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ローゼンメイデンの話「316号室のめぐ」

1:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2008/07/16(水) 01:23:59.39 ID:rWUo/kw90

―――――まず1人



―――――残りは4人



―――――もうすぐ…  もうすぐ……









 病院の一室。



「死ね!!出てけ!!」

 言葉と同時に、カメラが飛んでくる。
がしゃんと音を立てて、病室のドアのガラスが割れた。



2:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2008/07/16(水) 01:25:01.52 ID:rWUo/kw90

「やめなさい、めぐちゃん!!」
 ヒュンとゴミ箱が飛んでくる。
「ひっ」
 ガコッと壁にぶつかり、もともと亀裂の入っていたそれが、
ぱっくりと二つに割れる。
「佐原さんに分かるわけないわ!」
「めぐちゃ…」
 写真立てが、佐原と呼ばれた看護士に当たる。
「出てって!!出てってよ!!」
 そう言って、めぐが病院食の器に手を掛ける。
「わ、分かったわ!出てくから!だからもう投げないで!!」
「じゃあさっさとしなさいよ!」
 言い終わらない内に、佐原は逃げるように病室から出ていった。



3:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2008/07/16(水) 01:28:14.11 ID:rWUo/kw90

「…………」
 夕日のオレンジが、床に飛び散ったガラス片をきらきらと輝かせている。
 ベッドの上。黒ずんだ瞳から、白く涙の跡が見えている。
「………」
 柿崎めぐは、横になったまま、徐々に紅く染まってゆく落日を見つめていた。
「水銀燈」
 かすれた声。
「いるんでしょ?出てきなさいよ」
「………」
 しばらく間があった。
「影、見えてるから」
「………」
 窓の影から、ひょこっと第1ドールの水銀燈が顔を出した。
「最近趣味が悪いわね」
 視線を動かさないめぐ。
「……何が?」
 じっとめぐを見据える水銀燈。
「人のヒステリー盗み聞きして、楽しい?」



5:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2008/07/16(水) 01:31:35.04 ID:rWUo/kw90

「………」
 水銀燈は視線を動かさない。
「…何でもないわ。忘れて。私、ちょっとおかしくなってるの」
「…………」
 そう言って、めぐは天井に視線を移す。
「おかしくなんかないわよ」
「…え?」
 めぐが再び水銀燈を見やる。
「いつもの事じゃない」
 言いながら、割れたままのゴミ箱を指さす。
「5回くらい投げてるでしょ、それも」
「………」
 ゴミ箱を見つめたままのめぐ。
「ふふ、そうね、いつも通りね、私…何も」
「…何も?」
「変わらないわ」
「どういう意味?」
 ヒュウッと風が吹き込んでくる。



7:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2008/07/16(水) 01:37:00.01 ID:rWUo/kw90

「水銀燈、今何時?」
「え」
 言われて、水銀燈は病室の時計を見る。
「…18時…42分…」
「7月のこの時間になるとね」
「……?」
「夕日がだんだん紅く染まって、凄く綺麗なの」
「……」
「それは毎年一緒。この病室から見る景色は」
 半身を起こすめぐ。
「私の命も、変わらない」
 水銀燈がめぐを見つめる。
「いつまで経っても死ねない」
「……」
「何なのかしら、これ」
「………」
「何か悪い事、したのかしら、私」
 ぼふっとベッドに倒れ込む。
「生まれてこない方が良かったのに」
「やめなさい、めぐ」
 窓から、病室へと入ってくる水銀燈。



9:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2008/07/16(水) 01:41:15.39 ID:rWUo/kw90

 少しうつむき加減の彼女を見て、めぐが少し笑う。
「優しいのね」
「…は?」
 顔を上げる。
「ね、水銀燈、これ見て」
 ベッドから降り、スリッパを履いて、ガラス片の中にあるカメラを
拾う。
「なぁに、それ」
「父が昔くれたの」
 言いながら、カメラを水銀燈に向ける。
「はは、見て、これ一枚も減ってないの」
「え?」
「今まで、なあんにも撮るものなんて無かったから」
 虚ろな目になる。



12:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2008/07/16(水) 01:46:16.78 ID:rWUo/kw90

「ねえ」
「ん?」
「何するの?」
「写真よ」
「シャシン?」
 怪訝な顔つきになる。
「知らないの?」
「ええ」
「…そう、ま、実際にやってみましょうか」
「……」
 ぼふっとベッドに座るめぐ。
「水銀燈、こっち来て」
 ぽふぽふと膝の上を叩く。
「何言ってるの、嫌よ」
 ぷいと横を向く。
 めぐはそれを見て目を丸くする。
「あら、貴女がここに来ないと出来ないのよ?面白いのになぁ」
 ふう、とため息をつく。
「………」
「ね、来て。ちょっとだけだから」
「……」
 しばらく横を向いていた水銀燈は大きくため息をつき、やがて渋々めぐの膝へとよじ登った。



13:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2008/07/16(水) 01:50:07.51 ID:rWUo/kw90

 一瞬フラッシュが光り、次いでジィィ~と紙が出てくる。
「ん……」
 思わずそれを覗き込む水銀燈。
 嬉しそうに微笑んでいるめぐ。その膝の上で、口を尖らせた自分が写っている。
「……鏡?」
 水銀燈が呟く。
「いいえ、違うけど…姿が映る、っていう点では同じね」
 めぐが嬉しそうに、写真をじいっと見つめる。
「ね、水銀燈」
「何?」
めぐは立ち上がり、床に転がっている
写真立てを手に取る。
「これ、飾っちゃっていいかしら」
「………」
「ね、いいでしょ、お願い」
「…好きにすれば」
 顔を背ける水銀燈。めぐは再び微笑む。


 その背後で、ほんの少し、鏡が揺らめいた。



14:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2008/07/16(水) 01:54:44.49 ID:rWUo/kw90

 ガチャリ、とリビングのドアが開いた。
「お」
 ダイニングの椅子に座っているジュンが振り向く。
「おはよう、ジュン」
 ステッキをドアノブから外し、第5ドールの真紅が口を開く。
「おはよ」
「あっ、真紅おはようかしら」
 ソファの上から、第2ドール金糸雀の声。
「もう始まるですよ」
 その隣、第3ドールの翠星石がリモコンをピッ、ピッ、と動かす。
「のりはまだなの?」
 きょろきょろと見回す真紅。
「うん、今日は遅いな…」
 真紅がため息をつく。
「しょうがないわね、ジュン、紅茶を淹れて頂戴」
「はぁ?何で朝っぱらから僕がそんな事…痛でっ!」
 ジュンの顎をツインテールが弾き、椅子ごと床に倒れ込むジュン。
「うるさいわね、早くしなさい」
「お…お前…この…」
「な~にやってるですか、気が散るですぅ」
 翠星石がため息をついた。



16:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2008/07/16(水) 01:59:00.00 ID:rWUo/kw90

 午前8時を回っても、一向にのりは下りてこなかった。
「おかしいな」
 ぐぅぅ~、と音がした。
「ん?誰だ今の」
 ジュンがソファを見る。
「翠星石は違うですぅ」
 隣の二人を見やる翠星石。
「…金糸雀ね、はしたないわよ金糸雀」
「カナはお腹なんて鳴ってないかしら」
 右端の金糸雀がきょとんとしている。
「………」
「…………」
 きゅううぅぅ~、と音がする。
「あっ、真紅、お腹減ってるのですか?」
「何だ、お前か。人のせいにするなよ、みっともない」
「う、うるさいわねっ!」
「………」
 3人が真紅を見つめている。
「わ、私、ちょっとのりの様子を見てくるから」
 お腹をさすりながら、そそくさと出ていく真紅。
「…相変わらずだな…」
 バタンと音がした後、ジュンはハア、と息を吐いた。



17:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2008/07/16(水) 02:03:53.39 ID:rWUo/kw90

「全く…レディに朝っぱらから恥をかかせるなんて…」
 文字通り真っ赤に染まった真紅は、ぶつぶつ言いながら
階段を上る。
 のりの部屋の前に立ち、コンコン、とノックする。
「のり」
 返事はない。
 もう一度、コンコン、とノックする真紅。
「のり、起きなさい」
 数秒待っても反応はない。
「…入るわよ。ごめんなさい」
 真紅が部屋に入ると、ベッドでのりが寝ているのが分かった。
「うっ…」
 つんと鼻をつく臭い。
「寝てるの?学校遅れるわよ」
 近づいていく。
 ふと、床に何かこびりついているのが見える。
「?」
 更に臭いが酷くなる。思わず鼻をつまむ真紅。
「のり…」
 顔を覗き込んだ真紅の目に映る、ベッドからだらんと垂れ下がった左手。
「!?」
「はっ…はっ…」
 のりが苦しそうに震えている。
 口元から見えている黄色い液体が、吐瀉物であると理解出来るのに、
数秒を要した。



19:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2008/07/16(水) 02:09:56.14 ID:rWUo/kw90

 ピーポーピーポー、と救急車の音が遠ざかっていく。
「………」
「びっくりしたかしら…」
 二階の窓から、翠星石と金糸雀が、心配そうに見送っている。
「心配ですぅ…」
「うん…」
 ぎゅっと拳を握りしめる金糸雀。
「翠星石」
「………」
 今にも泣き出しそうになっている。
「……」
「だ、大丈夫かしら、ほら、ジュン君も真紅もついてったし。
元気になって帰ってくるかしら」
「……」
 答えない。
「す…翠星石…?」
「わかってるですぅ」
 顔を上げる翠星石。
「でも…翠星石は…これ以上誰かを失いたくは…」
 レースの裾をぎゅっとつかむ。



20:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2008/07/16(水) 02:12:39.16 ID:rWUo/kw90

「翠星石…」
「チビ苺も…蒼星石も…」
 翠星石が目をごしごしとこする。
 金糸雀はそれを見て、雛苺の最期の姿を思い出す。


 緑色の眼球が二つ、床に転がっている。

 赤い靴が放り捨てられ、その横には、ピンク色のリボンとドレス。

 その少し向こう。

 白いイバラに覆われた肢体の傍らで光る、ピンク色の人工精霊。
 
 かつての主の抜けがらを、ただ見ているだけしか出来ない。

 その抜けがらを何度も撫で、楽しそうに笑っている、白薔薇の少女人形。



 ぞくっと背中を震わせ、金糸雀はぶんぶんと首を振った。
 ベリーベルが自分と真紅に見せた光景。いつか自分も、ああなる
時が来るかもしれない。



23:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2008/07/16(水) 02:19:12.40 ID:rWUo/kw90

「どうしたですか…?」
 いつの間にか、両肘を抱えて震えているのに気がついた。
そんな自分を、翠星石が不思議そうに見つめている。
「な、何でもないかしら」
 再びぶんぶんと首を振り、金糸雀は一階へと下りていく。
「……」
 翠星石はしばらく出ていったドアを見つめ、ふうっと息を吐く。
 窓の外を見上げると、真っ青な空が視界に飛び込んでくる。
「………妹…か」
 吸い込まれそうになる青。
「蒼星石……」
 ふと、既に動かなくなった妹の名を口にする。
 瞼を閉じると、やんちゃな自分に向ける困った笑顔が
鮮明に思い出される。
「う……ぅ…」
 翠星石は目頭を押さえた。じんわりとこみ上げる熱いものを、
何とか、何とか鎮めようとする。
「………」
 目を開けると、先ほどの青い空。
 それを見つめたまま、翠星石はしばらく動けなかった。



27:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2008/07/16(水) 02:24:25.34 ID:rWUo/kw90

 エアコンの効いた病室。
ドアの破損部分に段ボールが張られている。
「……」
 壁を背に座りこんだ水銀燈。
 ちらっと、寝ているめぐを見やる。
「うぅ……」
 くぐもった声。
「めぐ」
 思わず立ち上がる。
 傍に寄ると、汗だくになっているのが分かった。
 かたかた、と少し震えている。
「……」
 水銀燈は、思わずめぐの左手を握る。
自分の左手と、めぐの薬指の指輪が反応し、紫色の光を放ち始める。



29:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2008/07/16(水) 02:28:35.52 ID:rWUo/kw90

「………」
 めぐの呼吸が落ち着いてきた。
「ふう…」
 水銀燈は安堵の表情を浮かべる。
「…水銀燈?」
 名前を呼ばれ、顔を上げる。
「ありがとう…」
「え…あっ」
 ぱっと左手を離す。めぐはそれを見て優しく笑う。
「傍にいてくれたんだ」
「や、私は別に…」
「………」
 しばらく沈黙が流れる。
「…ちょっと嫌な夢を見たの」
「夢?」
「ええ」
 めぐが左手を伸ばしてくる。
「たまに見るのよ、同じ夢を」
「……」



30:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2008/07/16(水) 02:31:14.78 ID:rWUo/kw90

「私はここのベッドに寝ているの」
 その手が水銀燈の手に触れる。
「横に、パパが立ってて」
 めぐの触れた手を、じっと見つめる水銀燈。
「クマのぬいぐるみだったかしら、最初は。はしゃぐ私を見て、パパは笑ってた」
「…」
「次はオルゴール。何だったかな…イングランドの民謡だったわ。
嬉しそうな私を、パパがじっと見つめてた」
 声がかすれている。
「次は絵本をくれたわ。パパはここに来る度、しゃがんで読み聞かせてくれた」
「…」
「おかしいわよね、小さい頃の事は、よく憶えているのに」
「…」
「私も女の子だったのね。そのうち胸が膨らんできて」
「…」
「普通の女の子と同じで、12歳頃に生理がきた」
「…」
「私まだ、生きてるんだなって思えたわ。でも」
「…でも?」
「嬉しくなかった」
 声のトーンが下がる。



32:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2008/07/16(水) 02:33:17.97 ID:rWUo/kw90

「いつの頃からか、パパは私の傍に、座ってくれなくなった」
「…」
「笑ってもくれない。それに」
 声が震えている。
「私の顔も、見てくれない」
「…」
「何も感じてくれない」
「めぐ…」
「私を置き去りにしたまま…」
「……」
「ねえ…水銀燈」
「…なぁに…」
「早く私を連れてってよ…早く…」
 そこまで言うと、めぐは顔を覆い、鼻をすすり始めた。



33:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2008/07/16(水) 02:35:59.16 ID:rWUo/kw90

「よしなさい、めぐ」
「うっ…うっ…」
「私は天使なんかじゃない。貴女を連れてなんていけない」
「うぅ……」
「貴女に伝えたかしら、私」
「…」
「私はお人形。お父様に会うために、姉妹と闘っている。
そのために、貴女から力をもらっているだけ…」
 ベッドによじ登る。
「もう動かなくなった妹もいる。でも」
 窓の外から、ピーポーピーポーと音が聞こえてくる。
救急車が入ってきたようだ。
「私はそれに関して、何とも思っていない」
「…」
「私には私の目的がある。そのために、周りを利用しているだけ」
「…水銀燈」
「結局人は、何かにすがってもどうしようもないのよ」
 めぐが両手を離す。



35:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2008/07/16(水) 02:41:54.18 ID:rWUo/kw90

「ねえめぐ、死にたいなら、私の指輪に貴女を取り込もうと思えば、簡単に取り込める」
「…じゃあ、早く」
 めぐの左手が再び伸びてくる。
「でも」
 手がぴくっと止まる。
「もう少し自分を見つめ直してみたらどう?めぐ」
「…は?」
「本当に死にたいのなら、とっくにそこの窓から飛び降りてると思うわ」
「…どういう意味?」
「貴女は死にたいんじゃない。今の状況から逃げたいだけ…」
「……」
「だから、逃がしてくれそうな私にすがっている」
「…違うわ、知った風な口きかないで」
 半身を起こすめぐ。
「違わないわ。だって」
「だって?何?」
「貴女は、自分のお父様の事を夢に見るし、鮮明に憶えてるじゃない」



37:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2008/07/16(水) 02:45:48.73 ID:rWUo/kw90

「…パパは関係ないわ」
「嘘。私に話したのは、じゃあ何?私に知ってほしいからじゃないの?
『私はパパに愛されていたはずなのに、それなのに置き去りにされてる。どうしたらいいの』って」
「………」
「貴女が本当に求めているのは」
「知った風な口きかないで!!」
 言葉と同時に、枕が飛んできた。

「きゃあ!」
 顔面にモロに食らい、バランスを崩した水銀燈が、床に頭から落ちた。
 ゴン、という音が響く。
「痛っ…」
 頭を押さえ、顔をしかめる。
「貴女に何が分かるっていうの!!」
「…な、何すんのよ!」
「私は貴女みたいに強くないのよ」
 水銀燈は、はっと気づく。
 めぐはぼろぼろと涙を流していた。



38:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2008/07/16(水) 02:48:47.90 ID:rWUo/kw90

「使えない心臓よ」
「…」
「私はクズよ。入院費も手術費も無駄なのよ。無駄。
佐原さんたちも平気で困らせるクズよ。クズなのよ」
「……」
「貴女みたいに、どこへでも飛んでいけて、
誰かと喧嘩したりなんて」
「……」
「貴女には分からないわよ!気休めはよして!
人形の貴女なんかに…」
 めぐの言葉が止まる。
 水銀燈が悲しそうな顔で、うつむいていた。
「……ごめんなさい、めぐ」
「……」



42:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2008/07/16(水) 02:52:33.02 ID:rWUo/kw90

「私が悪かった」
「……」
「傷つけるつもりはなかったのよ」
「…」
 水銀燈はそれだけ言うと、窓際に立つ。
「ごめんなさいね、さようなら」
「あ、待っ…」
 水銀燈は病室を飛び出した。
「待って!!言い過ぎたわ!!」
 めぐが慌てて窓辺に駆け寄る。
「待って!!水銀燈!待って!!」
 その声はもう、水銀燈に届いていなかった。



43:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2008/07/16(水) 02:54:51.78 ID:rWUo/kw90

「………」
 めぐはベッドの上で体育座りをしたまま、顔を伏せていた。
「ああ、またやっちゃった…」
 悲しそうな顔を思い出す。
「傷つけてしまったのは私…」
 めぐは自分自身が、非常に下らない人間だと思った。
馬鹿だと思ったし、幼稚だと感じていた。
「私なんて死ねばいいのに」
 一度口に出すと、何かどうでもいい気分になってくる。
「私、死ね、死ね死ね死ね。めぐ死ね。柿崎めぐなんてさっさと死ね。死ね死ね」
 枕をつかみ、勢いよく壁にぶつける。
「死ね。死ね。死ね死ね死ね」



46:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2008/07/16(水) 02:58:43.22 ID:rWUo/kw90

 しばらくその姿勢でいた後、めぐは仰向けに倒れ込んだ。
時計の針をぼんやりと見つめる。
「9時…26分…」
 どうでもいい事が頭に入ってくる。いや、頭に入れてないと、どうにかなってしまう。
そんな思いがあったのかもしれない。
 ふと横に目を転じると、昨日二人で撮った写真が立て掛けてある。
 自分が嬉しそうに笑っている膝の上で、水銀燈が不満そうに口を尖らせている。
「………プッ」
 めぐは自嘲気味に笑った。
「そうよね。当たり前よね」
 胸の奥が熱くなる。
「私といたって楽しいわけないじゃない。バッカみたい」
 吐く息が大きく震える。
「何一人ではしゃいでたのかしら。水銀燈もごめんね」
 涙が流れ出てくる。
「迷惑よね。あは」
 写真を抜きとり、額縁を壁に思い切り投げつける。
ゴッ、という音、次いでカランカランと音がした。
「ごめんなさいね。水銀燈。ごめんなさいね。写真の中の私」
 泣きながら、めぐはその写真を千切り始める。
 ビリッ、ビッ、という音が、病室に響いた。



49:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2008/07/16(水) 03:02:40.52 ID:rWUo/kw90

「………」
 細かく千切った写真を、めぐは呆けたように見つめていた。それでも、水銀燈の
顔部分だけは、破く事が出来なかったのだ。
「水銀燈…」
 捨てるゴミ箱は、壊れてしまっている。
 右手で写真の紙を持ち、おもむろにベッドを降りる。
「…」
 窓から外を眺める。自分の心とは違い、外は真っ青な空が広がっている。
「ごめんね」
 めぐは思い切り右手を振り下ろした。
 3階から舞う紙吹雪は、太陽にきらきらと反射していた。



56:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2008/07/16(水) 03:07:25.03 ID:rWUo/kw90

「嘔吐下痢症ですね、今日は点滴打っておきましょう」
「えっ」
 待合室のジュンと真紅に、医師が告げる。
「……」
「しばらくは自宅でも近付かないで下さい。
手洗い、うがいもしっかりとして下さいね。すぐうつりますから」
 淡々と述べる医師と裏腹に、ジュンは不安な表情になる。
「大丈夫なんですか」
「まあ、別に生命に関わるとか、そういうのではないんで。
ただし治りかけが一番大事ですから。弟さんも気をつけて下さい」
「………」
「点滴は2種類しますんで、ちょっと時間掛かりますよ」
「…どれくらいですか?」
「そうですねぇ」
 ちらっと時計を見る医師。
「2時間くらいでしょうか」



60:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2008/07/16(水) 03:11:11.85 ID:rWUo/kw90

「今9時過ぎかー。昼前になるな。お前大丈夫か、真紅?」
 抱っこされた真紅は、お腹を押さえたまま動かない。
「………」
 代わりにじろっとジュンを睨む。
「ああ、いや、ごめん、訊いた僕が悪かった。コンビニ行こう」
「……」
 財布の中身を確認するジュン。
その腕の中で、きゅぅぅ、と真紅のお腹が鳴った。



62:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2008/07/16(水) 03:11:40.74 ID:rWUo/kw90

 病院の中庭を歩きながら、ジュンはふと空を見上げる。
「うわ…」
 目の覚めるような真っ青の空。
「今日は暑くなるな…」
「ええ…」
 突然、茂みがガササッと動いた。
「きゃあっ!!」
 真紅の身体がびくっと跳ねる。
 丸々と太った三毛猫が飛び出してきたのだ。
「ひいいい、ジュ、ジュン、な、何とかして!ひいっ!!」
 猫はしばらくこちらを警戒しながら、素早く別の茂みに飛び込んだ。
「ああぁぁぁあ……」
 がたがたと震える真紅。
「…お前」
 ジュンは真紅を抱き直し、頭を撫でてやった。
「ううう、もうダメよ、怖くて目なんか開けてられないわ」
「…じゃあ空でも見てろよ」
「ううう」
 言いながら、ジュンは天を仰ぐ。真っ青な空が、真上から果てまで、ずうっと広がっている。
 ふと、その青を見つめ、ジュンは思い出したように呟く。
「翠星石さ」
「?」
 真紅が視線をジュンに向ける。



64:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2008/07/16(水) 03:15:37.64 ID:rWUo/kw90

「もう…大丈夫かな」
「あら」
 意外そうに相槌を打つ真紅。
「気にしてたの?」
「そりゃ、蒼星石があんな事になって…」
 頬をぽりぽりとかくジュン。
「気にするよ、いくら僕でも」
「そうね」
 真紅がほうっとため息をつく。

 ジュンが立ち止まる。
「…どうしたの?」
 見上げる真紅。ジュンは硬直し、前を見つめたまま動かない。
「…何でもない」
 嘘だ、と真紅は思った。自分を抱く腕がかたかたと震えている。
 その視線の先。5、6人ほどがこちらに歩いてきている。
 家族連れだろうか。ワイワイと楽しそうに、車椅子の老人を取り囲んで、
談笑しながら近づいてくる。



65:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2008/07/16(水) 03:18:19.41 ID:rWUo/kw90

「ジュン」
「……」
 ふらりとジュンが傾いた。
「ジュン」
 もう一度呼ぶ。それに呼応したかのように、体勢を立て直す。
「ああ、ごめん、何でもないよ」
「そこにベンチがあるわ」
 言いながら指差す真紅。
「少し、休んでいきましょう」
「…何でもないんだ、ホントに。腹減ってるんだろ?真紅」
 言葉とは裏腹に、腕の震えが止まらない。
「いいわよ別に。誰も無理してまでコンビニに行って欲しいなんて、思ってないから」
「……」
「ジュン、大丈夫よ」
 首筋に頭を寄せ、何度もジュンの胸を撫でる。
「大丈夫。だから、少し休んでいきましょう、ね?」



68:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2008/07/16(水) 03:21:26.68 ID:rWUo/kw90

 ベンチに座り、震えが少し小さくなったような気がする。
「落ち着いた?」
 ジュンの右手を両手で包み、真紅が問いかける。
「……」
 答えない。ジュンは少しうつむいたまま、虚空を見つめ続けている。
「……」
 真紅はそれ以上質問するのを止めた。代わりに、何度もその胸をさすった。
 まともに外に出るのが久し振りなのは分かっていた。だから、自分はジュンに
今日、ついてきたのだ。
 医師との会話で、何かジュンが拒否反応を見せる事はなかった。だが、
先ほどの家族連れを見て、心の触れてほしくない部分に、何かが触れたのだろう。
 ジュンを慰めようと思ったわけではない。
 ただ、震えるジュンは、見ていたくなかった。



70:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2008/07/16(水) 03:23:30.48 ID:rWUo/kw90

「…行こうか」
 ぎゅっと真紅を抱く腕に力がこもり、ジュンがようやく立ち上がった頃には、
9時半を過ぎていた。
「ジュン」
 視線を動かさない真紅。
 ジュンがそれを見下ろす。
「無理しないでね」
 と真紅は言った。
「…ああ、ありがとう」
 そう言って前を向いたジュンの視線の斜め上、
何かがきらきらと降ってくるのが見えた。



72:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2008/07/16(水) 03:28:36.57 ID:rWUo/kw90

「何だあれ」
 走り寄るジュン。
「雪……いえ、紙…?」
 真紅が目を凝らす。
 その言葉で、小さな紙切れがひらひらと舞っているのだ、とジュンは理解した。

 紙吹雪は少し風に流され、芝生の上へと舞い落ちた。
近づき、その中の一枚を拾う。
「う~ん…」
 白い布のようなものが写っている。写真だ、と分かった。
「ジュン」
 ひと際大きなものを拾った真紅が、手招きしている。
「これ、見て」
 ジュンがそれを覗きこむ。
「あっ」
 言葉を失うジュン。
 銀色の髪。口をへの字に曲げた水銀燈が写っていた。



73: ◆JtU6Ps3/ps :2008/07/16(水) 03:31:33.91 ID:rWUo/kw90

 赤い光が辺りを包み、数十枚の紙切れが次第に形を成していく。
「これでいいわ」
 真紅が、時間のゼンマイを巻き戻したのだ。
「これは病室ね。水銀燈を抱いてるこの子が、マスターなのかしら」
「……」
 顎をかきながら写真を見つめる真紅。
 そしてそれと対照的に、ジュンは目を見開いたまま動けない。
 ジュンはその少女を見た事がある。
 ついでに言うと、その少女の名前が「めぐ」である事も知っていた。



75: ◆JtU6Ps3/ps :2008/07/16(水) 03:33:08.63 ID:rWUo/kw90

 紐解かれたくない過去。
 ジュンは一度、ノートに同級生の絵を描いた事がある。
 お姫様の格好をした、同じクラスの桑田由奈。
幼馴染である、柏葉巴の凛とした雰囲気とはまた違い、
可愛らしい容姿で人気があった。
 特にその容姿を鼻にかける事もなく、彼女はいつも
楽しそうに笑っていた。

 そしてその絵が全校生徒の目に晒され、描いたのがジュンであると
公表されるまで、そう時間は掛からなかった。

 便器に顔を突っ込み、喉が溶けそうになるまで吐き、
ジュンは眠りの世界に閉じこもった。



76: ◆JtU6Ps3/ps :2008/07/16(水) 03:36:36.17 ID:rWUo/kw90

 忘れられた世界を彷徨っていると、自分と同じように泣いている少女がいる。
一糸まとわぬ姿でうずくまり、
いつまでも顔を伏せ、涙を流し続けている。
 それが第1ドール、水銀燈だった。
『…誰……?』
 怯えたような表情。
『……お父様……?』
真っ暗闇で何も見えない水銀燈は、自分にすがってきた。

 触れ合った事で、ジュンは水銀燈の記憶を垣間見る。

 病室で彼女の髪をといている、パジャマ姿の少女。
水銀燈は少女の事を、めぐと呼んでいた。



78: ◆JtU6Ps3/ps :2008/07/16(水) 03:39:08.35 ID:rWUo/kw90

「…ジュン、聞いてるの」
 はっと我に返る。
「水銀燈が、この病院のどこかにいる…?」
 そう言って、紙が降ってきた方向を探している。
「ねえ」
「…あ、ああ」
「私、お腹は我慢するから」
 言いながらお腹をさする。
「この写真の主を、探しに行きましょう」
「……」
「ちょっと聞いてるの、ボケッとしてないで」
「いっ、痛い痛い」
 ジュンの頬をむにむにとつねる。
「ほら、行くわよ」
「ああ」
 ジュンはすっくと立ち上がる。
 ふと、疑問がよぎる。
 どうしてこの写真は千切られていたのだろうか、と。



82: ◆JtU6Ps3/ps :2008/07/16(水) 03:41:46.84 ID:rWUo/kw90

「う~ん」
 受付の女性が、写真を見てふんふん、と頷く。
「分かりますか」
「さあ…あっ、ちょっと」
 目の前を横切った看護士を呼びとめる。
「佐原さん」
 佐原と呼ばれた看護士が振り向く。
「忙しいのにごめんなさいね。この子知ってる?」
 ひらひらと写真を動かす。
「え…あっ」
 口元を押さえる佐原。
「知ってるんですか?」
 ジュンが尋ねる。
「…え、ええ。貴方お友達?」
 じっとこちらを見つめる。
「え、あ…は、はい」
「…お見舞いにきたのかしら?」
「え、ええ、そうです」
「そう」
 言いながら時計を確認する。
「案内するわ」
「そうですか、ありがとうございます」
 手招きをする佐原。ジュンはそれについていく。



84: ◆JtU6Ps3/ps :2008/07/16(水) 03:50:31.61 ID:rWUo/kw90

「ここよ」
 『316 柿崎めぐ』と書かれた病室の前で、二人は立ち止まる。
「(段ボール…?)」
 ドアに張られているそれを見て、ジュンは首を傾げる。
 佐原は一息ついた後、コンコン、とドアを叩く。
「めぐちゃん」
「……」
 反応はない。
「めぐちゃん、お友達よ」
 そう言って、もう一度コンコン、と叩く。
「……」
 何も返事はない。
「困ったわねぇ…」
 はあ、とため息をつく。
「寝てるんじゃないですか?」
「そうねぇ…でも…」
「でも?」
「いえ、何でもないわ。…君、ええと」
「桜田です。桜田ジュン」
「そう、桜田君、良かったら貴方が声、掛けてみてくれないかしら」
「えっ、ぼ、僕が!?」
 頓狂な声を上げる。



87: ◆JtU6Ps3/ps :2008/07/16(水) 03:57:45.34 ID:rWUo/kw90

「しー…。他の患者さんに迷惑よ。静かにね」
「あ、はい。…でも、僕がですか?」
「そうよ、貴方なら、返事してくれるかもしれない」
「…」
 ジュンはしばらく考える。
「わかりました。よっ…と」
 言いながら真紅を廊下の椅子に座らせる。
「こんにちは、柿崎めぐさん」
 ゴンゴン、とドアを叩く。
「……」
 やはり返事はない。
「寝てるのかしら。ごめんなさいね」
「……」
 佐原がドアノブに手を掛ける。
「いや、ちょっと待って下さい。もう一度」
「え?」
 ふう、と息を吐いた後。
「水銀燈と撮った写真を拾いました」
 ジュンはわざと大き目の声を出した。
 ばさっと中から音がする。
「誰!?」
 女性の甲高い声が響いた。



89: ◆JtU6Ps3/ps :2008/07/16(水) 04:03:25.13 ID:rWUo/kw90

 数秒後、ドアが勢いよく開いた。
「誰!?」
 驚いたような眼で二人を交互に見つめる。
「……っ」
 少女の目が、ジュンの顔からつま先までを
不審そうに何度も上下する。
「あ、あの」
 少女が後ずさる。相変わらずおろおろした態度。
 驚いているにしても、少し敏感過ぎやしないか、とジュンは思った。
「これ」
 ジュンは、すっと写真を差し出す。そこに少女の視線が落ちる。
「………」
「どうして…」
 めぐは突然の出来事に、どうしていいか分からなかった。
 何故写真が修復されている。
 どうして水銀燈の事を知っている。
「……?」
 めぐの視線が止まる。
「それは…」
 ジュンの左手の薬指を指さす。
「ん、あ、ああ…」
 瞬間、ジュンの腕がぐいっと引っ張られる。
「わっ」
「あっ」
 佐原が声を上げたと同時に、バタンとドアが閉められた。



90: ◆JtU6Ps3/ps :2008/07/16(水) 04:08:04.50 ID:rWUo/kw90

 病室の中に引っ張り込まれ、ジュンは少々驚いていた。
「……」
 ガチャ、とドアが開く。
「どうしたの、めぐちゃん」
 ドアから顔を覗かせる佐原。
「いえ、何でもないのよ佐原さん、私大丈夫だから。出てって」
「……」
 佐原がジュンに視線を送る。ジュンは戸惑いながらも、
「大丈夫です」という風に頷いた。
「…分かったわ。また何かあったら呼んでね」
 そう言って、佐原はドアを閉めた。



92: ◆JtU6Ps3/ps :2008/07/16(水) 04:13:23.24 ID:rWUo/kw90

「………」
 ベッドの上。めぐが、ジュンと写真を交互に見ている。ジュンは頭をかきながら、
部屋の中を見渡している。
「何か探してるの?」
「いえ……」
 あるのはテレビ、そして本が2冊。棚の上の写真立てと、置時計のみ。
「ふふ」
 めぐが写真を見つめたまま笑う。
「何もないでしょ、この部屋」
「え」
「私が何でもすぐ投げちゃうから」
「……」
「性格悪いのよ、私」
 ジュンは黙っている。
「これを破いて窓から捨てたのも私よ」
 顔を上げるめぐ。
「ありがとう」
 少し穏やかになったような気がする。
「何がですか?」
 ジュンが尋ねる。



93: ◆JtU6Ps3/ps :2008/07/16(水) 04:17:27.58 ID:rWUo/kw90

「この写真、元に戻してくれて。それはお礼を言っておくわ」
「……」
 ジュンは黙っている。ぽりぽりと頭をかく。
「一つ確認させてもらってもいい?」
「…はい」
「貴方も誰かと契約してるのね?その指輪」
 ジュンが左手に視線を落とす。
「あ、いえ…」
「隠さなくていいわ。水銀燈の名前が出た時点で分かった。それに余計な詮索するつもりはないし」
「………」
「私は水銀燈と契約してるの。柿崎めぐっていうの」
 再び視線を落とすめぐ。
「………」
「……」
 体育座りをしたまま、顔を膝の間に深くうずめる。



119: ◆JtU6Ps3/ps :2008/07/16(水) 08:09:23.91 ID:rWUo/kw90

「……」
 沈黙が流れる。
「…あ、あの」
「…何?」
「その水銀燈はどこにいるんですか?」
「……」
 会話が再び途切れる。
「私が今朝、怒って追い出しちゃったわ」
「え」
「だって、あの子私を諭すような事ばかり言うんですもの。
『もう少し自分を見つめ直してみたら』ですって。
私が今更、何を見つめ直せっていうのかしら。いい子ちゃんね」
 吐き捨てるめぐ。
「水銀燈がそんな事を…?」
 傍から聞いていて、ジュンは意外な感じがした。
「ええ、私はさっさと死なせてほしいって言ってるのに」
「………」
「こんなポンコツな心臓いらないのよ、いい加減」
「心臓…?」
「私ね、先天性の心臓病なの」



120: ◆JtU6Ps3/ps :2008/07/16(水) 08:13:38.47 ID:rWUo/kw90

「………」
「5歳までに死ぬ」
 ジュンが思わずめぐを見る。
「その次は7歳までに死ぬ、10歳までに死ぬ」
「……」
「親たちも、いい加減悲しむのに疲れちゃったみたいよ。
お母さんは出てっちゃったし、お父さんは…」
「………」
 めぐはうつむいたまま、写真立てを手に取る。
「そんな時かしらね、水銀燈と出会ったのは」
 ジュンは黙ってそれを見つめている。
「おかしいのよ。私の命を使い切って欲しいって言うと、
あの子はいつも黙り込む」



122: ◆JtU6Ps3/ps :2008/07/16(水) 08:17:00.74 ID:rWUo/kw90

「………」
「いつも黙り込んで、窓辺に座って私を見てる」
「あいつが…」
「意外だと思ってるんでしょ」
「え、あ」
「想像つくわよ、あの子の外での立ち居振る舞いくらい」
「……ええ」
「でもね、本当はきっと…」
「?」
「優しい子なのよ。私には勿体ないくらいに、ね」
 口元がほころぶ。
「……」
 嬉しそうに写真を見つめるめぐ。ジュンは、何も言えなかった。



124: ◆JtU6Ps3/ps :2008/07/16(水) 08:23:43.03 ID:rWUo/kw90

「……」
 会話が途切れ、ジュンが息を吐いた。
「じゃあ、僕はこれで帰りますんで」
 めぐが顔を上げる。
「待って」
「?」
「私ね、この16年間、友だちが一人も出来なかったの」
 2つ上なのか、とジュンは意外に感じた。
「連絡先教えて。たまにでいいから、お話しましょうよ」
「え」
「だめ?お願い出来ないかしら」
「……別にいいですよ」
 言いながら、財布を棚に置き、中から連絡先のメモを取り出す。
「本当?ありがとう」
 ジュンの視界で、めぐが嬉しそうに笑う。
いや、何かほっとしたような、安心したような笑顔。
「え、ええ」
 ジュンもつられて笑った。



125: ◆JtU6Ps3/ps :2008/07/16(水) 08:31:54.96 ID:rWUo/kw90

「桜田ジュン君…住所が…へえ、ちょっと遠いのね…」
 少し残念そうに呟く。
「ええ、電車で5駅ほど向こうです」
「そう」
 はあ、と息をつくめぐ。
「連絡先は家の電話で…」
「貴方いくつ?」
 ジュンが顔を上げる。
「私と同い年くらいでしょ?そういえば、学校は?」
 訝しげな表情。
「………」
 うつむいたジュンを見て、めぐは言葉を止める。
「ごめんなさいね、忘れて頂戴」
「いえ……」



126: ◆JtU6Ps3/ps :2008/07/16(水) 08:35:18.12 ID:rWUo/kw90

「ばいばい、またね」
 ベッドから手を振るめぐ。
「はい」
 ジュンが振り向き、小さく手を振る。
「…………はあぁ」
 バタンをドアが閉まり、めぐは小さく肩を震わせる。
何か、身体全体がむず痒く感じる。
「ふうーっ」
 仰向けになり、丸めたタオルケットに抱きつくめぐ。
「………」

 そしてその一部始終を、窓の外から水銀燈が見つめていた。



128: ◆JtU6Ps3/ps :2008/07/16(水) 08:40:33.49 ID:rWUo/kw90

 病院の屋上。
「……」
 水銀燈が、ぼんやりと空を見上げている。
「めぐ……」
 いつものヒステリーだと分かっていた。自分が戻れば、彼女は
「ごめんなさい」と言って出迎えてくれる。
 いつもの事だと思った。
 だが、そこには初めて見る光景が広がっていたのだ。
「どうして……」
 真紅のマスターがあそこにいた?
 そればかりが頭の中を駆け巡る。
「……」
 めぐは嬉しそうだった。というより、安心しきっているように見えた。
真紅が嗅ぎつけたのだろうか。いや、でもあそこに真紅はいなかった。
違う。
部屋の中にいないからと言って、真紅がめぐの事を勘付いていないとは言えまい。
「………」
 何となく、あの部屋に入れなかった。
水銀燈はぎゅうっと膝を抱え、顔を伏せる。
 めぐが幸せそうなら、それでいい。自分も嬉しいと思うべきだ。
だが―――
「淋しいのでしょう、お姉さま」
 透きとおるような声が響いた。



129: ◆JtU6Ps3/ps :2008/07/16(水) 08:43:25.08 ID:rWUo/kw90

 ばっと振り向く。
「大切なマスターに追い出され」
 ウェーブのかかった髪が、風でゆらゆらと動いている。
真っ白なドレスに身を包み、金色の左目がこちらを見つめている。
「まるで、居場所を失くしてしまった子どものように」
「…雪華綺晶」
 第7ドール雪華綺晶は、ニッと笑い、近づいてきた。

「それ以上近寄らないで。メイメイ」
 間合いは数メートル。姿勢を低くし、身構える水銀燈。
それと同時に紫色の人工精霊が現れる。
「ちょっと待って。私は争いに来たわけではないのです」
「なぁに?私が貴女を信じると思うの?」
 水銀燈は動かない。
「あの人間、私が排除してあげてもいい」
 水銀燈の眉がぴくっと動く。



138: ◆JtU6Ps3/ps :2008/07/16(水) 11:17:52.84 ID:rWUo/kw90

「あれ真紅のマスターでしょう、私知ってますわ」
「…だから何?」
「邪魔でしょう?」
 ぷいと視線を逸らす水銀燈。
「ね」
「黙んなさい」
「どうしてですか?」
「何を考えてるのか知らないけど、貴女と話す事なんてないわ」
 水銀燈はそっぽを向いたまま続ける。
 それをじっと観察する雪華綺晶。
「私はあります」
「あっそ」
 ヒュッとその場を飛び立つ。
「ふふ」
 雪華綺晶はその後を追った。



139: ◆JtU6Ps3/ps :2008/07/16(水) 11:24:31.29 ID:rWUo/kw90

「ついて来ないで。喧嘩売ってるの」
「いいです。そのままで聞いて下さい。私勝手に喋りますから」
「……」
 水銀燈は舌打ちする。
「お姉さまはアリスになるために、ローザミスティカを集めている」
「………」
「当然私も、真紅たちもアリスを目指している」
「………」
「でも私は、ローザミスティカは要らない」
「は?」
 水銀燈が空中で止まり、雪華綺晶を見やる。
「私は別の方法でアリスに孵化する」
「どういう事かしら」
「この先は、お姉様が話を聞いていただけるのであれば…。
ただ、黒薔薇のお姉様に危害は加えない」
「………」
「約束します」
「……」



140: ◆JtU6Ps3/ps :2008/07/16(水) 11:29:27.50 ID:rWUo/kw90

 水銀燈は、街の一角にある林の中へと舞い降りる。
「話、聞く気になりました?」
 悪戯っぽい笑みを浮かべる。
「ええ、一応聞いたげるわ」
「……」
「ローゼンメイデンは7体。うち、第4ドール蒼星石と
 第6ドール雛苺は、既に退場している」
「………」
「ドールのマスターは5人。
 第1ドールは柿崎めぐ、
 第2ドールは草笛みつ、
 第3、第5ドールは桜田ジュン、
 第4ドールは結菱一葉、
 そして私のマスターは、オディール・フォッセー。
 第6ドールは既にマスターとは契約解除している」



141: ◆JtU6Ps3/ps :2008/07/16(水) 11:33:31.88 ID:rWUo/kw90

 指を折りながら呟く雪華綺晶。
「それが何?」
「私がアリスになるには、マスターたちの力が必要」
 ヒュウッと風が抜けていく。
「キチンと説明なさい」
「5人全員に眠りについてもらう必要がある」
「へえ、つまりめぐを眠らせて力を吸い取ろうってわけ」
 水銀燈の視線が鋭くなる。
「ええ、でもそれじゃ認めてもらえない事くらい承知してますわ」

「代わりに、全員のローザミスティカを差し上げます」
「全員?」
「その力を使えば、柿崎めぐは生き長らえる事が出来るでしょう。
その効果は、蒼星石のでお姉様も理解されているはず」
「…質問するわ、雪華綺晶」
 風が止む。
「何でしょう?」
「どうしてそんな提案をするの?わざわざ面倒くさいプロセスを踏む理由は?」
「私はただ、お姉様を救いたいだけ」
 微笑を浮かべる。



143: ◆JtU6Ps3/ps :2008/07/16(水) 11:44:09.33 ID:rWUo/kw90

「………」
 はあ、とため息をつく。
「信用ならないわ、ごめんなさいね」
「そうですか」
「仮にそれが通るとして、雛苺のローザミスティカを逃がした理由が分からないわ」
 笑顔が消える。
 水銀燈はそれを見て言葉を続ける。
「悪いけど、一貫性がない話に付き合うつもりはないの」
 やれやれ、という風に広場に向いて歩き始める。雪華綺晶から視線は外さない。
「………」
「……………」
 イラつくほどにいちいち即答してきていた雪華綺晶が、黙り込んだ。
「どうしたの、儲け話はお仕舞いかしら」
 睨んだままの水銀燈。じわじわと距離は離れていく。
「…わかりました。お話ししましょう」
 歩いて水銀燈の後をついていく。
「私は、元々はアストラルの人形」
 水銀燈の足が止まる。
「器が欲しかったのです。こちらの世界に干渉するために」



144: ◆JtU6Ps3/ps :2008/07/16(水) 11:48:34.82 ID:rWUo/kw90

「……器?」
「お姉様たちにあって、私に足りないものを補うために」
「ちょっと待ちなさい、どういう意味?じゃあ…」
 水銀燈がはっと目を見開く。
「そのために、私は雛苺の身体を奪った」
 優しい隻眼が、こちらを真っ直ぐ見据えている。ぞくりという感覚が
背筋に走る。
「あの時、真紅と金糸雀が迫っていた。こちらの動きがバレてしまえば、
もう器を手に入れるチャンスは少なくなる。だから」
「………」
「あそこでは雛苺の器を、最優先で手に入れなければならなかった」
 表情一つ変えない。
 ふう、と息を吐く水銀燈。
「……それで?」
「私嘘は申してませんわ。つまり」
「器なしでは、nのフィールドから出られない。こちらの世界に直接の干渉は出来ない?」
 水銀燈がわざと大きめの声で遮る。
「……そうですわ」
「じゃあ現実世界に、ローザミスティカなしのアストラル体で放り出された場合、どうなるのかしらぁ」
 雪華綺晶の眉がぴくっと動く。
水銀燈はそれを見逃さない。



145: ◆JtU6Ps3/ps :2008/07/16(水) 11:52:55.46 ID:rWUo/kw90

「………」
「どうしたの?答えられないの」
「……」
「たとえばローザミスティカを私に全部くれた後で私が攻撃して」
 言いながら水銀燈は踵を返す。
「ぶっちゃけ、勝負は見えてると思うのよぉ」
 タイミングはもう少し。1秒… 2秒…
「ねぇ、どうなるのかしら?」
 ぐりんと不自然なほどに身体を捩じり、水銀燈は振り向いた。
 雪華綺晶の視線が一瞬泳ぐ。
「…どうしたの?」
「………」
 水銀燈は目を見開いた。
 突然雪華綺晶の身体が光り始め、体内からローザミスティカが出現する。
「……さ、行きなさい、お姉様のもとへ」
 ふわりと浮きあがり、水銀燈の身体の中へ消えていく。



146: ◆JtU6Ps3/ps :2008/07/16(水) 12:14:40.58 ID:rWUo/kw90

「…ふ」
「…信じる気になりました?」
「どうやら本気でいらないみたいねぇ、ローザミスティカ」
「ええ」
「……いいわ、貴女の話に、乗ったげるわ。ただし」
 胸をさすりながら答える。
 雪華綺晶が再びこちらをじっと見つめる。
「条件がある」
「……」
「ローザミスティカを一つ奪う度に、私の所へ持ってくる事」
「……全てお姉さまが取得するまで、マスターはいただけないと?」
「そこまでは言わないわ。そんなの取引じゃないでしょう」
「そうですね。私もそんなの受け入れられませんわ」
「……」
 同時に、ニヤリと笑う。
「今、私の中には2つ。貴女ので3つ目」
「……そうですね」
「4…いや…5つ」
 左手を広げる水銀燈。
「私の中に5つ集まったら、めぐを渡してあげる」



147: ◆JtU6Ps3/ps :2008/07/16(水) 12:21:33.22 ID:rWUo/kw90

「…」
 無表情の雪華綺晶。
「なぁに?それ以上は譲らないわよぉ」
「…いいですわ。そしたらそれで」
 沈黙。
「また、新たなローザミスティカを手に入れたら、お伺いします」
 雪華綺晶はにこっと微笑み、飛び去った。
「………」
 水銀燈は完全に姿が見えなくなるのを確認し、反対方向に飛び立つ。

『貴女がアリスになった後、めぐは普通に目覚めてくれるのかしら』

 その疑問を口にしなかったのは理由がある。
 ひとつは、向こうに自分を信じ込ませておくため。
そしてもうひとつ。
 おそらく目覚めない、そう思っていたからである。
 ローザミスティカが集まるのは好都合。だが、めぐを失うわけにはいかない。
「どうすれば…」
 太陽が照りつける真夏の空を、水銀燈は飛び続けた。



149: ◆JtU6Ps3/ps :2008/07/16(水) 12:28:06.16 ID:rWUo/kw90

 桜田家。
「はあーあ、疲れたーあ」
 ベッドに倒れ込み、ジュンがぼやく。
「のりは?」
「2~3日安静にしてれば大丈夫だってさ」
「そう」
 紅茶を飲む真紅。
「で、どうだったの?」
「ん」
「水銀燈のマスターは」
 ジュンが半身を起こして真紅を見る。
「どうって…」
「水銀燈はいたの?」
「…いや、いなかった」
「?」
 真紅が首を傾げた。



157: ◆JtU6Ps3/ps :2008/07/16(水) 13:20:54.85 ID:rWUo/kw90

「………」
 時計の針が2時を指し、窓から蝉の鳴き声が聞こえる。
「……そう」
 一部始終を聴き終えた真紅が、膝に乗せたカップを見つめている。
「意外だったよ」
「…心臓…」
 ジュンが顔を上げる。
「…死に憑かれた少女」
「…?」
「ねえ、ジュン」
 カップをお盆に置き、立ち上がる。
「どうした?」
「……」
 おもむろにベッドによじ登る真紅。
「わ」
 ジュンが驚く。
 真紅は慣れた手つきでジュンの膝の形を整え、そこに座り込んだ。
「ジュン…」
 つぶらな瞳がこちらを見上げる。
「し、真紅…」
「ふふ」
 悪戯っぽく笑う。



158: ◆JtU6Ps3/ps :2008/07/16(水) 13:26:27.61 ID:rWUo/kw90

「な、何だよふざけてんのか」
「いいえ」
 ジュンの胸に手を当てる。
「私ね、淋しくなったり、つらい事があった時は、こうしてると安心するの」
 寄り添ったまま目を閉じる。
「……こそばいから止めろよ」
「ええ、気が済んだら解放してあげるわ」
「………」
「貴方はつらい事があった時、いつもどうしてたかしら、ジュン」
「え?」
 少し顔を離し、もう一度ジュンを見上げる真紅。
「ラプラスに苛められたり、そうね、思い出させて悪いけど、
この間、貴方の学校の先生が来たわね」
「………」
 顔をしかめるジュン。
「私知ってるわ。貴方は毛布をかぶって、自分の部屋に閉じこもってしまった」
「…からかうなら出てけよ」
「もう少しだけ話があるの、それが済んでからね、ごめんなさい」
 そっとジュンの胸を撫で始める。



160: ◆JtU6Ps3/ps :2008/07/16(水) 13:28:52.81 ID:rWUo/kw90

「私もそう」
 撫でられる胸がくすぐったい。
「腕を水銀燈に引っこ抜かれた時、私は鞄に引き籠ってしまった」
「………」
「もうね、つらくてつらくてしょうがなかったわ」
「……」
「貴方が掛けてくれた言葉を無視して」
「……」
「…落ち着いた?くすぐったかったでしょう、ごめんなさいね、ジュン」
 撫でる手を止める。
「でもね、後から鞄を出て、貴方が繕ってくれた服を着たのは」
「…?」
「貴方があの時、言葉を掛けてくれたから」
 見上げる真紅の顔がほころぶ。
「欠損した状態で服を着る事に抵抗はあったけど、
貴方の言葉が、私の背中を押してくれた」
「真紅…」
「つらい事があった時、ジュンの膝に乗って、こうして全身を預けていると安心する」
 ジュンは照れ臭い気分になる。
「たぶんね、貴方が優しい人間だって知ってるから」



161: ◆JtU6Ps3/ps :2008/07/16(水) 13:33:39.44 ID:rWUo/kw90

「………」
 真紅はしばらく目を閉じていたが、やがて立ち上がる。
「きっと水銀燈たちもそうじゃないかしら」
 ベッドを降りる。
「お互いが優しいって知ってるから、お互いを必要とする」
「……」
「水銀燈は、たぶん優しいんでしょうね。根っこのところで」
 ふう、とため息をつく。
「ま、私の事は嫌いなんでしょうけど」
 ジュンが変な顔をする。
「また今度行くんでしょう?」
「ん、あ、ああ、多分な」
「私も連れてって」
「え?」
 その場に座る真紅。
「私も話してみたいわ。その柿崎めぐって子と」
「え、でも…」
 カップを持つ。
「いいじゃない、水銀燈がいたって、めぐって子の前で暴れたりはしないでしょう」



162: ◆JtU6Ps3/ps :2008/07/16(水) 13:34:04.68 ID:rWUo/kw90

「………ん、まぁ…」
「そうね、今度は翠星石とか、金糸雀とか、その辺も一緒に」
「いや、それはお前…」
「冗談よ、そこまでしたら水銀燈だって怒るわ」
 ふふ、と笑い、真紅は紅茶を飲んだ。
 ふと、きょろきょろと部屋を見回すジュン。
「そういえば、翠星石は?」
「?さあ、出掛けたんじゃないかしら。蒼星石の所へでも」
「ああ…」
 ジュンが窓の外を見上げる。
 快晴だった真夏の空を、東から真っ白な入道雲が覆い始めていた。



163: ◆JtU6Ps3/ps :2008/07/16(水) 13:36:53.62 ID:rWUo/kw90

「あれー?」
 丘の上。結菱家の窓を、翠星石がごんごん、と叩いている。
「おじじ、起きるですぅ、翠星石が来てやったですぅ」
 部屋の中、ベッドに伏せっている一葉は、起きる様子がない。
 おかしい。
「………」
 一度、唇をぎゅっと噛み、翠星石は鞄を両手で持つ。
「おじじ、ちょっと失礼するです」
 次の瞬間、窓に向け、それを思い切り振り下ろした。



165: ◆JtU6Ps3/ps :2008/07/16(水) 13:40:36.80 ID:rWUo/kw90

 かしゃん、と音を立てて、食器を棚の上に置くめぐ。
「…がと…敬…やめて…気持ち悪い……先……」
 食器のあった場所に便せんを置き、何かを書いている。
「…から…また……」
 ガタッと音がした。
 めぐが窓の方を見やると、翼の生えたシルエットが浮かんでいる。
「!!」
 ベッドから降り、ガラッと窓を開ける。
「水銀燈!!」
 水銀燈は視線を伏せたまま、窓辺に突っ立っている。
「戻ってきてくれたの!」
「………」
 答えない。めぐはそれを見てうつむく。
「ごめんなさい…私…」
「…歌って」
 顔を上げるめぐ。水銀燈が、めぐの髪を小さく撫でる。
「まだ貴女を一人にするわけにはいかないの。だから」
 感情を込めない声、だがどこか優しい表情。
「………」
 めぐは思わず口元を押さえる。
「ごめんね、ごめんね水銀燈」
 その頬に、涙が流れた。



167: ◆JtU6Ps3/ps :2008/07/16(水) 13:42:50.43 ID:rWUo/kw90

「何を書いているの?」
 窓辺に座った水銀燈が、ベッドの上のめぐに話しかける。
「知りたい?」
「…ちょっと気になっただけよ」
 少し視線を逸らす。
「今日ね、男の子が来てくれたの」
「………」
「驚いたわ。私と同じで、ローゼンメイデンのマスターだった」
「………」
 めぐが手を止める。
「驚かないの?」
「…ごめんなさい、見てたのよ」
「あら」
 再び筆を走らせるめぐ。
「やっぱり貴女、趣味が悪いわ」
「……」
「今度は盗み見なんて」
「…たまたまよ」
「私はね、手紙を書いてるのよ。今日来てくれた、その子にね」
「…」
 コンコン、とドアを叩く音がした。



176: ◆JtU6Ps3/ps :2008/07/16(水) 14:41:56.12 ID:rWUo/kw90

「はい」
「めぐちゃん、入るわよ」
「……」
 その声を聞いて、水銀燈は窓の外、見えない場所へと移動する。
「食器下げに来たわ。…あら」
 看護士が目を丸くする。
「めぐちゃん、何書いてるの?」
「秘密よ」
 ペンを止めずに答えるめぐ。
「そう…頑張ってね」
「ええ」
 一息つき、食器を持つ看護士。
「あら…」
 食器を見て、思わず声が漏れる。
「何?どうかした?」
「ううん、じゃあ、失礼するわね」
 看護士は一度だけめぐを見やり、すぐに出ていった。



180: ◆JtU6Ps3/ps :2008/07/16(水) 15:00:57.21 ID:rWUo/kw90

 nのフィールド。

 金色の隻眼が、二つの水晶を嬉しそうに眺めている。

 水晶の中には、それぞれ人影が一つずつ。
片方には、一人で楽しそうに遊ぶ、金髪の少女。
もう片方には、相手のいないテーブルで、一人お茶を飲んでいる老人。
 いずれも指に、薔薇の指輪をしている。


「…オディール、結菱一葉…これで2人…」

 つい先ほど、雪華綺晶は一葉を眠りにつかせ、その精神に
根を張り終えた。

 今は根を張る事で消耗した体力を、回復させているところだ。
今日はもう動けそうにない。
 オディールの時もそうだった。根を張り終えた後はまともに
身体が動かず、丸一日、nのフィールドで身体を休ませなければ
ならなかった。
 加えて、自分のローザミスティカを水銀燈に渡した今、
事は慎重に進めなければならない。

「残り3人……残り…4体……」
 膝を抱え、現状を整理する。



181: ◆JtU6Ps3/ps :2008/07/16(水) 15:03:18.10 ID:rWUo/kw90

 目的はアリスになる事。

 そのために自分に出来る事。
 自分に出来ない事。

 水銀燈。
 金糸雀。
 翠星石。
 真紅。

 桜田ジュン。
 草笛みつ。
 柿崎めぐ。

 どのドールに何の情報がいっているか。

 考えうる最悪のケース。

 起こりうる、有意な可能性のあるケース。

 それを乗り切るための方法。

 自分の手駒。

 ドールの特技は。強いドールは。弱点は。



183: ◆JtU6Ps3/ps :2008/07/16(水) 15:04:52.86 ID:rWUo/kw90

 雪華綺晶とて、万能ではない。得意があれば、苦手もある。
それをどう悟らせないようにするか。
 どう避けるか。
 どうやってこちらに引きずり込むか。

 既に優先順位を決めて動いているとはいえ、一抹の不安はあった。
誤算もあった。その中で、選択肢を絞っていく。
「………」
 感情のない隻眼が、二つの水晶を見つめ続けていた。



184: ◆JtU6Ps3/ps :2008/07/16(水) 15:11:31.12 ID:rWUo/kw90

 2日後、桜田家に一通の手紙が届いた。
「あ」
 ベッドから動けないのりの代わりに、ジュンが玄関先で
それを見つける。
「柿崎さんからだ」
 緑色の80円切手が貼ってある封筒の中央に、丸みを帯びた
女の子らしい「桜田ジュン様」という文字が並んでいる。
 ダイニング・テーブルで封を開け、中身を確認する。
「なぁに、それ」
 向かいの席から真紅が尋ねる。
「手紙だよ」
「手紙?」
 4つ折りの便せん2枚を、ピラピラと広げてゆく。
「なになに……」
「私も読んでみたいわ」
 真紅が便せんを引っ張る。
「んあ?ああ、あとでな」
「今読みたいのよ」
 じっとこちらを見つめてくる。



189: ◆JtU6Ps3/ps :2008/07/16(水) 15:16:50.08 ID:rWUo/kw90

「……お前宛じゃないだろ」
「何よ、口答えするつもり」
 椅子を降り、ぎゅうっと脛をつねる。
「痛ででで何すんだ!!」
「読ませないからでしょう。せめて抱っこして一緒に読ませて頂戴」
「……しょうがないな」
 はあ、とため息をつくジュン。
「どれどれ…」


   『拝啓って書こうとしたけど、手紙の書式なんて分からないし、間違っていたら
    恥ずかしいので止めました。
     改めましてこんにちは。こないだは写真、ありがとう。あれ、貴方のお人形さんの力で
    直したのかしら?そうだとしたら、廊下の椅子とかで、待ってもらってたのよね?
    ごめんなさいね、今度は、お人形さん連れてきてほしいわ。お礼がしたいから。
     それと、敬語なんてやめて。あれで貴方がマジメなのは分かったけど、
    あんなの気持ち悪いわ。私は部活の先輩じゃないのよ。
     ね、私は貴方を【ジュン君】って呼ぶわ。だから貴方も私を名前で呼んで。
    次に敬語使ったら、スープ投げつけるわよ。

     ごめんなさい、脱線してしまったわね。
    久し振りに同じくらいの歳の子と話せて、ちょっぴり楽しかったわ。
    今度はお茶くらいは出すから、また近々来てね。約束よ。

                            有栖川大学病院 316号室 柿崎めぐ 』



190: ◆JtU6Ps3/ps :2008/07/16(水) 15:23:19.74 ID:rWUo/kw90

「な、名前で…って」
「あら、意外とモテるのね、ジュン」
 真紅が見上げ、ニヤニヤしている。
「なっ、何が」
「明日また行きましょう。スープ投げつけるなんて発想の出来る子、
話してみたいのだわ」
 仲良く会話する二人。
「………」
 その二人を、廊下から眺める翠星石。

「言うべきですかねぇ…」
 ドアを閉め、壁に寄り掛かる。



192: ◆JtU6Ps3/ps :2008/07/16(水) 15:25:55.99 ID:rWUo/kw90

 一昨日、結菱家の窓を割って侵入した翠星石を待っていたのは、
起きない一葉、そして、空っぽの蒼星石の鞄だった。
「………」
 翠星石は雪華綺晶を見た事がない。それが7番目のドールだ、という事は
分かっている。だが、雛苺の身体をあの人形が奪った、それ以外、
何も知らない。
「第7ドール…」
 ぶるっと身体を震わせる。水銀燈とはまた違う、
冷たく、残酷な何かを感じた。
 何をしてくるか分からない。残された自分も、眼球をくり抜かれ、
身体を奪われてしまうのだろうか。

 コトリ、と音がした。



193: ◆JtU6Ps3/ps :2008/07/16(水) 15:30:24.02 ID:rWUo/kw90

「…?」
 キシッ、と、今度は床が軋む音。
 翠星石が顔を上げる。
「あっ」
 そこから動けなくなる。
 視線の先。納戸の入り口に、双子の妹、蒼星石が
立っていた。
「そ…」
 踵を返し、納戸に入っていく。
「待って」
 翠星石が後を追う。
「蒼…!」
 納戸に入ると、ちょうど蒼星石の足が、鏡の中に
消えていくところだった。
「待って!待ってですぅ!」
 翠星石がnのフィールドに飛び込み、鏡が小さく光った。



194: ◆JtU6Ps3/ps :2008/07/16(水) 15:36:03.79 ID:rWUo/kw90

 飛び続ける翠星石の目に、蒼い人形がだんだん大きく見えてくる。
「蒼星石!!」
 ようやく裾を掴める所まで来たか、という時、蒼星石は不意にこちらを向いた。
「あぷっ」
 スピードを緩めた蒼星石と、翠星石がぶつかり、そこから二人は落下していく。
「きゃうっ!!」
 ドスンと音を立てて、何か柔らかい所に不時着する。

「う…うう……」
 目を回していた翠星石が身体を起こすと、そこは庭園のような場所だと気づく。
「びっくりしたじゃないか。何するんだよ」
 驚いた表情で、妹がこちらを覗きこんでいる。
「え…そ…」
「?」
 怪訝そうな表情でこちらを見る。
「蒼星石…?」
「そうだよ、…どうかしたの?翠星石」
 翠星石の顔がくしゃくしゃになる。
「蒼星石ぃっ!!!うわああぁぁあん!!!」
 がしっと抱きつき、翠星石は泣き始めた。



197: ◆JtU6Ps3/ps :2008/07/16(水) 16:15:43.05 ID:rWUo/kw90

「ちょっ…」
「うええええええんん!!!うわあぁぁあん!!!」
「参ったな……」
 そう言いながらも蒼星石は笑い、翠星石の背中に手を回した。

「まずは一人…これでいい」
 白い水晶に閉じ込められた翠星石と蒼星石。いずれ自らのネジが切れるまで、
操り人形と化した妹を、姉は愛で続けるだろう。
「ふふ」
 その様子を眺めていた雪華綺晶は、笑みを浮かべ、その場を去った。




198: ◆JtU6Ps3/ps :2008/07/16(水) 16:28:45.52 ID:rWUo/kw90

 次の日。



「翠星石、どこ行ったのかしらね。鞄置いて」
 有栖川大学病院の廊下を、ジュンが歩いている。
「蒼星石のおじいさんの所じゃないのかな」
「…そうだといいけど」
 腕に抱かれた真紅が、胸をぎゅっと握る。

 316号室の前で立ち止まる二人。
「いいか、準備は」
「ええ」
 コンコン、とドアを叩く。
「どうぞ」
 今度は中から声がした。



200: ◆JtU6Ps3/ps :2008/07/16(水) 16:34:29.85 ID:rWUo/kw90

「こんにちは…あっ」
 ジュンが思わず立ち止まる。
「こんにちは、初めまして」
 真紅は表情一つ変えず挨拶する。
 バサッと、本が床に落ちる。
「あっ、こんにちは、来てくれたんだ」
 ベッドの上、めぐの笑顔とは対照的に、椅子に座って本を
読んでいた水銀燈が、硬直している。
 足元に落ちた本を、拾おうともしない。
「………」
「水銀燈、こんにちは」
 真紅がそれを見つめ、感情を込めずに挨拶する。
「………」
 ジュンの背中に冷や汗が流れる。
「…めぐぅ」
 水銀燈が口を開いた。



202: ◆JtU6Ps3/ps :2008/07/16(水) 16:39:51.53 ID:rWUo/kw90

「私ちょっと用事があるから、この子と」
 真紅を指さす。
「え、何で?私この子にお礼言わなきゃいけないのよ」
「そう、じゃあ後にして」
「嫌よ、お礼だけなら一瞬で済むじゃない」
「………分かったわ、勝手にしなさぁい」
 そう言って、窓から出て行こうとする。
「待って水銀燈、ちょっと…」
 声を掛けるも、水銀燈はさっさと出て行ってしまった。



203: ◆JtU6Ps3/ps :2008/07/16(水) 16:45:38.52 ID:rWUo/kw90

「…ごめんなさいね。いつもは…まあ大体あんな感じか」
 はは、と笑うめぐ。
「ねえ、ジュン君」
「はい」
「はい、じゃないでしょ。手紙読んでくれてないの」
 口を尖らせる。
「え、あ」
「敬語禁止って書いたでしょう」
「…ごめん、なさい」
「ごめん、でいいのよ」
「………」
 ジュンは頭をぽりぽりとかく。
「面白い子ね」
 じっと聞いていた真紅が口を開く。
「あら」
「何?」
 めぐが身を乗り出してくる。
「ふふ、こんにちは」
「ええ、こんにちは」
 ジュンの腕から飛び降り、めぐの傍に寄る。



204: ◆JtU6Ps3/ps :2008/07/16(水) 16:50:37.27 ID:rWUo/kw90

「貴女、名前は?」
「…私は真紅、ローゼンメイデンの第5ドール」
「そう、真紅…紅い、っていう意味の?」
「そうよ」
「………」
 見つめ合う二人。
「ね、真紅ちゃん、ココに座って」
 ぽんぽん、と椅子を叩く。
「お話ししましょうよ」
「………」
「ね、いいでしょ」
「分かったわ」
 そのままお喋りを始める二人。
「………」
 ジュンは10分ほど突っ立っていたが、やがて病室を出ていった。



207: ◆JtU6Ps3/ps :2008/07/16(水) 16:55:06.74 ID:rWUo/kw90

 水銀燈は屋上の端に座り、足をぶらんぶらんと揺らし続けていた。
「………」
 ぼーっと遠くを見つめる視線とは対照的に、右手はトントントントンと小刻みに
コンクリートを叩き続ける。
 病室はどうなっているだろうか。真紅とめぐが、楽しそうに会話している
様子が浮かぶ。
 ガン、とかかとで壁を蹴る。ガン、ガン、と何度も蹴った。
「…ムカつくわ」
 続いて左手で、背後のフェンスをがしゃんと叩く。
「………」
 視線は相変わらず、空の遠くの方。
 白い入道雲が見える。
 真っ青な空を、その内覆い尽くしてしまうのではないかと思えるような雲。
白いようでいて、その根元は灰色に染まりかけている。



208: ◆JtU6Ps3/ps :2008/07/16(水) 16:57:52.42 ID:rWUo/kw90

 ここ数日、雪華綺晶は何の音沙汰もない。
雛苺の時のように、誰かのローザミスティカが奪われた感覚もなく、
真紅たちの様子からして、何か干渉があったようにも思えない。
それどころか、のん気にめぐのお見舞いだ。
 馬鹿にしている。
「……」
 はあ、と、水銀燈は大きくため息をついた。
 どうして自分がこんなにイライラしなければならないのか。
あんなのん気なメンツと一緒に話して、めぐは面白いのか。
「ばーか、ばーか。めぐのばーか。真紅のばーか」
 虚ろな両の眼を、中庭に落とす。
「………?」
 中庭を、誰かが歩いている。
「あれは……」
 水銀燈は気づかれないように、そっと飛び降りた。



209: ◆JtU6Ps3/ps :2008/07/16(水) 17:03:09.89 ID:rWUo/kw90

「あーあ」
 ガニ股歩きでふらふらしているジュン。
「何で女の子って、あんなに勝手なんだろ」
 二人が喋り始めてからの10分間、ジュンは空気化していた。
その場を去っていいのか、立ち尽くしていないといけないのか、
悩んだ末に出した答えが、「部屋を出て中庭を散歩する」というものだった。
「…広いなぁ」
 病院内をうろつくわけにもいかず、とりあえずベンチで休む事にする。
「………」
 ようやく、木陰にあるベンチを見つける。
「はぁーぁ、やる事ないなぁ、帰ろうかなぁ」
 全身を投げだし、ぼやくジュン。
「そうよ、あんな高慢ちきな人形、さっさと持って帰って頂戴、忌々しい」
 がばっと身を起こし、きょろきょろと見回す。
「こ、この声!おい水銀燈!お前か!」
「どこ探してんのよぉ、こっちよ、おバカさん」
 見上げた木の枝に、銀髪の人形が座っていた。



211: ◆JtU6Ps3/ps :2008/07/16(水) 17:08:17.31 ID:rWUo/kw90

「…お前」
「ぜ~んぶ聞いちゃったわよぉ。相手にしてもらえなかったんでしょぉ」
 ぷっと吹き出す。
「うるさいな、黙れよ」
 顔を伏せ、はあ、とため息をつく。
「あら、失礼ねぇ」
「……お前何で僕に話しかけたんだ?ムカつくからどっか行けよ」
「ああ、ごめんなさいねぇ、あと5分後にどっか行くわぁ」
 イラっとして、水銀燈を睨むジュン。
 そんなジュンを、水銀燈はしばらく見下ろしていたが、やがてジュンの横へと
舞い降りてきた。
「……何だ?」
「別に」
「…何か企んでるのか」
「さぁ、そう見えるのかしら」
 言いながらジュンの横、1メートルくらいの場所へ座る。



213: ◆JtU6Ps3/ps :2008/07/16(水) 17:16:44.37 ID:rWUo/kw90

「……」
「……………」
 ジイィィィ~、と、蝉が鳴き始めた。
 時おり、ヒュウウ、と風が抜ける。
「……なあ」
 頬づえをつき、前を見つめたままジュンが口を開く。
「…何?」
 同じく前をぼんやり見ながら、水銀燈が問い返す。
「結構、涼しいな、ここ」
「…そうねぇ…私はこういう場所、結構好きよ。のんびり出来て」
「………」
「……」
 ちらっと水銀燈がジュンを見やる。ジュンは変わらず、ぼーっと病院の敷地の向こうを
見つめている。
「…話し相手が欲しかったのよ、あの子は」
 ジュンがこちらを向いた。



214: ◆JtU6Ps3/ps :2008/07/16(水) 17:21:53.97 ID:rWUo/kw90

「救ってもらいたいなんて、思ってない」
「…?」
「鬱屈した、どろどろになってしまった、とても醜い自分をぶつける相手が」
「…醜い?どこが」
 ふう、とため息をつく水銀燈。
「皆醜くて、どうしようもない自分を持ってるのよ?貴方も」
「な…」
 ジュンは思わず視線を逸らす。
「真紅も」
 水銀燈は立ち上がる。
「私も」
「………」
 ジュンは、無意識の海での出来事を思い出す。
あの時、水銀燈は裸で泣いていた。
「皆それを隠したり、それから眼を背けたりして生きている。逃げている」
「……」



216: ◆JtU6Ps3/ps :2008/07/16(水) 17:27:08.27 ID:rWUo/kw90

「あの子は、小さい内に、それから逃げる術がない事を知ってしまった。
そして、自分が見捨てられた存在であると、分かってしまった」
 ジュンは黙って聞いている。
「だから誰にも相談しない。頼らないし、聞き入れない」
 自分の胸をつつかれている感覚。
「可哀想な子」
「…そんな風には、見えないけど…」
「そのうち分かるわ」
 空を見上げる。
「貴方はたまたま見つけた、相性のいいオモチャと変わらないってね」
「………」
「さ、5分経ったわ。それじゃね」
 水銀燈はそれだけ言うと、翼を広げて飛び去った。
「水銀燈…」
 飛び去った彼女を、ジュンはしばらく見つめていた。



217: ◆JtU6Ps3/ps :2008/07/16(水) 17:31:32.33 ID:rWUo/kw90

「…ふうん、そうなんだぁ~」
 病室に響く笑い声。
「あら、笑い事じゃないわ、あの時私は猫に……あああ」
 ぶるっと身体を震わせる真紅。
「うふふ、いいじゃない、今はもう何ともないんでしょう?それなら、
笑ったっていいでしょ」
「…不本意だけど、確かにそうね」
「………」
 ふう、と互いにため息をつき、会話が止まる。
「……」
「ねえ、面白い話してあげましょうか」
 めぐが沈黙を破る。
「何かしら」
「つい最近ね、この病院の10階に」
 写真立てを手に取るめぐ。
「フランス人の女の子が運ばれてきたのよ」
「へえ」
「その子ね、何しても起きないんですって、童話でいう、眠り姫みたいに」
「起きない…?」
「ええ。…私、ずっと死にたいって思ってたけど、眠り続けるのもキレイかなぁって、
最近思い始めたわ」



218: ◆JtU6Ps3/ps :2008/07/16(水) 17:36:37.27 ID:rWUo/kw90

「……」
 変な事もあるものだ、と真紅は思った。
「その話水銀燈にしたら、なんて言ったと思う?」
「さあ」
「『あっそ』って言ったのよ、あの子。これ、酷いわよねぇ」
 あはは、と一人で笑うめぐ。
「…私には理解出来ない領域だわ」
 はあ、と真紅はため息をつき、頬づえをついた。

「ねえ、ところで、ジュン君は学校に行ってるの?」
 真紅が顔を上げる。めぐが両肘を頬につき、こちらを覗き込んでいる。
「…どうして?」
 真紅は首を傾げて聞き返し、ある事に気づく。
 めぐの眼が笑っていない。
「だって、まだ7月の中旬でしょ。3日前に来て、今日も来て」
「………」
「行ってないんでしょ?普通に考えたらそうだわ」
 微動だにしないめぐ。



220: ◆JtU6Ps3/ps :2008/07/16(水) 17:41:09.95 ID:rWUo/kw90

「………」
「……」
 ふう、と真紅は息を吐いた。
「行ってないわ。ジュンは引きこもりよ」
「…何があったの?」
 なおも質問してくる。
「私も知らないわ。その先はジュンに訊いて頂戴」
 視線を伏せる真紅。
「………ねえ」
「…何?」
「行って欲しいと思う?学校に」
 随分と遠慮のない質問をするものだ、と真紅は思った。
「……」
「どう…?」
 真紅はしばらく、天井を仰いだ後、ふ、と息を吐く。
「学校なんて行きたくなければ、行く必要はないでしょう」
「…へえ」



222: ◆JtU6Ps3/ps :2008/07/16(水) 17:50:18.19 ID:rWUo/kw90

「規律や上下関係、協調性を学ぶ事は、生きていく上で大切な事」
「……」
「でも、だから『学校に行きなさい』『勉強しなさい』なんて、私は言えない」
「……」
「それはジュンが決める事」
「…そう」
「この間、あの子の学校の先生が来たわ」
 めぐは前かがみの姿勢を直し、壁にもたれかかる。
「その後ジュンはトイレで吐いて、部屋に引き籠ってしまった」
「……」
「それからあの子は何日も起きなくなって」
「……」
「私にはどうしようもなかった。枕元にいる事しか、出来なかった」
「……」
「今はこうして、外に出られるくらいにはなったけど」
「………」
「私は何も聞かなかったし、ジュンも何も言わなかった。その時何があったかなんて」
 時計の針が、11時を指した。
 カタン、と音がして、真紅は一瞬そちらを見やる。



223: ◆JtU6Ps3/ps :2008/07/16(水) 17:54:41.71 ID:rWUo/kw90

「…私はね、どこかの誰かに、自分を分かったつもりになられるのが一番嫌いなのよ」
 手を遊ばせながら続ける。
「ジュンもきっとそう。あの子の苦しみなんて、あの子にしか分からない。
あの子が乗り越えていくしかないの」
「…そうね、その通りだわ」
「でも、私はジュンに、前を向いてほしい。光は、前を向かないと
自分に射してこないの。だから」
「………」
 めぐがじっと見つめている。
「私はジュンの傍にいる。ピクニックに行くと良さそうな晴れの日でも、
土砂降りの雨の日でも、風がよく抜けて涼しい日でも」
「………」
「あの子が逃げ出したら追っかけていく。一人にならないように。
死にたがっていたら、落ち着くまで手を握っていてあげる。ずっと」
 両手を膝に落とし、ぎゅっと握りしめる真紅。



226: ◆JtU6Ps3/ps :2008/07/16(水) 18:17:17.24 ID:rWUo/kw90

「いつかあの子が立ち上がろうとした時に、横にいる私の肩を使って、
支えにして立ってくれれば、私はそれでいいの」
「………」
「少し脱線してしまったわね…ごめんなさい」
「いいえ、そんな事ないわ」
「…別に学校に行ってほしいとは思ってないけど、『私はジュンに、
いつか前を向いて欲しいとは思っている』、これでいいかしら」
 真紅がめぐに視線を向ける。
「…ええ、素晴らしい回答だわ」
 ぱちぱち、とめぐは手を叩いた。



229: ◆JtU6Ps3/ps :2008/07/16(水) 18:25:15.70 ID:rWUo/kw90

 ガチャリ、とドアが開いて、ジュンが入ってくる。
「あら、ジュン、どこへ行っていたの」
「ん、ちょっと散歩」
「迷子になっても知らないわよ」
「なるわけないだろ」
 やれやれ、といった風に壁に寄り掛かるジュン。
「散歩に行ってたの?」
 めぐが尋ねる。
「ん、ああ。結構そこの中庭、涼しくて気持ちいいよ」
「ね、もう一回、散歩に行く気、ないかしら?」
 ベッドから降りるめぐ。
「え」
 スリッパを履き、タオルケットを折りたたんでゆく。
「もうすぐお昼だから、暑くなる前に、ね?いいでしょう?」
「いや、僕はいいけど…」
 ちらっと廊下を見やるジュン。
「あら、少しの散歩くらいで、いちいち看護士さんは咎めないわよ。気にしないで」
 すたすたとドアの方へ歩いていく。



231: ◆JtU6Ps3/ps :2008/07/16(水) 18:29:23.55 ID:rWUo/kw90

「ちょ、ちょっと待って」
 ジュンが慌ててそれを追いかけ、二人はドアの向こうに消えた。
「……やれやれ」
 真紅は開きっぱなしのドアを閉め、ベッドの傍へ戻っていく。
「……」
 次の瞬間、ガララッと窓を開けた。
「きゃっ!」
 窓の外、びくっと身体を震わせた水銀燈が胸を押さえている。
「盗み聞きはよくないって、めぐが言ってたわよ」
「………」
「入ってらっしゃい」
 真紅が促し、水銀燈はしぶしぶ病室に入った。



232: ◆JtU6Ps3/ps :2008/07/16(水) 18:31:22.70 ID:rWUo/kw90

「ん………」
 外に出た所でめぐが顔をしかめる。
「眩しい」
 右手で日光を遮る仕草をする。
「外に出たのなんて、何ヶ月ぶりかしら」
「えっ?」
 ジュンが思わずめぐを見る。
「ふふ、驚いた?」
 中庭の方へ歩き出すめぐ。
「あ、待って」
 ジュンがそれを追いかける。

 ミーン、ミン、ミン、ミーン、と、蝉の鳴き声が聞こえる。

 ヒュウウ、と風が吹き、めぐの長い黒髪が、ふわりと浮き上がる。
「ん………」
 気持ち良さそうに目を閉じ、前髪をかきあげる。
「あ…」
 ジュンはその仕草に、思わずどきっとする。



234: ◆JtU6Ps3/ps :2008/07/16(水) 18:35:45.87 ID:rWUo/kw90

「………」
 少し先を歩くめぐ。そこから2メートルほど後ろを、ジュンが歩いている。
「暑いわね…」
 めぐが額の汗を拭い、木陰のベンチに座る。
「…ああ」
 めぐは袖で何度も額を拭っている。そんなに暑いのだろうか。
「エアコンの部屋から出てないからよ、これは」
 心を読んだかのように、めぐが答えた。
「エ…エアコン…?」
「人はね、汗をかく生き物なの」
「……」
 立ち尽くしているジュンを見て、めぐがトントンとベンチを叩く。
「ここに座って」
「え、いいよ僕は」
「いいから」
 真っ直ぐ見据えてくるめぐ。



236: ◆JtU6Ps3/ps :2008/07/16(水) 18:43:34.74 ID:rWUo/kw90

 ジュンが横に座り、めぐは背もたれに思い切り寄り掛かる。
「ふうーーー」
 目を閉じ、大きく息を吐く。
 身体を反らした時、胸が膨らんでいるのに気づく。
「あ………」
 16歳の女の子の胸。すぐに目を逸らす。
「私はホントに、部屋から出たことなかったから…」
 身体を戻し、ふう、と息を吐く。
「かかなきゃいけない汗が、こういう時にドバッと出ちゃうの」
「へ、へえ」
 ジュンは視線を適当な所に向ける。
 ふと、視界の隅、茂みがガサガサ動いているのが見える。
「ん」
 次の瞬間、太った三毛猫が飛び出してくる。
「あ」
「あら…」
 めぐもそれに気付いた。
「おいで、おいで」
 チチチチチ、と口を鳴らし、地面スレスレに手を置いて、
カサカサカサ、と動かす。
 三毛猫はそれにつられ、こちらにト、ト、ト、と近寄ってくる。



237: ◆JtU6Ps3/ps :2008/07/16(水) 18:46:17.27 ID:rWUo/kw90

「うっぷ、よし、イイ子イイ子」
 膝をつたって飛び乗ってきた猫を、めぐは何度も撫でる。
「……」
 ジュンは意外そうにそれを見つめた。
「人慣れしてるでしょ、この子」
「…うん、びっくりした」
「もう10年になるかしら」
 ゴロゴロ、と喉を鳴らし始めた猫を撫でながら、めぐが視線を落とす。
「この子は捨て猫だったのよ」
「…へえ」
「たまたま病院に猫好きの先生がいて、勝手口の裏のストックハウスで、
この子を飼い始めたの」
「………」
 めぐはふう、と息を吐き、撫でるのを止める。
「ジュン君、面白い話、してあげましょうか」



239: ◆JtU6Ps3/ps :2008/07/16(水) 18:49:32.11 ID:rWUo/kw90

「何?」
「猫も人間も、いえ、哺乳類はみんな、一生に20億回の鼓動を打つって、
決まっているのよ」
「20億???」
「そうよ、正確には、15億から20億、くらいだったかしら。哺乳類の
心臓はそうなってるらしいわ」
「へえ……」
「高血圧の人は早死にするケースが多いのは、そういう理由があるの」
 初耳だな、とジュンは思った。
「極端な話、1分間に80回の鼓動を打つ人と、60回の鼓動を打つ人で、
寿命が違うわけね。極端な話よ。全員が全員、そうだというわけじゃないのよ」
 ふふ、と笑う。
「ハツカネズミは、1分間に600~700回打つとか云うし、ゾウなんてのは
1分間に20回くらい。クジラはねえ…何回だと思う?」
「クジラ?」
 言い方からすると、10回前後かな、と考える。
「3回よ。1分間にたったの3回」
「さ、3回!?」
 思わず頓狂な声を上げる。



240: ◆JtU6Ps3/ps :2008/07/16(水) 18:52:29.13 ID:rWUo/kw90

「びっくりしたでしょ。シロナガスクジラなんかは、それもあって、
120歳くらいまで生きるらしいわよ。計算が合わないのは何でかしらね。
身体が持たないのかしら」
「………」
 めぐの視線がうつむき、猫の喉を鳴らし始める。
「私の」
 はっとするジュン。
「私の身体も、きっとそう…」
 めぐの膝で、猫が寝がえりを打つ。
 それを見て、安心したように笑うめぐ。
「………」
 その眼には、猫の愛くるしい寝顔だけが映り込んでいた。



243: ◆JtU6Ps3/ps :2008/07/16(水) 19:04:41.75 ID:rWUo/kw90

「意外だったわ」
 ベッドに座った水銀燈と、窓辺に寄り掛かった真紅。
先に口を開いたのは、真紅だった。
「結構、優しいとこあるじゃないの、水銀燈」
「ふん」
「あら、褒めてるのよ。それとも、けなして欲しいのかしら?」
「………」
 じろっと真紅を睨む。
「ここでアリスゲームしたって、私はいいのよぉ、真紅」
 立ち上がり、椅子に右足と右手を掛ける。
「嫌よ、どうしてこんな所で」
「…なら厭味ったらしく喋るくせ、いい加減やめなさぁい」
 ふん、と鼻を鳴らす水銀燈。
「分かったわ。もう少し、私ものんびりしていたいし」
 言いながら、窓の外に視線を移す。



246: ◆JtU6Ps3/ps :2008/07/16(水) 19:17:52.18 ID:rWUo/kw90

「………」
 水銀燈は、少し考える。
 この様子では、本当に雪華綺晶は、真紅たちに干渉
していない。
 アリスゲームも、残り5体の段階から動いていない。
ローザミスティカの奪い合いがあったのであれば、姉妹全員が感覚で
分かるはずで、その辺りの話も出てきていない。

 否。
 奪い合いだけが、アリスゲームを進める手段だろうか?
そうとは限らない。雪華綺晶は別の手段で進めると明言している。
「………」
 ならば、確認はしておくべきだ。
「真紅」
「…何?」
 真紅がこちらを向いた。



259: ◆JtU6Ps3/ps :2008/07/16(水) 20:45:01.12 ID:rWUo/kw90

「一つ訊いておきたいのだけど」
「…何かしら?」
 言葉は選ばなければならない。
「最近…」
「?」
「何か、変わった事なかった?」
 少し首を傾げる水銀燈。釣られて真紅も首を傾ける。
「何?どういう事?」
 眉をひそめる真紅。
「何もない?」
「………」
 答えない。代わりに、水銀燈の顔をじっと見ている。
「何もないなら、いいのよぉ、別に」
「…私にはないけど、どうしてそんな質問をするの?」
「いいえ。何でもないわ」
 視線を逸らす水銀燈。



261: ◆JtU6Ps3/ps :2008/07/16(水) 20:52:06.52 ID:rWUo/kw90

「こっちを向きなさい。水銀燈。貴女が私に質問するなんて、
珍しいじゃない。どういう風の吹き回しかしら」
「………」
 こういう言い方をすれば、大抵喧嘩になる。だが、今日の水銀燈は
逃げるように視線を逸らしているだけであった。
 真紅は一歩踏み込んでみる事にする。
「…そういう質問をするのは、最近貴女に変わった事があったからじゃないの。違う?」
 ぐっ、と水銀燈は唾を飲み込む。
「答えなさい。貴女には答える義務がある」
「………」
 水銀燈は立ち上がり、背中を向けてしまう。
 真紅はそれでピンと来た。
「……白薔薇ね」
 水銀燈の目が見開かれる。
「分かるわよ。その反応からして」



264: ◆JtU6Ps3/ps :2008/07/16(水) 20:56:31.10 ID:rWUo/kw90

 時計の針が、コッチ、コッチ、と時を刻む。
「…そういう取引をしたわ」
「なるほどね」
 真紅の反応は、意外と淡々としたものだった。
「怒らないのねぇ」
「相手は白薔薇よ。私だって、対峙した時は、きっと誤魔化して、
全員で作戦練る選択肢を採るわ」
「……雪華綺晶」
「…え?」
「第7ドールの、名前よぉ」
「……」
 ぼふっとベッドに座る水銀燈。
 何か考え事をしているようだ。
「変わった事…」
「……」
「昨日から翠星石が帰ってこないわね、そういえば」



267: ◆JtU6Ps3/ps :2008/07/16(水) 21:03:11.70 ID:rWUo/kw90

 顎に手を当て、一点を見つめる真紅。
「翠星石が?」
「まだ雪華綺晶の仕業と断定は出来ない。蒼星石の所に
行っているだけかもしれない」
「………」
「でも、対策は練っておきたいわ。ここにいない金糸雀だって、
何かされているかもしれない。連絡を取らなきゃね」
「…真紅」
 水銀燈が呟いた。



268: ◆JtU6Ps3/ps :2008/07/16(水) 21:06:42.13 ID:rWUo/kw90

「あの二人は…?」
 窓の外、中庭を見やる。摺りガラスとはいえ、何を指しているのか
くらいは、真紅にも理解出来る。
「…マスターたちも、ここから先、否応なしにゲームに
巻き込まれていくわ」
「……」
「眠らせて力を奪うのが目的であれば、必ず雪華綺晶は
接触してくる」
「…私、出来たら、今のあの子は、巻き込みたくないのよぉ」
 ベッドに手を置く水銀燈。
「無理よ、どう考えても。取引したんでしょう」
「………」
「雪華綺晶の手が伸びる前に、私たちで防衛線を張る事は
出来るかもしれないけど」
「………」
 水銀燈は、何も言わなかった。



270: ◆JtU6Ps3/ps :2008/07/16(水) 21:11:49.06 ID:rWUo/kw90

「あら、めぐちゃん」
 めぐの病室の前。
「あ、こんにちは」
 ジュンが頭を下げる。大きなカートを押す手を止め、佐原が
驚いたようにこちらを見つめている。
「珍しいわね、散歩?」
「ええ」
 にこりと笑い、カートに乗せてある食事を見る。
「美味しそうね、この煮魚」
「え」
「これおひたしかしら」
「………」
「ジュン君ごめんなさい、ドアだけ開けてもらってもいい?」
 ひょいと自分の食器を取り、ドアの前に立つめぐ。
「うん」
 ドアを開けると、めぐはさっさと中に入ってしまった。



271: ◆JtU6Ps3/ps :2008/07/16(水) 21:16:05.42 ID:rWUo/kw90

「………」
「どうしたんですか」
 放心状態の佐原に、ジュンが尋ねる。
「い、いいえ……珍しいな、と思って」
「?」
「ああ、ごめんなさい、何でもないわ」
 我に返り、隣の病室の前へ向かう。
「あ、ねえ」
 部屋に入ろうとしたジュンを、思い出したように呼び止める。
「はい?」
「大事にしてあげてね。優しい子だから」
 そう言ってほほ笑む佐原。
「はあ」
「ジュン君、何してるの?」
 中から声を掛けられ、ジュンは部屋へと入った。



272: ◆JtU6Ps3/ps :2008/07/16(水) 21:20:07.25 ID:rWUo/kw90

「じゃあ、そろそろ帰るよ」
「ええ、ありがとう」
 空っぽになった食器を下げ終え、ジュンは立ち上がる。
「………」
 水銀燈がめぐを見つめている。
「真紅」
 抱っこされた真紅が振り返る。
「…これで、私が持っている情報は全て伝えたつもりよぉ」
 ふう、と息をつく水銀燈。
「分かったわ。金糸雀と翠星石にも伝えとくわ」
「ええ」
 ジュンが訝しげな顔をする。
「なんだ?」
「何でもないわ」
「ええ、こちらの話よぉ」
 真紅と水銀燈がそれぞれ答える。
「……ふうん」



274: ◆JtU6Ps3/ps :2008/07/16(水) 21:22:34.12 ID:rWUo/kw90

 二人が出て行き、バタンと閉まったドアを見やる水銀燈。


 嘘である。
 水銀燈は、一つだけ伝えなかった事がある。
「………」
 雪華綺晶が一瞬だけ、目を泳がせた時のやり取り。
 いざという時の切り札。目的を達成するための。
「(悪いけど、貴女には壊れてもらうわぁ。ごめんなさいねぇ、真紅…)」
 心の中で、水銀燈は呟いた。



401: ◆JtU6Ps3/ps :2008/07/17(木) 17:37:42.06 ID:8cHvSUei0

 コンコン。

 コンコン。

 コンコン。

 真っ暗な部屋の中。盛り上がっているベッド。
 黒髪の女性が、静かに眠っている。

 ドンドン。

 ドンドン。

 ドンドン。

 窓を叩く音が、少し大きくなる。
「みっちゃあーん」
 金糸雀が、困り果てた顔で何度も窓を叩いている。
 既に空には星が瞬き、金糸雀は30分以上も窓際で粘っていた。



403: ◆JtU6Ps3/ps :2008/07/17(木) 17:43:56.82 ID:8cHvSUei0

「はあ……」
 一向に起きる気配がない。
「仕事で疲れてるのかしら……」
 言いながら、自分も疲れ果ててしまっている。
「…お腹減ったわ…」
 バルコニーにへたり込み、膝を抱えてうずくまる金糸雀。
「うう…」
 ふと、脇にいたピチカートが何かに反応する。
 キィン、と光りながら、手すりの向こうへ消える。
「あら、ちょっとどこ行くのピチカートー」
 後を追おうとして、手すりの向こうを見る。
「あっ?」
 ピチカートの向こう。赤い光がこちらに近づいてくる。
「あれは……」
 ホーリエだ、と分かった。



405: ◆JtU6Ps3/ps :2008/07/17(木) 17:50:34.47 ID:8cHvSUei0

「…………」
 桜田家のリビング。のりとジュンは、既に2階へ上がっている。
「そういう事よ、金糸雀」
 二人掛けのソファに座る真紅。
 その向かい、一人掛けのソファに座っているのは、金糸雀。
「………」
 全てを話し終えた真紅に対し、金糸雀はあまり事情を飲み込めていない様子だった。
「雪華綺晶…」
「そう、雛苺の身体を奪った末の妹の名前。彼女は、水銀燈と取引をした」
「……そんな、私たちのローザミスティカを…」
 胸を押さえる。
「翠星石がいなくなった。もうそろそろゼンマイを巻かないといけないのに」
「え」
「おそらく…」
「で、でも、ローザミスティカの奪い合いとかは」
「ええ、翠星石はローザミスティカを奪われたわけじゃないのよ、多分」
「そ、それなら……」
 ぐうぅ~、とお腹が鳴った。
「う…」
「あら」
 拍子抜けした声を出す真紅。



407: ◆JtU6Ps3/ps :2008/07/17(木) 17:56:14.77 ID:8cHvSUei0

「何も食べてないの?もう8時半なのに」
「みっちゃんが起きないのよ。何回窓叩いても」
 真紅の眉がぴくっと動く。
「だから部屋に入れなくて、困ってるのかしら」
 がたっと音を立て、立ち上がる真紅。
「いつから?それは」
「え、一時間くらい前よ」
「マスターが起きない……起きない……」
 何か、心の中に引っ掛かっている。何か。
「………」
 腕組みをしていた真紅が、顔を上げる。
「金糸雀」
「なぁに、真紅」
「今日は泊まっていきなさい。翠星石の件もあるし、もし雪華綺晶が
仕掛けてきても、2人でジュンの傍にいれば、まだ何とかなるでしょう」
「……ええ…それは別にいいけど…」



408: ◆JtU6Ps3/ps :2008/07/17(木) 17:58:40.59 ID:8cHvSUei0

 真紅は目を伏せ、時系列を整理する。

 水銀燈と雪華綺晶の接触が3日前。

 翠星石が消えたのは昨日。

 そして今日、金糸雀のマスターに異変(まだ異変とは呼べないかもしれないが)があった。

 ローザミスティカの動きはない。

 ……何かが抜けている。

 そうだ、めぐは今日の昼、何と言った?
「病院に運ばれてきた、決して起きないフランス人の女の子」



411: ◆JtU6Ps3/ps :2008/07/17(木) 18:05:47.69 ID:8cHvSUei0

「金糸雀」
 立ち上がろうとした金糸雀が動きを止める。
「何かしら…?」
「明日、一緒に来てほしい場所があるの」
「明日…?」
 いや、それでは遅い。おそらく。
「いえ、今からよ。時間がないわ」
「い、今から??」
 返事を聞き終える前に、真紅はすたすたとリビングを出て、2階に上がっていった。
「ちょ、ちょっと待ってかしらー」
 金糸雀は慌てて後を追った。



413: ◆JtU6Ps3/ps :2008/07/17(木) 18:10:21.31 ID:8cHvSUei0

 真っ暗な薔薇の庭園。
 その中にそびえる屋敷。
 部屋の照明が点きっぱなしだった事が、2体のドールには幸いだった。
「やはり」
 割れた窓から侵入した真紅。
 ベッドで寝ている結菱一葉は、何度も揺するが、起きなかった。
「蒼星石、いないわよー」
 空っぽの鞄を確認する金糸雀。
「予想通りね………」
「へ??」
 部屋の隅、日めくりカレンダーを見た真紅。
 日付は一昨日。つまり、2日前で止まっている。
「金糸雀、よく聞いて頂戴」
「何よ?」
「先に言っておくわ。雪華綺晶はおそらく明日、仕掛けてくる」
「え」
「………」
「ど、どういう事かしら、真紅」
「説明はしないわ。ただの憶測だし」
 困惑する金糸雀を無視し、再び考え込む。
「………」



415: ◆JtU6Ps3/ps :2008/07/17(木) 18:14:05.56 ID:8cHvSUei0

  結菱一葉は、おそらく2日前に眠らされた。カレンダーが
 そこで止まっている事を考慮し、そう仮説を立てるならば、
 雪華綺晶と水銀燈の接触の次の日から、
 2日目に一葉、3日目に翠星石、そして今日は草笛みつ、と、
 一日毎に一人、異変が起きていると推測出来る。

  病院に搬送されたフランス人の女の子が、仮にオディールだとして、
 彼女は誰のマスターになる。あの指輪は。
  食われる前、雛苺は契約したか分からないと言った。雛苺のマスターでないと
 したら、余っているのは、残り1体しかいない。

  とすると、オディールは利用された。雪華綺晶と契約を「させられた」。
 そして眠らされた。そう考えれば、辻褄は合う。



418: ◆JtU6Ps3/ps :2008/07/17(木) 18:19:46.37 ID:8cHvSUei0

  もう翠星石もネジが切れている頃だ。雪華綺晶に捕えられたと
 推測するのが自然である。
 
  では、どうして一気に仕掛けてこないのか。
  否、仕掛けられないのか?

  雪華綺晶が時間を掛けているのは、ローザミスティカを水銀燈に与えたために、
 続けて仕掛ける体力がないからではないか。
  こちらがこうして動くのを承知で、徒に時間を掛けているとは
 考えられない。
  つまり、次に動くとしたら、明日。

  残るは水銀燈、金糸雀、真紅、めぐ、ジュン。
 水銀燈との取引を考えるなら、めぐと水銀燈は最後。



420: ◆JtU6Ps3/ps :2008/07/17(木) 18:24:25.10 ID:8cHvSUei0

  明日は残る3人のうちの誰か。
  みつが眠らされた事を考えると、
 マスターを先に眠らせ、力の供給が断たれた所を
 攻めてくるかもしれない。
 だとすると、次はジュンが眠らされる番だろうか?


  だが、疑問も残る。
  どうして翠星石のローザミスティカを奪っていないのか。
 蒼星石の身体はどこへ行ってしまったのか。



421: ◆JtU6Ps3/ps :2008/07/17(木) 18:27:32.44 ID:8cHvSUei0

「ちょっと真紅」
 名前を呼ばれ、我に返る。
「カナを振りまわしてどういうつもり?キチンと説明しなさいよ」
「ええ…ああ」
 真紅は時計を確認する。21時過ぎ。
「………」
 賭けに出るべきだろうか。いや、出ないといけない。
「金糸雀、私の考えを説明するわ」
 真紅が金糸雀を見据え、喋り始めた。



423: ◆JtU6Ps3/ps :2008/07/17(木) 18:32:31.23 ID:8cHvSUei0

「みっちゃんが眠らされてる…?」
 半ば信じられない、といった様子で、立ち尽くしている。
「あくまでも推測よ。でも、そう考えておいて、間違いはないと思うの」
 少しうつむく真紅。
「………」
 首をかしげている金糸雀。視線が何かを求めるように虚空をさ迷っている。
「この蒼星石のマスターも、同じように起きない。考えられるとしたら、みっちゃんさんも…」
「カ…カナは…」
 真紅が顔を上げる。
「嘘よ。冗談はよしてほしいかしら。今朝はちゃんと起きてたのよ。
カナはちゃんと今日、お話したのよ…」
 一歩後ずさる。
「かな……」
「嘘よ!信じないかしら!!絶対、絶対、そんな事……」
 膝をつき、胸を押さえてカタカタ震える金糸雀。
真紅は、ただ黙ってうつむいている事しか出来なかった。



425: ◆JtU6Ps3/ps :2008/07/17(木) 18:37:24.97 ID:8cHvSUei0

カチ、カチ、という音。

「……」
 9時半を過ぎ、部屋でジュンがパソコンを見ている。
 カララ、と窓が開いて、鞄に乗った真紅と金糸雀が部屋に入ってきた。
「どこ行ってたんだ?」
 画面から視線を動かさず尋ねるジュン。
「ちょっとね」
「そか」
 ちらっと、横の金糸雀を見やる真紅。
「ね、ねえジュン、今日、金糸雀が泊まっていきたいらしいんだけど、いいかしら」
 少しどもりながら言う。
「ん…別にいいけど」
「そ、そう、ありがとう」
「………」
 黙り込む真紅。
 ジュンにも、全てを説明しないといけない。
たとえ巻き込む事になったとしても。



427: ◆JtU6Ps3/ps :2008/07/17(木) 18:41:58.71 ID:8cHvSUei0

 カタカタカタ、とキーボードを打ちこむジュン。
「何をしているの?」
「ん、ちょっとな」
「………」
 真紅は視線を伏せ、ベッドに座り込む。ジュンは相変わらず、パソコンに
向かってマウスを動かしたり、キーボードを叩く作業を繰り返している。
 いつもは、頬づえをついて下らないサイトを見たり、勉強している頃だが、
今日は何か調べ物をしているようだった。
「……ねえ」
「なあ、真紅」
 同時に言葉を発する二人。
「あ、ごめん、何?」
 椅子をキッと回し、こちらに向くジュン。
「いいわよ、貴方から言って頂戴。私は長くなるから」
「ああ。そか、悪いな」
「……」



428: ◆JtU6Ps3/ps :2008/07/17(木) 18:46:33.02 ID:8cHvSUei0

「あのさ、水銀燈のマスターの事なんだけど」
「…ええ、何かしら」
「明日も行こうと思うんだ」
「そう」
 ジュンはこめかみをポリポリとかき、ふう、と息を整える。
「なんか、元気にしてやれる方法ないかな」
「?」
「今日話してみてさ、何か淋しそうだったっていうか…」
「あら…」
 真紅が目を丸くする。
「何か僕に出来る事があれば、してあげられたらな、とか」
「好きになったの?」
「はっ!?」
 ガタッと立ち上がるジュン。
 その反応を見て、真紅は思わずぷっと吹き出した。
「ふふ、まんざらでもないみたいね、ジュン」
「な、何言ってんだ、違うぞ、僕は」
「冗談に決まってるじゃない、何気分出してるの」
「………」
 ジュンは顔を赤くし、椅子に座り直す。それをじっと
見つめる真紅。



429: ◆JtU6Ps3/ps :2008/07/17(木) 19:06:03.83 ID:8cHvSUei0

 ふと、画面に映し出されているものが、真紅の視界に入る。
「…あの子、ジュンが学校に行ってない事、見抜いてたわよ」
「えっ…」
「色々訊かれたわ。どうして行ってないのか、とか」
「……」
「行ってほしいかどうか、とか。割とお行儀がなってない子ね」
「僕の事を?」
「ええ。何か、自分に近いものでも感じたんじゃないかしら」
「………そ、そっか」
 パソコンに向き直る。
 会話が止まった。
 ジュンはそれから頭をかいたり、天井を仰いだりして、落ち着かない。
「……」
 真紅は数分間、それをじっと観察していた。



430: ◆JtU6Ps3/ps :2008/07/17(木) 19:15:29.91 ID:8cHvSUei0

「…あれ、そう言えば真紅」
「何?」
「お前、何か言おうとしてなかったっけ」
「いいのよ、やっぱり何でもないわ」
 真紅はジュンと視線を合わさず、一階に下りていった。
「あっ、ちょっと真紅」
 追う金糸雀。
 二人が出て行ってしまった後で、ジュンはパソコンに向き直った。
画面には、『心臓病Q&A』という項目が映し出されている。
「めぐさん…か…」
 ぼんやりと呟いた。



432: ◆JtU6Ps3/ps :2008/07/17(木) 19:21:40.82 ID:8cHvSUei0

「じゃあ、ホーリエ、ベリーベル。お願いね」
 二つの光が鏡に消える。
「どうするの?」
「雪華綺晶を探してもらうのよ」
 鏡に手を当てたまま答える真紅。
「……ジュン君には言わないの?」
「ええ…」
「どうして?」
 真紅が振り返る。
「さっきは言おうとしたわ。でも」
「…?」
「パソコンに映っているものを見て、私は言うのをやめた」
「何が映ってたの」
「………」
「…」
「それは言えないわ。ただ、こちらから巻き込むような事は、今のあの子に対して
したくないの」



434: ◆JtU6Ps3/ps :2008/07/17(木) 19:28:57.70 ID:8cHvSUei0

「…でも」
 真紅はその言葉を言い終え、深呼吸をして、
自分の胸に手を置く。

 そうか、と思った。
 水銀燈は同じ事を言おうとしたのだ。
あれだけ自分が嫌っていた姉は、今日、自分と
同じ事を考えていたのだ。

「…金糸雀」
 第2ドールは、呆けたような眼で見つめている。
「みっちゃんは、きっとまた起きてくれるわ。『おはよう』って、
帰ってきた貴女に対して」
「……ええ」
 少しうつむく金糸雀。廊下の明かりが逆光になり、その表情は
暗くて見えない。
「だから、私たちは、そうなるように、頑張りましょう」
 自分の胸を押さえながら、真紅は絞り出すように言った。



435: ◆JtU6Ps3/ps :2008/07/17(木) 19:33:03.10 ID:8cHvSUei0

 明くる日の早朝。

「じゃあ、僕行ってくるから。お前は行かないのか?」
 ジュンが振り返って尋ねる。
「ええ、ちょっと用事があるのよ。めぐによろしくね」
 にこっと笑い、手を振る真紅。

 見送りが終わり、一息ついた頃だった。
 物置から、ヒューンとベリーベル、ホーリエが現れた。
「見つけたのね」
 真紅は金糸雀に促し、物置へと向かう。

「ベリーベル、あなたは水銀燈の所へ」
 ピンク色の光が窓から出ていくのを見届け、
真紅と金糸雀、ホーリエ、そしてピチカートが鏡の中に
飛び込んだ。



437: ◆JtU6Ps3/ps :2008/07/17(木) 19:37:24.00 ID:8cHvSUei0

 nのフィールドを一直線に飛び続ける二人。
その二人を先導するホーリエ。
「…」
 真紅は胸元を押さえ、目を閉じる。

 とうとう、ジュンには何も言わずにきてしまった。
言えば良かったのかもしれない、と少しは感じている。マスターがいれば
心強いし、何よりこちらも力を受けられる。
「……」
 どうして何も言わなかったのか、自分でもよく分からない。
「ジュン…」




438: ◆JtU6Ps3/ps :2008/07/17(木) 19:42:20.63 ID:8cHvSUei0

 
 進むにつれ、白い霧が出てきた。
 真紅はホーリエに減速するように促すが、それでも見失いそうになる。
「か、金糸雀…」
 すぐ隣で並んで飛んでいるはずの金糸雀に声を掛ける。
「大丈夫よ、こっちは」
 声はするものの、姿が見えない。
「……!!」

 自分の腕の先が見えなくなってきた。もはやホーリエは見えず、ふと前後左右、どこに
進んでいるのか分からなくなってきた。
「金糸雀!!」
 声を上げる真紅。
 返事が聞こえない。
「金糸雀!!返事しなさい!!ホーリエ!!」
 思わず、真紅は立ち止まろうとする。



440: ◆JtU6Ps3/ps :2008/07/17(木) 19:47:02.99 ID:8cHvSUei0

 次の瞬間、何かが足に引っ掛かる感覚が起き、真紅は勢いで前方に
すっ転んだ。
「きゃあっ!」
 違う。転んだという表現がおかしい。
 転ぶには地面が必要なはずで。
間髪入れず、しゅるるっと右足に何かが絡みついてくる。
「あっ」
 それは瞬く間に真紅の身体を縛り上げ、ずずず、と引っ張った。
「こ、これは」
 白いイバラ。
「おはようございます、紅薔薇のお姉様」
 そのイバラの先。振り向いた真紅の目に映ったのは、
嬉しそうに笑う雪華綺晶だった。



442: ◆JtU6Ps3/ps :2008/07/17(木) 19:51:32.11 ID:8cHvSUei0

 波が引くように、白い霧がさあっと晴れていく。
「まさかそちらから来ていただけるとは」
「黙りなさい白薔薇、いいえ雪華綺晶」
 睨む真紅。
「名前で呼んでいただけて光栄です」
「……」
 よく見ると、自分がクモの巣にかかっているのだ、と分かる。
違う。
 クモの巣状に張られたイバラ。
「あっ」
 真紅は目を見開いた。
 倒れた自分の背後に座る、雪華綺晶。両の手から伸びるイバラ。
右手から伸びるイバラは自分を縛っていて、もう片方の手から伸びる
イバラが、金糸雀を縛っている。
「金糸雀!!」
「無駄ですわ」



445: ◆JtU6Ps3/ps :2008/07/17(木) 19:55:16.36 ID:8cHvSUei0

 金糸雀は顔を上げようとせず、ぐったりと身体を横たえていた。
「ローザミスティカを奪ったの」
「さあ、教える義理はありませんわ」
 にっ、と笑う雪華綺晶。その背後に、4つの白い水晶が並んでいる。
「……!!」
 ぞくっと身体に走るものがあった。
 それぞれの中に、一つずつ見える人影。

 一人でぬいぐるみと遊んでいるオディール。

 お茶を飲んでいる一葉。

 ベッドで寝ているみつ。

 そして、いなくなっていた蒼星石と共に倒れている、翠星石。


「貴女がやったのね」
「ふふ」
 答える代わりに、微笑を浮かべる。



446: ◆JtU6Ps3/ps :2008/07/17(木) 20:00:27.38 ID:8cHvSUei0

「答えなさい。翠星石のローザミスティカをどうしたの」
「お姉様」
 左手に抱えている金糸雀を離し、かしゃんと倒れる音がした。
 そのまま、雪華綺晶は真紅に近づいてくる。
「ぐっ……」
 引き千切ろうにも、全く身体が動かない。
「?」
 真紅はあるものに気づいた。
 視界の隅。白い水晶の後ろ、雪華綺晶から見えないところに、
黄色い光と、赤い光が見える。
「ホーリエ!!ピチカート!!」
 真紅が叫んだ。
 雪華綺晶が視線をきょろきょろさせる。
「うっ」
 キィン、とまばゆく光ったのはホーリエ。
雪華綺晶の目が眩む。



449: ◆JtU6Ps3/ps :2008/07/17(木) 20:05:16.60 ID:8cHvSUei0

 隙をついてピチカートが、引き離された金糸雀のイバラを千切り、クモの巣から
金糸雀は落下していった。
それを追い、闇に消えていくピチカート。
「く…」
 元の方角に消えていくホーリエ。
「そうよ、それでいいわ…」
 にっ、と笑う真紅。
「………」
 金糸雀たちが消えた方向を凝視していた雪華綺晶は、
やがて一息つき、もがいている真紅へと近寄っていく。
「別に構いませんわ。アリスになるのは、この私。もうすぐ…」
 真紅の顎を持つ。
「やめなさいこの…」
 歯を食いしばり、睨むのをやめない。
「だから…お姉様のローザミスティカ…もらいますね」
 どつっという音がして、真紅が目を見開く。



452: ◆JtU6Ps3/ps :2008/07/17(木) 20:07:59.66 ID:8cHvSUei0

 胸に走る、何か温かい感覚。
 ずずず、と、胸の一角が奥へ、奥へと押しやられているような音。
「…あ」
 真紅は震えながら、自分の胸を見やる。
白いイバラが数本、確かに自分の胸を貫いていた。
「ジュ…」
 かた、かた、と震えた後、真紅は目を見開いたまま、動かなくなった。
「……」
 真紅の身体が光り始め、そこから2つの宝石が出現する。
「おやすみなさい、紅薔薇のお姉様」
雪華綺晶は笑ったまま、愛おしそうに真紅の身体を撫で続けた。







534: ◆JtU6Ps3/ps :2008/07/18(金) 00:11:33.39 ID:+uP5qurX0

「あら、おはようジュン君」
 病室のドアを開けると、窓辺で肘をついていためぐが
こちらを向いた。
「ああ、おはよう」
「今日も来てくれたのね。掛けて」
 椅子をぽんぽんと叩く。
 めぐはベッドには上がらず、窓の手すりに座り込んだ。
「どうしたの?」
「え」
「いや、元気だな、と思って…」
 めぐが変な顔をする。
「?ああ」
 自分がこうして立っている事だ、と気づく。



541: ◆JtU6Ps3/ps :2008/07/18(金) 00:19:29.96 ID:+uP5qurX0

「朝は窓を開けると、涼しい風が入ってくるから」
 そう言って目を閉じる。
「…今日、水銀燈は?」
「水銀燈?いるわよ」
 窓の外、ちょうど右下に当たる部分に視線を落とし、
手招きするめぐ。
「…?」
 首をかしげるジュン。
 少し間をおいて、のっそりと黒い影が現れる。
「………」
「ほら、ジュン君よ」
 気だるげにこちらを見つめる水銀燈。
「……こんにちはぁ…」
 やる気が感じられない。まるで、毎朝低血圧で、一時間目だけ
眠る高校生のようだ。
「ああ、こんにちは」



543: ◆JtU6Ps3/ps :2008/07/18(金) 00:26:23.25 ID:+uP5qurX0

 窓を閉め、エアコンをつける。
「テレビでも見ましょうか。暇でしょ?割とここって」
「え、いや」
「遠慮しなくていいのよ、私も遠慮するつもりないし」
 パチッと電源を入れる。

 ふと、水銀燈が何かに気づいたように窓を開けた。
「どうしたの、水銀燈」
 めぐが声を掛ける。
「何でもないわ」
 言いながら、カララ、と窓を開ける。
「………」
 ひょいと手すりを乗り越え。水銀燈はさっさと飛び立ってしまった。
「変な子ねえ」
 不思議そうに窓辺を見ているめぐ。
「……?」
 ジュンは首を傾げた。



546: ◆JtU6Ps3/ps :2008/07/18(金) 00:33:13.77 ID:+uP5qurX0

「奪われた…」
 その感覚は水銀燈にも伝わってきた。
 ローザミスティカが2つ。
雪華綺晶が動いたのだ、と瞬時に理解する。
 誰が退場したのだろう。
真紅か、金糸雀か、翠星石か。
それとも、雛苺のローザミスティカを持っている誰かが倒れたのか。
 いずれにせよ、奪ったのが雪華綺晶なら、彼女はそのうちここに来る。

「………」
 めぐを渡すわけにはいかない。それは大前提である。
手段は考えてある。雪華綺晶を封じ込める手立て。
「……いいわ、いつでも来なさい」
 水銀燈は空を見上げ、ふうーっと大きく息を吐いた。




549: ◆JtU6Ps3/ps :2008/07/18(金) 00:38:42.35 ID:+uP5qurX0

 
 テレビではワイドショーをやっている。
「…」
 ベッドの上。
 めぐが頬づえをつき、ぼんやりと眺めている。
それをチラチラ見るジュン。テレビの内容など頭に入っていない。
面白いのだろうか。
「つまらないわね」
 めぐが口を開く。
「そう思わない?ジュン君」
 そう言ってこちらを向いた。
「…うーん、あんまり面白くは…」
「でしょお?」
 呆れたようにははは、と笑う。



552: ◆JtU6Ps3/ps :2008/07/18(金) 00:45:31.51 ID:+uP5qurX0

「私こんなのどうでもいいのよ。こんな病室にいたってつまんないし」
 テレビの中で、何かメガネをかけた男性が喋っている。
それにふん、ふんと相槌を打つ女性。キャスターのようだ。
「貴方と散歩がしたい」
タオルケットをまくり、あぐらをかくめぐ。
「えっ?」
 ジュンは口をあんぐり開けた。
「駄目かしら。こうして手を繋いで…」
 近寄ってきて、ジュンの両手を包みこむめぐ。
「あわっ、ちょ、ちょっと」
 思わず手を引っ込める。
「あら、驚いた?別にいいじゃない、手を繋ぐくらい」
 きょとんとしている。
「そ、そうなの?」
「そうよ、それとも何か期待したのかしら」
 膝をベッドから降ろし、ぐっと近づくめぐ。吐息が
ジュンの頬にかかる。



555: ◆JtU6Ps3/ps :2008/07/18(金) 00:49:33.28 ID:+uP5qurX0

「い、いや、あの…」
「ウブなのねぇ」
 くすくすと笑う。
 一通り笑った後、めぐはベッドに上がり、タオルケットを
ぐしゃぐしゃと丸め始めた。
「たとえば、貴方は週に2回、この病院の316号室までお見舞いに
来てくれるの」
「え」
「何持ってきてくれるのかしら。私、イチゴとか好きよ、この時期なら」
 構わず続けるめぐ。
「でもお菓子は駄目よ。ケーキとか煎餅とか。私は病人だし、
塩分と糖分は、控え目にしなきゃね」
 手を止める。
「そうしてね…っ」
 口を押さえるめぐ。
 瞬間、ごほっ、ごほっ、と何度も咳込み始める。



559: ◆JtU6Ps3/ps :2008/07/18(金) 00:51:58.84 ID:+uP5qurX0

「うっ、げほっ、げほっ」
 前のめりになり、ベッドに突っ伏す。
「め、めぐさん」
 ガタッと立ち上がるジュン。
「大丈夫よ、ええ、大丈夫」
 口元を押さえたまま、けほ、けほ、と小さく咳込む。
収まってきたようだ。
「…朝の涼しい…そうね、今みたいな時間帯に、
貴方が私と一緒に中庭を歩いてくれている」
 ティッシュで口を拭くめぐ。
「それを水銀燈が見守りながら、飛んでるの」
 枕の脇に、丸めた紙を置く。
「ちょっとぶすくれてる水銀燈に、『ごめんなさいね、もう少ししたら
歌ってあげるから』って私が声をかけるとね、あの子は口を尖らせて」
「……」



561: ◆JtU6Ps3/ps :2008/07/18(金) 00:54:40.24 ID:+uP5qurX0

「『何言ってんのよ、勝手になさい』とかって吐き捨てるのよ」
 ふふ、と笑うめぐ。ジュンは心配そうに見つめている。
「歩き疲れたら、中庭のベンチに座って、私は疲れて眠っちゃうの」
 顔を上げ、ジュンの目を見つめる。
「その時は、肩くらいは貸して頂戴ね。ジュン君?」
「………」
「…………」
 二人の会話が止まる。ジュンがもう少し慣れた回答をしていたら、
この後の展開は、また違っていたかもしれない。



571: ◆JtU6Ps3/ps :2008/07/18(金) 01:03:05.54 ID:+uP5qurX0

 めぐの顔色が変わったのは、テレビから「心臓」という言葉が聞こえた時だった。
気づいたジュンがテレビを見ると、
大きく『心臓移植について』というテロップが、画面に映し出されていた。
「………」
 めぐが胸を押さえた。
「ねえ、ジュン君」
 めぐの瞳は、テレビではなく、窓を見ている。
「どうして、心臓移植を外国でする事が多いか知ってる?」
 ジュンが首をかしげる。
「?」
「日本で待ってても、ドナーが現れない可能性が高いからなの」
「………」
 それは何となくわかる気がする。
「日本はね、15歳以下の子からの臓器提供が認められていないの」



576: ◆JtU6Ps3/ps :2008/07/18(金) 01:10:20.53 ID:+uP5qurX0

「15歳?」
「そうよ。心臓は全身を受け持つポンプだから、同じくらいの年齢の、
同じくらいの機能の心臓じゃなきゃダメなの」
「ポンプ…」
 イメージがつかみにくいが、理屈は分かる。
「だから、15歳から19歳くらいまでで、脳死判定を受けた人」
「脳死……脳だけ駄目になるっていう」
「そう。そして、家族の承諾も必要。極端な話、
『二度と目覚めない植物状態から、心臓を抜き取って、生命活動が停止しても
構いません』っていう許しを得なきゃいけない」
「……それって」
「許しをもらっても、心臓が患者に適合するか、調べないといけない」
 そこまで言うと、めぐは両手を組み、うつむいた。
「数が少なすぎるのよ。それだけじゃない…」
「……」
「お金もかかる。日本でやるならおよそ2000万弱。分かるかしら、このお金」
 手遊びを始める。



579: ◆JtU6Ps3/ps :2008/07/18(金) 01:18:19.60 ID:+uP5qurX0

「テレビで見た事あるのよ。ちょうどこんなワイドショーでね。
 子どもを殺された親がいて、殺した犯人に、裁判で4000万くらいの請求してたのよ」
「4000万…」
「私それ見てショックだったわ」
 両肘を抱えるめぐ。
「人の命って、お金に換えられるんだって。親が決めたのかしら。4000万って。
それとも、弁護士から、『大体相場はコレくらいの額なんです』って言われたのかしら」
「……」
「私には分からない。でも、親は少なくともその額を受け入れてしまった。
納得してしまったんだって」
「……」
 ジュンは何も言えず、ただ聞いているしか出来ない。



581: ◆JtU6Ps3/ps :2008/07/18(金) 01:24:09.66 ID:+uP5qurX0

「同じよね。私が生きるには、少なくとも誰かが一人死ななきゃならない」
「………」
「私今から馬鹿な話するから、嫌だったら部屋から出てっていいわよ」
 めぐはベッドにぼふっと倒れ、天井を見つめる。
「私の病気が治るには、数千万のお金をはたいて、どこかの誰かに
『ごめんなさい死んで下さい』って死んでもらわないといけない」
「……」
「きっと、パパは私のためなんかに数千万も払いたくないって思ってるわ」
「……」
「こうしてお金に直すとね、分かるのよ。自分の価値が。
そして、生きようとする事がどれだけ難しいか」
 目を閉じる。
「仮に移植したとしても、5人に1人は5年以内に死んでるのよ。
長生きなんて……」
「そんな……」
 思わずジュンは反応する。



585: ◆JtU6Ps3/ps :2008/07/18(金) 01:28:02.11 ID:+uP5qurX0

「も、もっと楽しい事、考えようよ、ほら」
「…楽しい事?」
 めぐが首をこちらに向ける。
「水銀燈もいるじゃないか。い、今は外に行ってるけど」
「楽しい事って何?」
 めぐの声が淡々としている。
「………」
「ジュン君、教えて。私にとっての楽しい事って何?」
 半身を起こすめぐ。
「え」
 ジュンは思わず口をつぐんだ。
「どうしたの?教えて。私何をどう楽しめばいいの?」
 目が笑っていない。
「…答えられないのね。どうしたの。反射的に口をついて出た言葉?
病気持ちでもないのに、綺麗事抜かすのはやめてくれない?」
 はは、と呆れたように笑うめぐ。
「ジュン君ごめんなさい、帰ってもらえる?」
 冷たく張りつめた声。ジュンの全身が震えるには、十分な言葉だった。



588: ◆JtU6Ps3/ps :2008/07/18(金) 01:32:07.19 ID:+uP5qurX0

 何か世界がぐらぐらと揺れている。椅子に座っている感覚も、病院の床の
冷たさも、両の膝に乗せている拳も、全ての感覚が引いていく。
「あ、う」
 怒らせた、と直感で分かっていた。
だが次にどうすればいいか、ジュンには分からない。立ち上がればいいのか、
謝ればいいのか。
 何をしてもこの冷たい感覚は拭えない。変わらない。

 どかっとお腹を殴られたような感覚が襲った。
「うっぷ」
 思わずお腹を押さえ、ごほ、ごほ、と咳込むジュン。
「帰って!!」
 本を投げられたのだ、と分かった。
バサッと、もう一冊本が飛んできて、今度はジュンの顔面に当たった。



593: ◆JtU6Ps3/ps :2008/07/18(金) 01:37:31.77 ID:+uP5qurX0

 ああ、またか、と水銀燈は思っていた。そして、やっぱりか、とも考えた。
窓越しに見えるその光景は、予想していた通りのものだった。
「はあ」
 ジュンが何か地雷を踏んだのだろう。手当たり次第にジュンに投げつけている
めぐは、看護士とのやり取りを見ている水銀燈には
さして驚くような事ではなかった。
「………」
 病室の外から移動し、中庭の木の枝に座る水銀燈。

 めぐはいつもそうだった。こうやって、与えてくれる人に地雷を教える事もせず、
ただ遠ざけている。
 せっかくの、という言い方がしっくりくる。せっかくの出会いは、こうして
彼女自身が切り離してしまう。
 めぐは諦めている。だから、自分に都合の良い「物」しか受け入れない。
自分に対してもそうだ。自分を死なせてくれる存在が現れた。白馬の王子様のように、
現実から逃がしてくれる存在が現れた。
 それだけなのだ。めぐは対話など望んでいない。
「………」



598: ◆JtU6Ps3/ps :2008/07/18(金) 01:42:56.57 ID:+uP5qurX0

 自分たち薔薇乙女はどうだろう、と、水銀燈はふと思った。
自分たちを作ってくれたお父様は、アリスを求めている。7分の1でしかない
自分を、愛してくれているのだろうか。
 腕が飛び、ネジが止まり、胸を貫かれ、奪い合い、敗者は動かなくなる。
動かなくなった6体の人形はガラクタ置場に打ち捨てられ、残りの1体はお父様と
幸せに過ごせるのだろうか。

 変わらない。自分たちは愛されているわけではない。
お父様の都合の良いようにしか扱われない自分たちもまた、「物」でしかない。
 
 真紅がジュンに向けている感情は、一体何だろうか。放っておけない弟を
見るような、ただし、真紅自身も、ジュンに依存しているような関係。
 翠星石が、蒼星石に向ける感情も、相互依存に近かったような気がする。



600: ◆JtU6Ps3/ps :2008/07/18(金) 01:46:13.26 ID:+uP5qurX0

「………」
 長い時を生きてきた中で、7体それぞれ、経験してきた事は違う。
薔薇乙女としての宿命を捨て、互いを大事にしよう、というような。

 違う。そんな事、考えるような事ではない。
アリスゲームは進んでいる。残っているのは4体か、3体か。
「………」
 ふと、何か光る物体が飛んできているのに気がついた。
「あら?」
 目を凝らすと、それがピンク色なのが分かる。
「ベリーベル…?」
 それは水銀燈の目の前まで来ると、何度もチカチカと光り続けた。



605: ◆JtU6Ps3/ps :2008/07/18(金) 01:52:57.90 ID:+uP5qurX0

「………」
 病室を追い出されたジュンは、廊下を虚ろな表情で歩いていた。
ふらふらしながら、壁づたいに入口を目指している。


  『あの子は自分が見捨てられた存在であると分かってしまった』

  『鬱屈した、どろどろになってしまった、とても醜い自分をぶつける相手が欲しかったの』

  『救ってもらいたいなんて、思っていない』

  『だから誰にも相談しない。頼らないし、聞き入れない』

  『その内分かるわ。貴方はたまたま見つけた、相性のいいオモチャと変わらないってね』


 水銀燈の言葉が、何度も頭の中でフラッシュバックする。
めぐの、あの冷たい瞳を見た時、まるで凍りついた断崖を目の前にしているかのような
錯覚に陥った。
 昔アルバムか何かで見た、ヒマラヤの、雪と氷の断崖絶壁。
自分ではどうにも出来ない、向こうの見えない壁。



607: ◆JtU6Ps3/ps :2008/07/18(金) 01:57:08.41 ID:+uP5qurX0

「………」
 自分はちっぽけだ、とジュンは思った。めぐは単純に、感情の問題だけで
生きる事を諦めているのではない。
 数字的な根拠が出てしまえば、人はどうしたって現実を思い知る。

『裁縫やイラスト、ちょっと女性的な趣味を全校生徒の前で晒されたので、
学校に行きたくないです』というのとは、次元が違う、諦め。
「ふう…」
 ジュンは天井を仰ぎ、ため息をつく。。
「……桜田…君…?」
 ふと、自分を呼ぶ声がした。



608: ◆JtU6Ps3/ps :2008/07/18(金) 02:02:10.18 ID:+uP5qurX0

「え」
 ジュンは声の聞こえた方向を見る。
 栗毛のセミロングにセーラー服。
「桜田君…だよね」
 一瞬よく分からなかった。
「あ」
 次の瞬間、ジュンの全身に震えが走る。
「久し振りね、去年の10月以来かな」
 ぞわわ、と鳥肌が立つ。忌わしい記憶。
「分からない?同じクラスの桑田」
 分かる、桑田由奈だ。
 紛れもない。
 何故?
 どうして彼女がここにいる?
 病院に何をしに?
「ねえ……」
 その先、ジュンは何をしたか、憶えていない。



612: ◆JtU6Ps3/ps :2008/07/18(金) 02:05:33.84 ID:+uP5qurX0

 土石流のような吐き気に襲われ、必死で口を押さえ、とにかく走った。
 頭の中が真っ白だった。
桑田由奈の言葉も、廊下でびっくりしてよける患者も、驚いたように見ていた
入口の車椅子の老人も、ジュンの頭には入って来なかった。



613: ◆JtU6Ps3/ps :2008/07/18(金) 02:07:00.60 ID:+uP5qurX0

「そう、真紅と金糸雀が…」
 ベリーベルから、あらかたの事情を聴き終えた水銀燈は、頭の中を整理する。
金糸雀は1つ、真紅の中には、雛苺のローザミスティカ含め、2つ。
ローザミスティカは2つ、誰かに奪われた。
 つまり、3体目の退場は真紅、という事になる。
「…おバカさんねぇ…」
 ちくりと心が痛んだ。雪華綺晶を、現実世界に引きずり出せば、何とかなったかも
しれない。その情報を、自分は意図的に伏せたのだ。
「………」
 向こうから、誰かが走ってきている。
「あら…あれは」
 ジュンだった。様子がおかしい。
ふらふらと蛇行したかと思うと、彼は水銀燈のいる木から
3本ほど向こうのベンチの傍に倒れ込んだ。
「…?」
 水銀燈はゆっくりと近づいていく。



615: ◆JtU6Ps3/ps :2008/07/18(金) 02:13:50.36 ID:+uP5qurX0

「ぉ………」
 胃の中から溶けるような逆流が起き、ジュンは涙を流す。
 びちゃ、びちゃ、と何度も吐く。
「ごほっ、げほっ」
 顔を上げる事が出来ない。
 立ち上がる事も、何故か身体が拒否している。
「…うぅ…うぅ…」
 吐瀉物を前に、ジュンは突っ伏している事しか出来なかった。
ジィィ~という蝉の鳴き声が、ジュンの世界に響き続ける。
 自分をまるで嘲笑っているかのように。



616: ◆JtU6Ps3/ps :2008/07/18(金) 02:14:59.49 ID:+uP5qurX0

「どうしたのぉ?」
 甘ったるい声が、ジュンの耳に届いた。




 事情を断片的ながらも聞き出し、水銀燈はベンチに
体育座りをしていた。
 その傍らで横になったジュンは、つらそうな顔をして寝転んでいる。
「…」
 涙を流し終え、焦点の合わない虚ろな目。
今の水銀燈には、こうして横で体育座りをしている事しか出来なかった。
 雪華綺晶が来る。めぐを奪いに。
だが、今のジュンを放ってはおけない。



618: ◆JtU6Ps3/ps :2008/07/18(金) 02:17:26.73 ID:+uP5qurX0

「ごめんな…」
 30分ほど経っただろうか。ジュンが口を開いた。
 水銀燈が横を見ると、幾分呼吸の落ち着いたジュンが、視線だけを
こちらに向けていた。
「もう少し寝てなさい。どうせ時間は…」
 いや、そんなに残されていない。
「………いいよ、もう。一人で帰れる…」
 身体を起こし、震えながらもジュンは腰を上げる。
「…そう、じゃあ家まで頑張んなさいな」
 真紅の事を言おうかとも思ったが、やめておいた。
いずれ分かる事とはいえ、今のジュンにそれは酷い仕打ちだ、と考えたのだ。



620: ◆JtU6Ps3/ps :2008/07/18(金) 02:18:38.52 ID:+uP5qurX0

 遠ざかるジュンの姿を見て、水銀燈は胸の奥がちくちくと
痛いのを実感していた。
 これはアリスゲームだ。自分がとった行動は正しい。
マスターを守るため。そして、アリスになるための。
 
 白と灰色の混ざった入道雲が、空をだんだんと覆い始めている。
昼が近付いているはずなのに、足元が暗くなってきた気がする。
「………」
 自分の中のローザミスティカは3つ。
 今、雪華綺晶がどう動いているのか、分からない。
だが、めぐを守るためには、放ってはおけない。

 サアア、と風が吹き始めた。ゴゴゴ、という音は、入道雲の辺りから
聞こえる。白く純粋な、しかし確実に空を侵食していく大自然。
「…荒れそうねぇ」

 ぽつりと、水銀燈は呟いた。



675: ◆JtU6Ps3/ps :2008/07/18(金) 13:22:28.84 ID:+uP5qurX0

「違う…」
 ガチャリ、バタン、ガチャリ、バタン、と繰り返される音。
「いない……」
 もう数十枚は開閉しただろうか。
 雪華綺晶は、nのフィールドの扉を、片っぱしから開けていた。
金糸雀の落ちて行った方向をすぐに追ったものの、
nのフィールド内で探索を続けるのは限界があった。

 水銀燈の所に向かう前に、どうしても金糸雀を捕まえておく
必要があった。より確実な方法を採るために。
「………」
 だが、この調子では、何日もかかってしまう。それは避けたかった。
見通しが立たないのであれば、先にしておくべき事がある。
 もうそろそろ、だ。
「いない、見つからない……」
 ガチャリ、バタン、ガチャリ、バタン、と無機質な音が響き続けた。



677: ◆JtU6Ps3/ps :2008/07/18(金) 13:27:23.57 ID:+uP5qurX0

 ガララ、と窓を開ける水銀燈。
 部屋の中央、ベッドの上で、タオルケットが丸く盛り上がっている。
「めぐ…」
 声を掛けるも、反応がない。
「……」
 水銀燈は諦めて壁にもたれかかった。いつもの事だ。
めぐはヒステリーを起こした後、必ずこうして布団をかぶる。
 拗ねているのではない。
彼女の心は、この時後悔と自己嫌悪で埋め尽くされている。
幼稚な自分に、そこから動けない自分に対しての。

 そういう時、水銀燈はいつもこうして病室の中にいる。
一度声を掛け、反応があれば話を聞いてやる。
反応がなければ、ずっとそのまま傍にいる。
 いつの頃からか、水銀燈が決めた事だった。



680: ◆JtU6Ps3/ps :2008/07/18(金) 13:33:08.17 ID:+uP5qurX0

「……」
 ぎしっ、と音を立てて、ベッドの上の、丸まった物体が
動いた。
「水銀燈…?」
 めぐが泣き腫らした目で、こちらを見つめている。焦点が
合ってない。
「少し寝てなさい。みっともないわ」
「…そうね、私…」
 めぐは体育座りをし、マントのようにタオルケットを羽織る。
「私馬鹿だわ」
 憔悴しきった顔を、膝にこすりつける。



682: ◆JtU6Ps3/ps :2008/07/18(金) 13:39:00.46 ID:+uP5qurX0

「またやっちゃったんでしょう」
「……」
 水銀燈の問いに、答えない。
「…ローゼンメイデン…」
「え?」
 膝に顎を乗せ、両肘を抱えたまま、めぐはため息をつく。
「あの子は私と同じ…」
「同じ?」
 水銀燈が問い返す。
「私は現実から逃げている。受け入れたくない現実があるから」
「?何を言い出すの、めぐ」
「あの子もそう」
 それには答えず続けるめぐ。
「現実から逃げて、世界から外れた場所で生きている」
「……」
「私ね、水銀燈」
「何?」
「あの子と契約している真紅、という人形を見て思ったわ」
 膝を抱えるめぐ。



685: ◆JtU6Ps3/ps :2008/07/18(金) 13:43:47.68 ID:+uP5qurX0

「真紅はジュン君を大切に思っている」
「……」
「何とか前を向いてもらいたい。でも」
 スウウ、と病室が影に覆われる。窓の外を見ると、
灰色の雲が広がってきているのが分かる。
「本当はね、人はそんなに強くないのよ」
「……」
「たった一人で立ち上がれる人なんて、この世に殆どいないと思うの」
 遠くで、ゴロゴロ、という音が聞こえる。
「立ち上がれる人は、きっと、もう他人を信頼出来なくなってしまった人」
 膝を握る手に力を込める。
「真紅は、ジュン君が立ち上がろうとしたその時に、私の肩を使ってくれればいい、
それまでずっと、私はあの子の傍にいる、そう言ったわ」
「……」
 水銀燈は目を背けた。
「それが、人を助けるっていう事だと、私は思うのよ」



688: ◆JtU6Ps3/ps :2008/07/18(金) 13:50:06.32 ID:+uP5qurX0

「……」
「ほんのちょっと、肩を貸してあげるだけでいいのよ。それだけで、
人は頑張れる生き物だもの」
「…」
「ジュン君は、きっとそうして、誰かに救ってほしいって、思ってるんだわ」
「…どこが同じなの?死にたいって」
 からからと窓を開け、外を眺める水銀燈。
「貴女は全てを拒絶して」
 生ぬるい風が吹き込んできて、思わず水銀燈は身震いする。
「違うの、ごめんなさい」
 水銀燈の背中に声を掛けるめぐ。
「貴女には随分天邪鬼な事をしてしまった」
 水銀燈が振り返る。
「ごめんなさい、私、死にたくなんてない」
 めぐの肩が小さく震えている。
「独りで淋しく死んでいくなんて、本当はとても怖い」
「めぐ…」
「私だって誰かに手を取ってほしい、引っ張っていってほしい」
 顔を伏せるめぐ。
「誰かに……」
 嗚咽が漏れ始める。
「ごめんなさい……ジュン君……」
 ぽつ、ぽつ、と、雨音が聞こえ始めた。



692: ◆JtU6Ps3/ps :2008/07/18(金) 13:55:37.71 ID:+uP5qurX0

 ざあああ、と雨が降り続ける。
「……う……」
 うっすらと開く、二つの瞳。
 頬に、何かちくちくとこそばゆい感覚。
「ここは…」
 金糸雀は身体を起こし、きょろきょろと周囲を見回す。
「みっちゃんの…マンション…?」
 視線の先、ベッドに、自分のマスターのみつが眠っている。
「みっちゃん」
 ふらふらしながらも、近づいていく。
「みっちゃん」
 ベッドによじ登り、ゆさゆさと揺する金糸雀。
「……」
 返事はない。
 ただ、呼吸による身体の動きが、生きている事を示している。
「ごめんね、みっちゃん…」
 徐々に記憶が甦ってくる。



695: ◆JtU6Ps3/ps :2008/07/18(金) 14:02:53.10 ID:+uP5qurX0

 nのフィールド、白い水晶の中で、みつが眠っていた。
 驚いて駆け寄る金糸雀の全身をたちまちイバラが縛り、首を締め上げられ、
意識を失った。そこまでの記憶だった。
 チカチカ、と、黄色い光が目の前を飛んでいる。
「ピチカート」
 何度も頷く金糸雀の顔が、次第に凍りついていく。

「…真紅が」
 金糸雀は肩を落とした。
 真紅のローザミスティカがおそらく奪われた事、
ピチカートが、落下していく金糸雀を追い続け、その先にある扉から
この部屋まで連れてきた事。
 それが終わり、nのフィールドに繋がる、この部屋の鏡をピチカートが割って、
入口を遮断した事。
「ありがとうかしら、ピチカート…」



697: ◆JtU6Ps3/ps :2008/07/18(金) 14:07:15.36 ID:+uP5qurX0

 翠星石が事実上離脱し、マスターも3人囚われている現状。
真紅は、あとは水銀燈のマスターと、ジュンだけだと言った。
「……」
 雪華綺晶は、今何をしているのだろう。
 水銀燈の所に向かったのか、それとも、逃した自分を、
必死になって探しているのか。
 とにかく、自分だけではどうしようもなかった。
ジュンか水銀燈に、助けを求めに行かなくてはならない。
「行かなきゃ…」
 窓を開け、傘を広げる。
 自分にやれる事。みっちゃんを取り戻すために。
「待ってて…!」
 雨が降りしきる中、金糸雀は勢いよく飛び立った。



700: ◆JtU6Ps3/ps :2008/07/18(金) 14:12:18.15 ID:+uP5qurX0

「………」
 赤い光が水銀燈の傍を飛び回っている。
 事情を聴き終えた水銀燈は、じっと腕組みをしていた。
 ベッドの上では、先ほどの嗚咽が嘘のように、めぐが静かに
眠り続けている。
「…まずは、そうね…」
 nのフィールドに入り、金糸雀を探さなければならない。きっと、
雪華綺晶も彼女を探しているはずだ。
 後はここに来るだけとはいえ、厄介な攻撃をしてくる金糸雀を、
あの狡猾な妹が放っておくわけがない。
「……」
 それは逆に言うと、金糸雀を味方につけておけばある程度の
策を練る事が出来る、という事でもある。
「でも…」
 ちらっとめぐを見やる水銀燈。
 今、めぐを一人にしておくのは危険だ。
 とすると、金糸雀の捜索は諦めなければならない。
 ゴンゴン、と窓を叩く音。
 水銀燈は思わず振り向く。
「開けてほしいかしらー!」
 びしょ濡れの金糸雀が、何度も窓を叩いていた。



702: ◆JtU6Ps3/ps :2008/07/18(金) 14:14:20.28 ID:+uP5qurX0

「そういう事よ、金糸雀。雪華綺晶は必ずここに来る。だから、
今言った事を踏まえて攻撃してほしいの」
 窓を背にする金糸雀を、ベッドに座った水銀燈が見つめている。
「……でも、本当にそれ大丈夫なのかしら。現実世界も、
nのフィールドも、関係ないような気がするけど…」
「あの子は、器なしでは、nのフィールドから出られないと言ったわ」
「……」
「だったら、現実世界で器を攻撃すれば」
「でも…」
 金糸雀はうつむく。
「でもじゃないわよ、やんなきゃ貴女のマスターだって、帰ってこないのよ」
「あれは、ヒナの身体…」
「………」
 水銀燈はイライラを隠せない。



703: ◆JtU6Ps3/ps :2008/07/18(金) 14:17:06.31 ID:+uP5qurX0

「あのねえ、あんたの気持ちは分かるわよ。でも、雛苺は自分から、
真紅にローザミスティカを託したんでしょう。もう自分がこの世界に
いられないから」
「……」
「だったら――」
「あっ」
 金糸雀が声を上げた。
「え」
 瞬間、しゅるる、という音がして、自分の身体がイバラに縛られているのが分かる。
 めぐも同様に、いつの間にか身体をイバラに覆われている。
「しまっ………」
 伸びているのは鏡の中から。その瞬間、凄まじい力で水銀燈とめぐは
鏡の中に引きずり込まれた。

「水銀燈!」
 金糸雀はすぐさまその後を追い、続いて5体の人工精霊が鏡に飛び込んだ。



706: ◆JtU6Ps3/ps :2008/07/18(金) 14:21:43.27 ID:+uP5qurX0

「あっ、ぐっ…」
 苦しそうにもがく水銀燈。
「お姉様、取引しましょう」
「な、何が」
 鏡の向こうには、白い水晶が5つ。その中央、自分たちを縛っているイバラの先に、
雪華綺晶が座っていた。
「今、私の中には、彼女から奪ったローザミスティカが2つある」
 すっと、右端の水晶を指さす。
「し……」
 四肢をバラバラにされた真紅が、こちらを睨んでいる。
「雪華綺晶…あんた…」
 身動きが取れない。
「素直にマスターを渡していただけるのであれば、このローザミスティカは差し上げます。
ただ、それが難しいのでしたら、私は―――」
 キュイイイイイ、と音がして、次の瞬間、後ろから衝撃波が襲った。
「あっ」
「くっ」
 雪華綺晶が吹っ飛び、めぐと水銀燈を縛っていたイバラが千切れ飛ぶ。
「めぐっ」
 めぐは幸い吹っ飛ぶ事もなく、5体の人工精霊が彼女を守っていた。
「メイメイ…レンピカ…」
 軽く後方に吹き飛ばされた水銀燈が、体勢を立て直す。
目の前を黄色い影が横切り、ギイイイイイ、と今度は鈍い音がした。



708: ◆JtU6Ps3/ps :2008/07/18(金) 14:25:49.54 ID:+uP5qurX0

「ぶっ」
 真正面からまともに衝撃波を食らい、雪華綺晶は更に奥へと吹き飛んだ。
「みっちゃん、返してもらうかしら!!」
 バイオリンを持った金糸雀が、雪華綺晶の前へと立ちはだかる。
「……」
 雪華綺晶はくるくると回って姿勢を取り直し、金糸雀を凝視している。
「終わりのない追走曲!!」
 再び衝撃波。だが、雪華綺晶は落ち着いてそれを避ける。
「くっ」
 弾き続ける金糸雀。
「金糸雀、いい事教えてあげましょうか」
 ヒュン、ヒュン、とよけ続ける雪華綺晶。
 金色の目が、心なしか鋭くなったような気がする。



711: ◆JtU6Ps3/ps :2008/07/18(金) 14:30:32.81 ID:+uP5qurX0

「めぐ」
 金糸雀たちを横目で追いながら、めぐをゆさゆさと揺する水銀燈。
だが、一向に起きない。
「どうしたの…?めぐ…?」
 マスターが眠らされている以上、金糸雀とて、そう攻撃は続けられない。
 水銀燈の頬に、冷や汗が流れた。



713: ◆JtU6Ps3/ps :2008/07/18(金) 14:33:37.99 ID:+uP5qurX0

「どっ、どうして当たらないの」
 何度も衝撃波を飛ばす金糸雀。
「どうして翠星石を閉じ込めたか」
 徐々にこちらに近づいているような気がする。
「どうして、一人でいる貴女を、先に襲わなかったのか、いいえ」
 すれすれの所でよけ続ける雪華綺晶。
だが、それはまるで遊んでいるかのようだ。
「どうして貴女のローザミスティカを残したか」

「はぁっ、はぁっ」
「私は最後に、貴女が手に入れば良かった」
 嬉しそうに笑う。
「だって、貴女の能力があれば、誰にだって勝てるもの」
「み、みっちゃん…」
 イバラがヒュンッ、と飛んできた。



717: ◆JtU6Ps3/ps :2008/07/18(金) 14:39:11.36 ID:+uP5qurX0

「あっ」
 ガランガラン、と遠くに飛ばされるバイオリン。
「たとえ水銀燈と取引したって」
「う…」
「そう、今の貴女のように、使い方さえ間違えなければ」
 しゅるる、とイバラが伸び、金糸雀を拘束する。
「マスターを先に眠らせたのはこのため。どう?
もう力が湧いてこないでしょう」
 もがく金糸雀に、コツ、コツ、と近づいていく。
「!!」
 瞬間、雪華綺晶は飛び上がった。左足に、黒い羽根が数本刺さる。
「痛ッ…」
 次の瞬間、左半身に衝撃が跳ねた。



720: ◆JtU6Ps3/ps :2008/07/18(金) 14:42:12.18 ID:+uP5qurX0

「あっ」
 大きくのけぞり、雪華綺晶は吹っ飛んだ。
「……」
 金糸雀は驚いて、飛んでいったのと反対方向を見やる。
「金糸雀!何やってるの!早くしなさい!!」
 水銀燈が駆け寄ってきて、イバラをほどき始める。



722: ◆JtU6Ps3/ps :2008/07/18(金) 14:47:49.18 ID:+uP5qurX0

 ほどき終えた所で、吹っ飛んだ雪華綺晶を追う水銀燈。
「水銀燈!」
 後を追おうとするが、めぐから目を離すわけにはいかない。
「……」
 ギッ、と音がした。自らのネジが切れようとしているのが分かる。
「使えて…あと一回って、とこかしら…」
 バイオリンを握りしめる。
 その刹那、ドッと音がして、金糸雀の身体が揺れた。



724: ◆JtU6Ps3/ps :2008/07/18(金) 14:54:36.26 ID:+uP5qurX0

 水銀燈は、雪華綺晶を追って飛び続けていた。
 おかしい。
 吹っ飛んだ方向のどこにも雪華綺晶が見当たらない。
「何故…?」
 こんな事はあり得ない。どこかで体勢を立て直して、自分に向かってくるのが――
「自分に…?」
 水銀燈は後ろを振り返る。
 自分が雪華綺晶ならどうするだろう。本当に自分に、真っ向勝負を挑んでくるだろうか。
「いえ――」
 違う。雪華綺晶の狙いは―――
「!!」
 水銀燈は身を翻し、元来た方向に全速で向かった。



726: ◆JtU6Ps3/ps :2008/07/18(金) 14:57:01.04 ID:+uP5qurX0

 水銀燈が元の場所に着いた時には、イバラに貫かれ、倒れている金糸雀を横目に、
雪華綺晶がめぐを愛おしそうに撫で続けていた。
「なっ……」
 黒い羽根の突き刺さった左腕をだらんと垂らし、雪華綺晶がこちらを見やる。
「約束の刻ですわ、黒薔薇のお姉様」
「めぐ!!起きて!!そんな奴に惑わされないで!!」
「無駄ですわ。彼女は」
「無駄…?貴女めぐに何をしたの」
 じり、と一歩近づく水銀燈。
「それ以上近づけば、首を引き千切りますわ」
 首に回しているイバラを指さす。



728: ◆JtU6Ps3/ps :2008/07/18(金) 14:58:30.76 ID:+uP5qurX0

「くっ……」
「彼女の方から、この世界に迷い込んできたのです、お姉様」
「はっ?」
「酷く悲しそうで、迷子になって、自分の名前すら思い出せない」
「…な、何ですって…」
「だから彼女は、自分から眠る事を選んだ。力を使う必要はなかった」
 めぐの寝顔を見つめる雪華綺晶。
 ふと、水銀燈は視界の隅で動くものに気づく。
「夢の世界を選んだ人間を、現実世界に―――」
 雪華綺晶の言葉がそこで途切れ、身体が白い水晶に打ちつけられる。
衝撃で、だらんと垂れていた左腕が引き千切れた。
「金糸雀!」
 倒れた姿勢で、なおバイオリンを構えた金糸雀が、こちらに笑顔を向けた。
「逃げて!!早く…!!逃げ…!」
 めぐに駆け寄る水銀燈。
「逃がしませんわ」
 残った右手から、雪華綺晶がイバラを放つ。
めぐを捕え、そのイバラは水銀燈の胸を狙う。
「……っ!!」 
 尻もちをつき、水銀燈は思わず目を閉じた。



730: ◆JtU6Ps3/ps :2008/07/18(金) 15:00:43.32 ID:+uP5qurX0

「…?」
 何ともない。
「ちっ…」
 5体の人工精霊が、水銀燈のイバラを防いでいる。
「あ…あんたたち……」
「水銀燈!!」金糸雀が水銀燈の腕を引っ張り、蹴飛ばした。
「きゃあっ」
 バランスを崩し、nのフィールドを落下してゆく水銀燈。
「ああああああぁぁあああぁぁ……」
 遠ざかってゆく、白い水晶。
「めぐぅ!!めぐっ……!!」
 何度も叫び続けるが、次第に周りが霧に包まれてゆく。
ドンッ、という音と共に、全身に衝撃が走り、水銀燈は気を失った。



744: ◆JtU6Ps3/ps :2008/07/18(金) 16:54:09.46 ID:+uP5qurX0

「………」
 ぐいっと金糸雀の頭をつかむ雪華綺晶。
 喉を貫いているイバラ。目を見開いて停止している金糸雀の身体が
光り始め、ローザミスティカが現れた。
「く……」
 それを手に入れ、負傷を確認する。
 左腕は、もう使い物になりそうもない。左の脇腹と、足に刺さった羽根を抜く。
球体関節を集中的にやられたせいで、左足も動かない。
 だが、手にした物もある。
 命令の遂行を終え、ホーリエ、ベリーベル、ピチカートは自分のものになった。
そして、4人目のマスター、柿崎めぐ。
これで、残る水銀燈も、限りある力をやすやすとは使えまい。
 ギシ、と身体に痛みが走る。
「しばらく動けそうにはないですわね…」
 焦る事はない。残るは桜田ジュン、そして水銀燈のみである。
無理に今日、こちらが動く必要はない。
 雪華綺晶は安心したように笑い、横になって目を閉じた。



747: ◆JtU6Ps3/ps :2008/07/18(金) 16:58:24.10 ID:+uP5qurX0

「う………」


 ゆっくりと開く瞼。

 水銀燈は、ぼんやりと思考を取り戻していく。

 映るのは、暗闇の中、かすかに見える天井。

「…?」
 病院ではない。何か、埃っぽい。
 鈍い痛みを感じながら、半身を起こす。
「ここは…」
 目の前に、大きな鏡がある。だが、自分の姿がよく見えない。
きょろきょろと見渡しても、何が何やら分からなかった。
「…めぐ…金糸雀…?」
 何の反応もない。代わりに、ぷんとカビ臭いニオイが鼻をついた。
「めぐ?めぐ??」
 慌て始める水銀燈。
「ど、どこなの。返事して!めぐ!!」
 鏡が揺らめき、蒼と紫の発光体が、それぞれ飛び出してきた。



749: ◆JtU6Ps3/ps :2008/07/18(金) 17:01:54.54 ID:+uP5qurX0

「メイメイ!レンピカ…!」
 その光で、何やら物置らしき場所だと分かる。
メイメイがチカチカと光り続ける。
「……何ですって」
 水銀燈は信じられないといった風に、いやいやと首を振った。

「…どうして」
 金糸雀のローザミスティカは奪われ、めぐも眠りにつかされた。
ホーリエたちは雪華綺晶につき従い、あとに残されたのは自分だけ。
「…私のせいだというの?」
 結果的に、自分が雪華綺晶の誘いに乗り、真紅を見殺しにした事で、
このザマである。
 自分がアリスになるため。そして、めぐを守るため。
そのための行動だったはずだ。



751: ◆JtU6Ps3/ps :2008/07/18(金) 17:08:20.66 ID:+uP5qurX0

 真紅も、翠星石も、蒼星石も、金糸雀も、雛苺も、めぐも、
全て奪われた。
「…………」
 後悔と、絶望。
「…私」
 何よりも、自責。
「……私は」
 放心状態で座り込んでいる水銀燈。
 チカ、チカ、と瞬く人工精霊たち。
「…何?」
 狭い部屋の奥に、扉がついている。
「………」
 水銀燈はゆっくりと立ち上がり、扉を開けた。



753: ◆JtU6Ps3/ps :2008/07/18(金) 17:13:37.06 ID:+uP5qurX0

 薄暗い廊下。左手に幅の狭い扉があり、正面にまた扉。右手からうっすら光が
差し込んでいて、ざあざあという音が聞こえる。
 家だ、と分かった。どこかで見た事のある。
「…真紅たちの家?」
 右に曲がると、階段があった。

 トン、トン、トン、と、上がっていくと、扉が4つついている。
先行して、メイメイが飛んでいく。
「あ、ちょっと…」
 メイメイが止まった扉の前。
「……?」
 中から、何か呻くような声が聞こえた。
「何?」
「………ぅ…」
 この声は。
「……桜田…ジュン…?」
 慎重にドアノブを回し、水銀燈はカチャリと開けた。



755: ◆JtU6Ps3/ps :2008/07/18(金) 17:22:42.02 ID:+uP5qurX0

 暗闇の中で、ベッドの上の毛布が盛り上がっている。
「う……うぅ……」
「…」
 水銀燈はゆっくり近づき、顔を覗こうとする。
だが、頭まですっぽりかぶってしまっているらしく、
表情は確認出来なかった。
「ジュン…」
「………」
「どうしたの」
 声を掛けると、ジュンが毛布をめくる。
「……」
「どうしたの?」
「…水…銀…燈?」
 目が赤い。
「泣いているの?」
「……何で、ここに…?」
「え」
 水銀燈は視線を伏せる。



759: ◆JtU6Ps3/ps :2008/07/18(金) 17:28:59.67 ID:+uP5qurX0

「ああ、何でもない…ごめんな…今日は…」
 再び布団をかぶる。
「僕のせいで、めぐさん傷つけちゃってさ」
「……」
「真紅たちも、どっか行っちゃったみたいだし…」
「………」
「やっぱり、僕は外に出ちゃいけなかったんだよ」
「…そんな事」
「クラスメイトに会っただけで、また吐いて」
「…違うわ」
「いいんだ、帰ってくれ、今日はもう誰とも話したくない」
「待って、違うのよジュン」
 毛布をゆさゆさと揺らす水銀燈。



761: ◆JtU6Ps3/ps :2008/07/18(金) 17:35:03.47 ID:+uP5qurX0

「私が全部悪いのよ!!真紅の事も!何もかも!!」
 必死になって叫ぶ水銀燈。
「…真紅の事?」
「私、雪華綺晶と会ったわ」
「え」
「7番目のドール。そして、雛苺の身体を奪った張本人」
「…どういう」
「それは全部説明する。時間がないの」
 ジュンが、ようやく半身を起こした。



766: ◆JtU6Ps3/ps :2008/07/18(金) 17:40:17.06 ID:+uP5qurX0

「…………」
 呆然とした表情で、ジュンが固まっている。
「…う…嘘…だろ?」
「嘘じゃないわ。これはさっきまであった本当の事よ」
 うつむいたまま、水銀燈は顔を上げようとしない。
「真紅が…バラバラにされて…」
「そうよ」
「翠星石が囚われて…」
「…そうよ」
「金糸雀も、めぐさんも、捕まって…」
「…もう、ドールもマスターたちも、私と貴方しか残っていないの」
「……」
「それは全部私のせい」
「…でも」
「お願い、私は…」
「…無理だよ、僕は頑張れない」
「え」
 再び毛布をかぶってしまう。



768: ◆JtU6Ps3/ps :2008/07/18(金) 17:42:23.99 ID:+uP5qurX0

「僕は弱いんだ。真紅たちが助けてくれたって、結局こうだ。
今更、そんな得体の知れない人形相手に、僕が何を出来るっていうんだよ」
「そんな事ないわ」
 ベッドによじ登り、揺する水銀燈。
「やめろよ、やめてくれ」
「やめないわ。そんな事言わせない」
「嫌だ、やめろったら!」
 毛布越しに、思い切り右腕を振り回すジュン。
「きゃっ」
 水銀燈は勢いで床に転げ落ち、後頭部を打った。
「はっ…」
 ジュンは身体を起こし、水銀燈を見やる。
「うぅ…」
「ご、ごめん…でも…」
「……ジュン」
 震えながら起き上がる。
「……あの後ね、めぐは言ってたわよ」



769: ◆JtU6Ps3/ps :2008/07/18(金) 17:44:09.43 ID:+uP5qurX0

「…?」
「あの子は、私と同じだって…」
 再びベッドに登り、ジュンの傍へ寄る。
「水銀燈…やめてくれ」
「受け入れたくない現実があるから、逃げている。
世界から外れた場所で生きている」
 目を背けるジュン。
「人はそんなに強くない」
「……っ」
「真紅が言ってたそうよ。雪華綺晶に壊される前、
病室で」
「『ジュンの苦しみなんて、ジュンにしか分からない。
あの子が乗り越えていくしかないの』」
「いいよそんな言葉は。僕には無理だって言ってんだろ」
「『私はジュンの傍にいる』」
「……」
「『あの子が逃げ出したら追っかけていく。一人にならないように。
死にたがっていたら、落ち着くまで手を握っていてあげる』」
「……」



772: ◆JtU6Ps3/ps :2008/07/18(金) 17:46:59.96 ID:+uP5qurX0

 水銀燈はジュンの肩をつかむ。
「わ…」
 振り向かせたジュンの両手を握りしめる水銀燈。
「『いつかあの子が立ち上がろうとした時に、私の肩を使って、支えにして、
立ち上がってくれれば、それでいい』」
「………」
「もう一度言うわ、人はそんなに強くない」
「……」
「貴方は、きっと、誰かに救ってほしいって、思ってるんだわ」
「………」
「私だって、誰かに手を取ってほしい、引っ張っていってほしい」
「……」
「ごめんなさい」
「………」
 水銀燈はジュンの顔を見上げる。
「それがめぐの言葉」



776: ◆JtU6Ps3/ps :2008/07/18(金) 17:53:00.03 ID:+uP5qurX0

「………」
「ね、お願い、あの子は貴方を必要としているの」
「やめてくれよ、そんなの…」
 水銀燈の手を振りほどく。
「助けて、お願い」
 なおも水銀燈はジュンの肩をつかんでいる。
「助けて。お願いだから助けてよ」
 涙声になっている。
「私がいけないの。私が」
 鼻をすする。
「真紅もめぐも、奪われてしまった」
「……」
 シャツをぎゅうっとつかみ、必死にこちらを向かせようとする。
「助けて。ジュン助けて」
 ぐいっと肩口を引っ張る。
「わ」
 バランスを崩し、仰向けに倒れ込むジュン。



778: ◆JtU6Ps3/ps :2008/07/18(金) 17:59:26.30 ID:+uP5qurX0

「お願い、私に…」
 ジュンの胸の上に登り、かたかた震えながら泣き続ける水銀燈。
「私に…私に出来る事なら何でもするから…」
「……」
「うぅ…ううう……っ」
「…」
「だから助けて、助けて…」
 大粒の涙が落ちる。
「………」
「…どうして答えてくれないの」
「……」
 ジュンは目を逸らしてしまう。
「どうして何も言ってくれないの、ジュン」
「………」
「どうして……」
 水銀燈は顔を伏せ、声を上げて泣き続けた。



780: ◆JtU6Ps3/ps :2008/07/18(金) 18:03:18.42 ID:+uP5qurX0

 部屋の隅。
「………」
 すっかり暗くなり、雨も止んでいるようだ。
 水銀燈が膝を抱え、赤い目をこすろうともせず、床に視線を向けている。
「………」
 ジュンはベッドに横になり、壁を見つめていた。
「…帰るわぁ」
 おもむろに立ち上がり、部屋を出ていく水銀燈。
「………」
 バタンという音と共に、部屋が真っ暗になった。
 ジュンは目を閉じる。



782: ◆JtU6Ps3/ps :2008/07/18(金) 18:07:03.70 ID:+uP5qurX0

――――私ね、淋しくなったり、つらい事があった時は、こうしてると安心するの


――――つらい事があった時、ジュンの膝に乗って、こうして全身を預けていると安心する


――――たぶんね、貴方が優しい人間だって知ってるから



784: ◆JtU6Ps3/ps :2008/07/18(金) 18:10:49.40 ID:+uP5qurX0

――――貴方と散歩がしたい


――――駄目かしら。こうして手を繋いで


――――朝の涼しい…そうね、今みたいな時間帯に
 

――――貴方が私と一緒に中庭を歩いてくれている


――――歩き疲れたら、中庭のベンチに座って、私は疲れて眠っちゃうの


――――その時は、肩くらいは貸して頂戴ね




――――ね、ジュン君?



788: ◆JtU6Ps3/ps :2008/07/18(金) 18:19:16.74 ID:+uP5qurX0

 物置の鏡の前。
レンピカとメイメイが飛び交う中心に、水銀燈が立っている。
「……めぐ、待ってなさい」
 胸に決意を秘め、進み始める。
「待てよ」
 突然後ろから声がした。
「僕も行く」
 水銀燈が振り返る。赤い目をこすりながら、ジュンがその眼を
見据えていた。



789: ◆JtU6Ps3/ps :2008/07/18(金) 18:21:24.30 ID:+uP5qurX0

 
「ジュン……!」
「ごめんな、水銀燈」
 たたた、と駆けよる水銀燈。しゃがみ込むジュン。
「わぷ」
 水銀燈は、ジュンの首に手を回した。
肩口に顔をこすりつけ、ぎゅっと両手に力をこめる。
「ぷ…ど、どうしたんだ」
「しばらくこうさせて頂戴」
「え……」
「そしたら、私戦えるから」
 そう言って、目を閉じる水銀燈。
「……」
 ジュンは何も云わず、彼女の行為に身を任せた。



792: ◆JtU6Ps3/ps :2008/07/18(金) 18:26:23.94 ID:+uP5qurX0

 数分ほどそうしていただろうか。
「……」
 水銀燈はジュンから身体を離し、しばらくジュンの眼を見つめる。
「…な、何?」
「………」
 ふう、と息を吐き、その場に座り込む。
「今から作戦を説明するから、頭に叩き込んでもらえるかしら」
「え」
「気を抜いたら駄目よ。いいわね」
 鋭い瞳に、ジュンは言葉を発せられなかった。



849: ◆JtU6Ps3/ps :2008/07/18(金) 22:29:10.40 ID:+uP5qurX0

「本当に上手くいくのかな」
 水銀燈に手を引かれ、nのフィールドを飛び続けるジュン。
「あら、信用出来ないの。なら、代案くらいは用意出来てるんでしょうね」
 じろりと睨む水銀燈。
「い、いや、言ってみただけだよ」
「そう」
 先を行くレンピカ、メイメイが、チカ、チカと輝いた。
「近いわ」



853: ◆JtU6Ps3/ps :2008/07/18(金) 22:33:43.65 ID:+uP5qurX0

 
 6つの白く巨大な水晶を背後に、雪華綺晶がうずくまっている。
「……」
 人工精霊3体がかりでも、左足を直すのに手間取っていた。
「…これでは」
 少し焦りが滲む。殆ど回復していない身体。今、水銀燈たちが襲ってきたとしたら。
「……」
 後ろで停止している翠星石のローザミスティカを奪おうかとも考えたが、
水晶を消すにも力を使う。
 何より、壊れた部分を直すのに必死で、他の事をしている余裕はない。
ローザミスティカは3対3。金糸雀の力があれば、五分以上に戦える。
「いざとなれば……」
 背後で眠るめぐに視線を送り、ニィ、と笑う。
その直後、雪華綺晶は、何かが空気をつんざく音を聞いた。



858: ◆JtU6Ps3/ps :2008/07/18(金) 22:38:29.99 ID:+uP5qurX0

 瞬間、ダラララッと音がして、雪華綺晶の身体が回転する。
「あっ」
 5メートルほど吹っ飛び、雪華綺晶には何が何だか分からなかった。
見ると、自分の左半身に、黒い羽根が無数に突き刺さっている。
「くっ」
 水銀燈だ。
 雪華綺晶は体勢を整え、飛ぼうとする。
「きゃあっ」
 がくっと身体が左に傾き、視界の隅に、千切れた足が見えた。
「な……」
 白いブーツを履いた足。見れば自分の左足がない。
吹っ飛ばされたのだ、と理解するまでに、数秒かかった。
「こっちだ雪華綺晶!!」
 視線の先に、桜田ジュンが映る。6つの水晶の中央付近で、こちらを向いて
大声で叫んでいる。



862: ◆JtU6Ps3/ps :2008/07/18(金) 22:43:12.59 ID:+uP5qurX0

 瞬時にバイオリンを構え、そちらに飛びかかってゆく。
ヒュッと蒼い光が視界を遮り、ひと際キィン、ときらめいた。
「ああっ!!!」
 目が眩み、思わずバイオリンを持った手で目を押さえる。
「……!!」
 姑息。
 いや、重要なのはそこではない。
「こっちだ!!」
 声がする。雪華綺晶はそちらに向けて、弦を思い切り弾いた。
 発せられた衝撃波が、ズンッ、と、何かに当たる感触。
ようやくチカチカしながらも、目を開く。
「!!!」
 その先にあったのはジュンではなく、自分が作り上げた白い水晶。
根元がピキピキ、と割れ、ついには雪華綺晶の方へと倒れ込んできた。



864: ◆JtU6Ps3/ps :2008/07/18(金) 22:46:21.86 ID:+uP5qurX0

「ちっ」
 まだチカチカする目を我慢しながら、雪華綺晶は背後に飛び上がる。
「かかったわね!!」
「!?」
 声のする方向に一瞬水銀燈が見え、更に空気を裂くような音。
「ひっ」
 反射的に右手で顔を庇い、カカカッと右手、上半身、右足に羽根が刺さる。
「痛ッ……」
 ドカッと腹に大きな衝撃が走る。蹴られたのだ、と感じるも、
吹っ飛んでいく自分を止める手立てが、ない。
 何とかしなければ。何とか。
「あぐっ」
 ドゥンッ、と音がして、雪華綺晶は壁に叩きつけられた。



867: ◆JtU6Ps3/ps :2008/07/18(金) 22:51:36.91 ID:+uP5qurX0

「ぐ……」
 身体中に激痛が走る。立ち上がれない。
いや、そもそも左腕と左足がないのだ。
 目を開くと、真っ白なベッド、純白のカーテンに、薄暗い天井が見えた。
「……病室?」
 ほどなくして、目の前の手洗いの鏡から、水銀燈とジュンが出てきた。

 動けない雪華綺晶を確認し、水銀燈は鏡を羽根で割った。
「さあ」
 床で苦痛に顔を歪める雪華綺晶を、水銀燈は冷たく見下ろしている。
「終わりの始まりよぉ、7番目」



872: ◆JtU6Ps3/ps :2008/07/18(金) 22:57:26.48 ID:+uP5qurX0

 右腕。

 右足。
 
 左肩。

 腰の左側。

 馬乗りの体勢で、水銀燈は雪華綺晶を押さえ込んだ。
「………」
 雪華綺晶の瞳は、観念した様子で水銀燈、ジュンと
視線を移した。
「……雪華綺晶」
 どこか淋しそうに見えたその瞳。ジュンは思わず声を漏らす。
「…ここは?」
 ぼそりと呟く。
「現実世界よ。有栖川病院の316号室、貴女が何度も盗み見てた、ね」
 水銀燈は吐き捨てるように言った。



877: ◆JtU6Ps3/ps :2008/07/18(金) 23:08:20.90 ID:+uP5qurX0

「…私を」
 更に続ける。
「…ここで消滅させるのですか」
「そうよ?何か問題でも?」
 その冷徹な瞳は、窓からの逆光で暗く沈んでいる。
「……そうですか」
「メイメイは優秀でね、貴女の吹っ飛んだ方向にこの扉を
設けさせたのよ。凄いでしょう?どう?」
 ハッ、と水銀燈は嘲笑った。
「その前に、一つ…うっ」
 水銀燈の右手が、雪華綺晶の喉をつかんだ。
「何をほざく気かしら。今更この口が」
「……ぐ」
「お、おい水銀燈」
「すっこんでなさいジュン」
「……」
「この子は自分のために、雛苺の身体を奪った。
翠星石の優しさを利用した。動かなくなった蒼星石を操った。
真紅の身体をバラバラにした。金糸雀の喉を貫いた」
 右手に力を込める。
「私は許さない」



883: ◆JtU6Ps3/ps :2008/07/18(金) 23:13:38.01 ID:+uP5qurX0

「……」
 雪華綺晶の右手が、何かを求めるように動いた。
「…たし…は…」
「……は?」
「そうです…私は…自分がアリスになるためだけに……」
 反射的に右手を緩める。
「利用出来るものは利用した…踏み台にした……でも」
「…何よ、言って御覧なさい」
「…それの…何が悪いのですか…?黒薔薇のお姉様…?」
 水銀燈の目がピクッと動く。
「私には…正直理解出来ない…のです…」
「何が」
「私は器を与えられなかった…でも、お父様に会いたかった…だから…」
「……」
「そのために自分に出来る事をした…」
「………」
「今ここで、私を消滅させるのなら、私はそれで構いません…。
手足の無い人形など、お父様は望んでいないでしょうから…」
 水銀燈の力が緩み、雪華綺晶は幾分落ち着いた表情で喋り続ける。
「でも……」
 抵抗する様子はない。



890: ◆JtU6Ps3/ps :2008/07/18(金) 23:24:39.26 ID:+uP5qurX0

「お姉様…貴女のマスターは」
「…」
「彼女は今、夢を見ている」
「…夢、ですって…」
「夢の中で、自分の父親、貴女、そして、そこにいる、桜田ジュンと、
幸せな時を過ごしている」
 名前を呼ばれ、ジュンはハッとする。
「私が見せているのです」
「……」
「彼女は現実に絶望して、自らこの世界を放棄した」
「違う、めぐはそんな事する子じゃないわ」
「違わない…」
 バキッと雪華綺晶を殴る水銀燈。
「ふざけないで!!どんなに自暴自棄になったって、あの子は…!」
「…眠らせたマスターの力、奪ったローザミスティカの力」
「やめなさい、雪華綺晶」
「私が力を送っている限り、彼女は幸せを感じながら、このまま
生き長らえる事が出来る」
「……」


『こうしてお金に直すとね、分かるのよ。自分の価値が。
そして、生きようとする事がどれだけ難しいか』


 ジュンはようやく気付いた。



893: ◆JtU6Ps3/ps :2008/07/18(金) 23:30:03.97 ID:+uP5qurX0

 自分や水銀燈が思っているよりも、ずっとめぐは頑張っていたのだ。
生きようとしていたのだ、と。

『心臓が弱いのなら、移植の手立てはないのか』

 そうして調べたのが、あの言葉。

『たとえ心臓が弱くても、日常生活に気をつけていれば―――』

 それを研究して、出てきたのが、あの何気ない言葉。


 今更ながらに、めぐの一言一言が、ジュンに重く突き刺さってくる。



897: ◆JtU6Ps3/ps :2008/07/18(金) 23:38:49.61 ID:+uP5qurX0

「…桜田ジュン」
 ジュンが顔をあげる。
「どうするのかしら、貴方は」
「…何」
「娘の顔すらまともに見ようとしない、父親」
「………」
「一歩間違えば侮蔑、でも言葉上は憐憫の眼差しを向けている、第1ドール」
「な……」
「過去に縛られ、現実から逃げ出してしまった、貴方」
 雪華綺晶は無機質な目で、ジュンを見つめた。
「あの子は幸せな夢を見続けている。届いてほしかったものに手がようやく、
ようやく届いた」
「……」



899: ◆JtU6Ps3/ps :2008/07/18(金) 23:39:27.27 ID:+uP5qurX0

 水銀燈の肩が震えている。
「誰もいない、この世界に呼び戻すつもり?何のため?」
「…僕は」
「下らない正義感?それとも、幼稚で一時的な感情のために?」
「…黙りなさい、雪華綺晶」
 レンピカを呼び、黄金色の鋏を召喚する。
「桜田ジュン」
 水銀燈が鋏をピタリと喉に当てる。
「貴方はどうせまた逃げる。そうすれば、あの子は一人、淋しく死んでいくだけ」
 ぐっと押し当てられる切っ先。
 水銀燈は深呼吸をした。
「冷たい肉の塊になってしまった頃に、ようやく巡回の看護士が発見するのよ」
 水銀燈は力を込め、その切っ先を思い切り喉に押し込んだ。





ローゼンメイデンの話「316号室のめぐ」エピローグ

1: ◆JtU6Ps3/ps :2008/07/19(土) 00:00:34.80 ID:GsULn9tf0

『こんにちは。この間はごめんなさい。水銀燈から話は聞きました。
貴方が私を救いに来てくれたのだと、彼女は言っていました。
 他にも、色々あったのだと。だから、水銀燈は、手紙を書いてあげてと
私に助言をしてくれました。何かしら、私の知らない所で何があったのかしら。
隠し事は良くないわ。キチンとお姉さんに教えなさい。
 でも、疲れたのならしっかり休んでね。16歳の私でさえ、佐原さんたちと
話すのが嫌でしょうがなかったんですもの。
 貴方はまだ14歳ですものね。
いいのよ、ゆっくり休んで、水でも飲んだらいいわ。

 でも、一つだけお願いしちゃっていいかしら。
近いうち、またこの病院のこの部屋に来てほしいの。
貴方はまたしんどい思いをしてしまうかもしれない。

 でもね、今度は違うわ。
疲れたら、私のベッドに座っていいのよ。寝転がってもいい。
でもね、変な気起こしちゃダメよ。私の心臓は繊細なのよ。
ちゃんと優しく扱ってね。



4: ◆JtU6Ps3/ps :2008/07/19(土) 00:02:02.99 ID:GsULn9tf0

 嘘よ。
 嘘ばっかりよこんなの。
 私にそんな器量、あるわけないじゃない。調子こいてたわ、
ごめんなさい。
 私は知っての通り、身体が弱くて、心も狭くて、ただの淋しがりよ。
だから本当は…寄り添ってほしい。私に。
 私は貴方と一緒にいたい。

 別に変な意味ではありません。
 ジュン君にならおっぱい揉まれてもいいです、とか、そういう
変態チックな事を伝えたいのではありません。
 思春期の貴方には自制してもらって、私は好き勝手させてもらうわ。
じゃあね、また、ちゃんと来てね。
 
                    有栖川病院 316号室 柿崎めぐ  』



14: ◆JtU6Ps3/ps :2008/07/19(土) 00:11:59.00 ID:GsULn9tf0

10日後。



 自室のベッドに座り、ジュンが手紙を読んでいる。
「何してるです?」
 パソコンを弄りながら翠星石が尋ねる。
「ん」
 ペラッと2枚目をめくるジュン。
「手紙」
「誰からです?」
「お前の知らない人」
 その言葉に頬を膨らませた翠星石は、椅子を降り、ベッドに
よじ登ってジュンから手紙を奪おうとする。
「おい、何すんだよ、見づらいだろ」
「いぃーから見せろです。翠星石も読みたいですぅ」
 ぐぎぎ、と紙を引っ張る。
「わかった、一緒に読もう、それでいいだろ」
 やれやれ、とジュンはため息をついた。



18: ◆JtU6Ps3/ps :2008/07/19(土) 00:20:08.22 ID:GsULn9tf0

 
 あの時、喉を貫いた所で、雪華綺晶は消滅した。
そこから出てきたローザミスティカは、本来水銀燈の物に
なるはずであったが、水銀燈はそれを拒否した。

 理由は未だに分からない。あれほどアリスゲームにこだわっていた
水銀燈に、何が起きたというのだろうか。

 話の見えないジュンをしり目に、水銀燈は3つのローザミスティカを持って、
nのフィールドに向かい、金糸雀、真紅のそれぞれに、
ローザミスティカを戻してしまった。

 四肢をバラバラにされた真紅、喉に風穴が開いていた金糸雀が
それで目覚めるはずもなく、二人はジュンの部屋の鞄の中で眠っている。

 唯一ローザミスティカを奪われずに残っていた翠星石を、次に起こし、
その翠星石の力を借りて、マスターたちを起こしていった。

 ジュンはその時の事を思い出す。



24: ◆JtU6Ps3/ps :2008/07/19(土) 00:33:34.28 ID:GsULn9tf0

「………ここは…?」
 めぐがうっすらを目を開ける。
「めぐ」
 水銀燈は上から覗き込み、不安そうな表情になる。
「……水銀燈?私…」
「喋らないで」
 顔が横を向き、ジュンと目が合った。
「あら……」
「め、めぐさん」
「私…ベッドに寝てたんじゃ……」
「え」
 半身を起こすめぐ。
「パパは?今日家に連れて帰ってくれるって言ってたのに」
 きょろきょろと見回す。
「……パ……」
 驚きが、徐々に諦めに変わっていく。
「そっか……」
 その沈んだ瞳を、ジュンは忘れられない。時おり見せた、
あの笑っていない眼差し。
「………」

『誰もいない、この世界に呼び戻すつもり?何のため?』

 フラッシュバックする、雪華綺晶の言葉。



26: ◆JtU6Ps3/ps :2008/07/19(土) 00:38:56.37 ID:GsULn9tf0

 翌日。

 ジュンは病院の入り口に立っていた。
「………」
 だが、正直どの面下げて会いに行けばいいのか、分からない。
 ドクン、と、桑田由奈の顔が思い出される。
「う…」
 視界がぐらつく。

 違う、自分はめぐに会いに来たのだ。

 ぶんぶんと首を振り、そう言い聞かせて、ジュンは中に入っていった。



29: ◆JtU6Ps3/ps :2008/07/19(土) 00:45:38.15 ID:GsULn9tf0

「あら」
 ちょうど病室の中には、看護士の佐原が食事を運んできていた。
「あ、いらっしゃいジュン君」
 ベッドの上から、めぐが手を振る。
「それじゃね、めぐちゃん」
 にこっと手を振り、佐原が廊下へ消える。

「水銀燈は?」
「ここよ」
 真下を指さす。
「へ?」
「出てらっしゃい、水銀燈」
 言葉の後、ずりずりと水銀燈が、ベッドの下から
這い出てきた。
「…どうして私がこんな事……」
 口を尖らせている水銀燈。めぐは気にせず煮つけを頬張っている。

「ふうーっ」
 食事を終え、めぐは食器を片づけに廊下に出ていく。



33: ◆JtU6Ps3/ps :2008/07/19(土) 00:53:21.74 ID:GsULn9tf0

「…なあ」
 二人きりになった所で、ジュンが口を開く。
「…一つ訊きたかったんだけど、いいか?」
 壁際の水銀燈が、視線をジュンに向けてくる。
「ええ、どうぞ」
「どうして、真紅たちのローザミスティカを奪わなかったんだ?」
「………」
 水銀燈は少し、何か考えているように見えた。
「…どうした?」
「答えた方が、いいかしらぁ?」
「ああ、いや、何となく訊いてみたかっただけなんだ。答えたくないなら、
それでいいよ、僕は」
「………」
 ジュンは諦め、椅子に座り直す。
「私、気づいちゃったのよ」
 不意に水銀燈が口を開いた。
「え?」
 ガチャリ、とドアが開き、めぐが戻ってくる。
「ねぇねぇ、牛乳1パック余ってたから、もらって来ちゃった」
「えぇ?」
「ジュン君飲む?」
「いや、僕は」
「あらそう」



37: ◆JtU6Ps3/ps :2008/07/19(土) 00:58:15.98 ID:GsULn9tf0

「じゃあ、水銀燈あげるわ。貴方いつもカリカリしてるから、こういう乳製品、
摂った方がいいんじゃないかしら」
「お黙りなさいめぐ。どの口がそんな事言ってるのかしら」
 ふん、と窓の方に目を向ける。
「あら、怖い」
「………」
 いつもこんなやり取りをしてるのだろうか。
「あ、ねえ、ジュン君、時間あるかしら?」
 布団を畳みながら、めぐが問いかけてくる。
「え、ん、んん」
「そう、じゃあ」
 ベッドから降りるめぐ。

「ちょっと、散歩しない?」



41: ◆JtU6Ps3/ps :2008/07/19(土) 01:05:12.75 ID:GsULn9tf0

 中庭の蝉は、より一層うるさく鳴き続けている。
「凄い鳴き声だな」
「そうね」
 二人は並んで、並木道を歩き続ける。
「でもね、ジュン君」
「何?」
「蝉はね、成虫になって、一週間で死んじゃうじゃない?」
「…うん」
「だから、一生懸命鳴いているのよ、きっと」
 前を向くめぐ。正面、南からの日差しが、めぐの笑顔を、一層
引き立てている。
「僕はここにいる。私はここで、一生懸命に生きている」
「……」
 ジュンはめぐの横顔をじっと見つめる。
「私には、そう言っているように聞こえるわ」
「めぐ…さん…」
 立ち止まるめぐ。
「どうしたの」
「ふふ」
 めぐは微笑んだまま、すっと右手を差し出してきた。
「手、繋ぎましょうか」



51: ◆JtU6Ps3/ps :2008/07/19(土) 01:15:00.33 ID:GsULn9tf0

「…………」
 二人の姿を、向かいから来る患者らしき人が、ちらちらと
見ながら通り過ぎていく。
「………」
 ジュンは些か恥ずかしい気分になる。
「ねえ、ジュン君」
「うん?」
「私はね、目覚めたあの時」
 少しうつむくめぐ。
「ああ、この世界に戻ってきてしまったんだ、って、
思ってしまったのよ」
「……」
 やはりあの時の表情は、そういう意味だったのだ、と確信するジュン。
「私は本当は、パパに甘えたかった。優しくしてもらいたかった」
「……」
「水銀燈がいて、貴方がいて」
「………」
「私はこんな病気を持っていなくて、いつまでも楽しく、幸せに過ごせる日々」
「めぐさん…」
「でもね、私最近思うのよ」
 胸を押さえるめぐ。
「皆、いつか終わりが来るから、一所懸命に生きるんだなぁって」
「……」
「死にたくなるほどのどん底があるから、人は幸せを幸せと捉える事が出来る」



59: ◆JtU6Ps3/ps :2008/07/19(土) 01:25:35.04 ID:GsULn9tf0

「……」
 ジュンは少しうつむき加減になる。
「ジュン君、ちょっと休みましょう」
 はあ、はぁ、とめぐが息を荒げ、ベンチに座り込む。
「ふうーっ」
 天を仰ぎ、大きく息を吐く。
「うっ」
 途端、めぐは胸を押さえ、苦しそうな顔になる。
「え、ちょ、ちょっとめぐさん、大丈夫?しっかり!!」
「うう、うう」
「わ、ど、どうすれば」
「なーんちゃって」
 伸びをしながら、あははは、と笑うめぐ。
「な、か、からかわないでよ!」
「あはは、ごめんなさいね、面白かったから」
 楽しそうに笑うめぐ。



66: ◆JtU6Ps3/ps :2008/07/19(土) 01:35:08.60 ID:GsULn9tf0

「……ねえ」
 呼吸を整え、めぐが口を開く。
「ん」
「ジュン君、私、幸せに見える?」
「えっ?」
 身を乗り出し、ジュンを上目遣いに見てくる。
「わ、わ」
 首筋にめぐの吐息がかかり、ジュンはぞくっと身体を震わせる。
「どう?」
「ど、どうって言っても…」
「私はね、幸せよ。貴方とこうして手を繋いでいられて」
 ぎゅっと手を握りしめる。



70: ◆JtU6Ps3/ps :2008/07/19(土) 01:38:20.81 ID:GsULn9tf0

「ちょ、ちょっと、また引っ掛けようったって」
「あら、この目が嘘ついてるように見えるのかしら」
「……」
「よく見て」
 更に二人の顔が近付く。
「ちょ……」
「もっと」
 めぐの手が、ジュンの両肩に置かれる。
「う…」
「もっと……」
 フウ、フウ、という、息の音まで聞こえる距離。
「………」
 めぐが瞳を閉じる。
「………」
 
 ジュンの唇に、何かとても柔らかいものが触れた。
何か温かく、それでいて、ぬめっとした感触。んぷ、んぷ、と、
妙な音が何度も聞こえた。



81: ◆JtU6Ps3/ps :2008/07/19(土) 01:45:34.84 ID:GsULn9tf0

「……………」
 昼が近付き、ジュンはぼーっと遠くを眺めていた。
自分の肩で、めぐが寝息を立てている。
 まるで小さな子どものように、めぐが呼吸をする度に、
彼女の柔らかさが伝わってくる。
「……………」
 頭の中は、真っ白なようでいて、何かふわふわとしたものが
花畑の中を舞っている。
 この感覚は何だろう、とか、ジュンはそういった疑問すら
浮かんでこなかった。

 ただ、そこから一歩も動く気は起きなかったし、きっと隣で
寝ているめぐも、同じ事を考えていただろう、と、ジュンは感じていた。



99: ◆JtU6Ps3/ps :2008/07/19(土) 02:05:15.05 ID:GsULn9tf0

「真紅たちを?」
 椅子に座ったジュンが、驚いたように言う。
「ええ、そうよ」
 めぐがベッドの上から答える。
「大丈夫よ、貴方は私が壊した人形の魂を、自身の手で
呼び戻してみせたじゃないの。私知ってるのよ」
「あ……」
「ローザミスティカは金糸雀、真紅の中にある。それを貴方が直す」
「…僕に…」
「ジュン君、よく聞いて」
 顔を上げるジュン。
「私は真紅と話したわ。色んな事を」
「………」
「貴方にはあの子が必要なのよ。きっとこれから訪れる、
色んな局面で」
「……真紅」
「だから、直してあげて。あの子たちの魂も、きっとそれを望んでると思うから」
 ふふ、とめぐは笑う。



104: ◆JtU6Ps3/ps :2008/07/19(土) 02:12:59.21 ID:GsULn9tf0

「……」
 ジュンは目を閉じる。
 自分がつらい時、倒れそうになった時。
いつも傍にいてくれた少女。胸の奥が苦しい時は、胸をさすってくれた。
布団にくるまっている自分を、部屋の外で、ずっと見守っていてくれた。

 ローゼンメイデンの第5ドール、真紅。

 そして今、彼女が迷子になっている。自分を守るために犠牲となって、
暗闇の世界を彷徨っている。

「ジュン」
 壁際、水銀燈が呟いた。
「迎えに行って、あげなさい」
 そう言って、少し笑った。
「…うん、分かったよ」
 ジュンはこくりと頷く。
「その代わり」
 めぐは言葉を続ける。



108: ◆JtU6Ps3/ps :2008/07/19(土) 02:19:44.23 ID:GsULn9tf0

「あの子たちが直るまで、ここには来ないで、ジュン君」
「え?」
 ジュンは思わず声を上げる。
「……」
 水銀燈が、視線を伏せる。
「もう一度ここに来る時は、真紅を連れてきて欲しいの」
「そ、それはどうして」
 めぐは少し首をかしげ、諭すように呟く。
「あの子には、お礼を言わないといけないの。私は」
「お礼?」
「そう、こんなに幸せにしてくれた、お礼を」
「……」
「それに、貴方の扱い方も、勉強しておきたい」
「あっ……」
 扱い方。
「なぁに、勉強しちゃまずい事なのかしら。貴方の扱い方を分かっている人と、
全然分かってない人、どっちがいい?」
 意地悪っぽく笑うめぐ。
「えっ……あ」
 真っ赤になるジュン。



113: ◆JtU6Ps3/ps :2008/07/19(土) 02:24:21.46 ID:GsULn9tf0

「決まりね」
 めぐは視線を少し下に向け、安心したように笑う。
「ね」
 手を組み、遊ばせながら呟くめぐ。
「直したら、真紅と一緒にここへ来て…」
 ジュンはその様子を見つめている。
「また、手を繋いで、お散歩しましょう」
 そう言って、右手を出す。
「約束」
「ああ、必ずまた来るよ」
 頷いたジュンはめぐの手を取り、力強く握手した。
「………」
 水銀燈はその様子を見ていたが、やがて窓の外に
視線を移す。
 窓の外は、蝉の鳴き声がいつまでも続いていた。



119: ◆JtU6Ps3/ps :2008/07/19(土) 02:31:57.89 ID:GsULn9tf0

 それから4ヶ月が過ぎ、季節は肌寒い冬。

 ジュンはめぐに、手紙を書いていた。
「……ジュン」
 背後から、紅色の人形が声を掛ける。
「何をしているの?」
「ん、ああ」
 カリカリ、という音。
「めぐさんに、手紙を書いてるんだよ」
「手紙?」
「ああ、ちょっと病室で手紙を取れなくなったらしいんで、
住所は別なんだけど」
「へえ、そうなの」
「ねえ、しんくー、ヒナのクレヨンどこ行ったか知らない?」
 ドアの隙間から、雛苺が入ってきた。
「知らないに決まってるでしょ。雛苺、少しは片づけというものを
覚えなさい」
「う~、わかったの」
 ととと、と二階へと上がっていく。



124: ◆JtU6Ps3/ps :2008/07/19(土) 02:39:41.08 ID:GsULn9tf0

 雪華綺晶が消滅した器を使い、ジュンは雛苺までを復元する事に成功した。
蒼星石は無理だったが、翠星石は、それについては納得してくれた。

 今日は、直ったという知らせ、そして、いつ遊びに行けばいいかを
書いている。
 これはめぐからのリクエストで、『直ったら手紙で連絡下さい』と言われて
いたためだ。


 そして投函してから一週間後。




129: ◆JtU6Ps3/ps :2008/07/19(土) 02:46:01.96 ID:GsULn9tf0

 ジュンは有栖川大学病院の入り口にいた。
「う~、寒い」
 コンビニ帰りの道、そこにこの大学病院は位置している。

「あら」
 入口で、佐原と出くわした。
「こんにちは、桜田君」
「こんにちは」
 ジュンを見て、ふと首をかしげる佐原。
「桜田君、身長伸びたかしら」
「え?え…どうだったですかね…」
「ええ、まあよく分からないけど、何だかカッコよくなったわよ」
 ははは、と笑う二人。



136: ◆JtU6Ps3/ps :2008/07/19(土) 02:57:52.95 ID:GsULn9tf0

「ところで、今日はどうしたの?」
「え」
 不思議そうに見つめてくる。
「あ、あの、柿崎めぐさんに会いに」
「…え?」
 突然佐原の表情が訝しげになる。
「最近会ってなかったから」
「……さく…最近?」
「ええ、ここ4ヶ月くらい」
「………桜田君」
「少し前から手紙も返ってこなかったんで、どうし」
「桜田君こっち来て」
 言葉を途中で遮り、中庭にジュンを引っ張っていく佐原。

「な…ど、どうしたんですか」
「あの子は2ヶ月前に亡くなったわ」



157: ◆JtU6Ps3/ps :2008/07/19(土) 03:15:48.26 ID:GsULn9tf0

 ビュオオオオオ、と、木枯らしが吹き荒れる。

「…え?」
 ジュンは、一瞬目の前の女性の言葉が理解出来なかった。
「発作が、その少し前から悪化してて」
 何。何?
 何を言っている。
 この佐原という看護士は何を言っている。

 コンビニの袋が、どさりと地面に落ちた。



162: ◆JtU6Ps3/ps :2008/07/19(土) 03:20:17.04 ID:GsULn9tf0

 ジュンはメモを持って走り続けていた。
「はっ、はっ」
 閑静な住宅街を突っ切り、小高い山の麓にある教会。
人が住んでいるような形跡はあるものの、庭は荒れ放題である。

「はっ、はっ」
 それはつまり、誰かが忍び込んで宿にしていても、おかしくない、という事だ。
 玄関口に、黒い羽根。
「水銀燈!!」
 ジュンはありったけの声で叫んだ。
「出て来い!!水銀燈!!」
 反応はない。
「水銀燈出て来い!!ふざけんなこの馬鹿野郎!!ふざけんな!!」
 ジュンは涙が溢れてくるのを感じた。
「何で教えてくんなかったんだ!!お前分かってたんだろ!!」
 物音ひとつしない。
「おい!!答えろよ!!答えろよこの!!」
 ガチャガチャと門を揺するジュン。

「ジュン」

 透き通った声が聞こえた。



166: ◆JtU6Ps3/ps :2008/07/19(土) 03:26:10.57 ID:GsULn9tf0

 上空から、黒翼の天使が舞い降りてきた。

「――――水銀燈」
 涙と鼻水でくしゃくしゃになったジュンの顔を、悲しそうに見つめる
第1ドール。
「ジュン」
 何かを通り過ぎてしまったような、その死んだ眼に、ジュンは言葉をつぐんだ。
「………」
「……」
 しばらくの沈黙。


「―――良かったわ、今日会えて」
 破ったのは水銀燈だった。



172: ◆JtU6Ps3/ps :2008/07/19(土) 03:35:12.32 ID:GsULn9tf0

「今日、渡しに行こうと思ってたの」
 そう言って、懐から封筒を取り出す。切手などは貼っていない。
「………」
「気づいてしまったのね」
「………」
「ごめんなさい…ずっと、黙っていて」
 その瞬間、水銀燈の胸倉をつかむ。
「きゃ…!」
「ふざけんな!!何がごめんなさいだよ。何が!!!」
 喉の奥から、何か熱いものがこみ上げてくる。
「何が……う……」
 水銀燈をつかんだ手を離し、ジュンはその場に崩れ落ちる。
「どうして、どうして……」
「ジュン…」
「何で、何で何で何だよおおおおおおおおあああぁぁぁぁっっっっ!!!!!」
 ジュンはその場に突っ伏し、嗚咽を漏らし始める。

「ジュン……」
 水銀燈は口元を押さえ、その場にへたり込んだ。
「ああ、ああ、ああ、ごめんなさい、ごめんなさい、めぐ、めぐ」
 ぶるぶると震えながら、水銀燈は何度も鼻をすすった。



177: ◆JtU6Ps3/ps :2008/07/19(土) 03:42:12.37 ID:GsULn9tf0

―――ごめんなさい


―――今の私には、こうして


―――貴方の胸元にいてあげる事しか出来ない


―――許して


―――どうか許して



180: ◆JtU6Ps3/ps :2008/07/19(土) 03:45:29.59 ID:GsULn9tf0

―――あの頃から、めぐの息切れが早まったの


―――きっとあの子も、もう気づいていたと思うわ


―――敏感な子だもの


―――何でも分かってしまう


―――分かり過ぎるから


―――9月に入って、めぐは別れの手紙を書き始めた


―――集中治療室に運ばれる回数も増えた


―――胸を押さえる回数が増えて


―――まともに喋れなくなって


―――食事もまた食べなくなった



185: ◆JtU6Ps3/ps :2008/07/19(土) 03:50:26.43 ID:GsULn9tf0

―――ベッドの衣ずれが、「痛い、痛い」って


―――何度も貴方に言おうと思ったわ


―――でも、めぐはその度に


―――言ったら舌噛んでここで今死ぬわよって


―――絶対それは許さないって


―――胸を押さえながら言うの


―――真紅たちが直ったっていう報告が来るまで


―――教えないでほしいと


―――報告が来たら、私の死を教えてほしい


―――あの子には、真紅が必要なのよ



191: ◆JtU6Ps3/ps :2008/07/19(土) 03:55:25.13 ID:GsULn9tf0

―――私は死ぬ


―――でも、ジュン君は生きている


―――だったら、これから生き続ける人たちと


―――幸せになって欲しいから


―――その時に、手紙を渡してあげてほしい


―――もうすぐ書き終わるから


―――貴女はどこへでも飛んでいきなさい


―――貴女は生きている


―――野良猫になってしまっては駄目


―――キチンと幸せになりなさい



195: ◆JtU6Ps3/ps :2008/07/19(土) 04:00:12.99 ID:GsULn9tf0

―――生きるっていうのは、つらいわよ


―――正直、5歳で死んでれば


―――つらい事の大半は、経験しなくて済んだのよ


―――首を吊ろうとしてみたり


―――親を騙して、睡眠薬を飲んでみたり


―――剃刀で手首を切ろうとしたり


―――でもね、よっぽど深く切らないと


―――死ぬような勢いで血は出ないの


―――睡眠薬も、ホントに大量に飲まないと駄目


―――首なんて、キチンと準備しないと苦しくて死ねない



196: ◆JtU6Ps3/ps :2008/07/19(土) 04:02:56.80 ID:GsULn9tf0

―――そうしてね


―――人は、自分が死ねなかったと自覚した時


―――どうしようもない絶望を知る


―――でもね、生きてて、私は今良かったって思えるの




「それは、私たちに出会えたから」

 壁を背に座り込み、ジュンは泣きながら水銀燈を
撫でている。
「…そう、めぐは言っていた」
 水銀燈は何度もジュンの胸をさすりながら、すん、すん、と
鼻をすすっている。
「ねえ、ジュン」
 眼を閉じ、かすれた声で呟く水銀燈。



200: ◆JtU6Ps3/ps :2008/07/19(土) 04:10:08.55 ID:GsULn9tf0

「私、別のどこかへ行こうと思うの」
 すん、と鼻を鳴らす。
「別のどこか……?」
「ええ……どこか遠く。どこか…とても遠い所に」
 ジュンはしばらく水銀燈を撫でていたが、
やがてその手を止め、身体を離す。


 水銀燈は塀の上に立ち、一度ジュンを振り返る。
「行くのか…?」
「ええ…また、縁があれば、どこかで会いましょう」
 水銀燈はごしごし、と鼻をこすり、ティッシュで拭く。
「………」
 震えながら、水銀燈は一度大きく深呼吸をし、
くしゃくしゃの顔に笑顔を作って見せる。



203: ◆JtU6Ps3/ps :2008/07/19(土) 04:17:43.26 ID:GsULn9tf0

「さようなら、桜田ジュン。私はめぐを救えなかった。
自分の事しか考えていなかった。
蒼星石も、雪華綺晶も、私が壊したの。
全ては私のワガママから始まった。
めぐを巻き込まないなんて、都合のよい話はどこにもなかった。
私があの子と契約しなければ良かったのかもしれない。

貴方はそんな事ないって言うかもしれない。
でも、私の心の中を、後悔がいつも彷徨っている。

だから私は、この街から消える事にするわ。

でもね、これだけは間違えないで。
めぐは幸せそうに死んでいったわ。貴方にお礼を言っておいてと。

私が傍で泣き続けているのに、あの子はずうっと笑ってた。
そうして頭を撫でてくれた。
仲良くなってた看護士さんも誰も呼ばずに、そのまま…。



207: ◆JtU6Ps3/ps :2008/07/19(土) 04:20:44.99 ID:GsULn9tf0

最後にね…めぐはこう言っていたわ。
『いつか、どこかで、また逢いましょう』

それじゃね、バイバイ」



 水銀燈は翼を広げて飛び上がり、そのまま冬の、
灰色の空へと消えていった。

 木枯らしが吹き抜ける中、舞い落ちる黒い羽根が、ジュンの
周りへと降り注いでいた。



212: ◆JtU6Ps3/ps :2008/07/19(土) 04:29:32.53 ID:GsULn9tf0

 ベッドの上に、手紙が広げられていた。

 数枚の便せんに、びっしりと書かれた文字。
ところどころ、何か震えてペンが走ったような跡があったり、
くしゃくしゃになっている部分がある。
 けれど、文字は一文字一文字が、しっかり丁寧に、
書き綴られていた。



215: ◆JtU6Ps3/ps :2008/07/19(土) 04:30:37.29 ID:GsULn9tf0

桜田ジュン君へ

 最初に言っておきます。この手紙が、私からの最後の言葉になります。
ごめんなさい、私はもう貴方とは会えません。
遠くへ行く事になりました。
あの316号室から、私は引っ越さないといけなくなりました。
本当は貴方にキチンと会って、謝るべきなのだと思っていましたが。

 心配しないで。私は貴方の気持ちを十分分かっているつもりよ。
最初の私は、貴方にどう映っていたのかしら。
今となっては、私には推測しか出来ません。
貴方のシャツの裾を引っ張って、脇腹をつねりながら
「ねえ、私ってどんな感じだった?」なんて尋ねる事はもう出来ない。
 でもあれから何度も来てくれた貴方の御蔭で、
私は幸せでした。きっと。



216: ◆JtU6Ps3/ps :2008/07/19(土) 04:31:17.19 ID:GsULn9tf0

 あれから病院食もキチンと食べた。
ほうれん草のおひたしも、噛めば噛むほど味が滲み出てきて、
割と美味しかったわ。知ってる?
うちの病院食ってね、1Fの集中調理室で作ってて、盛り付けしてる時には
60度を超えてるの。熱すぎじゃない?正直。
でもね、それには理由があって、私たちの所に届く頃には、
食べやすい温度になっているんですって。ちょっと意外で、知らなかったわ。
本当は、私の知らない所で、皆が優しかった。

私、佐原さんに時計投げつけてケガさせちゃった事があるの。
でもね、佐原さん怒らなかった。あの人優しかったでしょ。仕事だからっていうのもあるのかもしれないけど、
多分そういう性格なんだろうなぁ、って、今になって思うの。
 私が水銀燈を追いだした時もそう。別に彼女は同情していたわけじゃない。
私に真正面から向き合っていただけ。
 私はそれに気付かなかった。有栖川大学病院の316号室で、じっと
一人でうずくまっていただけ。

 正直気づくのが遅すぎた気がしています。私の人生は、限られていた。
貴方たちよりもずっと。だったら、私を見守っている小さな世界だけにでも、
キチンと向き合うべきだった。
 けれど私は、後悔なんてしていない。



219: ◆JtU6Ps3/ps :2008/07/19(土) 04:32:37.43 ID:GsULn9tf0

これは諦めじゃない。冒頭で書いたけど、あれはウソです。
私はこの手紙で終わりにするつもりなんてない。


 でも私はこれから、ずっと先まで話せなくなる
この身体はじき動かなくなって、冷たく腐ってゆく。そうなる前に
私は焼かれ、骨になって箱に入れられる。

 こうなる事はずうっと昔から分かっていた事。
でもね私は貴方に出会えて、前を向く事が出来た。
負け犬同士だったけど、私は少しでも、そこから
這い上がれたかしら。

 生きてる意味なんてないと思ってた。
水銀燈も真紅という人形も同じ。いずれ絶望して
滅んでしまうのなら、楽しむ必要なんてない。生きてる意味なんてない。

 違ったの。皆そう、生きてる意味なんて皆知らない。
必死になって自分が生きてる意味を探す。探しあてようとする。
そのために生きているんだって分かったわ。



221: ◆JtU6Ps3/ps :2008/07/19(土) 04:33:27.94 ID:GsULn9tf0

 私は死ぬわけじゃない。先に向こうの世界に行くだけ。
しばらく会えなくなるだけ。またこの世界で貴方に会うために。
 追いかけてきちゃダメよ。 貴方はキチンとこの世界で、
幸せになって頂戴。
 学校に行けば女の子だっていっぱいいるし、
男の子の友達だってまた出来ると思うわ。

   10年も経てば貴方は仕事に就いて、結婚相手を探している頃かも
しれないわね。
いいのよそれで。幸せになる事を忘れないで。
そうしてこの別れが美しい思い出に変わる頃にでも、私はまたこの世界に戻ってくるわ。
今度出会えたらもっとお話ししましょう。その時傍に水銀燈がいてくれるか
分からないけれど。 



222: ◆JtU6Ps3/ps :2008/07/19(土) 04:34:06.74 ID:GsULn9tf0

 今、私の横で、水銀燈が泣いています。バカみたいに
わんわん泣いているのよ。ホント、バッカみたい。
 ごめんね、ごめんなさいね、こんな事しか書けなくて。
もう何を書いていいか分からない。どうしていいか分からない。
でも、これだけは言える。ありがとう、桜田君。
またいつかめぐり会える時が来たなら…
私はまた、あの316号室で、待ってるから。

だから…… 身体には気をつけてね また逢いましょう この世界で

                          柿崎めぐ





【完】



228:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2008/07/19(土) 04:36:51.69 ID:iMlmXnZTO

おつ…でいいよな?



233: ◆JtU6Ps3/ps :2008/07/19(土) 04:40:09.66 ID:GsULn9tf0

3日超。今までで最長のSSでしたが、保守してくれてた人に
本当に感謝します。本当にありがとうございました。
以下、参考ページ貼っておきます。


日本心臓移植研究会ホームページ 心臓移植の歴史
http://www.med.osaka-u.ac.jp/pub/surg1/JSHT/

湘南新聞-病院食事情- 
http://www.scn-net.ne.jp/~shonan-n/news/040821/040821.html

国立循環器病センター (National Cardiovascular Center)ホームページ内
臓器移植と臓器提供 「心臓移植とは」
http://www.ncvc.go.jp/index.html

臓器の移植に関する法律
http://www.medi-net.or.jp/tcnet/DATA/law.html

京都大学医学部附属病院ホームページ 心臓病 Q&A
http://www.kuhp.kyoto-u.ac.jp/



238:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2008/07/19(土) 04:41:29.29 ID:6RShT9LU0

>>233
おー、やっぱりいろいろ調べてたんだな

乙でしたー



転載元
ローゼンメイデンの話「316号室のめぐ」
http://yutori.2ch.net/test/read.cgi/news4vip/1216139039/
ローゼンメイデンの話「316号室のめぐ」エピローグ
http://yutori.2ch.net/test/read.cgi/news4vip/1216393234/
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         コメント一覧 (18)

          • 1. 以下、VIPにかわりましてELEPHANTがお送りします
          • 2013年04月05日 21:19
          • なつかしいなおい
          • 2. 以下、VIPにかわりましてELEPHANTがお送りします
          • 2013年04月05日 21:23
          • ホント久々に見たぞコレ
          • 3. 以下、VIPにかわりましてELEPHANTがお送りします
          • 2013年04月05日 21:45
          • これは本物の名作だよな


            5年前に初めて読んだ時は衝撃受けたわ
          • 4. 以下、VIPにかわりましてELEPHANTがお送りします
          • 2013年04月05日 22:20
          • 5
            このSSは何度読んでも泣ける…登場人物のセリフが心に響くんだ…

            まとめ依頼の依頼人です!管理人様本当に有難うございました!
            ローゼンメイデンSSはカオス系や変態系も多いけど稀にこんな感じの感動系のSSがあるから最高です!
            今年の夏期には新アニメも放送されるし、第二次ローゼンブームが到来する事を願って止みません!
          • 5. 以下、VIPにかわりましてELEPHANTがお送りします
          • 2013年04月05日 23:17
          • 原作がこんなふうに進んでたらどれだけ良かったことか…
          • 6. 以下、VIPにかわりましてELEPHANTがお送りします
          • 2013年04月06日 00:11
          • 原作(笑)
          • 7. 以下、VIPにかわりましてELEPHANTがお送りします
          • 2013年04月06日 00:19
          • なんかみんないい子過ぎでかなしす

            米6
            (笑)っていうなよ
            あんなんなってても原作は原作やで
          • 8. 以下、VIPにかわりましてELEPHANTがお送りします
          • 2013年04月06日 03:48
          • ローゼンは根強いファンが多いよね
            愛されてるなぁ
          • 9. 以下、VIPにかわりましてELEPHANTがお送りします
          • 2013年04月06日 03:54
          • 二次創作の場で原作批判は天に唾
          • 10. 以下、VIPにかわりましてELEPHANTがお送りします
          • 2013年04月06日 09:41
          • 5 なんか心にグサッと刺さったわ…
            このスレに会えてよかったよ
          • 11. 以下、VIPにかわりましてELEPHANTがお送りします
          • 2013年04月07日 00:11
          • 良作だった
            自分は原作も大好き
          • 12. 以下、VIPにかわりましてELEPHANTがお送りします
          • 2013年04月07日 18:50
          • ローゼンはむしろ原作のがマシじゃない?
            アニメは1も2期もなんか対象年齢が異様に低いイメージの作品に変わってた感じがする。
          • 13. 以下、VIPにかわりましてELEPHANTがお送りします
          • 2013年04月08日 16:00
          • 5 涙・腺・崩・壊!!!
          • 14. 以下、VIPにかわりましてELEPHANTがお送りします
          • 2013年04月10日 03:43
          • 5 2008年・・
            軽く読み始めたら刺さるというか染みるというか・・
            どんどん惹きこまれちゃったよ
          • 15. 以下、VIPにかわりましてELEPHANTがお送りします
          • 2013年04月14日 07:44
          • コメ読んで、アリスとかお父様とかの伏線をどれだけきれいに
            昇華して完結してくれるのかと期待してたら殆ど触れられなかった…
          • 16. MCC
          • 2013年05月02日 04:34
          • 5 感動したよ…畜生…泣かせやがって…
          • 17. 以下、VIPにかわりましてELEPHANTがお送りします
          • 2013年08月11日 16:13
          • いい作品だった。こんな終わり方もあるのだろうが、原作ではきらきも含めて皆幸せにエンディングを迎えることを祈ってやまない。

          • 18. 以下、VIPにかわりましてELEPHANTがお送りします
          • 2015年07月02日 06:26
          • 乙です。
            素晴らしい。

        はじめに

        コメント、はてブなどなど
        ありがとうございます(`・ω・´)

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