は言葉を切る。
これから何を言うのか、なぜか垣根には何となく予想できた。
それは聞きたくない。
何よりも、目の前のこの男の口からだけは絶対に。
それでも、垣根は何もできずにただ相手の言葉を待つことしかできない。
死刑宣告を待っている囚人のように。
「オマエは羨んでいるだけだ。光が眩しい表の世界をな」
バキィィィ!!! という音が響き渡る。
気付けば、手が出ていた。
どんな戦いの中でも、頭では常に勝利への手順を考えながら行動してきた垣根。
そんな彼だが、今は頭のなかが真っ白だった。殴った感触もあやふやだ。
頭よりも先に手が出る。それは今までずっと彼が見下してきた者達と同じ行動だ。
その事実が、認められない。認めたくはない。
自分はあんな奴らとは違う。感情のままに拳を振るうなどという事はしない。
常に利益とリスクを天秤にかけて、その上で行動する。
ずっとそうしてきたはずなのに。
垣根の心を乱すものはもう一つある。
きっとそれが一番理解できないことで、一番引っかかることなのだろう。
垣根が拳を振るい、一方通行は衝撃によって後ろへ飛んで、歩道の両側に取り付けられている木の柵に激突する。
その光景がまずおかしい。
相手は学園都市最強のレベル5だ。そんな人間的な反応をするはずがない。
お得意の反射を使えば垣根の手首を折ることも、全身の血流を逆流させて殺すことだってできたはずだ。
だが、目の前の男はそれをしなかった。あろうことか、自分の力の全てと言ってもいい能力を一切使っていなかった。
垣根はギリギリと奥歯を鳴らす。
そのまま砕いてしまいそうな程に噛み締め、そして目は獣のようにギラギラと光る。
「ナメんじゃねえぞ一方通行ァァあああああああああああああああ!!!!!」
ガッと一方通行の胸ぐらを掴む垣根。
そのまま間髪入れずに、相手を柵の向こうへと放り投げた。
歩道を外れればそこはただの山の斜面だ。
足跡一つない新雪の上を、一方通行が転がっていく。
その動作が、垣根の心をさらにざわつかせる。こんなのは一方通行ではない。
その気になれば足踏みするだけで周り全てを吹き飛ばすことだってできるはずなのに。
まるで、自分はただの人間だと主張しているかのように、彼は雪の上を転がる。
「クソがァァああああああああああああああああああ!!!!!」
垣根も柵を飛び越え、山の中へと入り込む。
ザクザクッと雪を踏み荒らし、ゆっくりとした動作で起き上がっている一方通行の方へと突っ込む。
拳は握りしめたままだ。何の力もない。歳相応の普通の人間レベルの武器でしかない。
それでも、垣根はそれだけを振り回すしかない。大きく腰を捻り、渾身の力を込めて、ヒュッ!! と固く握られた拳を一方通行の顔面めがけて打ち出す。。
ガッ!! と、垣根の追撃を受け止めたのは一方通行の細い腕だ。
さらに彼は逆の手を握り締めると、お返しとばかりに思い切り垣根の顔面を打ち抜く。
垣根の視界が高速でブレる。
だが、そのまま倒れこむ事にはならない。わずかに後ろによろけただけだ。
口の中が切れており、足元に血を吐き出す。殴られた頬がヒリヒリとする。
しかし、それだけだ。
「能力も使わねえ気かテメェ……どんだけ俺をコケにすれば気が済むんだコラァァ!!!!!!!」
「力を使うかどォかは俺が決めることだ。オマエの知った事じゃねェ」
「何だそれは!? 自分が普通の人間だっていう事を見せてるつもりか!? 笑わせんなよ!!!」
「オマエだって初めから化物だったわけじゃねェだろ」
「なんだと……」
「そンなろくでもねェ力を手に入れる前、学園都市にやって来る前、オマエだって表の世界に居たときはあったはずだ」
「関係ねえだろそんなのは!!! 俺達はもう戻れねえんだよ!!! これからずっと先も、ドス黒い腐った世界でしか生きていけえねえんだ!!!」
「それはオマエがそう思い込ンでいるだけだ。足掻く前から諦めて、ただその腐った世界が自分の居場所だと思い込まねェとやっていけねェ。
だから、そうやってテメェは俺に対してムカついてンだ。第四位にもか? どっちにしろ、生産的な事じゃねェな。ガキの行いだ」
「吠えてんじゃねえぞ!!!」
再び垣根の拳が一方通行の顔面を捉える。
だが、今度は吹っ飛んだりはしない。きちんと両足で踏ん張って耐えている。
唇が切れたらしく、血が流れているのが分かる。それを一方通行は手の甲で拭うと、
「やりやがったなクソッたれ」
バキッ!! と反撃の拳が垣根の顔面に突き刺さる
二人はそのまま互いにノーガードで殴りあう。辺りにはただ拳の音だけが連続する。
能力を使っていればその一撃一撃が致命傷になり得たはずだ。
それでも、能力なしとはいえ普通に殴られればそれなりのダメージは受ける。
二人の顔面はどんどんボロボロになっていった。顔面に衝撃が伝わる度、切れた唇から血が飛び散る。
バカげた事をやっていると、垣根は思った。
だが腕は止まらない。何発も、何発も。ただひたすら殴り続け、殴られ続ける。
何度も殴ったせいで、自分の指の関節の辺りの皮も剥けてヒリヒリするが、それも気にしない。
「テメェに俺の何が分かる!!! 何でも知ったような口聞いてんじゃねえぞ!!!!!」
「ハッ、その反応が図星だって白状してるっつー事に気付かねェのかオマエ」
「黙れ……黙れえええええええええええええ!!!!!」
全体重を乗せた渾身の一撃が一方通行の顔面に突き刺さる。
それには流石に彼も踏ん張る事ができず、後方へと吹っ飛ばされた。
二人が殴り合っている場所は雪の積もった山の斜面だ。地面に倒れた一方通行はゴロゴロと下の方へ転がっていく。
垣根はすぐにその後を追って斜面を駆け下りる。
そして一方通行に馬乗りになり、襟元を両手で掴んで上半身を引っ張り上げる。
「なに上から物言ってやがる!!! テメェはもう表の世界に戻れたつもりかもしんねえが、本質的にはこっちの世界の存在なんだよ!!! いい加減認めやがれ!!!!!」
「オマエこそ、そろそろ認めたらどうだ。本当は表の世界に居てェって思ってるってよ」
「……ッ!!」
「アレイスターとの直接交渉権を手に入れようとしたのも、根底にはクソッタレな裏の世界から抜け出したかったっつー気持ちもあったンじゃねェのか。
だがまァ、そいつは道間違えだな。そンなモンは表の道じゃねェ。裏のまた先の道だ」
「テメェ、何的外れな事ベラベラ喋ってんだコラ」
「まだ言ってやろォか? オマエはどっぷり暗部に染まっていた割には、極力一般人は巻き込まねェようにしてた。処理が面倒だとか事務的な理由じゃねェ。感情的な理由でだ。
しかも場合によっては敵でも見逃すことがあったようじゃねェか。これは完全に暗部の理屈に合わねェ。どンな理由を並べようが、結局は歯向かってくる敵は殺すのが一番確実だ。
中途半端なンだよ、何もかもが。自分は今のクソッタレな世界でしか生きられねェとか思ってるくせに、表の世界への憧れは捨てきれねェってか」
「黙れ!!!」
垣根は一方通行の襟元を掴んでいる両手の内、右手を離す。
その後ギュッと拳を握り締めると、相手の顔面めがけて打ち出そうとする。
目の前のこの口が二度と開かないようにしてやりたかった。
しかし、その前に一方通行が動く。
彼は表情を変えずに、垣根の顔面に頭突きを叩き込んだ。
「がはっ!!!」
強烈な痛みと衝撃と共に、垣根の体が仰け反り、馬乗りの体勢が崩れた。
その瞬間、一方通行は垣根を突き飛ばして自分の上からどけると、今度は逆に彼のほうが馬乗りになる。
彼は先程の垣根と同じように右拳を握り締めると、それを真っ直ぐ垣根の顔面に叩き落とした。
グシャ!! と、一方通行の拳は垣根の端正な顔立ちを歪める。
「ってえなぁ!!!」
垣根は力技で一方通行を跳ね飛ばす。元々相手が痩せ型という事もあって、そこまでの力はいらない。
そのまま二人は雪の上に寝転がったままもつれ合い、斜面を転がっていく。
途中で何発も拳のやり取りを繰り返し、飛び散った血が雪の上に落ちる。
互いに少しも譲らない。端から見れば子供のケンカのようにしか見えないのかもしれない。
それでも、垣根はやめようとは思わなかった。
とことん殴り続けて一方通行を殺したいというわけではない。
本当に殺したいのであれば、能力も使えない状態で殴り続けるなどという行動がいかに非効率的であるかなど、レベル5の頭がなくてもすぐに分かるものだ。
理由はよく分からない。ただ一方通行がムカつくからとりあえず殴る。そんなものなのかもしれない。
その一方で。
これ程までに何も考えず、動物のように本能のみで動くなんていうのはいつ以来だろうとも思う。
決してそういったものに憧れていたわけではない。むしろ軽蔑していたはずだ。
しかし、実際にこうしていると幾分気持ちが楽になるような、そんな感覚がした。
まるで普段の自分は鎖か何かに繋がれていたかのように。
気付けば二人は、雪解けの影響でドドドッ!! と音をたてて流れる川の近くまで転がってきていた。
そのまま行けば仲良く落ちていたかもしれないが、その前で二人は距離をとって立ち上がった。
垣根は川を背にして、一方通行と向き合う形になる。息は荒く、肩が激しく上下している。
「できるわけがねえんだ……絶対に……!!!」
「まだ言ってやがるのか。まァ俺としちゃオマエが勝手にその立ち位置で満足してるってンなら特に文句はねェンだけどな。
けどよォ、それならそれで他の奴らまで引きずり落とそうとしてンじゃねェよ。一人で沈ンでろ」
「だから上から物言ってんじゃねえ!! テメェはただのピエロだ!!! 本質的には俺と何も変わらねえんだよ!!!」
「本質本質うるせェ、一緒にすンじゃねェよ。人間の本質なンざ誰にも分からねェ。周りは当然だが、本人でさえもな。
重要なのはそンなモンじゃねェ。自分がどうしたいかだ。自分がどンな人間なのか決めるのは自分自身だ。
……そォいや、どっかのふざけた天使も『汝の欲する所を為せ、それが汝の法とならん』とか言ってやがったか。結果的に的を射ていたってわけだ」
「ハッ、要するに自分の好きなようにしろってか!? それなら俺には何の関係もねえな!! 俺はいつだって自分のやりたいようにやってる!!」
「ちげェよ」
垣根の言葉を、一方通行は一言で切り捨てる。
そして、彼はすぐに次の言葉を口に出さずに、じっとこちらを見つめた。
その瞳を見て、垣根は呆然と立ち尽くす。息を飲み、目を見開き、すぐ後ろを流れる川の音でさえ耳に届かなくなる。
真っ直ぐ強い意思を宿し、それでいてどこか相手のことさえも理解しようとしているかのようなその目は。
もう完全に、裏の世界の人間のものではなかった。
自分や一方通行のようにドス黒く染まった者達には一生届かないと思っていた、表の世界の者の目だった。
おそらく一方通行自身は否定するだろう。
別に垣根のことなどは理解する気もなく、ただ自分にとって邪魔だから痛い所を言及して心を折ろうとした。そんな感じに言うのだろう。
それでも、皮肉なことにそれを一番垣根が信じることができない。
目の前の赤い瞳。以前までは恐怖の象徴としてしか見られてこなかったであろうその瞳に宿る光は嘘をつかない。
普通に表の世界で暮らしている人々だったら気付かないのかもしれない。裏の世界に沈んでいる垣根だからこそそれがよく分かるのかもしれない。
一方通行は口を開く。
本人は全くそういうつもりは無かったとしても。
その口調はまるで、目の前の垣根を救い上げるかのようなものであった。
「自分の中にある本当の意思、それに従って生きろって事だ。うだうだ言い訳ばっかしてンじゃねェぞ」
垣根は、呼吸が止まったかと思った。
直後、一方通行が動く。
目の前の垣根に向かって走り、右拳を握りしめる。
その瞳はじっと垣根を捉えたままだ。
垣根は動くことができない。
別にこちらが反応できないほどのスピードで相手が動いたわけではない。
一方通行は相変わらず一切能力を使っておらず、その速さは普通の人間のものだ。
しかし、垣根は動けない。
おそらく相手が走りではなく、歩いてゆっくり迫ってきても同じだっただろう。
頭の中がグチャグチャだ。
レベル5としての優秀な脳でも、いや、優秀であるからこそ様々な事を一気に処理しようとした結果こうなってしまうのか。
それは垣根には分からない。それでも、思考の歯車をせき止めている異物の存在には気付いている。
希望だ。
まだ自分の中にはそんなものが存在していたのかと、少し驚く。
眩しすぎるその異物は、垣根の思考を完全に止めてかき乱していく。
一方通行があんな表情をすることができるのであれば。
それは、自分にも僅かには可能性があるのではないか。
一方通行の拳が頬を打ちぬいたのは、それからすぐの事だった。
両足が地面から離れ、体全体を浮遊感が包み込む。
不思議と痛みはそこまで感じない。殴られすぎて感覚が麻痺している可能性もある。
まるでテレビの中の映像を見ているかのように、殴り飛ばされているのが自分だという感覚を上手く受け止められないまま、場面は展開されていく。
ザッバァァ!!! と激しい水しぶきをあげて、垣根はそのまま川に落ちた。
全身を刺すような冷たさが襲い、視界には無数の泡しかない。
かなりの速さで流されているのは分かる。途中で岩などにぶつからないのはただ幸運なのだろう。
足はつかない。それなりの深さはあるようだ。
普通だったら、この流れの速さの川に落ちた場合、命の心配もするべきだろう。
だが、垣根は特にもがくこともなく、ただ流されるままになっていた。頭の中ではどうやって助かろうか、といった考えも浮かんでこない。
決してそのまま死にたいというわけではないのだが、このままでは命に関わるという事にもあまり実感が湧かない。
目を閉じる。
すると瞼の裏には、今のこの状況とは対照的な、暖かく穏やかな光景が浮かび上がっていた。
桜の舞う四月のある晴れた日。まだ子供である自分は複数の白衣を着た研究者達を引き連れて歩いていた。
世間一般的には新学期シーズンだ。
ふと視界に入ってくる学校では初々しくガチガチに緊張した新入生や、春休みが終わったことを嘆きつつ、友人と話しながら登校している在校生などが確認できる。
垣根はそんな光景を眺めて足を止める。周りの研究者達は何事かと怪訝そうな顔をしたり、垣根が何かをやらかさないかと冷々している者も居る。
何かするつもりはない。ただ、少し興味があっただけだ。
子供の頃から研究機関に居た垣根にはまともな学校生活の記憶はない。授業風景と言われれば、だだっ広い教室で自分だけが机に座っている光景が浮かび上がる。
授業中に誰かにイタズラをして先生に叱られたり、放課後にみんなで遊びに行ったり、修学旅行で順番に好きな女の子を白状していったり。
そんな、当たり前な経験が垣根にはなかった。
そしてそれは、何も知らない子供にとってはとても輝いて見えた。
その度に、垣根は無理矢理に自分を納得させた。
自分は他の大勢の者達にはない、特別な力がある。それはきっと、とても素晴らしいことなのだ。
隣の芝生は青く見えるものだ。今のこのどこかのお偉いさんのような手厚い待遇などだって、普通の者達から見れば羨ましがられるものだろう。
だから、何も気にする必要はない。人には人の住むべき世界がある。
垣根は小さく目を閉じ、歩き始める。周りの研究者達もそれに続く。
桜の舞う、名前も知らない学校を背に、力を持った少年は歩き続ける。
垣根は目を開ける。
どうやらもう、自分は流されていないらしい。それでも、今もなお体は水中にある。もしかしたら話にあった湖まで流されたのかもしれない。
頭上に広がる、キラキラと太陽の光を反射する水面がかなり遠くなっている。服も大分水を吸って重くなっているので、どんどん深くまで沈んでいく。
やけに重く感じる腕を上げる。水面に映る光を掴むように、掌を大きく広げる。
(……そうだったな)
遠くの水面に反射する光に、垣根は目を細める。
ずっと前から、本当は分かっていた。分かっていて、必死に気付かないふりをしていた。
ただ怖かったから。否定されたくなかったから。
だから、最初から動かずに傷つかない道を選んだ。小さな子供が嫌なことから目を背けるのは仕方のないことだろう。
そして、そのまま今この瞬間まで生きてきた。
何も変わっていない。体だけが大きくなっただけで、根本的な部分は子供の頃からずっと同じだ。
ずっと、同じ場所に立っているだけだ。
(俺は――――)
垣根の体は沈んでいく。
水面に映る光が遠い。まるで空に光る星のように、そこにあるのに決して手は届かない。
背後に顔を向けてみると、真っ黒な闇だけが広がっている。やはり行き着く先はそこか、と垣根は目を閉じ、自嘲気味に唇を歪めた。
今までの彼であれば、このまま底まで沈んでいったのだろう。
しかし、今はもう違った。
数秒後、垣根は目を開ける。その目には確かな光が宿っている。
「上等だ」
水中なので声はハッキリ響かない。だが、その口の形は確かにそう言っていた。
彼の中では明確な変化が生まれていた。
それが一方通行によるものだと認めるのは癪だ。だから垣根は、これは自分の選択だと言い聞かせる。
もう何かのせいにはしない。自分は自分の道を行く。
垣根は勢い良く水を蹴る。
水面が遠い。体中にまとわりつく衣服が重い。酸素不足で苦しい上に頭がガンガンと痛くなる。
それでも、彼は水を蹴り続ける。頭上でキラキラと輝く光に向かって懸命に腕を伸ばす。
そして。
***
二月に全身びしょ濡れで雪の上で寝転がっていればどうなるか。
「さっみぃ……」
ガタガタと全身を震わせながら、垣根は呟く。
ここは湖の畔。何とか水中から這い出てきて、大の字になって荒い息を整えていた。
視界には吸い込まれそうなほど澄み切った青空が広がっている。
といっても、いつまでもこのままで居ることはできない。
こうして寝ているのは体力を回復するという目的が強いのだが、ここまで寒いと回復するどころか逆に奪われかねない。
すぐに起き上がってとにかく暖かい所に行きたいという気持ちはあるのだが、思いの外体の疲労が大きくまともに動けないというわけだ。
(少しばかり能力に頼りすぎてたか……)
自分自身にうんざりするように空に向けて溜息をつく。白い息は真っ直ぐ空に浮かんで行き見えなくなっていく。
そんな時だった。
「なンだ、生きてンのか」
思い切り不機嫌そうな声が近くから聞こえてきた。
不本意ながら、その声は聞くだけで誰のものなのかは分かる。音の方向からして、おそらく垣根の頭のある位置のもっと奥の方に立っているのだろう。
垣根はやたら疲れた表情を浮かべて、
「危うく死ぬ所だ」
「どォせ死なねェだろ。オマエのしぶとさだけは認めてやらなくもねェ」
「嬉しくも何ともねえよ」
垣根は再び白い息を吐く。
全身が震えるほどに寒い上に疲労もピークで、少しでも気を抜けば意識を手放してしまいそうだ。
それでも、どこか楽になった感覚もしていた。
今垣根は、ただ「寒い」やら「疲れた」やらとしか考えていない。それが妙に軽い気分にしてくれる。
それだけ、自分は今まで無駄に色々な事を考えすぎていたのだろうか。
「なぁ、一方通行」
「あァ?」
「俺がテメェの事を気に入らねえのはこれからも変わんねえぞ。変わるわけがねえんだ。
俺と同レベルのクソヤロウのくせに、何勝手に一人で表の世界で楽しくやろうとしてやがる。俺はそんなの認めるわけにはいかねえ」
その言葉の中に、どんな意味が込められていたのか。正確なところは垣根自身にしか分からない。
もしかしたら何か心境の変化があったのかもしれないし、何も変わっていないのかもしれない。
ただ分かっていることは、彼は随分と穏やかに目を閉じている事くらいだった。
一方通行はそんな垣根を見て、面倒くさそうに一度だけ溜息をついた。
その表情の中には、どこか先程までとは違ったものが浮かんでいるようにも見えたが、それも一方通行自身にしか分からない。
禁書「イギリスに帰ることにしたんだよ」 上条「おー、元気でなー」【その4】
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禁書「イギリスに帰ることにしたんだよ」 上条「おー、元気でなー」
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禁書「イギリスに帰ることにしたんだよ」 上条「おー、元気でなー」
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