まどか「世界を!」ウテナ「革命する力を!」

1 : ◆ctuEhmj40s 2011/12/30(金) 16:50:41.15 ID:Bva5EhyZ0


少女革命ウテナ×魔法少女まどか☆マギカ


・登場人物

少女革命ウテナ

天上ウテナ…世界を革命する少女
姫宮アンシー…薔薇の花嫁

鳳暁生…アンシーの兄 鳳学園理事長代行

桐生七実…生徒会長代行
薫幹…生徒会役員

御影草時…御影ゼミの主催者


魔法少女まどか☆マギカ

鹿目まどか…平凡な中学生
美樹さやか…まどかの親友

暁美ほむら…転校生



2 : ◆ctuEhmj40s 2011/12/30(金) 16:51:52.91 ID:Bva5EhyZ0


 
 面会の方は
 必要事項を記入して
 お待ちください。


     根室記念館




3 : ◆ctuEhmj40s 2011/12/30(金) 16:52:51.31 ID:Bva5EhyZ0

人一人が何とか座れる、狭く、薄暗く、寒々しい個室。

冷たい壁には蝶の標本が飾ってある。中には白塗り椅子が用意してあり、前には鏡がある。
その作りは、さながら教会の懺悔室を思い出させた。

根室記念館。その面会室。

困った時はどんな相談でも聞いてくれるという秘密の部屋。
今は、そこに一人の少女が、訪れている。


「あの…。中等部1年、交換学生――」


部屋に、優しい声が響く。


「では、始めてください」





4 : ◆ctuEhmj40s 2011/12/30(金) 16:55:13.52 ID:Bva5EhyZ0






ゴウン… 


面会室が動き出す。地下へ。深いところへ。

少女の悩みが語られる。
今の自分と、自分を取り巻く世界に不安があること。
人間関係に不安があること。
そして、もしかしたら何も変わらず、ずっとそのままではないかということ。
 




5 : ◆ctuEhmj40s 2011/12/30(金) 16:55:42.40 ID:Bva5EhyZ0


ゴウン… ゴウン… 



そんな現状を、彼女は変えようとした。
何もしないのなら、何も変わらない。ならば、何かをしようと。
自分を変え世界を変えようと、彼女はした。





6 : ◆ctuEhmj40s 2011/12/30(金) 16:56:33.17 ID:Bva5EhyZ0


ゴウン… ゴウン… ゴウン…



「…これで何か変わる。もしかしたら新しい自分になれるかもって、そう考えていました」





7 : ◆ctuEhmj40s 2011/12/30(金) 16:58:11.60 ID:Bva5EhyZ0

 部屋が、止まる。
 静寂が部屋を包んだ。


「深く…。もっと深く」


 青年は、その先を促す。
 心の内を。ここに来た理由を。少女が隠す、その影を刺激する。


「…でも」


再び、面会室は動き出す。地下へ。さらなる深淵へ。





8 : ◆ctuEhmj40s 2011/12/30(金) 16:59:25.17 ID:Bva5EhyZ0


ゴウン ゴウン ゴウン


世界は変わらなかった。自分は変えられなかった。

蝶はサナギになる。




ゴウン ゴウン ゴウン ゴウ ゴウ ゴウ――


劣等感。自己に対する嫌悪。彼女は自身を傷つける。

サナギは幼虫になる。





9 : ◆ctuEhmj40s 2011/12/30(金) 17:00:52.64 ID:Bva5EhyZ0


ゴウ ゴウ ゴウ ゴウ ゴゴゴゴ――


 願望、欲望、満たされない思い、行き詰った世界、抑圧された自我。
 それまで、少女が目を背けてきたものが、隠されていたものが、反発する。

 幼虫は卵になる。原初の姿へ。
 
 そして、少女の心がむき出しなる。




ゴゴゴゴ
ゴゴゴゴゴゴ
ゴゴゴゴゴゴゴゴゴ
ゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴ
ゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴ
ゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴ
ゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴ
ゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴ
ゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴ
ゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴ
ゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴ
ゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴ――――――――――――――――――





10 : ◆ctuEhmj40s 2011/12/30(金) 17:02:25.42 ID:Bva5EhyZ0



ガコン!



 轟音と共に、部屋の動きは止まった。
 どうやら、最下層についたようだ

 告白が終わり、少女は力なく椅子に座っていた。


「わかりました」


 背後に、いつの間にか一人の青年が佇んでいた。


「貴方は世界を革命するしかないでしょう。あなたの進むべき途は用意してあります」




11 : ◆ctuEhmj40s 2011/12/30(金) 17:03:39.43 ID:Bva5EhyZ0

 その場所には、たくさんの棺が置かれていた。


「ここは…?」


 根室記念館、最深部。仄暗い地の底。

 その昔、根室記念館は火事で焼け落ち、その中にいた百人の少年が生き埋めになった。
 ここは、その棺が眠る場所。

「出席番号 A-17」

 その棺の一つ、その中から指輪が取り出される。
 青年が手に取ったその指輪は、光を全く放つことなく、暗闇のように黒く染まっていた。


「黒い、薔薇の刻印を」


少女に、黒い指輪が渡された。





12 : ◆ctuEhmj40s 2011/12/30(金) 17:08:05.88 ID:Bva5EhyZ0

 ―――――


「初めまして。この学園の理事長を代行しております。鳳暁生です」


 鳳学園の理事長は、二人の想像していた人物とは、大きくかけ離れていた。


「こ、こんにちは!」


 思わぬ展開につい緊張してしまい、声が震えてしまった。
 挨拶はしっかりするように何度も言われたのに、これでは早乙女先生に申し訳が立たない。

 しかし…


(こ、こんな校長先生初めてだよ)

(うーむ、かなりのイケメン…。いやいや、アタシには恭介が…)


 鳳暁生は、二人の予想をはるかに超える『若者』だった。

 端正な顔立ちは間違いなく美形と呼べる。
 何よりも特徴的なのは、浅黒い肌に、銀髪の髪の毛であり、その姿は現実の人物とは思えない。
 まるで異国の王子様のようだった。





13 : ◆ctuEhmj40s 2011/12/30(金) 17:10:28.40 ID:Bva5EhyZ0


「こんにちは。鹿目まどかさん、美樹さやかさん。
 あなた達にはこれから一か月、この鳳学園で過ごしてもらいます」

「はい」

「この鳳学園は、広大な自然の中にある、古くから続く歴史ある良き伝統を誇りとしている学園です。
 しかし、伝統があるということは、時として保守的な考えに囚われ、歩みを止めることにも繋がります。
 それは教育者という立場から見れば、あまり好ましい状況とは言えない。
 そのために、わが学園では若い学校や新しい取り組みを行っている学校と相互に連携をとり、情報などをやり取りしているのです。交換学生も、そうした取り組みの一環でして。
 いやあ、見滝原中学校のような新鋭の学校と交流を持てるのは、こちらとしても嬉しい限りですよ」


 そういわれても、二人にはピンとこなかった。


(ウチの学校って、そんなに新しいの?)


 他の中学に顔を出す機会がないため、当然と言えば当然なのだが、それでもそこまで言われるようなものとは到底思えない。
 確かに、きれいな学校だとは思っているが。


(なんか、学校のイメージが変わったって、前にママは言ってたなぁ…)
 

 外に出ると、新しい物の見方がある。
 まどかの母・鹿目絢子は、ここに来る前にそう言っていた。だとすれば、これがそうなのかもしれない。



14 : ◆ctuEhmj40s 2011/12/30(金) 17:12:17.30 ID:Bva5EhyZ0


「見滝原中学校の設備や教育カリキュラムには、全国から注目が集まっているのですよ。
 新時代の学校の在り方としてね」

「あ、ありがとうございます!」

「今回の交換学生では、わが学園と見滝原中学校、両者の長所を学び合うために企画されたものです。
 見滝原中学校には鳳学園の古くから続く伝統を。私どもは見滝原中学校の新しい教育を学ぶためにね。
 この取り組みが互いに良い結果になることを願っていますよ」

「は、はい」


 そこで理事長・鳳暁生は小さく笑った。そんなに緊張しているように見えたのだろうか。まどか達は心配になる。先ほどとは違い、うって変わって声が優しくなった。


「そんなに固くならないで、心配するようなことは我が学園にはありませんから」





15 : ◆ctuEhmj40s 2011/12/30(金) 17:14:50.79 ID:Bva5EhyZ0


 と言われても…。と内心、まどか達はツッコミを入れた。

 理事長の姿も姿なら、理事長館の最上階に位置する理事長室も、まどか達の想像を遥かに超えていた。

 まず広い、広すぎる。
 
 他の理事長室がどういうものか。まどか達は見たことがないが、それはどこかの劇場のホールと同じくらい大きいものではないはずだ。
 学園で一番偉い人間の部屋が豪華であることに否定はしないが、それでも、もっとこじんまりとしているものではないだろうか。

 その広い部屋の床一面に敷かれた、赤い絨毯はまだ良い。
 部屋の真ん中に置かれた、巨大な機械は何なのか。

 さやかは見たことがなかったが、まどかにはそれがプラネタリウムの投影機であることを知っていた。
 どちらにしろ、断じて理事長にあるべきものではない。
 その前に置かれた執務机は、申し訳程度に「仕事しますよ?」と自己主張しており、それがかろうじて、ここが仕事部屋であることを保っていた。

 格差社会、という単語が思い浮かぶ。

 こんな部屋がエレベーターの最上階に存在しているということは、もしかしたらとんでもない費用が掛かっているのではないか。
 まどか達は、早くも自分がこの学園に居ることがひどく場違いのような気がしてきた。


「君たちに何かしてもらうことはありません。
 ただこの学園で一か月間、普通の生活を送ってもらうだけですよ。
 何も怖いことなどありませんから、安心してください」

「す、すみません…」


 そんな考えを見透かしたように、暁生が声をかけた。





16 : ◆ctuEhmj40s 2011/12/30(金) 17:18:02.04 ID:Bva5EhyZ0


「君たちには、東館の寮の方で過ごしてもらいます」


 期間中は、住居も互いの学校が用意した場所を使う。距離の遠い学校同士が決めた取り決めだった。
 
 まどか達は、これから寮に案内されることになっている。


「あそこは人が少なくてね、今は君たち以外には二人しか使っていないんだ。
 君たちも、知らない人が多いところに入れられて大変だろうから。そのように手配したんだけど、大丈夫かな?」

「いえ、心遣いありがとうございます」

「その二人は、学園内じゃなかなか有名な生徒でね。だからこそ、彼女たちの素行の良さは理事長代行の僕が保障しよう。
 何かあったらその二人に聞くといい。君たちに親身になってくれるはずだ。
 一つ上だけど、きっと仲良くできるはずだよ」


 そこで理事長である鳳暁生は、ニコリと優しく微笑んだ。

 その笑顔は、実に爽やかかつミステリアスであり、見るものを魅了する。

 その微笑みに、さやかはこれを見れただけでも来た価値があったかな、と思い、
 まどかは、これからの生活にささやかな希望と不安を感じることとなった。





25 : ◆ctuEhmj40s 2012/01/02(月) 21:08:35.86 ID:bO/S5ghS0

「あー、緊張したー!」


 外に出て開口一番、さやか大きく声を上げた。

 風が吹き、緊張していた体を優しく包みこむ。鳳学園は海に面しており、潮のにおいが風には混じっていた。


「でも、凄いカッコイイ人だったよね。理事長さん。優しそうな感じがしたし」

「くぅー、学園ともなると、理事長も一流なのかー! ウチの学校の校長とは大違いだなー」

「そ、そんなこと言っちゃダメだよ、さやかちゃん!」


 とはいえ、まどかも内心、同じことを考えていた。
 
 あんな男の人など、まどかは今まで見たことがない。
 そんな人が理事長であることからして、既に鳳学園は他とは違う特別な学園だった。
 
 



26 : ◆ctuEhmj40s 2012/01/02(月) 21:10:47.68 ID:bO/S5ghS0

 まどかは、理事長館前を見渡した。
 日曜日だからか、人の気配は少ない。高台に面したこの場所からは海が良く見える。
 天気は良く、太陽が海を照らしてキラキラと光っている。まどかは、いつまでもこの景色を見ていられるような気がした。
 
 たぶん、ゆっくりしていられるのは今だけだろう。
 この後も、例の入居が少ない寮から迎えが来ると言われており、そのまま荷物を置いたら鳳学園内を案内してもらう予定だ。
 今は、駐車場でその迎えが来るまで、時間をつぶしている最中である。
 そんな、予定と予定の間の空白のような時間だが、まどかにはその時間が心地よく感じられた。


「にしても広いなー、この学校。これが学園なのかぁ」


 ここまで来た道のりを思いだし、さやかはしみじみとその光景を思い出した。

 鳳学園の敷地は広い。幼等部から高等部まである一貫校ということもあるが、そのことを差し引いても驚くべき広さの敷地を持っている。
 パンフレットを見れば、農学用の牧場まであるらしい。よく見れば一角には『森』と呼んでも差し支えないような場所もあった。
 ここまで学園内を回るバスで来たが、窓から見る限りでは緑も多く、天気が良ければ散歩をするだけでも一日が潰せそうだった。


「テニス場や野球のグラウンドがいくつもあって、乗馬のコースもあったもんね」

「何よ、乗馬って。初めて聞いたわよそんなクラブ。この分だと、寮や校舎の中も凄いんだろうね」


 格の違いを見せつけられた貧乏人のように、さやかはブツブツと、ああ凄い凄いと、無関心を装っている。
 
 しかし、内心ワクワクをしていることをまどかは知っている。
 その凄い学園に自分はこれから一か月も過ごすのだ。
 好奇心旺盛なさやかが、心が躍らないわけがなかった。





27 : ◆ctuEhmj40s 2012/01/02(月) 21:13:18.38 ID:bO/S5ghS0


「…ねぇ、さやかちゃん。私、場違いじゃないかな?」


 ふと、まどかが声を漏らした。
 
 それは、ここに来た時から感じていたことだ。
 鳳学園の広大さは、まどかも感じていた。そして、さやかとは正反対にまどかはこれからの生活に不安を感じている。
 
 この学園はそれまで住んでいた場所とは違いすぎる。自分がこんなところに居ていいのだろうか、こういう学校はもっと凄い人間や、良家の人間が通う場所じゃないだろうか。
 そんなことを考えてしまう。


(やっぱり仁美ちゃんみたいな子の方が…)


 そこで、あわてて考えを止めた。
 
 今回の話を受けたのは誰でもない、まどか自身の意思だ。
 それを自分で否定するのは、あまりにも身勝手すぎる。





28 : ◆ctuEhmj40s 2012/01/02(月) 21:15:32.97 ID:bO/S5ghS0


「大丈夫だよ、まどか! 私たちは、向こうから招待されてきた人間。いわばお客様なんだから! 
 理事長さんも言ってたでしょ? 怖いことなんて何もないよ、まどか」

「うん…」

「それに何かあったら、文句を言えば大丈夫! こういう古い学校は評判とかそういうものを一番に考えているんだから。
 ちょっとそういうのをチラつかせれば、すぐに対応してくれるって」
 
 
 さやかのあんまりな意見に、まどかは思わず笑ってしまう。
 笑った拍子に、さっきまでの暗い考えは、どこかへ行ってしまった。


「うーん。でも、あんまりそういうことはしたくないかな」

「まぁ、すぐに慣れるってきっと。若いうちは何でもすぐ適応できるって、ウチの母親も言ってたし。郷に入っては郷に従えってね」

「さやかちゃん、それはちょっと違うよー」


 あれ、そうだっけ?とさやかは首をかしげた。

 さやかの透き通った明るい声は、まどかの耳によく響く。
 さやかが何か喋るたびに、まどかの心からは不安が消えていく。
 まどかにとって、さやかはかけがえのない友達だ。引っ越しをして、周囲に溶け込めないときに、手を差し伸べてくれたのがきっかけで、今に至っている。
 いつも元気で、引っ込み思案なまどかを引っ張ってくれるのが、さやかという存在だった。





29 : ◆ctuEhmj40s 2012/01/02(月) 21:17:26.69 ID:bO/S5ghS0


「そういえば、聞きたかったんだけどさ。まどかはどうして交換学生の話を受けたわけ?」


 と、唐突にさやかはまどかに向き合った。


「え?」

「もー、びっくりしたよ。誰も行きたがってなかったのに、いつの間にか先生の話を進めてるんだもん」

「やっぱり、変かな…?」


 確かに、自分らしくない行動だとは思う。話をしたとき、両親もびっくりしていたことを思い出す。
 だが、まどかにとって、今回の件はおかしくも何ともないことだ。
 
 交換学生の話を聞いたとき、まどかはすぐに立候補しようと決めた。
 
 引っ込み事案の自分のことを、まどかはあまり好ましいことだとは思っていない。
 いつも誰かに迷惑をかけている、それがまどかの悩みであり、取り立てて長所のない自分のコンプレックスだった。

 このままずっと、誰かに迷惑をかけて生きていくのだろうか?

 このまま、何もとりえのないまま生きていくのだろうか?

 それを考えた時、漠然とした不安に襲われた。中学生になっても変わらない自分に、軽く自己嫌悪したこともあったものだ。
 このままじゃ、いけない。それがここ最近のまどかの悩みだった。
 
 だから、自分を変えようと思ったのだ。今回の事も、それがきっかけだ。


「別に変じゃないけどさ…。なんていうか、まどかがこういうのに興味があるとは思わなくて」

「さやかちゃんは、どうして?」

「あたし? あたしは、まぁ話自体には興味はあったんだけどさ。一人で乗り込むのはちょっと心細かったし、あんまり行く気はしなかったんだよね。
 それをまどかが行くっていうからさ、それなら行ってもいいかなって」





30 : ◆ctuEhmj40s 2012/01/02(月) 21:25:00.31 ID:bO/S5ghS0


「そうなんだ。わたしもそんな感じだよ? 何となく興味があったから、やってみようかなって」


 さやかの目を見ず、まどかは言った。
 もし悩みを話せば、さやかは親身になって相談にのってくれるだろう。
 しかし、それではこれまでと同じように、さやかに頼ることになってしまう。それでは本末転倒だ。


「それに、まどか一人を見知らぬ土地に行かせるのは、お母さん心配で心配で…」

「もー、さやかちゃんたら! わたし、子供じゃないよ!」

「ほほう? こんなちんちくりんな体で、子供じゃないと? よくそんなことが言えまちゅねー」

「むー。いいもん。いつか私だって、さやかちゃんみたいに大きくなるもん」

「あたしはこのままがいいかなー。まどかの身体って抱き心地いいしー」


 底抜けに明るく、さやかが言う。
 まどかにとってあまり高くない背や、変わり映えしない体格は悩みの一つだ。
 一時期だが、大人になっても体格が変わらないんじゃないかと本気で悩んだこともある。
 さやかに悪気がないことはわかっているが、それでも少し心に刺さる。
 
 デリカシーのない親友に対して、まどかは、つい意地悪をしたくなった。


「でもさやかちゃんは、私よりも上条君と一緒の方が良かったんでしょ?」

「ちょっ、何でそこで恭介が出てくんのよ!」

「残念だったよね。コンクールの予定がなかったら、上条君も来てくれたかもしれないのに。
 鳳学園って音楽も有名みたいだし」





31 : ◆ctuEhmj40s 2012/01/02(月) 21:33:53.26 ID:bO/S5ghS0


「な、ないない! 大体、恭介なんかと一か月も過ごしたくないし! 
 むしろ、少しでも離れることができてせいせいするっての!」

「ふーん」


 上条恭介は、さやかの幼馴染である。バイオリンの奏者であり、様々なコンクールに出ては受賞をしている、天才バイオリニストだ。

 まどかは、さやかがこの幼馴染に好意を抱いていることを知っていた。
 本人は必死に否定しているが、一度、何気なしに聞いたときの取り乱しようを見れば、いくら恋愛ごとに疎いまどかでも、察することができるというものだ。 

 現に今も、名前を出しただけでこの反応である。
 普段とは一味違うさやかの反応を見て、まどかはつい可笑しくなり、小さく笑った。

 そんなまどかの姿を見て、さやかは逆襲に出た。


「こんのー、そんなこというのはこの口か! うりうりうり!」

「やっ…ちょっと、さやかちゃん! 止めて…止め!」

「ふっふっふ、かわいくないまどかにはお仕置きだー!」


 さやかがまどかにセクハラに出る。ほっぺを掴み、むにむにといじくり回した。
 さやかはこの技に『さやかちゃんスクリュー』と名前を付けていた。
 まどかは必至の脱出を試みるが、その魔の手からは逃れられない。哀れなまどかのほっぺは、さやかの手によって弄ばれていった。
 
 見滝原にいる時と同じようなやりとりが、この鳳学園でも交わされる。
 こんなことは日常茶飯事の、まどか達にとっては普段通りの光景だ。
 
 うん、大丈夫。
 
 口には出さず、まどかはさやかに感謝した。やはり、一人では心細かった。
 いつもと違う場所でも、さやかは何も変わらない。
 それは、これからのここでの生活に対する不安を吹き飛ばすには、最高の薬だった。



32 : ◆ctuEhmj40s 2012/01/02(月) 21:36:57.53 ID:bO/S5ghS0


「あー、ちょっといいかな」

「え?」

「あ、はい」


 突然声をかけられ、二人は慌ててじゃれ合うのを止めてその方を見た。
 
 見れば、背の高い少女と、浅黒い肌のメガネをかけた少女の二人が、前に立っていた


「君たち、交換学生の人? 暁生さんに言われてきたんだけど…」

「は、はい! そうです」

「ほんとに? よかったぁ。いやー、理事長室の外で待ってるって言われて来たんだけど、具体的な場所は教えてもらってなかったからさ」


 背の高い少女はとても目の引く姿をしていた。
 
 腰まで届くロングヘアや声を聞けば少女とわかるのだが、彼女は何故か男子用の制服を着ていた。
 男子用の学ランなど、普通ならば少女に似合うわけがない。
 だが彼女に限っては、高い背と独特な雰囲気と相まって不思議と似合っている。

 男装の麗人、そんな言葉が脳裏をよぎった。


「兄は、変なところで間が抜けてますから。ごめんなさい、ウテナ様」

「姫宮が謝ることじゃないよ。聞き忘れてたボクも悪いんだし」


 ぽりぽり、と男装の少女が、罰が悪そうに頭をかく。
 
 その手には白い指輪がはめられている。
 その指輪を見て、まどかはこの少女もやはり女の子であると思った。




33 : ◆ctuEhmj40s 2012/01/02(月) 21:37:25.68 ID:bO/S5ghS0


「あ、あの…?」

「ああ、ごめんごめん。自己紹介しなくちゃね」


 ウテナ様、と呼ばれた少女が、明るく声を上げた。


「ボクはウテナ。天上ウテナ。で、こっちが…」

「姫宮アンシーです。よろしくお願いしますね。鹿目まどかさん、美樹さやかさん」





34 : ◆ctuEhmj40s 2012/01/02(月) 21:39:14.94 ID:bO/S5ghS0

―――――


 あれは、昔々のお話です。

 あるところに、お父様とお母様を亡くし、深い悲しみにくれる、幼いお姫様がいました。

 そんなお姫様の前に、白馬に乗った、旅の王子様が現れます。

 りりしい姿、やさしい微笑み。王子様はお姫様を、薔薇の香りで包み込むと、そっと涙をぬぐってくれたのでした。


「たった一人で、深い悲しみに耐える小さな君、その強さ、気高さを、どうか大人になっても失わないで。今日の思い出にこれを」

「私たち、また会えるわよね」

「その指輪が、君を僕のところへ導くだろう」

 王子様がくれた指輪は、やはり、エンゲージリングだったのでしょうか。



 …それはいいとして。

 お姫様は、王子様にあこがれるあまり、自分も王子様になる決意をしてしまったのです。

 でもいいの? ホントにそれで??





35 : ◆ctuEhmj40s 2012/01/02(月) 21:42:28.18 ID:bO/S5ghS0

―――――


「しかし、かわいい子たちだったなぁ」

「そうですね、ウテナ様」


 ウテナの言葉に、アンシーが返事をする。
 特に同意を求めたわけではなかったのだが、アンシーはウテナのことに関しては敏感に反応する。
 まだ、『友達』とは思われていないのだろうか。
 そのことを考えると、かつてのことを思い出し、ウテナは不安になる。ただ『エンゲージした相手』として自分の言葉に従っているだけではないのか、と。

 それでもかまわない、とウテナは思い直した。

 それでも自分は姫宮に対して、友として接すると決めていた。自分の願望や望みを、彼女に押し付けたりはしない。姫宮を縛るのではなく、開放するために。

 そのために、他のデュエリストたちと戦う。それが、ここ最近決めた、ウテナの決意であった。





36 : ◆ctuEhmj40s 2012/01/02(月) 21:46:34.62 ID:bO/S5ghS0


「お風呂の使い方とか大丈夫かな? わかるといいんだけど」

「そんなに心配なら、鹿目さんたちの部屋に行ってみたらどうですか?」

「いや、まどかちゃんたちも疲れてるだろうし。あんまり先輩が顔を出して、緊張させるのもどうかなって」


 学園内の案内は、特に問題もなく、予定通り終えることができた。
 
 大方の予想通り、二人とも、鳳学園の広大さに驚いてばかりだった。
 あれだけ反応してくれると、案内のしがいがあるというものだ。
 
 今は夕食を終え、各自部屋で休んでいる。
 
 まどかとさやかは相部屋だ。部屋は沢山空いているので、個別の部屋でもよかったのだが、二人は相部屋を希望したのでそうなった。
 寮での約束事の説明も終え、明日から二人は鳳学園の中等部で過ごすことになる。
 
 食堂での会話を思い出す。
 
 二人は自分よりも一つ年下だった。だったら、ミッキーのことを紹介しようかな。ミッキーなら、二人のことも親身になってくれるだろうし。
 あ、そういえば、さやかちゃん『美樹』もミッキーか。
 
 同じく一つ年下の真面目な後輩を思い出し、ウテナは偶然の一致に少し笑った。




37 : ◆ctuEhmj40s 2012/01/02(月) 21:48:20.70 ID:bO/S5ghS0


「夕食、喜んでもらえたかなぁ。腕によりをかけたつもりだったんだけど…」

「ウテナ様のお料理はおいしいですから。お二人も喜んでいましたよ」

「だといいけどな。明日からの料理当番はどうしようか。別にボクが作っても問題ないだけどなぁ」


 鳳学園では、食事は自分で用意するのが主流である。
 
 食堂もあるにはあるが、それは食事が用意できなかったときの駆け込み寺のようなもので、利用者はそれほど多くない。
 生徒の自主性を重んじるのが、この学園の教育方針だった。


「気を使わせるのも悪いですから、手伝ってもらうというのはどうでしょうか。その方がお二人も気が楽だと思いますけど」


 アンシーの提案に、ウテナは同意した。
 
 二人はお客さんでもあるが、一か月はこの学園の生徒でもあるのだ。あまり他人行儀にするのは、失礼だろう。
 一日も早く、まどか達にはこの学園に慣れてほしい。そのために、良き先輩でいようとウテナは考えていた。
 
 ウテナ達の住む東館の寮は、ウテナとアンシー以外は誰も住んでいない。

 それまで使われていなかった東館に住むことになったのは、『あの出来事』があってから決まった『生徒会』の取り決めである。
 そのため、誰か料理の得意な他の寮仲間が食事を作ってくれるということはない。
 幸い、ウテナは料理が得意なため、ここでの食事に不自由することはなかった。

 ちなみにアンシーは、かき氷・焼きそば・たこ焼き、と妙に作れるものが偏っていた。
 それを知った時は、今までこの学園でどうやって生きてきたのかと、この友人の食生活に対して不安になったものだ。





38 : ◆ctuEhmj40s 2012/01/02(月) 21:49:54.26 ID:bO/S5ghS0


「この学園のこと、好きになってもらえるかな? なぁ、チュチュ」


 チュ? とテーブルの上でクッキーを頬張っている、もう一人のルームメイトがウテナの方を向いた。

 チュチュは、アンシーが良く連れているペットである。
 サルのようなネズミのような姿をしているが、具体的にどちらなのかは聞いたことがない。
 チュチュはチュチュだ、とウテナは勝手に納得していた。


「きっと気に入りますよ。ウテナ様がそうおっしゃるなら」
 

 いや、ボクのことは関係ないんじゃないかな、とウテナは思った。
 やはり姫宮のことは、まだまだよくわからないことが沢山ある。


「でも、やっぱり都会の子は何か雰囲気が違うよね。何ていうのかな、ボクたちとは違うものが見えているっていうか」

「鳳学園は、幼等部からありますものね。この学校を卒業するまで、外を知らないという方もいるんじゃないでしょうか」

「確かに。この学校の子って、ちょっと浮世離れしてる感じがあるよね」




39 : ◆ctuEhmj40s 2012/01/02(月) 22:00:20.86 ID:bO/S5ghS0

 そういうと、アンシーは少し驚いたように、ウテナの方を見つめた。


「あら、ウテナ様は違うんですか?」

「む。そういう姫宮こそ、人のことは言えないだろ」


 アンシーに変わり者と呼ばれるのは、心外だ。
 人のことを『様』付けで呼び、部屋に押しかけ、こちらの言うことには従順に従う。
 アンシーほどの変わり者は、ウテナは見たことがない。


「そうですね」

 
 あっさりウテナの言い分を肯定すると、アンシーはお茶を入れなおした。
 もしかしたら、また自分の言うことに何の疑問もなく従ったのかもしれない。
 出会った当初から変わらないアンシーに対して、ウテナはやれやれ、と肩をすくめた。

 とはいえ、姫宮の言う通り、自分もあまり普通とは言い難い。
 男装している時点で、既に普通の道を踏み外しているようなものだ。

 それにいい年をして、昔出会った『王子様』のことを信じていることも、変かもしれない。
 前に友達の若葉にそのことを話して、笑われたことを思い出した。


(それでも…)


 それでも、ウテナはこの生き方を変えるつもりはない。
 お姫様ではなく、かっこいい王子様に。それが天上ウテナという少女の生き方だ。
 気高く、かっこよく生きる。それがウテナの行動の指針であり、在り方だった。


「とにかく、まどかちゃん達にはこの学園での生活を満喫してもらわないと。暁生さんにも頼まれているしね。
 変な場所もあるけど、鳳学園はいい所だし」


 変な場所、変な出来事、変な決闘。

 ウテナはその渦中にいる。
 が、これにまどか達が巻き込まれることはないはずだ。
 これは、ウテナとアンシーと、そして生徒会の問題だ。

 生徒会長である冬芽はしばらく学校に顔を見せていないし、副会長である西園寺は退学して行方不明だ。
 
 今、生徒会に残る樹璃とミッキーは良識ある人物で、ウテナとも仲がいい。
 彼らなら、まどか達に何かするようなこともない。

 唯一心配なのは、生徒会長の妹である七実だが、冬芽のことが絡まなければ、無闇に敵意を向けることはないだろう。





40 : ◆ctuEhmj40s 2012/01/02(月) 22:02:47.09 ID:bO/S5ghS0


「時間があったら、もっと色んなところを案内したいなぁ。姫宮、君の薔薇園にも案内してもいいかな? 
 あ、そうだ。あの森は立ち入り禁止だから近づかないように言っておかないと…」


 思えば、普通の後輩ができたのは初めてだった。

 遠巻きで歓声を上げる子はたくさんいるが、親身になった子はいない。
 ミッキーも後輩といえば後輩だが、優秀すぎて、逆に勉強を教えられることばかりだ。
 七実は、可愛がるにはあまりに敵意を持たれている。


「頑張らないとなぁ」


 まどか達の顔を思い出す。

 二人とも、とても良い子だった。
 少々引っ込み思案のまどかに、元気一杯のさやか。それがウテナの二人に対する第一印象だ。

 二人は友達で、端から見ていても仲が良かった。
 聞けば、今回の話はまどかのほうから話を受けたらしい。
 てっきり、さやかの方から誘ったものだと思い、意外に感じたものだ。

 まどかは、ああ見えて行動力があるのかもしれない。なら、さやかは意外と臆病なところがあるのだろうか。
 そんなことをウテナは考えた。

 



41 : ◆ctuEhmj40s 2012/01/02(月) 22:04:09.11 ID:bO/S5ghS0


 二人の関係は、ウテナにとってはとても好ましいものに見えた。
 
 知らない場所でも、一緒なら安心できる。
 それは、互いを信頼しているということだ。
 友達か、と聞かれれば、迷うことなく彼女たちはそうだと答えるだろう。

 自分と姫宮も、ああいう関係になれないだろうかと思う。
 
 今のままでは、自分から彼女への一方的に友達と思っているだけだ。
 姫宮は、おそらく自分のことは『エンゲージ』した相手としか考えていない。
 誰かに彼女との関係を聞かれれば、おそらく自分は自信を持って友達だと答えることは出来ないだろう。

 先輩としてしっかりしよう、と気持ちを入れ直す。

 一か月間だが、この鳳学園で楽しい生活を送ってほしい。
 そのためなら色々してあげたい、とウテナは思った。

 それは、自分たちには無いものを持っている、彼女たちへのせめてもの手向けなのだろうか。
 
 そんなことをウテナは考えた。





42 : ◆ctuEhmj40s 2012/01/02(月) 22:07:28.72 ID:bO/S5ghS0

―――――

 
 天上ウテナは、とある決闘ゲームに巻き込まれている。

 『薔薇の刻印』と呼ばれる指輪を持つものが参加できる、剣を用いた決闘。
 謎の人物『世界の果て』によって選ばれたデュエリストたちは、その決闘で『薔薇の花嫁』と呼ばれる少女を奪い合っていた。

 決闘に勝利した者は、薔薇の花嫁と『エンゲージ』し、手に入れることができる。

 そして薔薇の花嫁を手に入れたものは、やがて『世界を革命する力』を得ることができるといわれていた。

 姫宮アンシーは、その薔薇の花嫁である。

 初めて会ったとき、アンシーはエンゲージした相手に暴力を振るわれていた。
 それでもアンシーは何も言わなかった。
 薔薇の花嫁は、エンゲージした者に服従しなければならないという。

 ウテナは、それが我慢ならない。
 本人の気持ちを無視し、その身は決闘でやり取りされる。
 そんなことを喜ぶ女の子がいるはずがない。個人の人格をないがしろにする、そんなシステムを許すわけにはいかなかった。

 それから、ウテナはアンシーを守るために決闘を続けている。

 ウテナは決闘を断ることができない。
 断れば、退学。薔薇の刻印を持つものが集まる『生徒会』の権限でそれが行われる。
 
 だが、元より決闘を断るつもりはない。アンシーを守り、こんなバカげた決闘ゲームから解放する。
 それが、ウテナの目的だった。





43 : ◆ctuEhmj40s 2012/01/02(月) 22:09:05.23 ID:bO/S5ghS0


 我ながら、おかしなことに首を突っ込んだとウテナは思う。

 アンシーのことにしても、最初は変な人間としか思わなかった。
 勝手に「エンゲージしたから」といい同室となり、「ウテナ様」と呼びかける。
 大体、最初の決闘は友達の若葉を傷つけた生徒会の人間に文句をいう、それだけの目的だった。

 しかし、今ではアンシーはウテナの大切な友人だ。

 アンシーには、もっと自分のことを大切にしてほしい。
 自分だけでなく、他にも友達を作ってほしいと思う。
 
 だから、アンシーを決闘で服従しようとするものに、負けるわけにはいかない。
 
 この決闘ゲームはデュエリスト同士にしか知られていない秘密だ。
 アンシーの兄であり理事長である暁生にも、このことは知られていない。
 他の人間をこんなことに巻き込むことは本意ではなかったし、それは生徒会の人間も目的は違えど同じだった。

 だから、まどか達は無事に学生生活を送れる。
 何も心配することはない。そうウテナは考えていた。

 その、はずだった。





53 : ◆ctuEhmj40s 2012/01/05(木) 21:30:50.32 ID:thPNFkWS0


 ホームルームが終わると、どっ、と疲れが体から湧いてきた。

 礼が終わり、クラスメイトはそれぞれ散っていく。
 友達とたわいないおしゃべりをする人。日直で黒板を消す人。
 図書館や部活に行く人。仲間と共にグラウンドに行く人。やることは様々だ。
 
 そんな中、まどかとさやかは力なく、机に突っ伏していた。


「はー、疲れたねー。まどかー」

「そうだね、さやかちゃん」


 夕暮れ、と呼ぶにはまだ日は高い。
 遊んだり、学園内を散策する時間も十分にあるだろう。
 しかし、今は少し休みたい気分だ。
 疲れた体に、教室の窓から入る日の光は、思いのほか心地よかった。





54 : ◆ctuEhmj40s 2012/01/05(木) 21:37:15.59 ID:thPNFkWS0

 
 学園生活一日目は、予想通りクラスメイトからの質問の嵐だった。

 今回は失敗しなかったと、まどかは思う。
 自己紹介を何とか上手くこなすことができた。小学生とき転校してきた時は、上がってしまい、上手にできなかった。
 
 あれから学んだことは、リハーサルは大事ということだ。
 
 あらかじめ、さやかに頼んで部屋で練習をしておいてよかった。
 そのさやか自身は、何もしてないのにあっさりと元気良くこなしてしまったのだけれど。
 
 放課後になり、教室に居る生徒はまばらだ。今日一日の喧騒が、嘘のように引いている。
 怒涛の一日が終わり、まどか達はようやく一息が付けた。


「転校するなんて初めてだから、こんなに疲れるものとは思わなかったわ…」


 さやかが、転校初日の感想を口にした。
 
 まどかも、質問攻めは慣れない。
 着慣れない制服と合わせて、いやがおうにも緊張してしまう。
 自分のことを喋るというのに、意外と難しい。自分のことなのに、ままならないのは不思議なことだ。



55 : ◆ctuEhmj40s 2012/01/05(木) 21:42:37.98 ID:thPNFkWS0


鳳学園の制服は、古き良きセーラー服である。

少々スカートの丈が短いような気もするが、着心地は悪くない。
昨日部屋でさやかと見せ合いっこしたが、初めて着る制服を身に着けると、互いに別人になったような気分になった。

鳳学園は伝統ある学園のためか、色々なところがレトロだ。
建物自体は新しいが、教室は黒板だし、机も木製である。

まどか達の見滝原中学では、電子黒板で板書は大きなディスプレイに表示されていたし、机も床に収納できる最新式である。
それまで、自分たちの居た学校が最先端の技術がつかわれているという評判には、まどか達はあまりピンとこなかったが、あながち誇張でもないようだということをここにきて実感した。

確かにこうして他の学校を知ると、見滝原中学校の教室は技術の塊だということがわかる。
プロジェクターや電子黒板などその最たるものだろう。

教室の壁も透明な材質で解放感溢れるものだったし、ある種の新しい考えに沿って設計が行われていたことが感じられる。
鳳学園の教室が、個室のように区切られていたことには最初驚いたが、考えてみれば透明に設計することの方が、手間がかかるし、何か意図がなければそんなことはしないだろう。
違う場所に来て、初めて自分たちがいた場所の価値を知るとは、なんとも間の抜けた話だった。

だが、黒板や木の机も使ってみると意外と悪くない。

むしろ独特の温かみがあり、まどかはこちらの方が気に入ったくらいだ。
掃除のときの、机の移動にはさすがに疲れてしまったけれど。





56 : ◆ctuEhmj40s 2012/01/05(木) 21:45:11.68 ID:thPNFkWS0


「あんなに質問されると、なんか、あたしの人生を根こそぎ持ってかれるような気分だったよ」

「まぁ、あんな風になるのは今だけだよ。少し経てば落ち着くよ、さやかちゃん」

「おっ? 経験者は語るねー。いやー、そうじゃないと身が持たないっスよ。先輩」


からかうように、さやかが言う。確かに、この場合自分は先輩になるのだろうか。
 
そう思うと、まどかは不思議な気分になる。
さやかに先輩と呼ばれる日が来るとは、思ってもみなかった。

かつて、まどかは転校した時、なかなか周囲に馴染めなかった。

その時、色々と助けてくれたのがさやかだ。
それからまどかは友達を増えていき、クラスに溶け込めるようになったのだ。

さやかに助けられたのは、まどかの大切な思い出だ。

もしかしたら、今度は自分がさやかにそのようなことができるのだろうか。
もしさやかを引っ張れるようになれば、自分は変われるかもしれない。





57 : ◆ctuEhmj40s 2012/01/05(木) 21:46:44.52 ID:thPNFkWS0


「美樹さん、鹿目さん!」


と、そこでクラスメイトの一人が現れた。


「あ、その、えーと…」

とっさのことで、名前が出てこない。確かこの子は…。


「影絵さん、だよね!」


「そう! 覚えてくれてありがとうね!」


まどかが、まごまごしているうちに、さやかが答えてしまった。
それを見て、まどかは少し自分が不甲斐なく感じる。
こういうときこそ、転校の経験がある自分が答えるべきだったのだ。
やはり、変わることは一筋縄ではいかないようだ。


「美樹さんたちって、東館の寮に住んでいるのよね?」

「うん。そーだけど?」

「いいなぁ。東館ってことは、ウテナさまと一緒に住めるんでしょ? うらやましいわ~」


 うっとりしたように、クラスメイトの影絵さんは羨望の眼差しをまどか達に向けた。


「天上先輩?」

「そう! この鳳学園に咲く強く気高い一輪の薔薇! それがウテナさまなの!」





58 : ◆ctuEhmj40s 2012/01/05(木) 21:49:56.91 ID:thPNFkWS0

「へ、へぇー…」

とても力強く、影絵さんは答えた。ぐっと、拳を握り。全身で、天上ウテナのことを自慢する。
それを見て、まどかとさやかは、改めてウテナの人気の高さを実感した。

あの男装をした先輩、天上ウテナに関しては、今日一日で何度もその名前を聞いていた。


曰く、彼女は全ての女生徒の王子になるために男装をしているとか。

曰く、スポーツ万能であらゆる部活動から助っ人として呼ばれているとか。

曰く、この学園で絶大な人気と支持を受けている生徒会からも一目置かれているとか。

曰く、様々な天才が集められる、通称『黒薔薇会』からも、お声がかかっているとか。

曰く、彼女は夜な夜な悪と戦う正義のヒーローとか。


休み時間に質問攻めにあいながらも会話をしたが、取り立て女生徒の話題の的は、あの天上ウテナという先輩の事だ。
どうやら、彼女は女生徒の間では凄い人気者のようだった。


「確かに、あの人カッコイイもんね。あんなに男子の制服を着こなしている人なんて初めて見たもん」


「でしょでしょ! ああ、ウテナさま~。わたしもラブレター書いてみようかなー」





59 : ◆ctuEhmj40s 2012/01/05(木) 21:54:03.00 ID:thPNFkWS0


(なんかすごいね、まどか)


 一人盛り上がり始めた影絵さんを見て、さやかはまどかに視線を向けた。


(うん。こういうのって本当にあるんだね…)


噂や恋の話は、まどか達の見滝原中学校でもあったよくある話のタネだ。
だが鳳学園では、それとは一味変わった、独特なものが多いとまどか達は思う。

例えば生徒会のことだ。

生徒会のメンバーでは誰が一番カッコイイかなど、まどか達は話したことがない。
生徒会など、まどか達にとっては、嫌々に推薦された生徒が無風選挙でなるものだった。
それが、この学園ではメンバーになることはとても名誉なことであり、文武両道でなければ勤まらないものらしい。

アイドルのような人気のある生徒がいるのも驚きだ。
ウテナもそうだが、生徒会のメンバーも負けず劣らずの人気があり、色んな派閥があるらしい。
人気者はどこにもいるものだが、プレゼントやラブレターを送ることなど聞いたことがない。
しかし、この学園ではそれが、さも当然のように行われている。

噂も変わったものが多い。

誰も知らない謎の部活『劇団カシラ』。
どんな悩みも、たちどころに解決してしまう根室記念館の面会。
その昔、100人の少年が行方不明になった建物。
夜な夜な徘徊するカンガルー。
永遠があるという幻の城。
食べると人格が入れ替わるカレー。

噂なのだから、荒唐無稽なのはわかる。

だが鳳学園での噂は、それにしても突拍子の無いものが多かった。
この広大な学園の、果てのないような雰囲気がそうさせるのだろうか。
広すぎて何が起きても、誰も気づかない。そんな雰囲気が。

まるで、鳳学園が別の国のようにまどかは感じた。
見滝原とは別の世界にある学園。
自分たちの住んでいた場所と、この学園が地続きとは思えない。


「そういえば、今日ウテナ様はバスケ部に助っ人に行っているのよね。貴方たちも見に行かない? きっと、ウテナ様も喜ぶわよ」






60 : ◆ctuEhmj40s 2012/01/05(木) 21:57:16.19 ID:thPNFkWS0

―――――


ウテナが一瞬の隙を突き、男子生徒からボールを奪う。

その瞬間、見物していた女生徒から歓声が上がった。
素早い動きで、そのまま相手のゴールに向かう。
ディフェンスを難なくかわし、一気にゴール下まで距離を肉薄した。

そのままボールを持って飛び上がり…。


「だ、ダンクシュート?!」

「す、凄い…」


ボールを勢いよく、ゴールに叩きつける。
その手でゴールポストにぶら下がると、ウテナは難なく着地した。

その姿に、女生徒からの歓声は一層大きくなった。

ダンクシュートを決める女の子など、まどか達は初めて見た。
それ以前に、あそこまで男子に交じって互角にスポーツをする女の子など、見たことがない。

あー、こりゃ人気でるわ、とさやかは納得した。

確かに、ウテナは憧れるに足る存在だった。兎にも角にもカッコイイ。

結局、そのままゲームはウテナの居るチームが勝利した。
ウテナがグラウンドを離れると、たちまちタオルを持った女生徒が殺到する。
ウテナは律儀に、一人一人に話しかけていた。





61 : ◆ctuEhmj40s 2012/01/05(木) 21:59:39.48 ID:thPNFkWS0


「あれで、あたし達と一つしか違わないんだよね」

「うう…。私14歳になっても、あんな風になれる自信ないよ…」

「あたしだってないわよ。ありゃ、別次元の生き物だわ。うがー! 世の中はなんて不平等なんだー!」


さやかが、吼えた。
まどかもあんな風にかっこよくなれたらなぁ、と思う反面、そんな願いは自分には大それたことのように思う。
あんな風にダンクシュートを決める自分の姿など、どうしても想像できない。


「あ、まどかちゃんー! さやかちゃんー!」


ウテナがまどか達に気が付き、声をかけた。
追ってくる女の子に断りを入れ、まどか達に合流した。


「試合、見てたんだ。嬉しいなぁ」

「天上先輩! カッコよかったっすよ!」

「ありがとう。でもそれならもっと、気合を入れてやるんだったよ。折角見に来てくれてたのに。ボールも結構取られちゃってたし」

「いやいや。ダンクシュート決めた時点で、十分かっこよすぎですって」

「あはは、そういってくれると嬉しいな」


さやかの言葉に、ウテナは、少し照れたように顔を染めた。
恥ずかしいのか、髪を弄ったり頬をかいたりと落ち着かない。




62 : ◆ctuEhmj40s 2012/01/05(木) 22:03:02.84 ID:thPNFkWS0


その様子を見てまどかは、ウテナの人気の理由がわかったような気がした。

天上ウテナは、奢った感じがない気さくな人間だ。
自分のことをひけらかさないし、相手を威圧したりもしない。
おそらく、どんな人間とも自然体で向き合うのだろう。その姿に、色んな人が惹かれるのだ。


「ところで、姫宮先輩は一緒じゃないんですか?」

「姫宮は、あんまり人が多いところには顔を出さないから。たぶんまた温室じゃないかな?」


ウテナがやれやれ、と呟く。
寮のもう一人の先輩の姿を、まどか達は思い出す。
確かに姫宮先輩は、あまり人前に出るようなタイプには見えなかった。
 
どうやら、ウテナは引っ込み思案な友人に苦労しているらしい。
さやかはわかるわかる、といった表情をウテナに向けた。


「温室…ですか?」

「姫宮が世話をしている薔薇園があるんだ。まどかちゃんは温室に興味があるの?」

「パパが家庭菜園をしていて。少し、手伝いとかもやってたんです」

「いいなぁ、お父さんか。ボクは親なしだからなぁ。そういう話はうらやましいよ」

「え?」

「ああ、ごめんごめん! 気にしないで」


 そういわれても、まどか達は反応に困ってしまう。

 その表情を見て、ウテナはバツが悪そうに頭をかいた。
 後輩に気を使わせるようでは、先輩失格だと、内心反省した。





63 : ◆ctuEhmj40s 2012/01/05(木) 22:07:52.46 ID:thPNFkWS0

「天上先輩」


と、そこに一人の少年が現れた。


「あ、ミッキー」

「へ? 『みっきー』って私ですか?」

「あ、ミッキーっていうのはさやかちゃんじゃなくて。こっちの…」


ウテナは現れた少年に、視線を向けた。

短髪の小柄な少年だ。
中性的で顔立ちで、どこことなく幼さを感じさせる。

もしかしたら、同学年かも、とまどか達は思った。
ただ、少年は普通の男子生徒は違う制服をしており、どこか異質な雰囲気を体にまとわせていた。


「ええと、君たちは?」

「交換学生のまどかちゃんとさやかちゃんだよ、ミッキー。生徒会にも話は届いているだろう?」

「ああ、この人たちが!」


合点がいったように、少年は声を上げた。





64 : ◆ctuEhmj40s 2012/01/05(木) 22:10:18.88 ID:thPNFkWS0


「初めまして、生徒会の薫幹です。同じ中等部の一年生です。よろしくお願いします、鹿目さん美樹さん」

「こ、こちらこそ!」


生徒会。その単語を聞き、まどか達は思わず頭を下げてしまう。
その様子を見て少年――薫幹は、慌てたように合わせて頭を下げた。


「そ、そんなに固くならないでください。生徒会と言っても、単なる雑用係みたいなものですから」


そんなはずはない。
噂で出てきた、生徒の間では絶大な人気を誇るその執行部員たち。
彼らの凄さは、何度も耳にしている。この少年もそんな人気者の一人なのだろう。
そんな人物を前にしては、つい緊張してしまう。

まどか達が互いに距離を測りかねていると、何も知らないウテナがすんなりと声をかけた。


「それより、ミッキー。どうしたんだい? 何か用事があったんじゃ」





65 : ◆ctuEhmj40s 2012/01/05(木) 22:12:52.44 ID:thPNFkWS0


「ああ、そうだった。天上先輩、姫宮さんがどこに行ったか知りませんか?」

「姫宮ならいつもの温室だと思うけど?」


アンシーは、放課後は大抵、中庭の温室で薔薇の世話をしている。

初めてウテナがアンシーを見かけたのも、あの温室だ。
鳥かごのような形の、色んな種類の薔薇が咲き誇る小さな温室。
薔薇とアンシーの小さな世界。


「そこは先ほど覗いたですけど、姿がなくて…」

「え、本当? じゃあ、どこだろう。暁生さんの所かな?」

「あ、いえ。大した用事ではないんです。
 ただ…、その、一緒にピアノを弾いてもらえたら、と思って…」
 
声は、最後に向かうにつれて小さくなっていった。
 
自分の言葉に恥ずかしさを覚えたのか、幹は赤くした。
何ともわかりやすい、とウテナは思う。
これで気が付かない人間は滅多にいないと思うが、その滅多にいない人間が顔を赤くする相手なのだから、人生は険しいことを実感する。

薫幹が姫宮に気があることは、ウテナや生徒会には周知の事実だ。
問題は、アンシーの性格を考えるとあまり報われそうにないことだが、おそらく本人もそのことは理解しているだろう。
頑張れミッキー。ウテナは、内心でエールを送った。





66 : ◆ctuEhmj40s 2012/01/05(木) 22:15:12.66 ID:thPNFkWS0


(この人が、生徒会の人なんだ…)

(うーむ、噂にたがわぬ美少年。このレベルが何人もいるのか…)

(凄い人なんだろうな…)


後ろめたいことを話しているわけではないが、つい小声になってしまう。
同年代とはいえ、面と向かって話すにはまどか達には少々気が引けた。それほど、噂で聞いた生徒会メンバーという人物は遠い存在に思えたのだ。

生徒から絶大な人気を誇り、学内の秩序と風紀を守っている生徒会。
そこには各分野の秀才や天才が集まるという。

秀才や天才などという言葉は、まどか達にとっては無縁の言葉だった。
そのように呼ばれた記憶はないし、おそらくこれからも呼ばれることはないだろう。
学園全体に認められた彼らは、自分たちとは次元の違う存在のように思えた。
この鳳学園に認められたのなら、なおさらだ。


「鹿目さん、美樹さん」

「は、はい!」

「何かあったら、生徒会を頼ってください。我々は貴方たちの力になりますよ」

「わ、わかりました…」


幹と会話するまどか達は、どことなくぎこちない。
やはりまだ鳳学園に来たばかりで、緊張しているのだろうか。
もしかしたら、男子に話しかけられることに慣れていないのかもしれない。

微妙に的を外しているのだが、ウテナはそのことには気づかなかった。


「音楽室にも、よかったらぜひ顔を見せてください。僕は大体、放課後はそこに…」





67 : ◆ctuEhmj40s 2012/01/05(木) 22:17:57.19 ID:thPNFkWS0


「ああ、いたいた。幹! こんなところで何をしているよ」


そこで、幹の言葉を遮るように、けたたましい声が校舎の方から飛んできた。

驚き、何事かとまどか達がそちら方の見ると、小さい少年を一人携えた少女がずんずんとこちらに向かってきていた。


「七実じゃないか。石蕗くんもこんにちは」


石蕗、と呼ばれた少年はウテナにペコリとお辞儀をした。

小さい子はどうやら初等部の子のようだ。
弟のタツヤが少し大きくなれば、この子のようになるのだろうか。

まどかは、見滝原にいる弟のことを思い出した。
考えてれば、タツヤと離れたのは初めてだ。そのうち、電話をしてみるのもいいかもしれない。

対して七実と呼ばれた少女は、物凄く不機嫌そうな顔をしていた。
薫幹と同じく、他の生徒とは違った制服を着ている。彼女も生徒会の人間なのだろうか。

しかし、幹とは違い物腰柔らかな態度ではない。
まどか達には目もくれず、ただウテナを鋭く見つめていた。





68 : ◆ctuEhmj40s 2012/01/05(木) 22:23:48.60 ID:thPNFkWS0


さやかは、この七実の態度に不快感を持った。

こちらを完全に無視をしているのも気に食わないが、それ以上に気になったのはウテナへの視線だ。
あれは、羨望や憧れといったものではない。
目の前の相手を心の底から憎んでおり、隙あらば自分の世界から排除しようとする、そんな目だ。

明らかな敵意を、七実はウテナに向けていた。


(何か、嫌な感じだな)


初対面だが、七実の性格の悪さを、さやかは感じていた。
決めつけるつもりはないが、何となくわかってしまう。
自分の気に入らないものは徹底的に排除する。そんなことを感じさせる目を、七実はウテナに向けている。


当のウテナは、気づいているのかいないのか、特に睨み返すこともなくのほほんとしていた。
やがて効果がないとみると、ふん、と七実はそっぽを向いた。


「ちょっと幹! 生徒会の仕事が溜まっているのだから、サボらないでくれるかしら。頼んでおいた報告書がまだ上がっていないのだけれど?」

「サボってたわけじゃないよ。今日の集まりときに提出するよ。それに、提出期限はまだ先だろう?」

「過ぎていなくても、早く出してくれないと困るのよ。やってもらいたい仕事は山ほどあるんだから。期限の一週間前には提出してもらわないと困るわ」

「そんな無茶苦茶な…」

「無茶でも何でもやってもらわないと困るの。私だって書類を書いているのだからおあいこでしょ」

ツリ気味の目が、一段と吊り上った。
言葉には怒気が満遍なく振り掛けられており、ウェーブ掛かった髪は怒りで逆立ったような錯覚を見る者に与える。

余裕がないなぁ、とウテナは心の中で呟いた。





69 : ◆ctuEhmj40s 2012/01/05(木) 22:27:09.78 ID:thPNFkWS0


ここ最近の七実は、いつにもまして落ち着きがない。
わがままなのはいつも通りだが、誰にも彼にも当たり散らしている。
交換学生でお供の三人娘がいないからだろうかと、ウテナは考える。
石蕗くんがいるが、それでも寂しいのかもしれない。


「それもこれも…天上ウテナ!」

「え、ボク?」

「全部アンタが悪いのよ! 貴方のせいで、お兄様は学校にも顔出さずにずっと部屋に閉じこもって…。
 それもこれも、アンタがお兄様を傷つけたから!」


あー、なるほど、とウテナはようやく七実が不機嫌な理由を理解した。
物凄く理不尽な理由だが、それを貫こうとするのが七実の七実たる所以である。

ギリギリ、と七実は歯ぎしりを立てる。

石蕗が、どうどう、と落ち着くように促す。
それがますます気に障ったのか、七実は彼の頭をハタいた。
あんっ、と石蕗が嬌声の声を上げる。

やれやれ、と再度石蕗に当たろうとする七実を、ウテナ止めた。





70 : ◆ctuEhmj40s 2012/01/05(木) 22:29:19.05 ID:thPNFkWS0


「なんで、そうなるかな。大体、先に決闘を申し込んできたのは冬芽じゃないか。
 ボクだって一度負けたけど、こうやって普通に生活できているし。冬芽のことは冬芽自身の問題だろうに」

「うっさいわね! アンタがお兄様に負けていれば、こうはならなかったのに! やっぱりアンタって空気が読めないわね!」

「空気を呼んで真剣勝負をするヤツなんかいないよ」


ウテナの正論を華麗に耳から排除し、七実は勢いを増した


「そーよ。全部アンタが悪いんだわ! お兄様の元気が無いのも、そのせいで生徒会が忙しいのも、茎子たちがいなくてアタシが苦労しているのも全部ね!」

「あのなぁ、七実…」


 いいかげんに…、とウテナが口に出そうとしたとき、さやかが割り込んだ。


「ちょっと。何よアンタ!」


そこで、七実は初めて、見慣れない生徒がいることに気がついた。


「アンタこそ誰よ? 見ない顔だけど」

「この人たちは、交換学生の人たちだよ。君も話は聞いているだろ?」

「交換学生~?」


幹に言われ、ジロジロ、と七実はさやかを観察した。


「な、なによ…」





71 : ◆ctuEhmj40s 2012/01/05(木) 22:33:05.08 ID:thPNFkWS0


「ふん。やっぱり部外者は品がないわね」


その言葉に、さやかは一瞬で七実を嫌な奴と結論を出した。


「あんだと!」

「あら、見ての通りじゃない。話し方も下品ね。ここは貴方たちの本当の居場所じゃないんだから、大人しくしてなさいな」


もう既にさやかのことなど眼中にないように、七実はウテナに視線を戻す。
その態度が、さらにさやかの神経を逆なでした。

こちらを気に食わないのは別にいい。
人には好き嫌いがあるし、気に食わないことも当然あるだろう。

だが、それを隠そうともしないのはどういうつもりなのか。
七実は本心を隠そうともしない。我慢というものをしないのだ。
それは、世界は自分が中心だと疑わないことと変わらない、傲慢だ。
そして高慢な物言いは、明らかにこちらを見下していた。

まださやかが自分を睨みつけていることに気が付くと、七実はとことん人を馬鹿にした目つきでさやかを睨みつけた。


「鳳学園は選ばれた者のみが入れる、高尚な学園よ。
 本来なら貴方たちのような人が入れるような場所じゃないんだから。期間中は大人しくしておくことね」





72 : ◆ctuEhmj40s 2012/01/05(木) 22:36:47.52 ID:thPNFkWS0


「七実くん! 失礼じゃないか」

「あら、本当のことでしょ。幼等部から過ごしてる者がほとんどなんだから。知性も肉体も作りからして違うのよ」


頭に血が上り、シュシュ、とさやかは素振りを始めた。

あわてて、まどかは止めに向った。
止めるなまどか、貴族に庶民の意地を見せてやる。
さやかは視線を送り、さらに素振りを行った。


「僕はあまり勉強出来なかったけど、普通入れたけどな」


 と、そこでウテナが口をはさんだ。


「アンタは裏口入学でしょ! どーせ!」

「酷いな。暁生さんはそんな人じゃないよ。それに君の言う『高尚』な学園がそんなことするわけないじゃないか」

「くっ、天上ウテナ…! どこまでも忌々しい…」


ウテナに、顔に泥を塗られ、ますます七実は不機嫌になる。

その様子を見て、さやかは勝ち誇ったように声を上げた。


「ほーら、アンタだってあたし達と何も変わらないんだから。調子に乗るんじゃないわよ!」

「ふん。阿呆だからって、他の生徒まで阿呆になるわけないでしょ。それにこいつはしょっちゅう追試を受けているんだから。やっぱり落ちこぼれよ!」

「おやおやぁ、そんなこと言っていいのかなぁ? 天上先輩はファンが多いんだし、この学園の生徒はそんな人に憧れるような生徒ってことになっちゃうけどぉ?」

「ふん。高潔な人間は、時として下賤な人間に憧れるものなのよ。色んな責任を持たなくてもいい、そんな生き方をね」

「何よ、やりたくもないことしてるだけじゃない。好き好んで高いところに居るのに、震えているんじゃないわよ」

「ぐぎぎ…」

「うぐぐ…」




73 : ◆ctuEhmj40s 2012/01/05(木) 22:39:37.53 ID:thPNFkWS0


さやかと七実は真っ向からにらみ合う。

七実に、こうまで食いつく人間は珍しい。
七実は自分の意見を曲げることは絶対にしないため、大抵は相手が先に折れるからだ。
しかし、頑固者なのはさやかも変わらない。
一度決めたら突っ走るのがさやかの美徳であり、融通が利かないという欠点でもある。

もしかしたら、良い友達になるのかもしれない。
バチバチとにらみ合う二人を見てウテナは思った。

意外とこういうタイプは長く関係が続くものだ。
互いに互いが目につくからである。
仲良くはなることはないかもしれないが、互いに歯に衣着せぬ物言いが出来るのなら、それは良い友達と言えるだろう。

やがて、にらみ合いを不毛に感じたのか、ふんと七実は鼻を鳴らすと、幹に言葉を残した。


「幹! とにかく早く来てちょうだい。お兄様がいない間は、わたくしが生徒会を守らなくてはいけないんですから。
 貴方たちも、大人しくしていることね。何か問題を起こして私たちの手を煩わせないでちょうだい。じゃあね!」

「あ、七実くん! 天上先輩、またあとで!」

「ミッキー。がんばれよー」


呑気に、ウテナは七実と幹を見送る。
さやかは去りゆく七実の後ろ姿に、あかんべーを送った。
嵐のような七実の登場に、まどかはただ圧倒されるばかりであった。






78 : ◆ctuEhmj40s 2012/01/08(日) 21:04:49.84 ID:CFFDnvTf0

―――――


寮に戻った後も、さやかは七実に腹を立てていた。


「何なんですか、アイツ! 天上先輩に喧嘩売るし、アタシたちもバカにするし!」


夕食時になり、まどか達は食堂に集まっている。

食堂は広いが、ここにいるのはウテナとまどか達だけだ。
木の長いテーブルに真っ白なテーブルクロスが一面に覆われているのは、なかなかに壮観だが、それが余計に寂しさを際立たせている。
しかしそれとは対照的に、ウテナ達の間では話に花が咲いていた。

食堂のテーブルの上にはウテナが作った料理が並んでいる。
今日の夕食は、ハンバーグに、残っていた野菜をオリーブオイルと塩コショウで和えた簡単なサラダだ。

さやかは怒りでお腹が空いたのか、がつがつと目の前の料理を食べていた。
真っ白なテーブルクロスを汚さないかまどかはハラハラしたが、器用にこぼさず脇目を振らずに食べていた。

さやかの食べっぷりを見て、ウテナは気持ちがよくなる。
今日の献立は、冷蔵庫の整理ついでだったのだが、思いのほか見栄えの良いものができたと、満足する。

それに、まどか達が手伝ってくれたことも嬉しかった。
やはり、大人数で料理するのは楽しいものだ。
古びた寮だが、人数が増えて雰囲気もどことなく明るかった。





79 : ◆ctuEhmj40s 2012/01/08(日) 21:09:42.81 ID:CFFDnvTf0


「もしかして、七実さんのことですか?」

「わかりますか、姫宮先輩!」

「まぁ、その言動を聞けば何となく」


ねぇ、チュチュ? とアンシーがチュチュに話しかける。
チュ! とチュチュは同意するように鳴くと、すぐに食事に戻った。
今日の夕食も気に入ったのか、食事に夢中だ。


「くっそ~。今度会ったら絶対鼻を明かしてやる…」

「さやかちゃん、ケンカはダメだよ」

「だって、まどかは悔しくないの! あんなふうに上から言いたい放題言われてさ!」

「うーん…」


悔しくなったほうが、いいのだろうか。

確かにいい気分はしなかったが、かといってあの七実という少女に何かしたいとか、そのような気持ちはまどかは湧かない。
思えば、あそこまで面と向かってバカにされたことはなかった気がする。
悔しいというより、どんな反応をすればいいのかわからないのが、正直なところだ。


「七実は別に君たちを嫌っているわけじゃないよ。ボクと一緒だから嫌みをいっただけさ。
君たちに特別な感情を持っているわけじゃないよ」

「はぁ」

「くっそ、それにしても腹が立つなぁ。ああいうのって、自分が世界の中心だと思ってるんですかね」





80 : ◆ctuEhmj40s 2012/01/08(日) 21:15:49.28 ID:CFFDnvTf0


「七実さんの世界の中心は、冬芽さんですよね?」

「そうだろうね」


七実は実の兄である、桐生冬芽のことが大好きだ。

そのため兄に近づく女性は、全て『悪い虫』と決めつけ、目の敵にしている。
ウテナのことを嫌っているのも、冬芽がらみのことが原因だった。


「あの、冬芽さんって、生徒会長の?」


まどかには聞き覚えがある。
生徒会、その会長の名前として聞いたのが『冬芽様』だ。
確か、ルックスも人気も飛び切り抜群の生徒会長だ。


「そう生徒会長だよ。高等部二年・桐生冬芽。七実の兄貴さ。今はちょっと学校を休んでるだけど」

「今は、七実さんが会長代行として生徒会を仕切っていますよね」

「げっ。じゃあ、アイツが今は生徒会長なんですか!?」

「うん。ちゃんと一生懸命やっているよ。何か失敗して、兄貴の顔は汚したくないだろうし」


うへぇ、と心底嫌そうにさやかは声をあげた。


「七実さんは、お兄さんの冬芽さんが大好きですから」

「ブラコンかよ…」

「まあ、何か嫌がらせをされたらボクに相談してよ。
あれでちゃんと常識はあるし、兄貴絡みじゃなきゃそんなことはしないだろうけどさ」


その冬芽も、今は学園には姿を見せていない。
何かの間違いで出会うようなことがなければ、問題はないだろう。
もし出会えば冬芽は口説きにかかってくるかもしれないが、そこは運を天に任せるしかない。
桐生冬芽のプレイボーイっぷりは、鳳学園でも有名だ。





81 : ◆ctuEhmj40s 2012/01/08(日) 21:20:40.10 ID:CFFDnvTf0


「冬芽さんのことになると、本当に見境がなくなりますものね、ウテナ様」

「本当にね。全く、悪い兄貴だよ、冬芽は」


事実、冬芽は妹である七実を体よく利用している節がある。

妹の愛に気づき、それを利用する。
『策略家』と言ってもいい。
その能力が彼を生徒会長という立場に立たせている所以かもしれない。

高い上昇志向にして、自信家。
それが桐生冬芽という人間だ。
そしてウテナは桐生冬芽の言葉には、様々な毒があることを、身をもって経験していた。


(嫌いじゃないんだけどな…)


冬芽のしていることを許すことは出来ない。

が、冬芽との出会いで得るものは大きかったのもまた事実だ。
彼との一件がなければ、ウテナはアンシーのことを理解することも出来なかったし、他のデュエリストと同じアンシーを抑圧するだけの存在となっていただろう。

それに、助けてもらったこともある。冬芽自身の目的があったにしろ、それでこの身を守ってくれたこともあったことは変わりない。

そうした理由から、ウテナは冬芽のことを何となく憎むことは出来ない。
悪い奴ではあるが、休んでいれば心配にもなるし、見舞いにでも行こうかと思う存在なのだった。





82 : ◆ctuEhmj40s 2012/01/08(日) 21:23:53.15 ID:CFFDnvTf0


「天上先輩とその桐生冬芽って、何かあったんですか?」

「へっ? な、なんで…?」


突然のさやかの質問に、ウテナは狼狽した。

そんなことはないだろうが、タイミングがタイミングだ。
心を読まれたかのような錯覚に陥った。


「だって七実って、天上先輩のこと目の敵しているし。それなら、その兄貴のことで何かあったのかな、と」


まどかは思い出す。そういえば、あの時七実は何かを言っていた。確か…。


「そういえば、七実さんも決闘がどうとか…」

「決闘?! どーいうことよ、まどか!」

「え、えっとね。七実さんがね、お兄さんが学校に来なくなったのは『決闘』に負けたからって言ってて」

「天上先輩! どーいうことですか!」


さやかは目を輝かせていた。

さやかの中では、既に天上ウテナは学園のヒーローという認識になっていた。
そのウテナが『決闘』である。

『決闘』。聞くだけで、心躍る言葉だ。


「え、えっとそれは…」

「ウテナ様は、私をために冬芽さんと決闘したんですよ」

「ちょ、ちょっと姫宮!」

「あら、いいじゃありませんか。嘘をついてもしかたありませんよ」

「いや、そこはつこうよ。なんでこんなときだけ正直かな、君は」

「どうもどうも」


アンシーが照れたように返す。いや褒めてないって、とウテナはツッコミを入れた。





83 : ◆ctuEhmj40s 2012/01/08(日) 21:27:15.34 ID:CFFDnvTf0


「姫宮先輩を巡って決闘?!」

「な、なにかあったんですか?」


既にさやかは聞く気満々だ。
まどかも、控えめであるが興味津々といった感じである。
こりゃ話すまで終わりそうにないな、とウテナは腹をくくった。

冬芽とウテナの間にあったことを要約するとこうなる。


生徒会長である桐生冬芽は女ったらしであること。

姫宮が気に入ったのか、手を出してきたこと。

話し合いで解決する問題ではなかったため姫宮を守るために勝負し、そして一度負けたこと。

しかし後日リターンマッチをし、勝ったこと。


無論、実際にどのようなことがあったのか、話したりはしなかった。
この学園で行われている決闘ゲームに、まどか達を巻き込むわけにはいかない。
それに、そんなことを話せば、まどか達はこの鳳学園をおかしな学園だと思い、嫌ってしまうかもしれない。
ウテナは、決闘ゲームが行われていること嫌っているが、この学園そのものは気に入っているのだ。

嘘をついているわけではない。

桐生冬芽は、たしかに『薔薇の花嫁』である姫宮アンシーを狙い、ウテナに勝負を挑んできた。
一度敗北し、そして二度目の決闘で姫宮を取り戻したのも本当だ。

が、事実を話しているわけでもない。
真実を話さないなら、それは嘘と何が違うのだろうか。
むしろただ嘘をつくよりも、言い訳を用意しているだけ卑怯なことだ。

あまり褒められたことじゃないな、とウテナは話しながら心の中で自嘲した。
これでは王子様失格だ。




84 : ◆ctuEhmj40s 2012/01/08(日) 21:29:55.18 ID:CFFDnvTf0


「――と、いうわけ」

「凄いっすよ天上先輩! 友達を守るために決闘までするなんて。くっそー、その生徒会長は女の敵ですね!」


さやかはどうやら、冬芽のことを悪の親玉と認定したようである。
頭の中では、七実と合わせて、黒いオーラを纏っているように見えているのかもしれない。


「別に酷いことするわけじゃないけどね。誰にでも優しいってだけで。プレイボーイって大体ああいうものじゃないのかな?」

「それでも許せないですよ! 姫宮先輩を無理やり自分のものにしようとするなんて! 何でそんな人なのに人気があるんですか?」

「うーん、文武両道だし、仕事はきっちりこなすからなぁ。女の子たちも、冬芽がそういう奴だって知っていて慕っているし」

「冬芽さんは、優しいですから。ラブレターを貰えば返事は必ずしますし、その人が望めば甘い愛のささやきもしてくれる人なんですよ」


そういえば、姫宮もそうだったのだろうか。

ウテナが敗北した後、一時的だがアンシーは冬芽の元で生活を送っている。
その間に冬芽や嫉妬した七実に何かされなかったのだろうか。
今更ながら、ウテナはアンシーのことが心配になった。





85 : ◆ctuEhmj40s 2012/01/08(日) 21:32:13.74 ID:CFFDnvTf0


「ボクはそうは思えないけどな。いらないって言ったのに、パーティのドレスを贈ってきたりするし」

「ド、ドレス…?」

あまり聞きなれない言葉に、まどかは反応する。
『ドレスが贈られる』なんて、普通は使わない言葉だ。


「ああ、たまに生徒会主催で開くんだよ。パーティやら、舞踏会やら。誕生会の場合もあったかな。
七実が取り巻き連れてブランド品見せびらかしたりするだけだから、あんまり好きじゃないけどね。
呼ばれたら顔を出さないわけにはいかないしなぁ」


ブランド品を自慢する七実。簡単に想像できるところが、なんともいえない。


このネックレス、どう? 
綺麗です七実様! 
おじさまに買っていただいたの。なーに大したことなくってよ。
さすが七実様!最高の着こなしですう! 
グッチのデザイナーが、是非私にってね。ちょっとモデルをしただけなんだけど、困っちゃうわぁ。
さすが七実様!最高の着こなしですう! 
なーに大したことなくってよ。おほほほほほほ。


そんな光景が目に浮かんだ。考えただけで、さやかは気分がげんなりした。





86 : ◆ctuEhmj40s 2012/01/08(日) 21:34:57.06 ID:CFFDnvTf0


「なんだか、聞いていたよりまともじゃないなぁ生徒会って。もっと天才とか秀才が集まってて、何かキラキラしてると思ってたのに」

「まぁ、行事の企画やら自治やらちゃんと仕事はしてるから。それに冬芽たちだけじゃなく、ミッキーや樹璃先輩もいるしね」

「ミッキーって、あの男子ですよね。やっぱりすごいんですか?」

「凄いなんてもんじゃないよ。ミッキーは、あの年で大学のカリキュラムを受けている秀才で、優秀なピアニスト。あとフェンシグの選手」

「すごっ! 文武両道で、おまけに芸術家かよ! 数え役満じゃないですか!」

「あははははは! 面白いことを言うね。さやかちゃん」


まどかは、あの少年・薫幹のことを思い出す。
礼儀正しく、気取ったところのない男の子だった。
見滝原のクラスに居た男の子とは大違いだ。

まどかは、男の子というのが苦手だ。
自分の知っている男の子とは、何かとえっちな話をしているし、立ち聞きだが口を開けば女の子の話ばかりしている。
大きな声を出し合うのも、どこか恐怖を感じた。

男子とはそういうもの、とさやかは言っているが、それでもある種の苦手意識を自分が持ってしまっていることは否定できない。
例外は家族である父と弟だが、そもそも男性として意識して見たことはない。

まどかにとって、男とは未知の生き物であり、不可思議な存在だった。
そのため、今日の幹という少年との出会いは、軽く頭を揺さぶられた。

ああいう、男の子もいる。思いもしなかったことだ。
今まで見てきた、男性という存在とは何もかもが違う。
礼儀正しいし、暴力的な雰囲気もしない。
これまで、男の子とはあまり話が進まなかったが、彼とは何となく上手く話せるような気がした。





87 : ◆ctuEhmj40s 2012/01/08(日) 21:37:47.01 ID:CFFDnvTf0

が―――。


「樹璃先輩はフェンシング部の主将で令嬢。
冬芽だって成績は学年トップ。
西園寺は剣道部主将っと。
伊達や酔狂で生徒会の役員に選ばれたわけじゃないからね、みんな選ばれるだけのものは持ってるよ。
まぁ、イコール尊敬できる人ってわけじゃないけどさ」


大学のカリキュラムにピアニスト。

今日話した同学年の生徒だというのに、それだけでまどかにとっては遠い存在だ。
同い年なのに、何が違ったというのだろう。
それだけで、気後れしてしまう。
これまで、自分が何もしてこなかったのではないか。そんなことを考えてしまうのだ。


「やっぱりすごいんですね、生徒会の人って…」
 
思えば、この学園に来てから、そんなことを感じてばかりだ。

これまでいた場所とは何もかも違いすぎる。
学生主体のパーティなど、まどかは出たことはない。
そういうのがあることは知っていたが、現実に行われているなど思ってもみなかった。


(これが、世界が変わるってことなのかな?)


出発前に母である絢子に言われたことを思い出す。
たぶん世界が変わるよ、と笑って送り出してくれた。

その時は大げさだなぁ、と思ったが、こうして実際に経験してみると、それが大げさでも何でもなかったことがわかる。

これは革命なのかもしれない。まどかの小さな世界の革命だ。

ならば、自分も何か変わることができるのだろうか。


「七実は。…なにかあったっけ?」

「お兄さんへの愛じゃないでしょうか?」

「それって、褒めることなのかな?」





88 : ◆ctuEhmj40s 2012/01/08(日) 21:40:10.24 ID:CFFDnvTf0

―――――


「たっくんは元気? うん、うん。たっくん、こんばんは。おねーちゃんだよー」

『ねーちゃ!ねーちゃ!』

「あははは。たっくんも元気そうだね!」


まどかは部屋で、家に電話をしていた。
久しぶりに聞く母や弟の声は、普段と変わらず元気だった。

部屋で携帯電話を使っているのは理由がある。
寮に電話はあるが、いまどき珍しいレトロなベル式で、まどか達は使い方がわからなかったのだ。

穴に指を通すところまではいけるが、その先がわからない。
『回す』ということは知っているが、何をどのくらい回すのかが想像がつかない。
ウテナ達に使い方を聞くことも考えたが、夜も遅いことだし、そのために邪魔をするのは気が引けた。

明日にでも使い方を習おう、とまどかは決めた。
部屋での電話は。同室のさやかに悪い。
同じ部屋なのに一人黙々と電話をするのは、失礼なことだろう。


「うん、うん。大丈夫だよ。寮の先輩はかっこいい人だし。…うん。
えっ、そ、そんなことないよ! もー、ママったら…。
うん、気を付けるよ。じゃあね」


ピ、と電話を切る。

見るとさやかは、クッションを抱きながら床に転がっていた。
イヤホンをつけているところを見ると、音楽かラジオを聞いていたようだ。





89 : ◆ctuEhmj40s 2012/01/08(日) 21:41:30.00 ID:CFFDnvTf0


まどかに気付くと、さやかはイヤホンを外した。


「まどかのお母さん、元気だった?」

「うん。元気だったよ。さやかちゃんは電話しないの?」


まどかが聞くと、さやかは首を振った。


「うちは、ほら、仕事で遅いからさ。いつ帰ってくるかわからないし、電話したら疲れちゃうかなって」

「そんなことないと思うけど…」

いいの、とそれきり言うと、さやかはティーポットを持って部屋から出て行った。

中学生になってから、さやかは両親とたびたび些細なことで衝突している。
もしかしたら、今回の話も、少しでも両親と離れたいから受けたのかもしれない。
まどかは、さやかの出て行った扉を見つめた。

さやかがいなくなると、とたんに部屋が寂しくなる。

一人で使うにはこの部屋は大きすぎるし、静かすぎる。
一人の方が気楽かもしれないが、それでもまどかはさやかと同じ部屋で良かったと思う。





90 : ◆ctuEhmj40s 2012/01/08(日) 21:43:54.28 ID:CFFDnvTf0


まどか達の部屋は、二段ベットのある二人部屋だ。

十畳の間取りに、ベット・クローゼット・テーブルがあり、クローゼットには制服が収納されていた。
窓にはクリーム色のカーテンがついており、備え付けの花瓶には薔薇が差してあった。

ベッドは上をさやか、下をまどかが使っている。
どちらがいいか決めた時に、さやかが上の方がいいと言ったからだ。
そのまますんなりと、双方の合意を得てこの形になった。
本音を言えば、まどかは少し上のベッドも気を引かれていたが、転げ落ちた時のことを考えて止めてしまった。
まどかは寝相が良くないのだ。


古びた寮だったが、中は意外と清潔であり、部屋に入った時も埃一つ落ちていなかった。

もしかしたら、ウテナ達があらかじめ掃除しておいてくれたのかもしれない。
薔薇も姫宮先輩の薔薇園のものだろう。
薔薇の香りは、独特の香りでこの部屋を包んでいる。それは、とても落ち着く匂いだ。





91 : ◆ctuEhmj40s 2012/01/08(日) 21:47:07.93 ID:CFFDnvTf0


やがて、さやかがお茶の入ったポットを持って戻ってきた。
中には紅茶が入っている。
ティーカップに注いでお茶を入れると、何気なしに会話が進んだ。


「しっかし、凄いところだよね。鳳学園って。秀才ぞろいの生徒会に、男装の麗人! 理事長はイケメンだし、不思議な噂は山盛り! まるでおとぎの国だわ」

「建物も、なんだか不思議な感じがするよね。根室記念館とか」

「いやいや、理事長館の方がぶっ飛んでるでしょ。理事長室にプラネタリウムとか、不思議なんてレベルじゃないわ」


凄い、不思議、見たこともない。

それはまどかが鳳学園に来て、何度も繰り返した言葉だ。

見滝原とは、何もかもが違っている。
緑も多いし、流れる空気すらも別のものに感じる。
どこか、異界のような雰囲気がこの鳳学園にはある。
まるで、世界から隔絶された箱庭のようだ。


「私、大丈夫かな…」

「何? もしかしてまどかは、もうホームシックぅ?」

「ち、違うよ! なんていうか、この学校ってすごい人ばっかりだし、ちゃんと授業とかについていけるのかなって」


自分とは何もかも違う。天上ウテナは格好良いし、今日会った薫幹は天才だ。

自分なんかとは違う、才能や長所を持った人たち。
この鳳学園で出会った人は、皆そういったものを持っている。

彼らを見ていると、自分という人間がいることは、酷く場違いなのではないか。
否応なくそんなことを考えてしまう。

変われば、自分も彼らのようになれるかもしれない。
しかし、今の自分は何のとりえもない人間だ。





92 : ◆ctuEhmj40s 2012/01/08(日) 21:48:33.36 ID:CFFDnvTf0

ふと、持ってきたバッグに目を移す。
中には着替えや、各学科のノート、家から持ってきたお気に入りのものが入っている。

その中に、さやかにも見せていない秘密ノートがある。

何のことはない、ただの落書帳だ。
その中には、まどかが何となく描いた色々な絵が書かれている。

整合性はない。
テレビで見たアイドルの絵もあるし、アニメのキャラクターもある。
友達である仁美やさやかの絵もあった。
ただ気に入ったり、描きたくなったものを気ままに描いている。
それは、家族にも知られていない、まどかのささやかな習慣の一つだ。

あの絵に描いた何かになりたい。まどかはそう思っている。
今はまだ無理だが、いつかあそこに描かれた何かになるのが、まどかのささやかな野望だ。

だが、今の自分はそこには到底及ばない。

千里の道も一歩からというが、自分はまだその一歩を始めようとしているだけだ。
あんな凄い人たちの中に入って、やっていけるのか、まどかは不安だった。





93 : ◆ctuEhmj40s 2012/01/08(日) 21:50:35.31 ID:CFFDnvTf0

しかし、さやかは笑って、大丈夫!と答えた。


「凄いっていっても、みんながみんな天上先輩みたいな人じゃないんだから。
それにあの生徒会だって七実みたいな奴がいるんだし、気後れすることないよ、まどか」

「でも…」

「あー、なんでアンタはそんなに自己評価が低いかな。まどかにはまどかの良いところがあるんだから、心配しなくていいの! ここの生徒にも負けない人間だってことはこのさやかちゃんが保証してあげるから、安心しなさい!」

「さやかちゃんに保証されても、あんまり安心はできないかな?」

「あんだとー!」


怒ったさやかが、まどかに襲い掛かった。
脇に手をやり、くすぐりを始める。
思わぬさやかの攻撃に、まどかは悲鳴を上げた。

大丈夫、一人ではない。
さやかもいるし、何より自分は自分の意思でここに来たのだ。

まどかは、気持ちを引き締めた。確かに自分には人に誇れるものはない。
だったらこれから作ればいいのだ。これはその一歩であり、始まりだ。

必ず、この交換留学で変わろう。新しい自分を見つけるのだ。






97 : ◆ctuEhmj40s 2012/01/10(火) 20:42:30.22 ID:uQFUkMpX0


鳳学園の世界の果てに近い、塔の上。そこに生徒会室はある。


 
「卵の殻を破らねば、雛鳥は生まれずに死んでいく」


「我らが雛で、卵は世界だ」


「世界の殻を破らねば、我らは生まれずに死んでいく」


「世界の殻を破壊せよ」


「世界を革命するために!」






98 : ◆ctuEhmj40s 2012/01/10(火) 20:43:18.64 ID:uQFUkMpX0


「…なぁ、止めようよ。二人でこれやっても空しいだけだよ」

「うっさいわね。これをしないと、始まらないでしょ」

「というか、前の七実くんが考えたバージョンはどうしたのさ。あれ一生懸命考えたんだろ?」

「あれは失敗。やっぱりお兄様の生徒会なんだから、お兄様の言葉の方が相応しいわ。
今日からこっちに戻すから、よろしくね幹」

「はいはい」





99 : ◆ctuEhmj40s 2012/01/10(火) 20:43:56.79 ID:uQFUkMpX0


「…で、幹。ちょっと聞きたいんだけど」

「うん?」

「何で生徒会に召集かけたのにアンタしか来ないのよ! 樹璃はどうしたの樹璃は!」

「樹璃さんは、今日は用事があるとかで、もう帰ったよ。何でも知り合いにモデルの仕事を頼まれたんだって」

「全く、樹璃にも困ったものね! 生徒会の自覚があるのかしら」

「十分前に、いきなり緊急召集かけてもそりゃ無理だよ。もっと前もって、予定を立てないと」

「仕方ないでしょ。一刻を争う事態みたいなんだから」




100 : ◆ctuEhmj40s 2012/01/10(火) 20:45:00.70 ID:uQFUkMpX0


「大体、どうしてこんな急に招集したのさ」

「アンタが生徒会と天上ウテナ以外に、薔薇の花嫁を狙う勢力があるっていうから、招集したんじゃない」

「え。信じてくれたのか?!」

「それを決めるために、生徒会に招集をかけたの! 私は信じてないけど、もし第三勢力を本当に現れたなら、何とかしないといけないじゃない」

「七実くん…」

「それにしても情けないわね。わけの分からない連中に、一杯食わされるなんて。お兄様がいないからって、ちょっと気が緩んでんじゃないの」

「それは…! その、相手が梢だったから…」

「あの子は、操られてた時の事、覚えてないんですって?」

「うん、何にも。決闘で負けたあと気絶して、天上先輩が運んで来たらしいけど……」





101 : ◆ctuEhmj40s 2012/01/10(火) 20:49:28.32 ID:uQFUkMpX0


「とにかく、生徒会の人間に危害を加えてきたのなら放置はできないわ。下手をすれば学内の治安にも影響が出るじゃない。お兄様がお休みしている間は、この私が学園を守らなくちゃいけないんだから」

「そうだよな。姫宮先輩のことも心配だし、早く正体を突き止めないと」

「姫宮アンシーのことはどうでもいいの。どうせ天上ウテナが守ってくれるでしょ。それよりも、私たちを舐めてかかったらどうなるか、思いしらせてあげないと」

「あれ、天上先輩の事、信頼しているのか?」

「そんなわけないじゃない。でも負けることはないでしょ。忌々しいけど、アイツが生徒会全員と戦って勝ったことは紛れもない事実なんだから。むしろ負けてもらっては困るわ」

「まぁ、確かに負けないだろう。でも、だからといって放置するわけにはいかない」

「当たり前でしょ。この学園を仕切るのは、この生徒会なんだから」

「そうだね」

「とにかく、樹璃がいないと話が進まないわ。これで今日は解散。帰り道は注意しなさいよ。なんてったって、アンタは一度油断して付け込まれているんですからね」

「わかってるよ」

「あと、あの変なうるさい女を何とかして頂戴。会うたびに突っかかれたんじゃ気が持たないわ」

「美樹さんのことかい? あれは君が挑発するからいけないんだよ。ケンカできる仲なんだし、自分で言えばいいじゃないか」

「う、うっさいわね。とにかく任せたわよ。私は忙しいんだから。じゃあね!」

「やれやれ……」




102 : ◆ctuEhmj40s 2012/01/10(火) 20:51:35.22 ID:uQFUkMpX0


薫幹は思い出す。
あの時、目の前に現れた双子の妹のことを。

黒薔薇。
指にはめられた、黒い薔薇の刻印。
胸に延ばされる手。
そして…。


(――っ)


あの時の感覚が湧きだし、思わず胸を押さえる。

あの時、引き抜かれたのは、間違いなく自分が使っていた『剣』だ。
しかし、ただ単純に剣が引き抜かれたというだけでは、あの感覚は説明できない。

自分の思考、感情、理想、心。
そういったものが引きずり出されたような感覚。

梢によって、自分の中から引き抜かれたものは、一体なんだったのか。
今でもそれはわからない。
しかし、ある種の嫌悪感が体に残っていた。
自分の渡してはいけない、見られたくないものを、他人に見られたような気分だ。





103 : ◆ctuEhmj40s 2012/01/10(火) 20:53:02.14 ID:uQFUkMpX0

梢を操っていた人間を見過ごすわけにはいかない。

しかし、それ以上に『あんなこと』を行うことができる謎の勢力に、幹は漠然とした恐怖を覚えていた。
だからこそ、放っておくことは出来ない。
奴らを野放しにしては、必ず誰かに不幸をもたらすことだろう。

だが、敵の姿が全く見えないことに、幹は不安を抱く。 

ふと、幹は学園を見下ろした。
生徒会室のテラスからは、鳳学園が良く見える。

眼下に広がる学園では生徒が行きかい、それぞれの生活を送っている。自分もその一人だ。

その影では、何か得体のしれないものが蠢いている。

そのことを想像したとき、幹には見慣れている学園が、得体のしれない不気味な黒い世界に見えた。





104 : ◆ctuEhmj40s 2012/01/10(火) 20:54:49.36 ID:uQFUkMpX0


―――――


鳳学園の、薄暗い地の底。
そこに、黒い薔薇は咲いている。


「ねぇ、先輩。何もしなくていいの? このままだと薔薇の花嫁を亡き者に出来ないよ」


黒薔薇を前に語りかけるは、浅黒い肌の少年。
その隣には長身の青年が、同じく黒薔薇を見つめている。

少年の名は、千唾馬宮。
青年の名は、御影草時という。


「焦ってはダメだよ、馬宮」

「でも、先輩。僕は永遠が欲しいんだ」

「分かっている。それには薔薇の花嫁を亡き者にし、君を薔薇の花嫁にしなければ」

「花婿、でしょ。僕は男の子だよ」

「君には花嫁の方が似合っているさ、馬宮」


何度も繰り返された問答を、二人は答え合う。
それは、もう意思の確認ではない。彼らの閉じた世界を構成する、一つの要素だった。





105 : ◆ctuEhmj40s 2012/01/10(火) 20:57:01.78 ID:uQFUkMpX0


「天上ウテナは強いデュエリストだ。彼女を倒すには簡単じゃない。
美しい薔薇を咲かそうとすることと同じさ。それには、相応の準備がいる。事を急いでも何もならないよ」

「次の薔薇の準備をしているの?」

「ああ。何も心配することはないよ、馬宮」


御影は馬宮の髪に触れる。

馬宮の存在は儚い。
気が付けば今にも消えそうな彼を、御影は触れることでこの世に繋ぎ止める。
しかし、それも一時的な対処だ。このままでは、馬宮は本当に消えてなくなってしまうだろう。

だから、御影草時は永遠を求める。
馬宮に永遠を与えるために。


「とはいえ、このまま天上ウテナに何もしないでいるのも気が引けるな」


世界の果てに、咲き誇る黒い薔薇。
たった一輪の薔薇は、ささやかな香りを二人に振りまく。


「たまには、野に咲く薔薇を見るのもいいかもしれないね」


黒薔薇の少年たちは、今日も黒薔薇を見つめる。





110 : ◆ctuEhmj40s 2012/01/13(金) 21:00:37.64 ID:EogneVev0

―――――


「美樹さん、鹿目さん。次の移動授業、一緒に行かない?」



―――――


鳳学園での生活が始まって、2週間が経った。

鳳学園での授業は特に問題なく進み、順調そのものである。
最初は乗馬やら何やらやるのではないかと緊張していたが、大方の予想を裏切って授業内容はごく普通のものであり、見滝原に居た頃と変わらない。
ペースで言えば、少し遅いくらいだ。


「ふーん、やっぱり都会の学校は勉強が進んでいるんだなぁ」


ほうれん草を鍋で茹でながら、ウテナがそんな感想を述べた。
やがて茹で上がると、冷やしに流し台に向かった。


「そんなことないです。進んでいるって言っても、一回分くらいですし」

「でも見滝原の学校じゃあ、黒板も机も全部機械なんだよね。やっぱりすごいよ。ボクじゃあ、勉強についていけないんだろうなぁ」

「そんなことないですよ。私でも付いていけてますし。さやかちゃんだって、赤点取っちゃうこともあるけど何とかなっているし…」





111 : ◆ctuEhmj40s 2012/01/13(金) 21:04:25.39 ID:EogneVev0


「あー、さやかちゃんはこっち側の人間かー。で、まどかちゃんは赤点知らず、と」

「い、いえ。私だって、油断してたまにとっちゃうし…」


ウテナに包丁包丁、と言われ、慌ててまどかは、まな板に目を戻す。
包丁を使う時は、目を離さない。
パパにも何度も注意されたことだ。


まどかとウテナは、現在夕食の準備をしている。
まどか達の寮にいる間の食事は、相談の結果、ウテナが主に調理を担当し、まどか達は補佐をするということに決まった。
そして、まどかは今まさにその手伝いをしている。

当初、まどか達は、食事は当番制で代わる代わる用意ことを提案した。

が、次の日の朝食でまどか達二人に料理の腕がないことが露見し、あえなくその提案は破綻してしまった。
焦げた朝食を見た姫宮アンシーのニコニコとした笑顔に二人が恐怖する中、ウテナが食事の準備は自分一人で構わないと助け船を出した。
結果、食事の準備そのものはウテナに任せることとなった。

が、流石にウテナ一人に食事を用意させるのは、いくら本人がかまわないと言っても気が引ける。
そのためまどか達は、用事がない場合は、ウテナの手伝いをすることを決めたのだ。

ちなみに、さやかは現在、音楽室に足を運んでいる。
あの生徒会執行部の、薫幹に会いに行くと言っていた。
なんでも、向こうがさやかの幼馴染である上条君の名前を知っていたらしい。
どこかのコンクールで演奏を聞いたことがあったそうだ。





112 : ◆ctuEhmj40s 2012/01/13(金) 21:07:21.97 ID:EogneVev0


「しかし『ミッキー』と『美樹』のコンビか。偶然とはいえ音楽の趣味も合うなんて、面白いなぁ」

「でも、薫くんの『幹』は名前なんですよね」

「双子の妹は『梢ちゃん』っていうんだけどね。そういえば、まどかちゃんはさやかちゃんと一緒に行かなくてよかったの?」


まどかの、包丁を動かす手が止まった。

切り終えた食材をまとめると、まどかは洗いものに取り掛かった。
ここから先の調理は、ウテナに任せなければならない。
自分では、まだまだ力不足だ。


「私、音楽のことはよくわからないし…。
さやかちゃんは上條くんの影響でクラシックとか色々詳しいけど、私は演歌くらいしか詳しくないから…」

「ミッキーは博学だから、知らなくても面白い話をしてくれるんだけどな…。って、演歌?!」

「あ、私好きなんです。小さいころからママが歌ってて、それで」


人は見かけによらないなぁ、と呟きながら、ウテナは炒め物に取り掛かる。
フライパンに食材を入れると、油で熱せられて肉や野菜の香ばしい香りが食堂を包んだ。
手早く調味料を入れながら、見る見るうちにおかずを作っていく。

やはり、普段から料理を作っている人は手際が違う。
まどかは、野菜を切るのにも時間がかかってばかりだ。
料理を作れるようになりたいと、主夫であるパパのもとで修行を行ってはいたが、なかなかその成果は表れない。
こうして手際の違いを見せられると、自分には料理の才能はないのではないか、そんなことを考えてしまう。





113 : ◆ctuEhmj40s 2012/01/13(金) 21:09:21.85 ID:EogneVev0


やがて、夕食の準備ができると、タイミングよくさやかが帰ってきた。


「ただいまー、っと。おお、なんかいい匂い! 今日のメニューは何ですか!」

「ほうれん草を茹でて味付けしたやつ…と、トマトスープに色々放り込んだやつ…と。
あと、よくわからない適当に作った肉と野菜の炒めもの、かな…?」

歯切れ悪く、ウテナが答えた。
どうやら作っている本人も、自分が何を作っているのかよく把握してなかったらしい。
それでこれだけ作れるのだから、まどかは尊敬してしまう。


「手を洗っておいで。姫宮は、今日は暁生さんのところに寄っていくって言ってたし。すぐに夕食にしようよ」

「はーい、天上先輩」


そう言い、さやかは部屋に荷物を置きに向かった。

戻ってくる間に、テーブルに料理を並べ、箸とお茶碗を用意する。
広い長テーブルに、料理と茶碗が三つ。姫宮先輩がいないから、今日の食卓は少し寂しい。


「あ、そうだ。まどかちゃん」

「なんですか? 天上先輩」


どことなく言い辛そうに、ウテナが答えた。


「食事が終わったらちょっと用があるんだけど…。ボクの部屋に来てもらっていいかな?」





114 : ◆ctuEhmj40s 2012/01/13(金) 21:10:22.30 ID:EogneVev0

―――――


「あっ、違いますよ。ここはこっちです」

「えっ、そうなの? あちゃー、またやり直しかぁ」

そういい、ウテナは布から糸を引き抜いた。

また一つ、布に穴が増える。
実は縫い終わっている部分もガタガタだが、こちらはもう仕方がない。
慣れない手つきで、ウテナは再度、布に糸を通した。


「そこはこうして…そうです。で、そこをくぐらせて…」

「ふむふむ…。こうして…こう、と」





115 : ◆ctuEhmj40s 2012/01/13(金) 21:13:08.30 ID:EogneVev0


ウテナの用とは、手芸に関することだった。

最初、部屋に呼び出されたとき、まどかは気が気ではなかった。
何かマズイことをしたのか、それとも気に障ることをしてしまったのか。
先輩の部屋に呼び出されることなど、まどかには経験がない。
何が待っているのか全くわからず、まどかはビクビクしてウテナの部屋に向かったのだ。

が、来てみれば何のことはない。

助けて! と部屋に入って開口一番、ウテナはまどかに泣きついた。
用とは、授業で裁縫の宿題があるのだが、分からないから教えてくれないか、との相談だった。
まどかは手芸部に所属しており、腕はそれなりである。
そのことをさやかから聞いて、一念発起、ウテナは教えを乞おうと決めたらしい。

最初は、そういわれても困ってしまった。人に教えられるほどの腕が自分にはあると、まどかは思っていなかったからだ。

だが、ウテナの不器用さは想像を超えていた。
教えているときは問題ないのだが、少し目を離すと、とたんにダメになっている。
これは、思いのほか時間がかかりそうだった。


「ごめんね、こんなことに付き合わせちゃって」

「いえ、それは別に…。って、天上先輩! 手!手!」

「うぉっと!」





116 : ◆ctuEhmj40s 2012/01/13(金) 21:14:38.43 ID:EogneVev0


目を離したウテナを、慌てて手元に向けさせる。
部屋には電気スタンドがあるため、手元が暗くなることはないのが、せめてもの慰めだ。

ウテナとアンシーの部屋は、殺風景なものだった。

自分とさやかが使っている部屋と、見た目はそう大差ない。
あまり荷物を運んできていない自分たちと同じとは、よほど私物が少ないのだろう。
自分も姫宮も物に執着するタイプではないので、色気のない部屋になっていると、ウテナは語っていた。

そのため、使っていない引き出しや押し入れは、アンシーが飼っているペットの寝床になっているらしい。

アンシーは動物マニアなのだそうだ。
無暗に開けると、中の動物に噛みつかれるらしい。
以前、例の桐生七実がそれでひどい目にあったそうだ。





117 : ◆ctuEhmj40s 2012/01/13(金) 21:21:01.47 ID:EogneVev0


ちくちくちく、とウテナは不器用に手を動かした。


「っと。うん、やっぱり教えてもらって正解だな、これなら明日までに間に合いそうだ。ありがとう、まどかちゃん」

「い、いえ。あんまり力になれなかったと思うし……」

「いやいや、助かったよ」


いや、本当に礼を言われるにはまだ早い。
出来上がりそうになって、やり直すのをもう三回ほど繰り返しているのだ。
ウテナの宿題を完成させるため、まどかの責任は重大だった。


「そいえば、まどかちゃんは何か作れたりするの? 手編みのセーターとか」

「セーターは無理ですけど、マフラーなら一度作りました。パパへのプレゼントで」

「プレゼントかぁ。ボクには手編みのマフラーを贈るような人はいないからなぁ。姫宮なら暁生さんがいるんだけど」


暁生さん。再びまどかはその名前を耳にする。この名前を口にするとき、ウテナはどことなく嬉しそうな顔をする。
一体どんな人なのだろうか。

謎の人物『暁生さん』。彼は、ウテナとの会話よく出てくる人だ。

姫宮アンシーはこの暁生さんなる人物に、たまに会いに行っている。
寮の門限を過ぎても、戻ってこないことも多々ある。
今日も、会いに行っており、帰ってくるのは遅い時間になることだろう。





118 : ◆ctuEhmj40s 2012/01/13(金) 21:23:23.82 ID:EogneVev0


「あの二人は仲がいいからなぁ」

「そうなんですか?」

「うん。何ていうか、暁生さんって包容力があるんだよね。星にも詳しいし、もしかしたら今日も姫宮に星の話をしているんじゃないかな?」

「星の話ですかぁ。いいなぁ」


鳳学園周辺は、とても空気が澄んでいる。
そのため、晴れた日の夜には星が良く見える。
満天の星空とはよく言ったものだ。
空いっぱいに星が広がる光景は、見滝原では見ることは出来ない。
確かに、今日みたいな夜ならば星を語るなら絶好の日和といえた。

暁生とは、男の人の名前だ。

そして姫宮先輩はその人物と、遅くまで時間を過ごしている。
星空の下で過ごすその時間は、とてもロマンチックだろう。

長い夜、真夜中の逢瀬、運命の恋人、有限の愛。

そんな単語が、まどかの頭の中をぐるぐると廻った。





119 : ◆ctuEhmj40s 2012/01/13(金) 21:25:31.70 ID:EogneVev0


「あ、あのっ!」

「ん?」

「暁生さんって、姫宮先輩の恋人ですか!?」


まどかの質問を聞き、ウテナはきょとんとした。

妙な沈黙が流れる。
そこから一呼吸置き、合点がいったように笑うと、ウテナは違う違うと否定した。


「暁生さんは姫宮のお兄さんだよ。君たちも会っているだろ?」

「え?」

「初日に理事長館で会わなかった? おっかしいなぁ」


理事長館。あんな奇妙奇天烈な場所を忘れるわけがない。
しかし、あそこで会った人物と言えば、鳳『暁生』理事長先生くらいしか…。

『暁生』?


「え。ええええええええええ!」

「どうしたの? まどかちゃん」

「ひ、姫宮先輩って理事長先生の妹さんだったんですか?!」

「あれ、言わなかったけ?」

「言ってませんよ! そ、それに苗字が…」

「暁生さんは、理事長の娘さんの香苗さんと婚約してるからね。苗字が違うんだよ」


思わぬ不意打ちにまどかは動揺した。
姫宮先輩が理事長の妹さん。
その驚きもあったが、そんなことより兄妹で男女の関係を想像してしまったことが恥ずかしい。


「ご、ごめんなさい。私、変なこと言っちゃって…」

「いやいや、知らなかったんならしょうがないって」





120 : ◆ctuEhmj40s 2012/01/13(金) 21:27:34.41 ID:EogneVev0


でも、とそこでウテナはまどかの顔をまじまじと見つめた。


「まどかちゃんも、なかなか想像力がたくましいなぁ」

「え?!」

「だって、『アキオ』って名前だけなら、女の人の場合もあるだろ? それなのに、姫宮が恋人と会ってるなんて、想像するとは…」

「い、いや。あの、それは…」


にやりと笑い、ウテナはとどめの言葉を浴びせる。


「えっち」

「あううう…」


ウテナに言われ、顔が熱くなってしまう。

おそらく、今鏡を見たら自分の顔は真っ赤になっていることだろう。
案の定そうだったのか、ウテナは冗談冗談、と笑って作業に戻った。

言われてみれば、理事長である鳳暁生と姫宮アンシーは似ていた。

肌の色もそうだが、どこかこの世のものとは思えない雰囲気。
まるで別の世界から来たような、そんな印象が二人にはあった。





121 : ◆ctuEhmj40s 2012/01/13(金) 21:37:50.23 ID:EogneVev0


「妹って言っても、学園で何か特別な待遇を受けているわけじゃないよ。そもそも、そのことを知っている人も少ないし。
あんまり固くならずに、これからも姫宮に接してくれると嬉しいな」

「あ、はい」

「姫宮、あまり人前に出たがらないんだよなぁ。クラスの集まりにも顔を出さないし、友達を作るのも苦手なんだよね。
親しい後輩ができれば何か変わるかもしれないし、遠慮しないで話しかけてあげてよ。見かけたときでいいからさ」


はい、と答えようとしてまどかは気づいた。
そういえば、寮では会うが、それ以外でアンシーを見かけたことがない。
普段どこにいるのだろうか。

グラウンドに居るウテナと違い、まどかはアンシーの姿は学園内では見かけたことがなかった。
話によれば中庭の薔薇園で世話をしているのがほとんどだそうだが、まどかがのぞいたときは、生憎姿は見えなかった。

学園生活を送るアンシー。
まどかは、何故かその姿がどうにもイメージできない。

ウテナとはまた違った個性を持つ人間、姫宮アンシー。

彼女は、学生生活や社会と言った俗世の出来事から浮き出たようなそんな存在感があった。
絵本のお姫様が、学校に来たり社会で働いたりしないように、アンシーがそのようなことするとは思えない。
そう思わせる雰囲気が、姫宮アンシーにはある。

現実にはそんなことはなく、アンシーはこの学園で学生生活を送っている。

しかし、そのような現実的な活動をアンシーがしている姿を、まどかは思い浮かべることができなかった。
自分と変わらない人間なのに、どうしてそんなことを思うのか。
まるで、自分はアンシーのことを人間と見ていないようだ。
自分がそんな差別するような人間とは思いたくないが、どうしてもアンシーに限って、まどかはそのような姿を想像することができない。





122 : ◆ctuEhmj40s 2012/01/13(金) 21:40:19.77 ID:EogneVev0


「よっ、と。できた! どう、まどかちゃん?」


まどかがそんなことを考えている内に、ウテナは作業を終えていた。
疲れたように肩を回すと、先生に提出する生徒のような面持ちで、まどかに刺繍を渡した。


「大丈夫…、だと思います」


本音を言えばいくつか気になる点はあるのだが、まどかは言わなかった。

布に描かれたのは、薔薇の刺繍だ。
白い布の真ん中に、大きく薔薇の花が描かれている。
手本に描かれた通りに糸を通したのなら、普通の薔薇が咲き誇るはずなのだが、ウテナの刺繍は所々で妙に独特な糸が入っている。
綺麗な薔薇に変わりないが、手本通りにと求められているなら、これはダメなものだ。

しかし、これを直すとなると大幅な手直しが必要になるし、それに授業の課題ならそこまで細かく言われることはないだろう。
何より、ここまでたどり着くまでの道も、決して平坦ではなかったのだ。
これ以上、困難な道を行くのは酷というものだろう。





123 : ◆ctuEhmj40s 2012/01/13(金) 21:42:40.62 ID:EogneVev0


まどかに可をもらい、ウテナはよかったぁ、と安心したように一息ついた。


「いつもは姫宮に教えてもらうんだけどね。今日はいないからさ、助かっちゃったよ」

「いえ、私もお役にたてたなら嬉しいです」

「そんなに、固くならないでよ。ボクって怖いかな?」

「い、いえ! そんなことないです」


怖いわけではない。
ウテナは優しい。学校で会えば気さくに話しかけてくれるし、学園性格を送るにあたっては、ウテナは色々なことを教えてくれた。
料理もおいしいし、寮に帰ってきてホッと安心できるのは、間違いなくウテナの人柄のおかげである。

それまで、先輩と呼べる上級生をまどかは持ったことはなかったが、
ウテナは間違いなく尊敬できる先輩だ。

固くなってしまうのは、そんなウテナがまぶしすぎるからである。

おそらく、自分は彼女のようにはなれないだろう。その事実が、まどかには重い。





124 : ◆ctuEhmj40s 2012/01/13(金) 21:45:33.04 ID:EogneVev0


「どうにも、手芸とか細かいのは上手くできなくてさ」

「苦手なことなんて誰にでもありますよ、天上先輩」

「これでも女の子なんだけどなぁ。まどかちゃんみたいにはなれそうもないよ」


ウテナの言葉を、まどかは思わず聞き返した。


「え…?」



わたしみたいになれそうにない。確かにそう言った。

しかし、そんなはずはない。ウテナは自分には無い物を持っているのだ。
そんな彼女が、自分をうらやむことなど何もないはずだ。





125 : ◆ctuEhmj40s 2012/01/13(金) 21:46:54.14 ID:EogneVev0


しかしウテナは、まどかちゃんを見習いたいよ、と言葉を続けた。


「カッコよく王子様みたいに生きたいけどさ、男になりたいわけじゃないんだよね。
まどかちゃんみたいな、女の子な部分も忘れちゃいけないと思うんだ。
でも手先がこんなに不器用じゃなぁ…」


自分のようなウテナ。その姿を、まどかは想像する。

少女のままであり、何のとりえもないまま過ごす。
自分に自信がなく、友達を作るのにも他人の力がなければ作れない。
そんな少女は、学園で話題に上がることなどないだろう。
クラスメイトに名前を覚えられる程度で、その他大勢に含まれる存在だ。

いるのかいないのか、漠然としている存在。

知られていなくても、何も問題がなく、世界が回る存在。





126 : ◆ctuEhmj40s 2012/01/13(金) 21:48:01.63 ID:EogneVev0


「…止めたほうがいいです」


 自分でも気づかないうちに、まどかは声を出していた。


「天上先輩は、天上先輩のままでいてください。私みたいになんてならないほうがいいです」

「いやいや。まどかちゃんには、ちょっと見習いたい部分があるよ」

「そんなことないです。私なんて何にもできないし……」

「今日だって、こうやってボクのこと助けてくれたじゃないか。
君がいなかったら、ボクは宿題ができずに大目玉をくらうところだったよ」

「そんなのたまたまです。姫宮先輩がいれば、私なんていなくても大丈夫だったはずです。結局、私なんか……」


いなくても、と言おうとしたところで、ウテナが言葉をかぶせた。





127 : ◆ctuEhmj40s 2012/01/13(金) 21:49:02.81 ID:EogneVev0


「あんまり、自分のことを悪く言うのは良くないよ」


気付くと、ウテナが自分のことを見つめていた。

その瞳は、何よりも真っ直ぐに世界を見つめているようだ。
その瞳が、今はまどかを捉えている。


「ボクは、自分のことを大事にしない奴が嫌いだ。だって、その子が自分のことを悪く言ったら、その子を大事にしている友達はどうなるんだ? 
自分を大事にしないことは、その子の友達や家族、好きな人に対する裏切りだ」

「天上先輩…」

「まどかちゃんには、まどかちゃんの良いところがある。自信がないなら、ボクが保証する。
まどかちゃんは魅力的な女の子だよ」





128 : ◆ctuEhmj40s 2012/01/13(金) 21:50:19.60 ID:EogneVev0


「でも私、何のとりえもないです…。勉強だってよくできるわけないし、運動だってへたっぴだし。
天上先輩みたいに料理だって…」


 そういうと、ウテナは首を振った。


「でも細かい気配りができるし、裁縫だってできる。手伝いだってしてくれる。
何より、君は優しい女の子じゃないか。他人に心から優しくできる人は、それだけで大きな人だよ」

「…」


そういわれても、まどかは自分に何かあるとは思えない。

優しいことなんて、誰にでもできることではないだろうか。
確かに、世の中には他人の心を踏みにじる人間もいる。
けどそれは、全体から見れば一部の存在で、多くの人は誰だってその気になれば優しくできるはずだ。

例えば、さやかだってそうだ。

さやかは、優しい人間だ。
転校してきて、さやかに出会わなかったら自分はどうなっていたかわからない。
きっと友達もできずに、自分は一人ぼっちで泣いていただろう。
さやかがいたから、自分はクラスに馴染むことができ、友達を作ることができたのだ。





129 : ◆ctuEhmj40s 2012/01/13(金) 21:51:56.49 ID:EogneVev0


もし自分が逆の立場だったら、どうなっていただろう。

きっと自分から話しかける勇気もなく、きっと何もできない。
転校してきたその子は一人ぼっちのままだ。
そんな自分が優しい人間と言えるのだろうか。
優しい人間というなら、それはさやかのことを言うのではないのではないだろうか。


「私、優しくなんて……」

「そう言えるのは、君が優しい子だからさ。
何も考えずに優しくできるのなら、ますます自分を大事にしたほうがいいよ」


そうではない、そうじゃない。まどかは叫びたくなる。

自分はそんな人間じゃない。
ウテナが憧れるような人間ではない。
優しいのは、ウテナやさやかのような人間のことを言うのだ。
自分の強さを他の人に分け与えるような人間が。


「君は、君のままでいればいいんだ。君の普通は、君だけのものだ。無くしちゃダメだよ」


しかしまどかは、そんな普通の、何もできない自分が――。





135 : ◆ctuEhmj40s 2012/01/16(月) 21:09:27.35 ID:6AV7Yszr0

―――――


「美樹さん、鹿目さん。お昼一緒にどう?」


―――――


放課後、まどかは一人学園内を散策していた。

どこか、目的地があるわけではない。
ただ、歩きたくなったのだ。
天気は良いし、体を通る風も気持ちがいい。
日もまだ高く、歩くには絶好の時間と言えた。

鳳学園の敷地内は歩いているだけでも目まぐるしく景色が変わり、飽きることはない。
運動場では生徒が集まり試合をし、カフェを覗けば怪しげな部活やサークルが活動している。
少し歩けば、海が見える小高い丘もあるし、牧場の近くに出れば様々な動物も見ることができた。

さやかはいない。

今日は図書館に寄っていくと言っていた。
何でも音楽室で、七実に音楽の知識の浅さをバカにされたらしい。
そのため見返すために、勉強するとのことだった。





136 : ◆ctuEhmj40s 2012/01/16(月) 21:10:28.88 ID:6AV7Yszr0


何となく歩いていると、妙な建物の前に出た。

授業でも、ここに来たことはない。
大きな建物だが人の気配はなく、所々壁が朽ちており、蔦が建物を覆っている。
全体的に古い建物であり、色あせた印象があった。

まるで、建物全体が喪に服しているように生気がない。

使われているのだろうか。
もしかしたら放棄された場所なのかもしれない。
大きな学園なのだから、手が届かないそんな場所もあってもおかしくはない。

そう考えた時、扉が開いた。


「あ、姫宮先輩」




137 : ◆ctuEhmj40s 2012/01/16(月) 21:12:26.67 ID:6AV7Yszr0


建物から出てきたのは、姫宮アンシーだった。


「どうもどうも」


アンシーは、気の入らない返事をした。

まどかが、アンシーと寮以外で出会ったのはこれが初めてだ。
当り前のことだが、アンシーもここの生徒であり、授業を受けているのだということを思い出す。
どんなに不思議な雰囲気を持つ先輩でも、それは変わらないのだ。


「あの…、ここは?」


アンシーが出てきた建物を見上げる。アンシーが現れたということは、ここは使われている建物なのだろう。
しかしこんな場所が何に使われているのか、想像がつかない。


「ここは、根室記念館ですよ」


その名前を聞き、まどかは体を強張らせた。

根室記念館。
鳳学園の片隅にある、年代物の建物。
生徒手帳にも記載されておらず、話によると、学園からは半ば放棄されたような建物らしい。

そのため、ここに近寄る人間は少ないと聞いている。
今では、『御影ゼミ』と呼ばれるゼミがここで行われている以外、使われることはないらしい。





138 : ◆ctuEhmj40s 2012/01/16(月) 21:16:04.58 ID:6AV7Yszr0


まどかが緊張したのは、ここに関する噂のためだ。

例えば、この場所では火事があり、百人の少年が生き埋めになった。
そんな噂がある。

他にも、流れている噂は様々だ。
何年も年を取らない生徒が住んでいる。
建物の地下には墓地がある。
『永遠』を探す研究がおこなわれている。
どんな悩みも、たちどころに解決してしまう根室記念館の面会がある。

根室記念館の場所を知らなくても、根室記念館の噂は知っている。そんな生徒もいる。

実際に根室記念館を見ると、そんな噂が流れていることも納得できた。
半ば朽ちたように、時間を止めたような建物。
まるで、閉鎖された病院のような雰囲気がここにはある。

これなら、いくらでも噂や怪談が立つことだろう。
どんな突拍子もない噂も、この建物なら――。


「噂は本当ですよ」

「え?」


根室記念館の扉の前に居る、アンシーが呟いた。


「ここの噂、色々と聞いているのでしょう? 
その噂は本当です。だから、あまり近づかないほうがいいですよ。用があるなら仕方ありませんが」

「は、はぁ…。姫宮先輩はどうしてここに?」





139 : ◆ctuEhmj40s 2012/01/16(月) 21:17:37.59 ID:6AV7Yszr0


「私は、兄の用事でちょっと」

そういえば、姫宮先輩は理事長の妹さんだったと、まどかは思い出した。
簡単な仕事なら手伝っているのかもしれない。
優しそうな人であったし、兄妹の仲もいいのだろう。


「私はこれから薔薇園に向かいますが、鹿目さんはどうしますか?」

「えっ、姫宮先輩の薔薇園ですか? ぜひ見てみたいです!」

「といっても薔薇しかありませんけど」


そんなことはない。
薔薇を育てているだけでも凄いのに、様々な種類の薔薇を育てるなんて、尊敬できることだ。

まどかは、薔薇を育てることがものすごく大変なことを知っている。
父親の知久も一時期チャレンジしたが、あえなく失敗に終わってしまった。
後にも先にも、知久が花を育てることに失敗したのはこれきりである。

それじゃあ行きましょう、とアンシーは校舎の方に足を向けた。

あわてて、まどかはその後についていく。
姫宮先輩はマイペースそのものだ。
あまり周りの動きに関係なく、自分の速度で何事も進めている。

まどかはいつも周りに翻弄されてばっかりだ。
どっしりと腰を据えた彼女のような生き方を自分も見習いたい。





140 : ◆ctuEhmj40s 2012/01/16(月) 21:19:15.75 ID:6AV7Yszr0


(根室記念館……)


ふと、後ろに遠ざかるその建物をまどかは見つめた。

アンシーの薔薇園には以前から興味があったし、見たいと思ったのも本当だ。

ただ、本心を言えば、まどかは一刻も早くこの根室記念館から離れたかった。
ここに用があるわけではない。
そもそも散歩をしていて、たまたまここに出ただけなのだ。

なのに、この場所には何か引き付けられるものがあった。
理由は自分でもわからない。
それが、一番恐怖を感じた。

なぜこんな不気味な場所に、そんなことを感じてしまうのか。
何か自分が自分でなくなってしまったような、そんな感覚に陥る。
自分の知らない部分が、この場所に魅力を感じている。
まるで、自分の汚い部分を見せつけられているようだった。


(噂は本当ですよ)


噂。根室記念館にまつわる、様々な噂。

そのどれもが、陰鬱で暗いものばかりだ。
本当の噂とは、どの噂のことを指しているのだろうか。
まさか、墓地や年を取らない生徒がいるわけではあるまい。

ならば、ここで百人の少年が生き埋めになったという話だろうか。
それならば、建物が朽ちていることにも納得がいく。

やはり、怖い。
あまりここには近寄りたくない。そう、まどかは思った。





141 : ◆ctuEhmj40s 2012/01/16(月) 21:20:14.34 ID:6AV7Yszr0


―――――


「わぁ…!」


アンシーの薔薇園は、見事なものだった。

校舎の中庭にある、鳥かごのような形をした温室。
そこが姫宮アンシーの薔薇園である。
中には様々な種類の薔薇が育てられ、その香りは渾然一体となって、温室に入ってきた者を迎える。

温室に入ってその香りに迎えられたまどかは、今まで体験したことのない感動を味わっていた。


「すごい…。これ全部、姫宮先輩が育てているんですか?!」

「はい。私以外、世話をする人はいませんから」

そう言い、アンシーは黄金色の金属製の如雨露に水を入れ、薔薇の手入れを始めた。





142 : ◆ctuEhmj40s 2012/01/16(月) 21:21:32.45 ID:6AV7Yszr0


薔薇園にある薔薇は様々だ。
赤いバラ、白いバラ、ピンクのバラ、黄色のバラ、オレンジのバラ。
同じような色のバラにしても、白が混じったものや、花弁の形が違うものが沢山ある。

これだけの種類の薔薇を、一人で世話をしているのだろうか。
おそらく、ここまで育てるのには並々ならぬ苦労があったのだろう。
こんなにも薔薇を育てられることは、もはや才能だとまどかは思う。

そんなことを考えるまどかをよそに、アンシーはいつ間にかそばに居たチュチュと共に薔薇に水をあげていた。


「こんなにたくさん、薔薇を育てるなんて姫宮先輩はすごいです」

「そんなことありませんよ。コツさえ掴めば、誰にでもできますよ」

「私のパパも一時期家で薔薇を育てようとしたんですけど、失敗しちゃったんです。薔薇を育てるって、難しいことだって聞いてますよ」

「剪定の時期を間違えたんじゃないでしょうか。バラは時期を見極めるのが重要だから」


ああこらチュチュ、とアンシーは如雨露で遊ぶチュチュを叱った。
チュチュを摘み上げて肩に乗せると、再び薔薇の世話に戻る。
一つ一つのバラに、丹念に世話をしていく。
その姿に、まどかは見惚れてしまった。





143 : ◆ctuEhmj40s 2012/01/16(月) 21:22:58.11 ID:6AV7Yszr0


「どうかしました?」


まどかの視線を感じて、アンシーは微笑んだ。

そこで我に返り、まどかは顔を赤くした。
まさか同性に見惚れるとは思わなかった。
何かいけないことをしてしまったように思い、混乱する。


「え、あ、いや、あ、そ、その…」

「?」

「き、きれいだな…って」


それを聞き、アンシーは「どうもどうも」と、声を返した。

気の抜けたアンシーの返事に、まどかは落ち着きを取り戻した。
マイペースなアンシーの言動は、気持ちを落ち着けるには最適だ。
どんなときでも変わらないものがあると、そこを指針に立て直すことが容易になる。

気持ちが元に戻ると、まどかは改めて温室の中を見渡した。





144 : ◆ctuEhmj40s 2012/01/16(月) 21:24:39.69 ID:6AV7Yszr0


鳥かごのような形の温室は薔薇の楽園だ。
中央にはまどかの背丈ほどもある花瓶のような置物がある。
そこにバラが巻きつくように栽培されており、一つの芸術品のように見えた。
他のバラはそれを取り囲むように、温室の壁に沿って栽培されている。
空からは太陽の光が降り注ぎ、薔薇を美しく照らしていた。

同じ学園の中のはずなのに、空気すらもこの中では清純に感じられた。

バラに囲まれるアンシーの後継は、とても調和に満ちていた。
あるべきものがそこにある。
静かに時間は流れていき、秩序で満たされた空間は永遠のもののように感じる。
この温室だけ、世界から切り離されたようだ。

ここは姫宮先輩の一番の居場所だ。
そんなことを、まどかは考えた。
それほど、彼女がこの温室に居ることは絵になっていた。


「……姫宮先輩」

「なんでしょうか?」

「私ってこの学園に馴染めていると思いますか?」





145 : ◆ctuEhmj40s 2012/01/16(月) 21:27:27.72 ID:6AV7Yszr0


「どうしたんですか、急に」


言葉とは違い、アンシーはまどかの問いに特に驚いた様子はなかった。


「なんだか、私ってこの学園には場違いなような気がして……」

「美樹さんは違うんですか?」

「さやかちゃんは、明るいから誰とでも仲良くできるんです。すぐ友達もできたし……」


さやかは、すぐにクラスに馴染んだ。
明るく面倒見の良いさやかの性格は、どこに行っても歓迎される。
さやか自身も壁を作ることはあまりないので、友達を作りやすい。


「私は、鹿目さんのクラスを知りませんから。よくわかりません」

「そうですよね…」


当然と言えば、当然の答えだ。
アンシーはまどかのクラスに来たことはないのだから。


「ただ、あなたと美樹さんが来てから、ウテナ様は楽しそうです。普通の後輩ができたって喜んでいます。
鹿目さんがこの学園に来たことを、ウテナ様は喜んでいますよ」

「それは……」


喜んでいい……ことなのだろう。

何はともあれ、自分が誰かを笑顔にできたのならそれは良いことだ。
馴染んでいるかどうか、という問いに対する答えとしては微妙なところだが。





146 : ◆ctuEhmj40s 2012/01/16(月) 21:28:50.55 ID:6AV7Yszr0


やっぱりだめだ。
馴染んでいるかどうかを、他人に聞く方がそもそも間違いなのだ。
それも、受け入れ先の学園の先輩に聞くなんて。相手にしてみれば、こんなにも答えづらい質問もないだろう。
先輩だからと言って、甘えるにもほどがある。

さやかのこともそうだ。
まどかは、自分がさやかに甘えていることを自覚していた。
さやかに貰ってばかりで、何一つ返すことができていない。


「……姫宮先輩」

「なんですか?」

「このままで、いいんでしょうか…。いえ、ダメなんです。このままじゃ…」


まどかの問いに、アンシーは何も言わない。


「私、一人じゃ何にもできないんです。さやかちゃんに、色々してもらってばかりで…」


それでも、まどかは止まらなかった。

何か言ってほしかった。
自分は、ダメだと。
このままではいけないのだ、と。





147 : ◆ctuEhmj40s 2012/01/16(月) 21:30:03.28 ID:6AV7Yszr0


「私って、勉強も運動もダメなんです。人に自慢できることも何もなくて……。
このままじゃ、ずっと、誰の役にも立てないまま迷惑ばかりかけていくのかなって。それで……」


そこで、まどかは口を閉じた。

また、甘えている。
誰かに言われなければ、自分は何もできないのか。

ここ数日、幾度も抱いた自己嫌悪。
それが、まどかに再び襲いかかる。
ダメだと分かっているのに、何もできない。
それが自分の弱さだった。

いい加減にしたほうがいい。何のために、自分はここに来たのか。

姫宮先輩に謝ろう。
口にたまった弱音を、まどかは飲み込んだ。
先輩をこんなことに付き合わせてしまったことを、まどかは申し訳なく思った。
これは、自分で解決しなければならない。
そうでなくてはならない。

そうしなければ自分は、何も変わらない。変わらずにずっと――。





148 : ◆ctuEhmj40s 2012/01/16(月) 21:31:12.07 ID:6AV7Yszr0


「いいんじゃないですか、別に」


アンシーの言葉が、薔薇園に響いた。

まどかは、頭が真っ白になる。
謝罪の言葉も、新たな決意も、頭から消えてしまった。

上手く口から言葉が出ない。


「女の子は、みんな誰かに守られるものです。鹿目さんだけが特別じゃありませんよ」


まどかの状態を知ってか知らずか、アンシーは続けた。


「で、でも…」

「それで、今までよかったのでしょう? 美樹さんが貴方のことを気に入っているのは見ていてわかります。
彼女は、貴方を見捨てたりはしませんよ」

見捨てられる。

その言葉は、まどかの心をえぐる。
自分はさやかの友達でいられているのか。
それは、時折まどかが抱いた疑問だ。

だから、自分は変わろうと――。





149 : ◆ctuEhmj40s 2012/01/16(月) 21:33:15.87 ID:6AV7Yszr0


「あなたの王子様は、お姫様を見捨てませんよ」


再び、アンシーの言葉が考えを遮る。


「お、王子様…?」

「美樹さんは、貴方にとっては王子様なんでしょうね。そんな感じがしますから」


王子様。
お姫様の女の子を助ける、素敵な王子様。

確かに、さやかはまどかにとって王子様のような存在だ。
転校して、馴染めなかったまどかにさやかは手を差し伸べてくれた。
そこから友達も少しずつ増え、まどかは孤立せずに済んだ。
今こうやって立っていられるのは、さやかのおかげと言ってもいい。


「王子様は、お姫様を守ってくれますよ。ずっとね。それが王子様ですから」

「そ、そんなの…」





150 : ◆ctuEhmj40s 2012/01/16(月) 21:34:48.02 ID:6AV7Yszr0


「だから、無理に変わる必要なんてありません。鹿目さんは鹿目さんのままでいればいいんです。
美樹さんも、それを望んでいるはずですから」


さやかが、それを望んでいる。

自分が変わっても、さやかは変わらず友達でいてくれるのだろうか。
さやかは、まどかの唯一無二の友達だ。
それが失われることを想像すると、まどかは地面がなくなったような感覚を受ける。

ならば、自分は変わらないほうがいいのか。

守られ続けるだけの存在。
迷惑をかけるだけの存在。
誰の役にも立てない透明な存在。
王子様が優しく守ってくれる、そんな存在。





151 : ◆ctuEhmj40s 2012/01/16(月) 21:36:50.21 ID:6AV7Yszr0


「ひ、姫宮先輩は…」

「なんでしょうか?」

「姫宮先輩は、それでいいんですか…?」


アンシーを見つめる。
そこには何の迷いも、戸惑いもない。
ただほんのりとした、微笑みがあるだけだ。
どうして、そんな顔ができるのか。
まどかにはその理由がわからない


「姫宮先輩だって、天上先輩に、その、守られてばかりじゃないんですか? 
そんな自分が嫌にならないんですか? そのままで、本当にいいんですか……?」


天上ウテナと姫宮アンシー。

その関係は、自分とさやかの関係とよく似ているように思えた。
アンシーは人前に出るのが苦手で、ウテナがそれを引っ張る。
友達を作るのが苦手なのは、自分も同じだ。

事実、鳳学園で自分の力だけで出来た友達はいない。
親しい人間は、全部さやかのおかげで出来たようなものだ。

アンシーは自分と同じなのだと思っていた。
友達に何も返せず、頼ってしまっているのだと。
だから、『ウテナ様』なのではないかと。





152 : ◆ctuEhmj40s 2012/01/16(月) 21:38:12.87 ID:6AV7Yszr0


まどかの問いに、アンシーは何の躊躇もなく答えた。


「はい」


アンシーが微笑んだ。

薔薇に囲まれたアンシーは美しい。
赤いバラ、白いバラ、ピンクのバラ、黄色のバラ、オレンジのバラ。
様々な色の薔薇がまどかの瞳に映った。

ふと、花以外の物が目に入る。
その美しさを守るために、薔薇の葉や蔦には棘が生えていた。
その棘は鋭く、あらゆる敵から花を守っている。

ここでは、薔薇の美しさを汚すものは許されない。
薔薇だけが世界の正しさであり、真理だ。


「私とウテナ様は友達ではありません」


ここはアンシーのために用意された場所であり、アンシーによって成り立っている。
ここに在るものは、全てアンシーの一部である。
その世界にまどかは立っている。


「私は、あの方の薔薇ですから」


まどかは、薔薇園から逃げ出した。

さやかと自分は友達ではない。
そう言われるのが、怖かった。





157 : ◆ctuEhmj40s 2012/01/19(木) 21:46:04.18 ID:U3DqddSY0

―――――


「美樹さん、鹿目さん」

「私、『かなめ』です」



―――――

やはり、自分には無理だったのだ。

夕暮れの日差しが、目に沁みる。
放課後になり、校舎の人はまばらだ。
人が少なくなると、とたんに学校は見慣れない景色になる。
あるはずの生徒がいないと、不安を掻き立てられる。

もっとも、人が居ても自分には大して変わらないのかもしれない。
この学園での知り合いは少ない。
誰かが人が歩いていても、その人のことを知らないのなら、それは石ころが歩いていることと同じことだ。
もっとも、この学園での石ころは自分の方かもしれない。

校舎を歩いているが、特に何か用事があるわけではない。
交換学生というくくりなら何か誘われることはよくあるが、個人的な用事あったことはない。
あるとすれば、ウテナに料理の手解きをしてもらうことくらいだ。
それも寮での用事なので、校舎に残る類のものではない。





158 : ◆ctuEhmj40s 2012/01/19(木) 21:47:51.16 ID:U3DqddSY0


(仁美ちゃん達。元気にしてるかなぁ…)


当てもなく歩きながら、見滝原での友達のことを思い出す。
メールや電話で連絡を取っているが、やはり顔を合わせて、お喋りをしたい。

帰りによく寄るアイスクリーム屋さんのこと。
新しくできた小物屋さんのこと。
新しくできる予定のショッピングモールのこと。
少し見ない間に何か変わったのか、聞きたいことはたくさんあった。

見滝原での放課後のことを思い出す。

さやかと仁美と3人で下校して、色んなお店を回る。
本屋にアクセサリーショップ、時間があるなら映画もいい。
疲れたら、ハンバーガー屋に入り、お茶をしながら今日一日のことを話すのだ。
中身は他愛無いお喋りだが、楽しくて、そして大切な時間。
何時までも続いてほしいと思う、そんな時間が三人の間で流れていくのだ。

もう一度、あの時間を過ごしたい。

見滝原に帰れば、それも叶うだろう。
きっと、帰れば元に戻るのだ。
友達も、自分も、学校も。全部、元通りだ。





159 : ◆ctuEhmj40s 2012/01/19(木) 21:49:05.01 ID:U3DqddSY0


(それで、いいの……?)


まどかは、鞄が少し重くなったように感じた。

持っている鞄には、秘密のノートが入っている。
まどかが、自分の成りたいものを書いた落書帳。
そこには、何かになりたいという願いが込められている。

そのノートが自分に言っていた。
このままで、いいはずがない。変わらなければならない、と。

鞄の取っ手を握りしめる。

まどかはそれを無視することも、捨てることも出来なかった。
ただ持っていくだけだ。
自分の不甲斐なさを恥じ、謝ることしかできない。

分かっている。
何の解決にもなっていない。

しかし、解決する力が自分には無い。
すべて自分が悪いのだ。
何にもできない、弱い子である自分が。


「あ、まどか!」


名前を呼ばれて、まどかは我に返る。
顔をあげると、そこには見知った顔があった。





160 : ◆ctuEhmj40s 2012/01/19(木) 21:51:32.23 ID:U3DqddSY0


「さやかちゃん……」

「どうしたの? 一人でこんなところでぶらぶらして」

「さやかちゃんこそ、どうしたの?」

「あたしはちょっと手洗いに……。って、恥ずかし! まどか、あんまり女の子に恥かかせるなよー!」

「さやかちゃんが勝手にいったんじゃん!」

「冗談冗談。まどかにならそんなこと話しても恥ずかしくないもんねー」

「もー、さやかちゃんたら」


いつも通りさやかは明るい。

見滝原に居た頃と変わらない笑顔。
さやかの顔を見ると、まどかは安心する。
その安心する自分が、まどかは情けない。


「あ、そうだ! 暇なら、一緒に音楽室に行かない?」

「え?」

「例の薫くんがさ。今日、ピアノを聞かせてくれるっていうんだ。
あのうるさい七実も今日はもう帰ったみたいだし、一緒に行こうよ!」


あれからも、さやかはちょくちょく音楽室に顔を出している。
薫幹の話も、よくまどかは耳にしていた。
薫幹も、上条恭介のことを知っており、彼の話題で話が弾むと、さやかは嬉しそうに話していた。

さやかが嬉しそうだと、まどかも嬉しくなる。

まるで自分の事のように思えた。
さやかとはずっと友達でいたい。





161 : ◆ctuEhmj40s 2012/01/19(木) 21:53:42.69 ID:U3DqddSY0


友達で、いられるのだろうか。

自分はさやかに、何もしてあげることができない。
ただ、守られているだけだ。
たぶん自分がいなくなっても、さやかは何も感じることはないだろう。
さやかは誰とでも仲良くできる。
自分は、そんな『誰か』の中の一人でしかない。

それは嫌だ。

まどかはさやかの友達でいたかった。
『誰か』ではない。『鹿目まどか』として覚えていてほしい。

それには、何かにならなくてはいけないだろう。
何もできないのではなく、何かができる人間ではなくてはダメなのだ。

今の自分には無理だ。
何にも一人ですることができない、ただ守られるだけの存在である。

だから、いつか必ず。今は無理でも、いつかはそんな人間に。

さやかがまどかの手を取る。
まどかはさやかの手を握り返した。
さやかは優しい。いつでも自分の手を取ってくれるだろう。

だから、今は甘えさせてほしい。

必ず、自分から手を伸ばす人間になる。
だから、今は弱い自分を守ってほしい。


「じゃあ、行こうか。まどか!」

「うん!」





162 : ◆ctuEhmj40s 2012/01/19(木) 21:55:54.53 ID:U3DqddSY0

―――――


音楽室にピアノの音が流れる。

放課後の静かな時間に、音色が響き渡る。
心に沁み渡るような旋律。
物悲しくも美しく、今は忘れてしまった大切なものを思い出させるような、そんな曲だ。

ピアノの腕の良し悪しなど、まどかにはわからない。
しかし、このピアノを聞くと何だか心のどこかが癒される感じがした。
知識などなくても、それが感動であることは理解できた。
そして、そんな曲を弾ける薫幹は、やはりただ者ではないのだということを実感する。

『光差す庭』。
それがこの曲の名前である。

幼いころ薫幹が妹と共に作曲した曲であり、お気に入りの一つでもあった。

やがて、幹は演奏を終えた。
余韻でぼうっとしている、まどかを慌ててつつき、さやかは拍手を送った。


「ごめん、退屈だったかな?」

「そ、そんなことないです! 聞いてて気持ちよかったから、ボーっとしちゃって…」

「なんかまどか、エロいよそれ」


ふぇっ?!とまどかは妙な声を上げた。

それを聞いて、幹は思わず笑ってしまう。
それを見て、まどかは顔を真っ赤にし、さやかをぽかぽかと叩いた。





163 : ◆ctuEhmj40s 2012/01/19(木) 21:59:23.65 ID:U3DqddSY0


「でも、僕だってまだまだですよ。上条さんには及ばないなぁ」

「そんなことないって。恭介のバイオリンと比べても、薫くんのピアノは凄いってば」


さやかは上条恭介のバイオリンは幾度も聞いている。
心が落ち着く恭介のバイオリンの音色が、さやかは大好きだ。

しかし、幹のピアノの音色も決して負けてはいないと思う。
実のところの一番は恭介のバイオリンだと思うが、これはたぶん自分の好意の問題だろうとさやかは思う。


「僕のピアノはまだまだ未完成です。一度コンクールで上条さんのバイオリンを聞いたけれど、彼の演奏は素晴らしかった。
尊敬しますよ、彼のことは」

「いやー、それは買いかぶり過ぎじゃないかなー」

「と、いうと?」

「いや恭介って、デリカシーないし、妙なところでボケてるし。
ミッキーのほうが、凄いって。フェンシングもやってるし。恭介って運動音痴なんだよ?」

「僕場合、色々やらないとすぐに集中が切れてしまうから。
上条さんみたいに、ずっと一つの物事に集中できないんですよ。やっぱり、違うなぁ僕とは」


いやいや、どう考えても恭介よりミッキーの方が凄い。

恭介はバイオリンしかできないが、ミッキーは音楽に加えてフェンシングに勉強もできるのだ。
前に数え役満に例えたが、実際に見てみるとそれどころではない。
トリプル役満状態だ。
役満一つの恭介では太刀打ちは出来ないだろう。





164 : ◆ctuEhmj40s 2012/01/19(木) 22:01:19.43 ID:U3DqddSY0


「上条さんは普段どんな音楽を聞いてるんですか? 美樹さん」

「うーん、やっぱりクラシックが多いなぁ。アヴェ・マリアとか昔からお気に入りだけど、最近はドビュッシーとか…」


そこから、さやか達はクラシック談義に花を咲かせた。

まどかは、飛び交う曲名になかなかついていけない。
が、そういうとき幹がピアノをひくと、どこかで聞いたことがある曲であることが分かった。
意外と、クラッシック音楽は身近なものだと、幹は言った。
確かに、奏でる曲は聞いたことのあるものばかりだ。

勉強しなよー、とさやかは目を丸くするまどかにからかう様に言った。
さやかは、音楽のテストは得意なのだ。
実技は散々なのだけれど。





165 : ◆ctuEhmj40s 2012/01/19(木) 22:02:48.48 ID:U3DqddSY0


 それにしても。


「なんか、仲良いね。さやかちゃんと薫くん」

「へ? そうかな」

「そうだよ。さやかちゃん、『ミッキー』って呼んでるし」


さやかが音楽室に通っていることは知っているが、ここまで打ち解けているとは思わなかった。
あだ名で呼ぶなど、かなり進展した仲だろうと思う。

そこに幹は、ああそれは、と言葉を入れた。

「そっちの方が僕は落ち着くから、そう呼んでくれるように頼んだんです。
鹿目さんの『薫くん』の方が何か違和感がありますよ」

「ほらほら、まどかもミッキーって!」

「え! ええと…、ミ、ミッキー?」

「はい。やっぱり、こっちの方が落ち着くなぁ」


男子をあだ名で呼ぶなど、まどかはあまり経験がない。
何となく気恥ずかしさを感じてしまう。
恥ずかしがっているまどかに、さやかは大げさだなぁ、と声をかけた。





166 : ◆ctuEhmj40s 2012/01/19(木) 22:04:18.47 ID:U3DqddSY0


「みんなそう呼んでるんだから、恥ずかしがることなんてないじゃん」

「で、でも、男の子をあだ名で呼ぶなんてあんまりないし…」

「パパと弟がいるのに、まどかは男子に耐性がないねぇ」

「鹿目さんは弟さんがいるんですか?」

「そう。たっくん、ていってね。まだ三歳なんだ。かわいいよねぇ」

「いいなぁ。僕は双子で、小さいときを可愛がることは出来なかったから。
今ではすっかり生意気になっちゃって。前にも……」


音楽室の時間は静かに過ぎていく。日がガラスから入り、キラキラと光った。

やはり、さやかといると楽しい。
さっきまで廊下を歩いていた時の憂鬱な気分が嘘のようだ。
さやかと居れば、苦手な異性との会話もこんなに弾む。
自分一人では、まごまごしてしまって、こんなふうに話すことは出来ないだろう。





167 : ◆ctuEhmj40s 2012/01/19(木) 22:05:05.02 ID:U3DqddSY0


「いやぁ、それにしても…」


 と、急に幹はさやかの顔をまじまじと見つめた。


「ん? どうしたの、ミッキー」

「いや、美樹さんって何だか話しやすいなぁって、思って」

「おいおい、ミッキー。いきなり、さやかちゃんに告白かー?」

「え?! そ、そうなの!」


 ち、違いますよ! と幹は慌てて否定した。


「クラッシックの知識もあるし、こんなに話せる人、なかなかいなかったから」

「ふっふっふ、友達を作るのは私の才能だからね!」

「でも、凄いよさやかちゃん。クラスでもすぐ友達作っちゃったし」

「まどかだって、友達いるじゃん」

「私は……」


さやかちゃんのおまけだから、と呟く。

しかし。声が小さかったのか二人には聞こえなかった。





168 : ◆ctuEhmj40s 2012/01/19(木) 22:05:49.05 ID:U3DqddSY0


「でも美樹さん達は交換学生なんですよね。いなくなったら寂しくなるなぁ」

「おいおい、ミッキー。終わるのはまだ先だってば。あと2週間もあるし!」


2週間なんてあっという間ですよ、と幹は言った。


「もっと顔を見せてください。鹿目さんも、遠慮する必要なんてないですから」

「う、うん」

「でも、たまに七実がいるしなぁ。アイツ、こっちの顔を見るとすぐに噛みついてくるし」

「七実くんは…まぁ、悪い人じゃないですから。大目に見てください」

「でも、この学園って面白いし、確かにもっと居たいって感じるなぁ。
いっそこのまま、ずっといるのもいいかもねー」





169 : ◆ctuEhmj40s 2012/01/19(木) 22:06:57.61 ID:U3DqddSY0






  え?







今、さやかは、何と言ったのか。


「それなら、編入試験を受けなくてはいけませんね。
いっておきますけど、うちの学園は甘くないですよ?」

「うーん、じゃあミッキー。家庭教師よろしく! 
ついでに生徒会権限で試験を免除してくれたらうれしいっス!」

「生徒会は自治も兼ねてますから。それなら入学したらすぐに退学ですね」


うげぇ、とさやかはつぶれたような声を出した。
幹もつまらない冗談を言って笑いあう。

しかし、まどかは笑っていなかった。





170 : ◆ctuEhmj40s 2012/01/19(木) 22:08:27.23 ID:U3DqddSY0

さやかがいなくなる。自分の風景から、この学園へ。

さやかがいない世界を想像する。
そこにいるのは、一人ぼっちの自分だった。
友達も自分で作れない、空っぽな存在がそこにある。
そんな自分を誰が好きになるというのだろうか。

まどかは一人では何もできないお姫様だった。

そしてお姫様には守ってくれる王子様はいない。
ガラスの靴を持って来たり、目覚めのキスをしてくれる相手のいない、一人ぼっちのお姫様。

さやかを引き留めることは、自分にはできない。
まどかには誇れるものが何もない。
自分が、さやかに与えられるものは何もない。

そんな自分が、どうやればさやかを引き留められるというのだろうか。






171 : ◆ctuEhmj40s 2012/01/19(木) 22:09:41.20 ID:U3DqddSY0


わかっている。
さやかの言ったことは、ただの冗談だ。

本当に鳳学園に転入することなどないだろう。
幼馴染の上条恭介も見滝原に居るのだ。
あの場所を離れることなど決してない。
後、二週間もすれば、まどかの世界は元に戻る。

その世界がいつまでも続くなど、どうして考えたのだろう。

気づいてしまった。
さやかが、明日そばに居てくれる保証などどこにもないのだ。
もしかしたら、何かの拍子にいなくなってしまう。
そんなことだってあるのだ。

その時、何かできなければいけない。
何かできなければ、自分はさやかを失ってしまう。
友達でいることも、さやかも助けることができない。

変わらないと。

変わらないと。

そうしなければ、失ってしまう。

しかし現実の自分は、何も変わることはできない。





172 : ◆ctuEhmj40s 2012/01/19(木) 22:13:02.39 ID:U3DqddSY0

―――――

さやかたちに断りを入れ、まどかは音楽室から退室した。
寄るところがあると、一言添て。

本当は寄るところなどない。
自分は、この学園では何もない人間なのだから。

まどかは歩いた。
ただひたすら歩いた。
行先など、何もない。
その姿は、何かから逃げているようだ。
しかし、逃げることなど決してできない。

それでも、まどかは歩いた。
歩いて前に進めば、そのうち何か解決するのではないか、そんな淡い期待を込めて。

自分は変わらなければいけない。
しかし、現実は自分に変わる力はない。





173 : ◆ctuEhmj40s 2012/01/19(木) 22:13:58.92 ID:U3DqddSY0


『君は、君のままでいればいいんだ。君の普通は、君だけのものだ。無くしちゃダメだよ』

違う。
自分は変わらなければいけない。


『だから、無理に変わる必要なんてありません。
鹿目さんは鹿目さんのままでいればいいんです。美樹さんも、それを望んでいるはずですから』


そうでなくては、色んなものを失ってしまう。


『でも、この学園って面白いし、確かにもっと居たいって感じるなぁ。いっそこのまま、ずっといるのもいいかもねー』


しかし、変わることは出来ない。

まどかは、歩き続ける。
いつの間にか校舎を出て、外を歩いていた。
校庭やカフェテラスでは様々な生徒が思い思いの活動をしている。

しかし、自分にはやることは何もない。





174 : ◆ctuEhmj40s 2012/01/19(木) 22:15:13.64 ID:U3DqddSY0


どうして、こんなことになったのだろう。

まどかは変わることも変わらないことも、どちらも選ぶことは出来なかった。
変わる力も、変わらないことで失うことに耐える力も、自分にはない。
ただ、何もできないまま周囲に流されていくだけだ。
大切なものが失われても、おそらく自分はそれを受け入れるしかできないのだろう。

そして自分は何者にもなれないまま過ごしていくのだ。

何で自分はこうも弱いのだろうか。
まどかは泣きたくなった。
失うことになっても、それを繋ぎ止めることも出来ない。

昔から何も変わっていないのだ。
さやかが近くに居たから忘れていた。
弱いままの自分、一人じゃ何もできない自分のことを。

友達も自分で作れたわけではない。
さやかがいたから出来ただけだ。
さやかが居なければ自分は何もできない、どうしようもない人間だ。

嫌だ。そんなのは嫌だ。





175 : ◆ctuEhmj40s 2012/01/19(木) 22:16:20.88 ID:U3DqddSY0


だが、どうすることもできない。

自分を変える力がないことは、この二週間、鳳学園で過ごして、嫌というほど突きつけられた。
誰が、自分のことを覚えてくれただろう。
結局自分は、交換学生であって『鹿目まどか』として見られてなどいない。
ただの、ラベルを張られた人間だ。 

どうしようもない。息苦しい。
不安が自分を押しつぶす。

あれだけ澄んでいた鳳学園の空気すら、今は毒のようにちくちくと体と心を傷つける。
自分を取り巻く世界が、自分を責め立てているような気がした。

いや、違う。おかしいのは自分なのだ。

世界は何も変わっていない。
ただ自分が気づいただけなのだ。
自分が置かれている、本当の世界に。

こんなこと、どうすれば解決できるのだろう。

自分の力では無理だ。
自分は、一人では何もできないのだから。





176 : ◆ctuEhmj40s 2012/01/19(木) 22:17:37.93 ID:U3DqddSY0


「あ……」


気が付くと、古びた建物の前にまどかはいた。

半ば朽ちたように、時間を止めたような建物。
所々壁が朽ちており、蔦が建物を覆っている。
まるで、閉鎖された病院のような雰囲気がここにはある。


根室記念館。


生徒手帳にも載っていない、不思議な建物。

まどかは思い出す。
そこでは、どんなこと悩みも解決してくれる秘密の面会があることを。

鳳学園の生徒の間に流れる、不思議な噂の一つ。
根室記念館の面会室の噂。

噂は噂だ。本当にそんな話があるわけがない。





177 : ◆ctuEhmj40s 2012/01/19(木) 22:19:01.76 ID:U3DqddSY0


『噂は本当ですよ』


アンシーの言葉が、脳裏に蘇る。

入口の扉に手を伸ばす。
ひんやりとした感触が手のひらに広がった。

外からの印象通り、根室記念館は冷え切った建物だった。
生きているものの居ない時間を止めた建物であり、冷たさしかない。
日当たりの良い建物なのに、暖かみは全く無かった。

まどかは、扉を開けた。



「……誰かいませんか? ……すいません。どなたかいらっしゃいませんか? 
あのー、予約とか取ってないんですけど、よろしいですか?」






181 : ◆ctuEhmj40s 2012/01/22(日) 22:16:25.37 ID:UfEIbf4s0

 


 面会の方は
 必要事項を記入して
 お待ちください。

     根室記念館




受付にて、面会は受理された。
 
渡された紙に、必要事項を記入する。
記入を終えると、椅子に座って待っているようにまどかは言われた。
言われた通り、まどかは呼ばれるまで待つことにする。

どのくらい待つのだろうか。

ふと見てみると、受付の壁には写真が何枚も飾ってあった。
写真には、沢山の少年の集合写真や、黒い服を着た『剣』をもった人間の姿が映っている。
ここの人たちの写真だろうか。
おかしな写真だと、まどかは思う。

やがて名前が呼ばれ、案内に従って奥に進むように言われた。
奥に進むと、壁に沿っておかれた椅子に、案内の看板が置かれていた。





182 : ◆ctuEhmj40s 2012/01/22(日) 22:17:37.32 ID:UfEIbf4s0




?面会室




根室記念館の中は薄暗い。

真っ暗というわけではないが、廊下の先が良く見えない。
案内が置かれているのは、親切だった。
これに沿っていけば迷うことはないだろう。




?面会室?面会室?面会室?面会室?面会室?面会室?面会室?面会室?面会室?面会室




やがて廊下には、いく手を阻むように椅子が置かれていた。

やはり椅子には案内の看板が置かれている。
その先には取っ手に『面会室』の札が付いた、一つの部屋があった。




?面会室?面会室?面会室




まどかは部屋に入った。






183 : ◆ctuEhmj40s 2012/01/22(日) 22:18:51.52 ID:UfEIbf4s0

―――――


人一人が何とか座れる、狭く、薄暗く、寒々しい個室。

冷たい壁には蝶の標本が飾ってある。中には白塗り椅子が用意してあり、前には鏡がある。
その作りは、さながら教会の懺悔室を思い出させた。

根室記念館。その面会室。

困った時はどんな相談でも聞いてくれるという秘密の部屋。
今は、そこに一人の少女が、訪れている。


「あの…。中等部1年、交換学生。鹿目まどかです」


部屋に、優しい声が響く。


「では、始めてください」





184 : ◆ctuEhmj40s 2012/01/22(日) 22:19:42.46 ID:UfEIbf4s0



ゴウン… 




面会室が動き出す。地下へ。深いところへ。


「あの…私って、昔から得意な学科とか、人に自慢できる才能とか何もなくて…。
きっとこれから先ずっと、誰の役にも立てないまま迷惑ばかりかけていくのかなって。
それが嫌でしょうがなかったんです」





185 : ◆ctuEhmj40s 2012/01/22(日) 22:20:20.60 ID:UfEIbf4s0



ゴウン… ゴウン… 




「中学生になっても何も変わらなくて…。
だから自分を変えたかった。このままじゃいけないって。
今回の、交換学生の話を受けたのも、そう思ったからで…」





186 : ◆ctuEhmj40s 2012/01/22(日) 22:21:04.18 ID:UfEIbf4s0



ゴウン… ゴウン… ゴウン…




「…これで何か変わる。もしかしたら新しい自分になれるかもって、そう考えていました」





187 : ◆ctuEhmj40s 2012/01/22(日) 22:22:38.61 ID:UfEIbf4s0


部屋が、止まる。静寂が部屋を包んだ。


「深く…。もっと深く」


声は先を促す。
まどかは一瞬躊躇し、しかし話し出した。


「…でも」


再び面会室は動き出す。地下へ。さらなる深淵へ。






188 : ◆ctuEhmj40s 2012/01/22(日) 22:23:17.80 ID:UfEIbf4s0



ゴウン ゴウン ゴウン




「結局、何も変わりませんでした。
それどころか、自分は昔から何も変わってなかったってことがわかって…。
さやかちゃんがいないと、私って友達も作れなくて…」


蝶はサナギになる。





189 : ◆ctuEhmj40s 2012/01/22(日) 22:23:58.18 ID:UfEIbf4s0



ゴウン ゴウン ゴウン ゴウ ゴウ ゴウ…




「何で私ってこんなにダメなんだろう…。
パパも、ママも、さやかちゃんも…。
ウテナさんやアンシーさんだって、みんな凄くて何か取り柄があって…。
それなのに私には何の取り柄もなくて…。
私がいる意味…、私の価値ってあるんでしょうか…」


サナギは幼虫になる。





190 : ◆ctuEhmj40s 2012/01/22(日) 22:24:44.13 ID:UfEIbf4s0



ゴウ ゴウ ゴウ ゴウ ゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴ…




「嫌…。何にもできないのは嫌…! 
何者にもなれないのはやだ…! 
守られてばっかりはやだ…! 
さやかちゃんみたいになりたい…。
困っている人を助けられるさやかちゃんみたいに…!」


幼虫は卵になる。原初の姿へ




191 : ◆ctuEhmj40s 2012/01/22(日) 22:26:15.88 ID:UfEIbf4s0


「誰かの役に立ちたい…。
役に立って、胸を張って生きていきたい。
そうじゃなきゃ、私の居る意味なんてない…! 
誰の役にも立てないまま、迷惑ばかりかけていくなんて、そんなのいやだ…! 
必要とされたい…! 何かになりたい…! 
何もできないままでいたくない! 石ころみたいに生きていくのはやだ…! 
透明なままはやだ…! 
何かになりたい…。何か…。何か…。何か…!」


ゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴ――――――――――――――――――



192 : ◆ctuEhmj40s 2012/01/22(日) 22:27:03.50 ID:UfEIbf4s0





ガコン!




193 : ◆ctuEhmj40s 2012/01/22(日) 22:27:41.19 ID:UfEIbf4s0


轟音と共に、部屋の動きは止まった。
どうやら、最下層についたようだ

まどかは、力なく椅子に座っていた。


「わかりました」


背後に、いつの間にか一人の青年が佇んでいた。

青年・御影草時は、優しく、救いの手を差し伸べた。


「貴方は世界を革命するしかないでしょう。
あなたの進むべき途は用意してあります」





194 : ◆ctuEhmj40s 2012/01/22(日) 22:29:25.27 ID:UfEIbf4s0

―――――


ミッキーとの話を終え、さやかは寮に帰ってきた。

本当はもう少し話をしていたかったが、今日はさすがに夕食を作るのを手伝わないとマズイ。
ここ二、三日はまどかが手伝ってばかりだ。
はっきりとした取決めがあるわけではないが、まどかばかりに押し付けるのは良くない。
まどかと自分は対等な立場なのだ。

周りからは似合わないとよく言われるが、さやかは音楽が大好きである。

幼馴染の恭介と一緒にいると、嫌でも音楽は耳に入ってきた。
最初は眠くなるような音だと思っていたが、恭介の話を聞くと、その音の意味・表現している物・楽しみ方が理解できた。
以来、音楽はさやかのお気に入りになった。

今日も楽しかった。

ミッキーにクラシックについての話も聞けて非常に実のある時間だった。
学園一の音楽の手ほどきを受け、今のさやかは無敵状態だ。
これで七実や、見滝原に帰れば恭介も驚かせることができるかもしれない。
それを考え、さやかは一人にやにやと意地の悪い笑顔をするのだった。







195 : ◆ctuEhmj40s 2012/01/22(日) 22:30:51.41 ID:UfEIbf4s0


部屋に入ると、まどかは戻っていなかった。

まだ用事が終わっていないのかもしれない。
しかし、まどかもちゃんと自分抜きで付き合う友達ができていたのだと思うと、さやかは安心した。
それと同時に、何となく寂しい気分にもなる。
まるで独り立ちした我が子を見る母親のようだ。

そんなに老けてないって―の! 

自分自身にさやかはツッコミを入れる。
この年で母親気分を味わうなど、花の中学生にあるまじきことだ。
まどかを見ていると、庇護欲がむくむくと湧き上がってくるのは確かだが。

そんなことを考えながら制服を脱ぎ、部屋着に着替えると、少し時間が空いてしまった。
天上先輩はまだ帰ってきていない。
自分一人ではメニューを決められないし、お米はすでに研いでセットしてある。
現状、自分が夕飯の手伝いにおいてやれることは何もない。
 
さて、どうするか。

宿題をするか、それともミッキーから聞いた話を忘れないうちにメモっておくか。
うん、宿題は後回しにしよう。
そんなことよりも、音楽の方が大切だ。
それに、音楽も立派な学生がするべき勉強だろう。
ならば、メモをした方が一石二鳥というものだ。
ええと、確か、今日の話で出てきたのは――





196 : ◆ctuEhmj40s 2012/01/22(日) 22:31:58.48 ID:UfEIbf4s0


「さやかちゃん」


「ふぇっ?!」

急に名前を呼ばれて、さやかは背中に冷水をかけられたように飛び上がった。
見ると、いつの間にかまどかが部屋に戻ってきていた。


「ああ、まどかかぁ。お帰り」

「うん。ただいま、さやかちゃん」

「いやー、びっくりしたわ。あんた部屋に戻ったんなら、もっと早く声をかけてよ」


今のは心臓に悪い。
いつ帰ってきたのだろうか。
階段を上る音も聞こえなかったし、ドアを開ける音もしなかったはずだ。


「とにかく着替えなよ。そんなところで立ってないでさ」

「…」






197 : ◆ctuEhmj40s 2012/01/22(日) 22:32:50.94 ID:UfEIbf4s0


「…まどか?」


まどかは何もせず、たださやかを見ていた。
どことなく気が抜けてぼんやりしたような表情をしている。

何か、体からが抜け落ちているかのようだ。
まどかをまどかにしていた『何か』が、今のまどかには無い。

まどかの様子がおかしい。

そう思った時、さやかはまどかに抱きつかれていた。


「ちょっ…!」

「…」





198 : ◆ctuEhmj40s 2012/01/22(日) 22:33:48.26 ID:UfEIbf4s0


「ど、どうしたの、まどか?」


返事はない。
ただ、ぎゅっとさやかは抱きしめられた。

まさか、誰かに何かされたのだろうか。
容疑者として、自分に突っかかってくる七実の顔が浮かんだが、確証はない。

小学生の頃、たまにいじめられていたことがあったのをさやかは思い出す。
それなら、あの落ち込んでいたような雰囲気も納得がいく。
心細くなってこんな行動に出たのだとしたら、かなりの重傷だ。


「……大丈夫だよ、まどか」


さやかは、まどかを抱きしめ返した。


「……あんたはこの私が守ってあげるから」

「……」

「だから、辛いことがあったんなら話して」

「……」

「私はアンタを傷つけるやつは許さないから。だから――」





199 : ◆ctuEhmj40s 2012/01/22(日) 22:35:03.72 ID:UfEIbf4s0


「さやかちゃん」


さやかの声を遮り、まどかは声を出した。


「私ね。さやかちゃんみたいになりたかったの」

「まどか……?」

「さやかちゃんって凄いよね。誰とでもすぐ仲良く出来るし、いつだって明るいし」

「う、うん。ありがと……」

「私は、そんなさやかちゃんみたいにならなきゃいけないの。そうしないと、何にもできないから」

「あんた、何言って――?」

「だから、さやかちゃん」


まどかの手が、さやかの胸に触れた。

その手に黒い指輪がはめられていることに、さやかは気が付かなかった。





200 : ◆ctuEhmj40s 2012/01/22(日) 22:36:12.86 ID:UfEIbf4s0


「貸してね?」


その瞬間、どくん、と何かがさやかの中で蠢いた。

驚き、まどかを体から引きはなす。
しかし、胸の違和感は止まらない。
どくん、どくん、と何かが形になろうとしているようなそんな感覚。
それが、さやかの身体を満たす。


「あ、あ、あ」


さやかは、何かを守るように胸を押さえた。

が、止まらない。
何かが、自分から引き抜かれようとしている。
自分の思考、感情、理想、心。
そういったものが引きずり出されたような感覚。
その感覚に、さやかは悶える。

その様子を見て、まどかは微笑んでいた。





201 : ◆ctuEhmj40s 2012/01/22(日) 22:37:05.67 ID:UfEIbf4s0


「あ、あ、あ。ああああああああああああああああ!!!!」


絶叫と共に、さやかの身体が弓なりに反った。

体を天に捧げるように、胸を天上に突き出す。
そして、さやかの胸から、何かが引き抜かれてきた。

『剣』だ。

反りの入った刀剣。
力強いが、拙い人間が使うのか、柄には手を守るためにナックルガードがついている。
幼い理想が具現化したような、そんな剣だ。

まどかは、その剣をさやかから引き抜いた。

さやかが床に倒れ伏す。
しかし、まどかはさやかの事を気にも留めなかった。

いとおしそうに、引き抜いた剣を見つめる。
手に取り、握りしめると、それだけで力が湧いてきた。
これが力。弱い自分を変え、世界を変革する力だ。


「これで私は、何かになれるんだね」


まどかは、小さくつぶやいた。





202 : ◆ctuEhmj40s 2012/01/22(日) 22:37:55.77 ID:UfEIbf4s0

―――――

日は沈み始め、鳳学園には夕焼けが差し始めていた。

ウテナは鞄を持ち、寮に帰ろうと校舎を歩いていた。
既に人はまばらで、廊下を歩いているのは自分くらいのものだった。
騒がしい学園も好きだが、こんな静かな学園もウテナは気に入っていた。

帰ったら、さっそく夕食の支度をしなくてはならない。
今日は、どっちが手伝ってくれるのだろうと、ウテナは想像する。

まどかは慎重すぎて、さやかは大雑把だ。
どちらか、あるいは両方が来ることを想定して、何をやってもらおうか考える。
こんなことを考えるのも、ウテナのここ数日の楽しみになっていた。

献立と役割当番に頭を動かしている内に、下駄箱に到着した。
ウテナは自分のロッカーに手を伸ばし、扉を開ける。





203 : ◆ctuEhmj40s 2012/01/22(日) 22:38:28.69 ID:UfEIbf4s0


そこには手紙が張られていた。




エンゲージする者へ 
夕刻 決闘広場で待つ




今日も鳳学園の裏の森で、決闘が始まる。





204 : ◆ctuEhmj40s 2012/01/22(日) 22:39:36.06 ID:UfEIbf4s0

―――――


影絵少女は、かく語る。


「ごうがーい。ごうがーい。ごうがーい」



「ねぇ、貴方。私って役に立っている?」

「ああ、君は役に立っているよ」

「でも、私そんな実感がわかないの。だから、何でも言って! 私は役に立ちたいの!」

「じゃあ、食事を作ってくれ」

「わかったわ!」

「ついでに、洗濯もしてくれ。毛糸のパンツの扱いには気を付けてな」

「わかったわ! 縮まないように注意するわね!」

「さらに、掃除もしてくれ。ベットの下は覗かないでくれよ」

「わかったわ! もし見つけても、机の上に並べたりしないわよ!」






205 : ◆ctuEhmj40s 2012/01/22(日) 22:40:57.07 ID:UfEIbf4s0


「最後に、これにサインしてくれ。婚姻届だ」

「わかったわ。ああ、楽しい楽しい。人の役に立つって、なんて楽しい。なんて満たされるの。
もう私は貴方がいないと生きていけないわ!」

「ふっふっふ、バカな奴だ。これで俺はアイツをゲット! 一生こき使ってやるぜ!」


ウテナは小さくつぶやいた。


「女同士は無理ですよ、結婚」





211 : ◆ctuEhmj40s 2012/01/26(木) 21:41:07.31 ID:eNJv5dBt0


鳳学園の裏の森。
普段は立ち入りを禁止されているその場所に、決闘広場の入り口は存在する。

木々に囲まれた道を抜けると、水に囲まれた庭園が姿を現す。
水が広がるその中央を割るように通路があり、その奥にある巨大な薔薇のレリーフが飾られた門がある。

ウテナはその門に触れる。
すると水滴が一粒生まれ、ウテナの指にはめられている薔薇の刻印に、ぴちゃり、と降りかかった。

薔薇の門が開き始める。

庭園から水が引いていく。
仕掛けが動きだし、門が姿を変えていく。
何人たりとも通さない、何重にも閉ざされた薔薇の門が開いていく。

やがて、ウテナの前には道が開かれていた。
巨大な薔薇の門を潜り、ウテナは先を目指す。

道の先には、巨大な柱がある。
柱は天を貫き、雲の上まで続いている。
その柱を螺旋階段が取り囲んでおり、空への道を作りあげていた。

その先に、決闘広場がある。





212 : ◆ctuEhmj40s 2012/01/26(木) 21:43:02.30 ID:eNJv5dBt0

BGM 絶対運命黙示録



絶対運命黙示録
絶対運命黙示録


出生登録 洗礼名簿 死亡登録


絶対運命黙示録
絶対運命黙示録


わたしの誕生 絶対誕生 黙示録


闇の砂漠に 燦場 宇葉

金のメッキの桃源郷

昼と夜とが逆回り

時のメッキの失楽園


ソドムの闇 光の闇

彼方の闇 果てなき闇


絶対運命黙示録 
絶対運命黙示闇

黙示録 

もしく しくも しもく くもし もしく しくも
もしく しくも しもく くもし もしく しくも
もしく しくも しもく くもし もしく しくも
もしく しくも しもく くもし もしく しくも





213 : ◆ctuEhmj40s 2012/01/26(木) 21:44:15.16 ID:eNJv5dBt0


ウテナは階段を上り続ける。

そして、ウテナの姿が変わる。
彼女が憧れる、王子の姿に。
凛々しく気高いその姿は、王子を目指す純粋な魂の体現だ。

やがて、階段の終わりが見えてくる。
見上げると、空には永遠があるという幻の城が、逆さになってぼんやりと浮かんでいた。

あの城には永遠が眠っている。
薔薇の花嫁を手に入れた者は、やがて『世界を革命する者』となり、あの城に眠る永遠の、奇跡の力を手に入れると言われていた。

ウテナはそんなものに興味はない。
そんなもののために姫宮を奪い合う、この決闘ゲームが嫌いだ。

決闘に向かおう。姫宮が待っている。





214 : ◆ctuEhmj40s 2012/01/26(木) 21:47:15.30 ID:eNJv5dBt0


天空の決闘広場に着くと、やはりそこには姫宮がいた。

ティアラを付け、真っ赤なドレスに身を包み、まるでその姿は一輪の薔薇のようだ。
それが、薔薇の花嫁としてのアンシーの姿だった。

そして、今回の相手は――。


「な……」


その姿を見て、ウテナは驚愕する。

ある時期を境に、決闘広場には異変が生じている。
そして今回も、広場には奇妙な光景が広がっていた。

広場の床には、模様が浮かび上がっている。

人の形をした赤い模様だ。

その模様は、人が倒れたような形をしていた。
それが広場を覆い尽くすように、床に描かれている。

それは、死体を連想させた。
まるで、ここで沢山の人間が死んだようかのようだ。

そして、広場にはあるものが置かれている。

机だ。

大量の机が、広場に置かれていた。
ただ置かれているのではなく、規則正しく並べられたその眺めは、学校の教室を思い起こさせた。

机の上にはノートが置いてあった。
何の変哲もない、ただの落書き帳。
ページが開いており、中には絵が描いてある。
それが広場全ての机の上に、置いてあった。





215 : ◆ctuEhmj40s 2012/01/26(木) 21:49:48.20 ID:eNJv5dBt0

そして、広場と並べられた机の中心に、彼女はいた。


「この黒バラにかけて誓う」


なんで。
どうして。

ウテナは混乱する。

少女は胸に飾られた薔薇に手を当てる。
その姿は、ここ数日ようやく着慣れた鳳学園の制服ではない。
黒い喪服のような決闘装束に彼女は身を包んでいた。

彼女にそんな姿は似合わない。
人一倍、優しい子だったのに。


「まどか…ちゃん」


どうして、まどかがここに居るのだ。


「この決闘に勝ち、バラの花嫁に死を!」


まどかは剣をウテナに向ける。
それで、ウテナはようやく決闘相手が誰なのか理解した。





216 : ◆ctuEhmj40s 2012/01/26(木) 21:52:37.85 ID:eNJv5dBt0


「姫宮! どうしてまどかちゃんが……」

「おそらく、香苗さんや梢さんと同じです。いつもの鹿目さんではありません」

「あの黒薔薇のせいか……!」


まどかの胸に飾られた黒薔薇を、ウテナは睨みつけた。

黒い薔薇を胸に飾ったデュエリスト。
彼らは何者かに操られ、正気を失い薔薇の花嫁を殺すために襲い掛かってくる。
元に戻すには薔薇を散らし、決闘に勝利するしかない。


「さあ、剣を抜いてください。天上先輩。でないと……」


うつろな目をした、まどかが笑う。


「姫宮先輩を、殺してしまいますよ?」

「……! 姫宮!」


やるしかない。
戦わなければ、姫宮は奪われ、まどかも元に戻せない。

ウテナは、覚悟を決めた。





217 : ◆ctuEhmj40s 2012/01/26(木) 21:53:48.32 ID:eNJv5dBt0

決闘BGM  地球は万物陳列室




「気高き城のバラよ…」


アンシーの胸元が輝きだす。
小さな光が集まり、やがて大きな輝きとなった。


「私に眠るディオスの力よ。主に答えて、今こそ示せ…」


その身に宿る力を捧げるアンシーの身体を、ウテナは優しく抱きかかえた。
その姿は姫を守る王子様そのものだ。

やがて光の中心から、柄が現れる。

薔薇の装飾が施された、美しい剣。
その柄が主の呼び声に答えて、その姿を現した。

かつてこの世界に居た王子・ディオス。
姫宮アンシーの中に眠るその理想が、剣となって顕現する。





218 : ◆ctuEhmj40s 2012/01/26(木) 21:55:16.74 ID:eNJv5dBt0


ウテナは剣を、アンシーから引き抜いていく。
アンシーからウテナへ、その理想が引き継がれる。
世界を救う、ひた向きな気高い理想が。

ウテナは万感の思いを込めて、その剣を引き抜いた。

姫宮が自由を奪われ、まどかが正気を失い戦わされる世界。
そんな世界があるならば、自分が変えてみせる。

姫宮を、薔薇の花嫁から解放するために。

まどかを、元に戻すために。

そのために――。



「世界を、革命する力を!」



そして、決闘開始の鐘が鳴る。





219 : ◆ctuEhmj40s 2012/01/26(木) 21:56:10.53 ID:eNJv5dBt0


まどかの刀剣と、ウテナの剣がぶつかり合った。

重い。
まどかの刀剣を受け、ウテナは腕が飛ばされそうな感覚を味わった。
体勢を崩され、続けてくる攻撃が受けられない。


「はぁっ!」

「くっ……!」


まどかの第二撃をギリギリで躱し、ウテナは一時的に距離をとった。
その隙に体勢を立て直す。

彼女のどこに、こんな力が眠っていたのか。


「天上先輩、どうしたんですか。そんなんじゃ、先輩を倒す意味がないじゃないですか」


そんなウテナの姿を見て、まどかは不満げに言葉を漏らした。
再び、刀剣を握り、ウテナに剣を振るう。





220 : ◆ctuEhmj40s 2012/01/26(木) 21:57:23.70 ID:eNJv5dBt0


まどかは、剣の腕があるわけではない。

これまでウテナが戦ってきた者たちと比べると、格段に見劣りする。
最低に近い腕だ。
大振りであり、一度剣を振ればその後は隙だらけになる。
ただ力任せに刀剣を振り回しているだけであり、剣技と呼ぶにはあまりにも程遠い。

が、ウテナは攻めきれずにいた。

一撃を受け止めるたびに、剣を飛ばされそうになる。
その力は、何よりも強い。
このまま受け続けていれば、やがて剣をへし折られてしまいそうだ。

幼稚極まりないが、それ故に何よりも暴力的な力を持つ。
それがまどかの持つ刀剣の力だった。

さらにもう一撃が来る。

机が邪魔になり躱せない。
再び、ウテナはまどかの剣を受け止める。凄まじい衝撃に腕が痺れた。

大量の机が置かれた決闘広場では動きが制限され、躱すのにも限界があった。
かといってまどかの身体を傷つけるわけにもいかない。
攻めあぐねているウテナに対し、まどかは勢いに乗って攻め続ける。

状況に守られ、まどかの剣はウテナの剣と互角に渡り合えるものとなっていた。





221 : ◆ctuEhmj40s 2012/01/26(木) 21:58:51.82 ID:eNJv5dBt0


「でも、どうしてだ! まどかちゃん、君は戦うような子じゃないはずなのに!」


鍔迫り合い状態になり、力比べの場面になる。
しかし、両手で剣を支えているにも関わらず、じりじりとウテナはまどかに押されていった。

ウテナの必死の叫びに、まどかは言葉を返した。


「そう。わたしはそんなことができなかった。戦うことができなかった。だから失うしかなかった。
でも、そんなのは嫌なんです!」

「何?!」

「何もできなくて失うのは嫌。だから私は自分を変えるんです!」


まどかが全力を持って、ウテナを吹き飛ばす。
飛ばされたウテナは、机に叩きつけられた。

全身が痛むが、まだやれる。

机に寄りかかりながらも、ウテナは立ち上がった。





222 : ◆ctuEhmj40s 2012/01/26(木) 22:00:15.30 ID:eNJv5dBt0


「それで君は何になるっていうんだ! 優しい君を捨てて、それで本当にいいのか!」

「今のわたしじゃ、何も変えられない。だから私は私を変えるんです! その為なら何だっていい。今の弱い私なんかいりません!」


まどかは剣を振り回し、ウテナに襲い掛かった。

剣を振り回した風で、机の落書き帳のページがめくれていく。
中にはアニメのキャラやアイドル、友達など様々な絵があった。
描かれているものに、整合性はなかった。


「そうやって捨てていったら、本当に何もなくなってしまう。目を覚ますんだ!」

「それでも、今よりはいい!」

「今あるものを大切にするんだ! それが出来なきゃ、君は捨てることしかできなくなってしまうぞ!」

「私はこの力で世界を変える! 先輩を倒して、先輩を超える力を手に入れる! 世界を変えて新しい自分になるんだ!」


そこで、ウテナはまどかの手が目に入った。

赤く腫れ上がり、今にも壊れてしまいそうなほどのダメージを負っている。
刀剣は、持ち主自身をも傷つけていた。
有り余るその力は、扱いきれない者にも無慈悲に襲いかかる。
資格がない者がその刀剣を持てば、持ち主にすらも牙をむく。

誰に対しても平等であり、その理想の妨げになるならば自身をも破滅させる。

邪魔な者は全て敵。
幼稚な故に、単純な理屈。

こんなのは、本当にただの暴力だ。
そんなもので、何が変えられるというのだろうか。

これ以上、長引かせるわけにはいかない。

ウテナは勝負に出た。





223 : ◆ctuEhmj40s 2012/01/26(木) 22:01:36.83 ID:eNJv5dBt0


「終わりです、天上先輩!」


まどかの全力をこめた一撃が来る。
暴風のような一撃。
これを受ければ、間違いなくウテナは剣を持てなくなるだろう。

その一撃をウテナは後ろに跳ね上がり、躱した。

全身を使って、一気に跳躍する。
ただただ理想の高みを目指す、ウテナだからこそできる芸当だ。

まどかの一撃は、ウテナに届かない。

相手を見失った刀剣が、周囲の机を破壊した。
その上にあった落書き帳が引き裂かれ、バラバラになっていく。

空にある幻の城が輝きだした。

アンシーはそれを見る。
幻の城から現れる、ディオスの幻影。
着地し、最後の一撃を繰り出そうとするウテナに、その幻影は舞い降りた。





224 : ◆ctuEhmj40s 2012/01/26(木) 22:02:57.17 ID:eNJv5dBt0


「はぁぁぁぁぁっ!」


その時アンシーには、ウテナの姿が王子・ディオスと姿と重なった。

ウテナの身体が、一発の弾丸のようになる。
地面を全力で蹴り上げ、一気に加速する。
剣を突きだし、その力の全てを剣先に込めた。

全身全霊を賭けた、一撃必殺の突き。

それがまどかに撃ちこまれる。
体中にある力を使い、ただ前に全力で突き進む。
そこには、何の躊躇も悔恨もない。
それによってウテナの一撃は、目にも止まらぬ高速の必殺剣となる。

その速さに、まどかは対応できない。

ウテナの剣先が、まどかの胸の黒薔薇を破壊した。

胸の黒薔薇が散る。
風に乗って、その花は空に流れていく。

決闘場に鐘が鳴り響く。
それは、今回の決闘の勝者が決まったことを意味していた。





225 : ◆ctuEhmj40s 2012/01/26(木) 22:04:46.63 ID:eNJv5dBt0


「あ、あ、あ」


まどかの絶叫が、決闘広場に響き渡った。
顔を手で被い、全身を襲う苦しみにまどかは翻弄される。


「ああああああああああああああっ!」


叫びに呼応するように、決闘場に在った机が動き出す。
片付けられるように、机は四隅に集まっていく。
まるで、一つの舞台が終わったかのようだ。

全てが片付いた舞台の上で、まどかは苦しみ続ける。

やがて、まどかの指にはめられた、黒い薔薇の刻印が崩壊した。

その瞬間、まどかは糸が切れた人形のように広場に倒れ伏した。
手に持った刀剣も消滅する。

倒れたまどかは床に描かれた赤い人影と重なり、その姿はまるで死体の様だった。





226 : ◆ctuEhmj40s 2012/01/26(木) 22:06:51.59 ID:eNJv5dBt0


「まどかちゃん……」


ウテナはまどかを抱きかかえる。
死んでなどいない。眠っているだけだ。
おそらく、これまでと同じように、黒薔薇に操られていた時のことは覚えていないだろう。


「誰が……」


唇をかみしめる。

誰が、黒薔薇を使って人を操り、姫宮を亡き者にしようとしているのか。
まだ見ぬ黒幕に、ウテナは怒りを燃やす。
みんなを影から操り、自分の手は汚さずに事態を見ている人間は誰なのか。

そんなウテナを、アンシーはじっと見つめていた。





227 : ◆ctuEhmj40s 2012/01/26(木) 22:07:46.02 ID:eNJv5dBt0

―――――

棺の一つが、奈落へ落ちて行った。

瞬間、業火が燃え上がり棺を焼き尽くす。
役目を終えた棺が焼かれていく。
中に入っている人間の過去も感情も、一切合財、灰に還していった。

根室記念館の地下。
焼却炉の前で、御影草時は、一人今回の決闘を振り返る。


「失敗か。思ったよりも善戦したが、所詮は間に合わせだったね」


心を凍結させたデュエリストでは、天上ウテナは倒せない。
少しは期待してみたが、その結論は変わらないようだ。





228 : ◆ctuEhmj40s 2012/01/26(木) 22:10:37.73 ID:eNJv5dBt0


ただ、あの少女が他人から剣を抜くのは想定外だった。

が、おかげでいいデータが取れた。
心の剣が手に入っても、剣が紛い物では何の意味もない。
やはり、『質』を考慮しなければならないようだ。

天上ウテナを倒すにはもっと強い薔薇の力が必要だ。
強い心を持った人間と、その心の剣を扱える人間が。

やはり、生徒会だ。
彼らの心なら、天上ウテナを倒せる、強い剣に結晶する可能性が一番高い。
後は、その心を扱える人間を、用意しなければ。

その日、根室記念館の煙突からは、煙が上がっていた。





234 : ◆ctuEhmj40s 2012/01/30(月) 22:11:54.93 ID:KZZc0D8n0

―――――


最後に掃除機をかけ、部屋の掃除が終わった。

やり残した場所がないか、部屋を見回してみる。
ベッドはふかふか。
クローゼットとテーブルも汚れはない。
窓もピカピカだ。
床にも埃一つ落ちていなかった。

まどかは部屋に初めて入った時のことを、思い出した。
古めかしい寮だったが、部屋はとてもきれいで、花瓶に入った薔薇の香りが漂っていた。

あれから一か月、この部屋で過ごして楽しかった。
今は入ってきたときに負けないくらい、部屋は綺麗になったと自信がある。
唯一負けるとすれば、それは薔薇の香りの有無だ。

今日は、鳳学園で過ごす最後の日。明日で交換学生も終わりだ。






235 : ◆ctuEhmj40s 2012/01/30(月) 22:13:07.82 ID:KZZc0D8n0


「まどかー。そっちはどうー?」

「うん、終わったよーさやかちゃん。台所はー?」

「こっちも、完了―!」


階下から聞こえてきたさやかの声に、返事をした。
さやかは下の食堂で掃除をしている。
まどかは部屋の掃除担当で、さやかは台所担当だ。


「天上先輩たちがお茶にしようってさー。おいでよー」

「うんー」


こっちの部屋の掃除も終わったところだ。
ちょうどいいタイミングだった。
窓を閉めて、食堂に向かう。

ふと、まどかは振り返って部屋を見渡した。

ありがとう。

小さくおじきすると、まどかはこんどこそ食堂に向かった。





236 : ◆ctuEhmj40s 2012/01/30(月) 22:14:10.91 ID:KZZc0D8n0

―――――


「にしても、これでまどかちゃん達とはお別れかぁ。なんだか、あっという間だったなぁ」

「それ、アタシたちのセリフっすよ。天上先輩」

「ええー、いいじゃないか。ボク達が後輩との別れを惜しんだって。なぁ、姫宮?」

「ええ、ウテナ様」

「あ、姫宮先輩。お茶のおかわりはどうですか?」

「ええ。お願いします鹿目さん」

「そういえば、まどかちゃんは姫宮から薔薇の育て方を教わったんだよね」

「はい。パ……お父さんが前に失敗しちゃったから、姫宮先輩に教えてもらおうと思って。
上手く育てられたら喜ぶかなって」

「まどかってばここ最近、放課後はずっと姫宮先輩と一緒に居たもんねー」

「で、薔薇は育てられそう?」

「な、なんとか……」

「一通りは教えましたけど、環境が変わればやり方も変わってきますから。
気を付けてくださいね鹿目さん」

「は、はい!」





237 : ◆ctuEhmj40s 2012/01/30(月) 22:15:17.77 ID:KZZc0D8n0


「そういえば、友達のお別れはすんだの?」

「はい。みんなに毛糸のぬいぐるみをプレゼントしました」

「それが天上先輩、聞いてくださいよ! まどかが全員分プレゼントするんだって言って大変だったんですよ! 
アタシまで作るの手伝わされたし!」

「ああ、それでここのところ夜遅くまで起きてたのか」

「あ、そういえばコレ。お二人の分です」

「え、ボク達にも?」

「ありがとうございます。鹿目さん」

「うわ、良く出来てるな。これボク?」

「先輩たちにはお世話になりましたから頑張ってみたんですけど、どうですか?」

「可愛いですね、ウテナ様」

「あははは、これ姫宮? 何か目がジトーってしてるなぁ」

「どうもどうも」

「あとこれ。幹くんと七実さんの分なんですけど。昨日会えなくて……」

「まどかも物好きだよねぇ。ミッキーはともかく、何で七実の分まで作ったんだか」

「ダメだよ、さやかちゃん。七実さんにはお世話になったんだから」

「何か、ケンカばっか売られてた記憶しかないんだけど。
ていうかアイツにプレゼントしても、『何よこんなもの』とか言って捨てる姿しか想像できないよ」

「それでもいいの。感謝してるって、伝わればいいから」

「報われないなぁ……」





238 : ◆ctuEhmj40s 2012/01/30(月) 22:15:52.84 ID:KZZc0D8n0


「ええと。じゃあ、渡しておけばいいのかな?」

「はい、お願いします。ええと、黄色いのが七実さんで……」

「青いのがミッキーだよね。こっちもよく似てるなぁ。特に七実のつり眼なんかそっくりだよ」

「ほほう。意外な才能ですな、まどか殿?」

「そ、そんなことないよ。こんなの誰にでもできるし」

「ボクはこんなのできないよ。やっぱり師匠は腕が違うなぁ」

「し、師匠?!」

「おー、凄いねまどか。あの学園のヒーロー天上先輩を舎弟にするとは……」

「や、止めてよさやかちゃん! そんなんじゃないってば!」

「師匠。また裁縫教えてくださいね」

「て、天上先輩!」

「あらあら、ウテナ様ったら」





239 : ◆ctuEhmj40s 2012/01/30(月) 22:16:57.05 ID:KZZc0D8n0

―――――


食堂は賑やかだった。
ティーカップに紅茶を注ぐと、相変わらず薔薇の香りが芳しい。

しかし、この食堂でこの薔薇の香り嗅ぐのも最後だ。
それを考えると、やはり寂しくなる。
そういえば、寮に運ばれて目が覚めた時も時も、この香りが最初に気が付いたことをまどかは思い出した。

疲労で倒れたときのことをまどかは覚えていない。

あの日は外を散策していたような気がするが、その記憶はおぼろげだ。
自分が何をしていたのかも思い出せないほど、あの時の自分は疲れていたのだろう。
運よく通りかかった天上先輩によって寮に運ばれたらしいが、その時のことは全く覚えていない。
気が付いたら、寮の自室で寝かされていた。

話を聞くと、さやかも同じころ部屋で倒れていたらしい。
自分もさやかも、環境の変化で疲労が溜まっていたのだろうか。
結局、次の日は二人して授業を休むことになってしまった。

一度ゆっくり休むと、体の調子はすこぶる良くなった。

その前までの身体のけだるい感じはどこかに行き、すっきりと体は軽くなった。
それと同時に気分も良くなり、それまでの陰鬱とした気持ちが、嘘のように晴れ渡っていた。





240 : ◆ctuEhmj40s 2012/01/30(月) 22:18:37.44 ID:KZZc0D8n0

それからの学園生活は充実したものだった。

新しい友達とも仲良くすることも出来るようになった。
一日休んで学校に行ってみると、クラスメイトから多くの身体を気遣う声を聴くことになった。
そこで気が付いたのだが、どうやら自分は体の弱い子だと思われていたらしい。
何となく距離を取られていたのも、無理はさせられないということが原因だったようだ。
命に別状はないかという質問を聞いて、ようやくそこに気が付き、慌てて誤解を解くと、安堵の声が広がった。

それがきっかけとなって、何となくクラスのみんなとは仲が良くなった。

誤解を解くために話す機会が増えたこともあるが、どことなくそこから話しやすくなった印象がある。 
もしかしたら、自分が周囲に対して壁を作っていたのだろうか。
それが自分から話す必要が出来たせいで無くなったのかもしれない。

とにかく、以前よりも友達は増え、さやかに頼らずとも交友関係を深めることができた。
裁縫ができる友達も出来たし、男子生徒とも以前よりも喋れるようになった。
男子の友達は、さすがに難しいところだ。





241 : ◆ctuEhmj40s 2012/01/30(月) 22:19:43.78 ID:KZZc0D8n0


また余裕ができたのか、色々なことにチャレンジすることもできた。
アンシーにバラの育て方を教えてもらうように頼んだのもその中の一つだ。
アンシーは特に何も言わずに快諾したため、それから放課後は毎日アンシーの都合が良ければ薔薇園に通っていた。
意外とアンシーの教え方は厳しく、水やりや剪定の仕方はもうお手のものだ。

その他にも料理・スポーツと色々と手を出してみた。
そういうことが得意なウテナの協力もあって、様々なことを試すことができた。
あまり芽が出たものはなかったが、それでもウテナや時にはさやかと共に色々とやってみるのは、楽しかった。

何となく、倒れてから憑き物が落ちたようだ。

あれだけ何か焦っていた気分はなくなり、学園生活も実りあるものになった。
結局のところ、自分で何もしないでただ悩んでいるのが悪かったのかもしれない。

すこし勇気を出して一歩を踏みだせば、その分周囲は変わる。
当り前のことだが、何もしないでいては何も変わらないのだ。
動けば動いた分だけ、何かしら変化は訪れる。
自分に必要だったのは、とりあえず動いてみることだったのだろう。





242 : ◆ctuEhmj40s 2012/01/30(月) 22:21:26.41 ID:KZZc0D8n0


「にしても、まどかと同時に倒れた時はビックリしましたよ」

「びっくりしたのはこっちさ。外からまどかちゃんを運んでみれば、部屋じゃさやかちゃんが倒れているんだから」

「なーんか倒れた時のことよく覚えていないんですよね。何かまどかと会ったような気がするんですけど」


さやかは倒れた時のことを思い出す。

自分は部屋で着替えていたはずなのだが、気が付けばベットで寝かされていた。
あの時、まどかが部屋に入ってきたように思うのだが、記憶は曖昧だった。
確か、そのあとまどかに……。


「まどかさんは外で倒れていたんですから、それはありませんよ。
夢でも見ていたんじゃないですか。ねぇ、ウテナ様?」

「うん、それはないね。その時まどかちゃんは僕が背中におぶさっていたし」

「うーん……」


まぁ、そうならアレは夢なのだろう。

そもそも、あんなことが現実に起きるわけがない。
突拍子の無さも夢なら全部説明がつくことだ。
あんな夢を見る自分の頭が少々心配になるが。





243 : ◆ctuEhmj40s 2012/01/30(月) 22:22:27.64 ID:KZZc0D8n0


「あの時は迷惑かけちゃってすみません、天上先輩」

「いいよいいよ、気付かなかった僕たちも悪いんだし。そんなにかしこまらないで」


それよりも……、とウテナは言葉を続けた。
どことなく、緊張しているようにも見える。


「鳳学園はどうだった? これで君たちは離れるわけだけど、楽しかったかな?」


実際、ウテナは緊張していた。

後輩と呼べる後輩が出来たのは、これが初めてなのだ。
自分が先輩として、そして鳳学園で一番身近に接してきた者としてまどか達に何かできたのかが心配だった。


「そりゃあもう! 学園生活は楽しかったし、ミッキーとの音楽談義は身になりましたもん! これで終わるのが名残惜しいくらいですよ!」


さやかは元気よく答えた。

思えばさやかはこの学園にすぐに馴染み、学園生活を楽しんでいた。
ミッキーや七実とも仲良くしていたし心配する必要はなかったのかもしれない。





244 : ◆ctuEhmj40s 2012/01/30(月) 22:23:56.92 ID:KZZc0D8n0


「まどかちゃんは、どう?」


ウテナの視線を、まどかは受け止めた。

何かできたわけではない。
結局、変われたというほど変われたとは思えないし、人に誇れるほどの自信が付くようなことができたわけでもない。
それでも一歩は踏み出せたと思う。変わることができる、その一歩を。

しかし、それと同時にそれまでと違う場所に来て、分かったこともたくさんあった。

変えようと思えば、いくらでも世界は変わる。
現に自分は変わる一歩を踏み出せた。

しかし、変わることはそんなに難しいことではないのだ。
むしろ、世界は簡単に変わってしまう。それこそ、本人の意思と関係なく、大きな流れによって。

そして、変わることで失うものもあるのだ。

ウテナやアンシーの言葉を思い出す。
アンシーは変わらなくても、良いと言っていた。
あの言葉を全て受け入れることは出来ない。
変わらなければいけない時は、必ずはある。

現に、何もできないことが嫌いだった自分は変わる必要があった。
そうしなければ、いつまで経っても大切なことに気付かないまま、人生を過ごしていただろう。
成長という名の変化に価値が無いなど、そんなことは絶対にない。





245 : ◆ctuEhmj40s 2012/01/30(月) 22:25:28.09 ID:KZZc0D8n0


が、変われば得るものがある代わりに、それだけ失うものもある。
変化とは良い事ばかりとは限らない。

脱ぎ捨てた衣に、大事なものを捨ててきてしまうことだってある。
大人になって、子供の頃の元気さをなくしてしまうのが良い例だ。
変わることで全てが上手くいくなら、とうの昔に世の中は平和になっていることだろう。

変わることは良い事なのだと思っていた。

しかし、実際は違う。
変わるとは、何かを得て何かを失うということだ。
そして、その失ったものにこそ価値がある場合もあるのだ。

それをキチンと考えなければ、ただ自分を捨てるだけになってしまう。
何が欲しいのかもわからず、ただ追い求めて今の自分を失い続けるだけ。
それはとても悲しいことだろう。






246 : ◆ctuEhmj40s 2012/01/30(月) 22:26:23.26 ID:KZZc0D8n0


変わるとは、捨てること。


そしてその捨てるものは、決して自分一人だけで得たものではない。
ウテナの言葉を思い出す。
自分を大事にしないことは、その子の友達や家族、好きな人に対する裏切りだということを。
変化とは決して綺麗なものではなく、今までの自分の好きな人たちへの裏切りなのだ。

変わることと、変わらないこと。
そのどちらが自分にとって良い事なのか、まどかはまだわからない。

でも、ただ変わることだけを望むのは止めることにした。
今の変わらないでいられた自分は、間違いなく誰かに望まれたおかげでここに居るはずなのだ。
変わるということは、何にせよそれを裏切ることであり、決して綺麗なものじゃない。





247 : ◆ctuEhmj40s 2012/01/30(月) 22:27:42.80 ID:KZZc0D8n0


それでも、何かあった時。
変わらなければならない時は、変わろうと思う。

自分が変わるとき。あるとすれば、おそらくどうしてもやりたいことが見つかった時だろう。
それはきっと、自分にしか出来ないことなのだ。
もしかしたら、誰かのためかもしれないし、自分の為かもしれない。
しかし、それはどんな理由であれ、それは裏切りだ。
決して素晴らしい事じゃない。

それでも、そうしなければならないのなら、自分は迷うことなく一歩を踏み出そう。

その時になったら、一言ごめんといい、自分を望んでくれた人には謝ろう。

そして、気持ちを無駄にしないような選択をしよう。

そして、変わると決めたなら迷うことはしない。
自信を持ってしっかりと、誰にも負けないような一歩を踏み出すのだ。

潔く、かっこよく。この先輩、天上ウテナのように。

まどかは、この学園に来て確かに変わっていた。
それは変わったと呼ぶには、あまりにも小さい変化だ。
でも、これを得ることができただけでもここに来た意味が絶対にあったのだ。
 
だから、まどかはウテナを見つめ返し、こう答えた。





248 : ◆ctuEhmj40s 2012/01/30(月) 22:28:48.03 ID:KZZc0D8n0


「楽しかったです!」


まどかの返事に対して、ウテナは笑った。


「そっか。うん、それならよかった」


二人の後輩は、この学園での生活を楽しんでくれたようだった。
それだけで、ウテナにとっては十分だった。


「明日には、君たちともお別れだね」


明日には、まどか達はこの鳳学園を去る。
こうしてゆっくり話せるのは、今日が最後だ。

色々あったが、楽しい一か月間だった。
まどか達がいなくなれば、この寮もまた静かになることだろう。


「戻ったら連絡入れますよ。携帯のアドレス教えてください天上先輩!」


そういえば、まどか達はウテナの携帯番号を知らなかった。
何時も寮に行けば出会えたから、聞く必要がなかったのだ。





249 : ◆ctuEhmj40s 2012/01/30(月) 22:30:11.29 ID:KZZc0D8n0


「ごめん、ボクケータイ持ってないんだ」

「え! マジですか?!」

「ボク、そういうの苦手だから」

「姫宮先輩は……持ってませんよね」

「私は持ってますよ」

「え、そうなの?!」

「はい。兄が持たせてくれてましたから。だから、兄からしか電話はきませんけど」

「いや、携帯電話持っているなら番号増やそうよ姫宮」

「と、とにかく。ケータイ見せてください。赤外線でアドレス送れるかも……」

「はい」

「……あの、姫宮先輩?」

「何でしょうか?」

「これ、いつの時代の携帯ですか! つーかこんなトランシーバーみたいなやつ使って入れる人初めて見ましたよ!」

「あら、そうですか?」

「さやかちゃん。これ、メールも打てないんじゃないかなぁ……。アルファベット描いてないよ」

「ていうか、マジでこれ何時のですか……? これ博物館に飾れるんじゃないですかね?」

「どうもどうも」

「褒めてませんよ! 姫宮先輩!」





250 : ◆ctuEhmj40s 2012/01/30(月) 22:31:13.77 ID:KZZc0D8n0


さやかが吼える。
アンシーがのらりくらりとかわす。
まどかはさやかをなだめ、ウテナはアンシーにツッコミを入れる。

この寮で、この一か月間繰り返された光景だ。
それも今日で終わる。


「どうしたの。まどかちゃん」

「あ、いえ。こうやって天上先輩たちと話すのも、これが最後なんですよね……」


そういうと、ウテナはなぁんだ、と言って笑った。


「そんなことないよ」

「え?」


永遠の別れなんてなんてない。
会いたいと思っていれば、きっといつか再会できる。

どんなに時間がかかっても、そのことさえ忘れなければ、きっといつか。


「また、どこかで会えるよ。必ずね」

「っ! はい!」


別れなんて、いつでも一時的なものなのだ。





255 : ◆ctuEhmj40s 2012/02/02(木) 21:08:26.41 ID:ZL3dlQd80

―――――


交換学生の二人がいなくなり、東館の寮は静かになった。

また、この寮にはウテナとアンシーだけだ。
友達や生徒会メンバーが尋ねてくることもあるが、夜になれば静かになる。
夜という時間は眠る時間であり、この寮もまた夜となって眠ったように静まりかえっている。

今は部屋にはウテナ一人だ。
姫宮は、今は理事長館に赴き、暁生との兄弟水入らずの時間を過ごしている。

アンシーの兄の暁生は優しい人物だ。
いつも妹であるアンシーの事を気にかけている。

このような時間も、何かと人見知りの激しいアンシーに対して週に一回は二人で会う様にしようという、兄妹の約束だった。





256 : ◆ctuEhmj40s 2012/02/02(木) 21:10:20.91 ID:ZL3dlQd80


部屋でウテナは思い出す。
この寮に短い間居た、二人の後輩のことを。

静かになると、どうしてもあの一か月のことが頭に浮かぶ。
騒がしくも、楽しい日々だった。
もちろん、今が楽しくないとかそういった意味ではないけれど、それでもあの時間はウテナにとっては特別なものだった。

親しい後輩ができるなど、初めての事だった。
多くの後輩の女生徒は、ウテナに対して羨望の眼差しを見つめるだけだったのだ。

あの二人のことを思い出す。
彼女たちはウテナにとって、初めてできた後輩と言える後輩だった。

それと同時に、ウテナはある種の憧れのようなものを二人に抱いていた。
それは友達同士という間柄だ。
まどか達の普通の友達という関係が、ウテナにはうらやましい。
他愛ないお喋りや、じゃれ合う姿。
まどか達の何気ない日常の一つ一つが、友達という間柄をウテナに再確認させた。

いつか、自分も姫宮と本当の友達になりたい。
お互いに、何でも話し合う。何か困ったことがあったら相談し、何でも助け合う。
姫宮とは、そのような友達になりたい。そう思う。





257 : ◆ctuEhmj40s 2012/02/02(木) 21:11:33.31 ID:ZL3dlQd80


そして、彼女たちに手を出した。黒薔薇の黒幕を許すつもりはない。

ウテナは窓の外を見つめた。
外は暗く、学園は静まり返っている。
このどこかに、黒薔薇でみんなを操っている犯人がいるのだろうか。

まどかは何も覚えていなかった。
さやかもあの時のことは夢だと思ったのか、何も言うことはなかった。
おそらく、しばらくたてば完全に忘れることだろう。
しかし、彼女たちを危険にさらしたことには変わらない。

ウテナは自分の不甲斐なさを噛みしめる。

どんなことがあっても、それは避けるべきことだった。
彼女たちを決闘ゲームに巻き込んではならなかったのだ。

またいつか会おうと、自分は彼女たちに言った。
しかし、彼女たちと再び向き合うならば、それは全てが終わった時になるだろう。
そうでなければ、彼女たちに合わせる顔がない。

この決闘ゲームを終わらせ、姫宮を開放する。

それが出来なければ、自分は彼女たちに再会する資格はないのだと、ウテナは感じた。





258 : ◆ctuEhmj40s 2012/02/02(木) 21:12:29.77 ID:ZL3dlQd80


結局、彼女たちに姫宮を自分の友達と紹介することは、最後まで出来なかった。

今度会う時には、自身を持って言えるだろうか。
姫宮アンシーは自分の友達だと。

部屋は静かだ。
テレビも着いていなければ、ラジオも音を出していない。
一人の部屋は寂しかった。

そして自分が寂しいと思うことが、ウテナには意外だった。
幼いころに両親を亡くしてからは、部屋は一人でいることが普通だったはずなのに、いつの間にか姫宮が傍に居ることの方が普通となっていた。

そう、自分は寂しいのだ。姫宮が傍にいないことが。

その寂しさが、ウテナには何よりも暖かいものに感じられた。





259 : ◆ctuEhmj40s 2012/02/02(木) 21:14:53.64 ID:ZL3dlQd80

―――――


鳳学園から戻った当初は、それは忙しかった。

まずは、先生方に報告や、学んだことを題材に感想文を提出しなければならなかった。
それに友達の志筑仁美やクラスメイトに鳳学園の話を迫られるなど、学問以外でもしばらくは周りは騒がしかった。

しかし、いつまでも同じような日々が続くことはない。
話題の旬が過ぎると、またいつもの日々が戻ってきた。

まどかの家の庭には薔薇が育っていた。

アンシーから教わった通りに育てた薔薇は、元気に育っている。
このまま上手くいけば、きっと綺麗な花を咲かすことだろう。
家庭菜園は父の知久の仕事だが、薔薇の世話は基本的にまどかの役目だ。





260 : ◆ctuEhmj40s 2012/02/02(木) 21:15:46.03 ID:ZL3dlQd80


順調な薔薇の世話とは裏腹に、料理の方はなかなか上達していない。
鳳学園での一見以来、一層努力しようと心に決めたのだが、こちらは目に見えた成果は上がらなかった。

弟のタツヤは三歳になった。
元気に幼稚園に通っている。
今のお気に入りは、絵を描くことだ。
今日もヒーローの絵を描いていることだろう。

母・詢子やさやかとの関係は相変わらずだ。良い関係が続いている。

他にも色々あった。
良いことも悪いことも含めて、まどかの周りの世界は変化していく。

春になり、まどかは二年生になった。





261 : ◆ctuEhmj40s 2012/02/02(木) 21:17:18.85 ID:ZL3dlQd80

―――――


「はー。あぶない、あぶない。新学期早々遅刻するところだったよ」


何とか予鈴ギリギリで教室に滑り込み、まどか達は一息ついた。
朝から走って息が荒い。机に座ると、ドッと汗が体から吹き出てきた。


「まどかさん。大丈夫ですか?」

友人である志筑仁美が、心配そうな顔でまどかを見つめた。

仁美は良家のお嬢様である。
しかしそんな家柄に対する小さな反抗心なのか、通学は徒歩で行っていた。
そのおかげで、まどか達は毎日同じ道を通って一緒に登校している。


「だ、大じょう……ぶ……」

「情けないなー。2年生になったのに、もっと頑張りなよー。ほら、あの先輩みたいにさ」




262 : ◆ctuEhmj40s 2012/02/02(木) 21:18:08.48 ID:ZL3dlQd80


「先輩?」


誰の事だろうか。見滝原中学校に運動が得意な知り合いはいなかったはずだが。


「ほら、あの鳳学園の寮で一緒だった……。あれ、何て名前だったっけ?」


そういえば、そんな先輩がいたような気がする。
姫宮先輩は、薔薇を育てるのが好きな人で運動は得意ではなかったはずだ。

しかしその先輩の名前を、まどかはどうしても思い出すことができなかった。


「はーい。みんな席に座ってー」


と、そこへ担任の早乙女先生が入ってきた。
周りの生徒が席に戻り始める。
じゃあまた後で、とさやかと仁美も席に戻っていった。

今日から新学期だ。また新しい生活が始まる。





263 : ◆ctuEhmj40s 2012/02/02(木) 21:20:07.07 ID:ZL3dlQd80

―――――


「今日はみなさんに大事なお話があります。心して聞くように」

そういうと、早乙女先生は突然目玉焼きの話を始めた。
どうやら、また付き合っていた男性と上手くいかなかったらしい。
今回は目玉焼きが原因だったようで、前の方に座っている中沢君がまた犠牲になっていた。

新学期になっても、変わらない光景。


「何か変わらないねー。二年生になったら、色々新しくなると思ってたんだけど」


隣の席のさやかが言う。
今学期はさやかとは席は隣同士だった。


「でも変わらないのもいいんじゃないかな?」


世界は何もしなくても変わっていく。
変わらないものの方が少ないと、まどかは思う。
だから変わらないことは、決して悪いことではないのだ。





264 : ◆ctuEhmj40s 2012/02/02(木) 21:21:57.62 ID:ZL3dlQd80


「そんなもんかねぇ」


さやかは、退屈そうな声を出した。
その視線は前の空いた席に注がれている。
あの席は、幼馴染の上条恭介の席だ。

彼は交通事故にあい、現在は病院で療養生活を送っている。
あの事故以来、さやかは毎日病院にお見舞いに通っていた。
さやかにしてみれば、幼馴染のいない学校は退屈なものなのかもしれない。
しかし、この世に変わらないものがないように、彼もまた学校に通えるような日が来るだろう。

変わることと変わらないこと。その両方の正しさを自分に教えてくれたのは、一体誰だったろうか。


「はい。あとそれから、今日はみなさんに転校生を紹介します」

「ついでかよ!」


早乙女先生の天然かどうかわからないボケに、さやかがツッコミを入れる。
周囲から笑い声が上がった。

それにしても転校生か。
いったいどんな子なのだろう。





265 : ◆ctuEhmj40s 2012/02/02(木) 21:23:45.54 ID:ZL3dlQd80


「じゃ、暁美さん。いらっしゃい」


そう言うと教室のドアが開き、女の子が入ってきた。

赤いメガネをかけた子だ。
長い髪の毛をふたつ三つ編みして、お下げにしている。

人前に立つことに慣れていないのか、その子は顔を真っ赤にしていた。
少し前を向くと、みんなの視線を受け止めてしまったのか、慌ててまたうつむいてしまった。

早乙女先生が名前を書いているが、書き終わるまでに緊張で倒れてしまいそうだった。


「なんか大丈夫かな? 泣き出しそうだよ、あの子」





266 : ◆ctuEhmj40s 2012/02/02(木) 21:25:05.97 ID:ZL3dlQd80


その姿を見て、まどかは昔の自分を思い出した。

自信がなくて、自分に価値なんてないなんて思っていた自分。
小学校の時転校してきて、周りが全部怖かった自分。
自分が何もできないから、周りの人が怖くて仕方がなかった。
いらないと言われてしまえば、本当に自分が消えてしまいそうで。

そんなことはない。
価値が無いなんてことはない。
価値が無い人間なんていないように、人には良いところが必ず沢山あるのだ。

君は、君のままでいればいいんだ。君の普通は、君だけのものだ。
無くしちゃダメだ。この言葉を自分に言ってくれたのは、誰だっただろうか。

もし彼女が自分に自信が無いのなら、言ってあげたい。
誇れるものが無いなんて、そんなことはない。
貴方は誰かに望まれたから、ここに立っている。
だから自信を持ってほしい。貴方は必ず、誰かに好かれているのだから。

そうだ、今度は自分があの子を優しくしよう。

かつてのさやかが、自分を助けてくれたように。

自信が無いのなら、自分があの子の良いところをたくさん見つけよう。
自分に自信が持てるようにしてあげよう。今度は自分が、あの子を助ける番だ。





267 : ◆ctuEhmj40s 2012/02/02(木) 21:26:15.87 ID:ZL3dlQd80


「あ、あの…。あ、暁美…ほ、ほむらです。
…その、ええと…どうか、よろしく、お願いします…」


あの子と友達になろう。まどかはそう決めた。




―まどか「世界を!」ウテナ「革命する力を!」  完―






268 : ◆ctuEhmj40s 2012/02/02(木) 21:32:46.87 ID:ZL3dlQd80

これで当SSは一旦終わりになります。
お読みいただき、ありがとうございました。

予定ではこれで完結のつもりだったのですか、
だいぶスレが余っているのと、途中で後日談を思いついたので、もう少し続けさせてもらいます。

ただ、投下スピードが大分落ちると思いますのでご容赦ください。
一応、来週の木曜日を目安に始めさせてもらいます。


ちなみにまどか達がウテナのことを思い出せないのは、ウテナが『世界の果て』と決着をつけたためです。
興味がある方は、TV版の最終回をご覧ください。

ご意見・ご指摘・ご感想がありましたら、よろしくお願いします。




271 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします 2012/02/03(金) 21:17:19.57 ID:epF0m2wco

乙!
ウテナ側とまどか側の混ざり具合が素晴らしかった
これの続きとして、もっかいまどかを見てみたくなったよ

鳳学園から卒業できたんだから、ウテナとまどかはいつかきっと再会できるよね
友達になったアンシーといっしょにさ



274 : ◆ctuEhmj40s 2012/02/12(日) 02:00:29.38 ID:7CyMtkYq0


キャラが増えます。
また各作品の最終回の後の話になりますので、注意してください。



275 : ◆ctuEhmj40s 2012/02/12(日) 02:01:44.21 ID:7CyMtkYq0

・登場人物


少女革命ウテナ

天上ウテナ…世界を革命した少女
姫宮アンシー…ウテナの親友


魔法少女まどか☆マギカ

鹿目まどか…魔法少女
暁美ほむら…まどかの親友




???…呪いのメタファー




276 : ◆ctuEhmj40s 2012/02/12(日) 02:03:05.38 ID:7CyMtkYq0

―――――


どうして、こんなことになってしまったのだろう。

思い出した。
貴方のことを私は知っていた。憧れてもいた。
色々なことを教えてもらった。

それなのに、忘れてしまっていた。

でも、どうしてなのだろう。

何故、こんなところに再会してしまったのか。
ここは、普通の人が居るような場所ではない。
確かに彼女は超人然とした人間だった。普通の人とはと違うものを持っていた。

でも、どうして。






277 : ◆ctuEhmj40s 2012/02/12(日) 02:06:44.24 ID:7CyMtkYq0


天上ウテナ先輩。


まどかは彼女の姿を見た。
かつて出会った時のような、凛々しい姿はそこには無かった。
王子のようなその服はボロボロであり、全身のいたるところが傷ついている。

そして彼女の体を、剣が貫いていた。

一本ではない。夥しい数の剣が彼女の身体を刺さっていた。
鈍く光る剣がそれが天上ウテナを磔にし、痛みを与えている。
そして、剣はそれで終わりではなかった。

新たに現れた剣が突き刺さる。新たな痛みに、天上ウテナは苦悶の声を上げた。

現れた剣は一つではない。
その数、数十か数百か数万か。
数えきれない数の剣が、天上ウテナを串刺しにしていく。





278 : ◆ctuEhmj40s 2012/02/12(日) 02:07:37.66 ID:7CyMtkYq0

まどかにはその剣の正体がわかった。
あれは、憎悪の塊だ。

人間の憎悪に光る百万本の剣。
それが天上ウテナを苦しめている。
全身を貫かれ、ウテナは死体の様にぶら下がる。

今の自分は人ではない。それ故に、涙を流す目もことも悲しいと思う顔もない。
しかし、それでも彼女のその姿から目を離せない。

解放してあげたい。この苦しみから、彼女を。
しかし自分には何もできない。

ある生物は神になるのかと自分に聞いてきた。
本当に神様なら、どんなに良かったことだろうか。
目の前にいる一人の少女すらも自分は救うことができない。

今のまどかには、過去と未来のすべてがわかる。
そして、彼女に何があったのか。そのことも知ることができた。


「痺れるだろう?」


一人の男の声が、まどかに届いた。





287 : ◆ctuEhmj40s 2012/02/16(木) 22:59:11.30 ID:yIl73+7E0


いまさらですが、ウテナに関しては個人的な解釈を多く含みます。ご容赦ください。
続きを投下します。




288 : ◆ctuEhmj40s 2012/02/16(木) 23:00:03.81 ID:yIl73+7E0


「彼女は友達のために全てを犠牲にしたんだ。文字通りその身を捧げてね」


白いコートを着たピンクの髪の男は、まどかにささやく。

まどかはこの男のことを知らない。
過去と未来、全てが見える存在になっても彼のことはわからない。

なぜなら彼は世界のどこにもいない人間だ。
彼は透明な存在であり、世界の風景のどこにもいない。
そう言った意味では、自分と同じ種類のものと言えた。

そして、まどかはこの男のことが嫌いだ。





289 : ◆ctuEhmj40s 2012/02/16(木) 23:01:01.37 ID:yIl73+7E0


「彼女の友達は魔女でね」


知っている。
薔薇を育てるのが得意だったあの人だ。


「彼女のお兄さんは世界を救う王子様だったんだ。
そのころ世界は闇になんか包まれていなかった。世界中の女の子を救う王子様がいたからね」


王子様。

その王子様は、世界中の女の子の王子様だった。
どこかに泣いている女の子がいれば慰め、魔物に襲われていれば助けてくれた。

そんな王子様の妹が、彼女だった。





290 : ◆ctuEhmj40s 2012/02/16(木) 23:02:39.73 ID:yIl73+7E0


「そして王子様は世界を守るためにその身を犠牲にしていった。
そんな姿を彼女は近くで見ていることしかできなかったんだ」


辛かっただろうねぇ、と男は言う。

世界を救う王子様には、世界中からの助けを求める悲鳴が届いていた。
どんなに疲れていても、どんなに傷ついていてもその悲鳴は鳴りやまなかった。

だから王子様は、どんなにボロボロになろうとも世界を救うことを止めなかった。
妹がどんなに止めても、聞こうとしなかった。
だって王子様なのだから。

そして少女は、兄を守るために行動に出る。


「その子は大好きな兄を助けるために、世界から隠してしまったんだ。希望の光を奪ってしまった。
だから世界中から魔女と呼ばれ、憎悪をその身に受けることになったんだ。
かわいそうにねぇ。本当に王子様を愛していたのは、世界中で彼女だけなのに」


王子様を奪われた人々は、その少女を魔女と呼んだ。
そして魔女は世界中の人間から憎悪を向けられることになった。





291 : ◆ctuEhmj40s 2012/02/16(木) 23:04:31.96 ID:yIl73+7E0


『魔女め魔女め魔女め魔女め魔女め魔女め魔女め魔女め魔女め魔女め魔女め魔女め魔女め』


男はいつの間にか、その手に一つの本を持っていた。

それは薔薇の物語。
世界を救う王子が一人の魔女によって奪われ、闇に包まれるおとぎ話だ。

しかしその魔女と呼ばれた少女は、決して世界を憎んでいたわけではない。
ただ、世界を救い続け傷ついていく王子のことが誰よりも心配だった。
だから、世界から隠したのだ。
王子が死なないように、もう頑張らなくてもいいように。

そして少女は魔女になった。
妹を守れなかった王子様は王子様でなくなり、『世界の果て』になってしまった。





292 : ◆ctuEhmj40s 2012/02/16(木) 23:06:44.84 ID:yIl73+7E0


「でもその子の罪は当たり前のものだよね。だって世界から光を奪ってしまったんだもの。
人が生きるには光が必要なのに、それを隠してしまった。
だから人々から全身を剣で貫かれる罰を受けることになったんだ」


それが薔薇の花嫁の正体。
体は棘だらけであり、その身に自由はなくただただ責め苦を負い続ける。
心を持つことも許されず、ただ王子の守るお姫様であり続ける。

しかし、あの人はそのことを恨んでいなかった。

当然の罰として受け入れていた。
もはや自分が好きだった王子様が、『世界の果て』になってしまったことも。
彼女を救うことができる、彼女の信じることができる王子様がいなくなってしまったことも。
その心を凍らせ、美しい棺にその身を閉じ込めた。

男が本を閉じる。
タイトルは、『かえるくん、王子様を救う』





293 : ◆ctuEhmj40s 2012/02/16(木) 23:07:51.13 ID:yIl73+7E0


「さて次の本に行こうか」


本棚に本を仕舞い、男は次の本を探しに歩き出した。
いつの間にか、まどかは沢山の本棚が並ぶ世界に足を踏み入れていた。


「今更ながら、ようこそ。中央図書館空の孔分室へ」

「図書館?」

「そう、ここは図書館。そして僕は司書だ。君の望む本をお探ししよう」

「そんなの必要ないよ。私は全部が見えるから」

「見えると言っても、その中から目的のものを探すのは大変だろう? 
膨大な本の中から貴方の望む本を探すのが、司書の役目さ。
君が心に抱いたものを、この大海のような世界の連なりから探し出してあげるよ」


砂漠の砂粒の中から一つの砂金を見つけるようにね、と男は続けた。
やがて本棚から一冊の本を取り出すと、再び読み始めた。





294 : ◆ctuEhmj40s 2012/02/16(木) 23:09:27.78 ID:yIl73+7E0


「そんな彼女の前に、一人の女の子が現れたんだ」


現れたのは、両親を亡くした一人の少女。

その少女は王子様によって、絶望から救われた。
そして彼女は見た。
魔女になった少女が無数の剣に貫かれ、罰を受け続ける姿を。

そして一つの決心をしたのだ。


『じゃあ、私が王子様になる。私があの人の王子様になって、助ける』

『もし君が大きくなっても、本当にその気高さを失わなければ、彼女は永遠の苦しみから救われるかも知れないね。
でもきっと、君は今夜のことを、すべて忘れてしまう。
仮に覚えていたとしても、君は女の子だ。やがては女性になってしまう』

『なる。私はきっと、王子様になる! 絶対!』


王子がいなくなった少女の王子様になる。
それが彼女が王子になろうとしていた、本当の理由だったのだ。





295 : ◆ctuEhmj40s 2012/02/16(木) 23:11:02.93 ID:yIl73+7E0


「時が経ち、その女の子は王子としてその子の前に現れた。約束通り、気高い心を忘れずに王子の姿となってね」


まどかが覚えているのはその姿だ。
あの学園で、彼女はひときわ輝く存在だった。
誰にでも優しく気高く、かっこいい女の人だった。


「世界の果てを見せられようと、気高い心を汚されようと、彼女に拒絶されようと、女の子は諦めなかった。
女の子自身は救うことは出来なかったけれど、魔女になった女の子はその姿に心を動かされ、自分から棺の中から出る力を得ることができたのさ」


結局、その女の子は王子様にはなれなかった。

しかし、魔女になった女の子は救われた。
王子では、女の子は救えない。
彼女を縛り付けていたのは、王子とお姫様の関係という強力な『呪い』だ。

そんな彼女を、その女の子は解放した。
『王子とお姫様』ではない。対等な『親友』という関係性を持って。


「これがこの本のお話。痺れるよねぇ」


男は手に持った本を閉じた。

背表紙にタイトルが見える。
『かえるくん、姫宮アンシーを救う』と書いてあった。





296 : ◆ctuEhmj40s 2012/02/16(木) 23:12:18.11 ID:yIl73+7E0


「そのお話の結末が、これさ」


図書館の中央に、天上ウテナはいた。

飾られたようなその姿は一種のモニュメントのようだった。
彼女を見世物のようにしているこの場所が、まどかには不快に感じられた。


「女の子は、解放された彼女の代わりに憎悪を受けることになり、世界の風景からも消えてしまった。
もう誰も彼女のことを覚えていない。
世界を革命しても、誰もそのことに気が付かなかったのさ」


だれも、天上ウテナのことを覚えていない。

彼女は現実の世界では、どこかへ消えてしまった存在だった。
彼女は誰にも知られず、世界中の憎悪をその身に受け続ける。

こんなの、あんまりだ。

助けたい。
助けてあげたい。


「無理だよ」


まどかの考えを見透かしたように、男は耳元でささやいた。





302 : ◆ctuEhmj40s 2012/02/26(日) 23:36:56.69 ID:WuABrC9Y0


「それは、私が魔法少女だから? それともアンシーさんじゃないから?」


 男は首を振った。


「君が僕の親友だからさ」


低く、穏やかな声だ。
別段、不快になるものではない。

男の態度はどこまでも紳士的だ。
こちらを嘲るようなことも、見下した雰囲気もない。
ただただ相手に敬意を払う仕草は、喜ばれることはあれど、嫌われるものではないはずだ。

しかし、何故だろうか。
まどかはこの男からは不快感しか湧いてこない。





303 : ◆ctuEhmj40s 2012/02/26(日) 23:37:46.31 ID:WuABrC9Y0


「私はあなたと友達になった覚えはないよ」


まどかの拒絶の言葉に、男は心底意外そうな表情を見せた。


「つれないなぁ。君は僕と同じものが見える、そして世界を壊す仲間じゃないか」


仲間。
この男と自分が仲間。その言葉は、まどかの心をざわつかせる。


「私は世界を壊してなんかいない」


まどかは、これ以上なく強く否定した。
少女の祈りが絶望で終わらないようことをまどかは願った。
決して、世界が壊れることを望んだわけではない。





304 : ◆ctuEhmj40s 2012/02/26(日) 23:51:43.42 ID:WuABrC9Y0


しかし、まどかの言葉を男は否定した。


「壊したじゃないか。少女が絶望するルールを、これ以上なくね」

「それは…」


まどかの願いによって世界は変わった。
少女の祈りは絶望で終わらなくなり、世界は造り替えられた。
それは確かに、世界を一度壊したことになるのだろうか。


「あれは痺れたなぁ」


恍惚とした表情で、男はまどかのしたことを思い出した。

まどかの祈りは、文字通り世界を壊した。
世の中に存在する理不尽なルールを否定し、新しい世界を創造した。

世界はどこまでも残酷だった。
誰も救われない、人はどこまでも一人で、冷たい世界を歩いていくしかなかった。
しかし目の前の少女は、その世界の一角を壊したのだ。





305 : ◆ctuEhmj40s 2012/02/27(月) 00:05:28.29 ID:tBAPwDQD0


「世界を壊した君は僕の友達だよ」

「貴方なんかと一緒にしないで。私と貴方は違うよ」

「同じだよ、君も僕も。理不尽なルールがあって、世界を壊したかった。
生憎、僕の方は失敗しちゃったけどね」

「違う。私は魔法少女になった子たちが、最後まで希望を信じられるようにしたかっただけ」

「同じことだよ」


まどかと男の言葉は、どこまでも平行線だった。

片方は同じと言い、もう片方は違うという。
一つの事柄に関する両者の考えは真っ向から対立していた。





306 : ◆ctuEhmj40s 2012/02/27(月) 00:06:47.25 ID:tBAPwDQD0


「じゃあ、君がしたことを一緒に確認していこうか。
ちょうどここは図書館だ。ここにない物語はない。
調べ物をするなら、ここはうってつけさ」


図書館には無数の本が並んでいた。
ここには過去も未来も、すべてのことが記されている。


「そうすれば、君が僕の友達だということをわかってくれるんじゃないかなぁ」


男の提案に、まどかは同意した。

わかっている。
これは男の罠だ。

男の言葉に悪意は微塵も感じられない。
それは、彼がそれを当然のことと考え、それが真実だと考えているからだ。
真実ならば、嘘も歪曲も必要ない。

真実は真実だからこそ、何よりも力を持つ。
男はただ真実を確認し、まどかを認めさせようとするのだろう。

しかし、それはきっと真実ではない。

男が自分の真実を持っているように、まどかはまどかの真実を持っている。
そしてまどかは、自分の願いがこの男と同じものと言われることを認めるわけにはいかなかった。






307 : ◆ctuEhmj40s 2012/02/27(月) 00:07:24.26 ID:tBAPwDQD0


「それじゃあ、もっと奥、より深いところに参りましょうか」


男は図書館の奥にまどかを招き入れた。


「もしかしたら君が探している本があるかもしれないしね」


自分は一体、どんな物語を探しているのだろうか。
その正体は、まどかにはわからなかった。






315 : ◆ctuEhmj40s 2012/03/08(木) 23:39:45.20 ID:LP/y9n640

―――――


「君は確かに女の子の希望になった。
自分が信じたことを最後まで信じる、良い言葉だよね。
でもそれは、本当に正しい事なのかな?」

空の孔図書館は冷え切っていた。

奥に進むたびに、ぞくりと悪寒が強くなる。
天井は高く、空はどこまでも遠い。
本棚には丁寧に想定された本が無数に並んでいた。

その一つ一つが物語だった。
悲劇も喜劇もどんな物語もここにはあることが、まどかには分かった。





316 : ◆ctuEhmj40s 2012/03/08(木) 23:40:32.33 ID:LP/y9n640


「希望を抱くのは、間違いじゃない。絶対に」

「うん。君はそうだよね」

「……何が言いたいの?」


男はまどかの方を向いた。

その瞳はきらきらと輝いていた。
まるで宇宙のようだ、とまどかは思った。


「君は僕と同じ、呪いだということさ」


呪い。

その言葉をまどかは知っている。
その呪いと戦うために、まどかはこの姿になったのだ。





317 : ◆ctuEhmj40s 2012/03/08(木) 23:41:51.08 ID:LP/y9n640


かつてまどかが人間だったころ、世界中に泣いている女の子がいた。
彼女たちの希望は絶望になり、祈りは呪いを生んでいた。
そんなシステムが世界にはあった。

ただ女の子たちを苦しめるためだけに、システムがあったわけではない。
それは宇宙を救うために必要なシステムだと言われた。
そのために女の子の祈りは呪いとなり、世界中に災厄を振りまいていた。

そんな彼女たちが泣かないような世界を作りたかった。
そのために、祈りを捧げたのだ。


「そんなはずない。魔法少女のみんなが誰も呪わないような、そんな世界にしたんだもの」

「確かに君のおかげで、あの子たちは希望を抱き続けるようになった。
そういうルールに君が造り替えたからね」


延々と続く階段を下りていく。

本の迷宮はどこまでも続いていた。
男はときおり本を手に取り中を覗くと、「ううん」と唸りまた本棚に戻すことを繰り返していた。





318 : ◆ctuEhmj40s 2012/03/08(木) 23:42:42.87 ID:LP/y9n640


「でも彼女たちは、そのおかげで別の、君という呪いに蝕まれることになったのさ」

「私は誰も呪ってなんかいない。私が絶望することはないもの」

「元々の世界をそんな風にしたのが、君の呪いだよ」


ふと、本を探す手を止め、男はまどかを見つめた。


「ねぇ、そもそも呪いって何だと思う?」

 
宇宙の色をした瞳が、まどかを射抜いた。


「君は悪意か何かだと考えているようだけれど、僕はそうは思わないなぁ。
悪意のあるなしに関係なく呪いは実在するよ。
むしろ悪意だけの呪いの方が珍しいんじゃないかな」





319 : ◆ctuEhmj40s 2012/03/08(木) 23:44:28.37 ID:LP/y9n640


「それで、私が呪いだって言いたいの?」

「君が変える前の世界だって、みんな最初は綺麗だったじゃないか。
呪いがそういうものから生まれることは、君が一番よく知っていることじゃないのかな」


それは認めざるを得ないことだった。

誰も最初から世界を呪いたかったわけじゃない。
どの子も最初は綺麗な祈りから始まっていた。
それが残酷な現実の中で、いつしか呪いへと変わっていったのだ。





320 : ◆ctuEhmj40s 2012/03/08(木) 23:45:18.41 ID:LP/y9n640


「さてと、これなんかどうかな」


やがて本棚からお目当て本を見つけたのか、男は本を一冊取り出すと椅子に座った。
いつの間にか景色が変わり、どこからか紅茶の香りがした。


「これは、ある女の子の物語」


そう言い、一つ咳払いをすると、男は朗読を始めた。


「彼女は家族で交通事故あって命を落としてしまったんだ。
そのとき何でも願いを叶えてくれる神様に出会ったんだ。
死にたくなかった彼女は、とっさに自分が助かることを望んでしまった」





321 : ◆ctuEhmj40s 2012/03/08(木) 23:47:04.65 ID:LP/y9n640


まどかは黙って、その朗読を聞いていた。


「おかげで彼女は生き残ったけど、家族は死んでしまった。
家族みんなが助かることも願うこともできたのにね」


空の孔図書館にはまどかとこの男しかいない。
男の声は建物の中を響き、まどかの心に震わせていくようだった。


「さて、彼女は一生一人家族を見捨てて生き残ったという事実と向き合わなければならなくなった。
そして彼女は心のどこかで自分に対する罰を望んでいたんだ。
そのために、救ってしまった自分の命を他人のために使うことにしたんだ。
それが自分に対する罰の代わりだったんだね。
罰を受けることが、彼女の救いだったんだ」


そう言い男は、本を閉じた。
タイトルは『かえるくん、見滝原市を救う』。




322 : ◆ctuEhmj40s 2012/03/08(木) 23:49:27.94 ID:LP/y9n640


「ところが世界の新しいルールは、彼女のしたことを責めなかった。
それどころか彼女から罰を奪ってしまったんだ。
可哀そうに。彼女が救われるには大きな罰が必要だったのにね」

「その子が生き残ったのは、絶対に間違いなんかじゃない」


まどかはハッキリと言葉を出した。しかし、男は小さく首を振った。


「でも彼女の罪は本物さ。罪があって罰が無いのは、辛いことだと思うよ」


そう言い、閉じた本を棚に戻した。
いつの間にか二匹の黒いウサギが男の近くに寄り添い、一緒に本棚を眺めていた。

そして再び、まどかと男は図書館の奥へと進んでいく。






323 : ◆ctuEhmj40s 2012/03/08(木) 23:50:35.73 ID:LP/y9n640

決して暗いわけではないのに、図書館の中は明るさを感じない。

すべてがはっきりと見えているはずなのに、図書館の奥はもやがかかったように先が見えない。
気が付くと風景はがらりと変わり、見知らぬ場所になっている。
本の分類が変わるたびに、世界も変わっているようだった。
まるで存在そのものがあやふやだ。

たぶん、それは本当の事なのだろう。
いまのまどかも、そしてこの男もすべてあやふやなのだから。


「次はこれなんかどうかな」


ある棚の前で男は立ち止った。

その手に新しく本を手に取る。
ページをめくり、次の朗読を始める。





324 : ◆ctuEhmj40s 2012/03/08(木) 23:52:03.72 ID:LP/y9n640


「これは、ある女の子の物語」


リンゴの香りが、どこからか漂ってきていた。

黒いウサギがいつの間にか、少年の姿に変わっていた。
しゃくしゃくとウサギの形に切られたリンゴを口に運び、楽しいお話をせがむ子供の様にうずうずと体を震わせていた。


「彼女の家は教会だった。彼女の父親は世界を救おうと人々に語りかけたけど、誰も聞こうとしなかったんだ。
彼女はみんなが父親の話を聞くようになる魔法をかけてもらった。
おかげでみんな父親の話を聞くようになったんだ」


魔法ですか!痺れました!と二人の少年は驚いたように言った。
だよね、と男はにこにこと少年たちに返事をする。

何が楽しいのか、まどかには分からない。





325 : ◆ctuEhmj40s 2012/03/08(木) 23:54:02.91 ID:LP/y9n640

「でもある日、みんな娘の魔法で話を聞いていたことを知った父親は、絶望してしまった。
そして家族を道連れにして死んでしまったんだ」


悲しいですね。悲劇ですね。と二人の少年は、怖い話に身を震わせるように抱き合った。
だよね、と男はやはり、にこにことしながらページをめくった。


「なんてことだろうね。彼女のしたことは結局、大好きな父親の為にならなかった。
それから彼女は二度とこんなことにならないように誓ったんだ」


そう言い男は、本を閉じた。タイトルは『かえるくん、家族を救う』。





326 : ◆ctuEhmj40s 2012/03/08(木) 23:55:47.04 ID:LP/y9n640


「ところで世界のルールは、彼女が自分をしたことを正しかったと言ったんだ。
あまつさえ、彼女に自分の祈りを信じろと言ってきた」


エグイですね。残酷ですね。と少年たちは悲しそうに泣き出した。


「自分のしたことが間違っていたのは、彼女自身が一番よくわかっているのにね」


男はまどかを見つめて言った。
感情が読み取れないその声は、何よりも雄弁に事実を語っているようだった。





327 : ◆ctuEhmj40s 2012/03/08(木) 23:57:51.89 ID:LP/y9n640


「その子がお父さんのことを思う気持ちは本物だったよ」

「しかし、これは彼女が望んだのは結果じゃなかったはずだ。
自分の家族を壊したものをずっと信じなきゃいけないなんて、可哀そうだよね」

「魔女になったほうが良かったっていうの?」

「彼女にしてみれば当然の結果じゃなかったのかなぁ。
少なくとも救われるよりは納得がいく結末だったと思うよ」


なにせ大好きな家族を殺してしまったんだからね、と言葉を締めた。





328 : ◆ctuEhmj40s 2012/03/09(金) 00:01:35.37 ID:PniCoAwt0


黒いウサギたちはいつの間にか、どこかに行ってしまっていた。

また世界は、まどかとこの男だけになった。
助けを呼ぼうと思っても、誰もいない。本を棚に戻し、再び図書館の奥へと続く道のりが始まる。

男は白いコートを翻し、奥へと進んでいく。
まどかはその後ろをついていく。

もしかしたら引き返すことも出来たのかもしれない。
きっと、引き返したところで男は何も言わないし何もしないだろう。
ただ、その場から逃げ出したという事実か残るだけだ。

図書館を巡る旅はまだ終わりそうになかった。





332 : ◆ctuEhmj40s 2012/03/15(木) 21:42:10.00 ID:Fh11ewij0


「これは、ある女の子の物語」


どこからかバイオリンの音色が聞こえてくる。
静かだった図書館の中に、一滴の音色が加わる。
音は世界を震わせ、荘厳な景色を世界に照らし出した。


「彼女には好きな男の子がいたんだ。
ある日、その男の子は事故で大好きだった音楽を失ってしまった。
彼女は男の子のために、失った音楽を取り戻してあげた。好きな男の子が悲しむ姿を見たくなかったからね。
おかげで男の子はもう一度音楽を奏でられるようになったんだ」


音色は心も震わせる。

バイオリンの音にまどかの心はこれまでになく震わされた。
視界が暗くなり、足元がふらつく。

それでも音だけは無くならない。
音色と男の言葉は容赦なく、まどかの心を震わせる。





333 : ◆ctuEhmj40s 2012/03/15(木) 21:43:20.61 ID:Fh11ewij0


「音楽が戻った男の子は、彼女のことに目もくれなかった。
彼女の思いに気付かずに、音楽で成功して他のお姫様と結ばれ、その後の人生を過ごしたんだ。
誰が音楽を取り戻してくれたか、ずっと気が付かずにね」


そう言い男は、本を閉じた。
それと同時にピアノの音色も止まり、世界は元に戻る。
タイトルは『かえるくん、音楽家を救う』。

男は愛おしそうに表紙をなでると、閉じた本を本棚に戻した。


「結局彼女は何もわかっていなかったんだ。
彼女が欲しかったのは彼の音楽じゃなく、彼の愛だったというのに」


そこで初めて、まどかは男の感情が読み取れた。

それは明らかな侮蔑と嘲笑だった。愚か者を見下し、憐れむ顔だった。





334 : ◆ctuEhmj40s 2012/03/15(木) 21:44:55.08 ID:Fh11ewij0


まどかは、怒りと同時に恐怖を感じた。

何をしても表情の読み取れなかったこの男が、初めて感情を表に出したことが重大な意味であるようなことがした。
そしてこの物語が、嘲笑の対象となることに揺るぎない意味を持たせられたような気がしてならなかった。
そして少しでも、そんな風に考えてしまった自分が怖かった。


「そんなはずない! だって…」


必死に言葉を出そうとする。

しかし、一度考えてしまったことが声を縛り上げた。
その間に、男が続けて声を重ねた。


「彼女が彼のことを好きだったのは君も知っているだろう。
どうしようないから諦めることってあるよね」


違う。

確かに彼女は彼のことが好きだった。
でも、その音色を聞くことも彼女の望みだったはずだ。
決して、諦めからその結論になったわけじゃない。





335 : ◆ctuEhmj40s 2012/03/15(木) 21:46:39.70 ID:Fh11ewij0


望み。本当にあれが彼女の望みだったのか。

どんな形であれ、彼の傍にいることが本当に彼女の為になることだったのではないか。
彼女のためと言いながら、自分の考えを押し付けただけだったのではないか。

かつてどこかで彼女に言われたことが、脳裏に浮かびあがる。

また同じことを繰り返したのではないか。
一度生まれた疑念は、見る見るうちに大きく膨れ上がった。

言葉を繰り返す。
希望を持つことは絶対に間違いじゃない、と。

希望が絶望になる世界を、自分はどうしても正しいことのように思えなかった。
そんなシステムが世界を縛り付けていることを、希望を抱くことが間違いと言われたことを、自分は否定した。

彼女たちの願いは、もう呪いを生まない。
絶望に染まることもないし、誰かを呪うこともない。

彼女たちの信じた希望は、絶望にならずいつまでも希望となる。
そのはずだった。


「彼女の祈りは彼女を救わなかった。
それなのに世界は彼女に祈り続けることを望んだんだ。残酷な話だね」


そんなまどかを見つめ、男は淡々と言葉を締めた。





336 : ◆ctuEhmj40s 2012/03/15(木) 21:47:41.05 ID:Fh11ewij0


男にとって、これは当然の結果だった。

別段、何も仕組んではいない。
ただ、解き明かせば分かることを、道なりに沿って辿っていっただけの事だった。

男はゲームが好きだが、彼女とのこの語らいはゲームでも何でもなかった。

そもそもゲームとは釣り合う敵役が相手に居て初めて成立するものだ。
そして、この少女は男にとって敵でも何でもなくただの親友であり、そして自分と釣り合う存在でもなかった。
初めからゲームとして成立していない。

男にとって自分の相手となるのは、ただ一人だけだ。

油断ならない少女。
瑞々しい、同じ景色を見ることのできる恋人。

きっと自分と同じ景色を見ていることだろう。今こうしているときも。





337 : ◆ctuEhmj40s 2012/03/15(木) 21:49:00.82 ID:Fh11ewij0


まどかは何も言えなかった。

男の顔を見るが、相も変わらず何も読み取れなかった。

先ほど現れた動きは嘘のように消え去り、また何を考えているのかわからない顔に戻る。
表情が無いわけではない。
時にはニコニコとし、時には考え込み、時には大仰に天を仰ぐ。

しかし、そのどれもが男の心の内を読み取るのには何の役にも立たなかった。
男の顔は、顔の役割を果たしていない。
表情が変わっても、そこには何の感情もなく、顔はただの飾りの様だった。

きっと、顔がなくてもこの男にとっては同じことなのだろう。
感情を表すことのない、顔の無い男。

その男が、自分と同じ人間だとまどかに語りかけてくる。
世界を変えたことを嘲笑し、世界を呪いで包もうとするこの男と同じだと。


「勘違いしないでほしいなぁ。
僕は君がしたことは馬鹿になんかしていないし、愚かだとも思っていない。
素晴らしいものだと思っているよ。本当だよ?」


心底不服そうに、男は口をとがらせた。
それは思いが大切な仲間に伝わらず、誤解され、悲しんでいるような顔だった。

その表情すら、本心なのかどうか、まどかには分からない。





338 : ◆ctuEhmj40s 2012/03/15(木) 21:50:00.49 ID:Fh11ewij0


「僕も同じなんだ。世界中の助けてって声が聞こえるのさ。
今この時もね。だから君と同じように、僕も多くの人を救うつもりだよ」


箱から開放してね、と男は小さくつぶやいた。

開放とは何なのか、男の真意は見えない。
しかしこの男が、何をし、そしてどのような結末を迎えたのか、それだけは見える。

氷の世界を壊そうとした、何者にもなれなかった人の組織。
そして、彼と共に呪いの輪に一人の少女。





339 : ◆ctuEhmj40s 2012/03/15(木) 21:51:02.91 ID:Fh11ewij0


「確かに、人には希望が必要さ」


図書館の中が凍りついたように冷え切る。
息をするだけでも体の中が凍りつき、肌や瞳は針を刺されたように痛み、頭は締め付けられるような感覚に陥った。

氷の世界で生きることは、ただ生きるだけでも罰のようだった。
助けなんてどこにもない。
誰も彼もが苦しみ、体を凍てつかせていく。
その世界には終わりのない苦しみだけがあった。

希望だけが、唯一の炎なのだ。

まどかの中には希望がある。
この氷の世界で生きるための松明が。





340 : ◆ctuEhmj40s 2012/03/15(木) 21:52:23.48 ID:Fh11ewij0


「でも彼女たちが捧げた祈りを信じ続けることは、本当に彼女たちの希望となりうるものだったのかな? 
それに裏切られてきたのは、それが希望でも何でもなかったことの何よりの証明だと僕は思うんだ。
まぁ、年若い君たちだ。間違いは誰にだってあるさ」


男は厚手のコートを着直した。
雪のように白いコートは寒さから身を守ってくれる。

そのため世界が凍る中でも、男は凍えてなどいなかった。
氷の世界で耐える術を男は知っていたし、また実際に耐えることも出来ていた。
例えすべてが凍りついても、男はその中で存在しつつけることだろう。


「でも君が作った世界では、彼女たちは間違いとわかっていても、その希望を信じ続けなくちゃならない」


氷の世界の松明が消える。
希望の炎は無くなり、再び抗えない寒さが体を襲う。

焼けるような寒さは再び肌を焼き、息も出来なくなる。
それに抗うことも出来ず、ただ心も体が凍りついていく。
体を動かすだけでも痛みが走り、体を動かさなくても体は焼かれていく。


「君は彼女たちに希望を押し付けているに過ぎない。
君は祈りを信じ続けることが希望になると考えているようなだけど、そんなのは君ひとりの希望であって他の誰かの希望じゃない」





341 : ◆ctuEhmj40s 2012/03/15(木) 21:54:08.25 ID:Fh11ewij0


凍りついた本棚が、まどかの目の前には広がっていた。
色んな少女が希望を信じた物語。
ここにある本は、全部そのような物語だった。

本は凍りつき、無音の痛みが耳を響かせている。
静寂とは程遠い、頭が割れるような無音が図書館の中を満たしている。

そして、その中で聞こえる男の声にも、暖かみはなかった。


「ここに在るすべての本がそうさ。
ここにあるのは君の世界の住人の物語だよ。
本当の生きる意味を見つけても、それを手に入れることなど出来ない哀しい少女たち。
君は彼女たちから本当の光を奪っているのさ」


凍りかけた心に、男の声はよく響いた。
ガラスを弾くように、言葉は心を叩き、響いた音が体を包む。

痛みと同時に思いが焼かれる。
目の前の少女が寒さで焼かれていく姿に、男は悲しむことも笑うこともしなかった。





342 : ◆ctuEhmj40s 2012/03/15(木) 21:54:45.17 ID:Fh11ewij0


「君の希望を信じなければならない絶望。それが、君の呪いだよ」


氷の世界で、まどかは一人ぼっちだった。

心が凍る。
身を寄せ合う相手もいない。ここには自分を守るものなど何もない。
希望の松明は小さく、この寒さに抗うには小さすぎた。









343 : ◆ctuEhmj40s 2012/03/15(木) 21:55:32.21 ID:Fh11ewij0


こんなとき、彼女がいればどんなに心強いだろうか。


思い出す。
自分を助けるために、永遠の迷路をさまよい続けた少女のことを。

何度も何度も泣き、心が折れかけ、姿が変わってしまっても、それでも自分のことを助けようとしてくれた一人の友達。
運命の人。

彼女の進んだ道は、救いなどどこにもない道だった。
苦難中での失敗の連続であり、悲しみと絶望だけが待ち受けていた。
それでも彼女は希望を信じ、先に進み続けた。
例え希望などなくても、先に進むしかもう彼女には残されていなかったから。

彼女を見て、そして数々の少女たちの絶望を見て思ったのだ。
希望が絶望に変わるシステムなど間違っている、と。





344 : ◆ctuEhmj40s 2012/03/15(木) 21:56:31.32 ID:Fh11ewij0


そして今も彼女は頑張っている。
自分が作り上げた世界を守るために、自分の代わりに戦ってくれている。

約束通り、未来で再会するために。また必ず出会うために。

あの子がいるから、自分は何があっても頑張れる。
どんな絶望にも負けやしない。
彼女が頑張っている限り自分も頑張れる。

そんな唯一無二の親友が自分にはいる。
もう一度会うことを約束し、世界が変わって自分の存在が世界から消滅しても約束を覚えていてくれた。

そうだ。
自分は決して、一人なんかじゃない。

そして世界を呪うつもりもない。
彼女の頑張りを無駄にしないために、そしてみんなの希望が絶望に変わらない世界を作ることを決めたのだ。

私の最高の友達。
本当は隣に居て上げたかった少女。

そして、いつか必ず再会する親友――。





345 : ◆ctuEhmj40s 2012/03/15(木) 21:57:20.66 ID:Fh11ewij0




「さて、じゃあ最後に君の友達の話はどうかな?」




男の口から、その名前が語られた。

それは何よりも、恐ろしいささやきだった。





346 : ◆ctuEhmj40s 2012/03/15(木) 21:58:18.38 ID:Fh11ewij0

―――――


男の声が聞こえる。
凍りついたまどかの心に、声が響く。


「彼女は君にとってかけがえのない親友だ」


「どんなに望みが潰えようとも、彼女は君との約束を守るために進み続けてきた。
ああ、別の君が彼女の望みをすり潰したこともあったっけ。
それでもあきらめなかった彼女は素敵な女の子だね」


「それでも、諦めなかった彼女を動かしていたものは一体なんだったのかな?」


「彼女は君との約束によって、その人生を縛られた。
たった一人の親友の『助けてほしい』というささやきによって、君を必ず助けることを決意した」


「それからの彼女については語ることもないよね。彼女がどんな苦しみを負うことになったのかは、君が一番よく知っているはずだ。でも、彼女は諦めることは出来なかった。何よりも大切な、君との約束だからね」





347 : ◆ctuEhmj40s 2012/03/15(木) 21:59:29.82 ID:Fh11ewij0



「つまり、彼女は君に呪われたんだ」



「どんなに責め苦を受けても進み続ける。
諦めてしまえば楽になるのにそんなことを許さない、呪いにね」


「そして君は、今も彼女を呪い続けている」


「たった一人、世界に残された彼女はまた苦しみ続けるだろう」


「いなくなった君の影を求め、全て妄想だったんじゃないかという疑念に蝕まれ、それでも自分だけが彼女を覚えていることに責任を感じ、そして苦しみ続けるのさ」


「また彼女は進み続けるんだろうね。
どれだけ痛みを感じても、どれだけ血を流しても、例え全身を炎に焼かれても進むんだろう。
本当にいたのかもわからない、君と再会する。
そのために永遠の苦しみを負い続けるのさ」





348 : ◆ctuEhmj40s 2012/03/15(木) 22:00:13.11 ID:Fh11ewij0


「残念ながら、ここには君の望む本は無さそうだ」


「君がそんな姿になったせいで、彼女が望んでいた君を救う話はどこにもなくなっちゃったからね」


「そして君が彼女を救う話も、未来永劫生まれない。
君も彼女も永遠に救われることはない」


「彼女にとって君が呪いであるように、彼女もまた君を呪い続ける。
君も彼女も互いを呪いあいながら続いていくしかないんだ。僕と同じさ」


「君が彼女を救う話も、彼女が君を救う話も未来永劫ありはしないよ」


「過去も未来も、君は彼女を呪い続けている。呪いの輪の中に」


「君たちは絶対に幸せになれないよ」





349 : ◆ctuEhmj40s 2012/03/15(木) 22:00:49.69 ID:Fh11ewij0


「そんなことないさ」


どこからか、聞き覚えのある声がした。

天上ウテナの声だった。





358 : ◆ctuEhmj40s 2012/04/01(日) 23:24:24.16 ID:0F0Vsw6Z0

―――――


正面にいた魔獣を倒すと、すぐさま次の獲物に取り掛かった。

魔獣が消滅すると、瘴気が薄くなり、吸う空気が少し心地よくなる。

残りは一体。翼を広げてビルの間を飛ぶ。
最後の一体は直に見つかった。
上空から奇襲し、手に持った弓に力を込める。

魔力を弓に込めると、矢の形になった。
引き絞り、頭上から魔獣を打ち抜く。

おそらく、向こうはこちらの姿に気づくこともなかっただろう。
打ち抜かれた魔獣は断末魔を上げることもなく、消え去った。

魔獣の消滅と共に、瘴気は完全に消えさった。辺りは静かな夜の路地裏に戻る。





359 : ◆ctuEhmj40s 2012/04/01(日) 23:25:32.78 ID:0F0Vsw6Z0



「おつかれさま。暁美ほむら」


変身を解くと、小さな声が聞こえた。


「相変わらず見事な手際だね。とてもついこの間に契約したとは思えないよ」

「見てたの? 覗き見なんて悪趣味ね」

「近づいたら君は怒るじゃないか。それに魔法少女のケアも僕らの仕事だからね」


声の主は小さな白い体をした獣だった。
外見は猫のようなウサギのような愛くるしい姿だが、その中身は決して人間とは分かり合えない生き物であることをほむらは知っている。

そして、そんな相手であっても共生しなければいけないのが、この世界の現実だった。





360 : ◆ctuEhmj40s 2012/04/01(日) 23:27:04.96 ID:0F0Vsw6Z0


「必要ないわ」


ほむらは無下にその申し出を断った。


「グリーフシードは僕らが回収しなきゃいけないんだ。
どちらにしろ、君は僕と関わらなければならない。
それなら、僕の支援は受けるのが利口じゃないのかな?」

「私の心配をしているとでもいうの? 
貴方に私たちの心配をするような心は持ち合わせていないでしょうに」

「そりゃそうさ。僕らは感情なんか持ち合わせていないからね。
ただ、君に倒れたら困るからね。君だって倒れたくはないだろう?」


現実に対するささやかな反抗のつもりだったが、別段気が晴れることもなかった。

結局、事実として残るのは、自分がいかに頭の悪い行動をとっているかということだけだ。
個人的な感情で、有益な事象を取り逃がす。
それは愚か者以外の何ものでもなく、そして今の自分は間違いなくその愚か者だった。





361 : ◆ctuEhmj40s 2012/04/01(日) 23:29:49.62 ID:0F0Vsw6Z0


理屈の上では分かる。

利害は一致している以上、キュゥべえが自分に何かすることは本当にないだろう。
これはそういう生き物だ。

しかし、心はこの生き物の申し出を受けることを拒否していた。
おそらく自分は、この世界で一番この生き物のことが嫌いだろう。
体の内にある感情は荒れ狂い、泣き、怒り、そしてこの身を焼いている。
こうやって話している今でさえ、その顔を矢で貫きたくて仕方がない。

そうしないのは、そんなことをして無意味なことをどうしようもなくわかっているからだ。
そしてこの手に持つ弓を、無意味なことに使いたくなかった。

この弓は決して無駄なことに使ってはならない。
その元にある感情は何よりも大きく、どんなことよりも大切だった。





362 : ◆ctuEhmj40s 2012/04/01(日) 23:30:50.09 ID:0F0Vsw6Z0


「それにね。僕は君のことを心配していないけれど、他の人は君のことを心配しているんだ。感情の無い僕のことを信じられなくても、感情を持つ君たち同士なら信じられるんじゃないのかい?」

「何それ」

「マミ達だよ」


体がピクリと反応した。
路地裏は肌寒いが、きっと震えたのは寒さだけのせいじゃないだろう。


「今日こうして会いに来たのも、彼女たちから頼まれたこともあったからでね」

「……そう」


彼女は相変わらずのようだ。

勝手に離れた自分のことなど放っておけばいいのに、それが出来ない。
人々を守ることに魔法少女としての生き方を見つけている彼女らしい。





363 : ◆ctuEhmj40s 2012/04/01(日) 23:32:19.68 ID:0F0Vsw6Z0


「もう一度、彼女たちと一緒に魔獣を狩る気は無いのかい?」

「ええ」

「どうしてだい? 
一人よりも複数の方が効率よく魔獣に対処できるじゃないか。
そのかわり得られるグリーフシードの量も減るけれど、それを補うだけのメリットがあると思うけど」

「損得の問題じゃないわ。これは私自身の問題なの」

「感情の問題かい?」

「ええ」


訳が分からないね、とキュウべえはこの星に来てから幾度となくつぶやいたであろうセリフを口にした。





364 : ◆ctuEhmj40s 2012/04/01(日) 23:33:17.76 ID:0F0Vsw6Z0


「美樹さやかが消えてからの君は、明らかに様子がおかしいね」

「そうかもね」

「マミも杏子もまだ本調子じゃないようだし、そんなに君たちにとって一人の命は重要なのかい?」

「重要でない命と重要でない命があるわ。人が死ぬたびに悲しんでいたら、心が持たないもの」

「それじゃあ、美樹さやかは君にとっては重要な命だったというわけだ」

「否定はしないわ」


彼女とも長い付き合いだった。

好きな部分も言えるし、嫌いな部分もあった。
死んで何も感じないと言うには、あまりにも多くの感情が自分にはあった。

そう言った意味では、間違いなく大事な人の一人だったと言えるだろう。






365 : ◆ctuEhmj40s 2012/04/01(日) 23:35:14.46 ID:0F0Vsw6Z0


美樹さやかがいなくなってもう一週間になる。

もうそんなに経ったのか、という気持ちもあるし、まだそれしか経っていないという気持ちもある。
一週間という時間は、事実を現実に感じるにも思い出にするに中途半端な時間だった。

彼女の死後、ほむらは一人で魔獣を狩っていた。

理由は誰にも話していない。
その様子を見て仲間が迎えに来たが、何も話すことなくほむらは追い返していた。
他人に分かってもらえる理由ではないし、分かってもらうつもりもなかった。

そうしているうちに、今度はこの獣が説得に来たわけだ。
大方、マミに頼まれたのだろう。確かに人選としては悪くない。

こいつならば冷静に状況を分析し、完璧な理詰めで物事を判断して話をすることができる。
状況さえ味方ならば、素早くメリットを提示し冷静な人間をこれ以上に無い論理で説得することができるだろう。
折しも状況はキュゥべえに分がある。

言われなくともわかっている。
一人で魔獣を狩るなど、メリットよりもデメリットの方が圧倒的に大きい。
理屈では、マミたちの元に戻るのが正しい判断と言えるだろう。

しかし、ほむらはキュゥべえの説得に耳を貸す気などなかった。

理屈など知ったことではない。
キュゥべえの言う通り、これは理屈の問題ではなく感情の問題なのだから。





366 : ◆ctuEhmj40s 2012/04/01(日) 23:37:33.38 ID:0F0Vsw6Z0


話していても時間の無駄だ。

そう思い、ほむらは路地裏を後にしようとした。
自分はもう一人で魔獣を狩ること決めている。
元から結論が決まっているのに、こんなことを話していても意味などないだから。


「マミ達の所に、戻ってきてくれないかい」


去ろうとしたとき、頭に声が響いた。


「食い下がるわね」

「言っただろう。魔法少女のケアも僕の仕事なんだ」

「悪いけれど、私にマミ達を慰めることは出来ないわ。
こういうのは自分で気持ちの整理ができるのを待つしかないのよ。
他人が介入してもいい結果にはならないわ」

「僕は君のことを言っているんだよ。暁美ほむら」


いつの間にか、キュゥべえが行く手の先に回っていた。

赤い瞳がじっとこちらを見つめている。
いつも通り能面のようなのっぺりとしていて、語る言葉全てが嘘くさく見える顔だった。





367 : ◆ctuEhmj40s 2012/04/01(日) 23:39:00.51 ID:0F0Vsw6Z0


「人間は群体で生きる生き物なんだろう? 
自然でも社会でも、それは同じことさ。
それを考えると、社会から切り離される魔法少女としての生き方は、人間としては致命傷にもなりかねない」

「自分で生み出しておいて、よく言うわね」

「そのことも僕はちゃんと説明したはずだよ。合意の上での契約だったはずさ」


ほむらの言葉をあしらい、キュゥべえは続けた。


「マミ達は問題ないよ。一番僕が問題視しているのはほむら、君さ。
君は魔法少女としての腕は一流だけど、一人の少女であることには変わりない。
それなのに一人でいようとしてることを、僕は危険だと思っているのさ」

「余計なお世話よ」





368 : ◆ctuEhmj40s 2012/04/01(日) 23:41:59.83 ID:0F0Vsw6Z0


「それに一人で何をしようとしているかは分からないけれど、一人よりも複数の方が良いことくらい説明しなくても分かるだろう?」


分かっている。

マミ達は優しい。
仲間としても信頼が置ける。

それに方法だけ見れば、やることは魔獣を退治することに変わらない。
目的を心の内に秘めていたところで問題はないし、彼女たちもおいそれとそこに踏み込むことはしてこないだろう。

かつてのような不和は、もう自分たちには無い。
裏切られることも憎しみをぶつけられることも無いだろう。
目的を話しても、もしかしたら問題ないかもしれない。きっと二人とも笑うことはないだろう。

世界は変わった。
もう一人で、頑張ることはない。

だからこそ、それが出来ないのは自分の問題なのだ。





369 : ◆ctuEhmj40s 2012/04/01(日) 23:42:54.09 ID:0F0Vsw6Z0


ほむらは歩き出した。キュゥべえに対する返答もしなかった。

自分が逃げていることを理解していた。
理屈の上では、完全に自分の行動が間違えていることは明らかだった。

それでも孤独な戦いを続けること以外、選ぶことは出来ない。
それを説明することは出来ない。
上辺だけの理屈を立てれば、すぐに論破されるだろう。
そうなれば、自分は誰かと居なくてはならなくなる。

それは出来ない。出来るわけがない。今の自分にとって、他者と関わることは一番の絶望だった。


「孤独は人を殺すよ。暁美ほむら」


それでも、かまわない。
自分が魔法少女して死ぬときは、それは彼女と再会できる時なのだから。





370 : ◆ctuEhmj40s 2012/04/01(日) 23:43:54.13 ID:0F0Vsw6Z0

―――――


美樹さやかが魔法少女としてその生を終えた時、ほむらの中にあったのは恐怖だった。

美樹さやかは、結局まどかのことを思い出しはしなかった。
あれほど仲が良かったというのに。

その時、ほむらは理解した。
鹿目まどかという人間は、本当にもうどこにもいないのだということを。





381 : ◆ctuEhmj40s 2012/04/30(月) 00:45:40.49 ID:QuGSr0TO0

―――――


時間は夕暮れを過ぎて夜になり、繁華街は賑わいを見せていた。

時間的にはまだ中学生が歩いていても、問題ない時間だ。
これがもう少し遅くなれば、見回りの警察に声を変えられ、学校に連絡されてしまう。

当然のことながら、自分は魔法少女で魔獣を退治していました、などという事実は言えるわけがない。

そうなると結果として、学校で先生にお叱りを受け、両親に電話で怒られ、一人暮らしが剥奪されるような危機となる。
夜に魔獣を狩ることは、自分たちにとっては魔法少女としての使命を果たしつつ、学校に通うという社会との関わりも捨てていない褒められた行動なのだが、そんなことは理解されるはずもない。





382 : ◆ctuEhmj40s 2012/04/30(月) 00:46:40.92 ID:QuGSr0TO0


よって、ほむらは帰宅を急いでいた。

幸か不幸か、ほむらには趣味と呼べるものはない。
普通の女子中学生が興味を引かれるような本やCDや服にも無関心だった。
そのため、店や看板に後ろ髪を引かれるようなこともなく、真っ直ぐに家を目指して歩いていた。

そのことを、親友に咎められたことがある。

色々なものを見てみようと彼女は様々な場所に自分を案内してくれた。
その時は未知のもので怖かったはずの場所が、どこでも輝いて見えた。
あの時回った場所や、食べたアイスの味は今でも覚えている。

もしかしたら覚えているだけで、もはや色あせた写真のようになってしまっているかもしれないけれど。





383 : ◆ctuEhmj40s 2012/04/30(月) 00:49:04.99 ID:QuGSr0TO0


ほむらは小さくため息をついた。

また、だ。また彼女のことを考えてしまっている。

ここ最近、彼女のことを思い出すことが増えた。
町を歩けば自分を案内する彼女の顔を思い出し、学校に行けば初めて出会ったときの彼女の声が頭に響いた。

世界の風景は変わっていないのに、彼女の存在だけが抜け落ちている。
蘇る記憶は、その空白を埋めるようだった。

ほむらはその記憶から目を逸らした。

世界のどこにも彼女はいない。

もしかしたら、心のどこかで受け入れてなかったのかもしれない。
彼女の家族も友達も忘れているだけで、本当は微かでも覚えている。いつかは思い出す、と。





384 : ◆ctuEhmj40s 2012/04/30(月) 00:52:06.53 ID:QuGSr0TO0


なんと甘い考えだったのか。

自分が彼女のことを覚えている。
それだけでも条理を覆すような奇跡だったのだ。
それ以上の不条理なまでの都合のよい奇跡など起こるはずが無い。
そんなことを許すほど、世界は歪んでなどいなかった。

美樹さやかは最後まで彼女のことを思い出さなかった。

そのときから、ほむらはまどかを知っている人間と関わることが怖くなった。

ほむらは少しずつ人との関わりを断っていった。
誰にも会わなければ、自分のまどかの記憶を守ることができる。
そこから無意識にほむらは孤独になっていった。

これは罰だと、ほむらは思う。
友達を守らなかった自分への、友達を守り続ける罰。
そして友達を失い続ける罰。
そしてその罰は、自分が自分であるかぎり終わることはない。

記憶は抜け落ちていき、失えば失ったのかどうかもわからない。

記憶の中のまどかが本当にまどかなのか、それを確かめる術はなく、ただそこから目を逸らすしか疑いを晴らす方法はなかった。





385 : ◆ctuEhmj40s 2012/04/30(月) 00:53:42.76 ID:QuGSr0TO0


(冷えるわね…)

季節はもう春を過ぎ、夏に入ろうとしている。
夜でも肌寒いことはないし、ましてや冷えることはない。
きっと冷えているのは風ではなく、自分の身体そのものなのだろう。

いっそのこと、心まで冷えきってしまえば楽になるのだろうか。

何も考えず、何も感じず、そうなれば悩むこともない。
きっといつまでも魔獣と戦い、世界を守り続けることができることだろう。

わかっている。こんなのはただの妄想だ。

自分にそんなことは出来るわけがないし、それ以前にしてはいけないことだ。
確かにそうなれば苦しむこともなく、約束を果たすことができるだろう。
しかしそれは彼女のことを忘れることを意味していた。

そんな機械のようになれば、記憶はただの記録となる。
彼女との日々は数字と客観視された無味乾燥としたものとなり、その声も笑顔もなんの価値もなくなるだろう。





386 : ◆ctuEhmj40s 2012/04/30(月) 00:54:49.75 ID:QuGSr0TO0


いや、そちらのほうがいいのだろうか。

機械になってしまえば記録を忘れることもない。
真実は消えてしまうが、事実は世界に残すことが出来るのではないか。
自分の中にある真実は時と共に変質していく。
恐らく時間は残酷に真実を変えていき、やがては別の何かに変えてしまうことだろう。

それならば、無味乾燥とした事実だけを残すことがいいのではないか。

誰も彼女のことなど知りはしない。
知らない人間の顔など誰も興味をもたない。

誰ももう彼女の笑顔に価値などを感じないのだ。
ならばそんなものなくなっても…。

ほむらは思考を止めた。そして自己嫌悪に陥る。





387 : ◆ctuEhmj40s 2012/04/30(月) 00:55:52.21 ID:QuGSr0TO0

結局、自分が楽になりたいだけなのだ。
そのためにまどかを一人ぼっちにしようとしていた。

最低だ。

自分の弱さが嫌になる。
自分は何も変わってなどいない。
強がっても、口調を変えても、そんなのは外身を変えただけだ。
中身はあの頃と同じだ。まどかに助けられ、彼女に何も返すことができない自分のままだ。

最高の友達だと彼女はいってくれた。
しかし、自分にそんな言葉をかけてもらえる価値があるとは思えない。

何も彼女にしてあげることができなかったのだから。

結局、自分は彼女に何もしてあげることが出来なかった。
だから、今こうして彼女が守った世界を、いなくなった彼女の代わりに守っている。

もう誰も覚えていない。世界のルールを造り替え、多くの少女の希望となった彼女のことを。





388 : ◆ctuEhmj40s 2012/04/30(月) 00:56:47.55 ID:QuGSr0TO0

キュゥべえの言葉を思い出す。

誰もそのことを立証することは出来ない。
それが自分の頭の中の夢物語だとしても、それを確かめる術はない。
妄想だと言われても、否定する材料は自分には無かった。

誰も彼女のことを知らない。
そして少数派は、いつの世も大多数によって駆逐される。
自分一人が覚えていたところで世界は何も変わらない。
この世界に、過去もそして未来にも、永遠に彼女はいないのだ。

だから、自分は忘れるわけにはいかない。 

自分が彼女のことを忘れてしまっては、本当に彼女は世界から消えてしまう。





389 : ◆ctuEhmj40s 2012/04/30(月) 00:57:58.67 ID:QuGSr0TO0


世界は言う。
鹿目まどかという存在は、最初からいないのだと。

叫び続ける。
まどかはこの世界に居たのだと。

しかし、現に世界にまどかはいなかった。
塵一つ、彼女がいた痕跡はない。
家族も友達も誰も覚えてはいない。

彼女のことを知らない人々を見るたびに、彼女など存在しなかったことを自覚させられた。
彼女の痕跡の無い世界を見るたびに記憶からもまどかが抜けおちていくような感覚を味わった。
彼女がいないことが正しい世界では、異端者は自分の方だった。

まどかと親しい人物と話すたびに、まどかがいないことが当たり前になっていく。
いないことが異常なのに、それが正常になっていく。
いない誰かをいたと言っている自分がおかしいのだと、認めさせられる。





390 : ◆ctuEhmj40s 2012/04/30(月) 00:58:52.78 ID:QuGSr0TO0

本当に、まどかはこの世界に居たのだろうか。
ふと、気が付くと不安になる。自分は本当に彼女のことを覚えているのだろうか。

彼女の顔は、本当にあの顔だっただろうか。

彼女の声は、本当にあんな声だっただろうか。

彼女は、本当にこの世界に居たのだろうか。

その疑問には見て見ぬふりをする。
少しでも見つめれば、まどかがいないことが正しいように考えてしまう。
そしてそのことを認めてしまえば、自分はもうダメになってしまう。

嘘でも何でも、まどかはいたと思い続ける。
それが自分に出来る、まどかへの友達としての証だった。





391 : ◆ctuEhmj40s 2012/04/30(月) 00:59:42.60 ID:QuGSr0TO0


気がつくと、いつの間にか見滝原の駅の前に来ていた。 

ここには、あまり良い思い出はない。
ここでは自分にとってはあまりにも親しい人が消えていったことが多すぎた。
悲しいことが、ここには詰まっている。

駅とは余所へ行く場所だが、ほむらは見滝原に来て以来、あまり利用したことはない。
いつも自分はここでは見送る側であり、見送られたことも誰かと出会ったこともない。
ここは単なる別れの場所だった。

夕暮れを過ぎ、駅前は帰りの人で賑わっていた。
相変わらず人ごみには慣れない。
用もないので、ほむらは往来を横目に家路に着こうとした。





392 : ◆ctuEhmj40s 2012/04/30(月) 01:00:45.15 ID:QuGSr0TO0


どうして、あんなことをしたのか。
後になっても、ほむらはそのことは分からない。

確かに、目につく姿をしていた。
褐色の肌は否が応にも目立つし、明らかに遠出を意識した服装やキャリーバッグを引いた姿は、仕事帰りの人とは明らかに違っていた。
何よりペットのサルがこれでもかと異質な雰囲気を出していたし、以上の理由からその場から浮いていたことは全くもって否定できない。

しかしだからといって、ほむらはそのような人物に話しかけるほど積極的な人間ではない。

長い旅路の中で、余計なことに関心を払わないのは当たり前のことになっていたし、そうでなくとも知らない人と話すのは昔から苦手だった。
だから困っている人を見かけても、昔は一歩を踏み出す勇気はなかったし、今はそんなことをするような殊勝な心は無くなっていた。





393 : ◆ctuEhmj40s 2012/04/30(月) 01:05:47.73 ID:QuGSr0TO0

だから、きょろきょろと周囲を見回していた人を見かけても、話しかけることは本来ほむらにとってはあり得ないことのはずだった。


「あの…」


気が付いたとき、ほむらはその女性に話しかけていた。
話しかけた時に誰よりも驚いたのは、当のほむら本人だった。


「はい?」


鈴が鳴るような声と共に、女性が振り返った。

ウェーブの掛かった髪がふわりと揺れた。
バックに座っている子ザルもちゅ?とこちらに視線を返す。
二つの視線に見つめられ、ほむらは動けなくなった。





394 : ◆ctuEhmj40s 2012/04/30(月) 01:06:57.16 ID:QuGSr0TO0


「あ、その、えっと…」

「?」


何も考えていなかったので、言葉が出てこない。

そもそも話しかけるなど、思いもよらなかったことなのだ。
元々引っ込み思案なので誰かに道を聞いたこともないし、聞かれたこともない。
こんな時、どう対応すればいいのか分からなかった。

そのほむらの様子に女性は一瞬きょとんとし、そしてクスリと笑うと優しく声をかけた。


「道をお聞きしたいんですけど、よろしいですか? とりあえずホテルの場所をいくつか」

「あ、え、あ、は、はい…」


言われて、ほむらは幾分か冷静さを取り戻した。

しかし答えようとしたところで、見滝原のホテルの場所をあまり知らないことを思い出した。
一つくらいなら知っているが、ビジネスホテルであるし観光に使うにはあまり適していない。

しかたなくとりあえず駅に入り、観光相談所に案内した。





395 : ◆ctuEhmj40s 2012/04/30(月) 01:08:17.17 ID:QuGSr0TO0

自分から名乗り出たのに満足に道案内をできないとは、とんだ間抜けだ。
笑われても仕方がない。自分がダメな人間であることを改めて自覚させられる。

やはり、自分はどうしようもなく弱い人間なのだ。


「あら、待っていてくれたんですか?」


声をかけられ、ほむらは自己嫌悪から抜け出した。

気が付くと、案内した女性が戻っていた。
どうやら、考え事をしている間にそれなりに時間が経っていたらしい。


「ありがとうございます。あなたは親切な人ですね」

「考え事をしていたら、行きそびれてしまっただけです」

「それでも親切なことに変わりありません。慣れていないのに、道を教えてくれて」

「すみません……」

「あら、責めているんじゃないですよ。素直に感謝しているだけです」


やり取りが可笑しかったのか、クスクスと彼女は笑った。





396 : ◆ctuEhmj40s 2012/04/30(月) 01:09:44.49 ID:QuGSr0TO0


改めて見てみると、やはり普通の人には見えない。
平日にこんな姿をしているというのもあるが、どことなく異質な気配が彼女にはあった。

しかし、不思議と警戒するような気分にはならない。
彼女の柔らかい雰囲気のせいだろうか。
笑った姿を見ると、少し幼く見えた。
もしかしたら、そんなに年齢は変わらないのかもしれない。


「見滝原というんですね、ここ。広くて、歩くのも面白そう」

「え?」


一瞬、ほむらは虚を突かれた。


「ああ、すみません。私変なことを言いましたか?」

「いえ……」





397 : ◆ctuEhmj40s 2012/04/30(月) 01:11:25.76 ID:QuGSr0TO0


十分、変だろう。

この駅で降りたということは、何らかの目的がこの場所にあったはずだ。
それなら当然、土地の名前くらいは知っていて然るべきことのはずである。
まさか、用もないのに気まぐれで電車から降りたのだろうか。

だとしたら、随分とゆとりのある人生を送っているものだ。

年は分からないが、少なくとも平日から簡単に悠々自適な人生を送れるような年齢には見えない。
彼女の外見や振る舞いから見える浮世離れしたような雰囲気は、そこから来ているのだろうか。

少なくとも、彼女は普通から離れた人生を送っているようだ。
それは自分も同じだが、かといってこれといったシンパシーを感じることはなかった。

普通の人間とも関係が希薄になっているのに、異質な人間となら上手くいくなどというそんな道理があるはずがない。
そもそも相手の問題ではないのだ。
原因は自分にあり、そしてそれは生涯消えることは無い。
相手が変わったところで、何も変わらない。





398 : ◆ctuEhmj40s 2012/04/30(月) 01:13:26.52 ID:QuGSr0TO0

それとも、何かを期待していたのだろうか。

だとしたら、何と女々しい事か。
普通から外れていても、まどかを知らない大多数の中の一人でしかないというのに。

それに気が付いた今は、もう彼女への興味は薄れ始めていた。

結局、そういうことなのだ。
淡い希望に惑わされた気の迷いであり、決して他人のためではない。
これが自分という人間であり、性根なのだ。

彼女の方を見ると「見滝原……見滝原……」と小さく何かブツブツと呟いていた。
何か思い当たるものでのあるのだろうか。
とにかくもう知りたい情報を聞いたようだし、さらに知りたいことがあってもまた案内所に来れば大丈夫だろう。


「ああ、そういえば聞いたことがあります。
そこに住んでいた知り合いがいたことを思い出しました」





399 : ◆ctuEhmj40s 2012/04/30(月) 01:15:58.72 ID:QuGSr0TO0


「そうですか」


適当に返事を返す。
それならここで降りたのも、きっとその知り合いのことが頭の片隅に残っていたからだろう。

そうでなかったとしても、別にどうだっていい。

ほむらは一言二言返して立ち去ろうとした。


「あら?」


そこで、女性は初めて気が付いたようにほむらのことを見つめた。


「なにかしら?」

「あなた、もしかしたら見滝原中学校の生徒さん?」

「ええ、そうだけど」

「まぁ。わたしの知り合いの二人も見滝原中学校の生徒さんだったの。
今は確か二年生になったと思うのだけれど」

「奇遇ですね。私も今二年生です」

「なら、もしかしたら……」


ここまで来たら、そのくらいの質問に答えてもいいだろう。

しかし自分に分かるだろうか。
何度も転入したからクラスメイトならばおそらくわかるだろう。
しかし他のクラスとなると、途端に記憶は怪しくなる。

女性は少し懐かしそうに、名前を口にした。





400 : ◆ctuEhmj40s 2012/04/30(月) 01:16:51.29 ID:QuGSr0TO0





「知っているかしら。一人は鹿目まどかさんっていうのだけれど」





同名の別人だと思う。

しかし、そんな考えはすぐに消し飛んだ。
そもそもその名前を持つ人間がいたら、自分は気づかないはずがない。

だが、今その名前が耳に届いたことを、ほむらは信じることができない。






401 : ◆ctuEhmj40s 2012/04/30(月) 01:18:10.78 ID:QuGSr0TO0


「もう一人は美樹さやかさんっていうの。
知っているかしら? 
まどかさんはおとなしい人で、さやかさんは活発な人なんだけど……」


まさか、でも。

なんで、どうして、なぜ。


「どうしているかしら。元気にしているといいんですけど。……あの?」


視界が回る。
足が浮く。
体の芯が抜けたように、ふらつく。

頭に響くのは彼女の声。
優しく、自分に出来た初めての友達。
この世界に来てから、幾度となく幻想だと言われた記憶。





402 : ◆ctuEhmj40s 2012/04/30(月) 01:19:08.14 ID:QuGSr0TO0


封じ込めていたはずの記憶が、堰を切ったように溢れてくる。

出会った記憶。
別れた記憶。
再会した記憶。
奪った記憶。
約束をした記憶。


ほむらちゃん


そこで、ほむらは気を失った。





406 : ◆ctuEhmj40s 2012/05/09(水) 23:05:19.39 ID:ISWSPmHC0

―――――


「君たちは彼女たちの呪いそのものだ。僕と同じさ」

「ボクたちを、アンタなんかと一緒にするな」

「その絆は、呪いだよ。君たちは彼女たちを閉じ込めることしかできない」

「それなら確かに呪いだ。でも、ボクたちは外に出るためにここに来たんだ」





407 : ◆ctuEhmj40s 2012/05/09(水) 23:06:08.76 ID:ISWSPmHC0

―――――


目覚めると、見たことのない天井が目に焼き付いた。

不安が体を強張らせる。
気が付いたら見知らぬ場所に居れば、誰でも不安になるだろう。
しかし、自分のこの怖がりようは異常だとほむらは思う。

体が震えている。息が荒く、心臓が耳に届くほど早鐘を打っている。

目の焦点が合っていないのだろうか、視界が揺れている。
震える手を無理やり押さえつける。
まるで他人の手のように、言うことを聞かなかった。





408 : ◆ctuEhmj40s 2012/05/09(水) 23:07:08.55 ID:ISWSPmHC0


同じ時間を繰り返してきた弊害なのだろう。
何度も同じ光景を見ている内に、それが普通になってしまった。
この先、変わることも変わらないことも全てわかってしまう。
そんなつもりはないが、もしかしたら心のどこかでは神様気取りだったのかもしれない。
一か月から抜け出せない、不自由な神様だ。

そのため、こんな想定外の事態には弱い。
そんなことが起きない場所にいたのだから当たり前である。

環境が変わることに、人一倍慣れていないのだ。
昔から知らない場所に行くことは苦手だったが、更に悪化したように思う。

大丈夫。

そう自分に言い聞かせる。
緊張してしまうことは克服できないが、それをほぐす方法は身につけている。
呼吸を整え、心を落ち着かせる。

何度も行うと体の震えも止まり、ある程度平静に戻ることができた。





409 : ◆ctuEhmj40s 2012/05/09(水) 23:07:52.52 ID:ISWSPmHC0


どうしてこんなことになったのか。

まだぼんやりしている頭を叩き、記憶をさかのぼる。
確か自分は魔獣退治の帰りだったはずだ。
そして駅の前を通りかかり、そこで、

知っているかしら。一人は鹿目まどかさんっていうのだけれど


(……!)


その名前で、頭が一瞬でクリアになる。

鹿目まどか。
確かにそう言った。

聞き間違えるはずがない。
それに彼女は、美樹さやかの名前も知っていた。

もはや疑いようはない。
彼女が口にした『鹿目まどか』は、あのまどかのことだ。





410 : ◆ctuEhmj40s 2012/05/09(水) 23:09:18.94 ID:ISWSPmHC0


でも、何故?

まどかの存在は、この世界から完全に失われてしまった。
それは、もう疑いようのないことだ。

ならば、いないはずのまどかのことを彼女はなぜ知っているのか。
あの口調からしてまどかの知り合いのようだ。
が、その程度の関係で覚えているはずがない。

いや、結びつきの強さの問題ではないのだ。
それなら、自分だけがまどかのことを覚えているはずがない。
自分が彼女のことを覚えていることは、単なる偶然の産物に過ぎないのだから。

ならば、まどかを知る人間が現れたというのはどういうことなのだろうか。





411 : ◆ctuEhmj40s 2012/05/09(水) 23:10:19.90 ID:ISWSPmHC0


まどかの祈りによって、世界の構造は変わった。
希望は必ず絶望に変わるというルールはなくなり、その代償にまどかは人間としての存在を失った。
まどかの犠牲によって今の世界は成り立ち、多くの魔法少女が絶望するだけの未来から救われることとなった。

どんなに目を逸らそうとしても、それが現実だ。
この世界では、まどかがいないことが普通の事であり、正常な状態なのだ。

そのまどかを知る人物が、自分以外に現れた。
それは、この世界に異常が起こっているということなのか。

もしそうならば、何としてでもその原因を突き止めて元に戻さなくてはならない。
この世界はまどかが望んだ世界であり、あの子が守ろうとした世界なのだ。
その世界を守ることが今の自分の願いであり、戦いだった。

彼女が守ろうとしたものを、守らなくてはならない。
それがこの世界でもまどかのことを覚えていた、自分の使命だ。





412 : ◆ctuEhmj40s 2012/05/09(水) 23:11:18.78 ID:ISWSPmHC0


(でも、本当にそんなことが?)


ほむらの頭に疑問が浮かぶ。
世界に異常が起きているとなれば一大事だが、その中心にあるはずの魔法少女としての活動には大きな変化は見られない。

ここ数日戦った魔獣は、いつも通りのものだった。
つい先ほども一戦戦ったばかりだが、これと言った変化は見受けられなかった。
出現する頻度も、格別増えたわけでも減ったわけでもない。

平和、というにはいささか物騒だが、魔獣に関してはこれといった異常は見られない。
魔法少女システムに異常が発生したのなら、まずここから変化が現れるべきなのではないか。


(もしかしたら……)


あの不思議な女性。彼女の方にこそ、何かあるのかもしれない。





413 : ◆ctuEhmj40s 2012/05/09(水) 23:12:27.16 ID:ISWSPmHC0


思い返してみれば、確かに何か普通の人間とは違う雰囲気があった。
もし彼女が自分と同じ魔法少女だとしたらどうだろうか。

それならば、何らかの奇跡を叶えてその作用で以前の世界のことを知っている可能性もあるのではないか。
魔法少女は条理を覆す存在というのはあの白い獣の受け売りだが、どんな能力に目覚めてもおかしくはない。

だとしたら、彼女はこの世界のことをどのように捉えているのだろうか。

悪しきシステムを破壊した新世界か。
それとも条理を歪め、都合よく改変されたニセモノの世界か。

彼女が潔癖を好む性格だという場合も十分にある。
そんな清純な心を持つ者が魔法少女になることは、得てしてよくあることだ。
それならば、世界を元に戻そうと画策する可能性も……。


(……情報不足ね。これ以上考えても、進展はないわ)


まずは世界に異常が起きているのか、それとも彼女が異常と呼べる人物なのか。
それを見極めなくてはならない。





414 : ◆ctuEhmj40s 2012/05/09(水) 23:13:48.06 ID:ISWSPmHC0


まどかを知る人物がいることは異常であり、それは普通とは違う。
そこに何らかの異変があることに疑いはない。

まどかのことならば、自分は動かなくてはならない。
彼女と彼女の願いを守るために自分はここに居るのだから。


(それにしても……)


ここはどこだろうか。
改めて見回すと、妙なところだった。

一言で表すならば、欧州風の書斎、と言ったところか。
壁という壁に木製の本棚が置かれており、大量の英字の辞書や図鑑が並んでいた。
シックな雰囲気でそれだけならば映画に出てくるような書斎で終わるのだが、
その部屋の真ん中にある巨大なダブルベッドがその雰囲気を見事にぶち壊していた。

何を持ってこんなところに、こんなものをおいたのだろうか。
置くならこんなベッドではなく機能美に溢れた執務机だろう。

ともかく、ここはベッドルームらしい。
そうは見えないが、ベッドが置いてあるのだからベッドルームなのだろう。





415 : ◆ctuEhmj40s 2012/05/09(水) 23:15:03.14 ID:ISWSPmHC0



無意識に歩いてこんなところに来たとは思えない。

となると、誰かに運ばれてきたことになる。
見知らぬ誰かに運ばれたのか、それともあの――。


その時、がちゃり、と奥の方から部屋の扉が開く音がした。


とっさに布団をかぶり、身を隠した。
おそらく戻ってきたのは、自分をこの部屋に運んできた人間だろう。
それが見知らぬ第三者だったら何の問題もない。

だが、それが例の彼女だったら?





416 : ◆ctuEhmj40s 2012/05/09(水) 23:15:50.07 ID:ISWSPmHC0


彼女は要注意人物だ。
何故まどかのことを知っているのか。
どんな異常が起きているにしろ、彼女からは貴重な情報が得られることに違いはない。

何にせよ、彼女とはもう一度接触しなくてはならない。
もし、今部屋に入ってきたのが彼女なら手間は大きく省けることになる。

何ら裏もなく、こちらを助けたのも単なる親切心であり、こちらの欲しい情報を得られる。
それならばいい。

問題は、彼女が魔法少女であり、尚且つ世界に害をなそうとしている場合である。
そうだと考えた時、この状況は『敵』の手の中に落ちていることになる。





417 : ◆ctuEhmj40s 2012/05/09(水) 23:17:21.59 ID:ISWSPmHC0


(ソウルジェムは……)


手元にある。
起きた時に体も縛られていないことも考えると、こちらに敵意があるとは考えづらい。
やはり、単なる取り越し苦労だろうか。

いや、こちらの正体に気付いていない可能性もある。
まどかを知っていてこの街を訪れたのなら、やはり何かしらの意図があって見滝原に来たことは間違いない。

しかし、それならまどかとのつながりを知られていない以上、こちらにアドバンテージがある。

今ならば、奇襲が成立する。
そうだ。それが一番、手段としては手っ取り早い。

楽に相手が、どんな人間か推し量ることができる。
命を握られて反応を出さない人間など、早々いない。
一度、生殺与奪を握ってしまえば後はどうとでもなる。

敵ならそのまま事を運べばいい。
もしすべてこちらの考えすぎならば、それはそれで問題はない。
彼女には運が悪かったと考えてもらうしかない。
必要以上の危害は加えないし、自分がただの恩知らずな人間だったという事実が残るだけだ。

ほむらは行動をまとめた。

見知らぬ第三者なら、何もせずにやり過ごす。
あの女性ならば、不意打ちを行い、素性を確かめる。





418 : ◆ctuEhmj40s 2012/05/09(水) 23:18:43.79 ID:ISWSPmHC0


ふと、そこでほむらは我に返った。

善意で助けてくれたかもしれない人間に、自分は何をしようとしているのか。

思考が、悪い方へと流れている。
頭に浮かんでくるのは最悪の事態。
そんなことが早々起こるはずはない。おそらく高い確率で杞憂となるだろう。

そんなことは分かっている。

しかし、事はまどかに関係している。
常に最悪の事態というものを想定して動かなければならない。
そうでなくては、守ることができない。

あの子の残したこの世界を。
彼女が祈った、途方もない願いを。

その事を思い出し、ほむらは覚悟を決めた。
少しでも最悪の可能性があるのなら、それを防ぐ手段を取る。
なかったらなかったで構わない。自分がその責任を取るだけだ。

それくらい泥ならば、いくら被っても構わない。





419 : ◆ctuEhmj40s 2012/05/09(水) 23:19:49.90 ID:ISWSPmHC0


変身する。
布団に隠れて服装が変わったことは、向こうからは見えないはずだ。

力も使わなければ気取られることは無い。
目を開けられないため直接確認することは出来ないが、あの女性の声は覚えている。

耳に全神経を集中させた。
どくん、と心臓が早鐘を打つ音が頭の中に響いた。
少しの音も拾おうとしている今では、その音すらも煩わしい。

ほむらは息をひそめ、部屋に入ってきたのが誰なのかを伺った。

足音が聞こえる。
世の中にはそれを聞いただけで誰かを判断できる人間もいるらしいが、生憎ほむらにそのような能力は無い。
訓練でもしておけばよかったと過去の自分を恨みつつ、ほむらは耳を澄ませた。





420 : ◆ctuEhmj40s 2012/05/09(水) 23:20:56.44 ID:ISWSPmHC0


がさり、と何かが置かれる音がする。

ビニール袋のようだが、聞きたいのはそれではない。

ふぅ、とちいさく息を吐く音が聞こえた。

声と呼ぶには程遠い、空気の流れる音。
それだけで、相手が誰だか判断することは出来ない。

ごそごそ、と衣服を脱ぐ音が耳に届く。
どうやら上着を脱いでいるようだった。


「高かったわね。チュチュ」


あの時の女性の声だった。


布団を跳ね上げ、身をひるがえすと、相手を壁に突き飛ばす。
「きゃ――」と小さく悲鳴が上がった。
混乱している相手に弓を向ける。

一瞬にしてほむらは相手を本棚に追いつめた。





425 : ◆ctuEhmj40s 2012/05/19(土) 11:36:44.84 ID:90hsLc3E0


「これから聞くことに答えて頂戴。そうすれば危害は加えないわ」


話しかけながらも、テレパシーを飛ばしてみる。
しかし、何の反応もない。
だが聞こえないふりをしている可能性もある。油断はできない。

声色は出来るだけ冷徹に聞こえるようにして相手に向ける。
付け入る隙を見せてはいけない。
場の空気を支配し、こちらに主導権があることを分からせ、必要な情報を引き出す。
本心を隠すのは得意だったし、冷たい印象を持たれるような振る舞いも造作の無いことだ。
かつての戦いで得た経験を駆使し、空気を凍らせ、目の前の女性に敵意を向ける。

ここまでは予定通り。
これで完全に、彼女はこの場に支配されたことだろう。
ほむらは相手の反応を待った。





426 : ◆ctuEhmj40s 2012/05/19(土) 11:38:39.44 ID:90hsLc3E0


「あらあら」


作り上げたはずの場にそぐわない、緊張感のない声が響いた。


「見て、チュチュ。凄いわねぇ、どんな手品なのかしら?」


チュッチ、といつの間にか主人の肩に来ていた子ザルが小さく答えた。
そしてどこからともなく、手品のように爪楊枝で作った小さな剣を取り出すと、ピュンピュンと振り回しポーズをとる。
「似てる似てる」と、その様子を見て彼女は小さく笑った。

予想していなかった、のほほんとした反応に、ほむらは固まった。







427 : ◆ctuEhmj40s 2012/05/19(土) 11:39:47.03 ID:90hsLc3E0


おかしい。
自分が求めていたのはこんな状況ではなかったはずだ。
予定では相手と脅して情報を引き出す手はずだったはずである。
それが何故、手品を見せ合っているかのような状況になっているのか。

いや、また挽回の余地は十分にある。
向こうの命をこちらが握っているという状況には変わりない。
圧倒的有利なのは変わらないのだ。

もしかしたら脅しが足りなかったのかもしれない。
土壇場で甘さが出てしまうのは、自分の悪い癖だ。
反省しよう。
しかしとりあえずそれは後だ。
今はこの空気を緊張したものに変えることが先決である。

再び言葉で脅しをかけるか、いっそ矢を壁に撃ちこむことくらいのことを――。

そんな状況を動かそうと頭を働かせるほむらの横を、彼女はするリとあっさり通り過ぎた。

一瞬、あっけにとられる。
そして、相手を逃がしてしまったことに気が付き、ほむらは慌てて弓を向けた。





428 : ◆ctuEhmj40s 2012/05/19(土) 11:41:03.83 ID:90hsLc3E0


「ちょ、ちょっとまちな――きゃっ!」


チュ。と彼女の肩にのっていた子ザルが、ほむらの肩に飛び乗った。

再びほむらは硬直する。
想定した中にこんな展開はもちろん無い。
ましてや動物と触れ合うこと事態ほとんど経験がなく、子ザルが肩にのるなど夢にも思わなかった特殊な状況である。

許容以上のアクシデントに見舞われ、ほむらは完全にフリーズした。

どうやら子ザルはほむらのことを手品仲間だと思ったらしい。
チュチュ♪、と期限がよさそうにほむらにじゃれ付いた。
じゃれつかれたほむらは、「や、やめ……」と何も口から出せずに尻餅をつくことしかできなかった。


「ほら、チュチュ。ちょっとはしゃぎ過ぎよ。困っているわ」


主人の声を聴き、子ザルはチュ、と返事をするとトテトテと歩いていく。
そこでようやくほむらは解放された。





429 : ◆ctuEhmj40s 2012/05/19(土) 11:42:28.23 ID:90hsLc3E0


「何か食べる? とりあえずお茶とヨーグルトを買ってきたのだけれど」


息も絶え絶えになっているほむらに、彼女は心配そうに声をかけた。


「ひ、人の話を――」

「手品をするのはいいけれど、せっかく倒れたところを運んであげたのだからもう少し感謝してもらってもいいんじゃないかしら? 
あれが感謝の印ならちょっと乱暴だと思うけれど」


肩をさすり、痛めたかのようなジェスチャーを取る。
先ほどの行動に対する不満を表しているらしい。
当然のことだがやはり怒っているようだった。

しかし声色は変わっていない。
それがほむらには不気味に感じられた。
それまでの経緯と仕草からそのことは明白なのに、その感情が彼女からは読み取れない。

そのギャップに、ほむらは少し、気圧された。





430 : ◆ctuEhmj40s 2012/05/19(土) 11:43:21.49 ID:90hsLc3E0


「でも元気そうでよかった」


そんなことを知ってか知らずか、彼女は優しく声をかけた。


「急に倒れたから、とりあえず休めるところを探して運んだのだけれど」


倒れた。
そうだ自分は倒れたのだ。あの駅で。

彼女はわざわざ見ず知らずの自分の為に、わざわざこんなところまで自分を運んできたのだろうか。
倒れている自分を運ぶのは、相当な苦労があったことだろう。
いっそのこと救急車でも呼んでしまえば、何の苦労もせずにその場から離れることも出来たというのに。

その優しさが、この上もなく不快に感じた。





431 : ◆ctuEhmj40s 2012/05/19(土) 11:44:54.14 ID:90hsLc3E0


「ふざけないで」


温くなった空気を振り払うかのように、ほむらは怒気をこめた。

声は冷えきっていた。
冷たく、温情も愛情もどこにもない。
ただ怒りだけを込めたようなそんな声。

本当に怒りに体が支配されたとき、どこまでも頭は冴え冷徹に物事を実行しようとすることを、ほむらはこの時初めて知った。

相手の態度・緊張感のない空気・何もできない自分。
その全てに、ほむらは苛立っていた。

さらに、こちらが真剣であるにもかかわらず、相手は何の問題もないかのように過ごしている。
そればかりか、自分に対して慈悲の心を向けるくらいの余裕すらある。

それにほむらはひどく侮辱されたような屈辱を受けた。





432 : ◆ctuEhmj40s 2012/05/19(土) 11:46:12.05 ID:90hsLc3E0


いや、違う。きっとこの感情は自分がこの世界から感じ取っている印象そのものなのだ。
彼女への感情は、いわばその八つ当たりに過ぎない。

まどかにためにどんなに懸命になっても、世界は彼女を認識せず、何事もなかったかのようにその営みを続けていく。
どんな代償があってこの世界が成り立っているのか、誰もそのことを気に留めることは無い。

こちらがどんなに必死になっても、何も変わらずに時は流れていく。
全てを過去に流し、忘れ去ろうとしているかのように。

そんなことはさせない。あの子がいた事実を消すことは許さない。

ほむらは立ち上がった。
きょとんとした目でこちらを見ている相手に、弓を構えて、魔法の矢を向ける。
それは支配されまいと抵抗する、レジスタンスの狼煙の様だった。


「分かっていないようならもう一度言うわ。私の質問に答えなさい。拒否するなら撃つ」

「無理をしてはダメよ。大人しく――」


矢を放った。
放たれた矢は、彼女に当たらず、向こうの本棚に穴をあけて消えていった。





433 : ◆ctuEhmj40s 2012/05/19(土) 11:47:11.51 ID:90hsLc3E0


「次は当てるわ」

「こんなふうに自己紹介するなんて、初めてね」

「貴方の名前に興味はないの。ただ聞かれたことだけ答えて頂戴」


おかしな人、と彼女は小さく呟いた。
ふと、そこで横目でベッドに視線を向けた。

ほむらは座るように促す。
彼女はどうも、と礼を言うと、ふんわりとベッドに座った。


「魔法少女を知っている?」


まずは単刀直入にその質問から始めることにした。


「魔法少女? 何か緊張感のない質問ね」


その緊張感をそれまで壊していたのは他ならぬ彼女自身なのだが、そんな指摘は胸にしまっておく。


「アニメのことを言っているなら、昔いくつか見てましたよ」

「ちなみに嘘をついても私は貴方を撃つつもり。隠すと貴方のためにならないわよ」





434 : ◆ctuEhmj40s 2012/05/19(土) 11:48:55.60 ID:90hsLc3E0


「と、言われても」


困ったように彼女はほむらを見つめた。


「私だって撃たれたくないから、嘘はつかないわ。
でもそれをあなたはどうすれば信用してくれるのかしら」

「それはこちらが判断するわ。余計なことは言わないで」

「貴方にとっては余計なことかもしれないけれど、私にとっては重要なの。
正直に答えて撃たれたんじゃ、泣きたくなるもの」


矢の先は、今も彼女を捉えている。
それにも関らず、彼女の物言いにおびえるような様子は一切なかった。





435 : ◆ctuEhmj40s 2012/05/19(土) 11:50:47.63 ID:90hsLc3E0


やはり嘘をついているのではないか。

疑いがほむらの中で渦を巻く。
普通の人間ならば、こんな衣装を着た相手に弓矢を向けられて平静でいられるはずがない。

しかし、魔法少女だとしてもそれはそれで疑問が生まれてくる。
それならば、これまで一切抵抗のそぶりを見せなかったのはなぜなのか。

こうやって脅されて質問される状況にたどり着くまでに、自分にはいくらでも隙はあった。
ベテランの魔法少女ならば、そこを突いてこちらを組み伏せることなど容易だったはずである。
新人の魔法少女だったとしても、やはり結果は同じだ。
そもそもこちらの隙など伺わずに襲ってきたことだろう。
成りたての魔法少女というのは、得てして自分の力を過信するものだ。
それに感性が普通の人間と変わらない新米魔法少女に、こうして矢を向けられて平静でいられるだけのメンタルは無い。

率直に言ってしまって、こうして自分がこの場を支配できていることが、既に異常な事態と言えた。
どのように考えても、脅しても怯えない相手を脅すこの状況に至る道筋が考え付かない。

彼女は何者なのか。

疑問はそこに戻る。
一般人にも、魔法少女にも見えない。
あまりにも不自然なこの状況の中心にいる彼女が、ほむらには得体の知れないものに見えた。

正体がわからない。
それは最も恐ろしい物だとほむらは思う。
なまじ、得体の知れないものを知っている分、それが余計に恐ろしく感じる。

自分の想像の外に彼女という存在はある。
もしかしたらすでに自分は彼女の手中に――





436 : ◆ctuEhmj40s 2012/05/19(土) 11:52:11.88 ID:90hsLc3E0


「私は貴方に嘘をつきませんよ」


その時、ほむらの考えを彼女の声が遮った。


「余計なことを話さないで。聞こえなかったかしら」

「だって、信用されていないようだから」

「生憎、初対面の赤の他人の言うことを全て信じるほど、私はお人よしではないの」

「あら。もう赤の他人ではないでしょう、私たち」


少々、不満そうに彼女は声を上げた。


「少なくとも私はこれまであなたに嘘はついてないし、倒れたところを介抱もしたわ。
それに道を教えてくれて感謝もしているのよ? 
赤の他人よりも、正直で、介抱して、貴方に感謝しているという要素分くらいには信用してくれてもいいんじゃないかしら。 
いえ、むしろもっと積極的に信用するべきね。
なにせ休ませるためにこんな場所に入る羽目になったんだから。
それに大人しく質問を受けている分、私の忍耐力というものも考慮して、信用してほしいわ」


流れるような彼女の言葉に、ほむらは呆気にとられた。

その言葉の中身にではない。
彼女が普通の人のように感情を表したことが、心の底から意外だった。

もう彼女に得体の知れないような雰囲気は感じられない。
目の前にいるのは一風変わった普通の人間だった。





437 : ◆ctuEhmj40s 2012/05/19(土) 11:53:06.99 ID:90hsLc3E0


「善処するわ」


平静を取り戻したほむらは、次の質問に移ることにした。


「キュゥべえ、魔獣、魔女。この中で特別知っている単語はあるかしら」

「一つだけなら」

「それは何? 答えて」

「魔女」


よりにもよって、その単語なのか。


「『魔女』について、貴方は何を知っているの?」

「知っているというか。私は元・魔女なんですよ」


ほむらは混乱した。





438 : ◆ctuEhmj40s 2012/05/19(土) 11:59:04.45 ID:90hsLc3E0


「……さっき、私に嘘をつかないと言ったのは嘘だったのかしら」


「と、言われても。私にとっては本当の事ですので」


まさか、本当に? 
しかし、嘘をついているようには見えない。

というより、こんな嘘をつく必要がどこにもない。
魔女などという単語は、この世界の魔法少女の間では存在しない。
そもそも自分が魔法少女であることを隠す嘘ならば、知らないと答えるのがここでの道理だ。

しかし、ならばどういうことなのか。


「貴方の言う魔女とはいったいどんなものかしら」

「多くの人から希望を奪った存在。
王子を堕落させた女。
絶望の集まった虚無の少女。
王子様のいない女の子。
こんなところかしら。昔の自分のことを話すのはちょっと恥ずかしいわね」


何とも断片的で抽象的な物言いだった。

自分の知っている『魔女』と符合する部分もあるが、そうでない部分もある。
強引に解釈すればそれ以外の部分も結びつけることは出来る。
が、無理矢理当てはめたところでそれはただ単に自分の願望にすり合わせただけのように思えた。





439 : ◆ctuEhmj40s 2012/05/19(土) 12:00:35.81 ID:90hsLc3E0


元・魔女。
魔女が人間に戻ることなど、ほむらが知る限りでは在りえない。
一つだけ、その不可能を強引に可能する奇跡のような方法もあるが、そんな奇跡を願わなければならないほど、魔女が人間に戻るというのは在りえないことだ。

彼女の言う魔女は、ほむらの知る魔女ではない。
そもそもこの世界に魔女などいない。
そこを考えてもそれは明らかなことだ。


(でも……)


彼女は言った。
自分は昔、そんな魔女だったと。

彼女もまた、罪を背負っているのだろうか。
自分と同じような、一生背負うようなそんな罪を。


「貴方の目的は何?」


その問いには、彼女はハッキリと答えた。





440 : ◆ctuEhmj40s 2012/05/19(土) 12:01:36.00 ID:90hsLc3E0


「親友を探すためです」


部屋に声が染み渡る。
その声はこれまで聞いたどの彼女の声よりも、澄んだ、綺麗な声だった。

親友を探す。
彼女にも親友がいるのか。
自分と同じように。


「まだ聞きたいことはあるのかしら」


ベッドの上で彼女は小さく、手を動かした。
手の上では子ザルがゴロゴロと、楽しそうにじゃれ合っていた。
その様子を、彼女は何とはなしに見つめていた。


「貴方、私が怖くないの?」


つい、そんな言葉が口に出た。

言ってしまってから、しまった、と内心後悔する。
無闇に親しくしては、こちらの優位は崩れてしまう。
しかし、彼女はそれも質問と受け取ったのか、別段態度を変えることもなく答えた。





441 : ◆ctuEhmj40s 2012/05/19(土) 12:02:40.35 ID:90hsLc3E0


「怖いですよ。でも私は何もできませんから」

「それなら、怖がってくれないかしら。そうしないと、ちゃんとこちらの意思が伝わっているのか不安になって、もっと過激なことをするかもしれないの」

「あら。そういう趣味があるの? 怖い人」


もしかしたら、諦めているのだろうか。

しかし彼女の眼からは、そんな風には感じられない。
さりとて隙を窺っているとも感じられない。
あくまでも平静。動揺も怯えも敵意もない。
なぜこのような状況で、そこまで平静でいられるのだろうか。


「何もできないから、私はあなたを信用するだけです。それしかできませんものね」


信用といったか。
こんな自分を信用しているのか。

だとしたら、何とも能天気なことだ。
こうやって矢を向けている相手を信用するとは、お花畑にもほどがある。


「自分に武器を向けている人間を信用するの? 何とも寛大なことね」





442 : ◆ctuEhmj40s 2012/05/19(土) 12:03:29.95 ID:90hsLc3E0


「誰でも無条件に、信用なんてしませんよ」


気が付く。彼女の手が、止まっている。
じっと、碧眼の異国の瞳がこちらを見つめていた。


「あなただから、信用しているんです。他の人だったら信用なんてしませんよ」


曇りの無い、しかし無垢とも言い難い瞳がこちらを見ている。

あなただから信用しているといった。
自分の何を、彼女は信用しているのか。
何を彼女は見て、そして何を判断したのか。


「それであなたを信用して、一つ提案があるのだけれど」





443 : ◆ctuEhmj40s 2012/05/19(土) 12:04:43.75 ID:90hsLc3E0


「……何?」

「正直、ベッドに座ったままというのは疲れるし、あなたもずっと立ったまま弓を構えているのは疲れるでしょう? 
話が長くなるのなら、もっとちゃんとした場所で話をしないかしら。
素敵なカフェを知っているなら、そこがいいのだけれど」

「馬鹿なことを言わないで」


誰が好き好んでこの状況を手放すのか。
相手から情報を一方的に引き出せる好機を逃すわけがない。


「でもそろそろ夜も更けてくるし。
急だったとはいえ、こんな場所じゃあ女の子二人が話をするにはちょっと不釣り合いだと思わない?」


困ったように辺りを見回す。
どことなく居づらそうに体をそわそわとさせている。
そこまで不快な空間だとは思わないが、彼女には合わないのだろうか。





444 : ◆ctuEhmj40s 2012/05/19(土) 12:05:39.92 ID:90hsLc3E0


今の今まで忘れていたが、そういえばここはどこなのだろうか。

ベッドがあるから寝室ではあるのだろう。
しかし、彼女は見滝原には初めて来たと言っていた。
しかも道も分からない初心者だ。

ならば、個人や知り合いの住居とは考えづらい。
となるとどこかの宿泊施設になるのだろう。
が、こんな部屋があるホテルや旅館など聞いたことがない。
まぁ、どこか特殊なホテルならこんな部屋も――。

ちょっと、待て。


「やっぱり壁薄いのね。あんまりいい素材使ってないみたい」

その声を聴くのに、耳を澄ます必要もなかった。

甘い声。
睦言。
愛のささやき。
嬌声。

単純に喘ぎ声。

彼女の言う通り壁が薄いのか、肉と肉がぶつかり合う音もよく聞こえた。





445 : ◆ctuEhmj40s 2012/05/19(土) 12:07:33.95 ID:90hsLc3E0


「な・な・な……」

「文句は言わないでね。
倒れたあなたをつれて入れるところなんてこんな場所しかなかったの。
それとも別の部屋がよかった? 
チュチュのおすすめはジャングルルームだったのだけれど」

夜のホテル。しかも女同士。
隣では男女が交わっており、そんな世界の中、自分はベッドに座った女性を前にしている。

そのことを考えると、カッと顔が熱くなった。

他人から見たら自分たちはどんなふうに見えるのだろうか。
夜・制服を着た女子中学生・異国の女性・女同士・ホテル・ダブルベッド・シャワールーム・コスプレ・SM・攻・受――。


「あら、純情」


今度こそ完全にフリーズしたほむらを見て、彼女はクスリと笑った。








446 : ◆ctuEhmj40s 2012/05/19(土) 12:08:20.66 ID:90hsLc3E0

そこから、ホテルを出るまでのことはよく覚えていない。

変身を解いたり、制服が見えないように上着を着せてもらったりしたことはおぼろげに覚えている。
が、通ったはずのホテルの通路や受付は何も覚えていない。
チェックアウトなどのその他諸々は自分が出来たとは思えないから彼女が手続きをしてくれたのだろう。
気が付けばいつの間にか外を二人で歩いており、どこかいいカフェが無いか聞かれていたところで、ほむらは我に返った。

ただ、これだけは覚えている。

初めて大人のビラビラを潜った時、少し汚れたような気分になった。





451 : ◆ctuEhmj40s 2012/05/29(火) 00:13:43.84 ID:OYeaCUjw0

―――――


その喫茶店に入ると、紅茶の良い香りがスン、と匂ってきた。

時間もそれなりに更けてきていたので開いているかどうか不安だったが、運よく店は開いていた。
開けたドアからチリン、とベルが鳴る。
店長と思しき初老の男性がこちらに気付き、奥の席へと案内する。

淡い明りの電灯や、窓やテーブルに飾られたドライフラワーの柔らかい色が心を落ち着かせる。
「いい店ね」と後ろにいる彼女の感想が聞こえた。

自分の手柄ではない。
この店を見つけたのは巴マミだ。
仲間が出来て心に余裕ができたのか、彼女は以前よりも物事を楽しむようになっていた。
今日もきっと佐倉杏子を連れて、どこか新しいスイーツの店を探して見滝原を渡り歩いたに違いない。
体重が増えていないか少し心配だが、肥えたところで自分には関係ないので何も言ってはいない。





452 : ◆ctuEhmj40s 2012/05/29(火) 00:15:19.55 ID:OYeaCUjw0

案内された席に座る。荷物を置きで、立てかけてあったメニューをとりあえず開く。
何か注文しようとしたところで、そこで何を頼めばわからないことにほむらは気が付いた。

紅茶は嫌いではないが、具体的な種類や味の違いを知っているほど詳しくはない。
こういった店に入るときは、巴マミといつも一緒で全て任せてしまっていた。
少しは彼女の紅茶講座に耳を傾けておけばよかったと後悔するが、後の祭りである。
どの紅茶を頼めばいいのか。
付け合せは何にすればいいのか。
全く見当がつかなかった。

メニューを見て混乱していると、「見せて」と前から手が伸びてきた。

少し考えてメニューを渡すと、彼女は数秒見つめ、ウェイターを呼んでテキパキと注文を始めた。
途中、こちらの好みを聞いてきたので答えると、すぐに何か見繕ってそれも注文した。

かしこまりました、と言ってウェイターをいなくなると、テーブルは静かになった。





453 : ◆ctuEhmj40s 2012/05/29(火) 00:16:26.40 ID:OYeaCUjw0


「困っていたようだったから。ちょっと出しゃばっちゃったけど、よかったかしら?」

「……ありがとう」


あまり下手には出たくないが、ここは素直に感謝することにした。


「それにしても、こんな素敵な店を知っているのにあまり利用していないみたいね」

「知り合いが見つけたところだから」

「いい友達がいるのね」


友達ではない。
そうほむらは思う。

昔は先輩・後輩という間柄だったが、それはもう過去の話だ。
今は一言で語れるほど、彼女との間柄は簡単ではない。
しかもそれがこちらから一方的なものというのが、より関係を複雑にしている。

よってほむらはこれら複雑に絡み合った関係を説明することを端から諦め、ただ単に「知り合い」ということにしていた。





454 : ◆ctuEhmj40s 2012/05/29(火) 00:17:34.09 ID:OYeaCUjw0


「それで、あと私は何を話せばいいのかしら」

「その前に一つ言いたいことがあるのだけれど」


声にあらん限りの不満を込めて、ほむらは言った。


「いつまで私は貴方の荷物持ちをしなければいけないのかしら」


テーブルの横に置いたキャリーバッグに目をやった。
外を歩いているときはずっと運ばされていたが、こちらはまだいい。
問題は先ほどから制服のポケットで動いている生き物の方だ。

幸い悪戯をしたり暴れたりするといったことは無いが、モゾモゾとした制服から伝わる感覚は恐怖以外の何ものでもなかった。
外では外で肩に乗っかかるものだからすれ違う人からは奇異の目で見られ、今は今で店員に見つからないよう隠すのに必死である。
ペットの入店が認められている飲食店はあるが、生憎この店にはそんな表記は無い。
見つかったら間違いなく入店禁止となるだろう。





455 : ◆ctuEhmj40s 2012/05/29(火) 00:18:39.54 ID:OYeaCUjw0


「だってあなたは私を信用していないんでしょう? 
それを手元に置いておけば、私は嘘は言えませんよ。文字通り一文無しだから」

「……そうだろうけど」

「それにチュチュは私の友達だから。友達を人質に取られたら、何もできません。
さぁ、早く質問をして解放してくださいな。怖い狼さん」

「……」


なんだかんだ言いつつ、彼女に手玉に取られている。
上手く言いくるめられて、体よく荷物持ちをさせられているとしか思えない。

が、実際問題として人質を握っていることは確かである。

腹立たしいことに変わりはないが、この際自分のプライドは考慮しないことにする。
散々醜態を見られた今となっては、相手を威圧できるだけの空気はゼロに等しい。
これだけが彼女から話を引き出す唯一の道だった。





456 : ◆ctuEhmj40s 2012/05/29(火) 00:21:13.64 ID:OYeaCUjw0


「じゃあ、質問を再開するけど」

「はいはい」

「……貴方はまどかとどういう関係なの? どうしてまどかを知っているの?」


一番聞きたかった質問だ。
気を抜くと声が震えてしまいそうになる。
その感情を隠すために、普通に喋るだけでも必死だった。

彼女はまどかの何なのか。

まどかとはどこで知り合い、どういう関係なのか。
本当はどうしてまどかのことを覚えているのか、そこまで聞いてしまいたい。
しかしその質問をすれば「何故?」と聞かれることだろう。
そうなったら自分は全てを話さなくてはいけなくなる。

何度も疑われ、嘲られ、怯えられ、そして誰も信じなかった話だ。
彼女もきっと同じような反応を返すことだろう。
それ以前に、まず魔法少女の話を信用するところから怪しいものだ。

自分とまどかの話は、何も知らない普通の人間が受け止めるにはあまりにも荒唐無稽で、そして膨大すぎた。

一つ一つが嘘のような話で、そしてそんな嘘のような話の積み重ねが自分の歩んできた道だ。
少しでも疑えば全てが壊れてしまう、そんな儚い幻のような物語。
こんな話を真面目に聞くのは、よほどの妄想家かバカのどちらかだろう。

そんな失礼な評価を会って間もない他人に下すほど、他者を見下してはいない。
相手から判断材料となる情報を聞き出して、こちらで最終的な判断をするのが自分にも相手にも良い事だろう。


「まどかさんですか……」


少しの逡巡の後、彼女は話し始めた。





457 : ◆ctuEhmj40s 2012/05/29(火) 00:22:10.71 ID:OYeaCUjw0


「まどかさんは私の後輩なんです」

「後輩?」

「ええ。まどかさんとさやかさんで。
私の通っていた学園に、交流の一環で一時期編入していたんですよ。聞いたことないかしら」


そういえば、何度目かのループでそんな話を聞いたことがあった。
一年生の時に、交換学生で美樹さやかと一緒に他の学校で一か月、学校生活を送ったというそんな話だったはずだ。


「確か、鳳学園……」

「あら、やっぱりご存じ? まどかさんとさやかさんとは同じ寮だったんですよ、私」


同じ、寮。そのことを聞いて、ほむらは一つ思い出した。





458 : ◆ctuEhmj40s 2012/05/29(火) 00:23:46.10 ID:OYeaCUjw0


まどかたちは、留学期間中は学園内の寮で過ごしていたらしい。
そこは、普段はあまり使われていない寮で、自分たち以外には二人しかいなったそうだ。
その二人の生徒は年上で、一風変わっていたがとてもよくしてくれたという。
一人は何故かぼんやりとしか覚えていないらしいのだが、もう一人の方は一度見たら忘れられないようなインパクトがあったという。

ということは、この人がその先輩なのだろうか。
確かに普通には見えない。


「薔薇を見ようと思ったんですよ」

「バラ?」

「ええ。学園に居た時に、まどかさんにバラの育て方を教えてほしいと頼まれたんです。
ちょうど、まどかさんのお家の近くに来たのなら、ちょっとどんなふうに育てているのか見てみようと思って。
弟子がちゃんと薔薇を育てることが出来ているか、教えた方としては心配ですもの」


バラ。
確かにまどかの家には、バラが咲いていた。




459 : ◆ctuEhmj40s 2012/05/29(火) 00:25:29.95 ID:OYeaCUjw0


まどかの父親が手入れをしている花壇の中に、一か所、まどかが植物を育てている場所があった。
そこにバラは咲いていた。
これだけは自分の力で全部育てていると、まどかは言っていた。
聞くところによると、他の植物は父親に手伝ってもらうことはあるが、バラだけは一切触らせていなかったらしい。

最終的には、庭にバラ園を作ることだと嬉しそうにまどかは笑っていた。
前に見た薔薇の温室がとてもきれいで、憧れているのだとも。

見せてもらったバラは、とても綺麗だった。

品種とか出来とか、そういう詳しいことはその時は何一つわからなかった。
けれど、真っ赤に咲いたバラは今まで見てきたどのお見舞いの花よりも比べ物にならないくらい綺麗で、そして良い香りがした。
今でもはっきりと思いだせる。
セピア色になった記憶の中でも、決して色褪せないあの紅い花とあの香りは。

今はもうない、まどかのバラ。
彼女の家に初めて行った大事な思い出でもあり、その中でも特に印象深いバラの記憶。


「……まどかは、貴方の知っているまどかはどんな子だった?」





460 : ◆ctuEhmj40s 2012/05/29(火) 00:27:34.21 ID:OYeaCUjw0



「優しい人でしたよ」


まるで遠い過去を懐かしむかのような顔だった。
それでいて、楽しそうに彼女は語り始めた。


「他人が困っていると、自分の事よりもそっちを優先してしまいそうな人でした。
優しいけど、どこか危うい、そんな人でしたね。
自分に自信が無くて、いつも自分が本当にこのままでいいのか悩んでいて。
もしかしたら自分に価値を感じていないから、あんなに他人のために必死になっていたのかもしれないですね。

けど、それでも彼女の優しさは、とても尊いものだったと私は思いますよ。
何であれ、誰かのために必死になれるのは、それだけで素晴らしいことだと思いますから。

さやかさんとは大の仲良しで、引っ込み思案なまどかさんをさやかさんが引っ張っていっている印象がありましたね。
ああでも、二人とも料理は苦手で。寮でも――」


彼女の思い出話は続く。
ほむらはその話を聞いて、まどかのことを思い出していた。

そうだ。彼女はそんな人だった。

おぼろげになっていると思っていた記憶が鮮明になっていく。
彼女の顔・声・仕草・笑顔や伸ばしてくれた手。
今なら全部思い出せる。

まどかは確かにいた。
迷うことは無い。自信を持って言える。
この体と心が覚えている記憶やぬくもりが、彼女がいた何よりの証拠だ。

間違いない。彼女が知っているまどかは、あの「鹿目まどか」なのだ。





464 : ◆ctuEhmj40s 2012/06/11(月) 00:02:50.05 ID:/S4PToSU0


「ねぇ。大丈夫?」

「大丈夫よ」


感情を隠すように答える。

こんなときでも平静と同じように答えることができてしまう自分が、少々恨めしい。
本当は言葉で表現しきれないくらい嬉しいのに、体は本心を隠すように働き、空虚な言葉が自然に口に出る。
ここで口に出すべきは感謝か歓喜の言葉なのに、そんなものは臟賦にしまい込んだまま何処かに行ってしまう。

仕方ない、と思っているが、それでもここまで機械のようだと一抹の寂しさを感じてしまう。





465 : ◆ctuEhmj40s 2012/06/11(月) 00:03:31.61 ID:/S4PToSU0


その時、向かいからハンカチが差し出された。


「はい」

「……何?」

「気づいていないの?」


呆れたように彼女は言った。


「涙。拭いたらどうかしら」


手を目元に当ててみる。指先にじんわりとした湿り気を感じる。
呆然と拭った指を見ようとすると、視界が歪んだ。
自分は確かに泣いていた。

気付くと、ポロポロと涙がこぼれ落ちてきた。
差し出されたハンカチをありがたく使わせてもらい、少しの間泣いた。





466 : ◆ctuEhmj40s 2012/06/11(月) 00:04:23.46 ID:/S4PToSU0


「……ありがとう」


涙は直ぐに収まった。
少し濡れてしまったハンカチを返すと、「どういたしまして」と返ってきた


「あなたにとってまどかさんは、どんな人だったの?」


涙を流した感情を整理するまもなく、その質問はやってきた。

友達だ。

本当にそうだったら、どれだけ良かっただろうか。
そんなことを言えるはずがない。
結局、彼女を苦しめ、人としての生き方を放棄させてしまった自分にそんな資格はない。

誰が許す許さないの問題ではなく、自分がそれを許せそうにない。
たった一人の友達も助けられなかった自分を。


「別に。ただの知り合いよ。深い関係ではないわ」





467 : ◆ctuEhmj40s 2012/06/11(月) 00:05:22.14 ID:/S4PToSU0


「嘘」


自分に対する罰の言葉は、たった一言で否定された。


「ただの知り合いに、そんなに一生懸命になるものですか。
本当はどういう関係なの? 幼馴染? それとも義理の姉妹? まさか恋人かしら」


何故そんな方向に行くのか。
的外れな、あらぬ疑いをかけられている。

きっと、この後も何も言わなければ、この人はどんどんと勝手に想像を膨らませていくのだろう。
冗談ではない。自分とまどかの関係を、そんな下種の勘繰りに汚されたくはない。
考えるだけで不快になる。

安い挑発だ。そんなことは分かっている。

だが、効果は抜群だ。
まどかのこととなれば、自分は何もせずにはいられない。
それがあらぬ誹謗中傷ならなおさらだった。





468 : ◆ctuEhmj40s 2012/06/11(月) 00:06:07.72 ID:/S4PToSU0


「……友達よ」

「やっぱりね」


予想通り、分かっていてやっていたらしい。
嫌らしい人だとほむらは思った。


「態度でバレバレですよ。まどかさんのことが気になって仕方がないって。
でもあれはさすがにやり過ぎじゃないかしら。人に武器を突きつけるなんて、ね」

「でも貴方、動じていなかったじゃない。平気な顔して」

「まぁ、まどかさんの友達なら、ある程度は信用できるから」

「それが、あの態度の理由?」

「ええ。知り合いのことを信用するのは、当然でしょう?」


ということは、自分が信用されたわけは、ひとえにまどかのおかげというわけだ。





469 : ◆ctuEhmj40s 2012/06/11(月) 00:07:03.41 ID:/S4PToSU0


「それに、あなた良い人ですもの」

「良い人? 知らない人間を脅迫する私のどこが良い人だっていうの?」

「友達のためにそこまで頑張れるのは、良い人くらいですよ」


そのとき、オーダーした紅茶と付け合せのお菓子がやってきた。

ウェイターがテーブルの上に丁寧に品を並べていく。
並べ終わると若いウェイターは「ごゆっくり」と挨拶をすると奥へ下がっていった。

紅茶を一口飲む。

味の良し悪しは正直よくわからない。
不味くはないことは分かるが、具体的にどう美味しいのかと聞かれると答えることは出来ない。

だが、飲んで気分が良くなるのは確かだ。
暖かい紅茶の香りと味は心に沁みわたるようだった。

向かいのテーブルからも良い香りがする。
バラのような香りは、また違った風情を感じた。

会話は自然と止み、静かな時間が流れた。





470 : ◆ctuEhmj40s 2012/06/11(月) 00:07:52.39 ID:/S4PToSU0


「まどかさんは元気?」


さらりと、聞いてほしくなかった事が静かだった空気に流れた。

自分は彼女に何を話せばいいのだろう。
彼女のことを何と話せるのだろう。


「いなくなってしまったの」

考える前に、口からは懺悔の言葉が出ていた。


「いなくなった? もしかして亡くなられたのかしら」

「亡くなったのは美樹さやかのほう。つい最近ね」

「さやかさんが……?」

「でも彼女がいたことはみんなが覚えている。
まどかも、普通に死ぬことが出来ればどれだけ救われたか」





471 : ◆ctuEhmj40s 2012/06/11(月) 00:09:38.56 ID:/S4PToSU0


理解してもらう必要はない。ただ聞いてもらうだけでいい。


「まどかは消えてしまった。文字通り、世界からいなくなってしまったの。
もう誰もあの子のことを覚えていない。あの子の家族も、仲の良かった友達も」


自分が勝手にわけの分からないことを話し始めて、さぞや困惑していることだろう。

それでも話すことを止めようとは思わなかった。
自分は身勝手な人間だと、改めて自覚する。
自覚してもなお、止めようとしない自分にさらに気分が悪くなった。


「私がいけなかったの。私があの子の人生を台無しにしてしまった。
全部私が悪かったのに、それでもあの子は私のことを最高の友達だと言ってくれて。

私のしたことは、結局まどかを苦しめただけだった。
あの子のしたことは無駄じゃない。そんなことは分かっている。

でもまどかが幸せになったとは、どうしても思えない。
きっと今も、あの子はどこかで戦っている。
そこに人としての幸せは無い。
私は彼女から当たり前の人生や幸せを奪ってしまった。
そういうのが一番似合う子だったのに。

選んだのはまどか自身だけど、そうせざるを得ない状況を作ったのは誰でもないこの私なの。
そうなったら、迷わずその道を選んでしまうような子だってわかっていたはずなのに」





472 : ◆ctuEhmj40s 2012/06/11(月) 00:10:58.29 ID:/S4PToSU0


ただ一方的に事実を話していく。
まどかのことを知っている相手に、自分の感情をぶつけるかのように話す。

何を期待しているのだろう。慰めてもらいたいのか。
それとも、こんな断片的な会話を聞いたうえで全てを察知してもらって理解者になってほしいのか。

何と、相手に甘えた考えだろうか。

まるでサンドバックのようだ。
相手のことを何も考えていない。
ただ自分のことをぶつけているだけだ。
こんな事では誰にも理解などしてもらえない。

だが、そもそも誰にも理解できない話などどうすればいいのだろうか。
結局、どんなに理解してもらおうと思っても無理な話なのだ。
それならば、こんな態度に出て何が悪いとも思う。
最初から希望など抱いていない。
もうそんなものはとうに消え失せている。

ただ知ってほしかったのかもしれない。
自分以外で『鹿目まどか』のことを覚えている彼女に、自分がしてしまったことを。





473 : ◆ctuEhmj40s 2012/06/11(月) 00:12:14.54 ID:/S4PToSU0

ああ、そうだ。
これは懺悔なのだ。

誰もまどかのことを知らなかったから、誰にも謝れなかった。
彼女に話せば、自分は謝ることができる。
貴方の知っている人に、私は酷いことをしてしまった。
私は酷い人間なのだ、と。

返ってくるのが罵倒でもいい。
ただ罪を知ってほしかった。

こんな自分がのうのうと生きていることが、例えまどかの願いであっても耐えることが出来なかったから。

全てを話し終わるまで、彼女は何も言わなかった。


「そう」


きっと自分の言うことは、十分の一も理解してもらえなかったことだろう。
それでもかまわない。
ただ自分の罪を知ってもらう、それだけでいい。





474 : ◆ctuEhmj40s 2012/06/11(月) 00:13:21.62 ID:/S4PToSU0


「ごめんなさい。何を言っているのかわからなかったわよね」

「まぁ、そうですね。でも大筋は大体」


今聞いたことを纏めるように数秒考え込むと、彼女は確認するようにこちらを見つめた。


「あなたは鹿目さんの親友だった」

「……はい」

「あなたは鹿目さんを苦しめてしまった」

「はい」

「鹿目さんは、あなたを救うためにあなたの前から消えてしまった」

「少し違いますけど。はい」


それだけわかってくれたのなら、十分だ。

むしろ、そこまで理解してくれたことが驚きだ。
ただの電波話として、軽く流されてもおかしくなかった。
そうだとしても、聞いてくれただけで自分は嬉しかっただろうが。





475 : ◆ctuEhmj40s 2012/06/11(月) 00:14:11.26 ID:/S4PToSU0


もういい。
これ以上は望まない。

覚えてもらっただけで十分だ。
自分が鹿目まどかを消してしまった張本人だということを。


「私と同じね」

「――え」


ほむらは、相手が何を言ったのか、よくわからなかった。

聞こえなかったわけではない。
その発言がどういう意味を持つのかが分からなかった。


「私にも友達がいたの。とても大切な、掛け替えのない親友が、ね」





 



481 : ◆ctuEhmj40s 2012/06/22(金) 01:42:06.83 ID:z19xm25b0


そう言った彼女の顔は、それまでとはうって変わった複雑なものだった。
それまでのニコニコとした優しい顔であることに変わりはない。
ただそこに、愁いや喜びの欠片があった。

それが何を意味しているのかは、分からない。
ただこのことが、彼女にとってとても重要なことであることは察しがついた。


「それは、ホテルで話していた……?」

「ええ、その人。天上ウテナという人なのだけれど。貴方は何かしらないかしら?」


残念ながら聞いたことは無い。
特徴的な名前であるし、忘れたということはないだろう。

何も知らないことを告げると、「残念」と一言だけ彼女は呟いた。





482 : ◆ctuEhmj40s 2012/06/22(金) 01:42:47.74 ID:z19xm25b0


「ごめんなさい。力になれなくて」

「いいの、気にしないで。特に何か期待していたわけじゃないから」


そう言った彼女の顔は、本当に気にしていないようだった。
失望も、かといって諦念があるわけでもない。

その態度にほむらは少し反感を抱いた。
大事な友達の手がかりが掴めなかったというのに、どうしてそこまで冷静でいられるのか。
自分と違い、探せばその親友と会えるというのに。


「冷たいのね」

「何が?」

「いえ。大事な友達のことなのに、あまり必死に見えないから」


そう言うと、少し困ったような顔で彼女は答えた。





483 : ◆ctuEhmj40s 2012/06/22(金) 01:44:56.83 ID:z19xm25b0


「必死になってもいいのだけれどね。
たぶん、あの人はそんなことは望まないだろうから。ちょっと歯がゆいけれど」

「どういうこと?」

「あの人は私を解放してくれたの。
それで私がまたウテナに縛られてしまったら本末転倒じゃない」


何とも抽象的な物言いだった。

彼女はどこかの良家の人間で、しきたりなどに縛られていたのだろうか。
それなら、こんなに浮世離れしているのも当然だろう。


「まるで王子様のようね、その人。貴方はさしずめ、鳥かごのお姫様かしら」





484 : ◆ctuEhmj40s 2012/06/22(金) 01:45:57.26 ID:z19xm25b0


「正確には王子様気取りでしたけどね。なれもしない王子様になろうとしていましたから」


その言葉には、明らかに棘があった。
明らかに、その人物に対する否定であり、怒りが感じられた。

一体、彼女をそのウテナという人物は、どのような関係だったのだろう。

彼女自身は「友人」と語っている。
しかしただ仲の良かった友人とは思えない。
彼女の言葉には様々な感情が見えた。
ただ肯定的な感情だけではない。
相手を否定的に見る感情もあった。

そんな否定でも成り立つ友情をほむらは知らない。
友人というのは、好きということから始まると思っていた。





485 : ◆ctuEhmj40s 2012/06/22(金) 01:47:08.44 ID:z19xm25b0


「どんな人だったの、その人は?」

「王子様になりたかった女の子ですよ」


紅茶を一口すすると、彼女は話し始めた。


「優しく、無邪気な人でした。
周囲からはカッコイイ人だと思われていましたね。
本人も王子様のように気高く生きようとしていましたし、そう言われるだけの特別なものも持っていましたよ。
正々堂々としていて、正義感が強くて。
学園ではとても人気があって、みんなの憧れの的でしたね」


あこがれの的、か。

最初に出会ったころのまどかも、自分にとっては憧れの的だった。
強くて、かっこよくて、優しかった。
そんな彼女に自分は甘えてしまっていた。
友達として何もできなかった。

だから彼女が死んでしまったとき思ったのだ。
今度は自分が彼女を守ってあげたい、と。
それが、自分が友達としてできる唯一のことだと思った。


「それで。貴方もその人に憧れていたの?」





486 : ◆ctuEhmj40s 2012/06/22(金) 01:47:52.48 ID:z19xm25b0


「まさか」


彼女は笑った。


「女の子はどうあがいても王子様になれませんから。
ごっこ遊びに夢中になっている彼女を笑っていたと思います。
いえ、軽蔑していた、と言ったほうが正しいかしら。
私のことを見ようとしないで友達面しているあの人の事を、私は軽蔑していました」


辛辣な言い方だった。


「本当に友達?」

「ええ。掛け替えのない親友です」





487 : ◆ctuEhmj40s 2012/06/22(金) 01:48:43.21 ID:z19xm25b0


「その割には随分と酷いことを言っているようだけれど」

「まぁ、本当の事ですし。それにいい思い出もたくさんありますよ」

「その思い出の中に、親友になった成り行きが含まれているのかしら?」

「恥ずかしいので聞かないでくださいね。大事な思い出ですから」


そこで、ほむらは追及するのを止めた。
誰にでも触れられたくない思い出がある。
それが大事なものなら尚更だ。

そんな風に考えていた相手を「親友」と呼ぶに至るまで、多くの出来事があったのだろう。
その多くの出来事を語るには、こんな場末の喫茶店と紅茶を飲む時間では場所も時も足りないのだろう。

自分とまどかの話のように。





488 : ◆ctuEhmj40s 2012/06/22(金) 01:49:24.35 ID:z19xm25b0


彼女とその人が親友であることには疑いはなかった。

口でこそキツイ物言いだったが、そのウテナという人物を語る時の彼女は本当に楽しそうだった。
そこには言葉にあるような嘲笑や軽蔑は感じられない。
嘲笑や軽蔑はすべて過去であり、思い出だった。

現在の彼女は、その人のことを「友」と語っていた。


「寂しくないの。彼女と会えなくて」


そんな疑問が言葉に出た。





489 : ◆ctuEhmj40s 2012/06/22(金) 01:50:01.25 ID:z19xm25b0


「寂しいけど、いつかきっと会えるから。そのために外に出たんですもの」

「私は寂しいの。もうまどかに会えないから」


弱音も口から出た。


「まどかさんは幸せね。こんなに心配してくれる友達がいて」

「そうかしら」

「そうですよ。自分のことを覚えてくれる人が居ることは、幸せなことだと思うわ」


彼女は断言した。

自分の考えとは180度違う。
そう言える彼女が、羨ましかった。





490 : ◆ctuEhmj40s 2012/06/22(金) 01:51:20.02 ID:z19xm25b0


「ねぇ。ちょっといい?」

「……何かしら」

「まどかさんとは、どうして会えないの?」


簡単な質問だった。考えることもない。一言で答えられる質問だ。


「まどかはもうこの世界のどこにもいない。あの子は世界の外に行ってしまった。
もう誰も彼女とは……」

「じゃあ、あなたも世界の外に行くべきね」


静かに彼女は言った。





491 : ◆ctuEhmj40s 2012/06/22(金) 01:52:15.55 ID:z19xm25b0


「世界の外?」

「まどかさんは今のあなたの世界から居なくなってしまったのでしょう? 
そこに居続ける以上、まどかさんとは会えませんよ」


世界の外? 
まどかが行ってしまった概念の世界に行けというのか。

それこそ無理な話だ。
この人は何もわかっていない。
行ける行けないの問題ではないのだ。


「無理よ。あの子の居る場所に、私は行くことは出来ない」





492 : ◆ctuEhmj40s 2012/06/22(金) 01:53:05.20 ID:z19xm25b0


「どうして?」

「まどかの居る場所は、私の居る場所とは違う。
歩いていける場所にいるかもしれない貴方たちとは一緒にしないで。
まどかはどこにもいないのよ」

「それはあなたが閉じこもっているからでしょう。棺の中に居るのがあなただけなのは当然よ」


棺。棺とは何……?


「世界はまどかさんによって変わった。まどかさんは新しい世界の中にいる。
なのに、あなたは一人変わらない棺の中で眠り続けている。
何時までそうしているつもりなの?」





496 : ◆ctuEhmj40s 2012/07/19(木) 02:46:03.60 ID:U5nAMCdu0


「何を言っているの?」


まどかを守るのが自分の願いだ。
そして罰だ。

自分はまどかの替わりにこの世界を守らなければならない。
それが自分に出来る唯一の友情の形だ。

守るのだ。まどかの替わりに世界を。
世界をまどかの替わりに。


「もう、あなたがまどかさんを守っている時間は終わっているんですよ」


違う。終わってなどいない。





497 : ◆ctuEhmj40s 2012/07/19(木) 02:47:17.83 ID:U5nAMCdu0


「あなたは何をしているの? 
終わったことをいつまでも続けて。
そんなにまどかさんの王子様ごっこがしたいんですか?」

「ごっこ遊びなんかじゃないわ……!」


こちらは真剣だ。
そのことを非難されるいわれはない。
まどかのことを守りたいと本気で考えている。
それは彼女が好きだった世界を守ることで、今となっては実現するのだ。


「まどかが守った世界を守るのが私の役目。
残された私ができる唯一のことなの。
それの何が悪いというの」

「あなたが守りたいのは、世界じゃなくてまどかさんでしょう?」


ぐさり、と耳に音が刺さった。ような感じがした。





498 : ◆ctuEhmj40s 2012/07/19(木) 02:48:19.96 ID:U5nAMCdu0


「替わりを守ってもまどかさんを守ったことにはなりませんよ。
本当は気づいているんじゃないですか? あなたも」


止めて、と声を上げそうになった。

しかし、声を上げたところで何になるというか。
止めようとしたということは、それがまぎれもなく自分にとって真実だからだ。

そのことに気づいてしまった。


「世界なんて、本当はどうでもいいんでしょう?」


何の慈悲もなく、そのことは告げられた。





499 : ◆ctuEhmj40s 2012/07/19(木) 02:49:38.25 ID:U5nAMCdu0


「態度を見ればわかりますよ。
あなたはまどかさん以外は、心底どうでもいいってこと。
だから平気でどんな手段でも取れるし、他人やましてや自分がどうなろうとも素知らぬ顔でいられるんです。
他人も自分もどうでもいい人が、どうして世界を守りたい、なんてことを考えますか」


彼女の言葉は止まらなかった。

今まで目を逸らしていたことが浮き彫りになっていった。
止めることは出来ない。
彼女の言う「どんな手段」も使おうかと思った。

しかしできなかった。
自分以外の「まどか」がいた残り香に、どうしてそんなことが出来ようか。

そうだ。自分は世界などどうでもよかった。

いや、どうでもよくはない。
ハッキリと言える。
自分はこの世界が、嫌いだった。





500 : ◆ctuEhmj40s 2012/07/19(木) 02:51:13.17 ID:U5nAMCdu0


世界にまどかが生きる場所は無かった。

どんなことをしても、彼女は普通に生きることは叶わず、死んでしまった。
彼女に何の罪があったのだろうか。
普通の人生を生きていたはずの彼女が、どうしてそのまま普通に生きることを絶たれなければならなかったのか。

結局、彼女は世界から否定されたのだ。
お前が生きる場所はない、と。

誰もが幸せに生きている。
彼女を殺した世界は、幸せに日々を送っている。

友達を殺した張本人が、目の前で幸せな人生を送っている様を見ているかのようだった。
しかし、それは彼女が望んだことだった。
彼女が守った世界は、彼女の望み通り希望がありうる世界となった。

唯一にして最大の価値が、それだった。
それがあったから、自分はこの世界を憎もうと考えずにいられたのだ。

そうでなければ、誰がこんな世界好きになるものか。





501 : ◆ctuEhmj40s 2012/07/19(木) 02:52:11.02 ID:U5nAMCdu0


どうすればいいのだろう。
気が付いてしまった。
自分の本当の気持ちに。

目を背けるのは簡単だ。
だが、そのことを自覚してしまった以上、以前のようには戻れない。

自分はもう、友達が好きだった世界を守り続ける、そんな小奇麗な人間ではない。
大事なものを守れず、失ったことを認められずに好きでも何でもない替わりを守ってその現実から逃げている、
ただの屑のような人間だ。

自分がまどかにしてあげられる事は何一つない。
会うこともできない。
自分の中にあるのは、行き場のない望みと、それを永遠に叶えることのできないことへの喪失感だ。





502 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(埼玉県) 2012/07/19(木) 02:52:59.04 ID:U5nAMCdu0


こんな虚無を自分はこれからも抱えて生きていくのだろうか。
そんなことができるのだろうか。

いや、生きなくてはいけない。
まどかが世界を守ったことを理解し、それを守り続けることができるのは自分だけだ。

何を、ふざけたことを、言っている。

もう、そんなことはできない。
まどかが守った世界に、何も価値を感じられない自分には。

それならば、他の人間と同じように生きていくのか。
何も知らず、何もかも忘れ、まどかの事も忘れて幸せな世界で生きるのか。





503 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(埼玉県) 2012/07/19(木) 02:53:46.67 ID:U5nAMCdu0


何時からだろう。
生きることがこんなにも苦しくなったのは。

息をするだけでも、刃のような空気が肺を切り裂いていくようだ。

光は目を焼き、音は鼓膜を破いていく。
苦しみに対して、自分は何もできずにズタズタにされていく。

どうして生きることがこんなにも苦しくなったのだろう。
理由がなければ、生きることも叶わない。
今の自分に、こんな世界で生きる理由があるのだろうか。





504 : ◆ctuEhmj40s 2012/07/19(木) 02:54:29.13 ID:U5nAMCdu0


「まどかさんは、もうあなたの世界にはいないんですよ」


ふと、思った。この人は薔薇のような人だと。

綺麗な花に近づけば、棘によって近づいた者は痛手を負う。
きっとこんな印象を受けるのは自分だけだろうが、希望と絶望の両面を持つ彼女は本当にバラの様だった。


「じゃあ、私はどうすればいいの?」


出た声は掠れていた。
もしかしたら、また泣いているのかもしれない。





505 : ◆ctuEhmj40s 2012/07/19(木) 02:55:30.88 ID:U5nAMCdu0


「あなたのことは、私にも分かりません。あなたはどうしたいんですか?」


彼女に問われる。

自分は何がしたいのだろうか。
生きる理由はあるのか。
こんなにも苦く苦しい世界の中で。

まどかがいなくなってしまった世界に、一人取り残された自分は。


「私は……」


少し考える。

世界に復讐したいのか。
まどかと思い込んで、その替わりを目を逸らして守っていくのか。
それともいっそのこと生きることを止めてしまうか。
様々の選択肢が浮かんでは消えていった。

やがて、一つだけ残った。

これだけは、どうしても消えない。
おそらく、これが自分の本当の望みなのだろう。





506 : ◆ctuEhmj40s 2012/07/19(木) 02:56:06.76 ID:U5nAMCdu0


「……まどかに会いたい」


それが、自分の本心だ。


「まどかに会って、話がしたい。
手を握っていたい。
一緒にお茶を飲みたい。
困っているなら助けてあげたい」

「それがあなたの気持ち?」

「たぶん、私の本心。私はまどかに会いたいの。もう一度」





507 : ◆ctuEhmj40s 2012/07/19(木) 02:57:01.74 ID:U5nAMCdu0


だが、それは叶わない願いだ。
まどかは、二度と会えない場所に行ってしまった。

だから、その気持ちに目を背けるしかなかった。
嘘をつくしかなかった。
その気持ちを抑えるには、まどかを守るように世界を守るしかなかった。

抑えるには、まどかがいなくなったことを認めなればよかった。
まどかの替わりにまどかが好きだった世界を守れば、心は楽になった。
出来なかったことができたような気がした。

それは、本当に自分にとっては救いだった。
大事なものが守れなかった喪失感が埋まったと思った。

だから続けた。
まどかを守り続ける、その繰り返しの続きを。





508 : ◆ctuEhmj40s 2012/07/19(木) 02:57:49.19 ID:U5nAMCdu0


「卵の殻を破らねば――」

「え?」

「雛鳥は生まれずに死んでいく。
我らが雛で、卵は世界だ。
世界の殻を破らねば、我らは生まれずに死んでいく。
世界の殻を破壊せよ。
世界を革命するために」


突然の言葉に呆気にとられる。

聞き覚えがある言葉だ。
昔、入院中に読んだ本にあった気がする。
確か、ヘッセのデミアン――。





509 : ◆ctuEhmj40s 2012/07/19(木) 02:58:46.65 ID:U5nAMCdu0


「まどかさんは、あなたの世界から消えてしまったのかもしれない」


思い出は、『まどか』という言葉で塗りつぶされる。

かつての入院中の記憶など、とうの昔に彼方へ行ってしまっていた。
『まどか』は自分にとって、切り離せないものとなっている。

何の意味があるのだろう。
いないものに、こうまで縛られている。

自分はまどかの思い出と共に、どこまでも生きていくのか。
それもいいのかもしれない。


「でもそれは、あなたの世界から居なくなってしまっただけ」


いない。
まどかはどこにもない。

この気持ちは、どこに行くのだろう。
どこに行けば、いいのだろう。


「だから、まどかさんに会いたかったら、外に行かないと」





510 : ◆ctuEhmj40s 2012/07/19(木) 02:59:37.38 ID:U5nAMCdu0


「外?」

「世界の果ての向こう側。
まどかさんとあなたが居た世界。
でもまどかさんは世界を変えた。
その世界の外に行ってしまった。
それなら、追いかけて探すのが一番の近道じゃないかしら」

「でも、それは……」

「世界は変わった。
それなのに、あなただけは元の場所に留まって、新しい世界に進めずにいる。
そこに居たら、いつまでもまどかさんとは会えませんよ。
まどかさんの居る世界に、ちゃんと行ってみたらどうですか。
まどかさんが願った世界を、彼女がどこかに居る世界に、ね」





511 : ◆ctuEhmj40s 2012/07/19(木) 03:01:16.59 ID:U5nAMCdu0


「……」


まどかは概念になった。
それが、あの獣の言葉だった。

もう彼女はどこにもいない。
始まりも終わりもなくなり、一つ上の領域にシフトしてしまったと。
この世界のルールになったしまった、と。


「あなたは、まどかさんの居る世界で生きていますか?」


まどかの居る世界。
まどかがかつていた世界と、まどかがルールとなった世界。


「会いたかったら、外に行くしかないんです。会いたい人の居る、その世界に」


魔法少女が魔女になる世界。
その世界では、まどかは死んでしまう運命だった。

だから、守ろうと必死になった。
どんなことがあっても、必ず彼女を守る。
何度失敗しようとも、諦めない。
そのために全てを犠牲にした。

もう、その世界は無い。

まどかが世界を変えてしまった。
魔法少女が魔女にならない世界に。

今でも彼女は戦っている。
魔法少女たちの希望を守るために、世界のどこかで。





512 : ◆ctuEhmj40s 2012/07/19(木) 03:02:32.28 ID:U5nAMCdu0


「ああ……」


忘れていた。
まどかは、消えてなんかいない。

こうして世界から魔女がいなくなっていることが、彼女がいる何よりの証だ。

存在が無くなったはずがないのだ。
そのことは、何よりも自分が知っているではないか。

彼女は生きている。
今もこの世界の中で、必ず。

自分は何をしていたのだろう。
まどかを守る、それはもうなくなった世界の話だった。
それなのにそこに閉じこもり、あの世界を一人続けていた。
まどかが新しくした世界を、見ようともしないで。

何ということだろう。
まどかはいなくなったと思っていた。

でもまどかをいないものと思い込み、世界から消していたのは、自分だ。






513 : ◆ctuEhmj40s 2012/07/19(木) 03:04:36.59 ID:U5nAMCdu0


「……でも」

「はい」

「出来るのかしら。今更、外の世界に行くなんて。
もうどうしようもないほど、前の匂いが染みついているのに」


人を信じなくなった。
打算だけで、人間関係を見るようになった。
散々、他人を見捨ててきた。
どんなに汚れても気にしなくなった。

こんな自分を、この世界は受け入れてくれるのだろうか。





514 : ◆ctuEhmj40s 2012/07/19(木) 03:05:26.10 ID:U5nAMCdu0

「大切なのは、そこに居る気があるかどうかですよ」


何の不安もなくなるような声だった。


「拒絶するのは、いつだってその人自身です。
世界が拒絶したり、束縛することはありません。
だって人は自由に動けるんですもの。
行こうと思えば、どこにだって行けますよ」


嘘も虚飾もない、ただの現実をそのまま伝えている声だ。

現実は自分にとって、辛く苦しいものだった。
何度心を削られ、血を流したかわからない。

しかし今のその声には、恐れは感じなかった。


「魔女だった私が、こうしてここに居られているんです。あなたができないはず、ありませんよ」





515 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(埼玉県) 2012/07/19(木) 03:06:04.48 ID:U5nAMCdu0


まるで、自分の経験を語っているようだ。

そこで、思い出した。
彼女にも親友がいると言っていた。

自分にとってのまどかのように、この人にも掛け替えのない親友が。


「あなたも外の世界に行ったの? 友達のために?」





516 : ◆ctuEhmj40s 2012/07/19(木) 03:07:09.15 ID:U5nAMCdu0


「ええ」


そう言って、彼女は再び紅茶を飲み始めた。

自分も同じように口に運ぶ。
相も変わらず、でも少し冷めてしまっていたが、心が落ち着くような味だった。

二人で静かに紅茶を飲む。
もうあまり会話は無い。

きっとこの人も、大切な友達のことを考えているのだろう。
自分もそうだ。 失礼なことかもしれないが、きっとこの人との関係はこんな感じでいいのだと思う。

仲間とも友達とも違う。
このような関係を、『同胞』とでもいうのかもしれない。

飲み終わるまで、二人の間に会話は無かった。

紅茶も冷めてしまっている。

でも、暖かい時間だと、ほむらは思った。





517 : ◆ctuEhmj40s 2012/07/19(木) 03:08:17.73 ID:U5nAMCdu0


「一つ聞いていい?」


ふと、思い出した。
そういえば、今の今までこのことを聞いていなかった。


「何ですか?」


静かにカップを置く。

他人に興味などなくなっていた。
だから、こんなことを聞くのも随分と久しぶりのような気がする。


「貴方、名前は?」


その問いに、彼女は静かに笑って答えた。





518 : ◆ctuEhmj40s 2012/07/19(木) 03:09:02.02 ID:U5nAMCdu0


「アンシー。姫宮アンシーです」

そのまま、自分も答えた。


「私は、暁美ほむらよ」


誰かに自分のことを知ってもらう。それがその世界とつながる第一歩だ。






519 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(埼玉県) 2012/07/19(木) 03:09:38.61 ID:U5nAMCdu0

「よろしくね、ほむらさん」

「ええ。よろしく」


いつか、まどかと再会して。

この人にもまどかを紹介したい。
そう、ほむらは思った。





520 : ◆ctuEhmj40s 2012/07/19(木) 03:10:42.97 ID:U5nAMCdu0

―――――


いつ間にか、周りは自分と彼女だけになっていた。

あの男は、もうどこにもいない。
どこかに行ったのか。
それとも消えてしまったのか。

自分とあの子の関係を呪いだと言っていた。
呪いの輪の中から自分たちは出ることは出来ない、と。

そんなことはない、と彼女は否定してくれた。

呪いそのものだったあの男は、もうどこにもいなくなっていた。





521 : ◆ctuEhmj40s 2012/07/19(木) 03:11:47.81 ID:U5nAMCdu0


「天上先輩」

話しかける。
かつてどこかで、知り合った先輩に。


「私、友達がいるんです。最高の友達が」


その言葉に、彼女は笑って答えた。





522 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(埼玉県) 2012/07/19(木) 03:12:25.89 ID:U5nAMCdu0


「ボクにもいるよ。親友が」


話したいことは多い。
きっとお互いに、友達のことを話し合うのだろう。

そしてきっと、お互いの友達を紹介しあうのも遠くない。
そうまどかは思った。





523 : ◆ctuEhmj40s 2012/07/19(木) 03:14:48.89 ID:U5nAMCdu0

これで、当SSは終わりになります。
後日談に入ってから、投下ペースを守れず申し訳ありませんでした。

ここまでお付き合いいただき、本当にありがとうございました。




525 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(関東・甲信越) 2012/07/20(金) 06:03:37.86 ID:pPWrdywAO

完結乙!
ファビュラスマックスなSSをありがとう!



526 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(愛知県) 2012/07/20(金) 07:32:11.54 ID:hh3Npqvt0

ありがとう。
見せてもらいました。
投下ペースは問題ないし。…楽しみは長く。ふさわしい結末だった。

アンシーは、五十六億八千万年後、アドゥレセンス黙示録の世界でウテナと再会した。
ほむらも、きっと…。


マミ「ここは…どこ?」 落田「しあわせ島でやんす」【前編】



転載元
まどか「世界を!」ウテナ「革命する力を!」
http://ex14.vip2ch.com/test/read.cgi/news4ssnip/1325231440/
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         コメント一覧 (27)

          • 1. 以下、VIPにかわりましてELEPHANTがお送りします
          • 2013年01月28日 14:41
          • ウテナのssもっと増えないかな
          • 2. 以下、VIPにかわりましてELEPHANTがお送りします
          • 2013年01月28日 15:19
          • 川上ともこさん・・・・
          • 3. 以下、VIPにかわりましてELEPHANTがお送りします
          • 2013年01月28日 15:26
          • ブルーレイ最高でした
          • 4. 以下、VIPにかわりましてELEPHANTがお送りします
          • 2013年01月28日 18:07
          • Blu-ray出てるのか
            てか懐かしすぎ
          • 5. 以下、VIPにかわりましてELEPHANTがお送りします
          • 2013年01月28日 18:27
          • ウテナとか懐かしすぎだわ

            20年くらい前か?
          • 6. 以下、VIPにかわりましてELEPHANTがお送りします
          • 2013年01月28日 18:55
          • 潔く格好よく生きていこう・・・か、久しく忘れた感情だなあ
          • 7. 以下、VIPにかわりましてELEPHANTがお送りします
          • 2013年01月28日 19:07
          • うむ、良かった
          • 8. 以下、VIPにかわりましてELEPHANTがお送りします
          • 2013年01月28日 19:13
          • まとめありがとうございます。
            お疲れ様です
          • 9. 以下、VIPにかわりましてELEPHANTがお送りします
          • 2013年01月28日 19:23
          • 素敵としか言いようがない
            ウテナ、まどマギ、ピンドラ(サネトシが)全てが上手く交差してる

            特に後日談の集束の仕方が綺麗だね
          • 10. 以下、VIPにかわりましてELEPHANTがお送りします
          • 2013年01月28日 19:40
          • 双方の話の筋や結末、キャラのイメージも変えないこういうクロスの仕方もあるんだね。面白かった。
          • 11. 以下、VIPにかわりましてELEPHANTがお送りします
          • 2013年01月28日 22:53
          • 5 マミ「光射す庭・フィナーレ」

            この2つ(もしくは3つ)の作品の相性がいいのかはわからないけど
            それを違和感なく繋ぎあわせた手腕に敬服する
            あと姫宮アンシーというキャラが掴みやすくなった気がするな
          • 12. 以下、VIPにかわりましてELEPHANTがお送りします
          • 2013年01月28日 22:55
          • まどマギ、ウテナ、それぞれ物語の補完としても申し分なかった
            乙でした
          • 13. 以下、VIPにかわりましてELEPHANTがお送りします
          • 2013年01月28日 23:33
          • 5 よくわかんないけどおもしろかった
            うん とりあえずアテナとかいう作品から鬱臭がする
          • 14. 以下、VIPにかわりましてELEPHANTがお送りします
          • 2013年01月28日 23:42
          • まどかまだ見てないけど面白かった

            SSでは邪魔になりがちな地の文を読ませる文章力もあるし、何よりウテナの世界観を違和感なく書けてるのがスゴイわ

            そしてまさかのサネトシせんせーw
          • 15. 以下、VIPにかわりましてELEPHANTがお送りします
          • 2013年01月29日 00:02
          • >>1はウテナもまどかも好きなんだろうなあ
            惹き付けられた
          • 16. 以下、VIPにかわりましてELEPHANTがお送りします
          • 2013年01月29日 00:29
          • 本編中にも「透明な存在」とか「何者にもなれない」とかのワードが出てきてニヤニヤしてたら
            後日談でサネトシさんまで出てきてワロタ

            幾原さんの新作でないかなー
          • 17. 以下、VIPにかわりましてELEPHANTがお送りします
          • 2013年01月29日 00:53
          • ウテナは知らなかったけどまどまぎはしっているあと良かった
          • 18. 以下、VIPにかわりましてELEPHANTがお送りします
          • 2013年01月29日 00:53
          • 暁生さんだったらひと月あれば確実に二人に手を出してる気がする
            下手したら石蕗とすら淫行に及びかねない男だ
          • 19. 以下、VIPにかわりましてELEPHANTがお送りします
          • 2013年01月29日 00:55
          • ウテナは知らなかったけどまどまぎはしっているあと良かった
          • 20. 以下、VIPにかわりましてELEPHANTがお送りします
          • 2013年01月29日 05:05
          • シーザー曲の脳内再生っぷりが半端無い
          • 21. 以下、VIPにかわりましてELEPHANTがお送りします
          • 2013年01月29日 05:12
          • ニコ生でウテナ見た私にはタイムリーな上作でした・・・なにこれすごい。
          • 22. 以下、VIPにかわりましてELEPHANTがお送りします
          • 2013年01月29日 06:54
          • 5 まどまぎssはよく見るけど、ウテナは初めて。
            ただただ作者の手腕には驚かされました。
            それぞれの作品の魅力がはっきりしてて、出てくるキャラが皆イキイキしてて、スゴい!
            特にアンシーがよかった。
          • 23. 以下、VIPにかわりましてELEPHANTがお送りします
          • 2013年01月29日 09:11
          • まどかの願いは「最後まで希望を諦めないで」この願いには最初の願いへの固着化は含んでいないよ

            元の願いを振り返り積極的な可能性を救うのは固着化でないよ
          • 24. 以下、VIPにかわりましてELEPHANTがお送りします
          • 2013年01月29日 18:19
          • 5 キャラも原作も全く崩すことなく、それぞれの世界観を重ねてひとつの物語としてここまで完成されてるとは。
            ウテナ、まどマギ両作品の補完もされて、より理解を深めることができたように感じてる。原作者でもないのにすごいなw
            前編の描写が特に良かった。ウテナの原作小説を読んだかのような背景描写と理解の深さ....もう一回アニメ見たくなった。

            ところで横長顔のまどさやがシュッとしたウテナ達の横にいるという絵面を想像しただけでワロタのは私だけだろうか。
          • 25. 以下、VIPにかわりましてELEPHANTがお送りします
          • 2013年01月30日 22:06
          • 5 > 24
            まどかが黒薔薇の衣装を着ているのを想像して笑った自分が通りますよっと

            SSのクオリティが高すぎて、睡眠時間削って一気に読んでしまった...
            とりあえず、ウテナ見返そうと思う。
          • 26. 以下、VIPにかわりましてELEPHANTがお送りします
          • 2013年02月01日 23:45
          • 鮭とアスパラと、あと卵焼きと…あと、どうしよう?
            どうすればいいかな?
          • 27. 以下、VIPにかわりましてELEPHANTがお送りします
          • 2018年11月22日 08:12
          • 5 名作

        はじめに

        コメント、はてブなどなど
        ありがとうございます(`・ω・´)

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